2011年6月

アンノウン6/1MOVIX亀有シアター1監督/ジャウマ・コレット=セラ脚本/オリヴァー・ブッチャー、スティーヴン・コーンウェル
原題も"Unknown"。「意識を取り戻すと、妻が自分のことを忘れ、見知らぬ男が自分に成り済ましていた」という惹句だけは目に入っていた。連想したのは都筑道夫の小説で、調べたら「やぶにらみの時計」だった。昔読んだので詳細は忘れているが、ある日家に戻ると(?)「あなたは誰?」といわれ、周囲の人たちも自分を知らないという! …というような設定だった。枠組みは似ている。そんな感じの話かな、と思っていたら話がどんどん予想を裏切っていく。進むにつれて、物語が小気味よくズラされていき、「おお!」という連続。最初の頃は、「それはいくらなんでもムリだろ」と思っていたような設定も、「なーるほど」に変わっていく。うまくできた本だ。
マーティン・ハリス博士(リーアム・ニーソン)が、妻エリザベス(ジャニュアリー・ジョーンズ)とともにドイツにやってくる。学会出席のためだ。到着し、タクシーに乗るが、運転手がカバンをひとつ忘れてしまう。ホテルに到着し、忘れ物に気づいたハリスが、タクシーを拾って空港へ向かう…。お、運転手がダイアン・クルーガーじゃないか? と、前を走る車から冷蔵庫みたいなのが落下し、まきぞいを食らって車は川に転落。ハリスは頭を打って失神。なんとか脱出した運転手ジーナがハリスを助けるが、ジーナはそのまま消えてしまう。ハリスは4日間意識を失い、病室で目覚める。自己前後の記憶を失っていたが、テレビで学会のことを話しているので思い出し、ホテルへ。しかし、受付に行くとハリス博士はすでに来ているといわれ、パーティ会場でエリザベスを見つけるが、彼女も「誰?」扱い。さらに、別にハリス博士がいるではないか!
という流れで、疑問が湧く。どうやって 偽ハリスが入れ替われるのか? 周囲が敵の仲間だとしても、全員というわけにはいかんだろ。ハリスの友人知人をたどれば、いつかは事実が分かってしまうはず。…そんな展開を想像していたのだけれど、最終的にはとんでもない事実が判明し、「なーるほど!」となる。この意外性が素晴らしい。すっかりだまされた、というより、してやられた感じ。
ハリスはメガネ男に追われ、地下鉄に。つまり、誰かに狙われている、ということだ。とりあえず、敵がいることが分かった。でも、敵の目的は分からない。ハリスはタクシー会社に行き、ジーンの存在を確認する。彼女はタクシー会社を辞め、レストランに勤めていた。しかし、関わりを避けようとする。ここで、ジーンは敵の仲間か? と考えるのだけれど、そうだったらレストランでなんか働いてないよなあ…。
その後、ハリスがネット&電話で知り合いになったドイツの大学の研究者を訪ねる。するとそこに偽ハリスがいて、互いに自分が本物、と主張し合う。戸惑う研究者。ハリスと偽ハリスは、自分のことや研究者の家族のことをこれだけ知っている! と競うように話すのだけれど、その台詞がほとんど同じなのだ。これ、大きなヒントなんだけど、見ているときは気づかなかった。で、偽ハリスに、エリザベスと一緒の写真を見せられ、ハリスは失神。最初の病院に送られる。で、ここで、病院の関係者は敵なのか? という疑問が湧くが、無傷で戻ったのだから、違うのかも、と思う。それに、病院に戻れたのだから、研究者も敵ではないかも知れない。もちろん偽ハリスは敵だろうけど。
ハリスはMRI検査を受けるのだけれど、終了後、やってきたスタッフはあのメガネ男。点滴に薬剤を入れられ、手首をストレッチャに縛られる。さあ、どうする! 看護婦が不審そうにやってくるけど、メガネ男に呆気なく殺されてしまう。メガネ男が外した隙に看護婦のハサミをつかってヒモを切り、朦朧とした状態で逃亡…。看護婦がくれたメモを頼りに、探偵のところに行く。
この探偵が渋い。ドイツ秘密警察というから、元は東ドイツだったのだろう。彼はジーンに当たれ、といい、自分は空港の知り合いに連絡を入れる。で、ハリスがしつこくジーンに迫り、彼女がボスニアからの不法移民と知り、高級時計で説得する。さらに、泊めてくれと頼み込んでジーンの部屋へ。…という展開は、ちょっと都合がよすぎるな、と思った。でもま、いいだろう。そこにメガネ男と細い男がやってきて、ドタンバタン。ジーンの手も借りて、メガネ男を始末する。で、ジーンの友人の黒人のタクシーを使って逃げようとする。あの黒人が、ジーンの勤め先を教えてくれたのだった。しかも、ジーンとは交替で同じ部屋をシェアしている様子。だけど、ドタバタ時に彼も殺されてしまう! さて、タクシーの行く手に、細い男の車が待ち受けていて、チェイス。これがまたフツーののと毛色が変わっていて迫力たっぷり。ドイツらしい路面電車も交えて、なかなかよい。
次第に記憶を取りもどすハリス。妻と行く予定だった美術館に行くと、ちゃんとエリザベスと偽ハリスがいて、近くには細い男もいる。間隙を縫ってエリザベスに近づく。彼女はハリスを知っているようだけれど、「ムリよ」みたいなことを言って、キスをする…。観客は、おお、やっぱりエリザベスも仲間だったのか! と納得するのだけれど、背景は分からず。
この間に、探偵は空港の仲間から、ハリスとエリザベスが一緒に写った写真をゲット。さてどうなるか、と思っていたら、ハリスの知人という学者ロドニー・コールがやってきて…。で、このコールというのは、ハリスが国際電話で助けを求めた知人だったなあ。でも、探偵はコールがどういう人物か会う前から分かってしまったみたい。なんでなんだろ。これはちょっと疑問だな。コールがどうやって探偵のことを知ったかも、ね。で、探偵はコールに殺される、あるいは、拷問にかけられる前に青酸カリで自死してしまう。ここでの会話で、欧州で活躍する暗殺集団がどーのこーのと言っていたので、探偵には裏の事実が分かっていたのかも。学会にやってくるアラブの国王のこととか、国王が暗殺団に狙われているとか、ネットで調べていたし。ここのシーンは、もう一度確認したい部分でもある。でも、せっかく手に入れた写真は、利用されないままなんだよなあ。ちょい気になった。
ハリスとエリザベスは空港に行き、忘れたカバンを取りもどす。するとなかにパスポートや身分証明があったのはいいけど、ハリスやエリザベスの写真で別名義のパスポートも。さらに、自分のプロフィールや大学の研究者のプロフィールを記憶するための台本まで入っていた! …でも、そういう証拠はかたちに残していてはマズイのではないの? でもとにかく、ハリスはハリス本人ではなく、ハリスになりすました暗殺者だ、と気づくのだよ! おお、なんと。で、ミッション遂行のためハリス役は他にもいて、ハリスが事故ったので代役がハリスになりすましていたことを理解する。ハリスも、偽ハリスも、エリザベスも、みんな暗殺集団の仲間だった。それが、事故で記憶が混乱したハリスが、自分こそ本物のハリスだ、と思い込む事態が発生したというわけで。暗殺者集団からすれば、邪魔以外の何物でもないわけだ。分かってきたよ。そーか、そーか、という気分になる観客。それで、エリザベスに謝礼を渡して別れようとしたのだけれど、ハリスに接近してきたコールを、ハリスは昔の仲間だと思い込んで気を許してしまう。コールこそ暗殺集団のリーダーなのに! で、コールとリーダーに捕獲されるのを見たジーンは、タクシーを奪って追跡! のたれ死にしたジャンキーとして処理されようとしたところを車で体当たり。細い男をはね飛ばし、コールはバンに乗ったまま地上に落下する。
…という話の後だったか先だったか。ホテルでのミッションがあったよなあ。ハリスは、暗殺団の狙いが国王ではなく、別にある、と思い出す。おお。トウモロコシの研究者がパーティにやってきて、それをエリザベスが迎える。その研究者のカバンをむりやりハンガーに掛けてしまい。カバンの中のPCにUSBを突っ込む? ワイヤレスなのか、あれって? で、近くの自分のPCに、研究者のHDの内容をコピーするんだけど、あんな簡単にできないだろ。そうそう。ここで、ハリスの手帖にエリザベスが書き込んだメモが活躍するのだけれど、あの手帖はずっとハリスがもってたんじゃなかったっけ。それがどうやってエリザベスの手に? それとも、別の手帖? あの手帖をもとめて、暗殺者集団があれこれしてたようにも思えなかったんだけど。で、そのメモが研究者のPCに入るためのパスワードだった、というオチ。でも、ここの部分もちょい曖昧で、実は研究者の2人の娘の名前だとかなんとか言ってたよなあ。どういうことだったんだろ。気になる。
