2005年4月

ナショナル・トレジャー4/1109シネマズ木場シアター8監督/ジョン・タートルトーブ脚本/コーマック・ウィバーリー、マリアンヌ・ウィバーリー、ジム・カウフ
テンプル騎士団とフリーメイソンが残した財宝を見つけるという、トレジャー・ハンターの冒険アクション。シャーロット、というキーワードから氷詰めされていた船を見つけるまでの過程が端折られているのが、かなり不満。どうやって見つけたんだよ、と突っ込みを入れたい。その後は、まあ、荒唐無稽の独立宣言書を盗んだり追いつ追われつしたり。そして、財宝のありかを示す地図や暗号やメガネなんかがでてきて、それなりに楽しめた。
どっかのジャングルにでも行って財宝探しをするのかと思っていたら、アメリカ国内の大都市を点々とするのね。まあ、そういうのもありなのかも。ヒロインのダイアン・クルーガーって、「ホワイト・ライズ」にでていた彼女なんだね。あのときよりソフトな感じで、魅力がでていた。ニコラス・ケイジの相棒役のジャスティン・バーサがいい味をだしてた。ニコラス・ケイジとジョン・ヴォイトの親子は、インディ・ジョーンズの親子を思わせるねえ。それにしても、独立宣言書やセキュリティシステムなんかは、本物なんだろうか? セットには思えないところもあったけど、かなり協力してもらっているのかね。
ローレライ4/1109シネマズ木場シアター6監督/亀山千広脚本/鈴木智
なんと、トンデモバカ映画であった。時代は第二次大戦終戦直前。1台の潜水艦が原爆搭載機阻止の特命を受けて出艦するんだけど、もう話が無茶苦茶。そもそも潜水艦はドイツからひそかに持ち出したという設定なんだけど、ローレライというのは女の子の霊感を使ったオカルトレーダーなのだよ。バカバカしい。潜水艦には米軍に内通している連中が搭乗していて、反乱を起こす。曰く「原爆で東京を壊滅させる。ローレライを米軍に提供する」と。そもそも日本軍人でこんなバカをいう人間は存在しなかったはずだ。たかが南方戦線で辛い思いをしたからといって、米軍に肩入れする? あほか。基本的に、もー、まったく説得力がない。こういうホラばなしを現在の青少年は納得してしまうのか? ありそう、あったら面白いという荒唐無稽ではなく、ありえねー、という荒唐無稽。戦中のことや歴史を知らないアホが考えた妄想以下のヨタ話だ。
そもそも軍人たちがなってない。映画に出るなら髪を剃れよといいたいが、まあそれは目をつぶるとして。言葉がまるで現代劇。上官と部下の物言いや態度が無茶苦茶。服装にも「?」がある。冒頭の役所広司の軍服がぶかぶかで体に合ってないよ。参謀本部の軍人たちなんか背筋が伸びてなくて、動きがそこらへんのオヤジじゃないか。こういう軍人の口調や動作なんか、昔の映画を見ればすくに分かるはず。いや、まだ軍人経験者はいるのだから、アドバイスを受ければいい話。リアリティ無視も、ほどほどにしないとな。それと、最終的に原爆搭載機の阻止に向かうとき、正式な命令ではないからと24人ぐらい降りるのだけれど、これも信じられない話。そもそも潜水艦には精鋭が乗艦していたんだろ? それが、こんなに多く艦を離れるかよ。ありえねえ。
だいたい、原爆搭載機の阻止のためって、いったいどの情報をもとにどこへ向かったのか? あてもなく太平洋をうろついてもしょうがないのに、どうやってテニアンから飛び立つことが分かったんだろ。それに、ラストでテニアン近くに浮上して離陸したB29を艦砲射撃で打ち落とす(という、信じられない離れ業を行ってしまう。笑ってしまった)のにも、どれが原爆搭載機かなぜ分かったんだ。で、攻撃して原爆が爆発しないと思っていたのだろうか? あー、それから、原爆投下直後に「原爆が」と話していたけど、あれは「新型爆弾が」と言うべきだろうなあ。
