2016年2月

キングスマン2/1新文芸坐監督/マシュー・ヴォーン脚本/ジェーン・ゴールドマン、マシュー・ヴォーン
イギリス映画。原題は“Kingsman: The Secret Service”。allcinemaのあらすじは「高級テーラー“キングスマン”で仕立て職人として働く英国紳士のハリー。その正体は、どの国家にも縛られることなく秘密裏に正義を遂行する国際的なスパイ組織“キングスマン”のエース・エージェント。ある日、エージェントの一人が何者かに殺害され、その欠員を補充するためハリーは、貧困地区で無軌道な生活を送っていた若者エグジーをスカウトする。彼の父はキングスマンのエージェントで、17年前、その犠牲的行為でチームを救い、命を落としたハリーの恩人だったのだ。こうしてエグジーは、父の後を継ぐべくキングスマンの過酷な新人試験に身を投じていく。一方ハリーは、天才IT富豪のリッチモンド・ヴァレンタインが水面下で進めていた恐るべき陰謀の謎を追っていくが」
いささか体調不安なまま見始めて。新人試験を生き残っていくところあたりまでは結構おもしろく見た。のだけれど、その後ぐらいから少しずつ眠気が押し寄せてきた。完全に目をつむることはなかったんだけど、開いたまま朦朧〜覚醒を繰り返して、頭の爆発花火なんかは面白く見たんだけど、そのあたりの経緯はほとんど記憶にない状態。つまらなくはないけれど、眠気を吹っ飛ばすほどの力はなかった、ってことかも。
併映が『コードネーム U.N.C.L.E.(アンクル)』でともにイギリス映画。リアルよりもパターン=記号的、汗みどろでなく、オシャレでスマート。ノワールではなく、明るくポップ。なんかスタイルが似てる。こういう、まるで書き割りみたいなタッチの映画は、どうも性に合わないんだよな。
冒頭のアラブ人への攻撃(?)で、ランスロットになるべき優秀な新人を亡くし、2番手がランスロットになった、のかな。それとも、すでにメンバーだったのか? で、某博士が誘拐され、その奪還に訪れたのが、17年前のランスロット。悪漢を次々やっつけて…で、登場したのが切断ヴィーナス。彼女の足に仕込まれた剣で、ランスロットは真っ二つ! おおおお。マンガだぞ、こりゃ。
並行して描かれるのが、1番手だったけど死んでしまった優秀な新人の遺児の話で。そのエグジーがハリーにスカウトされ、新人試験に挑む、が前半。まあ、ここまでも書き割りみたいなタッチではあったけど、ある意味では成長譚なので見ていられる。でも、悪の権化のヴァレンタインが、かつての007に出てくるような絵空事のワル以上のあり得ないキャラ設定なのが、興味を削いだのかも知れない。だいたい、ヴァレンタインの目的は何なんだ? 協力者には首筋に爆弾を埋め込み、イザとなったら爆死させる。いっぽうで、人間を凶暴にする命令を発するICチップを世界中にばらまき、携帯かなんかに仕込んで殺し合わせるんだっけかな(忘れた)。それで世界を支配できるのかい? そうやって支配して、楽しいか? なワルなんだよ。根拠薄弱で面白くもなんともないよ。
あと、ハリーの武器がコウモリ傘というのが、おいおい、な感じ。ネクタイを締め、オシャレに行動するスパイ、なのは構わない。けど、銃弾も防ぐコウモリ傘は、やめてくれ、だな。
そういえば、コウモリ傘をもった主人公というと『アベンジャーズ』(1998)があって。でも、Webで“アベンジャーズ”で検索するとMARVELヒーローが結集する『アベンジャーズ』(2012)の情報と画像しかでてこないのはどういうことだ。やれやれ。
というところで、むかし録画した『テイラー・オブ・パナマ』(2001)を見ていたら、落ち目なスパイのお色気コメディで、偽スパイに仕立屋が登場する。その名前がハリー。え? 『キングスマン』の主人公もハリーだぞ。しかも仕立屋。なので、スパイと仕立屋の関係を検索したら『裏切りのサーカス』がヒットした。原作名が『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』。おお。しかも、『テイラー・オブ・パナマ』と『裏切りのサーカス』の原作者はジョン・ル・カレではないか。『裏切りのサーカス』のテイラー役はコリン・ファース。おお。見事に結びついた。ってことは、ル・カレのスパイものを下敷きにしてるということか。なーるほど。
まあ、それはいい。以降は、試験に合格した女の子ランスロットとエグジーが、ハリーとともにヴァレンタイン一派と戦う話で。エグジーは、ええと、なんだっけ。飼い犬を殺せなくて最終選考に落ち、いったんは家に戻って母親の暴力彼氏との片をつけようか、としていたら引き戻されての参戦で。ランスロットが、よく分からん装置で大気圏近くまで上昇し、衛星(?)だかをミサイルで撃ち落とすンだっけかな。なんか、最終選考通過にしては気の毒なミッションだな。方やエグジーは飛行機でヴァレンタインの秘密基地に乗り込み、あれやこれや。切断ヴィーナスとの戦いを制し、ヴァレンタインをも倒すんだけど、その間にハリーが呆気なく殺されてしまうというお気の毒様。
・犬を殺せず最終選考に落ちたエグジーに、「あれは空砲。私は、与えられた犬が生涯を全うするまで一緒に暮らした」と、その犬の剥製を見せるのは、グロ。その他、最初の試練で溺死したはずの女性も、「実は生きている」とかいったりするんだけど、どうやって助かったんだ? さらに、パラシュート降下の試練で、もしエグジーがパラシュートを開かなかったら、あれは死んでたんじゃないのか? というか、厳しい試練といいつつ、わりと甘い試験ではないか、というのが感想。
・まあ、悪役ヒロインの切断ヴィーナスは格好いいんだけど、いまいち美形でないのが残念なところ。
・そういえば、教会の中だったかで、人々が起動してしまって殺し合う場面は騒がしかったけど、ちょっと楽しい。けど、なんか人々が無為に死んでいくだけのように描かれていて、お気の毒様な感じだなあ。
・血を見るのが嫌いで「吐いてしまう」といっていたヴァレンタイン。自身が、エグジーの投げた切断ヴィーナスの義足に刺し貫かれ、その血を見てゲロ吐きながら死んでいくのは笑える。
・ヴァレンタインの仲間として首筋に爆弾仕込まれた面々が、ランスロットとエグジーの手柄(だっけ? 何がきっかけだったか、記憶にない)でぽんぽんと頭がはじけ、まるで花火みたいなのも楽しかった。あれ? そういえば、『テイラー・オブ・パナマ』にも花火のシーンがあったなあ。
・世界中のICチップを起動させるのに、指紋認証とかで、ヴァレンタインがテーブルになった画面に手のひらを押さえつけていなければならない。手を放すと、人々は正常に戻ってしまう。この設定は、あほくさ過ぎなくないか?
・クレジットに、マーク・ハミルの文字が。え? あの、最初に誘拐された某科学者がマーク・ハミルなのか! ひぇー。こないだの『スター・ウォーズ』エピソード7では最後にチラッとしかでてこなかったけど。あんなふうになっちゃってるのか!
・ラスト。ハリーの代わりに紳士となって地元のバーにやってきて、母親の暴力彼氏をやっつける、というシーンは、まあ、そうなんだろうな、定番のスタイルだよな、な感じ。
まあ、半睡状態でも、このぐらい↑は記憶していた。ははは。
芸大 音環卒展・修了展2/5東京藝術大学 千住キャンパス 音楽制作スタジオ監督/-脚本/-
東京藝術大学 音楽環境創造科 大学院音楽音響創造・芸術環境創造 卒業・修了/制作・論文発表会 2016。
以下は、音楽・音声担当で、映像製作者は別にいるようだけど、資料がないので書けない。
・『おさげを切る話』伊東珠里
パンフレットの解説は「少女の成長に伴う自我の変化や葛藤を「少女」と「おさげ」の主人公によって表現する」。成長して、振られて、それをきっかけにお下げを切ろうとする…だったかな。だからどうしたな感じ。
・『あいたたぼっち』高橋紗知
パンフレットの解説は「なかよしとの10年振りの再会は、なんだか全部が変だった。マメの側に。ワタシの側に。寂しいって、わからない。主観と客観の音表現を試みた5.1chサラウンドアニメーション作品」。冒頭は、小さいころから剥がすことに熱心で…みたいな話で。これは面白いかなと思ったら、とつぜん豆の話になって。人格化された豆があれこれ悩んだりする? で、最後は広がってきた葉を自らむしってしまうという話で。これが冒頭の“剥がす”につながるのか…。意味しているのは、成長を拒むということ?「まめ」のアクセントが変なので、それを聞いているだけで気持ち悪くなって困った。
・『Out of My Mind』櫻井美希
パンフレットの解説は「無意識下で起こる夢の現象を、意識的にアニメーションと音におこしていくという実験を試みた作品である。ここでは、ある眠っている男の夢の中を描いている。現実に鳴っている音が夢の内容に干渉したり、男が抱える欲求・不安・過去の記憶など様々なイメージが断続的に連鎖していく。特に、現実で見る景色や聞こえる音との「ズレ」を意識しながら制作を行った。」だと。ほとんど記憶に残ってないぞ。
・『いま言えない』久世文
舞台の記録映像。パンフレットの解説は「本作品では自身のリアルな生活や境遇を軸に、 言葉を「意味」としてのみ享受することで失っていく体感を捉えようとしました。」ほとんど舞台装置のない劇。登場人物は3人。セリフがよく聞き取れず、ストーリーもやってることも分からないのでひたすら退屈。30分もこれやられたらたまらない。サウンドがどうのというより、こっちの課題を解決せい、という感じ。
・『Everything's gonna be alright』村貫誠
画面がチカチカして、音が鳴っているだけ。つまらない。
芸大 音環卒展・修了展2/6東京藝術大学 千住キャンパス エントランス監督/-脚本/-
東京藝術大学 音楽環境創造科 大学院音楽音響創造・芸術環境創造 卒業・修了/制作・論文発表会 2016。
・『漂う』監督・脚本:大杉拓真。
雨。洗濯物を取りいれる若い女。庭で笹舟を見つける/少年と少女が水辺で遊んでいる。呼ばれて家に戻る…。水に浸かっている少年の靴/荷物を引きずりながら雨中やってくる若い女。3人の音楽隊と出会い…。河辺には「ダム反対」の看板。電車に乗る女/電車が停まってドアが開くと少年と少女がいて、でも降りない/その電車から女が降りた、のか? 彼女は、河辺を歩き、ボート屋のオヤジに出会い、ボートを借りる。川に浮かぶボート。
