2015年8月

おやすみなさいを言いたくて8/4ギンレイホール監督/エリック・ポッペ脚本/ハラール・ローセンローヴ=エーグ
原題は“Tusen ganger god natt”(ノルウェー語?)、“A Thousand Times Good Night”。allcinemaのあらすじは「アフガニスタンの首都カブール。報道写真家として命がけの取材を続けていたレベッカは、自爆テロに巻き込まれて本当に命を落としかける。文字通り九死に一生を得て家族の待つアイルランドへと帰国したレベッカ。理解ある夫のマーカスからも、2人の娘は母の死に怯えながら暮らしており、これ以上は耐えられないと辛い胸の内を明かされる。実際、長女のステフはすっかり心を閉ざしてしまい、母を受け入れてくれなくなっていた。そんな家族の気持ちを考え、戦場には戻らないとマーカスに約束するレベッカだったが」
女性カメラマン(亭主子供あり)の物語であった。写真の意義とかいう以前に、人格の問題だな、こりゃ。
銃声を聞いたり、死体を見ると血が騒ぐ人間というのはいて、戦場カメラマンとか戦場ジャーナリストってのは、その類の人種だと思う。伝える使命とか写真の意義とかいうのは、正当化だよ。そんなことの前に、思わずカラダが動いちゃうんだと思う。そして、スクープと功名心と金。たとえば名誉が手に入らず、金もたいして入らないとして、それで使命だけで命がけで取材するやつは、いるか? 要は、命がけの野次馬だよ、彼らは。
で、これは、そういう類の女性カメラマンの話なんだが。最終的には、その強かった心がくじける、という場面で終わっていて。ではそれは果たしてよい結果なのかといわれたら、なかなか難しい。それに、カメラマンが女性だったから、子供をもつ母親だったから、ということもあるわけで。同じ状況に遭遇しても、心のくじけない、さらにずかずかと他人の心に踏み込んでいく連中は、いるはずだ。
レベッカは、アフガンで自爆騒ぎに巻き込まれ、ドバイで入院。心配した亭主(学者のようだ)が迎えに来て、家に帰る。2人の娘が迎えるが、上の娘は母親に反抗的。あたりまえだ。ふだんから家におらず、生命の心配をさせるのだから。亭主も、こんなんじゃ一緒に住めない、と宣言。レベッカも、危険な場所に行くことをあきらめる。同じタイミングで、アフガンで撮影した自爆関連の写真が本にできない、と出版社から言われ、落ち込む。
この後しばらくは、アイルランドでの静かな生活があるんだが。上の娘がレベッカの写真には興味をもち、学校でアフリカ問題について発表会をすることになり。さらに、ケニアのキャンプへ見学に行く…という話が持ち上がって。本人は行きたがる。両親は反対する。でも、結局、「私も一緒に行く」というこどレベッカ同伴で行くんだけど、そのキャンプに反体制派の連中が乗り込んできて殺し合いになる。レベッカは娘をクルマに乗せ、でも、自分はもう血がたぎってしまって、「大丈夫だから、逃げて」と言い置いて、銃撃戦の現場へ…。たまたま政府側の軍隊が早くやってきて、鎮圧はされた。けど、娘の母親への不信感は募るばかり。それと、ケニア行きをコーディネートした男に対しても、「写真を政府に送った」といい、守りも速攻で強化されることに。キャンプの安全が、声だけの要求より、やっぱ写真だ、と自慢気なレベッカだけど、まあ、こういうのはたまたまだろ。そういうこともあるけど、カメラマンが殺される場合だってあるんだから。
てなわけで、アイルランドに戻っても、娘は母親と口をきかない。亭主は「?」だったけど、事実を知るとレベッカの荷物を放り投げて「出ていけ」と。レベッカは悩みつつ、でも、やっぱり自分は…と思ってたんだろう。出版社から「出版が決まった。でも、写真が足りないから、もっと撮ってきてくれ」といわれると、よしっ、とばかりに出かけるが…。
映画の冒頭では、レベッカはテロ集団の拠点に潜入し、許可を得て、人間爆弾となる女性の姿を撮影した。彼女の乗るジープに同乗し、でも、街場で自分だけ降りたところを警備に咎められ、運転手も降ろされ、たぶん、目的地ではないところで女性は爆弾を破裂させてしまった、のだろう。そのせいで、レベッカは入院したわけだが。今回もまったく同じ集団の同じ拠点に潜入し、いざ撮影しようとしたら、爆弾を身につけ始めたのが10歳ぐらい(?)の少女で、それを見てカメラをもつ手がだらりと下がり。一枚も写真を撮ることができなくなってしまい・・・という、なんかちょっと、中途半端なところで暗転してオシマイ、だった。
自分の娘と同じような年齢の少女がもうすぐ死ぬ。少女の母親も、その場にいる。少女の死を間近にした母親の気持ち…。もし自分の娘が死ぬかも知れない、ということになったら、自分はどうなるだろう。いや、自分はこれまで、娘に心配をかけつづけてきた。娘は、こんな気持ちで自分安否に気をつかってきていた…。と、自分と娘との関係になぞらえることが、やっとできた、ということなのかも。やっと少し、人間らしさを取り戻した、ということなのかね。
想像力がないんだよな、きっと、あの手のハイエナジャーナリストは。で、家庭内であれやこれやあって、多少の後ろ髪を引かれつつも、生理に基づいてふたたびアフガン入りして、人間爆弾になるのが自分の娘と同じ年頃、という現実を直視して、やっと少しだけ想像力が働くようになった、ということなんだろう。ああなったら、最前線のカメラマンは、もうムリだろ。対象に対して感情移入するようになっては、もうオシマイだ。
ところで、最初の潜入で、レベッカが途中でジープを降りたことで人間爆弾が当局に発見され、本来の場所でなく爆破してしまったんだろ? なのに、ふたたび同じテロ集団に潜入し、前回と同じように人間爆弾になるための儀式を撮影できるものなのか? 爆発前には、「爆弾! 逃げて!」と周囲に警告を発したの、レベッカだったはず。もし運転手が生きていて、テロ集団にそのことを伝えていたら、再度の潜入なんてできないんじゃないのか?
さらに。人間爆弾を送り出すテロ集団とコンタクトができる情報ネットワークをもちながら、それを当局に伝えない是非は責められないのだろうか。「最初の爆発で亡くなった人たちは、自分の責任」といってたけど、当局に伝えないことで、犠牲になる人の数はもっと多いわけで。もちろん「一ヵ所のテロ集団を告発しても、ほとんど意味がない」という意見もあるだろうけど、でも、犠牲になっている人はいるわけなんだから、贖罪の意識に苛まれなくてはならないんじゃないのか、レベッカは。いや、そのまえに。当局から追求の手が伸びてこないのが不思議。
カメラマン一般についても、なんかやな描写がある。ケニアのキャンプで、レベッカは娘と一緒に、人々の生活を覗くように、カメラを近づける。レベッカは、銃撃戦の後で、親類が死んで悲しんでいる人を、撮る。おい。お前、自分がそんなことされたら平気でいられるか? お前の家に黒人カメラマンが押し寄せ、人に知らせる意味があるから、と写真を撮り始めたら、どういう気持ちになる? これに類するシーンは、娘に説明にきたレベッカの表情を連写する、程度しかないのが残念。レベッカの家庭に他のジャーナリストが取材に来て、被写体になる、という経験をさせてやりたかった。
アフリカの難民問題について、レベッカが娘に確か説明していた。欧米諸国が武器を与え、それで儲けているとか、そういうことだったかな。だったら、アフリカ人が殺し合う現場を撮影し「こんなひどいことが起きてますよ」と伝える前に、欧米企業のハイエナ的な活動をやめさせる運動というのもあるだろう。そのほうが先なんじゃないのか? カメラマンの使命、なんていうものよりも…。違うか?
・最初の取材から戻ったときにいた男女は、だれなんだ? その後、仲間らしき人と会食してたけど、あれはどういう関係なんだ? 亭主が浜辺で子供に講義し、帰路、数人と話ながら歩いてる。その数人の話に突然なんだかんだと反論するレベッカ、というシーンがあったけど、あの数人はどういう関係なのだ? あと、彼らが話している内容のどこにレベッカがキレたのか、よく分からなかった。さらに、編集者も、Web電話で登場するだけ。という具合に、脇で登場する人々について、描写というか説明が甘いので、いまいち話に拡がりがなく、レベッカたち夫婦の存在もリアリティがない。
・最初は、墓穴に横たわって、死をイメージする過程があったけど、2度目はないのかよ。
・飼っていた猫が逃げたのは、動物の本能をもつものを、家に閉じ込めておくことはできない、ということの譬えかね。
進撃の巨人 ATTACK ON TITAN8/5109シネマズ木場シアター7監督/樋口真嗣脚本/渡辺雄介、町山智浩
allcinemaのあらすじは「かつて、謎の巨人たちが突如出現し、人類の大半を喰い殺した。かろうじて生き残った者たちは、巨大な壁を三重に築き、その内側でどうにか平和な生活を維持していく。それから100年が経ち、人々は壁の内側で平穏な日常を当たり前のように送っていた。幼なじみのミカサ、アルミンと強い絆で結ばれた青年エレンは、壁の外に広がる未知の世界に憧れを抱き、安穏と暮す周囲の人々に苛立ちを募らせていく。そんなある日、想定外の超大型巨人の出現によって壁が崩壊し、人々が次々と巨人に呑み込まれていった。2年後。惨劇を生き延びたエレン、ミカサ、アルミンは、人類が巨人に対抗すべく結成した武装調査団の一員として、決死の外壁修復作戦に臨もうとしていた」
ゾンビ映画だった。ゾンビが巨大化して、人間を襲って、食べる。ラストの方では、食べられたエレンが巨人になったりして、必ずしも全部が全部ではないけれど、再生のスタイルもある。そもそも巨人がどこからきたか、性器がないのにどう繁殖するか、も分かっていない存在らしい。そこは曖昧だけど、パターンはゾンビだな。
巨人から自分たちを守るために壁を築く、のは『ワールド・ウォーZ』(2013)、壁を出てゾンビ退治(という訳ではなく、壁の修復ではあるが)に行くのは、こないだ公開された『メイズ・ランナー』(2014)に似てる。國村隼らの装甲車とかは『ランド・オブ・ザ・デッド』に似てる。あと、矢を射る娘サーシャは、『ハンガー・ゲーム』(2012)のジェニファー・ローレンスを連想させる。進撃の巨人は2009年からの連載のようだけど、因果関係はあるのかどうか、知らんけど。
話の展開が大雑把すぎ。エレン、ミカサ、アルミンの3人が幼なじみ、は分かるけど。たまたま壁の近くに行って、ソウダ(ピエール瀧)に諫められてると、突如、巨人が登場して大騒ぎ…という展開は、あまりにも前置きがなさ過ぎで、なななんなんだ、このぶっきらぼうなストーリーは、と思ってしまった。
ところで、最初に登場した巨人は壁よりも背が高く、皮膚がなくて煙を吐き出しているのは、ありゃなんなんだ? その後に、開いた壁から侵入してきた連中は、その超巨人の半分以下で、でも、ひと目見て笑ってしまったよ。松本人志の『大日本人』を連想してしまった。だって、ニートとか、そこらのオッサン、陰気なオバサンみたいなのばっかりで、白塗りで、不健康な山海塾みたいじゃん。あんな、腹の出た、だらしない巨人に、なんで襲われて食われるんだ? よく分からん。
で、このときミカサは死んだ、というようにミスリードさせて、2年後になるんだけど、内側の壁に避難しているのだろうからエリアは狭いはずで、ミカサの行方が分からないとか、ソウダと2年ぶりに再会するとか、なんか、そりゃないんじゃないの? な展開。で、最後の爆弾を頼りに、崩された壁をふさぎに行く作戦に参加するのが、そろいもそろって素人集団というかダメ人間の集積というのは、なんでなの? 何度も作戦失敗で、優秀な人材はみな死んじゃったのか?
