ジョン・カーター | 5/1 | MOVIX亀有シアター7 | 監督/アンドリュー・スタントン | 脚本/アンドリュー・スタントン、マーク・アンドリュース、マイケル・シェイボン |
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原題は"John Carter"。タイトルから「ER」の登場人物しか思い浮かばなかったんだが、原作はバローズの「火星のプリンセス」で、主人公の名前なんだと。 正直いって話はあまりにも単純。地球から火星に瞬間移動して、火星の王国間戦争に巻き込まれ、王女と恋仲になる。そこに、爬虫類系の少数民族が絡む…。という話の展開は、これまでよくあった。のだけれど、原作が書かれたのが1917年なので、実はこちらがそもそもの原点で、これまでよくあったモロモロは、みな「火星のプリンセス」に触発されてつくられているようだ。既視感を覚えるのもムリはない。では、いまさらなぜ映画化したんだろう? という疑問は湧くけどね。 最新のSFXを駆使しいいるので、スケールは壮大。で、気になるのは、これを見てバローズは「イメージ通り」というのか、それとも目を回すのか、どっちなんだろう? 100年前の想像力をはるかに超えたイメージだと思うんだけど、どうなのかね。なにせ、シャーロック・ホームズも「バットマン」もどきのスーパーヒーローで描かれてしまう時代なのだ。誇張はあるんじゃないのかね。ま、それが悪いと言っているわけじゃないけどね。 冒頭の火星の状況の説明があまりにも簡単すぎるというか早いので、何が何だか分からないままに現在(20世紀初頭)に。ここで、バローズ青年が叔父のジョン・カーターに呼び寄せられる、という寸法。で、時代は遡り、ジョン・カーターが、誰かに尾行されつつ町を移動しているシーン。で、バローズが到着すると、叔父は亡くなっていて、遺言として日記が残されていた。それを読むと…。という具合に時制が冒頭から入り乱れているので、混乱する。火星の状況もよくわからんのに、地球の現在もよく分からん! 固有名もたくさんでてくるし、それが何を意味しているのか分からなかったりもする。かなり不安になるが、まあ、なんとなく次第に分かっては来る。 優秀な南軍将校だったカーターは、あるとき心を入れかえて金採掘に夢中になる。その背景として、妻と娘(?)を殺されたというのが、フラッシュバックでインサートされる。けど、誰に殺されたかは描かれない。また、どうして金に? というのも理由が書かれていない。 さらに、騎兵隊とインディアンとの戦いに巻き込まれ、洞窟に入って蜘蛛の絵にたどりつき、そこである人物と出会う。が、相手を射殺して、メダルを手にしたせいで火星に移動してしまう。おいおい分かってくるんだけど、出会った人物はサーンとかいう神的な人種のひとりらしい。それが、メダルの力で地球と火星を行き来していた、ってことのようだ。 他にも赤色人だの緑色人だのゾダンガだのヘリウムだのサークだのバルスームだのと、一回聞いただけでは判断つきかねる固有名詞がどかどかでてくる。そのうえ、個々に名前がある。覚え切れんぞ。でもま、次第になんとなく分かっては来るんだけど…。そのへんの交通整理というか定義というか、が、かちっとされていないので、最初のうちはかなりもやもやしてしまった。 加えて、人物がちゃんと描かれていないので話に厚みがなく、共感する部分が少ない。たとえば緑色人の娘と皇帝が親子だった、という話も、とってつけたみたい。で、気になったのは、娘が「古式の手法で生まれた」云々というセリフだけど、これは、孵卵器で大量に育てられたのとは違うってことなんだろうけど、そもそも緑色人って卵生じゃん。どっかで卵子に精子をかけるんだろうけど、その過程は…どうなってんだろうね。興味津々。 で、オフィシャルサイトの解説を読んだりして、いまさらながらに「なるほど」なんて思ったりするのは、正しい映画の見方ではないと思うんだけどね。サーン族も、神かと思ったら「宇宙で最も進化した存在」なんて書いてある。変身できたり強力なパワーが使えたりするので、なんだこいつら? と思っていたのだ。なのに、銃で撃たれると簡単に死んでしまう。ん? 神が死んじゃうの? という疑問は、解説を読んでやっと解けたよ。 しかし、星を支配するのに自ら行わず、ゾダンガに行わせる理由は何だろう? 自分たちは暴力が似合わないから? いちおうセリフでしゃべってはいたけど、頭に残っていないよ。 この話では、地球でも能力のあるカーターが、重力の薄い火星でもの凄い跳躍力、怪力を身につけて大暴れするところだ。そのへん、とくに解説抜きだけど、子どもの観客が見て分かるのかな? で、ラストに大きな仕掛けが分かるんだけど、これが考えるだによく分からない。バローズがカーターに呼ばれて行くと、執事に「主人は死んだ」といわれ、墓に案内される。バローズは知恵を駆使して、内側からしか開かないという墓を開ける。その瞬間、バローズの背後からカーターを追跡していた男が…。が、その男の背後からカーターが銃で打つ…。実はカーターは生きていて、追跡者をおびき寄せ、殺害するために甥のバローズを利用した、ということのようだ。けど、火星から地球へサーン人にムリやり戻されて20年。地球のどこかにあるかもしれないメダルを掘りつづけ、「発見した」というニュースを追跡者=サーン人に報せ、墓までおびき寄せた、ってアホじゃないか? そもそもメダルは発見されていなかった。デマでおびき寄せたのだろうが、だったら20年もかける必要がないじゃないか。20年たって火星に行っても、王女だって歳をとってるだろうに! もっと早く仕掛けろよ、って話だ。 追跡者を殺害するため、自分が死んだふりをする必要性って、どこにあるんだ? せいぜい、追跡者の背後にまわれる、ってことぐらいではないの? 意味ないよな。追跡者も、死んだカーターを見に来る必要性って、あるのか? いや、そもそも、追跡者がカーターを監視している必要性は、あるのか? たまたまメダルを見つけて、火星に戻りはしないかと監視していたのか? だったら、カーターはさっさと追跡者をやっつけてメダルをゲットし、火星に戻ればいいじゃん。などと、首をひねるラストになっていたのだった。 しかし、この映画の最大の欠点は、王女が中近東のオバサン顔をしているってことだな。もっと若くて活き活きしてて可愛い役者はおらんのか! | ||||
罪と罰 | 5/7 | キネカ大森1 | 総監督/ガッツ石松、監督/● | 脚本/ガッツ石松 |
終了前に「犯罪被害者のみなさまに、この映画を捧げる」と出てくるんだけど、これってそういう映画だったのかい? なんか、ピンと来ないんだけどね。というまでもなく、すべてが学芸会レベルで、映画の勘所がまったく分かってない素人のつくり。まあ、こういうのを「よし」とする人間もいて、こういう映画を披露して、共感が得られると期待しているんだろうな。気の毒なこって。 いちいち挙げてもキリが無いが、要はムダなカットが多すぎる。ズーム、カメラぶんまわし。だらだらつづく移動シーン。風景。眼のどアップ。さらに、4年前のキャンプのシーンになんの意味があるの? 母親殺しは2年前の16歳らしいが、そこに回顧すればいいんじゃないの? もしかして、小学生の頃は素直だったのに…ということかい? この映画、骨格がふにゃふにゃだ。冒頭の酔っぱらい運転は、何かの伏線でもない。ネズミ講事件は、何を主張するためのものなのか。はたまた、非行少年に育った息子の、偶然の母親殺しには、どういう意味があるのか? てんでんばらばらで、収拾がついていない。犯罪者を追及するならそういう姿勢が必要だし、犯罪被害者のことをいうなら、そこに焦点を当てなくちゃいかん。なのに、いずれもみな中途半端だ。 息子が非行に走る警察官、というのはよく聞くモチーフ。で、じゃあその原因についてアプローチしているかというと、なーんもしていない。息子を諫めるわけでもなく、2年足らずで少年院をでてきた息子と、ニコニコ顔でイタリアンに行ったりする。妻を殺した息子と、そういう関係でいる親ってどうなのよ。母親を殺してしまった自分は、父親に会わす顔があるのか? まして、妹にはどういう態度で対したのだ? そんなことは、すっぽり抜け落ちてしまっている。 そんな息子が、なんと連続女性暴行犯になっていた、ということに気づかないアホな親。刑事はやめたとしても、それって監督不行届ってことになるじゃん。で、その始末は、息子を殺して届けも無く焼却し、その骨を自分の家の墓場に埋め、そこで自分は割腹自殺って。おいおい。それじゃ責任を取ったことにならないだろ。だいいち、あんなたき火じゃ人間は焼けないよ。まったく、何を考えているのはさっぱり分からない。 要するにあれかい? 一度罪を犯したやつは、矯正できない。再犯の可能性が高いから、保護観察なんかしたって意味がない、ってことが言いたいのか? さらに、犯罪者の家族は、自殺しろ、とでもいうのか? なんかな。トンチンカンもほどがあると思うんだが。 しかし、低予算のアホ映画は、アホ映画なりに楽しもう。 ・救急車の所属地域名がシール! ・酔っぱらい運転で亡くなったらしい婆さん、息してるよ! ・タクシーは同じ物を使い回し! ・首から腹から血が糸のように飛び出る! ・息子は金髪で逃亡し、見つかったときは黒髪短髪。床屋に行ったのか? ・父親がネズミ講を追っている夜、雨は降ってない。息子が同時刻に女性を襲ってるんだけど、雨が降ってる! ・つまらないギャグ(ビールに鼻くそとか)満載! 墓の前の土を10cmぐらい掘ると、骨壺が出てくる? 線香置きをどかして、カロートに納めるんじゃ亡いのか? ・母親の胎内にいるとき双子の片割れが死んだ。その時に聞いた「死にたくないよ」という声がまた聞きたくて、人を殺しているという息子の告白って、おいおい。 ・墓の卒塔婆に19回忌とあったような気がするけど、それってその、双子の片割れの死産の子のか? ・右隅に「ジ・エンド」とカタカナで出るなんて映画、初めて! | ||||
孤島の王 | 5/7 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/マリウス・ホルスト | 脚本/デニス・マグヌッソン |
