2017年2月

マグニフィセント・セブン2/1109シネマズ木場シアター3監督/アントワーン・フークア脚本/ニック・ピゾラット、リチャード・ウェンク
原題は“The Magnificent Seven”。allcinemaのあらすじは「開拓時代の小さな田舎町。そこでは冷酷な悪徳実業家バーソロミュー・ボーグが町の資源を独占しようと荒くれ者たちを従え、傍若無人の限りを尽くしていた。ある日、ボーグに夫を殺されたエマは、サムと名乗る賞金稼ぎの銃の腕前を見込んで、町を救ってほしいと住民からかき集めたなけなしの全財産を差し出し懇願する。最初は興味を示さなかったサムだったが、この依頼を引き受けることにし、ギャンブラーのジョシュをはじめ腕利きの男たちのリクルートを開始する。こうしてワケありのアウトロー7人が小さな町を守るために雇われ、やがて彼らはボーグ率いる200人超の悪党軍団に無謀とも思える戦いを挑んでいくのだったが…」
『荒野の七人』は、まーだ『七人の侍』の人物設定を下敷きにしていて、真っ当なガンマン、サポート的な練達、未熟な若者・・・と、描き分けていた。ところがこちらはさにあらず。
ボスのサム・チザム、は黒人の賞金稼ぎ。名前はジョン・ウェインの『チザム』からなのか?
サポート役は、カード使いのジョシュ(白人)といえなくもないけど、とくになしな感じ。
グッドナイト(白人)は南北戦争でのPTSDを抱えた感じで、いったんは逃げ出すし・・・。
そのグッドナイトとコンビを組んでいるのが韓国人のビリー。ナイフというか、釘みたいのを投げる。『荒野の七人』のジェームズ・コバーン的なところを引き継いでるけど・・・。
ヴァスケスは、チザムが追っていた賞金首だけど、なぜか仲間に入れてしまう。メキシコ人。で、『荒野の七人』を調べたら、チャールズ・ブロンソンはメキシコとアイルランドの混血という設定だったのね。ふーん。
ジャックという大男は、ヒルビリーみたいな山の住人。説明にはマウンテン・マンとあって、猟師らしい。あれか。『レヴェナント』にでてきた連中みたいなものか。で、妙に信心深い。人を切った後に南無妙法蓮華経と唱えるキャラは、『七人の侍』にはいなかったっけか? 『三匹の侍』か? 定かではないが。
で、最後のひとりが、なんとはぐれインディアンのレッド。
うひゃー。黒人、メキシカン、韓国人、インディアンと多国籍で、白人は山男に病気持ち、博打打ちの3人。時代は変わったもんである。アラブ人も加えて欲しいけど、当時の時代背景では無理なのかな。ううむ。
冒頭のエピソードは、チザムが賞金首を追いつめた、という場面なのか。たしか、バーテンが賞金首で、という話なんだよな。なんかちょっと分かりにくかったけど。だいたい、賞金首がバーテンしてたりするものか?
で、メンバー集めになるんだけど、ジョシュは、馬を飼う金をチザムに出してもらったから、というだけの理由。ジョシュって、ほとんど死ぬ、という現場に行くようなタマじゃないと思うんだが…。チザムは、ジョシュとテディQと別れ、エマと別行動。何かと思ったら、賞金首を追いつめる方の仕事で、小屋に入ったら死体があって、ちかくにガンマンが・・・。で、そのガンマンを「殺されたいか? それとも加わるか?」みたいな感じでリクルートするんだけど、ここはちと説明不足。あの死体は、別の賞金稼ぎ? それを返り討ちにした賞金首のヴァスケスをメンバーにした、ということか? もうちょっとはっきり説明した方がいいと思うぞ。しかし、この道中にエマを連れていった理由が分からんな。
ジョシュとテディQが行ったのはグッドナイトのところで。チザムとグッドナイトは旧友で、それを頼ったらしいが、どういう仲間なのかよく分からない。戦友? しかし、死を賭して戦ってくれると判断した理由はなんなのかね。それに、南北戦争で狙撃手として活躍したグッドナイトは、PTSDで人を撃てなくなってるし・・・。一緒にいる韓国人ビリーは、どういう恩義でグッドナイトと行動を共にするのか、これまたよく分からない。
マウンテン・マンのジャックは、どういうつながりで加入したんだっけ? あれは偶然か? 誰かの知り合いだっけか? どちらにしろ、メンバーに加わった理由はよく分からない。死にたかったのか?
