アイム・ソー・エキサイテッド! | 2/3 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2 | 監督/ペドロ・アルモドバル | 脚本/ペドロ・アルモドバル |
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原題は"Los amantes pasajeros"。Google翻訳したら「愛好家の乗客」とでたぞ。「旅する恋人たち」というような意味と書いているところもある。よく分からん。スペイン映画だから。allcinemaのあらすじは「マドリッドからメキシコ・シティへと飛び立ったその旅客機のビジネスクラスでは、快適な空の旅を約束してくれるはずだった。ところが機体のトラブルで、着陸できずに空を旋回し続ける事態に。そんなビジネスクラスの乗客は、不祥事で高飛びを目論む銀行頭取や落ち目の俳優、伝説のSM女王に不吉な予言をするアラフォー処女など曲者揃い。当然のように騒ぎ出す彼らを落ち着かせようと、オカマのCA3人組が得意のダンスを披露するが」。 アルモドバはむかしコメディも撮ってたみたいだけど、見たことはない。それはさておき、間が悪く、テンポの悪いソープオペラみたいな感じ。なんか、テレビみたいなんだよな、雰囲気が。でもって笑いのツボもよく分からんところがある。その原因はこちらの知識不足もあるんだろう、きっと。スペイン人なら、登場しただけで笑える、あるいは、背景がわかる役者も登場しているのではないかと思う。でも、そういうローカル情報を知らないと楽しめないのでは、しょうがないよな。 あと、こちらが人物の名前を覚えられないトロさもあると思う。たとえば最初の頃、「ノルマが見てる」云々いうセリフがあって、ノルマって誰よ? と思ってしまった。たぶん金髪の女性だろうとは思いつつ、なんでオカマの客室乗務員が客の名前を覚えているのか、はたまたそのノルマが操縦室にやってきているのか、意味不明だし。それと、ノルマに関しては、別の名前でも呼んでたよな。いったい全体? たとえば最後の、パイロットの奥さんとカルミナ(?)はレズだ、とかっていう話。カルミナって誰? と思ってしまうと、もう笑ってはいられない。その場に登場していない人物の名前をだして会話されても、ちょっとなあ。覚えきれないしなあ。 冒頭から、何これ? な感じだ。操縦室に女がやってきて、未来が見える、という。初めは拒絶するが、結局、中に入れて話を聞いたりする。なにこれ、な機長と副操縦士。で、その後にノルマが男を引き連れてやってくるんだけど、あれは無視して入れなかったんだっけか。では、なんでそう客がやつてくるんだ? という、得体の知れなさ感は、ちと不愉快。そのうち分かるんだろうな、と思った背景は、車輪の故障かなんかでメキシコ行きが中止になり、燃料を使い切るため上空を旋回しているらしい、というもの。しかし、にしてはドラマチックが何にもない。こんな分かりにくい表現じゃなくて、ちゃんと素直に描けばいいのに、と思う。それなら「なるほど」って思える部分はあるのにね。 いちばんキモなのが、両刀遣いの機長と、男しかダメといいつつ、後半でしゃぶられて目覚める副操縦士。あと、3人のオカマのキャビンアテンダント。うち1人は機長と深い仲らしい。で、もう1人が副操縦士と仲良くなってしまう。もう1人はヒンドゥー教徒? 機長はオカマのキャビンアテンダントと関係していることを気に病んで、妻に告白しようかどうか悩んでいる。のだけれど、オカマの方が奥さんと連絡していて男色は了解済み。というのも、奥さんもカルミナとレズってるから…という流れでさっきの名前がでてくるんだけど、ホント、分かりにくい。 3カマアテンダントは、まあ、見れば分かりやすいから面白い。中盤の、音楽に合わせて踊るのも楽しいけど、それ以上に深くはないのだよな。まあ、こっちが気がつかないだけで、西洋の習慣、オカマならではの何かを描いているのかも知れないけど、でも伝わってこないんじゃ意味がない。 で、ノルマというのはSMの女王で、スペインの高官や国王ともプレイしたとかいう話をするんだけど、よく分からんオバサン。勢いづいて男性客と座席でセックスしてしまうのは、ありゃなんでだ? メスカリンのせい? セックスした相手は、なんと自分を狙う殺し屋で、依頼したのはお客の妻(?)だったかな。でも最後は2人仲良くなってしまう。 他に、最初に操縦席には行ってきた処女おばさんがいた。眠ってるエコノミークラスのアンちゃんのチンポなめ、さらには上に乗っかって処女を捨てるという、なんだかよく分からんことをする。 あと、どっかの銀行の汚職かなんかの犯人で、逃亡しようとしてるオッサン。 もうひとり、彼女が精神病で、自殺未遂…という場面で電話するオッサンがいた。気違い彼女は携帯を落とし、その携帯を拾ったのがオッサンの昔の彼女で…という、むりくりな関係の話もあったけど、これもよくわからん展開の話。といっても、昔の彼女がこの映画で一番美人なので、まあ、我慢してやってもいいが。 そして、新婚カップルがいるんだが、なぜか亭主の方が肛門にメスカリンを入れて運んでいて、飛行機がこんな状態、というのを知るとそのメスカリンを乗客や乗務員に分けたりしていたけど、妻に飲ませて意識朦朧とさせてフェラさせたりセックスさせたり、なんかこれもよく分からない。 分からないといえば、ビジネスクラスは席ががらがらで、オカマの3人のキャビンアテンダントと仲よく話したりしているんだけど、エコノミークラスは超満員。しかも、全員深い眠りについている。乗客だけじゃなく、何人かいる女性のキャビンアテンダントも熟睡状態なんだけど、あれはなぜなんだ? クスリでも盛って眠らせた、とか説明があったっけ? というか、なぜビジネスクラスはみなビンビン元気なんだ? 説明があったっけ? あと、飛行機から地上への電話とか、わんわんエコーしているのは、会話内容が機内に流れているからなのか? よく分からない。…というように、わけの分からないことばかりで、いまいちノレなかった。 音楽も、オカマの3人が踊るところは効果的に使われていたけど、それ以外はほとんど音楽なし。かなりもの足りなかったかも。 そうそう。最初のシーン。整備士(アントニオ・バンデラス)が、飛行機の車止めを外している。ところにペネロペ・クルスが荷物運びのクルマを運転して来るんだけど、いちゃいちゃ手を振ってる間に荷物が落下し、近くにいた、これも整備士かなにかに当たるんだけど、これはなんのためのエピソードなんだろ。このせいで車輪がでなくなったのか? よく分からない。というわけで少し眠くなったし。しかし、笑いつづけていた女性もいて、どこがおかしいのか聞いてみたいほどだ。 | ||||
ゲノムハザード ある天才科学者の5日間 | 2/4 | 新宿武蔵野館3 | 監督/キム・ソンス | 脚本/キム・ソンス |
日本の小説が原作で、日韓合作らしい。allcinemaのあらすじは「ある日、帰宅した石神武人は妻の死体を発見し、動揺する。そこへ突然の電話が鳴る。しかし受話器から聞こえてきたのは、目の前で死んでいるはずの妻の声だった。その直後、石神は警察を騙る2人組に掠われかけるが間一髪で逃走し、偶然通りかかった韓国人女性記者のカン・ジウォンに助けられる。2人は協力して事件の解明に乗り出すが、次第に石神の不可解な記憶の混乱が明らかとなっていく。何が本当の記憶で、自分は何者なのか、真相の核心へと懸命に迫っていく石神だったが」 製作がロッテで、タイトルがハングルなのでギョッとした。日本映画じゃないのか。なんと監督も韓国人だった。ってなことも知らずに見ているんだが。 いろいろ不可解が連続する展開なんだけど、それが次第に明らかになっていくのかというと、そんなことがない。というか、疑問を抱え込んだままどんどん進んでいくので、こちらの負荷がどんどんたまっていく。名前などの固有名詞、人物関係、石神武人の人物背景、一緒に行動する女性記者カン・ジウォンの正体は? てなわけで、何が何だかよく分からなくなっていく。 一方で、とてもいい加減なこともある。カン・ジウォンは、大学の研究室まで行ってしまった石神の行方をどうやって知ったのか。いったんは帰国しようとしたカン・ジウォンが、街中でうなだれる石神をどうやって発見できたのか。彼女も、どっかの一味が石神に仕込んだのと同じ発信器を石神に持たせていたのか? そういやあ、最後の方でクルマのトランクだっけ(?)に入っていた黒い発信器みたいのか゜映るシーンがあったけど、ありゃ何を意味していたんだ? とか、たくさん「?」がありすぎで、実は中盤からついていけなくなった。でもって、韓国に行ってたらのしばらく、寝てしまった。どうも、記憶にないのが伊武雅刀の佐藤博士のくだりで、なぜに石神が記憶を上書きされ、さらには追われる=狙われる理由がよく分からないまま、映画は終わってしまった。ははは。 石神がもとは韓国人の研究者で、妻もいたのは分かった。それが記憶が上書きされ、デザイナーの石神になってしまった。なんか、研究室で事故があって(ホントの石神がなんかで死んでしまったんだよな)ウィルスに感染したかになんかなんだよな。「石神」になっってしまった夫を元妻がみつけ、現在の妻にあれこれ絡んできてたりしてので、現在の妻が突き飛ばして殺してしまう。その死骸を、石神の友人が始末して…とかいう話の裏側を解説してた。ってことは、元妻殺しは、佐藤博士とは関係ない情痴のもつれなのか。しかし、現在の妻は夫が入れ替わっても平気だったのか、とか、そんなことは説明されていたのかな。なんか、いろいろ分からないままなんだけど、もう一度見たいとは思わない。 だって、冒頭からの展開が全然スリリングじゃなくて、だらだらテンポがのろいんだもの。同じ話をハリウッドで撮ったら、換骨奪胎、もっとスピーディに演出されるだろうなと。たとえば、自室で妻の死体を発見し、そこに得体の知れない警察を名乗る2人がやってきて、そこから逃げるのに自室の屋根を伝い、なぜか知らないが他人の家の中を、しかも、奥さんが透明な風呂でシャワーをつかっているところをコソコソ通り抜けなくちゃならない理由はどこにあるんだろ。変だろ。 あと、人格が上書きされているといいつつ、人格が混同していたりするのも、テキトーな感じ。たとえば、最初に妻の死骸を発見し、驚いているところに妻から電話があって驚愕し、改めて妻の死骸をみると、ない。というこのシーン。死骸は研究者としての自分の妻で、電話の相手は現在の妻なんだろ。それをどうして混同するんだよ。それと、カン・ジウォンとレストランに行って、話をしていると、石神がナプキンにハングルで自分の名前(だっけ)を書きなぐるんだけど、なんで? な感じ。まあ、上書きがされた記憶が薄れ始め、過去の記憶が顔を出しているとかいうことなのかも知れないけど、なんか、恣意的というか、ご都合主義的過ぎないか? で、5日後、石神の記憶が完全になくなり、彼はブラックアウトする。そして1年後、所は韓国。元石神がカン・ジウォンに会いに来るんだけど、これはどういう意味なのだ? そもそも石神の記憶を失って、もとの韓国人研究者の記憶が正常に戻りだしたのか? まあ、それだから韓国に戻ったんだと思うけど、では、カン・ジウォンの記憶は網すでにないのに、なぜ彼は彼女に手紙を出し、会うことになったのだ? なんか、よく分からんよ。途中で寝てなかくて、セリフをちゃんと聞いていれば、理解できる話なのかな。 西島秀俊本人がアクションシーンもかなりやってる感じだった。 | ||||
鑑定士と顔のない依頼人 | 2/4 | 新宿武蔵野館3 | 監督/ジュゼッペ・トルナトーレ | 脚本/ジュゼッペ・トルナトーレ |
原題は"La migliore offerta"、英文タイトルは"The Best Offer"。allcinemaのあらすじは「一流の美術鑑定士にして、カリスマ的オークショニアのヴァージル・オールドマン。極端に人間嫌いで独身を貫く彼が唯一愛情を注ぐのが、女性の肖像を描いた名画たち。これはと思う肖像画が出品されると、相棒のビリーを使い、不正な手段で自分のコレクションに加えてしまうのだった。そんなある日、彼のもとに、亡くなった両親が遺した家具や美術品の鑑定をしてほしいという若い女性からの依頼が舞い込む。ところが依頼人は、決してヴァージルの前に姿を見せようとはしなかった。憤慨するヴァージルだったが、依頼人の屋敷である歴史的名品の一部とおぼしき部品を発見してしまい、この依頼を引き受けずにはいられなくなる。そして屋敷に通ううち、姿の見えない依頼人に少しずつ興味を抱き始めるヴァージルだったが」 超満員、ロングランの話題作。2度見ると違う面が見えてくるとかいう話で、リピーター割引もしてる。ってことは、あの「裏切りのサーカス」並の複雑さなのか、と思って見始めたけど、ぜーんぜんそんなことはない。顔を見せない女性から依頼があり、始めは拒絶するが、いやいや請負って、でも、なかなか顔を見せないクレアという女性に関心をもちはじめ、のめり込んでいく。という流れがストレートかつ重厚に描かれていく。同時並行で見せていくのは、屋敷の地下室で見つけた歯車を、修理屋ロバートがオートマタに組み立てていく過程。オールドマンがひそかにコレクションしている女性肖像画の話。あと、屋敷の前にある居酒屋で数字に関して天才的な能力を発揮する侏儒の女性の存在は、絶対に何かある感じ。屋敷の家従は、それほど重要でもない感じ…。てなところか。 オールドマンとしては、鑑定を依頼された美術品が実はそれほどでもないので、手を引いてもいいんだけど、そのたびにクレアから懇願されて、しぶしぶつき合っていく。突然クレアがヒステリックになって、オールドマンに拒否を示すと、でもやっぱりクレアが気になって仕方なくなる。クレアもオールドマンもツンデレな感じが良くでてて、とくにオールドマンがずるずる見えないクレアに興味を掻き立てられていくのがよく描けている。 オールドマンがクレアの屋敷に通う理由は、歯車だ。オートマタが次第に組み立てられていく過程が、ひとつのモチベーションになっている。