2013年10月

エリジウム10/3MOVIX亀有シアター2監督/ニール・ブロムカンプ脚本/ニール・ブロムカンプ
原題は"Elysium"。ギリシア語で「祝福された人々が死後に住む楽土」だと。allcinemaのあらすじは「2154年。人口増加と環境破壊で荒廃が進む地球。その一方、一握りの富裕層だけは、400キロ上空に浮かぶスペース・コロニー“エリジウム”で何不自由ない暮らしを送っていた。そこには、どんな病気も一瞬で完治する特殊な医療ポッドがあり、美しく健康な人生を謳歌することが出来た。そんなエリジウムを頭上に臨みながら地上で暮らす男マックスは、ロボットの組み立て工場で過酷な労働に従事していた。ある時彼は、工場で事故に遭い、余命5日と宣告されてしまう。生き延びるためにはエリジウムで治療する以外に道はない。そこでマックスはレジスタンス組織と接触し、決死の覚悟でエリジウムへの潜入を図る。ところが、そんな彼の前に、一切の密入国を冷酷非情に取り締まる女防衛長官デラコートが立ちはだかる」
富裕層と貧困層の対立というのはよくある設定。それでも昨今のアメリカの国内事情を反映しているせいか切迫感がある。それと、SFとはいいながら地上はまるでフィリピンかアラブの難民村。そこに煤けたシャトルやロボットが登場するのは「第9地区」そっくり。と思っていたら同じ監督なのね。
警官や役人はみな杓子定規なロボット。窓口のロボットが昔のブリキのおもちゃ風というのも、役人を皮肉ってるようでおかしい。
マックスは、チンピラから改心して真面目に働いてる様子。それが事故で大量の放射線を浴び、余命5日を宣告される。ここはなんとしてもエリジウムに行って医療器にかからなければ…。というのが物語の始まり。
日頃から難民をエリジウムに送り込んでいるスパイダーというボスがいて、ずっとヤミ業者かと思ってたんだが、↑あらすじによるとレジスタンスなのか! シャトルに乗せてくれと頼むが金が足りず、富裕層の個人データを盗んでこいと言われる。そこでマックスは勤務先の社長のカーライルを狙うことにする。でもその前に、よれよれの身体を改造…なんだけど、これがシュールというかクールというか。大リーグ養成ギブスみたいなのを身体中にネジで取り付け、後頭部にもモニタ付き装置を固定する。どうも脳につながってるようだ。日本のコミックみたい。
攻撃は成功し、カーライルの頭脳データをマックスの脳へとDL…が、エリジウムのデラコート長官に探知され、地上にいる傭兵隊長のクルーガーが迎撃。マックスは命からがら逃げ出す…。
で、あれやこれやでエリジウムへ乗り込むんだけど、結局は自分を犠牲にしてエリジウムを再起動し、エリジウムのすべての資産・技術を全人類に解放。貧困層も医療施設を使えるようになった、という美談になってる。もともとマックスにそんな犠牲的な心があったわけでもなく、死にたくないからやったことなんだが…。
というわけで、エリジウムでは権力闘争が勃発し、たまたまマックスが巻き込まれるという話。背景となるのは格差社会。カーライルは冷淡な企業家で、エリジウムのデラコート長官ともちつもたれつ。デラコートは権力志向で、クルーガーはその犬。でも、犬なりに支配欲があったりするんだけど、人間ってみなこの程度の欲で殺したり殺されたりするのか? 昔から変わらんね。これを越える話はないのかな。それでも前半は未来描写とか面白いからいいようなものの、後半は結末も見えてしまって、もう意外性はない。ただもうバトルばかりで飽きてくる。もっと後半に人間ドラマ、ひねりがあってもいいんじゃないの? 幼なじみの看護婦とのロマンスなんか端折ってもいいからさ。
・全体に、流れが淡々としていて緊張感、切迫感がない。とくに前半はドラマとして盛り上げるつもりがないみたいに単調。
・エリジウムの政治体制がどうなってるのか分かりにくい。デラコート長官の上にひとりでてくるけど、彼がボスなのか? それと、エリジウムがあまりにも無防備なのが笑える。スパイダーが調達したシャトルで、地上から簡単にエリジウムまで行けたりする。なぜ直接に迎撃せず、地上から、それも傭兵のクルーガーに任せるほどローテクなのだ? わけ分からん。それに、地上からの潜入にも、兵士や警官が怒濤の如くやってきて追い払う感じはない。へんなの。
・エリジウムはカリフォルニア上空にいるようだけど、世界にあれひとつだけ? 他国も同じようなのをもってるのかな? それとも、アメリカの富裕層だけが生活? 他の一般の大統領やその他は地上にいるのか?
・最新科学、とくに医療については、地上は旧態依然で、エリジウムは超最先端。この差はなんなんだ? 金がかかるから地上では使えない? まあ、共和党が国民皆保険に反対してている現在のアメリカを想起させるけど、理屈がちゃんとつながって欲しい気がする。
・医療が異様に進化している。CTみたいな装置に横たわり、軽くスキャンするだけですべての病気が治ってしまう。爆弾で吹き飛んだクルーガーの顔も、あっという間に元通り。だったら、マックスもデータをDLする前にスキャンしてもらえばよかったのに。まあ、データをDLすると死んでしまう(なぜなのかは分からない)という設定だから、放射線被曝が治癒しても関係ないのかも知れないけどね。
・クルーガーがマックスを探し出すために放つ探索ロボットが、お粗末すぎ。マックスが礫を投げると、簡単に落下してしまう。マックスのパワーはギブスで強化されてるのかも知れないけどね。
・クルーガーはマックスをつれてエリジウムに向かうのだが、着陸寸前にマックスからデータをダウンロードしようとする。データをデラコートに渡さず、自分がエリジウムのボスになろうとしたんだろう。でも、データをどこにDLしようとしたのだ?
・最も分からないのは、エリジウムの中枢はどうなっているか、ということ。そもそもデラコートは、経営不振に陥りかけているカーライルの会社を救う代わり、自分をエリジウムのボスになれるようエリジウムのプログラムを書き替えさせる。あとは再起動するだけだった。その途中にカーライルが襲われ、データを脳からマックスの脳にコピーされたわけだ。そのデータを、クルーガーはどこにDL保管しようとしたんだ?
・映画ではノートPCからプログラミング言語をキーボード入力してる。なんかアナクロな感じ。で、大型コンピュータかなんかにデータを保管・運営しているのかな? それともクラウド?
