2012年10月

鍵泥棒のメソッド10/1MOVIX亀有シアター3監督/内田けんじ脚本/内田けんじ
「運命じゃない人」「アフタースクール」の内田けんじなので期待が膨らむ。「アフタースクール」がいまいちスッキリしなかったので、今度は…と。でも、結果的には「運命じゃない人」みたいな、してやられた感、バラバラのピースがピタリと収まる爽快感はなかった。「運命じゃない人」が、実はその裏でこんなこんなドラマが、を見せたのに対して、「アフタースクール」は、実はこうだった、とネタバラシをするスタイルに。で、「鍵泥棒のメソッド」は、実はこうだった、のネタバラシに意外性があまりない。それと、「ああ」「そうだったのか」という伏線が希薄。話の構成を単純化させようとしたのかも知れないけど、でも、偶然に近い予定(あるいは計画)変更が2個所も埋め込まれていて、ここで観客は「え?」「どうなるの?」と戸惑ってしまう。後半のこのゴチャ付きで、すべてがピタッと着地する感がいまいちなのは、もったいない。2個所の予定(あるいは計画)変更は、必要だったのかな? あれがなくても、つまり、二転三転をムリに付けなくても、すなおにラストのドンデンにつなげればフツーに面白い映画になったと思うんだけどな。
それと、タイトルがピンとこない。「鍵泥棒」? 桜井がコンドウの鍵を盗んだ…という印象は薄いのだよね。それと「メソッド」。方法とか手法というような意味だろうけど、この映画、桜井はあまり頭を働かせていないので、ううむ…な感じ。単純に「チェンジ」みたいなのでもよかったんではないのかね。
allcinemaのあらすじは「自殺願望のある売れない役者・桜井武史。ある日、銭湯で羽振りのいい男が転んだはずみに頭を強打して記憶を失う現場に居合わせる。とっさにロッカーの鍵をすり替え、彼になりすます桜井。ところが、その男が誰も顔を見たことがない伝説の殺し屋コンドウだったことから窮地に陥ってしまう。一方、自分を貧乏役者の桜井だと思い込んでしまったコンドウは、真面目に演技の勉強に取り組み始める。すると、そんなコンドウの姿に女性編集者の水嶋香苗が好意を持ってしまう。やがて、婚活に必死な彼女からプロポーズされてしまうコンドウだったが…」というもの。
あらかじめコンドウの殺しがリアルに写され、観客は「こいつはホンモノの殺し屋だ」と思い込む。ここが付け目で、その前提で話が進んでいく。それを知らずに、コンドウと入れ替わってしまう桜井。財布の金に驚きもせず、借金を返し歩く。水嶋香苗は部下に結婚宣言し、相手を募る。桜井は借金を返し終わると、コンドウの服をもって病院へ。ここで衣服と税金の督促状を取り返し、もとの状態に戻ろうとする。たぶんこの段階では、まだ自殺するつもりだったのだろう。が、コンドウに気づかれる。でもコンドウは記憶喪失。でもコンドウは督促状から自分を桜井と思い込んでいる。そのまま衣服を元に戻さず返ろうとする桜井。病院の入口で大家に会い、自分の身元がコンドウのものになってしまっているのに気づく。大家が病室に行くのをとめて、事実が発覚するのをとめる。…この偶然がなければ、すぐにコンドウと桜井が別人であることは分かってしまったはず。…という危うい偶然の産物として、話が進んでいく。で、次はコンドウの退院。でも、これは許可をもらっての退院ではなかったことが後から知れる。でも、そのことは話とは関係ない。所持金が少ないコンドウが、支払いを恐れて勝手に退院した模様。で、このときコンドウと水嶋香苗が知り合う。…という話のセットアップの部分に、ほとんど伏線がない。たとえばコンドウは、カレンダーに翌日の午前中の予定があるのに気づくんだけど、フォローがない。大きな伏線としては、コンドウは殺し屋だ、ということぐらい。あとから振り返ると物足りなね。
次は、転。桜井はコンドウのマンションに入り込み、いったんはビデオカメラに向かって謝罪する(伏線になってない)。けれど、複数の身分証明書や拳銃、現金などを発見して心変わり? ビスケット缶の金を大半使ってしまった様子。でも、2〜3千万あったとむ思うんだけど、何に使ったのか? わからない。で、このあたりまでとても気になっていたのが冒頭で殺した相手の死体なんだけど、桜井が開けて見たらない。コンドウは痕跡を残さず始末する、ということなのでとりあえず納得した。いっぽうで、殺しの依頼人工藤が登場するんだけど、この件がいまいち緊張感がない。なにしろ荒川良々だからなあ…。コンドウになりすました桜井が工藤の手下に会い、連れられて工藤に会うんだけど、このあたりから話が保っぽくなってくる。桜井がヘマして会うことになったのは分かるけど、殺し屋に会えてしまうのが変、と工藤は思わないのか。このあたり、緻密さに欠ける。しかも、最初に殺した相手の内縁の妻が秘密(大金のありか)を握ってるからと、聞き出すように依頼する。この過程もいまいち「?」。だって、工藤はコンドウなんか雇わず、自分でやりゃあいいじゃないか、と思ってしまうしね。この辺りの説得力は足りないかも。
で、桜井は内縁の妻を探ったり殺したりは出来ないから、彼女に逃げるよう勧める。その会話を工藤が盗聴器で聞いてしまう。てなわけで桜井は工藤に脅されるんだけど、このあたりでコンドウは記憶を取り戻す。なりすましの桜井の困窮に、どうするのかな? と思ったら、なんとコンドウは殺し屋のフリをしてターゲットを逃がすのを仕事にしていた。だから殺しはしていない。というのが、大きなネタバラシ。おお、そうだったのか。で、話が転がるかと思いきや、こっからがいまひとつなのだ。コンドウは、工藤の目前で桜井を刺殺するという狂言を企むんだけど、いざ現場についたら水嶋香苗がコンドウをつけてきていて、狂言がオジャン。コンドウ、桜井、水嶋は逃げるんだけど、これが2つの偶然のうちのひとつだ。これで話が混乱してきた。
次の混乱は、桜井と水嶋が内縁の妻の家に行き、隠している金はどこにある、それがあれば丸く収まる、と説得しに行くシーン。でも工藤たちがやってきて、桜井はここで大芝居。懐に残っていた血糊をつかい、桜井が内縁の妻とさの息子を殺してしまった、とやってみせる(この時点では、まだ工藤は桜井をコンドウだと思っている)。でも、工藤は血の臭いがしない! と狂言に気づいてしまう。のだけれど、息子のフリをしていた水嶋が、隠していた大金のありかに気づいてしまう。なんとマチスの絵やブリキのおもちゃ、プレミアム付きのギターとして家の中に何気で置いていた、ということを見破り、みんなの前で話してしまう。工藤は、金が入ればそれでOKだから、それらのものを手下に運ばせる。という様子を見守っていたコンドウ(それまで何していたたんだっけかな?)は、なんと警察に「空き巣です」と通報。工藤一派は逮捕される。内縁の妻は、隠していたものがバレてしまってご機嫌斜め。ま、彼女がいちばんしたたかだった筈なんだけど、水嶋の知識によってオジャンになってしまったわけだ。
これで、近づいていたコンドウと水嶋の仲もおしまい? でも、やはり忘れられずにコンドウが水嶋を追いかけていく。たぶん2人はハッピーエンド。ふて腐れる内縁の妻。自宅にもどった桜井は、階下の猫飼い娘に惚れられた様子で、こっちも仕合わせが回ってくるかも…で、エンド。
という具合で、凝ってはいるんだけど、なんかあれこれ収まりが悪い。後半のネタバラシ。コンドウの真実の姿と、金の隠し場所、の2つだ。これをもうちょいドラマチックに見せればよかったのに。その反面で、2つの偶然による二転三転は成り行きを混乱させるだけだから、なくてもよかったんじゃないのかな。その方が、ネタバラシが効果的だったような気がする。
疑問なところと言えば…。
・コンドウは桜井の部屋で自分のモノとされる遺書を発見するんだけど、筆跡が違うだろ! 動揺して字が変、ぐらいな違いじゃないぞ。
・コンドウと水嶋の几帳面。ユニークな設定だけど、それ以上には発展しない。ううむ。
・コンドウの、殺害したと見せかけて逃がすという手法。逃げた男もいつか戻ってくるわけで、長くつづけられる商売じゃないよな。
・桜井はコンドウの金を使い倒しているんだけど、コンドウがそれを責めないのは変じゃないのか? っていうか、桜井の、他人のモノを拝借してOKという性格は、あれでいいのか?
