2015年1月

シンプル・シモン1/14ギンレイホール監督/アンドレアス・エーマン脚本/アンドレアス・エーマン、 ヨナタン・シェーベルイ
スウェーデン映画。原題は"I rymden finns inga k?nslor"。意味はよく分からず。"Simple Simon"は英語タイトル。allcinemaのあらすじは「物理とSFが大好きなシモンは、他人とのコミュニケーションや社会生活に少々問題を抱えたアスペルガー症候群の青年。相手の気持ちが考えられず、他人に触られるのが大嫌いで、気に入らないことがあるとすぐにドラム缶でつくった“ロケット”に閉じこもってしまう。でも兄のサムはそんなシモンへの接し方も心得たもので、ロケットの中のシモンとも、ちゃんと宇宙飛行士との交信のように会話する。ところがその兄がシモンのせいで恋人にフラれてしまった。シモンは大好きな兄に元気になってもらため、彼に相性ぴったりの“完璧な恋人”を探し始めるのだったが…」
アスペルガー。聞いたことあるけど、どういう症状だっけ? なんか自閉症的で偏執的な描き方をされていたけど、それでいいんかいな。てなわけでWikipediaを参照してみた。なるほど。面倒くさい連中のようだ。
で。この映画。フツーに自然に人々が動きまわる世界とは違って、書き割り的で、様式的。ウェス・アンダーソン的な感じなんだよな。苦手なタイプの映画だ。コミカルさとかはあるんだろうけど、この手の映画にユーモアを感じたことはない。情緒も哀しみも伝わってこなくて、いまいち感情移入できない。というわけで、寝なかったけれど、退屈した。だって、すべての話が、だからどうした、なものばかりだから。
むしろ、アスペルガーの弟を大切にするが故に、恋人と別れてしまう兄の存在の方が、不可思議。どうしてそこまで弟思いなのだ?
まあ、そんな兄の気持ちに応えようと、シモンは兄の恋人探しをして、たまたま街で出会った娘イエニファーを紹介しようとするんだけど…。でも、この辺りで結末は見えてしまう。というより、「兄のことを心配するより、自分のことを心配しろ」「最終的には、イエニファーと恋人同士になるんだろ」と思えてしまうから。で、そうなるんだけど、意外性も何もなくてつまらない。
なにより残念なことは、登場する女の子が、みな可愛くないこと。兄の元カノは、なんていうか不細工。イエニファーも、派手なペリカン顔で可愛さが感じられない。北欧の映画って、案外こういう感じ、多いんだが、なんでだろ。
それにしても感心してしまう、というより理解できないのが、イエニファーのシモンに対する寛容さ。殴られたり池に突き飛ばされたりしても、憤ったりしない。それどころか、ますますシモンに興味を示し、あれこせ世話を焼く。兄も然りだけれど、こういう理解が周囲に必要なんだろうけど、これが実際の問題になったら、どうなんだろう。こんなに懐が深く対応できるんだろうか? できないと思うぞ。
てなわけで、アスペルガーを、ちょっと変わったやつ、として、本当は愛すべき人間なんだ、という温かいまなざしで描いているのは分かるんだけど、現実は違うんじゃないの? と思わざるを得ないような映画だと思う。こういう映画に、ほのぼのとしたとか、親しみやすいとか、温かい、なんていう形容をつける人は、実際にアスペルガーを相手にして見ればいい、と思ったりしてしまう。
チョコレートドーナツ1/14ギンレイホール監督/トラヴィス・ファイン脚本/トラヴィス・ファイン、 ジョージ・アーサー・ブルーム
原題は"Any Day Now"。allcinemaのあらすじは「1979年、アメリカ。ゲイのルディはシンガーを夢見ながらも、口パクで踊るショーダンサーとして働く日々。そんな彼にある日、ゲイであることを隠して生きる検事局の男性ポールが一目惚れ、2人はたちまち恋に落ちる。一方で、ルディはアパートの隣に暮らすダウン症の少年、マルコのことを気に掛ける。母親は薬物依存症で、マルコの世話もまともにしていなかった。そしてついに、母親は薬物所持で逮捕され、マルコは施設行きに。見かねたルディとポールはマルコを引き取り、面倒を見るのだったが…」
主人公のルディがロバート・ダウニーJrに見えてしょうがなかった。のっぺり、にやついてるところは違うんだけど、ちょっと見がそっくりなんだよな。まさか…と思ってたんだけど、やっぱり違うよな。ははは。
オカマの話かと思っていたら障害児の話になり、ついには法廷ものになるという、これでもか、な物語。受ける要素満載で、すっかりやられてしまった。まあ、問題はある。たとえば、ポールがルディに惚れ込んだ理由とか、ルディがマルコを愛おしく思うようになった理由、そして、ルディと同様にポールまでがマルコを愛するようになった理由。この辺りについて、もうちょっと説得力のある描写があったら、もうパーフェクトだろう。
しかしまあ、それは人の心のこと。偏見なく人を見ることができ、慈善的な心を持つ人も存在する、ということで、あえてツッコミを入れなくてもいいのかも知れない。けど、なんかもったいない。たとえば家族や周囲に障がい者がいて、そのときの想いがあったとか。自分たちが、人から差別される同性愛者であるが故に、同じように偏見の目で見られるマルコにシンパシーを持たざるを得なかったとか、ちょっとでもいいからあると、また違った深みが出たのではないかと思ったりする。
