2013年11月

カルテット!人生のオペラハウス11/1ギンレイホール監督/ダスティン・ホフマン脚本/ロナルド・ハーウッド
原題は"Quartet"。allcinemaのあらすじは「引退した音楽家たちが暮らす〈ビーチャム・ハウス〉には、カルテット(四重奏)仲間であるレジー、シシー、ウィルフが暮らしている。そこへもう一人の仲間であるジーンが新たな入居者としてやってきた。彼女はかつて仲間たちを裏切り、傷つけ、今は大スターになっていた。そんな中、〈ビーチャム・ハウス〉が閉鎖の危機を迎える。存続の条件はただひとつ、コンサートを成功させること。しかしジーンは過去の栄光に縛られ、歌を封印してしまっていた」
まず驚くのは件の養老院の豪華さ。石造りのお城のような家に広大な敷地。なぜ音楽家がそんなところに入れるのか? 後からくるジーンは「一文無し。知り合いが出してくれた」とか言ってたけど、幾らなんだ? 閉鎖の危機というけど、土地を売るとか、大衆向け養老院住宅をたくさん造ればいいじゃないか、と思ってしまう。
次に驚くのは、入居者のプライドの高さ。みな自分が一番と思ってるような老人ばかり。そのうえ、クラシック、その中でもオペラが一番クラスが高いと思っていて、タンゴやジャズを蔑視している。そして、院内でも人気音楽家がちやほやされる。たとえば昼食も庭が見える席が定席だったりする。そのヒエラルキーの厳格さには、辟易した。なので、この映画の老人たちには共感も同情も、ほとんどできなかった。
で、施設を存続させるため、ガラを行なうとかいってんだけど、コンサートらしい。でも、ガラってなによ? Wikipediaでみたら、記念コンサートのことをガラコンサートというらしいが、そんなこと素人にはわかんねーよな。でそのガラがラストで開かれるんだけど、500人以上の規模かと思ったら、なんと館内の大広間みたいなところに150人ぐらい入ってるだけ…。そんなんで資金調達ができるのかいな? 慈善家たちが100万ずつもってきたとかなのかな?
で、みな和気藹々と暮らしてるところにジーンがやってくるんだけど、みなジーンを恐れるにしては、その実害がたいしたことがない。もっとも影響が大きいらしいレジー前夫らしいので、どんなことが? と思ったら、結婚9時間で離婚した、と。どうも、式の前日にどこかの公演に行きそこで誰かと浮気し、その足で戻ってきてレジーと結婚。でも、「浮気してきた」とジーンが告白したので別れた、らしい。そんなのオソロシイ部類に入らんだろ。たんに尻軽女なだけで、たとえ名声を得た歌手であろうとそんな女は願い下げ、と思ってればいいだけの話。他の音楽家に与えた影響? 何があった? 対してなかったんじゃないか? むしろ、健康を害した老人とは「あのとき浮気したっけな」と互いに懐かしんでたりする。そんな存在だ。ジーンなんて恐れるに足らずなのに、まるでモンスターのように噂される。ヘンだろ。
しかも、とても毛嫌いしていたレジーは、すぐにジーンと接近し、思い出話をしたりする。あとのウィルフとシシーも同様。なんだかな。話がまどるっこしいだけで、なかなか転がらない。
そもそもジーン、レジー、ウィルフ、シシーがかつての仲間、という感じがつたわってこない。だって、シシーがジーンに会いに行くと(とても低姿勢)、ジーンは「ああ、あなたね」とか、いま思い出したような反応をする。ジーンはスーパースターだった、は分かるけど、ウィルフとシシーも大スターだった感じがつたわってこんのだよ。とくにシシーは使いっ走りみたいな案配で、貧相にさえ見えるし。ジーンとレジーはいいとして、それ以外は登場時間が多くても、人間が描けていない。やっぱ、人物を丁寧に描き込むことができてないから、どこにどう感情移入したらいいか分からないような映画になるんだろう。
人物といえば、セドリックという存在も意味不明だ。院のボスでガラの黒幕みたいな感じで大威張りなんだけど、どういう存在なんだ? みんなが彼に従う理由はなんなのだ?
というわけで、たいした事件も起こらず、実はレジーはいまだにジーンを思いつづけていたことが分かって、最後は、この後、やっと一緒になるであろうことを感じさせてオシマイ。ひどいことに、メインの4人によるカルテットの歌唱の様子は、音声だけで映像はなし。ということは、本人たちが歌ってないということなんだろう。
エンドロールで、映画に登場していた脇の老人たちが、実は気本物の音楽家であることが現在・過去の写真とキャプションで紹介される。でも、主演の4人は写真だけでキャプションはなし。ということは、4人は役者専門? でもセドリック役のマイケル・ガンボンは、なんとか劇団とか所属してたところがクレジットされてたけどな…。彼も音楽家なのか?
ひとつ疑問。シシーは、ガラの当日、もうすぐ出番というとき、突然、ママがどうしたとか家に帰ると言いだす。あれは痴呆になったということなのか? にも関わらず、すぐに他の3人と一緒にカルテットで歌いきったわけなんだが。一瞬、正気に戻った、ということなのか? よくわからんね。
女医のルーシー先生。「ラブ・アクチュアリー」のマルティン・マカッチョンかと思ったら、「ヒステリア」のエロい女中をやってたシェリダン・スミスだったのね。
Webで調べたらあの老人ホームは「ヴェルディがミラノに創った音楽家のための老人ホーム「音楽家のための憩いの家」からインスピレーションを得て」いるらしく「運営はヴェルディの没後50年間は彼が作曲した音楽の著作権料で賄われ、現在は施設利用料と寄付で運営されている」んだと。へー。本当にあんなのがあるんだ。驚くね。でも、音楽家を特権的に迎え入れるというのは、どうなのかな、と思ったりもしてしまう。
そうそう。冒頭で老人ホームのプールシーンが映るんだけど、、プールサイドの水がかかりそうなところに日本の屏風が置かれたりしてて。そりゃないだろ、なんだが…。
2ガンズ11/10新宿ミラノ1監督/バルタザル・コルマキュル脚本/ブレイク・マスターズ
原題は"2 Guns"。allcinemaのあらすじは「ボビー・トレンチは、麻薬組織に潜入中のDEA(麻薬取締局)捜査官。ところが、彼がコンビを組むマイケルも正体を隠して組織に潜り込んだ海軍情報部の将校だった。ボビーはマイケルと共に証拠となるボスの金=300万ドルを押収すべく銀行を襲う。しかし、強奪した金はなんと4000万ドル(約40億円)もあった。しかもその大金はマイケルの裏切りで忽然と消えてしまう。一方マイケルもまた裏切りに遭い、お尋ね者となってしまう。実は、その金はCIAの裏金だったのだ。そこでボビーとマイケルは再び手を組み、消えた4000万ドルの行方を追って捜査を開始するが」
ボビー(デンゼル・ワシントン)とスティグマン(マーク・ウォールバーグ)のコンビが登場。ボビーは銀行へ下見。スティグマンは向かいのドーナツ屋へ。で、なんと2人はドーナツ屋に火を放ってトンズラ。なんのこっちゃ。で、その2週間前に遡って…と話が展開する。2人はパピという麻薬王と関係があるらしい。でも、あの取り引きは何だったんだ? ブツは渡す、コカインをくれぬなら金は要らぬ・・・というやりとり。で、帰路、検問に引っかかって…。どうなるかと思ったら、なんとボビーは麻薬捜査官で潜入捜査をしていたらしい。で、証拠を確保するため、ピコが定期的に銀行に預けている資金200万ドルを、強盗という手段で奪いたい、と上司にいう。…と思ったら、なんとスティグマンもピコを追っている軍人で、潜入捜査していたということが観客にわかる。でも、2人は互いに身分を知らぬ。その2人が強盗の貸金庫に入ると、200万ドルのはずが4300万ドルもの大金が見つかり、唖然…。さあどうしよう、というところでスティグマンがボビーの肩を撃ち、金を持ち逃げする…。
スティグマンは上司のハロルドに金を渡したんだろう。「殺した」と嘘をついたボビーの遺体を見つけに行くが、当然ない。どころかハロルドに狙われる。なんとか逃げ出して、そのまた上官にも追われる。その後、スティグマンとボビーは反目しつつも仲間となって、互いの身分を知る。そして、なぜ同時にピコを? と考え出す。2人は基地に突撃し、ハロルドの上司の少将だかに直接話をするんだけど…。そして、ハロルドに詰め寄っても「金はここにはない」といわれるだけ。
謎らしい謎は最初だけで、怪しい一団が実はCIAで、金はCIAの持ち物、とすぐ分かってしまう。ピコが定期的に銀行に預けていると思ったのも、実はCIAへの冥加金で、見返りに航空機での麻薬密輸を見のがしてもらってたという。そんな風にCIAはあちこちから寺銭を集めていた、と。
消えた金をめぐってその後、この金を追う謎の一団、ピコと手下、警察がからんで、話がぐちゃぐちゃになっていく…。この経緯は、正直にいってよく覚えていない。寝不足で眠かったこともあって、中盤は眠気との戦いだった。かろうじて寝なかったのは、まあ話がそこそこ面白かったからかも。でも、謎を孕んだ緊張感というわけではなく、ドタバタな様相を呈していくので、実は少し退屈。
で、ボビーのセフレである同僚警官のデブと軍人ハロルドはできていて、デブが情報をハロルドに伝達。それで軍もピコに目を付けたらしい。というわけで、デブが黒幕なのか? その後、デブはピコに簡単に殺されてしまうんだけど、殺す理由が分からない。デブが隠した金目当て? でも、そんなのちょろまかしたらCIAにつぶされるだろ。じゃ、取り返してCIAに渡すため? よく分からん。で、デブは殺される前に指輪を嵌めかえるんだけど、それはどういうサインなんだろう。デブの死骸を発見したボビーは、速攻でどっか(モーテルらしい)の部屋のベッドの下から大金を発見するんだけど、ボビーに向けてのサインだったのか?
そのボビーもCIAに捕まるんだけど、金を持ってきたら許してやる、とかいわれ。ボビーはベッドの下から見つけた金を車に積んで持っていく。そこにやってくるスティグマン、ピコ、CIA…。ボビーは金を渡すフリをして油断させ、金を積んだ車を爆発させる。宙に舞う札束。入り乱れる銃撃戦。…もう無茶苦茶。まんまとピコもCIAもやっつけた2人はトンズラするんだが、どーも金は全部爆破したわけじゃなくて、残っている様子。ってことは、2人で山分け? とはいっても、全米規模で隠し金してるCIAに逆らって生き抜けるとは思えんのだが…。
なんかこう、原作を効率的に消化しきれていない感じがするんだけどなあ。
・冒頭のドーナツ屋で、ウェイトレスに「次にきたときは言うよ、胸に…」とか言ってたのはどういう意味なのだ?
