2007年1月

プラダを着た悪魔1/12新宿武蔵野館3監督/デヴィッド・フランケル脚本/アライン・ブロッシュ・マッケンナ
“THE DEVIL WEARS PRADA”が原題。枠組みは、自分に素直に生きようとする若者の物語で、間にサクセスストーリーが挟まっている。ところが、話の大部分はファッション編集部でのサクセスストーリーで、むしろそっちがメインになってしまっている。ラストで、ファッション業界に見切りをつけ、本来志望していた新聞社にはいるというエピソードは、とってつけたようなもの。そこが、ちょっと物足りない。
この映画にはいろいろと無理がある。法科大学院に行くのを断ってジャーナリズム、あるいは作家を目指そうというスタンフォード(だっけ?)出の才媛アンディがファッション雑誌の、しかも、秘書になろうとするか? 雑誌にかかわる仕事ならどこでもよかった、というには、ファッション誌“RUNWAY”は、凄すぎだろう。だから、よけいに違和感を感じてしまう。
まあ、とにかく、ファッションに興味もなかったアンディはたまたま編集長ミランダ(メリル・ストリープ)のお眼鏡に叶って秘書になる。といっても、第2秘書。仕事のほとんどは雑用で、意地悪な用件もがんがん言いつけられる。ま、フツーなら辞めるところだろうけれど、アンディは我慢してしまう。これも、不思議な話で首をひねってしまう。アンディがなんとしてでも編集部に残るんだ、って決意させた何かが描かれてないと、すんなり納得できない。
ファッションには、俺も全く興味がない。価値も見いだすことはできない。有名ブランド品を手にしたい、着たいという気持ちはひとつもない。流行になんか振り回されたくないし、人と同じものを身につけたいとも思わない。表面だけを飾って悦に入ることも、理解できない。だから、まあ、映画に対しては批判的に見てしまうのだろうけどね、俺は。
しかし、こういう無理を抱えながらも、ミランダ編集長の意地悪婆さんぶりと、知恵と体力で難関を切り抜けるアンディのやりとりは、なかなか面白い。そして、問題を克服するごとにミランダの信用を勝ち取って、第1秘書に上り詰めるサクセスストーリーも、楽しい。…のだけれど、やっぱり、こんなバカ編集長の下で働いていても何の役にも立たないだろうな、と思ってしまう。自分の生活より、編集長のご機嫌を取ることの方が大切なことか? 何だか、この編集部の連中は、多くの人がイメージするアメリカ人の仕事観と、対局のところにあるように思えてくる。アメリカ人にも、忠実な犬になりたがる人はいるのだね。でもまあ、最後にはそういう犬になることを捨てるのだけどね、アンディは。
分かりにくいところもあった。オーナーが編集長を変える下りのところで、誰がどの雑誌のどの椅子に着くことになりそうだったのか、または、着いたのか、その経緯が字幕ではささっと流されすぎているように思う。それから、アンディの恋人が最後にボストンに行くことが決まったと言っていたけれど、ボストンの何なのだ? 固有名詞はでていたけれど、それが何なのか分からないのでは困る。もうちょっと分かりやすく説明してもらわないと、笑うところも笑えないぞ。
あー、それから。恋人に気をつかっていたはずのアンディだったけれど、パリではついにハンサムな作家と一夜をともにしてしまう。喧嘩別れした後だとは言いながら、なんか、軽薄なところがあるのかね。っていうか、こういう腰の軽さは当たり前なのかな。
記憶の棘1/15ギンレイホール監督/ジョナサン・グレイザー脚本/ジョナサン・グレイザー、ジャン=クロード・カリエール、ミロ・アディカ
“BIRTH”が原題。思わせぶりだけで中味のないバカ映画。退屈で退屈で、欠伸が出た。夫の生まれ変わり=リーインカーネーションものと思わせておいて、後半で何と少年の作為だとバラしてしまう。それでお終い。おいおい、それはないだろう。しかも、生まれ変わりというだけで、前半は引っ張ること引っ張ること。コンサートのときのニコール・ギッドマンの顔のアップは、5秒もあれば十分だろう。いまどき、生まれ変わりというだけで、話を作ってしまおうというのも安易。いい加減すぎる。で、その生まれ変わりを主張する少年に、いい大人の女(ギッドマン)がすっかり引っかかるというのが、ウソだろー、だよな。話に説得力がなさすぎ。
最初の方で、少年がキッドマンの実家の高級マンションに紛れ込んで。で、キッドマンの婚約者が少年を家に送っていくシーンがある。少年の家はそのマンションの2階で、少年の両親もキッドマンの家の人々を知っているような口ぶり。だけど、少年の家はもっとダウンタウンっぽいところにある、と描写されているのだよな。あれって、変なんじゃないの?
