フランシス・ハ | 4/6 | ギンレイホール | 監督/ノア・バームバック | 脚本/ノア・バームバック、グレタ・ガーウィグ |
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原題も“Frances Ha”。allcinemaのあらすじは「ニューヨーク・ブルックリンで見習いモダンダンサーをする27歳のフランシス。親友のソフィーとルームシェアをして、それなりに楽しく毎日を送っていた。しかし、まだまだ若いつもりのフランシスに対し、周りはどんどん変わっていく。やがてダンサーとしての行き詰まりを痛感し、またいつしかソフィーとの同居も解消となり、ニューヨーク中を転々とするハメになるフランシスだったが…」 ダンサー志望の27歳女性が、身のほどを知る話、とでもいおうか。夢破れて地道に生活を始めるまでのドタバタ劇。夢をなかなかあきらめきれず、見栄っ張りで嘘も時々ついたり、なフランシスの様子を見てると、彼の地でもいい歳をしてふらふらしてる連中が多いのか、といまさらながらに思ったりする。あちらの映画を見てると、出版の予定もなくだらだら書いているだけなのに「ライター志望」ではなく「ライターだ」と明言したり、「話は来ている」とか、現在の状況を自分に都合よく解釈して他人に言ったりするシーンが多く見られるんだけど、この映画のフランシスも同様。バレエ団の実習生という身分で金欠で、それでも夢を見ていられるというのは、アホなんじゃないのかね。世間にだまくらされて何とか教室に金を搾り取られ、人生を棒に振ってるだけだろ。 日本にも30過ぎて芸人の夢を追ってたり、美大にいって高い授業料だけ払い、バイト生活で毎日絵を描いている人たちもたくさんいるわけで、そういう方々にとっては共感できる話なのかも知れないけど。フツーに見たら、アホだよな。 フランシスは監督から「団員にはなれない」と宣告されるんだけど、それでも「事務員として働いてくれ。指導者としての才能もあるし、コーチとしても期待する」と言われるのだから、搾り取られて捨てられる気の毒な大多数とはまた違う才能があって、それなりに充実した人生が送れるだろうエンディングになっている。でも、大半は、そのレベルにもないわけで。かといって、そこまでダメな気の毒な女性を主人公にしたら、映画にはならんだろうけどね。 同居人のソフィーに転居の話をされるのが電車のなかで。それも、明日には返事しなくちゃならない、なんて、ひどすぎる設定。しかも、ソフィーの転居先は人気エリアで、そっちで同居予定の相手は、フランシスほど仲はよくない。でも、その同居予定の相手が物件を見つけたから、仕方がない、という。ひどい話だ。いまの部屋も更新まであと2ヵ月で、フランシスひとりではとても払いきれない。親友にそんなことされたら、怒るだろ、フツー。 とにかく、ソフィーはでていった。ちょうどよく、男性2人(だっけ?)とルームシェアできることになって、そこに転がり込むんだけど、異性とのルームシェアも案外気にならないのね。 という、このあたりの人間関係がよく分からない。もともとどういう友人同士でいまどうなって、とか、名前がでてきて話題になるけど、把握は困難だ。顔もなんとなく、みな似てたりするし。まあ、雰囲気で分かればいい、ということなのかな。 ところでその3人でルームシェアする負担分が1200ドルとかいってて(当座は950ドルでもいいという話だったけど、正式にはそうだった)、けっこう高いのだなと驚いた。 まあ、所属するバレエ団クリスマス公演に出演して稼ぐ予定でルームシェアしたけど、出演できないと宣告され、「詳しくは週明けに」といわれたフランシス。まあ、なんて言われるかは分かっていたんだろう。バレエ団の団員の部屋に転がり込むんだけど(この団員も、それまでとくにフィーチャーされてなかったんじゃないの? な女性だったな。この辺り、仕込みがちゃんとできてないような気がする)、その団員の家(?)に友人たちが集まって食事をしていて、弁護士夫婦とかと出会うんだっけか。仕事もないのにあるフリをしたり。ソフィーが編集の仕事を辞め、パートナーと東京に行く、ということを知らされたり。弁護士に「パリに部屋をもっているが、行くなら貸してやる」といわれたり。その結果、見栄と勢いで、「パリに行く」といってしまって意味なく2泊3日のパリ旅行をしたり。まるっきり計画性のない行き当たりばったりなフランシスの性格は、なんなんでしょうかね。 ソフィーとの仲違いも、彼女の彼氏のことが「嫌い」と言ってしまうことから始まるんだけど、それだってソフィーが部屋を出て行ってしまったことに対する腹立たしさから来てるんだろう。自分だけ置いてきぼりにされるイライラかな。まだ自分を制御できない、子どもみたいな27歳女、である。 で、たんにひとり寂しく街をふらついただけのパリ旅行から戻って、↑のように正式に退団勧告&事務員はどうか? と言われるんだけど、ここでも「他で踊れる話が来ている」と見栄を張って断り、なんと出身校の管理人みたいなのになってパーティの給仕かなんかしてるというのは、なんなんだ? このときのバイト(?)仲間との会話で「ソローがでた学校」とか言ってたなあ、と思ったので調べたらハーバードだったんだけど、そのあとに「元は女子校だった」とかいう会話もあったな、と思い出して。はたしてどのレベルの大学がフランシスの母校なのか、ううむ、だった。 その母校の何かの式典のパーティで、酔っ払ってるソフィーに会うのはなぜなんだかよく分からないけど(パートナーの父親の葬儀で寄った?)、どうもパートナーとの関係がよくないらしく。バイトしてるのを見られまいと隠れていたのに、自ら出て行ってしまい、旧交復活。ソフィーは「あんなやつと別れる。東京なんてサイテーだ」とか言ってたのに、翌朝になったら「葬儀に行く」というメモを残して行ってしまう。呆然! のフランシス。 さて。ラストは、わびを入れたのか、元のバレエ団で事務職をしながら若手に振り付けをしたりしているフランシス。ここ、これまでと全然顔つきが違っていて、背筋も伸びて落ち着いていて、あたふたした感じがまるでない。いくらなんでも、数ヵ月〜1、2年でそんなに性格や生き方が変わるとは思えないんだけどね。で、バレエ団の発表会かなんかで、これまで登場した友人知人、家族(はいたっけ?)の見ている席で、フランシスが振り付けたバレエが演じられる。調整卓にも、自信を持った感じで座っていて、演技が終わると、団の監督からも賞賛される、というようなラスト。 最後、まともな給料がもらえるようになったんだろうか、自分の部屋を借りたらしい。玄関ポストのネームホルダーに、名前を書いた紙を差し込むのだけれど、ホルダーの窓から名字の最初のHaしか見えなくて、窓から「Frances Ha」が覗いてるというのが、題名の由来だった。まだまだ、おっちょこちょい、ということなのか。世間に見せているのは、自分のほんの一部だけですよ、まだまだ隠れている部分はありますよ、ということなのか。よく分からない。 ・フランシス役のグレタ・ガーウィグは、映画の中でも言及されてたけど、年齢よりも老けてて、いかついオバサン顔。もうちょいスキのあるニート風だったら、印象が変わるのかね。 | ||||
アバウト・タイム 愛おしい時間について | ギンレイホール | 4/6 | 監督/リチャード・カーティス | 脚本/リチャード・カーティス |
原題も“About Time”。allcinemaのあらすじは「イギリス南西部コーンウォール。何をやっても上手くいかない冴えない青年ティム。いまだ恋人もいない21歳の誕生日、父親から思いも寄らぬ事実を告げられる。それは、一家の男たちにはタイムトラベルの能力があるとうものだった。驚くティムだったが、その能力を活用して恋人作りに奔走する。やがてロンドンで働き始めたティムは、チャーミングな女性メアリーと出会い、恋に落ちるのだったが…」 タイムトラベル物といったら、過去に介入してはいけない、というのが定番。なのにこの映画、介入しまくり。何度もやり直して、いちばんいいのを選べたりする。そんなのずるいだろ。失敗しても過去をやり直せるなんて、都合よすぎるだろ。だいたいティムはメアリーを、彼女の恋人から横取りしてるんだぜ。やり方が汚い。 何度もやり直せるということは、どんどんパラレルワールドを増殖させているということだ。本人の都合で自分や家族、知り合いの運命を変える。すると、代わりに誰か別の人の運命が変わる、とかいうのがこれまでのタイムトラベル物のキマリみたいだったけど、そういうのは一切なし。なんか、節操がなさ過ぎるだろ。なので、どーしても感情移入できなかったりした。まあ「うまくやりやがって」「俺にもできたら…」という気持ちはあるけどね。 ディムと友人が暗闇レストランで相席にさせられた相手が、メアリーとその友人。連絡先はもらったものの、下宿先の主人である劇作家の不幸(初演の芝居で役者がセリフを忘れ、新聞に酷評)を取り戻すため、前夜の同時間に劇場に行ったせいで、暗闇レストランの出来事はなかったことになってしまう…。それでは、とメアリーが好きだといっていた写真家の個展に通い詰め、やっとみつけて声をかければ「あんた誰?」の不審者扱い。なんとか一緒に食事、にもちこむけど、つい最近、メアリーは別の男と恋仲になっていた! じゃあ、ってんでまたまた過去のパーティ現場に潜り込み、その男との遭遇を回避させ、仲良くなってしまう…。おいおい、抜け駆けかよ。 で、思うに。芝居の始まる前に遡って、セリフを忘れないような仕込みをするとか、あるいは誰かプロンプターを雇うとかして。ティムは暗闇レストランに行く、という修正もできたんじゃないのかね。まあいい。 で、うまく恋人同士になった後は、最初のセックスを何度も繰り返したり、結婚式のスピーチを何度もやり直したりと、まあ、タイムトラベルを利用した小ネタとか、マイペースな叔父さんの存在感とかでつないで。 もっとも大きな事件は、ティムの妹キットカットの交通事故。同棲相手とケンカして酔っぱらい運転をし、病院へ。ここでティムは、キットカットが同棲相手と出会ったパーティへと遡り、別の相手=ティムの友人とキットカットを結ばせるのだけれど、家に戻ったら自分の娘が息子になっているのに衝撃。やっぱ娘がいい、というわけで元の時系列に戻ってキットカットは病院へ、というのはティムの残酷さの一面を見た感じがする。それに、そういう周囲に及ぼす変化があるのなら、他のタイムトラベルでもたくさんの変化を引き起こしているはずなのに、あまり描かれないのはご都合主義が過ぎる気がした。 キットカットは現在の同棲相手と別れ、ティムの友人とつき合うようになって、奇矯な行動もなくなって、フツーのお母さんになるんだけどね、最後は。 あと、ティムの合理主義的なところ。3人目の子どもが欲しい、という話になったとき「保険のため」という言葉を使うのだよな。これって、2人の子どものどちらかが死んでも、まだ子ども=血統は残る、という思いが感じられて、あまり好きではない。 まあとにかく、ティムとメアリーが結ばれてからは、大きな不幸もとくになく。せいぜいがキットカットの事故程度だったのだけれど、父親が肺がんかなんかで余命わずか、になるのが最後の山か。とはいっても、とくに哀しいとかいうことではなく、父親自身が冷静に受け止めているので騒ぎにはならない。 そんな父親に、3人目が生まれる、と報告するのだけれど、ここで「じゃあ、もう会えない」という話になるんだけど、そんなルールってあったんだっけ? 男の子が生まれると(あるいは子どもが3人になると)父親に会いには戻れない、とかいうの、説明あったっけ? まあいいけど。で、過去の父親に会いに行き、父親も何度も何度も過去をやり直してきたことを知るのだけれど、まあ、そうだろう。けど、そうやって選んで、都合のいい人生だけを選び抜いて生きてきて、それが果たして幸せなことなのか、わからないよなあ。その時はよくても、のちのち悪くなることだってあるし、悪い結果がよい未来につながることもある。なので、なんかスッキリしない。 さらに、ティムが少年に戻り、父親と浜辺に行くシーンがあるんだけど、ここで、「人間はだれも時間を旅している」みたいなことをいい、自分たちの生き方を普遍化してたりするんだよな。なんとなく、そうかな、という気分にならない訳でもないけど、でも、そりゃあんた、さんざんいい思いをしてきて、都合がよすぎるだろ、という思いになる。てなわけで、いまいちなところもあったりするんだが、30半ばにしていまだに可愛いレイチェル・マクアダムスがほとんどすべて、な映画だから、まあ、いいんだけどね。ははは。 ・タイムトラベル能力を乳から教えてもらうまで、の話が結構、長くて。仕込みの部分もあるんだけど、わりと面白かった。 ・ティムの部屋に『アメリ』のポスターが。そういえば『ショート・ターム』だっけか(うろ覚え)、の誰かの部屋にも貼ってあったっけかな…。 ・父親が最後に、「海岸を散歩しよう。時間の流れに影響を与えないように」とかいうんだけど、さんざん影響を与えまくってきてるくせに、いまさらそんなことを…。 ・で、子どもに戻ったティムの脳は、大人の思考回路のままなのか? 映像で見る限り、子どものままのようだけど。それだと、辻褄が合わないよなあ。 ・『きみがぼくを見つけた日』のレイチェル・マクアダムスが、またまたタイムトラベラー物に。そういえば記憶が失われる『君への誓い』も、タイムトラベルではないけれど、似たようなところがある。この手の話に、似合っているのかな。ところでタイムトラベルといったら『』メアリー・スティーンバージェンといい、こういう話は特定の女優についてまわるのか。ところでタイムトラベル物といったら『タイム・アフター・タイム』『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』のメアリー・スティーンバージェンがいる。同じ役者に集中するのかね。 | ||||
ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密 | 4/7 | 109シネマズ木場シアター7 | 監督/ショーン・レヴィ | 脚本/デヴィッド・ギヨン、マイケル・ハンデルマン |
原題は“Night at the Museum: Secret of the Tomb”。allcinemaのあらすじは「ニューヨークのアメリカ自然史博物館。夜警のラリーが準備に奔走したプラネタリウム新設祝賀パーティは、テディ・ルーズベルトら展示物が暴走して大失敗に。どうやら、展示物に命を吹き込んでいたエジプト王の石版“タブレット”が魔力を失いつつあるらしい。さっそく前任の老警備員に相談すると、秘密を解く鍵は大英博物館にあるという。そこでラリーは、仲間たちを救うためロンドンへと飛ぶことに。テディらいつもの仲間たちに高校生になった息子ニッキーを加えたラリー一行は、無事に大英博物館内への侵入に成功するが…」 1は見たけど、2は見ていない。まあ、たいして面白くないだろうなと思いつつ、でも、エイミー・アダムスの尻でもみてりゃいいか、と思っていたら、彼女は登場しないのね。代わりに登場したのが渡辺直美で…っていうか、彼女とそっくりの容貌外観で、巨体をものともせずひゅんひゅん踊る姿もまたそっくり。終わってから、声を渡辺直美が担当していたと知って、公開前から話題だったのね。 話は、正直いってつまらない。途中で少し寝てしまった。あとで予告編見たら、八岐大蛇みたいなドラゴンと戦うシーンがあったけど、あれは見てないよ。 で。石版が錆び(?)たみたいになって、展示物がうまく動かなくなった。原因は、呪い? 冒頭で、発掘した学者に警告みたいのがあったけど、世界の終わりとか、そんなことをいっていたが、地球世界の終わりではなく、展示物たちの世界が終わる、ということなのか? スケール小っちゃ。 で、一同が大英博物館に行く。アクメンラーと父のマレンカレは一緒に発掘されたのに、アクメンラーは自然史博物館に、マレンカレは大英博物館に収められているから、らしい。なぜ秘密の鍵をマレンカレが知っているのか分からんけどね。で、いろいろあって、石版がもうダメ…というとき、文字盤をそろえると錆が消え、展示物は元通り動けるようになる、のだけれど、そのどこが秘密なんだ? で、石版が元通りになって、呪いは消えた、ということなのか? そもそも、発掘して持ち出したら呪いが…というのは、マレンカレがかけた呪いなのか? それとも、エジプトの伝説というか、キマリなのか? といったことがぜんぜん説明されていない。 ※某所に、石版を月に当てる、というのが秘密で、それをマレンカレが教えてくれた、とか書いてあった。ふーん。でも、そんなのが秘密か? たとえば文字盤が乱れて機能しなくなった、ということにして。新たな文字盤の並びを探さないといけなくなる。そこで、世界中の、鍵に関連する場所に行ったり謎を解いたりしながら鍵をそろえていき、最後に大英博物館にたどりついて、最後の鍵をマレンカレから直接聞き出す…とかいう程度の冒険譚でもあればまだしも、何もないのだよな。それとも、俺が寝ているときに何か面白い話はあったのか? この映画。博物館の中だけで成立する、ようになっているせいか、かなりムリがある。あんなに博物館の中を破壊して、見つからないわけがなかろうに。警備員は他にいないのか? という素朴な疑問も、やっぱ浮かんじゃうしな。 あとやっぱり、可愛いヒロインが欲しい。大英博物館の渡辺直美そっくりのお姉ちゃんも可愛いけど、あれじゃ、ちょっとなあ。やっぱ彼女は色物でしょ。新任の美人学芸員とかいないと、ちょっとなあ。 あと、石版のパワーに関して、かなりルールがいい加減。ちょっと錆びただけで展示物が変になったのに、その後は渡英してドタバタしてても、たいして問題がない。さらに、石版は大英博物館に置いていくことにして、自分たちは自然史博物館で、もう動くことなくただの展示物として過ごしていこう、と決心。一同が帰っていくのだけれど、「帰るまでは石版のパワーはもつ」みたいなことを言っていて。じゃあ、1回近寄るとパワーがチャージされ、一定時間つづくのか? なんかな。ご都合主義が満載だ。 あと、ラストがよく分からなかったんだけど。あれって、大英博物館展がアメリカ自然史博物館で開催されるにあたって、石版と、マレンカレなんかがやってきて、自然史博物館の展示物も久しぶりに騒いでいる、っていうことなのか? ぼんやり字幕を見てたので、よく分からなかった。 さらに。大英博物館の小太り警備員(渡辺直美似)が自然史博物館の館長に石版を見せ、なんたらかんたら話してて。それもかなりの違和感。まず、クビになったはずの自然史博物館の館長が在籍してたこと。どうやって復帰したのだ? クビになった原因は、リカバリーされてないだろ。そして、小太り警備員が、まるで大英博物館の代表者みたいにやってきたこと。ひょっとして、あの石版は館員には手渡されず、小太り警備員がこっそり隠し持ってるのか? とか、よく分からんところもあったりして、いまいち、うーむ、だった。 最後に、ミッキー・ルーニーとロビン・ウィリアムスに捧ぐ、の文字がでてきたんだけど。ミッキー・ルーニー? と思って調べたら、出てたのね。気づかなかった。ロビン・ウィリアムズは、この映画が出演作としては遺作となるらしい。これが遺作かよ、な気もしないでもないけど…。 | ||||
やさしい人 | 4/9 | キネカ大森1 | 監督/ギヨーム・ブラック | 脚本/Guillaume Brac、H?l?ne Ruault |
原題は“Tonnerre”。2013年フランス映画。「稲妻」のこと、みたい。allcinemaのあらすじは「フランス・ブルゴーニュ地方の小さな町トネール。パリでの生活に行き詰まったミュージシャンのマクシムが、父の住む実家へと戻ってくる。父とのわだかまりを抱える彼だったが、インディーズ・バンドとしてそこそこ売れたのも今は昔の話、先細りの未来を前に途方に暮れかけていたのだ。そんな時、地元紙の若い女性記者メロディからトネール出身の有名人として取材を受けたマクシム。彼女に惹かれ、積極的にアプローチしてみると、恋人と別れたばかりというタイミングにも恵まれ、意外にも好感触。遥かに年下のかわいい恋人ができて、すっかり有頂天のマクシムだったが…」 げに、女はオソロシイ。はたまた、若い女に狂った中年オヤジは見苦しい。というような話。マクシム役のヴァンサン・マケーニュのダメオヤジぶりがなかなかいい。メロディ役のソレーヌ・リゴの、ぷにぷにで色白の肌もなかなか色っぽくてよかった。 さて。↑のあらすじに「インディーズ・バンドとしてそこそこ売れたのも今は昔の話、先細りの未来を前に途方に暮れかけていた」とあるけど、そういう説明はなくて、パリの喧噪を離れて田舎に戻って曲づくり、かと思っていた。まあ、いつになっても曲づくりをしないし、バンド仲間や音楽関係者も登場せず、毎日ダラダラ生活で、女狂いしていくなあ…とは思っていたけどね。 マクシムは何歳ぐらいなんだろう? と思いつつ見ていた。40歳ぐらい? あとから調べたらマクシム役のヴァンサン・マケーニュは1978年生まれの36歳で、撮影当時は34歳? カッパ禿げなので歳かと思ったら、結構若い。メロディ役のソレーヌ・リゴは1992年生まれの22歳だから、撮影時は20歳か。でも、メロディの元彼イヴァンは21歳だから、設定は10代かも知れない。14〜16歳差の恋愛は、まあ、別にどうってことないと思うけど、彼の地では違うのか。30代が10代の娘とつき合ったら“ロリコン”になるのかよ。まあ、ソレーヌ・リゴは、ちんちくりんだけど可愛いくて、少女っぽいのは認めるけど。 マクシムが恐る恐るアプローチすると、メロディの反応も悪くない。てなわけで、さっさと肉体関係を結び、マクシムの実家に泊まったりしちゃう関係になるのだから、マクシムがその気になっちゃうのは責められない。むしろ分からないのがメロディで。ある日、旅行に行くと別れた切り連絡がなくて。マクシムはサッカーをやってるという元彼の練習場とかあれこれ訪ねまわり、とうとうスタジアムで観戦中のメロディを発見。駐車場で2人を襲い、拳銃で脅して彼女を誘拐。かねて知ったる知人の別荘(?)に連れ込むんだけど、メロディは大して抵抗しない。で、「あいつ(元彼)と同じで、私とやりたいだけでしょ?」などといったりする。おいおい。つきあい始めた頃にはメロディの方が「どうせすぐ私に飽きて捨てるんでしょ」なんていってたのに。まったく女は分からないというかオソロシイ。 で、すぐに警察がやってきて、誘拐、暴行、拳銃不法所持とかで逮捕されちゃう。元彼は「拳銃で脅された」といい、マクシムも拳銃で脅したことは認めた。けれど、メロディは、銃で脅されたことは認めず、マクシムは微罪で釈放されてしまう。おお。なんと。どういうことだ。 メロディは、捨てられる前に、マクシムを捨てたのか? セックスしたいだけの男だけれど、若いイヴァンをとりあえず選んだ、ということか。なんか、オッサン翻弄されるの巻、みたいな話であった。 しかし、女に捨てられたからといって銃で脅して誘拐とは、前後の見境のない男だな、マクシムも。でもまあ、それには伏線があって、父親も48歳のとき25歳の娘と駆け落ちして3ヵ月家をでていたらしく、それを息子マクシムに自慢気に「俺は後悔していない」とかのたまうんだから、父子でアホなのかも知れない。 しかし、その後で、別の事実も発覚する。父が浮気中に妻が死んだらしくて、それをマクシムが責めるんだけど、父親は「ガンだったんだから、浮気とは関係ない。それに、最後は毎日見舞っていた。3ヵ月に2回しか顔を見せなかったお前とは違う!」とかいって親子喧嘩するんだから、困ったもんである。さて、ところで、浮気中に妻が入院というけど、浮気中にどっかへ逃避行してたんじゃなかったっけ? 父親は。その間の見舞は、どうしたんだ? という疑問も湧くのだけれど…。 分からなかったのが、あの銃の出所で。映画の中盤で誰かの家に招かれ、食事後、主人に部屋(?)を案内され、そのとき「これで死のうと思ったことがある」とか言われる。あの主人って、最初の方でメロディと訪れたワイン蔵の3兄弟のひとりか? で、あの部屋は、彼らの家とは離れてるのか? それとも、彼らの別荘に招待されたのか? 食事シーンで登場した娘2人とおばあちゃんとか、話にはまったく関係ないのか…。なんか、あの場面だけ、浮いてたように思うんだが。 ラストは、父親と2人で自転車の人となってサイクリングしてるところ。2人とも若い女に翻弄された過去を背負って、自転車をこぐように人生を歩んでいくのだろうか。エンディングの歌は「君は僕のものなのに、手のとどかないところに行ってしまった」とかいう歌が流れる。これはマクシムの新曲なのか。これで一発逆転できるのかな。だとしたら、失恋も肥やしになったってことになる。 ・メロディは「元彼とは5年つき合った」とかいってた。じゃあ、元彼が16歳、メロディは14、5歳からのつき合いなのか? 早熟! ・メロディは、パリの編集者の採用試験を受けるつもりだったけど、当日、「私になんか…」な気持ちになって行かなかった、と告白していた。所詮は田舎者なのか。きっと彼女は、ずっと田舎暮らしをするのだろうな…。 ・ところで、この話の元は「マノン・レスコー」なのかな。 ・警察署の中の壁に「警官求む」のポスターとか、指名手配写真入りのポスターが貼ってあった。日本と同じだ。 | ||||
