2014年8月

渇き。8/5新宿ミラノ2監督/中島哲也脚本/中島哲也、門間宣裕、
allcinemaのあらすじは「妻・桐子の不倫相手に対して傷害沙汰を起こし警察を追われ、妻とも別れて自暴自棄になった男、藤島昭和。ある日、桐子から娘の加奈子が失踪したとの連絡が入る。成績優秀で容姿端麗な学園のカリスマだった高校3年生の加奈子。そんな彼女が、何日も帰っていないというのだ。自ら捜索に乗り出した藤島は、娘の交友関係を辿っていくうちに、優等生だとばかり思っていた加奈子の意外な一面が次々と暴かれていき、自分が娘のことを何一つ知らなかったことに愕然とする。おまけに行く先々で常軌を逸した狂った奴らに遭遇し、自身の暴走にも歯止めが掛からなくなっていく藤島だったが…」
↑のあらすじ見て、藤島が警察を辞めた理由が分かったよ。映画じゃ、がちゃがちゃしすぎて、何が何だかわからなかった。むしろ、フツーに撮った方が残るような気がするな。それと、やたら吠えまくる役所広司が印象に残った。でもあれは演技とはいえんだろ。そんなのも含めて中島哲也らしい様式的な表現は相変わらずだけど、終盤に暴走して話が非現実的というかマンガというか、アホらしい展開になってしまった。ありゃなんなんだ。最後まで怒鳴り散らすのかと思ってたのに…。
allcinemaには「スタイリッシュかつ過激な映像表現」とあるけど、がちゃがちゃしてるだけで、とくにスタイリッシュでもない。がちゃがちゃと短いカット割りで印象的なカット(パーティ、プリクラ、精神科医の「夢は見ます?」という質問などを何度もリフレインして…。なので、何の場面か、誰が写ってるのかも分からない。
物語的にも、キーワードとして登場する松永(だっけ?)がほとんど登場しないので、いまいち手がかり感がない。加奈子を探す藤島は怒鳴るだけで、加奈子と逃げた(?)仲間とか、加奈子を追うヤクザみたいのとかの関係も、よく分からない。あとから、見せてはいけない写真を流出させたからとか、理由は説明されるけど、著名人が変態プレーしているところの写真程度で、大騒ぎするようなことかとも思うし。はたまた加奈子はなんでそんなことをしたのかもよく分からなかった。説明されていたのかも知れないけど、ああなるほど、と納得するような話にもなっていない。後半で強引に説明しちゃってるので、分かりにくいんだよな。
要は、単に表面的に気を衒っているだけで、底が浅いところを、それで誤魔化してる感じ。『下妻』とか『嫌われ松子』のときは、それでも物語性があったからよかったものの、この『渇き。』にはあまりドラマが見えない。とくに娘・加奈子の心理はほとんど見えず、たんに、わけの分からない近ごろの娘、とでもいうようなくくりに終わってしまっている。
かといって、娘をほったらかしにした親の責任とか、そういうことにしていないのはいいけれど、じゃあ、それは個体の問題か? と問うても、答らしきものは見えてこない。それでよいのかね。別に問題提起しろとか言うのではなく、監督としてのメッセージはどこにあるの? というようなことだ。
話がマンガになったのはオダギリジョーがでてきたころからで。誰? とか思ってたら、黒幕からいろいろ殺しを請け負っていたらしいけど…と、公式HPみたら彼は刑事なの? 愛川刑事ってなってるよ。ぎょえ。最後に突然登場した、ただの殺し屋かも思ってたよ。
というわけでHPの相関図は、映画でちゃんと説明されてないところが書いてあるので、へー、てなもんで役に立つけど、映画としてはそれでよいのか? よくないよな。
ラスト。雪原。藤島は「俺の手で殺す」とかいって、加奈子を東理恵(中谷美紀)に掘り出させるんだけど。あー。そうだた。加奈子を殺したのは、娘を売女にされた理恵だったっけ。いや、見てから2週間も経ってるから忘れちゃったよ。ってか、アタマに入ってないという方が正しいか。それにしても、雪の中の男女は『失楽園』連想しちゃって。あれも役所広司だったよな。
・小松菜奈は、悪魔的に可愛い、というほどのこともないので、いまいち魅力が分からない。
・オープニングタイトルの役者名が英文字で読めない。中島哲也って、いつもそうじゃなかったっけ。エンドロールも、消えるのが早くて読み切れない。頭きた。まあ、ああいう部分も、情報ではなく、ビジュアルとして捉えているんだろう。よくないことだ。
・藤島が街で女つかまえて家に戻ると中にヤクザっぽいのがいて女を殴り血しぶき。その後、女が撃たれてぐてっとしてたけど、翌朝になると女が消えているって、どーゆーこと? そもそもあの女はなに?
・クレジットに二階堂ふみ。どこでてた? トレーラー見て、ああ、あの金髪の豚みたいな女子高生かと気がついたよ。
・水に沈むイメージをアニメで見せる必要性は? ないと思う。
ママはレスリング・クイーン8/7ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/ジャン=マルク・ルドニツキ脚本/マノン・ディリス、エレーヌ・ル・ギャル、マリー・パヴェンコ、クレモン・ミシェル、ジャン=マルク・ルドニツキ
フランス映画だとは思っていなかった。彼の地ではプロレスが人気なのか。ワンダーウーマンとかなんだとか、アメリカ文化に結構侵略されてるのだな。allcinemaのあらすじは「フランス北部の田舎町。ある罪で服役していたローズは、5年ぶりに出所するとすぐに最愛の息子ミカエルのもとへと向かう。しかし里親のもとで平穏に暮らしていたミカエルは、ローズに対してすっかり心を閉ざしてしまっていた。そんな時、ミカエルが大のプロレス・ファンと知ったローズは、彼に喜んでもらいたい一心で、元プロレスラー、リシャールのジムの門を叩く。しかし素人など相手にする気のないリシャールは、仲間を集めてから来いと無理な条件を付けて追い返す。ところがローズは、スーパーのレジ係として働くワケアリな同僚3人を説得することに成功してしまう。そんなローズの熱意に押され、リシャールも渋々ながらコーチを引き受けることに。こうしてローズたち4人はそれぞれの思いを胸に、プロレスデビューという無謀な挑戦に向けて猛特訓を開始するが…」
話は割りと定番で、設定を女子プロに変えただけ、でもある。でも、メンバーのキャラが濃い。
・ローズ役のマリルー・ベリは本物のレスラー? かと思ったら違うみたい。そこそこ美形だけど、体つきはご立派。40歳ぐらいかと思ったら1983年生まれって、製作時に30歳だったのか? 見えない。逞しいオバサン。
・古参レジでまとめ役、みたいなコレット。演じるナタリー・バイはヘレン・ミレン似。しかし見ると、1948年生まれだから、製作時は65歳? げ。小学生の子供がいる母親の設定だけど、見えないよ。それで、真似事とはいえリングに上がるんだからすごい。
・エロ担当はジェシカ。演じるオドレイ・フルーロはそんな美人じゃなくて、ちょっとアホなキャラ。黒人好きで、速攻アタックというのがバカバカしい。なんてオバサンだと思ってたら、1977年生まれだから製作当時(2013)は35、6歳か。老けすぎだな。痩せすぎで、骨折しそうな雰囲気もある。
・そしてヴィヴィアンがすごい。演じるのはコリンヌ・マシエロ。包丁で肉を切ってるときは、男か? と思ったよ。怪物的な感じ。みんなに嫌われてるけど、本人は意外とやさしいつもりでいる。しかし、日常的な所作が、すでに女じゃない。乳見せシーンもあるけど、ぜんぜんエロくない。すっ、と立ち上がったら、パンツから陰毛がはみ出てる! げげ。年齢不詳か? でもWikiによると1964年生まれ。製作時は49歳。案外と若いので驚いた。
・もうひとり、練習中にケガしてやめちゃうおばちゃんもいた。彼女もちゃんとキャラが立っていた。
他にもスーパーの女性オーナー、伝説のレスラーでコーチのリシャール、彼が行くバーのオーナーでプロモーターもやってるみたいなおっさん、ジェシカがアタックする黒人医師、コレットの浮気な旦那、そのコレットに思いを寄せる男性店員とか、みな個性的な役割を上手く演じていて、機能的に転がっていく。こりゃサイコーな映画だ、と思っていたのだけれど、最後でちょっと腰砕け。
というのも、メキシコから女子レスラー軍団を招聘して試合が行われることになるんだけど、試合直前にローズが失踪してしまう。こういう展開は定番中の定番なんだけど、でも、その理由がよく分からない。リシャールが探し出すと「プロレスは嘘なんでしょ?」とかいうんだけと、そんなことで悩んでいたのか? ローズは別段、事件もなかったと思うんだが、失踪の理由がちゃんと描かれてなかったような気がするんだよな。これがうまく説明されていりゃあサイコーだったのに。惜しい。
レジのオバサンがいきなり女子プロ。コーチが選んだ最初の相手はかなりのバアサン3人組で、でも簡単にやられちゃう。それが、あるときバーで大暴れするんだけど、男相手に大活躍。いつのまにか4人とも強くなってる! しかも、メキシコの女子プロと試合も組まれることになり、地元の人気者になってしまう…とかいうあり得ない設定や展開は、多すぎるくらいある。でもいいんだよ。これはそういうのは無視していい映画なんだから。
スーパーのオーナーがまた、いいキャラしてるんだよ。お客の声色使って、インタビューしてるみたいな館内放送を流したり。腹黒さは天下一品。屋上で練習していたローズたち。彼女が投げた大きなゴムボールが看板に当たり、落下。オーナーの車に突き刺さる! とかいうバカな展開もおかしい。さらに、ローズの前科が盗みでなく殺人、と分かったりして、彼女を辞めさせようとする。すると突如、メンバー4人のサポーターがわらわらと登場し、ローズを辞めさせるなコールをしたりする。まあ、それはそれでいいんだけど。
まあ、刑務所に入ることになって、息子を里親に出したローズ。でも、いつのまにか実母より義母になついてしまって、じゃあ、と息子の好きなプロレスを、という時点で現実離れしてるんだから。そういうことにツッコミを入れてもしょうがない。ゆったり構えて受け止めるのがいちばん。