とかいう話で、よく分からない。もしかして、時制が違うのかも知れない。少年少女は遠い過去で、あの少女の現在が彼女。少年は水の事故で死んだ? 以来、目的もなく彷徨っている…とかいう話か? ムダに娘が歩くシーンが多いとか、カメラが動き過ぎとか、まあいろいろあるけど。がんばってください、な感じ。
で、パンフレットの解説を読むと「本作は、過去に弟を失った少女の物語である。少女は、過去のつらい出来事が心的外傷となり、身動きがとれずにいた。そんな受け止められなかったものについての記憶は、一つの笹舟によって呼び起こされる。そして、少女は弟の不在を受け入れるための旅に出る。」とあった。おい。そこまで読めっていうのは無理難題だろ。
・『待つ』監督・脚本:大杉拓真。原作:太宰治。
どこかの、草の生い茂った駅のホームが、色を変えて映る。で、後半は、娘が別のどこかの駅の前にあるベンチに座っている。やたらナレーションが多く、説明していて、うっとうしい。「彼女は何を待っているのであろうか?」とかくどくどと。別にドラマは起きない。最後は、コンビニ袋を下げてどこかに戻っていく。それでオシマイ。
クレジットに原作 太宰治とあって、ナレーションは「それか」と分かるが、映画はよく分からない。だいいち、無気力に打ちひしがれたような娘が、なんでコンビニ袋を下げているのだ? 中に入っているのは、ヨーグルトとかなのか? 買って食べる元気はあるんだろ、とか突っ込みたくなってしまう。
俳優 亀岡拓次2/9テアトル新宿監督/横浜聡子脚本/横浜聡子
allcinemaのあらすじは「脇役ばかりの俳優人生を送る37歳独身の亀岡拓次。どんな役でも断らず、呼ばれればどこへでも駆けつける。監督やスタッフからは愛されているが、一度もスポットライトを浴びたことはない。趣味はお酒で、彼女のいない彼はひたすら撮影現場と酒場を行き来する日々。そんなある日、ロケ先の諏訪でふと立ち寄った居酒屋の美しい若女将・安曇に恋してしまう亀岡だったが」
益岡徹の『脇役物語』みたいなものかと思っていたら違ってた。純然たる娯楽映画ではなく、わりと作家性の強いつくりになってた。といってもゲージツ性がどうのではなく、監督の個性なのかも。山なし谷なしドラマなしで、エピソードをつなげて2時間。それぞれの話はつまらなくはないんだけど、ムダと思えるカットもあるし、やたらな、でも緊張感のない長回しもくどい。アドリブの偶然性なんかも拾ってる感じで、ちょっとなあ…。90分ぐらいににまとめれば、寅さんみたいにになるかも知れない。まあ、そのためには帰ってくるホームが必要だけど。そう。そのホームを描いてないのだ。最初に登場する歌えるスナック。あれがホームになるんだろうと思ったんだけど、でてくるのは最初だけで。なんかもったいない。
全編を貫く話というのはなくて。ほぼエピソードの積み重ね。諏訪の居酒屋の女将・安曇(麻生久美子)とのロマンスも、いってみればちょっと長めのエピソードで、とくにヤマ場ともいえない。さらに困ったことに、亀岡拓次の私生活とか家族とか過去とか、そういう背景はまったく描かれない。なので、そこそこ見られるけど厚みのない平板な映画になってしまってる。まあ、それは監督の狙いなのかも知れないけど…。
売れない役者、ではない。むしろ、何でもできるから重宝されている。こういう設定では、悲哀を感じることはできないよね。では、そういう自分に満足しているかというと、そうでもない、らしい。でも、努力して演技を磨こう、とも、思ってないみたいに思える。このあたりの様子がつたわってこないから、どうやって共感すればよいか分からない。コメディ映画にするんだったら、ダメ人間ではあるけれど憎めないやつとかいう設定にしないといかんのてはないのかな。
受けない、といっていた舞台の仕事を受けたのは、もしかしたら新しいことに挑戦=向上心の現れ、なのかもしれない。けれど、そのきっかけとなる出来事が、とくにないんだよね。だから、話として弱い。
いっぽうで、スペインの巨匠アラン・スペッソ監督の映画はすべて見ていて、心酔している。ってことは、映画好きなわけだ。でも、そのわりに、映画についてくだくだしゃべるわけでもない。アラン・スペッソのオーディションも、とくに緊張してる風には見えないし。いまいち立ち位置がよく分からない。
目玉が飛び出すほどの演技とか、全身で演技する、という身上なのかも知れない。けど、のわりには日頃から不摂生してて、撮影の前に大酒を飲み、本番でゲロ吐きつつ演じたりする。まあ、ケガの功名でOKにはなるけど、演技巧者なら本番の前日に深酒なんて、するか? あ、そうだ、フィリピン娘との撮影のときは、お茶じゃなくて本物の酒を要求し、撮影中にへべれけになってたけど。どっちが本当の亀岡なんだ?
亀岡が満足していないことといったら、彼女がいないこと。女房がいないこと、が前に押し出されている。なんだよ、そんなことか。別にモテないワケでもなさそうだし。だったら、その女が出来ない理由も、描いて欲しいものだ。
最後は海外ロケのシーンで。じゃあアラン・スペッソ監督のオーディションに受かったのか? 噂では、イケメン人気俳優の貝塚トオルが受かったのではなかったの? 憧れの監督の映画に出られて、でも、ぜんぜん緊張してなくてボーッとしてるって、なんだこいつ? みたいに思ってしまうであるよ。
・いくつかの映画の現場や撮影風景が描かれるのは面白い。各シーンとも役者が贅沢だし。
・芝居では、大女優からお呼びがかかるわけだ。ってことは、見込まれてるわけで、それなりの仕事もしてる、ってことじゃないか。まあ、大女優からダメ出しくらいながらも仕事はやり遂げてるんだから立派なものだ。これで、役者名を覚えられない脇役、はないよな。で、大女優から「あなたは芝居の時間にいない。映画の時間に生きている」とかいう言葉をかけられるのは、この映画の監督の映画愛なのかもな。
・亀岡が安曇に会いに行くシーンは、スクリーンプロセスが使われている。まあ、これも映画愛なのかもな。スクーターというのも、あり得ないけど、名作には必ずスクーターが登場してるし。それらを踏まえた映画愛なのかも…。
・亀岡は、ズボンとパンツを足もとまで下ろさないと小便ができない男なのね。
・屁で返事をする。まあ、よくある話だけど。37歳であのやつれようは、どうなんだ。まあ、安田顕の実年齢が42歳だから、ってのもあるのか?
マイ・インターン2/10ギンレイホール監督/ナンシー・マイヤーズ脚本/ナンシー・マイヤーズ
原題は“The Intern”。allcinemaのあらすじは「ファッション通販サイトを起業し、ニーズを的確に掴んで短期間で急成長させることに成功したジュールズ。そんな彼女の会社に、シニア・インターン制度によって採用された70歳のベン。妻に先立たれ、新たなやりがいを求めて再び働くことを望んだ彼だったが、若者ばかりの会社ではすっかり浮いた存在に。ところが、ベンはそんなカルチャー・ギャップを楽しみ、たちまちオフィスの人気者に。一方、ここまで仕事も家庭も順調そのものだったジュールズは、急速に拡大した会社の経営にうまく対応することができず大きな試練に直面していた。そんな時、彼女の支えになってくれたのは、どこか疎ましく思っていた人生の先輩、ベンだった」
ギャングとか刑事とか、こわもての役が印象的なデ・ニーロ。この映画では女性にやさしいダンディな70歳のシングル。温厚で人当たりがよく、周囲にも気配りを欠かさない好感度な爺さんを演じてる。電話帳の会社に40年(?)だか勤め、最初は営業、後の20年(?)だかは印刷部門の部長職だったらしいけど、そんな仕事じゃビジネスのノウハウなんて身につかないだろうと思うんだが…。これがもう、したたかすぎるぐらい腰が低く、でもそれは仕事のために意識しているのではなく、生来身についているものらしいというのがオソロシイ。いまどきいるのかこんなオヤジ。
かみさんに死なれて、太極拳やったり海外旅行に行ったり、あれこれやっても、帰ってくれば一人。孫もいるけど、そうしょっちゅう会いに行くわけにも行かず…。で、再就職に応募したら運よく採用されて、の物語。アン・ハサウェーがファッション業界? なので、『プラダを着た悪魔』の後日談? と思ったらまったく違った。
で、会社としてはシニアなんてホントは採りたくない。でも社会的な要請で、仕方なくの採用。ベンは、意欲をもって出社。このギャップはリアリティがありすぎる。ベンはジュールズの直属になるけど、なにも仕事は与えられない。なので、用品配りのワゴン押しを手伝ったり、同僚の恋愛トラブルの相談に乗ったり、機会があってジュールズの運転手を務めたり…。それでも文句ひとつ言わず、仕事をつくりだしていくところが凄い。かつての誇りがあると、仕事に口出ししたりして煙たがられるのが常なんだが、ひたすら領域を侵さずニコニコしている。それでも、ちゃんと役割以上のことはしていて、たとえば専属運転手が酒を飲んでいるのを見とがめ、自分が代わりとなり、でも告げ口はしない=手柄にしないところなどは、尊敬に値する。フツーは、アレはそれは俺が俺がになるはずのところなのにね。
でまあ、営業職の頃からの知識が役立ってか、Webのカーナビより近道を知っていて、目的地にも早く着く。コンピュータには慣れてなくても、アナログは役に立つ、ということをちょこちょこと見せていくところは憎い演出。さらには、ジュールズの亭主、娘にも好かれて、毎日の迎えのときも部屋に入れてもらえるほどに。映画とは、この如才なさは、何というべきか。真似できないよなあ。
ジュールズは最初、こういうベンのやり方、存在を、たしか「目端が利きすぎる」とかいいって邪魔者扱い。まあ、分からんでもない。ホテルのコンシェルジェ以上に気が回るようなやり口は気持ちが悪く感じられるだろうし。なわけで配置転換を指示するんだけど、ある日突然、運転手が別の女性に変わっていて。しかも運転が危うかったりするので、秘書の女性のアシスタントに格上げされ、販売動向を的確に分析したりして、見込まれてしまう。とはいっても、その秘書の、大学で経営学を学んだという女性を立てることも忘れない。さらに、秘書の彼氏との不仲な関係の修復の手伝いまでして、万事丸く収めるという手際の良さ。ついには出張にも付き添うようになって、まるで父親代わりになったみたいな感じ。
他にも、ジュールズの会社にCEOを迎えよう、という話。ジュールズの亭主の浮気。ベンの恋愛…なんていう話が同時並行的に絡み合いながら進んでいき、若手や中年の社員との交流も描かれる。笑っちゃうのは、ジュールズと母親の問題で、彼女がひどいメールを母親に打ってしまい、さてどうするか、ということになって。ベンは3人の社員たちと家に侵入。警報器が鳴るなかミッションを遂行するという、冒険譚までついている。
