ふがいない僕は空を見た | 12/3 | テアトル新宿 | 監督/タナダユキ | 脚本/向井康介 |
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タナダユキは脚本も書く。なのにこの映画では向井康介が書いている。2人は以前『俺たちに明日はないッス』(未見)で組んでいるようだけど、なぜなんだろう。向井はカッチリしたホンが書ける人だと思う。なのに、この映画は「間」あるいは「ムダ」ばかりでできている。「承」の部分ばかりで、肝心な「転」の部分を描かない。いうならば冗長さでもたせている感じ。しかも緊張感がない。そして、「結」も、はっきりとは描かず、曖昧なままはぐらかす。もともとの「起」の部分が大したことがないので、見ている間も見終わっても、だからどうした、としか思えない。「なぜ?」と問うても、答は見えてこない。暴力も、ひとつを除いてでてこない。でてくるのは、おおむね心やさしい人ばかり。そして、類型的ないやなヤツが何人か。描かれる茫漠とした世界に、未来も可能性も見えない。とくに、主人公の2人の少年には、アホじゃないの? という感想しかもてなかったし、周囲の、本来はサポートしてやるべき連中の知恵のなさには、あきれ果てた。現実はそんなにアホじゃない。もっとしたたかに立ち回っているはずだ。映画のために捏造された貧困や無知は、あまりにも稚拙すぎて説得力がなさすぎる。 allcinemaのあらすじは「高校生の卓巳は友人に誘われて行ったアニメの同人誌販売会で、あんずと名乗るアニメ好きの主婦・里美と出会う。彼女に気に入られた卓巳は、以来彼女に請われるままにアニメのコスプレで情事に耽る日々。しかし同級生の七菜に告白され、里美との情事を終わらせようと決意する卓巳。やがてある騒動が持ち上がり、彼は引きこもってしまう。そんな中、孫の顔が見たいと姑から責められ続ける里美、コンビニのバイトで認知症の祖母との極貧生活を耐え忍ぶ卓巳の友人・福田、助産師として働く卓巳の母・寿美子らもまた、それぞれに心に闇や痛みを抱え懸命に生きていたのだが…」 つくりは、完全に日活ロマンポルノだ。もうちょい性描写を粘着して描き、日常部分を大幅に圧縮すれば、そのままロマンポルノの脚本になってしまう。むしろ、そうしたほうがテーマや描きたいことが明瞭になるかも知れない。ロマンポルノの方が、人間の描写には厚みがあったし、存在感もあった。いっぽうのこの映画。不妊、コスプレ、認知症、産院、コンビニのバイト、掲示板サイト、児童虐待、児童への性的いたずら、万引き、貧困、闇金…など、社会問題をてんこ盛りにしている割りに消化不良。見てくれだけをきらびやかにしているだけの印象。なにもこちらに迫ってこない。原作がそうなのか、脚色が下手なのか、監督が見えていないのか。よく分からないけど、映画自体もふがいないものになってしまっていた。 映画は卓巳を中心にした前半と、良太を中心に据えた後半に分かれ、最後は織りなしていく。異様なのは前半で、途中で時制が分からなくなる。映画的な約束事にしたがわず、フツーにつないでいるので戸惑うが、しばらく見ていると過去に遡ってもういちど繰り返しているのが分かる。でも、とくに別視点になっているわけでもなく、新たな発見といえば、あんずの不妊治療にまつわることぐらい。そのためだけに、分かりにくい手法でリフレインする必要がどこにあるのだろう? しかも、この手のギミックはここだけで、他にはときどき字幕が入るぐらいなのだから。 リフレインで分かるのは、あんずの不妊。しかも、義母から石女と攻められている。なので、あんずが卓巳にアプローチしたのは、子供をつくるため? コンドームせずにセックスするのは、そのためなのか? かなりしたたかではないか。にしては、コスプレしてセックスしたり、変だけど。このコスプレも、あんずの未成熟の象徴かというと、そんな表象にもなっていない。そもそも亭主が早漏で精子が少なくマザコンであることに不満を抱いているわけで、いまだにファミリーロマンスを抱いているようにも見えない。専業主婦も、亭主に求められてしているようにも見えない。だったら、働けば? と思ってしまう。いや、そもそも、この2人はどういう縁で結ばれたのか、不思議になってしまう。 疑り深い亭主はビデオをセットして、あんずと卓巳の行為を録画する。義母は罵倒するが、亭主は「分かれない」と泣き出す。この件もよく分からんところ。そんなに分かれたくない女房なら、もっとやさしくしてやれ。でも、そんなそぶりはちっとも見えない。亭主がマザコン変態なら、さっさと家をでていけばいいだろうに。なんで? 生活力がないから? なんか、リアリティがない。 卓巳の母親は助産婦なんだけど、息子の、あずみとの行為の写真やビデオが流出しても、ニコニコしている。教師がやってきても、そのことに恐縮もせず、教師の妊娠を見抜いて説教したりする。おいおい。自分の息子のことをちったー心配しろよ。あんた、街中にも出て行けない状態だろうが、と思うんだが、そういうことを映画は一切無視する。 そもそも画像は誰が掲示板にアップしたのか? 亭主しか考えられない。なんのために? 浮気相手の卓巳を晒すため、はいい。でも、自分の女房が寝取られたことを知らせることになるのに、他にもあんずのノートに落書きしたり、卓巳に(できた子供のだといって)骨壺を送って来たり粘着だけど、そんなことをして、女房が戻ってくる、あるいは、離婚されずに家に縛り付けておける、と思っているのか? そんなアホな。 卓巳は、浮気はまずい、と思っているのか? 同級生の、卓巳も思っていた彼女に告白されると、あんずに、「悪いことだから、もう来ない」と宣言する。で、同級生とつきあい始める。人妻に迫られ、同級生には押し倒される。こんな仕合わせなことなんか、現実にはあり得ないぞ! と思っていたら、卓巳はあんずのもとに戻り、肉体を求める。…この過程が分からない。同級生とのキスだけの関係ではもの足りず、肉欲にずぶずぶってことか? そんな風には見えなかったけどね。で、このとき、またもや部屋にビデオがセットされているのだけれど、2度も同じ手にひっかかるとは、あんずもトンマだのう。もっとも、このときの映像は拡散されなかったようだけど、これを見て骨壺? 後半。良太は父方の祖母と暮らしていて、実母は男とアパート暮らし、散在、借金取りに追われる暮らしらしい。それでか新聞配達とコンビニでバイト中。そんな良太に、卓巳の母は、毎度、弁当をつくってやる。が、その弁当をいつも捨てている。これは、プライド? いやその前に、痴呆の祖母を抱えているなら学校に言う、役所に行く、生活保護を申請する。いくらでもあるだろ。卓巳の母も教師もバイト仲間も、なぜそれを言わぬ。と思うと、映画のためにつくられた設定としての貧困としか見えなくなるので、バカらしく見えてくる。同僚の財布に手を伸ばしたり、棚に並べる弁当の匂いを嗅いだり、米びつのそこを見つめたりしても、なーんも届いてこない。そうそう。米びつに隠した貯金通帳は2000円余りだったけど、それすら実母はもって行った? リアリティないね。 この映画で唯一の暴力事件は、授業中に友人たちに殴りかかり、返り討ちに遭う良太の部分だけ。といっても活劇はない。友人たちが卓巳をからかうようなことをいったからだったっけ? 忘れた。では良太は暴力的かというと、まったくそんなことはない。バイトの先輩に英語の答案用紙を見られ、「教えてやるよ」「必要ない」「攻めて大卒の看板ぐらい」「金がない」「なんとかなる」「それじゃ団地から一生でられないぞ」と言われ、殴りかかるのかと思ったら、なんと、家庭教師の申し出を受けた様子。なんと真面目で素直なんだ。映画的じゃないな、としか思えい。それと、大学神話に頼り切っているところが、非現実的。いまどき、手に職をつけた方がよっぽどましだろ。仏像修理とか刀杜氏、西陣織なんていう伝統工芸の道なら、食いっぱぐれ無いのではないかと思うんだが。 良太のパートでは、団地の子供たちがコンビニで万引き、実母のアパート前で虐待された少女、という、何のために描かれるのか理解不能なシーンがある。前者は、団地=貧乏を印象づけるためか。後者は、いったいなんのため? バイトの先輩の児童へのイタズラにつなげるため? なんか意味不明だったな。 良太と、バイトの同僚で同級生の少女が2人で、卓巳の流出画像のコピーを町や学校にばらまくのは、なぜなんだ? これも、意味不明な感じ。 てなわけで、後半はずっと不登校でベッドに潜っていた卓巳が、最後に制服をきて学校に行く。別に何も起こらない。あんずは、一人で電車に乗る。これは、離婚が成立した、ということなのか? なにも説明されないので、これも想像。というわけで、冗漫すぎるほど長いのに、ほとんど何も説明されることなく、だから何?的に終わっていく。タイトルにあるのだからと、ときどき空がインサートされるけれど、これにもほとんど意味はない。だから何? 面白かったエピソードというと、卓巳の担任の教師が妊娠しているのを隠していて、でもすでに堕胎できない状態で、でも相手の男には何も告げていない、という教師にあるまじき状態にあることなんだけど、現実にこんなトンマな教師はいないだろう。キャラでひとり異彩を放っていたのは、卓巳の母の助産院で働いている光代という役。彼女だけだな、リアリティがあったのは。田畑智子は乳首まで出してるけど、チラッとしか見せてくれないのはつまらん。 | ||||
アナザー・ハッピー・デイ ふぞろいな家族たち | 12/4 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/サム・レヴィンソン | 脚本/サム・レヴィンソン |
