2006年7月

バルトの楽園7/1上野スタームービー監督/出目昌伸脚本/古田求
なんだい、まともな映画じゃないか。いやその。松平健でカイザル髭でポスターは新宿コマ公演みたいな代物だったので、これはもうバカ映画一歩手前か? という先入観で見ていたのだけれど、映像は美しいしカット割りも丁寧。おいおい、あいつはどーしたんだよ、とか、あの件はどーなった、と思っていると、さりげなくエピソードのその後の展開が描かれていく。いや。実に紳士的な映画のつくりで、意味なく過剰すぎたり拡げすぎた風呂敷を忘れたままにしたりしていない。そつなくしっかり定石通り。で、クレジットを見たら、おお、監督は出目昌伸だったのか。生きてたのね、って失礼なことを言っているが、とても懐かしい。昔は東宝の青春ものを撮っていたはずだが・・・。と思ってIMDbを見たら、この映画は出目の14本目の映画だったのね。おれは、もう50本ぐらい撮っている監督かとばかり思っていた。なんだい。ずっと陽があたらなかったんだね。
というわけで、実に安心して見られた映画。でもって、なかなか出来がいい。とくに事件も起こらないのに、ラストまで引っ張っていく力は、脚本と監督の力業に他ならないと思う。しお役の女の子が、よい。
ただし、各エピソードがいまひとつ食い足らない。当然だけれど、エピソードに関わる役者の掘り下げ方にも、不満が残る。もうちょいと人物を描くようにすれば、それぞれの個性が立ってきて、もっと感動的な映画になったはずだ。いまのままでは、中途半端。映画のナレーションを語る少年兵も、途中からあまり現れなくなったりするしね。松平のやり方に反発する安部寛が、途中からいなくなったな、と思っていると最後のコンサートのところでさりげなくでてくるし。おお、こうやって融和した気持ちを表現するのか。なるほど。と、納得してしまった。車引きの平田満の融和はそれほど寛大ではなかったけれど、心を拡げはじめていることを示唆する終わり方。なるほど。で、平田満っていうと最近は小市民、目立たないサラリーマンお父さん、ってな役柄ばかりだったので、この車引きの役にはたまげた。イメージが合わない! けど、しばらくして気がついた。なんか、一所懸命演じているなあ、と。こういう汚い役は久しぶりだったんじゃなかろうか。だから、燃えちゃったのかな、と。
それにしても、第一次大戦の時代は、まだよかった。このあと、ドイツも日本もとんでもない世の中になっていくっていうのにねえ。
不撓不屈7/4上野東急監督/森川時久脚本/竹山洋
いまどき、こんな映画をよくつくるなあ、というのが最初の感想。1960〜70年代なら、社会党や共産党系のの監督もたくさんいて、この手のプロパガンダ映画もたくさんつくられていたけれど、いまみたいに日本全体が右傾化し、左翼政党自体が(ほとんど)なくなってしまっている状態で、よくもまあつくったなあ(後から監督の過去の作品を見たら「若者たち」の監督だった。おお、そうか。そういえば。って思った瞬間、ああ、これは社会党系の映画なのかもな、と思った。でも、そうすっと亡霊みたいな映画だな)。誰が見るんだろ? 映画の主人公飯塚某が創立者というTKCが支援していて、チケットを配っているのかね。まあ、ほとんどまるっきりTKCのPR映画みたいなもねんだからなあ、これって。それにしても、国税庁は偽善、を大々的に謳う映画をつくって、TKCは睨まれないのかな。・・・と思ったけど、この飯塚事件というのは昭和38年頃の話。もう、はるか昔々の物語だ。その頃の国税庁とは、違う、ということで文句は言われないということなのだろうか。TKCがどういうスタンスで支援しているのか、また、国税庁はどう思っているのか、知りたい。
