シャンハイ | 9/1 | MOVIX亀有シアター3 | 監督/ミカエル・ハフストローム | 脚本/ホセイン・アミニ |
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原題も"Shanhai"。渡辺謙、菊地凛子出演の米映画。主演はジョン・キューザック。相手役がコン・リー。脇にチョウ・ユンファとデヴィッド・モース。日本人役に渡辺謙って感じ。渡辺謙は台詞もそんな多くないし、話を転がす役割だけ演じている感じ。あいかわらず台詞は棒読み。菊地凛子は台詞2つ。それも短いの。またまた唖の役かと思ったよ。 上海租界。1941年。で、なんとなくぼーっと見てて、途中で空母・加賀の話が出てきて、ああそうか、と気づいた(遅いって?)。真珠湾前夜の、スパイの攻防か、と。がしかし、そういう話には全然ならなくて、終わってみればいったい何の話だったのだ? と首をひねってしまうような底の浅い映画だった。ダイナミズムもスリルもなく、ミステリアスな部分もなく、肩すかし。ちぇっ。 アメリカのスパイポール・ソームズ(キューザック)が上海にやってくる。新聞記者となって情報収集するのだけれど、いきなり旧友で同僚のコナーが殺される。直前、コナーはスミコ(菊地凛子)と一発やって、の帰路だった。で、日本租界でコナーが使っていた情報屋キタと接触を試みるも、日本軍の誰何にあう。と、なーんと、その場で日本兵2人を殺して逃亡しちゃうのだ! ひぇー。それじゃ翌日は大変な騒ぎになるだろうと思ったら、そんなことは関係なく話が進む! ま、とにかく、キタとの接触に成功。スミコはタナカ大佐の愛人で、コナーはそこから情報収集していたことを知る。ソームズは復讐に燃え、犯人捜しをつづける。そこで中国人大物アンソニー・ランティン(チョウ・ユンファ)とその妻アンナ(コン・リー)、タナカ大佐(渡辺謙)と知り合いになる。タナカに使われ不満顔のアンソニー(最後まで何をやってる人物か分からなかった)。ソームズに疑いの目を向けるタナカ。(ってことがあり得るか? アンナが抗日レジスタンス活動家であることを知るソームズ! ってな展開で、スミコはいずこ? という話が核になっていく。 のだけれど、アンナのあんな大っぴらな動きにアンソニーが気づかないというのは変だろ。金だけ出して自分は動かないならまだしも、あれこれちょこちょこ動き回ってるんだぜ。それに、タナカ大佐の仕事は本来何なのだ? 彼も諜報部員か? 部下が活躍するでなし、これも変なの。さらに、ソームズを雇った新聞社の上司は、彼がスパイダということを知らないみたいなのだけれど、そうなのか? これもあり得ん話だよな。 というわけで、スミコはタナカから艦隊の動向を聞き出し、コナーはスミコからその情報を得ていたらしいことを知る。というわけで、それでは真珠湾攻撃の阻止をめぐって大立ち回りがスリリングに、アクションも交えて始まるのかと思ったら大違い。なーんと、加賀の動きが真珠湾攻撃と関係あると言うことを、だーれも知らなかったという大笑いな展開だった。だって、タナカ大佐自身がそういうのだから間違いない。 それに、スミコの問題がある。ソームズがスミコを探すのは、コナー殺しの犯人の手がかりを求めてだ。それは分かる。がしかし、かくまっていたのはアンナを含む抗日レジスタンス。ではなぜレジスタンスはスミコをかくまう必要があったのだ? アンナは、捕まっている仲間を助けるため、スミコ捕虜交換に出すという話をしていた。けれど、「たとえタナカがスミコを発見しても、殺してしまうだろう」と誰かが言ってたよな。ってことは、スミコにもう価値がないということだ。なのにアンナたちは命を張ってスミコを上海から海外に脱出させようとしたり、最後は隠れ家みたいな所に連れ込む。そして、タナカに率いられた日本軍&アンソニーらと撃ち合いまでして確保しつづけようとする。その本意が分からない。それにスミコはもう麻薬でへろへろで、タナカが麻薬を打って安楽死させてしまうぐらいなんだぜ。ううむ。説得力が足りなくないか? しかも、先述したように、真珠湾攻撃をめぐるスパイ合戦があるわけでもない。たんなる仲間の死に対する私怨で右往左往してるだけ。あほか、と思う。 変なところがたくさんある。タナカはなぜスミコを愛人にしているのだ? しかも、アヘン窟に入り浸るような女を…。で、そのスミコは本来どういう女性なのだ? 日本人らしいキタという情報屋は、なぜに米国スパイの手下になったりしたのだ? で、そのキタが処刑されるとき、立ったまま背後から首を切り落とされるのだが、それはないだろ。(後から調べたら、彼は日本領事館の人間らしい。そんな…白昼堂々米国スパイと会うなんて、信じられん) タナカがソームズを拷問するシーン。天井の高い広い部屋なんだが、その壁に旭日旗がドーンと下がっているのだけれど、それってドイツ帝国の真似じゃん。 それにしても、日本租界じゃ日本軍が誰彼構わず逃げるやつは背後からバンバン撃ち殺してるみたいな描き方で、おいおい、だな。 ソームズとドイツ人夫妻の関係って、なんなのだ? 夫婦仲がイマイチ程度で、そう簡単に婦人がソームズと寝ちゃうなんて。しかも、亭主がもっていた空母搭載の爆弾(?)の図面をミノックス(?)で写しているところを夫人に目撃されるとは…情けないスパイ。それに、夫人はただのオバサンで、とくに女性的に魅力が有るわけでもない。ううむ。 最後の撃ち合いで、アンソニーは誰に撃たれたのか早すぎて分からなかったよ。…とかなんとか、いまいちピリッとしない映画だったなあ。期待外れ。 あー、それから。コン・リーは正面から光りが当たってる状態では美人に見えるのだけれど、うつむいたり横を向くと立派なアゴが強調され、しかも、若々しさも失せてフツーのオバサン顔になってしまう。撮り方を工夫しないとな。 それと、魔都上海の妖しさ、いかがわしさがちっとも表現されていない。これも減点だな。要するに、未消化。人間を描ききれていないから、薄っぺらな話になってしまう。人物の背景まで分かるように撮らないとなあ。 | ||||
ハウスメイド | 9/2 | 新宿ミラノ3 | 監督/イム・サンス | 脚本/イム・サンス |
韓国映画。予告編は、ちょっと見た。なんか妖しい雰囲気で、少し期待した。でも、「それ以上」の展開がない。予想を超える何か、がない映画はつまらない。30分ぐらいまで、主人のフンがウニのところに通ってくるようになって…という辺りまではヒキがあったけれど、以降は話の堂々めぐりで退屈。結局、少しだけ(たぶん数分)寝てしまった。それ以後も思いがけない展開もなく、だらだらだらだら…。こまったものである。 冒頭に、繁華街での投身自殺。それを見に行く飲食店の店員と、その友だち(でぶ)?のエピソード。で、これは何かのちに関係があるのかというと、ほとんどない。せいぜい、ウニもまた後に投身首つり自殺するというアナロジー? それぐらいで、深い意味はない。むしろ、ない方がスッキリすると思う。 で、その店員が、住み込みの女中の職を得ることになったらしい。面接したのは、先輩である年配の女中ビョンシク。というわけで、主人フン、妊娠中の妻ヘラ、娘のナミ、ビョンシクとの生活が始まる。 「おばさん」という言い方に最初戸惑った。住み込み女中=ハウスメイドは、「おばさん」と呼ばれるらしい。若いウニも同様だ。 で、妻が妊娠中のところに若い女中ときたら、主人とわりない仲というのは定番。フンがアプローチして、「なめろ」とチンポを差し出すところから始まって、バックで責める場面がつづく。最初に、本を読んでいるウニの所にやってきたフンが、ウニの身体に指を滑らすシーンがエロい。ウニの白いショーツに、性器の割れ目が透けて見える(ように工作しているのだとは思うが)ほど。ううむ。これはこれから期待できるかも。と思った私がアホだった。 以降、ウニの妊娠がビョンシクによって発見される。ビョンシクは奥さまヘラの母親に告げる。と同時に、シャンデリアを清掃中のウニが、ヘラに意図的に落下させられる(のだったよな。ヘラの母親に、だっけ?)。ケガで入院したウニは、遅ればせながら妊娠を知る…。というところ辺りで、話は出揃った。さあ、次はどうなるか。しかし、どーにもならんのだよ。ウニは病院から屋敷に戻り、ごろごろ。フンは金で済まそうとする。ヘラとその母は、ウニに「でていけ」という。でも、ウニはでていかない。主人の味方のようでもあり、ウニに味方するようでもあるビョンシクと何を考えているのか? というような状況で、話が前に進まないまま堂々めぐり。そのうち意外な展開に…と思えど、結局はそうならず。ごくフツーに子供を堕ろしたウニが、邸内の2階から飛び降り首つりし、そしたら、どーゆーわけかウニが火だるまになるという決着。 最後に、また新たに若い女中を雇った一家が、別荘でくつろいでいるシーンで終わる。なんだよ。つまんねえの。 話に厚みがない。ウニも、どういう人生を送ってきたのか、描かれない。その友だちのデブ女との関係も、よく分からない。ここを掘り下げないと。意味ないよな。 ウニ役のチョン・ドヨンは、撮影時の実年齢は37歳のようだけれどスタイルがよく、おっぱいも垂れていない。でも、いとうあさこ似の不細工だ…。 妊娠中のヘラがしょっちゅうワインを飲んでるんだけど、それって推奨できないのではないの? | ||||
日輪の遺産 | 9/6 | シネ・リーブル池袋2 | 監督/佐々部清 | 脚本/青島武 |