クライマックスの試合では、コレットとジェシカがタッグで勝利! うそー! ヴィヴィアンはシングル? で、勝利?だっけ?  最後は4対4になり、ローズフォールされて負け…って、一番強そうなのが負けるって変なの。でも、負けても「よくやった」コールが湧き起こり、ハッピーエンドな終わり方をする。後日談としては、コレットは離婚。ジェシカはどういうわけか医師の方から接近してきていい仲に。ローズは、息子が「いまの家族がいいけど、たまに食事するのはいいよ」な返事をもらう…。ちょっと物足りないかな。ヴィヴィアンは、相変わらず? 彼女だけ現実的な願いとか思いが描かれないので、よく分からないんだけど。でも、肉屋を辞めたいわけじゃないようだ。そもそも、なんで嫌われているのかもよく分からなかったし。たんに粗暴だから? まあ、これからも4人はスーパーでレジ打ちをつづける、んだろうよ。な終わり方で、超ハッピー、なわけでもないのはちょうどいい感じかな。
・ローズは、借金を返すためにモノを盗んだ、とかいってたけど実は殺人だった…。事故だったと弁明するけど、過失致死か。5〜6年ででてきたのかな? でも、4人による練習試合で血が上り、コレットをボコボコにしてしまうのだから、アブナイ女には違いない。
・ジェシカが黒人好き、っていうのは何を表しているのだろう。フランスは、そういう感じなのか。しかし、ジェシカは最初、彼をコメディカルスタッフかと思っていて、でもじつは医師だった、と分かると猛烈にアタックする。それを迷惑がっていた黒人医師も、いつのまにかジェシカに接近…って、そういう偏見みたいなのは温床はあるということか。
ぼくを探しに8/12シネ・リーブル池袋シアター2監督/シルヴァン・ショメ脚本/シルヴァン・ショメ
フランス映画。原題は"Attila Marcel"で、主人公の父親の名前。allcinemaのあらすじは「幼い頃に両親を亡くし、その時のショックから言葉を話せないまま大人になったポール。彼はダンス教室を営む風変わりな伯母姉妹アニー&アンナに育てられた。姉妹はポールを世界一のピアニストにしようと必死で、ポールはそんな姉妹のもとでダンス教室を手伝い、ピアノの練習に明け暮れる静かな日々を送っていた。そんなある日、彼は同じアパルトマンに住む謎めいた女性マダム・プルーストと出会う。彼女が勧める不思議なハーブティーを飲んだポールは、赤ん坊の頃の幸せな記憶を呼び覚ます。以来、マダム・プルーストのハーブティーを飲んでは、封印されていた過去の記憶を取り戻すことに夢中になっていくポールだったが…」
『アメリ』っぽいというのはホントだけど、エキセントリックさがまったく及ばない。しかも、あちらは不思議ちゃん的娘が主人公。こちらは陰気で無口な青年。ぜんぜん魅力的ではない。で、両親がいなくてババア2人(ポールに伴奏させてダンス教室を経営している)に世話されて…というのは分かった。けど、ポール本人の意志がまったく見えない。うれしいも哀しいも分からない。しゃべらないうえに無表情。これじゃ、主人公に共感なんてできない。
変わったキャラは登場する。けど、それぞれの掘り下げが弱いので書き割りのような感じ。ポールの誕生日にやって来てたのは調律師と、あと2人ジジイがいたけど、ありゃ誰だ? 他にも、最後に登場するコンテストの審査員長がどっかにでてたけど、どういう因果ででていたか記憶にない。
さてその調律師だけど、盲目で、ある日、お菓子を買いに行くポールと階段ですれ違う。杖で手すりを叩く音、それで、手すりの棒の緩みを知る、なんていうのは面白い。けど、それだけなんだよね。ほかにも色々小さなエピソードはあるんだけど、それらが有機的に結ばれない。たいした伏線にもなっていなくて、その場限りで終わってしまうのだ。たとえば、手すりを直した調律師はレコードを手にしていた。いったん階段においたレコードを手にするのだけれど、中のレコードがずりおちて、調律師はジャケットだけを手にして階段を上がっていく。そして、途中のドアからなかに入っていく・・・という流れでポールはマダム・プルーストの部屋に入り込んでいくんだけど。なぜレコードかというのは、後でわかる。それは、入眠して過去の記憶を呼び覚ます際に音楽が必要だからだ。ところが、なぜそのレコードが必要なのか、というようなことは説明されない。だから、小道具としてのレコードは、あまり機能しないのだ。
てなわけで、ポールはだまってマダム・プルーストの部屋に入っていくのだけれど、ずっとその部屋が調律師とマダム・プルーストの部屋かと思っていた。2人はどういう関係なのだ? と。が、そこがマダム・プルーストの部屋であることが分かるのは、後のこと。というような描き方も、じれったい。
そのマダム・プルーストの部屋はフロアにあるのではなく、階段の途中にあるという、不思議な存在だ。まあこれは、階段や坂がこの世とあの世をつなぐ境に存在するものだから、実はマダム・プルーストはこの世の存在ではない、という 解釈もできるのだけれど、この映画では彼女の墓も存在するし(ガンで亡くなった)、部屋も改装されたりしていて、いまいち不思議感がそぎ落とされてしまっている。そんなことせず、ふと気がついたら、その部屋から管理人が出て来て、聞けばそこは機械室だったとか、墓参に行ったら墓がなかったとか、違和感ありありな感じにすりゃあよかっんじゃないかと思ったりした。
まあ、この話のキモは、ポールの失語症だ。2歳のとき両親が死ぬのを見て、それからしゃべらなくなった。といってもしゃべらないだけで、あとはいたってフツー。それが、マダム・プルーストのところで怪しいハーブティとお菓子を食べ、過去にまつわるモノを手にしているか、あるいは音楽を聴いていると、記憶が蘇ってくる、というもの。
だけど、断片的に蘇ってくる両親の記憶は、これまた有機的に結びついていなくて、パズルの断片を組み合わせると意外な事実が分かる! というものでないので、まったく惹かれない。
記憶は例えば、両親が2人の伯母と住むことになったが、2階は伯母たちに占領されたこと。友人らしいのが改築を手伝ったこと。壁の向こうで両親が絡み合ってること(喧嘩していたらしい)。両親がプロレスの試合に出ていたこと。カエルのコンサート。などなど、複線に近いものもあるけど、あとから「ああなるほど」といえるようなモノではない。なので、退屈してきて、眠気に襲われて…はっ、と気づいたらポールがウクレレ(マダム・プルーストのモノ)を修理していて、その後、2人の伯母が、ポールがマダム・プルーストのところに通っていることを知り、2人で乱入してボコボコにする(このとき彼女がカツラであることが分かるんだけど、これで彼女がガンである、と分かったからなんなんだ? な話である)、となるんだけど、このあたりは「なんなんだ?」な話。まあ、寝ている間に何があったのか知らないけど、マダム・プルーストは失意のどん底に落とされ、消えてしまう。
並行して描かれるのが、中国人娘との交流で。これは、どういう関係でか伯母姉妹がある夫婦と会食し、「近ごろコンテストは中国人だらけ。数で勝負しようというのね」と不平を言ったら、相手夫婦の養子が中国人の娘で、これが野沢直子みたいなブスなんだけど、なんとなくつき合うようなことになって。でも「あなた、童貞? 私、処女」というような気味の悪いことをいう女で。しかも彼女の方から迫ってきて。という話になる。
さて、コンテストの当日。といっても、コンテストにでるとか、落ち続けてきたとかいう話は、そんなに重要な感じで扱われてきていたっけ? なんだが。どういう理由か知らないが、マダム・プルーストは消える前にポールに、1枚のレコードを渡してくれた。それを聞きつつ入眠儀式にはいると、わかった。両親の死んだ理由が。なんと、2階に置いていた2人の伯母のピアノが落下して、両親の上に…。なんだけど、それは隠すべき事実としてはどうなんだ? 分かったからどーだ、というものでもあるまい。
コンテストでは、途中から幻覚が見えはじめ、カエルの面々がジャズっぽい曲を演奏しはじめる。どうもポールはそれに影響されたらしく、伯母2人は「ダメだこりゃ」という顔になるんだけど、なんと審査員長が拍手して、一位を獲得、ってなんだよ。
報告に行ったけど、部屋には鍵がかかっていてマダム・プルーストはいない。祝勝会で、ポールは故意か偶然か知らないけど、鍵盤のフタが指に落ちて骨折。ピアノの弾けない手になってしまう。って、なんなんだ。ポールはある日、マダム・プルーストの部屋を改修している現場に遭遇し、聞けば彼女はガンで亡くなったという。って、カツラで予兆は見せてたけど、話と関係なく殺すのだな。で、墓参に行って、ウクレレを墓の上に供えるのだけれど、突然の雨。それを「もって帰れ」と理解したのか、ポールはビアノからウクレレに転身して、ダンス教室もウクレレ教室になる。中国人の娘とは結婚したらしく、子供がいる。撮り方が最初と同じで、赤ん坊が両親を見ている視点。母親が「あ、この子、しゃべりそう…パパ」と言わそうとして、社べったんだっけかな。次にポールが迫ってきて、赤ん坊に「パパ」という。これがポールの唯一のセリフ。という場面で終わりなんだけど。ううむ。
寝ている間に、マダム・プルーストに何があったのかは分からない。プルーストと言うぐらいだから「失われた時を求めて」なんだろうと思っていたらその通りで、でも、本は読んでないからどこをどう引用したかは分からない。まあ、失われた過去を蘇らせる人物、ということなのかも知れない。先にも書いたように、彼女はこの世とあの世のハザマにいるような人物で。幽霊とか魔女とかにはせず、死につつある人物、ということでマージナルな存在であることを表現したのかも知れない。だから、真正の人間なのだろう。という時点で、なんか話がつまらなく思えてくる。
ポールが、いつ何を言うか、も映画のキモだけど。これも意外性がなさすぎていまいち。そもそも、両親の存在もだからどうしたなレベルだし、両親を殺してしまった責務を負っている伯母2人もいまいち考えが分からない。なぜマダム・プルーストを襲ったのか? 自分たちがポールの両親(母親の方は妹にあたるわけだが)を殺した原因であることを知られたくなかったかから? ううむ。
しかし、その両親の事故では壁を取ってしまった職人(父親の友人?)が罪に問われて5年刑務所に入ったという話だけど、そんなの余計だよな。それで伯母たちの責任が回避されたわけじゃない。
しかし、2人の人間を押しつぶしたピアノをそのまま使いつづける神経というのは、なんなんだ>>伯母2人。 ・ポールはお菓子を食べるのが好きなようだが、どういう意味があるのだ?