ブラック・ダリア1/15ギンレイホール監督/ブライアン・デ・パルマ脚本/ジョシュ・フリードマン
ついて行けなかった。最初の、2人の刑事の出会い→ボクシングの試合→スカーレット・ヨハンソンがからんで→刑事としてコンビを組む…という冒頭の速すぎる流れと固有名詞の洪水に、あれれれれれ…。さらに、胴切りされた女の死体かと思いきや張り込み先で銃撃戦で、何とかかんとかが出獄するという話が並行して進み、なぜか成金の娘と知り合って…という流れも、固有名詞ががんがんでてくるし、相棒の刑事の名前もリーと表示されたりブランチャードと表記されたりでこんがらがる。というわけで、途中で細部の整合性を追求するのをやめたら、眠気が襲ってきた。なんとか寝なかったけれど、興味を引っ張っていってくれない映画はつまらない。っていうか、置いてきぼりにされた俺は、映画が楽しめなかったのでつまらなかった。
原作はジェームズ・エルロイなのね。すると文庫で400ページぐらいあるんだろうから、2時間にまとめる方が無理。なのに数カットしかでないような重要人物がいたり、会話でしか説明されないような事件もてんこもり。もっと枝葉を切って単純にしてくれないと、字幕を読むのにも追いつけない!
キャッチフレーズでは「世界一有名な死体」となっていたけれど、その説明は映画ではされていなかった。本物の事件を下敷きにしているミステリーらしいけれど、いまひとつ基盤となる部分がどっしりしていなくて、表面的なあれやこれやがパッチワークでつぎはぎされ、なんとかつじつま合わせができている、ってな風にしか思えなかった。というわけで、犯人は分かったけれど動機がよく理解できなかった。
ご都合主義も満載。簡単に成金娘と知り合いになる不可思議。たとえば刑事が容易に殺害現場の廃屋にたどり着いてしまうという不可思議。殺害現場がそのまま残されているという不可思議。そこに、自分の家に掲げられているのと同じ現代絵画のモチーフが描かれているという不可思議。とまあ、とてもいい加減。
表現タッチは、リアリズムを排したもの。なんだかアメコミのような、戯画化されたようなタッチだ。色彩もセピア調で、雰囲気はいかにもつくりもの、ってな感じ。大がかりなクレーン撮影なんかもあって丁寧なつくりになっているけれど、そういうことより内容の分かりやすさを優先して欲しかった。
スカーレット・ヨハンソンは、チビで童顔なせいか、エロっぽさがひまひとつ。あれ、ヒラリー・スワンクに似ているなあ、と思いつつ、でも違うかも、と思いながら見ていた成金の娘は、やっぱりヒラリー・スワンクだった。なんか、顔が違うように見えたんだけど。ううむ。分かりにくさ満開の映画だった。
悪夢探偵1/16シネセゾン渋谷監督/塚本晋也脚本/塚本晋也
期待はしていたんだけれど、とてもつまらなかった。分かりづらいしね。いつまでも学生の自主映画の延長みたいな映画を撮ってるんじゃなえよ、と言いたい。ま、言っても届かないだろうけれど、届いたとしてもスタイルを変えることはないだろうな。ごくフツーの撮り方でごくフツーに演出してもらいたいと、強く願う。それと、どーみても安っぽいつくりが、がっくりとさせられる。せっかくの一般映画なのだから、もうちょっと重厚な雰囲気づくりに力を注いで欲しかった。
セットはあまり使っていなくて、既存の建物(群馬県庁?)とか、味のある建物は使っている。けれど、使っているだけで、濃密な雰囲気がでていないのだよね。たとえばカメラのヒキがないから空間が演出できていない。松田龍平の暮らすアパートも、ただただ狭いだけ。こういう画像からは、作り込みによる豊穣な世界というのはまったく感じられない。夢の中の世界にしても、夜のどこかの歩道橋がよく登場するのだけれど、やっぱり単なる歩道橋で、背景の高速には車が走っていたりする。これが、車の走っていないもっと神秘的な世界にできたら、もっと夢の中という感じがでるだろうに。こういう、すべてがちゃちいことに、見る楽しみはどんどん失われていく。「鉄雄」だったらいいんだよ、アマチュアなんだから。ひいき目で見て、ちゃちいところには目をつぶれるのだ。けれど、商業映画を何本も撮っているくせに、まーだこんなことをやっているのか、っていうイライラ感がつのってくる。たとえば「ソウ」シリーズのような質感をだしてみろよ、といいたい。