どうやら有名人形師のものらしいんだけど、その割りには扱いがぞんざい。というのも、美術修復師に持ち込むのではなく、ちょっとした知り合いの修理屋に持ち込んでるからだ。これが話を面白くもしているし、安っぽくもしている。なぜなら、修理屋ロバートも詐欺師の一味なんだもん。ロバートがオールドマンに接近し、信頼感を得、修理を依頼されるまでには相当の時間がかかると思うんだが、どうも知り合ってから1年ぐらいな感じ。ロバートの仕込みが一番手間がかかるはずなんだけど、ちょっとテキトーに端折りすぎだ。 で、やっぱりクレアの顔を見たくなって、部屋を出るフリをして彫像の後ろに隠れ、その後はクレアにケータイで電話をかけ、脱出している。という手口は、ロバートが指導しているようなものだから、詐欺集団の手のひらに載せられていた、。ってことだな。ところで、クレアはオールドマンが退出後、ドアを中からロックする。その状態でオールドマンは中から解錠し、部屋から逃げる。でも外からは施錠できないのだから、クレアにバレるよな。その心配をしないというのが、変だろ。まあ、部屋に侵入するようクレアが仕掛けているのだから問題ないといえば言えるが、オールドマンの対応は不自然だ。でもま、次に部屋に残ったとき、オールドマンは携帯を落として発見される。オールドマンがさういう失敗をしでかさない段階では、クレアが「鍵が開いている…」とかいってオールドマンを疑い、接触を図る予定だったかも知れないけどね。 オールドマンが形態を落とす前のシーンがいやらしい。クレアは瓶を落として割り、椅子に座って破片を取り除く。半跏思惟像のように右足を左足の膝にのせて…。股ぐらの奥がちらちら見える感じ。それを見ているオールドマンは、彫像のタテのスリットから覗いている。明らかにスリットは女性器の象徴だ。 クレアがオールドマンに心を許し、ついには一夜を過ごす、まではまあいい。しかし、その後クレアは自室から平気で出るようになり、さらにはオールドマンが暴漢に襲われたのを知るや、門から外に出て、どうやら病院まで付き添っていった、みたい。という辺りから、なんか変だな、と思うようになった。こりゃ、クレアがオールドマンを嵌めてるんじゃないか。そして、屋敷からでてオールドマンの家で住むようになったところで確信した。仕掛けを考えついたのは絵の存在を知っているビリーだろう。長年の経験で、オールドマンの好みの女性も分かっている。その審美眼でクレアを囮に選び、それにまんまと引っかかった。安部寛が主演した「カラスの親指」が似たような詐欺の話で、それと似たような設定だったので気がついた。まあ、他にも詐欺の話はよくあるけどね。この映画は、絵画、妙齢の女性と、ずっと童貞だったオールドマンの恋、という話で引っぱっていく。まあ、気がつかなければ「やられた」と思ったんだろうけど、でも、結末前にオチが見えてしまったのが、ちょっとね。 その後、がよく分からない。老人ホームででよぼよぼになっているオールドマンと、まだ活力があってプラハまででかけるオールドマンが並行して描かれる。プラハは、クレアが唯一「外に出られた場所」といっていたところで、ナイト&デイとかいう店がある。そこは歯車だらけの店で、その店に入るんだけど、店員に「連れは」と言われ「人を待っているところ」といった応えるんだが、カメラが引いてって終映となる。それは、ロバートあるいはクレアを待っているということか。プラハまで行ったけど、逢えずに呆けたのか。老人ホームから復活してプラハに行ったのか、その時制がよく分からない。Webで誰かが言っていたように、秘書が持ってきた手紙の中にクレアからのものがあり、時と場所を指定してきたのか。ふたたび元気になって逢うため、体力作りをし(ときに、身体を求め合っていたときのことを思い出しつつ)、完璧な状態でプラハに行ったのかな。そして、クレアが現れて…なのかもね。 ・クレアはビリーの娘かな、と思ったんだが、違うみたいね。 ・酒場の数字記憶力のすごい侏儒の女性が、実は本物のクレアではないかと思ったんだけど、これは当たりだった。しかし、クレアやロバートが屋敷に出入りしているのを彼女や他の連中にも見られていたというのは、詐欺としてはどうなのかとも思う。 ・オールドマンに歯車を気づかせることの必然性がいまいち弱いかも。オールドマンがクレアに"内緒で"拾って、ロバートに組み立てさせるようになる可能性は低いだろうと思う。あるいは、ロバートはオートマタについて意図的にオールドマンに話していたから、ああなったということか。では、サビなどを意識的につけ、それを小出しにしてバラマキ、エサにしたということか。 ・オールドマンを暴漢が襲う必要はあるのか? これをきっかけにクレアが屋敷をでて、オールドマンに献身的な世話をする、という必然性を見せるため? ・クレアが「もうひとつある」と自室にオールドマンを招き入れる。そこでオートマタの側(がわ)を発見させるんだけど、「もうひとつ」は何を指していたんだろう。さらにその後、クレアが行方不明になる手順は、何のために必要だったんだろう。オールドマンに「彼女を世話してやらねばならない」と思い込ませるためか? ・詐欺一味がオールドマンに残したメッセージは2つ。クレアの母親のもの、という触れ込みだった絵の裏側に書かれたビリーのサイン。まあこれは、贋作にも作者の痕跡を残す、とつながっているのかも。あとは、完成したオートマタのおしゃべり。こっちはロバートのものなのかも知れないけど、そんなに意味があるのかな。オートマタの部品は、オールドマンを屋敷に通わせる動機付けにはなったと思うけど…。 ・ラスト、3人に復讐するのかと思ったら、そこまではしないのか。 ・奪った絵画は、売り捌けないよな。すぐバレるだろ。 ・秘密の部屋に、女性の肖像画をコレクションしていたオールドマン。本当は高額な絵画を、別の作者のものだと鑑定し、ビリーに落札させて集めていたらしいが。じゃあ、ピリーもなかなかのコレクターとして名が通ってなきゃおかしいよな。 ・絵が彼女だった老人の前に、若い娘が…設定は面白いけど、オールドマンのジェフリー・ラッシュは70歳ぐらいかと思ったら1951年生まれの63歳なんだな。失礼。 ・詐欺集団。管理人、ロバートの恋人の黒人女、修理屋の女性客は、安いバイトか。 ・クレアの乳首が見えるシーン、オールドマンとのセックスシーンもあるんだけど、彼女、胸が薄すぎ…。 | ||||
MIA ミア | 2/6 | 新宿ミラノ3 | 監督/ヴィッキー・ジューソン | 脚本/アラン・ハートフィールド |
原題は""Born of War""。allcinemaのあらすじは「オックスフォード大学に通うミア(ミナ)は、ある日突然テロリストに自宅を襲撃され、両親を殺害されてしまう。妹とともに辛くもM16に保護された彼女は復讐を誓い、傭兵のサイモンから戦闘訓練を受ける。やがて仇を討つべくアフガニスタンへと向かった彼女を、衝撃の真実が待ち受けていた』 ポスターは、マシンガン片手にレザー服の娘。背後に火だるまになった旅客機。…どっちも嘘です。まったく、なんて売り方してんだろ。ひでーもんだ。まあ役者も監督も無名だからなんだろうけど、これは詐欺だ。 ことの起こりは1988年のアフガニスタン。ソ連軍がアフガンゲリラを狙った戦闘に、旅行中の女性が巻き込まれる。ゲリラの主導者の息子が死に、女性はスパイと疑われ、逃げ出す。さて現在…なんだけど、20年後としても2008年だよな。いいのかね。 で、ある日、ミアの家に3人の男が押し入り、両親を殺害。ミアと妹はかろうじて逃げる。しかし、この一連の流れは、いささかじれったい。両親は何度も犯人たちを殺すチャンスがあるのに、殴るだけ。自分たちで危機を拡大している。まあ、映画だからな。で、ミアと妹がクルマに跳ねられた? と、場面は病室で、ミアがひとり寝ている。そこにM16のオリビアが事情聴取。両親は死んだ。妹は元気だ。母親はかつてアフガン旅行中、テロリストのカリドにレイプされ、生まれたのがミア。カリドはかつてソ連軍に実子を殺されたので、実子のミアを掠おうとしている。M16としてはカリドを逮捕したくてもできない状態・・・。これを聞いてミアは、自分が囮になる、と宣言する。ガード役には、M16に雇われたサイモンがする…と。で、腕に発信器をつけ、Web上で情報公開する。そして、アフガンに乗り込む。 と、その前に。ミアが英国内で隠れて住んでいたとき、暴漢がやってくる。ベランダごしに逃げ、別の家に入り込み、玄関から逃げるのかと思ったら、またしても自室のベランダに舞い戻り、浴室に入るんだが、どういう構造になっているのだ? 不可思議。 さてさて。アフガンではいきなりクルマが金品強盗にぶつけられ、ミアは誘拐されてしまう。のだけれど、誘拐犯がミアをレイプしようとしたとき、別の連中がやってきて、強盗たちを撃ち殺してしまう。ややや。いっぽうサイモンは発信器をチェックし、のろのろと追跡して、あれやこれやあって合流なんだけど、この辺り記憶がごちゃごちゃになってるな。細かないきさつはいいや。省こう。忘れてるし。 実は、テロリストが狙ってる、はM16のオリビアの罠。そもそも、事件の発端は、西欧資本とアフガン資産家による石油の掘削事業で、これに反対するカリドがテロ攻撃した。石油会社の社長が死に、その息子がカリドに復讐するべく、カリドの実子を誘拐し、囮にしようとした、らしい。その息子とグルになっているのがオリビアで、これは金に目がくらんで、らしい。ということは、最初からすべて仕組まれていた、ってことだ。じゃあ、オリビアがM16の人間としてミアを確保したとき、その身柄を息子に渡してしまえば話は簡単だったろうに、なぜしなかったのか、ってな疑問が湧いてくるよな。 でまあ、オリビアはサイモンとミアを泳がせているような感じなんだけど、オリビアとつるんでいる社長息子は、みずから手下を連れてミアの確保に東奔西走。よーく考えるとバカみたい。 なんだかんだあってミアは実父であるカリドに対面する。両親の仇、と向かって行くんだが、カリドに思わぬ説明をされる。なんと、カリドはミアの母親が死んだのを2週間前に知った、と。それまで、死んだと思っていたらしい。となると、カリドはミアの存在も知らなかったことになるが…。では、カリドの部下だというテロ組織の女性が、ミアにしたDNA鑑定はなんなのだ? 彼女もオリビア-社長の息子ラインにつながる人間なのか? では、その彼女がミアを石油工場に連れていこうとして、検問で簡単に射殺されてしまったのは、なんで? というわけで、カリドは石油会社に対するテロの正当性を説明し、ミアはミアで、実父に対する愛情が急に芽生えてきてしまう。というわけで、ミアを襲った暴漢3人は社長の息子たちということになるんだが、かなりの機動力のある連中なのに、そのトップに立つ息子が自ら拳銃をもってミアを誘拐に行くって、しょぼくね? ミアにガスレンジに顔をつけられ、顔面火傷までしちゃうんだぜ。 さてと。追われるミアを救おうと、カリドは自らがクルマに乗って爆死するんだけど、あのクルマはたまたまカリドとミアが乗っただけだよな。なのに、爆弾が仕掛けられていた? 仕掛けたのは社長の息子一派? それをカリドはどうやって知った? 知らないで爆死した、わけじゃないよな。ミアの腕に埋め込まれた発信器のことを考えて、だったら、アホみたい。だって、ミアが発信器のことをカリドに告げ、カリドがほじくり出してこわせばいいだけのことだから。だから、カリドの死は無意味にしか思えない。 てなわけで、サイモンは全てを知り、でも、金さえもらえればいいから、と手を引く。その代わり金はもらう。ミアは、テロ組織の女に石油プラントまで連れていってもらう途中、彼女が殺され、バスにもぐり込んでたどり着く。んだけど、なにをするつもりだったんだろうな。まあいい。もぐり込んでるミアを認めたサイモンは、突如、正義に目覚める。資本家に石油の質を確かめてもらっているオリビアの横で、ライターを放り投げ、大爆発。でもサイモンはオリビアに撃たれてしまう。 自家用飛行機で逃げようとするオリビアを追い、なんとか追いついて乗り込み、格闘の末、オリビアを殺害。ケガしたサイモンはその飛行機でロンドンに運ばれ、のちにサイモンはカナダへ。オリビアは妹と再会し、のちにサイモンのいるカナダへ。エンド。 という、まあ、よく考えるとツッコミどころだらけのご都合主義な映画だ。 ・ミアはかなりなアラブ顔。両親が白人って時点で、生まれ素性を疑うのフツーだろ。彼女がオックスフォードはいい。けど、なんで彼女は友人に毛嫌いされてるんだ? 伏線にもなってないし… ・社長の息子は、どうやって冥途に行ったんだっけ。忘れてしまったよ。 ・ミアはサイモンに銃をもぎ取るやり方を教わっていた。で、石油プラントで彼女はオリビアに銃をつきつけられる。ここだ。ここで銃をもぎ取れ。と思っていたのに、そうはしない。それって演出としてタコだろ。 ・油田の隣に飛行場があるのか? 自家用飛行機を警備してたオッサンは、気の毒。ミアは、間近から撃ち殺すのは初めてだと思うけど、相手が、敵でもなく味方でもないようなオッサンとは…。撃たれた方はお気の毒な感じだった。殺さなくても、足を撃てばいいのに。それにしても、飛行機の後部のあそこから機内に入れると、よくわかったな。されに、飛行機の停止の仕方もね。 ・あのアフガンの石油ブラントは、社長の息子の支配下にある訳なのに、いくら一件落着したからといって、飛行機の中には女性の死体、サイモンは瀕死の重傷…という状態で、だれがどうあの事件を裁いたんだ? アフガンの警察が現場検証して、それで、あの自家用飛行機でサイモンをロンドンまで運んだのか? 誰が操縦したんだ? とか考えると、現実離れしていることが分かる。 ・さらに、ロンドンの空港でサイモンと別れると、ミアはタクシーでそのまま妹のいる学校へ。これもなあ、M16関係の事情聴取はなかった、ってことになるのね。なんか、だれもこの事件を調べないのだなあ。 ・監督は女性らしい。このツッコミの多さは、関係があるのだろうか、ないのだろうか。 | ||||
