2010年7月

FLOWERS フラワーズ7/1MOVIX亀有・シアター1監督/小泉徳宏脚本/藤本周、三浦有為子
北川景子の出演するレベルの低い映画を見たせいで、いささか疲れていた。そこに、この映画。いや。完成度の高い映画は、突っ込み所をあげつらう必要も少なくなって、内容について思いを馳せることができる。いや、映画は本来こうじゃなくちゃね。というわけで、久々のいい映画。
親子3代、それも、女系の話である。しかも、すべてが主演クラスの女優ばかり。とくに仲間由紀恵は役柄の幅を広げた感じもあって、印象的だった。
話は、おおきく3つに分けられる。昭和11年(1936)。昭和30〜50年代。現在。現在から見ると、祖母、母、私たち、の世代だ。それぞれの世代に生きた娘たちがどう家族や社会と戦い、折り合いをつけ、生きてきたかを丁寧に描き込んでいる。
昭和11年。凜(蒼井優)は親(塩見三省)の決めた相手と結婚しようとしている。まあ、この時代はそれが当たり前、のところもあったのかも知れない。でも、凜は女学校にも行って、女の自立、自由恋愛の風にも吹かれたのだろう。式の直前まで悩む。その様子が、白黒画像で描かれる。親に反抗する娘、という点ではちょっと違うけれど、画調はまるで松竹大船、小津安二郎の世界だ。しっとりとした時代感がにじみ出ている。凜が最終的にどう結論づけるのか、それは映画の最終パートに明らかになる。いったんは走って逃げた。やってきた先は神社。そこで、家族そろってお詣りに来た思い出を思い出す。平穏な家族。特別ではないけれど、平凡な生活というものが、自分には似合っているのかも知れない、と考えたのかも知れない。追ってきた母親のやさしい笑顔。凜は、あきらめに似た気持ちをしまい込む。相手先に行って、夫になる人が「大切にします」と言ってくれたことに、安堵の笑みを浮かべる。昭和初期の、家と家の婚姻の時代の常識に、ちょっと刃向かってみたかっただけなのかも知れない。これを現在の尺度で、親は横暴だ、といっても仕方がない。女は、まだ一人では生きられる時代ではなかったのだから。
凜には3人の娘が生まれた。薫(竹内結子)、翠(田中麗奈)、慧(仲間由紀恵)。このうち、血をつないでいくのは3女の慧。夫(井ノ原快彦・平田満)との間に奏(鈴木京香)、佳(広末涼子)をもうけるが、病弱で、佳の誕生に耐えられず死んでしまう。とまあ、ものすごい女系の一族だ。現在の物語は、祖母の死の知らせから始まる。通夜の席で、佳は子をあやしている。奏は、浮かない顔。恋人と別れたが、妊娠していることを佳に知られる。というわけで、現在のパートは、祖母の死と新たな命の誕生をめぐる物語である。東京でひとり暮らし。ピアニストとして自立している・・・と見せて、実は、譜めくりの仕事であることを見せるシーンが鋭い。実際に譜めくりだけで食べている人がいるのかどうか知らない。もしいたら失礼な演出ではあるけれど、映像表現としては、一瞬で奏の立場や思いを描ききっている。さらに、奏が入院した際、佳がそばにいるにもかかわらず父(平田)が「母胎を優先してください」と言ってしまう場面。後で謝るのだけれど、佳が「小さいころにさんざん考えた」とさらりと言うシーンもよい。多くを語らず、見せていくことで流れをつくり、見る者を捉えていく。
この映画のもっとも面白い部分は、薫、翠、慧の3姉妹のパートだ。まず、昭和30〜40年代東宝映画そのもの、という画調がなんともいえない。銀座やトリスバー、社内などが、当時と同じ発色、ざらつき、セット(CGだろうけど)で描かれるのだ。そして、演出もそう。たとえば死んだ亭主(大沢たかお)との思い出をたどる薫のバートは、ちょっと松本清張映画のようなタッチ。仕事と恋を描く翠のパートは、これまた当時の青春物、ビジネス物みたいな、コメディタッチ。ささやかな幸せが消えていく慧のパートも、当時の同種の映画のような調子で描かれていく。臭みもなく、押しつけがましさやわざとらしさもない。自然に見られて懐かしく、しみじみした味わいをかもしだしている。
そうして、白黒映画に戻って、凜は父の決めた相手のところに嫁に行く。父親も、もうぶったりしない。感無量の雰囲気。そして、白黒が終わって、それぞれのその後、が映される。
エンドロールは、そのまたその後を、アルバムの写真で見せていく。古いアルバムの写真は、しみじみと心に迫る。いや、いいね。といっても最近の世代は、この気分を共有するのはムリかも知れないけどね。
薫のパート。夫と2人で旅館へ行って、新婚旅行・・・と思ったら、翌日、薫は1人で電車に乗っている。おや? とは思ったけれど、先だって見た「パーマネント野ばら」の演出に似ている、と思った。もう、すでに亭主はいない。死んだ亭主の思い出とともに、1人で宿泊した、のだろう。べつに「パーマネント野ばら」に影響されたわけではなく、深い表現だと思う。で、亭主はどんな人物だったのだろう? と思ってWebを見たら大沢は大学教授で、学生だった薫が卒業と同時に結婚した、と書いている。そんなこと、いっさい説明はなかったぞ、映画では。
奏と佳の父親は、それぞれの年代で井ノ原快彦と平田満が演じている。現在から過去に戻り、井ノ原快彦が写ると、同じ父親であることを分からせるために、お茶の淹れ方(急須と茶碗をお湯浸しにして淹れる)でさりげなく見せていた。これもまた、洒落た表現だ。
ちょっとした疑問もある。たとえば、凜の亭主は戦争に行ったのか? ということ。天寿を全うしたのかどうか、気になる。それから、凜の葬儀に伯母さんたち(薫と翠)が登場しないことが気になる。奏と佳にとって薫と翠は伯母だ。しかも、この映画では重要な位置を占めるべく登場シーンも多い。なのに、薫と翠は自分の母親の葬儀にやってこないのか? というところで、ん? あの、死んだ祖母は薫、翠、慧の母親ではなく、夫(平田満)の方の母親なのか? うーむ。そこのとろははっきり言ってなかったかも。どうなんだろ? いや、たとえ夫の母親だったとしても、それでも死んだ母・慧(仲間)の姉妹が来なくていいということにはならないよなあ(Webで見たら、死んだ祖母はやはり凜だという)。
鈴木京香は、ちょっと歳を取りすぎている気がする。もうちょい若い役者の方がしっくりきたかも。田中麗奈は、跳ねっ返りな娘がよく似合っている。ポルノ小説家(長門裕之)の担当編集者なのだけれど、川上宗薫あたりがモデルなのかな。でも、田中と長門のコンビは、いい具合に似合っていた。田中の恋人が、次長課長の河本準一だというのも、いい。こんなところにイケメンがでたら話はオシマイだ。仲間由紀恵が、これまでにないフツーの奥さんという感じをよく出していた(髪型がとくにね)。ま、あの、現実離れした一本調子の声は変わらなかったけど。あの声が何とかなると、もっといい役者になるんだが・・・。竹内と広末はいつものまんま。蒼井優は、なかなか現代の女性は演じさせてもらえないね。ちょっと可哀想。
いけないところ。ラスト近く、広末が子供を自転車の後ろに乗せ、坂をくだっている。のはいいんだが、道路の右側を走ってるんだよ。それはないだろ。いくら撮影車両が左側通行だからって、自転車に右側走行させることはない。
ニューヨーク、アイラブユー7/6ギンレイホール監督/---脚本/---
原題も"New York, I Love You"。チアン・ウェン、ミーラー・ナーイル、岩井俊二、イヴァン・アタル、ブレット・ラトナー、アレン・ヒューズ、シェカール・カブール、ナタリー・ポートマン、ファティ・アキン、ジョシュア・マーストン、ランディ・バルスマイヤーの監督によるオムニバス。といっても、1話1話がかっちり別れている、というわけでもない。別れているのもあるし、そうでないものもある。監督の意志がどこまで働いているのか? すべてをまとめる監督というか編集者が別にいるのか? そのあたりはよく分からない
全体を通して貫かれる流れ、がない。話が細切れなので、ずしん、とくるものはなかった。みんな、軽い感じのエピソード。そこそこ気分がよくなったり、ほっとしたり、なるほど、と思えたりする。そんなニューヨークの人間模様を活写する。1つぐらい全体を通して語られる話があった方がよかったんじゃないのかな、という気がするのだが・・・。