まあいい。で、隊員の話の中で、巨人を数多くやっつけた女性ハンターがいる、とかいう話がでてきて。これでミカサが生きてるのが決定的になってしまう。いやそのまえに、ミカサは水原希子がやってるので、あっさり死ぬのはないな、って誰だって分かるじゃん。なんか、いまいちぎくしゃくな脚本だこと。
で、つらつら思うに。壁に囲まれた領域で暮らしているのは分かるんだが。それはどのぐらいの広さで、人口はどのぐらいなんだ? あと、ソウダが“議会”について言及していたけど、では、為政者がいて議員がいて議会があって…という体制はあるわけだ。それはどういうものなのだ? 下っ端ばかりが右往左往している感じで、いまいち世界観が分からない。ここは、ちゃんと為政者を登場させるべきなんじゃないのかね。
で、そろそろと壁の外に一同出かけ、でもトンマな女が赤ん坊の声を聞いて「置いてきぼりになってるんだ。助けなきゃ」と隊列を離れ、それにアルミンが付いていく時点で、典型的なトラブル発生のパターン、って分かってしまう。そもそも、どうして人間が壁の外にいて、赤ん坊を置いてきぼりにしてるんだよ。有り得ないだろ、そんなの。もちろんその赤ん坊は巨人の赤ん坊で。それがどうやって生まれたのかは、謎である。
で、巨人たちが起きてしまって、多くが食われたりするんだが。そこに、いまや腕利きのハンターになったミカサと、もうひとり、男…あれはシキシマだったのか? が登場し、ワイヤーを使って空中を飛び、巨人の延髄を断ちきる。どういう理由か、延髄を切られると、巨人は絶命し、霧のように消えてしまう、らしい。なんかよく分かんねえの。
いやその。人物が分かりにくいんだよ。とくに、素人ダメ部隊の仲間たちが、どれが誰やら、分かりにくい。こちらが若い役者の顔を知らないのもあるだろうけど、でも、描き方が大雑把で雑なせいもあると思うんだが。
目立っていたのはジャンの三浦貴大か。でも、たんなる都会育ちのツッパリみたいな描き方で。いまいち存在にリアリティがない。彼は最後、屋上で巨人たちに食われそうになって、食われるんだっけ? なんか、助かって、活躍していたようにも見えるんだけど、なんかよく分からん描き方だな。
あと、子持ち女で、エレンに色仕掛けするのは、ありゃ誰だっけ? ヒアナの 水崎綾女だっけ? 顔の区別も、オジサンには、つかなかったりするのだよな。他には、ひとりデブ男がいたっけかな、程度。もうちょっと脇のメンバーを丁寧に描けばいいのに、ありゃ手抜きの大雑把と思われてもしょうがないと思うぞ。
あと、爆弾を積んだトラックを運転してムダに爆発させちゃうのは、誰だっけ? ははは。なんか、ほとんど敬意を覚えてないよ。困ったね。ま、いいんだけど。
あ。あと、石原さとみのハンジは分かるよ。でも、存在としては隊長さんとして登場しながら、ズッコケのコメディリリーフで、役割としてはからっぽすぎ。しかも、いつも防塵眼鏡つけてるのがもったいない。ちゃんと可愛い顔を見せてやれよ。
で、なんか、クライマックスは巨人たちとの戦いで。で、こういうときにジャンが相変わらずひねくれてるのもアホらしい展開。あと、エレンが巨人に食われそうになったアルミンを助け、代わりに食われる場面が笑えた。口とか歯とか、飲み込まれる食道、落ちる胃の中。なんだよ。お笑いかよ。秘宝館とか、ポルノ映画の女性器に入る精子のイメージとかを連想してしまったよ。
で、エレンを食った巨人が突如嘔吐し、中から現れるのがデビルマンみたいな巨人で、これが従来の巨人をやっつける。で、そのデビルマン巨人も倒れるんだけど、なんでやられたんだっけ。忘れたよ。でも、誰だったかが、「解剖するんだ!」とかいって。なぜなら巨人は死ぬと速攻で消えてしまうかららしく、ということは生体解剖しかないのか? な訳で、延髄を切り裂くと、そこに胎児のような恰好でエレンが眠っていた…というエンディングなんだが、なにこれ。食われた人間が延髄までたどり着き、巨人をコントロール? なんか、よく分からん。後編で解明するのかしら。
で、思ったんだけど。なんで人間は飛行マシンをつくって、空から巨人を攻撃しないのだ? それより前に、壁の向こうの世界も監視できるんだから、やらない手はないだろ。
だいたい、この世界の文明程度がテキトー過ぎてアホらしい。ラストの音楽を聴くとケルトで、中世ヨーロッパの民族衣装みたいななりをしつつ、でもトラックはある。ってことは、石油も掘ってるということか? 電気はどうしてる? てな具合に、文明の程度が恣意的につくられすぎて、なんかな。
そういえば、壁に昔のヘリがあったけど、あの程度のものを開発できる技術はあるんだろうし。いくら、あれを開発してはいけない、戦争の原因だ、的な掟が合ったにしても、自分たちの命がかかってるんだから、そんなことは言ってられないはずで。なんか、矛盾だなあと思ってしまうわけだ。
説明ゼリフが異様に多くて、うっとうしい。町山智浩が脚本に入ってるのも、その原因なのか? よくん分からんけど。 ※↑書いた後に、「たまむすび」町山智浩がこの映画を語るPodcastを聞いたんだが。基本シナリオは町山智浩が書いて、それに原作者、編集者が注文を付けて、キャラ変更などもしてできた、と言っていた。あと、舞台がドイツと言っていたんだけど、じゃなぜラストの音楽がケルトなんだ?
筑波海軍航空隊8/7ヒューマンとラストシネマ有楽町シアター2監督/若月治脚本/---
公式HPの作品紹介は「敗戦の色濃い太平洋戦争の末期、爆弾を抱えたゼロ戦で、アメリカの戦艦に体当たり攻撃を仕掛けた若者たちがいた。生きて帰ることのない「神風特別攻撃隊=カミカゼ」と呼ばれた若者たちだ。戦闘機の教育訓練部隊だった「筑波海軍航空隊」(茨城県笠間市)でも84名の若者が特攻隊に志願し、60名が亡くなった。学徒動員を受け、大学を中途で辞め、特攻隊に志願した若者たち。「お国のために」命を投げ出すしかなかった、時代の空気の中での志願だった。戦後70年を経て、戦争経験者の高齢化が進み、その体験が語られる機会が失われつつある。本作は戦争の終結によって生き残ることができた元特攻隊員の人々の証言を集め、彼らの素顔を描き、彼らが経験した戦争の真実に迫る。」
筑波海軍航空隊の存在は知らなかった、でも、それ以外のことは、おおむね既知の話なので、とくに感動したり胸に刺さることはなかった。知らなかった、といっても、それは「筑波」に関してであって、「霞ヶ浦」じゃなかったのか、的なことだ。海軍航空隊といえば、土浦・霞ヶ浦。なので、それではない航空隊があったのね、ということ。で、本編の中にも「霞ヶ浦」という言葉は登場したんだけど、どうも霞ヶ浦航空隊ではなかった…。なので、調べたら、Wikipediaに「霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊をルーツとする」とある。しかも、場所はつくば市周辺ではなく、水戸に近い友部にあった施設だという。このあたりで、すでに混乱。
この手の映画がそうであるように、資料映像が多い。けど、わりと見慣れたものが多くて、筑波海軍航空隊に関するものは、ほとんどなかったかな。大半はスチルだった。それがちょっと物足りない。
映画は学徒動員から始まるので、学徒動員されたなかの、航空隊志願がすべて集まった場所なのか? と思ったりして、なんかイメージが固定しない。HPには「1943年からは学徒出陣によって、多くの学生が海軍に入隊。当時は戦況が悪化していたため、通常4年かかる基礎教育が4ヶ月で行われた。なお、海軍志願者12万人の内、飛行機搭乗員を育てようとおよそ8500人を選抜。そこからさらに厳しい適性検査が経て、「筑波海軍航空隊」に入隊した予備学生120人の内、神風特別攻撃隊として出撃したのは77名であった」とあるのだが、映画にはあとから師範学校出の教師だとか、他にも学徒動員以外のメンバーも登場してきて混乱する。こちらは、学徒動員された志願兵の末路、というような気持ちで見ていたからね。そのあたりの整理がよくできていない。
そもそも、飛行機乗りを育成する施設が当時、どこにいくつあり、そのひとつが筑波であったとか、そういう体系的な説明がないので、存在のイメージがつかめないんだよな。たとえば、筑波はいつつくられ、毎年、飛行機乗りを育成・輩出してきたけれど、194x年に学徒動員があって、その受け皿として第○期に何人受け入れたとか、経時的な説明があると、より分かりやすいと思うのだ。だって、なかに、同じ学徒動員で選ばれ、教官の立場でいたという人も登場する。ということは、入隊時期が異なるわけで、何年何期、と字幕にあるだけでもはっきりする。そういうことをせず、なんとなく、だらだらと資料映像の連続で始まっていくスタイルは、いまいち説得力に欠ける。
困るのは、半ばで、なんと真珠湾攻撃の話がでてきて、時制が戻ったりすることだ。あれれれれれ。なんだよ。そこに話が戻るのか? やめてくれ、な感じ。
青いTシャツを着た地元の、語る会みたいな人たちは分かるんだけど、それ以外に、ときどきインタビュアーが登場する。ありゃ誰なんだ? プロデューサーとか、映画のスタッフか? なんか、得体が知れないままなので、いささか邪魔くさい。だって、発言とかが、どの視点からでてるのか、分からんからね。
遺書アルバムをつくった人がいってたけど。航空隊は「エリートだった」「モテた」と。あと、別の人だったか。「ゼロ戦に乗りたかった」とも言っていた。特攻で死ぬ、というのと、エリートになること、ゼロ戦に乗ること、これを秤にかけたんだろうか? そのあたりの心情は、どうだったんだろう、というところが気になった。
これも遺書アルバムをつくった人だったか、「上官・教官が特攻を送り出すとき「次は俺も行く」とか言ってたけど、ひとりも次に来たやつはいない」と罵倒していた。その通りだろう。一方で映画には、同じ学徒動員で筑波海軍航空隊に入ったけれど、先輩として後続の指導に当たった人も登場していた。彼など、その、送り出した側なわけで、「次に来たやつはいない」という言葉に、どう返答するのか、これまた知りたいと思った。
よく見かける資料映像に、よくある感じのインタビュー、な映画だけど。ひとつだけ、戦死した兵士と結婚式を挙げた女性の話がちょこっとでてくる。これは興味深い。いったい彼女は、その後どうしたのだろう。嫁入り先で生涯を過ごした? さっさと離婚して戻り、別の相手と再婚した? 激しく知りたい。
なわけで、こちらが「知りたい」と思うようなことには答を示してくれないのが、残念な感じ。こんなところが、通り一遍に見えてしまうところかも知れない。
あと、チルトとかパンで、画面がカタカタになるのは、解像度を変換していたりするせいなのか? なんか、いまどきのデジタルにしては、それほど映像がキレイでないのが「?」でもあった。資料映像以外にも、提供された画像もあるだろうし。実際、監督が狙って撮ったのがどのあたりなのか、そういうのもよく分からんしなあ。
しかし、敗戦後70年。元兵士もすでに90歳をこえている。90歳超にして矍鑠たる人もいれば、よれよれの人もいる。なんか、大変だなあ、とは思った。
あ、最後に。字幕がくどすぎ。「ああ」とかの歎息とかまで書いている。あと、遺書アルバムをつくった人が、真逆のことを間違って言ってる部分があったけど、あんなの、使わなきゃいいのに、という部分もあったりして。いまいち緻密さが、ううむ、なところもあったぞ。
ヒックとドラゴン28/8上野恩賜公園噴水前広場監督/ディーン・デュボア脚本/ディーン・デュボア
原題は“How to Train Your Dragon 2”。未公開。映画.comのあらすじは「落ちこぼれの少年ヒックとドラゴンのトゥースが運命的な出会いを果たしてから5年。人間とドラゴンが一緒に暮らすようになったバーク島はドラゴンレースで賑わっていたが、ヒックとトゥースはレースには参加せず、一緒に空を飛んで地図にない場所を探していた。やがて彼らは見慣れない島を発見するが、そこには巨大ドラゴンを操るドラゴ率いる悪者たちの姿があった。ドラゴたちがバーク島に攻め込もうとしていることを知ったヒックは、平和的な解決を求めてトゥースと共に奔走する」
