トイレット | 9/3 | 銀座テアトルシネマ | 監督/荻上直子 | 脚本/荻上直子 |
---|---|---|---|---|
「バーバー吉野」「恋は五・七・五」で映画の面白さに目覚め、「かもめ食堂」でひとまずの完成を見、「めがね」で失速した荻上直子。今回は、前半はまずまずなんだが、後半は魂を企業に売り渡したようなモチーフと、前半にばらまいた謎をまったく回収しないまま、という体たらくに終わってしまった。いったい、荻上直子はなぜに「めがね」以降、奇妙な行動を取り始めるようになったのだろう。「めがね」ではロハスというか宗教というか、あやしい雰囲気の仕上がりになってしまった。今回は、終わってみればTOTOの企業PRビデオではないか。なんなんだ。後半だけについていうと、飽き飽きしてうんざりした。 アメリカのある家族。母親が亡くなり、子供が3人残された。長男モーリー、長女リサ、次男レイ。それに、母親が、死ぬ前に呼び寄せたという祖母ばーちゃん。これが、日本人(もたいまさこ)で、英語を解さないという設定。ばーちゃんは、娘の死後2階にこもりっぱなしで、食事とトイレ以外交流がない。ひどく落ち込んでいる様子もないが、笑顔も見せない。あと、センセーという猫。 モーリーとリサは、家を売り払って、ばーちゃんは施設に送り込もうとしている。それに反対なのが次男のレイ。なぜなら彼はパニック障害で何年も外に出ていない。病院に入れられるなんてヤダ! というわけだ。モーリーはどこかの会社の研究員で、毎日、顕微鏡を覗いている。他人に構うことはせず、他人に干渉されたくもない、という青年。同じシャツを何枚ももっていて、同じ服装で通す。決まり切った生活パターンを過ごしている。ガンプラおたくでもある。リサは学生みたい。詩のクラスに参加していて、クラスに気になる青年がいる。それ以外の生活はわからない。でまあ、たいして面白くない、というか、意味があるのかないのかわからない話が積み重ねられていく。モーリーは、ばーちゃんの存在を疑い、DNA検査を依頼する。リサは青年にアタックする。レイは母親の古いミシンを発見し、ばーちゃんにお金をもらって(財布に大金をもっている)、思い切って(この踏ん切りがあまりにも簡単に描かれすぎで、リアリティが足りない)服地を買いに出かける。しかし、大きく変化を遂げるのはレイだけで、あとの2人の成長はない。 モーリーの変化は、自分が養子であることの発見、だ。DNA検査で、モーリーは自分の毛髪とばーちゃんの毛髪を提出した。けれど、ばーちゃんのものだと思った毛髪はリサのもので、その結果が不一致とでた。ま、この結果は予想できるような描き方をされている。で、リサが非血縁かと思ったら、モーリーがもらい子だったという話だ。ある程度の衝撃があったのかも知れないが、モーリーに大きな変化はみられない。だからどうしたレベルでしかない。それが物足りない。 ちょっと変なのは、モーリーは実母の死(だっけ?)に泣いていた、というエピソード。それだけ成長していたのなら、自分が養子であることに、うすうす気付いてもいいのではないの? それと、母親はリサとレイに、モーリーは養子、と伝えていたということが変。モーリーには内緒で兄弟にそんなことを漏らす母親というのは、どうなんだ? などという違和感が残る。 さて。前半でまき散らされた謎。具体的には、ばーちゃんの存在。ばーちやんのため息。ばーちゃんが金持ちの理由。レイが突然縫い物に凝る理由。レイがスカートをはくと安心できる理由。バス停のベンチのおばちゃん。・・・などなどは、後半になっても何も解き明かされない。その代わり、トイレの問題が出現する。といっても、モーリーが勝手に「ばーちゃんはトイレに不満があるのではないか」と考えるだけなんだけど。で、職場のインド人の同僚に相談すると、和式便器とウォシュレットを紹介される。で、その図をばーちゃんに提示すると、たまたまばーちゃんの指がウォシュレットの近くに来たので、ばーちゃんはウォシュレットが欲しいのだ、と思い込む。で、注文するのだけれど、ばーちゃんは突然入院し、亡くなってしまう。やっと設置されたウォシュレットの威力に感動するモーリー。ふとしたはずみに、ばーちゃんの骨粉の入った容器を便壺に落としてしまう・・・というところで、オシマイ。 なんなんだよ、この終盤の展開と終わり方は。まるでTOTOの宣伝だ。ばーちゃんのため息はなんだったのだ? トイレとどういう関係があるのだ? いや、ない可能性の方が大きい。他の兄弟姉妹の変化は? レイはピアノコンテストに出場できるほどになった。これも、ばーちゃんとの交流の成果かも。リサは、どういう理由か、エアギターのコンテストにでる決意をし、ばーちゃんから金をもらうのだけれど、20万円ぐらいもらっていた。ん? ばーちゃんは、リサがギターを欲しがっていると思ったんではないの? ううむ。なんかよく分からんな。 そういえば、詩のクラスで、リサが目をつけていた青年はガンダムショップ(?)の店員で、たまに訪れるモーリーを「見るだけで買わないオタク野郎」なんてバカにしていて、それをリサに聞きとがめられてしまう。それでリサの想いは、軽蔑に変わる。・・・ううむ。だからどうした。だよな。 いずれにしても、後半はバラバラで、何を言いたいのかさっぱりわからなかった。 | ||||
シークレット | 9/6 | シネマスクエアとうきゅう | 監督/ユン・ジェグ | 脚本/ユン・ジェグ |
韓国映画。事前に一切の情報をインプットしていない状態で見た。結論からいうと、つまんない。つまらない理由は、わかりにくい、に尽きる。最後まで見てストーリーはアバウト理解したけど、個々の存在の行動に必然性があまり感じられないのだよね。よくよく考えると、なんでこの人はこういう行動をとるの? なんか、ムリに話をそっちにもっていってないか? のらりくらり、話を引き伸ばしてないか? という部分が多い。なので、途中から飽きてきた。だって、ちっともスリルもサスペンスもないんだもの。 刑事のソンヨルは、殺人現場で妻ジヨンのイヤリングや口紅のついたグラス、ボタンなどを発見。仲間に見つからないよう隠匿する。・・・で、その晩、ソンヨルはジヨンに詰め寄るが応えない。ここですでに「?」なんだよ。なぜソンヨルはジヨンをかばうのか? その理由がまったくわからない。そもそも2人の仲は冷めているはず。まず、ソンヨルの浮気(ソンヨルは妻が気づいてないと思っていたかもだが)がある。ソンヨルの飲酒運転で一人娘を死なせている。これじゃジヨンに毛嫌いされても当然だ。なのに、ソンヨルは最後まで一貫してジヨンをかばう。目撃者の口封じをしたり、意味が分からん。 何度か詰め寄った結果「それはあなたに原因がある」というようなことをジヨンに言われている。でもソンヨルは以後、自分の何が原因なのか、ジヨンを追究しないままなのだ。なんでだ! いらついてきて、見る気力を失っていった。だってバカバカしくなってきたしね。 ジヨンが犯行現場にいた証拠となる監視カメラ映像が登場する。しかし、その映像を刑事たちが見る前に入手し、加工を加えたやつがいるのだ。で、加工されていない、ジヨンの顔が映った映像が、ソンヨルの携帯に送られてくる。さらに、送り主はソンヨルを脅しつづける。・・・最後に彼が誰だかは分かる。のだけれど、彼はいったい、何のためにそんなことをしたのかが分からない。いや。そもそも、どうやって警察の証拠物件を入手し、コンピュータ加工したんだよ! 