2013年8月

ニューヨーク、恋人たちの2日間8/5ヒューマントラストシネマ有楽町1監督/ジュリー・デルピー脚本/ジュリー・デルピー、アレクシア・ランドー
原題は"2 Days in New York"。主演女優が監督・脚本で、共同脚本は妹役の女優。父親役は、実父だと。allcinemaのあらすじは「かつての恋人ジャックと別れ、2人の間にできた一人息子を引き取り、ニューヨークのアパートに暮らすフランス人フォトグラファーのマリオン。新しい恋人で黒人ラジオDJのミンガスに彼の一人娘も加わり、一つ屋根の下、4人で仲良く幸せな同居生活を送っていた。そんな中、マリオンの個展が開かれるのに合わせて、パリからはるばる彼女の父と妹がやって来て、アパートに2日間滞在することに。ところが、マリオンの家族の度を超した破天荒ぶりにミンガスは振り回されっぱなし。おまけに妹が連れてきた恋人はマリオンの元カレで、ミンガスのイライラは募るばかりだったが」。
NYが舞台なのに登場するのは米国黒人一家とフランス人一家。米国白人はほとんど登場しない。でも資本が仏/独/ベルギーで、監督主演がフランス人と分かって、なるほど。フランスは黒人率も高いから、黒人男性とフランス人女性のカップルも違和感ないのかな、とか思ったりして。
マリオンの父親ジャノは大らかで英語が分からない。元カレのマニュはマリファナ好き。マリオンの妹ローズはマニュとつき合ってるんだけど、人前で裸になったりケツ見せたり乳首見せても気にしない…。しかも全員下ネタ好き。もちろん下品。って、こんなフランス人がいるのかどうか知らないけど、監督がフランス人だからなあ。他国人の偏見とも言えないだろ。誇張すると、こんな感じなのかも知れないな。
全体に小ネタの集積で、フランス人一家の奔放ぶりにミンガスとマリオンが翻弄される、という流れ。ギャグは、アメリカ映画よりも笑え、なかなか楽しい。スラップスティックなユーモアというより、割りと直接的なネタが多いからかもしれない。ミンガスがジャーナリストを目指しているDJで、マリオンはいまいち売れない、かつ、男運の悪いカメラマン、という設定も面白い。ところどころにアーティストや写真家の名前がでてきたりしてね。
弱いのは、全体を通す大きな流れがないこと。せいぜい、マリオンの個展ぐらいか。でも、それもそんなにウェイトが高くないというか、意味がよく分からないこともあって、盛り上がりはない。そもそも「写真を売る」の外の「魂を売る」というパフォーマンスがいまいち伝わってこない。結局、写真は売れなくて(後に、マリオンを脳腫瘍と勘違いした近所の医者夫婦が買ってくれたけど)魂だけが誰かに買われる。そもそも魂なんて信じてないから売る、といっていたのに、とつぜん「誰が買ったのか」と画廊主に問い質し、会ってみたら『バッファロー'66』のヴィンセント・ギャロ本人だった、というのはどういうオチなのだ? よく分からない。
そんなせいで、最後の30分ぐらいは、ちょっと退屈。やっぱり最後に盛り上がる展開、大団円的な終わり方をしないと、見ている方もストレスは解消しないよ。
もうひとつの軸は、マリオンとローズの姉妹喧嘩かな。ローズは精神科医で、マリオンの息子の成長が遅いとかペニスが小さいとか口出しし、それをマリオンは余計なお世話、と思っている。他にもローズは、オバマ大統領のスタッフから「インタビューへに参加させてやるよ」なんていわれて有頂天になっているのに、そのスタッフに「オバマは間違っている」とか歯に衣着せぬ意見を開陳し、ミンガスとマリオンを慌てさせる。ミンガスは自宅にオバマの全身像を飾って、インタビューの練習(?)みたいなことまでやっているのだから、慌てるよな。
ローズのちょっと淫らなところも、別に誰かを挑発しているのではなく、自然にやってしまうのは、これは彼女の性格なのかも知れない。もしかしたらアメリカ人が想像するフランス人女性を創り上げているのかもね。
・騒々しい音を立てる呼び鈴 ・個展の後、みなで公園に行き、マリオンは屋根のトゲに引っかかった鳩を解放する。その代わり自分が屋根から落ちそうになるんだけど、あれは何の象徴なんだ?
・マニュは警察の前で大麻を吸って強制送還。ローズは、鳩事件のときに対応してくれた警官といい仲になって、ともにフランスへ…。って、だからどうしたな、その後のお知らせ。意味があるのか?
・マリオンが子供たちを迎えに行くと、2人とも死体メイクしてる。それを嫌い、というマリオンの感性は、冗談の分からないくそ真面目?
・クリス・タッカーと間違えてたよ。クリス・ロックね。ミンガス役は。
バーニー/みんなが愛した殺人者8/6ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/リチャード・リンクレイター脚本/リチャード・リンクレイター、スキップ・ホランズワース
原題は"Bernie"。allcinemaのあらすじは「テキサス州の田舎町カーセージ。葬儀屋で助手として働くバーニーは、陽気で優しく市民活動にも献身的な町一番の人気者。ある日、町一番の大金持ちが亡くなり、その葬儀を担当したバーニーは、莫大な遺産を相続した81歳の未亡人マージョリーに気に入られ、彼女の世話係となる。ところが彼女は、頑固で偏屈な町一番の嫌われ者。バーニーに対してもわがままな注文を繰り返して彼を困らせる。そして、精神的に追い込まれたバーニーは、とうとう彼女を殺害してしまう。やがて事件は発覚、地方検事ダニーによって第一級殺人の罪で起訴されることに。しかし住民たちはことごとくバーニーに同情的で、誰もが彼の無罪を願うのだったが」
話はあらすじの通りで、他に語ることはとくにない。なので、だからどうした、な印象。つまりは掘り下げが甘いし、バーニーのキャラも表面的な部分しか描かれない。マージョリーのワガママに精神的に追い込まれた…とあらすじにあるけど、ノイローゼになるほど苦しんでいたようには見えない。そんなに苦しかったら、マージョリーの元を去ればいいだけの話。でもそうはしていない。では、マージョリーの資産目当てだったかというと、映画の裁判の中でも描かれているけど、そんな気配はない。じゃあ、なぜ? 映画では、射殺直前に、マージョリーが食事中、執拗に噛むのが生理的に嫌だった、みたいな映像がインサートされるのだけれど、そんなことが? な感じ。そもそも、映画では、バーニーは裏があるような描き方もされていない。影がないのだ。だから、意味深なところもまったくない。書き割りみたいな映像では、伝わってこないよな。
あと、映画がドキュメンタリー風に撮られていることも影響していると思う。映画が事実に基づいているからなんだろうけど、かなりの部分を関係者のインタビューで構成されている。はっきりいって、つまらない。みんながバーニーを誉めても飽きるだけ。しだいに別の人格が見えてくるとか、異様さが浮き上がってもない。インタビュー構成なんかやめて、フツーにドラマ化した方がよかったんじゃないのかな。
・インタビューに応じる住人役の人たちが、みな、一般人の面構え。役者にしては不細工すぎるけど、素人にしては演技が上手かったりする。…と書いたところでオフィシャルサイトをみたら「カーセージの住民たちが実際のバーニーやマージョリーの人となりについて本音で語るインタビュー」と書いてあった。おお。そうだったのか。それだと見方は少し変わって来るかも。でも、それが分かるような表現をしてもらわないとな。それにしても、あんなインタビューに応じちゃって、いいのかね、住人たちは。
・事件が起きた場所でなく、ちょっと田舎の方で裁判を開いたらしい。そのせいでバーニーは有罪となった、というような描き方をしている。まあ、バーニーに好意的な人が陪審員に選ばれたら、無罪になってしまうからかも知れないけど。でも、それはアメリカの事情だよな。日本じゃそんなことは起きないよな。多分…。
・マージョリー役のシャーリー・マクレーン。腕の皮膚がシワだらけで垂れ下がっている。まさかメイクでもあるまい。撮影時77歳らしいけど、顔は若々しいんだけどね。
・エンドロールで、実際のバーニーとマージョリーの写真がでる。ジャック・ブラックとシャーリー・マクレーンがぴったりだね。それだけじゃない。動いてるバーニーも登場する。と思ったら、話している相手はジャック・ブラックだった。おお。海外の刑務所は、ゆるいんだな。
愛、アムール8/7ギンレイホール監督/ミヒャエル・ハネケ脚本/ミヒャエル・ハネケ
