きみがくれた未来 | 1/4 | 新宿武蔵野館3 | 監督/バー・スティアーズ | 脚本/クレイグ・ピアース、ルイス・コリック |
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原題は"Charlie St. Cloud"。主人公の名前、だな。 中高生のための青春映画に、ちょっと毛が生えた程度の作品。主人公を演ずるザック・エフロンはマネキン人形みたいな二枚目で魅力がない。ヒロインを演ずるアマンダ・クルーは馬面で、決して美人とはいえない。困難を乗り越えて幸せをつかむ、という話なので、ある意味ハーレクイン的ともいえる。ストーリーも、使われているトリックも、どこかで見たことのあるもの。役者も二流どころ。人物の掘り下げも足りないし、もっと描き込めばいいのに、と思うところも少なからず。なのだけれど、この映画にはそうしたデメリットを上回るものがあると思う。見ている間、観客を心地よくしてくれる作用だ。端的にいうと、話がよくできているのだ。 交通事故で弟を失ったチャーリー(ザック・エフロン)は、ヨットも大学進学もあきらめ、墓守になる。弟サムとの約束を守るためだ。サムはレッドソックスのファンで、夕方、港のサイレンが鳴った後、チャーリーはサムに野球を教えることを約束していた。チャーリーには、まだこの世をさまよう霊魂が見える。サムも霊魂となって森に現れ、チャーリーとのひとときを楽しんでいた。そして5年。変化の時がやってきた。・・・てな設定。ここまでの間に大量の人物が登場するのだけれど、それぞれ時間も短く、顔と名前を覚えるのがたいへんだった。 墓場で「父の墓には花が少ない」と文句をいう娘テス(アマンダ・クルー)が、あとから登場するヨット娘だとは、分からなかった。で、彼女は、冒頭で登場していたヨット娘と同一人物なのか?(解説を読んだらそうらしい) 本人は「高校の同級生」というが、チャーリーは言われて「教室の前の方で質問ばかりしてた!」と思い出す程度で、ヨットのライバルとは記憶していなかったのか? このあたり、アマンダ・クルーが平凡な顔で記憶に残らないこともあるけれど、整理して描くべきだよな。それと、墓場にいた中尉は、あれは、卒業式のときにいた同級生? 「グリーンが行ってるから」云々はよく分からなかったのだが、ひょっとして卒業式でサムをかついでいた同級生? と思ってIMDbを見たら、そうだった。あのあたり、もうちょい丁寧に描いてもよかったのにな、と思ったりした。 有名どころも登場する。事故ったチャーリーを救った救命士に、レイ・リオッタ。チャーリーの母親が、キム・ベイシンガー。いずれもゲスト扱いなのか出番は少ないけれど、この映画"手を抜いているわけではないぞ"というサインかな。まあ、いい。 で、チャーリーは毎日のサムとの交流があるから、仕事は辞められない。進学も、恋愛も封印している状態。母親は、ひとり転居してしまっている。父親の話題も、会話だけだけど、レッドソックスの3Aのテストを受けたけれど落ちて、以後、家族を棄ててしまった、という設定。それでサムはレッドソックスのファンなんだが、この辺りも、描き込めば厚みが出るだろうに。もったいない。このあたりのエピソードも、話の厚みをだすのに役立つのになあ。でも、基本青春モノだから、あえて簡略化しているんだろうなあ。 で、墓守の同僚の結婚記念日パーティにたまたま参加して、アマンダと2度目の遭遇(1度目は墓場)。それから、高校時代のヨットのライバルにも遭遇し、黒人の方をぶん殴っちゃうんだけど、殴るほどのことがあったのか? という疑問はある。ここも、もうちょい丁寧に描いて欲しかった。 で、その日の夜、チャーリーがたまたまテスのヨットをスケッチし、テスのヨットに招き入れられ、ヨットのキールの構造などで話が盛り上がるんだけど・・・。テスは単独世界一周の練習で、海に出る。で、チャーリーが仕事をしていると、なぜか墓場で寝込んでいるテスを発見。額にケガしているのは「練習航海で」というので手当てしてやり、夕食に誘い・・・。あわわわ。サムとの約束にちょっと遅れてしまう。さらに2人は惹かれ合って墓場で愛をかわすのであるが、翌日、チャーリーが町で、テスのヨットが行方不明、と知るのだ。おお。私はすっかり騙されてしまったよ。「シックス・センス」の手法か! くっそー。チャーリーは霊感が強く、さまよってる霊が見えるんだから、勘のいい人ならこの映画のトリック=からくりに早くから気付くんだろうけどなあ。くそう。だけど、からくりに気付いたとき「やられた!」という思いが強くて、それで、基本ダメだけど好感の持てる映画、になってしまったというわけだ。 でも、テスの霊魂が書いたメモが消えずに残っていたりすることから、テスはまだ死んでいない、と確信してチャーリーは単身捜索に出る。まあ、この辺りになると、もう予定調和だから安心して見ていられるのだけれど、何日も岩礁の上にいたはずのテスは救い出されてハッピーエンド。テスはチャーリーとの愛の交換については記憶にないが、「あなたが怖い」などというところが、なかなか憎いセリフだね。 というわけで、もうちょい丁寧に肉付けしていったら、いい感じの映画になったと思うんだが。とはいっても、NHKが祭日の昼下がりに放映する程度の、ちょっといい話の小品であることには違いはないんだけど。 それはさておき、エンドロールに電通が提携しているようなことが書いてあったが、電通は海外の映画製作にも手を出しているのか? | ||||
バーレスク | 1/6 | 新宿ミラノ1 | 監督/スティーヴ・アンティン | 脚本/スティーヴ・アンティン |
原題も"Burlesque"。Wikiによると「性的な笑い(艶笑、軽い下ネタの類い)のコントや、ヌードに至らない女性のお色気を強調した踊りを含めたショー」のことらしい。で、話は単純。アイオワの田舎娘アリがショービズに憧れLAに単身やってくる。でも簡単にステージには上がれない。やっともぐり込んだのは、クラブ・バーレスク。でもウェイトレスとして・・・。でも、オーディションに勝手に参加して、その他大勢に採用される! さらに、スター女優ニッキが遅刻魔で、代役が回ってくる。それを妬んだニッキが、調整室に行ってPAコードを抜いてしまう。基本、口パクなので音が出なくなる・・・と、そこでアリは生声で歌って見せ、女主人テスに認められる。けれど、天狗になったアリは店を買い上げようとしている客・マーカスとつきあうようになる・・・。てな具合で、「コヨーテ・アグリー」その他のサクセス物と変わらない。ま、後半も押し詰まって、マーカスに反旗を翻すあたりに、もうひとつの快感の山を持ってきてはいるけれど、基本は変わらない。 サクセスストーリーなので、見ていてつまらないはずがない。けれど、アリを演じているクリスティーナ・アギレラに魅力がないのが辛い。テレビドラマの中途半端な美人レベルなのだ。なんでこんな安っぽい役者を選んだのかね。でも、ステージのシーンは、かなり引きつけられる。クリスティーナ・アギレラ自身が歌っているのかどうか知らないけれど、迫力のある歌唱力はなかなか。最後のショーなど、低音がびんびん画面から響いてきて、とても臨場感があった。1920年代風の曲やサーカスっぽいのや、いろいろバラエティに富んだ曲が聴けたのも楽しかった。 借金を返さないと、店を取り上げられる! というピンチを救ったのが、アリのひらめき。マーカスが、自身の高層マンションからの眺望を確保するため、視界に入るモールを自分のものにして、高い建物を建てられなくしている=空中権というのがヒントになっている。バーレスクの近くに高層マンションが建設中で、そこの謳い文句が「眺望」。でも、バーレスクの跡地に高層ビルが建ったら、その謳い文句がなくなってしまう。なので、建設中のマンションのオーナー(?)から借金(?)してきて、バーレスクの危機を救った、という次第。この部分が、一番気が利いていたところかな。 アリがテスに認められるのは、その声(アギレラ本人の声らしい)。でも、このシーン、予告編で見せちゃってるのだよね。だから、「おお」という意外性がない。それに、冒頭、田舎を出る前にもひと節歌っちゃってるし。あれは、もったいないとと思う。 アリはバーレスクのバーテンの家に居候することになるのだけれど、バーテンには婚約者がいて、ニューヨークにいる。毎日、電話で話すほどの中だ。それにしても、男女のルームシェアって、ありなのか? 映画では、婚約者に「ブスな女を住まわせている」と正直に女性を住まわせていることを告白しているのだが、そういうのもフツーなんだろうか? ちょい疑問。 で、ちょっとしたすれ違いで、バーテンはNYの彼女と決裂した、と思い込み、アリと関係を結ぶ。と、そこにNYから彼女が舞い戻ってきて痴話喧嘩・・・。って、こういうパターン、アメリカ映画には少なくないよな。日本ではあり得ない展開だ。 アリがマーカスに惹かれ出す過程が、ううむ。高い靴を送られたり、著名人の集まるパーティに連れていかれてそうなるのだけれど、あまりにも軽薄。だって、バーテンの方に気があるのだろう、と思っていたしね。で、それが、特別な理由もないのに、さっさとマーカスと別れ(って、寝たとは描いてなかったけど)てしまう。で、空中権のお返しだ。この一連の流れが、話のための話みたいで、いまいつ説得力がなかった。 しかし、田舎娘が都会で大成功、というのも、「アメリカンアイドル」なんかの番組のおかげで、いまじゃ「あり得るかも」という現実的なものになっている。おとぎ話ではあるのだけれど、まったくの夢物語ではないところが、リアリティにを加えているような気もする。 ところで、アリが楽屋の鏡の前に貼り付けていたのは、デートリッヒの写真だよね、舞台でも椅子を使った踊りを披露してたし・・・。それと、最初にバーテンに会ったときは「ゲイ?」とといったり、楽屋でニッキに「男だとは思わなかった」なんていったのは、どういう理由なのだ? よく分からなかった。 | ||||
