猫侍 南の島へ行く | 9/7 | シネ・リーブル池袋シアター2 | 監督/渡辺武 | 脚本/北村一輝、永森裕二、黒木久勝、池谷雅夫 |
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allcinemaのあらすじは「剣豪の斑目久太郎は江戸での士官叶わず、現在は故郷で浪人生活の日々。そんなある日、姑のタエが土佐藩の剣術指南役という話を持ち帰り、久太郎は愛猫の玉之丞だけを連れて単身赴任先へと向かうことに。ところが、久太郎と玉之丞が乗った小舟が難破して、ふたりは南の島に漂着してしまい」 べつに期待はしていなかったけれど、中味がスカスカなのと、テンポがスローすぎること、猫に芸も愛想もないのに、がっかり。話がダメならせめて猫で…と思っていたからね。 しかし、この異常に間延びしたスローテンポはなんだ? 不必要に多く、説明に終始する心の声はなんなんだ。ああじれったい。剣豪といいながら、腕前はほとんど見せない。いくら脱力系とはいえ、もうちょっとメリハリを効かせてくれよ。 というか、もうちょっとひねりの効いた話にしたらいいじゃないか。南の島に流される、といいよ。しかし、その後の展開がしょぼい。島の土人にとって白猫は神、というわけで土人たちに奪われる。久太郎も獄に。そこで出会った女は海賊で、島の土人を仲間に入れて逃げだそうとしてる。というところに海賊仲間が宝を狙ってやってくるが、久太郎がのろのろとやっつける。土人たちは、白猫の神を戴いて、海賊の襲撃を防ごうとしたらしい。その白猫がすり寄ったのは久太郎、というわけで久太郎は解放される。しかも、宝だというバナナのタネも貰う。ところが、そのバナナのタネを欲しがっていたのが海賊で、それを女海賊に与えたら「もうここには用はない」と去って行った。久太郎は貧乏な船で故郷に帰りつく…。 ライター4人で、こんなクソみたいな話かよ。 ところで。久太郎は「浪人」といっていた。がしかし、門構えの立派な屋敷に女房と娘、義母と暮らしている。浪人したら棒録もなく拝領屋敷は召し上げられるはずなのに…。ってことは、部屋住みということか? でもそれなら、女房の兄貴が家長でいるとかでないとおかしい。しかも、忍者を雇って久太郎を高知に行かせまいとする義母って、おいおい。テレビシリーズ見てないから、義母が離婚させたがってるとか、知らんし。というより何より、貧乏なのに、忍者を雇う金はどうした? と聞きたい。なんか、ひどくいい加減すぎ。 「加賀藩」という文字が見えた。加賀藩でしくじった、ということか。で、そこから高知まで船? フツー大阪アタリまで陸路で、そっから船じゃないのか? 流れ着いた南の島はどこにあるのか知らないが。帰ってくるとき、3日で着いたといってたよな。おいおい。「主人公は死なない」「主人公に不可能はない」とか、いいよ、それはそれで。けど、北陸から南洋へ、どうつながってるのか、わけわからん。 バカ映画というより、脱力系、動物系の映画なんだろうけど、つまらなすぎて力が抜けた。猫の玉之丞も、大人しくて動かない猫、というだけで、愛想がない。芸もない。もうちょい、なんとかしろや、な 映画であった。 ・酒井俊也がでてた? 船頭役? えーっ? どこにいた? で、公式HPみて、やっと分かった。「船は出たよ」といってたやつか。禿げてないからまったく気づかなかったよ。 ・入場のとき、『まる出し 玉之丞』というDVDをくれた。帰ってから見たけど、ひどくつまらない。くれるなら、もうちょいマシなのくれよ。 ※なんと、入って右側に6〜7脚あった椅子がなくなっていた。おい。これじゃ座って待てないじゃないか! | ||||
彼は秘密の女ともだち | 9/8 | 新宿武蔵野館2 | 監督/フランソワ・オゾン | 脚本/フランソワ・オゾン |
原題は“Une nouvelle amie”。Google翻訳したら「新しい友だち」とでたよ。allcinemaのあらすじは「子どもの頃からの大親友ローラを亡くした主婦のクレール。深い悲しみに暮れる彼女は、ローラの死からなかなか立ち直ることができない。しかし、残された夫ダヴィッドと生まれて間もない娘を守るとの約束を思い出し、2人のもとを訪ねる。彼女がそこで目にしたのは、ローラの服を着て娘をあやすダヴィッドの女装姿だった。ダヴィッドから女装癖を打ち明けられ戸惑うクレールだったが、彼のことを“ヴィルジニア”と名付け、一緒にショッピングをするなど、徐々に女ともだちとして受け入れていく。夫に内緒で、女らしいヴィルジニアとの密会を重ねるうちに、彼女自身の女らしさも磨かれていくクレールだったが」 仲好し女友だちがいて。ほぼ一緒に結婚。女の子を生んで間もなくローラは死ぬ。亭主のダヴィッドにはもともと女装趣味があって、育児の中でそれが目覚めてしまった。いっぽう「ローラから、娘とダヴィッドを頼む」といわれていたクレール。ダヴィッドの家を訪れると、彼は女装して育児の真っ最中。「変態!」と最初は拒否するけれど、「ローラにもこのことは話していた」とかいうダヴィッドの告白を聞かされるうち、なんとなく納得。娘の世話をしつつ、ダヴィッドの奇行にもつき合うようになる、という話。 とくに大きな事件もなく、ダヴィッドの買い物につき合うだとか、だらだら話がつづくんだけど。しだいに、男の中の女性性、女性の中の男性性、同性愛、女装願望はあるけど異性愛はある、とかいう話になっていく。 クレールは、ダヴィッドの女装趣味と育児の姿を見て、どうらや彼を異性とは見なくなっていったみたい。これが題名にも現れていて、女友だちとして遇していくのだ。そして、化粧法やファッション、仕草なんかを伝授して、より本物の女性らしく仕立て上げようとしていく。 ダヴィッドも、当初は亡き妻の友人という距離は取っていたけれど、次第にクレールに引かれていく。クレールも、同性愛の相手としてダヴィッドを見るようになって行く、というのがミソか。つまり、このあたりで、クレールがもっていたローラに対する同性愛の心が思い出される、というか、そう思ってはいなかったけれど、友人ローラへの愛は同性愛だったのかも知れない…みたいなことになってくるのだよね。 といいつつ、ダヴィッドと自分の亭主ジルは、もしかして同性愛? っていう妄想にもとらわれるんだけど、このあたりは、自分の中にあった同性愛の目覚めの裏返しの表現なのかも知れない。 育児休暇中のダヴィッドにつきあって、クレールがローラの実家の大邸宅に行くシーンがあるんだけど。あのあたり、もう、クレールはダヴィッドの女性性にメロメロな感じ。いくら親しいからって亡き友人の亭主と2人でそんなところに出かけるなんて、常識的には考えられない。 なことしてるうち、女装してても男であるダヴィッドに迫られ、応じてしまうクレールだけど(あれはどっかのホテルでだっけ?)、まさぐりながらダヴィッドの股間に触れて、あらいけない! と気づくって、おいおい、なんだけど。すっかり彼を女性と見ていて、クレールにとっては同性愛のつもりだったのね、と。 んなわけで、混乱したダヴィッド。女装のまま撥ねられ、意識不明のまま病院へ。ローラの両親も、初めてダヴィッドの女装趣味を知って右往左往…。意識が戻らないダヴィッドに、ローラは女性の衣装を着せてやる、と、突然、意識が戻る! というのは映画だからだけど。潜在意識を刺戟してあげれば、本能は目覚める、とでもいうことなのか。 はたまた、亡くなったローラの死化粧を自ら行ったダヴィッドの行為とのアナロジーか。ダヴィッドはローラに結婚衣装を着せてやったんだけど、クレールも同じような思いだったのかも知れない。「復活してくれ!」と。 で、次のシーンは7年後で。すっかり大きくなった娘を迎えにきたのは、それまでやってきたような女になりきる女装ではなく、男の女装とはっきり分かるオカマファッションのダヴィッドと新しいパートナーだったんだけど。相手は女性だよな? この過程がよく分からないんだけど、どういうことなのかね。女装好きな男、というアイコンを正面に出すことを認めるようになった、ということなのかね。 で、クレールとジルとの7年後は、一切、描かれない。なんか、ちょっと、ううむ。ラストの7年後は、必要だったのか? なくてもいいんじゃないのかな。 ・少女時代のローラとクレールは、とても可愛い。のだけれど、長じてからの2人が、ともにブスなのに引いた。とくにローラ役のイジルド・ル・ベスコがひどい。クレール役のアナイス・ドゥムースティエは、ときによって純朴な少女顔になる。このときは魅力的なんだけど、そうじゃないときはフツーのお姉ちゃん顔になっちまう。なんだあの落差は。 ・イジルド・ル・ベスコの上半身ヌードはたっぷり見られる。かなりな貧乳なんだけど、それはそれで色っぽい。ジルとの騎乗位セックスシーンもあって、そこでクレールは自分が先にイッてしまうのだけれど、あれはかなり示唆的なシーンだな。頭の中に亭主はいなくて、自分だけの性的興奮を追求している感じ。ダヴィッドに目覚めさせられたローラへの性愛の発露、なのかな。 ・クレールが女装したダヴィッドと同性愛者の行くようなバーに行く場面があるんだけど。そこでクレールは女性に声をかけられる。そういう潜在力をもっている、ということなんだろう。 ・たまげたのはローラの実家の屋敷で。現在は両親も住んでないようだけど、広大な庭に巨大な洋館。あんな金持ちがフランスにはまだいるのかね。そういえば、ローラの両親は、遺産をダヴィッドと娘に譲る、とかいっていたけれど。ダヴィッドが別の女性と結婚した後も、その意志は変わらなかったのかな、と気になった。 | ||||
テッド2 | 9/10 | 109シネマズ木場シアター5 | 監督/セス・マクファーレン | 脚本/セス・マクファーレン |
原題も“Ted 2”。allcinemaのあらすじは「命を宿したテディベアのテッド。人間の少年ジョンと友情を育み、一緒に成長し、いまや立派なダメ中年に。そんなテッドも愛する人間の女性タミ・リンとついに結婚。幸せを手にしたかと思ったのも束の間、すぐに夫婦の危機に直面してしまう。解決策には子どもが一番と考え、ジョンに協力してもらって子作りに励もうとするが、さすがのテッドにもそれはあまりにも無理な相談だった。その後、養子をもらおうとするが、今度はテッドが人間であることを証明できなければならないという大問題が浮上する。そこでジョンとテッドは、若い美人弁護士サマンサの協力の下、テッドを人間と認めてもらうための裁判を起こすのだったが」 前作は、ぬいぐるみが心を持つ、しかも、不良中年で! という、あり得ないおかしさがあった。でも、それはもう前提としてあるので、テッドがどんな出来事をしでかすか、巻き込まれるか、という展開のバリエーションになってしまう。これだけでもう、インパクトは薄れるわけで、そういうところが現れている。 不良中年ぶりは相変わらずで、やたらマリファナやってる。医療大麻が合法な州も多いし、嗜好品としても認められつつあるから、あの程度は許容範囲なんだろう。でも、奔放ぶりはそこまでで、エロ、グロネタはいまいちな感じなんだよね。代わって、時事ネタとか芸能ネタが盛りだくさんで。まあ、日本人でも知ってる固有名詞や事件、ネタもあったけど、やっぱネイティブじゃないと大笑いできないネタが多いんじゃなかろうか。勘所が違うと、なかなか楽しめない気がした。 以下、分からないのでメモしたりしてた。ははは。 ・凝りまくった50年代ミュージカル風のオープニングは、どういう意味だ? ・黒チン、白ニガ、とか頻出するけど。一黒、二赤、三紫…の、あのことか? それとも黒人のペニスという意味もあるのか? 分からない。 ・『フラッシュ・ゴードン』とサム・シェパードは、見てないけど知ってる。前作にもでてたし。けど、そんなにインパクトのある存在なのか? な感じ。 ・「いまのテッドはジャスティン・ビーバーだ」って、ジャスティン・ビーバーの存在は知ってるけど、スキャンダルとかよく知らない。なので、ピンとこない。 ・ゴラム女? 分からなかったけど、調べてなるほど。『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラムか。 ・イウォーク? 分からなかったけど、調べてなるほど。『スター・ウォーズ』なんかに登場する熊ね。知らんよ。SWは見ててもね。 ・テッドを誘拐するあの掃除婦。前作に出てて、テッドを切り裂いたヤツだったのか。もう忘れてるよ! ・トム・ブレイディ? アメフトの選手? 知らんがな。あれ、本人? 調べたら不正ボール使用に係わった、とか。ふーん。 ・カーダシアン? 知らん。調べたら、有名女優・タレントらしいが…。 ・病院で、黒人の精子まみれになる…とか、だっけ? ん? 違うか? 覚えてない。 ・マリファナ吸ったらジョンが歩けなくなってしまうシーンがあるんだけど。あれは、なに? マリファナの効果にああいうのがあるのか? ・見てるテレビが『ルーツ』で、クンタ・キンテがでてるのは、どういう意味だ? ・クラバー・ラング? 調べたら『ロッキー3』でロッキーの相手になるボクサーの役名か。そんなの覚えてねえ。 ・ジェイ・レノ? 調べたらトーク番組の有名司会者らしいが、知らんよ。 ・ジョナ・ヒル? 調べたら、出演作はいくつか見てるけど、名前も覚えてないし、顔も浮かばない…。スーパーマンの新作の主演に抜擢された、とかで名前がでてたんだっけかな。 ・ジョギング男にトマト投げして、どこが楽しいんだ。健康志向を揶揄してるんだろうけど、アホすぎる悪戯だ。 ・「サタデー・ナイト・ライブ」がテッドのことを取り上げてた。名前も、内容も多少知ってるけど、ちゃんと見たわけじゃないから、大笑いできない。 ・タイラー・ペリー? よく分からない。彼の地では超有名なんだろうけど。 ・憂さ晴らしにスタンダップコメディに行くんだけど、聞いて楽しむんじゃなくて、危ないお題を芸人に要求して困らせる、だった。9.11、シャルリー・エブド…とか言ってたな。きわどい感じ。映画じゃOKなんだろうけど、あれで笑いが取れるのか…。ビル・コスビーもでてたかな。そういえばなんか事件を起こしてたなあ…。でも思い出せず。 ・サマンサの出身大学がアリゾナ大学で、なんか、いわくありげな取り上げ方をされてたけど、そういう大学なのか? ・最初の方で、スーパーで何か万引き? してったリーアム・ニーソン。クレジットの後に、血だらけで登場するのは、ありゃどういう意味だ。シリアルが合わなかったから? よく分からない。 今回の話は、役所がテッドが人間ではない、と認めたことから発する。公的な支援はなくなり、結婚も認められない。それでジョンが弁護士を頼んで裁判を起こすんだが、新米弁護士のサマンサにたよって否決されてしまう…。が、次にサマンサの父親がでてきて、人間であると認めさせる、という話なんだが。条件は同じなんだから、サマンサのときに認められてもいいと思うのだよな。要は、サマンサが下手、陪審員がアホ、ということになってしまう。なんか、筋が通らないよなあ。 残念なのは、ジョンがミラ・クニスと別れ、落ち込んでいるという設定で。代わりにサマンサ(アマンダ・セイフライド)が登場するんだけど、個人的にはミラ・クニスの方が見たかったのだ。降板したのか、意図的にこうしたのか。分からんけどね。 今回、驚いたのはテッドにペニスがないと言うことに気づいたこと。え? 前作で、ノラ・ジョーンズと階段の下で一発やったとか言ってなかったか? 売春婦も呼んでたし…。ないんだっけ?! では、テッドとタミ・リンは、結婚後、ナニしてないということか。あり得んだろ、それって。 その他… ・「レリゴーを歌う」とか言われても、「アナ雪」とは分からず、ピンとこない人もいるだろ。 ・NYではスターウォーズ扮装の通行人とすれ違う。コミック大会みたいなところでは、ゴジラが出てきた。スーパーマンは名前だけ。スタートレックも? ミュータント・タートルは大活躍だったけど。ま、いろいろ権利関係があるんでしょうが。分からなくて見逃してるのがたくさんあるはず・・・。 ・オカマのカップルがいいコンビネーションしてたけど、あれも、裏読みできる何かがあるのかな。 ・クレジットに、電通、フジテレビと提携みたいなことが書いてあったなあ。資本が出てるのかな。 | ||||
自分の事ばかりで情けなくなるよ | 9/11 | キネカ大森1 | 監督/松居大悟 | 脚本/松居大悟 |
