2013年1月

キリマンジャロの雪1/7ギンレイホール監督/ロベール・ゲディギャン脚本/ジャン=ルイ・ミレシ、ロベール・ゲディギャン
原題は"Les neiges du Kilimandjaro"。allcinemaのあらすじは「マルセイユに暮らす仲むつまじい夫婦、ミシェルとマリ=クレール。ある日、ミシェルが勤める会社で人員削減が行われることになり、労働組合では公平を期して退職者20名をクジで決めることに。組合委員長であるミシェルも、自分を例外とすることなくクジを引き、結果、退職となってしまう。マリ=クレールは、そんな夫を優しく受け止める。そうした中、子どもや孫たちによって結婚30周年を祝うパーティが盛大に催され、そこで夫婦の長年の夢だったアフリカ・キリマンジャロへの旅がプレゼントされる。ところがほどなくして、家に強盗が押し入り、大切な旅行券が奪われてしまう。数日後、思いもよらぬ人物が犯人と分かり、さらなるショックを受けるミシェルだったが…」
退職が決まったミシェルが家に戻り、マリ=クレールに「今日は食事でもしよう」というと「宝くじでも当たったの?」「似たようなもんだ。会社を辞めることになった。クジだ」「家にヒーローがいると大変だわ」と笑ってミシェルを抱きしめる。ああ、いい夫婦かんけいだな、と印象づける。セリフも深い。ミシェルはアメコミ好きで、会社のロッカーにはスパイダーマンの絵を貼っていた。「家にヒーローがいると…」云々は、これを指して言っている。さらに、この映画の重要な小道具として、古いアメコミ誌が登場する。まあ、使われ方はミエミエなんだけど、アメコミはラストまで一貫して絡んでくる。首尾一貫して、じつに上手い。練られた脚本だ。
夫婦の家を襲った強盗は「旅行資金だ。だせ」という。観客にはパーティ参加者だとすぐわかる。それを夫婦が警察にいわないのは不自然だけど、それは謎解きが主眼ではないからそうしているのだろう。さてミシェルは、旅行の他に、弟ラウルから古いアメコミをもらう。ミシェルのサイン入りで、むかし弟が兄のをかすめた、ということらしい。ラウルは「古本屋で見つけた」と言ってたけど。強盗の1人クリストフがその本を持ち帰り、それを異父弟たちがバスのなかで読んでいるのをミシェルが発見。ミシェルは犯人を確定する。呆気なさ過ぎるけれど、これも、謎解きではないからいいのだ。
この映画は、フランスの構造的不況、リストラ、若年者の失業問題、組合の意義などにもメスを入れつつ、夫婦や家族、親子、兄弟の関係性にも言及している。これまでの話は、プロローグに過ぎない。対比されるのは、ミシェル一家とクリストフの家庭だ。退職したといってもすでに60歳前後。家もあり、2人の子供は結婚して外にいる。孫もいる。妻は働いている。経済的には、基本的に困らない。クリストフは22才。母親は家に帰らず、異父弟2人の面倒は彼が見ている。クリストフとミシェルは同僚だったけれど、仕事について1年ぐらいのクリストフもクジに参加し、リストラ組になった。次の仕事は見つからない。それに、一緒に働いていたのに、ミシェルに顔も覚えてもらえていなかった、というのも刺さったみたい。若年層と高齢者との違い、経済的格差、不幸の偏りなどがクリストフを犯罪に走らせた、ということだ。日本だって、いつこうなるか、分からない。
面会を求めたミシェルに、クリストフは「仕事もせずに給料をもらい、いい家に住みやがって」と悪態をつく。ミシェルは思わずクリストフを殴ってしまう。侮辱されたからだ、と言い訳をする。でも、クリストフに「クジだから平等? 金持ちは辞めたって困らない。俺にとっては大変なことなんだ」といわれて、ミシェルにもひっかかるものがあったようだ。仕事もせずにというのは、組合専任だったからなのか、よくわからないけど、組合という存在そのものが、いまや労働者を守るものではない存在になってしまっているということだろう。ミシェルや、同様に組合活動をしてきたラウルは「俺たちが戦ってきた歴史を若い奴らは知らない」という。確かにそうだろう。でも、時代背景も違うのだよな。いろいろなことを考えさせる。
ただし、分かりにくいセリフも。「ジョレスが暗殺された」とか、ジョレスという名前が2度ほど登場するのであとで調べたら、ジャン・ジョレス(1859-1914)らしい。フランスの社会主義者で、第一次大戦に反対したが、国家主義者に暗殺されたとある。フランスではヒーローなのかも知れないが、そんなの知ってる人は少ないだろ。字幕で補ってくれなきゃな。
で、クリストフは裁判所に引き渡され、弟2人は近所の娘の世話になる生活となるが、その娘も単なる知り合いだ。そういえば、クリストフが彼女と弟たちをつれてマックみたいなところで食事をするシーンがある。彼らには、マックがめったにない御馳走なのだ。普段は小麦粉を焼いただけのチャパティみたいのを食べている。それにチョコレートソースをつけて食べられたら、弟たちは大喜び。フランスの、とくに移民ではないように見える人たちにも、こういう最底辺の生活があるのか…と、驚き。そういえば、この映画に黒人やアラブ人は出てこなかったな。
で、以後、話が核心に入っていく。ミシェルとマリ=クレールの、クリストフの弟たちへの対応だ。文豪ヴィクトル・ユゴーの長篇詩「哀れな人々」からの着想らしいけど、O・ヘンリー的でもある。ミシェルとマリ=クレールも弟たちが心配になって、互いに黙って彼らの面倒を見ようとする。ある日、ミシェルが「実は、あの子たちを…」と海岸で告白しようとすると、「ほら、そこにいるわ。これから家に連れていこうとしていたの」と話す場面は、感動的。盗まれたチケットが戻って、でもミシェルはそれを払い戻ししてもらい、弟たちの生活費にと考えていた。それも妻に話す。2人は、海水浴客を動物に見立てて「そこにライオン。あ心が通じ合う美しさが見事に表現されている。
2人の行動に、ラウル夫婦は否定的な態度を取る。強盗に遭い、ラウルの妻はストレス症の障害にかかって、外出もできなくなっていた。「あんなやつは15年でもムショにいけばいい」と。ミシェルの子供たちも「犯罪者の家族をひきとるなんて。実孫がいるでしょ」みたいな感じだ。ラストで、弟たちのいる夫婦宅に、ラウル夫婦がやってきてバーベキュー、みたいなシーンで終わるんだけど、まあ、弟夫婦は納得してくれたのかも知れない。子供たちも、そのうち理解してくれるだろう。このシーンで、ラウルはアメコミを掠めとったことを告白する。