よーく見てれば、業務上は大したことやってないのに人気者になっちゃうのはご都合主義だけど、なかなか楽しい。仕事ができるできないじゃなくて、場になじんで、領域を侵さず、人を立てつつ謙虚に行動し、チームや上司をサポートしながら自分の存在もさりげなくアピールするなんて、並じゃできない。才能だ。最近いくつか見た、ドラマがなく、ただもうエピソードの積み重ね、みたいな映画との脚本の練られ具合の違いさに愕然とするほど上手い。若いジュールズと亭主の成長物語、破局から再生への物語、老人の恋愛問題、シニアの就活問題、などなど、様々な要素が巧みに織り込まれて、しかも、エンタテインメントとしても一級品。
最後、もう離婚しかないと自立の道を選択したジュールズと、浮気亭主の関係が修復するのはデキ過ぎだけど、八方丸く収めて、観客をいい気分にしてくれる。70過ぎのジジイの恋愛とセックスについても、喜ばしい描き方をしてるしね。でも、ベンに気がある老女が、ちょっと気の毒ではあるけどね。まあ、やっぱり、ベンも、多少とも若くて、それでも60歳は過ぎてるけど、色っぽい女性の方がいいよなあ。

・企業として成功していても、株主対策としてCEOを導入した方が将来のため、ということがあるのだな。CEOを立てて、意見が対立すればCEOに従うしかない。もしかしたら、創業者の自分が追い出させるかも知れない。それでもCEOは必要なのか? というようなことも考えた。 ・もしかして、ベンがCEOの代わりになってもいいんじゃないのか? とか思って見てた。まあ、そうはならなかったけど。
・秘書と社員の不仲は、社員の浮気が原因。それは上手く修復。これを伏線あるいはアナロジーとして利用し、亭主の浮気で壊れかかったジュールズの家庭を修復するというのも、なかなか上手くできた話。まあ、亭主が浮気していて…と、出張先でベンに告白できるぐらい、打ち解ける仲になったということだろうけど。でも、出張先のホテルで同じベッドに横たわって話をしたり、「亭主と別れ、娘も嫁に行き、ひとりになったら入る墓がない」と泣くジュールズに「うちの墓の横に空きがある」と誘うベンの言葉に涙するとか、この2人はすでに恋愛関係以上のものがあるな、と示唆しているところが、少し禁断な部分があってエロスすら感じられる。
・結構たくさんの人物が登場するけど、おのおのキャラは立っていて、混乱はしない。人物の交通整理も上手くできている。
・おおっ、となったところがひとつある。ジュールズの会社は、かつてベンが働いていた印刷所が入っていた建物で、以前から熟知していたということを、さりげなく言うところだ。とくに伏線もなかったけど、ああ、そうだったのか、と、ちょっと感動した。
・ベンはジュールズと別れるとき「サヨナーラ」というなんだけど、何か下敷きがあるのか? それとも、日本でバイバイというのと同じように、日本語の「サヨナラ」は、ブームだったりするの? 他にも寿司だの太極拳だの、東洋の文化が自然に登場するのが興味深かった。
ナイトクローラー2/10ギンレイホール監督/ダン・ギルロイ脚本/ダン・ギルロイ
原題は“Nightcrawler”。allcinemaのあらすじは「ロサンゼルスに暮らす孤独な中年男ルイス・ブルーム。野心はあるものの定職にも就かず、コソ泥をしてはその日暮らしのしがない日々。そんなある日、偶然遭遇した事故現場で、ビデオカメラ片手に夢中で撮影する男たちを目撃する。彼らはニュース映像専門のパパラッチ、通称“ナイトクローラー”。事件、事故の現場にいち早く駆けつけ、誰よりもショッキングな映像をカメラに収め、それをテレビ局に高く売りつけるのを生業とする連中だ。そんなことが商売になると知り、さっそくビデオカメラと無線傍受器を手に入れると、見よう見まねでナイトクローラーとしての活動を開始するルイスだったが」
2度目。前回は、HTC有楽町だったか。少し離れたところのやつがスマホつけて気が散ったんだった。そのシーンは、警察無線の意味を調べたりするようなところで。見返しても大して重要なところを見逃してはいなかった。そのせいか、途中から退屈してきてしまった。この手の映画は、展開が分かっていると気がゆるむのかな。
あと、気になっていたルイスとテレビ局のプロデューサー、ニーナとの男女関係。「俺の部屋であれやれっていってもやらないで!」とかルイス(ギレンホール)がニーナ(レネ・ルッソ)に怒鳴っていたので、フェラしろとか、もっと過激なことを要求したりしてるんだろう。その前の、スペイン料理店での駆け引きの部分、ちょっと眠気が襲ってきて、寝はしなかったけど緊張感がゆるんでいたので、寝る寝ないについて、ニーナが触れていたのは覚えている。とにかく、ルイスは2倍の歳の女性に性的関係を要求し、ニーナも応えていたとみていいだろう。けれど、そのシーンがないんだよな。この映画に足りないのは、それだろ。ルイスとニーナのモーテルでの濡れ場。背景には現場ビデオが流れてる…とか。ルイスにまとわりつく若い女はいるけど、それをほったらかしにして、オバチャンのニーナに惹かれていく、とかいう設定で。そうでもしないと、ルイスの異常性が際立たないと思うな。
あと、気づいたのは、惨殺された白人の家から大量の麻薬がでたけど、それについては報道しない、というニーナの判断。なるほど、麻薬をめぐるいざこざだったのか。前回は、気づいてたっけかな? >> 俺
それにしても、低所得者層が白人を襲う事件とか、ヒスパニックが白人家庭を襲撃するとか、人種差別的なことも本音をズバズバ言っているのが、ある意味で清々しい。実際あるのに、ないような顔をして表面的に上品ぶっているより、よっぽどマシだよな。
オデッセイ2/12109シネマズ木場シアター5監督/リドリー・スコット脚本/ドリュー・ゴダード
原題は“The Martian”。意味は火星人。邦題のオデッセイは、叙事詩、遍歴、長い旅、の意。allcinemaのあらすじは「人類3度目となる火星の有人探査計画“アレス3”は、いきなり猛烈な砂嵐に見舞われ、ミッション開始早々に中止を余儀なくされる。さらに、クルーの一人で植物学者の宇宙飛行士マーク・ワトニーが、撤収作業中に折れたアンテナの直撃を受けて吹き飛ばされ行方不明に。事故の状況から生存は絶望視される中、リーダーのメリッサ・ルイスは他のクルーの命を優先し、ワトニーの捜索を断念して急ぎ火星から脱出する。ミッションの行方を見守っていた地球でもNASAのサンダース長官が、ワトニーの悲しい死を全世界に発表する??。ところが、ワトニーは奇跡的に命を取り留めていた。しかし、通信手段は断たれた上、次のミッション“アレス4”が火星にやってくるのは4年後。一方、生存に不可欠な水も酸素も残りわずかで、食料すらもたった31日分。そんな絶望的な状況にもかかわらず、決して希望を失うことなく、目の前の問題を一つひとつクリアしていくワトニーだったが」
なんでも大ヒットらしい。宇宙ものというと『ゼロ・グラビティ』とか『インターステラー』なんかがあった。後者にはマット・デイモンがでていて、置いてきぼりの設定だったような気がするので、続編? と思ったら違った。
物語は単純。火星探査中のクルーが砂嵐で火星を離脱し、でもクルーの1人であるマークが事故に遭って飛ばされてしまう。救出は不可能と、他のクルーは母船に戻る。が、マークは生きていた。次に火星探査が行われるのは4年後。食糧・水は乏しい。で、あれこれあって、もともとの母船が地球に帰還せず、地球から再び火星に向かう。マークは着陸船に乗り込み、火星上空で拾ってもらい、無事帰還する、という話。以上。
ドキドキできた場面は2ヵ所で、冒頭近くでマークが腹部に刺さった鋼線を引き抜き、自分で手術する場面。それと、最後近くに、火星上空で救出されるところ。この2ヵ所以外は、おおむね淡々と話が進むので、案外と退屈。それでも、ロビンソン・クルーソーのように食糧を確認したり、ジャガイモを栽培したり、水をつくったり、過去の探査機を発見して通信手段(16進法?)を考えたり…というサバイバルな部分は面白かった。そこまでで1時間ぐらいかな。でも、それからが結構長い。長くて、分かりづらい。まあ、火星に置いてきぼりにされても悲観せず、いかに生き抜くかを冷静かつ前向きに考えるという姿勢には拍手を送るけどね。
分かりづらいのは地上の方で。NASAのトップとかあれこれ登場するんだけど、それぞれがどういう地位でいかなる権限を有していて、どう連携してるのか、とかがアバウトなんだよね。そういうの気にせず雰囲気だけ分かりゃいい、っていう向きには何の問題もないんだろうけど。なんでそうなるの? どういう力関係なのか? なんて考え出すと、もうダメ。さらに、人物がしゃべる言葉の大半がカタカナ専門用語と英3文字短縮表現、それと、本ミッションに関係する固有名刺だらけで、半分も分からない。
だいたい「ソル42」とか字幕に出ても、ピンとこんぞ。「火星42日目」にすりゃいいだろうに。「アレス」は…えー、探査機体なのか。母船じゃなくて? 「アレス3」が今回のミッションで、次が「アレス4」? 「スイングバイ」とか「インターセプト」とか、観客の大半は分かってないだろ。たしか「インターセプト」は、火星上空の宇宙空間でマークを救うこと、の意味だったかな。あんなの、フツー分からんぞ。それ以外にも、あれやこれや。あれって、字幕が下手なのか、それ以外に訳しようがないのか、どっちなんだろ。
火星パートも、省略が多い。冒頭の砂嵐のシーンでも、屋外で採取していたマークが次のシーンでは屋内にいて、あれ? ってなってしまった。あらかじめ火星に基地(建屋)ができていることを知らされていないので、すごく不自然。他にも、マークが過去の無人探査機を発見するところも、モニタ上で赤いマークが見えるだけという手抜きっぽい見せ方。もうちよっとドラマチックにすりゃあいいのに、と思う。
そう。映像表現が、手控えたように淡々としていて、音楽による煽りもない。それがいかにエポックか、ということが伝わらんのだ。まあ、意図的なんだろうけど、ちょっと控え目すぎるだろ。
てなわけで。
・NASAの指令室の、最初にマークの生存に気づく女性、メガネをかけている(マッケンジー・デイヴィス)、が、なんとなくチャーミングに見えた。その後もちょこちょこ登場するんだけど、大きく取り上げられないのは、少しもったいない感じ。
・その彼女に、画面を見ろ、と連絡してきた人物は、誰なんだ? その人物が、最初にマークの生存に気づいたんだよな?