インディアンのレッドも、どういう単独行動をとっているのか、定かでなく。ましてや、白人の町民を助けるいわれもないわけで。ますます説得力はないんだけど、もうこのあたりはイケイケな感じなのかな。
というわけで、本来はメンバー集めがいちばん面白いはずなんだけど、なんかあっさりし過ぎなんだよね。、この映画。もったいない感じだな。
で、戦う相手なんだが、これがいまいち“なるほど”感がないのだよなあ。ボーグっていう成金事業家みたいなやつなんだけど、町の住人の土地を安く買い叩こうとしていて。それに反発した住人の何人かが殺され、それで、亭主を殺されたエマとテディQが助っ人を探しに行く…ということなんだが。よく分からないのが、あんな土地を自分のモノにして、どういう得があるのだ? 町の様子の描写に、金鉱掘りみたいのがあったけど、住人の土地にも金が・・・? なのか? でも、そんな話はなかったような気がする。金が眠っているなら、なるほど、だけど。たんに住人が開拓した畑地なら、「?」だよな。『荒野の七人』は『七人の侍』と似た感じで、盗賊に襲われる村だから、なんとなく合点もいったけど。なんかいまいち、ウームな感じではある。
町の住民で夫を殺された若後家エマ・カレン(ヘイリー・ベネット)が、一直線な感じででとてもいい。『ガール・オン・ザ・トレイン』で妙な色気を発していたけど、こちらでは胸元全開おっぱい強調が効果的! 質素な顔立ちも、むふふな感じだね。一緒に行動するテディQという男は、出番は多くて存在感はあるけど、いまいちどういう男だったのか、よく分からないのでもったいない。
チザムは、町の住人に、自分たちを紹介し、助っ人にきたというんだけど。そりゃあ賞金稼ぎか知らんけど、でも立場は保安官なんだろ? だったら、法を執行する立場でボーグと戦う、と宣言してもよかったんじゃないのか? と思ったんだが、どうなんだろ。
戦いの準備は、いろいろ罠を仕掛けたり、住人に銃の使い方を教えたり。でも、ガンマンじゃなくてもみんなそこそこライフルぐらい扱えるんじゃないのか? という疑問は残るね。
戦いのパートは、まあ、こんなもんかな、な感じ。ナイフ投げと弓矢が彩りを添えて、ジョシュの手品もいいところで役に立つ。オーソドックスなガンファイトではないけれど、いまやアベンジャーズの時代だからしょうがないのかも。
で、興味は誰が生き残るのか、なんだが。予想はチザム、ジョシュ、グッドナイト。でも実際は、ジャック>>グッドナイトとビリー>>ジョシュ、だったかな。よく覚えてない。で、生き残るのは黒人チザム、メキシカンのヴァスケス、インディアンのレッド。ぎゃー! 白人が生き残らない! これまた時代を感じさせる。
あと、やっぱり物足りないのは、ロマンスかな。未熟な青年が村の娘と恋に落ちる・・・というエピソードはなく、後家のエマと7人の誰かとの恋物語もない。まあ、全体を通して住人の描写が少ないので、しょうがないのかも知れない。教訓話もほとんどないし。そんなことより、バトルシーンの派手さと工夫が客を呼ぶ、なのかも知れないけどね。
ボーグ一味もすべてやっつけて、生き残った3人は馬で去って行くんだけど、戦いの後すぐ、っていうのはどうなのかね。メキシカンのヴァスケスなんて、腕から血を流していたぞ。ここはひと晩ゆっくり休んでもらって、ロマンスの残り香を漂わせつつ去って行ってもらいたかったな。贅沢かな。
エンドロールでは、『荒野の七人』のテーマが流れて、ちょっとワクワクしたでござる。
ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男2/6ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/ゲイリー・ロス脚本/レナード・ハートマン、ゲイリー・ロス
原題は“Free State of Jones”。allcinemaのあらすじは「南北戦争まっただ中の1862年。南軍の衛生兵として地獄の戦場を駆け回っていたニュートン・ナイトは、金持ちが兵役を免除されたことに憤慨し、まだ若い甥が銃弾に倒れるのを目の当たりにして愕然とする。もはやこの戦いに正義を見出せず、甥の遺体を家族のもとへ送り届けるべく軍を脱走する。故郷のミシシッピ州に戻った彼は、やがて脱走兵狩りから逃れて辿り着いた沼で、そこに隠れ住む黒人逃亡奴隷たちと巡り会う。そして次第に彼らと心を通わせていったニュートン・ナイトは、騎兵隊に反撃すべく、武器を手に立ち上がるのだった」
見てから2週間ぐらい経ってしまったよ。ははは。忙しかったんだ。5日前にはインフルエンザにもかかってしまったし。まあいい。
さて、事実に基づく話らしいけど、Wikipediaを見ると映画で描かれているような信念の人であるとか、平等主義者だったとか、独立運動をしたとか、そういうことは書かれておらず、ただの脱走兵の集団みたいな紹介がされている。伝説が脚色され、美化された感じだな。まあ、それはいいんだけど。
しかし、あれこれテキトーな感じがいまいちリアリティに乏しく、シナリオも書き割りみたいな感じで、入り込むことはなかった。
・ナイトは衛生兵なのか? そこに、徴兵された甥(?)がやってくるんだっけ? しかし、それって脱走だろ!? でも甥は逃げる訳ではなく、ナイトを頼ってやってきた・・・って、おい。杜撰な軍隊だな。で、一緒に戦闘にでて、甥にムダに突撃させて、撃たれちゃうんだよな。まあ、棒立ちになった甥も悪いけど、心配なら後方で働かせりゃいいのに。どうせ杜撰な軍隊なんだから。で、甥の遺体を家に連れていく、と、戦友に話して前線を去って行くんだけど。おいおい。堂々と脱走するんかい! な感じで、うーむ。
・ナイトは家に戻ると、妻と息子がいるんだね。でも、ナイトの追っ手は軍から来ない。食糧調達部隊は来るけど。で、他の家族のところにやってきた彼らを銃を向けて追い払っちゃうんだよな。女房子どもはどうすんだよ?
