キング・コング | 2/1 | 新宿プラザ | 監督/ピーター・ジャクソン | 脚本/フラン・ウォルシュ、フィリップ・ボウエン、ピーター・ジャクソン |
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つまんなかった。途中で眠くなって、困った。とくに、最初の1/3がつまらない。オープニングの、1930年当時を紹介しつつ、コミックショーの舞台へといたるショットの積み重ね、編集にキレがない。まるでオーソドックスな日本映画のようなぎこちなさだ。この部分でキチンと人物を描くべきなのに、上っ面だけの紹介だけなのだ。次の2/3は島の冒険譚。ここで面白かったのは、座礁するシーン、恐竜の玉突き衝突。それから、ナオミ・ワッツがコングの前で披露するコミックショーの3つ。それ以外は、ありきたり。コング、恐竜のCGは、またかよ、ってな塩梅でとくに驚きがない。コングはただのゴリラだし、恐竜は「ジュラシック・パーク」よりも動きがなめらかだね、ってな感想があるだけ。いくぶん、うっ、ときたのは虫系のものに襲われるところかな。ここでも、人間ドラマが足りない。土人たちは一瞬登場しただけ。彼らはどこに行ってしまったんだ? それに、ジャック監督や船長、その他の思惑がほとんど前に出てこない。CGにだけ力を入れればいいと思っているから、こうなってしまうのだよ。 3/3は再びマンハッタン。まんか、エンパイアステートビルでのコングとナオミ・ワッツのラブシーンが長すぎ。それに、あんなビルの上に、人間が平気で立てるわけがない! と、思いながら見ていた。 突っ込み所は多い。ジャック・ブラックの監督は、いかにしてあの島の存在を知ったのか? 彼は監督業より山師的な意欲の持ち主のはず。だったら、もっとそういう人物像を造形しなくちゃ。エイドリアン・ブロディなんか、何のために出てきたのか、よく分からん。船長なんか、思わせぶりなところもほとんどない。もう少し人物の造形に力を入れればいいのに、深みがないのだよな。 というわけで、後半はずうっと、あんぐり口を開けたままの上目遣いのアップが画面に映されつづけたナオミ・ワッツの顔ばかりみていた。なかなか端正な顔立ちで、よろしいね。もうすこし衣服が濡れて乳首が透き通って見えてもいいんじゃないか、と思ったのだけど。島を裸足で走っていて、きっとズタズタじゃないのかな、と心配になった。ううむ。 | ||||
Mr.& Mrs.スミス | 2/1 | 新宿オスカー劇場 | 監督/ダグ・リーマン | 脚本/サイモン・キンバーグ |
時間を間違えて途中で入ってしまった。ちょうどクルマで家に帰ってきたところで、次に2人でバトルして仲直りするのだった。この後半は面白く見た。予告編ではプラット・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが派手に撃ち合うシーンを見つけいたので、内容については驚きがないしね。むしろ、内容について何も知らずに見たら、ええっ! こんな展開になるのかよ! って驚いたと思うが、そうならなかったのが残念。で、幕間を挟んで前半。ふーん、なるほどねえ、という見方しかできない。ううむ。もったいない。と思っているうち、少し寝てしまった。それがちょうど、2人が別のクルマで家に戻ってくる直前の部分で、なんとも悔しい。結末も分かっていたし、中だるみするような部分でもあったし、昼食後でもあったりしたから、そうなったのかも。 これも突っ込み所が多い映画だ。あんな規模の暗殺集団があるのかい? 夫婦が互いに違う集団に属しているから、抹殺してしまう・・・って、短絡すぎない? その抹殺のために、あんな大がかりでドンパチドカンをフツーするか? 部屋がガラス片まみれなのに、裸足? 追っ手の10数人をやっつけて、で、殺人集団は壊滅したの? っていうか、壊滅させちゃってよかったの? 妻が料理をつくらず、部下がつくっていた・・・つて、そのぐらい気づけよ。いや、互いに武器弾薬を家のあちこちに隠しているけれど、大工にはどうやって注文したんだ? 夫婦互いに、それは気がつきませんでした、かい? 互いの部下・関係者がうろうろしていれば、5年の間に気づくだろ、そのぐらい。とかね、でも、まあ、そういういい加減なところで成立させている話だから、そういうアラに突っ込んではいけないのだろうけど。 アンジェリーナ・ジョリーのたらこ唇と大きな胸を見ているだけでも、時間はもつ。ブラピのお茶目なところも全開で、笑って楽しめるアクション・コメディ。ブラピの同僚で、母親と同居しているやつだとか、隣人夫婦だとか、なかなか脇のキャラも描けていて面白かった。でも、少し寝ちゃったんだけどね。ははは。 | ||||
