シン・ゴジラ | 8/2 | MOVIX亀有シアター4 | 総監督・D班監督/庵野秀明、監督・特技監督/樋口真嗣 | 脚本/庵野秀明 |
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allcinemaのあらすじは「東京湾・羽田沖。突如、東京湾アクアトンネルが崩落する重大事故が発生する。すぐさま総理以下、各閣僚が出席する緊急会議が開かれ、地震や火山などの原因が議論される中、内閣官房副長官・矢口蘭堂は未知の巨大生物の可能性を指摘し、上官にたしなめられてしまう。しかしその直後、実際に巨大不明生物が海上に姿を現わし、政府関係者を愕然とさせる。のちに“ゴジラ”と名付けられるその巨大不明生物は鎌倉に上陸し、逃げまどう人々などお構いなしに街を蹂躙していく。やがて政府は緊急対策本部を設置するが、対応は後手後手に。一方、米国国務省が女性エージェントのカヨコ・アン・パタースンを派遣するなど、世界各国も事態の推移と日本政府の対応に強い関心を示していく。そんな中、様々な思惑が交錯する関係機関をまとめ上げ、ゴジラによるこれ以上の破壊を食い止めようと奔走する矢口だったが…」 予告編の、尻尾がぐわわんと頭上を横切るシーン。実写フィルムをベースに、なかなかリアルな火焔攻撃。そういうのは見ていて、ガメラ以上のリアルでくるのかな、と思ったんだけど。直前に、完全CGでぬいぐるみやセットは使ってないと知って、さてどうなのかな、と思ったんだけと。怪獣部分については、かなりな肩すかし。ちっともワクワクしない。心が少し躍ったのは、電車による攻撃のところと、ゴジラが最初に口から放射能を吐き、ビルを切り倒していくところかな。あとは、図体でかくてのろのろ移動してるだけで、戦いのイメージがない。ううむ…。 で、冒頭からの展開は、なんじゃこれ、な感じ。延々と官邸の様子がつづくんだよ。東京湾に噴火? から生物? 捕獲だ、いやムリだろ、とか意見の違い。生物と分かると識者が呼ばれるけど役に立たず…。生物がいったん静止すると、あーだこーだ始まり…。の間に米国から がやってきてちょっかい。生物の体液がすでに米国が持ち帰ったとかなんだとか、官邸内のあたふたが描かれるんだけど、これがまるでコメディ。テレビで報道される怪獣の様子を見つつ、でも大臣や高官は現実味のない思いつきを淡々と述べていて、ぜんぜん、あたふた感がない。さらに、現憲法あるいは自衛隊法? のなかで、外国から攻撃されたわけではないのに、はたして自衛隊は怪獣を攻撃できるのかの、法解釈をやってたり。まあ。このあたりは反改憲勢力へのからかいもあるのかな。 で、官邸シーンでは役職名とか条文だとか状況解説だとか、画面に字幕が現れては消え読むのに追いつけず、もちろん記憶もできんぞ。誰が誰やら分からん状態で、でも、覚えるのはあきらめてテキトーに流し見。だから、人物を見よう、という気にはさらさらなれず、だんだん話から心が離れて行く。 でまあ、次第に分かってくるのが、話が3.11を下敷きにしていて、あのときの官邸の様子と、対応状況をこの映画で再現しているのだなと。そもそも怪獣は海底に投棄された放射能を食べて突然変異した生きもので、とかなんとか、原発そのものだ。ただし、それがなんで東京湾にでてくるんだよ。放射能が食べたいなら、放射能値が高い福島に現れて、むきだしのプルトニウムとか食べりゃいいのに、なぜか蒲田とか鎌倉とか、勘違いなところをうろうろしてる。おい。 で、ゴジラと命名された怪獣なんだけど、始めはナメクジ歩きしてたんだよ。じゃ、こいつをやっつけるためにゴジラがあとから…とか思ってたらそうでもなくて。あるとき動きを止めちゃうんだけど。このときだったけ、環境省の課長(市川実日子)がなんたらいったのは。ゴジラを研究してたけど行方不明になったなんとかいう学者が残したデータを解析して、血液を凝固させる薬液が効く、となる過程はよく分からなかった。市川実日子の早口、日本の学者(塚本晋也)が図面を立体化したりわけ分からんし…。なんかどーも、ゴジラは進化するために熱量を発して、それを冷却するために海に戻るとかなんだとか、文字起こしされたセリフでもじっくり読まんことにゃ、ありゃ分からんよ。 てなわけでいったん海中にもどったゴジラが戻ってくると立ち歩きしていて。容姿が別物。自衛隊も火器攻撃開始するんだけど歯が立たず、あっけなくやられちゃうのが笑っちゃうぐらい。何の感傷もなく人々が消えていく。 で、いよいよ米国軍の攻撃で。直下型爆弾を何発かゴジラ上空から落下させると、なんとあっさりとゴジラの背中を打ち破り、ゴジラ大出血。なんだ、こりゃ。米国の武器は強力で、日本には軟弱な武器しか与えてくれていない、ということか。でも、このせいでゴジラの内部が変容し、でました、口から放射能? さらには背中からも。これで米軍も惨敗。ピルもめった切りされ崩壊…。官邸の首脳部も、国会から脱出して立川へ…とかいってるうちに、あれ? いつのまにか首相とかなんだとか、死んじゃったの? やられたシーンは、あったか? まあとにかく、平大臣が首相になって…という、なんか、あそうですか、な展開になって。でも、あいかわらず視線が日本国内からのものばっかりで。登場するのは米国特使のパタースン(石原さとみ)のみという…。あんな怪獣が東京に現れ、世界はなにも反応しないのか? といぶかってしまう。せめて各国の新聞とかテレビニュースの紹介とか入れろよ、な感じ。 なんかいつのまにか、国連だか何だか知らんが、各国政府の決定で、米国が原爆攻撃することに決定し。でもゴジラはなんでか知らんが活動停止期間に突入して動かない。で、攻撃開始日までに血液凝固剤が完成しないから、なんとか1日稼げないかとかやってて。どっかの国に攻撃開始に反対してもらうんだけど、じゃどうやって工作したのかまでは描かない。