・と思っていたら、居酒屋ババアの口利きで黒人男に案内され、さらに黒人女性のレイチェルに引き渡され、脱走兵のたまり場に到達するんだが。居酒屋ババアの闇のルートは、ありゃなんなんだ? 居酒屋ババアとは、どういうつきあいだったんだ?
・たまり場には、首輪をつけられたままの黒人がいたりするんだけど、あれは軍から逃げてきたんじゃないんだろ? 脱走黒人奴隷、なんだろ? 違うか?
・そこはどこなんだ? と思っていたんだけど、ずっと後に、南軍の偉い奴が、湿地帯の中で討伐にも手間取るような場所とか言っておって。でも、俯瞰のシーンがあるわけではないので、なんだかな。
・なんかいつのまにか脱走兵が増えていくんだけど、いつのまにかナイトが連中の親分になっているのは、どういうこと? 銃も、大量に運び込まれてたり。どっから持ってきたんだよ!
・で、その湿地帯の隠れ家には、手引きした黒人女性レイチェルもいて。てっきり一緒に住んでいるのかと思いきや、どーも彼女は某屋敷の奴隷らしく、通いの様子。って、そういうことが可能なのか? はなはだ疑問。
・あとは、ナイトと南軍将校との宿命の対決? そして、独立運動、攻め込んでくる南軍、北軍に救いを求めたけど無視されて、総攻撃が開始される・・・。てな感じなんだけどね。なんか、食糧調達部隊が現れたときから感じていて、総攻撃での、女もともに戦うところとか、『七人の侍』っぽいんだよなあ。つくりが。
・まあ、南軍を脱走してきたような連中が、あえて命を賭けて独立国樹立のために戦うとか、あり得ないし。脱走兵も黒人差別は変わらんだろうし。ということが分かっているから、最後の戦いも嘘くさくて、やれやれ、な感じで見ていたんだが。結局、戦いの途中でいつの間にか南軍が北軍に降伏したらしく。独立云々はどうなったのか分からんが、ナイトは家に戻ってレイチェルと暮らしはじめるんだよな。そこに、女房と子どもがやってくるんだけど、これはナイトを頼ってのことなんだが、どうなってるんだ? な感じ。
・だって自分の家族をほったらかしで他の家族の食糧を守ってやり、揚げ句は闇ルートで脱走兵のたまり場に行き…というテキトー男だぜ。女房子どもを捨てたも同然じゃないか。気の毒なのは奥さんと子どもだよ。頼ってきたら、そこには、黒人女性と暮らす亭主が・・・。でも、ナイトは追い出すこともなく一緒に暮らしたとかいう話になってるけど、なんじゃそれ、な感じだな。
・というナイトの話の合間に、100年後(?)ぐらいの物語がちょこちょこインサートされる。ある男性がある女性と結婚しようとして、でも、男性に黒人の血が1/8以上(?忘れた)混じっているのでそれは犯罪だとかいう話で裁判になり、でも2人は結婚解消をせず、その結果、男性は5年服役した、という話。つまり、この男性はナイトとレイチェルとの子どもの子孫、ということのようだ。そういう法律が昔はあったのか、凄いな、と思う。けれど、そういう法律があった、ということを観客に見せたいがために、取って付けたかのような話で、いまいちな感じ。むしろ、5年服役し、その後2人はどうなったのか? を知りたい。けど、事実ではなく創作なんだろうからなあ。
・あー、そうそう。ナイトが宿敵の南軍将校を教会で絞殺(だったよな)する前に、南軍将校が「お前のオヤジを知っているぞ」と言ったんだけど、あれはどういう意味なんだ?
東京ウィンドオーケストラ2/7新宿武蔵野館3監督/坂下雄一郎脚本/坂下雄一郎
allcinemaのあらすじは「日本でもっとも有名な吹奏楽団の一つ“東京ウィンドオーケストラ”と間違われているとも知らず屋久島までやって来たのは、一字違いのアマチュア楽団“東京ウインドオーケストラ”の面々。観光気分の彼らを港で出迎えたのは、彼らを呼び寄せた張本人の役場職員、樋口。やけに人数が少ないといぶかりながらも、いまだ自分のミスには気づいていなかった。そんな中、一介の素人楽団に対してあまりにも不釣り合いな大歓迎ぶりに、ついに真相を悟った東京ウインドオーケストラ一行。いまさら間違いだとも言い出せず、恐ろしさのあまり島から逃げ出すことにするのだったが…」
『滝を見にいく』みたいなほのぼの路線を期待していたら、いろいろ不発だった。そもそも「間違えるか? あり得ないだろ!」という思いの方が先に立って、バカバカしくて見ていられない感じ。もちろん映画なんだから多少の誇張はいい。それでも、「そういうこともあるかもな」的な背景や設定、展開であるべきで、この映画はまるでそのあたりがザル。
・交渉したのは、↑あらすじでは樋口になってるけど、ファンの橘だよな。だって樋口が途中で疑問を抱き、検索したらTOPに東京ウインドオーケストラが、次に東京ウィンドオーケストラがリストされていて、それで気づくというシーンがある。樋口が交渉・間違いの張本人なら、あり得ないシーンだろ?