エリ・エリ・レマ・サバクタニ | 2/3 | テアトル新宿 | 監督/青山真治 | 脚本/青山真治 |
一見して観念的で秘めた主張がありそうな映画だ。けれど、思わせぶりなだけで、中味は大したことがない。大したことはないのだけれど、これを非難すると「わかってないなあ」などと言われそうな気がする。たとえば「ここには現在の国際情勢を連想させる設定がある」だとか「感染という現象を通して、現在の日本人が置かれている社会状況を的確に表現している」「絶望の中に、未来への可能性を表している」とかね。そんなことを言って、こういう類の映画を擁護する輩は少なくない(だろう)。けれど、いまどき、そんな次元の低い論陣は説得力がないんだよ。面白くないものは、面白くない。それだけだ。 「で、何が言いたいの?」と問われたら、どう答えるのだろう。ひょっとしたら「見る人自身が考えればよい」なんてことを言っておしまいなのだろうか。そういう答えは要らないんだよ。「で、何が言いたいの?」に、答えてくれなくちゃな。それも、後から映画の解説をする、ってなんではなく、映画の中でちゃんと言ってくれないと、困る。 で、だ。この映画にはどこにも新しいところがない。話は単純で、謎の自殺菌が蔓延し、日本で300人も死んでいる、というだけの話。で、浅野忠信と相棒が奏でるロック音楽が、その菌を満腹にさせるから、菌の増殖を一時的に抑えられる、という、それだけの話。それを延々100分もやるわけだ。退屈しないわけがない。不可思議的な要素としては、浅野と相棒が演奏家で、いろんな音を拾ってミキシングしているところが面白かった。けれど、奏でる音はノイズでしかなくて、耳に騒がしいだけ。それから、相棒が死んで、その墓が百葉箱みたいで、その中にシャープの液晶テレビが入っていて、故人の画像が流れているというのが面白かった。あんな箱は風雨ですぐに飛ばされるだろう、という突っ込みは置いといて。連想したのは「インファナル・アフェア」で登場してきた香港の墓石だ。なんと、故人の写真がはめ込まれているのだ。そうか、墓に遺影を入れ込むようになったんだな、中国では、と思ったのだけれど、「エリ・エリ」ではもっと進んで液晶画像だ。ううむ。将来は墓石の前に人が立つとセンサが感知して、墓石内に装備された画面から映像が流れる、っていうのもありなのかも。電気代がかかりそうだけどね。 | ||||
三年身籠る | 2/3 | 新宿武蔵野館3 | 監督/唯野未歩子 | 脚本/唯野未歩子 |
オープニングは、家の前の道路を掃除する、妊婦(中島知子)で、潔癖性らしく他人の家のゴミまで取りきらないと気が済まないらしい。そういう性格を、自分でも認識している・・・。というような描写だ。これは面白い映画かも知れない、と思った。物事に意味を持たせて表現していたからだ。さらに、子供に影響を与えないようテレビも見ず音楽も聴かない生活をしている。この伏線は、どう後半で反映されるのだろう? 十月十日が過ぎても、子供が生まれない。それでも、本人はもとより周囲も異常とは感じていない。これにも、意味があるのかと思っていた。ところが、30分を過ぎた辺りから物語はどこにも進んで行かなくなってしまった。同じ様なことを延々と繰り返し、たわいもないことを繰り広げるだけ。物語は閉塞し、どこにも一貫した意味性など感じられなくなってしまった。おそらく、冒頭のシーンやそれ以後のいくつかのシーンの意味ありげな描写は、単に“意味ありげ”なだけで、意味はなかったんだろう。刺激的なダイアログもなく、どこに話を持って行こうとしているのかも分からない。たんに子供が誕生するまでの時間を、愚にも付かないエピソードで埋めているだけだ。眠くなってきた。眠い。眠い・・・。大きな音がしてハッと目が覚めたら、裸の少年がこちらに歩いてくるところだった。10分ぐらい寝たのかも知れない。 ただ闇雲に話を拡散させればいいわけではない。映画は、話をある着地点へと収斂させていかなければならない。それが、分かっていない。また、映画として何を描くかということも分かっていない。主張やテーマも見えない、ということは、脚本が悪いのだろう。さもなくば、主張を具現化する映画的技術がないかだ。 | ||||