原題は"Another Happy Day"。allcinemaのあらすじは「離婚した元夫ポールのもとに暮らす長男ディランの結婚式のため、現在の家族を連れて久々に両親の住む実家へと戻ったリン。ポールとの再会は気が重かったが、それ以上に彼の現在の妻パティの存在が彼女の気分を滅入らせる。おまけに父親ジョーは認知症で、その世話に疲れ果てた母のドリスはすっかり神経衰弱に。しかも子どもたちは自傷癖にドラッグ中毒。誰もが相手を気遣う余裕もなく、祝いの席は鬱屈した不満や苛立ちで満たされていく」。 登場人物が多く人間関係がちょっと複雑なので、最初は戸惑った。リンの息子2人が今回の旅行をビデオ撮影しているという設定があり、冒頭で息子たちが母・リンに家庭環境を問うシーンがあったりして、説明しようとしているのは分かるんだけど、具体的に把握できず置いてきぼり。こりゃ、設定が分からないまま終わるかな…と思っていたら、中盤辺りからなんとなく分かってきた。人物の交通整理も、映画を理解する上で大切だよね。 正直いって、リンの苦悩はまったく理解できなかった。これは文化の違いか。アメリカ的な家庭の在り方、あるべき姿への思いに加え、アメリカ映画の定番の"口に出しての正当化"が重なって、うだうだぐぢぐぢ文句を言いっ放し。なんでなの? もう20年近く前に分かれた亭主ポールとその現妻パティにむしゃくしゃするって、あるのかね。面白いことに、リンの母親ドリスは、ポールとパティに対してフレンドリーなのだ。しかも、最後の方にリンが母・ドリスに「分かれることになったとき、どうして私の肩を持ってくれなかったの?」と愚痴る。ってことは、ドリスはリンに否定的だったということか。母親からも迷惑がられる性格だったのかもしれない。 離婚に際して長男ディランは父・ポールが、長女・アリスはリンが引き取ったんだけど、どーも、そのことにもリンは不満らしい。リンは2人とも引き取りたかったのか、なぜ出来なかったのか、ということははっきり描かれていなかったように思うんだが…。しかも、ポールがアリスに会いたがっているのに、会わせまいとする。アリスが自傷行為を繰り返す娘(大学3年生?)でナイーブだから的なこと言うのだけれど、とくに説得力はない。別れる前にポールがリンを殴ったとか、それをアリスが恐れて足にしがみついたとか、くだくだリンは言うけれど、そんなことが原因で自傷行為が始まるわけでもない。アリスにはそういう素質があるんだと思う。まあ、ポール憎しなのかも知れない。でも裁判所が仲介しているのだろうから、ポールがディランを引き取ることに問題はなかったんじゃないかね。そういえばリンは現妻のパティをも毛嫌いする。パティはエロチックで派手で明るい性格なんだけど、ひょっとして、ポールとパティの浮気が原因なのか? そんなこと言ってたっけ? だったとしたら、どうしてドリスはポールに好意的なのだ? それにしても、執念深すぎではないのかな。 ではリンが立派な母親かというと、うーむ。ディランとアリスは、リンとポールの子供。再婚して、2人の息子がいる。アリスは自傷行為。再婚しての長男・エリオットはアル中&ヤク中&トゥレット症候群の17歳。下の息子ベンは自閉症あるいはアスペルガー症候群。こんなに精神疾患ばかりだと、そりゃ遺伝だろ、と思いたくなってしまう。そんな訳で、リンに同情できるかというとそんなことはなく、逆に、ポールが気の毒、って気がしたりもする。ポール側の印象がよくないのは、現妻パティのせいだろ。で、このパティをデミ・ムーアがとても嫌らしく演じているので、どうしてもそうなってしまう。 ポールはアリスと話をしたがる。アリスも話したがってる。アリスが「2人だけで」というと、ポールは戸惑い「俺には妻がいる」と、パティも一緒に、という考える。ま、現妻に気を使ってるんだろうけど。で、後にポールがアリスに「2人だけで話を」ともちかけると、アリスはキッパリ断る。この辺りの考え方は、まったく理解できず。ほかにも、ディランの付き添いとしての母親役を、リンとパティとで争ったりする。ディランはリンに頼んできたくせに、育ての親のパティには説明していなかったのが原因なんだけど、よーく考えると、ディランの結婚式をリンの実家で開くという、そもそもの話にムリがあるよな。 リンの父親ジョーは痴呆が入っていて、しかも、病気持ち。しょっちゅう救急車の世話になっている。母親ドリスはどっしり構えているけれど、正直いってこの両親の存在は、この映画の中でどういう位置づけなのかよく分からない。たんに夫婦の行く末を暗示しているのか、とりあえず置いてみただけなのか、よく分からない。でもジョーは昔の、戦争のことを覚えていたりする。そして最後は、結婚式の夜、トラクターで暴走して木に激突してしまう。…のだけれど、その次のシーンは別に葬式ではない。ん? じゃ、ケガ? でも、妻のドリスだけは黒い服だったよな。ってことは、ジョーは死んだのか? でも、他の誰も喪服は着ていなかったぞ。結婚式にやってきていたから、喪服がなかった? なんか、よく分からないラストだった。 そのラスト手前、エリオットは、祖父ジョーの使用しているフェニルとかなんとかいう薬(モルヒネの81倍?)を見つけ、それをやって浮き輪で外洋にでてしまい、救出される。もう、これなんか、だから何? 的な展開で、どちらかというと散漫なだけ。帰結展をとくに設けず、風呂敷を広げるだけ拡げ、なにも収集していない。 他にもリンの兄弟姉妹、その子供たち、ポールとパティの子供たち、リンの亭主なんかも登場するんだけど、いまいち描き切れていない。もうちょい切り口を鮮明にして、何をいいたいかはっきりさせた方がよかったかも。 以上のように個人差もあるだろうけれど、この映画は世代間の差を描こうとしているのではないかとも思える。朝鮮戦争やベトナム戦争はあったけれど、繁栄のなかでとくに人生のあれこれを考える必要のなかった祖父母世代。彼らの理想は平和な家庭であり、離婚もなかった。その子ども世代は1960年前後の生まれ。経済成長はつづいていたけど、戦争は泥沼に入り込み、先が見えなくなってきていた。ドラッグや暴力、鬱も増加した。分かりやすかった東西冷戦が終焉し、目的も失われてしまった。混沌とした時代に、離婚する夫婦も増えた。愛してるも嫌いも口に出すのはアメリカの定番だけれど、いったん憎しみ合うようになると相手の非を追求しつつ自己正当化を貫き通す。そんな自己中心的な人が増えた。そして、彼らの子供たちは、親のいがみ合いを見て育ったせいで、内向的になってしまった。親の世代のようにストレスを上手く吐き出せないのかも知れない。そういった、米国内における世代間の違いを描いているのかもね。ただし、あまりにも凝縮しすぎてしまっていて重苦しく、しかも散漫になってしまった。人物を刈り込むとかした方がよかったかもね。 それにしても、結婚式を3〜4日(?)ぐらいかけてやるっていう風習もあるのか。前夜祭から後夜祭まで、わいわいがやがや、親戚が一堂に集まるというのは、うっとーしそーだな。でも、肝心の教会での式というのはなかったけど、それはそれでいいの? アリス役のケイト・ボスワースは可愛いんだけど、みたら1983年生まれって、映画を撮ってるときは28歳かよ。げ。懐かしいところでは、老父ジョー役にジョージ・ケネディだった。 式の前のスナップ。大人のチンポは毛ぞりしていて、モザイクはナシ。でもこの後のベンのチンポはボカシ在り。ん? ひょっとして、ベンは勃起してた? | ||||
裏切りのサーカス | 12/6 | ギンレイホール | 監督/トーマス・アルフレッドソン | 脚本/ブリジット・オコナー、ピーター・ストローハン |
原題は"Tinker Tailor Soldier Spy"。7ヵ月ぶり、2度目。前回の感想では「30%ぐらいしか分からなかった」「おお、と驚くところが、どこか分からなかった」と書いた。今回はホームページの人物相関図を見て、あらすじも読み、と予習していった。にもかかわらず6割ぐらいしか分かってないと思う。クライマックスの「おお」も、どこなのか、やっぱり分からなかった。そもそも記憶に残るこの映画の映像は、オッサンがカバン下げて町を移動しているものだけ。見返して、ああ、そうだった、と思い出しはしたけれど、やっぱり記憶に残る印象的なショットはなさそう。 「難解だ」とよく言われている。それは違う。説明が足りないのだ。たとえば"あらすじ"は、映画以上の情報を提供してくれる。たとえばスマイリーの妻・アンは、テイラーと浮気している、とあった。でも、映画ではアンの顔は見えない。ラスト近くでテイラーが語ることで、ふーん、と分かる程度にしか描かれていない。パーティの場面で幾分映像も出ているけれど、よっぽど慎重に見ていないと、初回で気づくのはムリじゃないのかな。 それと、名前の繁雑さがある。たとえばディンカーの本名はパーシー・アレリン。で、「パーシー」と表記されることもあるし、他者の会話に「アレリン」として登場することもある。ジム・プリドーしかり、ジョージ・スマイリーしかり、ピーター・ギラムしかり、リッキー・ターしかり、ビル・ヘイドンしかり。1人の人間に対して3つの呼び名を覚えなくちゃならないなんて、そりゃ無茶だ。 最初のブタペストの作戦。英国諜報部員はジム・プリドーだけだったのか? あわてて撃ったウェイターの男はロシアの諜報部員? 赤ん坊を抱いたまま頭を撃たれた女性は、関係者? 誰が撃った? イスタンブールの作戦、あれはリッキー・ターとあと2人が諜報部員? 酔っぱらいのターゲットは、あれはどうなったんだ? 酔っぱらいの妻・イリーナに惚れて接近したリッキー・ター。ってことは、酔っぱらいとイリーナは、ロシアの諜報部員同士で夫婦? 