・裏モノの本に殺し屋の情報が大っぴらに…というのは、あり得ない。しかも後から分かるんだけど、コンドウ自身が流したネタだったって…。あり得ない。
・猫飼いの女性が桜井に胸キュンというのは、唐突すぎるだろ。
・几帳面な性格なのか、コンドウが演技に夢中になっちゃうのは面白い。
・内縁の妻の森口瑤子が、気怠い演技でよかった。でも、息子は母親のところに出入りする男をどう思っていたのか、気になるね。
・水嶋の家族は、ただ出てきただけで伏線にもなってない。姉役の小山田サユリは可愛いね。水嶋の部下の女性、サトエリが貧相になった感じの子、どういう役者か気になった。
で、あの絵画やギターは、どうなっちゃうのだ? 内縁の妻の手もとに残るのか? それとも何とか組との関連とかもバレて、みなオジャンになっちゃうのか? 気になるところだね。
・桜井もコンドウも、かつての恋人の写真を捨てられない、あるいは、未練たらたらな男として設定されている。でも、なーんの伏線にもなっていない。
ボーン・レガシー10/2新宿ミラノ1監督/トニー・ギルロイ脚本/トニー・ギルロイ、ダン・ギルロイ
原題は"The Bourne Legacy"。ボーンは、ジェイソン・ボーンのこと。だから、ジェイソン・ボーンの遺産ってことか? この場合、所有格にしなくていいのかね。で、シリーズ4作目で主人公がマット・デイモンからジェレミー・レナーに変わった。なので、ジェイソン・ボーン役がジェレミー・レナーになったとばかり思っていたんだけど、どーも様子が違う。だってジェレミー・レナーの役名がアーロン・クロスなのだ。しかも、マット・デイモンは会話のなかや写真で登場する。ってことは? と混乱のなかで見はじめる。しかし、トレッドストーン計画とか何とか、説明なしにどんどん進むので、何が何だかさっぱり分からん。しかも、アーロン・クロスは山の中で淡々と訓練中で、慌てているのはCIA。でも、CIAがなぜアタフタしているのか分からないので、ちっとも話に入っていけない。組織を守るために作戦を中止するほど大変なことなのか? 昼飯を食わなかったので、あんパン囓りつつみていたら、だんだん眠くなってきた。というわけで、アーロン・クロスが山小屋に到着したあたりから、うとうと…で、気づいたら研究室で無差別乱射中! 以降はちゃんと見た。で、眠ってしまったところを確認のため、次の回をもう一度。こちらは、アーロン・クロスとマルタ・シェアリングがフィリピンへ飛ぶためニセのパスポートをつくる辺りまで見て、でた。2度目をちゃんと見ても、話はよく分からなかった。どうやら前3作の情報を引きずっているらしく、以前のプロットが頭に入っていないと、理解できないようになっているらしい。…一応、見てはいるんだけどね。忘れちゃうよ、そんなの。てなわけで、大雑把な流れしか理解できないまま、後半のアクションは見たけど、ううむな内容だった。薬産業界の大物2人が仲よくしているビデオがYoutubeにアップされているので「やば」みたいな説明があるけど、こっちはさっぱり分からんよ。やはりここは前作までのダイジェストを冒頭で見せるとか、多少の説明を交えながらの導入がないと、観客は戸惑うんじゃないだろうか。
アーロン・クロスが薬依存症になっている、というのも説得力がない。生き死にがかかっている薬ならともかく、精神的・肉体的にテンションを維持するための薬だとしたら、不安を感じるとか疲れるとか、そんな程度じゃないの? どうしても必要に迫られて的な逼迫感がぜーんぜん感じられないのだよね。なので、この映画の根幹となる動機付けとしては、いまいちだね。
で、CIAは作戦中止に伴って全世界に散らばるスパイを抹殺にかかるのだが、そんなことをする必要はあるのか? なぜスパイを殺さなくちゃならないのか、ぜーんぜん分からない。また、日頃からの健康診断→薬剤投与は、こういうときに備えて、スパイを簡単に抹殺できるように、なのかい? でも、アーロン・クロスに対してはミサイルを使ったりして、派手。それぞれにギャップがありすぎて「?」。
シェアリングが働くラボの存在も、分かったような分からないような…。スパイの健診はついでで、本業は心を操る研究だ、なんていわれてもね。で、同僚研究員が研究者を殺戮していくのも、「なんのため?」と思ってしまう。CIAが指示してやった、らしいことがほのめかされているけど、はたしてあの研究が実用レベルに達しているのかどうか、分かっていたのか? あるいは、CIA幹部は、ラボの誰に指示して、あの研究員をコントロールしたのだろう? つまり、その、人の心をコントロールする研究すべてを抹殺したかった? にしては、のちに1人だけ生き残ったシェアリングにたいしては、対応がトロいよな。暗殺団4人で、フツーの訪問みたいに見せて、しかも前日に約束しての訪問? 最初から殺すのが目的なら、そんな手の込んだことをする必要はないじゃん。事前のアポなんか、シェアリングに逃がすチャンスを与えるようなもんじゃないか。しかも、映画ならではのタイミングの良さで、あわやシェアリングが…というタイミングでアーロンが飛び込んでくる。笑っちゃうよ。
この、シェアリングの家での格闘はまずまず。とくに、アーロンが屋外から壁を駈け上がり、窓から中に入って階段下の女を撃つ、までのシーンは素晴らしい。あれ、ジェレミー・レナー本人がやってるように見えたね。でも、この映画のアクションシーンすべてにいえるんだけど、このシーンみたいにヒキで全体を見せるシーンは少なく、細かなカットを、なんかやってる風に編集することが多かった。なので、何がどうなっているのか分からないところが満載!
で、このシェアリングの家から以後は、追いつ追われつのアクションになって、ようやっと映画の本領発揮になる。理窟はどうあれね。でも、シェアリングと一緒に逃げているのが誰か分からないというのは、変だろ。たとえば雪山でミサイルに狙われると、アーロンは下腹部に埋め込まれた発信器を取り出してしまう。その後、狼に食わせて攪乱しようとするシーンがあるんだけど、意味が分からない。取り出したことを知られず、動いている対象が殺されたと思わせたい? そのために狼と格闘する必要があるのかね。だって、狼はアーロンのことを追ってくるんだから、危険じゃないか? そして、アーロンとシェアリングとの逃避行もしかり。だってシェアリングは、スパイの数が10人から6人になった(正確な数は違うけど、1/3ぐらいが死んだ、と示唆していた)とかいってたわけで、じゃあ、CIAが把握しているスパイの数なんて10人に満たないわけだ。誰がどこにいるぐらいは把握していてもいいんじゃないの? それに、シェアリングがいなくなった…国外へ? の段階でフィリピンを想定するのは当然だと思うんだけど、なかなか絞り込めない。アホか。
フィリピンのシーンは、ほとんどアクション。CIAはNo.3(だっけ?)を使ってアーロンを殺そうとするんだけど、そもそもアーロンがどの作戦に参加していて、生きていられると困る理由が゜どこにあるのか分からない。はたまたNo.3は生かしておいてもいいスパイなのか? なんかよく分からない。アジア系のNo.3は無機質で、機械のようにターゲットを追う。けど、いまいち弱いんだよな。クルマやバイクで追跡するんだけど、最後は何とシェアリングの蹴りで一巻の終わり。情けなくないか? それはさておき、都心ではなくフィリピン郊外でのバイクのチェイスは、昔の、都心で撮影できなかった頃の東映あたりのチェイスを連想させる。正直いって、しょぼい。しかも、そうやって逃げてきて、傷ついた2人を助けてくれるフィリピン人がいるのだからおかしい。フツー、通報するだろ。撃たれて逃げてる白人2人だぜ。そんなものに係わらないのが、現地の人の知恵だよな。
ラストは、その助けてくれた漁民の船上でくつろぐ2人って、おいおい、だよな。まだまだ狙われつづけるんじゃないのか?
シェアリング役のレイチェル・ワイズは40歳を超えているのか。「ハムナプトラ」のときみたいに、ただの胸のでかいバカ娘ではなく、なかなか渋い存在感。いい感じに枯れ老いてきている感じだな。
幸せへのキセキ10/3ギンレイホール監督/キャメロン・クロウ脚本/アライン・ブロッシュ・マッケンナ、キャメロン・クロウ
原題は"We Bought a Zoo"。なんて分かりやすい題なんだ。意味不明の邦題より、よっぽどいい。allcinemaのあらすじは「ロサンジェルスの新聞社に勤めるコラムニストのベンジャミン・ミー。最愛の妻の死から半年たった今も悲しみは癒えず、一方で14歳の息子ディランはたびたび問題を起こし、7歳の娘ロージーも元気がない。そこで新天地での再スタートを決意したベンジャミンは、郊外の丘で理想的な物件を見つける。ところがそれには、2年間閉園状態の動物園と個性豊かな飼育員たちも付いていた。それでも、ロージーの喜ぶ姿を見たベンジャミンは、周囲の反対を押し切り、動物園を購入してしまう。そんなベンジャミンに対し、飼育員チームのリーダー、ケリーは、素人に動物園のオーナーは務まらないと警告するのだったが…」
困難を克服して動物園をオープン。ある意味でサクセスストーリーの一部だと思うんだが、この映画にはその手の清々しさや、やった! 感があまりない。っていうのも設定が詳しく説明されていないからで、そもそもベンジャミンはいくら所持していて、動物園付きの家をいくらで買って、その後、いくら使ったか、が描かれない。途中で明かされるのは維持費に15万ドルかかり、ベンジャミンはすっからかん。でも、亡き妻のへそくり約8万4千ドルをみつけて復活! ということだけ。その他に生活費もかかるだろうし、いったいベンジャミンは手持ち資金いくらでスタートしたんだ? と疑問に思っても不思議ではないだろう。だいたい、コラムニストとして年収いくらだったんだ? とかね。
もうひとつの疑問は、飼育スタッフの存在。給料を払っていないと言っていたが、彼らはどうやって生活していたのだ? 以前の所有者の遺産(?)がどうたら言ってた様な気もするんだが、その以前の所有者が手放してから、どれぐらい経ってるのだ? 動物園込みじゃないと売らないと言っていた、てなことも聞こえてきていた。じゃあ、もし資金が尽きたら動物や飼育員たちはどうなっていたのだ? など、首をひねるような設定なのが気に入らない。ベンジャミンが買うのを決めたのとは別に、やっぱ、動物園自体の状態もちゃんと伝えてもらわないと、あれこれ克服した感が伝わってこないよ。
そんなわけで、アバウトなまま始まり、なんとなく動物園の所有者になり…という展開。しかし、コラムニストはすっぱり辞めて動物園一本槍なのか? なんか信じられん。
