2014年9月

GODZILLA ゴジラ9/1MOVIX亀有シアター7監督/ギャレス・エドワーズ脚本/マックス・ボレンスタイン
原題は"Gojira"。allcinemaのあらすじは「1999年、フィリピン。採掘現場の調査にやって来た芹沢博士とグレアム博士が謎の巨大生物の痕跡を発見する。同じ頃、科学者のジョーとその妻サンドラが働く日本の原子力発電所が謎の大振動に見舞われ、深刻な放射能事故が引き起こされてしまう。15年後。ジョーの息子フォードは米海軍に所属し、妻と息子とサンフランシスコで幸せに暮らしていた。そんなある日、ジョーが立入禁止区域に侵入して逮捕されたとの知らせを受け、急ぎ日本へと向かうフォード。ジョーは、いまも原発事故の謎に取り憑かれていたのだ。彼は真相解明のためにはかつての実家に残る15年前のデータがどうしても必要だとフォードを説得し、2人で再び立入禁止区域への侵入を図るが…」
話題のハリウッドゴジラ。以前につくられたのはトカゲ呼ばわりされていまいちだったけど、今回は東宝が協力したりして、日本オリジナルに近い姿形、ストーリー展開、ミニチュアらしい壊れ方をする建物…とかが評判だという。全世界で観客を集め、公開直後に「2」の製作が決まったとか。なので、見ておかなくちゃな。なんだけど、少しもドキドキ興奮するところはなかったよ。せいぜいスクールバスに鳥がぶつかったときだけかな、ちょっとドキッとしたのは。
話は単純なんだけど、ところが分かりにくいところがいくつもあって。しかも、基本的なところなんだよな。
最初にフィリピンで発見されたのは、あれはムートーなのか? ゴジラ? あそこで生まれてでていったのは、どいつだ? 後に分かる、アメリカの核廃棄物処理施設にもっていったのは、フィリピンのなんとか、とかいってなかったっけ? だとするとムートーB(雌?)だよな。違うか?
で、ムートーAは、日本の原発近くで暴れたやつ、なんだよな。あれは、えーと、地震で原発が壊れたかと思ったら違っていて、ムートーが暴れた…。このときも、異性と交流する電波を発信して交信しようとしていたのか? それは後の話?
で、もう一匹、ムートーCはパリあたりで暴れていたけど、あれは最後までそのままで、死んでない。ってことは、次作への予感として残しておいたのか?
で。いっぽうのゴジラだけど、どこからでてきたんだ?
Wikipediaには「現在から約2億7000万年前の古生代ペルム紀、現在より高濃度の放射能に覆われていた地球では多くの巨大生物たちが生態系の上部で激しい生存競争を繰り広げていたが、ペルム紀末の大量絶滅とそれに伴う放射能濃度の低下により、彼らは地底深くへと追いやられていった。しかし、第二次世界大戦を皮切りに世界各地で核開発・実験が相次ぐようになったために地表の放射能濃度が上昇。そんな中、1954年に米軍の原子力潜水艦ノーチラスがとある怪獣を発見した。その後、米軍は実験を名目として怪獣への核攻撃を実行したが、逆に怪獣を強化する結果になってしまい、怪獣は攻撃後に行方不明となった。モナークは長年それを調査しており、芹沢博士はそれを「ゴジラ(Gojira)」と呼んだ。フィリピンで発見された巨大な化石はゴジラの祖先にあたり、それに寄生していたものはムートーの祖先と考えられた。体内に原子炉を持つゴジラと、放射線をエネルギーとするムートーは闘いが宿命づけられた怪物だった。芹沢博士は、ムートーを排除するためゴジラも復活する、と推測した」とかいてある。ふーん。そういえば、そのようなことを言っていたような気もするけれど、アバウトにしか覚えてないなあ。フィリピンで見つかったのはゴジラの化石で、寄生していたのはムートーって、ややこし。
てなわけで、起こってることがよく理解できないまま進むので、それもあってか、いまいち入り込めなかった。勘違いしないようにちゃんと説明した方がよくないか?
不思議なのは、日本の原発で働いているのが、外国人だということ。原子炉も、ヨーロッパスタイルだってのも、いまいちだな。まあ、ひと目で分かるカタチを選んだのかも知れんが。で、事故が起きて、メルトダウンはしたのか? サンドラはここで呆気なく死んでしまい、ジュリエット・ビノシュはこれにてお役後免には驚いた。速すぎるだろ。その後の展開で、15年後、原子炉のあった雀路羅市(じゃんじら、ってなんだよ!)にジョーと息子のサムが潜入すると、ガイガーカウンターが触れない。事故以来、雀路羅市一帯は隔離地域になっていて、厳しく管理されているのだが、ジョーは別の理由があると睨んでいたが、その通りのようだ…。という流れなので、サンドラはひょっとしたら被曝しないで生きてた、てな展開があるのかと思ったけど、なかった。
しかし、この時点で話に説得力がなくて、うむむむむ。原発事故はムートーが暴れたせい。それを隠すために日本とアメリカは、なにやら施設をつくってムートーを管理してきた? そんなのがバレないわけないだろ。なんていうのはゴジラ映画じゃヤボなのかね。
ジョーとサンドラの息子は、フォード。爆弾処理が専門。父ジョーが隔離地域に無断で入ったことで逮捕されたので、日本へ行く。ジョーは、原発事故の原因について不審を抱いていて、ずっと調査していた。最近になって、音声反応がどうとかいう情報を入手したので、事故前に自分がもっていたデータを取りに、自宅に戻りたい! という。フォードはやむなくついていくんだけど、やっぱり逮捕されて…。というところで、突然ムートーが暴れ出す! という流れだったよな。
渡辺謙は芹沢猪四郎博士という役で、大きい役だけど何もせず口を開けて事態を呆然と見つめるだけ、のボンクラ博士役。まあ、いわれてみれば日本のゴジラに登場する博士も、なにもしてなかったな。しかし、それにしても、渡辺謙のセリフの少なさはなんなんだ。英語をしゃべらせまいとしているかのようだな。
米軍に「必要な人材は?」と聞かれ、芹沢博士は無言でジョーとフォードを指さす。これで2人はプロジェクトに参加できることになるんだけど、なんと、ジョーがさっさと死んでしまうのにはびっくり!
米軍は、ムートーをやっつけるのに核弾頭を使用しようとするんだけど、芹沢博士は反対する。これまでも水爆攻撃とかしてきたけど、ゴジラは倒せなかった。むしろ、元気にさせている。でも、米軍は「他に手がない」と攻撃を推進する。でも、怪獣に接近すると電磁波(?)がどうたらで自動装置が狂ってしまう。ということで、なんと核弾頭を列車に積み込んだりヘリにつり下げたり、はては兵隊が何人かでえっちらかついだりするのが滑稽だった。
でその、日本のムートーAはなぜか東へ向かうんだけど、これは、ネバダ近くで孵ったムートーBと交配するためらしい。その合流地点がサンフランシスコ辺り。以下、ごちゃごちゃして話がよく分からず。フォードは志願して爆破部隊に参加するんだけど、何度もひどい目に遭いながら…、なんか、よく分からん。
卵を抱いていたのは、フィリピン/ネバダのムートーBだっけ。こいつが核弾頭を盗んで、核弾頭の周辺に産卵するんだよ。この核弾頭をフォードたちが取り返し、ついでにフォードは卵を焼き払うんだけど、まあそれはいい。それより、気になるのは、他に核弾頭ぐらいいくらでもあるんじゃないのか? なんでまたあの核弾頭に執着して危険を冒すんだ? ということだな。
一匹目のムートーは、どうやって死んだんだ? ゴジラが放射能をかけたんだっけ? よく覚えてない。もう一匹の方には、口を開かせて放射能をかけてたよな。それで、首をもいでしまっていた。この場面は、唯一、カッコよかった。でも、そのあとゴジラも倒れちまうんだよな。あれ? その後、核爆発するんだっけ? なんかうろすでに覚え。それからどのぐらい経ったのか知らないけど、人々は倒れたゴジラを前にしてるんだよな。あれ。被曝は気にならないのか? と思ったんだけど。
で、ゴジラも死んじゃったのか、と思ったらパッチリ目を開けて、次のシーンではゆうゆうと海に戻っていくんだけど、なんでゴジラはムートーを倒しに(つまり、人間を救いに)きたんだ? 分かってやってるのか? それとも偶然? よく分からんよ。やっぱ、正義の味方にしたいのかね。
・フォードの息子は12歳として。その15年後は27歳。そこに「もうすぐ5歳」の息子がいるってことは、21、2歳で結婚したのか。ふーん。
・えっちらおっちら人力で核弾頭を運ぶのが滑稽。ムートーが卵のエサにしたのをわざわざ取りに行く必要はあったのか?
・ゴジラは、まだ背中が丸まっててトカゲ風。ムートーは、便所コオロギみたい。羽根を広げると西洋悪魔にも見える。
・日本が登場すると尺八が鳴るのは、やめてくれよな。
鉄くず拾いの物語9/2キネカ大森2監督/ダニス・タノヴィッチ脚本/ダニス・タノヴィッチ
原題は"Epizoda u ?ivotu bera?a ?eljeza"。allcinemaのあらすじは「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ。貧しくも幸せに暮らすロマの一家。ある日、3人目を身ごもっていた妻セナダが激しい腹痛に襲われ、夫ナジフが借りた車で病院へと運び込まれる。診断の結果、5ヵ月の胎児はすでにお腹の中で死んでおり、大きな病院ですぐに手術しないと母胎の命も危ないと言われる。しかし非情にも、保険証を持たない夫婦には高額な手術代が必要となってしまう。それは、ナジフにはとうてい工面できる額ではなかった。それでも、妻の命を救うためにあらゆる手を尽くすべく懸命に奔走するナジフだったが…」
どこの映画かずっと分からなかった。旧ソ連のウズベキスタンとかエストニアとかバルト三国、ボスニアあたり? とか思ってたんだけど、まあ、だいたいそんな感じ。後から救済組織に申請に行ったとき、「ロマ」という言葉が出ていた。そうか。ボスニアに定着したジプシーなのか。なるほど。それで貧乏…。
残雪があり、霜も降りる高所。一家の主は鉄くず拾いで食っている。って、そんなんで生計がたつのか? 近所に住んでいるのは兄弟らしく、弟とバラすのはなんとクルマ。それも斧で。それを買い取り屋にもっていって売る。うーむ。他に仕事はないのか? ジプシーだから仕事がない? もともと仕事がしたくない人々? 差別されている? その辺りには、あまり触れないので分からない。
テレビの電波もよく入らないのか、ざらざら画面。でも夕食なんか結構おいしそうなのをつくってる。妻も働かないのか?