サイレン | 2/17 | テアトルダイヤ | 監督/堤幸彦 | 脚本/高山直也 |
こういう辻褄がほとんど合っていない映画って、見るのが辛い。途中で放り出したくなる。その辻褄が、ラスト近くで「おおっ」と一気にひっくりかえってつながる…かと思いきや、合わないまま怒濤のごとくラストへ。それって、ヘンなんじゃないか? と、疑問を抱きつつ、やっぱくだらねえ、と結論づけるしかない。いくらホラーで堤幸彦だって、終わったときには「なるほど」って思わせなくちゃいけないでしょ。俺はそう思うぞ。 島の住人が突然消えた…。そんな事件が30年ぐらい前にあった。その島に、3人家族が越してきた。父親と娘と息子。息子の転地療養が目的だ。しかし、「サイレンが鳴ったら外に出てはいけない」と、島の人間にいわれる。次第に怪しい影が…。そして、娘は住民に襲われる…。とまあ、表面的にはゾンビ映画だ。ところがラスト近くにネタがバラされる。 以下はネタバラしになってしまうが、仕掛けは「アイデンティティー」や「アザーズ」と同じで、実は被害者が加害者だったというもの。弟はすでに死んでいて、病気の弟を救えなかったと悩む娘は精神病に。弟の姿を幻視し、生きていると思いこんでいる。つまりまあ、娘の転地療養だったわけだ。サイレンが鳴ったら…というのも、実際にはサイレンは鳴っておらず、娘の頭の中で鳴っていた、というオチ。で、大まかな話の構造は、まあいい。問題は、デイテールがぐちゃぐちゃなことだ。 たとえば、30年前の当年失踪事件は、実は、「サイレンが聞こえる」といいつつ島民を皆殺しにした精神病者の犯罪だった、と証される。おいおい。そんな事件が、なんで失踪事件になっちゃうんだよ。ネットでも、そういう風評になっているなんて、ありえねー。30年前の島民の写真は、あれはなんなんだ? 消えた島民の写真が家の奥に貼ってあるが、それがすべて現在の島民のものだ。それって、おかしいだろう。あれは、一家が島を訪れてから撮影したとでもいうのかい? ムンクの叫びみたいな宗教は、あれは何なんだ? 島民惨殺事件以後に生まれた宗教か? ココリコ田中は医者という設定だからいいけど、謎の男松尾スズキや隣の住人西田尚美は、どーして一家、とくに娘に対して違和感なくせっしてきたのだ? 娘からみて違和感がないということは、島民から見たら変人ということだよなあ。それに、赤いマントの女は、なんなんだ? あれは単なる幻覚か? で、父親の錯乱は、実際は娘を取り押さえる行為だったとでも? さらに、30年前に大量殺人事件があった島へ、またもや同じ様な症状で犯罪を引き起こす女がやってきた…って、偶然も過ぎるのではないのかね。 というわけで、とてもいい加減なストーリー。けっ。 上映前に「TRICK」劇場版が6月に公開というコマーシャル。この、阿部と仲間のかけあいのほうが、よほど面白かった。でも、本編の内容はつまらないかも。前の劇場版もつまらなかったからな。 | ||||
PROMISE プロミス | 2/17 | 上野東急 | 監督/チェン・カイコー | 脚本/チェン・カイコー |
