つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語 | 2/1 | MOVIX亀有シアター3 | 監督/行定勲 | 脚本/伊藤ちひろ、行定勲 |
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ポスターを見て、バブリーなやり手が女を取っ替え引っ替えの話か? と思ったらさにあらず。地味で暗めでミステリアスで、ちょっとコメディの入った、でも、終わってみれば中見は大したことのない話だった。要は、話のもって行き方なんだろうけど、見てしまう。ただし、ミステリアスな感じは中盤には薄れてきて、描かれるエピソードは別に伏線でも何でもなく、最終的に何か秘密が解明されるというわけではないらしいことは分かってくる。分かるのは、人生いろいろ、ということだ。 それと、エンディングテーマをクレージーケンと行定勲が作詞してるんだけど、この映画の要約になっている。
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ま、いいや 最近の俺の口癖 ま、いいや 散々振り回されたけど どうしようもない男と女 息もつけないほど あの日の 熱は何処に どうしようもない男と女 ま、いいや 一瞬の夢 追いかけたから 息もつけないほど ま、いいや
allcinemaのあらすじは「艶という女と駆け落ちまでして大島に流れ着いた松生春二だったが、愛に飢えた艶の不貞に翻弄され続けることに。そんな艶が病気となり、危篤となる。激しく動揺する春二は、艶の過去の男たちに艶が死の床にあることを知らせようと思い立つ。こうして、艶の処女を奪った従兄の小説家、艶の元夫、あるいは不倫相手といった男たちのもとに届いた艶危篤の報せは、やがて男たちを取り巻く女たちに思わぬ波紋を広げていくことになるのだった」なんだけど、話はミステリアスに進行する。このあらすじのように、最初にその場所が大島だとは分からないし、駆け落ちも分からない。自宅と病院を自転車で行き交っている松生(阿部寛)がいて、それを見守る少年がいる。艶の余命は少なく、松生は艶を刺し殺そうとするが、思いとどまる。あれは心中のつもりなのか、艶を楽にしてやるつもりなのか、よく分からない。で、思ったのは、あれは殺人未遂になるのかどうか、だった。そういえば、あのときの包丁は病室に置いてきたままなんだけど、気になった。で、この後、艶に関わりのあった人物たちの人間模様が以下のパートでオムニバス形式で進む。 | ||||
二郎は鮨の夢を見る | 2/5 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/デヴィッド・ゲルブ | 脚本/----- |
原題は"Jiro Dreams of Sushi"。アメリカ人監督のドキュメンタリー。82分の小品。allcinemaの概要は「鮨と職人をテーマに約3ヵ月にわたって密着取材を敢行して撮り上げた異色のドキュメンタリー。各地の映画祭で評判を呼び、無名監督のドキュメンタリー作品としては全米で異例の大ヒットとなった。87歳の今でも現役でカウンターに立ち、鮨に対する謙虚な姿勢と飽くなき向上心を持ち続ける二郎の鮨職人としての哲学とプライド、そんな偉大な父の背中を追い続ける2人の息子の複雑な思いなどを、鮨をアート作品に見立てたこだわりの映像と音楽で映し出していく」 いきなり山本益博が登場する。実はかつて彼の『東京味のグランプリ 1984』に影響された。といっても、日本そばだけだけど。それで日本そばの店はあらかた行って、なるほど、な気分になった。ラーメン部門はいくつか行ったけど、行列がたまらずやめた。他は高すぎて行けなかった。寿司は弁天山美家古と次郎、久兵衛あたりが三つ星だったかなあ。うろ覚え。その頃に次郎の名前を知ったわけだ。いまだにトップを走りつづけているのは大変なこと。それは評価に値する。 撮影時は、二郎さんは85歳といってたように思うんだが、もう87歳か。凄いね。でも予約は1ヵ月前から。1人3万円から。昼も夜も、らしい。酒はだすが、つまみはださない。食べ物は寿司のみ。といわれると、じゃあそういう客を相手にやってればいい。俺はとうてい一生涯行けないし、連れていってやるといわれても、断る。緊張しつつ、店の人だけじゃなく他の客にも気をつかいながら食べるなんて…。ラスト近くに、常連らしい客と山本益博がカウンターにいるシーンがあるんだけど、みんなうさん臭い。そんな基盤の上に次郎の商売は成り立っているのだな、と思わせてくれる。 店名の次郎じゃなくて二郎なのは、本名なのか。10歳ぐらいで親元を離れ、以後、世話にはなっていないらしい。墓は浜松だったか、にあって、墓参はたまにする程度。息子が2人。いずれも寿司職人。大学には行かせず、ムリやり店に入れたみたい。「辛いことがあったら帰ってこいなんていう親がいるけど、そんなバカな親のところで育ったんじゃ一人前にはなれない。私なんか10歳で…」というのがあって、どーも、心の底では親を恨んでいて、それが人生哲学になってしまってる。2人の息子が気の毒になった。 次男を六本木の支店に出したのは、こっちは大丈夫、と踏んだからなのかな。その次男は正直だ。「こっちの店なら、本店と同じ味を安く楽しめる」といっていた。つまりそれは、数寄屋橋の店は、必要以上に高いということではないか。まあ、わずかな違いはあるのだろうけれど、分かるほどのことはないんじゃなかろうか。 心配なのは長男…。おっとりした顔立ちで、若い衆に厳しい感じは見えなかった。いっぽうで、店に値段を聞きに来た客に対してのぞんざいな言いよう。市場での対応でも、腰が低い感じは見えなかった。だからそばに置いてるんじゃないのかな。二郎さんの人生哲学と相反するような気がするんだが、どうなんだろう。そんな長男はF1レーサー(パイロット?)になりたかったといい、いまじゃアウディを乗り回している。儲かるんだな、寿司屋って。 夜は1人最低3万×9席=27万。約30万として2回転したら60万。3回転で90万…。昼はその半分で45万ぐらい? 1日135万、週5日として260日だから3億5100万の売上げ。原価率50%で粗利1億7550万。働いているのは二郎さんと長男と従業員4人。HPを見たら見習の給料は18万らしい。他人の財布の中をみてもしょうがないんだが…。 次郎で修行した職人(店の名前は忘れた)が、二代目は大変、といっていたが、周囲はそう見ているのだろう。「吉野(鮨?)は先代が亡くなって、客が散っていった」と店名をだしていたけど、大丈夫なのかな。店の名前といえば、二郎さんと懇意の米屋が「グランドハイアットが売ってくれってきたけど断ったよ。あそこじゃ二郎さんみたいに炊けない」とかなんとかいって笑っていた。そういわれたグランドハイアットは、どんな気分かね。なんか、でてくる人たちが「俺は俺は」な感じがして、どーも素直に「凄い」と感動できない。 長男が、店の雑誌の棚に並べていたのは、店が紹介された雑誌や本のためだろうか。なんだかな。そんなことするなよ。ってな気持ちになった。 もちろん、裏の仕込みの丁寧さには驚くこともあった。タコを普通の倍も煮て柔らかくするとか。カツオ(?)は藁(?)で炙ったりして、そこまでやるかだった。他にも、アジやサバにも煮切りを塗っていたり、お客をどこに座らせるか配慮したり、なるほどなところは面白かった。でも、時間と金をかければ、そこそこ上手くなるんじゃないの? とも思えてしまう。 二郎さんは生涯現役で働くといい、「美味しさの頂点をめざしてる。まだまだ」と語る二郎さんがいたんじゃ、子供たちはいつまでたっても子供のままだ。おそらく、次郎は二郎さんの店であって、長男が継いだら次郎ではなくなってしまうだろう。それを無残にも見せている映画でもあった。結局のところ、二郎さん自身が、子供を甘やかす父親になっちゃってた、ということだろう。なんでも完璧にできてしまう人は、組織の長としては向いていないってことだ。 この映画、肝心の会話というかセリフが聞き取りにくい。発声がわるいのもあるし、必要な部分をちゃんと切り取ってない気もした。これが重要な言葉? もっと他にもあるんじゃないの? てな感じ。二郎さんの主義主張もだらだらな語り口調なので、どういうことだ? と首をひねる個所もいくつかあった。 | ||||
クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち | 2/7 | キネカ大物1 | 監督/クレイグ・ティパー | 脚本/----- |