しかし、いい人とやな奴の対立構造というのは、分かりやすくていい。アパートの管理人、マルコの母親、保護施設の女性、裁判官、検察官、ルディの上司…。彼らにもそれなりの理由があっての行為であることは分かるんだけど、映画としては悪役だから気の毒なところもある。いっぽう、ルディやポールは、同性愛者だとしても人間の心は澄み切っていい人たち。まあ、こういうところが出来過ぎ、やり過ぎな気もしないではないけれど、でも、声高に非難を加えるのではないところがスマート。たとえば、最終的に母親に引き取られたマルコが、おそらくルディとポールに会いたくて家をでて、3日間さまよって死んだ、という事実。これを裁判官、検察官、ルディの上司らにつたえるのに、一通の手紙の送付をもってして知らせている。タイプを打つポールに、激情とか怒りの表情はなく、淡々と。まあ、タイプしているときは内容は知らされず、受け取った連中が読んでいるシーンに、ナレーションで文面がかぶるんだが。この静的な刃は、見るものにもグサリと届いてくる。もちろん、受け取った連中はなおさらだろう。もちろん、彼らが反省したかどうか、は分からない。けれど、何が正しく、どういう結論が人のためだったのか、をはっきりつたえている。こういう表現の方が、泣きわめいたり怒鳴ったりするより、心に響くのだ。
裁判でルディとポールを評価する意見もちゃんとある。障がい者を介護する女性や、マルコの証言を聞き取る女性とかだ。彼女らには、裁判で勝利するとかしないとか、そういう利害は関係ない。ほんとうにマルコのためになる環境は何か、を見抜こうとしている。もちろん、この映画は、そういうまなざしの方が、法律なんかよりも大事なんだよ、といっているのだけどね。まあ、タイトルの"Any Day Now"=いますぐにでも、いまとなっては…には、そういう意味が込められているのだろうけど。
マルコを演じるアイザック・レイヴァは、実際にダウン症のようだ。人なつっこく、可愛らしい。
とにかく、感動的で、迫ってくる映画であることは間違いない。反省すらしてしまいそうな心持ちになる。
・分からなかったのは、後半の裁判シーンで。憲法修正14条がどーたらで、なんたらするから…とかいうことで、勝てそうな気配になるんだけど。なんと検事側が麻薬関連で刑務所に入っていた、そして、ルディとポールにマルコの養護権を預けていた母親に「早く出所させるから、養護権を取り戻せ」と囁いて、2人からマルコを取り上げてしまうのだ。でも母親は麻薬をやめられず、マルコは家をでて…ということになるんだけど、14条がどういう効果を発揮するのか、その点について、分からなかったのが残念無念であった。
バンクーバーの朝日1/19キネカ大森3監督/石井裕也脚本/奥寺佐渡子
allcinemaのあらすじは「1900年代初頭、多くの日本人が新天地での成功を夢見てカナダへと渡った。しかし、そこに待っていたのは容赦ない差別と低賃金による過酷な肉体労働だった。貧困にあえぐ日系移民の人々は、その日を生きるのに精一杯で、夢や希望を抱くこともできぬまま、塗炭の苦しみを味わい続けていた。そんな中、移民二世のレジー笠原は仲間を集めて日本人野球チーム“バンクーバー朝日”を結成する。最初は白人チーム相手に体力的にまるで歯が立たず、皆からバカにされるレジーたちだったが…」
「戦前のカナダ・バンクーバーで活躍し、2003年にはカナダ野球の殿堂入りを果たした実在の日本人野球チーム“バンクーバー朝日”」という面白い題材を得ながら、ここまでつまらない映画に仕立てるというのは、なんなんだ? 暗く重苦しい空気ばかりが延々とつづき、野球シーンでもスッキリしたところはほとんどなし。あるいはお涙ちょうだいのどろどろ展開。さらに、人物がほとんど描けていない。さらに、宮崎あおい、本上まなみがヒロインなのか…と思わせて、チームのメンバーとはほとんどまったく接点がない。アホか。エンドロールで貫地谷しほりが出ていたのに気づいたけど、どこにいたのか分からず! ユースケ・サンタマリアにいたっては、何のために登場しているのか、まったく分からず。他の、カフェに集まる日本人たちも、その存在がほとんど分からない。父親役の佐藤浩市と母親役の石田えりも、ステレオタイプな役柄で、こんなホンと演出に対応しているよな。これが奥寺佐渡子のホンか? 石井裕也の演出か? ひでえもんだ。
HPによると、足利氏にオープンセットを組み、両翼75メートルの球場や日本人街、白人街など50棟の家屋がつくられた、らしい。海外にセットをつくったのかと思っていたら、ちがうのか。冒頭のクレーン撮影とか、日本映画離れしてるな、と思ったんだけど、もしかして…と思ったのはそこだけ。あとはもう、見るも無惨な内容になってる。
ほとんどすべて説明ゼリフで展開する。チームには11人+ボールボーイ、マネージャー? 監督がいるんだけど、主に写るのは5人の選手と監督、ボールボーイがちょこっと。あとのメンバーはハナから無視というのはいかがなものか。しかも、5人の名前もロクに分からないし、人間もほとんど描けてない。役者としても、亀梨とか勝地とか知らんし、区別もつかんよ。
監督がバカなんじゃねえの。という展開で、なんかな。妻夫木がバント戦法を思いつく件もアバウトだし、勝利の積み重ねもバント一本槍みたいな描き方で、どこがブレインベースボルなんだか。もっとクレバーな攻撃の例を見せてくれなきゃつまらんよ。
人種差別の話がでてくるけど、日本が中国を侵略したり日米開戦があったんだから、それも加味すればしょうがない話。アメリカが、最近になって日本人を収容所に入れたのは間違い、といったりしているけど、それはいまだからいえること。当時の状況では言えるはずもない。日本だって敵性外国人に対してどう扱ったのか、それを考えればいいだけの話。
というわけで、退屈で退屈で。イラつきながら見ておった。
・決勝戦で、妻夫木の前のバッターが三振し、左バッターボーックスからダッグアウトに向かうとき、ホームペースを踏みつけていくんだけど、それはアリなのか?
・夜、警官がやって来て、許可の無い漁に出ている可能性がある、とかいって漁船を調べるんだけど、結果はどうなったんだ?
