2005年12月

CUBE ZERO12/1新宿ジョイシネマ2監督/アーニー・バーバラッシュ脚本/アーニー・バーバラッシュ
前作のヒットに味を占めた続編。っても、ZEROってつくのだから時間を遡るのかなと思ったら、その通りだった。っていっても、映画を見ていてそれが確認できたわけじゃない。どっかのWebサイトにそう記述されていて、ああ、やっぱりなと思っただけだ。
「CUBE」はは見ていない。「CUBE 2」はビデオで見た。前作のヒットで予算ができたのだろう。前よりもセットに凝っているし、グロSFXもエスカレートしている。けれど、そういう見せかけにちょっとぐらい金を使っても、本筋が面白くなっていなければ意味がない。まさに、それ。話がつまらないのだ。たとえば、グロいシーンは冒頭の、男がどろどろ溶けていくところが一番派手で、あとはどんどん尻すぼみ。みんなが最も興味を示すだろう各部屋のトラップ、および、殺され方の多様性もいまひとつ。とくに「おお!」と驚くものはない。さらに、このCUBEが誰によってつくられたかはアバウトに説明されているけれど、この仕掛けが一体何の役に立っているのか? といったことには応えてくれない。さらに、CUBEの原点を説明するために、その運営者たちの描写が半分ぐらいを占めているのだけれど、この部分が面白くない。表面をなでるような浅薄なものばかりで、ぐっとくるものがないのだ。たいした伏線があるわけでもなし、意外性があるわけでもない。たとえば、一度は逃げ出したものの連れ帰されて・・・というストーリー展開は手垢の付いたもの。面白くも何ともない。
というわけで、映画が始まって10分ぐらいで眠くなり、10分間ほど半睡状態で、10分間ぐらい寝た。後の1時間はちゃんと見た。それでも大勢に影響はなかった。
ハリー・ポッターと炎のゴブレット12/7上野東急2監督/マイク・ニューウェル脚本/スティーブ・クローブス
吹き替え版。意外と短かったな。それに、終わり方が中途半端。だって、ハリーの血で生き返った悪魔のようなやつがそのままで、物語は始まったばかり、ってなところなのだ。つまりまあ、次の映画で戦いがはじまりますよ、なのだろうけれど、いかにもの尻切れトンボ。やっぱり、この映画で起きたことはこの映画で集結させて、さて、次の敵が登場しますよ、は終盤で匂わす程度がいいと思う。で、そのせいか、この映画にはあまり物語がない。表面的には3つの学校の代表がバトルを行なうという話し。で、そのバックグラウンドに何か怪しい影が・・・が、ずうっと影のままで、終盤にちょいと顔を見せる程度。なんか盛り上がりがなくて、大団円もないという、いささか食い足りなさが残ってしまう。やっぱり、対立項の明瞭ではない物語は、つまらない。
で、あの甦った悪魔みたいなヤツは、何なんだ? よく分からなかった。あとでWebでみたら、ハリーの両親を殺したやつということだけれど、あいつはいままでのシリーズに出てるのかい? ううむ。ハリポタマニアじゃないし、登場人物の細々した連中まで名前を覚えているわけではないので、よく分からんぞ。それから、魔法省の役人とその息子の役回りもよくわかんないし、やっぱりこのシリーズは登場人物に厚みがない。ストーリー展開も単調で、話に必然性がない。でもって、たいした伏線もなくだらだらと進んでいく。今回は主人公たちが年頃になって恋に目覚める様子が描かれているけれど、これもツッコミ不足。もっとやりようがあるだろうと、見ていていらついてくる。
不思議だなと思ったのは、トーナメントの第2試合。湖底から人を救い出すのだけれど、救われる人物にハーマイオニーとロンが含まれているのだ。まんで? 彼らは事前に知っていたのか? ううむ。
主役の3人は、14歳という設定にしては大きくなり過ぎのような気がする。とくにハーマイオニー役のエマ・ワトソンは、昔は可愛かったな、という普通のレベル(というより、憎まれ役が合いそうな口の曲がった女)になってしまった。ハリーが恋する中国人は、西洋人が好むのはこんな感じの東洋人なのね、という面立ち。まあ、目がつり上がっていないのが救いだけれど。彼女についても描きようがあるだろうに、なんか、中途半端なのだよなあ。ううむ。
上野東急はシートを全面的に入れ替えていた。これで当分は上野からの撤退はないということだなあ。
ヴェラ・ドレイク12/10ギンレイホール監督/マイク・リー脚本/マイク・リー
さあ、あなたはヴェラ・ドレイクの行為が許せますか? という話である。「堕胎は罪、いけません」から「金銭目当てではなく親切心だから情状酌量」まで、いくつかのレベルに分かれるのだろう。で、結論は? もちろん、監督はだしていない。しかも、話の設定は1950年のイギリスで、現在の物指しは通用しない。かといって、監督は主人公のヴェラ・ドレイクに、とくに同情的な描き方もしていない。なんか、変な映画だ。