役者がショボイ。原田芳雄、安藤政信、大杉漣はいい。けど、hitomiはなんなんだ。主役の顔ではない。発声も悪くて何をいっているか分からないところが多すぎる。犯人役が塚本晋也だっていうのも、もういいよ、監督自ら登場するのは、という感じ。なんか、冴えないホームレスのおやじにしか見えない。全体に、もっと適正なキャスティングが必要だろうと思う。
あまりCGを使わないという姿勢は評価できないことはない。けれど、年がら年中カメラぶれてますの映像で肝心なところを誤魔化す手法は、見づらいだけではなくて貧乏たらしい。もう少し、映像技術を導入してもいいだろうと思う。で、おどろおどろしさはSEだけに頼っている有様。最初のうちは効果的でも、慣れてくれば飽きてくる。迫力がないし、低予算映画棚という印象しかもたらさない。
で、悪夢探偵だって? ぜんぜん探偵していないじゃないか。安藤政信の夢に入り込んだのはいいけれど、すぐ近くにhitomiもいたというのに、結局、安藤は自殺してしまう。なーんの助けにもなっていない。ラストの、hitomiが襲われるシーンでも、ほとんど活躍していない。いったい、夢の中に入り込む以外に、なんの能があるって言うんだ? 事件が起こってから騒ぎ立てる金田一耕助と大差がない、というか、単なる役立たずではないか。探偵=ヒーローなら、それらしい働きをしろ、と強く言いたい。
でもって、物語の評価だけれど、これは正当にできないかも知れない。何故かっていうと、1時間ぐらいしたところで眠くなってきて、ちょっくら寝てしまったからだ。いやその、昼飯を食べたばかりで眠くなる要素はあった。けれど、冒頭の原田芳雄がでてくるシーンや、最初の事件、そして、悪夢探偵を紹介される…あたりまでは、興味深く引っ張られていたのだ。けれど、以後が全然面白くならない。悪夢の中に引きずり込もうとしている犯人と、引きずられている被害者、という図式が見えてきて、で、物語にそれ以上の深みがないことが分かった時点で、興味が雲散霧消した。ストーリーも、美術と同じように、チャチだったというわけだ。目が覚めてから、最後の戦い、のようなものに突入したけれど、現実と夢の中の区切りが分かりづらいし、結局、犯人の目的が何なのかはよく分からずじまい。もしかして、単に、自分の腹に包丁を刺して、被害者と夢を共有している間に傷が癒えたことへの快感が忘れられなくて…って、それだけのな? 眠っている間に、ちゃんとした理由だとか、いかにして犯人が夢の中に引きずり込んだのかということが説明されていたのかな? わからない。人が潜在的に持っている自殺願望、自傷行為への憧れなどを表現しようとするのなら、もうちょっと上手くやってくれ、とも思う。
それから、ラストでがっくりしたことがある。入院中の松田龍平をhitomiが外に連れ出して、なんと「ラーメン食べに行こう」っていうのたよ。なんなんだよ。ラーメンに何の意味があるんだ? うーむ。ますます訳が分からず、チープさに沈んでいきそうだ。
百万長者の初恋1/17テアトルタイムズスクエア監督/キム・テギュン脚本/キム・ウンスク
韓国映画。不良青年が難病の娘に恋をする哀しい恋物語。でも、あまりにもベタすぎて涙も出ない。話の展開もよくあるパターンで、最近では「ウォーク・トゥ・リメンバー」が同じ様な話だった。卒業前の演劇、「雪が降るまでは生きていたい」という言葉、最後の期間に2人は共同生活、なんていうところは、「ウォーク・トゥ・リメンバー」によく似ている。さらに、孤児院や親の交通事故死(?)も加えて、これでもかと畳みかけるのだけれど、演出に芸がないので欠伸しか出なかった。
