2014年3月

父の秘密3/6ギンレイホール監督/ミシェル・フランコ脚本/ミシェル・フランコ
原題は""。allcinemaのあらすじは「愛する母ルシアを交通事故で失い、悲しみに暮れる娘のアレハンドラと父のロベルト。2人は新天地でやり直そうとメキシコ・シティに移り住む。しかしロベルトは深い喪失感を抱えたまま、一向に立ち直れずにいた。一方アレハンドラは新しい学校でクラスメイトと打ち解けていくが、ひとつの事件をきっかけに激しいイジメの対象になってしまう。どんどんとエスカレートしていくイジメにも、たった一人で耐え忍ぶアレハンドラ。だが、心にぽっかりと穴の開いてしまったロベルトは、そんな娘の異変に気づくことができず」
最初のうちは話がよく分からない。どうやら父と娘が乗用車で転居の途中らしい。振り返ってみて、必要なのかどうか分からないようなカットもあったりする。↑のあらすじで見ると「悲しみに暮れる」とあるけど、映像ではその気配すら見えない。
次第に分かっては来るんだけど、母親の事故死と転居と、どう関係があるのか。さっぱり分からない。想い出の多い家に住んでいられない、ということか? そりゃ個人の問題だよな。さて、父親は雇われシェフで、転居先で見つけた職場をあっさり辞めてしまう。どうも部下の調理人2人がおしゃべりだから、みたいな描き方をしているんだけど、これは結末への伏線のつもりなんだろうか。でも、父親が短気である見せるには、説得力のないエピソードだよな。で、次の職場が決まるまで、アレハンドラが件の店に行って部下だった調理人に指導みたいのをしているシーンがあるんだけど、あれはなんなんだ?
転校生としてのアレハンドラがどういう扱いを受けるのか、の描き方がアバウトすぎ。さっさと仲間をつくって遊びまくってるんだけど、教師もそんなに登場しないし、他の同級生も描かれない。なんか、いまいちな感じ。
というなかで、さっそく尿検査でマリファナが引っかかる。ということは、ちょっとワルと言うことか。しかし、別荘でのアバンチュールに参加し、男の子にハメ撮りを許すというのは、すでにヤリマンだったってことなんだろうな。でも、15、6歳だろ。バカか。でその画像を早速Webで拡散されて、同級生にひやかされるんだが、これはもうアレハンドラがアホである。
ここで思い出すのが三鷹女子高生ストーカー事件。被害者の女の子が、かつての恋人にエロ画像をWeb上にアップされたあの事件だ。流出させたのはハメ撮りした相手のホセなのか? 真相は分からないけど「携帯を盗まれてアップされた」なんてのはウソに決まってる。本人もうまくハメられた、ってことなんだろう。ってことは、仲間だと思っていた連中はみんなグルで、アレハンドラをみんなでハメたのか? よく分からないが、一見して爽やかヤンキーな生徒たちなので、このドロドロぐあいがいまいちグサッとこない。
しかし、ハメ撮り画像をアップされてもなお登校してくるアレハンドラのあの態度はなんなんだろう。日本では考えられないよな。そんなアレハンドラがメンバーに徹底的にいじめられ尽くすんだけど、このイジメの原因が何なのか、さっぱり分からないからいまいちグサッとこないのだよな。
その後、アレハンドラはまずいケーキをムリやり食わされたり、同級生の男子に輪姦されたり、少年たちに小便をかけられたりもする。それを同級生の男女が笑ってみているんだから、メキシコ人って空オソロシイと思ってもしょうがないだろ。もちろん映画だとは分かっているけど、ああまで極悪非道に描くのか。やっぱり現実にあるようなことだからなのかな。
ハメ撮り画像を携帯で「ほら」とアレハンドラに見せつけた少年がいて、それを払いのけたら携帯が壊れた。だから弁償しろ、という話になるエピソードがあった。双方の親と教師、当人も集まって事実関係が調べられるのだけれど、少年は悪びれず「こいつが壊した」といい、アレハンドラは否定しない。もちろん、ハメ撮り画像が教師や父親にバレるのを恐れているんだろうけど、それにつけ込む少年たちに良心はない。
とは思うんだけど、いっぽうで、生徒のほとんどが知っているようなことを、教師が知らないということがあるんだろうか? いずれバレるよな、と思ったのも事実。
もし日本でシナリオが書かれたら、正義の心を持つ、あるいは、「やめろ」と言えない自分に葛藤するような生徒が配置されるはずだ。または、ワルの中にも良心の呵責に耐えられず外れていくような生徒も描かれるんじゃないかと思う。でも、そういうバランスは一切取られていない。ここが彼我の違いなんだろうか。コワイ。
海岸で小便をかけられたアレハンドラは、ひとり海に入っていく。すると悪の一人が「1人だけ濡れているのはまずい。みんなで入ろう」と海水に浸かるんだけど、それは林間学校みたいなところでの出来事だから。で、みんなが水から上がっても、アレハンドラは見当たらない。にも関わらず一同は部屋に戻り、そのままぐっすり寝てしまう。翌日、アレハンドラの不在に気づいた教師が問い詰めても、どれほどのことをしたのか理解できない生徒たち。アレハンドラと同じように濡れていないとまずい、と工作するような生徒が、同級生の死の可能性に気がつかないって、変だろ。というか、メキシコじゃこれがフツーなのか?
アレハンドラは溺れていなくて、海から上がってひとり昔の家に向かうのだけれど、アクションが遅すぎるだろ。いっぽう、娘が溺れた可能性を知らされた父親は、ハメ撮り画像のことも知って逆上。ハメ撮り相手のホセを誘拐し、海に放り投げてしまうんだけど、なにこの直情径行。目には目を、の報復しちまうのかよ。それじゃ何も解決しないよ。真相追究しろよ、と思ったけど、まあ映画だからな。
わからないのが、アレハンドラ。彼女は世間的にどのぐらいのワルなんだ? 高校生ですでに淫乱で、マリファナ吸って酒飲んで。っていうのは、まともな方なのか、極悪の部類に入るのか、よく分からない。だから、同情されるべきなのかどうかも、よく分からない。いじめから逃げようともせず、されるがまま。最後の最後に逃げるけど、遅すぎるよな。で、元の家に戻ったと言うことは、母親が懐かしい、ということなのか。じゃあ転居しなければよかったじゃないか。といっても転居の理由が分からないから何とも言えないんだけど。
・妻が事故死したクルマを直して乗る、というのが冒頭の場面らしい。しかし、そんなクルマにフツー乗るのか、メキシコは?