原題は"Amour"。allcinemaのあらすじは「パリの高級アパルトマンで悠々自適の老後を送る音楽家の夫婦、ジョルジュとアンヌ。ところがある朝、アンヌが突然の発作に見舞われ、夫婦の穏やかな日々は終わりを迎える。検査の結果、病気が発覚したアンヌは手術の失敗で半身に麻痺が残る事態に。“二度と病院には戻りたくない”とのアンヌの願いを聞き入れ、ジョルジュは自宅での介護を決意する。自らも老いた身でありながら、これまで通りの生活を貫こうとする妻を献身的に支えていくジョルジュだったが」
内容を知らずに見たんだが。ありふれた介護話だった。『白いリボン』の監督なので疑惑や企みなどの裏があるかと思ったら一切なし。よくある設定の手垢の付いた展開で、ドンデンもなし。日本でもこの手の映画ならよくつくられているぜ、な内容だった。ただし、タッチは重厚。そのタッチで重々しさをアピールして、煙に巻いてる感じ。中味はたいしてないのにね。
医者が登場しない。日本映画なら必ず登場させる診察室での診断や、その後の病状の悪化などについて、ほとんど説明がない。たぶん介護する老人と介護される老人の2人にスポットを与えるためなのだろう。さらに、悪夢や幻影、部屋に飛び込んでくる鳩など、象徴的なイメージを介入させることで、安っぽさを排除しようとしている。けれど、いくらやっても、単なる介護話であることには変わりがないよ。
ジョルジュの悪夢の他に、アンヌのピアノ演奏、志んだはずのアンヌが食器の後片づけ…などの幻想シーンはあるけど、フツーの映画でも表現しそうなレベルで、特筆すべきことではない。鳩が象徴しているのは、自由の喪失か何かか。それにしたって、よくあるパターン。あとは、延々、介護の様子を描く。
頚動脈が詰まったとか言ってたから、虚血性の脳疾患か。その手術が失敗して、なのか、困難な疾患だったのか。3%だか5%の悪い状態になった。右半身の麻痺らしく、脳梗塞なんかと同じだな。最初は車椅子ながら言葉もすらすら。それがあっという間にしゃべれなくなり、妄言をいうようになって、食事もままならなくなる…。本来なら、"悪くなった"節目を描くんだろうけど、この映画はそういうところはあっさり省いてしまう。だから、病状が悪化する経緯、どのぐらい時間が経ったのか、がよく分からない。しかもなんか淡々としすぎている。教え子のコンサートから訪問へ、娘の電話から来訪へ…という時間の間隔を考えると、症状が悪化するスピードがすごく速いと思うんだが、どうだろう。
で、その間に、看護師を頼むんだが、若く意地悪な看護師がでてきたり、寝小便をしたりと、割りとありきたりなエピソードがつづく。意外性はほとんどない。なので、少し飽きる。
飽きつつも、だらだらと見ていて。流動食も受けつけなくなったある日、ジョルジュは子供の頃のキャンプで病気になった思い出話をしたあと、枕でアンヌの顔を押さえつける。まあ、こういうのも想定内なので別に驚けない。ジョルジュは花を買ってきて、花を切り落として…。で、冒頭の、ロックされた扉を開けて人が入ってくると、中に死化粧されたアンヌが…に結びつくのか。さてジョルジュはどうしたのかな、と思ったら、再びドアが開いて、こんどは娘のエヴァが一人で入ってくる・・・と、オシマイ。え? どーなってんだよ、このラスト。おい。な、中途半端な気分。
辻褄がよくわからないのが、冒頭の突入シーンと、ラス前のジョルジュの外出、最後のエヴァの来訪だ。時系列ではジョルジュの外出が最初だろう。それから突入まではどれぐらいの時間が経過しているのだろう。ジョルジュは警察に自首した? それともどこかで自死したのか。それにしても分からないのは、突入シーンでドアに妙な横木が渡されていたこと。あれは侵入止めなのか? それともドアをこじ開けるための用具なのか? ドアなんか、鍵師がちょこっといじれば開くだろうに。
部屋の中は死臭が漂っていたんだろう。けど、ジョルジュが部屋に目張りしたのは、臭いの漏れを防ぐためだろうけど、でも、なんで? 誰にも入って欲しくなかったのか? それはどうして? 考えても分からないことだらけだね。
そして、最後の娘エヴァの来訪だけど、あれはすべてが済んでから後に訪れたということか? では、ジョルジュももうこの世にはいないということか? よく分からんね。分からなくして何の得があるんだろう。
そして、どこが「愛」なんだ、この映画。愛するが故に、もうこれ以上、惨めな姿をさらさせたくない? そりゃジョルジュのワガママに通じるんじゃないのか? 愛するなら最後まで看取ってやれよ、ということだってできるわけなのだからね。そもそも、見る限りでは手術から殺害までの期間はどうみても半年以内ではないのかな。そんなの介護としたら短い方。しかも、容態はどんどん悪化し、しかも、病院での延命はしていないのだから、死を待つのみではないか。終わりが見えている介護なのに、どうして自ら手を下す必要があったのか。あれを愛と呼ぶのは、やはり納得がいかない。
まあ、自分の人生は妻とともにあり、妻がいない人生なんて…と思うのであれば、それはその人の勝手ではある。勝手なのだから、それを一般論として語ろうとしても、やはりムリがある。あー、そうですか、な気分だね。美しくもなんともない。
・アンヌは病院嫌いなのか「病院には二度と戻さないで」といっていた。それに応えての自宅での介護になったんだろう。でも、看護師も週3日来てるし、医師にも診せてるらしい。では、医師も了解の自宅ホスピスということだったのか。教え子来訪の後、アンヌが話せなくなったのは、再度の発作で麻痺が広がったせいだろう。ジョルジュは「医師は検査の必要もないといっていた」とエヴァに話すのだけれど、フツー検査するんじゃないのか? フランスじゃ、もう検査はしないのか。日本との違いなのかね。
・後は死期を待つだけの状態にいながら、ジョルジュがアンヌを殺したのはなぜなんだろう。医師に相談することはできなかったのだろうか。相談すれば病院行きだから? それとも、単に介護疲れで? 病院行きと、自宅で亭主に殺されるのと、アンヌはどちらを望んだのだろう。知りたいところだ。
・娘エヴァはどうも英国に住んでいるらしい。いまは海峡にトンネルが通じているのだから、行き来も簡単だろうに、あまりこない。最初の手術のときも来てないようだし。その後も、ほとんど母親の面倒は見ていない。そして、ジョルジュも、手助けを求めない。エヴァには30歳を超える息子もいるようだけど、エヴァは息子ともあまり会っていないらしい。日本と比べると、家族に対する感覚はずいぶん違うね。
・ジョルジュは資産もあり、アパートもかなり広い。金に困らず介護だけしていればよくて、看護師もどんどん雇える。恵まれた環境すぎて、介護疲れなんてないだろ、と思ってしまう。
・主人公のジョルジュが、ジャン=ルイ・トランティニャンとはね。最初のクレジットで気づいたけど、見てるときは単なる爺さんにしか見えなかったよ。
スキャナーズ8/9キネカ大森3監督/デヴィッド・クローネンバーグ脚本/デヴィッド・クローネンバーグ
原題は"Scanners"。1981年製作。allcinemaのあらすじは「超能力者(スキャナー)を使って警護を行う警備会社に組み込まれた主人公ベイル。科学者の手によってその能力をさらに開発されたベイルに与えられた任務は、恐るべき力で世界を支配しようとする裏のスキャナー、レボックの追跡だった。かくして始まった、スキャナー同士による壮絶な超能力戦争が描かれていく」
中盤で眠くなり、2〜30分寝てしまった。思うに、最初の方の頭が爆発するシーンと、ラストの血管が膨らんで目玉が飛び出すシーンのSFXだけが見どころなんじゃないのかな。あとは、ベイルがレボックの居所をあちこち経めぐるだけ。しかも、昨今の映画を見慣れてると、テンポが異様にノンピリしすぎてる。あんなノロマな展開には、付いていけない…。昔、話題になったからといって、現在には通用しない、ってこった。まあ、CGのない時代に、よくやった、とは言えると思うけど。
で、よく考えると話もショボイ。冒頭でベイルが登場し、誰かに追われ、捕まる。では、ベイルはどこからやってきたのだろう。そもそも、あの何とかいう会社のスキャナーではなかったんだよな。なのに、どうやって目をつけられていたんだ? そのベイルが最後に残されたスキャナーとしてあの会社のために働く(敵のレボックを探す)ようになるのも、安易というかご都合主義だな。まあ、寝ている間に説明があったのかも知れないけどね。