・マダム・プルーストは、そういう商売をしていたのだね。調律師もお客さんだった。あと、剥製師になりたかったという医師がでてくるけど、あれはなんなんだ? 彼女は部屋の中を畑にしていたけど、あれは要するに薬草か。ということは、やっぱ魔女なんじゃないの? というマダム・プルーストを演じているアンヌ・ル・ニはすごいババア顔なので60オーバーかと思ったら、映画の中の設定は1957-2012だったかな? で、実年齢を見たら1969年生まれって、おい、44歳か? うそだろ!
はじまりは5つ星ホテルから8/13ギンレイホール監督/マリア・ソーレ・トニャッツィ脚本/マリア・ソーレ・トニャッツィ、イヴァン・コトロネーオ、フランチェスカ・マルチャーノ
イタリア映画。原題は"Viaggio sola"。旅ばかり、というような意味のようだ。allcinemaのあらすじは「イタリア人女性のイレーネは世界中の5つ星ホテルにお忍びで滞在してサービスをチェックする“覆面調査員”。それは誰もが羨む優雅な職業。結婚にも興味がなく、40歳の今も独身で自由な生活を謳歌していたイレーネだったが…」
↑のあらすじが短いように、この映画に大きな流れ、ドラマはない。主人公をめぐるエピソードの集積だ。何も起きないので途中で飽きそうになるかといったら、そんなことはなかった。そもそも82分しかなくて、飽きる前に終わっちゃったという感じ。
果たしてホテルの覆面調査員だけでドラマは成立するのか? と思っていたら、覆面調査に関する描写はそんなになくて、あっても表面的にさらっと見せるだけ。なので食い足りなさはある。しかし、この映画の本質はそっちにあるのではなく、40歳の独身女に襲ってきた孤独と不安なんだよね。まあ、最後はそれをさらりと乗り越えて、また覆面調査の仕事をこなしていくんだけど。さて、彼女は死ぬまでこの仕事をつづけるのだろうか?
イレーネがでくわした事件は4つ。1つは妹との服選びでのケンカ。妹夫婦はともに音楽家で、息子もイレーネに懐いている。よき伯母さんという感じ。空港への送り迎えもしてくれるし、日常的なつき合いも濃い。だけど、「そんなふくあなたに似合わない」といってしまって、妹がムッとしてしまったのだよね。
2つ目は、ホテルで出会った男に振られたこと。意気投合して飲んだのはいいんだけど、「僕は愛妻家でね」と、夜のお付き合いは断られる。
3つ目は、あるホテルで女性学者と出会い、意気投合。翌日は一緒に観光地に行こうと約束したのに現れない。部屋に行って見たら、心臓発作で亡くなったと聞かされ…。しかも、女性学者は独身で、つたえる相手は以前に別れた元亭主だけ、らしい。それで落ち込んでしまう…。
なもんで、妹に「空港まで迎えに来て」と電話したら断られる。そこで、元彼アンドレアに連絡して来てもらうんだけど、彼の関係が面白い。
「25歳の時に子供を産んでたらどうなったかしらね」とかしれっと言えて、アンドレアの家に泊まってもすでに肉体関係はなし。でも、心から信頼し合っている。という、親友に近い関係。…こんなのあり得ない、と思うけど映画だからね。で、そのアンドレアが、ある娘と数回寝たら「子供ができた」といわれ、「結婚しようかと悩んでいる」とイレーネに相談していたところだったのだ。なりゆきとしては、潮時だから結婚しようか、な感じで話が進んでいた。
というアンドレアを迎えに呼びつけて、心にどかんと空いたすき間を埋めてもらおうと本音を話したら、身体までゆるんでしまって久しぶりのセックス。「これはイカン」と思いつつアンドレアの家をでて、でも、言っておかなくちゃとアンドレアの家に戻り、「昨夜のは間違い」と話していると、そこにアンドレアの現在の彼女がいた、と…。なかなか面白い展開。もちろん妊娠中の彼女は動揺し、家をでていくんだけど。イレーネは彼女のクルマに乗り込み、言葉で言い訳と説得をするのだよ。ほんと、西洋の映画では明らかに悪いことをしでかしながら言い訳する場面がしょっちゅうでるけど、これもその類だな、と思っていたら。なんと彼女が理解してくれて、イレーネを抱きしめてくれたのには呆気。それはちょっと出来すぎだろ。ご都合主義だよな。と思いつつ、でもホッとしてしまった。
アンドレアに愚痴るとき、イレーネは「孤独なの」とか言葉で言ってしまう。そして、子供のない将来への不安も口にする。でも、そういうテーマ、確信をセリフで説明してしまうのは感心しないな。イレーネが一人暮らししている件ついては、前半で妹シルヴィアに「姉さん、歳を取ったらどうするの?」「あなたに面倒見てもらうわよ」とか会話しているので、テーマを念押ししてるような感じ。そこまで説明しなくても、観客は分かるよ。
というわけで元気を回復したイレーネは、再び仕事にもどり、手はじめは上海のホテルへ…というところで映画は終わる。シルヴィアに電話で「いまの仕事をやめてアフリカで英語教師として赴任する」というような嘘も言えるようになっているんだけど、ちょっと早い更年期障害? なような感じでもある。全体に話はなかなかしゃれているけれど、きれいごと過ぎる気もしないでしない。
妹シルヴィアのセックスレス問題が面白かった。亭主は感心なし。シルヴィアはしたい。じゃあ、誰とセックスする妄想を? 「僕は第一バイオリンの子」「私は会計士」「え。あんなやつと?」…なんていうのが笑えた。そのままなだれ込んでまぐわうのかと思ったら、やっぱりもうできない、のね。
・覆面調査で、イレーネは宿泊の翌朝、カウンターで身元を明かしているみたいなんだけど、そうやって調査報告をするのか? 一個所、報告しているシーンがあったけど、あの相手はホテルの社長とかなのかな。でも、そういう報告の仕方をしたら、身元がバレて二度とそのホテルは調査できないじゃないか。それとも、調査会社の上司に報告していたのかな?
・イレーネ役のマルゲリータ・ブイは1962年生まれの51歳かよ。映画の設定は40歳だから10歳もサバ読んでるのか。でも、なかなかカッコよかったよ。
・シルヴィア役のファブリツィア・サッキがチャーミング。1971年生まれだから42歳ぐらいか。
アンドレアの彼女ファビアーナ役のアレッシア・バレーラは、黒木メイサ風な感じ。こちらは1974年生まれ。39歳ってとこか。
で。アンドレア役のステファノ・アコルシは1971年生まれ。ううむ。まあ、妥当?
