山河ノスタルジア | 11/4 | キネカ大森1 | 監督/ジャ・ジャンクー | 脚本/ジャ・ジャンクー |
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中国/日本/フランス映画。原題は“山河故人”。英文タイトルは“Mountains May Depart”。allcinemaのあらすじは「1999年、山西省・汾陽(フェンヤン)。小学校教師のタオは、炭鉱労働者のリャンズーと実業家のジンシェンという2人の幼なじみから想いを寄せられ、やがてジンシェンと結婚、息子のダオラーを授かる。2014年、汾陽で一人で暮らしていたタオ。ジンシェンとは離婚し、ダオラーも父に引き取られ、上海で暮らしていた。ある日、タオの父が亡くなり、葬儀に出席するために戻ってきたダオラーとの束の間の再会を果たす。タオはそこでダオラーがジンシェンとともにオーストラリアに移住することを知らされる。2025年、オーストラリア。19歳になったダオラーは、中国語も話せなくなり、父との間にも確執が生まれ、アイデンティティの問題に直面して孤独な日々を送っていたが…」 幼なじみの男女3人のあれこれを3つの時代に分けて描いてるんだけど、3つ目がなんと未来で2025年。まあ、時代性はタブレット端末ぐらいでしか表されないんだけど、このパートだけ話がつまらない。それに、1999、2014まで登場していたリャンズーがでてこない。2014で、炭鉱で肺を患っていた彼がどうなったのか? その経緯も知りたいではないか。なのに、タオの息子ダオラーの話になってしまっていて、連続性も薄れ、中途半端な感じでつまらない。というか、何を言いたいのか、よくわからない。 1999。 25歳ぐらいか。なんかの祭でタオはみんなの前で歌う。その日にジンシェンがやってきて、リャンズーともにこやかに。ジンシェンは真っ赤なクルマに乗ってきていて、景気がいい様子。3人でドライブにでかけ、タオがクルマをぶつけるんだっけか。で、ジンシェンは「こんどは2人できたいな」とかいって、タオは「?」。でもジンシェンはリャンズーに「タオに近づくな」とか脅すのが、話としては古典的なんだけど、まあ、中国も経済発展しつつあるところなので、大時代的な話でも見ていられる。ジンシェンは典型的な悪人で、リャンズーの働く石炭会社を買い、言うことをきかずタオにまとわりつくリャンズーをクビにするんだが、そのことをタオは知らないのか? で、リャンズーは故郷を捨ててでていく。タオはへらへらしつつ、ジンシェンと結婚して子供を産む・・・。ここで、やっとメインタイトルがでる。 映画的記号のようなものが豊富で、意味不明なものまで含めて盛りだくさん。タオの服は赤、ジンシェンのクルマも赤、タオのカラフルな縞々セーター、タオが家に帰る途中に単発機が墜落する(これ、まったく話には関係ない)、積み荷の多すぎるトラック、長刀のような青龍刀をもつ少年、ジンシェンが「リャンズーを爆死させる」というダイナマイト、子犬、カセットテープと広東語の流行歌、ディスコ・・・。時代背景を表現するためのものもあるけど、なんだか分からないのも結構多い。 しかし、ジンシェン悪人、リャンズー気の毒、タオは馬鹿、という図式で。リャンズーにはリベンジを期待するし、ジンシェンには投機失敗で地に堕ちて欲しい、そしてタオには自分のアホさを自覚して欲しい、のだけれど、そうはならないのが映画であるよ。 25歳を演ずるにはおっさんオバサンすぎる3人で、みていて辛いものがあったぞ。実年齢は40前らしいが。 2014。 リャンズーは炭鉱で胸を患い、なぜか故郷に帰ってくる。家があるから、なのか? しかし、奥さんが美人で、幼い子供がいるのだが、この辺は謎である。舞い戻ってきたのは、昔の仕事仲間に金を借り、手術費用に充てようとしたんだけど、彼は溶接工になっていて、借金してタジキスタンだかどっかへ出稼ぎに行く、といわれ、むむむ。で、奥さんがタオに会って借金を申し込む・・・ということになり、以後、もうリャンズーは登場しないのだよ。手術は成功したのか? リャンズーには幸せになってもらいたいのに、こんな扱いじゃ、感情移入できねえよ。 でそのタオは、離婚して、息子の親権はジンシェンが有していて、父子は上海でリッチに暮らしている、という悪い奴ほどよく眠る的な展開で面白くない。タオはガソリンスタンドを経営していて、繁昌しているのか、いい暮らしをしている。でも、父親が旅先で急死し、葬式に息子を呼ぶんだけど、これが後妻になついていて、やなガキになっているというのが面白くない。子供って、そうなのか? 実母を慕うもんじゃないのか? という点では、リアリズムに欠けているような気がして、納得がいかない。 で、犬はまだ生きていて、あのカラフル縞々セーターは犬の服に編み直されている。青龍刀をもつ少年は青年になっていた。かつて単発機が墜落した場所では、母子(?)らしき2人が迎え火のようなことをしているのだが、なんなんだ? タオの服は父親の急死までは赤だったんじゃないかな? 列車に乗って、父を送るのはここだったか? 1999年だったか。タオの乗るアウディのナンバーが「晋J58588」だったのには意味があるんだろうか? 2025。 驚くことに、未来のバートがあって。ここでは、オーストラリアに移住したジンシェンとダオラーの話なんだよ。これまでの経緯と関係ないじゃん。ダオラーは学校の女性教師ミアと性的関係を結ぶんだけど、結構なオバサンで。役者の生まれは1953年だから60歳超えかよ。でもなかなかセクシーなオバチャンなんだよな。そういえば、1999ではムリのあったタオも、2014ではなかなか凜とした色っぽさが漂っておったな。で、父親のジンシェンはちょっとおかしくなっていて。よく分からなかったんだけど、2014年に反腐敗運動が勃発(?)して、ってことは追われるようにして逃げたのか? 他に 香港から逃げた、みたいなことをいってる中国人もいたが。で、仕事もせず、いい家にすんでのらくらしてる。銃を肌身離さず持っているのは、あれは恐怖からくるのか? 分からんけど。な感じで、ダオラーは父親に「大学はやめる。生きる目的が見いだせない」とかいうんだけど、その通訳にミアを連れていくんだよ。なんだかな。で、ミアが、母親に会いなさい、的なことをいうんだが・・・。で、屋外でペット・ショップ・ボーイズの「GO WEST」に合わせてゆったりと踊る50歳(ぐらい?)のタオが映し出されるんだが、この場面はなかなかよい感じ。餃子もつくってあるし、息子のダオラーが会いに来るんだろう。まあ、会ったから、それでダオラーの無気力が解消されるわけじゃないと思うけど・・・。 タオの飼っている犬は、変わっている。海岸を見る観覧ヘリはこのパートだっけ? でも、なんか変な終わり方だよな。1999、2014の話をほとんど回収していない。なので、2025のパートは、いまいちつまらない。それにしても、踏んだり蹴ったりの気の毒なリャンズーは、元気になって、美しい嫁とかわいい子供と、幸せに暮らしているのだろうか? そればかりが気になってしょうがない。 ・2025で、ダオラーが父親にいう「あんたの息子はGoogle翻訳だ」って、意味不明だったんだけど、これはもしかして、英語のできない父親の通訳を自分がしている、ということかな? ・列車の客席も何度か登場する。タオと父親。タオと息子。 ・ダイナマイトが爆発するイメージとか、よく分からない流れるような映像とか、そういうのが2014とか2015にも出てきてたような記憶が・・・。 ・タオは先生なら、教壇のシーンもあってもいいと思うが、そういうのはないのだよな。この映画。 | ||||
一瞬の夢 | 11/4 | キネカ大森1 | 監督/ジャ・ジャンクー | 脚本/ジャ・ジャンクー |
中国/香港映画。ウィキペディアのあらすじは「スリで生計を立てているシャオウーが帰郷する。彼は、かつて仲間だったヨンが結婚することを知らされる。シャオウーは祝い金をたずさえて、ヨンの結婚式場を訪れる。しかし、実業家として成功を収めているヨンに歓迎されることはなく、結婚式場を立ち去る。シャオウーはカラオケ・バーに立ち寄り、ホステスのメイメイ(ズオ・バイタオ)と出会う。やがて、2人は店の外でデートするようになる。メイメイが病気で欠勤した際には、シャオウーは彼女のアパートメントへ見舞いに訪れる。シャオウーはメイメイに惹かれていく。しかし、メイメイはアパートメントを引き払い、シャオウーの前から姿を消す。スリを働いた罪により、シャオウーが逮捕される」 この手の話は日本でも60年代にたくさんあって、とくに目新しくもない。ドキュメンタリータッチで特にドラマもなく、だらだらやられちゃ退屈で退屈で・・・。いつしかうとうと・・・。ふと気づくとカラオケ部屋で女の子といちゃいちゃしてて。でもまた眠りに落ちて・・・。ふたたび気づいたら、そのカラオケのお姉ちゃんが病気で休んでいる場面だった。なので、友だちの結婚式は出たのかな? よく分からない。 もっとも問題なのはドラマというか、ストーリーらしきものがなく、シャオウーの日常を追っているだけ、なことだろう。これを活写するとか、リアルに描写とかいうのはあんまり意味がない。なかには「経済発展の流れに取り残されていく主人公」的な見方をしてる向きがあるけど、だからといってすべての人が同じように悪事に走るわけではなく、そもそもスリは生まれもっての個人的資質。