・火星への救援物資を送るロケットが空中分解した理由は、説明されてなかったよな?
・中国のサポートがよく分からなかった。極秘にしていたロケットを使って、何をしてやったんだ? その、してやった部分の描写は、あったっけ? (トイレに行っている間に、あったのかな?) それにしても、またまた中国アゲかよ。なんで中国にここまでおべっか使うかね。やはり資本が入ってるのか?
・地球との通信手段は、最初は1990何年製だったかのカメラと16進法の解読だったけど、次はテキストデータのやりとりになる。あのテキストでのやりとりは、地上からの指示だったっけ? どういう手段を使ったんだっけかな。忘れた。
・畑が吹っ飛んだ理由は何だ? 説明されてたっけ? 後に穴を塞ぐのも、ビニールシートみたいなのをくっつけて、ガムテで貼り付けるだけ、みたいなんだけど。あんなんで内部に酸素を満たして、大丈夫なのか? まあ、実際は強度が足りるのか知らんけど…。
・火星から飛び立つために使う着陸船。あれは、いつの、誰のものなんだ? ぼーっとしてて聞き逃したのかな。で、それを軽くするため、あれこれ取っ払って、先頭もビニールシート(?)で覆うぐらいにするんだけど。あんなのありか? 摩擦で焼けないのか?
・水がないのでつくる、は分かる。ところで、空気はどうしたんだ? つくったのか? 4年分も備蓄があったのか?
・マークは独身なのか? 家族が待っているとか、ないのか…。なんか、ドラマ性が希薄だなあ。
・ディスコ音楽ばかりが目立って、SEとしての音楽がないがしろ、なのは、どうなんだ?
・実は、1時間を過ぎたあたりで尿意が…。で、90分目ぐらいにちょいと抜けだして小水。戻ってきたら、マークはヒゲぼうぼうになっていた。5分ぐらい見ていない部分がある。悔しい。歳のせいかな。うむむ…。
サウルの息子2/15ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/ネメシュ・ラースロー脚本/ネメシュ・ラースロー、クララ・ロワイエ
ハンガリー映画。原題は“Saul fia”で、これも「サウルの息子」の意味らしい。allcinemaのあらすじは「1944年10月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所。ここに収容されているハンガリー系ユダヤ人のサウルは、同胞をガス室へと送り込み、その死体処理も行う“ゾンダーコマンド”として働いていた。ある日、ガス室でまだ息のある少年を発見する。結局亡くなってしまったその少年を、サウルは自分の息子と思い込む。そしてナチスの監視の目を盗み、ユダヤ教の教義にのっとった正しい埋葬で弔ってあげようと決意するのだったが」
ちょっと眠くなる薬を飲んだ状態で臨んだんだが。アウシュビッツで死体を運ぶような仕事をさせられている…ということは知っていて、そういう内容なら緊張感もあるだろうから寝ないで追従できるだろう、と思っていたのだけれど。のっけからわけの分からない映像の連続で、目はまわるしイラつくしで感情移入はできないは話は分からないで、しばらくしたら眠くなって沈没した。目が覚めたのはどの辺か記憶になくて、っていうのも、この映画、主人公に寄りの絵での長回しが多く、場面=背景とか情景が分からない。しかも、物語も分からんしドラマがどこに起こっているのかも分からず、人物の関係も曖昧なまま。なので、漠然としてしまっているのだ。
サウルが医者に、「解剖しないでくれ」と頼んでいたのは、寝る前だったよな、たしか。息子の遺体を埋めようとして「よせ、ここは俺の場所だ」といわれていたり、妻(?)のもとに何かを受け取りに行ったり、あれは目が覚めてからのことかな。そんな感じ。
冒頭に「ゾンダーコマンドとは、ユダヤ人の死体処理に従事する人々で、70日後に抹殺される」という字幕が出るだけで、その他の説明はたぶんなかった(たぶん)。アウシュビッツとか、その他もろもろは想像しろということなんだろう。でも、不親切すぎるよな。そんなの知らない人には分からんだろ。
裸にされ、ガス室に送り込まれるユダヤ人。衣服から金目のものをとりだすゾンダーコマンド。でもサウルは個人の身分証明書なんかに目がいってしまい、同僚に注意される。遺体を積み上げ処理し、ガス室を清掃する…。その繰り返し。無機的に感情のカケラも見せずに遂行する。と、ひとりの少年が息をしていて、医者のところに連れていく。医者もユダヤ人で、彼は少年の口を塞いで死に至らしめる。その少年については「解剖しろ」と命令される(命令したのはドイツ人か?)けれど、サウルは「解剖しないでくれ」と懇願する。「息子か?」と問われるけど、はっきり答えてなかったよな…。な感じなんだけど、このあたりから眠気に耐えられなくなってしまった。
っていうのも、撮り方に特長があるからだ。カメラはサウルに寄って顔、あるいは背中を中心に移動しながら長回しで撮りつづける。とうぜん周囲はあまり見えない。なにしろスタンダードサイズだから。引きの静止画がなくて、画面はいつも動きっぱなし。このせいで、目がまわってしまう。これが全編なんだから、どいうい場所でどういう人たちが何をどうやっているか、なんてちっとも分からない。
予告編を見ると「1944年10月アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所」「同朋をガス室に送る任務に就くユダヤ人」「彼らは他の囚人と引き離され数ヶ月間働かされた後、抹殺される」「ゾンダーコマンドのサウルは息子の死体を見つけてユダヤ式に正しく埋葬したいと願う」「そこでは、追悼の祈りすら捧げられなかった」という字幕がでてるけど、そんな詳しい説明が本編にあったか?
さらに、どーもこの手のホロコースト映画はつねに評価が高く、この映画もカンヌ映画祭のグランプリで、アカデミー賞でも外国語映画賞にノミネートされている。だから悪く言えない、ということろがあるんじゃなかろうか。はたまた、一般観客も、メディアでよく取り上げられているから、とかいうことでそれに引きずられているところがないのかね。ないって? ふーん。なんか、この映画で扱われているもろもろを曖昧には理解していても、正しく判断するだけの知識は、俺にはないけどな。
サウルは何で息子の死体を見ても動揺しなかったのか? なぜあんなに淡々としていたのか。後半に、問われて「あれは妻との間の子供ではない」とかいうのだけど、じゃあなんなんだ? もしかして、赤の他人ではないのか? だとしたら、他人の死骸を後生大事に抱え込んで、ラビを探し出して葬りたいという行動が分からない。だって、同じように亡くなっている人はたくさんいるだろうに。自分の息子、だとしても、ラビに送ってもらいたいというのは、あの状態ではワガママすぎないのか?
もっと疑問なのは、毎日の仕事がありながら、少年とはいえ人間の死体をどこかに隠したり背負って移動できるほど、監視の目が届かない空間があるのか? 他の仲間がサウルを諭さない理由は何なんだ? もう、サウルはイッちゃってるのか? でも、反乱のための物の受け渡しとか、任務は任せられているんだから、気違いになっちまってるわけでもないんだろ?