原題は"Kongen av Bast?y"。ノルウェー/フランス/スウェーデン/ポーランドが製作国。「蠅の王」みたいな映画かと思ったら、ノルウェーの、孤島にある少年院の話だった。 1915年、殺人を犯したらしいエーリング/C-19と、もう一人C-5が入所してくる。なんか「あしたのジョー」みたいな感じのオープニングだな。院長はオーラヴ/C-1(院では番号で呼ばれている)に、「ルールを教えてやれ」というのだけれど、C-19は反抗的。脱走しようとして捕まったり、喧嘩したりと、目立ってる。C-1は、卒業間近。っても、賽銭泥棒程度で6年もこんな矯正施設にとどめおくのかい? 10歳未満の子どもも少なくなく、当時は不況で、それで少年犯罪が多かったのかなあ? で、あるとき寮長がC-5と洗濯室でなにやら怪しいことを…という情報を得たC-1が院長に告げ口するのだけれど、院長にそのことを責められた寮長は「だったらあんたが予算をくすねていることをバラすぜ」と脅され、窮する。というわけで、子供たちが犯罪者なら寮長は少年虐待、院長はコソ泥であるということが分かってきて、どんづまりになってしまう…。それでも寮長は大きなカバンを提げて島を後にする。少年たちは「やったね」と喜ぶが、C-1の卒業の日、寮長が戻ってくる。なんと、辞めさせられたのではなく、用事があって本土に戻っていただけだった…。いかり狂うC-1は、自分のことも顧みず、寮長に襲いかかる。C-19と、もう一人も。3人は独房に入れられるけれど、寮長に「使用人のくせに」とバカにされている使用人が鍵を開けてくれて、3人は寮長を襲う。他の少年たちも立ち上がり、管理者たちを追放。院長は舟で島を後にする。のだけれど、すぐに軍隊がやってきて鎮圧される。C-1とC-19は氷上をつたって本土に向かうが、氷が薄くてC-19が沈んでいく。C-1だけが助かった…。という話で、反乱以降は定番の流れになってつまらなくなる。 半ばまでは得体の知れなさ、どうなるんだろう感があって引っぱって行ってくれた。けれど、寮長と院長とが互いにすくみ合う関係になってからは、話が進まない。寮長の問題も、あまりにも明快すぎるし、院長の不正もありきたり。さらに反乱では背景が論理的にかっちりし過ぎては、予定調和過ぎる。ここはもうすこし、ざわざわした妖しい感覚を残しながら話を進めていって欲しかった。いい子であるC-1が生き残り(つかまらなかったのが不思議)、後に島を訪れるという設定もよくあるパターンで、なんとも尻すぼみな収束のさせ方ではないか。もっと予想もつかない展開、暗澹たる終わり方、意外な生き残り…でもよかったんじゃないかな。 そもそも話は単純なのだから、もっと人間を掘り下げるとか、エピソードを濃密にするとかあってもよかったかも。少年たちもC-1、C-5、C-19、あともうひとりデブ、それと、チビ、ウサギを飼ってるやつ、ぐらいしか目立たない。チビとウサギはほとんどしゃべらない。院長の奥さんも、添えもの的。院で働く人々も印象が薄い。みな、それぞれの生活背景が希薄で、食い足らないのだよな。もう少しずつ描き込めば、興味深い群像劇にできたと思うんだが。そうそう。私物は禁止といいながら時計をもってるのがいたり、ウサギを飼っているのがいたり、「?」でもあった。 もうひとつ。この映画にはクジラのアナロジーが登場する。始めは何のことかと思ったんだが、文字が書けないC-19が語り、それをC-1が筆記する物語として説明される。銛を5本打ち込んでも死なない。接近したら暴れて、甲板夫や船長までもが呑み込まれた、とかいう話だったかな。で、このクジラが意味するものは何なのだ? 社会なのか、この少年院なのか、院長や寮長の不正のことなのか、なんだか、よくわからないのであった。 | ||||
ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン | 5/7 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/ポール・フェイグ | 脚本/アニー・マモロー、クリステン・ウィグ |
原題は"Bridesmaids"。もろ「ハングオーバー」の女性版って感じ。でも、結構、面白かった。 アラフォー女のアニー。男はいるけど、相手から見たら3番手。遊ばれているだけ。もう帰ってくれといわれて朝帰り。でも、門扉が開かない。またがって出ようとすると、ドアが開き始める。暗証番号を知ってる1番手、2番手の女が入ってきた、のかな? とにかくあれこれマヌケなアニー。の友だちリリアンが結構な富豪と結婚することになって、ブライズメイトに選ばれる。のだけれど、他のブライズメイトとの確執が激しくなっていく! 最大のライバルがリリアンの上司の奥さんヘレン。どっちがリリアンと仲がいいかで張り合ったり、プレゼントで張り合ったり、もうバカバカしいったらない。唯一なんとか心が通じるのは、リリアンの亭主となる花婿の妹メーガン(メリッサ・マッカーシー)なんだけど、メリッサ・マッカーシーがすんごくいい。ラスベガス行きの飛行機で隣席になった男を秘密警察だろうと指摘したり。で、彼女本人も国家機密に関与する仕事をしてることが分かったりするのだけれど、突飛な具合がハマってる。他に、アニーの同級生でどっしりオバサンのリタ、あとカマトトっぽいベッカ。ただし、リタとベッカは時間的によく登場するにもかかわらず、あまり機能していないのが残念。 ドレスの着付けの前に入ったレストランの料理であたって、一行がドレスのまま下痢ったり吐いたり。バチュラーパーティーはラスベガス! っていう飛行機でアニーだけがエコノミーにされてふてて、睡眠薬と酒でラリって大騒ぎを起こしたり。はっきりいっちゃって、アニーはお騒がせのバカ女。ひがみっぽくて目立ちやがりで一言も二言も多い。いったんはブライズメイトを降りるが、こんどは式直前にリリアンが雲隠れ。ヘレンたちがアニーを頼ってきて、探してみれば自宅に戻っていただけ…って、アホか。 リリアンがトンズラしたのは、ヘレンのプランだと金がかかりすぎて、両親からの資金援助が足りない! 結婚式なんてできない! というもので、でも、なんとかリリアンは式場へと戻る。のだけれど、資金のことがどうなったかはよくわからない。 ドジなアニーに優しくしてくれる男も現れて、これが警官なんだけど、まあ、こういう話では定番のパターンだわな。傍から見たらアニーのどこがいい? 男に捨てられ、ひがみっぽくて、自分のことしか考えてないような女にも、思ってくれる男がいるのだよ、とでもいって、男に縁のない女性たちに元気を与えようってことかい? まあいいけど。 まあ、最後はホンモノのウィルソン・フィリップスが披露宴にでてきて、リリアンの両親が「(金は)大丈夫か?」なんていったりするんだけど、まあ、ハチャメチャコメディだから現実的であるかどうか、なんて関係ないけどね。アニーも警官とハッピーエンドで、めでたしめでたし。 思ったのは、アメリカの典型的なコメディのスタイルを踏襲しているな、ってことだ。「ルーシーショー」とが「じゃじゃ馬億万長者」とかの、これでもか、っていうバカバカしさが爆発してる。その分、あちこちでムリが来てはいるけれど、まあ、そんなことにツッコミをいれてもしょうがない。海峡で、ラスベガスでカジノ、ってのは、アニーが眠薬+酔っ払いでトラブって、あれはナシになっちまったのかな? なんか呆気なかったけど。できれば派手に賭け事に浸った夜、ってのも見たかった。男性ストリップに前のめり、なんていうのも見たかった。アニーがつぶしたケーキ屋、そのときつきあってた男…なんていうのも、もう少し見せてもよかったんじゃないのかなあ。 リリアン役のマーヤ・ルドルフは何系かよく分からないんだけど、映画の中で父親が黒人だったような…。メキシコとか南米風でもあり、黒人が混じってるようでもあった。ぜーんぜん美人ではないのに、こういう役柄もこなしてしまうのね。不思議な感じ。 | ||||
ルート・アイリッシュ | 5/8 | 銀座テアトルシネマ | 監督/ケン・ローチ | 脚本/ポール・ラヴァーティ |
原題は"Route Irish"。イギリス/フランス/ベルギー/イタリア/スペインが製作国になっている! ケン・ローチは独特の映画文法をもっていて、様々な要素を説明なくばらまき、のちに少しずつ因果関係を説明したり、解き明かしたりする。この映画も同様で、「あれは何だったのだ?」「そいつは誰だ?」というようなシーンや出来事、人物が散漫に見えるかのようにばらまかれる(船上で戯れる2人の青年。教会でファーガスに殴りかかる女性。フローレンス? とか)。しばらく見ていくと「なるほど」と思えることが多いのだけれど、分からない状態のときはイライラする。その意味で、とっつきにくい監督だと思う。 とはいいながら、この映画には色んな固有名詞、名前が山のようにでてきて、でも、それほど丁寧に説明してくれているわけではない。しかも、展開が早いから、考えている間にどんどん進んでいったりする。疑惑が解明されていく過程はスリリングだけれど、筋を追うだけでも疲れる。置いてきぼりを食らわないかと慌ててしまう。果たして、ちゃんとついて行けてたのかな? ファーガスは、幼友達のフランキーを傭兵に誘ってイラクへ。先に帰国したファーガスに、フランキーから「ヤバイ」の留守電(どうもファーガスは携帯を持ち歩かない癖があるみたい)。フランキーは遺体となって戻ってきた。彼女(かと思ったら妻らしい)のレイチェルに責められるファーガス。…フランキーの遺品の中にイラン人(?)の携帯があった。フランキーが借りていて、そのままになっていたらしい。その存在は会社も知っていて、「返せ」という。気になったファーガスは、在英イラン人歌手ハリムに分析を依頼する(画像を見るぐらい自分でできるだろうに、なんで?)。映っていたのは、イランのタクシーを攻撃する傭兵部隊。乗っていたのは民間人で、撃ったのは傭兵のネルソンらしい。画面には、タクシーのドアを開けるフランキーの姿も映っていた。で、これはフランキーが戦死する1ヵ月(だっけ?)ぐらい前のこと。何があったのか、ファーガスは在イランの元同僚傭兵に探らせる(Skype使って危険なことを依頼できてしまうのが少し不自然)。…この辺りから話が錯綜しだして分かりにくくなるんだけど…。ネルソンとコロンビアだったかどっかの南米の傭兵2人とフランキーが一緒に行動していた。タクシーの動きが不自然だったのでネルソンは撃った。でも、それは「殺人だ」とフランキーは責め、喧嘩になった。上司(?)のウォーカーは話を闇に葬ろうとした。社長(?)のヘインズも了解済み。なぜなら合併話が進んでいて、それがオジャンになると困るから。動き回るファーガスに手を焼くウォーカーはネルソンをイギリスに呼び、行方不明の携帯を探させる。その筋のモノを雇い、レイチェルの家、ファーガスの家を家捜しさせ、ファーガスの携帯を発見。留守録からハリムの存在を知り、奪い取る。で、ファーガスは、ネルソンがマッド・マックスという殺し屋を雇ってフランキーを殺した、と確信。ネルソンに拷問を加え、「自分がマッド・マックスを使ってやった」との自白を得る。そこに、イラクから傭兵仲間が戻ってくる。話を聞くと、マッド・マックスはフランキーが戦死する以前に死んでいること。フランキーが戦死した日には、ネルソンはアフガニスタンにいたこと(これは拷問中にネルソンが言っていたことだ)。「殺人だ」と主張するフランキーを、リスクの高いルート・アイリッシュに頻繁に派遣したこと。クルマも、装甲の弱い韓国車を使用していたことなどを知る。合併話がまとまり、クルマに乗ったウォーカー(?)と社長(?)と女性社員。クルマのハンドルに「間の悪いときに間の悪い所へ」(と、ウォーカー(?)は遺族に説明していた)のメモ。直後に、クルマが爆発…。レイチェルに別れの電話をかけ、海に飛び込むファーガス。つまり、フランキーを直接殺したのではなく、危険な地域に頻繁に行かせて、死ぬのを待った。…で、いいのかな。 しかし、ファーガスも激しやすくアホな人間だよな。渋るフランキーを「金になる」と傭兵に誘ったのはファーガスだ。イラクでは、かなりひどいことをしていたようでもあるし。友人が戦死したからと、復讐しようとする。つまり、傭兵会社への告発ではなく、個人的なうらみ、だ。まあ、あまりにも告発色が強いと、観客が呼べなくなってしまうことを危惧したのかな? 一貫しているのは、ファーガスのアホさだ。