・冒頭の自動車修理工場から道路への長回し。ラストの、ホセを沖合まで連れていき、放り投げて戻ってくるところの長回し。あんまり意味がないように思うんだが。とくにラストの長回しは、ホセ役の少年は溺れてないのか、少し心配になった。ははは。
・ワルい同級生たちの一人ひとりの顔がぜんぜん見えないが残念。もっと描き込めばいいのに。
恋するリベラーチェ3/7キネカ大森監督/スティーヴン・ソダーバーグ脚本/ リチャード・ラグラヴェネーズ
原題は"Behind the Candelabra"。allcinemaのあらすじは「絢爛豪華なショーで一世を風靡する希代のエンターテイナー、リベラーチェ。人気絶頂の1977年、彼はハンサムな青年スコット・ソーソンと出会う。そしてリベラーチェに見初められたソーソンは、ほどなく住み込みの秘書となり、彼の豪邸で2人だけの愛を育んでいくのだったが」
実話らしい。こんなど派手なピアニストがいたのだね。そして、おばさま方に大人気とは。日本でいったら松平健か梅沢富美男? しっかし、あそこまで派手派手にしてて、ゲイと知られていなかった、って、ウソだろ。あれじゃみんな分かるだろ。いや、分かっててマスコミ対策していたのかな。
ソーソンを演じるのはマット・デイモン。これが、全編を通じて顔の変化がもの凄い。最初は少年のようなすべすべ顔でマッチョ体質。それがリベラーチェと一緒に住むようになると、贅肉太り。そして、整形してアゴや鼻が尖る。いったいどうやったんだ。『ベンジャミン・バトン』みたいにCG使いまくりなのか? それほど金のかかった映画にゃみえなかったんだが。
リベラーチェのマイケル・ダグラスも凄い変身ぶり。オカマしゃべりで変態臭がぷんぷん。しかも、実はハゲだったというシーンがあるんだけど、あのハゲはつくりもののハゲだよな。それにしちゃうまくできてた。
リベラーチェは、ソーソンに自分の若い頃と同じ顔になれ、と整形を要求するんだけど、そのとき、ソーソンはかすかな抵抗をする。アゴに凹みを付けるのだけれど、あれは実話なのか。それとも、マイケルの父親、カーク・ダグラスを意識してのことなのか。どうなんだろう。
ソーソンがゲイバーに行き、知り合った男がリベラーチェの知り合いで。たまたま楽屋に行ったら気に入られ、飼い犬の目薬を提供することがきっかけで、リベラーチェのところで働くことになる。このあたりの、ある意味でソーソンのサクセスストーリーの部分は面白い。とくに、飽きて捨てられるゲイの代わりにソーソンが屋敷に入る、なんていうところは、ラストの伏線にもなっているし、『イヴの総て』の時代からのお馴染みの表現だな。
しかし、楽しいのはマット・デイモンとマイケル・ダグラスの濃厚なキス、そして、あやうい絡みだな。役者ってたいへんだなあ、と思う瞬間。日本じゃここまでやる役者はおらんだろ。とか思ってしまう。
話が停滞し出すのは、ソーソンが整形するあたりから。いやいや整形し、どうやら養子縁組の話も進み、家やクルマももらえて…というソーソンは、麻薬に手を染めだて、リベラーチェからもらった指輪やブレスレットをどんどん手放していく。のだけれど、これが突然なので、いまいち説得力がない。また、同時に描かれるのは、個人行動できない息苦しさなんだけど、これで2人は喧嘩になってしまったりする。どうやらソーソンは両刀遣いで、それでたまには女を抱きたいとか、あるいは別の男と関係したいというようなことがあるのか。でも、そんな描写はない。その代わり、2人で酔っ払ってビデオ部屋に出かけていったりする。この辺りの話の整理がついていなくて、なるほど嫌い嫌われていくのか、というような離反の様子がひしひしと感じられなかったのだよね。
話がまた面白くなり出すのは、リベラーチェが別の若い男に興味を抱き始め、ソーソンに冷たくあたる辺りから。やっぱ、こういうドラマがないと、つまらない。最初の頃にソーソンが楽屋に行ったとき、ふて腐れていた若手がいたけれど、ソーソンはその若手と同じような様子になってしまう。そして、とうとうリベラーチェの家を追い出され、というより、ソーソンの従兄だか兄弟がやってきて、さらに精神病院の看護師や、あれやこれやが寄ってたかって排除するといった案配で、やっと出ていくことになる。
わからないのは、ソーソンはリベラーチェを本当に好きだったのか。それとも方便だったのか。方便でリベラーチェをバックで責めていたのか。いや、それができるのは、凄いことだけど。
ソーソンは、責めるだけでさせなかった。ケツに入れられることを、忌み嫌っていたようだ。それが元でリベラーチェに嫌われたのか? などなど、要素は散りばめられているけれど、どこにも「なるほど」感がないのがちと物足りない。
というわけで最後は裁判沙汰になるのはアメリカの芸能界のお定まりだから驚かない。むしろ、リベラーチェがエイズになり、ベッドに横たわったままソーソンに連絡をとり、会うというのがよく分からなかった。数多く居たであろう若いゲイの中で、ソーソンにそんなに気があったのか。それとも、リベラーチェはむかし関係した男たちを順に呼んで別れを惜しんでいたのか。どうなんだろ。
ゲイの映画のせいか、若い女性がほとんど登場しないというのは、やっぱ、辛いな。ははは。
ムード・インディゴ うたかたの日々3/7キネカ大森監督/ミシェル・ゴンドリー脚本/ミシェル・ゴンドリー、リュック・ボッシ
(ディレクターズカット版)。原題は"L'?cume des jours"。allcinemaのあらすじは「お金に不自由せず、働かずとも優雅に暮らす気ままでナイーヴな資産家コラン。ある日、無垢な魂を持つ美女クロエと出会い、一目で恋に落ちる。そのまま愛を育み結婚した2人。ところが、そんな幸せな日々は長くは続かなかった。ある日突然、クロエは肺に睡蓮の花が咲く奇病に冒されてしまったのだ。コランはクロエを救うべく奔走するが、高額な治療費のために彼の財産は底をついてしまう。そこで人生で初めて働き始めたコランだったが」
95分のインターナショナル版があるらしいが、これはオリジナルなんだろう。とはいってもほとんど関係ない。だって大半、寝てしまったから。
この手の映画は嫌いではない。『地下鉄のザジ』とか、まあ『アメリ』も似たようなものか。ストーリーというより"世界"を描くような映画。ファンタジーに満ちているし、不可思議な映像は楽しい。のであるが、あまりにも物語が希薄で映像の面白さエキセントリックさに傾いていると、次第に睡魔が襲ってくるのだよ。これも、その手の映画のひとつかも知れない。
はじまって2、30分で眠ってしまい、目覚めてからはちゃんと見られるだろう、と思っていたらまたしても寝てしまい、以降、寝たり起きたりをなんども繰り返す夢うつつ。結局、ほとんどなにも見ていないのと同じになってしまった。サルトルとボーボワールみたいなのが登場していたのはなんとなく覚えているよ。そんな程度。波長が合いすぎて、気持ちよく寝られた、ということなのかもね。
ハリケーンアワー3/10新宿ミラノ3監督/エリック・ハイセラー脚本/エリック・ハイセラー
原題は"Hours"。allcinemaのあらすじは「巨大ハリケーン“カトリーナ”の直撃によって壊滅的な打撃を受けたニューオーリンズ。都市機能はマヒし、暴徒による略奪が横行する混乱状態に。そんな中、病院で我が子の誕生と引き換えに、一人の女性が亡くなる。夫のノーランは絶望に打ちひしがれるが、さらに悪いことに、早産だった赤ん坊は最低でも48時間は人工呼吸器の助けが必要な状態だった。追い打ちを掛けるように、院内は全棟が停電、ついにノーランと赤子を残して医師や看護師たちも全員避難してしまう。自家発電も使えなくなり、人工呼吸器を維持するためには、1回に3分しか充電できない手動のバッテリーをたった一人で動かし続けなければならないノーランだったが」
ポスターは、拳銃を手にしたポール・ウォーカーのアップ。背後では巨大ビルが崩れ落ち、爆発も。ヘリも飛んでいる。惹句は「壊滅した都市 現れた武装略奪集団 我が子を守る 48時間」なかで「48時間」が大きな字になっている。しかし、かなりなウソである。ビルは崩れないし、飛んでくるのは救助ヘリ、主人公は拳銃を手にした…っけ? 都市は壊滅したけど、ポスターみたいな爆発ではなく、ハリケーンで被害をこうむったもの。略奪犯は、単独のが1度、2人組が1度の、計2回だけ。我が子を守るはホントだけど、「48時間」を大きくしているのはヒット映画『96時間』を意識したものか。何か、すべてに安っぽさが漂っとる。まあ、中味を見たら、派手に宣伝したくなるのは分かるけどね。
実際は"あらすじ"にある通りで、3分おき(次第に短くなって最後は1分30秒ぐらい)に充電器を延々と回し続けるという、かなり地味な話だ。話の大半は病院内で進み、暴徒による略奪の横行などは映像として登場しない。ましてビル崩壊など、どこにあった? である。状況の変化を伝えるのはCNNのニュース画像。あとは、妻アビガイルとの思い出場面ぐらいなもの。
設定は面白いと思うんだよ。でも、それをスリルとサスペンスに仕立てるシナリオと演出がなきゃな。それに、結末はなんとなく分かっているわけで。どうせ助かるんだろ、と観客は思っているのだから、そこまで波瀾万丈をつくりださなきゃしょうがないだろ。延々とクランクを回すノーランの姿を見せられても、ちっともハラハラせんですよ。
執刀した医師が、「ずっとここにいるから」といいつつ、搬送業務に携わり、でも引き返せなくなってしまったとか。あるいは、看護婦が居残っていたはずなのがいつまのにか居なくなって、次に登場したときは略奪犯(黒人)に撃ち殺されてるって、なんだよそれ。黒人略奪犯は単独で、でもノーランを撃つつもりはないらしいではないか。なのに、なぜ看護婦を撃ったのか? はなはだ疑問。それと、あとからやってくる2人連れはヒスパニックで、これみると略奪犯は黒人とヒスパニックだよ、と言われてるみたいで、どーもな。
それに、3〜2分程度の充電時間で、あんなに院内をうろちょろできないだろ。ウソはいかんよ。
ラストは、お定まりな感じで。クランクが壊れて充電できなくなり、絶望の果てに疲労と睡魔が…というところに救助隊。これは、犬が連れてきたらしいが、まあ、それはいい。それで、保育器の中の娘が気になるんだけど、想像通り、48時間たったので自発呼吸できるように成り、泣き出した、と。はいはい。予定通りですな。