冒頭で、ケガしてストレッチャに乗った男とソンヨルがであう場面がある。あれは、いったい何なのだ? 後半で、ストレッチャの男がまたまた登場し、ソンヨルが「俺を殺せと言ったのは、この女か?」とジヨンの写真を見せる。すると男がうなずく。のだけれど、ジヨンはなぜ夫を殺そうとしたのだ? で、最後に借金男と目撃男が共謀していたことが分かるのだけれど、借金男がヤクザの幹部を殺し、その間に目撃男はジヨンをつけたってことか? でも、あの殺害はプロの手口ではなく、素人のものだ、と言ってなかったか? で、ジヨンが夫の浮気相手を殺害した。で、その現場に落ちていたイヤリングやボタンを拾い、幹部の殺害現場までもってきてばらまいた? グラスの口紅は、だれがつけたんだ? でもさ。たまたま同時間にやってきただけのジヨンを尾行する理由はなんなのだ? たまたま尾行したら、ジヨンが殺人を犯したってことか? そんな偶然に頼るのか? いやまて。ジヨンはなんでヤクザの幹部に会いに行ったんだ? その説明はあったっけ? ばらまいた証拠物件だけれど、なんか、露骨すぎるだろ。そんなの、不自然ではないのか? ひょっとして、ジヨンの殺人を目撃してから、ジヨンを犯人に仕立てようとしたのか? もう一回見たら、ちゃんと分かるのかな? ソンヨルと、ライバルの刑事。あの2人の確執は、必要なのか? あれは、ストレッチャー男に関係あるの? ないの? ああ、もう、面倒だから突っ込むのはやめにしよう。きりがない。あ、でも、幹部のちんぽこを最後にさわった男は、誰なのだ? フツー、この手の映画って、後半になって伏線が効いてきて、「ああ、なるほど」「そうだったのか」と合点がいくケースがあるのだけれど、そうはならない。伏線はあまりなくて、強引に話の方向をあっちからこっち、こっちからそうちへと振っているだけみたいに見える。緻密さがないのだよな。・・・でも、じっくり見れば、辻褄は合うのかな? なにせ、名前が覚えにくいのもあるし、似たような顔の男たちがたくさんでるしなあ。パンフレットを買ってストーリーを読めば「なるほど」って納得できるのかな? でも、もう一度見ようという気にはとてもなれないけどね。 | ||||
ベスト・キッド | 9/7 | テアトルダイヤ・シアター2 | 監督/ハラルド・ズワルト | 脚本/クリストファー・マーフィー |
原題は"The Karate Kid"。リメイクだから前の題名を継承しているのだろうが、前回の師匠は日本人。だからカラテで良かったんだろうが、今回の舞台は中国。しかもカンフー。それなのに題名に「カラテ」はないような気がするんだが・・・。 ストーリーは旧作とほとんど同じ。なぜ中国の可愛い少女がアメリカからやってきたばかりの黒人少年に好意を示すのだ? とか、こまかなツッコミはいいとして。北京でたくさんの生徒を擁するカンフー教室が、情けを捨てろetcを標語としている。しかも、そこで習っている連中がチンピラ(いじめっ子のボスの、腰の据わった悪人面がお見事)みたいで、教師もズルを推奨する。それが米国内ならカンフーの精神を曲解して「勝つ」ことのみに執着する、という設定も成立すると思うんだけど、中国本土の話になっているので説得力がない。中国人だって、あんな悪者に描かれていて、クレームのひとつもつけないのか、といいたい。 旧作では、修行の一歩はクルマ磨きだったと思う。この映画では、ジャケットの脱ぎ着。しかし、そんなものだけで、強くなれるのかあ? 旧作にあった、ひょっとしたら強くなれるかも、という幻想が、この映画にはあまり感じられなかった。練習の過程もさらり、で、強くなっていく感じが伝わってこなかった。むしろ、少女のオーディションや師匠ジャッキー・チェンの過去にふれる部分は、話がだれる。2時間20分と長いのも難点で、もうょい刈り込んで100分ぐらいにしてもらうと、スピード感が出たんじゃないのかな。 それに、主人公の少年が、いちどの練習試合も経ずに試合に出て勝ち進む、というのはやっぱりムリがある。 あと、イラつくのか、主人公の少年がチャラいこと。あれこれぐだぐだ弁解したり余計なことを言ったり。こいつ、いつまでたっても成長しない奴、と思えてしまう。最後の試合のパートぐらい、マジな顔してでてこいよ、と思ってしまった。そういえば、あの最後のバク宙で蹴るところ、一発ではなく顔に入る部分で切れているのが、やっぱりひっかかった。CGでなんとかならなかったのかい? で、少年に負けたチンピラのボスが、この結果にあっさりと心を入れかえてしまう、というのが呆気なさ過ぎ。試合会場で仲間と一緒にジャッキーの所にやってきて、畏敬の念を示すのだ。あらら。 それにしても、ジャッキーも、あのミヤギさんの役を演じるような歳になってしまったか。感慨深いものがあるね。 | ||||
ボーダー | 9/8 | ギンレイホール | 監督/ジョン・アヴネット | 脚本/ラッセル・ジェウィルス |
原題は"Righteous Kill"「正義の殺人」とでも訳すのかな。2008年製作だけれど、今年4月の公開。ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノがでてるから、なんとか・・・かな。 2人とも定年間近の老刑事、なのに、ペアを組んで長いという設定。フツーそういうのはないのではないの? ベテランと若手、とかなら分かるけど。なので、上司と合わせて3人顔をつきあわせているシーンはジジイ臭くてたまらん。老体ゆえ2人は走れずアクションなしだから、そういう意味でも映画としては物足りない。では物語はというと、これが盛り上がりのない、のっぺりとした話でメリハリがない。だらだらとつづくのだが、セリフの中に被害者や警官の名前がぞろぞろ登場するので、「あれ、誰だっけ?」というのの連続だったりした。 この映画のいやらしいところは、冒頭からデ・ニーロの告白ビデオが流れることだ。ここでデ・ニーロは在職中に14人殺したとか、延々と自白をつづけるのだ。なんなんだ? これは。ここまで露骨にやるからには(1)最初に犯人をバラして、そこに行き着く過程を見せる(2)これはフェイクで犯人は別にいる、のどちらかしかない。なのだけれど、このビデオ、冒頭だけではなく間欠的にインサートされ、どうやら警察幹部が見ているような状況になってくる。ここまでしつこいと、こりゃデ・ニーロとは違うのだろう、と予測が付いてしまうよな。 で、冒頭のデ・ニーロとパチーノ2人が共謀して拳銃を隠し、犯人をムショ行きにした事件の後の、連続殺人事件が焦点になってくる。殺害されるのは事件の犯人らしいが保釈などになった奴、刑が軽かった奴、なんていうのばかり。なのだけれど、その1つひとつの事件がさらりとでるだけで、被害者のことがよく分からないまま。というところが、いまひとつ感情移入できなかった理由かも。 もうひとつ、銀行をバーに改装したギャングのスパイダーという男が登場するのだけれど、彼の役割がどういうものなのか、いまひとつ分からず。 それから、最初の方で鑑識の女性カレンが口を塞がれレイプ? というシーンがあり、次にパンティが映り、デ・ニーロと「妹の方がよかった?」なんて話しているシーンがある。2人は愛人関係にあるようだけれど、あれはレイプごっこしていたということなのか? それとも、後半でカレンが実際にレイプされることを示唆したシーンなのか、なんだかよく分からなかった。 さて。