・ドーナツ屋を放火したのは、なぜ? 銀行の前にひとがたかってると襲いにくいから?
3人のアンヌ11/11キネカ大森1監督/ホン・サンス脚本/ホン・サンス
韓国映画。原題は「他の国で」、英文タイトルは"In Another Country"。allcinemaのあらすじは「映画学校の学生ウォンジュは、フランス人女性アンヌを主人公にした3つの脚本を書き始める。それはいずれも、海辺の町モハンを舞台に、バカンスにやって来たアンヌがそこで地元のライフガードと出会うひと夏の物語だった??。1人目の主人公は青いシャツのアンヌ。成功した映画監督で、友人の韓国人映画監督ジョンスに誘われ、モハンを訪れる。2人目の主人公は赤いワンピースのアンヌ。浮気中の人妻で、愛人の映画監督スーとの密会のためモハンへとやって来た。そして3人目は緑のワンピースのアンヌ。離婚したばかりの彼女は、民俗学者の友人パク・スクに連れられやって来たモハンで傷心を癒そうと考えていた。それぞれに事情の違う3人のアンヌは、やがて浜辺で軽薄なライフガードと巡り会うが」
女の子が母親となんだかんだ話している。どーでもいいような話。の後、女の子が脚本を書く。その内容が、以下の様な3つの物語として展開される。
@フランス人女性監督アンヌが、韓国を訪問。韓国の映画関係者ジョンス(監督?)とペンションに宿泊。ジョンスの身重の妻も来ている。3人は海岸へ。そこに割れた焼酎瓶が落ちている。ジョンスはかつてアンヌと一度キスしたことがあり、どーも下心ミエミエ。それを妻が察知して、疑いの目を向ける。アンヌは管理人(娘)から傘を借りて、海岸へ。ライトハウスを目指すが、見当たらぬ。ライフガードにであうが、ライトハウスは分からず。ライフガードのテントに迎え入れられ、彼のアンヌを礼賛する即席の歌を聴かされる。夜。ペンションでのバーベキュー。ライフガードはバーベキュー場のバイトをしていて、炭を変えるときしきりにアンヌに話しかける。ジョンスは「失礼だぞ」というけれど、しつこく「歌を作ったから聴いてくれ」という。アンヌにも嫌われ引き下がる。翌日。帰るというアンヌはライフガードのテントを訪れ、昨夜の非礼を詫びる。「体調が悪かった」と。そしてライフガードに手紙を渡す。けれどライフガードは筆記体が読めないので、手紙も虫食いにしか読めない…。とかいう話。
A韓国の有名監督スーと密会するため、人妻アンヌがペンションを訪れる。しかしスーは女優と会うので、すぐに行けない。5時間はかかる、という。と、早々とスーがやってきて、ドアをどんどん叩く。寝ていたアンヌはやっと気がついてドアを開け、迎え入れ、キス。…と思ったらそれは夢で、目覚めたアンヌは管理娘に傘を借りて散歩に出て、ライフガードと遭遇…だっけかな。よく覚えてない。このパートのライフガードの役割は、記憶から抜けてるよ。ははは。海岸で灯台を眺める。すると、変なオッサンが寄ってきてアンヌを驚かせる…たったかな? と思ったらそれも夢で、やっとやってきたスーと部屋の中でキス…だったかな? よく覚えてないや。
B亭主が韓国人の秘書だかメイドだかと恋仲になり、離婚したアンヌ。民俗学者のおばさんとペンションにやってくる。隣に泊まっていたのが韓国の映画監督(@と同一人物)で、仲良くなる。寺を訪れ礼拝するが、坊主に会いたい、と民俗学者に言う。翌日、民俗学者の知り合いの坊主に会いに行くんだけど、あれこれ絡むような質問をし、「そのモンブランのペンをくれ」と要求。どーも坊主はモンブランを与えたようだ。そのモンブランは民俗学者が坊主にあげたモノらしいのだが、坊主と民俗学者が関係があったようにも思えないのだが…。アンヌは管理娘と一緒にでかけ、海岸でライフガードに出会う。憂さを晴らすように一緒に酒を飲み、瓶を海岸に捨てたような…割ってはいなかったけど…で、テントに入ってセックスしたらしい。アンヌはテントからでて、Aで石壁に隠していた傘を引き抜いて、戻っていく。
というような話。くすくす笑いできるようなエピソードが結構あって、パート1はそこそこ楽しめた。パート2では、別の話になるのかと思ったら、設定が少し変わるだけで、基本は同じような話。とくに管理娘とライフガートの役割は、ほとんど変わらない。なので、途中から飽きてきた。パート3では坊主とのやりとりが大きいけど、だからどうだ、ってな感じ。いずれにしても大きな事件はないし、ドラマチックもない。なので、見ているこちらも、だから何? 的な気分になっていく。
この映画、非商業主義的なつくりになっている。セットも少ないし、ライティングの工夫や画面の作り込みはほとんどない。とても素人っぽい撮り方をしている。さらに、カメラを手にしたばかりの学生のような無意味なズームイン、ズームアウトが必ず入る。まだ学生の女の子が考えた脚本だよ、ということなのかも知れないけど、だからなに? だよな。
でも一方で、同じような設定の話を繰り返すというのは、いかにもフランス映画にありそうな不思議な感覚だとは思う。だけど、舞台が韓国なので、いまいち洒落て見えないのだよな。もしこれがすべてフランス人俳優による映画だったら、また違う感じになったのかも知れない。
それと、アンヌはフランス人なのに、ずっと英語で通すのが違和感。まあ、韓国人なら英語ぐらい話せるだろうけど、フランス語は…ということなのかも知れないけど、やっぱ変。
アンヌをイザベル・ユペールが演じてるんだけど、よく知らない役者。見てる映画はあると思うけど、記憶になかった。で、どーみても40以上で、色っぽくなんてない。なのに映画の中で韓国人男性から「美しい」なんて言われ、なんと最後は青年とセックスまでしてしまう。この人、何歳? と調べてみたら、1953年生まれ。映画は2012年だから、おいおい、59かよ。それは、どういう意味があるのだ?
あと、失礼ながら思うのは、韓国人男優がみな貧相なこと。ま、コメディとしてつくられているからかも知れないけど、ハンサムが実はマヌケ、ではなく、ハナから軽い印象なんだよな。そんなこともあって、つまらなくはないけれど、面白くもない、というような映画であった。パートを超えて活躍する傘や焼酎瓶のような存在を、もっと活用できなかったかな、と。または脚本を書く女の子を映画の中にも登場させてダイナミックなひねりを加えるとか。なんかできなかったのかな。
緑の光線11/11キネカ大森1監督/エリック・ロメール脚本/エリック・ロメール
1985年フランス映画。日本公開は1987年。原題は"Le rayon vert"。映画.comのあらすじは「夏のパリ。オフィスで秘書をしているデルフィーヌは20歳も前半、ヴァカンスを前に胸をときめかせていた。7月に入って間もない頃、ギリシア行きのヴァカンスを約束していた女ともだちから、急にキャンセルの電話が入る。途方に暮れるデルフィーヌ。周囲の人がそんな彼女を優しく慰める。いよいよヴァカンス。女ともだちのひとりが彼女をシェルブールに誘ってくれた。が、シェルブールでは独り、海ばかり見つめているデルフィーヌ。太陽はまぶしく海は澄み渡っているが、デルフィーヌの心は晴れない。彼女は、人気のないパリに戻った。しかし、公園を独りで歩いていると、見知らぬ男が付いてきて彼女を不安にさせる。8月に入り山にでかけた彼女は、その後、再び海へ行った。そこで、彼女は、老婦人が話しているのを聞いた。それは、ジュール・ヴェルヌの小説「緑の光線」の話だ。太陽が沈む瞬間にはなつ緑の光線は幸運の印だという……海で友達ができないわけではないが、彼女の孤独感は消えない。パリに戻ることにした彼女、駅の待合室で、本を読むひとりの青年と知り合いになった。初めて他人と意気投合した彼女は思いがけず、自分から青年を散歩に誘った。夕方、海辺を歩く二人は目のまえの光景に目を見張った。太陽が沈む瞬間、緑の光線が放たれたのだ」と、なかなか細かいな。
16mmで撮ったらしく画像は汚い。しかも昔の型抜きの字幕で読みづらい。けど、時代がついてていい感じ。
なんか、評判も評価も高いようだけど、デルフィーヌという娘に少しイラついた。友だちから「一緒にいけない」といわれたぐらいで、友だちに愚痴。家族がアイルランドに行くからと誘っても「山は嫌だ。海がいい」という。それで友だちの一人の義兄だったかの家がシェルブールにあるからと誘ってくれて、一緒に行く。そこに同年代の男女はいるけど、心を開かない。そのくせ尋ねられると「自分は偏屈ではなく協調性があり、つねに心を開いている」と主張する。なのに、「自分は肉は食べられない。血を想像する」云々と、他人が聞いたら気を悪くするようなことを延々と述べる。で、友だちが先に帰るからというと、「私も一緒に帰る」とパリに戻ってしまう。なぜか知らんが山に向かったけれど、たまたま部屋の鍵がすぐ受け取れず、それが理由かどうか分からないけど、「帰る」と何もせずにそのまま引き返してしまう。なんていう身勝手。さらにまた、どういう因果か知らないけど海に行ったら、海岸でスウェーデン娘と知り合いになって。彼女は「旅は一人がいい。男を楽しまなくちゃ」的なタイプで、さっそく2人連れと合流するけど、デルフィーヌはついていけず。
てな彼女を見てると、変人だと自覚しつつ「私は協調性がある」と主張し、でも場に馴染めない。そのくせバカンスは誰かとどこかへ行きたいと思い、彼氏が欲しいのに理想は高い。めんどくせえ女だ、としか思えない。彼女は「つき合ってた彼氏はいた」というけれど、ホントかどうか分からない。多分まだ処女だろう。読んでる本は「白痴」。なんかな。周囲の人間をバカにしてるようにしか思えない。おまえ、性欲あるのか? 頭で考えてばっかり。貞操が少しばなんて、いないぜ。
最後、スウェーデン娘から逃げだし、またまたパリに帰ろうという駅で、目が合ったハンサム男。彼にだけ心を開いて話しかける理由が分からないんだけど、それは彼が「白痴」に気づいてくれたから? たんにハンサムだったから? なんか、ご都合主義。彼についていく決心をするのも、その理由はよく分からない。ハートのジャック(トランプ。バリでは不幸の象徴のスペードのクイーンを町で拾ったけど、最後の海辺の町ではハートのジャックを拾った)に導かれてか? はたまたヴェルヌの小説にある、夕日の最後に見える緑の光のお導きか。説得力のねえ話だ。