もっとテンポよく、ハラハラドキドキさせてくれなきゃな。そして、睡魔と疲労との戦いであることを、持っと描く必要があると思う。はたまた、ニューオリンズのどのあたりに、どういう感じで取り残されたのか、というのが分かるような俯瞰ショットも欲しいな。ノーランが発電機の知識なんかがあるのは、ご都合主義だが、まあ、しょうがないだろ。
眠れる美女3/14ギンレイホール監督/マルコ・ベロッキオ脚本/マルコ・ベロッキオ、ヴェロニカ・ライモ、ステファノ・ルッリ
原題は"Bella addormentata"。allcinemaのあらすじは「2009年、イタリア。21歳で交通事故に遭い、以来17年間植物状態のままの女性エルアーナ・エングラーロ。延命措置の停止を求める両親は、長い法廷闘争の末、ようやくその訴えを認められる。しかしカトリック信者を中心に、この判決への反発は高まり、彼女の延命措置の停止を受け入れる病院はなかなか見つからない。その一方で、議会では判決を無効にする緊急法案の審議が始まり、イタリア全土が騒然としていた。<第一の物語>議員のウリアーノはこの法案の賛成派に属していたが、彼自身は賛成票を投じるか悩んでいた。なぜなら彼もまた、かつて妻の延命措置の停止を決断した過去があったのだ。以来、娘のマリアは父に対して距離を置くようになっていた。<第二の物語>医師のパッリドは、病院で自殺願望のある女ロッサと出会う。パッリドの目の前で手首を切った彼女は、一命は取り留めたものの、昏睡状態のまま意識が戻らない。そんな彼女をなぜか放っておけないパッリドだったが…。<第三の物語>植物状態の娘ローザを看病するため、輝かしいキャリアを投げうった元女優。女優としての母を尊敬していた俳優志望の息子フェデリコは、娘に全てを捧げようとする母のことが許せず、不満を募らせるが」。
↑のあらすじを読んで、なるほど、と思った。というのは↑のあらすじの最初の部分、つまりは背景の部分が簡単に字幕で紹介されるだけなので、分かりづらいのだ。これが分かっていないと、理解は深まらないと思う。とくに議会で法案を云々の部分は、なにやってんだ? な気持ちで見ていたぐらいだから。つまり、イタリアの議会制度、政党会派、宗教、倫理観とかの理解がないと、辛いと言うことだ。
議員の話は、分かりにくい。というのも時制をかなり入れ替えているので、ウリアーノが娘に嫌われている理由がなかなか分からない。途中で、病身の妻の延命装置を外しているシーンがあったので、なるほどね、とは思ったんだけど、それがいつの話なのかがわく分からないままだ。↑のあらすじをよむと「かつて」となっているので、かなり前なのかも知れない。しかし、見ている途中では、議会の最中に妻の病室に行っているように見えないこともない。というか、最中に妻を逝かせたともとれる場面もある。まあ、編集がヘタなんだと思うけど、なぜにこの話だけ時制をいじるような小細工をしたのか、意味不明。
それにしても、エルアーナの延命をめぐる争いがどういう軸でなされているのか見えないので、いまひとつピンとこない。とくに、審議の途中でエルアーナが死んでしまったせいで、ウリアーノの党議拘束違反がうやむやになってしまう件は、よくわからない。彼は、個人的には延命措置の停止を認める法案には反対。でも、属する社会党は賛成。中間に説得されるが、離職覚悟で反対票を投じるつもりでいたのに・・・という話なんだけど、なんでエルアーナが死ぬと、審議までなくなってしまうのだ? それと、ウリアーノ自身は妻に請われ、延命措置を停止した過去がある。ならば、賛成してもよさそうなものだけれど、なぜに反対なのだ? いや、その前に、延命装置を外して、なんの咎も受けなかったのか? が、疑問。
というか、そもそも、なぜカトリックの国イタリアで、延命措置の停止が法的に認められ、それを支持する政党が多数(?)を占めるのか、それが分からないと、理解は深まらないと思う。
この話では、娘の行動も同時に描かれるんだけど、彼女は延命措置の停止には反対なようだ。だからエルアーナが収容された病院に行って、停止されないよう祈ったりしているわけなんだけど。たまたま入った喫茶店みたいなところで、青年にいきなり水をかけられる。なんだ? と思っていたんだけど、なんのことはない、青年は情緒不安定な精神障害者で、連れの青年と知り合って恋に落ち、その日のうちにベッドイン…って、どんだけ尻軽なんだ。そもそも青年2人兄弟がエルアーナの収容された病院のまわりをうろついているのも妙。弟は、ウリアーノの娘をずっとうさん臭い眼で見ていた。エルアーナのために祈る障がい者に乱暴しようとして逮捕までされている。それでも単なる情緒不安定? そんな弟をつれ、わざわざホテル住まいしている兄って、なによ?
で、娘は、恋をして「見えていなかったものが見えた」と父を許す気になるのだけれど、それは、ウリアーノが妻の延命装置を外した後、妻を抱きしめている場面を見た、ということらしい。それまで、父への反抗心で、すっかり忘れていた場面が蘇ったらしいけど、アホか、な展開だろ。
ところで、ウリアーノの妻は植物状態ではなく、意志をしっかりもっていたなあ。
2つめの話は、自殺念慮の女性が生きる意欲を持ち始めるという、手垢の付いた話。自殺の前、病院のまわりでたかり、かっぱらいなんかをしていたから、常習の問題女かと思ったら、病院内でいきなりリストカット。それを救った医師がいて、彼が寝ずの番。目覚めた彼女かせ窓から飛び降りようとしたのをまたまた救い、信頼関係が生まれた、みたいな描き方なんだけど、理想に過ぎて安っぽい。彼女の過去も見えないし、自殺の理由も分からない。ありゃもう病気だろうから、人のいい意志に出会ったからって、いずれまたやるぞ、としか思えなかった。
しかし、彼女が寝ているのは、手首を縫ったかした後の数時間だろうに。この映画の主たるテーマとどう絡むんだ? それにしても、彼女がまだ寝ているのに、「上が退院させろと…」だからと看護婦に退院させようとする医師がいるというのは、そりゃなんなんだ?
というわけで、3つめの話。ここでの眠れる美女は、若い娘。こちらは完全なる植物状態。両親は役者で資産家らしく、専任の看護婦が何人もついている。という状態なんだけど、生かしたいと思っているのは母親だけで、息子(兄)はむしろ殺したいと思っている。実際に延命装置を外したりするんだけど、そんなことしても母親のためになるどころか嫌われるだけだろ、と思ってしまう。妹のせいで才能ある母親の役者生活が台無しになっている…と思っていて、でもひどいことに父親には「あんたは大根」と言ったりする。でも、母親とは一緒に住んでいなくて、父親と住んでいるみたい。つまりは、眠れる娘に取り付かれた母親、ということなんだけど、いまいち何を言いたいのか分からない。母親が寝たまま手を洗う仕草をするシーンがインサートされていたけど、潔癖症を示唆して何になるんだ、な感じ。
というわけで、エルアーナの延命措置の停止と法案審議の裏で、3人の眠れる美女がいましたよ的な話なんだけど、どれも迫ってこなかった。それは倫理的にどうとか、宗教的にはとか、医学的には…という視点で生と死を考えるという視点がほとんど抜けているからだと思う。結局のところ、3つの話とも、つくりごとで情緒的なんだよな。唯一、「決断」という具体例がでてくるウリアーノと妻の話も、その葛藤からは目をそらしてしまっている。ハラハラドキドキしないし、自分だったら、という置きかえもできない。対岸の火事のような感じだ。
で、個人的な見解を言うと、装置を接続していないと死んでしまう状態で、意識がないとしたら、それは死んでいるのと同じだと思う。だから、そこで装置を外したとしても、それは殺人にはならないだろう。なので、この映画において役者の娘は、死んでいる。ウリアーノの妻は、寝ていない。あれは、生きる苦痛からの解放というテーマで語られる話だ。自殺願望の女性の話は、エルアーナの延命問題とは関係がないと思う。まあ、「生きたいのに死ななければならない人」「生かしておきたい人」に対するアクセントとして、「生きられるのに死にたい人」をおいた、というようなことかな。彼女を"希望"に譬える意見もあるようだけれど、彼女に希望はない。いずれまたやる。間違いない。
・エルアーナはどういう状態だったんだろう。植物状態なのか? それで17年? 家族が悲惨だ。で、彼女の死は、自然死なのか? 延命装置が停止されての死なのか?
・エルアーナがいつ死ぬかで賭けをしていたのは、あれは病院の麻酔医?
・ウリアーノの尻軽娘って、何歳の設定なんだろう。オバサン顔だったけど。ウリアーノは60以上に見えるんだが、すると、遅くできた娘? とか考えてしまうだよ。
アメリカン・ハッスル3/18新宿武蔵野館3監督/デヴィッド・O・ラッセル脚本/エリック・ウォーレン・シンガー、デヴィッド・O・ラッセル
原題は"American Hustle"。allcinemaのあらすじは「太鼓腹で一九分け頭のアーヴィンは、愛人にして相棒のセクシー美女シドニーと完全犯罪を続けてきた天才詐欺師。そんな2人はある時ついに捕まってしまう。ところがイカれたFBI捜査官リッチーは、もっとデカいヤマを狙ってアーヴィンに捜査協力を迫る。こうして危険な囮捜査をするハメになったアーヴィン。やがて彼らのまいたエサに期待以上の大物が引っかかってくる。そんな中、嫉妬に狂ったアーヴィンの妻ロザリンの予測不能の行動が作戦全体を混沌へと陥れてしまい」
つまらなくはないけれど、喝采を送るほど面白くもない。アカデミー賞にノミネートされるほどなのか? というのが正直なところ。っていうのも、話自体はフツーで、むしろ登場人物がちょっと変な奴ばっかり、ってな印象だから。とはいいつつも、話自体に分からないところもいくつかある。アーヴィンは詐欺師のようだけど、ロンドン銀行に顔が利くからと5千ドル手数料を掠めて…って、どうやってそんなことが長くつづけられるんだ? 融資はまだかと依頼者に催促されるだろうに。しかも、その場だけの詐欺でトンズラするわけじゃなく、事務所を開いているんだろ? あと、絵画のプローカーだけど、あれはどういうものなんだろう。あれも半ば闇なのか? たんにテンポが早いからというだけでなく、字幕が短すぎるからとか、あるいは米国のシステムに不案内なせいなんかもあるのか、いろいろピンとこないことがたくさんあった。
で、アーヴィンとカーマインは、FBIの罠にはまって逮捕された、のかと思ったら、小切手を受けとったのはカーマインで、アーウィンは捕まらなかったのか? というか、カーマインもすぐ保釈かなんかになったみたいで、そのあたりもよく分からない。で、2人はFBI捜査官リッチーから囮捜査の依頼を受ける。さもないと逮捕…と。司法取引なのか?