そう、その反乱なんだけど。仲間うちでじわじわ計画してているのがつたわってきて。でも、誰が首謀格で何をどうして、なとろこはほとんど分からない。前述した、サウルが妻に会い、何かを渡してもらうところは、あれはどういう連絡網があって、何を受け取ったんだ? 爆薬の原料とか言ってたっけ? それにしても、どうして女子との接触ができたのだ? というか、アウシュヴィッツじゃ、男子と女子はどういう具合に隔離されて働いていたのだ? いや、アウシュヴィッツじゃあ…と、収容所に関する疑問ならいくらでも湧いてくる。そういうことを、この映画を高く評価する連中は、分かってるのかね。説明なんかなくても雰囲気で分かりゃいい、なのかね。
で、後半、反乱みたいのが何となく始まり、男たちが逃げ出すんだけど。あんな簡単に反乱が起こせて、収容所から逃げ出せるのだな。で、サウルは逃げるときも死体をかついでえっちらおっちら。途中でラビ(あれは本物か?)と埋葬しようとするけど追っ手が来て。別の仲間は川へ。サウルも飛び込むけど死体がジャマで溺れそうになり、助けてくれたのはそのラビだっけ? で、死体は流されてしまうんだが、なんとか逃げて一同、小屋でひと休み、というところをどこかの少年が覗いているのは、あれは地元ハンガリーの少年なのか? いやまて、アウシュヴィッツはポーランドだよな。ならあの少年はポーランドの非ユダヤ人か。ん? この映画はハンガリー製作だよな。どういう関係になっておるのだ? なんかよく分からんが。まあいい。その少年の口を塞ぐようにナチが現れ…。サウルは、なんだか平和そうな顔をしていたけれど、暗転して銃声、だったかな。最後は。
てなわけで、収容所のゾンダーコマンドが反乱脱出するけど見つかって殺される、という話であった。そこに、ちょっと頭がおかしくなって息子(とはいえ他人かも知れんが)を葬りたいという執念にとりつかれたサウルという男がからむわけだ。分かったような、でもよく分からない話であった。目もまわるし、疲れる映画だったよ。
合葬2/16キネカ大森1監督/小林達夫脚本/渡辺あや
allcinemaのあらすじは「慶応四年(1868年)、第十五代将軍・徳川慶喜は江戸城を無血開城し、300年にわたる江戸幕府は終わりを告げた。将軍と江戸市中を守るために有志によって結成された“彰義隊”も、次第に新政府にたてつく反乱武装集団との立場に追いやられていく一方、彰義隊内部でも新政府との徹底抗戦を主張する強硬派と、衝突回避を目指す穏健派に分裂する事態に。そんな中、あくまでも将軍に忠誠を誓う極、養子先を追い出された征之助、強硬派の極を案じる悌二郎という3人の隊士も、時代の荒波に否応なくのみ込まれていくが」
知られているようで知られていない彰義隊。その全貌は映画では見えなかったけど、はかなく情けない青春像が垣間見えて、興味深かった。とはいえ、秋津極(柳楽優弥)はいいとして、吉森征之助(瀬戸康史)と福原悌二郎(岡山天音)の2人の区別がつかず、まごついた。違う顔といえばそうなのかも知れないけど、同じような系統だろ、あれ。秋津がポニーテールですぐ分かるのに、吉森と福原は同じ髪型で衣装も似てる。片方の背丈が高いけど、たしか、妹のことで秋津に食ってかかっていたとき、下から見上げるようにしていたよな、と、低い方が福原と思っていたんだけど、どうも逆だったような…。そんなんで、ずっと、どっちがどっちだ? ということに気をとられすぎた。
ところで、秋津が柳楽優弥、っていうのも、後から知ったんだよな。顔、変わり過ぎ。まあ、たまにしか見ないからだろうけど。
まあ、青年3人を中心とする群像劇、なんだろう。大政奉還後、慶喜に目通りしたというだけで徳川に殉じる覚悟を決めてしまった秋津は、純なタイプ。一直線。いちばん危ないタイプだな。
吉森は、婿入り先を追い出されたかたち、らしい。どうも、養父が酒席で斬られ、というか、抜いた刀を腹に刺してしまったみたいで、その仇を討て、と養母と妻にいわれて家を出た。けれど仇討ちのつもりはまるでなく、うろうろしていて2人と再会。彰義隊には反対だけれど、同じ考えの隊士・森篤之進(オダギリジョー)にほだされて居つづけな感じ。養家では、持参金目当てだっただけで、征之助に死なれても別に問題はない、らしい。が、養父が死に、征之助も死んでしまっては跡継ぎがいなくなって、家は断絶してしまうのではないのか? 徳川の時代ではないから、構わない? どうなんだ?
その森篤之進は、開戦反対派で。彰義隊の上司からは、「帰りたいやつは帰せ」といわれていたし、「お前は彰義隊には要らないやつだ」ともいわれていて。その煮え切らなさから、中盤で隊士に斬られてしまうのが呆気ない。このあたりも含めて、彰義隊の内部のあれやこれやを、もうちょっと描写してもらえると面白かったような気がするんだが。残念。
というわけで、3人以外にも隊士はいるんだから、少しぐらいずつ描けばいいのに、ほとんどなし。もったいない。
さて、福原の妹は秋津の許嫁で。でも、秋津は死ぬ覚悟で彰義隊に入ったからということで、破談を宣言。それに腹を立て、秋津を詰問しているところで吉森に出会い、3人で彰義隊の門をくぐるという妙な関係。もちろん吉森は反彰義隊だったし、福原も、後から分かるんだけど長崎で蘭学修行をしていて一時帰国していたところだったみたい。あと、福原には兄がいることが後半で分かるんだけど。前半で、兄を訪ねて屯所をうろうろしていたのは、あれは福原か? では、福原の兄は彰義隊にいたけど、開戦前に離脱した? ちがう? よく分からない。
てな感じだったのが、帰るところもなく吉森は彰義隊に居つづけ、福原も同様。でも、開戦間際に福原は家に戻り、兄に詫びるんだったよな。でも、妹が不憫だから、ひと目会ってやってくれ、と秋津に言いに上野の山に言ってる間に開戦し…次のシーンでは呆気なく死骸で横たわっていた。まあ、予算の関係で戦闘シーンなども撮れなかったんだろうけど。それはそれで、いい省略だと思う。
あとから、福原の妹が、「私が嘘をついたから兄は死んだ」と告白する場面があった。あれは誰に告白してたんだっけ? 嘘も、よく分からなかった。福原の妹は「秋津が死ぬ前にひと目会いたい」って、福原に言ってたんだっけ? でも、なんでそんなことを言うのだ? よく分からない。
といったような「?」はちょこちょこあるし、森篤之進は呆気なく斬られてしまうし、なんかわけの分からないまま開戦してしまう。このあたり、どういう流れでそうなったのか、を知りたいところだけど、この映画はそういうところにはあまり関心がないみたい。なんか、ちょっともったいない。
戦闘シーンはほとんどなくて、敗残の兵として秋津と吉森が山をうろつき、骸となった福原の首を掻いて、敵の手に渡らないようにするのはいいとして。その後、隠れた小屋で寝込んでいると、吉森は秋津が腹を切り損ねて苦しんでいるのに気づく。介錯を、と請われるができず、吉森は小屋を出ようとするが、旅の親子連れがやってきて…。この場面がなかなかリアルで、このようなことはあったんだろう。気の毒なことであるが、こういう一途に存在価値を見出すようなことは、先の大戦でもあったようだ。つまらん武士道の思い込みが、青年たちを無駄死にさせている。
親子連れに手伝ってもらったのか、秋津を葬る吉森。親子連れの父親の方が、秋津の懐にこれが、と差し出したのは、3人で撮った写真だった。よく見かける、幕末の写真、というような感じ。ああ、はかないことである。というところでオシマイだ。その後の顛末は、一切なかった。
ときどき、怪談のような話が挿入される。最初の方では
・帰ってみるとぞうりが濡れていたので翌日、帰路途中の家を覗くと中に腐ったものが…。
・木の根がひと肌で、また寝たくなる。
・茶碗のなかで小さな侍が白刃で決闘をしている。
・月夜に、秋津が許嫁(福原の妹)のところに…。
というもので、意味はよく分からない。
恋物語も、ちょっとある。料亭で、隊士と新政府軍の兵士が斬り合う場面があるんだが、誰が新政府軍の兵士を斬ったのか、よく見えなかった。さらに、そのとき、料亭の娘を制するような言葉を発したのは誰だったんだ? で、階段から落ちたのは秋津だったよな。でも、なんで落ちたんだ? で、気を失った秋津を解放する場面があり、どうもこの過程で、料亭の娘は秋津に惚れた様子。でも、彼女に惚れたのは…えーと、あれは吉森だったか福原だったか、まだ判別に戸惑っている頃だったので、よく分からず。
あと、吉原で女を買う場面があるんだけど、ああいう、恋は恋、セックスはセックスという割り切りが当たり前、という描写はよいかと思う。ただし、女郎の中の年かさのが、ちょっと険がありそうで、でも色っぽかったんで、彼女が誰かと恋仲に…と思っていたら、そうはならず。料亭の娘に恋した青年(吉森だったか福原だったか)が、彼女のためにと買ったかんざしを不細工な女郎に与えるというのが、よくある話ではあるけれど面白い。
あと、気になったのは、ときどき女性のつぶやきがあるんだけど。あのナレーターは何なんだ? というか、誰なんだ? なんか、意味不明だよなあ。
百日紅〜Miss HOKUSAI〜2/16キネカ大森1監督/原恵一脚本/丸尾みほ
allcinemaのあらすじは「お栄は23歳の女浮世絵師。父は当代一の人気絵師、葛飾北斎。そんな偉大な父の下で代筆を務めながら、居候の善次郎やライバル門下の売れっ子絵師・歌川国直らと賑やかな毎日を送っていた。しかし、絵師としての才能に疑いはないものの、未だ恋を知らない彼女の絵は、上手いが色気がないと評されてしまう。そんな厳しい指摘に落ち込みつつも、持ち前の負けん気で不器用なまでにまっすぐと絵と向き合っていくお栄だったが」
原作は知らない。絵がジブリなのはスタッフがそうだからか。Webで杉浦日向子の絵を見たら、全然タッチが違う。こういうのはアリなのか? ううむ。
つまらなくはない。けれど、全体を貫く話もなく、エピソードの積み重ねなので、ダイナミズムに欠ける。あのあれは最後にどうなったのか、的なドラマがないので、何かを解消したとか乗り越えたとか、そういう気分にならない。原作の各回の話をつなげただけだからなのかな。盲目の妹・お猶の話が数回あるけど、途中でお猶が死んでしまうし、それ以上の話もないし…。
妹とのエピソードは、大川端と椿、雪の日、蚊帳の上のカマキリ、そして、死の床…ぐらいか。他のエピソードは…。
お栄が描いた地獄図の屏風があり、持ち主の妻が毎夜絵から抜け出る悪霊にうなされる…。その解決法が、北斎が阿弥陀を描き加えるという話なんだが。それって、まんま「抜け雀」じゃないか。
あとは、首の伸びる女郎の話、あぶな絵の女に色気がない、と言われたお栄が、男を買いに行く話。あんなオカマ女郎がいたのか? 陰間茶屋なのか? メインのお客は坊主と言っていたけど・・・。男が女装して待ちかまえていたな。でも、オカマが疲れて、いたす前に寝てしまうので、バージンは捨ててないんだろう。
他に何があったっけ?
お栄は北斎の弟子の魚屋北渓にほの字らしいが、言い出せない、といううぶ。日頃は男勝りなのに、北渓の前に出ると顔を赤らめる。でも、北渓はべつにつき合ってる女性がいた・・・という話もあるけど、単にそれだけでドラマになってない。
北斎の弟子(?)で、住み込みでいるのが渓斎英泉で、でもひょうきんな役回りだけであまりドラマには関係ない。
両国橋でお栄に目をつけた、という歌川国直もいるけど、もう、いるだけ、な感じ。
で、北斎だけど、これががっしり体型で落ち着いた風貌・性格で。画狂老人と称し、トラブルメーカーだった実在の北斎のイメージとはなんか違うんだよなあ。もっとおしゃべりで短気でせせこましくて無頓着でひょうきんで忙しなく無礼で、小柄な感じがしてるんだけどなあ。まあ、しょうがないけど。杉浦日向子がああいう風に描いているのかな。
で、主人公のお栄だけど、実際はブスだったらしい。まあいいけど。アニメでは鉄火肌の美人に描かれていて、でも、何かに立ち向かったとか阻まれたとか乗り越えたとか、そういうドラマはまったく描かれない。だから、全体でいっても、いささか退屈な感じは免れない。
せいぜい、妹のお猶が盲目で不憫というところだけが、涙を誘うぐらいか。全体に掘り下げも甘いし、物足りない感じかな。
・犬が成長している! のでビックリした。時間経過はちゃんとしてるのな。
・北斎は妻と別居していて。お栄と2人暮らし。そこに渓斎英泉が居候している、という設定なんだが。北斎と妻は喧嘩しているわけではない。ではなぜ? というのが大きな疑問。末娘のお猶が盲目で、病人と会うのがいやだから、とかいう理由が話されていたけど、そんなことなのか? さらに、妻の住む家が立派なのは、ありゃなんなんだ?
