2013年5月

舟を編む5/1MOVIX亀有シアター7監督/石井裕也脚本/渡辺謙作
allcinemaのあらすじは「1995年。玄武書房に勤める青年・馬締光也は、真面目すぎる性格ゆえに営業部で浮いた存在。そんなある日、彼は言葉に対するセンスを買われて辞書編集部に異動となる。迎えたのは、定年間近のベテラン編集者・荒木やお調子者の西岡ら個性あふれる面々。辞書編集部では現在、新しい辞書『大渡海』の編纂に取り組んでいた。馬締は彼らを通して辞書の世界の奥深さに触れ、辞書作りに没頭していく。そんな馬締がある夜、下宿先の大家と同居することになった板前修行中の孫娘・林香具矢と出会い、一目惚れしてしまう。言葉を扱う仕事をしていながら、彼女にうまく自分の思いを伝えられず苦悶する馬締だったが」
冒頭からの流れは、気負っているのかなぜかぎくしゃく。とりあえず人物紹介をかねて総ざらえのつもりなんだろうけど、しっくりこなかった。噛みあってきたのは後半から。ま、設定がいまいち「?」なところもあるので、しょうがないけど。
その設定だけど、馬締(松田龍平)のような性格の人間が、どうやって大手出版社に入社できたか。あるいは営業社員として入社後8年程度(?)やってこれたかは、大いに疑問。大学で言語学を学んだんなら大学院に進むか、あるいは公文書館とか言語研究所とか、そっちを望むんじゃないか? で、自分は営業より辞書づくりが向いている、って上申しなかったのかな。しかも、住んでいるのが古びた旅館形式の下宿屋で、他に下宿人はなし。大家のバアサンの好意で、他の部屋や廊下まで本を置くような生活をしている。いくらなんでもつくりすぎだろ。そんな羨ましい生活なんて!
という具合だから、馬締くんが辞書編集室に移動なっても、違和感がなさ過ぎてつまらない。さらに、すでに辞書編集室にいる西岡(オダギリジョー)という先輩社員が変。いつからいるのか知らないけれど、辞書のことはよく知らない。かといって辞書編集室が嫌い、という態度でもない。フツー、別館の陰気なところに配属されたら腐るだろうに、そんな感じがないのだ。後半、新しく岸部みどりという、それまでファッション誌にいた女性が配属されてくるんだけど、彼女もそんな嫌な顔をしない。大手編集者ではこうなのか? っていうか、映画的に演出するなら、「こんなとこに島流しになっちゃって…」といじけるとか不貞腐るとかあって、でも次第に好きになるという展開がフツーだろ。なんか素っ気ない。
てなわけで、定年で辞めることになった荒木(小林薫)と入れ替わるようにして辞書「大渡海」のスタートに巡り会ってしまった馬締。途中で西岡は宣伝部に異動になり、専任の編者・松本と馬締、事務の佐々木薫(伊佐山ひろ子)の3人体制になってしまうんだが、10数年地道に進め、やっと日の目を…という話。
この映画、魅力がいささか足りないのは、主人公の馬締の成長物語になっていないから。前述したように、馬締くんは、本来は学者にでもなるべき人。それが出版社に入ってしまい、営業という畑違いで働いていた。それが、たまたま辞書編集部に行っただけのこと。意外性も驚きもない。むしろ、西岡や岸部みどりのように、「こんなところは自分のいる場所じゃない」と毛嫌いしていたような人間が、辞書の魅力に開眼し、成長するというなら分かる。だから、この映画で馬締くんはそんなに魅力がなくて、むしろ西岡や岸部たちが辞書を尊敬しだす過程がキラキラと輝いている。それだけに、2人が「辞書なんて!」とすねるところがないと、いけないんだと思う。
個人的には、もっと辞書や言葉に片寄った話かと思った。ところがそれは背景で、結局のところ、下宿の大家の孫の香具矢(宮崎あおい)との恋の行方が、辞書づくりと並行して大きなウェイトを占める。でも、香具矢のキャラはあまり活かされていないのだよな。27歳で、日本料理店で修行中。男と別れたばかり。という設定だけで、それ以外がない。なぜ男と別れたか。両親は。なぜ料理人に。という辺りがないと、魅力に乏しい。馬締くんの設定と、なんのアナロジーもないのだもの。香具矢に一目惚れの馬締も、なぜ突然、女に目覚めたのか? が分からない。そして、香具矢も馬締のことを好きになっていく過程がひとつもない。みんなご都合主義で、ドラマになってないのだよな。
馬締くんが香具矢に恋文を渡すが、それが筆書きの巻物。がしかし、達筆で読めなかったらしい。ってことは万葉仮名で書いたのか? 万葉仮名がフツーに書ける? それは言語学のレベルじゃなくて古典籍か習字のレベルだろ。なら、馬締の部屋には和本が積み重なってないとおかしいよな。
で、馬締の恋は成就して…一気に1995年から2008年(?)に飛ぶ。大家であり香具矢の祖母はすでに亡い。依然、2人は下宿屋に住んでいる。ってことは、あの家は香具矢が相続したのか? というところで、香具矢の両親の存在が気になってくるのだよな。さらに、2人には子供がいない。そういう計画だったのか? なんか哀しい。香具矢はすでに40歳のはずだが、もう店をもっている。って、どうやって開店資金を用立てたのだろう? そして、いまだに馬締は香具矢にですます調で話している。変だろ。
編集部の方は、介護していた老母が亡くなって荒木が復帰。佐々木薫は変わらず。松本先生はガンで闘病中。そこに、新人で岸部みどりがやってくる。西岡はいまだに宣伝部で、発売間近の「大渡海」を担当するらしい。この辺りの、バイト総動員で校正したりするシーンは興味深い。のだけれど、この映画、辞書の話なのに全編を通して辞書のスタイル(字幕で)で説明されたのは【愛】だけ。あと、西岡が語釈を書いた【ダサイ】がでてくる程度。言葉集めの話などはあるけれど、アクセント程度なのだよ。もっと突っ込んで言葉の蘊蓄を語っても面白いと思うんだが。そして、【愛】のときのようにウィットに富んだ形で言葉の意味を字幕で要所に出すようにした方が良かったように思うんだが。さらに言えばエンドロールでも【監督】【照明】などを説明したりとか遊んで欲しかった。
てなわけで、波瀾万丈も、大きな壁にぶち当たることもなく、平穏にラストへと向かっていく。すでに松本先生は鬼籍に。辞書発売、パーティなど、どーってことのないシーンがつづいて。ラストは、千葉の松本先生の家を訪ねたのか、馬締と香具矢が玄関をでてくる。のだけれど、何のために訪問したのだ? 意味不明。帰途、途中でクルマを止め、馬締は松本が言っていた波涛の白い輝きを見る。それはいい。しかしそこで、香具矢の「みっちゃんって、やっぱり面白い」で、ぶちっ、って映画が終わる。なんなんだ?