最初、リッチーは、詐欺仲間を4人だか5人逮捕させろ、てなことを言ってたよな。それが、どういうわけだったか忘れたけれど、アトランティック市長カーマイン(ジェレミー・レナーの髪型が異様で変)の収賄を暴く話になり、ターゲットは議員に。さらには、カーマインが誘致しようとしているカジノがらみでマフィアまで一網打尽にしよう、と話がどんどん大きくなっていった…ということで、いいのかな?
この映画、スマートなやつは登場しない。アーヴィンはハゲ隠しに懸命で、腹はぶよぶよ。なんだけど、演じているのがバットマンのクリスチャン・ベイルなんだよ。あの垂れ下がった腹はCGなのか? そのアーヴィンの愛人イーディス(本名はシドニー)は、真実の顔がよく分からない女だったりする…。FBIのリッチーがこれまた誇大妄想みたいなやつで、コメディアンかと思うような躁状態。この3人がチームを組んでカーマインに接触するんだけど、この過程がよく分からなかった。接触前にどっかの美術館で絵を見ながら打ち合わせするシーンがあるんだけど、どういう意味合いなのかピンとこず。そして、だれのどういうツテをつかってカーマインに接触したのか、よく分からなかった。冒頭に登場するシーン、すなわち、3人がカーマインに接触するとき、カーマインの横に金髪の男がいたけど、あいつが絡んでいるんだっけ? 忘れた。というより、やっぱ、名前だけで字幕に登場するようなことが多い映画なので、付いていけないことが少なくなかったと思う。
いちばん魅力的なキャラは、アーヴィンの妻のロザリンだな。あのぶっ飛びさ加減。責められても非を認めず、自信を持って相手をののしる真正バカ。でも色っぽくてカワイイ。他人からは好かれる。正直でおしゃべりで、でも他人の言うことには耳を貸さない。すごい女だ。どうしてアーヴィンがロザリンと結婚したのか、意味不明だ。
あと、アーヴィンは、いまではロザリンをうっとうしく思っているのは分かるとして、彼女の連れ子の少年が好きで、これからも一緒にいたいほど愛くるしく思っている、という件が理解できないよ。
で、分からないところはたくさんありながらも、後半から話が転がってきて面白くはなってくる。カーマインとの接触、信頼を得てアーヴィンはカーマインと親友になる。イーディスはリッチーに惹かれていき、リッチーもまんざらじゃない。正式な場にでることになって、アーヴィンはロザリンを伴うことが多くなり、でもそこで愛人のイーディスと遭遇し、火花を散らす。このあたりの人間関係がどろどろに絡んで、面白くなってくる。
で、あれなんだよな、カーマインは市に労働をもたらそうとカジノを企画していて、出資者を求めていた。そこに、アーヴィン等が「実はアラブ人が」といってすり寄るんだったったけ。アラブ人はFBIの偽者で実はメキシコ人。見せ金はFBIが200万ドル用意して…。そしたら、カーマインが全米のカジノの黒幕=マフィアをパーティに呼んでいて…。リッチーがまたまたハイテンションになってしまう。そういえば、伝説のマフィア、テレジオ(デ・ニーロだったな)がアラブ語で偽アラブ富豪に話しかけ、緊張が走る場面があったけど、その前に「アラブ語は話せる」といっていたよな。別に盛り上げるシーンでもないと思うんだけど。でそのアラブ人の出資にあたって、米国籍を取得していないと認められないということで、カーマインは早期取得の実現のため、議員に賄賂を送る、という場面をFBIは録音し、これで議員の収賄は決定。さらに、テレジオの弁護士のもとに出向き、その場から200万ドルをテレジオに送金し、弁護士のオフレコ話も録音。これでマフィアも逮捕だ! と思ったら、なんと…この弁護士は偽者でアーヴィンの知り合い。アーヴィンは「200万ドル返して欲しければ、俺たちを無罪にすること。カーマインを減刑すること」という約束を取り付けて、一件落着…という話だった。
おお。という『スティング』もどきのドンデンは偽弁護士の件だけで、あとはいまいちな詐欺だった。
しかし、何でも知りたがりで口の軽いロザリンが、つき合うようになっていたマフィアのひとりにリッチーが公務員であることを告げたばっかりに…という場面があったり、ロザリン大活躍だった。そのロザリンは、離婚は嫌だと言っていたけど、結局、別れてマフィアとつき合っているのが変。
リッチーは、最後の最後に手柄が消えてしまって意気消沈。アーヴィンとイーディスはよりを戻し、悪事から足を洗って絵画の商売に、って、アーヴィンにそういう目がちゃんとあるっていうのが、不思議だね。
カーマインがくれた電子レンジを、一瞬で壊してしまい、でもへこたれないロザリンが素晴らしい。
イーディスとリッチーがいい感じになり、セックスを…というとき、イーディスは「ロンドン訛りはウソなの」とリッチーにバラしたのは何でなんだ? すべて正直に話してリッチーとセックスしたかったから?
リッチーの上司は経費のことで渋る。なのでリッチーはそのまた上司に訴えてあれこれ話を進めてしまう。そういえば、直接の上司が語る、氷上での釣りの話とか、細かなサイドストーリーが豊富なのは楽しい。けど、あまりにもそういう細部に神経が行きすぎて、本論がいまいちな感じもしなくはないですな。
リディック:ギャラクシー・バトル3/18シネマスクエアとうきゅう監督/デヴィッド・トゥーヒー脚本/デヴィッド・トゥーヒー
原題は"Riddick"。allcinemaのあらすじは「遥か遠い未来。かつてネクロモンガー族の最高位、ロード・マーシャルの座に君臨していたリディックは、司令官ヴァーコの罠にハマり、荒涼とした大地が広がる見知らぬ惑星に置き去りにされてしまう。彼は満身創痍でサバイバルを続け、ついに無人のシェルターを発見する。さっそく非常用ビーコンを発信し、救援を求めるリディック。すると、それに気づいた賞金稼ぎたちが彼の首を狙って集まってくるのだったが」
リディックが砂漠でうろうろし、サソリみたいな怪物と犬みたいなのに追われて…なんていうところで寝てしまった。だって話がなかなか始まらないんだもん。で、ふと気づくと男が捕獲していた黒人女を逃がし、背後から射殺するシーンだった。以降、ずっとリディックは登場せず、すでにシェルターにいた荒くれ賞金稼ぎ(と、途中で分かった)に、新たな賞金稼ぎ(らしい一団)が加わって…の話がつづく。しかし、ほとんどドラマが起きない。賞金稼ぎ同士のイニシアチブの争いも、簡単にカタが付いてしまうし。新賞金稼ぎの紅一点ダールも、逞しいだけで色っぽさは皆無だ。
この映画、つづきもの(=シリーズ)なのか。冒頭から何これ状態でなのはそのせいなのね。起きてからはちゃんと見たけど、映画をここまで盛り上がりなく平板でつまらなく仕上げるというのも、それはそれで才能なのかも知れない。他の監督なら、きっと違ったテイストに仕上げたと思う。
リディックって、強いんだか弱いんだか、よく分からんな。あっという間に賞金稼ぎ3人をやっつけたと思ったら、以降はなかなか襲ってこない。簡単にやっつけられる場面もありながら、襲わない。てなことをしてると、突然、和平会談になり、呆気なく麻酔銃で撃たれてとらわれの身になってしまう。アホか。それとも、計算ずくで捕まった? とは思えんが。
それにしても、あの犬みたいのとは、いつのまにかお友達になっていたのね。寝てて気がつかなかったよ。
ところで、あらすじに「救援を求め」たとなっているけど、賞金首がだれに救援を求めたんだろう? どうやら10年以上逃亡しているような感じだったんだけど…。
荒くれ賞金稼ぎのボスに馬乗りされたダール、それを天井から見ているリディック…というシーンがあって、次の場面か、フツーに賞金稼ぎ同士があーだこーだ言ってるところになっていたんだけど、ダールはまた奴にパンチを食らわして逃げたのか? よく分からんな。
さて、よく分からんと言えば、バッテリーみたいのの存在がある。新賞金稼ぎに対して、荒くれのボスが、バッテリーのひとつを提出させ、それを金庫みたいなのに入れてしまう。それがないとシップが飛べなくなるらしいんだけど、そのバッテリーをわざわざリディックが盗んで、それで和平会談になったんだっけかな。しかし、そんな手間なことをせず、バッテリーを飛行艇に戻し、自分だけトンズラすりゃいいじゃん、と思ったんだが、いかがか。
あと、新賞金稼ぎのボスは、かつてリディックと運命をともにした青年の父親で、自分の息子が死んだことについてリディックを恨んでやってきたらしい。しかし、他の仲間は金で雇っているのかね。でも、リディックに、息子が最後、どうなったかを聞かされ、それを信じてしまう。で、サソリ怪獣に襲われ、後がない、というところをシップから光線銃を撃って助けるんだけど、なんか安っぽいな。
ラストも、生き残った賞金稼ぎ(新賞金稼ぎのボスとダール、あと青年?)たちが1台に、もう1台のシップにリディックが乗って円満な別れ、なんだが。ひょっとしてダールはリディックと行動をともにするのか? と思ったんだけど、あの別れの場面に出てこなかった、というのはなぜなんだ?