ヘンといえば、見ていて「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を連想してしまった。似ているのは、理不尽にも罪をかぶり、悲劇の人となるというところだけではない。逮捕前後から警察での尋問、裁判、刑務所まで、描き方がとてもしつこいのだ。フツーの映画なら、警官が家にきてヴェラの驚愕した顔があり、罪を認めてフェイドアウト。次は刑務所のシーンでもなんら問題がない。だのに、この映画では刑事たちの質問や証拠品の確認、逮捕の瞬間、ヴェラの亭主と兄貴の会話、家族の動揺、警察での尋問、調書、弁護士との接見、翌日の裁判・・・と、残らず描き出していく。正直にいって、気分が悪くなるしつこさだ。省略すればテンポもよくなるし、象徴的なシーンだけを強調することがで切る。なのに、同じことを何度もしゃべらせ、追い込んでいく。やめてくれ、という気持ちになってしまった。
ただの人のいいオバサンってだけの話じゃないか。それが、つい親切心で堕胎をはじめ、やめられなくなってしまう。これって、あまりにもバカすぎないか? フツー考えれば金銭授受はあって当然。ヴェラの相棒のメガネ婆も親切心だと、ヴェラは思っていたのだろうか? あまりにもお人好し過ぎないか? っていうところも、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」に似ているよなあ。
この映画のつまらないところは、当然そうなるのだろうな、という方向に話が進んでいくことだ。ヴェラが最初に堕胎をしたところで、ああ、これはいつかミスって娘が危篤になり、逮捕されるんだろうな、っていうのが分かってしまう。どうせなら、もっと意外性をだして欲しかった。そして、人は人を裁けるのか、ってなところにもっと焦点をあてるとか、やりようがあったと思うのだが。
わからないのが、ヴェラがお手伝いに行っている先の娘の堕胎エピソード。これは、何のために描かれているのだろう。直接的にヴェラの話とは交錯しないのに、あそこまで細かく描く必要があるのかな? 個人的には、ヴェラの相棒の、堕胎相手を紹介するメガネの婆が何年の刑を食らったのだろうか、というところだ。当然、ヴェラより長いと思うのだけれど、そのぐらい知らせてくれよ。
この家族を見ていて連想したのが「人生は、時々晴れ」の家族だった。アホみたいな表情の娘が、なんか連想させてくれる。イギリスって、下層階級はみんなこんなものなのだろうか、と思ったりしてしまいそうだ。
ラヴェンダーの咲く庭で12/10ギンレイホール監督/チャールズ・ダンス脚本/チャールズ・ダンス
で、だからどうしたってえの? ってなお話だな。善人ばかりがでてきてドラマは何も起こらない。これじゃつまんないだろ。男は実はドイツのスパイで(漂流中の映像が何度も流れるのは、伏線かと思ったのに)、バイオリニストの妹を名乗る女も間諜Xで、彼女につきまとう医者はイギリス軍の特務将校だったとか、そんな展開があるのかな? と思いながら見ていたら、なーんもないんでやんの。がっかり。
海岸に流れ着いた異国の青年・・・なんかピアノマンの話に似ているな、と思っていたら、彼が突如バイオリンを弾き出した。あ、そうか、と合点がいった。ピアノマンのことが報道されたとき、「あれは映画の宣伝ではないか」という話もでたのだけれど、その映画ってのはこれだったんだな、と。なるほど、そういわれると展開が似ている。もっとも、主人公の設定だけだけどね。
突然、流れ着いた異国の青年。助けたのは、遺産で暮らしている老女姉妹。この老女姉妹が、青年に恋心をいだいて胸騒ぎ・・・。って、なんだか怪しい話である。この怪しいところを突っ込めばよかったのに、ほんわかムードで描いてしまった。それでは話が面白くなりようがない。だいいち、たかが青年1人に老婆が興奮してしまうのか、説得力が足りない。1版面白かったのが、2人の老婆のお手伝いのオババ、つてんじゃしょうがないね。
僕の恋、彼の秘密12/13新宿武蔵野館2監督/DJチェン脚本/ラディ・ユウ
久しぶりに熟睡した。とてもつまらない映画だった。10分を過ぎた頃から眠くなってきて、はっと気がついたら男と男がキスするところで、初体験のシーン。あとはちゃんと見た。見たけれど、べつに大したドラマは起こらない。日本でも、こんな感じのドラマなら、夜の11時過ぎにテレビでやってんじゃん、ってな感じのお手軽な脚本。人物も話も深みがなく薄っぺら。脇役たちも軽いだけで、説得力がない。ああ、つまんない。
女が出てこないっていうのも、つまらない原因かも。こっちはホモでもゲイでもないから、やっぱり若くて可愛い女の子を見たい。そういうキャラが、脇にもいないのは手落ちじゃなかろうか。ホームページをみたら、これが台湾で大ヒットなんだとか。ううむ。わからん国だ。