最初は、タクシー相乗りの話。で、あっという間に終わってしまう。次は、スリの話。このあたりで、この映画のつくりが分かってきた。でも、エピソードが多い分、役者もたくさん登場する。あ、あいつはあの話に出ていたあの人、と気がつく場合もあるし、気がつかない場合もあったんじゃないかと思う。ナタリー・ポートマンのでてくる話は、よく分からなかった。結婚を控えたユダヤ娘が、インド人のところで宝石を買う、ような話なんだけど。それ以上には読み込めない。ううむ・・・。ただし、ナタリーがこの映画のため(他の映画のためだったのか?)に丸坊主になるのが、すごい。日本の役者と、することがちがうね。岩井俊二の、作曲家と秘書(?)の電話での会話→対面の話は面白かった。オチはすぐわかるけどね。でも、クリスティーナ・リッチが1シーンしか出てこないっていうのは、もったいない。プロムに、車椅子の娘を連れていく話は、最初からオチがわかってしまう。それに、木にぶら下がってセックスするというのは、おいおい、だよね。片輪のホテルマンの話は、あれは幻想だった、ということ? それにしても、最初はえっちら階段を登っていたのでエレベータはないのかと思ったら、次のシーンでは食事をワゴンで持ってきていた。じゃ、上り下りもエレベータですればいいじゃないか、とツッコミ。他は、「あ、そ」とか「だからなに?」という話もあったりして、いまいちこちらのテンションは高くならなかった。ま、そこそこフツーに面白い、かな。
抱擁のかけら7/6ギンレイホール監督/ペドロ・アルモドバル脚本/ペドロ・アルモドバル
英文タイトルは"Broken Embraces"。邦題は、なんとなく合っているのかな? スペイン映画。
このテイスト、ぬめっと気持ちの悪い画面運び。ああ、これは「トーク・トゥ・ハー」と同じような感じだな。と思ったら、やっぱりね。って、見る前に監督の名前ぐらい見とけって? 面倒くせえ。
で、いったい何の話なのか分からないままだらだらつづくのに退屈し、レナ(ペネロペ・クルス)がオーディションに行く辺りで、ふっ、と眠ってしまう。で、ハリー・ケイン(ルイス・オマール)とバコバコやってるあたりで目が覚めた。15分ぐらい寝ていたのかな。どうも、荒筋を読むとハリーがレナに惚れる場面や、レナの彼氏のジジイとの関係や、ジジイが息子をスパイにもぐり込ませた、という、話の分岐点を見逃したみたい。でも、分かりにくい原因のひとつに、時制が入り組んでいることもあるかも。
で、目覚めてからも、よく分からん話がだらだらつづき、後半も半ばを過ぎたあたりで、レナの事故死が映される。ここで、もう、ぶつかったのはジジイの息子だとばっかり思っていた。さらに、ハリーのエージェントをしているジュディェットというオバサンが,過去の話を延々と説明し始めた。見せる、ではなく、語る映画になってしまっている。ま、いい。でも、やっと話に秘密、というようなものが登場し、ミステリアスな展開になってきた。
というわけで、後半になると少し面白くなるのだけれど、振り返ってみると最初の方の、ハリー・ケインが行きずりの娘を連れ込んでやっちゃうだの、ジュディェットの息子の話だのって、あんなに細かく描く必要がないんじゃないのかな。でもま、ああいう饒舌でムダな部分がアルモドバル的でもあるわけだから、あれをなくしたらつまらなくなるのかも知れないけど。
で、眠ってしまっていて見てないのだけれど、ハリーがレナに恋をして、レナがパトロンのジジイを毛嫌いしていく過程というのが、よくわからん。いや、そもそも、レナの父親が病院を追い出されて(というのもスゴイ話)、なぜか金が必要になって昔の仕事を始める・・・って、かつては高級娼婦だったのか? で、いきなり紹介された相手が、パトロンのジジイで、昔の上客だったみたいな描き方だったよなあ。それで、金欲しさで、いやいやジジイの世話になった、というわけなのか? 寝ていたのでわからんのだが。
それにしても、父親の一件で巨額の金が必要になった、と言っていた気配はないのに、なんでまた仕事を再開しようとしたのだ? なんでオーディションに? なんでハリーはレナに恋をした? とか、分からんことが多すぎだ。ちょっとしか寝てないのに! これは、今週中にもう一回、見に行かなきゃダメかな? また寝ちゃったりして・・・。
階段落ちのシーンは凄かった。でも、たいしたケガでないのが不思議。
ジジイは、レナの出演映画のために金を出している。その映画の監督ハリーが、レナに惚れた。レナもハリーに惚れた。・・・という部分の、レナとハリーの情熱がつたわってこない。
ジジイは、撮影の真っ最中だってのに、レナを連れてリゾート地へ行ってしまう。いっけん、ジジイの思うとおりになっている風を装い、実は、吐くほど爺を嫌いになっているレナ。・・・でも、その嫌悪がどこからでているのか、よく分からない。
撮影に戻り、リゾート地での出来事をハリーにぶちまけるレナ。その様子を、スパイとなったジジイの息子がビデオ撮りしていて、ジジイは口唇術師をやとって聞き取る。と、レナはジジイについて凄いことを言っている。なのに、ジジイはもの凄く怒っている風に見えない。そういう演出なんだろうけど、なんかな。どこに怒りを押し殺していたのだろう。離れて行くレナへの恋々とする気持ちの方が大きいのか?
で、映画をだいたい撮り終えると、編集はさておき、今度はハリーとレナがリゾートに逃避行。って、いきなりなんだよ。で、この間に、出資者であるジジイは特権を駆使して、つまらないフィルムだけをつないで映画を完成させ、試写までしてしまう。その記事を見て、ハリーとレナはマドリードに戻ろうとするが・・・。事故。って、いったいどういう復讐なんだよ。
で、そのジジイがようやっと死んだ、という記事を見つけた14年後、ジュディェットが隠し持っていたフィルムを使って、真のディレクターズカットをしあげて、ハリーがジジイに復讐する。って、セコくね? 殴るとか切るとか撃つとかすればいいのに。
さらに、ジジイの息子という存在も、摩訶不思議。こいつは変態か? 父親(ジジイ)の言うなりになって、父親の愛人の監視役を務めるって、どういう神経をしているのだ?
などと、思いつつ、だらだらと。
アイアンマン27/7新宿ミラノ2監督/ジョン・ファヴロー脚本/ジャスティン・セロー
原題も"Iron Man 2"。前回に比べ、茫洋とした感じ。っていうのも、アイアンマン=スターク(ロバート・ダウニーJr.)がいったい何を相手に戦っているのか、よく分からないから。一義的にはダウニーJr.の父の世代の確執で、ロシア人のミッキー・ロークが一方的に襲ってくるというのがある。けどそれは個人的な恨みであって、正義とかいうのとは別次元だ。
もうひとつは、公聴会みたいなのに呼ばれて、スタークを責めていた男。誰なんだかよく分からなかったけれど、公式サイトを見たらライバル武器会社の社長、とあった。こいつが、何とかいう議員と結託してダウニーJr.のアイアンマンスーツを「武器だ!」といって、取り上げようとしていたのか。でも、このライバル社長は黒幕とかいうんじゃなくて、公然と社会に顔を出していた。敵は敵だけど、社会の敵だとかアメリカの敵、というわけじゃない。いわば、業界内だけの争いだ。
というようなわけで、争いのスケールが小さい。やっぱ、アイアンマンが戦うのは、社会の敵、国家の敵レベルであって然るべきなんじゃないのか?
で、ミッキー・ロークはライバル会社の社長にリクルートされて、パワードスーツの改良を行なう。でも、人が入るレベルにはほど遠い、というので、非人間搭載ロボット軍団にするのだが、みていて「スチームボーイ」を連想してしまった。人間の代わりに戦うロボット軍団じゃ、似すぎてるよな。ひょっとして「スチームボーイ」も何かのパクリなのかも知らんが。
あと分からないのが、ドン・チードルの裏切りだな。チードルまでもがライバル会社にスーツ持参で行っちゃうのだ。おいおい。なんなんだ? まあ、すぐにスタークと仲直りするのではあるが、ちょっといい加減すぎない?