映画としては、人間ドラマがあまりないので面白くない。最初の30分ぐらいは、国税庁に睨まれいじめられていく過程で、この辺りは見ていて腹立たしくなっていく。まあ、常套だろう。ところが、主人公の飯塚税理士は、ほんとうに不撓不屈(めげない)なんだよなあ。ぜんぜん挫けない。お得意様なんかがどんどん挫けていくのに、「一緒に戦いましょう」なんていっている。一般の商店や事業主は、調査に入られ仕事が進まず、それどころか隠し資産がみつかっちゃって踏んだり蹴ったり。でも、あんまり同情している風に見えないのだよ。飯塚税理士は、顧客の平穏無事よりも、自分の主義主張が優先しているように見えてくる。とくに部下が4人逮捕されてからは、自分も逃げ回るなど、まったく動きが無くなってしまう。当然のこと、映画も面白くなくなっていく。そして、国税庁長官が辞意したことをもって勝利と位置づけ、さらに数年して4人の部下が無罪となるにいたって前面勝利とする。けれど、この辺りの、本来だったら映画のヤマ場であるはずの逆襲勝利の部分が映像化されないのだよ。これではカタルシスにはほど遠い。おい、あの三田村邦彦とか松沢一之(のらくら絡む演技がサイコー)は、あのあとどうなったのだ? 処分もされず上まで昇進していったのか? この辺りの結末以後もちゃんと描いてくれよ。
っていうか、そもそも、なぜ国税庁はああもしつこく飯塚弁護士をターゲットにしたのだ? そこも、よーく考えてみると分からない。たんに楯突くヤツをつぶしたかっただけなのか? 税収が減ることを恐れたのか? ああいう体質だっていうなら、そういう面をもっとクローズアップすべきだろう。国税庁と検察がつながっているとか、そういうのも結果だけ知らせるのではなく、ドラマとして描いて欲しいものだと思った。
坊主が北村一夫だってのは気づいたけれど、クレジットを見て、織本順吉? 父親役か? 高橋長英どこにいた? なんて思ってしまった。この事件も大事なのかも知れないけど、むしろ、社会保険庁を題材にして、ひとつ告発映画でもつくってもらいたいものだと思った。それから、子供が親に「お父さんがしてらっしゃった」とか、親に敬語を使う時代があったんだなあ、と不思議に思ってしまった。でも、ほんとうに昭和40年前後にそんな躾が行き届いていたのかなあ、と思った。
ウルトラヴァイオレット7/7新宿ミラノ2監督/カート・ウィマー脚本/カート・ウィマー
きっとつまらない映画だと思っていた。CG中心で、きっと寝ると思っていた。疲れていたしね。しかも、昼食後すぐの12時45分上演。ま、本編は1時からだけれど、瞼が垂れ下がってくる頃だ。思った通り映画が始まって数分で寝てしまった。ミラがバイクでやってきて・・・で、すでに寝ていた。次に気づいたのはバイオリンケースを開けたところで、数分見ていたけれど、また寝てしまった。というわけで、後半の30分ぐらいを見ただけ。それでも、辛かった。ほとんどCGで、人間が、実際の背景をつかって演技しているところなんか、ほとんどない。ストーリーもなんだかよく分からない。って、寝ていちゃあ分かるわけないか。それにしても、上映前や予告編では寝ないのに、どうして?
ウルトラヴァイオレット7/7新宿ミラノ2監督/カート・ウィマー脚本/カート・ウィマー
というわけで、時間もあるのでもう1回見た。眠ってしまって見ていなかった部分を確認しながら、なるほどなるほど、と見ていた。けれど、なんと、ラスト15分ぐらいで眠くなってしまって、うとうとしてしまったのだ。やれやれ。やっぱ、寝ちまう映画なのかな。それにしても、ミラがあの子供を助けるために仲間まで裏切ってしまい、大量虐殺する理屈が分からない。で、あの枢機卿とかいう親玉は、自分もファージだったから人間を殺そうとしたのか? ううむ、ストーリーはよく分からないし、格闘はスタント&CGばかりで、刺激がどこにもない。せいぜい、ミラの紗のかかった美貌(ピンが合うとかなり汚らしく見える)と、生腹ぐらい?
それからそれから。感染してファージになった連中はみな犬歯が尖っていたけれど、これって吸血鬼となんか関係があるのかね?
