トレジャー オトナタチの贈り物。 | 10/4 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2 | 監督/コルネリュ・ポルンボイュ | 脚本/コルネリュ・ポルンボイュ |
---|---|---|---|---|
ルーマニア/フランス映画。原題は“Comoara”で宝のこと。英文タイトルは“The Treasure”。allcinemaのあらすじは「ルーマニアのブカレストで息子と妻と家族3人でつましい生活を送るコスティ。ある日、隣人のアドリアンから800ユーロを貸してほしいと頼まれる。事情を聞くと、曾祖父が共産党台頭前に庭に埋めた宝を探すため、金属探知機を借りる資金が必要だというのだ。そこで半信半疑ながらも協力することにしたコスティ。やがて金属探知機の怪しい業者も仲間に加わり、警察に気づかれないよう、ビクビクしながら作業に当たる3人だったが…」 なんと「第68回カンヌ国際映画祭のある視点部門である才能賞を受賞したルーマニア発の異色コメディ・ドラマ。本作の出演者の一人が体験した実話を基に」と書かれているぞ。実話? タイトルから、『ロマンシング・ストーン』みたいな冒険譚かと思いきや、さにあらず。うだつの上がらないオッサンたちの長すぎるコントだった。住宅ローンが払えなくなった隣人が「金を貸してくれ」とくる。断ったら、「うちの田舎の庭に宝が埋めてある。でも金属探知機を借りる金がない。出してくれたら、見つかったときは折半」という話を持ち掛けられ、女房に話したらOKがでて、さっそく実行。業者のオヤジが「ここだ」という場所を掘ったらハコがでてきて。なかにメルセデスの株券が。売ったらひと財産になって、めでたしめでたし、でオシマイという。おい。なんのヒネリもオチもないではないか。コメディにしても、20分ぐらいの短編にちょうどいいネタだろ、こりゃ。というわけで、寝なかったけれど、2/3は退屈で、退屈で・・・。 最初、貸してくれ、という額が800ユーロ。10万前後だな。しかし、ローンは3年ぐらい返済してないとかいってた。そんなのあり得るのか? というか、田舎に土地があるなら、それを売るとか、なんとかできなかったのか? くだんの田舎の土地に行くと、立派な家が建っていて、それは「弟の家」という。弁護士だかなんだか忘れたけど、弟は稼いでいるらしい。隣人の家はボロ屋だった。けど、そもそも、親からどういう状態で受け継いだのか? 更地で? それが、兄弟で分けて家を建てた? で、隣人は都会にでてきたのか? というような背景がよく分からない、というか、結構あやしいんだよな。しかも、以前はキャバレーとピンク系の店があったとかいってたし・・・。 で、何日も苦労してやっと見つけるのかと思ったら、行った当日、簡単に見つけてしまって。呆気ないことこの上ない。土地の広さは800Fとかいってたっけか。250坪ぐらいだろ? だったら、人に借金して金属探知機なんて借りず、やみくもに掘った方がいいじゃないか。半分やらなくていいんだから。と思うと、この話はアホらしくなってくる。 まあ、ルーマニアの法律が最初は壁になりそうな気配で。地面から掘り出したものはすべて届けなくてはならず、国家的な財産と判断されたら没収、というのがあるらしいんだけど。まあ、この映画ではそれは免れて。でも、1800年代の終わり頃に埋められた、という宝のはずが、1960年代に埋められた者で。結局、誰が埋めたのかは分からなくて。では、曾祖父が埋めたという宝はまだどこかに埋まっているのか? それとも、話が誤ってつたえられたのか。というようなことには触れられない。 メルセデスの株券が78枚? 割り切れないとか言ってたけど、150余枚だっけ? 忘れた。1枚15000余ユーロの価値で、それが78枚として・・・。1億5千万円ぐらい? 手数料は7%ぐらい引かれるんだったか。で、最後、主人公のコスティは宝石店に行ってたくさん宝石を買うんだけど。最初は,奥さんに? しかし、たくさん買うなあ、バカか? と思ってたんだけど、なんと、息子への贈り物だった。息子が話を聞きつけ、宝! とかいう顔をしていたんだけど、そういえば紙切れをみて残念そうな顔をしていたっけ。「オトナタチの贈り物」というのは、息子の「宝!」というイメージを満足させるための贈り物、ってことだったのね。でもさ、宝石を詰めた宝箱をでっち上げたのはコスティの考えだろ? たぶん妻は知らないと思う。もし知ったら、「あんた、やめてよ!」というに違いない。 それにしても、公園で遊ぶ子供たちに買ってきた宝石で満たされた宝箱を見せ、よその子供が「もらってもいい?」というと「いいよ」とにこやかに応えるコスティって、ううむ、どこにも共感できない。そんな一時の子供の夢は、たいして大事ではないと思うぞ。なに、夢がないだと? もしあなたなら、どうする? 7千万のあぶく銭が入ったら、500万ぐらいそうやって浪費するかい? ・コスティの浮気話はどうなった? 上司に、同僚の女性と浮気してるだろ、って問い詰められ、「いや、どこどこの業者の事務員と浮気してる」とかいってたけど、あれは咄嗟のウソなのか? ・夜になっても穴を掘りつづけ、金属探知機の業者と隣人が喧嘩しそうになったときは、誰かが殺されて、掘った穴に埋められるのでは・・・とか思ったけど、そんなことはなかった。 ・最後、隣人は、弟の土地でもあるし、あとで訴訟になったら困るから、とかいう理由で「折半ではなく、1/3にしよう」と言ってくるんだけど。でも、コスティは怒らずに素直にしたがったのか。マジメだね。 ・コスティの奥さん役の人、コスティ役の役者の実際の女房らしいが。なんか、つまんなそーな顔をしていたよな、ずっと。 ・掘り出したものをもって帰ろうとしたらパトカーに尋問され、簡単に「報告しようと思っていたところなんですよ」なんていっちゃうのは、素直すぎないか? で、警察に行ってからの様子は、ちょっと不思議っぽかった。鍵開け上手の泥棒までやってきたりして。 ・前にいたジジイが、頭を左右にひっきりなしに振るので、集中力が・・・。なので、パンフレットを目の下辺りにかざして、ジジイの頭が見えないようにして見ていたんだけど、これもつかれるよ。 | ||||
超高速!参勤交代 リターンズ | 10/5 | MOVIX亀有シアター1 | 監督/本木克英 | 脚本/土橋章宏 |
allcinemaのあらすじは「磐城国の湯長谷藩。藩の金山を狙う幕府老中・松平信祝の陰謀にもめげず、無事に“参勤”を果たし、胸をなで下ろす藩主・内藤政醇と家臣たち。しかし参勤交代は江戸への“参勤”だけでなく、江戸から国元に帰る“交代”が終わって初めて完結するもの。さっそく帰路についた政醇一行だったが、その道中、湯長谷で一揆が発生したとの知らせが入り、彼らは往路の倍の速さで帰るハメに。ところが、命からがら辿り着いた時には、城は乗っ取られた後だった。全ての黒幕は、湯長谷藩への復讐に燃える信祝だったのだが…」 なんか参勤交代はオマケというか背景みたいな感じで、謀反に翻弄される小藩、というところか。中味は超テキトーなドタバタ時代劇で、それも勧善懲悪チャンバラ映画のリターンズ=復活であるなら、それはそれでいいんだけど。 冒頭からの流れが大雑把すぎて。前作は見てるけど,詳しくは覚えていない、とう客(俺だ)とか、前作は見ていない、という客にはとても不親切な感じ。前作のシーンが断りもなく混じっていたり、勘違いのもとではないのかな。というか、前作のおさらいをちゃんとやってもらわないと、松平信祝がなぜ謹慎中なのか、もよく分からない。それと、この話の根幹となる謀反話の背景が、かちっと説明されてないので、いまひとつメリハリが感じられないのだよな。 最初は、地元湯長谷藩での一揆。それを収めようと、牛久から2日で藩(福島の南かな)に戻らねばならなくなる。という話だったのが、老中・松平信祝の謹慎が解け、湯長谷藩主ら一行の行く手を阻む者達が現れる・・・ということで、以前に湯長谷藩にメンツをつぶされた老中・松平信祝の私怨のように思えたんだが、なんとそのレベルではなかった。 実は、見ながらもよく理解できていなかった。途中、田口浩正の尾張藩主が吉宗に対して「御三卿などと、御三家をないがしろにしおって」とか憤る場面があるんだけど、これが「御三卿をないがしろにしおって」と聞こえたりして。というのは枝葉末節で、ぼんやりと見える背景は、松平信祝が尾張柳生をつかって湯長谷藩で一揆騒ぎを起こし、内藤政醇の帰藩の様子を探らせていた。さらに、内藤一行が帰藩する前に湯長谷藩は改易となり、尾張柳生が後を襲ったというのは分かるんだが、でも、むりくり過ぎだろ。 謹慎が解けたばかりで、側用人(?)に足蹴にされるほど立場の弱い松平信祝。それが、さっそく老中復帰。一揆問題で揺れる藩は取りつぶし、と教条的なことをいうんだが、そんな強い立場か? というか、1日2日で湯長谷藩の改易を決め、尾張柳生を送り込むなんて、物理的にも、行政的にもできることなのか? ムリだろ。 で、そのうち、松平信祝は日光東照宮に向かった吉宗を襲い、自分が天下をとる、というような話になって。なにい? だよな。松平信祝は、老中首座・松平輝貞の甥、なんだろ? ううん? というより、松平輝貞・信祝は、そもそもどこに属するのだ? 反吉宗派なのか? で、そういえば田口浩正の尾張藩主。あれはなんだ? と思い至って、あとから調べたら、「将軍徳川吉宗(市川猿之介)を日光社参の折に亡きものにし、尾張藩主徳川宗春(田口浩正)を将軍に押し立て自らは、権勢をふるおうと画策する老中松平信祝の謀略だった」と、あるサイトにあった。え? そういうことだったのか? 徳川宗春もからむのか? というか、徳川宗春も知ってのこと? では、松平輝貞・信祝は、尾張なのか? で、調べてみたよ。実在の人物なのだな。松平輝貞は、大河内松平とかで高崎藩主となってるぞ。松平信祝は、古河藩主。そういえば、謀反がばれた後、松平信祝は古河に行かされていたな。でもそれじゃ、地元に戻るだけじゃないか。 徳川と松平は、もとは同じだけど、どっかで別れてるんだろうけど、詳しくないので知らんがな。でも、どうして松平輝貞・信祝が尾張藩主を戴いて謀反なんだ? というあたりが説明されていなかったと思うので、とてもモヤモヤ。 それにしても、最後は松平信祝、湯長谷藩といくさだ、ということで鎧をまとい(そんなのどこに用意してたんだ?)、尾張柳生の長とともに湯長谷藩へと軍馬を進めるんだけど、そんなことが許されるものなのか? もうすぐ吉宗は殺っちゃうから、構わない? といっても、大老とか他の老中とか、幕閣がいるだろうに、どう説得したんだ? というようなわけで、いろいろ素直に楽しめず笑えないのであった。 最後も、千人に7人で向かって行き、悲壮感はまったくなし。で、信祝+柳生軍団に銃を向けられたところで、柳生のナンバー1を、同じ柳生の諸坂三太夫が背後から刺し殺し、それを見て柳生の長が「ふはははは。時期尚早」とかいって引き上げようとし、松平信祝がうろたえるという・・・。なんだこれ。で、一件落着。信祝は伯父・輝貞に諫められて古河へ・・・。って、こんなゆるい捌きでいいのかいな? というような、なんか、無茶苦茶な話であった。 ・最初の方で柳生の一派が駕籠を襲う場面があったけれど、あれは誰なんだ? 側用人? 誰? そもそも彼を切る必要はあるのか。 ・途中、なんと大岡忠相が登場する。しかも、単独行動で、屋敷(松平信祝のだっけ? 忘れた)を張っている。あり得ない。というか、なんで町奉行が? 町奉行は町方が対象ではなかったか? で、しらべたら、町奉行は、で、町地の犯罪。陪臣である藩士と旗本・御家人の家来は裁けるらしい。で、直臣である大名、藩や旗本・御家人の犯罪は、評定所らしい。というわけで、町奉行は松平信祝は裁けんのだよ。 ・そもそも、尾張柳生というのは、どういう存在なのだ? 尾張徳川藩の家来? どれぐらいの規模で、どこで暮らしているのだ? で、湯長谷に領地を得て、やることは田畑の破壊って、バカだろ、それ。百姓をいたぶっても、まったく得はない。どころか損だ。尾張柳生の幹部も、「これからはソロバン」と言ってたよなあ。 ・あー、それから。牛久をでて次のシーンで海岸を走るシーンがあるんだが、あり得ない。まさか、霞ヶ浦? アホか。 ・高速参勤交代、というのは、題名だけで中味はチャンバラ映画。江戸に来たときの倍の速さで帰る,という難題に対して、たんに「走る」しかないのも、ショボ過ぎだろ。 ・裏切り話ばかりで、あほか、な感じ。伊原剛志の雲隠段蔵も、娘が尾張柳生に人質に取られたからと、内藤たちを襲ったりする。おいおい。忍びだろ? 女房子供が大切なのか? ところで、女房は殺されたのか? というようなツッコミどころ満載の映画で、考えて見れば、吉宗を殺害して天下を取るという大望があるのなら、わざわざ東北の小藩の取りつぶしにこだわる必要はないよな。というわけで、この話は成立しなくなるんだが・・・。 | ||||