捕縛されていたリディックが、足をほどかれると、わずか5秒で荒くれ賞金稼ぎのボスをやっつけてしまう、しかも、蹴飛ばした剣で顔がまっぷたつ、という場面ぐらいかな、おっ、と思ったのは。でも、よくあるといえばそうなんだけどね、頭の断面が見えるというのも・・・。
早熟のアイオワ3/19新宿武蔵野館3監督/ロリ・ペティ脚本/ロリ・ペティ、デヴィッド・アラン・グリア
原題は"The Poker House"。←主人公が暮らす家が、こう呼ばれていた。allcinemaのあらすじは「1976年、アイオワ州の田舎町に暮らす14歳の少女アグネスは、三姉妹の長女。母親はドラッグ中毒の売春婦で、家には賭博や売春目的の男たちが出入りしていた。アグネスは幼い妹たちを守るために自らが盾となり、危険な日常を必死にサバイブしていくが」
2008年製作で今年公開の理由は、内容がつまらない、に尽きる。いまをときめくジェニファー・ローレンスとクロエ・グレース・モレッツが出演しているからの、場当たり的な公開だろう。つまらない理由は簡単で、ドラマがないからだ。ある1日を朝から夜まで描いているのだけれど、概ね漫然と写されるだけ。なにか事件が起きるとか(アグネス個人にとっての事件がひとつ起きるけど、受け身でいるだけだから、ドラマになっていない)、乗り越えるとか、成長するとか、挫折するとか、そういう部分がないから次第に飽きてくるのだよ。10歳のクロエちゃんがパンツ一枚でごろごろしてても、ロリータ趣味はないので何ともないし…。
父親は牧師だったけれどDVで、母子で逃げてきて、でもなぜ売春婦生活に堕ちたのかは説明がない。貧乏だから、では説明はつかないよな。貧乏でも堕ちないひともいるのだから。もともと変態な母親だったのかもしれないし。
でまあ、アグネスは母親のしていることを理解しているけど、末っ子のクロエちゃんはまだ理解していない。だから、夜は他家に泊まりに行って、昼間はバーで時間をつぶしていたりする。次女は、ちょっとおつむがいまいちな感じだったけど、どうなのかな。
そもそもアグネスの意志がみえない。どうしたいのか。ただ漫然と流されているだけ。かと思ったら、途中から、彼女は地元バスケチームのスーパースターと分かってくるんだけど、だったらだったで、もっと描き方もあったろう。ラストで、字幕で、アグネスはその後、アーチストを目指してどこどこへ行って、この映画を撮った、みたいなことがでてきて。監督の自伝的な要素があることがわかるんだけど、なんかな。アグネスに共感したり同情したりしにくい話になってる。
母親には黒人のポン引きだかヒモみたいのがいて、彼が毎朝集金に来る。彼は「そろそろアグネスにも客を取らせよう」とかいってて、母親もそのつもりでいる。けど一方で、アグネスはその黒人のことが好きだったりする。というのが理解できないところ。2人はしょっちゅうキスしているんだけど、黒人男は父をももむでもない。アグネスとしては、父親の代理のような接し方をしていたのかもしれないけど、無防備過ぎというか、バカじゃないのである。なんのことはない、いきなり口を押さえられてレイプされてしまう。のだけれど、キスしたりべたべたしつつの延長なので、なにをいまさら騒いでいるんだ? ぐらいにしか見えないのだよな。この受け止め方は、おかしいか?
そもそもアグネスは、生活環境からしたらかなりの優等生。オールAで、地元の新聞社で記事を書いている。他のバイトも優秀にこなしている。しかもスポーツも。ならどんどんそっち方面で仕事を見つければいいのに、なんで? な感じ。それに、貧乏といいつつ、結構な家に住んでいるし、ひどく困っているようにもみえないのだよな。もちろん次女は新聞配達に空き瓶改修もしている。でも、そりゃ小遣い稼ぎだろ、なレベル。要は淫乱バカ母親のせいだろ、問題は、な感じ。周囲が何とかしろよ、とも思ったりした。
しかし、アイオワあたりじゃ白人と黒人の差はあまりないのか。底辺白人は黒人レベルの生活で、だから友人も黒人だらけということなのか。そういう描写がないので分からない。
面白かったのは、クロエが行ってるバーにずっと居座ってる黒人のジジイ。盲目なのか、何かあると甲高い声で素っ頓狂なことを言ったりする。次女の瓶集めの仲間も、みな黒人。こちらは日本のホームレスレベルなのか。1976年頃のアイオワは、あんな感じだったのね。いまじゃどうなんだろう。
でまあ。最後はアグネスのその後を字幕で書いていたけど、それだけじゃもやもやだよな。里子に出されるかも、といっていた次女はどうなった。末っ子はどうなった。母親は? いろいろ気になることがたくさんあるじゃないか。それをほったらかしにしては、いかんよな。
というような具合で、脚本から見直してもらわないといけないレベルであった。
グロリアの青春3/20ヒューマントラストシネマ有楽町監督/セバスティアン・レリオ脚本/セバスティアン・レリオ、ゴンサロ・マサ
原題は"Gloria"。allcinemaのあらすじは「チリの首都、サンティアゴ。会社で責任ある仕事を任され、忙しく働く58歳のバツイチ女性、グロリア。子どもたちもすでに自分の手を離れ、孤独や更年期の不安を抱えながらも、それなりに独身生活を謳歌していた。そんなある日、彼女はダンスホールで年上の実業家ロドルフォにナンパされ、交際をスタートさせる。ところがロドルフォは、別れた元妻や子どもたちの世話を焼き続けていた。そんな彼の優柔不断な態度が癇にさわるグロリアだったが」
面白いかなと思いつつ見ていったんだけど、最後はなんだかよく分からないという。中途半端なまま放り投げたような感じ。新しいパートナーの裏切りに、ペンキ銃で復讐するという設定はできていたのかも知れないけど、あとはとってつけたようなところが多くて、いまいち説得力がない。とくに、新しいパートナーの性格は、かなりヘンテコ。2度も、突然の行方不明、その後の電話攻撃、というのは、首をひねるキャラクター。
で。グロリアは仕事もしている58歳。仕事もしている。10年以前に離婚して、息子と娘がいる。息子は離婚(?)して、でも子供は引き取っているらしい。娘は、スエーデン人とつき合ってる? それと、通いのお手伝いさんがいるのが驚き。一般人でもフツーに利用しているのかな。さて。不自由なのは彼氏と性生活。てなわけで、中年の出会いを求めて出会い系のクラブに出入りしている。そこで出会ったのが、遊園地を経営しているロドルフォ。こちらは1年前に離婚したばかりらしい。が、早速、気が合って行為に走るんだけど、衰えた身体が露骨に写り、交接の様子も描写される。うへ、な感じ。アラ還な方々が登場する映画で、ハードな交接シーンは、辛い。
つきあい始めは、高揚している感じ。その様子は面白い。で、息子の誕生日かなんかで、グロリアはロドルフォをみなに紹介されるのだが、集まったのは元亭主、息子、娘。あれ、息子の子供はどこかに預けたのかな。ところがグロリアは久しぶりに会った元亭主と盛り上がって、結婚式の時の写真なんかみて「この頃は愛があった」なんて騒いでる。元亭主もへべれけで、楽しんでる。居場所を失った感じのロドルフォ…。と思ったら、いきなり話が飛んでしまう。なんと、ロドルフォが行方不明。途中なのに帰ってしまったらしい。さらに、「ロドルフォが吐いたの」なんてセリフも。どうも、口に合わないものを食べて吐いたと言うんだけど、その描写はなし。さらに、元亭主のパートナーはほとんど登場しないという、変なというか雑な描き方なんだよな。必要な部分しか描かない、とでもいうような感じ。
その後、ロドルフォからの電話は無視してたんだけど、結局また会って、だらだら。旅に出ることにして、ホテルに着いた途端、ロドルフォの娘からの電話で、ロドルフォの元妻がガラス窓に突進してケガした、と。動揺するロドルフォ。グロリアは一旦、帰りかけるけど、さっさと衣服を脱いで素っ裸に…というこのシーン。グロリアの陰毛にボカシが入るのは、解釈の問題なんだろうか。そして、ロドルフォのパンツを降ろす…にボカシが入るのは当然としてもねえ。
ところが、気がつけば、またまたロドルフォがいなくなってる。元女房が気になって帰ったのか。グロリアはやけになって地元のバーで行きずりのオトコと一晩過ごし、気がつけば海岸で寝てるって、なんなんだよ。あれは、一発やったのか? それにしちゃ相手は40代のおっさんのようだつたけど。それにしても、ロドルフォはアタマがおかしい。なぜ黙っていなくなる、を2度もするのか理解不能。しかも、別れた女房の心配をする必要がどこにある? そんな気になるんだったら離婚しなけりゃよかったじゃないか。
というような案配で、サカリのついたグロリアも、ヘンテコおやじとつき合うことになったお陰で、ズッコケモード。あんぽんたんなロドルフォに仕返しとばかり、彼の遊園地で戦争ごっこに使っているペンキ銃を手にロドルフォの家に向かい、とぼとぼとコンビニ袋を下げて戻ってくるロドルフォに連射して鬱憤を晴らす、という話。なんか、最後はショボイ。
個人的な問題や社会的な位置づけとか、そういうのをもっと盛り込んでもいいような気もするんだけど、煮え切らない感じ。だって、元女房の世話するために、現恋人をほったらかすって、なんだよ、だよな。
久しぶりにボカシを見た。女性の陰毛は、ひとりでれんと横たわっているときはボカシなし。でも、これからセックスするというシーンでの、立位素っ裸の陰毛はボカシ。女性が男のパンツを脱がせるシーンでのチンコはボカシ。法則があるんだろうけど、なんか、首をひねるような感じだな。
しょっちゅう迷い猫がやつてくる。毛のない猫で、どっから入ってくるんだか知らないが、グロリアの所が好きらしい。という猫は、なんの象徴なんだろう。自由さ? 奔放さ? グロリアの心でも表しているのか。
じつはこの猫、二階の住人の飼い猫で、でもグロリアは二階の住人の妄言や怒鳴り声に悩まされていた。ちょっと精神がおかしな感じの声でずっと登場していたけれど、ラスト近くになってやっと姿を見せる。でこの住人の意味はなんなんだ? グロリアの欲望の表出? 欲望の対象がいなくなって、それで猫は安心して飼い主の元へとか?