・シルヴィアが料理作ってるシーンがあって、亭主が「彼女は来ないのか?」みたいなことをいうシーンがあるんだけど、彼女ってイレーネのことだよな。いまいち分からないシーンだった。 ・それと、妹が鍵がなくて入れない、というところに小包が届く場面。鍵がないってどういうことなんだ? さてその小包は、シルヴィアが欲しいと思い、イレーネが否定したドレスだった。自分が悪い、ということができるようになり、仲直りのためのノウハウも身に付けた、ということかね。
トランスフォーマー/ロストエイジ8/18新宿ミラノ1監督/マイケル・ベイ脚本/アーレン・クルーガー
原題は"Transformers: Age of Extinction"。allcinemaのあらすじは「地球征服を目論むディセプティコンから人類を守った正義の軍団オートボット。しかし時代の流れと共に、政府からの迫害は激しさを増していた。テキサスの片田舎で年頃の娘テッサを育てながら廃品業を営むシングルファーザーのケイド。ある日、偶然手に入れた中古トラックがオプティマスだと気づく。しかしそこに、オプティマスを回収しようとする謎の組織KSIが現われる。窮地に陥ったケイドとテッサだったが、目覚めたオプティマスとテッサの恋人シェーンの活躍で危うく難を逃れる。ジョシュア・ジョイス率いるKSIは人工トランスフォーマーの開発に成功し、邪魔になったオートボットの排除に乗り出していたのだった。そんな中、全滅したはずのディセプティコンの生き残りが地球に襲来、新たな戦いの渦に巻き込まれていくオプティマスとケイド親子だったが…」
これは何作目だっけ? 一作目はともかく、次から話がでかくなって、そういえば前作では、人間の仲間としてCIAの一員として外敵と戦ってたんだっけ? なんてことが少し蘇って来た。でも、今回はいきなりCIAに狙われてて、人間の敵扱いだな。前回の終わりがどういう形だったか覚えてないので、話が分からん。前回までの粗筋をさらっとやってくれないと…。
ディセプティコン、オートボット、オプティマス…。ロボットの呼び方も、何を指しているか忘れてるので、話から置いていかれる。これも、前回までをおさらいしてくれると解決するんだけどね。
なんとなく分かってきたのは、ディセプティコンは悪でオートボットは善=人間の味方。オプティマスはオートボットの親玉?
KSIって会社はどういう存在なんだ? 社長はCIAとつながりがあるみたいだけど、どういう目論見かよく分からん。そもそも、なぜオートボット狩りが行われているのだ? とまあ、この辺りが、前回までの物語を忘れている、あるいは知らないので、すっと入って来ない。
さらに、映画の冒頭では、宇宙船が恐竜を焼き殺していたんだけど、その遺跡がKSIの社員によって発見されていた。そのとき発見された物質(?)から、カタチを自由に変えられるトランスフォーマーがつくれるようになり、KSIはそれでトランスフォーマーを大量生産し、兵士として国に売りつけるつもり? よく分からん。そもそも恐竜の化石は鉄みたいになってたけど、どういうことなのだ?
という一方で、トンデモ発明家のケイドは、廃墟となった劇場で妙なトラックを発見し、それを買って帰ると、それがオプティマスだったと。それを察知したCIAがやってくるけど、一同(ケイド、娘のテッサ、その彼氏、ケイドの友人)が逃げる、そして追われる…。
面白かったのは、ケイドの家があった場所が、テキサス州のパリ。おい。『パリ、テキサス』と関係があるのか? あと、未成年のテッサと22歳(だったかな?)の彼氏との交際は数年前からだから、ロミオとジュリエット法が適用されて大丈夫、とかいう話なんだけど、意味があるのか?
この間、オートボット狩りでのバトル、オプティマスが仲間と合流してからのバトル、それから、オートボットが呼び寄せた怪獣みたいな連中との連携とかあるんだけど、正直に言ってトランスフォーマーのバトルはもう見飽きているからなんとも思わない。よく覚えてないんだけど、ディセプティコンの宇宙船に潜入して…のあたりで寝てしまったよ。
以後も、ディセプティコンとオートボットとの戦いはつづくんだけど、なんか、なにがなんだかもう…。
そのうち、シードとかなんとかなんとか言うのを抱えたKSIの社長とケイドらが合流して一緒に逃げ出すんだけど、シードってなんだ? KSIの社長はCIAのボスと仲違いしたんだっけ。とまあ、過去の記憶がないことと、見ている映画に飽きて寝てしまったりで、因果関係がまったくもってよく分からず。かといってディセプティコンとオートボットとのバトルは飽きた。なので、物語にはほとんど引き込まれないまま、2時間45分の長尺にたえたわけだけど、ああつまんね。
後半は中国が舞台とか聞いていたのと、中国資本が投入されているということも聞いていたけど、実際、バトルは香港から大陸でも繰り広げられる。KSIの社長が飲んでる飲料のパッケージが大写しになったり、街の建物の壁にたくさんの広告がビジュアルとして貼り付けられていたり。あまりに露骨な中国ヨイショにちょっと驚いた。さらりと見せるのではなく、広告を見せるためのバトル、みたいになっていたから。
まあ、べつにどーでもいいんだけどね。こんなの見て喜んでる中国人の気が知れない。
・このシリーズ、一作目からヒロインがエロくて濃いんだけど、今回もそうだった。こういうのがアメリカ人のオナペットか、な感じ。
オートボットが、どっかに刺さった剣を抜く場面があったけど、エクスカリバーみたいな存在であることを示唆しているのだろうか?
あなたを抱きしめる日まで8/20ギンレイホール監督/スティーヴン・フリアーズ脚本/スティーヴ・クーガン、ジェフ・ポープ
原題は"Philomena"。主人公のオバチャンの名前ですな。allcinemaのあらすじは「イギリスに暮らす敬虔な主婦フィロミナ。ある日、彼女は娘のジェーンにある秘密を打ち明ける。50年前のアイルランド。10代で未婚のまま妊娠したフィロミナは、家を追い出され修道院に入れられる。そして男の子アンソニーを出産したフィロミナだったが、彼が3歳になると無理やり養子に出されてしまう。以来、片時もアンソニーのことを忘れたことはない。年老いた彼女は、どうしてもひと目我が子に会いたいとの思いが高まっていた。それを聞いたジェーンは落ち目の元エリート記者マーティンに話を持ちかける。マーティンはジャーナリストとしての再起を期してこの話を受けることに。こうして、信心深くて平凡な田舎の主婦フィロミナと無神論者でインテリ紳士のマーティン、という対照的な2人によるアンソニー捜しの旅が始まるのだったが…」
これも前知識ゼロで見た。この話、前段階があって。最初はマーティンの現状から始まる。よく覚えてないんだけど、元キャスターのマーティンが、なにか独自に発表し、政治家とトラブってクビになる。仕事がなくなってロシア史でも書くか、という気持ちになっている。というスタートなので、これは政治ドラマかなんかなのか? と思っていると、パラでフィロミナ(ジュディ・デンチ)と少年のイメージが描かれ、娘に「実は…」と告白したらしいようなことになってくる。で、たまさか某パーティの給仕で働いていたフィロミナの娘が、テレビで顔を知っていたマーティンに声をかけ、これこれこういう事情で母が向かし生き別れになった息子を探しているんだが…と声をかけ、でも無造作に断られるところが実際の話のスタートになる。
このあたりの、マーティンとフィロミナの階級、興味の範囲なんかの描き方は興味深くて、下層階級はバカで、息子捜しみたいな低級な社会的事件は自分がタッチするようなものじゃない、というかなりなエラソーな態度が露骨にみえる。まあ、それでも、どっかのバーで知り合いの女性編集者に会って、「ロシア史を書くつもり」なんてことをいうんだけどそんなのは無視されて「なんか面白いネタがあったら声をかけて」とかいわれてしまう。この辺りで、少し宗旨替えをしたのか、政治的なこともあるけど、低俗でもとりあえず金になりそうな事件でも追ってみるか、という気分になったようだ。
てなわけでマーティンは娘に連絡し、3人で下町のレストランで会うんだけど、この辺りも生活習慣の違いや外食環境の違いが対比されて面白い。フィロミナが「あなた、オックスブリッジ?」「ええ。オックスフォード」という会話があったけれど、フィロミナはオックスブリッジという大学があると思っているところなんかも、ベタだけど、イギリスは階級社会だなと思わせる。
で。フィロミナが語る過去は、はっきりいってよく分からない。両親はいたようだけど(だよな。違ったか?)修道院に入れられて。あるときカーニバルかなんかで知り合った青年とセックスし、妊娠。修道院で、環境の悪いなか出産。しかも、この手のできちゃった娘は少なくなくて、追加で4年間の奉公が義務付けられる、らしい。
しかし、フィロミナがなぜ修道院に入ったのか。出産はまったく隠密裏に処理されたのか? たとえば出生証明書とかどうしたのか? 国籍とかなんだとか、どうしたんだ? 両親もいたとしたら(フィロミナは孤児だったのか?)、どう伝えたのだろう? なんてことが気になってしまう。あと、カーニバルだけど、フツーの女の子の恰好をして出かけていたんだよな。ああいう恰好での外出は認められていたのか? とか、疑問点はいくつかあって、なんかスッキリしない。