で、ローレライだけど、一体、どれほどの有用性があるのか意味不明だ。あんなものをなぜアメリカが欲しがるんだろ。そもそも、少女はナチスドイツに虐待されたユダヤ人のようだけれど、なぜ、あんな役割を押しつけられているのか、わからんね。それに、利用するときに本艦から切り離してひもで係留してひっぱっていかなくてはならない理由もわからん。へんなの、としかいいようがない。だいたい、石黒賢はローレライを米軍に渡したいなら、ドイツから日本軍に手渡したりせず、そのまま米軍に投降してしまえばよかったじゃないか。とかね、突っ込みどころばっかりのストーリー。あまりにもアホなので、欠伸ばかりがでてしまった。
CG合成画面はとても汚い。ピンも合っていないし全体に甘くて茫洋としている。ピンが合いすぎるとバレるところが多かったからなのだろうか。潜水艦も戦艦も波頭も、いかにもCGって感じで、実写から突然アニメになってしまうところも多くて、見るに耐えない部分も多い。鶴見辰吾の役回りもよく分からないし、堤真一は単なる精神障害にも見えてくる。こういう映画に海上自衛隊や早稲田大学、文化庁までが後援している。解せない。日本の危機を煽って国防意識を高める役割を担わせようというのか。アホだねえ。
世界で一番パパが好き4/14新宿武蔵野館2監督/ケヴィン・スミス脚本/ケヴィン・スミス
手垢のついたテーマとストーリーで、目新しさはどこにもない。けれど、ちょっとはうるうるさせてくれたし、時間つぶしにはいいかもね、ってな感じ。
出産時に妻を失い、娘を育ててきたのがベン・アフレック。死んでしまった妻がジェニファー・ロペスなんだけど、この2人の説明の下りが15分ぐらいある。ここだけしか出演しない生みの親になぜジェニファー? という気もするのだが・・・。それにしても、出産時に「あ、あっあっ」と死にゆくジェニファーは、可哀想というよりコメディだ。出産で力んだから痔、ではなく、動脈瘤破裂って、なんかなあ。もうちょっと別の死なせ方はなかったのかね。
面白かったのがベン君の職業で、タレントを売り出す代理店、らしい。日本にもDVDやCDなどのブレス資料をマスコミなどに流す代理店はあるけれど、プロモーションまではやってないんじゃないのかな。やってるのかな? よく分かんないけど、タレントの売り出しは基本的にレコード会社がしてるんじゃないのかな。で、アメリカにはタレントを売り出すあれやこれやをする代理店があるらしく、それが面白かった。ベン君は赤ん坊にてまどって、担当する歌手であるウィル・スミスと取材に来ていた記者を罵倒してしまい、会社を首になり田舎へ。このあたりのエピソードが後々まで影響するのが、伏線としては効果的。もっとも、ウィル・スミスはいつか出てくるだろうと思っていて、やっぱり出てきた。あ、他にベン君の友達のマット・デイモンがちょい役で出てきた。このあたりの楽しみもある。もっとも、本筋を離れすぎのきらいもあるけれどね。
で、ベン君はビデオ屋で働いているリヴ・タイラーと知り合いになって・・・と、お定まりの展開だ。リヴ・タイラーは清楚な役が取り柄かと思っていたら、ベン君が7年も女とやってないというと同情して「セックスしよう」といってくれるのだが、そんな奇特な女性はこの世にそうはいないよなあ。まあいい。で、問題なのが娘役があまり可愛くないことだ。どーしてもダコタ・ファニングと較べてしまう。そうして、あっちの方が子供としては可愛いよなあ、と思ってしまう。これが最大の難点だな。
