楽日 | 4/3 | キネカ大森3 | 監督/蔡明亮(ツァイ・ミンリャン) | 脚本/蔡明亮(ツァイ・ミンリャン) |
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原題は"不散"、英文タイトルは"Good Bye, Dragon Inn"。台湾映画。 ひとつのカットがムダに長い。飽きてくる。どうしたって、慣れやしない。さっさと場面転換しろよ、といいたくていいたくて、イライラした。人物の所作も、のったりしている。ただっぴろい映画館でガラガラなのに、少ない観客が隣り合わせに座ったりする。トイレでも接近して用を足す。それも、ものすっごく長く小便をしている。個室から出て来たやつの手洗いも長い。30分を過ぎた頃から時々目をつむったりしていたが、45分頃から20分程度は沈没してしまった。気がついたら映画館のロビーで「先生、久しぶり」「来てたんですか」「忘れられてしまった」なんて言っていた。あらら…。 でも、最初の方からでていた青年がでてこない。彼がどうなったのか気になって、あとからもう一度見ることにした。入替制でなくてよかった! | ||||
西瓜 | 4/3 | キネカ大森3 | 監督/蔡明亮(ツァイ・ミンリャン) | 脚本/蔡明亮(ツァイ・ミンリャン) |
原題は"天邊一朶雲"、英文タイトルは"The Wayward Cloud"。台湾映画。「楽日」と同じ監督だけど、こっちは少し陽気でエロくてバカ映画。ただし、セリフは同じように極端に少ないし、説明もほとんどない。ま、状況だけが延々描かれつづけていて、だからどうした、がない。なので退屈な部分が
あるんだけれど、エロい部分が挟まっているので、つらくはない。 設定として、異常な暑さがつづいて水不足になっている。スイカジュースが水より安い。ということになっている。最初に地下道。看護婦姿の女と、フツーの女がすれ違う。その後、いきなりセックスシーン。といっても、股ぐらにスイカの半身をおいて、それをズコズコ手でいたす、というもの。なのだけど、なかなかエロい。相手が看護婦の格好だったから、最初にでてきた女性なのかも。 というパートの後に、女のパートが始まる。これは、マンションで1人暮らしの様子。暑くてでれーんとしてる。テレビのニュースが渇水の様子を話している。で、スーツケースを開けようとして鍵を落としてしまうが、落とした先は道路工事中…。 男がブランコででれーんとしてる。そこに女がやってきて、男の水を勝手に飲む。「?」と思っていたら、女が男に「もう時計は売ってないのか?」なんて聞く。知り合いか? と、風呂場で男と女優がバックでやってるところの撮影シーン。なるほど。男はいまAV男優なのか。最初のスイカSEXも映画なのだ。という感じで、女のひょうひょうとした日常生活と、男の撮影シーンが交互に映し出され、その合間にミュージカルが挟まれたりする。男が爬虫類の格好して歌ったり、あれやこれや。突然なので、なにがなんだか分からなくなる。 次のセリフは「キャップ。入っちゃった」という日本語で、AV女優は日本から招いていて、その彼女がペットボトルでオナっていて、キャップが中に…ということらしい。日本のAV女優は中国でも人気なのだな。 と思っていたら、女の部屋の上の部屋でAV撮影しているらしい。男と女は友だちらしいのだけれど、途中で、ちょこちょこ登場するAVビデオ屋でいい仲になってしまうのだが、この展開がよくわからない。分からないまま話が進んでいき、女はエレベーターで気絶しているAV女優を発見する。このあたり、時間の経過もなにも分からないので、なぜ? という疑問があるのだけれど、そんなのはいいや。女はスタッフに伝えるが、スタッフは病院に連れていくこともせず、気絶したままのAV女優と男の交接シーンを撮影し始める。そういうのがいいから、というより、撮れなくなる前に撮ってしまおう、というような感じかな。別に、AV女優が死んでしまった、とは言ってないけれど、もしかしたらそうなのかも知れない。わざわざ日本から呼んだのだから、困る、とでもいうような…。 で、その撮影場面をたまたま女も見ているのだけれど、彼女が興奮しているのかどうかは分からない。(女は男の現在の職業を知らず、ここてぜ初めて知った、と書いているのがあったけど、そういわれればそうかも。なんか、この映画に関しては、すべてがピンとこなくて、テキトーに見ていたからかもね) …むしろ、気絶したAV女優を相手にしている男が、窓から見ている女に気づいて、それで興奮したって感じ。最後、出す、というとき男が抜いて、なんと窓越しに女の口にペニスを挿入。どくんどくん。女は、ごくんごくんと飲む。というようなラストで、それがなに? だからどうしたは、ない。そもそも、あのスーツケースのも開かなかったし…。 というわけで、全体的には散漫。だけど、SEXシーンのおかげで台湾では大ヒットしたんだと。ま、ぶっかけシーンだのフェラシーンだのがあるから興味本位で受けたんだろうけど、中味はそんなに深くないような気がする。ま、監督の思いはあるんだろうけど、つたわってこなかったよ。 そもそも異常な暑さがあまり伝わってこなかった。そういえば、異常な暑さ、という設定の中国映画は前にも見た記憶があるんだけど、それがどんな映画だったかはすっかり忘れているよ。 | ||||
楽日 | 4/3 | キネカ大森3 | 監督/蔡明亮(ツァイ・ミンリャン) | 脚本/蔡明亮(ツァイ・ミンリャン) |
原題は"不散"、英文タイトルは"Good Bye, Dragon Inn"。 さてと、2度目。映画館が舞台。雨が降っている。もぎりはびっこの中年女性。映画館では歴史ドラマを上映している。セリフはほとんどなく、陰気に、ムダに長いカットの重なりで話が進んでいく。 昼間の回は入っているけれど、夜の回はがらがら。そこに青年が紛れ込んでくる。彼は切符も買わず入ってしまう。場内はガラガラなのに、観客は凝り固まった感じで座っている。老人客、オヤジ、カップル、女のひとり客、子供連れ…。彼らは青年の近くに座ったりするけれど、まるで青年がいないかのように振る舞う。青年が観客をじっと覗き込んでも、彼らは無反応。 上映中だというのに、青年はロビーに行ったりトイレに行ったり、映画館の裏の荷物置き場の方に回ってみたりする。そういうところにも、別の観客がいたりする。その楽屋裏みたいなところで、青年が男に言われる。「この映画館には幽霊が出る」と。さらに、「私は日本人だ」とも。そして、「さようなら」と言って去って行く。青年も「さよなら」という。じゃ、青年は日本人なのか? 青年の話と並行して、もぎりの女の話が描かれる。誰も入って来ない映画館の木戸。夕食の饅頭を2つに切り、大きい方を映写室にもって行く。歩きもゆったり、ひょっこり、びっこをひきつつ。ひょっとして彼女は、映写技師に思いを寄せているのかな? でも、映写技師は登場しない…。もぎりの女が再び映写室に行くと、饅頭は食べられていない。他にカップ麺もある。女は饅頭を持ち帰ってしまう…。 さて。映画は終わった。ロビーで、老人とオヤジが顔を合わせ、「先生、久しぶり」「来てたんですか」「忘れられてしまった」なんて話している。さては、2人は上映されていた映画に登場していた役者だったのか。そういえば、もぎりの女もスクリーンの裏側に入っていたが、スクリーンに映った活劇女優に似ていたような…。ひょっとして、事故で引退してもぎりを? 映写技師がフィルムを巻き戻す。