2016年5月

フィフス・ウェイブ5/2シネ・リーブル池袋シアター2監督/J・ブレイクソン脚本/スザンナ・グラント、アキヴァ・ゴールズマン、ジェフ・ピンクナー
原題は“The 5th Wave”。allcinemaのあらすじは「謎の地球外知的生命体が地球上空に飛来、世界中の電源をシャットアウトし人類を混乱に陥れる。“アザーズ”と名付けられた彼らは、続く第2波として大地震と津波を引き起こし、第3波ではウイルス感染を蔓延させ、第4波では生存者への寄生を開始する。平穏な日々を送っていた女子高生のキャシーは、アザーズの4度にわたる攻撃で両親を亡くし、ついには弟とも生き別れてしまう。もはやわずかな生存者も、誰が敵か味方かも分からない中、キャシーは弟を救い出し、人類滅亡を意味する第5の波を食い止めることが出来るのか?」
『アリス・クリードの失踪』の監督なのね。それにしては本格SFになりきれず、クロエ・グレース・モレッツの青春モノにもなってなくて、いろいろと中途半端な感じ。
最初は、逃げるキャシーがコンビニで傷ついた(らしい)男性と出会い、でも、アザーズと思い込んで撃ち殺してしまう場面。そこから遡って、平穏な日々からはじまる。でも、以後の展開はとても淡々としてて、まるで状況説明してるみたい。アザーズの巨大円盤の出現、停電、航空機の墜落とか、ぜんぜんドラマチックじゃない。音楽でなんとか切迫感だそうとしてるけど、危機感がほとんど感じられない。
5つの波も、電磁波で機械を狂わせ、津波を起こし、鳥インフルが流行り、人間に寄生して攻撃し始めるとかいう順だったか。いわれりゃそうかも知れないけど、まあどうでもいい話で。むりやり感が強い。
母親が鳥インフルで死に、3人は生き残りの群れに合流するんだけど、そこに軍隊が来て。だれかが「クルマが動いてる」とかいうんだけど、この時点で軍隊=アザーズとバレてしまっているので、ミステリー性はゼロ。アザーズの軍隊を信じてる一家のトンマ振りを見させられるのが、退屈だ。ここで軍隊は大人と子供を分け、先ず子供は基地に。大人には、アザーズの見分け方を教えるとかいって小屋に集め、皆殺しにしてしまうのだが。このあたりは、『炎628』とか『進撃の巨人』なんかと同じで、その元はナチスなのかな。
弟は基地に連れていかれ、はぐれたキャシーが小屋に近づいてきて、それに気づいた父親が、あっちに行けサインを送って、それでキャシーは助かるんだけど。小屋で大佐が話していた内容までは聞き取れていないはずで、だのになぜキャシーが「アザーズは人間に寄生している」ことを知ったのか、分からない。知っていたからこそ、コンビニで男を撃ち殺してしまったんだろ?
しかし、それまで銃なんて使ったこともないのに、いきなり撃ち殺すかね。あれこれあって人間が信じられなくなり、それで撃った、なら分かるけど、そういう経緯はない。最初に出会った疑わしい他人を撃てるとは…。しかも、罪悪感のひとかけらもないようで、これまた驚きである。
その後、キャシーは誰かに撃たれ、エヴァンという青年に助けられるんだけど、これまた違和感ありまくりで。工学部の学生が銃創を手当て…というか、縫合し、さらに、どっから調達してきたのか点滴セットまである。貫通してたら裏側も包帯しなくちゃならんだろうに、そうしてなかった。ってことは、弾を取りだした? いろいろ疑惑が…。で、「ここは安全」とエヴァンはいうけど、フツーの一戸建てで、どこがどう安全なのかよく分からんぞ。
まあ、手当てされるキャシーはエヴァンを疑いの目で見て、エヴァンはどこまでもやさしい、というパターンでのあれやこれやがあって、相手の拳銃を奪い取る護身術まで教えてもらい、最後はなんとクルマの中で…。おいおい。あんなに嫌っていたのに…。で、単独で基地を目指すキャシー。
一方その頃、基地では子供が人間狩りの兵士に仕立て上げられていて、弟君もそのなかにいた。子供だと、素直に信じやすいから兵隊にしやすいのか。このあたりの経緯は、アフリカで子供が誘拐され、兵隊にされるのと同じだね。で、ある部隊が、初めての人間狩りに駆り出されるんだけど、戦っているうちに相手が人間であること、首に撃ち込まれたセンサーによって、人間がアザーズに見えるよう仕組まれていることに気づいて。リーダー格のベンが、基地に残してきた弟君を救いに行くということで、メインキャストが基地に集まってくる。もちろん、キャシーの後を追ってきたエヴァンも基地の中にやってくるんだが。
ここでエヴァンはキャシーに突然の告白。「僕は半分アサーズで、半分は人間。そういうことが起きたんだ。でも、いまは心も人間。君のために尽くす」みたいなことをいうんだが、これって『寄生獣』じゃねえか。この唐突感、たいして語られないエヴァンの存在の位置づけ…。しかも、エヴァンは基地のあちこちに爆弾をセットしていて、ベンとキャシーが弟君を見つける(かなりの偶然とご都合主義でみつける)と同時にあちこちで爆発が始まるんだけど、エヴァンってどんだけスーパーマンなんだよ。
まあ、そんなわけで、大佐とアザーズの軍隊が基地を離れ、子供たちも輸送機でどこかへ運ばれていく。つまり、まだまだアザーズをやっつけたことにはなっていない。というか、アザーズの正体もよく分かっていない。だって、顔面内に寄生している、というのは、アザーズの言い分であって、人間はアザーズの正体を確認したわけではないからね。なわけで、スッキリしない終わり方なんだけど、もしかしてこれ、シリーズ化しようっていうのかいな? おいおい、な感じがするけどなあ。クロエちゃんの太腿だけで、2作3作と、客を呼べるのかね、疑問。
・キャシーが憧れてた学園のイケメン、ベン。でも、鳥インフルから復活したから(だったかな?)ゾンビと呼ばれ、基地で少年兵のリーダー格になってるとか、面白い設定なんだけど、あまり生かされてないのが残念。
・同じく少年部隊に編入されてくるはぐれ物の女の子がいるんだけど、出番が長い割りにさほど生かされないのが、もったいない。
・トラブルに巻き込まれる原因が弟の、置き忘れたテディベア、という設定は手垢が付きすぎ。
・少年兵たちを最初に手なずける女性軍層は、マリア・ベロだったのか。おっかないオバサンにしか見えなかったよ。『ER』のころは、チャーミングだったけど。まあ、役柄に合わせたメイクなのかも知れないが。
ミケランジェロ・プロジェクト5/4ギンレイホール監督/ジョージ・クルーニー脚本ジョージ・クルーニー、グラント・ヘスロヴ
原題は“The Monuments Men”。allcinemaのあらすじは「第二次世界大戦末期のヨーロッパ。ヒトラーの命を受けたナチスドイツは、侵攻した各国で歴史的名画や彫刻をはじめとする数々の美術品の略奪を繰り返していた。これに危機感を募らせたアメリカのハーバード大学付属美術館の館長ストークスは、時の大統領ルーズベルトに直談判し、ナチスに奪われた美術品の奪還作戦を認めさせる。こうして結成されたのが特殊部隊“モニュメンツ・メン”。集められたのはメトロポリタン美術館主任学芸員ジェームズ・グレンジャーをはじめとする芸術のエキスパート7人。ただし戦場ではズブの素人ばかり。それでも貴重な美術品の行方を追ってヨーロッパ各地の前線へと乗り込んでいくモニュメンツ・メンだったが」
ナチが集めた欧州絵画を奪還するという話で、そういえばかつて『大列車作戦』という名作もあったぐらいで、ある意味ではジャンルといってもいいんじゃなかろうか。併映の『黄金のアデーレ 名画の帰還』(すでに見てるから見なかったけど)も、同類と言えばそうだし。
ノルマンディ後のフランスからドイツ国内が舞台なんだろうけど、時系列および位置関係は大雑把。このあたりはもうちょい説明的でもよかった感じ。最大の難点は、ほとんど人間が描けてないこと。奪還メンバーを集める経緯も、簡単に済ませてしまう。全部で7人らしいけど、ちゃんと7人紹介されてたのかな。天井画の修復をしているグレンジャーはマット・デイモンだから分かる。建設現場にいたキャンベルも、ビル・マーレイだから分かる。なにやってたのか忘れたけど、ガーフィールドもジョン・グッドマンだから見分けがつく。劇場にいたサヴィッツは、特長のある爺さんだから判別がつく。分からんのは残り2人で、ともにあっさり死んでしまうので、余計に印象が薄い。刑務所に入っていたとかいうのは、ドナルドのことなのかな?
