2012年9月

テトロ 過去を殺した男9/4キネカ大森2監督/フランシス・フォード・コッポラ脚本/フランシス・フォード・コッポラ
原題は"Tetro" 「Virginia/ヴァージニア」の前の作品。ずいぶん観念的な小品を撮るようになっちまったんだなあ、コッポラも。始まって30分ぐらいで退屈し、ちょっと寝てしまった。で、後半も押し詰まって、やっと話が展開するんだけど、それも大した話ではない。ギリシア神話とかに関係あるのかな? それとも単なる家族の軋轢話?
アルゼンチンの街。18歳の船乗りベニーが、幼いときに別れたきりの兄アンジェロを訪ねてやってくる(船のエンジンが故障して1週間泊めてくれ、と)。兄はテトロと名を変え、ミランダと同棲中。不眠症で不機嫌で、ベニーは歓迎されていない。ミランダは療養所でアンジェロと出会い、恋に落ちた。医師…のようだけど、保健婦なのかな? アンジェロは地元に演劇関係の知人が多い。南米随一の女性批評家の弟子でもあった、みたい。けれど批評家に裏切られたとかなんとか…。電話で対立するシーンがあったけど、よく分からなかった。台本も書いていたけど、いまは照明係をやったりしてる。で、もうすぐパタゴニア演劇祭が始まろうとしていた…。なんてところがアウトラインなんだけど、ぜんぜん話が転がっていかないので、それで退屈してしまったのだ。
現在の時間軸は、モノクロで。過去の回想、および、上演される劇中劇(アンジェロの想い出)はカラーというスタイル。過去は活き活きしていたけど、現在は死んだも同然のアンジェロ、を表現しているのだろうか?
で、次第に過去が描かれていく。1つは、アンジェロが、同乗中の母親を事故死させたこと。アンジェロとベニーは腹違いであること。2人の父親は国際的な指揮者であること・・・。アンジェロは、母親の事故死のことはミランダに話していた。でも、ベニーには話していなかった。父親のことは、ミランダには隠していた。
ベニーはアンジェロの書きかけの原稿(裏文字で書かれていた)を発見し、それをベースに作品を仕上げ、なかった結末も付け加え、パタゴニア演劇祭に応募する。すると絶賛され、最終審査に進むことになる。しかし、それを知ったアンジェロは、怒る。
という過程で分かってくるのは、アンジェロと父親との確執だった。アンジェロは「作家になりたい」と父親に言う。でも父は「家族中に天才は1人でいい」とすげもない。さらに、アンジェロの恋人を奪い、アンジェロの母親が死んだ後に(すでに亡くなっていたのかな)後妻に迎える、ということがあった(しかし、そのベニーの母親も、植物状態で9年目とかいっていたな)。要は、父親という権威にずたずたにされたアンジェロがいて、父親の元から逃げてしまったということだ。そして、その思い出を劇化したけれど完成させることができず、精神的にも追いつめられていたけれど、回復しつつあるところ、というのが最初の部分だったわけだ。そこに弟がやってきた、と。で、アンジェロがベニーに冷たいのは、父親がアンジェロの元の恋人に生ませた子供だから、だと思っていた。ところが、なんと、アンジェロがベニーの父親であるという。おやおや。じゃあ、アンジェロの元恋人はアンジェロの子を孕みながらアンジェロの父親と恋に落ち、ベニーを生んだってことか。ふーん。
でも、それほど驚愕するような展開ではないよな。むしろアンジェロが、父親、元彼女、元彼女が生んだ自分の息子ベニーと10年近く一緒に住んでいたということのほうが異様だよな。なんで即座に家出しなかったんだろう。そして、10年近く経って、ベニーに「いつか迎えに行く」という置き手紙をおいて消えたと言うことの方が変だろ。
解説を読むと、一家はもともとアルゼンチンの人で、父親には兄がいた。兄弟はともに音楽家で、弟は成功したが、兄は不遇。でも、弟は兄に手を差し伸べなかった。アンジェロの父親は、もともと自分勝手で冷たい男なのだ。でも、そんな父親なら、さっさと見捨てればいいじゃないか。いくら有名人だからってねえ。…と思うと、この話のすべてがアホらしくなってくる。アンジェロの元彼女も、もともと有名人好きで、それでアンジェロを捨てて父親になびいた、てなことをいっいてた。そんなバカ女なら、捨ててしまえばいい。なんか、情けないやつだな、という印象しか残らない。
最後は父親が亡くなって、やっとくびきから逃れられるという、どーもしまらない話だった。
それにしても、アンジェロは5回も交通事故に遭ってるって、おまえ、注意散漫児か? 前半ではアンジェロがギブスに松葉杖、後半ではベニーが事故に遭ってギブスに松葉杖…という流れがあるけれど、なんの意味があるんだ?
そういえば、ずっと船員服だったベニー。最後はアンジェロ=父が普段着にしていたジャンパーを着ていて、どーも、この一族はファザコンが激しすぎるな、と思ったのであった。★見終わってから前半だけ見直した。気がついたのは、アンジェロのセリフに、父親を暗示させるような内容がいくつもあったこと。「ミランダはエヴァ・ガードナーに似てるだろ」なんていうのは、年齢差を感じさせる内容だよな。ベニーと歳の同じ娘が登場するけど、あの母親というのは、アンジェロとどういう関係なのだ?
果てなき路9/4キネカ大森2監督/モンテ・ヘルマン脚本/スティーヴン・ゲイドス
原題は"Road to Nowhere"。冒頭の数シーンが凄かった。これで意表を突かれ、物語に引きずり込まれた。登場人物も場面も複数にわたり多く、記憶と整理に大わらわ…だったんだけど、30分も過ぎると次第にだらけてくる。起承転結ではなく、起承承承…と、話が転がっていかない。しかも、時制が行き来したり、現実と劇中劇が錯綜して「?」の連続。しかも、話は中途半端な色事に終始する。こりゃダメ映画かよ…と思っていたら、ラストで思わぬ展開。おやおや。で、どうなっちゃうんだ。と思ったら、そのまま終わってしまった。おい。なんだか分かんないよ。とエンドクレジットを見ていて、最後に「これは真実のお話です」とあって、んんんんん…あ、そーか、なーるほど、分かった。と、基本的な構造は理解できた。そういうことだったのか。と、スッキリ。
冒頭の、交錯しながら進む3つのシーンが、悩ましかった。帰宅した男、の直後に銃声。自殺? 飛行機に乗り込む男性…いきなり湖に墜落。トンネルの前に駐車し、深い憂いをたたえる女性。その意味は、最後の最後になって分かった。
田舎町で、若い女性と富豪が関係する事件が発生した。その事件を追ったブログを参考に、監督のミッチェルが映画製作に乗り出す。ヒロインのヴァルマに選ばれたのは、三流ホラー(だっけ?)に出演していたローレル。ミッチェルは「ローレルこそヴァルマだ」と惚れ込んでイタリアに行き、口説き落とす。ローレルは2人の男性に連絡し、「役をもらっちゃった」なんていってるんだけど、男性たちは心配しつつ何もしない。
ミッチェルは実際の現場に乗り込んで、現場で映画を撮り始める。そこに絡むプロガーの女性。スタッフに紛れ込んだ保険調査員。以後、さまざまな映像がごった煮状態で提示され、観客は混乱の中に放り出される。事故現場での取材、撮影場面、撮影された映像、ブロガーとミッチェルの対話…。時制も錯綜し、どのシーンが現実か、どれが映画なのか分からなくなる…という辺りまではよかったんだけど、中盤がだれる。
だれるのは、ミッチェルとローレルのロマンスをだらだらと介入させるから。「俳優とは関係をもたない」なんていってたくせに、どんどん深みにはまっていく。このシーンが、ムダに多すぎる。
で、2人の関係が濃密になった結果、ローレルの出番、セリフは増え、相手役の出番が少なくなっていく。現場は混乱する。保険調査員も動きが派手になっていき、ローレルは調査員をやめさせるよう進言する。で、クライマックス。なんと、保険調査員が脅すような感じでローレルに銃を向け、発射すると、呆気なくローレルは死んでしまう。その場にいたミッチェルは銃を奪い、調査員を撃ち殺す。…で、ここからがミステリーなんだけど、この2人の死骸をミッチェルがデジカメでビデオ撮影し、そのまま部屋の中を写しながらサイレンの鳴る窓の方に向けるのだけれど、なんと部屋の中にはスタッフがいて写るんだよね。ってことは、これは映画のシーンなのか? と思ったら、どうもそういう訳ではない。次のシーンでミッチェルは監獄内にいて、ブロガーの女性にインタビューされていたのだ。ってことは、あれは現実? ここだけが、「?」である。※発生してしまった事件を、スタッフとともに撮影した、という説もあるようだ。
で、ここを見ている時点では、まだ映画の構造がよく理解できていなかった。でも、クレジットの「真実」という字幕を見て、ひらめいた。そういうことか、と。
途中から薄々わかっていたんだけど、ローレルはヴァルマその人だったのね。で、冒頭の3つのシーンは、現実の事件の断片を並べたもの。詐欺師として富豪に接近して関係し、どういう手段でか大金を巻き上げ、富豪とヴァルマの飛行機事故死(だよな。違うか?)を演出した。ヴァルマが議会で暗躍したとか、よく分からないことはあるけどね。で、詐欺師集団は高飛びし、ヴァルマからローレルに戻った女はイタリアにいた、と。それが、たまたま出演した三流映画のおかげで、自分がしでかした事件の主人公役に選ばれてしまった。躊躇はするが、ハリウッド映画の魅力もあって、出演してしまう。素人同然とはいえ、そこは詐欺師。見事な演技でスタッフ、とくに、ミッチェルを魅了する…。が、保険調査員は、ローレルが怪しいと気づいた…という話だったのだ!
