2005年6月

キングダム・オブ・ヘブン6/1新宿スカラ1監督/リドリー・スコット脚本/ウィリアム・モナハン
どうせよくある歴史ロマン大作ってやつだろ、と思いながら見ていて、おおっ!と思ってしまった。アンチ十字軍(つまり反イスラエル)の主張が根底に流れているのだよ。げげ。こんなのハリウッドがつくっちゃっていいの? イスラエルから文句こないのかね。
「ブラザー・サン、シスター・ムーン」は、反ベトナムだのヒッピーを反映した映画だった。単なる戦争反対、徴兵拒否しよう、そして、快楽へというものだった。ところがこっちは、十字軍の侵略を自覚しながら、それでも同胞を救うためにイスラム教徒と戦うというスタンス。主人公はこの矛盾にとくに悩むことなく、与えられた使命として遂行し、克服していく。もちろん最後は剣を棄ててフツーの鍛冶屋に戻るのだけれど。鍛冶屋に戻っても反戦運動はしないし、十字軍の邪魔をしたりはしない。むしろ、人々はエルサレムに立て籠もって同胞を救った人物と英雄視している。まあ、こんなところがイスラム教徒にもキリスト教徒にも狙われない、ほどよい終わり方なのかも知れないけどね。
だからか、理解できないのはらい病で死にゆくエルサレム王に信任されたにもかかわらず、それを拒否するところ。王の妹を娶り、次王の座を狙うギーを抹殺しようという提案を拒んでしまうのだ。そこで主人公がリーダーになっていればギーが国王になることもなかったし、ギーの妻を自分のものにもできたんだから。そして、多くの命が救われたはず・・・。ま、そうなったら映画が成立しなくなっちゃうけどね。さらにいえば、冒頭で主人公が亡き妻のロザリオを盗んだ司祭を殺し、追ってから逃げるために十字軍に加わるという設定にしてあるけれど、このあたりもちょっとご都合主義的だな。
戦闘シーンはCGらしさがなくて、なかなか迫力たっぷり。白兵戦の血しぶきも大胆に飛び散る。それから、王の病気をちゃんと「らい」と字幕に書いていることも評価。もちろん、ラストにテロップで「今は完治する病気」と注意書きがでていたけどね。
交渉人 真下正義6/1新宿スカラ2監督/本広克行脚本/十川誠志
昼食を挟んでの鑑賞で、40分ぐらい経って5分ぐらい寝てしまった。ま、大勢に影響はないはず。
なんか説得力がない映画だなあ。まず、犯人との交渉をフツーあんな(ユースケ・サンタマリア)課長一人にまかせるか? ユースケと寺島進の刑事が連携しているだけ。地下鉄の室長は呆然と見守っているだけ。柳葉はほとんどでてこない。こんなのあるわけないだろ。
地下鉄に枝線がたくさんあって、そこを開発中の車両クモが走りまくっている、という設定だ。けど、枝線はあくまで枝線。数キロで本線に乗り入れるか交差してしまうはず。そうしたら平常運行している車両と交錯してしまうじゃないか。クモが見つからない、捕まえられないというのは説得力ゼロだ。
緊張感がほとんどない。恐怖が次第に高じてくるとか、この状態をどうやって脱するかとか、「スピード」にあったようなとんでもない状況が次々に襲ってくることがない。あまりに平板、淡々とし過ぎていて面白くも何ともない。もちろん、交渉人としての驚くべきテクニックもない。さらにラストでは犯人が自爆してしまって、その目的も何も明らかにされない。これはもう、脚本が悪い。この程度で観客は喜ぶだろうと、甘く見ているに違いない。「レインボーブリッジを封鎖せよ!」もつまらなかったけれど、1作目の「踊る」がそこそこよかっただけに、もったいない。もっと脚本を詰めるべきだ。
最初の方での地下鉄の接触事故のシーンは、1ヵ月ほど前のJR西日本・福知山線の事故を連想させて、ちょっと見てしまった。この時期、よく上映延期にしなかったものだ。