サウスポー | 10/7 | ギンレイホール | 監督/アントワーン・フークア | 脚本/カート・サッター |
アメリカ/香港映画。原題も“Southpaw”。allcinemaのあらすじは「感情を剥き出しにした壮絶な打ち合いの末に逆転勝ちする捨身のファイト・スタイルで絶大な人気を誇る無敗の世界ライトヘビー級王者、ビリー・‘ザ・グレート’・ホープ。あるチャリティ・パーティの席で、ライバル選手の挑発に激高して大乱闘を引き起こし、混乱の中で妻モーリーンが流れ弾に当たって命を落としてしまう。悔恨と悲しみで自暴自棄となり、金も仲間も失い、ついには最愛の娘レイラとも引き離されてしまう。どん底に落ちたビリーは、かつてもっとも自分を苦しめた対戦相手のトレーナーを頼るべく、今は第一線を退き、地元の少年たちを相手に小さなジムを営むティックのもとを訪ねるが…」 『レヴェナント』と『サウスポー』の組み合わせ。うーん。重い。しかも前者の1回目は9時20分からで、156分と長尺。ギンレイでパスポートで見られるといっても、積極的に見たい気はしない。なのでずるずるのばして2週目の最後の日になってしまった。少し風邪気味だし、朝からだるい。じつは昨日、5時30ぐらいからの回を見に行こうと出かけたんだけど、乗らないので戻ってきた、という経緯もある・・・。というなかで、エイヤ、で12時10分からの『サウスポー』から見ることにしてよっこらしょと出かけた。『レヴェナント』だけ見て帰る客も結構いて、それ程込んでないのはラッキー。ではあるのだが、始まった早々から気が重くなった。なにせ孤児院育ちのボクサー・ビリーは、カッとなるとすぐキレて暴力的でバカ。女房子供に迷惑かけて、どん底へ。というような、まあ、不愉快を絵に描いたようなキャラクターで。しかも、ボクシングの話の方は、どん底から這い上がってチャンピオンに、というベタベタの定番で、意外性はこれっぽっちもない。しかも、ヒロインである女房モーリーンも早々にいなくなってしまうので、あとはもうドロドロ・・・。半ば過ぎまで、見なきゃよかった、って思うほどの内容だった。まあ、ティック・ウィルズというトレーナーがついてからの復活劇はまあまあ見られたけど、成長というほどのこともない。事件の犯人も捕まらないし、いろいろスカッとしない話なのであった。 ・孤児院育ち、無教養、すぐキレる、全身刺青、大邸宅・・・。成り上がりのボクサーは、こんな感じ、って刷り込むための映画なのか、と思うほどの設定と展開で、うんざり。 ・ライバルのエスカバーに挑発され、殴り合いになる・・・って経緯も、バカらしくて見ていられない。普段からそういうことをしてるようなボクサーは、コミッショナーとかどっかから注意を受けるんじゃないのか? なんか、やり放題な感じで描かれていて、いかにもつくりものめいていて、やんなる。 ・で、挑発、喧嘩のなかで銃声。エスカバーの取り巻きが撃って、それがモーリーンにあたって死んでしまうんだが。おいおい、こんなに早くヒロインがいなくなっちゃうのかよ。そりゃないだろ。見どころはレイチェル・マクアダムスしかないのに・・・。 ・それにしても、流れ弾がモーリーンにあたるか? 撃ったやつは、どこ狙ったんだよ。で、エスカバーは撃ったやつを知っているんだが、なんとこの事件。犯人が特定できず、だれも逮捕されていない様子。そんなのあり得んだろ、バカバカしい。あんな室内の、ひとがたくさんいるところで。だれも証言したがらない? アホか。 ・ライトヘビー級チャンピオンで防衛も5回ぐらいしているビリーが、王座陥落し、1年の出場停止を喰らうと、速攻で破産するって、どういうこと? 豪邸がいけなかった? でも、いい加減男ビリーの足りないところを、しっかり女のモーリーンが支えていたんじゃないのか? なら、なにかあっても暮らしていけるような生活をキープぶきていたはずなのに、そうはしていなかった、ってことか。まあ、家族3人でお城みたいな家は不要だと思うけど、あれもモーリーンの希望だった? バカらしくなってくる。 ・娘が可愛い。で、家を追い出され、ヨレヨレになったビリーには扶養できない、って養護施設に入れられるんだけど。それを嫌がるんだよね。まあ、泣かせどころなんだろうけど、ぜんぜん同情できず。はいいんだけど、次に養護施設で面会すると、ビリーに会いたくない、とか、軽蔑したような態度を取るようになっているんだが、あれはどういう心境の変化があったんだ? 説明されていないので、不自然すぎ。 ・で、再起を図るため、ビリーはチャリティマッチに、プロとしてではなく参加するんだが。その試合を「見たい」という娘に、「来るな」と叱りつけるのも不自然。もともと彼は見て欲しいと思っていた。見るな、といっていたのはモーリーン。で、ビリーが娘にいう理由が「ママが見ちゃダメだっていってたから」だけなんだよな。このあたりも説得力がない。 ・でそのチャリティマッチだけど。ついこないだまで世界チャンピオンだったビリーが勝って当然だろうに、相手選手がどういうランクのボクサーか知らんが、これが本気で打ち合ってて。しかも、新トレーナーのティックの教え通り、防御して、相手攻撃をかわして、小刻みにポイントを奪う戦略なんだよ。なんか、チャンピオンが、こんなところで基本に忠実に、やってても、どこも賞賛できないよな。そもそも対戦相手の方が、ビビリまくりのはずだろ。 ・新トレーナーは、かつてビリーが対戦し、こころの中で「負けた」と思った相手のトレーナーらしい。当時のプロモーターが金で勝利を買った、とも。だから、トレーナーに選んだらしいが。ここで気になるのは、その、ビリーに勝っていたボクサーのその後、なんだよな。その彼は、いまでも現役? どこで、どういうランクにいるのだ? それが知りたいよ。 ・ティックの教えは大したことなくて、リング上にテープを張り、それを壁にみたてて体をかわす稽古、なんだが。そういうこともせずにビリーは王者になったの? というか、ビリーの戦法はいつも相手に打たせて打たせて疲れさせ、最後に逆襲するってやつ? バカじゃないのか、それまでのトレーナー。そんなんでチャンピオンになったって、すぐにボロボロになるだろうに。それに、その戦法って、なんか、『あしたのジョー』に似てないか? ・で、当然ながら現王者のエスカバーに挑戦するんだが、この試合では、防御して、相手攻撃をかわして、小刻みにポイントを奪う、がなされないんだが、なんで? しかも、ティックが教えた奥の手、サウスポーも最後の最後にしかでてこない。そういう戦法なのか? それは、右だと思わせておいて、最後に不意を食らわす、というやつか? でも、そんなの、一度使ったら、もう次からはなかなか使いづらいだろうに。それに、題名にもなっているのに、あまりフィーチャーされていないのも、なんか変。 ・この映画でボクサーは、ビリーが白人、エスカバーがコロンビア人、だったかな。で、登場する黒人は、プロモーターとかトレーナーとか、そういう役回りなのは、意味があるのかね。 ・オープニングで驚いたんだけど、中国の会社のロゴがドーンとでるんだよ。中国資本? と思ったら、香港マネーが入ってるらしい。どこなのか、詳しいことは知らんけど。ということは、中国人向けの味つけが、ストーリーにもされている、ってことなんだろうな。 | ||||
レヴェナント:蘇えりし者 | 10/7 | ギンレイホール | 監督/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ | 脚本/マーク・L・スミス、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ |
原題は“The Revenant”。「帰ってきた人」「亡霊」のような意味らしい。allcinemaのあらすじは「1823年、アメリカ北西部。狩猟の旅を続けている一団が未開の大地を進んでいく。ヘンリー隊長をリーダーとするその集団には、ガイド役を務めるベテラン・ハンターのヒュー・グラスとその息子ホーク、グラスを慕う若者ジム・ブリジャーや反対にグラスに敵意を抱く荒くれハンターのジョン・フィッツジェラルドなどが一緒に旅をしていた。ある時、一行は先住民の襲撃を受け、多くの犠牲者を出す事態に。混乱の中、グラスたち生き残った者たちは船を捨て陸路で逃走することに。そんな中、グラスがハイイログマに襲われ、瀕死の重傷を負ってしまう。ヘンリー隊長は旅の負担になるとグラスを諦め、ブリジャーとフィッツジェラルドに彼の最期を看取り丁重に埋葬するよう命じるのだったが…」 で、156分のこちら。このどこがアカデミーの監督、主演男優なのかよく分からん。撮影賞はあげてもいいかも。なにせ、冒頭のインディアンの襲撃とか、長いショットで、しかもカメラはスムースに移動し、ステディカム? あっちに回り込んだり、こっちに戻ったり、水中に入ったかと思ったらまたでてきて動きはじめる・・・という、ものすごい動きの撮影をしていて、それには驚いた。ドローンも随所で使っているのか? あと、広角カメラで180°周囲を写したりと、これなんか、他にスタッフはいない状態で撮ってるのかね。 というぐらいで、他にはたいして驚かなかった。何しろ話は単純で、息子を殺されたグラスが復讐する、というそれだけの話で、スケールは結構小さい。そのスケールの小さい話を、雪や熊、大けが、追っ手のインディアン、亡き妻の亡霊とか思いなんかで増幅し、いかにも重々しく荘厳な話に仕立てている。なんか、原作があって、事実にもとづく話らしいが、その事実の方には息子を殺された事実はないし、復讐劇もない。奪われた銃を取り返しただけ、と書いてあった。ただし、熊に襲われて瀕死の重傷で、というのは事実らしいけど、もちろん冬ではなくて夏場の話だという。そういうのを割り引いて、事実に忠実に再現したら、まあ、重々しさもかなり割り引かれることだろう。 この映画のもっともよくないところは、状況設定がまったくつたわってこないこと。場所はアメリカなんだろうけど特定されていない。雪に熊? もしかしてアラスカ? でも、アラスカにはインディアンはいないよな。じゃ、カナダに近い辺り? とか、もやもやしていた。 さらに、登場するインディアンの関係が、これまたよく分からない。グラスはポーニー族の女性と結婚し、息子をもうけた。しかし、妻はなにかの件で亡くなってしまっている。妻にちょっかい出した(?)少尉を殺した云々の話と、妻が殺された一件が同じなのかどうかは、よく分からない。誰が襲ったのかも、よく分からない。 一方で、毛皮商人たちを襲ったのはアリカラ族。その後も追ってくるのはアリカラ族。このアリカラ族はフランス人たちと交流があるようで、奪った毛皮をフランス人に売っている? で、しきりに馬を欲しがっている。そして、酋長らしい男が、ある女を捜しているようなことをいっているんだけど、よく分からない。 というような状況で、毛皮商人たちは、アリカラ族から逃れるために冬山を越すことになるんだが、ここでグラスが熊に襲われてズタズタになるんだけど、ズタズタだけで致命傷は負わず、これが生きているのが不思議。