まあ、勘のいい人はもっと早く気づいてるんだろうけど、予告編もチラシも見ていない身としては、これが精一杯だったよ。もういちど確認のために見たい、という気持ちはあったけど、パスした…。ま、いつかCATVでやるだろ。
自分の事件を演じるなんて、あり得ない。けど、実際にあった、っていうんだから、そうなんだろう。しかし、話が理解できてから振り返ると、現実と映画が解け合って進行していく様子は、不思議な感じがでていた。もちろんそれを意図して曖昧につないでいるんだろうけど、その韜晦の見事さに、こっちは振りまわされてしまった。要求があるとすれば、現実とフィクションの解け合うはざまを、もう少し妖しく蠱惑的に描いてもらえるとよかったような気もする。
ミッチェルとローレルがベッドで見る映画が何本かある。どれもタイトルが分からなかった。分かったら理解が深まるかな…。
現実は、湖に追突。映画では、ダムに激突。映画では、死骸は黒焦げ2体。…だったなあ。しかし、詐欺事件はどんな内容だったんだろう。議会を暗躍? キューバ? …これは、映画の設定? 女の死体はどこから調達? 飛行機が湖面に激突、では死因が銃殺と分かっちゃうよな…。とか疑問はまだまだあるけど、終わってみたら、なかなか、かもなという1本だった。
ポエトリー アグネスの詩(うた)9/5ギンレイホール監督/イ・チャンドン脚本/イ・チャンドン
英文タイトルは"Poetry"。冒頭、女の子の水死体が登場し、どう結びつくの不明なまま、のんびりしたドラマがつづく。なんなんだ? と思っていたら、意外な接点が! で、話が急転直下すると思いきや、のんびりが変わらない。よくある映画、とくに、韓国映画ならもっとドロドロしたおぞましい話に…と想像したんだけど、そうはならない。とても不思議な感覚だった。
もちろん、映画は過剰な演技を要求されるから、人の生き死にや犯罪などと遭遇すると、おおむね慟哭したり泣き叫んだりする。でも、現実にはそういうことは少ない。そういう意味で、この映画は奇妙にリアルだ。家族に犯罪者が出ても、実際はあんな反応なのかも知れない。
allcinemaのあらすじは「66歳のミジャは、釜山で働く娘に代わって面倒を見ている中学3年生の孫ジョンウクと2人暮らし。ある日彼女は、偶然目にした広告がきっかけで詩作教室に通い始める。講師のアドバイスに従い、小さなノートを手に周囲に目をこらしては、感じたことをメモし、美しい言葉を探して求めていく。そんな中、孫のジョンウクが関わっていたあるおぞましい事件が発覚する」というもの。
悪ガキの1人が、同級生ヒジンと性交渉をしたらしい。ジョンウクを含む仲間も加わって、6人で性的イタズラを繰り返し、その結果、ヒジンは投身自殺した。経緯を知っているのは、学校でもわずか。警察沙汰にしたくないので、6人の保護者に、被害者家族と金銭的和解をするよう求められる。5人の保護者は子供の将来を思い、和解に積極的。でも、ミジャの心からもやもやが取れない…という流れで進んでいく。
こうした問題に対する韓国社会のスタンスが見えて興味深かった。5人の親は子供を責める、より守るに走る。しかも、沈鬱な表情で話し合うのではなく、にこやかに、酒を飲みながら相談したりする。悪いの(ヒジンのこと)に引っかかっちゃったな、ってな感じ。おそらく昔の日本なら、同じような感覚があったかも知れない。しかし、現在のように女性の人権が高くなったいま、そうしたことはあり得ない。まだ、彼の国の(とくに田舎の)女性は、たいへんなのかも、と思ってしまった。同様のことは学校にも感じられて、昨今の日本におけるいじめ問題の隠蔽などは、相通じるところがある。教育機関としての考え方は、どこも似たようなところがある。
ミジャは、和解金の負担金が払えない。和解金は3000万ウォンだったかな。日本円で300万弱。1/6で50万円になる。ここで思ったのは、ミジャと娘(ジョンウク)との関係だ。ミジャは事件のことを娘に告げないし、もちろん和解金のこともいわない。すべて自分が背負っていく。この母娘関係も、いかがなものか、という印象。そういう風に育ててしまった自分に、悔いている様子も見受けられない。事件発覚後もジョンウクを責めたり殴ったりはしないのは、娘に対する態度と同じだからなのかね。それにしても、そんなに子供が大切か? ジョンウクがしたのは、送る会から盗んできたヒジンの写真を食卓に置き、ジョンウクに見せる、ぐらいのことだ。いったい韓国の道徳教育はどうしちゃったんだろう、という思いがつきまとう。いくら悪いことをしたからといって、子供を守るのは親の勤め。それは分かる。しかし、改めて子供に社会的ルールを躾けるのも親の努めではないかと思うんだが、6人の保護者がそうしたことに力を注ぐ姿が見られない。なんて脳天気なんだ、というのが先に来てしまう。もしそんなことはない、というのなら、悩む保護者の姿も、少しは描いて欲しい、と思った。それに、ジョンウク自身が反省したり、悔いている様子も見られない。これも不思議。
いっぽうでミジャは、詩の教室に通いはじめる。この行為は最後までとってつけたような印象で、折々に詩を書くとはどんなことか、が描かれる。だけど、どーも説得力がないのだよね。もちろん、吟行のようなことをして実際に触れ、言葉の断片をノートにつづるミジャの様子は、それなりに成長というか、心の感じ方の変化にはなっているのだろうけど。でも、そもそもなぜ詩を書きたいと思ったのか、そして、書いたのか、は分からずじまいだった。詩人や、詩を読む会の人たちも登場するけど、冗漫な部分が多くて、本筋とはほとんど関係がない。せいぜい、署内の汚職を指摘して左遷された刑事との出会いがある程度、なのだ。もちろん、詩の話がつまらないわけではないんだけど、あそこまで冗漫に描く必要があったのだろうか。それと、教室の最終日。最初の課題は、みな一編は詩を書いて提出すること、だったのに、書いたのは詩の基本も知らなかったミジャのみ。あとのオバサンオジサンはまったく書いていない。これって、あり得ないよなあ。10篇も20篇も書いて「読んでくれ」っていうような輩が多いんじゃないのかね。
あともうひとつの側面は、ミジャの仕事で、これは脳卒中で半身不随のカン老人の世話。最終的に金を作るために、かねて要求されていた性行為に答えてあげるという役回りでの登場なんだけど、彼の出番も異様に長い。もちろん、半身不随の老人にも人並みに性欲があり、でも満たされないという境遇は面白く見たけれど、この映画の本筋とは違ったりする。あの長さをつかって延々と何気ないやりとりなどを見せていく理由は、何なのだろう?