いくら経済発展してもオレオレ詐欺はあるし、苦界に身をやつす女性は存在する。でも、そうならない人の方が圧倒的多数で、こんな話に政治や時代を読み取ってもしょうがない。豊かであっても、彼らが悪事に走らないとは言い切れないのだから。 要はダメ人間の話。で、映画としての楽しみのひとつである、困難を克服して成長する、という骨格がないから、つまらないわけだ。もちろん同情もできない。アホじゃね? としか思えない。 で、生まれついての堕落者なんだけど、見かけは黒縁メガネにジャケット、なよっとした風貌で、インテリ風。っていうのも、なんか日本の戦後に一世を風靡した光クラブやオー・ミステイク!を思い起こさせる。極悪に見えないんだよな。 なので、当時の、って製作年の1997年が舞台だとして、その当時の中国の風物、ファッションなんかを見て、なんか日本の60年代まんまだよな、とか思ってた。ポケベル、洋もく、カラオケ、ピリヤード、古ぼけたトラック、自転車・・・。 彼の地のカラオケはホステスがついて、一緒に歌ってくれるのか。ふーん。セックスも提供するのか? もしかして、売春宿でもあるのか? 友人の店はあれは何屋なんだ? クスリ屋? よく分からんけど。 てなわけで、相変わらず更正できずスリをしながらカラオケ屋のメイメイに入れあげて、でもあっさり振られて。実家でも父親から、もう二度と帰ってくるなといわれる始末。で、スリの最中にポケベルが鳴ってつかまって。馴染みの警官から「またか」とあきれられ、街頭の電柱に手錠のママつながれ、衆人環視の中でしゃがみ込む、で終わり。 だからなんだってんだよ。むかしの映画ならこれでよかったのかも知れないけど、いまじゃ通用しないだろ。なに、中国では通用する? うーむ。でも、中国じゃ正式公開されてないんだろ? たいして体制批判にもなってないと思うけどな。この程度じゃ。 ・掏った財布の中の身分証明を郵便ポストに入れるって、自分の犯罪を告げているかのようだな。もしかして、捕まえてくれ、と言っているということなのかね。 ・シャオウーは、なぜ帰郷したんだ? 兄貴の結婚でなのか? ・あらすじを読むと、昔のスリ仲間の結婚式には出かけたんだな。新婦がキレイ、とかいってたから、どんなか興味あったんだけど、こっちは寝てたんだからしょうがない。ははは。 ・ポケベルは。メイメイと連絡をとるために買ったんだよな。だけど、ほとんど使わず。なのにつねに携帯していたのは、見栄? スリの最中にベルが鳴って、それで捕まるってトンマな話。さらに、警察に捕まって、メッセージを読み上げてもらったら、天気予報だか時報だか、つまらない内容だったけど。そういうのでも鳴るようにしておいて、知り合いから連絡があるかのように装っていたのか? それとも、実際に知人から連絡が入っていたのか? でも、どんな? ・田舎に来ても、地元のスリ仲間に偉そうな顔をしているのは、しょっちゅう帰ってきていて、知られているからなのか? ・地元TVがあるのだな。元のスリ仲間で、いまは貿易業で羽振りのいいやつが取材されていたり、シァオウーが逮捕されたことをニュースで流してたけど。 | ||||
ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出 | 11/9 | ギンレイホール | 監督/ジュリアン・ジャロルド | 脚本/トレヴァー・デ・シルヴァ、ケヴィン・フッド |
イギリス映画。原題は“A Royal Night Out”。allcinemaのあらすじは「1945年5月8日。イギリスではヨーロッパでの戦勝を喜び国中がお祝いムードに包まれていた。19歳のエリザベス王女は妹のマーガレットと共に、この特別な夜を国民と共に祝いたいと、エリザベス王妃に外出を願い出るが、王位継承者という立場をわきまえなさいとたしなめられてしまう。しかし父である国王ジョージ6世の粋な計らいで、深夜1時の門限厳守を条件に姉妹は外出を許可される。こうしてエリザベスとマーガレットは、生まれて初めてお忍びでバッキンガム宮殿を後にする。とはいえ横には王妃に命じられた護衛がしっかり付き添っていた。ところがお転婆なマーガレットはすぐに護衛をまくと、バスに飛び乗り喧噪の中へと消えてしまう。慌てて後続のバスに乗り込むも、勝手が分からず途方に暮れているところを、空軍兵士のジャックに助けられるエリザベスだったが…」 Wikipediaには「欧州での戦争が終結したヨーロッパ戦勝記念日には、ロンドンの街中で戦勝を祝福する一般市民の中に妹と共に匿名で混じって、真夜中まで喜びを分かち合った」とあって、姉妹がお忍びで出かけたのは事実みたい。でも、具体的にどこで何をしたかは分かっていない。監督が「でも僕たちは正確に何があったのかは知らない。だからこれは、実話に着想を得た、ちょっとしたファンタジーなんだ」といっているように、大半創作だろう。でも、実名と設定を借りてこんな話がつくれてしまう英国は、なんと懐が深いことか。日本で皇太子をモデルにして映画なんて・・・。いや、ある。藤島泰輔の『孤獨の人』が、今上天皇明仁の皇太子時代を描いた小説で、映画にもなっている。若き日の明仁天皇が電車で銀座へ行くエピソードもあるらしい。読んでないけど。でも、小説は1956年、映画は翌年で、『風流夢譚』事件(1960)の前で、だから以後は、なかなか難しくなってしまっているはず。 で、この映画だけど、花のない役者が多くて、画面もいまいち地味。エピソードもありきたりというか予想の範囲で『ローマの休日』を思わせるところもちらほら。でも、『ローマの休日』を期待する方が間違っているわけで。あれを超えるようなロマンチックなラブコメ(?)は、そうそうできないね。 しかし驚くのは英国皇室のゆるさかな。っても、事実ではないんだろうけど・・・。国王と女王が外出OKし、警固に大尉と下士官(?)の2人をつけるだけ。その2人も女にいい寄られて見張りなんてそっちのけ・・・って、おい。都合よくエリザベスは青年兵士ジャックと知り合い、あわやオッサンにやられちゃうかも・・・な妹マーガレットを救い出す、つて。話ができすぎてて意外性がまったくない。 でもってこのマーガレット役のベル・パウリーがブスだから、見ていても面白くない。エリザベスのサラ・ガドンもいまいち美人というほどのこともなく。地味で質素な娘な感じ。あ、でも、かわいいかな、と思えるようになったのは、早朝、バッキンガムにもどって国王、女王らと食事をし、その後、一緒に食事をしたジャックを兵舎までクルマで送るとこらへんかな。あの、最後のシーンは、なかなか可愛かった。 知ってる役者が、女王のエミリー・ワトソンぐらいで。あとは知らん顔ばかり。ジャックも、いまいち貧乏くさいアンちゃんだな、と思っていたら、『シング・ストリート』の兄貴役だったのか・・・。全然イメージが違うぞ。 という程度で、とくに語るべきものがない。 ・マーガレットが娼館で酒に薬を入れられ、あわや、というところにちゃんとエリザベスとジャックがやってきて助け出す、という話はできすぎててつまらない。もうちょっと何とかならなかったのかね。しかし、娼館の主人はマーガレットが王女と知るや娼婦たちを連れて兵舎まで行くって…。商売しようってことなのか? わざわざ出むくからには、フツーの客よりも儲かるのかね。 ・エリザベスも、ジャックが憲兵に取り押さえられたところで名乗りを上げるんだけど、あれも白けるところ。あんなかたちでなく、最後までお忍び状態で、ジャックも最後の最後に知る、ぐらいがいいと思うんだが。 ・まいったのは、はじめ、姉妹の区別がつかなかったこと。ブスの方がエリザベスかと思ってた。途中から「あれ?」な感じになった。まあ、英国皇室に詳しくないせいもあるんだが。それと、“リリベット”とか“リジー”とかが登場して、これはエリザベスの愛称らしいんだが、混乱するだけだよ。「リリベット? なんだっけ、それ?」なことになってしまったぞ。 ・実年齢でいうと、1945年はエリザベス19歳、マーガレット14歳なので、映画よりももっと幼いはず。 ・そういえばマーガレットが「うちはドイツ系なの」とかいってたけど、ほんとなのか? (ヨーロッパのほとんどの君主はドイツ系らしい。ふーん) | ||||
ハッピーウエディング | 11/11 | テアトル新宿 | 監督/片島章三 | 脚本/片島章三 |
