2012年11月

エクスペンダブルズ211/1MOVIX亀有シアター8監督/サイモン・ウェスト脚本/リチャード・ウェンク、シルヴェスター・スタローン
原題は"The Expendables 2"。allcinemaのあらすじは「軍用銃のエキスパートであるバーニー・ロス率いる少数精鋭の凄腕傭兵軍団“エクスペンダブルズ”。今回CIAのチャーチが彼らに持ち込んできたミッションは、バルカン半島アルバニア領の山脈に墜落した輸送機に積まれていたデータボックスの回収というもの。エクスペンダブルズにとっては簡単な仕事だったが、ミッション完了の直前、残忍なヴィラン率いる謎の武装組織が現われ、データボックスを横取りされた上、大切な仲間の命も奪われてしまう。怒りに燃えるバーニーたちエクスペンダブルズの面々は、仲間の仇をとることだけを胸にヴィランの行方を追い始めるのだったが…」
ひねりも裏切りもオチもない、どストレートなストーリー。ただ大御所がでてくるだけ。スタローンメインでステイサムが相手役、ブルース・ウィリスとシュワルツェネッガーはゲスト扱い。ドルフ・ラングレン、テリー・クルーズ、ランディ・クートゥアは完全に小物の脇役扱い。ジェット・リーに至っては、冒頭の活躍(いつのまに飛行機が? シュワちゃんはどこへ逃げたの? 狙撃のリアム・ヘムズワースは、どこで合流した? というツッコミを入れたくなるね)だけで主となるミッションには登場しない。ラストでも合流しない。チャック・ノリスが割りといい役で、ジャン=クロード・ヴァン・ダムがオイシイ敵役を演じてる。ユー・ナンは女だから目立つのは当然として、悩める青年役のリアム・ヘムズワースはすぐ死んじゃうし…。
マジで現実にふれるセリフがたくさん。シュワちゃんには「ターミネーター」「I'll be back」「戻るばかりいってんじゃねえ」とか。スタローンには「ランボー」「ボクシング習え」。ドルフ・ラングレンには「賢い理科系」「フルブライト」とか。気がついたのはそれぐらい。もっとあって、きっと、そういうのが笑いどころだったりするんだろうけど。
しかしなあ。プルトニウムを狙うヴァン・ダム一味(普段は何やってる連中なんだ?)も、エクスペンダブルズを一網打尽にできたのにしない、というのはいくら映画でも変だよな。この手の映画は、いつもこの展開。正義の味方は敵に捕まっても殺されない。こういう話はつまらんよ。
冒頭のアクションも、後半のアクションも、エクスペンダブルズは誰も死なず、敵は簡単に死んでいく。お約束だろうけど、ううむ。つまんねえな。だから、後半は眠くなった。いくら大御所がでてるからといってもね。それにしても、ヴァン・ダム一味はプルトニウムを一般の輸送機に乗せて海外に運ぼうとしていたのか?
シャドー・チェイサー11/3シネマスクエアとうきゅう監督/マブルク・エル・メクリ脚本/スコット・ワイパー、ジョン・ペトロ
原題は"The Cold Light of Day"。allcinemaのあらすじは「休暇中の家族と会うためスペインへとやって来たアメリカ人青年ウィル・ショー。父マーティンとのぎこちない再会を終え、家族と合流する。しかし翌日、家族でクルージングを楽しむ中、ふとしたトラブルから中座した彼が再びクルーザーに戻ってくると、家族の姿が忽然と消えていた。慌てて地元警察に駆け込むウィルだったが、今度は彼が警官に襲われる事態に。するとその窮地にマーティンが現われ、ウィルを救い出す。そしてマーティンはウィルに対し、自分がCIAの工作員であることを告白し、そのせいで家族は何らかの陰謀に巻き込まれたことを告げるのだったが…」
ブルース・ウィリスとシガニー・ウィーヴァーが主演格かと思ったら、息子ウィル役のヘンリー・カヴィルが主演。マーティンのブルースは早々に死んでしまい、シガニーは何と悪役だった。ヒロインとなるルシア(ベロニカ・エチェーギ)もひどい扱いで、他の役者もほどんど中途半端な扱い。そもそも話がよく分かんないしね。分からないなりに最後には収拾をつけるのだろうと思っていたらさにあらず。放り出しっぱなし。「?」「?」「?」「?」「?」ばかりが残ったのだった。
・なぜウィルは「家族が消えた」と訴えに行ったスペインの警察官に追われるのだ? あんな交番にまで手配がまわっていたのか?
・そもそもの話は、モサドがある物件を誰かに売ろうとした。それをマーティン(ブルース・ウィリス)が横取りし、モサドの何人かを殺した。それに怒って、モサドはマーテインの妻、次男、次男の彼女を誘拐した。…マーティンは解放され、スーツケースをもってこいと言われたのか? で、タイミングよく、警察官に暴行を受けているウィルを救った、と。でも、その時点でキャラック(シガニー・ウィーヴァー)は事件発生を知らないわけだから、ウィルの指名手配もできないよな。それとも、モサドはキャラックにも「返せ」と連絡したのか? で、マーティンは奪ったスーツケースを渡した相手であるキャラックに会い、スーツケースを返してくれるように懇願する。のだけれど、キャラックの部下にその場で射殺されてしまう、と。家族の命を救いたいからスーツケースを返せというCIAがいるのか? でも、そんなメンバーを簡単に殺してしまうのがCIAなのか?
・何とか逃げたウィル。米国大使館に逃げ込むと、キャラックのクルマに乗せられる。が、さっさと逃げ出す。ウィルが、キャラックとその部下を信じられない、と逃げる根拠は何だろう? これは、最後に分かること(ウィルも工作員?)と関係あるのか?
・父親の携帯に、モサドから平気で電話がかかってくる。「スーツケースはまだか」と。最後で見せる機動力を考えると、こんなことしてないで、自分たちでキャラックを誘拐すればいいのに、と思ってしまう。
・父親の携帯に残る着信。それを頼りに、ある事務所を訪ねる。若い女性がひとり。と、そこにキャラックの部下がいて、ウィルを待ち伏せていた。ウィルは間一髪、その部下を殺して、娘ルシアと彼女の叔父の家に行く。いくと叔父の死体があり、キャラックと部下がいた。間一髪、屋上から逃げるとき、ウィルは脇腹を撃たれる。のだけど、着信を残すCIAってのもなあ。で、この叔父、なぜ殺されなくてはならなかったのか、理由は最後まで分からず。油断してウィルと撃ち合うことになるキャラックと部下もアホ。
・傷は、ルシアの友人の医学生に手当てしてもらい、ウィルはモサドとの約束の場所に行く。…この間に、ルシアの母親がマーティンの愛人で、ルシアは妹だと分かる…って、おいおい。モサドに拷問されるが解放され、銃も戻される。で、ルシアの友人の働くパブへ行き、ルシアと再会。…この店に、キャラックの部下が忍び込み、捕まってボコボコにされる。部下は何しに、それも1人でやってきたのだ? 部下を故意に逃げさせ、ウィルとルシアが追う。部下はキャラックと合流し、スーツケースを売るらしい地下駐車場へ…。って、キャラックはスーツケースを上司に渡していなくて、それを誰かに売ろうとしていたのか? ってことは、CIAでありながら私利私欲に走ったということ?
・キャラックは誰か分からん相手にスーツケースを売ろうとしている。接近するウィルを、モサド一派が制止する。音が発生して、キャラック一味は買い手を一網打尽。金もスーツケースももって逃げようとする。逃げるキャラックを追うウィル、モサド? カーチェイス。でも、何が何だかさっぱりわからない。短いカットが切れ切れに早くつながれていて、ほとんど意味不明。最後のキャラックのクルマとウィルのクルマとの関係も何が何だか分からない。ウィルのクルマはひっくり返り、助手席のルシアは気絶してる? でもそれは無視して、わらわらと街中に現れたモサド一派と共にクルマの中…。なんなんだ?
・で、誰か知らない相手からパスポートを返してもらっているウィル。「これで普通の生活に戻れる」とかなんとか言っている。ウィルもひょっとしてCIA? なんかよく分からん。病院。弟とともに、入院中のルシアを見ている。「挨拶してこいよ。妹なんだから」って、ありか? でもって、弟もCIA?
・で、スーツケースはモサドに戻ったのか? CIAはそれでいいの? 単にキャラックの暴走だから? スペイン市街をモサドが退去して武装してうろついてるって、あり?