携帯の留守電を聞かず、ファーガスを見殺しにした。さらに、携帯を家に置きっぱなしにしてハリムの存在を知られ、動画も失った。そもそも、携帯の動画なんて自分で抜いて保存しておけばいいだけの話。それができない傭兵だなんて、アホだぜ。 それに、親友の妻レイチェルといい仲になってしまう。レイチェルもレイチェルだ。観客サービスでロマンスとエロを入れたのかね。ううむ、な感じ。レイチェル役のアンドレア・ロウはきれいだったけどさ。 説明が足りない部分もあるよな。盲人サッカーのシーンも、ありゃなんだ? だったけど、ラストでレイチェルに「クレイグを頼む」と言い残したので、クレイグって誰? だったんだけど、どうも傭兵で視力を失った仲間みたい。で、後半で悪夢にうなされている男がファーガスの家にいたんだけど、あれがクレイグだったのか。同居してたのか? じゃあ、ネルソンが送った手練れがファーガスの家に潜入したとき、在宅してたのか? あれ? ファーガスとレイチェルが最初に交わったときも、いたのか? 「殺してやる、フローレンス」というイタズラ書きも、フローレンスって誰よ? だよな。フローレンスはフランキーの正式名称なのかな? ううむ…。 てなわけで、謎解きの方に比重がかかっていて、傭兵会社に対する告発色は薄い。なんてったって、ファーガス自体が金のためにイラクに行って、イラク人をボコボコにしてきた過去もあるわけで。ネルソンは拷問で殺してしまう。傭兵会社の社長ら(?)も吹っ飛ばしてしまう。そこまでやるなら、もっとやればいいのに、なーんと呆気なく自殺しちゃう。そんなに責任を感じるようなオッサンじゃないと思ったんだけどね。 緊張感があって面白かったんだけど、いまいちメッセージというかテーマが弱いような気もしなくもないね。 | ||||
REC/レック3 ジェネシス | 5/9 | シネマスクエアとうきゅう | 監督/パコ・プラサ | 脚本/ルイス・ベルデホ、パコ・プラサ |
原題は"[REC]? G?nesis"。1、2は話がつながっていた。1は密室性と幽鬼も合わさってスリリングだったし、2も同じ建物内の閉塞性を引き継いで、そこそこ面白かった。が、3は単なるフツーのゾンビ映画になっていた。ジェネシス=創世記とあるからには、話はここから始まった、ということなんだろうけど、陳腐過ぎるだろ。 結婚式→披露宴。新婦のオジが犬にかまれた(?)とかで包帯を巻いていたのが最初なのか、ゾンビ化。さらに、他のゾンビもどどっと侵入してきて大混乱。新郎は式場カメラマン、親戚のビデオ小僧、楽曲調査員なんかと逃げようとするが、太りすぎの式場カメラマンはダクトに入れず置いてきぼり! なんとか教会まで行ったら、ゾンビは聖水を嫌うとかで入って来ない安全地帯。逃げ込んでる人も何人かいる。というところに新婦が場内アナウンスで新郎にメッセージ。それを聞いて新郎は新婦を救いに行く…。以下、すれ違いと、次々に仲間を失いながら、最後は新郎と新婦がめぐり逢う。そこに、神父による説教…あれは聖書の文章? が放送で流れる。これを聞いてゾンビは動けなくなってしまう! ラッキー、と思ったら、耳が悪くて補聴器してたジジイのゾンビがいて、新婦の手にがぶり! これって、大笑いだよな。ゾンビ化する前に、新郎が新婦の腕を切り落とすが、逡巡していたのが徒となったか、新婦はゾンビ化。そんな新婦ゾンビを抱えて外に出で、接吻。新婦は新郎の舌を噛みきってしまう。と、そこに警官の縦断の嵐が! という終わり方。 補聴器のジジイもアホだけど、新婦がたいして仲良くなかった友人に招待状をだし、もらった相手もノコノコやってきてこの悲劇に遭遇したとか。式でどんな曲が流されるか調査する調査員がいたり。スポンジ・ボブのパクリがいたり。とてもマジメにやってるようには思えない。真剣なシナリオなのか? と、疑ってしまうよな。 しかも、最後は新婦が電ノコふりまわしてジェイソン状態。仲間は惜しみなく殺されていくし、いやもう、ムチャクチャである。 それと、この映画の最大の嘘は、[●REC]になってないことだ。最初の式や披露宴は、式場カメラマンと親戚のビデオ小僧の撮った画面が使われていた。でも、ゾンビが登場してからは客観描写になってしまう。じゃ、[●REC]って題にした意味がないじゃないか。そういえばビデオ小僧は教会に投げ込んだので、助かってるのかも知れないな…。でも、新郎が「お前、撮ってるのか?」怒り出し、カメラを壊してしまう乱暴狼藉は、これまた妙。頭を潰す、ナイフを挿す、銃で撃つ、なんていうのがゾンビの殺し方、というのも、なあ…。新婦の母親なんて、背後から一撃で死んじゃったけどね。ま、ツッコミどこ見ろ満載なレック3であったよ。 | ||||
テルマエ・ロマエ | 5/14 | MOVIX亀有シアター10 | 監督/武内英樹 | 脚本/武藤将吾 |
「古代ローマ帝国。浴場設計技師のルシウスは生真面目な性格が災いし、流行に乗り遅れて職場をクビになってしまう。気分転換にと友人に誘われ、公衆浴場(テルマエ)にやってきたルシウス。突然そこで溺れてしまった彼は、なぜか現代日本の銭湯にタイムスリップする」とallcinemaにある。前半の、ルシウスがローマと日本を行ったり来たりし、日本の銭湯スタイルや家風呂、シャワー、泡風呂、ウォシュレットなんかを見て、それをローマの浴場に採り入れるエピソードはバカバカしくも面白い。けど、皇帝ハドリアヌスや養子のケイオニウス、アントニヌスなんかが絡む話になってくると、つまらなくなってしまう。 つまらなくなるのは、中途半端にストーリー展開しようとするからだと思う。きっかけは、山越真実がローマにタイムスリップしたことにある。真実を自分の女にしようとしたケイオニウスをアントニヌスが咎める。それを根に持って、ケイオニウスはアントニヌスは地方へ左遷を命ずる。どうも史実ではケイオニウスが地方に行き、そこで病没。アントニヌスが皇帝となり、ハドリアヌスを神格化するのだが、そうならないとマズイとかで、ルシウスや真実らが奔走するのだが…。史実に即さなければマズイ、という切迫感がない。アントニヌスハドリアヌスを神格化しないと、何が困るのか? そこが説明されないので、観客は話に同調しにくいのだ。むりやりストーリーにしなくても、全編がエピソードでもよかったような気がするけどな。「南極料理人」みたいに。 もうひとつ、ルシウスはなぜタイムスリップするのか。しかも、真実の近くの水を介して…。という部分にまったく触れていない。ここはちゃんと説明しないと、話の根拠となるものが見えない。これじゃ、共感は得られないよ。それがあって、ラストの、皇居の壕にルシウスが現れるシーンにもつながるはず。いったい、この2人は何で結ばれているのだ? どうなっちゃうのだ? と。続編があるならまだしも、そういう話は聞いてないぞ。 ローマのセットが凄いのは、イタリアのオープンセットを使っているかららしい。やっぱ、金がかかっている様子は画面に如実に表れる。カメラの動きもスムーズで、やたら貧乏くさい日本映画とは雲泥の差だ。 日本人がローマ人に混じってローマ人を演じるのだけれど、ルシウスの阿部寛、その親友のマルクス(勝矢)、ケイオニウス(北村一輝)あたりは違和感なく見られる。でも、ハドリアヌスの市村正親、アントニヌスの宍戸開は、ううむ、な感じ。いつまでも子どもだと思っていた上戸彩が山越真実役で、おきゃんな娘っぷりもあるけれど、妙に艶めかしいシーンもあったりして、おっ、と思ったりした。それと、結構、胸がでかいみたい。これは驚き。脇がいい。神戸浩のすっとぼけ具合。外波山文明その他の名前も分からないジジイたち。存在するだけで絵になってるんだもんなあ。 | ||||
裏切りのサーカス | 5/15 | 新宿武蔵野館1 | 監督/トーマス・アルフレッドソン | 脚本/ブリジット・オコナー、ピーター・ストローハン |
原題は"Tinker Tailor Soldier Spy"。製作国はイギリス/フランス/ドイツ。…スパイ映画だとは分かっていたが、そのストーリーを30%ぐらいしか理解できなかった。大雑把には分かるけれど、人物関係や出来事の因果関係もよく分からない。本当はどこかで「おお!」と驚かなくちゃいけないところが何ヵ所があるんだろうけど、残念ながらどこで「おお」と驚いていいかも分からない。話についていけないから飽きるかと思いきや(最初の30分目ぐらいにちょっと危機は訪れたけど、乗り越えたら)最後まで見られた。なんとも地味で渋く、静謐なドラマ。あまりにも淡々としているので、スパイ物とは思えないようなところが満載である。 1960年代かな。冷戦時代の話。英国諜報部の幹部に東側のスパイ"もぐら"がいると分かる。すでに引退していたスマイリーが呼ばれ、誰が"もぐら"かを追究する…。その招待は! と、話は単純なんだけど、中味は一筋縄ではいかない。嫌疑をかけられた4人の幹部、リーダー、ハンガリーの行動ミス、相前後してM16を辞めさせられた人々、その他その他、山のように人物が登場し、いつもながらセリフの中に名前だけで登場するケースもしょっちゅう。さらに、カーラって名前だとか、コントロールなんて言葉がでてきて、「?」。そのうちコントロールはM16のボスと分かるんだけど、カーラってなによ? 話を理解することは、前半の半ばでギブアップ。しかも、この映画、スパイ物なのにあまりにも淡々とし過ぎているのだ。幹部たちは会議室でだべっているか、手提げカバンをもって町を歩いているか。ちょっと見たら、とうていスパイ物とは思えない。若いスタッフも右に同じ。どっかのフツーの会社の光景みたい。派手なアクションは皆無だし、はらはらドキドキはほとんどなかった。…まあ、ストーリーを理解できていればハラハラはあるのかも知れないけどね。 てなわけで、4人の幹部のうちコリン・ファースとトビー・ジョーンズが有名どころなので、このどっちかかな。トビー・ジョーンズの方が目立っていて臭いけど、それはミスリード? と思っていたら、コリン・ファースで正解だった。だって、そもそも4人ともあまり描き込まれていないし、コリンとトビー以外の2人なんかほとんど描かれていない。そのどっちかだったら、えーっ? ってなっちまうよな。 ちょっとハラハラしたのは、若いスパイとスパイの奥さん(?)とのエピソード。彼女が、口元に目立つホクロがあるけど美形で、映画に花を添えている感じ。あとはもう、ジイさんが主導だからなあ、この映画。 allcinemaを見たら、キャッチフレーズが「一度目、あなたを欺く。二度目、真実が見える。」だと。一回じゃ分からないから、二度見なさい、ってことだ。しかし、一度で分からないような映画は、映画とはいえない、と思っているので、その点では不合格。なんだけど、もし固有名詞なんかが頭に入って筋が追えたら、そこそこ理解できるものなんだろうか? はっきり明言せず、示唆している部分が多い映画のようにも思う。コリン・ファースが捕まって、「女がいる。彼女に金を与えてくれ。それから、男がいる」なんて告白するんだけど、この女っていうのは、たぶんスマイリーの妻なんだよな。で、男っていうのは、ハンガリーで撃たれたスパイのことなんだよな。ラストでコリン・ファースはそのスパイに撃たれて死ぬんだけど、スパイは涙しつつトリガーを引いた。ってことは、2人に関係があったってことだろ。それと、スマイリーの家に女性が来ているんだけど、あれが妻か。でも、それまでどこにいたんだ? コリン・ファースのところ? なんか、よく分かんないな。 そういやあ、ハンガリーで撃たれたスパイは死んだものとばっかり思っていたよ。それが学校の先生なんかしているので「?」となった。死んだというのはカモフラージュだったのか? それとも、はじめっから負傷って分かってたっけ? 4人の幹部で、デヴィッド・デンシックがラスト近くに呼び出され、追究される場面があったけど。あれはどういうことだ? 彼もロシアのスパイだったのか? 送還しないでくれ、とかなんとかいってたような…。 というような案配で、はっきり断言しないまま話が進む。さらにやっかいなことに、以前のクリスマスパーティ(?)のシーンが随時挿入されていく。その上で、過去のシーンが適宜インサートされる。てなわけで、複数の時制が入り混じっているのも、分かりにくくしている。それでもってセリフは短く、思わせぶりときては、分かりにくいといわれてもしょうがないだろうな。 見終わってスッキリしなさ加減が半端ないのだけれど、だからといって、分かるまで見てやろうという気にもなれない。 そうそう。最初の方に、面白い場面があった。M16の人間が何人かでクルマに乗るのだけれど、車内に蜂みたいのがいて、それを追っ払うのだ。邪魔者を追い払う、ということのアナロジーで分かりやすい喩えだけれど、他にもいろいろあったのかな? 気づいていないけど。 あのスタッフとキャストで、6時間ぐらいのドラマにすれば、寝転がっても楽しめるドラマになると思うんだけどなあ…。さ。オフィシャルサイトの荒筋とか相関図を見て、復讐するとするかね。 | ||||