NYの仕事をあきらめ、田舎で道路工事とゴミ集配の仕事をつづける決心をしたベン君。それもなにも、子供との時間を大切にしたいかららしいが、子供なんて10歳をちょっと過ぎたら生意気になってきて親の干渉をうるさがるし、学校の成績でバカと利口が振り分けられ、中学生ぐらいになったら非行に走ったりして悩ましいだけなんだぜ。
英語完全征服4/18シネマミラノ監督/キム・ソンス脚本/キム・ジヨン、ノ・ヘヨン、チェ・ヒデ、キム・ソンス
切り口が面白かったし最初のうちはギャグもそこそこ決まっていたので楽しんでいたけど、だらだらと展開される物語だとかテンポののろさが波長に合わなくなってきて、まだかよ、と思ってみたらまだ1時間しか経っていない。まだ残り1時間もあるのかと思ったら萎えてきて、教師と生徒が公務員の女の子の田舎に帰るあたりから眠くなって、とうとう5〜10分ぐらい寝てしまった。2時間は長すぎる。せめて90分にすべきだ。編集の間も悪いし、ムダなカットが多すぎ。それから、本題の英会話であまり笑えないのもつまらない。英会話の部分で笑えないのには、これが韓国映画であるということが大きく影響しているんだろうと思う。韓国語読みの英語だとか、白人が話す韓国語に、きっと笑うべきところがあるんだと思う。しかし、いかんせん日本人にはほとんどつたわらない。
なんとなく「免許がない!」を連想してしまうのだけれど、あっちは本筋の運転だとかなんだとかの描写も多かったし、他の学生の性格も描かれていたと思う。ところがこっちは、生徒の中の靴屋店員と公務員だけにスポットを当てたラブコメディ。韓国ではラブコメにしないと映画が当たらないのだろうか。ラブコメにムリがありすぎで強引で、なんだかよく分からない部分が多すぎ。公務員を演じる女優も可愛らしすぎて、実はモテない女の子、ってなキャラに見えないしね。それと、面白かったのは靴屋店員の別れた姉妹が帰国するというエピソード。こういう、貧乏故に子供を海外に里子に出した例が韓国には多そうだ。ドタバタはぎゅっと圧縮して、こちらの人情話をリアルに演出したら、話全体が引き締まったんじゃないのかな。
韓国は国を挙げて英会話ブームらしい。そういう背景があってこの映画もできたのだろう。でも、その割には英語や外人に対する態度が日本とどっこいどっこいだね。それから、韓国語読みの英語というのも、傍から無責任に聞いていると、おかしい。「平凡」が「のるまる」と話される。へー、だ。もっとも、日本人が「のーまる」と話しているのも「のるまる」とどっこいどっこいなんだろうな。それと、英語を勉強するのに辞書を食べるというのは、日本の風習があちらに残ったものなのだろうか?
いぬのえいが4/18テアトル新宿監督/脚本/
犬が登場するオムニバス映画なんだけれど、関係のない物語が続くのではなく、ポチという野良犬が登場する「名犬ロンドン」みたいな連作と、独立した物語が混じっている。アニメーションも2本(同じタッチ)あり、ミュージカルもある。豪華絢爛。しかも、外れがないというのが素晴らしい。最後の「ねぇ、マリモ」はお涙頂戴がわかっていても、うるうるしてしまう。どちらかといえば犬ではなく猫派の私にも「犬を飼ってみたいなと思わせるぐらいしみじみとよろしい。ビデオで画面が汚いのが難点。飼わないけどね。
「A Dog’s Life:good side」監督/黒田昌郎、脚本/山田慶太★★★
アニメ。どんな内容か忘れてしまった・・・。
「うちの子No.1」監督/称津哲久、脚本/山田慶太★★★