印象的な会話に、こんなのがあった。ベランダから道を見ている。若いカップルがこっちを見ている。彼らには、私たちはどう見えているだろうか? 若いカップルにはプチブルで優雅な生活に見えただろう・・・。というもの。見る立場から、見られる立場へ。人の移り変わりを見事に表現したシーンだね。
クリストフの母親は、どうしようもないバカ親として設定されている。マリ=クレールが会って話をするんだけど「16歳のときクリストフを生むが父親はどっかへ行ってしまった。その後も、弟たちを身ごもると男は去って行った。私はまだ40前。私にだって楽しむ権利はある。私が子持ちだったら、いまつき合ってる男は去って行くわ!」てな内容。これがフランス人のスタンダードとは思わないけれど、離婚率が高く、未婚の母が多いらしいので、意外と支持される考え方なのかも知れない。
最初の方と、最後の方。ミッシェルにかぶって、"Many Rivers To Cross"(ジミー・クリフの歌唱ではない)が流れる。これなども、セリフで語るのではなく、映像と歌とで、歩んできた人生を端的に見せているところだと思う。
ミシェルとマリ=クレールは美男美女ではない。それがまたいい。ごく普通な感じがよく伝わってくる。さて思うのは、この話をケン・ローチが撮ったらどうなるだろうかということ。もっと社会派な部分が強調され、クリストフが主人公になるかもね。
「?」も少しある。映画は「1番だれそれ…」と呼ばれるシーンから始まるんだけど、ミシェルは溶接工らしい。造船会社か何かかな。組合専業で戦ってきたみたいな感じで描かれてたけど、仕事もちゃんとするのかな? 退職は、会社と組合との話し合いなのか。昔みたいに徹底抗戦はせず、ほどほどのところで妥協するのが最近の状況なんだろうか。それと、家族構成がわかりづらい。ミシェルとマリ=クレールはいい。ラウルは実弟? 義弟? それと、夫婦の子供たち。誰が実子で、誰が連れ合いなのか、よく分からないところがある。あと、夫婦がチラシ配りを始めるんだけど、あれはなんだ? 住人が「いままでやっていた人はいい人よ」なんていうんだけど、そいつは誰だ?
グッモーエビアン!1/8ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/山本透脚本/山本透、鈴木謙一
ムダに長いだけで中味のない、つまらない映画だった。尺は106分らしいが、2時間以上にも思えた。こんなシーンは要らないという部分をザックリ削除して、70分ぐらいにしたら、まだ見られるかも。そもそもドラマがない。大きな葛藤や乗り越える壁もない。とくに成長もない。ともに、らしき物は設定されているけど、されほど大したものではないので、共感もない。バカじゃね? ってな感じかな。
主として、ヤグ、アキ、ハツキ、同級生のトモちゃんのドタバタで、そこに教師と世話好きなおばちゃんが脇に回る展開。これじゃ、人物の掘り下げはできないよ。ヤグやアキの人間関係、ハツキの友人たちをもっと登場させなくちゃ。
allcinemaのあらすじは「しっかり者の女子中学生ハツキは、17歳で自分を生んだ元パンクバンドのギタリスト、アキと2人暮らし。かつては、アキと同じバンドのボーカル、ヤグも自分の子どもでないハツキが生まれる前から一緒に暮らしていた。そのヤグが2年前、“世界ツアーに出る”と突然いなくなったかと思ったら、今度はいきなり放浪の旅から帰ってきた。すっかり上機嫌のアキは、ヤグと2人ではしゃいでばかり。そんな気ままで能天気な2人の姿に、どうしてもイラついてしまうハツキだったが…」
ハツキのナレーションで背景を説明しつつ始まり、アジアを旅していたヤグが帰ってくる。そこからのドタバタ。個々の過去や背景はおいおい分かってくるけど、まあ大したことはない。それより「?」が多すぎる。たとえば元のバンドって、最後にでてきた4人編成なわけだ。では、ハツキの父親は音楽関係ではない訳か? で、アキは17才でハツキを生み、それと同時にヤグと3人で生活し始めた? 最後の方でヤグの両親は幼少時に死去と分かるけど、アキには家族はいなかったのか? その後の15年以上同居しているのにセックスの匂いが全然しない。アキが、ヤグと同棲しながら結婚しなかった理由は? などなど、腑に落ちない部分が多すぎる。原作小説はあるみたいだけど、リアリティに欠けると話に入り込めない。
アキとヤグは、元ロックバンド仲間。にしては、ロックしてない。アキは派遣社員らしいが、極めてフツーの女性にした見えない。ヤグの世界放浪も、ロックとは縁遠い感じ。ともに、何を失い、何を目指しているのか、よく分からない。アキはハツキに言う。「お父さんだった人は、あなたをいらないといった。だけど、わたしはあなたを生んだ」云々と。娘のために人生を棒に振った、とはいってないけど、なんか小さい。昔のバンド時代のビデオを見てストレス発散というのも、情けなく見える。
いいかげんな2人に育てられつつ、ハツキは優等生。食事もつくれば裁縫もする。…って、そんな中学女子はおらんぞ。で、そうだ。中学生だったんだと気づく。ハツキの三吉彩花は背が高すぎるし、トモちゃんの能年玲奈も、ともに15才には見えんぞ。
いい加減な2人といいつつ、もの凄く変なこと。それは、あの家の書棚。「ロック事典」はいいとして、「エドワード・バンカー」「11分間」「テロルの決算」「ガンジー」「蒼い時」「アンダーグラウンド」「佐川君からの手紙」…なんて背表紙が並ぶ。誰が読んだんだ? こんな本を読む2人を想像できない。きっとスタッフの家の書棚からテキトーにもってきたんだろ。でも、何度も写って、題名も読める。画面のディテールに配慮はないのか? 室内に貼ってあるポスターは、よく分からないのばかりだった…。ハツキの部屋に賞状が何枚も飾ってあるんだけど、あんなものを鴨居に並べる性格には見えないんだけどな、ハツキ。
ムダに長くくどい。リアリティのないセリフ…たとえばこんな部分。教師(小池栄子)が、図書館で勉強中のハツキに話しかける。「まだ帰らないの?」…で、三者面談の話になっていくんだけど、アホか。他の生徒に聞こえるようにそんな話をするか? 他の生徒も勉強しているのに「まだ帰らないの?」はないだろ。
両親が離婚して転校…の話を、トモちゃんがしかけているのに、聞かずにいたハツキ。その後、教師から転校の事実をつげられ、屋上に行って崩れるハツキ。そこに、過去の記憶が音声でかぶって説明する…。そんなの分かってんだから、しつこい!