幸せパズル | 5/16 | ギンレイホール | 監督/ナタリア・スミルノフ | 脚本/ナタリア・スミルノフ |
原題は"Rompecabezas"、英文タイトルは"The Puzzle"。アルゼンチン/フランス映画。前半の、マリアがジグソーパスルに嵌まっていく過程は面白いんだけど、中盤から話がとっちらかって行く。埋め込んだ伏線は回収せず、最後は何だかわけの分からない終わり方になってしまった。思いつきで撮り始めて、話を広げたはいいけど収拾がつかず、放り投げちまったような感じ。ちっとも「幸せ」ではない。むしろマリアの行く末が迷路である。 夫は自動車修理工場を経営。思春期の息子も手伝っている。専業主婦で料理は上手いが、趣味はない。でも、ちょっと几帳面。そんな40過ぎのオバサン(解説では50歳の誕生日らしい)が、誕生日プレゼントにもらったジグソーに嵌まってしまった。 冒頭。忙しく料理をつくっているから誰かの誕生日? と思ったら、マリアの誕生日だった。自分の誕生日に自分が料理をつくるのか? もっとゆっくりしないのか? いや、それぐらい家族に尽くして自分を殺した人生を送ってきたわけだ。パーティでマリアはサラを落として割ってしまう。破片を集めて台所に戻り、破片を並べて広い残しがないか確かめるんだけど、なかなかいい伏線になってるね。 1つ仕上げてしまい、次がやりたくなる。亭主と買い物に行って、1つ買ってみる。もっと絵のきれいなのを、とプレゼントにくれた相手に尋ね。電車でパズル専門店に出かける。ズラリ並ぶジグソーに圧倒され、目を輝かせるマリアがいい。演出もゆるやかで淡々としているので、わずかな表情の変化も、観客に伝わってくる。そして、店に張ってあった、コンテストのパートナー求む、に応募してみる。でも電子メールだったので、店の人を介して電話で教えてもらうんだけどね。 叔母が病気でその世話をする、と偽って練習のためロベルトの家を訪れるようになる。これがビルごと屋敷の大邸宅。メイドが1人いるだけ。夫思いのマリアは用心しつつ通うのだけれど、ジグソーの魅力には叶わない。 驚くことに、マリアと亭主はベッドの方でも仲がいい。定期的にセックスしているし、愛してるよ、なんてベタベタしている。日本人の感覚からは信じられないんだけど、亭主もなかなか人がいい。息子2人も、長男は家を嗣ぐのは嫌だ、自活したいと言っている他は素直。だけど、マリアは少しずつまともだった人生から足を踏み外していくわけだ。この辺りにあったのが、紅茶淹れの蓋が閉まらない、ってやつ。ロベルトが予告なく知り合いを呼んでいて、練習試合をする、と聞かされたときのことだ。紅茶入れの蓋を何気なく取ったら、こんどは閉まらなくなってしまった…。これも、ジグソーが嵌まる、嵌まらない、を連想させて、物事が上手くいかない、心の動揺などを上手くみせるエピソードだ。けれど、この手の演出はここでおしまい。ここら辺から、話はあまり面白くななっていく。 たとえば、それまでコンテストに出ることを隠していたのを、マリアはさりげなく告白する。でも、叔母の病気の件はどうした? ロベルトの所へ行っていることは、話したのか? ドイツに行くことは? マリアとロベルトは国内大会で優勝するけれど、優勝者はそのままドイツに行くんじゃないのか? え? 飛行機のチケットだけ? ロベルトは「観戦に行く」なんていってるけど、世界大会は目指さないのか? 息子の独立に反対していたのに、荷物運び何かしてるけど、許したのか? 国内大会優勝でハメを外し、ロベルトに身体を許してしまったのに、なんか2人の関係が冷え冷えしているのはなぜ? などなど、それまで張り巡らしていた伏線が全く回収されず、ムチャクチャになっていく。 そうして、田舎に持っていたらしい土地を見に(?)ひとりででかけ、のんびりしているマリアで映画は終わってしまう。おいおい。いったいどーなってるんだ? いささか亭主に同情しちゃうよなあ、というような終わり方だし、マリアはこれからどうするんだ? という不安もあるし、タイトルのように「幸せ」じゃないじゃん、と思ってしまった。 ジグソーのピースがカチッと嵌まって行くにつれてマリアが解放されていき、家族の絆がバラバラになっていく、というような見方もできなくはないけど、バラバラというほどでもないし。マリアは完全に解放もされなそうだし。なんか、よく分からん映画だ。 | ||||
灼熱の魂 | 5/16 | ギンレイホール | 監督/ドゥニ・ヴィルヌーヴ | 脚本/ドゥニ・ヴィルヌーヴ |
原題は"Incendies"。カナダ/フランス映画。凄いらしいとは聞いていたけれど、うわさに違わずジワジワ来て、後半につれて盛り上がっていく。最後は、あっ、という事実に衝撃。恐ろしや。こんな話を考えたやつ。とはいいながら、果たして彼らの年齢や出来事が発生した時期が合っているのか? そのとき何歳だったのだ? などと考えてしまった。どうなんだろう? それと、内容に関してはまったく予備知識なしで見たんだけど、いったいどこの国の話なのか最後まで分からなかった。最初はリビアかアルジェリア? と思っていたんだけれど、エルサレムなんていう文字ができきて。でも、イスラエルはユダヤ教でキリスト教じゃないはず。それに内紛ってのもなかったよな。じゃ、イスラエルに近いシリアとかヨルダン? などと思いつつ、いったいどこだったんだ? あとからオフィシャルサイトでも見て納得するかね。 冒頭は、貧しい少年。かかとに3つの点。次に、ジャンヌとシモンの兄妹(姉弟?)が公証人の前にいる。2人の母親ナワルが死に、遺言がある。曰く「御前達には兄がいるから探して手紙を渡せ。父親が生きているから探して手紙を渡せ。そうしたら、私の墓をつくっていい」というようなこと。ジャンヌは大学の恩賜の友人をつてに、探しに行く。というところで、最初の場面がカナダというのは分からなかった。行った先は中東のどこからしい。以後、ナワルの生い立ちと、兄妹(前半は主にジャンヌが)の探索の様子が描かれる。 少女で身ごもり、子どもを孤児院に預け、自身は街に出て大学に進学したナワル…っていう時点で、ちょっと話がうますぎないか? という気分。どうやって大学に行けたんだ? それと、彼氏の方は、ナワルの家族に簡単に撃ち殺されちゃった? のか? よく分からない。その後、ナワルは大学で新聞部に係わり、国内は内戦状態。大学は閉鎖され、イスラム教の一派による襲撃を体験する。それまでの淡々とした様相が、この襲撃シーンで一変。ガツンとくるシーンだった。で、ムスリム一派のコマンドになり、キリスト教の指導者を暗殺。収監されて15年後(13年後?)に釈放される。釈放の直前、拷問屋に強姦され、彼の子(双子)を出産。その子たちを連れ、カナダに渡った…。 その過去を、ジャンヌはナワルの故郷、牢獄、出産を手伝った看護婦、そして、兄のいた孤児院などをたどり、最後はシモンとともにムスリム派の長老に会って事実を知る!…という話が交錯しながら進んでいく。 事実が少しずつ、薄皮をはぎ取るように明らかになっていく。兄とは、かかとに3つの点のある男だよな、と思っていた。でも、双子、と聞いて、じゃ、その双子の片割れ? とも思ったけれど、そうではなかった…。 その日、ナワルはカナダのプールでかかとに3つの点をもつ男を発見。顔を見たら、拷問屋だった! でも、拷問屋は真っ正面から見ているのにナワルに気づきもしない。それで、彼女は公証人に遺言を依頼し、その依頼に基づいてジャンヌとシモンは父親=もうひとりの兄を発見し、ナワルからの手紙を渡す。そこには、事実が書いてある。孤児院から連れ去られ、キリスト教一派に狙撃兵に仕立てられ、平気で人を殺せるはずの彼がうろたえる…。ジャンヌとシモンは、やっと母ナワルの墓を建立し、眠らせてやることができた。…というラストで、壮絶と言う他ない。 で、もっとも疑問なのはナワルがなぜ子供たちに父親および兄さがしをさせたのか、だ。さらに、息子である拷問屋に、なぜ事実を伝えたのだろう? それをしないと、自分は埋葬されるわけにはいかない、と思ったのはなぜだろう? これは、宗教的な問題でもあるのかな。真っ先に浮かぶのがオイディプスの話だけど、(直接ではないけれど)父親を殺し母親と交わったということは、それに基づいているのだろう。しかも、息子が敵となって襲いかかってくるという、現代のオイディプス。それが中東の混乱か。そういやあ、アラブ人の公証人が「昔から公証人がいれば問題は解決なんだけど」とぼやく場面があったけど、単純にそういうわけでもないと思うけどな。 ラスト、ナウルの墓碑には1949-2009とあった。最初に子どもを産んだのが1970年ってことは21歳。その後、テロリストになって、逮捕されたのは22〜3歳? 15年(13年?)間牢獄にいて、双子を産んだのは35〜38歳ぐらい? すると、息子が母を強姦したのは14〜17歳ってことになるよな。で、双子は2009年現在24〜27歳ぐらいってことか。息子が母を強姦したのが20歳だとすると、今度は双子を産んだのが40歳前後になり、双子は20歳未満になってしまう。なんかムリがあるんだよなあ。ジャンヌは大学で教えている立場だろ? 長男が母親を強姦したのは何歳のときななんだ? ・公証人はナワルから口伝で遺言を伝達されたのだから、内容を知っている、のだよな。なんか、そんな風には見えなかったけどな。それとも、手紙の在りかだけを教えられた、ということなのかな。 ・ジャンヌが母の故郷に行き、ナワルの名を出すとざわついた。故郷の人たちは、ナワルの何をどこまで知っているというのだろう。子どもを身ごもったこと、相手の青年が殺されたこと、は広まっていたということかい? でもそれじゃ、家族はそんな非難のまなざしの中で生きていったってことになるんだよな…。 ナワルが収監されて歌ってた音楽は知っていた。ジプシー音楽のCDに入っていて、"Kamli"という曲。あれは北インドではなかったかな? うろ覚え。 オフィシャルサイトを見たら、舞台劇が原作らしい。モデルとなったのは1970年半ばのレバノン内戦で、脚本家は2006年のイスラエルとヒズボラの間に発生した戦いも想定しているようだ。映画の中で国名が明示されていないのは、特定しない中東のどこか、ということなのだろうか。 | ||||