そもそもダウニーJr.とチードルの確執というのがテキトーすぎ。なんかよく分からないんだけど、ダウニーJr.が心臓の代わりに埋めている装置リアクターのパラジウムがどーしたこしたで、調子が悪い。それで、もう死にそうだからってたそがれてるわけだ。それって、病気が重くなって気落ちしている中年男と変わらないじゃないか! それでヤケになって飲んだり歌ったりしているのを諫めようとしてケンカになり、あげくにチードルはライバル会社に走った、のだよな? ほんとにそうなら、話が小さくね?
ミッキー・ロークの見どころは、最初の方のF1会場で暴れるところと、最後の戦いなんだろうけど。ぜんぜんダウニーJr.の方が強くて、ミッキーまったく歯が立たず、になっちゃうのはどんなもんだろ。だって後発で開発し、仕組みだってアイアンマンと同レベルか以上、なんではないの? なのに、非人間搭載ロボットたちは、ダウニーJr.とチードルに簡単にやられていく。なんでかね。
存在として分かりづらかったのは、サミュエル・L・ジャクソンとスカーレット・ヨハンソンの存在だ。2人は政府関係者みたいなんだけど、最終的にはダウニーJr.の味方なんだよなあ? なんか、よく分からない。ま、ヨハンソンがなかなかエロっぽかったので許してやってもいいが。
あと、最後に。ダウニーJr.とチードルが国から勲章をもらうんだが、なんで2人が受勲するのだ? 勲章を手渡すのは、公聴会みたいなのでダウニーJr.に意地悪な質問をしていたやつ、だったのかな?
というようなわけで、話が分かりづらいだけでなく、話のスケールも小さい。ガツンというカタルシスは感じられなかった。そういうのは、第1作で使い果たしたのかな?
エンドロールの後に、小さなクレーターの映像が。なんだか、ロボットの頭みたいなのが見えたけれど、それは「アイアンマン3」を見ろ、という宣伝かいね。やれやれだな。
抱擁のかけら7/8ギンレイホール監督/ペドロ・アルモドバル脚本/ペドロ・アルモドバル
寝てた部分を確認に行ってきた。オーディションに来たレナ(ペネロペ)のシーン。なんとなく覚えている。朦朧としつつ見てたのだな。で、ハリーとのセックスシーンまでは、10分ちょっとだった。大勢に影響はなかったけれど、他の部分での「?」も明瞭になってくる。
もっとも大きいのは、時制の問題。2008年と14年前の2つの時代を行き来している。で、首をひねるのが14年前の流れだ。
レナはかつて女優志願、高級娼婦→その後、エルネスト(富豪のジジイ)の秘書→父親が病院を追い出され、エルネストに医師を紹介してもらう→エルネストの愛人に→オーディションにでかけ、ハリーと出会う
という流れだけれど、レナがエルネストの愛人になった時期が不明瞭。秘書時代は愛人ではないと思われる。父親の一件で経済的援助を受け、愛人になったと考えるのが合理的。で、レナとエルネストの会話で、「一緒に住んで2年」「何か仕事がしたい」というような部分があるのだ。ってことは、14年前からいつのまにか12年前から11年前ぐらいになっちゃってる。でも、その説明がないので、気持ちが悪いのだと思う。そういうのが引っかかってると、他に集中できなくなるからね。
最後の方でジュディットが息子に「あんたの父親はハリー。でもあの人は同性愛だったからすぐ別れたの」という。けど、ハリーがホモであることの意味が、この映画のどこにあるのだ? 冒頭から行きずりの女とバコバコやってるハリー。つまりこれは、現在も女とやれる、ということだ。で、レナと出会ったときも一目惚れしている。ってことは、ハリーは女に目がない単なるスケベオヤジににしか描かれていない。ホモである能力は全然発揮していない。
エルネストの息ライ・Xだってそうだよ。彼もホモで2度結婚2度離婚なんて説明しているけれど、映画には何も影響していない。状況設定の一部であって、でも、ほとんど意味のない設定だと思う。
で、そのライ・Xだが、なぜ14年後にハリーに会いに来たのだ? その14年間もハリーをどっかで盗撮していたのか? これも意味不明だ。
えーと、それから。レナがオーディションに合格したのは、ハリーが惚れたから? それとも、エルネストが資金提供したことで映画が撮れるようになったから? いやまて、そもそも、レナがオーディションを受けに行くようになったのは、エルネストの差し金、ってことはあるのか? いやまて、エルネストは「どこに行っていた」なんて問い詰めていたような。では、レナは勝手に行ったのか。でも、その映画にエルネストが資金提供し、プロデューサーになっていたことは知っていたのか? というあたりも曖昧。とてもテキトーに描かれている。
あと、あの自動車事故の後、ハリーとレナが過ごしていたホテルの部屋が、何日も手つかずで維持されていたようになっているけれど、それはあり得ないよなあ。とかね。突っ込み所はどんどんふくらんでくるような気がする。
で、前回、寝てしまった部分はちゃんと見たのだけれど、後半になって睡魔が襲ってきて、ジュディットが息子とハリーに、隠していることを打ち明ける部分で、すっかり寝てしまったよ。やれやれ。この映画は、どうも相性が悪いみたいだ。
とにかく。ケレンたっぷりに様々な設定、行動、状況があれこれ散りばめられ、意味深長ふうな映像および演出が繰り広げられるけれど、それらはいずれも思わせぶりなだけで大して中味がない。その中味がないところを、アルモドバルだから何かあるに違いないと読み解こうとするのは勝手な行為で、そういう"読み"については若いうちは興味があったけれど、いまになってはさっぱり関心がない。どちらかというと時間のムダ、のような気もしている。アルモドバルだから意味のあるに違いない、と思い込んで対峙するのは個人の勝手。でも、本来の生理が感じるところに忠実になった方がいいと思っているので、やっぱりこの手の映画は、眠い、のだ。
ダブル・ミッション7/9新宿ミラノ3監督/ブライアン・レヴァント脚本/ジョナサン・バーンスタイン、ジェームズ・グリア、グレゴリー・ポイリアー
原題は"The Spy Next Door"。設定そのまんまだね。
ジャッキー・チェン主演のスパイ・コメディ。ボブ(ジャッキー)はペン商人を装っているが、中国からCIAに出向(?)してきているやり手のスパイ。隣家の女性ジリアンと恋仲になっているが、彼女には3人の子供(ファレン、イアン、ノーラ)がいる。もうそろそろスパイは引退、と思っていた矢先に、トラブルが。ジリアンの父が入院で子供を預かったのはいいが、イアンがボブのPCからヤバイものをダウンロード。このせいで、悪の組織に追われるハメに・・・。という話。
子守にやってきたのが実はスパイ、という設定の映画は何年か前に見たことがあるような気がするんだけど、タイトルが思い出せない。なんだっけ? まあいい。「トゥルーライズ」に「スパイキッズ」と「ホームアローン」を混ぜたような内容だな。
子供向けなので細かいことはいいとして。それでも解せないところも少しある。CIAが悪の組織のサーバに簡単に接続できているのだから、そっちでもアレ(石油を食べるバクテリア?)のデータぐらいDLできるんじゃないの? または、DLしたってコピーなんだから、悪の組織が血眼になって追う必要ないんじゃないの? ていうが、簡単にDLできてiPodに納まるぐらいの容量しかないのか? とか、ぐらいかな。あとは、シンプルなりに矛盾はなかったと思う。
しかし、ジャッキーは1954年生まれ。50も半ばを過ぎて、かつてのようではないのが寂しい。すべて自前のアクションだったのが、どうやらかなりスタントを使っている模様。それになにより、体型がむっちりしちゃって、かなり贅肉が付いている様子。あれじゃ、飛んだり跳ねたりは大変だよな。
その他の役者はいまいち知らない方ばかり。ま、いいけど。
踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!7/13キネカ大森2監督/本広克行脚本/君塚良一
話がダメだ。小泉今日子がでてきたあたりから、眠くて眠くて。なんでこんなつまらない話を映画にするのだろう? 君塚良一には、そんな権威があるのか? だれか「つまらない」とは言えないのかね。「踊る」は、回を追うごとにひどくなっていく。
この映画、メインストリームがあり、周囲を小ネタが絡みつつ進行する、というスタイルを取ってきた。で、今回はどんな串が用意されているのかな? と待っていても、なかなか始まらない。で、なんと、映画第一作目に登場した犯人・小泉今日子が登場するのだ。あららら。何なんだよ?