・ラスト。マックスは自分の脳に保管されているデータをDLするためリターンキーを押すんだけど、マックスの脳はどこにつながっているのだ? マックスがいたのはエリジウムの中枢でもなく、町のどこかの家だったよな。いやまて。カーライルはデラコートをトップにする書き換えをしたんじゃなかったのか? それがどうやって、格差社会をなくすような書き換えが行われたんだろう。不思議。
・最後のバトルで、クルーガーはマックスの身体にフックをかけて、ロープでつながったのかと思ったんだけど。後頭部につながれてた配線が千切れ、ひとりで落ちていったな。つながってなかったのか?
・マックスの、幼い日の友だちが子持ち女性として登場するけど、まあ、これはハリウッドが要求するロマンスなんだろう。なくてもよかった話ではある。
・難民を送り出すスパイダーの存在はユニーク。もうちょいフィーチャーしてもよかったんじゃないのかな。それにしても、あんな派手な活動をして、当局に発見されないのが不思議。
・地上の未来イメージは「マッドマックス」「ブレードランナー」な感じ。「ブレードランナー」の未来イメージは中国だったけど、ここではどこか中東風。未来の様子も時代が反映されるね。いっぽう、エリジウムの未来イメージは古典的で「2001年宇宙の旅』的な白と無機的な世界。意図してやってるんだろうけど、そのコントラストは面白い。
ランナウェイ/逃亡者10/7新宿武蔵野館1監督/ロバート・レッドフォード脚本/レム・ドブス
原題は"The Company You Keep"。「いつも一緒にいる人」「仲間」というような意味らしい。allcinemaのあらすじ「1969年。ベトナム戦争反対を訴える過激派グループ“ウェザーマン”は、政府機関への襲撃などその活動を先鋭化させ、FBIの最重要指名手配犯となるが、ほどなく彼らは忽然と姿を消す。それから30年、ある日突然、元メンバーの一人が逮捕される。そのニュースに接した弁護士のジム・グラントは最愛の娘を弟に託し、逃亡を図る。彼の正体は、ウェザーマンのメンバー、ニック・スローンだった。一方、地元紙の野心的な若手記者ベン・シェパードは、そんなジムの足取りを追い、30年前の事件の真相に迫っていくが…」
ウェザーマンは実際にあったグループらしい。日本なら連合赤軍とかそんなところなのかな。さて。ジム・グラントは、ミミ・ルーリーらと銀行を襲い、警備員を殺害したかどで指名手配中だったらしい。2人と、あと誰が参加したのかはよく分からず。
まず、シャロン・ソラーズという女性がまず逮捕される。シャロンは自首しようとしていたらしいが、FBIに囲まれての逮捕である。あれは、そこで逮捕してくれとシャロンが電話かなんかでいったからなのか。それともFBIの捜査がシャロンを追いつめたのか。よく分からない。また、シャロンの逮捕で、どうしてジム・グラントが捜査線上に浮かぶのだけれど、どーも因果関係がアバウト。地方紙記者のベン・シェパードが探った情報や、ジムの社会保障番号をちょいと調べただけでその過去が洗い出せるなんて、いかにも安直。というか、FBIは30年間なにをしてたんだ、って話だよな。それともFBIはシャロンとともにジムのことも知っていた? FBIの女性捜査官ダイアナも、口が軽すぎる…。てなわけで、ベンが追いつめた、って感じがイマイチ足りない。
ばれた、と知ったジムはさっさと逃亡。だけど、弟に連絡して云々というのは、マヌケすぎだろ。もうちょっとバレなそうなことをしなさい。他にも、逃亡中に携帯で娘に電話したり。アホかと思う。で、その後はかつての仲間であり恋人だったミミ・ルーリーと会うため、過去の仲間を何人かたどっていく。その仲間の大半は、組織が過激になる前にウェザーマンから足を洗っていたらしいのに、そんなに上手く連絡がつくの? と思わせるけど、まあ、映画だからね。ご都合主義もしょうがない。
ジムは昔の仲間をたどって。いっぽうベンは、昔の関係者を洗い出し、事件当時の警察署長の線からミミ・ルーリーにたどりつく。のだけれども、これまたご都合主義の極み。そんな簡単に分かっちゃいかんだろ。FBIのアホさ加減を協調しすぎだろ。というか、あり得ねえ、だな。
さて。ジムがミミに会わなければならなかった理由は「娘のため」だけだった。げ。それだけのために、ミミに「自首して俺の潔白を証言しろ」と迫るの? なんか潔くないな。自分が銀行襲撃に参加していないなら、30年も逃げず、あえて逮捕されて主張するという方法もあったのではないかと思うんだが。自分のアリバイを証明するとか、かつての仲間に証言してもらうとか。監視カメラの映像に映っていないとか、言えたのではないのかな。それに、シャロンが逮捕されたと言うことは、彼女は強盗に参加しているってことだよな。だったら彼女に証言してもらえばいいのでは? とか、疑問はつきない。
さて。「娘のため」というセリフは、11歳になる現在の娘のためだけではなかった。というのには、気がつかなかった。署長の娘が養子で、割りと歳を食っているとか、ベンの調査のときに伏線があったのが、なるほど、であった。30年前、ジムとミミの間に子供が生まれた。それがレベッカ。ミミの父親と親しかった警察署長のオズボーンが引き取り、書類を偽造ということか。うまい秘密だけど、妊娠期間は10ヵ月以上もあるのだから、ウェザーマンの仲間に知られないはずはないだろ、というツッコミを入れておきたい。で、ミミの父親の土地であるカナダ近くの土地で、ジムとミミが邂逅。ジムの申し出にミミはいったんは拒絶するけれど、なんと、気が変わって自首してしまう…って、おいおいな感じ。まあ、自分の娘のため、ということなのかも知れないけど、ちょっと説得力が薄いかも。
ベンは、レベッカがジムとミミの子であり、元署長のオズボーンが引き取ったという記事を書いていたけど、おそらく配信しなかったんだろう。まあ、それが人の道ってもんだな。ベンも、事実を書く、といいつつ、他人の過去を暴いて手柄にしようとしていたことは事実だと思うし。むしろ、それを誇らしげに示しつつ、大新聞に売り込まなかったことをよしとするか。いや、いまどきNYの新聞も、いつ廃刊するか分からんからな。
ジムが昔の仲間の大学教授と会うシーンだったかな。なんと石内都の「ヒロシマ」の写真展会場がでてきた。けっこう長くて、写真も見せている感じ。「人は過ちを犯すもの」というセリフは、ジムに語りかけられているのではあるけれど、原爆を落としたアメリカに対しても突きつけられているのだ。監督レッドフォードの見識の高さがうかがえる。
