ヤクザと憲法 | 4/1 | キネカ大森3 | 監督/土方宏史 | 脚本/--- |
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allcinemaの解説は「東海テレビが、大阪の指定暴力団“二代目東組二代目清勇会”の内部にカメラを持ち込み、ヤクザの日常に密着した衝撃のドキュメンタリー。憲法に定められている人権はヤクザとその家族にも保障されているのかというテーマを切り口に、暴力団対策法、暴力団排除条例施行後のヤクザの世界の実態と知られざる彼らの素顔に迫っていく」 いや、面白かった。本物のヤクザの事務所に密着しての取材と撮影。ここまで撮っていいのか? という圧倒的迫力。これ、実はすでにテレビで放映済みで、それは72分バージョン。それを96分にしての劇場公開だという。舎弟の大石(在日の老ヤクザかな)と部屋住みの子の話が追加されているらしい。まず、川口和秀会長に提示した3つの取り決めが「取材謝礼金は支払わない」「取材テープ等を事前に見せない」「モザイクは原則かけない」で、よくこの条件をのんで取材を許したな、という感じ。 ヤクザの日常から入っていき、会長の川口和秀、舎弟である在日の老ヤクザ、若頭、あと組員2人と、部屋住の21歳青年が主な登場人物な感じ。50近い組員は、言葉も丁寧で腰が低く、にこやか。結婚して子供もいるようだけど、一緒には住んでいない。若い頃は暴走族にもいたけれど、会社に馴染めず(?)ヤクザ家業に…という感じ。後半で、事故った(?)クルマの保険請求で保険会社と揉め、それが「詐欺」ということで逮捕。事務所がガサ入れを喰らうんだけど、なんか、警察がささいなことで因縁をつけ、嫌がらせをしている感じ。ガサ入れのときもビデオを回していて、「こるら、撮るな!」とか刑事が威圧するんだけど、結構がんばって撮ってたりする。 会長の川口和秀は、そこらのフツーの人みたいで、60過ぎなのに若々しくハンサム。女の人にもてそう。でも、22年の刑務所生活を終えて、2010年に出所、らしい。しかも、実行犯が「組長の命令でやった」と証言したことによるもので、川口和秀は「無罪やん」と映画の中でいっている。 ・キャッツアイ事件 「事件は、山口組との抗争に絡んで、小野とFという二人の東組系二代目清勇会組員が山口組組織員を狙って銃撃を行い、堀江まやさんを巻き添えにして殺害してしまったというものである。問題は、事件が小野とFの勇み足であって、二代目清勇会川口和秀会長は何も知らなかったという点にある。しかし、警察はFと小野に嘘の調書を書かせ、川口さんを罪に陥れた。嘘の調書を書かせるために、暴行、拷問、裏取引と、警察はあらゆる手を使ったとFは取材に答えた。また、最初に逮捕された小野は、破門されたため親分の川口さんを恨み、偽証をした旨を裁判所への手紙に書いている。偽証によって司法を利用し、私怨を晴らそうとしたのである。小野は自分の仕掛けた罠だから、自分で外せると軽く考え、偽証した事実を手紙にしたが、裁判所は無視した。川口さんを狙った罠は、権力が仕掛けたものであり、小野も罠にかかっただけだったのだ。権力は、この事件を「暴対法創設のきっかけ」のひとつとした」 http://blog.livedoor.jp/kozymemory/archives/50840465.html なんか、すごい会長。22年も入っていて、でも、出所してもその存在感は薄れない。調べたら、上部団体である東組の副組長も務めているとか。そういうことは見ているときは分からなかったけど、調べていくと、いろいろ興味深いことが分かってくる。そもそも東組は大阪にあって山口組の傘下に収まらず、むしろ抗争をつづけてきた武闘派だとか。その副組長が、ひとりで居酒屋に行ったりしていて、なにこの気軽さは、だったり。まあ、カメラの後ろに組員が何人かいたのかも知れないけどね。でも、普段着姿をみたら、とてもそういう人には見えない。 21歳の青年は、要領とか覚えも悪い。チンピラ上がりでもなさそうで、学校ではいじめられてたっぽい感じ。会社に勤めたけど合わず、この世界にとやってきた感じ。まさに社会の脱落者の受け皿なヤクザの世界。こんな青年に親身に接するのは70歳近い老ヤクザ(舎弟)で、「選挙権がない」という言葉で出自がわかる。これもまた、一般社会から弾かれてしまった身分だ。 同時並行で、山口組の顧問弁護士・山之内幸夫が紹介される。映画の中では東組とも清勇会とも直接関係はないけれど、ヤクザ世界で飯を食っている弁護士というものの実体に迫っていて、こちらも興味深かった。かつて逮捕・裁判の経験があり、当時は無罪を勝ち取った。けれど、最近、ある住居の鍵を壊したどうので起訴され、最終的に10月の判決。執行猶予はついたけれど、弁護士資格は失うらしい。かつては3〜4人いた事務員も、いまは昔からのオバサンひとりで、仕事も減っているとか。これも、権力側のヤクザ潰しの一環なんだろう。 そして、川口和秀会長がスタッフに訴えるのは、ヤクザとその家族の人権で、子供が保育園に入れないとか銀行口座がつくれない、保険に入れないなど、障がいがあるらしい。ここで憲法の基本的人権が登場するんだけど、字義通りに解釈するなら、ヤクザにも人権はあるわけで、憲法違反ということになる。 これはオウム真理教の信者にもあてはまることで、彼らもまた住民票を受け入れてもらえなど、人権無視の扱いを受けている。でもたぶん、多くの人は、ヤクザだから、カルト教団だから、で納得してしまうんだろう。けれど、いつなんどき、左翼政党や社会運動家に、その矛先が向かわないとも限らないわけで。そういう意味では、いかなる環境にあり、どういった信条をもった人であっても平等に人権は尊重されなければならない。そこを逸脱するのは、法律的にはおかしいのだ、とこの映画は主張する。まさにその通りで、お上の意向に沿った人間以外は生きづらくなっているのも事実なのだ。という意味で、気骨のある映画だよな。 そして、↑で書いたように、人のよさそうな幹部が保険金詐欺で逮捕されるに至って、権力側の傍若無人ぶりが見えてくる。はたして、ヤクザをこの世からなくして、それで社会はうまく回っていくのだろうか? 幕切れ間近の、川口和秀会長の「どこで受け入れてくれる?」という言葉がすべてを語っているような気が、しないでもない。 とはいえ、ヤクザは何で稼いでいるのか。映画でも、“しのぎ”の場面が出てくるけど(よく撮らせたなという感じ)、具体的には組員は語らず、笑って誤魔化す。その“しのぎ”によって一般人に被害かおよぶのか否かは分からない。まあ、自分に被害がおよばなければ勝手にやってくれ、な連中ではあるけれど、もしかしたら関係かあったりするのかも知れないわけで、それは困るよな、と思う。かといって、受け皿がなくなったとき、社会に不適応な組員たちはどうなっていくのか、も気になる。果たして警察は、そこまで考えてやっているとも思えないし。たんに現状のヤクザ組織をなくしても、別の何かにかたちを変えて生き延びるか、はたまた海外のマフィアが日本にやってくるかも知れない。そうした広がりまで考えると、本当にヤクザものの問題は、難しいと思う。 内容についてはWebの「指定暴力団に完全密着したドキュメンタリー『ヤクザと憲法』の衝撃」(Interview & Text by 浅原裕久)が詳しくて、「ヤクザは暴排条例で出演させてはならないことになっているので、謝礼金は支払わない」「当初、取材は事務所のなかだけだったが、川口会長が「これも取材してみたらどうや?」「祭行く?」「本家に行く?」「本家の葬式も来たらどうや?」と言ってきた」とか書いてあった。本家(東組)の葬式の場面など、どうやって許可を取ったんだと思っていたんだけれど、なるほどな感じ。川口会長が東組の副組長であることも大きいんだな。 さらに、「清勇会は古いタイプのヤクザで人間関係を重んじている。大きな組織なればなるほどサラリーマン化している。ヤクザ全体が絶滅危惧種のようなものだが、なかでも極めて減少している絶滅寸前種」などとも書かれていた。番組についての、ヤクザからの反応については「日常が映っているだけなので、さほど面白くないんじゃないかなと思います」と書いていて、これもびっくり。そんなものなのか。見られたくない、知られたくない、という意識が強い集団かと思っていたんだけど、そうではないのね、と。 ・会指針として「止持作犯」という文字が掲げてあった。これまで知らない言葉なので、ううむ、とか思った。他にも、おしぼりを持ち帰るなとか、勝手に封書を開けるな、とかいう決まり事が貼り紙になっていた。知識が豊富なのか、小学生並なのか、よく分からないところである。ははは。 | ||||
あん | 4/4 | ギンレイホール | 監督/河瀬直美 | 脚本/河瀬直美 |