ハツキはどういう理由か分からんが、教師に「就職希望」と書いて提出する。教師が訪問してきた「成績がいいのにもったいない。トップクラスの高校も狙えるのにもったいない」とステレオタイプな言い方をする。それだけでもうんざりなんだが、アキは「いい高校行って、いい大学行って、そういうのはつまらん」と言い返すのもよくあるパターン。では、どうやって収拾させるのかと思ったら、アキとヤグがかつてのバンドを再結成してコンサート(ブルーハーツそっくり!)を行い、アキとヤグがの結婚を発表するということで終わらせててしまう。コンサートには、転校していったトモちゃんもやってきていて、仲直りしている。日本映画の、問題回避・雰囲気で理解してね的な展開だ。ハツキの就職問題はどうした?
エンドロールでその後の一家が写され、なかで、ハツキはブレザーの制服を着ていた。なんだ、進学したのか。アキの「いい高校なんてつまらん」という発言はどうなったんだ? つまらん人生を押しつけたのか? ヤグは相変わらずのヒッピーぶり。仕事はどうした。収入がないと一家は食べていけないだろ。せめてヤグがカレー屋始めてプチ成功していて、店頭には次のコンサートのポスターが貼ってあるとか、ハツキに弟か妹が誕生するとか、その先の未来の幸せを感じさせる終わり方にしてくれなきゃ、映画じゃないだろ。一日前に「キリマンジャロの雪」の未婚の母? が子供たちを捨てて仕事や色恋を優先させるという展開の、現実の冷淡さを見せつけられた後なので、日本映画のテキトーさが目立って見えてしまった。
土屋アンナが、バザーの出品者としてでていた。なんかドスの利いたバアサンになっちまったな。
巨神兵東京に現わる 劇場版1/10新宿ミラノ1監督/樋口真嗣脚本/庵野秀明
尺は10分。女の子のナレーションが入るが、よく聞き取れないし、どーでもいいようなことを話してる。どうも舞城王太郎が書いているみたいだけど、頭に入ってこない。
巨神兵は突然現れる。ビルの上を覆うように浮いている。でかい。と思ったんだが、地上からの視点になると、そうでもない。スケールが違いすぎるだろ。
ミニチュアは、森ビルがつくっている東京地図みたいな感じ。丁寧につくられているけれど、実写みたいに見えるところもあったりする。ミニチュアっぽく撮影している部分と混じっているのかな。破壊するのはミニチュアのようだけど、CGはどう使っているのだろう。区別はつかない。
巨神兵は、ライティングによって光が回っているときは、いかにもゴム製品に見える。後半の、シャドウが効いている映像はまだましなんだが…。日本人って、せっかくつくったんだから、って見せちゃうんだよなあ。せっかくつくったものを、ちらっとしか見せない、の方がカッコイイ絵が撮れるのにね。話は、だからどうした、レベル。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q1/10新宿ミラノ1総監督/庵野秀明、監督/摩砂雪、前田真宏、鶴巻和哉脚本/庵野秀明
「序」も「玻」も寝た。これも寝るだろうと思っていたら、やっぱり前半で一度、中盤でも…と2度うとうとした。背景が曖昧なまま始まり、曖昧なまま終わって「つづく」とでる。やっぱ、辛い。
たしか「序」を見た後だったかに、TV放映版をYoutubeで見た。つまらなかった。背景がよく分からなかったからだ。こんなもので文化人までもが大騒ぎする理由がさっぱり分からなかった。難解であるとか深いとか、そりゃ読み過ぎだろ。難解なフリをしているだけで、実はそんな大したことはない、と思う。いまさら分かりやすくする訳にはいかんのかもね。
冒頭は戦闘シーン。これが20分ぐらいつづくんだが、説明は一切ない。指令室あたりとヱヴァ(?)の搭乗員たちとの業務連絡の無線通信がBGMのごとく延々と聞こえてくるのみ。飽きる。それに、操縦員の女の子たちが、ヱヴァのどこにどう乗っているのか、という引きの絵がない。ほとんどアップばかり。戦闘を俯瞰する絵もない。どこでどう、誰が何と戦っているのか、さっぱり分からず。
それが終わると碇シンジがどこからか運ばれ、地下に移される。なんと前回のつづきで、戦闘で綾波レイを救出した後、14年間、意識を失って寝ていて覚醒したところなんだと。でも、冷凍保存されていたわけじゃないんだから、肉体派は老化するだろ。なのに中学生(?)のまま。いや、もっと変なのは、女の子たちが14年たっても少女姿のままってこと。あり得ないだろ。30のオバサンになってなくちゃ変だろ。
ネルフとヴィレが戦っているらしいが、なぜなのか、よく分からない。そのうち碇シンジは地下で渚カヲルという少年と出会うんだが、その背景もよく分からないまま、ビアノを弾くシーンばかりつづく。碇シンジは渚カヲルに現状の世界を見せられる。サードインパクトが起きたとかで、世界は赤く荒廃している。で、そのインパクトは碇シンジのせいらしいと知って驚くんだが、その後、なんかよくわからんのだが、「あの槍を引き抜けば」とかいって、みんなの制止を振り切って碇シンジが外にある槍を引き抜くと、なんとフォースインパクトが起きてしまって、碇シンジは狼狽する。たんなるアホか。で、周囲の力(?)で、槍を自身の(ヱヴァ)の身体に突き刺すことでフォースインパクトが止まり、渚カヲルは自死(?)する。渚カヲルは13人目の使徒らしい。ってことは、ユダであるってことか。だからなに、だよな。で、そういう展開は、碇シンジの父親は読んでいたみたいな感じ。
でまた、碇シンジの母親は綾波なんとかといい、かつて自身が実験台となってなにかをして、身体はなくなったが意識だけは残っていて、さらに、彼女をオリジナルとして綾波レイがつくられた(?)とかいってた。今回登場するのは綾波レイタイプの戦闘員で、これまでの綾波レイは、死んだってわけか? 昔の綾波レイも、コピーなの? なんかよく分からん。で、またまた碇シンジは「僕は、僕は、知らなかったんだ…」とかいって泣きじゃくる。で、ヴィレの女の子戦闘員(もう区別もつかん)に蹴飛ばされ、よろよろと立ち上がって歩き出す…。というところで「つづく」とでて、次作の予告もでた。やれやれ。