「したまちコメディ映画祭in台東」を告知・応援するカウントダウンイベント企画として、上野公園で野外上映された。指定された座席スペースはほぼ一杯だったので、公報の、動物園に近い石のベンチで見たので、遠かった。アップになると顔も区別がつくけど、そうじゃないと、誰が何をやってるのかよく分からず。でもまあ、大雑把にはストーリーは把握できたけど。
テンポが早く、飽きない。ムダがそぎ落とされているので、キビキビ…な感じ。その分、ヒックとアスティのロマンスが希薄で、もうちょっとそれも見たいな、と思ったんだが。でこのヒックがジェイク・ジレンホール似で、アスティの方はキャメロン・ディァスそっくり。まあ、そういう顔が人気なのかもね。
話の方は…単純明快なんだけど、奥も深い。ドラコはドラゴンを制圧することで平和をめざし、一方バーク島の人々はドラゴンとの共生で平和を目指す。ともに目指すのは平和なんだけど、手法が違う。さて、どちらが正しいのでしょうか、ということだ。独裁と民主主義の違いにも譬えることができるわけで、いろいろと読める。
ただし、もともとドラゴンには敵対心をもっていたヒックの父が、ドラゴン融和策をとるに至った経緯は、描かれない。あと、ヒックの母親が夫の考えに反対で、たまたまドラコに攻められた際に離れ離れになり、以後17年? 20年? ドラゴンたちと住むようになり、夫と息子の元に戻らなかった、という生き方は「?」だな。
あと、いったんはドラコが飼い慣らしたドラゴンがバーク島のドラゴンたちを催眠術にかけ、制圧してしまうんだけど。そのボスドラゴンのパワーがいったいどこからきているのか、よく分からない。そのボスドラゴンは余裕でヒックに対するんだけど、さっさとヒックを殺してしまえば世界統一できたものを、そうせずのろのろ手加減してるのが、まあ映画だなあ、と。
でそのボスドラゴンに操られたトゥースが、ヒックの父親を殺してしまうのだが、次にヒックと対峙すると本来の自分をとりもどし、それをきっかけにボスドラゴンが劣勢に。催眠が解けて、バーク島側が勝利! という流れは、これまた映画だなあ、と。こういうご都合主義も、子供向けだから、いいか。
そのラストの空中戦は、結構、迫力があった。
共犯8/11新宿武蔵野館2監督/チャン・ロンジー/張榮吉脚本/シア・ペア/夏佩爾、ウーヌーヌー/烏奴奴
allcinemaのあらすじは「ある朝、孤独な男子高校生ホアンは、偶然居合わせたリン、イエとともに、路地裏で血を流して横たわる女子生徒シャーの死体を発見する。同じ高校の生徒ながら、それまで言葉を交わしたこともなかった3人だったが、この強烈な体験を共有したことで急速に距離を縮めていく。やがて3人は、シャーがなぜ死ななければならなかったのか、その真相を自分たちで突き止めようと探偵まがいの調査を開始し、徐々に核心へと迫っていくが」
武蔵野館の紹介ページに、女子生徒の写真があったので、てっきり女の子の話かと思っていたら、違った。男の子の話だった。いつまでたっても野郎ばかりしか登場せず、女の子はチラッとしかでてこない。なんだよ。な感じ。こういう勘違いを目論んでいたのかね、映画館は。ははは。
冒頭は、池に沈む少年のイメージ。あと、いろんな画面のフラッシュバック。それから、いじめられる少年。その彼が、路地で少女の死体を発見する。背後にも2人の少年。この3人が発見者となって、警察で事情聴取され、それで知り合いになる。というのが発端。
少女が同じ学校の生徒なのに、情報が分からない…とかいう時点で、どれだけでかいんだよ、この学校、とか思ったりしたんだが。まあいい。
少女は目立たない娘だった。3人は、少女のことを調べ始め、なんとマンションの部屋にまで侵入し、「どうも、朱靜怡という女友達にいじめられていたようだ」ということを知り、朱靜怡に仕返しをするんだが。仕返しが成功して、喜んで学校の裏の池に飛び込んではしゃいでいるうちに、少年のひとり、黄育凱が溺れて。暴れて振りまわした肘が、助けようとした黄立淮の頭に当たってしまう。気がつかずに黄育凱を助けあげる葉一凱。ふと見ると、黄立淮がいない…。で、冒頭の沈んでいく少年のイメージと結びつく、という寸法。
それまでの経緯から、少女の死因と、その背景に関する話かと思っていたんだけど、なんと、ここが本来の話の発端で。黄育凱を殺した、と疑われる葉一凱。自分が黄立淮の死の原因かも知れない、と自覚しつつ、言い出せない黄育凱。黙して語らず、黄育凱を責めない葉一凱…という物語になって行く。ただし、この話も底が浅くて、それほど掘り下げはない。
最後の謎解きは、自殺した少女・夏薇喬がねつ造(かどうか知らんけど)した日記と、その日記を利用して(?)、孤独を慰めようとした黄立淮のウソの解き明かしに移っていく。それは結構スリリングで、ほほう、な感じなんだけど。ちょっと経緯が分かりにくかった。以下、時系列にしてみたけど、合ってるのかな。
・孤独な夏薇喬は、自分に少しだけ関心をもってくれたらしい(と、勝手に思い込んだ)朱靜怡の気を惹こうと、日記をねつ造。朱靜怡が借りようとしていた『異邦人』を横取りし、しばらくして『異邦人』を朱靜怡に手渡す。そして、『異邦人』のあった棚に、ねつ造日記を忍ばせた…。だけど、朱靜怡はその日記を読んだ、んだっけ? なんか、そのあたり、描かれてなかったような気がするんだが。
・で、夏薇喬の死後、彼女の部屋に忍び込んだ黄立淮、葉一凱、黄育凱の3人。たしか黄立淮が日記を見つけたんだよな。同時に、まだ葉一凱、黄育凱との関係をつづけたいので、夏薇喬が「朱靜怡のせいだ」と書いたかのようなメモをねつ造。それを葉一凱、黄育凱に見せ、復讐ごっこをする…と。
・黄育凱が誤って黄立淮を死なせてしまったのち、黄の妹・黄詠臻が黄育凱に接近。黄育凱は、黄立淮の部屋で、図書館に返し損なっていた『異邦人』を発見する…。貸出カードが挟まっていて(っていうのは、おかしくないか?)、そこに夏薇喬と黄立淮の名前…。
一方、朱靜怡に「なんであんなこと(仕返し)したの」と聞かれた葉一凱が「夏薇喬をいじめたから」といったら、「夏薇喬なんて話したこともない…でも、『異邦人』を手渡されたことがあった…」と答えたんだったな。それで葉一凱が図書館の『異邦人』を探したら、そこに夏薇喬のねつ造日記があったんだっけかな。しかも、黄立淮がでっちあげた夏薇喬の走り書き付きで…。
ってことは、黄立淮は証拠物件を図書館に仕込んだ、ってことか? 黄立淮は、あの日記を誰かに発見して欲しかったのか? 夏薇喬と同じように…。
ところで、あのねつ造日記、朱靜怡は読んだのか? 読んでたら、彼女は何か反応したはずだよな。でもしてない。ってことは、夏薇喬は読まれなかった日記を自分の手元に持ってかえったのか?
なんか、記憶がおぼろ。困ったな。まあいいや。
で、その、ねつ造日記を葉一凱が黄育凱に見せ、すべてを仕組んだのは黄立淮だと知らせるんだけど、だからといって黄立淮を死なせた事実は消えない…というようなラストだったよな。
それにかぶって、夏薇喬の死んだ原因がなんとなく描かれるんだけど、それは、母親がくれたネックレスをいったんはベランダから捨てようとして、でもやっぱり拾おうとして、身を乗り出して落下してしまう、というようなことだった。
要は、友だちのいない女の子と、友だちのいない男の子の、哀しい運命のいたずら、という話だ。けれど、そんなに友だちがいないことが辛かったり哀しかったりするかね。
とくに、夏薇喬は、外出がちな母親が相手をしてくれなくて、ひとりぼっち、というような設定で。しかも、けっこう可愛い子が、なんでぼっちなのか? 煙草吸ってるとか、金を盗んだとか、そういうのは孤独な心のサインだとして。それ以前に、彼女の性格が変とか、なんか原因があって嫌われている、というような仕込みをしないと、説得力がない。孤独を他人に知って欲しいからといって、面倒な工作をして日記を赤の他人に読ませるとか、とんでもないコミュ障のメンヘラ娘だな。
黄立淮がいじめられっ子で、それで友だちが欲しかった…。とくにチンピラっぽい葉一凱に、頭のいい黄育凱と仲間になれたことで、舞い上がったのかも知れない。有り得ないことではない。けど。葉一凱や黄育凱が、いじめられたり仲間はずれにされていたような奴を、相手にするかね。たとえ、それまで黄立淮の存在を知らなかったとしても、違和感を感じるんじゃなかろうかと思うんだが。もしかして、黄は夏のねつ造日記に共感を得て、あの日記のつづきを書いていた、っていうことなのかな。ここにも同じような孤独な人間がいる、つてことで、もうひとりの夏薇喬を演じていた? ううむ。でも、思わぬ事件で死んじゃうわけだけど…。
というわけで、少年と少女の孤独のリアリティをもう少し掘り下げ、ねつ造日記の件をもうちょっと分かりやすく描いてもらえるとよかったんだけどね。
自由が丘で8/12キネカ大森1監督/ホン・サンス脚本/ホン・サンス
原題は“Hill of Freedom”。allcinemaのあらすじは「想いを寄せる年上の韓国人女性クォンを追って、スーツケースひとつでソウルへとやって来た男、モリ。しかし、肝心の彼女は不在で、モリは近くのゲストハウスに部屋を借りると、クォンを探して街の中を右往左往。その間、クォンへの想いを切々と手紙に綴りながら、同じゲストハウスの宿泊人サンウォンと毎晩のように飲み明かしたり、カフェ“自由が丘”の女主人と急接近してみたりするモリだったが」
自由が丘が舞台の、韓国製の映画かと思ったら。韓国が舞台で、自由が丘8丁目という名のカフェが登場する映画だった。モリは加瀬亮で、単身韓国に思う人に会いに行くが不在で、それまでの何日か、件のカフェなんかにも顔を出しながら、ふらふらする日々を描いている。日本でいうなら『かもめ食堂』的な、若干、脱力系というのか、ストーリーなどないに等しく、だからどうした、なだらだら話がつづく。ある意味では余韻だらけの映画。その得体の知れない感は、まあ、悪くない。
加瀬亮は韓国語を話すのかと思いきや、英語で。登場する大半の韓国人も英語を話す。 ただし、設定は、↑のあらすじのように、スッキリすぐに分かるわけではない。最初に登場するのは中年のオバサンで、どっかの受付で手紙を受け取る。でも体力に問題があるのか、帰りの階段で体勢をくずし、手紙を落としてしまう。よろよろと降りて拾うのだけれど、1枚だけ拾われずに残るのだけれど、その1枚になにか話のカギがあるのかというと、それはよく分からない。
そのオバサンはどっかの茶店で手紙を読み続けるのだけれど、10分ぐらいで読み終わるだろうその手紙を読むシーンが、モリの行動の合間に、少しずつインサートされる。もしかして、モリの会いたい相手は、この人? どういう人なんだ?
さらにこの映画、経時的ではなく、時制もときどき入れ替わっていて、明らかに以前の話だろ、というのが(たとえば大家の甥との最初の出会い?とか)後半にあったりする。それが、とくに回想シーンというような約束事の表現で登場するのではなく、フツーにつながれていたりする。なので、少し戸惑ったりするんだけど、まあいいか。
モリは『時間』という本を読んでいて、いつもひの文庫本を手にしている。はて、その意味は? 分からない。
自由が丘8丁目に出入りして、犬を愛する女主人と知り合い、ついには誘いに乗って寝てしまうモリ…。おいおい、女の人に会いに来てるのに、下半身はそういうことかい? で、愛してるとか、なんか、一緒に暮らすみたいなことも言ってたような気がするんだけど、でも、クォンがモリの前に現れると、もう女主人は登場しなくなる。それで、彼女はいいのか? そういう関係を望む程度だったってことか?