あとから米国が「日本にそんな交渉能力が…」と驚かせるんだけど、上っ面な描写だな。 というわけで血液凝固剤は完成。東京駅前で動きを止めてるゴジラに新幹線だの山手線に爆弾を積んで突撃させ、ビルを倒して埋めて。そこにポンプ車が近づいて、管を延ばしてゴジラの口に血液凝固剤を注入すると、なんとゴジラが固まってしまって。これで一件落着という。見どころも盛り上がりもない展開。唯一、新幹線爆弾のときの、ゴジラにおける伊福部昭の音楽がちょっとワクワクさせるぐらいか。どちらかというと、ゴジラ出現とその動きの部分は、わりと退屈。だって、ただ存在してるだけ、なんだもの。 という肩すかしなんだが。全体は、3.11の事件の経過をなぞっていて、福島原発の崩壊をゴジラに喩えてるわけだ。官邸の対応のあたふた、米国の助けはあまり効果がなかったとか、さらに血液凝固剤の注入の様子は、原発冷却時の対応そのまま。注入に向かう自衛官? は決死の覚悟で、フクシマ50を彷彿とさせる。とりあえずそれでゴジラ=原発の活性化は抑止したけれど、存在は消えずに在りつづける・・・というラストも同じ。 で、Webで『エヴァンゲリオン』との類似が指摘されているのをチラッと見て。ああ、そうだ、と。何の予告もなく突然、東京に出現し、ただ破壊するだけのゴジラは、新たなる使徒のひとつだ、と。だからつまらなかったんだ、ゴジラのパートは。ゴジラへの血液凝固作戦もヤシオリ作戦という名前で、ヤシマ作戦と似た名前だし。まあ、こちらの映画ではエヴァンゲリオンがなくて、操縦士もいないけど。米国特使のパタースン=石原さとみを綾波レイに喩えるのはムリすぎだろ。 というわけで、このゴジラは「3.11を下敷きにした『エヴァンゲリオン』に官邸コメディをプラスしたもの」だった。 ・実写にCG合成のゴジラは、たいしてリアリティがなかった。実写の街があまりにものんびりしていて、危機感とかまったく感じられない。 ・この手の映画だと、一般人のエピソード=3.11に置きかえると犠牲者あるいは避難民も平行して語られるのが常なんだけど、それがほとんどないので、身近な問題として感じられない。 ・悲壮感とかまったくなくて、みな脳天気。国が滅ぼうかというのに出世のことを考えてる官僚とか、アホかな感じ。 ・早口セリフと「?」な固有名詞、あふれる字幕に追いつけず、誰が誰やら何が何やら…。「サーベイ対象」とか突然いわれても、わからんよ、こっちは。子どもは飽きるだろ。 ・冒頭からの官邸コメディは、河崎実みたい。 ・最後は冷凍状態になったのか、突っ立ったまま固まってるゴジラなんだけど。最後に、ギョロッ、と目玉が動いて、実は…とかの演出はないのかよ。なんだよ。で、ところで、あの物体=ゴジラの身体は、どう処分するんだろ。あるいは、東京都の除染とか、ゴジラで倒壊した建物の処理とか、亡くなった人たちの保証とか、保険は効くのかどうかとか、いろいろ考える。 ・随所に「日本は米国の属国」的な話がでてくるけど、そういうのも要らんよ。 ・米国特使パタースン=石原さとみは、チャラ過ぎ。ガイジンかハーフを使った方が、昔風のゴジラになるだろうに。 というわけで、上っ面をなでて、ちょっと変わった『ゴジラ』映画になってる。基本構造はオリジナルのゴジラをなぞってるし、音楽もオリジナルのを使っているので違和感はない。けど、『ゴジラ』も『エヴァンゲリオン』をも超えていない。露骨な3.11のない、『エヴァ』も排除しした、驚くような『ゴジラ』が見たいものである。 | ||||
ふきげんな過去 | 8/5 | テアトル新宿 | 監督/前田司郎 | 脚本/前田司郎 |
allcinemaのあらすじは「北品川で小さな食堂“蓮月庵”を営む家族と暮らす女子高生・果子。いつも不機嫌な顔をして、死ぬほど退屈な毎日をやり過ごしている。そんなある夏の日、18年前に死んだはずの伯母・未来子が突然帰ってきた。涙の再会を演じる家族の姿を、いとこの小学生カナと冷めた目で見つめる果子。未来子は果子が赤ん坊の頃に爆弾事件を起こした前科持ちで、今は戸籍もないという。それなのに、そのほうが都合がいいと、死んだままにしているらしい。しばらく匿ってほしいという未来子は、けっきょく果子の部屋に居候することに。思いがけない同居人の出現に、ますます苛立ちを募らせる果子だったが…」 前半の、小泉今日子が登場するまでは、結構おもしろかった。いろんなパーツがバラバラに示されていき、だんだん形が見えてくる感じの、あやうげで切ない演劇的な風景。それが、死んだはずの未来子=小泉今日子が登場し、話が具体的になってしまった。まあ、しばらくはふわふわしてたからいいようなものの、橋の上で義足の男が果子に、自分の足がエレベーターに挟まれて壊死して切断したこと、それから、未来子が組(ヤクザ?)の事務所に爆弾を投げて爆発させ、逮捕されて賠償金を課せられ、その後、北海道に逃げた。その未来子をタイチが追って行ったけれど、未来子は死んだ…とか延々と説明するシーン(←のすべてを説明していたかどうかははっきり覚えてないけど)から後は、話がもっと具体的になってしまって、がぜんつまらなくなった。謎は謎のままの方がいいし、セリフで説明してしまうのはつまらない。説明するとしても、絵で見せて欲しいものである。 というわけで、思わせぶりな演出で、途中まではまずまず。でも、終わってみれば話はたいして面白くなかった。のであるが、カナという娘が出色で。大人たちの会話にでてくる言葉に「○○ってなに?」とたびたび質問するタイミングが実にいい。「衰退ってなに?」「衰は、衰えるってことよ。退は、タイよ」「あんた書ける?」「…」とか。本筋には直接関係ないけど、人と人との関係や様子が見事に描かれていたりする。カナ役の山田望叶に、いいところを掠われてしまった感じ。 