いろいろズレまくってる変な映画。題名から、日輪という僧の伝記か何かと思っていたのだけれど、堺雅人の軍服姿の写真はみていたので、時代劇ではないだろうとは思っていた。が、埋蔵金とひめゆりの塔まがいの話をくっつけた、ちんけな話だとは思わなかった。 話は3つの次元で構成される。現在のアメリカ。ここでは、マッカーサーの通訳だったイガラシという男が、取材を受けている。現在の日本。かつての女子高生金原久枝が、夫の死を契機にかつて起こった話を息子、孫娘、孫娘の婚約者に話していく。そして、映画の大半を占めるパートが、昭和20年8月10日から15日にかけての話。 はっきりいって、現在のアメリカのシーンは不要。せいぜい小泉中尉の最後の説明に都合がいいぐらいで、ほとんど意味がない。そもそもイガラシがどうしていまになってかつての話をべらべら記者にしゃべるのか? その設定自体も「?」だ。 金原久枝が過去を語る、というパートも、たいした必然性はない。森脇女学校の現在が少し見えるだけで、石碑に刻まれた名前&嘘云々も、迫ってこない。孫娘(麻生久美子)の話なんて、本来、どうでもいいはずだ。それに、理解できないのが真柴少佐の手記。真柴は任務遂行中、克明に動向をメモってて、それを残していた。久枝はそれを読みつつ説明するのだけれど、「誰にも知られてはいけない任務」なのに、そんなの残すやつがいるか? しかも、そのメモがなぜか金原家につたわっている…って、変だろ。 かつて山下大将が奪ったマッカーサーの財宝が日本にあったらしい。ポツダム宣言をつきつけられ、軍首脳部はその財宝を将来の日本のため多摩の方にある陸軍工場の穴蔵に隠すことを思い立つ。指名されたのは、近衛師団の真柴少佐、経理部の小泉主計中尉の2人。それに、護衛に望月曹長がつけられた。…って、たった3人でそんな任務を遂行できるのかい? この時点で嘘っぽい。そもそも財宝ってなによ。マッカーサー個人のものなの? シンガポール陥落のときにせしめたのか? じゃ、知ってる軍人はたくさんいるんじゃないのか? この映画で分かりにくいのは、軍首脳部の構成だ。2人が呼ばれた部屋にいたのは、Webで見ると阿南陸軍大臣、梅津参謀総長、田中東部軍司令官、森近衛師団長、杉山第一総軍司令官…らしい。陸軍大臣がいちばん偉そうだけど、あとの連中はどういう格付けなのだかよく分からんよ。いずれ将官なんだろうけど、そんなの分かるやつは、もう日本にはいないぜ、ほとんど。で、この陸軍の偉いさんたちが勝手に決めたのか? 何のために? というところが、最後までよく分からず。 で、マッカーサーの黄金が日本に運ばれ、どこかにしまわれていた。それをトラックか何かで東京駅に運び、列車は南北線経由で陸軍工場付近の駅へ。駅から工場への運搬を、真柴、小泉、望月の3人と、森脇女学校の生徒20人、教師の野口が行なった、ということになっている。真柴らはマントにサイドカーの伝令がもってくる指示書に従って実施するだけ。ということは、別に立案者がいるってことだが、その影は見えない。まさか軍首脳部の連中じゃあるまい。だってのちに、阿南陸軍大臣が自決しつつ、「民間人を殺せとは言っとらん」と告白するのだ。ってことは、女生徒らの殺害を計画したのは、別にいるってことだもんな。 それと、陸軍工場が、真柴の到着とともに空っぽになるのは、どういうこっちゃ? 工場長のような上官と引き継ぎをするんだけど、その上官は計画を知らなかったのか? なんか、あっさりし過ぎというか、工場長や工場にいた連中からすれば、真柴らは怪しすぎるよな。 わざわざ女学生をつかったのは、左翼的な野口へのいやがらせと、計画の隠匿が目的だったらしいけど。女学生なんかつかわず兵隊を3〜4人使った方が効率的だし、後始末も簡単じゃないの? 20人もの女学生を死人に口なしにするなんていうことを、誰が発案したのだ? 描かれていない! 金塊を運び終わって、伝令が「3人残して他は始末せよ」の命令書を持ってくる。それを見て小泉はびっくりするけど、うぶすぎるだろ。観客はみな分かってるぜ、そんなこと。あほくさ。 で、始末するのは忍びないので、真柴は市ヶ谷の参謀本部(近衛師団?)へ行くが、近衛兵たちは徹底抗戦を主張して上官を殺害。それではと阿南宅へ行くと、大臣は切腹中なのが笑えた。そんなタイミングよく行くなよ。ってか、家人はどうした? でまあ、先述の「民間人をまきこむな」の言質を取り、戻る。のだけれど、なーんと、風呂掃除中だった級長の久枝を除く19人の女学生は金塊を運び込んだ壕のなかで集団自決してしまうのだ。こうなるのは慰霊碑がでていたから自明なんだけど、なんで? ラスト近く、モノローグが語られるのだけれど、これが父親が海軍中佐の貧血少女の声だとすると、彼女が「死のう」と言ったことになる。そのちょっと前にも、真柴が「任務は終わった。帰ってよい」と言ったとき、彼女が「それでいいんですか?」と真柴に聞きに来ていた。この2点から推定すると、死に至らしめたのは貧血少女だと思う。 でも、分っかりにくいんだよ、この映画。そもそも女学生が、1人過激な質問をする体格のいい娘を除くと、ほとんど見分けがつかない。せめて級長と貧血少女ぐらいは顔と行動が分かるぐらいに描き込まないとな。でも、それがあっても、彼女たちが死なねばならなかった理由がよく分からない。そういう時代だった、では説得力はない。そういう時代だったことを、映画の中で表現しないと、意味がない。でも、できていない。それに、貧血少女が「私たちはお国のためにこの秘密を墓場にもって行くの」といったところで、残りの18人が「うんうん」と素直に従ったかどうかも疑わしい。体格のいい娘ぐらい反論したんじゃないのか? それに、級長が不在の状態で、彼女を残して死ねるものなのか? ってか、級長の久枝に黙って死ぬなんて、久枝がどんだけ嫌われていたか、だよな。 もっとも分からないのが、マッカーサーの金塊の使い道だ。日本の復興に使う、なんぞといっていたけれど、いったい誰が、いつ、どう使うことになるのかは曖昧にしか言及されていない。小泉中尉は、「日本が負けるとインフレになって1千万人が死ぬ(だっけ?)」とかいってたけど、じゃなんで1千万人が死なないために使わないのだ? と思ってしまったよ。だって、使うのはいつになるか分からない。何10年後かも分からない。なんても言っていた。では、あの金塊の在りかを知っているやつは、何人ぐらい、どこにいるのだよ。さらに、小泉中尉はマッカーサーに直談判。「アメリカの債券を使って日本を復興させる云々」の提案を拒否されると、マッカーサーの前で自決してしまう。あほか。で、それを見たマッカーサーは、小泉案を自案として米国にファクスしてしまうって…。おいおい。安直すぎるだろ。 末期がんでもある梅津参謀長に無理やり面会に行く、真柴。この許可を、マッカーサーの通訳が下すというのも、変だよな。頼み込むときは、土下座。あほか。で、会って挨拶するだけで、何も意味がない。単にここは、沢庵のエピソードのために付け加えられたシーンのように見える。 要するに、上官の命令には服従。責任は死を持ってこれに報いる。こういう感覚が、軍部だけでなく女学生の生徒にも染み渡っていた、という前提がちゃんと伝わらないと、この話の空しさは痛切に伝わってこないはず。でも、それができていないから、登場人物たちの行動がアホらしく見えてしまうのだ。それに、それがなくては、教師である野口の、自由への憧れが悲劇に終わるドラマも引き立たない。もちろん、同情や感動もつたわってこない。みんな嘘くさく見えてしまうのだ。 嘘くさいといえばマントの伝令で、こんなに怪しいやつはいない。旧式の軍服にマント。それが、誰とも知れぬ立案者からの命令書を運んでくる。まあこれは、好意的に解釈してやるとするなら、日本軍に連綿と染み着いてきた悪しき伝統の象徴のようなものではないかと思う。しかし、それにしたって、伝令は存在したわけで。その伝令はすべてお見通しで、級長の久枝を抹殺しに1人でやってくる。ところが、久枝に向けられた銃口の前に立ちふさがった真柴=椿三十郎は、あっという間に軍刀で伝令を切り捨てる。血しぶきが真柴にかかる! 本来なら劇的なこのシーンで、またまた笑ってしまった。おいおい。 ・工場の壕に煉瓦で蓋をしたぐらいで、金塊のありかが米軍に分からないとでも思ったのか? ・最初の方で登場する、厚木のマッカーサー。お笑いタレントが真似してるみたいにしか見えなかったぜ。 ・望月は、級長の金原久枝と結婚するのだが、中村獅童と女学生じゃ、どう見ても犯罪だよ。で、金原となった望月は資産を市に寄付する遺言したのに、金原息子、孫娘は「寄付はやめようよ」なんて軽く言ったりする。おーい。お前らー。 望月(金原)の葬儀で、火葬場の煙突から白煙が…。いまどきそんなの、ないぜ。 てなわけで、半端な映画を見せられてしまった。困ったもんである。 | ||||
スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団 | 9/7 | キネカ大森1 | 監督/エドガー・ライト | 脚本/マイケル・バコール、エドガー・ライト |