犬自慢をテーマにしたミュージカルだけど、奥行きの向こうの方の人の振りが合ってないよ。
「CMよ、どこへ行く」監督/黒田秀樹、脚本/山田慶太★★★★★
せっかくのCM企画がクライアントや上司やタレント会社に口を挟まれ、見るも無惨になっていく様子が描かれている。そうなんだよ。そうそう、と頷きながら見てしまった。
「ポチは待っていた/思い出」監督/犬童一心、脚本/佐藤信介★★★★
少年と犬の出会いなんだけど、空き地が最高にいい。かつてマンガに描かれていた空き地そのものなんだよ。広くて、赤土で、土管が3つ重ねられていてって、絵に描いたような空き地。それだけでしみじみしてしまった。
「恋するコロ」監督/佐藤信介、脚本/佐藤信介★★★
全体の流れからすると、ちょっと異質な感じがする1本。話にちょっとムリがあって、いまひとつかな。オチもミエミエだし。
「ポチは待っていた/歌う男」監督/犬童一心、脚本/佐藤信介★★★
天海祐希と川平慈英の破局と再生物語なんだけど、ポチシリーズの中ではちょっとレベルが落ちるかな。
「犬語」監督/永井聡、脚本/山田慶太★★★★★
バウリンガル誕生秘話(創作であって事実ではない)を切れ味鋭く描いたもの。ムダが無くてオチも二段オチになっていて面白い。
「ポチは待っていた/病院」監督/犬童一心、脚本/佐藤信介★★★★
事故で病院に運ばれたポチが、かつての少年を捜して玄関に座りつづけ、生涯を終えるエピソード。人と犬との交流、病んだ人にとっての癒し犬としての存在とか、しみじみつたわってくる。
「ポチは待っていた/空き地」監督/犬童一心、脚本/佐藤信介★★★★
CMプランナーになった少年がかつて空き地だったところを訪れ幻想に遊ぶ一編で、二度と戻れない想い出を感じさせてくれる。
「A Dog’s Life:bad side」監督/黒田昌郎、脚本/山田慶太★★★★
捨てられた犬のたどっていく運命を示唆したアニメーション。ちょっと怖いというか哀しい。
「ねぇ、マリモ」監督/真田敦、脚本/山田慶太★★★★
生まれたばかりの犬をもらってきた日、そして、成長して、少女よりもあとから生まれたのに先に成長して死んでいく運命。これを、字幕と犬が登場するドキュメンタリータッチの映像で静かにつづっていく。犬がとくべつ好きではない私でも泣けた。これで終わったかと思ったら、同じ時間の経過を、犬の目から飼い主の少女をみつめる映像でもういちど繰り返される。これは、付け足しの感があって、前半の感動が少し冷めてしまった。
以上、1本ごとに★の評価をつけてみた。
インファナル・アフェアIII 終極無限4/21上野東急2監督/アンドリュー・ラウ、アラン・マック脚本/アラン・マック、フェリックス・チョン
テレビ東京で先日、第一作を放映した。これを見ないと第三作を見ても分からないだろうと思って見ておいた。なにせ、第二作はさっぱり何のことやら理解不能だったし。ところが、第一作を見た上でもいろいろこんがらがって、見ている間に名前と顔を思い出したりなんたらかんたらしていると話がどんどん進んでいってしまったりして、ああ、ややこし。もし第一作を見直していなかったら、きっとヤンの死の前と死後の時制の描写で、つまずいてしまっただろう。やっぱり、この映画はつづきものだ。