しかし、旅はひとりじゃやだ。団体に参加するなんて、やだ。…と、フツーを望みつつ、フツーの友だちづき合いができない。かと思うと、ちゃんとバリには同年代の友人が3人ぐらいいたりする。あのあたりもよく分からない。他人と違う、ということを認めて、友だちなんて要らない。独立独歩で生きる、でもいいじゃん。なぜそうできないの? デルフィーヌ? と思うんだが。
それにしても。デルフィーヌがまあ何とか美形に入る部類だからいいけど。あれがブスでデブだったらどうすんだよ。どうにもならんぞ。
THE ICEMAN 氷の処刑人11/12新宿武蔵野館1監督/アリエル・ヴロメン脚本/モーガン・ランド、アリエル・ヴロメン
原題は"The Iceman"。allcinemaのあらすじは「1964年。美しい女性デボラを射止め、子宝にも恵まれたリチャード・ククリンスキー。平穏な日々を送っていた彼だったが、ひょんなことからその度胸を見込まれ、ギャングのロイから殺しの依頼を請け負うようになる。1970年代半ば。殺し屋家業も板に付き、すっかり羽振りも良くなったククリンスキー。妻には為替ディーラーと偽り、家庭では相変わらず良き夫にして、良き父親としての顔を保っていた。そんな中、ロイとの契約関係が破綻し、仕事にあぶれたククリンスキーは、ミスター・フリージーというフリーの殺し屋に近づき、仕事を斡旋してもらうようになるのだったが」
話はシンプル。カッとなると自己コントロールが効かず、人を殺すのに罪悪感がない男。これがポーランド人で、たびたびポーリッシュと揶揄されたような呼ばれ方をするのだが、なんとなくポーランド人=粗暴みたいな印象を受けてしまう。彼の弟も12歳の少女を殺害して収監されているということもあるしね。
最初に、デボラとのデートシーン。その後、仲間と玉突きしてて、デボラの悪口を言った男の喉笛を、いとも簡単に切り捨てるシーンがあるんだけど、誰が誰を…がよく分からないくらい暗い。それはさておき、このシーンだけで、怒らせると怖いことを知らせてくれる。
デボラにはディズニー映画のダビングが仕事、といいつつ、実はポルノ映画のダビング…。で、夜、仕事してるところに仲間(?)から、誰それが来るから逃げろ、と電話。のんびり退出しようとしたところにギャングみたいなのがやってきて、見つかってしまう。のだけれど、このくだりがよく分からない。なんでギャングに脅されたのか? 「明日までに仕上げる」とか返事したのに、しつこく脅す。(不法ダビング屋とか書いてあるサイトがあったけど、そうなのか? 個人事業? よく分からん)
で、翌日、ボスらしいロイに呼び出され、行くと「浮浪者を殺してみろ。できるなら子分にしてやる」みたいなことを言われるのだが、何気で簡単に射殺してしまう。これでリチャードはロイ専門の殺し屋となり、安定した収入を得るようになるんだから恐れ入る。
妻には、為替かなんかで収入を得ているようなことを言ったようだけど、映画のダビング屋から為替業に転職できると思ってるんだろうか。アホな奥様だな。
ロイの弟分格のへらへらした奴が、キューバだったかの売人と勝手に取り引きし、相手を殺してヤクも金も自分のものにしてしまう。それは簡単にバレるんだが「キューバのボスがロイを狙ってる。回避するには弟分を始末しろ」とレオという男がロイに告げにくる。のだけれど、このレオってどういう存在なのだかよく分からない。もっと分からないのが、ロイ。自分の身が危なくなってるのに、件の弟分を拾って育て上げた、という思いがあるせいなのか、殺さない。でもって、ロイが命じたのは別の部下(どういう役回りなのかよく分からない)の殺害を命ずるのだけれど、その男が拾ってきた女の子がクロゼットに隠れていて、見られてしまう。けれど、女は殺さない主義(なんでだ?)のリチャードは、彼女を連れてでようとすると、妙な男に「早くしろ」と急かされる。なんでかと思ったら、ロイは件の男の殺害をリチャード以外の殺し屋にも依頼していた、ということらしい。しかも、このロバートという男、爆殺しようとしたんだぜ。で、逃げる女の子も殺そうとするロバートを、リチャードは制止。なんかよく分からん展開だ。
てなことがあって、なんとロイはリチャードを首にしてしまう。とくにリチャードに落ち度があったわけでもないのに、なんで? な感じ。このあたり、話を端折ってるのかも知れないけど、どーも"なるほど"感が足りないのだよな。
困ったのはリチャードで、収入減がなくなってしまった。高級住宅地に住み、娘2人を私立に入れている身としては、大変だ。そこで頼ったのがロバートで、妙なコンビができあがる(このとき、ロバートのアイスクリーム車の冷凍庫に、こないだ逃がした女の子の死体が入っているのを見せられる!)。こんどはロイからの仕事ではなく、いろんなギャングからの仕事らしいけど、デトロイトに何人ぐらいギャングがいて、どういう関係か分からないので、どーも隔靴掻痒。
2人は、殺した連中を冷凍保存し、バラバラにする手法を実施する。それで死亡時刻が分からなくなるらしいけど、どう死体を処分したまでは描かれていなかった。
どーもリチャードはアイスマンと呼ばれるようになっていたらしいけど、その経緯が分からない。それは警察サイドの視点がまるっきりないせいで、実はじわじわと包囲されていたのだけれど、その過程がまったく分からない。まあ、その分、ラストの拍子抜けするぐらいな意外性が効いてもいるんだけど…。
リチャードがロイの手下を殺しているのは、いつしかロイにバレてしまう。ロイはリチャードの娘の誕生日にやってきて脅すんだけど、ここは緊張感…。
そういえば、ロイが弟分を殺すシーンがあったけど、どの時点で殺ったのか、忘れた。ロイが撃ったけど外したかなんかで、レオがトドメを刺したんだっけかな。これでキューバの件は片が付いたのか? よく分からん。
この辺りから記憶がアバウトになってくるな。リチャードはロバートに「これからも一緒にやろうや」とか誘われるんだけど、信じられずに殺してしまう。レオからも脅されるんだけど、これもまた殺してしまう。このあたりの因果関係がわく分からない。ロバートは、ロイにリチャード殺害を命じられていたのだろうか? レオはリチャードに金を払わなかったんだけど、どうしてなんだろう。てなわけで、人間関係、とくに、力関係がよく示されていないので、ほんと"なるほど"感がいまいだ。で、レオを殺した報復たったっけ? で、リチャードの娘がクルマに跳ねられる。どんづまりのリチャード。最後は妻と一緒にどこかに行こうとしていた(娘の病院へ行くんだったかな)ところを、警察に包囲されるんだけど。ちょっと前に友人を通じて病院の人間を紹介され、薬品を調達しようと相談した相手が実は警官で。すでに囮捜査のターゲットとして確定されていたというわけだ。ロイとの対決があるのかと思ったら、なんとも呆気ない逮捕劇だった。
逮捕後の話は、あまりない。なんでも、リチャードが誰かの犯罪を証言することになっていたらしいが、その直前に病死したとかクレジットされていた。それは、ギャングの仕業なのか、よく分からないけど、それを示唆するものだった。リチャードは、自己の殺人には反省していないけれど、家族を苦しめたことについては悔恨していたらしい。実際のリチャードは、親にひどい体罰を受けていたらしい(映画の中にもちょっとだけその描写があったいい。そのせいで人格が破壊された、ということらしいけど、それも個体差があるからなあ。おなじような環境にあっても、異常にならない人もいるわけだし・・・。
他にも、リチャードの友人や家族、ご近所なんかの人間関係がちょこちょこでてくるんだけど、ほとんど分からない。もうちょいカチッと紹介してくれると助かるんだけどね。…というわけで、いろいろ分からないところだらけではあるけれど、でも、なかなかシリアスに冷徹さがつたわってくる映画で、面白かった。
シュガーマン 奇跡に愛された男11/13ギンレイホール監督/マリク・ベンジェルール脚本/---
原題は"Searching for Sugar Man"。allcinemaの解説は「たった2枚のアルバムを出して姿を消してしまった一人の天才シンガーとその楽曲が辿った数奇な運命を描き、アカデミー賞をはじめ数々の映画賞に輝いた感動の音楽ドキュメンタリー。70年代にアメリカでまったく売れることなく姿を消した一人のミュージシャン、ロドリゲス。ところが彼の作品が、海を隔てた南アフリカで反アパルトヘイトの象徴として爆発的なヒットとなる。90年代に入り、2人の熱狂的ファンが謎に包まれたロドリゲスの消息を探るべく立ち上がり、やがて思いもよらぬ真相へと近づいていく」
最近のドキュメンタリーは、苦手。画面の半分以上が証言者のインタビューで、読んでるだけで疲れる。ドラマもないし、淡々とし過ぎるから。まあ、この映画もそんなクチだろうと思って見始めた。そのうち寝ちゃうかな、と。でも、ロドリゲスは白人ではなく、中南米っぽい名前で、容貌がなんとなくアジアっぽかったりする。それでアメリカでヒットしなかつたのかな、とか思っていると、場所が南アに移動。なんと、この地で時間差で大ヒットしたという。どーもアパルトヘイトに反対する国民に支持されたらしい。それも、白人たちに…。このあたりで俄然、興味が掻き立てられた。アメリカのマイノリティ、反権力・反抗的な歌詞。ちょっとボブ・ディランに似てるところがある。ディランは2人要らない、ということだったのだろうか。ロドリゲスがメキシコ人だったから受け入れられなかったのか。そのロドリゲスが、素性も分からない謎の歌手として南アでヒーロー扱いされた。たまたま時代が合ったからなのか。ロドリゲスは、アメリカでは早すぎたのか。それとも、遅すぎたのか。いろいろ象徴的。
そういえば、「島唄」も、ブラジルで熱狂的に歌われているらしいけど、その国以上に歌がヒットしちゃうことって、あるんだな。
売れないせいで、ステージで自殺した、という噂まである(南アで)ロドリゲス。その素性を調べよう、とした南アのファンが、歌詞の中の町の名前からデトロイトを割り出し、ついに探し出す。といっても、探し出す過程はそんなに複雑じゃなかった。Webサイトの人捜しと電話で解決してしまっていたから。でも、伝説のヒーローを発見した、生きていた、という感動を抑えきれない様子がつたわってきて、感動的。その後は、お定まりのように南アに呼び寄せられ、熱狂的に迎えられる。そして、米国ではまったく売れなかったロドリゲスが5千人の観客の前で詠う様子がこれまた感動的。