原題は"Scott Pilgrim vs. the World"。主人公の名がスコット・ピルグリム。ゲームオタク。日本のアニメキャラも好き。初めての女の子には、Pac-ManがPucではなくPacなのは、PをFに簡単に変えられないようにした、ってエピソードを自慢気に話す。スコットはゲイの男の子と同居していて、他にも、バンド仲間が2人いる。軟弱なオタクかと思いきや、1年前に別れた彼女はいまやメジャーデビュー。差をつけられてる。てなスコットが、17歳の中国人女子高生ナイブスとつきあい始めたというので、周囲は「そりゃいかん」と忠告。これは18歳以下との交際が犯罪になる可能性があるとかあるんだろうけど。なーんだ。軟弱じゃないじゃん。と思っていたら、今度は髪を染めた色っぽい娘ラモーナに一目惚れしてアタック。デートの約束を取り付けるけど、こっからが本題。ラモーナには7人の元カレがいて、それを倒さないと恋人にはなれない! ってわけで、ここから戦いの日々が始まる。 ってわけで、以後はインド人や俳優、レズ相手、日本人兄弟だの7組の元カレ(元カノ)が登場し、それを倒して、ボス的な元カレ=音楽プロデューサーに挑む。のだけれど、元カレとの戦いが始まって一気につまらなくなった。だって、そこにはゲームのパロディ=実写化はあっても、ドラマがないから。 戦いの前までは、それなりに面白かった。スコットの友だちや妹、バンド仲間のあれやこれやもあったりして、それなりにドラマとして進行していた。なのに、戦い以降はゲームをなぞってるだけ。しかも、スコットはかなりパワーがあってどんどん元カレたちを倒していく。さすがにボスキャラには一度負かされるが、再挑戦で打ち勝つ。まあ、定番の流れだろうけど、あっけなく勝っていくのがつまらない。苦境に立って誰かの助けを借りるとか、困難を克服するため何らかの努力をするとか、そういうのもない。淡々と進行する。これじゃ、飽きてくる。 で、ボスキャラを倒すと、ラモーナは「ナイブスとつきあって」といって立ち去ろうとするのだけれど、スコットはラモーナに愛を告白し結ばれる、なんだけど、ひどくないか? それって。スコットを好きなナイブスをそんな簡単に捨てちゃうのかよ。おい。そんな気分になるね。 ナイブスがいるのにラモーナにアタックするお前はなんなんだ? とか、軟弱に見えてスコットがモテるのはなぜなんだ? とか、オタクが肉食系じゃしょうがないだろもとか。いろいろ「?」がありすぎだと思うが。 冒頭から人物紹介にゲームみたいにデータが表示されたりするのだが、画面転換が慌ただしくて文字を読むのが精一杯。なので、最初はちょっとあわてた。そのうち落ち着いてくるけど、それにつれて内容はつまらなくなっていく。しかし、人物関係が複雑怪奇で、Webで荒筋を読んで、同居人や、いつもバイトしてるメガネの女の子の関係性が少し分かってきたりした。もういちど見ると、少しは理解が深まるかも。って、深まらなくてもいいんだけど。 | ||||
ショーン・オブ・ザ・デッド | 9/7 | キネカ大森1 | 監督/エドガー・ライト | 脚本/サイモン・ペッグ、エドガー・ライト |
原題は"Shaun of the Dead"。日本未公開らしいけど、これが本邦初公開になるのかな? 英国映画。 よくあるゾンビ物かと思ったら、これがかなり面白かった。パターンとしては「ゾンビランド」なんかと同じで、生き残った連中が安全な場所をもとめて移動する。「ゾンビランド」はクルマで遊園地をめざすのだけれど、こちらは、行きつけのパブをめざす。で、最後はゾンビたちに囲まれて…。 主人公は家電店に勤めてるショーン。ショーンはでぶの友人エドと同居してる。もうひとり同居人ピートがいて、彼は堅物。ショーンにはリズという彼女がいて、エドと3人で毎晩ハブに行く。リズは「もうハブは嫌」と言うのでレストランに行くことにするが、予約を忘れデートはパア。それでリズはショーンを降ってしまう…というお笑いロマンスの部分がしっかりあって、その裏で怪しい病原菌が流行して街はゾンビ化…という話。なのだけれど、ショーンもエドも、テレビを見ているにも係わらず肝心のニュースはあまり見ず、世の中のことを知らない。というか、関心がない。ショーンは毎日判で押したように起き、近くのコンビニに寄り、勤め先まで行く。最初は街の住人もコンビニのオヤジもフツーだけど、翌日の街はゾンビがうろつき、コンビニも人気がなくなるのに、ショーンは気づかない…なんていう描写が笑える。庭にゾンビが入り込んでもフツーのオバチャンと思って、襲われるショーンの様子をエドがカメラに撮ったりする。大笑い。かように笑いのネタが分かりやすく、世界共通のが多い。「俺たち〜」シリーズみたいな、ネイティブじゃないと分からないようなのが、ない。 で、街がゾンビ化したのにやっと気づいたショーンエド。ショーンは母親と義父の家に行ったり、リズの家に行って同居しているデービッドとダイアンを引っ張り出したりして、一堂、パブへ向かう。これが、根拠なく「パブは安全。ビールが飲める」だからなんだけど、アホらしい。義父がゾンビ化し、やっとハブにたどりつけば周囲はゾンビだらけ。なんとか中に入っても、ゾンビたち中へ…。てなわけで、最終的に生き残るのは定番のようにショーンとリズ。2人の仲も戻り、ゾンビ化したエドは離れで首輪して飼ってる。そのエドと2人でゲームしているってラスト。いや、楽しかった。「スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団」と同じ監督とは思えないデキだ。 リズが、そんなにいい女じゃないのが、いい。ショーンが働く家電店の、10代の部下たちがガムくちゃくちゃ朝礼中に携帯に出る…なんてのは、いずこも同じだね。 | ||||
ゴーストライター | 9/8 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/ロマン・ポランスキー | 脚本/ロバート・ハリス、ロマン・ポランスキー |
原題は"The Ghost Writer"。ものすごいスリリングな話かと思ったら、そんなでもなかった。エンジンがかかるのに時間がかかり、佳境に入ったかと思ったら、盛り上がりがいまいち。ネタバレもちゃちくて、オチも、どこに意外性があるんだ? ってな具合。途中で何度か退屈して眠くなったりもした。寝なかったけどね。でも、思わせぶりな割りに、大したことがなかった。 英国の元首相アダム・ラングが自叙伝を執筆することになった。最初のゴースト・ライターが事故死し、白羽の矢が立ったのが主人公のゴースト(ユアン・マクレガー)。リライト料24万ドルで仕事を受け、ラング邸のある島(米国のようだけれど、場所がわからない)に渡る。元首相にしては豪邸で、警備も厳重。ガードマンや秘書もたくさんいる。ゴーストはラングにインタビューを始めるのだけれど、ここでラングのスキャンダルが発覚。戦時中(英国がどこと戦ったかは言及なし。イラク戦争への参加のことを指しているのか?)、英国市民であるアラブ系の何人かを米CIAに引き渡し、拷問死させたとか、そんな感じの国際法違反で追及される。それでラングは、国際法に加盟していない米国に逃げる。ゴーストは、前のゴーストだったマカラがケンブリッジ大学から取り寄せた写真・文書を発見。そこには、ラング自身が「入党した」という年の2年前に入党していた事実が書かれていた。死に疑問を抱いたゴーストは門外不出の元原稿をもって島を抜け出すが、カーナビにはマカラが死の直前につかったデータが残されていて、指示通りに行くとラングのケンブリッジ時代の恩師エメットの家にたどりつく。エメットはCIAと関係があり、それでラングが…? 謎のクルマに追尾されながらも島に戻ろうとフェリーニ乗り込むが、クルマをフェリーに残し、戻るゴースト。写真裏面に書かれていた電話番号から、ラングの政敵ライカールトに連絡し、あらいざらい告白。ライカールトは、原稿の冒頭に秘密がある、というのだが分からない。そこに、ラングの妻ルースから電話があり、自家用ジェットでイギリスへ(だっけか?)向かうところだけれど、ピックアップしてやろうか、という。で、自家用ジェットに乗せてもらいイギリスへ到着するが、ラングはスナイパーに撃たれてしまう。…本が完成し、出版パーティ。ルースに招かれ、ゴーストもパーティに出席。ゴーストは、例の元原稿をルースへの土産に持ってくるが、はたと気づいて冒頭の段落ごとの最初の単語をつないでいくと…ルースがCIAに関係していたことが分かる。それを、メモでルースに伝えるゴースト。ゴーストは秘密を解明し、意気揚々と通りに出るが、轢かれて死んでしまう。 …という話だったと思うんだが…。違ってるかな? 話は、昨今のめくるめく展開で分かりにくい、ということはない。どちらかというと、じっくりどっしり。なんだけど、いろいろツッコミどころもある。 ・元首相の自叙伝に2000万ドル(?)もかけるというのが「?」。リライト料に24万ドル? ・あの元原稿はマカラが書いたのか? でも、全面書き替えが必要なほどのデキってことは、マカラの文才は…。 マカラもラングの嘘に感づき、真実に迫った。だから殺された。でも、CIAに近いのがラングじゃなく、ルーだったという事実にどれだけのインパクトがあるのだ? マカラを抹殺し、ゴーストをも殺さなければならないほどのことか? ラングはCIAのルースに勧誘されるように政治の世界に…。で、女房に操られていた、ってことか。それがどうかしたか? 恩師エメットがCIAに関係あり、ってのはWebにがんがん載っている。そんなの秘密でも何でもないじゃん! で、得体の知れない誰かに追われているからと、ラングの敵であるライカールトとコンタクトし、すべてにしたがい、なんでもぺらぺらしゃべってしまうゴーストって、どうよ。ライカールトはそんなに信頼できる相手なのかい? わしゃ不用心すぎると思うがな。 で、ルースがゴーストのベッドにもぐり込み、一夜を過ごしてしまうって、どういう目的だったのだ? しかも、そのことはガードマン全員が知っているって…おいおいだぜ。 てなわけで、いまひとつワクワク感も意外性も感じられなかった「ゴーストライター」。ラングの国際法違反に関しても、どのぐらいヒドいことなのかピンとくることもなく、なんかなあ、なんて思いつつ見終えたのであった。 10時20分の初回なのに、8割の入り。次の回は満員の様子だった。オジサンオバサン度高く、ポランスキーのブランドが効いているのかもね。でも、客の半分以上がクレジットが始まると退席してしまう類の客だったけど。 | ||||
