イノセント・ガーデン | 12/4 | ギンレイホール | 監督/パク・チャヌク | 脚本/ウェントワース・ミラー |
---|---|---|---|---|
原題は"Stoker"。主人公の一家の姓だ。allcinemaのあらすじは「大きな屋敷に暮らす少女インディア・ストーカー。誕生日には毎年、広大な庭のどこかに父からの靴のプレゼントが隠されていた。ところが18歳を迎えたこの日、彼女が見つけた箱の中には、謎めいた鍵が1つ入っているだけだった。時を同じくして贈り主であるはずの最愛の父が、不審な事故で突然の死を迎えた。こうして、決して心を通わせたことのない母エヴィと2人きりになってしまったインディア。ところが葬儀の日、長年行方不明だった叔父のチャーリーが姿を現わし、そのままインディアたちと一緒に暮らし始める。そしていつしか、知的でエレガントなチャーリーの魅力に心奪われてゆくインディアだったが…」 はっきり描かないのが手法というか美学みたいに思っている感じがある。あれは何だったんだ? というイメージも少なからず。とはいっても、大勢に影響はないといえば、そうなんだけど。 冒頭は、草むらに立つ少女の現在で爽やかな感じだけど、見終わってみればおぞましい状態であることが分かる。で、過去に遡って…。でも、雑然とした感じで、筋が通ってない描き方。どうも、インディアの父親が死んで、葬式のよう。妻のイヴリンは、そんな悲しんでない感じ。てなところで、式に叔父チャーリーが登場する。いままで存在も知らなかった(?)叔父って。でも、イヴリンがインディアに紹介するのだが、イヴリンは夫に知らされていたのか? その他もろもろの事件については知らされていなかったにしても、病院に入っている弟がいる、と…。 てなことしてる間に眠くなり、一度目が醒めたんだけど、再び寝てしまって、気がついたらインディアが地下室かなんかで氷詰めの人間を発見したところ。以後は、とりあえず見た。 同級生にからかわれるインディア。その相手の手を鉛筆で刺す・・・という行為が暗示しているのは、彼女の秘められた暴力性。その同級生だったか、もうひとりの方の同級生だったかを誘い、やらせてあげるフリをして、逆に殴りかかるインディア。怒る同級生…と、そこにチャーリーが登場し、同級生をベルトで縛る。…縛った、のかと思ったら、実はもうひとつの映像が登場し、そっちでチャーリーは同級生の首を折って殺している。実際は後者らしくて、2人は同級生の遺骸を自宅の庭に埋めたようだ。その上に大きな丸い石を乗せるのは墓標のつもりか。バレちゃうだろ、、そんなことしたら。そういえばフンコロガシが巨大な糞を押してる映像もどっかに入っていたなあ。だから何?的なインサート画像だよな。 で。帰宅したインディアがシャワーを浴びるんだけど、興奮してオナニー。…この時点で、自分はサイコな遺伝子を引き継いでいるとは自覚していないみたいなんだが…。さて。インディアとチャーリーがピアノを並んで弾くシーンはどこにあったっけ。これなんか、2人のDNAが協調していることを示そうとしてるんだろうけど、露骨すぎるだろ。 しばらくして警官がやってきて、同級生が行方不明になってるけど知らないか、と訊きにくる。インディアは直前、警察に電話しているから、このときもまだサイコな遺伝子には気づいてないわけだ。けど、結局は警察に告げない。そして、尋ねてきた警官もやり過ごす。のだけど、インディアはその同級生と最後まで行った、と警官に話しているみたいだし、それを恥じている様子もない。というか、警官としてはインディアをは疑いの目で見なくちゃいかんだろ。「オタクの家政婦は見つかりましたか? 周囲でたくさん失踪するねえ」とか言ってるんだぜ。変だろ。 で。インディアは父の荷物を整理しようとして、引き出しのひとつに鍵がかかっていることに気づく。で思い出すのが、今年の誕生日プレゼント。中に鍵が入っていたのだ。開けて見ると、父親の兄弟の秘密がつまっていた…。 実は3兄弟。幼い日、チャーリーは穴に入っている末弟の上から土をかけ、殺害した。長兄(インディアの父)が気づいたとき、チャーリーは埋めた穴の上で寝転がって喜んでいた。上限動かす腕の跡が、なぜか天使の羽根のように見えるのだが・・・。その結果、チャーリーは自ら精神病院に入ったらしい。その病院は、ストーカー家がつくったもののようだつたが…。しかし、7、8歳の子供が自ら病院に入るか? で、自分が決めた退院の日がやってきたので、兄を呼んで家に帰ることにした。けれど、兄はニューヨークにアパートを用意したから、そこへ行け、という。それにむかついて、兄を殺害。その足で兄の葬式にやってきた、ということらしい。のだけれど、どうやって退院の日を決めたんだよ。でてもいいって、誰が決めたんだよ。そもそも、ストーカー家の、3兄弟の両親はどうしたの? 寝てる間に説明があったのかな? で、その前提となるのが、チャーリーのインディアへのご執心。しょっちゅう病院から手紙を書いていたらしい。自分は世界旅行をしている、という設定で。でも、封筒に病院の名前があるのを発見して…って、チャーリーもバカならインディアもあほだろ。そんなのすぐ分かっちゃうだろ。いや、それより、チャーリーはなぜインディアに入れあげたのか? 同じDNAをもっている、といつ気づいたんだ? 兄がたまに見舞に行って、あれこれ話して聞かせていたのか? よく分からん。 というわけで、チャーリーが長兄を殴り殺す場面も登場するんだけど、それを事前に予測して引き出しの鍵をインディアに渡したわけじゃないだろ? そんな経緯を、インディアはどうやって知るんだよ? 知ることなんかできないだろ。 てなわけで、過去がばれたチャーリー。いいよってくる兄嫁を絞め殺そうとしているところに、インディアは猟銃をもってきて、チャーリーを撃つ。父親が娘に銃の撃ち方を教えていたのは、いつの日かこういうことが起きるかも、と予測していたから? そんな、いくらなんでもねえ。しかし、慕い始めていた叔父を撃ち殺すのに、罪悪感は感じなかったのか? インディアは。しかし、このチャールズを撃つというのは暗喩と言うより直喩ではないの? で、また墓標が増えたということは、ひとりで穴を掘って埋めたということかい? ご苦労なこって。最後、スポーツカーに乗って町を出ていくんだけど、追跡のパトカーが。でてきたのは、あれは、家を訪ねてきた警官か? 「スピードオーバー」「気を惹こうと思ったのよ」といいつつ、ハサミを警官の喉に突き立てる。この直後が冒頭のすがすがしいように見えたシーンなのであった、 思わせぶりな映像が少なくない。足を伝ってインディアのスカートの中に入って行く蜘蛛とか。左右に2つのドアが見えて、そのドアにチャールズとイヴリンが…という画面の構図とか。プレゼントのコンビの靴とか。あの靴は毎年誕生日の父親のプレゼントらしいが、あんなのをずっととってあって、履くというのがあり得ないだろ。 母親役のニコール・キッドマンはいてもいなくても関係ないような役立ったな。 結局は、たんにサイコは遺伝する、という話なんだけど、もったいぶって撮ると、こんな具合になるらしい。 クレジットが上から下に下りてきたのには驚いた。 | ||||
イノセント・ガーデン | 12/4 | ギンレイホール | 監督/パク・チャヌク | 脚本/ウェントワース・ミラー |
リベンジしてきた。今度は寝なかった。結末を知っているので、冒頭からいろいろ匂わせているのが読み取れる。でも、微妙すぎて分かりにくいと思う。それにあれは伏線ではなくて、たんなる示唆だな。 冒頭の、警官を殺してからのつぶやきは、なるほどね、な感じ。父親は弟チャールズの存在を「海外に行ってる」とイヴリンには話していたのね。マクガーリック夫人っていうのは古くからいる家政婦で、葬式でチャールズを見て動揺したのか。あの靴は、チャールズがマクガーリック夫人に依頼してインディアにプレゼントしていた、と。ということは、あの鍵もそうなのか? でも、そうすると、変だよな。まだ生きている父親の書斎のデスクの鍵を、マクガーリック夫人が手に入れて、それをインディアにプレゼントしたことになる。マクガーリック夫人はそこまでするいわれがあるのか? そもそもチャールズは5歳ぐらいで病棟に入ったんだろ。その後の兄、兄夫婦のこと、娘のインディアのことはどうやって知ったのだ? マクガーリック夫人が教えていた? なんの因果でだ? いろいろ知っていたからチャールズに殺された? うーむ。単に"弟殺し"のサイコであると知っていただけのような気がするんだが。それに、チャールズの意志で毎年インディアに贈られた靴について、兄(父親)が問題なく了解していたというのも不思議な話。フツーならマクガーリック夫人に問い詰めるだろ。知っていてそのままにさせたのか? 兄とチャールズの関係もいまいちよく分からない。そもそも彼らの両親が何をしていた人物で、いつ亡くなったかが描かれていない。莫大な遺産と土地家屋を受け継いだんだろうけど、兄はチャールズと接触していたのか? でも、チャールズの退院の日、そこの看護婦が兄に病院設立のいわれを説明するのは変だよな。だって、その病院を設立した人物の息子に話しているんだろ? 日頃から接触していたら、看護婦がそんなことをするはずがない。 さて、チャールズは自分の意志で入院したといっている。けど、病院に連れてこられたのは5、6歳の頃で、弟を殺した直後みたいではないか。そのへんの辻褄はどうなんだ? インディアがベッドの上で手足をバタバタは、チャールズの"快感"とのアナロジー。なるほど。 同級生殺しの件。縛られた同級生がインディアの足をすくって倒したので、チャールズが首をへし折ったのね。はいはい。了解。 しかし、いちばん分からないのは、チャールズとインディアの関係だな。チャールズはインディアと会ったこともないのに、なぜ彼女に自分の素質(サイコ=人殺しの快感)が遺伝してると確信したのか、どこにも描かれていない。サイコの勘? これがヴァンパイアとかだったら"かもね"で済ますけど、そうはいかんでしょ。チャールズはインディアの成長をどうやって逐一知ったのか? マクガーリック夫人? 兄から? 変だろ。 さてではチャールズは、兄を殺すことを予定に入れていたのか? チャールズは家に招かれると思ったのに、ニューヨークに部屋を借りてあるから、と兄に言われ、疎外感。逆上して兄殺し、となっていた。ということは思いつき。すると、兄の書斎のデスクの鍵は、どう辻褄が合うのだろう? 兄(父)夫婦は不仲だったらしい。それは何が原因かは描かれていない。そしてまた、父(兄)と娘は蜜月だった。これはどういことなのか? 父がインディアに狩猟の勘を伝授したのは、なぜ? などと、突っ込んでいくといくらでも「?」がでてくる。かなりいい加減なストーリーだ。 フンコロガシは墓場のアナロジーだとして、インディアにとって叔父はクソを転がす虫にしか見えなかったのか。なぜ、叔父が母を殺そうとしていたのを止めたのか。というか、なぜ叔父を殺したのか。自分の素質が開花していることに喜んでいるのに、そうしてくれた叔父を殺し、なぜか知らないけれど嫌っている母親を救ったのか。分からない。 蜘蛛は何を意味しているのだろう。セックスと何か関係があるのか? しきりにかかるナンシー・シナトラとリー・ヘイゼルウッズの「サマーワイン」は、歌詞が関係しているのかな? というわけで、見たけども気がつかなかった細部の示唆的なメッセージ、眠っていて知らなかった部分(父の葬式後、大叔母がやってきてチャールズの危険性を母やインディアに知らせようとするが、チャールズに殺されてしまうとか)なんかは"なるほど"なんだけど、それが分かってもなお意味不明が多すぎると思う。 | ||||
