2015年3月

アメリカン・スナイパー3/2MOVIX亀有シアター10監督/クリント・イーストウッド脚本/ジェイソン・ホール
原題は“American Sniper”。allcinemaのあらすじは「2001年のアメリカ同時多発テロをテレビで目の当たりにした青年クリス・カイルは、祖国の人々を守るために貢献したいとの思いを強くし、ネイビー・シールズで狙撃手としての過酷な訓練に励んでいく。やがてイラクに出征したクリスは、その驚異的な狙撃の精度で味方の窮地を幾度も救っていく。仲間たちから“レジェンド”と賞賛される活躍をし、無事に帰国したクリス。これでようやく、愛する妻タヤと生まれたばかりの長男と共に平穏な日常を送れるかに思われたが…」
平和なアメリカを脅かす ならず者(イラク、アルカイダ)に、ロデオが得意で、正義に燃えたカウボーイが立ち上がる。伝説のガンマン(狙撃手)同士の宿命の対決とか、有名すぎて賞金首になるとか、仲間の仇討ちで乗り込んでいくとか、はたまたバッタバッタとアルカイダの兵士が無防備に倒れていくとか、まるっきり西部劇だった。とはいえ設定が9.11後のイラク戦争、対アルカイダ掃討戦なので、いわゆる西部劇を楽しんだり、主人公に感情移入することはできない。寸前まで“引き金を引く”必然性に悩むクリスの様子は、たんに正義感に燃えて立ち上がった熱血漢とは違って理性的、過ぎるくらい。淡々と仕事をこなす職人みたいだ。
始めの方に羊・狼・番犬の喩えがでてきて、それはクリスの父親の教えなんだけど、要は平和ボケの羊になるな、暴力に訴えるだけの狼になるな、羊を守る番犬になれ、ということなんだけど。腕力もあったんだろう。幼い頃から、気の弱い弟を守る役割を演じていたようだ。だからなのか。9.11で「国を守る」という思いで、30にしてネイビー・シールズに志願。射撃の腕を見込まれてスナイパーとなった、ということらしい。
以降はドラマというより、エピソードの集積で。4度のイラク派遣の様子が描かれる。
最初の仕事は、子どもに爆弾を抱えさせて戦車に突っ込ませる母親、が相手。子どもを射殺し、次に母親も射殺する。以後、どんどん手柄を立てていったらしく、隊でも有数の実力者になってしまう。
2度目は、アルカイダのリーダーのひとり、ザルカウィを追っての出来事で。突入した家の家族たちの話。ザルカウィの右腕の虐殺者? というのがいて、民衆にも恐れられていたようだ。つまり、米軍と話をしたり援助したら、殺す、と。けどクリスはザルカウィの居所を聞き出したいために、家の主人と交渉。主人は、虐殺者の名前を告げるんだけど、あとで金をやるというような取り引きになっていた。でその金を持っていこうとしたら虐殺者がやってきてて、家の息子の頭をドリルで…。主人も撃ち殺してしまう…。ああ、気の毒なイラクの一般民衆、だよね。
3度目に到着したときにすれ違ったんだっけ、弟と。もう、イラクにビビってて、入隊なんかするんじゃなかった、ってな様子だった。それをみて、ちょっとがっかり、な感じのクリス。あと、対戦車砲をもつ男を射殺したら、その対戦車砲を10歳に満たない少年が拾って撃とうとする・・・? のをスコープで見ながら、「拾うな、拾うな」とつぶやくシーンもこのときだっけか? 結局、重すぎて、捨てて行っちゃうんだけど。しかし、子どもといえど油断できない、という感じ。
で、ここでは、あれだっけ、どっかの家に押し入って、その家から近くの食堂が怪しいからって見張るんだっけか。その家の主人が「飯を食べろ」と接待してくれるんだけど、肘が赤く擦れているのに気づいて調べると、床下に重火器。主人に食堂へ行かせ、そのまま食堂に突入すると、やっぱりアルカイダの巣で。ぶら下げられ、拷問されていたのは米兵なのか? 棚にバラバラの首とか手足がのってるのがおぞましい…。逃げていく虐殺者のクルマを破壊したのは、このときだっけか? うろ覚え。
帰ってくるたびに、神経が過敏になってるクリス。ちょっとした機械音に過剰に反応したり、血圧が異常に高かったり。しかも、ニュースでイランの様子が映ると、もう戦場に戻りたくなってくる…。そういう類のひとは、いるのだね。
酒場で知り合った妻・タヤは、「帰ってきても心が戻って来ない」というけど「俺はお前たちを守るために戦っているんだ」って反論するんだけど。もとをたどれば、アメリカが中東に過剰に介入したり、悪といわれたけれどイラクの治安を維持してきたフセインを亡きものにしたりしたから、なんだよな。戦争していないと落ち着かないアメリカ。わざわざ他国に押し入って、余計なお世話をしたから、相手もアメリカを目の敵にするわけで。でも、そういうことが見えない、クリスみたいな単純な連中がいて、正義を声高に叫んでいるわけだ。もちろん多くの支持もあるわけで、困ったもんである。
4度目は、えーと、伝説のスナイパーとして、ザルカウィと対峙するんだっけ。それとも、アルカイダのスナイパーとの攻防だけだっけ? もう忘れてるよ。ははは。
3度目のとき、仲間の一人が戦死し、もうひとりも視力を失う銃創を負ったんだけど、その後者も手術中に亡くなったりして。その仇討ちだ、とかいってアルカイダでいっぱいのなかに乗り込んでいくんだったよな。ある建物の屋上にいるところを、相手スナイパーに見つかって。その存在(1900m向こう)を、一発で仕留めてしまうのは、ちょっと呆気なさ過ぎ。しかも、弾丸の軌跡がCGで描かれるのは、イーストウッドらしからぬ表現だな。相手スナイパーは五輪代表かになんかだったらしいが、ここにも可哀想な運命があるわけだ。まあ、本人はそんなこと思ってなくて、アルカイダに殉じてるのかも知れないけど。
応援部隊もこないなか、命からがら逃げ出して、帰国するんだけど、PTSDがひどくて精神科に通ったりしていくうち、今度は戦傷軍人やPTSD軍人のサポートもするようになって。ある日、そうした軍人のひとりと射撃に行って、その軍人に射殺されて亡くなった、らしい。…ときて、そういえば、チラッと読んだ何かにそんなことも書いてあったかも、と思い出した。アメリカじゃ有名なんだろう。最後は、実際の葬儀の様子が映されていた。だから、彼の地の観客の多くは、結末を知ってみていた、わけだよな。
毎度、イーストウッドは、事実を放り投げるだけの見せ方だ。とくにアメリカの対イラク戦争を非難しているわけでもない。クリスを持ち上げ、美化することもしていない。でも、この映画を見て、愛国心に火がつくやつもいるだろうなと思ったりした。
ところで、この映画、いろんな映画が連想される。見出され、狙撃手となる。そして、狙撃手同士の戦いは『スターリングラード』。最後、アルカイダに包囲されてしまうところは『アラモ』。無事帰国するが、あっけなく死んでしまう結末は、『恐怖の報酬』や『アラビアのロレンス』。冒頭と最後に狩りの場面をもってくるところは『ディア・ハンター』。ネイビー・シールズの過酷な訓練は、つい最近『ネイビーシールズ』とがあった。他にもきっとあるんじゃないのかな。でも、そうやって連想されても、記憶に残る映画のいいところを拾ってきて構成している、というわけで、安定した出来上がりになってる、ってことだよな。
実際、ずっと緊張感が途切れず、見せられてしまったぐらいだし。ほんと、スキがない。では、何かを考えたかというと、とくに明確なメッセージもないので、やっぱり個々のエピソードに、そうそう、そういうことらしいな、なるほどね、と納得はする程度。語り合いの素材としてはいいだろうけど、人物に感情移入するわけでもないし…。
・ブラッドリー・クーパーは何度も見てるけど、まだ頭に入ってきていない顔なんだよな。で、同じような顔の兵隊がたくさんでてきて、しかも知らない顔ばかりなので、群像劇としての魅力は薄い。まあ、そういうつくりにはしてないんだろうけど。
・クリスは、戦場の緊張感に対する反応がPTSDとして残っているようだけど、何100人も撃ち殺したことに対しては、微塵も後悔してないんだな。
・妻のタヤとの出会いは、酒場。しかし、いい女がひとりで酒場で飲んでるって、男を誘いに来てるのか? しかも、つき合いだしてから、ずっとセックスしてなかったのか…な関係だったのね。
・米国の妻と、気軽に携帯で話せるのね。でも、クリスが攻撃されて、妻は驚いてたけど。
・ラスト前、西部劇みたいに拳銃を妻に向けたり、出かける前に拳銃を棚の上に乗せたりしたのが、不安になった。暴発するのでは? とか、クリスがいないときに子供たちが拳銃を…とか、思ったんだけど、そうはならなかった。でも、ラストへの予兆なのかね。
・1〜4回のイラン派遣が、時間的にどのぐらいなのか、が分かりにくかった。まあ、子どもの誕生や成長で“数年?”とか分かることは分かるんだが…。 ・最後の位は兵曹長だったけど、准尉にあたるらしい。
・エンドロールに音がまったくないのは、どういう意図なのかね。故意に盛り上げず、鎮魂? ・ところで。「コンバット」とか「ギャラントメン」だとか、第二次大戦は気軽に見られるテレビドラマになったけど、ベトナム以降の戦争は、そういうわけにはいかないんだろうな。
舞妓はレディ3/4ギンレイホール監督/周防正行脚本/周防正行
allcinemaのあらすじは「京都の歴史ある花街・下八軒(しもはちけん)。そこでは舞妓不足が深刻な問題となっていた。今いる舞妓は10年目になる百春ひとりだけ。そんなある日、田舎から出てきた少女・春子が老舗のお茶屋・万寿楽に舞妓志願にやって来る。女将の千春は、鹿児島弁と津軽弁丸出しの春子を追い返そうとするが、偶然居合わせた言語学者の京野が春子に興味を持つ。そして、“あの訛りでは舞妓は無理”という老舗呉服屋の社長・北野と春子が舞妓になれるか賭けをすることに。そのおかげで、なんとか万寿楽の仕込み(見習い)として置いてもらえた春子。しかしそんな春子を、花街の厳しいしきたりと芸の稽古、そして何よりも訛りの矯正という過酷な試練が待ち受けていた」
あまり面白くない、という評判を聞いていたんだけど。はたしてそうだった。そうじてテンポはノロく、地味。それほど意外性のある展開もない。というところで、突然、春子が歌い出した。げげ。これってミュージカルなのか? たまげたね。で、「まーいこはレディーぃぃぃぃ」という歌を聞いていて、ハタと気づいた。「これって、マイ・フェア・レディ」じゃないか! 大学教授が、娘の訛りを直そうと努力する、って、そのまんまじゃん! そういう話だったのか。知らなかったよ。歌詞でも、「京都に雨」とかって、“The rain in Spain stays mainly in the plain.”と同じじゃん。
ま、事前情報を入れない方が悪い、のかも知れないけどね。
で、その枠組みでどんなドラマが…と思ったら、たいした事件が起きない。鹿児島と津軽の訛りがひどかった春子も、次第に京都弁に慣れてはいくけど、それは当たり前の進化。京野と北野の賭けの結末は分かりきっている。とくに課題や壁にぶち当たって乗り越えていく、ということもなく、淡々と地味に話が進んでいく。話といってもまあ、細かなエピソードの積み重ね? なので、いささか退屈。
・京野の助手役の秋平(濱田岳)だけど。かれは実家が芸子屋で、でもそれを嫌って大学で言語学を学んでる? しかも、京都弁を使わず標準語にこだわっている…。というひねた存在なんだけど、もうちょっと使いようがあったんじゃなかろうか。春子が舞妓デビューの日、彼の家にも挨拶に行くんだけど、秋平は影に隠れてひねている。というところをみると、春子に惚れたのか? というわけではないのか。いまいちよく分からない。フィナーレでも、いやいや踊りに参加している。という存在を、どういう役回りとして登場させたんだろう? 意味が分からない。春子は京野を好きになったけど、秋平は春子が好き、京野は…草刈民代の里春が好き、とかにすりゃあいいのに。
恋愛模様が足りないのかもね。田畑智子の百春も、30なのに男の気配がない。草刈民代の里春も、一人暮らし? 恋愛話は、春子の母親の駆け落ち話しかないんだもんなあ。
その春子の母親がかつていたお茶屋に、たまたまその娘の春子がやってくる、という偶然もできすぎていてつまらない。もうすこしひねりを効かせろや。母の形見がなんとかで、とか、つながりをつくるとか。じゃないと、すとんと腑に落ちないよ。
遊び人の高嶋政宏とか、あと、小日向文世とか、脇役に大物もいるけど、その場だけの存在で、話に係わってくるわけじゃない。物語がつまんない分、他にも登場する有名どころの演技でもってる感じかな、とりあえずは。
・通りすがりに、パズルみたいな足し算を言ったり、薬指が離れない指の組み方を教えたりする近所のお姉さん(といっても婆さんだけど)が、味があって面白かった。
・竹中と渡辺えり子は、フィナーレ近くで『Shall we ダンス?』のまんま、カツラをすっ飛ばして踊ったりするんだけど、やめといた方がよかった。過去の自作に頼る笑いはみっともない。
・田畑智子、草刈民代は、芸子に見えないよ。
・春子の上白石萌音は、素朴な少女でいい感じだけど。なんかいまいち華が感じられない気がした。ま、これから化けるかも知れないけどね。
・オープンセットなのかな。京の町が作り込まれているのはいい感じ。色調も焦げ茶色〜オレンジの、昔風の画調で、しっとりといい。
ウィークエンドはパリで3/6キネカ大森1監督/ロジャー・ミッシェル脚本/ハニフ・クレイシ
原題は“Le Week-End”。イギリス映画。allcinemaのあらすじは「結婚30年目のベテラン夫婦ニックとメグは、色あせてしまった日常を忘れ、ロマンチックなかつての輝きを取り戻そうと、週末を利用して新婚旅行の地パリを再び訪れることに。しかし新婚当時の気分に浸りたいとやって来た思い出のホテルは、いまやすっかり当時の面影を失っていた。気を取り直し、高級ホテルに乗り込んだメグは、気をもむニックをよそに、唯一空いていた最上級スイートにチェックイン。その後は2人で観光名所や美味しい料理を満喫、ようやくメグの機嫌も上向いてくるのだったが…」
タイトルはおしゃれな感じだけど、中味は地味すぎて暗いほどであった。冒頭から中盤までは、奔放すぎるメグに翻弄されるニックが描かれるんだけど、こんな妻がいたら速攻で別れてやる、ぐらいないい加減な女なんだよな、メグって。タクシーでは運ちゃんにテキトーに金を渡して市内を走らせ、降りるときの料金支払いは亭主に任せっきり。部屋に入ると、冷蔵庫にあるミニボトルをやたらめったら出してしまう。亭主が「やめろ」っていってるのにね。亭主が「触らせろ」「キスさせろ」「セックスしよう」といってるのに、邪魔者扱い。どころか「あんたは息子の面倒を見なかった」とか「教え子と不倫したくせに」とかうるさい。そんなくせして、若い男とワケありみたいなそぶりで亭主をいらだたせる。まあ、本当にメグが浮気しているわけではないとは思うが。しかし、60過ぎた妻に女を見ようとしている亭主につれないなんて、なんて傲慢な女なんだ。よくこんな嫁と暮らしてるな。しかも、パリまで一緒にやってくるなんて。いったい、とういう思いなんだ? 二人とも。
…という、この2人の状態や気持ちは、最後までよく分からない。なんなんだ、この映画は、な感じだった。
・最初のホテルは、二人のイメージに合わない? どうやら新婚旅行でむかし来たホテルのようだ。それで、タクシーで見かけで選んだホテルに行ったら満室。でも、スイートなら、と言われてカードとパスポートを預ける。2日後、カードの残高が足りないからとホテル側に言われてしまうんだが、この時点で、カートの残高は調査されたんじゃないの? 違うのかね。
・最初に入ったレストランで、亭主が、ぴちゃぴちゃ音を立てて食べる。それを見て「あなた、音を立てて食べるのね」というと、亭主は「楽しまなくちゃな」とかいってるけど、一緒に暮らしてていままで気づかなかったのか?