繰り返しになるけど、背景がよく分からん。戦闘シーンも、引きの絵がないから何がどうなってるのかわかりにくい。それに、インパクトって、なんだっけ? だよな。で、そういう世界の破壊があって、一般人はどうなっちゃったんだ? 生きているのか? 電気や水道なんかのインフラは? 壊れたヱヴァは誰がどこで修理しているのだ? 14年間も、みなさん、いったい何をしていたの? さっぱり分からんよ。通信による業務連絡の音声なんかいいから、分かるようにつくれ、といいたい。ま、難しそうにして注目を集めようって魂胆になんだろうけど。★Wikiでストーリーを読んで、少し整理はできた。けど、映像だけを見ていて、あそこまで理解できるか? いやまあ、基礎知識がないのは認めるし、寝てたんだから仕方ないんだけどね。
わたしたちの宣戦布告1/11キネカ大森1監督/ヴァレリー・ドンゼッリ脚本/ヴァレリー・ドンゼッリ、ジェレミー・エルカイム
フランス映画。原題は"La guerre est d?clar?e"。allcinemaをみたら「女優のヴァレリー・ドンゼッリが自ら監督を務め、本作の共演者でもあるかつてのパートナー、ジェレミー・エルカイムと2人の間に生まれた息子に起こった実体験を基に撮り上げた感動の家族ドラマ」なんだと。しかも、オフィシャルサイトによると「撮影は実際の病院で行われ、ジェレミーとヴァレリーの実子も成長したアダム役として登場している」んだと。げ。実録なのか。よくそんなことができたな。しかも、このカップル、「元」がついてるんだから、いまは別れているわけだ。ま、映画の後半でも「別れた」といっていたけど、別れたカップルが昔の自分たちを演じて抱き合ったりキスしたり裸で風呂に入ったりしてるわけだ…。考えらんねえな。どういう別れ方してるんだ?
allcinemaのあらすじは「出会った瞬間に恋に落ちた若い男女、ロメオとジュリエット。やがて2人の間に息子のアダムが誕生する。幸せな生活が続くかに思われた矢先、アダムに悪性の脳腫瘍が発覚してしまう。それは、回復の可能性がわずか10%という難病だった。それでも2人は、すべてを犠牲にしてでも息子の病魔に打ち勝つと覚悟を決めるのだったが…」である。
生まれた子供が脳腫瘍。支える家族の姿を描くのだが、泣けるところはほとんどない。ある意味で淡々と、どんどんスピーディに過ぎて行く感じ。ベタベタせず、歯切れいいんだけど、しっとりとした情緒には欠けるかも。
病名を知ったときの反応が、みな大袈裟すぎ。よろめいたり泣き叫んだり暴力的になったり。現実はもっと静かなんじゃないのかな。当事者である本人たちが演じているのに、どうしてあんなふうな、芝居かがった反応にするんだろ。陳腐な気がした。
背景がよく分からない。まず、出会い。ディスコで一目惚れ? まあいい。でも、キスする2人の、ジュリエットを平手打ちするのは、だれ? あれは記号的な表現なのかな? 二人の職業がよく分からない。〜になりたい、という字幕はあったけど、現在なにしているかが描写されない。これは最後まで気になってしまった。たとえば、ジュリエットがマルセイユへ行く直前に息子の検査になるんだけど、彼女は何のために、どのぐらいの期間行く予定だったのか…。手術をマルセイユにするかパリにするかで迷ったりしているので、とても気になってしまった。また、マルセイユの医師と予約が取れ、ロメオ、ジュリエット、彼女のアシスタント、息子の4人が慌ただしくでかける様子を逐一描いているんだけど、意味なくない? マルセイユかパリかなんて、話の本筋には関係ない。さらに、電車に乗るまでのドタバタも必要ない。ざっくりねぐって、かかりつけの医師からパリの専門医を紹介された、でいいじゃないか。
手術の当日、ロメオとジュリエットの家族が初めて出会う…って、おいおい。2人は結婚してなくて子供を生むのか。そういやあ「シェフ! 〜三ツ星レストランの舞台裏へようこそ〜 」でも結婚しない2人に赤ちゃん、という話だったけど、フランスではそれもフツーなのか? ううむ。で、ロメオの母親は女生と同居って設定で、これはこれで「?」だよな。単なる友だち? それともレズビアン? ううむ。説明がないので分からんよ。
で、手術の前日だったかな。ロメオとジュリエットは、これ以上最悪な状況を言葉に出して、それよりまし、みたいな感じで自分に言い聞かせるのだが、それがなんと「耳が悪くて、目が見えなくて、チビで。黒人で、しかも、極右だったら? わっはっは…」って、スゲー差別的じゃん。こういう本音を言葉にしてもいいの? ジュリエットには、黒人の友人もいるみたいだったけど・・・。
で、息子の腫瘍は切除できたけど悪性のラブドイド腫瘍で、生存の可能性は10%とかいっている。それでも放射線治療で…のあとの経過はとても大雑把。クレジットカードを失ったり家を手放したり、経済的に困窮している様子なんだけど、これまたアバウトにしか描かれない。息子の世話だけで時間とられるのに、どうやって稼いでいたのだ? 両親からの援助は? などなど、生っぽい話も期待したんだけど、さらっと流しすぎだろ。
で、あっという間に5年が過ぎ、執刀医師に「寛解期は過ぎた。もう、ガンになる可能性はフツーの人と同じだ」と太鼓判を押され、喜ぶ両親。で、終わるんだけど、なんか、都合よすぎないか? と思ったんだけど、これが事実で、実際に患者だった息子がそのまま出演しているんだから、信じるほかない。難病を克服した子供と、その両親がいるのだ、と。
でもなあ。なんか、ハッピーエンドだし、苦労を描かずきれい事みたいになってて、訴えてくるものが少ない。
・なんでロメオとジュリエットなの? その息子がアダム? 意味あるのか?