もぎりの女は、荷物を持って館をでる。振り返って、まんじゅうの蒸し器を見る。でも、振り切るように前を向き、ゴミを捨てる。映画館の面には「臨時休館」の文字。客が入らないから閉めるのか? 映写技師はバケツにたまった雨漏りの水を外に捨てる。映画館のシャッターを閉め、ロビーの機械で手のひら占いをする。と、受付を見ると、蒸し器がある。彼はその蒸し器をもって、カッパ姿でバイクに乗る。これは、どう見ても、蒸し器を女のところへ届けようということだ。そりの様子を、女が影から見ていたが、声をかけることもなく、ひょこたんひょこたんと、びっこをひきながら雨の中を帰っていく・・・。彼女の傘は、彼女のカラダのように、心のように、折れてひしゃげている。そこに、服部良一作曲(だっけか)の歌謡曲が流れてくる…。終。 というわけで、最初にでてきた青年は、途中でいなくなってしまう。男が言うように、観客のように見えた人々は幽霊だったのかも知れない。だから、青年に気づくこともなかったのかも知れない。幽霊といっても、死んだ誰かではなく、かつて映画を見に来ていたけれど、もう来なくなってしまった人々を象徴する意味での幽霊、なのかも知れない。親子連れもいた、カップルもいた、年寄りも、同性愛者たちもいた・・・。でも、いまは、もう忘れられた人々。忘れられた映画。忘れられた映画館…。 ひょっとしたら、青年が入ってきたのは、もう廃墟になってしまった映画館だったのかも知れない。そこで、かつての残映に遭遇した、のかも知れない。青年が、映画館の奥まで迷い込んだりしているのは、そのせいかも知れない。 わざわざ近づいて座るなよ。他に席があるだろ。なんて長い小便なのだ。という文句も言いたいけれど、狙いはそこにはないのだろう。かつてあった空間、止まったような時間、映画館が抱え込んでいた人々の思いまでも、そこには残されているのだよ、ということを伝えたかったのかも知れない。 そして、もぎりの女が抱え込んでいた、映写技師への思い。まるでムード歌謡のような楽屋裏の物語。そういやあ、そういうような哀しいメロドラマも、映画にはあった。映画が豊かだった時代は、もしかしたら日本統治時代だったのかも知れない。日本のムード歌謡が一世を風靡していたのかも知れない。そんな時代を懐かしんでいるようにも受け取れたけど、定かではないけどね。 というように読めたりするのだけれど、でも、それにしては、だらーんとし過ぎていて、つらい。今日が最後の映画館、というのが分かるのが最後の方だったり、異様にしか見えない雰囲気が延々とつづいたり。現実を表していた青年がいつのまにかいなくなって、幽霊たち(?)だけで話が進んでいったり。誰もいなくなった観客席をずーーーーーっと映していたり。セリフも少なくて刺戟に乏しく、やっぱ、感動まではなかなか達しない。 | ||||
ドライヴ | 4/5 | シネ・リーブル池袋2 | 監督/ニコラス・ウィンディング・レフン | 脚本/ホセイン・アミニ |
原題は"Drive"。ストイックに抑制を効かしたタッチで、暗く地味に話が進む。のだけれど、いったい話がどう転ぶのか、さっぱり分からない。分からないまま、緊張感だけが高まっていく。その緊張感は心地よさとはほど遠くて、息苦しく胃が痛くなるぐらい低気圧な感じに包まれている。一種異様な雰囲気で話が進んでいく。意外な展開、意外な背景、そうなるんだろうなあ、という結末。どんよりとしたスリリングさで、ほとんど座席に釘付けでラストまで。いや。なかなか凄い。もっとも、意外な背景が分かってからは、ちょっと説明的だし、読めてしまう。しかも、これがど演歌なんだよなあ。ここに、もうひとつ仕掛けがあると、サイコー! なんだけどなあ。 オープニングから、粋。役者、スタッフの名前が手書き風にでてくる。昨今では珍しい。で、主人公が逃走屋(って職種があるのかどうか知らないが、強盗が逃げるときに使う車のドライバー)であることを、ざっくり見せる。「何があっても5分待つ」という決めぜりふがスタイリッシュ。手際のよさも見せてくれる。 で、私生活では一人暮らし。エレベータで女性(アイリーン:キャリー・マリガン)と一緒になり、同じフロアと分かる。けど、主人公から気軽に声かけなどしない。そりゃそうだ。ヤバイ仕事もしてるんだから。で、たまたまマーケットでも一緒になるが、接触を避けて帰ろうとしたんだが、アイリーンのクルマがエンストしてるのを見かけて…冷徹さの一角が崩れてしまう。このシーンが象徴しているが、この映画、余計な描写を徹底的に排除している。クルマを修理したりetcの描写はなし。エンストしたクルマの次は、アイリーンの息子と3人でエレベーター。これで十分につたわるのだよな。 で、同じフロアのよしみで声をかけ合うようになり、家を訪問するようになる。この流れを、淡々と見せていく。 一方で、ヤバイ男の関係も同時並行で見せていく。主人公が働いている修理屋の店長シャノン。彼は主人公の運転の技術を見込んで、レースに出ようとしている。主人公も乗り気だったりする。なにせ、映画のスタントマンもやってたりするのだから・・・。シャノンは町の実力者バーニーに投資するよう持ちかけ、とりあえず成功する。バーニーはかつて映画づくりもしていたが、いまは裏家業が忙しいみたい。バーニーのダチに、ニーノがいる。ユダヤ人のイタリア料理店主と馬鹿にされるのが腹立たしく思っている。 というところで、話はどう転がっていくのか見当もつかない。ただ、ざわざわした感じがつたわってくる。アイリーンの亭主スタンダードはムショに入っているが、息子は主人公になついてしまう。さて、どうなるんだ? 出所したスタンダードは息子から主人公のことを聞いていて、ちょっとだけ疑っているけれど、それほど嫉妬深く話さそう。スタンダートと主人公がトラブるのかと思っていたら、誰かに殴られて血だらけのスタンダード。主人公が尋ねると刑務所で借金をつくり、払えないなら強盗しろと脅されているらしい。ここで主人公は、ひと肌脱いでしまうのだから、どれだけアイリーンを無私の心で愛してしまったかが分かろうというものだ。 主人公は仲介人と会って、話をまとめる。スタンダードとブランチという女(ちょっとエロっぽくていい感じ。ストリッパーらしい)が質屋に強盗に入る。主人公は2人を逃がす。これで、借りはなし、ということに。で、当日。駐車場にはもねう一台の車が…? 質屋からブランチが金を持ってでてくる。おくれてスタンダード。が、撃たれてしまい、主人公をクルマをだす。駐車場のクルマが主人公のクルマを追う! かろうじて逃げた2人がモーテルに。数万ドルのつもりが、カバンには100万ドル。いったいこの金は? 主人公はブランチを締め上げ、話を聞き出す。ブランチは別のクルマが来ることを聞かされていただけという。と、そこに追っ手が…。いきなりブランチの頭が吹っ飛んだのには驚いた。スゴっ。主人公は力業で追っ手2人を始末してしまう! さあ、どうなるんだ? 主人公は仲介人(ストリップ劇場主みたい)に会いに行き、いきなり手をハンマーで潰し、黒幕の名前を聞き出すと、なんとニーノ! えー。あのひょうきんそうな不細工オヤジなの? で、ここでニーノがバーニーに「実は…」と経緯を話し出すのが少し説明的なんだが…。なんでも東部のマフィアが進出するらしく、資金を質屋に隠したor預けた。その情報をニーノがつかみ、横取りしようとした。使ったのはスタンダードとブランチと主人公。ブランチにだけ、別のクルマが待機していると教えていた…。それが、スタンダードが撃たれて予定が狂ったらしい。