・亭主が「セックスしよう」とかいったら、スカートをまくって見せたりするくせに、「愛のないセックスはできない」と拒絶する妻。この夫婦はいったい何なんだ?
・亭主はつまに告白する。女子学生に「髪なんかいじってるヒマがあったら勉強しろ」といったら、彼女が学校に訴え、大学から早期退職を勧告された」と。最初に告白したときは分からなかったけれど、この女子学生は黒人だったようだ。なるほど。しかも、ニックの奉職している大学は、日本で言うならFランレベルらしい。ケンブリッジを出たニックには、物足りないんだろう。
・夕食で入った店。妻は亭主に「外で煙草吸ってて」といい、自分は裏口から外へ向かう。なに。無銭飲食? これはゲームなのか? でも、あとからカード残高のことを知ると、もしかしてハナから金がなかった? では、ホテルでスイートを勧められたときも、ええい、いてまえ! な気分だったのかね。でも、カードを渡してるんだから、すぐバレるだろうに。あ、まて。カードを渡したときは、番号だけ控えたのかな? まあ、いずれにしても、バレるよな。
・書店だかライブラリ(?)で、妻が「写真を切り抜く」とか言って、本をたくさん抱えていたのは、あれは、なんなんだ? 書店だか図書館の本を切り抜くのか? もしかして、メグも金がない? でも、学校の先生なんだろ、妻の方も。よく分からない。
・その後だっけ、街でキスしてたら(よく妻が許可したものだ)、知人の作家に声をかけられ、翌日のパーティに誘われる。
・缶のプルトップを指輪に見立てて妻に贈り、その後、部屋に戻っていちゃついてると、亭主の首に傷。血が出る。その後、亭主が「胸を見せろ」というのは何なんだ?
・テレビ画面に、ゴダールの『はなればなれに』の踊るシーンが映し出されていて。おっ。と思った。
・かと思うと、亭主が「パソコンオタクのメリックと浮気してるだろ」と嫉妬して言ったりする。のちにパーティで否定するけど。妻は「あなたは息子をほったらかし」と亭主を非難する。まあ、そういう行き違いはあるだろうけど。そういう歳でもあるまいに。互いに60過ぎだろ。なんなんだ、この夫婦。
・パーティのシーンから後は、つまらない。延々と長く、観念的になりすぎ。ニックのケンブリッジ時代の友人の若い妻。別れた妻の息子。その他、文化人が何人かが登場。友人は売れっ子作家で、近著をニックにくれたりする。迷惑な話だ。中年オヤジがメグに声をかけ、誘ってきてのは、どういう意味なんだか。メグはまだまだ現役ですよ、ってか? な分けないだろ。違和感ありすぎ。
・テーブルスピーチがあって。ニックは妻が男に誘われた、と話す。それに対して妻は「私は行かないわよ」とかいうなんだけど、あれは互いの告白シーンと言うことかいな。でも、だからどうだっていうんだ。よく分からん。
・友人を振り切って2人はパーティを中座。その後、何したか、覚えてないんだけど。すぐにホテルのシーン、しかも、朝方になってたようなのが、変なの。で、「カードが限度額を超えている」とかで部屋を追い出されるんだけど、そのとき、部屋を損傷した代金も、とか言われていた。ちらっと写る壁に落書きがあったけど、前夜、ハメを外した? 友人宅から帰ってきて騒いだのか、それとも、友人宅に行く前? よく分からん。で、パスポートも返してもらえない状態で外へ行くんだけど、ホテル側に拘束・逮捕はされないのかね。パスポートを預かってるから、逃げられない?
・で、知人の作家をカフェに呼び出したのはHELP!なんだけど、単に金策? それにノコノコやってくる友人もアホか。で、メグがジュークボックスに行くと、『はなればなれに』の音楽が流れ、ニックも参加し、さらには友人も加わって映画と同じように踊り始める。おっ。なかなか洒落た感じ。と思っていたら、それで終わりだった。これから、あの夫婦は破滅へと突っ走るのか?
もっとも、『はなればなれに』を見てないので実のところはよく分からないんだけど。刹那的に疾走する青春は、もうこの夫婦にはないだろ。さらん、友人は功成り名を遂げた人物で、この夫婦にかかずりあう必要はないはず。
っていうか、この夫婦、実は経済的に破綻してたりするのか? その最後の逃避行? もしかして。よく分かんないけど。
・夫婦が、鍵のついた橋の上にいるシーンがあった。最近、鍵が重すぎて金網が崩れ、一時閉鎖されたあの橋だな。ってことは、愛を誓い合った? うーむ。ますます分からん。
バツイチは恋のはじまり3/6キネカ大森1監督/パスカル・ショメイユ脚本/ローラン・ゼトゥンヌ、ヨアン・グロム
原題は“Un plan parfait”。豪では“Fly Me to the Moon”、英国では“A Perfect Plan”だと。フランス映画。allcinemaのあらすじは「パリジェンヌの歯科医師イザベルは、理想の彼氏ピエールと素敵な同棲生活を送っていた。しかし、なぜか結婚に踏み切れないイザベル。その理由は、彼女の家の女性たちに伝わる“最初の夫とは必ず失敗する”という恐るべきジンクスにあった。そこでイザベルは、愛するピエールとの結婚の前に、一度離婚を経験してしまおうと思い立つ。そんなイザベルが理想の“離婚相手”として見つけたのが、お調子者の旅行雑誌の編集者ジャン=イヴ。彼との結婚を成功させ、そのまま離婚に持ち込むため、彼の世界半周旅行に同行するイザベルだったが…」
ロマコメだった。しかも、主演がダイアン・クルーガー。クールで知的な美女…なイメージの彼女が、ずっこけロマコメ? なので、ずっと違和感がありまくり。これは、最後までそうだった。
本命の彼氏が美男子のピエール。一方で、この映画のもうひとりの主人公は、ジャン=イヴ(ダニー・ブーン)。ってことは、最後にはイザベルとジャン=イヴがくっつく、というのは始めから分かっていること。なので、どうやってイザベルがジャン=イヴを好きになるか、なんだけど。この映画では、そうなる決定的事件というのも、ないのだよね。せいぜい、別れる前にパリを案内しましょ、で2人が観光していくつかのハプニングに出会う場面ぐらい。それも、ちょっと情にほだされた、程度なんだよね。
イザベルがピエールとは一緒に暮らせない、と思い立った理由は、思いがけないところにあった。いや。映画の冒頭近くですでに明かされていたことだった。ピエールの一週間は決まっていて、何曜日はボーリング、何曜日はなんとか、何曜日にセックス、って具合になっていた。そういう、決まり切った生活はゴメンだ、と突然イザベルが言いだすんだよ。おいおい、だよな。だって、それに不満なんて見せてなかったじゃないか。突然なんだよ、な感じ。
というわけで、やっぱ、もっとピエールが神経質で規範的でガチガチで、というのをもう少し強調し、イザベルもそれをいささか重荷に感じていた、と描いておくべきだったんじゃないのかな。
もちろん、そういうことを描いてしまったら、イザベルがあれだけ苦労して故意にバツイチになろうとした、という理由が薄れてしまう、のは分かる。けど、そんなにバツイチになりたかったのなら、神経質なピエールを受け入れていたはずで、それが最後の1日でひっくりかえる、というのもおかしな話。なので、そのあたりを、もう少し説得力のあるカタチで描いて欲しかった。
この映画、イザベルの家族がクリスマス? だったか何だったか、の家族パーティをしている最中に、客として招いた、イザベルの妹の上司に話して聞かせる、という設定で始まる。それには理由があって、最後に、このパーティにピエールがやってきて、イザベルの妹の上司とくっつく、という終わり方をするんだけど、かなり無理矢理だ。まあ、オチとしては面白いけど、ピエールの神経質というか、決まり切ったつまらない日常というのは変わらないわけで。イザベルの妹の上司も、それに耐えられるのかどうか、ちょっと心もとない。
そもそもイザベルは、デンマークで予定の相手(偽装相手)と出会えず、たまたま飛行機で隣り合わせになったトンマな男ジャン=イヴをターゲットにした、わけだ。イザベルは猛烈アタックするんだけど、ジャン=イヴはなかなか感づかない。って、アホか、と思うんだけど、映画だからしょうがないか。
気になるのは、ケニヤで結婚して、そこでひと夜を過ごしたのか? パリにもどってきて、ジャン=イヴの家に行って…では、したのか? さらに、ロシアですべてがジャン=イヴにバレ、最後の1日をジャン=イヴと過ごした夜、彼を好きになってしまったはずなんだけど、あのあとは、あれは絶対してるんだよな。ね。
・ジャン=イヴがイザベルの歯科医を訪ねてきたとき、その口を塞ぐためイザベルが麻酔を足や顔にブスブス刺すシーンは、怖かった。
・「42歳(43歳?)で子どもをもつて大変だよ」とピエールに言ったのは、イザベルの妹の亭主。ってことは、ピエールが子どもを産むのに消極的になったのは、その亭主のせいではないか。
・ケニヤの結婚証明書なんてあるのか? 公証人みたいのがケニヤの結婚証明書を手にして、あれこれいうシーンがあるんだけど、あんなものをケニヤから速攻で取りよせることができるのか? とツッコミ。
・イザベルが偽装結婚のために旅に出ている最中、ピエールがイザベルの妹夫婦の家を訪ねる場面があるんだけど、あれはどういう意味があったのか、よく分からない。
味園ユニバース3/9ヒューマントラストシネマ渋谷1監督/ 山下敦弘脚本/菅野友恵
allcinemaのあらすじは「ある日、赤犬のライブ中にひとりの男がふらりと現われるや、マイクを奪って歌い出す。その圧巻の歌声に、その場の全員が魅了される。しかし男はそのまま気を失ってしまう。やがて目を覚ました男は何も覚えておらず、完全な記憶喪失状態だった。赤犬のマネージャー、カスミは、そんな彼を放っておけず、“ポチ男”と名付けて自宅に住まわせる。そして、何も思い出せないポチ男を赤犬のボーカルに据える。すると、全身全霊で歌うポチ男の脳裏に、苦い過去の記憶がフラッシュバックで甦るのだったが…」
クズ野郎の更正話であった。
出所→拉致されてボコボコに→記憶喪失→ホームレスが上衣を奪う→赤犬の参加しているイベントのライブで「古い日記」を絶唱→カスミが自宅に引き取りポチ男と命名→音楽に開眼→赤犬のボーカルに抜擢→ライブ中の「古い日記」で過去を少しだけ思い出す→車で移動中ホームレス発見→カスミが上衣に書かれた会社を訪問→実家へ→ポチ男の名、経緯を知る。元妻の亭主から思い出の品を渡される→でもカスミはポチ男に告げない→カスミの祖父がカセットを再生(ポチ男の父が「古い日記」を歌うテープだった)しているのを聞いて、記憶が戻る→ライブのポスターを見て、昔の仲間が訪れ、カスミをからかう。仲間をボコボコに→元のボスの所へ行き「仕事をくれ」という。どうもポチ男は元ボスの弱みを握っているらしく、拉致は元ボスの指示だったようだ→ライブ当日、ポチ男に仕事のメール→誰かを痛めつける仕事? かと思ったら、元ボスの指示でポチ男がやられるハメに? そこにライブ中のカスミが駆けつけ、ポチ男をバットで殴る→ライブ会場の楽屋で伸びているポチ男→アンコールにはポチ男もでて絶唱…で終わり。
…だったかな。
全体に各シーンは丁寧につくられてる。だけど、背景とか人物関係がいまいち分かりにくいので、通してみるといまいちスッキリしない。
たとえばポチ男。逮捕されたのが27歳で、1年半ぐらいムショにいたんだよな。で、高卒で町工場? だけど刺青のある連中とつき合ってて…というのは、工場主の話。実家は豆腐屋で。父親は死んだのか? セリフが聞こえなかったりして、よく分からず。すでに結婚して子供がいて。家を嗣ぐはずが、店も子どもも放り出して家でして…元妻はいうけど、ヤクザになったのか? で、人にケガさせた事件は何だったんだ? 記事が大写しになったけど、全部は読めないよ。で、ムショから出たら仲間が迎えにきてて。途中で降りて息子にオモチャのピストルを買って、ということは実家に帰ろうとしていたということか。そこを拉致られてボコボコに。それは、出入りしていたヤクザのボスの指示だった、らしい。ポチ男はボスの弱みを握っていた? どんな。そもそも、どういう商売をしてたんだ? ボスは。最後に出てたけど、誰かを痛めつけるような仕事? なんかいまいち、分からない。
