バンク・ジョブ | 1/6 | 新宿武蔵野館2 | 監督/ロジャー・ドナルドソン | 脚本/ディック・クレメント、イアン・ラ・フレネ |
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原題は“The Bank Job”。どうやら史実を原作にしているらしい。・・・なんだけど、マーガレット王女の浮気セックス場面の写真なんかがでてきちゃっていいの? だって、映画の中じゃトップシークレットで、そのために英国諜報部が動いたんだろ? そんな出来事を映画にしちゃっていいのか? 銀行強盗の話。といっても、これが複雑怪奇。冒頭の20分ぐらいは、誰がどれで何がこうした、ちょっとあたふたした。けど、香港映画みたいに一瞬見損なうとわけが分からない・・・というようなことはなく、そこそこ顔も区別がつくので、なんとか理解できた。とはいっても、見終わって、「冒頭30分もういちど見たい」と思ったのは確かだけどね。 中古自動車販売を営むテリー(ジェイソン・ステイサム)に、銀行強盗の話が舞い込む。話を持ってきたのは昔の恋人マルティーヌ(サフロン・パロウズ)。マルティーヌは麻薬密輸で捕らえられたのだけれど、諜報部員に「見逃す代わり、銀行の貸金庫を襲え」と命じられたのだ。でもなあ、麻薬密輸をしたからって銀行強盗もできると諜報部員が判断するかなあ、ふつう? というツッコミはいいとして。諜報部の狙いは、英国王女マーガレットの浮気写真。所持しているのは黒人解放運動らしきものを行ないつつ、実は悪事しほうだいの黒人マイケルX。逮捕されても「王女の写真を公開するぞ」と脅しの切り札に使って、入牢を逃れてきた。というわけで、その写真を奪取しようというものだ。・・・でも、貸金庫の番号まで分かっているなら(どうやって諜報部が知ったかは分からないけど)、わざわざ見ず知らずの連中に強盗を働かせなくても、なんとかなると思うんだけど、ムリなのかねえ? テリーとマルティーヌは仲間を集め、銀行の隣の店を借り、地下に穴を掘って貸金庫に突入。まんまと強盗に成功する。ところが、奪った中に有力政治家のSM写真や、風俗業者からゆすりを行なっていた警官のリストが出てきて、話が錯綜する。その錯綜部分は強盗の前にパラレルに描かれてはいるのだけれど、ちょっとこれが分かりにくかった。あとで、なるほど、という展開にはなるのだけれど、もうちょいメリハリをつけて描くと効果が上がったんじゃないのかな。 わずかの疑問はあるけれど、全体的にはスピーディでスタイリッシュ。ミステリーの要素はないけれど、この先どうなっちゃうんだ? 的な興味はたっぷりで、見ちゃうね。とくに、諜報部には浮気写真を渡さなくちゃならないし、その浮気写真をマイケルXとその仲間も要求してきて困惑! という板挟みをどう解決するか、というところがヤマ場かも。 それにしても、強盗実施中の無線会話がアマチュア無線家に傍聴され、それを警官も聞いていた、というのには驚いた。場所が特定できない、とぼやきつつ、時間がたってから、場所を特定させるためあちこちの銀行にパトカー接近させて反応を見る、ということをするんだけど、もっと早くそうすればよかったのに、と思えてしまう。 マルティーヌ役のサフロン・パロウズは、山本モナっぽくて、しかも、大人の女の雰囲気たっぷり。ちょっと見とれてしまった。 | ||||
猫ラーメン大将 | 1/7 | シネセゾン渋谷 | 監督/河崎実 | 脚本/右田昌万、河崎実 |
またしても下手なバカ映画かなと思って行ったら、そこそこちゃんと撮れているのに驚いた。なので、安っぽさは多少軽減。しかし、何といっても役者がみな安っぽくて、黒沢年男、なべやかんぐらいしか有名どころはいない。あれで役者がもう少し立派なら、もっと見られる映画になってたかも。 猫がしゃべって運転したり医者になったり寿司を握ったりラーメンをつくったりする。猫はぬいぐるみで、たぶん片手で動かしている。このチープさは楽しい。というわけですべてがツッコミどころといえるのだけど、マンガが原作だからこれはもうしょうがない。とはいえ、猫がラーメン屋を開いてもあまり評判にならない、っていうのはなんとかして欲しかったかも。・・・でも、そういう部分へのツッコミも、無粋なのかもね。 大将のオヤジは有名なCM猫の将軍。この将軍の声が星一徹で、、大将の声は星飛雄馬。なので、将軍は大将を特訓して立派なCM猫にしようとしたのだけれど、生来の怠惰がたたって家出。医者、タクシー運転手、寿司職人を遍歴するが、ネズミや海産物に気を取られて仕事にならず。入水自殺しようとしたところをラーメン屋のオヤジ(黒沢年男)に助けられ、1年後店を開くまでになる。がしかし、将軍の黒い交際が発覚し、芸能界を追放される。で、元祖猫ラーメンを回転し、息子の大将とラーメン対決するという話。 星一徹と飛雄馬という設定は面白いけど、物語的にはほとんど意味がない。将軍の特訓を嫌ったのだから、徹底的に怠惰になって、努力しなくても極楽生活、というような皮肉でもあればいいと思うのだけれど、そんな風にはならない。全国を行脚して素材を求め、完璧なラーメンを目指そうとしたりする。そんな志があるなら、父親の力を借りずに立派なCM猫になればいいじゃないか、と思ったりするのだけれどね。 皮肉は、大将の方にふりかかってくる。