薄氷の殺人1/19ヒューマントラストシネマ有楽町2監督/ディアオ・イーナン脚本/ディアオ・イーナン
中国映画。原題は『白日焔火』で“白昼の花火”。オフィシャルページのあらすじは「1999年、夏 ----- 中国の華北地方で異様な殺人事件が起こった。6都市にまたがる15ヵ所の石炭工場で、バラバラに切断された男の死体のパーツが相次いで発見されたのだ。なぜか頭部の所在は不明のこの怪事件は、工場の労働者や地元市民の不安を否応なくかき立てていった。捜査に駆り出された刑事ジャン(リャオ・ファン)は、妻から離婚話を突きつけられて上の空の状態だったが、彼が訪れた工場で血まみれの洋服と身分証明書が見つかり、被害者はリアン・ジージュンと判明。さらに聞き込みの結果、トラック運転手のリウ兄弟が有力な容疑者として浮上する。すかさずジャンを含む刑事4人は美容室に踏み込み、激しく抵抗するリウ兄弟を拘束。ところが思わぬ銃撃戦が勃発し、兄弟とふたりの刑事が死亡。ジャンも銃弾を浴びて病院送りになった。2004年、冬 ----- 妻に捨てられ、ケガのせいで警察を辞したジャンは、しがない警備員として生計を立てていた。生きる目的を見失って酒浸りの日々を送る彼は、元同僚のワン(ユー・アイレイ)と偶然再会し、聞き捨てならない情報を耳にする。5年前の異様なバラバラ殺人に似たふたつの事件が発生したというのだ。しかも奇妙なことに、殺されたふたりの男はスケート靴を履いた足を切断されており、どちらも5年前の被害者リアンの若き未亡人ウー・ジージェン(グイ・ルンメイ)と親密な関係にあった。これは単なる偶然なのか、それともウーは男を破滅に導く悪女なのか。そしてジャンもまた、はからずも“疑惑の女”に心を奪われていく……」
とまあ、HPのあらすじを見て、ふーん、とか思ってるところ。冒頭の女は妻だったのね。そういえば離婚証明書をもってたっけ。そんな証明書が出るのかよ。
ベルリン国際映画祭の金熊賞(作品賞)と銀熊賞(主演男優賞)らしいが、とてもそんな感じには見えない。あれこれ杜撰で、ツッコミどころというか「?」ももりだくさん。すっきりしない経緯、ラストなんだよな。
各地の石炭工場に死骸の一部が分散されているので、それが可能なのは…で、トラック運転手が目をつけられたんだよな。汁のしたたるスイカを食べながらあれこれ話してたけど。で、リウ兄弟が床屋にいるところに踏み込んで…。で、どうして兄弟は逃げたんだ? 彼らの罪はなんなんだ? まあいい。面白かったのは、拘束されてからで。刑事のひとりが兄弟のひとりの上着を持ち上げたら拳銃が転がり出て、その拳銃を兄弟のひとりが手にするといきなり撃ってきた。呆気。笑っちゃうぐらい。淡泊な銃撃戦で刑事2人と兄弟が死ぬんだが、ジャンがどこを撃たれたかは分からず。ワン刑事が迎えにきて退院したのは、どれぐらい経ってからなんだ? とまあ1999年まだいいんだが。2004年には「?」が多い。
ジャンは警官を辞めたのか。保安官とかなんとかいってたから、警官の配置換えかと思ってたよ。で、あるとき街で張り込み中のワン刑事と出会って。いろいろ聞き出したり、クリーニング店で働くウーに接近したりするんだけど。警察はジャンの暴走を止めないのか! と不思議でしょうがなかった。まあ、首を突っ込むな、としばらくしてからいわれるんだけど。その後も相変わらずウーにまとわりついて、スケート場でデートまでしてしまうんだが。なぜにウーはジャンに関心をもったのだ? 意味不明。
スケート場でデートして、スケート靴を履いたまま2人が外に行こうとして咎められ、次に映画館に行き…。というのを、ワン刑事は追っていたのか? ワン刑事の車の前にトラックが割り込んできて…トラックから降りてきた男をワン刑事が追っていくと、その男に逆襲され、殺されてしまう。は、いい。その次のシーンは、早朝(?)の、映画館の前。クルマにはジャン。パトカーがきてる? クルマにメモ。そのメモはバスのナンバー…? 混雑するバスに乗ると、スケート靴を首にかけた男がいて、ジャンが追跡。というか、先回りなんだよな。先に定食屋に入ると、スケート男もやってくる、つぎにダンス教室に行くと、男もやってくる。おい。どうやって男の行動を先読みできるんだよ。
で、次は、男のクルマを追い、どっかの道を這い上がるジャン。男が、バラバラ死体らしいのを陸橋から下へ投げ落とす。下を走るのは石炭を積んだ貨車。ということで、最初の死体があちこちにあった理由が明かされるんだけど、それはいい。投げ落とす包みをバラバラ死体と知りつつ、かつまた、男が犯人と知りつつ、ジャンは警察にも告げないのか?
という経緯のなかで、ワン刑事がいつリアンに注目したのか、分からない。あのメモは、ウーがジャンに書いたのか? これはつまり、ウーは警察にリアンを始末してもらいたくて、したのか? それと、ワン刑事が殺されたことは、警察やジャンは知らないんだよな? だって死骸は男=実はリアンが持ち去ったんだから。
その後、どうしたんだっけ。ウーがジャンに、過去を告白するんだっけか。亭主のリアンが強盗をして人を殺した。その人をバラバラにして捨て、自分は身を隠した。自分(ウー)に近づく男を2人殺した。…とか。その後の経緯をよく覚えてないけど、逃げるリアンが警官に射殺されるんだけど、どうやっておびき出されたのか、記憶にないよ。ははは。でも、ウーは警察の待ち伏せを知っていて、リアンを見殺しにしたのは明らか。
ワン刑事の火葬の横で、ウーが亭主の火葬を終える。で。ジャンが、クリーニング店にクレームをつけてきた男のジャンパーのことを思い出したのは、この後だっけか。連日、クレームをつけてきたのに、とつぜんいなくなった。というわけで、5年前のジャンパーをクリーニングの店主に出させ、ポケットから名刺を見つける。その名刺の主が、ジャンパーをある男にやった。その男は、ある女の亭主で、女は何かの店をやっていた、のか? 白日焔火という看板の店。その女に聞いたら、どうやら亭主はウーを愛人にして出ていったきり、とかになんとか。
あー。その後の経緯もうろ覚え。ジャンは、替え玉=バラバラにされた男を殺したのはウー、と睨んだんだろう。ウーを遊園地に連れていき、観覧車から白日焔火の店をみせる。まあ、このあたりがこの映画の白眉、のつもりなのかも知れないけど、たいしたことはない。ジャンは、吐け、と迫りつつウーを押し倒して交尾するんだけど、はっきりいって意味不明。翌日か、2人は食堂にいて、ウーは店に出かける。それを見送るジャン。でも、店にいたウーは警察に確保されてしまう。で、パトカーの中で「自分がやった」と吐露する。…ってことは、ウーはジャンに事実を告げ、ジャンは警察にタレ込んだ、ということか。なんかスッキリしねえな。
現場検証ということで、警察はウーをつれて以前の住まいに行くんだけど。そこで、こうこう、こうやって殺した、とかやるわけなんだけど。ウーが男を殺した理由ってなんだっけ? なんか、忘れちゃったよ。亭主がいる身で男と関係をもったんだっけか? それで、男が暴力かなんかふるったから殺して。亭主に始末させた? それで、2004年の殺人2件は、これは亭主がやったのか? これは、当初いってるように、ウーに近づいたから亭主が嫉妬して? しかし、なぜにスケート靴のまま切断して捨てたんだ?
あー、そういえば。遺骸の一部がラーメン店に放り投げられていて、麺の中に目玉が、とかいう話もあったんだけど。それは、石炭列車には投げ込まなかったのか?