レイン・オブ・アサシン | 9/13 | 新宿武蔵野館1 | 監督/スー・チャオビン、ジョン・ウー | 脚本/スー・チャオビン |
原題は"劍雨江湖"。英文タイトルが"Reign of Assassins"。Reignは時代、治世という意味の方なのか。なるほど。「暗殺者の雨」ってなんだ? って思ってたんだが、「暗殺者の時代」なら、わかるが。でも、原題には「剣雨」とあるんだが、Rainとは関係あるのか? 最初に、現代劇のシーンが連続して映る。あれ? この映画って、時代劇じゃなかったっけ? と思っているうちにタイトルが映る。「アクシデント 意外」。ん? 原題がこうなのか? でも、なんでカタカナが? と思っていると、別のタイトルが…。なんだなんだ? さっきのは予告編なのか? 予告編つきの本編? それでカタカナが…。帰ってから調べたら2008年の映画だ。で、日本公開は10月8日になってる。公開が決まってるから、本編の前に予告編をくっつけたプリントをつくり、送ってきたということか。ううむ。何なんだよ。 と、もやもやしているところに、紙芝居のように発端と以後の経過が説明される冒頭部分がきた。こっちは不意を食らって、頭が働かぬ。インド僧のミイラが上半身と下半身に分割された? 黒石グループと何とかいうグループが争って? ん? なんだなんだ? という間に説明が終わり、女性が新居に入る様子が映る。と、カットバックで過去。子供も無残に殺していく女…。なんか分からんが、追っ手を振り切り、武術のパートナーと巡り会うが、教えてもらっていない4つの剣がどうたらで、それを教えてもらう。のだけれど、パートナーは「仏門に入ることにした」というのだか、稽古しているうちに女がパートナーを殺してしまう。というか、パートナーは彼女にやられるつもりだったみたい・・・。で、女は何とかいう寺の和尚に行く末を相談し、暗殺者をやめる決断をする。で、顔を整形して一般人となって新居に…。という流れ。こりゃついていけないや、という鬱な気分になってしまった。 Webで見ると「明朝時代の中国。暗殺組織“黒石”によって時の宰相、張海端とその息子が暗殺される。“黒石”の首領、転輪王(ワン・シュエチー)の目的は、それを手中に収めた者が武術界の覇権を握ると言われている、武術の奥義を極めた達磨大師のミイラ強奪。張宰相が二つに引き裂かれた遺体の上半身を隠し持っているとの噂を聞きつけ、屋敷を襲撃したのだ。しかしその計画は思わぬ誤算によって失敗する。最も信頼を寄せる部下、細雨(ケリー・リン)が混乱に乗じて達磨の遺体を奪い、姿を消したのだ。過去との決別を願い、都へと向かう細雨。顔を変え、“曽静”(ミシェル・ヨー)という名で空き家を借り、新たな人生を歩み始める。」とあって、やっぱり少し違うみたい。これを紙芝居+数カットで見せるんじゃなくて、ちゃんと芝居しろよ、といいたい。 それにしても、細雨がミイラを持って逃げる理由、暗殺集団から抜ける理由が分からない。さらに、ミイラの上半身・下半身を誰がどこに持っているのか、っていうのも分かりにくい。まあ、この映画はアクションを見せる映画だから、そんな人間の機微・やりとりは不必要なのかも知れない。でもな。それじゃ、ストーリーなんて要らないよな。 黒石が細雨抹殺のために送り込む3人の暗殺者も、掘り下げ方が甘い。1人は中年の奇術師、1人は妻子のある青年、1人は殺人鬼の若い女(バービー・スー)。描き込めばもっと面白くなったのにね。若い女がいかに鍛錬して技術を上げていったかとか、描けばいいのに。もったいない。 ヒロインのミシェル・ヨーだけど、見るからに婆さんで、とてもロマンスはムリだったと思う。調べれば、なんと撮影当時48歳。おいおい、だよな。 あとは、やたらセリフの中に名前がでてくるのだけれど、それが誰だか分からないことも多く、ストレスがたまった。話もシンプル、というか、意外性もなく、クライマックスにかけては少し眠くなってきてしまった。ジョン・ウーも監督に名前を連ねてるけど、名前を貸しただけなんじゃないのかな。華麗なスローモーションも、鳩も出てこなかったぜ。たたし、顔を変える、という設定は「フェイス/オフ」を連想させるね。 そういえば、衣装がワダ・エミだったな。ううむ。 | ||||
ツリー・オブ・ライフ | 9/15 | 池袋東急 | 監督/テレンス・マリック | 脚本/テレンス・マリック |
原題は"The Tree of Life"。いきなり新約聖書の言葉が出て来て、うんざりさせる。話はとてもゆったりと、川の流れのように、とうとうと進んでいく。ということはまあ、たいしたヤマ場もなく、だらだらと最後までいくということで、誉められた話ではない。ある家族。とどいた手紙を婦人が読む。すると泣き崩れる…。どうやら次男が亡くなった報せの様子。なぜ死んだのかは分からないが、1960年代前後らしい設定なので、ベトナム戦争なのかも知れない。最初に年齢は出てこないけれど、中盤で18歳で死んだ、とでてくる。哀しみを抑えつつ、暮らす夫婦…。これがひとつの次元。父親はブラッド・ピット。 で、回想シーンに入っていく。長男が生まれる。天使のように可愛く、愛おしい、と思う夫婦の様子がだらだらと描かれる。次男、三男と生まれる。 ここに現在のシーンが挟まる。たぶん長男(ショーン・ペン)のいま、みたい。建築家で成功している様子。 と、どういうきっかけだったか、煙のスローモーションみたいのから、だんだんとイメージ的な映像になっていき、火山の爆発やあれやこれや。海で生まれた生命が陸地に上がり、恐竜(水に浸かって歩いているのに水しぶきが上がらない、変なCGだった)になって…。どうやら地球の誕生以降の様子を映像化しているようなのだが、これがだらだらと20分以上もつづく。いらいらして何度も時計を見てしまったよ。だってつまんないんだもん。寝るかと思った。 で、やっと少年期の3兄弟の話になり、いろんな出来事を見たり聞いたりして育つ姿が描かれるのだけれど、ここにドラマはない。伏線もなければ、オチもない。たいした事件もない。父親の言うことにしたがって、家族は従順に、一致団結しているように見える。のだけれど、長男の反抗期が始まる。 どうも長男は性根がイタズラ坊主らしくて、悪の道を突っ走る。ちょうど父親が海外出張で家を空けた。それで、母親に「あんたはオヤジのいいなりだ」的なことを言ってイタズラ集団と同一行動。空き家の窓を壊したり、カエルを花火で打ち上げたり…はまだフツー。でも、他人の家に忍び込み(これは単独行動)、女性の下着を盗み出す件はちょい変態。しかし、なぜ盗み出したか、その理由が描かれないので、はっきりいってつまらない。 片思いの結果はどうなったのか、変態行動はどう修正したのか。こうした話の回収は一切しない。どんどん進んでいく。なのがつまらない。 この辺りから、父親の本音も少し描かれるようになる。善良すぎると人に使われるだけだ、とか。あいつが成功したのは、世渡りが上手いからだ、なんて話したり。教訓じみたことを日頃から言うようなオヤジだったみたい。それを長男はうるさく思っていたようだ。子供には、テーブルに肘をつくな、といいつつ自分はやっている。それを子供は「偽善者」と心で思っていたとか。 でもまあ、そんなことはよくある話で。食事中、次男坊に「とうちゃんうるさい」と指摘されて激高したり、まあ、プライドだけは高いオヤジだったんだろう。そんなことを指摘されてカッカするってことは、オヤジも人間ができていない。まあね、本当は音楽家になりたかったけどなれなかった、というコンプレックスがあったみたいだから。 でも、そんな父親(技術者だったみたい)も工場閉鎖で、だれも行きたがらない部門か、辞めるかの選択を迫られる。で、家を売り払って(?)、どこかへ転居…。その後の経緯は分からない。つぎは何年か後の、次男の死になるわけだけれど、どこに住んで、生計をどうやって立てていたかは描かれない。 最後は、昔からよくあるやつで、登場人物全員がゆるゆると海岸に登場して、踊りはしないけれど、すがすがしい顔をしているというようなくだらないやつ。死んだ人もいるし、幼い長男や現在の長男もいるから、天国を幻想的に表現したものかも。 なんなんだ。この映画は。人生は思うようにいかない、という話を、地球の誕生からだらだらやられてもね。しかも、信仰のある人は救われる、世俗に生きる人は欲に絡め取られ人を支配したがり、みたいなことをずっと教え込まれてきた連中が、神に裏切られても裏切られても信仰を捨てないというのもどうなのか。いや、父親は、信仰をもっていたと思うのだけれど、出世欲とか支配欲でギンギラギンだったじゃないか。 てなわけで、キリスト教の部分はよく分からないし、それ以外の部分も「だからどうした」レベル。地球誕生の部分に至っては、あんなものいらない、だ。映画自体も説教臭くて、うっとーしー。 で、そういう父親を否定した筈の長男は、どうやって成功の階段を駆け上ったのですかね。そもそも、現在の長男がどういう考えをもっているか、が描かれないので、なんとも判断もできかねますが。 | ||||