土人@男木島 | 2/6 | ミヅマアートギャラリー | 監督/会田誠 | 脚本/会田誠 |
ギャラリーの解説は「2013年夏、瀬戸内国際芸術祭参加のため、会田は約1ヶ月半男木島に滞在し、本人が一人でカメラを回し続けました。本作《土人@男木島》は、過疎化が進んでしまった小さな島に謎の先住民(土人)が現れたという設定で物語が進行します。架空のクイズ番組のレポーターが島を訪れ、クイズを出題するという形式で土人たちの生活が浮き彫りになっていきます。土人に扮するのはアウトドアが好きな若手アーティスト達。会田曰く、「大人の夏休みに行き当たりバッタリで撮った映像。アートと思って肩肘張らず、楽しんで見てもらいたい」とのこと」 10分ぐらいしたら眠くなってしまった。気がついたら20分過ぎになっていた。なんとか朦朧状態で見つづけたけど、また意識を失った。結局、朦朧状態も含め、画面を見ていたのは20分ぐらいか。全部で48分あるというのに。 やっぱ、内容が中学レベルだからだと思う。カメラの手ぶれ、逆光での撮影、意味のないズームの多用。映像の素人が撮ったのがモロ分かり。 話は、よく分からない。なんか、日本原人のような連中が男木島に住んでいて、そこを女性レポーターが尋ねる。小学校だか中学校の校庭で儀式をしようとしている原人たち。彼らを、「土人」と呼んでいるわけだ。あとは、具体的に何があったかは、寝ていたから分からない。でも、最後は、レポーターが上衣を脱いで、土人の仲間になる、というところでエンド。だから、なに? な話。 | ||||
タイピスト! | 2/7 | ギンレイホール | 監督/レジス・ロワンサル | 脚本/レジス・ロワンサル、ダニエル・プレスリー、ロマン・コンパン |
原題は"Populaire"。「人気の」とかいう意味らしいが。allcinemaのあらすじは「田舎から都会へ出てきたローズ・パンフィルは、ルイ・エシャールの経営する保険会社に秘書として採用された。ドジで不器用なローズはたった一週間で解雇の危機を迎えるが、ルイは彼女の特技である“タイプの早打ち”に注目し、タイプライター早打ち世界大会への出場を持ちかける。地方予選であっさり敗退してしまったローズに対し、ルイは鬼コーチと化して特訓を開始。厳しいトレーニングに耐えたローズは地方大会を一位通過し、パリで行われる世界大会の本戦に挑むのだが」 1950〜60年代ヘップバーンのロマコメあたりを下敷きにした感じで、ヘプバーンの写真も随所に登場する。オープニングタイトルや音楽も、まさにそれ。もちろん内容も。田舎出のドジな娘が都会に憧れ、秘書に。タイプの才能を見出され、会社社長の家に住み込んで特訓。まあ、これで恋に落ちない展開はないはずで、そんなような具合になるんだけれど、どーもスッキリしない。というのも、社長のルイに、あまりその気がなさそうに見えるのだ。なんで? な展開に、隔靴掻痒。ローズが連戦連勝で県大会から全国大会へ…あたりは、とくに乗り越えるべき課題もなくて、それまでの成長物語が影を潜めてしまう。なので、ちょっと中だるみ、すこし退屈に。でもま、ラストのアメリカでの世界大会は、然るべきトラブルと、それを乗り越える話が盛り込まれていて、ちゃんと盛り上がった。ラストで、ルイがローズに消極的だった理由はなんとなく分かるものの、どーも素直に「そうだったのか」とも思えないのだよね。 1959年の話。ルイにはボブという親友がいて、その妻マリーが、ルイの昔の恋人…らしい。ノルマンディー作戦で落下傘部隊だったルイが降下した農場(?)にマリーがいて、それで結婚。ルイはレジスタンスで活動したらしいが、いまだに独身。秘書を募集すると何10人もやってくるのは、時代だなと思う。その中から、秘書としては才能のなさそうなローズを採用する。ボブは「才能とは別の理由で選んだな」というのだけれど、それは容姿? と、フツーは思う。でも、どーも違うようだ、と分かっては来るんだけど、なんでそんなに「ローズのタイピストとしての才能を伸ばす」ことに親身になるのか、ずっと解せないままだった。そのせいなんだよね、後半でちょっと退屈してしまうのは。いったいルイは、ローズに気がないのか? どう思っているんだ? と。 そもそもこの映画、いろいろとエロっぽい。たとえばローズが自転車でこけ、雨が降ってくる。そこにルイが駆け寄ってくるんだけど、ローズのシャツとブラウスはびしょ濡れ。乳首が透けて見える・・・ってシーンは、エロ過ぎ。ところが、こんな場面に出くわしてもルイはローズに迫ったりしない。なのに、ルイがタイプの仕方を指導するときは、ローズの胸の上や肩、手などをべたべた触りまくる。でも、ぜんぜんエロくない。ルイはゲイか? と思うほどの禁欲さ。ローズはあれだけチャーミングで愛らしく、可愛くてエロっぽいのにね。まあ、可愛いのはローズ役のデボラ・フランソワそのものではあるんだが。そういえば、ルイがドアの向こうにいることに感づいて、ベッドにフツーに寝ていたローズが、いろいろエロっぽいポーズを考え、結局、フツーに会うシーンがあったけど、ローズはもうこの頃、ルイに惚れていたんだよなあ、きっと。 で、次第に少しずつ分かってくるのは、ルイが、いまだにマリーを忘れられないでいることだ。後半に、その恨み辛みをいうんだけど、マリーにやり返される。「ボブとなら一緒に暮らせる。あなたは、私に黙って戦場に行ってしまった。結婚だってできたのに」「でも、死んでしまうかもしれないじゃないか」「でも、生きて帰ってきたわ」…。ま、要するにルイは"相手のことを考えすぎ"な性格のようだ。フランス大会で優勝すると、ルイはすっとローズから離れて行く。あれは、「これで自分の役割は終わった」ということだったんだろう。大会前日に、やっと結ばれたのも、ローズを愛しているからではなく、そうすることで翌日、全力が出せると踏んだから、のようだ。自分のためではなく、相手の成長のため。それしか考えない男だった。でも、世界大会にはわざわざニューヨークまでやってくる。でもって優勝したローズに、「僕は人のために良かれと思うことをやってきた。君には僕が必要だと思ってやってきた。でも、いま、分かった。僕には君が必要だと」てな訳で壇上でキスしてエンドなんだけど、ルイの心を変えたのは、なんだったっけ。忘れてしまっているよ。ははは。 しかし、1本指でタイプする娘のスピードを見て、こりゃものになる、と判断するって、おいおい、な話だよな。それにやっぱり、女としてのローズを選んだんじゃなくて、育てがいのある生徒を選んだだけ、というころがひっかかる。ヘップバーンも年上のオジサマとの恋が多かったけれど、根本的に違うような気がするんだけどな。 ・最初の年は1本指でも、あと数ワードで県一番になれれた、というレベル。そっから10本指に…というのは分かるけど、もうちょっと訓練で伸びていった感をだして欲しかったかも。 ・それにしても、あんなコンテストがあったのだな。フランスの全国大会決勝だっけ。ライバルが中指を立てて威嚇してたな。アメリカでの世界大会では、開始直前にアメリカ代表がつまらないことで話しかけてきて、それで数秒ローズが遅れたんだった。 ・世界大会では、最初から"あの"家で売られていたタイプライターで勝負するのかと思いきや、途中からだった。それにしても、いい父親ではないか、自分のところで売っていたタイプライターを娘にプレゼントするなんて。まあ、やっと折れた、ということでもあるんだろうけど。 ・世界大会最終戦で、その自分ちで売ってたタイプライターで勝負し、アームが絡んでしまう。それをほどいて再スタートしても、ローズが勝っていた。ローズは打つのが早すぎて新しいタイプライターは合わないといいつつ、古いのもダメだったのね。で、ここでアーム式でなくボール式の印字機構を考えつき、アメリカのタイプライター会社に売り込むと、「フランス人がなぜアメリカの会社に?」と返され、それに応えてボブ(だったよな)が、「フランスは恋を売る、アメリカはビジネスを売る」とかいうことを言っておった。こういう決まり文句も、ハリウッドっぽいね。 | ||||
クロワッサンで朝食を | 2/7 | ギンレイホール | 監督/イルマル・ラーグ | 脚本/イルマル・ラーグ、アニエス・フォーヴル、 リーズ・マシュブフ |
原題は"Une Estonienne ? Paris"。パリのエストニア、という意味なのかな。allcinemaのあらすじは「憧れのパリで家政婦の仕事をすることになったアンヌ。母を看取ったばかりのアンヌはエストニアを発つが、彼女を待ち受けていたのは毒舌で気むずかしい老婦人フリーダだった。高級アパルトマンに一人で暮らすフリーダは、おいしいクロワッサンの買い方すら知らないアンヌを追い返そうとするが、アンヌの中にかつての自分を重ねるようになり」 退屈だった。最初、エストニアでの生活が15分ぐらいある。あれは大半不要だろ。痴呆の母親の葬儀から始まればいい。ドラマも何もないのに、眠くなるだけだ。到着した夜に、寝ているフリーダを確認する部分も要らない。それから、パリにやってきてあちこち1人観光するんだけど、エッフェル塔はまだしも、化粧品や衣服をみる部分は不要だろう。てなことをしていかないと、この映画はだらだらとしすぎで、耐えられない。実際、少しの間だけど、意識を失ったぐらいだ。そうやって45分ぐらいにすれば、緊張感も保たれるかも知れない。 朝食に凝りすぎて食べてもらえなかった1日目。そのことを依頼者のステファンに言うと、「朝はクロワッサンと紅茶」と言われる。それでスーパーでクロワッサンを買って2日目にだすと「なによ、これ。プラスチック? クロワッサンはパン屋で買いなさいよ」といわれる。それで次はパン屋で買ったクロワッサンをだすと「やればできるじゃない」といって、フリーダが心をすこし開いてくる。そして、最近はご無沙汰だったステファン経営のカフェにも足を伸ばすようになる。だけど、あんな程度で心を開くかね。当たり前にやって、それでも文句つけられ、挫折して、またまた挑んで…というような過程を経て心が通じ合うならわかるけど、かなり安易。気むずかし屋のバアサンが、あの程度の配慮で心を許すとはとても思えん。 アンヌの気の弱さと、得体の知れない雰囲気。なにか思い過去を背負っていそうなんだけど、実際はそうでもなさそう。なんなんだろうな、あのキャラクター造形は。もっと気の強い女性にしたら、フリーダとの丁々発止が展開され、退屈しないですんだような気がするんだけど。1日目に食事に文句をつけられ「解雇だ」といわれると、さっさと帰り仕度をしてステファンにいいに行く。おい。ちょっと即断にすぎるだろ。 フリーダが昔、教会で歌ってたことを知ると、過去の知り合いに連絡し、来てもらう。フリーダも最初はご機嫌。でも、アンヌが「来て欲しい」と頼んで来てもらったことがわかると、とたんに怒り出す。さらに、来客たちも20年以上前の話をはじめて、フリーダを非難する。「あんたのせいで、あの夫婦は離婚した」「エストニアから来た当初、どんな仕事をしていたか、忘れたのか」と。つまりフリーダは知り合いの亭主と浮気した。かつては娼婦だった。そういうことなんだろう。でもフリーダは、怒り出す。「せいぜい亭主と寝たぐらいのことを、いまだにいってる」と。こういう感覚が凄いな。 出身地であるエストニアのことは忘れた、といいつつ、まだ捨てきれない何かをもっているというところがキモなんだけど、そういう背景は描かない。いまいち物足りない。 介護の仲介者、ステファンは、息子? と思っていたら、やっぱり違った。かつては男と女の仲。実年齢で調べると、ステファン役のパトリック・ピノーが1961年生まれ。フリーダのジャンヌ・モローが1928年生まれ。30歳以上も年の離れた2人が男女の関係にあり、そのせいでステファンはフリーダにカフェ開業の資金を出してもらった。という、妖しくも妙な関係があったりするらしい。そんなステファンとアンヌが話す場面で、ステファンはフリーダを、アンヌは痴呆の母親を、早く死んで欲しい、と思ったことがあるということで一致する。まあ、そういうことはあるだろう。とくに深いことではなく、当たり前にあると思う。 さて。昔の仲間に来てもらうよう工作したことがお気に召さず、さらには薬箱に鍵をかけてしまっていることにも腹を立て、アンヌは待たしてもクビになる。クビを宣告されると、さっさと荷物をまとめてでていくのが、なんか、覇気がないなあ、としか思えんのだが。 解雇されたことをステファンにいいに行くと、従業員は「上にいる」というのだけれど、上階にいるステファンは、ちょっと野性味が益している。2人、接近するし。まさか、と思ったんだけど、あとからフリーダが(だっけかな)、「ステファンと寝たね」というのだから、やっぱりあったんだろう。それはいいけど、ステファンは老人専門なのか。マリアだって60前後だろうに。 荷物をまとめたけれど、帰るところもなく、パリの夜をうろつき、ふたたびステファンの店を訪れる。彼はいない。従業員が気を利かしてステファンに携帯で連絡をとってくれて、もどってくるんだけど、間に合わない。こりゃ…と思っていると、結局、帰国もできず、フリーダのところに戻る。実は、アンヌに「クビだ」といったのに、そんなことすぐ忘れて「アンヌ、アンヌ」と呼びまくっていたんだけど、今度はもう古い友人のような扱いで歓待する。なんだろね。この豹変ぶりは。映画的な作為なのかな。ちょっと、いろいろ、説得力に欠けるような気がするんだが。やっぱり半分ぐらいに縮めて、もっと事件の連続にし、ドラマチックに描くに限るね。 | ||||
クロニクル | 2/9 | 新文芸坐 | 監督/ジョシュ・トランク | 脚本/マックス・ランディス |