ハリスは、暗殺集団の狙いが国王暗殺をカモフラージュにしたもの、と思い出す。トウモロコシ研究者の研究成果を盗み、研究者を国王暗殺の巻沿いとして抹殺し、研究成果で儲けようとしたものだつた。のだけれど、それって、こんなに大仕掛けでしなくちゃならないことなのか? という感じなので、この辺りからテンションが下がりだすのが惜しい。
で、ホテルにやってきたハリスとジーン。自分が3ヵ月前だか6ヵ月前に爆薬を仕掛けた、ということを過去の防犯カメラで証明し、客は避難。こりゃミッションが失敗! とあわてる偽ハリスとエリザベス。エリザベスは起爆装置を切りにいって、時間切れで爆死。偽ハリスはハリスと格闘し、ハリスがガラスのかけらで刺殺。さて、一件落着。なんだけど、あんなにムチャクチャにしてお咎めなしで解放されるはずがないとは思うが、それはそれ、映画だから。
後日、ドイツから去ろうとするハリスとジーン。ハリスは偽パスポートを使い、2人のパスポートを新規作成。したんだけど、あれ? 2人の名字は同じになってたんだっけ? ジーンが列車に乗り込み、「じゃあね」と別れるのではなく、一緒に乗り込んだということは、行動をともにする、ということなのかい? 2人のロマンス部分がほとんど無かったので、ううむ、かな。
で、もうひとつ疑問。ハリス博士というのは、そもそもオリジナルは存在しない、のだよね。架空の博士を1年ぐらいかけてでっちあげ、他の研究者と交流させ、さも存在するかのように仕立てた。学会にも、手を使って参加できるようにした、でいいんだよな。違うか? もっとも、それだと他の研究者がハリスに接触しようとして大学などにアクセスしてきたとき、すぐバレてしまうような気もするのだが…。どうなのだろう。
ダイアン・クルーガーがかっこいい。たどたどしい英語で、ボスニア難民を演じるのだけれど、様になってる。タンクトップからかすかに乳首がとんがってるのも、なかなかセクシー。リーアム・ニーソンは「96時間」というノンストップのアクションがあったけど、これも劣らず楽しかった。彼は、日本では客が集められるような人気スターじゃないけれど、アメリカでは看板役者なのかなあ?
6/3キネカ大森1監督/アンドレイ・タルコフスキー脚本/アレクサンドル・ミシャーリン、アンドレイ・タルコフスキー
原題は"Zerkalo"だけど、ロシア語かな? 実をいうとタルコフスキーは初めて。しかし、30分ぐらいで沈没。2〜30分寝てしまった。でも、ストーリーがあってなきの映画のようだから、大勢に影響はないと思う。
ナレーションを監督自身が語るというので「?」と思ったけど、自伝的な要素が入ってるのだな。幼少期、少年期、と。妹か弟もいる。そして、主要な登場人物となるのが母親。あとは戦場に行っていた父親(?)。その他、イメージが散漫に交錯する。(解説を見ると、妻と息子の関係も描かれているらしい。母と妻を演じるのは同じ女優。じゃ、わかんねえよ)
最初にテレビ画面(?)みたいのがあったような…。つづいて、どもりの少年が暗示で治ってしまう場面。そして、草原の外れの家の近く、垣根に座る女は母親だろう。そこに、医師と名乗る男がやってきて、去っていく。物が落ちるイメージ。風。煙草。さらに、火事。小鳥。ニワトリ。鏡。ガラス。銃。手榴弾。頭に開いた穴をふさぐゴムがぺこんぺこん。さらに、第二次大戦らしいニュースフィルムも多数挿入される。時間もいったり来たり、断片的なシーンが脈絡もないようにつづいていく。大半がモノクロだけど、カラーもあったり。その使い分けも定かではない。他人の記憶を解体し、無作為に再構築したような映像の羅列に共感するところはほとんどない。美しさも刺戟も、ドラマもとくにないのだから、寝ちゃうよ。この手の、難解を装った映画を評価するような風潮は、もうなくなってもいい時期だな。
アンチクライスト6/3キネカ大森1監督/ラース・フォン・トリアー脚本/ラース・フォン・トリアー
原題も"Antichrist"。「反キリスト」でいいんかいね。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「ドックヴィル」「マンダレイ」の監督らしい。なんとデンマーク/ドイツ/フランス/スウェーデン/イタリア/ポーランドの資本が入っているという。
夜中に激しいセックスをしている間に、幼児が窓から転落死。妻(シャルロット・ゲンズブール)は精神に変調をきたす。医師は薬剤を投与するが、セラピストの夫(ウィレム・デフォー)は、自分で妻を治そうとする。始めは家で。次に、山荘に籠もる。しかし、妻は「自分は悪魔だ」というような思いに取り付かれ、夫が自分を捨て去ると妄想。・すったもんだで夫が妻を絞め殺す話。はっきりいって、つまらない。が、底辺に流れているのはキリスト教における原罪意識で、エデンの園を忌避し、さらにEvilであるところの女性=自分自身を恐怖する妻の、狂った姿が描かれる。これは日本人にはちょっと分からん世界。現物としての悪魔は出てこないし、「エクソシスト」的な憑依も描かれない。その意味ではホラーでもオカルトでもなく、ヒステリーみたいなもの、と言ってもいいのかもしれない。
冒頭に「激しいシーンがあるのでボカシが入る」とお断り。で、始まってすぐの夫婦のセックスシーンでいきなりボカシ。なにがどう消されているのか分からず! 以後、2人のセックスシーンでボカシが入るのだけれど、まさか本番してるわけでもなし。陰毛が見える程度だろ? と思うのだけど。でも、後に妻がTシャツだけでうろうろする場面の陰毛にはボカシ入らず。じゃ、からみで陰毛がいかんのか? それとも勃起チンポが生ででてるのか? と思ったら、妻の陰毛の下にボカシ。ってことは、大陰唇が見えてるのか? などと妄想を膨らましてみてしまう。
息子の死に対する罪の意識でおかしくなっているだけかと思いきや、妻は以前から悪魔について考え、論文も書いていたみたい。手記のようなものが出てきて、3人の乞食がやってきたら夫を殺す、とかもいっていたような。で、その3人の乞食がわからんのでなんともいえないのだけれど、映画では星座として登場する。それ以外に3といえば、鹿、狐、烏が登場する。鹿は、子を尻からひりだそうとしている姿で。狐は自ら(?)腹を割いて内臓を見せている。烏は、夫に頭をかち割られる存在として登場。この3動物は、キリスト教的には何を表しているのかな。わからん。そういえば、エンドロールに、動物の効果はコンピュータで実施した旨の断り書きがあった。そうだろうな、当たり前だけど。
セラピーが相手とセックスしてはいけない、なーんていいつつ、渇きを訴えるようにもがき、求める妻とセックスしてしまうシーンがある。なかなかリアル。ここでボカシが入るのだけど、入らなかったらどんな風なのかな、と想像…。さらに、別の夜に、妻は夫の上に乗り快楽を貪る。てなことがあり、あるとき、妻が夫のズボンをむりやり脱がせてチンポを引きずり出し…てなシーンで、逃げる夫をボコボコにしてしまう。で、引きずり出したチンポをしごいて、いかせる。のだけれど、あそこで血が出ていたようなんだけど、たんに手でしごいただけでなく、別の何かがあったのかな? で、夫が動けないよう足首に穴を開け、そこにグラインダーのやすりを通してしまう。ううむ。夫がキリストに見えてきた。もちろんチンポはボカシなんだけど、W・デフォーの一物ではなく、きっとポルノ俳優のなんだろうなあ。
逃げる夫、追う妻。見つけて山荘まで連れてくるのだけれど、妻はこんどは、夫の手を自分の陰部にあてがったりする。なんかこー、悲惨な様相を呈してくる。で、さらに、自らに罰を与えるかのように、ハサミを取り出し、自分の小陰唇をチョッキーン! いたたたた。でも、ボカシだから、実際にどうなったかは正確には分からない。この贖罪行為もCG処理なのかい?