ロドリゲスという人物の素性の良さも大きい。飲んだくれのジャンキーじゃなくて、真面目な労働者。歌が売れないならと、解体業などの肉体労働についた。一度、市議選に出た程度で、騒ぎは起こしていない。フツーに結婚していて、娘が3人登場して話していた。とくに派手でもなく、質素に慎ましやかに暮らしてしているようだ。南アには何度か行ってコンサートを成功させている。あの人はいま的な扱いなんだろうけど、稼いだ金は家族や友人に与えてしまうとか。自分はちっとも贅沢しない。「だから神さまが見つけてくれたんだよ」といわれそうだけど、そういう言葉も、うんうん、とうなずきたくなってしまう。
歌詞のセンスがとてもいい。なぜ、売れなかったんだろう。やっぱりメキシコ人でディランにかぶったから? それにしても、タイミングなんだろうな。時代が合わなけりゃ、迎え入れてもらえない。それが、すべてがいい方に転がった南ア。反アパルトヘイト運動の後押しもした、というところがまた、うれしくなってくる。
南アのレコード会社は、印税をなんとかいうところに送った、というようなことをいっていたけれど、すべては海賊版だったのか? いったい印税はどこに消えたのだろう。そればかりが気になってしまうんだが…。
ビル・カニンガム&ニューヨーク11/15ギンレイホール監督/リチャード・プレス脚本/----
原題は"Bill Cunningham New York"。allcinemaの解説は「ニューヨーク・タイムズ紙で人気コラムを担当する写真家ビル・カニンガムの、知られざる私生活と仕事ぶりをとらえたドキュメンタリー作品。84歳のビルはこれまで50年以上にわたりニューヨークの街角で写真を撮り続けているが、部屋にはキッチンもクローゼットもなく、ファッション以外のことにはまったく興味がないという。リチャード・プレス監督はそんなビルに密着し、彼および彼の周りの人々を愛情あふれる視点で映し出す」
ビル・カニンガム? 誰それ? ファッション写真家でニューヨークタイムスに連載してるらしいけど、日本じゃ知られてない。そのせいか、どこが凄いのかよく分からない。しかし、街頭で一般人を撮りまくってるのは、ありゃたんなる盗撮だろう。いちどだけ「勝手に撮るな」と言われてる場面がでてきたけど、バランス的に配慮したのか。
もうひとつ、最後の方で女性観と宗教観を尋ねる場面があって、これが面白かった。「仕事が忙しくて女にうつつを抜かす時間なんてなかった。それはそれなりに処理してる」とかいってたけど、まあ、女性には興味がないんだろうな、きっと。性的興味がすべてファッション写真に向かってしまったのか。そして、毎日曜に教会に行くことについて聞かれた途端、へらへら笑いがピタリととまり、深刻にうつむいて黙ってしまった。あれはいったい何なんだろう。きっと裏には、なにか怪しいものが潜んでいそうな気がするぞ。
女に興味がなくて信心深く、ファッションに目がないパラノイアな盗撮ジジイにしか見えないんだけど・・・それでもビルを正当化する立場の映画のせいか、非難めいたことはでてこない。ほとんど好意的に撮られている。ニューヨークタイムスからはお金をもらっていない。好きなように撮り、好きなようにレイアウトするには、金に縛られてはいかん、ということらしい。けど。じゃ、どこから生活費をひねり出しているのだ? それとも、新聞社からはわずかしかもらってない、ということなのか?
『ハーブ&ドロシー』をちょっと連想した。純然たる素人だけど、もの凄い権威になっている、ってところ。もちろんビルはプロだ。けど、写真で食ってないなら、高度な素人ということもいえる。みかけはともに貧相なジジイ。でも、その動向はみなが注目してる。本人は否定するだろうけど、プロ以上の権威になってる。ビルが某ファッションショーに入口で、係員と話している場面がでてきた。ビルを知らない係員は、ビルを遮っている。そこにビルを知る人がやってきて「この方は第一番にお迎えしなきゃならない方だ」とかいって入れてくれる。入ったら最前列に陣取り、にかにかしながらシャッターを切る。こういう、顔で生きてるような人はどーも好かんのだよ。権威となっているなら、そう自覚して、触れ回ればいい。それを表面的には謙虚なフリをするのは、嫌いだ。
最後に、ファッション写真について聞かれ、ちょっと考えて、その必要性と役割について話すんだけど、なんかぎこちない。だってビルは、そんなこと考えてないはずだから。彼は好きなんだよ。変態ファッションを撮るのが、好きなだけだと思う。子供みたいに、興味津々なだけだ。その意味で、フツーじゃない。
どういう理由か分からないけど、カーネギーホールの上階に、狭いといえど住んでいたっていうのも、なんか凄い。特権的だよな。アンタッチャブルな人だったんだろうか。追い出されても、また別の部屋をちゃんと用意してもらえるのだから、特別な人なんだろう。でも、特別扱いされることに鈍感になってるんじゃないのかな。
・移動は自転車。ときどき運転を失敗してタクシーに追突したり、危なっかしい。なにせ80を超えてるんだから。まあ、マンハッタンだけで生活が完結してるからできることだ。
・新聞が買収されたり、Webに移行してる時代だけど、ニューヨークタイムスの連載はいまもつづいているのかな。
・なんと、いまだにフィルムを使っていた。デジカメは嫌いなのか。現像はどうするんだ? デジタル変換も大変だろうに。
・現在と、過去の映像とがごちゃ混ぜにでてくる。過去の映像はいつ頃、誰が撮ったのか、ということもでてこない。なんか、みててちょっとイラつく。
・日本人デザイナーの登場とともに、米国ファッション業界の不況が訪れた、みたいなことをいってなかったっけ。それと、川久保玲がニューヨークの浮浪者がもっともファッショナブル、といった言葉に目から鱗、みたいなことも言ってた。もうちょい掘り下げてくれないと、意味がつかみにくい。
・おおむねショーに集まる業界の変人たちを撮ってるようだけど(夜になると変態ファッションに変身するネパール大使(?)とかもいたな)。一般の人も結構、撮ってた。でも、東京にゃあんな変なカッコした連中はそんなにいないよな。渋谷辺りでずっと待ちかまえてると、でてくるのか? なんか、東京よりもニューヨークの方が派手な気がした。ビルはパリにはよく行ってるようだけど、彼が日本で撮影したらどんな写真を撮るのだろう、と気になった。
デッドマン・ダウン11/20新宿ミラノ2監督/ニールス・アルデン・オプレヴ脚本/J・H・ワイマン
原題は"Dead Man Down"。allcinemaのあらすじは「裏社会の大物アルフォンスは、何者かの脅迫に悩まされていた。ヴィクターは、そんなアルフォンスの右腕として一目置かれる寡黙なヒットマン。彼のマンションの向かいには、顔に痛々しい傷跡を持つ女ベアトリスが住んでいた。ある日、そのベアトリスがヴィクターに接触を図ってきた。彼女はヴィクターが殺人を犯す現場を目撃したと告白、通報しない代わりに彼女の顔に傷を付けた男を殺してほしいと思いがけない交換条件を持ちかけるのだったが」
ハリウッド流サスペンスアクションかなと思っていたら、急にフランス・ノワールみたいな雰囲気になる。とくにベアトリス役のノオミ・ラパスの儚くも濃密な存在感が、圧倒的。後から調べたら、なんと『ミレニアム』の監督だった。なるほど。見てから知ったキャッチフレーズが「死んだはずの男。未来を奪われた女。ふたりを繋ぐものは<復讐>だった」で、まさにその通り。妻と娘をギャングに殺された男が、そのギャングの一味として潜入して3年、いよいよ復讐を開始し始めたその瞬間、ベアトリスに殺人を依頼される。しかし、最初の殺害場面を一般人のベアトリスに目撃されていた…ってヘマだね。殺されたのは多分、最初に氷詰めされてたポールなんだろう。
ベアトリスは飲酒運転男のせいで顔にキズが残る状態で、3週間で釈放された加害者を怨んでいる。心に傷を負った男と、顔にキズをもった女の、命をかけた復讐劇。しかも、ヴィクターはハンガリー移民。ベアトリスはフランス人らしい。ちなみにベアトリスの母親は耳が遠いという障害がある。そして、アルフォンスの弟分ダーシーは、子供が生まれたばかり…。背景も含めて人物造形が見事。
家族を殺され、自分も瀕死の状態だったけれど生き残り、復讐する…というメインとなる話はよくあるパターン。ここでヒロインがフツーのキレイどころだったら、つまらない映画になったはず。美容院で他人を美しくしていたベアトリスが、美から縁遠いモンスター(と近所の子供にいじめられている)になってしまった対比。いつしかヴィクターに心を寄せるようになっていくノオミ・ラパスの演技が切ない。何度かじわっと涙が滲んだほどだ。
とはいえ、メインの話には穴が多い。そもそもヴィクター一家がいるビルをアル一家が襲ったとかいう話は、そもそもどんな出来事だったのか、ほとんど分からない。ヴィクターも半殺しの目に遭ってるのに、顔見せでアル一家に潜入してるなんて…。
冒頭。ポールが殺された、とアルフォンス一家が騒ぎ立て、どっからもってきたかよく分からない箱から手紙を取り出すと、「7がどーしたこーした」というちぎれたメモ。どうも脅迫状らしい。特長ある「7」の筆跡から、ジャマイカ人を思い浮かべるアルフォンス。なんと、直情的にジャマイカ人を襲撃し、皆殺しにしてしまう。ここで撃たれそうになったアルフォンスをヴィクターが助けるんだけど、そこまでするかね。曰く、自分が殺したいから他人に殺させたくなかった、らしい。理屈はそうなのかもしれないけど、そんなことしてるまに自分が撃たれて死んだらどうすんだ。まあ、映画だから仕方ないか、の範疇ではあるだろうけど。
さて、脅迫してたのはジャマイカ人ではない(当たり前だけどヴィクター)で、アルフォンスのボス(アルメニア人?)たちにも同じような脅迫状がとどく。だもんで勝手にジャマイカ人を襲撃したことを問われ、なんとアルフォンスはギャングを破門になってしまう。のだけれど、とくに廃業した感じもなく以降もフツーに動き回れているのはなぜなんだ?