題名は『ミケランジェロ・プロジェクト』だけど、芸術作品の目玉は2つあって、「祭壇画」とミケランジェロの「母子像」。でも、映画の冒頭ででてくるのは「祭壇画」の方なんだよね。「母子像」の行方も追うことには追うけど、ミケランジェロ! って程ではない。
冒頭では牧師たちが「祭壇画」を隠そうとしているところだっけか。次に「最後の審判」が、裸になっているシーン。で、これも盗まれたのかどうか知らんけど、とくに説明はない。このあたりは、ナチがどのように美術品を集め、運び、焼却した、あるいは隠したかにつながるんだから、もうちょい分かりやすく理路整然と説明して欲しいところだ。でも、2人ほど重要なナチの高官がでてはくるんけど、いまいち人間が描けてなくて、ステレオタイプな記号として登場する。ここはちゃんとキャラを与え、その後の、絵画もって逃げる狡猾なナチ、それを追うモニュメンツ・メンとの攻略戦、頭脳戦の感じをだせば、もっと面白くなったと思う。もったいない。
とはいえ、扱っているテーマはとても面白く、『大脱走』『荒野の七人』みたいな雰囲気もあるし、宝探し的な興味もあって楽しい。もし、人集めの部分を『七人の侍』のように30分ぐらい時間をかけ、経歴や過去の因縁、家族なんかも丁寧に描いて全体で3時間ぐらいにしたら傑作になったんじゃないのかな。
メンバー7人のうち、グレンジャーだけはパリに向かうのか? ナチが管理してた美術館で働いていたシモーヌと接触して情報を聞き出していたけど、そもそもどういう使命を帯びていたとか、説明が足りなすぎ。他は、ノルマンディーから何人か上陸してたな。6人全部? 以後の行動も、わずかに地図がでてくるけど、なんかアバウトで。どっかのフランス人一家の家にいってるのもいたな。それから、現地でみつけた通訳の青年もメンバーに加わってるし。この、彼らの動きも、体系的には分からない。でもまあ、なんか話はどんどん進んでいく、な感じで、いまいちスッキリしないのが残念。このあたりも、しっかり見せて欲しい感じ。
メンバーのドナルドは、ミケランジェロの聖母子像のある教会に向かう。米軍(?)の隊長に、「ドイツ軍は撤退するとき町を破壊していく」と教会まで兵を出すよう求めるが、「ドイツ軍は逃げるだけで精一杯。絵画ごときに兵隊は割けない」と一蹴され、ひとりで教会に潜入。たしかここで「聖母子像」が初登場ではなかったかな。でも、聖母子像を強奪にきたナチに遭遇し、ドナルドは呆気なく射殺されてしまう。あともう1人、クレルモンはガーフィールドと一緒にジープで前線へ走り、気づいたら戦場のど真ん中。ここでクレルモンが銃撃されて死んでしまうんだけど、これまたトンマな死に方で。このあたりの、サブキャラの退出の仕方は、『荒野の七人』となんか似ている。
地味にいいのは、キャンベルとサヴィッツが慰問の小包を開ける場面。キャンベルには声のメッセージがレコードで送られてきていて、「あとでプレーヤーを探さなくちゃ」なんていいおいてシャワーに行くんだが。その間にサヴィッツが基地内の放送局でそのレコードを再生し、メッセージと、家族が歌うクリスマスソングが流れるんだが、これが胸に迫ってくる。しかも、野戦病院で、いまにも死にかけている兵士の様子が重なったりして、なかなかの場面。野戦病院、シャワー、基地放送というと『M★A★S★H』を連想してしまうんだよなあ。
で、なかなか肝心の「祭壇画」が見つからず、塩山なんかが描き込まれている地図を見ていているとき、通訳の青年が銅山に着目し、行ってみたら大当たりで。「祭壇画」はなかったけど、たくさんの絵画と金塊が見つかって、他の塩山へも行ってみたら、そこにも…とかいう流れだったっけか。でも、なんで銅山なのか、これもよく分からなかったなあ。
で、どの塩山だったか分からないけど、捕まえたドイツ兵のコソコソ話を、通訳の青年が聞き取って、行ってみたらば「祭壇画があったんだっけか。もう、経緯をよく覚えてないよ。というか、はっきり描いてないから分からん、ってのもあると思うぞ。
でその祭壇画の最後の一枚が、テーブルにしていた板だったとか、ソ連軍が来るからと慌てて逃げようとしていて「聖母子像」をみつけたりと、まあ、あれこれ都合よく進んで、ミッション成功。めでたしめでたし、なんだけど。分からんことも少なくない。
たとえば、最後の塩山坑道はソ連軍の管理になるというのは、ドイツ分割統治によるものだろうけど、その説明があってもいいよな。それと、あの美術品がソ連の手に渡ったとしたら、その後、どうなったというんだろう? なんか、連合軍は「ちゃんと持ち主に返しました。清廉潔白!」を強調していて、ソ連軍は泥棒国家みたいな描き方なんだけど、実際はどうなんだろう? 連合軍の兵士にも、黄金の数かけら、絵の何点か、持ってかえったようなのがいるんじゃないのか? ほんとか? な、疑問が湧いてくるんだが…。
・坑道の中でグレンジャーが「地雷を踏んだ」といい、バランスのための重石をセットするんだけど、具体的にはどういうことになってるんだ、足もとは。それと、足を外すと少しだけ爆発して火花が散るんだけど、あれはニセモノだったということなのか? 本物だったのか? よく分からない。
・甥が絵の勉強をしていた、とかいわれてキャンベルとサヴィッツがドイツ人の家庭を訪問すると、部屋には絵画がたくさん飾られていて。あれ? あの男、シモーヌに脅しをかけつつ、パリから逃げていったナチの高官じゃないのか? しかし、本物の絵を家の中に掛けておくなんて、アホか。
・ガーフィールドともう1人(クレルモン?)が、狙撃兵を捕まえてみればほんの子供だった、とか。グレンジャーのフランス語が下手すぎるとか。笑える場面が結構あるので、コメディ仕立てでもあるんだよな。まあ、悪くはないけど、そんなことしてないで、ちゃんと説明する方に力を入れてくれ。
・そういえば、最初は頑なだったシモーヌが、次第にグレンジャーに心を開いていき、ついには自ら「泊まっていって」なんて誘ってしまうのは、ああいうのはフランスでは結構あったのか?
・あと、ヒトラーの倒錯した美術への愛を、もうちょい見せて欲しい。いいものは、集める。でも、それができないなら、破壊してしまえ、という命令。何がそうさせたのか? 美術学校を落ちた、ぐらいで簡単に済ませないで欲しい。
・とか、いろいろ言ってるけど、面白かったのは確か。でも、もっと面白くできたはずの素材だと思うんだけどな。
ちはやふる -下の句-5/6109シネマズ木場シアター7監督/小泉徳宏脚本/小泉徳宏
allcinemaのあらすじは「創部一年目にして強豪北央学園に勝利し、東京都大会優勝を成し遂げ、全国大会への切符を手にした瑞沢高校競技かるた部。千早はさっそく新に優勝の報告をするが、“もうかるたはやらん”という新のまさかの告白に動揺を隠せない。それでも、太一やかるた部の仲間たちとともに全国大会に向けて練習に励む千早。そんな時、自分と同い年でありながらクイーンに君臨する孤高の絶対王者・若宮詩暢の存在を知り、頭から離れなくなっていく。そして新の心を取り戻すためにもクイーンに勝ちたいとの思いが募り、いつしか周囲が見えなくなっていく千早だったが」
再会、部員集めというネタがあった上の句に比べると、前半はかなり退屈。というのも、千早と太一にとっての「壁」のようなものは提示されるけど、どんどん内向的になっていくだけで、ちっともはじけないからだ。千早の「壁」は、クイーンの若宮詩暢が左利きであることからの対策。太一にとっての「壁」は、自分の技術の向上。これは、クイーンのおかげで千早が心ここにあらずになり、団体戦で頼れなくなったので、自分が何とかしなくちゃ、と思っていることにあるらしい。
でも、見てる方からすると、どっちの「壁」も、それほどのことか? と思うようなもので、いまいちドラマが面白くないのだ。しかも、ともに最後はセリフで説明しちゃってるから、映画的なダイナミズムもない。ふ〜ん、てなもんである。
この間に、千早と太一は福井の新に会いに行くんだけど、新は祖父の死をきっかけに、さらに引きこもってる。金沢での大会に出たせいで、祖父の危篤に気づかなかった…な話かなと思ったら、そういう背景はなし。たんに、自分のカルタの師である祖父の死で落ち込んでいる。これがまた、説得力がない。そもそも千早と太一は、なぜ新に会いに行くのか、もよく分からんし。まあ、原作がそうなのかも知れないけどね。
あと、千早、太一、新の三角関係が、分かるようで分からない。太一と新は千早が好き。で、千早は、なんであんなに新のことを追うのだ? 好きではなく追う、その理由は、たんに「一緒にカルタがやりたい」から? そのあたりの浅さがいまいちドキドキしないんだよな。
てなわけで、後半は全国大会で、こちらはそこそこ面白かった。でも、団体戦・個人ともに、どこまで勝ち上がったのか、ということを具体的に見せないやり方は、なんかスッキリしないよ。やはりここはトーナメント表なりをだして、見せて欲しい。団体戦は2回戦も突破して3回戦まで行ったようだけど、その後はどういう負け方をしたのか? 誰と誰が勝ったのか? 見せりゃいいんだ。その悔しさがバネになって、翌日の個人戦に…でいいじゃないかと思うんだが。
あと、千早が試合中、倒れてしまうんだが、数時間で復活してしまうんだが。あれは、なんだったんだ? 病気ではなかったのか? なんか、騒いだわりには大したことがない。では、残りの試合を4人で戦ったのか。少なくても、勝負は認められるのか? な、あたりのにルールにも言及して欲しいところだ。
さらに、机くんは初勝利、大江さんもがんばったんだろ? その様子をなぜ見せない。前半の、ムダに時間を費やした千早と太一の右往左往をがんがん削って、全編、群雄割拠の戦いにしちゃってもよかったろうに。その合間に恋のさや当てや千早と新のすれ違いなんかをイメージで見せるぐらいでよかったんだよ。
で、個人戦だけど、北央学園の須藤がでてくるんだけど、東京都から複数出られるのかいな。で、試合中の、別々で戦っていても意志が通じていて、団体戦と同じ、というのはなかなかいい感じ。千早が新に留守電で知らせていた仲間たちを、新が見つけていくところ。千早が吹っ飛ばしたカルタを大江さんが拾い、それを千早に渡すとき、そっと手を包みこむようにするところなどは、なかなか心に迫ってはくる。でも、千早がクイーンに負けたのは分かったけど、他の4人はどこまで勝ち上がったのか、まったく分からない。こっちも見せてくれよ。トーナメント表なりで…。そういうのは、この手の成長物語では定番だろ。
・最大のライバル、クイーンの若宮詩暢は水商売顔。だけど、原宿ダディベア(?)とかスノー丸なんていうキャラのタオル、Tシャツにキャーキャー叫んだりするんだけど、あれ、突然すぎて違和感ありすぎだな。全国大会でも、小学生みたいな水筒を斜にかけてたり。あと、新の祖父の葬儀にきたとき「グァバジュースに眼がなかったのよね」なんて言われてて、意味わからん。原作に沿った意図的な表現なんだろうけど、ううむ…。
・そのクイーン、祖父の葬儀のとき新とカルタで向かい合うんだけど、着手が同時だったのかな。「セームだったからあなたにあげる」みたいなことを言ったんだけど、セームはSameのことかな。でも、分からん人もいると思うぞ。
・ふだんのTシャツ、大会で着るTシャツ、とか、たくさんのTシャツが登場する。バヌアツとか東京とか、地名をあしらったのが目立ったけど、あれ、意味あるのか?