ブレイブ ストーリー7/10上野東急2監督/千明孝一脚本/大河内一楼
とてもつまらなかった。シナリオはブツ切れの飛び飛び。動きもいまひとつ。個々のキャラが十分活かされていない。最大の欠点は、話がつまらないことだ。寝ないかな、と思っていたのだけれど、1時間を過ぎた辺り、ミツルが5つ目の玉を得る辺りで10分ほどうとうとしてしまった。やれやれ。
本来これは少年が成長していく物語のはず。なのだけれど、主人公のワタルは自力で困難に立ち向かおうとしない。どちらかというと巻き込まれタイプで、敵に向かっていく、倒すということをしない。これはまあ、原作者宮部みゆきのスタイルなのだろうけれど、多分、活字を追っているときは気にならなくても、こうして登場人物が画面の中で動き出すと、もの凄く気になってしまう。いつもあたふた騒いでいるだけで、最後は誰かが手をさしのべてくれる。そうして次々と玉を獲得していっても、なんか、うれしさが伝わってこない。おい、それは自力で得た玉じゃないだろうが、と茶々を入れたくなっちゃうわけだ。基本はRPGなんだからいつまでもあたふた騒いでいないで、たまには傷を負い、敵の血しぶきを浴びて(?)、相手のつらさや痛みも感じつつ、精神・肉体ともに成長してくれよ。もともとワタルは臆病な少年なんだから、それが少しずつ強くなっていかないと、RPGじゃないじゃん。
そもそも、両親の離婚が原因で別世界へ…。っていうのが、あまり説得力がない。そんな環境はいまは茶飯事。それを回避するために冒険心を起こすかね? いまどきの子供が。なんか、この、そもそもの動機が子供っぽすぎる。だから、最初から主人公に共感できない。なんか、この動機も含めて、全体が幼い感じがする。小学生対象のアニメみたいで、オヤジには何も伝わってこない。
脇キャラはそこそこでてくる。で、エピソードは長めなのに、個々のキャラが魅力的に見えない。つまりはまあ、こいつらも出来事の周辺でうろうろしているだけで、何も考えていないから、かも知れない。ひとり、ハイランダーの女隊長が戦う姿を見せるのだけれど、こいつ、何のために戦っているんだ? と考え出すと、とくに共感も覚えない。ま、要するに、表面的に面白そうなキャラを立てても、そいつらが物語に関わってこなければ、面白くも何ともない、ということだ。
動画の動きも、ぎくしゃく。3Dっぽく見える部分とか、悪魔がうじゃうじゃでてくるところなんかスムーズ。それと、2Dでもアップでキメの絵柄は安定しているのだけれど、2Dの、とくに、歩いている姿がなんとも変な動きをする。つまりまあ、作画レベルの違う動きが混在していて、いまひとつ絵で見せるだけのデキになっていない。それから、シナリオ。ワタルはなにかといえば「ミツル!」「ミツル!」と叫んでいるだけ。他のセリフも、別に言葉に出さなくても分かるようなことを人物がしゃべったりしている。もっと意味のある、読み取れる、深みのある内容をしゃべってくれ。というわけで、レベルの低いセリフばかりのシナリオだと思う。それに、話が飛んでしまったりするところもある。まあ、長い原作のダイジェストみたいな映画なので、いろいろムリはあるだろう。けれど、ちゃんと話がつながっていないと、なんでこーなるの? と、首をかしげたくなってしまう。というわけで、大宣伝をしている割に中味のないスカスカ映画だった。あ、そうそう。美少女キャラがいないのも不満だ。得体の知れない天の声の主がラスト近くにちょっと顔を見せるけれど、でも、実はあれは・・・では、美少女キャラとも言えないだろうしなあ。あんな、チビ猫のなりそこないみたいなキャラが出てくるだけでは、魅力に乏しいのではないかね。
ときどき、手塚治虫のタッチ、キャラが登場するのだけれど、それはスタッフに残党がいるからなんだろうか。なんか、作画タッチが不統一に思えて仕方がなかった。
運命じゃない人7/13ギンレイホール監督/内田けんじ脚本/内田けんじ
構成に凝りに凝った映画。夜8時ぐらいから翌朝までの12時間。その間に"もの凄いこと"が起きていたのだけれど、この映画の主人公の青年は、ほとんど"知らない"という設定。もの凄いことというのは、その青年の幼なじみにして探偵と、青年の元彼女、そして、元彼女の現在のパートナーであるヤクザ、そして、6000万円…。さらには、青年と探偵がレストランでナンパした女の子も静かにからんで、おお! なんと! そーだったのか! の連発の後半。あまりに時間軸に綿密すぎて、頭の中で時計を巻き戻したりが大変だけれど、でも、時間軸と人間と場面をバラバラに解体し、別の物語を進行させていく脚本は素晴らしい。