で、そのあとどうなったんだっけ。妻がいないスキに、夫は床下から(?)レンチを取り出し(?)てやすりを外し、妻を絞め殺す。はい。めでたしめでたし。
夫が山荘を去るとき、ロングショットになって、樹木などの部分が、白塗りの人間だらけ、というシーンは、この映画でもっともよかったところだ。つぎに、山を下る夫に対して、たくさんの人間が山を上がってくる。これはいったいなんなのかね。山荘から悪魔がいなくなったから、住人も山に入れるようになった、とかいうことなのか? ううむ、やっぱり、この映画は分からない。
そうそう。ある朝、夫が窓から出していた手の甲に豆みたいなのがたくさんくっついていたのは、あれは何だったのだ?
それから。妻が幼い息子に、靴を左右逆に履かせていたせいで、足の骨が歪んだ、みたいなことがあったけど、あれも意味が分からない。そういえば、後半で、妻はセックスしながら息子が落下する様子を見ていた、みたいになっていくけれど、だから彼女には悪魔的な部分があった、ってことになるのか? ううむ、やっぱり、よく分からない。
●でも、ちょっとわかってきたぞ。妻は、夫が好き。セックスが好き。それで、息子が落下するのを見過ごしてまでセックスを選択した。そんな自分は悪魔だ。女の快楽は悪魔的だ。自分で自分を許せない。自分を癒そうとする夫は素晴らしい。でも、癒しよりセックスが欲しい。そう思う自分は悪魔だ! こんな自分を捨てないで! 自分を捨てる夫は許せない! 拘束してやろう!(この辺りは、阿部定だな) ああ、夫じゃない、悪いのは私。私のマンコが悪い。切っちまえ! ああ! …というような映画だな、これって。
アジャストメント6/6新宿ミラノ3監督/ジョージ・ノルフィ脚本/ジョージ・ノルフィ
原題は"The Adjustment Bureau"。「調整局」という意味らしいが、調整しているのは"運命"だ。ボーン・シリーズなどの脚本家の、初監督作品らしい。正直いってつまらなかったので、途中から寝た。そもそもポスターはマット1人が走るシーンで、「ボーンシリーズのマット・デイモン」とある。しかも宣伝写真も車の上に乗るマットで、サスペンス・アクションだと思って見始めたが…。
上院議員選挙で落選した下院議員デヴィッド(マット・デイモン)が、トイレで美女エリース(エミリー・ブラント)に遭遇。で、目と目があってキスしてしまう! って、ありか? まあいい。これから巻き込まれ型のサスペンスになって、デヴィッドとエリースが逃げるのだな。…と思っていたら、なんと突然SFになった。げっ。オフィスの職員がみな「時間よ止まれ!」状態で、帽子の男たちがなにやらやっている。帽子の男たちに追われ、逃げるデヴィッド。…ではあるが、なんか様子が違う。帽子の男たちに簡単に拉致され、デヴィッドは、見たことを口外しないよう求められる。どうやら帽子の男たちは、人の行動の調整を行なっていたらしい。
この調整というのが、ちょっと分かりにくかった。そもそも帽子の男たちは何を目的に行動しているのだ? と思いつつ見ていても、解答がでてこない。なんとなく分かるのは、人間の行動は偶然に支配されているのではなく、運命によって決められている。決めているのは、彼ら帽子の男たち。そして、彼らもまた誰かの指示によって行動している、ということだ。けれど、それ以上のことが分からないので、話が俄然つまらなくなる。だって、解き明かすべき秘密がないんだから、面白かろう筈がない。というわけで、3年後に2人が再会し、エリースが舞台で足をくじいたあと辺りから意識が薄れ、ふっ、と寝てしまった。5分ぐらいでいったんは意識が戻ったけれど、またまたいつのまにか寝てしまった。というわけで、気づいたのは終わる20分前ぐらいかな。エリースが別の男と結婚しようというのを奪い去るように連れ出し、どこでもドアをかいくぐり、逃げて逃げて、ビルの屋上。そしたら、帽子男の中の黒人がやってくる。そして、デヴィッドが運命を変えることを許可する、という許可証だった。これで帽子の男たちの親玉のお墨付きをもらい、晴れて自由にエリースとつきあえる、というところでジ・エンド。けっ。つまんねえ話。
だいたい、人の運命を決める組織がどーのといいつつ、メンバー(実は天使らしい!)はとんまな連中ばかり。最初に、黒人のメンバーが公園でうたた寝し(落語「死神」を連想した)、デヴィッドのコーヒーをこぼすのに失敗。アホか。その後、デヴィッドを捕捉しても、「しゃべるな」というだけ。まともな映画なら、記憶を消去するとかなんとかかんとか、いくらでも展開はあるだろ。なんてちゃちい話だ。帽子の男たちは、落語「死神」なら神的な存在になるだろうに。自分の足で走らなくちゃならんという、まことにしょぼい連中。移動も、帽子をかぶっていることでドアが次元を超える、という程度。ドラえもんに負けてるよ。そもそも、帽子の男たちのイメージは「マトリックス」の黒服たちにダブる。どっかで見たことのあるイメージの、劣化した感じなんだよ。
それに、エリースとの関係も、実はこれまで2度ほど接点があったのに、それをムリに阻止したために何度も遭遇する運命になっているとか何とかいってたような気がするけど。それじゃ、デヴィッドとエリースはくっつく運命にあった、ってことじゃないの? まあいいや。もう一度見る時間はあったけど、見たいと思わなかったので、さっさと出ることにしたよ。だって、サスペンス性は希薄で、ファンタジック・ロマンスなんだもん。だったら、そういう売り方するなよ。こっちゃあ肩すかし食らって、がっくりだぜ。
しかし、デヴィッドの政治人生はどうなっちゃうのだ? はたまたエリースと結婚するはずの相手は? なんか、最後はみんな放り出しっぱなしだな。
マイ・バック・ページ6/8シネ・リーブル池袋1監督/山下敦弘脚本/向井康介
朝霞自衛官殺害事件(1971.08)で共犯とされた川本三郎の昔話。アバウトには知っていた。70年前後の話を、あの山下敦弘がどう映画化するか、が最大の関心事。結果的には、抑制の効いた演出がお見事、なデキになっていた。
安田講堂が陥落し、大学紛争は鎮静化。一般学生は闘争から離れていき、一部の過激な学生らが三里塚などを根拠に戦い、また、地下に潜ったりしようとしてい時期の話だ。ピース缶爆弾事件(1969〜71)、浅間山荘事件(1972.02)、三菱重工爆破事件(1974.08)なんかがつづいていて、過激度は次第に高まっていた。
川本は東大卒業後、朝日に入社。でも、社会部でも朝日ジャーナルでもなく、週刊朝日に配属されたことがお気に召していなかったみたい。1ヵ月放浪の旅を記事にしていたけれど、満足より不満がたまっていくばかり…。てな感じが冒頭にある。テキ屋の子分になってウサギを売っていたエピソードがあるけれど、そこで川本は売り物のウサギをミスから大量に殺してしまう。この辺り、川本という人物のおっちょこちょいな部分があらかじめ提示されているようで興味深い。
それにしても、当時のブン屋は破天荒な連中が多かったんだな。事件を客観的に報道するのが役目、という見方。いや、事件に関わらずして記事が書けるか! という対立があったり。この辺りは、取材対象が犯罪者である場合も多いわけで、微妙なんだろう。でも、川本は左翼的志向だったみたいだから、関わらずしてどうする、という焦りのようなものがあったみたい。潜伏中の東大闘争全学共闘会議代表・山本義隆を会場までクルマで送り、そこに私服が群がってくる。朝日の先輩記者と川本が私服に向かっていき、殴られる場面がある。あんなの、いまなら、さっさと公務執行妨害だし、犯人隠匿だ。でも、その程度は別に違和感なくやっていた、ということだ。それを本筋の前に見せておく。川本が、事件を起こしても不思議はないよなあ、と思わせる伏線になっている。