原題は"Crazy Horse"…でいいのかな? allcinemaの解説は「パリを代表するナイトクラブの1つ“クレイジーホース”の全貌に迫るドキュメンタリー。女性の美しさを追求したアーティスティックなヌードショーの舞台裏に密着し、ダンサーと振付・演出家との入念なリハーサルや披露されるステージの様子に加え、生々しいオーディション風景や裏方スタッフの姿、クラブ運営会議などあらゆる場所にカメラが入り込み、世界屈指のエンタテインメント・ショーの魅力とその秘密を明らかにしていく」 正直いってつまらない。その大きな理由は、物語性のないだらだら撮りにある。ドキュメンタリーといえど、何かに向かっていくとか、人と人との対立とか、困難の克服とか、テーマ性がないともたない。なのに、この映画にはそういったものは何もない。さらに、個人に肉薄して描き出すというアプローチもない。それじゃ面白いワケがない。 おっばいや尻は確かにキレイ。でも、それだけじゃ飽きる。なので30分目ぐらいに沈没。15分ぐらい寝たのか。目覚めても相変わらずで、早く終わらないかイライラした。 いくつかエピソードはある。演出の男が、次の出し物を充実させるため店を短期間閉めたい、と主張する。しかし、オーナーは「株主が許さない」という。では、その件はどうなったのか。途中で一度その話に触れてはいたが、どうなったかは分からない。そんなんじゃしょうがないだろ。 後半、オーディションがある。みなスタイルがよく美人ぞろい。最終的5人選ばれてたけど、彼女たちはどうなったのか。これまでの踊り子たちにまじってどう苦悩するのか、いかに活躍するのか、なんてまったく描かれない。なんてもったいないんだ。たとえば、いま挙げた2つの話を縦軸にしてバックヤードを見せていったら、まだましなものに仕上がっただろう。 もちろん、ヌードショーにあれだけの衣装、ヘアメイク、大道具、小道具というのは、凄い。照明が水玉柄やヒョウ柄の衣装を表現してしまうのももの凄い。それは分かるんだけど、出来事も起こらず時間の経過も分からないではしょうがない。 踊り子は、例もいたけど一様におっぱいが小さい。ムダに大きいと揺れるから邪魔だし、統一感もなくなるからだろう。それに背格好も同じというのも、デザインされているなあと思った。 陰毛も映っていたように思うんだが、あれは衣装としての前張りをしているのかな。でも後半、その前張り(あるいは刈りそろえた陰毛)の上から小さなTバックをつけている状態の踊り子が映ったんだけど、三角の前隠しの上から黒い物が見える踊り子もいれば、見えない踊り子もいるので、なんか奇妙な感じがした。日本なら、そろえるだろうになあ。 あと、オカマの美術監督がインタビューされるシーンがあって、なかで「日本人もくる」とインタビュアーにいってるのはどうしてなのかね。日本人も見にくる、はステータスになるということなのだろうか。それと、あのインタビューは、この映画製作者に対してじゃなくて、クレイジーホース・パリを取材に来たメディアに対するものなのか、分かりづらかった。後者だとは思うけどね。 | ||||
ヴィダル・サスーン | 2/7 | キネカ大森1 | 監督/フレデリック・ワイズマン | 脚本/----- |
原題は"Vidal Sassoon: The Movie" allcinemaの解説は「斬新なヘア・スタイルを編み出して60年代ロンドンのファッション・シーンを牽引し、美容業界に一大革命をもたらしたカリスマ・ヘア・スタイリスト、ヴィダル・サスーンの偉大な功績と波瀾の人生を描いたファッション・ドキュメンタリー」と短い。ヴィダル・サスーンという名前は知ってたけど、美容師だったのね。化粧品とか、そういうイメージだったよ。で、登場する写真も、知ってる知ってる、が多い。1960年代の日本の広告も、こっから来ているのだな。篠山紀信が撮った前田美波里なんて、モロそう。レナウンのイェイェなんかもね。 てなわけで、前半の立身出世譚は興味深く見たんだけど、中盤からの話がいまいち面白く展開しない。で、こちらも少し寝てしまった。やれやれ。で、何度目かの結婚で子供もできた・・・なんて話でだらだら。でも、長女がヤク中かなんかで死んでしまうとか、哀しい話になってくる。 しかし思うに、親が大金持ちで何不自由なく、というか奔放に暮らしてると、子供が破綻するケースが少なくないような気がするな。 で、どういう理由か知らないけどプランドが某社に買われ、すぐにP&Gに買われて…なんていう話は、はじめからP&Gが仕組んだとしか思えない。それにしても、このあたりは結果だけを段段と並べ立てていく感じで、全然ドラマチックでしはない。終わってみれば、本人了承のPR映画なのか? と思うばかり。調べてみたら、公開時はヴィダル・サスーン本人は生きていたらしい。しかし去年の5月に亡くなっているので、まあ、本人が見てOKという伝記に仕上がっているのだろうな。 | ||||
よりよき人生 | 2/12 | 新宿武蔵野館2 | 監督/セドリック・カーン | 脚本/カトリーヌ・パイエ、セドリック・カーン |
原題は"Une vie meilleure"。邦題の意味と同じらしい。けど、話の内容は、バカな男女の転落人生だった。もしかして、反語になっているのか? 2011の東京国際映画祭コンペティション参加映画らしい。受賞はしなかった模様。 allcinemaのあらすじは「シェフを目指しながらも学食の調理人に甘んじている35歳のヤン。ある日、面接に訪れたレストランでウエイトレスのナディアと出会い、軽いノリで一夜を共にする。また翌朝、彼女がスリマンという9歳の息子を持つシングル・マザーと知るのだった。ヤンはスリマンともすぐに打ち解け、3人で楽しい時間を過ごすようになる。そんなある日、3人で訪れた湖畔で廃屋を目にしたヤンは、ここを改装してレストランをオープンすることを思いつくと、即断で物件の購入に動き出す。そしてローンの頭金を工面するために消費者金融に手を出してしまう。レストランさえ開業してしまえば、すべてが上手く回ると考えていたヤンだったが…」 面接して断られ、送り出してくれたウェイトレスに声をかけ、「今晩飲まない?」で、夜中の3時に待ちあわせ、酒場に行く途中の物陰でいきなりキス。女も抵抗せず、そのままベッドイン…ってオープニングからイカサマだろ。で、子連れのウェイトレス・ナディアとつき合いだし、たまたまみつけた廃屋をレストランにしよう、と思い立つ。とんとん拍子のいい話。こりから難関が待ちかまえてるんだろ。と思ったらその通り。手持ち資金ゼロで家を買うため銀行に行き、16万ユーロの融資を受ける。頭金4万ユーロは消費者金融からの多重債務。資金難から手抜き工事を指示したのが裏目に出て、消防署の建築確認で落とされる…てな流れでにっちもさっちも行かなくなる。頭が悪いとしか言いようがない。 友人知人に借金申し込んで断られ、相談所に行ったら「売れ。いまならまだ損はしない」と言われても現実が見えず、裏金融みたいなのに相談。営業権を譲渡(?)したのかな。でも、工事再開のための資金が足りない。それでまたまた相談所にいって、「なんとかならないか」と訴える。あほか。 世の中には、夢ばかり追って現実が見えなくなる人もいるのかも知れない。でも、そういう性癖は一生直らないだろう。たとえ立ち直ったとしても、同じようなことを繰り返すに違いない。そこに、同情の挟まる余地はない。allcinemaの解説に「過酷な現実に翻弄されながらもぎりぎりのところで踏みとどまり、互いの絆を強めていく姿を厳しくも温かな眼差しで見つめた感動ドラマ」とあったけど、過酷な現実なんてどこにもない。つましく堅実に生きる道はいくらでもあった。でも、自分で泥沼に足を突っ込んだだけだ。もう、見ている間、うんざりのし通しだった。 ギャンブルなんかだと、そりゃビョーキだろ、で済む。でも、この話のような設定では、そうはいかないだろ。たんなる社会不適応人間。こんな男をコントロールできないナディアも、あほ。地道にやってるけど世間の風が冷たくて…なんていう風に見てもらいたくて厳しい状況を畳みかけるように設定しているんだろうけど、どこに同情すればいいのだ。 しかもヤンは、ナディアの息子に「泥棒はするな」と言っておきながら勤め先の食料を盗んで売り、あるいは、裏金融の男を殴って金を奪い取る。そりゃおまえ、強盗人生だろ。もとはといえばお前が悪い。弁解の余地なしだよな。 で、ナディアが旅立った先のカナダへと追いかけていき、そこでナディアとやり直そうというような結末。でも、ナディアもカナダで働こうとしたのに、就労ビザがないからと首になったんだろ。じゃあ、ヤンは働けるのか? いやまて、フランスの銀行に残った月々3000ユーロの借金は? いやいや、9歳の息子の就学はどうするんだ? そういうの、すべて解決できるのか? ラストシーンは、氷上のバイクにまたがるヤンとナディアの息子の喚声だったけど、先は暗いだけだろ。げんなり。 ・出会いのときのヤンとナディアのベッドイン。