相棒 - 劇場版II - 警視庁占拠!特命係の一番長い夜 | 1/6 | 上野東急 | 監督/和泉聖治 | 脚本/輿水泰弘、戸田山雅司 |
テレビの「相棒」は見たことがない。映画も初めて。どーも「傷だらけの天使」以外の水谷豊は違和感があって、ほとんど見ていないのだ。この映画の前知識は、警察幹部が悪に染まっている、というような話であるらしいことだけ。さて、アメリカ映画によくあるように、麻薬汚染とか収賄とか、そんな話かな? と思っていたのだが、ちょっと違っていた。 冒頭は、中国船みたいのを警官が襲い、爆破が起こるエピソード。この爆破がちゃっちい。実際に爆破もしているようだけど、火事に見える。で、次に八重樫(小澤征悦)が警視庁の朝日奈(小西真奈美)を訪ね、食堂かどっかで拳銃をチラ見させ、エレベーターで上がっていく(下っていく?)シーン。そこに神戸(及川光博)が乗り合わせ、朝日奈を救出。八重樫は幹部会議の行なわれている会議室に単身乗り込み、警視総監、副総監、部長らをホールドアップさせる。・・・というところで、萎えた。 こんなに簡単に一般人が警視庁内部に入り込み、エレベーターで会議室に入り込めちゃうの? あり得ないだろ。あまりにチャチい脚本に、あんぐり。で、会議室への突入と、会議室内でのもみ合いが一気に発生し、八重樫が撃たれて死ぬ。誰が撃ったか、その目的は? というのが大きな流れなのだが、その後の展開が杉下右京(水谷豊)のひとり舞台でどんどん進み、他の警官は何もしていないように描かれる。あほらしい。 杉下と神戸は7年前の事件に簡単にたどりつく。八重樫の部屋からは中国人・曹良明の写真が発見され、その素性も横浜中華街に行って曹良明を知る人物と遭遇。朝日奈がかつて公安にいて中国人マフィアを騙る反米テロ組織を壊滅させるグループにいたことを知ると、あとはレールの上をつっぱしるように一気呵成に真相へまっしぐら。意外な事実もなく、解明となる。あほか。 テロ不安がなくなってきて、公安組織の存続に不安を抱いた副総監と2人の部長が黒幕。単なる中国人マフィアをテロ組織、と部下に思い込ませるため、黒幕は曹良明をマフィアにもぐり込ませた。で、冒頭の中国船。朝日奈を含む公安がテロ組織壊滅のため船内に突入しよう、としていたところに、マフィアを追ってやってきた八重樫が闖入。で、あれこれあって朝日奈の同僚で婚約者が爆死するのだけれど、その恨みを晴らすぞ、と朝日奈は思いつづけていて、そこに朝日奈の同期の八重樫が手助けに入って復讐せんとしていた、というのが真相。でも、話がちゃちい。 潜入させた曹良明が爆破で意識不明のまま生き残ったことに不安を抱いた黒幕たちは・・・という話が前提になっているが、警察病院に入っているのだから、ちょちょいで抹殺すればいいではないか。また、その曹良明の身柄を八重樫と朝日奈が、指令書を偽造して退院させたことになっているけれど、そんなことできるのか? っていうか、その事実に黒幕たちはずっと気がつかなかったのか? 八重樫は曹良明を染料の廃工場で活かしつづけていたようだけれど、医師や看護婦もいなくてそんなことができるのかい? で、曹良明は数日前に死去していて死体がドライアイス保存されていたが、それはなんのため? また、杉下たちを黒幕の手下(こいつらは誰なのだ? 罪にならないのかい?)が奪っていくのだが、曹良明の死体にどんな価値があるの? そもそも、朝日奈は八重樫を本名で警視庁内部に招き入れている。それは、覚悟の上だったからなのかね。それにしては、八重樫が会議室占拠している間、朝日奈は何をしていたの? 杉下が会いに行ったら、平気で雑務をこなしていたけど。八重樫のことは気にならなかったのかい? 警察庁の動きが、よく分からん。官房の小野田(岸辺一徳)が警視庁会議室に盗聴器を仕込んでいたのだけれど、なんともチャチい設置で笑える。で、警視庁幹部の意見を聞いて、どういうブラフをかけようとしていたのだろう。人事を刷新、とは、どういう目的で行おうとしていたのだ? 説明はなかった。警視庁と警察庁が対立する理由は、なんなのだ? 小野田は、黒幕の存在を盗聴で知るが、暴こうとはしない。なあなあで行こうとする。まあ、意図は分からないでもない。しかし、警視庁のノンキャリア部長・三宅(石倉三郎)を免職にする理由は何なの? だって最後に三宅が小野田を刺殺するという、あんぐり、の展開なのだから、そこはちゃんとしてもらわないとなあ。 それから、録音が証拠能力がない、というのは一般的にも常識なのではないの? 杉下らの黒幕追求の壁としてもちだすには、低レベルだと思うぞ。それと、盗聴情報をSDカード(?)で持ち歩くというのもなあ・・・。あんなデータ、コピーしてWebにアップも簡単にできるだろうに。なんか、いまだにメディアを見せる、というところに古さを感じてしまう。 それと、モールス信号が釣り仲間である黒幕ら3人にしか分からない、なんてことはないと思うぞ。なんか、トリックが場当たり的だ。朝日奈が副総監に銃口を向けるのは警視庁の1階のフロアなのに、誰も気がつかないなんて・・・。というような訳で、話が杜撰すぎてぜーんぜん入り込めなかった。そういえば、神戸(及川)は何もしないのだね。どこが「相棒」なんだ? 職人和泉聖治が監督だが、画質がかなり汚い。八重樫の隠れ家で曹良明を発見する場面は、ぼけぼけ。色褪せたみたい。意図的にザラつかせているというより、現像(してるかどうか知らないが)を失敗したみたいな汚さだ。画調も場面ごとに変化して安定しないし、ピンもときどき合っていない。ひどい仕上がりだと思う。あ、あと、岸辺一徳の棒読みセリフは、なんなんだ? | ||||
SPACE BATTLESHIP ヤマト | 1/8 | MOVIX亀有シアター8 | 監督/山崎貴 | 脚本/佐藤嗣麻子 |
「ヤマト」には興味がなかったのでアニメは見ていない。それでもアバウトな情報は入ってくるので、イスカンダルという言葉ぐらいは知っていた。歌の歌詞にもあるしね。で、いまさらの「ヤマト」が山崎貴で実写化である。さぞや現代風になっているだろうと思いきや、70年代の臭いが満載だった。スーツも古臭い。乗組員が社長椅子に座ってガチャガチャとメカをいじったり、行為を復唱するスタイルも昔風。モニタ画面や、その他、電子機器も当時のまま。機関室が、もろメカ的なのにもあんぐり。「スタートレック」があれだけ洗練されてリメイクされているのに対して、この「ヤマト」は郷愁を呼び覚ますべくつくられたのかもね。SFのAlways化・・・。 CGもイマイチかな。「スターウォーズ」シリーズにも達してないかも。テクニックではなく、見せ方が。陰影=コントラストがあまりなく、平板。これは艦内のセットもそうで、奥行きがなく、しかも照明が廻りすぎていて、質感も乏しい。 ガミラスの母船やビークルも、魅力がない。ヤマトの本船は立派だけど、そもそも、2194年に戦艦ヤマトを模した宇宙船をつくる意味が分からん。それは、昔からそうだった。なんか、妙な思い入れでつくられている物語だなあ、と。だから当時のアニメも見なかったのかも。 それでも、全編を通してみると、地球の危機を救うため、負けを覚悟の戦に船出した戦艦大和になぞらえているのだな、というのは分かった。分かったけど、大和はほとんど何もできずに沈没しちゃったんだぞ。そんな戦艦の名前をつけていいのか? という疑問は残るけどね。 あと、最初の方のエピソード。兄を見殺しにした沖田船長を非難した古代進が、いざ自分が船長代理になると非情な決断を下さねばならなくなる、あたりは分かりやすくてなるほど。でも、40歳近くにならんと、そのぐらいのことが分からないのかい? というツッコミも入れたくなるのだった。古代をキムタクではなく、20代半ばの役者がやってたら、また違った印象を受けただろうけど。 地球をでてからあっという間にイスカンダルに到着したのは、呆気なかった。まあ、長大な話を138分に収めたんだからしょうがないけど。敵であるガミラスが何なのか、分かりにくかったのも辛い。ガミラスとイスカンダルは、裏表・・・。 ん? 善悪は裏表? で、イスカンダルの方の集合体が森雪の体を借りて言うには「放射能除去装置はない。でも、私自身が同じ効果を・・・云々」ってことは、そういう装置はないはずだよなあ。では、地球に持ってきた放射能除去装置は、なんなのだ? それと、「この辺りを地球と同じ大気にした」と言っていたけど、では、他のエリアには空気はないのだろ? じゃ、どうやって古代と森雪はヤマトまで戻ったんだ? そうそう。星について、うじゃうじゃやってくるガミラス星人(?)を相手に、赤いロボットが大活躍ではないか。あのロボットを10台ぐらい連れてくれば、楽に戦えたんじゃないのかい? とか、思っちゃうよなあ。それから、古代が森雪にいきなりキスするから笑っちゃったよ。なにも伏線がないだろ。っていうか、この映画、伏線なんてほとんどなかったけどね。ま、荒筋を追うだけで精一杯だったんだろうと思うけど。 終始、眠くて辛かった。中盤で寝そうになつたんだけど、キスシーンで少し目が覚めたよ。しかし、艦内で情事って、ありなの? | ||||
キック・アス | 1/11 | シネセゾン渋谷 | 監督/マシュー・ヴォーン | 脚本/ジェーン・ゴールドマン、マシュー・ヴォーン |