で、なんとか過激派の記事をものにしたいと思っている川本に、チャンス到来。梅山という男が接触してきた。自分は京浜安保共闘の別働隊で、武装闘争も辞さない…と話しに来る。マスコミに接触するのは、アピールのひとつ、らしい。そういう宣伝活動があったのかどうか知らないけど、傍目には、そういう行動自体が変に見える。つまりまあ、梅山という男がうさん臭い。映画もそのように描く。
あの時代は、多くの学生生徒が左翼的な考えを持った。そして、実際に行動を起こした。いまじゃとても考えられない。たとえば梅山も武力闘争がどーのといい、都内各所で爆破テロを実行し、国会を取り囲む大衆と共に蜂起する、みたいなことをいう。けど、考えればのどかなものだ。機動隊を殺すわけでもない。機動隊もデモ隊に銃を発砲しない。お互い、命は奪わない、という暗黙の合意の元に乱闘していたのだから。そうしたなかで、たまたま死傷者が出ると、大騒ぎしていた。69年70年の学生運動も、そういう妄想の中に存在していたのだけれど、多くの活動家は本気で革命が成功すると信じていたし、自分たちの行動は正しいと思っていた。どうしてそう思えたのか不思議でならないけれど、そういう時代があったのだ。
もちろん活動したいたのは10%未満の学生だったろうけれど、ある意味、それは彼らの生き甲斐でもあったんだろう。自己の存在確認が、しやすかった時代でもある。いつの時代にも若者がいて、なにかに突き動かされる。では、かつて左翼化したような若者は、どんなタイプの人間なのだろう、とふと思う。現在いる多くの若者。彼らをそのまま40年前の世界に放り込んだら、どんなタイプの若者が政治的に走り出すのだろうか、と、考えると興味深い。まあ、それはさておき、当時の学生運動は、ある意味で時代の流行であり、活動家を名乗ればモテたということもあるんじゃないかと思う。そうして、活動家に憧れる娘たちも少なからずいた。というような時代背景の中で、梅山は時代の寵児になりたかった、のだろうと思う。いわば、思想は二の次というか、手段。
梅山が、どこかの学校で討論会を開いている場面がある。仲間と言い合いになり、論理的にやり込められてしまう。梅山の底の浅さが見えて興味深い。それでか、梅山は半分地下に潜ったように装い、仲間を限定して引き込んでいく。完全に妄想に取り付かれた男であり、虚言癖がある。別な表現をすれば、詐欺師だ。そうやって仲間の娘とセックスし、さらには自衛隊から武器を奪おうとする。しかも、朝霞に侵入するのは自分ではなく、指図する立場になる。いるよな、こういうやつ。
こういう詐欺師を川本は信じ込み、自衛官が殺害された後に梅山と会う。そして、証拠の腕章を見せてもらい、それだけでなく、腕章を預からせてくれ、という。これなんか、記者としての立場を踏み外しているとしか思えない。もちろん取材源の秘匿は大切だけれど、それって、記者の自己顕示欲の免罪符になってないか? まあ、当時の時代背景を考えれば、自衛官であると言うだけで権力の手先、抑圧者、ということにはなるんだろうけど。でも、現在から過去を見ると、当時の異常さがなかなかにリアルに見えてくるから面白い。まあ、週刊誌から朝日ジャーナルに移動し、記事が書ける、とワクワクしていたんだろう。それに、川本が共犯、あるいは証拠隠滅に問われて以後も取材源を守り通したのは立派だとは思うけれど、それはほんとうにジャーナリズムか、という疑問も湧いてくる。
川本が梅山と心を通じ合うシーンが、長まわしになってる。川本の部屋で梅山が、ギターを抱える。川本の「CCRって知ってる?」に、梅山が「雨を見たかい」を弾く。「この雨って、ナパーム弾のことなんですよね」と梅山。これで川本は梅山を信じてしまう。なかなか上手いシーンだと思う。
というような視点を踏み外さず、川本をもちあげたり擁護したりせず、たんに騙されたやつ、という視点が一貫しているという点で、この映画はぶれていない。むしろ、こんな描き方をされて、川本は怒っていないのだろうか、ということが気になる。いや、その通り、と思っているのだろうか。
週刊朝日の表紙を飾っていた娘との交流が出てくる。どこまで事実なのか知らないけど、デートもしている。そして、彼女に「男が泣くのは素敵」と言われ「男はなくもんじゃない」と言い返す。これが伏線となって、ラストシーンがある。川本に判決が下され、執行猶予が与えられる。たまたま入った酒場で、テキ屋時代の男に会う。相手は焼鳥屋のオヤジだった。そこで、ひととおり挨拶した後、川本が泣くのだけれど、カメラがFIXで長まわし。この泣くシーンが、いい。その意味は如何様にも取れる。そういう終わり方が、またいい。それにしても、川本は「実はあのときは取材で…」と、彼に告白したのだろうか。気になる。それと、モデルの娘は早世したみたいだけど、これも気になっちゃうね。
プリンセス トヨトミ6/9ヒューマン・トラスト・シネマ渋谷シアター2監督/鈴木雅之脚本/相沢友子
万城目学の原作は読んでない。原作者の「鴨川ホルモー」は見ている。
会計検査院の松平(堤真一)、鳥居(綾瀬はるか)、旭ゲンズブール(岡田将生)が、調査のために大阪に行く。が、どーも調査対象の挙動がおかしい。調べていくと、大阪国の存在が見えてくる。その背景には豊臣秀吉の血筋が…。というものだけど、それって予告でいってること。だから、そんなことは冒頭10分ぐらいで済ませ、別の展開があるかと思ったら、ない。前半は同じようなシチュエーションを何度も繰り返して見せるだけで、なかなか話が前に進まない。演出がテレビ的で繰り返しやバカ丁寧すぎる部分が多い。監督がテレビ出身なせいもあるんだろうな。飽き飽きしてきて、1時間目ぐらいで睡魔が…。旭ゲンズブールが関西人だと松平に告白する辺りは覚えているなあ・・・。気がついたら、府庁舎の前で松平が何かしゃべろうとしているところ。どうも、クライマックスに至る部分を見のがしているようだ。でも、入替制だからもう一度見ることも叶わない。ま、いいかっ。
冒頭は、人気の消えた大阪。次に、大阪夏の陣で逃げる国松(秀吉の孫)。で、大阪に向かう検査員3人。これって、モロにネタバラシじゃん。最初から検査員の描写でよかったんではないのかな。で、あとは検査員があちこち調査していく過程で「?」と遭遇していく、という展開。でもOJOという組織の後に中学校?に調査に行くか? しかも、2度も行ってるが、なぜだ? この辺り、ストーリーの都合が優先しているみたいで、話に入っていけない。国松の末裔らしい橋場茶子もでてくるけど、彼女を大切にする話でもなさそう。で、OJOの近くにあるお好み焼き屋・太閤の主人真田(中井貴一)、息子の大輔、その友人の橋場茶子のサブストーリーをまぜつつ、大阪国の秘密に迫っていくのだけれど、これがミステリアスでもなんでもない。いとも簡単にバレてしまう。というより、松平がまだ疑問を抱いている段階なのに、真田が「お話ししましょう」とOJOから大阪城地下にある国会まで連れていって告白してしまうのだ。げ。なんで真田は秘密を守ることをせず、さっさと話してしまうのだ? 呆気なさ過ぎるぞ。って、予告で出してるからいいんだってか?