が、しかし、演出にキレがない。とくに、最初のエピソードが、とてもタルイ。レストランでナンパした女の子が出て行くまでの話だけれど、ここが、かなり間延びしている。セリフもシーンも、こんなの要らないだろう、というようなダラダラ状態で、もうちょっとテンポよく、スタイリッシュにやってくれよ、と言いたい。まあ、金がなくてつくったんだからテクニック的に文句を言ってもしょうがないとは思うが、これを凌駕するセンスは発揮して欲しいと思った。まあ、ほとんど映画を撮るのは初めて、みたいらしいから仕方がないかも知れないが。でも、こんないい脚本なんだから…って、いつまでもしつこすぎるって? はいはい。
役者に有名どころはでてこない。けど、それぞれにはまり役がキャスティングされている感じ。ナンパされる女の子、元彼女ともに、可愛いし。探偵とヤクザも、いい味をだしていたと思うぞ。
ローズ・イン・タイドランド7/13新宿武蔵野館2監督/テリー・ギリアム脚本/テリー・ギリアム、トニー・グリゾーニ
実は期待していたんだけれど。寝てしまったよ。原題は"Tideland"で、干潟、湿地帯。アリスを下敷きにしている割には、横道にそれすぎ。まあ、背景が現在だと、こんなふうになっちゃうのか。っていうか、ストーリーらしいストーリーがないんだよな。だから、次にどうなるんだろう、っていうような引っ張りがない。だもんだから、見はじめて15分ぐらいで眠くなってしまったのだ。
主人公のローズは人形の首だけを友達にしている子供で、まだ幼児性が抜けていないお年頃。…にしては、10歳ぐらいなので、物心がついていてもいいんじゃないか? とも見える外観をしている。父親が死んで腐敗しているのぐらい気づけよ! >> ローズ、だよな。夢想家というのはアリスそのものだけれど、夢の中の世界に入り込んでいるわけではない、というがアリスとは違う。ただ、ふらふらしているだけ、なのだ。なんか、つまんねえよ。
母親がヤク中で死んで。父親に、父の田舎に連れてこられる。そこが、湿地帯? の中の一軒家。近くに怪しいババアとてんかん持ちの知恵遅れ青年がいる。ババアが怪しい。死んだ人間を剥製にしておくと、後で生き返る、と思っているフシがある。まあ、魔女みたいなものか。このババアと父親は昔、恋人同士だったようだから、するってーと、知恵遅れ青年とローズは腹違いの兄妹の可能性もあるわけだよなあ。仲よく遊ぶ知恵遅れ青年と少女。幼児虐待や性犯罪に目くじらを立てる連中なら、危なくて見てられない、と思うに違いない。いや、そういう風にしか見えないのだけれどね。
ダイナマイトがお宝だという、知恵遅れ。すると、ラストの鉄道事故は、知恵遅れがダイナマイトを抱えて飛び込んだ? うーむ、よく分からない。
よくわからないまま、終わってしまった。アリスのようなファンタジー性はないし、アリスに登場する得体の知れない登場人物たちも、とくに現れない。ギリアムの色彩性は存分に発揮されてはいるけれど、でも、たんにそれだけで、話の豊穣性につながっているとは思えない。なんか、思いつきであれこれエピソードをくっつけて、はい、できあがり、ってやっつけたみたいな映画だ。だから、なに!? ってな感じがした。
ゆれる7/18新宿武蔵野館1監督/西川美和脚本/西川美和
久しぶりに、見た後でいろいろ考えたり議論できるような内容を含んだ映画を見た。いまどき珍しく土着性にこだわり、個人の才能=無能者への蔑視といった問題や、家族・兄弟を考えされる。でも、考えたって答えは出ないんだけどね。
手法が非常に古典的。彼岸と此岸にかかる吊り橋、揺れる心と揺れる吊り橋、性交とガソリン注入器、兄弟を分ける道路(彼岸と此岸)、田舎(平凡)から都会(個性)へと飛びたいという気持ちはあるけれど、なぜかその川を渡りきれない女が転落死、なんていう示唆的なイメージがてんこもり。かと思うと、8mmフィルムに見つかる解答という、誰にでも分かる伏線とか、いままで先人がさんざっぱら使い尽くした手法が縦横無尽に盛り込まれている。そしてまた、そういう映画の文法がちゃんと機能してしまっているというのが、やっぱりなあ、という気持ちと、新たな表現手法は発見できないのか、という苛立ちにつながる。まあ、この映画の場合は、やっぱり古典的な手法に帰るのが、手っ取り早く効果的、だったという話かも知れない。けれど、やっぱり古典的手法はそれなりに効果が出るものなのだなあ、と思ったりした。だって、見ている方が次第に引き込まれて行っちゃうんだもん。