てな具合で、さっぱり分からない。キャラックはCIA? マーティンにスーツケースを奪わせ、それで取り引きして金儲けしようとしたということ? マーティンやウィルの指名手配は、キャラックが行なった? モサドが売ろうとしていたブツは、なんだったのだ? ウィルや弟もCIA? だとしたら、会社が潰れた云々の冒頭の携帯メールのやりとりは何だったのだ? 舵取りも忘れで弟の彼女にケガさせたりして…。父親の浮気を知って、ウィルたちは驚かないのか? 奥さんだって! 浮気して隠し子がいたCIAって、なんかなあ…。よくわかんねえ映画だったな。すっきりしないいぜ。
屋根裏部屋のマリアたち11/4ギンレイホール監督/フィリップ・ル・ゲ脚本/フィリップ・ル・ゲ、ジェローム・トネール
原題は"Les femmes du 6?me ?tage"。フランス映画。allcinemaのあらすじは「1962年のフランス、パリ。半熟卵のゆで加減にこだわるジャン=ルイ・シュベールは、祖父の代から続く証券会社を経営者する資産家の中年男性。ある日、先代から仕えていたフランス人メイドが妻のシュザンヌに反発して辞めてしまう。そこでシュザンヌは、勤勉と評判のスペイン人メイドを雇うことに。こうしてシュベール家に新たなメイドとして若いスペイン人マリアがやってくる。彼女はメイドの仕事をしながら、同じアパルトマンで働く同郷の個性豊かなメイドたちと狭い屋根裏部屋での共同生活を始める。ある日、その屋根裏部屋に足を踏み入れたジャン=ルイは、トイレが故障していると知るとすぐに修理を手配、マリアたちに感謝される。これをきっかけにメイドたちの交流が始まったジャン=ルイ。すると彼の中で、次第にこれまでの堅苦しい生き方に疑問が芽生えていくのだが…」
ほのぼのコメディに見える。でも実際はフランスとスペインの国家間格差、フランス人のスペイン人に対する蔑視を抜きには語れない。メイド輸出大国フィリピンの若い娘のメイドと、金融トレーダーで豪邸に住んでるオッサン日本人との肉体関係と置きかえてみれば分かる。果たしてそこに純粋な「愛」や「恋」は存在するのか。冴えないオッサンが、フィリピン娘なら「すぐやらせてくれるかも」と思っても不思議ではないし、そのまま結婚しちゃうケースもあるわけだからね。…というのを前提にしないと、ただ笑ってもいられない。
興味深かったのは、アパートの構造。いったいどうなっているのだ? 最初はシュベール氏が建物のオーナーで、女中たちもそこに住んでいる? と思った。でも、なんか違う。思うに、あの時代は女中を雇うのが一般的で、部屋には女中部屋がついている、ということなんだろう。でも同じフロアにあるのではなく、同じ建物の上部に女中部屋が固まっていて、主人家にはその女中部屋につながる裏口がある。また、物置部屋もまとまってある。女中たちは建物上部にある女中長屋から内部階段をつたって主人家の裏口から出入りする。あと、建物の1階には住み込みの管理人がいる…ではないのかな。ふーん。でも、面白い構造だな。
時代背景が、アバウトにしか分からなかった。新聞記事にはドゴールのことが載っている。スペインはフランコ政権が終わっていない。1950年代〜60年代? 後半になってクルマが登場し、60年代かな、と思った。テレビも登場してないしね。しかし、60年代フランスは、マダムは家事をせず買い物かお友達とお食事…という時代だったのだなあ。
スペイン女の女中というのは、出稼ぎみたいだな。故国に亭主や子供を残し、稼いで帰る。でも、共産主義的なカルメンみたいな女性もいて、独裁政権の間は帰国しない、なんていうのもいる。なかなかみなさん豪快だったりする。その他のメイドの描き分けもまずまず、かな。
しかし、シュベール氏があれこれメイドたちの世話を焼くようになったのも、マリアが目当てなのもミエミエ。マリアのシャワー姿を目撃してしまい、欲望を抑えきれず妻に襲いかかるところとか、自宅パーティで雇った派遣ウェイターがマリアに言い寄っているのを見て嫉妬の炎がメラメラ燃え出したり、なかなか笑える。しっかしシュベール氏の奥方も、マダム同士のお付き合い以外に趣味はないのかね。
マリアを演ずるナタリア・ベルベケは、ちょっとオバサン顔だけどなかなか魅力的。でも、慎み深いとは言い切れない。過去に某家主人の子を孕み、寄宿舎に入れられているらしい。でも、マリアの母は、息子の居場所をマリアに教えていない。ま、激しやすい性格なんだろう。でも、あれだけ色っぽかったらフツーに美男子が寄ってくると思うんだけど、心の中には主人をたらしこむ魂胆があるのかも。メイド仲間の、金髪カツラの娘も美容院のオヤジといい仲になり、結婚して奥さまの座を射止めている。メイド仲間からは拍手喝采だったものな。日本でもフィリピンパブやタイパブの娘たちは、日本人の旦那が持てたら、大喜びなのかな?
てなわけで、シュベール氏とマリアは一緒にならないんだろうと思っていた。ところが、いとも簡単に寝てしまう! ま、マリアにすれば息子に会いにスペインに帰る。そしたら二度と会えない。最後だから、ま、いいか、てなところかな。でも、3年後、妻と別れてマリアの面影を求め、シュベール氏はスペインへ。そこで出会ったマリアには、娘がいた・・・。げ。じゃ、別れの前のあの一発でできちゃった? なんか、罠にかかっちゃったみたいな気がしないでもないなあ。でも、まあ、シュベール氏も仕合わせそうな顔をしていたからいいか。ラスト。シュベール氏の顔を見てニコリと笑顔を見せるマリアで終わっていて、その後は想像にお任せだけど、ま、一緒になるんだろう。そうしてたくさん子供をつくって、10年もしたらマリアはでっぷり太っていて。またフランスにメイドとして出稼ぎにでも行くのかな。
ミッドナイト・イン・パリ11/4ギンレイホール監督/ウディ・アレン脚本/ウディ・アレン
原題は"Midnight in Paris"。allcinemaのあらすじは「ハリウッドでの成功を手にした売れっ子脚本家のギル。しかし、脚本の仕事はお金にはなるが満足感は得られず、早く本格的な小説家に転身したいと処女小説の執筆に悪戦苦闘中。そんな彼は、婚約者イネズの父親の出張旅行に便乗して憧れの地パリを訪れ、胸躍らせる。ところが、スノッブで何かと鼻につくイネズの男友達ポールの出現に興をそがれ、ひとり真夜中のパリを彷徨うことに。するとそこに一台のクラシック・プジョーが現われ、誘われるままに乗り込むギル。そして辿り着いたのは、パーティで盛り上がる古めかしい社交クラブ。彼はそこでフィッツジェラルド夫妻やジャン・コクトー、ヘミングウェイといった今は亡き偉人たちを紹介され、自分が1920年代のパリに迷い込んでしまったことを知るのだった。やがてはピカソの愛人アドリアナと出逢い、惹かれ合っていくギルだが…」
途中で、ああそうだ。過去に迷い込む話だったなあ、と思い出した。行き先はジャズ・エイジの1920年代。そしてさらにベル・エポックの時代へも…。アメリカでも懐古趣味が流行っているのか、ギルが書いた小説は懐かしグッズを売る店を経営する男の話。パリでも、かの有名なだれそれが入り浸った…とかいう店を訪れようとワクワクしていた。でも、イネズの知人カップルと出会ってしまい、イネズは彼らの行動に付いていくようになる。…って、しかし、あんな知識ひけらかしな野郎にコロッと参っちゃう女って設定が、どーしたってギルびいきにしてくれるよな。うまいつくりだ。
で、ひとりパリの夜中をうろついていたらクラシックカーに呼び止められ、ジャン・コクトー主催のパーティへ。フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、コール・ポーターらと出会い、小説はガートルード・スタインに見てもらうことになる。ガートルード・スタインのことはよく知らないが、彼女のサロンにはピカソも出入りしている。…昼間は21世紀に戻るんだけど、寄るになると再び20年代へ。マン・レイ、ブニュエル、T.S.エリオット、ダリ…。凄い面々と知り合い、興奮しまくりのギル。でも、モデルのアドリアナに恋してしまう…。
このアドリアナの手記をノミの市で発見し、博物館のガイドに訳して貰うと、どーもアドリアナもギルに恋していたらしい。イヤリングをプレゼントされ、一夜を…とあるので、ではと、イネズのイヤリングを送ろうとしてドタバタ劇になるのが面白いね。でも、イネズという婚約者ががいると知ったアドリアナは、ギルからは距離をおく。でも、彼女の行きたいところ聞いたら、ベル・エポックだという。で、魔法の馬車で、ロートレックやゴーギャン、ドガのいる1890年代に迷い込んでしまう…という2段階目の過去に飛び込んでしまう。
そのベル・エポックでは、画家たちが「ルネサンスに生まれたかった」といっている。なるほど。いつの時代も自分が生きている同時代には輝きを見いだせず、過去を偉大と考え、憧れると言うことか。…と、涙うるうるしかけつつ映画のテーマを反芻していたら、なんとそのテーマをギルとアドリアナがセリフで説明し始めるのには驚いた。おいおい。でもなあ、アメリカ人にとって、ヨーロッパの文化なんて理解不可能なところがあるからな。懇切丁寧に説明してあげようということなのかね。ウディ・アレンにしては分かりやすい話、理解しやすいテーマで、教科書的にもよく聞く有名人のいる過去が出てくる。これは、受けるかもね。
まあ、過去の有名人たちが多少書き割り的に登場するだけ、ってところもあるけれど、でも、ジャズ・エイジやベル・エポック好きには、登場するだけで「うわー」となってしまうようなプロットだ。楽しくて楽しくてたまらなかったぜ。
最後、骨董屋経営のブスな女の子ガブリエルと気が合ってしまうギルだけど、あの後、過去には行けたのだろうか。ガートルード・スタインに添削を受けたあの小説は、過去で出版されたのだろうか?