その後、鳥居が茶子を誘拐(?)したり、大輔がいじめっこの蜂須賀の親(ヤクザ)のところの代紋を奪いに行ったり、バタバタとサブストーリーは進むけれど、本筋には関係なさそう。で、真田が言うには、大阪国は明治政府にも認められた存在で…云々。その実態を、松平は認めない方針らしいが…なんていう辺りから寝てしまったよ。だって、面白くないから。大阪全停止(予告で知ってたけど)って、なぜそうなったんだ? よく覚えてないけど。松平への反抗? ううむ。よく分からん。
大阪国があり、大阪国民がいる、というホラ話はそれでいい。しかし、小説ではすんなり納得できる話も、映像ではそううまくはいかない。この映画もその典型。中途半端にリアリティを持ち込んでいるから、じゃあ…と突っ込みを入れたくなる。松平が気がつく程度のことを、他の日本人が気がつかない筈がないだろ、と。大阪には他県の人も東京人もたくさんくる。それを、大阪国の求心力で情報制御するのは、ムリだろ。だから、ここはもっとバカバカしいコメディにしないと話がつづかんのだよ。
そもそも、大阪国の求心力は秀吉であり、その末裔ということだよな。でも、その末裔がどこにいるかは、誰も知らない設定になっている。って、それは変だろ。じゃあ、大阪国の目的、存在意義はなによ。対東京なら、それなりの野望でも見せてくれないと、話にならんよな。いままで通り、地下国家でいいから認めてくれ、あるいは、黙っていてくれ、というのでいいのか? つまらんだろ。それじゃ。その存在が知られなかったのは、国民もマスコミも企業も、一致団結して秘密を守っていたから。であれば、それなりのバックグラウンドも見せてくれないとね。
・大輔の性同一性障害の話が、とってつけたよう。
・松平と、遊び人の父とのエピソードは、ありがちな設定で陳腐。
・大輔が奪った代紋の件はどうなった?
・OJOから国会へつながる地下道には階段があるが、車椅子の親子はどうやって昇降した?
・あの廊下を、大阪国民が親と一緒に歩くとしたら、OJOの前は行列ができてないとならんだろ。なのに、OJOの玄関前は人気がない…。
・松平が見たときOJO職員の机の引き出しはからっぽ、電話もつながってない。なのに翌日行くと元通り…って、どういうことだ? 
・OJO=王女らしいが、国松の子孫はみな女子ばかりなのか? では、これまで亭主はどうやって選んできたんだ? 茶子の両親は、どっちが子孫?
・総理大臣は真田らしいが、これは真田家が継承しているのかい? 選挙じゃないの?
・松平を撃ったのは誰? 捕まえなくていいのか?
・鳥居が見たという富士山麓の十字架には、どういう意味があるのだ? 鳥居の先祖が隠れキリシタンだったとか?(調べたら松平元康に従う鳥居元忠という武士がいた。キリシタンと関係があるのかい?)
・国松を逃がしたのは松平の先祖みたいだったけど、なんでえ?
とかまあ、突っ込みどころが満載。でも、それを逆手に取ってバカ映画にできていないところが最大の弱点だな。玉木宏は、たこ焼き屋でいい味だしてんだけど、機能してないんだよな。たんなる背景。もったいない。和久井映見は老けメイクなんだろうけど、婆さんになったなあ…。
ファースター 怒りの銃弾6/10シネマスクエアとうきゅう監督/ジョージ・ティルマン・Jr脚本/トニー・ゲイトン、ジョー・ゲイトン
原題は"Faster"。B級クライムムービー。話はシンプルなんだけど、意外なところに影の人物がいた! そういう展開はよくあるパターンだけどね。
刑務所を釈放されたドライバー(ドウェイン・ジョンソン)。かねて用意のクルマと銃で、まず1人殺害。担当の刑事(ビリー・ボブ・ソーントン)はヤク中で、でも、もうすぐ円満退職って設定。相棒の女性刑事シセロはオバチャンなんだけど、妙に色っぽかったりする。いいね。ドライバーの犯行だというのはすぐ分かって、しかも、その原因も分かってしまう。10年前、ドライバーとその兄ら4人で銀行強盗。成功したけれど、数人に待ち伏せされ、兄は殺され、ドライバーも撃たけど、一命を取り留めた。その仕返しだ。
ドライバーは、相手の探索を探偵みたいのに頼んでおいたようで、変態オヤジ、兄貴を殺した黒人…と、次々に殺していく。のだけれど、ドライバー自身も殺し屋に狙われている。依頼者は分からないけれど、どーも黒幕みたい。というわけで、追うものが、警察と殺し屋に追われる、という構成。たいした苦労もなく待ち伏せ仲間をやっつけ、いまは牧師になってる1人は殺さずに助けてやり、これでリベンジは終了かと思ったら、最後の1人が残っていた。殺し屋を雇った人物だ。
それは、ドライバーがムショに入った後、他の男と所帯を持ったかつての女か? それとも、警察署長役でちょっと顔を出していたトム・ベレンジャーか? と思っていたら、なんと担当刑事だった。ううむ。そうだよな。彼がもっとも疑わしいよな。フツー。この手の映画では、正義が実は悪、というのは常套だよな。それに気付かなかった私が悪い。ううむ。でも、うまくひっかかって、楽しめたよ。殺し屋の彼女は色っぽくて、まさにサービスカットだったし。
監督は、調べたら未公開映画が多い。見たら黒人監督で、黒人向けの映画が多いみたい。どーりでね。
パラダイス・キス6/13池袋東急監督/新城毅彦脚本/坂東賢治
WBのロゴが出てきた。配給はワーナーなのか。なんか、ワーナーで、つまんねえ映画ばかり配給してるような気がするんだが…。東アジアでの公開を目論んでいるんだろうな。北川景子って、そんな人気あるのか? ううむ。その北川景子だけど、どーも好きになれない。眉間に縦皺、ふて腐れたような唇、中央突起型の顔面。「ハンサム★スーツ」で見て、なんて花のない目立たない女優だ、と思った。でも、それ以前にも「間宮兄弟」「そのときは彼によろしく」で見てたようなんだけど、ぜーんぜん記憶にない! 俺の中では、高島礼子とともに、貧相な顔のタレントの1人という区分でしかない。この映画での彼女も、美しくないし、ゴージャス感もない。だから、どのシーンも、魅力がないのだよな。
受験勉強中の早坂紫(北川景子)。街で服飾専門学校の生徒に「モデルに」と誘われ、最初は嫌がっていたのが次第に好奇心が湧き、勉強そっちのけ。専門学校の卒業記念ファッションショーに出ることに。しかも、大学進学は止めて、プロのモデルになってしまう! という、たわいのない話。原作がコミックのせいか、設定がいろいろ変なんだよな。
早坂は高3だから18歳。その同級生の同級生が、専門学校の3年生で、卒業するという話なんだよ。ってことは、この専門学校は中卒を採ってるわけか? ジョージ(向井理)ら、専門学校の連中もみんな18歳ぐらい、というわけだよな。でも、ジョージはセックスしまくってたり、クルマも運転する。そんなのありか? ということを考えてしまうと、もう、アホらしくて見てられなくなる。
ジョージは小さいころからファッションに興味をもち、ドレスをたくさんつくってきたらしい。で、自信満々。なのに、あえて専門学校で学ぶ必要はあったのか? でも、仲間とつくったパラダイス・キスというブランドの製品はひとつも売れずにすべて返品、って。それって才能ないってことではないの?