さて。まずは件の修道院に行くんだけど、人を拒む感じ。過去の書類は火事で焼けた、と言われる。現在の院長、黒人の事務員見たいの。そして、マーティンがチラッと見かけた年輩のシスター? 怪しさはあるけど、それ以上ツッコミどころがない。応接室に女優の写真があって、「これはジェーン・マンスフィールド?」「いえ、ジェーン・ラッセル」「事故で死んだ方はとっちだっけ?」「ジェーン・マンスフィールド」とか、ほのぼのしすぎな会話もあるんだけど、なんで修道院に女優のサイン入りの写真が? とは思うワナ。この違和感も、あとから伏線であったことがわかるんだけどね。
おとぼけ気味なセリフや描写もあるんだけど、しだいに社会性を帯びた問題であることが分かってくる。で、こりゃ成果なし、と思っていたら地元のバーで、「子供をアメリカ人に売っていた」ということが分かり、これは! な感じになる。のだけれど、修道院の周囲の人はそんなことみんな知っていた訳だ。謎でもなんでもないじゃん。という、かなりな拍子抜け。それでも、これからその謎を追うサスペンスが始まるのか。と、少し期待した。
というわけで2人で渡米するんだけど、なんと息子の消息が簡単に分かってしまう。あれは移民局? どうやって調べてたのか覚えてないけど、息子の経歴と写真がでてきて、レーガン、ブッシュに仕えていたけれど、すでに死んでいることが分かる。おお。あっさりしすぎ。フィロミナは、もういい、と帰国すると言いだしたらしいけど、マーティンが編集者に連絡すると、帰国させるな。追求しろ、といわれる。で、そのつもりでフィロミナのところへいくと、彼女も気が変わったのか、調べる気まんまん。なんでや。
ところがどっこい、それからが長い長い中だるみに突入する。滞米中会ったのは、息子が修道院で一緒だった女の子で、妹として育てられた女性。でも、彼女は「義父は厳格すぎてキライだった」とか言う程度で、アルバムの写真も、アンソニーが大統領府で働いていた当時の同僚が見せてくれたのと同じ…というあたりで飽きてきて眠くなり、5分ぐらい寝たかも。で、次に会いに行くのはアンソニーのホモだちなんだけど、いちいち腰が重いんだよな、この凸凹コンビ。ハードボイルド映画ならカットが変わったら玄関口だろ、なところを延々とだらだらやる。
で、ホモだちの家に行き、最初はマーティンがドアを叩くが「会いたくない」と素っ気ない。これであきらめてしまうマーティンもどうしたもんだよな。で、フィロミナがドアを叩き、「私は息子のことを知りたいの」というと、簡単に部屋に入れてくれるって、どういうことだよ。そもそもホモだちは、なぜアンソニーの母親に会いたくなかったのか?
で、ホモだちのところで意外な事実が分かる。なんと実はアンソニー(と息子名前が変えられているのはなぜなんだろう? 渡米して養子縁組し、名前も変わったのか?)とホモだちが、かつて修道院へ母親探しに行っていた。8mm映画に記録されていたのだ。しかも、かつてのシスターもそこに写っていて、それはマーティンが修道院で見かけた老シスターでもあった。息子をアメリカに売り飛ばした連中がまだ生きていて、でも、その息子が母親探しに来たのに、フィロミナにはひと言も告げなかった。なぜなんだ。と盛り上がるんだけど、考えて見るとこれも謎と言うより、調べれば簡単に判るような話だよな。それに、火事といいつつ書類を裏庭で焼却したような老シスターが、ホモだちの撮る8mmにはなんのためらいもなく撮られている。警戒感なさすぎだろ。
アメリカ滞在は尺が相当使われてるけど、緊張感の走るシーンは、最初のアンソニー情報発見のところと、修道院訪問の2つだけ。あとはゴミみたいな場面とセリフだ。フィロミナが悩んだりぶつぶついったりする場面なんて、要らんよ。
で、修道院再訪。こっちは、修道院への告発を期待しているのに、いっこうにそれが来ない。とくに、子供を売っていたことへの追求が皆無。ちょっと興奮したマーティンが老シスターを責めると、「私はずっと純潔を守ってきた。子供を産んだような堕落した娘には当然の報い」的なことをいう頑迷な老人でしかない。自分がセックスしてないのは、個人の勝手。修道院にいる娘までが純血を守り通さなければならない理由はない。そりゃあんたのコンプレックスでしょ。と思うのだけれど、マーティンのツッコミは少ない。現在も修道院にいる連中は、過去のことをどこまで知っているか? なのに、神父などもマーティンをなじるだけ。むしろ、売り飛ばして得たお金を何に使ったのかとか、そういうことを知りたい。俗には興味がないと言いつつ、ジェーン・ラッセルのブロマイドを貼っておく神経はどうなのだ、とか。法的にはどうなのだ? とか、リアルな告発を期待するのだけれど、そういう具合にはならないのだよ。つまらない。
フィロミナは老シスターを「赦す」という。でも、マーティンは「僕は赦さない」という。個人的なことは記事にしないで、と言っていたフィロミナは、結局、記事にするように言うんだけど、彼女のころころと変わる考えたかも、いまいち納得できないところがあったりする。社会派サスペンスになるべき話が、凸凹コンビのトンマなアメリカ珍道中になっちゃってて、ううむ、な感じ。
・フェノミナの娘が前半はでてきていたのに、後半はぱったりでてこなくなる。同様に、マーティンの妻も、冒頭ででてきただけ。もったいない。
それにしても、マーティンはなにをして首相官邸(?だっけ)をしくじったのだ?
・マーティンが「いまどきマグダレンじゃあるまいし」というんだけど、『マグダレンの祈り』があったな。有名な話なのだな。
・そういえばイギリスからオーストラリアへ、労働力として孤児を売り飛ばすという映画があったっけ。『オレンジと太陽』。あれも修道院が大きな役割を果たしていた。ほんと、キリスト教の罪は大きい。 ・『マグダレンの祈り』『オレンジと太陽』なんかと比べると、悲壮感が少ないかも。見ているこちら側の、怒りの矛先はどこに向けたらいいのだ? 老シスター? 修道院という制度?
ダラス・バイヤーズクラブ8/20ギンレイホール監督/ダラス・バイヤーズクラブ脚本/クレイグ・ボーテン、メリッサ・ウォーラック
原題は"Dallas Buyers Club"。allcinemaのあらすじは「1985年、テキサス州ダラス。酒と女に明け暮れ、放蕩三昧の日々を送るマッチョなロディオ・カウボーイ、ロン・ウッドルーフ。ある日、体調を崩した彼は、突然医者からHIVの陽性で余命30日と宣告される。ほかの多くの人同様、エイズは同性愛者がかかる病気と信じていたロンにとって、それはあまりにも受け入れがたい事実だった。それでも生きるため、エイズについて猛勉強するロン。やがて、アメリカでは認可された治療薬が少ないことを知り、有効な未承認薬を求めてメキシコへと向かう。そして、トランスジェンダーのエイズ患者レイヨンの協力を得て、大量の代替治療薬を国内のエイズ患者にさばくための仕組み“ダラス・バイヤーズクラブ”を立ち上げるロンだったが…」
アカデミー賞に大量ノミネートされていた映画だけど、内容については一切知らなかった。なので、途中で「なるほど」と理解した。同性愛とエイズについて語っているからなのだ、と。
最初は女好きで飲んだくれでジャンキーなおっさんがエイズになって…。さてどうなるんだ、と思っていたら、旧に猛勉強。治験中の新薬について知識を得、病院に掛け合う。けれど、プラセボ試験中で一般には分けられないetcと、女性医師イブからは門前払い。男性医者には30日の命といわれているので、病院の清掃スタッフ(?)と知り合いになってAZTという新薬を手に入れる。けれど、管理が厳しくなって手に入れることが出来なくなる。スタッフはメキシコに行けば手に入る、とかなんとかいって住所を教えてくれて、行って見ると、自然主義派?な元医者の施設で。そこであれこれ薬を処方されると、30日以上生きることが出来て、体調も回復。というわけで、薬をもって帰国し、薬を直接売ると法律に触れるので、会員クラブをつくり、400ドル払って会員になれば自由に薬を手に入れられる、というビジネスを始める。以後は、警察、FDA(アメリカ食品医薬品局)、製薬会社、病院なんかと戦いながら、自分自身を実験台として効く薬を見極め、人々に頒布していった…という話。
のだけれど、流れはさておきあれこれ大雑把すぎていまいち「?」というか、「なるほど」感が少なかった。たとえば…
・AZTを開発した製薬会社はあまり登場しない。で、プラセボ試験だけど、あの病院だけでやってるのか? プラセボ試験に応じる患者って、いるのか? 本人は真薬か偽薬かわからずに投薬されるわけだろ? アメリカはそういう治験をやってるのか? 日本もやってる? さらに、医師たちはAZTを通そうとしているようだけど、製薬会社から賄賂…という場面もなかったと思うんだけど、そのあたりの悪だくみ(?)にあまり言及されない。
・病院スタッフは、どうやってAZTをちょろまかしてたんだろう。薬の管理が杜撰だったってことなんだろうけど。ひどすぎる。さらに、どうやってメキシコの情報を得ていたんだろう? 米国で未承認の薬をつくっているところがある、なんてことを、あんな下っ端が知ってる?