どうでもいいといえば、最初から最後まででてくるのが、「海苔の本田の奥さん」という言葉で。始めは何だか分からなかったけど、海苔の本田の奥さんの子どもがワニに食われたとかいう話で、未来子はその話を信じてワニを探している、という設定だったりする。 で、義足の男が話した過去からすると、未来子は爆弾マニアらしいんだけど。爆弾と聞いて連想するのは過激派。でも、そうな感じではない。というか、なんでヤクザの事務所に爆弾を? 分からない。 タイチも過激派(?)の一員で、一緒に爆弾をつくっていたんだろう。ごろ寝して活動してるうちに肉体関係が…。で、北海道で生んで(?)子ども=果子だけ連れ帰った(?)とかなのか。未来子の妹のサトエもタイチが好きで、結局、タイチとサトエは結婚した・・・。けど、未来子が死んですぐ結婚したとして、18年後に子どもが生まれたというのは、これはとても変な感じ。だってそしたら40過ぎでの、やっとこさできた子どもってことじゃないか。とても変。しかも、その子どもに、名前をつけていないというのは、どういう意味があるんだ? 果子はある夜、窓から男が落下するのを見た。あれは、夢なのか? で、その男が行きつけの喫茶店にいるのを見つけて、だったか、最初に喫茶店で目をつけていて、かどっちか忘れたけど、その男の=康則の家に行くんだが。あるところで、「ヤスノリ君事件のヤスノリはは高良健吾」と書かれていて、え? と思ったんだが。言われて見れば、高良健吾の役名は本当にヤスノリ=康則だ。あららら…。気が付かなかったよ。 ヤスノリちゃん事件は吉展ちゃん事件を連想したけど、時代的に合わない。なんだあれ? と思っていたんだけど、そのヤスノリ君事件のヤスノリ君は、殺されてたんだっけ? 殺されてたとしたら高良健吾の康則は亡霊か? では未来子も亡霊なのか? と、いま、こうやって書きながら思えてきた。で、名前のつけられていない赤ん坊も、あれも霊で、ずっと昔に死産した子どもか…。そう考えれば、20年も経ってから生まれた子どもではなく、水子を背負って生きている、と解することができる。あとほかに、義足の男も、もしかしたら引きずり込まれたまま、なのかも知れない。あの店に開店前からいて、他の客とまじったりすることなく存在していたからな…。うーむ。だんだん分かってきたぞ。 ワニに食われたという海苔の本田の子供は、あれは水子になった、ということななんだろう。彼岸と此岸を結ぶ川の中に潜むワニ。そのワニに引きずり込まれた…。 すべては、お盆のこの時期に、冥界から蘇った霊の話だったんだな。書いてて、疑問だったところが氷解してきたよ。 未来子、果子、カナが船でヤスノリ君の家のトイレに行く場面は、此岸から彼岸へ、三途の川を渡るような感じだし。書いてて気づいたけど、未来子=未来、果子=過去だし。題名の『ふきげんな過去』は、すなわち、『不機嫌な果子』なんだろう、多分。 母親が未来子(未来)で、娘が果子(過去)。なんか、母親が過去、みたいに思えるんだけど…。それでも、むりやりこじつければ、いま生きている果子は未来において母親になるのだから、母親は未来、ということになるのかな? 分からないけど。 実は、最初の印象で「小泉今日子は蝋人形みたいになっちゃったな」と書いていたんだが。それはたんに老けたな、あるいは、整形のツケがまわってきたんだな、とかいうつもりだったんだけど。幽霊という視点から見ると、そういうメイクだったんだな。なるほど。 未来子がいなくなって。ふと思いついて果子が高良健吾の康則の部屋に行くと、そこに未来子がいた…。というのは、ともに幽霊だからなんだろう。で、果子は、勢い余って傘の先で未来子を突いてしまうんだが。すでに果子は未来子が成仏できていないことを知っていたんだろう。それで、成仏させようとした、と見てよいのかも。 未来子の心残りは、果子のことだったのかな。それで出てきたのかな? では、もう一人の幽霊、タイチとサトエの水子は、果たして成仏するんだろうか。名前がつけられていないということは、戒名をつけて弔われていない、ということなのかな。 なるほど、である。そういう話だったのか。人物の名前を活字化していくうち、薄皮を剥ぐように映画の意図が見えてきたぞ。 以上の前提で話を見れば、舞台が品川の、運河地帯にあるのも分かる。たぶん、あの店自体が、夏の間、彼岸と此岸のはざまに滑り混んでしまったのかも。だから、果子だけじゃなくて、母親も妹のサトエも、突然現れた未来子を違和感なく受け入れたんだろう。果子の、実の母親への思いが未来子を引き寄せたのか、タイチとサトエの、無くした子どもへの思いがそうさせたのか、わからないけれど。 果子が「ワニを探して退治したい」と思っているのは、幼子を川へと引きずり込む運命への抗いかな。 康則を追っていき、建物に入ったのを確かめたすぐ後で、背後に康則がいるのに気づく果子。あのしーんも、康則が霊だと思えば不思議じゃない。その康則が成長しているのは、どういうことなのかな。誘拐された当時のままではないのは、なぜなんだろ。 未来子は、果子をつれて、ついでにカナもついてくるけど、3人で船をだし、川をつたって、かつては康則の家だったところにやってくる。便所の下を掘って、爆弾の材料となる硝石をみつけるため、だ。彼岸ある硝石を此岸に運んで、それでつくった爆弾が本物かどうかわからないけど。でも、爆発実験は成功し、カナが吹っ飛ばされるのだから、本物かな。いまだに爆弾にこだわる未来子は、かつての使命を全うできていないことに心残りなんだろうか。 その未来子の狙ったのがヤクザの事務所というのは、たんなるカモフラージュ? 実は、政治的なことなのかな? それは分からないけど。 などなど、深読みすれば、いろんなことが読めそうな気がしてくる映画だな。