しかも、銃で傷を負わせ、格闘の末、ナイフでクマをやっつけちゃうに至っては、これはマンガか、と思ってしまう感じ。まあ、事実だってんだから、こういうこともあるんだろうけどね。 毛皮商人の隊長は、グラスを連れて帰る、と主張するんだけど、なかのフィッツジェラルドがいい顔をしない。で、どうとても山の上につれてはいけない、というので若者ジムとフィッツジェラルドを残して、一行は先へ。まあ、フィッツジェラルドが自分から「残る」といったのは、なぜなのかよく分からない。グラスをわざわざ殺さなくても、先に戻れば楽ができるわけだからね。残って面倒を見たら70ドルだか手当がもらえる、に惹かれたんだっけかな? で、さっさとケリをつけたいフィッツジェラルドは、ジムがいないすきにグラスを始末しようとするんだけど、息子のホークが向かってくる。なので、グラスが見ている前でホークを刺殺。さらに、あらかじめ掘っておいた穴に、グラスを引きずり込む。ジムは抵抗するんだけど「いずれ死ぬ」と恫喝されて、心ならずも水筒を置いて、フィッツジェラルドに従う・・・という件があるわけだ。 こっからが凄い。「もう助からない」とみなが見放したグラスが、這いずり、そして立ち上がり、歩き出す。酷寒の中で、食べるものもない中で、だ。まるでマンガ。思いは、息子の復讐・・・。 アリカラ族に会ったりしつつ、途中でグラスは、あるインディアンと出会うんだが、どうして用心せずに近づいていけたのか? あれはポーニー族? それがどうして分かったんだ? なんでもスー族に家族を殺されたとか、そんなこといってなかったか? 吹雪の中、グラスを安全に野営させ、自分はさっさと去って行ってしまうんだけど、グラスが気づいて旅立ち始めると、木に吊り下げられたインディアンが・・・。って、あれは、件のポーニー族のインディアンだったのか? よく分からず。 そのインディアンに「身体が腐ってる。このままでは死ぬ」と言われて、そのまま何もしてないように見えたんだけど。Webで調べたら、木で小屋みたいなのをつくって雪を焼け石で蒸発させていた、あの行為が治療だったらしい。分かんねえよ、あんなの。 ジムとフィッツジェラルドが、襲われた村を通る場面があるんだけど、あれは誰に襲われたんだ? 騎兵隊? フランス人? それとも、他のインディアン部族? なんてことがあったりして、グラスは白人たちが野営しているところに接近し、馬を奪うんだが。白人の1人がインディアン娘を犯しているところを背後から襲い、ナイフをインディアン娘に渡し、自分は馬を奪って逃げる、のだけど。これもよく分からない。あの白人たちは、だれ? 後から分かるんだけど、あの娘はアリカラ族が探している娘だから、最初の方でアリカラ族が接触していたフランス人とは違うんだよな? じゃ、だれ? とか、分からないことばっかりで、ちっともスッキリしない。 こんなことしてる間に、毛皮商人の一行はキャンプ地へ戻ったみたいなんだけど。彼らの山越えについて、疑問がひとつ。誰それは「降りろ」と言ってるが、登るんだ! とかいう場面があったんだけど。その、「降りろ」と言っている、下にいる人物は、あれは誰? 仲間の一人? 仲間が降りられたけど、隊長は登る方を選択したってことか? 分からんなあ、ホント。この映画。 で、ジムとフィッツジェラルドもいつの間にか戻ったらしい、ひのキャンプに男がひとり現れて・・・。その男がもっていた水筒が、ジムがグラスのところに置いてきた水筒で・・・。グラスが生きている、ってことがバレるんだけど、そのとき、その場にフィッツジェラルドがいたような気がするんだが・・・。で、毛皮商人の隊長がグラスを探しにいくんだっけか。あ、どうやって再開したのか、もう忘れてるよ、困ったね。で、フィッツジェラルドを問い詰めにキャンプへ戻ると、すでにずらかった後・・・って、グラスを探しに行く前にどうしてフィッツジェラルドを確保しておかなかったのかね。 フィッツジェラルドを追う、という隊長に、「俺も行く」とグラス。なんて回復力なんだか。映画だからな。しょうがない。で、隊長はやられちゃうんだけど、その隊長の死体を自分に見せかけて馬に乗せ、フィッツジェラルドに撃たせておいて、近づいてきたところを、後続の馬の背に隠れていたグラスが一発お見舞いするんだけど軽症で、あとは、グラスがオモチャみたいな斧で、フィッツジェラルドはでかいナイフで格闘するんだけど。そのナイフで手の甲をグサッと刺されながらもその手でフィッツジェラルドを押さえつけるという、なんじゃこれな格闘。そこに近づいてくるアリカラ族の一行。そこに向かって、フィッツジェラルドを川に流す。「最後の捌きは天に委ねる」とかいってたけど、よく分からん。 てなわけで、フィッツジェラルドはアリカラ族にトドメを刺されるんだっけか。でも、アリカラ族はフィッツジェラルドに何の恨みもないはずだよな。で、ヨレヨレのグラスの横をアリカラ族の一行が通り過ぎていくんだけど、なかに、途中で助けたインディアン娘がいて、ああ、彼女が探していた娘だったのね、ということが分かり、だからグラスはアリカラ族に殺されなかった、という偶然の幸いのご都合主義で映画は終わるのだが、やっぱ、いろいろ、なんじゃこれ、がありすぎだよな、この映画。 ・最初に、時代と場所ぐらい、スーパーで表示してくれよ。 ・アリカラ族とアメリカ人、フランス人の関係とか、説明が欲しいところ。 ・最初にアリカラ族がグラスたち毛皮商人を襲ったのは、娘を探すため? それとも毛皮? ・妻のイメージがよくでてくる。息子の小さいときのことや、妻の母親の声みたいなのも。インディアンの娘を妻にし、ポーニー族とともに生活していたグラス。彼が、どういう経緯で妻を失い、いまや生活のためなのか、米国人の案内役をやっている経緯みたいなのも、知りたいね。 ・妻のイメージや、インディアンの言葉とかは、コケ脅かしだろう。なんとなくカッコよく、正義に見せるため、かも知れない。で、毛皮や金に執着する白人を批判しているのかも。でも、グラスだって白人の手伝いをしてるし、なんともいえないな。 ・そういえば『小さな巨人』という映画があったけど、インディアンと白人の間を行ったり来たりする男の話で、それをちょっと思い出した。 | ||||
コロニア | 10/12 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2 | 監督/フロリアン・ガレンベルガー | 脚本/トルステン・ヴェンツェル、フロリアン・ガレンベルガー |
ドイツ/ルクセンブルク/フランス映画。原題は“Colonia”。allcinemaのあらすじは「ドイツ人キャビンアテンダントのレナは、フライトで訪れたチリで、現地に滞在するドイツ人活動家の恋人ダニエルとの束の間の逢瀬を楽しむ。ところが突如、チリ軍部によるクーデターが発生、ダニエルは反体制勢力として捕らえられてしまう。ダニエルの行方を捜すレナは、やがて彼が“コロニア・ディグニダ”という謎の施設に監禁されていることを突き止める。そこはナチスの残党パウル・シェーファーが作り上げたカルト教団が集団生活をする脱出不可能な要塞だった。それでも愛するダニエルを助け出したい一心で、信徒のフリをして危険な内部への潜入を敢行するレナだったが…」 HTC渋谷のHPの写真と、チリ、クーデターという文字をチラ見しただけだったので、すっかり抵抗運動ものかと思っていたら、なんとカルトものだった。とはいえ、最後の脱出劇はスリリングで、一難去ってまた一難と畳みかける演出がなかなかだった。とはいえ、よく分からんことが多い映画でもあって、帰ってから「コロニア・ディグニダ」を検索したらもの凄いことが書かれていて、そーか、そーか、という感じ。Webではナチの残党のようなことも書かれているんだけど、この映画ではその点には確か字幕では触れていなくて。もしかしたら原文にはあるのかも知れないけれど、ナチ、があるのとないのでは、インパクトの度合いも違うんじゃないだろうか。それに、コロニア・ディグニダの“教皇”とクーデターの実行者であるピノチェトとの関係もよく分からん。そもそも、なぜ“教皇”パウル・シェーファーがチリにドイツ人のコロニーを築けたのか? そして、ピノチェトとはどういう蜜月があり、なぜ協力するに至ったのか、というようなことが描かれていないので、本質には迫り切れていない感じ。このあたりを、説明的ではあっても、軽く描いてくれると、なるほど、となったような気がする。まあ、脱出劇というアクションにウェイトがあって、だから主人公に「ハリ・ポタ」のエマ・を呼んだ、ということなのかも知れないんだけどね。 で、エマ・ワトソンがでてるから、アメリカ映画かと思えばルフトハンザがでてきて、彼女はそのスチュワーデス。そのレナが、街中で演説する男を見つけ、駆け寄るんだけど、それが恋人? いきなりなので、いろいろ困惑の冒頭部。その恋人のダニエルはドイツ人で、チリのアジェンデ政権の支援運動のため、チリにずっと滞在していたらしい。じゃエマ・ワトソン扮するレナもドイツ人か? で、なんでダニエルはチリにいるの? 活動家か何かか? でも、カメラをいじっているから、写真家? とか、戸惑いつつ見始めたんだが、こちらのチリのクーデターに関しての知識は少なくて。あれよあれよな感じだった。 知人からの電話でクーデター(1973年9月に、軍が起こしたもので、指揮者がピノチェト。倒されたのはアジェンデ政権。アジェンデ政権は社会主義政権で、それを敵視したアメリカがピノチェトを支援したらしい。と、Webで調べたよ。ははは)を知り、アジェンデ支援のポスターを描いていたダニエルは、レナとともにアパートから逃げ出すんだが、街は軍隊に逮捕される人だらけ。で、2人も捕まって、ダニエルだけがコロニアに連れていかれてしまう・・・という流れ。 レナはどっかの事務所に行き、コロニアの情報を仕入れるんだけど、あれは何かの支援団体か何かだっけ? 忘れた。で、表向きはキリスト教のコローニーだけど、内部はピノチェトとつながっていて・・・とかいう情報を得て、単身、そのコロニアに向かうんだが。なんだよそれ、という話だよな。 次第に分かってくるかと思いきや、これが分からない。“教皇”パウル・シェーファーがトップに君臨し、その指示に厳格にしたがう人々がいて、さらに、信者がたくさんいる、という感じ。男女は生活を別にし、数年間も会ったり話したりはしない。というなかで、たまに交流会とかもあるみたいで、あとから分かるんだけど、そういう会をつうじて男女が性的関係を結び、そのせいで子供もたくさんいるらしい。はじめは、なんで子供がいるんだ? と思ったんだけど、これまた後で分かるんだけど、教皇シェーファーは男児を愛玩する性癖で、そのために子供だけをこれまた隔離して生活させているらしい。 というコロニーのどこかでダニエルは拷問を受け、仲間についての情報を告げるようにいわれるんだが、果たして話したのかどうかは分からない。酷い顔になっていたから、しゃべらなかったのかな。 コロニーにもぐり込んだレナの生活は、経緯をよく見てると怖ろしく長く、地味すぎ。なので、ダニエルと出会うまでもたいへんで、でも、会ってからも、あんなに厳格な管理の中で、よくも上手くしめしあわせて会うことができ、よくもまあ納屋の下に秘密の地下道があることが分かるもんだ、なんだけど、まあそれは映画的なご都合主義だろう。しかたない。 でまあ、地下通路を経て、水をもぐって・・・でも、一緒に逃げる女性のひらひらが引っかかるだろうと思っていたら,見事にひっかかって。・『ポセイドン・アドベンチャー』だろ、それ。そうやってやっと外に逃げ出したんだけど、罠に引っかかってその女性が銃弾で死ぬというのは、いかがなものか。あんなところに、なんで銃を設置しておく必要があるのか、分からない。これも、サスペンスさを増すための都合に違いない。 なんとかドイツ大使館に逃げ込んで。パスポートを発行してもらって、さて飛行機は・・・と思ったら、なんと満席。