そういえば、上階の住人がグロリアの部屋を自室だと間違えたとき落とした封筒、あれ、グロリアが拾ったはずだけど、何が入っていたんだろう。でもまあ、グロリアの欲望が消え去ったのだから、それが何であろうが構わないのかも知れないけどね。
猫について、お手伝いの婆さんが話していた、ノアの方舟と猫の話。ああいうティテールは面白いんだけど、有機的にいろいろ結びつかないのだよなあ。
ホビット 竜に奪われた王国3/20新宿ミラノ2監督/ピーター・ジャクソン脚本/フラン・ウォルシュ、フィリッパ・ボウエン、ピーター・ジャクソン、ギレルモ・デル・トロ
原題は"The Hobbit: The Desolation of Smaug"。allcinemaのあらすじは「魔法使いのガンダルフに誘われ、トーリン・オーケンシールド率いる勇敢なドワーフ一行の旅に参加した小さくて臆病なホビット族のビルボ。幾多の危機を乗り越え、目指すはかつてドワーフの王国があったはなれ山。しかしそこには、恐るべき竜スマウグも待ち受ける。しかも道中ではオーク軍が、トーリンの首を狙って執拗な攻撃を仕掛けてくる。そんな中、過酷な旅を続ける一行は、闇の森で獰猛な巨大クモに襲われ、間一髪のところをレゴラス率いるエルフたちに助けられるのだったが」
後から知った、3部作の第2弾。なーるほど。じゃ、分からないところがあってもしょうがない。たとえばビルボの持ってる指輪とか…。その他、第1弾を引きずっているわけか。なら冒頭にダイジェストでもつけてくれりゃいいのに。だいたい、見てても忘れちまうのだ。見てなかったら、余計にわからないだろ。
だいたい「ロード・オブ・ザ・リング」も見てるけど忘れてるからな。ホビットとかドワーフ、エルフ、オークなんてのも、そのまま言われると分からない。まあ、好きなやつだけ対象にしてるのかもしれないけどね。
というわけで、20分目ぐらいに沈没し(エルフに捕まった直後)、湖の街の男に助けられる辺りで気がついた。約50分目ぐらいだな。20分ぐらい寝てたかも。で、いったん終わってから最初の1時間ぐらい見直した。
まあ、要するに。話を追っていくだけで、人間ドラマがない映画はつまらないと言うことだ。CGでクマだのクモだのドラゴンだのが簡単につくれるから、そういうののアクションばかりがやたら長くなる。こっちは「どーせアニメと同じじゃん」と思ってしまうから、気が入らない。これがもっと短くても、人物のドラマ=挑戦、失敗、挫折、成長、恋…とかがあると、まあ、もつんだけど。この映画などは、そういうのはざっくりカット。
それだけじゃなくて、進行に関係のある出来事も簡略化・省略しているようなので、長大なあらすじ=ダイジェストを見ているようだ。せめてビルボが"忍びの者"と呼ばれる理由とか、指輪の説明ぐらいはして欲しい。
そもそも冒頭で、トーリンという王族と魔法使いガンダルフが話し合っているところから始まるんだけど。そもそもトーリンはドワーフなのね。で、自分が王族だという証拠となるなんとか石をみつけたい、と。で、小人の軍隊を集めよ、と。でそのしばらく後、すでにドワーフ一行とビルボをしたがえて出発しているんだけど、どうやってメンバーを集めたんだよ。あと、どーしてトーリンはお尋ね者になってるんだ? 誰がお尋ね者として逮捕するよう言ってるんだ?
森を抜けると言いつつ、ガンダルフだけ「ちょいとヤボ用があるから」と団体行動しなかった理由がよくわからない。あとから絶壁の洞窟みたいなところで仲間と会ってたけど、なんかよく分からなかったよ。でそのガンダルフは、のちにどういう行程をたどって山の麓のオークの都市(?)に行けたんだ? ドワーフたちと待ち合わせた場所に行ってたっけ? っていうか、あの、廃墟みたいな、オークがうじゃうじゃいた都市は、ロケーション的にはどこにあるんだ?