夫婦を装っていた? そのイリーナだけが西側に寝返ろうとして発覚したってことか? 首を掻き切られていた男と、浴槽で内蔵をはみ出させていた男は、英国諜報部員? リッキー・ターはは、どうやって逃げてきたのだ? ジム・プリドーは、誰が二重スパイか知っていた、ようだ。告白できなかったのは、彼がスパイと同性愛関係にあったから・・・。でもね。ジム・プリドーが生きていて帰国していたのは、英国諜報部の幹部や総務は知っていたのだよな。では、なぜその情報が広まらなかったのか? または、何か聞き出そうとしなかったのか? スマイリーも二重スパイが誰かはうすうす感づいていたようだけど、スマイリーに接触したとき聞き出していた? ジム・プリドーは、イリーナから二重スパイが誰かを聞き出していたんではなかったの? そんな風に見えたけど、違うのか? 知ってたらスマイリーやピーター・ギラムは詰問しただろうに、そんな風にも見えなかった。ううむ。よく分からん。しかし、ジム・プリドーは、ロシア諜報部に連れ去られたイリーナを、英国に引き取ることができると本気で思っていたのか? アホじゃないのか? 疑わしい幹部のティンカー、テイラー、ソルジャー、プアマンの4人。ソルジャーとプアマンはほとんどフィーチャーされていない。とくにソルジャーは画面にもあまり写らない。じゃ、ティンカーかテイラーだよな。しかも、ティンカーが怪しいというようなミスリードが多くでてくる。これじゃスパイはテイラーだと言ってるようなものだ。謎解きとしては薄っぺらだな。 で、ヤマ場のひっかけだけど、よく分からなかった。ウィッチクラフトなんとかで、ロシアのスパイから情報を得ることができるようになった。その情報をアメリカに提供することで、英国諜報部は、失墜していたアメリカからの信頼を得ることが可能になった。というわけで、幹部4人がせっせと情報を複写して持ち出していたようだ。そのために秘密の部屋を借りていた、と。で、なんかよく分からん罠を仕掛け、そこにテイラーが引っかかった…のようだけど、このくだりがよく分からず。 その秘密の部屋の場所を知るのも、なんかなあ、という手法だった。スマイリーがプアマンをクルマに乗せ、飛行場に連れていく。そこで、恩義を忘れたか、どっちに付く、なんなら送還するぞ、とプアマンを脅す。するとプアマンは泣き顔になって秘密の部屋の住所を言うのだけれど、なんか、ちゃちくないか? スマイリーはロシア諜報部のカーラに一度だけ会ったことがあり、妻から送られたライターをプレゼントしたことがあるらしい。で、そのライターが後半に登場するんだけど、それが二重スパイ発覚のきっかけになるのかと思ったら、そうでもなかった。 で、逮捕監禁されたテイラー。国内で禁固刑かと思ったら、送還して終わりなのか? スパイの世界とはそういうものなのか? まあ、もっとも、テイラーは同性愛の相手であるジム・プリドーに射殺されてしまうのだけれど、それでめでたい完結なの? 殺るならもっと早く殺るべきだったろ。なんで突然、その気になったのか? ジム・プリドー。わけが分からん。 というわけで、納得できる説明をしていないのだから、なるほど、と分かるような映画ではない。ちっとも難解ではない。難解さを装って悦に入っているだけの話だ。映画としては二流であるとしかいいようがない。 | ||||
007 スカイフォール | 12/7 | 新宿ミラノ2 | 監督/サム・メンデス | 脚本/ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、ジョン・ローガン |
原題は"Skyfall"のみ。allcinemaのあらすじは「NATOが世界中に送り込んでいるスパイのリストが盗まれる緊急事態が発生。英国の諜報機関M16のエージェント“007”ことジェームズ・ボンドは、リストの収録されたハード・ドライブを取り戻すべくMの指示に従い、敵のエージェントを追い詰めていく。しかし、その作戦が失敗に終り、組織内でのMの立場も危うくなった上、今度はM16本部が爆破される事態に。そんな窮地に立たされた彼女の前に手負いのボンドが姿を現わし、首謀者を突き止めるため僅かな手掛かりをもとに奔走する。やがてついにその黒幕が判明、一連の犯行は、Mへの復讐に駆られた元M16の凄腕エージェント、シルヴァによるものだった。執拗にMをつけ狙うシルヴァとの決死の戦いに挑むボンドだが…」 冒頭のアクションは定番通り。屋根の尾根をバイクで走るところは「すごっ!」。でも、同僚のイヴが撃った弾丸がどこに当たったのか不明なのは変じゃないのかね。当たってないの? で、最初のエピソードは別件…かと思ったら、その後につながっていた。 冒頭で追跡し、捕まえられなかった相手が、M16で簡単に判ってしまうのはちゃっちー! その男が上海で狙ったのは、誰なの? モジリアニを買おうとしていたのかね? で、そこにいた背の高い中国女性はシルヴァの女。男はビルから落ちて、残されたチップをマカオのカジノに持っていくと大金と交換してくれる…って顛末の意味が分からない(カジノに乗り付けるところは「千と千尋の神隠し」を思い出した)。この辺りからすでにシルヴァの意志が介入し、中国女にボンドを誘わせ、軍艦島におびき寄せた? って、それについていくボンドも浅はかだろ。ボンドは了解して罠にはまった? そうかね? で、盗まれたデータの解析がM16のMのPC上で行なわれていることが分かり、Mがオフィスに戻る途中でM16が爆破される。シルヴァがネットから介入し、Mへの警告として爆破したらしい。…という、軍艦島からの展開で、このたびの敵は元M16のシルヴァの逆恨みということが分かるんだけど、話が小さいなあ…。東西冷戦が終わり、北朝鮮やイラン・イラクのテロもひと段落して、今度は個人的な恨みに対してM16が防戦するのか。うーむ。 ボンドが助かるのは、小型無線発信器によってM16がヘリで救出に来たから。…って、そんな発信器が新兵器って、笑っちゃうよな。そういえば、もうひとつの新兵器は指紋認証でボンドしか撃てない拳銃。これもアホみたい。ジョークか? 呆気なくM16に捕まり、ガラスの収容室に入れられるシルヴァ(この辺りはレクター教授や「踊る大捜査線」の小泉今日子を連想)。でも、定番通りここも「わざと捕まった」ことになっているが、何のために捕まったのかよく分からん。これは、シルヴァがMに会って恨みを言うため? 恨みの原因は、シルヴァが敵に捕まったとき拷問に耐え、自殺薬を試みたが死にきれず、顔が変形してしまったことにあるみたい…。でもそれはシルヴァのMに対する屈折した愛情表現で、マザコンの子供が母親に見捨てられたことへの恨み、らしいんだけど。でも、そのために部下を大量に雇い(どういう連中なんだ?)、軍艦島を根城にして武装してM16を攻撃するというのも、突拍子もない話。過去の007の、そもそもあり得ない設定なら見過ごせるけど、ダニエル・クレイグのシリーズでは、話が浮きすぎだろ。 最後、ボンドはMをかつての自宅に避難させ、そこにシルヴァをおびき寄せる。ここもすべて個人的なんだよな。シルヴァの部隊は攻撃用ヘリ1台(登場シーンは「地獄の黙示録」を連想した)で、あとは歩兵。総勢20人ぐらい。どうせならロケット砲でも撃て、と思うんだけど、機関銃だけと控え目なヘリにいらつく。シルヴァが中途半端なら、ボンドもいい加減。M16はボンドやMの居場所を知りながら、助けにも来ない。戦車とかジェット機とか陸軍歩兵大隊でも投入してシルヴァを一気に叩きつぶせよ。ボンドと、ボンド家の昔の老召使い(?)、それにMの3人で籠城して戦う(ここでは「十三人の刺客」を連想)なんて、バトルシーンをムリやり派手にするための設定でしかない。その後の、召使いがMを逃がすところでも、召使いは闇夜に懐中電灯を使用して逃げる。バカか。 というわけで、設定も展開も杜撰極まりなく、冒頭の緊張感はどこへやら。中盤はだれるし、最後もいまいち。これからボンドは、イギリスを何の手から守るのだ? なんか、曖昧なまま終わってしまった。ううむ。 Mの決断によって命を失いかけたボンドが冒頭にあり、Mの指示で自死を試み死ねなかったシルヴァが敵として登場する。同じ状況なのに、ボンドは国家に忠誠を誓いつづけ、シルヴァは刃向かってくる。という違いを見せているのは分かるけど、だから何? だよなあ。 ・Mが死んじゃうってことは、ジュディ・デンチが引退したいと自ら言ったからなのかね。 ・シルヴァ役のバビエル・バルデム。鼻の穴のカタチが左右で異常に違うんだけど、あれはホントの顔みたいだな。 ・ボンドは中佐なのね。ボンドの両親の墓が登場する。この辺りの妙なリアリティは、クリストファー・ノーランの「バットマン」を意識しているかな。 ・ボンドが連れ去られるシルヴァの根城は、ひと目見て軍艦島と分かった。エンドクレジットには漢字で「軍艦島」とでていたけど、日本だけのサービスなのか? これまでのボンドシリーズでお馴染みだった設定が、オマージュみたいな感じで登場する。指紋認証拳銃や無線機を提供するQ(若い!)、ボンドとMがボンドの家に逃げるのにアストンマーチンのボンドカーを使う(なんで? としか思えないけど)。ラストはボンドがコートかけに上衣をかけ、秘書(イヴが現場を退いて事務方に!)と話をし、新しいM(でいいのかな?)に挨拶…ということに。 | ||||
裏切りの戦場 葬られた誓い | 12/10 | シネマスクエアとうきゅう | 監督/マチュー・カソヴィッツ | 脚本/マチュー・カソヴィッツ、ブノワ・ジョベール、ピエール・ゲーレ |