カスミの正体もよく分からない。一緒に暮らしてるのは、痴呆の祖父? たしか両親が事故死して、周囲は反対したけど中卒で家業のスタジオ=カラオケ屋を継いで現在に至る、だったかな。同級生とか彼氏とかおらんのか。仲間、のようなものとしては、あの楽団? 赤犬だっけ。
その赤犬というのもよく分からない。HPを見ると実際のグループで、味園ユニバース(実際にそういう施設があるらしい)を根城に活躍しているとか。その、実際の赤犬の存在に引っぱられる必要はあるのか? 話の中では、実際の赤犬のような音楽隊ではあるけれど、カスミのスタジオを根城にしているセミプロ集団みたいに描かれてるけど、それでいいのかね。
というわけで、味園ユニバースは実際にあって、そこに赤犬が出演していて、ファンもいる、ということを前提として説明しておかないと、閑却は「?」てなことになると思うんだけど、そういう配慮はない。
…という設定のなかに、記憶喪失の男がまぎれ込んできて。でも赤犬のメンバーは男をカスミに押しつける。って、二十歳そこそこの娘が1人で住む…まあ、爺さんもいること入るが…家に、わけの分からん男を住まわすか? という時点で、おいおい、な話なんだよな。
カスミは男をポチ男と名づけ、店を手伝わせる。ポチ男は記憶がないから従順。しかも、驚くべき歌唱力を発揮し、赤犬のリードボーカルになってしまう。ボーカルはいるにはいるんだけど事故でむち打ちで、代役がヒットしてしまった、という設定。カスミが、本来のボールかが松葉杖でいるのに、その松葉杖を蹴飛ばしてしまうころが笑えた。
ポチ男の記憶に残っているのは、「古い日記」の楽曲だけ。それがきっかけで記憶が戻るんだけど、戻ったらただのワル。というかクズ。そのクズぶりがどういうものだったか、は↑に書いたようにアバウトにしか分からないのが隔靴掻痒。で、ポチ男は元のボスの所に行って「仕事をくれ」というのだよな。しかも、「ボコったのはあんただろ」ともいう。対立している相手とか、ムショに入るきっかけとなった相手かな、と思ったけど違った。のだけれど、なぜボコったのか、よく分からない。ポチ男が元ボスの弱みを握ってるって、それ、なによ? 元ボスは、ポチ男をボコれば、それで片が付くと思ってるのか? よく分からない。でも、まあ、元ボスはポチ男に携帯を渡す。まあ、あとで連絡が行く、ということなんだろう。
赤犬の、味園ユニバースでのライブはすでに決まっていた。ポチ男はでるつもりなし。ライブ当日。カスミは、そんなポチ男に、彼がやってきてからつけていたノートを渡すけど、無視される。ライブは始まる。ボーカルは元からのやつ。
というところで、ポチ男の所には元ボスから電話。なんと仕事は、誰か知らん拉致った男をボコボコにすること、のようだった。が、近づいていくと、周囲に男どもがうじゃうじゃと…。これって、元ボスの罠? というところに、ライブを抜けてきたカスミ(PA担当)が現れ、ポチ男を殴る…暗転…次のシーンは、楽屋で寝ているポチ男。そこに赤犬のメンバーがぞろぞろやってきて、アンコールのためにTシャツと着替えてる。気がつくポチ男。…なんだけど、ここはどう解釈すればよいのだ? カスミがひとりでポチ男を救出し、連れてきた? そんなアホな。そもそも、カスミはどうやってポチ男の居場所を知ったのだ?
ラスト。ふてていたポチ男だったけど、結局、ステージに上がって歌いまくる。そこでエンド。
なんだけど、いまいち“そうなる”必然性が弱い。ワルなのに歌が上手い? 父親が歌好きで、それを聞いて育った? 父親は歌手になりたかったけど、ならず。その夢を息子に託した? その時のテープが残されていたからといって、ポチ男の純真さの肯定にもならん。それに、すぐにあれだけ歌えると言うことは、しょっちゅう歌ってないと声は出ない、というようなことを言っていた。ということは、ワルをしながら歌い続けていた? 変なワルだったわけだ。その辺りにいまいち説得力が足りないよな。根っから悪い男の純情のひとかけら、が描けてない。唐突すぎる。「ああ、なるほど」と観客に思わせないとなあ。
でも、あれでワルから足を洗えるとも思えない。捨てた女房には未練がなくても、息子には未練たらたら。口より手が早くて、元ボスも街をウロウロしているような状況で、もしかして、ポチ男はこれからも、カスミの家に住み続けるのか? まさか一緒になるとも思えないけど。だってそんなことをしたら赤犬との関係もボロボロだろうし。それに、元からのボーカルとの絡みはどうする? とか、いろいろ考えると、ハッピーエンドじゃない。
やっぱ、映画は、最後はスッキリ終わって欲しいものね。
・赤犬のボーカルが、アンコールで戻ってきて、ポチ男がいるのに気づく。するとすぐにステージに戻り、ダイブしたとかいってる。しかも、ケガをしたようだ。これは、どういう意味だ? 自分が意図的にケガをして、ポチ男に出番を譲った、ということか? よく分からない。
ソロモンの偽証 前篇・事件3/12109シネマズ木場シアター1監督/成島出脚本/真辺克彦
タイトルの上に「宮部みゆき」とでかくでる。なんか、原作者に頼っとるな。allcinemaのあらすじは「クリスマスの朝、雪が降り積もった城東第三中学校の校庭で2年A組の生徒・柏木卓也の死体が発見される。警察も学校も飛び降り自殺と判断するが、後日、学校関係者のもとに、柏木の死は自殺ではなく、大出俊次をリーダーとするいじめグループによる殺人だったと訴える匿名の告発状が届く。やがてそれはマスコミにも伝わり、ワイドショーを連日賑わすことに。それでも学校側は穏便に事を収めようと後手を踏むばかりで、事態は悪化の一途を辿っていく。そんな中、事件の第一発見者で2年A組のクラス委員を務める藤野涼子は、大人たちには任せておけないと、自ら真実を暴くべく立ち上がる。そして、全校生徒に対し大出を被告人とする学校内裁判の開廷を提案する藤野だったが…」
前・後編の前編。後半でネタバラシなのか、前半は要素(人物)と経緯をばら撒くだけに終わってしまっている。後半への、ほのめかし、もほとんどない。「つづく」まだろうけど、それは、生徒たちの手によって裁判が開かれることになった、という事実だけだ。新聞の評だったかに「大人は何かを隠している」ことが描かれているとかいってるのがあったけど、そんなことは映画には描かれていない。描かれていたとしたら、それは、映画のキャッチフレーズとしてだろう。見終えてからHPを見て初めて知ったんだけど、「嘘つきは、大人のはじまり」と書かれていた。これを頭に入れてみれば、そう見えるのかも知れない。あいにくと、こっちはこんなキャッチの存在を知らなかったのでね。あと、もうひとつ。初画の終了後に流れた、後半の予告編では血が流れていたり争ったり怒鳴り合ったりしている映像があった。保健室でも、別のドラマがあったらしい、ということも。それから類推して、何かもっと大きな事件があるのではないか、と感じられたのは事実。でも、本編には、そういった、ほのめかし、はほとんどなかった。まあ、「変だな」とかいう違和感はあったけどね。
その違和感を挙げてみるか。
一番は、北尾教諭が、裁判に反対するどころか賛成したことだ。いくら59歳で定年間近だとしたって、フツーの神経では反対するのが筋。なんか変だ。
高木という女教師と、楠山という教師の威圧的すぎる態度も、かなり変。
涼子の父・藤野剛は刑事らしいけど、彼が、この事件を担当している佐々木という女刑事と連絡を取りあってる形跡もないのも変。
森内教諭がさっさと辞めて、次に校長も呆気なく辞めてしまい、登場してこなくなるのも変。まあ、冒頭で23年後、現在の涼子がでてきたとき、校長室には当時の校長の顔写真があったので、彼が悪人ということはないと思うんだが。
三宅樹理の母親も、家にいるばかりで、得体が知れない。森内教諭の隣人も、変。
…というように、ぶっきらぼうすぎるぐらい、「変」な状態の大人が登場するけれど、「怪しい」感はないんだよ。まあ、そういう具合にしか演出してないからだろうけど。
まあ、要するに。「この謎のつづきは、後編で!」というようなワクワク感がないので、心が焦ったりしないのだよね。むしろ「もったいぶりやがって。早く見せろや」な感じかな。あるいは、もうちょい匂わせて終わるとか、そそるような終わり方をしろよ。ということでもある。最後の10分は後編にダブルとか。まあ、具体的にいうなら、この前編で裁判が開かれ、衝撃の何か、でスッパリ終わるとか。そういう見せ方をして欲しかった。そうしたら、見てるこっちも焦れるはず。でも、現状では、ああそうですか、レベルなんだよね。人間の掘り下げも薄っぺらで、将棋の駒を置くみたいに見せていく。もうちょい色気がある見せ方をしてもいいと思うんだけどね。
とはいうものの、飽きはしなかった。ふつーにしっかり撮れてはいるから。でもね…。
・柏木の遺体を涼子と野田が掘るシーン。写る遺体の顔は半分以上が見えている。そこまで掘り進める前に「キャー!」だろ、フツー。
・田畑智子の佐々木警部補が捜査を担当?するんだけど。自殺で処理してしまったので、事件化はしてないんだよな。まあいい。問題は、彼女がいつも単独で行動していること。ミステリー好きなら、警官は2人以上で行動することを知っているのだから、不自然すぎて困ったものだ。
・告発状の主なんか、指紋で調べはつくだろうに。なぜしない。というか、実はもう分かっているからしない? にしても、説得力がない。
・大出ら、悪ガキ3人組が、三宅樹理をいじめるんだけど。真っ昼間、学校の近くの、どこからでも見えるところで蹴ったり踏んづけたりするかよ。で、3人組といいながら、他の2人はほとんど目立たない。もうちょい何とかしろよ。
・途中から、柏木の小学校の同級生という、他校の生徒・神原が混じってくる。フツー、他校の生徒を校内に入れたりはせんものだよ。とくに教師はそういうことに敏感。だから、そこを説得する何かがないとまずいと思う。
以降は、くり返しになるけど、大人への疑問。
涼子たちは、裁判の許可を北尾教諭(松重豊)に求める。すると、あっさりOK。しかもアドバイスまでし始めたのには拍子抜け。なぜ北尾は裁判に賛成なのか。もうすぐ定年だから、では納得できない。なんか裏がありそう。だけど、そこをもう少しほのめかすのが映画だろうに。
校長は、松子が事故死すると、さっさと辞めてしまう。これも唐突すぎて、意味不明。やはりここは、去りゆく校長のシーンを追加して、怪しさをほのめかすべき。
高木という女教師が、「裁判をする」と言った涼子を殴ったのはなぜなんだ。単なるヒステリー? 裏があるんだろ。彼女の裏をほのめかせよ。
楠山という男性教師も、冒頭にツバをはいてたり威圧的だったり。違和感ありまくりで描かれてるけど、描き方が表面的で浅いんだよな。
森内先生をめぐる周辺も、以下同文。「嘘つきは、大人のはじまり」というなら、それを引きずった描写がなければ物足りない。
後編でいろいろある。バラされる。は予想はつく。しかも、終映後の続編の予告も流れて、血が流れてたり、保健室で何かあったこととか描かれている。なんか、前半では抑えに抑えて小出しにしてる感じがして、ううむ。さっさと後半見せろや。4月までに、前半のディテール忘れそう。
・藤野涼子、黒木華、ともに、蒼井優に雰囲気が似てるのだよなあ。
・夏川結衣のオバサン化にびっくりした。はかなげなところがなくなって、どっしり、な感じ。46歳か。
・松重豊。実年齢は52歳なのに、59歳の役ってのは、アリか?