・最初の方の、ギルとイネズがいるモネの睡蓮そっくりの実写が凄い。
・20年代のキャバレーで踊っていたのはジョセフィン・ベイカー?
・アドリアナは、モンパルナスのキキがモデル?
・ガートルード・スタインに酷評されていた、あのピカソの絵は実在するのか?
・ギルがブニュエルにアドバイスしていた、部屋から出られなくなる映画は「皆殺しの天使」らしいね。見てないけど。
・イネズの友人がピカソの絵を誉めると、すかさずギルが「実は…」と実際に見た事実を話し出す。それとか、ブニュエルへのアドバイス。この手のタイムスリップものにはお馴染みの手法は、なんとなく「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を連想してしまうね。
つ ・脚本家なんて小説家に比べたら簡単…みたいな設定は、脚本家が聞いたら怒るのかな?
・過去の偉人たち。キャシー・ベイツやエイドリアン・ブロディも演じているけど、みな似てる。
・ギル役のオーウェン・ウィルソン。両手をポケットに突っ込み、チノパンで川縁を歩く姿はウディ・アレンそっくり。自分がやりたい役なのかもね。
・マリオン・コティヤール37歳、レイチェル・マクアダムス34歳。いつの間にか、オバサンになってるねえ。
希望の国11/6ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/園子温脚本/園子温
allcinemaのあらすじは「東日本大震災から数年後の日本。長島県で酪農を営む小野泰彦は、妻の智恵子と息子夫婦と穏やかな日々を送っていた。そんなある日、長島県東方沖を震源とする巨大地震が発生する。やがて長島第一原発が事故を起こし、原発から半径20km圏内が警戒区域に指定されると、ギリギリで圏外となった小野家に対し、隣家の鈴木家は強制退避を命じられることに。自らは残る決断をした泰彦も、国家はあてにならないと、息子の洋一には夫婦で自主避難するよう説得する。その後、避難先でおめでたが判明した洋一の妻は、次第に放射能への恐怖を募らせていく。一方、避難所生活を強いられている鈴木家では、長男ミツルが恋人ヨーコと一緒に、消息の掴めない彼女の両親を探して海沿いの町を彷徨い歩いていた」
福島の原発事故を下敷きにしているのだと思っていた。ところが見ていくと福島後の出来事ではないか。それはないだろ。だって福島と同規模の地震+津波+原発事故が発生したら、あんなことになるとは思えない。反対派は声を挙げ暴徒化するだろう。海外の反応も冷たいはず。日本経済だって破綻するに違いない。人々は海外に逃げ、新聞の見出しも終末的な言葉が踊るに違いない。まさに日本沈没…。なのにさっさと電力は復活し、スーパーには普通に商品が並ぶ。あまりにも呆気なさ過ぎる。人々の反応も福島のときと同じレベルで、ガソリンスタンドで拒否されたり子供がいじめられるたりするだけ。なんと想像力がないのだ。しかも、Twitterや2ちゃんねる、メールなどのネットコミュニケーションがまったく登場しない。登場するのは相変わらず、テレビとラジオ。園子温は、福島のときのネットの活躍を知らないのではないか。これでは、福島をなぞったことにもならない。想像力のかけらもない映画だと思う。
突然家を追われる不条理や、避難所の様子、避難民への差別など、福島で発生したエピソードをナマのまま羅列しているだけ。物語として昇華されていない。原発に対する切り口も低レベルで、おどろおどろしい音楽で恐怖を煽ろうとしているのみ。まあ、映像が安手で迫力がないからだろうけど、やっつけ仕事の半端なプロパガンダ映画になってしまっている。福島を語りたいなら、ドキュメンタリーのほうがまし。あるいは、福島をドラマ化すればいい。ポスト福島の映画としてはレベルが低すぎる。
地震を描かない。それはある意味で賢明だったかも知れない。しかし、家具は倒れていても、外に出ると塀も倒れていない。地割れもない。人もさまよっていない。あまりにも街がフツーすぎて恐怖が伝わらない。場所は長島県。長崎+広島で、長島なのか。津波があって、雪が降る。ってことは、青森の東通か宮城の女川を想定しているのかね。なんか安易。
中心となるのは、小野家。息子の洋一が、地震後、ランプを見つけ出して喜ぶんだが、ランプなんてもってる家庭なんて、そうないだろ。父親の泰彦は、チェルノブイリの時ガイガーカウンターを買っていたという。用意がいい家だったんだな。で、家の庭に20キロ圏のラインが敷かれ、自宅は安全圏に。向かいの家は退去となる。現実的ではないが、お役所仕事を皮肉ってるわけで、それはいい。しかし、息子夫婦が避難するかどうかで、親子でケンカ。息子の反応が大げさすぎて気持ち悪い。そのくせ、後半、息子夫婦が地元を離れ、どこか別の地域に行くというので別れの挨拶に来て、抱きつくのは父親。母親には見向きもしない。洋一はファザコンなのか?
立ち入り禁止地区への侵入を阻むため、鉄パイプの塀がつくられる。洋一が、泰彦に「一緒に避難所へ」というのだが、泰彦は首を振らない。すると、洋一と泰彦との間に木の柱がイメージとして登場する。非常に映画的表現ではあるけれど、あまりにも分かりやすすぎて、浮いている。幻想的な表現は他にもあって、隣家の青年ミツルと彼女のヨーコが、被災地で兄妹の亡霊と出会うのだが、まったく幻想的ではないので、これも浮きまくっている。あとは、泰彦が自死して後、自分が植えた(?)自分の木が燃えるのだが、これもわざとらしい感じ。もうちょい何とかならなかったのかね。
危険地域が拡大し、泰彦と妻の智恵子にも、退避の勧告が出る。役所の2人がやってきて家をでるよう迫るが、泰彦は残るといいきる。このときの若い職員の態度は、ああいうのはいるだろう、と思わせる。役人なんて機械的に物事を進めるところだからね。それより辛いのは、乳牛の屠殺命令だろう。これは実際あったことだろうから、同情してしまう。のだけれど、鳥インフルだの狂牛病のときも同じ目にあってる人たちはいるはずで、なにも原発事故だけで起こっているわけではない。日常的に発生しているのだ。役人の対応を、原発事故だけと関連づけて理解するのは、ちょっと変だろうと思う。
警察や自衛隊の態度も、ステレオタイプに描かれる。テレビ内の官僚発言も、福島をなぞるだけのもの。福島があって、また原発事故が起こったらどうなる? という想像力が足りない。記者たちはもっとするどく迫るだろうし、国会の周りで火炎瓶ぐらい投げられるんじゃないかね。福島で発生したエピソードをそのままナマで並べているだけ。物語になっていない。
この辺りから、時制が変になってくる。小野泰彦と妻・智恵子の世界を基準にすると、息子夫婦の世界は妊娠・産婦人科と一ヶ月かそこら先を行ってしまっているいる。しかも、洋一といずみの2人はどこにアパートを借りたのか、借りるとき嫌がられなかったのか、洋一の土木作業員への就職はスムーズだったのか、など何も説明がない。福島では瓦礫の片付けで作業員が足りなく、全国から大量に労働力が流入。それにともなって飲食店も繁盛して原発バブルに踊ったという話だが、そういうエピソードは巧妙に排除されてしまっている感じだな。…という洋一といずみの話と並行し、ヨーコの家族をさがしに、ミツルはバイクでヨーコとともに彷徨う。でも、そんな遠くの筈がない。時間も、地震のときからそんなに経っている筈がない。だから、洋一&いずみの話とつながれると、時間の間隔が妙に気持ち悪い。そのミツル&ヨーコの場面は実際の被災地で撮ったと思われる映像には廃墟が写るけれど、被災地の感じはない。ミツルとヨーコ以外には人は登場せず、地面が雪で覆われているのが違和感さえ覚える。
ミツル&ヨーコの行き先には雪が降っている、最後の方で、呆けた智恵子「盆踊りに行く」といなくなる先の場面でも、雪が降っている。あの雪は、意図的なのか偶然なのか。意味があるのかないのか。降っているカットもあれば、地面が白くなっているだけの場面もある。晴れているカットもあれば、曇っている時もある。なんか、テキトー過ぎるような気がしてしまう。意図して撮ったなら、あんなことにはならないんじゃないだろうか。そういえば、ミツルのヨーコへの結婚申し込みのシーンは取って付けたような感じ。場所も、倒壊した建物を利用している感が伝わってきて、どーも共感できなかった。
いずみの、極度の放射能恐怖は面白い。この話だけで映画を撮った方がマシじゃないかと思った。
医者の「テレビに出ている医者は嘘をついている。放射能は減っていない。奥さんは放射能恐怖症」という話の展開は変じゃないか? よく理解できなかったな。で、洋一といずみは、長島県を捨て、どこまで逃げたのか距離感がつかめない。九州あたりまで行ったのか? でも、そこでも放射能が検知されたということは、日本全土が放射能汚染、ということだ。それがラストなのだから、この映画に「希望」なんてない。いっぽうでミツルとヨーコは、誰かに言われたように「一歩、二歩」ではなく「一歩、一歩」と雪を踏みしめて歩いている。でもそれは、死の国に向かった歩みだ。「希望」というのは反語である、皮肉でしかない。