原題は"L'ordre et la morale"。「秩序と理性」「命令とモラル」…そんな感じらしい。 allcinemaのあらすじは「1988年4月、フランス国内では現職のミッテラン大統領とシラク首相が激突する大統領選挙が近づいていた。そんな中、フランス領ニューカレドニアのウベア島でカナック族の独立派グループがフランス憲兵隊宿舎を襲撃、警官4名が死亡し、30名が誘拐される事件が発生。国家憲兵隊治安部隊のリーダー、フィリップ・ルゴルジュ大尉が交渉人に任命され、部下50名とともに現地に飛ぶことに。ところが、現地では精鋭300名を率いる陸軍が幅を利かせ、ルゴルジュは彼らの指揮下に入ることを余儀なくされる。大統領選を控え、政治家の意を汲み強行策の構えを見せる陸軍に神経を尖らせながら、平和的解決の道を模索して懸命に両者の調停に奔走するルゴルジュだったが…」で、「フランス政府が未だ認めていない事件の真相を、当時フランス側の交渉役として現場に身を置いたフィリップ・ルゴルジュ大尉の告発手記を基に(略)映画化」だそうだ。 そんなことも知らず戦争肉弾映画かと思って行ったら、独立運動過激派によるテロの鎮圧話とは…。邦題が、あまりにも酷すぎる。マチュー・カソヴィッツは監督/脚本/出演/製作/編集と、凄い働き! この映画、様々な壁に阻まれて交渉がうまく行かなくなる過程を描いている。でもフランス国内の事情が分かりにくくピンとこないところがある。主たる背景は、左派のミッテランと首相シラクの一騎打ちとなった大統領選。で、シラクと何とかいう大臣と陸軍はつながっていて、積極的な鎮圧で支持を得ようとしているらしい。一方フィリップ大尉の元上官は、現在、ミッテランの秘書かなんかやってて、穏健に収束させようとしている、らしい。でも、なぜそういう政策の違いがあるのか分からない。なぜ陸軍が鎮圧するとシラクの手柄になるのか? 国民は武力による鎮圧を願っていたのか? でも、終映後のテロップではミッテランが勝利、とでていた。じゃ、シラクにとって強攻策は意味なかったってことになるじゃん。武力鎮圧はほぼ成功しているのにねえ。…というわけで、社会的な背景についてかっちり描いて欲しかった。 さらに陸軍と憲兵隊の対立もあるんだが、なぜミッテランvsシラクにつながるのか分からない。もちろん憲兵隊の位置づけもよく分からない。フィリップの上官で憲兵隊の将軍は、陸軍の将軍を「あいつは昇進を狙ってる」なんていってたけど、どうして指揮権が陸軍で、フィリップはその指揮権に入らなくちゃならないのか。なんとかいう大臣の考えによるのかな? やたら似たような顔の役者がでてきて(とくに政治家や軍部に)、誰だっけ現象が起きてしまうことがしばしば。もうちょい人間を掘り下げて欲しかった。あと分からないのが、独立運動を行っている解放戦線の現指導者(?)みたいなのが出て来ること。マショロが殺された云々というのは、過去の指導者のことなのかな。他にも独立運動に携わったり反フランス的な活動をしている現地人が抹殺されているという話もあったけど、会話だけ。テロを主導した解放戦線の幹部が、なぜ捕まらないの? 分からんねえ。 フィリップと検事補みたいなのが偵察に行くと、簡単に過激派と接触できてしまうのが嘘みたい。しかも、隠れ家の洞窟もすぐ分かってしまう。そして過激派は、銃は持ってるけど組織化されてない烏合の衆に見える。過激派は数10人レベルなのに30人も人質をとっていって、そんな足手まといなことを…。だから割りと簡単に陥落させることができそうな気がしてしまった。でも、現実は手間取ってたけどね。 で、フィリップと過激派のボス・アルフォンスとの交渉は案外友好的に進んでいく。アルフォンスは「解放戦線の指示でやったこと」と心情を吐露するし、解放戦線の命令があればいつでも交渉に応じる用意があるようなことをいう。でも解放戦線は助けには動かず、過激派たちは梯子を外されたかたちで、後に引けなくなってしまう。それで、島の開発を進める法律を廃案にし、現地人の文化を守るよう要求するんだけど、フランス政府は応じるつもりはない。シラクは選挙前に片をつけたいし、アルフォンスは現政権とは交渉したくない。齟齬がどんどん広がっていく。 フィリップは穏便に解決したいので、マスコミを現場に連れていって真実を見せようとするが、何とか大臣に制止されてしまう。大臣はあくまで強攻策で成果を挙げたいようだ。成功したらシラクの成果、失敗したら軍隊のせいにするらしい。で、いよいよ攻撃時刻が決定し、フィリップは交渉打ち切りと攻撃への参加を要求される。このとき陸軍の将軍はフィリップに「軍人は命令に絶対服従」と告げるのだよな。軍人は命令には絶対服従だから、忸怩たるものがあったはず。だってアルフォンスには「大丈夫だ安心しろ、まかせておけ」と言ったのに、武装して攻撃することになってしまったのだから。 で、攻撃の結果、フランス軍は死亡1名だったかな。過激派は10人ぐらい討ち死に? 派手に見えた戦闘だけど、案外と犠牲者は少なかったのね、というのが印象だ。 他にも、現地人でもフランス軍憲兵隊で働くのもいれば、独立運動に燃える人もいる。若い連中は長老の言葉にも従わない…。なんて感じで、どん詰まりなところも考えさせる。そもそも、フランスひどい国だよな、という気分になってくる。あんな島を植民地にしつづけていて、何の得があるのだ? 冒頭は攻撃終了のシーン。そこから逆まわしで10日前に…。フィリップへの命令、ニューカレドニアへの出発…以下、攻撃まで10日、9日、とカウントダンされていく。しかし、中盤がちょっとタルイ。しかも、政局や軍部の関係が曖昧なままだから、なんとなくしか理解できない。もっとメリハリをつけて、しかもテンポよく構成すれば、もっと緊張感のみなぎる映画にできたような気がする。もともと素材としては一級品で、南海の島をいまだに植民地とし、独立を認めないフランスの政策への批判もあるわけで、そのあたりを鋭く描いて欲しかった感じ。2時間越えはつらいので、やはり2時間未満でね。あと、フィリップ大尉の私生活も、もうちょっと見せてもいいかもね。不細工な奥さんが2カットだけというのも寂しすぎる。 | ||||
ル・アーヴルの靴みがき | 12/10 | ギンレイホール | 監督/アキ・カウリスマキ | 脚本/アキ・カウリスマキ |
原題は"Le Havre"。これで「ル・アーブル」と読むようだ。 allcinemaのあらすじは「北フランスの港町ル・アーヴル。かつてパリでボヘミアン生活を送っていたマルセル。今はここル・アーヴルで靴みがきの仕事をしながら、愛する妻アルレッティとつましくも満たされた日々を送っていた。しかしある日、アルレッティが倒れて入院してしまう。やがて医者から余命宣告を受けたアルレッティだったが、そのことをマルセルには隠し通す。そんな中、マルセルはアフリカからの密航者で警察に追われる少年イドリッサと出会い、彼をかくまうことに。そして、母がいるロンドンに行きたいという彼の願いを叶えてあげるべく、近所の仲間たちの協力を得ながら密航費の工面に奔走するマルセルだったが…」 『裏切りの戦場 葬られた誓』が2時30分過ぎに終わり、グレートインディアでマトンカレー。そのまま歩いて4時に飯田橋到着。時間が合ったので4時10分の回に…。遅めの昼食のせいもあるだろうけど、話が面白くない。黒人少年の祖父(?)だったかな、に会ってロンドンにいる彼の母親の住所を聞いた次の辺りで沈没。気がついたらコンサートかなんかの場面。後はちゃんと見たけど、30分は寝ちゃったかなあ…? 20分ぐらいかなあ? カウリスマキは初めてかな? 何か見ているのか、記憶にない。それにしても妙な演技というかセリフまわし。棒読み。セットは書き割りみたいな単調さ。気どった動作。ある意味で類型化されていて、芝居のようだけれど、芝居ではない。リアリティを排し、カリカチャライズしたような感じ。でも、寓話にもファンタジーにもなり切れていない。だって、密航は、現在において切実な問題であるはずだから。たとえば『君を想って海をゆく』と比べて見ろ。こういうのは肌に合わんぞ。 しかも、話は↑のあらすじにあるそのままで、それ以外にない。あまりにも単純すぎて、バカバカしくなってきてしまう。登場人物もパターン化されている。しかも、みないい人で、黒人少年を匿うことに協力的。唯一、疑りの眼差しを投げかけていた警視も、最後は見て見ぬ振りというより、積極的にロンドンへの密航に加担する。さらに、末期ガン(?)かと思われ、ラストではベッドが空になっている場面まで写しておいて、なんと、病巣が消えてしまった! という口あんぐりのハッピーエンド。なんだ、この楽天性は。 「心をみがけば、奇跡はおこる」「人情ドラマの傑作」「人間讃歌」「至福のハッピー・エンディング」「心温まるヒューマン・ドラマ」…などなど、言葉の空回りでしかないだろ。ほんとにフランス人は黒人密航少年にこんなに温かいのか? それとも、あり得ない理想を描いて、現状批判をしているのか? どっちなんだろうね。 タッチがリアルなものだったら、少しは感情移入できたかも知れないんだけど、これじゃなあ…。アホか、としか思えなかった。ま、寝てた間に感動的な場面があったのかも知れないんだけどね。 | ||||
のぼうの城 | 12/16 | MOVIX亀有シアター4 | 監督/犬童一心、樋口真嗣 | 脚本/和田竜 |