てなわけで、以降は狙うヴィクターと守るアルフォンスの心理戦みたいになっていく。で、ヴィクターは1人殺すごとに写真を細かく裂いた一片を送ったりして、自分の存在をじわじわ示そうとする。しかし妙な脅しの手紙や暗号、写真(自分の家族の)のパズルなんかも送りつけたりして、手が込みすぎ。しかも、娘の3年目の命日に、アルたちとアルメニア人(だっけか)を一度にやってしまおう、という計画自体も考えすぎ。証拠を残しすぎだろ。…まあ、映画だからな。
・屋上から狙ってアルフォンスを撃たなかったのは、外したりか? と思ったけど予告の順番と言うことなのかね。これも手が込みすぎ。このときスマホに「鍵は手に入れたか?」というメッセージが入るんだけど、あれは妻の叔父からか? 次のメッセージを届ける郵便受けの鍵? でも、だれの家なんだ?
・ヴィクターがギャング事務所の屋根に上がっていたのは、盗聴マイクかなんかを設置してたのか? 爆弾?
・ヴィクターがアルフォンスに呼び出され、行くと暗い部屋にアルと2人の子分が…。アルは「罠を仕掛けた…云々」いうんだけど、あれは観客に"発覚したか?"と思わせるためなんだろう。けど、でも、なんでもなかった。では、あれは何だったんだ? よく分からない。
・脅迫状の送り手を探すため、弟分ダーシーは送られてきた(?)写真の撮影位置→爺さんの目撃話→タクシー運転手→降りた墓地の墓守…とたどっていく。そしたら墓守が墓のリストをどうたら…という件は、どういうことなのだ? その墓がヴィクターと妻と娘の墓なのは分かる。でもヴィクターは死んでいない。墓のリストは、なんのため? ハンガリーの船長(?)が用意してくれてた墓を視察にでもいったのか? よく分からない。
ラスト。あれは倉庫だっけ? アルメニア人も呼びつけて一網打尽にする目論見。そこに1人で乗り込んでいき、セットした爆弾も利用しつつ、多くの相手に立ち向かう。かなり荒唐無稽。階段を順繰りに上っていくのは、まるで『最も危険な遊戯』。ワンシーンワンカットじゃないけどね。
ここでちょっとした齟齬。ヴィクターはアルメニア人の弟を誘拐し、殺してしまっているんだけど。死ぬ前に、監禁されている場所がアルフォンスの倉庫の地下だ、と言われせている。そのビデオをチップに入れ、「送ってくれ」とベアトリスに渡した。けど、ベアトリスはチップをウサギの指かなんかと入れ替えちまうのだよな。アルメニア人にチップを再生させ、アルフォンスと仲違いさせようという魂胆が水の泡。客の眉毛を手入れしていて、抜きすぎちゃったシーンがあるんだが、あの眉毛はどうなったんだろう? 仕事は首か? で、彼女は倉庫へ走る、が捕まってしまう…。ヴィクターも満身創痍。というところで、ベアトリスは倉庫の上階でなんとかPCをみつけチップを再生。それ見たアルメニア人が「てめー」ってアルフォンスを撃ち、アルフォンスもアルメニア人を撃ち、の同士討ちには大笑い。まあ、映画だからな。
てなわけで一件落着。妻のむ叔父は、後方支援だけだったんだな。ベアトリスの母親役のイザベル・ユペールが、なかなか色っぽくて可愛い。60歳らしいけど。
危険なプロット11/21ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/フランソワ・オゾン脚本/フランソワ・オゾン
原題は"Dans la maison"。「家の中で」という意味のようだ。allcinemaのあらすじは「作家になる夢を諦め、高校の国語教師として退屈な日々を送るジェルマン。生徒たちのつまらない作文の添削にもすっかり辟易していた。ところが新学期を迎えたばかりのある日、彼はクロードという生徒の作文に心惹かれる。その文章に可能性を感じたジェルマンは、彼の個人授業に乗り出す。ジェルマンの指導で才能を開花させたクロードは、クラスメイトの家庭を題材に、ますます魅力的な物語を紡いでいく。ジェルマンは他人の生活を覗き見るその背徳的な物語にためらいつつも心奪われ、いつしか“続き”を待ちわびずにはいられなくなっていくが」
面白かった。作文を提出されて、初めは文法の間違いを指摘する程度だったのが次第にドラマがないとか、小説には障害が必要だとか、人物の役割が物足りないとか言うようになる。さらに「こけれは現実か?」と戸惑っていたのが「フィクションも交えないと」なんて言いはじめる。だから、作文の内容が映像化された部分は現実なのかフィクションなのか、分からなくなっていく。そしてついにはクロードの作文のなかにジェルマンが映像的に入り込んでコメントしだし出したりする。この映画、どこまでが真実で、どれがクロードの創作なのだ? もう、わけが分からなくなったまま終わってしまう。それでも、ジェルマンは作家のタマゴを発見した歓びに満ちているし、なんだかんだ言ってもクロードもジェルマンを慕っている…てなラストだったけど、ここはブラックが効いてなくて、ほのぼの過ぎて物足りないかも。…とはいいつつ、もしかしてクロードの狙いはジェルマンを離婚させ、自分の専用教師にすることだったりして…。
結構、笑えた。サスペンス的な要素もあることはあるが、どっちかというとコメディかな。まあ、いくらなんでも教師が1生徒の作文にのめり込み、試験の解答を盗み出して生徒に渡す…ことまでするかいな、なんだけどね。さらに、その生徒の作文を雇われ画廊主である妻ジャンヌに読ませ、2人で「次はどうなるの」と待ちかまえているってのも、設定としてはあり得なさすぎて苦しい。のだけれど、そういうのもアリかな、と思わせる無謀な勢いがある。そもそも話が妄想から成り立ってるから、それでいいんだよ、的なね。
制服、現代アート、画廊(名前はミノタウロスの迷宮)、映画(パゾリーニだっけ?)、クレーの版画、虚数、ロシア文学、「夜の果てへの旅」セリーヌ、バスケットボール、中国人、中国企業、韓国人は汚い、インテリアデザイン、ピザ…などなど、話を形成する要素は細部まで凝りに凝っていて、半分も分からないよ。
クロードはラファの母親エステルを「中産階級の女性」と呼ぶ。これは蔑視のようだけれど、そのクロードは障害者の父と2人暮らし。家も狭い。低所得で保護されている可能性もある。クロードは知的ではあるんだろうけど、中産階級に対して怨みでもあるんかいな。
ラファの家は一戸建て。公園に面している。妻エステルは、インテリア関連の仕事をしていたがいまは専業主婦。どう室内改装しようかと雑誌ばかり見ている。夫のラファ父は、会社員。ボスに軽んじられ、独立しようとしている。中国人相手にモノをつくらせ、輸入して売れば儲かる的なことを言っている。現在も同じような仕事をしているみたい。だから、ボスに言われて中国人を飛行場に迎えに行ったりしている。部屋にクレーの絵を飾っているけれど、ドイツ語が読めないので題名を理解せずに飾っていた。それをエステルに告げるのだけれど、エステルは不快感を露わにしない。フランスは階級社会なんだろう。知らなくてもいいことは、別に知らなくてもいいのだ。…ところで、クロードはなぜドイツ語まで読めるのだろう? 教わったとは思えないんだけどね。そうそう。この件を読んだジャンヌは速攻で「クレー? 本物のわけない」というんだけど、これがまたオカシイ。で、あのクレーは複製だったのかな? だよな。
中産階級の家に興味をもつクロード。エステルへの興味は、去って行った実母への思いが現れているのか。それとも知的ではないけれど裕福なラファ一家への復讐なのか。あるいは単に、書くための情報を得たいがための好奇心か。文学者には窃視症も少なくないらしいから。他人の暮らしに興味津々というところなんだろうか。
ラファへの押しかけ家庭教師に始まって、ラファ父やエステルの心にも入り込み、まるで息子になったかのような扱いを受けるようになる。これは、百舌が他人の巣に入り込んで、ひな鳥のふりをするようなものなのか。本心なのか、戦略なのか、はたしてどちらなんだろう。
画廊のオーナーは、双子のオバサン。ジャンヌは雇われ廊主。売上がないと画廊を閉める、と言われている。画廊で展示してるのは、ペニスの鍵十字の絵と、独裁者の顔をもつダッチワイフを串刺した立体。さらには上海の空の写真とか。上海の写真の展示ではオープニングパーティまで開いたのに、オーナーの双子は来ない。客はきても…売れなかったのかな? 結局、画廊は閉めることになる。ジャンヌがジェルマンを捨てて家をでたのは、このことも影響してるんだろうな。
さて。エステルが妊娠する。ということは…クロードの子? はっきりとは言ってないけど、そういうことだよな。あるいはフィクションか。ラファ一家は中国に行き、向こうで事業を始めるらしい。クロードはラファに接近する前、公園からラファ家を観察していたようだけど、エステルはそれに気づいていたみたい。で。クロードはエステルに駆け落ちしようと言うんだけど、断られる。まあ、そうだよな。だって16歳と40凸凹だろ。そもそもエステルの申し出が本意かどうか…というより、フィクションかも知れないし。
そういえばジャンヌは好き嫌いがはっきりしてる感じ。最後にクロードがジェルマンに借りた本を返しに借るんだが。本を書棚に戻しながら「ロシア文学は嫌い」なんてことをいう。まあ、画廊主だから、そういうのもあっていいのかも。でも、それは、ロシア文学が好きなジェルマンに対するあてつけだったのかな。で。さて。ジャンヌはクロードと寝たのか? クロードはジェルマンに寝たと思わせただけだったのか。妻を疑うジェルマンに、ジャンヌは怒りを露わにする。そして、家をでていく。…ということまで計算して、クロードはジェルマンに接近したのか? そして、その接近は大成功? そもそもクロードの狙いはエステルではなく、ジャンヌでもなく、ジェルマンだったとか? 深読みがいくらでもできる映画は、楽しい。
・試験で18点はかなりいいみたい。ってことは20点満点? それが断られてないので、分かりにくいよ。
・ラファは、ジェルマンに作文をみんなの前で読むよう求められ、赤っ恥をかく。そのやり口がひどい、とある雑誌に投稿するんだけど、その投稿雑誌って教師も知らないところで編集され、出版されるのか? そうそう。ラファの投稿を代筆したのはクロードらしいから、慕っているフリをして逆襲しているわけだな。空オソロシイ子供だ。