・最後に、その後について。お栄は結婚して出戻った、という話をさりげなく字幕で紹介される。その話の方が興味津々なんだが…。 あと、善次郎のこととかもね。なんか、ここらも絵にすればいいのに、もったいない。
さよなら、人類2/17ギンレイホール監督/ロイ・アンダーソン脚本/ロイ・アンダーソン
スウェーデン/ノルウェー/フランス/ドイツ映画。監督はスウェーデン人らしい。原題は“En duva satt p? en gren och funderade p? tillvaron”。英文タイトルは“A Pigeon Sat on a Branch Reflecting on Existence”。東京国際映画祭のときの題名は『実存を省みる枝の上の鳩』。それがなぜ、たま の歌の題名みたいな邦題になるのか、意味不明。allcinemaのあらすじは「冴えないセールスマン、サムとヨナタン。吸血鬼の牙や笑い袋といった面白グッズを2人で売り歩いているが、まるで成果を挙げられず散々な日々。フラメンコの女教師は、レッスンを受けに来るお気に入りの若い男の子の身体を指導のフリをして触りまくり、フェリーの船長は船酔いが耐えられずに理容師に転職する。さらには、現代のバーになぜか、18世紀のスウェーデン国王カール12世が騎馬隊を率いて現われ」。
催眠映画だった。よく眠れる。実際、40分目ぐらいで沈没し、20分程度は寝たと思う。だって、ちっとも面白くないんだもの。allcinemaでのジャンルは、コメディ/ドラマに分類されてるけど、ほとんど笑えなかった。日本と西欧の笑いの質の問題か? いや、それだけでもないと思うんだが。
しかもこれ、ヴェネチアの金獅子賞を受賞してるのか! げ。
最初に、三部作の最終章、とか出るんだけど、あれもフェイクか? その後、死にまつわる小話がいくつか。これは「ゲバゲバ」みたいなのか? それにしてもテンポが超スロー。なんなんだこれは? と見ていくと、だんだん笑いのツボの分からない小話になって。次第に、笑いグッズをセールスしてるコンビが登場するようになって、オチもないような話が延々と…。これじゃ、寝るだろ。
この映画、クローズアップがない。みな引きのフルショット。そのせいか、誰がしゃべってるか分からないことがあるほどだ。
悪夢、なのか。巨大な鉄の樽みたいなのに人が入れられ、下から火で炙られる、というのがあって。その樽に「BOLIDEN」と書いてある。後で調べたら、スウェーデンにある国際的な鉱山会社で、スペインやチリなどで鉱毒による公害問題を引き起こしている、とでていた。これを指しているのか? しかし、字幕では一切触れていない。このように、ネイティブで背景を知らないと、ブラックにもならないようなネタが満載、なのかね。よく分からん。
ジョン・ウィック2/19新文芸坐監督/チャド・スタエルスキ、デヴィッド・リーチ脚本/デレク・コルスタッド
原題も“John Wick”。allcinemaのあらすじは「愛する妻ヘレンと静かに暮らしていたジョン・ウィック。その妻が病で亡くなり、悲しみに暮れる彼の心を癒してくれたのは亡き妻から贈られた一匹の小犬デイジーだった。そんなある日、ロシア人の若者がジョンの愛車69年式マスタングを気に入り、売ってほしいとしつこく迫ってくる。マフィアのボスを父に持つこの男ヨセフは、ジョンに断られるや夜中に彼の自宅を襲撃し、マスタングを奪い去っていく。その際デイジーまでをも殺され、すべてを奪われたジョンの怒りが爆発、たった一人で犯人への復讐に立ち上がる。彼こそは、かつて裏社会で恐れられた伝説の殺し屋だったのだ。一方、息子があのジョン・ウィックを怒らせたと知ったボスは、あわてて事態の収拾に乗り出すが」
監督のチャド・スタエルスキは、IMDb見ると、元々がスタントマンなんだな。なるほど。ガンアクションの連続の理由が分かったような気がする。
いやもう、これが美娯楽映画の原点、というような単純明快なストーリーとアクションの連続。楽しめた。
話は単純すぎるぐらいシンプルで、クルマを奪われ犬を殺されたジョン・ウィックが、相手に復習する、というこれ一点張り。展開も、下手なエピソードもほとんどなく、アイテムや情報を入手してレベルをクリアするかの如く、ゲーム感覚で一気呵成。日本のヤクザのように忍耐我慢の地ならしもなく、のっけから撃ちまくるキアヌ・リーヴスが格好いい。それも、接射もまじえてアクロバティックにがんがんなぎ倒していく。『死亡遊戯』とか『最も危険な遊戯』を連想してしまうけど、泥臭さはまったくなくて、ダンディそのもの。
この手の映画に定番の、いったんは捕まって万事休す、というところを、旧知の暗殺者マーカスに救われるのだけれど(2度も!)、ウィリアム・デフォーが演じていて、これも言葉少なく格好いい。とはいえ、捕まっても、どうせ逃げられるんだから…と思うと、いささか退屈。その後の展開も、凡百の映画と同様、カーアクションだのなんだのかんだの、あの手この手を使っているけど、正直いって退屈になってくる。
やっぱりこの手の映画は、キレて立ち上がり、身支度を調え、向かって行く…という中盤がいちばん面白い。その意味では、後半からクライマックスへと向かうあたりに、工夫が欲しいところ。なんか、おお! という新鮮な面白さはないのかね。
ところで、いくらマフィアのボスでも、あれだけ手下が殺されては戦闘能力も落ちるだろうに、手下も手下で延々と抵抗しつづける。恐れをなしてトンズラする手下はおらんのか。触れてはいけないタブーだけど笑ってしまう。
それと、いい設定の脇役がたくさん出てくるんだよな。死体を始末する掃除人。近所からクレームが、と言いにはくるけど、干渉しない警官。暗殺者仕様になっているホテルのフロント。あきらめずに追ってくる女暗殺者パーキンス。↑ですでに紹介したスナイパーのマーカス。自動車修理屋のオーレリオ。クラブ・レッドサークルの場所を教えてくれるホテルの女バーテンター、その他その他。マフィアのボスと、そのバカ息子も、いかにも“らしい”感じで、絵に描いたような定番の話を豊かに盛り上げてくれる。 ・ホテルが暗殺者仕様になっているのが面白いね。
・ジョン・ウィックが支払いに使う金貨は、どういうものなんだろう。曰くを知りたいところである。
・神出鬼没のジョン・ウィック。いつのまに倉庫内のクルマに爆薬を仕掛けたんだ! とか、そもそも、どうやって潜入したんだ? とか、いいっこなし。
・それにしても、妻の恨みではなく、妻が残してくれた犬と、1969年型ムスタングの恨み、というのが、これまた笑える。それにしても、妻はどういう病気で亡くなったのかね。
・妻が、残った夫ジョン・ウィックにと宅配で送って来たのがビーグル犬。自分が死んだら送ってくれ、と手配しておいたのかね。
まあ、謎なあれこれは、次回作でじわじわネタバラシしていこうというのか。それはそれで楽しみではあるが。
ヴィジット2/19新文芸坐監督/M・ナイト・シャマラン脚本/M・ナイト・シャマラン
原題は“The Visit”。訪問のヴィジットなのか。想像もしてなかった。ってか、もうちょい、いい題名があるだろうに。allcinemaのあらすじは「15歳のベッカと13歳のタイラーはシングルマザーに育てられている仲の良い姉弟。母は若いときに実家を飛び出して以来、両親つまり姉弟の祖父母とは音信不通となっていた。そんなある日、祖父母から姉弟に休暇を利用して遊びに来ないかとの誘いが。ちょうどカメラに夢中のベッカは、この機会に母親と家族の物語をドキュメンタリーにしようと考える。こうして姉弟だけでペンシルバニアの祖父母と1週間を過ごすことに。初めて対面する祖父母に最初は緊張したものの、優しい祖父と、祖母の美味しい料理にすっかり大喜びの姉弟だったが」
シャマラン復活、の情報が耳に入っていたので、見ておくか、と。で、結論をいうと、並レベルかな。さらにいうと、オチに、アレを使っているので、がっかり。もうアレはやめてくれ。アレをもってくるのは差別と偏見以外の何物でもないと思うぞ。
宣伝コピーになってる「3つの約束」って、そんな印象に残ってないけどな。「楽しい時間を過ごすこと」「好きなものは遠慮なく食べること」「夜9時半以降は部屋から絶対に出ないこと」…。強調されてたっけ?