コミックの存在は知っていたが、それだけ。Webをみたらもともとは和田竜の脚本で、それが小説化、そして、コミック、さらに当初の脚本をもとに映画化らしい。犬童一心らしく大雑把なまとめ方、というか、とりあえずつなぎました、ってな印象。素材は面白そうなのに、料理が下手なんだよな。樋口真嗣との共同監督らしいが、どう分担したのかは分からない。 allcinemaのあらすじは「天下統一を目前にした豊臣秀吉は、最後の敵となった北条勢への総攻撃に乗り出す。包囲された小田原城を残し、支城が次々と陥落していく中、周囲を湖に囲まれ“浮き城”の異名を持つ“忍城”にも危機が迫る。ところが、小田原城の援軍に向かった城主・成田氏長に代わって城を任された従弟の長親は、のんびり屋で何を考えているか分からず、武将としての器も到底あるようには見えなかった。しかしなぜか領民からは慕われ、“でくのぼう”が由来の“のぼう様”という嘲笑と親しみが入り交じるアダ名で呼ばれていた。そんな長親に対し、秀吉の命を受けた石田三成が総勢2万の大軍を率いて開城を迫ってきた。忍城に残る500の軍勢では太刀打ちできるわけもなく、長親に秘かな想いを寄せる城主の娘・甲斐姫や、長親の幼なじみで歴戦の猛者・丹波はじめ、誰もが開城を受け入れるものと思っていたが…」 冒頭の天正10年の水攻めが、よく分からなかったが、映画の途中で石田三成が忍城の水攻めを主張し、やっとつながった。あれは高松城の水攻めで、三成は秀吉の水攻めを見て感激し、それで忍城にも使用したということか。さらに、次に混乱したのが成田氏長、成田泰季、成田長親、甲斐姫の関係で、氏長と長親は従兄弟同士だから泰季は氏長の叔父になって、甲斐姫は長親から見ると従兄弟の子供ってことか…なんて家系図を浮かべていたらどんどん話が進んでいく。おいおい。こっちの頭が悪いのか。 てなわけでこの映画、なんか、バラバラな印象なのだよなあ、全体が。トーンが統一されていない。ちょっと変人の"のぼう"こと長親のエキセントリックなパートは、全体からするとかなり浮いている。それに、長親がどういう人間か、よく分からない。エピソードとして柴崎和泉守だったけっけかが酒巻靭負にこんな話をする。「城中の某が百姓女を手込めにした。それを聞いた甲斐姫が某を殺した。某の親類が怒ったが、成田長親が鎮めた」とかいう話なんだけど、どう取りはからったのかは説明しない。(この一件を酒巻靭負は知らなかったみたいななのだけど、そりゃ変だよな。また、酒巻靭負は甲斐姫を見たことがなかった、というのも不自然だ) たんに百姓と分け隔てなく接するから(?)ぐらいしか描かれない。これじゃ、たんなるバカだ。子供の頃は腕白で、正木丹波守利英とイタズラばかりしていたと語られていたし、愛すべきバカではあるけれど、実はなかなかの切れ者というのが納得できるように描いて欲しかったよ。 甲斐姫の存在もテキトーすぎ。家臣である酒巻靭負に「好きだ」といわれ(それ自体もあり得ない話だが)、「分かった」などと笑い返す。こういう現代風な味付けがされているかと思うと、一方では「領地の安堵を願う」云々と、たぶん一般の観客や子供が聞いても理解不明な昔流の物言いがあちこちに登場する。しかもこの映画、セリフがとてつもなく聞き取りづらいので、なんとなく雰囲気で見ていくことになって、落ち着かないことおびただしい。そういえば、氏長は秀吉に内通することを決めているのに北条氏の小田原城に向かう理由も、セリフではしゃべってたけど、よく分からなかったな。 で、いったんは氏長の内通・開城に従うことを決めた長親だけど、三成の使者があれこれ条件をつけ、甲斐姫を差し出せ、といわれて戦闘開始を決意してしまう。うーむ。お前ひとりの見解で家臣を殺すのか、民百姓を危険にさらすのか…。なに考えてるのか、よくわからんな、長親って。 で、戦闘の様子は「七人の侍」「十三人の刺客」なんかの劣化コピー。焼け石が爆発したりなんやかや、誇大すぎるだろ。これに三成は水攻めを決意するんだけど、突然なんだよね。もうちょい必然性をだしてくれたらよかったんだが…。それにしても、堤防をつくり水を流し込むシーンは派手すぎ。あんなに波立つわけがない。見かけが派手なぶん、嘘くさく感じられた。しかもCGのちゃちいのなんの。愕然としてしまった。じわじわ水位が上がっていく方が怖い気がしたんだけど、どうだろうか。 膠着状態で、長親は「水攻めを破る」と言いだし、船をこぎ出す。で、水上で歌い踊り、味方側も敵側も引き込み、笑いの渦にする。そもそも味方からも敵からも遠いところで歌ったり踊ったりしても、見えないし聞こえないだろ! というツッコミはさておいて、これは敵方に狙撃させて味方を結束させる作戦なのだという。アホか。さらに、敵方に降った百姓たちから反乱者が出て、堤防を決壊させるきっかけにしようとしたものだ、という。アホか。そんな不確定な策略、どこに説得力がある。ご都合主義なだけだ。 最後は結局、三成にも気に入られ、条件をつけられるどころか条件をつけて開城した、ということになっているけれど、これも「なるほど」とは言えないよな。作者に都合よく話を進めているだけで、あまり気持ちよくエンディングを迎えられない。もちろん史実に基づいているから結論は変えられないだろうけれど、なんかもうちょっと全体に統一感の取れたトーンがあるべきで、その上で話が転がっていけば、デキは違ったんじゃなかろうか。なんか、人物を大事に描いてないなあ、という感じがしてならない。あと、クライマックスがなくて高揚したまま終われないのは残念なところか。結局は負け戦なんだからしょうがないんだろうけどね。ダブル監督のせいもあるのだろうか。 百姓たちの描き方も、いまひとつ。当時の百姓は足軽にも取り立てられるのも普通で、なかで、関東武者の血をひいていないのはいない、みたいなことをいっていたが、その通り。であれば、もっと誇りを持った百姓として描いてもよかったはず。なのに、いまだに「七人の侍」の虐げられた百姓みたいに描かれているところがある。それが戦になると急に元気になったりして、変。 とはいいつつ、戦によって家族が死んでいく様子をちゃんと描いたりしているのは、ご立派。長親の、戦に巻き込んで申し訳ない的な部分があったりしたら、もっといいんだけど。 長親の野村萬斎が浮いている。秀吉の市村正親も、周囲関係なく演じてて、ううむ…。甲斐姫の榮倉奈々がこれほどまでにセリフ棒読みとは…。アクションもできてないし。甲斐姫の母親が鈴木保奈美というのは、エンドロールでやっと気づいた。泰季の平泉成、柴崎和泉守の山口智充のマジックで書いたみたいな過剰なメイクは黒沢映画の真似か。いっぽうで酒巻靭負の成宮寛貴は、素に近いメイク。ううむ。 | ||||
汽車はふたたび故郷へ | 12/19 | ギンレイホール | 監督/オタール・イオセリアーニ | 脚本/オタール・イオセリアーニ |
原題は"Chantrapas"。フランス語から生まれたロシア語で、「役立たず」「除外された人」という意味らしい。フランス/グルジア/ロシアの資本が入っている。冒頭でGeorgiaという文字が見えたので「グルジアかな?」と思ったけど確信がないまま見てた。「ロシア?」「旧ソ連のどっか…」という感じでね。 allcinemaのあらすじは「旧ソ連時代のグルジア共和国。気ままでやんちゃな少年時代を過ごしたニコは、やがて憧れの映画監督になる夢を実現させる。しかし、苦労して撮り上げた映画は検閲官の判断によって上映禁止に。おまけに何者かの監視に遭い、一時的に投獄されるハメに。グルジアでは自分の撮りたい映画が撮れないと、ついにフランスへ旅立つ決心をするニコだったが…」 旧共産国らしいのは、冒頭の試写の部分でも分かる。のだけれど、じゃあ1990年以前かというと、そうも見えないところがある。たとえば後半、パリの市街が登場するのだけれど、写るクルマが21世紀仕様のものにしか見えないんだよね。携帯がでてこないから昔かも知れない、とは思うけど。さらに、主人公ニコラスと同級生のカトリーヌ、もうひとりの同級生の男の子たちの現在の職業も「想像しろ。気づけ」というような表現で、冒頭の試写のシーンは、自主フィルムをつくっているのかな? 旧友2人は同志? と思ったら、なんとカトリーヌは国家の文化部門の偉い人になって入るみたい。で、ニコラスも、国家に勤務する映画監督らしい。フランスに行ったときの会話で「文化参事官」とか言ってたような気もする。というわけで、主人公をめぐる設定が無茶苦茶曖昧。 ニコラスの私生活も、よく分からない。両親がいて祖父母がいて…らしいけど、どうやって国家の映画局みたいなところに仕事を見つけられたのか。少年少女時代から一気に飛んでいるので、さっぱり分からない。 その少年少女時代はファンタジックでいいんだよ。なかなか。小柄な身体でガキ大将に向かっていくニコラス。かばうカトリーヌと少年。の3人は汽車のただ乗りしたり聖画を盗んだりタバコを吸ったり悪ガキそのもの。この3人が長じても信頼できる仲間として活躍するのかと思いきや、ちゃんと描かれるのはニコラスだけ。もうひとりの男の子なんて、どこにでてるのか何の仕事をしているのかも、よく分からない。映画製作スタッフか? これだけでもがっかりだよ。 さらに、老人たちのダンスパーティや、老人同士のケンカなども描かれるけど、何の意味があるのかさつぱり分からない。 で、国内で撮った映画が撮影所長や文化局(?)のお偉方に評判が悪く、自分で編集しようとしていたのに老人の編集者にフィルムが渡ってしまう。こんな状況はやだ、というわけで、どういう経緯でそうなるのか知らないけど、ニコラスはフランスに行く。あー、その前に、グルジアを訪れたフランス人(?)に、夜間、こっそりフィルムを渡すシーンがあったんだけど、あれはどうなったんだ? 国内上映禁止だから秘密裏に持ち出してもらい、国外で上映を…ということなのかと思ったんだけど、その後が描かれていないのだよな。で、ニコラスはどういう立場でフランスに行くのか、説明はない。でも、工事現場で働いたりしてるのだから、一私人としてなのか? いや、祖父の昔の知り合いを頼っていった筈なのに、スパイから監視されていたりするし…。