武蔵野館では、2つのスクリーンをこの映画にあてていた。しかし、小さな方のスクリーンで、客は10人。いくら平日といっても、これは入りを読み違えているとしか思えない。名も知らぬ中国人の映画には、おばさまたちは群がらない、ってことかもね。
ザスーラ12/14上野東急監督/ジョン・ファブロー脚本/デビッド・コープ、ジョン・カンプス
吹き替え版。とても丁寧につくられているのは、分かる。しかし、つまらない。これは、対象を子供に設定しているからなのかな? テンポがとてものろくて、見ていていらいらさせられる。ゲームの世界に入っていくといっても、子供たちはほとんど能動的にゲームに参加しない。ただ、ゲームの指示に翻弄されているだけ。CGがまともでも、これでは飽きてしまう。
でもま、なんとか寝ないで見通した。「ジュマンジ」の姉妹編らしいが、「ジュマンジ」は見ていない。で、ゲームへの参加というと「スパイキッズ3-D:ゲームオーバー」があるけれど、どっちもどっちかな。あっちはビジュアルがちゃちだった。こっちはビジュアルは重厚だけど、物語の展開がいまいち。それに、兄と弟のノロノロした行動力に、心底いらつかされた。おまえら、さっさと動け、さっさとやれ! と。そういう効果を狙ったのか、それとも単にそういう脚本だったってだけなのか。よく分からない。それと、自分勝手で嘘つきな弟、ああいうキャラクターはオレは嫌いだ。
子供向けでも面白い映画はある。たとえば先月見た「キャプテン・ウルフ」はとても面白かった。別に対象が子供でも、大人が楽しめる仕上げ方はあるんだよ、きっと。けれど、この映画では、いまひとつノリが悪い。
主人公の兄弟が10差異と6歳では、少年が大人になる過渡期、というテーマも成り立ちにくい。というわけで登場させたのが、宇宙飛行士。だけれど、実は兄の成長した姿だった・・・って、話は分かりやすいように思えるけれど、それって辻褄が合わないんじゃないか? 年の離れた姉がちょっと色っぽく登場するけれど、完全に脇役で見どころが少ない。もっと役割を持たせればよかったのに、なあ。辻褄が合わないと言えば、いろいろおかしいところが満載。家の外に向かって唾を吐くと、無重力状態で浮遊するのに、敷地の中では重力があるって、ヘンじゃないか? 宇宙人が乗り込んできたとき、隣につけた宇宙船に飛び乗るのに無重力状態にならんのはなぜ? とか、突っ込みどころは多い。こういうところが、子供向けなのかも知れない。子供を甘く見ている、のかもね。
ビッグ・スウィンドル!12/15新宿武蔵野館3監督/チェ・ドンフン脚本/チェ・ドンフン
途中からついて行けなくなった。物語に入り込めない、というのではない。話が複雑すぎてわけが分からなくなってしまったのだ。過去、事件当日、1ヵ月後の現在と、時制が絡み合っている上に、登場人物も多い。そのうえ字幕を読まなくてはならない。最初の方は、快調だ。時制の行き来も苦にならない。過去に遡ってサギメンバーを集める下りは、この手の映画の常套場面で、楽しい。がしかし。手形詐欺から銀行強盗へと展開する下りでタルくなってきた。いっときは眠るかと思ったほどだ。で、強盗の後は、何が何だかよく分からなくなってしまう。大きな流れは(数年前、キム先生の詐欺師グループに騙され、2人が死んだ。被害者の弟が、キム先生に復讐するため策を練って、キム先生に近づいた。銀行強盗。で、自分は死んだと見せかけ、仲間の分の金もまんまと自分のものにした・・・じゃないのか?)分かっているのだけれど、細部の辻褄が分からなくなってきて、もういいや、理解しようとするのはやめた、となった。だから、途中からついて行けなくなった、ということだ。
この映画の、おそらく作り手は大きなどんでん返し、と思っているだろうトリックはすぐに分かってしまった。クルマが炎上して死んだチャンヒョクの兄(作家で古書店主)が登場したとき、こいつは整形した弟だ、と分かってしまった。あまりにも異なったキャラクターを意識しすぎて配置したせいだと思う。まあ、それはいい。分からないことは多い。チャンヒョクは、どこから身代わり死体を調達してきたのだ? キム先生とは何者なのだ? 単なる詐欺師? それとも、警察官? チャンヒョクは如何にキム先生に接近することができたのだ? キム先生と同居しているインギョンという女は、本当にキム先生の姪? 最後にキム先生を撃った男は警察官? それとも、誰? 銀行強盗の後に整形して、顔にキズは残らないのか? 何年も前に死んだ兄の本屋は誰が維持してきたのだ? 作家生活はどうやっていたのだ? ってか、そんなのすぐ分かるだろ。いろいろ曖昧模糊なところや瑕疵もあって、ピタッと着地しない。そのうえ、大どんでん返しが決まらない。映像も何だか貧乏くさいし。ううむ。いまひとつだな。