最初は、つまんない映画だと思ったけど。 ・康則と未来子との関係=つながりは、なんなんだろう? それがよく分からない。なんか言ってたっけかな? 覚えてない。かつての同級生? ・果子の友だちのバンドマン(同級生?)は、ま、アクセントみたいなものかな。 ・爆発でケガして、包帯だらけのカナがカワイイ。というか、ケガしたことなんか屁とも思ってないタフさが凄いというか、見事なキャラクター。 ・そのカナの母親役が、未来子と同年代らしいんだけど、若い役者(黒川芽以は1987年生まれ)が演じているのは、意味があるんだろうか? かつての、未来子が活動していた頃、あるいは死んだ頃の年齢を示唆しているのかな? ・最後に跳ねたのは、もう一匹のワニ? 「死んだはずのワニが暴れ出して人を襲った」と書いているところがあった。ふーん。では、またどこかで水子が…ということかな。 ・ガイジンの豆料理は、何を意味しているんだろう。 ・果子には、漁師なのか船宿の男なのか、知り合いがいて、挨拶を交わしているシーンがあったけど。それ以上の意味はないのかね。 ・果子は、しょっちゅう傘を引きずる。あれは、どういう意味があるのだろうか。 ・果子が同級生とすれ違う場面が、最初の頃と最後の方、2回あった。最初は振り向かれるだけで、最後の方では声をかけられていたような…。もしかしたら、夏休みの間、果子はこの世からちょっと異界に足を踏み入れていた、のかも知れないな。それが、休みが終わり、未来子が戻って行くと同時に、この世に戻ってきた、とか…。 ・果子が喫茶店で読んでいたのは、有島武郎の『小さきものへ 生まれ出ずる悩み』岩波文庫。読んでないんだけど…。果子自身の、出生の秘密、母親への思いとかが関連しているのかな。 ・最初の方でテレビのニュースが、アメリカ大使館爆発とか言ってたけど、最後の方でそれは未来子の仕業と分かる。未来子の爆破の対象は、いったい何だか分からない。 ・橋の上で争う男女がいて、誰だか分からなかったんだけど。Webに、ケンカの後逃げる男女は、未来子と康則、と書いていた。ふーん。それが本当なら、橋の上=彼岸と此岸の間で彷徨っていた未来子を、康則がこの世に連れ戻そうとした、ということなのかな。ケンカした相手は、そうはさせまいとする鬼? この辺りは、ちゃんと見て確認しないと何とも言えない。 ・いずれにしても、夏に霊が帰ってくる話なんだから。お盆とか秋の彼岸とか、その類だな。 ・沖田修一の名前があった。調べたら食堂の客役らしい。 | ||||
ロング・トレイル! | 8/8 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2 | 監督/ケン・クワピス | 脚本/リック・カーブ、ビル・ホールダーマン |
原題は“A Walk in the Woods”。allcinemaのあらすじは「長年英国で暮らしていた紀行作家のビルは、故郷の米国へ戻り、ほぼセミリタイア状態で悠々自適の生活を送っていた。しかし平穏な毎日に物足りなさを感じていた彼は、近くを通る北米有数の自然歩道“アパラチアン・トレイル”を踏破したいとの欲望がふつふつと湧き上がる。しかし全長は3500kmにも及び、順調に進んでも半年はかかる過酷な行程。最低でも同行者がいなければ許可できないという妻を納得させるため、一緒に旅してくれる仲間を探すもなかなか見つからない。そんな中、40年来音信不通となっていたかつての悪友カッツが旅の相棒を買って出る。こうして老境を迎えたオジサン2人は、いざ過酷なロングトレイルへとその一歩を踏み出すのだったが…」 少し期待してたんだが。いまいち通り一遍な感じというか、いろいろ浅いので、ううむな感じ。話は↑のあらすじの通り。肥満してヨタヨタのカッツも、だんだん歩けるようになっていったということなのかな。 最初に接近遭遇するのは、マイペースなんだけど、一緒の行動を取りたがる、おしゃべりなメアリーという40凸凹の女性で。これはたまらんとまいてしまうんだけど、彼女のどこが気に入らなかったのよく分からない。隠れてやり過ごして先に行かせたんだよな。で、自分たちはヒッチハイク…。ズルじゃん。それで先に行った、のか? でも、あとから、反対側から来る男に、メアリーからのメッセージ? つまりは悪口を聞かされるんだけど、じゃあ、メアリーは先に行ってるわけか? じゃ、ヒッチハイクはどこに向かったんだ? 意味不明。 宿の女主人ジェニーは、ビルとワケありになったみたいな描き方だけど、実はなんにも起きていない。 その宿に泊まっているとき、カッツがコインランドリーで太めの女性と知り合い、誘ったらしい。成功したのかどうか知らんけど、亭主の知るところとなって追いかけられ、逃げるようにトレイルに戻る…で、宿を後にしているのだから、ビルとジェニーに何かありようもない。 あとは…。熊を追い払うとか、崖から落ちて一夜を過ごし、でも、翌日助けられる…。ぐらいしかエピソードがなくて、しかもどれも薄っぺら。メアリーとかジェニーが後半でちらっと登場するとか痕跡を見せるとかあるのかと思ったら、それもない。息子や孫も、ただいるだけ、な感じで。ビルにはやさしい女房が家で待っている、ぐらいな話。むしろ、カッツのやさしさの方が目立ったかも。 ビルとカッツがかつてどんなケンカ別れ方をしたか、が分からないので何とも言えないが。再会しても、しこりなんて全然感じられなくて。ニコニコ抱き合って、トレイルに出発する。もうちょい2人の、壁を乗り越えた関係の復活劇でも見せてくれればいいのに。 むしろ、カッツの方がビルに恋々なところが可愛い。トレイルのパートナーに、ビルはカッツを選ばなかった。声をかけたすべてに断られ、でも、パートナーを探していることを聞きつけたカッツの方から電話してきたのだから。