原題も"Kick-Ass"。「ホット・ファズ」「ハングオーバー」なんかと同様に日本公開が未定だったのを、町山智浩らの力で公開された作品。去年末に始まるや大入りで公開劇場数も増加している。大手配給会社に見る目がないことが、またしても証明された? 2月27日で閉館が決定したシネセゾン渋谷での鑑賞である。 おもしろいと評判だったので期待していたのだが、最初のうちは地味に推移する。これがジワジワと面白みが増してきて、後半になったらあっという間。ちゃんとクライマックスが一番面白くなるようにつくっている。防弾チョッキで死んでないんだから、いつくるんだヒット・ガール! あの、ガトリング銃はいつでてくるんだ! とやきもきさせ、ともに登場したときは拍手を送りたくなった。やっぱ、ヒーローは空を飛ばなくちゃなあ。見終わったときが「サイコー」という気分になる。 予告編はAppleのサイトでずいぶん前に見ている。だから、子供がヒーローの格好をして悪に向かうが・・・というおおよそのことは知っていた。あと、先だってのテレビでの紹介で、少女がマジで人を殺すのは・・・という理由で辛い評価の女性評論家の話がちょっとだけ耳に入ってしまった。その程度。 高校生のデイブは非モテ、でオタク。でも、アメコミの影響でヒーロー願望が強く、「なぜスーパースーツを着用したヒーローが現実にいないのか?」と悩んでいる。正義感が強いのだね。で、通販でお気に入りのスーツを買って町へ繰り出したら、チンピラ2人組が車上荒らし中。忠告したら逆に刺され、車にはねられ、体中に金属を埋め込まれる始末。でもそのせいで打たれ強くなり、デイブは再び夜の町へ。今度は3人組に追われている男に遭遇し、「これだ」と助太刀に入り、ボコボコにされつつ戦っていたら、その様子がYoutubeにアップされ、いちやくキック・アスとして有名人になってしまう! 実は、それ以降、デイブはヒーローらしいことをほとんどしていない。それでも話ががんがん盛り上がるのは、もう1組のコスチューム・ヒーローが登場するからだ。元警官のビッグ・ダディ(ニコラス・ケイジ、出てたんだ! 知らなかったよ)と娘のヒット・ガール(クロエ・グレース・モレッツ)。2人がヒーローになっていった過程が立体的なアメコミで表現されるのが、カッコイイ。 本当に強い親子のヒーローと、思い込みのなりきりヒーローが手を組んで、ねらうはギャングのボス・ダミコ。現実とファンタジーのハザマに揺れるデイブの活躍やいかに? ダメ男デイブのヒーロー願望は、現実はそう甘くない、という教訓話。もう一方の親子の方は、そんなデイブの妄想の世界に飛び込んできたおとぎ話。現実とおとぎ話が、ひとつの物ストーリーとして絡み合って進んでいく不思議な感覚がある。妄想男が、コミックブックの世界に入り込んでしまった、ってな感じかな。でも、この映画で描かれるヒーローは突拍子もないもの。筋肉モリモリ、鍛え上げられた肉体のヒーローではなく、11歳ぐらいの、まだ胸も真っ平らな少女が蹴りは入れる拳銃はぶっ放すナイフで切り裂く。子供が主演でこんな描写、いいの? という向きもあるだろうけど、話自体は子供向けのレベルなんだよな。ジュブナイルも、味付けひとつで、大人も楽しめる映画になる、ってことだな。それにしても、ヒット・ガールは超カッコよくて可愛い。ちょっとタレ目で口が歪んでて、ちびっちゃくて。コスチューム姿もいいけど、制服姿もいい。ロリはたまらんね、きっと。 ウエブでオナニーのデイブは、オッパイサイトなら何でもOK。アフリカ原住民の垂れたオッパイでも軽く抜けてしまう。でも、学校では存在感がなく、女子からは燃えない存在になっている。それが、事故ったとたん、女子からアプローチされる! どうも、救急隊員にコスチュームのことを黙っててくれ、といったせいで、裸で発見された、というふうにつたわったらしい。オヤジも「やられたのか?」と訊くし、同級生の女子も「ゲイの友だちが欲しかったの」なんていう。この、女子のゲイに対する関心の高さって、なんなの? デイブとビッグ・ダディがダミコの手下につかまり、ボコボコにされるシーンがネット中継される。それを見ていたデイブの数少ない友だちが、知り合い程度の女子に抱きつかれる。「ラッキー」てな表情になるのが笑える。 ダミコの屋敷へ乗り込むとき(だっけ?)には「夕陽のガンマン」のテーマ。「スカーフェイス」のセリフが引用されたり、映画ファンにはたまらん小ネタがたくさん埋め込まれている。 で、ちょっとした疑問をいくつか。あの緑色のコスチュームは通販で買った既製品だろ? 業者に注文が殺到した、のでは? デイブが女生徒に「自分がキック・アスだ」と告白して、彼女の家に泊まるのだが「あのときみたいなお泊まりじゃなくて?」というってことは、ゲイとして一泊し、悶々と過ごしたことがある、ってことだよな。最後、ダミコの屋敷に乗り込んだヒット・ガール。監視カメラにサインを送るんだけど、カメラの映像をデイブが見ているのだよね。じゃああれは、ビッグ・ダディが仕掛けた監視カメラなのか? それとも、ダミコ邸の監視カメラを盗視していたのか? 後者なら、ダミコ邸の部下が気付いても不思議はないはずなんだが・・・。それから、ダミコから賄賂をもらっていた悪徳警官は、そのままなのか? どっかで始末されていたっけ? デイブの彼女になる同級生は、カウンターの中で何をしてるんだ?(あとでいくつか感想を読んだり聞いたりして、ヤク中のためのボランティアをしていた、と分かった。でも、説明がないと分からんよな、あれじゃ) それから、ラストシーンで、デイブは1人になっちゃってるけど、彼女に振られたのか? ううむ。 | ||||
アイスバーグ! | 1/12 | ギンレイホール | 監督/ドミニク・アベル、フィオナ・ゴードン、ブルーノ・ロミ | 脚本/ドミニク・アベル、フィオナ・ゴードン、ブルーノ・ロミ |
原題も"L'iceberg"。氷山、という意味。どこの国の映画なのだ? フランスか? 帰って調べたらベルギーだった。映画、つくってるのか・・・。製作年は2005年。公開は今年7月。なんでいまごろ・・・。 つまらなかった。イヌイットが登場し、どうやって亭主と出会ったか、話をするという。で、所変わってファストフード店。パートのオバサンが誤って冷凍庫でひと晩過ごす。家に戻ると、家族は誰も自分に関心を抱かない。しかも、氷や冷凍に偏愛の心が生まれ、突然の家出。港町にやってきて、聾唖のヨット乗りに出会う。毎日が海・・・。夫が探してやってくるが「戻らない」と宣言。が、海を漂う3人をイヌイットの女が助ける、という話。 なのだけど、セリフはほとんどない。パントマイムみたいな感じ。画面構成や色づかい(赤と白、緑と青とか)に造形的センスが感じられるけれど、たんにそれはビジュアル面でのこと。物語の深さには何の関係もない。コメディ映画らしいが笑えるところはなく、かといって上品でも知的でもない。だから、なに? という感じ。なんとか寝なかったけど、つらかった。 | ||||
ミレニアム2 火と戯れる女 | 1/12 | ギンレイホール | 監督/ダニエル・アルフレッドソン | 脚本/ヨナス・フリュクベリ |
1作目を見たのはいつだっけ。去年? あ、去年の2月か。なんか、どっかの離れ島での事件を解決したんだっけ。で、前作の感想文を読んでみると、面白かったけど人物が多数登場して分からん! と書いていた。今回も同じく、で、そういう声に応えたのか、人物が登場すると名前と肩書きが字幕で出る! なんか、画面がテレビみたい。それに見終わって思ったのは、3部連続、または連夜でテレビで見るのがいいんじゃないのかな、ということだった。録画なら人間関係やセリフも戻って確認できるしね。というわけで、名前を追うのは大変だったよ。だって、同じ人物を氏で呼んだり名で呼んだり、ってこともしばしばだったし、ミカエルとミリアム、ザラとサランデル、みたいに一瞬迷うような似た名前もあるし。やれやれではあった。 で、今回は、少女売春事件を取材中の「ミレニアム」誌。事件を追っているダグを迎え、その彼女の研究データも利用して発行するはずだったが、2人が消される。同時期にリスベットの後見人・ビュルマンも殺される。容疑はリスベットにかかり、指名手配となる。というところで、逃げ回りながら真相を追求するリスベット、ジャーナリストの視点から真相に迫るミカエル、という2つの軸で進行する。 CGを使わずじっくり見せていく手法は、説得力がある。カーアクションも火事も、マジで見せられると、なかなかの迫力。合成してるんだろ、とか、カット割りで誤魔化してんだろ、というのがないからね。 今回は、人から人へと聞き歩き、少しずつ事実が見えてくるスタイルで、少女売春の黒幕はだれか? 関わっていたり客だったりした警官や官僚はだれ? という興味で進んでいく。のだけれど、途中からなんか様子が変になっていく。たとえば客だった警官のところにミカエルが行って売春婦の写真を見せる下りで、タイ人だのの東南アジア系の女性、しかも、20歳を過ぎているような女の写真を見せる。「あれ? 少女売春がモチーフだったんじゃないの? 少女売春はまずいけれど、フツーの売春ならとくにどーってことないのではないの? という意識になってしまって、男たちを断罪しなくてはならないというテンションが、こっちになかなかつたわらなくなってしまった。 で、黒幕は元ロシアのスパイで・・・と追っていくと、どうもそいつはリスベットの父親サラだったことがわかる。また、金髪の大男(無痛病の男)は、リスベットの異母兄であることも・・・。で、話は、ビュルマンがリスベットの抹殺をサラに依頼した、みたいな展開になって。おやおや。親子の確執はここまで、と思わせてくれる。のはいいんだけど、少女売春には触れず、エンドロールが流れてきてします。おいおい。ラストはリスベットの私怨でオシマイかよ。少女売春はどこいった! と、ちょっとムッとした。これはあれかい、第3部におあずけなのか? ううむ、よくわからん。 それと、リスベットの父親が登場してからなんだけど、この父親はそんなに悪い男なの? と思ってしまった。ロシアから亡命してスウェーデンで妻を迎え、リスベットが生まれた。で、そのうち出て行ってしまい、たまにくると暴力で妻を犯すようなことに的なことが言われていたけれど、この背景が分からないでは妻にもリスベットにも同情しにくい。リスベットが、父親を火だるまにするほど、悪だったの? なんか、ここんとこ、もっと悪玉!! にしないと、共感しにくいなあ。 というわけで、2/3ぐらいの流れは面白く見たんだけど、リスベットが動き出し、私書箱を監視して父親のところへ行く辺りから、ううむ、な感じになってしまった。あの私書箱は、どうして分かったんだっけ? で、郵便物を取りに来た男は、ありゃ何者だったのだ? すべては、次の3部で明かすのかな? ううむ。 | ||||