allcinemaのあらすじは「町の小さなどら焼き屋“どら春”で雇われ店長をしているワケありの中年男、千太郎。単調な毎日を送る彼の前に、ある日、求人募集の張り紙を見て働かせてほしいと申し出る老女、徳江が現われる。彼女の粒あんが絶品だったことから雇ってみたところ、たちまち評判となり、店はみるみる繁盛していくが」 橋場にある人権プラザ展示室で『写真展 ハンセン病を生きて 山内定・きみ江夫妻の愛情物語』を見たのは3年近く前のことになるのか。その後、同内容の写真展が銀座の7丁目か8丁目であって、それも見に行ったっけ。その、奥さんの方の健気な姿が可愛らしくて、熱いものがこみ上げてきたのを覚えている。それがあって、東村山の全生園の存在は知っていた。なので、この映画がハンセン病患者の話である、と分かってしまった段階で、なんとなく展開は予想がついた。概ね、本筋はその通りの話で、それ以上でも以下でもなかったけれど、それだけでは映画は存在しない。ディテールをいかに描き込むか、人をどう描くか。あともうひとつ、河瀬直美の本格的な商業映画ということも気になっていた。 前半の、ゆっくりと話を置いていくような話運びがは、なかなか丁寧。徳江が店にやってきて働きたい、というあたりの描き方はとても愛らしく、健気。一度でいいから社会にでて働いてみたいという気持ちがとても素直につたわってきた。で、盛り上がるのは、千太郎とワカナが徳江に会いに行き、ぜんざい(?)を食べるところかな。さて、その後、どう盛り上げ、泣かしてくれるのかと思いきや、なんとそういうのは無しで。淡々と、なんか失速気味なんだよね。人物の負っているいろいろも、中途半端に放り出したまま終わってしまっていて、これからどうなるんだよ、あとは想像しろってか。ううむ、な感じで終わってしまって、ちょっと残念。 ハンセン病の元患者が飲食店で働いて、それを快く人が受け入れるか問題があるわけで。これはなかなか難しい。ラディカルなひとや志のある方たちは、問題なく受け入れるんだろうけど、正直にいって、まったく抵抗なく食べられるかというと、あまり自信がない。徳江や、患者さんたちには申し訳ないけど、心理的な抵抗というのは、ある。それをどこまで改善できるか。どうすれば、問題ないレベルにまで引き上げられるのか。他人様の意見を聞きたいところである。 でも、この映画は、社会運動のためのものではないから、そういうことに踏み込んであーだこーだいったりはしてくれない。少しはしてくれた方が安心できるような気もしないではないのだよな、実のところをいうと。たとえば、現実に、全生園では周辺の住民との交流が盛んに行われているとか、元患者の住人がやっている食堂があって、そこに周辺住民がやってきているとか。そういう事実があれば、それをなぞった話も見たい気もしないでもない。映画では、そのような食堂がでてきたけれど、あれと同じものが全生園にもあるんだろうか。ぜひ知りたい気がした。 たんなる教育や情報提供だけでは、なかなか偏見は修正できないような気がする。なんか、体験していくことで、ハードルは超えていけるような気がするんだけどね。 で、全生園のHPをみたら医療関係者の見学案内は定期的にあるようだ。一般向けもときどき企画はされているみたい。医療関係者向けの場合、日程はあらかじめ決められていて、「感染対策により、マスクの着用準備をお願いします」「昼食は、各自で準備してください」などとあって、映画の中でのようにふらりと入っていけるような場所ではないみたいね。まして、園の人がつくったものを食べるというようなことは、ないみたいだな。 そうなってくると、徳江が出自を隠して飲食店で働くことは、これはOKなのか? という疑問も少し涌いてくるんだが…。 ・会話で、これはアドリブで長くやらせて、自然な会話を撮ってるな、っていうところは結構あって。これまでの手法を踏襲している。でも、前半はそれが、それほど目立たないんだけど、後半になると森のさわさわいう音とか、『萌の朱雀』『殯の森』と似たようなシーンのインサートが目立ってきて、ううむ、な感じ。商業映画でも、自分の思いはすべて捨てきれないのね。まあ、そういうものなのかも知れないけど。 ・徳江が、らい、というのを初めてつたえてきたのは、オーナー(浅田美代子)で。「そういう、うわさ」だったけど。だれがどう、とは突っ込まなかった。その後、広めたのはワカナの母親らしい、と印象づける場面があって。「徳江さんの手のことを、お母さんにだけ話したの」ワカナ自身がさらりという。ワカナの母親が広め、オーナーの耳に入った、というより、後に一気に客がいなくなった原因が、ワカナの母親、というような示唆かも知れない。フツー、こういう場合、ワカナは罪悪感に苛まれそうな気がするんだけど、そういうことはなさそうなんだよね。ワカナの正直さに何も言えない、って感じかな。それでも、フツーの映画だったら、ワカナが責められ、それを千太郎がかばうとか、そういう展開になりそうなものだけど、まあ、この映画では責める人がいないからな。それでもまあ、世間はそういうもの、と分かればいいのかも知れないけどね。 ・千太郎が“どら春”で働いている理由。それは、オーナーが千太郎に言った「慰謝料の返済もまだ」ということだけでよかったような気がする。後半、千太郎の独白ナレーションで、むかし居酒屋で働いていたとき喧嘩の仲裁が加害者になってしまって相手に障がいを負わせる怪我をさせた。それで3年ほど刑務所に入っていた。ということが語られるのだけれど、それを聞いたら、ではなぜオーナーが慰謝料を払ってくれたのか、まで知りたくなるではないか。“どら春”はオーナーの旦那がやっていた店らしいんだけど、その旦那は出てこない。いまも健在なのか? はたまた、どういう義理で千太郎を救ったのか? 旦那が救ったのか、オーナーが助け船を出したのか? 意味深だ。だから、「慰謝料の返済もまだ」でやめといて、それ以上はご想像に任せます、でもよかったかも。それに、事情を語るナレーションは、説明的すぎるしなあ。 ・ワカナの家庭も気の毒な感じで。母子家庭。母親にはつあってる男がいて。ワカナは中学にも行かせてもらえなそうな状態…って、そこまでのバカ母っているのか? 教師がなんとかしてやろうとか、するもんじゃないのか? ワカナはカナリヤを飼っていて、でもアパートだから問題になって何とかしなくちゃいけない。なので、徳江が園に戻った後、千太郎のところにカナリヤを連れてやってきて、預かってくれと頼むが断られ、じゃあ徳江の住んでいるところに行こう、という。かつて、月を見ながら「カナリヤは店長か私が預かってあげるよ」といってくれたことを覚えていて、カナリヤを徳江に預けようというのだ。まあ、落ち込んでる千太郎を徳江に会わせたい、という意図もあったんだろうけど。その後、徳江に会いに行くと3日前に亡くなったことを知らされ、声を録音したテープも渡される。そこのは、「カナリヤはすぐに逃がした」と吹き込まれていたんだけど、籠の鳥を自分が園に縛り付けられていた状態と重ね合わせるレトリックは、ちょっとベタすぎかも。で、この、月のエピソードが何回か語られるんだけど、何かよく分からなかったんだよね。どういうことだ? ・徳江が去り、あんの味がどうなったんだかよく分からない。手順は教えてもらったんだから、千太郎でも真似はできるだろうけど、列ができるほどではないみたい。そこにオーナーが、やさぐれた甥を連れてきて、「働かせてちょうだい」という。改装して、どら焼き+たこ焼きの店にしたいんだと。千太郎は始め断るけど、慰謝料のせいで受け入れたのかね。なにせ、以後、映像もないし、経緯も語られないので、よく分からない。ワカナが店にやってくると改装中で、千太郎がいない。それで園まで行ったら、この入口でうなだれていた。それで一緒に入って、徳江の死を知らされる、という流れで。次の場面は、花見の公園でどら焼きを売っているんだけど、あれはどう解釈すればよいのかね。改装後、ダメ甥と仕事はしてるけど、ああしてどら焼きだけを単独で売る商売もしてる、ということなのか? 別に、独立したわけじゃないだろ? 慰謝料返済が済んでないから、それはできない。あともうひとつ。ああした場所で、どら焼き販売は無許可でできるのか? ・墓がつくれないので、樹木を植える、というはなしがあった。それは、どういうことなんだろう? | ||||
僕だけがいない街 | 4/11 | MOVIX亀有シアター8 | 監督/平川雄一朗 | 脚本/後藤法子 |
allcinemaのあらすじは「ピザ屋でアルバイトする売れない漫画家の藤沼悟。彼は、事件や事故に遭遇すると、その原因が発生する直前の時点に時間が巻き戻る不思議な能力を持っていた。しかし自ら“リバイバル”と呼ぶその現象はいつ起こるかも分からず、彼にとっては迷惑な能力でしかなかった。ある日、リバイバルのせいでケガをした悟。他人と距離を置いて生きてきた彼だったが、心配して病院に付き添ってくれたバイト仲間の愛梨と思いがけず距離が縮まっていく。そんな中、悟が再びリバイバルに遭遇した時、一緒にいた母・佐知子が何かに気づく。しかしその直後、佐知子は何者かに殺害されてしまう。するとまたしてもリバイバルが起こり、悟の意識は1988年のまだ小学生だった悟自身の頭の中に飛んでしまう。それは、同級生の雛月加代が被害者となった連続誘拐殺人事件が起こる直前だった。全ての鍵はこの事件にあると確信し、雛月を守ってみせると決意する悟だったが」 映画の勘所が分かってない感じ。本人のナレーションで説明的にあれこれ解説したり、TVっぽい。犯人は、八代先生か、後から登場する元新聞記者の澤田しかいなくて。なんか、強引に「澤田が犯人」とミスリードしておいて、実は…で脅かそうとしてるんだが。教師の後に市会議員という立場で、どうやってあれだけの修羅場をくぐり抜けてきたのか、そのお手並みを拝見したいものだ。ぜったいにムリだと思うけど。 ・「リバイバルだ…」って、その現象を自分でそう名づけてるのか? へんなの。 ・そのリバイバルが、いかなるときに発生し、それは何のためなのか、がさっぱり分からない。というか、そーいうとになっています、でしかないテキトーさ。 ・10歳ぐらいのときにあれだけのことがあって、同級生が何人も死んでいるのに、事件のことを覚えてないことがあるか、ボケ! ・母親が刺殺されたシーン。救急車呼んだところでカットを切り替えりゃいいのに、そのまま延々ゆすったり泣いたり演技が大げさすぎて笑える。むしろ、その間、犯人は窓にいた、を強調したらいいのに。 ・犯人の、包丁を刺す向きが素人。刃が下向きだ。殺意を持ってするなら、下向きだろ。だいいち、あれじゃ、刺しただけで、致死に至るとは限らない刺し方だと思うんだが。 ・1988年で。雛月加代の母親がゴミを捨てるのを目撃し、内容物が加代のものだと認めた悟。ゴミ袋を奪取するのかと思いきや、そのまま。おい、それあかんだろ。 ・加代を潜ませたバスに、夜、不審者がやってきて。加代は見つからなかったけど、翌日、男の残していったリュックに目出し帽、霧吹き、ロープ、白鳥のゴム長があるのを発見。