その女主人には、彼女が女優だった頃からの付き合いという男性がいて、男女関係もあるようだけど、でもその男性は複数の女性とつき合っているという。しかも、女連れで女主人の家にやってきて、泊まっていったこともあるとか、なんか、わけの分からんことを言う。なのでモリは「そんな男とは別れろ」なんていうんだけど、その相手と寝てしまって、あとは知らない、っていうのはどうなんだ。
あとは、大家の甥っ子とのあれやこれや? なんでも借金をつくって、それで居候状態という甥っ子がやたらとモリになついて。甥の知り合いと飲んだりしゃべったりするんだけど。これらもまた、だからなに的な話ばかり。なかに、韓国人女性と結婚した白人が出てきて、彼は韓国語を話すんだけど。韓国が好きだから韓国に住むんじゃなくて、妻が韓国人だから韓国に住んでいる、みたいな、いささか問題発言的なことをいうんだけど。韓国内向け的にはいいのかね、それで。
あと…あ、家出娘のエピソードがあったな。甥っ子が馴れ馴れしく話しかけ、逆に「うるせー」扱いをされて。甥っ子が娘をビッチ呼ばわりするんだけど。しばらくしたら背の低い父親がやってきて連れ去っていく。と思ったら、得体の知れない男がやってきて、その経緯を聞き出すんだけど、いったい何があったのか、さっぱり分からない。最後の方にも、家出娘はちょいと登場してたように思うんだけど。時制が、以前の話なのか、以後の話なのか、分からんので、どうでもいいや。
で。毎日のようにクォンの部屋に行き、ドアに張ったメッセージが読まれているかどうか確かめていたモリ。で、そのモリの借りている部屋へ、手紙を読み終えたクォンがやってきて。再会するんだけど、とくに劇的な何かもなく。一緒に部屋で夜明かししたみたいなんだけど。翌朝、白々明けに、2人は一緒に日本に向かった…というナレーションがあって。ああそうか。と思ったんだけど、その次に、ふたたび宿の庭の場面になる。モリが外の椅子で寝ていて、部屋の中からクォンが髪ぼさぼさで起きだしてきて「飲み過ぎた…」とかいう。ん? なんなんだ、これ。2人で飲み明かしたということ? これは、もうひとつのラストなのか? それとも、時制を遡って、このシーンの翌日に日本に向かった、ということなのか? まったくもって、よく分からない。分からないまま、いったい何だろう、と考える余韻が、いいのかね。よく分からんよ。
あと、前提としての設定も、実は、映画ではほとんど説明されていない。モリは2年前まで韓国の語学学校に勤めていて、それでクォンと知り合ったようだけど。そのとき、2人の関係はどうだったのか。なぜモリだけ日本に帰り、でもまた会いに来たのか? モリは、いま何をして働いているのか? 映画では無職といっていたけど。クォンもそうだ。最初に行ったカウンターは、働いていた語学学校らしい、というのは、後半に同じシーンが登場して分かる。けど、その手紙は、モリからどうやって届けられたのだ? モリが語学学校にやってきて、置いていった? それと、クォンは病気で、療養してた?ようなこともあるけれど、はっきり具体的には描かれていない。
そういう曖昧なところが、もやもやするんだけど、そもそもアバウトな話だからいいか、な気分になってくる。
・それにしても、なんでモリはあんなオバサンみたいな女性と…?。
・ズームイン、ズームアウトの多用は素人っぽい
※あるサイトを見ていて気がついた。時制が入れ替わっているのは、モリが書いた手紙をクォンが落とし、バラバラになったまま読みつづけているのと、関係があるのかも、ま、関係があっても、意味はないと思うけど。
※で、あの手紙は、モリが韓国についてすぐ書いたんじゃないのか? 最初の一枚には、「飛行機がどうの」と書いてあったはず。それ以後の話は、韓国に着いてから書き進め、それをまとめて語学学校に預けたのか? もしそうだとしたら、カフェの女主人との一件も手紙に書いたのか? よく分からん。
※では、落としたまま拾われなかった1枚には、何が書かれていたんだろう?
KANO 〜1931 海の向こうの甲子園〜8/12キネカ大森1監督/マー・ジーシアン脚本/ウェイ・ダーション、チェン・チャウェイ
allcinemaのあらすじは「1931年、日本統治時代の台湾。それまで1勝もしたことのなかった弱小チーム嘉義農林学校野球部に、かつて名門校の監督をしていた近藤兵太郎が指導者として迎えられる。近藤の猛特訓と選手それぞれの個性を活かした指導が実を結び、ついには台湾代表として甲子園の切符を手にする。そして大方の予想を覆し、甲子園でも快進撃を続ける嘉義農林だったが」
これ、見たかった。3時間もあるけど、あっという間だった。まあ、いい話ではある。そこそこ感動もあるし。ただし、つくりが、かなり大雑把。監督は『セデック・バレ』の人で、あれもそういえば、大きな流れを重視して、細部にはそれほど気を使っていなかったような…。あと、3時間もあるのに、脇の人物、とくに、選手たちがあまり目立たない。ときどき特徴的な場面で見せ場はあるけど、個人があまり描けてないのだよな。もったいない。主要な数人だけにスポットを当てすぎたせいで、荒削りな感じになってしまっている。とはいえ、台湾でこういう映画がつくられるのは、興味深い。しかも、台湾では大ヒットしたという。日本統治下の話で、しかも日本人や日本の高校野球を賛美する内容が受ける、ということが、台湾ならではなんだろうけど、不思議な感じがする。同じ中国人でも、大陸ではこうはいかない。まして植民地下にあった韓国ではなおさら。こんな映画はつくられるはずもない。まあ、反日教育が徹底している国々だからな。という意味で、興味深い。
まず、前提としてインプットすべきなのは、統治下で、台湾や朝鮮、満州からも毎年一校代表が出ていた、ってことかな。でも、それがない。あと、選手たちの紹介が雑すぎ。ひとりひとり、どこの誰、って描いていけば印象深く、その活躍も心に残っただろうに。あと、誰が日本人で、だれが台湾人、そして、蕃人が誰かというのも、曖昧。とくに、日本名を名乗っている蕃人もいたりするから、わけ分からん。さらに、台湾人選手の話す日本語が下手すぎて、何いってるのかわからない、ってのもあって、すんなり話が入ってこないところがあるんだよ。あと、まだ生徒じゃないけど、使いっ走りをやってる少年がいて、結構目立つんだけど、その背景とかないからいまいち感情移入できないところもあったり。それと、小里ていったか、父親が病気で大阪に帰る・・・とかいってたのに、なんか、ずっといるのはなんでだ? とか思ってしまう。あれだけ別れのつらさを描いておきながら、そのフォローぐらいしろよ、と。鉄壁のトライアングルとかいっても、誰らなんだか、最後までよく分からず。てなところが、とてももったいない。まあ、監督の成長を期待しよう。
地元の嘉義中にも勝てなかったチームが、翌年の大会では、あれよあれよで代表に…はいい。で、その予選に出場していたはずの嘉義中は、何回戦で敗退したんだ? ということなども、少し触れればいいのに。そうすれば、嘉農をバカにしていたけど、後に友人になっていった嘉義中のキャプテンなんかも、生きてきたのに。ついでにいうと、その年で卒業してしまった2人だったか、の先輩の描写も生きてきたはずだ。もったいない。
もったいないというと、札幌商のピッチャーの描き方が、残念な感じ。いや、恥ずかしながら、冒頭・中盤・最後に登場する大尉が、件の錠者博美とは分からなくて。嘉農の呉明捷かと思っていて。台湾人なのに大尉まで出世したのか! 凄いな。とか思っていたのだよ。そしたらどうも違ったらしい。ははは。だいたい、顔が似通ってるから区別できんよ。さらに、冒頭の、「嘉義に着いたら起こしてくれ」も、「嘉義」がなんだか分からなかったしね。だってKANOは音で知ってるけど、「かぎ」は、音として何を意味するのか分からないし。はたまた、中盤で降りて練習場に行くのも、むかし懐かしい場所に行くのか、と思ってた。
そもそも、錠者博美が嘉農に執着をもつようになった経緯というか事件もたいして描かれていなくて。要は対戦して負けた、というだけで。個人的に呉明捷と深い友情で結ばれた、とかいうこともないし。錠者博美をもうひつの串として通すなら、それなりの工夫が必要だったろうと思う。ま、要するに下手、っていう話なんだが。
同じようなことは八田與一にもいえて。大沢たかおが演じてるから重要な役回りかと思ったら、どういう人物で、映画にどう関係してるのか、よく分からんでやんの。監督の近藤兵太郎と会話するとか、接点でもありゃいいのに、それもない。なんか中途半場。
さらには、監督の近藤も、いつもしかめっ面しているだけど、あまり指導者としての有能さを具体的に描いてないし、その妻や子供も単なる添えもので、なんの機能もしていない。
あとは…呉明捷と淡い恋心でつうじていた書店の娘の存在だけど。まあ、映画的演出だろう。当時の民族的習慣からか、さっさと親の決めた嫁ぎ先に嫁に行き、甲子園での活躍は出産中…という話に仕立て上げてる。まあ、このぐらいは許すか。
というような瑕疵がたくさんある映画なんだけど。なんとなく雰囲気と勢いで、その存在と経緯を見せてしまう、という力業が優っているので、なんか見てしまう。やっぱ、弱小チームがリーダーを得て強くなり、トントン拍子で難敵をなぎ倒し、日本・甲子園でも決勝まで行ってしまう、という成り上がりの成功譚・成長物語は、わくわくしてしまう。
ひとり、意地悪な記者がいて。チーム構成を露骨に聞く。朝鮮や満州、台湾の学校でも、現地出身者は少なく、大半は日本人だけだったんだろう。そういうなかで、日本人・台湾人・蕃人混成チームは珍しかった、ということなんだろう。では、それは人種的偏見があったから、かというと、そうでもないらしい。甲子園で勝ち進むにつれ、件の記者も考えを変え、「このチームは素晴らしい…」なんて感じでつぶやくのだから。偏見と言うより、蕃人風情に野球ができるわけない、という先入観があった、というべきだろうな。そのほか見ても、日本人が台湾人・蕃人に人種的偏見をもっているような描写がない、あるいは意図的にしていないのだが。別に日本公開が前提だったから、ということではないだろうと思う。差別的な日本時もいたけど、おおむねそうではなかったよ、というテイストで描きたかったんではないだろうか。
で、決勝戦は中京商業戦。映画は呉明捷の指の故障が敗因、というような描き方をしているけど、まあ映画としての都合だろうな。だいたい、あんな出血してユニフォームでぬぐい、ボールも血だらけ…で、ゲームを続行するのか? 当時はできたのか? それと、呉明捷が「投げさせてくれ」と主張し、それを許す近藤監督というのも、映画からすると関心できたもんじゃない。控えの投手がいるんだし、呉明捷の将来を考えたら交代が本筋。それをしないというのは、まあ、こういう話にしたかったからではないのかな。分からんけど。で、このときにもでてきて、パパイヤの木の喩えがよく分からない。これは、嘉農の教師が、パパイヤの実を大きく実らせるには、木の根元に楔を打ち込むこと、と言ったいうことから来ているんだけど。なんで指のケガが楔になるんだ? 分からない。
てなわけで、かなり面白い素材を、男の料理的にががっとやっつけで仕上げてしまった感じ。細部に心がこもったつくりにすれば、そうとう面白い映画になったろうに。ううむ。惜しい。もったいない。
ベルファスト718/14新宿武蔵野館3監督/ヤン・ドマンジュ脚本/グレゴリー・バーク
原題は“'71”。イギリス映画。allcinemaのあらすじは「1971年、紛争が激しさを増していた北アイルランドのベルファスト。そこではアイルランドの統一を目指すカトリック系住民と、英国との連合維持を望むプロテスタント系住民の間の緊張が頂点に達していた。英国軍の新兵ゲイリーは、治安維持を目的に、この混沌のベルファストへと送り込まれる。ところが、パトロールを開始した部隊が早々に暴動に巻き込まれ、混乱の中で武器を盗まれてしまう。慌てて後を追うも、その間に部隊は撤退してしまい、ゲイリーはたった一人で敵陣のまっただ中に取り残されてしまう。様々な勢力が入り乱れ、誰が敵か味方かも分からない状況の中、必死でこの危険地帯からの脱出を試みるゲイリーだったが」
久々に戦慄を感じながら映画を見る感覚を味わった。暴動、投石、銃の強奪、追跡、逆襲、射殺、逃げる追う逃げる追う…。このエスカレート具合を見て、アイルランド怖ぇぇ…、ってゾクっとした。これまでもIRAの活動を描いた『デビル』、ケン・ローチの『麦の穂をゆらす風』を見てるけど、今回のはその比ではなかった。もしそこに自分がいたら・・・という恐怖を感じてしまうぐらい。
英国軍がパトロールに向かうと、子供たちが石や糞尿を投げてくる。さらに、地域の女性たちはゴミの缶の蓋で一斉に歩道を叩き始める。男たちはどんどん向かってきて、面と向かって言い争う。投石があり、ヘルメットをかぶっていなかったせいで、ひとりが失神。落とした銃を、子供が持ち去る。それを兵士が2人追跡するが、逆に大人たちからボコボコにされる。中年婦人が「いい加減にやめな。あんたらの子供ぐらいのを相手にして。やめな」とかばい、おさまった…と思ったら、銃を持った男が接近してきて、兵士の顔を打ち抜く! おおおおお。どさくさに紛れて、逃げるもうひとりの兵士。追う、青年2人…。こっからの追跡の、手に汗握るハラハラ感のすさまじいこと。なにせ、兵士は土地勘も何もないのだから…。と考えるだけで、ドキドキしてきた。いやほんと。アイルランドは怖いところだ。1971年の話だといってもね。
で、この映画は、逃げた新兵ゲイリーを中心に、いくつかの組織や住人たちの思惑が交錯するという物語で。でも、貴本知識が少ないから設定もよく分からないし、展開も「?」のところが少なからず。しかも、長髪にヒゲの似たような男が2人登場するので、ちょっと混乱。まあ、次第に分かっては来るんだけど、その他の脇の重要な連中が、最初の方でどう登場していたか、なんてところもよく分からない。もし入替じゃなかったら、つづけてもう一回見てたと思うんだが、困ったことにいまはそういう訳にいかないからね。
アイルランドの一部、北アイルランドが英国領であるのは知っている。英国からの独立を目指すIRAという組織があるのも知っている。むかしはよく街中で爆弾がはじけていた。しかし、英国派の住人も、別に穏健派というわけではなく、独立派の住人に暴力を繰り返していて、内戦のような感じなのだな。で、独立派はカソリックで、英国派はプロテスタントが多いと言っていた。で、最初は、独立派の住人が多い地域に行って、暴動になってしまった…ということのようだ。
でも、撃ったのは、確かグレーのパーカーの男、だったよな。で、彼とショーンっていう少年が、ゲイリーを追跡したんだったよなあ。で、パーカー男だったか、別の男(クインという、若手の幹部)だったかが、組織の上司(銀髪のヒゲ?)だったかに、「やりすぎるな。組織が危うくなる」とかなんとか諫められて、不満たらたらな感じ? なので、パーカー男はIRAかな。ショーンはまだ子供で、親も「連中とはつきあうな」なんていってるし。正式メンバーではない? とか思って見ていたんだけど。よく分からない。
英国軍の中尉もアイルランドは不案内なのか、ヘルメット不要なんて言ったせいで話が大きくなってしまったようだ。いっぽうで現地の警察は、住民をボコボコにしながら話を聞いたりしていて。その様子を中尉が呆然と見ていたり。なんでこんな素人をアイルランドに派遣したんだ?