レンタネコ | 5/18 | 銀座テアトルシネマ | 監督/荻上直子 | 脚本/荻上直子 |
貸しネコで、心に空いた穴を埋めてください、というレンタネコ屋の話。でも、単調すぎてひっかかりがほとんどない。正直いってつまらない。退屈。荻上直子は「かもめ食堂」で終わってしまったな。 全体を貫く話はなく、4つのエピソードで構成される。が、4つとも同じパターン。変化がない。エピソード同士の関係性もない。なぜ複数の話を平行して展開しなかったのか、不思議。まあ、それじゃありきたりだから違うものを狙ったのかも知れないけど、成功はしていない。 レンタネコはサヨコ(市川実日子)が経営する。ウソかホントか知らないが、株のデイトレードや売れっ子占い師やCMの作曲家も手がけているらしく、金には困っていない。しかも、一戸建てに住んでいる。祖母が数年前に他界して一人暮らし。ネコは10匹ぐらい? …という設定は、嘘こけ、だよな。両親はどうした。兄弟姉妹はいないのか。親戚は? フツーの人間はそういう家族のしがらみの中で生きているんだ。映画なんかでは両親や親戚を無視したり、住居に困らないがデフォルトになってるけど、そんな話が癒しになるはずがない。 最初は、夫に先立たれ、長年飼っていたネコにも死なれた老母・吉岡(草村礼子)。申し出があり、契約を結ぶ。と、連絡があって引き取りに行くと、息子らしい男性がいる。吉岡がつくったゼリーが冷蔵庫に大量に残っていて、そのゼリーの穴にクリームが詰められている(?)。 次は、単身赴任の中年男・吉田(光石研)。こんど家に帰ることになったが、子どもや嫁に邪魔者扱いされ、家では居場所がない。それで小猫を借りるが、情が移ったからもらいたい、と申し出る。心の穴は、靴下の穴で表現される。 3つ目は、レンタカー屋の娘・吉川。このやりとりは、こちらが眠くなってボーッとしていたのであまり覚えていない。けど、結局ネコを借りる。心の穴は、ドーナツの穴で表現される。サヨコはハワイ旅行めあてでレンタカーを借りるが大ハズレ。いっぽうレンタカー屋に務めていながらレンタカーを借りたことが亡かったから、と借りて。キャンペーン中のクジを引いたらハワイ旅行が大当たり。旅行中、ネコを預かってくれ、といわれる。でもさ、こういう抽選って関係者は参加できないのが通例だろ? 最後は、サヨコの同級生・吉沢の話だけど、彼には心の穴がないのかな。ネコ、貸してないよな。インドへ行く、と言っていたけれど、どうも窃盗癖があるみたいで、警察に終われているのかも。 というような案配で、3つは似たり寄ったり。最後の話もよくわからない。サヨコには結婚願望があるのだが、全然進展しない。それをからかうような役割で、隣家のおばさん(小林克也)が合間に登場するのだけれど、意図が分からない。個々に穴がある人を描いても、情に流されず、むしろどーでもいいような感じで淡々と描いていく。いったい、ネコなんかで心の穴なんか埋まるのかいな。なんか、アホらしい。癒やし系映画がだらだらとつくられているけど、ここまでくると方向性を見失ったというべきで、もうオシマイだな。 ネコは別に演技しないけど、歌丸師匠という、いつもカゴのなかに入ったふてぶてしいやつに存在感があった。あとは、ただネコが映っているだけ。それにしても人間の心の穴を埋めるためにネコを使うなんて、ネコが気の毒な気がする。人間とネコは、対等であるべきだろ! | ||||
灼熱の魂 | 5/16 | ギンレイホール | 監督/ドゥニ・ヴィルヌーヴ | 脚本/ドゥニ・ヴィルヌーヴ |
2度目。1度目は、ミステリアスで意外な展開に引っぱられたけれど、2度目となると驚きがまったくなくなっているので、話が淡々と進んでいく、としか見えない。やっぱ、謎解き映画は初回に限る。それはさておき、ナワルの生没年と1970年は長男の生まれた年だったよな…ということの確認。あとは、辻褄や展開の妙を確認した。 その先を知って、映画の現在を見ていくと、かなり綿密に伏線が張られていることに気づいた。まあ、それは、「なにか悪いことが起きる」だのなんだの、思わせぶりで示唆的なものも含めてだけど、見ているときはそんなセリフまで律儀に覚えてないので、「おお」と見ながら納得することはなかった。まあ、分かりにくい伏線がいっぱい埋め込まれている、ってこったな。 最初が、長男にして二ハドが、ムスリム一派に孤児院から連れ出されるシーン。次が、双子の姉弟が公証人であり母の雇い主から遺言を聞かされるシーン。で、ここのパートのタイトルが「双子」だったんだな。ああ、そういえばそうだったかも、ぐらいの記憶。つまり、姉弟が双子であることは最初に明かされてたんだ…。気づかなかったよ。ははは。 で、母親がプールで呆然とし、姉ジャンヌが介抱するシーン。その背後で男たちが話し込んでいる…。そのパンツの柄が…。ひょっとしてこいつらは…。ラスト近く、ナワルがプールで息子を発見し、近づいていくシーンで、同じ柄のパンツがあった。つまり、ナワルが倒れ込んでいるすぐそばに、ニハドにしてアプ・ダレクがまだ立ち話してたってこった。 他にも、ナワルの彼氏は難民であること。その難民に対して、キリスト教右派の社会民族党が強硬姿勢にでていたこと。ナワルの家はキリスト教徒だったから、ムスリムである難民と関係をもった、ってことが家族の恥だったんだな。それにしても、その難民の彼氏を、ナワルの兄がいとも簡単に撃ち殺してしまうって…。法律は関係ないのね。ただし、そういう結果になるであろうことは、ナワルも21歳なんだから分かってたんじゃないの? という疑問が残るけどね。 難民にしてムスリムの彼氏がキリスト教右派に殺された、っていうのがナワルの心に残ったんだな。でも、学生新聞では、ナワルはキリスト教? ムスリム? どちらの立場に汲みしていたんだろう? 叔父さんも新聞に関係していたようなんだが…。その後、ナワルがムスリム派のヒットマンになるとき、ムスリムに「新聞で書いていることと違うことを言ってるじゃないか」なんて言われていたけれど、新聞はキリスト教的だったのか? ジャンヌがナワルの故郷に行き、「村の恥だ。帰れ」と言われたとき、ジャンヌが「なぜ?」と問い、「難民の子を身ごもったから」と答えてもらえていたら、ジャンヌもシモンも、刑務所で誕生したのは兄だ、と思い込むことは無かったんじゃないだろうか。 ジャンヌは刑務所で出産。ここで、冒頭の「双子」を覚えていれば、観客は「おお」と驚けたんだな。ジャンヌとシモンは、とりあげた看護婦に話を聞いて、刑務所で生まれたのが自分たちだと分かるんだが。でも、刑務所で出産した年が分かるんだから、それが自分たちだということが分かっても不思議ではないはず…。 兄=父親だ、というのが分かるのは、シモンがムスリムのかつてのリーダーに会って、だ。長男ニハドはキリスト教系の孤児院に入れられた。ムスリムが攻撃し、子供たちを連れ去り、兵士に仕立てた。ニハドは「母親を探すから」と離脱し、見境なく殺した。顔写真が国中に貼られれば、母親が探し出してくれるだろうから、と。けれど、キリスト教右派の手に落ち、洗脳されて、キリスト教右派に属する拷問人となった。名をアブ・ダレクと変えた…。という件が、かなり強引だよな。 息子が拷問人で会ったこと、自分を記憶していないことにショックを受けたナワルは、雇い主である公証人に遺言を託した。手紙はすべて公証人が書いた。公証人はすべてを知っていた、のだ。それにしては、沈痛な面持ちをあまりしていなかったけどなあ。 確か、ナワルはアブ・ダレクがカナダに入国してからの名前(なんていうのか忘れた)を知っていたようだけど、どうやって知ったのだろう? プールで見かけただけじゃ、名前までは分からんと思うんだが…。 テルアビブが云々とセリフに出てきていたので、イスラエルが舞台と見ていいのだろうか? やたらプールが登場する。息子との邂逅、水のないプール、泳ぐジャンヌ、それから、自分たちが拷問人の子と知って、ジャンヌとシモンが汚れを落とすかのように泳ぐシーンとか。プールは胎内、羊水なんかのイメージでもあるのだろうか? それから、生まれたばかりのジャンヌとシモンが捨てられるはずだった場所が、川だ。それを看護婦が「自分が育てる」といって救ったのだった。 ナワルは、墓石も不要、墓碑も無用、と言っていたけれど、息子と姦淫したら墓がつくれない、とかいう話というのは、キリスト教にあるのかね。 そうそう。ラストシーンで、墓石の前に佇んでいるのは、長男のニハド=アブ・ダレクだったなあ。 などと、細かな部分で「なるほど」はあったけれど、「?」もまた増えたような気もする。相変わらず「?」なのは、ジャンヌとシモンの年齢だな。ナワルは1949年生まれ。1970年に長男を産み、その長男に出獄間近に犯される。双子を産んだのは40歳前後になるけれど、ジャンヌは大学で助手をしている。若くして数学的才能が優れているから、特別待遇なのかね。疑問はつきないよ。 | ||||
ビー・デビル | 5/22 | キネカ大森1 | 監督/チャン・チョルス | 脚本/チェ・クァンヨン |
韓国映画。英文タイトルは"Bedevilled"なんだけど、よく意味が分からない。原題は「キム・ボンナム殺人事件の顛末」というらしい。allcinemaの解説は「住民わずか9人の小さな孤島を舞台に、悲惨な虐待と容赦のない蹂躙に耐えてきたひとりの若い女性が、ある事件をきっかけに恐るべき復讐鬼と化すさまを描いた戦慄のバイオレンス・サスペンス」とあるんだけど、サスペンス感よりお笑い感の方が多いと思うけどな。マジでやっててコメディになっちゃってるというのも、なかなかの演出力? 派手な血糊やスプラッター、わざとらしい演技などなど、露骨に見せれば見せるほど笑えてしまうのだった。 最初に夜のソウル。不良に絡まれた女性が救いを求めてくるが、無視するドライバー。で、一転して銀行。怒りっぽくなっているカウンターの女性行員ヘウォン。そのまま警察に行き、マジックミラー越しの犯人確認。でも、目撃者の女性は、犯人を特定しない。犯人らしき男たちに絡まれる…。というエピソードはいったい何のため? と思ってたんだけど、映画の最後の方で理由がわかった。けど、とってつけたような話なんだよなあ、これが。 で、ヘウォンは無島に帰省する。といっても親戚はいない。祖母はすでに他界し、幼なじみの女性ボンナムとその夫、娘ヨニ、夫の弟、叔母(?)、婆さんたち3人、ジジイ1人…の9人。あと、連絡船の船頭も幼なじみだな。かつてはもう少し人がいたようだけど、減っちゃってる。で、男尊女卑がひどくて、ボンナムは義弟と関係があり、ヨニも実は夫の子ではなく、よってたかって犯されて誰の子か分からない。夫はボンナムを「もらってやった」と蔑み足蹴にする。叔母も嫁を人間扱いしない。婆さん3人も同じ。