昼飯の後だったし、1本目ですでに眠かったし、寝るだろうと思っていたら、やっぱり寝てしまった。王を殺しに行くところから、殺し終わったところまで、寝てしまった。だって、つまらねえんだもん。まず、CGが超ダサイっつーか、レベルが低い。コマ撮りマンガのよう。ひょっとして、笑いを取るためにそうしているのか? 物語全体のテイストを考えると、そんなことはないように見えるのだけどね。それに、話がつまらない。幼い頃にわけの分からん女神のようなのに饅頭ひとつもらったおかげで、「愛することができない体質」になる約束をするなんて、バカバカしくて説得力がない。真田広之の大将軍、足の速いその奴隷、イケメンの公爵、その奴隷…。こういった人物が、あまり有機的に機能しない。テーマであるはずの、“約束”も、だからなに! という程度にしか働かない。互いに、なぜ戦わなくてはならないか、がはっきりしないから、その対立関係にも興味が持てない。おまけにアクションもいまひとつふたつみっつ…。画質もよくない。ううむ。眠ってしまうのも仕方がないと思う。ところで、真田の中国語は、中国人が聞いたら意味が理解できているのだろうか? っていうか、真田広之を起用する必要って、どこにあったんだ? 真田は、中国では有名なのか? 上映前に、井上和香のでるプロミスのCMが…。いくら映画のタイトルが同じだからって…。 | ||||
空中庭園 | 2/20 | ギンレイホール | 監督/豊田利晃 | 脚本/豊田利晃 |
カメラの動きが素晴らしい。ほとんどの場合FIXではなく、静かに動いて、引いたり寄ったり揺れたりする。その具合が、テーマに沿ったもので、かなり鋭い。象徴性の高いイメージ(階段を血液が流れたり、血液の雨が降ったり)も豊富で、たんなる表面的なドラマではないえぐり方を試みている。こうした手法が、物語のテーマに効果的に作用していると思う。 一見、平和そうな家庭。その実、母親はマザーコンプレックスで、父親は浮気性。娘と息子は、それを承知したような演技で毎日を過ごしている。その、化けの皮が一枚一枚はがされていく。その過程が、コミカルに、そして、スリリングに描かれていく。誰しもが心当たりのあるようなエピソードがつづれ織りになって、ねじれて、ゆるやかに進んでいく。「隠し事のない家庭」といいながら、みんなそれぞれが隠し事を実行していく皮肉。まあ、そういうのはどこの家庭でも当たり前だと思うのだけれど、だからこそリアリティがある。とくに印象的なのは、自分が疎外されて育った、と思いこんで生きてきた小泉今日子が、決して疎外されてなんかいなかったのだ、と気づくところ。それまでの話は、すべて小泉の幻想だったのかも知れない、と考えさせるほどだ。ま、実際はそうではないのだろうけど。それにしても、いろいろと語れる、内容のある映画だと思う。で、そこそこ面白いのだけれど、予想される枠組みから話が外れないところが、ちょっと物足りない。つまりまあ、意外性がない、ってところかな。だもんで、後半は気分的に少しだれた。もうちょっと適度な緊張感が保てると、もっといい映画になったのにね。 | ||||
サヨナラCOLOR | 2/20 | ギンレイホール | 監督/竹中直人 | 脚本/馬場当、竹中直人 |
最初に「近代映画協会」というクレジットが出て、ちょっと萎えた。なんだか、「世界の中心で愛を叫ぶ」の大人版+ロマンチック+コメディタッチってな感じ。テーマは手垢がついたもので、とくに目新しさはない。話の転がし方やエピソードの挟み方も、ごくフツー。ラストも予定調和的で、想像できる結末の範囲に収まってしまう。端的に言えば、古臭い。なんだか、文部省推薦(今じゃそう言わないけど言いが出てきそうな、そんな、いわゆる良心的映画で、想像通りエンドクレジットには文化庁の名前がでてきた。ううむ。萎える。 見ている途中で思ったのは、これで主演が竹中直人でなくイケメン若手だったら、若い観客がついたかもな、である。セカチューがそうだったように、ね。でも、竹中はいつもの竹中で、ズッコケ三枚目のまま。これでは一般にはアピールしない。が、しかし、最後に監督・脚本に竹中の名前を発見して、ああそうか、こういうのを自分でやりたかったのね、と合点。というわけで、クラスのマドンナに恋したもてない男、竹中の極私的な哀しきラブロマンスなのだった。高校時代の竹中はまったく記憶に残らない少年で、再会して想いを訴えて、心が通じたと思ったら、またしても成就する前に自分が果ててしまう。ま〜かわいそう、の話なのだけれど、主演が竹中じゃな。だれも泣けないよ。 ところどころに本筋とはまったく関係ないエピソードが転々とインサートされるが、これがとても気になってしまった。なくてもいいエピソードを挿入する意味は、なんなんだろう?せっかく時間をつかうのだから、ちゃんと意味のある使い方をするべきだと、俺は思うがね。 | ||||