ベイルが電話線を介して(だっけかな)コンピュータの情報を読み取るシーンがあったけど、映像は基板のクローズアップだった。マトリックスみたいにイメージ的な内部に入り込んで戦う、というような発想はまだなかった時代なんだなあ。
で、ラスト。追っていたレボックはベイルの兄で、最初の方でベイルの能力を開発しようとしていたなんとか博士の息子だったというつまらないオチはなんなんだ。そのなんとか博士は、寝ている間に殺されてしまったようだけど、殺したのはレボックなのか? 寝ていたから分かんないんだが。で、兄弟対決の結果、ベイルし黒焦げに。勝ったのはレボック。でも、実はレボックの身体を乗っ取って生き残ったのはベイルだった、という最後であった。
しかし、オチの意外性(といってもよくあるパターン)に驚いていると、じゃあレボックの狙いは何だったんだ? な疑問も湧いてくる。なんといっても、寝ちっゃたからなあ。まあ、そのうちケーブルTVでやるかも知れないので、細かな辻褄はビデオに撮って確認することにしよう。
ザ・ブルード/怒りのメタファー8/9キネカ大森3監督/デヴィッド・クローネンバーグ脚本/デヴィッド・クローネンバーグ
原題は"The Brood"。1979年製作。allcinemaのあらすじは「精神科医のもとで、ある研究の実験台になっているS・エッガー。その研究とは、人間の憎悪という感情を、肉体的に具現化させるというものだった。エッガーの体にはやがて腫瘍ができ、その中からは奇怪なコビトが現れる。それこそ、腫瘍をある種の子宮として誕生した、彼女の憎悪の化身であった」って、ネタバレしてるじゃないか。やれやれ。
「スキャナーズ」の前につくられた映画だけど、話はよくできていて、ホラーの要素もたっぷり。しかもラストのおぞましいシーンも含めて、いろいろ意外性に満ちている。展開も、予想を超えて面白かった。
フランクの妻ノラは、精神病院にいる。キャンディという幼女がいるんだけど、フランクは会わせたくないと思っている。…という時点で離婚しているのかと思ったけど、そーではないようだ。でも、フランクの要求は却下される。ノラにはキャンディと会う権利があるらしい…というのが、大まかな枠組みだ。
フランクは、キャンディを義母に預けて仕事(?)につくが、この間に義母は小人見たいのに撲殺される。さらに、キャンデイの背中に無数の傷を発見する。ひょっとしてノラが? で、ラグランに会いに行くが、精神科医のラグラン博士はこれを拒否する。。
さらに、義母の葬儀にやってきた義母の元夫も殺害される。襲った小人は、なんと突然エネルギー切れで死んでしまうのだけれど、これが調べるとヘソのない小人。疑惑のまま、キャンディの保育園の先生も、小人に殺される。そして、キャンディは小人に連れ去られ、ラグラン博士のもとへ…。この間に、ラグラン博士は病院を閉鎖。ノラを除く患者を解放してしまう。フランクはまたしてもラグラン博士の元へ行くが、もう拒絶しない。フランクをノラに会わせる。と、なんとノラの腹部には腫瘍ができていて、そのなかから胎児が誕生するところだった! ぎゃー。
あの小人はノラが生み出していたのは分かっていたけど、思念=怒りからどうやって実体が生まれるのかは分からなかった。なるほど。フランクが病院から見放された1人の患者に会いに行ったら、喉に巨大な腫瘍ができていたけど、あれは伏線だったのか。なかなか巧妙。
小人部屋に侵入し、キャンディを救い出そうとするラグランだけど、気づかれて殺されてしまう。逃げるキャンディ…。そして、フランクがノラを絞殺すると、バタン、と小人たちは活力を失って倒れてしまう。キャンディを救い出すフランク。でも、キャンディの腕には、黒子のような突起物が2つ…。これまた将来的に腫瘍となって、その怒りから胎児が誕生するのか…みたいな予兆をふくむエンディング。なかなか上手いね。
でもね。ラグラン博士の企みというのがよく分からないんだよね。個人的な愛情でノラの治療に没頭したとかいうセリフもあったけど、そうなのか? ラグランはノラに対話によるセラピーを行っていて、義母や保育園の教師みたいな口ぶりで話し、ノラの怒りを引き出していた。では、その結果が小人の殺人になることを知っていたのか。それとも、ラグラン自身もノラに操られていたのか。となるとノラは実の両親を、小人を介して殺したことになるんだけど、それは幼いときに体罰を受けたことへの復習か? 父親へは、離婚したことへの恨み? 保育園の先生に対しては嫉妬…。
いや、すべてはラグランの企みなのか。でも、ラグランはノラの心持ちを引き出して、なにをしようとしていたのだろう。よく分からない。まあ、そのあたりは、解釈によるのかな。解釈の余地があるのも、それはそれでいいんだけど。
変だと思ったこと。それは、フランクが血のついたコートをずっと着つづける感覚。義父を殺害した小人に襲われ、でも、小人の瘤のなかのエネルギー切れで、小人が突然バタンと死んでしまう。襲われたときの血液(おそらく義父のもの)がコートの毛の襟に付いたんだけど、そのコートを警察から帰っても来ている。驚くことに、数日おいて、ラグランに会いに行ったときも同じコート。血はまだ付いていた。そんなことって、ありかよ。気持ち悪っ。
ある海辺の詩人 -小さなヴェニスで-8/9ギンレイホール監督/アンドレア・セグレ脚本/アンドレア・セグレ、マルコ・ペッテネッロ
原題は"Io sono Li"。「私は李」でいいのか? イタリア/フランスの資本が入っている。allcinemaのあらすじは「観光地ヴェニスのほど近くにある静かな漁師町キオッジャ。海辺の小さな酒場“オステリア”は、地元の男たちにとっての憩いの場。そんなオステリアで働き始めた女性シュン・リー。中国の労働者斡旋組織に多額の借金をしてイタリアに渡った彼女は、借金を返しながらいずれは故国に残してきた息子をイタリアに呼び寄せたいと夢見ていた。一方、仲間たちから“詩人”と呼ばれる老漁師のベーピ。故郷のユーゴスラビアを離れ、キオッジャに移り住んで30年になる彼もまた、移民ゆえの決して誰とも分かちえない孤独を抱えていた。そんな異国人としての境遇に親近感を覚え、温かい絆で結ばれていく2人だったが」
いろいろと曖昧なままにしてあるところが多すぎて、ストンと腑に落ちないところがある。たとえば、↑のあらすじを読んで、リーの借金の背景が分かった。だって、映画の中では↑のようなことは言っていなかった。だから、どういう借金なのか、不思議でしょうがなかった。だって借金していながら行動の自由はあるし、でも、いつまでたっても借金はなくならないようにも見えるし。父親の借金か。リーが商売で失敗したのか。なんなんだ? と思っていたのだ。
では、中国は移民を認めているのか。闇の移民? しかし、どんどん中国人が労働者としてイタリアに押し寄せてきているのだな。海外に行けばなんとかなる、と思っているのかね。迎える側のイタリアじゃ、「黄禍だ!」とか思っていないかな。
で、漁師町のバーみたいなのを任されるんだけど、やってくるのはジイサマばかり。ほんと、みんな似たようなのばっかりで、区別がつかん。定年だ! とか騒いでいたのは、ペーピだっけ? 違うやつだっけ。あと、ヒゲは分かった。それと、太った意地悪な中年。なんか、群像劇としては大雑把すぎて、いまいちよく頭に入らない。というか、まあ、スケッチ的な描写を追求しているんだろうとは思うんだけど、分かりにくいのは良くないと思うからなんだけど。
興味深かったのは、イタリア人たちの中国人への対応。とくに毛嫌いしていない感じで、素直に受け入れてる。ホントかなあ。しかし、知識はアバウトで、「中国はマルコポーロが発見した」とか、リーに「サムライ!」(だっけかな)とふざけたりする。日本と中国がごっちゃになってる。でもリーは、それを咎めもしない。
で、リーに接近してくるのは…↑のあらすじによると、ユーゴからやってきたジジイだったのね。たしか息子夫婦に「一緒に住もう」と言われてたけど、断ってたな。なぜなんだろ。あと、海上に浮かぶ小屋をもってたな。そういうことを考えると、移民とはいえ孤独を抱えていたのか? という気持ちになる。一緒に飲む友だちもいるし、不満があるようにもみえなかったんだがな。なんか、ベーピとリー、ともに他国からの移民、という設定にして、同類相憐れむ設定にしたかっただけじゃないのかな。ベーピはそこそこ幸せに見える。リーだって、借金してまで憧れのイタリアにやってきたんだから、もっとイキイキしてていいはず。なのに、むりやり暗い2人にしてるんじゃないのか?