デザート・フラワー | 1/14 | 新宿武蔵野館1 | 監督/シェリー・ホーマン | 脚本/シェリー・ホーマン |
原題は"Desert Flower"。主人公の名、ワリス・ディリーに「砂漠の花」の意味があるとか。独/奥/仏の合作映画。実話に基づく映画らしい。 ソマリアの砂漠地帯からイギリスにやってきたワリス・ディリー。民族衣装のまま町をうろつき、トイレにこもってしまう。そこで知り合ったダンサー志望の娘の宿にやっかいになり、ファストフード店でバイト。そこで有名カメラマンに目を付けられ名刺をもらうが、ほったらかし。・・・という流れなんだけど、ワリスがなぜ、どうやってソマリアからイギリスにやってきたのか説明がなく、いらいら。ていうところで、幼い日の記憶がインサートされ、次第に分かってくる仕掛け。でも、リズムはよくない。 で、現在のパートから分かるのは、クリトリス切除されて縫合され、尿道がマッチの軸ぐらいしかない、ということ。未開の地からトップモデルへのサクセス・ストーリーかと思っていたのに、文化の悲劇が押し出されてくる。けれど、主にサクセス・ストーリーと絡むのは不法滞在の話の方。野蛮な習慣はエピソードなんだろうな、と思っていたら、なんとこれが最後にはメインのお話になってしまっているという、妙な流れ。なんか、サクセス・ストーリーとクリトリス切除がとってつけたようになってしまって、居心地が悪い。 そもそも、ワリスが故国を捨てたのは、押しつけ結婚から逃げるため。金をもらってジジイの第4夫人にさせられるところを、トンズラ。トラック運転手に暴行されそうになったりしつつ、町に住んでいるオバサンのところへ。で、そのまた叔母かなにかが駐英大使館で働いているからと、簡単に渡英してしまう。この辺り、都合よく話が進みすぎて、ううむ、なんだけど。で、ソマリアでクーデターが起きて、大使館員はみな帰国することになったのだけれど、ワリスは拒否。それで冒頭の民族衣装でうろうろ、につながる。けど、大使館のメイドを何年もしていながら洋服も持たず英語もしゃべらず、まして、街にも出たことがない様子。ううむ。そんなことあるの? で、モデルになったら一躍人気者。ところが、手続の関係から不法滞在者扱いになり、宿の連中が知恵を絞って対策を練ったが、失敗。空港で逮捕されてしまう。そこは何とかエージェントが金で解決したようだが、永久滞在のために宿の雑用係と偽装結婚。この雑用係がその気になりかけたところで許可が下りて晴れて離婚してモデル業に専念。 で、何年かしてから雑誌にソマリアの野蛮な習慣を告白し、国連でも演説。・・・という話。なんか、全体にぎくしゃく。でも、こういう社会問題みたいな話は、インテリどもにはウケがいいんだろうな。 個人的には、個々の民族が長年培ってきた風俗習慣を、近代的自由主義の立場から非難したり抑制したりするのは、どうかと思う。長年つづいてきたのは、その土地、その民族に、なにがしかの利点もあるからではないかと思うからだ。日本人だって江戸時代まではお歯黒やちょんまげがあった。アイヌは刺青。他にも妙な風俗習慣は世界に限りなくある。それを止めるのは、その民族の独自の判断によるのがいちばんいい。強制や威圧は、よい結果を生まないだろうと思う。だから放っておけ、というのではない。その風俗習慣が「悪」であることを自覚できるような「個」を育み養うことだ。で、その個が民族内・国内に呼びかけるのはよしとしても、世界に向けて叫び、助力を求めるのはどうなんだろ。やはり、大国の力を借りて反対派を一掃する、というかたちになっちゃうんだろうな。 しかし、この映画では文明の力もあまり役立たない、といっている。婦人科に勤めるソマリア人男性が通訳に借り出されると、英国人には分からないだろうからと、ワリスを非難するのだから。まあ、これには宗教的なものも影響しているのだろうけれど、それを解き放つにはまだまだ時間がかかるんだろうな。気の毒ではあるけれど、ヨーロッパ軍が女性たちを解放、てな訳にはいかないだろう。もちろん、この映画を見て先進諸国の人々が事実を知っても、ほとんど力にはならないと思う。この世には、文明や近代化をこばむ人々がたくさんいるのだ、ということが分かるだけだ。 なことを考えながら見ていたので、ワリス自身が言葉を発しない展開が、いらいらさせた。単なるトラウマとして抱え込んでいないで、おまえが立ち上がれ。お前がしゃべればいいんだよ、と。そうしたら、ようやっと最後に雑誌のインタビューにそのことを話、国連演説となった。そうそう。それでいいんだよ、とは思ったけれど、同国人の女性たちへの啓蒙がもっと必要だよな。世界に向けでしゃべっても、効果は薄い。で、いずれこういうエンディングを予定していたなら、サクセス・ストーリーより、こっちの問題を次第に前に押し出すような展開にすべきだったよな。たった1度、クラブで会話した黒人青年をわざわざニューヨークまで訪ねたりするエピソードは要らんよ。 それと、みんなの善意にささえられて、という訳でもないのが残念。とくに、雑用係の男など、いいやつだと思うんだけど、あんな扱いされて可哀想。エージェントのオバサンも、人間味なく描かれている。そんな中で、さすがはカメラマン役のティモシー・スポールがいい味をだしてる。 しかし、ソマリアからでてきて20年目の告白。ってことは、冒頭のホームレス生活は何年前でいくつの時なのだ? あの、ダンサー志望の娘は、仕事はなにをするようになったのだ? とかね。時間の経過がよく描かれていないのが残念。それと、場所の移動も、分かりにくい。ロンドンの川の畔でクラブであった男のことを思い、次のシーンはニューヨークの彼のアパートって、そりゃあんまりだ。 あとは・・・。ソマリア事情がよく分からないので、その点は理解不足があると思う。それと、映画が終わり、字幕の担当者の名前が消えても、画面が黒いまま音楽が数分つづいていた。のだけれど、その黒い画面に大きく「OI」と薄く見えていたのは、ありゃ何なのだ? 意味があったのかな。 | ||||
ウッドストックがやってくる! | 1/17 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2 | 監督/アン・リー | 脚本/ジェームズ・シェイマス |
原題は"Taking Woodstock"。コンサート開催の裏側を描く映画で、視点はいい。とくに、前半は秀逸で、うらぶれた寒村が喧噪に染まっていく過程がよく描けている。まてよ。ウッドストックって、どこにあるだっけ? Wikiで見たら「30組以上のロックグループが出演し、入場者は40万人以上」「アルスター郡ウッドストックにおけるアート・ムーブメントに関連して名付けられたが(…略…)周辺住民の反対運動のため適当な開催地が決まらず、近郊のサリバン郡ベセルの個人農場主マックス・ヤスガ所有の農場が会場となった。当初、主催者側は、1万人から2万人程度の入場者を見込んでいたが、事前に18万6000枚のチケットが売れ、当日入場者は20万人を超えると予想された。実際はそれをはるかに上回る40万人以上が参加し、半数以上が入場料金を払わなかったため、事実上無料イベントの様相を呈した」なんだそーな。ふーん。ニューヨークからも150kmぐらいの距離にあるのだね。 で、ウッドストックの住民が反対したので、ベセルの商工会の会長エリオットがほぼ独断で誘致を決めてしまった、とエリオットは売れない画家で、夏の間だけ故郷に帰ってるみたいな感じ。要は、村おこしの一環だった、と。電話一本で主催者がヘリでやってきて、話はトントン拍子。でも、ヒッピームーブメントに反対の人も多く、エリオットは白い目で見られたりも・・・。でも、もう止まらない。エリオットのモーテルはまるごと関係者の宿泊施設に借り上げられ、他のモーテルも満員札止め。ここを機会に大儲けの連中もやってくる。・・・という流れは、みていてわくわく、そわそわしてしまう。 しかし、会場の地主も最初5000ドルといったのに、すぐに手のひらを返すように75000ドルを要求したり。欲の皮のつっぱり具合が見ていて面白い。面白いのがエリオットの両親で、とくに母親が秀逸。ロシア系ユダヤ人で、歩いてアメリカにやってきた、が自慢。ケチ臭くて口うるさくて強情っ張り。信じられるのは、金だけ。亭主はその尻に敷かれっぱなし。借金のためにモーテルを手放さなくちゃならない、っていう両親にエリオットは経済的にも肉体的にも貢献するけれど、母親は「そんなの当たり前」ぐらいにしか思っていない。