てなわけで、大した盛り上がりもなく、みなさん幸せに時を過ごしましたとさ、な133分だった。
そういえば、上層部の判断で「大渡海」が中止になるところだったんだが、西岡が宣伝に移動することになり。さらに、局長から怪獣大辞典とファッション事典とか、いろいろつくってくれよな、といわれていたのに、やってないじゃん。
辞書編集部員は、神保町辺りの居酒屋でときどき歓送迎会をするんだが、フツーあんなところでしないし、いちいち立って挨拶もないだろ。
エンドクレジットに、麻生久美子? どこにでてた? 後から調べたら、辞書「大渡海」の宣伝ポスターの人だったらしい。わかんねーよ、そんなの。
伊佐山ひろ子のセリフ棒読みはかなわん。いっきに場面がしらけた。
桃(タオ)さんのしあわせ5/6ギンレイホール監督/アン・ホイ脚本/スーザン・チャン
原題は「桃姐」、英文タイトルは"A Simple Life"。allcinemaのあらすじは「香港の裕福な家庭に、少女のころから60年間もメイドとして仕えてきた桃(タオ)さん。しかし今では家族の多くは海外に移住してしまい、香港の家には映画プロデューサーとして活躍する長男のロジャーひとりだけ。それでも一生懸命に家事をこなし、ロジャーのためにおいしくて栄養のある料理を作ってあげる桃さん。ところがロジャーにとってそれは、子どもの頃から繰り返されてきたごく当たり前の日常でしかなかった。そんなある日、その桃さんが脳卒中で倒れてしまう。幸い大事には至らなかったが、後遺症の残る桃さんは、迷惑は掛けられないと自ら暇を願い出る。この時初めて桃さんが自分にとってどれだけ大切な存在だったかに気づいたロジャー。彼は桃さんのために老人ホームを世話し、忙しくてもできるだけ2人の時間を作って献身的に尽くしていく」。実話に基づく話らしい。
涙うるうるとまではいかないけど、目頭が熱くなるシーンは何ヵ所か。
倒れる前の描写が冒頭にあるんだけど、ずっとロジャーは桃さんを空気みたいにしか見てなかったみたい。やさしい声かけるわけでもない。たんに料理人としか見てない。ところが桃さんが倒れて、ちょっと狼狽。なにしろ子供のときから育ててくれた乳母なのだから。それにしても10代の少女の頃から仕えて、恋はあったのかどうか。結婚もせず家族のために奉仕してきた。こういう形態が、ちょっと前まで残っていたということか。
左半身が言うことを効かない。「もう役に立てない。老人ホームに入る」と自分から言いだす桃さんの健気さには、胸が熱くなる。映画のプロデューサーだけあって、老人ホーム選びも注文がうるさい。そういえば監督と組んで小芝居して、会社に予算アップを認めさせる…ってシーンが最初の方にあったっけ。なわけで帳簿まで見せてくれなんていっていたら、ホームの担当者が用心棒を連れてきた。ところがロジャーのよく知る役者で、身体をこわして(スタントマン?)くだんのホームに投資してるみたい。てなわけで20%割引で入居が決まるって、おいおい。
で、チョイ主任の待ち受けるホームに、ひとりで入居(ロジャーは仕事)。個室というからどれだけ立派かと思えば、パーテーションで区切った2畳ぐらいのスペース。夜中にトイレに行ったけど引き返してペーパーを鼻に詰めるのは、それだけトイレが汚れてるってことだろうな。
しかし、このホームの映像がリアルすぎ。きっと本物の入居者や痴呆老人を登場させているのだろう。ひょっとしたら、自分が写されていることにも気づいていないのではないだろうか、という老人も多数。また、ホームの映像は手ぶれや物陰からのシュート、なにかモノ越しの映像もあって、ドキュメンタリーと見まごうほどのリアルさ。これで見る側の心を捉えてしまう。
桃さんの症状は意外と軽くて、ホームに入った頃には左手もかなり動いている。この辺りは、なーんだ、な感じもある。でも、桃さんは、もう一度ロジャーの世話をするとは言いださない。この辺りは、あえてそういう流れにしたのかな。その代わり、家政婦の面接をするんだけど、今の人では勤まらないと分かってがっかり。まあ、そうだよな。
かなり回復して、散歩に行ったり一時帰宅したり、ロジャーが製作した映画のプレミア試写会に連れていってもらったり。こりゃ復帰できるのかと思っていたら、胆管がどうとかで手術することになって、それ以後、体力が急激に落ちたみたい。ロジャーが車椅子で連れ出したとき発作が起きて、きっとあれが二度目の脳卒中だったんだろう。体力が回復しないまま、ベッドの人に。医者の「自然に逝かせてあげたら」の言葉に従って送り出すことになった…という話で、ある意味では単純なんだけど、いろいろディテールが濃いのだよな。最後に、寸借ばかりしてたキンさんが葬式にやってくるのも、いい。
・名前がどうやら下女によくあるものらしい。冒頭で、日本軍がどうたらとあったけど、よく見なかった。孤児だったのかな。で、ホームの入居者に指摘され、うろたえるんだけど、やっぱり恥ずかしいところがあるのか。
・いろんなモノを取ってあって捨てられない。「これはあなたをおぶったときのおんぶ紐よ」とか…。
・公園で、結婚したてのカップルとすれ違う。ロジャーが「結婚したいのか」とからかうと、桃さんが照れる。かわいい。
・一時帰宅して最初にしたのは、テーブルやピアノの上を人差し指でなぞってホコリを見る…。
みな家に引き取られていく正月。寂しく過ごしているのに、ロジャーには「にぎやかよ、こっちも」と嘘をつく。ホームの主任は若い女性なんだけど、彼女は正月、ホームに居残り。桃さんに「ご家族は?」と問われ、何も応えない。彼女にもいろいろあるのだ…。
・ホームの仲間も、いろいろ。母親が入居してて、息子は顔を出さず、娘だけ。息子は金も出したがってないらしい。その母親も、ある日倒れてしまう…。陽気なキムさんは、寸借ばかり。それでヘルスに行ったりしてる。透析が必要な娘を入居させている年老いた母親もいる。いつも玄関横の椅子に座っているジジイがいる。描写が濃いのだ。
・プレミア試写での帰り道。「あんたの名前が大きく出て!」「ははは」「途中で立っていった人がいるけど・・・」「つまらないから立ったんだよ」「面白かったよ」「そうかい。寝てたろ」なんてにこやかに会話してる。
実の母親が神経質で、桃さんと同年齢らしいけど、エラソーにしてるのが印象的。いやな人ではないし、見舞に来て燕の巣とかイロイロくれたりするんだけど。そのときのエピソードもおかしい。母親が「おいしいだろ」というのに、桃さんは「生姜がほしい。生臭い」と正直すぎる! その燕の巣を入居者が嗅ぎつけて大騒ぎするんだけど、そんな高価なものなんだ!
ロジャーのところに友人たちが来て、つくったまま冷凍しておいた牛タンを発見。桃さんに電話して、見舞に歌を歌うのも印象的だった。
分からなかったところも少し。途中、桃さんの手を引いていた黒人の太った女性。あれは何だったのだろう? それと、後半で、中秋がなんとかとかいって、歌手や子供たちが慰問にきていたんだけど、あれはなに?
あと、ロジャーが姉(?)と話すシーンがあって。「あんた桃さんにやさしいね」「俺が心臓手術したときは世話になったから」という。さらに「神は最強のコンピュータだ。ちゃんとコントロールしてる」というんだけど、幸福と不幸はそんなバランスよくやってこないよ。不幸ばっかりの人もたくさんいるし、恵まれすぎてる人もいるぜ、と思った。
ときに疲れ果てた老女に見え、ときに可愛らしさを見せる桃さん役のディニー・イップに注目だな。
コズモポリス5/7新宿武蔵野館3監督/デヴィッド・クローネンバーグ脚本/デヴィッド・クローネンバーグ
原題は"Cosmopolis"。allcinemaのあらすじは「ハイテク装備のリムジンをオフィス代わりに、国際情勢をチェックしては相場を的確に予見、若くして巨万の富を築き上げた青年、エリック・パッカー。ところが、そんなあらゆるものを手に入れた資本主義の申し子を、不穏な運命が待ち受けていた。その日、大統領のニューヨーク訪問を前に、街では大勢の市民がデモに繰り出し、床屋に向かったエリックのリムジンはなかなか目的地にたどり着けない。そんな中、人民元取引で壊滅的な損失を出したエリックの運命の歯車は大きく狂い始めるが」というもの。
いや、つまんなかった。10分もせず寝てしまい、気がついたら前立腺がどーたらと女の前で股間を広げていて。その後もつまらんままで、また寝そうになりつつだらだら見てたけど、後半に入ってまたまた寝てしまった。次に目覚めたのは、バン! と爆発したところだったかな。寝てたのと朦朧とで、半分以上は記憶にないかも。ま、それでもいいや。てな感じ。
予告編も、最初の方だけチラッと見ただけ。あと広告も見ていない。なので、allcinemaのあらすじのような背景や説明は、読んで驚いた。そんなこと、分かるように描かれてなかったぞ、と。…という状態で見た立場でいうと、設定も話もロクにわからないまま延々つづくのが辛かった。しかも、前半の大半がリムジンの中。たまに喫茶店とか。主人公はほとんど動いたり移動したりしない。さらに会話も、具体性のある単語は混じっているけど、観念的な内容がほとんど。人間も街もリアリティがなく、というより、あまり描かれない。危機感も何もつたわってこない。これだけ話に入るのを拒否されたら、寝るしかないよ。
前半は「狙われている」とか運転手が言うのに街をクルージングし、デモにあったりする。の合間に部下みたいなのが話に来たり、取っ替え引っ替え女を連れ込んでセックスする。外で会うのは金髪の女なんだけど、最初は隣のタクシーに乗ってたよな。で、久しぶり、セックスしたい、とか行ってたので友だちかと思ったら、寝た後では妻みたいなことになってたけど、あれは別人? 騎乗位であはあはやってる女のシーンで、セックスが終わって転がってる女はなんとジュリエット・ビノシュだった。おやまあ。こんな映画に。
後半になって、どーもこの映画、1日に起きたことを延々と描いているらしいと分かる。そして、どーも投資がうまくいってないとかも。それにしても、撃ち殺して(たんに気絶させただけ?)しまったり、睾丸が左右対称じゃないからおかしいとか、毎日健康診断しているとか、神経質な割りにクルマの中で小便したりしてる。汚らしいだろ。主人公のエリックのすることはよく分からん。でもまあ、少し外に出たりして動きも出たみたいだけど、こっちは意識朦朧だし、もう映画に期待してなかった。勝手にやってなさい、って感じ。でもって、最後は元エリックの会社の社員で暗殺者のベノに後ろから撃たれそうになって…というところで映画はオシマイ。