全国で求めた素材を集めてラーメンをつくったら、それぞれが主張しすぎてまずい、という。で、黒沢年男がつくるような、どこにでもあるフツーの東京ラーメンをつくって対決することになる。このくだりは面白いと思う。ゴテゴテ具に凝ったりスープを工夫したりするラーメンは、俺だってそんなに興味はない。で、この、フツーが一番という教訓が、猫の親子に反映されるかというと、そういうこともない。結局、テキトーにつくられた話だったのね。せっかくなんだから、なんかストーリーにも“なるほど”感が欲しいんだけどね。 ラーメン対決の審査員。彦麻呂の真似をする男性がでてくるのだけれど、本物をだせばいいのにねえ。それから、左端の女性審査員(赤澤圭)が、吹石一恵似なんだけれど、吹石一恵の顔の歯車をひとつずらすとこうなる、というような似方なのが興味深かった。 | ||||
ワールド・オブ・ライズ | 1/7 | 上野東急 | 監督/リドリー・スコット | 脚本/ウィリアム・モナハン |
原題は“Body of Lies”。CIAとヨルダン情報部がアルカイダの親玉を追求する話。なんだけど、CIAには現地で活動するレオナルド・ディカプリオと本国で指示を出す事務方のラッセル・クロウとの対立がある。ラッセルは、ヨルダン情報部を信用していない。一方ディカプリオは現地の情報スタッフを信頼し、雇っている。もちろんヨルダン情報部もCIAを信用していない。そんななかでディカプリオはヨルダン情報部のトップの信頼を得ようとする。ラッセルは反対する。それどころではなく、独自のスタッフを動かし、本意ではないのだろうけれど、ディカプリオの邪魔をする。いったんはヨルダン情報部の信頼を失うディカプリオだけれど、最後には伏線(映画の、ではなく、ヨルダン情報部が打っていた手)が功を奏し、ディカプリオは一命を取り留める・・・というような話。 構造は、米ソ冷戦時代のスパイ物と変わらないと思う。でも、アラブの戦いはスパイ同士の裏の戦いではない。テロリストが欧米で無差別テロを実際に行なっているわけで、一般人にも大きな影響がでる。それを考えると、絵空事ではなく感じられる。そう。リアルなのだ。 実際にこんな工作員がいるのかどうかは分からない。でも、近いようなことをしているのかもしれないな、と思わせる迫力がある。最近のスパイ物によくあるのだけれど、この映画でも上空から地上を観察していて、ディカプリオの動向をラッセルが画面で追跡している。が、この映画はその映像にも説得力を追加している。高度1万メートルぐらいに無人偵察機がいて、それが地上を撮影している、という設定なのだ。なるほど。こういうのなら、あり得るかも、と思わせてくれる。 アラブ人は、欧米に反対している人だけではない、という描き方をしているのも興味深い。ディカプリオが雇うのは、みなアラブ人。しかも、命を賭してアメリカ人に尽くすという設定だ。それが金のためであれ、信頼というのは西欧人とアラブ人の間にも通じるのだ、と分からせてくれる。ディカプリオが惚れ現地の看護婦の姉も、アメリカに行きたいと願っている。つまりは、テロをしているのは一部の過激派だ、ということを表現しているのだ。 しかし、一方でそういう描き方は、ひところの西部劇を思わせる。騎兵隊の案内人にインディアンがいたり、インディアンに好意的なガンマンがインディアンの娘に惚れられたりする、ってやつだ。まあ、そういう設定、筋立てにしないと観客の望む映画にならない、のだろうけど。作り手の視線も、やっぱり西洋人が主人で現地人は召使い、というものなのではないかと思ったりしてしまう。 前半は、なかなかにリアル。けれど、中盤から少し緩くなってくる。ディカプリオが病院で美人看護婦と知り合いになるのだけれど、まあ、こういうロマンスを挟むというのは常套手段なんだろう。でも、アラブの女は尻軽で白人が好き、みたいな印象を受けてしまう。看護婦がディカプリオを受け入れた理由をしっかり描かないと、とってつけたようなロマンスになっちゃうよな。それと、ヨルダン情報部の動きがよく分からないので、どーも、後半へのつながりとしては脆弱なところがあるような気がする。この辺りをかちっと輪郭鮮やかに描いてくれたらよかったのにね。 アラブ人の描き方として、ディカプリオの部下になる2人、ヨルダン情報部のトップ、こうした連中の心の内が結局分からない、のが物足りない。まあ、心の内が分からないから、映画として面白いのかも知れないけれど、彼らの本音はどこにあるのか、知りたい気がした。 よくある話ではあるけれど、現場のディカプリオと事務方のラッセルの対比はよく描かれていると思う。とくに、ラッセルの太り加減。育児しながら戦闘の重大事をも無表情かつ冷徹に進めていく様子が、よく描かれている。 でも、最後は信頼関係だよね、と思わせてくれるところが興味深い(といっても、それはアラブ人同士のものだけど)。ヨルダン情報部トップがアルカイダに潜入させていた男の存在が、最後の最後で効いてくるのだから。もっとも、あんなに簡単にアルカイダのトップがつかまっちゃうの? という物足りなさはあるんだけどね。それに、潜伏しているといいつつ、案外フツーに暮らしているアルカイダのトップが、なんか妙な感じに見えた。 それにしても、真実はどこにあるのか分からない、ということなんだろうね。ウソをつかない、といってヨルダン情報部と信頼関係を築き上げていたディカプリオが、簡単にラッセルと別の工作を仕組み、ヨルダン情報部を騙してしまう。そして、言い訳する・・・。本当の信頼なんて、ないのかもね。 冒頭の数10分、字幕が難しく、漢字が多く、どんどん変わっていくので、読むのと把握するのとで精一杯。ときに把握する前に変わってしまうのには弱ったぞ。 | ||||