もうひとつ、ミジャの病気がある。アルツハイマー。どんどん進行し、いずれ自分が分からなくなる、と病院で告げられている。…の割りに、他人には気づかれずに長期間過ごしているのがいささか不自然なんだけど、まあいい。この映画を、ラストにもって行くためには、「自分の意識のあるうちに片づけなくてはならない」というリミットを設けるために必要な設定だったのかも知れない。
こうした複数のエピソードが、本筋の、少女の自殺と和解という話にねちっこく絡みつきながら進んでいく。脇の話も、1本の映画が撮れそうなテーマとして扱われているかのようだ。冗漫でムダに思えるエピソードの描写も、映画全体の厚みを増すためには、この程度は必要だった、と言うことなのかも知れない。
ミジャは、カン老人から500万ウォンせしめ、保護者仲間に渡す。つまりは、成り行きに屈するのか。と見せておいて、実は、詩の仲間の警官に連絡し、補導させる、というのがラスト。まあ、警官がフィーチャーされる時点でそうなるだろうと予測できたので意外性はない。もちろん正しい行為ではあるんだけど、その後が気になってしまう。「和解するって言ったのに裏切った」と、他の5人の保護者からは非難されるだろう。学校も怒り狂うに違いない。6人の少年たちは、学校を辞めなくてはならないかも知れない。もしかしたら和解金に未練があったかも知れないヒジンの祖母も、恨むかも知れない。予定調和で不正を見のがそうとしてきた社会に、ヒビが入ってしまうわけだ。もちろん、そうなったとき、ミジャはアルツハイマーが悪化して、「それって何のこと? ほほほほほほ」と笑って過ごせるかも知れないんだけど。ミジャの立てた波紋がどう広がったのか、知りたいところではある。
素晴らしい一日9/5ギンレイホール監督/イ・ユンギ脚本/イ・ユンギ
英文タイトルは"My Dear Enemy"。allcinemaの説明は「失業中で貯金も底をついた女性ヒスは、一年前に別れた男ビョンウンを見つけるため競馬場へとやって来る。彼に貸したままの350万ウォンを返済してもらおうというのだ。果たして、再会したビョンウンは、相変わらずの能天気な甲斐性なしだった。すぐに返すと約束するビョンウンだったが、全く信用できないヒス。そこで、金を工面するビョンウンに同行することに。こうして、彼女の車にビョンウンを乗せ、彼の知り合いの女性たちを次々と訪ねるハメになる」。
スクリーンの上でひとり芝居をされているような感じというのか。さあ、面白いでしょ? という心意気は分かるんだけど、十分に伝わってこないというのかな。2つ3つのエピソードを見たら、次のエピソードも想定内で、意外性がない。しかも、元カレのビョンウンはお調子者でのべつしゃべりまくり。元カノのヒスはずっとしかめっ面。同じようなシーンがつづくので、飽きる。
ヒスがビョンウンに貸したのは350万ウォン。30万ぐらいだ。これを取り立てにくる理由がよくわからない。後半になって、結婚予定(株式関係?)の相手が逮捕され、転職もできず…とはいうけれど、のわりに新車に乗っていて暮らし向きも悪そうに見えない。30万にやっきになるより、仕事先を探した方が効率的なんじゃないかね。または、自宅ローンあるいはクルマのローンが払えず、期限が迫ってる! とか、せっぱ詰まった背景を暗示すればいいのにそういうのがない。なので、ドラマとしての奥行きがない。
ビョンウンが訪ねるのは女社長(100万)…の後、少し寝てしまった。婦警(10万)、ホステス(70万)、大学の下級生(30万)、従兄弟(50万)、姪を引き取りに? レジの女(40万でも実際は20万)の順。でも合計しても350万にならないので、あと1人忘れてるのかそれとも寝ている間にもうひとつエピソードがあったのか…。
しかし、ビョンウンという男、街を歩けば女の子に声をかけられ、気軽にみな金を貸してくれる。なんなんだ、こいつ。しかも、後半で分かるんだけど、いまは無一文で住むところもなく、ボストンバック一つでうろついている。さらに、1年の間に結婚して、家業をつぶし、離婚までしてるってのが明らかになる。おいおい。街の女に注ぎ込んだ結果が、これなのか?
最後は、この手の映画の定番通りというか、ビョンウンは人がいいだけで悪いやつではないし、スペインに店を出したいというのもまんざらでまかせではない、と暗示させる。けれど、2人がよりをもどすことはない。そりゃそうだろ。一日の間にあんなに女関係を見せつけられたのだから。それに、別れた理由だってちゃんとあるんだろうし。
後半の、停学中の姪を学校に迎えに行くシーンが分からなかった。寝ている間に、なんか仕込みがあったのかな?
同じネタをフランス人の監督が撮ったら、もっと妖しげで意味深で不可解で神秘的で、それでいて気が利いていておかしなものに仕上がる様な気がする。エンドロールでで2人の出会いをカッコよく見せるんだけど、なくてもよかったな、あれは。
ホステスの家で飲む缶ビールが、アサヒだった。韓国では高級? 「泡をたっぷり?」といってるところをみると、まだ泡を立てないで飲むのが一般的なのか。大学の下級生夫婦と飲むビールも、泡が少なかったな。
神弓-KAMIYUMI-9/7ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/キム・ハンミン脚本/キム・ハンミン
原題は"最終兵器 弓"というものらしい。米国タイトルは"War of the Arrows"、国際タイトルは"Arrow, the Ultimate Weapon"。ちょっとトラブルがあって、頭の2〜3分見られず、入ったら幼いナミと妹ジャインが逃げ惑い、父親が殺される場面だった。
冒頭で多分、時代背景や状況説明、ナミの父親がなぜ反逆罪で殺されたのかは説明されたとは思うんだけど、以後の説明はひどく簡単なものばかり。状況や経緯がよく理解できないまま話が進んでいく。まるで、接続詞のない文章のようで、大雑把な展開だ。
あっという間に13年ぐらい経ち、ナミは大人になって仲間と鹿を追う。でも、2人の仲間がどういう人物なのか分からず。そこに文人らしい青年が馴れ馴れしく現れるんだけど、誰こいつ? で、幼い兄妹が頼った家の場面で、背景にそういえば少年がいたな、と思いつく。で、時代は1600年代の半ば。ソグンとジャインの婚礼の日、清軍が攻め込んでくる。ソグンの両親は殺され、村人は連行される。そのなかにソグンとジャインがいた。旅立とうとしていたナミは清軍の動向に気づき、ジャインを取り戻すため立ち上がる。
ナミの父も弓の使い手らしく、ジャインも弓を射る。ナミの得意技は、弓をねじってシュートさせること。物陰の対象も射ることができる。…だけど、このワザは最後にしか使わないのは変だよな。
で、清軍は、王子と大将と部下たち。でも、この王子がどの程度のやつなのか説明がないのでわからない。大将も、兵隊と同じ格好なので威厳はない。そもそも、何人規模の軍隊が、人口何人の集落を襲ったのか、というような説明がないので、侵略のスケールがピンと来ない。さらに、ナミとジャインを匿った家はどういう家なのか(地方豪族?)、匿ってることが知れて大丈夫なのか、よく分からない。
その後は1人のヒーローが圧倒的多数の強敵を倒すという、スカッとする話。弱者が強敵に挑み、痛手を負いつつ追いつめる。しかも、清軍もナミも、使うのは弓。これはもう、韓国の観客は大喜びに違いない。まあ、史実なのかどうかしらないけどね。
ただし、朝鮮の人々は基本敵に戦わない、立ち上がらず逃げ惑うのだな、という印象を受ける。あえて平和的な国民だということをいっているのか。それとも単に弱かったのか。軍隊はあったと思うんだけど、どうなんだろう。