もうひとつの流れは息子の反抗なんだけど、これがとってつけたような話。ベンジャミンの妻が病死して半年。息子ディランは盗みを働いたりグロテスクな絵を描いたりして学校を退学。ベンジャミンの言うことも聞かない。…というありがちな設定。そんなやつ、現実にはいないよ! しかも、ケリーの姪(だっけ?)のリリーという同年代の女の子に好意を持たれるという特典がついているのに、つっけんどんな態度をとる。おまえなあ。まあ、そもそもあり得ない設定だけど、映画だからしょうがないか。
あとは、克服すべき相手として登場するのが、動物園の開園を審査する役人のウォルター。意地悪な男という設定で登場するんだけど、意地悪をしているわけではないので、無理やり感が強い。どーもこの映画、人柄や設定、物語の進行などを映画として見せるのではなく、概ねセリフで紹介してしまう傾向がある。映画なんだから、ドラマとして見せるべきなのに、それが全然できていない。これじゃ感情移入できないよな。
では、スタッフは立派な連中かというと、さにあらず。息子のディランがヘビを逃がしてしまう。熊が檻から逃げ出す。ライオンの檻の鍵が壊れる。入口につづく道路脇の大木が倒壊する…。ひどいもんだ。コメディ映画じゃないんだろ? そういえばライオンの檻は二重になっていなかったぞ。あんなんで安全なのか? あんなおっかない動物園、俺なら行かないな。
リリーが積極的にすり寄ってくるのに、ディランは素っ気ない。で、いつの間にかリリーに嫌われてしまうんだけど、実はリリーのことが好きだった。「じゃあ、告白しろ。20秒だけ恥をかけばいい」とベンジャミンがいい、ディランが実行する。「その20秒ルールで、とうさんも亡くなった母さんにアプローチしたんだ」と子供たちに言うのも、わざとらしい。そんなんで、だれも心温まったりしないよ。
熱心なスタッフに、スカーレット・ヨハンソン。20代半ばの設定だけど、そもそも、この手の無垢な娘役なんて、似合わないよ。どーみてもすれっからし。キャスティングが悪すぎ。その姪(?)のリリーに、エル・ファニング。他に見るべき女優もいないので、彼女だけが救いだったよ。13歳だというのに色っぽくなっちゃって。主人公のベンジャミンにマット・デイモン。おお。ジェイソン・ボーンだ、なんて思ってた。
やっぱ、困難を克服してやったね感が欲しいよな。反抗する息子の虎のイラストを動物園のメインキャラクターに使い、おだてて和解するなんて、くっだらねえ。実話を基にしているらしいけど、大幅に脚色されすぎているに違いないと思うぞ。
桐島、部活やめるってよ10/4シネ・リーブル池袋シアター1監督/吉田大八脚本/喜安浩平、吉田大八
評判がいいらしい。どんなもんかな、と思っていたら…。金曜日の放課後の小一時間を、何人かの視点で繰り返し描いていく手法。「バンテージ・ポイント」方式だった。しかし、何か事件が起きるわけでもない。ひととおり5、6人の視点で描き終え、分かったのは「桐島が部活をやめるらしいということ」。で、土曜のある瞬間(具体的には何だっけ? 忘れた)、日曜のある瞬間(涼也が映画館で、かすみと会う話)を描き、月曜になる。土、日、月は客観視点。で、火曜日の後半になって、2〜3だったかな、の視点で「桐島がやってきた」という瞬間(みなが屋上に向かう)を描く。でも桐島はいない。結局、話はそれだけ。「運命じゃない人」のような、ああそういうことがあったのか的なこともあるけど、それは少しだけ。冬の高校の数日間のスケッチである。
文化部(映画、吹奏楽部)vs運動部(バレー、バトミントン、野球)vs帰宅部の三つ巴で、たいした争いもないんだけど、2時間もたせてしまう。中だるみはあるんだけど、何かあるかも、で、ひっぱっていってくれた。
最初は人物がたくさんでてくるので面食らった。でも、繰り返しによって、次第に分かってくる。でも、分かってくると、最初の頃にどう描かれていたか気になってくる。もういちど見たくなる映画だ。でも、最近の映画館は入替制だからなあ。まったく。ビデオになったらまた見るか。
映画部の前田涼成は、中学が一緒だった東原かすみ(バトミントン部)が気になる。そのかすみは、ちゃらちゃらしてる竜汰とつきあってる。竜汰と友弘は帰宅部だけど、バレー部の桐島や野球部の宏樹と仲がいい。4人は学校裏手でバスケを楽しんでる。宏樹を目当てに、吹奏楽部の沢島亜矢が屋上でサックスを吹いている。桐島は梨紗とつき合っていて、ちゃらちゃらした沙奈が親友…。桐島が部活に出てこないのでバレー部は試合に負ける…。とかいう話が延々とつづくんだけど、だからどうしたって話はとくにない。
映画部が8ミリフィルムで撮っていて、涼成がカメラのことやフィルムのことを宏樹に熱く語ってしまうのは笑える。笑えるといえば、野球部のキャプテンがいい。幽霊部員の宏樹に「でてこいよ」とはいうけれど強制はしない。しかも、負けてばかりなのに「ドラフトが終わるまでは引退しない」と言ったり。なかなか不思議な味わい。バカっぽい沙奈…。こういう女、いそうだよなあ、と思わせるリアリティ。そんな沙奈とつきあっちゃってる宏樹ってのも、よく分からん男だね。分からないといえば、イメージがつかみにくいのが友弘かな…。あまり存在感がない。反面、クラスのアケボノなんかは一瞬でも目立つ。…てな雑感しか思いつかない。なぜって、ドラマらしいドラマがないから。
ラスト近く、宏樹が屋上から飛び降りる少年を目撃するんだけど、あれが桐島? 飛び降り自殺かと思ったら、そうではないみたい。そして、宏樹の最後の涙はなんだったのだ? 宏樹は桐島に会ったのか? よく分からない。
桐島が屋上にいる、という話を聞いて、みなが屋上に駆けつける。そこでは映画部が撮影中。で、撮影中のシーンが台無し。涼也は友弘だったか竜汰に文句をいうが、逆に「うるせえ」と言われてしまう。というような展開はよくあるね。気弱な文化部、チンピラっぽい連中。いるんだよなあ、こういう手合いが。そう。この映画を見れば、自分に近い立場の人間が必ず見つかるような気がする。
だからどうした、な話だけれど、それだけでも映画は成立するものなのだな。それぞれの答があるのなら見てみたい気がするけど、まあ、それを知らない方がいいってことだろ。
最強のふたり10/9新宿ミラノ3監督/エリック・トレダノ脚本/エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ
原題は"Intouchables"。フランス映画。allcinemaのあらすじは「パラグライダーの事故で首から下が麻痺してしまった大富豪のフィリップ。彼の新しい介護人募集の面接にやってきたのは、いささか場違いな雰囲気の黒人青年ドリス。スラム街に暮らす彼の目的は、失業手当をもらうための不採用の証明書だった。周囲の憐れみの同情と腫れ物に触るような態度に辟易していたフィリップは、そんなドリスのふてぶてしい態度に興味を抱き、思いつきで採用してしまう。ドリスには介護の経験がないばかりか、趣味や生活習慣にいたるまで互いが歩んできた世界はまるで水と油。いつまで持つかと思われたが、障がい者相手にも遠慮することなく本音で接するドリスは、他の誰よりもフィリップの心を解きほぐし、いつしか2人は固い絆で結ばれていく」。
まず感じたのは「最高の人生の見つけ方」との類似。白人と黒人、富豪と貧乏人、病気…。こっちでは黒人が元気で介護人だけど、嫌なことはしない、好きなことをする、という主張は似通っている。バリエーションとみてもいいんだろうな。きっと。
ある意味ではしつこくなくて洒落ている。でも、心をわしづかみにはしない。面白いんだけど、いまいち痛快感がない。全体がエピソードの積層で大きなドラマがないこと。物語の展開のつながりが曖昧で、たとえていうなら接続詞のない散文のよう。なんでそうなるの? という部分が多くて、そうなっていくことに対する説得力が足りないのだよね。フィリップがドリスを選んだ理由。ドリスが働こうと決めた理由。フィリップの娘と彼氏の話もそう。フィリップと文通相手との話も同じだ。さらに、ドリスがフィリップの介護をやめることになったことも「?」だったりして、あれこれもやもやが残ったままになってしまっている。フィリップは富豪だから後々困らないけど、ドリスは職もなく家族もいたりして大変だろうに、どうして介護をつづけなかったのだ? わけがわからん。…といったこが災いして、安心して話に身をゆだねるということができなかった。曖昧さも、度が過ぎてはダメなのだよね。
フィリップとドリスが仲良くなっていく過程は、マンガか漫才のよう。そんなことあり得ないよな、という感じ。映画だから誇張してあると思うんだけど、ドリスは一般的な常識は、ほとんど知らない。日常的なマナーもそうだし、オペラでの反応なんかが典型的。ま、そういうことに触れなくても生活できるレイヤーにいる、っていうことなんだろうけど。ドリスの弟(実は伯母と後添いとの間にできた子供)もチンピラだし。フランスにえける黒人の比率が増えても、やっぱ、貧困からは抜け出せてないのね。でも、その原因は貧困だけなのだろうか? 国民性というか、民族性だったりしないのかね。なんて思ってしまった。
いいシーンもあるよ。地味なびっくりパーティがひと段落してからのところ。ドリスが、クラシックよりこれだぜ、とアース・ウィンド&ファイアーの「ブギー・ワンダーランド」をかけて踊り出す。介護のオバチャンも思わずお尻をふって踊り出す。このシーンはいいね。でも、フィリップも、ドリス好みのクラシックを楽団に演奏させる。でも、トンチンカンな反応ばかり! それと、ラストの、フィリップと文通相手とが実際に会うシーン。ここは、なかなか盛り上がったしぐっときた。でも、ほんの一部なんだよなあ。
話が見えないというのもある。フィリップと娘(養女)との関係もおおざっぱ。一回怒っただけで不良が直るわけないじゃん。フィリップがパラグライダーで事故ったのはわかった。でも、妻がなぜ死んだのかはわからなかった。文通は半年前かららしいが、初めてなのか? それとも何度も挫折して、だから本人と会いたくなかった? ドリスが強引に対面をお膳立てして、でも会えなかった…という話はいいとして。ドリスがやめるときに介護のオバサンにラジオかなんか渡して「2チャンネルに合わせておいたよ」とかいったので、「あれ? あの文通相手って、実は彼女だったの? でも電話で話してりゃ分かっちゃうよな…」と思ったんだけど、ラストでちゃんと文通相手が登場する。いや、1回目のときすれ違いで入ってきてたのは分かったんだけど。なので、じゃああの2チャンネルに合わせたってのは、ありゃ何だ? 