・監督でジュリエット役のヴァレリー・ドンゼッリが、なんか小島慶子みたいな大人顔で。冒頭の熱々シーンでの黄色いTシャツの若作りなところが、まったく似合わない。
・ロメオもジュリエットも、やたらタバコを吸う。ストレスを緩和するためか知らんが、ガンの映画なのに、そんなんでいいのか?
実際の息子の顔が半分、ときどき歪むのは、手術の後遺症なのかね。
LOOPER/ルーパー1/15新宿ミラノ1監督/ライアン・ジョンソン脚本/ライアン・ジョンソン
原題は"Looper"。「ブレードランナー」っぽい感じ。ハードボイルド。allcinemaのあらすじは「2074年の世界ではタイムマシンが開発されていたが、その使用は法律で固く禁じられていた。しかし、犯罪組織は違法なタイムマシンを利用し殺人を行っている。なぜなら、その時代にはすべての人間の体内にマイクロマシンが埋め込まれ、殺人が事実上不可能になっていたのだ。そのため、彼らはタイムマシンで標的を30年前に送り、待ち構えている処刑人“ルーパー”に殺害を実行させていた。2044年、ルーパーとして30年後の未来から送られてくる標的の殺害を請け負っていた男ジョー。ある時、そんなジョーの前に標的として現われたのは、なんと30年後の自分だった。一瞬の隙が生まれ、未来の自分に逃げられてしまう現代のジョー。ルーパーは処刑を失敗すれば、即座に犯罪組織に消されてしまう運命だった。現代のジョーは、処刑を完遂すべく、すぐさま未来の自分の追跡を開始するのだが…」
中盤までのテイストは「ブレードランナー」みたいな、頽廃の未来も描かれていていい感じ。でも、サラ(エミリー・ブラント)とであってでれでれしている時間が長くて、退屈。この部分の緊張感が維持できてたら、凄っ、な映画になったけど…。でも、終盤で挽回。とくにラストの、レインメーカー/シドのパワーには驚いた。いつのまにかタイムワープ物から全然別物のオカルト映画になってる高揚感。10%が超能力者、という話が全然生きてないな、と思っていたんだけど、こうやって結実するのか。
タイムワープ物としてはツッコミどころが多い。
・まず、他の時代に積極的に関与して「歴史を変える」というのがこの話の前提だ。従来の「歴史を変えるな」というのとは真逆。その意味では新しいけど、パラレルワールドが、とか、歴史がどう変わるか、についてはあまり触れないでいる。触れると大変なことになっちゃうからだろう。
・ヤング・ジョーがオールド・ジョーを殺せず逃げられた、という設定で進んでた。なのに、途中で、殺せた、というシーンがでてくる。あれは幻想だったのか? 事実? 始末して上海に行ったんだから、事実だよな。じゃあ、どうしてオールド・ジョーが存在するんだ?
・2074年ではタイムワープできる。でも、いつ発明されたんだろう? 30年後に自分は「殺されるため過去に送られる」とオールド・ジョーは分かってるはず。だったら逃げろよ。むざむざ捕まるな。それに、30年後の自分と話して、どうなるか分かったはず。分かったまま成長したのなら、対策も打てるだろ。
・未来から過去へ、の一方通行なのか? 過去から未来はなぜできない?
・未来には、警察はないのか? ヤクザが闇のタイムマシンを使ってる? 独裁者のレインメーカーが? どの程度の独裁なのか。国家代表レベルだったら公安とギャングの抗争がでてこないのも納得できる。でも、それなら殺人のためにタイムマシンを使わなくてもいいだろ。そうでないなら公安に追われているとかあつてもいいんじゃね? それに、2074年のオールド・ジョーの世界は、そんな物騒にみえなかったよな。っていうか、ヤング・ジョーはオールド・ジョーを始末して念願の海外へ。そこでギャングをやり尽くして放蕩三昧。彼女もできて・・・という生活だった。そこにレインメーカーの手下がやってきて拉致される…。じゃ、レインメーカーの覇権は世界レベルなのか。でもじゃあ、なぜタイムワープは違法なんだ? 他に為政者はいて、レインメーカーは闇の帝王?
拉致された時点でオールド・ジョーには、記憶がある。幼いレインメーカー/シドを逃がした、という記憶のはず。ってことは、ラストでヤング・ジョーは自死しなかったという歴史の上での話になる。なのにオールド・ジョーは存在していた。なのに、ヤング・ジョーが自死すると、オールド・ジョーも消えて、ラスト…。って、要は矛盾だらけの話なんだよなあ。ああしたからってレインメーカーが支配する未来は変わらないわけで…。あれでよかったのかどうかも疑問なところ。
まあいい。オールド・ジョーの世界では、レインメーカーの秘密も成長の過程も知ってるんだから、なにか手を打てたはずだよな。…と、やっぱり話はどうどうめぐりになってくな。いずれにしても、変わらない過去が基底にあって、というのではなく、どんどん変化していく歴史の上での話なので、ややこし。
・他にも、オールド・ジョーが、簡単に幼いレインメーカー/シドの居所を見つけ出してしまうが不思議。コンピュータ画面で、検索できちゃうのか? しかも、情け容赦なく幼児を殺してしまうストレートさ。この冷静さは、ヤング・ジョーにはないわけで、だからこそレインメーカー/シドとその母親を逃がしてしまうわけだ。よくある話で、タイムワープして昔のドイツに行き、幼いヒトラーと出会ったら殺せるか、に通じるね。
・埋め込まれていたらしいチップをどうやってか取り出して破壊するシーンがあったけど、あれは、どうやって体内から…? 