アンダーカヴァー | 1/8 | 新宿ミラノ2 | 監督/ジェームズ・グレイ | 脚本/ジェームズ・グレイ |
原題は“We Own the Night”。兄と弟。弟がマフィアに潜入して・・・みたいな予告編をちらっと見て、こりゃ「インファナル・アフェア」のパクリみたいな話なのか? と思ったら、かなり違った。なんか、救われない話だった。ひたすら暗い。見ていて気が重くなった。先の展開を見たくない、という気持ちになりながら、なんとか見終えたけれど、すっきりしない。それに、一方の視点からしか見ていない話だからね。 兄(マーク・ウォールバーグ)は警部で弟(ホアキン・フェニックス)はマフィアの手下。オヤジ(ロバート・デュバル)は警視。・・・ホアキンはロシアマフィアに属しているのだけれど、根っからの悪ではないというところがミソ。マフィアのボスは裏では麻薬殺しイロイロやってるけれど、表では飲食店の経営者。ホアキンはその表側の手下で、殺しなどはやってない、という設定。そういうロシアマフィアがいるのかどうか知らないけど、なんか中途半端な感じは否めない。 で。ボスの甥のニジンスキーが裏家業のリーダーと睨んだ警察=マークが、ホアキンがマネージャーをしている店に踏み込む。その報復として、マークがマフィアに撃たれ重傷を負う。それでホアキンは、潜入スパイになることを決意する・・・。という話なんだけど、ホアキンの態度がなんとも腰砕け。そんな善人がロシアンマフィアの手下になってんじゃないよ、という気がしてくる。というか、マフィアのボスは、どういうつもりでホアキンを可愛がっていたのか、理解不能だね。 ホアキンが麻薬工場に行くことになるのだけれど、ここはどうしたって発覚していたぶられる展開は必死。実際は殺される寸前に警察が突入し、大けがを負うものの命は助かる。ニジンスキーは逮捕される。その代わり、証人保護プログラム入りすることになる。つまり警察に保護されるけれど、身の安全を守るため自由が制限され、証言後は転居もやむなくなる運命になるわけだ。なんでそこまでする必要があるんだろうか? という疑問が湧いてくるのだけれど、要するに、ホアキンは悪いことのできない体質で、家族愛が強く、正義感にも溢れているということなんだよね。なんかな。そんなやつが、ロシアンマフィアの幹部になんかなるなよな、だよね。せいぜい、警官である親への反抗程度で悪の道にちょっとだけ入った、程度なんだよな。 ホアキンには恋人(エヴァ・メンデス)がいるんだけど、彼女だって命を狙われることになる可能性もあるわけで、そういう展開も見たくはないのだよね、こっちは。実際はオヤジが殺られるのだけれど、その先には不幸が待ち受けているような展開で進む話は、見ていて気持ちのよいものではない。たとえば、ニジンスキーが脱獄し、モーテルから場所を変えようと移動していたホアキン、恋人、オヤジの3人をニジンスキーの手下が襲う。どうして情報が漏れたか? 漏らす可能性があるのは恋人、その母親、ホアキンのマフィアにおける同僚にジャンボぐらいで、その中の1人がどうにかなるのだな、というように読めてしまう。実際は恋人が軽々しくジャンボに居所をしゃべり、その情報をジャンボがマフィアのボスにしゃべった、ということらしいけれど、なんか不愉快になる話の展開なんだよね。やっぱり、ある程度先が読めてしまう話で、それが、見るに堪えないかも知れない展開だとしたら、やっぱりやな気分になってしまうよね。 そして、なんと最後にホアキンは警官になることを決意し、警官としてニジンスキーやボスに復讐するわけだ。やだね。うっとうしいラストだ。恋人が、こんな男に愛想をつかして逃げ出すのもむべなるかな、だね(といいつつ、ラストで警察学校を卒業するホアキンが父兄席に恋人の姿を見たのは、あれは目の錯覚ということだったのかな? マーク・ウォールバーグは、あまり見せ場がない。顔面を撃たれたせいで銃撃戦で失神し、最後は事務方になることを決意する。ホアキンの弟が、今後は現場でガンバルのだろうけれど、もう、モチベーションがなくなってるんじゃないのかね? なんか、最後は抜け殻みたいになっちゃって、明るさや未来への展望はまるでなかったけどね。 それから。ジャンボはホアキンに向かって「お前はボスに息子のよう可愛がられた。俺は使いっ走りだ」というところがあるのだけれど、ボスが息子のように思っていたのなら、もっとホアキンに悪事をさせていたんじゃないのかね。だって、麻薬取引がいつどこであるか、ジャンボも知っていたぐらいなんだから。その程度の情報ならホアキンも日頃から知っていた? としたら、わざわざ麻薬工場まで行かずに、取引の現場だけを兄貴に教えればいいじゃん。なんて思ってしまうのだよなあ。 | ||||
あぁ、結婚生活 | 1/14 | ギンレイホール | 監督/アイラ・サックス | 脚本/アイラ・サックス、オーレン・ムーヴァーマン |