後半では、ヤンは田舎の酒場で行きずりの女と…。そんな簡単にやれちゃうのかよ。って、映画だからな。だったら、この借金地獄も映画だよな。 ・その、田舎の酒場だけど、なんであんなところに行ったのだ? 2度目に相談所に行ったとき、相談員のオバサンに「親戚は?」といわれヤンは「里親に育てられた」と応える。で、次のシーンで、田舎のレストランみたいな所にいて、オーナーらしき人を訪ねる。が、不在。結局4日ぐらい滞在して、会えなかったんだよな。店の女は「口約束しちゃう人だから」といっていたけど、かつてヤンが働いていたところのようにも言っていたが、そのオーナーが里親なのか? よく分からないシーンだった。 ・ナディアの息子が、靴を万引きする。返しに行くと、店の主人が「もう中古品だ。買うか、警察か、どっちかだ」という。フランスって、そんなドライなの? いっそ警察に行けば、うまく取りなしてくれるのではないのかな、と思ったんだが…。 ・ナディアはカナダに行き、ある店のチーフかなんかを任されたはず。でも就労ビザの関係で働けなくなった、と。でも、そんなこと、行く前からわからんのか? それとも、レバノンからの不法移民のままなのか? 国籍は? その辺りがよく分からない。 ・で、ナディアはある筋から訪問セールスの仕事をもらうが、売ってる商品に麻薬が…で、捕まって刑務所生活、という設定。でも、本人は知らないでやってたんだから、留置されるほどのことはないのではないのかな。 ・ナディア役のレイラ・ベクティは、華奢な身体に、なかなかの巨乳。でも、少女らしさもある。かと思うと、じっくり映されるとやっぱり設定通りなのか、レバノン人。しっかりと濃いオバサン顔に見えたりする。美形ではあるけれど、歳を取ったら中東の、肉をたぷたぷさせて歩くおばちゃんになっちゃうのかな。息子役の少年、可愛いけど、彼も中東系なんだろう。15、6歳になると面長ヒゲ面のビン・ラデイン顔になっちゃうのかな。 | ||||
苦役列車 | 2/13 | ギンレイホール | 監督/山下敦弘 | 脚本/いまおかしんじ |
allcinemaのあらすじは「1986年。日雇いの肉体労働でその日暮らしの生活を送る19歳の青年、北町貫多。稼いだお金も家賃より先にお酒と風俗に消えてしまう自堕落の日々。そんなある時、職場で新入りの専門学生、日下部正二と知り合い意気投合、初めて他人と友達らしい付き合いをするようになる。やがて貫多は日下部に協力してもらい、秘かに想いを寄せる古本屋の女性、桜井康子とも友達になることに成功、思いがけず人並みの青春を謳歌し始めるのだったが…」 西村賢太と森山未來じゃ外見が違いすぎ。佐藤二郎みたいなので若いのはいなかったのか。それでも北町貫多役の森山は二枚目じゃないからいいか。野生児のような役柄も、まあ、こなせてるし。 話は↑以上のものはない。冒頭に、北町貫多の設定が文字で書かれる。父親が性犯罪者で、それで歪んだ云々。そのせいか中卒。でも本は好き。思ったことを口に出し、人に指図されることは嫌いで、フーゾクは16歳から。波止場で荷役のバイトをしていて、九州(だったかな)から上京して専門学校に通ってる日下部と知り合いになる。 根底には、人に愛されなかったことがあるのか。かといって将来の夢もない。そんな19歳。でも、古書店のバイト娘には恋してる。けれど、女とのつき合いはセックスかフーゾクしか知らない。ごく普通に友だちとしてつき合い、デートして…ということができない。というか、やり方を知らない。だから、桜井康子と知り合いになって、さっそく「家に行っていいか」と聞いたり、別れ際に手を舐めたりする。ある意味ではぶきっちょなんだろうけど、友だちにはしたくないヤツだ。憎めないやつ、ともいえるけれど、気持ちの悪いやつ、でもある。 人との距離感もつかめない。というか、空気も読まない。だから、日下部正二がバイト先で出世しても、彼女ができたからと言っても承知しない。相変わらずの飲み友だち、フーゾク友だちでいようとする。日下部が断ると、つき合いが悪い、と怒り出す。ううむ。つきあいづらいやつ。 先日見た「よりよい人生」の主人公は、あり得ない夢を見てバカになっちゃう人生だった。いっぽうこっちは、夢を見ることができずにバカをつづける人生だ。働いた金は飲んで、やって、使ってしまう。部屋代もロクに払わない。まさにその日暮らし。なのに、山谷の木賃宿暮らしは嫌だ、っていうところが、変なの。 映画はおおむね、ずっとフツーな演出で手堅く撮られていく。山下敦弘らしさはあまりになく、逸脱や不思議感のない映像は当たり前すぎていまいち魅力的ではない。これが爆発するのが、日下部に去られ、桜井康子にも去られた3年後の場面だ。飲み屋で荷役仲間の高橋(マキタスポーツ)がテレビで歌を歌ってるのを目撃。これだ。これが夢だ。と悟って、自分の過去を私小説化しはじめる。というところで終わっている。いつ原稿用紙に向かうのかと思っていたら、ラストもラストだったのね。 3年後、相変わらずのフーゾク通い。そして居酒屋でテレビを見ていたら、別の客がチャンネルを変える。負けずに貫多も変える、を繰り返し、殴り合い。ボコボコにされ、郊外に半裸で捨てられる(チンピラ2人の殴り方、蹴り方が堂に入っていた)。そこは、3人で行った海岸に近いところ。呆然としていると、日下部と康子が着衣のまま海に入っていく。それを追いかける貫多…が、ずぼっ、と落とし穴にはまる。次のシーンでは、天から振ってきて、アパートのゴミ捨て場に落ちる。そこは、映画の最初にでてきたアパート。大家のババアがいて、ここでも部屋代を催促される。貫多は部屋に行き、机の上のゴミをどけると、そのまま"書く"行為を始める。作家誕生である。この件の落とし穴、もう、最高。いままでためらい、封印していたイタズラ心が一気に噴出した感じで、まさに映画的表現が全開。高橋の夢実現を見て「そうだ。この3年間のことを書けばいいんだ」と開眼したことが一瞬にして見事に描かれている。 ところでエンドクレジットによると、3年後のアパートの大家って、冒頭部分で演じていた役者と違う役者らしい。じゃあ、別のアパート? なことないよな。それともも、なにかの事情で役者が変わったのかな ・バイト帰りの康子に「家に行っていいか」と聞く。次のシーンで、康子の家の中。2人が家からでてくるのは昼間。…フツーなら夜を明かしたと読むべきか。あるいは、別の日に訪れたと読むべきか。で、貫多は康子の手を舐めるんたが…。 ・康子に嫌われた、と思った北町貫多は、日下部に話す。2人で康子に謝りに行くと、あっさり許してくれて、ボーリング。そして、浜辺へ。3人で季節外れの海の中へ…。という件は、康子の優しさが感じられる場面。でも、あまりにも無防備だよな、康子って。法政大学の学生といっていたけど、学内に友人はいなかったのか? ・荷役仲間の高橋が事故で足の指を2本切除。北町貫多が高橋に、会社からの見舞金を届けるが、その場所がスナック。高橋は、先客のマイクを奪い取り、カラオケで歌うのだが、妙に上手い。意味があるのか? と思ったら、ラストへの伏線だった。なるほど。 ・この高橋。東京湾のカラス貝を取って食べようとして、会社の上司に「そんなの食ったら死ぬぞ」といわれている。どういう育ち方をしたんだろう。気になる。 ・バイト2週間で、日下部と貫多は荷役から倉庫見習い、だったかな、になって力仕事からフォークリフト担当になる。日雇いにもランクがあるのか。しかし、貫多は高橋の事故を見て、自ら荷役に戻してくれ、といったらしい。なぜなのだ? 事故が怖いから? ・日下部が彼女を連れて、北町貫多を久しぶりに誘う。彼女はマスコミ志望で、学祭で中沢新一の登場するイベントで司会をする。ふだんから四方田犬彦を読んでるから司会に選ばれた云々…のうち、貫多は飽きて寝てしまう。でも日下部は彼女と知的でスノッブな話に夢中。彼女が下北に住んでることにも絡み始め、「田舎者は東京に出てくると世田谷・杉並に住みたがる。俺たち江戸っ子からすると、ちゃんちゃら…」と、彼女の顰蹙を買うのが面白い。ほんと。田舎者は下北沢、吉祥寺、自由が丘あたりに住みたがる。で、芝居をみて文化に浸った気でいる。ほんと、アホだ。ここは素直に賛同する。 ・日下部は専門学校だ。なのに大学生も交えた合コンに行ったり、上記の女子学生とつき合うようになる。この辺りが、感覚的に分からないところ。日下部が上智とかMARCHクラスの大学生なら分かるんだけど、どうやって大学生と交流できるのだろうか。その辺りが謎だ。また、専門学校も、美術系か何かなのだろうか? バックグラウンドを描かないと、いまいち説得力がない。女子大学生なら、相手が専門学校または中卒というだけで、ヒクだろ。 ・中卒と言えば、貫多がアパートを追い出されそうになり、日下部に泊めてくれ、とバスの中で頼み込むシーンがある。