・その情報に従って行って見ると、ボスは医者を辞めさせられたオッサンで、なんか、身体に悪くないような薬をつくっているらしいんだけど、最初の頃には薬名も効能も語られない(あとからペプチドTとかビタミン剤とか登場するけど)。でさらに、それらはエイズを治す薬ではなく、症状を緩和する薬らしいことも分かってくる。じゃ、ロンはそういう薬に頼ったと言うことか。では、エイズを克服する、という考えはなかったの?
・でそのペプチドTとかビタミン剤はFDAに承認されてない。メキシコでは承認されているのか? なぜFDAは承認しない? 国内の製薬会社を守るため? 驚いたのは日本が登場したことで、インターフェロンを買い付けに来たらしい。しかし、日本の研究所に行って交渉なんてできるのか? どういうツテがあったんだ? さらに、最初は「売れない」とかいってたのに、最後は金で解決してしまう。そういう日本企業があったということか? 他にもヨーロッパも登場するけど、FDA未承認の薬は、そんなに簡単に手に入るの?
・そういえば、最初にメキシコから戻るときも、牧師の恰好をして国境を通過しようとして失敗。大量の薬に対して質問されるけど、どうやって切り抜けたんだろう? そのあたりは一切説明されていない。そんなに通関はゆるいのか? それとも、「自分用ならいい。アメリカ国内で売らなければいい」ということなのか? でもバンバン売ってて、客もどんどん増えて。でも、警察はずっとあとにならないとやって来ない。その辺りがどーも、素直になっとくできない。
・FDAや病院が動き出すのは、治験中の患者までもがバイヤーズ・クラブに頼るようになってから。えー。そんなにアメリカの警察はのろいのか? だよな。
などなど、アバウトわかってもカッチリわからないシーンが多くて、ロンが米国のFDAという強力な敵に挑んでる、って感じがあまり伝わってこないんだよ。ドキュメンタリーじゃないんだから、そういうのは控え目に、なのか。あるいは字幕で内容が省略されているのか。はたまた日本人には分からない何かがあるのか。その辺りは分からないけどね。
というわけで、病院や製薬会社はAZTを承認させるために結託し(たかのような描き方)、多少患者が死んでも治験をつづけていく。そういう流れをジャマするロンも標的にされ(たかのように描かれている)、仕事がだんだんなくなっていく。そして、クルマまで売って、薬を欲しがってる患者に分けてやるという、天使のような男になっていく。まあ、マッチョ男だから、外見はやさしくないけどね。
最後。FDA相手に訴訟を起こすが棄却され、敗残兵の気分で戻ってくるが、まだまだ指示者はいるよ、というところで終わる。棄却はされたが、ロンが個人でペプチドTを使うことは認められたとかで、その後も7年間生きたという。症状を緩和する薬だけで、よくもまあ余命一ヶ月から長く生きたことよ。
とまあ、ロンをヒーローに描いているのだけれど、これはロン側の主張に立った話だけだからなあ。ほんとうはもっと色々な話があるんじゃないかと思うけど、まあ、これは映画だからね。
・他にも女装オカマのレイヨン、一緒にクラブで働く黒人女性と青年、女医のイブ、昔なじみの警官とかサブで登場する人物はいるのだけれど、長く登場する割りにレイヨンとイブはあまり機能していない。他の面々も、あまり大事に扱ってもらえてない。なんか、もうちょい違う演出で、感動的な映画になるような気がするんだけどね。
それにしても、ロン役のマシュー・マコノヒーがガリガリに痩せてる! すごいダイエット! 信じられない。ダイエットでアカデミー主演男優賞か?
友よ、さらばと言おう8/21新宿武蔵野館2監督/フレッド・カヴァイエ脚本/フレッド・カヴァイエ、ギョーム・ルマン
フランス映画。原題は"Mea culpa"。ラテン語で、私の間違え、私が間違ってました、私のミス、とかいう意味らしい。見終わった後なので、なるほど、といえる。allcinemaのあらすじは「南フランスのトゥーロン警察で長年コンビを組んできたシモンとフランク。ところがある日、シモンが飲酒運転で人身事故を起こしてしまい、有罪判決を受けて服役することに。当然、警察もクビになり、フランクとの名コンビも解消される。6年後、出所したシモンは警備会社に雇われるが、妻子とは別居したままで荒んだ日々を送る。そんなある日、最愛の息子テオが殺人現場を偶然目撃してしまったために、マフィアから命を狙われる事態に。そこでシモンは、かつての盟友フランクに協力を仰ぎ、決然とマフィアに戦いを挑むのだった」
最近のフランスのノワールは、香港映画みたいになってる。省略、断片映像、物語のパラレルな展開…。スピーディで、何らかの予兆あるいは謎を孕みつつ、次第に解き明かされていく感じ。これもそうで、監督は『すべて彼女のために』『この愛のために撃て』の人らしいので、なるほどなんだが。しかし、たび重なる衝突シーンは分かりにくく、次第に分かってくると言うより、この映画の最後の最後のドンデンでもあるんだけど、それがあまりにも想像を絶するアホらしさで、なおも疑問が残る終わり方なので、いまいちスッキリしない。
あらすじは丁寧に説明しているけれど、事故は非カラーで断片的で思わせぶり。コンビを組んでいた時代の映像もないし、有罪判決や服役も、あとからセリフでわかる。なので、最初の方は、なんだか分からないまま進行するのだよね。
で、それとともに、車内のもつれと射殺シーンが描かれるんだけど、最初、その犯人とフランクは同一人物? と思ったほど。だってこの手の映画って、似たような顔のひげ面がうじゃうじゃでてくるから困るんだよ。
シモンがどういう立場か、というのは最初の頃は分かりづらい。つまり、事故→クビ→妻と別居…というのがはっきり描かれてないからなんだが。だから、ロッカールームで着替えしている場面は、あれは警察の内部かと思っていたほどだ。
というわけで、フランクは、いけ好かない上司の下で、連続殺人事件(車内での殺人もそのひとつ)に関わっている。フランクは忙しくて息子の柔道の試合にも遅刻する…といった感じ。
奇妙なのがシモンとフランクの関係で。フランクがシモンの家を訪ね、シモンの息子の勉強を見てやったりしている。どういう友人関係なんだ? という思いはずっとあった。
さて。シモンの妻アリスにはつき合ってる男がいて。その彼氏はアリスと息子を連れて闘牛に行く。のだけれど、フランスでも闘牛やってるのか? けっこう残酷な場面も見せたりしていて、息子は見たくない感じで席を離れる。まあ、彼氏はそういう男なのだ、ということを強調したいのか。で、トイレを探しているところで、数人による暴行殺人場面を目撃し、追われる。そこはシモンとフランクが大活躍して、フランクは1人を射殺、シモンは殴り倒して捕獲するんだけど、もうその経緯を忘れてるよ。なんでシモンは闘牛場がわかったんだっけかな? フランクら警察も駆けつけてきたけど、どうやって知ったんだっけ? なぐらい記憶が曖昧だ。
てなわけで、警察も犯人の目撃者、ということほ息子にあれこれ尋ねるんだけど。このあたりも「?」な感じなんだよな。その連続殺人者グループが、たまたまちらっと見られただけの相手を、血眼になって追うか? そんなことして、追跡者が捕まったりしたら困るじゃないか。と思っていた通りになるんだが…。で、その捕まった男は、「ボスはしつこい。まだ子供を殺すつもりだ」みたいなことをいうんだが。そもそもこの連続殺人犯ってなんなんだ? というのが、詳しくでてこない。せいぜい、薬と女の取り引きでどーたらこーたらと言う程度で、言葉はロシア語っぽかったけど、いまいち連中の意図が伝わってこない。
で、その男が確保されている病院に、シモンがもぐり込む。もちろんフランクの手引きで、点滴から空気を入れるぞ、と脅して取り引き場所を知り、なんとフランクとシモンの2人で乗り込むという…。この時点でフランクは頭がおかしいよな。で、潜入下はいいけど、速攻でフランクの身元がバレるのは、かつて買った売春婦が店にいたから、って、おいおい。…で、ところで、フランクにも女房子供がいたはずだけど、なんで売春婦を? という気もするのだけれど、まあいいか。
2人はトイレに閉じ込められるのだけれど、なんとか逃げだし、フランクの元へ…行くんだっけか? シモンの妻子はフランクの家にいて、アリスの彼氏と刑事も1人いたんだけど。彼氏には帰ってもらい、シモンは刑事を殴り倒し、逃亡計画。翌朝、出かけるところを一味に気づかれ(あの売春婦がフランクの部屋を知っているからね)、今度は列車内での追撃戦とあいなるわけなんだが。送り出したフランクが家をでて、ふと見ると4WD(?)がいて、それで"見られた"って気づくんだよね。でも、なんであのクルマを見て気づいたんだ? 他でもでてたっけ?