アサルト13 要塞警察 | 2/21 | 新宿武蔵野館2 | 監督/ジャン=フランソワ・リシェ | 脚本/ジェームズ・デモナコ |
出演者一流、企画は二流。でも、そこそこ面白かった。 巡査部長のイーサン・ホークとギャングの親玉ローレンス・フィッシュバーンは、有名所。こういう企画にのった理由が、よくわからん。だって、ギャングとつるんだ悪徳警官に襲撃される・・・って、よくあるパターンじゃん。「L.A.コンフィデンシャル」っていう名作はあるし、それ以外にも掃いて捨てるほどある。しかも、窮鼠囚人の力も借りて悪徳警官の襲撃に立ち向かうって、これもよくあるストーリー。なのにいまさら大物がでなくたっていいわけで、伸び盛りの役者とか渋い脇役でも起用すればいいのに・・・よく分からん企画だ。それでも、2時間の時間つぶしにはもってこい。古ぼけた警察署に立て籠もった約10人が、40人近い悪徳警官を相手に奮闘する様子はよく描けていた。立て籠もり組のキャラが、よく描けていたと思う。で、そういうキャラが惜しげもなくどんどん死んでいくのだ。ええっ、この人も死んじゃうの!? ってな展開。そういう意味では、少しだけ意外性があったってことかもね。 でも、基本的な疑問は多い。デトロイトを支配するギャングのボスが、教会の中で自身で相手を殺害するか? で、逮捕したギャングのボスを、護衛もつけずに護送バスだけで移動するって、ヘンだろ。いや、そもそも、いくらなんでも、街中の警察署を警官が取り囲み、がんがん銃撃戦ってのがあり得ねえだろ。バスも燃えるし、すぐ通報されるだろ。っていうか、籠城する場所を警察署に設定したことからして、ヘンだ。いずれギャングのボスを抹殺するなら、そんな手間をかけずに護送バスの中でも、護送先の留置所でももっと穏やかにできるだろうに。というわけで、設定に無理がありそうなところを修正すれば、もう少しマシになりそうな気がする。 それに、いろんな事象がほったらかしで終わってしまったような気がして、後味がいまひとつよくない。イーサン巡査部長が神経症=安定剤服用を克服できたのは、どの時点だったのだろう? 逃がしたギャングは、あれでよかったのか? 死屍累々への想いは、はたしてあるのかい? 悪徳警官たちは、あれで一網打尽になったのか? ギャングの親玉の証言がなくて、いいのか? とか、いささか気がかりなところがいくつか残るのも、残念。でも、そういうところに目をつぶれば、割と面白かったのは確かなのだけどね。で、「アサルト」とか「13」の意味って、なんなの? → Webで見たら「13分署」のことらしい。で、これは1976年「Assault on Precinct 13(要塞警察)」のリメイクらしい。ふーん。知らねえや。 | ||||
シムソンズ | 2/23 | シネマミラノ | 監督/佐藤祐市 | 脚本/大野敏哉 |
お〜。久しぶりに感動してしまったぞ。じわりと泣けるシーンも随所にあったりして、いや、まいりました。病人や障害者がでてくるわけではない。貧困があるわけでもない。限界に挑戦する緊張感もない。ごく普通の、僕たちと同じ視線で、カーリングを楽しもうとする少女たちがでてくるだけだ。ズッコケお笑いコメディタッチでもある。なのに、熱い気持ちがつたわってくる。ストレートに清々しいのだ(といっても、文部省特選なんていういやらしいところはどこにもない)。 この映画の特筆すべきところは、テンポの良さだ。とくに前半は転がるように話が進んでいく。要素はたくさんあるのに上手く交通整理されていて、あれよあれよという間に少女たちはストーンと一緒に氷上転がり始めていた。中盤以後も中だるみなく、ラストへ。気がついたら終わっていた、という感じ。これほど経過時間を気にせず見られた映画も久しぶりだ。優れているのは、すべての話題がカーリング+少女たちをめぐるものになっていること。意味のない、なくてもいいようなエピソードがないことだ。