おじいちゃんの里帰り | 12/9 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/ヤセミン・サムデレリ | 脚本/ヤセミン・サムデレリ、ネスリン・サムデレリ |
ドイツ/トルコ映画。原題は"Almanya - Willkommen in Deutschland"。Almanyaがトルコ語でドイツ、Willkommen in Deutschlandはドイツ語で、ドイツへようこそ、なのかな? allcinemaのあらすじは「1960年代にイルマズ家のフセインおじいちゃんがトルコからドイツへ渡って50年。一家は、今では可愛い孫にも恵まれ、すっかり大家族となった。そんなある日、おじいちゃんは“トルコに家を買ったから、今度の休暇にそれを見に行こう”と宣言、みんなの反対をよそに、家族全員での里帰りを決めてしまう。子どもたちはそれぞれに問題や悩みを抱え、幼い孫もトルコ人の父とドイツ人の母の間でアイデンティティに悩む日々。当然トルコに対する思いも世代によってバラバラ。そんな家族を半ば強引に、遥か3000キロの里帰りへと連れ出すフセインおじいちゃんだったが…」 移民はドイツの政策だったんだな。それで迎えられ、ちょうど100万人目だかになっていたのを、他人に順番を譲って、100万1人目に労働移民としてドイツにやってきたフセインが主人公。数年後に田舎に残した妻子をドイツに迎えるのだけれど、長男、次男をさておいて、三女が簡単にドイツ語を修得し、往診の医者との通訳をするというところなんか、なかなかのリアリティ。しかも、告げられたのが、妊娠です。というわけで、子供は3男1女。末弟はドイツ生まれ。…という設定は、見ていると次第に分かっては来るけれど、冒頭からの家の食事会(誕生パーティだったかな)なんかでは、人が多すぎて誰が誰やら分かりにくい。 ナレーターは末弟の息子チェンクと、あと3女の娘チャナンも難か語っていたっけかな。チェンクは狂言回しだけど、チャナンは恋人との間に子供が…という妊娠状態がある。 そういえばチェンクの父親は末弟で、奥さんが金髪なので「?」と思っていたけど、どうやらドイツ人なのかな? ちゃんとした説明はなかったけど。 さてと。フセインの妻は、ドイツが恐ろしいところだと思っている。キリスト教は邪教。偶像崇拝なんて…とかね。で、やってきたアパートのトイレにびっくり。「他人が座ったところに座るのか!」と。たまたま部屋にかけられていたキリスト像に驚き…。しかも、数年経ってトルコに帰省すると、かつてのトイレを汚く思えてくる。さらに、子供たちは「うちでもクリスマスがやりたい」と言ってきて、それを許可するようになる」、とまあ、日本人でも戦前なら同じように反応したろうなというような描写が面白い。 世代間の違いというと、末弟はドイツ生まれ。カミサンはドイツ人。で、トルコに行って路傍の店で食事することになったら、「こんなところで?」といい、料理を食べたら吐き気を催してしまう! いくらなんでも、な描写だけど、トルコを知らず西洋文明の中で生まれ育った違いを端的に表現していておかしい。 その息子のチェンクは、学校では自分はトルコなのかドイツなのかで揺れている。でも、「おじいちゃんの生まれたのはここ」と、地図で示そうとしたらトルコの右半分が切れていてピンが刺せないことに、ちょっと不満だったりする。このあたり、日本における在日朝鮮人との意識の違いが見えて面白い。現実的に、下層労働者として連れてこられたのは同じだけど、日本を侵略者と見、「強制連行された」という刷り込みが政治的に行われている国家と、トルコとでは大きく違っている。まあ、検証課題だろう。 あとはチャナンの妊娠の件か。母親も祖母も気がつかないのに、祖父のフセインが最初に気づき、話を聞き出すというのはあり得ない設定だよな。いくら女房の妊娠を何度も見ているからって・・・。でも、母親に言えない悩みを打ち明ける様子は、なかなか感動的。というか、フセインは心が広い。もっとも、相手がイギリス人だと知ると「せめてドイツ人なら…」というのが、ドイツにシンパシーを感じている結果なのだな、と思えたりする。でも、チャナンの彼氏は妊娠を歓び、一緒に家族としてトルコに行きたい、とまで言うぐらいなんだから、いい方なんじゃないのかね。まあ、世代によるモラルの違いを見せようとしたんだろうけど。でも、最後に祖母が「あたしだって身ごもってフセインの所へ嫁に」って告白は、おいおいだよな。身体を触っただけで身体を許したのと同じ、という時代に育ったんじゃなかったのか? フセイン夫妻は。 しかし、子供たちはとくに行きたくないのに、でも、おじいちゃんのひと言で、嫌々ながらも出かけていくのは一家の連帯感の強さなのか。おじいちゃんが買ったという別荘見たさなのか。ところが、道半ばでおじいちゃんが発作を起こし、なんと死んでしまう。…という展開は予想していなかったので、呆気。ところが、直前にフセイン夫婦はドイツ人に帰化していたことから問題が…。トルコ人の墓地には埋葬はできない。遠くの外国人墓地ならいい、と。役人に相談すると「金を出せばなんとか」といわれ、憤慨する祖母。ええい! で故郷の墓地に行って、たぶん、勝手に埋葬してしまう。もちろん田舎の人や彼の地の坊さんには了解を取ってのようだけど。 それで、フセインのいう別荘を訪れると、なんと、正面ファサードの壁はあるけれど、中は崩れた廃墟ではないか。フセインはそれを知って買ったのか、知らずにか? 分からない。そこで、故郷の人々と食事をし、フセインを思い、またトルコに帰っていく・・・という物語。別荘のシーンでは、現在の一家に加え、若いフセイン夫婦、幼かった子供たちも同時にひとつの画面に登場する。心がつながっていることを表現しようとしているのだろうか。次男は、ドイツに戻らず、トルコで暮らすという。合わない人もいるってこったよな。 100万1人目がメルケル首相の前で挨拶を述べる権利というのを与えられたのだけれど、フセインは死んでしまった。そこで、チェンクが代わりに演説するというのも、なかなかいいオチだ。 一家といいつつ、長男の嫁や子供は登場しない。次男の嫁・子供も同様。3女の娘と(夫は出てこない)、3男の嫁と息子は登場する。次男はちょっと変態野郎で、いま失業中だったか。コカコーラ幻想があったりして、なんかフツーじゃない。離婚したんだっけ? それとも未婚? 離婚話が進んでいるのは長男だっけ? の辺りの家族の説明がちょっと足りないのが残念。 最後に、ドイツの誰かが言ったという、「労働力を輸入したつもりが、人間を輸入してしまった」とかいうフレーズが字幕で出る。なこたあ当たり前だろ、な話だよな。 | ||||
ローマでアモーレ | 12/11 | ギンレイホール | 監督/ウディ・アレン | 脚本/ウディ・アレン |
原題は"To Rome with Love"。allcinemaのあらすじは「ローマでイケメンと婚約した娘に会うため、アメリカから飛んできた元オペラ演出家のジェリー。フィアンセの父親が驚くべき美声の持ち主と知り、彼を担ぎ出してオペラ界への復帰を目論むが…。著名なアメリカ人建築家ジョンは、建築家の卵ジャックと知り合い、小悪魔的な恋人の親友によろめく彼に必死に警告を続けるが…。田舎から上京したばかりの新婚カップル、アントニオとミリー。妻が外出し、ひとりホテルの部屋に残るアントニオの前に、突然グラマラスなコールガール、アンナが現われ…。ごく平凡な中年男レオポルド。ある朝突然、大勢のパパラッチに取り囲まれ、あれよあれよと大スターとなってしまい…」 舞台をローマに、4つの物語が並行して進む。互いに干渉することはない。1話は完全なるイリュージョン。もうひとつ、一部がファンタジーになってる話がある。というようなスタイルで、でも話はW・アレンのこれまでの恋愛話と大差なくて、あまり意外性がない。フツーすぎていまいちな感じ。 1つは、ウディ・アレンの父親が、ローマにいる娘に会いに行く話。娘はイケメン青年と出会い、結婚することになった。それで妻と訪れた青年の家は葬儀屋で、でも相手の父親は美声の持ち主だった。音楽プロデューサー(Webではオペラ演出かとなってるな)の血が騒ぎ、レコード化を目論むが、シャワーを浴びながらしか歌えない…。なので、舞台でもシャワーを浴びながら歌わせる、というバカげた話。ウディ・アレンのおっちょこちょいな様子が最初のころしかなくて、ちょっとつまらない。アレンがもっと引っかき回してもよかったんじゃないのかね。 2つ目は、田舎からやってきた新婚カップルの話。亭主は叔父さんかなにかに仕事を紹介してもらう約束があるんだけど、美容院に行くと出かけた妻が迷子になって戻らない。たまたま入ってきた娼婦に妻の代わりになってもらうんだが…。妻はロケ中の役者に出会い、ちょっと誘惑されそうになったりする…。レストランでその場面にでくわした亭主が焦りだす…というドタバタ。3つ目は、ローマを訪れた有名建築家が、昔住んでいた部屋を探していて、建築家のタマゴと出会うのがきっかけ。タマゴ君には同棲相手がいるんだけど、彼女の友だちがしばらく同居することになって、よろめく。でも、有名建築家はそれを予期して忠告していたんだよね。それはさておき、この有名建築家が随所に登場して、現状を説明したりする。どうもこれは実際には存在しない忠告者、ということらしい。タマゴ君が心を奪われる寸前に、売れない役者である同棲者の友人に役がつき、さっさとローマを後にしてしまう。 4つ目は、ごくフツーのオッサンに、ある日突然マスコミが押し寄せる。なぜか理由は分からない。分からないけれど、そういう理由(?)で祭りあげられ、人気者になる。のだけれど、ある日突然、世間の関心は他の誰かに移り、見向きもされなくなる、というだけの話。この話がいちばんつまらなかった。設定としては面白いんだろうけど、だからなに? 的な感じがしてしまってね。 | ||||
かぐや姫の物語 | 12/12 | キネカ大森2 | 監督/高畑勲 | 脚本/高畑勲、坂口理子 |