・上の句に出てこなかったカルタの世界の話で、A級、B級とかいうクラス分けが出てきたけど、ああいうのも説明してくれよ。
・エンドロールに、つみきみほ、の名をみつけて驚いた。どこにいた? 年齢で相当するのは、新の家にいた女性だけど、母親か? 顔なんてよく見てなかったよ。ありゃりゃ。
ゾンビスクール!5/13キネカ大森監督/ジョナサン・マイロット脚本/リー・ワネル、イアン・ブレナン
原題は“Cooties”。シラミのことらしい。allcinemaのあらすじは「小説家の夢破れニューヨークから故郷に舞い戻ったクリント。母校の小学校で臨時教員となるが、給食のチキンナゲットを食べた女子生徒が、なんとゾンビになってしまった。そして彼女に襲われた生徒たちが次々とゾンビ化し、集団で大人たちも襲い始めたのだった。クリントはじめわずかに生き残った教師たちは、自らの生存を懸け、獰猛なキッズゾンビたちに戦いを挑むのだったが」
なんとイライジャ・ウッドが主演のゾンビ映画である。この手の映画にでるほど落ちぶれた、ということなんだろうか。
話は↑のあらすじ通りで、少女がゾンビ化し、同級生もどんどんゾンビ化し、先生は建物の中に逃げ込む。図書室だったかに残っていた黒人少年が先生達と一緒になり、あともう1人、少女も加わるんだったかな。もう忘れてるけど。で、責めてくる子供たちと大人との戦いが始まって…な感じ。その過程で、子供が大人にガンガン殴られ殺されていくんだが、フツーなら子供を殴れないけど、ゾンビだから殴ってもいいんだ! な感じがあるような気がする。
途中、日本人らしい用務員も加わるんだけど、「蛙が毛虫を…」とかいう話をしたりするのが意味不明。なんか哲学的な意味があるのかね。この喩え、ラストでもでてきてたんだよなあ。
差別的な表現がけっこうある。最初の方の、いじめっ子が、9.11以降「大きくなったらターバン野郎を皆殺しにするんだ」と思っていたとか、教室内で発見される黒人生徒の「僕が唯一の黒人生徒だから?」とか、ある教師の「死ぬ前に、非白人の娼婦とやりたかった」とか。こういうのはTVじゃできないアブナイ台詞なんだろうな、きっと。
どうにもならなくなって、教師たちは日本人用務員の武術頼みで外に出て、たしか、バスみたいなので脱出するんだが。隣町まで行っても状況は同じで、なんかの店だったか、部屋のような檻のようなところに火をつけて、さらにまた脱出するんだけど、そのまま逃げる教師たち…で、ラストになるんだったかな。もう2週間以上前に見たので、よく覚えてないのだよな。ははは。
『ゾンビーバー』と比べると、閉じ込められた教師たちが右往左往する話で、あとは各教師たちのキャラ頼み。オカマっぽかったりなんだかんだつくってるけど、むりやりな感じでいまいち話にノリにくい感じ。イライジャ・ウッドの同級生で教師をやってるルーシーも、とくに色っぽくもないし可愛くもないので、そっちを期待してもムダだし。イライジャ頼みの映画ということかね。
ゾンビーバー5/13キネカ大森監督/ジョーダン・ルービン脚本/ジョン・カプラン、アル・カプラン
原題は“Zombeavers”。allcinemaのあらすじは「ある日、仲良し女子大生3人組が湖畔にキャンプにやってくる。やがて彼女たちの彼氏たち3人も合流して乱痴気騒ぎへ。そのさなか、バスタブで一匹の凶暴なビーバーが発見されるが、仲間の一人が撲殺して事なきを得る。ところが翌朝、捨てたはずのビーバーの死体が消えていた。実は、湖は医療廃棄物で汚染されており、そこに棲息しているビーバーたちはゾンビ化していたのだった。そうとは知らず水遊びに興じる6人。そんな彼らを悪夢の惨劇が待ち受けていた」
けっこう面白かった。まずは、美女3人。ゾーイ(コートニー・パーム)は香椎由宇そっくりで、その子の脱ぎっぷりがお見事。早々にオッパイ見せてくれて、セックスシーンもある。その彼氏は、いかにも頭悪そーで、これまたいいキャラ。もうひとりは、しゃくれ顔のメアリー(レイチェル・メルヴィン)で、彼氏がハンサムなのはなんで? ジェン(レクシー・アトキンズ)はロシア美人っぽい感じ。楽しいのは、襲ってくるビーバーのチープさで、いやもうCG全盛の時代になんだあれはなつくりものがウケる。
そもそも、どっかのトラックから薬剤の缶が転げ落ち、それが川に。その影響でビーバーが攻撃的になって人を襲う、といういい加減な話で。死んで生き返る、という発端ではないのよね。それでも、噛まれた人間は死なずにゾンビになるというわけで、このあたりも無茶苦茶いい加減。床から侵入しようとするビーバーをモグラ叩きスタイルでぱかぱか叩くところなんかがあったり。やりたい放題なバカやってて楽しい。
近所の怪しいハンターとか、いるんだけど、これまたわざとらしい感じで。それらを交えて、『13日の金曜日』のごとくひとりまたひとりと噛まれてゾンビ化したり、男の子1人は巨木の下敷きで動けなくなったり。最後まで残るのは香椎由宇似のゾーイなんだけど、やっと生き残った彼女がなんと冒頭にでてきたいい加減なトラックに跳ねられてしまうという、これまた粋なオチが付いていて笑ってしまう。
メアリーの親戚だったかな、が近所に住んでて、家も見えるんだけど。でも、そっちの家はずっと襲われずにいたりする不自然さとかあるんだけど、それもまたご愛敬。ほどよくエッチで、しかもバカバカしさも楽しめるね映画であった。
エンドロールの後に、例の毒を蜂が媒介して…なシーンがあったけど、パート2があるんだろうかね。
殿、利息でござる!5/17MOVIX亀有シアター10監督/中村義洋脚本/中村義洋、鈴木謙一
allcinemaのあらすじは「江戸時代中期の仙台藩。百姓や町人には重税が課され、破産や夜逃げが相次いでいた。貧しい宿場町・吉岡宿も例外ではなく、造り酒屋を営む穀田屋十三郎は、そんな町の行く末を深く案じていた。ある時彼は、知恵者の篤平治から、町を救うあるアイデアを打ち明けられる。それは、藩に大金を貸し付け、その利息で町を再建するという前代未聞の奇策だった。計画に必要な額は、なんと千両(約3億円)。簡単につくれる額ではないが、宿場の仲間たちを説得し、必死の節約を重ね、家財も投げ打ってひたすら銭集めに奔走する十三郎たちだったが」
最初はぎこちなく始まって、演出も脚本もいまいち…と思っていたんだけど、中盤あたりから話が、というより、人間関係が「なるほど」な感じになってきて。とくに、ひがみ虫の兄・穀田屋と、冷徹吝嗇な弟・浅野屋との仲が、思い違いによるもので…。実父・先代の浅野屋の心づもりとか、この辺りはなかなかよい。のだけれど、映画のキモとなる、「町人が藩に金を貸して利息を取る」というのが、最後までどーしても腑に落ちず、だった。ラスト近くの、「藩に金を貸して利息を取る」が、藩の上層部からも美談としてとらえられ、報奨金までもらう、という件などは、「なんで?」な感じで、ちっともスッキリしない。
そもそも、この話。仙台藩の重税があって、住人が苦しんでるという背景があって、それを解消する話なんだけど、苦しんでる住人が登場しない。せいぜいが冒頭の夜逃げで、でもあれは商売人のようだ。しかし大八に荷物一杯で、生活苦なのにあんな夜逃げがあるのか? まあ、映画的な記号として描いてるんだろうけど。他には、苦しむ小作農など登場しない。冒頭近くで、旅人が別の道を通るとか、近在の担ぎ屋が商売を初めて、藩内への人の流れがなくなったとか、いくつかの例を挙げていたぐらいで、住人の稼ぎがないという切実な感じがつたわってこない。
仙台藩が、薩摩藩(?)だったかに対抗して従四位の位が欲しくてどうと(だっけ?)か、他にもなんとかかんとかで、数万両工面しなくてはならず、藩の財政がどうたらで、百姓が年貢で苦しんでいる、というようなことは説明があった。でも、経済は回転しているはずで、百姓に金がなければ商人はモノが売れず、酒も飲まないだろうし、両替屋も困るはず。なのに、藩の商人たちが困ってるようには見えないところがつらい。その、困っているように見えない宿(しゅく)の肝いり(庄屋)、造り酒屋とか両替屋、茶の製造業、質屋とかが中心となって資金調達しようというのだけれど、目標が5千貫文=千両=いまの金にして3億円らしい。けど、数万両を捻出しなくてはならない仙台藩にとって、千両って、少なくないか?