それと。ジャンは1999年、退院したとき、ウーがクリーニング店の前の木の根元に、亭主=リアンの遺灰を埋めているのを見ているのだよな。もちろんそれは、2004年には別の男の遺灰だということが分かるんだが。証拠としたら、ジャンパーよりそっちだろ。あれを「掘り起こせ」といわなかったのは、どうしてなんだ? というより、なんでそんなところに、自分が殺した男の遺灰を埋めるのだ? とかなんとか、いろいろ「?」が多すぎて、見終わってもすっきりせんだった。
ラストで、ビルの屋上から花火を周囲にぶちまけているのはジャンなんだろうけど、なんでそんなことするの? な感じ。いろいろ分からないところが多すぎる映画であった。
海月姫1/21MOVIX亀有シアター8監督/川村泰祐脚本/大野敏哉、川村泰祐
allcinemaのあらすじは「イラストレーターを目指して鹿児島から上京したクラゲ命の女子、倉下月海。彼女の住む男子禁制のアパート“天水館”には、他にも鉄道オタクや三国志オタクといった個性あふれるオタク女子が集っていた。彼女たちは自ら“尼〜ず”を名乗り、“男を必要としない人生”をモットーに、己のオタク道を極めることにエネルギーの全てを注ぐ生活を送っていた。極度に人見知りの月海も、そんな男っ気ゼロの住人に囲まれ、恋やオシャレと無縁のお気楽で居心地いい毎日を過ごしていた。そんなある日、ひょんな出会いから、まるで美女にしか見えない女装男子・鯉淵蔵之介と知り合いに。蔵之介は月海の女子力を磨くことに楽しさを覚え、すっかり天水館に入り浸るようになる。そんな中、尼〜ずの聖地にして最後の砦=天水館が地上げによる取り壊しの危機に直面してしまう」
人物がキャラが様式的であるとか、主人公が突然石になってしまったりとかは、原作のコミックからきてるんだろう。楽しいところもあるし、やりすぎがあっても目もつぶれる。なので概ね楽しく見た。のだけれど、後半からラストにかけて、現実離れが甚だしくなっていく。ファッションで世界が変わる? 変わらんだろ。
イラストレーターを目指してたはずの月海が、ファッションに目覚めていくのは、どういうことなんだ? デザイン画でいいのか? 話としては、イラストで威力を発揮してもらわないと、辻褄が合わないような気がする
天水館。住人5人は登場するんだけど、お母さんと呼ばれるオーナーと、あと、部屋から閉じこもってでてこない漫画家がよく分からん。というか、存在だけ知らされるだけなのがもったいないと思う。どちらも1カットぐらいでてきていいんじゃないのかね。とくに、イ・ビョンホンのチケットに転んで天水館を売るという契約を結んでしまったオーナーには、責任もあるんだし。
他の住人が、存在が活かされているのが和物オタクの千絵子だけなのがもったいない。鉄道オタクのばんばさんは、鉄道関連のシーンが登場するから存在は分かる。でも、顔がまったく見えない。エンドロールで池脇千鶴とでてきて、のけぞった。げ。枯れ専のジジ様が篠原ともえだったのにも驚いた。まったく面影なし。いちばん存在感がないのが三国志オタクのまやや。彼女が何オタクだったか、ほとんど忘れてる。三国志関連シーンがなくて、ただ、腰がひけてうろうろしてるだけだから。で、太田莉菜という存在自体もあまりよく知らないので、彼女についてはギャップも感じず、見てたけどね。まあ、得したのは千絵子役の馬場園梓だな。あんだけバッチリ登場するんだから。池脇千鶴が気の毒。
怪演の女性陣に比べて、男性陣が目立ってる。鯉渕蔵之介の菅田将暉、鯉渕修の長谷川博己、そして、運転手・花森の速水もこみちが特にいい。これ、当たり役だな。しかし、クレジットにあった大石吾朗はどこにいた? HPによると「枯れ専女子のあこがれのおじ様」らしいが、覚えとらんよ。喫茶店のオヤジ?
で、話の方だけど、“尼〜ず”の異様な行動ぶりはついでみたいな扱いで、天水館の取り壊しの話になってしまうのが、いまいちむりやりな感じ。それに対抗するのに、蔵之介が「ファッションショーで人を集め、金をつくって天水館を買い取り、世界を変えよう!」と宣言するんだけど、いくらコミック原作とはいえ、それはあり得ない。
天水地区の再開発、それを推進するプロジェクトリーダーの稲荷(片瀬那奈が、濃いキャラを発揮して楽しい)と、政治家・鯉渕慶一郎との癒着? 稲荷の、鯉渕修へのお色気攻勢…。かと思ったら、突然、選挙戦になっていたり、といった辺りがツメの甘すぎる展開になっている。ここ、もうちょい固めてくれないとなあ。しかも、鯉渕慶一郎の政治家パーティに参加するはずの人間・マスコミが、天水館のファッションショーに集まるなんて、あり得ない。
あり得ないといえば、鯉渕慶一郎の選挙演説が生中継されていて、そこに蔵之介が割って入って大騒ぎ。それを“尼〜ず”がテレビで見て駆けつける、とかあり得ない。
ファッションショーのバックヤードのいい加減さも、もうちょいなんとかしろよ。そもそも天水館にあんなスペースがあったか? 最後の一着にジュースをこぼし、それを洗って乾かして…って、おい。ドライヤーを借りに行って、乾かしてって、どれだけ時間をかけてるんだ。あほか。しかも、ドライヤーを借りに行く先が、オシャレな女の子の家なんだけど、前半に伏線も張られてないから、そんな女の子と月海とどういうつながりがあるのかも分からない。突然すぎるだろ。
あと、不満があるとすると、月海がファッションショーに登壇しなかったこと、だな。蔵之介は、なぜ月海にドレスを着せ、歩かせなかった? フツーならそうさせるだろ。そうやって親しみが恋に変わるんだろ。まったく…。
とまあ、コミック原作のアバウトな映画なのでツッコミたくはないけど、あまりにもひどいので、書いてしまったよ。
恋愛話はオマケみたいなものなのかね。当初、月海は鯉渕修に胸ドキして恋を知ったはず。なのに、最後には「いつも側にいてくれた」からとかいって、どうやら蔵之介に心が移った様子。おい。そりゃないだろ。修が可哀想だろ。
というわけで、まあ、概ね楽しく見はしたんだけれど、いまいち設定を生かし切れていないのがもったいない。あんまり成長物語にもなってないし。たとえば、ままやはショーで女性の自覚が生まれた、のかと思ったら、そうでもない様子。他の“尼〜ず”も、和物オタクの千絵子を除いて以下同文。彼女たちに、そこそこの、あるいは、ちゃんとした男をあてがってやれよ。たとえば月海に失恋した修が、ままやと結ばれるとか。稲荷の部下の男と誰かがくっつくとか。運転手の花森もいるだろ。ああ、もったいない。もっと面白くなるのに。
サンバ1/23新宿武蔵野館2監督/エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ脚本/エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ、 デルフィーヌ・クラン、ミュリエル・クラン