最後。ベンにかかってきた電話は、編集長からだったのね。元警察署長の娘、レベッカ・オズボーンからかな? と一瞬、思ったんだけど。
それにしても。ジムのロバート・レッドフォードが76、ミミのジュリー・クリスティが71、シャロンのスーザン・サランドンが66、昔の仲間のニック・ノルティが71、同じく大学教授のリチャード・ジェンキンスが65…。映画の現在が1999年はいいんだけど、30年前はいくつだったんだって話だよな。60代はまあ許せても、レッドフォードやジュリー・クリスティはやめてくれ。76歳に11歳の娘がいるという設定すら気持ち悪い。体型も顔も、すでに爺さん。ジジイの役で出演するならいいけど、ねえ…。そのジムとミミが、山小屋で往時をなつかしんで一夜を過ごした(?)というのも、かなり不気味だぞ。
東ベルリンから来た女930ギンレイホール監督/クリスティアン・ペツォールト脚本/クリスティアン・ペツォールト
こないだは途中で寝てしまったので、その仇討ち。記憶になかったのは、バルバラが自殺少年の病室で感情障害を確認する部分から以降の部分だった。友だちが見舞に来ていたのは、ああそういえば見たな、という感じ。朦朧と見ていたのだ。たぶん。で、その後バルバラは、開頭手術が必要だとアンドレに伝えに行くのだが、アンドレは往診中だった。その先は、バルバラを監視している役人の家で、その妻が末期ガン。というわけで、アンドレがバルバラを自宅に誘い、料理を振る舞おうとしているところで、バルバラがキスをしたのだった。なるほど。でも、大勢に影響はナシだな。
全体に説明があまりなくて、分からないことが多いのは同じ印象。まあ、何でもかんでも説明する必要はないんだけど。どーでもいいようなことを丁寧に映していたりするのに、肝心なことを分かりやすくつたえてないように感じるところもある。
見えていても、分かりにくいこともある。たとえば、カウチで寝ているバルバラのヨコに西側のタバコの箱が落ちていてアンドレが拾うところなんか、最初は「?」だった。でも、今回、その西側のタバコで何を払うのか、よく分からなかった。分からないと言えば、アンドレのレンブラントの解釈も、いまいち何を言おうとしているのか分かりにくい。
バルバラが心変わりをしたのはいつなんだろう。ホテルに行ったところでは、まだ変わっていないだろう。でも、その翌日にはどうか。少し揺れているのだろうか。アンドレのしつこいアタックに、ちょっと心を動かした? でも、まだ逃げるつもりでいたはず。前夜、西側の恋人と会って、彼が「僕が東側に来て一緒に生活してもいいんだよ」と言われたのに対して、ムッとしたように反論していた。それぐらい東の生活が嫌だったんだろう。なので、そのアンドレに好意を寄せるようになったきっかけがよく分からない。なにが決め手だったんだろう。
脱出作戦の当夜、ステラが逃げ込んできた。もしステラがこなければ、バルバラはデンマークに逃げ出し、西側の人になっていてただろう。まあ、逡巡していた心を決定づけてくれたのがステラともいえるけど、なんかね。もやもやだ。
まあ、それから10年すればベルリンの壁は崩壊するのだけれどね。登場した彼らは、いまどうしているのだろう。
黒いスーツを着た男10/10ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/カトリーヌ・コルシニ脚本/カトリーヌ・コルシニ、ブノワ・グラファン
原題は"Trois mondes"。Google翻訳では「3つの世界」とでたが…。主演のラファエル・ペルソナがアラン・ドロンの再来と絶賛されているとの触れ込み。ううむ。allcinemaのあらすじは「社長令嬢との結婚という人生の成功を手に入れるまで十日を残すのみとなったアルだったが、深夜のパリで自らが運転する車で男を轢いてしまう。友人たちの協力により逃走を図るものの、その一部始終を事故現場近くのアパルトマンに住むジュリエットに目撃されていた。ジュリエットは被害者男性の妻であるヴェラと出会い親交を深めていく。そしてアルとも偶然の再会を果たしてしまうのだった」
フランス映画にしちゃ不条理感が薄い。禁断の恋にずぶずぶになっちゃうとか、罪悪感で世捨て人になって放浪するとか、途中でとんでもない方向に話がねじ曲がっていくとか、そういうのがない。どころかひき逃げしたアランはふつーに罪悪感に苛まされ、のっぴきならない状況へと自分を追い込んで行ってしまう、という当たり前な展開。そして、その背景にあるのが移民問題で、ここではモルドバ移民だ。なんと、フランスの社会派ドラマかよ。なんかヘンなの。とはいってもケン・ローチみたいにストレートな表現ではないけどね。で、あとから分かったんだけど、製作がフランスとモルドバで、監督が女性だった。なるほど。だからこんなハンパなフランス映画になっちゃってるのか。ううむ。
こ映画で一番不思議なのは、というかフランス映画らしい展開は、アランとジュリエットが愛し合うようになってしまうという展開。なんだけど、堕ちていかないのだ。クルマの中でのセックス1度だけ。とはいっても、恋人との間に子供ができたばかりで妊娠中の女性が、なんでまた、な気はするんだけど。だから、ひき逃げはきっかけだけで、そっちの方に話がずぶずぶかと思いきや、あっさりジュリエットは引いてしまう。おい。それじゃつまんないだろ。
まあね。アランは社長の娘ともうすぐ結婚式。平社員から積み上げ、同期のアホ仲間から抜きんでたけど、実はそんなに娘を好きではないのかも知れない。ジュリエットも、たまたま子供ができてしまい、じゃあ同居するか、え、しないの? 的な関係を恋人と行っているような案配なので、結婚はまだ未定。というわけで、理想の男はまだ別のところに…と夢見ていたのかも知れない。そんなスキのある2人が巡り会って、不条理な恋に堕ちたということなのかもね。
とはいっても、ジュリエットに正義感はないのかと思うよな。ひき逃げの犯人(アラン)が病院に、様子を見に来た。それに気づいて追跡。すると、アランはあっさりと認める。その上で、逃げなくちゃならなかった理由を滔滔と説明する。苦労して働いてきた。もうすぐ結婚。これでいい生活が…と涙ながらに訴えるんだけど、それでほだされるって、どういう神経してるんだ? いったい、アランのどこに惚れたんだろう。顔か? よーく考えると、バカ女としか思えない。さっさと警察に行きゃあいいのに、なぜしない?