でも、若い女性のスタッフがついていたりして、どーなってんだ? な感じ。しかも、グルジアのフランス大使(?)みたいな人物に、疑いを晴らしてもらったり…。かと思ったら、どういうツテでなのかフランス人のスポンサーを得てフランスの撮影所で映画を撮ることになってしまう! あるときフランスの映画製作者たちに、グルジアで撮ったフィルムを見せる(?)シーンがあるんだけど、ここでファンタジーが顔を覗かせる。人魚だ。なぜか知らんがボートで別荘みたいな所へ行き、上陸する直前にニコラスは黒人の人魚を目撃。そのあおりで池(?)に落ちる。のだけど、意味が分からん。 でまあ、結論をいうとグルジア国内のときと同じように、撮影したフィルムは製作者には評判が悪く、別に編集者を立てられてしまい、ケンカ。声援を送ってくれるのは、件の女性スタッフと小道具スタッフの男だったりする。またしてもグルジアのときと同じ結果に。で、できあがった映画を試写すれば、観客は全員が途中で立って帰ってしまう(…このとき、試写会場入口に貼ってあったのは人魚のポスターなんだけど、意味あるのか?) 製作者に対しては「娯楽映画を撮るとでも思ってたのか」と捨て台詞を吐く。そうして、結局、グルジアに戻ってしまう、という話。 とまあ、だいたいのストーリーは分かるんだけど、描かれているエピソードなどが有機的に結ばれていかず、延々ずっとバラバラなままな感じ。断片的で、説明なんかするものか、という具合に進んでいく。ニコラスとカトリーヌの恋物語もないし、フランスでの恋もない。 ニコラスは、大衆に分かりやすい映画は好きではない様子。他人に口を出されるのも大嫌い。好きなように撮りたいらしい。シナリオの途中変更もしょっちゅう。事前に提出した通りの話ができてこない。で、それを諫められるとカッカしてしまう、とっても嫌なヤツにしか見えない。グルジアでも、フランスに渡ってもね。映画は監督の自伝らしいけど、こういう我が儘なことをやってきた反省というわけでもないらしい。でも、どうやって自分の正当性を主張できるのか。この映画では、とてもできそうにない。 最後、グルジアに戻ったニコラスが釣りをしていると人魚がやってきて、湖底へと誘われる。…なんだよ、「スプラッシュ」か。 で、ニコラスが撮る映画はどんなものか。冒頭の部分は、自然破壊への警鐘みたいなショット。その後の、グルジア国内で撮っていたのは兵隊が暗殺されたり銃殺されたりする映画。フランスでは、犬の散歩や、ワケの分からんラブストーリーみたいの。どれも面白くなさそうだ。 なんか、基本的にズレまくってる映画なような気がしてならない。 | ||||
悪の教典 | 12/21 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2 | 監督/三池崇志 | 脚本/三池崇志 |
原作は貴志祐介。彼が原作の『黒い家』は、最初から怪しいヤツがやっぱり悪いヤツだった、という展開だった。しかも、大竹しのぶの演技が笑えて笑えて。どこがホラーだ!…という記憶が蘇るのだが、なんとこの映画も何の工夫もなく、最初から怪しいヤツが悪いヤツだった。しかも、クライマックスでもリアリティがなく笑える。これも『黒い家』と同じ。意外な真実とか思わぬ展開、あっと驚くどんでん返し的な仕掛けはこれっぽっちもない。 allcinemaのあらすじは「頭脳明晰なうえ爽やかなルックスで生徒はもちろん、同僚やPTAからも信頼の厚い高校教師、蓮実聖司。しかし彼の正体は、自分にとって邪魔な人間と思えば、平気で殺すことができるサイコパス(反社会性人格障害)だった。蓮実はそうやって絶えず障害を取り除き、学校を思い通りに支配してきたのだ。ところがある日、ついに完璧だった手際にほころびが生じ、自らの正体が露呈する危機に。蓮実はその窮地を脱する最後の手段として、文化祭の準備で学校に居残る生徒全員の殺害を実行に移すのだった」で、内容にはこれ以上の何もない。では映像表現が面白いとかキャラクターがいいとかがあるかというと、これもない。みな中途半端。 蓮実聖司が"明るい"ってのは最初の方に描かれている。でも学園内にはカンニング事件やいじめ問題もあって、清々しい存在かというと、そうでもない。生徒との関係もわざとらしいし、私生活に全く触れられていないので、なんとなく怪しい。一人暮らしで、電流の通じたワイヤに止まったカラスを焼き殺したりするし、保護者の滝藤賢一を殺害するため準備する辺りは、もう完全に怪しい。で、最後まで怪しいままだったりする。意外性ゼロだよな。 生徒たちに、感情移入できそうなのがいない。というより、見分けがつかないよ。二階堂ふみは分かるけどね。染谷将太と仲のよい役者と、蓼沼役の役者と、なんとなく似ている…。ラスト、二階堂ふみと生き残ったのは、どっちだっけ? 染谷将太の友だちだっけ? てな有り様で、役者の区別がつかない俺も悪いんだろうけど、もうちょい顔つきの違ったのを配してくれないかね。それと、山田孝之に脅されて肉体関係をもった娘も顔の印象薄い。いじめられていた滝藤賢一の娘って、後半に登場してたっけ? 東大目指してる子はメガネかけてたからわかる。美術部の子はよく見かける子なので分かる。でも、アーチェリー部の子なんか分からんよ。デブ、チビ、丸顔、四角顔、いかついの、細いの、眉が太い、タラコ唇…とか、見分けやすい顔にしてくれ。でもって、ちゃんとしたエピソードで印象づけしてくれよ。でないと、分からん。後半で名前だけセリフで言われたって、分かるもんか。 蓮実聖司がサイコパス、って感じがほとんどない。冒頭での親殺しの場面でも、少年蓮実聖司が何をする少年かは描いていない。前の学校でのことも、サイコな感じはない。せいぜい米国留学中の殺しだけど、これまた妙に明るくて怖くない。もちろんサイコには見えない。さらに、現在の学校での犯罪も、サイコというより、ちゃんと理由のある殺人だ。うるさい保護者。邪魔になった女生徒。で、彼女を屋上から突きおとして自殺に見せかけ、これで完了! と思っていたら、彼女を探しに来た別の生徒に屋上で遭遇し、彼女も殺す。この時点で、クラス全員殺害を決めた…。実に理性的。 蓮実聖司が平気で殺すというのは異常だけど、描かれる様子は妙に清々しく感じられるところさえある。クラスの全員に対して、情にほだされない。平等に、役の重要度に関係なく淡々と殺していく。異常と言うより、理性的でクールに見える。そんな存在だから、クルト・ワイルの「メッキー・メッサーのモリタート」の歌詞の内容や悪魔のカラスと一致せず、どーもスッキリ腑に落ちない。 逮捕された蓮実聖司に、生き残った二階堂ふみたちがどう見えるか、最後の方に描かれている。二階堂ふみの目は白く濁り、普通じゃない。でも、このことだけで蓮実聖司のがサイコである、と説得するにはムリがありすぎる。 で。その日、学校は文化祭か何かの準備中で。そのクラスの生徒と蓮実聖司だけが学校にいた、という設定にはかなりムリがある。そもそも、文化祭があるなら、もうちょい前からその準備にかかっていることを描いておけよ。それに、どういう文化祭なんだ、あれ。凄い規模でオバケ屋敷つくってたりする。蓮実聖司が殺しまくるための舞台設定のため、としか思えんな。 また、蓮実聖司1人が散弾銃1丁でクラスの生徒ほぼ全員を殺してしまえる、という展開にもムリがありすぎる。逃げようと思えば、いくらでも逃げられるだろ。それに散弾銃にショットガンのような殺傷力がある、っていうのもおかしいよな。散弾も、あんな數、どうやってもてるんだ。 ・屋上から脱出するとき、携帯(?)みたいなのを雨樋に引き込むようなシーンがあったけど、ありゃなのんため? ・ちらっと見えたバール・・・。あれは、誰が誰を殺ったことを示していたんだろう? ・山田孝之が意味なくドラムの腕を見せるんだけど、なんなんだ? ・アーチェリー部の生徒が蓮実聖司をに矢を放つ。その矢を散弾で避ける! ってところで大笑い。 ・吹越満の咳と痰は、何を言いたかったんだ。とってつけたような設定で。 話は終わっていないようで、最後にto be continuedとでる。警察には逮捕されたけど、逃げ出してまた何かやろうってのかい? ううむ。 | ||||
7日間の恋人 | 12/25 | 新宿武蔵野館 | 監督/プーン・ユンリョン | 脚本/Bing Wu、Yuen-Leung Poon |