あとは、画像のリアリティ。まあ、こういう時代劇だから着物に汚しをつけなくてもいいのかも知れないけど。あれこれ、もうちょい貧乏臭がだせなかったのかな。だって、町人衆たち、そろいもそろって立派な着物で、しょっちゅう飲みに行くし、苦労のくの字も知らないようにしか見えないのだもの。『たそがれ清兵衛』的な、とまではいわないけど、ね。
あとは、前半に目についた、勘所の悪い編集とセリフかな。気になったのは。まあ、後半になるとこなれてきてはいたけどね。でも、別の手練れな監督が手がけたら、こんなガクガクしたかんじじゃなくて、ふわりとスムーズな流れと展開になったんじゃなかろうか知らん。
キモとなる財政改革のアイディアだけど。飲み屋で、京から戻ってきた菅原屋に、穀田屋に「なにか方策は…」と尋ねて、すぐに「藩に金を貸して利息を…」という話をし出すのには驚いた。革新的な案なんだから、もっと絞り出すとか、あるいは何かエピソードから思いつくとか、そういう「なるほど感」が欲しいのに、あまりにも呆気なさ過ぎ。菅原屋は浅野屋に金を借りていて、その利子だけ払わされた、わけなのだから。それをもっと強調し、自分を藩にたとえて「自分なんて、借りた金のおかげで、ずっと浅野屋さんに利子だけ払いつづける立場・・・あ、これ、いいかも知れない」「なにがですか?」「いや、利子だけ毎年もらうんですよ」「どこから」「藩からですよ」「どうやって?」「だから、藩に金を貸せば、年に1割の利子が付くじゃないですか。それを伝馬の資金にすれば、解決じゃないですか」とかいう流れをつけるとかすりゃいいのに。
その後の、出資者仲間集めは、『七人の侍』のようでもあり、落語の『天狗裁き』のようでもあり、しだいに面白くなっていく。
ただし、「その翌年」「その翌年」という字幕がたびたび出て、何年かかってるんだよ、貧乏人はみんな死んじまうだろ、とか、思ってしまうところは、いまいちかな。時の流れと、人々の変化なども出せるとよかったんだが。
・最初に、伝馬の負担がたいへんで、と説明があった。でも、感じは出てこず、ナレーションのみ。「てんま」という音で「伝馬」はなかなか思い浮かばないと思うんだけどな。
・代官に願いに行く前に、大肝いりが住人の前で行った「読み聞かせ」って、ありゃなんだ?
・大名が豪商から借金するのは、割とフツーだったんじゃないのか? 藩の方でも、「商人に借金はしない」と断言している。そういうのと、この映画のアイディアと、どこがどう違う逆転の発想なんだ?
・浅野屋が1千貫文だす、と知った穀田屋が、過去の因縁からメンバーを抜けてしまい、しばらく登場しなくなる。ここから菅原屋と浅野屋がメインになってくるんだけど、穀田屋の阿部サダヲを主人公、としているくせに、この扱いはどーなのかね。主人公率でいったら、穀田屋の阿部サダヲが40%、菅原屋の瑛太が40%、浅野屋の妻夫木聡が20%な感じで。とくに阿部サダヲが主人公って感じはしないのだよね。
・先代の浅野屋は、藩に資金提供することを「上納」と言っていた。貸し付けとは違うわけか。貸し付けを、そう呼んだ、ということなのか。
・冒頭の夜逃げ一家。その行く末が心配だったんだけど、最後に先代の浅野屋のエピソードでちゃんと回収していた。なるほど、そういうことだったのか。
・冒頭の、甕に金を放り込む先代浅野屋。守銭奴と見せかけて、実は藩への上納金を貯めていた、というエピソード。しかし、商人1人でそんなに金は貯まらんと思うがな。
・浅野屋と穀田屋の関係、仲直りはいいんだけど、なぜ兄の方を養子に出したか、ぐらいは本人に言っておけよ >> 先代浅野屋。というか、弟の目が悪いことぐらい、気づけ、と思う。
・穀田屋は、いまも酒店として存在しているというのはすごいことだ。
・セリフの中では「私ども百姓」といってるけど、町人も「百姓」に含むということなのかね。
・肝いり配下の馬喰たちが、あれこれと奔走するんだけど、彼らにメリットはあるのか? 現状でも給金は出ているんだろ? その出所が、藩の人々からか、藩からの利子か、の違いだけではないのかな。むしろ、奔走すべきは百姓・町人ではないのかな。
・「40数年は利子が払われて、ある年、藩が無視したけれど、その後も同じような救済策を考えて、それは明治まで続いた。利子は合計4千両(だったかなあ?)払われた」とか最後に言っていた。その、無視された後の策は、どんなものだったのか? 興味がある。それと、いまみたいにゼロ金利と違って、年に10%というのは、凄いというか、仕合わせというか、ううむ…。
・“とき”が経営する飲み屋の内装も、椅子にテーブルの映画的な嘘で、実際の飲み屋は座敷のはず。なのに、そういうところは、分かりやすさを優先している。これはなんとかして欲しい。
・藩の重臣・松田龍平は、生来の何をするか分からない感じはでてるけど、上体がふらふらしているので、どーみても侍ではない。何とかして欲しい。
・菅原屋のかわいい女房は、ほとんど機能していない。もったいない。
・原作者の磯田道史が出てたのね。気づかなかった。あと、パンチ佐藤はどこにいた?
パリ3区の遺産相続人5/18ギンレイホール監督/イスラエル・ホロヴィッツ脚本/イスラエル・ホロヴィッツ
アメリカ/イギリス/フランス映画。原題は“My Old Lady”。allcinemaのあらすじは「疎遠だった父親が亡くなり、パリの高級アパルトマンを相続することになったマティアス。これで借金生活からオサラバできるとニューヨークからやって来た彼だったが、アパルトマンにはなんとイギリス生まれの老婦人マティルドが住んでいた。元の所有者マティルドとマティアスの父は、“ヴィアジェ”というフランス独特の不動産売買契約を結んでいた。それによってマティルドは亡くなるまでここに住み続けることができ、毎月、買主から2,400ユーロの支払いを受け続けることになっていた。相続した不動産を売れないばかりか、自分に支払い義務まであると知り、目論見が大きくはずれてしまったマティアス。持ち金もない彼は、マティルドの好意で逆にアパルトマンの一室を借りることに。おまけに、仕事から帰ってきたマティルドの娘クロエには、月末までに支払いが行われないと、不法侵入で訴えると脅される始末。すっかりニッチもサッチもいかず途方に暮れるマティアスだったが」
原作はイスラエル・ホロヴィッツの戯曲で、『いちご白書』の脚本を手がけた人なんだと。ふーん。
公式HPによると「ヴィアジェ(viager)と呼ばれる独特の売買システムが200年以上前から存在するという。70才以上の身寄りのない老人に多く利用される売却方法で、ヴィアジェは“終身”という意味。その特徴は、不動産を売却しても、売主が亡くなるまで住み続けることができることで、買主はすぐに住むことができない。売主が亡くなれば、家は買主に引き渡される。買主はブーケと呼ばれる一時金と、毎月一定額のレントを支払う必要がある。レントは売主が亡くなるまで払い続けなければならない。買い手にとって、ヴィアジェの物件は通常より安いことがメリットだが、売主が長く生きた場合には、総支払額が高くなるというデメリットもある。総額がいくらになるか分からずギャンブル性が高いヴィアジェは、売却希望者は多いものの購入者は限られていた。しかし近年、高齢者の増加に伴いヴィアジェに注目が集まり始めているという」
しかし、見る方はそんなことは知らないわけで。映画の中で交わされる会話だけから↑のようなシステムを理解できるはずがない。でも、この映画はこのシステムがあってこその話になっているのだから、当初から「?」なもやもやが持続するのは致し方ないところか。もちろん、次第に分かってくるようにはなるけど、それまでに発生するマティアスとマティルド&娘クロエとの感情の行き違い、対立なんかが、なるほど、と見られないのが残念なところ。
あと、もうひとつ、マティアスの父親が亡くなるまで、2人の間の状態が、どんなだったのか、がよく分からない。行き来はほとんど無かったのか、たまに会っても話さなかったのか、死ぬまでどんな生活をしていたのか、とかが見えると、もうちょっと話に入りやすかったかもしれない。
で、高級アパートを残してくれたのか…とやってきたら、家賃は入らない、売るにも売れない、どころかマティルドに月々2400ユーロも払わなくちゃならない…と分かって、げげげ、なマティアス。しばらく住まわせてもらうことになったけど、その間に家具を勝手に売り飛ばしたり、とんでもないやつだ。娘のクロエは、マティアスを毛嫌いするし…。なゴタゴタが延々つづいて、なかなか話が進まない。
最後に分かるのは、マティアスの父親は家族がありながらマティルドと愛人関係にあり、それであのアパートを買っていた、っていうこと。しかも、クロエも家族ある男と愛人関係にあって、それが相手の女房に感づかれてしまって別れる、というような話もあって。典型的なアナロジーになっているのだよな、この話。分かりやすすぎて、いささか興ざめ。
で、愛人と別れたクロエは、ケンカばかりしていたマティアスと次第に関係が深まっていき…という、映画的ご都合主義に支配されていて、このあたりはもう予定調和も甚だしい。まあ、最後は、売るつもりだったアパートは売らず、たぶんマティアスはあの家に、クロエと暮らすことになるんだろう。しばらくはマティルドも元気でいるだろうし。3人で仲よく、ときどき嫌みを言い合ったりしながらくらすのだろうと思う。まあ、映画としては妥当な収拾のつけ方だ。けど、まあ、都合がよすぎる気がしないでもないけどね。
でまあ、愛人の息子がやってきた、と知りながら対応していたマティルドではあるが、最初の方に宿泊料としてカタに取り上げたマティアスの時計は、かつてマティルドがマティアス父に贈ったものであると分かったり、マティアス父の遺灰はこのアパートの庭に埋めてあることも分かる。伏線の回収がちゃんとされてはいるのだけれど、父親の遺灰がフランスのどこかに埋められている、と分かっていながら調べもしないマティアスもどうかしてる。
しかしこれは愛人関係の肯定映画であって。正妻や子供はないがしろにされても、しょうがない、というような含みもあったりするわけで。こういう話がつくられて、果たしてよいのかね、と思わないことも亡かったりする。まあ、ドラマとして面白くするには、しょうがないことなのかも知れないが。
・代理店みたいな男を連れてきたのは、あれは誰なんだ? クロエとカフェで会うときに、突然登場したような気がするんだが。弁護士?