そして、洋一といずみを送り出した泰彦は、直後に牛を殺し、妻を殺し、自分も死ぬ。でも、その理由がさっぱり理解できない。役所の若いのに「家を離れないのは、思い出?」と笑われ、「違う。印だ」と言ってたけど、違いが分からない。同じような境遇の人は福島でも多くいたはずだ。実際に命を絶った人もいると聞いているが、大半の人は生きて苦しみに耐えている。泰彦が耐えられなかったのは、なぜなのだ? 痴呆の妻・智恵子が重荷だからか? それは痴呆症の患者を抱える人に対して失礼だろう。では、違うというなら、その答を教えて欲しい。呆けて「帰ろうよ」と言いつづける妻の智恵子。それは、原発のない過去に帰ろうよ、というメタファーなのかも知れないけど、あまり伝わってこない。
ブロッコリーを取りに来るはずの酒屋のオヤジはどうなったんだ? 地震の翌日(?)に、看板が落ち、家がなくて更地になってたシーンが写ったが、フォローがないぞ。でんでんの一家はどうした? ミツルとヨーコは合流したのか? それぞれの今と未来を予感させないとなあ…。
エンドロールに大鶴義丹、吹越満、伊勢谷友介らの名前を見つけて「どこにでてた?」と…考えてしまったよ。堀部圭亮がテレビ画面内の閣僚で登場していたのはわかったんだけどね。
リンカーン/秘密の書11/7新宿ミラノ1監督/ティムール・ベクマンベトフ脚本/セス・グレアム=スミス、サイモン・キンバーグ
原題は"Abraham Lincoln: Vampire Hunter"。なーんだ。原題はヴァンパイアってなってるのか。予告編も目をつむり、情報を入れないようにしてた。なので邦題からアドベンチャーかな? でもポスターはゾンビっぽいな、と思ってたんだけど…。飽きないよなあ。なんかってーとヴァンパイア。
そういえば現在公開中の「声をかくす人」はリンカーンがらみ、さらにスピルバーグの「リンカーン』もあるという。正面から裏から側面から、リンカーンが大流行だな。
allcinemaのあらすじは「貧しい開拓農民の家に生まれたリンカーンは、幼い頃に最愛の母を失う。その後、母の命を奪った復讐の相手が闇の勢力=ヴァンパイアと知るリンカーン。彼はヴァンパイアの生態をよく知るヘンリーのもとで、ヴァンパイア・ハンターとしての修行を重ねていく。やがて使い慣れた斧を手にハンターとしての活動を始めたリンカーンは、奴隷制度が彼らの食糧供給源として機能している実態を目の当たりにし、奴隷解放こそがヴァンパイアとの戦いに勝つ唯一の方法と考え、政治の道へと歩み出すのだったが…」
テンポが早く、アクションはよくあるパターンの、スタイリッシュな表現。最初のうちは、ショッキングな場面も2度ほどあって飽きずに見ていたけれど、メアリーと結婚した辺りから俄然つまらなくっていった。やっぱ人間ドラマがないとね。
ヴァンパイアは黒人奴隷の血を吸っていたので、奴隷解放に反対。南部の味方をしていたらしい。だったら、もうちょいそれを強調すればいいのにね。なんか中途半端。
キャラクターの掘り下げが、みな薄っぺら。背景や存在が希薄なら、ドラマも単調。結局は人間vsヴァンパイアの戦いになっちまって、あとはCGアクションのみ。つまんねえよ。
法律を学ぼうというリンカーンが雑貨屋で店員をし、勉強といえば本を読むだけ。いつのまにか上流階級のメアリーといい仲になり結婚し、なぜか今度は演説し始め、気づいたら大統領になっている。どうやったんだよ。収入は? 彼女の親の許しは? 政治に関心を持ち始めたきっかけは? サクセスストーリーにもなってない。これじゃ感情移入できっこないくて、わくわくもできない。
CGがチャチい。馬の暴走の中での死闘や列車の屋根での戦いも、予定調和だと思えば手に汗も握れない。全体にダイジェスト感が漂うつくりで、やっぱ、人間をかっちり描かないとね。少しだけ掘り下げられているのが、ヘンリー。彼女をかみ殺され、自分も噛まれてヴァンパイアになった。なので、ヴァンパイアを憎んでいる。という自己矛盾を背負っている。…それはいい。でも、いつも思うのは、噛まれて死ぬケースと、噛まれてヴァンパイアとなるケースの違いが分からないことだな。
ちょっとだけ変わっているとしたら、日光を浴びても大丈夫だったり、消えるヴァンパイアが新しい?
リンカーンの妻になるメアリー・エリザベス・ウィンステッドが、おっとりして古風な感じが悪くない。でも、結婚後のメイクはオバサン過ぎる。雑貨店の主人で、終世リンカーンを支えるスピードという役は、なんか中途半端。ひょっとしたら…と怪しい感じに描いておいて、肝心なところで裏切ったと思わせ、でも実は…という展開。わざとらしすぎだな。
アルゴ11/13ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/ベン・アフレック脚本/クリス・テリオ
原題は"Argo"。ニセ映画の題名だ。allcinemaのあらすじは「1979年11月。革命の嵐が吹き荒れたイランで、民衆がアメリカ大使館を占拠して、52人の職員を人質にとる事件が発生する。その際、裏口から6人の職員が秘かに脱出し、カナダ大使の私邸に逃げ込んでいた。しかしこのままではイラン側に見つかるのは時間の問題で、そうなれば公開処刑は免れない。にもかかわらず、彼らの救出は絶望的な状況だった。そこで国務省から協力を求められたCIAの人質奪還の専門家、トニー・メンデスは、ある計画を練り上げる。それは、架空の映画企画をでっち上げ、6人をロケハンに来たスタッフに偽装させて出国させるというあまりにも奇想天外なものだった。さっそくトニーは「猿の惑星」の特殊メイクでアカデミー賞に輝いたジョン・チェンバースの協力を取り付けると、SFファンタジー大作「アルゴ」の製作記者発表を盛大に行い、前代未聞の極秘救出作戦をスタートさせるのだったが…」
冒頭に イランの歴史が語られ、アメリカべったりのパーレビが追放され、ホメイニに。国外逃亡していたパーレビが病気治療のためアメリカに入国すると、パーレビ体制のとき拷問を受けたり殺された人の家族が「パーレビを渡せ!」と立ち上がる。イラン国内でもアメリカ大使館に押し寄せた…という流れをきっちり見せてくれる。もっともセリフの字幕と役職紹介の字幕、背景のテレビの音声やあれやこれや字幕が多くて絵を見てられねえよ! という有り様で忙しかった。
大使館にイラン人が押し寄せ、塀を乗り越えて侵入…。6人が裏口から逃亡…という過程はスリリング。こりゃ面白い映画かも…と思った。で、救出作戦のためトニー・メンデスが呼ばれるのだけれど、たまたま見ていた「猿の惑星」の何作目かに触発され、ロケ隊を装って救出しようと思い立つ。で、ハリウッドへ行って…というあたりからは様子ががらりと変わり、政治ドラマっぽくなくなってしまう。こりゃ、イランで大使館員に猿のメイクしてそのまま連れ出すのか? なんてマヌケなことを予想していたのだけれど、そうはならなかった。そもそも、こんな事件が1979年に発生していたって、ほとんど記憶にないんだよね。後半に出てきた、ソ連のアフガン侵攻は鮮明に覚えてるけど。どーも中東については、基本的にアバウトな知識…。
で、ずっとわだかまっていたのは、アメリカとイラン、どちらが正しいのか? ということだ。石油のためにパーレビを利用したアメリカ。そのためにパーレビは横暴になり、犠牲となった人は数知れず。こんなアメリカに共感はできない。とはいっても、大使館内は他国の領地、という国際的な了解事項をいとも簡単に破り、国を挙げてアメリカ人を人質にとってしまう。こんなイランにも共感はできない。原因はアメリカだから、アメリカが悪い? ヒートアップして暴力を振るうイランが悪い? イスラエルと中東、尖閣をめぐる日本と中国、竹島をめぐる日本と韓国のことも浮かんできて、どっちがどうと言えなくなってしまった。それでも映画は、わけわからんイラン人、と印象をづける働きは充分にしているよな。
で、メンデスがイランに入国してからが、あんまりドキドキしない。なぜならスタッフとして出国させようとしていることが分かったからだ。なんだ、SFキャラへのメイクがあるわけじゃないのか…。ちょっとがっかり。あと、カナダ大使館に匿われている6人を描写する時間は結構あるのに、個人がほとんど印象に残らないのも残念。メンデスに「こんなプランに参加しない」と出国を渋った夫婦のエピソードが印象に残る程度で、人物の描き分けが出来てないのだ。唯一分かったのは「パラサイト」にでていたクレア・デュヴァルで、口があんまり曲がってないので始めは気づかなかったよ。
あと、米国内でのオッサンたちの偉い順番が分からなかった。国務長官は最初に紹介されたからいいけど、他が分かりにくい。アルゴ作戦にGOサインを出した2人がいて、その2人が国務長官にもっていく。国務長官は「なんだこれ?」といい、「あなたが許可したんです」と応える…という件が分からなかった。国務長官の許可はとってあったの? とってなかったの? ううむ。よく分からん。