フランクはクルマで列車を追うんだけど、携帯しながら脇見運転で、前のクルマのオカマを掘る。ほら。いったこっちゃない。…なんだけど、これが最後のドンデンにつながる伏線のようなものでもあったりして…。
なんかよく覚えてないんだけど、妻子を守りつつ相手をどんどんやっつけていくシモン。撃たれて死に絶えるフランク。…というところで、フランクって大損じゃん。なんでそこまでシモンのためにしてやんなきゃいけないんだよ。と思っていたら、なななななんと、何度も登場するシモンの飲酒運転は、あれは実はフランクがやったことだった、てな過去映像が登場する。
署内で飲んで、ひとりで帰ろうとクルマに乗ったシモン。一緒に帰ろう、とフランクがやってくるが、忘れものに気づいて署内に戻る。ふたたびクルマに乗り込もうとすると、シモンが寝入っている。なのでフランクが運転した。…というものなんだけど、じゃあ、フランクは運転席にいたシモンを助手席に移動したのかい? あの雨の中。さらに、事故後、「やばっ」と思ってまたまたシモンを運転席に移動したってことかい? あの雨の中。いや、それより分からないのは、シモンは事故にあっても寝ていたのか? それとも気絶したのか? 気がついたとき、自分が運転していたことになっていることに、疑問は抱かなかったのか? ずっと自分が運転していたと思っていたのか? それとも、実はフランクが運転していたことに気づいていたのか? もしそうなら、友人関係なんてつづけられないと思うんだが。
というわけで、フランクがシモン一家に異常に親切だった理由は分かったけれど。でも、それってあり得ない、うそ! というトンデモ話になってしまっていて、もやもや間がぬぐえない。
ソウォン/願い8/26新宿武蔵野館2監督/イ・ジュニク脚本/チョ・ジュンフン、キム・ジヘ
allcinemaのあらすじは「ある雨の朝。登校中の8歳の少女ソウォンは、酒に酔った男に捕まり、はげしく乱暴される。一命は取り留めたものの、身体にも心にも生涯消えることのない傷を負ってしまう。病院のベッドに横たわる娘の痛々しい姿に、父親のドンフンと母親ミヒは絶望の余り泣き崩れる。さらに家族は、マスコミの苛烈な報道合戦に巻き込まれていく。そんな中、事件の恐怖が蘇り、父親にさえ怯えてしまうソウォン。最愛の我が娘を助けてあげたいと願いながらも、近づくことさえ出来なくなってしまったドンフンだったが…」
実際の事件を基にしているそうだが。映画の中に、マスコミに入院している病院を知られ、記者が追ってきて逃げる、なんていうシーンもあった。なのに、この話を映画にまでしてしまって、もっと広めようということなのか? それは本末転倒ではないかと思うんだが。
最初の30分ぐらいは、すごくやな気分になる。だって、これから起こることが分かっているのだから…。現場を見せないかと思ったら、血だらけの手で携帯を発信したり、痛々しい様子で運ばれていく様子が映ってる。そこまで描くかね。携帯での発信は話の都合上、ていうのもあるかも知れないけど、バッサリとカットでもいいと思うんだがな。
驚いたのは、犯人がさっさと捕まってしまうこと。犯人捜しではなく、その後の家族の復活劇なのか。なんか拍子抜け。それと、おとぼけ顔の犯人というのも、ちょっと萎えた。
以降は、病院内での回復ドラマ。事件の影響で話さない状態がつづいていたソウォン。その心を開こうと、父親は子供に人気のキャラの着ぐるみをつかってあれこれするんだが。まあ、病院内でちょっとやる分にはいいかもしれない。でもその後も自宅や学校、自宅付近の路上でやるシーンは非現実的でアホかと思う。自分たちが被害者であることを広めているだけではないか、と思ってしまう。
それに、かぶりもののキャラクターがいまいちで。最後の方で、やっとあれがソーセージであることがわかって、げ、となった。なんか、1960年代風な造形のキャラなんだもん。あれじゃ泣けない。もっと仕込みがないとな、最初の方で。
話さなくなった、といっても、最初からではない。直後に警察の質問には対応し、似顔絵での犯人の特定に貢献。さらに、裁判所に行って、犯人を指さしまでしている。それが、なぜ話さなくなったのか、については説明がない。父親が、ソウォンの汚れた衣服を脱がそうとしたのが、事件の記憶を呼び覚まして、のことなのか? で、カウンセラーの力もあってか話せるようには鳴るんだけれど、それもいつのまにか、な感じで。何がきっかけで話せるようになったのか、が描かれない。かぶりものの場面は山ほどあるのに、それがなくちゃ話にならんだろ。手っ取り早い感動の押し売りに堕している感じが否めない。
いくらかでも、じんと来たのは2個所。
働いてる工場の工場長がいいやつで。禿げてるし人相も悪いんだけど、泣かせる。この女房もいい女で。妻にやさしい。その息子もやさしい。嘘くさいんだけど、でも、こういう励みが身近にいることの心強さを教えてくれる設定になっている。それと、ソウォンの家の入口に同級生が連絡帳や励ましの言葉を貼り付けていくんだが、ソウォンが退院して帰ると貼り紙がいっぱいになっている場面があるんだが、あれがなかなかきた。
そうやって回復していく姿を描く映画だった。悪人は犯人だけ。まあ、あと犯人の弁護人も、ちょっとだけ悪人の立場にはなるけど、業務上しょうがなな、あれは。
最終的に犯人は厳罰に処せられるのだけれど、これまでの例に倣ってのもので、特別に重いということではない。いつかは出てくる。という終わり方だ。しかも、犯人はふてぶてしいまま。観客からすると、同様の犯罪を以前に犯していての再犯なのだから、「この手の犯罪者を重罪にして閉じ込めておけばいいのだ」という気持ちになる。まあ、当然だろう。けれど、それですべて解決するわけでもない、と思うし。累犯率が100%であるわけでもないのだから、難しいところだ。身体に発信器でもつけておく、というようなことになっていくのかね、どんどん。
・被害者の父親が犯人と単独で面接するシーンがあるんだけど。そんなこと、できるのか? またそのとき、犯人は「父親似にて強情な娘だった」と漏らすのだが、これは犯行当時、犯人が泥酔していて意識がなかった、と主張していることを覆す根拠になるはず。なのに、そういう展開にならないのはイラつかせる。
・裁判では、衣服がどうとかセリフで出てくるんだけど、映像ででてこない。証拠品ぐらい見せろよ、という話だ。まあ、裁判劇ではないのだから、ということなのかも知れないけれど。そういうところも含めて、ドキュメンタリータッチでやってくれると戦慄のサスペンスになったような気がする。
レイルウェイ 運命の旅路8/29キネカ大森1監督/ジョナサン・テプリツキー脚本/フランク・コットレル・ボイス、アンディ・パターソン
オーストラリア/イギリス映画。allcinemaのあらすじは「鉄道オタクの初老男性エリック・ローマクスは、列車の中で出逢った女性パトリシアと恋に落ち結婚する。幸せな結婚生活を送る2人だったが、ほどなくパトリシアはエリックが第二次大戦のトラウマにいまも苦しめられていることを知る。英国軍兵士だった彼はシンガポール陥落の際に日本軍の捕虜となり、鉄道建設に駆り出されて悪夢のような日々を送ったのだった。彼の苦しみを癒そうと献身的に支えるパトリシア。そんな中、退役軍人仲間から、憎き日本軍の通訳・永瀬隆が今も生きてタイに暮らしていると知らされ、動揺を隠せないエリックだったが…」
泰緬鉄道で使役された英国人元兵士。戦後35年経っても日本人兵から受けた拷問の恐怖から逃れられず、その1人、永瀬に会いに行く話。冒頭の、エリックが横たわりながらぶつぶつつぶやいている場面の意味がよく分からんのだが…。
『戦場にかける橋』があるじゃないか。今度は個人的恨みの発散か。それにしても、イギリス人はよっぽど泰緬鉄道に恨みがあるんだな。日本兵は捕虜の扱いについての知識に欠けていた、という話もあるようだ。とはいえ、大英帝国はこれまで世界中のあちこちで誇れるようなことをやってきているのかい? なかにはひどいこともしてきたはずだし、アフリカあたりじゃ黒人を人間扱いせず、簡単に殺して来たのではないか? それと、思い出すのは会田雄次の『アーロン収容所』。女性兵士の部屋を掃除していると、彼女は裸のままで平気でいた、というようなこと書かれていた。彼女らにとってアジア人は人間じゃなくて犬猫同然の存在だった、ということらしい。まあ、そういう犬猫に酷使され、拷問されれば屈辱感は幾層倍なんだろう。けれど、そういうイギリス人の意識ことはこの映画では描かれない。極悪非道の日本人と、清廉な鉄オタな青年の話になっている。
エリックは、退役軍人クラブにはやってくるけれど、人と交わらず、いつも陰気だった。それが、あるとき鉄道で知り合った女性に恋をして明るくなり、結婚する…という話で、エリックという人物が描写される。のだけれど、なんかイメージが湧かないんだよ。トラウマに取り付かれてうなされる日々がしょっちゅう、でありながら鉄オタとしてあちこちまわって鉄道グッツを集めている。ぐらいの社会適応はあったわけだ。いや、戦後はどっかで働いていたはずだ。以前に結婚は? で、60歳になってまた恋をした? とか思うと、トラウマに取り付かれて云々をムリに強調しているような気がして、どうもね。まあ、恋物語はつけ足しなんだろうけど。
で、同じ退役軍人クラブにフィンレイという仲間がいるんだけど、彼も同じ収容所にいた。その彼が、突然、首つり自殺をとげるんだけど。ありゃなんなんだ? そもそもラジオ製作で名乗り出て、別部屋に連れていかれてひどい拷問をされたのはエリックのほう。なんでフィンレイが自死する理由があるんだ? 彼もトラウマを抱えていた? 多くのイギリス兵、それと、タイ人も同じような過酷な状況にいたわけだろ? そりゃ個体差か、別の理由があったんじやないの? としか思えない。
それと、永瀬は憲兵隊にいたようだけれど、見ると通訳だけで、拷問には手を下していないように見える。その永瀬に恨みをすべつぶつけるというのは、どうなんだ? B、C級戦犯にあてはまるのかも知れないけれど、捕虜の扱いについて知らされていなかった、手を下していなかった、ということだと、ちょっと話が変わってきやしないか?