で、被害者の妻ヴェラは不法移民で保険もなく家も追い出されそうだから…と資金提供を示唆し、アランもそれに従ってなんとか金をつくる。そして、ジュリエット経由でヴェラに渡すという、おまえ、何バカやってんだよ、だな。やっぱ、そんなことをしてしまう理由を漠然とでもいいから匂わせないと、正統的な不条理とはいえんだろ。
ジュリエットはずっとヴェラにアランのことは告げずにいたんだけど、アランからの金を渡せばどうしたって分かってしまう。もちろんヴェラはジュリエットをののしる。入院していたけど亡くなってしまった被害者の会社の同僚(みなモルドバの人)は、アランをボコボコにする…という展開は当たり前すぎて、面白くも何ともない。そういえば、アランがヴェラに渡したのは8000ユーロだっけかな。最初は2万ユーロぐらい渡そうとしたけど、金がつくれなかった。で、1ユーロ130円として104万円。げ。安すぎだよな。病院からも高額医療費を請求され、部屋代も払えないっていうのに…。しかし、100万つくるのがやっとのアランって、なんなんだ。
しかし、ヴェラはその8000ユーロを喪服だとか高級スーツにあっさり使い果たしてしまう。で、亭主の葬式代と母国への遺体の運送代とかで2万ユーロだったかを要求し、アランは困り果てる。そうして、義父となる会社経営者の手口を真似て、扱っているクルマの裏取引をやってのけ、あっさりと義父にバレてしまう。そんなの当たり前だろ。なんか、義父の跡を継いで経営の一角を占めようというのに、頭はからっぽか。
ヴェラはアランを警察に連れていこうとするけど、それは脅し。むしろお金が欲しい。結局のところ結婚も会社の経営も棒にふり、葬儀を呆然と見守るアランの顔で映画は終わるんだけど、こりゃあれか。ひき逃げしたら逃げないで正直に警察に出頭するのがいちばんいい方法ですよ、と警告する映画なのか? アランの状況は、「太陽がいっぱい」の続編(といっても犯罪が発覚しない状態)を連想させるけど、激しい上昇志向、身分違いの過酷さは、はるかに及ばない。移民問題も中途半端。良心の呵責に耐えられない、あんがいと真面目で小心者の青年の、哀れな末路しか感じられなかった。
やっぱり、ジュリエットという女性の得体が知れないんだけど、こっちを描いてくれないとなあ。それにしても、ジュリエットみたいないかつい、ガッチリ系の女性に魅力を感じるものなのかね、フランスのハンサム男は。
あとは、モルドバからの移民というのも問題になってるの? 初めて知ったよ、な感じ。
飛べ!ダコタ10/10シネマスクエアとうきゅう監督/油谷誠至脚本/安井国穂、友松直之、油谷誠至
allcinemaのあらすじは「1946年1月14日、高千村の海岸に不時着した飛行機は、わずか5ヵ月前まで敵国だったイギリス軍の要人機“ダコタ”だった。村人たちは様々な葛藤を抱えながらも、村長の“困った者を助けるのが佐渡の精神だ”との言葉に、“ダコタ”が飛び立つまでの間、イギリス兵を温かくもてなすのだった」
実話らしい。エンドクレジットに、村民と英国兵が一緒の写真が何枚かでてくる。これが一番興味深かった。しかし、間に挟まった話は大半創作だろう。ところが、その映画化のために創作された部分が、ほとんどが類型的。むしろ記号的と言っていいくらい使い古された外人ネタと戦争ネタ。
たとえばキャンデーで子供を懐柔。靴を脱がずに座敷へ。湯舟で石鹸。生の刺身は食べられない…。ビルマから、おそらく空の骨箱を戦友が…。息子の死に号泣し、入水…。「俺の戦争は終わってない」と切替のできない元少年海兵隊の青年。その青年を慕う主人公の少女…みなよく見かけるエピソード。そんな手垢の付いた話のどこが面白い。もっとダイナミックな話がつくれなかったのか。つくれなかったんだろうなあ。
同口依子は、息子をインパールで亡くす敏江役。遺骨がとどくと、鼻水をたらすほどの演技でがんばってたけど、嘘くさくて見ていられなかった。もちろんそういう実話はあっただろう。でも、人間はあんな風に大げさに反応はできないものだよ。その後の入水…英兵に助けられる…も、リアリティがない。他にも息子を失った親はいくらでもいるのだ。敏江だけクロースアップしても説得力はでない。それに、数日すると笑顔で復帰する。おいおい。あの騒ぎはなんだったんだ、だよな。
ひねた元少年海兵隊の青年・健一役は窪田正孝。そもそも彼は戦傷者ではない。訓練中にケガをしたという。どういうケガか知らないが、片方の足の膝が曲がらないようだ。けど、それぐらいであんな不自由さはないぞ。それに、敵国に対する恨みより、ふがいない自分に対する怒りがあるべきだろう。それが、最後の最後に近いところで、機体に火をつけようとする。バカか。バカなんだろうな。きっと。そういうバカもいたかも知れない。けど、少し考えれば、そんなことしたらどうなるか想像がつくだろ。それなのに、自分の罪を消防団長に押しつけて知らぬ顔。なにをどう反省したのか知らんが、翌日には笑顔で村民と一緒にいる。恥知らずか、お前は。しかも、教師に「教師の口をお願いします」と頼み込む。お前みたいに頭の固いやつに、戦後教育ができるわけないだろ。
物語性のあるエピソードは↑の2つで、あとはどーうでもいいような小ネタの連続。敏江の息子はインパールで戦死。不時着した飛行機はインパールで活躍…。その対比もさして活かされていない。ドラマに必要な対立、克服、成長という要素がほとんどない。健一の悔悛は、ありゃ成長でも何でもないぞ。主人公の千代子に、「あんな戦争が起こらんようにせんと」と怒鳴られただけで、考えが変わるわけないだろ。
もっと英兵たちにスポットをあてるべきだろ。主役は比嘉愛未演ずる千代子なんだろうけど、彼女の役回りがいまいちアバウト。見終わってみれば健一の恋人みたいな役回りだけど、ロマンスはない。むしろ、英兵の1人となにかあったのか? という思わせぶりが残るだけ。そもそも千代子は英兵たちが宿泊する旅館の娘なのだから、英兵と日本人の橋渡しが役割だと思うんだが、そういう部分は少ない。