というのは、これは大使館に潜入していたスパイの手筈によるのかな? でも、スチュワーデスのレナは勝手知ったるルフトハンザの機長に電話して、席を確保。 ここらへんから、大使館内のスパイが活躍し始めるんだけど、最初は女性だったかな。それが連絡していたようだ。で、クルマで飛行場まで連れていって貰うんだが、案内された所が妙な所で。時間になっても呼びに来ないので窓から見ると、その連れてきた運転手だか担当員が誰かと話している様子が見えたので、レナとダニエルは部屋を出て飛行機に向かうんだけど。この経緯がよく分からないのよね。大使館にいるピノチェトのスパイは、誰と誰なんだ? 女性以外にもいたということなんだろうけど。そのうち“教皇”シェーファーまでやってきて、搭乗を阻止しようとするのは、あり得るか? そこまでして、拷問部屋の写真の流出を防ごうとするのは、いささかムリがあるような気がしないでもない。 それでも滑走路に行き着き、荷物を運ぶクルマに乗ってタラップまで向かうあたりは、サスペンス。しかも、今度は管制塔に男が向かい、フライトを中止をするよう管制官にいい、それに従ってしまう管制官・・・。おお。どうなるんだ。でも、機長はその指示を無視して飛んで行ってしまうって…。おいおい。そういうのアリか? まあ、アリでもナシでも構わないけど、ハラハラドキドキの脱出劇のためなら、ね。 ・で、ウィキペディアによるとコロニア・ディグニダは「1961年に元ナチス党員パウル・シェーファー率いるドイツ人移民のグループが設立」「最大で300人程度のドイツ人およびチリ人が137平方キロメートルの土地に居住していた」「有刺鉄線のフェンスや探照灯、望楼で囲まれ、戦車を含む兵器を隠し持っていたという。一般的にはカルトあるいは「無害な変わり者」の集団と評されていたが、近年に入りコロニーの不穏な歴史に関する事実が白日の下に晒されつつある」「アウグスト・ピノチェトの軍事政権(英語版)以後、コロニア・ディグニダは拷問施設として用いられた」「住民は決してコロニーを離れることが許されず、性により厳格に区別されたと主張する。テレビや電話、カレンダーは禁じられ、住民はバイエルンの農民の服を身に纏い、ドイツの民謡を歌いながら働いていた。セックスも禁じられ、性欲を抑える薬の服用を強要された住民もいた。専ら女児(時には男性にも)に対し鎮静作用のある薬が投与された。殴打や拷問といった形での躾は日常的に行われた」「パウル・シェーファーは、第二次世界大戦後にチリへ逃れた元空軍衛生兵であった。シェーファーは2人の男児に対する性的虐待に関する告発を受けた後、1961年に西ドイツを離れた。1997年5月20日にはチリへ逃亡し、コロニーの児童26人に対する性的虐待の告発を捜査していた当局に追われる身となる」「コロニー内部にあった1つ目の隠し場所には機関銃や自動小銃、ロケット砲の他大量の弾薬が入った3つのコンテナを含み、中には40年前に製造されたものもあった。地下からは戦車すら見つかった」とか書いてある。こういうのが元になっているのか。ふーむ。 ・この映画。“Inspired By”になってて、でも字幕は「事実に基づく物語」だったんだが。たぶん、事実というのはコロニア・ディグニダが存在した、ということだけだろう。登場人物や、拷問部屋の写真がどうのというのは、全部フィクションだろうと思う。だいたい、そういうことに近いことがあったのなら、“Based On”の方がよいように思う。なので、たぶん「事実に基づ」いてはいないと思う。 ・“教皇”シェーファーを演じているのはミカエル・ニクヴィストで、『ミレニアム』シリーズの編集長だ! | ||||
SCOOP! | 10/13 | 109シネマズ木場シアター6 | 監督/大根仁 | 脚本/大根仁 |
allcinemaのあらすじは「かつては凄腕の報道カメラマンとして伝説的なスクープをいくつも手がけた都城静。しかし、ある出来事をきっかけに報道写真への情熱を失い、今は芸能人の尻を追っかけるパパラッチをして日銭を稼ぐ日々。借金と酒にまみれた自堕落な毎日を送っていた静だったが、ひょんなことから写真週刊誌『SCOOP!』に配属されたばかりのド新人記者・行川野火とコンビを組むハメに。案の定、互いにソリが合うわけもなく、ことあるごとにケンカしてばかりの静と野火だったが…」 いまどきこの手の写真誌が売れてると思えなくて、まるで80年代の話かよ、なところもあるんだけど。小ネタ連続でテンポがいいのでつい見てしまう。とはいっても、静と野火がベッドを共にし、ライカとキャパの話になって、途端に白けた。あまりにもベタすぎて(セリフでも「ベタすぎる」とはいってるけど、それでも・・・)つらい。とはいえ、エンディングへと向かう伏線として必要だったんだろう。でもその最後のエビソートおよびラストは予想がつきすぎるし、やっぱりそうしちゃうのかよ、な暗い話。このあたり、日本映画だな。静には、ちゃんと生き抜いて、ぬけぬけと図太く、女の子のケツを追いかけていって欲しかった。そしたら『ナイトクローラー』になっちゃうかもしけないけど、いいじゃん、それで。 最初の方は、芸能人の恋愛ネタとか、チャラい話。の後に、大物若手政治家の女性スキャンダル。これは面白かった。花火を上げてカーテンを開けさせて・・・は、そんな上手くいくのかよ、だけど、まあいいか。でも、あの程度の政治家にSPがつくのか? 大臣クラスじゃないと、つかんだろ。それに、女子アナとの密会にもSPがガードするのか? クルマで追尾してきたり・・・。映画的演出だろ、ありゃ。で、この映画の最後のエピソードは、こういう政治ネタあるいは経済スキャンダルでもよかったんじゃないのかな。そういう事件も暴いた、というような終わり方でも良かったような気がする。 芸能ネタには「最低」といっていた野火も政治家の件では「面白い」になり、連続女性殺人犯の顔を撮る、には「撮るべき」となる。で。実況見分中の撮影になるんだけど、あのドタバタはないだろ。副編の馬場を使って現場を攪乱し、自分も囮になって、野火に撮らせるんだけど、どーも警察に拘束されたのは静だけみたい。馬場だって拘束されるんじゃないのか? 見聞のジャマして警察官に捕まってるんだから。 この一件で野火は静に心を許しちゃうんだけど、おいおい、な感じ。女性副編の定子ともまだ切れてないようだし、しょっちゅう風俗に通ってるのが分かっていながら、抱かれたくなるかね。野火の気持ちはよく分からない。というか、静がモテ過ぎだな。 で、後朝の場面があり、そこで静が、静かに眠る野火の顔をライカでパシャリ。のところに、チャラ源から電話で、いま人を殺しちゃったけど、おれの姿を写してくれよ・・・っていうのは、まあ、シャブ中の結果なんだろうけど。夫婦を殺し、警官を撃ち、娘を人質にしたチャラ源の様子を撮りつつ移動する静の行動は、ちょっと疑問。娘を解放し、2人になったところで、警官隊突入だろ、フツー。チャラ源カメラを構える野火を見つけ、銃を向けるんだけど、それを振り払いつつ「撮れ」と野火にメッセージを送り、自分は撃たれてしまうんだけど、このオチはミエミエだ。まあ、野火が撃たれる終わり方も、ないではないだろうけど。で、この撃たれた場面は、兵士の頭を撃つ「サイゴンの処刑」とそっくり。ま、キャパからの流れだろうけど。 その後、静射殺場面の写真を載せる載せないで、馬場と定子が争うんだけど、次期編集長の定子の意見が通って掲載・・・という件も、ううむ。あり得ないだろ、それは。撮影したのが、愛をかわしたばかりの野火で、掲載を決めるのが肉体関係のある定子で、ともにほとんど感情的になっていないところに違和感。 で、深読みすると、あの場面で静は、自分の時代は終わった、と感じてたんだろう。次の主役を野火に譲り、自分は消えていく。といっても引退するんじゃなくて、この世から消える。恩人であるチャラ源と心中する覚悟というのかな。ある意味では自殺だったんではないかと思ったりする。それを、野火も定子も感じ取っていた、のではないだろうか。 で、ついこないだまで足手まといのアシスタントだった野火が独り立ちし、若手カメラマンを引き連れてスクープを、というラストは定番過ぎる感じ。まあいいけど。 ・キャパの「崩れ落ちる兵士」の写真をベタに見せる場面は、まあ、この後の展開を示唆しているわけで。だから、最後に静がチャラ源に撃たれるのは想定内。 ・最後に撮った写真がみなピンボケなのは、キャパの『ちょっとピンぼけ』から来てるんだろう、多分。はいえ、いまどきの編集部にまだ暗室があって、現像・プリントできるなんてはずがないだろ! ・オープニングとラスト。ドローンに載せたカメラで撮ってるのかな、CG加工なんだろうか、途中から空中へと登っていく。なかなか面白い。 ・あまり怒鳴らない二階堂ふみが結構かわいい。脱がない濡れ場もあって、下着姿で福山雅治と絡むんだけど、なかなかいい感じ。 ・クレジットで役名と役者名が書かれているのは、素晴らしい。 ・クレジットに、宮崎茂樹の名前が。もしかして、実況見分のときに挨拶した白髪のオヤジか・・・。そのあと、茂みに隠れてるところを警官に追い払われていた・・・。あんまり恰幅がいいので、見過ごしちゃったよ。 | ||||
ほしのこえ | 10/14 | 3331 Arts Chiyoda B1 | 監督/新海誠 | 脚本/新海誠 |
allcinemaのあらすじは「長峰美加子と寺尾昇は仲の良い同級生。中学3年の夏、美加子は国連宇宙軍の選抜に選ばれたことを昇に告げる。翌年、美加子は地球を後にし、昇は普通に高校へ進学。地球と宇宙に引き裂かれたふたりはメールで連絡を取り続ける。しかしメールの往復にかかる時間は次第に何年も開いていくのだった。美加子からのメールを待つことしかできない自分に、いらだちを覚える昇だったが…」 たまたま3331行ったら「文化庁メディア芸術祭20周年企画展?変える力」の前日で、でも展示場には入れる状態だったのでぐるっと見て、その後に地下に行ったら、ビデオ作品を上映する予定のスペースで、「特別に新海誠作品を上映しています」とかいわれたので、見たのだった。実は↑の展示は10/15〜というのは、あとから知った。関係者を呼んでのプレイベントだったのかな。でも、とくにあれこれいわれず入って見たりできたんだけどな。 で。このアニメだけど、25分ぐらいの小品で、監督がアマチュア時代に手仕事でほとんどひとりで仕上げた、らしい。でもそういうのはどうでもいい。 美加子はロボットみたいな戦闘兵器のコックピットにいて、これはエヴァとかガンダムみたいなものか。それが、地球から遠く離れて戦っているんだけど、美加子の姿は学校の制服で、なんだこれは、なんだろうけど、まあ、アニメのお約束なのかな、こういう表現は。・・・というシーンと、地球にいた、高校時代〜現在までのシーンが交互に映し出されるんだけど、なんで美加子がそういう軍隊に選ばれたかとか、どういう敵と戦っているのか、とかいうような説明がほとんどなくて。あるのは、離れている美加子と昇とのメールのやりとりなんだよね。で、メールが届くのが始めは数日だったのに1年になり、8年になり・・・ということで、離れてはいるけどメールで心はつながっている、みたいなことを訴えるのがメインな感じ。 でもさ。メールが届いてから返信するわけじゃなかろうし。連日のようにメール送信していれば、そんな離れてる、な感覚は生じないと思うんだけど、そういうことには触れていないというか、表現していない。それが最大の「?」かな。 興味深かったのが、使っている携帯で。2047年とかだったか、時代設定は、のなかで、二つ折り以前のかたちの携帯で、文字主体のものになってるんだよな。まあ、作られたのが2002年だからしょうがないちゃそうなんだろうけど。あと、よく電車とか踏み切りがでてきて、それは昭和、平成と変わりのないノスタルジックな風景で。それはいいんだけど、まだJRというロゴが使われているのか、これもおかしかった。まだまだJRは平穏無事で業務を遂行しておるのね、と。 というような、ヴィークル内の美加子が、彼女だけで浮かんでいるような絵と、宇宙での戦闘シーン、地上での踏み切り・・・がつぎはぎされた感じのビジュアルで、まあ、ドラマとはいえんだろ、な感じだった。ま、尺を考えれば、肝心なところだけの表現、になるのかも知れないけど、とくに何も感じなかったのであった。 そういえは、昇も8年後だかに、軍隊みたいなところ、「あこがれの」といっていたけれど、に入るらしい。いったい、宇宙のそんな離れたところで、なにと戦ってるんだ? の方が気になっちゃうよな。 | ||||