映画が終わって、「フィリップはモロッコに住んでいて子供が2人、アブデルは子供が3人」とかいう字幕が出る。アブデル? 読み間違いか? よく分かんなかった。フィリップが、感じないけど勃起はするといっていたので、あの文通相手と結婚して子供ができたってことか。じゃあ、死んだ妻との間には子供が生まれなかった、ということなのか? 養子とるぐらいだし。など、考えてしまうようなつくりなのだよなあ。
ドリスがどれぐらいの間、フィリップの介護をしたのか、映画からは分からない。でも、ラスト辺りでドリスはなかなかの教養ぶりを見せている。ってことは数ヵ月じゃなくて数年なのかな?
タマゴの置物は、どうやって見つけてきたんだ? それと、警官や病院をおちょくるネタは、気分がよくない。
エージェント・マロリー10/11ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/スティーヴン・ソダーバーグ脚本/レム・ドブス
原題は"Haywire"。干し草を束ねる針金のことで、混乱した、故障した、めちゃくちゃ、などの意味があるらしい。allcinemaのあらすじは「フリーランスの女スパイとして活躍するマロリー・ケイン。ある日、彼女のもとに民間軍事企業の経営者ケネスからバルセロナでの人質救出という依頼が舞い込む。同業者のアーロンらと協力してみごとミッションを成功させたマロリー。次にケネスが持ち込んできた依頼は、イギリス諜報機関MI-6から請け負ったという仕事。それはフリーランスのスパイ、ポールとともに新婚夫婦を装い、指定された男に接触するだけの簡単なミッションと思われたが…」だけど、すでに見終わっているのにこの説明を読んでなるほど、と思ったりするんだから困ったものだ。
山中を逃げるマロリー(ジーナ・カラーノ)。追ってきたアーロンを振り切り、レストランの客の車を奪って逃げる。クルマの持ち主を助手席に乗せて…。で、その同乗者に、これまでの経緯を話す…というカタチで、過去に戻る。あとはその時制で、発端→バルセロナでの人質解放→ダブリンの仕事と混乱→米国へ逃げる→映画の冒頭へ…で、以下は時制通り。なので構造は単純。でも、ダブリンでの話から訳が分からなくなってきて、その謎解きはラスト近くにケネス(ユアン・マクレガー)が告白するのだけれど、正直いってついていけなかった。なぜって、謎解きや背景の説明をドラマの中でセリフでしゃべるからなんだけど、これが人物名をずらずら並べてアレとアレがナニしてコレがコウで…の類。役名もロクに覚えてないのにこれをやられるから、こっちは頭が右往左往。ソダーバーグらしい表現だけど、ひとつの字幕を理解しようとしていると次の字幕が登場し、そっちに追いつかない! ということに。なので、黒幕はロドリゴ(アントニオ・バンデラス)なのは分かるんだけど、なんで? という部分がたくさん残ってしまった。ビデオなら戻して確認して次へ…とできるんだけど、映画じゃね。しかも、入替制だから「もう一度」というわけにもいかない。困ったものだ。
マロリーはケネスの会社の社員かと思ってたら、フリーだったのね。で、アーロンは社員なの? 彼もフリー? ケネスは、フリーの連中を束ねる代理人だったわけか? で、アーロンがケネスの会社を抜けるとかで、ケネスは焦ってた? とかなんとか言ってたような気がする。で、ロドリゴは政府関係者かと思ったら、違うの? 政府はコブレンツ(マイケル・ダグラス)だけ?
ヒゲの連中は、情報漏洩させるジャーナリストが邪魔なので、ロドリゴ→コブレンツ→ケネス→マロリーへと仕事を依頼? マロリーとアーロンらは上手く人質のジャーナリストを救う。でも、ダブリンでそのジャーナリストの死骸を発見するということは…。彼は人質ではなく、ガードマンを雇って自分の身を守っていたってことか? それにしてもダブリンでの仕事というのがさっぱり分からない。なぜケネスはマロリーとポールが組んだのか? 何が目的の仕事かさっぱり分からない。
というところで公式サイトのあらすじを読むと、ロドリゴはスペイン政府の人間みたい。ふーん。ポールはMI-6の人間じゃなくて、彼もフリーなのか。でも、2人が殺し合う理由は? ってか、ヒゲの連中と遭遇したりジャーナリストの死骸を発見したり、この辺りの展開がご都合主義? というか、わけ分からない。わけ分からないまま、とにかくケネスが何か企み、マロリーを殺そうしていることは分かった。でも、なんで? というまま話はアメリカへ。で、マロリーの父親の家までやってきたケネスとアーロン、その他2人を相手に女ひとりで奮闘。アーロンはケネスに騙されていたことを知り、ケネスに殺される。逃げるケネスを追いつめ、白状させるマロリー。黒幕がロドリゴ知って、始末に…というところでEND。
てな具合で甚だ理解不足。映画が悪いのか、こちらの記憶能力と理解不足が原因か。まあ、どっちでもいいけど、分かりにくいことは確かだと思うぞ。
でも、この映画、まっとうな魅力がある。アクションの格闘シーンが、かなりリアルなのだ。パンチが入る、殴られたアーロンの頭が椅子にコツンとぶつかる。マロリーの顔が壁にぶちあたる。蹴りがにぶい音を立てて入る。…などなど、肉のぶつかり音が聞こえるような格闘の連続で、なかなか痛い。しかも、あまりスタントを使っていない感じ。もちろんマロリーの顔が映らないシーンも多々あって、これはスタントなんだろうなというところもあるんだけど、カット割りで誤魔化すようなことがあまりない。ヒキで全身を映し、格闘の流れをちゃんと見せているのだ。
マロリー役のジーナ・カラーノはキレイな顔立ちをしている。でも、顔の皮膚はざらついている感じ…。それと、腕も太い。とくに下半身ががっしりし過ぎているほど凄い。ひょっとして彼女は格闘家? と思ったら、実際そうだった。なかなか有名らしい。なるほど。納得。格闘家を使っての映画だったのか。がっしりした下半身には、ちょっと萌え…てしまったよ。
まあ、最後の謎解きだけはセリフだけじゃなくて回想シーンを使うとかして、もっと分かりやすく描いて欲しかった…。
しかし、見ず知らずのアンちゃんに、国際的なスパイ活動の経過を簡単に話してしまったりするのは、ちょっといかがなものか。いくらクルマを借りたからとか、状況を警察に伝えて欲しいからって…。警察に話しても、信じちゃもらえないだろうよ、きっと。
あとの気になるシーンは…飛行場へマロリーがバイクでやってきてコブレンツにシーン。背景をタンブル・ウィードが左から右へと風に転がって行った。あれは偶然なのか、意図的にやったのか。CG? それと、ロドリゴはラストシーンでヒゲを剃ってたけど、あれはなぜ?