まあ、人生の成功者に対する、ささやかな尊敬の心とか懐かしさが、カッツにはあったのかも。カッツは多分家庭にも恵まれないんだろう。何年か前に交通事故を起こし、以来、酒断ち。にしてはぶくぶく太って不摂生してるみたいだけど。 ビルが家に戻ると、旅の途中でカッツが書いた絵はがきが届いているのを発見する。おお。なんという気の配りよう。アイオワ出身をひた隠し、インテリぶるビルよりも、はるかに人間味あふれるジイサマではないか。 …というハガキの中に、ジェニーからのも混じってるかな、と思ったけど、そういうこともなくて。なんか、つまんねえな、と思ったのだった。 ・ロバート・レッドフォード1936年生まれ。ニック・ノルティ1941年生まれ。 メアリー・スティーンバージェン1953年生まれ。エマ・トンプソン1959年生まれ。これで映画がつくれてしまうのだから、凄いことではあるが。 ・ここ10年他人の序文しか書いていなくて、でも過去作品のボックスセットがでてテレビ出演…でもセミリタイヤな身分なのか? ・旅の途中に、誰からも「作家の…」といわれないということは、そういう知名度ということか? ・アイオワ育ちをいいたくない、というのは、田舎出身といいたくないから? でも、若いうちに田舎を離れたら、「どからきたの?」に「アイオワから」はもうないだろ。まあ、「イギリスに10年いた」ともいう必要は無いと思うが。 ・で、カッツとの関係はアイオワ時代ということなのか。40年来音信不通ということは、現在75歳と仮定して、32、3でアイオワをでて、あちこち住んで、20年くらい前に現在の地(どこだっけ?)に定住したということか? ・家の近くにアパラチアン・トレイルがあるのに、気づかなかった? ではなく、関心が無かった、なのか? ・川への転落はカッツが先、だっけ? 崖下への転落は、ビルが足を滑らせた、んだよな。 ・メアリー・スティーンバージェンが可愛いオバチャンで出てた! | ||||
マネー・ショート 華麗なる大逆転 | 8/16 | ギンレイホール | 監督/アダム・マッケイ | 脚本/ チャールズ・ランドルフ、アダム・マッケイ |
原題は“The Big Short”。「ショート」は売りのことで、「大きな売り」のことらしい。allcinemaのあらすじは「2005年。風変わりな金融トレーダーのマイケルは、格付けの高い不動産抵当証券に信用力が低いはずのサブプライム・ローンが組み込まれていることに気づき、破綻は時間の問題だと見抜く。だが、好景気に沸くウォール街で彼の予測に真剣に耳を傾ける者など一人もいなかった。そこでマイケルは、“クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)”という金融取引で、バブル崩壊の際に巨額の保険金が入る契約を投資銀行と結ぶ。同じ頃、若き銀行家ジャレッドやヘッジファンド・マネージャーのマーク、引退した伝説のベンもまた、バブル崩壊の足音を敏感に察知し、ウォール街を出し抜くべく行動を開始するが…」 サブプライム・ローンは知ってるけど。CDSとかCDOとか分からんよ。説明してるホームページも覗いたけど、それでもちんぷんかんぷん。保険を払うとか、なんかさっぱりだ。だいたい、株の空売りも分からんのに。そのようなものかな、と思っていたら、そうでもないらしい。なので、登場人物たちが、どういう思惑で何をどうやって仕掛けている、あるいは待っているのか、が良く分からなかった。 それでもまあ、金融大手が、不動産は絶対、っていう頭で凝り固まっていて。サブプライム・ローンは安心だし、同種の(?)金融商品も安泰。と思っているのに刃向かっている、というのは分かるので、最初の方はそこそこ面白かった。のだけれど、中盤からは、ほんと、なんでそうなるのか、そして、そうなったらどうなるのか、が分からないままなので、いささか退屈になってきた。 クリスチャン・ベールは、まあ、なんとか分かった。投資会社を運営しているのかな。金を集めて投資しているんだけど、破綻、の方に賭けたんだろ。でも、そのために保険金を支払う必要があって、でもなかなか市場は破綻しない。その神経戦で、だんだんまいりかけてくる感じは、分かった。 よく分からんのが、ライアン・ゴズリングが、スティーヴ・カレルの会社にCDSだったかな、を売りに来る経緯。最初は、同じビルに入ってるどこかと間違って電話がかかってきて。それで、ネタをつかむんだっけか? そのどこかって、クリスチャン・ベールのところか? ライアン・ゴズリングのところ? そもそも、ライアン・ゴズリングとスティーヴ・カレルの位置づけがよく分からんし・・・。いやまて。公式サイトには「同じ頃、ウォール街の若き銀行家ジャレド(ライアン・ゴズリング)は、マイケルの戦略を察知し・・・ヘッジファンド・マネージャーのマーク(スティーヴ・カレル)にCDSに大金を投じるべきだと勧める」とある。じゃ、間違い電話はライアン・ゴズリングのところにかかってきたんだっけ? ああ、分からん。 分かんなくてもいいや。ま、そういうことだ。 クリスチャン・ベールのオフィスに、「欲」「恐」という日本語の書があって、へー、な感じ。 村上春樹『1Q84』から「人は破滅を期待している」とかいうような警句が引用されていたのには驚いた。アメリがでも、そういう作家なのか。 Nobu? 日本料理店? 調べたら、ウォール街の連中が行く店らしい。ふーん。てな具合に、日本がいくつか印象的にでてくるんだけど、なんか意味があるのかね。 スティーヴ・カレルは、市場が破綻しても、なかなかCDSを売ろうとしない。世界の破綻で自分が儲けるのが心苦しいのか? で、仲間が「いま売れば10億ドル。そのうち2億ドルはお前の分」っていうんだけど、いくらなんだ? とか考えてた。えーと、100万ドルで1億だから、1000万ドルで10億、1億ドルは100億、10億ドルは1000億円か? じゃ、スティーヴ・カレルと仲間たちは、1人200億円ずつ稼いだのか? ぎょえ。 | ||||