遭難者 | 4/9 | キネカ大森1 | 監督/ギヨーム・ブラック | 脚本/Guillaume Brac、H?l?ne Ruault |
原題は“Le naufrag?”。2009年フランス映画。フランス映画祭2013HPのあらすじは「フランス北部の小さな港町オルトで、自転車がパンクしたリュック。それを見た地元の青年シルヴァン。シルヴァンはリュックを助けようとするが…」 最初に「『女っ気なし』につながるプロローグとしての映画である」というような字幕が出る。 『やさしい人』とつづけてみたんだけど、マクシム役のヴァンサン・マケーニュが冴えないオッサンで登場したので、あらららら…。しかも、こっちは2009年の映画で、まだ30そこそこ。でも、こっちの方が太ってて芒洋とした印象。しかも、いつもお菓子とか食べてる。自転車がパンク(1日に3回パンクの2回目)したリュックに声をかけ、お菓子まで差し出す。でも、「見られてると集中を欠く」とか、追っ払われるんだよね。気のいいオッサンだ。 3回目のパンクで途方に暮れ、駅まで乗せて行ってくれるクルマを探していたんだけど、見つからず。偶然再会したシルヴァンが「乗せて行ってやるよ」とはいったものの、「まだ時間がある」と飲み屋につき合わされ、揚げ句、駅への途中に飲酒運転で捕まってしまう。シルヴァンは「家に泊まれ」というけど、ホテルに泊まったリュック。腹が減ってシルヴァン宅を訪れ、飯を食わしてもらって、「愛しているけど、うっとうしい」とか、妻(恋人?)の愚痴まで披露する。揚げ句に爆睡。この間にシルヴァンはリュックの携帯を拝借し、妻(恋人?)に「迎えに来てくれ」っていうメールを打つんだけど、翌朝、それに気づいたリュックが激怒。迎えに来た妻(恋人?)と、気まずい雰囲気になるけど、でも、なんか、やり直しができような雰囲気、で終わるのだよな。 たんにそれだけ、な話だけど。シルヴァンが、気のいいオッサンなんだよ。お菓子ばかり食べて、家ではテレビゲームのWiiみたいのでテニスばっかりやってるんだけど。あの悪気のなさは、なんなんだろう。しかも、まるっきり田舎の人で、都会へのあこがれもとくになくて、たぶん一生あの田舎で暮らすんだろうな、というような感じ。そういうフランス人もいるのだね。 | ||||
女っ気なし | 4/9 | キネカ大森1 | 監督/ギヨーム・ブラック | 脚本/Guillaume Brac、H?l?ne Ruault |
原題は“Un monde sans femmes”。2011年フランス映画。フランス映画祭2013HPのあらすじは「短篇『遭難者』(仮)と対をなす作品。夏の終わり。バカンスに来た若い母親と娘に、アパートを貸すシルヴァン。3人は海水浴や買い物をして仲良く過ごしていたが、そこに友人ジルが現れ…」 『遭難者』のあのシルヴァンが主人公なのね。シルヴァンは、いったい何者? 避暑地のアパートの管理人? にしては他の客がいない。しかも、母娘の相手ばかりしてる。そんなんで、生活できる稼ぎはあるのかい? な疑問が湧いてしまう。しかも、相変わらずお菓子を食べまくり、テレビゲームのテニスをして、地元のおばちゃんオッサンと和気藹々の交流生活。夏はいいとしても、冬はどうなんだ? な感じだよな。 あと、こんな、何もない田舎にパリから避暑に来る母娘って、なんなんだ? というような、設定のいまいち首肯できないところはあるのだけれど。冴えないけど人のいいシルヴァンの物語としては、結構おもしろい。 亭主に死に別れたか離婚したかよく分からんけど、母娘で暮らしている母親の方の欲求不満度はそこそこあるのだけれど、でもガードは堅い。シルヴァンの友人で、海上のグライダーかなんかの商売をしてるジルのアプローチにも、母親は落ちない。でも、夏のダンスパーティで、ジルと母親が熱いキス。それを見たシルヴァンが激してジルを殴ってしまう。おい。お前も母親に気があったのか? あんなバアサンと。とはいうけど、結構色っぽくはあったけど。でも、狙うなら、何を考えてるかよく分からないけど、娘の方じゃないの? とか思ったけど、どうも、娘の方は女として扱われていない感じ。その娘はアメリカに留学の予定といっていたから、もしかしたら18、9なのかも知れない。の割りには、大人しいというか、よく分からない感じだなあ。 娘役のコンスタンス・ルソーは、1987年生まれらしい。撮影当時は23歳ぐらいか。東洋人が混じってるみたいな面立ち。なんで母親なんかと一緒に、こんな避暑地にやってくるのか、という感じ。もう反抗期も過ぎて、一人前の女なんだから、彼氏と旅行でもすりゃあいいのに。と思っていたら、なんと、いざこざがあった夜だったか。明日帰るという日の夜、シルヴァンの部屋を訪れ「帰りたくない」などと漏らすという。おいおい。禿げデブが、こんな娘とやっちゃうのかよ。ああ、翌朝になっちゃった。おいおい。ハゲでデブでも、いいこともあるのか。夏のバカンスの恥はかきすて、に選ぶにしても、シルヴァンかよ! な都合のいい話であった。 翌朝、娘はそっとベッドを抜け出す。気がついているけど、声をかけないシルヴァン。この奥ゆかしさ。ラストシーンは、バスか電車かの車中で、母親の肩に頭をもたれかける娘、だったかな。 シルヴァンは、きっとあのまま、ずっと田舎で暮らすんだろうな。都会と田舎の対比は、『やさしい人』にも通ずるな。 ・シルヴァンの部屋には『イージーライダー』のポスター。『サウスパーク』『シンプソンズ』のキャラも好きらしい。そうとうアメリカ好きなのか。 ・シルヴァン役のヴァンサン・マケーニュは1978年生まれで、撮影当時(2011)は32歳ぐらい!? にしてはもう禿げてるし、すごく太ってる! ・母親役のロール・カラミーは年齢不詳。 | ||||
ソロモンの偽証 後篇・裁判 | 4/15 | 109シネマズ木場シアター8 | 監督/成島出 | 脚本/真辺克彦 |
allcinemaのあらすじは「クリスマスに謎の死を遂げた城東第三中学校の2年A組生徒・柏木卓也。当初は自殺と思われたその死に対し、いじめグループを率いる問題児・大出俊次による殺人という匿名の告発状がバラまかれ、事態は急展開を見せる。そして2年A組のクラス委員・藤野涼子は、大人たちを排除し、中学生だけで真相究明の学校内裁判を開くことを提案する。やがてそれは様々な困難を乗り越え、ついに実現することに。こうして検事役には藤野涼子、一方の弁護人を他校の生徒・神原和彦が務め、大出俊次を被告人とする学校内裁判が開廷する。白熱した審理が進む中、争点は次第に事件当夜の被告人のアリバイに絞られていくが…」 最初に前編のダイジェストがあり、母親の夏川結衣が「裁判を開かせてくれなかったら、教育委員会に訴えるわよ」とかいってたけど、訴えたら逆に「アホか」といわれるだろ。 で、あれだけ広げた謎をどう回収するのか。とても期待したのだけれど、ほとんど何も回収しない。前編のほのめかしは何だったんだ? そもそもキャッチフレーズは「嘘つきは、大人のはじまり」だから、きっと大人たちの嘘が暴かれて、とんでもない事実がぞろぞろと出てくるのかと思いきや、それはまったくなし。 さらに、「裁判、結構。どんどんやれ」とけしかけていた教師(松重豊)には、なんの背景もなかった! 拍子抜け。陰険な教師たち(木下ほうか、安藤玉恵)も、何か悪いことをしていた気配がない。森内先生(黒木華)の隣人で、告発状を盗んだ女(市川実和子)も、単なる変人というオチ。この映画の後半で、自首する前に謝りたいからと警察官にいったらしく、学校まで亭主とやって来ていたけど、なんなんだ。警察はそんな許可、フツーださんぞ。不良少年の大出俊次の父親も、いつのまにか逮捕されてる。もつれた糸がほどかれていく快感は、ゼロ。これって、期待への裏切りだよな。 で、結局、告発状を書いたのは、樹理なのか? 樹理の話を真に受けて、友人の松子が書いた? よく分からなかった。それで、学校の法廷では、樹理は嘘をついたということか? それが偽証? 違うよな。 樹理の母親役の永作博美は、今回はちゃんと顔が出ていたけど、ずっと単なるバカ母を通していただけ。彼女は、画家だったよな。それがどうして娘をかわいがりすぎなバカ母になったんだ? 意味が分からない。 で、裁判なんだけど。これが何とも単調で、意外な事実も飛び出さない。しかも5日間もやるんだぜ。なにこの緊張感のなさ。茶番だろ。まあ、大出俊次が柏木卓也を殺したか否かを見極めるための裁判だから、それ以外のことに関心はなかったんだろうけど、それにしてもずっと新事実の発見もなく、淡々と事実を確認していくだけ、みたいな証言がつづく。まあ、もともと中学生が裁判官や検事をやる、ということ自体にムリがあるんだけど。それには目をつぶるとしても、証言台に立つ大人たちが、そろいもそろって「はい」「です」「ます」って丁寧な言葉で対応する。ひとりぐらい「バカらしいぜ」ってちゃぶ台をひっくり返す大人がいてもいいようなものなのに。なに、この物わかりのいい従順さ。なぜ大人たちは、この裁判を尊重するのだ? 意味が分からない。 たとえば、最初のうちは大人たちも半信半疑で裁判につきあい始めたけど、次第に事実が暴かれ、驚き、集中していく…とか展開がありゃまだしも、そういうのは一切ない。まったく緊張感もなく、つまらない。 で、裁判途中だったかに、柏木卓也の両親から入手した卓也の通話情報が、話をひっくり返す証拠になる。柏木家にはその日、5回ほど、誰からか分からない電話がかかってきていて。その、かけてきた場所を探していくと、すべて電話ボックスで、しかも、柏木卓也の過去と関係のある場所に近いところにあるものばかりだった、と子供たちはきがつく。生徒たちは各電話ボックスの周辺へと聞き込みを始めるが、柏木卓也の顔にはだれも首肯しない。が、最後に、東芝電気店の主人が意外なことを証言する、という流れになっているのだけれど、その話は意外ではあるものの、バカか、というような話なんだよね。なんと、かけていたのは柏木卓也の友人で、神原和彦だった、と。和彦は他校の生徒で、裁判の弁護人。しかも、裁判をやろうともちかけた張本人でもあったりする。 という話が、この大長編の唯一のミステリーだったとは、なんとも一発ネタではないか。 で、もう話はよく覚えていないのだけれど、柏木卓也が和彦に「人殺しの子どもは人殺し」とか「僕は自殺する。止めたかったら、指定する電話ボックスから電話してこい」とかいって。和彦はいわれるがまま電話ボックスをまわって電話し、最後に「学校の屋上にいるからこい」とか呼びつけ。電話ボックスのある場所は、和彦と両親との思い出の場所であり、柏木卓也の嫌がらせなんだけど、それにへこたれず屋上までやって来た和彦に「僕は死ぬ。止めないのか?」というんだけど、和彦は屋上を去ってしまう。それを見て、柏木卓也は地上にジャンプした、ということらしい。 で、和彦は「自分が柏木卓也を殺した」という心に苛まれ、藤野涼子らに接近。校内裁判を開かせ、その場で事実が公表されるよう仕組み、自分を裁く場にしようと目論んだ、らしい。けれど、「この裁判は大出君が有罪か無罪かを明らかにするもので、それ以外のことは裁かない」と、これは誰がいったんだっけ。