・エンドクレジットで、永作博美! どこにいた? 後編の予告で、永作博美が分かったよ。三宅樹理の母親か。44歳だから不自然ではないけど、ほとんど顔もロクに写さない演出には、なんか意味があるのか?
・宮川一朗太も、どこにいた? なクチだな。あとで調べたら、柏木君の父親で、葬儀のときに写っただけらしい。
・チラ写りどころか、アップまでがんがんでてきて、うっ、ときたのが田畑智子。あの濃い顔をしっかり見せつけられるのは、かなり辛い。
・江口のりこが、いじめグループのリーダー大出俊次の母親で登場していたのも驚き。だってまだ34歳だし。
スペシャルID 特殊身分3/13新宿武蔵野館2監督/クラレンス・フォク脚本/セット・カムイェン
中国/香港映画。allcinemaのあらすじは「黒社会を牛耳るホンの組で潜入捜査を続けている香港警察のロン。ある時、組のブツを盗んだ兄弟分サニーを捜し出すようホンから命じられる。彼を追って中国・広東省に飛んだロンは、中国警察の女刑事ジンと捜査協力をすることに。そんな中、ようやくサニーとの再会にこぎ着けたロンだったが…」と、短いのは、やっぱ中味がないからか。
ドニー・イェンの、顔が苦手。どうみてもやさ男で、正しい主演顔じゃない。まあいい。
で。アバウトだった人間関係も次第に分かっては来るんだけど、え? なんで? な感じの話の展開で、思った以上にショボイ。だってこの話、ヤクザの内輪もめじゃないか。だよな。
香港。大親分のホンがいて、ロン(ドニー・イェン)はその子分。ロンには、むかし助けてやったことのある弟分のサニーがいる。その後サニーは渡米し、かなりかぶれている。サニーは、どういうツテか知らんが、ホンの兄弟分のクンと取り引きするが、だまし討ちで殺してブツを盗む。それがホンの耳に入り、ロンにサニーの捜索を命ずる。ロンは大陸に渡る。現地の警察からチームを組むことを要求されるが、無視して行動。サニーと再会して旧交を温めているところに、狙撃。どうもこれ、クンの子分らしいんだけど、どっからでてきたんだ? 取り引きのとき、サニーが片づけたつもりのクンの子分が実は生きていた…かと思ったら、どうもそうじゃないみたい。しかも、ロンを人質にほぼ制圧していたところを、中国の女刑事ジンに射殺されてさっさと姿を消してしまう。おいおい。
サニーの兄弟分にも、パートナーっぽい男がいたんだけど、こちらは呆気なく死んでしまう。もうひとり、デカ声の男もいたんだけど、こちらも後に簡単に死んでしまう。で、最終的にはサニーとジンのカーチェイス。ジンが路上に放り出され、代わりにロンが尾って、サニーとロンの格闘劇になって、最後はロンが制圧して終了…という、シンプルすぎて面白みのまったくない展開であった。最後のサニーとロンの格闘劇は、ほんと、寝るかと思った。
サブエピソードとして、ロンを信じる母親の話があるけど、母親をいたぶってどうする。速攻で殺すのが中国の黒社会じゃないのか? あと、コメディリリーフとして香港の刑事(?)か管理みたいな男がいるんだけど、あまり機能していない。それと、サニーがクンたちを殺害したとき一緒だった子分がいて、ずっといなくなっていたんだけど、後半でちょっと登場する。使い方が中途半端すぎ。
そもそも、ヤクザのボスが殺されたからって、大陸の警察がなぜ動くのだ? いまいち意味がよく分からない。香港警察vs中国警察のやり方の対立、みたいなのも、あまり強調されないのは、中国と香港の合作だから? にしては、香港の意見があまり通ってない感じもするな。ノワール的なじっとり感や大胆な省略もない。タイトル関連の文字も簡略体。あと、やたら広告がでてくるのも辟易。CAMUSのビルとか、モロにブランドがでてくるシーンが多い。『LOOPER/ルーパー』もそうだったけど、中国資本が入ると、映画のダイナミズムも削がれるのではないのかな。
・サニーはアメリカで喧嘩が強くなったのか? ロンと会ったときは素人同然だったのが、数年後には互角になってるなんて。
・サニーがクンと取り引きするとき、連れていたのは弱腰の青年ひとり。で、スコップひとつでクンと手下数人を殺してしまう。おいおい。大陸にいたデカ声の男はなぜ来てないんだ? デカ声を連れてきてれば、話は少しはマシになっただろうに。
・それとやっぱり、あの狙撃手は、サニーに埋められたクンの手下が這い出てきた、ということにするべきだろ。そして、サニーの野望は、大陸ヤクザのドンをめざすことで、政界や経済界に手を伸ばしてて、警察官僚にもその影響が及んでいて、自由に捜査ができない・・・とか。それを脳天気なロンがバッタバッタとやっつける的な話にでもすればいいのにね。
フォックスキャッチャー3/16シネ・リーブル池袋シアター1監督/ベネット・ミラー脚本/E・マックス・フライ、ダン・ファターマン
allcinemaのあらすじは「1984年のロサンジェルス・オリンピックで金メダルを獲得したレスリング選手、マーク・シュル。しかし、マイナー競技ゆえに生活は相も変わらず苦しいまま。同じ金メダリストでマークが頼りにする兄のデイヴも、妻子ができて以前のように付きっきりというわけにはいかない。いまや、次のソウル・オリンピックを目指すどころか、競技を続けるのもままならなかった。そんな時、アメリカを代表する大財閥デュポン家の御曹司ジョン・デュポンから、彼が結成したレスリング・チーム“フォックスキャッチャー”への参加をオファーされる。この願ってもない申し出を快諾するマーク。最先端トレーニング施設を有するデュポンの大邸宅に移り住み、ようやくトレーニングに集中できる理想的な環境を手に入れたかに思われたマークだったが…」
要するに、頭のおかしなおっさんの話だった。後の事件には、ジョン・デュポンが大富豪の御曹司で、極度のマザコンであることも無関係ではないだろうけど、同じような境遇にあって正常な人の方が圧倒的に多いのだから、これはもう個体の問題。異様な素質を持って生まれたんだろう。Wikipediaにも「突飛な行動や強迫性障害的行動」があったと書かれている。
前半は、マークの陰気で地味な毎日を淡々と描くだけなので、ひどく退屈。驚くのは、五輪金メダリストの講演料が20ドル(だっけか?)だったこと。こんなのガソリン代にもならんじゃないか。しかも、支払い側はマークを兄・デイヴと間違えている。兄貴の方が世間的に名前が売れてて、マークは影が薄かったのね。金メダリストなのに。
当時マークは、兄の道場に毎日通ってトレーニングしてたらしい。ロス五輪で金メダリストの兄弟が、自前の道場で? 協会からの補助とか、なかったのか? それも驚き。レスリングは、アメリカではそれほどマイナーだったのか…。
というところに、デュポンの代理人(?)からマークに電話で、話がある、と。行ったら、「支援したい。2万5千ドルやる」と言われ、興奮するマーク、って…250〜300万円で喜ぶのか…。だけど、出す方もしみったれてないか? 桁が違うような気がするんだけど、レスリングは、アメリカではそんなにマイナーなのか…。
マークはデュポンの敷地に家を与えられ、その他の選手たちも集められる。で、自身がコーチ、という立場でチーム「フォックスキャッチャー」を育て上げることに執心し始める。どうもデュポンは、他人から評価されたい、賞賛されたい、という思いが人一倍強かったようだ。マークがしゃべるスピーチ原稿に、自分を褒めるような言葉を入れ込ませたりしてる。そんなことまでして、と思うけれど、そういう性格なんだろう。
デュポンの生まれ育ちについては、あまり描かれない。せいぜい、「子供の頃に友だちがいて、使用人の子どもだったけど、母親が彼に金を渡しているのを見てしまった」と自ら語るように、真の友だちはいなかった、ようだ。でも別にそれは富豪であることには関係ないわけで、本人の資質だろう。
馬好きの母親は登場するけど、父親は登場しない。兄弟や妻子がいるのかいたのか、も分からない。この辺りは、ちょっと省略しすぎかな。Wikipediaには「ジョンが2歳のときに両親は離婚し、母が農場を相続した。二人の姉と、兄、腹違いの弟がいた」「45歳のときに29歳のセラピストであるゲール・ウェンクと結婚する。一緒に暮らしたのは6か月にも満たず、結婚後10か月で離婚を申し立てた。ウェンクは、デュポンが拳銃を自分に向けたり自分を暖炉に突き倒そうとしたとしてデュポンに対し500万ドルの請求を起こした」と書いてあるけど、このあたりはざっくり省略だな。
それと、父親がデュポンというだけで、別に会社の経営には参画してないのね。相続した遺産が莫大で、大学をでてから趣味で暮らしてたみたい。そういう人がアメリカには、いるのだね。
なんでデュポンがレスリングに興味をもったかは、よく分からない。むかし、少しやってた、とか言ってたけど、どうなのかね。Wikipediaは他に水泳、トラック競技、近代五種のスポンサーになったと書いている。発作的なものなのかな。
というところで、映画はデュポンのマザコンぶりをあぶりだしていく。どーもデュポンは母親に認められたがっていたようだ。「フォックスキャッチヤー」という名前も、母親がキツネ狩りを趣味としていた(?)ことへの敬意を込めたものに違いない。けれど、母親の生前には、どーも、まともには認められていなかった節がある。それを乗り越えたい、という願いが、心の底にあった、と思われるように描かれている。たとえば、デイヴを招聘後、母親がレスリングの練習を見に来るシーンがある。馬こそ上流階級のスポーツ、レスリングは下品とつねづね言っていた母が、やっと見に来てくれた。で、メンバーを集めてコーチングし始める滑稽さ。素人がプロにアドバイスするのを、選手たちは「なるほど」顔で聞いている茶番。これもまあ、話を分かりやすくするための演出なんだろうけど、滑稽に見えてくる。デュポンを演じるのが『俺たちニュースキャスター』『40歳の童貞男』のスティーヴ・カレルってだから、いつバカいいだすんじゃないかって期待してしまうところがあったりしてね。
デュポンはマークと、兄のデイヴも招聘したがったけれど、家族もいるし、地元でのコーチの口もあって、家を離れなくなかったらしい。賢明だ。けど、「フォックスキャッチヤー」のさらなる充実化を目論む上で、デイヴは欠かせない。と思い込んでしまったのか、「兄貴は来ないよ」といいつづけるマークに、ビンタを食らわせるんだよな。このあたり、ワガママ息子の面目躍如なのか。まあ、どうやって母親に育てられたのは、よく分からんけどね。
マークを擁して世界選手権で優勝し、蜜月だったデュポンとマークの関係がこれでこじれる。しかも、大金を提示された(?)デイヴも、結局、「フォックスキャッチヤー」にやってくるに至って、マークはさらにいじけて孤独になって行くんだけど、その背景には、デイヴあってのマーク、という関係でやってきた兄弟、という現実があったようだ。兄の影を払拭し、自立したい、と願っていたマークの存在は、母親の呪縛から逃れたいと思いつつづけてきたデュポンの存在とアナロジー的に描かれていて、分かりやすすぎ。まあ、家族のいろいろとか、支援したスポーツがレスリングに絞られていたりと、あれこれを省いて、そういう関係性を強調しているんだろうけど、ちょっとやりすぎな気もしないでもない。
世界選手権で優勝後、マークはデュポンにコカインを勧められ、薬と酒に溺れるんだけど、この辺りはマークの性格の弱さを強調かね。練習もサボりがち。というところでデュポンがマークに「デイヴを呼びたい」「兄貴は来ないよ」といってビンタされる。友人関係と思っていたマークの転落人生の始まり。ところで、ビンタされた後、マークが横たわってる上に覆いかぶさるような女性の顔が少し見えたのは、あれは誰なんだ?