ゲイリーは、たまたま出くわした10歳ぐらいの少年に助けてもらうんだけど。これが、独立派と一戦やらかしてきた案配で。身内に英国派の偉いのがいるからって、そこらのオトナにもでかい態度でいたりするのが、なんだこいつ、なんだが。父親を独立派に殺されている、という恨みの連鎖もあるんだろうが、怖いことである。その少年がゲイリーを連れていった先は、パブの奥の部屋で。ここでは、英国派が爆弾をつくっていた最中。ここにいたのは、あれ? 長髪ヒゲがいたような…ありゃ誰だ? IRAの幹部? とか、この辺りから混乱。っていうのも、英国軍の中尉の上官に、長髪ヒゲがいたからで。暴動からこの辺りまでの人物を、できれば見直して確認しつつ、組織の関係性を理解したいのだよ。
で、そのパブがいきなり爆発しちゃうんだけど、あれは誤爆なんだよな。英国派の「扱いがなってない」というセリフとか、IRAの偉いのが「パブを爆破したりして!」とか怒ったら「いや、違う」みたいな件があったような…。この辺りも確認したい。で、ゲイリーを助けた少年はやられちゃうんだけど、はたして生きているのかどうか、分からず。のまま、逃げるが…。
意識不明で倒れているところを、父娘に助けられるんだが。助けた後で「兵隊よ」と娘が気付き、彼らは独立派なのが分かるんだが。まあ、この辺りの流れは、ちょっとムリがあるかな。そもそも、死体やけが人がごろごろしてる街で、いくら元衛生兵だからって、簡単に家まで連れてって命を救うか? まず身元を確かめるのが先ではないのかい?
で、この父親が連絡する先が、IRA幹部の金髪ヒゲで。この辺りから、誰がどっち側、というのが何とか分かるようになってきた。けど、さらなる混乱は、やってきた金髪ヒゲが連絡をとったのが英国軍の上官で、しかも、ゲイリーを無事に戻すから、代わりに最近めざわりになってきたクインを殺してくれ、とかいってるんだよ。なぬ? IRAの幹部と英国軍の上官がつながってるのか!! げげげ。
で、その金髪ヒゲを追っていた灰色パーカーとショーンらが元衛生兵の部屋に突入すると、すでにゲイリーは脱出したあと。で、灰色パーカーを刺殺したけれど、クインに捕まりどこかのアジトへ…。って、灰色パーカーが最初に兵士を撃ち殺した奴だとしたら、これで復讐したことになるのかね。まあいい。
さてさて、英国軍も元衛生兵のところに突入。警備のIRA男を一気に始末するんだけど、ゲイリーはいない。というところで、金髪ヒゲに電話するんだっけ? 一緒にいたんだっけ? 忘れたけど、彼が「クインの居所なら知ってる」とかいって。ここで言うんだっけ? クインを殺してくれ、は。忘れた。
で、クインがいたのは、ありゃ、爆発したパブの奥か? あそこは英国派のアジトではなかったか? 違う場所なのか? よく分からん。で、そこでクインはショーンに、ゲイリーを殺せ、と命じるんだけど、引き金が引けない。というところに、英国軍が突入してきて、ショーンが撃たれる。…の直後、入ってきたなんとか軍曹が、ゲイリーの首を絞めるのは、ありゃなんなんだ? でそのもつれ合ってるところを、まだ生きてたショーンが撃つんだが、これが軍曹に当たる。というところに別の英国軍が飛び込んできて、ゲイリーの「やめろ!」という制止を無視して、ショーンを射殺。という流れで、最後は助かるんだが。分かったような分からないような…。
誰かに報告しているような声で、軍曹がゲイリーを絞め殺そうとしていた説明をしているんだけど。これは、上官の長髪ヒゲが、そのまた上官に経過説明をしているみたい。そこにゲイリーもいて、中尉もいるんだけど、この件もよく分からなかったな。あの軍曹は、なんなんだ?
あとは、ゲイリーが本土にもどり、弟(だか甥っ子?)と再会するんだけど。ドアがすぐ開かない! と管理人に怒鳴り散らすのは、精神的不安定のせいか。
スリリングで面白かったし勉強にもなったけど、やっぱり人物相関図でもないと分かりづらい。公式HPにも、相関図がないんだよなあ。ほんと、困るね。
しかし、まったくの異民族というわけでもないだろうに。命をかけて英国からの独立を目指す、っていうのは何なんだろうな。そういえばスコットランドも英国からの独立分離で国民投票をしていた。やっぱり、英国は4つの国、4つの民族からなる国だからなのかね。でも、人を殺したり、自分たちや家族の命を差し出してまで、するか? これが発展途上国ならありそうな話だけど、ううむ…。理解できん。
アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン8/18109シネマズ木場シアター4監督/ジョス・ウェドン脚本/ジョス・ウェドン
allcinemaのあらすじは「アイアンマンこと“戦う実業家”トニー・スタークは、将来出現するかも知れない新たな脅威から地球を守るために、人工知能“ウルトロン”による平和維持システムを開発する。しかしウルトロンが平和を維持するために導き出した答えは、その障害となっている人類を排除するというものだった。仮の肉体を得て暴走を始めたウルトロンを阻止すべく再び集結したアベンジャーズ。そんな彼らの前に、人の心を自在に操るワンダと超高速で動く肉体を持つピエトロの超人姉弟が立ちはだかる」
いやー。話がなんだかちっとも分からなかった。なんでそうなるの? それは何? それは誰? 何がどうなってるのだ? な展開が多くて、ついていけないというより、ほったらかしにされてる気分。分からないままガチャガチャといろんな要素がごっちゃになって早いテンポで進んでいく。字幕も結構あるんだけど、理解できない単語や用語もどんどんでてきて。フツーの会話でも、どういう意味だ? というようなセリフが割りと多い。ますます分からない。なので、たまにあるアクションも、普段からそうなんだけど、余計にどうでもよくなる。とくに、前半だったかの、ハルクが妄想で暴れるところがムダに長いので眠くなった。いったい、内容をちゃんと理解できてる客って、ちゃんといるのだろうか? と、気になってしまう。
冒頭の戦い。あれは、アベンジャーズと誰の戦い? なんか、ロシアに近い国みたいなところでドンパチ? で、なんとかいうボスがつくっていたソフトのデータをトニー・スタークが転送していたんだよな。で、ボスは、殴られてグロッキー? 死んでなかったよな。
で、トニー・スタークは、自分でつくっていた何かのプログラムと、その手にいれたプログラムを合体? どっちもAIだったのか? それをハルクのブルース・バナーに見せてたんだっけ。ブルースは、みんなに内緒でそんなことしちゃいかんだろ、とか言ってたけど、いつのまにかプログラムが交流・合体して、カタチのあるロボットを生み出した? のが、ウルトロンなのか? どうやってロボットを組み立てたのか、よく分からんけど。
で、冒頭にいたのが改良人間の双子の男女? あれは、あそこにいたボスがつくった? 何をもとに、どうつくったんだか、よく分からん。それがアベンジャーズに敵対してきて、各メンバーに幻覚を見せたりして混乱されるんだけど。そのスキに命まで奪えばいいのに、そうはしない不思議。
あとはもう、ますますよく分からない。ウルトロンになってないプログラムも生きていたのか? なぜか韓国に運ばれて、ハードではない肉体をもつ存在に生まれたりして。なんなんだ?