・毎月2400ユーロ払う義務って、高すぎないか? 一括で売り払うとしたら、売値は1200万ユーロらしい。こんな賭けみたいな不動産売買って、変なシステム。
・エンドクレジットの前だか終わりに不動産屋のオヤジと出会い、彼がセーヌ川のボートに住んでいることを知る。しかも、そのボートはヴィアジェで、売り手は3年後に亡くなった、と。まあ、これも伏線の回収か。
・マティルドが、夕食のときに「ワインが若いと、…が立つ、過ぎるとアルコールが…」といっていた。あれは単なる蘊蓄か? それともマティアスへの皮肉かね。
ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります5/18ギンレイホール監督/リチャード・ロンクレイン脚本/チャーリー・ピータース
allcinemaのあらすじは「ブルックリンが一望できる眺めのいい部屋に暮らして40年になる仲睦まじい夫婦、アレックスとルース。2人にとってその部屋はまさに理想の我が家だったが、エレベーターがないのが唯一の欠点だった。足腰の弱ってきたアレックスにとって、我が家のある5階まで階段を上るのは容易なことではなくなってきた。そんな夫を心配したルースは彼を説得し、エレベーターのある住居への買い替えを決めたのだった。こうして明日には、いよいよ購入希望者のための内覧会が開かれようとしていたのだったが」
都会の家というか部屋を売るシステムが見られたのが興味深かったのと、あれこれ費用=コストが出て来たのも、ふーんだった。ブルックリンの、広さは分からないけれど、100平米ぐらいなのかな、の売値を100万ドルと想定しているんだよ。実際の落札価格は90万ちょうぐらいなんだけど、それでも9千万。ひと財産ではないか。2人はこれで田舎に越そうとしているのかなと思ったら(最初の方に、田舎がどうのと字幕にあったけど、田舎に越すということではなかったのかな)、別のアパートの内覧会に行き始める。で、こっちの売値も90万ぐらいで、要は、売値と買値がほぼ同じ。これを、売値が高くなるようあれこれと、ルースの姪だったか、の不動産仲介人がアドバイス。しかし、エレベーターのない家なのに、ある家と同じぐらいの値段で取り引きされるというのは、立地がいい、展望がいい、とかなのか?
買い手もでてくるんだけど、あまりちゃんと描いてなくて、むしろ、内覧会見学が趣味の親子の方に焦点が当たっているのが面白い。幼い娘がいて、「ママは寝室でお昼寝」とかいってる。高嶺の花の都会のマンションにもぐりこんで、そのベッドに横たわるのが楽しいんだろう。けど、あんな内覧会はやだな。他人がたくさん家の中に入り込み、居間でテレビを見たり、あちこち覗いて、ベッドにまで…。アメリカ人は、そういうのに頓着しないのかね。
ドラマというドラマはなくて。あれこれ見てるうちにルースが「あれがいい」「これにしましょ」と衝動的に走り、姪の不動産屋をさしおいて入札してしまったり。それを大きな包容力で「はいはい」となだめつつ従って行くアレックス。いや、ほんとに、こいつら、ずっとこういう仲好し夫婦なのか? 信じらんねえよ。だって、さっこんの映画じゃ、離婚は当たり前、浮気、喧嘩もしょっちゅうみたいな設定ばかりだから。こういう夫婦が登場しても、リアリティがないぜ。
まあ、あれこれ他の部屋を見ていくんだけど、なかなか気に入ったのがない。やっと一件、入札し(姪御に黙ってね)、ほぼ落ちて。それを姪御につたえ、今度は以下に高く売るかに精を出す姪御。落とした方はサインするだけ、なんだけど、相手の若い夫婦が、「もっと高く売りたい」みたいなことでもめだして。これをみてアレックスが「売るのはやめだ」と勝手に決めてしまう。驚くルースだけど、結局は売らずにもと部屋に住みつづけることを決める、というだけの話。
でも、このラストは途中で見えてしまっていて。ママがお昼寝の少女が「あなたのところの見晴らしが一番よ」なんて言わせているのは、あれはアレックスの気持ちそのものだ。だから、話がどうなるかなんかには少しも興味がなく、ひたすら入札の額がどうなるのかとか、そっちの方で引っぱってる感じだったな。
ありていにいうと、銭の話でえげつない。でも、だから面白い。他にもコストの話が登場して、飼い犬の病気で、犬のCTに千ドル(10万円)要求され、さらに手術に1万ドル(100万円)かけているのだ! すごいな。資産家だな。まあ、住んでるところが1億だから、そうなんだろ。でも、絵描きでそんな収入があるのか? 画廊も登場して、最近はあまり売れないから、もっとお客が求めるような絵を、なんていわれておったではないか。
本当に、いまの、エレベーターのないアパートでよかったのかね。数年後に膝を悪くして、ああ、あのとき買い替えてれば、てなことになってたりはしないのかね。ま、映画だからな。こんなもんだろ。
2人が出会った頃の映像もときどきインサートされるんだけど、ちょっと表面的で。白人と黒人との結婚を禁止している州もあった頃に、黒人美大生のヌードモデル募集にルースがためらいなく応じて、それで仲良くなっていった、という設定。母親すら、2人の結婚に難色を示す時代に、どうやって偏見なく育ったのか、というようなことをもう少し知りたい気がする。はたまた、黒人男性と白人女性の結婚は当然のことながら『招かれざる客』を連想されるわけで、あのとき一緒になった2人が現在、仕合わせに暮らしているよ、というメッセージも含まれている、のかも知れない。であればこそ、一緒になった頃の障がいを、もうちょっと描いて欲しかった気もしないでもない。 ・ルースが、とんでもなく古いiMac使ってる。台座の部分が半球のやつ。2002年にでたやつだぞ。あんなの、使えるのか、まだ。
・あのアパートに2人が越したのは、結婚がきっかけのはず。で、買ったんだよな。では、資金はどうしたのだろう? むかしは安かった? その辺りのことについて、詳しく知りたいものである。
・で、最後に、夫婦が家に戻ってくると、下の階に越してきた若い夫婦を見かけ、「かつては私たちも」な感じで微笑むんだけど。あの若い夫婦も、100万ドル(1億)近い金であそこを買った、ということなのか? 知りたい。
・エンドクレジットの途中だったかに、アレックスが家を売る仲介者に、「やめた」と断るシーンがあった。それで終わりかと思ったら、エンドクレジットが終わって、近所のアラブ人とテレビを見てるんだったか、そんなシーンがあった。
リップヴァンウィンクルの花嫁5/19テアトル新宿監督/岩井俊二脚本/岩井俊二
allcinemaのあらすじは「2016年の東京。派遣教員として働く平凡な女性、皆川七海。ある日、SNSで鶴岡鉄也という男性と知り合い、そのままトントン拍子で結婚へと至る。結婚式に呼べる友人・親族が少ない七海は、代理出席の手配を“なんでも屋”の安室に依頼する。しかし新婚早々、夫の浮気疑惑が持ち上がると、反対に義母から七海が浮気を疑われ、家を追い出されてしまう。行き場もなく途方に暮れた七海は安室に助けを求め、彼が斡旋する怪しげなバイトを請け負うようになる。やがて、豪邸で住み込みのメイドとして働き始めた七海は、謎めいたメイド仲間、里中真白と意気投合、互いに心を通わせていくのだったが」
スカパー!でオンエアした。全6回のテレビ版があるらしい。主役の黒木華が、かつての蒼井優にかぶる。よわよわしく、はかなげな感じ。
リップヴァンウィンクルって何だっけ。とか思いつつ、後から調べた。あちら版の浦島太郎、か。うーむ。なにを意味しているのかな。よく分からない。
表面的には、内気な七海が落ちるところまで落ちて、でも、真実の友人を得て、最後は明日に向かっていく元気を得る、というような話に見えるけれど、実際はそんな単純な話ではない。
丁寧につくってあるけどツッコミどころも満載。まず主人公の七海がバカすぎて、もどかしくて、じれったい。たんなる奥手? でも臨時教師とはいえ英語教師…。疑問符アスペルガーとか、社会不適応な病気かなにかなのか? 見ていていらつく。なのにSNSのお見合いサイトで彼氏を見つけて速攻でセックス、しかも、あっという間に結婚式…。なんなんだこれは。コミュ障じゃないのか? さらに、七海に接近してくる安室という男の得体が知れない。やってることも意味不明で、いったいどういう思惑なんだ? そもそも最初に出会いは、七海のSNS仲間の知り合い、で七海の夫の浮気調査依頼。でも、実はSNS仲間は存在しなくて、SNS仲間=安室の可能性も高い。
その安室の行動をどう理解したらいいのか。なにせ七海を罠にかけて夫と離婚させ、結婚式の偽装家族バイトに引き込み、そこで真白に遭遇させる。2人を知り合いにして、真白から依頼された“一緒に死んでくれる相手”に仕立てる…。これは、当初からの計画なのか? SNSで七海ならうってつけとアタリをつけ、夫の浮気をでっち上げた? 部屋に侵入してビアスを置いて、夫の卒業アルバムも確認し、似たようなデザインの写真を用意…。安室はビジネスライクだから、その努力に見合う経費を真白からいただいている、ということなんだろうか。そう思わなければ、理解しがたい。
浮気された男をでっち上げ、ホテルで小芝居したのも、安室が七海の味方であることをインプットするためのものだろう。でも、あそこまでするのは異様、と思えないこともない。
真白の心中計画は失敗し、真白は死んだけれど、七海は生き残った。とはいえ、真白は末期がんで余命わずか、という状況で、“一緒に死んでくれる相手”に選ばれてしまった七海の方こそ迷惑なはず。七海は最後までそれを知らないわけだが。真白の依頼に、七海が最適、と引っ張り込んだ安室は、これはもう冷酷無比な極悪人だろ。なのに最後は、アパートの世話だの家具の調達だの、七海をサポートまでするのは、これは申し訳なさからなのか? 七海に感謝までされる安室は、いったい何者?