それから、あの、エルフの姉ちゃん(真矢みきみたいな顔の)は、ドワーフの中のキーリとかいう、少し背の高い男に惚れてるの? っていうような機微がよく分からないような描き方なので、いまいちつまらない。
エルフのボスとか、あれだれ?的な登場、オークにも階級があるようだけど、よく分からない。水の都市のボスは、ありゃなんなんだ? 人間? あー、よく分からん。もういいや。
というわけで、ドラゴンをやっつける話かと思ったら、ドラゴンが飛んで攻撃に行ってしまったよ、というところで次回につづくって、おい、これからが面白いところでつづくとは、講談話と同じだな。やれやれ。
セッションズ3/22ギンレイホール監督/ベン・リューイン脚本/ベン・リューイン
原題は"The Sessions"。allcinemaのあらすじは「1988年、米カリフォルニア州バークレー。少年時代に罹ったポリオが原因で首から下が麻痺してしまったマーク。以来、ベッドに寝たきりの人生ながら、みごと大学も卒業し、38歳の今は詩人・ジャーナリストとして活躍していた。そんなある日、彼は新しく雇った若くて美しい介護士アマンダに心奪われる。しかし彼の恋は実ることなく、アマンダは去っていく。やがて失意のマークのもとに、障害者のセックスというテーマで原稿依頼が舞い込む。取材の過程でセックス・サロゲート(代理人)の存在を知り、自らもセックス・セラピーを受けてみたいと願うマーク。敬虔なマークの正直すぎる相談に、最初は戸惑いを抱いたブレンダン神父も、彼の純粋な思いを受け止め、真摯にサポートしていく。こうして期待と不安の中、ついにセックス・サロゲート、シェリルと対面し、彼女と初めての“セッション”に臨むマークだったが」
障がい者の性の問題を扱った映画だった。なので、こりゃ面白いぞ、と思いつつ見始めた。のだけれど、それも途中まで、中盤を過ぎても大きなドラマがない。要は、マークが性の指南役シェリルとうまく性交できるか否か、という話にだけ的が絞られていって、いささか下世話すぎ。しかも、それ以上の拡がりがない。それぞれの人物の心のひだにまで入り込むようなことがなく、いささか残念だった。
小児麻痺で筋肉が動かず、でも感覚だけはある。日頃は鉄の肺に入っていて、外出は携帯用の呼吸器で数時間程度。もちろん介護士がストレッチャを押して、の行動だ。かつては電動ストレッチャを操縦してひとりで移動していたけど、事故が多くてやめたらしい。筋肉がないからマスターベーションの経験はない。大学を出ているから知性的で、記事も書いたりしている。というわけで、性に関する原稿依頼がきて、障がい者を取材しているうち、バークレー大学でその手の研究室(講座?)があったことが分かり、問い合わせるが、現在はやっていない。でも、担当していた人物を紹介するといわれ、会ってみたら、性の手ほどきをしてくれる女性がいることを知り、体験してみることになる。…という展開で、これは実在の人物が後に書いた記事か本を原作にしている実話らしい。
シェリルは50年輩。演じるヘレン・ハントが撮影時47、8だったらしいから、そんなもんだろ。働かない哲学者(?)の亭主と、中学生ぐらいの息子がいる。亭主は、妻の仕事内容を知っている。
シェリルは、同じ相手と5回(6回だったかな?)しか会わないことにしているらしい。私生活でも会わない。情が移るから、ということのようだ。まあ、そうだろう。売春婦のようにたびたび呼ばれ、処理だけさせられるのとは違う、というプライドをもって仕事をしているようだから。
ヘレン・ハントが、性の指南役をするのか。脱ぐのか? と思っていたら、いきなり陰毛、乳房丸出しのフルヌード。そういうことをする女優に思えなかったので、ちょっとびっくり。もちろん色気はないけどね。で、マークは裸のシェリルに触れさせてもらっただけで射精してしまう。これが2度つづいたんだっけかな。3度目(2度目?)にようやく挿入。でも5秒だけ。次の交接のとき、シェリルはイッた演技をしていたみたいな感じ。で、あと2回残ってるけど、それ以上の指南は受けず、別れる、というのがシェリルとの関係だった。
この4回の指南で、シェリルがマークに好意をもつようになった、かのような描き方をされているんだけど、具体的な事象があってそうなった、というようなことはなく、要は映画的な雰囲気・思い込みでそうなっているだけなので、淡いロマンスもいささか弱い。それでも無理して探すと、事象としては、シェリルが詩を読んだり、会話の中の何かとかだったり。そして、仕事以外では会わないと言っているのに、私的にカフェみたいな所にでかけていったり。あるいは、シェリルに手紙(中味は詩)を送ったりしたことが挙げられる。けど、これしきのことで職業的セックス指南役の心が動くはずなんかないよな、と思えてしまう。やっぱここは、シェリルがマークに同情するとか共感するとかいう何事かの事件をつくらないと、弱すぎると思う。
その後、停電で鉄の肺が停まり、マークが男性介護士に電話してなんとか死ぬ前に助かる事件があり、退院のときボランティアの女性に「ぼくは童貞じゃないんだぜ」とかいったりしてたんだが、5年後、マークが亡くなったとき、彼女が思い出話などをスピーチしていた。あのボランティアとはセックスを含む恋人のようなつきあいをしていたのかな。というようなことが、どーも歯切れ悪くしか描かれない。
そもそも、障がい者のセックス問題の記事はどうなったのか、ということにも触れられておらず、いきなり5年後の葬儀だもんな。その葬儀には「3人の愛してくれた女性がきてくれた」とマークがナレーションしているんだけど、その3人にはって、中国人の介護士入ってないんだろ? 映画では2番目に登場したアマンダと、シェリル、そして、最後に出会ったボランティアの3人だよな?
てその最初の介護士はオバチャンで、マークが下半身を洗ってもらってるうち勃起するのを見て、うさん臭い顔をするのだ。次がアマンダで、エロっぽい。そのお陰でマークは「愛してる」と告白するんだけど、呆気なく振られる。
その後は、メガネをかけた中国人女性で、色気も何もないのだけれど、彼女についてはモーテルの主人とのサブエピソードが楽しい。そのモーテルはシェリルとマークがセックスレッスンをする場所で、その間、中国人は待合室で待ってたりするのだよね。つきあってあげりゃいいのにねえ。と思ってしまう。この中国人と同時期に、交互でマークを見ているらしい男性の介護士もいるけど、面白い話はない。
シェリルとマークの最後のセックスレッスンの時。シェリルが姿見をもって出てきたので何かなと思ったら、マークに自分の裸を見せつけたのだった。どういう意味があるのか、よく分からないんだが。さらに、シェリルが帰ろうとすると、中国人介護士が駆けてきて、シェリルに「お金を忘れてるわ」と言われる。これは、ギャラを取り忘れるほどシェリルがマークに入れ込んでしまったということを見せているのかな? それにしちゃ根拠が薄いと思う。
ロボコップ3/25新宿ミラノ3監督/ジョゼ・パヂーリャ脚本/ジョシュア・ゼトゥマー
原題は"RoboCop"。1987年版のリメイクらしいが、そのオリジナルは見ていない。allcinemaのあらすじは「2028年。ロボット技術で世界を支配する巨大企業オムニコープ。同社のロボットが世界各地で軍事利用される中、アメリカではその配備が法律で禁じられていた。それでもアメリカ国内での普及を目指すオムニコープは、様々な手段を講じてこの法律の廃止を画策する。そんな中、愛する妻と息子と共に犯罪都市デトロイトに暮らす勤勉な警官アレックス・マーフィ。ある日彼は、爆発事故に巻き込まれ、瀕死の重傷を負ってしまう。ところが、オムニコープのノートン博士による最先端ロボット技術を駆使した手術が実施され、アレックスはただ命を救われただけでなく、最強のサイボーグ警官“ロボコップ”として復活するのだった。そして、オムニコープはこのロボコップを広告塔として利用すべく、アレックスを再び現場に復帰させる。ロボコップとなったアレックスは、その驚異的な捜査能力で街の治安維持に貢献していくのだが」
設定は2028年なのか。知らなかったよ。冒頭で、テレビ生中継で、テヘラン市内の警備をするロボット軍隊が紹介されるんだが、中継の最中に自爆テロに遭うというオソロシイ出来事が。で、これが伏線になっているのかというと、そうではないのが辛いというかもったいない。で、テレビの司会者が、これがロボット会社であるオムニコープに共感派で、やなやつなんだが、こういうのがきっといるのだろう、現実に。
さてと。ロボットの国内利用を禁止するドレイファス法に対抗するため、オムニコープとしては人気ヒーローをつくる必要に迫られた。そこで片輪を物色するシーンは、なかなかにリアルで興味深い。で、たまたま爆破事件に遭遇したマーフィに目を付けた。という辺りから、話が転がっていく。
3ヵ月後、妻とダンスするマーフィ…というシーンは、意外性があってよい。え? ここまで回復したのか? と思わせるからね。でもそれは幻想で、実は…という展開も面白い。なんたってマーフィは剥き出しの脳と顔面、咽喉部、肺、右手首…ぐらいしか肉体が残っていない、というかなりシュールな状況として描かれるからだ。このあたりは乱歩の「芋虫」あるいはそれを原作とした「キャタピラー」を連想される。ただし、とまどって逃げだし、塀の向こう(中国)の田圃まで駆け出すシーンは「アバター」みたいだけどね。
電源OFFにされ、覚醒すると現実を受け入れ、とりあえず納得したマーフィ。こっからは、ロボット刑事として目覚めるんだけど、身体というか理性がじゃましてロボットに敵わない。ロボットとロボコップがシミュレーションゲームで競走したら、呆気なくロボットの勝ち、という結果となる。オムニコープとしては、それはまずい。なぜなら、ドレイファス法を打破するには、親しみやすいロボット刑事が必要だったからだ。それではとマーフィの脳に何か細工をして、戦闘モードで感情を殺すようにした。 この結果、ロボット部隊と、それを率いる人間のリーダーをやっつけて、堂々のロボコップとなるのだった。
このとき、オムニコープの女性が「自分を人間だと思うマシンは違法」というんだが、すぐに社長が「自分をマーフィ(アレックス)と思うロボット、なら大丈夫」と屁理屈をいう。なんでも、戦闘モードでは、マーフィーはクルマの助手席に乗っているようなモノで、ロボットの決断も、自分のモノであるかのように錯覚するらしい。冷徹なロボットと人間の理性との中間にある状態を、うまく説明していると思った。
さて、市民にデビュー、というとき、ノートン博士がデトロイト市のお尋ね者、監視カメラの画像をマーフィに読み込ませるんだが、自分の事件の時の監視カメラ画像で大興奮。気絶してしまう。そこで、感情を司るドーパミンを少なくし、2%ぐらいにしてしまう。これで、無感情。スタッフは「ゾンビみたい」とかいっていた。それで市民にお披露目するんだけど、もう人間としての感情がほとんど残ってなくて、同僚や家族にも無反応になってしまう。というような描写は、なかなか面白い。アトムから鉄人28号になっていくみたいで、リアルだし。
で、このあたりからマーフィがなぜ爆破事件に遭遇したのかが解き明かされていくんだけど。要は、警察内に犯罪組織との癒着があり、本部長、同輩、外部のチンピラとつながっていた…というのは、あまりにもステレオタイプ過ぎてつまらない。もう少し何とかならなかったか。というロボコップは、悪の張本人である本部長を撃とうして、イランで活躍していた傭兵隊長にプラグを抜かれるのが呆気なさ過ぎ。まあ、ロボットだからしょうがないんだろうけど。でも、この、電源がないと木偶の坊、という設定は面白いと思う。
で、最後のオムニコープの悪だくみ、というか、悪あがきは、「ロボコップをヒーローに仕立てる残る方法は、ひとつ。死んだヒーローにすることだ」という社長のプラン。社長はノートン博士にマーフィを殺すよう命じ、ノートン博士も了解するのだけれど、彼は、コードを外されたマーフィのスイッチを入れ、助け出そうとする。それが本心? で、このとき、兵隊みたいなのがマーフィをガードしてたんだけど、あれは武装した警備員なのか? 警備員だとしたらなぜノートン博士を襲ったのだろう。まあいい。電源の入ったマーフィは起き上がり、バイクでオムニコープ本社へ え? マーフィが眠っていた工場は、本社じゃないのか…。というバイクのシーンは「バットマン」みたい。
さて、単身乗り込んでいって、悪をやっつけるロボコップ。傭兵隊長は、マーフィの同僚と相打ちな形で死亡。しかし、ロボコップは、赤いマークのせいで社長に銃を向けられない。でも最後は、理性=感情が勝ったか、社長を撃ち殺して大団円、というご都合主義。でも、疑問がないわけじゃない。警察はホントに悪いけど、オムニコープ社は、企んだレベルなんじゃないのかな。だとしたら、ロボコップがオムニコープ社の上層部を一網打尽にしてしまうのは、この映画の主張と矛盾しないのかな。
で。ラストで、ドレイファス法の反対法案は可決されてしまうが大統領が超法規的にドレイファス法を残すことにしてしまう、んだっけ? それでテレビ番組のキャスターであるサミュエル・L・ジャクソンが、悪態をつくんだけど、Mother fuckerが登場、でも、ピー音になってたけど。
・しかし、オムニコープの連中は抹殺されねばならないほどの極悪人だったのかなあ。せいぜいロボコップに死んでもらおう、ぐらいのことではないかと思うんだが。もっと悪い奴はたくさんいるんじゃないのか? なので、最後のあれやこれやは、いまいちすっきり腑に落ちていない。
・オムニコープ社長のデスクの背後に、3枚の絵。最初はグロな抽象画が3枚。途中から、何かのオブジェを描いた3枚に。これは、心の中が変わったということか?