飛べ!ダコタ、というぐらいなんだから、離陸までの困難と挑戦も、もっと描くべき。なのに、つんのめった機体を直すのと、大波に備えて引き上げる、そして、滑走路づくりだけ。たとえば重要な部品を調達するとか、燃料を集めるとか、離陸に向いている時間帯や風向きとか、そういうことを掘り下げればいいのに。離陸時も、肝心の離陸映像はないのはなぜなんだ? なんかいまいちな感じだね。
その他のエピソードとしては、離陸までどのぐらい時間がかかったのか知らないけど、その間、英兵はどうしていたのか。それが知りたい。下着とかどうしたのか。上衣は着たきり? 他にも、なんかあっただろ。エピソードの掘り下げ方が甘いと思う。
原寸大の飛行機をつくったのか? と思ったら、タイにあった実機をもってきたらしい。にしては、あんまり有難みのある撮り方をしてなかったような…。
そういやあ、女性を含む上海の領事もいたはずだけれど、いつのまにか消えていた。船で本土へ移ったのか? 映せよ、そのシーン。あるいは、ヘリがやってくるとかなかったのかね。
前の回が終わったのか、ひとが結構でてくる。みな老人。入ったら、結構な埋まりよう。みな老人。特別協賛にベストライフなる会社名があるが、そのせいか? 調べたら老人ホームの会社らしい。しかし何でまた。
ゴースト・エージェント/R.I.P.D.10/21新宿ミラノ1監督/ロベルト・シュヴェンケ脚本/フィル・ヘイ、マット・マンフレディ
原題は"R.I.P.D."で、"Rest in Peace Department"の略。アメコミが原作らしい。なるほど。allcinemaのあらすじは「勤務中に銃弾を浴びて殉職してしまったボストン警察のエリート警官、ニック・ウォーカー。天国に旅立ったはずが、途中で“R.I.P.D.”という部署にスカウトされる。そこは、死後も現世にとどまり悪事を働くゴーストたちを取り締まるあの世の警察署。R.I.P.D.で働くことを受け入れたニックは破天荒なベテラン・エージェント、ロイシーファス・パルシファーとコンビを組み、再び地上へと舞い戻ることに。愛する妻ジュリアと感動の再会かと思いきや、なんとニックの現世での姿は中国人のヨレヨレ爺さんだった。セクシーなブロンド美女姿のロイに嫉妬しながらも、彼と一緒に悪霊退治に励むニックだったが」
ニック(ライアン・レイノルズ)は、同僚のボビー(ケヴィン・ベーコン)とガサ入れしたとき、一緒に金塊をちょろまかしてきた。山分けするつもりだったけど、心が咎め「やっぱり届ける」と言ったおかげで、ボビーに殺されてしまう…というのが発端。で、悪霊退治刑事になるんだが、ある悪霊を逮捕したとき、そいつが同じような金塊のカケラをもっていたのに気づく。で、悪霊退治の同僚ロイシーファス(ジェフ・ブリッジス)に追求されて、実は…と告白。じゃあ、と悪霊界の情報屋(レッドソックスの得点表示板係!)のところにいって、そのカケラをひとつ情報屋に渡してしまう…ってのが、ちょっとあり得ない展開だけど、まあいいか。情報屋を追うと、なんとボビーに金塊を渡したではないか。しかもボビーはニックの未亡人宅に行き、ニックが埋めた金塊を取り出して…。こりゃあ…で、追求していくと、金塊はあの世からこの世につなげる塔の断片らしく、悪霊立ちがそれを完成させて生き返ろうとしているらしい。というわけで悪霊退治刑事2人組が大活躍…なんだけど、正直いって話が単純すぎて緊張感がまるでない。12時から始まったせいもあって、昼飯は食べていないものの、眠気が襲ってくる。それと戦いつつ、なんとか寝はしなかったけれど、ぼーっとして見ていたので細かいところを覚えていない。
でも、面白いところもあるんだよね。たとえばR.I.P.D.の管理者みたいなオバチャンというかお姉さんのプロクター(メアリー=ルイーズ・パーカー)がなかなか味わいのある存在で。じつはロイシーファスとデキてるらしいんだけど、制服姿が妙に色っぽい。それと、この世で活躍するとき、ロイシーファスはブロンド美女、ニックは冴えない中国爺さん姿というのが笑える。この姿は随時見られて、なるほど、な感じ。あと、R.I.P.D.から現世に行くには、トイレの個室からつながる中古オーディオショップにでるんだけど、その店主が死んでるんだか生きてるんだか分からないぐらい動かない。西部時代のシェリフだったロイシーファスの口癖は「肉は狼に食われた。骨は洞窟に…」「俺のガイコツの目玉の穴でハイエナ(だっけ?)がナニしてた」、なぜかインド料理に弱い悪霊たち…とか、小ネタはあるんだけど、なんか大雑把。物語の設定は『ゴーストバスターズ』『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』『ゴースト』なんかを足して水で薄めた感じで、異界とこの世をつなぐトンネルというのも、よくある話。そして、子供向けか?とも思えるほどの分かりやすさ、毒のなさ、エロのなさ。ちょっと物足りない。
そして、未亡人になってしまったジュリアとニックの関係も、そのまま…。ニックが現世に戻れるとか、メッセージが送れるとか、そういうのもない。せいぜい、ジュリアがちょっと中国ジジイに親近感を持つ程度。これじゃなあ…。ジェフ・ブリッジスの豪快さはいい感じだけど、いまいち世界に引っ張り込まれなかったであるよ。最後に、ニックは中国ジジイの外見からガールスカウトになるんだけど、ううむ、な感じ。そのうちCATVでやったらまた見ようか、な感じだ。
それにしても、悪霊って、死んでるのに死にきれない人たちなんだろ。なんでも、毎日15万人(だっけかな?)も死んでるから、処理しきれなくて、あの世に行けないのが悪霊になる? じゃ、悪人じゃなくても悪霊になるってことか? よくわからんね。
エンドロールに"in Association to〜Dentsu & Fuji Television"とかでてきた。日本との提携があるのか?