・全国的に有名な東京ウィンドオーケストラと、素人楽団の東京ウインドオーケストラが検索結果で並ぶ・・・というか、素人の方が上位になるなんて、100%あり得ない。この時点でダメだろ。
・さらに。まあ、勘違いして出演交渉その他は樋口がしたとして、メールで行ったわけだな。でも、本家の東京ウィンドオーケストラなら契約書とかギャラの交渉とか招聘人数、演奏演目、宿の手配とかシステマチックに発生するはず。同じ内容を素人側に投げて、交渉に応じたのが誰かは知らんけど、投げられた素人側が気づくだろ。
・・・というような、来島する以前に気がつくだろうことが多すぎる。つまり、↑のようなハードルがあっても間違ってしまうような設定を考えるのが映画作りのプロであって、だから、この脚本は完全にペケ。なるほどそれなら間違えるかも的なツメが甘すぎる。
島に到着しても、豪華なホテルに1人一室。樋口は「人数が少ない」って首をひねるけど、招聘人数を確認していればなにも問題はないはず。ということは、樋口は数倍の員数を予定し、ホテルを確保していたけど、来たのが10人ぐらいで拍子抜け、ということなのか? 杜撰すぎるだろ。
その後も、素人集団、会場を見ても練習をしない。これも、なんか突発的な出来事で練習ができなくなった的なこともなく、中学校のプラバンを見に行ったり、まあ、テキトーに抑揚を持たせたつもりでいるけど、話が転がって行ってそうなる、のではなく、表面的な思いつきをつなげただけで、ぜーんぜんスリルもソワソワ感もない。
そのうち素人側も気付き、逃げようとする・・・って、遅いだろ。それに、逃げるったって島なんだから、簡単には逃げられないだろ。樋口もウェブ検索したら、招聘したのは素人と気付き、でも逃げようとする素人たちを呼び戻し、「このまま本物ということでいきましょう」というんだが、どうしようというんだよ。 策はあるのか? 数時間後にはコンサートが始まる。どうしようというつもりなのか。でも、なーんも考えていないというのが分かって拍子抜け。
一度だけ、樋口の上司と、橘さんもいたよな、の前で練習演奏を披露するんだけど、iPhoneの音楽を流して口パクならぬエア・オーケストラ。それ聞いて「やっぱり本物」って、橘さんの耳もアホかと。だって人数が違うし、楽器の数も違うはず。存在しない楽器の音が鳴ったりしなかったのか? はなはだ疑問。
で、結局、樋口の上司とか橘さんにもバレて。「中止だ!」と、素人集団を探そうとするんだけど、樋口は、今度は手引きして逃がそうとする。なんなんだ、この樋口のテキトーさは。何も考えてない!
すでに会場には人が集まって来ている。でも、樋口の上司は「中止にする」と観客にいうでもない。彼らはどう収めようという腹づもりなんだ? 素人連中を捕まえて、舞台で謝らせる? よく分からない。
樋口は、「演奏したいでしょ?」と、今度はそそのかす側になり、ダマテンで素人を舞台に上げ、下手でも演奏させて逃げ帰らせよう、ということか。このあたりの樋口の考え、まったく分からない。
そういえば、素人側に「何も知らない樋口さんに謝って!」と橘さんがいう場面があって。最初は「?」だった。あとから思うに、橘さんはトイレの個室で、小水する素人団員の話を聞いて初めてニセモノと知って。もしかして、樋口さんもまだ知らないでいた・・・と思ったということか。最初橘さんのこのセリフ聞いて、あれ? 東京ウインドオーケストラにメール出したり交渉したりしたのは樋口さん? と思ったんだけど、樋口さんがニセモノ? と気づいて、そのあとウェブ検索して確証を得たのだから、交渉したのは樋口さんだよな。
まあ、最後は素人団員が下手くそな演奏を一曲奏で、終わると速攻で逃げ出しバス停へ。実にタイミングよくバスが来て埠頭に月、実にタイミングよくフェリーも出発時間で・・・という、テキトー過ぎるオチ。
で、冒頭と同じように、退屈な毎日を過ごす樋口さん、というラストなんだけど、アホすぎ。まあ、屋久島の役所の規模とか分からないからなんですが、樋口役の中西美帆みたいな若い女性職員なんていねえだろうな、とか思いつつ。だって、島を出て行っちゃうんじゃないの?