話はほとんど昔話そのまま。とくに高畑勲の解釈は入っていないと思う。とはいっても、幼なじみの捨丸というのとか、相模という女官なんかは創作なんではなかろうか。オリジナルを読んでないから正確ではないけど。なので、正直なところ退屈。ドラマがないんだもの。しかもムダに長い。 翁はやまでかぐや姫を発見する。フツーは竹を斜めに切った中にいるんだが、この映画では竹の子の中から登場する。ちょっと違和感。そのかぐや姫がもの凄いスピードで成長するのは、なぜか、というようなことは分からない。あるとき竹の中に金塊や着物を発見。翁は「姫として育てろ」ということと理解して、どういつツテを頼ったか、都に豪邸を得、女官たちを雇い、かぐや姫の教育を始める。 というところで、もううんざり。そもそも翁の腹づもりはなんなのか? 立派に育てて宮中の高官に嫁がせることなのか? 後に右大臣や大納言、中納言がプロポーズしてきたときは大喜び。ミカドからのアプローチには狂喜乱舞していた。そうやって宮中に入り込むことで、何を得ようとしたのか。たんに姫だけを幸せに、という心なのか。自分も一緒に取り立てられたいという気持ちもあったのか。はたまた、それはどういうことを意味するのか、ということがまったく描かれていない。だから、翁はたんなる成り上がりで、金にものを言わせて地位を得ようとするくだらんジジイに見えてしまう。その翁にしたがう媼も同様だ。 かぐや姫の何かの祝いで関係者を集めたとき、ゴロツキまがいが「顔を見せろ」的なことをいい、迫ってくるところがあった。そこで姫は取り乱し、一心不乱に駆け、故郷に戻る。この時の絵は墨絵が荒々しく流れるような案配で、おそらく「見どころ」として誇りたいのかも知れないけど、たいしたことはない。しかし、ここでも、なぜ姫が取り乱したのかの説明はない。故郷の家には他人が住み、このときだったか、炭焼きのジジイになにか言われるんだけど、記憶にないほどのセリフだったんだろう、まったく覚えていない。 で、この後ぐらいから、それまでお転婆だった姫が真面目に学び、大人しくなっていく。なんでえ? 右大臣、大納言、中納言のプロポーズ話は有名だから、まあ、それはそれで。しかし、顔も見ずに「美しい」とうわさだけで嫁に欲しいという男どもの気持ちが分からない。だって、もとは木樵の拾い子ではないか。かぐや姫の価値が、そこに示されていないので、どーも素直に納得できない。 「月に帰らなくてはならない」と、突然言う。ところで、姫は月の記憶はないのだよな。あるのか? でも、地球から戻ってきた人が、哀しい表情をしたのが気になっていて関心を抱いた、とかいうようなことを言っていたよな。それで自分も地球に興味をもった、とか。でね。宣伝文句では「かぐや姫の犯した罪」とか言っていたけど、では姫は月でどんな罪を犯したのか。なぜ地球に送られなくてはならなかったのか。それは結局分からない。 苦しみも哀しみも感じない月の人間に、哀しさを教え込むために、とかなのか? まったく分からない。 捨丸と再会するのは、女官と花見に行ったときだっけ? よく覚えてないけど。捨丸はどうやらサンカみたいな感じで、あちこち移動して暮らす民だったらしい。久しぶりに再会し、なんと、一緒に暮らそう、みたいなことを言う。しかも、2人で空を飛んだりする。まるで宮崎駿みたいな演出なんだが、アホかと思う。だって捨丸には女房・子供がいるように描かれている。なのに、姫と会ったら心変わり。姫も、一緒に山で暮らせたら…なんてぬかす。なんてやつらだ。まあ、結局、それはムリと姫は都に戻るんだが。なんかな。 そもそも、エセ宮中暮らしが嫌なら、翁に「嫌だ」といえばいい。豪邸の裏に貧乏時代のバラックみたいなのを建て、媼と自炊ごっこしたり。庭に、山の暮らしを思い出せるような箱庭をつくったり。なぜにそんなちまちましたことを。翁に「あんたは間違ってる」と言えばいいだけではないか。いやまて。月の連中は、姫にそういう暮らしをさせたかったのか? それで翁に金を? なんか整合性がとれなえな。 で、月からの迎えが、これまたエスニックな集団で。雲に乗った如来立像を中心に、音楽がどんちゃんどんちゃん。それで迎えに来て、去って行く。だから、なに? な話であった。 絵が、筆の線のような、ダーマトの線のようなタッチ。それが動いたからなにだ、な感じ。姫や捨丸なんかも、とくに美男子で可愛く描かれることもない。一時代前の少年少女という顔立ちで、魅力がない。 翁の声を、地井武男がやっていて、えっ、と思った。allcinemaによると「画より先に声を録音するプレスコという手法が採用されているため、本作完成前の2012年6月に他界した地井武男も2011年夏には録音を終えていた」んだそうだ。 | ||||
ジ、エクストリーム、スキヤキ | 12/12 | テアトル新宿 | 監督/前田司郎 | 脚本/前田司郎 |
allcinemaのあらすじは「無為な毎日を送る洞口は、ふと思い立って15年来音信不通だった大学時代の友人、大川のもとを訪ねる。絶縁したはずの洞口が突然陽気に来訪したことに戸惑いを隠せない大川。そんな大川もまた、人生の行き先が見えずに焦りと不安を抱える日々を送っていた。そして、ひょんなことから唐突に海へ行くことになった2人。その旅に、大川の同棲相手で洞口とも大学時代に友だちだった楓と洞口の昔の恋人(?)京子も巻き込まれ、4人の奇妙なドライブが始まるが…」 いろいろと隔靴掻痒。洞口(井浦新)の存在がまず分からない。まず、冒頭で洞口は道路から岩場の河川敷に飛び降りる。自死か? と思ったら、大川(窪塚洋介)のところにやってきて、だらだら話すんだけど、会話になってない。「ああ、あれか」「あれ」「でさあ」「それがなによ」「なにって」「だから」…みたいな意味のない間合いの言葉の羅列で、意味不明。もちろん、そういう会話はあるし、雰囲気は出てる。でも、前半の大半がそれで、なんとなく一緒に行動し、ジャングルでドキュメンタリーを撮りたいという大川と一緒にプロ用カメラを買いに秋葉原に行ったつもりがなぜか田原町で、仏具屋で如来を買ってくるという、だから何? 的な展開。中味空っぽ。 大川は居酒屋でバイト。同棲相手の楓(倉科カナ)は、何やらバイト? 洞口は何をしているか分からない。そもそも洞口と大川は、なんとかいう先輩の葬式以来で、どーも仲違いしていたみたいで、でもその理由は分からない。それがなぜか、海に行こうという話になり、突如、実行。ついては、というわけでOLやってるみたいな京子(市川実日子)を誘いに行く。というのが唐突。どうも洞口、大川、京子は大学の同級生で、15年ぶりの再会…って、じゃあ37歳ぐらいの設定なのか? やってることがみな20代前半みたいなので、面食らう。 そうそう。京子にはダサイ同僚のセフレはいるんだが、結婚するつもりはない、みたいな関係みたい。でもなんか、いろいろ変な感じ。 クルマで海を目指してからは、いくらかドラマも見えてきて、少しまともになってきた。「弓」と称していたが、「ブーメランに見える」とわれた代物を海に投げたら戻ってきたとか、旅館でだらだらするとか(湯舟が空かないかと聞いてきたホモカップルの片割れは高良健吾なのか…。気づかなかった)、道端でスキヤキするとか、おもしろくはないけどセリフがまともになってきて、少しは付いていけるようになった。 あこ、小出しにしている情報では、楓は死の病にあり、いつ死んでもおかしくない状況、とかいってるけど悲壮感はまったくない。なのに、ラストシーンでは、冒頭で身を投げた洞口が、実は死んでいなくて立ち上がって道まで戻ってくるんだが、これは時系列的にはいつなのだろう。フツーに考えれば、大川の所にやってくる少し前? なぜ自死しようとしたのか。それがなぜ脳天気状態で大川を、15年ぶりに尋ねたか。はたまた、昔の友人の京子に、大川と会いに行ったのか。みな、さっぱり分からない。なぜ分からないようにつくっているのか。それも分からないのは、かなりな残念。知りたかったら原作を読めって? ゴメンだよ。 というわけで、なんだかよく分からない話であった。 | ||||
RED リターンズ | 12/14 | 新宿ミラノ1 | 監督/ディーン・パリソット | 脚本/ジョン・ホーバー、エリック・ホーバー |
原題は"Red 2"。allcinemaのあらすじは「元CIAエージェントのフランクは、恋人サラと2人でようやく手にした平穏を満喫していた。そんなある日、元相棒のマーヴィンが現われ、フランクを新たなミッションに誘う。これを断固拒否するフランクだったが、思わぬトラブルに巻き込まれ、結局スパイの最前線に舞い戻るハメに。32年前、フランクとマーヴィンは、米ソ冷戦下のモスクワで小型核爆弾製造に関する極秘プロジェクトに関わった過去があった。そして今、その極秘計画が再び動き出し、彼らは核爆弾を奪ったテロリストとの濡れ衣を着せられ、各国諜報機関から命を狙われる事態に。自分たちの汚名を晴らし、行方不明になった核爆弾を発見すべく、真相解明へと乗り出すフランクとマーヴィンだが…」 あらすじを読んで、へー、そういうことだったのか、と納得しているんだが。なぜかっていうと、フランク、サラ、マーヴィンはCIAなのかよく分からないけどアメリカからも狙われていたから。いったい何で? と思いつつ見ていたんだけど、そういうことなのかい。でも、分かりにくかったぞ。後半にベイリーが、すべては自分が仕掛けた、と告白するんだけど。何10年も幽閉されていた科学者がネットを使用してナイトシェード計画がバラし、それで各国は大慌て。フランクとマーヴィンを狙って活動を開始したらしいんだけど、各国にとって2人を殺すことはどういう得になるのだ? はたまた、ベイリーの仕掛けは、何が目的なのだ? という辺りがすんなり頭に入ってこなかった。 要は、話を派手にするための演出で、もしかしたら話は単純なのかも知れない。それを大仰にして謎っぽい展開にするから、分かりにくさだけが残ってしまうような気がする。たとえばマーヴィンがフランクをミッションに誘う手口がそうだ。断るフランク。仕方ない、とクルマに乗って去って行くマーヴィン。そのクルマが爆破される。ギョッとするフランクとサラ。マーヴィンの葬儀で、「こいつ、ホントは生きてるんじゃないか」と、遺体の手に針を刺すフランク…という流れがあるんだけど、フランクを誘うためにこんなことまでする必要はないよな。 あとは、フランク、サラ、マーヴィンを助けるヴィクトリア、韓国人の殺し屋がなぜ必要なのか分からないけど絡んできて、さらにロシアの諜報部員カーチャも参加する。最初は敵として、でも途中から見方になり、カーチャは殺されてしまう。 ロシアで、核爆弾を探し出したと思ったら、米国の諜報部員が立ちはだかり…で、彼はどこからの命令で動いていたんだろう。よく分からない。でもって、本当の黒幕はベイリーで、自分を幽閉から解放させ、イギリスを破壊しようとしていたんだけれど(なにでイギリスなんだか忘れた)、フランクがその爆弾をうまくすり替え、洋上にあるベイリーの乗った飛行機が爆発して、めでたしめでたしという、一時代前の007が扱っていたような設定の話。 アクションシーンがみなデジャヴで、銃弾でボロボロのクルマは「俺たちに明日はない」とかその他、ベイリーを演ずるのはアンソニー・ホプキンスで、まるっきりレクター博士。クルマで階段を降りたり、カーチェイスでトラックの下にクルマが入ってしまうというのは、どこかにもあった。最後の、だまして海峡で爆破させる、というのも何かであったような気がする。オマージュなのか何なのか知らないけど、これまでの映画のいいとこ取りをして、一丁上がり、な映画だった。 サラ役のメアリー=ルイーズ・パーカーが、よく見るとシワは多いけど、なんか個性的で魅力があるのだよな。彼女ばかり見てた。 | ||||
愛しのフリーダ | 12/16 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3 | 監督/ライアン・ホワイト | 脚本/ジェシカ・ローソン、ライアン・ホワイト |