その妻なんだが、もの凄い巨漢でぶくぶく。刺青入り。煙草は夫婦でふかす。5、6歳の娘が2人いるんだけど、ってことは夫婦とも40歳前なのか? 妙に仲がいい。
の妻がお腹が痛いと言いだし、翌日病院に行くと流産。掻爬すれば収まる、といわれ、別の病院へ行くが、980マルク(日本円で7万円弱のようだ)払わないと手術はできないとけんもほろろ。なにしろ保険証がないから高額。亭主はゴミ捨て場で金物を拾ったりするが…。その他、役所や支援団体みたいなのにも頼るが、病院の態度は変わらない。支援団体の女性が「一緒に行こう」といっても、何度も足を運んだのに拒絶されているから、妻はもうこりごりと出かけようとしない。
とそこに、妻の妹の保険証を使って…ということを考えて、それで別の医者で手術成功。いくら払ったのかは分からない。でも、薬は飲まなくちゃならない。さらに、家に戻ると電気を止められていて真っ暗。というわけで亭主が選択したのは、自分のクルマを鉄くずにすること。ぎゃあ。そうきたか。でも、そのクルマ、エンジンがかからないとはいえ、クルマのままで売りに出した方が金になるんじゃないのか? と思ったんだが…。
貧乏とか差別とか社会制度が映画のモチーフ=テーマになっちゃう国もあるってこった。むかし見た『運動靴と赤い金魚』もそうだ。映画としては大したことはない。でも、描かれている事実、こんな国がまだある、ということ自体に驚き感動してしまう。それと似ている。
とはいえやっぱり、あんな女房と最近セックスして妊娠させていたのかよ、と思うと萎えるところがある。貧乏なのになぜ太る。ジャンクフードなんか食べてないだろうに。とても貧乏には見えない。そういえば保険証を借りた妹の方はガリガリだったなあ。その違いはどこにある?
・借りる、ということをしないのだろうか。周囲に住む兄弟や知り合いも、金がないことが分かっているからなのか。しかし、まず借金じゃないのかな。
・平地にある病院へ向かうとき、原子力発電所の近くを通るんだけど、発電所が裕福/貧乏の境目になっている、ってことかな。 ・金を払わないと手当てしない、というのも凄い。日本ならまず手当て、その後に、どう払うか、になるはず。ロマの支援団体も、なんだか情けない。機能を果たしていないのではないか?
ダブリンの時計職人9/2キネカ大森2監督/ダラ・バーン脚本/キーラン・クレイ、ダラ・バーン
原題は"Parked"とシンプル。allcinemaのあらすじは「海辺の寂れた駐車場に停まる一台の車。そこに寝泊まりするのは元時計職人のフレッド。ロンドンで失業し、故郷ダブリンに戻ってきたものの、失業手当も受けられず、家も職もないまま途方に暮れていた。そんなある日、同じように車上生活を送るドラッグ中毒の青年カハルがやって来て“隣人”となる。フレッドはカハルに連れられ、市営プールを訪れる。するとそこで思いがけず、ヘルシンキ出身の未亡人ピアノ教師ジュールスに一目惚れしてしまうフレッドだったが…」
冒頭では、いたずら書きされたクルマがクレーンでつり下げられる…その横のベンチににオッサンが座ってる、というもの。でも、これは現在で、そこから過去に遡る、という流れ。駐車場で暮らすフレッドと、同じ駐車場にやって来た、こちらも家出中のカハルが意気投合し、歳を超えたつき合いを始めていく。
ストーリーは↑の通りで、とくに大きな出来事があるわけでもなく、小ネタのエピソードの集積でどんどん時間が経っていくというもの。なので、中盤辺りは中だるみ。だって、どこに向かっているのか分からないのだから。
まず、フレッドの疑問。イギリスで長く働き、戻ってきたが、住み家がない。失業手当がもらえないらしい。その理由は、住所不定だから。相手をする役所の男の、記号みたいな描き方も面白い。でも、失業手当がもらえないのは本当のことなのか? フレッドの過去の描写も、生家を覗いていて、現在の住人に見つかる、ぐらいしかない。彼の両親はどうしたのか。なぜフレッド場イギリスに渡ったのか。いろいろな職業を点々としたというけれど、時計の修理はどこで覚えた? いや、邦題に時計職人とあるから、実直でヒゲを蓄えた職人気質の男の話かと思っていたけど、全然違う。クルマに住むおっさんの話だった。時計修理は片手間な感じ? でも、いくらなんでも部屋を借りるぐらいの金はあるんじゃないのか? クルマ持ってるんだから。身なりもちゃんとしてるし、ホームレスになるような感じに見えないのだよね。
そして、カハルの疑問。最初、一緒にいたダチは「オッサンを襲っちまおうぜ」的な感じだった。なのにそれを制止し、フレッドと友だちになった。その後に分かるけど、彼は父親から勘当されているような身の上だった。理由は、ヤクをやめないから。でもだからって、どうして駐車場暮らし? ダチがひとりいるけど、女友達とかいないのか。まあ、死んだ母親のことで父親と対立していたりと、家族に対して敵意を抱き、かつ、疎外感を感じていたのかも知れない。
フレッドはもう60歳前後だから、おっさんもいいところ。マリファナも知らないし、遊びも知らない。真面目一方。でも、少しずつカハルに背中を押され、チャレンジする。最初は拒否していたマリファナも試してみる。山道でクルマをスピンさせてみたりもする。いままでフレッドの知らない世界。フレッドにとって、カハルは教師でもあった。だから友情が存在し得たんだろう。
フレッドにとって大きなイベントは、風呂の代わりに通うことになったスポーツセンターで出会った未亡人との交流だろうな。聖歌隊でビアノを弾いている寡婦で、立派な屋敷に住んでいる。自分はホームレス、と告白すべきか否か、カハルに相談したりするところは、フレッドの真面目さが感じられてなかなか。彼女は、フィンランドだかどこだか、実家に帰って考えたい、とか言っていて、夫亡き後、エールに住む必要性を感じられないのだろう。中年の恋は、切なく哀しい。ま、未亡人がフレッドに恋してたかどうかは分からないけどね。
ただし、この辺りの話はドラマ性が薄く、エピソード的なので、そんなに引き込まれなかった。むしろ中だるみな感じ。けれど、カハルが父親を訪問したことで話がやっと大きく動く。
カハルは心の優しいやつなんだろう。でも、「ヤクはやってない」といいながら、実はやっていて、ヤクザに600ユーロの借金があった。その背景には父親への憎みがあるようだ。曰く「父は母を殺したようなもの」。でも、父親は「あれはガンだった」と応える。また、「600ユーロ(借金)ないと終わっちゃう」にも「お前は変わらなかった」と素っ気ない。まあ、600ユーロ与えたとしても、いずれまた借金抱えてヤク中から抜け出せないのは見えている。けれど、他にも施設に入れるとか、なんか手段があるんではないのか? それに、いくらバカな息子でも、死んでいいと思うような父親がいるのかね。と思ってしまう。
誰も助けてくれないなかで、ヤクをでボロボロになって死んでいったカハル。フレッドが葬儀屋に行くと、他に誰もいない。その後、カハルの家に行くんだが、あんた誰? 状態。父親と、カハルの弟は、冷たく接してくる。フレッドは「カハルとは友だちだった」というと、父親は驚いて「まさか」な顔をする。それに対してフレッドは「この時計をあなたと思って慕っていた」とかいうようなことをいい、渡す。父親は、その時計(父親からもらったもの)を見て呆然とする。そんな心根が息子にあったのか、と。カハルには弟がいて、従順な様子。それにひきかえ、とか言われつづけたんだろう。それでひねたのかも知れん。詳しくは描かれていないけど、できる息子とできない息子の差別とか、そういうのもあったのかもね。うすうす感じさせるぐらいの描写が、なかなかいい。
てなわけで、ホームレスであることが未亡人にバレ、カハルの葬式での父親と会い…と話が転がっていく。中だるみでどうなることやら、と思っていたけど、最後にちょっと盛り返した感じだ。
冒頭の、クルマが駐車場から強制的に移動させられるのは、どうやらフレッドに失業保険が出、住まいも提供されるようになったから、のようだ。役所は、「住所がないと書類は受け付けられない。ちゃんとした住所は、郵便が届くところ」といっていた。カハルとフレッドは、駐車場の住所宛にとどいた封書を役人に見せ、驚かせていたけど、納得させることがてきたのかな。
未亡人は故郷に帰る前にフレッドの新居を訪問し、ドアのすき間から封筒をすべり込ませる。フレッドが気づいて開けると、楽譜。それまで、折をみては弾いていたピアノ曲のものだ。ああ。あれは、フレッドのため、だったのか。なんか、ちょっと心温まる感じ。
ラストは、スポーツセンターの飛び込み台。最初、カハルに連れてきてもらったときはできなかった、フレッドは思いきってプールへの飛び込む。いくつになっても人間は生長できる、ということが言いたいのだろうか。 ・ボロボロになったカハルがダチ(?)or売人のところに行くと、なんと注射器(ヘロイン)を分けてくれるんだよね。投げ捨てるようにだけど。それで「代わりに靴をもらっておく」と、倒れてるカハルから靴を取ってもっていっちゃうんだろど、薬代に見合うぐらいの靴なのか?