デイヴがやって来て、さて、五輪の予選。マークはデイヴのアドバイスを拒否し、惨敗。このときの、マークの部屋での八つ当たりは、結構派手。額で鏡を割ったり電気スタンドを殴り飛ばしたり。リアルに撮れてた。で、あと2試合あるとかで、やけ食いしたマークに吐かせ、当日、5kgオーバーというのを90分で減量させたり。って、やけ食いで5kgも増え、90分自転車こいで減量できるのか?
このとき、デュポンが介入しようとしてきたのを制止して、マークはどうやらソウル五輪選手に選出されたらしい。でも、マークは「フォックスキャッチヤー」を出て行くんだっけかな。でもデイヴは、デュポンに「マークにも給料を払ってくれ」と要求し、それが通るんだから、よく分からない。それほどデイヴの存在は大きかった? というより、引換として、五輪でコーチとして参加できるという条件に対して支払ったのかもね。そういえば、世界選手権ではデイヴも選手で参加して、日本選手に勝利していたけど、五輪ではもう選手じゃなかったのかね。
でも、ソウル五輪で、マークは惨敗。それと、この時期、デュポンは自身のドキュメンタリー映画を作成していて、デイヴに自分を賞賛するようなことを言わせたがっていた。のだけれど、どうもデイヴは、いえなかったらしい。それが分かるのは、デュポンが完成したドキュメンタリーを見ているシーンがあるからで、それはマークの世界選手権優勝のシーンで終わっているからだ。どうも、それが気に入らなかった、というような描き方を、映画はしている。
マークは、あしらえた。言う通りにさせられた。でも、デイヴは言うことを聞かない。ソウルで勝っていればまだしも、負けてしまった。…なことが腹に据えかねたのかな。デイブはある日、唐突にデイヴを射殺してしまう。
…という映画。チャニング・テイタムとマーク・ラファロは実際に組み合ったりして、レスリングシーンは大したものだけど、いろいろ恣意的に強調されていたりして、真実とはいろいろ違うような気がする。デュポン家にも、変なオッサンがいた、ということだね。
・デュポン氏は、さすが名士なのか、屋敷で警官が射撃してたり、軍隊から(なのか?)装甲車を買ったりしてる。そういえばこの映画、テロみたいなことが起こるんじゃなかったっけ? とか、何かでチラッと読んでしまったような記憶が…。なので、ラストでデュポン氏が機関銃で選手一同皆殺しかと思ってたら、そうじゃなかった(笑)。兄貴だけだったのね。
・ビンタが2回でてくる。デュポンがマークにするビンタ。これで、マークはいじけて退場する。もうひとつは、五輪予選で負けたマークへの、兄・デイヴのビンタ。これでマークは、目覚めて復活する。これもまあ、意識的に演出されているんだろう。
・「フォックスキャッチヤー」には、どんなメンバーがどういう基準で招集されていたのか、ということにも興味がある。その他大勢に何の言及もないのは、ちょっと物足りない。
・マークに女関係が一切登場しないのは、どういうことなんだろう? たんなる省略? それとも…。
悪童日記3/17ギンレイホール監督/ヤーノシュ・サース脚本/アンドラーシュ・セケール、ヤーノシュ・サース
ドイツ/ハンガリー映画。原題は“A nagy f?zet”。ノートブック、という意味らしい。なーるほど。舞台はハンガリーだったのか。もしかしてポーランド? とか思いつつ見てたんだけど。見始めたときは「フランス?」でもすぐに言葉が違うのに気づいて、以後、ドイツ占領下にあってソ連との攻防戦がつづいているような場所、と思ったんだが。しかし、ちゃんと書いてくれないと、分からんよ。allcinemaのあらすじは「ブダペストに暮らす双子の兄弟は、両親のもとを離れ、田舎にある祖母の農園に疎開する。人々から“魔女”と呼ばれている冷酷な祖母は、双子を“メス犬の子ども”と呼び、容赦なくこき使う。双子はそんな過酷な日々の出来事を、父から渡された日記に綴る。そしてどんなことにも負けない強さを身につけるため、2人で様々な鍛錬を重ねていく」
このときは、ちょっとボーッとした感じで見たので、細部に注意が働かなかった。さらに、前のオバサンが神経過敏な人で。椅子の下部にこちらの靴の先があたったのを咎めるように後ろを向いた。さらにもう一度、軽くあたったのに対して「蹴らないでください」と言葉で言ってきたのでイラッときて、集中力を欠いた。まったくクソババである。このオバサン、エンドロールの途中で帰って行っちまったけどね。やなババア。で、このときは『悪童日記』しか見ずに出た。『ショート・ターム』まで集中できるか自信がなかったので。
さて。このとき感じたのは、ダークなクストリッツァみたいな感じだな、ということ。戦争、占領下、翻弄される運命、隣の三ツ口の娘、太った祖母、その他その他。陽気さはないけど、コミカルなところもあって、通っている筋は似ているような気がした。あと、虫やニワトリを殺したりするところは、なんとなく『汚れなき悪戯』のことも思った。
ただし、全体を見ると物語としてのダイナミズムがないのだよね。それぞれが単発のエピソードみたいで、ふっ、と終わってしまう。伏線があって、それが後から効いてくる、というようなこともない。それぞれの運命が、綴られていく感じ。クロニクル的。
最初は、フランスが舞台か? と思ってたんだけど、セリフが入るとフランス語ではない。ナチ占領下のヨーロッパか。じゃ、ポーランド? なんて思いつつ見てた。字幕でも出てこないし、最後まではっきりとは分からず。後からallcinemaでハンガリーと分かったんだが、そのぐらい最初に知らせてくれよ、な気分。
戦争が終わり、ソ連軍が戦車でやって来る。隣家の娘は無邪気に招き入れて、呆気なく殺されてしまうんだけど。さんざんレイプされて捨てられた、のだろう。盲目でつんぼのはずの母親が、目も見えて耳も聞こえることが分かったりするんだけど、どういう意味があるのか分からず。
ののち、父親が戦場から帰ってくるんだけど、これが「国境を越える」っていいだすんだよな。これは、西側に逃げる、ということを意味するのかね。あ、いや、その前に。父親は、どこの軍隊にいたんだ? ハンガリー軍? ハンガリー軍はナチ側だったのか? 父親は「捕虜になっていた」といっていたけど、どこの捕虜になっていたんだ? というようなことが、よく分からない。ハンガリーの歴史を知らないと、分からないことが多すぎる感じ。
父親は「国境を超える」といい、双子の目の前で地雷原で爆死するんだけど、双子が「20分で監視が戻る」というのにあの地雷の大爆発じゃ、監視も気づいてるだろ。で、双子はどうするのかと思ったら、片割れが父の死骸を踏み台にして越境し、彼方へ。もうひとりは、そのまま残る、という終わり方で。教会の娘の部屋のストーブに手榴弾を入れた一件で、地元の警察(?)に盛んに殴られた後、「叩かれるのは平気。離れ離れにされる方が堪える」といっていたのに、どういうことだ? と不思議に思った。
・貼り混ぜ帳のような日記がときどき登場するんだけど、日記初心者がよくもまあ、書きつづけられたものだ。いくら父親にいわれたからって。
・冒頭、父親が帰ってきたのは、軍隊からの一時的な帰宅なのかな。双子は10歳ぐらいの設定? あどけなく「パパ!」とまとわりつく。また戻っていったところをみると。どこの軍隊だ?
・家族の食事シーンは、荘厳な感じ。父親の躾が厳しいのか? 妻も貞淑な感じだったんだが…。のちに不貞を働くようになったのが嘘みたい。
・父親が「双子は目立つから離して育てよう」とかいってたけど、目立つと何がいけないの?
・父親が軍に戻ると、母親は双子を実家に連れていく。祖母は娘(双子の母親)を「メス犬」呼ばわりする。しかも、20年も帰っていなかった、ともいっている。具体的には分からないけど、田舎ではヤリまくりだったとか、駆け落ち同然に出奔・田舎を捨てた、とか、過去があるのかね。
・隣家の娘は、泥棒で食っている? 三つ口か。何歳だろう。15、6歳? その母親がめくらでつんぼ、というのは、そういう設定にしておくことで、ドイツ軍などに襲われたりするのをふせぐ?
・祖母はすごいデブ。魔女と呼ばれている。実の孫2人なのに、ひっぱたいて仕事をさせる。いくら娘がメス犬だからって、孫はかわいくないのか?