海炭市叙景 | 9/16 | キネカ大森2 | 監督/熊切和嘉 | 脚本/宇治田隆史 |
北海道の造船町を舞台にした5話からなるオムニバス。2時間半の長尺だけれど、長さを気にせず見られた。造船不況で馘首される青年、独居老人、家庭不和などのモチーフを淡々と、客観的に描く。そこには未来への希望も期待も描かれない。だから、とくに共感するようなところもない。逆に、崖から突き落とすような(実際にもそうなんだが)、救いようのない物語展開もある。でも、その冷徹さは決して不快には感じられない。そんな哀しさが、連綿とつづられていく。ハッピーエンドばかり見慣れた人には拒絶されるかも知れないけれど、こういう映画は、むかしはよくあったんだよな。 ・兄妹の話。小学生時代に父親(?)が事故死。現在は兄(30歳)と妹で住んでいる。兄は造船会社の技術職? 地元に生まれ、地元の産業で生活。でも不況でリストラ…。ストも、退職金の僅かなアップで「勝利」とするしかない現実がある。大晦日。山の上に初日の出を見に行く。途中、市電の線路を横切るのが、この映画全体の複線にもなってたりする。下山のロープウェイ。運賃が足りず、兄は歩いて降りるという。…いつになっても兄は現れず、待合室で座りつづける妹…。で、ぶっきらぼうに終わってしまう。ううむ。日本の産業不況を思うと、企業のリストラもやむを得ないところがある。「船がすべて」という台詞もあったけど、そんな感情論では語れない現実がある。そこにこだわりつづける兄はかなりズレてる。27、8になる妹も暗いだけ。話が古すぎてついていけない。いつの時代の話だ! こういう不器用な連中もいるのかも知れないけど、ちょっとな。それと、父親を失った後、どうやって暮らしていたのか。母親や祖父母は? ということも引っかかる。 ・猫と暮らす老女の話。街の一等地に、老女が猫やヤギ、ニワトリを飼って暮らしている。家はブタ屋と呼ばれている。市は再開発のため転居を求め、孫である職員を説得に当たらせる。けれど、老女に転居のつもりはない…。孫が「このままじゃ強制退去だよ」というところがあるけど、よほど重要な公共施設じゃないと、それはないだろ。設定や展開はよくある話なので、それほどインパクトはない。 ・プラネタリウムの話。プラネタリウムで働く夫。妻は水商売で毎晩酔って遅い。無断外泊もふえた。息子に言っても「それはあんたらの問題」と相手にもしない。なのである夜、店に向かった夫。途中で、客とタクシーに乗り、陽気に騒ぐ妻を目撃する…。そこで噺は終わる。…なんか、女々しい亭主だな、というのが感想。小林薫には似合わない。温水洋一なら納得できる展開。でも、その場合の妻は南果歩というわけにはいかないな。森三中のどれか、とかならいいかも。この話で気になったのは、親と会話したがらない息子・ラグビー部かな。一般的に、親は毛嫌いされるものではあるけどねえ…。かつては親子3人で星を見に行ったりしていたのに、どこでどう階段を踏み外して妻がああなったのか。亭主の給料が安すぎる、ということもないだろうに。たんに妻がもともと派手好きということなのだろうか。その辺りが納得いかないところ。 ・ガス屋の話。いちばん長く、複雑な話。晴夫(加瀬亮)はガス屋の二代目社長。新規事業に浄水器販売を思いつき、東京から販売会社の営業を派遣してもらうが、売れない。社員たちも距離を置き始め、元社長の父親からも、浄水器なんて辞めろといわれ面白くない。…という背景で、妻との確執、息子とのすれ違い、などが描かれる。だからどうした的な展開はなく、淡々と。現在の妻は後妻のようで、前妻の子・アキラとは上手くいってない。現妻は同級生らしいが、なんと別の同級生とも浮気中…って、おいおい。そもそも前妻とは離婚か死別か? それにしても、なんで冴えない現妻と結婚したんだ。結婚したばかりなのにもう浮気? という女性関係が理解できない破天荒さ。なんだけど、本人はいたって地味で遊び人には見えないところが不思議。現妻は、なつかないアキラに暴力を振るい、それを知った晴夫は現妻を殴り倒す。このあたり、荒みすぎだけど、背景が分からないので何とも言えない。わからないところが多すぎるけど、まあ、それはそれでもいいか、と。このパートで、ブタ屋の話題が出たり、プラネタリウムに通っていた少年がアキラだったとか、話に接点が見え始める。それまでは、造船会社のリストラのニュース程度だったのにね。晴夫が、ヤクザっぽい得意先にガスを運んでいて、足の指を潰す件があるんだけど、これも、だからなに的な感じでしか描かれない。この話、現妻の台詞がかなり聞きづらいのが難点。 ・路面電車の話。とはいっても、実際はその息子の話。路面電車の運転手が、運転席から青年の姿を見つける。ガス屋のところに営業に来ていた浄水器の営業マンだ。父親は、1人暮らし? 青年はホテルに宿泊している。ある夜、飲みに行こうとして、キャッチのホステスにつかまる。1万円しかないけどと財布を見せたら「飲むだけで5千円でいいよ」といわれ、店へ。大晦日で客はほとんどおらず、ひまなホステスが何人も惣菜を持ち寄って相手している。無口な青年。そのうち地元出身で東京に行き、故郷を捨てたことが吐露される。…この間、ひょっとして暴力バーで、用心棒に脅されるのではないかと心配だったけど、結局そんなことはなかった。逆に、閉店だというのに飲ませろ、という客がやってきて、追い出されていた。その店は、春も売る店であるらしい。醤油を借りに来る別の店の女がいたり、マダムに「7000円」といわれ、連れてきた女の方を振り向くと、ゴメンという仕草をしたりするところがいい。幻想的な路面電車のシーンはここだったっけか。中は昭和の香りのするオレンジ色で、なんとプラネタリウムの夫婦が乗っている。妻は、酔ってないときは従順になるのだろうか? 驚くことに、その隣には晴夫とアキラがいる。どういう心の変化で、初日の出を見に行こうと(多分そうだと思うんだが)したんだろう。このときぐらいは、という気持ちなのだろうか。そして、その電車とすれ違うのが、造船所をリストラされた兄妹。うわあ。ここ、少しうるうるきてしまったよ。電車が過ぎ去って、坂道を上がっていく兄妹の姿が、ランドセルを背負った子供の姿になって、いや、たまらない。…ここでエンドクレジットか? と思ったら、まだあった。翌日か、青年は父親と偶然(?)出会い(どういう経緯で会ったのか忘れてしまった)、「寄ってくか」と聞かれ、「いい」と答える父子の距離。何があったのかは分からないけれど、そういう関係、故郷を憎む気持ちがあるのだろう。それ以上でも、それ以下でもない。 ・ラスト…。浄水器の青年が、東京に帰る船。ニュースで、初日の出を見に行った男性が、崖から転落死。崖にひっかかって救出できないので、海に落としてから回収する…といっている。おおい。そういう結末かよ。救いようがない話にしやがって。どこまで意地が悪いんだ! という気分になる。ここで終わるのかと思ったら、まだあった。春になり、雪が溶けて、ブタ屋の周囲で工事が始まっている。猫はいるが、家畜はいなくなっている。ポツンと家が残り、日向ぼっこするように、婆さんがいる…。ここで終わり。 ほんと。救いようのない話。どうしようもない話。理解に苦しむ話。そんなのが、たいした起伏もなくつづいていく。なんだけど、飽きることなく見てしまった。夢も希望もないこんな話ではあるけれど、妙にリアリティがあったりする。心がほっとしたり、あったかくなったり、癒されたりする…を売り物にする映画は多いけれど、これはその真逆にある映画。ささやかな幸せは、あの、大晦日の路面電車だろうか。いろんな人生を運んでる様子が、ひとときの安らぎを乗せていた。まるで、そのまま天国に行ってしまいそうなぐらいの穏やかさだった。ふだんの日常はあんなに暗いのに。 結末もなく、共感や感動もほとんどなく、まして、教訓なんかかけらもない映画。こういう映画が、むかしはもっとあったよなあ。と、懐かしい気持ちになってしまったよ。 ビデオ上映で画質がとても悪かった。フィルム版もあるらしいが…。 | ||||
世界侵略:ロサンゼルス決戦 | 9/20 | MOVIX亀有シアター8 | 監督/ジョナサン・リーベスマン | 脚本/クリストファー・バートリニー |