そのとき後ろの席のオヤジが「山谷の木賃宿なら一泊500円だ。それにしろ」と口を挟んでくるんだけど、セリフ廻しが一本調子。あれは役者なのか? それとも、有名な誰かさん? で、この出来事について貫多が「あいつ中卒だろ」と馬鹿にするんだけど、中卒が中卒を見下すという面白い構造になっている。で、ひょっとして、あとからあのオッサンが早稲田卒だったとかのオチがあるのかな、と思ったけど、なかった。 ・覗き部屋に行ったら、以前につき合っていたマンコの臭い女がいた、というエピソードが面白かった。「やらせろ」といったら断られ、でもスナックに行く。そこに女の恋人(?)がやってきて、貫多が女の悪口をいう。で、男にボコボコにされるのだけれど、次のシーンでは仲直り? 寿司なんかとっちゃって。どうなってんだ? 男が、「悪かった」といい、貫多に「こいつと寝ていいよ」なんていい、女に嫌われる。かと思うと、男が「動物ごっこしよう」なんていう。なんなんだ、この不思議さは。 ・雨の日に康子に迫り、道路に押し倒してセックスを迫る貫多。頭突きでかわす康子。「友だちじゃダメなの?」と。いきなりセックスだけが女生とのつき合い方ではない、と分かってきたと思ったんだけど、そうはいかなかったってことなのね。まあ、原作者はいまもフーゾクに通っているようだから、そうなんだろうけど。で、この一件から、貫多はひとりになる。文庫本ばかりの自著を売りに行き、380円。帰ろうとすると店主が、康子から託された本を渡す。土屋隆夫の本で、アバウト「この本を読んで北町君と似ているなと思った」というような康子のメモが挟んであり、店主が「うちは図書館じゃないんだよ」というシーンがある。あのメモは、貫多に襲われた後に書いた、あるいは、店主に託したということか? だったら康子ってアホだな、と思うしかない。 ・しかし、「土屋隆夫の『泥の文学碑』の意味はまったく描かれない。Wikiに「土屋隆夫の『泥の文学碑』を通じ田中英光の生涯を知ってから私小説に傾倒」という一節があった。これをちゃんと説明しないと、3年後につながらないよなあ。というより、3年間は、まだまだ雌伏の期間だったのか。それとも、少しずつ貯えてきていたのか…。 ・康子役の前田敦子ってAKBなのか。名前は聞いたことがあるような気がしたが。フツーの顔立ちで、とくに魔力のない顔だな。 ・最初にでてきた、ザンバラ髪の大家のババアが、幽鬼漂っていてよかった。 | ||||
レッド・ライト | 2/18 | 新宿武蔵野館1 | 監督/ロドリゴ・コルテス | 脚本/ロドリゴ・コルテス |
原題は"Red Lights"。アメリカと、スペインの制作費も入っているらしい。allcinemaのあらすじは「科学者のマーガレットとトムは、あらゆる超常現象を科学的に解き明かし、超能力や霊能力を自称するペテン師たちの正体を暴いてきた。そんなある日、伝説の超能力者サイモン・シルバーが30年の沈黙を破り、復活を遂げる。トムはそのニュースに飛びつき、シルバーを調査すべきと主張するが、マーガレットは“彼は危険すぎる”とトムに自制を求める。実は、彼女は若い頃にテレビ番組でシルバーと対決し完敗した苦い過去があったのだ。そんなマーガレットの忠告を無視して単独でシルバーへと近づいていくトムだったが…」 冒頭の降霊術の場面で、「アザーズ」を連想した。この現実が実は霊界? とかね。でも、終わってみれば、当たらずといえども遠からず、だったかも。そのイントロのエピソードにつづいて、マーガレット(シガーニー・ウィーヴァー)とトム(キリアン・マーフィ)はイカサマ霊能者のショー(無線で指示)を暴く…。そうか。マーガレットは大槻教授みたいなものか。ではサイモン・シルバー(ロバート・デ・ニーロ)は、誰になるんだろう。いないね、日本では。 興味深いのはマーガレットとトムは大学の教授と講師(?)で、ちゃんと授業も担当している。で、同じ大学内に超常現象を研究するポール教授がいて、こっちの方に潤沢な資金が与えられているという。マーガレットは、大学では冷遇されているわけだ。マーガレットはトムに言う。「あんた、他でいくらでも能力を発揮できるのに、どうして私の所にいるの?」。その答が何なのかずっと気にしていたんだけど、これが分かるのはラスト。この映画の大きな仕掛けに関係あるのだった。でも、またか! な「シックスセンス」の後のシャマラン的オチで、衝撃と言うより拍子抜け。「なるほど」というよりも、「えー? 強引じゃね?」な無茶なちゃぶ台返しだった。 伏線は、いくつかある。マーガレットの家のスプーンがいつのまにか曲がっている。トムのクルマが襲われる。トムがサリー(エリザベス・オルセン)に見せる手品。トムが単独でサイモン・シルバーの種明かしをしようとしたら、場内の機器や照明が爆発して落下する。トムが無言電話にでると、近くのガラスが割れる(?)。トムとサリーがいる部屋に、異常が発生。一瞬で室内が荒らされる…。もしこれがサイモン・シルバーの手によるものなら、そうとう多くの協力者が必要だ。そんなに雇えるのか? 警察に見つからないのは不思議だ…と。そういう疑問を抱きつつ見ていたから、ラストのオチは、理屈では合っていたとしても、ぜんぜんスッキリしない。 トムがマーガレットのアシスタントをしていたのは、トム自身が超能力者で、自分と同じような力をもつ人間と出会いたいためだったらしい。とくにサイモンにご執心だったのは、彼こそは本当の超能力者ではないか、と期待したからのようだ。それは、何10年か前に、サイモンがマーガレットの息子のことを言い当てたことに由来しているらしいが、結局サイモン・シルバーもインチキ霊能者だった。そういうオチだ。 でも、どうしてトムは超能力者を見つけようとしていたのだろう。科学者としての好奇心? さらに、どうしてトムは異常現象を周囲に引き起こしているのだろう? なぜトムはマーガレットを救わないのか。マーガレットの死も、トムのせいなのか? どうしてサイモンの手下にトイレで襲われ、ボコボコにされてしまうのか。超能力を使えよ。ひょっとして、洗面器や便器を頭で割ったのが超能力なのか? あるいは、超能力が自由にコントロールできないのか? 自分が超能力者だと知らないことはないよなあ。 というわけで、トムの存在が分かりにくく、ラストでストンと落ちない。とくに中盤から観念的なセリフが増えてきて、それは単に観客を攪乱するためのものだと思うのだけれど、もやもやするばかり。この落ちなさが、見終わっての爽快感につながらない。 ・振り返ってみると、日本にも宮部みゆきの原作で、超能力を持つ仲間を探すというような設定の話が、なかったっけ? ・超能力者を挟んでの学者の対決というと、日本にも有名なのがあった。東大教授の福来友吉による御船千鶴子の実験だ。その後も、月の裏側の念写なんていうのがあった。設定が過去ならまだしも、現代が舞台で、大学が超能力に資金を注いでいるっていう設定が、どーもね。嘘くさい。 ・トムとサリーはマーガレットの息子の生命維持装置をオフにする。その権利は、どこにあるのだ? いやその前に、マーガレットの息子は、どんな病気だったのだ? ・サイモンは目が見えるのではないか? というのは初歩的な疑惑。まあ、誰しも考えるだろう。トムが超能力者だったという強引なオチは分からなかったけれど、知らされてみてもちっとも驚かなかったよ。 ・サリー役のエリザベス・オルセンが、妖しい魅力に満ちていた。美人とも可愛いとも違う、不思議な感じ。 ・サリーと一緒にサイモンの手口をあばく学生。あれって、最初の頃の講義で質問して多様な気がするけど、最後になってまた突然の登場って使い方はないだろ。途中でトムと絡めるとかしとかないとねえ。 | ||||
映画版 マメシバ一郎 フーテンの芝二郎 | 2/19 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2 | 監督/亀井亨 | 脚本/亀井亨 |