ベーピが詩人らしいが、見てる感じでは、そんな感じはしない。詩は読まれていたけど、伝わってこなかった。中国の何とかいう詩人の詩もときどき登場したけど、これも伝わってこない。それほど深いことを言ってるようにも思えなかったし。どこがどう詩人なんだ!?
同類相哀れむ、でペーピが話し相手としてリーを選んだ、って設定のようだけど、ペーピはそんなに仲間に疎まれてなかったと思うぞ。ま、映画の都合なんだろうけどね。で、周囲はみんなペーピが中国女に惚れた、中国女と結婚したいらしい、と噂話する。まあ、妥当な評価だろう。ペーピに、リーとなんとかなりたい、という下心がなかったとは言わせない。きっとあるに違いない。そうなる前にリーの上司がリーに意見して、ペーピと話すな、と伝えたから何もなかっただけ、のような気がする。
そもそも、リーは離婚して1人なのか? ということも説明がない。中国の父親は、どんな顔をして娘をイタリアに送り出したのか。そして次には孫まだも。
ペーピとのことがあったせいか、リーはアパレル倉庫みたいなところに移動させられる。ペーピと話さなければ、移動しなくても良かったんじゃないのかな。なぜ移動したんだろ。で、ここで、中国からやってきた息子と再会する。借金を返したら、連れてきてやる、と中国人の斡旋者にいわれていたのに…。どうも、誰かがリーの借金を返してやったらしい。リーは最初、ペーピかと思う。でも、中国人は「外国人の金は受けとらない」という。で、同僚の中国人かと思って訪ねると、彼女は借金をそのままに行方不明になっていた。じゃ、誰が払ったんだ? なんの説明もない。
久しぶりに町を訪れると、ベーピは死んだといわれる。しかも、ペーピはリーに海上の小屋を残したとか。りーは、その海上の小屋を焼いてしまう。弔いの意味なのかも知れないけど、なんかな。思わせぶりなだけで、深い意味はなさそう。むしろ気になったのは、あの家を父親が中国人に与えたことに対して、息子夫妻は了解してるのかということだ。おそらく理解されてないと思うけどなあ。
なんだかさっぱり分からんよ。
まあ、理詰めで見る映画ではない、とか言われそうだけど、あまりにいい加減。まあ、雰囲気的に面白い映像もあったけどね。たとえば、満潮で水位が上がり、港の岸壁と海の区別がつかなくなってしまう・・・。ひぇー。歩いていたら、突然ドボン! なんてこともあるんじゃないか。しかも、水は店の中にも入り込んでくる。ひぇー。これは毎日のことなのか、年のうちの何日かだけなのか、説明がなかったけれど、幻想的で不思議な光景だった。ま、霧の港も含めて、物語の面白さではなく、自然現象の不思議だけどね。
ワールド・ウォー Z8/12新宿ミラノ1監督/マーク・フォースター脚本/マシュー・マイケル・カーナハン、ドリュー・ゴダード、マーク・フォースター
原題は"World War Z"。allcinemaのあらすじは「妻と2人の娘と平穏な日々を送っていた元国連捜査官のジェリー。ある日、家族を乗せた車で渋滞にはまった彼は、謎のウイルス感染によって凶暴なゾンビが瞬く間に増殖する現場に遭遇してしまう。そして必死で家族を守り、間一髪で逃げ延びたジェリーのもとに、現場復帰の要請が入る。いまや謎のウイルスの爆発的な感染拡大で、全世界が崩壊しようとしていた。そこで、かつて伝染病の調査や紛争地域での調停に手腕を発揮してきた彼に、調査隊への協力が求められたのだった。愛する家族の安全と引き換えに、調査への同行を決意したジェリーは、米軍とともに、混乱が拡がる世界各地の感染地域へと向かうのだったが」
ゾンビ映画なのに、日本の宣伝会社はそれを隠して広告している、と町山智浩あたりが騒いでいた。おかげで話の内容を知ってしまって、少しだけつまらないものになってしまった。「なーんだ、ゾンビか」ぐらいは自分で体感したいものな。でも、冒頭の経緯をフラッシュバックで紹介するところで、人が人に馬乗りになって云々という説明もあって、開始5分もしないうちにそれは分かっちゃうんだけど。ってわけで、タイトルのZはZombieなのだ。
で、オープニングは街中で一家がクルマに乗っていたらゾンビが襲ってくると言うもの。しかし、米国民がゾンビあるいは感染症のことをまったく知らずにして、いきなりドッキリ、というのは考えられないので、ヘンだ。それに、ゾンビがどう動いているのかとか、さっぱり分からない。クルマが暴走したり。つまり、運転手がゾンビ化したから? うーむ。テキトーすぎ。
で、しばらくは親子4人の市内逃亡劇。これはそれなりに面白い。マンションの、移民の家に行き、「一緒に逃げよう」というのに拒否する家があったりするのは、信仰の問題なのか? でも、その一家の少年だけが後から頼ってきて一緒に逃げるんだが。
全体をみれば新手のパンデミックという趣で、そこそこ面白かった。けど、ブラピの演ずるジェリーの存在意義がいまいちピンとこなかった。国連職員でも百戦錬磨のタフガイというのは、いるものなのか…。なんか、映画に登場する国連の人たちは戦いを回避することが多く、兵士やCIAと違って"いい人"イメージが強すぎるんだが…。ジェリーは家族のために危険な国連職員を辞めていた。そこに元上司から「ウィルスのルーツを探れ」という依頼がくる。その代わり、「君の家族を安全な船上に保護する。断れば陸地に送り返す」というのが嫌らしい。要は特権階級じゃねーか。一般人は見殺しにして…。で、ジェリーの態度って、どこへ行ってもでかいんだよ。移民一家の家に匿われたときも、感謝の念なんかなくて横柄そのもの。後にイギリスの感染症センターみたいなところにたどり着いたときも、誰何されても憮然としてる。やなやつ。としか描かれない。なんでなんだろ。
で。ジェリーは家族を船上に残し、ウィルスの関連経路を遡っていく。まずは韓国なんだけど、ここで権威である国際的ウィルス学者が呆気なく死んでしまう。お笑いか。この学者、いいキャラだな、と思ってたんだが。で、学者がいなくてどうすんだと思ったらスーパーヒーローぶりを発揮して、原因を追及しつづける。で、いち早く感染に気づいたのがイスラエルで、周囲に高い塀を築いて感染者を入れないようにして成功しているというんだけど、これもヘンだ。イスラエルが知ってることを米国が知らないはずがない。塀を築くには資金も労力も必要なんだから、ずっと前にパンデミックが予想されていたと言うことだ。それを初めて知ったみたいに描いているのはおかしいよな。
ところがこの塀も、アリがたかるみたいに大量のゾンビが、自身を踏み台にするかたちで盛り上がり、乗り越えてくる。もうお笑いだ。そもそも、この映画では噛まれるとすぐゾンビ化する。そして、動きが狼のように素速くなる。それがうじゃうじゃ登場するので、個人としてのゾンビに感情移入する暇がない。この点は、ちょっともったいない感じもするんだけどね。
で、ジェリーは民間機に乗り込んで、病原菌を保存しているセンターを目指すんだけど、機内で感染が始まり、飛行機は緊急着陸。ジェリーとイスラエルの女性兵士(丸坊主。彼女をもっとフィーチャーすべきだったのではないのかな)だけが助かるという都合のよさは、映画だね。