で、藤野涼子が「私も三宅さん(樹理)がいじめられているのを見て逃げた。私だって、裁かれる立場にある。みんな、誰にだって責任はある」みたいに一般化によって、うやむやというか、丸く収めてしまうといういい加減さ…。なもん、直情型のワル、大出俊次がいちばん悪いに決まってるじゃん。あんな不良を放置しておいた学校・教師に、なぜ矛先が向かない。 そして、裁判が終了すると、藤野涼子と和彦、他の数人の生徒たちが笑顔でへらへらしながら学校を後にするんだけど、ええっ? さっきまで「自分は殺人犯」と主張していた和彦まで、何もなかったかのようにへらへらしていて、それでいいのか? 軽すぎるだろ。 ・大出俊次のアリバイは、藤野涼子の父親の警官が、俊次の父親の弁護士を連れてきたことで解決してしまう。俊次の父親がしでかした放火事件の実行犯が、家にやって来たとき、俊次を目撃している。それは、柏木卓也が落下した時刻で、だから学校の屋上にいられたはずがない、というもの。あまりにもあっさりし過ぎて、つまらんよなあ。 ・津川雅彦の電気屋のオヤジ。半年前の雪の日の、電話ボックスで話した少年の顔なんて、フツー、覚えてないぞ。それが、「この子だよ」って和彦を指さすんだぜ。そんなに老人の記憶は確かなのか? ・そもそも、和彦が裁判をすると決めた時点で、自分の責任が、どこから発覚するか、まで考えていたのかね。柏木家の通話記録までは示唆するとしても(したのか?)、その先で藤野涼子が電気屋のオヤジ→和彦にたどりつく、という保証はないだろ。 ・やっぱな、本当の裁判を見たこともないような中学生が、あんな裁判を実行できるはずがない。さらに、学校や教育委員会が、止めに入るだろ。生徒の殺人罪を問う裁判なんて。マスコミも報道して大騒ぎになり、世論が騒ぐだろ。あんな裁判、5日も継続できるはずがない。と思うと、話に説得力はこれっぽっちもないんだよな。 ・駆けだして轢かれる松子、駆けだしてあわや轢かれそうになる涼子。裁判中に倒れる三宅樹理、そして、涼子。これなどは対比を考えての演出なのかも知れないけど、なんか、効果はあったのかね。夜、父親に反発して家を飛び出し、都合よく降ってくる雨にびしょびしょになりながら、道路に飛び出す…という藤野涼子を見て、この子も周囲に気を配らない人なんだな、と思っただけなんだが…。 | ||||
やさしい女 | 4/17 | 新宿武蔵野館3 | 監督/ロベール・ブレッソン | 脚本/ロベール・ブレッソン |
1969年製作、1986年公開。原題は“Une femme douce”。Google翻訳したら「甘い女性」とでた。allcinemaの解説は「骨董屋に嫁いできた若い女性の不可解な行動を描いた、ドストエフスキーの短編小説の映画化作品。彼女は、夫の熱愛を受け入れながらも、理由もなく自殺してしまう」 ドラマ部分とか(対立や反発、克服など)、接続詞とか(背景とか経緯とか)がほとんどなくて、展開される場面を書き割りのように淡々と無機的に積み重ねていく感じ。なので、なぜ? どうして? の連続。対立があっても、記号のように様式的で、浅い。心の中も、セリフで説明される部分が大半。すべてが様式的過ぎて、ちっとも面白くない。見ているこちらの心にとどかないし、共感も反発もない。ああ、そうですか。でも、なぜ? と繰り返したくなる。以上。な感じ。 ドミニク・サンダ17歳の映画デビューらしい。おっぱいも見せてる。でも、あんまり魅力的じゃない。ほとんど笑顔がなくて、陰気な表情がつづく。 冒頭、女が飛び降り自殺を試みる。女はベッドに横たわり、婆さんが血を拭いた後…。男は、その婆さんに、彼女との出会いからの話を語り始める…という設定なんだけど、フツーにベッドに寝てるからケガしただけかとずっと思ってたら、死んでたのかよ。1969年でも、投身自殺の遺体を自宅に運んでそのまま…ってのは、ないだろ。男は質屋で、婆さんはその使用人、家政婦的なこともするけど、帳面に付けるようなこともする。なので、女が客として出入りしてた頃から知ってるはず。なのに、なぜ男が婆さんに経緯を話しつづけるのか意味不明だよ。 客としてやって来た女に、質屋が惚れたのか? よく分からん。男はずっと表情がなく、嬉しいも好きも愛してるも言わないから。そもそも銀行の支店長をしていてクビになった? らしいから、歳は40歳ぐらい? 女は、実年齢はともかく、学生らしい。大学生? でも、両親はなく親戚の家でこきつかわれ、本代などは自分で出してるらしいから、高校生? それは義務教育なのか? こき使われていながら大学はないよな。高校だって、貧乏な親戚が、よく行くのを許した、な感じ。ともかく、参考図書代がないからと、十字架だのパイプだのもっていって金に換えている。のだけれど、この質屋にくるようになったのは、いつからなのだ? 昔から知ってりゃ、あんな対応はとらんだろうに。すけべ心でか、優遇買い取りしてやってお近づきになり、デートに誘って、結婚までしてしまう。のだけれど、この経緯が簡単過ぎるくらいシンプルで、なんでこの女は質屋と結婚したんだ? という疑問が尽きない。 とはいえ、デートから結婚に至る部分は、まだわずかにドラマがあって、新婚初夜のベッドインとか、キャッキャしたりしていて、かわいらしい。とはいえ、貧乏な親戚に「嫁にもらう」と言いに行ったんだろうし、そしたら、いくらか金をよこせ、とか言われなかったのかとか、気になるよな。でも、映画はそういうの無視。 不思議なのは、結婚後すぐ、女も亭主の仕事を手伝うようになり、客がもってきたブツを値踏みして、自分の判断で金を渡していること。フツーそういうのは年季が必要だし、あり得ないだろ。な、ところに、貧乏な婆さんが客としてやってきて、多めに金を渡したりしていた、のを亭主が見つけて文句を言ったのが、齟齬の始まり。男が金にうるさい、みたいな判断もあるようだけど、アホかと思う。慈善事業じゃなくて商売なんだから、当たり前だろ、と思ったりする。 以後、女は誰か知らん男の客と長話をしたりして、亭主は嫉妬のあまり調べたりするんだけど真相は分からず。な関係なのに映画や芝居はせっせと見に行っていて、喧嘩した夜に女の方からベッドで誘ったりするのは、どういうことなのだ? 結婚前には「あなたの望みは愛ではなく結婚だわ」とか男に言ったりしているのに、よくわからんです。 ある日、男は女の相手を知りたくなって、女の親戚の家に行くと、通りの名前を教えてくれる。それが女の浮気相手の家? なんかよく分からんけど、行ったら、近くに停めてあるクルマに女が相手といて、男は女だけを連れ帰るんだけど、相手に対してなにも言わないのかね。 そのとき男は拳銃を持って行ってたんだけど、夜、寝ている男=亭主に拳銃を向けるんだよね。何で? なんだけど、まったく分からない。ベッドを別にしたのは、この後ぐらいだったかな? 忘れた。 その後、女が何やら知らん病気で4週間ほど寝込み、男の方が下手に出て相手してやっていたと思ったら、ある日の投身自殺。あれあれ。で、オシマイ。 テレビ映像、女が図書館から借りてきた本、自然史博物館の骨格、映画(題名分からず)、観劇は「ハムレット」、レコード音楽…。こういうのにも意味があるのかも知れないけど、よく分からず。 使用人の婆さんがしゃべるのは、女が自殺する直前ぐらいだったか。ずっとしゃべらないキャラだった。質屋の客も、ほとんどしゃべらないし、書き割りみたいな無味乾燥で様式的な演技ばかり。ほんと、2人以外の脇役は、そこにいます、的な役割だけで、人格すら与えられていない感じ。変なの。 | ||||
映画 深夜食堂 | 4/17 | キネカ大森3 | 監督/松岡錠司 | 脚本/真辺克彦、小嶋健作、松岡錠司 |
allcinemaのあらすじは「夜も更けた頃に営業が始まるその店を、人は“深夜食堂”と呼ぶ。メニューは酒と豚汁定食だけ。それでも、客のリクエストがあれば、出来るものなら何でも作るのがマスターの流儀。そんな居心地の良さに、店はいつも常連客でにぎわっていた。ある日、店に誰かが置き忘れた骨壺が。どうしたものかと途方に暮れるマスター。そこへ、久々に顔を出したたまこ。愛人を亡くしたばかりの彼女は、新しいパトロンを物色中のようで…。上京したもののお金がなくなり、つい無銭飲食してしまったみちる。マスターの温情で住み込みで働かせてもらう。料理の腕もあり、常連客ともすぐに馴染んでいくが…。福島の被災地からやって来た謙三。福島で熱心にボランティア活動する店の常連あけみにすっかり夢中となり、彼女に会いたいと日参するが…」 コミック→テレビドラマ→映画化…なんだと。にしては、しみじみ渋いデキ。といっても、説明ゼリフが多くて、想像させたり、間を大事にしたり、とまではいってない。さらに、第3話にあたる「カレーライス」が、福島の被災者とボランティアを扱って、ムダに力が入りすぎ。食堂を離れてどんどん人間ドラマになっていったのは、まずかったと思う。しかも、ボランティア女性に恋してストーカーになるという、どうみても同情できない設定なので、気が散ずるばかり。このパートをどうにかしたら、もう少しマシになったろうに。 最初のエピソードは「ナポリタン」。中年の妾がいて、旦那が死んだ。遺産残してくれるかと思ったら、遺言書には何も書いてなくて落ち込み、店の客のひとりと意気投合。同棲を始めたと思ったら、旦那の妻が遺言書を偽造していたのが発覚し、遺産が転がり込む。彼女は男を捨て、気ままな暮らし(金貸しまでしてて、しっかりしてるよ)を始める…。という、わたいのない話。それでも、常連が集うカウンターの様子が面白いから、見てしまう。 常連客では、不破万作、綾田俊樹のオカマ、安藤玉恵のストリッパー、3人のお茶漬けシスターズ、あと、宇野祥平あたりがいい。まあ、12時過ぎてやってくるにしてはフツーの人が多いな、ってのはあるけど。でも、この雰囲気が、この映画でいちばんいい。だからこそ「カレーライス」で店を離れたシーンが多いのがもったいない。 「ナポリタン」で妾を演ずるのは、誰かよく分からなかったんだけど、高岡早紀なのね。彼女が引っかけるのが柄本時生で、いくらなんでも年上の婆さん過ぎる。 次の「とろろご飯」は、多部未華子が主人公なんだけど、背景とか時間の経緯が「?」なところがある。まず、彼女が店にやって来て、食い逃げする。どうもマンガ喫茶あたりで寝泊まりしてるようで、じゃあシャワーぐらい浴びろよ、と思うけど、その金もないのか? で、後日謝罪に来て、「働かせてくれ」といい、包丁を研いだらなかなかで、開いている2階に住み込みすることになる、という流れ。 働いてもらうことになり、まずマスターが「風呂に」と小銭を渡すんだけど、風呂上がりに着たあのシャツは新しいのか? 買ってやった? それとも、臭いまま? と気になる。で、店の客に玉子焼きを出すシーンになるんだけど、それはその当日のことなのか? いきなり客に出す玉子焼きをつくらせちゃうのか? いくら右手が変だからって、それは…。新潟の居酒屋で働いていて、男と出会い、「その腕なら東京でも通用する」といわれ、ともに上京。しばらく一緒に住んでいたのか? それが、預けた金を男に持って行かれた…ということらしいけど、上京後はどこに住んでいたのだ? 男のアパートじゃないのか。木賃宿かなんか? 預けた金というのは、故郷新潟で貯めた金? それにしても、一文無しになったら先ず警察にでも行けよ。あるいは役所とか。山谷の支援団体とか。いろいろあると思うんだが、いきなり無銭飲食、それも、夜中というのは、どうなんだ? コンビニで廃棄する弁当とか、飲食店の裏口とかだってあるだろうに。なんでまた、深夜食堂へ? あるいは、板前の技量があるなら、職安に行くとか、アルバイトニュース見るとか、飛び込みで店に行ってみるとか、いくらでもあるだろうに。疑問だらけ。 まあいい。で、深夜食堂を手伝っているうち、店の客の整体師が「マスターの手のしびれは身体の歪みかも」とかいうことで施術を受けたらよくなって、店を辞めなくちゃならなくなり…というところで、彼女を新潟から連れ出した男がやってくるんだが。男は、どうやって彼女を探し出したんだよ。