allcinemaのあらすじは「周りの協力によって、38歳にしてニートからの脱出を果たした芝二郎は、相棒の“マメシバ”一郎とのアパート暮らしを満喫中。しかし勤務先のペットショップでもトラブルは絶えず、同僚の真田まちことも衝突を繰り返してしまう二郎だったが…」というもので、その後ペットショップを辞める。で、叔父の紹介で育毛マッサージの助手になるが、店の主人が劇薬を扱ってるとかで逮捕され、また失業。ペットショップに戻り、犬の訓練士の資格も取ってめでたしめでたし、なENDとなる。 大した話でもないのに、面白いのは、二郎の会話にある。これがなかなかスルドイのだ。正直すぎて相手を傷つけるようなことを平気でいう。一般論としての切り返しや、論の足をすくうようなツッコミ、人をおちょくるような言い回し…などなど、「その通り」「上手いことをいう」「なるほど」というようなセリフばかり。ダイアログの精度は天下一品だと思う。もちろん演じる佐藤二朗も天下一品。適役を得た感じ。 そんな二郎は、はじめは知恵遅れ? と思っていたけど、まったく違う。知性はかなり高い。家にMacもあるし。でも使ってる場面はないけど…。では引きこもり? あるいはアスペルガー? なんか、よく分からない。予告編では「元ニート」となっているけれど、テレビ版もマンガも見ていないので、前史は知らない。また、ニートは個人の性格や性質を表す言葉ではないので、二郎がどういう人間かまでは表現できていない。 最初に知恵遅れ? と思ったのは、周囲が温かいから。仕事先のペットショップでの横柄な態度、出社拒否が重なっても、店長は優しい。これは、障害者何とか法によって守られているのかな? と思ったのだ。けど、そういうわけでもないらしい。まあ、二郎みたいなのが現実にいたら、速攻で首だろう。ほのぼのとしてていいね、なんて感想を言っているヤツはアホである。 二郎のあのぶつぶつは何だろう。と思っていたら、一度は辞めたペットショップに舞い戻り、「自分がないことを悟られまいとして」と店長にいう場面があった。なるほど。多弁はそういうことなのか。そうはいっても、相手に好かれるようなことを言ったり、お追従をいうわけではない。その逆である。まあ、それは二郎の性格=持ち味なのかも知れないけど、あのねじれ具合はどうなのだ。 あるいは、駄菓子屋のバアサンには「自分探し」といっていた。多くの青少年が勘違いするアレね。両者を併せると、「自分がない」ということにつながる。でも、あの会話の切り返しの鋭さは、それだけですでに「自分がある」よなあ。だれか、それを指摘してやれよ。 最後は、なんとなく元の鞘に戻り、さらに、犬の訓練士の資格まで取得して、社会参加していく二郎。ひとはそれを「よかった」というのかも知れないけど、こちらは見ていて、ああ…二郎の個性が失われていく…と思って見ていた。犬の訓練教室にやってくるオバサンらに対する口の利き方や対応は、まだ"かつて"を引きずっているけれど、でも、もうあの二郎ではない。それは果たしてよいことなのだろうか。まあ、家族や周囲の人はそれでいいだろうけど、見ている側からすると、つまらない二郎になっていく、としか思えない。 ・オープニングのタイトルのあの厚かましいほどの毛筆はなんなのだ。 ・藤田弓子、老けたね。 ・牛乳屋のベンチでババアと二郎が話すシーン。背景が2度とも同じような曇天。しかも、二度目のとき「いい天気だねえ」なんていう。おい。同じ日に撮ったんだろ。 | ||||
ダイ・ハード/ラスト・デイ | 2/21 | 新宿ミラノ1 | 監督/ジョン・ムーア | 脚本/スキップ・ウッズ |
原題は"A Good Day to Die Hard"。allcinemaのあらすじは「ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事は、長らく疎遠だったひとり息子ジャックがしでかしたトラブルの尻ぬぐいのためにモスクワへと降り立つ。ところが、ジャックが出廷するはずの裁判所が突然爆破され、マクレーンはまたしても事件に巻き込まれてしまう。大混乱の中でどうにかジャックと再会したマクレーンは、息子から思いもよらぬ事実を打ち明けられる。そして2人で手を組み、ロシア政財界の大物や軍隊が絡む巨大な陰謀に立ち向かうハメになるマクレーンだったが…」 終わってみれば、あっさりしすぎ。これでもか、これでもか、なマクラーレンへのイジメもなく、当初は田舎者的なバカ親ぶりも影を潜め、頼りになる父ちゃんで終わってる。なんかな。人生の黄昏とか哀愁、くそったれ! みたいな感じがないので、同情もできないよな。立派な息子さんをもたれて、さぞかしご自慢でしょう、みたいな。そんな終わり方で、「あ、そ」な感じ。 冒頭の5分ぐらいがよく分からず。ロシアで何かが起こってる。コマロフという学者みたいなのが鉄格子の中…「なぜ?」。息子のジャックも、なぜかロシアで逮捕…「?」。カフェバーみたいなところに男が入っていき、中にいた男を射殺…の場面は何なのだ? さらに、色んな連中がコトを起こし始めている様子が映るが、みな一瞬だし、よく分からない。で、何とかいう議員が、コマロフに「裁判には立たせない。証言させない」とか言っている。一方で、息子ジャックは、司法取引みたいなことを警察(?)だったかコマロフにだったか、にもちかけてる…。なんか、要素がバラバラな上、顔も名前も覚えられないうちの出来事なので、ちょっとボーゼン。さて。これから映画を楽しめるのだろうか。 てなわけで、なにがなにやら分からんまま法廷が爆破され、ジャックがコマロフを確保…。なんだけど、爆破したのは大臣の配下の一派だったんだろ? なのに、CIAのジャックにも計画があって、でも、それはマクレーンの登場で中止になってしまう、という話だった。ではジャックの計画は、どういうのだったのだ? ジャックは爆破を知っていたのか? でもジャックは檻の中だったよな。なのにジャックは爆破後CIAと連絡をとっていた。そんな秒刻みの計画を、相手の爆破頼みでできるのか? それとも、CIA独自の計画があったのか? 首をひねるばかり。 以降のチェイスも、美しくない。画面はぶれぶれ、細切れ。3台のクルマの位置関係も分からず、どーなってるのかもよく見えない。最初、マクレーンは装甲車みたいなのに乗っている…と思ったら、その後ろのトラックだったのね。まあ、落ちたり転がったり踏んづけたりぶつけられても死なないのはお約束だからいいとしても、なんか、ちょっと派手すぎないか? で、CIA仲間のところに行くんだが、すぐに大臣配下の連中に嗅ぎつけられる。これは、あとから黒幕はコマロフだと分かるので、どっかで彼が仲間に連絡していたのか。で、次に、鍵を隠してあるホテルへと向かうんだけど、真面目に「どうやって潜入しようか」と悩む息子に対して、マクレーンは従業員のIDカードを借りてホテルの中へ入っていく。この辺りから、若造と父ちゃんの違いを見せようとしているのは分かる。のだけれど、ちょっと安直。だいたいマクレーンは従業員と何語でしゃべったんだ? ジャックにだって、あれぐらいの知恵はあるだろ。 さらに不思議なのは、コマロフがなんであんなところに鍵を隠すかということ。しかも何年も…。っていうか、コマロフが黒幕だったら、そんな手間をかけなくてもいいだろうに。と、後になって思う。コマロフの狙いがどこにあったのか、実は、よく分からないのだよ…。 で、ホテルではコマロフの娘がやってきて、はじめはうぶと見せておいて、実は大臣の配下一味になって、父親をだしぬいた、という設定。ま、親から見たら子供はダメ、ということを見せたいんだろう。けど、ベタすぎていまいち。その後にコマロフが黒幕で、娘は父親に忠実だった、ということが分かると、余計に「なんであんな手の込んだ芝居をする必要があったんだ?」と、疑問符。 コマロフを掠い、ヘリで逃げ出す大臣の配下一味+コマロフ娘。空中からビル内に機銃掃射するのは凄いし、12階(?)から落ちて、いくらクッションのようなものがあるからといって、大した傷を負わないマクレーン親子には、もう、呆れて同情もできない。ハラハラもね。…そういえば、このシーンで2人は後ろ手に縛られるんだけど、ジャックがナイフをもっていて切断。はいいとして、マクレーンは、どうやって手首のヒモを解いたのだ? 不思議。 この辺りで、ジャックは父親にあれやこれや説明しだす。でもって、次はチェルノブイリ…と、クルマを盗んで行くんだけど、法廷爆破、カーチェイス、CIA隠れ家の爆破、ホテルでの撃ち合い、ヘリの墜落…があっても、警備のゆるいモスクワであるよ。 ここらへんから、退屈になってくる。 実はコマロフは人質になっていたわけではなく、娘を使って大臣配下の連中の大半をコントロールしていた…って、おいおい。大臣配下のNo.1を軽く撃ち殺していたけど、娘はどうやって彼を騙し、他の配下をコントロールできていたのだ? さっぱり分からん。コマロフも、狙いがチェルノブイリなら、ありもしないファイルで大臣を脅したりする必要はない。だって鍵も自分で手に入れられるのだから…。黙っていれば逮捕されることもなく、堂々とウランを海外に売って現金化できたろう。なんだよこの話。と思ったら、もうつまらない。なので、今回はイマイチな展開だった。マクレーンはもっと地べたを這いつくばって、ほうほうの体で逃げ回り、相手の裏をかくような小技でやり返さないとなあ。 それにしても、放射能を中和する薬なんて、あるのか? | ||||
ウェイバック -脱出6500km- | 2/22 | キネカ大森 | 監督/ピーター・ウィアー | 脚本/ピーター・ウィアー、キース・クラーク |