原題も"Samba"。allcinemaのあらすじは「セネガルからフランスに出稼ぎに来て10年になる陽気で真面目な青年サンバ。ビザの更新をうっかり忘れてしまったばかりに、いきなり国外退去を命じられてしまう。窮地に陥ったサンバを救おうと、移民支援協会のアリスが尽力する。ところが、彼女は燃え尽き症候群に陥り大企業を休職中の身で、心に大きな傷を抱えていた。そんな中、正規の仕事に就けず、危険な日雇い仕事で食いつないでいくサンバは、同じ移民仲間のブラジル人ウィルソンと友情を育んでいく。やがて、どんな苦境にあっても笑顔を忘れないサンバの明るさが、情緒不安定だったアリスの心も少しずつ癒していくが…」
今年1月7日、フランスの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」がイスラム過激派に襲撃され、12人が殺害された。同時に人質立て籠もり事件や警官殺害事件も発生し、併せて17人が亡くなった。イスラム教の預言者ムハンマドを題材にした風刺画を掲載したのが理由で、容疑者の一部は殺害されたが、逃亡中の者もいる。容疑者はアルジェリア系フランス人でパリ出身だったり、イスラム系移民だったりするようだ。だから、この映画がひどくリアルで生々しく感じられた。こんなにたくさんの移民がいて、しかも、その管理があまりにも杜撰でいい加減になのにも驚いた。これじゃ、テロリストも容易に入国できるわけだ、と。
彼の地の観客は、説明がなくても分かるのか。それとも、説明を後回しにする構成なのか。定かではないが、この映画、曖昧でテキトーで説明は追々、てな感じなところがある。たとえばアリスの置かれている環境は、ずっとよく分からない。最初は見習い弁護士かと思ったら、裁判所では傍聴席にいる。なんなんだ? と思っていると、だんだん支援団体のメンバーと分かってくるんだけれど、あるときサンバに「ストレスで会社を休んでいる」てなことをいう。しかも、行動療法をしていたこともあるようだ。じゃ、精神病院に入院してたのか? ええっ? 会社を休んでいる最中に、不法移民の支援活動? それってボランティア? 給料もらってるのか? いろいろい分からないことだらけである。
あと、分からないのは、フランスの移民対策。これは事前に知っているといないとでは、理解の深さがぜんぜん違うだろうと思う。なんかよく分からないけど、フランスでは単純労働や3K労働のために、旧植民地であるアルジェリア、他のアフリカ諸国、中東当たりからの出稼ぎ労働者を積極的に受け入れている、のだな。ただし、どういう労働ビザを発行しているかとかは、分からない。↑のあらすじに「ビザの更新をうっかり忘れて」とあるけど、そんな説明があったかな。あったとしても、簡単で早く話されたのかも知れない。ホテルの仕事から帰るシーンの後に、何かの列に並んでいるサンバが写っていたけど、なんの列なのか分からなかった。後から、県庁?での、何かの申請のための列と分かるんだけど、ビザと言ってたかなあ? とにかく、この列で初めてウィルソンと出会う。
それまで、サンバはホテルで皿洗いをしていた。アールデコ風のパーティ会場から長回しで調理場→皿洗いまでたどり着き、食べ残しを包んで帰るシーンは、移民の生活の大変さを見せようとしているのかも知れないけど、そんなに悲惨ではないよなと思った。フツーじゃん。むしろ気になったのは駅のポスターで、パゾリーニの「ローマ」とは、どういうことだ。
なんだかよく分からんまま、サンバは収監される。そこに現れるのがマニュとアリスの2人の女性。慣れた感じで入館みたいな所に入っていくので、てっきり弁護士かと思ってしまった。マニュの方が手慣れていて、「決して自分の電話番号は相手に教えるな」とかいっているのに、アリスは産婆にいわれるがまま連絡先も、服用している睡眠薬まで渡してしまう。アホか。
で、裁判では結局、自由は認められず。そんなサンバは入管施設でアフリカ出身の男と仲良くなる。男は、苦労の末にフランスにたどり着き、なんとか働いて国に錦を飾りたいと思っている様子。美容院で働く同じく移民のグラシアスと知り合いで、結婚するつもりだ、とかいってる。これが大きな伏線であり、あまりにもテキトーでいい加減な物語の収束につながっているんだけど、ほんとにあんな終わり方でいいのかよ、だよな。
さてと。サンバはある日突然釈放される。が、国外退去命令だという。じゃ、国外に行かなきゃいけないのかと思いきや、それはカタチだけらしい。身を寄せている先の叔父は「大人しくしなくちゃな。スーツを着て、信号を守り、6時を過ぎたらバスに乗れ。目立つな」という。支援するアリスも「1年は我慢よ、そうしたら、また滞在申請がだせる」という。ええっ? 国外退去命令って、そんなもんなの? こんなんじゃ、テロリストはフリーパスじゃん。
で、サンバは美容院で働くグラシアスを探し当て、男からのメッセージを伝えるのかと思いきや、なんとその日のうちにベッドインとは何事! やれやれだよな。
てなわけで、自由の身にはなったけど、事件を起こせば強制退去。就労ビザがないから、仕事にもありつけぬ。というわけで、偽のパスポートだか就労ビザを手に入れたりして、何度も名前を変えながら、裏の仕事をつづけるサンバ。なんだけど、ショッピングモールの警備では、仕事を忘れて遊びほうけたり、俺が雇い主なら即刻解雇だよな、というようなことをしてばかり。まあ、親しみやすさを狙った演出なんだろうけど、移民は怠惰でまともに働かない、という印象ばかりが目立ってしまう。
あと、アリスの部屋の給湯器の修理か。これはウィルソンが直したんだけど、上手くいかず大変なことに…。
他のことでもそうなんだけど、言い訳と抗弁、自己正当化、不満たらたら、ばかりなんだよな、サンバは。出稼ぎ移民の身で、自分に落ち度があるのに、平等な扱いを求める、というのもどうになんだ? 監督は、その点すなわち、移民が劣悪な環境に置かれていて、差別されている、ということを強調したいんだろうけど、そんなの当たり前じゃん、という思いしか湧いてこない。文句があるなら、自国にいなさい、と思ってしまう。
で、警備の仕事中に侵入者と格闘してケガ。ここでアリスに連絡するか? なんだけど、映画ではそうしている。この辺りから2人のロマンスが始まってはいるんだけど、簡単に友人の女に手を出したりするサンバに、いまいち共感はもてない。病気休暇中、とサンバに説明するのも、この辺りだっけ。
パーティは、この辺りだっけ。なんのパーティか知らないけど、サンバがウィルソンを誘ってきたらしい。ここで、ウィルソンが実は、ブラジル移民ではなく「オラン生まれ」とか告白して「アラブ系ブラジル人かよ?」とからかわれるんだけど、オランってどこよ。調べたらアルジェリアらしいけど、そんなこと日本人には分からんぞ。で、この辺りでやっと、マニュとアリスは支援団体の人間、って(俺には)分かったんだけど、遅すぎるだろ。最初に登場したときに「定義」しろよ、と強く思う。
ここで、支援者のオバチャンとかと混じって、サンバ、叔父、ウィルソンがしんみり乾杯するシーンが、なかなかいい。叔父は、灯に集まって死んでいくトンボ? カゲロウかなんかの話をする。オバチャンは、ボブ・マーリーの言葉を引用する。あと、「キリクと魔女」の話もでたけど、なんのことか分からなかった。そういう物語=映画があったのね、知らなかったけど。それはさておき、そのシーンの後、ボブ・マーリーの音楽にあわせて踊るオバチャンが写ったりして、なかなかよい。フランスの白人が、アフリカ移民のために心血注いでいるのか、と、ちょっと感動する。