そもそも、メインストリームになりかけた事件(引っ越しのアルバイトが殺されていく)という話も、軽すぎる。しかも、ミステリーとしてではなく、コメディみたいに進む。いくら引っ越し中だからってずかずかと署内に侵入し、拳銃は盗むは警備システムはいじるは、果ては警備システムのマニュアルはすり替えるはって、それってあり得ないだろ! たとえば偽マニュアルをつくるにはオリジナルが必要。さらに、システムのプログラムに関する知識も必須。では、だれがどうやって情報を入手し、実作業を行ったのか? 俺は「これは内通者がいて、情報が漏れているに違いない」と思っていた。ところが、そんなことは一切なかった。じゃ、どうやって? 
で、犯行グループは冒頭から登場し、何人かの青年たちであることが明示されるのだけれど、その目的は、かつて織田裕二が逮捕した犯罪者を釈放しろ、というもの。織田が有能なら、もう一度逮捕させればいい、というような、わけの分からん理由だった。なんなんだ、それは。で、殺していくのは"仲間"の青年たち、という奇妙な事実。にも係わらず、仲間の統一は乱れない。でも、そこに異常な雰囲気はない。あとから、彼らは小泉を信奉する仲間であることが分かるのだけれど、洗脳され、異常行動している風には見えない、のがもったいない。他にも、署の出来事をみつめる信奉者が群れをなしてやってくるのだけれど、その彼らの異様さもまったく感じることができない。それって、この映画の根幹に係わることではないのかな? それをこそ描かなくて、小泉の教祖的存在はつたわらないと思うのだが。
それにしても、新たな悪を提示するのではなく、過去の悪に依存しなくてはならないところに、この映画の限界があるといっていい。だいたい、小泉がカリスマ犯罪者だったことを知らずに見る客も多いわけで、そういう客には何のことやらさっぱり分からないではないか。「羊」→「ハンニバル」もあったろうってか? そんなもの真似してどうする。
登場人物はふえている。けれど、深津絵里と内田有紀、伊藤淳史と甲本 雅裕みたいにキャラがかぶっていては意味がない。内田有紀なんて、まったく機能していないではないか。さらに、かつては柳葉敏郎の占めていた役割を、管理補佐官の小栗旬が担っている。というわけで、柳葉は警視庁の会議室の中のとてもエライ人として苦虫を噛みつぶすだけの人になってしまった。それぞれの役割を活かせずに、とりあえず顔見せででています、てな具合だ。そんなの、意味がない。矢張り、それぞれが噛み合って機能していかなけりゃ、ドラマは起きないと思う。やはり、年季の入った平刑事(いかりや長介)という人物の存在は、重かったんではないの?
で、いま役名を見ていて気付いたんだけど、みな相当偉くなってるのだね。柳葉が警視監、小栗が警視、ユースケも警視、松重豊も警視、北村総一朗は警視正、斎藤暁は警視、小野武彦が警部、小泉孝太郎が警視、織田裕二も警部補かよ。深津、内田、甲本、伊藤淳史あたりも巡査部長。ひぇー。所轄に、こんなにたくさん警視がいるのか? ってか、警部補だってそこそこ偉い方だろ、もう。ふつー、下からたたき上げで警部になったら御の字なんだから。織田も、深津に「青島君」と言われてる場合じゃないぞ。
新しい署の建物が、コンピュータ操作でロックアウトされてしまう。それを解除するのは不可能。で、プログラマーが呼ばれ、最後に「電源落としたら?」とつぶやき、そうしたら戸がガラガラと開く、なんてことはないだろ。あるのか?
囚人病棟に収監中の小泉。なんでも、支持者(?)が変名(?)で申請して外出許可をとり、その支持者の家に外泊した、とかいうようなことを言っておったが、そんなことが可能なのかい? いや、もしできたとして、だったらそのときに逃亡しちゃえばよかったじゃないか。なぜしなかったの?
中国人の研修生が犯行グループの3人をやっつけるのだけれど、そのアクションシーンは見せない。そういえば、署内に逃げ出した動物たちも、実際には見せず、あたふたする群衆だけを見せる。ケチなつくり方だ。
などと、突っ込み所も多いように思うぞ。
でも、ラスト、ユースケが新所長として挨拶する下りはそこそこ面白かった。次回作はもうない、ということかな。ま、表情からも若さが消え、疲れさえうかがえる織田裕二じゃ、もう、観客は引きつけられないとは思うが。
ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い7/13シネ・リーブル池袋1監督/トッド・フィリップス脚本/ジョン・ルーカス、スコット・ムーア
原題は"The Hangover"。ひどい二日酔い、という意味らしい。去年の全米No.1ヒット映画ながらスターがでていない、という理由で公開の予定がなかったのが、突然の朗報。町山智浩が叫んでいたのが配給会社にとどいたのかな?
花婿とその友だち2人、花嫁の弟の4人がベガスへ。翌朝目覚めると部屋は滅茶苦茶。しかも、花婿が行方不明! 3人とも記憶がない! というわけで昨晩の記憶を人に聞きながら、花婿を捜す、という話。筋が一本ぐさっと刺さっているから、ブレがない。この単純な、一方通行の流れがちゃんとある映画は、たいてい面白い。エピソードとともに、次第に分かりかける花婿の所在、というのが効いている。
でも、結婚式直前にバチュラーパーティでラスベガスへ! っていう設定は「サイドウェイ」やキャメロン・ディアスの「ベガスの恋に勝つルール」に、似てる。赤ん坊がでてくるのは、映画内でも言ってたけど「スリーメン&ベビー」のまんま。ここに、背景に花婿が消えたら? という設定を加えただけ、という気もしないではない。基本的な部分はオリジナリティ薄いけど、尾鰭のつけかたが上手い、ってことかな。
そういう意味で脚本がよくできていると思う。伏線の回収の仕方も見事で、最初の方にでてくる虎や赤ん坊もちゃんと納まるところに納まる。それから、屋根に落ちたベッド、というミステリーも、最終的に花婿を見つけ出すのに大きなヒントになっている。
それに4人のキャラが描き分けられている。とくにオモシロイのが花嫁の弟で、ただのデブなんだけど神経質、っていうエキセントリックなところが笑える。浮気癖のある恋人をもつ歯科医っていうのも、おかしい。やっぱり、人物設定や人物描写がしっかりしている映画は、面白くなるよね。
唯一知っている役者というと、ストリッパー役のヘザー・グレアムかな。目のでかい、お人形さんみたいな顔立ちだけど、日本じゃいまいち人気がでなかったね。今回は、おっぱいポロリもふくめて、下品なんだけど健気な女性を演じていて、なかなか好印象。あの歯科医も、きっと彼女と結婚するに違いない、と思うと、なんだかホッとする。
さんかく7/16テアトルダイヤ・スクリーン2監督/吉田恵輔脚本/吉田恵輔
予告編は見た。同棲カップルに、彼女の妹が割り込んで・・・という話は分かっていた。でも、軽いコメディかと思っていた。ところがどっこい、狂気やホラーを感じさせる部分もある。おいおい、どうなっちゃうんだ、と思っていたら、最後はわりと穏当なところに着地する。けれど、すべてに苦い味わいの男女関係。折り合いをつけるというのは、なかなか難しいものである。
監督は「純喫茶磯辺」の人なのだな。さりげない部分も丁寧に描き込んでいくしつこさは、なるほど。
百瀬(高岡蒼甫)は30歳。佳代(田畑智子)と同棲中。佳代は20代半ばかと思ったら、29歳の設定なのだな。で、そこに佳代の妹・桃(小野恵令奈)15歳が、夏、遊びに来る。倦怠期の2人の間を、小悪魔がひっかきまわす。ささいなことで百瀬と佳代はケンカして、百瀬が出て行ってしまう。たった1度キスしただけの桃に、桃はご執心。さてどうなるか、の話。
百瀬は釣具店の店員で、精力を改造車に傾ける。昔はワルだったと自称しているが、傍からは先輩風をふかすだのアホと思われている。佳代は、化粧品販売員。唯一の友だちは、マルチ商法にはまっていて、佳代も誘われている。佳代は友だちを疑っていないが、百瀬は「マルチだ」と切って捨てる。社会的認識は、百瀬の方が上回ってる感じ。