スクールデイズ12/15テアトル新宿監督/守屋健太郎脚本/守屋健太郎、柿本流
不思議なテイストの映画だった。前半はパロディとコメディモードが全開。なかなか笑わせてくれるのだけれど、後半になると一気に内容が暗くなる。そうして、どうしようもなくなってくる。救いようがないような展開は、なんとも辛い。ごく普通には、泥沼からの脱出の可能性などをラストで見せるとかして、可能性をちらつかせてくれるものじゃないか。なのに、この映画では徹底的に叩きのめす。誰も救われない。
主人公は元天才子役。現在は高校でイジメの標的にされている。一念発起して、連ドラの生徒役に応募して、オーディション通過。テレビドラマに出演する。が、イジメは終わらない。面白いのは、連ドラの学校生活と実際の学校生活が、パラレルに進行していくこと。熱血教師が登場し、様々な問題をテーマに進行する連ドラ。この中でも、主人公はいじめられっ子となる。テレビでは熱血先生が救ってくれたり素晴らしい教訓をたれるけれど、現実の学校生活には応用が効かない。テレビドラマなんて、所詮はつくりごと、という視線が淡々と進むのが恐ろしい。学園ドラマの嚆矢ともいうべき「青春とは何だ」の夏木陽介が実際の学校の校長だったり、生徒たちの通学路が荒川土手や堀切と「金八先生」のドラマと同じであることも皮肉がきつい。
主人公は、テレビドラマという架空の世界を共有するけれど、もうひとつ、空疎な家庭を共有している。夫は浮気ばかり。夫に構ってもらえない妻(いとうまい子)は、豆腐の過食による健康幻想の中につかっている。しかも、この妻は時報を相手に、まるで友達と会話しているような演技をつづけている。この親子3人も、実態のない演技でかろうじてつながっている家族だ。どこにも救いはない。現実の教師はどこにも熱血はなく、いじめにも気がつかない。子供のことなんか考えてなくて、保身ばかり考えている。スーパーマンはどこにもいない。
追い込まれた主人公は、いじめっ子に刃向かうことなく、ひたすら墜ちていくだけ。なんか、最後は辛いだけだ。こんな映画なのに、驚くことにエンドロールに文化庁の名前がでてくる。それって冗談だろう? と思ってしまった。こんな映画を文化庁が後援とか支援していることが、そもそもパロディじゃないかと思った。
ただし、ラストに近いところでの主人公の行為は、理解できていない。ドラマの収録があるのにいじめっ子に呼び出され、盗撮の疑いをかけられた主人公と友人。友人は、いじめっ子をナイフで刺そうとする。そのナイフを、主人公がわしづかみにする。「痛みを知れ」といって、主人公はそのナイフで、いじめっ子ではなく、その彼女を刺す。彼女はイジメには無関係なのに・・・。この過程が、どーも納得できない。テレビドラマのエピソードと似た行為なのだけれど、方向がまったく違っている。一体、何をいおうとしているのだろう。
エンパイア・オブ・ザ・ウルフ12/16上野東急2監督/クリス・ナオン脚本/ジャン=クリストフ・グランジェ、クリス・ナオン他
トルコのテロリストや麻薬密輸組織なんかが登場する映画で、へー、という感じ。っていうのも、トルコ移民で困っているのはドイツだ、ってなイメージがつよかったから。フランスでもトルコ人は幅を利かせていたのだな。老練な捜査官シフェール(ジャン・レノ)と若く熱血漢のポール刑事がコンビを組む、が諍いばかり、でもシフェールの方が何枚も上手、っていうのはありきたりだよな。
記憶を喪失したような若い女性が、その謎を追う。そして、自分の記憶や顔が操作されていることに気づく・・・。2人刑事の話と交錯するのは、後半になってから。・・・なのだけれど、2回も寝てしまった。最初は、主人公が亭主のベッドの横で起きあがって傷を調べ、自分の頭の傷に気づくところの前。2回目は、研究所で記憶を戻してもらい、格闘して逃げる後・・・。というわけで、女がなぜ追われているか、正体は何だ? というのが分からないままラストに突入してしまった。これじゃしょうがねえ。というわけで、つづけてもう一度見直すことにして。
エンパイア・オブ・ザ・ウルフ12/16上野東急2監督/クリス・ナオン脚本/ジャン=クリストフ・グランジェ、クリス・ナオン他