・しかし、最大の難点は、樋口と、上司が不倫しているという設定で。なんじゃそれ、な感じ。そんなんすぐバレるだろ。いや、どういう意味があるんだ? ないだろ、本筋となにも、なテキトーさである。やれやれ。
・終映後、出たら「ありがとうございました」っておじぎしてる人がいて。なんかどーも映画に出ていたひとみたい。公式HP見ると、武田祐一さんかな。「小さな映画なので・・・」と他の客と話していたけど、ご苦労様です。
めぐりあう日2/15ギンレイホール監督/ウニー・ルコント脚本/ウニー・ルコント、アニエス・ドゥ・サシー
フランス映画。原題は“Je vous souhaite d'?tre follement aim?e”。Google翻訳では「私はあなたが狂ったように愛されることを望みます」となった。allcinemaのあらすじは「パリで夫と8歳になる息子と暮らしている理学療法士のエリザ。養父母のもとで育った彼女は、実の母に会いたいと願い専門機関に調査を依頼していたが、守秘義務の壁に阻まれてしまう。そこで自ら調査すべく、息子のノエを連れて自分の出生地であるダンケルクに引っ越す。やがて息子の転校先で給食や清掃を担当している孤独な女性職員アネットが、背中を痛めてエリザの診療所にやって来る。彼女はひょんなことからエリザが養子と知り、自分が30年前に産み、養子に出した子どもではないかと思い始めるが…」
いろいろ変な映画。そもそもエリザはなぜ実母を知りたがるのか? なにも説明されていまい。ただ、わき目もふらず実母を追って、出生地に越したらしい。けど、なぜ息子を連れてやってきたのだ? 息子は父親を慕っているようだし、母親探しはひとりですればいい。さらに、実母が誰か分かると、喜ぶこともなく乱れるエリザ。いったい何を求めていたのだ? 立派なフランス女性でも期待してたのか? そんなひとが子どもを捨てるはずないよな。
監督は『冬の小鳥』の女性で、自身も韓国の孤児院からフランスにもらわれていった人。こだわりがあるんだろうけど、思いが強すぎて物語として建て付けが悪い。いつまでも出自にこだわってこういう映画をつくってるんだよ。
さらに、冒頭から年格好がそれらしいオバチャン=小学校の用務員アネットが冒頭から登場するので、観客は実母捜しの楽しみもない。つまんねえの。
エリザと亭主の関係も意味不明。なんで夫婦別居してるんだ? 離婚してるのか? それに、出生地に越す必要があるのか? 探偵でも雇って調べさせた方が確率が高いんじゃないのか?
息子ノエは、父親に会いたがってる。それでか、エリザはある日思い立ったようにクルマの行き先を変え、亭主の元へ。2人は忌み嫌っているようには見えない。夜も、一緒のベッドじゃないか・・・。亭主はしたがってる・・・、けどエリザがやんわりと拒絶する。それはなぜ? 亭主はエリザに未練があるように見えるけど、エリザが亭主を嫌っているんだろう。でもその理由は明かされない。ますますもやもやが募る。亭主や、父親を慕う息子ノエが気の毒に見える。
探している実母アネットが、たまたまエリザの患者になる。映画だから、それはいい。でも、理学療法のマッサージにくにドラマもなく、アネットの肉のかたまりのような半裸姿がしつこく見せられ、うんざり。アネットは1960年生まれで、1981年にエリザを出産・・・。え? ってことはアネットは55歳ぐらい? ぎゃ。もっと老けてるようにみえるぞ。
さて。↑のあらすじに「エリザが養子と知り、自分が30年前に産み、養子に出した子どもではないかと思い始め」とあるけど、そんなシーンあったか? そもそもアネットが自分の情報を開示することを病院に対して認め、それによってエリザが実母はアネット、と知り、その後にエリザがアネットの父親の店を訪ねてきたときに初めて知った、と思うんだけどねえ。にしては、アネットが驚いていないのが「?」ではあったけど。情報を開示するように心が動いた理由も、よく分からない。
アネットが、父親の店でだったか。母親も交えて、子どもを捨てた話しをしているときのこと。アネットが「私の娘よ」というと、母親が「いえ。アラブ男の娘よ」というんだが。このあたりでアネットの母性本能が目覚めたのか? 本当は育てたかったけど、母親に拒否されたとか? まあいい。で、驚いたのは、エリザの父親はアルジェリアとかモロッコとか中東からの移民とか季節労働者で、アネットは遊ばれた! という事実。フランス娘はアラブ男に弱いのか?
このことがわかって、そういえば、学校のいじめっ子で明らかにアラブな浅黒い少年に、強く注意しづらさそうにしていてた理由が分かったような気もしないでもない。ちょっと注意したら、子どもが「人種差別だ!」と騒いだのは、そういう政策があるんだろうけど、エリザの出自にも関係が、なさそうでありそう、な感じなのか。
エリザは、患者アネットが実母だと知ると、なぜか落ち込んで。息子を友人に「泊めて」といって預け、行きずりの男と酒場に行って騒ぎ、男を家に連れ込む。で、翌朝、息子が友人に送られてくると、迎え入れたのは件の男。息子はエリザを「メス犬」と罵倒して部屋にこもるんだけど、その息子の顔をひっぱたくんだよな。痣ができるほど。で、ノエは父親のところに行っちゃうんだっけか? そこはよく覚えてないんだが。それにしてもエリザの行為がよく理解できない。だいたい妊娠してるんだろ? その相手は、亭主なんだろ? 別の男か? 8週目になるまで放置しておくなんて、ただのバカ女だろ。その妊娠について、どうなったか描いてないのはなぜなんだ? もうかなりの腹のはずだし、周囲の誰もが気づくだろ。いい加減な映画だよ。
見たのは6日前だけど、その後どうなったのか、よく覚えてないぞ。アネットがとぼとぼ街を歩いて行く姿はなんとなく覚えてるけど。まあ、その程度の映画、ってこったな。
・エリザがベルギー(?)にいて、病院(?)で横たわっているようなシーンがあったけど、あれはなんなんだ? 供述がどうの、というのもあったような。もしかしてベルギーまで堕胎に行ったとかか? そういう説明の描写あったかな?