セブン・サイコパス11/22新宿武蔵野館2監督/マーティン・マクドナー脚本/マーティン・マクドナー
原題は"Seven Psychopaths"。allcinemaのあらすじは「アメリカ、ロサンジェルス。脚本家のマーティは「セブン・サイコパス」というタイトルだけが決まっている作品の執筆を請け負うが、1行も書けないまま締め切りだけが迫ってくる。そこで見かねた親友の売れない俳優ビリーは、ネタ集めにと“サイコパス(イカれた奴)募集”の新聞広告を勝手に出してしまう。するとさっそくマーティのもとには、全米中の凶悪犯を殺しまくったと自慢するアブない男ザカリアが現われる。一方ハンスという男の下で愛犬誘拐詐欺のバイトにも精を出すビリーは、危険なマフィア、チャーリーの愛犬に手を出してしまい大ピンチ。こうしてマーティの周りには、図らずも映画のネタにはもってこいのサイコパスな奴らが次々と集まってくるのだが」
友人で役者のビリーは、犬を盗み、持ち主に届けて謝礼をもらうビジネスを裏家業にしてる。のだけれど、ギャングのボスの愛犬を盗んで追われるハメに…という話が主軸。ビリーの相棒はハンス(クリストファー・ウォーケン)で黒人の妻がいる。彼女はガンの手術を受けて、病院で療養中。新聞広告をみてやってくるザカリアは、元泥棒。判事の家に盗みに入ったら黒人女性が虐待・殺害されているのに遭遇し、監禁されていた黒人女性とともに判事を殺害。以後、2人で犯罪者を殺して歩く人生を送ってきたらしいんだけど、あまりに残酷な殺し方に彼女と別れてしまった。その彼女と再会したいので「自分の話を映画に採用されたら自分の連絡先をクレジットしてくれ」とマーティに頼む。で、自分の体験記を話す。
というようなサブエピソードがありつつ、マーティが考えたり、ビリーが話してくれたエピソードが映像として挟まれるんだけど、そういう話が現実とオーバーラップしたりするのは昨日の『危険なプロット』と似てる。ひとつは、意味なくクエーカー教徒の少女を殺した男が収監中に信心深くなり、出獄。が、少女の父親が夜ごと現れ、彼を監視する。恐怖に耐えられず、男は喉をかき切って自殺する。自殺すれば天国に行けないから。それを見た少女の父は、自分も喉をかき切る。地獄まで追っていく、ということだろう。で、このエピソードはビリーの話なんだけど、実は喉をかき切った父親がハンスで、喉の傷をネッカチーフで隠している…という設定。でも、クエーカー教徒の前は、仏教徒って設定だったんだよなあ。
マーティが考えた話は、ベトナム戦争で家族を殺されたベトナム僧が、復讐のために白人娼婦に爆弾を付けさせ、なんだかの会議の場につれこんで爆破させようとする話。でも、これは素案だけ。のちにハンスが話をアレンジして、テロの話は僧の妄想で、実際は抗議のために焼身自殺しようとしている最中だった…というものに変えられる。てなわけで、マーティは最終的に物語を1つ完成させるんだけど、自分がちゃんと考えたものはほとんどなかったりする、という結末だった。そういえば、エンドクレジットが始まってすぐフィルムが焼け、映像が…。ザカリアからの電話で「彼女へのメッセージと連絡先がクレジットされてなかったな…殺すぞ」といわれ、「分かった。すぐ付ける」とマーティが応えるんだっけか。
てなわけで、ハチャメチャぐちゃぐちゃな話だった。オープニングはタランティーノ風で、路上でぐっちゃべってる殺し屋2人が、突然現れた覆面男に、あっという間に仕留められるというもの。これはカッコイイ。で、わけの分からん要素がぶちまけられつつ、次第につながっていくまではまあまあなんだけど、早々に覆面男(死体の横にダイヤのジャックを置く)の正体はバレる(ギャングの愛人とも関係をもっているんだけど、大した意味もなく彼女を撃ち殺してしまう)のもつまらない。さらに、たかが子犬一匹のために子分を何人も犠牲にし、最後は銃も持たず、言われた通りに砂漠にやってくるギャングのボスというのがあり得ないだろ。このボス、ハンスの妻を問答無用で撃ち殺すような冷酷無比な男なのに、随所でやさしかったりするのが意味不明だ。とにかく、砂漠の場面では、一瞬寝てしまったよ、つまらなくて。
そもそもマーティ(コリン・ファレル)には妻がいるんだよな。恐怖映画かなんかでヒットをだして、注文はあるみたい。「セブン・サイコパス」は、企画が通ってるのか、だいたいの方向が決まってるのか、それはよく分からない。だって映画会社の人間がでてこないから。そういうマーティが、実はいちばんサイコなビリーみたいなのと、どうして友人同士なのかよく分からない。
書けない脚本家って設定はよくあるよな。ニコラス・ケイジの『アダプテーション』も似たような設定で、でも、正直いってつまんなかった。なんだかよく分からない話だったし。ジム・キャリーの『マジェスティックス』も脚本家が主人公。これもよく分からない映画だった。しかし、なんでまた脚本家主人公になってハチャメチャな状況が発生する映画がつくられるんだろう。日本じゃ、ほとんどないよな。
まあ、終わってみれば、表面的に面白い要素=エピソードをぺたぺた貼り付けただけのパッチワークみたいな映画。中味は大したことがない。因果関係もすっきりするわけでもなし。
・マーティとビリーが見に行く映画が、なんと北野武の「その男、凶暴につき」で、その、びんたシーンが映される。日本語が聞こえてるから字幕なんだろう。
・なんかのとき「ヌンチャクは日本だろ」というセリフがあるんだけど、中国じゃないの?
・マーティの家の隣家に掲げられている半分焼けてる星条旗は、どういう意味があるのだ?
・最後にハンスが創り上げるベトナム僧の話はマジすぎてちょっと、おっ、ときた。なにせ大半がふざけきったような映画だったから。
風俗行ったら人生変わったwww11/24新宿ミラノ3監督/飯塚健脚本/飯塚健
allcinemaのあらすじは「29歳童貞の遼太郎は、初めての風俗体験で優しい風俗嬢のかよと出会う。すっかり一目惚れしてしまった彼は、ネットで知り合った知性派の晋作からアドバイスをもらい、奇想天外なかよ救出作戦を決行するが」で、解説に「風俗嬢に一目惚れした男の体験記として2ちゃんねるに投稿され評判を呼んだ物語」とあった。なるほど。話の構造が『電車男』そのものだった理由が分かったよ。
気が小さくて過呼吸で…な遼太郎が、何を思ったかデリヘルを呼び出してみることにした…という時点で気がでかいじゃん、って思うんだが。呼び出したけど何もできない。できないまま何度も会うのは申し訳ない、と"かよ"から言いだして、アドレス交換。日常的に会うことになった。しらふではオドオドだけど、飲むと結構大きく出られる。でも"かよ"がなぜ風俗に、は聞けない。さらに、かわいい"かよ"が他の男と…と思うと、吐き気までしてくる。まあ、フツーな感覚過ぎて面白くない。
ある日突然、"かよ"からの連絡がなくなる。実は"かよ"にはつき合っていた男がいて、最初は飲まされて犯され、金をせびられ、ローン地獄。大学はやめ、風俗へ…という古典的すぎる過去があった。男はたまにやってきて、身体を求め金をせびる。そのせいで家から出られなくなっていた、らしい。
遼太郎が男に対面し、殴られながらも刃向かって、相手に反省させる。のだけれど、そう簡単に反省するものかね。さて、残ったのは100万円の借金。それを解消するために、ネットの掲示板仲間が応援する。
実際は文字だけのはずなんだけど、ゴレンジャーみたいに色変わりの服の6人が登場し、あれこれアドバイスしたりするんだけど、なかの1人、晋作というのが現実に遼太郎を訪ねてきて、アイディアを伝授する。それは、ローン会社のボスは借用書類を自宅に持ち帰っているので、それを汚して破ってないものにしてしまおう、という作戦だった…のだけれど、この件が一番バカすぎ。
そもそも晋作はデイトレーダー。Web仲間には有名な作家もいる。そして"かよ"の借金はわずか100万。そんなの現金でなんとかしろよ、な話だろ。それをムダに壮大な計画を立ててローン会社のボス宅に潜入したりする。なかでもオイオイなのが、キョンシー映画で外へ連れ出すプラン。衛星放送のキョンシー映画を見る、となぜ分かったか。アンテナをズラして見えなくしたら、DVDででも見ようとする、となぜ分かる? レンタルビデオになぜキョンシーDVDがない? というか、板橋→渋谷→池袋とへめぐらせて(そうなる、と分かっていなければ、Web仲間が各レンタル店で店員のフリをすることなんかできんだろ)家を留守にさせた間に、なぜ借用書を盗まないのか? なぜ巨大な扇風機で台風を装って窓からはじき出す必要があるのか? しかもそのために、Web仲間がビルからビルへ飛び移らせる必要がどこにあるのか? さっぱり分からない。というか、このクライマックスの借用書破棄作戦は、壮大なムダでしかないだろ。アホか。
で、最後は遼太郎が"かよ"に「きみがすきだ」と告白するという、まことに古典的すぎる話で映画は終わる。
全体にくどい。ベタなセリフをがんがん削って、70分ぐらいにすりゃいいんだ。佐々木希のお色気シーンもちょいと入れたりして…。
遼太郎の演技がオーバーすぎて気持ち悪い。病的に小心者といいつつ、免許はもっていたりする遼太郎。じれったいやつだ。"かよ"はやっぱり、単なるバカな田舎者。
カリカチャライズせず、どろっとしたところも見せたらいいのに、
ベルリンファイル11/25キネカ大森1監督/リュ・スンワン脚本/リュ・スンワン
韓国映画。allcinemaのあらすじは「北朝鮮の諜報員であるピョ・ジョンソンは、アラブ組織との武器取引現場を韓国情報院のチョン・ジンスに察知され、辛くもその場から脱出することに成功。なぜトップシークレットであるはずの今回の取引が、南に漏れたのか。ジョンソンは保安監視員のトン・ミョンスから、自分の妻リョン・ジョンヒに二重スパイ疑惑がかけられていることを知らされる。彼は自分でも気づかないうちに、大きな陰謀に巻き込まれていたのだった」