思ったのは、若いうちに思う30年後は遠い先の話だけど、でも、あっという間にタイムリミットはやってきていて、でも、そのギリギリまで人間は死を意識せず暮らしているってこと。これは現実の我々と同じだね。いつかやってくる死を考えないようにして生きているんだけど、あるとき突然目の前に現れてあたふたする、っての。
ヤク中で退廃的なルーパーにしては、ジョセフ・ゴードン=レヴィットは軟弱かな。それに、場面によって顔が変わって見えるのも気になってしまった。ブルース・ウィリスは、ここんとこ大きな映画にでずっぱり。いい感じの助演役者になってきた感じ。
幼いレインメーカー/シドの目つきとか態度とか、不気味さ、不遜さはなかなかのもんだな。
96時間/リベンジ1/25新宿武蔵野館2監督/オリヴィエ・メガトン脚本/リュック・ベッソン、ロバート・マーク・ケイメン
原題は"Taken 2"。前作「96時間」の原題が"Taken"だからね。で、「リベンジ」ってのは、意味が違うよな。むしろ「返り討ち」だろ。製作・脚本がリュック・ベッソン。きっと「こんな感じで」ってしゃべったのをケイメンが書き上げたんだろう。でも、前作に比べてかなりテキトーでやっつけな展開。偶然性も多くて、「面白けりゃいいんだ」的なノリのベッソンらしさが全開。なので、ピースがぴたりと嵌まる快感はない。トルコ風呂vでのリーアム・ニーソンの手抜きアクションもいささか興ざめで、きっともう身体が動かないのか、運動神経が鈍いのか。妙なカット・編集をしてた。きっと、そこは映画だから、という言葉でお茶を濁されちゃうかもね。でもま、導入部はタルかったけど、誘拐後はそれでもそこそこ面白いから、許してやろう。
allcinemaのあらすじは「かつて、娘キムを誘拐した人身売買組織をたった一人で壊滅した元CIA秘密工作員のブライアン・ミルズ。誘拐事件のトラウマを克服しつつあるキムや元妻レノーアとの復縁を願い、2人を海外旅行に誘う。やがて、トルコのイスタンブールで仕事を終えたブライアンのもとにレノーアとキムが合流する。だが翌日、バザールに2人で出掛けたブライアンとレノーアは、謎の男たちの襲撃を受け拉致されてしまう。2年前の事件でブライアンに息子たちを殺されたアルバニア人、ムラドが周到な復讐計画を実行に移したのだった。ブライアンは捕まる直前、ホテルに残ったキムに携帯で緊急事態を告げ、身を隠すよう指示するが…」
前作の完全な続編。冒頭から遺体搬送・埋葬シーンがあり、この恨みを晴らす、と村の長老が立ち上がる…。んだけど、前作の内容をあまり覚えたない。そーか。人身売買か。と、途中で気づくんだが。しかし、アルパニアに極悪村があって・・・という設定に、アルバニアはクレームつけないのだろうか。まあ、あの復讐の連鎖のボスニア・ヘルツェゴビナの近くだから、そういう人種なのかも知れないな、と納得してしまうところもあったりするんだけど。
あとはもう、イスタンブールでその極悪村の連中に拉致され、でも逃げ出すブライアン。最後まで囚われの身の元妻レノーア。危うく拉致されずに逃げ切るキム。なんだけど、ブライアンが逃げ出したり、極悪人たちの隠れ家を発見したりするのには合理性がほとんどなく、偶然とご都合主義のオンパレード。ただし、現在地を知るためにある手法を使うのだけは、ちょっと科学的かな、と思わせる。
拉致されたブライアンは、クルマの中で走行秒数、ターン、音声…などを記憶する。それでパサールからの距離を概算して約3キロと踏んだ。で、後にキムに電話して、地図上にホテルを中心とする半径3キロの円と、バザールを中心とする3キロの円を描かせる。が、その円は重ならない。そこでキムに手榴弾を爆発させ、爆発音のとどく時間からホテルとの距離を5キロと割り出す。そうしたら円が重なり、風向きも考慮して、円の重なりの東側(だったっけかな?)に来い、と指示する。てね。パサールからの3キロは分かるけど、ホテルから3キロの円を描かせる意味が分からない。結局、手榴弾を爆発させ、その音のとどく時間から拉致された場所とホテルの距離が分かる訳なのだから。あれには、意味があるのか?
キムはホテルの父親の部屋に逃げ込むんだけど、追っ手はどうやって鍵を開けたのか、部屋に侵入してくる。おいおいだよな。
で、ブライアンはホテルのキムと携帯でやりとり。キムに近くまでこさせ、手榴弾を2〜3発爆発させる。それで拉致場所近くに誘導し、自分のいる家を知らせる(地下室の暖炉でなにか燃やして煙を出す)。そうして煙突から銃を投げ込んでもらうんだが、理屈は合ってても、かなり強引。とくに、街角でがんがん手榴弾を…なんて、おまえなあ。そこは戦場か?
その後、屋根の上にいたキムが極悪一味のひとりに追われるんだけど、このとき「007 スカイフォール」で登場したのと同じ屋根がでてきた。007ではバイクが疾走してたけど、こっちは娘が走る。あっちもトルコだったのかな。覚えてないけど。
その後、ブライアンとキムはタクシーを奪って元妻のレノーアを救出に向かうのだが、すでに場所を移動されたあと。…なんだけど、極悪集団がレノーアを人質にしておく意味はもうないのだからさっさと殺せばいいのに、映画であることの都合上、そうはしない。やれやれ。で、拉致場所からでてきたブライアンは、その場にいた警官を撃ち殺してしまう。あの警官は、極悪集団の手引きをしていたんだっけ? それにしても、どういう根拠があってブライアンは警官を撃ったんだ?
ブライアンは無免許のキムに運転させ、追っ手を振り切り、米国大使館に突入するという荒技を披露するんだけど、手前で停まればいいじゃん。あれは、米国大使館を警護するトルコ警察すら信じられず、そうしたということか? 映画でも「自爆テロ」といってたけど、そう思われて殺される確率、大だろ?