いや、実は1000万円近いへそくりがあって、それを借金の返済にも充てず、息子に金を出させていた、というぐらいの凄いババアである。いいキャラだったなあ。この2人がクスリ(なにをやったんだろ?)で決めてハイになっているところは愉快だったけど。 スタッフ達は、行き当たりばったりではなく、ちゃんと考えていたんだな、ということも分かった。交通、トイレ、救急班など・・・。でも、予想を上回る客がやってきてしまった、と。 コンサートが始まったことを、エリオットは遠くで音楽が鳴っているのを聞いて知る。これは、いい。ウッドストックだからといって、音楽シーンを期待する向きは勘違いもはなはだしい。この映画は、バックヤードの話なんだから。 で、エリオットは皆に勧められて会場に向かうのだけれど、途中でヒッピーにLSDを勧められ、トリップしてしまう。このシーンは、要らないと思う。その後、家に戻ってからのあれこれ、たとえばオカマの用心棒(リーヴ・シュレイバー)も、ほとんど機能していない。ステージづくりの大工(エリオットとキスする男)の話も、何をいいたいの? てな感じ。そういや、昔の友だちと電話で話していて、エリオットはゲイ? と思っていたのだけれど、どうなってるのかな? でも、後半の人物、エピソードはみな消化不良。 そんなことより、地主は最終的にいくらもらったのか? コンサート反対でエリオットを無視していた食堂の連中は、最後まで反対だったのか? それとも余録に預かったのか? ベトナム帰りの友人の変人ぶりは、何が原因だったのだ? そして彼は、どこに向かうのだ? 大金をせしめたエリオットの両親は、モーテルをどうしたのだろう? とか、下世話なことをもっと追求して欲しかった。 それと、おそらくあったであろういくつかのトラブル、内紛などにも触れて欲しいと思った。たんに「あの頃はよかった」とか、警察官も温かい目で見るようになったとか、そういう上っ面ではないアプローチが欲しいと思った。でないと、いま、ウッドストックを描く意味はないように思う。 | ||||
ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 | 1/17 | ギンレイホール | 監督/ダニエル・アルフレッドソン | 脚本/ウルフ・リューベリ |
原題は"Luftslottet som spr?ngdes"。で、見はじめて5分ぐらいで眠くなって沈没。30分ぐらいして起きたら、ザラがニーダーマンに殺されていた・・・! あらら。なんで息子が親を殺すのだ? ちゃんと説明はあったのかな?(←これは勘違いだった。2度目を見たら昔の公安仲間に殺されたのだった) 「ウッドストックがやってくる」を見て、たらたら歩いて青学前の丸亀製麺でうどんを食らい、千駄ヶ谷まで歩いてそこから飯田橋、だったので睡魔が優っていたのだ。渋谷で食事して山手線半周少しウトウトならよかったんだが・・・。 で、パート3は面白くなかった。リスベットは病室から独房、最後は被告席と、ほとんど動かない。あとの部分も悪人どもの工作や細かな人間関係のあれこれを見せるだけ。ダイナミックな動きがないので、昼寝してても、また寝たかも。 で、5日前にパート2見てるのに、もう警察や検察、悪人連中、バイク野郎なんかの顔が分からなくなってたりする私・・・。しかし、似たようなオバサン、オジサンが大量に登場しすぎで、相変わらず「こいつ、誰だっけ?」状態がつづくのが困ったものである。 で、最後までよく分からなかったのが、元公安警察連中がつくった実体のない組織の悪だくみなんだよなあ。あの連中が守りたかった悪行は、何なのだ? 少女ポルノおよび未成年売春? その漏洩を防ぐため、あんなに人を殺したりしているわけか? ううむ、いまいち納得がいかない。 ザラの悪行は、個人的には妻への暴行で、それに対してリスベットが火付けをした。そのせいでリスベットは精神鑑定&拘束で、出所後も後見人が必要な立場に置かれた、と。その後見人ビュルマンがリスベットをレイプし、それを隠し撮りして置いた、と。パート2&3でリスベットが追求しているのは、そのリスベットとザラの行為なわけだよな。で、ビュルマンはザラにリスベットを消すように頼まれた、と。そういう理解でいいのだろうか。リスベットと元公安警察の連中は、直接の利害関係は、ないよな。あるのか? 少女売春は、パート2でリスベットが誰かのPCに潜入したとき見付けたんだっけかな? もう忘れてるな、困ったよ・・・。 ザラは、どうして妻に暴行したのか? また、実の娘であるリスベットを殺そうとできるのか。ニーダーマンが実父であるザラのいいなり、は分からないでもない。でも、実妹であるリスベットを頓着せず殺そうとできるのは、なぜ? もしかして、実妹であることを知らない? それとも、ニーダーマンは単なる愚鈍なのか? というような部分がすっきりしないので、見終わっても「なるほど感」がない。 後半は裁判シーンが多いが、ビュルマンのリスベットへの暴行シーンが決定打となることは、観客は承知。だから、「早く出せ、早く」という気持ちがせき立てる。けれど、なかなか弁護士はそれを見せようとしない。しかも、リスベットの上司がどういう手を使ったか精神科医(リスベットを暴行したのか? あいつは)のPCに接続し、偽造された鑑定書や幼児ポルノ写真をまんまとダウンロードしてしまう。これが突然なので、なんか、都合よすぎな感じがしてしまう。 元公安警察連中がもっと巨悪で権力の腐敗に大いに貢献していて(麻薬や汚職、その他とか)、それを暴こうとしていたリスベットに攻撃を仕掛ける、とかいう具合になっててもよかったんではないのかね。 雑誌「ミレニアム」の連中も、盗聴器が仕掛けてある、ぐらい気づけよ、という気もしてしまう。というわけで、パート3はリスベットの活躍も少ししかなく、かなり物足りない。唯一笑ったのは、リスベットがニーダーマンの足を釘付けにしてしまうところかな。 | ||||
ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 | 1/20 | ギンレイホール | 監督/ダニエル・アルフレッドソン | 脚本/ウルフ・リューベリ |
2日、あいだをおいての2度目。前回寝たところは、ちゃんと見た。しかし、その部分が終わって中盤にさしかかった辺りから、少し眠くなってきた。退屈なんだよ、全体に。解決篇だからあれこれ収拾をつけなければならないのは分かるが、元公安警察のうろうろしたり、ミレニアム編集部がごたごたしたり、見ていて面白くない。肝心のリスベットは病院のベッドから独房、そして法廷と、静的にしか描かれない。これじゃ、前回寝たのもしょうがないかも。 前回勘違いしていたけれど、ザラを殺したのは、元公安の仲間だったんだな。しかし、べつに衝撃的でもないだろ。邪魔者は抹殺する。彼らのやり口なんだろ。むしろ、病院に面接にきた元仲間に対し、強気で対するザラの方がおかしい。あそこは、ザラの方が「殺されるかも」と不安を抱いてもいい場面だ。 で。元公安警察の連中の悪行は、最初の方でセリフで語られていた。武器密輸、人身売買、麻薬取引、殺人・・・と。でも、言葉だけなので迫力がない。それに、元公安の連中は、それで暴利を貪ったような気配が見えないんだよ。フツーに質素に暮らしていたりするし。それと、現公安警察が"班"と名付けた連中の事務所には、おばゃちゃんアンちゃんなんかも働いてて、じゃあ、彼らは自分がヤバイ場所で働いているということを知ってるのか? それで、どんなメリットがあるのだ? それから、最初の方でひったくられたり、部屋に侵入されて奪われた資料。あれは、奪われちゃってよかったの? っていうか、そもそも、どこからの情報だったのだ? 彼らを"班"と呼ぶのは、現公安が勝手にしたことなのに、最後の方でニュースキャスターが"班"と呼ばれる言葉を使ってたよな。あれって変じゃないの? リスベットの自伝が、元公安に先にいってる? と思える場面があったんだけれど、どうなっていねのかね。 いや、そもそも。ザラと仲間がリスベットを精神病院に入れる理由がわからない。リスクを冒してカルテを偽造したりするより、ひと思いにリスベットを殺してしまった方が手っ取り早くないか? と思うと、この映画のストーリーがまるで成り立たなくなってしまうのだが・・・。というわけで、やっぱりいまいちな映画であったよ。 | ||||
ルンバ! | 1/20 | ギンレイホール | 監督/ドミニク・アベル、フィオナ・ゴードン、ブルーノ・ロミ | 脚本/ドミニク・アベル、フィオナ・ゴードン、ブルーノ・ロミ |
原題も"Rumba!"。「アイスバーグ!」(2005)と同じスタッフ&キャスト。こちらは2008年の製作。話の構造は「アイスバーグ!」と同じで、ルンバ好きの夫婦が交通事故を起こし、夫(ドミニク・アベル)は記憶障害。妻(フィオナ・ゴードン)は片足切断。その後・・・あんまり退屈なので30分ぐらい寝てしまったが、どうも、火事で焼け出されて・・・妻は義足を付けるようになっていて・・・理由は分からないが(寝ていたので)家をでていった夫を、妻が追いかける。で、夫は交通事故の原因となった男と知り合いになり、海辺でドーナツ屋を営業。夫を捜す妻も浜辺にやってきて、巡り会う、という話。「アイスバーグ!」みたいな、イヌイットの私が亭主とどうやって知り合ったか、みたいな仕掛けはない。 ドミニク・アベルとフィオナ・ゴードンは、有名なカップルの道化師だそうで、サイレント時代の喜劇を現代に置きかえてつくろうとしているらしい。それはいいけど、ギャグがまんま古典的で、次はこうなる、ああなる、がミエミエのものばかり。そういう様式的な部分が楽しめる人はいいかも知れないけど、意外性もなにもない、コテコテでベタなギャグをへらへら顔でやられたらたまらない。笑う前にあくびだ。 これで、可愛い娘でもでてくりゃ救われるんだが、フィオナ・ゴードンはオリーブ体型で、アンバランスに胸がでかい。顔は・・・。かといって、面白い面相でもない。つまりまあ、引きつけられるところが全然ないのだよね。話にメッセージ性もほとんどないし・・・。 こういう様式的な映像は、30分が限度だと思う。チャップリンやキートンの中短編も、それぐらいの長さだ。1時間を超えるものには、それなりの意外性を含むドラマがあった。それなしでは、なかなかフツーの観客はついていけないと思う。 | ||||