エリックは資本主義とか投資銀行の象徴で、行く末は破綻するというようなことを暗示というより露骨に示唆しているのか。あるいはエリックは、アメリカという資本主義国家を表していて、狙っているのはイスラムのテロリストのことか、なんて考えもしたけれど、よく分からないしどーでもいい。こんな映画より、現実の方がよっぽどリアルだと思うから。
天使の分け前5/9銀座テアトルシネマ監督/ケン・ローチ脚本/ポール・ラヴァーティ
原題は"The Angels' Share"。allcinemaのあらすじは「長引く不況で若者たちの多くが仕事にあぶれるスコットランドの中心都市グラスゴー。教育もままならない環境に育ち、親の代から続く敵対勢力との凄惨な抗争が日常と化した日々を送る青年ロビー。恋人の妊娠が判明し、心を入れ替えようとした矢先に再び暴力事件を起こしてしまい、裁判所から300時間の社会奉仕活動を命じられる。そこで彼が出会ったのは、同じく社会奉仕を命じられた男女3人の若者と、彼らの指導にあたるウイスキー愛好家の中年男ハリーだった。ロビーはやがて、親身に接してくれるハリーからウイスキーの奥深さを学び、興味を持つようになる。そして、ひょんなことから“テイスティング”の才能に目覚めるロビーだったが」。
犯罪者が…程度は知っていた。なので、彼らが蒸留所で働くようになり、その奥の深さに…てな話かと思っていた。ところが社会奉仕は壁塗りや墓石の掃除…。ウィスキーの蒸留所は、奉仕活動の監視人の趣味で連れていってもらっただけ。そこで貴重な樽がオークションに出されることを知って、なんとそのウィスキーをいただいてしまう、という話だった。犯罪者たちが更生中に悪だくみを思いつき、それで大金を得てハッピー! という幕切れは、とても後味が悪い。
ケン・ローチが社会派であるのは分かっている。社会のせいで貧困が発生し、犯罪に走るという考え方は、まったく間違っているとも思わない。けれど、いまの日本を見てごらん。裕福になっても、ある程度の犯罪は起こるのだ。生活苦が社会環境の悪さのせいだからって、人を騙して自分たちだけが楽できればいいことはない。いくら貧困に喘いでいても非行に走らない青少年はたくさんいるのだから。しかも、騙された人たちはとくに悪人ではない。「オーシャンズ11」みたいにダークなお金を狙うなら義賊と賞賛もされようが、この映画にはそんなところはかけらもない。ひょっとして、金と資産があるやつはすべて敵なのか?
冒頭は裁判所。登場人物たちの悪行が披露される。ど近眼のアルバートは、酔っ払って駅で危険行為。といっても、あれは犯罪じゃないと思うがな。ノッポのライノはたしか、ビクトリア女王の銅像になにかしたんだったかな。反権力とイタズラずきみたい。女の子のモーは病的な万引き癖。主人公のロビーは、暴力沙汰。彼らは社会奉仕活動を命ぜられるのだけど、その後のロビーの過去をみたら、とても納得できるモノじゃなかった。だってコカイン中毒でカップルに八つ当たりし、男の子を半殺しにしてるのだ。片方の目は失明してしまっている。大学も辞め、彼女とも別れてしまった。それで服役しているのに、親の代から仲の悪いチンピラグループと喧嘩して…の結果らしい。日本なら、反省が見られないからと、以前より重い刑期になるだろう。なんとイギリスはやさしいの?
ロビーには恋人レオニーがいて、もうすぐ出産の予定。父親はクラブのオーナーか何かやってて、金持ちらしい。父親やその兄弟は2人の結婚に反対で、ロビーは叔父たちにボコボコにされる。「もうレオニーに会うな」ともいわれる。まあ、そうだよな。お嬢さんのレオニーが、貧乏人のチンピラ野郎とくっついちゃうなんて。というか、レオニーって娘も、なんでロビーみたいなのと? と思ってしまう。貧乏人。暴力好き。犯罪者。それでも好きになる理由は、とくに示されていない。自分に優しくしてくれる男なら、コカインやって人を半殺しにするようなやつでも構わないのか。レオニーも頭おかしいんじゃないのか?
で、奉仕活動の監視人ハリーが、たまたまロビーにウィスキーを飲ませてやったことから話が転がってくる。まずは蒸留所の見学へ。モーはここでも手癖の悪さを発揮して、ミニチュアボトルを大量にかっぱらってくる。ロビーは「それはダメだろ」と注意するんだけど、次のシーンで、ミニチュアボトルを使って奉仕仲間と味見会をしてるところを見ると、返さなかったんだな。だんだんロビーはウィスキーにはまっていく。ロビーは人並み外れて鼻がいいらしく、香りの表現にも巧みになっていく。ところでこのシーンで、飲まずに吐き出した容器のウィスキーを、一気飲みする酔っぱらい仲間が登場するんだけど、うげー、だよな。悪趣味。
ハリーはロビーをグラスゴーで開催されるテイスティングの会に誘うのだけれど、アルバート、ライノ、モーも付いてきてしまう。そこでブラインドテストに参加し、銘柄まで当ててしまう…って、いつのまに? ウィスキーと出会って時間も経ってないのに、どうやったんだ? ヒマと金はどうしたのか、かなりご都合主義だね。
このとき、会の主催者が、「貴重な樽が発見され、近々オークションに出される」と話したんだけど、その情報が書かれてるシートを、またしてもモーが盗んでしまう。それをみると、小さな樽なのに100万ポンド(1億4000万円)を超えるだろうという。このままじゃ、レオニーや生まれてきた息子とも暮らせない。よし。一発逆転だ! てなわけで、ロビーのプランに3人が乗るんだけど、おいおい、な感じ。
親の代から仲の悪い一家とのバトルは延々と継続中。レオニーの父親は「どっか他の場所へ行け」とアドバイス。なのにロビーは地道に働く道を選ばない。フツーなら、「こんな親じゃ子供に恥ずかしい。真っ当な人間なって迎えに来る」って思うだろ。なのに、相変わらず喧嘩っ早いのは治らない。敵対一家の1人が尾行してるのに気づいて脅すんだけど、ちゃんとナイフは持ち歩いてたしな。
というわけで、見かけが大事というわけでキルトをはいて、オークションの会場へ。ウィスキーの倶楽部だとかなんとか言ってオークションの見学に参加し、終了後にロビーは庫内に残り、樽から4本分のウィスキーをいただく。どう売りさばくかまでは考えていなかったけれど、たまたま名のある評論家あるはいバイヤーみたいなタデウスが主催者と戻ってくる。そこで、落札前に3本分分けてくれ、と頼み込んで断られるのを見て、ロビーはひらめくわけだな。ま、映画のご都合主義だけど。さて、減らした分は、他の樽のウィスキーを混ぜて、翌日。樽は125万ポンドだったかな、で落札。がっかりするタデウスに、3本で20万ドルと持ち掛けて商談成立。
ところが、警官に職質されて、うまくやり過ごした、と思った途端、アルバートのちょんぼで2本割ってしまう。このときアルバートが悪びれず「世界に4本より2本の方が価値が上がる」といったのを聞いて、こないだの、ジャッキー・チェン主演の「ライジング・ドラゴン」で、画商が世界に数枚という切手を落札し、その場で1枚を残して破り捨てたエピソードを思い出した。それと、泥棒の企画を立てていたとき、ロビーが密輸品の隠し方に言及していた。ロバの隊商が密輸していたのは、ロバだった、というもの。まあ、このエピソードを踏まえての職質だったのだろう。けれど、警官の金玉見せろというくだりも、ロバに関係あるのかな。
ロビーは2本割ったことを話し、でも1本10万ポンドで売り渡す。タデウスもよく了承したものだ。もし断られていたら、この話はどう着地すべきなのだろう。1人2万5千ドル(350万)ずつ分けて、ロビーはレオニーと息子を連れ、買ったばかりのワーゲンのバンでタデウスに紹介してもらった勤め先の蒸留所へ。で、残った1本は、ウィスキーとの出会いをくれたハリーに。というところで終わる。
と、長々話を追ってきたけど、ひどい話だよ。落語の「付き馬」よりタチが悪い。人のものを泥棒して、闇の取り引きをして金を作り、職も得て、それで幸福か? ロビーは全然成長していない、どころか、悪くなっている。そんなことで、将来も平穏かつ真っ当に暮らしていけるはずはないと思うが。ケン・ローチはそう考えていないようだ。泥棒してても現状から抜け出せ、といっているのだろう。それは、どう考えてもいいことではない。それに、ロビーの場合は暴力体質だと思う。モーだって、豊かになっても万引きはすると思う。病気だ。アルバートも頭の病気ではないだろうか。どれも貧困が原因とは到底思えない。ロビーに失明させられた青年はどうなる。せっかくのウィスキーをまがい物にされた落札者は気の毒ではないのか。ホント、後味が悪い映画だった。むしろ、ウィスキーの蘊蓄をもっと描いてくれた方が嬉しいんだが。
ペタル ダンス5/10新宿武蔵野館3監督/石川寛脚本/石川寛
ペタルはpetalで、花びらのことを後から知った。「tokyo.sora」の監督であることも。なるほど。
allcinemaのあらすじは「図書館で働くジンコは大学時代の友だち素子とかつてのクラスメイト、ミキに会いに行く約束する。6年間会うことのなかったミキが海に飛び込んだらしいと聞き、彼女の気持ちを確かめに行くというのだった。そして、ひょんなことから出会った女性・原木が、手をケガしたジンコに代わりにドライバー役を買って出て、3人でミキの住む北の町へと向かうのだったが」
ほんと、あらすじにある設定だけで、ドラマがまったくない。エピソードの切れ端ぐらいはある。あとは、雰囲気で撮ってしまった的な映画。監督はポエムでも撮ってるつもりで気分良くつくってるのかも知れないが、ただもう退屈なだけ。オムニバス映画の一本で20分ぐらいの小品なら納得できるけど、90分もこれやられちゃかなわんよ。
ジンコと彼氏の関係は、彼氏が決断できてないみたいな関係。それ以外の情報はなし。素子は、元亭主のクルマを借りる。元の亭主との関係が良好みたいなのが不自然。クルマも、なぜか空き地に長い間放置されていたみたいで、変。厚木は、勤めていた店が突然閉店で失職。店長はいずこかへ。同僚の先輩は、職場からファッション用のトルソーをかっぱらっていく。は、まだいい。厚木と別の女性が、グラウンド横みたいなところで気怠く話しているのは何なんだ? あの彼女は誰?