原題は“Married Life”。香港映画やハリウッドアクション映画のテンポに慣れてしまったせいか、あまりにもゆったり進むスピードにつまづきそうになったけど、だんだん慣れてきた。 1949年。結婚生活に愛は要らない、セックスだけよ、と言い放つ妻パット60歳ぐらい。亭主ハリーは、若く美しい戦争未亡人ケイといい仲に(どうやって知り合ったのだ?)。ハリーは「離婚したら妻が可哀想」と思っている。ところがパットは近所の作家と浮気中。こちらも「別れ話を切り出したら、亭主は破滅する」と思っている。ハリーの友人リチャードは、ケイを見て惚れてしまう。ケイも、遊び上手なリチャードに惹かれていく。そんなことはつゆ知らずハリーは妻の殺害を決意するが結局うまくいかず。・・・というところでハリーはケイとリチャードの関係を知る。これでお終いかと思ったら、後日談。2年後ケイとリチャードはハリーやパットと食事をするような関係になっていたのだよ。なんかなあ。嘘の上に築かれた、一見幸福な生活、ってことだろ? と、荒筋を書くぐらいしか中味がない。話も役者も演出も、1950年代っぽい。ヒチコックが撮ったら、もうちょっとスタイリッシュでウィットに富んだものになったかもね。この映画、次の展開を予想させるようなセリフを色々と言わせるのだよね。たとえば、ハリーがケイのところを訪ねたとき、ハリーはアスピリンのビンに入れた毒をコートに入れている(みたいに見える)。そこで、ケイは「アスピリンを飲んで寝るわ」なんて言うのだよ。こっちは、そうか、ハリーのアスピリンのビンから毒を飲んで、間違って死んでしまうのかな。と思ったりするのだけれど、そういう展開はない。 ケイが戦争未亡人で、亭主は行方不明のままということらしい。なので、そのうち行方不明の亭主が戻ってきて、話は振り出しに戻る、なのかな? と思っていると、そんなことはまったくない。なんか、引っかけのためだけの言葉に戸惑わされて、ちょっとイライラさせられた。そんなわざとらしいセリフ、言わせなくてもよさそうなものなんだがね。 リチャードに、007のピアース・ブロスナン。昔風の色男がぴったりだね。ケイのレイチェル・マクアダムスは、とても美しい。パット役のパトリシア・クラークソンが、もっとエロっぽくてもよかったんじゃないのかね。 | ||||
コレラの時代の愛 | 1/14 | ギンレイホール | 監督/マイク・ニューウェル | 脚本/ロナルド・ハーウッド |
原題は“Love in the Time of Cholera”。大河物語を2時間に収めてしまった感じで、壮大な様子はあるのだけれど中味はからっぽ。コケ脅かし。大したことはない。 南米コロンビア。電報局の使い走りの青年フロレンティーノが、成り上がりラバ飼いの娘フェルミーナに一目惚れ。しつこく迫るフロレンをフェルミは煙たがってるように見えるんだけど、何だ、実はフェルミの方でも燃えさかっていた、というよく分からない冒頭。フェルミの父がフェルミを山奥の村に隔離し、数年。戻ってきたフェルミはもうフロレンを相手にもしない。・・・という展開が理解不能。なんで好きになって、何で嫌いになるのだ!? それでもフロレンはフェルミを思いつづけ、純血(つまり童貞)を誓うが、あるとき見知らぬ女性にのしかかられて童貞を奪われると、あとはもう女漁りの一辺倒。船会社を経営するフロレンの叔父曰く、「血だ」。フェルミは医者と結婚し、つつがなく歳を取っていく。フロレンはフェルミを思いつつ女漁りをつづける。ジジイになっても。しかも、やった女をノートにメモってるときた。なんか、かなり異常。 亭主が死に、フェルミの前にフロレンが現れる。堂々と。最初は嫌がるフェルミだったけど、なんだか実は、昔にフロレンからもらった手紙をちゃんととっておいている模様。じゃ、なんで「あなたを好きになったのは間違いだった」なんていったのかね? でもって、少しずつ接近し、2人で船旅をし、初めてのセックスをする。おおお。この期に及んでフロレンは「君のために純血を守ってきた」なんて抜かすのだが、いったいこれはハッピーエンドなのか、たぬきの化かし合いなのか。なんだかよく分からん物語であるよ。 Webを見たらガルシア・マルケスの原作とある。なーるへそ。それで舞台が南米。しかも、クロニクル的になってるわけか。不気味で変な感じ、フロレンが偏執狂的なのも、ちょっと納得。でも、思うに、ガルシア・マルケスの変な感じって、映画じゃ出せないのではないのかな。とかいいつつ、ガルシア・マルケス、実は読んでないんだけど。ははは。 フェルミは同じ役者が少女から70過ぎまで同じ人。なので、少女時代がオバサンに見える。フロレンは、少年期と、それ以降が別の役者。青年期以降をハビエル・バルデムが演じるんだけど、少年期を演じた役者の純朴な雰囲気が一気に吹っ飛んで、妖しい雰囲気になってしまう。ハビエル・バルデムといえば、「宮廷画家ゴヤは見た」の転向神父ではないか。あんな変な奴が、この役かい? うーむ。女漁りの色キチガイと、53年も1人の女を思いつづける純朴さを併せもった男に相応しい、のかな? 70過ぎの2人がセックスをするとき、フェルミは裸体を魅せる。父の垂れ具合、腹の出具合は、あれはCGか? SFXか?/TD> | ||||
アイアンマン | 1/15 | 新文芸坐 | 監督/ジョン・ファヴロー | 脚本/マーク・ファーガス、ホーク・オストビー、アート・マーカム、マット・ハロウェイ |