まあ、ここでキムは大使館に逃げ込んで安全圏に。ブライアンはレノーアをひとりで救出に向かうんだけど、頼りはバザーで拉致された後、拉致現場に向かった道筋を歩くこと。で、なんとなく怪しい家を見つけ、入っていくとそこが極悪集団のアジトだったというテキトーさにあんぐり。おい。ちったー根拠を示せ。だけど、リュック・ベッソンだからなあ。あとは、「最も危険な遊戯」みたいな感じで階段を右往左往しつつ、一味をがんがん殺戮。ボスと片腕はレノーアをひきつれトルコ風呂に逃げ込むんだけど、ブライアンはまたしても嗅覚だけでトルコ風呂を発見し、侵入する。
ここでの片腕とのトルコ風呂でのボクシングは、アクションとしてはいまいち。リーアム・ニーソンの動きはブツ切れにされ、妙な感じにつないでる。ニーソンはもうアクションができないのかな。それに、全体的にブライアン強過ぎというか一方的で、アクションとしてはそんなにワクワクしない。窮地という窮地もあまりなく、あったとしても簡単にクリアしてしまう。それも、頭を使ってではなく、肝心なところをショートカットしてしまったりして…。でもま、CGなしのカーアクションは楽しいけどね。
娘のキムが老けすぎ。マギー・グレイス、調べたら30才近いんだな。アゴが張りすぎだろ。ブライアンは別れた奥さんとヨリを戻したい気がまんまんで、なんか冴えない感じ。
ロンドンゾンビ紀行1/28ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2監督/マサイアス・ヘイニー脚本/ジェームズ・モラン、ルーカス・ローチ
原題は"Cockneys vs Zombies"。ロンドンっ子対ゾンビ、という意味のようだ。しかし「紀行」はないだろ。そんなのんびりしてないだろ。「エスケープ・フロム・ロンドン」とか、もっと考えてくれ的な題名だ。
allcinemaのあらすじは「ロンドンに暮らすお気楽な兄弟テリーとアンディは、大好きな祖父が入居する老人ホームが閉鎖されるというニュースを聞き大あわて。祖父とその友人たちを救いたい一心で、仲間と共に銀行強盗を企む。ところが、いつの間にか街はゾンビで溢れかえっていた。祖父の安否を気遣う兄弟だったが、その頃老人ホームではおじいちゃん、おばあちゃんが迫り来るゾンビたちを相手に大奮闘していた」
最初に、工事現場で王の墓が壊され、ゾンビが街に…と振っておいて、テリーとアンディの兄弟が、パンクな従姉妹ケイティ、頭突きの黒人、ムショから出て来たばかりのトンマなデブとが銀行強盗へ…という展開。いまどき軽薄な。とまあ最初はバカ映画の類だろうと高をくくっていた。ところが設定があれこれ凝っているのが後々分かってくる。兄弟は、祖父の入っている老人ホームを救うために立ち上がったのであって、ケイティはその手伝い。黒人とデブは助っ人みたいな感じ。銀行には思いがけない札束があり、それをもって外へ、と思ったら通報されていて外には警官。で、行員と客の女を楯に外へ出ると、そこはすでにゾンビだらけのゴーストタウン! というわけで、あとは逃走と、そして、老人ホームに残された祖父たちの救出劇。もちろん強盗は悪いけど、なかなか気骨のある青年たちなのだ。
その気骨はどこから来るかというと、家系。両親も強盗で、追いつめられた2人は銃を手に警官隊に向かって突撃を…という、ギャング映画のパロディみたいな設定。のちのち爺さんに、「うちの血が流れてる」っていわれるほど。兄弟2人とも悪人面じゃないところがかえってインパクトがある。
人質の1人はお堅い銀行員。あくまでも「解放されたら警察に」の一点張りの性格が、これまた笑える。客の女性は、お調子者っぽい感じ。この対比が面白い。
前半での人物紹介には、その彼・彼女の過去のエピソードをフラッシュバック的に数秒インサートして説明、という手法が使われていて、これがなかなか効果的だった。
でまあ、逃走の過程で頭突き黒人は噛まれてゾンビ化。手榴弾で爆破される。デブは銀行員に撃たれ、銀行員は…食われたんだっけ? 忘れた。で、人間が絞られ、兄弟とケイティ、客の女(彼女の妹は食われていた…という哀しいエピソードもあったりして)は二階建てバスで老人ホームへ。いっぽうこちらもゾンビに襲われていたけれど、祖父と何人かの老人たちは立て籠もってがんばっていた。青年たちは頭突き黒人が隠していた武器弾薬をたっぷり持ち込み、老若あわせてゾンビたちに立ち向かい、まんまと船で脱出! という話。
話の骨格がしっかりしていて、しかも老人と若者という対比を上手く使っている。だから、エピソードや小ネタがバカバカしくても、十分に面白がれる。もちろんネイティブじゃなきゃ分からないのもあったけど、面白いのが盛りだくさん。
・ゾンビになっても、サッカーのフーリガン同士で諍いを起こしている。
・ドイツ軍と戦ったという爺さんはさておき、バアサン連中が銃の扱いに慣れているw なぜなんだろね。
・車椅子の老人は、風が吹けば桶屋が的な、因果関係の遠いダジャレをいう。
・中庭で寝落ちのスケベ老人。周囲にゾンビにまったく気づかず。仲間に呼ばれて逃げ出すんだけど、車輪のついてないカートを杖に逃げるジジイ…追うゾンビ…逃げるジジイ…のデッドヒート。
・むっちり看護婦がゾンビになってしまって…「冷めた」ってつぶやくジジイ。
とか、バカバカしいにもほどがあるのがたくさんあって、結構笑えた。
で、ちょいと変なのは、遠景の高速をクルマが2台通り過ぎていく場面と、背景を堂々と電車が通って行く場面があったこと。誰が運転してるんだ! 意図的なのかミスなのか知らないけど、ツッコミどころだと思う。あと、従姉妹のケイティは美人系だけど、大腿部を含む下半身ががっちりしすぎているのではないのかな。ということが気になってしまった。
というわけで、みんないいやつ、という終わり方。でも、あのゾンビ発生地帯から川伝いに逃げ出しても、まだゾンビの発生は抑え切れていないんだけどね。