allcinemaの解説は「人気バンド“クリープハイプ”とのコラボで贈る群像ドラマ。これまでに松居監督が手がけてきたクリープハイプのミュージックビデオや彼らの楽曲から誕生したショート・フィルムの中から短編3部作「イノチミジカシコイセヨオトメ」「あたしの窓」「傷つける」にミュージックビデオ「おやすみ泣き声、さよなら歌姫」を加えた4部構成で描く劇場版。」 オムニバスで、第1話、第2話はかなり面白いくて、これは…と思ったんだけど、最後の第3話がつまらなすぎて一気に冷めてしまった。この監督、思いが強すぎると観念的に走りすぎるのかな。 ・「イノチミジカシコイセヨオトメ」は、風俗嬢の話。上京して、彼氏ができて。借金を都合するため風俗に。実家には看護婦やってると言ってるけど、ある日、母親が死んだという連絡。通夜の日取りを知らされるが、その日は仮装デー(?)とかで外せない…。というところに元彼が、プレステのメモリーカードを探しにやってくる。この男、彼女に借金していながら、風俗のことを知らず。ある日、店先で彼女の姿を目撃し、速攻で同棲先から逃げていったというヤツ。彼女、実家には「彼氏ともうすぐ結婚、連れていく」なんていってるぐらい彼が好きなんだけど…な純朴さはあるけど、風俗からは抜けられず…。通夜の日、いったんは喪服を手に取るが、すぐにピンクの看護服に着替え、店まで走っていく! というラスト。 彼女が何を考えてるのかは分からないけど、一心不乱な感情のほとばしりがつたわってきて、高揚感が感じられる。元彼も、情けないとは思うけど、これまた悪いヤツではないみたいで。でも、そんな男に未練たらたらで、やりなおそう、と言いたい気持ちを抑えてしまうところもいじらしい。ああいうドツボな女の子は、いそうだなあ、と。 過去のイメージがカラーになって、こうなった経緯までもキチンと見せたり、スワローズの応援タオルが壁に貼ってあったり、、小道具にも神経が届いていて、なかなか。あと、びっくりしたのは、彼女が毎晩買って帰る弁当が、大塚の世界飯店で。店先にいたのは、あれ、本物の奥さんか? ・「あたしの窓」は、どっかの企業に勤めるOLの話。今日はライブがある。課長に半休を申し出るが却下され、同僚からも仕事を押しつけられ、残業。やっと終わって、走って駆けつけた会場では、アンコール。「なにかで忙しくて、やっときたらアンコールに間に合った。そんな人を思ってつくった曲です」とかいって演奏される曲を聞きながら、滂沱の涙…というラスト。 この話は、いろいろムリがある。上司の課長は彼女の不倫相手で。だったら半休ぐらいとれるだろ。心の声が、彼女のTwitterアカウントで表示されてるんだけど、あれはアップされてると言うことか? 心の中だけ? でも、バンドのメンバーの一人は彼女と相互フォローみたいで、つぶやきを読んでるみたいなんだよな。アンコールのときのMCも、彼女への生の返事、と考えると、アップしてるとしか思えんのだが。仕事中にそんなことすな! あと、もうひとつ、同僚女性に、仕事中にイアフォンで音楽聞いてるのを咎められるんだが、当たり前だろ、そんなの。というわけで、そんなに純朴でもなく、テキトーな女性なんだよな。しかも、そんな美人でなく、とっちかというとダサイファッション、眼鏡、チビでずんぐり体型…なところが、なかなかフツーにいそうな感じなのが興味深い。 「イノチミジカシコイセヨオトメ」の元彼が、新しい彼女と、同じライブに行くという設定で、何度か背景に登場する。コート着て、ビジネスマン風なんだけど、同棲相手に借金するような男が簡単に事務系サラリーマンになれて彼女もすぐできたりするか? とは思うのだが。あと、ライブ会場の受付が次の「傷つける」の主人公・池松壮亮で、駆け込んできた彼女に「もうすぐ終わるよ」と投げ捨てるように言うのはいかがなものか。次の話を見れば人格が歪んでるのは分かるけど、ここは「早く。アンコール、はじまっちゃうよ」ぐらい、言えよ、と思った。 「傷つける」は、よく分からん話。最初は、劇場でアイドルに夢中な友人男の変態ぶりが描かれるんだけど、意味不明。女性の部屋を覗いたりCDプレーヤーを叩き壊したり、どういう因果関係があるのか? この男の話かと思ったら、池松壮亮が住んでる空き地が出てきて、近くにいた言葉を発しない女をいたぶり始めるという。なんだこれは。空き地には廃車が2台あって(「トレーラーハウス」と書いてあるな、解説ページには)、そこに住んでる設定なんだが、60年代ならいざ知らず、いまどきこんなとこで暮らしてたら速攻で警察呼ばれて連れてかれるだろ。 池松は女を風俗店に連れていって紹介料を貰う。で、そこで彼女に仕事の手順を教えるのが「イノチミジカシコイセヨオトメ」の女、という接点。でも、なにを思ったか池松は女を取り戻しに行って、一緒に住み始める…。彼女にフツーの仕事をさせようとCDショップに行くけど「人は要らん」といわれて逆上したりする。 池松はいくつかの仕事を掛け持ちしてるらしく、最初に出てきた変な友人も同僚で、でも仕事の中味はよく分からない。 池松と女に男女関係はなさそうに描かれるんだけど、なんと彼女が妊娠し、だったら金が要るからと変な友人を誘って強盗を計画。押し入る先が、例のCDショップって、アホか。で、ボコボコ殴ってるのを見てられなくなった友人が警察に電話して…。 実は、この話と並行してときどき池松がカメラ目線で独白する場面がインサートされる。事情聴取でもされてるみたいなんだけど、最後にそこが精神病院の一室で、一人語りしてた、というオチなんだけど、なんだこの話の展開は。しかも、その病室に、あの女が4歳ぐらいの娘の手を引いて訪れている…というラストも、なんだこのセンチメンタルは、というバカな感じ。 だいたい、そこそこのバイトを2つ3つやってりゃ20万ぐらいは稼げるわけで。部屋も借りてフツーに住めるだろうに、なぜ車に住む? ううむ。非定住者、流浪の民とするのに、そんな仕掛けは要らんだろ。で、そこになぜ唖(?)の女が? たんに設定を面白くするためだけかね。なぜか話さなくなった理由はあるんだろうけど。これまでの映画史とか物語性の中から、そういう神話的な設定を探して読み解けってか? 女はミューズだとかなんだとか。そりゃなんかあるんだろうけど、めんどくせえ。 あらゆるところで、背景も現状も分からないし、そのように反応する、行動する登場人物たちの頭の中が分からなすぎだ、この話は。 で、金が要るから強盗、という発想はなんなんだ? まずフツーに暮らせばいいだけだろ。困窮したなら役所に行け。生活保護でも頼むか? 稼ぎがあるからダメだ、って断られるよ、きっと。 で、なんでまた池松がキチガイになっちまうんだよ。これも、何かの神話を下敷きにしてるのかね。貴種流離譚とか? 知らんけど。もしそうだとしても、どうでもいいよ。それがどうした、な悶々とした話。設定も分からずも、陰湿で理不尽で首をひねるような話なんか、見たくない。「イノチミジカシコイセヨオトメ」「あたしの窓」が結構面白かったのに、やれやれだな。 「あたしの窓」のOLが、池松らと意気投合してカラオケに行く。でも、彼女を置いて池松は出て行ってしまい、彼女はひとりカラオケをする、という場面に登場していた。 | ||||
スイートプールサイド | 9/11 | キネカ大森1 | 監督/松居大悟 | 脚本/松居大悟 |