R10010/22新宿ミラノ2監督/松本人志脚本/松本人志
配給はワーナーブラザースらしい。allcinemaのあらすじは「都内有名家具店に勤める平凡なサラリーマン、片山貴文。妻が1年以上も意識不明で入院している彼は、ある日ふとした心の迷いから“ボンデージ”という謎のクラブに入会してしまう。それは、いつやって来るか分からないという究極のSMプレイを提供する秘密クラブだった。ただし、契約期間の1年間は、決して途中退会が許されなかった。以後、様々なタイプの女王様が貴文の日常生活の中に予告なく現われ、彼を禁断の未体験世界へと誘っていく。最初は、その甘美な責め苦とスリルを満喫する貴文だったが」
R100は、映画のレイティングのことだろう。話の中に、映画を監督した100歳の老人が登場するんだけど、彼は「この映画は、100歳を超えないと楽しめない」という。そのことを指しているのだろう。
冒頭は洒落ていて、トイレでルージュを引き直し、タバコをふかす富永愛。音楽とカット割りのテンポがいい。彼女は店のテーブルに戻ると、待っていた片山(大森南朋)をボコボコにする。…で、次のシーンでは秘密クラブ入会の場面。これは過去に遡ってるのか? で、夜道を帰宅…なんだけど、帰宅路を丁寧すぎるぐらいフツーにカット割りして撮ってる。そんなの省いて、いきなり家の玄関でもいいんじゃないのか? と思ったけど、のちのちの帰宅の様子につなげたかったのかも知れない。
あとは、とっかえひっかえボンデージの女王様が登場し、片山をイジメ倒していく、の積み重ね。寿司屋ではサトエリが寿司を潰すんだけど、これはいかがなものか。同伴者でもなくボンデージの人間を店が受け入れる筈はない。それに、片山は一人で寿司をカウンターでつまむような男なのか? と思う。
さらに、誰かに噴水に引きずり込まれる(引きずり込む方も水浸しでたいへん)。路上で蹴倒される(天下の公道でそんなこと、できるものか?) 片桐はいりのイジメはなんだっけ? 妻(YOU)の病室にやってきたのは誰だっけ? もうあまり覚えてない。寺島しのぶは、会社(デパート)の男子トイレだっけ。でも、上司に見られてるんだぜ、叩かれてる様子を。その時点で、SMボンデージはおおっぴらってことだよな。で、息子に預けられた緊縛人形が家の中にあり、大地真央(寺島しのぶ?)が家にやってきて、イジメの様子を息子に見られる。その息子も縛られ吊され、つぎに渡辺直美の唾吐き女王がやってくる。…と、このあたりで少しずつつまらなくなっていった。
それまでは、得体の知れないSMクラブと女王たちにイジメられる不条理。けど、顔が変わるほどの快感を得ている…てな話で、フツーに映画として見られた。でも7、8歳の男の子(息子)が縛られて吊されているのは、見たくない。映画として、やっちゃいけないことじゃなかろうか。さらに、唾吐きが気色悪い。…そうそう。このとき渡辺が片山に上からかけた汚れ防止シートは、真ん中に穴が開いていた。そこに片山がすっぽりはいる仕組みだけど、それじゃ液体は防げんだろ、と思っていたら、後のシーンではシートに穴はなかった。いい加減だね。
さて、勢い余って渡辺は2階から転落死。それを秘密クラブのオーナーが、緊縛人形に仕込まれたカメラで見ていて、電話で片山を脅すのだが…。いったいこの秘密クラブの目的は何なんだ? 片山から会費だけ取ればそれでいいんじゃないの? なのに、「いったん入会したら途中退会は許さない」とか、イジメがどんどんエスカレートして片山の自宅にまで及ぶとか、営業を逸脱して、なんなんだ? と思っていたら…。
突如、画面にフィルムのかすれみたいなのが写り、タイトルの「R100」が。で、完成試写で、出来具合に首をひねる映画会社のお偉方と、若手のスタッフが、途中退出してロビーで話しているという設定。お偉方が「秘密クラブの目的って、なんなの、分かんないよね」とかいう。なんと、観客の疑問をそのまま口にしている。で、スタッフは、言い訳のようなことをぶつぶつ。そして、本編に戻る。こちらでは、片山が渡辺を車に乗せ(どうやってかついだんだ、あんなデブ)、いずこかへ。途中、どこかの機関の人間だという渡部篤郎がでてきて、片山にアドバイス。「追っ手は、女の唾液を感知して追ってきている。追っては義父の家まで行っているかも」とかなんとか。この渡部篤郎はすでにデパートにやってきて片山と接触していて、「これ以上、秘密クラブと関係をもつのはヤバイ」とかなんとか言っていたんだが、結局最後まで存在がわからず。
で、渡部篤郎から、なんの違和感もなく拳銃を受けとり、義父の家に向かうんだけど、このときすでに義父は片桐はいりの人呑みに食われているという、なんだかわけの分からない展開。到着した片山は、片桐はいりと大地真央(だっけ?)を撃ち殺す。
という裏では、秘密クラブの女ボスが外国からやってきていて、手下の女王をひきつれ渡部の義父の家にやってきて、総力戦。渡部は、なぜか知らんが手榴弾を手に入れていて、それを投擲して女王たちを次々に倒していく…という、わけの分からない展開に。こちらは呆れて眠くなってる。あとはもう何だかよく分からない。部屋の中が炎に包まれたみたいになり、どうしたことかもう分からない。女王様にイジメられたフラッシュバックがあったりして、それが終わると妊娠して腹の膨らんだ片山が裸でいて、息子が腹をさすっている。試写が終わり、映写室で満足げな顔(変顔になってる)をしている100歳の監督は、高橋昌也だ。エンドロール終わって、外のロビーでは、映画会社のお偉方が、「これじゃしょうがないな」顔をしていて終わり。
というわけで、途中まではフツーに映画だったんだよ。でも渡辺直美の登場からおかしくなって、何が何だか分からなくなってしまう。松本人志はそのことは先刻承知で、本編を撮ったのは100歳の老監督で、映画会社も映画のデキには頭を抱えている、と表現する。すなわち、松本人志の映画は、会社から評判が悪い、と松本人志自らが語っているわけだ。ある意味、自虐的。そもそもつまらないのが分かっているなら、つまらなくしなければいい。でも、フツーな映画は撮りたくないのだろう。自虐的ではなく、俺の映画はフツーの人には分からない、100歳越えないと理解できない映画だ、と居直ってる。そういう気持ちを映画で表現するのはかまわないけど、それは金を取らない個人的なレベルでやって欲しい。