18歳ぐらいで広々とした高層マンションに住んでるジョージ! おお。コミックの世界だ。仲間と原宿辺りのスペースを借りてるって…。ありえない! けど、コミックの世界だかんな。
たかが専門学校の卒業制作であたふたするのも、見苦しい。そんなんで受験を棒に振るかね。早坂が、なぜ成績が下がったか。受験に疑問を持つようになったか。というようなことも描かないとなあ。まあ、全般にもう、中学生向けの内容。大人がまじめに見るような話ではない。なのに、どうしてこの時期、大々的に全国拡大ロードショーするのかね。ワーナーが金だしてるから、なのかな。
アリス・クリードの失踪6/14ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/J・ブレイクソン脚本/J・ブレイクソン
原題は"The Disappearance of Alice Creed"。いやあ、面白かった。スリリングでテンポよく、カリッとした仕上がり。クライム・ムービーとしては上出来。コメディ要素もかなりあって、ずいぶん笑った。ただし、前半の「どうなるんだ?」的興味は中盤から想定内の展開になってきて、「ああ、そうきたか」「なるほど」てな感じになってしまう。なので、少し緊張の糸がゆるむ。それに、こういう一幕もの的な設定は他にもあったよなあ、というデジャヴな感じもなきにしもあらず。それでも、力業でぐいぐい引っぱっていくチカラは、なかなかのものだ。
男が2人。クルマを調達し、道具を集め、部屋を用意し、穴を掘る。そのテンポのよい描写に引き込まれる。バンの後部が開いて、女が閉じ込められる。そして、部屋のベッドに縛り付けられる。営利誘拐だ。…なんというのか、予告を見てなくて幸せだった、と思う。見てたら、「ああ、このシーンか」とか「どういう展開になるんだ?」という興味はおそらく半減したに違いない。
ダニーとヴィックはムショで出会い、計画を練った。あとから出所したヴィックが、ダニーに「あの話…」ともちかけ、計画を実行した、という筋立て。2人とも目出し帽。冷静に、着々とコトをすすめるヴィック。どことなく落ち着かず、そわそわするダニー。計画はヴィックが主導していて、監禁場所の部屋(高層ビルらしい)からときどき出ていく。これは、被害者の家族に外部の電話で連絡をとり、交渉しているらしい。残されたダニーに、誘拐されたアリスがウンコを要求する。スキを見てアリスがダニーを殴打し、拾った銃を向け発射。慌てて目出し帽をはぐダニー。なんと2人は知り合い。ヴィックの「誰を誘拐するか?」にアリスの両親が金持ちそうだから、と勧めたらしい。2人が知り合い、というより、恋人同士に近いことは、ヴィックは知らない…。この辺りから、ダニーの軟弱さが目立ってきて、ご都合主義的な展開が見えてくる。以後、床に転がった薬莢、トイレから流れていかない薬莢、アリスの誘惑にひっかかるダニー、まんまとアリスを出し抜いて携帯で警察に連絡するアリス、なんとか逆転・収拾してたダニーを疑るヴィック…と、密室の中でさまざまな出来事が発生し、アリスとダニーとの間の関係がころころ変わるが、立派にコメディになっている。驚き、笑ったのは、ダニーとヴィックが抱き合い、キスしたシーン。げっ。2人はムショでそういう関係だったのか! それで2人は意気投合? でも、アリスの誘惑に、ダニーはほいほい乗ってしまってたよなあ。いったいダニーは、ホントはどっち使いだったんだ? これは最後まで謎のまま終わってしまったけど、なかなか興味深くて面白い展開だった。
ダニーとヴィックも、互いに怪しい。ダニーはアリスに、「成功したらヴィックを殺って、金は2人で山分けだ。オヤジが嫌いだっていってただろ?」と持ちかけていた。アリスはその話にのったフリをしつつ、スキをみてダニーを出し抜いたのだった。
アリスを別の監禁場所に連れていった2人。ヴィックが現金受け渡し場所に連れていったら、穴の中はからっぽ。何と、ヴィックもダニーを出し抜いて、その穴にダニーを埋めるつもりでいたらしい。逃げるダニー、撃つヴィック。深手を負いつつ逃げるダニー…。もう、みんなの本音がどこにあるのか、分からなくなってくる。
で、場面は変わって、大金を手にしたヴィック。でも、受け渡し手段・場所をすっとばすやり方は、ちょっと不満。そりゃ、考えるのは難しいかも知れない。でも、誘拐事件の白眉だろ、それは! と思うのだけどなあ。まあいい。律儀にアリスを解放しようと思ったところに、ダニーがやってきてヴィックを撃ち殺す。ダニーはアリスを解放せず、1人でトンズラ。ああ。というところで、死に際のヴィックがアリスに鍵束を放り投げてくれた。ってことは、ヴィックは殺しをするつもりがなかった、ってことだ。アリスが鍵を外し、徒歩でダニーを追っていくと、運転中に事切れたダニーを発見。ダニーの死体を引きずり出すと、アリスはクルマで家に向かう! というラスト。
というわけで、めでたしめでたしなラストだった。なんか、予定調和過ぎて、ほんのちょっとだけあくびが出た。
スキのない脚本だけれど、1点だけ。アリスは監禁されていた部屋で銃をぶっ放している。火薬のニオイって、そう簡単に消えないと思うんだけど、ヴィックは気付かなかった、という設定なのかな。
ブロンド少女は過激に美しく6/23ギンレイホール監督/マノエル・デ・オリヴェイラ脚本/ マノエル・デ・オリヴェイラ
ポルトガル映画。原題は"Singularidades de uma Rapariga Loura"。google翻訳では「ブロンドの女の子の奇行」とでた。とても変な映画。というのは、映画的にどこがいい、というころは全然無いのだけれど、それがかえって不思議感を与えてくれる。なんなんだ、この映画は? という戸惑いのような感じかな。話は非常に単純。会計士の青年マカリオが、事務所の向かいに住んでいる娘ルイザに一目惚れし、叔父の反対を押し切って結婚するが、娘には盗癖があって別れてしまう、というそれだけの内容。物語にひねりはまったくない。その、まったくひねりがないのが薄ら気持ち悪いぐらいで、どうしてこんな話を映画に? と思ってしまう。
で、あとからWebで見たら監督は現在102歳、この映画も100歳ぐらいのときに撮ったらしい。ああ、そういえば、そんな話題があったな。それがこれなのか。というわけで、映画の内容より100歳が話題の映画だったみたい。新藤兼人も99歳で新作を撮ってたけど、この歳でよく撮れたな、ということより、こんな老いぼれによく映画を撮らせたな、という感想の方が大きいんだけど。
最初のシーンから変。オープニングタイトルは列車内なんだけど、FIXで車掌が切符を確かめているところを延々映す。左側の座席の2人が関係あるのかなと思ったら、やっぱりそうで、青年が見知らぬオバサンに失恋の告白話を始めるのだ。隣り合った赤の他人に言う話か! いまの感覚じゃないけど、話をする2人の視点が変。目を合わさず、カメラ目線でもなく、互いに前方の何かを見ている風なんだけど、視点はさまよってる。異常。
こういう変はいろいあって、マカリオが叔父と食事をするシーンが、横並びなのだ。「家族ゲーム」など同類はあるけど、やっぱ変。
ルイザが母親と外出…てんでマカリオも追いかけて…で、次のシーンではマカリオは階段を降りつつルイザの買い物を見ているのだけれど、ここはどこ? って思うよね。そしたら階上から叔父がやってきて、マカリオを連れ戻そうとする。ん? 叔父の事務所は件の店の2階にあるのか? ってことは、ルイザたちは斜向かいの店にやってきた? で、ここでスカーフだったかの盗難事件が発生していて、露骨な伏線になってたりするのだけど。
2人が知り合って、ともに好ましからざるによってキスをするシーン。カメラが下に動いて、2人の 足元を映すと、ルイザの片足がくの字型に曲がって…って、古典的な記号のような映像に笑ってしまう。
マカリオは叔父に、ルイザと結婚すると言う。すると叔父は大反対で、結婚するなら出て行け、という。マカリオは会計事務所をでて、でも無一文になって友だちのツテで某所に行き、一財産つくる…って、この件が変。まず、叔父の反対理由がまったくわからない。マカリオが某所で何をして稼いだのか、それも分からない。なんなんだ、この流れは!