デンジャラス・ビューティー26/2上野東急2監督/ジョン・パスキン脚本/マーク・ローレンス
サンドラ・ブロックはこの映画というかシリーズがお気に入りなのか、プロデューサーまでしてるんだね。まあ、彼女の魅力が全開の、ズッコケおとぼけアクション映画だ。前作の完全なる続編で、前作のストーリー展開もセリフなどで引きずっているのだけれど、画像がでてこないから前作を知らないと(前作見ていても細かいところ忘れている私)、存分に楽しめないのが残念。今回のパートナーは、乱暴黒人女性刑事。このコンビは成功していると思う。けれど、ちょっとサンドラが全体的に出過ぎかな。たとえば黒人女性刑事の私生活に触れるとか、ラスベガスで出会った恋人自慢の青年刑事をもう少し描き込むとか、あともうひとがんばりあったらよかったのに。
で、肝心の事件の方では分からないことだらけ。借金取りのデブ兄弟(片割れは「ER」受付のジェリー役の役者だよなあ)が、なぜミス・アメリカとそのマネージャー(?)の男を誘拐したのか? 次第に、目的はミス・アメリカの方ではなく男の方だと分かっていくのだけれど、いったいなぜ誘拐する必要があったの? 謎はリムジンの運転手→ドリー・パートン似の人物→デブ兄弟と連鎖していくのだけれど、あまり合理性もなく、説得力もない展開。ドリー・パートン似の人物なんて、最初にどこに絡んでいたんだ? たんに脚本と演出が悪いのか? それとも字幕が悪いのか? そういえば、救出後にサンドラがミス・アメリカに「あなたがヒントをくれたから」っていうのだけれど、いつ、どんなヒントを与えたのだ? とか、かなり分からないところだらけ。ううむ。
ラストシーンは、サンドラにサインを求めたおりに「学校にも来て」といった少女への返答。こころ温まるラストだ。それから、エンドクレジットはNG集になっているのだけれど、本編になかったシーンばかりでてきたなあ。NG集のための演出なのだろうか?
ホステージ6/13上野東急監督/フローラン=エミリオ・シリ脚本/ダグ・リチャードソン
オープニングタイトルが面白かった。ゲーム画面みたいで、風景の中にクレジットがうまくはめ込まれている。ただし、映画は話がぐちゃぐちゃ。なんか、勢いで突っ走っている感じ。最後になっても、なるほど、と腑に落ちないところがありすぎ。
若者3人組が金持ちの家に侵入して父親、娘、少年を監禁。脱出用ヘリを要求する、というものだけれど、なんでそうなっちゃうの? という強引さ。3人のうち2人はただの悪ガキ兄弟。1人が2ヵ月前に知り合ったという根っからの悪党らしいけど、こいつの異常さがあまりつたわってこない。だから、簡単に人を殺したり後半になって異常さを加速させても、笑っちゃうだけで不気味さが感じられない。火炎瓶をもって走り回る所なんか「八つ墓村」状態で、これはコメディかと思ってしまった。
さてと。この監禁状態で交渉人となるのがブルース・ウィリス。心が離れようとしている妻と娘がいるのだけれど、突然2人が誘拐されて、金持ちの家にあるDVDを取ってこいと命令される。話しが二重構造になって、さてどうする。で、話が面白くなるのかと思いきや、雑なんだよ、展開が。ブルース・ウィリスの強引なリーダーぶりが通用してしまったり、なんか、偶然に左右されている。それと、金持ちの家は「パニック・ルーム」のように完璧なセキュリティが施されているという設定なのに、それがあまり活かされていない。「なるほど」「それでどうなるの?」ってな筋立てになっていないから、話に引き込まれていかないのだ。なんか、いろいろとムリがありすぎだと思う。