真犯人はロシア人殺しに失敗し、重体にしたにとどまった。真犯人は目撃されているので、ロシア人を始末しようとするが失敗。と思ったら、なんとカレンをレイプするのだよ。おいおい。友人の愛人にそんなことしていいのか? 正義の殺人をする男がそんなこと・・・。「俺と寝ないか」とアプローチはしてたけどさあ。 でその真犯人パチーノは、拳銃を隠して犯人をデッチあげたときの快感が忘れられず、犯罪者を殺しつづけたらしいが。どーも、後半になるにつれて考えと行動は一致してないようにしか思えなかった。なんか、やっぱ、話が弱いのではないのかな。穴もあるし。 で、ラストで、自分の告白ビデオを見ているデ・ニーロと幹部(?)のシーンが映るのだが、なんであんなものを見ているのかよく分からず。というか、パチーノが台本を書いてそれをデ・ニーロに読ませたわけだが、デ・ニーロが強く拒否すれば良かったではないか。いや、上手く撮れたとしても、編集しなくちゃ使い物にはならんだろ。パチーノはPCで自ら編集しようという腹づもりだったのか? よく分からん。 デ・ニーロもパチーノも、老けすぎた。いまさら老刑事の友情もないだろう。もっと血も涙もないなら分かるけど、犯罪者殺しにビンビンくる、なんていうレベルじゃ、名優が泣くような気がしてしまう。なんか、つくりも中途半端で、いまいち迫ってこなかったなあ。 | ||||
バイオハザード IV アフターライフ | 9/13 | 上野東急 | 監督/ポール・W・S・アンダーソン | 脚本/ポール・W・S・アンダーソン |
原題は"Resident Evil: Afterlife"。1作目は見た。以後2,3作は見てない。「新たな物語は「東京」から始まる。」という惹句だったけれど、渋谷のスクランブル交差点の俯瞰がちょっとでる程度。あとはCGとセットで、生の東京はでてこない。 見たのは2D。メインはいま流行の3Dらしい。そのせいか、飛び出すような動きのシーンがてんこ盛り。そのせいで、アクション自体がいささか単調になってしまっている。3Dに頼りすぎると陥る弊害だな。 2,3作目を見ていないのでわからんのだが。本作では、日本はまだあまりアンデッド(って、ゾンビと同じと思っていいのかい?)に犯されていない、という設定なのか? 若い女が交差点でオッサンに食い付く(食い付かれるんだっけ?)シーンが始まり。それから数ヵ月(数年だっけ?)して、地下に潜っていたアンブレラ社(っていうのね。覚えてなかったけど)の地下基地にアリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)が潜入。でも、ほとんどがクローンのアリスみたい。なんかよく分からんが、地下基地はアンデッドに襲われ、アリスに襲われ、最後は爆破されてしまう。で、次のシーンはアルカディアを目指すアリスが小型飛行機に乗っている。アラスカにたどりついたら、たまたまクレアという元の仲間に出会う。・・・ああ、前作、前々作を見てないと、分かんないようにできてるな。いらいら。で、クレアは胸に妙な器具をつけられ、コントロールされているらしい。正気に戻りかけのクレアとともに、2人はロスへ。・・・って、燃料はどうやって補給したのだ? で、刑務所に逃げ込み、助けを待つ連中をたまたま発見。ビルの屋上に着陸する。 で、ここから脱出劇になる。なにせ、周囲はアンデッドだらけ、だから。しかし、刑務所の中とはいえ食糧や水やエネルギーはどうしているのだ? アンデッドは何も食わなくても生きていけるのか? とか、いろいろ疑問が湧いてくる。1人隔離されている男性がいるのだけれど、周囲は彼を「殺人犯だから」という。けど、この期におよんで殺人者も何もないだろ。と、それはいいのだけれど、なんと彼はたまたまクレアの兄だったりするのだ! 隔離男は「脱出法法を知っている」というが、周囲は信用しない。が、アルカディアはアラスカではなく、沖に止まっている船だ、わかった一団は何とか脱出しようとする。隔離男を自由にし、装甲車を使って脱出しようとするが、なんとエンジンがクルマから外してあって使い物にならん! というすごい展開。さらに、地下は水浸しだが、その地下に武器がある、とアリスともう2人が水を潜って取りに行く。このとき、元水泳選手という巨乳の女が一緒なんだが、彼女がさっさとアンデッドに食われてしまうのは、そりゃないだろ。で、帰路、どうやって武器を濡れずに運ぶのか? と思っていたら、なんとダクトを使って(でも、そのシーンは一切でてこない)元の場所に戻るのだ。だったら最初からダクト使って行けばいいじゃないか! はてさて、アンデッドが迫ってくる。アンデッドに次々やられて仲間は減っていく。アリスは、地下の下水通路をたどっていこう、と主張する。誰かが「すごい臭いがする」というのだけれど、人間は存在せず、汚水もないのだから臭わないんじゃないのか? それとも、アンデッドの糞? あれこれあって、下水から脱出! というシーンはなくて、さっさとボートに乗っている。おい。どうやってアンデッドに見つからずボートを探せたのだ? で、アルカディア号に乗り込むと、誰もいない。と思ったら、船内に人体実験用として多くの人々が保管されていた。けど、乗組員はみんな逃げてしまい、ボスともう1人(刑務所の仲間だったけれど、勝手に飛行機で逃げ出した)しかいない。このボスは渋谷にもいたやつだな。で、あれこれあって、アリスが勝利。ボスは飛行艇で逃げ出すが、爆弾が積み込まれていて、爆死。さあ、みんなを解放したぞ、というところに、アンブレラ社のヘリが多数襲来・・・。というところで終わる。次につづく、ということか。 いや、前々作、前作を見てないと、ついていけないな。しかも、ご都合主義の固まりみたいな展開で、なんともはや。 そういやあ、ミラは子育てでしばらく引退を宣言していたようだが、次回作はどうなるのかね。あ、そういえば。ソニー・ピクチャーズの製作だけれど、ハリウッドメジャーの製作・配給にはなっていないのだね、この映画。 | ||||
恋するナポリタン〜世界で一番おいしい愛され方〜 | 9/14 | ヒューマントラストシネマ渋谷・シアター1 | 監督/村谷嘉則 | 脚本/鈴木勝秀 |
予告編を見ている。世代の違う何組かのカップルが登場して「そばにいて欲しい」とかなんとかいうものだった。これを見てオムニバスかな? と思っていたが、まったく違っていた。 幼友達の田中武(塚本高史)と佐藤瑠璃(相武紗季)がいて。恋人同士というわけでもない。武はレストランのオーナー。かつて水沢譲治の元に学んだが、店を飛び出した経緯がある(原因不明)。その水沢と瑠璃が交際中で、プロポーズを受けた。と、その日、水沢と瑠璃の元に駆けつけた武だったが、ビルの屋上から落ちてくる人を助けようとして死亡。落ちてきた槇原佑樹(眞木大輔)は一命を取り留めたが、記憶喪失・・・というより、武の記憶が入り込んでしまった、という設定。 以後、槙原が瑠璃につきまとう展開で話が進むのだけれど、正直いって話はつまらない。その上に、映画として呈を成していないような杜撰なつくりが腹立たしい。まず、演技が下手。学芸会レベルだ。演出が下手。手垢の付いた稚拙すぎる場面設定。つまらない動作。ベタな会話の繰り返し。それに、カメラはまともにピンが来ていない有り様。ロケも、芝公園らしきところの、一般人が歩き回り、クルマもフツーに走っているような所を背景に演技している。安すぎる。