センターは2つに別れていて、病原菌が保管されている方はゾンビだらけ。何人か残っていた職員と、ゾンビの中に侵入して菌を…。という過程はなかなかだけど、最後がまたご都合主義なんだよな。感染ルートをたどる過程で「ワクチンをつくればいい」という考えに至るんだけど、どの病原菌かは分からない。という状態で、ゾンビに間近に迫られたジェリーは、なんとテキトーに病原菌を自分に注射する! げ。あてずっぽうかい。で、これが大成功して、ゾンビには見えない存在になってしまう! その後、つくられたワクチンは天然痘と髄膜炎の菌を混ぜたものらしいけど、じゃあ、ジェリーが打ったのは何だったんだ? そして、ジェリーが打ったのは菌の原液なのか? それともすでにあったワクチン? よく分からん。
というわけで、難を回避しましたとさ。
そうそう。一度ジェリーは行方不明になるんだけど、そのときジェリーの家族は船上から追い出されてしまうのだ。なんと現金な。まあ、軍人と重要人物が優先というのはわからんでもないが、なんかオソロシイ。
パシフィック・リム8/13MOVIX亀有シアター5監督/ギレルモ・デル・トロ脚本/トラヴィス・ビーチャム、ギレルモ・デル・トロ
原題は"Pacific Rim" 「環太平洋」? allcinemaのあらすじは「ある日、太平洋の深海から突如巨大な生命体が出現した。“KAIJU”と名付けられた彼らは、大都市を次々と襲撃して容赦ない破壊を繰り返し、人類は滅亡の危機を迎える。そこで人類は世界中の英知を結集し、人型巨大兵器“イェーガー”を開発する。その操縦は2人のパイロットによって行われるが、イェーガーの能力を引き出すためには、パイロット同士の心を高い次元でシンクロさせる必要があった。当初は優勢を誇ったイェーガーだったが、出現するたびにパワーを増していくKAIJUたちの前に次第に苦戦を強いられていく。そんな中、かつてKAIJUとのバトルで兄を失い、失意のうちに戦線を離脱した名パイロット、ローリーが復帰を決意する。彼が乗る旧式イェーガー“ジプシー・デンジャー”の修復に当たるのは日本人研究者の森マコ。幼い頃にKAIJUに家族を殺された悲しい記憶に苦しめられていた。やがて彼女はローリーとの相性を買われ、ジプシー・デンジャーのパイロットに大抜擢されるのだったが」
怪獣オタクのギレルモ・デル・トロがつくった怪獣映画。設定は『ゴジラ』でロボはエヴァみたいな感じで人間が乗り込み、マニピュレータ方式で操る。怪獣は1体ではなく、やっつけてもどんどん登場する。『ゴジラ』みたいに放射能から生まれたのではなく、実は宇宙人がつくりだしたクローンで、形は違ってもDNAは同じ。地球を乗っ取るため、住んでいる害虫を駆除する役割を帯びているらしい。で、ある日突然、海底から怪獣が続々登場するようになり、人類はそれをやっつけるためロボットをつくった、と。だけど、倒しても倒してもキリが無い。あるとき、科学者凸凹コンビの片割れが、怪獣の脳と自分の脳を結んで、情報を読み取るような実験をしたら…。宇宙人が地球を乗っ取るため、邪魔な人類を駆除するためにつくったクローンだという。基地は日本海溝辺り(だったか香港沖だったか)にあって、その下から裂け目を通じてポコポコ浮いてくることが分かった。だから、そこに爆弾を落とし、宇宙人の基地を爆破すればいい! というわけで、とりあえず浮かんでくる怪獣をやっつけつつ、裂け目に爆弾を落とすことを目論むことに…。みたいな設定だったな。
バトルは大きく3回あって、1回目はローリーとヤンシーのベケットの仲好し兄弟と怪獣の戦い。この戦いでローリーは兄を失い、現役引退。怪獣よけの壁をつくる作業員に落ちぶれる。そんな香港に、黒人の司令官スタッカーがやってきて、ローリーの復帰を頼み込む。ロボットの操縦は、2人で1台というのがミソか。兄弟や父子なんかで組んで、互いの意識の中に入り込み、一体化しなければ戦えない模様。いろいろ制約をつけることで、物語を面白くしているのはわかるけど、うっとーしー気もするな。そもそも、まったく合理性はないし。そういうものだ、と納得しなくちゃいかんのがつらい、けど、そういうものなのだろう。
父ハークと息子チャックの親子ペアが、ローリーの対立項として登場。躾の悪いチャックはローリーをバカにする。人のいい父ハークは息子を叱れない…。それぞれ個性豊かな登場人物だ。あと、ロシア人の男女2人組、中国人2人組も登場するんだけど、ほとんど説明されない。彼らももう少し丁寧に描いてやればよかったのに。それと、各自が乗るロボットも、ささっと見せられるだけなので、ローリーとマコが乗る、胸に丸いのが付いているのを除くと、区別がよく付かない…。
もう一組の人間模様は、スタッカーとマコだな。幼女の頃、あわや怪獣に…というところをスタッカーに救われ、どうやら、スタッカーに育てられたみたい。この、幼いマコがわなわなと唇を震わせ、ひと言も発しないまま凍りついているシーンは、素晴らしい。この映画の中でもっとも感動的で、しかも、日本の怪獣映画に対するリスペクトもふんだんに盛り込まれている。いかにもミニチュアに見える街、建物、どうみてもヘンな企業名の看板文字。まさに意図的にやっていると思われ、なかなか楽しい。芦田愛菜の演技も素晴らしい。
日本生まれの怪獣映画のリメイクで、日本人男性が主人公あるいはパートナーに選ばれないのはしょうがないね。アメリカ映画なんだから。そして、日本といえば女性だし。売り方としてはこうなんだろう。現在のマコがロボットに搭乗したくて、自分の力を試させてくれと、ローリーと棒術で戦うシーンが、菊地凛子カッコイイ! しかし、主人公のローリーより強くていいのか? と思っていたら、幼少時の体験もあって、精神的にはかなりナイーブだった、というバランスの取り方もなかなか。なにしろ、ロボットに試乗してパニックを起こし、基地を破壊しかけてしまうのだから。しかし、この壁をこえて強くなるマコ。ちゃんと成長ドラマになっている。
そして、例の科学者凸凹コンビと、怪獣の臓器屋の親玉…。こちらはコメディタッチで、ゆるいところもちゃんとつくってある。物語としては上場だと思う。
で、1回目はともかく、2回目の香港沖でのバトルが長すぎて飽きた。1回目は東映あるいは円谷プロ的で、ミニチュアのセットの中を怪獣が移動する感じがでていて、凄くいい。けど、2回目は半分ぐらいが水中。何と何がどう戦っているのか、よく分からない。どんな怪獣なのか分からない。字幕を読んでると画面が見えない。そしてカットが短いせいもあるだろう。怪獣の全身をじっくり見せる決めカットもないし。なかなか決着がつかないのは、見ていて飽きる。宇宙までいって、もう手段がない、と思ったら「最後の手段」と、手が剣になって、これで怪獣をバッサリ。なんだよ、最初からそれ使えよ。というのなんかも、怪獣モノの定番だな。そして、3回目はほとんど水の中。こんどはあっさりと剣で真っ二つ。その他のあれこれもあったけど、水中が多いので怪獣の姿形がほとんど分からない。これじゃなあ。あくびが出るよ。なんたって『トランスフォーマー』のバトルシーンでも寝ちゃう私なんだから…。
凸凹科学者2人のお笑いパートだけど、片割れが臓器の脳とシンクロしたせいで、次から怪獣が2匹ずつ出てくるようになった、とかいうセリフがあったけど、ありゃどういうことなんだ? よく分からん。で、2度目の戦いでやっつけられた怪獣が妊娠していて、胎児がでてくるんだけど。クローンから子供が生まれるのか? という疑問がひとつ。さらに、どうやって交尾したのか? というのが2つめの疑問だな。クローン同士で交配させているのか?