公式HPのあらすじは「吉岡里帆 演じる新米ウエディングプランナー相川愛子は、結婚式をサポートするこの仕事が大好き。けれど、思い込むと突っ走ってしまう熱血派な上、究極のドジ。いつもそのせいで仕事で失敗ばかりで上司や同僚に迷惑ばかりかけてしまう。ところが横浜で釣船店を営む両親のもと、人情と愛情たっぷりで育てられたせいか、それでもどこか憎めないキャラクター。そんな愛子が勤める「株式会社オールハピネス」で「婚約中の娘(越田玲花)が結婚式を挙げない。」と寂しがる一人の母親の相談を受ける。母親の寂しそうな後ろ姿を見て「絶対に娘さんの結婚式をしましょう。私におまかせください!!」と約束してしまう愛子。ところが約束してしまったものの何度説得しに逢いに行っても「結婚式は絶対しない!!」といちずに拒む娘 玲花。実はそれには玲花の父親(越田泰男)が抱えるある理由があった。新米ウエディングプランナー相川愛子の熱血あふれるまっすぐな思いと愛子を周りで支えるサービスキャプテン、カメラマン、シェフ、衣装係など仕事場の仲間たち、釣船店を営む家族の人情によって、事態はついに驚きの展開に。果たして結婚式はどうなる…」 冒頭から、役者陣のセリフがかぶりまくったり、よく聞こえないセリフも続出。しかも、ブーケトスを愛子が受け取るとか、信じていた相手に振られて大泣き(この、わざとらしい泣き方はなんなんだ・・・)とか、オチがミエミエのギャグの連続。これ、相当ベタな三流映画化も・・・と、冒頭からしばらくはゲンナリした。 冒頭のエピソードは、式の当日になって、相手の男と上手くいく自信がない、と泣きわめく花嫁を式場から連れだしてしまうという、『卒業』みたいなバカバカしさで。ウェディングプランナーがそんなことしちゃ、話にならんよな、というもの。次は・・・。白馬に乗ってどうたらという、犬かわいがりの女性の願いを叶えるというもの。はじめこの問題点を、式後に乗る馬車に犬は連れ込めない、ということか、と思い込んでしまっていた。それが、解決策がビデオ撮影? で、あとから分かったんだけど、彼女は式場に馬で乗り付けたい、といっていたのね。こちらの理解不足か、はたまたセリフが悪いのかは、よく分からない。まあいい。でも、保健所から式場に生きた馬はダメ、と言われている時点で、説得するのがウェディングプランナーの役目、というか、そんな要求をする女が悪いと思うんだが。でその解決策が式場でビデオ上映ってのは、当たり前すぎてつまらない。 てな感じのドタバタだけど、まあ、この手の映画だ、大目に見よう。 その後のエピソードが、中年のオバサンが花嫁衣装を見に来るというもので。これも短いエピソードかな、と思っていたら、これがメインストリームだった。要は、娘が結婚するんだが、本人は結婚式をしたくないという。そこで愛子は「結婚式の意味を見いだせない」という娘を説得し始めるンだけど・・・。頑なに拒否する娘、その背後に父親の存在・・・。実は両親は駆け落ちで、式をしていなかった・・・。なんて流れになってきて、実はちゃんとした主義主張があっての結婚式拒否ではない、てなことになっていく弱さはあるんだけど、それが分かっていても共感を呼ぶようなつくりになっていて、これなら観客の多くは感動するだろうな、と思った。 そうはいっても、父親が結婚式を拒否する理由が、式のときに自分側の親族席に誰も来なくて可哀想だから、というもので、そんなことを気にするやつがいるのものか、とも思った。いいじゃねえか、そんぐらい。堂々としろや、な気がする。で、よく考えると、娘の拒否する根拠がどこから来たのかもよく分からず。父親の考えの刷り込み? なんかテキトーにごまかされた感じ。まあいいけど。 まあ、あとからベールがでてきたりして、しかも、娘も「お母さんのウェディングドレス姿、見た記憶がある・・・」などと言ったりして。なんと、式場で、ビデオが流れるんだが。そこには、公園での親子の様子。ベールを乗せた母親と、恥ずかしそうな父親、それを見ている娘の声が流れる。泣かせどころだね。もちろん、なーんだ、父親もほんとは結婚式したかったんじゃねえか、というオチなんだが。それはそれとして。 個人的には、「結婚式の意味を見いだせない」立場なので、次第に心がほどけてくる娘、いやいやながら式に参加する父親、そのうえ娘の結婚式で、両親の結婚式までやってしまう破天荒振りに、おいおい、と思いつつも、なかなか泣かせる演出ではないかと、映画的には満足してしまった。もちろん、結婚式の意味を見いだしてはないけどね。それは、個人個人の問題だし。だいいち、あんな習慣は明治に入ってから次第に一般人にもはじまって、普及したのは昭和期。盛んになったのは、戦後になってからだし、それでもまだまだ自宅や料理屋でやったりが多かった。誰も彼もが式場で結婚式、なんて、ここ40年ぐらいのもんだろ。 てなわけで、最後は、なんと冒頭で逃げた花嫁が現れて、やっぱりこの人がいい、とのろけて再度の正式な結婚式を依頼に来る、というオチで。伏線の回収も、当たり前のレベルだけど、ちゃんとしているのがなかなか。 愛子の父親役の菅原大吉。ひょうひょうとした演技が、なかなかいい。実家でのセリフも、結構気が利いている。他の、弟や祖母の存在も、なかなかいい。で、出席を拒否する父親が、当日、釣りをしているのを拉致して式場まで連れてきたり。することも剛胆で面白い。 その父親は豆腐屋をしているんだけど、式にはつくつている豆腐を利用した料理もでる。つまり、愛子が豆腐を使わせてくれ、と言ってるはずなんだけど、その場面も、豆腐を大量につくって納品する場面もない。やはりここは、ちゃんと描いて欲しかった。そうすれば、本音では立派な式にしたい、という思いがあることがよりつたわったんではないだろうか。現状では、思いを込めてつくった豆腐、という感じがあまりでてないんだよね。 | ||||
インフェルノ | 11/15 | 109シネマズ木場シアター8 | 監督/ロン・ハワード | 脚本/デヴィッド・コープ |
allcinemaのあらすじは「ラングドン教授が目覚めたのは、なぜかフィレンツェにある病院の一室だった。過去2日間の記憶がない彼は、謎の刺客に命を狙われるも、女医シエナの手を借り、どうにか病院から脱出する。何も思い出せない彼のポケットには1本のペンライトが。そして映し出されたのは、ダンテの神曲“地獄篇”を模した『地獄の見取り図』。そこに刻まれた“暗号”を探るうち、ダンテのデスマスクの持ち主で大富豪の生化学者ゾブリストに辿り着くラングドン。彼は人口爆発による人類滅亡を回避する唯一の解決策だとして、恐るべき計画を目論んでいた。シエナとともに次々と立ちはだかる謎を読み解き、ゾブリストの野望を食い止めるべく奔走するラングドンだったが…」 歴史的な場所や言葉をヒントに駆け回る・・・というのは『ダ・ヴィンチ・コード』『天使と悪魔』と同じだけど、なんか今回は話が薄かった。話の構造は割りとシンプルで、ある意味では分かりやすい。といっても、なぜそんなことになるの? というような「?」は結構あって。それは長編を121分に収めたからなんだろうけど、それにしても「おお!」という驚きもほとんどなく、淡々とパズルを解いて次の場所へ・・・という展開は、少々飽きてきた感じ。 今回は若い女性医師シエナとの逃走・探索で、シエナ役のフェリシティ・ジョーンズが可愛いからなんとか興味をもちつつ見られたんだけど、後半、彼女が実は・・・、ということが分かって一気に萎えてしまった。なんだよ。たんなるカルト話かよ。しかも、やろうとしてることはパンデミックというテロ。ただし、脅しのためではなく、世界の人口を半減させ、それで人類という種を守るのだ、という意志のもとに行われる、彼らにとっての「正義」なので、テロともいえないかも・・・。 で、シエナの正体が分かってからは、ラングドンとかつての恋人とのロマンスもどき(?)とアクションになって、知恵を使う部分がまるっきり無くなってしまう。あー、つまんねえ。というわけで、3/4ぐらいは、そこそこ楽しめたけど、残り1/4は眠くなった。 ・記憶の無いラングドンは、警察を装う女性殺し屋、WHOの黒人クリストフ、WHOの女性エリザベスの3者から追われてる感じなんだけど、クリストフとエリザベスは交流があるのかないのかよく分からない。 ・女性殺し屋はシムズに雇われてるんだけど、シムズの正体が分かるのは後半に入ってからで、実はゾブリストからの依頼でいろいろ事を行っていた、ってことが分かるんだけど。細かなところで、各自が知っていたこと、知らなかったこと、ゾブリストの思惑、シエナの役割、そもそもエリザベスの行動は? そして、ラングトンは何を知っていて、何を忘れてしまったのか、とかいう、事件の経時的な流れがなんとなく曖昧なんだよな。だから、いろいろ解明されても、おおなるほど、って感じになりにくい。もやもやのままなのだ。 ・経時的にいうと・・・ ・クリストフは私利私欲で病原菌を商売にしようとしてゾブリストを追いつめ、自死させた。 ・ゾブリストの依頼で、シムズの会社はある計画(ラングドンを誘拐し、記憶を奪い、女性殺し屋に追わせる・・・という芝居)を遂行する。 ・でもその前に、エリザベスがラングドンに病原菌の所在を見つけるよう依頼した、んだよな? このエリザベスの行為は、WHOの正式な行動なのかい? それと、ゾブリストによって病原菌がまかれる、という可能性をエリザベスはどうやって知ったんだ? ・でまあ、ラングドンはペンライトに仕込まれた「地獄図」を発見するんだけど、ラングドンはあのペンライトは誰から手に入れたんだ? あれもシムズが仕込んだのか? ・シエナはシムズの計画に則って動いてたんだよな。では、「地獄図」も知ってたんだよな? でも、シエナは恋人だったゾブリストから、病原菌の在りかを教えてもらっていなかったのか? そうなら、なぜ? もし知っていたなら、なんでラングドンとのミステリーラリーをしたりしたんだ? よく分からない。 ・ラングドンの事故はシムズの仕込みで、女殺し屋も、殺すフリだけしていた。んだけども、途中から本当に殺せ、と命ずるんだけど、それはシムズの本当の目的を知ったから、だよな。ってことは、それ以前は、なんのためにあんな芝居をしていたんだ? シムズの依頼は、どういうものだったんだ? シエナがラングドンを引っぱり回すことに、どんな意味があるんだ? っていうか、自身が殺されるかも知れない、という可能性のもとにつくった芝居にしては、エリザベスからラングドンが調査を依頼されていたりと、そういうことを加味しての計画なんて、できるものなのか? ・逃避行・探索の途中で、病原菌がイスタンブールにある、と分かってのち、シエナはラングドンにおさらばして、その身を追っ手のクリストフに委ねる。