で、そこに桃がやってくる。狭い家に3人じゃ、2人の性生活は困るだろ、と思ったりするが、それほど迷惑そうでもない。ということは、もう普段からべたべたする関係ではない、ということなんだろう。桃は、田舎から東京に出てきた先輩を訪ねるが、相手は桃を構ってくれない。それで、ターゲットを百瀬に向ける。少女から女へ。その若さが売りになることを熟知しているかの行動に、百瀬がコロッとまいってしまう。もっとも、連れ合いの妹の15歳に30男がそこまで入れ込むか? という不自然さはあるんだけどね。ま、百瀬はロリコンだということなのかも知れない。
桃は、ちょっとからかっただけ、なんだろう。でも、お姉ちゃんの彼氏を自分の方に引きつけることができた。これは、東京に出てきた先輩に無視された自分を復権させるには、十分だったのかも。それでも、少女が秘めた悪意を、よく表現していると思う。小野恵令奈も、舌っ足らずで胸ばかりでかくなった娘の甘ったるい誘惑の様子を、ごく自然に演じている。
で、桃がいる間のひと夏の話かと思っていたら、そうじゃなかった。桃は帰って行く。その桃が、佳代のお気に入りのマニキュアを盗んでいってしまった。その不満を百瀬に話すと、百瀬は「小せえな、おまえも」と切り返す。言い合いになって、佳代が「別れよう」と意地悪に言う。百瀬も「別れよう」と返す。本心じゃなかった佳代がうろたえる・・・。という、いさかいの部分が上手い。ほんの些細なことが小さかった裂け目を無理やり広げ、まっぷたつに割れてしまう過程がよく描かれていた。
百瀬はアパートを借りて出て行ってしまう。桃への電話はしょっちゅうだけれど、いつも留守電。いらいらが募る。佳代は百瀬を追い、百瀬は桃を追う。でも、百瀬が桃に夢中であることを、佳代は気がついていない。
最初の頃は、佳代の健気さがめだつ。百瀬のいない間にアパートに入り、掃除をしたりゴミを捨てたりしている。それに気がつかない百瀬、というのも、ありそうでおかしい。けれど、百瀬は佳代が夢中になるほどいい男なのか、というと、そんなことはない。中学時代の後輩や、釣具店の後輩社員には偉そうに対する。後輩のため口にムッとしたり、偉そうにしていることで自分の存在を確認しているようなところがある。じっさい、百瀬にはタメでつき合っている友だちが登場しない。後輩だけしかでてこない。佳代も、友だちが少ない。この、2人とも友人関係が薄い、というのは、彼らを読み解くキーワードになるのかも知れない。
最初は気がつかなかった百瀬も、さすがに洗濯物が畳んであったりしては、不審を抱く。ビデオをセットしておいたら、佳代が写っている。文句をいっても佳代の接近はなかなかやまない。どころか、窓から石が投げられるしまつて、あわてて警察に訴える。さらには、玄関ノブに毛髪が下げられていたり・・・。このあたり、なかなかのホラーで怖い。女は怖い、と思わせる。一方で、笑えたりもする。これは面白くなってきた。新しい展開だしね。でも、じつはすっかり騙されていたんだけど、観客は。
ホラーになっていくか、という期待には応えてくれなかった。嫌がらせをしていたのは、どうやら釣具店の後輩社員だったようで。佳代は、ただ単に健気にも百瀬のそばに帰りたい、という一心だったみたい。それでも、そんなに一途に思われる恐ろしさ、というのはある。映画の中でも、佳代がサヨナラの電話らしいのをかけてきて、自殺を心配した百瀬がアパートを出ると階下に佳代がいて。「ふざけんな」と怒ったら、佳代の右手から血が流れていた。なんていうのかあって。これはこれで、コワイ。
そんなに別れたくない相手、なんだろうか、とは思う。田畑智子は、その点ビミョーかも。男にもてない、というほどブスでもないし。友だちがいない、ほど性格も悪く描かれていない。可愛い系ではない田畑をあえてキャスティングしたのは分かるけど、いまひとつ男日照の飢餓感が感じられないかも。ま、本物のブスを出すわけにはいかないから、しょうがないのは分かるけどね。
でまあ、佳代と別れ、会いたくないと言いつつ、佳代の妹にはストーカーまがいの電話攻撃。もっとも、留守電ばかりだけど。の、百瀬が桃に合いに行く、というのは、かなり異常。そこで、彼氏と一緒の桃に出会い、でも、柔道部の彼氏にボコボコにされてしまうというのは、ちょっと話が都合よすぎるかな。でも、百瀬が口ほどでもない、ということを照明するにはいいのかも。で、そこにたまたま佳代も登場し、「えっ」と思うわけだ。「私を心配して?」と。ところが、どーも様子が違う。「え、桃が目当て?」とセリフでは言わず、目だけで表現する。ここで、佳代は百瀬を嫌いになる、軽蔑する、かというと、そうじゃなかった。桃にも相手にされず、佳代に復縁を求めようとする百瀬に、上から目線になるのだ。このときの田畑智子の顔は、とても美しく撮られている。神々しいほど美人に見える。「これで、この男はもう私の言いなりよ」てな感じかな。映画は、3人が佳代の家の前でつったったままの状態で終わる。以後、どうなったかは、あなたが考えなさい、と。
しかし、でてくる人物、ほとんどがバカばかり。唯一、冷静な観察眼を持っていたのは、桃だった。というのが、なかなか。「あんな男、口だけだよ。お姉ちゃんには、もっといい男がみつかるよ」と桃は姉にいう。実際、そうだと思う。でも、そうしない、できない佳代がいる。世の中、そういうものなのかも知れない。
というわけで、いろいろと考えるところもあったりして、面白い映画だった。セリフがよく聞こえるのも、よかった。
レポゼッション・メン7/20新宿武蔵野館3監督/ミゲル・サポチニク脚本/エリック・ガルシア、ギャレット・ラーナー
原題は"Repo Men"。邦題の方が、正確な表記、なのかな? まあいいけど。
未来の話。ユニオン社が人工臓器を開発し、人々に提供。ローン販売で儲けている。が、ローン滞納者からは、強制的に臓器を回収する。その回収業者の話。低所得者にローンを組ませ、破綻者が続出・・・という設定は、米国のサブプライムローンをヒントにしているのだろう。それはいい。けれど、ツメが甘いからリアルな恐怖が感じられない。
臓器移植が必要な人間はどの程度いるのか。拒絶反応はどう解消したのか。なんていうことも気になるけど、そこまでいはいい。まず、社会体制はどうなっているのか? が知りたい。一般の人はどういう仕事をしているのか? いくらぐらい稼いでいるのか。さらに、人工臓器はユニオン社の独占なのか? ライバル他社は? そんな状態を、為政者は放置したままなのか? いや、そもそも、臓器回収という行為を許可しているのはなぜなのか? たとえ回収するとしても、いきなり刻んだり体内に手を突っ込む、ってのはどうなんだ? 麻酔させ、病院に連れていって、元の悪い臓器と入れ替える、じゃダメなのか? いやまて。なんで臓器を回収するのだ? 臓器の価格は5000万円〜程度らしいが、高いから回収しているのか? それを二次使用するってことか? すると、二次市場というのができるはずで、価格はガクンとやすくなるはず。金のない人ははじめから中古を買えばいいではないか。それに、移植者に若い人が多いのも変だ。特殊な病気で移植、の人かも知れない。でも、そういう場合は国家が補助してくれると、とか、フツーあるだろ? それに、地下鉄でも道路でも、いきなりナイフ出して臓器を取り出すって、汚らしいだろ。とかね、前提となる設定の重箱の隅をつつきたくなる気分。やはり、設定と流れについての話の練り具合が足りないのではないかと思ったりする。
前提がふにゃふにゃなので、SFとしても社会派ドラマとしても、いまひとつスリリングではない。さらに、映画のテンポが淡々とし過ぎていて、いまひとつ盛り上がりがない。CG使いまくりでないのはいいんだけど、逆にセットやなんかかひどく貧相で、安手の映画に見える。ジュード・ロウとフォレスト・ウィッテッカーが争う場面のアクションなんて、ほんとチャチ。もしかしたら様式的な指向性があるのかも知れないのだけれど、泥臭さや粘着な部分がなくて、さらさらし過ぎているのだよ。たとえば血が流れるシーンなんか、記号でしかなかったりする。このあたりに、不満があるのだなあ。
で。臓器回収業のジュード・ロウは、妻に「取り立てじゃなくて内勤にしてもらいなさいよ」と言われているのに、なかなかそうできない。そうこうしていると、自分が事故にあって人工心臓になってしまうと言う皮肉。・・・と、よくあるパターンなので、ぜんぜん驚けない。さらに、ジュード・ロウが行動をともにする女性も、これまた得体が知れない女、というだけ。因果関係がなくて、いいのか?