神様メール | 10/19 | ギンレイホール | 監督/ジャコ・ヴァン・ドルマル | 脚本/トマ・グンジグ、ジャコ・ヴァン・ドルマル |
ベルギー/フランス/ルクセンブルク。原題は“Le tout nouveau testament” 英文タイトルは“The Brand New Testament”。「最新の新訳聖書」みたいな意味らしい。allcinemaのあらすじは「世界を創造した神様はブリュッセルのアパートで家族と暮らしていた。神様はパソコンで世界を操り、人々の生活を面白半分に引っかき回して楽しんでいた。10歳の娘エアはそんな父に反発し、父のパソコンで全人類にそれぞれの余命を知らせるメール送信してしまう。そして兄JC(イエス・キリスト)のアドバイスに従い、そのままアパートから家出すると、大混乱の街に繰り出し、6人の使徒を探す旅に出る。こうして、冒険家になりたかった会社員や殺し屋に転身した元保険セールスマン、夫との関係が冷え切った主婦など、悩める人々と巡り会い、小さな奇跡を起こしていくエアだったが…」 見終えてから5日だけど、ほとんど内容を覚えていない。設定はユニークなような気がするんだけど、話というか各エピソードががつまらなくて、首をひねるようなものばかりだったんだよな。そもそもこの映画、聖書をベースに話がつくられているようで、でも聖書なんて読んだことがないので、元ネタが分からない。これはきっと、非キリスト教徒には理解できない映画なんじゃないだろうか。 実は神は単なるオッサンで、そのオッサンの気まぐれで世界は創られている・・・みたいな話は面白い。だけど、そのオッサンは地上に降りたことはないんだろ? なのにPCを使っていたり妻がいたり、子供がいたりする。食事もするし、TVも見ている。というような、世の中のフツーの事柄と神様との辻褄はどう合わせるのだ? たとえば、コンピュータができる前はどう管理していたんだ? とか、あの妻はどこの誰なんだ? 着てるものや食糧はどこから調達しているのだ? ということを考えると、話自体がバカらしくて説得力がなくなってしまう。もちろん、そういうところにツッコミを入れるのはナシよ、ということなのかも知れないけど、であっても、設定を「なるほど」と思わせる工夫は、ある程度必要だと思うんだよね。 で、娘が勝手に、全人類の余命をメール送信しちゃうことから、世の中がおかしくなる、という話なんだが。そうかあ? とも思う。そんな余命を、誰が、なぜ信ずるのだ? すでにここで、神は絶対で、そのメールは神からのものだと人々は信じ、世界は揺れる、というご都合主義的な話になっている。いやいや、そんなことはないよ。仏教徒だってイスラム教徒だっているんだから。とかね。 あと、娘のエアは、キリストの妹なんだから、彼女もキリストと同じように地上では神格化されてもいいはずだけど、そうもなっていない。で、聖書を書いたのはキリストではなく使徒だったから、新たに使徒を見つけて新・新約聖書をつくればいい、ってことなのか? いやまて、使徒をなぜ6人ふやすのか、その意味と根拠がよく分からない。(※18人集めると9人対9人で野球ができるから、とかWebに書いてあった。そういうばそんなこと、言ってたかも・・・)で、6人に次々と会っていくんだけど、誰をどうやって選んだんだ? 映画では、父親=神の部屋のある抽出からカードを数枚選び出しただけなんだけど、そんなものが使徒の根拠になるのか? しかも、会っていく6人が、使徒となるような大切な人物でもないところがまた、なんなんだ? 突然スナイパーになっちゃう男がいて、たまたま撃った相手が片腕を失った女性で、これがラブラブになっちゃうんだよな。でも、じゃあ、すでにいる妻や子供はどうなるんだ? このエピソードは、浮気推奨の話なのか? カトリーヌ・ドヌーヴが出てくる話は、彼女がゴリラ好きになる話で。サーカスの場面はサーカスは『8 1/2』で、ゴリラは『マックス、モン・アムール』じゃないか。 子供のときに海岸で見た女性の思い出が忘れられず、覗き部屋に行ったりしてるオッサンがいて、彼の前にくだんの海岸の女性が現れる話も、なんだかなあ。彼は、最後、妊娠しちゃうんだっけ? 妊娠するのは、スナイパーだっけ? 忘れたけど、男が妊娠する映画には『ジュニア』がある。 てな具合に、元ネタとして引用されている映画がなんとなく浮かぶんだよなあ。他にも、エアや神様が地上に行くとき利用するのはドラム式洗濯機で、これは『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』を連想してしまう。 そういうことばかり気になって、エピソードの中味については、ほとんど記憶に残るようなことがない。 ああ、そういえば、エアを追って神様が地上に行った後、妻が神様の部屋を掃除するんだけど、このときPCの電源を抜いてしまい、で、掃除が終わってコンセントを差し込むと、PCが再起動し、命のカウントダウンは消えちゃうんだよ。で、PCから妻に「いらっしゃいマダム」とかメッセージが表示されるんだけど、PCは妻を認識できるのかい? もしかして、PCをセッティングしたのはあのカミサンだったとか? あと、男の子の余命が数10日かで、突然、女の子の恰好をするんだけど、なんでなの? で、彼の命が尽きる日に、エアと仲間の使徒が海岸に集まって見守るんだけど、飛行機が墜落するのかと思いきや、激突せずに舞い上がり、男の子も死なないということなんだが、それはなぜなんだ? PC再起動でリセットされたから? 元の余命じゃなくなるわけか? ではもしかして、再起動前に余命が来てしまった人は、死んでるのか? とかいう疑問も・・・。 とか、あまりにもツッコミどころが多く、話もつまらないので、当然ながら少し寝てしまった。だからまあ、どうでもいいような映画であった。この映画を評価している人は、いったいどこがどういいと思ったのか、知りたいところではある。 ・パンが落ちるとジャムが下側とか、並んだレジより隣のレジが早く進む、なんていう話は「マーフィーの法則」のパクリだろ。 | ||||
すれ違いのダイアリーズ | 10/19 | ギンレイホール | 監督/ニティワット・タラトーン | 脚本/ Sopana Chaowwiwatkul、Supalerk Ningsanond、Nithiwat Tharatorn、Thodsapon Thiptinnakorn |
タイ映画。原題は“Khid thueng withaya”で、「恋しい学校」という意味らしい。英語タイトルは、「Teacher's Diary」と、ストレート。allcinemaのあらすじは「レスリング一筋だったお気楽青年のソーン。恋人に尻を叩かれ、ようやく見つけた仕事は、電気も水道もなく、携帯電話もつながらない山奥の湖に浮かぶ小さな水上学校の教師だった。しかし教師の経験のない彼は失敗の連続。そんなある日、前任の女性教師エーンの日記を見つけたソーン。そこには、自分と同じように教育に悩み孤独をかみしめるエーンの正直な気持ちが綴られていた。いつしか会ったこともないエーンに心惹かれていくソーンだったが…」 タイ製のラブコメなんだけど、男女が会わないまま話が進み、最後にめぐり会うというスタイル。『君の名は。』と、この後に見る『チャーリー』も、会わないまま進む話で、この手のすれ違いが世界的に流行っておるのかね。 しかし、設定とすれ違いだけで110分はちょっと苦しかったかも。たとえば水上学校が閉鎖の危機を乗り越えるとか、学校一の悪い少年の更正物語とか、近くにできた工業廃水の問題と戦うとか、なんか危機があり、それを乗り越えるようなドラマがあるともっと魅力的になると思うんだが・・・。 エーンは、手首に干しの刺青を入れたから飛ばされたんだっけか。恋人と13年つき合っていて、出会ったのは大学と言っていたから、31歳というところか。卒業してすぐ教師になったのなら、9年の教師歴があるわけだ。それが突然、なぜ刺青? しかも、上司から「消せ」といわれて断っている。そこまで突っぱねる理由は何だったんだろう。その刺青に関するドラマがあってもよかったかも。それにしても、過去の経歴が謎。 で、エーンは友人らしい女性教師と2人で水上学校に赴任したんだよな。相方は途中で「こんなところにいられない」って帰っちゃうんだけど、彼女の場合も飛ばされたのか? 嫌だから、で帰って別の教師の仕事に就けるのか? 疑問。 水のタンクにイモリだかヤモリはまあ、あるだろうけど、それでも気持ち悪い。と思ったら、死体が流れてくるって・・・。そういうことはこの季節よくある、とかいってたけど、どういう季節なんだよ!? インドなら「なるほど」ただけど、タイもそうなのかい? しかし、驚いたのは、水上学校のトイレ部分に引っかかった死体を、エーンが水に入って取り除くこと。女ひとりで、しかも、死体、糞尿も周囲に・・・。それ考えただけで卒倒しそうだ。だれか人を呼べばいいのに。 ソーンは、それまで教師だったのか? それとも、レスリング選手を引退して教師になろうとして、でも水上学校しか空きがなかった、ということなのか? 元レスリング選手という設定が、ほとんど活かされていないのはもったいない話だ。現地の少年を育成して地区大会に出場させるとか、そういう話もできたんじゃないのかな。 で、1年だけの期限付きで赴任するんだが、黒板の上からエーンの日記を見つけるんだけど。そんな大切なものを、置き忘れるか? と思ってしまう。さらに、女性の日記なんだから、好奇心でどんどん読み進めるのかと思いきや、少しずつしか読まないのな。変なの。まあ、さっさと読み終わっては、映画としては都合がわるいのかも知れないけど、不自然だろ。 で、ソーンは前任者の日記を読むことで力づけられ、励まされていく、という寸法。とはいっても、エーンも1年でいなくなっちゃったわけで、なんか、水上学校の生徒たちは気の毒だねえ、と思ったのも事実。しかも、エーンが1年で帰ってしまうのは、恋人に「戻ってこいよ」といわれたからで、都会の学校と、そして結婚にひれ伏してしまったわけだ。しかも、刺青も消してしまったわけだから、反抗心も捨ててしまったわけだ。だったら最初から刺青に関して突っ張らなけりよかったじゃないか、と思ってしまう。 ソーンは、ズッコケながらも体当たり的に生徒に接していく。あーところで、ソーンのときの生徒数は、エーンの時と比べて数人減っているんだけど、卒業したていうことなのか? で、ソーンは、エーンを探して都会の学校にふらふらと入っていったりしているんだが、そういうのはOKなのか? っていうか、エーンの個人情報をソーンに渡したりして、いいのかよ、な感じ。 あとは、あれか。「漁師になるから」と学校に来なくなった生徒の家を訪ね、「代わりに自分が働くから」といって生徒を復学させたことが功績かな? で、一方のエーンは、新任の学校、といっても恋人が副校長をしている学校なんだが、ということはコネで入ったということだよな。で教鞭を取っているんだけど、浮力の話を教えるのに生徒をプールに入れたりして、それで校長から叱責を受け、恋人からも苦言を呈される。しかし、机上の学問ではなく、体当たりの実地教育を、というのにも限度があるだろうし、一教師が勝手に行って事故でも起きたらたいへん、ぐらいのことは理解してるだろうに、バカなんじゃないのか? この女、と思ってしまう。 さらに開いた口がふさがらなかったのが、恋人の浮気。出来心でベッドを共にし、子供ができた云々という話は、あまりにもチープ。恋人との仲を裂くための、低レベルなシナリオだな。