それに、神宮いちょう並木は、もうパロディにしか使われないような場所だろ。あんなところで撮るなよ。 武はシェフという設定。その心が乗り移った槙原なんだから、手際を写すのかと思いきや、包丁をもつ手と顔が映るシーンはなし。ピアニストという設定の槙原がピアノを弾く指も登場せず。なんてこった。人をバカにするのもいい加減にせいよ。 話も、強引すぎるというか、何を言おうとしているのかよく分からない。そもそも武と瑠璃は互いをどう思っていたのか? 過去シーンでは互いに「友だち」と思っていたようなことを言い合っていた。けれど、瑠璃がカゼを装って押しかけたシーンでは、実は武に押し倒して欲しかった、みたいなことを携帯で友だちに伝えている。眞木の中に入った武は、実は瑠璃が好きだった、と告白する。ああ、じれったい。いまどきそんな関係、あるのかよ。 武の出自がまたすごい。少年時代をナポリで過ごし、事故で両親を失った武。彼の地でイタリア人に育てられ・・・。中学時代に親戚に引き取られ、日本へ。そこで知り合った瑠璃と仲良くなり、料理をつくってやる関係に・・・って、おいおい。瑠璃には料理をつくってくれる家族はいなかったんですか? バカバカしくて笑ってしまう。 他にも妙なことはたくさん。眞木が瑠璃に迫った(自分は君のことが好きだったようだ・・・とかいってキスしようとしたりした)りしたことについては「僕の中にいる眞木大輔が行ったこと」と甥に説明するのだけれど、じゃあ、眞木の記憶が戻っているってことかい? 武は親戚に引き取られたのだから、その親戚が行なったのではないの? なのに、慰謝料だと言って眞木の父親が瑠璃に金額の書いてない小切手を渡した!? あり得ないだろ。恋人でもない友だちに、そんなことをするかよ。 差出人のない手紙は、眞木と甥しか知らないはず。なのに、どうして瑠璃が? ああ、もういい。とにかく、NGカットをつなげて1本仕上げました、みたいないい加減な映画。こんなものを金取って見せようというのだから、度胸があるね。いや、ひどいものを見てしまったよ。 | ||||
新しい人生のはじめかた | 9/20 | ギンレイホール | 監督/ジョエル・ホプキンス | 脚本/ジョエル・ホプキンス |
原題は"Last Chance Harvey"。ハーヴェイはダスティン・ホフマンの役名。ハーヴェイの上司が、「この仕事はラストチャンスだ」と意味深なことを言うのだが、そこから取られている。 ハーヴェイはCM会社の社員で、ジングルをつくるのが仕事。けれど、昔からのクライアントの仕事を、若手にとられそうな状況。明日はロンドンで娘の結婚式があるのだけれど、プレゼンが翌々日なので式だけ出てとんぼ返りしようという腹づもり。が、飛行機に乗り遅れて、ある女性と巡り会う、というよくあるお話。 ではあるけれど、互いに人に求められない状況に悩んでいる中高年、という設定がなかなかリアル。そのせいか、始まってから半分以上、不愉快さが胃の奥にわだかまったような気分で見ていた。それはたとえばハーヴェイという老音楽家の性格であったり、ハーヴェイを取り囲む状況や人でもある。ハーヴェイがロンドンで出会うケイト(エマ・トンプソン)については、それほど嫌な印象は受けないのだけれど、ね。 ハーヴェイは、じっくり考えると嫌な奴である。おしゃべり好きで強引で、他人の都合をあまり考えないような男だ。「妻はある日突然でていった」てなことを言っていたけど、きっとかなり我慢していたんだろう。結婚式の前夜祭で「お酒は控えて。あなたのためよ」なんて前妻に言われてしまう。ってことは、酒の上の失敗も数知れず、なのかも。娘一人しかつくらなかったのも、前妻が嫌がった、ってのもあるかも。ま、娘を連れて妻が逃げた、に等しいのだろうな。 仕事上も、若手を育てる、より、まだまだ現役でいたいタイプのようだ。ダスティンの実年齢は70歳ぐらいだから、映画の設定は60過ぎと見ても、もう会社は引退、という年齢だ。フリーで仕事をする分にはいいけどね、ってところではないのかな。実際、日本ならああいう作曲家は、たいていフリーだ。社員はほとんどいない。なので、若手と競合して「まだ負けんぞ」なんて言ってるような年齢ではないはず。 ま、仕事の他に楽しみがない、のかも知れないけどね。けど、昔からのクライアントとつながりがあり、そのつながりで会社にいる、ような案配なんだろ? だって、クライアントがハーヴェイの楽曲に飽きた。だから、もう会社は辞めてくれ、って上司に言われるくらいなのだから。ってことは、他に仕事はない、ような案配なのかな。どっちにしても、新しい物はできないタイプの作曲家だろう。 ここでは、年寄りは去れ、古いものはいらない、というステレオタイプの背景が明示される。この辺りは、手垢が付いた感じで、とても嫌らしい。胸くそが悪くなるような感じがある。つまり、あえて悪者を設定し、ハーヴェイを可哀想な人物に仕立てているからだ。でも、その可哀想は、相対的なものでしかない。実は、ハーヴェイは、きっともともと嫌な奴なのだ、きっと。 前妻の家族とも関係もそうだ。冷たい前妻、無神経な現在の夫、ってな感じに描かれている。ハーヴェイが呼ばれた前夜祭なんて、徹底してハーヴェイが無視され、立場がないほどに描かれている。ま、こうやってハーヴェイに同情を集めようという魂胆なのだろうけれど、どーもわざとらしくて、嫌な感じがしたのだ。 さて、もういっぽうの孤独な女性ケイトは同時刻に何をしていたか。ダブルデイトで、見合いさせられた相手と2人きりにされて焦っていたところだ。こうやって、わずかな接点はあったけれど、本格的に交流していない2人の可哀想な状況を、交互に映し出す。なかなか上手い手法だ。けれど、しつこすぎるというか、うっとうしい。今度はどんなふうにハーヴェイをいじめ抜くのだ、と気が気でならなくなる。これが、胃の奥にわだかまった不快さだ。 ケイトは、たんに引っ込み思案な女性でしかない。職場の同僚とは仲がいいし、歳を取った母親も近所に住んでいる。結婚の経験があるかどうかは分からないが、あとでハーヴェイに中絶の経験があることを告白する。これは、あのとき生んでいれば、私にも子供がいたはずなのに、という悔恨の思いだ。思うに、結婚までには至らなかった恋なのだろう。結婚すればできたかも知れないけれど、将来ずっと変わらぬ愛が存在すると思えなかった=冷静すぎるケイトの判断で子供をつくらなかった、と読むことができる。このケイトの用意周到さは、クライマックスでのハーヴェイとの対話にでてくる。 映画の製作時のエマ・トンプソンは、49歳ぐらい。この年齢だと、親と同居はしないものなのかい? イギリスでは。母親はまだ呆けてはいないけれど、一戸建ての立派な家に住んでいる。どうせなら一緒に住めば、と思うのだけれど、ケイトはどうみても独身生活をエンジョイしているようには見えない。恋愛を願いながらも、「どうせ私は・・・」と卑下している女性にしか見えない。だったら、同居すればいいのにね。経済的にもその方がトクだろ。まいにち、ケータイにかかってくるのは母親からの近況ばかりだし、ね。 式を終えて、渋滞でフライトに間に合わなかったハーヴェイ。仕事も、若いのに任せるからお前は要らん、と言われ、傷心の思いでレストランへ。そこに、これまたダブルデートからすごすごと逃げ出してきたケイトがいて。ハーヴェイがしつこくケイトに絡む。このシーンが、とても嫌らしい。こんなしつこいおっさんがいたら、店員が注意するんじゃないのか、というような行動を取る。