・七海。声が小さく、教師にはむかない。とかいいつつ教壇には立てて、教師への意欲もある。しかも、コンビニでレジのバイトもしてる…。接客できるんじゃん。…とかいう設定が、いまいち素直に受け取れず。
・七海。結婚後も同じSNSやってて、「ネットで亭主を見つけて結婚。こんなんでいいのかな」なんて書き込むか? しかも、亭主も同じSNSやってて、七海の発言呼んでいるという…。あり得ないだろ、そんなの。真白が、七海が参加してるSNSを「マイナー!」と言ってたけど、そんなSNSに七海、夫、安室まで加入してる。アホかと思う >> 七海。
・臨時教師といえど、コンビニでバイトはいいのか?
・教師をクビになり、でも夫になる人には言ってなくて、事後連絡のようなカタチで「教師はやめる。家庭に入る」とぼそりといい、夫に「相談もなく…」と叱られるのは、こりゃ当たり前だな。夫からみたら、七海の信頼は失墜だろ。
・SNSにどっぷりの七海。仮想の世界から現実へと引っ張り出されるんだけど、この手の連中って、多いのかね、近ごろは。
・「恋人が、あなたの旦那と浮気してる」とマンションに男が押しかけてくる。フツー、部屋に入れないだろ、そんなやつ。話すとしても、公園かどこかへ行くだろ。なのに招き入れ「旦那さんの卒業アルバムはあるか?」といわれると探して持ってくる七海。そこに写ってる女生徒の写真を指して、「これが私の彼女」といわれ信じる七海。もうちょい疑ってかかれよ、と思う。あと、女生徒の写真も、男が用意していたものをアルバムに貼ったらしいが、そんなのすぐ分かっちゃうだろ。
・浮気された男にホテルに呼び出され、「身体で償え」と要求された七海が安室にSNSで連絡。安室は「シャワーにでも入って時間つなぎして」というのはいいとして、七海は実際にシャワーを浴びるんだが、水を流すだけで十分だろうに。そういうことも真に受ける女性だと言いたいのかね。
・祖父の葬儀(?)で夫の田舎(東北?)に行き、そこで姑にホテルでの画像を見せられる七海。結婚式の客も偽装と追求されると、急にしゃっくりの七海。まあ、こういうことはありそう。心理的に弱いのか。それはいいとして、亭主も「結婚式の客は偽装だったのか」と詰め寄る。でも最初から七海は「親戚は2人」(たぶん両親)と言ってるんだから、突然増えたことに疑問をもつのがフツーだろ。
・姑に言われるがまま、実家(盛岡とかだっけ?)に帰っちゃうのか? と思ったら、世田谷の家に戻り、でも亭主から電話で「でてけ」といわれ、でも夫の浮気疑惑の経緯説明もロクにできない辺りは、見ていてイラつくほどもどかしい。バカか、この女、と。もう夫に気兼ねする必要はないんだから何でも言って、あるいは送られてきた画像を根拠に警察とか他の救済機関に助けを求めるとか、できるだろうに。
・で、カバン2つで家を出てしまう。なんで出ていくのだ? 自分が悪くないのになぜ出ていく。もどかしいな。この女。さらに雨が降ってきて、でも、自分がどこにいるか分からなくて。安室に電話で「どこにいるのか分からない。どこへ行けばいいのか分からない」とか、七海の現在の状態を、そのままにセリフと映像で表現するのは、分かりやすすぎるアナロジーで、いささかつまらない。
・真白も、勝手な女性だ。死期が近いからと散在するのは構わないけど、なぜひとりで死ぬことを選ばず、心中を求める? AVで生きることに恥なんてもってない、というか、仕事に生き甲斐をもっているように見えるのに、なにをジタバタしているのだ、と思ってしまう。
・真白がサソリや毒タコを飼うのは、いつでも自殺できるように? ではなぜにクラゲも…?
・真白がいう。「コンビニの店員が、私のためにあれこれやってくれる。ありがたい。仕合わせ」とかいうようなことを。この辺りで、真白は病気で死期が迫っているのではないのかと。七海が背負って「軽い」といったときは、こりゃ確実に死ぬなと分かってしまう。
・花嫁のドレスを「普段着にしたい」といって、たまたま入った店で試着し、写真を撮り、衣装のままクルマで家(借りてる豪邸)まで帰るんだが。買ったんだよな、あのドレス。止めようとしていた七海も、いつの間にかウェディングドレスで有頂天で、家に戻ってもワインをあけて大はしゃぎって、なんだ、おい。この女、と思ってしまう。それと、あのクルマはどうたんだ? 借りたのか?
・七海は、真白=リップヴァンウィンクルの、死出の旅路への花嫁に選ばれたわけけれど。死ぬことができず、生き返ってしまう。それで現実への対応力を得た? ということか? 安室の支援も、申し訳なさからなのかどうかよく分からんし。最後の、七海のこれからに関して、明るく肯定的に描かれるのがよく分からない。ああいうことがあっても、そう簡単に性格は変わらんと思うし、SNS生活はつづくと思うぞ。
・真白の遺骨を母親にところにもっていく。  なんだあの母親の裸は。実際に胸とか映さないけど。娘が人前で裸になってた、をどう引き継げば、自分が他人の前で裸になる、につながるのだ? 人前で裸、ではなく、人前で性器を露出し、セックスする、だろうと思うんだが。さらに、安室までが裸になって、母親と一緒に泣きながら焼酎をあおる。意味が分からない。もしかして、真白は安室にとって、特別な誰かだったのか? よく分からない。
・それと、世の中のAV女優の家族が、みなあんな風というイメージを刷り込むのは、いかがなものかと思ったりもするのだが。
・自殺に使ったのがイモ貝って、『シェル・コレクター』にも登場したアレだな。なんか、関係してるのか?
・結婚式の偽装親戚のバイト代が8千円から…っていってたはずだけど、七海が初めてそのバイトして、その夜に真白と飲んで…なんてしてたら、なくなっちゃうどころではないよな。
・偽装親戚のバイト料が8千円からって、衣装代とか引き出物代とか、そういうのはどうなるんだ? という疑問。
・安室のクルマのナンバーが6191なんだけど、意味があるのかどうか。
君がくれたグッドライフ5/27ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/クリスティアン・チューベルト脚本/アリアーネ・シュレーダー
ドイツ映画。原題は“Hin und weg”。海外タイトルは“tour de Force”。傑作とか偉業、手腕、というような意味らしい。allcinemaのあらすじは「毎年恒例の自転車旅行に旅立った6人の仲間たち。行き先を決めるのは持ち回り制で、15回目となる今年はハンネスとその妻キキの番だった。だが、行き先が見どころのないベルギーと聞いて他の4人は不満を漏らす。しかしハンネスには、彼らに明かしていないある深い事情があった。彼はALSと宣告されてしまい、これを人生最期の旅と決めていた。父親も同じ病気で亡くなり、その時の家族の苦労を知る彼は尊厳死を決断し、法律で認められているベルギーへ行くことにしたのだ。旅の最初の夜、ハンネスの口から真実が明かされ、ショックを受ける仲間たちだったが」
先入観なしで見たので、ALSの話がでてきて、おお、な感じ。それでも前半はコメディタッチもありの、にぎやかでポジティブなんだけど、1/3を過ぎるぐらいから話が暗くなってくる。妻キキが死にゆく夫ハンネスに「なんでも自分で決めてしまう」とか「私は残されて。どうすればいいの?」とか仲間の前で言葉に出していうんだが。このあたりは日本人の生理では違和感ありすぎ。これに対してハンネスは「俺だってコワイ。タマが縮み上がるぐらいコワイ」といいって、キキも、周囲も納得する。とまあ、こういう儀式を踏んでいかないと、西洋人というのは納得できないのかね。
同様の反目は、ハンネスと弟にもあって。安楽死を決めたことを自分に告げなかったことに憤り、自転車旅行にも行かない、と言いだす始末。このあたりも、相手の事情をおもんばかるところがないのかね、とか思ってしまう。何にしても、すべて打ち明けないと家族も夫婦も上手くやっていけないというのは面倒くさい。いえば、反論が出てくるだろうし、それを説得するのがまた面倒になるしね。
冒頭の、人物紹介が早すぎてあららららら…な感じ。とくに、ハゲのミヒャエルの紹介は何人も女性が出てきて。彼女らも登場人物かと思ったら、たんなる女たらしであるということのエピソードではないか。ありゃ混乱の元だぞ。
余命3年ぐらいだっけ? でも、半年後には車椅子で…という現実が待っている。というのは、父親も同じ病気で死んでいったから。でも、父親は自分がALSであることを知らずに死んでいった。自分はそれに耐えられない。というわけで、自分で、そして、たぶん妻キキを説得しての安楽死なんだろう。そういう選択があるというのは、ある意味では仕合わせなのかも知れない。その願いに応えることは、いまの日本では犯罪になるわけで、こうしたジレンマをすでに超えてしまったところにある映画、だ。
36か37歳だっけ。子供はない。遺伝を考慮して子供はつくらなかったのか。はたまた、妻キキは、ハンネスがALSと了解して結婚したのか。それに対してキキの両親、ハンネスの母親はどう反応したのか。というあたりに興味があるけど、説明はない。このあたりが、この映画の限界、きれいごとかな、という気もする。まあ、前向きな話にするには、妥当なところかな。
ベルギーについて、担当医を訪ねたら「昨日事故にあって…」とかいわれて死が1日伸びるんだけど。これはなんなんだ、な拍子抜け。話の筋立てとして、1人余裕を与え、雨の中のダンスを演出したかったのか。あまり意味がないと思うんだが。で、もう1人の医師を紹介してもらい、処置は翌日になる。という、担当医師のシステムは、どうなっているのかね。説明はなし。
で、みんなの見ている前で薬剤を腕に注射され、キキに抱かれて死んでいく…。ここでトンデモな大ハプニングもなく、予定通りに死んでいく。で、1年後、スカイダイビングにびびっていたキキは、なんと吊り橋からバンジージャンプしている。またも自転車旅行に出かけたのだ。今度は、ハンネスの兄夫婦(?実家にいた夫婦)が加わっている。そして、ラストの砂浜には母親もいて、浜には“HANNES WAS HERE”と書かれているという・・・。ちょっとわざとらしいエンディングであった。みなさん明るくて前向きだね。
・連中は、旅における課題を、レストランの隣に座った相手にだす、ようだ。これも説明が少ないので、あとからおいおい分かってくるんだけどね。誰が誰に課したか、なんて覚えられんよ。それに、課題をクリアしたかどうか、他の連中に分からないのもあったり、どーもいまいち、ううむだったりする。
・ハゲで女好きのミヒャエルには「女になる」で、バーでオカマに言い寄られるんだけど、トイレで女の子と知り合いになり、翌日から自転車旅行に参加するということに…。で、ミヒャエルと彼女は同年齢という設定だけど、何歳なんだ? 身分証がチラッとしか見えず、読み取れなかった。あと、女装した男は女子トイレに並ぶのか?