その時点で、悟はなぜ警察に通報しないのだ? 指紋が検出されるだろうに。あるいは、翌日から張り込んで、不審者を特定すべきだろ。だって、悟の頭のなかは、2006年の悟なんだから、そのぐらいできるだろ。 ・北海道で起きた事件で、のちに悟は上京して船橋に住んでいる設定。それはいい。しかし、八代先生は退職後、船橋の市議会議員なって、あたりで20件近い幼女殺しをやってる…って、おい。さらに、幼なじみの弁護士も船橋在住? さらにさらに、死なずに長じた加代も、結婚して船橋に住んでいるのか? そう都合よく、なんでみなさん船橋に? ・しかし、北海道で数件の幼女殺し、船橋では20件近い幼女殺し。その共通点を調べれば、移住してきた八代は、すぐに容疑者にあがるだろ。 ・火災後、病院の愛梨は、悟の元へと病院を抜け出す。エレベーターで、悟の母の知人である澤田とすれ違う。一瞬見る澤田。で、次のシーンで、愛梨は河川敷にいる(だっけかな)悟のところまでやってくるんだが、警官に後をつけられていて、逮捕される。このシーンで、犯人は澤田だと確信した。つまり、逃げた愛梨の行方を警察にいえばよいのだから。しかし、犯人は別人だった。犯人である八代先生は、ではどうやって警察を動かし、悟を逮捕させたのか? もしかして、八代はそんなことしてなくて、愛梨が逃げるところを、警察に見られていただけ、ということか? なんかな。 ・悟の母親は、新聞記者なのか? ・八代が犯人と分かるのは、八代が「養護施設(だっけ?)に何度も話している」といっていたのに、実は、悟の母親が養護施設に話したら、1回でやってきた、というズレに気づいたからなんだが。それに気づいたとき、悟は加代の家の前にいて、加代が施設に行くのを見てたんじゃなかったっけ。その後、八代が女生徒をアイスホッケーに誘い、でもそれは悟をおびき出すためのトリックで、それで悟は橋から突き落とされることに…。なんだけど、気づいた時点で母親とか警察にいやあいいじゃないか。頭の中も子供にもどったみたいで、おかしいよな。 ・加代の母とその彼氏は、子供を虐待してる。意味なく虐待してる感じで、リアリティないこと夥しい。なのに、養護施設に預けられる段になると、母親は加代に「行きたいの?」とか聞いているんだが、厄介払いができて願ったり叶ったりじゃないのか? それとも、いじめる対象がいなくなるのがこまるのか? ・何度目かに1988年に戻り、犯人が八代先生と分かり、橋から突き落とされる悟。ハッと気づくとベッドで、冒頭の事故後の病院という設定なんだけど。死んだのに、なぜ生きてるんだよ。おかしいだろ。 ・雛月加代は救ったけど、ほかの子供は大量に犠牲になってるわけで。ほとんど何の解決にもなってないような気がするんだが。 ・そもそも、現役の市会議員がとくに変装もせず、街場で幼女に声をかけ、連れ去ろうとするなんて、杜撰すぎるだろ。どうして捕まらなかったのか、の方が謎だな。 ・ラストで、亡くなって10周忌の墓参に、白鳥が来ているのはなぜなんだ? あの時の流れの中で、白鳥は犯人として逮捕され、刑務所にいたのか? それとも、あの事件の犯人は不明、ということで終わったのか? 不明であれば、白鳥は、わざわざ墓参に来るような義理はないような気がするんだが。 | ||||
夏をゆく人々 | 4/12 | ギンレイホール | 監督/アリーチェ・ロルヴァケル | 脚本/アリーチェ・ロルヴァケル |
原題は“Le meraviglie”。Google翻訳したら「不思議」とでてきたよ。イタリア/スイス/ドイツ映画。allcinemaのあらすじは「イタリア中部、トスカーナ地方。人里離れた自然豊かなこの土地で、昔ながらの方法で養蜂を営む一家があった。ドイツ人の父ヴォルフガングと母アンジェリカ、4人の娘たちに、居候の女性ココという家族構成。長女のジェルソミーナはまだ12歳ながら養蜂の技術に優れ、いまや頑固一徹な父の助手として欠かせない存在となっていた。ある日、一家はテレビ番組のロケ現場に遭遇し、ジェルソミーナは女性司会者の華やかな美しさにたちまち心奪われる。そんな中、一家は14歳のドイツ人少年を預かることに。それは、少年更生プログラムによるもので、ヴォルフガングが勝手に決めてしまったことだった。戸惑う女性陣をよそに、まるで息子ができたようでご機嫌のヴォルフガングだったが」 いったいこれはいつの時代の設定なんだ? 山奥でもないようだし…。いくら養蜂家だといっても、こんな50年以上前みたいな生活をしてる連中がいるのか? イタリアだろ? なんか、一般民となじめないジプシーじゃないのか? とか思って見ていた。やたらエトルリアとかエトルリア人とかでてくるんだけど、歴史を知らないので、見ながら「なるほど」とは思えず、あとで調べはしたけれど、それでもすんなり納得できない家族の設定。 さらに、様子や背景が断片的すぎて、説明もほとんどないので、よく分からんのだよな。一家は、両親と娘4人。そこに居候の40年輩の女ココがいるんだけど、彼女は何なんだ? 最後まで分からず。父親の妹? 分からないイライラがまだつづく。 母親は、ジェルソミーナに「話があるの」といいつつ言いそびれ、そのままになってしまっている。もしかしてジェルソミーナは、ココの娘なのか? とか思ったんだけど、そういうことも分からないというか、尻切れトンボ。ううむ。イライラ。 ま、要は、父親は娘たち、とくに上の2人を労働力としてしか見ていない。そんな田舎にテレビのクルーがやってきて、コンテストをするという。このテレビもよく分からん話で、どういう番組で、何を見せるのか、とてもアバウト。父親は「テレビなんかダメだ」とキッパリ。お金に不自由していることを知ってる長女のジェルソミーナは「優勝すれば賞金がもらえる」というんだけど、父親は「金なんか要らん」という。 この父親の考えが、さっぱり分からない。ではなぜ養蜂を営んでいるのか? 生活費だろ? しかも、途中で分かるんだけど、家賃滞納で退去を求められているらしい。なのに金は要らんといい、でもジェルソミーナにラクダを買ってくる。なんでラクダなのか? ジェルソミーナがむかし欲しいとでも言ったのか? この散在で、母親は「離婚だ」とかいうけど、ぜーんぜんそんなことにはならない。そういうおおらかさがありながら、わずかでもハチミツをこぼすと激高する。別にそれはもったいないではなく、売り物を失った、ではないのか? それにしても、テレビはあるようだし、友人もいるようだ。学校に行ってる姿がないのが不自然だけど、一家だけが孤独に生活しているわけでもなさそう。であるなら、都会への憧れや、オシャレにも興味が移る年頃。それを、両親ともすくい取らず、野蛮な生活をしているのはなんなんだ? そもそも、母親の方は常識をわきまえているようなのに、どうしてあんな変人の亭主を…というのも、根本的な疑問だな。 あと、途中から犯罪を犯したドイツ人少年の更正プランだとかいって、働くことになるんだけど。そもそも、あんなひどい環境で働かせて大丈夫なのか? いやまた、少女4人いる家庭に不良少年を預かって心配じゃないのか? さらに、なんでイタリア語がしゃべれないドイツ少年がやってくるのか? 更正プログラムを受け入れるのは、あれは義務なのか? とか、疑問だらけ。でも、一切の説明はなし。ますます「?」だらけだろ。 ジェルソミーナは勝手にテレビのコンテストに応募し、ほかにライバルがいないのか? 隣家とともにテレビに出演するんだけど、「ダメだ」と言っていた父親も、渋面ながら古代ローマ(?)の衣装で、撮影地の島に向かうんだけど、どうやって説得したんだ? そこは、さらりと省く嫌らしさ。で、いまどき録画だと思うんだけど、なんか生放送みたいな雰囲気で。たんに、父親へのインタビューで勝敗が決まるのか? な番組内容。ま、結果は敗退なんだけど、じゃ、賞金はなかったんだよな。 その、番組ででかけた島で、ドイツ少年とジェルソミーナが森林の中に迷い込み、帰る段になっても見つからず。…だっけかな、詳しくは忘れたけど、洞窟でのジェルソミーナとドイツ少年の場面は、ちょっとだけ幻想的で。手を挙げて動いているのかと思ったら、カメラがチルトダウンすると2人は地面に横たわっていたりするのは、ありゃ何なんだ? つづくシーンで、母親は羊を売って金に換える。それから母親は、家族みんなが、地面に毛布を敷いて寝ているところに入り込んでいくんだけど、そこにドイツ少年はいたっけかな? まあいい。家族が一体になってる? なんか強引だな。で、カメラがラクダにパンし、再び戻ると庭には誰もおらず、建物にも人の気配がない…という終わり方なんだけど。あれはファンタジー風な終わり方、なのか? それとも、家賃が払えず一家はでていき、建物は空っぽに、を意味しているのか? よく分からない。これが、原題の『不思議』に関係しているのかね。 ・母親役のアルバ・ロルヴァケルが、ケイト・ブランシェットから傲慢さを引いた感じで、なかなかいい。 ・これがカンヌの審査員グランプリかよ。分からんね。 ・ジェルソミーナという名前はフェリーニの『道』を連想するけど、関係あるのかね。 ・エトルリア人やエトルリアを知らないと理解できないところがあるのかな。 ・妹が遠心分離器でケガし、病院へ連れていくんだけど。バケツを変えないで来たことに気づいたジェルソミーナ。あわててもどると、作業場の床がハチミツだらけ。あわててすくっていると、テレビ局の面接がやってきて。なんとか床のハチミツは片づけるんだけど、まあ現実にはムリだろ。あと、ハチミツをこぼしたことは、父親にバレるはず。だって、どれだれ穫れたか、父親は把握してるだろうから。そこもスルーしてるのは、いかがなものか。 ・そして、ジェルソミーナは、家族や村をすてて都会にはでないのか? ラストシーンを見ると、そんな気配はないようで、ううむ、よくわからんです。 | ||||
モヒカン故郷に帰る | 4/12 | ギンレイホール | 監督/沖田修一 | 脚本/沖田修一 |