事実、質屋は盗難届を出していないという。…のだけど、この件がさらっと語られてしまって説得力にいささか欠ける。しかも、ニーノより格上のバーニーをさしおいて、そんなことしていいのか? てな疑問が湧くんだけど、バーニーとニーノは金を取り戻す、より関係者を消す、方に力点を置いたみたい。 主人公が家に戻り、アイリーンとエレベーターに乗る。「金はある。どこか別の所で、君と息子で暮らせる。それと、僕も」って主人公が言ったのは、このあたりだっけ? で、エレベーターには同乗者が1人。主人公がアイリーンにキスをして、同乗者を油断させ…一気に殴り倒し蹴り潰す。この何度も何度も顔を踏みつぶす凄まじさ。関係ない人間(アイリーンと息子)にまで手が伸びていることに怒りが収まらない様子。でも、これじゃアイリーンもヒクわな。 で、シャノンには「逃げろ」と言ってあったんだけど、バーニーにカミソリで手首をザックリやられてしまう。しっかし、バーニーは、ナイフやカミソリを特別な武器としてケースに入れているのも、また凄い。 主人公は、スタント時代のつてで人面マスクを手に入れ、それを使ってニーノの店を覗きに行く。ニーノがいることを確かめ、彼が車に乗ったのを確認すると、つけていく。で、クルマをぶつけて崖下に落とし、海に逃げるニーノを溺死させる。 バーニーは「もう、残っているのは俺とお前と女だけ。女には手を出さないから金をよこせ」と交渉に入る。それに応じる主人公。店で会い、金を渡したところで、バーニーが主人公を刺す。が、主人公も負けてはいない…という闘いは、渇いたアスファルトに映る影だけで見せるという、なんか鈴木清順みたいなことをするね。 腹を刺されて動かない主人公。死んだか、と思わせて、まだ力は残っている。バーニーの死骸の横に100万ドルを放り出したまま、彼はいずこかへ、ドライヴ…。彼を思うアイリーンが、アパートでひとり。…って、これって昔の日本のヤクザ映画っぽいね。 ならぬ恋、その相手のダメ亭主への情け、素人さんに手を出すヤクザへの怒り、単身乗り込んでの恨み節、そして、同士討ち。女に迷惑はかけられないと1人で去って行く。金に未練はさらさらない。しょせん実らぬ恋だもの。手な感じで、なかなかクール。というか、ハードボイルドかな。 アイリーンに、いまのってるね、キャリー・マリガン。ちょっとケバイ化粧だけど、まだ純な感じの残っている様子が似合ってる。そう。主人公とアイリーンは、まだ清い仲なのだ。このあたりも、よくあるアメリカ映画とちょっと違う。プラトニックに、女性への敬意が感じられるぜ。 ところで、店で「あんたにむかし乗せてもらった。こないだは別のやつを頼んでしくじった」とか言ってきた男って、スタンダードに似てたけど、彼だよな? 違うか? | ||||
ラビット・ホール | 4/6 | ギンレイホール | 監督/ジョン・キャメロン・ミッチェル | 脚本/デヴィッド・リンゼイ=アベアー |
原題は"Rabbit Hole"。「不思議の国のアリス」の関係があるのかと思ったら、ぜんぜん。4歳の息子を事故でなくした夫婦が、その喪失を埋めようとしつつ対立したりしていく話だった。妻ベッカは事故の記憶から回復しておらず、家にある息子の痕跡を排除しようとする。ついには家を売る、といいだす。夫のハウイーは、そろそろSEXもしたいし、また子供をつくろうと思い出している。そのすれ違いで、ののしり合ったりする。これを見ていて、少しうんざりしてきた。 昔は、子供が10人ぐらいいても不思議ではなく、半分ぐらい早世するのが普通だった。もちろん当時といまでは事情が異なるのは分かるんだけど、夫婦が対立したり家庭が壊れたりするほどのことになっているというのは、どうも納得がいかないんだよな。映画の中で、子供を失った人の会がでてきて、何年もその記憶から抜け出せず、果ては離婚してしまうケースもでてきていた。そういう人もたちもいるだろう。けど、大多数はフツーに乗りきれるのではないのかな、と。 ベッカの方が喪失感に苛まされているのに、そういう会には参加したくない、と思っている。ハウイーは乗り切ろうとしているのに、そういう会にこだわっている。…というのも気になった。たんにベッカが強がっているだけ? ハウイーは、ベッカのために会に参加していた? で、ある日、ベッカは息子を跳ねた高校生(名前がジェイソン、ってどうよ? 13日の金曜日かよ)を発見し、家をつきとめる。…のだけど、警察は加害者の情報を被害者家庭に教えないのかい? 顔を知っているのだから、近所にいれば出会うだろうに。でまあ、接触して公園で会話するようになるんだけど、ベッカが冷静に対応しているのが奇妙な感じで、どうも納得いかない。 事故は、走り出した犬を追って道路に急に飛び出した息子にも責任があるんだろう。けれど、その加害者が高校生で、大学に入ろうというのに、さほどショックを感じていないように見えるのも素直に受け取れなかった。これが日本なら、ぜんぜん違うだろ。高校生は夫婦から責められ、世間からも責められ、土下座もして社会的責任を追及され、地域に住んでいられなくなるかも。けれど、彼の地では、そういう感情は少ないのか。 ラビット・ホールは、そんな高校生が描いたアメコミの中の話で、その穴からパラレル・ワールドに行ける、というもの。高校生は、自分が別の世界に行きたい、と思ってそんな話を創作したのだろうか? ベッカは、「パラレル・ワールドでは、何のトラブルもない私たちがいるかも知れないのね」なんて目を輝かしたりしているんだけど、そんなSFを信じてどうすんだよ、という気がする。宗教じゃん。そういう宗教的なことはやだ、って、会で話してなかったっけ? 息子の痕跡をなくしたい。と思っているベッカが、どうして息子を轢いた高校生と日常会話ができるのだろう? どうして逆上しないのだろう? いや、逆上したのは事故から脱出しかかっていたハウイーの方で、妻が高校生と会っていたことに怒りをぶつける。この具合も、どーもすっきり収まらないのだよな。 ベッカの妹には、子供ができるようだ。ここは、失った人に対して、得る人を対立させているのだろうけど、ありきたりな設定。むしろ興味深いのは、ベッカの母親の存在で、彼女はベッカの兄を失っている。ともに子供を失った経験をもつ母親として描かれている。ただし、ベッカに言わせると「30歳でヤク中で死んだ子供と比べないでよ」ということになる。30歳でも4歳でも、母親にとっても同じだと思うんだが、そういう同情心はベッカにはないらしい。 母親役のダイアン・ウィーストがいい味をだしていて、存在感があった。息子を失ったことに対して彼女の「失った記憶は始めは重石のようだったけど、次第にポケットの中の小石になり、ときどき忘れて、ああそういえば…なんて風になる」というセリフが、この映画のメッセージを凝縮していると思うんだけど、それが映像化されていないのが残念。まあ、最後、ベッカも立ち直りかけるというところで終わるんだけどね。 ハウイーは、会で出会った東洋系女性(サンドラ・オー)と親密になるんだけど、一線は越えない。ってか、サンドラ・オーじゃ寝たいと思わないかもだよな。あの役を工藤由貴がやってたらどうなのかね。ちょっとは展開がかわったかな? | ||||
家族の庭 | 4/6 | ギンレイホール | 監督/マイク・リー | 脚本/マイク・リー |