拷問中、エリックが「話す。といいい、話したのは無線機のことではなく、日本が劣勢にある、ということだった。ラジオで聞いた事実を伝えると、永瀬は動揺するんだけど、つまりは彼も、何も知らされていなかった、ってことだろ。
別に永瀬の肩をもつつもりはないけれど、戦時下では上官の命令は絶対なわけで。あの場で上官の命令を無視すれば、自分が手ひどい扱いを受けるか、あるいは殺されるかも知れない。そういうことをするべきだった、と戦後35年たって責任を追及するというのも、なんかな、という気がした。
まあ、イギリス人的な感覚では、日本人に頭を下げさせる、という展開で満足なのかも知れないけど、なんか、小さいな。
永瀬という人物の不可思議、がある。この映画は事実に基づいた話らしいが、そもそも永瀬がなぜあの地にもどったのか、理由がよくわからない。懐かしいから? でも憲兵隊博物館なんてのをつくり、当時と同じ建屋で運営している。まあ、戦後35年、そのまま残ってたとは思えないけど、再現していたのか。いや、驚くのはその庭に竹の牢籠もつくっていたこと。さらに、拷問に使った木刀や台まで展示しているではないか。しかも、顔写真付きで新聞に紹介までされている。ってことは、贖罪の意味だったのか? でも、そういうことには触れられないのが変。だから、再会し、館内に案内した永瀬に向かって、展示物である木刀で脅しをかけるところが、いまいち心にとどかない。それと、ひどい拷問として描かれるのは、水責めと竹の牢籠で、いっちゃ悪いけど、その程度だったのか、な感じ。時代劇じゃしょっちゅうお目にかかっているよ。そもそもエリックの身体にひどい傷が残されているとか、そういうこともないようだったし…。ぎゃっ、とのけぞるような拷問なら、なるほど、と思えたのかも知れないんだけどね。
結局、怒りは言葉だけで、エリックは永瀬に肉体的ななにがしは与えない。首筋にナイフをあてた程度、か。でも、それも、永瀬が通訳だったことを考えると、筋違いじゃないのか? と思えてしまう。
その後、永瀬は謝罪の手紙をエリックに書き(ということは、住所の交換をしているということだ。どんな風にしたんだろう?)、その手紙に答えるべく、エリックは妻とともにマレーシアを再訪する。このとき、エリックは永瀬に手紙のようなものを渡すんだけど、ありゃなんなんだ? 永瀬が書いた手紙? なんでそんなものをあそこで渡すんだ? 意味が分からない。でもって、永瀬は「あいあむそーり」とまたまた謝罪する。
終わって、その後の2人の交流のことが伝えられ、写真もでるんだけど。映画で描かれてるほどエリックが恨み骨髄だったとは思えないような感じだったなあ。
・妻のニコール・キッドマンとの話は、内容的にはつけ足し。でも、それじゃ映画にならないというか、人が呼べないから、あんなことになってるんだろう。
・捕虜になった後、英国兵が列車に乗る前、整列して番号を言うんだが。そのとき皆で手渡ししてたのは? 石? 真空管?
・戦争だっていうのに、イギリス兵はいろいろ嘗めてかかってるような気がした。整列して番号を言うとき、11の代わりにジャック、次はクイーン、キング、エース…と言ったり。ラジオをつくるとかっていうのも、見つかったら死を覚悟、というような感覚はちっともなくてやってるんだな。たとえ受信機であっても送信機にもなるわけで、疑られるようなことをするのもいかんのじゃないのか?
・エリックの鉄オタらしい部分があまりでてこないのがもったいない。もっと出せばよかったのに。
・しかし。日本兵が登場すると尺八が音楽として流れてくる、というバカなワンパターンはなんとかならんのか。
オーバー・ザ・ブルースカイ8/29キネカ大森1監督/フェリックス・ヴァン・フルーニンゲン脚本/フェリックス・ヴァン・フルーニンゲン、カール・ヨース
ベルギー/オランダ映画。allcinemaのあらすじは「カウボーイに憧れ、アメリカのルーツ音楽であるブルーグラスのバンドでバンジョーを弾く自由人ディディエ。ある日、全身にタトゥーを彫る情熱的なタトゥー・デザイナー、エリーゼと出会い、恋に落ちる。エリーゼは歌の才能を開花させ、バンドのヴォーカルとして活躍する。やがて2人は結婚し、かわいい女の子が誕生するが…」
舞台はベルギーのようだ。ベルギー映画にオランダの資本が入ってる、って感じかな。
まあ、救いようがない話で、バンジョー弾きのディディエも、タトゥー女のエリーゼも、どっちも頭が悪いとしかいいようがない。どこにも共感するところはなくて、その行動もうんざりする。まあ、彼らの演奏は嫌いではないけれど、要は、現実は歌のように陽気でも清々しくもないと言うことだな。
ディディエがタトゥー屋で働くエリーゼと出会い(といっても、ディディエはタトゥーをするつもりで入ったわけではないようだ。いったい何しに入ったんだ?)、コンサートに招待する→気が合ってつきあい始め→妊娠したと告げられてディディエは「人に対して責任をもつのはできない」とか悩みつつ、了解して結婚(といっても親友たちの前でであって教会でではない)→娘は5、6歳で小児性白血病(?)に罹患し、あれこれ手を尽くすが死ぬ→荒れる2人→エリーゼが家出→いったん和解して再び歌うようになるが、薬を飲んで自死…という流れなんだけど、時制がシャッフルされている。最初は病気の娘をもつ2人で、出会いや結婚などは中盤以降、かといって遡るわけでもなく、とくに規則だっている感じもない。まあ、よくある単純な話をのっぺりさせないためにそうしたのかも知れない。けれど、いつまでたってもドラマらしいドラマの展開には至らず、退屈。当然のように前半で少し寝てしまった。気がついたら娘が死んでいて、葬式の場面だった。
ディディエもエリーゼも、自分勝手で奔放な人間なんだろう。エリーゼなんか、つき合ってる男の名前を彫っては別の絵で消す、を繰り返して現在に至る、みたいな女性。全身あちこちに彫り物がある。ああいうのを見ると、ババアになったときどうすんだ? と思っちゃうんだよな。
ディディエの方が少しはまし? でも、ベルギー人がアメリカに憧れる、というのがよく分からない。カントリーに惚れているだけではなく、アメリカの自由さに憧れている感じ。だったら行けよ、と思うんだけど、そういうことではないらしい。娘が亡くなり、エリーゼも戻り、やっと復活のコンサート…で、たいそう立派な会場で一曲やった後、彼は突然演説し始める。「娘が死んだ。アメリカ(ブッシュ)は新薬の開発を止めさせている。進化によって救われる命があるのに…。ヤハウェは邪教だ。中絶を許さないからこんなことになる!」とかなんとか。その後、エリーゼは自死するんだけど、この演説がどう影響したのかは分からない。
ディディエはカソリックなのか? だから避妊せずセックスしていた。それじゃ子供ができるのも当たり前じゃん、と思うんだけど。公式ページには、エリーゼの信仰心が篤い、と書かれているんだけど、あんな尻軽でどこが信仰心? と思っちまうよ。
娘が死んだあとは、互いに責任のなすりあい。「妊娠してるのに酒も煙草もやってた」「気づかなかったのよ、3ヵ月まで」って、アホか。
鳥がガラスにぶつからないように、とエリーゼがガラスに鷲の絵のシールを貼っていると、ディディエは「鳥にはそんなことをしてもムダだ」とかいってムキになって言ったりする心理がよく分からない。
アメリカも、カントリーも、2人の心の傷を癒すのには役に立たなかった。まして憧れのアメリカは、新薬(?)の開発に消極的。なのにエリーゼは、改名してアラバマ・モンローになるっていう。なんなんだ? よく分からない。
そう。この映画は、なるほど、と分かる部分がほとんどない。アカデミー賞のベルギー代表選出、ベルリン国際映画祭観客賞第1位とか、なんで? どこが? なんだよな。

 
 

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