ってことは、殺させるということか? でも、クリストフだって病原菌が手に入らなければ意味が無いわけで。ラングトンからイスタンブールのことを聞き出しても、二番手になるだけだよな。そして、シエナはなぜこの時点でラングドンを切り捨てたのか? イスタンブールと分かったから? でも、もう少し前にそのことは分かってたはずだし、なんであの時点で? もしかして、シエナも病原菌の在りかを知らず、ラングドンに頼っていたのか? 賢いシエナなら、自分でも解決できたんじゃないのか? あの程度の暗号なら。そもそも、彼女も、信奉者であり恋人のゾブリストから何も聞かされてなかつたのか? 変なの。 ・でその暗号だけど。あの暗号は誰がつくったんだ? フィレンツェ、ベネチア、イスタンブール・・・とかめぐるんだけど、地獄図だの絵画の中の言葉、ダンテのデスマスクとか、そういうのに書き込まれた文字は、ありものを組み合わせたのか? アート作品に描き込んじゃってるのか? それと、なぜわざわざダンテとか地獄図に暗号を組み込んだんだ? ・ラングドンは、記憶を呼び戻そうとあれこれ考えるんだけど、地獄図そのもののイメージが再現されて恐れおののく・・・って流れなんだけど、あれは、すでに一度暗号を解読しているから、そうなるんだよ、な? ラングドンがどこまで知ってるのか、シムズやエリザベス、クリストフは知ってるのか? 拉致られる前に、ラングドンはエリザベスに連絡してるの? ・で、イスタンブールでも、シエナはやすやすと病原菌を地下水路(?)に仕掛けちゃうし。なんてテキトーなんだ。いや、あの病原菌の在りかは、シエナが始めから知ってたのか? ・ダンテのデスマスクは、ラングドンと知人の2人して盗んだらしいが。あの盗んだ仲間は、どーしてるんだ? メールくれるぐらいだから死んでないんだろうけど。あと思うのは。文字さえ分かればいいんだから、マスクを盗むことはないんじゃないの? それと、ラストでマスクを返却し、戻る廊下でラングドンがなにか落とすんだけど、あれはなに? とかまあ、思い出しても「?」がたくさん。やんなっちゃうぐらい。 今回は、要はオカルト&テロ話で、宗教とは直接的な関係性がないので、いまいち神秘性がない。なので、話の厚みには欠けるかもね。『ダ・ヴィンチ・コード』『天使と悪魔』ともに見てるけど、詳細はさっぱり覚えてない。それでも、『インフェルノ』よりは神秘的だったような気がするんだが・・・。とくに『ダ・ヴィンチ・コード』はね。 ところで、エンドクレジット、SONYロゴの後に“BE MOVED”と、でたけど、あれはプロダクション名? なにかのメッセージ? | ||||
不思議惑星キン・ザ・ザ | 11/18 | キネカ大森3 | 監督/ゲオルギー・ダネリア | 脚本/レヴァス・ガブリアゼ、ゲオルギー・ダネリア |
ソ連映画。原題は“Kin-dza-dza!” 製作は1986年で、日本公開が1989年。2001年と2016年にリバイバル上映されているらしい。allcinemaの解説は「街中で裸足の男が怪しげなことを口走っている。自分は空間転移装置の事故で異星から飛ばされてきた者だと言うのだ。偶然、この男に話しかけたウラジミールとゲデバンは、同じく男が手にしていた転移装置で、キン・ザ・ザ星雲の惑星ブリュクに飛ばされてしまう。果たして、二人は、この砂漠だけの惑星から無事に地球へ帰りつくことができるのか? 長き沈黙を破って、日本に紹介されたソ連(旧)製SF映画。ブリュクでは、なぜかマッチが貴重品。貧富の差も厳しく、貧しき者は、富める者に対して、怪しげなポーズに“クー!”という奇声を発して、挨拶しなければならない(土下座並に屈辱的な挨拶なのだ)。多分に資本主義への風刺がきいているものの、イデオロギーはあまり感じない。何よりも異星の飛行艇や地下都市のデザインが秀逸。まるで、スクラップを使って製作された前衛美術のようである」 キャッチフレーズが「超脱力系」だけど、ホントにバカみたいなくだらなさで。20分ぐらいして寝てしまい、結構、寝た。気づいて見始めたら、第1部が終了。つづく第2部でも、ちょっと気を失ったところがあった。なので分からないところだらけだけど、ちゃんと見ていても、分かったかどうかよく分からない。変な映画。 まあ、ツッコミどころは満載で。最初にやってきた裸足の男は何者なんだ? とか、その男が持っていた転送装置のスイッチをウラジミールが押して、転送されるのはウラジミールとゲバデンの2人というのはおかしいよな。とか、ツッコミ始めたら切りがない。あとはまあ、キン・ザ・ザの不思議なしきたりや価値観、体制、星人たちのヘンテコ具合に身を任せるしかなくて。でも、バカバカしいけどとくに面白くもなかったりするので、寝てしまったというわけだ。この手のバカ映画とかヘンテコ具合には興味もあるし嫌いじゃないんだけど、たいてい寝てしまうんだよな。まあ、頭では分かっていても、体質的には興奮しないということか。 釣り鐘型の飛行艇は『未来惑星ザルドス』っぽくて、星の様子は『スター・ウォーズ』『マッドマックス』っぽいのは、影響されてるんだろうな。ただし、ぜーんぜんシリアスじゃなくて、ゆるすぎてバカッぽいんだけど。 ところで第1部の終わりに、ゲバデン君のエピソードがあって。3年後に地球に戻り、音大の女教師にキン・ザ・ザの石だか砂を渡し、不在時の証拠としようとするんだが撥ね付けられていた。では2人は3年後に戻るのかと思っていたら、第2部つまりこの映画のラストでは、映画の冒頭部分にもどる。ウラジミールは帰宅して妻に買い物を託され、街に出て…でも、今度はゲバデン君は近づいてこず、すれ違うだけ。で、何かを感じたのか、ウラジミールが「クー!」をすると、ゲバデン君も振り返って「クー!」をして微笑みあう、というエンディングなんだけど。なんか辻褄が合ってないよな。あの裸足の男は、今度の世界には登場しないということか。パラレルワールド? じゃ、第1部の終わりのエピソードも、別のパラレルワールドでの話なのか? 字幕の訳が悪いのか、シナリオがヘタなのか、なんか全体に(寝てたところ以外だけど)話がよくつたわってこない感じ。 Webに、ソ連崩壊前夜の、腐敗した体制批判があるとか、当時の時代背景を反映しているとかあって、いわれればそうか、と思うんだけど。そんなことは分からないので、まあ、しょうがない。 | ||||
これが私の人生設計 | 11/21 | ギンレイホール | 監督/リッカルド・ミラーニ | 脚本/ジュリア・カレンダ、パオラ・コルテッレージ、フリオ・アンドレオッティ、リッカルド・ミラーニ |
2014年のイタリア映画。原題は“Scusate se esisto!”で、イタリア映画祭のときは『生きていてすみません!』という題だったらしい。英語タイトルは“Do You See Me?”。allcinemaのあらすじは「建築家として世界を舞台に活躍してきたセレーナ。いまだ独身の彼女は人生を見つめ直し、新たな飛躍を誓って故郷ローマに戻る。ところが、男性中心のイタリア建築業界では思うような仕事に就けず、貯金も底をついてしまう。仕方なくレストランでウェイトレスとして働き始めたセレーナは、優しく接してくれるイケメン・オーナーのフランチェスコに心惹かれる。しかし彼がゲイと分かり、あえなく失恋。そんな中、公営住宅のリフォーム建築案の公募があると知り、男と偽って応募したところ、みごと採用されてしまうセレーナだったが…」 ローマ大学まででた女性建築家が、本国では男性の下働き扱いしかされず、それに反発して一大プロジェクトに挑む話で、イタリアってこんな女性蔑視の国なの? と思いつつも、破天荒なコメディタッチでくすくす笑いの連続。ラストにはなかなかの感動と爽快感がある。 とはいってもツッコミどころも多く、そもそもローマ大学を出て、中国やアメリカなど数カ国の修士を得、海外でビッグプロジェクトもこなしたバリバリの女性建築家が、なぜに女性蔑視のイタリアに舞い戻り、家具屋やレストランでバイトし、父親の形見のボロ原付バイクで移動し、墓の設計までしなくちゃならんのか? にはちゃんとした理由を設定しておくべきだと思う。でないと感情移入しにくいし、話にも説得力がない。 で、セレーナはある日、絶望的に住みにくい巨大な住宅とでくわし、そのリフォーム案の公募を知るんだけど、これまたおいおい、な感じ。建築家ならその存在を知っていて不思議はないし、ましてその公募案なんて、建築関係の雑誌を見ればすぐ分かるだろうに。 以上を勘案すると、高学歴で世界で活躍した建築家、ってのはやめるべきだ。地方の三流大学で苦学し、やっと建築士の資格を得、ローマに出て来たら…ぐらいのほうが、成り上がり感もあるし、成長物語として見られると思うんだが。 面白かったのが、レストランの店長フランチェスコで。イタリアじゃああいうのが女の下半身をしびれさせるイケメンなのか。まあ、単純化するにしても、バカバカしくてよいかも。でも実はゲイで、セレーナのアプローチを無視、とか、面白いけどね。でも、フランチェスコは過去に女性と結婚していて、子供もいて、でもゲイだからと離婚して脱サラ、店を出した、という設定なんだが。じゃ、当初はゲイを隠して結婚、ということなのか? その話も、もうちょい突っ込んで(何を・・・)聞きたい感じだな。元の奥さん、なかなかキレイだったし・・・。 