物語の、わずかながら面白いところは、主人公のカン・ジェギョンがホテルオーナーの遺産相続者であるというところ。親の死後、悲しむことなく遺産目当てで派手に遊びまくり、すっかり不良になってしまっているという設定だ。けれど、親の指定する高校を卒業しないと遺産が相続できないことになって、いやいや田舎の学校へ行くことになる。この、最初のバカな流れはそれなりに楽しめた。けれど、キャラクターそれぞれの造形が弱く、人物がみんな薄っぺら。だから、どーしても感情移入できない。それから、心臓病の娘イ・ウナンは決して美人ではなく、ごくフツーの女の子ってな素朴な顔立ちで、ちょっと歯ぐきが見えるところも可愛い。けれど、ジェギョンとウナンの過去の物語が分かるようで分かりづらい。どーも2人は幼いときに一緒に遊んだことがあり、幼なじみらしい。で、幼いときに別れてのち、ジェギョンの両親は事故死したらしい。では、その事故死以来10年以上もホテルの後継者はいなかったということなのか? 最初の方で住所登録がとれた云々といっていたけれど、ひょっとしてあれは18歳になったから遺産相続の権利があると言っていたのかな? では、なんでジェギョンは幼いとき孤児院を訪れ、ウナンと遊んだんだ? 父親が孤児院も経営していたから? それとも、ジェギョンも孤児で、ホテルオーナーに引き取られたのか? …という辺りがよく分からなかったぞ。
奔放だったジェギョンがウナンに惹かれ始めていく過程が、曖昧なままだ。なんとなく好きになってしまっていて、テイストもコメディタッチから深刻な恋物語へと変わってしまう。なんか、このあたりが違和感。もっとジェギョンとウナンの対立が激しくあって、何か具体的な事柄がきっかけで惹かれていく、というようにしないとなあ。
ジェギョンが不良をしていた頃にウナンとホテルですれ違った件は、あれはホテルの代理社長や高校の校長なんかがジェギョンを引き受ける前に行なった偵察の一環なのか? 田舎の人々は何でみなジェギョンに好意的だったのだ? とか、なんか色々と不自然なところがたくさんある。そういうところに引っかかってしまったのも、感情移入できなかった理由かも知れない。
難病だという割に、バイトをしたり飛んだり跳ねたりしたり、ウナンは本当に病気なのか? と思うような描き方をされている。これも、納得できるような描き方ではなかった。2時間近くもあるのだから、もっと丁寧に人物や背景を描き込めば、ベタな恋物語でももっと惹きつける内容になったろうに、もったいない。
ラストに流れた音楽は日本の楽曲だったけれど、「日本版エンディングテーマ」となっていた。オリジナルは違うのね、きっと。日本公開を意識して、あえて日本バージョンをつくったのだね。
モンスター・ハウス1/23新宿武蔵野館3監督/ギル・キーナン脚本/ダン・ハーモン、ロブ・シュラブ、パメラ・ペトラー
制作総指揮がスティーヴン・スピルバーグ、ジェイソン・クラーク、ロバート・ゼメキス、ライアン・カヴァノーのアニメ。3人の子供が近所にあるお化け屋敷に入るという、手垢の付きすぎたモチーフ。主人公は痩せていて知的好奇心豊か。相棒はデブでおっちょこちょい。もう1人は、たまたま訪れた進学校の女子生徒で、小生意気。このあたりも定番のキャラクター。ベビーシッターとその彼氏というのが、ちょっとユニークなキャラ。でも、小学生がひとりで1夜を過ごすのに、ベビーシッターを呼ぶのかい? おまわり2人組の、新人の方が面白いキャラをしていた。それから、モンスター・ハウスの攻略法を聞きに行く中南米っぽいデブがいるんだけど、あまり活躍しなかったな。で、怪しい爺さんが実は気がやさしい人だったというのは、ありがちな展開か。
モンスター・ハウスが暴れ回る、というのは、実は特定の人の幻覚のようなもので、他の人には見えない、のかと思ったらどーやらそういうわけではないらしい。なのに、当事者たちはあまり驚かないし、この屋敷がある周辺の人々も平気で暮らしている、というのがとっても不自然。夜中にモンスター・ハウスがついに動きだし、爆発し、主人公たちとマンション建設予定地で激闘を繰り返しても、誰ひとりやってこないというのも、とっても不自然。でも、観客の対象が小学生レベルであるのなら、そういうのはささいなつじつま合わせの部類に入ってしまうのかも知れない。そういう意味では、大人には納得できるような物語ではない。
テンポがのろい。一行がモンスター・ハウスに入るまで、1時間ぐらいある。入っても、特別もの凄いことも起こらない。モンスター・ハウスが暴れるようになったきっかけも、いまひとつ説得力がない。はじまりは、昔の爺さんが見せ物小屋の巨大怪女に恋をして連れて帰ったこと。爺さんは女に家を造ってやり、一緒に住もうとした。けれど近所の子供が女をじめるのだ。とくにハロウィンのときにはひどくて、女は足を滑らせてわが家の建設現場で死んでしまった。完成前の家で死んでしまったことが、恨み骨髄というわけだ。うーむ。こんなんで、祟るなよ。