丙子の乱。Wikiに寄れば「17世紀はじめ、中国全土を支配していた明が衰えを見せ、それに変わり後金が台頭してきた。1627年、後金は反後金親明的な政策をとっていた朝鮮に侵入し(丁卯胡乱)、後金を兄、朝鮮を弟とすることなどを定めた和議を結んだ。1636年、後金のホンタイジ(皇太極、太宗)は皇帝に即位し、国号を清と改め、朝鮮に対して臣従するよう要求した。しかし朝鮮の朝廷では斥和論(主戦論)が大勢を占めたため、仁祖は要求を拒絶し、清と戦う準備に入った。清は朝鮮が謝罪しなければ攻撃すると脅したが朝鮮はこれを黙殺した。これに激怒したホンタイジは朝鮮侵攻を決意する」とある。結果的に朝鮮の完敗で「仁祖は城を出て、漢江南岸の三田渡にある清軍陣営に出向き、清に対する降伏の礼を行わされた。仁祖は朝鮮王の正服から平民の着る粗末な衣服に着替え、受降壇の最上段に座るホンタイジに向かって最下壇から三跪九叩頭の礼による臣下の礼を行い、許しを乞うた」という有り様だった。この史実から、この映画のようなヒーローをひねくり出す。したがって、勝利というよりはナミが一矢報いた、という終わり方をしている。こういう話しかつくれないのが辛いところだけれど、ある意味では正直というところか。でも、ナショナリズム高揚のため長らく日本を対象にしてきた韓国が、ここにきて(かどうか知らないんだけど、実は)中国に照準を合わせたというのが大きいような気がする。
Wikiなどによると、朝鮮は丙子の乱以後、ずっと中国とは冊封関係にあり、事実上の家来。それを解消したのが日韓併合らしい。にもかかわらず日本に対してだけ異様な反抗心を見せつづけてきた韓国が、矛先を中国に定めたというのが印象的。経済的にも先進国の仲間入りし、日本よりも成長率が高い。ライバルは日本ではなく、中国だ、と宣言しているようで、象徴的な気がする。
映画では、清軍兵士が朝鮮の女性を犯しまくるようなシーンはでてこない。せいぜい清の王子がひと夜の妻を選ぶ、という表現に止められている。しかし、清軍の兵士が朝鮮の女性たちを慰安婦代わりにした可能性だってあるだろうに、そうは描かない。このあたりに、現在の韓国の外交的スタンスが見えるような気がする。
で、映画に戻ると、ジャインが清の武将を射抜けたのに射なかったシーン、ナミが清の大将を射抜けたのに射なかった崖っぷち。このあたりの間がイラつく。さっさと殺せよ。なのにこれが徒になり…は、バカじゃねーのと思ってしまう。あと、追いつめられたナミが神頼みで虎を呼ぶところ。伏線がないじゃん。え? 狩りのシーン? 伏線になってないじゃん。清軍に捕縛されたジャインを救出するシーンも、論理的にあり得ない展開。さらに、逃走する過程で、仲間が「敵を欺くから」と自己犠牲の精神で死んでいくのも、よくあるパターンすぎる。
で、ナミが一人ひとりと射抜いて、大将との一騎打ち。ここで、ねじり弓が失敗してしまう経過が理解不能。さらに、いったん射られたナミが復活し、ねじり弓の変形(?)で大将に射勝つシーンは、爽快感よりも「?」だった。どーなってんの? とね。
結局のところ、話は大雑把。人間の掘り下げもほとんどなく、アクションもテキトーな編集で「らしく」みせているだけで、迫力はイマイチ。音楽もドンドンという太鼓の音などは、中国の歴史ドラマの模倣みたい。大向こうウケはいいかも知れないけど、ツッコミどころは満載で、あまり深く考えないで見たほうがよかったのかもね。
素晴らしい一日9/11ギンレイホール監督/イ・ユンギ脚本/イ・ユンギ
英文タイトルは"My Dear Enemy"。合計しても350万にならない件と、停学になった姪(実の、ではなかったみたい)を迎えに行く件の疑問を解消に行った。…つもりが、またまた社長のところに行って100万都合してもらう辺りから眠くなり、途切れ途切れ。ホステスのマンションから出て来た辺りで、目が覚めた。で。途切れ途切れでもなんとなく見ていたのだけれど、別のエピソードはなかったな。ってことは、あと50万はどこで都合つけたんだろう。それに、停学姪の件も分からなかった。30分ぐらいででるつもだったけど、せっかくなので最後まで見てしまった。前半のだらだらさに比べて、後半はまあ見られる部分もあるしね。
夢売るふたり9/13シネ・リーブル池袋1監督/西川美和脚本/西川美和
店が火事になる、という設定は知っていた。あとは何も知らず。で、どうなるのかと思ったら、なんと夫婦で詐欺を始めるのか…。で、終わって場内に貼ってあったポスター見たら、「夫婦で結婚詐欺」と書いてあった。なーんだ。そこまでバラしてるのか。って、まあ、当たり前だよな。でも、展開の行方なんか知らずに見た方が、何倍も楽しいと思うぞ。
西川美和にしては、ひねりがない。「ゆれる」のような、ざわざわする感じがない。「ディア・ドクター」のように善悪の端境を綱渡りする感じもない。あまりにもフツーの設定と展開で、考えさせられるところがない。丁寧に撮られているし、上手いとも思う。でも、ああ、そうですか、で終わってしまう。
詐欺は、夫・貫也(阿部サダヲ)の浮気と手切れ金をみて、里子(松たか子)が思いついたのだろう。棚橋咲月をハメるところで長いナレーションがあって、そこにヒントがあったのかも知れない。けど、何をしゃべっていたのかまるで覚えていない。観念的すぎて、聞いてられるか! あんなの。
実はあの、日本橋近くの料亭のシーンでは、「え? あの200万でこんな店が開けたの?」と首をひねりながら見ていた。妹に罵倒され、涙を流す棚橋咲月。里子が指示をだし、貫也が咲月ハンカチを渡す…。お。なんだよ。浮気しちゃうの? なんて見て行ってたら、途中で、おお、詐欺か! と気づいたのだった。ま、ポスターのキャッチ見てる人はすぐ感づいたんだろうけど、予備知識ほとんどなしなので、あの、話がねじれていく過程ではずいぶんと戸惑った。でも、上手いなあ、とも思った。ただし、あんなに仲のいい2人がドライに割り切って、亭主の結婚詐欺に踏み込めた訳が理解できなかった。その里子の底知れぬ怖さ、貫也の冷酷さがどれほど伝わったか…。以後の詐欺の過程では、貫也が相手の女に同情してしまったように見えるところもあるので、いやなヤツには見えない。むしろ、重量挙げのデブ女を相手にしなくてはならなくなった貫也に同情する里子の不気味さの方が気になった。気になったけど、里子もさいごまで心底悪い女に見えないところが辛い…かも知れない。コメディ要素が前に出すぎて、妖しさが引っ込んじゃってるせいかも知れない。
要は、2人の思い、考えが分かりにくい。あのナレーション、2人が対立するシーンでの会話も、一度聞いただけでは何を言わんとしているのかよく理解できない。微妙すぎて分かりにくい会話が多すぎる。それを狙っているのかも知れないけど、戸惑いばかりが残る。もうちょい白黒つけた展開にしてくれよ、と。たとえば、表面は柔和でも心は鬼の里子…。心底悪人になれない貫也…。こんなキャラ設定がされていれば、分かりやすい。でも、里子は鬼でもないみたいだし、貫也は平気で女を騙しセックスもしつづける。たとえば2人は女性たちから借りた金袋を家の中に高く貼り付けている。あれは神棚に上げたつもりか。では、返すつもりがあったのか? それとももらったもの、のつもりなのか。2人の腹のうちが読めないので、共感も反感もできにくい。2人とも憎めないやつ、じゃないんだよ。得体が知れないんだよなあ。
で、結局のところ棚橋咲月が私立探偵に頼んで2人を割り出してもらい、探偵の堂島(笑福亭鶴瓶)が乗り込むんだけど、そっから喜劇が悲劇になってしまう。職安勤めの木下滝子(木村多江)にアプローチ中の貫也だつたんだけど、滝子の家で彼女の娘といるところに堂島が乗り込む。焦る貫也。堂島の背後から、滝子の娘が柳刃をぷすり。しゃれにならない結末になる。その場にいたのは貫也、堂島、棚橋咲月、滝子の娘、滝子の父親…。事件直後に滝子も帰ってきた。という衆人環視の中の幼女の犯行なんだけど、とっさに貫也は柳刃を手にし、やってきた警官に自分が犯人説を説明し始める・・・。でもって、貫也は刑務所で炊事当番。里子はどっかの漁港でフォークリフトを操っている。滝子と娘は保育園帰りか自転車に乗っている…。
いくら映画だってこんにな終わり方って、ないだろ。目撃者の堂島、その助手、咲月は事情聴取されたはずだけど、貫也と口裏を合わせている訳ではない。滝子と彼女の父親は、犯行を見ているわけではないけれど、様子を見れば分かるはず。警察が実況見分すれば、貫也じゃないことぐらいすぐ分かるに違いない。さらに、里子は、事件の内容を知っているわけでもないのに、警官が来た様子を察して逃げおおせてしまう。こちらも、貫也が黙秘するのは分かるけど、堂島までが証言拒否するとは思えない。それとも、指名手配中なのか?