見直したのだけれど、なんて、1回目と同じところで寝てしまった。気づいたら、亭主のベッドの横で起きあがり、自分の頭の傷に気がつくところ。なんだよ。見直した意味がないじゃないか。ううむ。あの直前はつまらないのかな。寝やすかったのかな。まあいい。次の、研究所から脱出する後は、寝なかった。だから、彼女が麻薬の運び人で、それをトルコに持って帰らず自分のものにしようとしたこと。追っ手から逃れるために自分で整形したことが分かった。わかったのだけれど、なんか、いろいろ細かなところでいい加減なところは多い。彼女が働いているケーキ屋。あそこにはいつから働いているのだ? あの店やパートナーも、彼女の記憶を操作した仲間なのか? では、あの店に、狼団の暗殺者がよくやってきたのは、単なる偶然なのか? トルコ風呂に入っているトルコ人街のボスは、なぜシフェールに軽々しく事実を話そうとしたのか? そのボスを、暗殺者はタイミングよく殺しすぎ! ポールが、彼女の整形を担当した医師を訪ねたとき、都合よく暗殺者がやってくるのはなぜか? 医師を殺す必要はあったのか? なぜポールを殺さなかったのか? 女は、麻薬を自分のものにしようとしたのか? 孤児の自分を暗殺者にし、子供が産めない体にしたことを恨んで、なら単に逃げればいいだけじゃないか。なのに、なぜ麻薬を横取りする必要があったんだ? それとも、シフェールと通じていたのか? 単に自分のものにしようとしたのなら、ラストでシフェールと組んで狼の大ボスを殺ったんだ? そもそも、シフェールは墓場からどうやって助かったんだ? 暗殺者は女が好きだったのか? こめかみに傷を付けるのは、なんかの儀式か? 墓場で飛び散った麻薬はどーなったんだ? とか、よく分からないところがありすぎ。ま、フランス映画だから、なのかね。ラストも、呆気ない終わり方すぎると思う。もっと余韻を楽しませてくれ。その後の軽いエピソードでもつけてくれ。
ライフ・イズ・ミラクル12/17新文芸坐監督/エミール・クストリッツァ脚本/ランコ・ボジック、エミール・クストリッツァ
期待は大きかった。で、期待以上ということにはならなかったけれど、90%ぐらいの達成率で、十分に満足。そこらのクソ映画に比べたら何倍も面白く、楽しく、深く、考えさせられる。期待から外れた部分は、はじけ方が少ないということ。「アンダーグラウンド」「黒猫・白猫」に比べ、エキセントリックなところが少ない。怪しい人物はそれほど登場しないし、奇妙な結末にもなっていない。音楽も、ジプシー音楽が終始鳴りっぱなし、というわけでもなかった。少しずつ、ヘンなところが薄まって、マジなところがでてきている。その辺りが、ちょっと食い足らない。
それでもイメージは豊饒だ。もっとも象徴的なのは、トンネル。そして、失恋して自殺志願のロバ。他にも汽車、ジオラマ、熊、逆方向に撃つバズーカ、サッカー、チェス、手こぎのトロッコ、オペラ、犬と猫の共存、偶像、自殺・・・。戦いや交流をほのめかすようなものが少なくない。こういうイメージがごちゃ混ぜになりながら、決して方向性を失わず、最後まで疾走する。見ているだけで快感がつたわってくる。最初はノー天気に。中盤で戦争が始まると、ちょっと暗く。後半は愛の物語として。戦争を背景にしながら、未来への期待や夢を失わない民族性が凄い。
民族性といえば、長々と霧の中でのサッカーの試合が取り上げられているのだけれど、正々堂々と戦うことなく、勝てばそれでいい、勝つためには手段を選ばずという姿勢も民族性なんだろうなと思わせた。もう、理屈ではない。自画自賛、相手憎し。ボスニアやセルビアには、こういう人種対立が根底にあるのだな。それに、イスラムを信じる人々を軽蔑するところも。
飼い犬がよく登場するけれど、キャラクターが濃いのは猫だ。犬と堂々と喧嘩したり、人間が食べようとするパンをむしゃむしゃ食らう。飼い主に顔をひっぱたかれてもなお、図々しく生きる。とても素晴らしい。
後半の恋愛劇は、共感してしまう。ワガママ勝手な古女房が、ハンガリー人の音楽家と逃避行。そこに現れた敵性女の捕虜。一緒に暮らして情が湧き・・・だけでなく、彼女はほんとうに美しい。ヌードシーンもでてくるけれど、若々しく健康的な乳房は、ほんとうに美しい。オヤジがころりとまいるのは当然だ。なんだかんだといいながら、古女房やサッカーキチガイの、ちょっと頭のずれた息子を放り出して、若い女と新しい生活へと向かうラスト。これも清々しい。2人はトンネルを抜けて、いったいどこへ向かっているのか。ボスニアか、セルビアか。ストップモーションでしか表されていないけれど、でも、とても象徴的で感動的だ。大満足。
東京ゾンビ12/21シネセゾン渋谷監督/佐藤佐吉脚本/●
ただのバカ映画だった。浅野忠信もこういう中味のない映画に出るのだね。中味がないのは構わないのだけれど、それほど面白くない。ズレやズラシ、パロディもあまりない。単純な引用はいくつかあったけど、思わず笑ってしまうようなものはなかった。なんだか、もったいないと思う。どうせならもっとバカになるとか、無意味にバカをするとかすればいいのに、フツーのバカでしかなかった。演出家に思想がないと、どんなモチーフをもってきても、テーマのひとつもない映画になってしまうのだろう。セットもCGも安づくりが露骨すぎ。どうせなら、もっとはじけるバカになってくれい!