しつこく話しかけ、隣同士の席で食事をし、だんだん会話がつづいてくるのだけれど、いかんせんムリがあるのではないのかね。 このムリをなんとかカバーしているのが、ハーヴェイの記憶力(!)とケイトの傷心だ。ケイトは統計局の社員で、飛行機利用者にアンケートを採るのが仕事。でも、昨日、ハーヴェイはケイトの依頼を断っていた。しかし、そんな一瞬のすれ違いを、覚えているものか? ムリがありすぎだろ、いくら話のきっかけとしても。いったん別れて後、ハーヴェイは文学講座にでるというケイトの後をつける。おい。ストーカーだろ。しかし、ケイトはハーヴェイをうさん臭く思わないし、避けない。しかも、家にとまってもいい、と言ってしまったり。自分に関心をもってくれた、とうれしそうなのがとても違和感あり。ま、映画だ、と言われればそうなんだけど、いくらケイトが人恋しい想いにいるからって、この反応にはムリがあると思う。このあたりのなれそめ、もうちょっとなんとか自然に醸し出せなかったのかね。 実際はこの後、2人で、行く予定のない娘の披露宴に行くのだけれど、以後の展開はまずまず。しかし、ハーヴェイがお調子者だ、っていう一面がちゃんと描かれている。義父からスピーチの権利を奪い、実父だ、と宣言して娘に語るシーンは、日本じゃあんな内容は御法度、っていえる内容だったけれど、それでも彼の地ではちゃんと評価され、出席の見知らぬ女性客ともダンスを踊るほど。・・・で、宴会場で一人取り残されるケイト・・・。こういうところに思いが至らない性格、だったんだろうな、ハーヴェイ。 しかし、帰りかけたケイトをタイミングよく発見し、ピアノで誘惑する。うまいね。ハーヴェイはいつピアノを披露するのかと思っていたのだけれど、こんな感じだったのね。で、ひと晩歩き、話して、翌日の12時に再会を押しつけたハーヴェイ。が、ホテルのエレベーターが故障で階段を駆け上がっていたら心臓に・・・で、緊急入院。ああ、やっぱり来なかったのね、と諦めるケイトが「やっぱりまたか」という表情。 が、退院して文学講座の教室の外で待ち受ける・・・。ここの件が、とてもよかった。「現れなくてほっとした。私はあきらめて生きることを選択して生きてきた。その方が楽。あなたはそれを壊そうとした。たとえ一緒になってもいつかは性格の不一致になったりして別れたりする。それが嫌だから・・・」と語るケイトは、こういう先読みのタイプだから文学好きに設定してあるんだろうな。「私たち、上手く行くと思う?」「分からない。でも、ガンバル」とハーヴェイは応える。そう。夫婦なんて分からない。ハーヴェイが妻に逃げられたように。ケイトの父が、妻と娘を捨てて秘書とフランスに逃げてしまったように。人生、何があるか分からない。確実なものなんてない。けれど、だからといって何もしない、というのは人生を否定するものだ。とりあえず、やってみる。それでいいんじゃない? ということだな。ここは、ある意味でテーマを語りすぎてはいるけれど、この映画ではセリフで語らないと収拾がつかなかった、のではないかと思う。 そして、ケイトは納得し、また「歩こう」とハーヴェイに言う。この歩こう、は、もう散歩ではない。ともに人生を歩もう、という意味だ。ここでケイトは靴を脱ぐ。これで2人の身長は同じぐらいに調整される。つまりまあ、ケイトがハーヴェイに合わせていきますよ、という宣言だとみていいだろう。どちらかが、ときには我慢する。それで釣り合いが取れるのだ、ということも語っている。仕事を失い、元妻には冷たく扱われ、結婚式でも存在感なく、踏んだり蹴ったりのハーヴェイ。人生を肯定的に捉えられないケイト。この、割れ鍋に綴じ蓋のカップルも、自分の欠点を見ることができれば、うまくいくかもね。というような終わり方だった。 ケイトの母のサブストーリーがいい。隣家のポーランド人。うさん臭く見ているけれど、話してみればいい人、という、エンドクレジットのシーンも温かい。母子ともに、他人に対する警戒心がつよい性格なのだね。これで、ケイトへの電話も減るかも。 音楽のクレジットにダスティン・ホフマンの名があったけれど、WrittenなのかPlayedなのか見逃した。作中、ダスティンが弾いた曲だと思うけれど、どっちたったのかね。 そういえば、前夜祭でハーヴェイの袖にくっついてしまった黒い物は、あれは何だったのだ? | ||||
特攻野郎Aチーム THE MOVIE | 9/21 | 上野東急2 | 監督/ジョー・カーナハン | 脚本/ジョー・カーナハン、ブライアン・ブルーム、スキップ・ウッズ |
原題は"The A-Team"。巻頭から最後までノンストップアクション。悪くいうとすべて細切れ断片的で、ダイジェスト版を見ているような気になってくる。さらに、話が込み入っていそうで実は単純なのだけれど、でも、関与する連中の思惑がよく分からない。なんで? という部分が多い。そして、全編がご都合主義だらけ。ま、でもこれは映画だからいいとして。あとは、結局CGだろ? と思うとアクションも爆発シーンも手に汗握らない。なので、途中から飽きてきた。どーでもよくなってきた、って感じかな。 パート1。無頼の行動部隊がいて非正規の命令で動いていた。メキシコで中尉が捕まって大佐が救出にいった。しかし、どういう作戦で敵は何なのか分からないので、脱出劇しか見せ場がない。頭を使わずに見られる。で、この際、黒人兵とパイロットを仲間に組み入れる。 パート2はイラク。フセインが隠していたニセドル原版を奪い取る作戦を、将軍から非公式に命じられる。でも、画面では将軍は命じていなかったけどね。命じていないのが命令、なのかな? ここからいろんな人物が関与してきて、分けが分からなくなる。Aチームの1人の元彼女。大尉というから軍人なのだろうが、Aチームに「原版には近づくな」という。他に、後から分かってくるのだけれど、傭兵部隊が登場する。ボスはパイクという。元カノとパイクは仲間かと思っていたけれど、関係はよく分からん。さらに、リンチというCIAが出てくる。どうも将軍と関係しているらしい。という曖昧な状況で、Aチームは勝手に暴走。印刷機とニセ札は奪取したが、原版の行方がわからない。で、Aチームは元カノ一派(つまり軍隊?)に逮捕される。で、刑務所へ。 パート3。リンチが手助けして、4人は脱獄。汚名挽回を図るらしい。しかしこっからは、正直にいってわけが分からない。原版はパイクがもっている、とか。リンチがアラブ人と関係している、なんていう話があったり。そもそもAチームは誰から情報を得ているのか知らないが、いろいろ作戦を敢行し、パイクから原版を奪ってしまう。それを元カノやリンチが周辺から見ているような、ううむ。 で、分かるのは、原版を奪おうとしたのは将軍、パイク、リンチの3者で、パート1で死んだと思われていた将軍は実は生きていた。まあ、でも、将軍は生きているんじゃないの? という気はしてたけどね。というわけで、観客を韜晦するかのような、わけの分からない展開で、スッキリしない。 そもそも元カノの軍人たちは、なぜAチームに立ちふさがったのかが,分からない。終わってみれば元カノとメンバーの1人は仲が復活しちゃうし。ってことは、元カノ軍人一派は、正義のためにと思い行動していた、っていうか、迷惑な邪魔者だった、ってことも言えるわけで。彼らがジャマしなければ、話はスムーズにいってたのにね、と思ったりもする。それと、CIAがなぜ原版を欲しがったのか。それもよく分からない。イラク製のニセ札原版は、そんなによくできているのかい? というわけで、よくわからないだらけで、終わってもスカッとしない映画なのであった。 | ||||