ビートたけしでいうと「監督ばんざい」みたいな映画なのかもね。でも、客に媚びを売らない姿勢は、たんに嫌われていくだけだと思うんだけどね。ビートたけしは、フツー名な映画も撮って、それで、変な映画も撮っている。でも、松本人志は、ずっと変な映画ばかり。それじゃ、共感は得られないだろうと思う。
恋する惑星10/24キネカ大森1監督/ウォン・カーウァイ脚本/ウォン・カーウァイ
1994年作品1995年公開。テレビで2回は見てる。でもスクリーンでは初めて。後半の、フェイ・ウォンとトニー・レオンのパートが好きだ。可愛くて健気で一途。でもとらえどころのない不思議な娘を演じている。警官のトニーに惚れて、家に侵入。模様替えまでしちゃうのに、トニーが気がつかない! って、あり得ない! けどいいんだよ、映画だから。でもトニーは、スッチーの元カノが忘れられない。もうダメ。とあきらめて、トニーはフェイをデートに誘うんだけど、当日、フェイが現れない。なんと、カリフォルニアに行ってしまったという! その置き手紙には、ナプキンに手書きでカリフォルニア行きのチケットが描いてあるんだけど、その意味がよく分からない。トニーに「追ってきて」っていっているのかな。まあいい。ホントはよくないけど。ははは。で、1年後、フェイはなんとスッチーになって香港に戻ってくる。と、トニーは警官を辞めて、ハンバーガー屋(?)になっていた! というオチ。と書くとたわいないけど、映像と音楽で見せる手腕は素晴らしい。
で、前半は金城武と金髪女性(ブリジット・リン)の話。こっちは、いまいち暗くて楽しくなれない。金城は、彼女に捨てられたところ。金髪は麻薬密輸のディーラーらしい。白人男性から話を持ち掛けられ、アラブ人を使って密輸しようとするんだけど、いざ飛行機に乗ろうとしたら、アラブ人が一斉に消えてしまう。なんとかアラブ人の行方を探るんだけど、どーも経緯がよく分からない。拳銃でアラブ人たちや白人も射殺するんだけど、何が起こったからそうしたのか、よく分からない。そんな傷ついた金髪が、バーで警官の金城武と一緒になり、一緒にホテルへ。でも金髪はすっかり疲れていて寝てしまう。金城は映画を2本見てサラダを4皿食べ、明け方にでていく…。ポケベルが鳴る。元カノか? と思ったら、金髪からの誕生日おめでとうだった。という話。うーん。後半は何度も繰り返してみてもいいけど、前半はいいや、な感じ。
で、大きな画面で気づいたのは、前半にフェイ・ウォンがガーフィールドのぬいぐるみを買って、店から出てくるシーンかチラッとでてきていたこと。やっぱ、小さなテレビ画面では集中できてなかったりするのだな。ははは。あと、フェイ・ウォンは、肌があまりきれいじゃないのかも、と思った。ははは。金城武は、若かった。
楽園の瑕(きず)10/24キネカ大森1監督/ウォン・カーウァイ脚本/ウォン・カーウァイ
1994年作品1996年公開。原題は「東邪西毒」。始まってすぐ寝てしまったよ。主人公が恨み晴らしますの商売を始める。自分が剣をもつのではなく、武人に話をとりもつ役割をする。なんとかいう武人に酒を飲ませたら記憶か消えていく(?)とかなんとかいってるあたりで、沈没。20分あまり寝て起きたら、盲目の剣士の話になっていた。だんだん見えなくなっているので、田舎に帰って桃の花の木を見たいとかなんとか言ってる。仲間を殺された仇討ちのため、馬賊が大挙してやってきて、盲目の剣士は喉を斬られて死んでしまう。恨みを晴らして欲しい女がロバを連れてやってくるけど、金を持ってこないとダメだと突っぱる。そのあとは、裸足の剣士で、彼は指を失って、女(妻か?)とどこかへ行く。字幕で、3年後にともに死んだとかでてくる。主人公は、好きだった女が兄嫁になったことから怨んでいて…。でも、最後は自分も戦うようになっていたな。…てなアバウトな理解しかできなかった。
ドラマで話が進んでいくのではなく、主人公のナレーションで説明されていく。なので登場人物の名前がなんどもでてくる。のだけれど、男も女も似たような恰好で似たような顔立ち。いつ、どこで、という時制が分かりにくいし、因果関係も把握しにくい。アクションシーンも、極端なコマ落としの静止画みたいなものになってる。絵は砂目でざらつき、なかなか格好よくてスタイリッシュ。でもダイナミズムがないんだよね。
各登場人物を物語的に描くというより、主人公から見た登場人物の紹介が淡々とクロニクル的に描かれるだけなので、どーも感情移入できない。退屈。
エンドロールに原作が金庸とでていて。読んだことはないんだけど、大河歴史小説のはず。…調べたら、武侠小説になるのか…。なので、長い物語を圧縮し、エッセンスだけをまとめたものなのか。まあいいや。もう一回見たいとは思わないし。登場人物に感情移入もしなかったし。
しかし、「恋する惑星」のような魅力的な映画を撮った同じ1994年に、なんでこんな眠くなるような映画を撮ったのかね。分からん。ストーリーがWikipediaにあったので、そっちを読んだら、なるほど、だった。でも、解説を読まなくちゃ理解できないような映画は、ロクでもないってことなんだけどね。
僕が星になるまえに10/28ヒューマントラストシネマ有楽町監督/ハッティー・ダルトン脚本/ヴォーン・シヴェル
原題は"Third Star"。allcinemaのあらすじは「病に苦しむ若者が、30歳を前に親友3人の力を借りて辿る最後の旅の行方を描く。監督はこれが長編デビューのハッティー・ダルトン。末期ガンのために自分も周りも残り少ない人生と覚悟する29歳のジェームズ。そこで彼は、最後の願いを叶えるため親友のデイヴィー、ビル、マイルズを旅に誘う。こうしてデイヴィーたちは、すでに体の自由がきかないジェームズをカートに乗せ、彼が行きたいと願うウェールズにあるバラファンドル湾の美しい海岸を目指すのだったが」
まず、4人が何のためにバラファンドルを目指すのかが分からない。想い出の地? なにも説明されない。途中でクルマを降り、後は徒歩。なんだけど、かなり行ったところに村があり、祭り(?)の最中…ってことは、ここには道が通ってるってことじゃないのか? だったらもっとクルマで来れたろうに。なんていう目的と道中が不明だ。