原題は"Good Ol' Freda"。「Ol'」はOldの省略らしい。allcinemaの解説は「17歳の時、ただの一ファンに過ぎなかった少女フリーダ・ケリーはブライアン・エプスタインに雇われ、世界一の人気バンド“ザ・ビートルズ”の秘書となり、11年間に渡ってその活躍を陰で支え続けた。本作はそのフリーダがついに長年の沈黙を破り、当時の自らの仕事とメンバーたちとの心温まる交流を振り返るドキュメンタリー」 リヴァプール。ギャヴァーン・クラブに出入りしていた17歳の娘が楽屋に入り浸るようになり、ファンクラブを結成。メンバーから情報を仕入れて会報を発行していたが…。あれよあれよでビートルズはビッグネームに。マネージャーのエプスタインに誘われ、それまでの会社勤め(タイピストだっけかな?)を辞め、エプスタインの秘書になる。わお。 ビートルズ解散まで、11年間のつきあい。以後はフツーにもどり、過去を語らず取材も受けなかった。それが、この映画で全貌を…という話である。 フリーダの真面目っぷりに脱帽。メンバーの髪の毛を! という要求には、床屋に行って髪の毛を確保。この枕カバーでリンゴに寝てもらって、という要求にも応える。あまりファンレターが多いから、サインはやめてスタンプに、というのも元に戻す。ファンクラブのスタッフが、なんだったか忘れたけど不正な対応をしたときには怒って、彼女たちを即刻クビにしてしまった。読み切れないファンレターは家に持ち帰り、目を通す。フツーはそんなことしないだろうに。 いい子なのがつたわったのか、リンゴの両親とは深いつき合い。ジョンの義母や、他の家族とも交流があった。それが10代から20代の頃なんだから恐れ入る。4人もフリーダを頼りにしていて、なんでも言うことを聞く関係。世界的なグループになってもそうだったんだから、大変なことだ。 エプスタインが死に、仕事がシステム化されるようになってもつづけていたけれど、本拠をロンドンに移すというとき、父親に言われて仕事をやめる決心をする。このあたりも家族思いの素直な感じがつたわってくる。結局、仕事は辞めず、リヴァプールで週に2、3回出勤するようになった(だっけ?)けれど、結局、最後はメンバーがそれぞれ別々の活動をするようになっていく…。まあ、潮時だったんだろう。妙な考えを起こして業界の女ドンになるとか、そういうことをしなかったのも素敵なことだ。 唖リヴァプールの市庁舎(だっけ?)にビートルズが招かれたとき、本来は本人と家族だけなのだけれど、リンゴの両親が家族と言うことでフリーダを登録し、連れていってもらえたこと。自分のサイン帳をファンのサイン帳にまぎれ込ませ、ジョージ(だっけか)にサインをもらった。それがフリーダのものだと知ったジョージは「ちょっと待ってて」とそのサイン帳をポケットに入れ、あとから他のメンバーのサインももらってきて、フリーダに渡した」などというエピソードは、涙が出るぐらい温かい。 いまは、フツーの奥さんとして(でも離婚しているのかな)、どっかで働いているフリーダ。とっておけば億万長者というような関連のもろもろも、ファンに与えてしまったという人の良さ。ビートルズの影に、こんな人がいたのか、なお話だ。 フリーダの昔は、かなりなしゃくれアゴ。可愛いと言うより、かなりな個性顔。エプスタインも、美人を秘書にするより、この程度がいいだろう、と判断したのかな、とちょっと思ったりした。 最後にポールとリンゴがメッセージかなんか…と思ったら、そういうのは全くなかった。あえて排除したのか、コメントがもらえなかったのか、どっちなんだろう。 使われている音楽が全てビートルズのもの、ではないところが、当時をよりよく伝えているような気もした。 | ||||
ゼロ・グラビティ | 2/16 | 新宿ミラノ1 | 監督/アルフォンソ・キュアロン | 脚本/アルフォンソ・キュアロン、ホナス・キュアロン |
原題は"Gravity"。重力のこと。allcinemaのあらすじは「地上600kmの上空で地球を周回しているスペースシャトル。今回が初めてのミッションとなる女性エンジニアのストーン博士は、ベテラン宇宙飛行士コワルスキーのサポートを受けながら船外での修理作業に当たっていた。その時、ロシアが自国の衛星を爆破したことが原因で大量の破片が軌道上に散乱し、猛烈なスピードでスペースシャトルを襲う。衝撃で漆黒の宇宙へと放り出された2人は互いを繋ぐ1本のロープを頼りに、絶望的な状況の中、奇跡の帰還を信じて決死のサバイバルを繰り広げるが…」 登場人物はほぼ2人。それも1人は途中で消えてしまう。それでも、もの凄い緊張感がつづく。はらはらドキドキ、身体に力が入ってしまうぐらいだよ。 命綱なしで放り出されたストーン。酸素もあとわずか。というところに、コワルスキーがジェット噴射で近づいてきて、ロープで牽引。破片に顔を直撃された仲間、シャトルが破壊されて亡くなった仲間の姿は、なかなか強烈。 コワルスキーが向かったのは、肉眼視できる地点にあるロシアのサテライト。でも、ジェット噴射の燃料もなくなってきていて、姿勢制御もままならぬ。慣性で停まらない様子や、サテライトへの衝突、宇宙服だから突起物にもなかなか手がとどかない…なんて様子がまあ上手く描かれている。 で、勢い余って放り出されたのは、今度はコワルスキー。それを腕一本でつながっているストーン。「放せ。じゃないと2人とも…」というコワルスキーが、自ら手を放す…。運命というかなんというか。怖い。 なんとかロシアのサテライトに入ったのはいいけど、破片は定時刻に周回してくるから、その直撃を浴びて火災発生。なんとか脱出艇(小型宇宙船)に乗り込んで、中国のサテライトを目指す…というのが、いろいろ暗示的。アメリカ人がロシアと中国の宇宙技術に助けられて生還するという話なのだから。 でも、ロシアの脱出艇が燃料切れで動かない。万事休す、とストーンはあきらめる。涙が宙に浮かぶのが印象的。3D版なら、もっとはっきり見えるんだろうな。さて、そうして空気を排出して(?)自死しようとした瞬間、なんと、宇宙の果てに飛ばされたはずのコワルスキーが舞い戻ってくる。「予備の燃料があってね」と。ここでちょっとがっかりした。そんな偶然って、ないだろ。マンガかよ、と。でも、それはストーンの幻覚あるいはコワルスキーの念のようなものがつたわってきたんだろう。脱出艇は軟着陸するための逆噴射ができるから、その推進力を使えば進むことができる、とコワルスキーが教えにきたのだ。 まあしかし、どうやって中国サテライトへの向きを調節したのかとかいう話は描かれていなくて、ちょっとだけ「ううむ」な感じはしたんだけどね。とにかく、その手をつかって中国サテライトにたどり着き、今度は中国製の脱出艇に乗り組んで、地球を目指すという寸法。このとき、どうやって向きとかスピードを調節したかは、なんかよく分からず。破片がまたまた襲ってきて、大量の破片と一緒に地球に落下して行った、みたいな感じだったような…。 落下したのは海なのかな。ハッチを開けたら水が中に流れ込んできて溺れそうになりつつ、なんとか外へ。というとき、カエルがいたから淡水なのかな。 宇宙にいたせいだろう。ストーンは身体を引きずりながら浜ににじり上がり、立ち上がる。まるで水中で生まれ、いままさに誕生した新生物のようによろよろと。で、END。なかなか感動的な終わり方であった。そういえばロシアだったか中国のサテライトでだったか、宇宙服を脱いだ姿で、胎児のように背を丸めて浮かんでいるシーンがあったが、あれは誕生前の姿なのかも知れない。いったん死にかけた女性が、再び命を取り戻し、生まれ変わる話、ということで。 ・冒頭近く、地球の上に雲がかかり、手前にはシャトル。というような映像があり、その奥行き感は2Dでもわかるぐらいだった。あれが3Dなら、かなりな立体感が感じられたのではにないだろうか。 ・危機的状況になると、それまでの客観描写から、画面がストーンの視線(主観描写)になったりするのがスリリングを増しているような気がした。 ・ストーンのサンドラブロック。50近くなのに引き締まった身体だったなあ。CGでなんとかしてるのかもしれないけど。 ・ロシアのサテライトで移動するときのスムーズな動きには驚いた。どうやって撮っているのだろう? | ||||
キャプテン・フィリップス | 12/18 | 109シネマズ木場シアター4 | 監督/ポール・グリーングラス | 脚本/ビリー・レイ |
原題も、船長の名前そのまんま。"Captain Phillips"。allcinemaのあらすじは「2009年4月。ケニアへの援助物資を運ぶアメリカのコンテナ船マースク・アラバマ号。インド洋を順調に航行していたが、ソマリア沖で4人組の海賊に襲撃される。船長のリチャード・フィリップスは、船が彼らに乗っ取られる直前、数人のクルーを残して乗組員を全員、機関室に匿う。そして彼らを救うため、自らは単身で人質となり、海賊たちと共に小さな救命艇に乗り移り、アラバマ号を後にする。やがて事件の一報を受けたアメリカ政府は、海軍特殊部隊ネイビー・シールズを出動させ、フィリップス船長の救出作戦を開始するが…」 船長が、海賊を理知的にかわしてヒーローになる…ような映画かと思ったらさにあらず。前半はまあまあフツーに知恵を使って乗っ取りは上手く避けたんだけど、後半はただの弱々しい人質。その姿はグリコの江崎社長のごとく弱々しく、痛々しいだけだった。 基本的にはこの映画、危険で野蛮なアフリカ土人 vs 人道的で 知的で力強いアメリカ、という構図になっている。とくに後半は、アメリカ海軍特殊部隊SEALsが登場し、海から空から無線でと、海賊4人をなだめつつ、罠に嵌めていく。しかし、いくら武器を持っているからと行っても、漁民あがりの海賊4人に駆逐艦と航空母艦(だよな)がやってくるとは、凄いね。「アメリカは国民1人を助けるためにここまでする」と、強烈なPRだ。中東にでかけた旅行客を「自己責任」と見捨てた日本と、エライ違いである。 もちろん人質になり、つい殺されてもおかしくないフィリップ船長は気の毒だ。けど、やっぱり、たった1人だものな。そこまでやるか、と思う。 しかし、危険海域を航行するのに、武器ひとつ携行しないというのも驚いた。対策は、航行法と、ホースの放水って、そりゃあなた、機関銃相手に頼りなさ過ぎでしょ。国や軍隊は外国人を簡単に殺したりするけど、民間会社は案外とのんびりしているのだな。まあ、困ったときは無線連絡して軍隊に来てもらう、ということになっているのだろうけど。 海賊の実態も興味深い。ボスは母船にいるらしいけど、その正体はよく分からなかった。政治的なのか、それとも、たんなる金目当てなのか。しかも、海賊専業ではなく、漁村に行って「行きたいやついるか?」と問えばみんなが挙手するって、おいおい、だよ。大半はボスの所に行ってしまって、もらえるのはわずかだろうに、それでも命がけでボートに乗り込む。だいたい、あんな小舟で鉄の船に向かう、っていうところからして命知らずだ。そして、そういう連中がうじゃうじゃいるんだから、ソマリア辺りは"君子危うきに近寄よらず"な場所なのだ、ということが米国民にもよく分かる。よく分かりすぎて、アフリカ土人に対する偏見も、いや増すに違いない。 ハラハラドキドキもあって、おおむねおもしろい。けど、やっぱり後半はSEALsのPR映画になってしまっていて、もの足りない。SEALsより、フィリップス中心でいって欲しかった。もっとスマートな脚色はできなかったのかな。まあ、現実に即すとああなってしまうのかも知れないけどね。 海賊たちの演技が凄い。ほんものの海賊を連れてきたみたい。4人いる1人がボスで、彼は母船の連中と知り合い。彼がある村にやってきて、仲間を募った。2人はその村の人間だけど、1人だけ他村の男がいて、こいつがすぐキレまくる長身の怖いやつ。彼さえいなければ、悲劇的な結末にならなかったのに…。米軍の船に騙されて連れてこられ、ひとりだけ助かるボスは、本音の所は悪い奴じゃなさそう。足をケガした少年は、むしろ、反省してる感じ。もうひとりは、ちょっと影が薄い。ボス以外の3人はSEALsに狙撃されてしまうのだけれど、後味はちょっと悪い。もちろん、フィリップスも気の毒な感じで終わる。それでも1、2年後にはまた船に乗っているというから、好きなんだね、海が。逮捕されたボスは、米国の裁判で35年の刑だとか。これは長すぎるような気もしないでもないけどな。 | ||||