原題は"影子愛人"、英文タイトルは"Repeat I Love You"、"SHADOWS OF LOVE"など。allcinemaのあらすじは「大手企業の社長クォンは、ささいなケンカから共同経営者で婚約者のパリスが突然の失踪をしてしまい、途方に暮れていた。なぜなら、1週間後には会社の命運がかかった大事な舞踏会に2人で出席しなければならなかったのだ。そんな時、パリスと瓜二つの女性サムと出会う。そこでクォンは、サムに1週間だけパリスのふりをしてほしいと依頼する。しかし、花屋で働く庶民的で陽気なサムと勝ち気でエリート意識の強いパリスとは、顔は似ていても性格や振る舞いはまるで対照的。クォンは、さっそくサムを一流の令嬢へと変身させるべく厳しい特訓を開始するが…」。 韓国映画かとばっかり思っていたら、でてくるのは漢字。え? 中国映画なのか。ちょっとめまい。さらに設定が分かりづらい。パリスが共同経営者であるとか、韓国の株主を云々とか、そもそもクォンとパリスがなぜケンカしたかよくわからない。パリスは「私をとるか、あの男をとるか、どっちなの?」とか怒鳴っていたけど、どういう意味なのだ? てなままパリスは国外に行ってしまう? パリスのクルマを追っているうちに、花屋のクルマに乗っているサムを見つけ、そのクルマを追っていき、サムをパリスと取り違えて詰問する…って、バカかお前はって話だよな。クルマも服も違うだろ。でも、この時点で、サムがパリスの代役になる話か、と分かってしまう(予告編は見てなかった)。でも、なぜ代役が必要なのか、それもよく分からなかった。 …てなうちに眠ってしまった。昼食直後だったせいもあるけど、話がつまんねーんだもん。気づいたら、病床の父を見舞っているところだった。サムがパリスになりすましていたのだ。…なんて見ていたら、またしても沈没。目覚めたら画面から日本語が聞こえていた。あれは何だったんだろう? はははは…。 てなわけで、前半の経緯についてはほとんど見のがしている可能性もあるけど、話に奥行きもひねりもなく、引き込まれなかったというのが大きな理由だ。あと、パリス/サム役のセシリア・チャン。ヒロインにしては水商売的な顔立ちで品がない。怒りの顔は見にくく歪み、愛らしさのかけらもない。そしてなにより、毛虫がへばりついているかのような弓なりな眉がもの凄い。主人公クォン役のクォン・サンウがまた田舎顔で、これまたゲジゲジ眉毛。ゲジゲジ眉毛同士でドタバタやってちゃ、どうやっても魅力がない。 てなわけで、後半はクライマックスの舞踏会へと向かうんだけど、なんで舞踏会なの? とか、ぜーんぜんピンとこない。寝ていたせいもあるけど、設定がかっちり説明されていれば、もうちょい違ったんではないのかな。しかも、最後は予定調和の如くクォンは代役のサムに惚れ、結婚する。で、会社の方はどうなったんだ? 会社を追い出されて、経済的に困るんじゃないか? てなことには踏み込まない。なんたって、ファンタジーだから。ああ、つまらん。 | ||||
レ・ミゼラブル | 12/26 | シネマスクエアとうきゅう | 監督/トム・フーパー | 脚本/ウィリアム・ニコルソン、アラン・ブーブリル、クロード=ミシェル・シェーンベルク、ハーバート・クレッツマー |
原題は"Les Mis?rables"。『レ・ミゼラブル』は1998年版のを見ている。これはスピード感があってスリリングで、とても面白かった。今回は2時間38分と長尺。どんな感じになるのかと思ったら、冒頭の帆船を引く囚人たちのシーンでおったまげた。みんな歌ってる。ひょっとして苦手なミュージカルか…。2時間半余が苦痛に思えてきた。そういえば、予告編(前半ちょっとしか見てない)で、ミュージカル舞台の少女のイラストがでてきていたっけか…。でも、ミュージカル臭さはあまりなかったけどなあ…とわめいてももう遅い。 結論を言うと、人物が歌詞で思いを語るので、とても分かりやすかった。スピード感や展開の面白さは犠牲になってしまうけどね。アン・ハサウェイが歌うところは感動的だったけれど、おっさんが歌うのはやっぱり勘弁的な気分になった。 逃げるジャン・バルジャン対追うシャベールという色は薄まっている。どっちかっていうと、ジャン・バルジャンと、周囲に現れる幸薄い人々との交流という感じか。そういえば、この時代のフランスはどうだったのか、ほとんど知らないことに気づいた。ラマルクの名前は知ってたけど…。ナポレオンは…てな知識。だから、最下層民が圧迫されていたこと、王政復古だったこと、市民の間に革命思想が生まれていたことなど、ほとんど知らなかった。世界史を選択していた筈なんだが…ははは。なのでちょっとまとめてみた。 1814 ナポレオン失脚→ルイ18世即位 1815 ナポレオン復帰→ワーテルローで完敗(100日天下)→ルイ18世復位 ジャン・バルジャン仮出所→銀食器を盗むが司教に見のがされる 1819 ジャン・バルジャン市長に 1823 フォンテーヌ死去 コゼット奪還 1830 七月革命 シャルル10世が退位し、ルイ・フィリップによる立憲君主制はじまる フィリップはブルジョワ寄りの政治を行う 1832 六月暴動 1833 ジャン・バルジャン死去 64歳 1948 二月革命 王政終焉 ううむ。これを事前に知ってるか知らないかでは、理解がずいぶん違うなあ。きっと。と、反省。 アン・ハサウェイが出演するというので、どんなことになるのか心配していた。あんなぎょろ目のケバイ姉ちゃんが、と。でも、思ったほどうっとーしくなかった。むしろ、顔を歪め、シワだらけになって、みすぼらしい様子を汚らしく演じていて、なるほどね、と思ったほど。まあ、娼婦に堕ちるといってもオッパイまでは見せてくれなかったけど。って、それは違うだろうって? コゼットの少女時代は、よくもまあミュージカル舞台で使っているイラスト少女に似た子供をを探してきたなあ、という好キャスト。ついつい感情移入してしまう。いっぽう、長じたコゼットを演ずるアマンダ・セイフライドは、目玉のでかさではアン・ハサウェイの娘にぴったりだけど、コゼットにはどうだったんだろう。17歳ぐらいの設定だろ。老けすぎだよ。 ジャン・バルジャンのヒュー・ジャックマン。最初はヒゲぼうぼうで、ブルーザー・ブロディそっくり! しかし、一文無しからどうやって事業を興し、市長にまでなったのか。さらに逃亡生活をしていくのだけれど、生活費はどうやって稼いだのか。最後まで上流階級の様子だったけれど、それがまったく分からない。小説では書かれているのだろうけど、不思議でしょうがなかった。あの才を学びたいと思ったぜ。…ひょっとして、最初に司祭からもらった銀食器を元手に(一番高いのは売らずに)、一発当てたのかな? ミスキャストだと思ったのはラッセル・クロウ。頑固一徹にジャン・バルジャンを追ういやらしさがでていない。単純バカに見えないというのは、この話には向かないのではないか。そもそも、たかがパン1個+脱獄未遂(?)で19年の懲役からしてバカらしいけど(まあ、当時の尺度だからしょうがないんだろうけど)、その後、何10年も追う価値のある対象だとは見えないのだよね、ジャン・バルジャン。ジャベールが実直でくそ真面目な警官だったとしたら、もっと他に使命感をもって追うべき犯罪者はたくさんいたはず。しかも、自分を殺せるのに殺さなかったジャン・バルジャンの行為が理解できず、自殺してしまうって…。当時の価値観では理解できない行為なのかも知れないけど、現在でも通用するかというと、ちょっと辛い。そんなこんな、観客にこう思わせない、もっと類型化した、ヘビみたいな執念野郎のほうがいいような気がする。 彩りを添えてユニークだったのは極悪テナルディエ夫婦。怪しい宿主から強盗へ落ちぶれても相変わらずな感じは、さすがのヘレナ・ボナム=カーター。この手のキャラは、見事に演じてる。亭主の方は「ボラット」「ブルーノ」の怪人サシャ・バロン・コーエンだったのね。 下水のなか、ジャン・バルジャンがマリウスを救出するシーンは、糞まみれな感じがよくでていた。臭ってくる気がしたほどだ。 音楽は、みな似た感じがして、でもそれは意図的なんだろうけれど、なんかちょっと物足りなかった。あの、よく知られている曲は嫌いではないけどね。 | ||||
もうひとりのシェイクスピア | 12/28 | 新宿武蔵野館2 | 監督/ローランド・エメリッヒ | 脚本/ジョン・オーロフ |
原題は"Anonymous"。allcinemaのあらすじは「16世紀末、エリザベス1世統治下のロンドン。巷では演劇が盛んに行われ、人々を夢中にさせていた。しかし、女王の側近ウィリアム・セシル卿は芝居に民衆が扇動されることを恐れ、息子のロバートとともにその弾圧を強めていく。そんなセシルと後継問題で対立を深めるオックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアは、芝居を利用して政治を動かそうと目論む。文才に長けた知識人エドワードは、牢に捕われていた劇作家ベン・ジョンソンを助け出し、自分が書いた戯曲をベンの名で上演するよう提案する。その戯曲『ヘンリー5世』は、観客を興奮の渦に巻き込み、大成功のうちに初演を終えようとしていたが…」 冒頭の展開が早い。なんとか伯かんとか伯、その他あれやこれやと固有名詞がぞろぞろ登場する。エリザベス汾「の治世を知っていれば問題なく理解できるのだろうけど、英国史にうといのでそうはいかない。ケイト・ブランシェットの『エリザベス』2作は見ていても、ほとんど忘れている。メアリーやアン・ブーリンはどういう関係だっけ…。少しあせる。そして諦める。 加えて時制がややこしい。21世紀の現在→16世紀の現在→16世紀のちょっと前→16世紀のだいぶ前…と4つの時代が登場する。分かりにくいのは16世紀の"だいぶ前"の時制で、始めのうちは"ちょっと前"と区別がつかなかった。なので、色んな人物が登場するなあ…と呆気にとられていたのだけれど、"だいぶ前"の時制では若きエリザベスと若きオックスフォード伯の恋物語が中心なのか…と分かってからは、なんとなく話になじんできて、ほっ。話の方もアバウトながら分かってきた。 分かってくると、なかなか面白い。大衆に支えられて発展する芝居小屋、劇作家同士のつばぜり合い、オックスフォード伯とエリザベスの恋、政局・王位継承問題、アイルランド、スペインとの関係…。そして、芝居を利用して大衆を操作しようとするオックスフォード伯…。対する宰相ウィリアム・セシル。その対立はエセックス伯とロバート・セシルに受け継がれていく…。不思議というか興味深いのは、オックスフォード伯がウィリアム・セシルの娘すなわちロバート・セシルの姉を妻に迎えていること。ウィリアム・セシルからすると、娘婿に浮気されているのだからね(たしか、そうだったよな。結婚後、だったよなあ。ちがったっけ?)。してさらに、エセックス伯の秘密や、オックスフォード伯自身の出自もからんできて大びっくり。