厚木がホームで走り高跳びのステップをしようとしたのを、こりゃ投身自殺、と勘違いして抱きついたのが出会いのきっかけ。まあ、ミキが入水の未遂だから敏感になったんだろうけど。それはいいとして、ホームで人に抱きついただけで手指の剥離骨折するか? 骨粗鬆症か?
てなわけで厚木の運転でジンコと素子がミキの病院を目指す。しかし、ずっと疎遠だったミキの自殺未遂の情報は、誰からジンコにつたわったのだろう? 本人からとか家族からは考えにくい。じゃ、だれ? と、フツー思うよな。それと、ロケの場所を見ると、茨城南部と青森が多い。では、ジンコや素子は関東に。ミキは青森に、か。そういや十二湖とか椿山海岸という標識が見えた。のはいいけど、茨城から青森までクルマで行くか? しかも、運転手1人だぜ。何日かかるんだよ。いくら早朝に出発したからって。
途中、風で横方向に成長している樹木をみつける。文房具屋に寄ったのは、意味が分からない。何のため? で、病院に着いてミキに会い、その夜のことはすっ飛ばし、翌日はミキの要求で海と、自分が入水した場所へ。なのだけれど、そんなところに行きたいとフツー思うものか? もちろんミキがなぜ自殺しようとしたかは語らない。
ジンコは、ずっと指でグライダーを追う。さらには、風の形になびく樹木…などから、風に逆らわない。風に乗る。自然体で生きるというようなことを言いたいのかも知れない。だけど、露骨すぎるしつまらないだろ、そんなの。ま、そういう具合にしか映画が撮れない人、なんだろうけどね。
L.A. ギャング ストーリー5/13新宿ミラノ3監督/ルーベン・フライシャー脚本/ウィル・ビール
原題は"Gangster Squad"。Squadは「特捜班」「…係」のなで、「ロス市警ヤクザ一家」みたいな感じなのかな。邦題はギャングの話になってるけど、実際は、ギャングを壊滅させるために設けられた、ヤクザまがいの特捜班の話だから。
allcinemaのあらすじは「1949年、ロサンゼルス。街は巨大犯罪組織のボス、ミッキー・コーエンに牛耳られ、不正や悪がはびこっていた。また、彼の影響力は政治家や警察内部にも深く浸透し、表立って取り締まることはほとんど不可能だった。そんな実情を見過ごせずにいたジョン・オマラ巡査部長に、ある日ついに市警本部長から密命が下る。それは、少数精鋭の極秘部隊“ギャングスター・スクワッド”を結成し、ミッキー・コーエンの組織を隠密裏に壊滅せよ、というものだった。さっそくオマラによってジェリー・ウーターズら署内のはみ出し者ばかり6人が集められた。そして、彼らは街の未来を取り戻すため、警察バッジを外し、法に縛られることなくギャング顔負けの手段でミッキー・コーエンに立ち向かっていく」である。
なんだかマンガみたいな話。事実にインスパイアされたとクレジットされてるけど、かなり戯画化してるんだろう。ディック・トレーシーみたいなというか、マーベルコミックの実写化というか、そんなテイストなのだよね。だからディテールは大雑把。話も、これまでのギャングもののいいとこ取りみたいで、展開も類型的。…なんだけど、人物はそれぞれ魅力的に描かれている。それと、1950年前後の風俗や遊び所をポップに描いたイラストがエンドロールに出てくるんだけど、映画の中の背景やセットあるいはCGなんかも洒落てる。なので、飽きずに見られた。いかにも表面的なところが、なんかクールだと思う。
この映画がマンガだ、と最初に思ったのは、ミッキー・コーエンがシカゴのギャングをクルマ引きで、ベルト位置で胴から真っ二つに引き千切るシーン。おやおや。手足の関節で千切れるんじゃないのか?
さて。第二次大戦を終えてやっと平和が、と思ったのに、またまたLAでギャングと戦うことになった警官たち。家族がいるのに命を賭して戦わねばならない…のだけれど、そもそも映画にリアリティがないので、他人事のように見える。ぜんぜんヒシヒシと伝わってこないのだよね。まあ、スタイリッシュに撮ってる結果だとは思うけど。
この手の話によくあるのが、誰が誰やらわからない、ってこと。もちろん、ある。ジェリーの友だちのジャックって、ミッキー・コーエンの何なのだ? ただの子分にしては野蛮なことをしないクールな人物に描かれてるんだけど。特捜班が暴れたのはドラグナの指図、とコーエンは部下に狙わせるんだけど、ドラグナって誰だっけ? とかね。他には、コーエンの部下たちがあまり説明されないままゾロゾロ登場してくるんだけど、あれはもったいない。ちょっとでもいいから紹介カットを入れればもっと人物に厚みが出たのに。
面白かったのは、メンバー集め。オマラは優等生から選ぼうとするんだけど、妻が「こんなすぐ偉くなりそうなエリートはダメよ。もっとはみ出しものを」と、ほぼ全員の選定を行ってしまう。それまでは、命を張ってギャングに向かったりしないで、といってたのに…。イザとなると女は強い。半分ギャングに染まってるジェリーに話をかけるけど断られる。暴力的な黒人巡査(字幕は警部補になってなかったか?)ハリス、無線が得意なキーラー巡査、射撃の名手ケナード巡査、その親友でメキシコ系のラミレス巡査…と選んでいく過程はまるで「七人の侍」あるいは「荒野の七人」。射撃の名手ケナードは宮口精二で、ついでに参加のハリスは三船敏郎と木村功を足した風で「荒野の七人」ではホルスト・ブッフホルツ。のナイフ投げは「荒野の七人」のジェームズ・コバーン。志村喬は、本部長(ニック・ノルティ)かな。でも、荒くれ風はいなくて、みなフツーかあるいは軟弱に見えるのがおもしろい。
で、最初に特捜班が襲ったのは、場末のカジノなんだけど、中に警官がいて逆襲され、オマラとハリスが逮捕され、コーエンに差し出されそうになるっていうのが笑えた。これを見てジェリーも「参加してやるか…」となるんだけど。で、救出しようと留置場の窓を外そうとして、クルマのバンパーが取れるって、マンガだぜ。
てなわけで、コーエンの賭場や麻薬取引などあれやこれや邪魔をしつづける特捜班なんだけど、覆面もせずに堂々と撃ちまくりでも面が割れない不思議。あるいは誰も撃たれて怪我もしない不思議。…は、こうコミックなんだから不自然でも何ともない。そもそも1人でコーエン経営の売春宿に乗り込んで大暴れしちゃうオマラ巡査部長自体が無敵のヒーローみたいな描かれ方だからね。
他に不自然さというと、最後にキャパレー内部につくられたノミ屋の電話交換所だけど、あそこで一般人らしきご婦人方やあれやこれやがたくさん働いていた。あんなじゃ情報がダダ漏れだと思うんだが…。
てなわけで、無茶苦茶な話ではあるんだけど、いろいろと押さえるところはちゃんと押さえていて、ジャックはいい奴だけどコーエンに最後は殺される。ケナードは撃たれ、若いラミレスが生き残るのは、「七人の侍」と同じ。あとは、息子もいるキーラーが残念ながら殺されてしまう…。いっぽうで、コーエンの女だったグレイスはジェリーは結ばれる。まあ、このロマンスはとってつけたような設定だけど、こういうのも映画には欠かせないわけで。
というわけで、徹底した勧善懲悪なんだけどリアリティを排除してマンガみたいな表現になっているんだけど、でも人物描写には十分な配慮がなされている。ミッキー・コーエン役のショーン・ペンは日本では主人公のように紹介されているけど、誰がやっても成立するタダの悪人。とまあ妙なバランスなんだけど、なかなか面白かった。
アイアンマン35/14新宿ミラノ1監督/シェーン・ブラック脚本/ドリュー・ピアース、シェーン・ブラック
原題も"Iron Man 3"。allcinemaのあらすじは「“アベンジャーズ”の一員としてヒーローたちと手を組み、人類滅亡の危機を回避したトニー・スターク。だが、この戦いは彼の心に大きな影を落とし、何かに取り憑かれたように新型アイアンマン・スーツの開発に没頭する。そして最新の“マーク42”を完成させるものの、心身共に疲弊していくトニー。一方、巷では凶悪テロリスト“マンダリン”による爆破テロが連続発生していた。また、かつてトニーと対面した科学者キリアンが驚異的発明を手に再び姿を現わす。そんな中、トニーの自宅がマンダリンによって襲撃される事態に。窮地に立たされながらもアイアンマン・スーツを駆使し、冷徹な一味の陰謀を食い止めるべく立ち向かうトニーだが」