allcinemaのあらすじは「モヒカン頭がトレードマークの売れないバンドマン、田村永吉。恋人の由佳が妊娠したのをきっかけに、彼女を連れて7年ぶりに瀬戸内海の戸鼻島に帰郷する。実家には矢沢永吉を信奉する父・治と熱狂的なカープファンの母・春子、たまたま帰省していた弟・浩二がいた。家族が珍しく顔を揃えたのも束の間、すぐに始まる恒例の親子喧嘩。そんな中、治が末期ガンと判明し動揺を隠せない永吉だったが」 『カルメン故郷へ帰る』が下敷きなんだろうけど、田舎に帰ること以外は、たいした共通点はない、かも。なにせ『カルメン』の内容を詳しく覚えてないし。 つまらなくはない。けれど、いまいち抜けてない感じ。そもそも監督の沖田修一は、事件で人を転がすドラマ派ではなく、シチュエーションを設定し、そこで発生するドタバタやエピソードを積み重ねるタイプ。だから、「この先どうなるのか?」という興味は発生せず、飽きちゃうところもあるんだよ。実際、途中で10分ぐらい寝ちゃったし。ははは。ま、四谷三丁目から西新宿と歩いて疲れていたのもあるんだけどね。 ストーリー的には、だからどうした、で。ミュージシャン目指して上京したけど目が出なく、彼女に食わせてもらっていたけど子供もできて。彼女も「一度挨拶に」というので、しぶしぶ腰を上げて6年(?)ぶりに里帰り。音楽好きは遺伝なのか、地元の学校のブラバンを指導する父親は酒屋をやってるけど、最近、調子が悪い。調べたら末期がん。たまたま帰っていた弟が店を手伝っている、というのは取って付けたようなエピソードで、でてくる要素がもうつぎはぎだらけのパッチワーク。一本通る串もないので、エピソードの笑いが絶えると、ちょっとつらい感じ。 そのつらさをカバーするつもりではないだろうけど、父親役の柄本明のくどい演技も鼻について。このあたり、さらっとやりゃあいいんだろうけど、母親役がもたいまさこなので、舞台張りの、これでもか、がつづくんだよな。栄吉役の松田龍平の脱力感だらけの存在感と大違い。 てなわけで、たいした事件もスジもなく、あたふたドタバタしてる間に由佳のお腹は大きくなり、父親はベッドからでられず悲惨な状態に…。とはいえ映画だから、もうダメ、な状態でも動きまわったりして。てなわけで、父親が死ぬ前に結婚式を、ということになって病院内で式の準備を進めるんだけど当日は大雨で。誓いの言葉が終わってキス、というとき、父親が断末魔の雄叫びを上げてご臨終…というようなことで笑いを取ろうとしているのは、ギャグも貧困すぎるんじゃないのかな。 というわけで、店は弟が継ぎ、栄吉と由佳は東京に戻るんだけど、なにも解決していないんだよな。母親は、船に向かって「はたらけー」というけど、まあ、なんかしなくちゃ由佳もこれから出産・子育てなんだから、しょうがないわけで。まともに考えると、悲惨な将来が待ち受けているんではないのかね。数年後、モヒカンをやめて、どっかで地味に働いているという様子が目に浮かぶようだ。 | ||||
イット・フォローズ | 4/13 | キネカ大森1 | 監督/デヴィッド・ロバート・ミッチェル | 脚本/デヴィッド・ロバート・ミッチェル |
原題は“It Follows”。allcinemaのあらすじは「19歳のジェイは、新しい彼氏ヒューとデートし、そのままセックスに興じる。ところが、ことが終わるやヒューに薬を嗅がされ気絶してしまう。手足を拘束された状態でようやく意識を取り戻したジェイに対し、ヒューはにわかには信じがたい告白を始める。曰く、ジェイはある呪いに感染したという。それによって、感染者にしか見えない“何か”が、ゆっくりと、しかし確実に迫ってくる。そして最後には必ず殺される。それを回避したければ、誰かとセックスして移す以外に方法はない、というのだった。以来、ヒューの言葉通り、他人には見えないそれは、様々な人の姿をして自分に向かって歩いてくるようになる。いつ、どこからやって来るかも分からないそれに常に怯え、必死で逃げまどうジェイだったが」 ホラーである。とくに気を衒ったところもなく、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』なたいな手持ちカメラとかの仕掛けもない。つくりは極めてシンプル。 冒頭に、ある女性のエピソードがあり、彼女は逃げるんだけど、海岸で殺されてしまう。さて、本題で、プールに入ってる娘がいて、その友だちが紹介され、夜はつき合ってる彼氏と映画に行きクルマの中でセックス。が、行為の後に告白され、下着のまま自宅に送り返されるという、ひどい仕打ちだな、おい。で、以後、“それ”が襲ってくるようになるんだけど、“それ”は歩くスピードなので、逃げるのは簡単。でも、いつなんどきどういう状態で、誰に化けてやってくるか分からない、というのが特徴で。そっからの、友人たちを交えた防戦と逃亡と対決が描かれるんだが。この“それ”は、とくにCG効果もなさそうなフツーな状態なんだけど、結構、怖い。白い衣装か裸で淡々とやってきて、他人には見えないので、友人たちがフツーにいる間をずかずかと近づいてくるのは、ブキミだ。しかも、音楽のおどろおどろしい効果が上手くて、ざわざわくる。 感染っていうのは、『リング』あたりの影響があるのかな。それと、“それ”も、ジャパン・ホラーの影響なのか。よくある欧米の、実は悪魔であるとかなんだとか、説明もない。あの『REC/レック』でも、なんだかんだと曰くを持ち出してきて、あれが実はジャマなんだけど、そういうのを省いているから、すんなり入る。ホラーは、シンプルでも十分に通用するんだよな、って分かる映画だ。 始めのうち、“それ”は「妄想」なのかな、とも思った。これもよくある西欧映画のオチなんだけど、なんとこの“それ”には実体があって、海岸で、ポールが椅子で殴ると逆にはじき飛ばされていた。「見えない」けど「存在する」という設定で、これまた、一体あいつらはなんなんだ? と思わせてくれる。 誰かとセックスして事情を話すと相手に感染し、その相手が別の誰かとセックスすると、自分は感染者ではなくなる、という設定なのかな。なので、ジェイはついに近所の兄ちゃんであるグレッグとセックスするんだけど、このグレッグが呆気なく“それ”に殺されてしまうという、あらららら、な展開。ところで、あのとき“それ”は、グレッグの母親に擬態して襲ってきたのか? 知らんけど。 グレッグが殺され、絶望した彼女は、車で海岸へ逃げる。そこでボートの男3人を見かけ、下着になる…ってことは、3人とセックスしたっていうことだよな。その誰ががセックスすれば、“それ”は消えるんじゃないのか? と思ったんだけど、ボートの男3人のその後は描かれないし、ジェイは“それ”が見えるままの状態。ここんところ、ちょい杜撰じゃないのかな。 でまたジェイは家に閉じこもり。今度はポールが「しよう」というんだけど、このポールとの関係がなかなか、ポールにとっては甘く切ない。ジェイにとってのファーストキスはポールで、なんとポールはジェイの妹のケリーのファーストキスも奪ってるという。ジャ色男かというと、長じて軟弱になってて。非モテな感じ。ジェイは、ポールより、近所の男臭いグレッグとすでにセックスしていた(呪いを解くためのセックスの以前に)、ということも分かって、ポールが落ち込むのが気の毒…。ジェイって、尻軽なのね。…てな状態で、ポールが「セックスしよう」というのは勇気がいったろうて。なにせポールは今でもジェイに気が合って、でも、友だちとしてはずっとつき合っているのだから…。それが、思い切って言いだしたのに拒絶されるって…。おい、命の危機より、ポールが嫌いなのか? と問いたいぐらいだな。…ホラーまっただ中で、というような青春ドラマもあったりして、面白い。 で、拒まれたポールが、ここで突然ファーストキスした場所のことを言いだすんだよ。で、ジェイ、ポール、グレッグ、ヤラとそこまでみんなで行くんだが。こっからの展開が「?」なんだよな。街の境界の通りを越えて…というのは、いまは荒れてしまった街の中央部、ってことなのか? よくあるように、中心部には貧乏人と移民が暮らしてるとか…。でも、数年前までは、みんなそこに行っていたんだよな。という、街の荒廃の歴史も、ちょっと説明が欲しいところ。 ※舞台はデトロイトなんだと。なるほど。 で、体育館のプールに入り込み、家電製品をプールサイドに並べ、ジェイがプールに浸かる。“それ”をおびき寄せ、水の中に入れて、感電させる作戦か? と思ったら、やってきた“それ”は家電製品をがんがんプールの中のジェイめがけて投げつけるんだけど、それに驚きもせず、ポールは“それ”の位置を知ろうとして、ジェイに呼びかける。で、ヤラだったかケリーが“それ”にタオルかなんかをかけて、最初に撃ったんだっけか? “それ”はプールに落ち、ジェイが逃げ、でも“それ”はジェイの足をつかみ、ポールは見当をつけて銃を撃ち、命中。プールが赤く染まって、一件落着、な終わり方なんだけど。ぜーんぜん、なるほど感がない。 浜辺でも銃で撃ったけど、“それ”は死ななかった。プールでも、何発か撃たれて平気だった。それがプールの中では、なんで血を流して死ぬのか? ジェイは“それ”が見えるんだから、“それ”がその後どうなったのか、見てるはずだけど、説明はない。ううむ。 その後、ヤラを見舞っているのは、あれは流れ弾に当たったんだっけ? で、ポールはジェイとセックスして。これは呪いを解くではなく、お駄賃ということか。それでもポールは夢が叶ったってことだろうか。ラスト。ジェイとはポールと手をつなぎ、街を歩いている。行く手に清掃する男がいて。カメラが切り替わると、2人の間の遠い先に、ジャンパー姿の男がいいて、見てるんだけど。でも、“それ”は白装束か裸のはずだだから、ただの人なのか。それとも“それ”なのか。分からないまま映画は終わる。 というわけで、プールからの話が、いまいち分からない。 ポールはなぜプールを思いついたのか? “それ”は水に弱いのか? あの家電製品は何のためだったんだ? ううむ…。 ・ジェイが最初に登場したのは、丸い簡易プール。それを覗く少年2人がいたんだが、あれは誰? はたまた、ラストのプールと関係があるのか? ・ヒューは、セックスして感染させるためだけにジェイと付き合い、その後、消えてしまうんだが。なぜ偽名を使って一軒家を借り、暮らしていたんだ? その一軒家に、わざわざ高校時代の写真を持ってきていて、ジェイたちに発見されるとは、おそまつ過ぎるだろ。それに。ヒューとの一件に関しては警察沙汰になってるわけだから、あの部屋も警察が見聞してるはず。だったら写真も見つけてるだろうに。しかも、簡単に身元が割れ、ジェイは友人らとヒューの実家に行って彼に会ってる。どうせそんな遠くない所なんだろ。なんか、話がお粗末すぎ。 ・ジェイが部屋に閉じこもってたときガラスが割られるってことがあったけど、次のシーンで、赤いジャンパーの男が屋根から部屋を伺ってるのが映るんだか、あれはどう言う意味だ? ・ポールとケリーは、飲食店でバイトしてるのか? 高校生? ジェイは地元の大学らしいけど、カレッジかなんか? しょぼい感じだったけど。妹のケリーは高校生? 近所の兄ちゃんのグレッグは、何やってる人なんだ? ・ジェイの母親とか、ちょっとした登場しない。グレッグが死んで、でも警察の登場はカットされてる。映画冒頭の娘の死体も、異常な状態だったんだから、刑事の1人や2人登場させて、近所で連続殺人事件が…てなところを見せてもよかったように思うんだが。予算の関係かね。 ・メガネ娘のヤラは、誰の友だちなんだろ。ジェイ? ケリー? 登場シーンの割りに存在感なくて気の毒。 ・マイカ・モンローはちょっと寸胴だけど、可愛いから許す。 | ||||
ルーム | 4/15 | ヒューマントラストシネマ渋谷1 | 監督/レニー・アブラハムソン | 脚本/エマ・ドナヒュー |
原題も“Room”。allcinemaのあらすじは「5歳の誕生日を迎えたジャックは、狭い部屋に母親と2人で暮らしていた。外の景色は天窓から見える空だけ。母親からは部屋の外には何もないと教えられ、部屋の中が世界の全てだと信じていた。2人はある男によってこの部屋に監禁されていたのだった。しかし母親は真実を明かす決断をし、部屋の外には本物の広い世界があるのだとジャックに教える。そしてここから脱出するために、ついに行動を開始するのだったが」 予告編は見ていない。内容についても、部屋に閉じ込められるとか…だったかな、程度の情報しか入ってない状態で見た。あとから予告編を見たけど、見ないで見てよかった、と思う。 もしかして…と思ったら、やっぱりそういう話だった。で、ついこの3月だったかに、栃木で誘拐されて行方不明だった女子中学生が2年振りに発見される、という事件というか、その解決があって。なかなかタイムリーだな、と思ったのはもちろんなんだけど。津波とかバス事故とか乱射とか、その手の事件があると、同様の内容を扱った映画は中止あるいは延期になるのが常なのに、なぜかフツーに公開されている。被害者が少ないからなのかね。かえって「これは入るぞ」とか喜んじゃってるんではないのかな。なんか解せない。 『コレクター』をはじめとして、少女誘拐をモチーフにした映画は少なくないわけで、とくに切り口が新鮮ともいえない。なのにアカデミー賞の作品賞、監督賞、脚色賞、主演女優賞にノミネートされて、ブリー・ラーソンが主演女優賞ゲットなんだな。しかもIMDbでの星の数は8.3。Top250でも121位に入ってる。それほどの内容かな。うーむ。 誘拐され、誘拐犯(オールド・ニック)の子を産んで、部屋の中で暮らしている…のはすぐに分かった。分かってからが結構長くて、とくに事件も起きず、息子ジャックとの交流をベタに描いてていくので、少し飽きる。まあ、ジャックは外界が認識できない、ということを強調する意味もあるんだろうけどね。話が転がり始めるのは、ジャックを逃げさせる辺りから。クルマの荷台から落ちて、犬を散歩させてるオッサンとぶつかり…。このあたりは、初めての外界で、しかも5歳なんだから大変だろうな、と。でもオッサンは、オールド・ニックが誘拐犯だとは知らないわけだから、ジャックはもとの部屋に連れ戻されるのでは…と、少しハラハラさせるけれど、オッサンが「警察を呼ぶぞ」といったらオールド・ニックはあっさりとジャックを捨てて行ってしまう。いずれにしろつかまる、とあきらめたのかな。 警官が来て、黒人の女性警官がジャックからなんとか話を聞き出すんだけど、3回スピードを弛めた、という話を聞き出すと、だいたいの位置を導き出し、天窓のある納屋を探せ、と命じて簡単に見つけてしまう。いや、この女性警官、頭いい! とはいえ、いかに脱出するかの話かと思っていたら、あっさりと事件は解決してしまって。じゃ、これからどういう展開になるんだ? と、思ったら、後半は事件解決後の社会復帰、マスコミ対策、周囲の目…といったことを描いていく映画だったのね。 原作があるんだから、たぶん実話に基づいてるんだろう。と思ったら、原作はフィクションらしい。 で、前半の部屋パートでは、外界を知らないジャックと、17歳に誘拐されてから7年間監禁され、オールド・ニックに犯されつづけるジョイが描かれるけれど、焦点はジョイではなく、ジャックの方。ジョイは徹底して“母親”として描かれる。その方が感情移入しやすいのかも知れないけど、ジョイの立場ももっと描いた方が、後半につながるんじゃないのかな。 実際、後半では、なーんも知らないジャックが、新しい世界に適応していく状態が描かれつつ、その裏ではジョイの心身の崩壊が焦点になる、べきなのに、描き方は表面的で、迫ってこないのだよな。どのぐらい間を置いてからなのか知らんが、テレビに出演し、「なぜ命がけで脱出しなかったのか?」とか、ずけずけと質問されて、戸惑っている。その後は無闇にジャックに当たり散らしたり、揚げ句は睡眠薬の過剰摂取(?)で自死を試みたりしている。このあたりの経緯が、ジョイの心に迫ることなく物理的に描かれていくのが物足りない。 とはいえ、記者の張り込みもなくなり、近所の人と挨拶したり、はたまた、近所の少年がジャックを誘いに来て遊ぶようになったりと、再生が見られるのはよいことだけど、そう上手くものごとは運んでいくのかな、という疑問の方が大きく広がってきてしまう。 人の口に戸は立てられない。「あそこの家は…」と話しているのを子供が聞き、それを悪気でなくジャックに話し…ということはあるだろう。ジャックが物心つき、出生の経緯を知ったとき、どう反応するのか。これは大きな問題だ。 ジョイは、設定では24歳。まだ将来はある。果たして結婚はどうなるのか。そのとき、ジャックはどうなるのか。 隣近所だって昔の知人だって親戚だって、役所だって、あの家庭は…という目で見るはずだ。そうした衆人環視のなかで、平穏な生活が送れるのだろうか? おおいに疑問なんだよな。 それと、両親も、たぶん一人娘が行方不明になり、もう生きてはいないだろう・・・と思って、かどうか知らんが、いろいろあって離婚したんだろう。そこに突然、生きて戻ってきた。そこのところにも、踏み込みが足りない感じ。せいぜい、いまは別の地に住んでいる実父が、ジャックの顔が見られない、と感情を吐露してしまったところぐらいか。でも、この子は、犯人のDNAを受け継いでいる、と拒否反応を示すのも、仕方のないところではないのかと思ったりする。それを我慢して、なにもなかったように接するのは、これまたストレスになるはずだ。そういう感情のブレみたいなところを、何気で避けて回っている感じがして、いまいち食い足りなかったんだよな。 アメリカ人は故郷にあまりこだわらない、という勝手な思い込みがあるんだけど。だから、実家にこだわることなく、別の街に行って別の人生を…という生き方はないんだろうか、とも思った。顔を合わせるたびに、こいつはそういう眼で私を見ているんだ、って思うことぐらいつらいことはないと思うんだけどな。 まあ、いろいろと考えさせてくれるところの多い映画ではあったけれど、デキはいまいち、ううむ、な感じかな。 ・前半の室内シーンで、ときどき画面がブレたり、下からのアングルになるんだけど、これはたぶんジャックの視線=主観なんだろうけど。ずっとそれで通しているわけでなく、ときどきそうなるので、いまいち不自然な感じがする。 ・しばらくして、ジャックが「部屋を見に行きたい」っていいだし、見に行くんだけど。中にあったものはほとんどなくなっていて、「ここが部屋?」とかいうんだけど。そりゃそうだわな。世間を知ったあとで、それまで世界のすべてだった場所を見ても、みすぼらしくしかみえないよなあ。しかし、故郷がそんな部屋では、気の毒すぎる。 | ||||
ちはやふる -上の句- | 4/18 | 109シネマズ木場シアター6 | 監督/小泉徳宏 | 脚本/小泉徳宏 |