ブリングリング | 12/20 | シネ・リーブル池袋シアター2 | 監督/ソフィア・コッポラ | 脚本/ソフィア・コッポラ |
原題は"The Bling Ring"。「派手な指輪」という意味で、窃盗団の名前らしい。って、そんな説明は映画の中にあったっけ? allcinemaのあらすじは「セレブなハリウッド・スターに憧れる少女ニッキーは妹のサムと共に、学校に行かず母親の自宅授業を受けている。一方、新しい学校に転入したばかりのマークは、おしゃれやブランドが好きな少女レベッカと意気投合、マークにとっての初めての親友が出来る。ある日、パリス・ヒルトンがラスヴェガスでパーティをすると知ったマークとレベッカは、ネットで彼女の自宅を調べてその豪邸への侵入を試みる。やがて2人にレベッカの友人クロエとニッキー、サムの姉妹が加わる。以来、5人はネットでセレブの動向をチェックしては、その留守宅に侵入し、高価な品々を易々と盗み出していくのだったが…」 実際の事件に基づいた話らしいが、たんに"こんなことがありました"を描いているだけで、それ以上のツッコミも教訓もない。なので、それで? と返したくなる感じ。 主人公のマークというのが、いまいちよく分からない。転校初日、校庭を歩いていると「ダサイ」とか「キモイ」と言われるんだけど、どこが? と思ってしまうぐらいフツーだし、自分でも後に「不細工」といってるけど、そんなことはない。そう思わせたいなら、ホントに不細工でキモイ役者をあてないとダメだろ。そんなキモイ奴を選んで友だちにするレベッカ(東洋系になってるけど、実際もそうだったのかな)って何なんだ? 彼女も仲間はずれというわけじゃないだろうに、理由が分からない。 で、あらすじのように、まずは2人でパリス・ヒルトンの屋敷に潜入するんだけど、そんな簡単に入れていいの? 豪邸の近くを高校生がふらふら。門を乗り越え、ドアマットの下の鍵で侵入…って。しかも、メイドも誰もいないのかよ。驚くのは、何度も入られているのに全く気づかれていないこと。モノが多くて、盗まれても分からないと言うことなんだろうか。驚くね。本職の泥棒は、いったい何をしていたんだ? とも さらに潜入はエスカレートして「クロエとニッキー、サムの姉妹が加わる」んだが、ニッキーのエマ・ワトソンは分かっても、あとの2〜3人の区別がよくつかん。というか、ちゃんと描かれてないし。まあ、以後は有名人宅に潜入・泥棒の繰り返しで、変わり映えしない展開だからどーでもいいのかも知れないけどね。 分からなかったのが、ニッキーの家のこと。最後の方に母親が「友人の娘を預かって子供同様に育てている」みたいなことを言ってたんだけど、よく区別がつかんよ。それに、家で教育していたのもよく分からなかった。 さて。この映画、最初の方から逮捕後の聴取(といっても警察ではなく、だれかに)の模様がインサートされている。マークとニッキーだったかな、覚えてないけど。監視カメラとブログの記事で発覚し、逮捕された面々。マークはさっさと白状して仲間のこともしゃべった模様。クロエは全否定と正当化。レベッカと逃避するが、結局、捕まる。マークとレベッカは4件で懲役3年だったかな。でもニッキーは1件で1年だったっけ? でも、30日ででてきた、といっていたから、1ヵ月か。なんでニッキーの罪が軽いのかよく分からない。 マークの素直さは分かるんだけど、ニッキーの態度が、なんというかもの凄い。横に弁護士を付けて、マスコミの取材もどんどん受けている。「この体験は自分にとってよかった。私には将来リーダーとして活躍する素質がある」とかなんとか、盗っ人猛々しくも傲慢の極み。悪いことをしたという自覚がさらさらない。どころか、自画自賛なことしか語らない。過保護な母親も、娘をしっかり守っている。なんというか、かんというか。逮捕されてもめげずに正当化するのはアメリカ映画の常套だけど、それに輪をかけてものすごいニッキーに、呆気。これも事実に基づいているのだろうか? そもそもニッキーや他の仲間も、みんな金もちの子弟。キルステン・ダンストやパリス・ヒルトンが通うような店に出入りしているのだから。そういう環境にあるから無軌道もひどくなる、とも限らないとは思うんだけど、映画はそのように描きたいみたい。でも、それじゃ何も解決はしないと思うけどね。まあ、解決策を探るために映画をつくったわけではないだろうけど。 | ||||
ブランカニエベス | 12/24 | 新宿武蔵野館3 | 監督/パブロ・ベルヘル | 脚本/パブロ・ベルヘル |
スペイン/フランス映画。原題は"Blancanieves"。スペイン語(?)で「白雪姫」のことらしい。どーりで。allcinemaのあらすじは「1920年代のスペイン。天才闘牛士アントニオはある時、アクシデントに見舞われ、荒れ狂う牛に体を貫かれて瀕死の重傷を負う。それを観戦していた妻はショックで産気づき、娘カルメンを生むと同時に亡くなる。一方、全身不随となったアントニオは、不幸にも恐るべき悪女エンカルナと再婚してしまう。はたして継母となったエンカルナは好き放題を繰り返し、カルメンにも手ひどく虐げるのだった。やがて美しく成長したカルメンは継母によって命を狙われ、死にかけたところを小人闘牛士団の一行に救われる。カルメンは“ブランカニエベス(白雪姫)”と名付けられ、彼らと共に巡業の旅へ出ることに。そして、いつしか女闘牛士として人気者になっていくブランカニエベスだったが…」 白黒、サイレント映画。といっても音楽は派手で、SEっぽい音も多い。カメラマンのフラッシュのせいで牛が暴れ、アントニオは重傷。妻も亡くなり、生まれたカルメンシータは祖母(多分母方だろう)に育てられる。アントニオは病院の看護婦エンカルナと結婚するが、どうも財産目当て。祖母も亡くなり、カルメンシータはエンカルナに引き取られる。が、地下室を与えられ、毎日、力仕事を命じられる…って、シンデレラみたいな話だな、と思っていた。 父のアントニオが登場しないのはなぜかと思っていたら半身不随で、2階で車椅子生活をしていたのだった。たまたまペットで飼っていた鶏が逃げ出し、追っていって、カルメンシータは父親と遭遇。しかし、自由を奪われたアントニオは何もできない状態・・・。 時が経ち、20歳ぐらいのカルメンシータ。そこにアントニオ死すの連絡が。エンカルナが階段から突き落として殺害したのだった。 面白かったのは、葬儀のとき、正装(闘牛士の恰好)させたアントニオと、参列者とが思い思いに記念写真を撮っていたこと。人が亡くなったとき、故人を正装させて写真を撮る慣習がアメリカあたりにあったのは知っていたけど、故人を挟んで数人ずつ、一緒に記念写真というのがあるとは知らなかった。 エンカルナはカルメンシータに「花を摘みに行ってこい」と命ずる。けどそれは、使用人=愛人(?)にカルメンシータを殺させるためだった。水死したと思ったけれど、たまたま通りかかった男に助けられたカルメンシータ。さてその助けた一行は、小人の闘牛士一座だった。…おお。なんと、こりゃシンデレラじゃなくて白雪姫か! 次の公演で、牛に突き飛ばされた小人がいた。助けようとすると「あれがウケるんだ」と仲間に止められる。でも放ってはおけないと、カルメンシータは場内へ飛び入り、牛をうまく操る。大うけ。仲間に「どこで闘牛を習った?」と聞かれるけれど、思い出せない。どうやらカルメンシータは記憶喪失の模様。2階で父に手ほどきを受けたことを忘れている。 あちこちで大うけの小人闘牛士一座。名前を「白雪姫と七人の小人」と変えるんだけど、小人は6人しかいない…。で、いたぶられ役で人気だった小人は、カルメンシータ(の名前は忘れている)がヒロインになってるのが面白くない。というところに、大手の興行主がやってきて、大きな闘牛場でやらないか、と持ち掛けてくる。一同大喜び。でも契約書には「独占契約。永遠に」という言葉があって、でもカルメンシータは字が読めないままサインする。 さて、その闘牛場はアントニオが重傷を負った因縁の場所だった。と、このあたりでカルメンシータは記憶を徐々に取り戻す。さて、話題を聞きつけ、カルメンシータが死んでいないことを知ったエンカルナもやってきている。ここで、仲間うちに敵が。いたぶられ役の小人が、当初の予定の牛ではなく、牡牛(?)かなんか、凶暴なのがでてくようにしたんだけど、これはカルメンシータがクリア。でも、エンカルナの差し出した毒入りリンゴを囓ったせいで、死んでしまう。カルメンシータは死んだとなっているけど、でもまあ、身体は腐らずに残っているのだから、仮死状態なんだろ? どうなんだ? エンカルナは、牛に殺されたようだ。 で。いまや眠れる姫となって、客がキスして生き返るか否や、の見世物になっているカルメンシータ。これも独占・永久契約のせいなんだろう。一緒に働いているのは、七人の小人の1人で、最初に助けた青年。どーも気があるみたい。その彼が添い寝してるんだけど。彼がキスした後に、一条の涙を流す…というところで終わっている。いやその。小人がキスしたら起き上がるのかな、と思ったのだよ、一瞬。だって白雪姫は王子がキスして目覚めるではないか。なのに、この映画でカルメンシータは眠ったまま終演を迎えてしまう。ぜんぜんハッピーエンドじゃないじゃん。こんな哀しい終わり方でいいのか? はたまた、小人は王子になれないのか、という思いも抱いた。それって差別ではないのか? 魔法で小人にされていた王子が、その呪いがとけてフツーの身長になり、キスしたらカルメンシータが蘇る、はまずいのかな。小人に対して差別的なのかな。 さてと。帰ってきてallcinemaを見たら、「『白雪姫』に大胆なアレンジを加え、天才闘牛士の血を引くヒロイン、ブランカニエベス(白雪姫)が辿る数奇な運命を、モノクロ&サイレントで独創的かつスタイリッシュに描き出した異色のダーク・ファンタジー」となっているではないか。なーんだ。原作が「白雪姫」なんじゃないか。なんと、闘牛士ね。日本ならさしずめ小大名のお姫様が…というようなことか。 前半は、正直に言ってムダに長い。もっと手短に端折ってもいいと思う。後半、小人が出てきて妖しい感じがでてきた。でも、妖しいのは小人だけで、「フリークス」みたいなまがまがしさがない。もっと、どろん、とした感じになったらよかったのにね。 前半を短く、とはいったものの、カルメンシータ役は、前半の子役の可愛らしさが、後半の馬面をはるかに上回る。やっぱ、後半のカルメンシータは、ミスキャストだな。前半、長くても耐えられたのは、彼女のおかげ。後半、耐えられたのは、小人のおかげ。あと、エンカルナ役の役者は、タレントでエジプト人のフィフィを連想してしまって、困った。 でね。カルメンシータが見世物になっている件なんだけど。彼女が名闘牛士アントニオの娘だと言うことを観客は知ったのだから、これは周知の事実だろ。となれば、興行主がいくら独占・永久の契約したといっても、それに縛られることはないんじゃないのか。正式にアントニオの遺産相続人として、もっと手厚い看護が受けられるのではないだろうか。 | ||||