・隣家の娘に、教会の司祭の変態ぶりを聞いて、双子はゆすりに行く。逞しい。
・教会で働く金髪の娘は、ありゃなんなんだ? 双子を「イケメンね」とかいって家に連れていき、一緒に風呂に入ったりする。彼女は、司祭の囲っている女? 風呂で、双子はしごかれたのか? 興味はつきない。
・教会の金髪娘は、連行されるユダヤ人を愚弄する。ナチの女なのか? よく分からない。
・双子を連れに来た母親が、爆撃で死んでしまう。その埋葬シーンだけど、墓穴が深い。あんな墓穴を、巨漢デブの祖母に掘れるはずがない。
ショート・ターム3/18ギンレイホール監督/デスティン・ダニエル・クレットン脚本/デスティン・ダニエル・クレットン
原題は“Short Term 12”。allcinemaのあらすじは「虐待やネグレクトなどに遭い、親と暮らせなくなった10代の少年少女たちを一時的に預かる短期保護施設“ショート・ターム”。ここで働く20代のケアマネージャー、グレイスは、同僚で恋人のメイソンと同棲中。明るくて仕事ぶりも有能な彼女は現場スタッフのリーダー的存在。スタッフからはもちろんのこと、心に傷を抱えた施設の子どもたちからも厚い信頼を寄せられていた。しかし、そんなグレイスも、メイソンにさえ打ち明けられない深い心の闇を抱えていた。ある日、新しく入所した少女ジェイデンのケアを任されたグレイス。聡明ながら誰とも馴染もうとせず、施設を転々としてきたジェイデン。彼女の心の傷と真摯に向き合っていく中で、次第に自らの辛い過去とも対峙していくグレイスだったが…」
短期間利用できるグループホームらしい。老人のためのグループホームは知ってたけど、青少年用のもあるのね。で、気になったのはスタッフたちだけど、なんとか福祉士とか介護士の資格はもってるのかね。大学を休学して勉強にきた、という男性スタッフがいたけど、ボランティアでも参加できるの? リストカットしたりするような子供がいるのに、大丈夫なのかね。
という環境の中で働く女性・グレイスとそのパートナー・メイソンが主人公で、2人ともが、ホームにいる子供たちと似たような過去を持っている、というのがミソ。これはおいおい分かってくるんだけど、グレイスは父親に暴行されつづけ、妊娠の過去も…。メイソンもどうやら孤児で、養父母がいる。で、グレイスの悩みは、メイソンの子を妊娠したこと。結果が分かるとすぐさま堕胎の予約を入れるんだけど、かといって内緒というわけではなく、メイソンに伝える。メイソンは喜び、結婚しようというんだけど、迷いつづけるグレイス…。というストーリーがパラで進んでいく。まあ、定番のドラマツルギー。
もちろんホームの子供たちもいろいろで、反抗的な18歳黒人青年。きまりなのでホームを出なくちゃならないんだけど、彼は母親に虐待され続けてきたトラウマがあるらしい。あと、やたらと逃走癖がある少年。人形を集めることで平穏を保っているのに、セラピストが「そろそろ自立を」とすべて取り上げてしまい、少年はいじけてしまっている。
そして、ジェイデンは、ホームの所長の友人の知り合いの娘で、一時預かりすることになった、らしい。「すぐ出ていくから」と斜に構えているけど、誕生日になっても父親が迎えにこない。さびしそうにしているジェイデンに、18歳黒人少年の提案で、みながバースデーカードをつくってあげるところは、なかなか泣ける。のだけれど、そんななか、ジェイデンはひとりでホームを抜けだしてしまう。追うグレイス…なんだけど、「ホームから外に出たら、触れられない」とつぶやくのはどういうことなんだ。そういう法律があるのかね。
で、ジェイデンは実家に行くんだけど、父親は不在。で、話していくうち、実は彼女の父親は児童虐待をしつづけてきていて…ということが分かるんだけど、どうしてそんな父親を恋しがるのか、そのあたりはよく分からない。で、いったんはホームに戻るんだけど、知らない間に父親がやってきて、所長はジェイデンに外泊許可を出した、というのを知ってグレイスは激昂。所長に詰め寄るんだけど、埒があかない。
というようなことがあるのだね。逃走癖の少年の人形を取り上げたのは、セラピスト。虐待オヤジのもとに娘を渡したのは、「私はきみが生まれる前からこの仕事をしているんだ」とグレイスに反論した所長。果たして、20代半ばのスタッフであるグレイスが正しいのか、経験豊富な専門家の判断が正しいのか。映画だからバイアスがかかっているとは思うけれど、なんとも言い難い。
で、グレイスはひとりジェイデンの家に乗り込み、バット片手に彼女を奪い返しに行くんだけど、ジェイデンに見つかって「あんた、何しにきたの?」なんて言われてしまう。まあ、オヤジは酔って、か知らんが爆睡で。で、このときグレイスはジェイデンに自分の過去を打ち明けるんだけど、そういうことがあったからこそ虐待された側の気持ちが分かり、助けたい、と思ったんだろう。てなわけで、グレイスは恥を忍んで法廷で実父のあれこれを証言したことを告白し、やっとジェイデンも証言することを決意する。という話なんだけど、彼女の場合は暴力だけなんだよな、きっと。
なこともあって、子どもを産む、と決意したらしいグレイスとメイソンの明るい笑顔、そして、逃走癖の少年が星条旗をマントにして逃げまくるシーンで終わる。
日本でこういう話を映画化すると、美談とかお涙ちょうだいとか良心的とか、泥臭さくなる。あるいは、告発劇になったりするんだけど、そういうことはなかった。案外と清々しい。キャストも、有名どころが皆無なのに、それぞれが印象的だった。
・冒頭には、腹痛をおして少年を見張っていたけど、堪えきれずにウンコ漏らしをしたメイソンの話。で、その見張っていた少年は、翌日、自殺したという…おお。
・ラストは、18歳でホームを出ることになった美少女がいて。ちょうど15歳で入所してきた少年が「もっと君と話をしたかった」とみんなの前で言って、ずっとからかわれた、とかいう話。でその15歳の少年が、例の18歳黒人少年で、ホームはすでにでてるんだけど、グレイスだったかメイソンが先日、カフェで見かけた。ひとりかと思ったら、カップがもうひとつある。と、トイレから、例の美少女がでてきた、とかいう話が粋でよいね。
その18歳黒人少年は、飼っていた金魚が死んだというだけでリストカットしちゃったりするぐらいナイーブなんだけど。
・グレイスの父親が出所、という話もあったけど、それはどうなったのかね。
悪童日記3/18ギンレイホール監督/ヤーノシュ・サース脚本/アンドラーシュ・セケール、ヤーノシュ・サース
前日に続いて2度目。
で、翌日にもういちど。『ショート・ターム』の後に見たんだけど…。隣家の泥棒娘を追いかけてカフェに行って、オヤジに叩かれたすぐ後ぐらいからうとうと。うとうとは途切れ途切れにつづいて、教会の娘がじゃがいもを買いにきた辺りから、ちゃんと見た。ははは。
冒頭で父親が戻ってきたのは、1944年の8月19日(?)だったかな。で、映画の終わりは翌春ぐらい? ってことは、半年間の話か。けっこう短かったんだな。その間に、無邪気だった双子は逞しく、生意気で、したたかに成長する、という話だな。しかも、この間にニワトリを殺し、虫を殺してコレクションし、教会の金髪娘の顔を手榴弾でぐちゃぐちゃにし、隣家の母親を殺し、祖母も殺し、母親を捨て、父親も見殺しにする…。しかもずっと、感情のカケラもなく淡々と対処する。なにがそうさせたのか? さっぱり分からない。
まあ、ニワトリは、食欲から、なんだろうけど。あの一件から、祖母>双子の関係が変化し、次第に祖母<双子になっていく。やっぱ、人間関係を変えるのは、力関係なのか? そうなると、双子も、祖母憎しから、いたわりの心へと変わっていくのが面白い。
虫殺しは、隣接して設けられていたらしい、ユダヤ人の収容所が投影されているのだろう。虫に付けられた番号が、囚人番号そのものだ。
教会の金髪娘への手榴弾の仕掛けは、ユダヤ人靴屋の存在を告発し、ひいては殺害にいたったきっかけに対してだろう。最初見たときは、殺したのは誰? と思ったけど、ナチあるいはその手先のハンガリー人なんだろう。ある意味では正義の遂行だ。ところで、双子の友人(?)であるドイツの将校は、兄弟の仕業だというのは知っていて、現地の警察官を殺害したんだな。警察署(?)に連行され、暴行を受けている双子を救出し、警官を射殺。双子を家に送っていき、帰りには部下が箱を持って出てきて、車に積み込んでいた。もう戦争が終わることを承知しての行動だったのかも知れない。もっとも、ナチ将校と双子の友情というのは、よく分からないんだけど。あと、ナチ将校ムチ打ち矯正ギブスをつけているのは、なんなんだ? 何かの暗示?
隣家の母親の場合は、娘を殺されて「代わりに死にたい」といっていたのを手助けしたのだな。しかし、あの母親が盲目でつんぼを装っていた理由は分からない。
母親が迎えにきたのは、終戦後だ。一緒にやってきたのは、ドイツ兵? ハンガリーの兵隊? はっきりとは分からず。で、思うに。このとき赤ん坊を抱いていたということは、夫が軍隊に行っている間に、すでに浮気していたということだな。占領下にあってドイツ兵に頼らなければ生活できなかった、ということなのか。しかし、それでも双子を捨てることなく、連れにきたというのは、子どもを思う気持ちが強かったというべきか。で、祖母の家に置いてきぼりにされたときは、はやく迎えにきて欲しい、と思っていたのに。もう、母親のことを冷ややかに見るようになってしまっている。彼らは、母親ではなく、祖母を選択するのだから。そして、祖母の前で、母親と赤ん坊は爆撃死する。
やっぱり、あの穴を掘って埋めるのは、祖母ひとりではムリだよ。
で、祖母の場合は、脳疾患があった、らしい。最初に倒れたのは、雪の日? で、障害を負って生きるつもりがなかったのか、再発したらこれを、と毒を双子に託したわけだ。死は祖母の意志で、それを補助した。まあ、このあたりは淡々と遂行したわけで、ある意味、人助け?
父を見殺しにする、というか、踏み台にして逃げ出すというのは、なかなか凄まじい。この辺りになると、親子の情なんて関係ないのかね。よく分からない。ついでにいうと、父親の立場(軍とか)については、未だ分からず。調べてないし。ははは。
・なぜ、バラバラにされるのは堪える、といっていたのに、最後は別れる理由がやっぱり分からない。
・双子をいじめたおっさんも、ハンガリー人か。父親は、ハンガリー軍か。戦時に、父親はどこの捕虜になってたのか。母親の相手はドイツ兵か。そういった疑問は未解決。そういやあオーストリア=ハンガリー帝国とかいったっけか。
・先に見た『ショート・ターム』では、ささいなことで壊れ、自傷する子どもが描かれる。理由は、虐待とか、いろいろなんだろうけど。愛されずに育った子どもは、こうなる的なステレオタイプな描き方だ。でも、同じような境遇で育ったからといって、みなそうなるわけではない。『悪童日記』を見ると、虐待された子どもも、トラウマなど抱えず、強く生きることができるのだ。と思う。『ショート・ターム』に登場するような青少年が、大戦中の時代に放り込まれたら、どうなるんだろう。死んでやるとか、言ってられないはず。となると、あの手の心の病も、時代環境が生み出すもの、といえなくもない。現代病だ。違うかな。
○当時のハンガリーについて、Wikipediaを軽く読んだ。オーストリア=ハンガリー帝国の崩壊後は、いくつもの国が勃興し、周辺国へ侵略してかつての勢力を挽回しようとしたりしてて、決して謙虚な国家ではないようだ。第二次大戦では日独伊の枢軸国側に参加してソ連と対峙。でも、途中で弱腰になり、連合国側と通じようとしたせいか(?)、ドイツに占領され、傀儡国家となっていたらしい。ドイツの降伏は1945年5月7日。映画で「戦争が終わった」といっているのが5月かどうか分からない。ソ連の戦車がやってきたのは、それ以前かそれ以後か。Wikipediaには、1945年2月にブタペストが陥落し、国内の大半がソ連軍に制圧されたとある。だから、あの戦車は2〜3月あたりではないか。1940年以後は、反ユダヤ政策も採られていて、ホロコーストも行われていたようだ。ドイツに命じられてというわけではなく、ハンガリー自身が行っていた。他にも、ユーゴスラビアなどで大量虐殺事件も起こしている。ということは、父親はハンガリーの軍人でソ連軍と戦っていたのか。でも、よく解放してくれたな、ソ連軍が。で、双子のいる妻の実家にやってきて、妻が不貞を働いていたことを知り、国境を越えようとした、と。でも、その国境の向こうがどこなのかは分からない。西側なのかな。
パリよ、永遠に3/20ヒューマントラストシネマ有楽町1監督/フォルカー・シュレンドルフ脚本/シリル・ジェリー、フォルカー・シュレンドルフ
原題は“Diplomatie”。Google翻訳によるとフランス語で「外交」とかいう意味のようだ。フランス/ドイツ映画。allcinemaのあらすじは「1944年8月25日未明、ナチス・ドイツ占領下のパリ。連合軍の進軍がパリ市街へと迫る中、ドイツ駐留軍が陣を構える高級ホテル“ル・ムーリス”では、パリ防衛司令官ディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍を中心にある作戦会議が開かれていた。それは、ヒトラーが命じた“パリ壊滅作戦”を粛々と進めるためのものだった。しかし、ドイツの敗北はもはや避けられず、この作戦に戦略的な意味がないことは明白だった。やがて会議を終え、一人部屋に残ったコルティッツの前にどこからともなく現われたのは、中立国スウェーデンの総領事ラウル・ノルドリンク。パリ生まれのノルドリンクは、愛するパリを守るため、作戦の中止をコルティッツに迫るのだったが…」
一場三幕の芝居みたいだなと思ったんだけど、やはり戯曲が原作だった。で、史実か? と思っていたら、最後の字幕に「ドイツ軍遁走の混乱で、妻子は無事だった」とか「1947年に将軍は釈放され、総領事と再会した」とでて、実際の人物だと分かる。けど、映画と同じような話があったのかというと、それは疑わしいのではないかと思ったりする。やっぱ、芝居に仕立て上げられているのではないのか。と。
最初の対話は、圧倒的に将軍に説得力があった。いっぽうの総領事の主張は情緒的すぎて話にならないレベル。次のパートでは、妻子が人質にされるという法律の話を持ち出し、総領事に「あなただったらどうする?」と問うんだけど、総領事は「分からない」と言葉を濁す。まあ、理屈ではまだ将軍に分がある。最後の対話の前に、もう将軍を守る護衛兵が20人ぐらいしかいなくなって、それに対して将軍が護衛兵に「未成年は街を出ろ」と命ずる伏線がある。そして対話では、ヒトラー暗殺計画のことに触れるのだ。将軍は、当時のヒトラーを見ているという。そして、「ヒトラーはよだれを垂らして尋常じゃなかった」「もうヒトラーの命令には従うまいと決めた」「なのに、わしのパリ赴任前に妻子の安全を脅かす法律ができた。これは、わしへの威嚇だ」「だから、わしはパリを爆破する。仕方ないだろう」と弱気な発言になってしまう。
この対話の論理は、果たして説得力があるのだろうか。最初は「戦争」という状況において、するべきことがある、というようなことを言っていた。「パリ破壊にほとんど意味はないけれど、命令だからする。それが戦争だ」というようなことを言っていたけど、それはその通りだ。それが何と、個人の問題へと矮小化されてしまって、妻子を救うために命令に従う、となる。それは将軍の行為の正当性とは違うだろ。なんか、姑息な対話をでっち上げてるんじゃないか? 真実のところはどうなのだろう。2人は実在の人物なのだから、分かっているはずなのではないのかな。
さらに、ドイツの将軍ともあろう者が、家族を人質に取られているから、ヒトラーの命令を聞く。しかも、もうヒトラーはオシマイだ、と認識していながら、そんなことをするかね。それって、潔いとはとても思えないんだが。…という、基本的におかしな対話になって行くのが、いまいち納得できなかった。
でまあ、ここで総領事は取引にでて、将軍の妻子をジュネーブに逃がしてやる、ともちかけるんだが、それに納得してしまう将軍なんてもありか? 日本なら将校クラスでも「恥を知れ!」とか言い返すんじゃないかと思うんだがね。ところが、この総領事、とんだ食わせ物で、ホテルの支配人(?)と組んで大博打にでた、みたいな感じなんだよね。だって、妻子を助けになんて行かなかったんだから。最後に字幕で、ドイツ軍遁走の混乱で将軍の妻子は無事だった、とか出るけど、そんなの偶然だろ。卑劣なのはどっちだ、という気分になってくる。とんだマヌケだよな、将軍は。ぜんぜんスッキリしない終わり方だ。
・そもそも、なんで中立国であるスウェーデンの総領事がドイツの将軍と交渉するのだ? 背景がわからない。総領事とホテルの支配人(?)はグルだったようだけど、その辺りもよく分からない。
・スウェーデン総領事が上がってきた隠し通路は、ホテルの支配人から教えてもらったんだろ? 以前から知っていた? どちらにしても、連合国側には知られていたはずで、では、あの通路をつかって将軍暗殺計画が実行されなかったのは、なんで?