allcinemaのあらすじは「水泳部に所属する高校1年生の太田年彦には、誰にも言えない大きな悩みがあった。それは、いまだに毛が生えていないこと。一方、同じ水泳部の後藤綾子の悩みは毛深いこと。ある日、太田はひょんなことから綾子の悩み相談を受け、挙げ句にとんでもないお願いをされてしまう。なんと、自分では上手く剃れない毛を太田に剃ってほしいというのだ。放課後、太田は2人で川沿いの高架下に向い、そこで綾子のムダ毛を剃る。剃りながら激しく動揺し、妄想が膨らみまくる太田。一方、毛を剃ったことで自信がつき、水泳でも成績がみるみる向上していく綾子。こうして橋の下での禁断の密会を重ねる太田と綾子だったが」 設定が、まず、あり得ない。毛深い女が水泳部に入る理由が分からない。「自分には水泳しかなかった」って? アホか。剃らずに水着になってたら、部活の仲間が気づくに決まってる。あり得ん! 無毛の少年が水泳部に入る理由が分からない。太田の場合、補欠だし。着替えのリスクを考えたら、文化部が相当だろ。 女だったら、フツー自分で剃るだろ。肌がどうのって、理屈にもならん。それを、無毛だから秘訣があるだろ、って太田に「剃ってくれ」って頼む心理が意味不明。アホか。 田舎の高校生で、毎週のように自転車で二人乗りして帰ってて、他の生徒に知られないはずがない。あんなのあり得ない。 軟弱な太田をからかう女生徒が登場するけど、この手の話の定番の人物だ。けど、あんな太田を好きになってからかい、揚げ句は綾子とのことで嫉妬して「キスして」なんて迫るクラスメート麻衣がいるんだけど、あり得ねえだろ。そこそこ可愛くて、あんな子にちょっかいだされたら、それでもう十分満足だろ。この手の女生徒を登場させるなら、チビデブブスにしなくちゃ、納得できんぞ。 といった案配で、こんな設定ありえんだろと思いながらも、前半はバカエロな展開についていってしまった。あり得ないとは思いつつ、高校男子が、可愛い女の子のスネ毛や腕毛、腋毛を剃る…。剃った毛を秘蔵して引き出しの奥にしまい…腕にすりつけたり食べたり…。エロ過ぎるだろ、おい。 本来なら嫌われる毛深い女。でも、接して剃ることで好きになってしまうという倒錯。この状況を、太田がノコギリもって森に迷い込む、樹木に挑む、奥の洞窟のまばゆい光に惑わされる…とかいう喩えの映像で描いたのは、これはこれで正解かも。 で、そういう日常を、麻衣に目撃され…って、おいおい。だいたい、太田と綾子が二人乗りしてきた自転車を橋の下でなく、道路からも見えるところに停めるとか。腋毛剃りの様子を、麻衣が道路から見てるとか、そんなのおかしいだろ。橋の下にしたのは、見られないように、なんだろ。なのに、あのモロ見えはなんだよ。さらに、綾子は橋の下からどこかに消え、水着に着替えるんだけど、どこで着替えるんだよ! いろいろ絶対変だろ。細かくないよ、こういうことは。こういうディテールが大事なんだよな、この手の話では。監督、大雑把すぎ。 で、おかしくなりはじめたのは、綾子がはみ出た陰毛を剃ってくれ、と太田に頼み。太田が「それはできない」って拒んだアタリからか。もう、あとは話が破綻して何が何だか分からなくなっちまってる。 綾子が腕を切って自殺未遂。意味不明。さらに、教育実習できてる先生=水泳部の先生を好きになっているとか、この展開も、ひねりがなさすぎて糞すぎるだろ。その後の太田の狂気じみた行動とか、わけ分からない。 で、最後はどうなったんだっけ。話がバカになってから、なんか、分からなくなっちまってる。なんか、最後は綾子の微笑みで終わったような気がするんだけど、すっかり忘れてるよ。ははは。 あ、思い出した。太田に毛が生えてきて。それを先輩が部のみんなに強引に見せびらかして。…って、チンポもだよな。ありえんだろ、そんなの、とは思うが。で、先輩が「剃ろう」というと、綾子が不敵な笑みで「私が剃るよ」とかいうんだった。って、これはどういう意味なのだ。綾子のマン毛を剃らなかった仕返し? いや、よく分からない。ほんと、後半は無茶苦茶になってるから。 あの後半を、あんな無茶苦茶ではなく、勢いでバカのままもっていけるようになると映画も面白くなるんだが。まだ頭で考え過ぎなのかな。困ったもんである。 ・最後に、太田に毛が生える、ってのは当然の展開だからミエミエすぎてつまらない。 ・教育実習って、2週間ぐらいなんじゃないのか? なのに、夏休み前から夏休み後までいるって、おかしくないか? | ||||
マジック・イン・ムーンライト | 9/14 | ギンレイホール | 監督/ウディ・アレン | 脚本/ウディ・アレン |
allcinemaのあらすじは「ステージで華麗なイリュージョンを披露して喝采を浴びる中国人天才マジシャン。その正体は、筋金入りの合理主義者で毒舌家のイギリス人スタンリー。そんな彼のもとに友人のハワードからある依頼が舞い込む。それは、大富豪カトリッジ家の人々を虜にしている評判の美人霊能者がおり、その真贋を見極めてほしいというものだった。超能力や心霊現象の一切を否定するスタンリーは、その女のトリックを見破ってやろうと、一家の滞在する南仏コート・ダジュールの豪邸へ乗り込んでいく。ところがいざ霊媒師のソフィと対面してみると、彼女の尻尾を掴むどころか、次々と説明のつかない現象に直面してしまい、自らの信念がすっかり揺らいでしまうスタンリーだったが」 これまでの自作の焼き直しみたいなロマンチックコメディで、話も案外と予定調和。ま、だからこそ安心して見てられる、とはいえるだろうけど。やっぱ、ひとつふたつ意外性が欲しいところかな。 話は…叔母の過去の恋愛話を霊視され、すっかりソフィを信じ込んでしまったスタンリー。その叔母が事故に遭って、見舞に行った先の病院でハタとトリックに気づく。スタンリーの周辺事情も、叔母の過去も、すべてはハワードからの情報。つまり仕掛け人はハワード。役者はソフィとその母親、というわけだ。あっさりと認めるハワードとソフィ。それでもカトリッジ家の御曹司ブライスとの婚約は整い、ソフィは玉の輿に。とはいうものの、すっきりしないスタンリー。ふと思えば自分はソフィに恋してる。これは合理的ではない。あってはならないことだ! てなわけでヴァネッサ叔母に相談に行くと、彼女はすでに合点承知の助で、ここで思いを伝えるように促す。半信半疑で質問すると、ラップ音で返事が。「結婚してくれ」にもOKの応え。なんと、叔母さんの家にソフィがきていたのだった。…というハッピーエンド。 ではあるが。ハワードの狙いはなんだったんだ? ソフィが本物の霊能者であることを公式発表させること? それでソフィにどういうメリットがあるのだ? すでにブライスの心はつかんでいるから玉の輿は約束されている。霊能者としては、トリックなんだから、スタンリーのお墨付きを得ても、まだまだ先がある。ってことは、たんにスタンリーにギャフンと言わせたかっただけ? ってことは、後からバラすつもりだったのか? と疑問が湧いてくる。 中盤で、ソフィがスタンリーに「あなたに惚れた」云々と告白する場面があるんだが。あのときは、まだビジネス優先で、別にスタンリーを好きになってるわけじゃないんだよな。では、ソフィはいつ頃からスタンリーが好きになったのか? これがよく分からない。叔母のところに行った帰り、雨に濡れて天文所に避難したのって、ソフィのウソ告白の前だっけ? 後だっけ? それにしても、あんな天文所が、昔からずっと誰でも入れる状態になってるなんて。あり得ん。あと、故障したクルマは、どうやって直したのか、あるいは、レッカーでも呼んだ? って1920年代に公衆電話なんてそうあるわけじゃないし、レッカーもないだろ。という不粋なツッコミ。 さらに。母娘のペテンがバレたあとでソフィがブライスと婚約するというのは、ありか? 成り上がりのペテン師と分かっていても、ソフィが可愛いから嫁にする? ブライスの母親は、ウソを信じていたい…ということなのか。よく分からない。 まあ、なんでもかんでも合理的に考え、判断するより、多少のウソも信じる度量があった方が幸せになるよ、てなことをいいたいのかも知れないけど、なんかな、な話だった。 最後、スタンリーはハメた張本人、ハワードとも仲直りしてしまうというのも、解せないところだな。 というわけで、以上のような基本的な疑問が解消されると、もう少し好感度は上がると思うんだが。 ジャズエイジ、1920年代の光と影がにじみ出てる感じがしないでもない。資産家のカトリッジ家と、下層階級からなんとか這い上がろうとするミセス・ベイカーと娘のソフィの対比。合理主義が口癖で天才肌のマジシャン、スタンリーと、幼なじみながらいまいち目が出ないままのハワード。下層階級が上流階級に対する視線、羨望はかなりなものなんだな。 とはいえ、1929年の暗黒の土曜日は間近に迫っているわけで。ビジネスで飛び回っているブライスは、もしかしたら一夜にして破産している可能性もある。その意味では、ソフィの選択は間違っていなかった、ということになったのかも知れないわけだ。それを前提にして見ると、この映画はもう少し面白くなるのかもね。 あと、気になったのはスタンリーを演ずるコリン・ファースが1960年生まれで、ソフィーのエマ・ストーンが1988年生まれなのが気になってしまう。50半ばの男と20代半ばの娘って、どうなんだ? そりゃエマ・ストーンには、下流の下品さがにじみ出てちょうどいいとは思うけど。歳の差がなあ…。40男と30女ぐらいになったら、これはまた、おとぎ話ではなくなっちゃうかなあ…。 あと、天才マジシャンが、あの程度のトリックに引っかかるというのも、解せないところ。とくに、叔母の家で、叔母の過去を言い当てた件。あれ、叔母の家に到着したとき、ソフィがハワードに電話して聞いた、ということになってるけど。叔母の家に行くのは分かってたことだよな。だったら、わざわざ叔母の家から電話するなんて危険なことをせず、事前に聞いとけばいいのに。 1920年代という金ぴかな時代背景と、当時の電話の普及という状況を勘案しながら、トリックの稚拙さにも目をつぶってあげなくちゃいけないのかね。 チャールストンとか20年代の軽薄な音楽がのべつ聞こえてくるのは、楽しかったけどね。 | ||||
バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) | 9/14 | ギンレイホール | 監督/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ | 脚本/ アレハンドロ・G・イニャリトゥ、ニコラス・ヒアコボーネ、アレクサンダー・ディネラリス・jr、アルマンド・ボー |
allcinemaのあらすじは「かつて主演した大人気スーパーヒーロー映画「バードマン」のイメージが払拭できずに、その後は鳴かず飛ばずの俳優人生を送るリーガン。私生活でも離婚に娘サムの薬物中毒と、すっかりどん底に。そこで再起を期してレイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』を原作とする舞台を自ら脚色・演出・主演で製作し、ブロードウェイに打って出ることに。ところが、大ケガをした共演者の代役に起用した実力派俳優マイクの横暴に振り回され、アシスタントに付けた娘サムとの溝も深まるばかり。本番を目前にいよいよ追い詰められていくリーガンだったが」 評価が高いみたいだけど、なんでなのか分からない。業界の内幕を露骨に描いているから、なのかね。 そもそも、落ち目の映画俳優がブロードウェイで芝居を打てるのかどうか? に、まず引っかかってしまう。家は売ったか抵当に入れてるからしいけど、その程度でできるのか? 結構でかい劇場だったけど。あと、やり手のプロデューサー(弁護士もやってるのか、あの男は? らしくない恰好だけど)はついてるみたいだけど、それにしても、な感じ。 4人しか登場しない芝居で、リーガンは相手役が気に入らず、スタッフに指示して照明を落とさせ(だよな)、降板させる。なのに、代役がいないと頭を抱え、「公演はやめる」とわめいたりする。…と、ここいらで気づいたんだけど、なんかずっと移動カメラが追い回していて、そういえばカットがないな。と思っていたら、延々とつづく長まわし。どこでキレるかと思ったら、全編がつながっているようにみえる。 とはいえマイク(エドワード・ノートン)とサム(エマ・ストーン)が屋上にいてカメラがチルトアップし、一夜が開けで同じビルから別の場所に移動するところ。どこだったかな、カメラが街頭から窓の中に入っていくところ。リーガンが路上で寝てしまうところ。劇場の裏扉から閉め出されたリーガンが街路を歩き、劇場正面から入るところ、なんかは大きな切れ目で。他にも暗転が何ヵ所もあるから、1テイクということはないだろ。しかし、必要あるのか? な感じ。無理矢理それを見どころにしてるような気がするんだが。 で、たしか共演者のレズリー(ナオミ・ワッツなんだけど、はじめ別人か? やっぱりナオミ・ワッツだよなあ…と疑いつつ見てた。凜としたところがなくて、すごいオバサンになってる! メイクだろうけど)が、「マイクが出られる」とかいうんだよな。で、マイクは人気役者らしいんだけど、あとから、レズリーと男女関係にある、あるいは、あった、らしいと分かるんだけど。この辺りがよく分からない。なにしろレズリーは「ブロードウェイで舞台に立ちたい」が願いでこれまでやってきたらしいから。 そのレズリーとマイクが舞台の上でベッドの中、というシーンで突然、「セックスがしたくなった。やりたい」「本番中よ! 半年インポだったくせに」とかいうのは、ありゃなんなんだ? 舞台の上に真実がある、というマイクが舞台を降りたらインポ、というお笑いか? それに、2人の関係がよく分からないので、笑うに笑えない。まあ、マイクの勃起が観客にバレバレになるのはおかしいけど、だからなんなんだ、とも思う。 でね。あとからタビサって劇評家が登場して。「演劇人は本気で芸術を追究してる。映画俳優はそこに土足で踏み込んでくる。土台、違う。むかしはあんたも人気スターだったかも知れないけど、芝居をバカにするな。翌日にはひどい記事を書く。芝居を中止に追い込んでやる」(←以上、まったく正確ではない)みたいなことをいうんだよ。で、気になるのは今回のリーガンの企画に、どういう連中が係わっているのか、なんだよ。参加しているプロデューサーや役者は、舞台役者だったり演劇人だったりするのか? 映画経験者は、リーガンだけ? そりゃまあ、リーガンもむかし高校のときだったかレイモンド・カーヴァーの本を舞台にかけて、ナプキンに「よかった」ってサインを貰って役者を志した、ってあるから、舞台に憧れたんだと思うけど。これまで舞台での経験があるのかないのかとか、よく分からないまま進んでいくんだよな。 要は、リーガンかコミックヒーロー映画で有名になって、以降は鳴かず飛ばず、ってことだけしか分からんのだよ。なのに、今回の舞台への意気込みは異常に強く、そこまで入れ込むか? ってなぐらいな感じ。そんな志があるなら、映画と並行して舞台もやってくりゃよかったじゃん。としか思えないわけで。ここまで異常な感じになるこたあない。鬼気迫る感じで舞台に挑むのは、いかがなものか。 だいたい、落ち目の役者がここまで貪欲になれるか? 日本で思い浮かべても、こんな命がけで芝居をやってるような人は、いるのか? その状況を伝えるのに、心の声みたいなのが聞こえるんだけど。中であれは「幻聴」といってたような。ってことは、要はキ印の話じゃないか、とも言えるわけで。まあ、役者とかは、みなそういうところはあるだろうが。でも、長回しともども、なんか重苦しすぎて疲れた。 あと、リーガンの子を妊娠した、と言いにきたのは、共演者のひとりか? ローラ? 彼女は、たんなるセックスの相手、なのか? よく分からない。もうちょっと掘り下げるとよかったのに。 途中でリーガンの別れた妻が登場してきて、位置づけがよく分からなくなった。なんで元妻が楽屋にきたりするんだ? 意味不明。 娘のサムはマネージャー。ってことは雇う余裕はないってことか。しかし、薬物依存の矯正施設からでてきたばっかりって。おいおい。でもなんで彼女は母親ではなく、父親と一緒に暮らすことを選択したんだろう? 不思議。元妻は、リーガンの暴力(ナイフを突きつけたとかいってたっけか?)が原因で別れたとかいってたけど、娘をそんな父親と一緒にしておいて、よかったのか? かつてのバットマン俳優が、元バードマン役者を演ずる面白さはあるだろうけど。まあ、よくあることだよな。でその元バードマンとしてのリーガンの知名度なんだが。街を裸でうろついただけで、みなが気づいたかと思ったら、別の所ではだれも気づかなかったり、なんかテキトーすぎ。それに、街を裸でうろついた映像がYouTubeにあがるぐらいなら、まだ忘れ去られてないってこったろ。まだまだ安心していいんじゃないのかね。とか思った。 ときどき現れるバードマンの実体は、かつての栄光からくる重圧なんだろうけど。それほどのものなのかね。ラスト近く、リーガン=バードマンが空中浮遊して悪と戦うシーンもあるんだが。それに憧れているということか? そっから抜け出したいということか、よく分からない。 で、芝居の方の最後はリーガンが頭を拳銃で撃ち抜いて自殺する場面で終わるんだが。初日、リーガンは本物の拳銃を手に現れ、それで自分の頭を…と思ったら、撃ったのは鼻で、死んではいなかったというオチは、なんなんだ。