楽隊のうさぎ | 12/25 | 新宿武蔵野館3 | 監督/鈴木卓爾 | 脚本/大石三知子 |
allcinemaのあらすじは「新中学生の奥田克久。彼が入学した花の木中学校は、全員何らかの部活に入るのが決まり。ところが、学校にいる時間をできるだけ短くしたい引っ込み思案の克久が、なぜか入部してしまったのは吹奏楽部。そこはなんと、学校でもっとも練習時間が長い部活だったのだが…」 低予算で手弁当で…なことを聞いていたので覚悟はしていたけれど、いろいろ中途半端なところがあって、いまいち入り込めなかった。最初は音。最初の頃に、くぐもった声で聞き取りにくい個所がたくさんあった。次第に解消していったのは、順撮りしていったからなのかな。セリフの聞き取りにくい個所はたくさんあったけど、それは自然な感じをだそうとした結果なのかな、と寛大になってもいいけどね。次はカメラぶんまわし。発話者を追ってゆらゆらされるのは、ちょっとイラつく。そして、都合よく話を進めるような説明ゼリフも、ところどころに。たとえば魚屋の徳井優がトラックで近づいてきて「部活はどうした? 吹奏楽部とかあるんだろ」みたいなのは、アウトだろ。クラシック鳴らして走っているんだから音楽好き、ときどき中学の演奏会に行く、だから吹奏楽部と言った…のかも知れないけど、そこまで客に「読め」というのは酷だろ。 すべての情報を提供しない演出になってる。たとえば冒頭は、中学の初登校日だったようだ。でも、後からそれが分かる、でいいのかね。説明しすぎない、を心がけているのは分からないではないけど、さじ加減がいまいちなんだよな。他も含めて。 その日、克久はナーバスになっていた。でも、ベルトを締める様子を延々映す必要はないよな。しかも、学生服なのに「派手じゃない?」はないだろ。弁当に「目立たないように、のり弁、真っ黒く」というのは、分からないでもなかった。要は、小学校のとき、いじめられていた、ようだというのが分かればいいんだろ。だから登校途中で会った2人にびくついたんだろう。まあいい。でも、派手なイジメというより、バシリを強要されていた程度だろうな。あれじゃ。 教室に居たら、外から音楽。吹奏楽部の入部勧誘だ。でも、他にも部活はあるんだから、いくつか見せないとな。そして、なぜ克久が吹奏楽部を選んだか、の理由も何となく入れ込んで欲しいところだ。 とにかく、暗い映画だ。主人公の克久は、ほとんどしゃべらない。ほとんど笑わない。それが最後まで変わらない。だから、彼が成長しているように見えない。いや、実際に、成長映画としてみたとき、克久はとくに成長しているとは見えない。なぜなら、何も克服していないから。 なんとなく吹奏楽部に入り、太鼓をやれといわれて素直に従い、最初はメンバーに選ばれなかったけど、2年時にはレギュラーで、担当教師の勉ちゃんから「ティンパニをやれ」と言われるようになる。定期演奏会に向けての練習で「自分だけで判断しないで、周囲の音を聞け。流れを感じて叩け」みたいなことを言われて、演奏会ではちゃんと叩いていた。と、それだけだ。ダメな自分と向き合うとか、できないことができるようになった、とかいう場面がない。これは、成長映画としては失格のような気がする。 もちろん、敢えて具体的な何かを描かなかったということもあるだろう。「リンダ リンダ リンダ」みたいなテイストを狙ったのかも知れない。でも、あれは山下敦弘なりの味があって成立するわけで。この映画においては主人公・克久の魅力につながらないように思うんだよな。 先輩や同級生の描き方も、いまいち中途半端かな。もう少し個人をださないと、もったいない。まともに厚かったのはフルートの、途中でやめていくメガネの子ぐらいだもんな。でも、1人ついて1、2カットずつでいいからプロフィールや本人の思いが伝わるようなセリフを入れてやれよ、な気がした。たとえば転校してきたチューパの子が、また転校する、ぐらいの話をね。 引き立て役のイジメっ子2人の扱いも、いまいちだった。小さい方は、なぜサッカーを辞めたのか。はたまた、サッカー部が金を盗んだ(?)みたいなことを言って、サッカー部の先輩に問い詰められたのはなんでなの? とか、表面的にイジメっ子をイジメられっ子にしたところで仕方がない。原因に触れれば、もう少しイジメの構造に近づけると思うんだけどな。 不自然すぎるシーンと言えば、勉ちゃんが克久に、フルートの子が辞めることをきっかけに、自分の過去を少し話すシーンだろう。あんな遠くまでチェロをかついで、そんな話をするために克久を誘う理由がどこにある? あと、いまいちスッキリしないのが、成果を見せない演出だ。たとえば1年時のコンテスト。これには克久は出場しなかったけれど、あれで入賞したのかしなかったのか。はたまた2年時のコンテストも。いったいどうだったのか。そういう成果は必要ない、人間としての成長だ、とか言われるかのも知れないけど、やっぱ過程としては大事だよな。もちろん「スウィングガールズ」でも最後の結果は描いてないけど、途中経過は描いてただろ。なに。ラストの、あの克久の快活さを見れば結果は分かるだろう、って? 分かんないよ。それに、快活でもなかったしな。その相手も、かつてのイジメっ子じゃあ、なんだかな。 父親役の井浦新はとってつけたような感じ。魚屋の徳井優も、どーして克久に構うのかよくわからない。そうそう。トラックの荷台に人を乗せるのは、道路交通法違反だろ。 ときどき登場するトリックスターのようなイリュージョンの"うさぎ"だけど、あれは要らないな。原作がそうだからって、ムリにいれる必要性はないと思う。要は、"うさぎ"が登場しても違和感ないぐらいの演出力がないってことなんだけどね。 もちろん、素人感丸出しの主人公や同級生たちにも味はある。けど、それを上手く生かし切れてない感じがあるんだよな。もったいない。まあ、「スウィングガールズ」みたいな高揚感を期待してもムリ、ってこった。 | ||||
キャリー | 12/25 | 新宿ミラノ3 | 監督/キンバリー・ピアース | 脚本/ロベルト・アギーレ=サカサ |
原題は"Carrie"。1976年のリメイク。そのオリジナルは見ていない。allcinemaのあらすじは「高校に通う内気な少女キャリー。狂信的な信仰に囚われた母親の過度な束縛によって、まともな友だち付き合いもできずに陰湿なイジメに晒される辛く孤独な日々を送っていた。そんなある日、キャリーに対するクラスメイトのイジメが一線を越え、関わった女生徒が学校から処分を受ける事態に発展する。これを不服に思った主犯格のクリスはキャリーへの憎しみを募らせる。一方いじめを反省したスーは、せめてもの償いにと、キャリーをプロムに誘ってあげてと自分の恋人を説得する。そんな中、念じるだけで物を動かす不思議な能力に目覚めていくキャリーだったが…」 冒頭、母親のジュリアン・ムーアがベッドの上で血だらけで悶えてる。「痛い。ガンなのか」とかいって。で、股から赤ん坊が生まれ、いったんは殺そうとするが、抱きかかえる。次のシーンは、プールでバレーボール。仲間に入れずおどおどしてるキャリー(クロエ・グレース・モレッツ)。シャワールームで血だらけになり、「助けて」と騒ぐ彼女に、同級生たちは「生理も知らないの」とタンポンを投げる…、携帯で動画を撮る…。 というところで、すでにキャリーには共感できない。この女、アホか。いじめる方もいじめる方だけど、しらないキャリーもどうかしてる。高校生だろ。実際のクロエちやんは16歳のようだけど。 あとはまあ、スティーブン・キングによくある感じで、理由はよく分からないけど超能力者で、でも人に嫌われているので気が小さくて、でもパワーをつかっていじめるやつらをやっつけちゃうぞ、な話。ただし、それがいったいなぜなのかは、ほのめかし程度。まあ読めるのは、母親が悪魔に犯されて(と思い込んでいる?)、生まれたのがキャリー、というぐらい。でもそれじゃ答になってないよな。しょうがないんだけど。でも、もやもやは消えない。 では母親は、なぜキャリーを外と接触させないようにしてきたのか。超能力があることを知っていたから? あるいは半分悪魔だから? でも、半分悪魔じゃなぜいけないんだ? 人間世界を滅ぼすから? でも、だったら半分人間でもあるんだから、自分の素性=力をコントロールできるよう育てりゃいいじゃないか。好きで育てたんだから。あるいは地下室で世間に知られずに育てるとか。中途半端に外の世界と関わらせ、生理の訪れも教えないのは母親失格だろ。それとも、半分悪魔なら生理なんて来ないと思ったのかね。 あるいは悪魔に犯されたというのは母親の妄想で、キャリーの念力もたまたま偶然なのか? 同級生の中に、徹底的にキャリーを憎むクリスって女の子がいる。けど、なぜ彼女があそこまでキャリーをいたぶるのか、理由が分からない。たんなるイジメの快感を超えて、憎しみになっている。キャリーのビデオをWebに投稿し、それがバレてプロムに行けなくなったから? その程度であそこまでするかね。最後はひき殺そうとするんだぜ。一方で、それまでの自分のイジメを反省し、キャリーをプロムに誘うよう恋人に頼み込むスーという子がいる。まあ、陰と陽の対比なんだろうけど、2013年の現在ではステレオタイプ過ぎるような気がする。 スーの恋人トミーにしても、いわれてキャリーをプロムに誘うというのは、いかがなものか。そもそもスーとトミーは公認のカップルなわけで、すでにバコバコしてたりするわけだ。そんなトミーに誘われて、嬉しくなってしまうキャリーもアホである。たった1日でも、学校のヒーローと過ごしたかった? 単なるアホである。 プロムの豚の血以降は、まあ、こんなこんだと思う。自分の力をコントロール出来ないキャリーは、その力をつかって母親と家ごと地中に埋没していく…。1976年版ではどういうことになったのか知らないけど、CGの発達した現在ではなんでもアリだかんな。 ところで、母親を妊娠させた悪魔は、いまどこで何をしてるんでしょう。 トミーは空っぽになったバケツが頭に当たって死ぬんだけど、そんなことぐらいで死ぬのかね。 クロエちゃんは、鼻の穴が大きいことが分かりました。 | ||||
サウンド・オブ・ノイズ | 12/27 | キネカ大森3 | 監督/オーラ・シモンソン | 脚本/オーラ・シモンソン |