そして、素人同然だった3人の少女が、しだいに上達していく様子がありありと描かれていること。「スウィングガールズ」のように、いつのまにか上達していた、なんていうことがない。だから、シムソンズの4人に共感していくことができる。こういうところは、脚本の力だろうな。 話の骨格は、映画の定番をぎゅっと凝縮した感じ。シムソンズを校正するのは、高校のオチコボレ+その親友+地味で目立たない少女+カーリングは得意だけど性格がいまいち(彼女がグループ内の悪役となる)・・・の少女4人。そのコーチは、真っ正直。かつてのカーリング仲間から「お前のせいで優勝できなかった」といまでも憎まれている。その憎んでいる相手が、シムソンズのライバルチームのコーチ、という構造だ。さらに、受験が優先と親からカーリングをややめるようにいわれている仲間がいたり、いろんなところに対立関係が埋め込まれている。それが、とても有機的に機能している。もう、青春映画の輝ける見本のような映画だ。 まあ、いくぶん強引な展開もある。荒削りなところもある。けれど、そういう部分を補ってあまりある素晴らしさに満ちている。あと、欲をいえば、主役の4人の顔がいくぶん似たような系統なので、覚えきるまでに時間がかかってしまった。もうちょっと考えて欲しい。 | ||||
THE 有頂天ホテル | 2/27 | 有楽町スバル座 | 監督/三谷幸喜 | 脚本/三谷幸喜 |
これは映画じゃないなあ。舞台のセリフと演出を、カメラで撮ってつないだ、ってな感じ。とても違和感を感じるところがたくさんある。たとえば、画面の中の人の出入りとかセリフのきっかけとか。でもって物語も、とんでもなくクラシック。古典的なエピソードを、いわゆるグランドホテル形式で織りなしていく。しかも、本家「グランドホテル」と似たようなシチュエーションもあったりする。いや、別にそれはいい。けど、話自体に意外性がなくて、そうなるのだろうなと思わせるような演出で、そうなっていく。だからまあ、安心して見ていられるといえばそうなのだけれど、ゆるめのテンポにいささか拍子抜け。 もちろん三谷は、まるで書き割りの中の人間模様、というようなテイストを狙ったのだろう。舞台のような演出、そしてセリフ廻しも思惑通りなのだろう。長回しなんかは、その表れに違いない。けれど、観客が見ているのは、フィルムに写った映像だ。どうしたって、舞台には見えない。だから、でてくる役者の動作ひとつとっても大げさすぎてわざとらしかったり、嘘だろう! と思ったりするようなことになる。それで果たしてよかったのだろうか。 笑えるところが少ないのも、困ったもの。4〜5個所、くすっ、と笑っただけ。まあ、オチが分かる芝居をしているんだからしょうがないけどね。映画としての面白さも、緻密さも、過去2作品の方が上だと思う。懐かしかったのは、榎木兵衛が腹話術師で登場していたこと。うわあ、まだ現役かよ。で、ついでにいうと、唐沢寿明に、気がつかなかった。ううむ。無念。 | ||||
シャークボーイ&マグマガール 3-D | 2/28 | シネマミラノ | 監督/ロバート・ロドリゲス | 脚本/マルセル・ロドリゲス |
近くの台南担仔で昼食を食べてすぐ、だったので寝るだろうなと思っていたら、やっぱり中盤に10分ぐらいうとうとした。まあ、そういう、どうでもいい映画なのではあるが。シャーク・ボーイの方は、正義の味方というより、なんだかチンピラ悪党面をしている。これが気になった。相棒のマグマガールの方は、ちょっと見ケバイ感じの少女なのだけれど、よーく見ると美人系なので、将来が楽しみかも。このマグマガールの立ち姿、これが、すらりとしていてなかなかよかった。 3D映画なので、入場するときに赤青メガネをもらって、画面に「かけろ」とでてきたらメガネをかけ、外せとでたら外して見ることになる。で、メガネをかければ当然、立体的には見える。けれど、画面の解像度は極端に悪くなる。とくに、左の赤い方が、画像が暗くなる。立体効果も、面的なものには効果があるけれど、線に近いものは二重に見えたりする。「スパイキッズ」の3Dのときも思ったのだけれど、中途半端な立体効果なら、ないほうがいい。眼が疲れるだけだと思う。 |