この映画の最大の弱点は、冒頭の火事にある。できる職人らしいではないか、貫也は。なのに、焼き鳥の油に火が移ったのをみて水をかける。アホか。そんなの火が広がるだけだろ。バーナーの火を消す(炭火だったか?)。毛布かなんかをかけて酸素をなくす。あれば消化器。それが常識だろ。だから、火事の時点でこの映画はちゃちいと思ったぞ。その腕のいい職人が、パチンコ屋で昔の知り合いに会っても事実が言えない。里子が働くラーメン屋でも、「まずいラーメン」と口にしたりする。なんだコイツ、という気分になっちゃうね。注意散漫な職人じゃ、いい店なんか出せっこないよ、と。
気の利いたシーンも会った。自転車二人乗りしてて、行く手に交番。さっと里子が荷台を降りて、交番を過ぎたらさっと乗るシーン。
分からないシーンもあった。里子のオナニーシーンは、貫也が他の女との色事で疲れて帰ってくるので、相手にしてもらえないから? でもオナニーのティッシュであと手をぬぐうだけってのは、汚らしいだろ。ま、そういう女だってコトかも知れないけどね。あと、生理用ナプキンをパンツに貼り、そのパンツを穿くシーンはいったい何のためだったんだ? 単なる日常としては面白いけど、意味が我からなかった。
ビンボー人とか男運のないような女ばかりを狙う2人だけど、貫也は食傷気味にならないのかね。そのあたりが気になってしまった。それと、滝子とは本気だったみたいに見えたんだけど、どうなんだろ。ま、感情を見せない演技だったからなあ、阿部サダヲは。それにしても、松たか子は可愛げのない顔になってきたね。エンドロールに山下敦弘が…。どこにでてた? 調べたら、2人が任された客の入らない店(浅草かな?)のシーンに出ていたらしい。
別離9/18キネカ大森2監督/アスガー・ファルハディ脚本/アスガー・ファルハディ
イラン映画。インターナショナルタイトルが"A Separation"らしい。allcinemaのあらすじは「テヘランに暮らす夫婦ナデルとシミン。妻のシミンは娘の将来を考え、海外への移住を計画していた。しかし準備が進む中、夫のナデルは、アルツハイマー病を抱える父を残しては行けないと言い出す。夫婦の意見は平行線を辿り、ついには裁判所に離婚を申請する事態に。しかし離婚は簡単には認められず、シミンは家を出てしばらく別居することに。一方ナデルは父の介護のため、ラジエーという女性を家政婦として雇う。ところがある日、ナデルはラジエーが父をベッドに縛り付けて外出したことに激高し、彼女を家から手荒く追い出してしまう。するとその夜、ナデルのもとに思いもよらぬ知らせが届くのだが…」というもの。「ベルリン国際映画祭で金熊賞を含む3冠に輝いたのをはじめアカデミー外国語映画賞受賞など世界中の映画賞を席巻した」らしい。それだけあって、素晴らしい。イスラム国家における信仰心、証言への影響、ウソ、思惑などが生々しく描かれる。最初はわずかなすれ違いが、ひとつのウソでどんどん大事になっていく様がスリリングに描かれていく。伏線も素晴らしく、後半にビシッと決まる。ミステリー要素もあって、最後まで引きつけられてしまったよ。
偽装離婚かなんかの話かと思いきや、裁判ものだった。ラジエーは、シミンの義姉の知り合いらしい。義姉といってもナデルの姉ではない。実家にいる兄嫁の知り合いということか。
シミンは教師。彼女が海外移住を決意するっていうのも凄い話。そんなに母国が信じられないのか…。しかも、亭主の父親がアルツなのに…。シミンの両親は、どういう思いなのか、されは描かれない。これは、かなり気になる。娘が国外脱出しちゃうんだからね。で、夫のナデルが「そりゃ困る」というのも理解できる。ここは「先に妻が海外に行き、当分のあいだ別居」という選択肢はなかったのか。あるいはシミンが我慢するとか…。そんなにイランの女性は強いのか? ナデルは、銀行員? 職安の人間? よく分からなかった。
国外脱出の許可は下りた。でも、1ヵ月以内に権利を行使しなくてはならない。裁判官は「イランに住むじゃまずいのか?」なんて言っている。とりあえず別居。で、義父の面倒はみないというのも、凄いね、シミンさん。で、家政婦をやとう。それがラジエー。亭主は失業中で、でも、亭主に内緒で働きにでている。どーも、娘と同居といっても独居男の家に女1人で行くのは、信仰上(?)、習慣上まずいらしい。で、1日目。ナデルの父は失禁。ここで、ラジエーが「男性の身体を拭くのは信仰上問題があるかどうか、と教会らしいところに電話して聞いているというのが面白い。教義に忠実な人は、大変だねえ。さらに目を離した隙に外出してしまう。探しに行くと、交通量の激しい道路の向こうの新聞スタンドの前でウロウロしている。。ラジエーはこの出来事をナデルに内緒にしておく。…という、何気な場面が伏線になっているのが凄い
この後、ラジエーがナデルの父親をベッドに縛り付けて外出、さらに、現金泥棒の疑惑まで押しつけられ、ナデルに追い出される。このとき、ナデルは軽く押したつもりが階段の下へ? で帰宅後ラジエーは具合が悪くなり、病院に行ったら流産。以後、ナデルはラジエーの妊娠を知っていたか? ナデルは突き飛ばしたか? なんてことの争いが起こり、ラジエーの亭主ホジャットも登場して、両家は簡易裁判所のようなところに出頭して尋問されることになる。この裁判所のオヤジ(裁判官?)がまたいい味を出していたりして、面白かった。
ナデルは論理的。ホジャットは激昂型。こういうイラン人っていそうだよな、という役を演じている。平行線の両家だけど、後半で、ナデルが実はラジエーの妊娠を知っていたことが分かってしまう。まず娘のテルメーが気づき、次に、テルメーの教師が気づく。父親は嘘をついていた、と困惑して泣く娘。信頼していたナデルが嘘をついていた、と証言を翻す教師…。立つ瀬のないナデル…。
しかし、その後にまた凄い展開があった。なんと、初日、ナデルの父親をつれもどそう道路を渡ろうとして、ラジエーはクルマに跳ねられていたんだと! なんと、転科両成敗ならぬ、両家にともに落ち度。それも、相手を思ってしたことが裏目に出て、それを隠すというささいな行為が齟齬を生み、そのせいで自己正当化が過激になり、相手を罵倒するようにまでなっていたとは…。シミンは最後、ホジャッドに示談を申し込み、借金で首が回らないホジャッドは渋々受け入れる。その示談金が1500万トマン。100トマンが約9円らしいので、示談金は約135万ほどか。保釈金は4000万トマンといっていたから、約400万円。これじゃ妻の実家を抵当にいれるのもやむなしか。でも、自宅を抵当にという話はなかったよな。
それにしてもこの展開に、なんともはや、と思わなかった人はいないんじゃ無いだろうか。それぐらい話に引き込まれてしまい、同時に、色々と考えてしまう映画でもあった。うまくできている映画だ。脚本がしっかりしているからだな。
まあ、ナデルとシミンの夫婦間の問題設定がいささか強引な感じもあるけれど、その設定の中での展開はお見事。イスラムの戒律に振りまわされる人々や、アラーの名にかけてウソをいうイラン人もいるというのも、とても人間くさい。
ラストで、テルメーは両親とともに裁判所に行く。「どちらと一緒に暮らすか」を決断するためだ。でも、両親の前では言えないといい、ナデルとシミンは外へ。さて、どちらの名前を口にするのか? というところで、エンドタイトルになる。ううむ。この終わり方もなかなかだ。テルメーは、両親の嫌なところは存分に見せつけられたはず。父親と生活していたのは、両親の離婚を阻止するためだったというから、ああなったらもう、母親を選ぶんだろうなあと思いながら見ていた。
こうやってナデルとシミンは正式に離婚。ラジエーも、いざ示談金を受けとる場になって、そんな金を受けとったら娘が呪われると怖じ気づく。で、事実をホジャッドに告白。こちらの家庭も崩壊だろう。それほど悪意のある人は登場しないのに、結果的にとんでもないことになってしまう…。この波紋の広がりは、ちょっと怖くもあるよな。だって、日本でだってあり得なくないからね。
ひとつだけ、気になっていること。それは、ナデルがラジエーに「金を盗んだ」と言っていたその金の行方。ひょっとしてラジエーの娘がちょろまかした? と思ってたんだけど、違うのね。そういえばこの娘、ナデルの父親の酸素吸入器で遊んでたけど、オソロシイやっちゃな、と思ってたんだけど。これは、思わせぶりな攪乱のテクニックだったのか…。