もうひとつのつまらなさは、可愛い娘が登場しないこと。ブルースの妻と娘。この娘がゴリラ顔なんだよ。で、昨日「英語でしゃべらナイト」を見ていたらブルースが登場していて、あれはデミ・ムーアとブルースとの間に生まれた実の娘なんだと。いわれてみれば、デミが化けたような顔をしていたか。うむむ。それと、人質になる娘がむっちり子豚ちゃんで。見るべきところがない。
で、ブルースを脅した集団がいったい誰で何だったのか、それが明らかにされないのが、もやもや。途中からFBIということで介入してくるのだけれど、本物か? ニセモノか? 金持ち主人は、そのグループの会計士をしていて入出金をDVDに焼いて渡していた、って、それだけで何人もが命を賭して突入し、DVDを奪還する必要があるのか、それが分からない。
面白かったシーンは、犯人の一人が火炎瓶を投げながら狂気の眼差しを向ける先に、人質の娘…この娘が毛布だけを被っていて、聖母のように見せている。その視線を受けて、犯人は亡き母親の愛を思い出す、みたいなシーン。ここだけは、ちょっくら映画的だったね。それと、ラスト。子供たちを助けてくれたブルースに、会計士が助けの銃撃をするところ。ここは、ちょっとカッコよかったかな。あとは、もう、ぐちゃぐちゃ。意味のないアクションが好きな人には満足の映画かも知れないけど、やっぱ、いろいろ腑に落ちないな。
60分ぐらいたったところで、黒人女性部長がブルースに「それは無茶よ」と言われるところから始まるシーンがある。これがいかにも唐突で、つなぎがヘン。だから見直したら、そういう編集になっているみたい。別にロールをチェンジするところで早すぎたというわけでもないようだ。でも、はじまりがちょっとヘンなんだよなあ。なんか、変なコマ数カット挟まってるんじゃないのかな?
サハラ - 死の砂漠を脱出せよ -6/14上野東急2監督/ブレック・アイズナー脚本/トーマス・ディーン・ドネリー、ジョシュア・オッペンハイマー、ジョン・C・リチャーズ、ジェームズ・V・ハート 
「インディ・ジョーンズ」シリーズ並みに面白いのかと思いきや、さにあらず。フツーの冒険活劇。遺跡発掘に公害問題やアフリカ内戦などを絡めているのだけれど、絡めない方が面白くなったと思う。こういう活劇は、古典的なスタイルの方がいい。
遺跡発掘のロマンがメインかと思ってみていたら、どーもそうではない。伝染病の疑いを探るWHOの医者(ペネロペ・クルス)に、怪しい影がつきまとい、それを発掘会社の社員(マシュー・マコノヒー、スティーヴ・ザーンともう一人)が絡む。いわば巻き込まれ型の展開。で、実は伝染病ではなく汚染物質が地下水に流れ込んだもので…って、真相はバカバカしいもの。マリ国の将軍が産廃物を太陽光で処理するシステムを考えたのだけれど、集めていた産廃物から汚染物質が…というもので、なんじゃそりゃの物語。じゃあ、世界各国から産廃物を買っていたのかい? で、砂漠の真ん中にあんな巨大な処理施設をつくって、NASAは気がつかなかったとでも? それに、マリ国の将軍との窓口になっていた白人ビジネスマンは、汚染物質が流れていたことを知らなかった様子で。じゃあ、なぜ将軍の手先がペネロペを襲って採取した物質を強奪したりしたんだ? 将軍は汚染を自覚していて発覚を防ごうとしたのか? って、川に流れ出した藻だけで汚染状況がわかっちまうぐらいなのに、ペネロペを襲って汚染サンプルを奪っても意味がないだろ。というような具合で、いまひとつ間尺に合わない。
では、遺跡発掘関連はというと、南北戦争後に装甲船が大西洋を渡ってアフリカへ、って、そんな伝説があるんだかどうだか知らないけど、話しに説得力がないよなあ。発見も、たまたまダイナマイトを爆発させたらでてきたって、ご都合主義もいいところ。それと、ヒロインはやっぱ可愛くて胸のおっきな女の子がいいよなあ。ペネロペじゃ、いろんな意味で貧相だ。