最初のうちは、登場する人物やその関係性について、あまり説明されないことにいらつく。しかも、話のテイストはザラリとしていて不気味なところがある。その不気味さを、兄役の香川照之が、引きこもりのオタクみたいな自信のなさを上手くかもし出している。ああ、気色悪い。でもって、こいつは何の映画なんだ? と思っていくうちに、二項対立の話であることに気づかされていく。都会vs田舎、才能vs凡人、個性vs一般、田舎を捨てられる人vs捨てられない人、兄vs弟・・・。そんでもって、その間には蔑視、無視、羨望、非難なんかがうごめいている。こういうのを見せられると、やりきれなくなる。だって、どっちもとくに悪いわけじゃないからね。たまたま、そういう対立感情を持つ人がいるだけの話なのに、一個所に集めちゃったような映画だから。で、そういう背景がだらだらと傷口を拡げるようにつづけられていくうち、蔑視は偏見になり、思い込みになり、知らないうちに相手を貶めることになっていた、という事実が示されるというわけだ。兄は、女を突き落としたのではない。助けようとしていたのだ。けれど、偏見をもってみていた弟(オダギリジョー)には、突き落としているとしか見えなかった。見ていた、にも関わらず、判断を誤ってしまうこともある、ということを。
多く描かないのも、面白い。女(真木ようこ)は、あまり多くを描かれていない。彼女は、もしかしたらひどい女なのかも知れない。橋の上で、もっともっと兄(香川)をののしったのかも知れない。その兄だって、橋の上で「お前は昨日、弟と寝ただろう。あ? このすべたアマ」などとののしったかも知れない。弟は、橋の上の出来事を見ていたようで、実は何も聞こえず、ほとんど見えていなかったかも知れない。そういうゆるい部分が、いろいろ考えたり想像させてくれたりする。決して、ひとつの答えを提示しないのが、なかなか。といっても、この手法すら「羅生門」で使われているわけで、新しさはどこにもない。けれど、そういう表現が、いま新しく見えるのだから困ってしまう時代でもあると思う。
ううむ。本当にこれは、いくらでも書けるし、解釈できたりする映画だ。監督の西川美和は「蛇イチゴ」の監督だと。ふーん。「蛇イチゴ」のときの、どこに着地していいのか分からないままのラストがつまらなかった記憶があるけれど、この映画では話を物語として収斂させていく術を獲得していることを示した、のかも知れない。この映画に答えはない。ないからこそ、考えたり議論できるのだろうなあ。ラストは、出所してどこかへ行方をくらまそうとする兄と、許しを請いたい気持ちの弟が、交通量の激しい道路の此岸と彼岸にいる。言葉は通じない。目と目があって、兄が微笑むところで終了。その後どうなるのか。どうとでもとれるけれど、最後まで映画的文法が古典的。いや、それは効果的なんだけどね。
ただし。1つ異論あり。それは、香川の手に付いていた女の爪痕。オダギリは昔の8mmを見て、あの爪痕を思い出す。そして、突き落としたのではない、と確信する。けどね、捜査段階で調べるでしょ、フツー。そして、香川が「落とした」と自白しても、爪痕が落としていないことを証明する、それを認めざるを得ないだろ。この点が、大きな瑕疵だ。
ディセント7/21シネセゾン渋谷監督/ニール・マーシャル脚本/ニール・マーシャル
洞窟モノである。俺は狭いところは嫌いなので、ごくフツーの洞窟を見ていても息苦しくなる。そういえば先日、愛媛大の洞窟探検部(だったかな?)のOBで、有名な洞窟を発見したことのある50代のオヤジがテレビに出ていて、これがアパート経営で食っているんだけど、いまだに日本の洞窟をもぐっていて。いまは東北にある何とかいう洞窟の全貌を地図化するためにしょっちゅうでかけている、ってな話を紹介していた。いやあ、肩がやっと通るようなとこにも、どんどん潜り込んで行くんだよ、このオヤジ。見ているだけで息苦しくなっちゃったよ。とにかくまあ、洞窟探検というのは、割とポピュラーなレクリエーションでもあるのだね。
それはいい。映画だ。女6人が洞窟探検。ぴちぴちスーツで色っぽいね、なんて思うのは最初の数分だけ。だって、もぐってばかりだから体はあまり見えないし、どんどん汚れていくんだよ。当たり前だけど。でまあ、得体の知れないものが来ている予感・・・があって。落盤で退路を断たれ、1人は足を骨折。襲ってくるのは生っちろい地底人(?)なのだ。で、1人また1人と地底人に襲われていく話。こう書くとバカみたいな話に思える。脚本はスキだらけで突っ込み所は満載。だけれど、だんだんハマっていくんだよ、なんと。ゾクゾクっ、のさせ方も上手い。