原題は"Chronicle"。allcinemaのあらすじは「いつも持ち歩いている中古のビデオカメラだけが心の友という孤独な高校生アンドリュー。ある日パーティ会場で居場所を見つけられない彼は、見かねたいとこの同級生マットとその親友スティーブに誘われ、近くの洞窟探検に向かう。そこで不思議な物体に触れた3人は、知らぬ間に念じるだけで物を動かせる超能力を身につけていた。最初はその力を他愛もないイタズラに使って満足していた3人だったが」 「スーパー!」とか「キック・アス」では、正義感に燃えて悪を退治するオタクが描かれた。超能力はないけど、アメコミのスーパーヒーローに憧れ、"もどき"に一所懸命だった。ある意味では、清々しい。いっぽうこの映画。せっかく手に入れた超能力を何に使うかというと、イタズラ、喧嘩、泥棒、他者への威圧による征服なのだ。まあ、ボールを操ったりスカートめくり、スーパーでのいたずらぐらいは、誰でも最初はしそう。次の段階で、3人の超能力のレベルに差があり、アンドリューが一番優っているのが分かる。さて、鳴らされる警笛にイラついて、後続車をはじき飛ばしてから話が不気味になる。この事件で、相手のクルマは道路脇の池にツッコミ、あわやドライバーは死亡…というところを助けるんだが、まだこの時点では警察に連絡したりしてるんだが、ちょっとしたことでカッとなり、自制の効かないアンドリューがだんだんバケモノ化してくるんだが、こりゃ『童夢』じゃないか、的な描写も多数ある。たとえば、自分を浮かすとき、周囲の小物も一緒に浮く所なんか、まさにそのもの。あとは、後のクライマックスの場面だけど、建物がミシミシいってガラスが割れる所なんか、まったく同じだ。 3人は、人前で超能力を使いたくなって、それを学校のタレント大会といってたから、特技披露会みたいなもんなんだろう、そこでアンドリューのマジックショーというカタチで見せる。これでアンドリューはみんなの注目の的に。学校の美女から誘われるけど、やる前にゲロ吐いちゃって、一転、無様な話題になってしまう。このあたり、アンドリューのお調子者ぶりというか、浅はかさを上手く見せている。 この後。この件でだったか、あるいは父親とのいさかいでだったか忘れたけれど、アンドリューがいなくなってしまったことがある。黒人のスティーブ(彼は生徒会長か何かに立候補するぐらいの人気者)が探しに来て、雨中の空中で会うんだが、アンドリューの怒りがスティーブに向いて、落雷を発生させてしまう。ついに友人を殺してしまったアンドリュー。でも、ぜんぜん罪悪感に苛まされないところが、この映画の変節点かな。 いやアンドリューには同情的だったんだよ。父親は消防士で、でも事故で働けなくなってからは酒浸り。母親は、病で臥せったまま。保険かなんかでもらう金も、父親が飲んじゃってるのか…。母親は痛がって「クスリを…」なんていってるのに…。と思っていたのだ。父親が引き出しを探して「金がない」と騒ぐシーンがあるんだが、ここでアンドリューと言い合いになる。父親は「お前がビデオとかに使っちまうから。金は母さんのクスリと、お前の学費で消えちまうんだ」とかいうんだが、アンドリューも「学校は公立だから無料だよ」と言い返す。ん? じゃ、金はどこにいった。父親の酒と、アンドリューのビデオ代? 真相は分からないが、どっちもどっちなのかな。 んなわけで、アンドリューは一念発起。超能力を使って金儲けでもするのかなと思ったら、オヤジの消防服を着込み、近所のワルを脅して金を取る。さらにはコンビニに押し入る。金は盗んだけど店員の反撃にあって服に火が移り、大やけどを負ってしまう。…って、バカか。いくらなんでも、父親の消防制服で近所のワルを襲うとは。いや、バカなんだと思う。怒ると自制が効かなくなり、思慮分別もない人間なのだ、アンドリューは。あったら、強盗ももっとスマートにやってるはずだ。 すぐにバレて、父親が警察に呼ばれる。そして、アンドリューの入院している病院にやってくるんだけど、父親は息子をののしりまくる。「お前がこんなことをしでかしている間に、お母さんは死んでしまった。毎日、俺がついていたのに。お前のせいで、家にいられなかった」と。その父親を、アンドリューは吹き飛ばしてしまう。もう、アンドリューにとっては、正当化もなにもないんだろうな。自分が不愉快だと思うものを拒絶する態度、なのかも知れない。 ここで、それまでフツーな存在だったマット(アンドリューの従兄)が威力を発揮する。放り出されたアンドリューの父親を中空で受け止め、救う。以後は、アンドリューとマットの空中での戦いなんだけど、まさに「AKIRA」か「童夢」かってな感じ。アンドリューの方が力は勝ってるから押さえつけられてしまうんだが、たまたま近くに建っていた銅像の握っていた槍をアンドリューの背中に向けて飛ばし、一件落着。うーむ。実人生におけるバカと利口が、超能力をもってしても反映される、ということを描いて面白い。 ラスト。マットが雪山にいる。チベットだ。そういえば、空中浮揚ならチベット、みたいなことをいっていたけれど、ついにやってきたわけだ。でも、すでに空を飛べるのに、何を学ぼうというのかね。それに、細かいことを言うと、マットの素性も分かっちゃってると思うのに、よくもまあ高校生がチベットまでやってこれたな、と。まあ、飛べるんだから飛行機は使わなかったろうけど、装備とか、買ったのか? お金はどうしたの? とか。つまらないツッコミだけど。そして、最後、彼はカメラを置いて行く。もう、日常をカメラに収めると言うことはしない、ということなんだろうけど。それをアンドリューが言うなら分かるけど、とくにカメラにこだわっていなかったマットが言うのは、ちょっと違和感。 ・ダメ人間のアンドリューに、救いや情状酌量を与えず、バッサリ切ってるところが興味深い。こういうやつが力を持つと、危ないんだよ、という警告にも似ている。 ・一般的な常識人だったマットが、それほどフィーチャーされていなかつたのに、最後にスポットが当たるというのが、ちょっとな、という気もしないでもない。同級生で、ビデオをブログで公開しているという女の子との交流もでてくるけど、いまいち掘り下げが足りないかも。 ・空を飛んでいたら、飛行機とニアミスするのが、いかにもありそう。 ・力を使いすぎると鼻血がでるのだけれど、それで3人のうち誰かが倒れるのかと思ったら、そういう展開はないのね。 ・宗教=キリスト教的な戒めみたいのが登場しないのがいい。 | ||||
グランド・イリュージョン | 2/9 | 新文芸坐 | 監督/ルイ・ルテリエ | 脚本/エド・ソロモン、ボアズ・イェーキン、エドワード・リコート |
原題は"Now You See Me"。allcinemaのあらすじは「“フォー・ホースメン”を名乗る4人組のスーパー・イリュージョニスト・チームが、大観衆が見守るラスベガスのステージで前代未聞のイリュージョン・ショーを披露する。なんと、遠く離れたパリの銀行を襲い、その金庫から320万ユーロという大金を奪い取ってしまったのだ。一夜にして全米中にその名を轟かせたホースメンだったが、FBIとインターポールの合同捜査チームは、すぐさま強盗容疑で身柄を拘束する。しかしトリックを暴くことができず、証拠不十分のまま釈放を余儀なくされる。そこで捜査チームは、元マジシャンのサディアスに協力を要請し、ホースメンのさらなる犯行の阻止とその逮捕に全力で取り組むのだが」 見終わって思ったのは、大仕掛けなピタゴラスイッチだな、ってこと。オチに繋がるんだが、そもそも"黒幕"がサディアス(モーガン・フリーマン)を牢に入れるため、あんな大仕掛けをする必要があったのか? と考えるとバカバカしくなってくる。しかも、サディアスのクルマの中から金が出て来たからって、有罪になるとも限らないわけで。 まずは"黒幕"が トランプマジックの、ダニエル(ジェシー・アイゼンバーグ) 催眠術の、メリット(ウディ・ハレルソン) 脱出イリュージョンの、ヘンリー(アイラ・フィッシャー) 若手のジャック(デイヴ・フランコ) の4人を集め、最初のイリュージョン。観客の一人をパリの銀行に一瞬で移動させ、その金庫室の札をラスベガスの会場に降らせる…。仕掛けは分かった。でも、なぜ警察やインターポールが動くのかよく分からない。そもそもパリの銀行は襲っていない。うろ覚えだけれど、現金の移動中に云々と言っていた。その実行犯は誰なんだっけ? あの4人だっけ? でも、証拠はあるのか? この辺りから眠くなっちまったんで覚えてないよ。だいたい、これから犯罪を冒そうと言うのに、メンバーの顔を晒して大々的にやることに、どういう得があるんだろう。もやもや昂じて眠くなる。 そのラスベガスの会場にいた黒人サディアスは、あれは単にマジックの種明かし人なのか。そういう話はでてたし、そのお陰で死んだマジシャンがいると言うことも語られていた。しかし…とはね。 捜査に選ばれたのは捜査官ディラン(マーク・ラファロ)。上司に、フランス人捜査官アルマ(メラニー・ロラン)と組まされて迷惑そうなんだが、これはオチと関係してくるわけね。それはいいけどさ。 てなわけで、次のニューオリンズの劇場でのショーは、半分以上朦朧、沈没。何の目的で何をしたか、さっぱり覚えていない。オフィシャルサイトの説明によると「スポンサーである大富豪トレスラー(マイケル・ケイン)をステージに招いたとき、事件は意外な形で起こった。トレスラーの銀行口座に蓄えられていた1億4000万ドルの巨額資産が引き出され、ショーの観客たちの口座に移し替えられたのだ」だそうだ。それがどうしたな感じで、いまいちインパクトがつたわってこんぞ。 "黒幕"が4人を揃えるため、利用したのは「アイ」というグループなんだが、フリーメイソンみたいな感じ。でも、その「アイ」がマジシャンにとってどう魅力的なのか、分からない。「アイ」の仕事をするのがそんなに名誉で、従う方もローヤリティがある理由は…説明があったか? で、次の会場はニューヨークなんだが、この辺りでこちらも目覚め、話も動いてきた。なんかよく分からないけど、アジトがバレて警官が急襲。ダニエル、メリット、ヘンリーは裏口から逃げるんだが、その様子をサディアスに見られているという、アホか。で、若手のジャック(デイヴ・フランコ)が残って(証拠隠滅に残した? 意味不明)いたせいでディランともう1人の刑事に見つかり、あたふた逃亡。カーチェイスの果てに事故って死亡するという、意外な展開。なんだけど、どーもあやしい。なぜって、残りの3人が全然哀しそうな顔をしないんだもの。 さて実はあとから、ジャックは死んだと見せかけただけで、金を移動する仕事をしていた、と説明がある。でも、事故死したと見せかけるために"仲間"がもう一台のクルマを用意していて、そこには病院から盗んだ死体が用意されていた、と説明される。のだけれど、ジャックが死んだと見せかけるために動く"仲間"がいるなら、その"仲間"に金を奪うのも任せればいいではないか。なんか、故意に難解にしようとしてるだけだよな。必然性はないよ。だいたいジャックが刑事2人と格闘し、かろうじて逃げることまで計算し、事故車と死体を用意したのか? そんな必要がどこにある? でその倉庫にあった大金は、あれはバリで盗んだ金なのか? どうやって運んだのか知らないけど、こちらが寝てる間に説明されてたのかな。その金を確保しに行ったら係官が移動しようとしている最中で「誰がそんなことを」とボスが怒ると、その場の担当が「ボスが…」といい、突然ベートーベンが流れてきて、するとボスはバイオリンを弾き始めて、ああ、催眠術にかかっているのだな、と分かる。つまり、ボスが移動しろ、と言ったことが分かるんだが、刑事らがいるあの場でベートーベンを鳴らしたのは誰なのだ? さらにまた、移動しようとしたトラックの仲には金はなく、風船がつまってる、ということを知らせらために、サディアスがわざわざあの場に行く必要はないだろ。アホみたいな話。 さて、なんだかよくわからないまま、会場の屋上にディランとアルマが行くと、そこには大勢の観客、そして、4人がいる。でもその4人は投影されたもので、現実ではない。その4人が中空にジャンプして…。派手だけど、どこにも面白みも意外性もない。さらにこの場で、一本取られたという感じでアルマがディランにキスするんだが、そういう流れというか関係って、できてたっけ? でもって、これはやられた、というような感じでサディアスが自分のクルマに乗り込もうとキースイッチを押すと、開いた扉から札束がどどっとでてくる。そこに警官が…。で、どうやらこれでサディアスは逮捕されたようだけど、こんなことで逮捕されるのか? なんの証拠も因果関係も見いだせないんじゃないかと思うんだが。 後に、監獄。とらわれの身のサディアスに、ディランが面会に来る。そして、"黒幕"は自分で、サディアスにネタバラシされたんだかなんだかで水死したマジシャンは、ディランの父親だったと言うのだが、話が遠すぎていまいちピンとこない。当時10歳か12歳ぐらいのディランが、どういう経緯か知らないが刑事になり、「アイ」なる集団をでっち上げ、当代一流のマジシャンを操るまでになっていた…という、こっちの裏話を知りたいよ。 "黒幕"がディランと分かっても、とくに驚かず。誰かではあるわけで、でも他にいないもんな。この映画、最後の最後になって、あれは実はこうでああで、とまとめて説明するんだが、それまでの杜撰さが鼻につきすぎて、素直に「おおっ」と驚けないのが辛いところ。 いっぽう4人は、ミッションを完遂して、どっかの遊園地へ。ここで4人には何を報酬として与えたんだ? あのメリーゴーランドだけ? 最初に強盗に入った、と思わせていたパリの銀行もディランにとっては何かの(忘れた)罰する対象で、トレスラーの大金消失も関係があるようだけど、忘れた。ディランは、復讐は果たした。金は奪ったけど返した。ということなんだろうけど。それで、フランスまでやってきて、アルマといい仲になりそうな気配の終わり方は、都合よすぎだろ。 大きな手品のネタは明かされるけれど、取調室でどうやって手錠を外して刑事にかけてしまったか、とかいう細かな手品のタネは明かされず。というか、ありゃ手品じゃない、というのばっかりだったけどね。 しかし、ミッションを完遂させるため、自分の存在を4人に隠しつつ、ほどほどに邪魔するディランって、なんなんだ? な話であった。 アルマ役のメラニー・ロランは「イングロリアス・バスターズ」「オーケストラ!」「黄色い星の子供たち」なんかで誠実かつ気品の高い美女を演じている。線が細く、冷静で、近寄りがたい美形だ。けど、この映画では口元をだらしなく歪めて笑ったり、なかなか親近感のある女性を演じていた。髪を上げているせいもあって、いまいち、いつもの彼女とは違うんだけど、こういうのもいいかな。と。 | ||||