冒頭で、傷つき、逃げ帰ってくる男ジョンソン。3時間前…と時間が戻されると、どこかの会議室で何かの取り引きをしている。それを映像で見ている男たち。声が聞こえない! と大騒ぎしているうちに、取引現場では撃ち合いになり、逃げるジョンソン。階段を、南側の人間を倒しつつ逃げる…が、そのリーダーのジンスにつかまりそうになったところを、辛くも逃げ出す…。で、北の大使みたいなのがどっかの国の人物と食事していて、通訳がリョン。結婚してるようだけど、接待相手の外人の夜とぎを大使に要求される。帰宅したジョンソンの傷を、リョンが手当てする…で、冒頭につながる、でいいのかな。
最初にこちらが席を移ったこともあるんだが、冒頭の取り引きがなんなのか良く分からず。撃ち合いになった経緯も…。でも、フツーならその後の展開を見ていれば、なんとなく分かってくるもんなんだが、この映画は正直いって何が何やらほとんど分からないまま進んでいき、終わってしまった感じ。まず状況設定の把握がむずかしい。どっちが北でどっちが南、なんてことも分からないままはじまる。で、ジョンソンはスパイなのかなんなのか良く分からない。その妻が大使館の通訳なら、ジョンソンの存在も南にはつつぬけだと思うんだが…。
そもそも最初の取り引きを、南側はどうやって知ったんだ? どうやってカメラを設置した? なぜ音声が聞こえなかった? まあ、見直せば答はあるのかも知れないけど、セリフも多く、しかも早いので、考えている間にどんどん進んで行ってしまう。なので、映像もちゃんと見られない、ということも起こる。これじゃ、話についていけなくてもしょうがないかな。
で。どーも妻のリョンが南と通じてるあるいはアメリカ大使館に亡命しているのではないか、と疑われているみたい。時を同じくして北の工作員のトンという男がベルリンにやってくるんだけど、車内のトイレで白人女性を殺し、さらに、大使とリョンが食事したレストランのウェイトレスを殺す。このウェイトレスは大使たちの会話を録音し、ジンスに渡していたようなんだけど。では果たしてそり事実をどうやって知ったんだ? しかも、バスの車内でジンスに渡しているところをビデオ撮りしていたりする。そんなこと、できっこないだろ。
映画はリョンが亡命しようとしていた…とミスリードし、ジョンソンも妻を疑う。ところがすべてを工作していたのは北からやってきた工作員のトンと、その父親の党幹部らしい連中だった…という、つまらないオチのようだ。しかし、なぜトンと父親はジョンソンと妻を陥れてまでそんなことをしたのか? 何が目的なのか? そこに絡むアラブ人(最初の取り引きの場にいたようだが・・・)は、なんなの? 的な疑問がわだかまりのようにつきまとってスッキリしない。
そのうち、亡命しようとしていたのは北の大使で、大使はトンに自白剤を打たれ、最後に殺される。のだけれど、その死体を北に持ってかえろうとするのはなぜなの? トンはジョンソンと妻のリョンを狙う…のだけれど、殺すのではなく誘拐しようとした理由が分からない。とくに、リョンだけ誘拐して連絡既知に使っていた小屋に軟禁するんだけど、あれはジョンソンをおびき出すため? そのジョンソンはジンスと共闘し、南への転向を決意しちゃうんだけど、安易すぎないか? トンの父親の、そのまた上の人物に直訴できないの?
でまあ最後はジョンソンとジンスは小屋に向かい、リョンを救出しようとするんだけど、あれこれあってジョンソンとトンの対決はジョンソンの勝ち。「俺を殺しても勝ったことにならないぞ。父ちゃんがいるんだ」(だっけ?)と命乞いするトンが情けない。それにたいしてジョンソンは「人は裏切る」と、毒薬を注射してオシマイ。リョンはいつのまにか撃たれていて、死んでしまう。ジョンソンとジンスは負傷。
ラスト。ジョンソンがウラジオ行きの切符を買って、黒幕である父親を殺しに行く…と暗示するところで映画は終わる。
とまあ、解き明かしの表現にキレがなく、なんとなくアバウトに話が進んでいく。全体にメリハリがなくダラダラと描かれるので、「おお」「なるほど」「そうか」がアバウトにしか描かれない。トリガーとなる証拠が明示されたり、事実が明白になったりというのが、ピンと来るようにつたわってこない。これって、演出が下手くそだ、ってことじゃないのかな。
それにしても、韓国映画の男優って、優男というか喜劇役者みたいなのが少なくない。北の工作員トンは、懸賞生活で有名になった、なすび、そっくり。南のジンスは碁打ちの大竹英雄似。なんかな。あと、食事のとき音を立ててたべたり、お茶で口をすすいだりするのは、ちょっと気持ち悪い。
そういえばリョン役は「猟奇的な彼女」のチョン・ジヒョンだった。真面目な役は、なんだかなあ…。
てなわけでWebサイトの人物関係図をみて、ふーん、そうだったのか、といまさら理解を補っているところ。北朝鮮とアラブは武器取引で、そこにイスラエルのモサドがからみ、ロシア人の武器ブローカーなんてのもいたのか。そういえば、ジンスと情報交換してたCIAは影が薄かったな。
悪いやつら11/25キネカ大森1監督/ユン・ジョンビン脚本/ユン・ジョンビン
韓国映画。allcinemaのあらすじは「1982年、プサン。税関職員の立場を悪用し、密輸品の横流しや賄賂で私腹を肥やす世渡り上手の小役人チェ・イクヒョン。ある時ついに不正が発覚し、クビになってしまう。すると最後の悪あがきとばかりに、押収した麻薬を売りさばくべく裏社会の若きボス、チェ・ヒョンベに接近。そして偶然にもヒョンベが遠い親戚と判明するや、一族の先輩という立場と持ち前の交際術でヒョンベに深く取り入るイクヒョン。いつしか2人は名コンビとなり、プサンの街を牛耳っていく。そんな中、1990年に就任したノ・テウ大統領は“犯罪との戦争”を宣言し、暴力組織の掃討に乗り出す。飛ぶ鳥を落とす勢いだったイクヒョンとヒョンベも、ついに窮地に陥ってしまうが…」
面白かった。賄賂にまみれた公務員。それがバレて、部署から1人人身御供(つまり首)が必要になり、イクヒョンが指名されてしまう。その理由は、扶養する子供が3人と少なかったから…。他の職員はのうのうと生き残る。こんな杜撰だったのか…。
押収品の覚醒剤を売りさばくのは、若い韓国ヤクザ・ヒョンベに依頼する。「日本に売ればいい。日帝36年。みんなヤク中にしちまえ」みたいにいうのもおかしい。イクヒョンは最初下手にでて丁寧語を使っていたけれど、名字が同じだから同族だ、しかも、俺はお前の高祖父にあたる云々と態度がでかくなるのだが、ボコボコにされてしまう…。のだけれど、イクヒョンはヒョンベ父親(だっけ?)を訪問し、血族の力を利用してヒョンベに頭を下げさせる…。この血族的な部分はアバウトにしか分からないんだけど、そうとうな力があるのだな。
というわけでイクヒョンはヒョンベの組に出入りするようになり、ヒョンベの兄気分のような態度を取るようになるのがおかしい。ヒョンベも初めはうっとうしがっていたけれど、いろいろアイディアを出してくるイクヒョンを頼るようになっていくのも、不思議なことだなあと思いつつ面白く見た。
てなことしてると、イクヒョンの知り合いでクラブのオーナーからある相談。いま面倒見てもらってる組の連中の掠めとる率が高すぎる。なんとかならないか…。知ってる組はあるか? と。ヒョンベは躊躇する。クラブに牛耳っている組のボスは昔の弟分バンホで、彼のシマだったから。でもイクヒョンはクラブに出資し、共同経営者として乗り込んでいくのだが、ボコボコにされる。イクヒョンの店でもある・イクヒョンとヒョンベは血族・イクヒョンが暴行された…これで大義名分が完了。ヒョンベは手下とともにクラブに乗り込み、バンホ一家をボコボコにして店の乗っ取りに成功。ついでにイクヒョンはバンホの女もいただいてしまう!
日本のヤクザの大義名分とちかうところが面白い。のだけれど、みな手にしているのは鉄パイプか木刀みたいなので、切った撃ったがないところが、まだ愚連隊的なのだなと思った。
だんだんボス面になっていくイクヒョン。ある社長を監禁してた件で挙げられ、ボムソク検事に追及されるんだけど、イクヒョンは部長検事とのツテを使って(だっけ?)まんまと釈放される。このきに使ったのが、10親等の血族とかいうやつだつけかな? 忘れた。しかし、10親等の血族で仲間うちというのは薄すぎないか? このとき、ヒョンベも逮捕されるんだっけか。先に出たイクヒョンが手を使って出させるんだっけか。忘れた。そうそう。このときの社長監禁のシーンが冒頭近くにあり、イクヒョン逮捕が報じられるんだっけかな。もうひとつの時制も冒頭にあって、ちょっと分かりにくい感じもしたんだけど、どうだろね。
ボムソク検事は、盧泰愚大統領のヤクザ撲滅宣言みたいなのに後押しされ、やる気満々。でも、部長検事には頭が上がらない。ここでは先輩後輩という関係がものをいうわけだ。賄賂、血族、先輩後輩。なんか、すごく面倒くさい社会だな。
てなことで、次第に羽振りをよくしていくイクヒョンとヒョンベ。日本のヤクザ(金山という名前だったので、在日あるいは帰化かもね)と盃を交わす。このときにもらったピストルを、弾もないのに後生大事にもっているのもおかしい。なにがきっかけだったか忘れたけど、ヒョンベに、やりすぎとか言われるんだっけかな。イケイケのイクヒョンをヒョンベは「大叔父、堅気に戻れ」と退職金とともに放り出す。ところが悪の道を知ってしまったイクヒョンはバンホに接近。この辺りから正確な経緯は忘れてしまったけど、イクヒョンはヒョンベの手下にボコボコにされる。さらにバンホの手下がヒョンベを刺す。ヒョンベがバンホを叩きのめす…だっけかな。
なことしてる最中に、ヤクザ撲滅命令が下り、警察が一斉検挙に走る。これでヒョンベの右腕とかが逮捕され、バンホも捕まる。イクヒョンも逮捕されてボムソク検事に追求されるんだけど、自分可愛さで取り引きをする。イクヒョンはヒョンベと接近し、一緒に逃げるようなフリをして、警察に逮捕させるわけだ。どこまでもワルなイクヒョンで、その後も収監されることなく生き延び、息子は見事に検事になる! というエンディング。なんともまあ皮肉なことで、小悪党がいちばんワルだったというオチだった。なかなかこれも面白い。
イクヒョンのチェ・ミンシクはお馴染みの顔。でも、かなり太り気味なんじゃないか?