で、凸凹科学者はその胎児の脳とシンクロして、裂け目を通過するときにDNAチェックをするので、爆弾を落としただけでは通過できない、という情報を入手するんだけど、いくらなんでも胎児の脳が…と、疑問をもってはいけないのだろうな。最後はバカ息子のチャックと司令官スタッカーが組み、2人がまずは犠牲となる。そして、原発を搭載したロボットのローリーとマコが、怪獣を抱えつつ裂け目へ。マコは裂け目の前に脱出。ローリーは裂け目を通過し、しかし脱出できず、爆破10秒前ぐらいに脱出。でも、ちゃんと帰還して2人は助かるという、定番な終わり方。それはそれでいいのではないかな。
一度は怪獣に食われた怪獣の臓器屋のボスが、エンドクレジットの途中で腹からでてくるのは、これもまたベタベタな定番で、よろしいのではないでしょうか。
要は、バトルシーンみたいに頭を使わない部分がムダに長いと、眠くなるのだよ、と言っておきたい。
最後に、レイ・ハリーハウゼンと本多猪四郎に献辞が贈られていた。
ペーパーボーイ 真夏の引力8/16新宿武蔵野館2監督/リー・ダニエルズ脚本/ピート・デクスター、リー・ダニエルズ
原題は"The Paperboy"。新聞屋、だそうだ。allcinemaのあらすじは「1969年、真夏のフロリダ州モート郡。人生の目標を見失い、大学を中退して父の営むローカル新聞の配達を手伝うだけの無為な毎日を送る孤独な青年、ジャック。ある日、大手新聞社に勤める兄ウォードが、同僚の黒人記者ヤードリーを伴って帰省する。目的は、4年前に地元で起きた保安官殺害事件の再調査をするため。既に判決が確定している死刑囚ヒラリーに冤罪の可能性があるというのだった。そしてジャックは運転手としてウォードたちの取材を手伝うことに。そんなジャックの前に、金髪のセクシー美女が現われる。彼女は今回の取材の依頼者で、獄中のヒラリーと文通の末に婚約までしてしまったという女性シャーロットだった。挑発的で謎めいた彼女の魔性の色香にすっかり心奪われてしまうジャックだったが」
いまこの時代に、この暗くて陰湿でドロドロした内容の映画をつくって何になる、という気がしないでもなかった。20歳の青年の通過儀礼というテーマはよくあるけど、この手のものって1950年代末を描く『スタンド・バイ・ミー』や1962年を描く『アメリカン・グラフィティ』とか、みんなどこかに明るくてコメディの要素を抱えている。なのに、ここまで陰気なのは、何を狙っているのだろう。
ジャックは20歳。大学で水泳部だったけど、冗談でプールの水を抜いたことで退学。実母は子供を捨ててどこかに行ってしまったせいで、女の子には奥手。暗い青春を送っている。所は南部。新聞社主の父親は女をとっかえひっかえ。いまの彼女は編集にも携わっている。お手伝いは、黒人のアニタ。でも公民権運動後なので、意識はみな高い。…という背景は興味深いけど、それがどうした的なところもある。成長物語としても中途半端。たんなるいじけた青年のはなしではないか、と。大人の世界を垣間見る、には年を取りすぎている。
さて、兄ウォードが黒人の同僚ヤードを連れてやってくる。白人と黒人が仲がいいのは、この時代の南部では珍しいこと。だから父も愛人も妙な雰囲気。ジャックすら偏見の目で見ている。ところが、ヤードはかなり態度がでかい。何かあるのかなと思っていたら、後半でその理由は解明される。
この映画、元のお手伝いへのインタビューから始まる。のだけれど、いつ誰が聞いていたのか、よく分からなかった。映画の途中にもお手伝いのナレーションが入り、あれこれ説明するんだけど、これが固有名詞でまくりなので分かりにくいったらありゃしない。お手伝いのナレーションなので群像劇かと思ったら、そうでもない。後半はヤードが消え、ウォードも引っ込み、ジャックが主人公みたいになっていく。だったらもっとジャック主観の話運びにすりゃあいいのに。ヤードやウォード、金髪のシャーロット、犯人のヒラリーなんかのウェイトが大きすぎるような気もした。もっと絞り込んだ方がよかったなじゃないの?
で、肝心の話の方なんだけど、これが中途半端。最初に警官殺しのあらましが簡単に説明されるけど、ヤードとウォードがどこに疑問をもったか云々はアバウトで、謎解きとしてはつまらない。結局、殺人時間には叔父のタイリーとゴルフ場の芝を剥いでどこかのデベロッパーに売ったらしい、という話を引き出すだけ。タイリーと会って芝生はぎ取りの話を聞いたのはジャックとウォード。ゴルフ場はウォードとシャーロットが担当したらしいんだけど、ヤードはどのデベロッパーに売ったか、固有名詞をウォードに言わない。そんなのあるか? 同じ取材してて。ヘンなの。と思っていたら、これがひとつの鍵になっていた。っても、気づかないウォードがアホなんじゃないかとしか思えんが。
で、あれこれあってヤードは都会(どこだっけ?)に戻り記事を書く。それを発表するにあたって、「兄の名前を書くな」と注文つけるのだけれど、理由が良く分からない。また、記事が掲載されたというシーンもたしかなくて、曖昧な感じ。でも、ヒラリーは釈放されたと言うことは、記事の影響なのか。
ところが、どこか腑に落ちないウォード。ジャックと2人で湿原にある、ヒラリーとシャーロットの暮らす家に行くが…。シャーロットは殺されていて、ウォードも呆気なくヒラリーに首を斬られてしまう。すんでの所で逃げ出したジャック。水の中に逃げ込んでヒラリーのボートをやりすごし、助かる。で、2人の遺体をボートに乗せて帰るところでエンド。ナレーションでは、ヒラリーが2人を殺した罪で死刑になったけれど、警官殺しの犯人は結局分からず。ジャックはのちに作家になった、てなことが語られる。
っていう、まあ、身も蓋もない話で、だからどうした、な感じだ。むしろ設定やエピソードの方が面白いんだけど、もしかしたらそういう所を見るべき映画なのかも知れない。
・シャーロットの職業がよく分からなかった。同僚がいるので娼婦? と思ったけど、後半では制服。ホテルの清掃婦かなんかかな。どうも趣味で死刑囚と文通しているらしい。その相手がヒラリーで、獄中結婚までしてしまっている、という設定。ヤードとウォードが彼女に資料を見せてくれと頼んだのか、2人が事務所に使っているガレージ(?)に、箱2つをもってやってくる。その恰好がまるでバービー人形なんだが、後半では「バービー人形みたいな」と誰かが言っていた。あえてバービーみたいにしていたのか。これは何を意味、象徴しているのだろうね。
・女日照のジャックは、シャーロットに一目惚れしてしまう。という設定は強引すぎると思うんだが。だって、いくらバービー人形でも40女相手に20歳の青年が…。
・ジャックとシャーロットが泳ぎに行く。クラゲに刺されたジャックを、他の女の子が「おしっこをかければ…」と言っているのを聞いて、「あんたたちにはかけさせないわ。私が…」とジャックにまたがって小水をかけるシーンは笑ってしまったよ。
・そのクラゲに刺された弟をホテルに残して兄は帰ってきた。弟が後から戻ってきて、不満をいう。というところで、黒人のヤードが「俺の服を着るな」といった理由が分からない。自宅に戻ってきたんなら、自分の服があるだろうに、ウォードはなぜヤードの服をジャックに着せたのだ?
・このときだったか、喧嘩になってジャックはヤードの首を絞める。ウォードが取りなすんだけど、ジャックは「このニガーが」と蔑称を吐いてしまう。それをアニタが聞いていて、臍を曲げてしまう。
・そのずっと後に、ジャックが母親の指輪がないことに気づき、アニタに言うと「どうせどっかのニガーが盗んだんでしょ」と嫌みを言う。実は指輪は父親が愛人に与えていて、結婚することにしたらしいということが分かる。このシーンで、愛人だったか父親がグラスを割るんだけど、これから出かけようとおめかししているアニタにさせるのだよな。ジャックは「僕が」というんだけど、愛人は「アニタに」と譲らない。あの辺りの、白人と黒人、主人と使用人の関係の描写は面白かった。
・釈放されたヒラリーは、シャーロットに会いに来て強引なセックスをする。「湿原なんか行きたくない」と言っていながら、結局、行ってしまうシャーロット。この理由が分からない。そんなにヒラリーのセックスがいいのか。でも、後にジャックに手紙を書いて、それを悔いてはいるんだけど。ムリやり連れていかれたところもあるのだろうか。
・そういえば、一同がヒラリーに面会に行ったとき、シャーロットがフェラの仕草をして、それを見てヒラリーが射精するというシーンがあるんだけど、もともとセックスが好きなのかもね。
・性といえば、兄がホモでマゾだというのは、そんなにびっくりしなかった。ヤードが偉そうにしていて、ウォードが従っている不思議があったし。あの年で結婚もしていないのだから。で、それを知ったジャックの反応は、あまりよく分からなかった。もうちょい描き込めばいいのにね。