・これも社会制度の話なんだが、役人の頭の硬さはどこでも同じだな。
・時計を修理するようには、カハルの心を直せなかった。その悔しさがあるのかもね。
・駐車場からの風景に、時々発電所の煙突が見える。『鉄くず拾いの物語』でも豊かさの象徴として原発から立ち上がる煙が写されていたけど、、対比するにはちょうどいい対象なのかね。
・カハルのダチとか、カハルに金を貸したりヤクを売りつけている2人組とかの位置づけがいまいち分かりづらかった。 ・フレッドのところに食事を持ってきたり、駐車場にするホームレスと言うことでテレビ局(新聞?)に紹介したりしていた男は、ボランティアなのか? 彼の存在も説明がなくてよく分からなかった。
LUCY/ルーシー9/8新宿ミラノ1監督/リュック・ベッソン脚本/リュック・ベッソン
原題は"Lucy"。エチオピアで発見された最古の猿人が、ルーシーと名付けられていることに拠るのだと思う。allcinemaのあらすじは「訪れた台北のホテルでマフィアの闇取引に巻き込まれてしまったごく平凡な女性ルーシー。体内に新種の麻薬が入った袋を埋め込まれ、運び屋として利用されてしまう。ところが、袋が破れて謎の物質が体内にあふれ出し、彼女の脳に異変が生じてしまう。通常の人間は脳の潜在能力の10%しか活用できないが、ルーシーの脳はそれを遥かに越えて覚醒を始めたのだ。マフィアの追手を易々とかわし、脳科学の権威ノーマン博士とコンタクトを取るべくパリへと向かう。その間にも、脳の覚醒は留まるところを知らず、いつしか自分でも制御できなくなっていくルーシーだったが…」
冒頭のルーシーと男との口論、手錠、韓国ヤクザ…で鷲掴み。あとは勢いに飲まれた。話は大げさで、辻褄合わないし、真相もよくわからないけど、引き込まれて見てしまった。「10%」「20%」とかいう字幕も、レザボアみたいだけど、インパクトあって、テンションあがる。なんたってヨハンソンの独り舞台で、人はどんどん死んで行くし、細かいツッコミはなし。いうことない面白さだ。
ルーシー(スカーレット・ヨハンソン)は台湾に留学してるのか、遊びに来てるのか。よく知らんけど、数日前に知り合った不良男に利用されて、韓国マフィアのところに送り込まれる。この冒頭のやりとりが、いい。ルーシーと男の言い合い、スーツケースにつながった手錠をかけられ、いやいやホテルのフロントへ。名前を言う言わないでフロントと言い合ったり、これはいったいどうなるのだ? と思っていると、アジア系のヤクザが大挙して降りてきて、男は撃たれてしまう。ルーシーはボスの部屋に連れていかれるが、そこにも死体…。このヤクザのボスが、なんと『オールド・ボーイ』とか『悪いやつら』のチェ・ミンシク。いかにもだらしない親分臭がぷんぷん。
で、ムリやり薬の運び屋にさせられてしまうんだけど。その経緯は無茶苦茶。台湾が舞台で韓国ヤクザってのはなんなんだ? 腹を割いて中に入れる? そもそも、その薬はどこから手に入れ、どうしようとしていたのか? ホテルの部屋の死体は? とかいうことの解説は皆無。でも、いいんだよ。ベッソンの映画なんだから。勢いで見ればいい。
古典的なモンタージュが多用されているのが新鮮。襲われそう、恐怖、逃げる、やられる…なんていうのが、アフリカの野生動物の生態でモンタージュされる。これは、猿人ルーシーがアフリカ生まれだから、というのもあるんだろう。猿人そのものの描写もある。まあ、男遊びが優先するような軽いアタマの学生、ということを強調したいんだろうけどね。
で、他の運び屋はベルリン、ローマ、ロンドンだったかな。ルーシーはパリへいくことになり、監禁中に監視男に蹴られ、内容物がしみ出してきてルーシーの脳が活発化。いきなり天井にへばりついたり、簡単に人を殺したりするようになったりするんだが、脳の利用率が高まったって、そんなこと…だよな。
で、台湾の病院に行き、手術室へ。MRIかなんかの画像を見て「この患者はもう助からない」と撃ち殺し、腹から薬を取り出させるって、性格変わり過ぎなルーシー。人も気持ちいいぐらいにバンバン殺していくのがたまらない。もう善悪ではないのだよな。ところで、この薬は何かというと、妊娠中に胎児のなかでつくられる何とかいう物質で、骨をつくるものなんだという。あれ? じゃあ麻薬じゃないのか。薬品名を言ったら医者も知ってたし…。じゃあ韓国ヤクザはそれを知っていたのか? でも、その効果についても知っていたのか? 吸ったぐらいじゃダメで、がんがん体内に取り込まないとダメなのか? なんか、話も辻褄があまり合ってないけど、いいんだよ、それぐらい。
飛行機の中で薬切れになり、身体が崩壊し出すのは、ありゃイメージか現実か? さらに、パリに到着するとものすごい超能力者になってて、、髪の毛をブロンドから黒髪にしたり、追ってきたヤクザは天井にへばりつかせてしまったりする。マンガだ! でも楽しい。
この間、脳の利用についての第一人者ノーマン博士(モーガン・フリーマン)もちょろちょろ紹介されるんだけど、終わってみれば大した役回りもしていなくて、何のために登場したのかよく分からない感じ。
ベルリン、ローマ、ロンドンに向かった運び屋をパリへと集めてしまうのも変な話で。でも、話の都合上そうしたんだろう。それでいい。で、たまたまルーシーの電話を受けたパリの刑事を引き連れて、他の運び屋が腹に入れていた薬も手に入れ、ノーマン博士らの前で(だっけ?)残りすべての薬を点滴! って、この辺りで、ルーシーの目的がなんなのか、よま分からなくなってくる。
というルーシーを追って、韓国ヤクザがパリへやってくるんだけど。この時点でルーシーの敵としてはお粗末すぎるな。そもそも韓国ヤクザはなにを求めてやってきたのか分からない。命に替えるほど大切な薬だったのか? 説明されていないから分からない。
彼女は、「自分の命は残り少ない」といっている。母親に電話したり、別れを惜しむ感情も合った(20%ぐらいのとき)。でも、80%→100%になると、もう麻薬中毒患者と同じで、薬を欲しがっているだけにしか見えない。でもって、彼女の身体はコンピュータと一体化し、何かの答をデータ化したものをUSBに入れてノーマン博士に渡すんだけど、コンピュータの力を借りないとできないものだったのかな? しかし、あのUSBの中味はなんなんだ?
とまあ、分からないことだらけで、ツッコミどころはあるんだけど、突っ込んでもしょうがないよ、ベッソンなんだから。勢いで見ればいいのだ。
そうそう。パリの刑事かノーマン博士だったかが、ルーシーに「いまどこに?」みたいなことを問うんだけど、その答は「私はいたるところにいる」というようなものだった。脳が100%利用されるようになると、意識は身体を離れて空間を満たすようになる、すべてが融合されて世界と一体になる、ということか。登場するアジアや欧州などの一体化も示唆しているのかな。とか、読み解こうとすること自体がアホらしい。雰囲気で見て、面白かった、で終わればそれでよいのだ。スカーレット・ヨハンソンをみて、それでおしまい、の映画だ。
とらわれて夏5/16新宿武蔵野館2監督/ジェイソン・ライトマン脚本/ジェイソン・ライトマン
2度目。見たくて見たんじゃなくて。タイトルうろ覚えで、2本とも未見かと思って9時20分に行ったら、どーも見た感じなタイトルと、ケイト・ウィンスレット。げげ。やっぱり。でも、冒頭からいきなりスーパーマーケットじゃなかったんだな。マーケットに入るまでのところ、ほとんど記憶になかった。なんかあったのかな、前に見たとき。
それにしても、フツーに歩いていると警官に声をかけられ、送っていくいうのを断ると、逮捕されたいか、なんて言われたり。銀行に行って大金を下ろそうとすると、犯罪性の疑いもあるので、とかいわれちゃうアメリカって、なんなんだ。
ある過去の行方9/9ギンレイホール監督/アスガー・ファルハディ脚本/アスガー・ファルハディ
フランス/イタリア映画。原題は"Le pass?"。allcinemaのあらすじは「別れたフランス人の妻マリー=アンヌと正式な離婚手続きをとるため、テヘランから4年ぶりにパリに戻ってきたイラン人男性、アーマド。空港でマリー=アンヌに出迎えられ、一緒に家へと向かう。彼はそこで、マリー=アンヌがすでに新しい恋人サミールと暮らしていることを知る。しかし、そんな2人の交際に反発するのがマリー=アンヌの上の娘リュシー。彼女はアーマドに対し、サミールには昏睡状態の奥さんがいると告白するのだが…」
『別離』の監督らしいが、前半のじれったくも歯がゆくイライラする展開に腹が立った。なんだこれは。フツーなら数分、いくつかのセリフで済んでしまう、映画の前提条件である"設定"の説明に1時間ぐらい使ってる。↑のあらすじの最初の文章の内容が観客に伝わるのに、何分かかってるんだ! しかも、この監督の手法として、過去の出来事を隠して話が進んでいき、実は…、てな開陳ぶりなので、「だったら早くそれを言えよ」とむかっ腹がたってくる。だって、だらだら、どーでもいいようなことを描写していくことに、ほとんど意味がない。なぜなら、次第に分かってくる設定に説得力がなく、ほとんどあり得ないようなものだからだ。そういう基盤の上に、いくら緻密な工作をしても、人をうならすような映画にはなりはしない。
事件らしい事件もなく、概略がつかめてきたのが半ばで、でも、設定のすべてが分かったわけではない。というか、小出しにしてじらす作戦か、とも思えるのだけれど、最後まで結局、分からないことも多くて。なぜ枠組みをキチンと伝えないのか、疑問。
後半も押し詰まった頃からミステリー的要素がでてきて、少し集中できるようになってきた。これは「藪の中」なのか? と思ったけれど、結局それも曖昧なままに放り出されたままで、なんとラストは、それまで語られてきた流れとは別の話になって終わってしまった。おい。なんだよ。な、感じ。
登場する連中が、みんなアホ。というか、こいつら人間か? と思うような連中が多くでてきて、オソロシイ。
空港で、にこやかに男を迎える女。これみて、離婚手続のためにやって来た夫を迎える淫乱浮気女とは、だれも思うまい。2人は女(マリー)が誰かから借りたクルマで家に向かう。どうも夫婦者らしいが、クルマにあった免許証が"あやしい"。けど、そのまま進んでいく。家に行くと子供が2人いるんだけど、男の子は反抗的、女の子は男(アーマド)をすぐに思い出す…。他にも娘がいるらしいが・・・。という描写が隔靴掻痒。
しかし、このマリー。亭主がイランに行ってるあいだに洗濯屋の主人とデキてしまって、いまじゃ、家にその主人サミールを連れ込んで暮らしている! そこに帰ってくる夫は、とくに怒り心頭でもなく、淡々としているのはなぜなんだ? そもそもアーマドがイランとフランスを行ったり来たりしているのはなぜ? 後半にそのことに少し触れる場面があるんだけど、語られなかった。おい。なんだよそれ。
家では、少年は「家に帰りたい」とダダをこねてる。この少年、ほんと、ひっぱたきたくなるぐらい言うことを聞かない。こいつ、長じて不良か犯罪者だな。
少女はアーマドの娘のようなんだけど、話の中にマリーは亭主を3度変えているとかなんとかいうセリフがあったような・・・。なので、もしかしたら子種は浮気相手のもの? とか思ったんだけど、うやむや…。