大御所が寄ってたかってつくった割にはいまひとつだったなあ。立体アニメの人物も、首から下はフツーの人間と同尺で、そこに巨大な頭が乗っているもの。なんか、不気味に思えた。
ディパーテッド1/24上野東急監督/マーティン・スコセッシ脚本/ウィリアム・モナハン
香港映画「インファナル・アフェア」のリメイク版。ブラッド・ピットが製作に名を連ねている。Departedというのは、「過去」「個人」「死者」という意味らしい。
「インファナル・アフェア」は見ている。あれは、冒頭が分かりにくかった。どっちの少年が長じてヤクザ→警察に行ったのか、どっちが警察→ヤクザに潜入したのか、最初からつまずいた。幼少期と成長後を、別の役者がやったからだろう。で、こっちはその点は分かりやすかった。とくに、デカプリオが如何にしてヤクザに潜入することになったのか、その経緯が詳しく描かれていて、よろしい。で、問題は互いに潜入後のあれやこれやなんだけれど、いまひとつメリハリがなく平板で緊張感がない。まあ、固有名詞(名前だよ、ほとんどは)で誰がどーのこーのという部分が多くて、すぐに結びつかなかったりするところも多い。それと、マット・デイモンとデカプリオが同じ精神科医と接触するというのが、ちょいと不自然じゃないのかな。警官を診る精神科医で、ヤクザとしてのデカプリオが受診するのは変だと思う。それに、警察学校出身なんていうのは、ちょいと調べれば分かるだろうに、まんまと騙されつづけるジャック・ニコルソンというのも、なんかマヌケに思えた。周囲ががんがん人殺ししているのに、デカプリオは殺さなくて済んでいるのも変だよな。さらに、デイモンが頻繁に携帯でニコルソンに連絡しているのも、おかしいよなあ。潜入者がいるのなら、携帯ぐらい盗聴するだろ、フツー。というわけで、中盤はなかなかにだれる。がしかし、ラストの取引現場でデイモンがニコルソンを殺ってしまう辺りから、エレベーターでデカプリオが殺られる辺りの畳みかけは、原作も凄かったけれど、こっちも素晴らしい。
デイモンがニコルソンに反抗する理由というのが、ニコルソンがFBIと通じている、っていうことらしいのだけれど、もっと具体性が欲しいところ。ニコルソンとFBIはどういうつながりなのか? なぜデイモンが怖がるのか? デイモンが追いつめられているっていう感じはしなかったので、FBIの意味がよく分からなかった。
さて、平然と警察内に残るデイモンだけれど、ニコルソンの弁護士がもっていた録音テープを公開すれば、真実が分かるじゃないか、と誰でも思うはず。なんであの精神科医は、デイモンを告発しなかったのだろう? でも、本当のラストで、デイモンは砕け散る。これを見て、「おお」と思った。「インファナル・アフェア」では、続編につづいたのだよなあ、たしか。デイモン役は死んでなかったはず。でも、デイモンが警察(上司)に殺やれることで、バランスが取れる。潜入者は互いに生き延びないというラストは、「インファナル・アフェア」よりも畳みかけの度合いが高くて、いいと思う。ま、問題は、長すぎて面白みと緊張感に欠ける中盤だな。それから、ラストシーンで窓にいるネズミは余計だと思う。
あなたを忘れない1/30上野東急2監督/花堂純次脚本/花堂純次、J.J.三村(三村順一)
日韓合作らしい。何年か前に新大久保駅で、線路に落ちた人を助けようとして轢死した韓国人青年イ・スヒョンの話。でも、どこまでが実話なのかかなり怪しい。線路に降りて電車に轢かれた韓国人、ということ以外はすべてフィクションのような気もする。気になったのは、スヒョンがタクシーにぶつけられ、怪我をしたときのシーン。運転手は「あんたが突然でてきたから」といい、乗客も「早くしろよ」という。周囲の日本人目撃者も、すーっと去っていく、という描写だ。これは事実なのか? 事実でないのなら、とても問題だと思う。