そういえば、その友人に会うため、友人が入ってる社交倶楽部みたいな所に行くのだけれど、そこのフロア担当の親父が変で、「何でも知ってます」とかいう。さらに、人形集めが好きで「ほら」なんてショーケースを見せるのだけど、あれに何の意味があったのだ?
で、あんなに反対していた叔父が、突如、結婚は許す、といいはじめる。ん? 何をきっかけにそうなったのだ? これも意味不明。分からんことだらけだよ。
マカリオがルイザに合いたくて、某豪邸のパーティへでかける。ここでサイコロ賭博みたいなのが行なわれていて、ここでも「サイコロがなくなった」なんて言ってなかったっけ。これも、ルイザの手癖のせいなのか?
ヒロイン・ルイザが、絶世の美少女、というわけではないのが、残念だった。
というわけで、何だかよく分からないし、中味のない映画ではあったけれど、妙に印象には残っていたりする、不思議な映画だね。
ショパン 愛と哀しみの旋律6/23ギンレイホール監督/イェジ・アントチャク脚本/イェジ・アントチャク
2002年のポーランド映画。原題は"Chopin. Pragnienie milosci"。google翻訳では「ショパン。愛への欲求」とでた。たぶん10分ぐらいで沈没した。ショパンがパリに出て行った辺りだ。気がついたら、男が男にキスしていた。映画が始まって30分目ぐらいかも。このときすでにジョルジュ・サンドといい関係になっていて、だから、2人の最初の経緯は見そこなった。そもそもの出会いを見なかったせいもあるだろうけど、エピソードをぶっきらぼうにつないだつくりで、ダイナミズムもドラマもない。描いているのがショパンとサンドのだらだら関係で、サンドの息子のモーリスの、ショパンへの嫉妬あたりがずっと一貫して描かれてはいるけれど、あとは深みも何もない。映画の作法を知っとるのか! と喝を入れてやりたいぐらいだった。なので、正直にいって、語るべきなにものもない映画だ。だって、これを書いているのは6月29日なんだけど、もうラストシーンがどうだったかを覚えていない。それぐらい、ドラマらしいものがない。ショパンがやつれ、死んで、それで終わりだっけ?
変なシーンをひとつ見つけた。一行がどこかの屋敷を追い出されてか、何でだったか、出ていくときのこと。その家の男がサンドを馬車に乗せるため、ドアを押さえている。次のカットで、その様子を見つめている屋敷の人たちが並んでいる。その中に、ドアを押さえている男がいるのだ(たしか、そうだった)。もうあっちへ移動したのか、と思ったら、次のカットで、馬車の横に馬車を見送る男がいた。こりゃ、ミスだな。
それと、馬車に乗って帰っていくジョルジュ・ソランジュを見て、誰だっけかが「あれはショパンの馬車よ」というのだけれど、それだけでソランジュとショパンに肉体関係があった、と推定できてしまうのか? という部分が、よく分からなかった。
127時間6/29新宿武蔵野館1監督/ダニー・ボイル脚本/ダニー・ボイル、サイモン・ボーフォイ
原題も"127 Hours"。アカデミー賞にノミネートの映画だったんだな。ううむ。それにしては、軽くないかい? 監督は「スラムドッグ$ミリオネア」の人だ。ううむ。いわれて見れば、慌ただしい展開は似てるかも。
いわゆる極限状況に陥った青年の話だ。予告を少し見ていたので、崖に挟まって…というのは知っていた。でも、まるっきりそれだけの話だった。オープニングの、人、人、人。出かけようとするアーロン。水筒に水を入れるシーン、電話に出なかったシーン、アーミーナイフを取り損なった場面、などがさりげなく描かれるが、これがあとから効いてくるわけだ。
アーロンは、クルマで砂漠に広がる岩山に行く。自転車で、そして、徒歩で。途中で「トレイル」という看板があって、「ああ、あれか」と気がついた。最近聞いたpodcast「ラジオ版学問のススメ」に加藤則芳という人が出ていて、アメリカには3つのロングトレイルがあって、それを踏破するのが目標という人がいる。トレイル仲間は声をかけ合い、また、トレイルに参加している人に食事を供する家族や、参加者のために水を置いておく人たちもいる・・・。なんていう話だった。それで、これがあのトレイルか、とピンときたのだ。
トレイル大好き青年のアーロンが、岩山の裂け目に落ち、かつまた右手を岩石に挟まれて身動きとれず。127時間後に脱出する話。127時間とあるので生還するのは分かっている。では、どうやって? でもそれも、最初の頃から予想がついてしまう。
なんか危機に遭遇するだろうことが予想されるような話の進み具合で、たまたま知り合った娘2人を岩山の中の湖水に誘うときが、そう。割れ目を進み、自ら落下して楽しむ。その行為自体が危険そのもの。しかも、落下した場所に、すでに落下した仲間がいたら、大変な事故に遭いそう…と、気が気ではなかった。こいつ、無茶しそうなやつだな、という描き方がちゃんとされていたりする。
で、挟まったアーロン。所持品を岩石の上に並べ、方策を考える。中国製だか韓国製のナイフもあるのだけれど、やっぱ、誰しも想像するのは「腕を切断」だよな。それ以外、自力で逃げ出すのは考えられない。ひょっとして、ひょっとして…と思わせつつ、映画は別の方策(岩石を削る、テコの応用で岩石を持ち上げる)を探るのだけれど、ムリ。となれば、岩石を削ったおかげで切れ味のにぶったナイフなんだけど、まずはそれを腕に刺す! 笑ったのは、腕の中のイメージ映像がでてきて、刃先が骨に当たってしまう! さて、どうするのだ? という辺りから話が脱出劇から妄想になってきて、実をいうとつまらなくなる。
初恋の相手との出会い、別れ、家族、少年の頃の思い出…。それに混じって、大雨洪水で岩が動き、逃げられた、なんていう映像も出てくる。一瞬、洪水は本当か? と思わせるのだけれど、それも夢。ううむ。脱出劇だけでは単調すぎて飽きるから、という配慮なのかも知れないけど、大半はつまらない。ここで、少し眠くなってしまったよ。
で、そういう妄想が過ぎ、水がなくなって小便を飲むあたりから嫌悪すべき現実に戻り、いよいよ決断の時がやってきた。アーロンがしたのは、腕を折ること。うは。痛たたたたたたた。その上で、腕を…ああ、正視できんぜよ。片目でちらちら見だったよ。はらわたデロデロのスプラッターよりグロだ。切断過程も長く、切断部分なども見せるから、ちょっと…ね。怖い。はい、無事切断。
神経や血管を切断しながら、意外と元気なままのアーロンには驚いてしまう。少しぐらい失神しなかったのか? まあいい。岩山を登り、降り、泥水を飲み、トレイル中の家族に声をかけ、ヘリで搬送される。最後は、泳ぐアーロン。そして、その後はアーロン本人だろうか、妻と子と一緒の映像や、いまだに冒険をつづけているアーロンの姿が映し出される。ううむ。いまだに迷惑なことをやりつづけているのだね。もっとも、どこに出かけるかは、メモに残しているそうだけど。
最初に出会った娘2人が、なんとかの曲を聞いてるようじゃ彼女はできないわよ、なんて、アーロンがいないときにビデオに向かって話しているのだけれど、なんていう歌手だっけ?
そのビデオを観て、マスかこうかなと思うアーロンだけど、やっぱやめとこう、となるのは、そんな格好で死体が見つかったらかっこ悪いと思ったからなのかな?