光にふれる | 2/13 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/チャン・ロンジー | 脚本/ リー・ニエンシウ |
原題は"逆光飛翔"。英文タイトルは"Touch of the Light"。allcinemaのあらすじは「生まれつき目が不自由ながらもピアノの才能に恵まれたユィシアン。台北の大学に進学した彼は、親元を離れ、寮生活に挑戦する。不慣れな都会での暮らしに加えクラスの輪に溶け込めず、心細い日々を送るユィシアン。だがやがて、陽気なルームメイトに誘われて始めたバンド活動でようやく自分の居場所を見つける。そんな中、彼は街でダンサー志望の少女シャオジエと知り合う。夢と現実の狭間で苦闘していた2人は、互いの存在を励みに、再び夢に向かって歩み始める」 全盲のピアニストの話…。なんかお涙頂戴臭いなあ。でも、韓国じゃなくて台湾だから、少しマシかな、なんて気分で見始めた。まず、主人公のユィシアンが、本物の盲人なので、おっ、となった。でも、本物だけあって目つきは悪いし変だし、元の顔のつくりも不細工。でもまあ、いいか、リアルで。なんて気分。 田舎の風景が、とても美しく描かれる。とくに説明的ではないのに、両親の優しい思いやり、幼い妹に慕われている様子、訪問してくる叔母など、短い間だけど、しっりと描かれていて、清々しい。 ユィシアンは、母と田舎を出立する。どうやらピアノの才能を認められ、大学に入ることになったらしい。田舎から都会へ。移動するにつれ、音が騒音になっていく。田舎では読めた人の気配、風の動き、匂いが、判断しづらくなっていく様子も、心憎い感じで描かれる。電車内で化粧してる女性なども映し出されるんだけど、日本と同じだ。日本のニュースで知って、彼の地の娘たちも真似しているのだろうか。 大学では、全盲の学生を受け入れるのは初めて。教師はクラスメートに補助を命ずるが、なかには面倒臭がるやつもいたり…という、どこにでもある状況が丁寧に描かれる。最初の数日、母親がつききりで、でも、補助しつつ環境を教えていく様子が描かれる。寮のつくり、教室までの柱の数、階段の段数、衣服の置き場所…。洗い場で、ユィシアンがすすいだ布巾?を、母親がそっとすすぎ直すシーンがあって、ユィシアンが「ちゃんと落ちてなかった?」と聞く場面など、いかにもありそうで、でも、描かれなかったシーンではなかろうか。こういう盲人にとっての具体的なバリアが丁寧に描写されることで、映画にリアルを植え付けていく。お見事。 同室になったのは、体育学部?のデブ。イビキが凄い。でも、人がいい。面倒も見てくれる。しかも、音楽サークルを主催していて、コンテストに向け仲間と画策しているらしい。新入生の募集にも一緒に参加するが…。ここで、デブが「どんな女が好みだ?」「声のキレイな人」というやりとりがあって、たまたま通りがかったシャオジエの声に耳を傾けるユィシアン。でもデブは「ぶすっとした顔をしている」とのたまうのだが。 実はユィシアンがシャオジエとすれ違うのは2度目。最初は母に連れられて初めて学校にやってきたとき。そこで、ビラかんなかを配っていて、学生なのかと思ったらそうではなく、バイトで生活しているらしい。設定がよく分からないんだけど、最初は登校する彼をベッドの中から送り出すシーンで登場だったよな、シャオジエ。なので、このときも学生だと思っていた。中卒か高卒か分からないけれど、定職には就かず、ハンバーガー店で働いている。その少ない給料は、なんと通販中毒の母親に吸い取られている…という、これまた日本でもありそうな設定。は、いいんだけど、顔がモロにハーフ顔で、そりゃフツーの台湾人じゃないだろ、と思わせる。それならそれでハーフの設定にすればいいのに、と思う。 シャオジエには大学生の彼氏がいて、ヒップホップダンスをしている。でも、彼氏はモテるのか、女の子を取っ替え引っ替え。それにいらだって別れる決心をするんだけど、彼氏もそんなにしつこくない。とまあ、展開としてはあまり事件もなく、派手な展開はないんだけど、ちゃんと引っぱっていってくれるのだ。 ある日、ユィシアンが街中で道に迷っているのをシャオジエが見つけ、ついでに目的地の小学校に送ってやる。あの小学校は、盲学校? それとも、どういう関係があるのだろう。それはちゃんと説明されていない。まあとにかく、そこで子供たちに音楽の楽しみを教えるシャオジエと、ユィシアンは仲良くなっていく。あとで知るのだけれど、ユィシアン役のホアン・ユィシアンは本物の有名ピアニストで、その生い立ちを映画化したものらしい。はたしてこんなロマンスがホントにあったのかどうかは分からない。事実とファンタジーをうまくミックスしてるのかもね。その点について、ホアン・ユィシアン自身はどう思っているのだろう。恥ずかしくないのかな。ちょっと気になるところではある。 ここで、重要な人が登場。ユィシアンを指導する代用教員だ。彼女はユィシアンの才能を買っている様子。本来の教員は最初の頃ユィシアンの母親と話していて、盲目のことについて心配しているとか話していたけれど、指導の方はちょっと疎かで、健常人に合わせていたみたたい。でも、代用教員はどんどんユィシアンの能力を引き出していく。なので、ユィシアンが「期末公演には出ない」と話したときは戸惑っていた。どうやらユィシアンは、小学生の頃コンテストで1位になった楽屋から「あの子はめくらだから1位になったという言葉が漏れてきて、以来、コンテストに出たがらなくなったらしい。まあ、そういうことはありがちだけどね。"盲人だから"ではない、実力を認めて欲しかった、ということだ。これがこの映画において唯一、ユィシアンに立ちはだかる壁になる。でも実際は大した壁ではなく、超えたからといって驚くようなものでもないんだけどね。でも、過度にドラマ化された困難よりも違和感がなかったせいか、素直に受け入れられた。 シャオジエは大学のバレエ教室にも珈琲を配達に行くらしい。そこで演技を見て、ダンスへの意欲が湧いてくる。ついでに、参加自由のオープン講座を発見して、参加。オーディションが開催されるのを知る。のだけれど、オーディションのビラをもってきた娘と「私は違うから」「あ、会員じゃないの」みたいな会話があるんだけど、このバレエ教室のシステムがよく分からない。大学ではないの、あそこは。たんなるバレエ教室で、その会員を募るための無料参加プログラムだったのかな。でも、のちにシャオジエは教室の先生に指導され、オーディションにも参加するんだけど、その時点でバレエ教室の生徒になっているのか? でも、ラストで、オーディションに落ちたシャオジエが練習していて、「新入生には云々」のセリフがあるんだが、この時点で生徒になったのか。よく分からず、ちょっともやもや。 でこのシャオジエの関わるバレエ教室の撮り方が、かなり『花とアリス』に影響を受けてると思う。それはいいとして。ヒロインの娘が露骨にハーフ顔なのが気になるんだよ。なんで? な感じ。個人的には『台北の朝、僕は恋をする』アンバー・クォあたりが好みなんだが…。 こうやって、接点をもつことになった2人が、ハンデを背負いながら、自分のやりたい目標に向かって努力していく、という成長物語+ロマンスだから、つまらないわけはない。 他にも、細部に気が利いている。たとえば、 ・デブたちと一緒のサークル。その部室が除霊部、ペン回し部、解剖部と一緒というのが楽しい。これも『花とアリス』の影響かな。できうれば、サークルの他の2人も、もうちょいと描いて欲しかった。 ・ユィシアンは、シャオジエを実家に連れていくんだけど。まあ、どの程度ユィシアンに惹かれているかは分からない。けど、でも、ね。その気持ちを代弁するように、ユィシアンの妹がシャオジエに聞く。「お姉ちゃんは、彼氏なの?」。これが3度ぐらいつづくんだけど、なかなかいい。 ・シャオジエが働くハンバーガー屋の店長のキャラが、定番ではあるけれど、チビ、ぽっちゃり、元気、いい奴なのがたまらない。 ・ユィシアンの母親が、またいい。大学に連れていって、教室までの道程をひととおり教える。今度はひとりで。というとき、母親が「お前の後ろにいるからね」というんだけど、このセリフが深い。 で、学校の期末公演には出ないと決めていたユィシアン(期末公演とコンテストが同じ時間帯だった)。でもシャオジエの夢を追う姿勢に影響されたのか、当日になって期末公演にでることを決めたようだ。でも、エントリーしていない。ここで代用教員が顔を利かせて、最後の出演者の後に飛び入りで演奏させてしまう。まあ、ありがちなパターンで、『スウィングガールズ』もそうだった。音楽学部以外の3人が参加してもいいものなのか良く分からないけれど、大うけ。さて、どうなるの? ・ところで↑の場面で、ユィシアンの母親はまずコンテスト会場に行く。でも登場してこない。という間に、デブやユィシアンたちは期末公演の会場へ急のだが、この期末公演の会場にも母親やってくる。のだけれど、誰がそっちにでている、と教えたんだろう。これは、解消して欲しい疑問だな。 ・この期末公演と、シャオジエのオーディションも重なっていたようで、シャオジエはどこかの町に出向く。そこで演技を披露するのだけれど、音楽は「ない」とスタッフにつたえる。無音でオーディションに臨んだシャオジエまダンスシーンに、ユィシアンたちが期末公演で演奏している音楽が流れてくる趣向で、2つのシーンが交互に繋がれているというのもしゃれている。 さて、期末公演の次のシーンは、いきなり日本語が聞こえてくる。レコーディングスタジオなのか? さらに、カフェに座るユィシアンがいて、そこにシャオジエがやってくる。壁には"Touch of the Light"と描かれたポスターがあるってことは、プロデビューしたと言うことか。なるほど。もしかして、これは本人なのか? と、何も知らずに見始めたので疑問を持ったということだ。 エンドロールは、ユィシアンがシャオジエやサークルの仲間と楽しくやっている様子が映し出されて、その結果を見せている。まあ、ありがちではあるけれど、ホッとする仕組み。 台湾の映画って、風景や様子が日本と酷似している。家も土足ではないように見えたんだけど、どうなんだろう。大学やサークルなんかも、そっくりだ。 ベタな演出もなくかなり爽やか。これは、本人出演で過剰な行きすぎが抑えられたこともあるんだろうけど、岩井俊二の、イメージビデオみたいなタッチが功を奏しているのかも知れない。 | ||||
ラッシュ/プライドと友情 | 2/14 | 新宿ミラノ2 | 監督/ロン・ハワード | 脚本/ピーター・モーガン |
原題は"Rush"。allcinemaのあらすじは「ジェームズ・ハントとニキ・ラウダは、F3時代からの宿命のライバルながら、その性格とレーススタイルはまるで対照的。ワイルドで天才肌のハントは、プライベートでも酒と女を愛する享楽主義のプレイボーイ。対するラウダはマシンの設定からレース運びまで全てを緻密に計算して走る頭脳派で、闘志を内に秘めてストイックに生きる優等生レーサー。1976年、そんな2人はF2の年間チャンピオンを巡って熾烈なデッドヒートを繰り広げる。2連覇を目指すラウダはシーズン序盤から着実に勝利を重ね、ライバルのハントを大きく引き離し、チャンピオン争いを優位に進めていた。そんな中、2人の運命を大きく変える第10戦ドイツGPが幕を開けようとしていた」 ニキ・ラウダの名前は知っている。火傷で引きつった顔も見たことがある。レースに復帰していたことも知っている。けれど、ジェームズ・ハントの名前は知らなかった。そもそもクルマやレースには興味がない。少しだけ情報が入ってきたのは、鈴木亜久里が参戦した頃。シューマッハとかセナとか、有名なドライバーの名前を知っている程度。F1とかレースを扱った映画はいくつか見ているけど、まあ、たいして印象に残っていない。なので、あまり期待していなかった。のだけれど、いい意味で裏切られた。スピーディな展開、対照的な2人のレーサーの描写、そして、クライマックスが日本での雨中の最終レースというのもドラマチックすぎる。途中で時計を見ることもなく、間延びして退屈したりもせず、とくに分からないところがでてきて首をひねったりすることもなく、一気呵成に見終えることができた。 ニキとハント。宿敵みたいな印象だけど、実際は、たまたま同時代に登場したというだけで、そんなに意識し合っていたようには見えない。優等生のニキを、不良のハントが嫌ってた、ぐらいな感じかな。そもそも性格がまったく違う。冷静、沈着、計算ずくで、それが嫌な奴にみえるニキ。感情的でお調子者のハント。とくにハントは、「今日が人生の最後の日と思って生きている」というとおり、女はとっかえひっかえ。病院では看護婦と、飛行機内ではスッチーと…って、やりたい放題。ニキがオーストリアでハントがイギリスつてのも関係あるのかね。まあだから、喧嘩にならない。 それにしても、ともに資産家の息子で、ニキは金でF1参戦の資格を買ったようなもの。ハントも、じゃあおれも、と銀行から金を借りて、その威力でのしあがってる。いくらF1が金がかかるからって…。そういう世界なのね。 ニキはセレブな女性と結婚、ハントはモデルと結婚。こういうのを見てると、ほんとやれやれだよな。サッカー、野球、F1ドライバー…。なんでこの手の男に、知的で金持ちでエロっぽい女性は弱いのかね。まったく不可思議。たんに女はバカ、というだけでは済まない何かがあるんだろうな。 で、ドイツGPで、事故が発生する。当日は雨で、ニキは「危険だから中止にしよう」と呼びかけるが、多数決で反対される。そのレースでニキは大やけどするんだけれど、6週間後にレース復帰。…ってのが、凄い。