で、国務長官はアルゴ作戦にNOといい、メンデスの上司もそれを伝えるが、メンデスは勝手に作戦を実行してしまう。すでに6人の飛行機の席の予約は取り消され、ハリウッドに設けた映画会社のニセ事務所には解散の連絡を出していた。そんなことも知らず、メンデスは6人をつれて飛行場へ…。って、余りにも杜撰すぎるだろ。このあたり、映画的な脚色のてんこ盛り。たとえば入国の時に書かされた紙の件。衛兵に疑われて別室に連れ込まれるがぎりぎりで回避。他の乗客から後れてゲートをくぐってバスに乗るもエンジンがかからない。搭乗した頃には気疲れで、衛兵が飛行機めがけてクルマを飛ばしてくる…あわやでフライト! というサスペンスが脚本上に用意されてるけど、全然ハラハラしない。実際の出来事を下敷きにしているとはいっても、こんなギリギリの状態をくぐり抜けたとはまったく思えないからね。それに、6人が覚えたニセの履歴をイラン人に披露する場面もない。しかも結果は脱出成功と分かっているのだから、手にも汗は握らない。ここで、もうちょっと畳みかけるようなサスペンスがないとなあ。
エンドロールは、実際のメンデスと救出された大使館員たちの写真もでてくるけど、とくに感動はなかった。あんな作戦でCIAの最高勲章がもらえちゃうのか? 命令に背いたってのに…。
映画で描かれるのは、カナダ大使館に潜伏していた6人。実はそれ以外に、大使館には数百人が人質になっていた。彼らは約450日ぐらい後に解放されたようだけど、亡くなったりケガした人はいないのだろうか。また、6人の救出劇が、大使館の他の人質の命に影響を及ぼさないのか? と、ずっと思っていた。国全体がホメイニ万歳なのだから、人質の何人かは殺されるんじゃないの? と思ってたんだけど、イラン人も多少の理性はあったとみえる。
ラスト。メンデスが、別居中の妻と息子の所に行くんだけど、息子はともかく、妻の方から抱きしめてくるというのは、いかにも映画的な演出でやりすぎだろ。
・入国の時の紙は、何を書いているのだ? カーボン(?)で出るとき照合? でも、なくても通してくれたのは偶然? 伏線にもなってないよな。
・カナダ大使館のメイドはイラン人。その彼女が、勤め先のカナダを優先して同朋に嘘をいい、イラクに逃げるというのが哀しい。そういえば、カナダ大使館でターバン姿の兵隊みたいのがいたけど、彼もイラン人の被雇用者なのか?
少年と自転車11/14ギンレイホール監督/ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ脚本/ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ
ベルギー/フランス映画。原題は"Le gamin au v?lo"。google翻訳では「自転車に乗った子供」とでる。英文タイトルも"The Kid with a Bike"だし。邦題とはニュアンスが違う。allcinemaのあらすじは「もうすぐ12歳になる少年シリル。父親は彼を児童養護施設に預けたまま行方知れずに。シリルは自分が捨てられたとは露とも思わず、父親を必死で捜し続ける。そんな中、美容師のサマンサと出会う。彼女は、なくなった大切な自転車を取り戻してくれた。そしてシリルは、サマンサに週末だけの里親になってくれと頼み、2人で父親捜しを続ける。やがて、ようやく父親を見つけ出し、再会を果たしたシリル。ところが父親は喜ぶどころか、シリルをすげなく拒絶してしまう。サマンサはシリルを心配し、それまで以上に彼の世話を焼くようになるのだが…」
モチーフやタッチが似てると思ったら「息子のまなざし」「ある子供」の監督なのか。合点。しかしこの子供、バカじゃないのか? 施設のスタッフのいうことも聞かず、「父さんの家に行く」「自転車を取りに行く」と主張して逃げる暴れる刃向かう。物心ついて世間のこと、自分の置かれた境遇が分かりそうなもんだが、そうはならない。知的障害でもある設定なのか? 見ていて殴りたくなる感情を抑えきれなかった。こんな糞ガキに、父親が売り飛ばした自転車を買い戻し、さらには終末里親になろうという女性サマンサが現れるのだから、あんぐり。こんな親切な人は世の中にいやしないだろ。思い通りに行かないと刃向かう。恋人ではなく、シリルを選択する。はては傷つけられもする。それでもシリルを見捨てない。天使みたいな人だ。あり得ん!
監督は貧困、両親の離婚、父親に捨てられたことなどが原因だ、とでもいいたいのだろう。でも、同じ境遇でもちゃんと自覚して成長する子供もいる。こんな分からず屋でタチの悪いやつは、めったにいない。断言してやる。だから、シリルの行動のすべては素質である。親が親なら、子も子。そういう血筋なんだ、と映画を通して訴えているとしか思えない。
サマンサに「面倒をみきれない。たのむ」と平然という父親って、こんな親、ベルギーやフランスにはいるのかい? 父親から面と向かって「会いに来るな」といわれるシリルは気の毒だけど、あの父親がそんなによかったのか? 一緒に暮らしているとき、そんなやさしかったのか? 信じられないね。話が強引すぎる。強引すぎるといえば、チンピラ仲間にからかわれ、その結果、ケンカの腕を密売屋のアンちゃんに見込まれ、悪の道に簡単に踏み入れてしまうってのもそうだ。家に連れていかれ、ゲームをやらせてもらい、飲み物やお菓子をもらっただけで、簡単に強盗計画を実行に移してしまう。まともじゃない。サマンサの庇護のもとで愛情を与えられているのに、どーして密売屋のいいなりになる。やっぱりシリルは知恵遅れなのではないのかな。発達障害とか。でなきゃ、あんな簡単に強盗なんか、するはずがない。そもそも金が目的ではない。密売屋と一緒にいたいから、だろう。そんなに密売屋の生活が魅力的だったか? そんなことはないと思うぞ。
強盗は簡単に発覚し、被害者父子とも裁判所で和解する。でも、被害者息子は謝罪を受け入れていないとかで、たまたま道で遭遇したシリルに暴力を振るう。逃げるシリルは木の上に。息子が投げた石がシリルに当たり、落下。父子はシリルが死んだかと思ってビクつくのだけれど、気絶していただけのシリルはぼんやりと立ち上がり、自転車に乗って帰っていく。…というところで暗転・終わり。という、ぶっきらぼうな終わり方も、この監督らしい。
つまりまあ、これまでは暴力を振るう方だったけど、暴力を振るわれる側になって痛みを知り、もう刃向かわない。もう、頼れるのはサマンサしかいない、というのが分かったということなのかな。気づくのが遅すぎだ。でも、そういうことだとしても、説明が足りないと思う。
1960年代には、日本でもこの手の話はよくつくられた。映画としてもレベルは高かった。まだ日本が貧しく、貧富の差が激しかった頃の話だ。この映画が扱うモチーフは、まさに1950年代の日本と同じ。古いのだ。それとも、現在のベルギー、フランスは、非行が激しく増加するようなことになっているのか? そして、それは、いつか日本でも起こることなんだろうか? そこまで予測していたとしたら賞賛に値するけど、そんなことは多分ないよね。
オレンジと太陽11/14ギンレイホール監督/ジム・ローチ脚本/ロナ・マンロ
原題は"Oranges and Sunshine"。オレンジって、でてきてたっけ? セリフではでてきたような気がするけど、印象がないな。allcinemaのあらすじは「1986年、イギリス、ノッティンガム。ある日、ソーシャルワーカーのマーガレットは、自らのルーツを調べるべくオーストラリアからやって来た女性シャーロットの相談を受ける。ノッティンガムの児童養護施設にいた彼女は、4歳の時に突然ほかの数百人の子どもたちと一緒にオーストラリアに送られたという。養子縁組でもなく、子どもたちだけを船に乗せて送るという、にわかには信じがたい話に衝撃を受け、調査を開始するマーガレット。やがてオーストラリアへと向かった彼女は、シャーロットと同じ境遇の人々が大勢いることを知り、彼らの家族を捜す活動に乗り出すのだったが…」
監督はケン・ローチの息子で、長編映画のデビュー作なんだと。社会派の人なのに、息子には最初から特権を与え、監督までさせちゃうのか。なんかな。可愛い子には旅をさせろよ。崖から突き落とせ。という気分。
父親に似て社会性の高い素材をもってきた。でも、演出法は対照的。父親が情緒を排してテンポよく話を進めるのに対して、息子の方はゆったりとした流れで話を置いていく感じ。なので、推理とサスペンス性がある素材なのに、ぜんぜんスリリングにできていない。凄い衝撃的な話なのに、それがあんまり伝わってこないのだよな。これをイーストウッドが料理したらどんなになっただろう。もっと重厚で、切れ味の鋭いものになったと思うがね。
この映画の欠点は、設定・背景と経緯、結末が曖昧模糊なこと。
・マーガレットが勤める施設は、公共なのか? 彼女の上司は、マーガレットが個人的に休暇を取って豪に行き、調査したいと切り出すと、「レポートは上に提出する。2年間専任してもいい」と言ってくれる。その結果、マーガレットは英国と豪の政府を相手に戦うことになるらしいのだけれど、施設に対する圧力はなかったのか?