ナイト・トーキョー・デイ | 9/27 | 新宿武蔵野館3 | 監督/イザベル・コイシェ | 脚本/イザベル・コイシェ |
原題は"Map of the Sounds of Tokyo"。登場する男性がスペイン人なのは、監督がそうだからなのね。「死ぬまでにしたい10のこと」「あなたになら言える秘密のこと」「エレジー」のイザベル・コイシェらしい。が、これまでの作品と比較してデキはよくない。できそこないのロマンポルノみたいだ。 主人公はリュウという若い娘(菊地凛子)。ターゲットの過去には無関心に淡々と仕事をこなしてきた殺し屋、という設定。だけど、菊地凛子の華奢な体躯、銃扱いの下手さがリアリティを欠く。というか、そもそも銃を撃つシーンは、ない。普段は築地市場で魚を扱っていて、でも、魚河岸の女性にも見えない。どっちかといったら、無気力なニートみたいに見えてしまう。 新たなターゲットはスペイン人男性ダビ(セルジ・ロペス)。同棲相手の女性が自殺したことから、彼女の父親が秘書を通じてダビの殺害を依頼した。が、ダビが経営するワインショップに確認に行き、そこで「あなたにはこのワインが合う。あなたはワインを知っている人だ」なんて言われただけでリュウはダビに心を開いてしまう。おやおや。そして、ラブホ通いを始める。 いつまでもダビが殺されないので心ここにあらずの父親(会社社長みたい)。それではと秘書がリュウに連絡をするが「仕事はキャンセル。もう電話してこないで」を繰り返すだけ。ううむ。なんなんだ、このリュウという女暗殺者は。ちっとも冷徹ではないじゃないか。 というわけで、大筋がつまらない。すべてにいえるのだけれど、人物の掘り下げがぜーんぜんできてないのだ。だから、リュウが何を背負って生きているのか分からない。ダビはいまだに死んだ彼女が忘れられない様子で、なので、どうして彼女が自殺したのかも分からない。さらに、娘が死んだからって同棲相手を殺す、という社長の気持ちも分からない。なんだか分からないまま、だらだらと話が進んでいく。 そうそう。この話には語り手がいて。田中泯が演じているのだけれど、この存在もよく分からない。むかし映画の仕事をしていたような男で、録音が趣味。たまたまラーメン博物館でリュウと同席して、ラーメンをすする音が、母親のと似ている、という理由だけで好感を持ち、以後、たびたび飲み屋で会ったりしているという変な関係。殺し屋がこんなジジイと定期的に会うのは変だし、しかも、かつて殺した相手の墓参りに一緒に行ったりするという、あり得ない展開。萎える。 ラブホでのセックスシーンもエロチックではないし、菊地凛子は脱ぎ損だな。なんだか、実際を知らないやつが頭だけで話をでっち上げ、エキセントリックな街東京のイメージを盛り込み、誤魔化しているとしか思えない。 東京の風景は、さしずめB級の東京といった感じで、渋谷のスクランブル交差点は登場しない。日本橋川などの川面からの映像、浅草花やしき、下北沢、新宿大ガード。リュウの住まいと、ダビの店(どこかの、やぶそばの隣)は、どこか分からない。ラブホも、どこだろう? ごくフツーの東京の様子が出てくるのは、上っ面で東京を見ていないよ、という風で好感が持てる。けれど、話と人物があれじゃね。 オープニングは、女体盛りでの外人接待。いまどき、あるのかよ? リュウの家にいく地下道に、葉っぱをまとった人間。ありゃなんの象徴なんだ? ラストにも登場していたが。それに、地下鉄からの出口には変が団体が妙な行動をしている。リュウの心を表現してでもいるのか? やたら出てくるラーメンのシーン。音を立てて食べる習慣に、監督は興味があるらしい。日本の古い映画もでてくる。「私が棄てた女」か? あれは。日本の歌謡曲、日本語で歌う外国の曲もよくでてくる。これらが、原題のもとになっているのかもね。 で。ダビは数回リュウと寝るが、昔の彼女が忘れられず代わりに抱いた、と告白する。それでもつき合うリュウ。3年間の日本生活を終え、故国に帰ることをリュウに告げに来る。そこに秘書が拳銃もって現れ、撃つ。と、ダビではなくリュウに当たってしまう。・・・って、企業の秘書が拳銃をぶっぱなすかよ! それに、外れたならもう一発撃ってダビをしとめろよ。といいたい。 が、ダビは国に帰って嫁さんをもらい、生活している。そして、リュウが忘れられない、と思っているらしいことを、田中泯がナレーションで言う。って、おい、田中泯はスペインに戻ったダビと交流があるのか? それとも、ダビの家に盗聴器でもつけてるのか? そういえば、リュウとダビの情事の模様も録音していたけれど、あれはリュウの許可は・・・とってないんだよな、きっと。 とまあ、突っ込み所も満載の変な映画。東京の風景だけ見てれば、少しはましだったかもしれないけどね。 | ||||
フェアウェル さらば、哀しみのスパイ | 9/27 | キネカ大森3 | 監督/クリスチャン・カリオン | 脚本/クリスチャン・カリオン、エリック・レイノー |
英文タイトルは"Farewell"。クストリッツァが出ているスパイ映画、ぐらいしか前知識なし。で、いきなり、東西冷戦末期からソ連崩壊に至る過程を描いたもの、なんてクレジット。おやおや。で、始まったスパイ合戦は見た目の派手さはまったくないけど、二重三重に絡み合い、要所ではスリルもサスペンスもたっぷり。CGなんかひとつも使わずとも、心をつかむ映画はできるのだよね。 フランスの諜報組織(?)らしいDSTについては、解説なく登場するので「?」だったりする。米ソのスパイ対決でなく、仏ソが軸になり、米は仏経由で情報を入手する。そんなことがあったのか・・・。輪をかけて分かりにくいのは、仏のスパイ・ピエールが素人らしいこと。DST→ピエールの上司→ピエール←セルゲイ(KGB大佐)という流れ。なぜDSTとピエールの上司が密で、どうして上司が何も知らないピエールに仕事をさせたのか、それがよく分からない。大事な情報のやりとりが、あんなに杜撰に行なわれていたのか! という驚きがある。 スパイといえば訓練された切れ者で知識や腕力もあり、綿密な情報を背景に行動する。もちろん、その手には拳銃が・・・。という頭で見ていると、拍子抜け。しかし、そのアバウトさがだんだんリアルに見えてくるから面白い。 そもそも米国政府内にはソ連のスパイがたくさんいて、最新の科学技術情報を流出させていた。そのおかげでソ連は米国と互してこられた、というのがすごい事実。というなかで、KGBの幹部セルゲイは「もうこの国も終わりだ」と見切りをつけ、DSTに連絡して情報を提供するともちかけた。ある意味では、愛国者である。で、DSTが橋渡しに選んだのがピエールというビジネスマン。セルゲイは「素人か」と嫌な顔をするが、他に手段もなさそうなので仕方なく情報を渡す。最初は米国に潜入しているソ連スパイの数名の氏名を。さらに、ソ連が入手した米国の情報を証拠としてピエールに渡す。最初は及び腰だったピエールが、だんだん本気になってくるのが怖い。発覚したときのリスクより、スリルへの憧れがあったのかな。しかし、ピエールが預かった資料を妻に見せちゃうほど無防備なのは、あらあらだったけど。もっとも妻は「そんなことやめて」と言っているのに、妻に黙って深入りしていくのだけど・・・。 