おお。後半になって秘密が明らかになっていくに連れて、話がどんどん面白くなっていく。ああ。最初の方の分からなかった部分をもう一度見たい! でも、入替制だからできないんだよな。くそっ。 シェイクスピア作といわれる戯曲などは、すべてオックスフォード伯の手になるもの、という設定の話である。で、登場人物についてWikiで調べると、17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアーは実際にウィリアム・セシルの直属の部下で、エリザベス汾「に仕えていたのだね。しかも文学や劇作をよくし、1920年代にはシェイクスピアに擬せられていたらしい。ただし、現在では与太話扱いされているようだ。ここに、オックスフォード伯とエリザベスの恋物語、オックスフォード伯の出自、さらに、劇作家連中をからめてできあがったのが、この映画なのか…。なかなか奥が深い。 王位をめぐるつばぜり合いに、劇作家連中の金銭欲や名誉欲が絡んでくる。こちらの話はちょっとせっかちに描かれすぎで、作家のベン・ジョンソンのキャラもあまり活かされていないのがもったいない。オックスフォード伯に「君の作品は文体がない。だから選んだ。君の名前で作品を発表してくれ」といわれながら、字もロクに書けない役者ウィルに"シェイクスピア"の役割を奪われてしまう。このあたりの関係性をもうちょい描き、ベンのロマンスなんかも加えてくれたらよかったんだが…。現状ではベンが登場する意味が薄れてしまってる気がするのだよね。狂言回しとして、もうちょい使いようがあったと思うぞ。 あと、使われ方で惜しいなと思うのは、オックスフォード伯の忠実な執事。彼は最後の方で重要な役回りをするんだけど、それまでは案外と目立っていなかった。それと、オックスフォード伯の細君。夫の浮気相手は女王陛下! という事実に、もっとヒステリックになってもよかったかも。それと、女王とオックスフォード伯との間にできた隠し子であるエセックス伯の存在も、いまいち。これら重要な人物をもうちょい掘り下げて描きつつ話を転がして行ってくれたら、きっと傑作になったかも知れない。 分からなかったのは、若きオックスフォード伯がウィリアム・セシルの家に迎え入れられた頃の話で、オックスフォード伯は原稿をいじっている男を刺し殺しているのだよな。あれはどういうことだったのだ? なにせ、過去に遡った話だと理解できていない状態で見ていたので、詳細を覚えておらんのだよね。やれやれ。やっぱり、もう一度、確認しながら見直したいね。…しないけど。 しっかし、エリザベスは恋多き女性で、恋人も多数。16歳の時に子供を産んでいて…ということが最後の方に明かされて、その子が実はオックスフォード伯!! すなわち近親相姦=オイディプスの話になるというドラマチックすぎる展開は、劇作家シェイクスピアを意識したつくりだね。 日本に置きかえるなら、写楽はだれそれ説に将軍の世継ぎ問題をかけあわせたような物語、ってことになるのかな。 | ||||
シェフ! 〜三ツ星レストランの舞台裏へようこそ〜 | 12/31 | 銀座テアトルシネマ | 監督/ダニエル・コーエン | 脚本/ダニエル・コーエン、オリヴィエ・ダザ |
原題は"Comme un chef"。allcinemaのあらすじは「パリ有数の高級フレンチレストラン“カルゴ・ラガルド”。長年三ツ星を守ることが出来たのは、ベテランシェフ、アレクサンドル・ラガルドのおかげ。ところが、そのアレクサンドルが突然のスランプで、来たる審査会を前に店は窮地に陥っていた。ある日、アレクサンドルは老人ホームでペンキ塗りの仕事をしていた青年ジャッキー・ボノと出会う。彼は一流の舌を持ち、有名シェフのレシピを数多く記憶する天才料理人だったのだ。しかし生意気な性格が原因で、どのレストランでも長続きしなかった。そんな時、アレクサンドルに腕を見込まれ、彼の助手に抜擢されるジャッキーだったが…」 ↑っていうあらすじは適切ではないな。アレクサンドル(ジャン・レノ)は雇われシェフなのだ。雇用主(父親)はアレクサンドルを信用し、ともに店を維持・繁栄させてきた。ところが雇用主(父親)は現役を引退し、老人ホームに入ってしまった。雇用主(息子)は味や理念より、売上げ至上主義。鮮度のいい食材や味へのこだわりより、トレンディな料理、ブランドの世界展開を求め、アレクサンドルに要求する。従わなければ首だ、と。アレクサンドルは抵抗するが、春の(だっけかな?)新作料理で三つ星を得なければ店を去る、ということになってしまう。さらにアレクサンドルは、離婚後、味が落ちてきた、というもっぱらの評判。新しいことへの挑戦もせず、古いスタイルに固執する傾向も強まった、ということもある。まあ、20年も三つ星を維持していれば、そうなっても不思議ではないかも知れない。というのが背景にある。 で、我らが主人公ジャッキー・ボノ(ミカエル・ユーン)は、幼少時から料理好き。アレクサンドルのレシピはすべて暗記していて、さらに自分なりのこだわりもある。けれど、そこらの定食屋やレストランで理念を主張し出すから、どこに行ってもすぐ首。生活のためにペンキ屋のバイトをすることになる…。というのが、もうひとつの話。…なのだけれど、ボノには内縁の妻ベアトリス(ラファエル・アゴゲ)がいて、ただいま妊娠中! しかも彼女は働く女性で美しい! なんでだ。ボノがどうやってベアトリスといい仲になったのか、そっちに大いに興味があるなあ。フランス映画って、「TAXi」がそうだけど、サミー・ナセリの彼女がマリオン・コティヤールって、おいおいな設定も平気だったりする。現実的ではないけど、美しい女性がでてくると、まあ、いいか、ってなっちゃうんだよなあ。 で、ある建物の窓枠を塗っていたら、それが老人ホームで、そこの料理人にあれこれアドバイスしたことから運命が変わる。雇用主(父親)がボノの力を認め、新作料理のことで相談にきたアレクサンドルにボノを紹介。ボノはアレクサンドルの店の料理長に「いきなり」採用されるという、あり得ない展開…だから面白いんだけどね。でも、生まれてくる子供のために、お金のために、ちゃんと働くからね、といっていたのに、レストランの試用期間だってことを、ボノはベアトリスに内緒にする。まあ、これがバレてあとから仲違いしちゃうんだけど。 しっかし、フランスじゃ、結婚してなくても女性は子供を生んじゃうんだね。それをベアトリスも、彼女の両親も違和感なく受け入れている。未婚女性の妊娠や出産が多いとは聞いていたけど、こんな感じで私生児がどんじゃん生まれていると言うことなのか…? アレクサンドルは、ちかごろの評論家や審査員に、分子料理がウケがいいらしいということを聞きつける。分子料理? なんだ? ボノは、知り合いでスペインの分子料理人を呼び寄せ、料理を試作させる。これが、カモからエキスを取り出し、本体を使わずエキスだけをゼリー状にしたみたいな料理を試験管なんかをつかって創り出す。のだけれど、結局、アレクサンドルのお気に召さない。 で、分子料理を帰ってからWebで調べたら、料理を科学的な観点から分析し、料理作りに反映することらしい。べつにケミカルな料理を創ることではないようだ。ま、昨今流行りの分子ガストロノミー(の方が正確な言い方らしい)を誇張して表現し、おちょくってるということなのだな。きっと。 で、次にアレクサンドルとボノは変装してライバル店に潜入することになるのだが、これが大笑い。なんと2人は日本の文官(正確には何だっけ?)という設定で、アレクサンドルは羽織でちょんまげ、ボノは鬘に白塗りの女性に変身して潜入! 「こにちわ」「ありがと」「さしみすしてんぷらうなぎ」その他その他、さらに日本の民謡がバックに流れ出し…というバカ映画になってしまう! 場内大笑い。ジャン・レノの日本びいきが影響してるのか? しかし、こんなのがギャグになるほど、日本という存在はフランスでポピュラーなのかね。で、ここでの分子料理をサカナにしたギャグも笑わせる。 そういえば、アレクサンドルの下で働いていた料理長クラスの1人が日本人という設定だった。老人ホームの料理人3人も中国人、黒人、もう1人も移民っぽかったな。ほんと。フランスはもう人種のるつぼだな。 で、この間にボノはペンキ屋をやめてレストランに移ったことがベアトリスにバレて、絶縁状態。数100キロクルマを飛ばして結婚の申し込みに行くが、断られる。一緒に行ったアレクサンドルは、田舎のレストラン主の女性に一目惚れ…。さて三つ星の審査員がやってくるという当日、アレクサンドルは娘の卒論(?)発表に立ち会うのでレストランを欠席することになる。…娘に「私と仕事とどっちが大事?」といわれると、娘をとるというのが日本人にはわからん感覚だね。いっぽう、店の方はボノに任したんだけど、市場には雇用主(息子)の手が回っていて、食材がまったく手に入らない状態。さあ、どうするか? だけど、ここはもう理窟も何もなくて、ボノのヒラメキで近所の八百屋で野菜を仕入れ、創作料理をつくりあげる。それが審査員に絶賛されて三つ星維持。アレクサンドルは店を辞めることを告白し、後をボノに託すというハッピーエンディング。それまでやってた料理の生放送もアレクサンドラとボノの凸凹コンビでいい調子。というか、アレクサンドルは自分でつくったレシピにもテキトーで、ボノに諫められたりしてる。呆けたか。 エンドロールには、あの、スペインの分子料理家がカモを追いかけ回してるシーンが登場し、カチンコが登場してfinという洒落た終わり方。90分足らずの小品で、話もよくあるパターンではあるけれど、風刺も効いているし、ほのぼのと楽しく、日本の扱いでは大笑いできるし、楽しい作品に仕上がってたよ。 |