見終えて1週間過ぎてしまったが、感想を書く気力がなかなかでなかった。なにせ話が小さい。かつて自分のアイディアをトニーに売り込みにきたキリアン。当時の彼女とラブラブで、「会うから屋上へ」と言っておきながらすっぽかし。その恨みが、時を超えてやってきた…という、江戸の恨みを長崎で、てな話。もうよく覚えてないんだけど、植物の再生力みたいなのを研究していて、それが完成したんだっけ? その技術を応用すると、人間が自爆装置になるとか、そういうことだっけかな。で、何かがあって、トニーは「逃げ隠れしない」といってテレビの前で自宅の住所を言ってしまう。すると間もなく、マンダリンとかいうテロリストがトニーの住み家をミサイル攻撃。これで旧型スーツはみな破壊され、開発中だった無線コントロールできるヤツのみが利用できることになったんだけど、なんでかそのスーツを着て北の方に飛んで行ってしまう。どうもそこは、最初に自爆テロが発生した場所で、犯人の母親かなんかと話をしていくうち、少し事情が分かってきて…。なんていう流れだっけ。で、マンダリンのボスと思っていたジジイは実は傀儡で、大ボスはやっぱりキリアンという拍子抜けなネタバラシ。一方で、なぜか知らないけどトニーは神経症にかかっていて、引きこもり状態。そういえば、海中に沈んだトニーを、アイアンスーツのペッパーが助けるシーンがあったような…。それとも、アイアンスーツのローディ(ドン・チードル)だっけ? いや、1作目はなんとなく覚えてるけど、2作目なんかほとんど記憶にないからなあ。あれも寝たんだっけ。本作も、後半のクライマックス周辺は朦朧としていたから、なにがどうなったのか、ほとんど記憶がない。
考えるところがない映画は、つまらない。なぜなんだろう? どうなるのだ? というヒキがないと、眠くなってしまう。この映画もしかりで、アクションシーンが幾ら派手でも、話が面白くなくてはダメなのだ。その点、この映画は意外性もあまりなく、説明も足りなくて、だからなに? 的な感じだからね。
・なぜマンダリンが自分を攻撃するのか、なぜトニーは不思議に思わないのだろう?
・子供がアイアンマンの指を折ってしまう!って、アリか?
・テロ組織の女が、火だるまになりながら服が燃えないって…。それに、彼女はあそこに(同じような事件が起こった場所)にトニー・スタークがいるのを、どうして知ったのか?
・トニー・スタークがスーツだけをリモートコントロールしたりしてたけど、いつからできるようになったんだ?
・MIAと書かれた字を裏から見てAIM! とか。だからなに。
・仲間が使ってるパスワードがアイアンマンサイコ (キチガイ)って…。
・大統領がブッシュ面だな。
・手のひらからも、何か発射できるんだっけ?
・Sun ORACLEという企業名がバッチリ! 広告が露骨すぎ。
・副大統領の娘(?)の足が片方なかった。あれ? と思ったら、ラストで逮捕されていた? 仲間だったのか?
・クレジットの後に、とにー・スタークが「自分が神経症になったのは…」てな話をしているシーンがあったけど、まだ治ってないのか?
最後に ''Tony Stark will return'' とでるのは、まだ次があるってことか?
てなわけで、単純な話をムリして複雑にして、もったいぶってるだけ。しかも「アベンジャーズ」では宇宙人に来襲されているっていうのに、今回はキチガイ科学者。レベルが低すぎだろ。
無名の新人を無視し、後に仕返しされるって『イヴの総て』みたいね。他にも、話の展開が『バットマン』みたいなところがあるように思うんだが…。
アルバート氏の人生5/17ギンレイホール監督/ロドリゴ・ガルシア脚本/ガブリエラ・プレコップ、ジョン・バンヴィル、グレン・クローズ
原題は"Albert Nobbs"。製作はアイルランド。allcinemaのあらすじは「19世紀のアイルランド。長年モリソンズホテルで働くアルバート氏は、常連客からの信頼も厚い優秀なベテラン・ウェイター。しかし私生活では人付き合いを避け、固い殻に閉じこもった孤独な生活を送っていた。なぜなら、アルバート氏は女性だったのだ。男を装うことは、孤児だった彼女が貧しさから抜け出す唯一の道だった。そんなある日、自分らしく生きるヒューバートと出会い、自分を偽り続けてきた彼女の心に大きな変化が訪れるのだが」だ。
なるだけ情報をインプットせずに見る…が主義なんだけど、ギンレイのHPの紹介文の「性別を」なんていう文字がチラッと目に入ってしまっていた。それで、男が女装する人生かとばっかり思っていたら、違ってた。それでも、「この優男が女装を…」なんて思いつつだったので、まっさらな状態ではない。なので、「え? 女だったの!」の衝撃は、想像違いという意味ではあったけれど、意外性はなくなってしまっていた。残念。先入観なしで見たかったものだ。
アルバート氏が女だった、という驚きよりもっと凄い衝撃があった。ペンキ塗り職人のペイジが「あたしも」と胸をはだけるところ。いや。腰を抜かしそうになった。というか、大笑い。うわ! だよね。そして、アルバートがコツコツと貯めているチップと給料がもうすぐ600ポンド。それを住み込み部屋の床下に隠しているんだけれど、あんな見せ方をしたんじゃ「いつか盗まれるに違いない」と言ってるようなもの。ずっと気が気じゃなかった。ボイラーマンとして性格の悪そうなジョーが加入してからは「きっとこいつが金を盗み、その金でアメリカへ…」と妄想がふくらんでしまう。だから、暗い気持ちで前半は見ていた。きっとアルバートには幸せな人生はめぐってこないのだろうな。でも、できるなら幸せな老後を迎えさせてやりたい…と。がしかし、波瀾万丈な展開はやってこなかった。どちらかというとアルバートは奇妙な聳動に突き動かされ、若い給仕のヘレン・ドウズと結婚することを願うようになっていった。てもさ。老人が40歳も年下の娘にデートを申し込むのも変だし、それを受けるヘレンもどうかしてる。いくらヴィクトリア朝のアイルランドの話だといっても、だ。なのでこちらのテンションはどんどん下がる。ドラマチックは起きない。なわけで、前半の、アルバートにどんな苦難が待ち受けているのだろう。貯金はいつ盗まれるのだろう。というザワザワ感と期待感はいつのまにやらいずこかへ。後半の尻すぼみに、ちよっとガッカリなのであった。
話としては意外性もあって面白いけど、女性が何10年も男装で騙し抜けるのかというと、疑問。トイレ、生理、病気、ヒゲが生えないなど、いろいろ変!があるはず。それに、いつの間にかアルバート氏に感情移入していたので、ラストが不満。あんな呆気ない終焉を迎えるのではなく、もっと自由と喜びを与えてあげたかった。羽根を伸ばしていたのは、せいぜい浜辺で女装というか、久しぶりの女性服の感触を楽しんだだけだものなあ。気の毒すぎる。その点、ペイジは世渡り上手。同じ男装でもうまく生き抜いてる。最後も、ヘレンと結婚生活を送りそうな気配だし…。一番うまくやったのがホテルの女主人じゃ、がっくりだよ。
そういえばラストの方で、ホテルの主人がペイジに「実は女だったの。どの新聞にも書かれてるわ」というところをみると、男装して生き抜くというのはフツーのことではなかったみたいね。「男装しなくちゃ生きていけなかった」みたいなことをアルバートがいい、ペイジも似たようなことを話していたので、そういうものかと思っていたのだけど。ただし。ヘレンのように未婚の娘が子供を産むと、孤児院に入れられてしまうような風潮はあったんだろうけど。
しかし、ペイジは、チフスで死んだ妻(女性)といかなる結婚生活を営んでいたのだろう。同性愛者だったのか。だとしたら、どうやって自覚し、相手を発見できたのか。それとも、女性同士の友情だったのか。知りたいところではある。チフスといえば、死んだというパトリックって、呆けた爺さんだっけ?