で、ああ、もうこれ以上ひねりはないのか、と思うと、俄然眠くなってきた。つまらないんだからしょうがない。やっと寝ないで最後近くになり、ジュード・ロウと女が、ユニオン社本社に潜入する。ここで2人はあらゆる患者のデータを消去するために大活躍、かと思いきや、自分たちのデータさえ消去できればいい、と考えていた、と分かって少し萎えた。でも、自分たちの体内に埋め込まれている人工臓器を、「回収済み」とコンピュータに処理させるため、自分の身体をきざみ、体内に読み取り装置を突っ込んで処理する、というところで少し萌えてきた。で、ジュード・ロウと女は、もう取り立て人に追われることもなく、トロピカルアイランドで・・・と思ったら、最後の最後にどんでん返しが待っていた。ジュード・ロウは、最後に気を失ったときに脳を損傷し、人工的な脳(?)に接続されることになってしまっていた、のだ。つまり、最後に気を失って以降の話は、すべてジュード・ロウの頭の中で考え出されたことだったと。おお。なんというひっくり返し方だ。
こういう意外性は嫌いではない。が、しかし。100分もの間つまらない映像を見せつけられ、その挙げ句にうっちゃりがあったとしても、「おお、素晴らしい」より「あ、そ。遅いよ、話が」という感じになってしまう。
さらなる疑問もある。ジュード・ロウが、妻と息子と会うシーン。取り立て人をやめない夫に愛想を尽かした妻とは別居中。それが、地下鉄で再会。ジュード・ロウと妻が言い合いを始めると、息子が母親を電パチしちゃうのだ。なんでえ? だよなあ。
女役のアリシー・ブラガ。30代半ばかと思ったのだが、調べたら26ぐらいなのだね。老けてるね。
しかし「リベリオン」みたいに公開時は騒がれなくても、将来のカルト的ムービーになる可能性は、なくもないかも知れないけどね、
"Cry Me A River"他、なかなか渋い選曲がされていて、なんとなくテーマに近い雰囲気はかもし出されているような気がするのだけれど、分からない曲もあったりするから、真実はどうなのかは分からない。
月に囚われた男7/21ギンレイホール監督/ダンカン・ジョーンズ脚本/ネイサン・パーカー
原題は"Moon"。「囚われた」という日本語から、月に魅入られた、という話かと思ったら違っていた。月に囚われの身になっている、という意味だった。「男たち」ではなく「男」というのは変だけど、ま、ネタバレしちゃうし、もともとは1人なんだから、いいか。許してやろう。
アイディアは面白い。まるで日本の漫画家が考え出したような物語だ。けれど、1アイディアで100分近くもたせるのはつらいものがある。30〜45分ぐらいで描ける話を引き伸ばしているので、中盤が間延びする。しかも、意外な事実に出会ったときの衝撃や恐怖などのドラマチックがなく、音楽も淡々としており、いまひとつサスペンス性にも欠ける。それに、合理的ではないような話の展開もあったりして、もう一人の自分を救助してしばらくしたあたりで眠くなり、数分、意識を失ってしまった。
石油に代わる代替エネルギーが月の裏側で採掘されることになり、その現場に1人の男が派遣されている。サム・ベル。3年契約で、もうすぐ帰還の予定。基地には他に、ガーティというロボットしかいない。地球との直接通信も何かの理由でできない状態で、ストレスもたまっている。あるとき採掘現場を監視にでかけ、移動車が事故る。・・・と。サム・ベルは救出され、基地内のベッドに横たわっている。ここで観客は「?」となる。誰がどうやって救出したのだ? ガーティは外に出られないはずだし・・・。その後、サム・ベルは幻覚(女性が基地内にいる)を見たりする。サム・ベルは、ガーティの反対を押し切り、基地外に出る。そして、事故現場に来ると、中に人がいる。救出して戻ると、それはもう一人の自分だった! ま、だいたいここで、クローンなんだろう、と分かるわな。で、きっと何体もあるのだろうとか、月で使い捨てされているのだろう、というのも分かってしまう。以後、どういう展開になるかと思いきや、はじけない。本来ならここでサム・ベルは驚愕し、怯え、「お前は誰だ!」的ないさかいに発展するはずなんだろうに、平然ともう一人の自分を見たりしている。これがとても違和感。・・・というこの辺りで、飽きてしまって寝ちゃったんだな。きっと。
救出されたのをサム・ベル1号としよう。かれは、次第に身体に異変を見出していく。吐血・嘔吐・歯が抜ける・・・。事故のせいではなくクローンの耐用年数かと思うが、とくに説明はない。いっぽう、サム・ベル1号の事故で突然起用されたであろう方を、サム・ベル2号と呼ぼうか。かれは、とても冷静で淡々とし過ぎている感じ。なぜここで「俺たちは誰なんだ?」論争を起こさせないのだろう? そうすると、話が軽くなるとでも思っているのかな。
とにかく。サム・ベル1号の方が疑念が強く、2号はあまり気にしていない。で、1号は基地内を剥がしまくり、地下にクローン置き場があるのを発見する。ま、はっきりいって、話はここで終わっても別に問題はない。けれど、映画は時間を埋めるだけ、みたいな感じで延々とつづく。たとえば基地の周囲に電波妨害塔が3基建てられているのに気付いた1号が、地球の妻と交信しようとする。すると、画面に現れたのは15歳の少女。赤ん坊だったはずなのに・・・。え? お父さんがいる? げ。それって、俺の元じゃん。・・・というわけだ。エピソードとしては面白いけど、話はネタバレしているので、念押しにしか見えず、つまらない。
で、ここからだ。2号は、ガーティに命じてもう1体のクローンを目覚めさせる。衰えのひどい1号は、死ぬ。2号は、救出隊が到着したとき移動車に人が乗ってないとマズイので、1号を移動車に移す。と、ここまではいい。用意が調ったあと2号は脱出艇にのって地球に帰っていくのだけれど、あれは、どういうことなのだ?
救出隊は、1号を救いに来たのか? つまり、2号に1号の存在を知らせず、2号は事故から目覚めた、という設定にしておくのが、会社の方針なのか?
それとも、3年たったら地球に戻れるというのは本当で、1号は事故を起こさず予定通りなら、しばらくして帰れた? で、帰るときは、脱出艇を利用するのか? それとも、迎えが来る?
映画で、2号が脱出艇を利用したのは、救出艇に発見される前に逃げ出したかったから? そうやって地球に戻り、事実を公表したってことか?
この辺りがよく分からない。クローンの耐用年数が3年なら、結局、帰還せずに基地内で死亡する。入れ替わりに新クローンが目覚め、旧クローンの死骸はガーティあるいは地球から来たスタッフが処理する?
3年後に地球に戻れたとしたら、地球は帰還したクローンでいっぱいになっちゃうかもしれないしね。ひょとして、妻や子供のクローンも用意されている? など、細かなところで辻褄がキチンとしていないように思えて、いささかスッキリしなかった。
帰還した2号が事実を公表したら会社の株が暴落、なんてあったけど、なんかそれもなあ。そもそも、地球のエネルギー源を1社が独占し、掘削を監視しているのがクローン1体ということ自体が変で、リアリティがない。哀しくも切ないおとぎ話にしようとしているのはわからんでもないが、SFとしての話のツメは甘いと思う。なので素直に感情移入できなかった。
それと、ちらっと見えたハングル文字。さらに、基地名にも韓国語がでてきたりしていたけれど、どういう意味があったのだろう。イギリスと韓国の共同事業の会社なのか、この会社は。
それにしても、クローン技術がここまで進んでいたら、地球上にもクローンはたくさん存在しているのだろうか? クローンによる社会基盤のサポート(危険な作業の担当)は相当数に登るはずだろうが、人口増大はどうやって回避しているのだろう? なんていうことが気になってしまって仕方がなかった。
あ、それと。2号が最初に見た女性の幻覚は、なんだったのだ? あれ、女性ではなく、男性だった?