原題も“Iron Man”。ロボット刑事の翻案みたいなものかと思っていた。つまりまあ、ロボコップのバージョンアップ版みたいなのをね。ところが、いきなりアフガン。軍隊のジープに乗っている民間人が攻撃に遭い、ゲリラの人質に・・・。ん? こういう展開の話なのか? で、36時間前にもどってリスタート、という構成だ。 要するに、軍需会社の社長トニー・スタークが、アフガンで新商品の実験を行ない、その帰路、敵に襲われる。それで、自分が売っている武器が敵方にも渡っていて、アメリカ攻撃に使われていることを知り、「もう、武器を造らない。売らない」と決意し、なぜがアイアンマンになるという、バカ単純な物語。これだけで、アメリカでは受けてしまうのだね。アメリカ人も単純なのだね。 アメコミ原作だから、多少の荒唐無稽さは許してやろう。でもなあ、技術者が開発できない、何とかリアクターいう動力源を捕虜になっている洞窟の中で、自社のいくつかの武器の部品を使って創り上げてしまうというような荒唐無稽さは、ちょっと飛びすぎではないの? だったらもっと早く、それを製品に応用できただろうに。なぜ、しなかったの? てな疑問が湧いてきてしまうよね。 武器製造会社が「武器をつくらない」と決意する。で、株価が下がるのは当然として、多くの従業員の手当はどうするのだ? ということを考えてしまう。とくに、いまや自動車のビッグ3が倒産の危機にあり、多くの失業者が誕生しそうないま、具体的に考えてしまう。社長のトニーは、どうする気なのだ? そのトニーは、自力で会社を興したのじゃなくて、父親がつくった会社なんだよね。その御曹司。なんか、軽い感じがしてしまう。演じるロバート・ダウニー・Jrが悪党面なので、どーも共感できないし。 そもそも、トニーは被弾して破片が心臓近くに埋まったまま、なんだよね。それを、たまたま同じ捕虜だった医師が、電磁石を胸につけてくれて、心臓の方にいかないようにしている・・・ではないのかな(バッテリー駆動の人工心臓と書いてあるところもあるが・・・)。一時的にはそれでいいのだろうけど、解放されてアメリカに戻ったんなら、手術すればいいではないか。なんか、画面で見る限り、心臓の代わりに動力源を胸に埋めているように見えるんだが・・・。あの動力源は電磁石の代わりもしているのか? そこらへんのところが、よく分からないかも。 それにしても、洞窟の中であんな鉄製のスーツをつくってしまうなんて。ゲリラたちはかなりのマヌケだね。 アイアンマン自体は、カッコイイ。モビールスーツ形式で、これはガンダムなんかの影響なんだろう。マシンガンの弾もはじき飛ばすほどの剛性をもっているのはトンデモな感じがするが、まあいい。興味深いのは、この映画、モノを製造する過程を見せていることだね。出来上がった部品を調整したり、飛び方を工夫したり。そういうところは、男の子は大好き。バットマンのように、すでに出来上がっているモノをパッと見せつけられるより、100倍も楽しいのだよ。 実は武器をゲリラに売っていた人物(トニーの父親の代からの協力者)に、ジェフ・ブリッジス。どうも彼は好人物の印象があるので、悪党に見えないのが、いまいち。でも、役のために本当に坊主頭になっているのは素晴らしい。日本の役者なんか・・・。 トニーの秘書に、グウィネス・パルトロウ。知的で、美しい。どうしてこの手の映画に出るのかなあ。むしろ、もうちょいエロい女優の方がアメコミっぽくなるような気がするんだけどねえ。 | ||||
ワイルド・パレット | 1/15 | 新文芸坐 | 監督/ウェイン・クラマー | 脚本/ウェイン・クラマー |
原題は“Running Scared”。どこからこんな邦題がついたんだ? もっとマシな日本語題名にすればいいのに。 黒沢の「野良犬」にでもインスパイアされているのか。一丁の拳銃をめぐる追いかけっこの物語。前半の40分ぐらいはスピーディでバイオレンスもたっぷり。しかも、説明的なリフレインまたは説明画像がスタイリッシュにインサートされて分かりやすかった。ところが中盤になると迷走状態。本来の銃を追う話とは別のエピソードも介入してきて、話が分かりづらくなってくる。 しかも、その銃がそんなに大事なのか? という疑問が当初からつきまとう。次第に銃の役回りを超える話になってしまい、見ているこちらの集中力もとぎれがち。しかも、ラストに「へー、そうだったの」というオチが二段でついてくるのだけれど、そのオチのお陰でなおさら「銃を追う必要性はあったの?」という疑問が拡大してしまう。前半のキリッとしまったテイストが後半だらだらになってしまった気がする。 主人公は薬を扱うヤクザの一員ガゼル。そこに覆面強盗が急襲。銃撃戦の末、強盗を撃ち負かす。が、強盗が警官だったことが分かり、ヤクザの兄貴分格がガゼルに銃の処分を命じる。ガゼルは銃を家の地下室に隠すが、隣人の息子オレグが盗み、その銃で父親を撃って怪我をさせる。オレグは逃走。銃はレストランの清掃員、自動車修理工、ポン引きの手に渡っていくのだけれど、その間にあれこれぎゅう詰め。オレグの祖父(?)はロシアにおけるマフィアのボス。祖父は息子(オレグの義父?)に、孕み女(売春婦)の処分を命じる。が、それを拒み、売春婦を妻にしてアメリカにやってきた。アメリカには叔父がいて、その叔父はロシアマフィアのボスになっている。そのロシアマフィアと、ガゼルが属するヤクザとは、対立関係にある? そこに、悪徳警官グループがからむ・・・と、このあたりの関係がアバウトにしか理解できなかった。