新潟に残した祖母を引き合いに出して「やり直そう」と迫るんだけど、結局、マスターや店の常連に気圧されて、男は姿を消す…んだが、祖母の件はうやむやなのか? な終わり方。そうそう。彼女は、店の常連で新橋の料亭を経営する余貴美子のところで働くことになるんだけど、まあ、このあたりも、そうなるだろうな、と思っている通りに話が進んでいくんだよな。意外性は、これっぽっちもない。 次が「カレーライス」。↑に書いた通り。震災で妻を亡くした男が、ボランティア女性に惚れてプロポーズ。相手の迷惑を顧みず上京し、ストーキングしてる、という設定。始めから結論は分かっているわけで、それを延々やられるのはうんざり。しかも、1、2話と違って店のカウンターでのひょうひょうとした感じがさっぱりなくなり、店外のシーンも多くなるに至って、心が離れてしまった。エピソードの選択を間違ったんじゃなかろうか。 で、「カレーライス」の最後で、忘れものの骨壺と話が結びつく。骨壺は冒頭から登場してるんだけど、その始末をどうしようか、とマスターが悩んでいたりしたのだった。明日、寺で供養してもらおうという夜、中をあけたら砂が入ってた。震災で妻を亡くした男は「俺も、妻が見つからないから、こうした」とか言っていたけど、なんと、次のパートで正体が分かる。 その骨壺を置いていったのは田中裕子で、すげー老けたなあ、が第一印象。メイクかも知れないけど、かつての面影はどこに…な感じ。元亭主の骨を引き取ったが…的な話をしていたけど、詳細は忘れた。忘れるような話だったんだろう。それはさておき、別れた亭主が死んだからって、連絡は、来るのか? さらに、骨を引き受ける理由は、あるのか? ないよなあ。 な感じで話は終わる。 この映画、メインの話より、周囲の人物や小ネタが効いていて、そっちの方が面白い。常連客の他に、近所の交番の警官役のオダギリジョー、その警官に恋心を寄せる出前の店員とか、いい感じ。 エンドクレジットで、向井理の名前を発見。え? でてたっけ? どこに? で、あとから調べたら、「カレーライス」のときの店の客で、かかってきた携帯にでたまま店をでていく役立ったとか。それは覚えてるけど、あれが…。 | ||||
紙の月 | 4/20 | ギンレイホール | 監督/吉田大八 | 脚本/早船歌江子 |
allcinemaのあらすじは「1994年。エリート会社員の夫と2人暮らしの主婦、梅澤梨花。銀行の契約社員として外回りの仕事を任されるようになった彼女は、顧客の信頼も得て、上司からも高く評価される。しかし家庭では、夫との冷めた夫婦関係に空しさを抱き始めていた。そんなある日、外で顔見知りの大学生・平林光太から声を掛けられる。彼は、梨花の顧客・平林孝三の孫だった。これをきっかけに、若い光太との逢瀬を重ねるようになり、久々に気持ちが浮き立つ梨花。ある時、化粧品売り場で持ち合わせが足りないことに気づいた彼女は、客から預かった金に手を付けてしまう。すぐに戻すから大丈夫と自分に言い聞かせる梨花だったが、それが転落へと向かう暴走の始まりだった」 評判がいいので、どんな展開かと期待したんだけど、大ハズレ。地味にはじまって、たいしたヤマ場もなく淡々と進み、転落していく過程はまあまあなんだけど、なぜそうなるのか、については説得力がまるでない。結局のところ、「銀行員の使い込み」から想定できる枠の中だけの話に終始して、結末もまあ想定内。意外性などほとんどなく、退屈だった。 登場する奴らが、みんなバカ。梨花(宮沢りえ・公開時41歳)がどういう教育と育ち方をしたか知らないけど、ちょっと借りるだけですぐ返す、程度のことならまだしも、贋金刷るみたいに証書をプリントしたら、いつかはバレる、ぐらいのことは分かるだろ。その動機の一端となるのが大学生の光太(池松壮亮・公開時24歳)との不倫なんだけど、アホかと思う。梨花の身体には浮気願望=日常では味わえない何か、への渇望があったのか? なら、それを描かないと説得力がない。たまたま顧客の家で会った青年に駅で声をかけられ、視線を浴びたからといって、それで次に会ったとき自分から誘ってラブホへ…って、下半身がそんなにゆるいなら、そういう人物だ、と設定しなくては、納得なんてできないだろ。 ※Wikipediaでは、「顧客である平林孝三の家で孫の光太と出会う。そして後日、光太に誘われた梨花は一緒にバーに行き、久々に軽やかで心地のいい時間を過ごした。自分よりも年上でおばさんである自分を「最初に会った時、いいなと思ったんだ。」と褒めてくれた光太の言葉は心に残り、営業終わりにデパートに寄った梨花は、いつもなら決して買わない高額な化粧品を手にとる」「出会って3か月後、2人きりの新年会で酒を飲んだ後、一夜を共に過ごす」という具合に、積み重ねがあってのことのようだ。そうだよなあ。映画がひどいってこった。 要は人物がちゃんと描けていなく、上っ面だけで動かしているから、こうなるのだ。脚本も演出も悪い。 回想シーンがあって、梨花はキリスト教系の小学校に行っていたことが分かる。家も一戸建てで、父親の書斎もあるし、父の財布には万札がたくさん入っている。すごいお嬢さんなわけだ。その両親はどうしているのか。兄弟姉妹、親戚は? 夫・正文とはどこで出会ったのだ? 恋愛結婚か、見合いなのか。それによっても、恋愛願望を浮かび上がらせることはできるはず。祝福されて結婚したけど、子供ができない。結婚生活は10数年か。では、倦怠期もきていてセックスレス? でも、正文が浮気している風には見えない。正文は、中国への転勤にも妻を同行しようとしている。ということは、セックスはしてる、ということだよな。では、なぜ梨花には下半身のうずきがあるのか。そういう質なのか? であるなら、そういう人物として描かなければ、観客にはつたわらんよ。 夫・正文もバカに見える。妻の変化に気づかない? 彼は妻に関心がないわけではないようなのに、脳天気すぎるだろ。 浮気相手の光太もバカだろ。貢がせるだけ貢がせて…な考えもない。そもそも、最初の頃は本気で愛し合っていた気配すらある。なんで、そんな年上と? まあ、ずっとつづける気はなかっただろうけど…。しかも、授業料を借金してることも梨花に言ってないから、金が目的ではないはず。光太の祖父の金を梨花が拝借し、それを光太に渡しているぐらいは、まあ、正義の寄付ぐらいに思っても仕方がないような気もしないでもない。でも、その後の梨花の金遣いの派手さ加減は、なんなんだ? どうやったらあそこまで壊れるのだ? というか、40まで実直だった人間が、後先考えず、あそこまで落ちることができるのか? よく分からない。というか、あんなこと「誰にでも起きうること」ではないだろ。極めて特殊。そういう素質を持った人間だった、ってことだろ>>梨花。 ※Wikipediaによると、原作では「子どももできず、何をするにも夫に許可をとらなければならない立場というのは梨花には窮屈で、次第に暗い気持ちになっていく」「正文は梨花が稼ぐのがおもしろくないようで、折りに触れて梨花の収入の低さや仕事の重要度の違いを遠回しに言い、あくまでも経済力が上で養っているのは自分の方だということを暗に示すのだった」と書いてある。そんな設定は、映画にはない。 そういえば、梨花は最初の頃、夫の正文に腕時計を贈るんだけど、どうもそれは仕事が順調にいっているので、自分たちへの贈り物、な感じらしい。まだ真面目に銀行業務をやっているころだ。その時計を見て、正文は「安物」と思ったみたい。後に、上海から一時帰国したとき、海外ブランドの時計を買ってくるんだけど、それ見て、こいつらアホか、と思った。いまどき(1995年だっけ?)腕時計に価値を見出す人間って、ありか? というバカな人間のやっていることなので、アホかいな、という気持ちしか湧いてこない。しかも、前半はじっくり、淡々と、銀行の中での人間関係とかも描きつつなので、もちろんそれは設定としての大きな伏線のためなのだろうけど、かなり辛い。早くドラマを進行させろ、な気分になってくる。 笑ったのは、梨花が市販のプリンターで証書をプリントし、プリントゴッコ(?)で印を押していたこと。げ。そんなんで通用するのか? 認知症の婆さんとか、引退した70過ぎの爺さんには通用するのかね。でも、あれは笑っちゃったよ。 使い込みは、先輩行員より子(小林聡美)が発見するんだけど、あんなバレバレなことしても、銀行は気がつかないのか? ときどき書類の点検とかしないのか? とか思っちゃうよな。まあ、原作はいつくかの史実に取材してるんだろうから、真実に近いのかも知れないけど…。 最後の方で、より子と梨花が対峙して話すシーンがあるんだけど、なんか、難しいことを言っていたような記憶がある。オーバーラップするのが小学校時代の、海外の貧しい人々への寄付のことで。でも、自分のしたいことをするために使い込みをする、という話と、貧しい人に寄付するために父親の金をくすねる、という話は、どこにも重なるところはないよな。ぜんぜん腑に落ちなくて響いてこなかった。 そこで、梨花がいきなり窓ガラスを割るので、こりゃ自死か? と思ったら、制服とローヒールで町を疾駆して逃げるのだった。おいおい。あれは2階じゃなかったか? どんな運動神経してるんだよ。 後に光太の祖父のところに行ったとき、帰り際に玄関で光太と出会うんだけど、彼は何しに来たんだ? 金も貸してくれないような祖父のところに、何の用があったんだ? 宮沢りえも、干物みたいなオバサンで色気ないし。むしろ、小林聡美(あるいは、かつての藤山直美)が主役で、醜女の深情け的な設定にした方が面白いのではないのかな、とか思った。 逃亡先はタイ? あの果物売りの男の顔にキズがあったのは、かつて寄付していた子どもである、というほのめかし? なんかよく分からん。 エンディングテーマ、「イマジン」とメロディが同じではないか。 | ||||
エイプリルフールズ | 4/21 | 109シネマズ木場シアター6 | 監督/石川淳一 | 脚本/古沢良太 |
allcinemaのあらすじは「対人恐怖症の清掃員・新田あゆみは、一夜限りの相手である天才外科医の牧野亘に電話で妊娠の事実を告げる。ところが牧野はエイプリルフールの冗談だと思い込んで取り合ってくれない。埒があかないと、牧野のもとへと向かうあゆみ。当の牧野は、美人キャビンアテンダントとイタリアンレストランで暢気にランチデート。“フロアで起きることは私の責任です”がモットーの責任感が強すぎる接客係とホラ吹きなオーナーシェフは、この後に起こる大事件を予期できるわけもなく、いつものようにテキパキと業務をこなしていた。そこへ、切羽詰ったあゆみが現われ、牧野に認知を迫るのだったが…」 脚本の古沢良太は『キサラギ』の人だと。ふーん。 『ラブ・アクチュアリー』みたいな手法の群像劇による、ベタなコメディ。それぞれ手垢の付いた話ばかりだけど、わざとらしい演技やオーバーアクションで、バカに徹してる。なので、そこそこ楽しめた。allcinemaで見ると監督の石川淳一はテレビ畑で、映画は初のようだ。なるほど。そういや、奥ゆかしくないところはテレビの技か。 以下、エピソードごとに。 ・イタリアンレストランでの大参事/↑のあらすじの話。1回だけの関係で妊娠し、臨月まで芋けんぴを食べつづけてた(ニセ医者の松坂桃季に、身体にいい、といわれたため)女(戸田恵里香)も女なんだが…。カバンから銃を取り出してバンバン打ち始めたのは驚いたけど、あとで、小学生の理香が、実の父(寺島進)でヤクザのカバンと入れ替えていたことが紹介される。であるなら、カバンに銃が入っていたことに、まず自分で驚け! なんだけど、そういうのは無視らしい。まあ、話の都合上そうなるのか。しかし、女は2度、男に発砲しているのだから、殺意は十分。なのに、最後は悔悛したらしい男と相思相愛になって…な終わり方には、ムリがありすぎだろ。それに、やわな女ひとり、なぜやっつけられない? まあ、約1名、向かって行って足を撃たれてはいるけどね。でも、その男が実は指名手配中の犯人(大和田伸也)というのは、おいおい、な感じ。そんな目立っちゃいかんでしょ。それに、女はそこで破水し、救急車を呼ぶけど、あとで書くように、事故に会う。そこで、ニセ医者(松坂桃季)が出産を指示することになるんだが、都会の真ん中なんだから、産婦人科ぐらいあるだろ。