原題も"Sound of Noise"。スウェーデン/フランス映画。オフィシャルサイトの解説は「音楽一家に生まれながらも、生まれつきの音痴で音楽が嫌いな、警察官のアマデウスは、同僚が職場で流している音楽さえも受け入れられない。ある日、彼はある事件現場に残されたメトロノームを発見し、それを手掛かりに捜査を開始するが…。一方その頃、事件を起こした二人組は、さらなる計画を遂行するために、腕利きのドラマーを集めていた。その計画とは、あらゆるものを楽器に見立て、とんでもない場所で音楽を作り出す、前代未聞の音楽テロだった! 街中に貼り出された4つのテロ予告。果たして、彼らの目的とは…?そして、アマデウスはテロを阻止できるのか!?」 1時10分からのスタート。下の西友で買ったバターロールをかじりながら…で、第二楽章の途中で寝てしまい、気づいたら第三楽章が始まる直前のコンサートのシーンだった。やれやれ。食べるとやっぱり眠くなる。でも、緊張感があって惹きつける力があると、そうならないんだけどね。 最初の事件は、女性のサナとメガネのマグナスが起こす。クルマにドラムセットを積み、走りつつ演奏。スピード違反で白バイに追われると、ドラムを放り投げる。揚げ句にドイツ大使館(?)みたいなところにクルマをぶつけ逃走。でも、クルマからチクタク音がするので爆弾か、と警戒しているところにアマデウスが呼ばれ、いくら音痴でもメトロノームの音は知ってるから、難なく解決。サナとマグナスは、「次は本物の爆弾を用意しなきゃな」とか言ってるから、そういう話になるのかと思ったら違った。メンバーが必要だ、と知り合いのドラマー4人を仲間に入れる。って、イージーすぎるだろ。 アマデウスはメトロノームが古いものなので気になって調べていたら、楽器店でサナに遭遇。「弟が指揮者だから楽譜をプレゼントしたい」といったら、なにやら選んでくれた…という接点。で、街頭にテロ集団の貼ったポスターがズラリ。これから4つの音楽テロをするぞ、と。で、それに従って話が展開する。 第一楽章は「ドクター、ドクター」だっけかな。入院患者と医療機器で音楽を奏でるもので、途中で患者の心音が消えて慌てるという…。でも、聴衆はゼロなわけで、テロの意味がないではないか。次第にこちらは瞼が重くなってきて…。この辺りだっけかな、サラに渡された楽譜の指紋から、彼女が学校を水没させた過去があるとか分かるのは。簡単に身元が割れちゃうのって、つまんねえだろ。 第二楽章が銀行強盗で、紙幣をシュレッダーしたりするやつだな。で、途中から意識がなくなって…、気づいたらコンサート会場で、しばらくしたら第三楽章の字幕が登場した。これは公会堂の前で道路工事とブルドーザーなどの重機で音楽を奏でるやつか。つねにサラは現場に戻り、様子をうかがうんだけど、このときはアマデウスに「大丈夫?」と口まねだけでたずねられていたっけ。どーゆー関係なんだ? 目が覚めても、いまいち話に惹きつけられない。音楽テロといっても、それを聞かせる対象があるわけではない。観客を集めることもない。何か要求するわけではない。声明もない。ただ実行して去って行く。それだけ。じゃ、つまんねーじゃん。Chim↑Pomみたいに粋なことしろよ。なことしてるうちに(うろ覚えだけど)アマデウスが「作曲のしかたを教えろ」と弟の所に行って、四分音符とあともうひとつの音符だけで楽譜を書き上げる。それをサラに示し、これを演奏しろ、とサラを人質にとる。他の仲間は送電線を叩いて音楽を奏で、1人は送電スイッチをオン/オフする。と、街の明かりが点いたり消えたり…。それがどーしたなんだけど、これでアマデウスもテロに参加したことになるのかな。 まあ、朦朧と見ていたから、よく覚えてないよ。最後。事件が解決(?)して、弟の指揮するコンサートにゃってきたアマデウス。これまでみたいに、中座しない。なぜかというと、彼には演奏される音楽が聞こえなくなっていたから。って、どういうことなんだ。あのテロのおかげ? しかし、音痴だから音楽が嫌い、世の中から音楽がなくなれば解決、っていうのもよく分からない。 そもそも第一楽章で、アマデウスが被害者の患者に話を聞きに行くと、声が聞こえない。他の音も聞こえない。…って、あの状態は、アマデウスの耳あるいは脳が音を拒否していると言うことなのか? あれは、他の人も同様なのか? 聞こえないだけで、本当は音が出ているのか? そして、他の人には聞こえているのか? というようなことが、よく分からない。このあたりは、途中で寝ないでちゃんと見ていれば、分かったことなのかな。まあ、分かっても、だからどーしたレベルではないかと思うんだが…。 かようなわけで、こちらの好奇心を少しもくすぐることがなかった。つまんない映画。やっぱ、物語にはそれなりの理由とオチがちゃんとないとなあ。 主人公にアマデウスという名前をつけた親の期待度と、それを裏切った落差…。そんな名前をつけるもんじゃないな、ということだな。 ちなみに、もともとは9分程度の短編で、それが好評なので本編をつくったらしい。その短編はWebで見たけれど、アパートに潜入して香具などで音楽を奏でるというもの。要は、パフォーマンスだけに徹している。だから、それはそれで完成度は高いと思うんだけど、でも、100分まで引き伸ばしてストーリーをつけるとなると、やっぱ、ひとつ筋の通った話に仕立てなくちゃダメなんだよな、と思った。…途中で寝ちまったけどね。 | ||||
最後のマイ・ウェイ | 12/29 | ギンレイホール | 監督/フローラン・エミリオ・シリ | 脚本/フローラン・エミリオ・シリ、 ジュリアン・ラプノー |
原題は"Cloclo"。allcinemaのあらすじは「1939年、エジプトでフランス人の父とイタリア人の母の間に生まれたクロード・フランソワ。父はスエズ運河を管理する会社で働き、裕福な暮らしをしていたが、スエズ運河が国有化されたことで失職、一家はモナコに移住し、一転して苦しい生活を余儀なくされる。そんな中、音楽への夢を抱くクロードは、ショービジネスの世界へと足を踏み入れる。父親はそんな息子を認めず、“大道芸人はいらない”と拒絶したままこの世を去ってしまう。やがてデビュー2作目で大ヒットを飛ばしたクロードは、敏腕マネージャー、ポールの力を得てスター街道を突き進む。飛ぶ鳥を落とす勢いの彼は、アイドル歌手のフランス・ギャルとも付き合い始めるが…」 クロード・フランソワについては知らなかった。"マイ・ウェイ"の作者がフランス人であることも知らなかった。あー、そうですか、…というような映画。純粋に伝記映画で、それ以上のなにものもない。2時間30分もあるけど、飽きなかった。まあ、それだけ波瀾万丈なんだろうけど、流れが主体に描かれていて、エピソードを突っ込んで描くというようなことをしていない。だから、すぐに忘れそうな気がする。 それにしてもテキトー人生だな。最初は「才能がない」とかいわれ、レコードも売れない。最初の妻に愛想を尽かされる(最初の妻は、ジルベール・ペコー(?)の奥さんになったんだっけかな?)。そこを押しの一手でもう1枚レコードをださせ、それが大ヒット。一躍スターダムに。今度はアイドル歌手のフランス・ギャルといい仲になるんだけど、彼女がユーロビジョンで優勝(「夢見るシャンソン人形」)すると、冷たく突き放す。恋人が自分より売れるのは許せない、というわけだ。 嫉妬深さもなかなかのもの。最初の妻が逃げたのも束縛のしすぎで、遊びに行けないよう部屋に鍵をかけて行くんだからひどい。別の男と話しているだけで激高する。 ユーロビジョンで優勝しても、なおクロードが好きなフランス・ギャル。部屋にやってきても何に入れてやらない。この意地悪ぶり。で、結局は分かれてしまう。 というようなことをしていながら、ファンの女の子とはどんどん寝てる。うらやましい限りであるよ。家から事務所まで大した距離でもないのにクルマに乗り、運転しつつファンとキスしつつ…って、おいおいな毎日だね。これは、2度目の結婚をして子供が生まれてからのことだってのが、信じられない。日本だと、結婚したらファンは離れていくだろうに。 この2番目の嫁さんも、業界人らしいけど、でも家庭的なようではないか。なのに、「お前は家で子供の面倒を見ていろ」的な対応なんだから、有名になるってのは恐ろしい。バンドマンがちょっと間違えるとステージで罵倒し、「クビにする」宣言。唯一マネージャーだけは信じているけれど、あとはどんどん切り捨てる。では独創的かというと、そうでもない。アメリカで流行っていることを採り入れて、フランスでは初めて、で売ったりする。モータウンと接触して黒人ダンサーを周囲に控えさせたりしたのがそれだ。物真似アイディアで、そこそこの人気を保てたんだから、まあ、日本の音楽産業とどっこいかもね。フランスも。 しかし、ライバルがジョニー・アリディという時代で、アリディは知ってるけど、クロードなんてまったく知らなかったよ。 で、たまたまつくった「マイ・ウェイ」の原曲がシナトラに歌われて世界的な大ヒット。それだけで有頂天になってしまう。こういうところも、日本と同じだな。「俺の歌だ」とか言ったり「共演を」とも言わなかったみたいだし。 ところで、「マイ・ウェイ」の何をつくったんだろう、クロードは。プールサイドでテープを再生すると「マイ・ウェイ」のイントロ部分が「ラララ〜」で歌われていて、そこにクロードが思いつきで歌詞を載せていく…。ってことは、作詞? ついでに作曲も? そういえば、最初にヒットさせた曲でも、作詞家に「歌詞を変えてくれ」と詰めより「自分で考えなさいよ」と返され、なんとか作詞したら作詞家に褒められてていたけど・・・。よく分からん。 クロード最大の悔恨は、父親に認めてもらえなかったことのようだ。エジプトでスエズ運河の会社に勤めていたけど、革命で会社がエジプト国家のものになり、着の身着のままでフランスへ。借金生活。バンドで稼いで母に渡しても、ギャンブル狂なのでみんな遣ってしまう。父親は、水商売が大嫌い。銀行とか、まともなところへ、といいつつ憔悴して死んでしまった。これがトラウマらしいけど、まあ、しょうがないじゃん、な気もするんだけどな。 不思議だなと思ったのは、2度目の妻に2人目の子供がいることをひた隠しにしていたこと。1人は公にしていたけど、なんで? 弟がダウン症とか、そういうことか? と思ったら、そうでもない。たんに、2人いることを隠したかった様子。でも、なんで? 理解不能だ。 でその2番目の妻も子供ができるとないがしろにし、女遊びにふける…。揚げ句、妻は出ていき、さびさのあまり、いちどは追い出した(1ステージ分のギャラを前借りし、すべてギャンブルで擦ってしまったから)母親を呼び戻す。そして、いまつき合っている女性を家に招く…。クロードって、つねに家に置いておく女性が必要なのだな。落とすまではあれこれするけど、落としたらもう関心が失せる、みたいなところか。 てなところで、ある日、何かの出番前にシャワーを浴びていて、濡れた手で電球に触れ、39歳で感電死。なんか、呆気ないというか、マヌケというか。ううむ。フランス国内では圧倒的な人気歌手だけど、世界的には「マイ・ウェイ」の作家として知られる人物ということになった、ってことなんだね。 クロードは極端に几帳面な男に描かれている。最初の妻とカーセックスするときも、脱いだ靴をクルマのボンネットの上に置き、ズボンもキチンとたたんで靴の隣に置く・・・。の割りには、住まいの入口に色々イタズラ書きがしてあるのは、ファンがしたのかな。ちょっと矛盾してないか。まあいいけど。 | ||||