他に高校生ぐらいの娘リュシーがいるんだけど、彼女が近ごろ反抗的で家に帰らない。両親の離婚…といっても、まだ離婚が成立していないのに、サミールを連れ込んでいることなんかに抵抗しているらしい。しかも、アーマドから、母親が妊娠しているといわれ動揺…という展開。
これらが、だらだらずるずる、少しずつ明かされていくんだけど、ちょっとだけね、的な明かされ方なので、イラつく。いや、それにも増して、このマリーって女の感覚は何なんだ? 離婚が成立してないのに男を連れ込むってなんなんだ? と思っていたら、なんと、サミールには妻がいて、しかも、植物人間状態であるとかなんとか。おい。なんなんだよ。早く言えよ。ってか、そういう状態でよく平気で…と、呆れるだけで精一杯。どこまで面の皮が厚いんだとしか思えない。
フランスじゃこういうのは当たり前なのか? いや、それにしても夫アーマドは大人しすぎるだろ。それなりの理由があるのか? こっちも浮気してるとか…とか思ったけど、そういう話はない。なんなんだ。
というところで気づくのは、舞台はフランス。でてくるのはイラン人ばっかり。…とばかり思っていたら、↑のあらすじによると、マリーはフランス人なのか。げ。土人顔だろ、どー見ても。見たらアルゼンチンらしいが、イランとかアルジェリアといわれてもおかしくねえぞ。
ん? まてよ。じゃ、洗濯屋の主人サミールはイラン人なんだよな? だよな。なんか不安。っていうか、人物の人種を表示してくれなきゃ、わけ分からんよ。まあいい。で、気になったのは、フランスに暮らすイラン人はイスラムなのか? だとしたら食べ物とかお祈りはどうしてるんだ? マリーはショールしてなかったけど…あ、彼女はフランス人だからいいのか。サミールに使われていた不法移民の女がいたけど、彼女はショールしてなかった。とかいうことがとても気になってしまったよ。
フランス国内の移民事情、移民とフランス人との婚姻事情なんか分からないんだから、なんとかしてくれよ、な感じ。お国事情まで理解してないと、映画も楽しめないのかね。困ったもんだ。
で、さて。ひねてる娘のリュシーは、家をでたいといいだす。行き先は、ベルギーの父の家、ってなんだよ。マリーの父親の家? ならそう分かるように字幕もしっかりしろよ。テキトーに翻訳だけしてんじゃねえ。
ミステリアスになるのは、後半もかなりたってからで。サミールの妻が植物状態になった理由が、少しずつ分かってくるのだけれど、これはたしかリュシーがアーマドに話したことから分かってきたんだっけかな。これを聞かされたマリーは逆上して怒鳴り散らすんだけど、なんて女だこいつは。てなわけで、このあたりの展開も小出し作戦で、イラつく。
マリーは最初、「彼女はウツだった。だから自殺した」と反論する。次に、自殺の5日前にお客ともめ事を起こしているのでのでそのせい、という説は誰が出したんだっけかな。忘れた。それから、今度はリュシーが「母とサミールとのメールを、サミールの妻に転送した」と告白。これを聞いたアーマドがマリーに告げると、彼女は逆上するんだけど、笑っちゃったよ。すげえな、この女。
でも、サミール妻のメアドをどうやって知ったか、でまたひと悶着。リュシーは「店に電話したら本人が教えてくれた」というので、罪の意識に苛まされている。というところで、マリーがこのことをサミールに話すと、その日、妻は店にいなかったと思い出す。では、と不法移民で働いてる女に問うと、「奥さんは私を嫌っていた。私と旦那さんが不倫してると思って、いじわるしてたから」と言い訳する。これをサミールは「お前が殺したようなものだ」と断罪して即刻解雇。なんだけど、不法移民女は「奥さんはメールを読んでないかも知れない。読んでたら、私の前で洗剤を飲んだりしない。クスリ屋(マリーの勤務先)に行って飲んだはずだ」というんだけど、結局この話はうやむや。事実がどうだったかは分からない。
という件は、まあ、多少面白かったけれど、いまいちキレがない。いや。驚くのはまだ早い。なんと、この辺りから、サミールはまだ妻に未練がある、といいだすのだよ。おーい。こら。ここまできて話をひっくり返すなよ。そういえば、最初は自分の家に帰りたいと言っていた少年が、このころになるとマリーの家に居たい、といいだすのはなぜなんだ? どーも、いろいろ一貫性がない。てなわけで、子供を堕ろせば、とまでいわれ、マリーがまたまた逆上して煙草を吸い出すという、どうしようもない展開になる。
で、最後。これがなんと、サミールと妻の話になっちゃうんだよ。なんでも、植物状態でも意識が残っていると、匂いに反応するとかて、サミールは妻の香水と自分のオーデコロンを病院にもって行く。医師のテストでは反応がなかったけれど、自分でオーデコロンをつけてつまに触れると、つつーっと涙が流れ、サミールの手を握りしめる…というところで終わりなんだけど、こういう終わり方でいいのか? おかしいだろ。
それにつけても気の毒なのはアーマドさんだね。妻には浮気され、家も乗っ取られてるんだから。いちばん怒って当然だと思うんだけど、いちばん冷静なのが不思議。というわけで、映画としてのデキは非常に悪い。イラつく映画であった。
プロミスト・ランド9/12新宿武蔵野館2監督/ガス・ヴァン・サント脚本/ジョン・クラシンスキー、マット・デイモン
原題も"Promised Land"。allcinemaのあらすじは「大手エネルギー会社の幹部候補スティーヴは、仕事のパートナー、スーとともにマッキンリーという田舎町を訪れる。ここには良質なシェール・ガスが埋蔵していた。スティーヴの目的は、その採掘権を町ごと買い占めること。農業しかないこの町で、不況に喘ぐ農場主たちを説得するのは容易なことと思われた。地元有力者への根回しも欠かさず、交渉は順調に進んでいく。ところが、地元の老教師が反対の狼煙を上げたことで、採掘の可否が住民投票にかけられる事態に。さらにそこへ、他所から乗り込んできた環境活動家のダスティンが加勢し、思わぬ苦境に立たされるスティーヴだったが…」
社会派ドラマ。でもコメディ要素も随所にあって、割りと軽い。それは会話にも現れているようなんだけど、ひょうひょうとした洒脱な会話らしい…とは思えど、字幕ではほとんど伝わってこない。それと、細かな情報が、会話でさっさか進むので、理解する前に通り過ぎてしまうことしばし。このあたりは、字幕の壁を感じざるを得ない。
営業成績の素晴らしさから幹部社員に推薦されているスティーヴだけど、やってることは泥臭い。たった2人で町に出かけ、町役人を丸め込み、地権者の了解をとっていく。町には地場産業もなく、説得の言葉も巧み。では、スティーヴは自分の仕事に誇りをもっているのだろうか? そのあたりが曖昧。
よく分からないのは、採掘の可否の話。個別に個人から了解を取っていけば、それでOKなのではないのか? と思っていたら、住民投票になるという。これでNOなら、町全体として採掘はできない(させない)ということになるのか? 町役人に賄賂を渡してたのも、それがあるから? っていうか、住民投票がない場合は、個別の契約で採掘OKと言うことなのか? その辺りがよく分からない。自分が勤務するグローバル社に奉仕することで、ひいては田舎農民のためになっている、と心底信じているのか。いや、どーもそうではないようなところもある。たとえば町役人にウソ情報を流し、賄賂を低く抑えようとしている。まあ、これは、基本ノウハウなのかも知れないけれど。あと、田舎教師でもMIT出でボーイング社にも勤めたことのあるイェーツとの対峙では、口ごもってしまうころも…。自社が嘘をついておバカな農民を丸め込んでいる、ということは承知? それとも、会社のためになり、農民のためにもなっている、ぐらいの意識なんだろうか? スティーヴに、悪いことをしている、という意識がほとんど感じられないので、いまいちラストの心変わりに「なるほど」と思えないんだよな。
スティーヴが宗旨替えした原因としてあげられるのは、環境保護団体からきたというダスティンが、住民投票を有利にするためにグローバル社から送り込まれた工作員で、自分も騙されていた、ということに対する怒りだけなんだよな。あと、補足として、住民投票のときの25セントのレモネードにお釣りをくれた少女の、平等性ぐらいか。なので、ずっとグローバル教にかかっていたスティーヴが、最後に首を覚悟で真実(ダスティンはグローバルの工作員だということ)を町民に告白し、中年教師のアリスのところにいくのが、いささか唐突に思えた。それ以前にスティーヴの悩み(こんなことしていていいのか的な)とか揺れる部分を描いておけば、すんなり納得できたと思うんだが。
とはいいつつ、いま話題のシェール・ガスに関する米国内のやり口が、すでに2012年に映画化されていたことに驚いた。こういう反応の速さはアメリカならではだよな。『マイレージ、マイライフ』とか『エリン・ブロコビッチ』とか、この手の映画で、硬派な内容も面白楽しく映画にしてしまう。日本にはこういうセンスが足りない。
アリスは、いったん都会にでたけど、先祖から代代つづく土地を守るため田舎に戻ってきた、という設定。なんか、きれいごとな感じ。それに、もう40だろ。離婚したんだっけ? まあ、教師なら多少は安定してるだろうけど、人口減では将来も怪しい。そんな町に、スティーヴも骨を埋めようというのか? 彼の決断にも疑問。
本部の営業部長に内定→解雇、なスティーヴだけど。独身だったのか? の割りに質素な感じ。どういう信条なんだろう。マット・デイモンが演じてるから、そもそもはじめから心根がいいやつ、みたいに見えてしまう。
星条旗がやたらでてくる。マット・デイモンの背後に大きくあるシーンも。アメリカ国民として、どうなんだ、的なところがあるんだろうか。国家としては誇りでも、大企業や国家はどうなんだ、と思うけどね。
スティーヴは、やたら小さな馬についての会話を助手のスーとする。どういう意味があるのかよく分からないんだけど。教師のイェーツとの対話では、特産品らしいから、将来はあの子馬を地元活性化の起爆剤にしますよ、的な示唆なのかね。
ジョークの貧困さを示すシーンがある。冒頭での、スティーヴと本社幹部との食事会でのこと。遅れている幹部について、ある幹部がいう。「推薦されてきた若手と初めて会うときの、あいつの唯一のジョークは"不細工と聞いていたがな"っていうんだ」と。バカのひとつ覚えってことだろう。でも、スティーブが農家を訪問するときも、庭に子供がいると「お嬢ちゃんが土地の持ち主?」とかいう、ワンパターン。つまりは、そういう人間が会社の幹部になってる、ってことなのかな。
クィーン・オブ・ベルサイユ 大富豪の華麗なる転落9/16新宿武蔵野館1監督/ローレン・グリーンフィールド脚本/---