原題は"Another Year"。イギリス映画。春、夏、秋、冬と4つのパートに別れている…って夏って表示がでたっけか? トム(地質学者)とジェリー(心理カウンセラー)の夫婦の家に集う人たちのだらだら世間話が中心で、セリフの内容はほとんど記憶にない。とくに、画面に登場しない誰それについてのあーだこーだは頭にも入らない。まあきっと会話の内容に意味があるわけじゃないだろうからいいんだと思うんだけど。壮大な無駄話を聞かされたみたいな気分で、大半が退屈。ちょっとドラマっぽくなったのは冬のパートで、トムの兄嫁が亡くなって葬式が中心になる部分。トム、ジェリー、息子のジョーの他に、兄嫁の同僚や近所の人3人、兄、遅れてその子カールがやってきただけの寂しい葬儀。でも、つき合いで人がぞろぞろ来るよりよっぽどいいと思う。無口な兄と、不良中年っぽいカールとの関係が、興味深かった。父親には反発しているけれど、母親の死にはショックを受けているようで、どういう物語があったのだろうか、と。 トムとジェリーって、人をバカにしたような名前だよな。アニメの猫とネズミだろ。まあ、よくありがちな 、ごくふつうの、的な夫婦なのか知れないけど、そうでもないよな。2人とも大学卒で仕事もしていて、飽きることなく家庭菜園をつづけ、亭主は料理もする。そして、機嫌良く人を招く。変わり映えのしない日常に満足している様子。 もっとも頻繁にやってくるのはジェリーの同僚のメアリーで、これがおしゃべりババアなのがイラついた。結婚に失敗し、離婚してなかったら私だっていまごろは家の一軒ぐらい、と愚痴ったり、ジョーに彼女ができたらその彼女に嫉妬したり。こんなババアと平気でつきあってるトム&ジェリーの心理が分からない。そんなに寛容なのか? 他にやってくるのは、田舎から太ったオッサン。彼はトムの友だち? 男日照のメアリーに言い寄るけど、簡単に袖にされてしまう。なことしてるから男に恵まれないんだろ、メアリーさんよ。太ってるのによく食べるので、途中で心筋梗塞かなんかで倒れるのではないかと思ったら、そうはならなかった。他にも、メアリーが勤める病院の黒人医師と赤ん坊。メガネをかけたオッサンもいたけど、あれは誰だったんだ? とにかく、しょっちゅう人を招いては雑談している夫婦だけど、そんなの普通なのかね。 ジョーは1人暮らししている様子。もう30過ぎって感じで、彼女はいないというので「実はゲイ」と告るのかと思ったら、不細工でおしゃべりな彼女ができたみたい。まあ、これでメアリーが落ち込んじゃうんだけどね。 で、最初は派手で、自分は若いと思い込んでるメアリーが、実は孤独で寂しがり屋だ、ってことを自覚してボロボロになっていく話でもあったりする。これが、残酷なぐらいリアルに描かれていて、ジョーの彼女に嫉妬して以来、職場でもジェリーに無視され、消沈。ある日、よろよろと尋ねてきたけど、家には葬儀後の兄がいて、ジョーが彼女をつれてくる予定になっている。なので、ジェリーは露骨に嫌悪する。この辺りの、つい先だってまでは家族のように受け入れていたのに手のひらを返すよう、な感じで凄いな、と思った。おまえ、心理カウンセラーなんだろ! と思ったら、実際、カウンセリングを受けるように勧めていたけどね。もちろん自分じゃなくて別のカウンセラーだけど。で、その、やつれたメアリーの姿で映画は終わる。げ。このあと、メアリーの問題は回収しないのか? そういえば、冒頭には不眠症の女性患者がでてきていた。薬をくれというのに対して黒人医師が対応していて、「薬じゃ直らない」と、私生活の悩みを聞き出そうとするのだけれど、何もしゃべらない。その彼女をカウンセラーのジェリーに任せていたが…。この映画は、メアリーという患者の私生活を暴いていく話でもあったわけだ。 面白かったのは、庭でのホームパーティで遅れてきたメアリーが「煙草を吸う」といったら人々が一斉に席を離れたこと。それほどまでに煙草飲みは嫌われていると言うことか。 | ||||
篤姫ナンバー1 | 4/9 | 新宿ミラノ3 | 監督/小中和哉 | 脚本/加藤淳也 |
篤姫が現代に現れてホステスをしたら? という、よくあるタイムスリップ物。タイムスリップするきっかけは160年周期で地球に接近する彗星で、新鮮味はない。好きでもない相手と結婚するのは嫌、というのが原因のようだけれど、篤姫がそんな考えに到るはずはなく、説得力はない。まあ、現代のパートでは、政略結婚に嫌気が差した青年と恋愛関係になるというアナロジーはあるけれど、ツッコミ不足。篤姫が江戸時代に戻った後、青年は政略結婚を受け入れたどうか、の方が気にかかる。 あと、篤姫が江戸に戻らなかったら歴史が変わる、なんていっていながら、一緒にやってきた忍びの娘が現代に残ることになるのは、変だよ。彼女がもどらないことでも、歴史は変わるのだから。ま、そもそもSFなのでツッコミすぎるのも不粋なんだけど、やはり合理性というか納得できる展開は期待しちゃうからね。 物足りなかったのが、クラブで働き始めてからのこと。ぐんぐん売上げを伸ばしていくんだけど、どこが魅力でそうなったのか、がさっぱり描かれない。ここは、お姫様言葉が受けたとか、お姫様にいじめられる客が増えたとか、なんか欲しかったよね。 あと、不自然なのは、篤姫が現代の物事にいつまでたっても慣れないこと。ナイフとフォーク、クルマのドアの開け閉め、電話など、そんなの1週間もすれば扱えるだろ、というものに、1ヵ月以上たってもあたふたしている。それはあり得ないだろ。 役者は、ばあやの中澤裕子とバーテンのダンディ坂野、ママの秋本奈緒美、それに草刈正雄ぐらいしか分からず。篤姫役の石川梨華はヅラが似合うね。現代の服装では並の娘にしか見えないけど。そういえば、中澤裕子のばあやは3、4着ぐらい着物が変わっていたけど、あれはどうしたんだ? 一行を住まわせてくれたホステスと漫画家の卵のカップルが買ってくれたのか? とまた、ツッコミを入れてしまったりして…。 ま、テレビの枠に併せたような尺と内容だから、それなりの制作費しか使ってないのは分かるんだけど、CGがちゃちいのは、どうにかならなかったかなあ…。 | ||||
ビースト・ストーカー/証人 | 4/11 | シネマスクエアとうきゅう | 監督/ダンテ・ラム | 脚本/ダンテ・ラム、ジャック・ン |
香港映画だ。分かりにくいだろーな、と思っていたら、その通りだった。 冒頭、刑事たちが食事中。そこに若いボスのトンがやってくる。なんかエラソー。なんか囮捜査中で、犯人をおびき出している風。連絡が入り、一同、雑居ビルへ。踏み込んで一網打尽…が、裏口に回った中年刑事が被弾してしまう。防弾チョッキで大丈夫だったけど。で、ドジった若い刑事がトンに罵倒される…。何をドジったのかよく分からなかったんだけど、見直すのも面倒だからいいや。で、次に、トンと中年刑事が張っていたら、目的のクルマが近くを通ったので追跡。車内では1人被弾している様子。チェイスになって、たまたま通りかかった4WDと三重衝突。犯人(?)たちは近くにあったクルマを盗んで逃げようとしたので、トンが射撃し、敵クルマはどっかに衝突。後部トランクを開けたら、少女が被弾していた…というのが幕開け。 以降の流れが端折りすぎ(?)か、よく分からんまま進む。担当検事(アン)を変えるかどうか話していたり、トンが幼女と戯れていたり、顔中傷だらけの男(ホン)が病室で包帯をとったり…。いずれも後から「そうか」と分かるんだけど、バラバラといろんな情報がごったまぜに登場するので、まごつく。 幼女と戯れていたのは、被弾した少女ではなくその妹らしい。で、その娘たちの母親が検事のアンで。アンは、元夫(?)と道路で電話中で。そこに冒頭の三重衝突。