ややこしいだけでなく、この第三作ははっきりいってつまらない。アクションがあるわけでもなく、どちらかというと心理描写に足を踏み入れているので、ちょっと単調で起伏もない。話の接続詞も足りなくて、意味不明の部分も少なくない。たとえば、ラウとリーがクルマで事故を起こすのは、あれば現実なのか? もし現実なら、映像が少し足りないだろう思う。ラスト、ラウの背中から銃で狙っている女は誰なんだ? 決め手となる会話テープとなると、混乱がさらに際立つ。音楽は期待をもたせるように盛り上がったりするんだけど、だから何なのよ、ってなところもあった。こちらが気づかないところもあるのだろうけれど、いまひとつ。というわけで、20分を過ぎた辺りから瞼が垂れ下がってきて、うつらうつら。30分ぐらい半睡状態。仕方がないので、もういちど冒頭から80分分ぐらいを見直した。
2度目は、なるほどという場面も出てきたりして、1回目よりは理解が進んだ。それにしても、ヤン(トニー・レオン)をチャンと呼ぶところもあったりして、ただでさえ分かりにくいのに余計にこんがらがってしまう。でも、終わってみれば話は単純で、むしろ分かりにくくしているのかも、と思ってしまう。
大きな違和感は、ヤンとラウの物語だと思っていたところに、突然、エリート警官のヨンと大陸マフィアのシェンが絡んでくることだ。なんだよ、第一作はつまり、この2人の存在を意図的に外して物語を構成したってことになるじゃないか。変なの。もっとも、ヨンに関しては第二作ででていたのかも知れないけどね。覚えてねえよ。そんなの。
幻想的なシーンが多く出てくる(病院のロビーと、診察室でのいくつかのシーン)。ラウやヤンの心境を描くためには必要なのかも知れないけれども、話を混乱させるもとになっていないか? もっとも2度目に見たときは、その幻想的なシーンの方が他の部分より際立って見えて、話が濃密になっているなと思えた。けれど、1回目に見たときは唐突すぎて意味不明だったぞ。それと、この映画の最も重要なテーマである、ラウは黒社会から足を洗って正義の人として生きたい、という悲壮な願いがいまひとつ強く訴えてこないという問題がある。なんか、あっさりしすぎなのだよなあ。というわけで、結論。前作を見ていないと分からない。映画館で見るよりはビデオで、つまずいたら巻き戻して確認して、といった見方の方が理解が進む。2度3度見ると、新たに気づくところがある。ま、短くいえば、わかりにくい、だ。
画像が汚い。クロースアップではほとんどピンが合ってない。まさか、そういう効果をねらったとか? うそだろ。トニー・レオンの少年のような笑顔が、かわいいねえ。
ブエノスアイレスの夜4/22ギンレイシネマ監督/フィト・パエス脚本/●
どーもこの映画は、アルゼンチンの歴史を知らないと分からないようだ。実は、それについてはほとんど知らない。軍事クーデターがあったのね。で、主人公のカルメンは夫とともに投獄され、夫は獄死。カルメンは拷問を受けた。それで男女関係が不可になってしまったらしい。ってことは、性的拷問もあったってことか? で、アルゼンチンからスペインに生活を移して20年。ほとんど国には帰らずすごしていたという設定だ。隣室に男女を呼んで性行為をさせ、それを聞いて自慰をするというのが、最初分からなかったけれど、次第に事情がつかめてきた。で、始めから気になっていたのが、年の離れている妹アナだ。どーも20歳ぐらい違う様子。それで、「ビヨンド the シー」のように、実はカルメンがアナの実の母親かと思っていたらさにあらず。カルメンの友達がやっている娼婦派遣会社から送ってもらった青年の方と関係が深かった。
ってか、なによこれ。オイディプス物ではないの。目新しさがないので、ちょっとがっかり。後半は少し眠くなってしまった。でもま、妹アナ役の女優が、ちっょと可愛かったのでそっちばかり気にしていた。それにしても、彼女の妊娠の相手は、まさか、あの禿げた医者? それとも、別の相手か? 