笑えるところもある。有名映画のパロディで、「トゥーム・レイダー」「地獄の黙示録」「ロード・オブ・ザ・リング」と、大作だらけ。地底人を何匹かやっつけてポーズをとるサラの姿には、思わず笑ってしまった。
で、よくないところといえば、登場人物6人の顔が、2人ははっきり分かるんだけど、3人目4人目があやふやで、残りの2人はどれだか分からないところ。アジア系のジュノと、目のでかい軽薄風のホリーはひと目で分かる。曖昧なのが、この映画の主人公にして娘を事故で失ったサラと、その友達(まあ、黒髪だってのは分かってるけどね)。さらに、山小屋で合流した医学生と、もう1人がよく分からない。で、サラと医学生と分からない1人がブロンド系で顔も似通っていて、洞窟の中でヘルメットをかぶっていて顔は汚れているので、さらに分からない。これを何とかするべきだったと思う。さらに、主人公のはずのサラが、あまり目立っていないのも「?」。なんか中途半端だ。
いやそもそも、この洞窟劇には女の確執が背景にあるはず。それが見えてこない。現れてくるのは映画も後半、地底人に攻められてからのことで、サラは黒髪の友人(瀕死状態)から、自分の夫がジュノと不倫していたことを告げられる。でもって、むくむくと力が湧いてくるんだよ。まるで超人ハルクみたいに。それに、失った娘のイメージがちょいちょいでてくるけれど、この意味がよく分からない。きっとサラの心の奥底に残った思い、なのかも知れない。けど、思わせぶりすぎると思う。
で。問題の地底人だけれど、よーく考えてみると存在自体が変。洞窟に住み着いて何年何百年なのかしらないけど、地上に近い部分に棲息していて目が退化するってのも変。それに、ときどき地上に出て人や牛馬を襲っているとしたら、目は見えなくちゃ困るだろ。あんな洞窟で、裸で、どうやって生きながらえるんだ! それに、近くに生き物がいたらその体温や息づかいなんかで、分かるんじゃないか? 音がなければ気がつかないというトンマな設定の地底人には同情してしまう。
と、いろいろとってもいい加減。なのだけれど、話の展開はスリリングでスピーディで息苦しくておぞましい。対地底人対決もにちゃにちゃぐちゃぐちゃどろどろガンガンぐさぐさとスプラッター満開。辻褄の合わなさや説明不足は「まあ、我慢してやってもいいか」てな気分になってしまう。
ラスト。やっと逃げ出したサラがクルマでにげて、駐車してゲロはいて振り返ったら血みどろのジュノが! ってところで、小さく声までだしちゃったよ。いやあ、ハマっちゃった。それにしても、あとから思うのは、たかが夫の浮気でああまで復讐心と凶暴さがエスカレートするのかいな、と。いやはや、女は恐ろしい。
時をかける少女7/21テアトル新宿監督/細田守脚本/奥寺佐渡子
本年度製作のアニメ版。未来人の転校生、過去へ遡る力。この2つは同じで、あとは原作とは一切関係なし。新しい話だ。高校生の3人組。男2人と女1人。フツーならどう考えても「つき合っている」としか見えないのに、グラウンドで野球をしたりと毎日一緒にいるのは「つき合ってる」ことにならない、という解釈にはムリがあると思うけど。まあ、フィクションだからな。そして、そういう、好きだ嫌いだという関係から離れたつながりが、いまどきの青少年の「理想」なのかも知れない。まあいい。
主人公の真琴は、勉強もできないしおっちょこちょうい。 << というキャラは共感できるのか、よくある性格づけだよな。でも、そういうよくあるタイプのよくある人物たちが、タイムリーブという視点を取り入れることによって、多角的な視点から見直せるっていうのが、面白いね。おっちょこちょいのせいでしでかしたミス。それを取り返そうとタイムリープしてやり直すと、今度は誰かにミスが転移する。それを取り戻そうとまたタイムリープ・・・。事態はちっとも好転しなかったりする。まあ、この映画、というはお話しではタイムトラベルの絶対的な矛盾が解消されていないので、いろいろとご都合主義的な話の転がし方をしているけれど、それでも「必ずしも、やり直せば成功する、ってわけではない」という教訓はつたわってきている。まあ、それでいいんではないのかな。