鼻は整形手術で治ってる…って、たった1日であんな手術ができるのか? いっぽうで、劇評家のタビサは、「舞台に血をもたらした」とかなんとかの激賞で、プロデューサーは大喜びなんだけど、おいおい、だろ。芝居は中止せずにつづけるのか? リーガンはすぐ舞台に立てるのか? 毎回、鼻を撃ち抜くわけにもいかんだろうに。なに、そういう気概で演技するって? アホか。 というか、ブロードウェイってこの程度のものなのか。こんな描かれ方されて、怒らないの? だいたい、ブロードウェーで舞台に立つのを夢見ていたレズリーの期待を裏切る方が酷だと思うぞ。 と思っていたら、リーガンは病室の窓から出て行ってしまう。戻ってきたサムが空を見上げているのは、父親であるリーガンが雄々しく空を飛んでいることの暗喩なんだろうか。 てなわけで、重々しくつくってるけど、中味はそんなにたいそうなもんでもなし。リアリティだってないと思うんだけどな。 もし日本で同じようなテーマでやるとしたら、もっと情けない役者がでてきて、ズッコケつつ笑わせて、お涙ちょうだいな感じになるんじゃなかろうか。な、あたりは、文化の違いか。ブロードウェイという存在のあるなし、か。 ギャグもあるんだけど、ハリウッドの裏話? 「ブリキのアイアンマンか」とか「ローマ法王と、スコセッシが見に来てる」とか、メグ・ライアンの整形医のことがでてきたり。そんなの許可とってるのかどうか知らないけど、まあ、みんな知ってることだからいいのか。 ・娘のことを心配しているくせに、マイクとサムが舞台裏でいちゃいちゃしてるのを見ても激しないリーガンは、なんなんだ? マイクを殴るなら、ここだろ、と思うんだが。 ・音楽で、場面転換にドラムの音が鳴り響く。ちょっとドキドキさせる。 ・冒頭と最後の隕石? あれは、コミックヒーローの登場シーンと関係あるのかね。 ・ブロードウェーで本公演前にプレビューとかいうのを3回ぐらいやるのがフツーなのか? よく分からない。 ・『マジック・イン・ムーンライト』につづけてのエマ・ストーン。軽薄さが板についた演技だった。 | ||||
ロマンス | 9/25 | 新宿武蔵野館2 | 監督/タナダユキ | 脚本/タナダユキ |
allcinemaのあらすじは「26歳の北條鉢子は新宿と箱根を往復する特急ロマンスカーのアテンダント。仕事では優秀でしっかり者の彼女だったが、恋人は鉢子のサイフをあてにするダメ男。そんなある日、郵便受けの中に母からの手紙が。鉢子は男にだらしない母のことが許せず、長いこと疎遠になっていた。そんな母からの手紙を開くこともなくポケットに入れてそのまま出勤した鉢子。いつもと変わらず仕事に精を出すが、桜庭と名乗る怪しげな映画プロデューサーの乗客とトラブルを起こしてしまう。さらに箱根湯本の駅では、鉢子が破り捨てた母の手紙を勝手に読んだ桜庭が、自殺しようとしているみたいだと言い出す始末。そしてそのまま、桜庭に引きずられるように、箱根の街で初対面のおっさんと一緒に、大嫌いな母を捜して回るハメになった鉢子だったが」 小田急のPR映画だった。タイトルはなんと、「ロマンスカー」からきていた。おいおい。露骨すぎるだろ。制作が東京テアトルなので、出資先ありきでの企画だったのかもしれない。そういえば『トイレット』という映画も、TOTOのPR映画みたいな感じだったけど、似たようなもんかな。 話は、ちとムリがありすぎて、あれよあれよの巻き込まれ型としては、いまいち話にのりきれず。だって、しっかり者で仕事できる鉢子が、万引き犯・桜庭(大倉孝二)が逃げるのを追いかけ、乗っているべき列車から置いてきぼりを喰らうとか、その後も会社に連絡をとらず、揚げ句に桜庭と実母を探しに箱根にドライブ…という展開があまりにもあり得ない展開だろ。「ああ、あり得るな、こういうこと」と思わせないと、この手の話は説得力がない。バカか、この女は、で終わってしまう。そんな映画だった。 そもそも、高校以来会ってない実母が、なぜ10年もたって手紙をよこしたのか。いまの鉢子の住所をなぜ知っているのか? いまつき合ってる男と別れる、むかし鉢子と一緒に旅行したところへ最後の旅に出る…とか、思わせぶりな手紙を出す理由がどこにある? 意味不明。 その手紙を桜庭が拾い、「母親は自殺するやも知れん」といわれ、やすやすと一緒に母親探しに出かける意味が分からない。だいたい、いつ旅に出るのかも知れず、その日、行ったら見つかるという保証もない。そんなアテのない母親探しにのる鉢子って、アホだろ。 桜庭は映画のプロデューサーで。最後の賭けのように資金を集め、でも映画はこけた。出資先の人物から追われ「訴える」とまでいわれているけど、そういうのって、あり得るのか? 別に、だまして金だけ消えた、ってわけじゃないんだろ? 前の借金の利子がふくらんで云々とはいってたけど、制作資金に回らなかったのか? っていか、分かってて詐欺まがいのことをしたのか? それとも、泣く泣くそうした? 様子がよく分からない。そんないい加減なやつなら、「また映画がつくりたい」なんていうなよ、な話だ。っていうか、雲隠れするか首つるか、どっちか、みたいな設定にでもしないと、納得できないよな。だってロマンスカーの料金や鉢子の衣類、レンタカー、ホテル料まで払えるぐらいの現金はあるってことは、まだまだ余裕ってことじゃん。 アホみたいにさんざ箱根周辺をぐるぐるするのは、スポンサーの小田急に対するサービスかね。何の成果もなく、翌日、フツーに東京に戻り、鉢子は現場放棄で上司に叱責される。バカじゃん。 ラストの桜庭。徘徊老女が交番で自宅を訪ねる場面に出くわすんだが、これはあからさまな比喩で、彼自身の状態を表しているのだろう。これからどうしたらいいか、自分でも分からない、というオチ。ほったらかしでいいのかよ。 ラストの鉢子は仕事に戻り、車内で「いい日旅立ち」を歌う中年女性と男性を発見し、注文を受ける…その笑顔で終わっている。その女性は母親か? 示唆的ではあるが、さてどうなったのか? それはめいめいお考えください、か。ふーん。つまんねーの。 ・鉢子と彼氏は同棲してるのか? で、2千円渡す。それだけじゃ、関係がよくわからんよな。だいたい、しっかりものの鉢子なら、もっとましな男を選ぶんじゃないのか? ・鉢子は、高校生のころに母親と別れたらしいが。以後どうやって生活したのか? 親戚? 孤児院? 実父はどうしているのだ? ・鉢子の両親が離婚した理由が分からない。離婚後、母親は男出入りが激しくなったらしいが。その理由はなんなんだ? もともといい加減な女だったのか? 父親は、真面目な男だったの? それとも、父親のせいで離婚したのか? とか、そういうディテールが、映画のリアリティをつくるんだよ。 ・鉢子と桜庭の接点は、桜庭の、車内販売カートからの万引きなんだけど。桜庭が万引きした理由はなんなんだ? 金に困ってないのにそうした理由がちゃんとしないと、説得力はない。 ・大倉孝二がセリフ噛んでるテイクをへーきで使ってる。それが3度ぐらいあって、ううむ…であった。 ・車内販売をしている同僚を演じている、ブスの野嵜好美がよかった。存在感ある。コネだけで入って、失敗ばかり、という設定も面白い。そういう背景が、その他の部分にもないといかんのだよな。 | ||||
私たちのハァハァ | 9/28 | テアトル新宿 | 監督/松居大悟 | 脚本/舘そらみ、松居大悟 |