・ヤードは、デベロッパーが存在しないことを確認していたんだろう。でも、それをいうとヒラリーの冤罪話は没になってしまう。だから、記事を優先して事実を追求しなかった。それで有名になり、黒人階級から脱出することを目論んだのだろう。イギリス生まれもウソなんだから。自分をしたってきて、ホモだちになったウォードを利用していったのだろう。それがウォードには辛かったのかも知れない。それで、行きずりの黒人を買い、あんなことになってしまったんだろうな。で、あれは結局、事件にはならないのだよな、合意だから。
・それにしても、湿原に住んでワニ撮りをして暮らしているような連中というのは、いるのだね。いまでもいるのかな。『ウィンターズ・ボーン』にはヒルビリーという山の民が登場していたけど、湿原にする人々もいるのだな。
・さらに不満を言えば、この映画には夏のギラギラ、汗だくだく感が足りない。暑さがなせる狂気の世界、という雰囲気もいまいちだった。ポランスキーの『チャイナタウン』並の暑苦しさが欲しかった。
・ナレーションで固有名詞がでまくりで混乱した。とくにヒラリーという名前はクリントンを連想してしまい、女性みたいな感じがしてしまう。しかも、ヒラリーはHillary Van Wetterなんだけど、「ヒラリー」と呼ぶ以外に「Van Wetter」と呼ばれるところもあったりして、混乱の極みだよ。名前だったり姓だったり、分かりにくいったらありゃしない。
ホワイトハウス・ダウン8/19新宿ミラノ1監督/ローランド・エメリッヒ脚本/ジェームズ・ヴァンダービルト
原題も"White House Down"。allcinemaのあらすじは「議会警察官のジョン・ケイルは、娘エミリーが憧れるジェームズ・ソイヤー大統領のシークレットサービスになるべく面接に臨むも不採用に。しかしエミリーの悲しむ顔を見たくないケイルは、一緒にホワイトハウスの見学ツアーに参加する。ところがその時、突然の大爆発とともに謎の武装集団が乱入し、ホワイトハウスを占拠するのだった。この大混乱の中でエミリーと離ればなれとなってしまったケイル。娘を助け出したい一心の彼は、やがてソイヤー大統領の窮地を救うと、2人で協力しながらテロリストたちに立ち向かっていくのだが」
宇宙人が襲ってくる話かと思ったら、テロだった。ホワイトハウスを舞台にした『ダイ・ハード』みたいな感じ。シークレットサービスになりたいジョンが、知り合いの副大統領の秘書(?)に頼んでホワイトハウスへ面接に行く。その裏で、テロが着々と進行。まずは議事堂がドカン。大量の覆面テロリストが警護官たちをバッタバッタと倒し、見学客は人質に…。地下のトイレに行っていて難を逃れたエミリー、上手く逃げたジョン、そして大統領、テロリストたちがホワイトハウスの中で右往左往する。この導入部はスリリングでテンポも早く、とても面白い。のだけど、ジョンと大統領の逃避行とか、捕まってしまったエミリー、外部で心配するキャロル(大統領警護艦)あたりがパラパラと描かれるようになると、緊張感が失われていく。それに、要は『ダイ・ハード』だから、あれこれあってもジョンもエミリーも助かるんだろうし、そこに至る経緯も想像の範囲で、予想を裏切ってくれなかった。なので、後半はイマイチだった。
そもそも、冒頭から少し変だった。ジョンが警備するジイさんがまず出てくる。次に、老妻に見送られてくるジイさんがでてくる。2人ともジイさんなので区別がつかなかったんだけど、次第に前者が議長で後者が警固の長官で、もうすぐ引退らしいことが分かってくる。のだけれど、どうしてこの2人が丁寧な扱いで描かれたのか、不思議でしょうがなかった。だって、その後によく登場する副大統領や将軍、国防長官(?)とかって、いつの間にか登場している感じだったからね。でも、映画が終わってみればなるほどで、だからフィーチャーしてたのか、と合点。しかし、それってネタバラシにもなっちゃうんじゃないの? 実際、議長が大統領に任命され、ホワイトハウスの爆撃を躊躇なく命じたときは、こいつ変、と思ったもの。
それと、ジョンが議長の警固をしてるのは、中東かどっかで議長の息子の命を救ったから、という因縁も、ラストで大統領に認められ、シークレットサービスに任命されるんだろう、とミエミエ。
あと、大量のテロリストが何の問題もなくホワイトハウスに潜入できて、武器も使い放題というのは、あり得るのか? と思っていたけど、大ボスが議長でその下に警固長官がいた、という話なら納得だしね。だから、いろいろ細かなところでちゃんと辻褄が合っているのだけれど、合いすぎて面白くない、という気もしないでもない。
ジョンのタフぶりは『ダイ・ハード』そのもので、大統領と2人、ホワイトハウスの中を逃げ回る。だけど、2人でのろのろ移動してるから、いまいち迫力に乏しい。
とはいいつつ、小ネタジョークがもりだくさんで、見学の案内人が「インデペンデンス・デイて゜破壊された建物」とか言ってたけど、これもローランド・エメリッヒが監督してたらしい。他にもモンローとケネディの逢い引き通路とか、「私のエア・ジョーダンから手を放せ」とか、かなり笑える。知識があればもっと笑えただろうに。
ジョンの娘エミリーが、ホワイトハウス・オタクで大統領のファンってのがいい。たまたまホワイトハウスで大統領と遭遇し、辛辣な質問したり、テロリストたちを隠し撮りしてブログにアップしたり、やることが派手。もっとも、そのプロクをマスコミが紹介して名前まで出しちゃう無神経さは困ったもんだけど。
そういえば、シークレットサービスの面接官がブタ面のマギー・ギレンホールで、ちょっと老けたかな。顔が崩れかかってる。昔は結構可愛かったのに。…それはさておき、どうやらジョンと顔見知りらしいんだけど、どういう関係だったかは描かれていなかった。昔つきあっていたとかあるのかな。ジョンは離婚して独り身なんだから、ロマンスも加味してくれてもいいのでは…。
で、テロリストの狙いは、警固長官の息子で軍人が、作戦に失敗して死んだことの復習…とみせかけて、実は、議長が軍需企業から金をもらっていて、イランから軍を撤退させる大統領に反旗を翻した、というものらしいが。イランに向けて核爆弾を投下して、それで軍需産業が維持されても、それ以外のデメリットが大きすぎるだろ。警固長官の恨みは正真正銘のものだし、それ以外のメンバーも金だったり思想信条の違いだったり、あっても不思議ではない設定だけど、集まったらきっと烏合の衆ではないの的な連中ばかりだった。
全体的には、良くできました、なんだけど。意外性のなさがちょっとね。そういえば、地下通路に爆薬が仕掛けられていたのは、何でなの?
トゥ・ザ・ワンダー8/23新宿武蔵野館2監督/テレンス・マリック脚本/テレンス・マリック
原題も"To the Wonder"。allcinemaのあらすじは「フランスの観光名所モンサンミシェル。アメリカ人のニールとフランス人のマリーナは恋に落ち、2人は永遠の愛を確信する。その後マリーナの連れ子とともに3人でアメリカへ渡り、オクラホマの小さな町での生活が始まる。だが、いつしか2人の間に少しずつすれ違いが生まれ、マリーナは神父のクインターナに悩みを打ち明ける。しかしクインターナ自身も信仰が揺らぎ、苦悩を深める。やがてマリーナはフランスへと戻り、ニールは幼なじみのジェーンとの愛に孤独を癒されていくが」
ストーリーが見えない流れなんだけど、切れ切れのデータを集めると↑のようなあらすじになるのね。マリーナが帰仏したのはビザの関係とか、連れ子が「友だちができない」と愚痴ったとか、本人も田舎暮らしに馴染めなかったとかあると思うんだが。ニールは環境汚染の調査員で、工事現場を回り、地域住民の声も聞いている。けど、彼自身は環境破壊に対して何かしているかというとしていない。で、マリーナは半年でフランスに戻る。で、かつての恋人だったジェーンと関係をもつ。ジェーンは幼子を失った傷が癒えていない感じなんだけれど、亭主と別れているのかは不明な感じ。…とかいってたら、マリーナにも連絡をとっていたのか、結婚すれば永住権が取れる云々で、ふたたびアメリカにやってきてニールと結婚する。結婚には消極的だったのに、なぜ? さてジェーンはいつのまにかフェード・アウト。マリーナの娘は、なぜか父親と暮らすことになり(父親=亭主の浮気でマリーナは別れたんじゃなかったのか? 変なの)、2人の生活はむつまじく…に見えたが。ちょっとうとうとして目を離した隙に、マリーナは体調を崩したのか病院。マリーナには避妊リングが入っていて、それがどーたらこーたら。妊娠を希望するなら外さなくては…とか言っているけど、よく分からん。命に別状のない病気? と思っていたら、この辺りから2人が反発するイメージが…。で、ちょっと意識を失っている間に、大げんか。物を壊したりしてて、あれまあ。と思ったら、マリーナは出入りの大工を誘って浮気をしたり。調停がどーの裁判がどーので、結局別れたのかな。やれやれ。…てな感じで、最後は過去の仲むつまじい時代のイメージも含めてあれやこれやで、オシマイ。