・英国から豪に送られた子供たちは、どういう子供たちだったのか? スラムにいたというセリフも出てくるし、あの母親が子供を養子に出すなんて! というセリフもあった。真相がさっぱり分からない。
・政府の問題ではなく、教会および慈善団体が背景にいて、人身売買のようなことをしていたのか? それにしては、10歳前後の子供ばかりを受け入れ、教会の建設作業に利用したというのは解せない。
・少年をレイプしたのは豪の牧師たちなのかね。少女が…という話はでてこなかった。姦淫する勿れだったので、男性の尻穴にしか勃起しなかった?
・マーガレットがレンという元孤児となんとかいう教会へ行くと、10人ぐらいの牧師がいた。あの中に、加害者はいたのか?
・豪で、マーガレットの家を襲ったり威嚇するのは、だれ? 教会の関係者? それとも40年前の孤児輸出の関係者? なぜ警察に届けないのだ? 写真撮るとか…。なんか、マーガレットはびびりすぎ。支援する男性もいただろうに、どうして戦わないのだろう?
・英国においての活動は、調査だけ? 告発のあれこれ、マーガレットへの反発はどんなものだったの? どっかの受付嬢に嫌みを言われていたけど、どういう立場でものをいっているのだろう?
・そして、最終的に何人の母親を見つけることができたのだろう?
・英豪両政府が謝罪したと字幕に出るけど、補償金は出たのか?
・で。肝心の慈善団体と教会の徹底調査はしたの? なぜ孤児輸出入をしていたのか、その真実はなんだったのだ? なにを隠そうとしたのだ?
…といったことが、明らかにされないまま、なんとなく終わってしまう。うーむ。隔靴掻痒甚だしい。
この映画、端折りが多いのだよね。英国での母親調査など、最初の女性の母親を探し出した経過だけ。古い書類を見ていたけど、何をどう調べたのかがはっきり分からない。で、調査方法に関しては、以後出てこない。なんだよ。謎を発見していくスリリングなワクワク感がひとつもないじゃないか。
それと、頻繁にイギリス・豪を行き来するのだけど、空港シーンは一度だけ。あとは、とくに場面転換の効果もつかわずフツーにつないでいく。間違えはしないけど、もうちょい工夫が必要だろ。
マーガレット役のエミリー・ワトソンと夫とのベッドシーンがあるんだよね。げ。見たくないよ。まったく必要性がないと思うんだけどね。そんなことより、描くべきものはもっとあったと思うぞ。
そういえば、あの、態度の不躾な元孤児のレンだけど、あの年まで独身? それと、教会にプールを寄付したと言っていたけど、なんでえ? 理解できない。
ゲットバック11/19新宿ミラノ3監督/サイモン・ウェスト脚本/ デヴィッド・グッゲンハイム
原題は"Stolen"。allcinemaのあらすじは「仲間と共に銀行強盗を成功させ1,000万ドルを奪ったウィルだったが、逃走中に仲間割れが起き、彼だけが捕まってしまう。しかし逮捕されたとき、彼が持っているはずの1,000万ドルは跡形もなく消えていた。8年後、出所したウィルに1本の電話が。それは、最愛の娘を返してほしければ、8年前に消えた1,000万ドルを12時間以内に引き渡せ、というかつての強盗仲間からの身代金要求だった。しかし1,000万ドルは逃走時に証拠隠滅のため焼却していたのだった。追い詰められたウィルは、誘拐犯の行方を追いながら、身代金調達のため新たな強盗を計画するのだが…」
やっつけでつくったみたい。B級臭が漂う、うさんくさい映画だった。ニコラス・ケイジも落ちたなあ。と思って監督を見たら「ブラックホーク・ダウン」「エクスペンダブルズ2」の人なのね。信じられん。手抜きだな。
冒頭の銀行強盗のシーン。逮捕されるかも、と見せかけて、狙ったのは別の所だった…という設定って、どっかで見たことあるような・・・。で、ウィル(ニコラス・ケイジ)だけ捕まって8年後…。ますますデジャヴュ。しかし、1000万ドルの札束をドラム缶のたき火にくべて消えるか? まんいち燃えても、灰が残るだろ。で、娘が登場するが、前妻と義父は最後まででてこない。落ちぶれたヴィンセントは殺された、と見せかけて生きていた…っていう話は何のため? 死なないと借金取りに殺される? の割りに、堂々と素顔でタクシーの運転手。ニューオリンズ市内を流してるって、あり得ねえ! で、ヴィンスの願いor狙いは出所してきたウィルから1000万ドルの分け前を得ること。でも、それはない。…でもな、最後までホントはどっかに隠してあるんじゃないかと思ってたけど…ないのね、ホントに。…ウィルに復讐のつもりなら、死んだことにしなくてもいいと思うんだけど、わけ分からん。
ウィルは、その場しのぎに何とかいう街の銀行に預けてある、っていうんだけど、どうやって預けたんだよ。8年前は犯行現場近くで逮捕され、今は出所したばかり。でもヴィンスはそれを信じて、アリソンを誘拐してタクシーのトランクに入れて街をクルージングする…って、いつたい何のため? しかし、昔の銀行強盗グルーブの仲間割れかよ。話がしょぼい。
で、ウィルは携帯を買って、それを何とか街行きの電車の網棚に放り投げるんだけど、あれはどういうこっちゃ。ヴィンスから渡された携帯の、GPS情報だけ新たに買った携帯に転送して、居場所を誤魔化した? そんなことできるのか?
で、その間にウィルは昔の強盗仲間のひとりのところへ行くんだけど、対立。その動きはFBIに察知されていて、仲間はFBIに射殺され、ウィルも追われる…といっても、仮釈放違反っていうしょぼい罪名で、じゃ、FBIも消えた1000万ドルを追ってたのかい? なんかしょぼいな。
さらに、ウィルはヴィンスがタクシー運転手であることを知り、同じ会社のタクシーを強奪してその運転手→タクシー会社の運用係を通してヴィンスの行方を探る。でも、FBIもその動向を知り、なんと、FBIがヴィンスのタクシーを偽装して、ウィルを逮捕しようとするという、ムチャクチャな話になってしまう。このときFBIが「ヴィンスもニセのGPSをつけていた云々」いうんだけど、あれは何のことだったんだろう。
で、もう時間切れ間近。ヴィンスは仕方なく、昔仲間のライリーと2人で、前に1000万ドル強奪した銀行を再び襲う。しかし、昔仲間の野郎2人はダメ男たちだけど、ライリーはいい女、っていうのがテキトーすぎ。ヴィンスが言ってたけど、ウィルとは18年の仲だったんだろ。それが、冒頭の強奪のとき警備員に顔を見られ、その警備員を殺す殺さないでもめ、ヴィンスは自分の足を撃ってしまい、それで仲違いって、アホだろ。
で、その金塊の盗み方っていうのが、地下から侵入してガスバーナーで金庫の床を溶かし、さらに金まで溶かしてしまうというもの。そんなのあり得ねー! で、そうやって盗んだ金をヴィンスの指定する遊園地へ持っていくんだけど、その様子もFBI察知されてて、逃亡中のトラックを止められる。と、運転しているのはライリーのみ。隣には人形が…ってオチもよくあるパターン。それにしても、ライリーはこれでどうして逮捕されないのか?
で、金をヴィンスに渡そうとするが、ヴィンスはガソリン(?)撒いて、トランクにアリソンが入ってる自分のタクシーを燃やす…って、おい、目当ては金じゃなかったのか。じゃあウィルの苦労も無意味ってことか? てなわけで以降は格闘。ウィルはヴィンスを殴り倒し、火だるまのタクシーを運転して海の中に突っ込む…って、バカか。トランクに水が入るだろ。で、その通りとなって、水没するが、間一髪、バールのようなモノでトランクを開けてアリソンは無事生還って、都合よすぎだな。そこにヴィンスがずりずり復活してくるシーンは、義足の金属がまるでターミネーター…! ま、こっちも簡単に片づけて、ヴィンスはトランクの中に入って水没…。その様子を、15歳のアリソンはずっと目撃するという、おぞましいラストだな。
で、残された金塊を見て、FBIのボスは「金はヴィンスが盗んだ…んだ」とウィルに同情的。えー。このボス、仇同士とはいえ、そんなにウィルと心が通じてたか?