もう一回見れば、分かるかも知れないが・・・。 さらに、逃走中のオレグが少年偏愛殺人狂夫婦に拘留されたりするのだけれど、中盤の紆余曲折複雑怪奇さがましてきて、この辺りから理解しようという気力が失せてしまった。だって、本来の拳銃の行方とは関係ないんだもん。 ガゼルは拳銃の行方を追いつつ、発射された弾丸の行方も追い、オレグが搬入された病院に行って摘出された銃弾を手に入れようとするが、これが失敗。・・・だけどさ。ラストのドンデンを考えると、そんなにしてまで銃や弾丸を追う必要性というのは、あるの? ヤマ場はアイスホッケー場(劇中、やたら登場するスポーツチーム名は、アイスホッケーだったのね。おら、バスケットボールかとばかり思っていたよ)での、ロシアマフィアとヤクザとの銃撃戦。ここで、当初のスタイリッシュなタッチがやっと戻ってくる。で、ガゼルとオレグがなんとか生き延びるのだけれど、次にポン引きが登場してガゼルとの戦いになる。 この映画、シンプルな引っかけが多用されていて、それが意外なドンデンにつながっている。ポン引きとの争いではオレグが撃たれたと思わせ、でも実はガゼルが撃たれていた。・・・と思わせ、実は撃たれてもいなかった・・・と。おいおい。でも、この手のドンデンは手垢の付いた落とし方でちょっとチープだよね。気がつかなかったけれど、種明かしされてから「あー、なるほど。引っかけられた」という驚きは皆無。むしろ、「またかよ。この手の引っかけが多いね」というぐらいにしか思えない。 重いテーマも含まれている。移民ロシア人の哀しさみたいなのが色濃いのだ。どうやらガゼルはイタリア系で、どちらも移民の子。オレグの母親も可哀想なぐらい何だけど、だからといって最後に自爆死させることはないんじゃないの? そんなにロシア移民は殺伐としているのかね。そんな中、オレグが「ママのお腹にいたのは、ロシアのときからだ」というのに対し、ガゼルが「お前はロシア人じゃない。アメリカで生まれたんだ。お前はアメリカ人なんだ」というくだりがちょっと印象的だった。イタリア人もロシア人もない。アメリカに生まれたらアメリカ人なんだ、という意識がもてる国は、やっぱり素晴らしいと思う。日本もそういう国になればいいのにね。 オレグ役のキャメロン・ブライトは、被害者意識を溜め込んだような子供の役にピッタリ。奇妙な存在感があるよね。ほとんど話さないのに。 でね。ガゼルは潜入捜査官だった、ってのがオチの1つなんだけど、そうなると、前述したように、拳銃を追い求めていた過程は何だったの? と思わずにはいられない。ガゼルは潜入中に殺人を犯していないの? そもそも、冒頭の銃撃戦の中にいたかどうか、もう一度見て確かめたいぐらいだ。ガゼルのセリフに「俺は12年間も妻を知らない」というのがあった(と思う)のだけれど、潜入捜査官になる前の女房がいて、その彼女に12年間も会ってない、ということなのか? そもそも、ガゼルと現在の女房は、偽りの夫婦なのか? で、潜入捜査官ガゼルとしての人生を終わられるために自身の葬儀を執り行なわれるのだけれど、実は郊外で元気に暮らしている、という2つめのオチ。ガゼル夫妻と、2人の息子、オレグの笑顔なんだけど、それでオレグは満足なのかね。母親は自爆死しとちゃってるのだぜ。ううむ。それにしても、この手の映画で2時間越えは長すぎる。せめて90分にすべきだと思う。小児誘拐いたずら殺人者の話は面白いんだけど、なんか、この映画の中では違和感にありすぎた。あそこをザックリ省いてもいいのかも。 | ||||
チェ 28歳の革命 | 1/21 | MOVIX亀有シアター4 | 監督/スティーヴン・ソダーバーグ | 脚本/ピーター・バックマン |
原題は“Che: Part One”。メキシコにいた28人ぐらい(Webには80数人とあったけど)の連中キューバに密航し、革命を煽動する。そのなかにゲバラとカストロもいて、当初のメンバーは半数しか生き残らなかった。・・・なんていうナレーションが入る冒頭が、よく分からず。 ソダーバーグのせいか、分かりやすくはつくっていない。多くの人間が搭乗するけども、群像劇にはなっていない。はっきり見分けがつくのはカストロ、ゲバラ、それと、女性革命家のアレイダ(カタリーナ・サンディノ・モレノ。可愛くて凛々しかった)ぐらいなもので、あとはみんな顔が似ているし髭ぼうぼうだったり髭を剃ったりするので、確信が持てない人が多数。しかも、エピソードにしか登場せず、あとはでてこない人物も多数。なので、真面目に追っていくと苦労する。要は、ゲバラだけが分かればいい、のかも。 そのゲバラも、なんで革命を志すようになったかとか、どうやってメキシコで仲間を見つけられたか、なんてことは一切描かれていない。なに? 「モーターサイクル・ダイアリーズ」を見ろって? 見てるよ。でも、あの映画には革命のことは描かれていなかったと思うぞ。しかも、ゲバラは喘息もちで、いつもぜいぜい言っている。文字や数学を知らない兵士には「勉強しろ」しろとばかりいう。兵士たちにとっては、うっとしー司令官だったかもね。さらに、ゲバラは新兵訓練担当だの、病人運搬だの、地味な仕事にばかり就いていて、派手なヒーロー像をあえて避けているような描き方になっている。とはいうものの、いざ戦闘になると、カストロもゲバラも兵士たちと同じく最前線に立つのだから、素晴らしい。