4人の関係が分からない。高校の同級生? 大学? そして、3人の友だちデイヴィー、マイルズ、ビルの描き方が拙速。ささっとナレーションで紹介するだけというのは安直だ。広告会社をやめてジェームズの介護専門というデイヴィーは、どういう人物なのだ? なぜ会社をやめてまで世話をするのか? そこが分からないと、
で、マイルスって言うのは、16のとき作家の父親が死んで、自分も書いているけど本になっていない、という設定だったな。経営者で(こっちが広告屋だっけ?)、でも破産寸前だと言うことをあとから告白する。さらに、ジェームズの姉とつき合ってて、もうすぐ一緒に暮らす、と告白したりする。どういう奴なんだ? こいつは。そして甲高い声のビルは、テレビ屋だったかな。つき合ってる彼女に子供ができた、けど、彼女のことは好きじゃない…とかいってる。よく分からんやつ。
道中、彼らは冗談を言い合ったり本音を打ち明けたり、秘密を吐露したり、ときに反発したりする。でも、人物のアウトラインが言葉で知らされるだけで、顔と性格やバックボーンがイメージとして定着していないので、すんなりなじまない。なんかリアリティに乏しい芝居になってしまっているのだ。もっと映像で人間を描いて、それから道中に移行すればよかったのにね。
なんとか渡し船のあるところまでたどりつき、船で次の場所へ。で向かった先は小島かと思ったら、さらにまたキャンプしなくちゃ行けないような場所で、いったいそんな場所はほんとうにあるのか? よく分からない。そうやって行き着いた場所は、絶壁の海岸に挟まれた砂地の湾ではあるけれど、なぜそんなところに行きたかったのか、さっぱり分からない。有名観光地なら、もっと開けててもいいと思うんだが。
死期の近いジェームズは、自分の世話を焼いてくれている友人3人に、ときどき当たり散らす。「おまえらみたいな下らない人間が、これからも生きていく。俺だってもっと時間が欲しい」「お前は小説のひとつも書けないじゃないか」「くだらんテレビ番組ばかりつくって」「デイヴィー、お前は俺が死んだらどうするんだ? 自分の生き方を探せよ」とか、からむ。すると「じゃあお前は病気になる前までに何かをなし遂げたか?」とか言い返されたりする。ジェームズだって病気にならなかったら、友人と同じようなだらけた生活をしてるはずだし、もっともなことだ。なので、ジェームズについてはとくに気の毒とは思えなくなってしまう。
浜辺で漂流物をあさるオッサンに遭遇するんだけど、マイルズだったかデイヴィーが話をしているうちジェームズの病気のことになる。するとおっさんは「俺にもガンで死んだ友人がいる。でもしょうがない。とってもアンラッキーだったってことだ。俺はまた新しい友だちをみつけるよ」とかあっさりいう。そうだよなあ、と思ってしまう。
というように、この映画は不幸を前面に出したお涙頂戴映画ではない。気の毒ではあるけれど、そういう運命にある青年(29歳)の話である。死に行く人は「たら、れば」をいう。周囲は、同情以外なにもできない。
で、死にゆく友人を励ます映画かと思っていると、終盤で雲行きが怪しくなる。すなわち、末期ガンの苦しみ(痛み)からジェームズを解放してやることは是か非か、ということだ。たまたま行軍中にジェームズのクスリ(モルヒネ)を落としてしまい、苦しみに悶えるジェームズを見てしまう、という出来事が発生。その結果、ジェームズが、入水したいので手伝ってくれ、と3人にいう。もちろん彼らは断る。が、しかし、翌日になるとジェームズはひとり海に入っていく。見守る3人。マイルスが助けに行くんだが、ジェームズの固い遺志に負けて、なんと、もぐってしまったジェームズを海中で支え、浮かばないようにする! とは! おおお。それは単なる殺人行為ではないか。いくら本人が望んだからといっても…ねえ。
まあ、末期ガン患者の安楽死の問題があるんだろうけど。その実行者を友人に設定し、しかも、させてしまう終わり方にはちょっと引いた。そりゃあ死にゆく人はそれで本望だろう。しかし。友人たちは罪の意識を背負ったまま生きていくわけで、それを課すジェームズの我が儘・傲慢さには納得できない。とくに、これからジェームズの姉と同居しようとするマイルスが直接の加害者になっているわけで。それをマイルスの姉が許すはずがない。マイルスは、ジェームズを助けることもできたけれど、しなかった。ということは自分の遺志だ。マイルス一家、とくに姉との関係を破棄する覚悟で実行したということだ。友情は、それほど篤いものなのか?
ちゃんと帰してやって、それから勝手に死んでもらえばいいじゃないか。友人の誰かも「水死より、帰ってからクスリを飲めよ」といっていた。ジェームズは「それじゃダメなんだ」とかいってたけど、ダメな理由がよく分からない。目を見開き、死を直視しながらでなくちゃダメな理由が、分からない。
ときどき挿入されるイメージ的な映像も、結局は回収されない。ほったらかしだったし…。
エピソード的に登場する人々に味がある。誰だったかの高級時計を盗む、田舎のかっぱらい小僧。高価なものが海に捨てられる、という暗示も込められているのかも知れない。渡し船のとんちきオヤジは、三途の川の渡しということか。往復料金が高いのは、帰ってくるな、片道で行け、という暗示? 漂流物をさがす不思議オヤジ。流れ着く、も暗示かな。中国人が難破したには、なにかの元ネタでもあるのかな? この漂流物オヤジがいちばん面白くて、中国人が難破時に流されたダースベイダーの1980年代モデルを探しているらしい。彼がふところから小さなライトセーバーを取り出すところでは、笑いが起きたよ。
「スターウォーズ」以外に、4人の旅ということで「脱出」が。渡し船のオヤジが化粧をしているというのず「トッツィー」。ほかにもクリスティン・スコット・トーマスともう1人の名前もでてきたりして、映画ネタもいくつか。しかし、みんな古い映画ばっかりだ。時代設定はいつなんだろう。

 
 

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