その後のストーリー。ジョーがヘレンを捨ててアメリカに渡るのは分かるけど、ドクターとベテラン女給メアリーが渡米するのは、唐突。もちろん2人が関係をもっているのは分かっていたけど…。そういえば、ホテルに医師を常駐させておくのはルールだったのか?
ヘレン役のミア・ワシコウスカが、こんなところに。もう主演クラスかと思っていたら、そうでもないのかな。「アリス」では貧相に見えたけど、この映画では可愛く見えた。まあ、アルバート氏のグレン・クローズとペイジのジャネット・マクティアがあんなだから引き立つのかも知れないけど。でも、美しさも相対的のような気がする。ミアは貧乏人がに会うよ。アリスみたいな妖精感はないもの。やっぱ、ただの田舎娘の顔だよ。
アルバート氏が貯まった貯金が600ポンド。壁の塗り替えが200ポンド。1ポンド5万円とすると3000万円だな。しかしペンキの塗り替えに1000万は高すぎる。どういう相場なんだろう。って、給料とチップだけでそんなに貯められるものなのか?
藁の楯 わらのたて5/20MOVIX亀有シアター2監督/三池崇史脚本/林民夫
allcinemaのあらすじは「日本の財界を牛耳る大物・蜷川隆興の孫娘が惨殺された。容疑者は8年前にも少女を殺害し、釈放されたばかりの清丸国秀。警察の懸命の捜査が続く中、全国紙に“清丸を殺害すれば10億円を支払う”との蜷川による全面広告が掲載される。日本中がにわかに色めき立ち、観念した清丸は潜伏先から福岡県警に自首することに。さっそく清丸を警視庁に移送するため、SPの銘苅一基をリーダーとする5人の精鋭が集められる。タイムリミットは送検までの48時間。だがその行く手には、ありとあらゆる所に潜み、“クズ”を仕留めて10億円をいただこうと殺気立つ日本全国民が待ち構えていた」
冒頭は幼児殺害事件で、次に蜷川が立ち尽くすシーン。で、銘苅(大沢たかお)と白岩(松嶋菜々子)が射撃訓練。同僚見たいのが「戻ってきても4課(?)か…」みたいなことをいうんだけど、すっと意味が分からずモヤモヤ。中盤で、銘苅の妻が飲酒運転2度目のトラックにひき殺され…というのは分かるんだけど、それと銘苅のポストとどういう関係があるのだ? というか、しばらく休職でもしてた? てな舌足らずの脚本ではあった。
で。幼女殺害では8年ででられるのか? 初犯時は未成年ともいってなかったよな。模範囚だった? でも出所後は監察官がついたりしないのか? さらに、清丸が容疑者になった過程は一切省略。まあ、そこがキモじゃないからいいのかも知れんけど。
10億の懸賞金。それを一般紙が掲載…えー? と思っていたら、校閲を通さず、印刷直前に入れ替えたとかいってたけど、そんなことをしたやつらはどうなったんだ。一斉に辞めたとかいってたのがそうなのか? 端折りすぎだろ。しかし、財界の大物だからって、そんなことできっこないだろ。
で、10億円につられて清丸の知人が殺そうとするのは、分からんでもない。分からんでもないが、刑を科されることが条件なのだから、金を得るまで10年ぐらいはかかるはず。そんなんで、殺るか? と思う。その後、看守(といってたけど、あまり記憶にない)、看護婦、トラック運転手、機動隊員、ヤクザ、オッサン、清丸に娘を殺された父親なんていうのが次々に襲ってくる。トラック運転手なんか爆薬積んで突っ込んでくる。アホかと思う。というか笑ってしまった。あり得んだろ。どうやって爆薬を調達? 1人殺せばいいのに、そんなんじゃ大量殺人になりかねんだろ。とかね。あと、ここのカーアクションは迫力がない。カメラが寄りばかりで全体がほとんど見えない。クラッシュしても、部分のアップ。引きで見せなくちゃ、アクションとはいえんだろ。トラックがつんのめる場面はCGだろうし。
とかいいつつ、しばらく見ているうちに、現実にはあり得なくても、10億につられて自爆するやつがゾロゾロするという設定は面白いかも、と思えるようになってきた。自分が死んでも家族のためとか、あるかも知れないし。
釈放された幼児殺害犯が、また犯行。飲酒運転2度目の男が、銘苅の妻を殺した。犯人を守るのが使命の銘苅が、清丸を守る。話の二重性、ダブルパイントとか、出来過ぎというか露骨すぎてバカらしいんだけど、それもまたいいかな、と。勢いがあって。
で、九州から東京へ移送するのに、SPが2人(銘苅・白岩)に本庁の刑事(奥村・神箸)が2人。地元の刑事・関谷が1人。少なくないか? でもま、パトカーと機動隊が周囲を取り囲んでいるからね。でも、こいつらが危険なんじゃないか。と思っていたら、セリフの中でも同じことがいわれ、本庁の奥村(岸谷五朗)と神箸(永山絢斗)がギクッとするのを見て、ホンが甘いと思った。だから機動隊員が襲うのは分かりきっててつまらない。
この辺りから、清丸の居場所がGPSかなにかで漏れて、蜷川のホームページで告知されていることが分かる。それで次々と襲ってくるわけだ。で、いったいだれが漏らしているのか? の追及合戦が5人の中で始まるというのも、興味深い。仲間内の疑心暗鬼だな。
むしろ、新幹線内でヤクザが襲ってくるのが凄かった。でも、拳銃もって何人も襲ってくるって、バカの極みだな。笑いながら見てたよ。10億のために、ようせんだろ、そんなこと、と。で、この一件で神箸が殉職。おー。無慈悲に殺していくね。若いのに偉そうという典型的な役割を演じつつ、死に際に「オレが死んだら、かあちゃん一人になっちゃう」という、これまた臭いセリフ…。笑っちゃうほどベタベタ。
で、新幹線を姫路だか神戸で降りようとして、そこにオッサンが登場。少女を人質ニシテ「清丸をよこせ」と叫ぶのだが、こういうのはアリかもと思えたエピソード。とくに少女の泣く演技がリアルに凄かった。ホントに泣いてるみたいだった。ここで、そのオッサンを射殺して関谷が脱落。ここでは、人質の少女を無視して任務遂行を主張する銘苅と、そうはいくかとオッサンの説得にあたる関谷の対比がキモなんだけど、いくらSPでもそんなことするのか?