赤いアモーレ4/22ギンレイシネマ監督/セルジオ・カステリット脚本/マルガレート・マッツアンティーニ、セルジオ・カステリット
なんだか「私が棄てた女」みたいな内容だけど、主人公の医師は女イタリア(ペネロペ・クルス)を棄ててはいない。家庭では妻を愛しているようだし、娘にも愛情を注いでいる様子。妻と愛人と、両方をイコールで愛しているように見えた。けれど平穏な家庭に飽き足らず、潜在的な欲望を抑えきれない、ってなところか。男の本能的な野生の心が現れているのだろう。強姦をきっかけにして交流がはじまり、互いに激しく求め合うようになる。別にこれを肯定するつもりはないけれど、こういう関係というのもあるんだろうな。歴史的に見れば、随分多くあったに違いない。ただし、現在は倫理、規範によって抑止されているというわけだ。こういう関係が成立してしまうのは、女が無知で資産がないことが大きな原因だ。女が自我と知性を身につけ、資金力をもてば話は違ってくる。現在は、女性を貶める社会ではないし、女性も人間として男性とイコールの関係で見られるようになってきている。ただし、それでも、男女同権は男が努力してそういう枠組みを提供しているのだ、という奢りが男にはある。女は力をつけているように見えて、じつは男の手のひらの上で自由にしているだけなのだ、というような意識だ。そういう関係性の中で、たまたま逸脱してしまう男がいたりする。主人公の医師も満ち足りた生活を維持しながら、心の奥底の野生を噴出させてしまったのかも知れない。でもまあ、先進国では起こりにくいシチュエーションだな。っていうとイタリアは後進国かということになっちゃうけれど、こういうストーリーが成立するほど、まだイタリアは貧富の差があるということなんじゃないだろうか。
無知で不幸な女を、ペネロペ・クルス。汚らしくて野性味のある女を生々しく演じきっている。彼女のガニ股もまた、役にぴったり。たとえ貧しくても身勝手な要求はせず、愛されることだけを要求する哀しい女。医師に妻があると知っても、子供が生まれたと知っても、別れてくれと要求しない。ひたすら、自分と会ってくれ、愛してくれというだけ。凄い女だと思うけれど、そんな肉体だけの関係なんかすぐ破綻するに決まってるよなあ、と冷静に見てしまう。でも、情熱の国イタリアでは成立するのかもね。
医師が女との自由な関係を求めていく根拠、それがちょいと希薄だと思う。妻とのセックスに物足りなさを覚えているとか、上品ぶった生活が息苦しいとか、そういう現実生活への不満が描写されてこそ、見ず知らずの無知な女との関係を求める根拠になるんじゃないのかな。さらに、医師とイタリアの駆け落ちにもならず、かといってイタリアを棄てることもしない終わり方には、ちょっと不満。だって、問題点を回避しているにすぎないではないか。イタリアは堕胎の後遺症で死んでしまうのだけれど、もし、死ななかったら2人はどういう関係になっていったのか? 医師は家庭を維持したかったのか? 妻を棄て、イタリアとの関係を維持したかったのか? どっちだったんだろう。そっちの方に興味がある。
バッド・エデュケーション4/26テアトルタイムズスクエア監督/ペドロ・アルモドバル脚本/ペドロ・アルモドバル
何の知識もなく見はじめたんだけど、なんだよこれ、オカマしか出てこねえじゃねえか。少年愛というより少年虐待もあるし。なんか気持ち悪いテイストだな、と思って後からチラシを見たら監督は「オール・アバウト・マイ・マザー」「トーク・トゥ・ハー」のやつなんだと。どうりで似たような映画だ。酔っぱらって寝てしまった青年とまぐあうシーンを見ていたら尻がいたくなってきたよ。バックでバスコンバスコンのシーンもあるし。うげ。ってか、思い切り笑っちゃったよ。声は出さなかったけど、男同士のまぐわいってのは、美しくねえなあ。ストーリー? うーむ。どうってことないな。撮影中の映画のシーンが描く過去の出来事と、現実の話。これが交互に描かれるっていうのもとくに珍しくないし。昔の友達を名乗る男が実はその弟だったとかというのも、驚きがない。むしろ、後半は謎解き(といっても大した謎ではないけれど)の説明を延々としているたけで、退屈だ。
しかし、こういう映画ばかり見せられると、スペインってのは少年の頃から同性愛者が多くて聖職者はみだらなのかと思っちまうよなあ。
甘い人生4/26新宿武蔵野館1監督/キム・ジウン脚本/キム・ジウン
武蔵野館のロビーはイ・ビョンホン目当てのババアであふれていた。前の回が終わって出てくるババアの顔は、みな恍惚感に満ちあふれ、口は半開きだった。やれやれ。武蔵野館には3つスクリーンがあるけれど、そのうち2つでこの「甘い人生」がかかっている。ついこのあいだまでは2つのスクリーンに「バンジージャンプする」がかかっていた。韓国映画様々で武蔵野館も大繁盛だね。そのうち韓国映画専門館になるのか? そういえばシネマスクエアとうきゅうも韓国映画特集だったな。韓国映画ならちょっと古くても質が悪くても、なんでもいいからかけてしまえ、なのか?