犯人たちがアンのクルマを強奪して逃げるところを、トンが撃ったら、後部に娘が…って、わかりにくいよな。なんとか話を頭の中でつないでいったけど、もうちょい説明的でもいいと思うんだがなあ。香港映画はいつも難しい。 で、不思議なのは、姉を殺してしまったトンが、妹の方と親しくしていること。それを母親のアンは知っているのか知らずか。ううむ。よく分からん。 というところで妹が男に誘拐される。犯人はホン。誰かに依頼されてやってるらしい。その誰かは、現在宝石泥棒の被告として裁判中で、その検事がアン。アンは被告を有罪にする大切な証拠を握っているが、娘とその証拠を交換だ、と脅されている。…という、複雑怪奇な設定。これがなんとなく分かるまで時間もかかって、シーンを見終えてしばらくたってから「なるほど」と分かるような案配。 あとは、ホンとトンの駆け引きが延々とつづく感じ。人物はそこそこ描かれていて、冒頭のドジ刑事はトンの従兄弟で、ドジった結果、閑職に追いやられてる。その彼に、トンが頼み事をしにいかねばならなくなったり。ケガして閑職に追いやられた中年刑事がトンに協力したり。ホンには、よく分からないけど体の自由が効かない妻がいたり。けど、描写がいまいちなんだよなあ。シナリオ自体は面白くて、これをハリウッドがリメイクしたらカチッと嵌まるような映画になるんじゃないかと思うんだけど。でも、香港映画ならではのテイストも捨てがたい…。ううむ。てな感じ。 白眉は三重衝突のシーン。これ、凄い。ほんとにぶつけてて、役者の首がぐらぐら揺れてる。むち打ちになったんじやないのか? と心配になるほど。 でもって、ずっと気になっていた「ホンって何者?」「あの奥さんは?」の謎は、ラストで解き明かされた。うーむ。なるほど。三重衝突のときの4WDか。でも、あんな悪人が退院後、逮捕もされず放免されちゃうのかい? それにしても、あの一個所に関係者がぴたりと遭遇するって、笑っちゃうぐらいすごいな。 あと、ラストの、トンと、ターミネーターのようなホンとの闘いや、砂か何かに娘が埋もれてしまったり、ってのは定番のような展開だな。 事故後、ホンは視力がおかしくなったのか、モノクロにしか見えなくなってるって設定。これも、ずいぶん後になってわかった。もうちょい分かりやすい演出があると、もっとスリリングに楽しめたような気がするんだけどな。 | ||||
KOTOKO | 4/11 | テアトル新宿 | 監督/塚本晋也 | 脚本/塚本晋也 |
精神病者の話だった。欧米でも「シークレット・ウィンドウ」「"アイデンティティー"」「ザ・ウォード/監禁病棟」「シャッターアイランド」その他、と多い。けど、これらは主人公が普通と見せかけておいて、実は主人公が変だった、と落とす手口。いっぽうこの映画は、最初から主人公・琴子が変である。 人間が2人見えて、片方は攻撃的でもう一方はやさしかったりする。そういう症例があるのかどうかは知らないけれど、明らかに主人公が異常である。途中から登場する田中という小説家も、たぶん琴子の妄想だろう。有名人が自分を愛してくれている、なんていう妄想はよく聞く。この映画でも突然登場し、突然消えてしまっている。 琴子は離婚して子供を育てているようだけれど、その背景は分からない。でも、最初の方のシーンでは、親子3人の写真も貼ってあったりするので、憎み合っての離婚とは違うように思う。琴子の変調が原因なのではないだろうか。それで幼児を育てるというのも危険な話ではあるが、家事も育児も満足にこなせない琴子は、幼児虐待と誤解され、子供は琴子の姉が養育することになる。どうも田舎は沖縄とかあっちの方のようだ。琴子はそれでも不動産屋で働いているのだけれど、あんな具合じゃまともに人と対応もできないと思うのだけれど、平常の姿は描かれないので、よく分からない。まあ、仕事はビラに下線を引くだけとして描かれているが、大雑把すぎだと思う。 解説には「愛する我が子を守るために」云々と書いているけれど、いったい何から守るのかは分からない。要するに、キチガイにはキチガイなりの合理性があって、幼児を放り投げたり絞め殺したりするのも悪意ではなく、その合理性に則っていることだ、ということを言っているみたい。しかし、それを尊重してあげるわけにはいかないわけで。ではどうするの? という話だよね。 主演のCoccoについてはまったく知らなかった。昔の今井美樹みたいな太い眉だな、っていう印象。ときどき意味なく歌い出すのは彼女が歌手だからかも知れないけど、映画の中の設定とはほとんど関係ないわけで、だからなに? 的な感じがした。 最初の方で、姉に育てられている息子に会いにいくぐらいまでは、そこそこ緊張感があった。けど、自宅でのダラダラ生活は家族ムービーみたいで退屈。その後、田中と出会い、一緒に生活するあたりで沈没してしまった。ふ、と気づいたら、田中が顔を腫れ上がらせていた。10分ぐらい寝たのかな? 琴子が腕を切るシーンは、ウソと分かっていても、目を背けたくなるね。自傷行為はこの手の患者の定番みたいなものだけど、描き方ひとつで美しく見えたりするから、要注意だな。 | ||||
バトルシップ | 4/16 | 上野東急 | 監督/ピーター・バーグ | 脚本/ジョン・ホーバー、エリック・ホーバー |
原題も"Battleship"。「宇宙戦争」に海軍士官学校物を足したような話。でも、主人公は学生じゃなく、大尉殿だけど…。ストーンは無鉄砲な弟アレックスを海軍に入れる。…のだけれど、アレックスはさっさと大尉になってる、ってのはなんで? で、海軍に入る前にアタックしたエロ女(これが提督の娘って、ありか?)といい仲になってるって、お前はマルボロマンか! とまあ、エイリアン+ロマンス(エロっぽい彼女)+海軍士官(ダメ男がいざというとき大活躍)と、観客の心を刺戟する要素をガッチリ押さえている。さらに、軟弱な研究者、両足が義足の退役軍人なんかも配置して、うまく活躍させている。しかし、この映画でもっとも興味深いのは、真珠湾攻撃の再現だな。 ハワイ周辺で日本、豪、マレーシアなど14ヵ国の合同演習が開かれる。スポーツ大会も開催され、日本vsアメリカのサッカーは、日本の勝利。というのが笑わせる。ここで負けておいて、あとでギャフンかと思いきや、そういうわけではなかった。で、演習中にエイリアンが5つの物体で落下し、1つは人工衛星に当たって空中分解…って、ちゃちいの。で、香港に墜落。残りはハワイに落下。ってのも、生命体がいるらしい惑星にハワイから送信していたから、らしい。で、ハワイ島と艦隊はバリアに覆われて、そこで戦いが始まるという寸法だ。とまあ、これは日本の真珠湾攻撃を思わせるのだけれど、このエイリアンに日米が共同で立ち向かうというのだから時代は変わったものだ。 エイリアンのバトルシップは巨大で、もしかしたらこんなのが本当にやってきたりして…と思わせるような雰囲気なんだけど、だんだんマヌケに見えてくるのだ。なにしろ、こいつ、飛べないんだよ。海上に浮いてて、ぴょんぴょんとバッタのように跳ね回るだけなんだ。アホか。高度に進化したエイリアンが、なぜにこんな乗り物を? さらに、見るからに頑丈そうだった装甲も、後半になると艦砲射撃で簡単に破壊されたりして、拍子抜け。そして、「宇宙戦争」から伝統的なエイリアンの弱点は、光だった。なんでもトカゲが進化した生物らしく、明るいところが苦手らしい。といっても、光に当たると焼けちゃう、とかいうのではなく、たんにまぶしい程度みたいだけど。 