で、新幹線は事件だらけ。車両を鑑識が調べるから…と言われるのだけれど、銘苅と奥村の判断で、東京までノンストップで走らせることに決定。って、おいおい。ダイヤはどうする。そんなこと警官2人で決められないだろ。いくら車掌を拳銃で脅しても。ねえ。
ところが、途中のどっかで線路妨害され、車両を降りて警官3人と清丸が山中をとぼとぼ。しかし、いくらなんでも1日中歩いてるのに車1台すれ違わないというのは、変だろ。だって、このあと分かるんだけど、GPS発信は奥村だったんだから。世界中が知ってるわけだろ、どこを歩いているか。
さて。ツッコミどころが多いながら、見られたのは新幹線まで。歩き出してからは、どんどんバカ映画になっていく。まずは清丸が以前殺害した幼女の父親が、クルマで通りかかり…って、おいおいだよな。襲ってきた父親は縛って置き去りだっけ? 忘れたよ。バカバカしくなってきた。次は誰が場所を発信しているのかの疑惑で、銘苅が奥村の手首に縫い傷があるのにやっと気づく、って、遅すぎるだろ。…といいつつ、ひょっとしたら清丸の体内に発信器が埋まっているのではないかとずっと疑っていたんだけど、外れました。でもね、奥村がいうには、「これも上層部の命令。自分が清丸を殺そうが殺すまいが10億もらえることになっていた」といいつつ、「刑事という職業に誇りをもっている」ともいう。このくだりの意味が分からなかった。どう整合性がとれるんだろう。
そういえば、白岩も清丸に銃をつきつけ「死ねばすべてが解決。でも、10億の賞金が邪魔。賞金がなければ…」という。もっとも彼女の場合は金ではなく、清丸のせいで多くの人が犠牲になったことへの怒りだけど。でも、賞金を受けとらなければ済む話しなんじゃないか。
さて、このあたりからボンクラSPぶりを発揮しだす。最初は銘苅が民間人のクルマを奪おうとしているとき、白岩が清丸から目を離す。振り向くと清丸がいない。民家の幼女を襲おうとする直前に銘苅が発見するのだが、被疑者から目を離すって、あり得んだろ。さらに、銘苅が東京の上司と携帯で話しているとき、またしても白岩が清丸から目を離す。白岩は銘苅を見ているようなかたちになるのだが、たまたま落ちていた鎖を清丸が拾い、それで白岩を殴り倒す。そして、倒れているところを撃つ。さっき目を離してミスったばかりじゃん。っていうか、こういう経過をたどるなら、目を離さざるを得ない状況をつくらなくちゃいかん。そうじゃないから白岩がアホSPになっちゃうのだ。
さて、銘苅の上司が公安の男に「なぜ場所をききださない?」と責められるんだけど、じゃあ上司も上層部の命令で動いていたということか? でも分からないのが上層部の思惑。そもそも奥村に発信器を埋め、位置を知らせることで何を目論んだのか。しかも、発信器の話があったのは、今回の移送よりもずっと前のこと、と言っていた。なのに、なぜ奥村に10億? というか、奥村が10億もらうことを警察上層部は了解済みなのか? また、銘苅の上司も上層部に取り込まれていたとすると、それは何のため? さっぱり分からん。
てなわけで、銘苅と清丸がうろついていると、都合よくタクシーが停まる。気のいい女運転手で、タクシーまで貸してくれちゃったりする。あり得ないだろ! しかも、検問ではタクシーのトランクを調べないって、そんなことあるのか?
で、一気に警視庁前。もう発信器がないのに、到着時間がなぜ分かった? なんだけどね。ここで、銘苅が清丸をタクシーから引き出す。のだけれど、警官は誰も動こうとしない。そこに蜷川が手下どもとやってきて、清丸を仕込み杖で殺そうとするが失敗。落ちた仕込み杖を清丸が拾って銘苅を刺す。清丸は取り押さえられ。やっと警官が働き出し、蜷川にも偉いヤツが「警察の威信をかけて蜷川を確保しろ」みたいなことを言う。そんなことをして上層部に叱られるのではないのか? と心配になるのだけれど、昔風の見せ場をつくるような映画って、まだあるのだな。さっさと清丸を確保すれば何もなかったのに、蜷川が上層部に命じ、上層部が現場の指揮官にいい、手出しをしなかった、とでもいうのか? アホみたい。
てなわけで、後半はズブズブな映画であった。エンドロールに、延々と台湾人の名前。そうか。台湾ロケか。そういえば新幹線車両もオレンジだったけれど、日本じゃないよな。
17歳のエンディングノート5/20新宿武蔵野館3監督/オル・パーカー脚本/オル・パーカー
原題は"Now Is Good"。allcinemaのあらすじは「末期の白血病で大人になるまで生きられないと宣告された少女テッサは、しばらく引きこもり生活を続けていた。だが17歳になった彼女は親友のゾーイを呼び出し、残りの人生で一生分の経験をするための「したいことリスト」を作成、ひとつひとつ実行に移していくのだった。だが隣の家に大学生のアダムが引っ越してきたことから、彼女の計画は思わぬ方向にずれてしまい」
ティーン向けのお涙頂戴映画なんかだろうけど、恋がいまいち盛り上がらないので感情移入できず。テッサ役のダコタ・ファニングは、ときどき可愛らしくも映るけど、基本オバサン顔だから色っぽくないし。それと、話が手垢尽きすぎなのに何の工夫もない。『ウォーク・トゥ・リメンバー』をベースに『死ぬまでにしたい10のこと』or『最高の人生の見つけ方』を加味し、淡々と素っ気なく撮っただけ、と言われてもしょうがないと思う。
大きなドラマがない。エピソードばかり。友人ゾーイが妊娠されられ、でも子供を産むとか。万引きしてみるとか。大麻キメてみるとか。フツーの子ならもうやってるだろ、な経験や「したいこと」なんだよね。それが切ないといわれれば、そうかもしれないけどね。13歳で発病して4年目。以後学校には行ってない。まあ、真面目でいい子だったってことだな。そんな娘もイギリスにはいるってことか。
恋人になるのが隣家の引きこもりアダムってのもなあ。いつ引っ越してきたのか知らないけど、挨拶もしてないのか? で、そこの息子がハンサムで、って、ご都合主義もいいところ。最初に処女を捨てようとした相手、でもノラないからゴメンで済ませたひょろっとしたヤツが気の毒に思えてしまう。
両親は離婚しているみたいだけど、なぜ父親がテッサと弟を育てているのだろう。父親の仕事は? 母親は、1人暮らし? なんかいい加減な母親みたいだったけどね。それに比べると父親の方が必死な感じで、痛々しい。つき合ってる彼女でもいればなんとかしようもあるのに。気の毒。息子は、ちょっとバカに仕立てられすぎ。姉の死をからかってばかり。もうそんな年じゃないだろ。
・アダムが引きこもってるのが、父親が死んで母親が落ち込んでるからって、説得力ないね。
・アダムに連れられて行ったパーティで、テッサがビールをかけた相手は、誰? ゾーイの相手のスコット? よく分からなかった。
・住宅地の自宅で打ち上げ花火を何発も…。おいおい。あり得ないだろ。
・スカイダイブのアトラクションなんかあるんだな。ジャッキー・チェンの『ライジング・ドラゴン』のエンドロールに、似たようなでも巨大なのがでていて、ダイブしてるシーンはこんなの使って撮ってるんだな、と思ったんだけど。で、そういえば『最高の人生の見つけ方』でもスカイダイブしてたよなあ、と共通点を発見してしまった。
ジャッキー・コーガン5/25シネ・リーブル池袋監督/アンドリュー・ドミニク脚本/アンドリュー・ドミニク
原題は"Killing Them Softly"。邦題の主人公名より、原題の方がよっぽど洒落てる。allcinemaのあらすじは「ある日、チンピラ2人が犯罪組織の賭場を襲撃し、まんまと大金を奪うことに成功する。孤高の殺し屋ジャッキー・コーガンは、組織の連絡員“ドライバー”から事件の解決を依頼される。組織から真っ先に疑われたのは賭場の雇われオーナー、マーキーだった。しかしほどなく、実行犯と思われる男たちの情報を掴み、確実に迫っていくコーガンだったが」
つまらない。本筋にあまり関係ないことをだらだらしゃべったり、シーンをぶった切るようにつないでいったり、手法としてはタランティーノの劣化コピー。最初の賭場強盗シーンだけはひしひし感があったけど、あとはさっぱり。ジャッキー役のブラッド・ピットは、クルマの助手席かカフェあたりで偉そうに話しているだけ。アクションも、マーキーを殺るところだけハイスピード撮影でスタイリッシュ風に見せているだけで、他はとくに印象的なものはない。人間関係の分かりにくさはあまりないけど、その分、キレがない。だらだら…って感じ。
そもそもジャッキー・コーガンって、何する人? とずっと思っていた。ハイウェイの下で、オッサンに呼び出され、あれこれ話している。あのオッサンは誰? ジャッキーはどういう役割? 映画を見ただけでは、ひょっとして殺し屋だったのか? てなことしか分からない。だから、allcinemaのあらすじに「孤高の殺し屋」なんて書いてあって、あのオッサンも組織の連絡屋なのか。「そうだったの!」である。だって、その連絡屋さんはジャッキーに「依頼」しているというより、「相談」してるんだもん。で、自分で手を下さず、ミッキーという年寄りでデブで酔っぱらいの殺し屋を調達したりする。自分で殺るのではないなら、殺し屋とは思わないよな。
で、基本的な構造もよく分からない。あの賭場は、マーキーの賭場ではない、のかな。組織のボスに命じられ、マーキー等幹部が持ち回りで営業していた? で、マーキーは子分に自分の賭場を襲わせ、横領した。そのことを、どうも仲間に話してしまった、みたい。でも、そんなことを話したらボスのところにもつたわって、自分の首が危なくなるんじゃないのか? でも、そんなことはなかったような…。なので、組織としてはかなりいい加減なのではないかと思ったりしていた。
笑っちゃうのは、チンピラの一人が、ある男に自慢話で賭場強盗を話したのがきっかけで、賭場荒らしの正体がばれた、ってこと。ある男は組織の人間で、でも最初にその話を聞いたとき、自分のとこの賭場荒らしだと気がつかなかったというアホな話。でもま、そうやってチンピラ2人の名前が分かり、連絡屋からジャッキーにつたわった、と。なんかマヌケな話で、ちっともスタイリッシュじゃない。自慢話でバレちゃうんだからね、マーキーのときも、チンピラのときも。
でまあ、ジャッキーはチンピラを雇ったリスに面が割れている。なのでミッキーを呼んだらしいけど、ミッキーは記述の如し。こんな役立たずを呼び寄せるなんて、アホかと思う。じっさい、保釈中(?)でNYからでてはいけないミッキー。結局、バレて最後は逮捕されていたけど。でも、ミッキーは仕事らしいことはまったくしていないのだよな。なんだかなー。時間のムダみたいな気がする。
で、世間(ってどこまでか知らないけど)は、「またマーキーの仕業か」と思うはずだから…とかいいつつ、連絡屋はジャッキーの手下にマーキーを痛めつけさせる。でもジャッキーは、賭場荒らしをやったのに殴られるだけで済んだと思われるのは得策ではないと連絡屋に言う。で、ジャッキーが市街地でマーキーを殺るのだけれど、このシーンだけハイスピード撮影でスタイリッシュに撮っていた…のだけれど、そうする意味はあるのかね。
であとは、チンピラの片割れを殺って(だっけ? あまり記憶がない)、その元締めのリスも殺って。連絡屋から金をもらったら「足りねえ」とか文句をつけて、それがちゃんと通る世界。なんかな。最後、連絡屋に文句を言われると、「ジェファーソンは奴隷解放論者じゃない」といわれたり。はたまた「アメリカは国家じゃない。ビジネスだろ」とかいう、なかなかの名台詞がでてくるんだけど、それすらも空しい。
やたらブッシュvsオババの選挙戦があの手この手で介入してこようとするんだけど、それをだらだら流す意味は何なのだ、だよな。
百年の時計5/27テアトル新宿監督/金子修介脚本/港岳彦
allcinemaのあらすじは「憧れの芸術家である安藤行人の回顧展を担当することになった学芸員の神高涼香だったが、行人はすでに創作意欲を失っていた。落胆する涼香に行人は古い懐中時計を見せ、時計の持ち主だった女性を探してほしいと頼むのだった」と短い。これみても内容がないのがわかる…?