ライク・サムワン・イン・ラブ10/15新宿武蔵野館2監督/アッバス・キアロスタミ脚本/アッバス・キアロスタミ
資本は日本とフランス、監督はイラン人、スタッフは概ね日本人の映画。知らない他人の何げなくない日常が交錯して、次第にもつれ合い、切り裂かれていく過程が静かに、くすくす笑いを伴いつつ進んでいく。ラストの、ほったらかしみたいな終わり方も、気持ちがいい。
いい人だけの人もいないし、悪い人だけの人もいない。人にはいくつかの顔があり、それは義理や人情を伴っていたりするし、けじめみたいなものにも通ずる。でも、物事の解釈は人それぞれ。ある人にとって重要な事柄でも、別の人には大した問題ではないこともある。だれだって傲慢な面とともに、やさしさも持ち合わせている。そんなズレを解消できないで悩む人もいれば、強引に押し通す人もいるし、たいして気にしない人もいる。といったことを、半日余りの時間に押し込めて、でも、ぜんぜん窮屈ではなくゆったりと、大らかに見せていく。
allcinemaのあらすじは「80歳を過ぎた元大学教授のタカシ。独り身の彼は、デートクラブを通じて若い女性、明子を家に呼ぶ。タカシが用意した食事に見向きもしない明子は、田舎から出てきた祖母を駅に置き去りにしてしまったことを気に病んでいた。翌朝、タカシが明子を大学まで車で送り届けると、そこに明子の婚約者だという青年、ノリアキが現われる。そして、タカシを明子の祖父だと勘違いしてしまうのだが…」
映画は、クラブの店内をFIXで捉える画面から始まる。そこに電話の声がかぶるんだけど、話者が映らない。映るのはケバイ娘の後ろ姿で、彼女は明子の同郷の友だちの、なぎさ、らしい。電話の相手は、しつこく「いまどこにいる」を尋ね、明子はなんとかはぐらかしている感じ。…このシーンで、ちょっとタルイ感じがしたんだけど、これがなかなかの伏線になっていて、以後の展開を面白くする前哨戦でもあった。
明子は社会学部の学生。つき合っている男性もいるけれど、デリヘル(本番あり? 解説にはデートクラブとあるけれど、実体をよく知らん)みたいなこともしている。で、マスターに「今夜は10時30分までにここへ」と言われるんだけど、その気になれない。袋井(だっけかな?)から祖母が会いに来ているのをすっぽかしたままなので、気になっているわけだ。で、ずっと待っているらしい祖母を確認するため、タクシーの運転手(ほとんどしゃべらないんだけど、耳をそばだてていそうな妖しい感じがよかった)に駅前ロータリーをまわってもらったりする。罪悪感はちゃんともちあわせている娘ではある。
たどりついた先は、東京から1時間。いまは翻訳や執筆をしている元大学教授タカシの家だった。妻や娘の写真が飾ってあり、壁には「教鵡」という和服姿の女性の絵。これ、本当にある絵らしい。口慣らしの2人の会話で、明子がタカシの妻や娘、「教鵡」に描かれた女性に似ているということが語られ、さらに、明子をここに派遣したクラブのマスターが、かつてのタカシの教え子であることが分かる。マスターも、悪い道に手は染めても義理堅い、ってことだな。タカシはLIKE SOMEONE IN LOVE / ELLA FITZGERALDをかける。ジャズが好きな渋い男も、実はエロじじいってことだな。用意された食事にてもつけず、明子はさっさと寝てしまう。
翌日、タカシにクルマで大学まで送ってもらう明子。ってことは、朝方交わったってことか。タカシが80歳超ならムリ? で、タカシがかつてその大学で教壇に立っていたことを知らされる…。校舎に入ろうとする明子に立ちふさがるのがノリアキ。明子はなんとかやりすごすけど、ノリアキは彼女を送ってきたタカシに近づいてくる。ノリアキはどうもタカシを明子の祖父と勘違いし、車に乗り込んで「彼女と結婚したい」と話し始める。こういう近視眼的で強引なところがあるいっぽうで、試験が終わった明子共々3人でクルマに乗っていて、ベルトの音を聞いて「調子が悪いから見ましょう」と自身が経営する整備工場へと向かい無償で交換してあげる親切心も持っている。
もちろん、相手のためといいつつ自分のためになるよう計算づくでやっているのもあるだろう。でも、ちゃんとそのバランスが保てている一般人なのだ。親切心の裏に暗部も抱えているのが人間。まさに等身大。よく映画に登場するような、性格破綻者、異常者はでてこない。それが、ちょっとしたことで裂けてしまう。傷口は広がり、さてどうなるか…。というところで映画は終わってしまう。つまりはドラマが起こる前段階を濃密に見せてくれるわけで、どうしたって人間描写が稠密になる。それがまた面白い。
中心となる3人以外の脇も面白い。タカシがノリアキの整備工場で出会うかつての教え子。何げない登場だけど、彼がラストの盛り上がりへのお膳立てをしているわけで、その意味では重要。それと、タカシの隣家のオバサンが、意味深。障害者の弟を抱えていて、タカシと一緒になれればちょうど良かったのに、なんて明子に話す。彼女にとって社会に開かれた窓は、狭い。その窓を、現実の小さな窓として描くというのも、映画的なギミックで象徴的だ。それと、オバサンの話によると、タカシと妻・娘とは別居で、なにやら女性問題があったかのようなことを匂わせる。このあたりのセリフも、語りすぎないところがいい。
誰も表面的には常識人を演じているけれど、みな、なにがしかの事情を抱えていたりする。その二重性が何げなく描かれていて、センチメンタルだったりして、味わい深い。それにしても、明子の祖父のフリをしていたのがノリアキにバレてしまったタカシは、このあとどうなるんだろう。いや、そのまえに、弟(?)だったかが頼んできた英文5行をやっつける件、印刷をストップして校正を待っている新刊の件は、どうなったろうか。なんてことも思ってしまうのであるよ。
推理作家ポー 最期の5日間10/15新宿ミラノ2監督/ジェームズ・マクティーグ脚本/ハンナ・シェイクスピア、ベン・リヴィングストン
原題は"The Raven"。ポーの『大鴉』のことなのだな。ポーには疎いので、よく分からん。で、この映画、タイトルに「推理」とついているのに、ほとんど推理しない。あるのは「連想」。しかも犯人の予告した殺人現場を後追いで右往左往するだけ。あれっ、これって金田一耕助シリーズとそっくりじゃん。ってなわけで、残酷殺人&死体シーンで脅かしてつなげていくだけ。話としては深みがない。本来は深みのある素材なのに全然料理してなくて、素材をそのまま出して「ね、ポーでしょ?」ってやってるだけ。話も雑だけど演出も大雑把。てなわけで舞踏会の前辺りからウトウトして、気づいたら反っ歯のエミリーが誘拐された後だった。その後は何とか見たけど、緊張感もサスペンスもない。だって犯人に追われているわけでもないし、誘拐されたエミリーに関しては土中の棺桶の中ってだけだから、ハラハラのしようもない。
allcinemaのあらすじは「1849年。アメリカ、ボルティモア。ある夜、密室で母娘が犠牲となる凄惨な猟奇殺人事件が発生する。現場に駆けつけたフィールズ刑事は、それが数年前に出版されたエドガー・アラン・ポーの推理小説『モルグ街の殺人』の模倣であることに気づく。ほどなく第2の模倣殺人が起こり、フィールズ刑事はポーに捜査への協力を要請。ところが今度は、ポーの恋人で地元名士の令嬢エミリーが、彼女の誕生日を祝う仮面舞踏会の会場から忽然とさらわれてしまう。しかも犯人はポーに対し、一連の事件を小説にして新聞に掲載すれば、今後出てくる死体にエミリーの居場所のヒントを残してあげようと戦慄の挑戦状も用意していた。為す術なく、犯人の要求に従い原稿を書くポーだったが…」
ポーが小説で書いた殺害方法による事件がつづく。しかも、次の現場を予告するようなメモが見つかって、犯人の意のままに翻弄されていく。なるほど、とは思う。けど、それって何のため? と冷静になって考えると、分からなくなる。一応、ラストで犯人とポーが対峙する場面があるんだけど、そこで犯人が「理由を聞け!」とポーに怒鳴るぐらいなのだ。つまり、犯人ははっきりとはしゃべっていない。犯人がポーの作品に入れあげているのは分かるけど、ではなぜあのような行動に? 最近、作品を書かないポーに、究極の作品を書かせるため? ううむ。説得力が足りないんじゃないのかな。
『モルグ街の殺人』のような殺害・逃亡方法は、もの凄くリスクを伴う。振り子の大鉈も、あんな大仕掛けにいくらかかると思ってんだ。っていうより、あんな歯車や大鉈を発注して組み上げさせたら、バレるだろ。劇場の裏方の件については、意味不明。あれは、作中の船の名前からの連想だっけ? で、あの元船員は次の教会の位置を知らせるためだけに殺された? そのために犯人は劇場に忍び込んで元船員を殺害し、舌を抜き、女性の衣装を着せて棺桶に入れ、医学校の解剖教室にもちこんだ? どうやって元船員の背中に、教会の位置を暗示させることができる地図の刺青があると知ったのだ? 舌を抜いたのは、犯人独自の思いつきだったみたいだけど、ポーも「そんなの書いてない」とか言ってたよなあ。で、たどりついた教会では、犯人は二階の屋根から飛び降りて警官をひとり殺しただけ。どういう意味があるんだ? ないよな。しかも、教会にはエミリーの空っぽの墓をつくってあっただけ。エミリーの父親やポー、警官に追われるリスクを犯すメリットはどこにある? ない。で、ポーが犯人に思いつくのは、翌朝の新聞に掲載されている記事を、配達前に読めた人物、と連想できたことによる。笑っちゃうのは、エメット刑事も偶然、髪の毛が磁石に付く理由を、たまたまこぼしたインクが磁石に吸い付くのを見てから。で、そのタイミングがポーが新聞から犯人を割り出したのと時を同じくするというご都合主義。やれやれだよな。
しかも、この連続殺人。ふと考えると、何の罪もない人々がぞろぞろ殺されているわけで、殺される人たちは単なる素材としか扱われていない。あまりにも酷すぎないか? てなわけで、合理性がほとんどない話なので、ひとつも入り込めない。昼食後の見物で、早々に瞼が重くなったのも、むべなるかななのだ。
演出の下手さは、最初の殺人。警官が入っていくと女の死体があり、さらにもうひとつ女の死骸。さらに煙突に少女。殺されたのは3人か。と思ったら、なんと2人。じゃあ女性の2度目のカットは、同じ死骸を角度を変えて見せたということか…。勘違いしちゃうよな。あれじゃ。
エミリーの父親は「大尉」と呼ばれているんだけど、なかなかの恰幅。なのに、大尉。そんな偉くないじゃん。舞踏会を開くぐらいなら、大佐とかじゃないと、釣り合いが取れないんじゃないのか? という疑問。
それと、ポーが死ぬ間際に「レイノルズ」と何度も言うのは、なんのこっちゃ。犯人のファーストネームがレイノルズ? そんなことより、聞き慣れてる名前で呼べばいいじゃないか。それと、ラストシーン。フランスに逃亡した犯人を、刑事が馬車の中で待ち受けて射殺するんだけど、犯人がどの馬車に乗るかなんて、わからんだろ。どうやってあの馬車に誘導したんだ? それに、いきなり射殺とは…。
石田泰子の字幕がよくなかった。文字数が多く、くどい。もっと短く的確にやれそうなのに、律儀に長い。だから読み切れないところもでてきた。最初の殺人も『モルグ街の殺人』とはなっていなかったよな。なぜだ?