その後も、ウィルソンとの凸凹コンビで裏の仕事をしたりするんだけど、楽しかったのは窓拭きの仕事。高層ビルで、サンバは腰が抜けている。そんななかで、コールセンターのフロアでコカコーラの音楽にあわせて、ウィルソンが腰振りダンス。これにコールセンターの女性たちがノリノリで受ける、なんて、うそだろ。まあいいけど。なことをしていて、建設現場で働いていると警察がきて、屋根を逃げる。ウィルソンは屋根づたいに逃げようとするんだけど、高所恐怖症のサンバはまたしても及び腰。アホか、とイライラさせる。逃げた先は、高級マンション。ウィルソンは、ここの住人と知り合いのようだけど、住んでるわけじゃないんだろ? の後に、ウィルソンの部屋が写るんだけど、これはどこにあるんだ? 高級マンションの中じゃないだろ? ううむ。
そんなこんなで、なんとか逃げたけど、あおりを食らって(なのか?)叔父は失職。就労ビザを甥のサンバに貸していたのがバレたのかな。でも怒らないんだよな、不思議。
その後、入管で収監されたままだった男が解放されて出て来て、サンバに接触。サンバはアリスと約束があったんだけど、男に絡まれ、ついに「俺の女と寝やがって」と殴られ逃走するんだけど、ここに警官が登場して。逮捕されたら、もう後がない。というわけで逃げるサンバ。追う警官と、男。ついにサンバと、追う男が運河に転落。翌日、叔父のところに警察からサンバの遺体が上がった、と連絡があって…。叔父を訪れたアリスも落胆するんだけど、そこにサンバが戻ってくる。実は、サンバと男は上着を交換していて(って、ご都合主義的な展開)、死んだのは男の方で、サンバは生きていた、という落ち。
病休を終え、出社することになったアリスが会社の前で2時間、入れずにうろうろ。サンバに電話してきてもらい、やっと入れる、のはこの辺り? ここで、「普通のキス」ではない、本当のキスを交わす2人。うーむ。そんなにサンバがいいのか? いくら会社でストレスがたまり、うつ病で病院行きになったからって、とくに共通項はないだろうに。同情での恋心ではないとしたら、やっぱり本人が言ってたようにセックス中毒? まあいいけど。とくにアリスがフランス社会で虐げられているわけも、使い捨てられているわけでもないだろ。すべて個体の問題だ。
で、社内の会議室に入るんだけど、上司に「知った顔もあるだろうが」とかいわれるんだけど、あれはどういう場面なのだ? 元の会社に行くのに、まるで面接会場みたいなところだぜ。なんだかよく分からんよ。
もうフランス国内にはいられないと判断し、叔父とサンバは帰国を決意する。飛行場でバスに乗り込むが…サンバがアリスに、上着を「もっててくれ」と渡すのはわざとらしくてバカげているが、まあ、しょうがない。もっと上手い脚本にしろよ、という話なんだが。とにかく。その上着から、入管で一緒だった男の就労ビザを発見する。今後10年、働ける! というわけで、男になりすまして生きることになる。というエンディング。
おいおい、だよな。入管で一緒だった男が気の毒すぎるだろ。信じていたサンバに彼女を寝取られ、それを追求したらケンカになって運河に落ちて帰らぬ人に。そんな不条理の上で幸せになることの重荷を、サンバは感じないのか? だとしたら、こいつ、やっぱり、ロクでもない男だな。というのが感想。興味深かったのは、フランスの移民政策だけだった。
・アリス役のシャルロット・ゲンズブールは、へちま顔のオバチャンなので、ちっともみていて楽しくない。なぜ彼女は、しばしば愛人役になって登場したり、この映画のようにロマンスで使われるのか。まあ、エロい映画にもよくでるけど。親の七光り? それとも、この手のへちゃむくれが、フランスでは人気なのか?
・アリスは、休暇中に難民支援のバイト?してたのか? それともボランティア? よく分からん。
・仕事を斡旋する事務所で、工事現場?の仕事はマリ人に合わない、とかいわれてたりする。それをウィルソンが咎め、こいつは大丈夫、とかいってサンバを一緒に連れていっちゃうんだけど、なんかいい加減。サンバはセネガル人だけど…。しかし、身分証明書がニセモノでも、簡単に仕事を斡旋しちゃうんだな。いい加減だ。
・フランス女は、黒人の裸をみると興奮するのか? 裁判所に行く前、サンバが着替えるシーンを見て、マニュがアリスに「興奮する?」とかいったり、マニュがウィルソンにぞっこんになり、「私、ラテン系の男に目がないの」とかいってたりする。フランス女は黒人とかラテン系に目がないのか? それであぶれたフランス男は、アジアの女を追い回すのか?
神は死んだのか1/26ヒューマントラストシネマ有楽町2監督/ハロルド・クロンク脚本/ケイリー・ソロモン、チャック・コンツェルマン
原題は"God's Not Dead"。allcinemaのあらすじは「大学に入学したばかりのジョシュ・ウィートンは、ラディソン教授による哲学の講義で、初日に“神は死んだ”との宣言書への署名を求められ逡巡する。すると教授から、どうしても嫌なら神が存在することを証明して見せろと迫られ、その挑発に乗ってしまうジョシュだったが…」
トンデモ映画だった。神の存在を信ずるやつが、科学の力でコテンパンにやられるような話かと思っていた。もちろん、話はそんなかたちでスタートした。無神論者の教授が、現代の優れた哲学者はみな無神論者、反論できるか? てな授業で、その始めに「神は死んだ」と学生に書かせる。全員が書いたら合格点を与える、というなかに、ひとりカソリックの青年ジョシュが思い悩み、書けない。かといって単位を取ることをやめもせず、教授にディベートを挑む。
ところが、妙な具合に話がへたっていく。たとえば、教授がジョシュに「俺に恥をかかせる気か。さっさと「神は死んだ」と書け。さもないと点数はやらない。そうなるとお前はロースクールに行けなくなるぞ」と脅すのだ。げ。そんなことしなくても、神なんていないのは分かりきっているのに、なに激してるんだよ、と。
さらに、教授の妻の心が離れて行く。そもそもこの妻は神を信じていて、教授とは学生の時に知り合っている。互いに思想が違っていることを理解した上での結婚だったはずなのに、突然、心がズレ始めるのだ。なんて恣意的な展開なのだ。
2人のディベートは、白熱してるかというと、まったくそんなことはない。だれそれはこういっている的な話をもってきて、正当性の根拠にしようとしている。それって、ぜんぜん科学的じゃないじゃん。なのに、いつの間にか話は、神が存在することは科学的に論証されてしまった、というようなことになってしまう。おいおい。そりゃないだろ。アホか。
そうしてさらに、教授が無神論者になった理由は、幼いときに母親をガンで亡くしたからで、それ以前は熱心なキリスト教信者だった、てな話になっていく。つまり、神を信じていたけれど、私怨によって信仰を捨てた、てな話になっているのだ。ああ。なんてバカらしい話だ。レベルが低い。これって、どっかの宗教団体がスポンサーになってつくったPR映画か?