登場人物が撮ったビデオ、ということでは、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』なんかの手法と同じで新味はない。なわけで、姉弟が初めて会う母の両親との1週間。到着した当日の夜、祖母徘徊しつつゲロを吐いているのを目撃。翌日の昼には、縁の下で祖母に追われる。その夜、祖母が素裸で壁をひっかいているのを目撃…。その前後かに、弟は祖父がオムツを納屋に溜めているのを発見…。町で、見知らぬ男を「あいつ、俺をつけてる」と祖父が暴行。弟が仕掛けたビデオに、祖母が夜、刃物を持ってうろついている様子が、しかも、ビデオにも気づいている様子が映っている! とか、異様な様子が明らかになっていくんだけど。その、ときどき発生する祖母の異様な行動ではゾクッとするものの、祖父の方はオムツ以外は至ってフツー。それ以外のところでは、とくに刺激的なこともなくて、正直いうと退屈していた。なにせ、異様さがエスカレートすることもなく、何もなかったような映像が映し出され、やさしい祖父母がまた登場する、というような淡々としたテンポなんだよな。
昼間、祖母がオーブンを掃除してくれ、と姉に頼み、姉が全身入ってしまうところが2ヵ所あるんだけど、危険! と見せて、実はなにもない。祖母は、夜の9時30分を過ぎないと、異様にならないらしい。変なの。
てなわけで、どういうオチなのか、考えるようになった。
祖父母の家に到着してすぐ、祖父は「地下室には行くな。カビが生えてる」とかいうので、地下室がおかしいのは明らか。なのに、姉弟はずっと行かないのだよな。この流れは変だろ。まあいい。で、いまの祖父母は別人、と読んだ。ではいまいる祖父母は誰か。『サイン』の例もあるので、宇宙人がなりすましている、と。本当の祖父母は、地下室にいる。生きているのか、死んでいるのかは、それは分からない。結果的に、当たらずといえども遠からず。あの祖父母は精神病患者で、祖父母を殺し、なりすましていた。でも、顔は別人だった。祖父母の死骸は、地下室にあった。
なーんだ。である。しかし、実は精神病患者が、というオチが多すぎるだろ、ハリウッド。
なりすますようになった経緯はよく分からない。祖父は相談員としてボランティアで働いていたんだっけか。それで精神病院にも行っていて、知り合いになったのか? ボランティア仲間の医師とかいうのが、最初に訪ねてきた。あいにく祖父はいなかったんだっけ? もしあのとき祖父と会っていたら、「違う」ということが分かった、のだよな。そのあと、世話になったという女性が訪ねてきた。姉弟が窓越しに、言い争っているのを見ていたけれど、彼女は、患者のなりすましに気づいた、ということだよな。訪問最終日の夜だっけ、ドアの外に女性がぶら下がっているのが一瞬見えて、あれは、世話になったという女性だったのかな?
でもね。いろいろ疑問も湧いてくるよな。
・患者がいなくなった、ということに気づかないのか?
・脱走してきた病院の近くを、偽祖父は姉弟をクルマに乗せて走るんだが、それは度胸だろ。
・おむつの数を考えると、結構、長く居座ってる様子。本物の祖父母と母親が、姉弟の滞在について話したのは、そんなに昔のことなのか?
・というか、姉弟は祖父母の家に到着し、携帯はつながらないしWi-Fiもないけど、モデムで母親とSkypeで話し合うんだろ? だったら、そこに祖父母も交えて母親と会話、ってのが素直な流れなんじゃないのか?
・ボランティアの医師は、最近、顔を見ない、と訪問したわけだ。健在なのは確認して、さらに“会う”ことまですればよかったのに。
・世話になった女性とは「あの方たちはどこ? あんたらは誰?」という会話になったはず。その後、彼女は誰にもこのことを話さなかったのか? あるいは、あのあとすぐ偽祖父母に殺された?
・姉弟は、ドアの外に吊されている女性を見たはず。なのに、よく偽祖父母とゲームなんてできるな。その日は、滞在最終日で、このときになってやっと姉の方が地下室へ一人でもぐり込み、祖父母の遺骸を発見するんだが。地下室探索が遅すぎるだろ。
・姉は、偽祖母を殺したのか? な割りに、フツーに回復してるなあ。
てなわけで、地元は患者の脱走騒ぎで大わらわ、ではないのかな。そんな気配がないのが不思議。それに、偽祖父母のあれやこれやは杜撰すぎ。まあ、病人だから、何も考えていなくて、すべては偶然とタイミングなのかも知らんが。
まあ、姉が本物の祖父母の遺骸を発見し、それから母親にSkypeで連絡をとり、やっと母親も異常に気づく、という体たらくだからな。まあ、なんというか、ご都合主義でできてるような話ではある。
ラスト近く、偽祖父に、弟が、おむつのウンコを顔に塗られるところがゾクゾクっ!
その弟は、アメフトの試合でタックルできず棒立ち、がトラウマらしく。それで父親が出ていった、とすら思っているところが子供らしい。でもまあ、最後に偽祖父にタックルを成功させ、面目躍如か。それにしても、エンドロールでの弟のラップは要らなかったかも。
姉役のオリヴィア・デヨングが、とても大人びた顔立ちであった。
SHERLOCK/シャーロック 忌まわしき花嫁2/23シネ・リーブル池袋シアター2監督/ダグラス・マッキノン脚本/マーク・ゲイティス、スティーヴン・モファット
イギリス映画。原題は、“The Abominable Bride”。allcinemaのあらすじは「1895年、冬のロンドン。ウエディング・ドレスを着た妻の姿に驚愕するトーマス・リコレッティ。なぜならばリコレッティ夫人は、数時間前に自ら命を絶っていたのだ。ベーカー街221B。レストレード警部から夫が妻の幽霊に殺された、と事件の説明を受けたシャーロック・ホームズは、嬉しさを隠そうともせず、ワトソンとともに事件解決へと乗り出すのだったが」
テレビ版の劇場公開のようだ。最初に、ホームズの住む部屋の意匠についていかにこだわったか、な脚本家の説明があり、本編。終映後は、キャストへのインタビューがぶら下がる。その代わり、まともなキャスト&スタッフロールがなかった。テレビ版だからだったのか…。
で、19世紀末のロンドンが舞台、かと思いきや、これがときどき現代の映像がインサートされ、どーも19世紀末は現代のホームズの夢の中、みたいな感じに話が構成されているらしく。『時空刑事』とか『インセプション』みたいなことなのか? とか。いや、そもそもテレビ版は、たしか無料お試し放送で1回目というのみた記憶があるんだけど、たしかあれはオープニングが戦場で、負傷したホームズが…で、19世紀末になるんだったかな。よく覚えてないんだけど。で、調べたら『ピンク色の研究』で、アフガンで負傷したワトソンが帰国して…な話だったようだけど、あれも現代が舞台だっけ? どうもそのようだ。でも記憶にない…。きあいい。とにかく、テレビ版を見てる人にとっては、デフォルトで現代が舞台だったのね。そんなことは、1回見てはいるが、こちらはほとんどしらない、
で。この映画というかビデオは、シリーズの一編ではあるけれど特別編で、舞台がとりあえず19世紀末のせいか、ホームズとワトソンは初対面で、戦争帰りのワトソンが下宿を探しているとき知人と出会い、ホームズを紹介されて同居する、というところから始まるんだけど。同居早々に謎の女性客があって。とまどうワトソンに、ホームズが「君の奥さんだよ」と見破るというのが、バカか、な話のスタート。
そこに警部がやってきて、花嫁(エミリア)が銃を撃ちまくって最後は自ら頭を撃ち抜いて自死。そのエミリアが幽霊となって現れ、亭主を撃ち殺した、とかいうものだったかな。
で、次には、超絶デブになってる兄マイクロフトからの「幽霊が出て困ってる」という人物からの依頼を受け、ホームズとワトソンがある屋敷に出かけるんだが、ここで、この家の亭主は呆気なく殺され、犯人を取り逃がす…。なにこれ。と思ったら、今度はどういうつながりがあるのかモリーアティ教授が登場し、現在と19世紀末の行き来が激しくなって、なにがなんだかよく分からなくなってくる…。よけいに眠気が増してくる…。寝なかったけど。
で、結末は、亭主に不満をもつ奥様連の団体の仕業で、エミリアの自死もトリックで、実は死んでいなくて別の死体を利用し、亭主を殺した後に自死したんだったかなんだったかで、わけの分からんことになり…。
今度はエミリアの墓をホームズ、ワトソンらで暴くんだけど、あれは何のため? と思ったら死骸が起き上がったり。かと思うと、有名な、モリーアティとの滝壺での取っ組み合いになり、なんとモリーアティはホームズにだったかワトソンにだったか、呆気なく蹴落とされるという…。しかも、その後、ホームズは、これは夢の世界の出来事だ、と言わんばかりに滝壺にジャーンプ! って、もう、なんだかよくわからんでした。分かる人、いるのか?
ドリーム ホーム 99%を操る男たち2/25ヒューマントラストシネマ有楽町監督/ラミン・バーラニ脚本/ラミン・バーラニ、アミール・ナデリ
原題は“99 Homes”。どういう意味があるのだろう? 99は、99%のことなのか? (「世界中の富の4分の1をたった1%の最富裕層が所有しており、残り99%は貧困である」というノーベル賞経済学者ジョセフ・E・スティグリッツの説がもととなっている。…らしい) allcinemaのあらすじは「若いシングルファザーのデニス・ナッシュ。母と小学生の息子と3人暮らしの彼は不況で職を失い、やがて自宅を差し押さえられてしまう。警察を伴い現われた不動産ブローカーのリック・カーバーは、有無を言わさぬ冷徹さで立ち退きを迫る。やむを得ず、母と息子を連れてモーテルに引っ越したデニス。必死に職を探すが、なかなか見つからず途方に暮れる。そんな彼に仕事を与えてくれたのは、皮肉にも彼を我が家から追い出した張本人のカーバーだった。家族の大切な家を取り戻すためならどんなことでもすると覚悟を決めたデニスは、カーバーの下でモラルを無視した商売に手を染め、大金を稼ぐようになっていくのだったが」
いやー。圧巻。アメリカの住宅事情、ローン、低所得者層、マイホームへの固執具合、破綻に戸惑う人々…。おそらく事実に基づいているんだろうけど、その圧倒的な現実を見せつけられて、他のことを考える余裕などなかった。もちろん眠気なんて起きなかった。凄い。
もちろん彼の地のシステムが元になっているので、仕掛けというかからくりで分からないところは多かった。けれど、そういうのが大して苦にならずに最後まで見られたのは、アバウトに理解できること、そして、その危険さがひしひしと伝わってくることにあるんだろう。日本でもマイホーム破産はあるようだけど、あそこまでドライで非情に執行されることはないだろう。映画の中で「アメリカは勝っている人のための国だ」とかいうようなセリフを不動産屋カーバーが言うシーンががあったけど、そうなんだろうな。で、それが分かっていながら、共和党を支持しつづけている低所得者層がいる。理解不能だ。
時代設定は、いつなんだろう? 公式HPにはリーマンショック(2008年)後とかいてある。製作されたのは2014年。ってことは2013年頃の実際の話、と考えいいのかな。そしてそれは、現在も進行中なのか…。
監督は西島秀俊主演の『cut』(2011)の人で脚本も担当。イラン人らしい。なーるほど。外部からの目で冷静に見えてる、ってことか。
で、家を取り上げられたデニスがどうするか? たまたま無くなった工具のことでクレームをつけに行ったら、カーバーに「仕事がある。来るか?」といわれ、心ならずも目先の現金に釣られ、今度は不動産屋の手伝いをすることになって。しかも、大工仕事だけじゃなくて営業センスを買われ、仕事を任されるようになっていくという、立場の逆転が面白い。なんたって、対峙するのは、かつての自分と同じ立場の人々。気持ちは痛いほど分かる。でも、金を稼ぐには、そんなことに構っちゃらんない。冷徹になって、バアサンだの外国人だの爺さんだのをどんどん追い出していく。テンポよく、がんがん話が進んでいくので、引きずり込まれていく。
その過程でよく分からなかったのが…
・エアコンなどの設備を外すこと。あれは、立ち退かせて空き家になった家から設備を盗み、自分たちの物件に設置する、ということなのかな。では、盗んだ先の空き家は、カーバーの取り扱い不動産ではない? あのあたりが、よく分からない。
・あと、「鍵で現金」とかいう35000ドルもらえるとかいう話のからくりがよく分からなかった。早期に出ていけば報奨金が出るということか? なんか、従業員にもやらせてたけど、カラ請求?