さらに、最終レースが日本GPで、Wikipediaによると「タイトル争いは最終戦のF1世界選手権イン・ジャパンに持ち込まれた。この時点でポイントはラウダが3点リード。富士スピードウェイでの決勝は、コースに川ができるほどの豪雨に見舞われた。レース中止も噂される中で強行された決勝を、ラウダは「リスクが大きすぎる」として、わずか2周をスロー走行したのみで自らリタイアした。一方のハントは決勝で3位に入賞し、わずか1ポイント差でラウダを逆転して、1976年の世界チャンピオンになった」という。ほんと、小説よりも奇なるドラマだよな。 知っている人には事実のトレースかも知れないけれど、詳しいことを知らないこちらにとっては、レース危険も「えっ?」という驚きだし、勝利したハントも「おお」な感じ。 てなわけで、一気に見せられてしまったであるよ。 ・ニキがF1に参戦した(テストドライバー?)という話を聞いて、ハントが整備工場かレース場みたいなところに行くシーンが最初の頃にあって、そこでニキがメカニックにあれこれ注文。そして完成したクルマを、同じチームの先輩ドライバーが試乗する…てな場面があるんだけど、あれが分からなかった。テスト試乗の場にハントもいて見てるというのは、どういうことなんだ? ・チャラ男なハントなのに、レース直前には緊張感で吐く、というのが興味深かった。 ・もう一個所。ハントに資金提供していた資産家が、降りる、といったその後の描写。どっかに売り込みに行ってあれこれ本人がセールスするんだけど、あの相手はマクラーレンの人ではないのか? 多分、その、セールスした相手がマクラーレンだったかに説得していたような感じだったんだが…。エージェント? システムが分からないので、ちょっと戸惑った。 ・でそのハントはシリーズチャンピオンになった3年後にあっさり引退。解説者なんかもやってたけど、1993年に心臓発作で死亡。45歳だっていうから、ほんと太く短く生きた人なのだな。いっぽうのニキは事故からの復帰後も2度シリーズチャンピオンになり、ビジネスマンとして成功。いまもF1界の重鎮として活躍中というから、なるほどね、な感じでもあるよ。 | ||||
永遠の0 | 2/18 | キネカ大森2 | 監督/山崎貴 | 脚本/山崎貴、林民夫 |
allcinemaのあらすじは「司法試験に落ちて進路に迷う青年、佐伯健太郎。ある日、今の祖父とは血のつながりがなく、血縁上の祖父が別にいることを知る。その実の祖父の名は、宮部久蔵。太平洋戦争で零戦パイロットとして戦い、終戦直前に特攻出撃により戦死していた。そこで宮部について調べ始めてみると、かつての戦友はみな口を揃えて宮部を臆病者と非難した。天才的な操縦技術を持ちながら、生きて還ることに執着した腰抜けだと言うのだった。にもかかわらず、なぜ宮部は特攻に志願したのか。やがて、ついに宮部の最期を知る人物に辿り着く健太郎だが」 原作がNHK経営委員で騒がれている百田尚樹で、『風立ちぬ』の宮崎駿がこの映画あるいは小説を酷評していたりと話題に事欠かない。いっぽうで「泣いた」「感動作」という評価もある。いったいどんなもんかと見てみたら、いろいろ説明的で分かりやすいんだけど、想像力を働かす必要がない映画で、書き割りみたいだった。ストーリーに関しては、説明ゼリフが多いし、エピソードも明瞭なので、悩むことはない。間に挟まる空中戦CGで持つし、「死ぬのは嫌だ、生きて帰りたい」といっていた宮部久蔵が、なぜ特攻を志願したのか、という疑問で引っ張れる。のだけれど、最終的に宮部が特攻を志願した理由は明かされないのがモヤモヤする。やっぱ答は出さないとまずいだろ。 主張は単純で、特攻という無駄死にに対する否定。宮部は、戦争で死ぬことは無意味であり、まして、出撃しても体当たりする前に撃墜されてしまう現実に打ちひしがれていた。しかも、学徒動員された予備士官たちに、突撃だけの飛行を教える役割だったから、なおさらだ。ひとりでも、そんな彼らを死から救いたい。そう思いつつ、自分も最後は特攻を志願していった。 かつての戦友からは「臆病者だった」という非難の声があがる。のだけれど、調べていくうちに宮部の真意が分かるというものだけれど、それはたまたま最初に尋ねた戦友が非難しただけで、それが宮部の一般的な評価というものではないと思う。実際、予備士官たちからは尊敬されていたシーンもでてくる。最初に会った戦友から「素晴らしい人だった」といわれる可能性もあるわけで、展開そのものが意図的に歪められているといえる。 そもそも、「臆病者だった」と掃き捨てるようにいう戦友というのは、どういう兵隊だったのだろう。宮部に恨みを持つほど被害をこうむっているかというと、そんなことはない。たんに宮部隊が、戦闘中なのに戦闘に加わらず、離れたところを飛んでいたり、背面飛行していたと指摘するだけだ。ここでいくつかの疑問が生じる。天才パイロットと称される宮部があまり戦闘に加わらないとしたら、上官から指弾されるに違いない。隊の面々にも宮部の評価は広まっていたんだから、上官が知らないはずはない。なのに宮部は戦闘時の姿勢を変えなかった。そんなことが、できるのだろうか。 別行動や背面飛行が何のためなのか、映画では説明されない。たぶん、戦闘全体を俯瞰し、危険な状態にある仲間を救うためではないかと思うのだけれど、でも、実際にそういていたなら、非難はされないはず。では、上官の命令ではなく、自主判断でそうしていたのか? ということの解決はついていないので、モヤモヤが残る。 岡田が上官から指弾されるのは、訓練飛行失敗の予備士官を少佐が避難した時だけだ。事故死した予備士官を非難する少佐に反論し、殴られる。ついでに、岡田が予備士官になかなか及第点を出さないことも非難する。上官に意見するようなことがあり得るのだろうか。また、宮部が及第点をださないことは、部隊で問題化していなかったのか? あり得ないと思う。 そもそも予備士官たちのなかからも、「なかなか及第点をださない」と非難の声が上がっている。では、実際、彼らはそんなに死に急いでいたのだろうか。はやく体当たりして死にたかったのだろうか。そんなことはない、という証言や証拠もあったりする。映画あるいは小説は、死にたい予備士官&死なせたい上官vs死にたく&死なせたくない宮部、の対立構造をつくり過ぎているように思えて、いささか物足りない。実際、映画では殴られた宮部に対し、多くの予備士官が敬礼して迎えている。ということは、宮部は敬意をもって遇されていたと言うことだ。死にたくない予備士官、死なせたくない上官が登場したっておかしくないのだ。なのに、意図的にパターン化しすぎだと思う。 こうして、予備士官を送り出していった宮部は、自ら特攻には志願しなかった。この、特攻圧力というのは、想像したくない選択だから、みな苦しみ抜いての決定だったと思う。望んでの特攻ではない予備士官を、なぜ登場させなかったのか。まあ、そうすると、宮部の影が薄くなってしまうからだろうけど。それはさておき、ある日、特攻要員のなかに宮部の名前が書き出されて、予備士官の何人かは動揺する。しかし、宮部がなぜ特攻を決意したか、の理由はどこにも描かれていない。推測できるような手がかりも、なかったと思うんだけどね。 映画としてのドラマは、最後にひとつあるだけ。特攻で出撃する宮部は、教え子である予備士官の大石と機体を交換する。それは観客にもミエミエなんだけど、宮部は自分が登場する零戦のエンジンの様子がおかしいと見抜き、大石を生かすべく交換するわけだ。しかも、妻子を頼む、と手紙を操縦席に隠して…。しかし、それってどうなんだ? 大石は空戦中、自らの機体を敵機にぶつけ、宮部を救ったことがある。その礼なのか? にしては、妻子を託す意味が分からない。そんな負担を教え子に課すのか? でその大石が、現在の祖父である賢一郎であると分かるのだけれど、これは「へー」であると同時に「なんで?」な感じだった。だって、映画の冒頭で佐伯慶子と弟の健太郎は、賢一郎が実の祖父ではなく、祖母・松乃の後妻であることを知る。そこで母方の実の祖父のことが調べ始めるんだけど、まず賢一郎にその旨仁義を切るのだ。しかし、なかなか情報がなく、ネットで調べた戦友会にテキトーに手紙を送り、そこから調べていった、という経緯がある。ってことは、最初から賢一郎が「実はな…」と話せばそれで済んでしまうことではないか。では、賢一郎か言わなかった理由は? なにもない。だんだんと調べが進む様子を、どういう気持ちで眺めていたのだろう。なんか、すごく妙だ。 というオチでは、宮部がなぜ特攻を決意したかの解明にはならない。生きて妻子と会いたいなら、最後まで特攻を志願するべきではなかった、と思う。というわけで、話は分かりやすいけど、納得できるような話ではないので、どこにも泣けるようなところは見いだせなかった。 映画のつくりとして気になったのはつながりの問題で、展開の流れが見えづらい。宮部が戦地から内地、内地での移動をしているようなんだけど、ほとんど移動後の状態から描かれるので、経緯が分からない。前線で敵機に追われていたかと思うと、次は内地で教官をしていたりする。場所は…どこだっけ。そっから筑波の特攻隊出撃基地に移動するんだっけ? 筑波? 土浦の霞ヶ浦じゃないのか…。それにしても、東京に近いんだから、たまに帰宅できなかったのか…とか。 ・CGはいまいちで、よく描かれたイラストが動いているって感じ。実物の部分や、実物をコピペしたような部分はリアルなんだけどね。 ・真珠湾攻撃のときの空母、赤城? って、あんなに甲板まで高かったっけ。しかも甲板の下はパイプでスカスカ…。なんか昔の写真でみたイメージと違うんだけど…。でもWebで検索したら、あの通りだった。甲板に日の丸が大書してあるのも違和感あったけど、あれも事実のようだ。それと、護衛艦が近くに見えないが、あんなものだったのか? ・宮部が真珠湾後帰省し、妻子に会う場面。黒い制服に赤い階級章なんだけど、あまり見たことのないものだった。あんなのあったのか…。 ・ミッドウェイだっけか、魚雷から地上爆弾に変えた途端に敵空母発見で再び魚雷に…というのを岡田が止めようとする。そして「いまは先手を打たなければ…」と叫ぶんだけど、あんな大っぴらに上官の命令を否定するようなことを言って、大丈夫なわけがないと思うんだが…。 ・どっか遠距離の攻撃があり、でも燃料がギリギリ。と上官に行ったら「たるんでる」とかいって叱責され、出撃する宮部。3機中1機が被弾し、基地を目前に燃料切れ。被弾した搭乗兵は「体当たりを」と申し出るが、宮部は「生きろ」と制止させ、機は着水する。のちに飛行艇が探索に行くが、「周辺にはフカが泳いで…」にはちょっと笑った。もう1機の搭乗兵(たしか大石だったか)が、「だから攻撃させればよかった。フカに食われるなんて無念だったに違いない」というんだけど、その通りと思った。たしかに着水時点では生還の可能性はあった。だからそっちを選べといわれても、生還できない可能性もある。もちろんフカに襲われる危険性も頭にあったはず。フカに襲われ、食われた兵は、そのとき何を思ったろうと考えると、気の毒な気がした。 ・映画的なわざとらしさも、散見された。 ・真珠湾後帰省し、妻と別れる場面。宮部は背中を向け、かすかに首を後ろに。その背中に、妻の松乃がそっと寄り添う…。ヤクザ映画か新国劇のキマリポーズみたいではないか。アホか。松乃役の井上真央が暗いし、もともと好みの女優ではないので、まったくつたわってこなかった。 ・戦友だった男(橋爪功)と病院で、佐伯慶子と弟の健太郎が会うシーン。男の娘(斎藤ともこ?)か嫁もいて、橋爪が昔を思うように宙を見上げる。すると、他の3人も同様に、まるで中空に浮かんでいる宮部を見ている、かのように見上げる。って、こういうキメポーズは、わざとらしくてたまらない。 ・その男(橋爪)が、「宮部さんは一度家に帰り、奥さんと娘さんに会ってる」と証言し、それにもとづいての帰省のシーンなんだけど。帰省中の様子まで橋爪に分かるはずがない。まるで見てきたかのように佐伯健太郎に話したというのか? ・景浦というチンピラ搭乗員は、あれは予備士官ではないのか(とWebで確認)。腕に自慢で、空戦で敵機を撃ち落とすのが喜び、のような男。彼も宮部を臆病者と見下していたが、操縦が天下一品と言うことは聞いている。なので模擬空戦を願い出るのだけれど、却下される。でまあ、宮部に因縁をつけて脅したりするのだけれど、そのシーンで背後の格納庫に白い人影がチラつくのはダメだろ。撮り直せよ。 ・景浦は、死ぬのは怖くない、と思っていた。けれど、自分から模擬戦を仕掛け、でも、あっという間に背後に回られ、焦りのあまり実弾射撃してしまうという男。銃撃したことぐらいバレるだろうに。宮部はそれを簡単に許しのか? 生きて妻子の元に帰りたかった男が? しかも、この後、自分は死にたくなくなった、と特攻志願をせず、特攻機を護衛する側に回るんだけど、それは単なる命令ではないかと思うんだが…。 ・その景浦だけど、あれはどこか国内の部隊に配属されたときかな。咥えタバコなんだけど、それはないだろ。「零戦黒雲一家」かよ。あと、景浦の将来はヤクザの大親分(田中泯)なんだが、あんな小太り(新井浩文)が顔が変わりすぎだろ。 ・そのヤクザの大親分になった景浦が、訪ねてきた佐伯健太郎との別れ際、「わしは若い男が好きだ」と抱きついたときは、こいつホモかよ、と笑ってしまった。 ・宮部が予備士官たちの教官になったあたりのシーンで、やたら染谷将太(大石役)がフレームに入ってくる。なんだと思ったら、後半の特攻の場面で同じ場面が視点を変えて大石を中心に繰り返される。それで、大石が生き残る、というラストにつながるんだけど、この辺りの撮り方など、分かりやすすぎてつまらない。「やっぱり」的な感想になっちゃうからね。 ・戦後、大阪で苦労している松乃のところに、大石が訪ねてくる。宮部から託され、世話するためなんだけど、ここから2人がくっつくという展開は、かなり強引。あの時代、男不足で、大石は嫁なんか選び放題だったはず。