ヒョンベのハ・ジョンウは「哀しき獣」「ベルリンファイル」のハングリー顔。どことなく頼りなく、何を考えているか分からない感じもよかったりして。
バンホのチョ・ジヌンの存在感がよかった。いつかは見ていろ的な怨念が目に宿りつつ、結局、一度もヒョンベに勝てない哀しさ。ベネディクト・カンバーバッチに似た風貌も、なかなか。
ボムソク検事のクァク・ドウォンは小太りでオタク顔。こういう検事が案外しつこいかもな感じ。
ヒョンベの右腕となるキム・ソンギュンもいいね。売上をくすねて一度はヒョンベに叩きのめされるんだけど、最後まで忠誠を尽くす。健気。
他にも、武道をやってるという触れ込みなのに、何もできないイクヒョンの妹婿。イクヒョンの妻も。なんか、登場人物みなに存在感がある。それに、ちゃんと区別がつくし。
・息子のパーティのシーンの、息子のセリフとか、よく意味がつかめなかった。どういう内容だったかも覚えてないけど、意味深な感じ。最後、年老いたイクヒョンが振り返ると、ヒョンベの「大叔父さん」という声。あれは恨み節か?
もらとりあむタマ子11/28新宿武蔵野館1監督/山下敦弘脚本/向井康介
allcinemaのあらすじは「秋。東京の大学を卒業したものの、就職もせず、父・善次が一人で暮らす甲府の実家へ戻ってきたタマ子。家業のスポーツ用品店を手伝うでもなく、ただゴロゴロと暇を持て余しては、時折、世間に毒突いて口だけ番長ぶりを発揮するだけのあまりにも残念な日々を送るタマ子だったが…」。
「マイ・バック・ページ」「苦役列車」とフツーな映画がつづいた山下敦弘。今回は初期の頃の、力の抜けたタッチに戻って、気楽に楽しみながら撮ってる感じ。マンガの原作でもあるのかと思ったらオリジナルらしく、脚本の向井康介の力もあるんだろう。平凡すぎるぐらい平凡な日常を延々撮りつづけているだけなのに、とても面白い。小さなドラマチックがたくさんある。
冒頭、自室で寝てるタマ子。周囲に段ボールごろごろ。東京じゃなくて静岡とかの地方大学かと思ったら、あらすじには東京とある。ふーん。どんな学生生活を送ったのか知りたい感じ。友だちもいないなんて…。
父のつくる食事はちゃんと食べる。それもテレビを消して。悪い子じゃない。でもやる気がない。ニュースをみて「日本はダメだな」とぼそり。父も「ダメなのはお前だ」と怒鳴るけど、タマ子も怒鳴り返す…というシーンが一度あったきりで、とくに叱ったりしない。まあ、後半で分かるけど、本音は叱って欲しいんだけど、叱られるとうざい、ってとこか。
間食もしてたタマ子が、とつぜん青汁と野菜だけの食事になる。「服を買うから金をくれ」とも。父は「就職活動する気になったか」と喜ぶが、実はタレントオーディションに応募するつもり…。23歳でこれじゃ、頭の方はやっぱり少し足りないか? でその応募写真を中学生に撮らせるんだけど、彼の家は写真館なのだ。「どんな風に撮る?」に「自然に…ナチュラル…透明感」っていうのもおかしい。父親に黙って撮影したのはバレるんだけど、仕上がった写真を店のウィンドーに飾らせてもらって自慢気な様子が可愛いかったりする。いっぽう父親が、就職かと勘違いして時計を買ってくるというのは、ちょっとな。いまどき、という感じ。
でも、母親と店にきてバスケシューズをカタログで選んでた中学生が翌日一人でやってきて、「あれを変えたい」という申し出の相談にのるタマ子は、なかなかの接客上手ではないか。てなわけで中学生と知り合いになるんだが。しばらくして中学生が彼女と一緒なのを目撃するのだよ。
父親の生真面目さ、几帳面さがいい。看板をだし、入口にマットを敷き、プレートを営業中にひっくり返す。このシーンが何度もでてくる。でも飽きない。食事シーンもたくさんある。なかなか本格的で、天ぷらもする。大晦日に昆布を引いて削り節を入れているから何をするのかと思ったら、蕎麦用だった。ってことはダシも自分でつくるのか! 凄っ。タマ子にいわせると「スパゲッティの上にパセリをのせる。店じゃやいっての。あんなの飾りで食べるもんじゃないでしょ。…でも食べるけど」とは、父親がデートした相手にいったセリフだ。まあ、要するに、父親の凄さを認めてはいるけれど、素直に誉められないということだな。
タマ子の食べ方は、ひどい。ロールキャベツを大量に頬張り、顔が歪むぐらい。やる気はないけど食い気はあるようすがつたわってきて、いいね。他にも団子をバカ食いしたり、ラスト近くで中学生に「あたし家をでるんだ」と店の前でいうシーンでは、2人で一緒にバーアイスを食べている。食べるが生きるだからな。
自転車で移動中、帰省中の女友達に遭遇。気づかれないようにするが見つかってしまう…。あのシーンはどういう意味なのかな。友人は懐かしそうに話しかけてくるけれど、タマ子はめんどくさそう。まあ、卒業しても働いてないことが負い目なのか。「なに丁寧語つかってるの?」と言われているから、同級生か。その彼女を、クルマにのった女子が発見。彼女たちは仲よく会話する…が、クルマの女子たちはタマ子を知らない様子。その帰省中の同級生だと思うんだけど、しばらくして駅のホームにいる。でも、来たときは派手目の服装だったけど、なんか地味な服になってる。彼女は東京で働いているのか? ちょっとよく分からなかった場面だ。
タマ子は父親と2人暮らし。母は死別? と思っていたら、電話で話す、らしい。よく分からないんだけど、離婚しているようだ。タマ子には姉(画面には登場しない)がいて、すでに嫁いでいる。ともに父親に育てられたらしい。ということは、母親に好きな人ができて・・・の離婚かな。でも、母は、父親のところにも電話をかけることがあるようなことを言っていた。どういう背景があるんだろう。興味津々。
「今晩はなんにするか」「肉」「ブタか?」「ぎゅー」「じゃあハンバーグにするか…あ、いかん、法事で兄さんのところに行くんだった」「ええ? ハンバーグ」という会話を楽しんでいるのは父親か。食事をつくるのも、食べさせる相手がいるからできることなんだよな。で、兄のところへいくんだけど、父親一人かと思ったらタマ子もついていってる。やれやれ。で、そこで兄嫁から父親が「ねるとん、したのよ」と言われる。セリフも洗練されてて、いいね。
で、父親が再婚か、と気が気でなくなるのは、わりと定番な展開かもね。相手がアクセサリー教室を開いているからって、中学生を教室に行かせて偵察させる。その後には自分でも乗り込んでいき、結局、素性をバラしちゃうんだけど。23歳にもなって、親のつき合ってる女性にそんなに関心があるのかね。それでも最初は、知らない女性とつき合って欲しくない、と思っていたのが、実際に会ってみたらいい人なので気に入った…という流れは、もうちょいとひねりが欲しいところか。それでも、初対面の相手に父親のいいところを述べたりして、いい娘である。ついでに、自分を叱らないのが欠点、とまでも。
でもまあ、↑のセリフがあって、次のシーンが活きるわけで。というのは、父親が「おまえ。春になったら(だっけかな?)家をでろ。就職してもしなくても、出ろ」と決意を表明すると、小声で「合格」というのだ。そう言って欲しかった、ということだ。
というわけで、全体を見れば、子供にとっての親離れ、親から見たら子離れ、の映画であった。
・中学生がよかった。存在感がありすぎ。タマ子に呼ばれてジュエリー教室に偵察にだされるとき彼女と2人連れだったんだけど、「恋に部活に忙しい」とつぶやいたりする。生意気なところがいいね。
・最初の方では、父親が洗濯物を干している。娘のパンティとブラジャー…。最後、曲がりなりにも自立を決意したタマ子が、洗濯物を干す。父親のパンツを、つまみながら干し、指を別の洗濯物で拭く…。まあ、定番だけど、対比として上手く使ってる。同じように、最後、タマ子は店の看板を出し、マットを敷き、プレートを営業中に変える。まあ、几帳面にキチッとはってないけど、まずは第一歩ということで、やればできるということか。
・尺が78分だけど短さを感じさせない。ちょうどいい感じ。
・兄を、きたろう、かと勘違いした。ずいぶん頭が白くなったな、と。クレジット見たら鈴木慶一だった。あ、そうか。
・ジェエリー教室の女性。メガネかけた痩せぎすの…で、メガネを外したら、なんとなく富田靖子なんだけど、あんな痩せてたか? と半信半疑だったんだが。本人だった。最近、見てなかったからね。
・「監視カメラ作動中」「核廃絶」「みんなの党」なんかの、町にある看板が映り込んでいるのは、たぶん意識的だろう。
・秋・冬編と春・夏編で撮影と照明が違ってて、2組クレジットされてた。珍しいね。
・エンドロールの途中(だっけか?)に、撮影終了時の映像が。ふてて寝てる前田敦子は、ほんとうに寝ちゃってるのか? いや、起きてた。
・前田敦子。だらだら演技はサマになってる。のだけれど、ときどき怒鳴ったりするシーンで、何言ってるのか分からない。これは改めて欲しいものである。 ・甲府の運動用具店。娘2人を大学にやるような収入が得られるのかな、とか思った。学校指定なんかがあれば、そこそこ売上があるのかな。でも、品揃えもなくカタログで商品を買うのはなあ…。いまどきイオンとかショッピングモールとかに食われているのではないだろうか。写真館もそうだよな。いまどき、写真館で撮る人はおらんだろうなあ。そんなに。などと。

 
 

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