1980年当時のソ連が堕落しているのは、セルゲイの家族を見てもわかる。息子はロック気違い。セルゲイ自身もフランス勤務があるせいか、西側にかぶれている。こんなんで、よく告げ口されないね。セルゲイが息子のためにウォークマンとクイーンのテープを欲しがるのは感情としては理解できるけれど、あぶなっかしいな、と思ってしまう。 で、ピエールが手に入れた情報はミッテランがレーガンに見せる。そして、ついに米政府内に潜入しているX部隊の情報を入手すると、レーガンはソ連スパイを一斉逮捕。米国からの情報の流れを遮断する。と、このとき、ジョギングしてつかまるのは、ダイアン・クルーガー? IMDbで見たら、その通り。ちょい役ででてたのね。それにしても、先のないソ連のために働いていたスパイは、どういう人たちなのだろう? という興味はある。 さて。ここで、話が飛んでしまう。なんとセルゲイは逮捕されて尋問されているのだよ。どういう経緯で捕まったのか、そこがないのが、ちょっともったいない。のちのち、セルゲイ逮捕のカラクリがCIAからピエールに話されるのだけれど、セリフで話してしまうのが、ちょっと追いつくのが大変。やっぱ、カラクリの過程もちゃんと映像で見せて欲しかった。 セルゲイ逮捕を知って、ピエールはセルゲイの国外救出をDST(だっけ?)に懇願する。ああ、ピエールはセルゲイに親近感を感じるようになっていたのだな。しかし、ピエールが妻の本をセルゲイに与えたせいで、仲介者としてのピエールがバレる。洗面の鏡に、逃げろ、の家政婦の文字。このあたり、前半で家政婦がピエール一家の情報を嗅ぎまわっている、という伏線が効いてくる。そして、ピエール夫妻が危機を感じ、クルマで国境を越えて逃げるところがサスペンス! いや、はらはらドキドキだね。 で、結局、セルゲイは銃殺されたようなのだけれど、ここでオープニングのシーンが思い出される。ああ、あの銃声はこれだったのね。すっかり忘れていたよ、と。なので、セルゲイが死ぬことは最初から分かっていたことなのね。ううむ。サスペンス的には、冒頭のシーンはない方がよかったかもね。 どうも、この話は事実に基づいているらしい。なんと、こんなことがきっかけでソ連崩壊に弾みがついたとは。にっちもさっちも行かなくなった状態は、徳川慶喜の大政奉還と様子が似ているね。 で、ちょっと疑問点。あの、大学みたいなところで、長い髪の女性が階段を降りてくると、男が近づいてきてクルマに乗せていくシーン。彼女はピエールの妻だと思っていたんだけど、違ったのかな。妻で、彼女は東欧出身なので、KGBにつながっている、と思っていたんだけど・・・。真相はどうなんだろう。 昔の出演作を政府閣僚(?)に自慢気に見せるレーガンが微笑ましい。クストリッツァはとても美男子ではないけれど、渋いね。ちかごろは監督業もマンネリ化しているけれど、俳優業でも十分にやっていけるね。 | ||||
プレシャス | 9/29 | キネカ大森2 | 監督/リー・ダニエルズ | 脚本/ジェフリー・フレッチャー |
原題は"Precious: Based on the Novel Push by Sapphire"。サフィアという人の「ブッシュ」が原作の「プレシャス」という、回りくどいタイトル。 単純に言うと、可哀想な黒人の少女の話である。三重苦どころか、実父(義父か? 最後まではっきり分からなかった)の子供を2人も産み、1人はダウン症。しかも、父にエイズを伝染される。そんな16歳。でもな・・・。脅威的なデブ・ブスなのだ。自己コントロールできず、貧乏なのに食い過ぎのデブじゃな。と、思ってしまう。 もちろん、デブになるのは母親がムリに食わせるから、という示唆するシーンはある。けれど、食いたくないのに食うか? それに、母親が嫌いな豚足料理をどーしていつもつくるんだ!? とか、なるほど可哀想、に見えないところが辛い。やっぱり、デブは損だね。 この映画で悪人は、母親と父親(実父か義父かわからんが)になっている。父親が娘を性的対象にするのを見て見ぬ振りをした母親。なんとも凄まじい。が、その凄まじさが画面からつたわってこない。ラスト近く、母親が役所のオバサン(マライヤ・キャリーだったとは気がつかず)に告白するシーンは、本来ならおぞましく哀しい場面なんだろうけど、会話の内容が曖昧なのでピンと来ない。父親が、妻(母親)の乳を吸いつつ、反対側で寝ている赤ん坊(プレシャス)に性的イタズラをした、というような告白。それが、プレシャス3歳の頃から行なわれていて。夫(父親)が吸った後の乳を娘(プレシャス)に吸わせるのは嫌なので、なんたらかんたら・・・。ええ? よく分からんよ。まさか、3歳の娘相手に性交していた? それがつづいて最初の妊娠・・・。ダウン症の長男(長女?)は1歳ぐらいだったので、15で出産として、妊娠は14歳。で、夫が娘を相手にするのを止められなかった理由が、「私を愛して欲しかった、私の快感はどうなるのよ」みたいなこと。おいおい。まず、この母親をビョーインにぶちこめよ。という感想しか浮かばない。 それにしても、「サイダーハウス・ルール」もそうだけど、父親が娘を犯すのは黒人の十八番、みたいな描き方は、いやな感じ。偏見をもとに、偏見を堅固にしていくように思えてしまう。 祖母が登場する。母親は孫が嫌いで(夫が娘に生ませたのだからね)、祖母が育てている。生活保護を受けているので、調査員が来るときだけ祖母と孫を呼び、偽装家族を演ずる。普段は娘と2人暮らし。夫は、妻に飽きて出て行ってしまっている。・・・という状態で、この祖母が娘(プレシャスの母)になにも意見しない。でも、この祖母は粗暴ではない。母はかなり粗暴で、プレシャスに物は投げつけるはテレビは放り投げるは。夫を取られた恨み骨髄なのだが、祖母とプレシャスはフツーに近いのだ。ってことは、母親だけが性格異常か? という感じだね。貧困とは別の問題、のような気がする。 にもかかわらず、映画は、原因をたどっていくと貧困にたどりつくように描くのだ。いまだに黒人=貧困=無知、のワンパターン。貧困をなくせば黒人の生活ががらっと変わる、というのは幻想ではないの? その幻想を元につくっているみたいな気がする。 プレシャスは、環境を考えたら、かなり真面目な娘だ。2度目の妊娠で退学になったけれど、問題生徒が行くEOTO(EACH ONE TEACH ONE)というフリースクールを紹介されると、さっさと行く。いつもフテたような表情だけど、そうではないのだよね。むしろ夢想家で、もし・・・だったら、と現実からの脱出をイメージの世界で夢見ている。その意味ではごくフツーの女の子。しかし、現実は、なんだけど、ね。 フリースクールの様子は、「パリ20区、僕たちのクラス」を連想させる。リアリティは「パリ20区」の方が上かも。先生たちは親身になってくれるし、役所の生活保護担当も、話を聞いてくれようとする。そうやって親元を逃げ出し、読めなかった文字も読めるようになって・・・という生活改善。どうやってこの後、不幸のどん底におとすのだ? と思っていたら、それがエイズだった。父親が死に、それで感染が分かり、プレシャスは自ら検査に行く。そして判明した。こういう行動が取れるのだから、なかなか賢い設定なのだよね。 ひっぱりのある話だけれど、どーも感情移入がね、できなかった。同情はできるけど、共感はできない。そんな距離感を感じてしまった。