で、この映画なんだが、劇中でイ・ビョンホンもラストに言っているんだが、なんで彼が親分に狙われなくてはならないのか、さつぱり分からない。いったい、この映画は何なんだ?
親分が子分のイ・ビョンホンに愛人の監視を命じる。他の男と関係を結ぶようだったら、連絡しろ。もしくは始末しろ。しかし、イ・ビョンホンは愛人と若い男を見逃す。すると、直後からイ・ビョンホンが狙われる。しかし、対立している親分の子分たちに狙われたんじゃないのか? あれって。さらに、親分に目をかけられていなかった子分からも狙われる。この子分は、どういうわけか親分の信頼を勝ち取ったようだ。で、観客もイ・ビョンホンも、せいぜい思い当たるのは、愛人と間男を見逃したことぐらい。そんなことで子分を執拗に追い回し、拷問し、抹殺しようとするか? バカじゃねえのこの親分。イ・ビョンホンが愛人に恋心を抱いた? そんな風にも見えなかったぞ。だいたい、愛人と間男の件を親分に知らせたのは誰なんだよ? とかね。わからん。
ラストが意味深。実は、このストーリーはすべてイ・ビョンホンの見た夢、というものだ。イ・ビョンホンも楽しそうにしているし。あれが過去の映像ではなく現実なら、夢なんだろう。けれど、夢だと言っているのは字幕だけで、映像では描かれていない。でも、あの辻褄の合わなさは、夢だからなのかな。そうそう。ラスト近くで親分に「最近は会っていないのか?」といわれて顔を皿に叩きつけられる男って、あれって間男だった男? よく分からなかったが。
全般的にタルイ、または、暴力シーンだけが目立って意味ねえ、ってななかで笑えるところが2個所あった。ひとつは銃ブローカーのトンマな2人組と間抜けな親分のシーン。ここだけ他とトーンが明らかに違う。もうひとつは、生き埋めにされながら土中からはい出てくるシーン。「キルビル2」かよ、ってなもんだな。
◆いろいろ読むと、なんか話が違うようだな。ボスは端っからイ・ビョンホンの忠誠度をためすために愛人と間男の話をでっちあげた、ということなのかも。で、イ・ビョンホンの行動を逐一監視していた。しかし、思うように行動しないので、イジメはじめた・・・。でも、そういう風には読めなかったし、第一、ボスが一介の子分にそんな気を遣ったり怒ったりするか? ふつーしないぞ、立派なボスは。要らん子分ならさっさと殺してしまえばいいんだ。ボスが男色家でイ・ビョンホンが好きだけど・・・とか、嫉妬していたとか、とか、そんな伏線でもなけりゃ、説得力はない。だいいち、解説だの説明を読まなくちゃ理解できない映画は、それだけですでに失敗作だ。
ダニー・ザ・ドッグ4/27六本木アスミック・エース試写室監督/ルイ・レテリエ脚本/リュック・ベッソン
カスパー・ハウザーが人間性を取り戻す映画。みたいな感じたな。もっとも、このカスパー・ハウザーは青年と呼ぶには歳をとりすぎたジェット・リーで、カンフーがめっぽう強いのだけどね。
取り立て屋の手先として働いているカスパー・ハウザー男にジェット・リー。普段は理性を保つ首輪をしていて、それを外すと暴力解禁となる。死闘マッチにも出場させられ、善悪の判断なくロボットのように人を殺す。普段は地下の檻の中に入れられているのだが、どーしてそうなったのかは分からない。男は調律師の鳴らすピアノの音に強く反応。取り立て屋から逃げ出して調律師の元へ走る。そこで家庭の温かさを知って次第に心を開いていく。そして、ついに過去を思い出す。母はピアノを弾いていた。そして、母を殺した相手、自分を掠った相手までも思い出す・・・。