スポットライト 世紀のスクープ | 8/16 | ギンレイホール | 監督/トム・マッカーシー | 脚本/ジョシュ・シンガー、トム・マッカーシー |
原題も“Spotlight”。allcinemaのあらすじは「2001年、夏。ボストンの地元新聞“ボストン・グローブ”の新任編集局長としてマイアミからやって来たマーティ・バロン。さっそく目玉になる記事の材料を物色し、神父による子どもへの性的虐待事件に着目すると、これを追跡調査する方針を打ち出す。しかしボストン・グローブの読者は半数以上がカトリック教徒。彼らの反発を招きかねないと古参幹部は難色を示すが、地元のしがらみと無縁で、なおかつユダヤ人のバロンは強気に押し切っていく。こうして、リーダーのウォルター“ロビー”ロビンソンを中心に特集記事欄《スポットライト》を担当する4人の記者たちが調査を開始する。そして地道な取材を積み重ね、次第に事件の背後に隠された巨大な疑惑の核心へと迫っていくが…」 『松嶋×町山 未公開映画を観るTV』で放送された『フロム・イーブル〜バチカンを震撼させた悪魔の神父〜』(2006)のドラマ化なんだろう。調べたら、『ボストン・グローブ』の記事は2002年1月らしい。要は、これが火付け役、ということなんだろうけれど…。素直に納得できないところも結構あるんだよね。 ボストン・グローブ。調べると、ここは1993年にニューヨーク・タイムズの子会社になってる(いまは違うようだけど)。で、NTからバロンがやってきた。で、バロンは2つの記事を記者に示して、「もっと突っ込んだ記事を」というんだけど、記者たちは「もう十分報道した」という姿勢なんだよな。スポットライト欄のボス、ロビーは「はいはい、分かりました」てな感じ。マイク、サーシャ、マットの3人は、半信半疑ながら取材をはじめ、だんだんのめり込んでいく感じ。とくにマイクは正義感に燃え、サーシャもそれにつづく感じ。マットは淡々と役割を果たす感じ。別働隊のベンは「もうやったじゃないか」という不快感に似た反発。なので、どーみてもこの一件はバロンの押しの強さがきっかけだし、記者の不満を制しての指示なくしてはなし遂げられなかった、とみていいと思う。なので、スポットライトの記者4人がヒーロー扱いされるのは、どーも間尺に合わない。 ましてベンは、もしかしたらこいつ、一件を揉み潰した内部の悪人ではないか、というミスリードを誘うような描き方をされている。なんなんだ、な感じ。 で、4人はあれこれ調べ始めるんだけど、自社の過去記事、自社図書室にある教会神父の履歴本とか、だれでも見られるデータから始めるんだよな。隠されているものを探し出す感がまったくない。裁判所に保存してあるはずの訴訟資料がなくなっている・・・というのがあったけど、教会が手を回したのだろうけど、裁判所のだれが教会の言いなりになったのか、までは追求されてなかったような・・・。よく分からなかったのは、弁護士のギャラペディアンが起こしたかつての訴状とか(?)が消えてはいるけれど、実はすでに公開資料になっていて、公開請求を出すことによって、裁判所はギャラペディアンに再提出を求め、提出されたそれをマークが閲覧する・・・とかいう回りくどい過程。直接、ギャラペディアンから入手しちゃ、いかんのか? 他にも、過去にこんな記事があったとか、既存の情報が探し出されてくるとか、なんだよ、な感じが結構ある。 協会側の弁護を担当した弁護士が2人出てくるんだけど、当然ながら守秘義務を楯に取る。けれど、若い方の弁護士は、後半、ムッとしたような感じで「この20人(ぐらいだった)」だ、と、事件をもみ消した神父のリストを渡してくれる。ついでに、「このリストは以前にも貴社に送っている。でも、なんの反応もなかった」と言い捨てるんだが、このときは、社内のもみ消し役はベンかと思ってたんだけどね。でも、ラスト近く、そのリストが送られてきたのは、ロビーがスポットライトに移ってきたばかりのゴタゴタした時期で、見過ごしたのはロビー自身であることをつぶやくんだよ。おお。なんてこと。 もうひとり、ロビーのゴルフ仲間の弁護士も、ずっと拒んでいたけど、90名の神父名の確信となる情報をくれている。この90名の神父名にしたって、神父の履歴本から割り出したもので、なんら秘密でも何でもない。情報は、そこらへんに転がっていたのだ。要は、事件を重要視せず、手をつけようとしなかったからだ。 解説なんかには、ボストンはカソリックが多い地域だから、とか書いているけど、それで記者も突っ込まなかったというのか? そうじゃないだろ。だってスポットライトのチームは、タブーに挑んでいったのだ。すでに小さいながらも、記事にはしている。それ以上の好奇心がなかった、あるいは、ぬるま湯に浸かっていたとしか思えない感じ。そのケツを蹴飛ばしたのは、バロンだ。バロンこそがジャーナリストで、あとは、駒でしかない。そんな印象しかもてなかった。てなわけで、映画として見ると、すばらしい記者たち、というより、事実を見逃していた、あるいは、もうひとつ先を掘り下げて調べなかったマヌケな記者たち、というような感じだな。 であるなら、ヒーロー物語にせず、そういうトンマな記者たち、という切り口で描けばよかったのに、そうはしていない。だから、失望の方が大きい、のだよね。多分。 ・ピーター? 誰? ロビーの知り合いみたいだったけど・・・。「教会の親善大使」と説明しているページがあったけど、どういうやつだっけ? ・しかし、ベンを悪役、かのようにミスリードする演出は、なんでなの? ベンと、その部下はまるでピエロみたいに描かれているんだが・・・。 ・ギャラベディアン役は、スタンリー・トゥッチだったのね。後から気づいた。『ER』なんかの堂々とした感じではなく、痩せぎすで神経質な役柄なので、気づかなかった。 ・レイチェル・マクアダムスは『消されたヘッドライン』でも新聞記者だったけど、インテリ役が多いのかな。ラブコメも多いけど、バカ娘って感じではないのか。とはいえ。そんな頭よそうな感じにも見えないんだけど。可愛いけど。 | ||||