実をいうと1回目、マコノヒーが図書館のようなところに行って古文書を見る辺りから眠くなって、気がついたらボートでチェイスが始まっていた。だから、もう1度、50分ばかり見直した。
きみに読む物語6/15ギンレイホール監督/ニック・カサヴェテス脚本/ジェレミー・レヴェン、ジャン・サルディ
ベタな純愛物語。夏休み、階級違いの恋、親の反対、別離、戦争、読まれなかった手紙…なんていう典型的な素材を並べて仕上げている。では泣けるかというと泣けないし、感動できるかというと感動もできない。ふーーーーーん。と他人事のように見ているだけだった。ストーリーは二重構造になっていて、痴呆症の老女に仲間の老人が純愛物語を読んでやるという形式をとっている。でも、この老人2人が純愛の2人に違いないのはミエミエで、後半になって事実が告げられても、まったく誰も驚けない。まあ、作り手もそれは承知の上なのだろう。観客が望む方向(予定調和通り)に話を進めることで、観客に満足してもらおうという腹づもりなのだろう。上っ面の恋愛物語をご所望のムキにはそれはそれで満足してもらえるのだろうけど、いつだって意外性を求める客もいるわけで、そういう客にはいささか退屈な映画になる。でもまあ、性格がよくてそこそこのハンサムボーイと、がははは笑いが耳につくけれどまずまず可愛い娘を見ているだけでホッとするところはある。もっとも、現在の老人老婆は、ああこれがあの2人のなれの果てかと印象づけて、マイナス効果。老人を演じているのがジェームズ・ガーナーなんだよ。うわ。老けたな。
野戦病院で知り合った男性がヒロインにプロポーズするシーンのバックにキャブ・キャロウェイがでてくるんだけど、これが似てないし下手。もちっとなんとかしてくれといいたい。
シルヴィア6/15ギンレイホール監督/クリスティン・ジェフズ脚本/ジョン・ブラウンロウ
ううむ。詩人の頭の中は理解できない。フツーの人間なら、そんな苦労することのないことで苦悩して死んでいく。ま、共感もしないし道場もできない。あ、そ、である。
幸せなときにはいい詩が書けず、不幸にならないといい詩が書けないというのも、可哀想。ま、私小説的な作家なのだろうね。しかも、強迫神経症で嫉妬深く、夫への疑いを人前でも露骨に口にする。これじゃ亭主は逃げたくなるだろうよ。亭主に浮気されるのも当然だ。いわば正常と狂気の境界線を行ったり来たりしている妻。しかも、一度浮気をされたからといって亭主を追い出し、その挙げ句が人恋しさに編集者を誘ったりする。どーせなら奔放にしたいようにすればいいのに。それができないから、精神的におかしくなるんだろう。可哀想とは思うけれど、でも、夫の大変さの方に同情してしまう。天才は大変ですねえ。
色彩に対するこだわりが随所に見られ、画像も美しい。だからって感動につながるわけではないけどね。裸体シーンもでてくるのだけれど、本物のグィネスではないと思う。
リチャード・ニクソン暗殺を企てた男6/16シネセゾン渋谷監督/ニルス・ミュラー脚本/ニルス・ミュラー、ケヴィン・ケネディ
この映画を「消費社会の犠牲者」「人生の失敗者」「狂気への転落」「アメリカの病んだ姿」なんて偉そうに論評しているヤツはアホである。これは単なる吉外の話だ。個人の話だ。