テンポがとてもいい。つなぎもスムーズでリズミカル。で、実写のアクション。これは、やっぱり迫力がある。しかも、細切れモンタージュではないので、リアリティもたっぷり。全編の半分近くがアクションシーンで、ほんと飽きない。その分、人物の描き方が単調。主人公はいいとして、盲目の調律師は、ただモーガン・フリーマンであるというだけで、何も演じていない(雰囲気がちょっとセロニアス・モンクっぽかったのは、よかった)。元の女房の娘っていうのが、18歳にしてはシワが多すぎで婆さん面ってのがなあ・・・。唯一のヒロインなんだから、もっとましなの連れてこいよ。
男の母親はなぜ取り立て屋と懇ろになり、そして殺されたのか? その原因が描かれていないので、もやもやする。こういうのはキチンと押さえておいてくれないと、消化不良だよ。それから、ジェット・リーも老けすぎ。あと10年若かったらねえ。
恍惚4/30ギンレイホール監督/アンヌ・フォンティーヌ 脚本・台詞/アンヌ・フォンテーヌ、ジャック・フィエスキ、脚本協力/フランソワ=オリヴィエ・ルソー、オリジナル脚本:フィリップ・ブラスバン
神秘性もないし驚きもないし恍惚感もない。2時間もあるのに中味はすかすか。ひたすら退屈だった。
ファニー・アルダンとジェラール・ドパルデューが倦怠期の夫婦役。アルダンが亭主の浮気を疑い、たまたま入ったクラブの娼婦エマニュエル・べアールに亭主を誘惑させる。試そうというわけだ。べアールは「ドパルデューと会った」「ドパルデューとホテルに行った」「顔に射精された」だのとアルダンに報告するのだけれど、画面ではドパルドューとベアールが一緒のフレームに入ることがない。すぐに、これはベアールのでっち上げだとわかってしまう。それから延々とベアールの報告があり、それにアルダンが一喜一憂するのだけれど、見ていてバカらしくなってくる。だって、でっち上げだってわかってしまっているから。しかし、ひょっとしたら監督は、その事実を観客に分からせまいと演出していたつもりなのかも知れない。ラスト近くでドパルドューとアルダンが一緒のところにベアールがやってくるシーンを設定しているのだけれど、どーも、ここで意外性を見せようとしている気配があるのだ。でも、それって単なるマヌケでしかないよな。
亭主の浮気なんていうモチーフにするのに、物語の運び方が単調すぎると思う。冒頭も、物語を逐次的にもっていくのではなく、カットバックを使うとか、やりようがあるだろうに。真っ正直すぎて面白みがない。ドパルドューとアルダンには息子がいて、その彼女もいるのだから、彼らを何かのアナロジーに使うとか、考えたらよかろうに刺身のつまの扱いでしかない。いまひとつ、やる気が感じられない映画だ。
ベアールは相変わらずゲジゲジ眉毛でエロくていいんだけれど、濡れ場も見せ場もないのがつまらない。ロングショットでオッパイ見せがあるけれど、素っ気なさ過ぎ。もうちょっとサービスカットがあってもいいだろうに。それと、ベアールがドパルドューと会いもしないのに嘘をベアールに告げつづけてきた理由を「セックスしないで金が入るから」などと言わせているのは余計だと思う。もうちょっと観客に考えさせる余地をもたせるべきだよな。でないと、ちっとも面白くないだろうに。たとえば、寓話を語りつづけることでベアールが恍惚感に浸っていくとかね。でも、会っているというのはベアールのでっち上げであるというのを最大のトリックのように扱っていちゃムリだけどね。

 
 

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