130分は長すぎる。90分ぐらいにすべきだ。平板で紋切り型のエピソードと、よくある展開をだらだらと見せられては飽きてしまう。それに、スヒョンが何のために日本に来て、何を目指そうとしていたのか、それがほとんど描かれていないのも物足りない。日本語学校で日本語の勉強だけをしていたのか? あとはバイトに明け暮れていた? うーむ。いささか食い足らない。ま、音楽バンドとのつきあいはフィクションだろうから、それについては突っ込まない。話がありきたりなので、盛り上がりといえばスヒョンと、日本人娘ユリのロマンスぐらいしか盛り上がりがない。もう一つの軸として、アマチュアバンドコンテストがあるけれど、そっちはかなりおざなりだ。で、すべての物語が事故で切断されて、ふっと終わってしまう。スヒョンの死が、どこにも関連づけられていないのでは、この映画をつくった意味がないのではないか? どーも、中味は空っぽで尻切れトンボの印象をぬぐえない。
日本人歌手ユリは、マーキーがやっている。正面顔はまあまあだけど、ちょい鷲鼻なので横顔はいまひとつ。本職はモデルに歌手らしいので、演技の下手さ加減は突っ込まない。ヒロインとしてはいまひとつ魅力に乏しいけれど、ありきたりの娘という設定ならば、合っているかも知れない。それにしても、ユリやその友達は学生なのか社会人なのか、まったく描かれていない。バンド仲間の金子貴俊も同様だ。竹中直人の店は下北沢にあるようだけれど、これも会話で分かる程度。基本的なことはちゃんと押さえておくべきだよなあ。
それから。落ちた人を救おうと線路に降りたのは、スヒョンだけじゃなくて、もう1人いたのだね。すっかり忘れていた。ラストの救出シーンと、エンドロールの始まる前だったかにタイトルで名前がでていたけれど、なんか扱いが、これもおざなり。どーも、助けようとしたのは韓国人だけ、みたいな印象が強すぎだなあ。
大谷直子は気がつかなかった。いや、あのパチンコ屋のオバサンはだれかな? と顔は見たのだ。けれど、分からなかった。つい数日前にビデオで「ツィゴイネルワイゼン」見たばっかりなんだけど…。
エレクション1/31テアトル新宿監督/ジョニー・トー脚本/ヤウ・ナイホイ、イップ・ティンシン
香港映画。英語名は“ELECTION(選挙)”で、原題は「黒社會」。香港のヤクザの話。あちらのヤクザも日本と同じように複数の団体の連合状態になっているようで、頭=会長は選挙で決めるらしい。で、ロクとディーの2人が立候補した。ディーは金をばらまいて票集めに走るが落選。冷静沈着型のロクが当選した。短気で激情型のディーは怒り狂い、会長の証となる竜頭棍という彫刻(?)をロクに渡すまいと奔走するが、結局ロクの手に。最終的にディーもロクを会長と認めるが、「会長を2人体制にしよう」とロクに言い始め、野心を露わにする。
1/3が選挙にまつわる話。2/3が竜頭棍をめぐる争い、3/3が和解後の物語。粗筋は分かるのだけれど、1/3〜2/3の部分はついていけなかった。同じ様な悪顔の男どもがたくさん登場して、区別がつかないのだ。個々の人物があまり立っていないのも欠点。もっと単純化・整理してわかりやすくすべきた。で、理解は無理そうなので早々にあきらめた。
3/3の部分で、ロンとディーは和解。で、話はどう展開するのかと思っていたら、なんと野心をもちはじめたディーをロンが殴り殺してしまって終わりなのだ。あらららら。なんだこの盛り下がりは。尻切れトンボもいいところだ。
竜頭棍を手にすることが会長にとってそんなに大切なことなのか、それがよくつたわってこない。あんな彫刻になんの意味があるんだろ。竜頭棍の奪い合いはピンとこなかった。ラストでロクがディーを岩で何度も殴る残酷シーン。これが、案外さっぱりしていてあまり生々しくない。ディーが対立するヤクザグループの親玉を殴る蹴るシーンもあるけれど、これも割とあっさり。なんか、強烈さが足りない。まあ実際の殺しなんてあんなもので、全然ドラマチックでないのかも知れないけれど、別にそういうリアリティを目指したわけではないだろう。
連合会長についたロクや、幹部のディーが直接殺しに手を染める、というのが、なんか安っぽく見える。ボスなんだから手下を使えばいいのに、そういうことをしないのが、とても貧乏くさい。現実はあんなものかも知れないけれど、映画なんだから。なんとかして欲しい。

 
 

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