・下院で爆破工作していたドイツ軍に何人か射殺されていたのは、あれは、爆破工作の邪魔をして捕まったレジスタンスなのか?
・最後の方で、ドイツ軍兵士が将軍に連絡にやって来て、将軍が「バーデン・バーデンに行け」というと、「レジスタンスがまちぶせしてて…。動きを知られているようです」みたいなことを言うんだけど、あの兵士について、それ以前になにか描かれていたんだっけ?
・ヒムラーの命令書を持ってきた2人のドイツ兵もいたけど。あれは何なんだ? そして、どうなったんだ?
・下院で爆破工作をしていたドイツ軍大尉を撃った私服の男は、あれは誰なんだ?
・1947年に将軍は釈放され、総領事と再会したとかあったけど、ハメられた恨みもあったんではないのかね。 ・とまあ、将軍の周囲の人物がいろいろ登場する割りに、分かりにくい、というか、ちゃんと人格のある人間として描写されていないのは、残念だね。83分の尺を100分ぐらいにしてでも、ちゃんと描くべきだろ。 ・将軍は「フランス人は、抵抗しなかった。歓迎された。抵抗するようになったのは、ノルマンディのあと」と、フランス人をバカにしたようなことを言ってたなあ。それは、いいのか?
陽だまりハウスでマラソンを3/24新宿武蔵野館2監督/キリアン・リートホーフ脚本/キリアン・リートホーフ、マルク・ブルーバウム
原題は“Sein letztes Rennen”。Google翻訳では「彼の最後のレース」とでたよ。allcinemaのあらすじは「1956年のメルボルン・オリンピックでマラソンの金メダルを獲得した伝説のランナー、パウル・アヴァホフ。老人になった今もまだまだ元気な彼だったが、最愛の妻マーゴが病気になったのを機に、忙しい娘ビルギットの願いを聞き入れ、夫婦で老人ホームに入居する。ところが、規則に縛られた不自由な生活と子ども扱いされることにすっかり憤慨し、ひとりで施設の周囲を走り始める。しかも、かつてのように妻のサポートを受け、ベルリン・マラソンの完走を目指すというのだった。最初はバカにしていた他の入居者たちも、次第にパウルの応援で盛り上がっていく。しかし施設の職員は、規律が乱れ始めたことでスムーズな運営に支障が出ると、パウルの挑戦を強引に中止させようとする」
フツーの老人がトレーニングしてマラソンに参加する話かと思っていたら大違い。元五輪金メダリストの話ではないか。なんだ。もともとスポーツマンじゃなきゃムリだ、って話か。一気に萎えた。「年寄りにもデキル」的な高揚感が削がれるじゃないか。
とはいいつつも、堅物ばかり、規則だらけのホームに我慢ならず、トレーニングを始めるパウルの姿はたくましい。
「和を乱すから走るのをやめろ」というのは婦長? 女医?の、リタ。管理を大事にして、逸脱する人を威圧するタイプ。西洋的ではなく、ドイツってこうなのか、日本と似てるかも、と思わせる。
福祉士?のミュラーは、深い考えはなく、言われたことを淡々とこなしていくタイプ? 牧師代わりに説教もしたりする。
入居者の堅物老人ルドルフも、リタと似た感じ。勝手なことをするな、老い先短い老人なんだから、目標なんかもたず、静かに生きろ、てな考えの持ち主。
こういう連中をものともせず、マイペースなパウル。病気がちな妻マーゴも、むかしのようにトレーナーの役を買って出て、一緒にトレーニングを始める…。ベルリンマラソンに応募し、目標もできた。そんなパウルをルドルフが敵視して、「若い者には勝てまい」と、若い看護士との一騎打ちが仕立てられる。最後は看護士が横腹にきて、かろうじて勝ったりするところなんかは、予定調和だけど、まあ楽しくつくられている。でも、テンポよく進んできた勢いも、ここまで。以後、話は横道に逸れて、つまらなくなる。
保守派のルドルフとの対立とか、リタの圧政なんかもあって夫婦で家出。娘ビルギットの家へ直行するのかと思ったら、なんとテレビに出演してホームの悪口を言いまくっている。で、社会問題に発展する展開かと思いきや、マスコミは全然騒がないし、病院も屁でもない様子。という流れに違和感。だいたい、パウルはどういうツテでテレビにでたんだ? キャスターとまだ昔のコネがあるのか? ゴシップ週刊誌が面白おかしく書き立てて、ホームは困惑…とか、それがフツーじゃないのか?
で、娘の部屋に転がり込んだはいいけど、やっぱり迷惑。とかいってるうちマーゴの脳腫瘍が発見されて、余命幾ばくもないという状況に…という展開も、なんかな。そもそも夫婦がホームに移ったのはマーゴのたび重なる病院行きが原因で、2人とも「大丈夫」とかいってたのを娘が「心配だから」と押し込んだわけだ。まあ、スッチーやってるビルギットも、母が倒れるたびに呼ばれるのは迷惑、と思っていたんだろうけど。それで驚くのは、庭付きの家を売ってホームに入ってること。え。もったいない。売らないとホームに入れなかったのか? それと、マーゴが倒れる原因が分かってれば、ホームに移らなくても済んだんじゃないのか? と。
で、妻マーゴは亡くなって。娘に「ホームへ戻って」と突き放され、ひとりホームへ戻ってきたけパウロ。ミュラーは「パウルは老人性ウツで走り始めた」とかいい、カウンセラーを呼ぶ。それに怒ってやけになって暴れて拘束されたり、話がどんどん陰気になっていく。それを、看護士と堅物老人ルドルフが救い出して外へ向かわせる。そっからどうしたんだっけ。駅のベンチで寝てて、警官に「あっち行け」されたんだっけ。とてもワクワクして見ていられる状態ではない。
長い中だるみ…と思っていたら、中だるみのまま終盤へと突入。なんとパウロは、ちゃんとベルリン・マラソン当日、走ってやがんの。レースでは、走るパウルをテレビが映し出し、「伝説のヒーローが」とか言っている。けど、その後の経過をテレビは中継はしないのか? 競技場に入るまでカメラが追ってもおかしくないはず。なのに、競技場のビジョンにも映されないのは変だよな。
とにかく、マラソンはなんとか完走して面目躍如。どうやらホームにもどって、落ち着いて暮らしているらしい後日談があり、1年後には、娘ビルギットも同僚と結婚して子どもが生まれている、というエンディング。なんだけど、中盤から後半は、強引すぎる展開で、いまいちスッキリしなかった。
2013年の映画だ。パウルは1956年の五輪で金メダリストという設定。パウル役のディーター・ハラーフォルデンが1935年生まれなので、パウルも同年齢だとすれば、2013年には78歳ぐらい。五輪時は21歳。妻マーゴ役のタチア・ザイプトは1944年生まれなので、2013年には69歳で、パウルの五輪時は12歳ぐらい。娘ビルギット役のハイケ・マカッシュは1971年生まれ。ということは、パウルが36歳、マーゴ27歳のときの子ども。じゃ、ビルギットは、42歳なのか? 映画の最後に孫が映っていたけど、超高齢出産だな。
パウルを応援するのは、入居者の半分ぐらい? むかし泥棒だったという爺さん。酔ってナチの歌を唄う婆さん。娘はバイオリニストで…っていうオルガン弾きの婆さん、とか。でも、彼らの描き方が中途半端で、キャラは濃いけど人物が見えてこずに、輪郭がぼんやり。もうちょい描き込めばいいのに。
あと、気になるのは反パウロだった人々の末路だ。ホームの管理者リタの態度と考えは最後まで考えは変わらない。レースで負けた若い看護士はパウロに感化されたのか、転向派。堅物だったルドルフは、パウルが妻の死後戻ってきて、大暴れしてるのを見て「拘束する必要があるのか?」と看護士にいう。看護士は、リタに聞くんだけど、無視される。それを見てルドルフは、これまでパウルを邪魔者扱いしていたのに、支援者側にまわる。なんで? 唐突すぎるだろ。そんなんで変わるのかよ。
福祉士のミュラーが、変わるのかと思ったら、最後まで変わらなかった。あの、引っ込み思案というか、関わることを懼れる態度はどこから来るんだろう。彼女の過去に触れて、その原因を暴き出し、最後は彼女もパウロを支援する。そして、くびきから解放される、という流れにしなくちゃダメだろ。
娘のビルギットは、男と別れた、とか最初にいわれていたような…。なのに、同僚の男が言い寄ってくる感じ? 娘は彼をまだ対象と見ていないのか? 経緯がよく分からない。というか、シナリオがよくできてない。
というなかで、奥さんの夫唱婦随ぶりがよかった。この手の映画だと、とつぜん張り切り出す亭主に愛想をつかす、なキャラとして機能しそうなもんだけど、ここでは献身的に尽くすことで、最後の生を充実させようとする。夫に尽くす妻の役割、なんて、いまどき古めかしいし、むしろ突っ込まれそうな扱いだけど、美しい気がした。
・ホームでつくる栗の人形って、なんだよ。
・2時間40分以内で走れると、締切が過ぎても例外規定でベルリン・マラソンに参加できるのか? それも、若い頃にだした記録でも?