・あと、最後の、大手不動産に家を提供する云々のくだりも、いまいち分からない。大手が大規模な販売をするのに大して、カーバーのところみたいなのが空き家を提供して儲ける、ということのようだけど。ライバル不動産のエアコン設備を外してたのは、そんな不動産売れないだろ、と思わせるためなんだろうけど。それはもう犯罪だよな。そんなことしてバレないのか?
・その大手不動産の件で、ある家の抵当権の書類が不備で、でも、そんなことを言ってられないのでカーバーは書類を偽装し、それをデニスに命じて裁判所に提出させるんだけど。そもそも書類が不備、ということからよく分からなかった。しかも、カーバーと裁判所の事務員だかはグルで、偽装書類と分かってて仕組んでいるという…。なんなんだ。
でその、抵当書類不備の家族とは子供同士が知り合いだったかな。隣家の電気と水道を盗んでる、ってこともあったりして。やることがアメリカ。裁判所では書類不備でがんばれるはずがダメになり、明け渡し強制執行になって、この家の主人は発砲して抵抗するんだけど。とうとうデニスは「あんたは悪くない。書類は偽装だ」と警官の前で告白。主人は捕まり、デニスもパトカーに。カーバーは、どっかの誰かと立ち話していて。さて、この先はいったいどうなるんだろう? カーバーの悪事が暴かれ、会社は潰れるのか? なあなあでもみ消され、カーバー不動産は安泰なのか? そして、デニスだけが憂き目をみるのか? デニスはカーバーから借金して豪邸を購入しているのだから、もう支払いはできないわけで、ふたたび家は取り上げられるのかね。いくら書類が偽装だったとしても、発砲した主人は逮捕されるだろうし、いずれは家を取り上げられるんだろう。なんか、映画が終わっても、ひとつもスッキリしない。このモヤモヤが、アメリカの不動産の現状なんだろう。
しかし、サブプライムローンとか一定の期間を過ぎると利子が高額になる変動金利とかリバースモーゲッジとか、明らかに借り手に不利なシステムで貧乏人に家を買わせるって、始めから家を追い出すことを想定=中古物件販売ビジネスのためのやり口だろうな。で、問題は、それに乗っかって安易に家を買ってしまう貧乏人=低所得者、老人、外国人が多すぎるぞ。デニスの借金は800万円ぐらいだったかな。しかもそれって、父親が買ったときのローンだろ。ってことは30年ぐらいは払いつづけてきたわけだよなあ。それでも返済できてないどころか借金が残ってる。返済が滞る時点で、分からないのか? 分かってても何もできないのか? そのあたりの、家を買う側の理屈も知りたいところ。
※アメリカでは家を手放せばローンの支払いから解放されるらしい。後から知ったけど、そういう事情なのか。ふーん。それでサブプライムローンが不良債権を大量に生みだし、それでリーマンは破綻したと。日本じゃ、最後まで借金はついてくるけどね。
※将来の値上がりを期待して購入したけど不動産バブルが崩壊し、家転がしができなくなった、とかいう事情もあるのか? その、金利が払えなくなった理由もちゃんと知りたい。後で調べよう。
とくに、冒頭では、強制執行に対して主が自死した場面で始まっていて、かなりの驚き。家を明け渡すかわりに汚物をまき散らしたり発砲したり。そこまでアメリカ人って、不動産に執着があるのかな。ほら、デニスも、元の家を買い戻すではなく、カーバーからの借金でプールのある豪邸を買っている。それ見たとき、こいつ、懲りないな、と思ったんだが。身の丈に合った暮らし、というのができない国民なのかね。
・しかし、そうやって追い出されるデニスの家にも、壁に額入りの絵が何枚も飾ってあるというのが、映画的演出なのか、国民性なのか…。
ブラック・スキャンダル2/26109シネマズ木場シアター6監督/スコット・クーパー脚本/マーク・マルーク、ジェズ・バターワース
原題は“Black Mass”。allcinemaのあらすじは「1975年、サウスボストン。アイリッシュ系ギャングのボス、ジェームズ・バルジャーは、イタリア系マフィアと激しい抗争を繰り広げていた。一方、弟のビリーは、州の有力政治家として活躍していた。そこに、バルジャーの幼なじみジョン・コノリーがFBI捜査官となって戻ってきた。折しもFBIはイタリア系マフィアの掃討を目標に掲げており、功名心にはやるコノリーは、バルジャーにある提案を持ちかける。それは、バルジャーがFBIの情報屋となり敵の情報を流す代わりに、FBIは彼の犯罪を見逃す、という驚愕の密約だったのだが」
とても分かりにくい。とはいっても基本となる話は単純で、幼なじみの3人が長じてギャング、上院議員、FBIとなり、奇妙な利害関係で結ばれ、最後には破綻する、というだけのもの。しかも、事実に基づく話だというのだから驚きだけど、その面白さがほとんど伝わってこない。料理の仕方を間違ってる、としかいいようがない。
もっともよくないのは、人物関係がよく分からないこと。ジミー、ビリー、コノリーの3人はいいとして、その他の連中が大した紹介もなくちゃんと描かれてないから、混乱の極み。しかも、会話の中に名前がゴマンと登場するので、もうわけが分からない。主人公のジェームズ・バルジャーは、↑とかの紹介ではジェームズとなってるけど、字幕ではジミーで、ときどきバルジャーと姓でも登場するし、ジェームズ “ホワイティ” バルジャーと呼ばれていることから、愛称のホワイティでも登場する。混乱の極みだろ。
最初に登場するのはケヴィンというチンピラで、最初は用心棒だったのがジミーに気に入られて運転手になるんだけど。彼の告白から始まる。なので、幹部がボスを売った話かと思いきや、そういうわけでもない。ケヴィンについては経緯も紹介されるから、彼の語りと視点で話が進むのかと思ったら違ってて、他にも告発者が何人か登場する。その一人がジミーの幹部で殺しの請負人フレミで、彼も最初は素直に30人殺したとか簡単に自白していて。これも裏切ったのか。と思ったら、必ずしもそういうわけではなく。最後に分かるんだけど、ジミーが逮捕される、と分かるやいなや手下がみなあっさりゲロしてるのだった。そんな簡単にボス(ジミー)司法取引に応じて証言するって、どれだけジミーへの忠誠心が薄いんだよ。
他にもわんさか人物が登場し、企みや事件が起こるんだけど、人物の交通整理が下手くそすぎて話がよく理解できない。もちろんセリフに登場する名前が多すぎるのも預かってだ。
それにしても思うのは、FBIが大バカだってこと。コノリーもバカだけど、上司も同僚もみんなバカ。こんなんでよくFBIがつとまったもんだ、ってな感じ。いくらイタリアマフィアを退治するため、といっても、ありゃひどすぎる。そんなコノリーの身勝手が通ってしまい、だれも制止できないなんて…。
ジミーと手下の殺しの数々は、とんでもなく杜撰。簡単に殺し、そこらの河原に昼間っからスコップもって埋めに行く。ジミー本人も、白昼、駐車場で裏切り者をガンガン撃ったりしてる。周囲には目撃者がたくさん…。それで、なんで捕まらない。FBIの上司は「目撃者がいない」「証言がとれない」とか言ってるけど、なんで?
いくらジミーの弟が州議会の上院議員で議長だからって、兄貴の不正を隠し通せることなんて…できるのか? だとしたら、アメリカってとんでもない国だな。いや、そもそも、兄貴がアイリッシュギャングの親玉で、それで、どうやって弟が政治家できるんだ? あり得ないだろ。1970年代は、そして、ボストンじゃなにも問題がなかったのか?
そして、コノリー。イタリアマフィアを根絶させたからって、アイリッシュギャングが大手を振るうようになったら、どうなるか、ぐらい想像できるだろ? って思うんだけど…。でも、こういうことが実際あったということは、アメリカはやっぱり、おかしい国なんだな。
それにしても、刑務所でLSD投与された後遺症かも知れない、とかいう話もあるようだけど、ジミーの、気にくわないやつはさっさと殺す、って性格はなんなんだ? 頭おかしいよな。
ジョンが逮捕される、というような状況になったのは、なんでだっけ? もう忘れてる。…ええと、しらべたら、コノリーの同僚のモリスが捕まったのがきっかけだっけ? それであれこれバレて、ケヴィンとかフレミもゲロって。その間に、ジミーはトンズラ、だったようだ。あまりよく覚えていない。覚えていないほどドラマチックとはほど遠いし、なんとなーく、な感じかな。
いや、そのモリスにしても、どの程度深入りしていたか、がよく分からないのよね。コノリーとともに、イタリアマフィア殲滅のため、と思っていたのか。あるいは、ジミーから利益供与を受けていたのか、とか、まったく分からない。コノリーもそうだけど、悪事と自覚してジミーに肩入れしていたのかどうか、というようなことが不明瞭なんだよな。なわけで、あまりいい脚本とは思えない。
ジミーの息子が病気で亡くなったり、というようなエピソードも、それがどう彼に影響を与えているのか? その後、夫婦仲はどうなったのか? なども曖昧。
ステーキを食べている最中に、ジミーが味つけのことでねちねちモリスに絡み、脅すところなんて、悪趣味以外の何物でもないのだが、ああいう連中と曲がりなりにも付き合いつづけたコノリーとかモリスって、どうなんだ? アホだろ。としか思えん。
てなわけで、いろいろツッコミどころが多いので、話に夢中になるなんてことはできなかった。むしろ、退屈。つまらなかった。

 
 

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