原題は"Battle Los Angeles"。「世界侵略」より「地球侵略」の方がよかないか? まあいい。宇宙人の侵略というカタチを取っているが、構造はゾンビ映画と同じ。突如、異物によって世界が侵略されるというのは、政治的にも経済的にも窮地にあるいまのアメリカの状況を、そのまま反映しているのだろうか。逃げ惑う民間人。打ち負かされる空軍。もうダメか、と思われたとき、ベテラン曹長が立ち向かい、少人数で撃破する。スーパーヒーローでなく、生身の人間であることも重要なのだろう。そして、物量にモノを言わせてきた、これまでのアメリカの戦略とは違うところも大切だ。命を投げ打って献身的に尽くす、そんなあなたが必要です、というメッセージも込められているかも知れない。 宇宙人が突然攻撃してくる。なぜ、攻撃するのかは不明。ときどきテレビで解説していたけれど、憶測だろう。民間人は逃げ惑う。最初は隕石の落下? と思われていたが、そうではないらしい。突然のアタックは9.11を思わせるけれど、政治的な仮想敵が設定しにくいいま、宇宙人というのは妥当なところなのかも知れない。 マルチネス少尉の部隊に、退役を決意したナンツ二等曹長(アーロン・エッカートなのだが、コリン・ファースに見えてしょうがない)が代役で投入される。少尉は任官わずかで実戦経験がない。他に、ナンツの下で兄を失ったロケット伍長らがいる。部隊の任務は、市街地の警察署に残された民間人の救出。確認後、ヘリが救出することになっている。…とまあ、戦争映画によくあるパターン。兄が死んでナンツが勲章か、と露骨に反発するロケット伍長の存在が、この映画のもっとも大きな人間模様。なのはいささか物足りない。 少尉が固まっちゃったり、兵隊がはぐれたり、定番のトラブルがつづく。派手に攻撃されて吹っ飛んでる割りに、ほとんど兵隊が減ってないのは、死んでないってことか。なんか嘘くさい。 ちらちら映る宇宙人は二足歩行の人間類似。なんとなく「第9地区」のエビ宇宙人とも似てる。昨今の流行りなのかね。むかしはタコ火星人とかいろいろいたけど。 この映画、画面が派手に揺れ、カメラも振りまわされる。リアリティ追求のドキュメンタリータッチなのかも知れないけど、いささか目玉が酔い気味だ。もうちょい落ち着いてもいいように思う。爆破のCGがちゃちかったけど、なにかを誤魔化そうという意図もあったのかな? で、警察には獣医のミッシェル(ブリジット・モイナハンなんだけど、アシュレイ・ジャッドに見えてしょうがなかった)と、ヒスパニック系の父子。他に子供が2人いたかな。最近の米映画に共通なんだけど、白人と黒人だけじゃなくて、アフリカ人やヒスパニック、アジア系も含めていろんな人種が登場すること。この映画も、兵隊にも民間人にもうじゃうじゃ登場する。みんな含めてアメリカ人、という意識が高まっているのかね。 で、帰路はバスを使うことにする(ナンツは徒歩にこだわったけれど、数10分後に爆撃対象になっている地区なので、早く脱出する必要があった)のだけれど、いささかムリがあったかな…。兵隊は一人ひとりと戦死していき、赤ん坊が生まれたばかりの少尉も、身を挺して部下を逃げさせる。で、リーダーになってしまったナンツに反発するロケット…。こんな場合に身内のもめごとかよ、と思う。けれどこれは、ナンツが戦死した部下の認識番号を記憶しているという荒技で切り抜けるのだが、おいおい、だよな。 この間、ミッシェルも含めて、半死の宇宙人を切り裂いて急所を探るという残酷シーンもあったりする。おぞまし…。航空隊がやられてしまったらしく、予定の爆撃はない。民間人を差し置いて兵士が救出ヘリに乗るが、ヘリは撃たれて爆破。という皮肉を少し入れてみて。そして夜。明かりの点いてない一角を認め「怪しい」と疑うナンツ。最後の救出ヘリから、ひとりロープで下りて探りに行こうとするが、他の兵士もこれに追従! おお、やっと信頼を得たというわけが。ははは。 で、地下に潜入し、怪しい本部を発見し、爆撃依頼をする。レーザーで目的対象を誘導するのにも成功し、本部を撃破。…なんだけど、これがなんとも簡単に壊れてしまうのがつまらない。でまあ、これで無人飛行機なども機能停止で、さあ、反撃だ! という感じで終わるのであった。ははは。 途中から部隊に合流するエレナ(ミシェル・ロドリゲス)は、あまり見せ場がなかった。もうちょい可愛く写してあげればよかったのに、いまいち不細工にしか見えない。ちょっとだけエロ可愛いふて腐れ姉ちゃんが持ち味なんだから、そこを引き出さないとな。 それとやっぱり、宇宙人サイドの描写がないので、宇宙人=侵略する悪人、という印象しかない。むかしからUFOで調査し、ここにきて一斉攻撃らしいが、水を求めて云々もとってつけたような感じ。まあ、かつての帝国主義アメリカが、宇宙帝国主義から身を守るという皮肉だけなのかも知れないけど、もうちょい宇宙人の理屈も知りたい気持ちがある。 | ||||
ダンシング・チャップリン | 9/22 | ギンレイホール | 監督/周防正行 | 脚本/--- |
つまらなかった。前半もあくびが出たし、後半は寝てしまった。観客の興味を引くような技巧が凝らされていない。素材を放り投げれば、それでいいでしょ? いい素材なんだから、分からないのは変よね、というような態度が見え隠れして、やな気分になった。解説によれば「フランスの振付家ローラン・プティがチャップリンを題材に、ダンサー、ルイジ・ボニーノのために振り付けた作品『ダンシング・チャップリン』を、映画のために再構成」したもの。前半はローラン・プティとの交渉、チャップリンの息子の話、ルイジ・ボニーノと草刈民代の稽古。5分の幕間を挟んで、後半は『ダンシング・チャップリン』の踊りというかバレエというのか。 前半は段取りが悪くて、ローラン・プティがどんな人物であるかとかルイジ・ボニーノとの関係なんかがよく見えない。また、監督がなぜ『ダンシング・チャップリン』を映画化したかったか、も伝わらない。稽古の場面は同じような風景ばかりで退屈。とくに、最初に選ばれたパートナー(草刈りをもちあげて支える役)の非力さばかりが強調され、土壇場になって有名な踊り手と変わるのだけれど、変えられた若い踊り手の気持ちまでは突っ込んでいない。また、有名な踊り手がどういう人物かなど、あまり説明されない。それと、ローラン・プティと周防の対立があるのだけれど、その結果どうなったか、が描かれていない。これは、警官のシーンを「公園で取りたい」という周防に対して「それはダメ。公園で取るなら、この企画はボツだ」という対立なのだけれど、後半、警官のシーンはゴルフ場のように緑豊かな場所で撮られていた。ローラン・プティが折れたのか? どう説得したのだ? 実は、後半始まってすぐ寝てしまった(公認サイトを見たら、1幕目の途中で朦朧となり、2幕目の「黄金狂時代」で寝て、3幕目の「二人の警官」で気がついたみたい)ので、もしかしたら説明があったのかも知れないが、謎である。 5分間の幕間は、何のためにあるのだろう。本当に5分間、タイトル文字だけなのが分かっていたなら、小水に行きたかった人もいるんじゃないのかな。舞台のような雰囲気を出すために、タイトルだけ5分というのは、意味があるのか? ないと思う。 スタジオで撮られた『ダンシング・チャップリン』は、面白くなかった。踊ってるだけでは物語性がつたわってこない。何をしようとしているのか。何をつたえようとしているのか、が、よく分からない。字幕で説明してくれたら、まだ見られたかも知れない。なんていうと、そんな不粋な、と叱られそうだけどね。でも、チャップリンの映画はそこそこ見ているよ。それでも、たんなる真似、なぞりでは、飽きる。チャップリンの息子が「真似じゃダメ。設定を借りて、内容は別物にしなくちゃ」というようなことを言っていた。でも『ダンシング・チャップリン』は、設定も内容も真似に近いと思うぞ。そんな中で、まあ、よかったのは「外套」と「小さなトゥ・シューズ」かな。単なる踊りだけのものは、つまらなかった。何? 見る目がないだと。いいんだよ、見る目がなくても。映画なんて、高尚なもんじゃないんだ。チャップリンのオリジナルを知らない人の心も捉えるぐらいじゃないと、映画じゃない! そうそう。警官のシーンは、公園で撮って正解だったと思う。ずっとスタジオでは、同じようなテイスト、見かけがつづいて、飽きる。 踊りの技術は、イマイチだったな。警官の踊りもあまり息が合ってなかったし、踊り手の立ち位置などの構図もううむ…。他の場面も、静止がしっかりできていなかったり、ふらふらしたりする。映画なんだからワンシーンで撮る必要はないわけだ。もっとカット割りしてアングルも変えて、アップや引き、カメラが動いたりといろいろやってくれたら、また違ったものになったと思う。オリジナルや舞台にこだわりすぎた結果だと思うぞ。 | ||||
スリーデイズ | 9/26 | 上野東急2 | 監督/ポール・ハギス | 脚本/ポール・ハギス |
原題は"The Next Three Days"。オリジナルは2010年フランス映画で「ラスト3デイズ 〜すべて彼女のために〜」らしいのだが、いつ公開されたんだ? 予告は、頭の1秒ぐらい見て目をつむっていた。大学の講義と、警官が乱入するシーンだけ。で。ラッセル・クロウが事件に巻き込まれ、その汚名を晴らす3日間の物語、かと思っていたのだけれど、大違い。収監されたされた妻を脱獄させる話だった。 冒頭、ジョン(ラッセル・クロウ)が疲れ果てた様子でクルマに乗っている。「息ができない・・・」という声がする。で、3年前に戻る。ジョン大学の教師。妻のララは、どっかで働いている。冒頭、ジョンとララが、胸の谷間を強調した女性と、もう1人男性と食事していて、言い争う場面がある。谷間女は「女の下で働くべきではない」「男性の下で働くのがいい。ジョンが上司なら、私の魅力で…」のようなことを言って、ララと喧嘩になるのだけれど、何のためのシーンなのかよく分からない。で、ララは上司の女性(谷間女じゃないと思う。もっと老けてた)を殺害した嫌疑で逮捕される。刑期は20年。事件の件は簡単にしか描かれない。しかも、人物関係も分かりにくく、「?」な感じ。上告は却下され、他に手段がないので脱獄を思いつく、っていうのが凄い飛躍。で、脱獄経験を出版した男から話を聞いて、試行錯誤。チンピラに殴られたりしながらパスポートをつくり。監獄の合い鍵づくりでは失敗し、あわや発覚! なんだけど、これが見つからないのは変だよな。この辺だったかな、3ヵ月前、みたいなクレジットが出る。なんか、いつになっても3日間にならないので「?」な気分になってくる。なんてやってるうちに、ララが長期収容者用の監獄に移る報せが来るし、資金不足にな。