・パウロが、「伝説のランナーとして記憶されている存在」なのか、あるいは「過去の歴史として忘れ去られている存在」なのか、というところが曖昧すぎる。
映画 暗殺教室3/26109シネマズ木場シアター5監督/羽住英一郎脚本/金沢達也
allcinemaのあらすじは「有名進学校椚ヶ丘中学校の落ちこぼれクラス3年E組。ある日、奇妙なタコ型の超生物が担任に就くことに。すでに月の7割を破壊した彼は、来年の3月には地球をも破壊すると予告していた。この危険生物を仕留めるために、これまでに幾度も暗殺が試みられてきたが、マッハ20で飛び回る相手に、いずれの作戦もことごとく失敗に終わっていた。そんな彼が、なぜかE組の担任を政府に希望したことから、潮田渚らE組の生徒たちに、この生物の暗殺という極秘任務が託される。やがて渚たちはこの生物を“殺せんせー”と名付け、あの手この手で暗殺を試みるのだったが…」
つまらなかった。ビデオ画像のマシンガン暗殺娘が導入されてしばらくして寝た。気がついたら、高嶋政伸が登場するところだった。このまま最後までいけるな、とか思っていたら、いつの間にかまた寝ていて、気がついたら、殺せんせーがカプセルの中に入ってて、鉄塔の上で少年と戦っていた。どうやって入れたんだ? ははは。もう、どうでもいいや。もういちど見たいとも思わない。
冒頭に、謎の物体と戦う自衛隊が描写されるんだけど、短いカットの畳みかけで、なかなかよい。これは…、と思ったんだけど、そのシーンの冒頭で影だけ登場した宇宙人が、主人公。月は破壊されていたけど「来年の3月には地球をも破壊すると予告」してたかどうか、記憶にない。というか、この辺りの経過がほとんどないので、分からんのだよ。宇宙人の目的は? こいつ一匹なのか? なぜ猶予を与えたのか。さらに、どうして落ちこぼれ教室で教師をしている理由。しかも、「殺していい」と言いつつね。…といった経緯と背景の理由付けがほとんどない、ということは、ドラマになってないのだ。対立や克服、成長といった要素がなければ興味も湧かない。
人間側の主人公が誰なのか、これが、よく分からない。ナレーションの主がそうなんだろうけど、とても分かりにくい。潮田渚なんだろうけど、いまいち押し出されていない。ヒロインも同様。若手のタレントを知らないから、というわけでもないと思う。
半分ぐらい寝てしまったので、話はよく分からない。帰路、書店のマンガコーナーに『暗殺教室』が何巻も並んでいるのを見かけて、売れてるのだな、と分かったけど。マンガの方は、ちゃんと理屈が通っているのかね。もしかして、マンガの読者が対象だから、バックグラウンドは省略、なのかね。そういえば、春休みだからか、周囲は小学生がたくさんいたけど。
高嶋政伸が女生徒を吊してコンクリに…は『セーラー服と機関銃』だし、その後の、潮田渚との「ナイフが一度でも触れたらお前の勝ち」とかいいつつ、あっけなくやられてしまって「なんじゃこりゃ!」は、『太陽にほえろ!』の松田優作かよ。
アンリミテッド3/30109シネマズ木場シアター7監督/●脚本/●
原題は“Tracers”。追跡者たち? allcinemaのあらすじは「ニューヨークでバイク・メッセンジャーをしていたカムは、偶然出会った美女ニキに導かれ、彼女とその仲間たちがやっているストリート・スポーツ“パルクール”の世界に魅了される。やがて、自らもパルクールの腕を磨き、グループのリーダー、ミラーにもその実力を認められ、彼らの仲間に入る。そんな彼らはパルクールのテクニックを駆使して、何でも請け負うプロの運び屋として活躍していた。しかもそれは、裏社会を相手にするあまりにも危険な仕事だったのだが…」
『メッセンジャー』+『ヤマカシ』+『トランスポーター』を合わせたような話。配達中のカムが街中でニキと衝突。自転車が壊れてしまうが、翌日、新しい自転車がとどけられる。ニキかららしい、と分かって、彼女を探し出すが、つれない。このとき、仲間らしいディランら3人とも接触。以後、カムは自己流でパルクールに取り組み始める。
上達が認められ、彼らの仲間に入るんだが。ディランはニキの兄。あとの2人は、存在はするけど、ほとんどフィーチャーされないのがもったいない。もう少し人物を描いてやればよかったのに。で、リーダーは別にいて、これがミラーというオッサン。カムも、彼らの仲間に入ることになるんだが…。という最初の仕事でカムが逮捕され、あらら…と思っていたら、それは彼らの入団テストみたいなのもで、口を割らなかったことが評価されて正式に仲間になる。…のだけれど、冒頭からのアクションはここでいったんオシマイ、というのが残念。
ポスターとかから、『ヤマカシ』みたいなノンストップアクションかと思ってたので、これは意外だった。カム役は『トワイライト』のテイラー・ロートナーだけど、ひげ面のアンちゃんになってて、22か23歳かな。自転車のアクションもひゅんひゅんな感じで、パルクールも結構本人がやってるシーンもあって、やるじゃん、と思っていたのにね。
まあそれは、ここから始まる、実は…な裏事情への入口だったんだけど、これがよくある警官の汚職話というつまらない方向に収斂して行ってしまったのは残念至極。もうちょいとなんとかならなかったのかね。
ニキを襲った変態男をボコボコにしたディランは、兄妹でフロリダを離れN.Y.へ。ディランの指名手配(?)を上手く処理してくれたのが潜入捜査官ミラーで、パルクールの腕を見込まれて傘下に入る(他の2人は、よく分からない)。兄の恩義があるので、ニキはミラーの女になり、せっせとミラーと警官仲間の手先となって働いていた。そこにカムが参加した。というのが時系列的な流れ。これを小出しにしながら、実は…、とやっていくわけだ。
カムの父親は早く亡くなり、母子で暮らしていたが、母が病気に。中国マフィアに1万5千ドルの借金があるが、返せない。中国人はカムの父の形見のクルマを取り上げ、大家に圧力をかけ。ついにカムは借家を追い出される。というカムの個人事情も語られる。
↑の過去の背景が薄っぺらなのは、その大半がセリフで語られるからだろう。映画なんだから、なんとかしろよ、だな。
てなわけで、カムがニキにご執心なのはディランや仲間も分かっているのに、「そりゃムリだ」とか制止もしないのが不思議で、とくにディランはいつもにやついているだけで、いまいち存在感が薄いんだよな。
で、あるとき「でかい仕事だ」とか言われ、ついていくと、なんと銀行強盗って、おいおい、だよな。ベトナム人のマフィアのマネーロンダリング? とかで押し入るけれど、銀行には金がなく、銃撃戦の結果、仲間の一人が撃たれて死んでしまう…のだけど、あっさりとしか描かれないのがひどすぎる。
で、カムは逮捕される。尋問されてる所にミラーがやって来て、潜入捜査官だと告げられ、解放…されるんだっけ? 逮捕した警官もグル? このとき、いろいろ名前がでたけど、誰が誰やらついていけず。「汚職」(だっけか?)とかいう言葉もあったけど、その内容はさっぱり分からない。裏の事情の詳細が分からないのはイラつく。あと、銀行にいたベトナム人の件は、どういうことなんだ? あれもよく分からない。
で、その後、ミラーにいわれてロシア人のアジトを襲うんだけど、死んだ仲間とニキを除く4人で。黒人が運転手、ディランは見張り、ミラーとカムが天井から飛び込んで…。ダイヤを奪って、なんとロシア人を皆殺し…って、おいおい、な展開。ミラーもやられたか、とダイヤを手に先に逃げるカムを、追うミラー。いつのまにか中華街に迷い込み、中国人マフィア(ボスは何とオバチャンだった)に囲まれ、ミラーはマカオに連れていかれることになったんだっけ? どうもむかし、なにやらやらかして、中華街出入り禁止になっているのを破ったから、らしい。では、この後、どうなるのかね。まあ、最後は中華街だろうと思ってたけど、その通りになった。
中国人はダイヤを取り上げ、でも一粒だけ返してくれたけど。あと、父親に形見のクルマも返してもらって、カムとニキがカリフォルニア(?)をめざす、というエンディング。ディランともうひとりの仲間はどうするんだ? 残りの汚職警官たちはどうなる? とか、あれこれとっ散らかし、放り投げっぱなしだ。結局、中国人がいちばん美味しいところをもっていっちゃったなあ。なにもしないのに。
・ニキのマリー・アヴゲロプロスは、IMDbでも年齢が出てこないが、27、8か、もっと上かも。
イントゥ・ザ・ウッズ3/31109シネマズ木場シアター5監督/ロブ・マーシャル脚本/ジェームズ・ラパイン
原題も“Into the Woods”。allcinemaのあらすじは「長年連れ添いながらも、子どもがいないことで危機を迎えていたパン屋の夫婦。ある日、子どもが授からない原因が魔女の呪いにあると知る。魔女は夫婦に、呪いを解きたければ、森の中から“ミルクのように真っ白な牛”(ジャックと豆の木)、“血のように赤いずきん”(赤ずきん)、“トウモロコシのように黄色い髪”(ラプンツェル)、“金色に輝く靴”(シンデレラ)を持ち帰れと告げる。夫婦は子どもを授かりたいという願いを叶えたい一心で、森の奥深くへと足を踏み入れていくが…」
始まってすぐ歌い始めた。げ、ミュージカルかよ。一気に萎えた。で、赤ずきん、ジャックと豆の木、シンデレラの3つ話と、パン屋夫婦の話が同時並行で進むんだけど、短いカット割りで畳みかけるように進むので、字幕を読んでいると絵が追えない有り様。こりゃかなわん、な気分になった。
軸となるのがパン屋の話で、これが、親の因果が子に報いみたいな話なんだよ。亭主の父親が、隣家の魔女の庭から野菜を盗んだので、魔女が呪いをかけた。それを解きたかったら↑のあらすじのような4点セットを3晩のうちに集めろ、とかいう。亭主の父親と母親の話は、もうちょっとエピソードがあったと思うけど、忘れてしまった。せいぜい、最後に豆も盗んだ、とかいうことぐらいかな。覚えてるのは。病弱な妻のために盗んだんだっけかな。しかし、隣家に魔女が住んでいて、そっから野菜を盗むとか、なんかムリがありすぎないか?
で、以後、赤ずきん、ジャックと豆の木、シンデレラの3つ話が、ほとんど知ってる話のままに進むんだけど、見せ場は描かないやり方で、事がすんで逃げ出すシーンとか、ぜんぜんドラマチックじゃない。予算がないわけじゃないだろうに、なんで? で、その過程で、森の中でパン屋夫婦がそれぞれの童話の登場人物とすれ違い、アイテムを集めていく、ということになるのだが、こりゃテレビゲームと同じじゃなないか。
そういえばこの映画、『“おとぎ話の主人公たち”のその後…』というキャッチだったよな。でも、ぜんぜん、その後が描かれない。どころか、現在進行形で右往左往している。とくにシンデレラは、なかなか物語が終わらない。
パン屋夫婦の話と並行して、魔女が誘拐したという、パン屋の亭主の妹の一件も、進んでいくんだが。これは、パン屋の亭主の父親の盗みへの仕返しで、この娘ラプンツェルがなぜか塔の上に住んでいて、俗世間から隔離されている。のだけれど、王子・弟が夜な夜なやってきて逢い引きしてる、ということを魔女は知らないというトンマぶり。なんだけど、話のいい加減さについていけず、眠くなる。一瞬、気を失ってしまったけれど、まあなんとか正気に戻った、のであるが、やっぱこの映画、いろいろムリがある。感情移入できるキャラもないし…。
魔女の思惑はなんなのだ? パン屋の赤ん坊を取り上げ、自分の娘として塔屋で、お姫様扱いで育てる意味はどこにあるのだ? パン屋に子供ができないようにした理由は、たんなる仕返し? 了簡が狭すぎるだろ。この、寂しすぎる魔女は、何を象徴してるのだろう? で、ついでにいうなら、ラプンツェルの髪は長く、それを地上にたらして魔女や王子・弟は塔屋へと昇ってくるのだが、どういう意味があるんだ? たぶんないと思うんだが。
そもそも、魔女が意地悪をしたから一連の事件は起こったわけで。かといって、そういう意地悪をするのが魔女、とも限らんだろう。
すったもんだで4つのアイテムをそろえたパン屋の夫婦。ずきん、靴、金髪を牛に食わせるが、乳が出ない。なぜなら、魔女が手に触れたモノでは効果がなく、ラプンツェルの金髪じゃダメ、だからだという。で、トウモロコシのひげで代用したらOKというのも恣意的すぎ。牛はジャックの家で飼ってたものじゃなきゃダメ、というのと同様、根拠もないしテキトー過ぎ。この映画、そういういい加減さが満載で、論理的な「なるほど」がないんだよな。
で、牛の乳を飲んで、魔女が若返る。っても、60余のメリル・ストリープだから限界はあるけどね。それでパン屋夫婦にかけた呪いも解けて、みるみる腹がふくらむ…。うーむ。なんだよ、この話。魔女が呪いを解きたかったのは、パン屋夫婦のためじゃなくて、若返りたかったから? だったらもっと早くやりゃあよかったじゃないか。なんで20年ぐらい後に突然…。意味が分からん。
で、シンデレラは王子と結婚し、ラプンツェルも王子・弟と一緒になり、めでたしめでたし。かと思ったら、ジャックが幹を切り倒したせいで死んでしまった巨人の女房が地上に降りてきて、国をズタズタにしてしまう。このあたり、おとぎ話の結末は、変だろ? 的な視点があるので、面白くなるのかなと、思った。連想したのは、2013年新聞広告クリエーティブコンテストで最優秀賞に選ばれた「僕のお父さんは桃太郎というやつに殺されました」というコピーだ。さらに、こうなった(巨人の女房が復讐にやって来たこと)の責任をめぐって「お前だ」「あんただ」と責任転嫁・あるいは非難の応酬が始まるんだけど、なんとなく中途半端に終わってしまう。そして、合理性も説得力もないようなだらだら話になっていくんだよな。国が破壊されてシンデレラは離婚しちゃうんだっけか。パン屋の女房は、崖から落ちて死んじゃったな。あれは、なんで死んだんだっけ?
っていうのも終盤にも睡魔がやってきて、ちょっと寝ちまったのだよ。なので、頭もボーっとしてるまに話が終わってしまったんだが。なんか、みんなでパン屋に行くようなことを言っていたのは覚えている。行ったのは、パン屋の亭主、シンデレラ、赤ずきん、ジャック…あと、ジャックの母親はどうしたんだっけ? あとラプンツェルと王子・弟か…。忘れてる、あるいは、見てねえかも。あれって、家族の再生とかを言いたいのか? なんか、よく分からなかった。
てなわけで、話自体も退屈で、思わぬ意外な展開もなく、「なるほど」と膝を打つ展開もないという、どーも消化不良な映画であった。寝るのは当然かも。
・王子2人が滝の前で歌うシーン。2人とも、意味なく胸をはだけるんだけど、ありゃなにかのパロディか?
・赤ずきんは、殺した狼の毛皮を着ているという…。それも残酷?
・舞踏会に出たい、というシンデレラの生活基準はなんなんだ? 上流階級志向なのか?
・しかし、シンデレラがアナ・ケンドリックで、赤ずきんも憎々しい顔の少女、田の女性たちも、決して美しいといえるような面立ちではないのが、この映画の不可思議なところ。もっと可愛い美人をだせ!

 
 

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