…っていう案配で、儒教精神を強烈に肥大化したような風土という設定。 もし日本映画でこういう映画をつくるとしたら、落ち武者伝説があるとか、土俗的因習が根強くあるとか、近親婚で頭のおかしいやつがいるとか、背景を非日常に求めるのがフツーだ。異常な空間の異常な出来事、ってね。でも、この映画はそういうことをしない。単に孤島というだけ。あとは、村人が根源的に暴力的、ってなだけ。なので、韓国ならありそう、って思えてくるから不思議。 孤島だからボンナムは逃げ出せないし、電話も鍵付きの戸棚の中にしまわれている。ボンナムは海女や農作業、家事でこき使われてる。ずっとヘウォンに会いたくていたからあれこれ面倒を見るけど、男たちはジジイを除いていやらしい目で見る。…のは当たり前だよな。てか、なんでこんなところに帰省したんだか、さっぱり分からん。 で、ボンナムを蹴倒す夫の太腿に噛みついたヨニ。振り払われて頭を打ち、死んでしまう。ここでやっとボンナムが、たまりにたまった怒りを爆発させる。虐げられ虐げられ、やっと立ち上がる、って定番のパターンだな。 婆さん3人→義弟→叔母→夫と鎌で主に首を狙って殺害。船頭とヘウォンをも追いかける。なんで? と思ったら、ヨニが死んだとき夫が突き飛ばしたのをヘウォンが見ていて、それを警察に言わなかった恨み、ってことがわかる。でもって、冒頭の、目撃者の役割との話がやっと重なって、納得。海に落ちたボンナムと船頭(スクリューで死んだ模様)をやりすごし、ヘウォンは大陸へ逃げた。でも、これでボンナムが死ぬわけない。どうやら電話で別の舟を呼び、ヘウォンの衣装を着て(それまではボロをまとってる)上陸。警官をやっつけ、つぎにヘウォンを、というとき、ヘウォンが折れた縦笛をボンナムの喉に…。といった具合に大量殺人が終わる。 しかし、いい 大人のボンナムがずっと島に残り、どういう因果か暴力亭主に嫁ぎ…という前提にかなり無理があるし、警官が夫や叔母のいいなりというのも不自然。まあ、そういうツッコミは無粋ではあるのだけれど、日本的なおどろおどろしい表現というのは別世界を意識させてくれるので、この映画のような不自然さを隠してくれる効用もあるんだな、って思ってしまった。 最後、ヘウォンは警察に行って、「こいつらが犯人よ」と指弾するのだけれど、そんなこと、最初にやっとけよ、っても思うし。そもそもヘウォンがなぜ銀行でイラついているのか、ってのも分からない。もっと単純に失恋したから、とか、あればよかったのに。それから、ボンナムがヘウォンにしきりに手紙を書いているんだけど、どうやってだしてたんだ? 船頭に託してたりしたら、中を検閲されちゃうだろ。それは無視するとしても、ただ「会いたい」じゃなくて、文面に「助けて。殺される」とかあると、スリリングになったんじゃないのかな。 ヨニと夫との間に性的関係があった、かも知れない、とボンナムは疑っている。ヨニが夫(ヨニにとっては父親)になついているというシーンもあった。けれど、果たしてどうだろうか? そんなことを他の島民は許すのか? そういう島であるなら、そういう背景が描かれてないとね。そういえば、島唯一の常識人のように見えるジイさんは、ありゃ、見て見ぬ振りの黙りんぼ、なんだろうか? | ||||
哀しき獣 | 5/22 | キネカ大森1 | 監督/ナ・ホンジン | 脚本/ナ・ホンジン | 韓国映画。原題は「黄海」。
中国には、ロシアと北朝鮮近くに延辺朝鮮族自治州というのがあって、朝鮮民族が暮らしているらしい。中国人には虐げられ、韓国に行ってもバカにされ、貧しい様子。そこに住むグナムはタクシー運転手。妻を韓国に出稼ぎに出したが、連絡がない。妻の出国に要した借金に加え、麻雀地獄。にっちもさっちもいかなくなったとき、闇のボス・ミョンから「韓国に行って某を殺してくれば借金分の金をやる」と。で、大連などを経由して漁船などを乗り継ぎ、韓国に密入国。出国の船の出る日にちを教えてもらい、いざソウルへ。 目指す番地にたどりついた。ターゲットは6階に住んでるようだが、エレベーターは5階まで。階段には鍵のかかった門扉があり、入れない。さらに、ターゲットは深夜3時過ぎに運転手に送られて帰宅する。運転手はターゲットが家に入るまで(階段のライトでするんだけど、どうやってもぐり込む予定だったのか、よく分からなかった。同じビルの飲食店から従業員がでてくるスキを見計らって入るつもりだったのかな? でも、このあたりの場当たり的無計画さがなんか生々しくていい。 いっぽうで妻の勤め先を訪ねるが、すでに辞めて転居もしている。つまにも会いたい。殺しもせねば…。ミョンに電話するが、出国日の変更はダメといわれてしまう。 さて、明日は出国という深夜。ターゲットが送られてくる。が、男が2人(だと思うんだけど、1人なのかも知れない)うろうろしていてビルに近づけない。と、クルマがやってきてターゲットが降りる。男たちがビルの中へ。見上げると、5階で人がもみ合っている。と、窓が割れて人が車の上に降ってくる。あわてる運転手が階段を登る。グナムもつづく。と、運転手がターゲットのトドメを刺すところ。その後、グナムは運転手を片付け、証拠としてターゲットの親指を切断する。…というところをターゲットの妻に見られ、さらには警官も集まってくる。グナムはターゲットの家に入り込み、あれやこれやで脱出して走って逃走に成功。って、話が上手すぎるけど、まあ、映画だからな。 この辺まではなんとかついていくことができた。スリリングだし、次に何が起きるか分からないし。緊張感もたっぷり。 ターゲットは元五輪の金メダリストで実業家らしい。何をしていたかは、よく分からない(※体育大学の教授らしい)。で、その犯人であるグナムを、バス会社の社長キム・テウォンが追っかけるんだけど、その理由がよく分からないんだよな。キム・テウォンは、グナムを送り込んだのが朝鮮族と睨んで腹心の部下を中国に送り込むのだけれど、そんなに簡単に入国できるのか? という話はいいとして、ミョンに返り討ちに遭ってしまう。で、ミョンはその腹心の部下を連れて韓国へ。そんなに簡単に行き来できるのか? という疑問はさておいて、ミョンはキム・テウォンを脅して金をむしり取ろうとする。この辺りの経緯はよく分からない。しかも、キム・テウォンだけでなく、ミョンもグナムを追いかけ始める。なんで? 理由がよく分からない。分からないけど、逃げるグナム、追いかける連中の疾走感が面白いから、首をひねりつつもついつい見てしまう。 帰りの船に乗ろうと仲介者に電話するもつながらない。嵌められた、と知るグナム。…ってことは、ミョンは殺しが成功しさえすれば、グナムがどうなっても構わないと思っていた、って訳か。でも、ライターの店名で仲介者を探し出し、彼のルートで帰国しようとするが、これまたペテンと分かってグナムは逃走する。このペテンは、仲介者がテキトーなことを言って誤魔化した、ってことでいいのかな? この後、キム・テウォンは、どっかの町で「俺が殺したんだ」と自慢気に話していたという小男を捕獲し、話を聞き出すんだけど、この件がよく分からなかった。あれはいったい、何だったんだ? というのと並行して、キム・テウォンの部下が大挙してミョンを襲うシーンがあって、不死身のミョンは何10人もの相手に刺されながら切られながら倒れない。もっとも、バトルシーンは見せないんだけど。 で、ミョンは、部下がいないと弱々しいキム・テウォンをぶちのめし、グナムのいる港へと向かう…んだっけかな? 船から海に飛び込んで逃げるグナム。自分も飛び込んで追うミョン。あやうく捕まりかけつつ、トラックで逃げるグナム。この辺りで、キム・テウォンはミュンのクルマから逃げようとして転げ落ちて負傷…だっけか? カーチェイスとクラッシュで、キム・テウォンもミュンもともに死んでしまうのだったよなあ。細かくは覚えてないんだけど。 ここら辺で、話の背景を示唆する情報が明らかにされる。ひとつは、キム・なんとかいう銀行員の名刺。これは、グナムを襲った(?)誰かから手に入れたんだっけ? どういう経緯だっけかな? よく覚えてない。グナムは銀行に行ってみるのだけれど、カウンターの件の行員と対峙していたのは、最初に狙ったターゲットの妻。…ってことは、この2人がデキていて、夫の殺人を誰かに依頼。それが朝鮮自治区まで回って、グナムが送り込まれた、ってことなのか? それだけ? さらに、キム・テウォンが死ぬとき「俺の愛人とあいつ(ターゲットの男)が、俺の部屋で寝やがった…」とか言うんだよ。げ。もしかして、個人的恨み? それをターゲットの運転手と部下を巻き込んで? それだけ? 裏には麻薬取引とか政治的な事トか、それなりに規模の大きなことがあるのかと思ってたんだけど…。 で、たかがそれだけのことで、ミュンとキム・テウォンは、どうして鉄砲玉のグナムを追い、警察より先に捕獲する必要があったんだ? キム・テウォンは、逃走するキム・テウォンを自分が手配した殺し屋と錯覚し、自分のことを自供されると困るから? ううむ。でも、殺し屋の頭数が1つ増えていることに疑問をもてばいい話だし。ミュンとしては、自分が派遣したことがバレると困るから? でも、以後の大量殺人etcを考えたら、そんなことまでして口封じする必要なんかないと思うんだけどね。もしかして、見のがしている重要な譜アクターがあるのか? Webのどこかにでてるかな。 で、命からがらのグナムは、妻の遺骨を手に老船頭を脅して海に向かわせる。…妻とつきあっていたらしい魚問屋のオヤジが、変死女性と関係があるとかいうニュースが度々流れ、グナムの妻らしいとミスリードするのだけれど、それが本当に妻だとは観客は思ってないよな。でも、映画ではグナムは妻と信じ込んでいる。どういうルートを使ったのかグナムは探偵みたいのを雇い、変死体の確認や遺骨の受け取りをさせている。そんなことが簡単にできるとは思えないんだけど、映画だから仕方がない。 海にでた漁船だけれど、撃たれた傷が悪化したのかグナムは死んでしまい、妻の遺骨とともに海に投棄される。…で、故郷の朝鮮自治区に列車が到着し、女が降り立つ。妻は生きていたっていう終わり方だけど、これは予測がついておったよ。 というわけで、疑問はあるんだけど、ひたすら追われるグナムの疾走を見ていると、無条件に面白い。なので飽きないんだけど、終わってもなんか「なるほど」感はなくスッキリしない。ううむ。 殺害のほとんどが柳葉包丁か出刃包丁で、さらに鉈やハンマー、そして動物の骨とかまで登場する。この血なまぐささ、暴力性は凄いね。見ていても思わず力が入ってしまうところが多かった。 一方で、海のシーン、カーチェイスではあからさまなビデオ画質になってしまって、げっ、と思った。ハンディでお手軽に撮っているからなのかなあ。 | ||||
ダーク・シャドウ | 5/24 | 新宿ミラノ1 | 監督/ティム・バートン | 脚本/セス・グレアム=スミス |