しかし、あんなにタイムリープしていては、パラレルワールドの別世界がどんどん増えていくばかりで、あっちこっちでとんでもない別の時間の流れが巻き起こっているに違いない。まあ、いいけど。それと。タイムリープできる回数が、過去に遡ったらもとに戻る、っていうのは「あり得ないだろ!」と思うのだけど。なので、あのラストにつながる話の流れは、おかしいと思う。
とっても不思議な存在なのが、国立博物館で修復作業をしている叔母さん(真琴は魔女と呼んでいる)だ。彼女は、真琴がタイムワープすると聞いても別段驚かない。そして、昔、自分にも同じ様な友達がいて、同じ様な経験をして、ような口ぶりで言う。写真まで棚にあった。ああ、そうか。間宮千昭(または別の未来人)は、昔、この世界に来ているのだ。そうして叔母と出会ったのだ。千昭のいう「未来で待っている」というのは、真琴にではなく、ひょっとしたら、あの魔女叔母にだったのかも知れない。するとあの叔母は、原田知世のなれの果て? かもね。
タイムトラベルについてはツメが甘すぎるけれど、青春ドラマとしては大成功。で、問題は絵だ。2次元の線画が大半で、そのまた大半が稚拙な線で描かれる。いまどき、これはないよな、という感じがする。上映前に今敏「パプリカ」の予告編があったんだけど、それと比べると絵の質がテレビで深夜に放送しているアニメ以下のレベル。これじゃなあ、という気もする。ところどころ、力を入れて描いているシーンもあったりするんだけど。あと、タイムリープする部分とかイメージショットとかはCGで、いろんなレベルの作画が入り混じっている。とても変な感じがしたぞ。
ヒストリー・オブ・バイオレンス7/26ギンレイホール監督/デイヴィッド・クローネンバーグ脚本/ジョシュ・オルソン
疲れているので、暗くなったらすぐ寝てしまうかも・・・。と思っていたのに、冒頭の長回しとクライムムービーの幕開けで目が覚めた。おお。これはどうなってしまうのだ! 一転して田舎町。ある事件をきっかけに、過去をほじくり返す連中がやってくる。ううむ。これは記憶喪失か? よくあるタイプの流れだけれど、空気が重苦しくて予断を許さない感じ・・・と思っていたら、なんと多重人格! げっ。これで萎えてしまった。以後のストーリー展開は、だらだらとつまらなくなっていく。いったい過去に何があったのか? それもよく分からない。多重人格からの脱出の様子も分からない。いや、それ以上に不思議なのが冒頭の部分。いや、俺はあそこで殺されそうになるの幼女は、一家の娘かと思っていたのだけれど、違うのだな。きっと。冒頭の2人は、主人公が勤めている食堂へ最初にやってくる2人づれ、なんだよな(きっと)。あの2人連れそのものは物語に大きなウェイトは占めていない。なのに、思わせぶりすぎないか? なんかの伏線かと思っていたら、なにもない。うーむ。なんか、最初はリキ入れてつくってたけど途中で飽きちゃって、ええいいいや! って放り投げてしまったようなラスト。ううむ。あんまりにも中途半端過ぎると思うがなあ。尻すぼみ過ぎで、最初の興味はすっかり失せてしまった。
殺戮シーンがなかなか生々しい。肉片の飛び散り、貫通の具合、砕けた顔面。なかなかリアルであった。セクシーなシーンもあって、それはそれなりにエロっぽいのだけれど、物語への関連性はあんまりないな。これもまた、思わせぶりだけ、かも。つーか、年の割になかなか可愛い弁護士の奥さんばかり見ていたのだけれどね。てへ。
アメリカ、家族のいる風景7/26ギンレイホール監督/ヴィム・ヴェンダース脚本/サム・シェパード
というわけで、「ヒストリー・オブ・バイオレンス」の後半で萎えた頭に、この映画のはじまりは刺激が少なすぎ。なので、ロケ現場から逃げ出した主人公が衣服を交換した辺りで沈没。気がついたら、年老いた母親が花束をもって迎えに来ていた。おやまあ。で、それ以降はそこそこ興味をひっぱってくれたけれど、息子に会った後の展開が、いささかとろい。あの街に長居する必要はあるのか? とくに、道路に投げ出されたソファーに座りつづけるシーンが長くて萎えた。息子に会った後のドラマがないのだよね。娘らしき人物ともちゃんと会話していないし。せいぜい、昔の女(ジェシカ・ラングってあんなに婆さんだったっけ。俺は、カレン・ブラックかと思っちゃったよ)に歩道でののしられるところが見どころ、ってな程度。