・ところで、アネットはエリザの息子ノエのことを白人だと思っていたのか? いやその前に、エリザを白人だと思っていたのか? うーむ。エリザの旦那も、中東風に見えないこともなかったけどなあ。よく分からない。
・エリザの育ての親は、なぜ登場しない? 生みの親より育ての親、ではないのか? なんか、このあたり、フランス人は納得するのかね。韓国的だとか、ないのかな? ほら、譜族とかある国だし。
・ノエ。最初はいじめられてたけど、いじめっ子グループに入って、言うことをきかなくなっていく。あれは、将来不良になるのかね?
エリザのために2/16ヒューマントラストシネマ有楽町2監督/クリスティアン・ムンジウ脚本/クリスティアン・ムンジウ
ルーマニア/フランス/ベルギー映画。舞台はルーマニア。原題は“Bacalaureat”。バカロレアのことのようだ。allcinemaのあらすじは「医師のロメオはある朝、妻に代わって娘のエリザを学校まで車で送ることに。しかし愛人のもとへ急ぐ彼は、エリザを学校の少し手前で降ろしてしまう。その結果、エリザは暴漢に襲われてしまう。幸い腕を負傷しただけで大事には至らなかったものの、ショックで激しく動揺するエリザ。英国留学を控える彼女には、大事な卒業試験が翌日に迫っていた。本来ならば成績優秀な彼女には何ら問題ない試験のはずだったが、とても試験をこなせる精神状態にはなかった。自分のせいで娘の英国留学が白紙になろうとしていた。それだけは回避しなければならないと、自らのコネを総動員して娘を合格させてもらえるよう水面下での交渉を重ねていくロメオだったが…」
あらすじ↑のような流れで。娘のために医師という立場を利用して副市長だったかに頼み込み、副市長は高校の偉い人に頼み込み・・・。最初の「別の時間に再テスト」から「時間を延長」そして「答案用紙に印を付けておけば・・・」となる。時間の延長ぐらいまでは娘も喜んでたけど、印をつける、には乗り気でない感じ。まあ、結果的に娘は印を付けず、自力での合格をめざすんだけど、点数は少し足りなかった感じだよな。で、合格したかどうかは、最後に分からなかったと思う。なーんだ、結果ぐらい教えろよ、なんだけど、尻切れトンボな終わり方。
全体的にも、娘が愛人のところにやってくる前後から、話がぐだぐだな感じになってきて、メリハリがなくなっていく。ロメオと愛人はどうなるのか? ロメオは妻と別れるのか? 娘は合格するのか? ロメオの裏取引に検察は気づいているけど、見逃すのか? 娘を襲った男は見つからないのか? 襲われたとき近くにいたらしい娘の彼氏は、襲った連中と関係が無かったのか? とか、いろんな疑問はなにも解決せず、そのままほったらかし。おい。そんなんじゃストレスたまるだろ、な後半は、いまいち盛り上がらず。
とはいえルーマニアでも、不正は悪、という考え方が主流なのね。などというと「失礼な」とかいわれそうだけど、旧共産圏の特権階級じゃ、不正は当たり前、みたいな先入観があるんだよね。悪いけど。でも、調べたらルーマニアもEUに加盟しているのね。では自由なお国柄かと思うとそうでもないのか。ロメオと妻は夫民主化したルーマニアに戻った、らしい。優秀な人材で海外留学したけど帰国せずにいて、民主化の後に帰国した、ということか。ロメオは医師の仕事に就いたけど、妻は「図書館司書にしかなれない」というから、本来は大学で教えるぐらいの知識人なのかも知れない。娘をオックスフォードだかに留学させたいと思っているのも、「ルーマニアじゃダメ」と思っているからだろう。でも、国を出たら、きっと娘は戻ってこないと思うけど…。
とはいえ、ロメオの母は、「ルーマニアでもいいじゃない」と鷹揚で、ムリやり国外に出すことはない、と思っている感じ。世代によって考え方が違うんだなあ。
というわけで、親バカ親父の独り相撲的な話。
なのであるが、いくら医師とはいえ、35前後の若い愛人が簡単につくれちゃうのか? というのが「?」というかうらやましいというか。なぜってロメオは腹はでてるし歳も50歳ぐらいだろ。なのに、愛人も打算と言うよりロメオが好きな感じなんだよな。たしか、本人か息子が病院で世話になって・・・だったと思うけど。しかも、愛人はエリザの学校の教諭・・・って、おい、設定が安易すぎないか。
・エリザはいつ、父親の不倫とその相手を知ったのだ? 祖母(ロメオの母)が倒れ、父親のいる不倫相手の教師の家を訪れ「お婆ちゃんが!」って知らせるんだけど。でも、父親が家にもどっても救急車がまだついていないって、なんだそれ。