木洩れ日の家で6/30新宿武蔵野館3監督/ドロタ・ケンジェジャフスカ脚本/ドロタ・ケンジェジャフスカ
原題は"Pora umierac"。始めロシア映画か? と思ってたんだけど、クレジットでポーランドと分かった。その程度の知識で映画を見てるのだ。
白黒映画。ポスターに色が付いていたので、モノクロとは思わなかった。最後に色が付くのかな、と思っていたら、そんなこともなかった。しかし、これは打算だろう。内容に合わせて、感情移入しやすいように白黒にしたんだと思もう。
話は単純で、ひとり古屋敷に住む老母(90歳ぐらい)アニェラの話。夫はなく、息子は別居。犬と2人暮らし。隣には、子供たちを集める音楽学校と、若い彼女を囲う(?)富豪が住んでいる。アニェラの家は、古風なまま。ペンキの塗り替えもしてなくて、お化け屋敷のよう。…という雰囲気を出すにも、白黒は一役買っている。
アニェラはボケかけている様子。最初に、家から荷物を持ち出すシーンがあるんだけど、ずっと意味が分からなかった。ピアノは置いていく、いやピアノは私のもの…なんていう話もよく分からなかった。ひょっとして、家や土地は借り物で、追い出されるのか? とも思える。なぜって、役人が勝手に敷地内に入り、検分したりしていたし…。しかし、見終わってみればあれは役人ではなく、土地鑑定しか何かかも知れない。というのは、後半になって、アニェラが住まわせていた最後の間借り人が出ていったのだろうと見当が付いてきた。もちろん家はアニェラの名義で、でも、隣家の富豪が土地を欲しがっていることから、息子は家を売ることを検討していた。なので、息子が依頼した鑑定士あたりかな。「そのうち強制退去だ」なんて捨て台詞を吐いていたし、役人ではないのかも。しかしまあ、事ほど左様に、この映画、説明が分かりにくい。
息子は、孫娘を連れて、たまに様子を見に来る。嫁はアニェラのことを魔女と呼んでいるし、息子も「躾が厳しかった」とこぼすのだけれど、まあ、これは最近の若いやつは、ということだな。というわけで、1人暮らしの背景も、割りとステレオタイプ。まあ、観客すべての経験にあてはまるシチュエーションを選んでいるのかも知れないけどね。
とはいうものの、あんな屋敷になぜ1人暮らし? 息子夫婦が親と住みたくないから、なのか。90にもなろう老母を放っておく心理が、日本人には理解しがたい。それはそうと、あの屋敷は市街地から離れているのだろうか? 別荘のような位置づけなのか? 
さて物語は、奥の身内より近くの他人の喩え通りの話になってくる。たとえば、シベリアからやってきて、音楽学校にいるドストエフスキーという少年。彼がアニェラの家に入り込もうとする。それをアニェラに見とがめられ、なんとなく友人関係のようになる。なんか、このあたりもよくある展開で、ジブリ作品みたいな感じ。さらに、妻と息子が家を売り払う画策中なのを知って(アニェラはなかなかの覗きマニアで、隣家の様子を望遠鏡でしょっちゅう見ている。それで気がついたのだ)、なんと思い出の家を隣の音楽学校に寄付してしまうのだ。もともと子供嫌いらしかったのに、ドストエフスキーのせいで土もアレルギーが緩和されたというのか、それにしても都合よすぎる展開で、納得より違和感の方が強かった。子供のことで音楽学校に文句を言いに行ったのに、逆に、若い先生(男女だけど夫婦なのかな?)に感化されてしまったのか。そのあたりも説明がない。
その寄付を宣言するとき、例のピアノが何人かによって移動されようとしている。それに「私のピアノよ」なんて言っているので、なんなんだ? と思っていたら、ピアノの下から缶がでてきて、中に宝石が入っている。それを売って回収費に充てろと言うことか。それはいい。ではなぜ、アニェラはピアノをもって行かれる…と怯えたのか。だって、ピアノの下に缶があるのょ知らせたのは、彼女本人なんじゃないのか? ううむ、よく分からん。
寄付に際しては、家の基本構造を維持した形で細ナンすること。アニェラが死ぬまで住む権利を保障すること。というわけで、ペンキも塗り替えられた家に、子供たちが楽器を持ってやってくる。音がうるさいと毛嫌いしていたのに、その音を招き入れて果たして我慢できるのか? と思っていたら、なんとその当日アニェラは座ったまま、眠るように逝っていた…。それを子供の1人が発見する。という終わり方。いやまあ、最後の最後まで、よくある展開で、ちょっと萎えた。
最後に気になったのは、息子とその嫁、太った孫娘だな。母親が家を寄付することに反対したであろう身内の大騒ぎを、ぜひ見てみたかった。「訴えてやる!」とか、大騒動にならなかったのかね。
テンペスト6/30新宿武蔵野館2監督/ジュリー・テイモア脚本/ジュリー・テイモア
原題も"The Tempest"で、意味は「嵐」。シェークスピア作だ。「テンペスト」は聞いたことあるけど、なんだっけ? 程度の浅学で、時代がかったセリフ廻しや物語の展開、復讐劇…だからシェークスピアなんじゃないの? と思ったら、やっぱりそうだった。30分ぐらい見て、2バカが黒人に出会って3バカになり、王子がタンクトップで薪を運んでいる辺りで「ジーザス・クライスト・スーパースター」みたいになってくのか? と思いつつ飽きてきて、寝てしまった。はっ、と気づいたら、3バカが森をさまよい歩き、カエルに化かされる辺り。次のシーンでは王子と王女が崖の上で結婚の誓いを…で、以降はちゃんと見た。
要は、復讐劇ね。ミラノ王が死に、妃プロスペラ(ヘレン・ミレン)が王位に就いたけれど、弟がナポリ王と結び妃と娘ミランダを追放。地中海(?)の島で暮らしていたが、近くをナポリ王と弟が航行するところを妖精の力を借りて遭難させる。で、ナポリ王の息子とミランダをいい仲にして、ミラノ王に復帰するのだ! という話。物語としては単純で、だからどうしたの話。というより、いろいろ突っ込みどころが満載で、やっぱ16世紀の舞台劇だからなあ、と思ったりした。
プロスペラは国を治めることより秘薬の調合みたいなのに夢中で、それで「魔女」の汚名を着せられ追放された、ってことになってる。けど、プロスペラは妖精を操り、嵐を起こしたりあれやこれややってる。これって魔女そのものじゃん。
もともとの島の住民だったキャリバンっていう黒人がいるんだけど、これがひどい扱いなのだ。まあ、アフリカに近い島なので黒人が住んでいるのだろうけど、言葉も知らない野蛮人を、プロスペラが仕込んだ、という設定になってる。でも、中味は愚鈍なままで、あきらかに黒人蔑視。16世紀の話だからしょうがないといえばそうなんだけど…。
キャリバンと船乗り2人の3バカの部分は、いったい何を表現しようとしたのだろうか >> シェークスピア 単なる道化としてのお笑いネタなのかね? もっとも、現代のテンポではとても笑えないんだけど。
人間といえば母のプロスペラと奴隷のキャリバンしか知らないミランダ。そのミランダに若い男を会わせれば、恋に落ちるのは当たり前かもな。でも、母がミラノ王に復帰してミランダもミラノに戻ったら、世の中にはイケメンがいっぱいいるのね、って、ことにならんのか?
解放してやる、解放してやる、といいつつ、「この仕事を終えてから」と引っぱられっぱなしの妖精エアリエルも可哀想。さっさと解放してやり、そのうえで協力するようにすればいいのに、とか思ってしまったよ。
しかし、シェークスピアは現代の映画には不向きだ。大幅に脚色しなくちゃな。でも、この映画は元の台詞を大切にしているみたいで、大仰な言い回しに満ちている。まあ、オリジナルを十分に知った人が、どんな具合に映像化するのかな? といって見る、ってなのが、この映画の楽しみ方かも知れないね。

 
 

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