だいたい、恋人が止めるのも振り切って水上学校へやってきて、やりたい盛りの恋人を一人にしたあんたも悪いだろ、と思ってしまう。 てなわけで学校を辞め、水上学校に戻ってくるエーンが、ここでソーンの存在を知るんだけど、んだけど、なんじゃらほいの話。 ふたたび水上学校で働きつつ、自分のノートに書き込みを見つけて、だんだん彼女もまだ見ぬソーンに惹かれていくんだが。あの2人は合わないと思うよ。エーンが好きになるタイプと違うもん。おっちょこちょいの熱血教師なんて、好きにならんと思うぞ。まあ、映画だから仕方ないけど。 で、学期末を迎え、このままゴールが近いかと思ったら、なーんと、エーンを連れ戻しに恋人がやってきて、謝罪と説得にほだされて帰ることを決意してしまうって、なんだよこの女。思い切りのないやつだな。2人で乗ってるクルマが、列車の遮断器に遮られる。遮断器があくと、向かい側に、訪ねてくると言っていたソーンがバイクに乗っている・・・と想像したんだけど、違った。残念。そう、ソーンは生徒たちに、一度訪れるよ、と手紙を出していたのだよ。エーンはそれを知っていたんだけど、会わずに恋人と都会に戻ろうとしたのだ。なんてやつ。 でも、やっぱり私は戻る、ってクルマを降りて再び水上学校に戻るんだけど、やっぱりまだソーンは来ていない。もどろう・・・としたところで、電気がパッと点いて。ってことは、ソーンは修理屋として来ていたのか? 違うよな。まあいいけど。で、ひとりで電源修理していた背後から、エーンが近づいて、はじめまして。というエンディングなんだけど、合わないと思うぞ、この二人。 ・ソーンもつき合っていた彼女がいて、でも、水上学校に勤めることになったら、一週間もたたずに彼女が他の男を同居するアパートに連れ込んでいるって、おい、な話だ。つき合う女を間違えてるな、ソーン君。女を見る目がないみたい。 ・話はつまらなかったけど、ヒロインがかわいいからなんとかもった感じ。なのでチャーマーン・プンヤサックの画像検索したんだけど、化粧がまるで違ってケバケバしい女の顔しかでてこない。女は化けるのだな。この映画の顔は、特別に素朴でさわやかな化粧なのかも知れない。 ・エーンと一緒に赴任した同僚女性教師は、どうなったんだ? 彼女もかわいかったんだから、何らかのかたちで再登場させればよかったのに。 ・6年生の卒業試験に落ちた男の子は、もういちど6年生を1年やったのか? それとも、追試をうけた? というか、小学校で卒業試験があるのかよ。 ・ソーン役のスクリット・ウィセートケーオは、若き田村俊彦みたいなトンチンカンな感じ。 ・生徒に教える方程式が、見てて、もう分からんよ。ははは。 | ||||
チャーリー | 10/21 | キネカ大森1 | 監督/マーティン・プラーカット | 脚本/マーティン・プラーカット、Unni R. |
インド映画。原題も“Charlie”。公式HPのあらすじは「インドの大都市バンガロールでグラフィック系の仕事をしながら自由を謳歌しているように見えるテッサ(Parvathy)は、日常にどこか物足りなさを感じていた。親同士が勝手に決めた縁談に反発して家を飛び出し、ヒッチハイクしながら辿り着いた港町コーチンの古いアパート。そこは前の住人チャーリー(Dulquer Salmaan)の持ち物、写真や絵画、奇妙なオブジェが溢れかえった、とんだボロ部屋だった。貸主に怒りをぶつけるも、そこで見つけたチャーリーの写真と、彼が描いたらしき漫画に興味をもつ。ボロ部屋を舞台に始まるその漫画は、肝心のシーンから先が途切れていた。物語の続きを知るために、わずかな手がかりからチャーリーを知る人を訪ね歩くテッサは、彼にまつわるさまざまな話を聞くにつれ、まだ見ぬチャーリーに惹かれていく。ようやくつかんだ情報をもとに、山あいの村に辿り着いたテッサが見つけたものとは……?」 漫画のつづきが知りたい・・・が片思いになり、すれ違いでなかなか会えなく、でも最後はハッピーという話だけど、いろいろ腑に落ちないところがたくさんある。ご都合主義的な展開と、よくわからんエピソードのつながりで、話に入れず、前半の半ばで少し寝てしまった。なんか、作り手の思い込みがありすぎるような気がしないでもない。 あと思ったのは、『君の名は。』『すれ違いのダイアリーズ』に続く、会ったことのない男女のすれ違い物語であること。この手の話は世界的なブームなのか? 冒頭からのゴチャゴチャ感は、まあ、割りと楽しい。要素がたくさん画面に飛び込んできて入り乱れ、カメラも流れるように進んでいく。でも、個々の人物がその後も登場して鍵になるのかというと、とくにそういうこともなくて、どんどん登場しては消化され、先に進んでいってしまう。なので、いちいち人物を覚えきれないし、覚えててもしょうがない感じ。こういうつくりに、ちょっとイラッときてしまう。そんな感じで、いつになっても本筋のドラマが始まらない。どころか、マンガの実写化が始まって、そこでチャーリーの姿が映し出されてしまうものだから、ミステリアスな感じがない。チャーリーは、ヒゲの、大雑把な感じの人物で、とくに魅力があるように見えないのだよな。ついでにいうと、テッサもポッちゃりさんなので、黒縁メガネがアクセントなんだろうけど、見入るほどの可愛さはない。てなわけで、役者を見る映画としてもいまいちだったりするのだよ。 で、マンガのつづきが読みたくて、前住人のチャーリーの行方を追い始めるまでに、30分以上。いつ話が始まるのかと、退屈していたところなので、やっとか、という感じなんだけど、追跡劇も具体性がなく、雰囲気で描かれているので、いまいち乗れない。そのうち、マンガに登場した泥棒がテッサの部屋に現れて、続きを聞くんだけど、ではそれでテッサの欲求が解消されたかと思うとそんなことはなくて、どーもチャーリーという個人に惹かれるようになってしまったようなんだけど、これってテキトー過ぎるだろ。テッサはチャーリーのどこに惚れたのだ? いちど、窓からチラッと見ただけの相手なのに? というような、恋愛劇としても根拠が薄弱なので、ぜんぜん話に入っていけないし、感情移入もできない。あのチャーリーのどこが魅力なんだよ!? チャーリーは人を救う? 最初に助けたのは12歳の娘で、彼女の父親が客を取らせようとしていたから。それで娘をどっかに連れて行ってしまうんだが、おいおい。お前の方が人さらいじゃないのか?次は、自殺しかけた女医で、くだんのマンガのつづき部分のエピソードなんだが、「記者がたくさん来た」というので、いったいどんな事件が? なせ自殺しようとしたか? と思って見ていたんだけど、その解き明かしまでが時間がかかりすぎて、イライラ。しかも女医は男にふられ、子供も流産し、それで手術に失敗して患者を殺しているらしい。それで事件になったらしいが、殺された患者はどうなるのだ問題については触れていないのが、おいおい、な感じ。だいたい、失恋なんて個人的な問題だろ。 で、12歳の少女も女医も、高原のユースホステルに連れてきているらしいんだけど、チャーリーとYHとの関係がこれまた意味不明で。しかも、YHにはジジイしかいないというのは、なんなんだ? あー、それから、このYHにいる気むずかしいジジイの、告白しないで別れてしまい、いまも思っているという彼女を探し出してきたりするんだけど、はたしてそれは親切か? 余計なお世話な感じがするぞ。ただし、このエピソードで興味深かったのが、その彼女がキリスト教の尼さんになっていることで、ヒンドゥー教徒ばかりのインドで尼さん? が、異様に不思議である。どういうメッセージを込めようとしたんだろ? 分からん。 そういうば、テッサは、チャーリーがYHにいると死って尋ねるんだけど、どうやって分かったんだっけ? 電話で話した父親が教えたのか? その父親の情報はどうやって得たんだっけ? というようなところが、ほとんど記憶にないんだが、まあ、そういうつくりになっているということだろう、多分。雰囲気雰囲気。 で、テッサが帰ったあとに、入れ違いでチャーリーがYHにくると、人々は大歓迎してる。そんなに好かれるキャラなのか? なんで? 根拠が描かれていないから、なんともアホらしく見えてしまう。さらに、だれも「あんたを探して若い女の子が来てたんだよ」てなことを言わない。不自然だろ。 てなすれ違いと、テッサのつのる思いがどんどん膨れあがり、チャーリーはなんとかいう祭にくることが分かる。テッサの友人が「あんな祭で会えないよ。という通り、何万人もの群衆。のなかで、簡単に会えてしまうご都合主義。しかも、手品の大道芸をやってて、地面から登場する!? チャーリーは何やつなのだ? 何をして食っているのだ,この男。と思ってしまう。 で、やっとめぐり会った2人。チャーリーが「テッサ・・・」というと、テッサは、偽名を語って、テッサではないフリをするんだが、それは何でなの? 意味不明。そんなテッサと2人の自撮りをするんだけど、できあがったボラから浮かび上がってきたのは、最初に家出したときの写真で・・・。あのときバイクに乗せてくれた男がチャーリーだったということか? それとも、マジック? なんか、意味不明。 思えば、願いは叶う、というようなことが言いたいのかね。なんとなくハッピーエンドにはなっているけど、テッサにはチャーリーほどの自由奔放さはないから、結婚してもうまくいきそうもないな。そもそも、↑のあらすじでは、テッサはライターかなんかみたいだけど、仕事をしている様子は描かれておらず、せいぜい友人がでてくる程度。それが、家出してふらふらしてるだけで、仕事なんかしていない。こんないい加減なことはない。ま、いいけど。映画だし。 ・字幕が悪い。意味のよく取れないセリフが多いんだけど、原文がそうなっているのか、訳が下手なのか? さらに、2人分の会話を、ひとつの画面に入れちゃう方式なので、これまた混乱しがち。 ・画面の左下に、禁煙と禁酒? を促す注意書きが出るのは、始めは何なんだ? と思った。 | ||||
ダゲレオタイプの女 | 10/25 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/黒沢清 | 脚本/黒沢清 |
フランス/ベルギー/日本。原題は“Le secret de la chambre noire”で、Google翻訳では「暗室の秘密」とでたぞ。英語タイトルは“The Woman in the Silver Plate”。dallcinemaのあらすじは「ジャンがアシスタントとして採用されたのは、パリの古い路地に建つ屋敷にスタジオを構えるダゲレオタイプの写真家ステファン。その技法は、銀板に直接ポジ画像を焼き付けるため、長時間の露光が必要だった。そのため人間の被写体は、数十分にわたる露光の間、決して動くことのないよう全身を特殊な器具で拘束して撮影に臨まなければならなかった。そんな過酷なダゲレオタイプのモデルを務めていたのが、ステファンの娘マリーだった。ジャンはその不思議な撮影方法に魅了される一方、次第にマリーに心惹かれ、父親の芸術の犠牲になっている彼女を救い出したいとの思いを募らせていくのだったが…」 ホラー的な要素があるらしいので、退屈しないかなと思ったんだけど、さにあらず。幽霊というより精神病者の妄想話に近くて、またきたか、な感じ。黒沢清だからというのではなく、風潮として、異常心理の世界をモチーフに、不思議&神秘を映画化する傾向がずっとつづいているから。しかも、娘マリーの階段落ちの後、オチはほぼ分かっちゃう。というより、ジャンが訪問したときから青いドレスの女が階上を歩いているのを目撃していたりして、そういう話なんだろうと予想がついてしまう。だから、階段落ち後のマリーはジャンの妄想だろう、と観客は分かっているのに、なぜかその後がだらだらとムダに長くい。あまりにも退屈で、寝そうになった。神秘的なところも、尖ったところもまったくなくて、残念な感じ。 ステファンは、元は売れっ子のファッションカメラマンだったらしい。それが、ダゲレオタイプに心を奪われた。