もちろん、あんな環境にあったら簡単には逃げ出せない、というのも分かる。のだけど、ね。さらに思うのは、長いPR映画、という印象。「問題のある家庭のあなた、そこから逃げ出して自分を取りもどす道がありますよ」というメッセージだな、と思った。 「ミリオンダラー・ベイビー」にも登場したけど、稼ぎをせず年金だけで暮らそうという姑息な不正受給者は、アメリカには結構いるのだね。ベーシック・インカムなんていう制度は、彼らにも天国みたいなものなのかも。 EOTOの黒人女性教師が美しい。ハリー・ベリー? いや違う。ホイットニー・ヒューストン風の顔立ち。もちろんホイットニーじゃないけど。誰だ? ポーラ・パットンだって。へー。なんて思っていたら、出演作の「最後の恋の始め方」「デジャヴ」は見てたよ。あれれ。 最初の方の、プレシャスと校長の面談。後の方の、プレシャスと生活保護担当役人とのシーン。ここで、故意に下手なズームが使われるのだけれど、どういう意図があるのだろう? 最初は、ドキュメント風を目指してるのか? と思ったけれど、全編通してそんなことはない。では、なぜ? と思った。 | ||||
瞳の奥の秘密 | 9/30 | 新宿武蔵野館3 | 監督/フアン・ホセ・カンパネラ | 脚本/エドゥアルド・サチェリ、フアン・ホセ・カンパネラ |
英文タイトルは"The Secret in Their Eyes"。アルゼンチン映画で、アカデミー外国語映画賞を獲得している。なので期待していたのだけれど、肩すかしだった。 ミステリーに大人の恋をちょっと混ぜたような話。2時間10分と長尺なのだけれど、意味のない饒舌な部分がやたら多い。それに、なんといっても犯罪部分にあまりにも内容がない。 それと。人物の職業役職が「?」。どうも検事の部下の事務官みたいなんだけど、役職名が出てこない。しかも、上司の女性イレーネは、判事補と紹介され、そのまた上司は判事、となっている。この国では、判事が検事のような仕事をするのか? とずっと疑問が消えない。で、Webを見ると「イレーネは判事に昇格」なんて書かれている。ってことは、字幕が間違いなのか? 分かりにくいったらありゃしない。 で、判事および判事補の部下、エスポシトが被害者(女性)の写真帳を見て、なかに、いつも被害者を横目で見ている男イシドロ・ゴメスに狙いをつける。上司に捜査の許可を依頼するが、認められない。で、同僚で、優秀だけどアル中のパブロとともにゴメスの母親の家に侵入。ゴメスからの手紙を盗み、文中にでてくる名前がサッカー選手の者だ、とパブロが気がつく。それでサッカー場へ行くと、なんと、数万人も入っているなかで2人はゴメスを発見。捕まえてしまうのだ! 何ていい加減な展開。 エスポシトがゴメスを尋問するが、口を割らない。そこにイレーネが割り込み「彼は犯人じゃない。こんなチビでモテそうもないやつが。どうせチンポも小さいんだろう」なんてバカにした発言をしたら、ゴメスが「何を!」白状してしまう。ええっ・・・。開いた口がふさがらない。 まさかこのままゴメスが犯人じゃないよな。きっと意外な犯人がいるんだよな。きっと、被害者の亭主の銀行員が、実は・・・。なんだろ。と思っていたのだけれど、なああああんと、ハズレ。どうも、やっぱりゴメスが犯人のようだ。説得力がない話だな。まったく。 彼の地では死刑はないらしく、最高でも終身刑。亭主の銀行員も「死刑にするより、空虚な時間を死ぬまで生きて欲しい」なんて言う。ゴメスは終身刑となって投獄されたらしいが、ある日エスポシトはテレビ画面にゴメスが登場するのを見る。で、上司の検事(判事?)を問い詰めると、「ゴメスは犯罪組織に関して情報をもたらしてくれる。悪人でも使い出がある」なんていうので怒り心頭。しかし、エスポシトとイレーネは、同じビルのエレベーターで、銃を見せびらかすゴメスと、遭遇する。なんて展開だよ。さらに、パブロが殺害される、という事件も発生するが、こちらのほうは特に調べられもしないのか、投げやりな扱い。 てなわけで、これは25年前の話。いまは退職したエスポシトがイレーネを訪ねると、彼女は検事(判事)になっていた。で、引退したエスポシトは、件の事件をもとに、小説を書こうとしているが、見てくれ、というのだよ。何で突然、小説? それも、どうしてこの事件で、なぜイレーネに読んでもらいたいか、はさっぱり分からない。というわけで、現在と25年前が交互に出てくる展開。イレーネは、この事件を思い出したくない、みたいな顔をするが、「手書きの原稿は読みにくい。これを使え」と古ぼけたタイプライターをエスポシトに与えるのだが。いまどきタイプライターかよ。なえる。 で、被害者の夫はどうしているのかと、エスポシトが訪ねる。ここで、真犯人は夫の銀行員、となるのだと思っていたら、大ハズレ。いまだに独身で1人暮らしの銀行員が告白する。ゴメスを殺した、と。が、エスポシトは銀行員が犯人の死刑を望まず、空虚な時間を望んでいたことを思い出す。銀行員の家を辞すフリをして待つと、銀行員は納屋のような所に入っていく。なんとそこには鉄格子があり、ゴメスが閉じ込められていた。エスポシトの姿を認めたゴメスは、「モラレス(銀行員)に、せめて話しかけるように言ってくれ」と漏らす。なるほど。口をきかないことで、空虚を作り出していたのか。 さて、最後にエスポシトがイレーネの事務所を訪れる。これから秘密の話が始まるらしいが、これは、どの程度の色事なのだろう? 判事補(刑事補?)として着任以来、エスポシトはイレーネに好意を持っていたようだけれど、告白できないでいたような気配が、過去のパートにはあった。エスポシトをけしかけるパブロもいた。しかし、あまりはっきりとは表現されていなかったのだよね。しかも、数年後にイレーネは誰かと婚約してしまうし。イレーネがエスポシトに好意を持っていたら、婚約なんてするか? なのに、25年後、亭主も子供もいるのに、エスポシトの好意に応えるようなことをするの? それはなんで? という疑問の方が先に立ってしまう。 というわけで、肝心のストーリーがいまひとつカチッとしていなくて、ずるずる。なので、途中から飽きてきてしまった。 唯一、驚いたのはスタジアムのシーン。空高くから見下ろす夜のスタジアム。どんどん低下し、ある席にカメラが降り立つ。と、そこにエスポシトはパブロ。2人がゴメスを発見し、追跡。ゴメスが2階から飛び降りると、カメラも一緒にふわりと地上に降り立ち、そのままスタジアム内に向かうゴメスを追う。倒れるゴメスの顔にカメラが回り込む・・・。というのを、ワンショットで撮っていた。最初はカイトプレーンでも使ってるのかと思ったけれど、スタジアムに降り立つに至って、どうやって撮ってるんだ? と疑問が膨らんでしまった。CG使ってるのかい? ●最後列の端に座ったのだが(4人席)、2つおいて隣の男が早々から携帯をチェックし出す。で、2度席を立って外に出て行き、もどってくる。で、3度目のチェックをしたとき「消せよ」と言ったのだが反応なく見ている。なので「消せよバカヤロー」といったのだが、こちらには反応なくまた席を立った。で、また戻ってきた。こいつのおかげで集中力が途切れた。さらに、3列ほど前の方から、カチャッ、カチャッ、という小さな金属音が・・・。これはサントラに入ってる音か? それとも客が出している音なのか。ノック式ボールペンを押しているみたいな、そんな感じ。これにもまいった。この二重攻撃で、前半はイライラのし通しだった。 |