というわけで、レーダーや無線が使えないといったハンデを乗り越え、人間が勝利しちゃう。まあ、これは予定調和だからいいとして。バリアのすき間をぬって無線交信したり、1トンの砲弾を5人ぐらいでかついだり。エイリアンは敵意を見せない相手は襲わない、っていうのも不思議。でも、山中で警官を簡単に殺してるので、ちょっと矛盾。てな具合のテキトーなところがたっくさんある。そういやあ、最後に博物館になってるミズーリ号に弾を込めて戦いにでるんだけど(すべてアナログだから、記念式典に呼ばれた退役軍人のジジイたちが動かすっていうのは「スペース カウボーイ」みたいだね)、油や砲弾はどっから調達したのだ? 沖合でどがどがやってるのに、ハワイ諸島では暢気に野球したりしてるのも、変と言えば変。香港のテレビニュース画面に日本人の女子アナの声がかぶるのも、ううむ…。 艦長のストーンが戦死して、生き残ってる中で階級が一番高いアレックスが艦長代理になり、成長していくというドラマもあるんだけど、途中でその艦長の座を日本自衛隊(?)の艦長ナガタ(浅野忠信)に譲り渡す、というシーンがあったのには驚いた。そんなにアメリカ人は謙虚になったのか? なんか、後が怖いような気がしてしまったよ。浅野忠信は結構なセリフがあったんだけど、ちゃんと通じる英語になってるのかな? アレックスの部下たち何人かは、顔が判別しやすかった。小柄な黒人女性兵(リアーナが演じている)がかわいかったんだけど、IMDbで見たらケバイねえちゃんになっちゃってた。制服姿萌え、だったんだけど…。他にも、数多くいる脇役は、よく描き分けられていた。もっとも判別しにくかったのは、アレックスとストーンの兄弟で、目立った顔をしていないのだよなあ…。 | ||||
アポロ18 | 4/18 | 新宿武蔵野館2 | 監督/ゴンサーロ・ロペス=ガイェゴ | 脚本/ブライアン・ミラー |
前知識ゼロだった。原題も"Apollo 18"。アポロが何号まで飛んだのかもよく知らなかった。冒頭で「アポロは17号まで飛んだが、実は18号が秘密裏に月に向かった。そのときの映像80時間分が、ネット上の某サイトで発見された。この映画は、それを編集したものである」みたいな字幕が出る。素直に信じて見ていたけど、わざとらしい歪みや汚れ、誰が撮ったんだ? という月面を俯瞰する映像、どう見ても無重力には見えない船内の映像なんかが写されるに及んで、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」「REC」「パラノーマル・アクティビティ」に連なる手法の映画だと気づいた。そうなったら途端に退屈が押し寄せてきた。だって、たいしたことが起きそうに見えないんだもん。 「ブレア・ウィッチ」や「パラノーマル」はたいしたことを描いてなかったけど、息苦しさや緊張感があった。「REC」は過剰なぐらいにつくりこんで演出していた。けど、「アポロ18」は全編たいしたことを描かないまま緊張感もまったくなし。ソ連人飛行士の死骸がでてくる一瞬、ちょっとだけ身構えたのがせいぜい。あとはもう、どっかでみたような出来事がたわいもなくつづく。 石ころが動いたり体内に入ったり。カニみたいなのがヘルメットに入った。同僚が襲ってきたり。そんなん、どこがコワイってんだ。 しかも、最後にとんでもない矛盾が発生する。米国の着陸船が使えなくなったからって、いつの時代のものか知らないけどソ連の着陸船を使って月軌道上の司令船に向かうんだけど、両者は激突してしまう…。ってことは、どっちも破壊されたってことだろ? それで、どうして月面に着陸した2人が撮影したフィルムが地球にもって帰れたんだよ! ここは、宇宙遊泳で司令船にたどりつき、なんとか地球へと帰還して落下した…というところまで描くべきじゃなかったのかい? それと、この手の映画では破れたタンクトップに胸の谷間がちらり、あるいはショーツに油汚れの娘っ子が1人参加してないと、もたないよ。オッサン3人が宇宙服じゃ、なーんも楽しくないざんす。 | ||||
HUNTERS ハンターズ | 4/20 | ヒューマントラスト渋谷シアター1 | 監督/クリス・ブライヤント | 脚本/マイケル・レーマン |
原題は"The Hunters"。フランス/ルクセンブルク/ベルギー映画なんだけど、役者はアメリカ人とイギリス人みたい。実は映画をよく知らないというか、勘所をよく分かっていない下手くそな監督が粋がって撮ってるみたいな、ムダが先走ってるようなB級映画だな。 男がよろよろ逃げているシーンから始まって、2週間前に遡る。時はクリスマス前。ゴーベン要塞でキャンプか何かしている4人組が映る。オヤジが2人、青年が2人。同時並行で、新米刑事ルセイントが描かれる。戦場で負傷して、傷が癒えて警察に就職みたい。昔の女性のイメージもフラッシュバックでインサートされるけど、具体的な言及はなし。なので、何かがトラウマになっているのかも知れないけど、詳細はまったく分からず。ルセイントには自分なりの主張があるみたいだけど、署長からは命令に従っていればいい、と無視される。そのルセイントが、公園で若い女性と知り合う。おお。男ばかりの映画かと思ったら、美女が登場。ほっ。 で、オヤジの1人は教師。あと20年も同じ仕事をするのはゲンナリ、なんて同僚に話している。彼は夜な夜な悪夢にうなされている。もう1人はコンピュータの技術屋。ドジで、お客に怒鳴られたりしている。青年の1人はボクシングを習っていて、もう1人はよく分からない。 ルセイントは、最近発生している失踪事件を探ろうとするが、署長から「そんなことはしなくていい。事件の重要な目撃者がいるので、彼を守れ」といいつかる。その目撃者と落ち合う場所をゴーベン要塞にしようとしたら、署長からダメだと言われる。で、署長から指定された場所に向かおうとしたら、そこで大捕物が始まってしまい、独断で、ゴーベン要塞で落ち合うことを決める。そんな分けで、ルセイントは要塞に。4人も要塞に。公園で知り合った女性も、男友達と要塞へ。しかし、4人がやっていたのは、要塞内での人間狩りだった! という話。内容はあまりにバカバカしくてリアリティはない。教師が、ニコニコしながら他の3人と寛いでいるのに、1人になると悪夢を見るというのもよく分からない。公園として市民に開かれている要塞内で銃をガンガン撃っている。なんと地雷も埋めてある。。死骸を解体し、生首を要塞内に飾っている! 閉門すれば、私有地なので禁猟期間中でも猟ができる、とルセイントに説明。園内への跳ね橋を上げてしまう! なのに、その後に公園で会った女性が男友達とのこのこ園内に入ってきてしまう! はっきりいってムチャクチャだ。でもまあ、この手の映画に「あり得ない」をいってもしょうがないので、そういうのは大目に見ようか。 各々の死に方がちゃちい。園内をバギーで移動していたおっさんは、鉈でぐちゃぐちゃに。でも、これシルエットでしか見えない。目撃者は、地雷で呆気なくバラバラに。青年は、ルセイントに刺される。ボクサーは、技術屋の誤射で死んでしまう。教師は、ルセイントに撃たれて死ぬ。最後の1人がいて、之は実は警察署長だった! という意外性は評価してやろう。しかし、この署長も、地雷を踏んでサヨウナラって、呆気なさ過ぎだろ。 時が流れ、街のカフェで再開したルセイントに、公園で知り合った女性が「名前は?」と尋ねるシーンでオシマイ。うーむ。前半の人間描写や人間関係のドラマなんかはまずまずたったけど、要塞内の打ち合いや追跡劇なんかは、くどすぎてつまらない。教師が、女性の男友達にショットガンを向けるシーンがあるんだけど、なんかよくわからないままに、ためらってばかり。これって、本心は人殺しなんかしたくないのに…という心の表れなのか? それにしちゃ、仲間といるときはそんなそぶりは見せないぜ。 という具合に、あっちこっちテキトーがありすぎて、真面目には見ていられない。せめてアクションが、美女が…と思ったんだけど、こっち方面でもいまひとつだった。女性が殴られて鼻血を出して横たわっているだけ、じゃ、話にならんよな。 | ||||