・パラシュート降下は、キキ。でも、1mぐらいのところから模擬的に降りるだけ。
・エホバの証人を殴る蹴る は弟だっけ? どういう意味があるのかね。
・乱交は、ヒゲのドミ? 交流クラブみたいなところに行くんだけど、よく分からず。
・職権乱用は、ドミの妻のマライケだったかな。警官のフリをして少年から大麻を取り上げるんだが、本職も警官なのか? 他の連中もそうだけど、職業とかほとんど分からんのよね。この映画。
・雨の中で踊る、はハンネス。死が1日伸びた夜、ベランダでキキと踊るんだけど。伸びなかったら課題はクリアせずに死んでいったのか? しかも、たまたま(?)雨も降ってくるし。ご都合主義なシナリオだ。
で、いちばん興味深かったのはドミとマライケ夫婦だな。ドミは、夜もやる気満々だけど、マライケは拒否したりする(そのマライケは子供と一緒に寝てたりするのは、ドイツの習慣か?)。それでマスかいてるところをマライケに見られて。マライケはつんつんしたりする。やな女。 旅先でも迫るけど、シャワー浴びてないから嫌、とか拒否したりする。それでも、チンコだけはマッサージしてくれたりするんだけど、子供を預けている母親から電話が来たりして、ドミは萎えてしまう。てなことがあってのある夜、ドミは地元の売春宿、かとおもったら、半裸で相手を探す交流クラブのようなバーに行くんだよ。そこになんとマライケも後からやってきて、しゃぶられているドミを見つける。見られていることに気づくドミ。マライケも、男の誘いに…なところで終わって、次は店から出て来た夜道だったか。ドミが「悪かった」とかいうんだけど。最初、ドミが欲求不満に耐えられず、女捜しに…と思ったんだけど、そういえばハンネスの弟(だったかな)の課題が「乱交」で、そんな課題を出した弟を、マライケが非難していた場面があったな・・・と思いだし、これも課題のクリアだったのか、と。しかし、あの店であのあと何があったのか、分からない。マライケも、知らぬ男に抱かれたのか? ドミは、いやいや行ったのか? あんなことがあっても、あの夫婦はフツーにゃっていけるのか? とか、考えると、あり得ん、だな。「こんな課題は拒否する」でいいじゃないか。課題をクリアしなくてはならない、という強制力は、どこからきたのか。はっきりしたものがない限りは、説得力はない。だいたい、クリアしたことを仲間につげてないんだろ?
・ミヒャエルの彼女は、あれでお別れなのか? ベルギー国境の町が故郷らしいんだけど、自転車で去って行った。街場での生活に疲れて、田舎に戻るのか? いまいち分からん扱い。
ディストラクション・ベイビーズ5/30テアトル新宿監督/真利子哲也脚本/真利子哲也、喜安浩平
allcinemaのあらすじは「愛媛県松山市西部の小さな港町、三津浜。高校生の芦原将太は両親を早くに亡くし、兄の泰良と2人暮らし。しかし、喧嘩に明け暮れていた泰良はある日突然、三津浜から姿を消してしまう。その後、泰良は松山の中心街に出没するようになり、強そうな相手を見つけては喧嘩をふっかけ、打ちのめしたり、逆に打ちのめされたりを繰り返していた。高校生の北原裕也はそんな泰良に魅了され、泰良と一緒になってこの危険なゲームにのめり込んでいく。そんな中、2人が強奪した車に偶然乗り合わせていたばかりに巻き込まれていくキャバ嬢の那奈。やがて2人の行状はネットを介して広まり、警察も動き出す。その頃、将太も泰良を探して松山市内へとやって来るが」
あらすじには場所が書かれているけれど、映画を見ている限りははっきりしない。まずは、掲示板に厳島神社の貼り紙があったので、広島の田舎か? 方言もそっちな感じで。で、広島市に出て行った…のかと思ったら、「四国」がどうたらというセリフが。そして、中盤で松山という地名が出てきて、厳島神社でも三津厳島神社である、と。ってことは、あの都会は愛媛の県庁所在地である松山で、その近くの町からでてきた、ということか。分かりづらい。
家族背景も、あらすじには端的に書かれているけれど、映画では後半になってやっと分かる。父親が警察に呼ばれ、両親が死んで孤児になった泰良を引き取った、と言っている。しかし、弟の将太が実の兄弟か否かは説明されていない。年齢も、後半になって泰良が18歳と分かるけれど、高卒なのか中卒なのか、分からない。将太は高校生らしいとは分かるけど。あと、松山で一緒になる裕也は、高校生なんだろうけど、それも多分、だ。いろいろ分からんことだらけ。
話はあらすじの通りで、地元でも喧嘩三昧。それで、父親は「18になったら自立しろ」といったとかなんとかで、それで故郷をでて松山に行ったらしいが。それで出ていっても喧嘩三昧。それが、強い相手に挑むならまだしも、そこらを歩いてる一般人に殴りかかったりしていて、これはただの異常者。中盤ではキャバクラの用心棒たちに挑んだりするから、これは骨があるのかと思ったら、後半になると北原裕也にいいように操られ、弱者も女性も関係なく手当たり次第に通り魔的に殴りかかり、血まみれにする。いっとき、キャバクラの用心棒たちとか、強い相手に向かって行っていたこともあって、強いものを倒す欲求があるのかなと思ったらそうではないことがわかって、映画に対する興味がしぼんだ。こいつ、単なる異常者。
異常者の異常行動だから、時代の何かとか、家族の何かとか、個人の置かれた環境だとかいうことの反映であるとか象徴であるということはないわけで。もちろんその手の異常者を扱った映画もあるだろうけど、なにかしら時代や社会との関連が示唆されているのが常で、でもこの映画にはそういった思惑はないようだ。
無理して探せば、泰良と将太は幼くして両親を亡くし、他人に引き取られて育った、とか。北原も、学校とか組織になじめず、かといって喧嘩も強くなく、自分の居場所をなくしていた、とか。そういう背景は見つけられるかも知れないけれど、同じような境遇にいる人がみな泰良や北原のような衝動に駆られ、暴力を振るうかというとそんなことはないわけで。しかも、弱者を殴って血を見て喜んだり、平気で人殺しをしたりするのは、これはもう個人の素質だから、環境論にはまったく説得力がない。
では、泰良や北原の行為が不愉快で見ていられないものかというと、そうでもなくて。というのは、こんな犯罪者はめったにないと分かっているからだ。だいすたい、松山のような小さな街で騒ぎを起こして、警察がなかなかやってこない、なんてことはあるはずがない。最初に、ミュージシャンを殴り倒すんだけど、一般人にあんなことをして、警察が動かないはずがない。なので、この映画は絵空事、と分かってしまうから、話としては客観的に見ていられる。
もちろん世の中にはひどい犯罪もあるけれど、そういうのを下敷きにしているようにも見えないし。狂っている自分や仲間に対する逡巡、戸惑いのひとつも無いようなので、見ていてどこにも共感がないし、同情も湧かない。強いやつに向かって行ってるあたりは、まあ、見られたけれど、北原と行動を共にするようになってからは、ある意味では退屈で。北原が、ベンツを奪い、キャバ嬢の那奈を人質に車を走らせてからは、ますますリアリティが離れて行くので、つまらなくなっていった。
北原の変容振りも?だしね。同級生とたらたらやってたころは臆病だったものが、とつぜん泰良に接近し、ロボットを操縦するように一般人を襲わせる。それが楽しいなんて、変だろ。なに、だから『ディストラクション・ベイビーズ』なんだって?