allcinemaのあらすじは「福岡県北九州の片田舎に住むチエ、さっつん、文子、一ノ瀬の仲良し女子高生4人組は、ロックバンド“クリープハイプ”の大ファン。ある日、福岡のライブで出待ちしていた彼女たちは、“東京のライブにもぜひ”と言われ有頂天に。そして興奮冷めやらぬままに、東京行きを決意する。こうして深い考えもなしに、高校最後の夏休みを使って東京へ向けて自転車を走らせた4人だったが」 何か知らん、勢いはあった。けどそれだけで、それ以上のものはほんどんないので、いささか退屈。女子高生の甲高いキンキン声が、それもセリフとしてはほとんど内容は聞き取れず、意味も分からないところが大半で、何を言ってるかどうかなんて関係ない感じ。エピソードは多少あっても伏線にはなっていなくて、何も回収されず。なので、ドラマとしてはつまらない。 そもそも、誰かのファンになった経験がない。だから、追っかけの心理が分からない。しかも、それが東京のコンサートで、行き当たりばったりに自転車で出かけてしまうバカ女子校生だからな。ひとつも共感するところはないし。だから、背景とか、キャラの力でなんとか説得力を加味して欲しいところだけど、それがまったくない。あるのは勢いだけ。 最初に4人の女子校生がビデオで自撮りして、クリープハイプのファンであるとかなんとか言ってる。次に、なかのひとりの女の子の自宅で、妹と話してるところに友人から電話で、これから東京に向かうという情報が入り、彼女もでかける仕度をする。…のだけれど、このときの女の子が誰なのか、よく分からない。4人のキャラが判別できるイントロもないままだから、困ったもんである。もちろん、電話をかけてきた女の子が誰かも分からない。いざ出発、前後も画像はぶれまくり、4人の顔もよく分からない。区別できるようになったのは、山口に入ってからかな。でも、それも2人だけで、ギターもった女の子と、よくしゃべるブスの2人。あとの2人はまともに映らないので、どういうキャラかも分からない。ま、最後まで分からなかったけど。 ギターの子が一ノ瀬、というのはすぐ分かった。名前がよく登場するから。他の3人は、ずうっと分からなかった。まあ、呼ばれてはいるんだろうけど、結びつかないんだよな、これが。だから、後半でバスの車中でLINEだかなんかでチャットしてるときに名前がでても、どれが誰やら区別もつかぬ。まあ、理解しようという努力は放棄してるからいいんだけど。 話は。熱狂的なクリープハイプのファン4人。九州公演のとき出待ちしてて、「東京のファイナルにも来てね」とか言われたのを真に受けて、学校行かずに自転車で東京をめざす。けど途中で、岡山かどっかで自転車はムリとヒッチハイクに切り替えて、神戸まで来たけど金が尽き。キャバクラでバイトするも未成年がバレ。でも、一ノ瀬のバイト料が入金されたのでそれで何とか東京まで。でも、東京駅から渋谷までの電車賃がないので歩いて行って。アンコールには間に合うけど、たまたま客席ではなく、ステージに飛び出してしまうアクシデント。はいいとして、帰りの資金がない。これは、ええと、チエか文子のどっちかが自宅に電話して送金して貰った? かなんかだったかな。 まあ、現実的にはあり得ない話で。まともな頭をしてれば自転車で行こうなんて考えないわけで。一ノ瀬にバイト料が入るなら、あとの3人もなんとか金を工面して、鈍行ででも東京をめざせばいい話。ムリにドラマチックにしてる感がありすぎて、アホらしい。 飯はどうした? 風呂は? 入ってないらしいけど、臭いだろ。パンツ、どうしてんだ? 途中から制服脱いだけど、ほとんど荷物なんてもってなかったじゃん。ギター、雨に濡れていいのか? 歯みがきはどうしてる? 原爆ドームの対岸で野宿? 通報されるだろ。家族はなぜ騒がない? そういえば、誰かは退学届出してきたとか言ってたな? 東京行きは総意なのか、誰かの意見に賛同してか? よく分からん。 広島か岡山で、女性に会って東京のチケットを渡して貰うんだけど、あれは誰? クリープハイプの関係者? なんで知り合いなの? てか、そこでもコンサートやってたのか? その彼女だと思うんだけど、神戸でも会って、そこで金のことを相談したらバイト紹介してもらったんだっけ? で、2人が面接に受かり、2人は待ってるんだけど、待ってた場所はどこなんだ? あと、4人が誰かの家のベッドルームでごろ寝してるのは、あれは、この件の女性の家? なんかよく分からない。しかし、1日、2日だけのギャバクラのバイトなんてあるのか? 2台か3台のクルマに乗せてもらうんだけど、そのうちのひとりが池松壮亮で。あれは、なんであの場所にクルマを停めたんだ? 最初に。存在もよく分からんが。で、その池松壮亮が、他の3人に内緒でキスする相手が、おしゃべりブスの さっつん というのが意味不明だよな。そういえば、さっつん は、しょっちゅう九州の彼氏に電話してるんだが。それも、はあ? な感じ。 で、神戸当たりだったか。金がないからというのを尾崎さんに知らせたどうので文子と(だったかな)と言い争いになるんだが。尾崎? 誰それ? と思いつつ見てたら、クリープハイプのメンバーなのね。というか、Twitterで尾崎をフォローして、それで窮状をTweetした、とかいうことだったかな。それまでフォローしてなかったのに、急にフォローするのは頼ることだろ、とかなんとか。で、「あたしはもう東京には行かない」とかなんとか分裂の危機を迎えるという設定だけど、アホか、な感じ。 そう。出発してからずっとTwitterで実況してて、フォロワーも多数に。話題になってるはずなのに、その反響というのは絵として出さないんだよな。なんで? あと、神戸で、金がないから、誰か! と土下座写真もアップしてたはずなのに、誰も来てくれなかったの? 資金提供もなかったのか? フツー、あるだろ、少しぐらい。 で、最後は一ノ瀬のバイト料…って、おいおい。最初からそれに頼ればいいじゃないか。な、バスの旅って、話がテキトー過ぎ。で、東京から渋谷まで行くのに300円しかない。ええと、200円で行くんだから。1人は行けるはずだろ。残り? 東京駅で乞食するとか。交番に駆け込んで拝み倒すとか。一ノ瀬のギターを質に入れるとか。どっかの店に汚いパンツ持ち込んで売るとか。600円ぐらいひねり出すのに、手はかからんだろ。あるいは、ヒッチハイクしろ! 知恵を絞れ。だらだら歩くな。 で、たどり着いたら(どうもNHKホールらしい。渋公かと思ったんだが)、受付の女性が「もうすぐ終了ですよ」というこの展開って、同じ監督の『自分の事ばかりで情けなくなるよ』の「あたしの窓」と同じじゃないか。なんだよこの展開は。アホすぎるだろ。 で、道を間違って楽屋裏からステージに飛び出してしまうって、フツー、あり得ん。ご都合主義もいいところ。さらに、岡山とか神戸で助けてくれた女性に、このことでお説教喰らう過程もよわく分からない。 で、翌日? 代々木公園? ここも野宿したのか? 先に書いたようにひとりが家に電話すると、他の家庭にも連絡する、とかなんとかで。「バレてる」といいうんだけど。当たり前だろ。アホか。で、銀行振り込みなのか? 新幹線代が4人分送られてきて。でも、ひとり(文子?)は鈍行で帰るといい、ひとりは東京に残るという。残るアテがあるなら、そこに無心に行く手立てはなかったのか? とかなんとか、最初から最後までツッコミどころだらけの映画であった。 | ||||
進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド | 9/30 | MOVIX亀有シアター9 | 監督/樋口真嗣 | 脚本/ 渡辺雄介、町山智浩 |
allcinemaのあらすじは「調査兵団の一員として外壁修復作戦を決行したエレンは、アルミンをかばって巨人に飲み込まれてしまう。その直後、謎の黒髪の巨人が出現し、他の巨人を攻撃するという不可解な行動を見せるのだったが」 後編である。原作のマンガはまだ続行中だとかで、オリジナルの結末を考えたらしいが、原作は見てないので、どこがどう違うのかは分からない。分からないが、とりあえず一部の謎は解き明かしているものの、基本的な謎はそのまま放置、あるいは拡大させたまま、ラストではさらなる風呂敷を広げてしまっている。続編があるのか? という思わせぶりだけど、まあ、ないだろ。収集の付けようがなくなる。 ええと。前回はエレンが巨人に食われたけど、腹の中から生き返り、知性のある巨人として蘇った。けど、倒されて、解剖されたら中からエレンがでてきた、というところで終わっていた。人間がロボットの中に入って操縦する、というよくあるパターンだな。で、しばられたエレン(三浦春馬)をクバル(國村隼)が殺そうとしているんだが、仲間は反対。爆薬はなくなったけど、故郷に不発弾がある、なんてことも話題になって。ソウダ(ピエール瀧)もエレンを擁護しようとするんだが、なんと呆気なくクバルに殺されてしまう。おお。この圧倒的不利な状況にもかかわらず、彼らはクバル一派をやっつけてしまうんだからお立ち会い。って、ここはどうやって始末したんだっけ? 忘れてるよ。ああ、そうだ、別の巨人が突然やってきて、エレンを奪っていったんだっけかな。 で。