でもって、最後は冒頭の隠れ家みたいなところに舞台がもどり。ウルトロンと、その手下みたいなロボットがうじゃうじゃ登場して。で、いったいあのロボットたちは、誰がどこで生産したんだ? あんなに。材料はどうした? あと、冒頭ででてきた杖。あれはどうなったのか? よく分からない。話題になるのは、ソーのトンカチばっかりで、なんかな。
で、冒頭のボスは、死んでいるのか生きているのか、よく分からん。いまじゃAIのウルトロンが人間を滅ぼそうとしているボスなのか? 超能力の双子と、韓国生まれのAI人間?は、なんでか知らんがアベンジャーズ側になっていて。ウルトロンは、街ごと宙に浮かせるんだけど。その浮いた部分を落下させると、地球が崩壊とか言ってるんだけど。そりゃ、どういう仕組みなんだ? というより、誰がそういう仕組みを考え、つくったんだ? 冒頭のボスのを引き継いだ? それともウルトロンが仕込んだのか? よく分からんが。
そこにサミュエル・L.ジャクソンのニック・フューリーが空飛ぶ空母でやってきて、人民を救出。で、浮いてる街を爆破して、めでたしめでたし。地球は無事だった、って。おいおい。なんで無事なの? よく分からん。
でもって、トニー・スタークは休暇に。ホークアイは妻と子供のもとへ。ブルースは…どうしたんだっけ。っていうより、ナターシャとラブラブな生活ではないのか? なぜか知らんが、キャプテン・アメリカとナターシャが教官となって、ドン・チードルのアイアンマンや超能力の双子、韓国生まれのAI人間なんかをアベンジャーズの正式メンバーとして鍛えまっせ! な感じで終わってる。
まあ、クレジットの後に、次回につながるあやしい奴が登場するのは定番だけど。ってなわけで、なにがなんだかさっぱり、な2時間余はなんとか寝なかったけど、退屈で退屈でつまらなくてたいへんだったよ。
しかし、神と超人と、人間が同じレベルで戦うという妙な感じは、相変わらずであった。
ホークアイの奥さんが、「ER」のサム役、リンダ・カーデリーニだった。結構老けた。もう40歳なのか。
※TBSラジオ「たまむすび」の町山智浩の説明聞いたら、なるほど、と少し理解が進んだ。なるほど。いろいろ知ってないと楽しめないところが多い映画なのだな。
ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション8/19MOVIX亀有シアター8監督/クリストファー・マッカリー脚本/クリストファー・マッカリー
原題は“Mission: Impossible - Rogue Nation”。Rogueは、悪党、ならず者。製作国はアメリカだけど、冒頭で中国資本が入ってることが分かる。allcinemaのあらすじは「イーサン・ハントと彼のチーム“IMF”は、各国の元エリート・スパイたちによって結成され、国際的な陰謀をめぐらす謎の組織“シンジケート”を追っていた。しかしその矢先、IMFはCIA長官によって解散を命じられ、メンバーはバラバラに。その後、単身でシンジケートの実体解明を進めていたイーサンは囚われの身となってしまう。その窮地を救ったのは、なんと敵側のスパイと思われた謎の美女イルサだった。やがて秘かにベンジーらチームのメンバーを再集結したイーサンは、敵か味方か分からないイルサをも、その能力を買ってチームに加えると、シンジケートを壊滅すべく史上最大の不可能ミッションに挑むのだったが」
流れるようなテンポ。軽快で淀みなく、美しいぐらい。画面とか展開とか、ごちゃごちゃしていないのが、いい。スタンダードにオーソドックスに、007シリーズのような重厚さを保ちながらの流麗さが、快感。さらに、際立つのがヒロインのイルサを演ずるレベッカ・ファーガソン。イングリッド・バーグマンのような気品を保ちながら、アクションも素晴らしい。肉体的な色気ではなく、知的で、でも、どこかもの悲しさをたたえた様子が、とても魅力的。他にも、IMFのメンバーがみなキャラが立っているし、CIAのアランのアレック・ボールドウィン、MI6のアトリーも味がある。決まってるんだよ、すべてが。さらに、アクションが際立って素晴らしい。どうも、かなりの部分がリアルらしい。冒頭の、飛行機にぶら下がるトム・クルーズも、カーチェイスやバイクのアクションも、本物がベースになっているという。もちろんスタントやCGもあるだろうけど、始めからCGだろ、合成だろ、てな感じではないリアルな重み、緊迫感が迫ってくる。バイクのチェイスでは、ほんとハラハラドキドキしたし。水中のシーンの緊迫感もなかなか。なので、フツーに見ている分には極上のシーンの連続だった。
しかし、この手の映画にありがちなご都合主義は満載である。でも、それはいいのだ。そういうものだから。でも、根幹となる物語はどうかというと、これがいろいろ腑に落ちないところがあるのだよ。冒頭のエピソードで反政府組織ともいえないテロリスト集団(?)から弾薬(だっけ?)を奪ったイーサン。次のシーンではロンドンのレコード店でコルトレーンの名盤を手渡され、それをターンテーブルに乗せると次の指令が…かと思いきや、「ああいうテロリスト集団を始末するのが使命ではない。なぜなら、われわれがそのテロ組織を指揮しているシンジケートだから。これを聞いた時点から、君らは我々に狙われることになる」とかいうようなことを言われて。と見ると、レコード店の美女店員が男に撃たれ、イーサンも眠らされていずこかに捕らえられている…。って、以後の展開を考えるに。そもそもシンジケート(そのボスはレーン)は、なぜイーサンを呼び出す必要があったんだ? シンジケートの活動をジャマするから? なら、さっさと殺せばいい。なのに捉え、拷問して何を聞き出そうというのか? ということがまずある。さらに、その後も、シンジケートのメンバーが執拗にイーサンを追うんだけど、それほどジャマなのか? いまいちよく分からない。
あとから分かるんだけど、そもそもシンジケートはイギリスの諜報機関MI6の長官アトリーが企画して、でも首相に却下されたけど勝手に組織して、でもそのメンバーが勝手に行動し始めて、アトリーを裏切った、という話だったよな。世界中の引退した諜報部員を 集めた組織が、なにを目的に動いたんだ? なんか、分かったような分からないような…。そりゃまあ、みんなが狙ったデータには巨額の金額の口座(なのか?)が記録されていたんだから、金なのかも知れないけど。他にはなにか、志はなかったのか? 世界征服とか? ほら、やってることは各国首脳の暗殺とか航空機の墜落とか爆破とか、テロ組織レベルなんだろ? それをして、政治・経済を混乱させ、そして、何が望みなんだ? よく分からん。もう一度見られたら、確かめたいものだ。
あと、潜入捜査しながらイーサンをロンドンで、モロッコで、と2度も逃がしているにも変わらず、レーンがイルサを始末しない不思議。レーンはイルサに何を期待していたのか、よく分からない。そのイルサをシンジケートに潜入させたのはMI6長官のアトリーな訳だけど、これまた目的がよく分からない。モロッコで、苦労してデータを手に入れたっていうのに、それを渡そうとしたら「もう一度シンジケートに戻れ。そして、データをレーンに渡せ」と命ずる。なんでなの? しかも、イルマには内緒で、そのデータの中味をイレーサーで消去していたんだから、余計に分からない。からっぽのUSBをレーンに渡させて、それでイルサを始末しようとした? もしそうなら、なんでそんな手間のかかることを? 意味が分からない。イルサも、「お前はすでに存在しないも同然」とかアトリーに言われ、従ってしまうのが…「?」だな。
あと、モロッコの件がよく分からなかった。あれは、イルサが口紅で情報をイーサンに与え、呼んだんだろう。けど、のこのこフツーに歩いてるのが、おいおい、だろ。たとえばIMFの黒人のルーサーは、顔認識で簡単にイルサの居所を発見できちゃうぐらいなんだぜ。だったらシンジケートもMI6もCIAも、イーサンとベンジーの2人連れなんか簡単に発見しちゃうだろ。しかも、イルサは家のプールで潜りの練習? で、モロッコの某所にシンジケートに関する重要なデータが保管されていて、それがカギらしんんだけど。なんでもシンジケートメンバーのリストとか言ってたような…。でも、最後に分かるんだけど、データは大金のリストで、あれは銀行口座だったのか? 誰が保管したんだ? よく分からない。
いや、モロッコの時点で、そのデータはレーンが保管したものだと思っていたんだけど、それでいいのか? それにしても、セキュリティの厳しいところに保管してあって。カギだとか光彩だとか、ベンジーはそれらをどこで手に入れたんだ? はいい。その前に、なんか知らんが、水の中にあるデータカードを差し替えなくちゃならないとか言ってるんだけど、あれはなぜ差し替える必要があったんだ? データを取りに行く最後の関門で、歩く姿勢まで検知するとかいうのをクリアするため? それがなんであんな水中にあるんだ?
とにかく、乗り込んだのはイーサンととイルサなんだけど、たしかハンググライダーで…って、そこまでどこの飛行機に乗せてもらったんだ? まあいい。イーサンはカードを差し替えるためにタンクの中に身を投じ、差し替えは失敗したけど、そこをイルサが助け出すんだけど。なかなかここはハラハラドキドキのシーン。で、データを盗み出す役はベンジー。でも、なんであんなところに保管場所があるんだ? 貸金庫でもあるのか?
さてデータが手に入った。というところで、ベンジーがイルサにAEDでドカンとやられ、彼女はデータをもってバイクでトンズラ。それを追うイーサンとベンジーはクルマ…。このチェイスもなかなかドキドキ。途中でウィリアムとルーサーも合流するんだけど… 逃げられる。逃げたイルサは、↑で書いたようにMI6のアトリーに会い、データを渡そうとしたけどアトリーは受け取らない。しかも、イルサに内緒で消去してしまった…。
さてさて。なんでもデータはレッドボックスとかなんとかで。解錠するにはイギリス首相の光彩と指紋と声紋が必要だという。なんでそうなってるのかよく分からんが。というわけで、イギリス首相を誘拐する必要が生じて。なにかのオークション会場で、アトリー、ベンジー、あとウィリアムだっけ? それとCIAのアランが会して。でもイーサンがいないのは変だろ。きっとアトリーは実はイーサン、と思っていたらその通りで。ここで、シンジケート誕生のいきさつを首相から聞き出すことになるんだが。遅れてきたアトリーは、あれはどうして都合よく遅れてくることになったのか。なんかご都合主義やね。はいいけど、これでやっとCIAのアランも、シンジケートの存在を信用するんだけど、でも、アランはアトリーを始末しちゃったのか? なんか、そのようなことを言ってたような気がするんだが。で、首相に麻酔を効かせてデータを読み取ったら、お金のリスト…。なんなんだ? 重要な情報というのは、こういうことだったのか? でも、誰がそのデータを? MI6のアトリーが、なのか? そのデータをレーンに奪われ、でもレーンは読めなくて難儀していた? とかいうことか?
てなわけで、レーンにデータを渡したイルサもびっくり! の後は、IMFのメンバーがイルサに接近してたら、ベンジーがさらわれて。しっかりコピーしていたデータを、「渡せ」と迫られる。で、イーサンが出向いたら、爆弾を巻き付けたベンジーとイルサが街中のテーブルに座っていて…のあとは、なんと、イーサンが「データは消去した。でも、中味は僕が記憶している」とレーンと交渉し、爆弾のカウントダウンは10数秒でストップ。
のあと、イルサはシンジケートの難敵男を仕留めて。さらに、イーサンが囮となってレーンをおびき寄せ、ベンジーとルーサーが仕込んだ落とし穴のに誘い込み、ガラスの箱の中に閉じ込めてしまう。なんだけど、通路の穴かと思っていたら、なんか不自然な感じもしたんだが。まあいいか。で、あのあと、レーンはどこに連れていかれたのか、よく分からない。イルサはひとり去って行くんだけれど、彼女もMI6に戻れたのかどうかわからない。
IMFは、CIAのアランが復活を支援して、本人がIMFの長官になる。って、いままでの長官は誰だったんだ? よく分からない。テな感じかな。うろ覚えだけど。
・最初、IMFってでてくるの、しばらく国際通貨基金かと思ってた。あれは、短縮語じゃまずいんじゃないのかな。
・ベンジーはオペラのチケットに当たった! とウィーンまで出かけていくんだけど。アメリカからオペラを見に、そこまでするか? というのを見込んでイーサンがチケットを送ったらしいが、おいおい、だよな。
・オペラ劇場での首相暗殺シーンと、そこに至るまでの舞台の遙か上での格闘は、昔からよくある設定だなあ。しかし、2人が狙っていて、そのどっちを撃つか、で迷ったイーサンがとった手段は、あえて首相を狙い、軽症を追わせるというもの。なるほど。さすが。
てなツッコミどころ満載の映画なんだけど、楽しく見られたのは間違いないところで。これが映画の不思議なところでもあるのだよな。
6才のボクが、大人になるまで。8/24ギンレイホール監督/リチャード・リンクレイター脚本/リチャード・リンクレイター
原題は“Boyhood”。少年時代、だな。allcinemaのあらすじは「テキサスの田舎町に住む6歳の少年メイソンは、母のオリヴィアと姉サマンサとの3人暮らし。父親のメイソン・シニアは離婚してアラスカに放浪の旅に出てしまった。シングルマザーとなったオリヴィアは、キャリアアップを目指して大学への入学を決意し、メイソンとサマンサを連れてヒューストンに移り住む。そこで多感な思春期を送り始めたメイソンは、やがて母の再婚や風来坊の父との交流、そして初恋と、様々な経験を重ねていくが」
賞もたくさん獲ってる話題の映画。ただし、ドラマはあまりないと聞いていたけど、そのとおりだった。その年代にありがちな出来事を淡々と描くだけで、ドラマがひとつもない。薄っぺら。人物は登場しては消えていき、ほとんどフォローがない。オリヴィアがかつて「頭がいいから大学に行きなさい」とアドバイスしたヒスパニック(?)の配管工が後にレストランの店長として登場し、「いまの自分はあなたのおかげ」と感謝されるエピソードぐらいか。
というわけで、メイソンとサマンサ、それと母親のオリヴィアの顔や体つきが、成長や経年変化で変わっていく、のだけが見どころかも。いちばんびっくりしたのはオリヴィアがビルと再婚後、ぶくぶくと太っていたこと。あれは演出でそうしてるのか。それとも実際なのか知らんが、うげ、と思ったぞ。子供の方は、愛らしかったメイソンはどんどん人相が悪くなり、性格も陰気に。サマンサの方は、どんどんマヌケ面になっていく。キャスティングは難しい。子役の将来は、ハリポタもそうだけど、予想するのは困難だね。
あと、思ったのは、アメリカでは高校卒業と同時に、子供との別離があるのだな、ということ。大学生になったらもう大人。親は干渉しない。自立する。だから、高校卒業がいちばんのイベントになるなだね。日本じゃ、大学だして終わり、だけど。でも、近ごろは大学出ても寄生してるのが多いけど。
あと、見ていて少し退屈=不満なのは事件=困難=克服というドラマがないことかな。両親の離婚や再婚、いじめっ子の登場、義父のビルのアル中、深夜の遊び、恋人との別れ…とかは配されてるけど、転・結がないから、あれはどうなったの?的な不満がわいてくる。事件や、ひどい悪人が、行く手を阻むわけではない。わりとスムーズに、そこそこ幸せな人生を歩んできている感じなんだよな。まあ、長い時間をかけて撮影したらしいから、そういう細工はできなかったのかも知れないけど。やっぱ、物足りない。
そうはいいながら、少年が成長していく姿が、リアルに定着されているのは、面白い。高校卒業あたりは、少し感動もした。けど、何かを克服した感動ではなく、他人のアルバムを覗いて、よかったね、というような類のものなんだよな。
・23才でオリヴィアは子供を産んだ? メイソンを、だっけ? 学生結婚なのか。で、オリヴィアは中退?
・メイソン・シニアとオリヴィアが別れた原因が、分からない。
・で、オリヴィアは、大学に再入学するためヒューストンに行った、と。バカ亭主と2人の子供のせいで、学業を捨てなければならなくなったことのリカバリーか。でも学費はどうしたんだ? 両親に頼ったのか?