原題は"The Way Back"。アメリカ/アラブ首長国連邦/ポーランドの資本が入ってる。出演者は豪華だけど、インデペンデントなんだね。allcinemaのあらすじは「1940年、スターリン体制下のソ連。ポーランド人兵士のヤヌシュは無実のスパイ容疑で逮捕され、シベリアの矯正労働収容所へと送られる。寒さと飢えと重労働で囚人たちが次々と命を落としていく中、ヤヌシュは収容所で出会った仲間6人とともに脱走を試みる。猛吹雪に助けられ、辛くも追っ手をまくことに成功した一行。しかし食料も乏しく、まともな装備も持たない彼らの前には、想像を絶する幾多の困難が待ち受けていた」というもの。 背景はさっと流して、さっさとシベリアの収容所…という流れはテンポがいい。だけど、収容所で出会うメンツの紹介あるいは描写がいまいち。脱獄するのは7人で、主人公ヤヌシュ(ジム・スタージェス)はおいといて、米国人のミスター・スミス(エド・ハリス)は分かる。ヤクザのヴァルカ(コリン・ファレル)もいい。鳥目の青年も分かった。その他が、分からない。後から絵描き、笑わせ屋、あともうひとり。この3人が、誰が誰やら。というより、誰が脱獄したのか、それさえ最初は分からない。絵を描いていたのは、ずっとヤヌシュかと思っていた。なので、後から違うようだと気づいて、見ていくと自分が判別できていた4人に3人加わっていたのだ。これが、なんとなく、みんな顔が似ているのだよな。あと、ヤヌシュが収容所に入って、すぐ知り合いになった男がいたけど、彼は逃げなかったんだよな。だよな。 というわけで、把握している4人はいいけれど、分からない3人については、ストレスになった。誰なんだ? と。 この映画、肝心なところを描かない。脱獄するには、電気を消せばいい、らしい。でも、脱獄の経過は一切描かない。拍子抜け。それ以外にも、雪中で食料がなくなって、さあどうする、という次の場面はもう何とか切り抜けている。最後の難所、ヒマラヤ越えも、ほとんど描かない。ずるくないか? そうそう。鳥目の青年が行方不明になって、みんな探して、で、翌日(?)、たき火のすぐ近くに座っていた、っていうのは、どういうことだ? 途中、少女イリーナ(エアーシャ・ローナン)が仲間に加わる。ひょっとして、「一緒に連れていってやる代わりに、俺たちの相手をしろ」と言われるんじゃないかと思ったんだけど、ずっとキレイな関係。って、それはないんじゃないのかなあ…と思った。この話は実話に基づいているらしいけど、さて、どうなのか。 あとの難行苦行は、よくあるパターン。シベリアでは雪、バイカル湖周辺では村人と蚊、モンゴルでは砂漠、そしてチベットで雪…と、よくもまあ実際に脱出できたものだと感心する。食べ物は、木の皮、虫、トカゲ、ヘビとなんでもござれだけど、そんなんでお腹がもったのかな。もっと食べ物、そして、水に関しては詳細を描いて欲しかった。飢えているのに、これはやだ、なんて言ってる場合じゃないじゃないだろうに。 モンゴルへ入国しなかったヴァルカ、ラサ経由で中国に入り米軍に合流すると言っていたミスター・スミス。彼らのその後はどうなったんだろう。イリーナ役のエアーシャ・ローナンは、うりざね顔だけど、可愛い。最後までがんばって欲しかった…。 | ||||
高地戦 | 2/22 | キネカ大森 | 監督/チャン・フン | 脚本/パク・サンヨン |
英文タイトルは"The Front Line"。allcinemaのあらすじは「1953年。1950年6月に始まった朝鮮戦争は停戦協議が難航し、泥沼化していた。最前線では南北両軍が、いつやって来るかも分からない停戦の日を睨みつつ、境界線の高地を巡って、幾多の犠牲もいとわず互いに奪い合う地獄の高地戦が繰り広げられていた。ある日、その高地に韓国防諜隊中尉カン・ウンピョが送られることに。前線の部隊に人民軍の内通者がいるとの疑いが強まり、その調査を命じられたのだった。彼はそこですっかり変わり果て、冷徹な戦争マシンと化したかつての戦友キム・スヒョクと予期せぬ再会を果たすのだが…」 事実に基づく、とは書いていない。だから創作なのだろう。なにせ、話があまりにもマンガチック。途中からアホらしくなってきて、眠くなった。実際、スヒョク中尉がジョンユン中隊長を撃ち殺すところでは、ふっ、と瞬間的に寝てしまった。 まずは2年前。ウンピョ中尉はスヒョクらとともに北の捕虜になった。スヒョクはこのとき二等兵だったらしいが、あとから予告編をみたら親友だという。それは、学歴の差? ウンピョは即座に釈放され、傷ついていたスヒョクは、傷が癒えてから釈放、と北が連れ去った。で、2年後。諜報部隊(?)だったウンピョはマスコミに対する失言(?)かなにかで最前線のワニ部隊に送られることになった。 ワニ部隊では、最近、中隊長が戦死した。けれど、友軍の銃で撃たれていることが分かった。その真相は…。さらに、ワニ部隊が北と通じ、北の兵士の手紙を、南にいる家族に渡している事実が分かった。その真相は…。それを探るのもウンピョの使命。という設定はあるんだけど、それを基軸にストレートに話が展開しないのが歯がゆい。要素を散りばめすぎで、芯がぶれ過ぎなんだよね。 で、ウンピョは新任のジョンユン中隊長(大尉)とともにワニ部隊へ。そこで、イリョン大尉と出会うのだけれど、これが見かけは若造。さらに、2年前に別れたスヒョクが中尉としていた…。って、なんなんだ、この展開。中隊に大尉が2人、中尉が2人、その下にはふとっちょの曹長がいるんだけど、将校が多すぎだろ。それに奪われた砲を見に行くのにウンピョ、スヒョクの両中尉とヒョサム曹長が行くって、おいおい。そんな斥候はないだろ。 予告編ではスヒョクがウンピョに「お前は地獄を知らない」といっているけど、2年のあいだに何があったのだ? 弱々しかったスヒョクの、何が変化して中尉になったのだ? イリョン大尉もそうだ。どうしてあの若さで大尉? 彼に関しては後半、過去が描かれる。でもそれは浦項の戦いの敗走シーンで、舟艇に乗りきれなかった兵士のため、若きイリョンが舟艇に乗っていた兵士を機銃掃射して殺戮するというもの。げ。仲間を殺して大尉? んなことはあるまい。その後、度胸がついてなにか勲功を挙げたのか。でもそれは描かれない。マンガだ。 さて。戦いはある高地の奪還合戦になっていた。あるときスヒョク中尉やヒョサム曹長が、どうせまた奪還するのだ、逃走するときと物資を埋めて保存した。が、奪還すると、中に糞…。この連鎖の中で、互いに土産を置くようになり、北からの「家族に送ってくれ」という手紙もあって、それで謎の一つが解けた。このエピソードはなかなかいい。この話だけで終わってればいいものを、別の要素をからめることで印象を薄めている。その最たるものが、写真付きの手紙。北の兵士が家族の写真を撮ったもので、なかに可愛い少女が写っている。その写真をスヒョク中尉が抜き取ってもっていた…。だけどスヒョクは、縁もゆかりもない彼女の写真を、なんでもっていたのか。可愛いから? たんなる変態じゃん、それって。 撃たれて2秒後に銃声がとどく、という北の狙撃兵がいた。この狙撃兵が写真の娘で、ウンピョは一度、彼女を追いつめるが、逃がしてしまう。…なんで? 何で殺さないの? このせいで、何人、南の兵士がやられたことか。そのことにたいする反省は、ウンピョには全くないようだ。変なの。 ヒョサム曹長、スヒョク中尉が死に、停戦。つかの間の喜びで、合意してから12時間後に停戦になる、という。だから、12時間後どっちが高地を確保しているかで国境線が変わる。そのための総力戦がはじまる…。まあ、流れとしては悪くない意外性だけど、もう話がマンガ過ぎてこっちはダレている。だらだらと焦点の定まらぬエピソードの集積のような展開だったので、もう集中力も欠けていた。あ、そ…な気分。イリョン大尉も戦死し、狙撃兵の娘はウンピョ中尉が刺殺する。だったら、あのとき殺しとけよ。という気分。スヒョク中尉が狙撃娘の写真をもっていたことで、お涙頂戴に仕立てようとしている気配が濃厚だけど、泣けません。だって、根拠が薄弱すぎる。というわけで、いまいち散漫で、だらだらと長いだけの戦争映画でした。 ・スヒョクが中隊長を殺すシーンは、寝てて見てない。撃ち殺した直後に目が覚めた。何で殺したのか、理由は分からない。ま、理不尽なことをいったんだろ。それはいい。では、前中隊長も、スヒョンが射殺したのか? 寝てたせいで分からないのかな? ・17歳の新兵が、ソウルで流行ってる歌謡曲を歌い、しんみりさせる。その歌詞を書いて、北に渡す。のはいい。でも、最後の決戦のとき、北の兵士が歌うのは変だろ。だって、歌詞は分かってもメロディは分かるはずがないのだから。 ・ワニ部隊って、なに? と思っていた。韓国語かと思ってた。そしたら、爬虫類のワニで、生まれた子供が生き残る可能性は2%ぐらい? ってことからつけられていたという。ふーん。これは字幕が悪いな。鰐部隊にするべきだ。 ・あとから予告編を見たら、映画の展開をすべてバラしていた。とくに、停戦後の12時間をバラしちゃダメだろ。 ・で、思ったのは、朝鮮半島における南北の関係。日本なら、静岡辺りを国境として南北が分断され、同じ朝鮮人同士が殺し合ったということが、再確認できた。あんなことが日本であったとしたら、同国人としての親近感なんかより、憎しみの方が強くなるのではないだろうか。いくら背景に思想があったとしても、同じ民族で、殺しあいができるのだな。まあ、日本国内でも、戦国時代は殺し合っていたし、戊辰戦争もあったし。それにしても、あの狙撃兵といい、北の隊長といい、北を美化してるところがありありだなあ。 | ||||