残るのは、生かされた、という恩義なんだけど、東京からたびたび通ってきたり、入れ込みすぎだろ。もちろん松乃に惚れた、でもいいけど、その過程がないんだよな。むしろ、松乃は警戒しすぎで、不自然だったりする。世話してくれる、にあの態度はないと思う。むしろ、自分から大石を誘ってもいいぐらいだ。そういう話はいくらでもあった。展開としては、日活ロマンポルノみたいになってもいいと思うぐらいなんだけどね。 ・映画では、宮部が帰省の時に松乃に「生きて帰ってくる。たとえ死んでも帰ってくる」といって別れていて、松乃は、宮部が大石の身体を借りて戻ってきた、と理解して一緒になるということにしていた。大石は宮部の代わりで満足だったのだろうか。それとも、義務感でいままできたということなのだろうか。 ・そういえば松乃は、夫が帰省してきたとき箒で迎えたけど、大石にも箒片手で対している。そんなに女ひとりは、襲われやすかったのか? というか、いっときキャバレーに売られるとかパンパンになりかけたとか、そんなようなことも言っていたけど、そういうのに騙されやすい体質なんだろうか。で、助けに行ったのは景浦だったらしいけど、とってつけたような説明が哀しい。原作には詳細があるんだろうけど、映画のあの程度の説明では、「なるほど」とは思えない。 ・ところで、祖父・賢一郎は、大石賢一郎なんだよな。その名前は、佐伯慶子・健太郎の姉弟が調査した経緯では、分からなかったのか? 映画では、ヤクザの景浦が渡してくれた戦友会の名簿でやつと分かった、ということになっているんだが…。 ・佐伯健太郎がかつての同級生と合コンするシーンが、類型的。「特攻なんて、海外から見たら自爆テロ同じじゃん」といわれ「洗脳されていない。無差別ではなく特定の対象を狙うのだから、違う」と激高して顰蹙を買う。だけど「海外から見たら自爆テロ同じ」というのは、おおむね当たっていると思う。ある意味で洗脳されているのは間違いない。対象が敵艦なのはそうだけど、自爆は変わらない。それに、真珠湾攻撃は卑劣だ、と米側に言われたら、反論の仕様がない。せいぜい大空襲や原子爆弾について言うぐらいだろうけど、日本軍も中国で重慶を爆撃したりしている。こまかいことをいい出したらキリが無い。 ・佐伯健太郎が、祖父・賢一郎と血縁ではないということを知らないというのも変。母親(風吹ジュン)も、関心がないという。母親は幼いときに松乃から実父のことを教えられたろうし、戦後、賢一郎と会ったときはすでに物心ついているような、4、5歳のはず。それで実父に関心がないというのもなあ。 ・岡田准一は撮影時33歳。宮部は26歳で戦死。というわけで、岡田は老けすぎだ。 | ||||
恋の渦 | 2/25 | キネカ大森1 | 監督/大根仁 | 脚本/三浦大輔 |
オフィシャルページのあらすじは「部屋コンに集まった男女9人。イケてないオサムに、カノジョを紹介するのが、今夜の隠れテーマだ。しかし、やってきたユウコのルックスに男は全員ドン引き。それでも無理矢理盛り上げようとするが、全てが空回りし、微妙な空気のままコンパは終わったはずだったが・・・。その夜を境に、男女9人の交錯する恋心と下心、本音と嘘が渦巻き、ゲスでエロくておかしな恋愛模様が繰り広げられていくのだった」 コウジ(27)はWebで女性に化けてコメントを付けるサクラをしている。トモコ(28)と同棲中。 コウジの弟ナオキ(23)は大学生で、サトミ(21)と同棲中。サトミも学生。深夜にテレアポのバイトしてる。 コウジとユウタ(27)とオサム(28)は悪友。 ユウタはデリヘル好きで、彼女なし。仕事は、バイト? オサムは女っ気なし。彼もフリーター。 ユウタとタカシ(26)は同郷の親友で、ユウタの部屋にタカシが同居中。タカシもフリーター。 トモコはショップの店員で、仲間にカオリ(26)とユウコ(26)。タカシはカオリとトモコに以前会っている。 コウジは、女っ気なしのオサムに彼女を紹介してやろうとトモコに相談。同僚のユウコを引っ張り出してきた。ところが、ユウコは凄いブスだった! というのが最初の、コウジの部屋でのパーティ。 以降、「○時間後」とか「1週間後』というタイトルが入りつつ、話が進行していく。 さてと。最初のコウジの部屋でのパーティは、人がやたらどんどん増えていき、会話もあっちこっちで勝手に始まり、しかもドキュメンタリータッチでカメラは動き回りで、イラッときた。うざい。のだけれど、タカシが空気読めないお調子者であることや、それをコウジがうっとーしく思っていること、サトミがひとり浮いていること、なんかを露骨にではなく画面の中で何気に見せていく。もちろんそれは意図的な演出で、その後の展開に関係していくのだけれど、それぞれカット割りで、これ、これ、と提示していくのではなく、雰囲気の中でばらまいていくやり方はとても自然で面白い。 以降の展開は、主に2人ずつ(ときに3人)フレームに収まり、それぞれのカップル同士の関係が描かれていく。そのせいでか、冒頭のぐちゃぐちゃ感が次第に溶け出していって、個人個人のキャラや立場、互いの関係性が浮き上がっていくのだ。こうなってくると、いつのまにか話の中に引きずり込まれて行ってしまう。テクニックとして、上手い。 そして、あぶり出されるのは、表面上は上手くいってるかのように見えるカップルの亀裂や思惑なのだが、これが、どろどろ。というか、いまどきの青年たちは、こんなささいなことであれこれ言い合っていたりするのか? そんな気を使っているのかよ、という気味の悪さでもあった。 もちろん個人的な性格もあるだろうけど、どーでもよくね? そんなこと、というようなことだったりする。 コウジは細かいことに異常にこだわり、トモコを徹底的に罵る。でもトモコは言い訳せず、「コウジに好かれることだけを生き甲斐にしてるから」と誤りつづけるのだけれど、なにこれ? な感じ。 ナオキは理知的で、サトミと結婚してもいいとまで思っている。でも、浮気はする。現在進行形はカオリと。でも、バレないようにすればいい、と思っている。 ユウタはかつてカオリとつき合っていたけど、デリヘル呼んでるのがバレて捨てられた。以来、ずっとデリヘルばかり。その方がいい、とも思ってる。 オサムは、ちょっと変なキャラ。コウジやユウタとつき合うような感じがしないんだが…。彼女はいなくてテンガが恋人。部屋にはグラビアがべたべた貼ってある。モテないキャラだ。 ところが。だんだんキャラが分かってきて、人物関係が見えてくると、友だち同士でも秘密にしていること、ぜんぜん違う世界をもっている場合もある、なんてことが見えてきて、話が次第に膨らんでくる。 カオリは現在、年下のナオキとときどきエッチしてる。エッチの前には必ずフェラして喜ばせるとか、そっちの方ではなかなかのテクニシャン。タカシに「つきあってあげてもいい」と冗談をいったら、タカシが真に受けてカオリに電話するがつながらない。たまたま自室にやってきたカオリにそのことを言うと、彼女はせせら笑う。のはいいんだけど、いまさらのようにナオキがカオリに迫ると、「私とつき合っていたことをタカシに話せ」といわれ、でもできなくて、結局、振られてしまう。その腹いせにデリヘルを呼んだら…。 タカシは上京して半年。サングラスがカッコイイと思ってる田舎者。マヌケキャラとして登場するんだけど、どう収拾させるのかと思ったら、母の病気で突然田舎に帰ることになって消えてしまう。ちょっと安易と言えばそうなんだけど、まあ、こんなところかね。 ユウコは、自分も認めるブス。コウジも「あんなブス紹介して悪かった」というほどだ。でもオサムはパーティの夜、ユウコを自室に引っ張り込んでそのままベッドイン(といってもベッドのない部屋でだけど)。飢えてる男女が肉欲だけで求め合ってる姿は、滑稽だけど美しい。まあ、すぐに気づくか飽きるかするんだけど…。オサムはユウコとつき合うようになったことを友人に言わない。なんだけど、すぐオサムが亭主関白ぶりを発揮するのがおかしい。でも、ユウコが部屋にトモコを連れてくると、動揺。つきあってることがバレちゃうからだ。「お前みたいなブスとつき合ってることがバレちまうよ!」といったら、ユウコの怒りが爆発して蹴りを入れられるところは凄まじくもおかしい。「私だって自分がブスだぐらい分かってるわよ」と、トモコと一緒に出て行ってしまうんだが、待てども帰ってこない。心配になって、というか、やれる相手がいなくなってしまったことに動揺し、電話・留守電をかけまくり。この葛藤。なんか、分かる。…で、ちゃんと戻ってくれたユウコにうれし涙のオサム。醜女の深情け、なこのオサムとユウコのカップルが、いちばん面白い。 しかし、3組のカップルとも、程度の差はあれど男が偉そうにし、女を見下すようになるのは、そういうものだから? でも、話は急転直下。「ちょっと田舎に帰る」と1週間いなかったトモコが帰ってくると、なんと男連れで戻ってきて、コウジはびっくり、というのがおかしかった。あまりにも粘着すぎて、トモコはあるとき会社の男性とのっぴきならぬ関係になったらしい。それで、コウジと別れる決心をした、というのは意外な展開。なるほど、そうきたか。 ナオキは、自分は浮気しても、サトミが浮気するなんて、考えもしていない。…というプレゼンスは、たぶんサトミも誰かと…と想像しやすい。しかもサトミは最初から目立たない存在で、裏のある感じも見せない。だからサトミには何かある、と思うのは当然だよな。なので、ナオキのところにやってくるのはサトミだと想像していたら、その通りだった。ただ、いまつき合ってる彼女、としてでなく、デリヘル嬢としてだったのは外れたけど。なるほど、そうだよな、なサトミの逆襲だった。 というわけで、世の中、男が偉そうにしてても、女はその上を行くしたたかさで生きているんだよ、というわけだ。 時間経過、実はあのとき彼は、彼女は…と分かってくる感じは『運命じゃない人』にもちょっと似てる。あの映画ほど伏線が張り巡らされてはいないけど、でも、ドンデンなところは同じ。なかなかよくできたシナリオだと思う。『運命じゃない人』より、リメイクしやすいんじゃないのかな。ハリウッドなんかで。 ところで、青年たちの職業が興味深い。9人のうち2人(ナオキとサトミ)が大学生。あとの女性3人はショップ店員で同じ会社。残りの男4人はバイトのようなフリーターのような。定職に就いているのは誰もいない…。これが現在のリアリティなんだろうか。 いずれ醒めるだろうけど、ちゃんと結婚して子どもをつくり、罵り合いながらもまっとうな生涯を送るのは、オサムとユウコみたいな気がしないでもない。『ふぞろいの林檎たち』の柳沢慎吾と中島唱子みたいにね。 | ||||
地獄でなぜ悪い | 2/25 | キネカ大森1 | 監督/園子温 | 脚本/園子温 |
allcinemaのあらすじは「ヤクザの組長・武藤は、獄中にいる最愛の妻・しずえの夢を叶えようと躍起になっていた。それは娘のミツコを主演に映画を製作するというもの。しかし、肝心のミツコは男と逃亡してしまい、映画が出来ないまま、いよいよしずえの出所まで残り数日となってしまう。そこで武藤は、手下のヤクザたちを使って自主映画を作ることを決断する。そして何とかミツコの身柄を確保し、映画監督だという駆け落ち相手の橋本公次に、完成させないと殺すと脅して映画を撮影するよう命じる。ところがこの公次、実は映画監督でもなければミツコの恋人でもないただの通りすがりの男だった。それでも監督として映画を完成させなければ彼の命はない。そんな絶体絶命の中で出会ったのが、自主映画集団“ファック・ボンバーズ”を率いる永遠の映画青年、平田。一世一代の映画を撮りたいと夢見てきた平田は、ここぞとばかりにミツコに執着する敵対ヤクザ組織の組長・池上まで巻き込み、ホンモノのヤクザ抗争を舞台にした前代未聞のヤクザ映画の撮影を開始してしまうのだが」 評判がよさそうなので期待したんだけど、外れだった。『恋の渦』がよすぎて、その反動なのか。二階堂が誘拐された辺りで眠くなり、少し寝てしまった。気がつくとこの間に映画を撮るという話がまとまって、気の弱い橋本公次青年が監督になっていたが、なぜ彼が監督に指名されたのか、わからなかった。 そもそも、本題に入るまでが長い。本題は"ヤクザの殴り込みを、ヤクザたちが映画に撮る"なんだけど、ここまでくるのにえらく遠回り。武藤と池上の対立。血の海での池上(堤真一)とミツコ(二階堂ふみ)との一瞬の接触。逃げる池上と平田たち映画オタク少年グループとの接触。どーんと時代が過ぎて、映画も一本も撮れずうだつのうがらない平田たち。同時並行で、武藤vs池上の再燃。武藤は、池上の手下をなぶり殺しにして獄中の人となった妻の出所までに、娘ミツコをスターにしたい、映画の主役にしたい。でも、ミツコは得体の知れない娘に育って…武藤から逃げ回っている。というとき、自分たちでミツコ主演の映画をつくっちまえ、ということになり。たまたまミツコが逃亡のためニセ恋人として街で見つけた橋本が、どういうわけだか(寝ていたので分からないんだけど)監督に指名されてしまう。こまった橋本が、たまたま追われてゲロ吐いて(『用心棒』のようにゲロが吹き出す)、なにやら願掛け箱に入っていた、かつて平田が願い事を発見し、電話する。もう青春はオシマイだ、とファック・ボンバーズを抜けようとしていた仲間(ブルース・リーおたく)と意気消沈のところにかかってきて、こちらは天啓かと喜び、さっそく武藤のもとへ。そこで平田は、武藤が池上と対立していて出入りの直前であることを知ると、「その様子を映画にしよう!」とチャンス到来の笑顔!…とまあ、ムダに長い。しかも、ご都合主義だらけ。願掛け箱が10年もそのままで、願い事を書いた紙も残ってる? そこに書いた携帯番号につながる? あほか。 いや、わかってる。この映画は細部は問わず、映画愛に燃えた青年たちの情熱が描けていればいいんだ、とかいうんだろ。でも、いくら冗談バカ映画でも、なるほど感はだして欲しい。 で、つづいて殴り込みの場面がラストまでつづくんだけど。これも「?」な展開。映画を撮るのはいい。けどスタッフはファック・ボンバーズの4人だけじゃなくて、武藤の手下もずいぶんいる。