で、なんとジョンはヤクの売人のリーダーみたいなのを追跡し、麻薬工場を1人で襲撃。3人と犬を相手に拳銃ぶっぱなして大金を強奪しちゃうんだよ。どんだけ脱獄に命かけてるんだ?! それで、ララがインシュリン注射していることから、ある方法を思いつくんだけど、映画は表向きわけの分からないことをするジョンを映し出す。たとえば、腕に数字を書いたり、検査データを盗み撮りしたり、金網を切ったり。で、当日は某所のケーブルを切ったり。こういう露骨な伏線は、ちょっとイラッとするのだよね。だって見てる方は「?」だらけじゃん。伏線は何気ない行為やモノがいいんだよ。それが回収されてこその「ああ、なるほど」になるのだ。でも、この脚本では「?」が「!」になるわけで、モヤモヤ度が高い。 で、当時と検査データを入れ替え、息子を公園友だちの誕生パーティに預け、スタンバイ。検査データの異常を見て監獄の医師がララを病院に連れ出すのを追跡し、到着した病院で奪取。病院を脱出して地下鉄に乗り、途中で緊急停車させ、金網をくぐってかねて用意の別のクルマに乗り換え、誕生パーティへ。が、一同は動物園に行ってる! 道路封鎖の前に息子を確保しようとするが、ムリ。「諦めよう」というジョンに、ララは走る車から飛び出して自殺しようとする。この辺りで確信したんだけど、実はララは真犯人なのではないか、と。だって、助けに来たジョンを病院で見てララは「なぜ?」「いや」などと反抗的になったのだよ。懲役20年を覚悟しているからじゃないのか、とね。ところが終わってみれば違ってたので、ガックリしてしまった。 でまあ、気を撮り直して息子を確保しに行く。道路封鎖は、「夫婦と子供の3人連れをチェック」という指令に、ちゃんと老夫婦を同乗させるというよくある手でかいくぐる。最後の脱出先も、ハイチだと誤解させ、実はベネズエラへ。というわけで、うまく逃げおおせましたとさ。偶然が上手く重なって成功するような、テキトーすぎる計画だよなあ。 しかも、裁判所で上告棄却になった案件なのに、ある刑事が突然、現場で「ボタンが落ちたと言っていたなあ…」なんて、ボタンを探し出す。同僚の女性刑事は「3年も前なのよ」という。男性刑事が排水口の蓋を開けると、見るがない。で、蓋を閉めようとした瞬間、蓋と段差の部分に挟まっていたボタンがキラリと光る…って、おい、それってララはやっぱり冤罪だったってことかよ。げげ。なんて終わり方だ。 後半の、当日の動きにはスリルとサスペンスがあるけれど、前半は暗いだけで面白くない。冤罪であることを臭わす何かがあるとか、公園友だちの、不必要に美人な母親との関係をなんとか利用するとか、だれか助け人を働かせるとか、ドラマをつくってもよかったんじゃないだろうか。あるいは、大幅に圧縮してもいい。その代わり、冤罪の追求や人間関係を分かりやすく整理してもいい。そもそも、この映画、存在が分からない人物が多すぎる。刑事は黒人男性、白人の若いの、白人男性と黒人女性のチームがでてくるけど、連携がどうなってるのかよく分からない。ジョンの両親の家には若い夫婦がいるが、あれはジョンの弟夫婦かなにかか? 事件で殺害される女性上司って、ララとどういう関係があったのだ? 検査データを回収しているワゴンも、どこを走って何を回収し、いつどこへもって行くのか、分からない。観客に「そのぐらい想像しろ」と言っている部分が多すぎて、全体もモヤモヤなのだよなあ。それと。親子3人ベネズエラに行って、盗んだ金があるから不自由しないかも知れないけど、それにしてもFBIや国際手配もあるだろうから、隠れてなくちゃいけない。ずいぶん苦労がおおいと思うけど、その間に家族関係が破綻するんじゃないか? というような終わり方だったな。 それにしても、あのハイチの議事堂の写真は、警察が発見しやすくなるように捨てたのか? そこまで計算できるものか? ジョンの父親が、逃亡先がベネズエラと知っているっていうのもなあ。いろいろ、突っ込みどころも少なくないと思うぞ。 | ||||
4月の涙 | 9/29 | キネカ大森1 | 監督/アク・ロウヒミエス | 脚本/ヤリ・ランタラ |
原題は"Kasky"。google翻訳では"コマンド"とでる。命令のことかい? 製作国はフィンランド/ドイツ/ギリシャになってるが、舞台はフィンランド。1918年、フィンランド内戦、とクレジット。考える。ロシア革命の頃だ。そういやフィンランドはロシアに攻められて、でも侵略はされなかったはず。東郷ビールってのがあって、あれは日本が日露戦争に勝ったのに敬意を表して、だったな。画面に、赤衛軍、白衛軍と言う言葉が出てくる。ははん。赤は共産軍かも…。でも、ロシアの侵略じゃなかったっけ? 内戦なのか? 帰ったら調べよ。…てな知識で見ていた。 調べた。むかしはスウェーデンの属国みたいなものだったのね。それが戦争の結果、ロシアの属国みたいになって。19世紀になってナショナリズムが盛んになり、ロシア革命を契機に独立宣言。国内は富裕層=白衛軍と労働者=赤衛軍に別れた。白衛軍を応援したのはドイツ、赤衛軍を支援したのはソ連。内戦は1月〜5月まで。独立後もスウェーデンとソ連に翻弄され、第二次大戦では枢軸国側だったのか! 戦後も東側で、西側になったのはソ連崩壊後だったのね。へー。知らなかったな。ちなみに東郷ビールは提督シリーズの1本で、山本五十六もラベルになってるそうな。しかも1970年代のことで、別に日本がロシアに勝ったから云々ではないらしい。勉強になるねえ。 金髪の娘が髪を切って、軍服姿で写真に収まる。入隊だ。次のシーンでは白衛軍が残党狩りしている。すでに形勢は決まってしまっていた。だから、英文タイトルが"Tears of April"なのかも。 白衛軍は、逃げる赤衛軍の女性部隊を容赦なく殺し、捕虜は輪姦。戦争の結果はどの国でも同じなのだ。そして、用済みの捕虜は邪魔なので逃げさせ、背後から撃ち殺す。たまたま助かったのがミーナで、冒頭の娘。演じるピヒラ・ヴィータラは、胸は貧弱だけれど美しい。いったん逃げたけど、准士官のアーロに捕まってしまう。 准士官って何かと調べたら、准尉なのか。でも部隊の実質的な指揮は部下の曹長が執り、反論できない。そういう、やさ男の設定。アーロを演じるサムリ・ヴァウラモはジェイク・ギレンホールかジュード・ロウってな感じ。曹長は女を「殺せ」というが、石部金吉のアーロは「決まりだから裁判を」と主張し、自分一人で連行することになる。途中ミーナに逃げられて無人島で何日か過ごしたりして、やっとのこらさで裁判所へ。 アーロは「裁判官は作家で立派な人だから」というが、会ってみたらエーミル判事は銃殺好きで退廃的でホモで俗物だった。しかも、裁判所は元精神病院という設定がヴィスコンティっぽかったりしてなかなかアンニュイなんだけど、逆にいうとこの手の設定は1970年代ぐらいに随分流行ったよな。「パンズ・ラビリンス」にも、似たような感じがあったっけ。 途中から幻想的なイメージかインサートされるようになる。たとえば無人島の小屋で、ミーナは熱にうなされながら、熟睡するアーロを認める。次のカットで、ミーナは斧を手に、アーロの前に立っている。でもこれはミーナの夢であって、現実ではない。さらに、無人島での生活の最後の頃、2人はキスをする。あれは実際なのか、イメージなのか…。イメージなら、誰のイメージなのだろう? 裁判所はエミールの独裁状態。高級な衣服に美食三昧。パーソネンという、明らかに同性愛者の美青年を執事にして、現実離れした毎日を送っている。この倒錯感がいいんだけど、いまひとつ表現が追いついていない感じかな。もうちょい幻想的で妖しい感じが欲しかったかも。で、そこに、エミール好みのアーロがやってきた。クモの巣に引っかかった獲物状態だな。アーロに新しい軍服と贅沢な食事を与え、ワインで酔わせる。そして、アーロとミーナの関係をしつこく聞く。「無人島でやったのか?」と。 考えてみれば無人島という設定も神話的な感じが濃厚だ。敵と味方が同居して、生きながらえようとする。逃げようとする原初的な欲望。そのために体を差し出そうとするミーナ。心とは別に体がよろめくアーロ。たまらずアーロは、外でマスかいたりしてる。まあね。「捕虜を強姦するのは間違ってる」と公言するのだから、自分も同じことはできないよな。でも、単に女とやりたいという以上に、何か惹かれるものがあったように思える。名前も言わず、押し黙るミーナに、ある意味の気高さを見たのかも知れない。 エミールは2人の関係が兵士と捕虜以上に何かある、と察したけれど、確証が得られない。確証を得たかった理由は、白衛軍を組織したのが資本家、富豪であったこともさることながら、ロシアに通じている野蛮人の女と通じている男とはやりたくなかったんだろう。文学者ゆえの傲慢もあったんじゃないのかな。 エミールは窃視者でもあった。部屋に閉じ込めたミーナを覗き、ミーナとアーロが会っている様子を覗く。こりゃもう典型的な変態かと思っていたら、なんと妻がいた。で、蓄音機を運んで湖畔か海岸みたいなところで、ピクニック? この贅沢、頽廃…。 アーロは、いったん隊に戻ることを決意。と、ミーナは、死んだ戦友から世話を見てくれと託された、戦友の息子の写真をアーロに手渡す。アーロは、その子供が暮らす村に行くが、両親が死んだ子供は、祖父? の家で肩身を狭く暮らしている。家を去るアーロの後を、子供がついてくるので、途中、孤児を世話する人に子供を託す。で、部隊に戻るのかと思ったら、また裁判所に戻ったのは、ミーナのことが気になったんだろう。しかし、エミールは、ミーナに会わせない…。これは、エミールの嫉妬以外の何物でもないな。 