私の優しくない先輩7/23新宿武蔵野館2監督/山本寛脚本/大野敏哉
ちゃんとしたドラマかと思ったら、さにあらず。全体の半分ぐらいが主人公である西表耶麻子(川島海荷)の独白で進み、ときにミュージカル風あり、ぱらぱら漫画風あり。かといって中島哲也監督のようなテンポもなく洗練もない。フレームの中に対する神経の配り方も中途半端で、要らんものが写っていたりする。なんか中途半端。独白部分が長いのでドラマがほとんど発生せず、飽きる。とうとう、耶麻子の憧れの先輩・南愛治(入江甚儀)が、親友の筧喜久子(児玉絹代)に告白したとかいう辺りで沈没。10分程度は寝たかも。だって、ねえ。
いまどきの映画にしては話がありふれていすぎる。16歳の女の子が恋をする。相手はイケメンの上級生。彼女の恋を応援するのは、別の、イケてない上級生。彼女の恋は実らないが、実はイケてない上級生の方が人間的に優れていた…。っていう青い鳥的話はごまんとある。ドラマとしてのひねりはなく、表面的にちゃらちゃらしているだけ。それに、主人公が何かを克服する、というわけでもない。これじゃ感情移入できない。
主人公に付加されているのは、心臓が悪い、という先天的なもの。でも、画面を見る限り、元気はつらつ。これじゃ、同情もできない。で、最後は彼女、心臓病で死んで、大気圏を浮遊しているということらしいが、そんなんでよかったのかね、終わり方。タイトルになっている、優しくない先輩(金田哲)も、たんなる変人でしかないし。ううむ。観客が分かってない、としかいいようがない。監督はアニメの方では有名らしいが、勘所を間違えているとしか)用がない。
そもそも、設定は南の島。なんだけど、立派な校舎にたくさんの生徒。将来本土に行ったとき困らないよう道路標識を習っていたりするのだけれど、島には立派な道路が走っていたりする。ショッピングモールもあったりする。おいおい。小さな島じゃなかったのか?
エンドクレジットに東浩紀の名があったけれど、どこに出てた? 小川菜摘が母親役で出てるんだが、贅肉だらけでぶよぶよ。ひどいものだ。父親役は高田延彦。しかし、毎日ネクタイして、どんな仕事をしているのだ?
バウンティー・ハンター7/23MOVIX亀有・シアター2監督/アンディ・テナント脚本/サラ・ソープ
原題は"The Bounty Hunter"。賞金稼ぎのことだな。男女2二人が互いに罵り合いつつ逃避行? 追跡劇? をする。「バード・オン・ワイヤー」みたいな感じの疾走感があって、楽しい。ハネムーンで宿泊したホテルに泊まるというエピソードがあって、そこでの、ちょっとロマンチックな感じになる部分がちょっと長くてダレたりするけれど、おおむねどんどん前に進むので、飽きない。脚本家が上手いんだろうな。
男女2人が…という設定は、古典的。でも、ここに色々な要素を付け加え、さらにエロ抜きのロマンスもプラス。元警官で現在は賞金稼ぎのマイロ(ジェラルド・バトラー)は、いくぶん粗暴でテキトーな男。そのマイロの元妻で新聞記者のニコールは、仕事一本槍。ま、この2人がなんで結婚したのか? という疑問はさておいて。強烈なキャラが話を面白くしている。それと、脇役連が滅茶苦茶愉快。保釈金会社の事務の中年女性なんか、もの凄い存在感だ。ニコールに片思いの記者や、ニコールの母親、借金取り立て屋の面々、ホテルの経営者夫婦、その他その他、みなキャラが濃く存在感がある。それぞれに定番ではあるけれど、うまく配置されていると思う。
ちょっと物足りないのは、謎解きの部分。ニコールが追っている謎の自殺の真実が、あまりにも単純すぎて拍子抜けしてしまった。とくに、マイロの元同僚でニコールもよく知っている黒人警官が怪しい、と思わせておいて、実は彼も捜査をしていた、という都合のいい終わらせ方がほとんど会話で済まされてしまう。ほら、あの、駐車違反切符がどーのというのは、どういうことだったのだ? よく分からなかったよ。
とはいうものの、もともと主眼が謎解きにあるわけでもなく、2人のドタバタ珍道中がどうなっていくのか。ま、最後は和解して、元の鞘に収まるだろうというのは分かるんだけど、どういう収まり方をするのか、だよね。最後の最後まで、指名手配されているニコールを警察に届ける、という使命をまっとうしたマイロ。あらら。それじゃ、2人の仲はどうなるの? と思わせておいて、なんとマイロは警官を殴って逮捕され、檻の中へ・・・。なるほどね。
インセプション7/27新宿ミラノ1監督/クリストファー・ノーラン脚本/クリストファー・ノーラン
原題も"Inception"。辞書には載ってないが、植え付ける、というような意味らしい。
「マトリックス」みたいにコンピュータのバーチャルな世界に入ってうろうろする話かと思ったらちょっと違った。夢の中に入っていくという話だった。落語にはあるんだけどな、「夢の酒」とか。いずれにしても難しそうな、分かりにくそうな話かも・・・。と身構えていたら、大まかにはそんなでもなかったけれど、基本的な部分で分からずじまいのところがありすぎる気がする。
端的にいうと、表面的には企業間戦争の話だ。渡辺謙の会社が、ライバル会社の次期社長の心をコントロールして、会社を潰させよう、というもの。その手段として、相手とともに夢の中の世界に入り、夢を共有し、いろいろと工作する、と。ただし、夢の中にいる人物がさらに夢の中に入る、さらにそのまた次の夢に・・・と、夢の夢の夢の中での活動が繰り広げられる。夢の中では時間が早く進み、階層が深い夢だとさらに時間が早く進む、という設定。「一炊の夢」と同じ考えだ。なので、後半のクライマックスにかけては、夢1、夢2、夢3の世界が同時並行的に進むのだけれど、進行速度が違っていたりするのがミソ。
というわけで、設定=枠組みは悪くないとは思うのだけれど、登場する人物についてほとんど深くは掘り下げられていない。さらに、関係する組織の説明や組織の目的などにも、あまり触れられていない。CGの凄さに気をとられているうちはいいのだけれど、ふと我に帰って、「こいつら、何のために戦ってるんだ?」と思うと、首をひねってしまうようなところが少なくない。
そもそもデカプリオたちのグループは、どういう組織なのだ? 誰が「夢の中に入る」技術を開発したのだ? 冒頭の、日本の妙な城を舞台にした夢の部分は、あれは何だったんだ? デカプリオから渡辺謙への、「こういう技術がありますがどうですか?」のプレゼン? しかし、あの部分でもデカプリオの亡妻役のマリオン・コティヤールが登場しちゃってるけど、それはそれでいいのか? とか、そういう疑問が湧いてくる。
で、城を舞台にしたパートの終わりぐらいに、帰ろうとするデカプリオに渡辺が「ライバル会社の社長にインセプションし、会社を潰すよう仕向けられないか?」みたいな提案がなされ、とまどいつつデカプリオは了承する。で、デカプリオは仲間集めに行くわけだ。で、アルゼンチンだったかへ行って仲間の一人と接触すると、周囲から敵が湧いてきて追いかけっこになる。ん? あれは、どういう連中なんだ? なぜデカプリオは狙われるのだ? どういう意味があるのか、よく分からんぞ。だってあれは、現実世界だろ? 違うのか? ひょっとして、すでに夢の中? 誰が抵抗しているのだ? 他にも、薬草の専門家(眠りに堕ちさせる役割かな)も呼び、イギリスかフランスへ行って、恩師(亡妻の父親でもあるみたい。マイケル・ケイン)に女学生を紹介され、彼女も誘い込む。・・・って、夢の世界を構築する設計者、としてはいささか陳腐すぎないか? たかが迷路が描ける、ってだけでさ。
というような寄せ集めの舞台で、ライバル会社の次期社長を夢の中に連れ込もうとする。場所は、なんと飛行機の中。作戦を実行するため、渡辺は航空会社を1社買っちまうってんだから、ものすご。
で、一行はライバル会社の若社長とともにファーストクラスに乗り込み、若社長に一服もって寝かせ、メンバーも眠りにつく。夢1は、雨の街のクルマの中。なんだけど、突然、道路を汽車が走ったり、敵にマシンガンぶっ放されたりして、予定外。バンの運転手だけ覚醒し、多のメンバーは夢2へ。こちらは、ホテルみたいなところ。ここでも敵が襲ってくる。1人だけ残して、多のメンバーは夢3へ。ここは、雪原の中で、要塞のような所に向かう。さらに、デカプリオと女学生は夢4へと向かう。