見逃した部分を除いて、そこそこ面白そうな素材はばらまかれているのだけれど、だからどーした? 何がいいたい? と、考えてしまう。落ちぶれた西部劇スター=アメリカ合衆国? 覚えがない2人の子供=日本、ベトナム、朝鮮半島? 捨てた女=過去の栄光? 西部劇スターっていうからには、アメリカを象徴しているとは思うのだけれど、いろいろ当てはめてみても、これだ、としっくりくるものがない。母親には甘えながら、子供も面倒は見ない・・・これは、現代アメリカへの皮肉? ううむ。
終わったタイトルを見たら、ヴェンダースだったのね。こんなことも調べずに見ているわけだ。なるほど、という感じはした。けれど、スキがありすぎカモ、とも思った。もうちょい、緻密さが欲しいなあ。
寝ているときに説明があったのか知らないけれど、主人公(サム・シェパード)はなぜロケ現場からトンズラこいたんだ? それが分からない。それから、娘は父親の居場所をどうやって知ったのだ? それから、落ちぶれたとはいえ、まだ仕事がある映画スターなら、立派なもんじゃないか、とも思ったりする。だって、現場を逃げても降ろされず、探しに来るなんて、そこそこ客が呼べる俳優だってことだろ。ねえ。
●というわけで、最初の部分だけを見に行って来た(7/28)。そうしたら、息子が歌っているシーンがすでに出てきていたので驚いた。ふーん。娘の方は、単に母親の想い出の地を訪ねていただけで、父親と巡り会うなんてことは考えていなかった様子。なので、どーして落ちぶれた映画スターが父親だ、と思えたのか、それは不明のままだった。でも、面白いことに気づいた。それは、主人公が母親と会うシーン。そして、主人公が昔の恋人に会うシーン。前者では、主人公はひと目で母親を認識し、母親は息子が認識できなかった。後者では、主人公は昔の恋人に気づかなかったけれど、昔の恋人は主人公にひと目で気づいていることだ。主人公にとって昔の恋人なんかどーでもよく、写真を見なけりゃ顔も思い出せないような存在だったんだろう。でもも彼女にとっては、忘れ得ぬ存在だった、と。で、息子は母親が分かったけれど、母親が息子に気づかないってのが気になった。母親は息子の活躍っていうか悪行も含めて色々スクラップしているほど。なのに、気がつかない。うーむ。なぜだろう? 単に目が悪かっただけ、だったりして・・・?
M:i:III7/31109シネマズ木場 シアター8監督/J.J.エイブラムス脚本/J.J.エイブラムス、アレックス・カーツマン、ロベルト・オーチー
"Mission: Impossible III"だ。ノンストップアクションで、意外性もたくさんあって面白い。CGもそこそこ使っているのだけれど、モロCGという風に見えず、アナログで実物でリアルな肉体アクションに見えるので、迫力がある。まあ、そんなことはムリだろう、というシーンはたくさんあるけれど、それは映画だからいいとして。辻褄が合わない(分かりにくい)のは困る。
最初に女性捜査官奪還という使命を果たして戻ったあと、トム君は病院で簡単な式を挙げる。あれ? すでに結婚していたんじゃないの? これは過去シーンか? でも、違うみたい。では、この映画の最初のパーティシーンは、結婚式の後のパーティではなかったのか? ううむ、よく分からん。
局長が裏切り者! という後半、武器商人を逮捕して橋の上を護送中、ヘリやジェット機で襲って武器商人は奪還される。しかし、いくら局長が相手とつるんでいたとしても、あんなに派手に武器人材を投入できるものか? 局長以外にもたくさんの転向者がいなければ、あんなことはできないだろ。でもま、局長だから何とかなるのかな? と思っていたら、ラストで新の黒幕はトム君の直属の上司で、局長の下のクラスだということが分かる。で、おいおい、だよ。あの階級の人間で、あんなに武器弾薬人材を動かせるわけないだろ。っていうか、すぐバレちゃうだろ、としか思えない。それと、局長黒幕説で話が進んでいたので、はたして局長の態度はつねに正義の味方の方だったか、その対応の仕方はもう一度確かめてみたいな、と思った。
しかし、そもそも。最初の女性捜査官奪還ミッションのときに、トム君をわざわざ引っ張り出す必要性が、武器商人や黒幕にあったのか? それが疑問だ。別に恨みを買っているわけでもなし、納得できる理由が見つからない。
最後の上海のシーン。トム君の新妻は、グレーのタンクトップで胸のボリュームを見せつける衣装。ううむ。「エイリアン」を代表とする、アクションシーンに女性のセクシー姿をもってくるという鉄則が守られていて、納得。

 
 

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