白雪姫と鏡の女王9/18新宿ミラノ1監督/ターセム・シン・ダンドワール脚本/マーク・クライン、ジェイソン・ケラー、メリッサ・ウォーラック
原題は"Mirror Mirror"。allcinemaの解説は「有名なグリム童話の『白雪姫』を、「ザ・セル」「落下の王国」の映像派ターセム・シン監督が、コミカルかつカラフルに描いたファンタジー・コメディ。出演は白雪姫にフィル・コリンズの娘リリー・コリンズ、王子に「J・エドガー」のアーミー・ハマー、そして女王役にはジュリア・ロバーツ。また、2012年1月に惜しくも他界した世界的デザイナー石岡瑛子が本作の衣装デザインを担当、これが遺作となった」とある。6月に「スノーホワイト」ってのがあったけど、彼の地では「白雪姫と鏡の女王」が3月、「スノーホワイト」が5月公開吐逆だったらしい。
話は分かっている。あとは役者と趣向。「スノーホワイト」はシャーリーズ・セロンとクリステン・スチュワートでダークな雰囲気。こちらはジュリア・ロバーツとリリー・コリンズでコメディ。ううむ。好みとしては「スノーホワイト」かな。冒頭から30分ぐらいは楽しめた。とくに、ジュリアのトリートメントのシーンが楽しい。鳥の糞を顔に塗り、ウジ虫を耳穴に、手の皮は魚に食べさせ、最後は泥みたいのをぶっかける。そのカラフルでリズミカルで気色悪さがなんともいえない。こりゃ、面白くなる? と思いきや、この手のシーンはこれだけ。あとはごくフツー。七人の小人も竹馬が伸び縮みする以外は特色なく、「スノーホワイト」と大同小異。7人とも顔は違うけど、個人が見えない。まるで書き割りの森や町も、いまいち貧弱に見えるだけ。奇妙な衣装も、衣装だけが目立ってしまい、話に溶け込んでいない…。
それと、この手の童話はアニメなら誤魔化せるけど、実写となるとリアリティを追求してしまいがち。この王国はどれぐらいの規模で国民は何人? 兵隊は? 産業は? 周辺国との関係は? 国民はどこにいる? 意味ないことを考えてしまう。とくに、女王が浪費家で金がない→増税…って流れが、ううむ。城にいるだけの女王は何に金を使うのだ? 舞踏会が楽しみ? そのために前王を殺したの? 金がないなら周辺国に攻め込め! いや、勝手に硬貨を鋳造してばらまけばいいだろ。とか、要らぬツッコミを入れたくなってしまう。
王子がトンマで、子犬の惚れ薬を嗅がされる辺りで眠くなり、ふと気づいたら?婚式のシーンだった。途中に剣劇アクションシーンもあったようだけど(ときどき薄目が開いていた)、ま、大筋に影響はないだろ。この結婚話と、白雪姫が小人たちに格闘技を習い、パトリシア・ハーストみたいに女盗賊になっちゃうのがミソかも。でも、一週間ぐらいであんなに強くなれるのか? 
で、リンゴが出てこない。ありゃ、寝てる間に? と思ったらラスト近くに老婆となったジュリアが白雪姫に接近し、リンゴを差し出した。でも白雪姫は先刻ご承知の様子で、ナイフで一部をカットして「あなたがお食べなさっては?」みたいに返していた。ちぇっ。つまんねえの。
「ザ・セル」「落下の王国」のターセムも、勝手にやらせてもらえたのはトリートメントの部分と、もろんインド映画みたいなエンドロールだけなのか…。あとは、ごくフツーの出来上がりだった。それにしてもリリー・コリンズは眉毛がぶっとくて、毛深そーに見えちゃうんだけど・・・。
おとなのけんか9/21ギンレイホール監督/ロマン・ポランスキー脚本/ヤスミナ・レザ、ロマン・ポランスキー
原題は"Carnage"。大虐殺、死屍累々、みたいな意味らしい。ヤスミナ・レザの舞台劇を映画化したもの。クリストフ・ヴァルツだけは、見たような気もするけど…的な存在だけど、あとのジョディ・フォスター、ケイト・ウィンスレット、ジョン・C・ライリーは超有名。基本的に4人しか登場せず、79分しかない。見はじめて「もとは舞台劇か」と分かったんだけど、60分ぐらいでもいいかな、ってな感じ。
冒頭、公園での少年たちのやりとり。ひとりの少年が離れていき、もうひとりの少年といざこざ。離れて行った少年が枝みたいので、別の少年を殴る。で、次のシーンは、そのときの供述書見たいのをPCでタイプしているところ。親同士が和解のために確認書を作成しているのか。タイプしているのがジョディ。クリストフだったかケイトだったかが、注文を付けて訂正したりしている。で、その後、居間でおしゃべり。
加害者夫婦がクリストフとケイト。被害者夫婦がジョンとジョディ。憤ることもなく、柔和に会話している。がしかし、それは相手を意識してのこと。次第に本音がでてきて、クリストフとジョディ、ジョディとケイト、ケイトとクリストフ、ジョディとジョン、男性陣対女性陣…などなど、些細な言葉尻がもとで対立しては仲直りしては対立…を繰り返す。その経緯はもう覚えていない。だって、本当に些細なことばかりだから。で、最後も、それぞれ意見が対立して、やれやれ、ってなところで終わっている。ただし、エンドクレジットでは、殴った少年と殴られた少年が仲よく話しているという、皮肉な絵が映し出される。ま、そういうもんだよな。目新しくも何ともない。
ジョンは金物屋の主人。タバコに酒が好きで、人生のほとんどを趣味に費やしている。その妻ジョディはアフリカのダルフール問題に歓心がる自称作家。ま、社会派だ。クリストフは弁護士で製薬会社のトラブルを収集させるためにしばしば会話を中断して電話に出る。その妻ケイトは専業主婦のストレスがたまっている! てな状況設定。対立関係はくるくる変転し、子供の話が親の話になり、あれやこれや。…っていう設定は「なるほど」なんだけど、見終わって、彼らの対立項はどんなのがあったっけ? と思っても、ほとんど忘れているという…。ま、いいんだけどね。その過程は落語と同じで、見ているときに面白ければいい、あとは忘れてもらっても結構、ってことだろうと思うから。要は、大人が思っているほど子供たちは深く考えちゃいないよ、ってことなんだろうな。
で、単調なやりとりにメリハリをつけるため、いくつかの趣向が配置されている。最初はケイトのゲロ。これは亭主との対立が原因だったか。お茶のともとしてだされた手づくりの何とかいう食べ物が原因という話もあったけど、ゲロったのはケイトだけだから、当たった訳じゃないと思う。ゲロはジョディの大切にしている画集にかかっちゃうんだけど、それを拭いたりドライヤーで乾かしたり復活させようとしているのが不気味だった。もしあんなことされたら、みな捨てちゃうよ。画集を見る度に思い出すじゃないか。ねえ。
次に、携帯電話の水没。クリストフがのべつ製薬会社の副作用問題について携帯で話すので、イラッときて携帯をチューリップの水鉢に落としてしまう…。そのときの男2人の対応が面白かった。ともに固まってやんの。ジョンがドライヤーで乾かして復活させようとするんだけど、クリストフはもうあきらめてる。
あとは、ジョディがケイトのカバンを放り投げるとか、ケイトがチューリップを放り投げるとかあるけど、ゲロと携帯水没に比べれば小物だ。
日本だと、この手の話はだんだんエスカレートしてのっぴきならない状態になるんだけど、この映画では極めて理性的。激してもすぐ落ち着いて、別の対立項に移行する。ま、だから舞台臭さが抜けないんだけど、しょうがない。そこそこ面白いけど、突き抜ける面白さはないかもね。
ディクテーター 身元不明でニューヨーク9/24新宿武蔵野館1監督/ラリー・チャールズ脚本/サシャ・バロン・コーエン、アレック・バーグ、ジェフ・シェイファー、デヴィッド・マンデル
原題は"The Dictator"。独裁者のことだな。驚くことに、なんとパラマウント100周年記念映画。しかもベン・キングズレーやジョン・C・ライリーが登場する。(ともに見ていない)あと、エドワード・ノートンが本人で出てくるんだけど、あれはどういう意味? 「ボラット」「ブルーノ」の監督の映画なので完全なB級かと思ってたんだけど、扱いが大きいね。ドキュメンタリーっぽいのかと思ったら、ちゃんとストーリーのあるフィクションだった。