他の捕虜はすべて銃殺され、残るはミーナのみ。アーロは、正式に裁判を、とエミールに訴える。ミーナには、本名を名乗らず、死んでいった戦友の名を名乗れ。たまたま部隊に遭遇して、銃も持たなかった、と言え、という。けれど、ミーナは本名を名乗りつづける。この気高さに、またまたアーロはまいっちゃったのかのかな。エミールも、怒りの判決。銃殺、と。でもま、偽名を言っても銃殺になったかも知れないけど。てなわけで、今度はエミールがアーロに、なんとも直接的なアプローチ。「寝てくれれば、釈放してやる」と。うわわわわわ。どうするのかと思ったら、アーロはひと夜を伴にするのだよ。そこまでミーナに惚れてしまった? いや、気高さに打たれた、ってことかな。 ミーナを連れて、アーロが村はずれへ。しかし、アーロを探して部隊がやってきた。少尉(?)と曹長たちが、馬で。別れを惜しんでいるとき、追っ手がやってくる。おお。どうなるんだ。 エミールは、捕虜を逃がしたことが露見するのを恐れたのか、なんでかよく分からないけれど、前院長と同じ木にロープをかけ、自死。その様子を、写真マニアの患者に撮らせる。前院長からの反復行為というわけだな。 アーロはミーナを逃がす。少尉は「撃たない」といって、サーベルを抜いてミーナを追う。その少尉を撃つアーロ。そのアーロが背後から撃たれる。おお。美しい。アーロは、ミーナの気高さに、しもべとなったって感じ。あるいは、ミーナを守るべく天から遣わされたのか。ある意味、マリアかも。 戦争が終わって、修道院で暮らす子供のところに、ミーナがやってくる。そして、「母親だ」と偽って子供を連れ出す。ミーナのお腹は大きい。アーロが父親である可能性はないと思うんだが…。輪姦されたときの種だろう。でも、憎い敵に孕まされた子も受け入れ、また、戦友の子も育てようとするミーナの包容力が、美しく感じられる。 てなわけで、映画的神話を引きずったエレメントや物語がてんこもりで面白い。中盤の、裁判所でのエミールとアーロのくだりが少しだらけたのが残念。本来ならもっと神話的・寓話的世界になってしかるべきなのに、妙にリアリズムが入り込んでしまい、映画的豊穣さを欠いてしまっている。元精神病院という設定なのに建物がフツーなのも残念。やっぱ、リノリウムの床、薬棚、ベッド…なんかは欲しかった。 戦時の精神病院といえば「まぼろしの市街戦」があるけれど、この映画では元精神病院だからなあ…。元患者がもう少し登場してもよかったかな。などと、いろいろ思ってしまう。 | ||||
神々と男たち | 9/29 | キネカ大森1 | 監督/グザヴィエ・ボーヴォワ | 脚本/グザヴィエ・ボーヴォワ、エチエンヌ・コマール |
原題は"Des hommes et des dieux"、英文タイトルは"Of Gods and Men"。最初に字幕で解説が入る。アルジェリアではキリスト教徒とイスラム教徒が友好的に暮らしていたが、イスラム原理主義者がテロ活動を始め、不穏な空気が…みたいなの。 で、土作りの家から白人が出てきて、周辺のイスラム教徒と話したり、混在して諍いなく生活しているようなことが、延々と描かれるのだ。途中、イスラム教徒の爺さんが、バスに乗っていた娘がスカーフをしていないからと刺されて死んだ、なんて話す。白人も、哀悼の雰囲気。白人のキリスト教徒らしいのが机に向かって書き物をしているが、参照するのはコーラン。え? 彼はキリスト教徒じゃないの? とか思ったけど、キリスト教徒と後で分かる。次の事件は、出稼ぎにでもでているのか、クロアチア人たち襲われ、首を斬られる(なんでクロアチアなのかは分からない)。ここがこの映画でいちばん動きがあった部分かなあ。ここにいたって、修道院は残るか逃げるかの選択を迫られる。というようなとこいらで、やっと修道院の様子やどういう修道士がいるか、というようなことが分かってくる。 この映画、まったく説明的ではない。台詞も淡々としてるし、ドラマチックもない。対立も、ほとんどない。とにかく全編すべて淡々と、いまの状態を非ドラマチックに、だらだらと描く。そこに、本筋と関係ない風物詩や風景や様子が長たらしく写される。はっきりいって、イラつくほどだ。 アルジェリア政府は出国を求めるが、院長は「残る」派。修道院には8人+あとから1人ふえて9人の聖職者がいて意見を述べ合うけど、3〜4人は「命あってのものだね。逃げよう」派。なので院長は「様子を見よう」と引き伸ばす。と、ある晩、原理主義者がやってきて、重傷者がいるから医者と薬をよこせ、とくる。修道院には医者もどきの老人がいて、地域住人を1日に120人も診ている。だから、医者も薬も渡さない、と院長がいう。そして、「コーランにも、イスラム教徒はよき隣人」(みたいなこと)と書いてあるだろ、と説得してしまう。おお。そんなことがあり得るのか? それでも、院長がコーランを勉強していた甲斐があったってものだ。以後、も淡々。で、「おまえら、原理主義者をかくまってるだろ」疑惑をアルジェリア政府にかけられたり。先だってやってきた原理主義者が死んでしまったり。あれやこれやで、ある日、別の原理主義者がやってきて、隠れた2人の修道士以外は着の身着のまま連れ出され、あとで死体が見つかりましたとさ。で終わる。げ。これで終わりかよ。 2010年カンヌ国際映画祭のグランプリ(次席)受賞らしいけど、ムダなシーンが多すぎて、退屈で退屈で…。話が展開する部分だけ集めたら、30分も要らないと思うぞ。2時間、あくびばかりしていたよ。 あのムダな描写があるから、賛美歌の荘厳な部分が活きるとかなんとか反論はあるだろうけど、けっ、だね。そもそも、キリスト教もイスラム教も、アホみたいに見える。日本人からすると、宗教で殺し合うなんてアホだね。だから、宗教論も教義も儀式も、みんなバカげてる。そんなものがなければ、殺し合いもなければ、こんな映画もない。信仰がこんなアホな状況をつくりだしているのだ。…としか思えない。 それにしても思うのは、他国に赴任した修道士の腰抜け具合。日本に来ていたザビエルとかもろもろ、日本で受難に遭った修道士たちなんか退路は断たれていたわけで。この映画の修道士みたいに、フランスでは家族が待ってるとか、修道士を辞めてもいい、みたいに悩むことなんてできなかったはず。ま、それだけ現在は(映画は1996年で、実際にあったことをモチーフにしている)煩悩に満ちあふれた時代なんだろうけど。 てなわけで、ひたすら退屈で、あほらしい映画だったよ。 | ||||
ザ・ウォード/監禁病棟 | 9/29 | 新宿武蔵野館3 | 監督/ジョン・カーペンター | 脚本/マイケル・ラスムッセン、ショーン・ラスムッセン |
ホラーと聞いていたが、精神病院の話と分かって、またいつものパターンか、と思った。「アイデンティティー」「シャッター アイランド」「シークレット ウインドウ」がすぐ浮かんだ。結局は主人公がキチガイ、あるいは主人公の妄想で、周囲は想像の産物、ってやつね。でもま、10代後半のクリスティンが監禁病棟に入れられると、そこは若い娘が何人も…というわけで、謎解きより娘たちの観察に徹してしまった。ははは。 監禁病棟に同年代の娘ばかりが他に4人。しかも、クリスティンが何度も脱走を試みているのにお仕置きもなく、個室のドアは開けっ放し。拘束服も3度目ぐらいにやっと着せられた。…と、この辺で仕掛けに気づいてもよさそうなんだけど、そういうことより話がつまらないので眠気と戦う方が大変だったんだよ。実は。 ドラマらしい展開がほとんどなく、クリスティンはしきりに脱走を試みるだけ。他の4人も、ただ存在するだけ。新たな事件が起きるということがない。そりゃ得体の知れない存在がチラチラ登場してきてはいたけど、ぜんぜん怖くない。だって怖がらせる演出がされてないんだもん。最初にドキッとしたのは、遺体安置ロッカーに手がでてきたときかな。で、娘たちは1人、1人と化け物に殺されていくんだけど、この化け物がよく分からなかった。もしかして実体? 医師か看護士が仮面かぶってるのか? それともホントに幽霊? クリスティンの妄想? 不思議なのが、娘たちが殺されていくのに、病院の人々は騒がないし、後始末もしないこと。ううむ。 なんか、素っ気なくて食い足らなくて、さっぱりし過ぎていて、盛り上がりがない。そのうち、化け物は実体ではないのが分かってきたんだけど、病棟の仲間4人が消え、最後に残されたクリスティンに医師から告げられたのは…。なんと、多重人格だった。なーんだ。そうか。当初の予想の範囲内で、ほぼ当たってたんじゃないか。でも、本人の妄想かとは疑ったけれど、多重人格とまでは思わなかった。ううむ。甘かった。 しかし、ラスト近くで答えが分かって、最初から振り返ってみると上手くできてはいるんだよね。つじつまも合ってるし。多重人格ならではの症状・状態がそっくり使われている。たとえば、クリスティンは新たに出現した人格。他の人格がみな同い年で同性。他の人格が消えていくのは治療の結果で、あの化け物は治療の象徴物。まあ、最後に登場した人格であるクリスティンに対して、「あなたは多重人格」と医者が言うかどうかは分からないけどね。でもま、退屈な部分全部が伏線だった、と考えれば合点がいく。でも、やっぱ退屈だったんだよね、オチ以外の大半は…。ここがどうにかできていれば、もっと面白く見られたんだがなあ。 多重人格ものでは古典的な「イブの三つの顔」みたいに、控え目な人格、悪女な人格、謹厳実直な人格…とか、別人格にもっと個性があってもよかったかな。などと思ったりして…。 |