ユダ1/29新宿ミラノ3監督/大富いずみ脚本/大富いずみ
「伝説のキャバクラ嬢・立花胡桃の自伝的小説」なんだと。ふーん。allcinemaのあらすじは「埼玉の女子高生・絵里香は妊娠中に、恋人に裏切られ、中絶費用を稼ぐために大宮で夜の世界に飛び込む。以来、キャバクラ嬢の道をひた走る彼女は、歌舞伎町の高級店に引き抜かれ、そこでNo.1の座を巡ってライバルたちとの熾烈な争いを繰り広げていく…」なんだけど、家庭環境や背景がほとんど省かれているのでリアリティはない。冒頭の、捨てられ中絶、を「下妻物語」的な書き割りでテンポよく端折ってもよかったんじゃないのか。それと、半ばを過ぎた後半、すなわち別のキャパクラからスカウトされた後の話に盛り上がりがなくて、いまいちだ。そこを何とかクリアしてたら、いい線いってたと思う。
演出は案外と古典的。話も、上昇志向の女 vs 成り上がり男という対比と、その転落という構造がしっかりしていて分かりやすかったからだ。まあ、その分、絵里香の2人目の男になる金貸しの大野も、いずれ堕ちるのだろうと思っていたらそうなったので、予想を裏切る面白さはない。もちろん、非モテでストーカー的な大宮のIT会社員ベートーベンの末路も同じこと。想像の域を出ない展開に、後半はちょっと退屈した。
それでも、食事をした後で「これは寝るな」と思っていたのに、冒頭から興味をもって見てしまったのは、単なる女子高生が必要に迫られキャバクラでちょっとバイトして、でもその魅力に取り付かれて働き出し、歌舞伎町のトップをめざすというサクセス=成り上がり話が面白かったからだ。
ただし、冒頭の振られ話はありきたりでつまらないし、絵里香の家庭環境をまったく無視した描写は話を安っぽくしている。妊娠した時点で尻軽な女なのに、レストランでは純情そうな演技をさせたりする。ちょっと違和感。さらに、キャバクラの新海に「高校生?」と聞かれて否定するって、どういうことだ? 意味が分からない。で、この時点で絵里香の家庭がわずかでも描かれていれば(たとえば母親とケンカして家出するとか)、少しはリアリティは出たはず。なのに、なにもない。おまえ、どうやって生活してきたんだ? って話だよな。
・絵里香が、どうやってのし上がっていけたのか、描かれていない。あの奥手だった娘が1ヵ月やそこらで大宮のとはいえトップになれた理由は? それは新宿でも同じ。男との関係も、「いやんいやん」顔しているだけで、積極性は感じられない。それが手だったのか? あんなんで、男が好きになるかね? サクセススーリーとして、いまいち説得力が乏しい。
・色調で時代を表現している。キャバ嬢になる以前はブルー。なってからはホコリっぽい感じの黄土色。過去がインサートされると、それはブルー。高校生のとき、同級生に妊娠させられ、突き飛ばされてケガした時点で、昔の自分は死んでしまった、ということの象徴だろう。キャバ嬢をやめて解放されると、色はブルーに。こういう手法は古典的で古くさいんだけれど、昨今のテキトー過ぎる日本映画を見つけていると、基本に忠実なところが逆に新鮮に見えるから不思議。
・冒頭で、「私はナンバー1」とかいいつつ店内を堂々と闊歩する絵里香が映り、「2年前」というクレジットが英文字ででる。で、過去に戻るのはいいんだけど、映画が進んでいって、冒頭に登場した「現時点」をいつ通過したか分からないのは困りもの。
・新宿のキャバクラで、これから上り調子の人たちだから、と店長(?)に勧められてついた客がチンピラっぽい。その店のNo.1といっしょについて…チンピラが「クラブ行かね?」ということになって2人もついていくんだけど、なんか妙な具合になるシーンの経緯が分からない。チンピラに襲われかけ(?)、逃げる過程で2人の心が打ち解ける設定なのだから、ちゃんと描かないとね。
・でその彼女が病気で、彼女の得意客(板尾創路)の相手を任される絵里香。VIPルームに2人だけになって、バックで犯されるんだけど、それは絵里香の狙いだったのかどうか、わからず。彼女は板尾と結婚を考えていたのに、それを乗っ取ったカタチで、でも、そんな野心は見えなかったのでね。女の友情より、店のトップがよかったの? どこがいいのか、さっぱり分からない。それと、タイトルの「ユダ」につながる裏切りは、この件ぐらいしかないよなあ。
・新宿でトップになって。その後に、いまをときめく金貸し男に紹介される…って、変だよなあ。金貸しだって、店の一番いい女を、と望むだろうし、絵里香だってかねて眼をつけていたのだから。設定が変。で、最初はプラトニックにつきあい始める。金貸しの家庭環境だの貧乏話だの、そこで純愛を見せるつもりだったのか。しかし、絵里香にとって金貸しとつきあうメリットって、どこにあるのだ? 観客は、いずれ金貸しも堕ちることは板尾の例で分かっている。というより、絵里香自身は、金貸し男もいずれは…と気づかなかったのか? それとも、気づきながら愛してしまった? でも、そうは描かれていないのだよなあ。さらに、金貸し男はかなりな悪徳ということも後に分かるので、絵里香の人を見る目のなさが目立ってしまう。
・最後に、大宮で絵里香をキャバ嬢へと誘った男が新宿の店にやってくる。彼がいちばん信頼できる男に描かれていて、彼の言葉でキャバ嬢をやめる決心をするんだけど、でも、絵里香が求めたのは何なのだろう。途中で絵里香は「私からキャパクラをとったら何も残らない」といっているのだけれど、いつのまに? って感じだったしね。振られたこととか子供を堕ろしたことはもう関係ないのか。もともと、何もなかったバカ女だったのかい? ってな気分になってしまった。
・モチーフは面白いし、古典的ながら映画表現もしっかりしてる。でも、キャラ設定やセリフとか、ツメが甘いまま、とりあえずまとめました、な感じかな。もっと脚本を練れば、いいものができたような気がするんだけどね。もったいない。

 
 

|back|

|ホームページへ戻る|