allcinemaのあらすじは「自由と民主主義から自国を守るべく孤軍奮闘するワディヤ共和国の独裁者、アラジーン将軍。核開発疑惑に対する反論を国連で行うため、ニューヨークへと降り立つ。ところが、そんな彼を恐るべき陰謀が待ち受けていた。何者かに拉致されたアラジーンはトレードマークのひげを奪われ、替え玉とすり替えられてしまったのだ。身一つとなり、浮浪者同然で街を彷徨うハメになった彼に、博愛主義の活動家ゾーイが手をさしのべる。アラジーンは、彼女の経営する自然派食品スーパーで慣れない接客仕事をこなしながら、陰謀の首謀者への反撃の機会をうかがうのだったが」というもの。
拉致したのはジョン・C・ライリーで、指示したのはタミール伯父(ベン・キングズレー)。タミールの計画は、替え玉が民主主義国家となることを宣言して世界各国からの賞賛を集める。代わりに各種利権をロシアや中国など与え、袖の下をいただく、というもの。これだけで、世界の趨勢を強烈に皮肉っている。でも、話はそう簡単ではない。『王子と乞食」さながら、ただの人になってしまったアラジーンは、生来の独裁者的性癖をバリバリに発散させながら、でも、タミールの計画を阻止しようと暗躍する。たまたまNYで入ったレストランは、自分が暗殺を指示した連中が集まっている店だった! 死刑執行人が処刑せず、みな国外に脱出させていたらしい。で、なかのアダルがアラジーンに気づき、「自分を核開発リーダーの地位に戻してくれるなら、手助けする、と言いだすのだ。なんてやつ。ゾーイはアラジーンを可哀想な男だと思い込んでいる(アラジーンはゾーイを、男の子みたいなやつと思っている)。アラジーンはアダルとゾーイの力を借りて国連会議場にもぐり込み、民主主義宣言書を破り捨てる! という、文脈的にも「これでいいのか?」と疑問が残る部分が少なくないお話。
アラジーンは突然惚れてしまい、最初は嫌がってた脇毛をめでるようになめるようになる。で、民主主義宣言書を破るのは独裁のためではなく、他国に利権を荒らされないため…かと思うと、そうでもなかったりする。ゾーイに結婚を申し込むときも「第何番目の妻がいい?」と聞いたり、民主選挙をすると言いつつ戦車で脅して圧倒手支持を得て当選したり、ゾーイに女児が生まれると「殺せ」と命じたり…でもゾーイは殺されたりはしないんだけど。ま、生まれついての傲慢な性癖は直らないってことか? でも、この事件が起きる前は平気で人を殺し国民を弾圧してきたんだよなあ。そのツケは払わなくていいのか。いくら国家の資源が他国の餌食にならないとしても、これでいいのかい? てなところがあるし…。じゃあアメリカみたいな民主国家になったとしても、アラジーンが国連で演説(チャップリンの「独裁者」を彷彿とさせるね)したみたいに1%の富裕層が99%の貧乏人を搾取する構造になってはいかんし…。と考えていくと、なかなかするどく社会の矛盾を突いていたりするのだよな。
こういう話を超おバカな話に仕立て上げちゃう手腕はさすが。しかも、国連ビルに侵入するとき、空中からウンコしたり、ロープにぶら下がって下の階の窓ガラスにフルチンで激突したり…。ここ、ボカシなしで凄い迫力! と下品さも半端じゃない。
人種差別ギャグも絶好調で、本音がどんどんでてくる。アメリカ人にとって外国人はみな「アラブ人」とか、両手義手の女性に「フック」とか、もちろん黒人にもいくつもの侮蔑的なギャグをぶつけている。アラジーンとアダルが観光ヘリでアラブ語で話すと、9.11とかビン・ラディンとかいう単語がでてきて、それを聞いた老夫婦が引きつるとか…。うまくできている。
アラジーンのセックスの相手は世界のセレブで、チンポ見せれば女はしゃぶってくれるものだと思ってる。ゾーイから「自分でやりな」とオナニーのやり方を教わると(って、そんなアホな!)、手さえあればオマンコいらず、みたいになっちゃうのも笑える。
この手の風刺的な映画は、ネイティブにしか分からない微妙なギャグが満載なんだけど、この映画はそれ程でもなかった。結構、日本的常識人にも笑える内容になっていた。83分って言う短さも、ちょうど良かったかも。
天地明察9/25MOVIX亀有シアター1監督/滝田洋二郎脚本/、加藤正人、滝田洋二郎
allcinemaのあらすじは「将軍に囲碁を教える名家に生まれた青年・安井算哲は出世に興味が無く、大好きな星の観測と算術の問題解きに夢中になっていた。将軍・徳川家綱の後見人である会津藩主・保科正之は、そんな算哲に興味を示す。折しも、800年にわたって使われていた中国の暦のズレが大きな問題になり始めていた。そこで保科は、新しい暦をつくるという大計画のリーダーに算哲を大抜擢する。それは星や太陽の観測に途方もない労力が必要なばかりか、暦を権威の象徴と考える朝廷をも敵に回す困難で壮大な事業だった」である。
算哲の周囲に様々な人物が登場する。歴史に詳しくないから分からないことも多いけれど、なぜ会津藩邸に住んでいるだ? 会津藩邸で算哲の世話をする青年はだれ? … で、オフィシャルページを見たら算哲と青年=安藤有益がいたのは「観測所」なんだと。それは幕府の? 碁打ちしながら観測所に仕官していたの? 算哲は会津藩と関係があるわけじゃなく、たまたま保科が幕閣だったという関係だけなのか…。じゃあ算哲の自宅を出すとか「観測所」の看板を出すとか、手はあると思うんだけどな。というのは一例で、もうちょい背景をカチッと描いた方がいいのではなかったか。もっとも、くどくなるからテキトーに省くのもアリかな、と思いつつの前半。将軍の前で碁の真剣勝負をしたり、そのお蔭で日本国中、北極星を観察する旅に出かけたり(天文方と一緒なのかと思ったら、まだ天文方はなくて、算哲が初代天文方らしい。じゃ、笹野と岸部はどういう役回りなのだ?)、村瀬えんと出会ったり、何かをなし遂げようとする胎動が感じられて、わくわくするほど面白かった。特筆すべきは北極星観測にでかけたときの2人の長老(笹野高志と岸部一徳)で、この凸凹コンビに算哲が加わっての道中は楽しい楽しい。でも、1年半ぐらい後、江戸の村瀬塾を訪れると、見初めていた"えん"は嫁に行ってしまっていた…という辺りから話が弾まなくなる。
見る前は、とんでもないことをしでかした江戸時代の天文学者、というイメージだった。ところが、算哲がリーダーとなって始まったのは、中国由来の3つの暦を3年かけて検証すること。これを知ってがっくりしてしまった。なんだ、江戸の日本はその程度しかできなかったのか、と。さらに、3つの暦から選び抜いた授時暦にも誤差があり、算哲は打ち砕かれる。でも、その誤差の理由が発見されて、またまたガッカリ。だって、たんに観察地点が違うから誤差が出る、というだけだったから。なーんだ。そんなことも分からなかったのか。日本列島、北と南では日没時間だって違うだろうに、そんなことも気がつかなかったのか? 偉大感がますますなくなって、大したことないじゃん、てな見方になってしまった。
それと、授時暦に反対する覆面部隊が攻撃してくるのは、あれは公家の手になるものなの? それとも武士の中の守旧派ってこと? ちゃんと描いて欲しいよな。それにしても火矢だの白刃だのって、やり過ぎだろ、暦程度に。師匠の山崎闇斎ってのも弓で射られて死んじゃうし…。と思ったら、どうもこの件は映画だけのフィクションらしい。後半の盛り上がりのなさに、とってつけた見せ場ということか。やれやれ。
まあ、最後は、抵抗する公家勢力に日食対決で勝利し、算哲の暦が採用されるのだけれど、この過程もいまいち杜撰。公家に却下されたからと光圀に食ってかかり、それを受けての光圀の突然の怒りは「無礼者!」ってことか? でも「いま一度機会を与えよう」といわれ、算哲がするのは、またまた日食対決…って、そのどこに光圀のサポートがあるんだか知らんが、京都の辻中で町人を集めてアピールする。あんなこと、できたのかい? しかも食が来たから勝った、といわけで算哲とえんとが衆人環視の中、抱き合ったり。おいおい。映画的につくりすぎてるぜ。
というわけで、後半はだらけて見ていたので、少し眠かった。
・光圀と2人で食事をする仲だったり、会津藩主保科正之と2人だけで密談したり…あり得ん。
・あんなに会いたいと思っている関孝和に、ずっと会いに行かないのはなぜなのだ?