皇帝ペンギン12/22ギンレイホール監督/リュック・ジャケ脚本/リュック・ジャケ
南氷洋。ペンギンが生誕地へと戻る旅、結婚のダンス、排卵、そして、卵を温めて雛をかえし、海に戻っていくまで、8ヵ月間ぐらいを追ったドキュメンタリー。がしかし、平板でとてもつまらない。これはひとえに、科学ドキュメンタリーでなく、ドラマ仕立てにしようとしたことに起因していると思われる。ペンギン人間になぞらえ、人間のような感情があるかのようなナレーションを加えているのだが、ペンギンに喜怒哀楽があるはずがない。それを結婚のダンスだとか「パパが帰ってきた!」だの擬人化することがいかに不自然なことか。作り手は分かっていないようだ。
アニメじゃない。大自然の中の生誕を扱っているのだ。だったら、ナショナル・ジオグラフィックのように淡々と事実だけを解説した方がよっぽど面白いはずだ。たとえば、見ていて疑問に思ったこと、質問したくなったことはいくつかある。ペンギンは食べないで生活しているのか? それはどの程度の期間か? どうやって生体を維持しているのか? 卵の温度は何度ぐらいになるのか? ペンギンは、交接した相手や生まれた雛をちゃんと認識しているのか? 食った物を体内のどこに蓄えているのか? どうやって生誕とまで戻ってくるのか? そんな、素朴な疑問がいっぱいだ。しかし、そういうことにはほとんど応えず、まるで人間の家族のように、または、アニメの主人公一家のように描いていく。幼児番組じゃないんだ。大の大人が見て「なるほど」という説得力が欲しいんだよ。
しかも、ペンギンがさほど可愛くない。可愛く撮れていないのか、もともと可愛くないのか、わからないけどね。いまひとつ、グサッと来るものが足りないと思う。
大いなる休暇12/22ギンレイホール監督/ジャン=フランソワ・プリオ脚本/ケン・スコット
カナダ。人口120人の島は寂れ放題。工場を誘致しようとするが、医者が必要といわれ、医者探しに奔走する。街を捨てて警官になった元町長が、交通違反でコカイン所持の医師に、1ヵ月間島に行くよう命じる。島民たちは医師に好かれる島を、みんなで捏造しようとする・・・。という、まあ、よくあるパターンの映画。しかも、ちゃんと医師が島に根づくというハッピーエンド。ほんわかムードで善意の人ばかりが登場するし、とくに悪くはない。けれど、いまひとつ面白みに欠ける。くすぐり笑いはいくつかあっても、とて爆笑はない。もうちょっとバカになるか、ウィットの効いたキレのあるエピソードが欲しいところだ。
地方や離れ島が寂れるのは、どこでも同じらしい。日本でも同じ様なテーマで、いくらでも同様の映画はつくれるだろう。でも、ここまで上品にはならないだろうけどね。でも、上品にならない方が、面白くなりそうな気がする。この映画は、どーもなんか、気取ってる。もうちょっと、島民のせっぱ詰まった感が欲しかったね。それと、彼らはなぜ不便なのにもかかわらず島を去らないのか? その辺りも、ひとつぐらいエピソードが欲しかった。さらに、いったんは島を去ったけれど、夢やぶれて都会から戻ってきたという設定の出戻り女だとか、島から出ていこうとしている青年だとかがいると、話の密度が濃くなったんじゃないだろうか。
島には爺さん婆さんばかりでなく子供や若者もいるのはなぜ? あの、美人郵便局員は、いったい誰の家族? 120人の島に銀行員が赴任しているのは、あり? とか、疑問もいくつかあるぞ。
ロング・エンゲージメント12/24新文芸坐監督/ジャン=ピエール・ジュネ脚本/ギョーム・ローラン。原案・脚色/ジャン=ピエール・ジュネ、ジョーム・ローラン
分かったような分かんないような、分かんないような分かったような、ヘンな物語運び。恋する男を思う女の一念・・・かと思いきやミステリーのような展開、かと思ったらミステリーにしてはもの凄く杜撰な展開。ミステリーなら、謎を解いていくたびに新しい展開が芋づる式に・・・でなくてはならないけれど、そうはなっていない。新たな情報は偶然にもたらされるばかりで、それまでの謎とは因果関係がなく、全然別のエピソードが展開されるのだ。それはそれで、まあいいか、なのだけれど。伏線も何もなくて、なんとなくミステリーっぽいだけで、全然ミステリアスではないのだ。一方、ラブストーリーにしては色恋部分が物寂しいし、戦闘シーンや残酷シーンやグロもたくさんあるし、無意味にエロいシーンも盛りだくさん。とくに冒頭の前線のシーンは生肉でろでろで気味が悪すぎる。中盤には濃厚なセックスシーンがでてくるけれど、それがなにか効果を発揮するのかというと、さにあらず。それでも何とか話がつながって見えたりするのは、フランス映画だなあと思う。もう少し謎の部分がカチッカチッと嵌っていけば、上質なドラマになったろうに。