原題は"Dark Shadows"とそのまんま。allcinemaの荒筋は「200年前、コリンウッド荘園の領主として裕福な暮らしを謳歌していたプレイボーイの青年バーナバス・コリンズ。しかし、魔女のアンジェリークを失恋させるという大きな過ちを犯し、ヴァンパイアに変えられ、墓に生き埋めにされてしまう。そして1972年、彼は墓から解放され自由の身となる。しかし、2世紀の間にコリンウッド荘園は見る影もなく朽ち果て、すっかり落ちぶれてしまったコリンズ家の末裔たちは、互いに後ろ暗い秘密を抱えながら細々と生きていた。そんなコリンズ家の末路を目の当たりにしたバーナバスは、愛する一族を憂い、その再興のために力を尽くそうと立ち上がる」というもの。このところテンポの早いクライムムービーが多かったので、このテンポののろさはホッとする。現在までの経緯も分かりやすすぎる。CG書き割りみたいな背景も、いかにも絵本的でいい。たまたま工事してたらショベルに棺桶があたり、開けた途端にびょーんと宙に舞って、作業員の血を飲み尽くす…。なのはいいけど、作業員たちがのちのち吸血鬼になって…という話はでてこない。ううむ。 現在のコリンズ家は女主人エリザベス(ミシェル・ファイファー)と娘のキャロリン(クロエ・グレース・モレッツ)、エリザベスの弟のロジャー、ロジャーの息子デヴィッド、精神科医のジュリア(ヘレナ・ボーム=カーター)、使用人のウィリー、もう1人婆さんがいたな。そこに、家庭教師のヴィクトリア(ベラ・ヒースコート)がやってきてるという設定。ヴァンパイアはバーナバス・コリンズ(ジョニー・デップ)だけだけれど、古びた洋館に世間から隔絶した一家ってのは「アダムス・ファミリー」っぽいね。 魔女にヴァンパイアにさせられたバーナバスは魔法を学んだらしい。現在にやってきてふと見上げるとマックの「M」の文字。それを見て「メフィストフェレスか」っていったりして、なかなかツボにはまった笑いを誘ってくれる。200年前とのギャップに戸惑ってる様子はなかなかおかしい。1970年代に流行ったカーペンターズ、エルトン・ジョン、「ある愛の詩」なんかもふんだんに使われていて、懐かしいやらおかしいやら。前半は、おとぼけ路線で笑わせてくれた。 バーナバスを閉じ込めたアンジェリーク(エヴァ・グリーン)は、魔女のまま生きながらえ、海産物で大成功。それに対抗してバーナバスは工場を新しくしたりヘッドハンティングしたり、ビジネスを成功させようとする。でも、アンジェリークが立ちはだかり、妨害するんだけど、話としてはバーナバスがろくでなし過ぎるよな。だって、バーナバスは資産家、アンジェリークは使用人。アンジェリークを弄び、それでも慕ってくる彼女を「愛してない」と冷たく突き放し、良家のお嬢様ジョセッテ(ベラ・ヒースコートの2役)と結婚しちゃうんだから…。それじゃ呪われてもしょうがないだろ。甦ったバーナバスに「つきあってくれたら許してあげる」っていってるのに「やだ」はないだろ。エヴァ・グリーンだったら文句ないだろ、と思ってしまう。 後半に入って話はバーナバスとアンジェリークとの対立が中心になっていくんだけど、前半にあったおとぼけギャグはほとんどなくなり、CGフル活用のアクションなんかが主になってくる。こうやって物語性が薄れるにつれ、つまらなくなってくる。最後の、コリンズ邸でのコリンズ一家vsアンジェリークとのバトルは、とても退屈。エリザベスが散弾銃をぶっ放し、キャロリンが実は狼女だったとかいわれてもなあ…。ぼろぼろになっていくアンジェリークが可愛そうだろ。 少し朦朧としてきていたのでよく覚えてないんだけど、アンジェリークはヴィクトリアに魔法をかけ、飛び込み自殺させようとする。バーナバスは止めようとするが、時すでに遅し。で、落下しつつガブり。これでヴィクトリアもヴァンパイアになり、死なずに済んだ。ハッピーエンド。というところで、「呪いが解けた」とバーナバスが言うんだけど、「?」だよな。解けた、ってことはバーナバスが人間に戻ったってことか? だったらアンジェリークに噛みついてもヴァンパイアにできないだろ。落下し終わって解けたとすると、ヴィクトリアはヴァンパイアになったけど、バーナバスは人間に戻ったってことになる。それじゃうまくいかんだろ。 で、そもそもこの話は、200年前アンジェリークに殺されたジョセッテが引き起こしたのだよな。ずっと幽霊のまま成仏できずにいたんだけど、バーナバスが甦ることを察知。自分の末裔であるヴィクトリアをコリンズ邸へと誘導した。で、コリンズ一家とアンジェリークを戦わせ、呪いを解く(予定)。さらに、ヴィクトリアに憑依して、達成できなかったバーナバスとの幸せを勝ち取るのだ、と。まあ、それは成功したことになるけれど、バーナバスの餌食になった作業員達や、フラワームーブメントのヒッピーたちは、死に損ではないか。ヴァンパイアとなって甦ることもないし…。てな具合で、スッキリしないところも多々あったりするし。 ラストのおまけで。美貌のためにバーナバスの血を輸血し、ヴァンパイア化したジュリアが海中で生き返るというのがあったけど、彼女が生き返ってヴァンパイア化しても、あまり意味がないと思うけどな。 ・ジュリアのヘレナ・ボーム=カーターは、最初、気づかなかった。だってすごく太ってるんだもの。あれはメイクか? CGか? 若きバーナバスとアンジェリークもうまく撮られていたけど、あれなんかCG修正しまくりなのではないのかな。 ・コリンズ邸の火災は「アッシャー家の惨劇」みたいだったな。 ・アンジェリークの最後は「ブラザーズ・グリム」でのモニカ・ベルッチと同じじゃないか… ・アンジェリークの肖像画が、時代を象徴するようなタッチで面白かった。タマラ・ド・レンピッカ風なのは1920年代のものかな。 ・アンジェリークに棺桶に入れられ、パンティを顔にかけられたバーナバス。少年がパンツを取り払っても、糸がほつれて口元に血糊のようにくっついてる、というのは面白かった。 ・使用人のジャッキー・アール・ヘイリーは、どことなく「ヤング・フランケンシュタイン」のマーティ・フェルドマンを連想させる。 ・コリンズ邸での舞踏会。ゲストのアリス・クーパーは、ホンモノなのか? 洋楽に疎いのでわからんよ。 ・クリストファー・リーも出演しているとallcinemqにあったけど、どこにでてた! 分からなかったぞ。 ・幼いヴィクトリアが病院に入れられたとき、名札がマギーってなってなかった? あれはどうしてだ? それとも、勘違い? ・デヴィッドがジョセッテの幽霊を「ママだよ」みたいな風に呼ぶところがあったような気がするんだけど、あれはどういう意味だ? | ||||
ファミリー・ツリー | 5/28 | 新宿武蔵野館2 | 監督/アレクサンダー・ペイン | 脚本/アレクサンダー・ペイン、ナット・ファクソン、ジム・ラッシュ |
原題は"The Descendants"。子孫、末裔、由緒あるもの、とかいう意味らしい。「ファミリー・ツリー」が英語なのかどうか知らないけど、ピンとはこないよな。 舞台はハワイ。主人公は弁護士のマット・キング。妻のエリザベスがモーターボートの事故で脳死状態。妻の意志に従って生命維持装置を外さなくてはならない、という悩み事が発生した。この冒頭部分で、「自分は末期ガンだ」みたいなモノローグがあって、だからキングはそういう設定なのかと思ったら、違った…。いったいあの部分は、何を表現しようとしていたのだろう? さらに。妻が入院し、娘たち(アレックス17歳、スコッティ10歳)のことはまるで知らないとこに気づく…。という設定なので、別居でもしてたのか? と思ったけど、そうでもないらしい。その辺の説明が、ちょっとテキトー過ぎるような気がした。 で、長女が通ってる学校へスコッティを連れて飛行機で行くんだけど、別の島なのね。でも、娘を預かってもらう親戚や友人ははおらんのか? とも思った。で、寮を抜けだして夜遊びしてるアレックスを連れて帰る(寝てるのを抱いて戻る)んだけど、てっきり島のホテルかと思ったら自宅! え? その夜はどこかに泊まって、翌日の飛行機で戻ったのか? でも、なんでアレックスは疲れて(本人は二日酔いと言っている)寝てて、マットが抱いてもどるんだ? よく分からんな。この辺りも大雑把すぎるのではないのかな。 で、アレックスが反抗的なんだけど、その理由がエリザベスの浮気にある、といわれドッキリのマット。さらに友人夫婦も浮気相手を知っていた! 知らなかったのは俺だけ? てな状況なんだけど、家庭を顧みず仕事一筋、ってな感じに見えないんだけどなあ。なんかいまひとつピリッとしない展開。 マットにはもうひとつ悩み事があった。カウアイ島にある先祖代々の広大な土地を売却することになったんだけど、どこに売るか? 一族(従兄弟がたくさんいる)には売却反対派もいるし、本土のリゾート開発は御免だし、ハワイの業者に売ろうかな、と傾いてはいる。この土地問題については、「信託だから」「7年後に決断しなくちゃならない」という言葉が何度か出てきたけれど、どういうことなのか具体的に分からなかった。これは不親切だよな。ちゃんと分からせろよ、字幕で。 てなわけで、マットはなんとか浮気相手のブライアン・スピアーを見つけ出す。彼は不動産屋だった。早速電話して動向を探ると、カウアイ島にリゾートらしい。で、娘2人とアレックスの彼氏を連れて乗り込む! というお話。 一家でぞろぞろ浮気相手のいる島に乗り込むって、不思議なオヤジだよな。しかも、娘の彼氏連れ。いくらアレックスが「彼氏がいないと行かない」と言うからって、そんなのアリか? と思う。思うんだけど、マットのこの軟弱さ、煮え切らなさっていうのが、この映画の持ち味になっているのだから面白い。こういうやつも、いるのかもね、って気がしてくる。長女はオヤジをうっとーしがってはいるけれど、でも、どっかでちゃんと信頼している。イザとなったら家族の、父親の味方になって支援する、ってところがいい。そういう絆がどうして生まれたのかわからないけれど、こういうのがフツーなのかも、と思えてくる。映画でよく登場する家族や親子関係って、奇妙にねじれていたり誇張されてたりして、もしかしたら特別なのかもね。 マットは、エリザベスがブライアン・スピアーにぞっこんで、マットとの離婚を考えていたこと。しかしブライアン・スピアーはエリザベスを愛していなかったこと、を知る。でもブライアン・スピアーを殴ったりはしない。そうではなく、エリザベスに会ってお別れを、と迫る。ううむ。そんな風に言われたら、殴られるより不気味かもな。そうそう。ブライアン・スピアーの家を辞すとき、奥さんが頬を寄せるのだけれど、マットがキスしてしまうのがおかしかった。マットに出来る仕返しは、この程度なのだ。なかなかマットの性格が出ててよいね。 エリザベスの両親は、マットに「お前がちゃんとした船を買ってやればこんなことにならなかったのに!」とマットに悪態をつく。でも、マットは反論しない。心の中では、あんたの娘は浮気しててね、と言いたいだろうけれど、言わない。この辺りの関係も、なかなか面白い。 で、話は土地の話になってくるんだが、なんとブライアン・スピアーはハワイの業者とつながりがあり、もし土地をハワイの業者に売るとその土地はブライアン・スピアーが売りさばくことになって、彼の儲けになる…。げげ。 というわけで、親戚たちの意向は土地の売却、だったんだけど、最終決断を一任されていたマットは売却しないことに決意する。なーんだ。結局は個人的な恨みじゃないか。なんだけど、そういうことってあるよな。憎む相手に利するようなことはしたくないに決まってる。それに、100年以上も大自然をそのままに守ってきた土地を売るのは忍びないよな。まあ、信託がどういうことなのか分からないけどね。 しかし気になるのは、あんな土地があって税金はどうするの? 州あたりに貸し出して自然公園として利用してもらうとか、そういう具合にはできないものなのかね。 ブライアン・スピアーは結局、エリザベスに会いに来なかった。代わりに奥さんが来た。ここで奥さんがエリザベスに優しい言葉をかけるのかと思いきや「あんたを許してやるわと罵倒しはじめるのがおかしかった。まあ、よーく考えてみれば亭主の浮気相手だからそれもアリなのかも知れないけど、ここも笑える。 この映画、軟弱で煮え切らないマットというオヤジの話なんだけど、なんともその中途半端さが親近感を感じさせてくれる。最後の、ソファーのシーンがいい。寝っ転がってるスコッティ。アイスクリーム(?)をもってきて座るマット。スコッティがアイスの皿をマットに渡す。同じスプーンでアイスを食べるマット。そこにアレックスもやってきて、一枚の毛布をみなで膝にかけてテレビか何かを見ている、というシーン。無言で。ああ、こうやって、語らなくても通じるのが家族なのだよな、ということが伝わってくる。 コメディではあるのだけれど、家族の絆の強さのようなものを感じさせてくれる。それにしても、ジョージ・クルーニーはクールな二枚目より、こういうおとぼけ男が似合うよなあ。それから、アレックスの彼氏はハワイ土着の青年なんだけど、こちらもおとぼけ具合がなんとも味がある。いまどきの若者なんだけど、鈍感でもバカではない。嫌われない程度に毒もある。でも、やさしい心も見えてくる。 | ||||