つまらん。すこしセクシーなシーンもある2時間のイメージビデオって感じ。会話はほとんどない。断片的で、イメージばかりが面々とつづられる。移動するカメラやアングルに面白みは多少あるけど、すぐ飽きる。別れや断絶も、原因が示されるわけでもない。↑に書いた荒筋も、断片を寄せ集めるとこんな感じ、というだけ。ドラマにはなっていない。寝てしまうのもしょうがないね。
要は、人生いろいろ、ってことか。変わらぬ愛を誓ってもいずれは冷める。すれ違いも起き、ウソや騙しも生ずる。そして別れたりもする。それが人間。ああ、不可思議、とでも言っているのか。でも、そんなこたあ分かってる。いわれなくても。
神父の存在も、曖昧。彼の苦悩はほとんど見えないし伝わってこない。
もっとも社会的な問題の環境破壊についても、映画の中ではひとつだけ浮いている感じ。なんで突然? と。
マリーナのオルガ・キュリレンコは土人顔だけど、魅力的。『オブリビオン』に出ていたんだっけか。そういえば…。神父のハビエル・バルデムも、怪演のしどころがなくて弱ってる感じ。
エンド・オブ・ウォッチ8/26新宿ミラノ3監督/デヴィッド・エアー脚本/デヴィッド・エアー
原題も"End of Watch"。allcinemaのあらすじは「ロサンジェルスの一角にある重犯罪多発地区サウス・セントラル。その中でも特に危険なニュートン地区で巡回パトロールに当たる白人警官のテイラーとメキシコ系警官のザヴァラ。固い絆で結ばれた2人は、署内でも屈指の検挙率を誇る名コンビ。大学の法学部入学を目指すテイラーは入試課題に映像制作を選び、自分たちの日常業務を複数のビデオカメラで常時記録していた。そんなある時、台頭するヒスパニック系ギャングの取り締まりに関連して、その背後に潜むメキシコの巨大麻薬カルテルの秘密に触れてしまった2人は、次第にのっぴきならない状況に追い込まれていく」
オープニングは、車載カメラが追う逃亡車。犯罪者を許さない云々のナレーションがかぶる。そしてクルマからでてきた2人を警官が射殺。次のシーンは警察署での全体打合せ。あの射殺は正当防衛とかなんとか。で、再びテイラーとザヴァラがコンビを組んでパトロールに出かける。黒人ギャングとザヴァラの素手のケンカ。騒音を注意にメキシコ系ギャングに注意しにいく。このボスがあとまで絡んでくるんだが…。このボスの母親の家をマークしてたら、バンがやってきて荷物を運び出した。2人がバンを止めようとしたら発砲されたので、緊急逮捕。クルマからはマシンガンと大金がでてきた。このとき回収した携帯に登録されてた番号に、気になる住所があって。そこに乗り込んでいったら、難民がうじゃうじゃ。人身売買か? と思っていたら、突如FBIが割り込んできて、「参考人(?)を台無しにしやがって」とたしなめられる。余計なことをしてしまったらしい。メキシコ系の麻薬カルテルの捜査だったらしい。火事。2階に取り残された幼児を救出して、2人は表彰される。子供が行方不明、という家に行ったら、子供は押し入れに軟禁されていた。パトカーからの「応援頼む」に駆けつけたら、1人は目にナイフ、相棒の新人女性警官は顔が切り刻まれて無残に…。でも、射殺せずに逮捕。母親が行方不明? という家に行ったら、家の中にバラバラ死体と麻薬が山のように…。冒頭近くでケンカした相手の黒人が、「おまえら狙われてるぞ」と2人に警告。しらずしらずにカルテルの邪魔をしてしまっていて、2人の抹殺命令がメキシコからLAに。で、地元のボスが2人を嵌めて、マシンガンで攻撃。テイラーがやられ、そしてザヴァラも…。
とまあ、細かなエピソードが次から次へとつづく。冒頭からラップにのってリズミカルにスリリングにテンポよく進む。流れは途切れず、緊張感に満ちている。
ではシリアスなドラマかというと、ユーモアもあり、人情味もたっぷり。とくにテイラーとザヴァラとの信頼関係は篤く、冗談をいいつつも互いに尊敬しあっているのがよく分かる。結婚して子供が生まれるザヴァラ。結婚はまだまだといいつつ、恋人を自慢するテイラーだったけれど、とうとう結婚することに。ともに家族的なつき合いで、そこに人種差別はない。
でも、ザヴァラの方は、逮捕すれば「あいつは親戚」というぐらい、新設づきあいが多く濃い。地元のギャングとも血縁。でも、警察官としての仕事は別、という潔癖感。その夫婦生活は…ザヴァラの妻がいうには、いろいろと夜のサービスをしつこいぐらいしてやるらしい。
ともに、娘が将来、警察官をボーイフレンドにすることには「No!」というぐらい過酷な毎日。でも、警官を辞めない。ザヴァラがいっていたけど、学歴がなくても採用してもらえるから、というのもあるらしい。ヒスパニックにとって、大人になったらギャングか警官か、という選択肢は重い。
…というようなエピソードが、ハンディカメラと胸につけた超小型CCDカメラで撮影した画像で撮られた、という設定で進んでいく。勤務中にカメラで撮影なんて、実際はあり得ないだろう、けど、人の移動とともに視線が移動する映像は、迫力たっぷり。普通の、第三者的な視点でのドラマとは違った、躍動感あふれ、濃密でリスキーなシーンの連続。一瞬たりとも息をつけないほどだ。
話自体は、よくある警官物と同じなので、撮り方や編集、演出がいかに重要かがよく分かる。で、最後は両方、あるいは、どちらかが呆気なく死んでいくのだろうな、とは予測できた。なので、ラストも、とうとうきたか、な感じなのだけれど。さて、テイラーは本当に死んだのか。ザヴァラも実は生きていたりして…? 2人とも死んだか。2人とも生きているってことはないよなあ。とか、いろいろ考えたけれど、今回は、先に死んだかのように見せていたテイラーが生きていて、妻と幼子を残してザヴァラが死んだ、という結末。テイラーが、支えられて壇上に立ち、「ザヴァラは、ブラザーだった…」と嗚咽を堪えて絶句する場面は、多くを語らず多くを伝えてくれた。
アイアン・フィスト8/29新宿武蔵野館3監督/RZA脚本/The RZA、イーライ・ロス
原題は"The Man with the Iron Fists"。fistfは拳骨。allcinemaのあらすじは「19世紀、無法者が跋扈し、武装グループ同士の抗争が絶えない中国の叢林村(ジャングル・ビレッジ)。名もなき鍛冶屋は、猛獅会と群狼団という敵対する2つの勢力から特注の武器を依頼される。そんな中、土地を治める総督から金塊輸送の護衛を頼まれた猛獅会の首領・金獅子が、部下である銀獅子の裏切りに遭い、非業の死を遂げる。銀獅子は猛獅会を率いて群狼団を殲滅すると、金獅子の息子ゼン・イーのもとにも刺客を送り込み、その命を狙う。やがて、瀕死の重傷を負ったゼン・イーを鍛冶屋が匿うことに。一方、金塊輸送の噂が広まり、叢林村には多くのよそ者が集まっていた。その中には謎の白人ジャック・ナイフの姿も。一方、銀獅子一味に捕まった鍛冶屋は、拷問の末に両腕を切り落とされてしまうのだったが」
ユニバーサル100周年記念のロゴの後に、画質の悪い香港映画風のタイトルが…。??? でも、映画が始まるとちゃんとした画質で、しかも、英語ベースでつくられている。香港映画を買い付けて…というわけではない、のかな? しっかし、話がちゃちい。というか、メリハリがはっきりしてない。というかストーリーよりアクション重視? でもそのワイヤーアクションと安手のCG、あるいは貧相なセットや小道具…。アクションの演出もダイナミズムがなくてフレームのなかで収まってる感じ。しかも、これはコメディかというような死に方殺し方。次第に退屈してきて、気がついたらブラック・スミスが鉄の腕を装着しているところだった。いつのまにか切り落とされていたのね。なんか「用心棒」とか「アイアンマン」を連想してしまう。
それにしてもラッセル・クロウやルーシー・リューが登場して、それなりに芝居をしているのには驚いた。内容は「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」レベルのチープさなのに。なぜ? で、あとからallcinemaの解説みたら、RZAってヒップホップのスターで、「カンフー映画へのオマージュ」らしい。ふーん。そういえば、最後の方に鏡の部屋が出てきたけど、あれば燃えよドラゴン」だよな。
allcinemaのあらすじを読んで、ふーん、な感じ。猛獅会と群狼団がいたのか。金獅子が、部下の銀獅子に裏切られて殺され、金獅子の息子が復讐にやってくる話かと思ってた。金塊輸送とか女郎屋とか、ラッセル・クロウの役回りもよく分からん。そして、黒人鍛冶屋のブラック・スミス(RZA)の存在もよく分からん。金獅子は貧相な役者がやってるし。分からんままに戦っているので、飽きちゃったんだよ。もうちょっと、話をしっかり進めてくれないとな。
あと、役者や物語に比して、画面にダイナミズムが足りなくて、セコイというかチャチい。まあ、チャチい面白さでも見つけられればよかったんだけど、そこまでの知識もゆとりもなかったのでね。

 
 

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