推理作家ポー 最期の5日間10/15新宿ミラノ2監督/ジェームズ・マクティーグ脚本/ハンナ・シェイクスピア、ベン・リヴィングストン
寝ちゃったところを再確認。のつもりだったけど、結局、最後まで見てしまった。面白かったからじゃない。話の流れを確認するため。おおむね、飽き飽きしつつ見ていた。
で、舞踏会の誘拐シーンだけど、ありゃないだろ。あんな誘拐方法、成功するはずがない。だいいち、誘拐シーンと逃亡シーンを映していない。いい加減にもほどがある。
刑事がインクをひっくり返して気がつくシーン。1回目は何のことやら? だったんだけど、インクが黒四角の物体に寄っていってるのね。なるほど、ポーが参考人で呼ばれたときの「なぜ髪の毛が磁石に…」の伏線が解かれているわけか。ここでやっとわかったよ。それにしても分かりにくい見せ方だな。
Wikiで見たら、「死の前夜には「レイノルズ」という名を繰り返し呼んでいたが、それが誰を指しているのかも分からなかった」と書いてあった。これを知っている人には、なるほど、な展開なのか。知らない俺にはさっぱりだった。
そういやあ、ペットのアライグマ(?)はどうなったんだろう…。
アイアン・スカイ10/22新宿武蔵野館2監督/ティモ・ヴオレンソラ脚本/マイケル・カレスニコ、ティモ・ヴオレンソラ
原題は"Iron Sky"。フィンランド/ドイツ/オーストラリア映画らしい。allcinemaのあらすじは「2018年、再選を目指すアメリカ大統領の人気取り政策によって月面へと送り込まれた黒人モデルのワシントン。しかし彼がそこで見たものは、月へと逃亡したナチスの残党によって築かれた第四帝国の秘密基地だった。彼らは着々と軍備を増強し、地球侵略の機会を窺っていた。そんな彼らに捕らえられ、月面ナチス軍のガイド役を務めさせられるワシントンだったが…」というもの。だけど、前提となる設定がよくわからなかった。セリフなんかで説明はされてるけど、大統領再選とか宣伝プロジェクトとか、はっきり語られてない。公式サイトで分かったんだけど、あの女=ヴィヴィアンは大統領の広報官なのか。宣伝会社の社長? 宣伝担当員? どういう位置づけ? と首をひねっていたよ。あと、大統領関連でてきたのは国務長官だっけ? あれも、最初からはっきり紹介すればいいのにね。しかし、大統領周りのスタッフがショボ過ぎるよな。
しかし、感想といってもなあ。あら探しで終わっちゃいそうだ。そもそもナチはどうやってドイツから月へ逃げ出したんだ? そんな科学があるのに、技術は1945年で止まってる? ってのがおかしい。ビルには歯車があふれ、コンピュータも真空管? それに、ちょくちょく地球を偵察に来ていたようなのに、地球の技術は持ってかえっていない。月でのエネルギーはヘリウム3なの? それにしても、一般人が生活している空間はどうなっているんだろう?
ナチが地球を征服、は面白い。しかし、先遣隊で向かった連中が、なんと大統領の宣伝担当になっちっゃて…という件は、ちょっと呆気なさ過ぎ。ナチならではのプロパガンダの巧みさで…は少し表現されてるけど、もうちょいドラマをつくりこんで欲しかった。アドラーの目的は地球侵略、大統領の抹殺、じゃなかったの? と思ってしまうではないか。そのアドラーの恋人だったレナーテの心変わりも、なんとなくなので、いまいち「なるほど」感がない。月のナチじゃ10分だった「独裁者」が、地球では2時間。それ見て、ナチは悪と悟ったわけでもあるまい。そこにウォルフガング総裁がやってきて…って、攻撃前に地球に乗り込んじゃうのって、ありか? さらに、広報官ヴィヴィアンの行動、レナーテの父親のリヒター博士の思惑など、分かったようでよく分からない。ハチャメチャと呼ぶにはぶっ飛んでもいないし、交通整理が下手なんじゃないのかな、この監督。
宇宙船の名は「神々の黄昏」、地球攻撃のときのワーグナーは「地獄の黙示録」? リヒター博士は「博士の異常な愛情」…。もちろん「独裁者」があり、「2001年宇宙の旅」や「スター・ウォーズ」もある。黒人が白人になる設定も、チャップリンにあったような…。いろんな映画の断片が詰め込まれていて楽しいけど、あまりに生っぽく出されてしまっていて、情緒がなさすぎかも。
ナチを肴に、アメリカをおちょくっているところは楽しい。女性大統領が「一期目で戦争すると再選される。だから、いつか戦争しようと思ってたの」と言ったり、各国が宇宙での軍事活動をしてると憤ったり。でも、米国もしてたことが分かっちゃうんだけどね。それに、月にヘリウム3があると分かると、「月は米国のもの。だってアメリカ国旗が立ってるじゃない」とかいいだしたりする。あと、北朝鮮。各国が円盤について「うちじゃない」といってるのに、「あれは北朝鮮が開発したもの」と自慢気に嘘をつく。笑える。
ラスト。地球の爆破を狙ったアドラーは倒れる。ワシントンとレナーテは「神々の黄昏」号から逃れるんだけど、リヒター博士は置いてきぼりなのか? 黒人のワシントンと白人のレナーテが愛し合うという結末は、ナチへの皮肉だろうけど、これもナマっぽすぎ。それにくらべて、エンドタイトルの映像がいまいち分からない。一部が欠けた月があり、カメラが引いていくと地球。その地球のあちこちで爆弾が爆発…というのは、宇宙での軍事制限が守られていなかった、というのが伏線になっているのか? でも、そんなことで世界大戦が始まるっていうのもなあ…。さらにカメラが引いていくと月が光り出すんだけど、月が爆発したのか? それとも、単に太陽光を反射しているだけ? さらにカメラが引かれると、赤い星に人工衛星が。これは火星? ううむ。よく分からない。
レナーテ役のユリア・ディーツェは、最初はオバサンっぽいんだけど、だんだん可愛くなっていく。逆にヴィヴィアンは、だんだんオバサン顔になっていく。白人薬で白くさせられたワシントン。どうみても黒人の骨格ではないんだけど、本人が白塗りしてるのか? 別人に見えてしまった。
バイオハザードV:リトリビューション10/23新宿ミラノ3監督/ポール・W・S・アンダーソン脚本/ポール・W・S・アンダーソン
原題は"Resident Evil: Retribution"。日本では「バイオハザード」シリーズの第5作。公式サイトのストーリーは「アンブレラ社が開発したT?ウィルスが蔓延し、地球はアンデッドに覆い尽くされようとしていた。人類最後の希望であるアリスは、アンブレラ社に囚われ、ある極秘施設の中で目覚める。アリスはその巨大な施設から脱出しようとするが、気がつくと東京、ニューヨーク、モスクワなどの壊滅したはずの都市に移動している。実は、その施設には、世界を覆す驚くべき秘密が隠されていた。しかも、全ての背後には、アンブレラ社をも裏切った最凶の黒幕が・・・・・・。元仲間がアリスを攻撃し、かつての敵が手を差し伸べる。アリスは誰を信じ、何を疑えばいいのか?最終決戦に向けて、アリスの壮絶な戦いが始まる!」というもの。
冒頭は前作のラストシーン? 追いつめられたアリスが船上から水中に沈むシーンの逆回し。で、第1作からの経過を大まかに復讐。これから登場するキャラも登場して、とても親切。で、気がついたアリスは平和な家庭の妻として目覚める…? ぬぬぬ。どういうことだ? と思っていたら感染者ゾンビが襲ってきて、娘とともにレインのクルマで逃げるのだけれど、事故。家に戻るが、夫がゾンビ化して! で、またもや目覚めると無機質な部屋。しかも、シリーズのお約束のように、素裸に布2枚。操られるジルが登場し、アリスを拷問する。…でも、何を言わせようとしてたんだっけ。忘れた。が、突然システムダウンし、ジルも兵士たちも動きが止まってしまう。再起動まで1分30秒…。と、閉じ込められた部屋の引き出しがあき、そこにアリスのための戦闘スーツが…! 着用して外に出ると、そこは東京。ゾンビに襲われ逃げ帰ると、部屋の兵士たちは射殺されていて、そこに中国女ウォン。さらに、モニタにはウェスカーが写る…。なんだか知らんが、アリスを救い出すためウェスカーがウォンと、さらに外部から屈強の男たちを派遣しているらしい。アリスが囚われている施設はカムチャッカにあり、アンブレラ社が生物兵器を研究するためにつくった施設。東京の他にニューヨーク、モスクワなどがあり、それらを抜けて外部に行かなくてはならない。アリスとウォンはモスクワを目指し、男たちも外部から合流地点を目指す。途中でレインと娘に出会い、男たちとともに出口を目指す…。
まさにダンジョンを通過し、ボスキャラを倒し、次のダンジョンへという展開で、ゲーム感覚たっぷり。平和な家庭のアリスは? という疑問も、研究用のクローンだけでつくられた仮想の町で、レインと娘もクローンだってことが分かる。まあ、この辺りの展開もよくあるっちゃそうなんだけど、上手くまとめられてて、次へと引っぱっていってくれる。それと、男たち5人も次々に命を失っていき、最後に生き残るのは1人だけ。ラストのアリスとジルの対決も、ジルの巨大な胸のブローチを引きはがすと正気に戻って解決。やっぱりなあ。変だと思ってたんだ。というような案配で、アリス、正気に戻ったジル、ウォン、男1人とワシントンのホワイトハウスへ向かう。と、そこには大統領となったウェスカーがいて…。とつぜんアリスに注射すると、アリスが超活発になってしまう! という、何だかわけの分からん展開。ウェスカーに促されて屋上に出ると、塀に囲まれたホワイトハウスの周囲はゾンビでいっぱい! 次回をお楽しみに、ってことになる。
アンブレラ社はなぜさっさとアリスを殺さないのか。アリスだけがウィルスに適合して生き延びているから? でも、だったら、「生け捕り、または、抹殺してもよい」なんてレッド・クイーンが命令をだすのだ? なんでウェスカーが大統領になってて、アリスを救出しようとするのだ? あんなにゾンビばっかりなのに、どうやって救出班はカムチャッカまで行けたんだ? 施設のコンピュータをどうやって再起動させたのだ? その他その他の疑問がたくさんあるけど、そういうのはどーでもいいや。アリス=ミラ・ジョヴォヴィッチのスタイルの良さ。華麗なアクション。ウォン=可愛いリー・ビンビンのキリッとしたアクション。ジル=シエンナ・ギロリーの色っぽいアクション。レイン=ミシェル・ロドリゲスのふてぶてしくも逞しいパワー。こういうのが見られたら、もう他に望むものなし。どんどんやってくれ、いう気分になってしまう。