君を想って海をゆく | 1/21 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/フィリップ・リオレ | 脚本/フィリップ・リオレ、エマニュエル・クールコル、オリヴィエ・アダム |
原題は"Welcome"。フランス映画。フランスからイギリスへ、密出国しようとするクルド人を支援する、フランス人の話。素材はとても興味深い。あんなに多くの難民がフランスにやってきていて、さらにイギリスに向かおうとしている。その実体(事実かどうかは知らない)がリアル(かどうかは知らない)に描かれる。なので、最初の30分ぐらいはなかなか衝撃的だし、引きがある。ところが、中盤がもたつく。きっと、要素が過剰になっていたり、話をつくりすぎていることによるものだと思うのだが・・・。 シモンはプールの指導員。スーパーマーケットで女性に呼びかけられ、一緒にレジを済ませる。この2人は恋人同士? と思うわな。スーパーに買い物にきたアラブ人を、警備員が入れようとしない。これに女性が刃向かうが、シモンは黙ったまま。その態度に、女性はシモンを軽蔑する。・・・なんか、不思議な関係? で、別れしなに女性が「授業に使う本を取りに行く云々」という。分かりにくいが、女性はマリオンといい、シモンと離婚調停中。マリオンは難民のための炊きだし運動に参加していたのだ(冒頭で映っていたのかも知れないけど、気付かなかった)。しかし、この2人の関係が曖昧で、よく分からんところがある。頬にキスしたり話もフツーにするところをみると、円満離婚。でも、その原因はまったく分からない。考え方の違い? ううむ。 イラク難民の少年ビラルがやつとフランスのカレに到着。すでにイギリスに住んでいる友人に電話する。これからイギリスに行くから、と。トラックに隠れての密入国なのだけれど、二酸化炭素検知器がある。吐く息を知られないようビニール袋をかぶるのだけれど、ある意味すさまじい。窒息の危険があるわけだから。ビラルはトルコで首に袋を被せられ放置された経験から、途中で脱いでしまう。そのせいで発見され、逮捕。略式裁判を受け、初犯なので釈放されるのだけれど、この辺りもよく分からん。 そもそもイラク難民としてフランスまで歩いてきたというけれど、パスポートもないはず。国境はどうやって越えてきたのだろう? トルコで捕まったのはクルド人だからだろうけど、どうやって逃げた? フランスとして、難民を排除しているようだけど、不法入国者を認めているのか認めていないのか? 認めていないなら、ビラルが釈放され自由になるのは変だし。かといって難民救済の措置もとられていない。背景がよく分からない。 で、シモンはプールでビラルに会い、泳ぎを教えてくれ、といわれる。ビラルは泳いで渡ろうとしているらしい。友だちの妹ミナとかつて交際していて、ぜひ会いたい、という気持ちがあるらしい。ビラルの場合は彼女がイギリスにいるから渡英したい。それはいい。でも、他のアラブ人が渡英に命をかける理由がよくわからない。ビラルの友人一家は、イギリスから滞在許可がおりていて、優雅に暮らし始めようとしている。これは、どうしてなのだ? フランスとイギリスでは、難民に対する対応が違うのか? というような、基本的な背景がわからないので、この映画の切迫感がいまひとつつたわってこない。 ビラルの、恋ゆえの渡英願望を大きな柱とすると、もうひとつがシモンとマリオンの関係。シモンが突然のようにビラルの水泳コーチをはじめ、ビラルと仲間を家に泊めたりし始める。変だよな。で、どうやらマリオンを引き留める作戦みたいなのだけれど、あまりに唐突すぎて違和感ありすぎ。しかも、途中からマリオンに「やりすぎ」といわれたりするぐらい突っ走る。当初は手段だったのが、思いあまってのめりこみなのだろうけど、説得力に欠けるかも。 そもそも、難民支援は法律違反、といっているのに、マリオン自身が炊き出しをしている。で、彼女は捕まらないのも変。このあたり、話を面白くしようとしてか強引さが目について、整合性がとれていない。 ビラルの最初の挑戦は、5時間あまりの浮遊で失敗。2度目はイギリス沿岸までたどりつくが、沿岸警備隊に発見され、追跡され・・・。結局死んでしまう。イギリスのミナには親が決めた結婚話が進んでいたが、間に合わず。という終わり方。努力はしたけど、なにもかも上手くいかず、の結論だ。 しかし、この映画、何が言いたいのかよくわからず。フランス政府はアラブ人に救済の手を差し伸べ、渡英にも力を貸すべきだ、といっているのか? また、親が決めた結婚に従わざるを得ない文化はおかしい、と言うのか? それとも、難民が発生するような中東世界の状態に憂慮する、というのか? なんか、こういう問題がありますよ、と現状を披露しているだけで、なにも先を示そうとしていない。社会派のアプローチで硬派を気どりながら、自分のメッセージを埋め込まないのでは、しょうがない。さらに、シモンとマリオンの関係も、離婚成立後っていうのに2人がその気になってセックスしてしまったり。マリオンも、体は離れたくないと言っているけれど、理性で別れるみたいな感じでいらつく。 最後に、シモンの手に遺品がとどくのだけれど。あの金メダルはビラルの仲間が盗んだのだよな。で、あの仲間は入国できたみたいな言い方をしていなかったか? そうだとしたら、それはなぜなのだ? タイトルのWelcomeは、シモンの隣人のドアマットの言葉。表向きは歓迎の顔をしつつ、実際は拒否する態度を取る隣人と、国家の態度をなぞらえているのだろうけど、ちょい陳腐な気がする。 | ||||
ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1 | 1/23 | 新宿ミラノ3 | 監督/デヴィッド・イェーツ | 脚本/スティーヴ・クローヴス |
原題は"Harry Potter and the Deathly Hallows: Part 1 "。最終章のパート1である。実をいうと特に見たいとは思っていなかった。闇の帝王ヴォルデモートが登場し始めた辺りから「?」になっていて、前作はもうわけ分からない状態で、寝てしまったし。もうどうでもいいや、という気分だった。なので、今回はいい加減な気持ちで途中から入った。変装して潜入した裁判所から脱出し、ロンが変なオバサンとキスしているシーン辺りから。で、やっぱり途中で眠くなって、剣を見つけ出す下りはすっかり寝ていたようだ。で、次の回は冒頭からだ! と思っていたら、あらら、今度は始まって15分ぐらいで眠くなって、10分ぐらい寝てしまったかも・・・。というわけで、もう絶対相性悪いと思う。 というわけで、数話前まで遡って知っていないと、なにがなんだかよく分からんようになっている。冒頭に、これまでの経緯を10分ほどで説明でもしてくれないと、とてもついていけない。 ムリに原作に忠実にたどることで、映画的なダイナミズムがなくなっちゃってると思うのだ。2時間以上、メリハリがなく、ひたすら暗い話を見させられるのは、いささか苦痛でもある。ま、ハリポタオタクなら、よーく分かるんだろうけど。 | ||||
ペルシャ猫を誰も知らない | 1/24 | ギンレイホール | 監督/バフマン・ゴバディ | 脚本/バフマン・ゴバディ、ロクサナ・サベリ、ホセイン・M・アプケナール |
原題は"Kasi az gorbehaye irani khabar nadareh"。英語タイトルは"No One Knows About Persian Cats"。2009年11月のTOKYO FILMeXで見ている。が、しかし、上映開始から字幕にピンが来ていない。とうぜん画面も。前の方から男性が1人、そのことを言いに行ったみたい。けれど直らない。で、私も行った。女性従業員が映写室からでてきたところ。曰く、「もともと画質が悪いといわれている。技師が調整はした」しかし、「TOKYO FILMeXではこんなじゃなかった」というと彼女も「私も見てますが・・・状態が悪いフィルムと言うことで・・・云々」という。「それは変だ」といいったのだが「調整はしてみる」という返事。で、席へ。その後、ピンがちょこちょこいじられていたが、カリッとくることかない。ぼけぼけの字幕を見ていると気持ちが悪くなるので、あきらめる。目をつむって音だけ聞き、ときどきピンが来たか確認のため目を開ける程度。ゆううつ。 上映終了後、確認に行く。あいかわらず「もともとフィルムの状態がわるい」といい、挙げ句に「手持ちカメラで撮っているので画質は悪い」とも。しかし、字幕にピンが来ていないのだから、それはないだろ。憂鬱な気分のまま「闇の列車、光の旅」に。こっちは、カリッとピンが来ている。上映終了後、いったん食事にでて、再入場。次の回の「ペルシャ猫を誰も知らない」が始まった。なんと、ピンがちゃんと来てる。なので「さっきまでの言い訳はみんな嘘だったじゃないか」といったら彼女「そんなつもりじゃない」という。