アメリカ/オランダ/イギリス/デンマーク映画。原題も"The Queen of Versailles"。allcinemaの解説は「無一文からアメリカ屈指の大富豪に成り上がったデヴィッド・シーゲルとその妻で元ミセス・フロリダのジャッキー。2人はアメリカ最大の邸宅を作るという野望を抱き、その実現のために総工費100億円をかけた大豪邸、通称“ベルサイユ”の建設に乗り出す。写真家兼映像作家のローレン・グリーンフィールド監督は、そんなシーゲル夫妻のアメリカン・ドリームをカメラに収めるべく密着取材を開始する。その矢先、リーマンショックによる世界的金融危機が起こり、夫妻の莫大な資産は一夜にして霧散し、代わりに1,200億円もの借金を抱えるハメに。浪費家だったジャッキーも、厳しい現実を受け入れようといささかピント外れながら、彼女なりに節約生活を開始するが…。本作は、そんな図らずも目撃することになった大富豪のド派手な大転落の顛末を記録したドキュメンタリー」
田吾作成り上がりの話かと思ったら、必ずしもそうではないようだ。夫はビジネスで大成功。妻は、その後妻に入った、けど、なんと7人も生んでいる。姪を養子にしているので、都合8人の子供の親になって、嫌われていないようなのがご立派。まあ、あれこれゴージャスなことに手は出すけど、想像したほど悪趣味ではない。でも、だらしないけど。いちばん気になったのが、犬の糞。家の中で自由にさせているから、あっちこっちに落ちてて、みんなで踏んでいる。げ。ちゃんとしつけろよ。
さてと。そのゴージャスなパートはそんなに長くはなくて、半分以下かな。あれこれ派手な生活が描写されるけど、会社の手口もちゃんと紹介される。タイムシェアのリゾート施設をバンバンつくり、それを低所得者にも売りさばいていた。そこにリーマンショックが襲う。銀行の融資がパタリと途絶え、資金繰りにあっぷあっぷ。施設は次々閉鎖、社員は大量解雇、ベルサイユ宮殿を模した新居は建設途中で売りに出されるが売れない…。という状況が延々と映される。
とはいっても、巨大な屋敷はそのまま。メイドが減って手が回らなくなったりしているけれど、ジャッキーはあまり倹約には向いていない様子。これがおかしくて、ウォールマートに買い物に行くと、クルマに入りきらないほど買って帰る。「子供がよろこぶから」と自転車を買うんだけど、メイドは「こりゃ小さいな」とぶつぶつ。その自転車を物置に持っていくと、そこには数10台の自転車が…てな案配で、もうストレスから来る浪費癖が直らない。
最後の方でも、デヴィッドは仕事に夢中で飯も書斎で採る始末。で、そのデヴィッドが気になるのは、家族が電気をこまめに切らないこと。小言をいうと、あれこれ言い訳する様子なんか、アホかと思うけど、やっぱりそういうところが田吾作なのかな。
しかし、働いているフィリピン人のメイドの話も凄い。7歳の息子をおいて渡米。その息子ももう26歳になってるが、一度も帰っていないらしい。給料は大半フィリピンに送っていて、家族や親戚の生活費に充てている。田舎に土地は買ったけど、コンクリートの家を建てるのが夢。でも金が足りないからまだまだこっちで働く。父親は芯だけど、墓だけはコンクリートにした。…とかいう話で、うわー、な感じ。
で、ラスベガスにつくった巨大なリゾート施設に執着し、絶対に手放さない、と息巻いていたけど、とうとう落城。…というところで映画は終わる。2012年の映画だから、もう2年たってる。アメリカの景気も上向きだ。いま、彼らはどうしているのか、強く知りたいところではある。
・40歳を超えて7人も子供を産みながら、そこそこの体型を維持しているのが不思議、なジャッキー。あの巨乳はシリコンか? ボトックスやってるところは映ってたけど…。
イヴ・サンローラン9/19新宿武蔵野館1監督/ジャリル・レスペール脚本/マリー=ピエール・ユステ、ジャリル・レスペール、ジャック・フィエスキ
原題も"Yves Saint Laurent"。allcinemaのあらすじは「1957年、パリ。デザイナーの卵時代にクリスチャン・ディオールに見出されたイヴ・サンローランは、彼の死後、弱冠21歳にしてその後継に指名される。周囲の不安をよそに、初めてのコレクションを大成功に導き、鮮烈なデビューを飾ったイヴ。そんな彼の才能に惚れ込んだ人物の一人に、芸術家の後援をする26歳のピエール・ベルジェがいた。2人は出会ってすぐに惹かれ合い、ほどなく一緒に暮らすようになる。ピエールは繊細なイヴを様々な厄介ごとから守るべく雑事を一手に引き受け、彼がデザインに専念できるよう尽力する。そんな中、ディオール社とのトラブルに巻き込まれたイヴは、ピエールの献身的な支えの下、ついに自らのレーベル“イヴ・サンローラン”の設立にこぎ着けるが…」
この映画は、イヴ・サンローランをよく知っている人のための映画だな。彼のことを知らない人が見ると「ホモ野郎だったのか」ぐらいしか感想がない。時系列で構成されているけれど、現象面を羅列しているだけで、「なぜ」そうなったか、そしてどうなったかが部分が描かれない。彼を知っている人なら、それで十分なんだろう。でもそれじゃドラマがないわけで、映画としてはつまらない。登場人物は薄っぺらで実在感が乏しい。もっと人間を描かないと、共感も反発も、なにも感じられない。でもまあ、彼を知っている人にとっては生涯に関わった重要人物が駒として登場すればそれでOKなんだろう。そして強調されるのは、同性愛者の部分で、サポーターであり生涯の伴侶だったピエールとの、どろどろな関係。まあ、そういう部分は濃密に描かれているので、知っている人は「あらこんなだったの」と驚いたりできて、それで満足できる。そんな、イヴのファンのための映画だと思う。
でそのピエールなんだけど、そもそも彼はどういう人物なのか、ほとんど描かれない。最初の頃の発表会に来ていたのは見えたけど、いつの間にかディオールの会社に入っていたのか? 2人の関係は河辺でキスするシーンで描かれるけど、鳥肌ものだぜ。いくら役者でも、あそこまでできるかね。やれって言われても、できねえな、男とのキスなんて。まあいいんだけど。
で、それ以前に酒場で女性といちゃいちゃしていたのは、あれはモデルのヴィクトワール? 他にアシスタントの女性も何となく似たような顔立ちだったので自信がないんだけど。まあいい。あのシーンがあったので、ひょっとして隠れオカマか? 結婚したのか? と思ったけど、そうじゃないのね。分かりにくい。まあ、最初からオカマ顔、とは思っていたが…。それはキャスティングの成功かもね。

ところで最初の頃、2人で集めたコレクションを処分した…云々があるんだけど。このジジイはディオール? と始め思った。なぜって、イヴがディオールのところに入って、かなり気に入られているようなシーンがあったから。次第に分かってくるんだけど、この回想のナレーションはピエールなのね。ってことは、すべてピエールの視点で描かれてるのか? そういうわけでもないだろ。分からんよな、初見ではなかなか。それにしても、美術品コレクションに関しては、この後、イヴが骨董品店の前を通って仏像を買うシーンしかない。それじゃ説得力ないだろ。
で、冒頭のシーンだけれど、家族で戦況がどうたら、と話し合っている。まあ、アルジェリアのことだろうと想像はついたけれど、まさか家がアルジェリアにあって・・・という切迫した状態とは思わなかった。この映画、年代についてはクレジットがあるんだけど、地理的なところで説明がないので、不案内な観客にはとても不親切。でこの家族は後にもたびたび登場するんだけど、つねにセットで現れて、まるで記号的にしか扱われない。そもそも両親は息子とピエールとの関係をどう思っていたんだろう。イヴの成功の後に、いいくらしはさせてもらっていたのか。それとも経済的にはとくに関係はなかったのか。イヴが徴兵され、躁鬱病にかかったときも、通っていたのはピエールのみ、みたいな描き方。息子を案ずる母親は、面会もしなかったのか。そんなはずはないだろ。
ディオールが死んで、後を任されたイヴ。このときのショーの様子は面白かった。こんな、ホテルの一室みたいのからファッションショーは始まったんだ! というオドロキ。
その後、徴兵逃れをしていたけれど、結局ダメで入隊するが、速攻で病院行き。躁鬱病だという。これでディオールのところは解雇されるんだけど。その後の経過がよく分からない。退院とか除隊とか、どうなったんだ? だって、次はもう独立話になっているのだから。で、その中心となったのがピエールで、他にもディオール時代のモデルやお針子、あとオバサンもそうか? 独立したとき集まった仲間についても、具体的な描写がない。資金はディオールに対する契約不履行とかで裁判に勝ったりするんだけど、精鋭が集まり、新たなスタートを切るという、このあたりの高揚感がまったくつたわってこない。
独立後のショーも、一部マスコミには酷評されるけれど、日本人バイヤーがやってきたり、モンドリアンの絵柄で世界的に知名度が上がったりと、いくつかの出来事はある。けど、サクセスストーリーのワクワク感は伝わってこない。むしろ、モンドリアンの了解は得たのか? というか、共同製作になるのか? とかが気になった。モンドリアンは登場しなかったけど(だよな)。モンドリアン柄のモードの後に、ウォーホールが描いたイヴが登場したり、次第に著名人になっていく様子が、でも簡単にしか描かれないのがもったいない感じ。
しかしまあ、この辺りまではそれでもましな方で。以後、次第につまらなくなる。
たとえば、イヴがモデルのヴィクトワールと仲よく話してるのを見て、ピエールは嫉妬。ある夜、ヴィクトワールと2人になると、反発しあいながらもその場でバックでやりはじめるという…。お。ピエールって両刀遣いだったのか。ピエールはそのことをイヴに話したらしいが、これがあってイヴはヴィクトワールを遠ざけるようになるという、めんどくせえ関係。でヴィクトワールは以後、登場しない。なんかな、な感じ。
一方でイヴは男を漁りに河岸へ行ったりするんだけど、このあたりの心理はまったく分からない。なにが足りないのだ? ビジネスは成功したけど、男が足りない? でも、ずっとビジネス方面の話しは描かれなくて、ファッションの移り変わりとか、イヴの才能の変遷なども、なにも見ることができない。あるのは、男男関係のもつれだけ。
ジャックは、イヴの浮気相手? あの、フェラした相手がそうなんだよな。あれは、マラケシ滞在でのことで、あそこに集まっていたうちの1人がジャックか。従兄と妙なパフォーマンスしたやつ…というぐらいしか出自が描かれない。ってか、マラケシってどこよ? 調べたらモロッコだった。しかし、なんでマラケシなんだよ。何しに行ったんだ? どの程度の期間いたのかしらないけど、仕事はどうしてたんだ? わけ分からん。
ジャックとの関係は、本気だったみたい。でも、イヴはピエールに「彼を愛している。でも、生涯の男は君だ」とかいうんだけど、精神的にはつながっているけれど、肉体的には若い男が好き、ということか? でも、これはピエールがジャックに一発カマして解決。なんだ。呆気ない。これで2人の関係もオシマイかと思ったら、そうでもなくて、ピエールは地道にビジネスを支えてる。イヴはアル中でヘロヘロになりながらのデザインなんだけど、そういうのもしっかり支えてる。なんか、よく分からない。そういう中でのショーの様子が描かれるんだけど、花道もできて規模も大きくなっている。人間的にはボロボロでも、ビジネスには影響がなかった、のかな?