わが母の記10/24ギンレイホール監督/原田眞人脚本/原田眞人
井上靖の自伝小説が原作。allcinemaのあらすじは「ベストセラー作家の伊上洪作は、幼少期に自分だけが両親と離れて育てられた経験を持ち、“母に捨てられた”との気持ちが拭えないまま今もなお深い心の傷となっていた。そのせいか、自分の娘たちには必要以上に干渉してしまい、反抗期の三女・琴子は洪作への反発を強めていた。一方、母・八重は父の死後、洪作の妹たちが面倒を見ていたが、次第に物忘れがひどくなっていく。やがて、そんな八重を洪作が引き取ることになるのだが…」
2時に歯科医だったので、まだ薬が効いていた。ちょっと朦朧。なので、20分ぐらいで沈没し、30分ぐらい寝ていたかも。まあ、多少眠くてもヒキがあれば寝ないのだから、この映画はその程度のものなのかも知れない。見はじめて、ごちゃごちゃ感が否めなかった。やたらと女性が登場し、それが家族のどういう位置づけなのかがぱっと分からない。きっちり説明するのではなく、シーンの積み重ねで理解させていこうという腹づもりなんだろうけど、セリフが聞き取りにくいこともあって分かりづらいのだ。
最初の方で、伊上洪作は妹たちに「自分だけ置いていかれて…」とかいうけれど、妹たちは「兄さんは仕合わせだったわよ」なんて言い返される。捨てられた、という思いはそんな程度なのか? なんて思っているうちに眠っていた。気がついたら母親はボケが進行していて、その母親に翻弄されまくりの後半。しかし、娘たちはいるしお手伝いさんもいる。そんな家庭なのだから、貧乏屋にボケ老人の悲惨さはない。しかも、ほとんど妹らに母親を預かってもらっていたというではないか。なんだ。長男なのに。なんていう気分になってしまった。
「わが母」とタイトルにあるから、主人公で作家の伊上洪作視点の話かと思ったら、洪作の娘・琴子視点&ナレーションだったりする。ここでもねじれが感じられてしまって、素直に話に入り込めず。母親に捨てられたという思いがあるなら、さっさと聞けばいいじゃないか、と思ってしまう。また、琴子視点の話と考えると、それは世間知らずのお嬢様の話でもあるわけで、別に共感できるようなところがあるわけではない。まあ、裕福な一家の贅沢な悩みみたいな気がしてしまうのだった。
トゥモロー・ワールド10/29キネカ大森2監督/アルフォンソ・キュアロン脚本/アルフォンソ・キュアロン、ティモシー・J・セクストン
原題は"Children of Men"。原作の題名が「人類の子供たち」というらしい。allcinemaのあらすじは「人類に最後の子供が誕生してから18年が経過した西暦2027年。原因がわからないまま子孫を生み出すことの出来なくなった人間には滅亡の道しかないのか。希望を失った世界には暴力と無秩序が際限なく拡がっていた。世界各国が混沌とする中、英国政府は国境を封鎖し不法入国者の徹底した取締りで辛うじて治安を維持している。そんなある日、エネルギー省の官僚セオは、彼の元妻ジュリアン率いる反政府組織“FISH”に拉致される。ジュリアンの目的は、ある移民の少女を“ヒューマン・プロジェクト”という組織に引き渡すために必要な“通行証”を手に入れることだった。最初は拒否したものの、結局はジュリアンに協力するセオだったが…」
始めのうちは、もやもやしてた。というのも設定や背景がアバウトすぎてよく分からないからだ。なぜ子供が生まれないのか? 各国が崩壊し、難民がイギリスに向かっているのはなぜ? 反政府のフィッシュって、難民を受け入れないから戦ってるのか? 難民はどうなっちゃうの? 元革命闘士のセオが官僚として働けているのはなぜ? ヒューマン・プロジェクトってなによ? ジュリアンは、どうやって懐胎した少女と出会ったのか…とか、基本的なところがうやむやなまま話が進んでいく。それらは最後まで結局アバウトなままで、詳細は分からない。なのだけれど、途中からそういうのはどうでもいいや、という気分になってきた。次第につたわってくる濃密な空気感、リアルな暴力描写、そして、最後の市街戦の長回しとその圧倒的な迫力の前にひれ伏してしまった感じ。街の荒廃した様子など、日本だと絵の具を塗ってさっきつくったゴミをばらまいてオシマイな感じだけど、本当に風雨にさらされ蹴飛ばされ汚れ錆び反吐がこびりついたようなみたいに見えるのが凄い。
キリスト教は詳しくないので自信はないのだけれど、下敷きになっているのは聖書ではないのかな。終末論、そこに登場するキーという難民の黒人娘。「処女よ」と茶化して言っていたけど、処女懐胎・マリアではないか。巻き込まれながらマリアを守るセオは、キリストの弟子? 難民キャンプでも、キーとセオを守る女がいるけど、あれも関係ありそう。そして、最後は小舟で大洋にこぎ出す…。なんとなく、聖書にでてくる話のように思えるんだけどね。
動物がたくさん登場する。ジャスパーの家でなつく小猫、フィッシュの隠れ家でなつく犬、廃校で鹿、難民キャンプで現れる羊の群れ…。まるで、方舟に乗るためについてくるみたいに思える。セオは、ノアか? 鹿は聖書によく登場する動物だというし、「ディア・ハンター」にも狙われる標的として登場してたよな。赤ん坊を見て跪く兵士…。こりゃもう、キリストの誕生ではないのか。
元妻のジュリアンが接触してきて、通行証をなんとかしてくれと頼まれる。…20年会ってない妻。2歳の息子がインフルエンザで死んだから別れた? でも当時は2人とも革命闘士。一方は反政府勢力フィッシュのリーダー。方や官僚。いくらセオの従兄弟が大臣だからって、ありか? むしろ、警察の監視が付くんじゃないのか? というような疑問も湧いてしまう。で、危険を冒して通行証を手配してやる理由はなんだろう。従兄弟の大臣室が面白かった。折れた足を鉄柱でつないでいるダビデ像、居間(?)には「ゲルニカ」。セオは「将来、鑑賞する人もいなくなるのに、なぜそんなものを集める?」なんて言う(追いつめられたナチが美術品にこだわる「大列車作戦」を連想させるね)。滅亡しつつある人類に、まったく希望もなにももっていないらしい。窓の外には豚のバルーン。同席している青年は、指先にキーボードがついた装置で、何やら懸命に入力している。意味ありげなモノたちが登場し、いわくありげな世界をつくっている。音楽も、キング・クリムゾンだったりして時代と文化を感じさせてくれる。
文化といえば、ドラッグカルチャーも登場。セオの友人(セオの母親について「気の毒に」とかいってたセリフがどっかにあったので、ジャスパーの奥さんがセオの母親? と一瞬思ったんだけど、よくわからなかった)なのかな、ジャスパーは麻薬の生産・売人? アルツハイマーみたいな奥さんと暮らし、60年代ドラッグカルチャーに影響されたような生活をしている。難民キャンプの監視員に上質のマリファナを売っているとかで「逃げるなら難民キャンプに潜り込め」と助言するんだけど、潜り込んだ後、どうすればいいと思っていたんだろう? あんな市街戦になるとも思っていなかったろうし。小舟で外洋に出ることまで知ってたのか?
そういえばキーは、生まれてくる赤ん坊の名前はフローリー(だっけ?)にするとといっていた。なのに生まれると「女だからバズーカにする」といい、でも「男でも女でも使えるからディランにする」といっていた。このディランは、ボブ・ディラン? そういえば、レノンとマッカートニーとか、ペアとなる名前をジャスパーの家で話していた…。ポップカルチャーも影響してるんだろうな。音楽がそうだったし。
暴力描写のリアリティは、凄っ、だね。まずは冒頭でのコーヒーショップの爆発。テロか。いきなり人間が吹っ飛ぶ。CGだろうな。セオがフィッシュのジュリアンやルーク(黒人のリーダー格)、助産婦のミリアム、キーらと逃走中、火だるまのクルマに道をふさがれ襲われるとき、バイクの追っ手をクルマのドアではじき飛ばすんだけど、あれもCGかな。そういえばテレビでは襲撃したのは警察だと言っていたけど、実はフィッシュだったと分かる。ジュリアンの和平策を嫌った連中の仕業らしい。ってことはルークが手配した? でも、警察との関係は? 出来レースだったのか? よく分からない。
難民キャンプでフィッシュとイギリス軍が市街戦になる。赤ん坊をかばいつつ逃げるセオとキー。でも赤ん坊をルークに奪われ、追うセオ…。の過程が超長回し。いつのまにかレンズに血しぶきがこびりついてる(Wikiによるとこの血痕はCGとなっている。でも町山智浩のアメリカ映画特電を聞いたら、監督が「偶然だ」と話していたという。どっちなのかね)。ほとんど継ぎ目なく建物の中に入ると、血痕がなくなる…。あれ? いつのまに。しかし、この市街戦のシーンは凄い。
難民キャンプでセオとキーを救う女は、ユダヤ人? 似たような設定は聖書にないのかな。小舟でマリアとキリストを救い出すような場面は…。そういえば、人類の起源はアフリカで誕生したと言われていて、それは当然ながら黒人なのだろう。2027年、人類の新たな歴史も黒人の胎内から始まったわけだ。その新しい命を守ることが運命づけられていたのだろうかね、セオは。はるか昔に子供を失った男が、未来に向かう子供を救う。
CGといえば、ジュリアンとセオがクルマの中でピンポン玉を口でキャッチしあうんだけど、「タンポポ」の生卵を連想させてくれて、少しだけ官能的。そのジュリアンは仲間に殺されてしまうんだけど、儀式は行なわれても埋葬されていなかった。どうしてなのだろう。そういえば、あの時代の宗教=教会はどういう立場になっていたのかね。
難民キャンプでばらばらにされてしまった助産婦のミリアムは、どうなったんだろう?