旧日本軍とは大違いだね。 その戦闘シーンだけど、これも地味。ダダダダダダダダ・・・ひゅんひゅん・・・なんてことはなくて、どっちかっていうと、パン!パン!ってな感じ。でも、実際の戦闘はこんななのかも知れないと思わせてくれる。レールをひん曲げて脱線させるシーンがあったんだけど、これも地味めな撮り方で“さあどうだ”感はないけれど、ロングで淡々と構えるフレームに列車が突入し、でんぐり返る様子は“あ、本物だ”と思わせてくれる。やっぱ、CGを使わない映画は、リアルな重みがでてくるよね。 個人的には、脇役も含めて人間をもう少し掘り下げて描く群像劇にして欲しいと思う。人と人とのつながりが、既知のもののように進んでいく。ちょっと物足りない。ある程度、キューバ革命やゲバラを知っている人向けにつくっているのかも知れない。 それにしても、20年近く前に共産主義国家が崩壊し、共産主義は間違っている、なんて叩かれていたのに。現在の世界大恐慌を迎え、革命が再評価されているのかね。日本でも「蟹工船」がブームになったりしていて、左翼主義は復活の勢いだ。それほど現実に幻滅している人が多いのかもね。 ゲバラやキューバ革命のことはほとんど知らない。アルゼンチンの人だったんだね。「モーター・・・」では説明されていたのかも知れないけど、すっかり忘れているか、または、知らなかった、だ。そんなゲバラが、なんでまた他国に乗り込んで革命の親玉に? キューバでの革命が成功すると、南米に渡って革命運動をつづけたらしいけど、なんか、穿った見方をすれば“革命オタク”“戦場マニア”なのかも知れないわけで。諸手を挙げて賛美できるかどうか、俺には分からない。 それでもまあ、キューバ革命の革命派って言うのがどんな軍隊だったのか、どんな戦闘をつづけていったのか、というのは、なんとなく見える。もっとも、地理的にどうやって進軍したか、政府軍と革命軍の人数は? 革命軍が連帯したグループとの関係は? とか、フツーなら分かりやすく説明するであろう部分は、ほとんどない。その代わり、ゲバラの人となりを描写するような部分(エピソードにもなっていないようなひと言二言のセリフや対応の仕方)が、まるでムダなつけ足しのように描かれていて、それがなんともゲバラの人間味を出すのに役立っていたりする。 革命のシーンと交互に描かれるのは、革命成功後、34歳ぐらいのゲバラがキューバ代表で国連で演説するためにアメリカにやってきたときの話。インタビューの様子と、国連での模様がモノクロで描かれる。とくに意味があるとも思えなかったがね。こっちのシーンは。せいぜい、当時のゲバラがアメリカ市民にとても嫌われていたらしい、ということが分かる程度かな。というわけで、食い足りないところはあるものの、まあ、楽しめた。 | ||||
マルタのやさしい刺繍 | 1/22 | シネセゾン渋谷 | 監督/ベティナ・オベルリ | 脚本/ザビーヌ・ポッホハンマー |
原題は“Die Herbstzeitlosen”。スイス映画。年寄りパワーは凄いぞ、という、むかしからよくあるテーマで、新鮮味はない。しかも、スイスの農村の小さな村が舞台になっているので、これが30年前の映画だ、といわれても、インターネット以外はそのまま通用しそうな内容なのだ。それでも、年寄りを大事にしない壮年の息子たち、という設定は全世界に普遍的なんだろう。手垢の付いた設定でも十分に面白いし、心を動かされるほど感情移入できる。「そうだそうだ」「ひどいじゃないか」「ざまあみろ」なんて心でつぶやきながら、笑ったり同情しながら時間がつぶせた。 夫に先立たれた80歳ぐらいの婆さんマルタ。村では雑貨屋を営んでいたけれど、牧師をしている息子は「もう、店はやめてくれ」といっている。マルタは裁縫が得意だったけれど、夫に「やめろ」といわれ、以後何10年も針は持っていない。でも、昔つくったレースの下着を友だちに見せたら「いまからでもやったら?」なんていわれ、一念発起。村にランジェリーショップを開いてしまう・・・。 村の連中はみんな「嫌らしい」と非難囂々。息子もやめてくれという。このあたり、ヨーロッパのスイスでもそうなのかね。ずいぶん保守的な気がした。最大の難敵は、地域何とか党のリーダーになった男で、こいつも身体の不自由な父親を老人ホームに入れたがっている。まあ、ステレオタイプに描いているのだろうけれど、それでも、老いた両親を邪魔者扱いし、好きなこともさせない子供たち(といっても壮年だけどね)、というのは万国共通なのかね。スイスのイメージからは、保険制度が整っていて、老人を大事にする、のかとばかり思っていた。しかも、農村地帯だぜ。 それでもマルタは店を開き、息子や村人の嫌がらせにもあうけれど、最終的にはインターネットでも販売が大当たり。ここが、昔の映画では不可能な成功譚ということになる。 マルタと友だちが都会ベルンへ行く時、路線バスをつかっていくのが印象的だった。ああいう田舎があるのだね。ま、家族がクルマで送ってくれないことを強調したのかも知れないけど。 息子の牧師の避難をかわす手だてとして、牧師の浮気が登場する。映画ならではの、マルタの逆襲の格好の材料だ。もし、息子が生臭坊主でなく、生真面目な坊主だったらどうなったかな? と、少しだけ考えた。いい人も登場するけど、根性が捻れている人もたくさんでてくる。世界中どこでも、同じ様な人がいるのだね。と、つくづく思った。 | ||||