でまあ、冒頭のシーンに戻り、イヴが亡くなったことが告げられる。老ピエールが懐かしむようなイメージシーンなんだけど、キレイ事にしちゃってる感がある。むしろ思うのは、イヴが亡くなって、じゃあどうして2人で集めたコレクションを処分しなくちゃならないのだ? どういう意味があるのか分からない。
・日本人バイヤーがやってきたとき、ヴィクトワールがモデルとしてでてくるんだけど。彼女が「お茶会には関係ない人たちね」とかなんとか言う。それを後からイヴに「つまらん冗談はやめろ。あれは中国人じゃない。日本人だ」とかいうのは、どういうことなのかよく分からず。
・ディオール時代のパーティで、ジャン・コクトーが登場してたけど、あれは単なる箔付けで登場させたのかな。
・最初の方で、イヴとピエールの2人で、田舎の別荘(?)へ行くシーンがあるんだけど、そこで蝉がどうたらというセリフがあって、ちょっと驚いた。虫の声を愛でるのは日本人だけで、外国人はノイズと思う、てなことを聞いたことがあるのでね。
・前半と最後は、ジャズが使われていた。なかなかいい感じのメロディだった。
8月の家族たち9/22ギンレイホール監督/ジョン・ウェルズ脚本/トレイシー・レッツ
原題は"August: Osage County"。Google翻訳したら「8月:オーセージ郡」とでた。allcinemaのあらすじは「8月のある暑い日。父親が失踪したとの知らせに、滅多に顔を合わせない三姉妹がオクラホマの実家に集まる。長女のバーバラは反抗期の娘に手を焼き、夫との関係にも問題を抱えていた。自由奔放な三女カレンは怪しげな婚約者を同伴し、ひとり地元に残る次女アイビーはいまだに独身のまま。そんな娘たちを迎えた母バイオレットはガンで闘病中ながら、相変わらずの歯に衣着せぬ毒舌ぶりで、いつしか家族の間に不穏な空気が漂い始め…」
メリル・ストリープ、ジュリア・ロバーツをはじめ、配役が凄い。でもって、2人の鬼気迫る演技。まるで賞獲りを意識したみたいな雰囲気が漂っていて、あざとい。演技は凄い。では物語は、となるとかなり心もとない。「ピューリッツァー賞&トニー賞W受賞の傑作舞台」が原作らしいが、よく考えて見れば、変人の母親バイオレット(メリル・ストリープ)の奇矯な行動に翻弄される一家が描かれるだけ。その奇矯な行動の原因はというと、果たしてよく分からない。
もちろん、バイオレットは口腔がんで薬を過剰に飲んでいる。夫が自殺した。その夫はかつて、バイオレットの妹のマティ・フェイと不倫して子(リトル・チャールズ=ベネディクト・カンバーバッチ)をなした。自分が目をかけた娘バーバラ(ジュリア・ロバーツ)は才能を十分発揮させず、埋もれ、夫のビル(ユアン・マクレガー)とも別居状態…というような原因らしきものは挙げられている。でも、それだけで、あんな大暴れするものか? 何かといえばみなにつっかかり、罵倒し、偉そうにふんぞり返る。たんなる変人ではないか。そんな変人の行動を見ても、さほど面白くはない。どこにも「なるほど」はなく、同情も共感もできない。いさかいによって少しずつ暴かれる家族の隠しごとも、べつにバイオレットとは関係なくあるわけで、たんにビョーキの老婆がジタバタしているようにしか見えなかった。
そもそも夫ベバリーの自死の原因すら分からない。不倫でできたリトル・チャールズのこと…みたいなこともちょっと言われていたけど、そんなことで何10年後かに死ぬか? リトル・チャールズがちょっと出来損ないだとしても。
というわけで、ずううううっと退屈なまま90分ぐらい。まあ、家族が取っ替え引っ替え登場し、それぞれの様子を見たり、罵ったり罵られたり告白じみたことをいったり自慢したり…があるから眠らなかったけど、でも、眠りそうには、なった。そんな中で引っかかる存在が、リトル・チャールズと次女アイビーの2人なのだよね。従兄弟同士でありながら、どうやらつき合っていて、ニューヨークに出よう、と企んでいるらしい。日本だと従兄弟同士は結婚しても問題ないけど、彼の地ではタブーのはず。どうなるのかな、と見ていたら、リトル・チャールズの母親マティ・フェイがバーバラに「リトル・チャールズとアイビーは兄弟だ」と告白して、ちょっと目が覚めた。おお、そういうことだったのか、と。
その後、三女カレンの婚約者がバーバラの娘にマリファナを与え、いちゃいちゃしているところを家政婦のインディアンが見つけ、スコップで殴打。この騒ぎでカレンと婚約者は速攻で帰ってしまうのだけれど、まあ、これもちょっとした事件で、やっと盛り上がってきた感じ。いや、ここまでが長かった。
バーバラは、アイビーとリトル・チャールズとの逃避行を止めさせようとするが、その理由は言えない。けれど、アイビーが母バイオレットにリトル・チャールズとの関係を告白しにきたとき、バイオレットはさらっと事実を言ってしまう。アイビーは涙ながらに去って行くのだけれど、果たして2人はどうなったのか。気になるけど、映画はそれ以上語らない。
しかし、母親と娘との関係も、まあ、よくある感じ? デキのいいバーバラに愛情を注ぎ、アイビーには素っ気ない。でも、バーバラは田舎を出て行ってしまう。田舎に残ったのはアイビーで、彼女は行かず後家。自分の世話をさせているのに、冷たい。こういう母親像というのは、どーもすんなり受け止められない。それって、たんなる変人だろ。というわけで、演技は凄かったところはあったけれど、話しとしてはそれほど、でもなかった。
・バイオレットとベバリーは、どちらかが亡くなったら貸金庫にあるものを処分する、とかいう約束をしていたらしい。宝石や、お金もあったらしいが、バイオレットは亭主の自死の情報(発見される前に遺書を発見していたが、誰にも伝えなかった)を得ると、警察より前に銀行に行き、遺産は娘たちに平等に、とあったものを自分に都合よく変えてしまった。すなわち、夫との口約束で、自分にすべてくるようになっていた、と家族に話している。なんて強欲な母親なのかね。理解不能だ。
・仕事もロクにできないリトル・チャールズをののしる母マティ・フェイって、なんなのと思う。実子なのに。種違いとは知らない父チャールズ(クリス・クーパー)がやさしいのと比べると、鬼だな。
・死んだ亭主のベバリーは、詩人。でも最近は書いていなくて、田舎で教師をしていた、という設定。それは何かに関係するのかね。 ・なかなかいい存在だったのが、インディアンの家政婦ジョナがときどき登場して、味をだしてた。彼女は、これからも鬼ババアのバイオレットの世話をするのだろうか。
・それぞれの家庭の崩壊具合を想像するのも面白い。数年後に亡くなるのがバイオレットで、そこに遺産相続でまた一同が顔を合わせるのかね。
ブルージャスミン9/22ギンレイホール監督/ウディ・アレン脚本/ウディ・アレン
原題も"Blue Jasmine"。allcinemaのあらすじは「ニューヨークでのセレブ生活が崩壊し、妹の住むサンフランシスコへとやって来たジャスミン。質素な生活を送る妹の厄介になりながらも、虚栄心が捨てられずに周囲にまるで馴染めない。おのずと精神もますます疲弊していく。それでも華やかな生活を諦めることができず、再びセレブな舞台への返り咲きを期して躍起になるジャスミンだったが…」
『8月の家族たち』は変人を扱った映画だったが、これまた変人の映画だった。そういう切り口で2本立てにしたのか、ギンレイは。
ジャスミンは、身勝手で傲慢な女性だ。しかし、それはセレブだったから? そんなことはない。彼女自身の人間性の問題のはず。セレブ=虚栄心が捨てられず傲慢、というわけではない。なのに、この映画はまるで、そうかのようにミスリードする。一銭もないのにファーストクラスに乗る、歯科医の受付なんて仕事はできない云々。ちっとも説得力がない。ただのバカ女。変人。その彼女があの手この手で再浮上を狙うんだけど、次第に分かってくる彼女が没落した理由。投資会社を経営している、と思っていた亭主の会社が実は詐欺まがいのことをして資金を調達していたから、だった。でもジャスミン(ケイト・ブランシェット)はそのことを知らずにいた。
というところで、冒頭の身の上話だ。飛行機の中。ジャスミンに隣の席の老婆に身の上話を一方的にするんだけれど、これがすなわち設定の説明だったのね。字幕が早くて、あれあれという間に終わってしまい、ちょっと焦った。それでも、里子の妹のところへやっかいになりに行く、ということは分かった。あとボストン大学(?)を中退したこと、まあ、一方的にしゃべる、がジャスミンの性格、人間ぶりを伝えることにもなっているのかも知れないけど、もうちょっとソフトな入り口にして欲しいね。ウディ・アレンの映画は、ときにムダがなさすぎて素っ気ないところがあるから。は、いいんだけど。その大学2年生ぐらいのときに結婚しちゃったんだっけ? よく覚えてないよ。でも、大学で人類学を専攻していたぐらいだから、バカじゃないだろ。なのに、亭主の正体も見抜けなかったのか?