探せよ。もう、女の拳銃に弾はないんだから。ところで、男の背中に当たったかと思いきや、赤いのはトマトケチャップ。では、弾は…? 外れて、背中にはカウンターあたりにあったケチャップがついた、ということか? ・ロイヤル夫妻の休日/ガンで余命幾ばくもない妻(富司純子)のため、1日だけ豪勢な時間をプレゼントする夫(里見浩太朗)の話。これもよくあるパターンだな。この2人より、案内するハイヤーの運転手とか、ハンガー店の様子が、カリカチャライズされてておかしかった。それにしても、富司と里見が唄うとは…。 ・不器用な誘拐犯/ヤクザ(寺島進)が小学生の少女(浜辺美波)を誘拐。暴力的にあちこち引きずり回すんだが…ヤクザは少女の実の父。元妻の現在の配偶者は「ロイヤル夫妻の休日」のハイヤー運転手…という関係。ヤクザは鉄砲玉を命じられていて、これが最後かと娘と時間を過ごしたかったけど、不器用でこんなことに…な話。娘に「お前はバカで、万引きもする、将来はここで働け」ってソープの見学をさせるって、なにそれだけど、この話がいちばん心に迫った。浜辺美波がいいんだよ。ヤクザが父親だっていうのを見抜いていて、↑で話したようにカバンを入れ替えちまったり、最後に「お父さん」と呼びかけてみたり。この子は天才か? 伸びそうだな。で、鉄砲玉のつもりでターゲットの組長の所に行き、カバンから銃を出そうとしたら、芋けんぴが…。『イタリアンレストランでの大参事』の女のカバンだからね。でも、相手の部下にボコボコにされることもない…というのは、なぜなんだ? ターゲットは、旧知の相手なのか? ・占い老婆の真実/占いの老婆(リリィ)は、エセなのか、いや、実は結構当たってるじゃないか。な存在。話の中味より、他のエピソードへのつながりの方が多い感じの話だ。 ・42年ぶりの涙の生還/テレビニュースの話。子供の頃、漂流した男(生瀬勝久)が、42年ぶりに異国で発見され、幼友達の女の子と再会…というニュースは、実はヤラセだった、という話。『イタリアンレストランでの大参事』の女の背中を押すためだけの話だ。あ、あと、男の同棲相手が、『イタリアンレストランでの大参事』で登場するキャビンアテンダント実はキャバクラ勤めの女(菜々緒)だった、ぐらい。 ・僕は宇宙人/引きこもりの少年が、ネットの情報を信じて「自分は宇宙人」と信じ込み、やりたいことをしろ、との託宣を信じ込む。で、いじめっ子に逆襲し、好きだった子に告白してキスし、団地の屋上で宇宙人にメッセージを送りつづける…。こりゃ最後に、ホントに円盤が登場するな、と思っていたらその通りだった。まあ、その程度の話なんだよな、この映画。それにしても、好きだった子があまり可愛くないのと、15、6歳でキスシーンしてもいいのか? が気になった。 ・ある大学生の行末/仲よく同居(?)の大学生2人組。『ロイヤル夫妻の休日』のハンバーガー屋で席を追い出され、アパートに戻ると、片方が「俺、同性愛者」と告白。その嘘に応えるつもりで「俺も」といったら、ホントに押し倒されてしまい、関係してしまう…だよな…な話。多分、応えた方は同性愛じゃなかったけど、目覚めた? 地味なエピソード 他に、占いの老婆(リリィ)に占ってもらい、除霊を受けようとするところで、老婆が刑事(高嶋政伸)に逮捕されてしまう。そのおかげで交通事故を起こす救急隊員(岡田将生)や、その事故の相手(大和田伸也)が実は指名手配中の殺人犯で、刑事が追っていた相手だった…。…という顛末を、老婆は見透していたけど、本人は自分をインチキ占い師だと思ってる…。 それと、1シーンだけ小池栄子が出てくるんだけど、あれは、『イタリアンレストランでの大参事』の女がレストランに乗り込むとき、近くにあった掃除マップをへし折って持参したんだけど。先端部分がすっ飛んで。その先端部分を踏んだせいで、クルマがパンクした、ということだけ、らしい。何か別の伏線と絡むのかと思ったら、拍子抜け。 それにしても、松坂桃李が何しゃべってるのか聞き取れないのは困りものだった。 | ||||
おみおくりの作法 | 4/22 | ヒューマントラストシネマ有楽町1 | 監督/ウベルト・パゾリーニ | 脚本/ウベルト・パゾリーニ |
原題は“Still Life”。「静物画」のこと。allcinemaのあらすじは「ロンドンの民生委員、ジョン・メイ。彼の仕事は孤独死した人の身辺整理をして最後の旅立ちを見届けること。几帳面で真面目な彼は、どんな時でも故人への敬意を忘れることなく、誠実に仕事に取り組んでいた。そんなある日、彼のアパートの真向かいで、ビリー・ストークという老人が孤独死しているのが発見される。近所に住んでいながら、彼について何も知らなかったことに心を痛めるジョン・メイ。その矢先、彼はリストラの一環で解雇を言い渡され、図らずも、ビリー・ストークの案件が最後の仕事となる。そこで、最高の葬儀で故人を送り出そうと決意したジョン・メイは、ビリー・ストークを知る人々を訪ね歩いてその人生を紐解く旅に出るのだったが…」 最初、ジョン・メイの仕事がなんだか、よく分からなかった。『おくりびと』みたいな葬儀屋? でも孤独死した人の部屋を後片づけとかするわけではない。調べ、弔い、埋葬したりする仕事らしい。字幕には「民生委員」とあったけど、でも日本みたいな民間人ではなく、公務員? 公式HPには「民生係」とあるぞ。とにかく。親との同居が多い日本と違って、ヨーロッパでは孤独死はきっと、多いんだろう。孤独死の後始末をする民生委員も、たいへんだ。 神経質すぎるぐらい几帳面な男で、道路を横断するのも左右確認をしてから…。テーブルクロスの置き場所や角度も気になる。食事は、缶詰とトースト1枚と決まってる。料理はしないみたい。ひとり住まいで、親戚もいないのか。もちろん女っ気なし。酒も苦手らしい。そうやって22年間、民政係一本槍で、毎日同じようなことのくり返し。飽きるどころか、静かなる使命感を抱いてやってきた。たとえば、調査が終了した故人の写真を、自宅に持ってかえり(そういうことしても、いいのか?)、立派なアルバムに貼り、折に触れ開いてみている。つくづく、しみじみと。他に楽しみはないのか! と突っ込みたくなるほどの地味な男。 その彼が、突然のリストラを言い渡される。孤独死老人の調査や弔いに時間をかけすぎだから、だと。理不尽。でも、彼の地では公務員も、こうなのか? それでも動揺したり憤ったり楯突いたりしない。なんてこと。で、最後の一件だけは自分で始末を終えたい。でもね残された時間は2日だったか3日だったか。でも、それでは解決がつかず、延長を願い出て、「自分の時間でやるなら結構」といわれるのは、有休の消化期間にでもなるのか? よく分からんが、調査を続けていく…という話。 ジョンはアルバムの写真から、ビリー・ストークがパン工場と関係があることを発見。訪ねるとかつての同僚がいて、工場と掛け合って給料を上げただったか休み時間を増やしただったか、そんなことをした、ということを知るのだ。しかも、ビリーはその訴えが通るとキッパリ工場をやめた。置き土産に、パイ生地の中(だったっけ?)に小便をして辞めていった、という。その同僚にビリーが死んだことを伝え、葬儀に出てくれと頼むと、「また一緒に飲めるならまだしも、死んだんじゃなあ」と乗り気じゃない。この同僚が、何とかいう街へ「女とフライドフィッシュの店を出すって、行っちまった」とかいう情報を聞いて、行って見たら見つかって。なんと、彼女とは別れたけれど、「あの人の知らない娘と孫がいる」ということを告げられる。ケンカした相手の手を煮えた油の中に入れた武勇伝があることも。あと、刑務所に出たり入ったり、っていう話はここで聞いたんだったか。それで警察に行くけど、不親切で丁寧に調べてくれない。なので、内務省だったかに自分で出向き、刑務所の資料を見ていたら、娘のケリーが面会に来ていることを知り、その住所に行ったら、捨て犬の保護施設みたいなところにいて、話を聞く。どうも、ビリー・ストークは妻子を捨てて出て行ってしまった、らしい。その父親に面会に行ったとかいう話だったけど、それが最後で、以後音信不通、らしい。捨てられたことは、やっぱり、恨みに思っているようだ。ちなみに、ケリーの母=ビリー・ストークの元妻は3年前に亡くなっていた。ケリーの家で、フォークランド戦争時の戦友からの手紙を見せてもらう。その戦友は老人ホームに入っていて、「あいつはいいやつだ。俺を見捨てて逃げるようなことはしなかった」という。「除隊後、あいつはホームレス生活になった」というので、ホームレスのたまり場に行き、2人のホームレスから話を聞く…。という追求の旅も終わって。 この辺りで、“きっとビリーの葬儀には、これまでと違って参列者がたくさん集まるんだろう”と思っていた。でもラストについては、もっと大きなドンデンが待っていて、おおおおお…となってしまった。 ジョン・メイには友人知人もいない。家族もいないみたい。もちろん妻も子どもも。なので、すでに墓を買ってあったんだけど、その墓を辞退して、ビリー・ストークを葬らせる手続をしてしまうのだ! なんと! それで、娘のケリーは、葬儀への参列は乗り気じゃなかったけど、後日、電話が来てロンドンにやってくる。葬儀のことや墓のことを話すと、ケリーは喜んでいたんだけど、でも、彼女はそういう一切が公的扶助で行われると思っていたのかな。ソコが少し気になるところ。 それと。ここで、ケリーはなんとなくジョンに好意を抱くようになったような描き方をしていて。見てる方は、やっとジョンに春がやって来たか、と期待を抱いてしまう。そうか。葬儀には、訪ね歩いた旧知の連中が皆集まり、最後の仕事を華々しく実りあるものとしてやり遂げ、後は、ケリーとの将来をほのめかして終わるのか…と、思っていたら、なんとジョンがバスに轢かれて死んでしまうとは! げげげ。なんだよ、こんないいやつを殺してしまうなんて。なんて脚本だ! これで評価は★1つ減った。ハッピーエンドはありきたりでダサいけど、ジョンには幸せになって欲しい。その期待が裏切られてしまった…ああ。 ビリー・ストークの葬儀の当日、予想通り、教会には20人ぐらいの知り合いがやってきていた。ジョンが訪ね歩いて、知らせてまわった人々だ。ケリーは、異母妹と会い、抱き合ったりしている。けど、彼女の目はジョンを捜し回ってる。なぜ彼は来ないのか…。カメラがすーっとパンして(だったかな?)いくと、これまで何度も登場した公共墓地に、いままさに埋葬が済み、小さな十字架の墓標が立てられた墓が…。なんという皮肉。あれだけ親身になって孤独死の人々を思ったジョンの埋葬には、誰ひとりとして参列者はいない。彼の上司でさえ来ていない。…と思ったら、周囲からすーっと人影が浮き上がり(最初の人物はビリー・ストークだったかな)、その数が次第に増えていく。ジョンが身元を探しだし、葬った人々の霊が、ジョンの死を悼んで集まってきたのだ。『フィールド・オブ・ドリームス』みたい! いや、ちょっと感動してうるうるしてしまったよ。これでまた評価がプラス! この感動のために、ああいう話の展開にしたのか。ううむ。人知れず行った行為も、ちゃんと神さまは見守っているのだよ、と。 ・ネコを飼ってた老女の枕の凹みとか、それだけですべてを語れるようなショットが多い。素晴らしい。 ・上司のクルマに小便。パン工場でのビリー・ストークのやった行為を真似たんだろうけど、たったこれだけの抵抗だけど、やったね、的な感情が湧いてくる。 ・灰で花壇に撒いて終わりにしたり、ジョンの場合のように棺桶を埋葬したり、孤独死の人の埋葬法もいろいろなのか? ・いつも、窓から半身出している人物の下を歩いて行くシーンとか、いい。 ・ジョン・メイは、死体安置所の青年の質問に応え、クロスワードパズルの答を一発で言い当ててる。ってことは、本を読んだりと知識は豊富なんだな。そういうシーンは出てこなかったけど。まあ、読書シーンなんか出すと、ジョン自身が孤独である、というイメージが削がれるからかな。まあいい。 | ||||
イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密 | 4/23 | 新宿武蔵野館1 | 監督/モルテン・ティルドゥム | 脚本/グレアム・ムーア |