ラストは、ウィルとライリーのところに、アリソンが遊びに来るという場面。うーむ。ウィルの前妻と義父がそんなこと許すとは思えないんだけどね。で、実はウィルは金のかけらを少し戴いてしまっていたらしい。その金を海に投げ捨てようとするウィル。それを双眼鏡で見ているFBIのボスと部下。…なんだけど、投げ捨てないと逮捕で、投げ捨てると逮捕じゃない…みたいなことがあるみたい、なんだけど、よく分からず。FBIのボスと部下は「投げろ」「投げるな」とつぶやき合うんだけど、意味がよく分からん。で、最後のオチは、投げ捨てたフリして、結局、投げていない、というもの。あれで3000万円分ぐらいあるとかいってたかな。投げたフリだとしても、海を浚えば分かると思うんだけどな。
うーむ。いろいろスッキリしないところが満載の、いまいちな内容の話だった。
その夜の侍11/26新宿武蔵野館2監督/赤堀雅秋脚本/赤堀雅秋
allcinemaのあらすじは「小さな町工場を営む中村健一は、5年前にひき逃げで最愛の妻を失って以来、妻との思い出に囚われて絶望と孤独の日々を生きていた。一方、2年の服役を終えて出所したひき逃げ犯の木島宏は、相も変わらぬ傍若無人な振る舞いで反省とは無縁の生活を送っていた。そんな木島のもとに、“復讐決行日”までをカウントダウンする匿名の脅迫状が届くようになるのだが…」というもの。Webで調べたら監督は劇作家でもあり、自身の舞台劇を映画化したという。なるほど。中途半端さの理由が分かった。
舞台では誇張が通用しても、映画は不自然になるだけ。それを理解していないから、こんな中途半端な映画になるのだ。この映画、登場するのは異常な人間ばかり。それが異常な世界ならかまわない。でも、この映画が扱うのは極めてフツーの日常だ。まるで太ゴシックで書かれた小説を読むような気がしてしまい、どうにも話に入り込めない。もちろん感情移入できるキャラもいない。「こいつら、みんなバカなんじゃないか?」というのが関の山の反応だ。
冒頭、中村(堺雅人)が包丁を持ち歩き、木島宏(山田孝之)を追っている姿が映る。画面がゆらゆらしているんだけど、西川美和の『ゆれる』みたいな感じかな、と想像。でも、ぜーんぜんレベルが違った。残念。で、次に事故の顛末。そして、部屋の中にいる中村。…ちゃぶ台の上に遺骨。なので、事故の数日後かと思ったら、5年後だという。まあいい。でもね、5年前に失った妻(坂井真紀)のブラジャーを毎日ポケットに入れて握りしめてる、となると完全に変態だよな。
そもそも2人はいつ、どうやって巡り会ったのか。忘れられないほどの恋愛? にしては死別したとき35歳前後。いやその前に、町工場の経営者がどうやって知り合った? 子供はできなかったのか? などなど、背景についてのツッコミはいくらでもでてくる。中村が別人のように落ち込んだまま5年というのもフツーはあり得ないのだから、そうならざるを得ない理由を描かないといけない。でないと、ちっとも納得できない。
で、轢き逃げ犯の木島宏は自己中心的の暴力男で、同情心や優しさのない、器質的に障害があるかのような描き方をされている。子分格の小林は、根は嘘がつけない男だけれど、木島と一緒にいることで自分の存在意義があると思っているフシがある。もう一人、タクシー運転手がいて、これは田口トモロウが演じてるんだけど、彼もいったんはボコボコにされつつも、木島から離れられない人間を演じている。さらに、木島にからまれる警備員の娘がいるんだけど、彼女を谷村美月が演じている。落とした財布を木島にとられ、なかに家具を買う資金が入っていたからと、木島の言いなりになってしまう。具体的には、現場のトイレで木島にさせた、ということだ。しかも、以後、木島とつき合うようになる。こんなのあり得ないだろ。中村の死んだ妻の弟(新井浩文)は、中村を再婚させようと、同僚の女教師と見合いさせる。のだけれど、妻の弟なんて、そうそうつき合いの深まる間柄じゃないよな。なんでそんなお節介をする? そうしたい気持ちが、まったくつたわってこない。で、お見合いの相手の女教師は、離婚経験があるらしいけれど、いくらなんでも町工場のオヤジと見合いしようなどと思うわけがない…などなど、生理を逆なでするような設定・人物がうじゃうじゃ。これだけで、たんにヘンなキャラを登場人物として配した、ということが分かる。いかにも演劇的だね。
それぞれの寂しさ、人恋しさが、木島から離れられない理由、なんて説明する輩もいそうだけど、そんなのは一般化できない。ストックホルム症候群なんていうのはあるらしいけど、あんな暴力男に惹かれる、逃げられない、などというのは、そいつ本人にも問題があるだろう。だから、異常なやつしか登場しない、というわけだ。
で、中村は木島の周辺をうろつき、「お前を殺して俺も自殺する」とかいう手紙を何通も郵便受けに入れているらしい。なぜ5年後の妻の命日に? その理由は? 木島の三度の食事内容をメモし、見つからずに脅迫状を郵便受けに入れられた理由は? そういうことがリアリティにつながるのだから、ちゃんと説明できなくちゃ困る。木島は子分の小林の家に居候しているようだけど、小林の彼女はなぜ木島を嫌がらないのか? はたまた、小林のいない間に彼女を襲ったりはしないのか? いや、その前に、木島これまでひき逃げしかしてないのか? もっと犯罪歴があってしかるべきじゃないのか? あんな非モラル的な木島が、なんだか就職しようとしているらしいのは、どういうことだ? まともに就職なんてできんだろ。…もう、いろいろ納得がいかないことばかりで、説得力はまるでなし。
その脅迫状のことで、木島は中村の妻・弟に「なんとかしろ」と相談というか脅してる。妻・弟に連絡が取れるなら、中村に直接、なぜいわない? 妻・弟も、「兄貴が変だ」と警察に告げるのが筋。警備員娘も、声を挙げろ! といいたい。それが出来ない人たちなのだ、などという輩もいるだろうが、そんなのは一般化できることではない。特異な人だ。
で、犯行当日。雨の中。…あー、実は冒頭のシーン。日中、中村が木島の動向を追っているシーン。あれが犯行当日で、あのシーンに戻るのかと思っていたら違ったので戸惑った。犯行の2日前にも包丁を持ち歩いていた理由は何なんだ? あー、いま気づいたけど、木島の三度の食事を観察しながら、町工場の仕事は両立できたのか? …あー、話が横に逸れたが。雨の中の泥だらけの決闘は、韓国映画『映画は映画だ』を思い出してしまったよ。それにしても中村が早々と包丁を捨て、「フツーの会話がしたい」といいだすのはなんなんだ。返り討ちのつもりだった木島も、中村から「殺せ。2人殺したら死刑だ」といわれ、急にビビって包丁を捨ててしまうって、おいおい。モラルのかけらもない男じゃなかったのか? 妻の弟を脅し、生き埋めにするため穴まで掘ろうっていう男が、死刑の言葉にビビるか? なんかな。盛り下がっちゃうぜ。
で、「もう飽きた」というように知り合いに電話をかけ、食事に行くという木島。それを遠くから見守る(?)小林と妻の弟。で、中村は帰宅して、プリンを頭になすりつけながら泣く…で、終わり、って、なんだよ。だからどーしたがないじゃん。放り投げてどうする。観客に突きつけるものがなにもなくて、曖昧に誤魔化してるだけだな。プリンは、中村が糖尿病で、妻に隠れて食べていた、っていう伏線はあるけれど、どーいう意味があるのかさっぱりわからない。きっと意味なんてないんだと思う。
という具合に本筋ではどーしようもない映画なんだけど、つまらないところに力を入れている。背景の看板やステッカーだ。ひき逃げ現場には「ポイ捨て禁止」、当たったクルマには「安全運転中」、妻・弟が木島の脅しを和らげようとする場面には「消火器」、警備員娘が木島に脅されるところでは「チカンを見たら110番」「お願い…、迷惑…」という具合で、その場面を説明するような内容のものが映り込んでいる。こんなんで遊んでる場合か? (でも、クルマのナンバーで遊んでいないのは、片手落ちではないだろうか) 映画として話を練り込むのが先だろ。
汗の臭いのしない町工場、疲れの感じられないタクシー運転手、浮世離れした教師…。類型を誇張したような、存在感のない登場人物ばかりがでてきたって、心の動きはつたわってこない。所詮は書き割り。むしろ特異な人たちの特異な状況、ということで、つくりを演劇的に誇張し、純然たる喜劇にでもしてしまえばよかった。中途半端に実写化するから、ツッコミどころを追求される。これは物語ですよ! というふうにしてしまえばよかったのにね。
●で、Twitterにも看板・ステッカーでのシャレ、遊びのことを書いたら、この映画のプロデューサーの藤村さんという方からコメントが付いて、「監督は無骨で、そんな遊びをしない」「意図していない」「看板は使った現場にあったまま」ということらしい。ひぇー! なのにシーンの内容とピッタリってのは、どういう訳なのだ? 信じられん。