・で、大学の教師ビルと再婚。そのビルは、なぜかアル中になっていく…。ビルの家を飛び出して、メイソンとサマンサは別の学校に入れられたのか? なんで同じ学校じゃないんだろ。なんか唐突。それと、あの、残されたビルの子供2人はどうなったのか。それが心配。
・ところでオリヴィアが大学に戻った、というのは、まずは学部? それから修士? ビルと結婚したときはオリヴィアは修士だったのか? なんか、終わるまで5年ぐらいかかっていて、それからしばらくしたら、もう教えてるのかよ! 経緯がよく分からない。
・トイレでつっかかってきた2人の少年がいたけど。いじめられっ子だったのか、メイソンは。まあ、スポーツは嫌いで写真に入れ込んでるような軟弱野郎みたいだからな。モテないんだろ、あっちじゃ。しかし、いじめっ子とのバトルがあるのかと思いきや、その後がは、描かれない。つまらない。
・サマンサはテキサス大に入ったみたいだったけど。メイソンについてははっきり言ってなかったんだよな。学舎は一瞬映ったけど、どこかは分からない。やはりテキサス大? 州内の大学といっていたけど。しかし、たいして勉強もしないで、なんでそこそこの大学に入れてしまうんだよ。なんか、楽天的というかご都合主義というか、のほほん…で成長していくみたいで、なんかな。試練を与えろよ、とか思ってしまった。
・オリヴィアは、学生たちを自宅に招く。なかに軍隊で海外経験のある男ジムがいて、気が合ったのか一緒に住み始めるが、ありゃあ同棲だったのか? 結婚したのか? でも、メイソンの卒業パーティのときにはいなかった。引っ越しの話でオリヴィアが子供たちに「家を売る、モノを捨てろ」と言ったときの家は、ジムの家ではないのだな。知らない間に別れて、家を買っていて、それを売ってアパートに越すということか。
・高校時代の彼女と別れるシーンの、経緯がよく分からなかった。プロムの相手がどうとか、何だ? と思っていたら、彼女に大学生の彼氏ができて、気が移った、ということらしいが。ラクロスの選手で、でも彼女はスポーツマンが好きではないといっていた、とかなんとか。どうでもいいことを言ってたな。ところで、あの彼女は、同級生なのか? よく分からん。
・この映画、父親がみなバカに描かれてる。たとえば大学教師のビルはアル中の権威主義者で、ルールだとか何だとか細かなことをうじうじいう。次の帰還兵ジムも、帰りの時間がどうとか指にマニキュアを見て「俺の頃は」と威圧的なことをいう。なんかでてくる父親がステレオタイプで、男が悪い、みたいに言いたいのか。では、最初の父親メイソン・シニアはどうなんだ? なぜ離婚に至ったか描いてないので分からないけど、これはもう男を見る目のないオリヴィアが原因、としかいいようのないのではないの? でも、メイソン・シニアとは子供を2人つくっているんだから、4、5年は上手くいっていた、ってことか。
博士と彼女のセオリー8/27ギンレイホール監督/ジェームズ・マーシュ脚本/アンソニー・マクカーテン
イギリス映画、なんだ…。原題は“The Theory of Everything”。allcinemaのあらすじは「1963年、イギリス。名門ケンブリッジ大学大学院で理論物理学を研究する天才学生スティーヴン・ホーキング。彼は、パーティで出逢った女性ジェーンと恋に落ちる。ところが、その頃からスティーヴンの体調に異変が起き始める。やがてALSと診断され、余命2年と宣告されてしまう。将来を悲観し、ジェーンとの未来も諦めるスティーヴンだったが、ジェーンはひるむことなく、周囲の反対を押し切ってスティーヴンと結婚する道を選ぶ。結婚2年目には長男のロバートも誕生し、当初の余命を越えて生き続けるスティーヴンは、ジェーンの励ましに支えられ、研究者としても着実に実績を上げていくが」
ホーキング博士(1942-)の私生活についてはまったく知らなかった。なので、へえー! の連続で。ああ、こういう青春が…。博士の病気を知りながら結婚(1965年)した女性がいて、しかも子供もいたのか! いや。奥さんのジェーン(1944-)は偉い! これは感動ものだな。…と思っていたんだけど、後半からなんか雲行きが怪しくなってくる。ジョナサンという牧師が登場し、博士と家族の面倒を見るようになるんだけど、明らかにジェーンとの関係を示唆する表現が…。それまでの感動が、一気に醒めてしまった。さらに、新たに雇った女性介護士のエレインが、年輩だけどチャーミングな美人で。これは…と思っていたら博士とジェーンは離婚して。ジェーンとジョナサンがくっつき、博士の世話はエレインがするようになる…というエンディング。この後半の展開は思いがけなくて、あらららら…な感じだった。まあ史実に基づいてるのだろうから、仕方がないが。こんなことになっていたのか、と驚いたのは事実。
伏線は、あった。世話で忙しくて自分の勉強ができないイライラのジェーン。母親に言われて聖歌隊に。もう、このときからジョナサンが異様な感じだった。そして、ジェーンの3人目の妊娠…。疑いの目で見る周囲…。いったん、ジョナサンとの距離は置くが、博士の方からジョナサンが必要だ、との提案があって。ジェーンと子供たちは、ジョナサンに連れられてキャンプへ。そのとき博士はワーグナーのコンサート会場で吐血…。慌ててもどるジェーンとジョナサン。博士は手術で声を失う…。快復後、エレインがやってきて…。そして、別離のシーンになるわけだけど、この流れは、いろいろ意味深。
とはいっても、別れが決定的になるシーンは、分かりづらかった。ホーキングが「アメリカへはエレインと行く」といったことでジェーンがカチンとくる、というような感じで。これまでジェーンが同伴していたのを、エレインにした、でもアメリカからの受賞の招待のことをジェーンに黙っていた…ということのようだ。で、諍いがあるかと思いきや、ジェーンも「私も全力を尽くしたのよ」的なことを言っているんだが。まあ、想像しろ、ということか。
まあ、余命2年と言われた博士と結婚したけど、なかなか死なない。どころか、筋肉は衰えても勃起は関係ないらしく、子供は3人もつくった。自分でも語学の研究をしたかったけど、それもムリ…。そこに、面倒見のいいハンサムな青年が…。Yahoo!知恵袋に「ALSが発症すれば、10年以内にほぼ死ぬ。10年で遺産総取り、ケンブリッジ大学の遺族年金が死ぬまで毎月入る、という安泰な生活に入れると期待してたのに、ホーキングが全然死ななかったからガッカリして離婚しました」というアンサーがあったけど、そういうのもあるかもね。
博士の方も、妻の多少の浮気は黙認…ということもあったかも。これまで面倒見てくれてありがとう。世話をしてくれる人が他に見つかったし、もう君を解放するよ、と。それで26年にわたる結婚生活に終止符(離婚は1991年)を打った、というようなことで理解しなさい、と映画は言っているのかも。
・時間の経過がよくわからない。ときどきでよいから、年号をだせばいいのに。結婚何年目、何歳か、といったことも知りたいではないか。
・最初に自転車競争していた友人が、あまり登場しないのは惜しい。2人の友情を軸にしてジェーンが絡むとか、すればよかったのに。
・その友人だったか。大学院での最初の課題に、ほとんど勉強せず応えて9割できている! ことに驚くなんて。それまでホーキングの頭の良さを知らなかったのか? それとも、あれは大学生になりたての頃の話なのか? Wikipediaでみたら、学部はオックスフォードで、院がケンブリッジ。ボート部はオックスフォード時代らしい。院に入る経緯をジェーンに話すシーンがあったけど、あれ、よく分からなかった。
・ジェーンが博士と結婚するについて、彼女の両親も登場せず、どういう反応だっのかがないのは、物足りない。かろうじてジェーンが実家に帰ったとき、母親が登場する程度というのは、どうなんだ。
・キャンプで、子供が寝た後、ジェーンがジョナサンのテントに行く場面があったけど、あれは、そういうことなんだろう。エンドクレジットを見たら、原作はジェーンの回想本らしいし、そのあたりのことも書いているのかもしれない。
・ところで、ワーグナーのコンサートは、ありゃ場所はどこなんだ? 帰りは飛行機? そこまでジェーンをジョナサンが送って来たのか? なんか、位置関係もちょっと分かりにくかった。
※24日の『6才のボクが、大人になるまで。』は5時15分〜8時で。その後、8時15分〜10時24分まで、引きつづいて『博士と彼女のセオリー』が上映されてたんだけど。2本は重いので、24日はパスしたのだ。それで、これだけ見にやってきた、という次第。
ナイトクローラー8/28ヒューマンとラストシネマ渋谷シフター1監督/ダン・ギルロイ脚本/ダン・ギルロイ
原題も“Nightcrawler”。allcinemaのあらすじは「ロサンゼルスに暮らす孤独な中年男ルイス・ブルーム。野心はあるものの定職にも就かず、コソ泥をしてはその日暮らしのしがない日々。そんなある日、偶然遭遇した事故現場で、ビデオカメラ片手に夢中で撮影する男たちを目撃する。彼らはニュース映像専門のパパラッチ、通称“ナイトクローラー”。事件、事故の現場にいち早く駆けつけ、誰よりもショッキングな映像をカメラに収め、それをテレビ局に高く売りつけるのを生業とする連中だ。そんなことが商売になると知り、さっそくビデオカメラと無線傍受器を手に入れると、見よう見まねでナイトクローラーとしての活動を開始するルイスだったが」
話題作で、結構入ってた。予告は、ちょっとだけ見てる。なんか、ヤラセっぽいことをするようになる話だよな、ぐらい。で、コソ泥から映像パパラッチの真似を始め、被害者の血まみれの映像をテレビ局にもっていったら高く売れたので味をしめ、そっちに入れ込んでいく…という話だった。まあ、当然、映像がエスカレートしていくのは目に見えているし、カメラアングルを考え、事故現場の被害者の位置を変えたりするような、ねつ造程度はこちらの想定内。そのうち、事件を仕掛ける、事件をつくってしまう、そして、自分が事件に係わってしまう…というような展開になるんじゃないか、と思っていたら、そうなっていって。でも、最終的に行ったのは事件の演出で、参加までにはならなかった。というわけで、こっちが予想している枠内から逸脱するようなことはなくて、つまりは意外性に欠ける展開だった。
最初、思い浮かんだのは、ドローン少年で。他の事件でも被害者少年の葬儀の模様をWeb中継したり、国会近くでドローンを飛ばして捕まったりしていた。あの手の、肥大化した野次馬、が連想された。でも、そんなんじゃ映画にはならないわけで。金儲けのために、どんどんやることがエスカレートしていく男の話であった。
映画は、こうなるだろうな、という枠の中で終わってしまっては面白くないわけで。話に意外性がなく、先が読めてしまうようでは物足りない。やはり、ええっ! そう来るのかよ、的な思いがけない展開がなければ、つまらない。
ルイスを演じるのはジェイク・ギレンホール。表情に欠け、どす黒く、眼の周りに隈ができているようなメイクは、あまりにも絵に描いたような感じ。で、ビデオをもって行く先が地元テレビ局のニーナのところなんだけど。なんとルイスは、特ダネビデオの交換条件として食事と、そして、後にはカラダを要求するのだニーナのレネ・ルッソは御年61歳、撮影時は59歳ぐらいかもしれない。対するギレンホールは1980年生まれの35歳、撮影時は33歳ぐらい? 映画でも言ってたけど、倍も離れてる。いくらニーナが色っぽい女性だとしても、そりゃ変だろ。変なら変なりに理由をつけないと、話にならない。たとえばルイスはマザコンの偏執狂で…というような生い立ちの背景を匂わすとか、友人も恋人もいない理由は、過去のなになにに帰するとか、直接描かないまでも感じさせないとまずいだろ。まずいついでにいうと、ルイスとニーナの濡れ場がないというのも、おいおい、な感じ。
ニーナも、かつてはキャスターで鳴らした…のかな? いまは2年契約のプロデューサー?で、ここのところは契約が切れると別の局にいってる案配で、つづかない。というか、後がない状況。だからこそ、視聴率のためにも過激がビデオが欲しい。この異常な2人がエスカレートしていくということなんだけど、ニーナはつねに放送局の中にいるばかり。その私生活がまったく描かれない。私生活が描かれないのはルイスも同じで、このあたりの人間の描き方の底の浅さが、映画自体をB級にしているように思う。
結局、この映画が問題作扱いされるのは、過激な映像を求める視聴者、それに応えるテレビ局、激化するフリーの映像パパラッチ…そして、ねつ造…というタイムリーな話題だけではないのかな、と思う。それにリアリティを与え、人間を掘り下げる、までは行ってない。テーマが旬でも、映画としてはB級の佳作な感じしかしないのだよな。