接客の巧みさで話をするようになったセレーナとフランチェスコ。でも実はフランチェスコがゲイと分かり、がっかり・・・かと思いきや、貧乏アパートから脱出してフランチェスコの家に同居という妙な共同生活が始まり・・・という展開は、なかなか面白いね。性的対象としては見てくれないけど、パートナーとしては評価してくれる関係? しかも、元奥さんから、しばらく息子を預かって、といわれたフランチェスコを助ける代わりに、フランチェスコにコンペ案の建築家として表に立ってもらうということになるんだけど・・・。 しっかし、そんなに就職でもコンペでも女性は不利なのか? イタリアじゃ。まあ、そもそもこの話は、そういう環境にあるイタリアで、才能ある女性がなんとか仕事をモノにしようとする話なんだが。妊娠したら首とか、いまどき、そんなことあるのか? イタリア。 以下、取っ替え引っ替えネットで相手を選んでやりまくるフランチェスコ。そのあえぎ声を聞かされるセレーナってのは、面白い。設計したボスは大坂に出張中で、なのでセレーナがアシスタントとして役割を果たしつつ、テレビ会議をこなすというベタな設定も楽しい。モノ売りの声や、伯母が訪問してフランチェスコの後ろを通るんだけど、見てるほうが携帯に夢中で見てなかったとか、ゲイ相手が金の招き猫を画面に映したり・・・。大笑い。 で、ところで、コンペに勝って、なんで某有名建築会社に席を設けられ、打合せをすることになるのだ? これが、疑問。セレーナのボスが建築を指揮するのではないのか? どういうことなんだろうな。 で、件の設計事務所でも、大ボスはたいして仕事をせず、実は長年サポートしている女性アシスタントが仕事を仕切っているんだけど、誰もそのことに疑問をもっていない、というか、従っている。それに反旗を翻し、最後は老アシスタント嬢までも仲間にして、大ボスをギャフンと言わせるところなど、拍手喝采。それまで唯々諾々と旧態依然のしきたりにしたがってきたスタッフも、立ち上がるし。 で、最後は、コンペ案はセレーナのもの、と分かって。セレーナは事務所を出て行くんだけど。こっからがまたよく分からない。名前を偽ったからと、採用はなしになったのか? いや、老アシスタントが、ボスに「不正をあばく」と脅されてたから、それはない。(この不正は、住人の共同スペースをつぶし、スーパーを誘致する、とかいうことに関連するのかな? ではなぜセレーナはでていったんだ? もしかして、あれは辞めたんじゃないのか? 最後にも、共同住宅のリフォームは進められる予定、といっていたけど。まだ着手しているわけではない。というか、住人が緑のペンキを塗ってる、とかも言っていた。なんか、あのリフォーム案がどうなったのか、その推移ぐらいちゃんと伝えてくれよ、な感じ。 とか、ツッコミどころはあるけど、女性のまっとうな評価を求めて奮闘するセレーナは、結構年いってるような顔立ちだけど、みていて拍手を送りたくなるし、元気が出る。 ・主演のパオラ・コルテッレージは、1973年生まれって、撮影時に41歳! ・会議の前夜、フランチェスコとセレーナが飲み過ぎて、目覚めたら裸でベッド・・・というシーンは、あれはセックスしてしまったのか? 気になるところ。 ・セレーナの伯母の、素っ頓狂な感じがいかにも姪御にあれこれお節介を焼くオバチャンって感じで、いいキャラしてる。 ・コンペの時にいた、事務所にはコピー取りでもぐり込んだ青年(にしてはオッサンだけど)と、最後はいい感じになるみたいだけど、セレーナはそんな彼のこと、好きじゃないんじゃないか? ・フランチェスコは、息子に「ゲイだ」と告白しなかったんだな。でも、幼い息子が「ごめんね、パパがゲイで」というのが面白い。この息子、なに聞かれても「フツー」と答える無気力振りがまた笑える。 | ||||
ブルックリン | 11/21 | ギンレイホール | 監督/ジョン・クローリー | 脚本/ニック・ホーンビィ |
allcinemaのあらすじは「アイルランドの小さな町エニスコーシーで姉と母と3人で暮らす少女エイリシュ。町の食料品店で働く彼女は、意地悪な女店主にこき使われながらも、どうすることもできな閉塞感に苛まれていく。そんな妹を心配した姉ローズの力添えを得て、エイリシュは一大決心の末に単身アメリカへと渡る。過酷な船旅を経て、ようやく新天地となる大都会ニューヨークへと降り立ったエイリシュ。ブルックリンの高級デパートで売り子として働き、同郷の女性たちと寮生活を送る。しかしなかなか新生活に馴染めず、辛い日々が続く。そんな中、ダンスパーティで知り合ったイタリア系の好青年トニーと付き合うようになり、少しずつ自信を取り戻していくエイリシュだったが…」 いつごろの話だ? 大戦前後かな、と思っていたら『雨に唄えば』ポスターがでてきた。次に姉の死が1952年と分かって。でも、第二次大戦後もアイルランド移民って、結構いたんだな。飢餓でやむなく、はもっと前のことかと思ってたんだけど。あの時代もまだ不況で、人減らしの意味があったのか。なんか、淡々と、悲壮な覚悟で大西洋を渡る少女というのが、しみじみと気の毒な感じ。 ニューヨークに行けたのは、姉の知り合いの牧師のツテらしい。が、それってどういうツテなんだ? というのが結局分からなかった。姉の知り合いの牧師で、彼も10年以内に渡米したのかね。気になる。 話は、淡々と地味に、ゆっくりと置くように進んでいき、けっして派手さもケレンもない。ストレートで真っ正直で、つまらないぐらいなんだけど、そこそこ緊張感があるから、まあ、なんとかもったってとこかな。 頭はいい。でも、臨機応変な客あしらいは不得手で、ブルックリンでデパート(?)に勤めてもお客にお世辞のひとつも言えず、なエイリッシュが、たまたまイタリア青年トニーと恋に落ちて、それで如才なく成長するというのは、どういうことかな、とは思うけど、まあいいか。ところで、アイルランド系は、イタリア系とどっこいな感じなのか? なんか、トニーの家で食事したとき、アイルランド系とイタリア系の暴力沙汰がどうとかいってたけど、そういう感じだったのか。で、驚いたのは、イタリア人のトニーが、ぜんぜんイタリア野郎っぽい軽薄さがないこと。あんな真面目で実直なイタリア人って、なんか変な感じだな。 あとは、当時の貞操感覚かな、興味深いのは。あれだけつき合ってもキスもせず、ほとんど触れもせず、エイリッシュが帰省するというのでトニーが求婚し、OKしてから求め合う・・・。で、意外だったのが、トニーだけが求めるのではなく、エイリッシュもトニーを脱がしまくってて、おお、な感じだった。 であるからこそ、故郷の母親に知らせもせず勝手に婚姻届を出すという感覚がよくわからない。のちのちそれでヘマをしでかすことになるんだけど・・・。 姉は病弱だったのか。呆気なく死んでしまったりするものなんだな。20歳ぐらいかな、姉は。で、帰省して、墓参と母親を慰めるだけのはずが、友人の結婚式への出席や、その友人の相手の友人男性との4人でのデートとか、死んだ姉が働いていた工場の経理の手助けとかしてるうちに、なんだかブルックリンへの未練が薄れていくのが、なんか嫌らしい。そういう展開にして話を盛り上げようっていうんだけど、なんかな。あざとい。 あざといけど、やっと話が激しく転がり出すのが、むかし働いていた雑貨屋の女主人からの呼び出しで。トニーとの婚姻届のとき、同郷の女性が役所にいて、彼女が「エイリッシュは結婚している」という情報を女主人にチクった、という気持ちはないかも知れない、たまたま、こんなことがあったよ、と知らせただけだろう。でも、それを、エイリッシュを呼び出して面と向かって、さあどうだ、とばかりにいうのは、なんかな。単なる意地悪なんだろ。それでゆするとか、考えてはないだろう、きっと。まあ、ああいう意地悪は存在するだろうけど、なんか、話を転がすために配置された意地悪ババアというような感じで、リアリティ感じないんだよな。ほんと、記号みたいな存在だ。 まあ、ここでエイリッシュは怖じけずくことなく、どうどうとそれを認め、母親にも告げ、ブルックリンに戻るんだけど。なんか、迷惑をまき散らしてるだけな感じだな。もしかしてエイリッシュは、つきあい始めた青年の実家が裕福なので、しめた、と思っていたんではないだろうか。仕事も、姉の後釜に座れるし、母親の面倒も見られる。なにより故郷で平穏な暮らすことに、かなり傾いていたはず。って、なんか、身勝手な尻軽女のことをシリアスに描いてる感じで、だから表面的には母親思いの清純で真面目な娘に見えるけど、実は二股かけているわけで、尻軽女といわれても仕方ないんじゃないだろうか。この話を、もっと軽薄でちゃらちゃらした感じに描けば、そうなると思うんだけどな。わりと重厚そうに、エイリッシュ側から描いてるから、そうは見えにくいけど。 てなわけで、再びのアメリカ行き。最初に経験したことを、いま初めて乗船し、不安を抱いている娘に教えてやる・・・。というのは、最初にエイリッシュが乗船したとき、教えてくれた女性がしたことをなぞっているわけだけど、常套的な演出で、成る程感は少ない。 で、トニーとの再会だけど、なんか不安な感じだよ。エイリッシュは、トニーと、故郷でしばらくつき合った青年とを比較しているはず。字もロクに書けず、教養もなさそうなイタリア野郎と、簿記を学んで自立しようとしている娘。結婚はしていても、長つづきしなさそうな感じが漂ってくるラストだったな。なんか、トニーが気の毒、に感じてしまった・・・。 ・下宿の様子がユニークなんだけど、あれはどういうシステムなんだろ。下宿の女主人は、牧師に依頼されて、アイルランド移民の若い女性を預かってるのかな。大半が食事の場面なんだけど、あそこで交わされる会話の10%ぐらいしか理解できてないと思う。でもま、カソリック信徒としての自分と、はやいとこいい男をひっかけて下宿をでていきたい、と思っている若い娘たちの様子は、なんとなく伝わってきたけど。 ・それにしても、ブルックリンの牧師は、なんでエイリッシュにあんなやさしいんだ? 簿記の学校で学ばせたり。姉の知り合いといってたけど、関係がよく分からない・・・。 ・なんか、悪い人があまり登場しない映画だな。絵に描いたような記号的な悪人は、雑貨屋の女主人ぐらい。こういう話は、どーもうさん臭い。というか、一番悪い奴は、エイリッシュなんじゃないのかな。打算的で、自分勝手で、嘘つきで。結構うまく世渡りしてる感じだし。 ・エイリッシュが行ってたレストランで、アイルランド訛りがどうとかいってた給仕がいたけど、彼が後から登場して、エイリッシュの洗練され具合にため息をつくとかあるのかなと思ったら、なかった。ちょっと残念。 ・水着の着替え方とか、ブルックリンスタイルをひけらかしてる姿も、なんか軽薄な感じがしないでもない。 | ||||