オドレイ・トトゥが、戦場で行方不明になった彼氏を追い求めるように、マリオン・コティヤール(「TAXi」にでてくる可愛い彼女)も彼氏の行方を求めているのだけれど、こっちのドラマも丁寧に描いて交錯させたりすると、面白みが増したのではないかと思う。ジョディ・フォスターが汚れ役で出てきたのには驚いた。しかも、不必要としか思えないセックスシーンもある。物語的には彼女は重要度が低いのだから、あんなに出番を多くする必要はないだろう。むしろ、ジョディの亭主と、その友達との諍いを描いた方がよかったと思う。それから、最後の方で分かる生き残りの、ノートルダム、だっけ、彼なんか、前半はどういう役割で登場していたか、ほとんど覚えていない。もうちょっとまともに描けよ、と思った。
そのノートルダムだけれど、彼がオドレイ・トトゥを抹殺しようとした、ってくだりに説得力がない。まあ、よーく観察していけば、この映画全体に説得力はあまりないのだけれど、その秘密というか、裏の事実について、もっと分かりやすく提示する必要があったろうと思う。冒頭から人間の数が出すぎているし、名前だけで「あいつが・・・」と言われても、わかんねえよ。まあ、戦闘シーンの、過剰なリアリティだけは誉めてつかわす。Webを見たら「アメリ」のスタッフがつくったとあったけれど、いまひとつ“不思議感”が足りないと思った。せいぜいオドレイの“ゲンかつぎ”と、妙な郵便配達ぐらいで、面白みが足りないかも。といいながら、見終わってみるとなんとなく辻褄が合っているように思えてしまったりする奇妙な感じがあることは確かで、これがフランス映画、および「アメリ」スタッフの魔術なのかも知れない。
コーラス12/24新文芸坐監督/クリストフ・バラティエ脚本/クリストフ・バラティエ、フィリップ・ロペス・キュルヴァル
2度目。過剰な期待(コーラスグループがコンテストに参加して入賞するとか)がないので、気楽に見られた。途中で登場する悪ガキが学校を放火するという展開では、やっぱ根っからの悪はどーしようもないのかしらね、と改めて思ってしまった。それと、ラスト、先生が子供たちの“さよなら”の手紙を全部拾っていかないのは、やっぱり納得できなかった。それと、美声の少年の母親は、もっと美人にして欲しかったと、これも改めて思った。
ディック&ジェーン 復讐は最高12/30テアトル池袋監督/ディーン・パリゾット脚本/ジャド・アパトゥ、ニック・ストーラー
アホなコメディかと思いきや、切実感もあるし復讐劇も気が利いていて、なかなか面白かった。
会社が計画倒産して、社員は全員クビ。ジム・キャリーとティア・レオーニの夫婦も、一気に貧乏暮らし。家を売ったとしても借金が残る有様で、しかも、追い立てを食らう寸前・・・。で、思いついて強盗に・・・。という転落人生は、笑い事ではない。こういうことは日常茶飯事だし、いつ誰がそうなっても不思議ではない状況がある。勝ち組vs負け組、上流階級vs下層社会。明日の運命を指摘されているようで、そら恐ろしい。
ところが、元社長は自分の資産をたっぷり確保している。「こんなバカな!」である。で、たまたま再会した潰れた会社の幹部に情報をもらって復讐劇が始まるわけだけれど、こちらは強盗とは違って、詐欺行為。それでもなんとか成功して、元の社員の年金が戻る、というストーリー。この話、よくできていると思う。と思ってWebを見たら、リメイクなんだって。ふーん。途中でタルくなることもなく、軽快なテンポで話が進む。アホギャグもあるけれど、玄人受けするようなギャグもいろいろある様子。ジム・キャリーが経済番組に引っ張り出され、うろたえている最中にも画面の株価が下がりつづけるのは笑った。けれど、あれが株価だって、すぐには分かりづらいよなあ。字幕でのフォローも必要だったんじゃないのか? 他の、会話のギャグや音楽のギャグというか状況に合わせたような音楽だろうと思えるようなものに反応できなかった。それから、多分あるであろう画面の中の店の名前や道路標識や広告看板など、諸々の意味しているもののギャグなんかも、読み取れなかった。コメディとはいいながら、込められているアイロニーなんかも、多分10分の1も理解できていないはず。やっぱ、英語のコメディは、ネイティブじゃないとダメなんだろうなあ。
タイトルは「ボニー&クライド」に倣っているのかな? ラストで、昔の同僚が「エンロンに就職」したと喜んでいる。なるほど。冒頭で2000年のお話、と断っているのは、ここにつながるのだな。さらに、エンドクレジットでエンロン社他のCEOの名前が協力者として羅列されていたりして、皮肉もたっぷり。なかなか骨のある映画でもあるようだ。
奥さん役のティア・レオーニが、知的な美人でないのがいい。・・・と思ったら「さよなら、さよならハリウッド」の、あのやり手のプロデューサーの役の人だと。うわ。あっちでは知的な美人役だったのに。女は分からん、というか、さすが女優だと言うべきか。それにしても気になるのは、強盗生活していた頃の罪滅ぼしについて、ひとつも言及されないこと。いいのかい? 泥棒しっぱなしで?