のであるが、うじゃうじゃ湧いてくる敵は、だれの投影として出没しているのだ? 若社長を守ろうとしているのか? じゃ、若社長の潜在意識から湧きだしているのか? さっぱり分からない。
夢3の世界で、若社長は大きな金庫みたいな扉を開け、死んでしまったはずの父親の臨終の場に再び向かう。・・・はて。この時点でインセプション=植え付けることに成功したということか? いつインセプションしたのだ?(★大金庫は若社長の意識の部分で、敵として登場していたのは抵抗力、のようだ)
で、若社長は、前回聞き取れなかった金庫の鍵の番号を聞き取り、金庫を開ける。すると、遺言状と風車。で、父親から「父の真似をするな。自分の道を行け」という言葉を得る。で、それでどうやらミッションは終了したみたいなんだけど、若社長を操って会社を分割するとか潰すとか言ってたんじゃなかったっけ? 若社長はそうしてたか? 納得できねえなあ。
夢4まで行ってたデカプリオは、女学生に過去の経緯を話す。どうもデカプリオとコティヤールは以前に夢の世界の中毒になっていて、夢4の世界に50年も暮らしていたらしい(でも、現実世界では数時間?)。麻薬みたいなもんで、その快感が忘れられず、コティヤールは現実に戻っても夢と現実が区別つかなくなり、現実を夢と思い込んでいた。江戸川乱歩は、色紙を頼まれると「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」と書いたらしいが、まさにそんな感じ。もっとも、ノーランは乱歩など知らないと思うが。で、夢から覚めるには死ななくてはならない。なので、コティヤールは投身自殺し、そのことでディカプリオも警察に追われていた、とかね。で、いまだに夢4に存在する(デカプリオの投影した)コティヤールに別れを言いがたく・・・。女学生は一足先に覚醒。川に落ちたバンから脱出する。
遅れて覚醒したデカプリオは、これまた夢の中で撃たれ、朦朧状態だった渡辺と、夢4? か、別の夢の中で遭遇するのだけれど、渡辺はむちゃくちゃ歳を取っている。実は、このシーンが冒頭にあって、構成としてはそこに戻ってきたという形を取るのだが、なんとか2人も覚醒。どうやったかは一切説明なし。(★さらにもう一層下の夢に入り込んだ、という解釈らしく、それで渡辺謙は歳を取っていたらしい。が、そもそも夢の中で死ねば現実に覚醒できる、のだろ? だったら、デカプリオが助け出しに行かなくても、渡辺謙は現実に戻れたのではないの?)
みなさん現実に戻り、何事もなかったかのように若社長と、デカプリオたち一行がイギリスだかフランスに到着する。待ち受けているのは、デカプリオの義父のマイケル・ケインと再会。預けていた幼子と再会して、めでたしめでたし・・・なのかい? 指名手配の件はどう解決したのだ?(★渡辺が電話したらしい。気がつかなかった) ま、最後に回したコマが止まる前に暗転したので、もしかしたらあれもまた夢の中、なのかも知れないんだけどね。というわけで、ストーリー的には腑に落ちないところがありすぎて、素直に「凄い」と言えないところがつらいわ。
んなわけで、終始「?」を抱きつつ見ることになってしまい、後半のミッション実行以降は、おもしろいアクションや映像も少なく、緊張感がゆるい。なので、寝はしなかったけれど、退屈になった。論理手に「おお」「なるほど」と首肯する部分があまりないんだもの。なんかこう、勢いで見せられた感じ。少し面白いなと思ったのは、夢1で川に落下しつつあるバンのせいで、夢2のホテルのシーンが無重力になる、という因果関係をつけているところ。なんか、無理やりだなあ、という気はしないでもないけれど、ビジュアル的には面白い絵になっているかも、ね。
ビジュアル的に面白かったのは、前半の、デカプリオが女学生を夢の中に連れ込むところ。エッシャーの(ペンローブと映画では言っていたが)無限階段、地面が盛り上がって天井に街ができてしまうところ、無限合わせ鏡なんかは、だまし絵やトポロジーの世界が垣間見えて興味深かった。けれど、その延長上のイメージが、以降ほとんど登場しない。これが、もったいなくも、つまらなかった。
気になったところというと、夢3の雪原は、「007」シリーズを連想させた。同じ夢3で、若社長が亡父に会うシーン。映像的には「2001年宇宙の旅」を感じさせた。また、金庫からでてきた風車は「市民ケーン」の橇を思わせた。それに、全体的には「マトリックス」との連関も、少し感じられる。ただし、そういうのとは違うのだよ,的な低音のリズムが繰り返し、鳴り響いている。音楽の調子は「ダークナイト」にそっくりだ。
あと、現実に覚醒するために選ばれたのは音楽で、シャンソンだった。流れてきた曲を聞いて「あれ?」と思った。エディット・ピアフ? ピアフといえば、マリオン・コティヤールが先年「エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜」でアカデミー主演女優賞を受賞したばかり・・・。帰って確かめるとやはりピアフの歌で、"Non, Je ne regrette rien"(水に流して)という曲だった。おお。海の見える家で、デカプリオとコティヤールが別れる件にピッタリなのね。しかも、夢1ではクルマが川に落ちつつあるわけで深読みができる。とはいえ、断片的にでしかなく、映画全体に通底するテーマらしいものがあるのかどうかは、よく分からない。
そもそも、夢の中には思い出を入れるな、といいつつ、思いっきり自分の思い出をぶち込んでいるデカプリオは、どーなんだ? という気もするし。また、ライバル会社を潰すのに、わざわざ夢の中に入るというような危険を冒す(しかも、社長の渡辺までもが夢の中へ!)ということ自体が、冷静に考えるとアホらしい。もっと低リスクで、現実的なアプローチだってあるだろうに。それを思うと、たかが企業間戦争に大仕掛けすぎないか、と思ってしまったりする。ま、ノーランは「ダークナイト」でもそうだけど、些細なことをさも重大事のように描くのが趣味みたいだからなあ。
渡辺謙は、名前がデカプリオの次ぎに出るぐらいの重要度。とはいえ、セリフが一本調子なので、味わい深さというか、演技でうならせるところまでは行っていない。マイケル・ケインの、短時間の出演だけれど、セリフに込められたニュアンスの何と豊穣なことよ。アカデミー助演男優賞ノミネート? なんて言われているけれど、及ばないと思う。
エンドクレジット見てて、トム・ベレンジャーという名前を発見。え? ライバル会社の重役? え、あんなオッサンになっちゃったの!?
★ちょっと他人の評論を読んで、自分なりの解釈を加えて理解できそうな所があった。それは、夢3の金庫、それと、各夢に登場する敵。夢を共有するとはいっても、誰かの夢を共有するということだった。映画後半では、若社長の夢に入り込んだ、わけだ。ここから先は「マトリックス」と理屈が同じで、若社長の精神世界に入り込んだ外敵またはバグ(デカプリオたち)に若社長の抗体(あるいはデバッガ)が反応し、デバッグを始めた、と考えればいいのかも。で、金庫というのは、若社長の意識の源部分、ということのようだ。ここを開けさせて、亡き父との対面を再現させること、がデカプリオたちの当初のミッション、と考えればいいのか。なるほど。ただしそれじゃ、女学生が夢の世界を設計できる、という優位性がどこに発揮されているのか、分からなくなっちゃうけどね。それと、デカプリオの指名手配は、渡辺が電話一本で消滅させた、と誰かが書いていた。そんなの、覚えてないな。うっかり見逃したかな。
★宮台真治と町山智浩が対談するWeb上の番組で、渡辺謙が歳を取っているシーンについてこう説明していた。つまり、渡辺の傷が重症化して、さらに下の層に堕ちた。それをデカプリオが助けに行き、なんとかジャンプしてもとに戻った、と。ああ。なるほどね、と思った。そういうことなのか。
★それから、町山があちこちで言っている中に、「デカプリオは自分の夢の中だと思っていたのに、実は他人の夢の中だった」というのがある。ここがよく理解できなくて、では、誰の夢の中だったんだ? そもそも、夢を共有しているはずできなかったの?

 
 

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