スカイラブ | 12/29 | ギンレイホール | 監督/ジュリー・デルピー | 脚本/ジュリー・デルピー |
原題は"Le Skylab"。allcinemaの解説は「1979年のブルターニュ地方を舞台に、祖母の誕生日祝いに集まった風変わりな大家族が織り成す人間模様を、おしゃまな少女の目を通してユーモラスに綴る」 冒頭は、女の子2人を連れた若夫婦が列車に乗り込むシーン。指定した席が4人向かい合わせじゃなんったので、近くの向かい合わせの席の人に、席を交換してくれるよう頼むが断られる。で、その若奥さんの憂鬱な顔が、メガネをかけた小太り娘アルベルティーヌ11歳に変わっていく…。時は1979年、アルベルティーヌは両親と祖母の誕生日のお祝いにやってきた…という話なんだけど、あとから少ない解説を見つけて読んで分かったこと。とくに、遡る過去が1979年であるというのは、具体的に分からなかった。IMDbとか見て、やっと分かったのだ。せいぜいヒントとしては五月革命(1968)、アルジェリア戦争(1954-62)なんかかあるだけで、でも、それらから何年経っているかまでは描かれていなかった。だから、いったいいつの話なのか、分からなかった。 あと、困ったのが、誰が誰やらわからないこと。集合写真を見ると大人から赤ん坊まで25人いるんだけど、その関係が分からない。祖母がいて、その子供は誰と誰なんだ? バアサンが2人いるけど、アルベルティーヌの母の祖母と父の祖母がいたようだ。でも、なんで2人がそろうんだ? 他の子供たちの連れ合いの祖父母は? 登場していた爺さんは、祖母の弟? なんとなくカップルと子供は見当がつくけど、どっちが義理の方なのか、分からない。分からないままだらだらと進む。 まあ、羊の解体とかはいい。でも、雨が降って、庭から室内へとか、どーでもいいような展開がつづき、どーやらこりゃドラマらしいドラマはなくて、こういう小ネタつながりで引っぱっていくつもりかも…と思ったら眠くなってきて、沈没。気がついたら、みんなが歌を披露している。しかも、小学生ぐらいの男の子が、チンポが立ってどうたら、と歌っていて、大人が笑っている。いいのか、フランスじゃ。他にも、後で、バックでやれば妊娠しないとか、子供の前で平気で話したりする。なんか、凄いな、フランス。 その後、思い立って(?)みんなで海に行くんだけど、車中でアルベルティーヌの父親がする人魚の話(だったっけかな)は、延々と最後までやるので、辟易した。こういう、どうでもいいことを、端折らずやる。さらっと、サワリだけやりゃあいいのに。 海岸では隣がヌーディストビーチで、アルベルティーヌも父親に連れられて、友人の子供(15、6歳の少年)のチンポを間近で見たりする。父親も、知り合いの女性と平然と話す。その女性の陰毛が絨緞みたいで、スゲエなと思っていたら、どうやらそれも演出だったようだ。 帰ってきてからは、何をしたんだっけ。子供たちは、パーティに行ったのかDJがヌーディストビーチで出会った少年で、アルベルティーヌと義理で踊ってくれる。でも、別に彼女はちゃんといて、アルベルティーヌはちょっと傷つく。 大人たちは飲んで、喧嘩する。アルベルティーヌの両親はフェミニストで左翼的。でも、医者と、もうひとりごついのがいて、2人とも軍隊経験があるらしく、左翼政権をよく思っていない。祖母の前で罵り合い、「やめて」と言われてもやめない。他にもスペイン人の亭主をもらってるのもいたな。だからどーだって、分かんないんだけど。 その後は、飲んでトランプをやり、子供たちは庭のテントで怪談話…。なんてところに、ある寝室のドアが開き、ごつい元兵士が忍び込んできて、ベッドの上の夫人の口を塞いで「静かに」というんだけど、そうはいかない。隣に寝ていた亭主である医者も起きだし「なんだ」となるんだけど、ごつい元兵士はシャツだけで下はすっぽんぽん。チンポが見えている。医者は妻に「ここは穏便に」みたいなことをいい、妻は「あんた、そんな、ひどいことをされようとしたのよ」というんだけど無視。元兵士は「悪かった」とかいうんだけど、医者を誘って台所。「軍隊を知ってるんだから、俺の気持ちはわかるよな」とかいいはじめ、「アラブ野郎にてめえのチンポを加えさせてゃった。アルジェリアの女たちはよかった。俺は辛いんだよ。戦争がしたいんだ。兵隊になりたいんだ」みたいなことをいう。ありゃりゃ。戦争中毒者なんだ。フランスの元兵士には、こういうのが多いのか? なんか、道徳観念とか罪悪感とか、壊れちゃってないか? なエピソードだった。 という具合に、前半はタルイんだけど、後半も海に行く辺りから濃いエピソードが登場してきて飽きなかった。とはいっても、だからどーしたレベルの小ネタの連続であることには変わりは無かったけどね。 そういえば監督は、アルベルティーヌの母親を演じている女性で、女性視点からの描き方なのかも知れないが。 で、夜が明けて、みな帰っていく。アルベルティーヌはまだここに残るみたいで、両親だけが列車で去って行く…そして、現在に戻るんだが、ここで再び座席問題が始まる。アルベルティーヌは譲ってくれなかった4人に、今度はお願いではなく罵倒し始める。周囲の乗客も、進行方向に向かって座りたいなら、私が代わってあげるわよ、なんていう女性が出てきたり、4人も断り切れない状況に。それでめでたく向かい合った席を確保し、家族4人でトランプを始めるんだが、うざい。きっと「むかしは一族の間に思想的・立場的な対立がありつつも、時々は集まって食事をしたり歓談したり喧嘩したりと、人間的な交流があった。けれど、今は隣同士座った相手とも話しもせず、他人に対して思いやりもない。そんなんでいいんですか?」的なメッセージなんだろう。実際、席をいやいや譲ったあとで、近くの隣り合った2人が会話を始めたりしていた。こういう会話も生まれますよ、ということなのだろう。とはいえ、見知らぬ相手に「席を譲れ」と強要し、なんだかんだで譲らせて、そこに座って本人たちは気持ちがいいのだろうか。いいはずがない。他人の自由や快適さを犠牲にさせて得た快適さなんて、そんなものは碌でもないものだ。というのが一般的な日本人の感性だろうと思うよ。 題名の「スカイラブ」は、ちょうど祖母の誕生日にフランスのどこかに落ちるかも、といわれていた宇宙ステーションのことらしい。「もし、ここに落ちたらどうする? と子供たちが話し合っていた。実際はオーストラリアに落ちた、と翌朝の新聞で分かるんだが…あ、そうか。この出来事がいつか分かれば、過去の年代が分かると言うことか。1979年ね。でも見終わってからじゃなきゃ、調べられないわな。 というわけで、なんか、いろいろバラバラな感じな映画ではあった。 | ||||
清須会議 | 12/31 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2 | 監督/三谷幸喜 | 脚本/三谷幸喜 |
allcinemaのあらすじは「天正10年(1582年)。天下統一を目前にした織田信長が、本能寺の変で命を落とす。長男の忠信も討ち死にし、にわかに織田家の後継争いが勃発する。筆頭家老・柴田勝家と明智討伐の功労者・羽柴秀吉が後見に名乗りを上げ、それぞれ三男の信孝と次男の信雄を推して激しく対立する。そんな中、2人が共に秘かな思いを寄せるお市様は、秀吉への恨みを晴らすべく勝家に加勢、一方の秀吉は軍師・黒田官兵衛を使って様々な奸計を巡らせていく。互いに一歩も引かぬまま、いよいよ決戦の清須会議へと臨む勝家と秀吉だったが…」 歴史は詳しくない。戦国ファンでもない。大雑把。だから、信長の重臣に誰がいたかといわれて、秀吉と家康、ぐらいしか出てこない。お市の方と寧々は多少…。ほかの、この映画に登場する柴田勝家、前田利家、黒田官兵衛あたりは名前を聞いたことがあるが、どう戦ってきてどう仕え、どう死んだかは知らない。まして丹羽長秀とか池田恒興、瀧川一益など存在もよく知らん。信長の兄弟や子供たちについても以下同文だ。という身からすると、登場人物の説明が不親切。ちゃちくてもいいから名前と役職というか立場などをテロップで出すぐらいしてもらわないと、分かりにくい。しかも、例えば柴田勝家は同輩からは権六と呼ばれ、下からはオヤジ殿と呼ばれていたりする。他の人物の呼称も然り。これじゃ、こんがらがっちまうよ。あと、"しゅくろう"なる呼び方がとうじょうするんだが、"ろう"は"老"なんだろうけど、"しゅく"が分からない。調べたら「宿老」とか。こんなの、知らねえよ。「老中」じゃダメなのか? 本能寺の変と光秀の最後がちゃちい。最初、どこのお家騒動かと思ったよ。これも、テロップ入れるべきだな。というか、映像なくてもいいよ。マンガつかっうとか、分かりやすいチャート図にして、信長の跡取り候補、家臣、派閥…なんてのを説明しちまえばいい。それぐらいやらんと、ぱっ、と頭に入らんよ。 まあ、話は信孝を推す柴田勝家一派(勝家、丹羽長秀、瀧川一益、お市)vs信雄を推す羽柴秀吉一派(黒田官兵衛)の、根回し作戦の話だ。中間派には池田恒興。途中で秀吉は、推していた信雄がバカすぎると気づき、長男・信忠の遺子・三法師の擁立へと方針を転換。これに池田恒興が賛同し、さらに最終的に丹羽長秀も三法師を推すことに賛同する。その代わり、三法師の後見人として信孝が付くということで収まる。結果的に、宿老筆頭である柴田勝家が力を失い、秀吉の天下への道が開けた、というわけだ。 という話をコメディにしているのだけれど、ほとんど笑うところがない。ここで笑ってもらうつもりなんだろうな、という場面はよくわかる。でも、つまらないので笑えないのだよ。 物語にヤマ場もなにもない。だらんとしてて、いつになっても盛り上がらない。どーも脚本が平板。要は芝居の台本なんだよな。大きな流れがあって、ところどころに笑いの仕込みがあって、それが最後まで同じようなパターンでつづくのだ。セリフも饒舌すぎてタルイところがあるし、あれこれ説明してしまっていることも多い。だからリズムがない。映像ならではの見せ方にも乏しい。つまり、退屈でつまらない。それが2時間20分もつづくんだからたまらない。 滝川一益が会議に遅れ、森を走っていると北条家の武士と出会う。これが西田敏行。『ステキな金縛り』にでてきた落武者の幽霊の生きているときの姿、ということで笑わせるつもりなんだろうけど、みんながみんな『金縛り』を見ているわけじゃないからね。 ムダに豪華すぎるぐらいの配役で、もったいなさすぎ。後からクレジット見て、気づかなかった役者もいるぐらいだ。どうせ出すなら、ちゃんと出してやれよ、な感じ。豪華ならいいってもんじゃないと思う。バランスだよ、要は。 たとえば、でんでん、がやっている役はいったいなんなんだ? これも信長の家臣の大名で前田玄以だっていうけど、ただのオッサンにしか見えないよ。鈴木京香、年寄りすぎて怖い。剛力彩芽も白塗りお歯黒で顔が怖い。一方で、存在感として役所広司が群を抜きすぎている。なんか、マジにやりすぎな感じ。いつも一緒にいる小日向文世が貧弱に見える。寺島進は、なんかやる気なさそうだったな。中谷美紀の寧々のあのゲジゲジ眉毛は、なんの意味があるんだ? で、会議が終わって去って行く柴田勝家からカメラが青空にチルトして映画が終わるんだけど、武将たちのその後をテロップで見せるとかしてもよかったんじゃないかかね。 |