もうひとつ見抜けなかったのが、亭主の浮気。表面的には仲よくやってきたのに、実は…。しかも、周囲はみんな知っていて、知らぬはジャスミンだけだった…。インチキ投資会社の件も、友人たちはみんな知っていた…。これって、ジャスミンがバカだ、ってことだろ。人類学専攻が、どうして虚飾に満ちた生活に毒されてしまったのか。出自が貧乏だったから? いや、そんなことはない。だって、同じ里子の妹は、貧乏店員暮らしでも生き生きしているではないか。なので、ジャスミンがバカセレブになった理由がよく分からない。というか、単に個体のせいだろ。
見栄を捨てられず、歯科医程度も相手にしない。でも、なりたいものがインテリアコーディネーターって、おい。そんなにリッチな職業でもないだろ。そんなもの目指す理由が分からない。
というわけでたまたま誘われて行ったパーティで出会った男にアプローチ。「目指すは下院議員」に惚れたらしい。要は、人間ではなく肩書きに惚れる女だということだよな。だったら大学をでておけばよかったものを。間尺に合わない話だ。
でその新しくできた彼氏には、死んだ亭主は外科医、自分はインテリアコーディネーター…なんぞと嘘をつく。つまりは虚言癖。そもそも破産してから性格も破綻していて、貧乏生活は幻覚だ、みたいに思ってるところもある。ぶつぶつ独り言をいい、ノイローゼ状態…になるヒマがあったら働け、この女。あ、働いたことがなかったんだっけ。
結局、彼氏には事実がバレるんだけど、そんなの当たり前だろ。そこまで考えずに行動するのはバカ。詐欺師じゃないんだから、いつかはバレる。
そこで頼るのが息子なんだけど、彼は実子じゃないんだよな。亭主の連れ子なんだろ。それなのに、頼るか? この辺りの節操のなさも、理解不能。会いに行ってもけんもほろろで、転がり込んでいた妹の部屋にも戻れない。ベンチでため息をつくジャスミンは、どうなるんだろう? で、終わってるんだけど、なんか突き放したような終わり方。こんな性格の人は、こうなりますよ、という教訓ですかね。あり得んな、そんなこと。
・妹も人がよすぎ。元亭主が貯めた20万ドルを、ジャスミンの亭主にだまし取られた、ってのにジャスミンの世話をする。あり得ん。
・亭主の浮気を知って、まずしたのはFBIへの電話って…。なんだよ、自分が亭主を逮捕させたんじゃないか。それで悩んでるってのも、どうなんだ? しかも、亭主は刑務所で首をつって死んだってんだから、おいおい、な感じ。
・ケイト・ブランシェットの演技は真に迫ってて、たいしたものだ。やつれた顔、惚けた表情、色っぽい姿。いろいろ見せてくれる。けど、要は変人を演じているわけで。でも、見かけは根っからの変人、というより、セレブから転がり落ちたのでこうなった、かのように描かれているので、いまいち賞賛を挙げられん。
・この映画、慣れるのに少し時間が要る。現在と過去が同じテイストの映像で交互に出てくるので、最初のうちは戸惑う。意図的なのかどうか分からないけど、技術的には素人だろ。
ザ・ヘラクレス9/24新宿ミラノ3監督/レニー・ハーリン脚本/ショーン・フッド、ダニエル・ジアト
原題は"The Legend of Hercules"。2D版。allcinemaのあらすじは「古代ギリシャ。神々の王ゼウスと人間との子として生まれた半神半人のヘラクレスはたくましい青年へと成長し、クレタ島の美しき姫ヘベと恋に落ちる。しかしヘラクレスの義父である暴君アンピトリュオン王は、長男であるイピクレスとヘベ姫の政略結婚を決める。2人は駆け落ちを図るも捉えられ、ヘラクレスは決して生還できないと言われる戦地エジプトへと送られてしまうが…」
神話は弱いので名前は知っていても故事来歴は知らない。むかし見た『マイティ・ハーキュリー』も、話は覚えてないし…。てなわけでWikipediaで予習しようとしたら、あれやこれやたくさんのエピソードがあって、しかも、若い頃はかなり悪いこともやってる。いつの時代を描くかによって、どんな話になるか分からん。ええい。で見始めたら、誕生秘話と、20年後の話であった。
ティリンス国の話。母・アルクメネ王妃は他国を征服し、圧政を敷く粗暴な父・アンピトリュオン王を嫌っていた。そこで神に祈ると変な女が登場し(女神ヘラ、らしい)、ゼウスの子を生むように、とかなんとかいう。長じて王を滅ぼすため、王妃が欲しがったんだけっけ? 忘れた。でも、まぐわっている(ゼウスの姿は見えないけど、王妃は快感でもだえてた)ところを王に見られ、「私を遠ざけながら、お前は。誰とやってた?」とか怒るわけだ。当たり前だわな。
20年後。 アルケイデス(ヘラクレス)はクレタの王女ヘべと相思相愛になってる。でも王は兄イピクレスとヘべを政略結婚させ、ティリンス国の安定を保とうとしていた。そもそも誰の子かわからんアルケイデス(ヘラクレス)は要らない、と思っていたようだ。それでアルケイデス(ヘラクレス)を反乱退治という触れ込みでエジプトに送りこみ、抹殺を図る。のだけど、部隊長のソティリスとなんとか生き延びて…のあたりから話がご都合主義になってしまう。そもそも王が殺せと命じたのに、戦闘で生き残ったアルケイデス(ヘラクレス)とソティリスの命を救い、奴隷として売り飛ばすとはどういうことだ? だよな。その後、2人は奴隷同士の殺し合い競技をサバイバルし、なんとギリシアまでもどってくる。そもそも2人を買ったオッサンは、ありゃ何もの? で、戦いの競技とはどういうシステムなんだ? なんでギリシアが最高の場なんだ? 地方試合は、どの国で行われていたのだ? というような細かいことはざっくり省いてしまう。
ついでに、この間に母・王妃は真実を王に話し、王を殺そうとするが返り討ちにあって死んでしまう。
ギリシアに到着しても、ケガして戦えないソティリスはさっさと自由の身になって、王室のジジイと連絡をとり、アルケイデス(ヘラクレス)と王女ヘべを会わせたりしている。このあたりがかなりいい加減。
さらに、アルケイデス(ヘラクレス)vs 6人の戦士の戦いも呆気ない。1人、女剣士がいたんだけど、ほとんど活躍しないままだったな。でもって、決起する仲間が集合し、作戦を練っていたんだが…。ソティリスがイピクレスに発見され、妻は殺され、息子を人質にされ、ヘラクレス(すでにアルケイデスの名は棄てたんだっけかな)の居所を教えてしまい、ヘラクレスとジジイの他は殺されてしまう。やれやれ。兵隊さんは辛いよ。
手鎖を石の柱に結わえられたヘラクレス。目の前でジジイが殺され、怒り心頭。ゼウスの力(?)で、鎖が植えられた石の柱を割ってしまうという、これぞ神業。またまた集まってきた仲間を引き連れ王宮に乗り込むと、今度は剣に稲妻を受け、稲妻を放電のようにして兵隊たちをばっさばっさなぎ倒す。王の兵隊は寝返り、ヘラクレスは王を目指す。
イピクレスはヘべを人質にヘラクレスに迫るが、ヘべはイピクレスの剣に自ら刺される。これでヘラクレスが攻勢に転ずるんだけど、このときヘラクレスはイピクレスを討ちとったっけ? それから、一緒に攻め入った中にソティリスも仲間としていたはずだったけど、その後どうなったんだ? なんとなく消えちまってないか?
最後はヘラクレスと実父との戦いなんだけど、もうかなりの歳のはずの王が、結構、ヘラクレスをいたぶるのがおかしい。半神のヘラクレスが、どうして人間である王になかなかかなわないのか? まあ、ストーリーの都合になんだろうけどね。
王が王妃を殺害した短剣を使って、ヘラクレスは王を殺害。死んだと思ったヘべは生きていて、子供も誕生…というところで終わっている。
・手短にいうと、女をめぐる父子兄弟の争いだった。それにしても、洋の東西を問わず、神話にはこの手の話が多いね。なぜなんだろう。
・話はシンプルにまとまっていた。でも、人物の掘り下げとか人間性の描写とか、そういう点はいい加減だ。けど、分かりやすいから、それなりに楽しめた。
・奥行きを意識した映像が多く、3Dならさぞかし。けど見たのは2D版だよ。
胸騒ぎの恋人9/25キネカ大森1監督/グザヴィエ・ドラン脚本/グザヴィエ・ドラン
フランス映画。原題は"Les amours imaginaires"。Wikipediaのあらすじは「ゲイのフランシスとストレートのマリーは姉と弟のような親友同士。ある日、2人は友人らとのパーティで1人の明るく社交的な美青年ニコラと出会う。フランシスもマリーも口では好みでないと言いながらも、ニコラに一目惚れする。そんな2人とニコラは友人として親しくなり、3人で遊ぶことも増える。フランシスもマリーもそれぞれセックスの相手には不自由していなかったが、無邪気なニコラと親しくなるに従って、ニコラへの想いを募らせて行く。マリーがニコラに対して積極的なのに対し、フランシスはマリーを気遣ってニコラに対しては遠慮がちであったが、3人で小旅行に行った先で、ニコラと楽しげに戯れるフランシスに嫉妬したマリーは、フランシスと取っ組み合いの喧嘩を始めてしまう。その様子を目撃したニコラは、この出来事以降、2人と距離を置くようになる。そんなニコラへの想いを抑え切れなくなったフランシスとマリーはそれぞれニコラに告白するが、ニコラはきっぱりと拒絶する」
↑のあらすじを読んで、そーだったのか、などと思っていたりするのはなぜかというと、寝てしまったから。始まって2〜30分目からうとうと…気がついたら、フランシスが告白する場面だった。背景には、奈良美智の小さな絵があった。
というわけで、小旅行とケンカは記憶にない。マリーの告白も見ていない。なるほど。
それにしても、フランシスとマリーの関係は、なんなんだ? とずううううっと思ってた。2人が参加するパーティにニコラが来ていて、フランシスが「あの金髪の…」とマリーに言ってから、2人とニコラの会っては話し、ときにすれ違い、みたいな感じ。実は当初、フランシスとマリーは恋人同士? と思っていたんだけど、どーもフランシスがオカマっぽい。じゃどうして気が合って友だち同士なんだ? というところからして説明されていないので「?」だったんだよね。
でもさ。フランシスもマリーも、セックスフレンドはちゃんといるのに、なんでまたニコラに向かうのか。肉体と精神は別なのか? そのあたりのところが理解できない。
でまあ、事件らしい事件もとくに起きずにだらだらと進行していって、告白して降られ…1年後に再会したら2人はブーイングで迎える。で、その場にいた、新たな男をみつけ、またまた2人でアタックしに行くって、こいつら、肉欲の塊か、と思うよな。ゲイに純愛はないのか。
フランシスがニコラの部屋で、ニコラの衣服を頭から被りながらマスかく場面なんて、ゲスいだけみたいに思えるんだがね。
マリーはきれいな方だとは思うけど、かなりなオバサン顔。映画では25歳の設定のようだけど、えええっ? な気がしたよ。
しかし、オカマに好かれるのも迷惑な話しだね。 ・冒頭と、あと途中に3人(男、女、女)がインタビューに応えるようなのが入る。男はゲイで、何話してたんだっけ。告白して拒否られたとか言ってたんだっけ? 女性は、ドイツ人の彼氏が突然いなくなった話。もうひとりのメガネのブスは、友人のこと? 本筋に関係あるのかよく分からない。まあ、何かを示唆はしてるんだろうけど、なんかジャマ。
アデル、ブルーは熱い色9/25キネカ大森1監督/アブデラティフ・ケシシュ脚本/アブデラティフ・ケシシュ、ガーリア・ラクロワ
原題は"La vie d'Ad?le"。allcinemaのあらすじは「高校生のアデルには上級生の恋人トマがいたが、満たされぬものを感じていた。そんな時、髪をブルーに染めた女性とすれ違い、心奪われる。すぐにトマに別れを告げたアデル。ある夜、偶然入ったバーであの青い髪の女性と再会する。彼女の名はエマ。年上の美大生だった。知的で洗練されたエマに急速に惹かれていくアデル。ほどなく、互いに心だけでなく肉体も激しく求め合うようになる2人だったが…」
話題作。内容については一切の前知識なしで見た。途中からレズビアンの話になって。おお。そういう話しなのかと。話題になっていたのは、あの本番さながら、AV並のレズシーンか。あとは、アデル役のアデル・エグザルコプロスの、鼻水ぐちゃぐちゃ演技なのかも。だって、この2つを取り除いたら、たんにムダに長い話になってしまうから。
レズシーンは、べちゃべちゃ長いキス、クンニ、松葉くずしみたいに性器をこすり合わせる(貝合わせというようで)とか、ヘアーのボカシ程度で延々映される。お尻をペンペンと叩きながらしているのがおかしかった。どこも美しくないし、むしろゲスい。興味深いけど、長いので飽きる。こんなのが"素晴らしい"なら、世の中のAVはもっと評価されて然るべきだろ。と思うので、このレズシーンは、なくてもいいな、と思ったぐらいだ。鼻水も要所にした方がいい。これで20分ぐらいカットできるだろ。なにしろ本編3時間は長すぎる。もっとつまんで、2時間ちょいぐらいにすりゃあいい。むしろその方が印象的な映画になるかも。
それと。最近のフランス映画は、人物がどこ系なのかよく分からん。この映画も、アデルがデモに参加したときなど(だっけか?)、2度ぐらい、中東の音楽が鳴っていた。あと、名前についても、誰かがそんなこといってなかったっけ? パーティで会った映画俳優がアラブ系だったよな。なので、アデルはもしかして中東(イランとかイラクとか)からの移民の子? とか思ったんだけど、はっきり示されていなかった。
面白いのは、アデルの家の家庭料理は親父秘伝のスパゲティナポリタン?みたいなのなんだよ。フランス人の家庭じゃないよな。とか思っていたんだけれど、アデル役のアデル・エグザルコプロスはギリシア系フランス人だと。ではギリシア系としてでていたのか? 1993年生まれ。撮影時20歳。でもって監督はチュニジア人のようだ。宗教についてはでてこなかったけれどね。ついでに、エマ役のレア・セドゥは1985年生まれ。撮影時28歳。
話は単純で、男性とのセックスに違和感を感じていて17歳の高校生アデルが、ある日、町中ですれ違った青色の髪の、男のような恰好をした娘に惹かれ、ゲイ的発芽を感じるところから始まる。たまたま遊びで同級生と唇のキスをして興奮し、その彼女にアタックしたら「あれは遊びよ」と毛嫌いされ、失望してゲイバーに行く! って展開が荒々しくもハードすぎると思うんだが、ゲイバーにはかつて男友達と一緒に行ったことがある、という設定だからまあいいだろう。
しかし、フランスの高校生は日常的に煙草を吸ってるのね。合法? あと、セックスもがんがんやってる、ってな設定。そこそこ勉強ができる娘らしいんだが。興味深かったのは文学の授業で、ひとつの作品を輪読して、細かな分析をしていくのだな。ああいう授業は受けてみたかった気がする。
で、ゲイバーでエマと再会。アデルは興奮し、エマはそれにつけ込むみたいにしてアプローチ。関係をもつにいたるんだけど、なんだよ、要は肉欲か、っていうのが感想。まあゲイバー自体が発展場というか出会いの場で、それは普段の場所で相手を見つけるのが困難だからなのかも知れないけれど、まずお付き合いから、というのはあり得ない感じ。みるからに、ねちょねちょしてる。
その後、アデルは友人や両親に嘘をつきながらエマと肉欲世界に浸るんだけど、ふっ、と思うに、彼女は高校生だろ? エマも美大の4年生だっけ。いいのか?