おお。強気。なので、「もともと状態は悪くない」というと、「いい部分があったり悪い部分があったりする」という。「字幕にピンが来てないのだから、そういう話ではない」と言ってやる。さらに「手持ちだから画質が悪い、みたいなテキトーなこともいったではないか」というと「それは、そうでした・・・」となったが、他は認めようとしない。なので「上映されている状態がどうなっているか、見なきゃね」とというと「見てます」という。「見てて分かんないの?」なんてやってたら、男性従業員がやってくる。で、彼の話によると、ここは自動映写機らしく、専門の技師はいない。ピン合わせは従業員がやっている。彼は、「ペルシャ」のときは不在で、「闇の」から参加した(もしくは、彼が最初に調整したのかも知れないが)。で、「彼女はピンの調整はできないの?」と聞いたら「できます」という。あほいうな。できるならなぜ改善できない! だよな。なんてやってたら、さっきから近寄ってきていた男性客が参加して、「ダメだったね、1本まるまる」と。この方は最初に言いに行った方らしい。「もっとゆっくりやればピントは合うのに。あせってた?」なんてやさしい口調。私と大違いだ。彼も2度目はどうなるのかな? と残って確認していたのだろう。見にくかったことが、私ひとりではないことが証明できた。 まあ「粘着おやじがぐだぐだ言いに来てまいっちゃったよ」で終わっちゃうのかも知れないが。しかし、大半の奥様方が文句も言わずに出ていくのが信じられない。こういうのはちゃんといわないと、これからギンレイがお客を集めていくためにも必要だと思うのだがね。 | ||||
闇の列車、光の旅 | 1/24 | ギンレイホール | 監督/ケイリー・ジョージ・フクナガ | 脚本/ケイリー・ジョージ・フクナガ |
メキシコ/アメリカ映画。原題は"Sin nombre"。監督は日系人のようで、ドキュメンタリーやショートフィルムの経験はあるが、本編は初めてみたい。ホンジュラスからメキシコ経由でアメリカへの不法移民の旅と、メキシコのギャングの話を絡めた物語。話としてはつくりすぎな感じもするが、元になる現実はあるのだろう。考えるだにオソロシイ。 この映画の欠点は、女がマヌケすぎることだ。いくらなんでも、それはないだろう、という行動を取る。この詰めの甘さが解決できたら、もっとリアルが増したに違いない。「シティ・オブ・ゴッド」までとはいわないが、近づく映画になったかも知れない。 娘サイラが、父・叔父とともにアメリカを目ざす。その手段が、鉄道の屋根に乗っての移動というのが大胆というか、凄い。実際に多数の出演者が列車の屋根に乗っての撮影で、ありゃ必死だな、みんな。しかし、説明不足の部分があって、なぜサイラが旅立つのかよくわからず。Webの解説を読むと、すでに移住していた父親が強制送還されたので、再理由は?) それと、妹や母が強制送還されない理由は? それから、ホンジュラスからメキシコに入るとき、コンテナみたいな所に入れられ「金目の物をだせ」と言われていたのは、なんなのだ? 出国代理人? それと、いちばん困難そうなメキシコからアメリカへの出国が描かれていないのも、物足りない。まあ、絵にならないとか、その手の内容のは他に映画があるとか、列車の屋根の移動に的を絞りたかったなど理由はあるだろうが、よーく考えると、いまひとつ説得力がない。 で、もうひとつのメキシコギャング団。こっちも激しくて、こんなギャングはホントにいるのか? なんだが。それはまあ映画だからいいとして。ギャングに加入しないと食っていけないというわけでもなさそうだし、ケンカが強くて威張りたいから、というわけでもなさそう。まして、女にもてたいから、でもない。なにせ、団員が彼女をつくってはいけない、みたいになっているのだ! 不思議。それでも団員になりたいってのは、どういう理由なんだろ。入団の儀式はリンチまがいだし、恋人不可で、ライバル団のメンバーを殺さないと一人前じゃない、って・・・。ま、映画だからな。 で、団員カスペルには彼女がいるのだけれど、団には内緒。彼女にも団のことは詳しくつたえてない。なので、団の集まりに彼女がやってきてしまい(というのが、女のマヌケなところ)、見回りの合間に彼女とセックスしてたのがボスのリルマゴにバレてしまう。リルマゴは彼女を手込めにしようとして、誤って殺してしまう。・・・でも刃向かえないカスペル。忠誠心を示せ、といわれ、カスペルはリルマゴと、弟分の少年団員スマイリーとともに、移民列車を襲う。というところで、2つの話が絡み合う。 屋根の上の不法移民たちから金品を奪うのだけれど、リルマゴがサイラに目を付けたのにとうとう怒り爆発のカスペル。リルマゴを殺してしまう。で、スマイリーだけ帰す。カスペルの仕業を知った仲間の追跡がはじまる・・・。 のであるが、リルマゴは、マラ団とかいうギャングのトップなのか? それとも団の支部がいくつもある中の支部長みたいな存在なのだろうか。そのあたりが、よく分からん。なぜって、トップが中堅団員と使いっ走りみたいなスマイリーを連れて、自ら強盗に行くというのも変じゃない? それと、後半に出てくる支部の構成メンバーとの関係なんかも、なんかスッキリしないところがあった。ちょい説明が足りないかもね。 で、サイラは、父と叔父が「やめろ」というのにカスペルに接近する。そして、カスペルが追っ手をまくために列車を降りたのを追って、自分も降りてしまう。なんと父と叔父に断りもなく!(というのが、女のマヌケなところ) そんなことしたら家族に迷惑がかかるだろ。あほ。と誰だって思うよなあ。不自然。ここを「なるほど」と思わせる話にしないとな。サイラがそこまでカスペルに恋してしまう理由なんかをね。 あと、川を渡るのに1人ずつ渡し人に頼むのは、ありゃ何でなのだ? あんなの勝手に渡れるではないか。それとも、渡し人が権利を持っていて、頼まないと渡してくれないとか、あるのかい? さらに、サイラが渡り終わりかけたとき、対岸でカスペルがスマイリーに撃たれるのだけれど、そのときのサイラの反応に「?」。いまさら戻っても遅いだろ。ってか、自分も撃たれる可能性があるし。泣き叫んで戻ろうとするのはアホだと思うが、一般に人間はああなるものか? それとも、映画的な演出と言うことか。川の中で身動きできず、呆然と見送ってしまう、の方がリアルな気がするのだが。それに、騒いだ割りに、戻ってカスペルを葬った気配もない。おいおい、だよな。 というわけで、突っ込みどころは多いのだが、車両を使った不法移民という話は興味深かった。機関士も黙認なんだろうが、あまりに露骨すぎるよな。それと、ある沿線では果物を投げてくれて、あるところでは石をぶつけられたり、扱いが違うのも面白い。線路沿いに生えている大麻(?)を走る列車からむしって、車両で燃やしてハイになってたりするのも、すごっ。しかし、違法や不法が日常化しているのかね、本当に、中南米・メキシコって。あな恐ろしや。 | ||||
エリックを探して | 1/25 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2 | 監督/ケン・ローチ | 脚本/ポール・ラヴァーティ |
原題は"Looking for Eric"。社会派ケン・ローチなので、きっとメッセージ性が強いんだろうな、と思ったら、そうでもなかった。家族ドラマは割とシリアスで、ギャングに足を突っ込んだ息子の話はちょっと怖い。でも、最後はバカバカしいぐらいのコメディになって大団円。しかも、全編を通してファンタジーで貫かれている。娯楽性にも満ちていているんだが、よーく考えたら、やっぱり最後は「労働者諸君、連帯しよう!」だった。ははは。 郵便局員エリック・ビショップ。50前ぐらいの設定かな。若気の過ちで彼女を孕ませたけれど、妻リリーと娘から逃げ出した経歴あり。その後の経過がアバウトだれど、娘との交流はある様子。後添いをもらったけれど、彼女は連れ子(長男は白人、次男は黒人系)を残して出ていった。娘は大学生で(でも30歳ぐらいのはず)、赤ん坊もいる。勉強のため赤ん坊の面倒を、リリーとエリックとですることになり、リリーと30年ぶりの再会に心が揺れる。が、リリーが凛としているのに自分はだらしない格好なのを悔いて、突然のクルマの暴走。自殺念慮で事故ってしまう。鬱だな。 家庭内もバラバラ。長男は地元のギャングの手下になりかけている。次男も仲間を引き入れてゲームやエロビデオを見てる。エリックは、子供たちを制御できていない。心配してくれるのは、郵便局の仲間たちだけ・・・というのが基本設定。メインストリームは、エリックとリリーの関係修復。そこに長男の事件が絡んで話をドタバタにしている。 エリックは自我の弱い男として描かれる。結婚式の当日、父親から「お前は大学にも行けたのに、こんなになっちまって」と責められ、それで数時間、宴をぬけだしてしまい、挙げ句に家族を棄ててしまったのだから。といっても、そのごどうやって生活したかの具体的なところはわからない。海外に行ったとか放浪したとか、そんなんじゃなくて、ずっと郵便局員だったみたいに思える。だったら、妻や妻の家族がエリックを捜し出して責めることもできたろうに・・・と思うんだが、そのあたりは描かれない。まあ、映画的な省略なのかもね。 決断力が弱いので、親に反抗できなかった。連れ子への躾も、満足にできなかった。リリーにも謝罪できなかった。ということなんだろうな。 長男、次男の部屋が自分の趣味で満たされているのと同様、エリックの部屋もマンチェスター・ユナイテッドで満たされている。とくに信奉するエリック・カントナ(知らなかったけど、本人で、本当のヒーローだったらしい)の写真がデーンと貼ってある。