allcinemaのあらすじは「小学校時代、転校生の綿谷新から“競技かるた”を教わり、その魅力の虜になった綾瀬千早。幼なじみの真島太一を巻き込み、3人は競技かるたを通して強い絆で結ばれていく。しかし小学校卒業とともにバラバラとなってしまい、家の事情で故郷の福井に戻った新とは遠く離ればなれに。かるたを続けていれば新と再会できると信じる千早は、高校に入るとすぐに“競技かるた部”の創設に乗り出し、高校で再会した太一を再び巻き込み、2人で部員集めに奔走する。やがて古典大好き少女・大江奏、経験者の“肉まんくん”こと西田優征、秀才の“机くん”こと駒野勉の勧誘に成功し、ついに千早悲願の競技かるた部が産声を上げるのだったが」 最近のマンガ原作青春映画はバカ映画が多いから、これもドタバタなだけかと思った。まあ、最初はそんな感じだったけど、次第に切れ味がよくなってきて、最後はかなりきた。構造は『シコふんじゃった』で、色づけは『恋は五・七・五!』とか『書道ガールズ!! わたしたちの甲子園』な感じか。一部本気に素人が数人混じり、到底かなわないような相手も打ち破り、全国大会へ! というところまでが、この『-上の句-』。もうすぐ『-下の句-』も公開される。 あり得ないだろ、というような成長・サクセスストーリーで。でも、だから面白いんだよな。とくにいいのがキャスティングで。部員5人が、それぞれ描き分けられている。しかも、近ごろよくある、似た顔が何人も、ということもなく。それぞれが与えられたキャラを十分に発揮してる。この手の集団には、とんでもないノロマとかデブとか、コメディリリーフにさせられるようないるけど、この映画では、そこまでのバカキャラにはなってない>>西田肉まん。ほかにも、教師2人、ライバル校の2人がいて、これもキャラが立っている。だからイラつくこともなく、楽しんで見られた。 優勝を目指す、だけでなく。恋のさや当て的な部分も、しかも、実はダークなところもあって、それが試合にも左右したりするところがあって、人物に深みも出てる。主人公の千早は、色恋関心無し。カルタ一筋の熱血娘で。真島太一は千早に気があって、恋敵の新を蹴落とそうとしてる陰気なやつだったりする。この素直でないとこらへんは、話に厚みを与えてくれてるな。 西田肉まんは、あんなもんだろ。いいのは呉服屋の娘の大江湊と机くんだな。地区大会の開会式で、みんな着物を着てるのは、それが入部条件だったとは…。でその着物は、買わされたのか? と気になったでござるよ。しかも、他校の生徒にも店の宣伝をしてるとか、笑える。基本は、個展の味わいにロマンする歴女みたいなかんじで、顔立ちもそういう素朴な感じでぴったり。机君の、友だちいなそうな雰囲気と、でも、都大会での当て馬的な扱いに怒ったりするけど、ちゃんと仲直りしてよかったよかった。 もちろん、変なところもある。まだ文字になっていない、Fの音も聞き取れるといわしめた千早が、練習試合でライバル校のトップにこてんぱんにやられるとか、それはないだろ、だよな。ほかにも、金沢の大会で新に敗れて2位だったという西田が、これまた都大会決勝でライバル校のNo.2に押し込まれるとか。でも、まあ、マンガ的展開で、一年生だけで、できたばかりのカルタ部が都の代表になってしまう。あり得んだろ。でも、いいんだよ、映画だから。 あと、ちょっと注文があるとしたら、札をガードするのはいいのか…なんかも含めて、もうすこしルールを解説してくれたらうれしかった。そうすれば、ラストの、ガードされた札に攻めにいって、お手つきを誘ったのも、もっと、なるほど、になったかも。ほかにも、詠み上げている歌が画面に文字で出るとかしても、歌の意味の理解が深まってよかったんじゃないのかな、とも思った。ま、やりすぎると流れを止めてしまうんだけどね。 ・↑のあらすじの小学校時代の経緯は、説明されてないぞ。 ・千早の姉がグラビアアイドルらしいが、実体がまったく登場しないのはもったいない。 ・真島太一の家は超金持ちらしいが、家庭がまったくでてこない。これも、もったいない。 ・家庭がでてくるのは、新の家だけで、でもカルタ名人だったという祖父だけ。しかも、祖父の威光なんかはまったく描かない。これもちょっともったいない。 ・新が戻った先が福井って、言ってたっけ? ・部長が千早でなく、真島になった理由は何なんだ? ・最初の、千早がでた大会は、ありゃなんだ? 地区大会? 瑞沢高校で開催されてたのか? 少しは説明してくれい。 ・合宿は、國村隼のやってた神社で行われたのか? 別の所? 気になる。 ・合宿の最中に太一と西田肉まんが出場してるんだけど、当日まで他の仲間が知らないというのはあり得んだろ。それはいいとして、その大会の開催地が金沢って、おいおい、だよな。せいぜい都内ぐらいかと思ってたら…。金沢駅に着いたカットを、ちょいと噛ませればいいのに。 ・新が金沢の大会に出ている間に、祖父が病気で倒れるんじゃないのかな…と思っていたら、そんな気配もなく。…と思っていたら、ラスト近くで「全国大会にでない」ということが分かって。ああ、やっぱり、と思ったんだけど、どうなのかな。 ・競技素人の大江湊と机くんが、いかに特訓したか、も見せて欲しかった気がする。『ベスト・キッド』とか『百円の恋』のさわり程度でいいから見せてくれると、都大会決勝での活躍も、なるほど感がでると思うんだが。 ・國村隼の宮司が、真島太一を「マツゲ君(?)」、西田を「次点君(だっけかな?)」、新を「メガネ君」とか呼んでなかったか? メガネ君は分かるけど、ほかは、もしそう呼んでいたとしたら、混乱する呼び方だな。 ・とはいえ、落語の『千早振る』と『崇徳院』で登場する2首が、なんどもでてくるのがおかしかった。というか、落語のときは、歌の本当の意味なんて気にしたことがないので、今日の解説で、なるほど、なところもあったんだけどね。 ・しっかし、あんな具合に札をふっとばして、どれが誰の札なのか分からなくなったり、隣の組と混ざったりとか、はしないのかな。 ・前半では、なんでスローを使わないんだ、と思っていたんだけど。後半になって、要の個所で効果的に使われていて、なるほど、であった。 ・主人公の千早は、千葉すず、なのね。話題の女の子だけど、テレビ見ないから、よく知らんのだよ。とか思ってたら、『海街diary』の娘なのか。だいぶ印象が違うな。顔をちゃんと覚えるまでに、時間がかかりそうな娘だ。 ・松田美由紀がひどく劣化していた。 | ||||
家族はつらいよ | 4/20 | 109シネマズ木場シアター4 | 監督/山田洋次 | 脚本/山田洋次、平松恵美子 |
allcinemaのあらすじは「東京の郊外に暮らす三世代同居の平田一家。当主の周造は仕事も引退し、今はゴルフと酒に明け暮れ隠居生活を謳歌する日々。当然、妻・富子の気持ちなど知る由もない。周造に似て頑固な長男・幸之助は仕事一筋。2人の子どもと家の中のことは専ら妻の史枝に任せきり。家を出て税理士としてバリバリ働く気の強い長女・成子は、夫・泰蔵との喧嘩が絶えない。一方、独身でいまだ実家暮らしの次男・庄太は、看護師の恋人・憲子との結婚をついに決断しようとしていた。そんなある日、いきなり富子が周造に離婚を突きつけた。思いも寄らぬ妻の離婚宣言に周造はオタオタするばかり。子どもたちにとっても青天の霹靂で、どうにか離婚を思い止まらせようと緊急の家族会議が開かれるのだったが」 ↑あらすじでは東京郊外だけど、横浜市青葉区の新興住宅地だな、設定は。 『男はつらいよ』を健全なファミリーでやるとこうなるのね、という感じ。間も笑いも、かつての軽演劇のような感じ。ここでズッコケる、それを受けて、コケル、みたいな古典的な段取りで、とても古臭い。ギャグの後も、後を引きずるように、タメがあって…で、くどい。ものすごく不自然なんだけど、まあ、これは60年代からのギャグ映画を意図的にいまにやってるんだろうけど、見ているこちらの意識は集中できない。つまりは、話に入り込めない。そもそも『男はつらいよ』シリーズも、ほとんど見てないので、リズムが合わないんだけど。 で、取り扱うテーマも古典的で、老年離婚、トンマな亭主とそれをコントロールする女房、できる女房とできない亭主、若い者同士の恋物語…なところで、特に目新しくはない。ごくありがちな出来事をコミカルに2時間転がして、最後はめでたしめでたし。結局は、何も起こらない日常で笑わせる。演技過剰でベタにくどいけど、志は小津なわけね。実際、『東京物語』の映像が引用されていて、監督本人は、小津のような、ごくフツーの家族の、とくに何も起こらない日常を、得意技の喜劇で仕上げました路線ということなんだろう。 でも、いまどきこんな絵に描いたような仕合わせ大家族は、探したってないぞ。 主人公は、大企業を定年まで勤め上げ、暮らしに不自由なく、長男夫婦と同居で、孫は男の子2人。長女は税理士で、亭主はいまひとつだけど、立派に暮らしてる。次男は独身の調律師で、いまだ同居している。同居の理由は、主人公と長男とが仲がよくないので(って、どこが?)、間を取り持つため、らしい。家は横浜・青葉区の新興住宅街。貧乏人のひとりも登場しない。なんだかな。 終わってでていくとき、オバサンが「よくある話よね」といっていたけど、その通り。心に残らない、どうでもいい話をつないで1本つくりました、な感じですな。そういうのが、小津的、というのかどうか知らんけど。 >> 主人公の平田周造(橋爪功74歳若干舌がもつれぎみ) >> 妻の富子(吉行和子80歳なんか舌が回ってなかったぞ) >> 長男の幸之助(西村雅彦55歳)に、43歳だったか47歳の役はムリだろ。 >> 息子の嫁史枝(夏川結衣47歳むっちりオバサン体型になったなあ) >> 次男の庄太(妻夫木聡35歳まだ若々しいね) >> 次男の恋人間宮憲子(蒼井優30歳健気な感じがでておった) >> 長女の金井成子(中嶋朋子44歳老けたな…) >> 長女の亭主の金井泰蔵(林家正蔵53歳父親に似てきたな) すいません! とかやるな! 金井夫婦の喧嘩は、モロに『厩火事』。まあ、正蔵にちなんでなんだろうけど、あまりにも直接すぎるんじゃないのかな。 >> 居酒屋のママかよ(風吹ジュン63歳手のアップは歳がバレる) >> 探偵の沼田(小林稔侍75歳になるのか、見えんな) 沼田が、平田周造の浮気調査で居酒屋「かよ」に潜入…で、そこで初めて高校の同級生、と分かるって、お粗末過ぎ。だって沼田はターゲットの氏名・写真を知らせてもらってんだろ? 事前の情報で、そのぐらい分かるだろうに。 >> 創作教室の講師高村(木場勝己66歳あいかわらず) >> ホールの警備員(笹野高史67歳あいかわらず) >> 医師(笑福亭鶴瓶64歳『ディア・ドクター』のニセ医者だろ!) >> この映画の監督山田洋次84歳 ・この映画が小津を意識しているのは、自作『東京家族』上映会のポスターが貼ってあったり、映画の最後で小津の『東京物語』のラストから「終」がでるところまでが映されることで分かる。さらに、家族を舞台に『男はつらいよ』をやっているのは、『男はつらいよ』シーズのDVDがでてきたり、うなぎ屋のアンちゃんが『男はつらいよ』の歌を歌っているのでもわかる。のであるけど、あまりにも露骨すぎてうんざりな感じがしてくるよ。 ・あと、横尾忠則のタイトルデザインは、意味あるのかね。わざわざそんなことすることに、疑問。 | ||||