ジャッジ・ドレッド | 2/23 | 新宿ミラノ2 | 監督/ピート・トラヴィス | 脚本/アレックス・ガーランド |
原題は"Dredd"。イギリスと、南アの資本が入ってる。1995年のリメイク、というより、同一原作の映画化らしい。allcinemaのあらすじは「核戦争で荒廃した近未来のアメリカ。東海岸一帯に広がる唯一の都市メガシティ・ワンは、超高層ビル郡の中に多くの住民がひしめき、犯罪が多発していた。そんな崩壊寸前の街の治安を守るのが、警察機能と司法を兼ね備え、逮捕から判決、刑の執行までをも一手に引き受けるエリート司法官“ジャッジ”たちだった。その中でも圧倒的な戦闘能力と不屈の意志でトップに君臨するジャッジがドレッドだった。ある日、新米女性ジャッジ、アンダーソンの適性判断を任されたドレッドは、彼女を試験代わりに殺人事件現場へと連れ出す。そこは、冷酷非情な女ギャング“ママ”とその一味が支配し、200階建てアパートメントの各フロアに無数の犯罪者であふれる究極の無法地帯だった」 ジャッジのイメージがいまいちつかみにくい。フツーに見たら、自分の判断で犯人を逮捕・死刑にできるロボコップみたいにしか見えない。口だけ見せるヘルメット姿なので、人間味も生活感もない。ジャッジが何人ぐらいいて、どう活躍しているのかも、分からない。でもま、それはそれとして。娯楽映画に必須の条件がふんだんに盛り込まれている。ベテランと新人のコンビ。新人は若い女性で、超能力者。高さ1キロの高層ビル内という極限状況での戦い。ガトリングや焼夷弾を使った激しい銃撃。ドラッグによるイメージ。ほどほどのスプラッター。悪徳警官。次から次への難題をクリアして、ラスボスへ…という展開。しかもそれが、取って付けた感じでなく、うまくカタチになっている。ジャッジの私生活など、余計な部分を切り捨てることで、スタイリッシュでクールなアクション映画が誕生したんだと思う。 ギャングがビルを占拠している、という設定で連想したのが「ヤバイ社会学」。入居者の大半が麻薬密売組織に関与している住宅棟に通い、裏の話を聞き書きした本だ。舞台となったピーチビルは、これとそっくり。それと、イメージ的には、いまはなき九龍城砦。中に入ったら出てこられないような暗黒のラビリンス。その巨大版というところかな。 とくに面白いのが、スローモーションによる表現。ドラッグ「スローモー」というのが流行っていて、それをやるとすべてがスローモーションで見える。ビルの上から投げ殺すときスローモーを吸わせると、恐怖が長く感じられる、ってわけだ。他にも、ドレッドとアンダーソンがギャングの部屋に突入し、撃ちまくるシーンが秀逸。スローモーをやってる人物にはこう見える、とばかりに銃弾が頬を打ち抜いたりする様子をゆっくり見せる。なかなかグロで美しい。 それと、アンダーソンが、捕虜にしたギャングの脳に入り込んで脳内で戦うところも、面白かった。とはいうものの、ツッコミどころも。 ・「スローモー」の密造所・密売の親分が“ママ”だ、ぐらい事前に分からないの? ジャッジの能力はそんなもの? ・ドレッドは、途中で弾薬切れ間近になる。その後、悪徳警官を1人片づける。そして、弾切れになるんだけど、悪徳警官の銃を奪ってれば問題なかったんじゃないの? ・応援のジャッジが2人くるが、中に入れない。そこに悪徳警官がやってきて、中に連絡してシャッターを開けさせ、先に来ていた2人を帰させる。…って、堂々としすぎじゃないか、悪徳警官。そんなんでバレないの? ・“ママ”が支配しているといっても、ビルの管理は外部に頼っているのか? 臨時点検していることにして、シャッターを閉鎖。外に出られないようにしてしまうのだけれど、日常的には電気や水道などが外部つながっているので、まつたくの自由にはならない、ということなのだろうか…。 | ||||
リンカーン弁護士 | 2/26 | ギンレイホール | 監督/ブラッド・ファーマン | 脚本/ジョン・ロマーノ |
原題は"The Lincoln Lawyer"。allcinemaのあらすじは「高級車リンカーン・コンチネンタルの後部座席を事務所代わりにLAを忙しく駆け回り、司法取引を最大限に利用して軽い刑で収める得意戦略で依頼人の利益を守るやり手弁護士、ミック・ハラー。ある時、資産家の御曹司ルイスの弁護というおいしい話が舞い込む。事件はルイスが女性を殴打し重傷を負わせたとされるもので、いつものように司法取引をまとめるだけで高額の報酬が舞い込むはずだった。ところが頑なに無実を訴えるルイスは司法取引を拒否し、ミックの戦略に狂いが生じ始める。さらにルイスが、4年前にミックの担当した殺人事件の真犯人としても浮上し、次第に自分自身が追い込まれてしまうミックだったが…」 なんか、淡々としすぎ。実は10分ぐらい過ぎて眠くなり、目覚めてからはちゃんと見たんだけど、なんか盛り上がりには欠ける。 最初は冤罪? とミスリードさせておいて、実は本当に犯人、というよくあるパターンなんだけど、異様なのはルイスが犯人と分かってからのミックの態度。これまでと変わらず、感情的にもならず、弁護をしつづけるのだよ。ミックの苦悩やジレンマが伝わってこず、不愉快な気分にさえなってくる。とくに、仲間の調査員、フランクが殺害されてなお、態度を変えない。これがやり手の弁護士というものなのかい? 弁護士は依頼人の秘密を守らなくてならない。その法律を逆手に、ルイスはミックに弁護を依頼した、らしい。母親や義父の入れ知恵もあるのかな。しかし、こんな弁護はやだと降りて、検事の元妻に情報をながすとかできないの? 知り得た情報以外の情報に気づくよう仕向けるとか…。犯人を弁護するなんて、信義にもとるのではないの? もちろん、この映画では、ミックは最後にルイスを陥れる。現在争っている事件では無罪を勝ち取り、でも、過去の事件の殺人罪を証明する。でも、過去の事件だけでは終身刑ぐらい? だってフランク殺しは母親が犯人なのだから…。はたして、ミックの使った手がスマートだったのか、分からない。 「刑事コロンボ」みたいな、容疑者や関係者に話を聞いていくうちに真実に近づいていくスタイルで、テレビ画面で吹き替えで見てちょうどいいような感じかな。派手さをないけど、知的に追いつめる、なんだろうけど。その知的なスリリングが、あまり感じられないのが…ね。 ミックは悪徳弁護士っぽいところもある。でも、案外、抜けているところもある。たとえば保釈中のルイス足首には追跡装置がついていた。フランク殺しについてミックは保証金立替業者のヴァルを疑うけど、ルイス以外の犯行を想定できないというのは、トロいだろ。ルイスはマザコンってのは分かってるんだし。ルイス以外だったら、ルイスの家族に疑いの目は向くだろ。だから、ラストでミックがルイスの母メアリーに撃たれるのは、マヌケだと思う。 他にもある。過去にマルティネスの事件で、ミックはほとんど調べずにマルティネスが犯人、と決めてかかった。そりゃないだろ。しかも、今回の事件と、マルティネスの事件との関係性についても、ずっと気がつかないでいる。さらに、公園で2つの捜査資料を見ているにも係わらず、添付資料のナイフの写真が異なっていることになかなか気づかない。視力が悪いのか、って話だよな。 それにしても、アメリカの法律は色々不思議。殺人犯でも保釈になり、無実の人間には大した調べも行わない。司法取引はしょっちゅうだし。 ・ラスト。暴走族に頼んでルイスをボコボコにさせるのには、どんな意味があるのだ? ・ヴァルが見つけてきた、駐車場の切符を切られた、という事実はマルティネスの無実につながるのか? それとも、今回の犯行がルイスの仕業であることの証拠? ・元妻と仲好しというのは、なんなのだ? 意味が分からない。もっと私生活の背景を描かないとね。 ・カフェから送ってくれたのは、あれも元妻? 別人? ・リンカーンは、乗っているクルマのことなのね。でも、どこがリンカーン弁護士なのか、よく分からなかったぞ。 ・アシスタントの女性は、ちょっと登場するだけ。もうちょい描き込まないとねえ。 ・ということは、ミックという存在も、深みがないと言うことになるんだが…。 てなわけで、一度見終えてから、前半の1時間ばかりを見直した。そしたら、最初の方でミックは、ルイスの両親と会っているのね。ほかにも駐車違反の切符のことや、あれやこれや、伏線になるようなことが、何げない会話の中などに、ちゃんと描かれていた。なるほど。ではあるけれど、1回目じゃ気がつかないよ、そんなの。というようなものが多かったように思う。こちとら歳で、記憶力が衰退しているんだから! | ||||