007 / 慰めの報酬 | 1/26 | 上野東急2 | 監督/マーク・フォースター | 脚本/ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、ポール・ハギス |
原題は“Quantum of Solace”。いやー。よく分からん部分がありすぎ。冒頭のカーチェイスの後、ボンドがさらってきた男を尋問する。男はどこかの組織の人物らしい。M(ジュディ・デンチ)も同席しているのだが、誰かが殺されたとか海に流れ着いたとかボンドの女が殺されたとか、短い時間の人名と要素がごちゃっとでてきて、それが一向に分からない。わからないまま見ていると、男は「俺たちの組織の人間はどこにでもいる」なんて言うのだけれど、次の言葉を言う前に射殺されてしまう。撃ったのは、どうやらMと一緒にいたM16のメンバーらしい・・・。うーん。なんだか分からん。というわけで見終わってから再度、冒頭の20分ぐらいを見直したんだけど、やっぱり分からなかった。ううむ。 で、Webで見たら、「本作は「カジノ・ロワイヤル」エンディングの1時間後から始まるというシリーズ中異例の続編」と書いてある。うへ。そんな前作のことなんて知らないor忘れてる、だよ。頭に前作のダイジェストでもつけてもらわんと、訳が分からんよ。 というわけで、大雑把にしか理解していないのだけれど。それにしても、札の番号から速攻でドミニク・グリーンという悪党に結びつき、しかも、ハイチという場所まで分かってしまうご都合主義。ううむ。ハイチのホテルにいた男は誰なんだ? 謎の女カミーユを敢えて助けに行く理由も分からない。ハイチに詳しい昔の同僚マティスがさっさと殺されてしまう不可解さ(何のために登場したのだ、マティスは?)。その先に何があるかも分からず突進し、飛行機で奥地まで飛んでいく無謀さ。しかも、ちゃんと迎撃される都合よさ。という果てに、組織は“水”を商売にしようとしているらしいことが分かる。なんか、ご苦労さん、って感じだね。 カミーユが私怨によってボリビアの将軍を狙っているのは分かった。それでは、“組織”というのは何だったの? あの、エセ・エコロジストのドミニク・グリーンが親玉な訳? 親玉にしてはチンピラすぎるよなあ。 で、ラストのロシアでのシーンも、よく分からず。あの、カナダの女スパイといい仲になっていた男が、ボンドの彼女を殺した張本人なのかい? うーむ。ますます分からん。 というわけで、これはもう、前作を見て予習していないと、楽しみは半減なのかもしれない。でも、そんな映画は困っちゃうよなあ。それにしても、簡単に人を殺すボンドは相変わらず。というより、ますますイージーに人を殺すようになっちゃってると思う(砂漠に置き去り、といいつつ、頭に2発撃ち込んでるし。だよね? だって、クルマで1時間ぐらいのところに置いてきぼりじゃ、いくらなんでも戻ってきちゃうだろ)。しかも、一般人に被害が及ぶことも問題にしない様子。しかも、彼女の復習だ、といいつつ、同僚スパイの若いお姉ちゃんとすぐに寝ちゃったりするし。あんまり共感できるボンドではないよね。でも、そういえば、ヒロインのカミーユとは何もなかったね。これは、珍しい。 CGをあまり使わず、実写を多用したアクションは見応えあるけど、でも、カット割りが多すぎるのとカメラぶん回しが多くて、よくわからんところも多々あり、だな。 | ||||
ヘルライド | 1/27 | 新宿武蔵野館3 | 監督/ラリー・ビショップ | 脚本/ラリー・ビショップ |
ストーリーもよく分からないし、何を言いたいのかもよく伝わらなかった。この手のB級映画に通じていると、あのシーン、この映画…と思い当たって面白いのかも知れないけど、こっちはそうではないので、つらかった。これは寝てしまうな、と思ったのだけど、眠りかけても眠らなかった。 “CCライダー”の曲がかかっている通り、イージーライダーだのCCライダーだのを引きずっている。といっても、登場人物はみんなアラ還(60歳前後)で、おやじというよりジジイといった方が適切なおっさんばかり。そんなおっさんたちはイージーライダーみたいなバイクにまたがり、グループ同士で対立したりしているらしい。らしい、というだけで、見ているときはよく分からなかった。冒頭の人物紹介にはワッペンみたいなのがドーンとでて、所属グループ名が書いてあったらしいけど、この映画も昨今の他の洋画と同様、名前が頻出して誰が何でどうでこうで・・・が、とても分かりづらい。その上、この映画、テンポがのったりしていてストーリー展開も平板。いつになったら盛り上がるんだ? と思わせつつ、盛り上がりのないまま終わってしまった。対立関係もはっきり描かれない(ように見える)。女を焼き殺された復讐譚らしいけど、「なるほど」と腑に落ちる流れもない。なんで対立しているのかもよく分からないのだよ。たんに、バイク・グループの対立? うーん。わかんねえよ。 というわけで、もう、雰囲気を味わえばいいや的な気分になってしまった。ときどき登場するぴっちぴっちの女たちのオッパイとお尻をみているだけでも、まあ、楽しめるしね。 いまどき珍しいボカシがあった。女性の陰毛で2個所ほど。それから、首をナイフでごりごりする場面。陰毛なんて、ボカシの対象にならないのではないの? 首にザックリも、ボカシを入れる程か? |