ミュージアム | 11/24 | シネ・リーブル池袋1 | 監督/大友啓史 | 脚本/高橋泉、藤井清美、大友啓史 |
allcinemaのあらすじは「ある雨の日、手足を鎖につながれた状態で腹を空かせた獰猛な犬たちを放たれ、生きたまま餌にされた惨殺死体が発見される。“凶器”となった犬の胃の中からは“ドッグフードの刑”と書かれた謎のメモが。それが、自分をアーティストと呼ぶ“カエル男”による連続殺人事件の始まりだった。犯行はいずれも雨の日に行われ、現場には必ず謎のメモが残されていた。新米刑事の西野とともに捜査に当たる沢村は、被害者の共通点を突き止め驚愕する。それは次のターゲットが沢村の妻・遥であることを意味していたのだった。沢村は冷静さを失い、カエル男の罠にはまって逆に追い込まれていく」 コミックが原作らしく、あらゆる点で杜撰。映画だから許してやろう、もないことはないんだが、あまりにもバカバカしすぎて、早々から退屈してしまった。くどい演出、ベタな演技、そして犯人は異常者というオチ。近頃の犯罪映画は、たいていが犯人はサイコパス。ホントつまらない。 さらに酷いのは、沢村のワーカホリックぶりと、それにあいそをつかして出ていく妻・遙という調ステレオタイプな設定。フツー、そういうのはあり得ないだろ。刑事といえどそんなに忙しくないはず。幼い子供に興味ももたず、妻の相手もしないというのは、単なるアホ。妻だって、昔の映画なら「よく働く父ちゃん」ということで、嬉しがってもおかしくはない。まあ、とにかく、この夫婦の設定にはムリがありすぎて不自然。 なんでも少女樹脂詰め事件というのが過去にあり、裁判員裁判で一審死刑判決。ところが犯人は拘置所内で自死。その裁判官および裁判員だった人たちが殺されていく、ということらしい。でも、殺されたのは、愛犬を保健所に渡した女性、ゲームオタクのでぶ、男性裁判官、女性裁判官、占い師(?)だけなんだよな。犯人は、なんですべての裁判員を裁かないのか? 遙をふくむその6人が死刑を主張したから? でも、そんなことが、なぜカエル男に分かるんだ? 最初は、少女樹脂詰め事件の犯人への死刑判決に対する恨み、と見せかけておいて。でも、実は、少女樹脂詰もカエル男の犯行なのに、それを見誤った=作品への正当な評価をしなかった連中への鉄槌、ということらしい。のだけれど、そんなことで大量連続猟奇殺人なんてするか? な話だけど、フィクションだからしょうがない。とはいえ、この映画もまた犯人はサイコパスという近頃定番のオチで、またか、な感じ。そもそもが、カエル男の両親が猟奇的に殺され、その現場を見たからとか言ってたけど、そんなことで猟奇殺人するようになるのか? それって障がい者差別だろ。だいたい実際の殺人なんて、大半はフツーの人が加害者なんだぞ。しかも、カエル男には姉だか妹がいて、彼女も同じ体験を、してるんだろ? でも彼女はサイコキラーにならず医学の道に進んでいる。同じ体験、してないのか? そこんとこ、よく覚えてないが。 両親の殺戮を目撃→アーティスト感覚の殺人者・・・になって、劇場型というか、美術館型の犯罪=殺人を犯す、という論理の飛躍がひどすぎる。アーティストは、基地外と紙一重、とでも言いたいのか。そして、自分の作品を正当に評価しなかった人を嬲り殺す。これまたアート? というところから、題名が『ミュージアム』らしいんだけど、あんまりアーティストとか美術館的な感じは受け取れなかったなあ。演出上、そういう工夫も必要ではなかったのかね。 で、主人公・沢村巡査部長なんだけど、たんなる直情径行のアホだったりするのが、いまいち共感も何もできない理由だな。妻が被害者になる可能性がある、ということで担当を外され、自宅待機になるんだけど、ちょろちょろ動きまわり、新米刑事の西野を巻き込んでしまう。で、西野はカエル男の手にかかって死んでしまうという、これまた定番のパターン。げ。つまんねえの。 で、驚くのは、沢村は西野を死なせたことに「自分の責任」と言葉では言っているけれど、ほとんど反省していないように見える。やなやつ。あと、西野がカエル男によってビルから落下させられるとき、なんと沢村はカエル男の捕獲に向かわず、落下した西野の状態を確認に向かい、カエル男とすれ違ってもなにもしないという、なんだこの刑事? なことになるのだが、変だろ、それ。 西野を死なせて大人しくなるかと思いきや、またまた独自に調べ、カエル男が太陽光アレルギーかも知れないと辺りをつけ、調べ始めるんだが。これまたちょろちょろ動き回って自分が捕獲されることになってしまうというトンマ振り。西野を死なせたというミスが、次の行動に結びついていないだろ。アタリをつけ、確信をもったら上司に言うべきだろ。どういう刑事なんだ、こいつ。どんどん話が薄っぺら。 で、なぜカエル男が遙の夫である沢村を事件に巻き込んだのか? 沢村に興味をもったから、だと。おいおい。そんなの理由になるのか? で、ところで、この映画のもうひとつの背景として、カエル男の太陽光アレルギーというのがあるんだが。いったいこの病気は、そもそも犯行に関係があるのか? ないだろ、こんなの。たんに、犯行が雨の日に限られる、というだけのこと。沢村にとっては、カエル男の正体を推理する役には立っているけれど、これがまた牽強付会で。沢村が入った中華屋で、「エビ抜き」と注文したのにエビが入っていると怒って出て行ってしまった客がいた、というところから、西野が殺されるときカエル男がカエル面の上からぼりぼり掻いていた、ということを思い出すという、そんなのあり得るか? な推理なんだよ。ご都合主義すぎるだろ。 で、沢村はネットで情報を調べ、患者数が少ないことを知り、専門医を訪ね歩くんだが・・・。さて、どういう肩書きで聞き込みをしているんだ? 警察手帳見せてるのか? それ、違反だろ。で、最後にカエル男の姉妹の医師にめぐり会うんだけど、刑事の勘だけで銃をつきつけてる。おいおい、な感じ。 この橘幹絵という姉妹を市川実日子が演じてるんだけど、無味乾燥なところがなかなかよかったりして・・・。で、彼女がカエル男の自宅を沢村に知らせたんだろ? で、幹絵はカエル男の主治医だったのか? 知らんが、交流はあった、ということだよな。では、カエル男の居所を告げれば、どうなるか分かったはず。なのに、その後、何か対応を講じた様子もない。また、警察も、犯人隠匿で追求した気配もない。さらに、カエル男逮捕後、見舞に来た幹絵を「親族です」といって病室に通してしまう。その結果、幹絵はカエル男の点滴に薬液か空気を注入して死なせてしまうんだが、これは流れとしておかしいだろ。彼女も連続猟奇殺人事件の共犯者あるいは関連の何かの罪で起訴されてもおかしくないと思うがね。 ちょいともどって。カエル男の家(豪邸だけど、親の遺産? でも、相続時に税金とられたんじゃないのか? それに、幹絵にだって相続権はあるはずで、それはどう処理したのか? 気になるところ)にやすやすと侵入し、呆気なく捕まって、監禁されてしまう。その結果、ジグソーパズルをさせられ、出されたハンバーガーが妻と息子の肉、と思い込まされるという話なんだが。パズルを解いて部屋を出て、冷蔵庫にある妻と息子の生首を見て、ちょっと驚いた。なぜかというと、カエル男は殺さない、と思っていたからだ。おお、なかなかの展開、と思ってのもつかの間、カエル男本人が「精巧につくってあるから」なんていうんだもんな。おいおい、な感じ。脅すだけでなぜ遙を殺さないのか? 他の裁判員と比較しても違和感ありすぎだ。もちろん、沢村も交えたエンディングのために生かしておいた、のかも知れないが。それにしては、沢村に弾丸の入った銃をあてがったり、リスクの高すぎる演出だろ、それ。 でまあ、妻の遙にカエル面をつけさせ、沢村に撃たせようとしたけど失敗。そこで、カエル男は息子を人質に、「奥さんを殺せば息子は助ける」なんていって、遙は「私を撃って」とかいい、悩む沢村なんだけど、これなんかバットマンの『ダークナイト』だっけかの究極の選択のパクリだろ。まあ、沢村はカエル男を撃ち、カエル男も沢村を撃ち、軽症のカエル男は突入してきた警官に捕まるんだけど、太陽光が降り注いでいるのにパーカーのフードをかぶらず顔が日焼けするがママにしているという映画的不思議な演出が違和感ありすぎ。 