原題も“The Imitation Game”。「コンピューターの思考能力を評価するために行なわれるゲームのことで、人工知能(AI)の開発に利用される」らしい。アラン・チューリングの論文の題名のようだ。映画の中でも説明されていた。 allcinemaのあらすじは「1939年。ドイツ軍と戦う連合軍にとって、敵の暗号機“エニグマ”の解読は勝利のために欠かせない最重要課題だった。しかしエニグマは、天文学的な組み合わせパターンを有しており、解読は事実上不可能といわれる史上最強の暗号機だった。そんな中、イギリスではM16のもとにチェスのチャンピオンをはじめ様々な分野の精鋭が集められ、解読チームが組織される。その中に天才数学者アラン・チューリングの姿もあった。しかし彼は、共同作業に加わろうとせず、勝手に奇妙なマシンを作り始めてしまう。次第に孤立を深めていくチューリングだったが、クロスワードパズルの天才ジョーンがチームに加わると、彼女がチューリングの良き理解者となり、周囲との溝を埋めていく。やがて解読チームはまとまりを見せ始め、エニグマ解読まであと一歩のところまで迫っていくチューリングだったが…」 1951年、アランの家に泥棒が入った、という話から始まる。警察が調べるが、何も盗まれていない、という。アランも、犯人を捜して欲しいと言わない。それで警察は、アランのことを調べ始める…。この件がよく分からなかったんだけど、Wikipediaによると「1952年1月、チューリングはマンチェスターの映画館のそばでアーノルド・マレーと出会う。ランチデートの後、週末を一緒に過ごそうとマレーを自宅に招いたが、マレーはその誘いを断わっている。次の月曜日、2人は再びマンチェスターで会い、今度はチューリングの自宅を訪問している。数週間後、マレーは再びチューリング宅を訪れ、一夜を共にしたとみられている。間もなく自宅に泥棒が入り、事件を警察に報告したが、捜査の過程で、泥棒の手引きをした19歳の青年(マレー)と同性愛関係にあったことが警察の知るところとなった。同性愛は当時のイギリスでは違法であり、2人とも逮捕された」とある。なーるほど、だ。これ、説明しなくちゃ観客はちんぷんかんぷんだろ。 この現在のパートは間欠的にインサートされ、次はアランが警官に尋問されるシーンだったか。時間をおいて、アランが同性愛者であることが明かされ、尋問は「同性愛」であるという犯罪に対してであることが分かる。…のだけれど、それは後半で、全体の2/3ぐらいは、同性愛とは関係ない。でも、最終的に同性愛ネタで落とすんなら、前半部分にそれらしい妖しいシーンをインサートしてもよかったんじゃないのかね。たとえば夜の町をさまようアラン…男と目が合ってどこかへ一緒に消えていく…とか。 アランが同性愛者であるらしいというのは、見る前から情報として入ってしまっていた。それは置いといて、同性愛に関する描写は、半ばに、中学時代の同級生との交流、というカタチでほのめかすのみ。フツーに見れば単なる男友達レベルの描写だ。で、はっきりするのは1939-41のパートで、アランがジョーンと婚約し、その不安を同僚のひとりにいうところで、逆に「同性愛者なんだろ。知ってるよ」と切り替えされる。さらに、1951年、警察に呼ばれている原因も明かされ(男性に自分の性器を見せた罪らしい)るんだが、前知識ないと、この辺りでやっと「なるほど」な感じではなかろうか。 ↑の「知ってるよ」といった男が実はソ連のスパイで、そのことをアランが知る場面がある。聖書からの引用でデニストンにどうのこうの…とか言ってたけど、その男の聖書のページに折り目がついていることを、アランは発見するんだよな。でも、早すぎるのとあっさりな説明なので、なんかよく分からんままに終わってしまうんだが。それはさておき、自分がスパイの嫌疑をかけられてたアランは、こりゃ報告しなきゃ、と思い立つ。けど、男に「お前が同性愛だってこと、バラすぞ」といわれて萎縮してしまう。その程度かな、同性愛の使われ方は。 アランが行為にふけっているシーンは皆無だし、暗号解読任務の遂行中にも、ほとんど同性愛は無関係。なので、見る方としたら「ああそうか」程度の感じなんだよね。同性愛は、当時の英国では禁固刑に値する罪だった、って緊張感が伝わってこないから、ラストにかけて、突如としてこの映画が「同性愛もの」になっちゃう違和感がある その後、ミンギスだっけ、M16の。が、アランの家に侵入して何か探っているのに出くわすんだけど(この件も唐突で、なんか、よく分からないままに過ぎ去ってしまったなあ)。ジョーンが持ち出した暗号原稿が家にあるのをミンギスが責めるので、「ソ連のスパイは…」とバラすのだが、ミンギスは「知ってるよ。知っててメンバーにしたんだ」と。ソ連に都合のいい情報を流すために泳がせている、らしい。裏の裏だね。で、そこまで知ってるミンギスが、アランに「君の方が謎が多い」と言わしめるというのは、どういうことなのかね。同性愛者であることを知ってるよ、ということなのかね。 そもそもの意図が同性愛映画だったのかも知れないけど。こっちはスリルとサスペンスの暗号解読ものを期待したところがあるし。さらに、あのチューリングマシンの生みの親のアラン・チューリングの発明ものとしても見てた。なのに、チューリングマシンの元となったマシンは、いつの間にかできあがってしまう。マシンがどういう仕掛けで動くのか、ぐらい説明してもいいだろ。他にも、クロスワードパズルの天才が集まったというけど、パズル解読のどの部分が暗号解読に役立ちそうだったのかとか、なんかも例を見せて欲しい。 そして、ジョーンの同僚の話から、暗号作成(?)なのか設定(?)にも、作り手の個性がでると知り、頻繁に使われるワードを抽出…するのかな。で、特定の…具体的には「ハイル・ヒトラー」なのか?…言葉のついているものを選んで(?)解析したら、設定の数が大幅に減り、短時間で解読できるようになったようだが。<< のように「?」付きの理解なのだよね、こちらは。あの件について、もう少し具体的に分かるように描いて欲しかった。絵解きしてもよかったと思う。 難しいから、あるいは、テンポを削ぐから端折る、もひとつの考え方だ。けど、そこに引っかかってしまうと、隔靴掻痒な気分になる。あそこで「なるほど」と腑に落ちたら、もっとこの映画に対する評価あるいは感激は高まったと思う。 理由は何だったか忘れたけど、アランがジョーンに「婚約は解消だ。君は実家に帰れ。僕は同性愛者だ。君は、相応しい相手を見つけ、君の人生を生きろ」みたいなことをいうシーンがあって。そしたらジョーンが「知ってたわ。でも、それでいいじゃない。私はあなたが好き。私は仕事に生きるし、そういう同居関係があってもいいんじゃないの」みたいに切り替えされて、アランもびっくり! なシーンがあるんだけど。ジョーンはさらりと同性愛の問題はクリアしちゃってるのね。そんなジョーンの考え方、生き方にも興味をもったんだが…。 終戦後、スタッフはバラバラに。1951年における警察の尋問の結果、裁判で2年だかの収監か、1年間のホルモン投下のいずれかを選択となり、後者を選んだという。薬でボロボロのアランのところに「新聞を読んだ」とやってきたジョーンはフツーに結婚しているではないか。ううむ。アランに刺戟を与えられるし、好きだったんじゃないのか? な思いも少し涌いてきた。 それは、というのがラスト。戦後離れ離れになって以来の邂逅か。でも、字幕で、翌年アランは自死したことが告げられ、さらに、同性愛者が罪であったこと、近年、アランの名誉回復がなされた…とか、突然のように同性愛法に苦しんだアラン、という終わり方になっちゃってる違和感はぬぐえない。 ・1939年に27歳。若いね。1954年自殺。Wikipediaによると青酸中毒らしいけど、冒頭で強盗に入られたとき、アランが床で集めていたのが青酸カリだった。やっと納得。 ・中学時代(?)の初恋の少年の名を、コンピュータにつけてたのね。 ・アランが「従来のしらみつぶし方は無意味。マシンをつくる」と宣言し、でも上官に拒否され、解雇されそうになったとき、彼はチャーチルへの手紙をミンギス(だったかな)に託すんだが。なんとこれが大成功。チャーチルから、同僚も上官も、アランの指示に従うような命令が下される…って、いったい何があったんだ? この背景について、一切説明がないので、納得しようにもできやしない。 ・チューリングが同僚に唐突に林檎をあげ、ぎこちなくジョークを言うとか。ジョーンの同僚とアランの同僚がダンスホールで同席し…のシーンで、不粋なことを行ってジョーンに足を蹴られるとか。社会不適応ぶりを発揮してるけど、そんなアランのどこが気に入ったのか>>ジョーン。 ・「時に想像し得ない人物が、時に偉業を成し遂げる」ということばがくり返し登場するけど、たいして意味ないよな。 ・同内容のモチーフでつくられた映画に『エニグマ』があって見てるけど、内容は忘れてる。もういちど見て、比べてみたい。 | ||||
寄生獣 | 4/24 | MOVIX亀有シアター6 | 監督/山崎貴 | 脚本/古沢良太、山崎貴 |
allcinemaのあらすじは「ある日突然、地球に謎の寄生生物“パラサイト”が出現した。パラサイトは人間の体内に侵入すると脳を食べてその人間の身体を乗っ取り、他の人間を次々と捕食していく凶暴な知的生命体だった。そんなパラサイトの増殖は、人間社会に気づかれることなく、水面下で徐々に進行していた。ごく普通の高校生・泉新一は、ある時パラサイトに寄生されてしまうが、偶然にも脳への侵入は阻止することに成功する。新一の身体全体の乗っ取りに失敗したパラサイトは、やむを得ず彼の右手に居座り、自らを“ミギー”と名乗って、新一に互いの生存のために協力し合うことを提案する。こうして、嫌々ながらも選択の余地なくミギーとの共生生活を受け入れるハメになる新一だったが…」 原作がコミック…なので、そんなに期待してなかったんだけど、予想以上にキリッと締まったデキだった。母親が寄生され、別人になったところでも、必要以上に情緒的になったりせず、極めて淡々と話を進めていく。その母親役の余貴美子も、無表情な様子を不気味に演じてた。不気味といえば、寄生グループのリーダー的な田宮良子役の深津絵里がまたオソロシイ無表情で、ぞくっとするぐらい。お涙ちょうだいだけでなく、ムダに説明しすぎなところもほとんどない。たとえば、新一の右手にミギーが寄生するんだけど、新一が早々に気づいて右手をしばったから、一定の時間内に脳にたどりつけなくて、そうなったんだろう、とか。無感情なミギーが寄生したことで、新一も次第に冷徹になっていくとか。逆に、ミギーは1日に何回か睡眠を取るようになっていくとか。はたまた、新一の身体能力がいつのまにか高まっているとか。たいていの日本映画ではそういうことをセリフで説明するのが常なんだけど、一切ない。しかも、なくても、ちゃんと分かる。 伏線も、露骨すぎない。たとえば、クライマックス。新一が隣の屋上から、寄生グループの監視役の島田を、矢で射る。弓はミギーが変態するんだけど、前半部で新一がクラブ活動をミギーに見せるところで弓道部の場面もあった。そこでミギーは離れて相手をやっつける、ということに興味をもっていたけど、それがここにつながっている、というのもよく分かる。こういう、さりげなく、ツボを押さえた話運びがなかなかシャープに決まってる。こういう、必要な要素を淡々と積み重ねていく映画づくりは、日本では珍しいかも。 CGも不自然ではなく、顔が割れて触手になったりする場面も、違和感なし。 ・市場でAに襲われ、寄生された母が帰ってくる。そして、新一の胸を刺して消えていく…。その買い物カゴのなかに、母親の“顔”らしいものが入っていたと思うんだけど。あれは何なんだ? ・新一は、母が失踪したことにして。そこに刑事が訪ねてくるんだけど、なんで分かったの? いや、もしかして指紋の一致だったら、重要参考人として、あるいは、容疑者として逮捕もあり得るよな。だから、指紋じゃない。なら、なんだ? ・新一は、なぜ轢かれた子犬を拾いに行ったのか? 拾いに行くだけの人間性はあるが、哀しみ弔うまでのこころがないこと、を見せるため? 人間性が薄れたなら、クルマの走る道路の中央まで、拾いに行ったりしないだろ、と思うんだが。 ・美術部員の女の子が髪を引き抜いたら、髪がくねくね動きだす。それで「バレた」と思った島田が獣化する場面。あそこで、絵の具を溶かすような薬品が登場し、その薬品を顔に向けて投げることで島田が苦悶するんだけど、あれく何液なんだ? あんな危険な薬品が、美術部にフツーに置いてあるのか? そこに、教師としてもぐり込んでいる田宮がやってきて、島田を火炎瓶で焼死させようとするが果たせず…というのは、なんか中途半端だな。それに、意味がよく分からず。ああなった島田は、もう不要、ということか? 新一は、美術室から逃れた里美を抱え、3階(4階)から飛び降り、着地する…は、あり得ない。足がくだけるだろ…と思ったけど、あそこまで身体能力が向上している、ということなんだな。 ・で、荒れ狂う島田を警官が撃つんだが死なない。それを、新一が、↑のように隣のビルから鉄パイプを矢にして射ると、呆気なく死ぬのはどういう理屈だ? ・浅野忠信がステーキを食べていて、途中でイアリングを吐き出すんだけど。それはないだろ。人間の肉を切ってレアにして皿に盛りつけたら、その時点でイアリングは見つかるぞ。 というわけで、最後は完結編への橋渡しか。選挙で当選する北村一輝と、田宮の部屋でステーキを食べている浅野忠信が登場知るシーンで終わり、予告編が始まる。 ・クレジットに阿倍サダヲの名前があって「?」と思ったんだけど、ミギーの声ね。カッコしてそう書いてくれよ。あと、大森南朋の名前もあったけど、でてきてたか? ・ところで、映画冒頭に流れたミュージックビデオ?みたいのは、ありゃなんだったんだ? | ||||