このエマ役のレア・セドゥなんだけど、貧相。鼻は妙なカタチにえぐれてて、目つきも変。笑うと口元に変なシワが寄って、どうみても美しくも可愛くもない。背もアデルより低いから、男っぽくない。粋がって背伸びしてるアンちゃんみたいな感じで、最後まで違和感ありまくりだった。
エマは才能があるみたいだけど、でも、描くのは現実で、エマの顔かたちやヌードばかり。いうならば私小説ならぬ私絵画? 絵のためにパートナーを利用している感じがなきにしもあらず。なのも、嫌な感じ。
でまあ、エマは画壇での成功を狙っているんだけど、アデルは肉欲に夢中で、なんでもしますなしもべ状態。アデルが食事の仕度をしている間、エマはのんびり反っくり返ってる。これがレズの関係性=互いの役割なのか?
で、ある夜、関係を迫ったら、「今日は生理」とすげなくされ、この辺りからアデルの欲求不満が高じてくるという設定なのかな。それまで断っていた幼稚園の同僚(男性)の誘いを受け、飲みに行ったりするようになり、どうやらセックスもしているらしい。というのをエマが感づいて怒り心頭。家から追い出すんだけど、あれまてよ。いつから2人は同居してるんだ? 高校は卒業しちゃったのか。いつのまに…なんだよな。
そういやあアデルは、エマの両親だったかパーティで出会った誰かにだったかに将来計画を話すシーンがあったんだけど、そこで彼女は高卒後は進学して教育学だかを学び、その後も学びながら働ける道を目指している、とかいっていたっけ。それに従えば、アデルが幼稚園児を相手にしていたのは2年後ということになるのか? すでに20歳か。なんか端折りすぎだろ。実家を離れて同居って、同居人が誰か両親は知ってるのか? 父親は事実を知っているのか? それと、大学の方はもう行ってないようだったけど、このあたりまったく描かれない。
というわけで、別れたというか、棄てられたアデル。相手をするのは小学生からだんだん大きくなっているのは、教育実習をしているということなのか。よく分からん。なんとかエマに会っても、エマは「いまつき合ってる人がいるから」とかすげない。その相手って、以前にパーティで出会った女性(当時は妊婦)らしい。子供が3歳でといっていたから、また時間が経っている。で、その彼女って、アデルに会う前につき合って、たのか? セリフではつき合ってなかった、といったようだけど、ホントかいな。しかも、性生活はそんなに上手く行ってるようでもない。じゃあ、なぜ? とか疑問も生ずる。子供のためなのか?
ところでアデルは、この間、ゲイバーでその日限りの相手はつき合っていた様子。学校の同僚ともセックスしてた。いったい彼女は両刀遣いなのか? しかし、それにしても20歳そこそこだろ。なんか、肉欲が冷める時期がオソロシイ。30過ぎて相手にされなくなったら、どういう人生を迎えるのだろう。それなりの相手をみつけて暮らしていくのかね。
エマに、もう会わない、と言われていたようなんだけど、エマの個展に招待されたアデル。着ていくのはブルーのワンピース。かつてエマの青い髪に惹かれたアデルが、青を着るというのは、相手を誘うということなのか。でも、エマには相手にされない。ひとりで去って行くアデルの後ろ姿がラストシーン。まあ、ゲージツのため、エマにいいように利用された、という感じがするんだが、いかがなものか。アデルに関心をもっていたようなアラブ系の元俳優がいたけど、彼もアデルを見失ってしまう。そういう人生をこれからも送っていくのでしょうかね。
・長い髪を大雑把に上でまとめる様子が、なんか可愛いアデルであった。
・アデルは生ガキが嫌い。でも、エマの家では生ガキで接待され、食べる。食わず嫌いを好きになるのが、生ガキで象徴されているのか。エロいけど、よくある表現。
・てなわけで、奥はそんなに深くないよ、この映画。
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー9/29シネマスクエアとうきゅう監督/ジェームズ・ガン脚本/ジェームズ・ガン、ニコール・パールマン
原題は"Guardians of the Galaxy"。銀河の守護者たち、てなことか。allcinemaのあらすじは「幼くして地球から誘拐されたピーターは、今や宇宙をまたにかけるプレイボーイのトレジャーハンター。自ら“スター・ロード”と名乗り、どんなピンチも持ち前の悪知恵と度胸で乗り切ってきた。そんな彼の心の支えは、70年代の地球のヒット曲が入った母の形見のウォークマン。ある日、ピーターは強大な力を秘めたパワー・ストーン“オーブ”を手に入れる。しかしそのせいで、銀河の支配を目論む恐るべき闇の存在と、銀河の秩序を司るザンダー星の壮大な戦いに巻き込まれるハメに。そこでピーターは、宇宙一凶暴なアライグマのロケットはじめ、刑務所で出会った4人のワケありすぎるお尋ね者たちと手を組みチーム“ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー”を結成し、銀河存亡を懸けたあまりにも無謀な戦いに立ち向かっていくのだった」
見てから1週間近くたっちまった。もういろいろ忘れてるよ。ははは。ところでallcinemaではコメディに分類してないけど、コメディだろ、これ。で、アメコミが原作なのね。なるほど。で、面白かったかというと、くすくす笑えるところもあったりするんだけど、(アライグマのロケットが「義足が必要だ」とかいっていたので、●が戦闘中に必死になって奪取しにいったのに、実は冗談だったとかのナンセンスなギャグは、なんか日本風な感じだな)、でもやっぱりネイティブでないと分からない表現とか、原作を知っているともっと面白い、みたいなところがたくさんあるような気がした。
そういうギャグとか仲間うちのあれこれ、はいいんだけど、でも、宇宙バトルとかアクションになると他の映画と同工異曲で、少し退屈。眠りには落ちなかったけど、寝そうになったところはある。まあ仕方がない。
とはいえ、この映画で感動的なのは、カセットウォークマンへの熱い思いが貫徹しているところだね。そもそもピーターは地球人で、母親の死んだ日にヨンドゥというやつに地球から誘拐され、宇宙で育てられた。そのとき手にしていたのがウォークマンで、それを宝物のようにしてきた。もちろん70年代の音楽とともに。という話が泣かせる。とくに、いま、ソニーが瀕死の状態で、オーディオ分野でも惨憺たる有り様なので、思いはひとしおだ、この映画をCBSコロンビアがつくったわけじゃないのは、当然なのかも知れないけど。なんか複雑。
で、↑のあらすじをみて、ふーん、なのは、ピーターがトレジャーハンターだったってこと。そうか。そうなのか。はっきりそう説明されてはいなかったので、よく分からなかったんだよな。
だいたい、ピーターが盗んだオーブは、いかなるものなのか。のちのち説明はあるんだけど、ちょっとね。だって簡単に盗めてしまうし、その後のオーブをめぐる争奪戦は、ぐちゃぐちゃで分かりにくい。何気で手にしたオーブ…をめぐる争奪戦というより、観客にはその重要性を提示しておいて、そこにまぎれ込んでしまったピーター、という風にした方がよかったように思う。
サノス→ローナンという敵の上下関係も、わかりにくい。ガモーラってのは、サノスの娘? 「<闇の存在>に親を殺され孤児となり、彼らによって殺人兵器になるべく育てられた暗殺者」ってHPには書いてあるな。闇の存在は、サノスだよな。で、ガモーラはローナンの手下として働いていたけど、裏切った…。なんで? とか単純に思ってしまう。
てなわけで、始めはオーブをめぐって争っていた連中が仲間になって、ローナンと戦うという話だな。単純化すると。なんか、枝葉末節をあれこれめぐらしたおかげで、妙に分かりにくくなってる。たとえば、ローナンに狙われている星の連中とか。最終的にオーブはこの星の長が管理するような話になってた様な気がするんだけど、大丈夫か? それで。とか思ってしまう。なんか、カチッとしてないんだよな、色々。
・母が亡くなる寸前にピーターに手渡したプレゼント。ずっと開けずにきたのを、なぜいま開ける? だけど、まあいい。中味はヒット曲を編集したカセットテープだった! というわけで、この辺りのアナログに対する愛着と賛美はたまらない。ソニーは、この映画をCMにしろよ、とか思ってしまう。
・ピーターがオーブを売りに行く先の男が、ベニチオ・デル・トロで。スプートニクの犬とか集めてるのがおかしい。ベニチオ・デル・トロはエンドローの後にも登場するんだけど、ここでもスプートニクの犬がそばにいたよな。

 
 

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