キリング・フィールズ 失踪地帯 | 4/20 | ヒューマントラスト渋谷シアター1 | 監督/アミ・カナーン・マン | 脚本/ドナルド・F・フェラローネ |
原題は"Texas Killing Fields"。設定やテイストはいいんだけど、料理の仕方がいまいちかな。前半はビリビリくるような流れで、さて、どう収集していくのかな、と思っていたんだけど、真犯人は途中で見当がついちゃって意外性はゼロ。さらに、だらだらと物語の周辺を描き込んでいる割りに、核心的なというか重要な要素が曖昧なままだったりするので、ピースがかちっかちっと嵌まっていかない。なので、後半はかなりダレてきてしまった。ああもったいない。って感じだな。 テキサスで少女を狙った連続失踪・殺人事件が発生する。追うのは地元生まれのマイクと、ニューヨークからやってきた老練なブライアンの2人の刑事。それに、マイクの元妻で男勝りの女性刑事も絡んでいく。並行して、少女アン(クロエ・グレース・モレッツ)の物語が語られていくんだけど、いまひとつ添えもの的な描き方。これじゃ、いずれアンも被害者になるだろう、ってミエミエだよな。 具体的な事件としては、住宅地で発見された少女の死体。それと、クルマを放置して失踪した少女の事件が捜査されていく。こちらは、早々に前科者の黒人と、つるんでいる白人のコンビがマークされる。…となると、こいつらが犯人じゃないな、ってすぐわかる。で、他に犯人らしいやつって行ったら、自宅でファッションヘルス(?)やってるアンの母親のところに通ってきてたメガネの労働者したいないだろ。しかも、そいつはアンの息子とつるんでいる。ってことは、2人組だ。 そもそも、ある母子家庭(?)に男が侵入し、母親を襲った事件があって、駆けつけたブライアンが2人組にボコボコにされるという事件があった。ここから、犯人は2人組ということが観客に刷り込まれていくんだけど、いったいあの事件は何だったのだ? 部屋に侵入した1人は途中で母親を襲うのをやめちまって、母親は警察に電話する。それで警察がやってくるんだけど、もう1人は窓の外にいたりする。なんか、よく分からない。それで、その母親が署に呼ばれて話を聞いているとき、突然女性の悲鳴が聞こえてくるんだけど、あれは「殺される!」って悲鳴だったのか? それが、クルマを捨てたまま失踪していた少女で、湖畔で見つかったんだよな。で、あの襲った2人組は、白黒コンビの方だったのだよな、多分…? で、少女たちを湿地帯につれてきて処置していたのは、労働者と息子の2人だった? にしては、いろいろとお粗末なコンビだったよな。ほんとうにすべての犯罪はあの2人なのか? その目的は? たんなるヘンタイ行為? 最後にこの2人がアンを誘拐したのは、アンが刑事たちを家に連れてきたから、らしいけど。片方はアンの実の兄だぜ? 猟奇感はさっぱりないし、説得力が足りない。 というような塩梅で、話はいまいちびりっとしない。残念。クロエ・グレース・モレッツはかわいいけど、その存在感が活かされていない。ブライアンを演ずるジェフリー・ディーン・モーガン、マイクのサム・ワーシントン、元妻のジェシカ・チャステインらの方が、汗臭くて生々しい感じがでてるんだけど、彼らの背景がアバウトにしか見えないんだよな。もうちょい具体的に描き込むと、話に厚みが出たのにね。もったいない。 | ||||
ももへの手紙 | 4/23 | 新宿ミラノ2 | 監督/沖浦啓之 | 脚本/沖浦啓之 |
アニメ。全編を通してジブリの映画、エピソードが想起されてしまう。「トトロ」「もののけ」「ポニョ」「コクリコ坂」「猫バス」その他その他…。あえてやってるのか? だったらアホだ。しかも、テンポがのろくてイライラした。もっと緩急をつかって90分ぐらいにまとめればいいのに、120分はムダに長すぎる。 父親が調査船の事故で亡くなり、瀬戸内海の汐島にやってきた母・いく子と娘・もも。そこで天界からのメッセンジャーであるイワ、カワ、マメと出会い、すったもんだ、という話。なんだけど、いろんな部分がアバウトすぎ、終わっても腑に落ちないところがたくさん。登場する小道具もうまく使えてなくて、もったいない感じもある。 夏休みなのか、学校は出てこない。同年齢の子どもは陽太という少年とその妹のみ。というのも中途半端かな。 そもそも、イワ、カワ、マメの存在が不明だ。父親が死んで成仏し(?)、本人(?)が残された家族を見守れるようになれるまでの間、代わりに家族を見守る存在、とかいっていた。で、たまたま黄表紙の妖怪の外見を借りたのかと思いきや、存在自体が妖怪であるような言い方もしていたりする。それとも、天界からのメッセンジャー=妖怪ということなのか? 黄表紙に載っているような妖怪すべてが、そのような使命を帯びた存在だ、ということなのか? でも、なぜ黄表紙が登場する必要があるのだろう? 黄表紙に描かれた外見を借りないと、活動できないのか? この3匹以外にも、森の中に小人の妖怪や、他にもたくさんうじゃうじゃ妖怪が住みついている、ということらしい。では、そいつらは何なのだ? そいつらも、誰か亡くなった人の代わりの守り神をしているのか?などと突っ込んでいくと、首をひねらざるをえない。 この妖怪を、ももが見えるようになる理由は何だろう? 一般的には、見えるのは子どもであるのだけれど、すでに12歳。物心がついていて、見えるような年頃ではないはず。想像するに、父親が残した手紙の本文を知りたい、と願う心が3匹の妖怪を呼び寄せたのかも知れないけれど、はっきりそう語られてもいない。ももの特殊性がよく見えないので、納得のいく展開になっていないのだ。陽太の妹・海美は5歳で、妖怪が見えるようだ。まあ、5歳ならいいだろうけど、じゃ、他の子供たちにはなぜ見えない? 見える、見えないでいうと、妖怪たちが盗む野菜や果物は現実の物だから、人間にも見えて不思議はない。じゃ、妖怪が摘み取って運んでいるときは、宙に浮いているのか? 透明人間が運んでいるように…? そのあたりが解決できていないから、もやもやしちゃうんだよな。 いい加減と言えば、3妖怪に木の実を食べさせようとしてイノシシに追われ、ぶっ壊してしまったレール走行車。あの始末はどうなった? ワンカットでもいいから、途方に暮れた果樹園農家のおっさんを描くだけでも、話に厚みが出るだろうに。 で、この映画のもうひとつの見方は、エロだな。たとえばいく子の艶めかしさはどうだ。20歳そこそこにしか見えない描き方。豊かな胸の膨らみ。後れ毛の一本一本まで描き込むしつこさ。萌え、だったぞ! このいく子をヘンタイ目で見ているのが、郵便屋のおっさん。いく子の幼なじみらしいけど、露骨すぎるだろ。もも、もそうだ。島の子は普段着で海に飛び込むのに、彼女だけはスクール水着。しかも、そのアングルがいやらしい。風呂上がりに、Tシャツをぱたぱたするんだけど、下乳が見えそうだったではないか。だけど、でもって、苦悩で顔を歪めるとき、婆さんのように顔にシワが寄るのは「?」