COP CAR/コップ・カー | 4/21 | ヒューマントラストシネマ渋谷2 | 監督/ジョン・ワッツ | 脚本/ジョン・ワッツ、クリストファー・フォード |
原題も“Cop Car”。allcinemaのあらすじは「こっそり家を抜け出したやんちゃ盛りの悪ガキ、トラヴィスとハリソン。空き地で一台のコップ・カーを発見し、恐る恐る近づくと、誰もいないのを確認して中に乗り込む。すると、ラッキーにも車のキーまで見つかる。もはや運転せずにその場を立ち去ることなど出来るはずもない。さっそく2人はマリオカートで磨いた腕前を発揮して、コップ・カーを公道で大暴走させる。しかしそのコップ・カーの持ち主ミッチ・クレッツァーはただの保安官ではなかった。しかも、あまりにも最悪なタイミングで盗んでしまったとも知らず、すっかり大はしゃぎのトラヴィスとハリソンだったが」 悪徳保安官に、ケヴィン・ベーコン。の割りに、心に残る怖い場面、戦慄の…もなくて。むしろ少年2人の印象が強くて、なんか全体に素っ気なく物足りない。もうひとひねり欲しい気もするんだが。 まあ、設定勝負の話だな。ワケありの保安官が公害でトラブルの後始末。の間にパトカーが盗まれて、さあ大変。盗んだのは自称家出中のイタズラ坊主2人で、世間もなにも分かっちゃいない。さてどうなるか。なんだけど、コメディとして見たらいいのか、マジで怖い話として見たらいいのか、なんか中途半端。これが、保安官が徹底的にトンマならいいんだろうけど、そうはなっていなくて。あたふたしつつ、計算高くもある感じ。…を、ケヴィン・ベーコンが演じてる。 悪徳保安官にしては、小規模で。どーも個人で麻薬取引に手を出してる様子。そんなこと、あんな田舎でできるのかいな、な疑問も湧くけど、あれが警察組織も巻き込んだ話になっていたら、どうなんだろう。すべてをミッチ保安官が始末する必要もなくなって、展開はかなり変わったと思うんだけど。この映画は、そこそこトンマなミッチ保安官で終始してる。 警察無線の問題は、なんとなく回避しつつ、上手に生かしてた。ミッチは、妨害電波で使えないので、携帯で警察とはコンタクト。警察で使うチャンネルを変えるよう指示して、従来のチャンネルを使ってパトカーに連絡。少年2人の居所を知る、というなってる。でも、自分のクルマの無線を使って警察無線に入ってしまったり、そんなことできるのか? スクランブルはかかってないのか? といった疑問も湧くけど、悪徳保安官だから、ぬかりはないのかな。 で、いっぽう子供たちは銃を弄んだり、危険なこと極まりない。このあたりかな、この映画の中でちょっと不安な気持ちになったのは。なことしてると、トランクから音がして、開けると血だらけの男が…。ミッチは、最初、井戸みたいなところに死骸をひとつ放り込み、戻ってきたらパトカーがない! だったけど、相手はもう1人いたのか。でも、1人殺ったんなら、2人も同じだろうに、こっちを生かしておいたのはなんか意味があるのかな。という疑問。 トランク男に騙され、手足をほどいてやると…の次のシーンが、ミッチが自分のクルマでパトカーに連絡する場面で、切り替わると少年2人はパトカーの後部座席。脅しているのはトランク男。ってなわけで、トランク男は道路脇の風車に隠れて銃を構える。やってくるミッチ。なのに、トランク男はなかなか撃たない。さっさと撃てよ! 撃てないなら、それなりの理由を描き込め! と、少しイラッときたぞ。 と、そこに、ドライブのオバサンがやってきて。彼女は、すでに少年の運転するパトカーとすれ違っていて、警官に報告していて、用事を済ませて(?)の帰り道。「あんたら!」と小言を言おうと近づいたところに、トランク男が一発。これが顔に命中。ミッチは飛び出して応戦すると、これが同士撃ち。残されたのは、後部座席の少年2人で、でも、パトカーだからでられない。仕方ないので、隠し持ってた銃で窓を撃つんだけど・・・。防弾ガラスならアブナイだろ、と思っていた通り、2発目で窓は割れたけど、1発目が少年1人の腹に命中して…。2人は、「家に帰りたいよー」なんていいつつ、街を目指す。まだ息があったミッチは、なんとしてもパトカーをとりもどす! と、自分のクルマで少年たちの乗ったパトカーを追うんだけど、いまさらもうパトカーを取り戻しても遅いんじゃないのかい? と思いつつ見ていたよ。 て、そのあとは、あれ、少年たちが牛をよけたけど、その牛にミッチのクルマが追突…で、いいのか? 一瞬でよく分からなかったけど。なわけで、街を目指す少年、でENDなんだけど、最後はアタフタな感じ。 心に残ったのは、親切なオバサンがお気の毒。というのと、少年2人のうち、小柄だけどやんちゃ度が高い方の腹に弾が命中し、彼ら2人はこれからどうなるのかな? はたまた、ミッチの生死は? いや、ここで終わらず、少年2人は病院にたどり着き、手当てを受けている…ところに瀕死のミッチが足を引きずりながら現れ、パトカーの鍵をよこせ、と拳銃を突きつける…ぐらいまで描いてもよかったんじゃないのか? あるいは、ついでに、最初に穴に放り込んだ男が、実はまだ生きていて、穴を塞いだ板が押し上げられて手が…とか。そしてさらに、トランク男も実は死んでなくて、ミッチの自宅に放火するとか。もう、わけ分かんなくなりそうだけど。ははは。 ・ミッチは、結構マヌケじゃないのかな。パトカーに鍵をかけず、鍵や銃もクルマの中。もうちょっと注意を払うべきだろ。そもそもパトカーで悪事を働いてることからして、杜撰すぎ。 ・で、ミッチは、近所の家のボロ車を盗むんだけど。そんなリスクを犯す必要があったのかな。ミッチは他人のクルマの窓を開け、なんとか乗り込んで、最初にカギを探すんだけど。彼の地のクルマはまだ、オートロックじゃないのが多いのかい。 ・実際、白バイに追われてあわや…というところを、携帯で署の無線係に電話して、ありもしない事故をでっち上げ、白バイがその現場に行くように仕向けるんだけど。パトカーや白バイが急行しても、なにもない…じゃ、無線係も追求するんじゃないのか? ・ミッチは、パトカーの無線が「妨害電波に云々…」って、携帯で署に連絡をとるんだけど、署のほうから無線を入れれば、妨害電波なんてないことが分かるんじゃないのかな? むしろ、ガンガン無線が入って、パトカーの少年2人は、困り果てるんじゃないかと思うんだが…。 ・しかし、1日中、子供がパトカー乗り回して、すれ違うクルマが、オバサンのだけ、なんてところがあるのかね、アメリカには。 | ||||
獣は月夜に夢を見る | 4/25 | ヒューマントラストシネマ有楽町2 | 監督/ヨナス・アレクサンダー・アーンビー | 脚本/ラスムス・ビルヒ |
デンマーク/フランス映画。原題は“N?r dyrene dr?mmer”。「動物が夢を見るとき」とかいう感じなのかな? allcinemaのあらすじは「海岸沿いの小さな村に暮らす少女マリー。母は重い病気のために車椅子生活を送っているが、彼女を支える父親は、なぜか病気のことをマリーには教えようとはしない。村人はそんな母親を警戒し、娘のマリーにも冷たい視線を投げつける。閉ざされた村の中で孤独に生きてきたマリーだったが、働き始めた工場でダニエルと出会い、恋に落ちる。そんな中、マリーの身体では不可解な変化が起こり始め、彼女はその異変と母の病気との関連を調べ始めるのだったが」 なーんのヒネリもない映画だった。意外な展開や、なるほど!な過去の秘密の曝露もない。映画館でやらなくても、DVDでいいだろ、なレベルだった。 ↑のあらすじを補完すれば…。医師はマリーに薬を飲むよう勧めるが、彼女は拒否。ならばと、父と医師が押さえつけ、マリーに注射しようとしたら、突然母親が変身して医師を噛み殺してしまう。医師の失踪をいぶかる魚工場や村の人々…。ある日、母親は風呂場で入水自死。村人も葬儀には来るが、疑いの目…。工場に戻ったマリーにも、嫌がらせが始まり、帰ろうとするマリーを襲う集団…。フェリックスの家のドアを叩くが、無視される。バイクで追われ、逃げるマリー。で…えーと、捕まっちゃうんだっけか? ダニエルと一緒に、だったかな…。もう忘れてるよ。ははは。で、漁船に乗せられるんだが、変身したマリーが次々に噛みちぎって倒していく。そんな血みどろのマリーを愛おしく愛撫するダニエル…。で終わっちゃうんだよ。おい。なんとかしろよ。 ・母親と父親、マリーとダニエルはアナロジーで。両親も、同じような経緯をたどって逃げ、一緒に暮らしていたんだろうことは分かるんだけど。なぜ母親が車椅子生活で、でも、イザというときは変身できるのかは不明。自らの存在を抹殺しようとして、これは成就。でも、娘が変身しないようにすることには反対し、医師を殺している。このあたりの辻褄がわからない。そもそも、父親は、マリーに変身して欲しくないんだろ? ・それに、マリーが変身できるようになることを恐れるなら、もっと人里離れたところへ行けばいいのに。というか、かつて母親がロシア人を殺した(んだろ?)ときに、この村を去ればよかったではないか。疑いの目で見られつつ、なぜこの地にとどまったのか? ・いや、医師は母親の症状を知っていて、マリーもいずれそうなることを知っていたわけだ。つまり、母親のロシア人殺しも知っていた。なのに、医師はなぜ他の村人に黙っていたんだろう? もしかして、村人も知っていたのか? では、ロシア人は悪いやつらで、村を守った存在として生かされてきた? なわけはないよな。だって、工場の連中がマリーを殺しに来るんだから。村人は、マリーを恐れているんだ…。