ストリート・オーケストラ | 8/17 | シネ・リーブル池袋2 | 監督/セルジオ・マシャード | 脚本/マリア・アデライデ・アマラウ、マルタ・ネーリング、セルジオ・マシャード |
ブラジル映画。原題は“Tudo Que Aprendemos Juntos”。allcinemaのあらすじは「かつては神童と呼ばれたヴァイオリニストのラエルチだったが、あがり症が克服できずサンパウロ交響楽団のオーディションに落ちてしまう。落胆し途方に暮れるラエルチは、生活のためにスラム街の学校でヴァイオリン教師をすることに。しかしそこで彼が目にしたのは、楽譜が読めないどころか、過酷な日常を生き延びるのに精一杯で、音楽に対して少しもやる気の見られない子どもたちの姿だった」 実話がもとになっているらしいが、なんか嘘くさい感じの話。事実をどこまで脚色しているのか、かなり開きがありそうな気がしないでもない。そもそもブラジルで、そのスラム街の学校で、音楽の授業で生徒がバイオリンとかチェロとか、そんな弦楽器ばっかりやってるところなんて、あるのかいな? という以前に、ブラジルじゃクラシックはどれぐらいの人気があるんだ? こっちが知らないだけなのか知らんが、どーも犯罪国家、貧乏国、サンバ、他民族…なんてところからクラシックが結びつかない。それと、これまた差別的だけど、主人公が黒人であることもまた、いまいちクラシックと結びつかない。そりゃ黒人だってクラシックぐらいやるだろうけど、なんか、あまり見ないじゃん。なので、話にあまり入り込めず。 スラム街の学校で、NGOがどうたらという関係は、どういうことなのだ? NGOが支援してる学校ということか? 公立学校は成立しないような地域? それほど貧乏人が集まっている? というような背景が描き込まれていないので、いまいち説得力がない。 そんなスラム街の生徒たちが、これが意外にマジメに授業に参加するというのも、ドラマチックじゃない。VRというちょい不良っぽい生徒もいるけど、クレジットカード詐欺とかクスリとかやってるけど、それほど反抗的でもなく授業に出てくる。主人公ラエルチの言うことに反抗もしない。この辺りがつまらない。つまりは、ラエルチは何かを克服してなし遂げた、って感じがないんだよな。そのあたりの描写は、ほんのさらりでしかない。 生徒たちの描写もかなり物足りない。才能はあるけど貧乏なサムエル、犯罪に手を染めているVR。この2人しかフィーチャーされない。他にも面白そうな女の子や少年もいるのに、集団で写すだけ。もったいない。ラエルチは、もともと仲間と四重奏で食ってたんだけど、その仲間の描写も素っ気なくて、写ってる時間はそこそこあるのに、ヒゲの男性1人がかろうじてキャラが分かる程度。でも、彼の人となりは分からない。あとの2人の女性に至っては、ロクに写さない。ラエルチが「胸にシリコン入れてから云々」といったせいで離脱した女性は以後ほとんど登場しない。もうひとりの女性は、なぜか突然ラエルチとキスしたりして、どーゆー仲なんだおまえら? と聞きたくなるけど、その後の展開はなし。他にも学校長、両親、ギャングの親玉とか、鍵となる人物はいるけど、みな存在感が希薄。もっと人間を掘り下げろよ。 この手の、ダメ生徒たちが徐々に興味を持ち始め、上達していき、まとまっていく…という描写もたいしてないのでワクワク感はない。一方でラエルチのあがり症についても、オーディションの場面があるだけ。でも、ふだんの四重奏とかは大丈夫だったわけだろ? その差が分からない。もうちょいこの性格についても描き込むべきだ。 で、次第にまとまってきたらしいとき、少年たちがどこかに遊びにいき、その帰り、検問に会う。VRの運転するバイクの後部座席にはサムエル。VRは盗難車だから、と逃げるんだけど、パトカーに追われ、延々逃げるが、最後、威嚇射撃で転倒してサムエルが死んでしまう。銃弾のせいか転倒のせいか知らんけど、これでスラム街に暴動が起き、VRらは警官と対立するんだが、そりゃ話が違うだろ。サムエルは警官のせいで死んだんじゃない。VR、お前のせいだ。サムエルは途中で「降ろしてくれ」といったのに、ムリに逃げようとした。こういうの見ると、異国の正しい/間違ってるの感覚が、ぜーんぜん理解できん。まあ、VRも多少は自覚してるようだけど、日本なら自殺もんだろ。 てな波乱があるのに、サムエルの両親の悲しみは描写しない。これまた素っ気なさ過ぎ。愛する、そして、労働源である息子を失った父親は、どういう気持ちなのか? その怒りはどこに向かっているのか? が知りたい所。 てなとき、再びオーディションがあり、今度はバスするんだけど、なにがラエルチに自信与えたのか、が曖昧すぎて説得力がない。ほんとこの映画、いろいろテキトー過ぎ。 で、州立(?)の楽団に参加することになり、学校の発表会には立ち会えない、てな話になるんだが。その発表会って、これまで話題に上ってたっけ? なんか突然感ありすぎ。なんかのコンテストなのか? と思いつつ見ていたんだが…。 その発表会が気になって、練習でも心ここにあらずのラエルチ。そこにVRがやってきて、練習を見てくれ、と言うんだが、どうするのかと思ったら、なんと学校に行って練習を見てやるんだよ。おいおい。楽団の練習は抜けられない、と言っていたのに。