龍三と七人の子分たち | 4/27 | 109シネマズ木場シアター7 | 監督/北野武 | 脚本/北野武 |
allcinemaのあらすじは「70歳になる高橋龍三は、かつては“鬼の龍三”と呼ばれて誰もが恐れた元ヤクザ。しかし引退した今は、息子家族のもとで肩身の狭い思いをしていた。そんなある日、オレオレ詐欺に引っかかった龍三。元暴走族の西が若い連中を束ねて“京浜連合”を名乗り、詐欺や悪徳商法で荒稼ぎしていると知っては、もはや黙ってはいられない。そこで龍三は、それぞれにわびしい老後を送る昔の仲間7人を呼び集め、“一龍会”を結成して京浜連合成敗に立ち上がるのだったが…」 オチがミエミエのギャグをテンポ悪くやったりしてるのは、いつも通り。あのテンポ、ヤクザ映画とかなら静謐な感じがでるかも知れないけど、コメディじゃリズム感がなくなるだけ。見ていてつらい物がある。 絵が貧乏。そこら辺の路上で、たいした照明もせず、ちょちょっ、って撮ってる感じ? 室内も安っぽくて、映画を見ている豪華さがちっとも感じられない。 あと、あまりテイク重ねず、簡単にOKだしてるのか。言い淀んでたり噛んだりしてるところを、そのまま使ってるところがあったりする。「それも味」とか「爺さんだからそういうのもアリ」なんてやってるのか知れないけど、いい加減すぎ。 監督本人が刑事役で3回ぐらいでてくるんだけど、芸達者に囲まれて、たけしだけ浮いてる。演技ができてなくて、ただ本人がそこにいるようにしか見えないのだ。もう勘違いはやめて、監督するだけにするか、あるいは誰かの演出で出演するだけにした方がいい。 引退したヤクザがあんな腑抜けな日常を送っているのか? よく知らんが、まあ映画だからな。 龍三の息子・龍平に、勝村政信(1936年生まれの49歳)なんだが。息子が働いてる会社がどこだか知らない、ってものいい加減すぎ。その息子が、妻子を連れて田舎(?)に行っている最中、オレオレサギの電話がかかり、「龍平君の同僚で…」と話してくるのをすっかり信じ込むって、筋が通ってない話だな。 あと、杜撰だなと思ったのは、一同が京浜連合のビルに乗り込むところ。受付嬢が上に電話すると、すぐに通してくれて、社長室へ。おいおい。受付で用件を聞いて、関係なければ断るのが当たり前だろ。なんて不用心な元暴走族だな。 息子・龍平の会社のもめ事を治め、200万もらって、速攻で競馬で擦る。が、マッチポンプだってことがバレて200万は会社に返して。さらに、一同でクラブに繰り出してるんだけど、資金はどっからでたんだ? 龍三は、現金なんかもってなかったはずなのに…。いい加減すぎだろ。 京浜連合のボス・西(安田顕1973年生まれの41歳)の女が、キャバクラのママ(萬田久子1958年生まれの57歳)なんだけど、フケ専かよ。 で、龍三たちは組を結成して、でも、大したことはしてないし、影響もないのに、京浜連合の西は、ジジイ撲滅を配下に命じる…って、なんかズレてるよな。もうちょっとあれこれ妨害したりして、ジャマだ、ってんならまだしも、あんなじゃ対立関係にもなってないだろ。 はばかりのモキチ(中尾彬)の孫娘が萬田久子のキャバクラで働いてて、京浜連合の部下の若いのとできてる。西は、その若いのに「モキチの娘をさらってこい」と命じるんだけど、若いのはそれができず、モキチに相談。若いのをかくまい、単身、京浜連合のビルにもぐり込むんだけど、返り討ちにあって、西にバットで撲殺される! おお。その遺体が、どういう経緯で龍三たちのところに戻ってきたのか? そこはあっさり無視して、葬儀当日。龍三たちはモキチの遺体とともに、京浜連合に乗り込む…って、落語の「らくだ」だな、こりゃ。 この殴り込みの件は、まあ、少し面白かった。神風のヤス(小野寺昭)は、セスナで建物に突っ込む、ってセスナに乗り込む。セスナで突っ込むって、それじゃ自分が死んじまうじゃないかと思ったんだが、なんと、海が見たい、横須賀に行きたいって空路を変え、横須賀に停泊してる米軍空母に着陸って…。話がバカすぎてついていけん。 その後、残りのジジイが社長室に乗り込み、拳銃をぶっ放す、五寸釘のヒデがダーツに釘をさす。その刺さり具合を見て「ナインダーツだ!」って恐れをなして(ナインダーツって、なんだよ? 知らねえよ。その何が怖いんだよ?)、一同逃げ出すのをジジイたちはバスで追跡し、市場につっこんで、さあ…ってところに刑事のたけしがやってきて「全員逮捕!」って、それで話はオシマイなんだけど、それじゃイロイロ解決してないだろ。 まず、京浜連合の面々は、みな詐欺罪らしい。はばかりのモキチを殴り殺した西も、同様。え? それでいいのかよ。3年ぐらいで出てくるんじゃないのか? そしたら、モキチの彼氏はどうなるんだ? で、龍三たちの罪は何だか知らんけど、傷害とかバスジャックとか誘拐とか銃刀法不法所持とかいろいろあるだろうけど、こっちは詐欺より重くて、龍三が言ってたみたいに、生きて娑婆に戻れないかも知れんだろ。そんな終わり方でいいのか? な話だった。 ・ジジイたちの半数が、あまりよく知らない役者で。ううむな感じ。 ・藤竜也 1941年生まれの73歳 ・近藤正臣 1942年生まれの73歳 ・中尾彬 1942年生まれの72歳 ・品川徹 1935年生まれの79歳 ・樋浦勉 1943年生まれの72歳 ・伊藤幸純 1942年生まれの73歳 ・吉澤健 1946年生まれの68歳 ・小野寺昭もジジイの部類か。と見たら、1943年生まれだから今年72歳か。 ・逆に、下條アトムは若頭レベルじゃないだろ、と見たら1946年生まれで、今年69歳。ジジイじゃん。 ・空撮シーンが最後の方にあるんだけど(セスナで突入のところ)、とても汚い。セスナと合成してるんだけど、市街地の俯瞰が、荒れたビデオみたい。 ・京浜連合の受付を始め、あらゆるところで「おじいちゃんが…」言わせてるけど、世の中、70歳ぐらいで赤の他人が「おじいちゃん」とは呼ばんぞ。 ・京浜連合の商売は、浄水器に羽毛布団? あと、高利貸しに、オレオレ詐欺、地回りもしてるのか? で、龍三が、昔からの付き合いだからと某社に挨拶に行ったら、先代は亡くなって息子が社長(辰巳琢郎)ででてきて、なんと京浜連合が扱ってる浄水器と羽毛布団の説明を始めるってことは、京浜連合とつながってるのか? 先代がどういう人物、組織で、現在は何をしているのか、も、なんかアバウトすぎるなあ。 ・京浜連合の、社長室ではスーツで幹部な連中が、日頃は羽毛布団の訪問押し売り(矢島健一)や、障がい者のフリして貸した金の取り立て(下條アトム)をしてたり、なんか、しょぼいな。 ・ワーナーブラザースも資本出してて、配給権もってるみたいだな。こんなんでも、海外に売れるのかね。 | ||||
白河夜船 | 4/28 | テアトル新宿 | 監督/若木信吾 | 脚本/若木信吾、鈴木櫂 |
allcinemaのあらすじは「永遠に眠り続ける妻を持つ岩永と不倫を続ける寺子。ある日、“添い寝屋”をしていた親友のしおりが死んだ。その衝撃と不倫の不安で、眠りがどんどん深くなる寺子だったが…」 ドラマらしいドラマはない。男女の関係がつづく日常をだらだらと撮っていく。自死した親友とのシーンがところどころにインサートされるけど、それも、それがどうしたレベル。寺子は毎日のようにベッドにしがみつき、寝てばかりいる。その理由はよく分からない。仕事もせず、ただ寝てばかりで、生活費はどうしているのか? 家族は? 友だちは、しおり以外にいないのか? そもそも岩永と寺子はどこでどう知り合ってそうなったのか? 岩永は、たんなる性対象として寺子を見ているのか? 岩永は何をしている人? などなど、分からないことだらけなので、話に入っていけない。2度目に電話があり、夕食を…なんて誘われた後ぐらいに眠りに落ち、気がついたら海辺でいちゃついていた。10分〜15分ぐらい寝たのかな。まあ大勢に影響はないだろう。 この手のロマンス、みたいなものに、安藤サクラ(寺子役)はどうなんだ。『百円の恋』でみせただらしない女のイメージもあるし、その他もろもろの映画でも、いい男に好かれるようなキャラででてこない。この映画でも気怠さだらしなさ満点で登場し、パンツいっちょうで腰のあたりをボリボリかいたりして、色っぽさはほとんどない。岩永(井浦新)が惚れる(?)対象として、相応しいとはどうしても思えない。むしろ、貧乏くさい感じもする。 技術的にイラっときたのが音声で、同録してるのか、聞き取りにくい。場合によって、こもったままの声をつかっていたりする。さらにそこに、安藤サクラのナレーションがぼそぼそ声でかぶったりして、神経を逆なでする。聞いて欲しい内容なら、聞こえるように再生しろよ。 次に、ピンぼけ画像の多用がイラつく。まあ、意図的なんだろう。でも、寺子の視線がボケてるというわけではないのので、彼女の眠気を表現しているというわけじゃないんだろ? じゃ、あのボケはなんなんだ? 意図的といっても、そのボケを狙ったというより、いくつか撮ってその中から「これいただき」とかいって、選んでるんじゃないのか? とにかく、焦点移動でふにゃふにゃする画像はイラッとくる。 Webで見ると、寺子の眠りは友人しおりの死によって深くなっているらしい。↑の解説には、不倫の不安もあると書いているが、そんなことは映画を見ても分からない。分かれといわれても、分からんぞ、あんな映画じゃ。ただの、寝たがりのだらしない女にしか見えない。不倫が不安なら、別れりゃいいだろ。別れられない理由は何なんだ。いや、岩永の、交通事故で意識不明のまま眠り続ける妻のことを根掘り葉掘り聞く神経というのは、なんなんだ? 友人の死は、そりゃ衝撃だろうよ。でも、衝撃を受けたように見えないんだよ、安藤サクラじゃ。気怠いブスがだらだらしてるようにしか見えないんだよな。洗濯物を干すのもいい加減。でも、洗濯物は、ちゃんと畳むんだな。どうしたことだ? 寺子が公園で鬱になってると、髪の長い娘が「駅に行け。バイトを探せ。働け」とかいうんだけど、なんなんだあれは。寺子は彼女を殴りつけるかと思ったら、なんだよ、駅前でアンケート調査のバイトなんかやってて、給料ぶくろから金出してニタってる。なんだよ、それ。しかも、2万6千円って、何日分だ? それぞれのシーンは、シナリオはあるんだろうけど、アドリブでやってる感じが強くて、なりゆきまかせな感じ。2人でいるところなんて、どこにも不安や恐れは感じられない。たんなるラブラブな2人という感じで、ちっともつたわってこない。 なんだかな、な映画であった。 |