実際、なんとかいう団体の教祖だか牧師だかが登場して、女性ジャーナリストに突撃インタビューを受けている。彼は、もしかして、実在の宗教団体の人なんじゃないか? 後から出てくるロックグループなどは、多分実在で、件の宗教団体のイベントかなんかなのかな。
教授は妻から三行半を突きつけられ、街に出たら暴走するクルマに轢かれてしまう。しかし、肺に血が充満してきていて、瀕死の状況らしい。助け起こしてくれた男に、「神を信じているか?」と問われ、逡巡したけれど、結局、聖書の一文を暗唱して死んでいく。これで天国に行った、という解釈なのだろう。
というか、神を信じないやつは不幸になる、と断言しているようなところがありありで、やな設定。
その教授は死んでしまう。宗教団体の主催者にインタビューした女性ジャーナリストは、ガンが転移しているという見立て。
ジョシュの恋人で、単位取得のためなら「神は死んだ」と書きなさいよ、書けないなら…と言っていた娘は、別れたあとまったく登場しなくなった。無神論者や反キリスト教の人は、みな重篤な病気や事故で死んでいく、と言っているのだ。アホか。これはもう、映画家ではない。こんなパブリシティを、一見、説得あるようなつくりにして一般公開するなんて、どういうつもりなんだろう。バカバカしくて、何も言えないよ。 ・この手の、神がいる・いない論争は大学レベルでもあって、全米では訴訟問題にもなっているらしい。そんな訴訟問題の集大成らしいが。トンデモバカ映画だ、としかいえない。
劇場版 神戸在住1/29ヒューマントラストシネマ渋谷3監督/白羽弥仁脚本/安田真奈
オフィシャルHPのストーリーは「父親の転勤を機に東京から神戸へやって来た19歳の辰木桂。 彼女は大学の美術科へ入学し、明るい未来への扉を開けるように大学生活をスタートさせて間もなくの頃、東遊園地で中年の主婦に声を掛けられる。 「震災前は、あそこに私らの家がありましてん。一家5人で住んどったんよ。」そんな主婦の言葉に桂は神戸に来て初めて阪神・淡路大震災の惨禍に見舞われた街にいるのだということに気づく。同じクラスの友人、洋子、タカ美、和歌子と桂は三宮、南京町、旧居留地、メリケンパークと神戸の街々をめぐりショッピングに、時にはスイーツに舌鼓を打ち、表面上は充実したキャンパスライフを過ごしているかのようであったが、それぞれが関西出身の洋子たちの時には気さくで時には無神経な、いわゆる“関西のり”にいまいちついて行けず、ナイーブな性格の桂にはどこか違和感があり、素直に心を開くことが出来ないでいた。そんなある日、桂は元町でギャラリーを営むイラストレーターの日和洋次と出会う。車椅子生活ながら精力的に続けた創作活動が認められ、ジャパンウエストアートアワードを受賞し、絵の売上金を各地の震災復興への寄付金とするなど社会貢献でも注目を集めていた。そんな日和の姿や作品に励まされるようにして、桂のなかで徐々に何かが変わっていく。そしていつしか彼自身への想いが募るようになるが、下半身の不自由に加え、何か重い病気を患っていることに桂は気づき始める…。
神戸の震災を背景にして、復興なった神戸が舞台。受験に失敗した過去をもつ女子大生と、障がい者でありながら希望を描くイラストレーターとの淡い恋…。こういうのを良心的映画と呼ぶ人も多いんだろう。アホかと思う。
どうでもいい描写が盛りだくさんで、展開がのろのろ。大きなドラマもなく、小ネタでつないでいく。時間の経緯、季節の変化とかが、よく分からない。母親の、ゾクゾクするほど、わざとらしく、類型的な演技。いろいろじれったい。これはプロの仕事ではない。アマチュアレベルだ。
桂は、一浪して神戸の美術系の学部に入学。受験に失敗したときは落ち込んで、でも一枚の絵で救われたという。その絵の作者が日和洋次で、神戸にある彼のギャラリーショップを早速訪ねると、当人がいて「助けられた」と思いを告白する。のであるが、浪人ごときで落ち込むか? そもそもあんな絵で救われるか? 浪人して、進路を変えて美術系ってことは、もとは文科系か? なんかいまいちよく分からん娘だ。で、思ったんだけど、父の転勤の都合で神戸に来たらしいけど、その父は海外赴任かなんかしてるのか、登場しない。じゃなんで神戸に越してきたんだ?