クレジットの最後の方に東宝東和の名前が横文字であったけど、製作に関与しているのか?
キーの出産シーンで一瞬マンコがみえる。「無ケーカクの命中男」との併映は、マンコが見えるつながりか? 簡単に生まれ過ぎとの意見もあるようだけど、いいんだよ、神の子なんだから。/TD>
無ケーカクの命中男/ノックトアップ10/29キネカ大森2監督/ジャド・アパトー脚本/ジャド・アパトー
原題は"Knocked Up"。「妊娠させる」という意味らしい。ひょっとしたら…と思ったらやっぱり。見てた。録画したのを1〜2年前に見てる。でも詳細は忘れてた。まあいい。allcinemaのあらすじは「23歳のベンは、おバカな仲間たちと共同生活をしながら自堕落な日々を送る無職のダメ男。一方TV局で働く24歳のアリソンは、番組のレポーターに抜擢され昇り調子のキャリアウーマン。そんな2人はバーで出会い、お酒のせいで意気投合、酔った勢いでそのままベッドイン。翌朝、我に返り一夜の過ちと、さよならした2人だったが、8週間後、アリソンの妊娠が発覚する。思わぬ展開に混乱しつつも、出産を全力でサポートすると誠意を示すベンだったが…」
おバカなコメディ。「ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン」の監督なのか。「40歳の童貞男」も…。しかし、この監督の映画の邦題は、バカみたいなのばっかだな。この映画も邦題で損をしてるんじゃないのかな。結構フツーに女性も楽しめる仕上がりだと思うけど、この邦題じゃヤリチンバカ男の話に思われちゃうよな。アリソン役のキャサリン・ハイグルがまだ本編に出だして間もない頃だったから、こんな扱いなのかな。
まず、長い。129分はいらん。1時間過ぎる頃から飽きてきて、ちょっと辛かった。100分未満にしてくれ。
で、この話、すべてが上手くいきすぎで、困難を克服するという映画としての基本敵命題がない。たとえばアリソンは地方局の下働き(?)だったのが、どういうわけか出る側に抜擢される。その祝いだと姉とクラブに行って、であったベンとなぜか意気投合してその夜にセックス…って、ベンにとって話が上手すぎる。あるのは、ベガスから戻っての2人のケンカ。それと、姉夫婦の浮気疑惑事件のみ。どっちもたわいなさ過ぎる。
そもそもアリソンはなぜまともな彼氏がいないの? テレビ局勤めなら、いくらでも遊び人が周囲にいるだろうに。セックスに飢えたあの様子はなんだ? その後もアリソンはベンを毛嫌いせず、まともに対応し、子供を産むことにし、結婚まで承知する。アリソンの姉も、姉の亭主も、アリソンの母親もみな物わかりがよく障害にならない。ベンにとって話がうまく行きすぎだ。そんなのつまんないよ。
働くの嫌いでセックスと葉っぱと映画が好きなデブのオタク、ベン。「あんたの子なんか!」と罵倒され嫌われ足蹴にされるのを乗り越えてアリソンの顔を自分に向けさせ、愛を勝ち取るところが少しはないと、話にならないと思うぞ。
というわけで、本筋より会話やエピソードの方が楽しかったりする。ベンの仲間たちとメグ・ライアンのオッパイが見える映画は、とか話していたり、下ネタ満載。アリソンの姉の亭主と「ドクがデロリアンでタイムスリップ云々」と、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のタイトル名を出さずに話し合ったり、映画ネタもどっさり。他にも連ドラのタイトルが出てきたり、知ってる人はそこで笑えるんだろうなという小ネタが満載。あと、アリソンが映画祭のインタビュアーとなり、ジェシカ・アルバ、エヴァ・メンデス、エヴァ・メンデスなんかにインタビューしたり。きっと、笑いのツボを半分も分かってないんだろうなあと思ったりする。
あと、出産シーンでマンコが見える(陰毛はないんだけど)のも見どころ? 「トゥモロー・ワールド」の出産シーンでもマンコが見えるんだけど、これつながりでの2本立てなのかな。
くろねこルーシー10/31ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/亀井亨脚本/永森裕二
allcinemaのあらすじは「迷信を必要以上に気にする売れない占い師の鴨志田賢。妻子とは別居中でわびしい一人暮らしの身。そんなある日、軒下で親猫に置き去りにされた生後間もない2匹の黒猫を発見する。縁起が悪いと困惑しながらも、そのまま放っておけずに渋々ながらも飼うことに。ところが仕事場に子猫を連れて行ったところ、“くろねこ占い”として評判となり…」というもの。でも、話がつまらなく中味がない。だからどうしたレベル。しかも不自然がいっぱいで、もっぱらツッコミをいれながら見ていた。
セリフがくどい。最初、自転車を押している鴨志田賢がクロネコに気づき「前を横切るなよ」とつぶやくシーンがある。こんなセリフ、まったく要らない。他にも説明ゼリフが山のようにある。調べると監督はテレビとOVが多いらしい。映画的なホンの書き方、演出が分かってないのだろう。演出のテンポ、編集のキレがないのも同様か。ムダを省いて映画的に必要なカットだけを選択したら30分ぐらいに縮まるかもい。
・現在から過去へ、の冒頭の時代移行が分かりにくい。別の話が同時進行かと最初、思っていたぐらいだ。
・猫の生態がいい加減。アパートの外のバケツに子供なんか生まない。小猫にしては大きすぎる。勝手に人間のいるところに入って来ない。基本的に猫は家に付く。人にはあまりなつかない。だから、アパートから勤め先、実家へとああ頻繁に移動されては混乱するはず。しかも、寝ないではしゃいでばかり。カラスが小猫を襲う? そんなことあるのか…? 金魚を襲わない猫…あり得るのか? 外に連れていくと、猫は逃げようとする。中には人について逃げない猫もいるだろうが、フツーに考えて不自然。鴨志田賢は猫にエサをやり「食べたら出てってくれよな」という。あほか。エサをやるから離れなくなるのだ。
・猫を飼わざるを得なくなった理由が分からない。察するに、好かれたから? では鴨志田賢は猫が嫌いなのか? その辺りが分からない。嫌々飼ってるとして、働き先のペットショップのケージに預かってもらってたら、欲しい人がでてきたというではないか。じゃあ、売ってもらうか貰ってもらえばいいいじゃないか。それをせずに保健所を考えるのはおかしい。
・そもそも占いに黒猫。ぴったりじゃないか。魔法使いの使者として丁度いいとは考えなかったのかね。
・占い師といいつつ人生相談しかやってない。あの、引きこもりの娘も何の伏線にもなってなくて、途中で消えてしまう。下手なホンである。
・いよいよ仕方なく猫を占いの現場に持ち込むが、商売の邪魔になるのではないかと考える。あほか。時代からいっても1980年代の後半でバブル期のはず。ペットが占う、なんていったら、それこそキャラが立つに決まってる。そこに考えが行かないという設定にはムリがある。そもそも、猫が迷い込んできたその日にピンときて「猫占いだ」と発想するぐらいは当たり前。むりやり猫を邪魔者あつかいし、話を引き伸ばしているとしか思えない。
・冬なのにストーブをつけて、なのに窓を開けて寝ている。バカかお前は。炬燵がけ布団をかけない理由は何だ?
・最後、占いで生きていくと決めると、女房から戻ってきてもいい、と言われる。その理由がわからない。また、ペットショップの一角に占いコーナーを設け、タイアップしたようだが、動物愛護協会の営業禁止勧告はどうクリアしたのだ?  ・ルーシーが元の飼い主である生瀬勝久のところへ行くのはなぜなんだ? やっぱり懐かしいから? まあね。猫は何軒にも飼われているともいうし。しかし、猫が徒歩で行けるってことは、半径500m圏内だよな、多分。いったんは「うちのじゃない」といいながら、やっぱり…女房を説得するから、と言いに来るのは、なんとも不自然。
・息子が占いを職業にしようとした理由も分からない。息子が売れない占い師である理由は? そんな占い師と結婚しようとした京野ことみもアホだろ。
・そもそも塚地武雄の女房が安めぐみというのが、あり得ないだろ。女房も、いくら亭主がリストラで占い師になったからと別居を言い渡す、というのも不自然。しかも、息子が父親に素っ気ないのも不自然。なんでだ?
・この映画の唯一のギミックと言えば、息子の嫁(京野ことみ)がかつて鴨志田賢に占ってもらっていて、そのときの煮干しの頭を後生大事にもっていた、ってことぐらいかね。
・濱田マリが北陸へ行く場面、カメラがぐらぐら揺れている。なぜ撮り直ししなかったのだろう?
・登場する過去は1980年代後半として、25年後ぐらい。で、ルーシーの子供のルーとスーの2匹の猫が生きているという設定だが。20年以上生きる猫なんて、そうザラにはいないぞ。
・オープニングタイトルに、横文字でキャスト&スタッフは読みにくい。意味のないカッコづけだ。そんなのより、エンドロールの出演者に、役名を付け加えて欲しい。
・塚地武雄、ただいるだけ。安めぐみ、セリフ棒読み。つみきみほ、老けた。大政絢、ちょっと可愛かった。

 
 

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