・すでに書いたけど、娘が襲われた現場に娘の彼氏がいて、でも彼氏は、知っていながら警察にすぐ電話しなかった、とかなんとかいう話で。ロメオは娘の彼氏に詰め寄ったりするんだけど、結局、真相は分からず。なんだそれ。
・ロメオの家のガラスが割られたり、クルマにいたずらされるんだけど、やったのは愛人の息子、でいいんだよな、きっと。はっきりとは言ってないけどね。
幸せなひとりぼっち2/17ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/ハンネス・ホルム脚本/ハンネス・ホルム
スウェーデン映画。原題は“En man som heter Ove”。「オーヴェという男」という意味らしい。素っ気ないね。allcinemaのあらすじは「最愛の妻ソーニャを病で亡くし、長年勤めてきた仕事も突然のクビを宣告されてしまった59歳の孤独な男オーヴェ。すっかり絶望し、首を吊って自殺を図ろうとした矢先、向いに大騒ぎをしながらパルヴァネ一家が引っ越してきた。自殺を邪魔されておかんむりのオーヴェだったが、陽気な主婦パルヴァネは、そんなことお構いなしにオーヴェを積極的に頼るようになっていく。何度も自殺を邪魔された上、遠慮のないパルヴァネに最初は苛立ちを隠せないオーヴェだったが…」
オーヴェが住んでいるのは、きちんと区間整理された住宅街で。といってもアメリカみたいに広い道路が走っている、というのでもなく、日本の、開発された住宅街とも違っていて、なんか、平屋ではあるけれど団地みたいな感じかな。自治会がしっかりしているのか、住宅の近くを通る道には、クルマは進入禁止とか、自治体で決めたルールがあり、オーヴェが謹厳実直頑固ジジイ小言幸兵衛みたいに監視しまくって、ルールを守らない犬連れの夫人に注意し、停めてはいけないところに置かれた自転車は撤去し、あちこちの鍵はチェック! の毎日。まあ、極端ではあるけれど、ルールを守らない連中に対するいらつきは、共感するところも多くて、笑うというより「そうだそうだ!」と応援してしまったりした。
偏屈すぎるのに、周囲からは親しく接してもらっているのは、なぜなんだろう? と思っていたら、奥さんができた人だったのね。いや、現在のオーヴェからは想像できないような過去があり、父との思いで、ソーニャとの出会いなどが、現在の時間軸に挟まれて明かされていくんだけど、その物語が感動的で素晴らしすぎる。
クルマについて教えてくれた父。父は鉄道に勤めていて、オーヴェもまた父の手伝いをしていたりした。あるとき、客の忘れものの財布がみつかり、オーヴェが手にしたんだけれど、父の同僚が奪おうとする。それを阻止する父親・・・。興味深いことに、客の忘れものは第一発見者が好きにしていい、というルールがあるらしく、父の同僚は自分のものにしようとしたわけだ。でも、オーヴェは警察に届ける、という選択。嘘はキライ、曲がったことはイヤ、というまっすぐな性格は、西洋とりわけ北欧には根づいているのね。素晴らしい。
のだけれど、ある日、オーヴェの成績表が素晴らしいのに有頂天になった父親が、なんと列車にひかれてしまうという哀しい出来事が・・・。そういえば、父の仕事場に来ていたオーヴェも、轢かれそうになって父親にあやうく助けてもらったことがあったっけ。しかし、それにしても、気の毒なオーヴェ・・・。そんな彼に「もう、助けてくれる父ちゃんはいないぜ」と脅してくる例の同僚。でも、そいつにパンチをお見舞いするオーヴェ。素晴らしい。格好いい!
父と同じような仕事、なのかな。列車の清掃係として雇われて、ある日、列車の座席でうとうとと。はっとして目が覚めると、視界に真っ赤な靴が・・・。向かいの座席に、ソーニャが座っていて、電車賃まで出してもらって・・・という出会い。「ちゃんと返すから」といいつつも、住所も名前も聞かないというのはどうなんだ? でも、同じ時間の列車をずっと待ち伏せし、やっと再開。お金を替える代わりに(だったかな?)、食事に誘って? と逆ナンパされて、レストランで食事。
話題もなく、父から教わったクルマのことを延々と話し始めて・・・。さてどうなるかと思ったら「私も父から聞いているから知ってるわ」といわれて苦笑い。そして、最初は自分の職業をどう紹介したのかわすれたけど、正直にいってなかったことを告白すると、なーんと、ソーニャは立ち上がってオーヴェを促し、テーブル越しにキッス! おお。感動的。泣けてくるではないか!