・ロボコップのスーツは、最初と最後の白。つまり、感情がある状態。中盤の黒スーツ着用時は、感情がない状態で使い分けている。なるほどね、な感じ。
フルートベール駅で3/27ヒューマントラストシネマ有楽町監督/ライアン・クーグラー脚本/ライアン・クーグラー
原題は"Fruitvale Station"。allcinemaのあらすじは「サンフランシスコのベイエリアに暮らす22歳のオスカー・グラント。2008年12月31日の朝、彼は恋人ソフィーナと4歳になる愛娘タチアナとともに目を覚ます。その日はちょうど母親の誕生日でもあった。さっそく母親に“おめでとう”の電話を入れる。前科もある彼だが、根は優しい青年。いろいろと失敗も多い人生ながら、今度こそ良き夫、良き父親になろうと心に誓うオスカーだったが」
警官の暴行を告発する話なんだが、暴行された方もだったりするので、素直に怒りが湧いてこない。きっかけは、なじみの仇が電車にいたこと。回想シーンでも、刑務所の中で喧嘩になりかけて、押さえつけられていた。しかしこの映画、複線はこの仇だけだったな。あとは、その日の出来事をだらだらと描くだけ。とくに事件はない。
娘を保育園に送って行き、首にさせられた魚店の店長に再雇用のお願いをし、でも断られた。首の理由は、遅刻を2度したせいらしい。魚のフライをしたことがない白人女性客がいたので、オスカーは祖母に電話。祖母から女性客につくり方を教えたりして、やさしい側面があることを強調する。部屋代がないので、馴染みの中国人に大麻(?)を売ろうとするが、(こんなことしてちゃダメだ)と反省して、葉っぱを捨ててしまう。途中、轢かれた犬を抱きかかえたりして、ここでも、心やさしいイメージを定着させる。で、わずかに残ってた葉っぱは中国人にくれてやってたけどね。でもって今日は母親の誕生日なので、ソフィーナと娘タチアナをつれて実家へ。オジなんかもいて食事をし、夜中はダチと花火を見に行く約束。タチアナは、ソフィーナの姉妹の家に預け、花火へは電車で行くことにしたのは母親のアドバイスによるもの。仲間と駅で落ち合うときもオスカーは遅刻。仲間もよく知っていて「あいつまた遅刻だよ」なんて笑ってる。それからソフィーナや、他の女性客のために、閉店した店のトイレを借りたり、電車の中でカウントダウンして騒いだり、このあたりは日本とはまるで違う様相。
というような、どうでもいいような日常が延々つづくので、ちょっとだれる。
日本なら閉店した店が、通行人にトイレなんか貸さない。禁煙の車内でタバコを吸うゲイの女性カップルもいない。スピーカーを持ち歩き、iPodみたいのとつないで大音響をかなでるアホもいない。まあ、彼の地から見たら日本はガチガチの真面目国家なんだろうな。というとき、白人女性がオスカーを呼び止める。どういう知り合いかは分からない。その「オスカー!」という声を聞きとがめたのが、なじみの仇というわけだ。顔を見ただけで罵り合うんだけど、原因は分からない。もしかして、ともにムショに入った原因に関係があるのかな。
社内の喧嘩が早速通報され、すぐに電車が停まったのは驚いた。しかも警官が飛んできた。そういうシステムになっているのだな。さっそくオスカーの仲間が引きずり出され、壁にしゃがまされた。しかし、なんで彼らだ、って分かったんだ? たまたまか。その後、警官は「喧嘩した張本人はは誰だ?」と、停車中の乗客に言うが、オスカーは出ていかない。たぶん、刑務所はこりごりだ、と思っていたんだろう。けど、仲間が警官に嬲られてるのに隠れてるって、おいおい、だよな。結局オスカーも引きずり出されちゃうんだけど、どうやって警官がオスカーと仲間を特定したのかは、分からない。
さてこの間、しゃがまされた連中は「俺じゃない」「何もやってない」「いい加減にしろ」みたいなことを言いっ放し。もちろん、後から確保されたオスカーも同じ。この様子を見て、ほんと、連中は嘘つきだ、と改めて思った。一般的に映画に登場する米国人はみな、まず嘘をつく、悪が発覚すると「話を聞いてくれ」と言い訳する。させに警官のいうことを聞かず、大人しくしない。立ち上がろうとして揉めたりする。とまあ、こういう容疑者を相手に行動する警官もたいへんだよな、と思う。だって、相手が銃を持っていれば、自分が撃たれる可能性だってあるのだから。
別に、撃った警官を擁護するつもりはないけれど、若く経験がない警官が危機を感じたりすれば、思わず撃ってしまうようなことも、ないことはない、と思ってしまう。撃ったのは若い金髪の警官。字幕で「テーザー銃と間違えて発砲した、と警官は言った」とでていた。テーザー銃といきなりでても、分からんよな。まあ、駅に来た警官が黄色い銃=銃口から赤いライトがでていたけれど、あれなのだろう。Wikipediaでみたら、飛ばせるスタンガンみたいなものらしい。間違えるとは思えないけどな。
現場では、金髪青年は動揺して跪き、同僚の警官は「なんてことを…」とちゃんと咎めている。2年の刑に処せられたけど、11ヵ月ででてきた、らしい。別に黒人だからと差別して撃ったわけじゃなくて、黒人だから何するか分からない、と用心(あるいは緊張)しすぎて撃っちまった、ってな感じかも。警官も、制止は聞かず、口から出るのは嘘と言い訳ばかりの、喧嘩っ早いテキトー男が相手では、たいへんだな、と思った。
貧困が原因というオチにしたいようだけど。オスカーが失職したのは遅刻の常習のせいだ。黒人の友人は、ちゃんと勤めている。黒人だから仕事がない、という理屈は通じない。要は、個体の問題だと思う。
冒頭で、事件の瞬間を携帯で撮影した映像が流れる。さて、こうなるまでには、何があったでしょうか、というオープニング。でも、結果が分かってしまう話なので、見ている方にとっては意外性はない。まあ、初めから事件のことを知っている観客が多い、というのなら別だろうけど。
オスカーは妻子と一緒に住んでいないようなんだが、なぜなんだ? 妻は「匂い」がどうたらといっていたけど、オスカーが大麻を吸引したり、売人活動しているからなのか? でも、アパート代がかさむだろうに。いや、2人は結婚してないんだよな、そういえば。オスカーは22歳。ソフィーナが何歳かは知らないけど、娘は4、5歳に見える。オスカーが17、8歳のときの子ども? それとも、ソフィーナの連れ子? でも、髪の毛は黒人の縮れっ毛だったよな。

 
 

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