クバルが死んだのでハンジ(石原さとみ)が指揮をとり、不発弾を取りに行くんだが、途中で巨人ともすれ違っても襲われたりはしない不思議。 という過程に、過去のイメージ。幼いエレンに父親が何かを注射しようとしている。「兄は大丈夫だったんだから」と母親を説得しているんだが、母親は制止しようとする…。この父親が草なぎ剛で母親が緒川たまきという豪華さ。で、ここにクバルとソウダが突入してきて、家の中を荒らしていく。エレンは誰かに助けられるんだが、あれは誰だったか? 忘れた。このとき、クバルは家の中の書物を焼いていく。どうも、焚書坑儒みたいな、オーウェルの『1984』みたいな政策をとっていたらしい。ほう。エレンには兄がいたのか・・・。 で、巨人にさらわれたエレンはクリーンな白い部屋にいて。そこに、隊長のシキシマ(長谷川博巳)がいて、なぜ巨人が誕生したかを、まるで原水爆実験の経過のフィルムみたいな感じで見せてくれるんだが。それによると、巨人をつくったのは人間で、ある意味では武器としてつくった、とかなんとか、あやふや。で、なぜかしらんが、突然、巨人になる人間が登場して、街は大騒ぎ。で、人間は壁を築いて閉じこもった…とかいうんだけど。話がアバウトすぎて疑問だらけ。 …という話を、“兄がいた”という過去の話につづいてするんだから、兄はシキシマだろ。とはいっても、その後、はっきりとは明かされず、最後の方でシキシマが大巨人と戦いつつ「エレン」とかいって死んでいくんだったかな、よく覚えてないけど。まあ、あのセリフが決め手ということか、兄弟であることの。 ハンジらは、不発弾を掘り出してトラックに積み込み(って、あの人数でどうやってやったんだ? 不可能だろ)、ちんたら壁の爆破に戻ろうとするが、ここでシキシマ一派に待ち伏せされる。 で。シキシマの主張は、巨人に開けられた外の壁を塞ぐのではなく、中の壁を破ろう。政府は人民の不満が政府に向かうのを避けるため、巨人と人民を戦わせている。そうして自分たちは安穏としている。だから、中の壁を破って、政府のやつらに思い知らせよう、とかいうものなんだけど。そもそもこの映画、政府中枢がどうなっているか描かないので、ちっともイメージがわかない。政府は、中の2つの円の中にあるみたいだけど、中心のエリアは狭いはずだし、食糧やなにやかやも、そんなに潤沢ではないはず。あえて巨人に壁を破らせ、3つ目の円のエリアの人民と戦わせるメリットが分からない。反乱を防ぐためなら、他にもいくらでも方法はあるだろうに。と思うと、ぜんぜん説得力がない。アホか。な感じ。 てなわけで、銃でハンジらを威圧するなか、シキシマはエレンをボコボコにするんだけど。この経緯もよく分からない。いくら意見が反対だからと行って、素手でボコボコ殴る意味が分からない。のだけれど、ここもミカサ(水原希子)と、サンナギ(松尾論)の体を張った抵抗で切り抜けるんだが。シキシマ一派の背後の塔を壊すため、死を選ぶというサンナギの心理が意味不明。なにも死ななくても逃げられただろうに。アホか。 この過程でシキシマ一派の貯蔵していた爆弾が爆発。シキシマは自ら胸に剣を刺し、巨人に変身。それではとエレンも剣を刺そうとすると、仲間が止めるんだが、これがよく分からない。どうもこの時点で、エレンは巨人への変身方法が分かっていなくて、もし死んだらどうする的な制止だったようだけど、この後、シキシマもエレンも、巨人になったり人間に戻ったりをくりかえすんだぜ。それも、剣を刺したりせずに。変身ルールがよく分からんよ。 で、ここで、巨人シキシマと巨人エレン(どうやって巨人になったんだっけ? 忘れた)の戦いが始まるんだけど、ここはかつての怪獣特撮みたいな感じ。CG使わずぬいぐるみというか、貼り付けなのか、分からんけど、実体でやっている。『エヴァ』とか『大日本人』とかも連想したけど。ははは。 その後の経緯はよく覚えてないんだけど。このあたりでハンジが行方不明になってたのかな? それが気がついて、シキシマ一派のもってた旧式武器を手にして狂喜乱舞。仲間を追ったのかな。で、その背後で立ち上がる影…黒い服に赤い布…いったい誰か? ここで巨人エレンが勝ったんだっけかな。そっから壁に行ったのか、壁の近くで戦ってたのか、よく覚えてないが。えっちら壁までたどり着き、不発弾を壁の上方の穴に差し込むんだが、これを巨人エレンにやらせる。エレンは傷ついていて、やっとこさっとこ設置して、でも、設置し終えると人間のエレンに戻ってる都合よさ。おい。どうやって変身するのか見せろよ。 と思っていたら、ところが不発弾がうまく爆発しない。そして壁の上になんとクバルが登場。生きてた、あの立ち上がったのは、クバルかよ。へー。まあ、ピンと来た人はいたろうけど。で、なんとクバルが大巨人に変身するんだよ。前作で最初に登場した、塀より背の高い巨人。クバルも巨人に変身できる能力があり、政府の手先として働いていた、ということか。他の巨人との関係は分からんけどね。で、なんだかんだあって、最初にサシャが弓で射て、変身した大巨人クバルの首筋を人間エレンが切り裂き、ハンジはロケット砲で大巨人クバルに打撃を与え、最後は、なんと死んだと思っていたシキシマが人間にもどってヨロヨロ登場。最後は…ええと、シキシマが巨人になって不発弾を大巨人クバルの口に放り込む、んだったかな? 記憶があやふや。この爆発で壁の上部が壊れ、下部に開いていた穴を塞いだ。 一件落着。エンドロール…のあと、上空を飛ぶ鳥は監視用ドローンなのか? 「実験区から2体脱出…」とかいうメッセージがどこかに向かって送られる…という意味深な終わり方。この手の、エンドロールの後の1カットは、ハリウッドでよくある手だな。続編を示唆しているようだけど、まあ、たんなる遊びだろう。 しかし、あれこれ杜撰すぎ。 円の中央にある政府とは? 政府の目的は? 巨人になる研究は? エレンの父親は、子供2人に何をした? 巨人にしてどうするつもりだったのか? というか、つい最近、10年ちょい前にそういうことを、あの3つ目の輪の中でやっていたのか? クバルは政府の手先としても、ソウダは? たんなる末端? 幼いときからエレンとシキシマを知ってた、ということか? たった2年の間に、ミカサの身に何があった? ミカサとシキシマには肉体関係あり? それにしても、人間が突然、巨人になるような現象があったなら、いくら書物に情報を残すな、といっても神話として語り継がれていてもいいんじゃないの? だって、シキシマが知ってたくらいなんだから。 クバルは、なんであんな大巨人に変身できるのだ? いや、前作で最初に登場したとき、壁の向こう側からだったよな。ってことは、壁のどこかに通り抜けの通路があるのか? 本作でも、気がついたら壁の上部に立っていたけど、どうやって上がったんだ? 前作で、巨人の体は、死んだらあっという間に消えてしまう、とかいっていた。でも、エレンは肉の袋に包まれたまま生きていた。では、他の、フツーの巨人にも、操縦者である人間がいて、巨人が倒されても残って生き返るんじゃないの? で、いったん殺されても、エレンみたいに何度もまた巨人に戻れるのでは? だいたい、クバルはなんで政府の手下みたいなことをやってんだ? あんなことまでして政府に忠誠を尽くす必要がどこにあるんだ? 家族が人質にでもなってるのか? でもって最後は、塀の中は実験場で、すべてはコントロールの許にあったとか、『メイズ・ランナー』とか『トゥルーマン・ショー』みたいな話にしたりして。テキトーに話を広げて、なにも回収しない。やだやだやだ。 ・ハンジ役の石原さとみは、武器好きの変態女。コメディリリーフとしていい味だしてるけど、ゴーグル外して可愛い顔を見せて欲しいよな、やっぱり。 ・クレジットに犬童一心の名があったけど、どこにでてたの? ・同じくクレジットに生頼範義の名があった。大巨人のキャラクターイメージをやってるとかなんとか。 ・エレンとシキシマの巨人イメージは、永井豪のマンガみたいな感じなんだよなあ。 ・尺が87分で、最初に前作のあらすじがあるので、実質80分チョイ。これは短すぎだろ。と思ったら、前作も98分なんだな。前編ではもっと人間を掘り下げるとか、後編では、過去の因縁とか政府の存在をもう少し描くとか、2時間ずつぐらいあってもよかったんじゃないのかね。 |