以降、妻をモデルにしたダゲレオタイプを撮っていたらしい。撮影によっては同じ姿勢を60分、120分とつづけていなくてはならないので、ステファンは妻に筋弛緩剤を飲ませていた、と後半で分かるんだが、どーも、このせいで妻は苦しみ、自殺したらしい。なのに。妻が死ぬと娘のマリーをモデルにして、ときには妻同様筋肉弛緩剤を飲ませていたらしい・・・。という事実は構わないんだけど、なぜステファンはダゲレオタイプに入れ込むようになったのか? 妻の例で分かっているのに、なぜ娘にも命にかかわる筋肉弛緩剤を飲ませたのか? が、最後まで分からなかった。せいぜい、「永遠の美しさを残す」ことができるんだぞ、といってたぐらいか。でも、やっぱりそこは話の背景として、なるほどと思える理由を描いて欲しかった。 ちょっとしたファッション写真とか、子供の死後写真とか、ステファンは小遣い稼ぎしてたりするんだけど、それもダゲレオなんだよな。でも、複製できない写真で白黒でファッション写真撮っても、しょーがねーだろ、な気がするんだが。ところで、死後写真を撮るのを、マリーは「ホルマリンの臭いが嫌」とかいって、ジャンに抱きついて自分からキスするんだけど、あれ、いつのまに、な感じ。このときすでに、肉体関係はありやなしや? で、いつものように妻の亡霊を見て階段を上がっていったステファン。その後を追ってかどうか知らんが、同じように階段を登っていったマリーが、とつぜん転げ落ちてくる。階段落ちは筋弛緩剤のせいか? それとも父親が突き落とした? しかし、答は提示されない。ところで、あの階段落ちは、CGなのかな。コマ撮りみたいな感じで、かたかたしながら落ちてきたけど・・・。で、意識を失ったマリーを病院に連れていこうとするジャンに、父のステファンは「ムダだ」とかいうんだけど、なんとかクルマに乗せて病院に向かうジャン。後部座席のマリーに気をとられ、道路から外れてしまうんだけど、ふとみると後部座席は空。で、外に出てみると、マリーが立っていて「平気、帰りましょう」という・・・。って、この時点で「変」は誰にでも分かる。概ね、マリーは「死んだ」と思われてるはず。なのに、こっから延々と大したことの無いあれやこれやを描いていくのだよ。 そのあらやこれやは、たいして記憶にとどまるような芝居はなくて、だいたいは、ステファンの住む家のことだ。大規模開発があって、あの土地が500万ユーロで売れるらしい。ステファンは無視。でも、デベロッパー(?)の男はジャンに資料を渡していて、ジャンも話を取り持つような動きをする…のだけれど、この態度が不可解だ。なぜジャンはデベロッパー側に立つのか? また、この時点で、マリーはジャンのアパートに住んでいて、でも、ステファンは娘は死んだ、と思っているという不可思議な状態になっている。葬式も出していないのか? と、首をひねる状態なんだけど、これは、マリーはすでに死んでいて、葬式も出しているんだけど、ジャンがそれを信じていなくて、ジャンは妄想(あるいは幽霊でもいいけど)としてのマリーと一緒に暮らしている、と考えればいいわけだ。 生きている間のマリーは、赤系統の服を着ていた。で、ジャンと暮らしはじめた最初の場面で、料理をつくるマリーも赤を着ていた。けれど、次に登場するとダーク系になり、でも、リンゴをもっていて、これは赤で、その後に登場するときは完全に黒系統の服になっている。これなんか、マリーが実際は死んでいるのだよ、ということを色で表現しているのだと思うんだけどね。 で、ダゲレオタイプの写真撮影の時は、ステファンの妻も、娘のマリーも、青。これは、赤と黒の中間で、生死の狭間にある状態と取ってもいいのかも。 他にも、マリーの興味は植物で、温室の中は生気のある緑。これは、マリーという生身の人間の色=赤の補色で、精神状態ととらえることもできそう。ところが、マリーがジャンのところから家に戻ってみると、撮影に使う水銀の毒で、温室の植物はすべて枯れて、灰色に・・・。という場面があって、これも、マリーの精神的な死を象徴しているようでもある。そういえば、温室という存在も、写真の暗室と対比させることができる、かも、 そして、ステファンの拳銃による自殺・・・。なんだけど、妻の霊を恐れてなのか。たんなる妄想なのか、よく分からない。そのうえ、デベロッパーの男がやってきたときには、発見者であるジャンの手に拳銃が握られていて、ということはジャンが撃った、という可能性も高いわけだ。これは、なかなか土地を手放そうとしないステファンに対する、ジャンの怒りなのか? そもそも、「ステファンには450万ユーロで売らせる。その代わり、50万ユーロは、僕の手数料として・・・」とデベロッパーに言っているように、急に欲がでてきてのかな、ジャンは。この辺りの、献身的なアシスタントからの変身は、どーも納得がいかないよ。 と思っていたら、いまや一緒に暮らしているマリーも、「売ったお金で温室の引っ越せる? だったら土地を売るのに賛成」といっていて、ジャンの私利私欲ではないのね、と思わせておいて、実はこのときのマリーはジャンの妄想だから、すべてはジャンの企みということで、では、やっぱりジャンの私利私欲じゃないか、ということになる。 かと思ったら、ジャンは、逃げるデベロッパーの男も撃ち殺してしまって。こりゃ妄想がかなり来ておるな、と。 さてどうするのかと思ったら、ジャンとマリーはクルマでトゥールーズに向かっていて。トゥールーズは、マリーが就職できるかも知れない植物園がある街で。ここに引っ越せば、ステファンのスタジオも、マリーの温室もそのまま引っ越せ、お金も困らないほど残る、なんて言っていたんだけれど、父親の死骸はどうしたんだ、とか思いつつ、こいつらどうすんだ? 妄想のマリーは、いつ消えるんだ? とか思っていたら、ジャンが教会を見つけ、2人だけの結婚式をしようということになり、指輪を交わしていたら神父か牧師がやってきて、追い出さるんだけれど、そこにはジャン1人しかいなくて、クルマに戻ると、誰もいない隣の座席に語りつづけるジャンがいる、というラスト。 で、このオチは予測できたのでまったく驚きもしない。どころか、『シックス・センス』の劣化版だな、としかいいようがない。 要は、妄想男のステファンが妻と娘を死に追いやり、そのステファンとデベロッパーを、これまた妄想男のジャンが殺した、という話なのね。なんかな。いまいちホラーにしては切れが悪いなあ。 ・やたら鏡が登場している。そういえば、妄想あるいは霊となったマリーは、鏡に映っていたっけか? 写真は「写す」で鏡は「映す」。鏡は、ガラスに銀を蒸着したものだから、ダゲレオタイプの感光剤と似てる。光を取り込み、実像を写すものとして登場させているのかな? ・妻の亡霊は、昼日中の明るいところに現れるので、ちっとも怖くない。 ・ジャンはやっぱり金に目がくらんだ、ということなのか? ・ジャンは、ステファンのサインを偽造し、売るという誓約書を偽造するまで、3ヶ月頑張ったとか言ってたな。でも、デベロッパーのやつは、1週間か2週間しか時間が残っていない、って言ってなかったっけ? ・マリーも、バカ親のいいなりにならず、さっさと家出しちゃってればよかったのに。 ・マリーは、死んだ赤ん坊の写真を嫌がったけど、むかしはブームだったんだよな。でも、いまでも撮る人がいるのかい? | ||||
何者 | 10/26 | 109シネマズ木場シアター6 | 監督/三浦大輔 | 脚本/三浦大輔 |
allcinemaのあらすじは「大学の演劇サークルに情熱を注ぎ、周囲を冷静に観察・分析する拓人。拓人のルームメイトで、バンド活動をしている天真爛漫な光太郎。その元カノで拓人が秘かに思いを寄せ続ける真面目女子の瑞月。瑞月の友人で、偶然にも拓人たちの部屋の上に住んでいた意識高い系女子の理香とその同棲相手で画一的な就活に否定的な隆良。彼らは、ひょんなことから理香の部屋を“就活対策本部”と名付け、情報交換のために定期的に集まるようになる。大学院生のサワ先輩に見守られ、それぞれに内定を勝ち取ろうと悪戦苦闘する5人だったが…」 98分で、ムダなくコンパクトに、テンポよく話が進む。しかも、Twitter、LINE、Facebook(はあんまりでなかったかな)、2ちゃん、とか、SNSとかWebの画面がパッパと切り替わるようにでてきて、しかも、その画面に重要な意味が表現されていたりする。最初のうち、Twitterの、アカウントとプロフィール画像に意味があるとも思ってなかったので漫然とみてたんだけど、Tweetの内容に一喜一憂する表情に気づいて、いかん、こりゃ、ってな感じで注視するようになった。これ、Twitterやってないと、ついてこれないかもな、とか思ったのだった。とはいえ、フツーの映画と比べて、くだくだ説明することなく、誰がどんなTweetをしたか、が分かれば、裏の裏まで見えてきて、かなり刺激的。 裏の裏、といえば、何気ない感じで描きつつ、ちょいちょい小出して過去に戻り、実は・・・的なネタバラシをしていく手法も、かなり効果的。最後に近いところで、隆良の「いろいろ教えてくれよ、君は就活2度やってるんだから」に「2度?」だったんだけど、主人公たちは留年&休学の5年生というのが分かって「おお!」な大ドンデンも効いた。 当然ながら自分のときを思い出したりするわけだけど、はるか昔だからまったくあてはまらないわけで、エントリーシートぐらいは聞いていても、Webテストは知らないよ。なんだそれ? とまあ、いまどきの就活の様子を知るというのも面白いんだけど、一緒にがんばろう、といいつつ自分の活動や進行具合は小出しにして、はたまた裏で嘲笑したり、嫉妬したりしている関係が徐々に分かってくる怖さが、結構、オソロシイ。 で、最後はそういう本音のドロドロしたのを解消してサッパリ! かと思うと、そうでもなくて、割りとそのまま放置、で終わっているのも、いいと思う。まあ、主人公の拓人は、ひねくれた自分を脱皮して、面接で本音を言えるようになった、で終わってるけどね。ここが、光明というところか。果たして、結果はどうなったのか? そして、いまだ決まっていない理香と隆良は? ・彼らの住んでいるのは、あれは、寮なのか? 瑞月は拓人の部屋の近くに住んでいるみたいだし、瑞月の上の階に理香が住んでいる、というようなことをいっている。でも、光太郎は拓人に、一緒に住めば安上がり、なことをいって共同生活している。じゃ、一般のマンション? 同じ駅の周辺に住んでいる、ということなのか? そのあたりが、ちょっと分かりにくい感じ。 ・光太郎と瑞月がつき合っていた・・・。しかも、光太郎がふった、な話が分かってきて、ええっ? な感じ。なんでなの? ・その光太郎はロックバンドやってて。解散して就活。なんと出版社を狙って、中堅どころに合格というのは、それはあり得んだろ。人間性はともかく、一次の筆記に受かるほどの一般常識、どうやってコツコツ勉強した? な感じ。それと、瑞月をふったのは、かつての想い人に、出版社なら出会えるかも、という妄想らしいが。それも、現実的にあり得んだろ。まあ、映画だからな。ところで、光太郎はバンドやるために留年したんだっけ? まあいいけど、そのバンド仲間が一切登場しないのも、ちょっと寂しいかな。 ・理香を演ずるのは、二階堂ふみ。いつもの、ずけずけ、がでてなくて、結構よかったかも。意識高い系には見えないけどね。ははは。しかし彼女は、広告代理店や、松竹みたいな感じの興行会社も受けていて、いったいどこを志向しているのかな? と疑問。彼女は帰国子女だっけ? 留学組だっけ? のわりに、外資系にいかないのが「?」だったんだが。 ・その理香が、就活部屋の面々を写メって速攻でTwitterに挙げてるのは、うすら気持ち悪い。それ確認して拓人は、黙ってるけど、フツー「おい、顔出しの写真拡散するのやめろよ」と言うんじゃないのか? ・瑞月は、彼女も就職浪人だったっけ? 覚えてない・・・。地方出身で両親が離婚に近い状態で一留で、一流IT企業に受かるものか? 