・授時暦でしくじった算哲を、「わしの手法を盗みやがって」とかなんとか関孝和が罵倒するシーン、意味が分からなかった。
・村瀬えん との祝言が2人きりって、どーなんだ? 兄の村瀬義益ぐらいは呼んでもいいだろうに。
・算哲「お願いがあります。私より先に死なないでください」えん「お願いがあります。この帯を早くといてください」は、気が利いているようで、直接的すぎるような…。京都で日食合戦することになり、外れたら腹を切ることを公家に約束させられた算哲に、えんが「私より先に死なないでください」というセリフは、後半、ちょっと効いていた。しかも、史実かどうか知らないが、最後のクレジットに、算哲とえんは同じ日に死んだ、とあった。縁とは不思議、と思う前に、周囲は大変だったろうなと思ってしまった。
・エンドクレジットを見ると原作の冲方丁も、でてたみたいね。どこに出ていたのかは分からないけど。
・公家言葉が、下手だったなあ。
踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望9/28109シネマズ木場シアター3監督/本広克行脚本/君塚良一
この本編公開直前「踊る大捜査線 THE LAST TV サラリーマン刑事と最後の難事件」がテレビ放映されたんだけど、その杜撰なデキに、こりゃ映画版も…。と危惧していたんだけど、やっぱりその通りになった。脚本がテキトーすぎ。映画版の第一作みたいな緻密さ、なるほどさがまったくない。無理やりな設定、強引な展開、ムダなサブストーリー。どれをとっても中途半端。あきらめを通り越して怒りさえわいてくる。
冒頭、青島俊作と恩田すみれが、夫婦になって唐揚げ屋を始めている。場所は、いろは商店街(?)と佃島をあわせたような場所。これゃ、寅さんの夢みたいな設定か? と思ったら、張り込みだったというオチ。逮捕したのは、よく分かんなかったんだけど、小物? って感じ。で、この裏で鳥飼誠一(小栗旬)がある事件の時効と証拠について、無言の反抗、というような態度を見せる。こりゃ何かある、とこれで分かっちゃうだろ。
で、誘拐事件→誘拐・殺害されたのは6年前の誘拐殺人事件の被疑者で、でも無罪放免になった2人。という事件の始まりの盛り上がらないこと。サブストーリーは、ビールの間違い注文、恩田スミレの辞表…。これが、ほとんどメインストーリーと絡まないんだから困った者。
今回の誘拐殺人に使われたのは6年前に使われた拳銃で、それを持ち出した警官も分かっている。久瀬智則(香取慎吾)で、捜査本部にいる(んだよな?)。にもかかわらず、久瀬を隔離したり管理したりしないのはなぜ? さらに久瀬は真下署長(ユースケ・サンタマリア)の娘を誘拐して殺害しようとする…。ほら。監視してないからそうなるんだろ。警察上層部は、反抗が警官によるものであることを隠そうとするけれど、アホか。身代わり犯人もテキトーに決めて、なんと恩田スミレが前日逮捕して尋問していた相手を犯人に仕立て上げる。バカか。
で、最終的に反抗は鳥飼、久瀬、小池(小泉孝太郎)の共謀ということがわかる。実は6年前の事件で殺害された娘の母親は、鳥飼の姉だった。6年前、もう少しで犯人が特定できるというところで2日間の期限が切れて、公開捜査に踏み切った。そのせいで幼女は殺された、と思っている久瀬、小池は真下の息子を誘拐して殺そうとする。アホか、と思う。
ってことは、鳥飼は姪が殺された私怨。久瀬、小池は、捜査方針の考え方の違いに対する不満。それで、無罪となった2人につづいて真下の息子を殺すことにしたわけだ。まず、2人が真犯人であるという根拠も示されないのだから、「その通り。よくやった」とは言えない。さらに、真下の息子に罪はあるのか? 上司に指示され警察のルールを部下に指示した真下に落ち度はあるのか? ない。もし恨むとしてら、決定を下した上司だろ。しかも、久瀬は本当に罪のない少年を殺そうとしていた。鬼か。警察の上層部の腐敗? それ以上に腐敗している連中もいっぱいいるってことだな。
しかし、そう話が上手く進むと鳥飼は思っていたのか? 管理官として特捜本部の敷きを任される、とは限らないだろ。話がいい加減すぎるのだ。
事件の解決も、またもや青島警部補…になっていたのね。真下の息子を誘拐したクルマは銀座方面に向かったという情報に、青島は湾岸署から自転車で行けるところまで行こうとするが、途中で道路封鎖されていて銀座には行けず倉庫街につづくことを知る。って、それを知るのは自転車の青島だけって、あり得ないだろ。その後の青島の推理も、説得力がない。子供はスーパーが好き…から展示会場を思いたち、たまたま見たバナナによるエタノールのイベントを連想し、連れ込まれたのはバナナに関係する倉庫と断定する。それって、根拠にならんだろ。
で、犯人を追いつめる青島。そこに、辞職して九州に帰る予定だった恩田すみれの運転する観光バスが飛び込んでくるって! おい。いくら部下の 和久(伊藤淳史)がメールで恩田すみれに状況を逐一連絡していたからって…。だいたいの場所を教えられた恩田すみれが、なんともタイミングよく犯人に銃を突きつけられている青島のいるちょうどその場所に突入できたんだよ! できるわきゃないだろ。そのバスのナンバーが[877]であるという遊びも、空しいよ。
で、発注が問題視されたビールも、最後は無造作に署員に配られる。冷えてないだろ、そんなもの。飲めるか! 恩田すみれが辞表を撤回したともいってないので、あのまま辞めて田舎に帰ったのか。それにしても彼女はすでに警官でもないのにバスジャックして倉庫とバスを破壊していてるわけだが、問題はないのか? ないわけはないよな。
などなど、ムチャクチャすぎてクレームをつけるのもバカらしくなってくるぐらい酷い映画だ。うんざり。そうそう。久瀬が香取慎吾って、バスが飛び込んで後に分かったよ。しゃべらなかったし。え? と思った。

 
 

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