ぶきっちょで何をやってもからっ下手。そのくせ人に指図されるのが嫌いで、自分の失敗を正義感で誤魔化してしまう。いわく、俺は嘘はつけない。社会正義に反する。では自分は嘘をつかず社会に反することをしないかというと、さにあらず。まったくの無法者だ。こういうアホを主人公にして映画をつくって、何が面白いのだろう。彼のようなパラノイアが生まれない国をつくるべきだ、とでもいうのだろうか。もちろん、彼はこの文明社会に適応できない落伍者だ。でも、彼のパワーはどんな社会なら発揮されるというのだろう。戦場か? だとしたら、戦争のある社会は歓迎すべきか? それに、戦場では、今度は臆病者が落伍者扱いされるはず。さて、では、彼のようなパラノイアをどうやって救済すべきなのだろう? 救済されて、彼は喜ぶか? 決して喜ばないだろうと思う。世の中に数多く存在するだろう彼のような人々、彼のようになるかも知れない予備軍も含めて、じゃあどうしろというのだ? と、この映画をつくった連中に逆に問いかけたいね。
しかし、タイトルから想像できる事件と、この映画の実際の事件との落差は、はなはだしい。ラストの事件のシーンでは、笑っちゃったよ。なんだよ、計画性もなにもないじゃないか。やっぱ、アホだ、こいつは。まったくトンマな「タクシー・ドライバー」だよ。
全編をつうじてレナード・バーンスタインの名が出てくるのだけれど、これが意味不明。主人公の彼が敬愛しているのは分かるけど、では、映画の内容とどういう関係があるのか、まったく分からない。
帰郷6/22新宿武蔵野館2監督/萩生田宏治脚本/萩生田宏治、利重剛
82分の小品だけど、いろいろ考えるところ、突き刺さるところがあった。後半、設定など腰砕けになって、いろいろと突っ込み所をつくってしまったのが惜しい。展開の練り直しなどしてて、辻褄が合わなくなってしまったのかもね。
純真な男を踏みにじりつづける女と、踏みにじられていることに気づいていない人のいい男。その2人の物語が主軸だ。けれど、映画の見かけは詩的でさえある。
母親の再婚で、館山(?)に帰郷した青年・春男が同級生の深雪と邂逅する。8年前に2人は関係をもった。春男にとっては初めての女性で、本気だった。母親の結婚式の夜、2人はまたもや関係をもつ。こいつら好き合っていたのか? と思ったら大間違い。8年前、関係した翌日に深雪は家を出奔。数年前に娘のチハルを連れ、田舎に戻ってきたとことが明かされる。しかも深雪は、「チハルは、春男君から名前をとった。目元なんか春男君そっくり」といい「明日、家に来て」と誘う。翌日、家を訪ねると深雪がいない。春男はチハルと2人で深雪探しをはじめる…。半ば「自分の子供?」と思いつつ少女と過ごす春男。子供を置き去りにして遊びに行ってしまう深雪。深雪に何かあったのか?
とまあ、こういう展開はなかなか引っ張る。ところが、結局のところ深雪は昔からそういう性格の女ってだけのことが分かってくる。春男が深雪を理想化していただけなのだ。
8年前と同じように、たんに振り回されるだけの春男。勝手に自分の子供と思いこんで「責任を取る」と見得を切ったり、友人や子供の前で「僕の子供だろ」と深雪に聞いてしまったり。それじゃ自分たちが関係をもったってことを知らせているようなもんじゃないか。ほんと、どうみても春男はお人好しなんだけど、そうは描かれない。むしろ、責任感のある男、に見えてくる。まあ、西島秀俊が演じているから、しょうがないか。こういう思い込みの激しい男と自分勝手な女との組み合わせ、ありそうだよなあ。深雪は昔から男関係が激しかったんだろう。つねに男がいないとダメな性分なんだろう。でも、美人が演じると悪い女に見えないから困るよな。