大学のオリエンテーションのシーンが不気味に不自然。なんとなれば、桂の席が変わってる。最初は、和香子の後ろに座ったんだろ。なのに、和香子が自己紹介しているときいなくなってて、同列のずっと左側に移動している。いつのまに…。スクリプターがアホなのか? 監督がそう指示したのか。それにしても違和感ひどすぎ。
ひとり公園に行くとオバサン(竹下景子)に声をかけられる。あり得ないだろ、そんなの。しかも、他人がくれた食いものなんて、拒否するのがフツーだろ、いまどき。オバサンは「震災以前は、ビルの建ってるところに家があった」とかいうけど、それがどうした。この不自然さにむらむらきてしまった。
日和洋次だけど、テレビのニュースだか死亡記事高で32歳と分かるんだけど、日和役の菅原永二は、どうみても32歳には見えないし、態度もオッサン。まあ、実際にも40歳で、そうだよな、32歳はムリがありすぎだよ。それと、30そこそこで売れっ子になるやつなんて、そうはいないぞ。
友人たちのなかで変なのが、洋子。どこのハーフだよって顔で関西弁をしゃべくりまくる。だったらもう、最初からハーフという設定にすりゃいいのにね。で、小太りのタカ美が、洋子に昔のモデル時代の写真を見せて、「絵のモデルになってくれ」と頼むと、洋子は激して席を立ってしまう。それって大人げないし、フツーはそんなことしないだろ。あと、タカ美が桂に、「日和さん死んだってホント?」と言ったせいで、桂は落ち込むというエピソードもある。そんなん新聞に載ってる事実なんだから、何の問題もないはず。なのに、この2件について、タカ美は軽々しい女、ということで済まそうとしている。タカ美を悪者にしたってしょうがない話だよな。彼女が気の毒。
日和の死にも、いろいろ「?」がある。だって、彼の症状が悪化し、救急車で連れていかれる場に、桂もいたはずなのに、その後、誰からも連絡がないというのはあり得ないだろ。いや、桂は気になって気になって、搬送先の病院を聞き出して訪ねるのが筋だろ。亡くなる前に画廊のオーナー(?)である合田和名やバイトの聾青年から連絡もない。さらに、亡くなって数日で追悼展が企画されたというニュースがテレビから流れるって、なんだよ。追悼展は早すぎるだろ。さらに、桂がさっさと救急車を呼ばなかった…みたいに、彼女が日和の死に責任があるかのような描写は、いやらしい。
なわけで、追悼展の開かれる辺りだったか、開かれる前だったかで映画は終わる。日和が、生前に桂に約束した絵を描いていた、というようなことを最後につたえて、ね。
それにしても、空っぽな話だった。
・日和の個展は、記者会見だけで、個展自体は描かれないのな。変なの。
・それにしても母親は働きもせず、買い物三昧? 父親はどんだけ給料もらってんだよ。
・しかし、日和はなんで携帯をもってないのだ? 少し説明があったけど、あまり説得力がなかったような記憶…。
・手持ちカメラがブレブレ、ライティングとか色調とかも、カットごとに変わったりして、トーンがいまいちバラバラ。
・桂は、なぜスカートをはかない? それがはいたのは、日和にな見せたかったから? 日和の絵が欲しくていいなりになった? いまいちよく分からない。
チョコリエッタ1/29新宿武蔵野館2監督/風間志織脚本/風間志織、及川章太郎
オフィシャルHPのストーリーは「知世子をチョコリエッタと呼んだのは母親だった。兄弟のように育った愛犬ジュリエッタとチョコリエッタ。知世子が5歳のとき、母親が交通事故で亡くなった。それ以来、ジュリエッタだけがいつも心の支えだった。けれどそのジュリエッタも知世子が16歳になったときに死んでしまう。知世子はジュリエッタと同じくらい短く髪を切り、犬になろうとする。そのくらいジュリエッタのいない世界はくだらなくて退屈だったのだ。進路調査に「犬になりたい」と書いて担任から呼び出しをくらった日、知世子は映画研究部の部室を訪れた。母が好きだった映画フェデリコ・フェリーニの『道』を見ればジュリエッタに会えるような気がしたのだ。しかし、そのビデオテープは部室には無く、昨年卒業した正宗先輩の私物だったと知る。再会した浪人中の正宗は自室で、自分で撮った映像の編集をしていた。「目指すは永久浪人」と冷ややかに笑う。「先輩、死にたいって思ったことはある?」知世子の問いに「殺したいと思ったことならある」と答える正宗。そんな正宗の衝動を止め支えてくれたのは祖父だった。正宗をバイクの後ろに乗せて旅に出て、知らない土地の知らない人々を見せて回った。映画を正宗に教えたのも祖父だった。その祖父も既に他界している。正宗は知世子に「俺の映画に出ないか」と言う。知世子は仏頂面の不機嫌な顔をカメラに向けながら、自分たちにかけられた呪いについて嘯く。「先輩にはお爺さんの呪い、私には犬の呪いがかかっているってわけ。」フェリーニの『道』のザンパーノとジェルソミーナのように、バイクに乗ってふたりの撮影旅行が始まる。街を走り、山を走り、海に出る。喧嘩、事故、初めてのホテル。旅は二人に何をもたらすのか」
だらだらと退屈で、つまらない。中味からっぽだし。なんでこんな映画がつくれたのか、公開できたのか、のかが大いに疑問。採算なんて合わないだろ。
なわけで、2度も寝てしまった。最初は、先輩のところへ再び訪れた直後に寝て、気づいたら路上で、同居している女性が父親の妹・霧湖であるということを先輩に説明していた。その後、知世子が「どっか遠くへ行こう」と正宗先輩に言ったあと辺りからまた寝て、今度は、気づいたら2人がザンパノとジェルソミーナの格好で子供を相手に芸をしていたところだった。心地よく眠りに誘ってくれる映画である。
↑のあらすじを読んで、ふーん。そういう話だったのか、などと思ったりして。というぐらい、よく分からないセリフの集積なのだ。そもそも知世子が反抗的、というかフラフラし始めたのは、何か原因なのだ? 母親はすでに亡くなっているので、そのせいではないだろう。父の妹・霧湖のせいでもないと思う。愛犬ジュリエッタという犬が死んだから? だとしたら、アホか。だよな。
で、どうして放浪の相手に、正宗先輩を選んだのだ? 『道』のDVDを持っていたから? そんなの、見たかったらレンタル店に行けよ、という話で。そういうところからしてスキがありすぎ。まあ、全体がスキだらけなんだけどさ。
語るに値しない映画、であろうと思う。
・事故では両親が死んだのか? 父の妹・霧湖は、病院で知世子に「お父さんは隣で昼寝している」といったので、隣の部屋のベッドにいる、ということかと思ったんだが、それから登場してこないところをみると死んでたのか? でも、HPのストーリーは、母しか亡くなってないようだ。じゃあ、父とその妹の霧湖に育てられた? 父はどこに行った?
・そもそも正宗先輩とはどういう存在なのだ。たんに『道』のDVDを借りに行った相手なんだろ? なのに、なぜ2人がくっついて旅に出かけるのか意味不明。自分の名前を部屋に大書していたり、でも、だからどうしたな感じ。そもそもDVDなんかレンタルビデオ屋にいきゃあいいじゃないか。
・先輩のマンションは、なぜ玄関から入らず、建物前に設置された足場の階段を登り、ベランダから入らなければならないのか? マンションは祖父の遺産らしいが、だからどうしたな感じ。
・教室に「国防志願兵募集」(?)のポスター(閉鎖された病院の玄関にも貼ってあった)。あと、3〜4つの遺影のようなのがあったけど、国のために亡くなった同級生がいるということか。映画の中では、なにも触れられていなかったけど。たしか、事故があったのは2010年か2011年。そのとき知世子は5歳で、それから10年後の設定だから、2020年前後で、未来を描いているわけだが、その間に軍隊をもっているとでもいうのかな。
・ゲロ吐いて、おんぶして送ってもらったバス停にクジラのバスが来るとか。遠くに出かけて、どっかの公園で知世子と正宗先輩は、ザンパーノとジェルソミーナもどきの演技をするとか。山に行ってケンカして、道路に寝ていると小人2人とあと2人ぐらいがサーカス音楽みたいなのを鳴らしながらやってくるとか。この手の、エキセントリックな映像に終始すれば、ちったあましになったかも。なぜそうしなかった。予算?

 
 

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