総合職じゃなくて、転勤のない何とかといっていたけど、出世とは縁のない現場でセールスするような職種か? しかし、彼女は何で光太郎が好きになったのかね。バンドやってたから? ううむ。 ・組織ではなく個人、を主張する隆良。それはいいけど、いまどき高等遊民? そんなんで休学だか留年だかしたのか? 資産家の息子ならともかく、何で食っていこうとしたのか? しかも、瑞月に一度罵倒されただけで、簡単に主義をひるがえし、就活を始めちゃう。なんだよ、おい、な感じ。キャラクターとしては、こういうのも混ぜとかないと、な感じかも知れないけど、いまいちリアリティがないかも。こういう男に理香が惚れて同棲っていうのも、どうなんだ? 互いに見栄で生きているカップル、っていうキャラが必要だったのかね。 ・表向きはクールな分析家で、でも実は嫉妬のかたまりで、友人たちをTwitterの別アカで罵倒していた拓人。こんなやついるのかね、だけど、いるのかもな。でも、理香が言ってたのかも知れないけど、「そんなことやってるから内定もらえないのよ」というのは、関係ないと思うけどね。だって、このての二重人格なひとって、結構、すいすいと内定もらえそうな気がするから。就活なんて、有能なやつが勝ち残るともいえないわけで。短時間の面接で自己PRをこなせて、心をタッチするようなことを言えて、如才なく立ち回れるようなやつが、残されたりするんだろ。でも、そういう人が企業で力を発揮できるかっていうと、また別だからな。 ・拓人が、理香の部屋にプリンターを借りにやってきて、Macのブラウザに残された検索キーワードを見てしまう。そこには、瑞月が就職した会社名と「ブラック」というキーワード・・・。そのとき理香は拓人のスマホを借りて、自分のスマホに電話して在りかを知ろうとする・・・。が、理香は、拓人のスマホで、2ちゃんみたいな掲示板で、光太郎が内定を決めた会社の評判を見ているのを知る。・・・っていうのが、なかなかのシーン。互いに、友人の内定に嫉妬してるのが一瞬で分かる。とはいえ、プリンターを借りにきてブラウザを立ち上げるか? スマホで電話しようとしてブラウザをみるか? という疑問は湧くんだけどね。 ・その後、拓人の二重人格が分かってしまった後の、拓人の陰気なTweetを表現するのに、舞台を使っているのが、なかなか面白い。拓人は、就活という舞台で、友人たちを相手に、演技しているのだ! という感じかな。 ・ところで、拓人の裏アカが簡単に理香に分かってしまうのは、そうなのか? メアドで検索するとアカウントが分かる? としても、メインで使ってるメアドでTwitterの裏アカウント、とるか? 別のメアド使うんじゃないのか? ・かつての拓人の演劇仲間で、就活せずに演劇をつづける烏丸ギンジに対する、拓人のアンビバレントな感情が傍流にあるのも、話のメリハリをつける意味で上手くいってる感じ。しかも、烏丸ギンジを直接的に登場させず、役者としてしか見せないのも、ユニーク。フツーならどっかで登場させて、同じ土俵で言い争いさせたくなるんだけどね。そうしないところが面白い。 ・拓人は、剣劇をやっていたけど、「演劇系」は受けない、という。その演劇系がよく分からなかったけど、あれは後に受けに行く、興行会社みたいなところを指すのか? ・で、思ったのは、彼らの在学する御山大学はどの程度のレベルなんだろう? ってこと。原作者の朝井リョウは早稲田の文構で、映画でも理工が別キャンパスという設定だから、やっぱり早慶クラスなのか? なんだかんだいいつつ、内定もらっていく感じが、その他の大学の学生から見ると、なんかな、という感じがするんではなかろうかと思ったりしてまう。 ・ところで、拓人は瑞月が好きだったんじゃなかったのか? ・しかし、いまの大学生はたいへんだ。就活至上主義で学生生活を送り、偽善的な就活テクニックを体得して企業に臨まなくてはならないのだから。そんなんで入社した連中が、すぐれた企業人であるわけがないよな。 | ||||
湯を沸かすほどの熱い愛 | 10/31 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/中野量太 | 脚本/中野量太 |
allcinemaのあらすじは「銭湯“幸の湯”を営む幸野家。しかし父の一浩が一年前に蒸発してしまい、銭湯は休業状態に。母の双葉は代わりにパン屋でパートをしながら中学生の娘・安澄を育てている。そんなある日、突然倒れた双葉は、ガンで余命2ヵ月と非情な宣告を受ける。ショックを受けつつも、現実に気丈に立ち向かい、家出した夫の捜索や銭湯の再開、学校でイジメに遭っている娘を叱咤して独り立ちさせる、といったやらなければならないことをリストアップし、すぐさま行動に移す双葉だったが…」 「余命2ヵ月」「銭湯を復活させる」と、宮沢りえだけ知っていた。こりゃ、ベタなお涙ちょうだい映画だろう、と高をくくっていたら裏切られた。いろいろ仕掛けがあって、伏線も巧み。しかも、最後は結構なアバンギャルドで終わっててびっくり。子役の少女2人もいいし、他の脇役もみんなキャラが生きていて、なかなかの出来映え。もちろん類線もゆるんだ。とくに、娘・安澄が実母と再会するところでは、おおおお。やっぱ障がい者だされると弱いわ。そういえば、『エール!』も聾だったなあ、と思い出したりして。 それに、仕掛けがたくさんあって、話が進むにしたがって「おお」と驚くことしきり。登場人物たちの過去が薄皮を剥ぐように明らかになっていき、しかも伏線も「なるほど」な感じに埋め込まれているので、話にムリがない。でもって、最後はかなりなアバンギャルド。ベタな話と見せかけて、なかなかの知能犯だな、この監督。 しかし、脳天気すぎるな、オダギリジョーの父親。風俗行ったら昔の女と再会し、「あんたの子供がいる」といわれ、なんとなくその女と娘・鮎子と同居。しかも隣町って、おい。しかも女は別の男をつくって娘とオダギリジョーを残して消えてしまうって、人がいいのかアホなのか。しかし、憎めないオッサンの役を、のほほんとこなしてる。しかも、こんなアホ亭主を、双葉はみそ汁のお玉で叩くだけで許し、亭主と鮎子、その双方を迎え入れてしまう・・・。双葉も人がいい・・・と思わせておいて、のちのち、双葉自身も母親に捨てられた過去を持つ身の上、と明かす憎らしい展開。おお。 この、小学生の鮎子がちっともかわいくない顔立ちで、幸薄そうな貧相なのが、また涙を誘う。この鮎子が、母親が「迎えに来るからね」といっていた日に幸野家を抜けだし、一同をあわてさせるんだけど、翌朝だったかのしゃぶしゃぶのときだったかな、「この家にいたいです」と涙をかみしめていう場面がまたしみじみと哀しい。そんなはずはない。本当は母親と暮らしたいはず。それでも、現実を半ば受け入れ、幸野家では異端者だけど、それでも住まわせてくださいと、奉公人のような覚悟で言う姿が、切ない。 まあ、とりあえずはオダギリジョーの子供、ということになっているのだから、オダギリが鮎子をかばえばいいんだろうけど、そういう発想もないオダギリのいい加減さがまた、よい感じ。まあ、この話の流れでは、DNA鑑定すれば、オダギリの子ではないという結論がでそうだけど、そんなことはどうでもいいのだ。幸薄い、捨てられた者たちが、互いに助け合って暮らす家族があれば、それでよいのだ。 登場する人々は、みななにかを失っている人ばかり。オダギリの最初の妻・君江は声を失っている。2番目の妻・双葉は母親に捨てられ、ついには命まで失う。その母親は、波風のない生活と引き換えに娘を捨て、過去を捨て、人としての情を捨てた。オダギリの浮気相手というか風俗の相手は、子供を捨てた。その子供鮎子は、当たり前だけど母を失った。探偵の滝本は、子供の娘の誕生と引き換えに妻を失っている。静岡への旅の途中、ヒッチハイクで乗せた青年・拓海は、定かではないけれど、おそらく家族からの期待あるいは押しつけを嫌って旅にでた。そして、オダギリジョーは、浮気相手に捨てられ、妻である双葉に先立たれた。娘の安澄は、学校ではいじめにあって人権を失い、家庭においては母を失った。でも、幸野家の人々、滝本、拓海は、欠落を補うものを得ている。ま、そういうような構造がしっかりしているから、安心して見ていられるのかもね。 この映画でもっとも感動的なのは、双葉、安澄、鮎子の3人が静岡へ高足ガニを食べに行き、君江に会いに行く場面だな。伏線として、毎年、足高ガニを送ってくる酒巻さん、という存在はあるんだけど。それとは別にして、まあ、双葉が子供たちに病状を告げに行きがてらカニを食べるんだろう、と思っていたんだけど。ロードサイドのレストランでカニを食べ、会計するとき、双葉が女店員に平手打ちを食わせるのだ。なんだ? これがなんと安澄の実母で、聾者であるという思わぬ展開。 いじめに立ち向かえた安澄に「同じDNA」とかいって、すっかり仲のいい母子と思わせておいて、これだ。嫌がる安澄に、君江に会いに行くように言う双葉。嫌がる安澄。そりゃそうだろ。突然言われたって・・・。学校ではいじめ、家庭では突然の事実が告げられて、16歳少女はお気の毒。けど、実母と対面し、手話を使う安澄に、「手話が?」と君江が問うと、「お母さんが、いつか役に立つから覚えておきなさい、っていった」という手話に、おお・・・。これはきちゃったよ。 その後、双葉が入院し、オダギリとの約束だった「ピラミッドを見に行く」が不可能なので、病院の庭で、オダギリ、滝本、拓海、君江、安澄、鮎子が人間ピラミッドで、オマケで滝本の娘が横に立ってる、というやつは、ベタすぎてちっとも泣けなかったけどね。 てなわけで、旅から戻って会いに来た拓海は風呂屋で働き、君江もたまに会いに来る。いろいろ双葉さんから教わった(何を? と思うけど・・・)滝本も、幸野家と親しくなる・・・。なんていう展開は映画だからなわけで、実際にそんなのはあり得んとおもうけど、まあいいか。で、双葉の葬式。お経をテープはまだしも、霊柩車も自前? そんなのできるのか? と思っていたら、皆さん途中で休憩していて・・・。「いいんですか?」「ほんとはダメでしょ」とか話している。もしかして・・・と思ったら、ホントに風呂を沸かす釜で火葬にしちゃうのかよ。しかも、みんな湯に浸かってる。そこにタイトルが『湯を沸かすほどの熱い愛』。おお。なるほど。なんてアバンギャルド。しはいえ、誰の誰に対する「愛」なのか、よく分からんけど。みんなの双葉に対する愛なのか? いや、双葉のみんなに対する「愛」か。煙が赤は、『天国と地獄』みたいだけど、関係はないか。しかし、骨揚げ、埋葬はどうするんだ? もう、埋葬もせず、灰を取っておくということかな。双葉も天涯孤独の孤児だから。別に金がないから、ってわけじゃないだろう。 というような、愛に包まれた映画で、見てるうちにじわじわ良くなってくる。まあ、最初から高尚よりも、ベタに見せかけておいて裏切る方が、効果的なのかも知れないけどね。 ・バス停で、聾の人の会話を理解できてるところは、伏線のための伏線みたいになってるけど、まあ、許す。 ・双葉が安澄に、自らの余命がわずかである、ということをいつ伝えたのかが、よく分からなかった。ちゃんとつたえていたか? ・鮎子がいなくなった。でも、見つからない。で、その日が誕生日(だっけ?)で、それまでに迎えに行く、と実母が書き残していたことを双葉(だっけ?)が思い出すんだけど、探しに行くなら、まず、元のアパートだろ。アホか、実父のオダギリジョー ・いつのまにか、赤が双葉の象徴カラーになってるんだけど、なんかムリやりのこじつけくさい。最初は借りたクルマの赤だっけ? その後、なんとなく赤な感じにもっていってるけど・・・。うーむ。 ・安澄は学校でいじめにあってるんだけど、その原因がよく分からず。教師も、他の同級生も、見て見ぬフリ? 友だちを1人ぐらいだしてもいいと思うし、双葉も告発めいたことをしてもいいような気もしないでもない。結局、いじめが解決したとも言ってないところが、ちょっとじれったい。いじめ3人組には、天誅が下るとか、身を以て思い知って改心するとか、あってもいいような気もする。もちろん、教師たちもね。 |