ツメが甘いところ。田舎の町でバスの本数が少なく、帰れなくなってしまう。って、そんなことあるか? 携帯でタクシー会社呼び出せばいいじゃないか。さらに、春男がバス停(だっけかな?)から携帯で自宅に電話すると春男の母親が「なにしてんのよ」と怒鳴るが、それで電話を切ってしまう。それっておかしいだろ。母親は何度でも息子の携帯に電話して、どこにいるか聞きだすだろうに。それで誰かに迎えに来てもらえばいいじゃないか。それが嫌なら、バス停1個分ぐらい歩けよ。次に、春男は病院から自宅に再度電話する。これがなんと病院の公衆電話なのだ。なんで携帯使わないの? それから。8年前に関係をもったとき、春男は童貞だったわけだが、いったい何歳なんだ? 春男はいま。高校卒業時だったとして、現在26歳の設定か? それで、母親が「お父さんの年を越えた」と息子に言っているが、では、父親は25、6で死んだのか? 仏壇にある写真は、どう見ても40歳ぐらいだったがな。なんか、こういうところが気になると、映画全体の好印象も弱まってしまう。
画面は、基本的にほとんどフィックス。わずかにパンとチルトを使うだけ。手持ちになったのは、居酒屋で春男と深雪が関係するところ。春男とチハルが砂浜を歩くところ。ちゃんと心情を表すような使い分けがされている。駅のカップルの片割れに伊藤淳史がちょっとだけセリフもなくでていたりして、なんか贅沢だね。チハル役の少女は、なかなか演技をしていて、素晴らしい。春男の幼なじみで、母親の連れ合いとなる男の娘役・相築あきこという女優が、魅力的だった。映像のスタイルは、省略がうまくて、北野武の影響を思わせる。音楽も、北野映画みたいなところがある。だらだらと感想が散漫だけれど、思いついたところだけを書いているからだなあ。感想の切り口が探し出せていない、ううむ。設定やテーマも面白い。テクニックもまずまず。役者もそろっている。でも、詰めの甘さで佳作になりそこねた感じがする、ってところかな。
最後の恋のはじめ方6/22新宿武蔵野館3監督/アンディ・テナント脚本/ケヴィン・ビッシュ
原題は"HITCH"。主人公の名前と、捕まえるの意味らしい。ウィル・スミスの役所は、奥手の男女に恋愛必勝法を伝授するデート・コンサルタント。その彼が、本当の恋をするという、なんとなくよくあるパターンのお話。セレブな美女に恋したデブ男の恋をまとめる仕事をしながら、スクープ記事ばかり掲載する新聞の美人記者(エヴァ・メンデス)と恋に落ちるのだけれど、ウィル・スミスの話よりもデブ男のエピソードの方が数段面白い。
ウィルとエヴァはいったん恋に落ちながら、ちょっとした勘違いで仲違いし、最後はハッピーエンドという手垢の付いた展開。話が見えすぎて面白みがない。しかも、エヴァの顔が濃すぎて、どーもロマンスの香りがしない。イタリアかスペインの顔? と思っていたら、スペインワインで喜んでいたから、スペインなんだろう。娘とか女って匂いではなく、オバサンなんだもん。一方のデブ男、おっちょこちょいだけど憎めないキャラで、なかなか。相手となるセレブ美女(アレグラ・コール)も、少女の面立ち(といっても年増は年増だけど)で、エヴァよかまし。
細かなところで、意味不明な個所が多くあった。これは映画が説明不足なのか、と思ったけれど、次第に字幕にニュアンスや意味が書き込まれていないせいではないかと思うようになった。書かれている言葉が、それを肯定しているのか否定しているのか、分からないような表記が多いのだ。どちらかといえば、直訳に近い感じ。それじゃ、セリフの意図はつたわらないよなあ、と思って誰が訳しているのか見たら、なんと戸田奈津子だ。おやおや。「ロード・オブ・ザ・リング」以来の不備を突っ込まれ、意訳しすぎることを恐れているのかな。こんなぶっきらぼうなセリフじゃ、映画は十分に楽しめないと思うぞ。
いらっしゃいませ、患者さま。6/23テアトル池袋監督/原隆仁脚本/真崎慎、川崎いづみ、山口正太