シンデレラマン12/31ギンレイシネマ監督/ロン・ハワード脚本/クリフ・ホリングワース
正統派豪速直球勝負どうだこのやろう感動させてやるぞ映画だった。いくつか不満はあるけれど、同じボクシング映画の「ミリオンダラー・ベイビー」より、はるかに後味がいい。「ミリオンダラー・ベイビー」は、暗すぎた。
いくつか不満がある。明らかに不要なカットやムダに長いカット尻が散見されて、タルイところがある。編集者の意図を疑ってしまった。ロン・ハワードって、こういう緩慢な流れが好きな監督だったっけ? それから、人物の紹介の仕方で、中途半端なところがある。具体的に言うと、レニー・ゼルウィガーの姉は、ちょっと出てきて、あとは出てこない。で。後から教会で争う夫婦がでてくるのだけれど、一瞬オレは、あれが姉夫婦かと思ってしまった。実はラッセル・クロウが港で知り合った共産党員とその妻だったわけだが。でも、共産党員の妻は、このシーンで突然登場するのだよなあ。彼ら夫妻とラッセルとレニーの夫婦がつき合っている、というシーンがなくては、分かりづらいだろ。もうひとついえば、金回りのよかったボクサーだったのに、大恐慌後、どうして貧乏生活をしているのか、その説明がかなり後からでてくること。もっと早く「株に手を出して失敗した」と説明すべきだろうと思った。その程度かな、不満は。
昨日の「ディック&ジェーン 復讐は最高」は計画倒産で貧乏生活へ、という話だった。今日は、大恐慌で貧乏生活へ、という話だった。つづけて理不尽な貧乏生活をみるとは、なんかあるのかな。なければいいが。で、その恐慌後の貧乏生活だけれど、描写がいささか緩慢なので、最初のうちは切実さがあまり感じられない。が、電気が止められ薪がなくなりと、次第に深刻さを増してくる。大恐慌は、ニューヨークの人々に、どんな影響を与えたのだろう。僕たちが知っているのは、破産した人々が窓から飛び降りたという記事や、テネシー川流域開発だったりする。登場してくるフーヴァー村というのは、知らなかった。恐慌は、多くの人々に様々な影響を及ぼしたのだね。このあたり、ボディーブローが効くように、じわりと凄まじさを感じさせてくれた。
ラッセルは、アイルランド移民のボクサー、ジム・ブラドックを、清廉潔白な亭主&素晴らしいお父さんとして演じていた。あまり素晴らしすぎて、本当はこんないいヤツじゃないんだろうなあ、と思わせるぐらいだった。救済機関から借りた金を返しに行った美談も、本当のことなのだろうけれど、なんか、創作されたようなエピソードだね。それに、一度は転落したボクサーだつたのが、ロクに練習しないのに次々と勝ち進んでいく姿も、ほんとうかい? と思ってしまう展開だ。事実をもとにしているのだから本当なんだろうけれど、あまりにも上手く行きすぎているように思えて、少し疑ってしまうほど。ジム・ブラドックというボクサーの名前は知らなかったけれど、アメリカでは有名な人物なのだろうか?
マネージャーなのかトレーナーなのか分からないけれど、ジョー・グールド役のポール・ジアマッティが凄くいい。あと、プロモーター役の役者が、存在感を出している。ところが、その他の脇役が、なんとなくみな甘い。もうちょい描いてあげてもよかったんじゃないのかな、って思う。でもまあ、それなりに描かれてはいるので、こんなものかな、という気もしないではないが、あとひと味ずつ加味されていると、物語に深みが出たのではないかと思ったりする。そんな中で、レニー・ゼルウィガーは、単にでているだけであまり目立たない。貧乏人を演じるのは、あの子豚ちやんにはムリなのかも、ね。
それにしても、日本人のオレはジム・ブラドックを知らないし、勝負の行方も知らない。だから、試合のシーンは見ているだけで力が入ってしまった。なぜかというと、この試合は勝つか負けるか分かりませんよ、負けるかも知れませんよ、というような演出で描かれているからだ。ラッセル・クロウは試合中に骨折したり、視野がぼけたり、まったく予断を許さない。だから、頂点を極める前に負けてしまう映画ではないのか、とハラハラしてしまうのだ。とくに「ミリオンダラー・ベイビー」のように、突然、主人公が栄光への階段を転げ落ちるような映画を見てしまっていると、余計にそう思う。まあ、この辺りは、監督の術中にはまってしまった、っていうことなんだろうけれどね。でも、ジム・ブラドックは完全復活する。そうして栄光の座を獲得する。しかも、ジム・ブラドックの余生も幸せだったようだ。というわけで、見終わって「よかった、よかった」と安心して劇場を後にできる映画である。やっぱり、映画はこうでなくちゃいけないよなあ。「ミリオンダラー・ベイビー」は、観客の期待を裏切るような結末で、重苦しいよ。
1920年代から30年代のジャージーな音楽と、ジム・ブラドックの出身地であるアイルランドのトラッドな音楽が、交互に流れる。これも、効果的。アイルランド移民のジム・ブラドックと、オーストラリアからやってきてハリウッドで活躍するラッセル・クロウとの人生が、ダブって見えた。

 
 

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