カメラも手持ちビデオじゃなくて、35mmの据置型のでかいのが数台。証明。音声までいる。アホか。それじゃ出入りに負けちまうじゃないか。現場で撮るならビデオか、フィルムにこだわっても16mmだろ。 いや、わかってる。35mmカメラを三脚に載せ、据え置きで撮りたかったんだろ。そういう思いを絵にしたいんだろ。分かるよ。でもね、ありえねえ、と思ってしまうのだよ。それに、ファック・ボンバーズの2人のカメラマンは、いつもくっついて行動する。別行動するだろ、フツー。とか、気になっちゃって仕方がなかった。 出入りは真剣で行われ、ファック・ボンバーズのメンバーも、武藤も、どんどん死んでいく。橋本も、腕を断ちきられ、脳天に刀を叩きつけられたままで動き回る。もう凄惨極まりないんだけど、なぜか笑えるのは、バカバカしいせいか。しかし、本気で殺し合いをしつつ、映画なんて撮ってられないよな、とも思ってはいたのだが・・・。 で、ラストシーンは映画の上映会。平田はフィルムを回収していたけれど、なんとかあれを編集したのか。しかし、物語にはなってないだろ、あれじゃ。と思ったら、上映後、死んだはずの面々が立ち上がって挨拶するではないか。ん? どういうことだ? いや、いいんだよ、こういう意外なドンデンがあっても。でも、「なーるほど」と言えればいいんだけど、これ、言えないよな。どこからがウソ=映画なんだ? 武藤と池上はべつに対立していなかった。すべては映画を撮るための芝居? それとも、いま見ているこの映画すべてが劇中でつくられた映画という設定なのか? バカにされているというより、ストンと胃の腑に落ちない据わりの悪さを感じてしまって、映画が終わっても清々しさも快感も感じなかった。こういう、情熱だけでつくられる映画も、悪いわけではないけど、やっぱり最後は「なるほど、そうきたか、ふふーん」と納得して帰りたいよな。 ・ミツコが子役で歯みがきCMで大人気。それが母親の事件で降ろされ、スターの道を閉ざされた、という恨みがあるらしい。けど、アホか、な話だよな。まあ、そういうスターも実際にいるのかも知れないけど、あのCMのどこがいいのか、さっぱりイミフ。 ・小池がミツコにぞっこんなのは、10年前に一瞬出会ったことによるものなのか? それにしては牽強付会。 ・武藤と小池が対立していて、武藤の妻(友近)が小池の手下を殺したのは、歴史的事実? ・「キルビル」っぽい場面や「用心棒」っぽい効果、深作警察署とか、映画へのオマージュがあるようだけど、他に「これ!」っていうのは気がつかなかったかも。なんか、自己満足でやってるだけ、な感じだな。 ・二階堂ふみは、チチがでかくなったな。谷間がくっきりではないか。 | ||||
マジック・マイク | 2/27 | ギンレイホール | 監督/スティーヴン・ソダーバーグ | 脚本/リード・カロリン |
原題も"Magic Mike"。allcinemaのあらすじは「男性たちの華やかなストリップ・ショーで人気を博すクラブ“エクスクイジット”の看板ダンサー、マイク。彼の夢は、インテリアデザインの才能を活かした事業を興すこと。ストリップ・ダンサーはその資金を得るためだったが、稼ぎも上々で女にも不自由しないこの煌びやかな世界をエンジョイしてもいた。そんなある日、人生に迷う若者アダムと出会い、ひょんな成り行きからストリップ・ダンスの才能を発揮した彼をクラブの一員に迎え入れることに。ほどなく享楽的な生活に呑み込まれていくアダム。一方、マイクは堅実なアダムの姉と知り合い、心惹かれていくが」 面白かった。いわゆるサクセスストーリー=成長物語ではあるんだけど、その世界は男性ストリップ。しかも、30過ぎで人生の岐路に立っているマイクと、元学生フットボーラーででも監督と対立して辞めてしまった10代後半の、何も知らないアダムという2人のキャラクターが明暗というほどでもないけれど、表裏一体な関係になっている。さらに、クラブのオーナー(?)のダラス(マシュー・マコノヒー)は、マイクにとっての将来の姿、でもあったりする。単純に、1人の青年のサクセスストーリーにしていなくて、多重性をもっていることが、この映画を豊かにしていると思う。 もうひとつ。アダムの姉ブルックの存在が大きい。対比されるのは、ジョアンナ。彼女は心理学の博士号かなんかをもうする取得するインテリで、でもマイクとつき合ってきた。3Pもお手のものの下半身のつき合い。そこに、医療事務をし、弟思いのフツーのブルックが現れた。毎日、女に不自由しない生活のマイクにとって、別世界の女性だよな、こりゃ。 バイトもロクにこなせず、でも主義は曲げず、プータローしてたアダム。たまたまマイクと知り合って、たまたま一夜の代理で舞台に上がってプチ成功。ダラスもちょうど新人を欲しがってたところで、マイクが特訓。瞬く間に頭角を現すのは、若さと運動能力のせいでしょうか。 でも、そもそもマイクは家具デザイナーになる夢があって、コツコツ金を貯めていた。できれば銀行から融資を受けて、店を開きたい、という思いもあったんだよな。そこにアダム登場は、別に自分が主役の座を追われる、ではなかったはずだから。だから淡々と前に進めたんだろう。心の底でも、フツーの女性をパートナーに求めていたのかも知れない。 ダラスと対立し、むしゃくしゃしてジョアンナに電話したら、あっさり断られてしまう。こりゃどうしたことかと思っていたら、しばらくしてレストランで、ジョアンナが婚約者と一緒のところに出くわす。おお。なんと。セックスは、この手の男と楽しむ。でも、結婚は、ちゃんとした男と。という女性は少なくないのか。というより、気になったのはジョアンナも婚約者の男もマイクを見ても動揺せず、「話がありそうだな」と婚約者がトイレに立つという対応だ。結婚相手の女性が、遊んでいたこと、を意に介さないのか…。なんか、そういう世界なのかい? で、サクセスストーリーは、マイクなのか、アダムなのか、ダラスなのか。そのあたりが曖昧なのが、この映画の面白いところかも知れない。アダムはコカインかなんかに手を出して(みんなやってるようだけど、大量に仕入れて売人も始めたみたい)、ちょっとしたことでしくじり、コカインをなくしてしまう。「大したことないよ」とかいっていたら実はそうでもなく、ある日突然、ヤクザがマイクの家に上がり込んできた。なんとアダムは100万を超える額を紛失して、ヤクザが探しに来たのだ。というわけで、これまで貯めた貯金をはたいて、肩代わりする。真面目なんだな。これはあれかい。マイクがブルックに「弟の面倒はちゃんと見るから」と宣言した以上、そうせねばと思ったのかい? いいやつすぎる。 まあ、ブルックにいいとこ見せたかったってのもあるのかも。マイクが肩代わりしたことを知らないブルックは、マイクに罵声を浴びせるんだけど、のちに事実を知るととたんに詫びてくる。というのも現金だな、と。そもそもアダムを男性ストリップに連れ込み、ヤク中、アル中、女遊びの世界に連れ込んだのはマイクなんだから、そっちを責めるべきなのにな。まあ、そうしたらハッピーエンドにならないけど。 てなわけで、アダムは堕ちていくんだろうな、これから。だってあんないい加減な性格じゃ、さっそく警察に捕まるか、ヤクザに殺されそう。ダラスは、田舎町タンパからマイアミへと活躍の場を広げ、一座もともに浮かれている。これもなあ。要は水商売だし、金があれば使っちまうような類の連中だから、成功しても長くはつづかないんじゃないのかな、と思えてしまう。というわけで、これまでは順調に人気者になり、ダラスからも片腕と目されていたけれど、根が正直でフツーの世界を求めていたマイクの勝ち、なんだろうか。物語としてはスケールがしょぼくて、いうならばストリップ世界からひとり抜けだし、まともな世界でまともな女性とフツーの結婚生活に突入する30男のちょっと遅すぎた爽やかな青春物語ってわけで、堕ちていくアダムを見捨てて自分だけ逃げてきたへなちょこ野郎ともとれるわけだ。ブルックだって、そうそうアダムの面倒は見られないだろうよ。というような、想像するとそれほどハッピーな終わり方ではあるけれど、でも、表面的にはサクセス+ラブコメ的要素が少し入りのな話であった。 そのときは楽しいけれど、ふと気づくと怖い話、かな。 ・ダラスがアダムを紹介するとき、「チ●ポ王」と伏字にするんだけど、英語ではコックと言ってるのだから、でかまら大王とかにすればいいのに。 ・大金を肩代わりしてもらったアダムが、マイクと話すシーン。アダムが「くそ家具のための金をありがとよ。忘れないよ。20年後あんたは死んでるかも知れないけど、俺は…」みたいな感じの字幕がでるんだけど、これは話し方だけの問題なのかい? 実際、そう思っているわけじゃないよな。 ・しかし、マイクもかなりのお調子者。洗車ビジネスと言いつつ、バンにそう書いているだけであまり仕事はしていない。屋根の瓦葺き業は、たんなる時給のバイト。これで銀行から大金を融資してもらおうとしているんだよなあ。家具デザイナーのためとはいえ…。 ・ダラスとマイク、アダム以外のストリッパーたちをもう少しずつ描くと、もっと面白くなっただろうに。群像劇の要素を入れるべきだったな、と思う。もったいない。 ・ブルックが、そんな美人じゃないし貧乳なんだけど、なんとなく魅力的なんだよなあ。みんなフツーがいい、と醒めているってことなのかな。 | ||||
マイティ・ソー/ダーク・ワールド | 2/28 | 新宿ミラノ2 | 監督/アラン・テイラー | 脚本/ クリストファー・L・ヨスト、クリストファー・マルクス、スティーヴン・マクフィーリー |
原題は"Thor: The Dark World"。allcinemaのあらすじは「“アベンジャーズの戦い”から1年。ロンドンで原因不明の重力異常が発生し、天文物理学者のジェーンが調査に向かう。ところがその際、ジェーンの身体に全宇宙を闇に変える恐るべき力“ダーク・エルフ”が取り込まれてしまう。愛するジェーンの異変を察知したソーは、再び地球を訪れると彼女を神の国“アスガルド”へと連れて行く。しかしそれは、封印から目覚めた闇の王マキレスを呼び寄せてしまい、ソーの故郷と愛する家族が窮地に陥る結果に。いよいよ世界は再び闇に閉ざされようとしていた。絶望的な状況に追い込まれたソーは、つい最後の手段に打って出る。それは、今は幽閉されている血のつながらない弟にしてアベンジャーズ最強の宿敵ロキと手を組むという、あまりにも危険な賭けだったが」 寝るかもと思ったけど、午前中に二度寝していたので、かろうじて起きていられた。「マイティ・ソー」「アベンジャーズ」もたしか見てるんだけど、話がよく分からない。まあ、「マイティ・ソー」を見ていなくても分かるといえば分かるんだけど、話にいまいち「なるほど」感がないのだ。 この世に光がなかった時代があった、それはいい。そして、マキレスが再び封印から解き放たれた。なるほど。でも、なぜ? それとともに、9つの世界が一直線に並ぶとき云々というのがよく分からない。さらに、アスガルドと宇宙、地球、そして、9つの世界の関係が分からない。だから、みていてイラつく、というより、考えるのをよそう、と思ってしまう。 地球では、ジェーンがお見合いみたいのをしている。でも相手が気に入らない。そこに助手たちがやってきて、あるところに連れていくと、そこで少年たちが重力異常と遭遇している。のだけれど、そもそも重力異常を発見したのは誰なの? 誰が助手に伝えたのか分からない。 一方で同時に、ジェーンの師であるエリック教授がストーンヘンジで素っ裸になってニュースになっているけど、あれはなんなんだ? さらに、重力異常とともに、世界をワープすることもできるようになっている。ジェーンは世界を移動して、マキレスが世界を闇の世界にしようとするため使おうとしていたエーテルに触れてしまう。のだけれど、なんでタイミングよくジェーンであり、はたまたジェーンの身体にエーテルが移動してしまうのだ? ご都合主義もいいところ。まったく感動も何もない。 で、いっぽうでロキが反逆罪で牢に入れられたのは、ああ、そういえば前作のどれかでそんなことがあったな、と思った。 目覚めたマキレスは、腹心をアスガルドに送り込み、牢を破壊させる。のであるのだけれど、わざわざそんなことをする必要がどこにあるのかよく分からない。 てなわけで、あれやこれや。ジェーンの体内からエーテルを取り出し、アスガルドは9つの世界が一直線にむすばれるその瞬間を狙い、エーテルを放とうとする。それをソーが阻もうとする。そのいっぽうで、エリック教授とジェーン、助手たちが、得体の知れぬ槍というか棒のようなものを地面に刺したりしているんだが、ありゃなんなんだ? あれ、ロキだけが知ってるという、なんたらの場所へ行くため、ソーがロキを解き放って一緒に向かうのは、その前の話だっけか? あれ、あのときだっけ、ジェーンの携帯が地球とたまたまつながってしまうのは? とかなんとか、よく分からないまま話が進み、ソーとロキの母が死に、ロキも簡単に死んでしまう。なんとかマキレスの陰謀も阻止し、一件落着。ソーは父親に「私は王位は継がない」と地球に行ってジェーンと熱いキスをするんだが。ハンマーをもったあの姿で地球で生活するつもりなのかしら。 ところで。王かと思っていたら、実はロキだった、ってネタバラシがあるんだけど。ありゃいったい何なんだ? じゃ、死んだロキはだれなの? ロキはいつから王だったの? とか、疑問だらけ。さらに、クレジットが終わると、自作の予告なのかベニチオ・デル・トロが登場したりする。なんか、アメコミの世界を実写化した「マイティ・ソー」はよく分からないことだらけで、飽き飽きしてしまうであるよ。 地球編が少しだけどあるから耐えられたようなものの、それ以外は極めて退屈。それにしても、ナタリー・ポートマン、アンソニー・ホプキンス、ベニチオ・デル・トロとかがこの手の映画にでなきゃいけない理由は、どこにあるんだろ。 しかし、浅野忠信は4カットぐらいでただけで、セリフも「じゃあな」程度の扱いで、登場する意味があるのかどうか、はなはだ疑問であるよ。 |