田舎で、農夫をボコボコにするところもよく分からず、農夫の前に誰かを痛めつけたらしいけど、それがどういうものだったのかは説明しない。ボコボコにした農夫を那奈に轢かせ、死骸をトランクに入れさせ、でも農夫がまだ生きていることに気づくと、那奈が農夫の首を絞めて殺すんだが。なんで那奈はそんなことをしたのか、理解不能だし。とーも話がいい加減になっていく。
その後、那奈は運転するクルマを別のクルマにぶつけ、弱った北原をドアに何度も挟んで殺す。これもまた、よく分からない所業であるよ。警察に話を聞かれる那奈は被害者面なんだが、死体を解剖したりすれば分かっちゃうだろ、死因とかなんだとか。
で、泰良はまだ元気に生きており、相変わらず人を殴り殺しつづけている。そんな兄を、将太は探しつづけるんだけど、なんで探すの? 兄弟だからって、みんながみんな仲がいいとは限らんだろ。と思ってしまうんだが…。
セリフが聞きとりにくい。これは方言をそのまま使っていることもあるし、同録のせいもあるのではないか。あと、ドアの閉まる音とセリフがかぶっているところもあったりした。フツーは撮り直しするんだけど、あえてしてないのかもしれんけど。弟・将太と友人たちの会話なんて、方言ばかりなので半分も分からない。まあ、それでいいんだろうけど。
・将太と友人たちは、松山のキャバクラに行くんだけど。スケボーファッションで、しかも、15、6の少年3人がキャバクラに行くか? いくら将太の友人が那奈の万引きを見とがめたからといって、不自然すぎるだろ。あんな歓楽街、松山にあるのか? という疑問もあるんだが。 ・ノイズな音楽であるけれど、ムリしてブキミにしようとしている感がある。
64-ロクヨン-前編5/31109シネマズ木場監督/瀬々敬久脚本/瀬々敬久、久松真一
allcinemaのあらすじは「わずか7日間でその幕を閉じた昭和64年。その間に管内で発生した少女誘拐殺人事件。いまも未解決のその事件を県警内部では“ロクヨン”と呼んでいた。刑事部で長く活躍しロクヨンの捜査にも関わったベテラン刑事の三上義信。私生活では高校生の娘が家出失踪中という大きな問題に直面していた彼だったが、この春から警務部の広報室に異動となり、戸惑いつつも広報室の改革に意欲を見せていた。折しも県警ではロクヨンの時効まで1年と迫る中、警察庁長官の視察が計画される。そこで、長官と被害者の父親・雨宮芳男との面会を調整するよう命じられた三上だったが、なかなか雨宮の了承を得られず困惑する。そんな中、ある交通事故での匿名発表が記者クラブの猛烈な反発を招き、長官の視察が実現できるかも不透明な状況に陥ってしまう。自らもなかなか捜査情報を得られず、県警と記者クラブの板挟みで窮地立たされた上、刑事部と警務部、あるいは本庁と県警それぞれの思惑が複雑に絡み合った対立の渦にも巻き込まれていく三上は、それでも懸命に事態の収拾に奔走するのだったが」
原作は読んでない。テレビ版も見ていない。という状態での『64』。ホンはかっちりつくってあって破綻はないんだけど、原作のすべてを描けるわけもなく、群馬県警内の人間関係などはアバウトにしか分からない。たとえば滝藤賢一の赤間、菅原大吉の石井、仲間トオルの二渡、奥田瑛二の荒木田=刑事部長、三浦友和の松岡、小沢征悦の御倉、かつての録音班と、主人公・佐藤浩市の三上とのつながり、力関係、牽制や反目具合が、なにによってきているのかよく分からない。さらに中盤で分かるんだけど、警察庁長官の視察があると聞かされ、その目的が、群馬県警刑事部長を本庁からの人材にするための布石であると分かると、現・刑事部長の荒木田が荒れるんだけど、本庁からの人事をなぜに嫌がるのか、が肌感覚で分からない。というようなわけで、大半が群馬県警内の各部署のいがみ合い、縄張り争いであるこの前編の迫真性がいまいちつたわってこんのよね。やはり、警察組織の実際とか、事前に知らないと「おお、なるほど」とはならんと思う。
だいたい、たいていの警察ものは捜査一課、刑事部しか描かれなくて、今回みたいな広報室にスポットが当たるのは珍しい。広報以外にも、、赤間は警務部長というポストらしいけど、これまたよく分からない。総務みたいなもの、といいながら、でも本庁のキャリアが就くポストで、すぐに本庁に戻るようなところ、みたい。その、誰がキャリアで誰がたたき上げか、というのも、よく分からんし。分かったフリしてる連中、きっと多いんだろうな、と思ったりして。
個人的には警察もマスコミも、どっちも好きではないので、そのどっちもが嫌な連中に見えている、というのは、この映画の意図としては成功しているのかも知れない。とくに、警察内の意地の張り合いとか駆け引きとか隠しごととか。実際にこういうことがあるのかどうかは知らないけど、似たようなことはあるのかも知れない。そんななかで、三上だけが正義かというとそういうこともなくて。家出中の娘との関係とか、負の部分も抱え込んでいるし、この映画のひとつの柱である妊婦が加害者の交通事故で、その加害者が、何とか会社の令嬢なのか公安関係の何とかなのか、よく聞き取れなかったけど、関係があるのでマスコミには実名は報道しなかった、というようなこともあるんだが、上司からの隠蔽命令には三上も従う。もちろん、三上の部下たちも同様。なんだ、結局、グルじゃないか、と思わせる。それでもまあ、ラスト近くに個人の責任で、三上は記者たちに事実を告げるのだが、それを部下たちは必死に制止しようとする。「広報室長! 首が飛びますよ!」「私たちは、広報室長の下で働きたいんです!」って、おい。保身と隠蔽体質は末端まで行きとどいているってわけか。やんなるね。
でこの発表の後、三上は特命のまま発表しないでくれ、と記者たちに頼むんだけど、当然ながら記者たちは反発する。それに対して、なんかよく分からない反論をして、件の交通事故で死んだ老人の生涯の話を淡々と聞かせるんだが(泣かせどころなんだろうけど、大した事実もなくて、かなりな拍子抜け)、なんと記者たちは話を聞いて、どーやら匿名という条件を飲んでしまったらしいのだ。おい。警察の隠蔽体質について知ったというのに報道しないとは、ジャーナリズムも腐ってるな、としか思えんのだが…、あのエピソード。
幸田メモってのも登場するんだが、その存在とか経緯が分かっても、それがどこで揉み潰されたのか、いま誰が知っているのか、どうして広報の三上にはつたわらなかったのか…が、よく分からない。だって、最近まで刑事部でバリバリの刑事をやってたんだろ? なのに、なぜ知らないの? とか思ってしまう。しかも、その存在を知らせるのが、いまは退官した元の同僚…。変じゃないのか?
人物にしても、筒井道隆とか小沢征悦とか、いきなり出てくるから、どういうポジションなんだ? って、困惑してしまうだよ。
そういうことも、小説ではちゃんと説明されているのかも知れないし、されてないのかも知れない。まあ、どうでもいいといえば、そうなんだけど。この手の事件ものでは、気になってしまうのだよな。前後編、あと30分ずつぐらい伸ばしてもいいから、説明はカチッとやって欲しい気がするのだよね。
てなわけで、贅肉だけでなく筋肉も結構そぎ落とした感じで、ムダなく淡々と、事実だけを積み重ねていく感じのつくりで、緊張感はあるけれど、案外と単調というかフラットな印象。盛り上がりらしい盛り上がりもないし。何かありそうで、何もない。
まあ、後編でやっと事件のつづきが動き出すようで。前編では、ホント、警察内部と記者クラブのゴタゴタだけ、って感じだよ。でも、その後半につながる新たな誘拐の発生によって、刑事部がガラガラ、しかも、情報が広報にはまったく伝えられていない、なんてことがあるのか? しかも、捜査本部が設置された体育館(?)に入ろうとすると、刑事部の連中に力で阻止されるなんて…。変なの。
・三上が本部長の執務室(実際にあんな閉塞的な部屋で、大半の部下とは直接会わない、ような地位なのか?)に押しかけ、話をするところで。本部長が「君の靴が汚いから…」とかいうんだが、つづいて映る靴がピカピカなんだが、どういうことだ?
・三上の娘は、なんで反抗的なんだ? 娘が整形したい?(だったらもっとブスな役者にしなさい) なぜ、どうやって家出したんだ? はたまた、上司たちはそのことを知っているのだ? 警察では、家庭内のもめ事も報告する義務があるのか?
・64年の事件で録音に失敗した日吉は、その後すぐ警察を辞め、家で引きこもりになったといっていたが。25、6でそうなったとして、いまはじゃあ40歳前後なのか? いい大人が、そんな風になるか? そもそも、そういう体質だったんじゃないのかな。そんな日吉に、三上が差し入れた手紙に、「君が悪いんじゃない」のひと言。これに感動して日吉は慟哭するんだが、アホか、な感じ。そんなことぐらいて涙なんぞ流さんだろ、病人なら。そもそも「お前のせいで犯人が逮捕できなかったかもしれんのだ」と上司にいわれたぐらいで、そこまで落ち込むものか?
・エンドクレジットに山崎ハコ。あ、あれか、とすぐ分かった。飲み屋のカウンターの中で、諏訪太郎の左隣にいた女性だ。目立ってたから、誰か名のある女性か、と思っていたのだった。大久保鷹ほ、いまだに分からない。
・エンドクレジットの強力のところに群馬県警の名前が。へー、な感じ。
・夏川結衣はますますオバサン化していく…。烏丸せつこは気がつかなかったよ。あとから、あれか…と。

 
 

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