ロック・オブ・エイジズ | 2/26 | ギンレイホール | 監督/アダム・シャンクマン | 脚本/ジャスティン・セロー、クリス・ダリエンツォ、アラン・ローブ |
原題は"Rock of Ages"。allcinemaのあらすじは「80年代のハリウッド・サンセット通り。歌手を夢見て田舎から出てきたシェリーは、ライブハウス“バーボン・ルーム”でウェイターをしながら歌手デビューを目指す青年ドリューと出会う。彼の紹介でシェリーもバーボン・ルームでウェイトレスをすることになり、2人は次第に距離を縮めていく。そんな中、かつての勢いはなくなったもの、いまだカリスマとして業界に君臨するスーパー・スター、ステイシー・ジャックスのライブがバーボン・ルームで行われようとしていた」 いきなり、主人公がバスの中で歌い出す。あわせて車内の乗客も歌い出す…。げげ。これってミュージカル? 田舎から夢見る娘がハリウッドへ。運よく有名なライブハウスに就職。デビュー目指して働く青年と恋仲に…。そこに、伝説のロッカーのステイシー…。ライブハウスは存亡の危機。反対派の先鋒は、むかしはライブハウスに入り浸りだったけど、ステイシーに捨てられた怨念むらむら。娘と青年はちょっとした誤解で不仲に。ともに思いが叶わず、娘はストリッパー。青年はアイドルとして再デビュー。でもこんなことじゃいけない! というわけで、のんだくれのステイシーが心を入れかえ、ライブハウスは生きながらえ、娘と青年は夢をかなえる…という、絵に描いたような物語。ありきたりすぎるので、もしかして…と思ったら、舞台の翻案だった。やっぱりな。 てなわけで、意外説やはっちゃけ度が少なく、見ていてつまらない。10分ぐらいで沈没し、気がついたら、トム・クルーズが踊りのようなセックスシーン(?)の真似事を披露していた。相手は、音楽ライターなのかな? しかし、トム・クルーズには驚いた。と思ったら、キャサリン・ゼタ=ジョーンズも…。凄い配役なんだな。って、先入観なしに見てるもんでね。それにしてもライブハウスのオーナーがアレック・ボールドウィンで、ステイシーのマネージャーがポール・ジアマッティ。みんなオッサン、オバサンじゃないか。それがロック? うげ。キモイ。 まあでも、あまりにバカバカしくて、コメディか? と思うような場面も少なからずあったけどね。 ・で、酔っぱらいのステイシーは、心を入れかえたわけじゃないんだよな。なのに復活? ・青年は、ロックは古いからとボーイズ・グループでのデビューを余儀なくされる。アメリカでは、ロック→ラップ→ボーイズ・グループという流れなの? ・ワーナーブラザースのタイトルロゴの後に登場するスタジオのカマボコ屋根が、登場する。ボーイズ・グループのPVかなんか撮影しているシーンだった。 | ||||
ゼロ・ダーク・サーティ | 2/27 | シネマスクエアとうきゅう | 監督/ キャスリン・ビグロー | 脚本/マーク・ボール |
原題は"Zero Dark Thirty"。「軍事用語で午前0時30分を指す」とWikiにあった。オサマ・ビン・ラディンをアタックした時間かな。allcinemaのあらすじは「ビンラディンの行方を掴めずにいたCIA。そんな手詰まり感の漂うビンラディン追跡チームに、情報収集と分析能力を買われたまだ20代半ばの小柄な女性分析官マヤが抜擢される。さっそくCIAのパキスタン支局へ飛んだ彼女だったが、取り調べの過酷な現実に戸惑いを見せる。そんなマヤの奮闘もむなしく捜査は依然困難を極め、その間にもアルカイダによるテロで多くの命が失われていく。そしてついに、マヤの同僚ジェシカがテロの犠牲になってしまう。以来、個人的な感情にも突き動かされ、これまで以上にビンラディン追跡に執念を燃やしていくマヤだったが…」 2時間40分。それほど長くは感じなかったけれど、時を忘れるほどでもなかった。思ったのは「事実は小説よりもつまらない」ということ。正直に言って、それほどスリリングではなかった。むしろ、CIAの対応は呆れるほど緩慢で、杜撰で、大雑把であるということに驚いた。最後の、オサマの隠れ家の急襲にしても、はっきりした確証はなかったといっていい。状況証拠の積み重ねで、だれか大物が隠れているらしい、ということのみ。博打だ。あんなんで外れだったらどうするんだろう。…いや、これまでも外れはたくさんあったに違いない。公になっていないだけだ。そう感じさせる顛末だった。 マヤがどんな人物か、ほとんど説明されない。後半に入ってCIA長官と話すところで、高卒でリクルートされてCIAへ、というのがあったぐらい。しかも、12年間CIAにいて、これという成果も挙げていないらしい。そんな彼女がなぜ中東に派遣されたか、分からない。で、彼女の力がどれだけ発揮されたかというと、終わってみれば、どこで? と首をひねるばかり。最初の捕虜の拷問で聞き出した情報から浮かんだ名前…あれは役に立ったのか? 次にまた男を捕まえる場面があったんだけど、あれはなんだったのかなあ…。でもついに幹部との連絡係を突き止める…? その連絡係の家に、誰か住んでいるらしい。攻撃だ。って話で、その過程にでてくる名前とか立場とかはも1回じゃよく分からない。もう1回つづけて見る気力もなかったので、もういいや、って気分。 で、この映画、メリハリが悪いので、誰のどの情報で何がどう分かり、次につながった、という流れが分かりにくい。ワケの分からん名前、その本名、兄弟の名前、あれやこれや。こっちの頭は追いつかない。さらに、時間の経過も、よく分からない。パキスタンにいたと思ったら、次はどーもアメリカ国内みたいだし…ということもしばしば。なんかイライラするなあ。と思いつつも、話はどんどん進んでいく。最後の連絡係についてはかなりいい加減で、名前は分かった、と思ったら部下みたいなオッサンが「この携帯で受信できる」と携帯をもってくるんだけど、連絡係が使ってる周波数はどうやって見つけたんだ? てな部分も少なくない。 ランボルギーニを要求したやつは、どういう情報をくれたんだっけ。なんか、よく分からないところも少なくない。まあ、もういちど確認しながら見れば分かるのかも知れないけどね。 という具合に、いかに、どうやって、の部分がザックリすぎて、起承転結の承転が連続し、承転承転承転…結、みたいな感じなのだ。あまりにも淡々としすぎてて、「おお。なるほど」と唸ることはできない。 それでも、びっくりさせる仕掛けはいくつかあって、最初はロンドンのバス爆破。突然だったけど、さほどではなかった。次に、レストランでの爆発。これはちょっと驚いた。そして、同僚女性が米軍基地へアラブ人を招いて情報収集しようとする場面だけど、これはミエミエなので驚けない。最後に、自宅からクルマででようとしたところを銃撃されるシーン。これは、なんか、あっさりしすぎ。まあ、現実はもっと素っ気ないもんなのかも知れないけどね。 ラストのオサマの襲撃も、結果は分かっているからドキドキしなかった。むしろ、子供もいる家にヘリで急襲し、ドアは爆弾で吹き飛ばし、人を見かけたら撃ち殺し、泣き叫ぶ子供に「it's OK」といってなだめようとする、その鈍感なむごさが目に余る。こんなんじゃ復讐の連鎖はなくならないよ。撃ち殺す前に兵糧責めにするとか包囲網を敷いてとか、できなかったのか。経過を見たら、パキスタン政府には無断での作戦で、パキの戦闘機がやってこないうちに撤収だとかなんとか言ってたけど、なんとかならなかったのかね。 そして、この映画でもぼかしていたけど、オサマの顔ははっきり映らなかった。遺骸はさっさと水葬にしたというけれど、本当にオサマだったのか、疑いを挟む予知をつくってしまったね。 マヤにどれだけの確証があったのか知らないけど、ううむ…な感じ。そういえば、あの襲撃の模様はホワイトハウスでもみなが見ていたらしいが、その描写はなかったね。なぜなんだろ。 ・ところて、オサマを襲撃した部隊。あれは米軍なのか? それともCIA? ・CIAのメンバーにアラブ顔の人がいて、最後の襲撃チームにいたね。そういえば。 連絡係を追いつめるのに、たくさんの中東人が関与していた。道端に座ってて、連絡係のジープが通過すると、携帯でCIAに電話してた。CIAとのつながりはどんなだったのだろう。気になる。 |