という、最初から最後まであくびがでまくりの退屈な映画だったよ。 ・最初の、犬を手放して殺害された女性には同居中の男性がいるんだが、彼などは最初に犯人と疑われ、任意同行を求められて半日以上事情聴取を受けるはずだけど、なーんもしないんだよな。変なの。 ・太陽光アレルギーで、どうやって裁判官や裁判員の動向、家庭状況を調べられたの? 写真撮ったりしてるけど、できるのかい? ・太陽光アレルギーで、どうやつて裁判官の身体をタテ割りにし、自宅とキャバレーに宅配便で送りつけたんだ? ところで、自宅は分かるけど、なんでキャバレーにも送ったんだ? 行きつけだった? 意味不明。他にも女性裁判官は凍死させたりしてる。沢村の妻と娘の拉致だって、たまたま夜だからできたけど、そううまくタイミングが合うわけでなし。ご都合主義もいいところだ。 ・そもそもが、裁判官と裁判員の誤審、冤罪がもとになっているわけだけど、そこについての追求がほとんどない。事件解決碁、雑誌記者が遙にインタビューし、彼女はそそくさと逃げるんだけど、つぎの息子の運動会の場面では、にこやかに亭主の沢村と語らっている。この遙という女も、罪悪感を抱かない女性なのだな。 ・その運動会で、息子が顎のあたりを掻いているのは、息子も太陽光アレルギーになったということか? 幹絵は、カエル男を殺害する前に「あなたのは心因性」といっていたけど、犯罪を目撃したり、極度にストレスの高い場面に遭遇すると、心因性のアレルギーになるのか? そのあたりがテキトー過ぎて、いまいち息子の将来の危険度には、ざわざわと来なかった。太陽光アレルギーになっても、サイコパスになるとは限らんしな。 ・沢村は、新橋のATMで50万おろして闇で拳銃を買うんだけど、刑事の普通預金には、そんな大金が入っているのか? ・沢村が、出生を「しゅっせい」と何度もいうのが気になって気になって・・・。 | ||||
マイ・ベスト・フレンド | 11/28 | シネ・リーブル池袋シアター2 | 監督/キャサリン・ハードウィック | 脚本/モーウェナ・バンクス |
原題は“Miss You Already”。allcinemaのあらすじは「ジェスとミリーは小学校の時からの大親友。やがてミリーは恋人のキットとできちゃった結婚で幸せな家庭を築き、ジェスも環境保護活動で出会った整備士のジェイゴと同棲して幸せな毎日を送る。そんなジェスの唯一の悩みが子どもができないこと。不妊治療を続けるものの、なかなか子宝に恵まれなかった。ある日、ミリーに乳がんが見つかる。子どもたちのために明るく振る舞うミリーを懸命に支えるジェス。そんな中、ついに待望の妊娠が判明するジェスだったが…」 乳がん発覚→抗がん剤で脱毛・カツラ→職場復帰するも・・・ →両乳房切除→脳に転移→ホスピスへ→静かに臨終・・・という、身も蓋もない展開をそのまま見せていて、これじゃ「早期発見・早期治療」で乳がん克服、って感じでなく、単に「乳がんは怖い」キャンペーンではないかと思ったりする。多少は嘔吐や脱毛シーンがあるけど、映画だからきれいごとになっていて、見方によっては美しく死んでいった、とも見えるかも知れない。でも、実際はこんなじゃないだろうな、と。まあ、映画だからね。 あとは、仲良し2人のあれやこれやで、よくもまあ幼い頃からずっと親友でいられたことよ。まあ、余命わずかと高齢出産の幼なじみを絡ませたのがキモなのかも知れないけど、そんな感動するほどのこともない。 それにしても互いの亭主2人は人がよすぎ。だって、ミリーは乳房切除後、亭主のキットが自分の胸に一瞬たじろいだことを根にもってセックス拒否、さらに、バーの若い店員と浮気しちまうんだから。自分のことを気にかけている亭主がいて、幼い子供2人いるのに、やけのやんぱちでやりたい放題って、なんかな。乳がんで乳房切除したら、何やっても許されるか? もちろん、ジェスはちゃんとミリーを非難して、絶交するんだけどね。その効果があったのか、がんの転移で杖をつくようになってしまったこととか、余命を知って覚悟を決められたのか、ミリーは反省してジェスと仲直りするんだけどね。それでも、やっぱ、身勝手な女、という印象はぬぐえず、だな。 でまあ、ジェスが「もうすぐ生まれる!」で最初に連絡したのがミリーで、彼女は母親に付き添ってもらってホスピスを脱出。ミリーの出産に立ち会うことができたんだけど、助産婦がジェスに生んだばかりの子を裸のまますぐ抱かせるのんだが、あんなのありか? しかも、つるつるにきれいな赤ん坊。産湯に浸かるとか消毒するとか、そういうのはいまはないの? で、最後は、ホスピスで。ジェスがミリーに添い寝しているんだが、気づいたら亡くなっていた…という静かな終わり方。痩せたミリーはなかなか壮絶で、このために細身のトニ・コレットを起用したんじゃないかと思ったりして。 ラストシーンは、あれは誰の家でのパーティなんだか。「ミリーは亡くなる前に、キットに再婚するように言った。その一番手は私だけど、そういうわけにはいかない」というようなジェスのナレーションがあって、キットと2人の子供、ミリーの母親と新たな連れ合い、ジェス、ジェイゴが会食している。このとき、「この子は楽しんで授かった」とかいうようなセリフが最後にあったんだが、ジェスは第2子を懐妊? よく分からなかった。 ミリー役のトニ・コレット 1972年生、ジェス役のドリュー・バリモア1975年生。ともに40過ぎのおばちゃんだ。トニ・コレットはほとんど記憶にないけど、『リトル・ミス・サンシャイン』は見てるな。しかし、撮影時43歳にしては、トニ・コレットはもう50歳ぐらいに見える。ドリュー・バリモアも、厚化粧では見られるけど、撮られ方によってはなかなかのオバサン具合。とてもロマコメの女王とは、もう呼べない。しかし、あの真っ赤な口紅べったりは、トレードマークだな。 ・なぜかロンドンが舞台。なんか意味があるのか? ミリーが行きたかったという『嵐が丘』の舞台を見せたかったから? ところで、『嵐が丘』になんか意味があるのか? ・しかし、彼の地ではセックスなくして夫婦ではなく40過ぎても家庭内でべたべたしてるのか? あんなの苦行に他ならないと思うが、みんな実行しておるのか? 嘘だろ? そういえば、ミリーは「治療中は、キットに浮気の許可を出している」っていってたけど、あれはホントなのか? 互いにセックスは不可欠、ということなのかね。ううむ。 ・ミリーは、バーの店員と再会し、店の地下室へ行ってキスしたりするんだけど、あそこですでに一発やっちゃってるのか? ・ミリーは、医師から乳房切除を告げられ、どっかのパブに行って大泥酔。探しに来たジェスをむりやりタクシーに乗せ、400キロ離れた地まで出かけるんだけど、『嵐が丘』の舞台、だけではなく、つまりはバーの店員の再就職先で、ヤリに行った、ってことだったのか。でも、なんでジェスを連れていく必要があったのか、意味不明。このシーンでは、移民らしい運転手がなかなかいい味をだしてた。 ・気にかけている女房に浮気されるキット、体外受精の費用捻出のため危険な現場に働きに行くジェイゴ。ともに、亭主がお気の毒というか、大変だな、という感じ。 ・ジェスの出産シーンで、海底油田の現場にいるジェイゴとスマホで顔を見せ合い・・・かと思ったら、ジェイゴは「下半身を映せ」といい、仲間たちとジェスの股ぐらを見つつ「がんばれ」と応援するんだが、おかしいけど下品かも。 | ||||
疾風ロンド | 11/29 | 109シネマズ木場シアター7 | 監督/吉田照幸 | 脚本/ハセベバクシンオー、吉田照幸 |
allcinemaのあらすじは「医科学研究所が違法に保管していた恐ろしい新型生物兵器“K-55”が何者かに盗み出される。犯人は研究所を解雇された元研究員の葛原で、メールで3億円を要求し、添付の写真には“K-55”の隠し場所に置かれた目印のテディベアが写っていた。所長の東郷と主任研究員の栗林が警察にも通報できずに困惑していたところ、当の葛原が事故死したとの連絡が入る。所長から“K-55”を秘密裏に回収するよう無理難題を押しつけられた東郷は、わずかな手がかりから、日本最大級の野沢温泉スキー場へと捜索に向かうのだったが…」 東野圭吾の原作。どこまで原作に忠実か知らないけど、一難去ってまた一難的な展開がつづき、飽きさせない。 最初は、登場人物が多そうだな、知らない役者がぞろぞろでてくるな、と不安になったけど、顔だけで判別しなくちゃならないようなこともなく、ほぼ展開も理解できた。よくできてるし面白い。スキーアクションも、なかなか。 ・冒頭の、菌の研究と盗難のところ、ちと分かりにくいかな。 ・炭疽菌を発見しなくては・・・というのに、脱力系のんびり捜索はなんなんだ? という気もするけど、そこはコメディというところで上手くかわしてる感じ。まあ、最後に報道発表するようだけど、警察や関係機関に相談せずに探しまくってたなんて、それ自体が犯罪だよな、きっと。 ・まあ、炭疽菌を埋めた木につけた熊のぬいぐるみが、早々に少年たちに発見されてしまうのは、ちょっと肩すかし過ぎるかな。菌の開発者で脅迫の実行者・葛原の計画の浅はかさ、ということなのかな。 ・どどめ色の帽子は、女性研究員から栗林の動静を監視し、炭疽菌を奪うよう言われてるんだが、露骨に栗林に接近し、顔見せしてしまう。これは、ちょっと変だな。ま、コメディだからしょうがないけど。