カラスの親指11/27新宿武蔵野館1監督/伊藤匡史脚本/伊藤匡史
20世紀フォックスの配給らしい。allcinemaのあらすじは「悲しい過去を持つプロのサギ師タケと成り行きからコンビを組むことになった初老のサギ師テツ。ある日2人のもとに、街で偶然知り合った少女まひろが姉のやひろとその彼氏を連れて転がり込んでくる。こうして5人のまるで家族のような奇妙で温かな共同生活が始まる。ところがそんな穏やかな日々は、タケを執拗に追う魔の手によってあっけなく破壊されてしまう。もはや逃げ続ける人生に疲れ果て、崖っぷちまで追い詰められた5人は、ついに一世一代の大勝負に打って出る」というもの。
2時間40分の長尺。膀胱はもった。テイストは、90分ドラマ2本立て、セリフでいろいろ説明したりとテレビ的な傾向がある。ムダを端折ってテンポをよくしたら、切れ味のいい仕立てになると思う。その代わり、ゆったりほのぼのな雰囲気と、ネタバラシなどの分かりやすさが失われるかも。難しいところだな。後半になると、前端のタルイ感じは忘れてしまって、なかなか盛り上がる。とくに、ラストのドンデンは、おお、なるほど、な感じ。悪くない。前半の伏線もちゃんと確実に回収しているし、もやもやはない。けど…やっぱり、映画的なスピード感も、やっぱり欲しいかな…うーむ。前半が仕込みで、後半が決行。詐欺師の話といってもサスペンス性はさほどではなく、半ばコメディタッチ。エルモア・レナードとまではいわないけど、ユーモアは十分。ご家族連れで満足できる映画かもね。
脚本がゆるいので、緊張感なく見られる。反面くどいので、先が読めてしまう。冒頭の競馬場で竹沢(阿部寛)と入川(村上ショージ)がユースケ・サンタマリアをハメるところも、途中でバレてしまう。ま、この手の話・構成は洋画ではフツーだからね。ところで、ラストで入川が、ニセの当たり券の裏にホンモノを貼り付けてあるので、ユースケは損をしていない、と言っていたけど、その意味がよく分からなかった…。
あとは、偶然、スリの河合まひろ(能年玲奈)に出会い、家を追い出されるからと一緒に住み始めるのだが、まひろの姉やひろ(石原さとみ)、その彼氏の貫太郎(小柳友)もくっついてきて、5人の生活が始まる…のはいいんだけど、ちっとも詐欺師が始まらない。ほのぼの疑似家族暮らしのホームドラマみたい。まあ能年玲奈が可愛いからいいか。石原さとみはプッツン系の女子なので、いまいち…。
竹沢はかつて闇金に手を出したことがある。その結果、自らも、もう搾り取れない相手からまだ搾り取る「わた抜き」という仕事をやらされ、ある母親を自殺に追いやった過去がある。いたたまれず竹沢は、闇金の裏情報(あのリストは何だったのだ?)を警察に持ち込み、闇金は一網打尽された。しかし、闇金連中は数年後に出所、竹沢の娘は焼死させられた。以後、逃げる生活。詐欺もその中で覚えたらしい。ところがなんと、助けてやったまひろ・やひろ姉妹は、死なせた母親の娘だった! と知る。なんという偶然! でも、このショックが映画的に描かれていないんだよな。目だけでも演技すべきだったと思うぞ。
で、以後も闇金手下に狙われつづけ、竹沢は入川と住んでいたアパートをでて足立区へ。で、この家に、まひろ・やひろ・彼氏が転がり込んできていた、と。ところがその家にも闇金手下の手が…。そこで5人は闇金連中に逆襲することを決定。おお。やっときましたか。
正直にいって、この計画はちょっと杜撰な感じがして、スマートさが足りない。というか、テキトー過ぎてかえってスリリングだったりした。なんとか金を奪い取る過程は、これは解説なし。まあ、なんとなく想像できるからなんだろうけど、ではひょっとするとエンドロールで再生しつつ、ここはこう、あれはこう、と説明するのかな、と思った。…があに図らんや、3方向に分かれた3人の後ろ姿で話は終わらなかった。…そういえば、あのとき、隣の部屋から変装を終えたまひろが出てきたけれど、彼らが借りた部屋は斜め下、とかいってなかったっけ? 勘違いかな。
名古屋にいるという、まひろ・やひろ・彼氏からの手紙に「?」の竹沢。馴染みの中華料理店に貼ってあった芝居(詐欺がモチーフ)のポスターを手がかりに探っていくと…。おお。すべては始めから仕組まれていたのか! という驚きの大どんでん返し。竹沢も騙されていたというオチがピタリと決まった。気になっていた猫の死骸のことも解消され、仕合わせな気分になってエンドロールを迎えることができた。よくある手ではあるけれど、見事にひっかかっちゃったよ。
能年玲奈の可愛さと、村上ジョージの木訥さの勝利かな。でも、能年玲奈ってどんな貌だった? っていわれても、思い浮かばない。特別印象に残る顔立ちではないんだけどね。
アウトレイジ ビヨンド11/29MOVIX亀有シアター5監督/北野武脚本/北野武
allcinemaのあらすじは「熾烈な下克上を制して加藤が関東一円を取り仕切る巨大ヤクザ組織“山王会”のトップに上り詰めてから5年。加藤は大友組の金庫番だった石原を若頭に抜擢し、その勢力をさらに拡大させていた。しかし内部では、若手を重用する加藤に古参幹部の不満がくすぶり始めていた。そこに目を付けたマル暴の刑事・片岡は、山王会の古参幹部を関西の巨大暴力団“花菱会”に引き合わせ、均衡を保っていた2大勢力に揺さぶりを掛ける。その一方で、片岡自ら噂を広めて獄中で死んだことになっていた大友を仮出所させる。そして足を洗おうと考えていた大友を再び抗争の渦中へと巻き込んでいくのだが…」
続編なんだから、前作を見直して予習しておけばよかった。日本映画チャンネルで、確かやってたよな。というわけで、加藤(三浦友和)が最後に親分をどうしたんだっけ? 的な記憶しかないので、弱っちゃう。
最初から最後まで、ほとんど静的な展開。派手なアクションはなし。痛い殺し方は2つほど。ドリルで顔を…より、バッティングセンターでボールを受けさす方が残酷だな。そうだ。前作では歯科医師の器具で口の中を…ってのがあったっけな、と思い出した。で、冒頭の、海から引き上げられたクルマ。アレに乗っていたのはマル暴の刑事と女だったよな。あの刑事が殺されたのは、図に乗って山王会にたかり始めたから? とかいってたけど、原因はよく分からなかった。で、殺ったのは山王会No.2の石原(加瀬亮)。経理出身にしては偉そうにしすぎな気もするけど、今回はぎゃーぎゃー騒いでばかりで、いまいち迫力がない。叫ぶと声が割れて、子供っぽくなっちまう。
刑事・片岡(小日向文世)の考えもよく分からん。大友(ビートたけし)をつかって山王会と花菱会を対立させ、山王会の組長を退陣させて、でも花菱が台頭し…なぐらい分かるだろうに。自分の出世しか考えていない刑事というのも、ちょっとなあ。
でその経緯だけど、片岡は大友が出所すると、昔は因縁のあった木村(中野英雄)とタッグを組ませ、山王会の舟木(田中哲司)、石原を殺る。のだけれど、木村には若衆2人しかいなくて、彼らは呆気なく殺されてしまったので、子分なしのはずなのに、もの凄いやり手が配下についている。花菱がつけてくれた関西のどっかの組の連中らしいんだけど、これが出来過ぎなぐらい山王会の面々をクールに殺していく。こんな連中がいたなら、わざわざ木村や大友を挟まなくても、山王会を乗っ取れたんじゃないの? と思ってしまうよな。…というか、山王会が、あまりにも無防備にやられすぎだろ。で、木村組と山王会とが手打ち、ということになるんだけど、いつのまに木村組ができちゃったんだ? 組員はどうしたんだ?
大友と木村が舟木を脅し、加藤が前組長を殺ったことを告白させる。その音声を山王会幹部に送ったことで、全員が反加藤に。で、山王会は無血で政権交代。加藤はパチンコ屋にいるところを、大友に刺される。その仕返しに、加藤のボディガードやってたのが、木村組を襲う。木村の葬式にやってきた大友が、裏で動いていた片岡を殺って…END。という流れ。
それなりに面白い話ではあるけれど、とんでもないことにはならないし、そのまた裏がある、という程度。はあ、そうですか、てなことかな。アクションも交えて見ると「仁義なき戦い」なんかの方がスリリングだった。もちろん、ここまで静的に描いて2時間近く見せてしまうのは評価するけれど、それ以上の何かはないのだよな。アクションは描かず、その結果だけ提示する手法は相変わらずで、それはそれなりにスタイルとしても評価するけどね。
でもまああ、アクション込みで演出したら、ハリウッドのよくある刑事ドラマになっちゃうんだろうけどね。
それにしても、途中から誰が誰で、こいつはどっち側だっけ? が増えてきて、弱ったよ。

 
 

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