・同業者が事故って、その様子を冷酷に撮るルイスは、まだ自分の役割に正直といえる。事故現場の被害者の位置を変えてしまうのは、やりすぎ。っていうか、警察は映像パパラッチに寛容なんだな。って、映画の中だけ? ラストの、押し込み強盗を警察に逮捕させる、という件は、やり過ぎだけど、まあ、あり得るなという感じかな。映画では食堂という、他の客もいる場所を選んだのは、どうかと思う。むしろ、そういう場所をなぜ選んだ? 客が巻き込まれる惨事も想定したのか? 通報を受け、のこのこ出かける警察も警察だろ。押し込み強盗の人相なんて分かってないのに、通報電話を信じるのか? アホか、と思った。
・、押し込み強盗が事故って。その様子を、アシスタントのリックに「写せ」というルイス。実は強盗はまだ生きていて、リックは撃たれるんだけど。なぜこんなことをしたかというと、直前にリックがギャラの交渉をしたりしたからなんだよな。そういうことをする社員は要らない、と間接的に殺してしまうこの冷酷さは、どこから来たのか。その辺りを感じさせる何か、も足りない。
・ところで、米国のテレビ業界って、このまま、なのか? フリーの映像パパラッチがヤバイ映像で日銭を稼ぎ、テレビ局はそれを放送しているの? それとも、映画は実際よりも大げさにつくってあるのか? その辺りがよく分からない。
・郊外の富裕白人が貧困層に襲われてキャー! な映像が欲しい、と公言するニーナ。実際に発生したのは、ヒスパニック2人組が起こした押し込み強盗。なんか、そういう設定でもいいのか。さしずめ日本なら…な話だけど、それって人種差別とか偏見に満ちた設定だ、とクレームはつかないのかね。
・郊外の押し込み強盗。犯人を撮影しているのに、警察に見せない。ではどうするのか? と見ていたら、自分で犯人を捜し、警察に逮捕される場面を仕立て開ける展開になった。ああ、そうきたか、な感じ。なのだけれど、昨日か一昨日、強盗して3人殺してる2人が、そのときにつかったクルマでのこのこ街のファーストフードにでかけて飯を食ってるか? なんか、話がお粗末。
・ラストは、結局、押し込み強盗の撮影では警察からはお咎めなしで。稼ぎがアップしたルイスは、機材の完備したクルマを3台新たに購入し、社員も3人雇用。大々的に映像パパラッチ会社をスタートさせる、という脳天気な終わり方。なんか、これからは、ねつ造はやめて、本格的にビジネスに参入、みたいな感じで。ブラックの度合いが薄れた感じ。世のブラック企業も、こんな感じでのし上がっていくのかな、と思わせたりするなんか、ダークなおとぎ話みたいだな。
・しかし、ルイスはなんでニーナのいるテレビ局にしかビデオを売らないのか? 他にも掛け合えばもっと売上がアップするだろうに。個人的に、ニーナが好きになっちゃった? フケ専か? なら、そういう性癖まで見せてくれないとなあ。
・なんか、ダイアログが多い映画だ。ルイスと、最初に雇ったリックとの会話、ルイスとニーナとのあれやこれや。なんか、くどすぎてちょっと辟易。語るのではなく、見せる演出にして欲しいと切に願う。
・パンフレットは売り切れで、結構、入ってたな。隣のヤツがスマホいじったり(もちろん、やめろ!と言ってやった)、後ろのヤツが足を組み替える(たぶん)たびに、こちらの背中にゴトゴト当たったり。集中を欠く2時間だった。くそ。 ●その後の感想の追加。
この映画は、費用対効果、つまりはビジネスの話なのだな。アシスタントを殺したのは、狂気からではなく合理性。ギャラの交渉が不成立になったことから、前言を翻すような相手ではパートナーとしてやっていけない、と判断したから処分しただけだ。これって、そのまんま大企業でやってることのアナロジーだ。それを、映像パパラッチという話でやっているのどな。
Webを見たら「ビジネス書をバイブルとする」「ネットで調べたビジネスノウハウを」とかあって、でも実は、隣とか後ろの客で気が散って、そういう描写に気づいてなかったところがあった。いかんなあ。これだから混んでる映画館はやなのだ。あと、夏休み、春休みの、ごちゃごちゃした映画館も。
ラストで新人を雇い、企業拡張に踏み出した場面がでてくるのも、これなら理解できる。ルイスにとっては、起業したのがたまたま映像パパラッチだっただけで、他の何でもよかったのだ。これは儲かる、って閃いたから、参入した。そこで、どうやったら企業の独自性を発揮できるか、優位性が出せるか、に知恵を絞った、という話が展開されているわけだ。映像の捏造も、事件の仕掛けも、その為の手段。
別にルイスは狂気に取り憑かれたわけではない。ビジネスのためなら、なんでもできる。部下を切り捨てることも、第三者を犠牲にのし上がることも。たんにルイスは冷酷なだけなのだ。そう考えれば、辻褄が合ってくる。
ジュラシック・ワールド8/31MOVIX亀有シアター8監督/コリン・トレヴォロウ脚本/リック・ジャッファ、アマンダ・シルヴァー、デレク・コノリー、コリン・トレヴォロウ
原題も“Jurassic World”。allcinemaのあらすじは「コスタリカ沖のイスラ・ヌブラル島では、かつて多くの犠牲者を出した“ジュラシック・パーク”に変わる新たな恐竜テーマ・パーク“ジュラシック・ワールド”がオープンし、連日多くの観光客でにぎわっていた。この日は、パークの監督官クレアの甥で16歳のザックと11歳のグレイの兄弟が来園していた。しかし多忙なクレアは兄弟に割ける時間などなく、彼らの相手を部下に任せることに。折しもパークでは、Tレックスよりも巨大で凶暴な新種の恐竜“インドミナス・レックス”を遺伝子組み換え操作で創り出し、新たな目玉アトラクションとして準備中だった。獰猛なヴェロキラトプルさえ手なずけてしまう動物行動学の専門家オーウェンは、そんなパークの経営方針に警鐘を鳴らすのだったが」
四番煎じになるらしい。第1作はなんとなく覚えてるけど、あとはあまり記憶にない。まあ、二番煎じ、三番煎じになっていった、ってことなんじゃなかろうか。で、本作も、どこがどう特長があるのかよく分からないつくりで。はっきりいうと話がありきたりでつまらない。ワールドに行く様子、恐竜の登場、草原を走る恐竜、恐竜同士の戦い…。みなデジャヴュで、おおおおっ! っていう目新しさ、インパクトがない。なんか、同じようなのを再生産してる、って印象しかなかった。ちと退屈。
話としては、2人の少年がワールドに行く。ワールドには叔母が働いている。開発していたヤバイ新作恐竜が脱走し、ワールドが大パニック。定番通り、少年たちは進入禁止エリアへ入っていき、新作恐竜に遭遇。助けに走るマッチョ男と高慢巨乳女のカップル。手を尽くすが新作恐竜は死なず。インド人の社長がヘリで向かって行ったけど、やられてしまう。この難敵を打ち負かしたのは、マッチョ男が手なずけたヴェロキラプトルとTレックス、あと海竜という…。はははは。なんだこれは。
で、実は…な話がひとつあって。恐竜を開発した中国人科学者と、警備のボスがグルで、軍用恐竜を企んでいた…というものだけど。それ以上の話はないのだよ。科学者が、その胚だかなにかをもってヘリで先に逃げたと思ったけど、彼はどうなったんだっけ? 警備のボスはヴェロキラプトルに食われてたけど。
という単純すぎる定番の物語で、奥行きはさっぱり。脚本家が4人も名前を連ねていて、これかよ。な感じ。
しかし、相変わらずテーマパークで恐竜が逃げ出したら…という同じ設定では、つまらんよな。もうちょっと違う展開にならないのかね。もう飽きた。
・なんかあれだね。新種恐竜は、ゴジラを連想させる。あと、翼竜の攻撃はヒチコックの『鳥』。
・最初の設定が、よく分からない。1作目のつづき? 3作目のつづき? 3作目なんて覚えてないよ。見てないかも知れん。で、あの警備のボスは、サイモンの部下なのか? 違うような…。インジェン社? Wikipediaのストーリーを見たら「「ジュラシック・パーク」の惨劇から22年後、インジェン社はマスラニ・グローバル社(マスラニ社)に買収され、島はサイモン・マスラニ社長の所有に渡る」と書いてあった。じゃ、違う会社なのか。なのに、なんで一緒にいるんだ? それとも、傘下になっているということなのか? そのあたり、説明が足りんと思う。
・最初の、ヴェロキラプトルの檻の中に新人が落ちるシーン。あれって、安全対策がなってないだけだろ。架橋から身を乗り出したら、落下するに決まってる。網をつけるとかするのが常識。新種恐竜が簡単に檻から出るのも、ご都合主義。翼竜も簡単に逃げ出すし。壁ぐらい二重三重にしとけ。
・いや、それにしても、登場人物がどんどん死んでいく。ワールドの従業員は、面白いようにパクパク食われていく。ワールドの所有者サイモン(インド人)も、新種恐竜をやっつけようとヘリで向かったけど、翼竜のおかげで墜落死。クレアの秘書で、ザックとグレイのお守りをしていたザラも、噛みつかれ飛ばされ、最後は、あれは海竜に食われたのか? ひどい殺されようだ。警備のボスのヴィックが食われるのは、悪事を働いていたからしょうがないけどね。ここまで食われるシーンを出し、血も流れるような話にしないといけなかったのかね。1作目の、じわじわ、ドキドキ、ハラハラ…っていう緊張感なんて、一切ない。どかどかパクパク食われて、しかも、結構笑える。銃もパンパン鳴っていて、安っぽい感じだな。
・ザックとグレイの両親は離婚調停の真っ最中らしいが。その事実を幼い弟が知っていて、兄が知らないという不自然さ。しかも、それまでワールドに興奮していた弟グレイが、モノレールで急に泣き出して兄に「実は…」って話すのも、違和感ありあり。ところで兄ザックはワールドに余り興味なさそうで、嫌々…な感じなのは、なぜなんだ? 思春期だから? 彼女と別れてきたのがつらかったから? すねてる理由がよく分からない。
・2人が森で、旧ジュラシック・パークの残骸に入り込んで。そのとき、松明を使うんだが。兄が弟に「マッチもってるよな」というと、弟がもってるというご都合主義。11歳の子供が何のためにマッチなんかもってるんだ。
・マッチョなオーウェンとクレアが森を行く様子は、『ロマンシング・ストーン』かよ、な感じ。クレアは、途中から上衣をはだけて胸を強調するサービスも。しかし、ヒールを履いたまま森林を走ってたのか?
・真珠恐竜にはヴェロキラプトルのDNAも入っていて、なので、オーエンがヴェロキラプトルを新種恐竜に向かわせるんだけど。なんと、同種に近いところがあるからと、会話し始めてしまい、新種恐竜側についてしまう場面がある。おいおい。たかがわずかばかりDNAが混じっているからって、会話までできちゃうのか?
・新種の恐竜は、カエルとあとなんだっけ。それと、ヴェロキラプトルのDNAも入ってるらしい。
・オーウェンとクレアが旧ジュラシック・パークの跡地(それにしても、あんなものを敷地内に残しておくか? 整理するだろ。あんなもの)で新種恐竜に見つかり、クルマの影に隠れるんだけど、すぐ近くまで新種恐竜の顔がくる。なのに、新種恐竜が人間の臭いに気づかないのは、変じゃないか?
・兵器として開発していたというニセ恐竜だけど。その存在は、まったく出てこない。それとも、あの新種恐竜自体がそうなのか? で、知能が発達しているらしいけど、それは何のDNAによるものなんだろう。とくに、体温調節してセンサに反応しないようにして隠れていて、扉が開いたら逃げる、なんてことまで考える頭脳は、どっからきたのかね。
・新種恐竜とTレックスの戦い。区別がつきにくい。しばらくして、背中にトゲのあるのが新種か、と分かったけど。新種の色を白くするとかすりゃあいいのに。
・しかし、Tレックスとしては、別に新種恐竜と戦わなくちゃならない理由があるわけでもないのに、なぜに戦う? しかも、いったんは新種にやられてオシマイか、というところを海竜に救われて。でも、意気揚々と去って行くのは、なんでなの? っていうか、たとえTレックスが買っても、今度はTレックスが脅威になるだろうに、と思っていたのに、なぜか去って行ってしまう…。変なの。
・個人的には、新種恐竜をプールまでおびき寄せ、海竜に食われる…かと思っていたらTレックスだったので、ふーん、な感じ。まあ、それまでTレックスが登場してなかったから、当然と言えば当然なんだろうけど。
・ワールドには寿司屋が入っているらしく、何度か「寿司」の看板が出て来て、冷めた。

 
 

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