神高涼香の学芸員話、安藤行人の思い出、涼香の恋、亡き母親への思い、高松と琴平電鉄のPR、反戦思想なんかもあったりして、しかもみんな、かなりベタなのだ。軽妙なタッチではあるけど隙がありすぎて、かなりアバウト。なんだけど、くどいくらい説明的でもある。もうちょっと脚本を練る必要があったのではないのかな。要素も多すぎて、交通整理ができてない感もある。
そもそも涼香は何歳なのだ? 新米学芸員のようだけど、6年前に留学? 同時期に母が他界、安藤行人の個展を東京で見ている。大学卒業後に2年留学したとしても28歳。留学後、すぐに学芸員になれたなら新米ではない。大学が東京なら、帰省して実家の近くに職を得たという設定? 安藤の個展を見たときは、職が決まっていた? もともとアーチスト志望が学芸員に転向? よく分からん。
で、その安藤の個展に参加できたのは、どういうツテだったのだろう。世界的アーチストなら、そう簡単に本人隣席の場に遭遇はできんだろ。しかも、その個展で安藤のインスタレーション(紙吹雪?)を見て感激し、母が亡くなった哀しさから抜け出せた? しかし、その個展で安藤に渡すべく亡母の切り絵をもっていたというのは、どういうことだ? たんに地元の作家だから、お近づきの印にもって行った? の割りにちゃちい切り紙細工だったけどなあ。…と、この辺りの経緯のちぐはぐさが杜撰。
で、涼香が安藤に連絡し、回顧展の開催にまで至った過程はざっくりカット…なあたりのいい加減さが全編に満ちている。そもそも、この20年ぐらいスランプな安藤はどういう作家活動をしてきたのか。もう忘れられた作家なのではないか。それを再発見する…とかいう下地があっての涼香の奮闘とかいう話ならまだしも、何となく、なのだよな。そもそも安藤ぐらいの作家の回顧展なら規模も大変で、高松だけで成立するとは思えない。どっか巡回するなら、全国規模。ローカルTVだけじゃなくて、もっとマスコミの話題になるだろ。それがなんとも、顔の売れていないジイサマ作家の扱いでしかない不思議。
気むずかしく移り気な安藤が、なぜ回顧展の企画に首肯したか。1ヵ月前に高松に来たのはなぜか? 新作のため、じゃないよな。新作を、といわれて「ムリだよ」なんて応えているんだから。で、いったんは新作にとりかかるといいつつ、「やめた」といい、その理由は時計にあるという。で、涼香や恋人の溝渕、溝渕の同僚の京子…とご都合主義的かつ芋ずる式に簡単に判ってしまう。しかし、古物商の取り引きデータを克明に記録した本なんてないだろ。それに昭和60年で和綴じでカタカナ交じりの文で記録するか?
で、時計の持ち主の女性の名・由紀乃が分かったところで、涼香は安藤に「先生はその人が誰だか知っていて、私たちに探させた」と探偵みたいなことをいう。だけど、安藤がそんなことをする理由はどこにあるのだ? その過程もアートであるとか言いだすのか?
そもそも題名では時計が鍵のように思うけれど、じつは時計は狂言回しになり得てない。時計と由紀乃の関係は希薄で、たんに質屋あるいは古物商で買ったから、というだけのもの。その時計を、由紀乃は上京する安藤に「これまでと、これからを」とかいうようなことを言って手渡す。まあ、自分の思い出に持って行け、ということなのだろう。たんにそれだけなのだ。その時計は、ラストで現在の琴電の車掌である溝渕のところに収まるんだけど、代わりに安藤は現在の由紀乃を手に入れたから、それでいい? ううむ。なんかもの足りない。その時計が琴電の車掌のものであったという以上に、もっと役割を持たせるべきだよな。
で、安藤は突然アイディアがひらめいた、と叫ぶ。新作は、琴電の車内をアートスペースにしたもので、ひと駅ごとに年代の違う観客を乗せて走る、というもの。でも、映像部見る限り、窓に過去写真が貼ってあり、あとは戦前戦後のファッションをした役者が乗り込んでくるだけ。映画だから巧妙に「過去のおぞましい記憶の呼び覚まし」なんかが描写されているけど、実際にはちゃちいアート作品になるだろう。だいいち、ひと駅ごとに変わる窓の写真は、どうやって変えるのだ? あるいは、車両が焦げ茶だったり緑だったり、カットごとに変わったりしているのはなぜなのだ?
その戦前のイメージは反戦色が強く、しかもかなり臭い。ストレートで露骨すぎ。その象徴となるのが、時計を古物商に売った琴電の車掌(だっけ?)の寡婦で、戦争で(だっけ?)足の親指をなくしている。夫を亡くした=戦争の犠牲…という単純な図式なんだけど、その後の人生が不思議。弟との婚姻を求められたが拒み、でも嫁ぎ先からでることなく今日まで生きてきた、というもの。それって、すごく不自然だと思うけどな。
…で、何か知らんが電車は教会みたいなところに到着してみなに歓迎されるのだけれど、あそこは幻想=イメージと見ていいんだろう。それはいい。しかし、電車アートが走り出したってことは、回顧展も既にはじまっているのだよな? しかし、そのことにはまったく触れていない。たんに、回顧展は成功した、ということだけが伝えられる。なんかよく分からんエンディング。学芸員話はどっかにいっちゃうし…。
ところで、電鉄会社の女の子は彼に惚れていたのか?
安藤と由紀乃。若いときの関係はプラトニックだとばかり思っていたら、なんと…。しかし、田舎の電車で弁当のやりとりしてたりして、あんなのすぐ噂になるだろ。それに、ガチガチの左翼思想にかぶれていたとか編集の仕事をしていたとか、なんか取って付けたような唐突ぶり。そういえば、弁当箱はどうやって返したんだろう。それと、最後に現在の由紀乃の実体が登場するんだけど、あれは興ざめ。涼香の父親のタクシー運転手が探し出してきたみたいな描き方だけど、どうやって見つけた!?
ミッキーだけ力が抜けてて、あとは力みすぎな演技。地元の映画ってことで、力が入っちゃったのか。市長だか知事も登場してたけど、ご愛敬とはいえ、要らん。
終映後、右手後方から男が歩いてきて、「プロデューサーの金丸です」と挨拶。公開3日目らしいが、毎日やるつもりなのかな。なかなか律儀ではある。でも映画屋っぽくて喧嘩が強そうな感じだった。

 
 

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