バカ映画と思いきや、意外と的を射ている部分があったりして、面白かった。もっとも、それは後半ね。オープニングからずうっと、辛かった。面白くなるのはサービス病院に変身するところからで、それまでは我慢しなくてはならない。
前半は、映画が下手だ。病院長がなぜストリップ小屋(みたいなショー)にいくのか? 病院をほったらかしにしている院長が、なぜ腕がいいのか? なぜヤクザに借金なんかしたのか? 倒産しようかという病院に、なぜ患者がつめかけているのか? この辺りの設定と展開は意味不明&矛盾だらけで、説得力なし。映像もリズムがなく、とてもつまらない。
それが、お色気サービスの紹介になると、俄然イキイキしてくるのだから不思議。別人が演出しているみたいだ。もっとも、バリウム口移しはいいとしても、同伴CTは被ばくが問題だからNGだなあ。院長が「患者が医者に頭を下げるのは当たり前。人に頭を下げたくないから医者になった」と言うのが、なかなか鋭い。そういう医者は少なくないはずだ。多彩なサービスは、病人より儲け優先の病院が当たり前の中、もっとやれやれという気分になってくる。でも、その裏には金のある人しか高度な医療が受けられない、という現実もあるのだけどね。「こんな病院、許されるわけがない」と思っていたら、厚生労働省の監督官が介入してくる、ってのは納得できる筋立てだった。なんか中途半端な扱いだったヤクザの親分と、その子分たち。とくに、社長と呼ばれる小男は、迫力がなくて「?」というキャラだったなあ。それと、何でも切る人斬り以蔵とか呼ばれる医師が活躍しなかったのが惜しい。親分の手術でも麻酔医役になっちゃうし。もうちょっとツメが確かなら、上質なコメディになったろうなあ。
エターナル・サンシャイン6/23ギンレイホール監督/ミシェル・ゴンドリー脚本/チャーリー・カウフマン
15分ぐらいで眠くなってしまった。1時間は十分に寝たかも。昼食後だったこと、疲れていたこと。それに、今日は「寝よう」と思っていたので、よく寝られたのだと思う。最後まで寝てもよかったんだけど、目が覚めてしまったし、仕方ないので最後の30分ぐらいは見た。けど、なんだかさっぱり分からなかった。また、ちゃんと見直そう。
モーターサイクル・ダイアリーズ6/29ギンレイホール監督/ウォルター・サレス脚本/ホセ・リベーラ
もうちょっと骨のある映画かと思ったら、コンニャク程度しかなかった。しかも、バイクで旅をするのは1/4ぐらいで、あとは歩きにヒッチハイク。なんだよ、看板倒れじゃないか。
たいしたドラマが起こるわけではない。恋物語も匂わすだけ。中途半端なエピソードが淡々とつづられていくだけで、ぐさっと来ない。せいぜいが、ペルーの貧困夫婦と、らい病棟での日々ぐらい。といっても、そこでもドラマは起こらない。貧困民がいるという事実に愕然とし、らい患者を手で触れない修道女と川を挟んで隔離している事実に抵抗感を感じるぐらい。そんなの、当時では驚くべきことでもないのではないの? インパクトに欠けるね。
もっとも興味深かったのは、エンドロール前にでてきた写真で、それは実際のゲバラと同行者のものだった。たったそれだけの事実の方が、興味を引く。その程度の映画だと思う。
エターナル・サンシャイン6/29ギンレイホール監督/ミシェル・ゴンドリー脚本/チャーリー・カウフマン
2度目。しかし、今回も30分ぐらいで眠くなってしまった。で、眠った時間は前回の半分ぐらいだと思うけれど、それでも話がよくわからんでした。カウフマンの脚本は、俺には会ってないのかも。去年も「アダプテーション」も2度見て2度とも寝ている。興味を引かないし、興味が持続しない。しょうがないね、相性なのかも。

 
 

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