じゃ、楽団は諦めるのか? で、発表会なんだが。これが、スラム街の一角にステージをつくって、周辺の人々に聞かせるもの、ではないか…。なにこれ。こんなもの、スケジュールもなにも関係ないだろ。バカか。で、次のシーンは楽団の公演の場面で。ラエルチはちゃんとメンバーとして参加しているというのは、じゃ、こちらの練習と生徒たちを見てやる負担はどうやって両立させたのだ? てな疑問はかるくスッとばしちまってる。なにこのいい加減さ。 この公演に、生徒たちも駆けつけるんだけど、チケットを買うとき「22枚。カード払いで」っていうんだけど、なんじゃそれ。VRがやってるカード詐欺の一環か? でなきゃ、どうやって金は都合したんだ? という疑惑もあるんだが…。 結局のところ、スラム街の生徒たちの家庭は、変わらないままなんだろう。街角でオーケストラを成功させたからといって、経済的なことは解決しないと思うんだが、そのあたりのことは、史実とどう違うのか、同じなのか、知りたいところである。 | ||||
ロスト・バケーション | 8/18 | MOVIX亀有シアター2 | 監督/ジャウマ・コレット=セラ | 脚本/アンソニー・ジャスウィンスキー |
原題は“The Shallows”。「浅瀬」とかいう意味か? allcinemaのあらすじは「医学生のナンシーは、亡き母が教えてくれた地元のサーファーしか知らない秘密のビーチで休暇を満喫しようとしていた。美しいロケーションと理想の波に、時が経つのも忘れてサーフィンに興じるナンシー。すると突然、何かにぶつかり脚を負傷してしまう。慌てて近くの岩場に避難したものの、傷口からは大量の出血が。しかし何よりも彼女を恐怖のどん底に陥れたのは、目の前を悠然と泳ぐ巨大なサメの影だった。岸までの距離はおよそ200メートル。しかも徐々に潮が満ち始め、岩場の面積はみるみる狭まっていく。それでもラッシュガードで何とか止血し、生き残るための方策を必死で考え抜くナンシーだったが…」 設定勝負の話。しかもムダなし。86分。サスペンスとしても、ハラハラドキドキに仕立て上げてる。人間や背景も描けてる。いいなと思ったのは、サーファーの手続きが描かれていること。ケースからサーフボードを出し、フィンをつけ、底板の汚れを磨く…。ってことは、久しぶりの海ということか? 海に入ると、襲ってくる大波。これを潜ってやり過ごし…を何度か繰り返すんだけど、これを水中シーンとして見せてくれる。CGなのか? ホントに海に入ってるのか? プールで波をつくってるのか? 知らんけど…。ときに、ボードの舳先を抑えたり、と、サーフィンのことは知らんけどリアル。そうして外海近くにでて、背後からの波を待つ。てな、サーファーなら知っているだろうけど、知らない人には「なるほど」な描き方。 冒頭は、地元サーファーが頭につけていてカメラを、少年が拾うシーン。あとは↑な流れで、地元サーファーが帰ろうとしているところで、クジラの死骸が浮いているのを発見。で、襲われるんだけど、最初から岩礁じゃなくて、最初はクジラの死骸の上に逃げるんだ…。へー。生臭く、傷口とかグロだけど、ふーん、な感じ。クジラも伏線のひとつで、サメはこれに引き寄せられた、ってことなんだな。 クジラから岩礁へ。裸足で岩礁が、痛ッ! 左足の傷をネックレスかなんかで縫う! 痛っ! 次は夜の寒気…。翌朝、海岸に寝てる酔っぱらいを見つけるけど、これまた泥棒なのか救いの神か分からん始末で…。昨日の地元サーファーが来るけど、「ここはサメが来ない」とへらへらやってきて・・・。犠牲者のヘルメットについたカメラを拾って録画して…。このカメラ、ずーーーーっと撮りつづけてた、のか? そんな長時間撮れるのかな? と、少しツッコミ。満潮になって、近くのブイに逃げるんだけど、今度はクラゲの群れ・・・。刺されて、痛ッ! 曳光弾をみつけて船に知らせようとするも失敗…。曳光弾をサメに撃ち込むが効果なく…どころか、クジラの油に火が付いてサメが火だるま、のシーンは、おお! だけど、凶暴化させただけ。がつんがつんとブイに襲ってきて、ブイがばらばら…。というところで、ブイについてる鎖が取れそうなのを見つけ、その鎖を握ってると、上手く外れて海底へ。何をするんだ? と思っていたら、一緒に海底へ引っぱられるナンシー。追うサメ。海底に激突、の直前に体をかわすと、そのまま追っていったサメは、ブイを止めていて鉄柵に激突。柵からでてる鉄筋が、口中に突き刺さる…。という、おお! 助けてもらうんじゃないのか。とっさの機転で、サメをやっつけちまうのか! すげー! な退治方で、思いも寄らぬ結末。凄ッ。 ナンシーは医学生で、最近、母親を病気で亡くしたらしい。それで、医学に無力感を感じ、かつて両親が訪れたメキシコの海岸を訪れた、という設定。で、死に直面して、ふたたび医学の道に戻る、という背景も、ありきたりといえばそうだけど、この話にうまく重なっているね。 共にサメに襲われたのか、カモメが一緒にずっというという設定も、なかなか。なんと羽根の脱臼だったらしいが、ナンシーがあっさり治してしまうのも、凄い。治ったら、さっさと飛んで行ってしまうのかと思いきや、ずっと居つづけるのも、わはは。 ところで、あのビーチの名前は何てえの? 最初に、クルマに乗せて連れてきてくれたカルロスというおっさんも言わなかったし、地元サーファーも教えてくれなかったんだけど・・・。 疑問は、満潮が1度しかやってこないこと。当日の昼頃(?)襲われ、岩礁で夜を過ごし、翌日の夕方ぐらいに満潮? とすると、当日の夕方も満潮があるのではないのかな? とはいえ、時間の経過もよく分からないんだけど。時計もでてきたけど、忘れちまった。 最初の方で、スマホでSkypeかなんか、会話してるんだけど、その画面がスクリーンにも映し出される、ってのはアイディアかも。 |