まてよ、もしかして、母親は、その存在が危険だからと、村人に歩けないようにさせられたのか? じゃなぜ、変身して医師を殺せたんだ? もしかして、あれが最後の力の出しどころだったとか? ・マリーが自分の異変に気づくのは、胸の痣、そして、そこから生える毛…。でも、オッパイから毛が生えるか? ・マリーは、カルテを見て初めて自分の出自を知るんだよな。の割に落ち着いていて、戸惑ったりしていない。いずれ変身し、人を襲うことも分かったんだと思うんだけど。なぜに冷静でいられるのだ? ・医師のカルテ一式を盗んで、それが発覚しない不思議。 ・いつからマリーは変身可能になったんだ? その、最初の場面がないのは困るな。家で変身しかけるところはあったけど…。ダニエルとまぐわったときは、自覚してたのか? ・マリーの周囲には若い男が3人いて。最初に仕事のコツを教えてくれたのがフェリックスだっけ。で、出入りの小僧みたいな、チビがダニエルで。もうひとり、遠くから見てるだけのノッポがいた。ダニエルは、誰だったかに足を引っかけられ、その始末をマリーが手伝おうとしたら、「ほっとけ」と言われて。どーもダニエルは仲間はずれにされているのか? ・ゴミプールに突き落としたのは、フェリックスだっけ? でもあれは、社員として認めるよ、という儀式なんだろ? 悪意じゃなくて。ってことは、あの時点で歓迎はされていた、と。 ・でもそのあと、マリーをロッカールームで襲った(あれも歓迎行為の延長なのかも知れないが)2人は、もじゃヒゲと、フェリックスじゃなかったか? 違ったかな。 ・しかし、働きに出たということは、18歳かそこらなのか? 学校出て、就職? あんな狭い村なら、みな知り合いだろうに。青年たちとも初対面みたいな感じが変。 ・あるときフェリックスが飲みに誘い、踊りに行ったらダニエルがいて、「獣になる前に抱かれたいの」とかいって誘い、まぐわってしまうんだが、なんだかな。フェリックスの立場はどうなるのだ? ・フェリックスは、なにをどこまで知っているんだ? ロシア人が乗っていた船を調べに行って、船のことをフェリックスに聞くと、ロシア人がいたとか、船にマリーの母親も乗っていたとか教えるんだけど、何年前の話なんだよ。フェリックスは、そんな年寄りじゃないだろ。 ・母の棺が運ばれていくとき、だれも付いていかない。しかも、みな普段着。次の場面は教会で葬儀なんだけど、喪服。ってことは、葬儀は翌日なのか? それとも、遺体を教会まで運ぶときは普段着で、数時間してみな着替えて教会に行くのか? そういえば、霊柩車がモダンで、背後がガラス張り。棺が見えるんだが…。 ・で、母親の死後、いったんは工場に行くんだけど、帰りに襲われて。追うバイクは最高6台いた。でも、後に船内で殺されるのは4人なんだよ。もじゃもじゃヒゲ、もじゃヒゲ、おばちゃん、それから、フェリックス(だよな)。フェリックスは後から参加なのか? ってことは、襲ったのは7人になるのかな。残りの3人は、誰だ? どこに逃げた? ・で、根本的な疑問は、ダニエルはなぜマリーが好きなのか、ってことだ。半端物扱いされてた自分に好意を抱いてくれたから? いや、そもそも、マリーはなぜ初めての相手にダニエルを選んだのか? 分からない。 といった具合で、とても中途半端。しかも、ドラマチックはないし、変身もチャチいし、襲うところもどうってことがない。そもそも、噛み殺すだけで、生き血を吸うように見えない。ヴァンパイアなら、マリーの母親は、何らかの手段で血液を確保しなくちゃならなかったはずだけど、父親がそんなことをしているようにも見えなかったし。うーむ、な映画であった。 | ||||
バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 | 4/26 | 109シネマズ木場シアター4 | 監督/ザック・スナイダー | 脚本/クリス・テリオ、デヴィッド・S・ゴイヤー |
原題は“Batman v Superman: Dawn of Justice”。英語では「vs」じゃなくて、たんなる「v」なんだな。allcinemaのあらすじは「メトロポリスで新聞記者として働く真面目な青年クラーク・ケント。しかし、その正体はスーパーパワーを秘めたクリプトン星人だった。第二の故郷・地球でスーパーマンとして幾度となく人類の危機を救ってきた彼だったが、その超人的なパワーが皮肉にも潜在的な人類最大の脅威ともなっていく。そんな状況に危機感を抱くのが、莫大な資産と強靱な肉体を武器に、闇の騎士バットマンとなりゴッサム・シティの平和を守ってきた大富豪のプレイボーイ、ブルース・ウェイン。やがてスーパーマンとバットマンの対立が決定的となる中、恐るべき陰謀が秘かに進行していくのだったが」 始めの方の話がよく分からなかった。どーも、スーパーマンは正義のために働いているけど、いろいろ破壊したり、犠牲になっている人もいる。それで憎んでいる人もいる、というようなことらしい。けど、この手のSFにそんなリアルを持ち込んじゃダメだろ。そもそも、その手の話は日本でもあって、ウルトラマンだのゴジラだの、日本を、地球を救うといいつつ、どんだけ破壊してんだよ、犠牲者だっているだろうに、というような話題は冗談で取り上げられている。でも、それは冗談であって、本筋にはしないんだよ。それが真っ当な映画ファン、コミックファンなのだ。それを、マジで取り上げられても、アホか、としか思えんぞ。 バットマンについては、両親が通り魔(?)に殺され、穴に落ちた少年ブルース・ウェインがコウモリに助けられた、というエピソードが最初にあって。長じて現在、バットマンにはならず、悶々と過ごす毎日を陰気に描いてるのだけれど、どうしてなの? という素朴な疑問。 どうやら、両人の前作の内容を引きずってるらしいんだけど、見てるとは思うんだけど覚えてないし。もうちょっと分かりやすく説明してくんないと、分からんよ。↑の、スーパーマンが大衆の支持を失いつつある、というのも、そうなのかな、と分かる程度で。はっきりとは分からんしな。 レックス・ルーサーという悪党が登場するんだけど、『ソーシャル・ネットワーク』でザッカーバーグやったジェシー・アイゼンバーグが演じてて、でも安っぽいアンちゃんにしか見えない。バットマンとスーパーマンを手玉にとって好き放題、な感じに見えないのが残念。 ほかにもたくさん人物が登場するんだけど、どういう因果関係があるんだ? と、首をひねるようなのばっかりで。両シリーズのファンで、いつも寝ないで最後までしっかり見て、2度3度見て、筋も展開もすっかり頭に入ってる人ならいざ知らず、たいてい途中で眠くなってしまって、筋も人物もうろ覚えなこちらとしては、もうちょい分かりやすさを優先してくれてもいいんじゃなかろうか、と思ったりするのだ。 スーパーマンが公聴会にやってくる場面があるんだけど。あんなものに出頭する必要がどこにあるのかね。あれは、あの足を切断した男が請求したのか? それにしても、爆発が起こって、じゃあそこで、何人亡くなったんだ? 火薬を仕込んだのは、レックス・ルーサー? 何のために? そう。何のために? なところが結構あって。話の展開が強引だったりするところがあるんだよな。そもそも、バットマンとスーパーマンの対立はいつ何時から始まったんだ? でもって、レックス・ルーサー2人を戦わせようとするんだけど、なんで? その動機づけとして、レックス・ルーサーはスーパーマンの母親を誘拐・監禁し、「助けたかったらバットマンと戦え」と迫り、苦悩しつつスーパーマンはバットマンのところへ行くんだが。そこで私情を挟んでよいのかい? スーパーマンさんよ。 で、2人のバトルだけど。どうして成立するんだ? だって人間と宇宙人の戦いだぜ。圧倒的にスーパーマンの方が強いに決まってるじゃないか。いくら筋トレして超合金スーツ(?)身につけても、超能力をもたないバットマンに勝ち目はないはず。それを、バットマン優位で戦いを終わらせるとは、なんてこった。※どうも、何かで弱ってたらしいけど、気づかなかったよ。 さらに、最後に、誘拐されているスーパーマンの母親がマーサで、殺されたバットマンの母親の名前もマーサ、ということが分かると、突然バットマンは力を弛め、仲直りしてしまうって、どーゆーこっちゃ。 と思ったら、レックス・ルーサーは、なんか怪獣を再生しちゃうんだけど、ありゃなんだっけ? 冒頭近くでインド洋のどこかで鉱石が見つかって、それを輸入できるできないで揉めてたのは思えてるんだけど、その後の、なんか知らん男の死体をなんとかかんとかして、指紋をはぎ取ってどっかに潜入して…の件は、よく分からなくて、いつの間にか怪獣が誕生していた。これがキングコングのパロディか、な感じで。さらに、なんか知らんけど突然ワンダー・ウーマンが登場して、3対1で怪獣をやっつけようとして、最後、スーパーマンが鉱石のヤリで怪獣を突いて仕留める。けれど、スーパーマンもやられて、死んでしまう、というラストなんだけど。死んでないんだろ、実は。 というわけで、分からないところが多すぎる。そして、理解できたところは概ねバカバカしかった。まとめていうと、つまらなかった。てなわけで、あまりの地味さと分かりにくさで退屈し、ときどき眠りに入りかけては気がついて…を繰り返しつつだったので、よく覚えていない。まあ、改めて分かったのは、この手の映画は身体に合わない、ということだな。 ・ゴッサムシティという街の名が登場するけど、こだわる必要はないんじゃないのかな。ニューヨークでもロスでも、どこでもいいだろ。 ・ロイスがアフリカかなんか取材に行ったとき、相方が「CIAだ」とかいって捕まるんだけど、カメラに入ってるのはフィルム…。いつの時代の話なんだ? ・冒頭では、スーパーマンはひとりで宇宙人と戦っていたけど。多少の犠牲がでたってしょうがないだろ、相手があることなんだから。なにも、地球人の犠牲をだしたくてだしてるわけじゃないだろうに。とか、思ってしまう。 ・「記事がドロップボックスにあった」とか「プロトタイプの弾」とか字幕がでてきたけど、こんなん、フツーの人は知らんだろ。 |