だな。もっとあっさり描けなかったのか。ちょっと不気味に見える。 一家の私生活もよく分からない。島の老夫婦はいく子のオジ・オバらしいが、両親はどうしたのだ? いく子は喘息病みで、子供の頃1年間この島で暮らした、といっていた。その当時は両親が健在だったのか? というか、そもそもいく子の郷里が汐島なのか? でも、過ごしたのが1年だけなら違う。しかも、島にきたのは12年以上前、結婚後らしく、以後、来ていない。東京のマンションを売り払い(といってもローン返済中だったら大して金にはならんだろ)、そんなオジ・オバを頼って東京からやってきた理由は何なんだろう? 東京には友人知人がいなかったのか? いく子にいなくても、ももにはいただろう。島に行くなんて、大反対したはずだ。…というような背景が、物語からちっともにじみ出てこない。 しっかし、ももって娘はハタから見たらやな女だぜ。陽太が飛び込みに誘っても、ぷい、と帰ってしまう。また誘ったのに、今度はやってこない。さらに、嵐の夜に他人を危険に巻き込む。母親も、喘息が全治していないのに、島に移り住んだりする。こういうのって、迷惑だと思うんだけど、それでも、彼女たちに好意を抱けますか? と聞いてみたいものだ。 というわけで、父親を失った少女が、まだ霊界にたどりついていない父親と心を通わせあうのを、妖怪のようなものが手助けするという話だけれど、細かな瑕疵がありすぎて手放しでは楽しめなかったな。そうそう。あの、妖怪が「壊されると困る」といっていた通行手形って、何だったんだ? | ||||
ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン! | 4/25 | キネカ大森2 | 監督/エドガー・ライト | 脚本/エドガー・ライト、サイモン・ペッグ |
原題は"Hot Fuzz"。fuzzは警官の意味らしい。町山智浩が積極的に動いて日本公開となり、話題となった2007年の英国映画。エドガー・ライトは「ショーン・オブ・ザ・デッド」「スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団」を見ていて、前者は面白かったけど後者はダメだった。で、少しだけ期待を持って出かけたんだけど、中盤から眠くなって少し沈没してしまった。 英国映画のギャグって、ここで笑わせようとしているのだな、ということが分かっても、笑いにつながらないのが多い。たとえば、優秀すぎて迷惑なので、田舎に左遷した、という設定自体が笑いなのかも知れないけど、日本人にはそんなことで笑えないんだよな。勘所が違うというのかな。で、物語もなんとなく平板で、緊迫感やメリハリというか盛り上がりも少ない。なんとなく色んな人が死んで(死に方はかなりグロで、それなりに面白かった)行くんだけど、その過程でもいったい何が? というヒキがないのだよな。 で、いろいろあったけど、犯人は…。「オリエント急行殺人事件」と同じで、町のみんなが殺人者だった、というオチ。そういえば、近隣監視団体とかいうのが組織されていて、しかもメンバーは年寄りばかりで、自分たちに理解できない人間は注意・観察し、排除したがっている、というのが村にはあるというのを最初の方でやってたな。そうか。イギリスの監視社会をパロディ化しているのか。実際、イギリスは監視カメラの普及率はものすごいらしいし。 解説を読むと、刑事映画のパロディもあるっていう。けど、よく分からなかった。見てるけど忘れているのか、見ていないのか。ラストの銃撃戦は派手だけど、銃で人を殺さないというのがこの映画の掟なのか、撃たれたとしても肩あたりなのでなので死なない。最初の何人かの殺人以外は、悲惨な部分がないのである。これも、どういうルールに則っているのかよく分からないのだけれど、盛り上がりに欠ける部分ではないかと思った。 | ||||
コーマン帝国 | 4/26 | 新宿武蔵野館3 | 監督/アレックス・ステイプルトン | 脚本/--- |
原題は"Corman's World: Exploits of a Hollywood Rebel"。映画監督ロジャー・コーマンの一代記のドキュメンタリー。allcinemaの解説は「メジャースタジオとは一線を画し、低予算のB級映画ばかりを量産する一方、後に巨匠や大物スターと呼ばれる若い才能を次々と輩出してきたことでも知られ、多くの映画人の尊敬を集めるハリウッドの異端児、ロジャー・コーマンの驚くべき映画人生を紐解いていく痛快ドキュメンタリー」となっている。 ロジャー・コーマンは、名前は知ってるけど、その映画はほとんど見たことがない。B級映画って、あまりみるチャンスがないし、昼の午後にテレビ放送するのも見ないから。しかし、監督作品が50本以上、制作に係わったのは400本っていうから、驚くね。妻に「12本に係わってる」と言ったはいいけど、題名が10作品しか思い出せなかった、なんてエピソードも紹介されていた。ジャック・ニコルソンを最初に主役に起用し、マーティン・スコセッシやロン・ハワード、ジョナサン・デミ、ピーター・ボグダノヴィッチなんかを監督として送り出した。他にも、ロバート・デ・ニーロなんかも見出している。でも、自分はメジャーになれないorならないってところが面白い。 映画は低予算で仕上げるのがモットー。しかも、「当てるもの」「儲けるもの」であって、稼いだ金で次回作をつくる。たまに大ヒットして予算がついても、お目付役みたいなのがあてがわれて自分の自由にならないからって、大作にはかかわらない、らしい。 とはいいつつ、ちゃんと観客の好みに合わせた映画をタイムリーに、というか、先駆けてつくっている。しかも、偶然ではなく狙って。SFや青少年の反抗もの、その延長の「ワイルド・エンジェル」…。で、バイク映画で当てたコーマンに「イージー・ライダー」の製作を…となったんだけど、降りちゃったみたい。ニコルソンが「やっときゃ大儲けだったのに!」なんていうのがおかしい。 でも、ニコルソン他がそろっていうのは「世話になった」「でもあの映画は最低だ」なんだよね。でも、本人もそれは自覚していて、「芸術作品をつくるつもりはない」みたい。受けるもの、商売になるもの、をつくりたいようだ。で、なるほど、とおもったのは、「ジョーズ」と「スター・ウォーズ」に愕然としたってことだ。「B級映画をあんな予算でやられたら、出る幕がないじゃないか」と、この2作を憎んだようだ。ほんとうに、あの2作は、映画を変えたんだな、ということがよく分かる。というか、すべての映画は巨費を投じたB級映画になった、ってことなのだな。なるほど。 アカデミー賞に最も縁遠い、と誰もが思っていたのに。なんと名誉賞を受賞。受賞シーンとスピーチは、見てるこっちも涙目になっちまった。しかも、コメントを言うニコルソンまでが、カメラの前で泣いちまうのだ!! この映画で泣くとは、予想だにしなかった…。 しかし、相変わらずマイペースのロジャー・コーマン。安手の映画を相変わらず作りつづけているっていうんだから、敬服だよね。グラインドハウスやドライブインシアターなんかもうないのに、どこでかかってるんだろうね。って、その手の映画を欲している観客はいまだにいる、ってことだよな。凄いな、アメリカは。 映画でも言及されていたけど、大学教授みたいな風貌。ふつーの、引退したおじいちゃんだよな、ちょっと見は。 そうそう。コーマン弟の部屋にあったのは、ありゃ、船越桂の彫刻ではないのか? |