いい歳して、中味は子供なのだ。他の局員もパブで応援するのは似たり寄ったりだけど、エリックは夢想家=自閉的な感じがある。それで、突然、自宅にエリック・カントナが現れ、エリックの相談相手になってくれる。・・・とまあ、こういうファンタジーの形式は、よくあるので珍しくはない。カントナに勇気づけられ、リリーにも会う決心がつく。ヤクザとつきあってる長男に説教もしたりするようになる。けれど、長男が拳銃を隠していて、その処理に困ってしまう、という現実にぶちあたる。 犬をけしかけるギャングのボス。ギャングの身代わりにさせられそうな長男。そこに、父親の介在する余地はあるか! で、向かっていって跳ね返されはするけれど、これで子供たちのエリックを見る目が変わるのだ。最後に頼るのは、家族、と。 でまあ、最後は局員仲間に相談し、鳩首協議して、みんな(100人ぐらい?)でカントナのマスクをかぶってボスの屋敷に行き、水鉄砲で絵の具をかけるという、こりゃもう現実味はまったくない終わり方をする。こんな平和な終わり方ができるはずないじゃないか。なに理想論いってんだよ、とも思える。けどまあ、この終わり方も含めてファンタジーでありコメディなのだと思えば、ありかな、と思えてくる。 この手の映画によくあるのだけれど、子供たちは根はいい人間なんだが、つきあっているやつが・・・という解決法は、どーも好きではない。責任を回避しているだけだと思うのだよなあ。 それにしても、西欧は言い訳と嘘で自己正当化をする文化なのだなあ、と改めて思う。拳銃のことを追求される長男がそうだった。警察でリリーに「拳銃があるの?」と問われたエリックがそうだった。結果をよくするためなら、嘘をついてもいいということなのだろうか。また、客観的に見て自分に落ち度があると分かっていても、相手に対して「説明させてくれ」とかなんとか、言い訳がましいことをだらだらいいつつ、でも結局「俺が悪かった」と認め、でもって許しを請う、という場面が西欧のドラマにはよくでてくる。こういうのは、どーも納得できないのだけどね。何も言わず、相手の非難を受け入れる、というのは日本だけなのか? あと、局員仲間がみないいやつばかり、というのも嘘っぽい。まあ、産別組合で結束が堅い、というのはあるのかも知れないが、ほんとか? という気分。ま、映画だからな。 ギャングたちが、犬に怯えるエリックの様子をビデオで撮り、Youtubeにアップするのだけれど、これのどこが脅しになるのだ? ならんだろ。むしろ、自分たちの所業を明かにするだけだと思うが。 娘の卒業式に、局員仲間が何人も出席していたが、そんなのフツーにありなのか? 日本じゃ考えられないが。それにしても、娘の亭主がでてこなかったけれど、別れたのか? それとも私生児? | ||||
犬とあなたの物語 いぬのえいが | 1/28 | シネ・リーブル池袋シアター1 | 監督/長崎俊一、石井聡一、江藤尚志、川西純、中西尚人、水落豊 | 脚本/太田愛、山田慶太、川西純 |
「いぬのえいが」(2005)につづく、犬をモチーフにしたオムニバス映画。総じて画質が悪い。ザラついていたり。レフ板使ってるのか? と思うほど顔が暗かったり。洋画のように片光ハイライトで人物をくっきりさせるのではなく、日本映画によくある、ぼわーんと光りをまわすような手法が多い。それと、素人が撮ってんじゃないの? というような下手くそなのもある。画面に神経が行きとどかないとは、このことだと思う。 で、あと2つぐらいエピソードがあるかな、と思っていたら呆気なく終わってしまった。88分の映画らしい。いまどき90分を切る映画も珍しい。なんか、安物の駄菓子を食べさせられた気分。 ●「あきら!」監督/水落豊、脚本/ 中尾彬が実名でカフェに。そこに、アキラという名の犬を連れてきて起こるズレなのだけれど、意外性なく進むのでつまらない。ま、バカバカしいおかしさはあるけどね。 ●「愛犬家をたずねて。」監督/中西尚人、脚本/ 前半に数本挿入される、テレビの愛犬家レポート。総じてアホらしく、笑えない。ドタバタに近いバカらしさ。 ●「DOG NAP」監督/川西純、脚本/ 誘拐グループが誘拐したのは幼女でなく犬の方・・・というのが最初から分かってしまうのでつまらない。競輪場で犯人の一人を捕まえる場面は面白かったけど、その後も、愛犬家の刑事がズレた行動をとるというだけで、くだらない。 ●「お母さんは心配性」監督/石井聡一、脚本/ 家族全員が結婚式にでてしまい、犬一匹を初めて置いてきぼりに。他の家族は平気なのに、母親だけ妄想的に心配性が発露する。設定は面白いんだけど、誰かの言葉に反応して妄想が膨らむ・・・という言葉と妄想のダジャレ的な部分がチープすぎ。 ●「犬の名前」監督/長崎俊一、脚本/ 最も長い話で、30分以上あったのではないかな。前半は少年の時の思い出で、可愛がっていた柴犬を交通事故でなくす話。で、現在。トラウマで犬を飼えなかったのに、妻が飼いはじめる。レッドリバー。ところが若年性アルツハイマーになり、犬をともにするという流れ。少年の名が一郎で、柴犬の名が二郎。レッドレバーはラッキー。妻が夫を「一郎」と故意に呼ぶのがうっとうしい。それに、行方不明になった夫の居場所がどうやってわかったのか、不思議。アルツハイマーの夫を抱えたらもっと生活は悲惨だと思うんだが、最後はテキトーに丸め込んでしまって、いい加減な終わり方。おい。これからどうすんだ! とツッコミを入れたい。 ●「バニラのかけら」監督/江藤尚志、脚本/ おそらく前作「いぬのえいが」の「ねえ、マリモ」を意識してつくられたであろう話。最近、犬を亡くした娘が、街で見かけた少女と犬と仲良くなって散歩するというだけの話で、深みがまったくない。 | ||||
ネスト | 1/31 | 池袋テアトルダイヤ・スクリーン2 | 監督/ルイス・ベルデボ | 脚本/ジョン・トラヴィス |
邦題は「ネスト」=巣。原題は"The New Daughter"。ともに真相を示唆してるけど、タイトルとしてはどっちもどっちだな。そもそもつまらんホラーだし。 女房に逃げられた作家ジョン(ケヴィン・コスナー)が、郊外の大きな屋敷に越してくる。娘ルイーサと息子サムがいる。家には土足の足跡が…。夜、娘の天井裏に異音。で、外からのショットで、屋根を這って歩く異形の者をさっさと見せてしまう。おいおい。早すぎないか? 広大な庭に、高さ3mぐらいの塚がある。娘は引きつけられるが、父と息子は無関心。娘は泥だらけで帰るようになり、浴室で処女喪失の血を流す! って、あまりにも分かりやすすぎる。「ローズマリーの赤ちゃん」と同類だ。で、塚の中は「巣」になっているんだろう。という推定は外れることなく終盤へ。ああ、退屈。 ルイーサが藁人形を持ってきていて、父が中を見ると蜘蛛がでてくる。屋根にいた奴と合わせると、こいつぁあスパイダーマンか? と思ったら、息子が学校から理科の実験用の蟻をもってくる。女王蟻を働き蟻が育てるという、この話のアナロジーになってるんだが、蜘蛛なのか蟻なのか、どっちつかずの表現が変だよなあ。 そもそも、父親が家庭内や娘の変化に気づかなさすぎ。娘の背中の痣に気づきながら対処しない。その他諸々の予兆にもウロウロするだけ。ワザと時間を引き延ばしているようにしか見えない。 考古学者みたいなのをネットで探して連絡するけど、そっから先が遅々として進まず、父親が塚を壊そうとする段階でやっと学者が訪れるのだが、「これは貴重な資料だ」とかなんとか破壊を止めるだけ。これもアホか。ホラーなら、学問的な知識だけでなく、曰く因縁に詳しい人物に仕立てなきゃしょうがないだろ。 あの塚のなんたらも、よく分からん。高貴なインディアンの墓で云々から、交流するために人形をとか、子孫を残すために娘を、とか、いつのまにか魔物の蟻塚みたいになってしまっている。そもそも、の部分がちゃんと描けていないから、その後の展開もテキトーになってしまう。でもって、異形の者たちを登場させればよい、となってしまう。では、あの塚にいるのはインディアンの女王蟻で、うろうろしてたのは働き蟻インディアン? なんか、よく分かんねえよなあ。 でもって、塚の中は入ってみれば奥深い洞窟で、下に潜った形跡はないのにどうやってつづいてるんだ? という辺りは、やっぱり奴らは蟻人間? で、洞窟の中は「ディセント」みたいな雰囲気で、そこから娘を救い出し、塚の中に火を付けようとすると、そこに生まれたばかりの女王蟻インディアン? なのか? が、母親に(?)すがってくる。ん? いつ生んだのだ? 娘を引っ張り出す前に生まれていた? 引っ張り出した後? なんか、関係性がわからん。 でとにかく、その異形の赤ん坊も焼き殺して。で、そこに「パパ」と息子がやってくる、その背後に異形の姿。で、終わり。おいおい。最後の異形の者は、ありゃ働き蟻インディアン? でも、女王蟻インディアンが死んじゃっちゃ、生きていられないのではないの? などと思ったりしたのだが、いやもう、なんかすべてが中途半端で消化不良だった。 女教師のカサンドラ。濃いオバチャンだけど、ソファに座ったら腹の肉がたぷたぷはみ出してる。なんとかしろよ。 ジョンが使ってるMacが、すごく古いやつ。OSXはやっと動くレベルで、最新OSは載らない。あんなの、使い物にならんはずだ。 娘が「suck」というと、父親が「知らないでそんな言葉、使うな」というのだけれど、「しゃぶれ」の意味らしい。この意味は、割りと重要だよな。その後、ルイーサが魔物の子供を受精する、という伏線にもなってる。でも、字幕には説明はなかった。 ジョンの妻は夫と子供を捨てて男に走ったらしいが、なーんの伏線にもなってなかった。けっ。 |