ははは。 ・後半の、炭疽菌が見つかってからの、瓶に入った炭疽菌の扱いも、多少気になる。室内で扱ってて温度上昇は大丈夫なのか? だって、掘り出した高野弟は、温度のことは知らないはずだし・・・。それと、中が見えるガラス瓶を軽々しく扱う栗林・・・。実際、一度落として割ってるし、二度目も・・・。 所長や栗林が、最後まで女性研究員を信じ込んでた、ってのも、なんかちと安易な感じもするけど・・・。だいたい、彼女を炭疽菌の受け取りにやったのも、所長なんだろ? もし彼女が選ばれなかったら、どうやって入手するつもりだったんだろ。 女性研究員に渡すはずの炭疽菌を息子がすり替えてしまったのも、ご都合主義ともいえるけどね。まあ、息子としては、父・栗林に、事を公にして欲しい、という気持ちがあったんだろうけど。でも、他に方法はないとしても、ホテルの部屋の冷蔵庫に入れといたら、落ち着いて寝られんだろ。まあ、結果オーライで許される行為として描かれてるけど。 ・どどめ色の帽子が川端の横にきて「私が栗林だ」と偽り、川端を連れていってしまうのだけれど、どどめ色の帽子は、栗林が川端と会うことを、どうやって知ったんだ? もう一度見て、確かめれば分かることかな? ・埋めてあるのが炭疽菌と、なぜ高野弟は知ったんだ? と疑問だったんだけど、途中で、栗林がレストラン・カッコウの裏(?)で電話しているときに音がしたのは、あれは高野母親ではなく、高野弟だったんだな、と理解した。けど、ちょっと分かりにくかったかもね。その説明もなかったし。 ・ところで、女性研究員は、犯人の葛原とどういう関係にあったのかね。利用されていた、といいながら、葛原の死亡後は自らの利益のために、どどめ色の帽子(弟?)を野沢温泉にやり、栗林の行動を監視させている。そもそも彼女は、もちだす手伝いだけではなく、どこまで事件を知っていたのか? 所長室に仕掛けた盗聴マイクで知った程度なのか? それで、炭疽菌を奪って海外に売る、ところまでハナから考えて行動したのか? としたら、なかなかのワルじゃん。どうして研究員がそうなったのか、とても気になるところ。 ・その女性研究員と、どどめ色の帽子が海外に行こうとして、偽造パスポートで捕まるというのは、変じゃないのか? そもそも偽造する必要はどこにある? 誰に偽造を依頼したのか? そういう裏の世界とつながりがあるのか? そもそも炭疽菌を海外に売るにしても、それなりのルートを知らないと、不可能だろうに。もしかして、研究者つながりがあるのかな? とか、ツッコミどころもあるけど、全体としてはよくできていて、楽しんだ。端役にもキャラの濃い役者を起用していて、スキがない。医科研の所長・東郷(柄本明)は記号的な扱いだけど、こういうやついるんだろうな、というワルを徹底して戯画化していて分かりやすい。もちろんその分かりやすさは気にならない。なのに、公開3日で昼の回にーだけど観客6人はちょっと気の毒かも。 ・スキー場のパトロール隊員と知り合いで、オリンピック候補(?)の大島優子もかわいい。背が小さいんだな。スノボはできるらしく、ちょこちょこ本人が滑ってる。 | ||||
海よりもまだ深く | 11/30 | ギンレイホール | 監督/是枝裕和 | 脚本/是枝裕和 |
allcinemaのあらすじは「自称作家の中年男、篠田良多。15年前に新人賞を受賞したものの、その後は鳴かず飛ばず。ギャンブル好きで、今は“小説のための取材”と称して探偵事務所で働く日々。当然のように妻の響子には愛想を尽かされ、一人息子の真悟を連れて家を出て行かれてしまった。その真悟との月に1度の面会が何よりの楽しみでありながら、肝心の養育費はまともに払えず、おまけに響子にも未練タラタラで、彼女に恋人ができたと知り、本気で落ち込んでしまう始末。そんな甲斐性なしの良多にとって頼みの綱といえるのが母の淑子。夫に先立たれ、団地で気楽なひとり暮らしをしている彼女の懐を秘かに当てにしていた。そんなある日、真悟との面会の日を淑子の家で過ごす良多。やがて真悟を迎えに響子もやって来るが、折からの台風で3人とも足止めを食らう。こうして図らずも一つ屋根の下で、一晩を過ごすハメになる“元家族”だったが…」 阿部寛と樹木希林なので『歩いても 歩いても』っぽいけど、こちらの息子はギャンブル好きで、私小説作家くずれの、現在はゲスな探偵。では無頼かというとそんなことはなく、別れた女房に未練たらたらで、10歳ぐらいの息子に好かれようと四苦八苦するという、なんか辻褄の合わない話。見ていて、こいつバカだろ、としか思えない50男なんだもんな。どこにも共感できない。 まあ、いつもながら、たわいのない会話は妙にリアルで面白い。役者に勝手にしゃべらせたりしてるのかね。でも、だからなのか、大事そうな内容のときも、すっ、と頭から抜けていってしまう感じ。ほどんど残らない。前半は、篠田をめぐる現在の状態で、まあ、なんとか見られるんだけど。後半の、台風の日の、元の家族が実家で過ごす一夜の話は、どーでもいいようなことに意味を持たせようとしている感じで、つまらない。要は、ドラマがなくて、だらだら描写がつづいているだけだから、驚きも何もない。人間の成長ドラマもない。表面的な会話が面白くても、本筋の話が身も蓋もないのでは、どうしようもない。 公式Hpによると篠田は「15年前に文学賞を1度とったきりの自称作家で、今は探偵事務所に勤めているが、周囲にも自分にも「小説のための取材」だと言い訳している」らしいが、そういうのはあり得んだろ。3〜4作発表してれば編集も相手するかも知れないけど、1度きりでは数年すれば担当も移動したりして縁は切れる。編集に、マンガの原作を勧められる場面があるけど、あんなのフツーないと思うし、勧める相手はもっと手練れで何でも書ける人だ。ライトノベルは嫌だ、マンガの原作は・・・云々いってるようなやつは、書き手として相手にされないと思う。 息子は小学生かな。その息子のご機嫌をとり、かつまた別れた女房に未練を残しているのはなんなんだ? 私小説作家なら女を取っ替え引っ替え浮気して、女に食わせて貰うぐらいのしょうもない男になればいいのに。なんか、望んでいるのはフツーの家庭のよきパパみたいな感じで、かつての憧れの職業は公務員って、おい、そんなんで小説なんか書くなよ。小説家になりたいけど見過ぎ世過ぎで公務員は仮の姿、みたいなことなら分かるけど・・・。そもそも小説を書いたのが間違いなんじゃないのかと思っちゃうね。 しかも、元妻には「なんで一緒にいるときにもっとさ・・・」なんて言われてるということは、その当時、どうやって生計を立てていたのか知らんけど、ロクに家庭を顧みず、ギャンブル三昧だったということなのか? かつては浮気もし放題だったとか? そのあたり、何も語られていないので、なんで別れたいまになって女房子供に未練たらたらなのか、よく分からない。そもそも別れたのだから、それはそれでオシマイ、だろうに。 だいたいこの篠田という男、いちいちすることがセコイ。つまらん見栄を張ったり、ギャンブルにしても人生を賭けずに生活を賭けていたりする。私小説作家なら、とことん落ちればいいのに、それができない。なんとも中途半端がやりきれん。 よく分からないといえば、近頃死んだ父親の正体もよく分からない。この父親もダメ人間で、娘に金を借りに来たり、篠田と似たような男だったらしいけど、仕事はなんだったのか? とか、子供たちを育てたのは母親(樹木希林)なのか? 母親が働いてた? とか、疑問がいろいろ湧いてくるけど、映画はなにも答えてくれない。 やはり、そういう、描かれてはいないけれど、現在につながる背景というのは、カチッと設定されていないと、表出された映像にも説得力はないのだよね。 篠田は、では、女房・子供思いのいい父親なのか? なぜ別れる以前と態度が変貌したのか? いや、女房・子供を思っていながら、実家の仏壇から香典を盗んだり(だよな? あと、なんか領収証が映ってたけど、あれはなに?)、姉に金を借りに行ったり、年下の同僚に金を借りたり、調査の依頼主の足もとを見て金を請求したり、高校生を脅して金を巻き上げたり(探偵事務所の所長の上司の息子だったらしく、後でバレて金を取られてるけど・・・。どういう件で高校生を脅していたんだろう?)、新品の靴に故意に傷をつけて安く売らせたりと、とてもまともとはいえないようなことをしまくっている。そんなダメ人間をだらだら描いて、人間味がどうのと言ったって、なーんも感じられないよ。こんな兄弟、息子がいたら、誰だって縁を切りたくなるはずだ。 で、台風の一夜、たまたま元妻と息子が実家に泊まることになり、元妻に「いまの彼氏とはやったのか?」聞いたり、元妻の太腿を触ろうとしたり、息子と夜中に公園へ行って遊具の中に潜んだり、息子が落とした宝くじを拾ったりと、バカじゃねえの、なことをしてる。元妻との会話とか、母親との話とか、意味ありげな感じでだらだら話してたけど、なーんも印象に残ってないよ。子供の頃、何になりたかったか、なんて、それがどうした? だろ。 てなわけで、ちっとも心に迫ってこなかったのであった。 ・15年も前の自著をかなりたくさん書棚に並べているって、あれはないだろうと思う。あんなものは、フツー封印したくなるものだ。それと、いまどきまだ原稿用紙というのも、映画的に絵になるから、ってだけでやってるような気がする。意味ない。 ・聞き取れないセリフが結構あって、理解できていないところが割りとある。困ったものだ。 |