メン・イン・ブラック3 | 5/28 | シネマスクエアとうきゅう | 監督/バリー・ソネンフェルド | 脚本/イータン・コーエン |
原題は"Men in Black III"。見たのは2D版。「MIB」シリーズの3作目だけど、2作目が2002年だから10年ぶりだな。この手のCG全開中味なしの映画は苦手(寝てしまう…)なので、昼食後、上映途中(ちょうど半ばぐらい)に入った。ウォーホルも登場するパーティシーンだったけど、10分ぐらいで眠くなり沈没。ラストの5分ぐらい見て、次の回に万全を期した。つもりなのだけれど、なんと、始まって10分ぐらいに寝てしまい、30分程度寝ちゃったんじゃないのかな。なんか、よく記憶がない。だから、後半は見たんだけど、前半が欠落してる。もう一回粘って前半を見る元気もなく、もういいや、で出た。やっぱりな。 allcinemaには「突如Kの行動に異変が。不審に思ったJはやがて上司から“Kは40年前に亡くなった”と告げられる。何者かによって歴史が書き換えられてしまったのだ。そこでJは40年前の世界にタイムスリップし、若き日のKにめぐり会う。そしてまだエージェントとして経験の浅いKとコンビを組み、Kの命を狙う凶悪なエイリアンの陰謀を阻止すべく行動を開始する」と書いているけれど、この件に記憶がない…。覚えているのは、エイリアンが逃亡し、腕をもぎ取ったやつを殺しに過去へ行く、と宣言。中華屋のシーンは、この後だっけ? だから、どうやって過去にタイムスリップしたか、ってことが分からない…。と思って予告編を見たら、出てたよ。ははは。 だけど、ロケットの先端にアレをくっつけて、地球をバリアで覆う、っていうのはなぜなのか分からず。それから、ラストのオチ。Kがチップを払わないと地球がアブナイ、というのも分からなかった。でもな。グリフィン星人だっけ。ちょい未来が読めるんだろ? だったらチップを払いに戻るのぐらい予見できるんじゃないのか? あと、この映画の泣かせどころ? Jの父親がエイリアンに殺され、その現場に幼いJがいて、Kに記憶を消されていた…って話。なんか、とってつけたような話で、えーっ、って思った。だってそしたら、KはJのことを最初から知っていた、ってことになっちゃうじゃん。 今回はヤングK(とはいうものの、年を取りすぎじゃないのか? もっと若い俳優でもいいと思うんだけど)がでずっぱりで、トミー・リー・ジョーンズがあまり出番がない、というのも寂しい。あとは…、日本向けに、Kが缶コーヒーを飲むシーンでもあったりしたら笑えたんだけどね。っても、寝てちゃ見られなかったろうけど。それにしてもヤングK役のジョシュ・ブローリン。なんか、目立たない役者だね。出演作は大部見てるのに、ほとんど記憶にないよ。 | ||||
やがて来たる者へ | 5/31 | ギンレイホール | 監督/ジョルジョ・ディリッティ | 脚本/ジョルジョ・ディリッティ、ジョヴァンニ・ガラヴォッティ、タニア・ペドローニ |
原題は"L'uomo che verr?"。イタリア映画。第二次大戦下のイタリア山村が舞台で、ドイツ軍とファシスト党に翻弄される百姓たちの話。イタリア国内では反ファシストのパルチザンが活躍していたらしい。この手の話を扱う映画も、最近、たまにお目にかかる。イタリアのファシスト政権が弱体だったってことも分かるけど、対外的にはイタリアは枢軸国のひとつだったわけで。その当事国が「ドイツ軍はひどいことをした」と言われても、なかなか同情しにくい。それに、ドイツ兵は笑いながら人を殺す血も涙もない連中、というワンパターンな描き方も、なんだかなあ。「撃て」と命令されて引き金の引けない兵士も1人だけ描かれていたけれど、そのぐらいしかためらうやつはいなかったのか? ドイツ国内でも反ナチ活動家はいたろうし、ユダヤ人を隔離したり殺したりすることに抵抗したドイツ人だって少なくなかっただろう。でも、そういうドラマは見たことがない。日本でも、反戦活動家が特高に痛めつけられる話はあるけど、わずかだよな。第二次大戦下のドイツ人は、いつも冷酷無比な殺人鬼としてしか描かれないけど、そういう描き方は、これからもまだつづくのだろうか。…などというようなことを考えてしまった。 で。この映画は山なし谷なし、クライマックスもほとんどなく、緊張感もない。だらんとした約2時間だった。正直いって、ちょっと退屈。説明的でありたくない。ドラマっぽくしたくない。…っていうのは分かるんだけど、見ている方からすると、メリハリがあった方が見やすかったかな。それに、緊張を高めるような音楽の使い方もされておらず、恐怖感がつたわつてこない。全体がなんだか間延びしてるのだよな。 マルティーナという少女が主人公なんだけど、彼女は唖のようだ。大家族で、両親、父親の両親、父親の兄弟姉妹なんかもうじゃうじゃいる。しかし、最初は誰が誰だかさっぱり分からない。終わってからも、あれは誰だったんだ? というのが何人もいる。家族なのか知人なのか、さっぱり分からないのだ。分からなくてもいい、という演出なのかも知れないけれど、見ていてイライラする。 他にもファシスト政権下で百姓達は制限の中で生活しているようなんだけど、これも後半の「豚一頭にも税金をかける」というセリフで、マルティーナと父親がワナにかかったウサギをこそこそ捕っていた理由がやっと分かった。でも、ウサギ捕りのあと隠れ穴にいたら入ってきた男はだれなんだ? あの一家からもパルチザンに人を出している、のかな? あの、鼻に段のある青年は、マルティーナの叔父なのか? その青年が死体で戻ってくるんだけど、あれはパルチザン活動で死んだのか? そのちょっと前にドイツの将校のところまで行き、小言を言われていたけれど、どういうことを言われたんだろう? パルチザン活動したせいだ、って言われた? いやあ、それはないよな。パルチザン活動してる男の家族が分かっていたら、一家の人間を納屋の壁に並べて銃を向け、パルチザンの隠れ家はどこだ? 親玉はだれだ? とか脅して訊くよな、フツー。 実際、ドイツ軍はパルチザンに翻弄されているのに、百姓を恫喝して行方を質すようなことをしていない。食料をねだるときも対価を置いていき、若い兵士と一緒に食事をしたりもしている(好きでしてるわけではないだろうけど)。その後、その若い兵士が墓穴を掘り、パルチザンに背後から撃たれる場面をマルティーナが目撃したりしてて、パルチザンも結構、残酷なことをするもんだ、と思ったりしたのだ。つまり、ドイツ人がとくの極悪非道には描かれていないってことだ。 ところが後半、ドイツ軍も切れたのか焼き討ちにでる。この辺り、静かな描写で淡々としている。そういえば丘陵でドイツ兵とパルチザンが撃ち合う様子を窓から眺める場面があるんだけど、カメラが兵士と同じ高さにあるのと違って、なんだかゲームでもしているみたいにしか見えなかったが、不思議だった。遠くから見ていると、人の死や恐怖というものは、伝わりにくいのだな、と。この映画の監督も、あえてそうしているのだろうか。それはともかく、ドイツ軍はマルティーナの家にもやってきて、母親は撃たれてしまう。マルティーナの父親の妹(叔母)は、瀕死のところをドイツ軍将校に(妻に似ているという理由で)助けられるが…結局、反抗して撃たれてしまう。マルティーナたちのいる教会にも手榴弾が投げ込まれるが、彼女はかろうじて助かる。父親は、ドイツ軍の荷物運びをやらされていたのだけれど、スキを見て逃亡。助かるのかなと思ったら、道でドイツ兵と遭遇。逃げるのかと思ったら、なんとワザと撃たれるような格好で死んでいく。これが理解不能だった。なんでだ? そんなこんなで、マルティーナは家に戻り、生まれたばかりの弟を救い出し、逃亡する。で、どっかの教会に逃げ込んで助けられるのだけれど、この時点でマルティーナは母親の死骸を見ていたのかな? 父親や叔母の死は知らないと思うんだけど。よく分からない。 ラスト。マルティーナは教会(?)も逃げ出してどこかの小屋の近くで弟を抱いているのだけれど、なんと歌を歌い出すのだ。げ。唖じゃなかったのか? いやまて、このシーンは実は現実ではないのではないか。実はマルティーナも弟もすでに殺されてしまっていて、マルティーナの亡霊がいるのだ。だから歌を歌えるのだ。…と解釈したのだけれど。allcinemaをみると「生まれたばかりの弟が亡くなって以来、口をきかなくなってしまった」とあるのだよ。げ。じゃ、先天的なものではなく、ショックでそうなった? そういえば中盤で、ボローニャから来た担ぎ屋に説明したときだっけかな、「死んだ弟を抱くことになるぞ」とかいうようなセリフがあって、「?」と思ってしまったところがあった。母親は子どもを身ごもっていたんだけれど、そのセリフで母親は流産してしまったのか、とおもったのだった。でも、母親のお腹は大きいままである。じあ、死んだ弟ってなに? というもやもやを抱えながら見ていたのだけれど、過去に母親は死産していて、その弟を抱いたってことか…。なんかあれこれ説明が舌足らずすぎないか。 というような案配で、設定は過去にも見たことがあるようなもの。ドイツ人は極悪人。ただし、ファシスト党はほとんど登場しない。すでに劣勢にあり、ドイツにいいようにやられていた時代ということか。ただし、そういうイタリア国内の事情は分からないので、さほど同情心も湧かなかった。イタリアのパルチザンがどれほどのものかも分からないし…。ってなわけで、無抵抗のイタリア人百姓を機関銃で殺しまくる場面はあるけれど、ドラマチックにつくられていないのであまり悲惨に見えなくて、最後にテロップで、こういう事件が実際にあった、と書かれていても、ひどく心が悼むというようなことにはならなかった。 もうちょいファシスト党の圧政ぶりや、そこにつけこむ悪人ドイツ、苦しむイタリアの百姓という図式が分かりやすくなっていると、同情できたのかもなと思ったりするのだが…。マルティーナが声を取り戻す理由もよく分からんし。ううむ。 |