クルマに乗っているとき、何気なくオーヴェが「結婚してくれないか」というんだけど「え? もう一度、はっきり、ちゃんと言って」とソーニャに切り返されるプロポーズのシーンも泣ける。
でも、そんなソーニャはお墓の中なんだよね。墓石には1956-2014と掘られている。若い。いや、冒頭に、オーヴェは会社をクビになるんだけど、年齢が59歳というのにビックリ。だって、70ぐらいのジイサマに見えるんだもの。なんか、ちょっとこの年齢については、ううむ・・・なところがあるけどね。
オーヴェはひとりぐらし。その向かいの家に、イラン人らしい楽天家の奥さんと旦那、娘が越してくる。これがパルヴァネで、料理をくれたりハシゴを貸してくれといってきたり、逆に、ルールを守らないのでオーヴェがあれこれ注意したり。オーヴェにとってはやっかいな隣人がやってきた、感じ。
実はオーヴェは、もうこの世に未練もなく、自殺して妻のところに行こうとしているんだけど、いつも失敗ばかり。あるいは、パルヴァネに注意しなくちゃならないような出来事が目に入ったり。てなわけで、延び延びになっていた自殺だけれど、いつのまにか死ぬことも忘れ、迷惑だと思っていたパルヴァネ一家とも心を通わせるようになり、他の住人数人とも、渋面で、ではあるけれど交流もつづき、偏屈ながらも頼られていたりするところがなかなか地味にいい。
とくに、昔から自治会活動を一緒にやっていて、でもいまは脳梗塞だかなんかで半身不随の住人がいるんだけど、彼が公的医療機関に隔離されるような流れになっていて、それに対して彼の妻や他の住人たちと抗う、という話も、なかなかいい。「白いシャツの連中」と呼んでいるけど、要は役人だ。大手を振って、進入禁止の場所に来るまで入り込む。かつては、オーヴェの家を取り壊したいと狙っていて、たまたまもらい火で火災が発生したときも、その白いシャツの連中は、消火活動をするな、と消防士に命じていたりして。つまりは、住民の側ではなく、行政の都合ばかり考えている連中、とオーヴェは忌み嫌っている。そういうところも、またまた共感してしまう。
まあ、半身不随の亭主を公的機関が施設に入れることに、なぜ反対するのか、そのあたりは実のところよく分からなくて。それほど施設はいやなところで、自宅で人生を全うさせたい、と思う人がスウェーデンには多いのかね。
さて。オーヴェには子供はいなかったのかな? というのが疑問だったんだけど、それにもちゃんと答を用意していて。実はソーニャは妊娠し、オーヴェとふたりでスペイン旅行(だったかな)に行くんだけど、バスが転落。命は助かったけれど、ソーニャは車椅子生活になるねという展開だった。学校側は、車椅子の教師は要らない、というのだけれど、オーヴェは自ら学校の入口に材木を利用してスロープをつくり、働けるようにしてしまうのも、感動的。
で、そういえば、冒頭で彼女の自転車をオーヴェに隠されて困っていた青年が「ソーニャ先生はいい人だったのに・・・」とかいっていたのが、ここで効いてくる。件の学校はデキの悪い子が多かったけれど、ソーニャはこころを込めてそういう生徒たちと接し、愛情を注いでいたのだ。そんなソーニャは、数年前にがんで亡くなったんだと。ううう。哀しすぎる。オーヴェが意固地になって、ソーニャの元に早く行きたい、と思うようになったのも、むべなるかな。と思えるような気がしてくるから不思議だ。
でも、パルヴァネに元気をもらい、半身不随の友人を役人の手から守り、野良猫ともうまく行きはじめたある日、オーヴェは心臓肥大で倒れ、呆気なくあの世に旅立ってしまう。なんと。でも、もともと早く死にたかったんだから、いいか、それで。あの素晴らしいソーニャのもとに行けるのだから!
葬儀ののち、住宅地の戸締まりチェックは、パルヴァネ家の幼い娘が引きつぐみたい。なかなかいい感じ。オーヴェの実直な精神が引き継がれるのだから・・・。
そして、またしても列車の座席で目覚めるオーヴェ。でも、もう若くない。たぶん60歳ぐらいの老人。その視界に見えるのは、地味な焦げ茶の靴。カメラがアップすると、年老いた、といっても老けメイクだから若々しいんだけど、ソーニャが微笑むという洒落たラストシーンも泣かせる!
・ノラ猫が猫がいい。ペルシャ猫とのあいのこか。素性は、まあいいけど、はぐれ者。オーヴェのアナロジー的な存在かな。とくに芸はしないんだけど、その自然さがなかなかの役者だった。座布団一枚あげたい。
・オーヴェと、後年半身不随になった、自治会の男。たがいにクルマで張り合ったり、でも、最後は仲間同士で共闘したり、なかなかいい感じ。その、半身不随の夫を労る奥さんも、いい。ほかに、猫アレルギーで、ランニングするデブ中年男とかみな、キャラ立ちしてる。
たかが世界の終わり2/27ヒューマントラストシネマ有楽町1監督/グザヴィエ・ドラン脚本/グザヴィエ・ドラン
カナダ/フランス映画。原題は“Juste la fin du monde”。Google翻訳では「世界のちょうど終わり」。英文タイトルは“It's Only the End of the World”。allcinemaのあらすじは「人気作家のルイは12年ぶりに帰郷し、疎遠にしていた家族と久々に顔を合わせる。目的は不治の病に冒され死期が迫っていることを伝えるため。幼い頃に別れたきりの妹シュザンヌは兄との再会に胸躍らせ、母マルティーヌは息子の大好きな料理で歓迎する。一方、兄のアントワーヌはひたすら刺々しく、その妻カトリーヌは初対面の義弟に気を遣いつつも戸惑いを隠せない。そうして食事を囲みながらの無意味な会話が続き、なかなか帰郷の目的を打ち明けられないルイだったが…」
つまらない。
背景がよく分からず、でもまあ次第に分かってくる部分はあるんだけど、小出しにする必要もないだろうに。思わせぶりに始まって、何だか分からない家族の怒鳴り合いが延々とつづき、結局、ルイは何も打ち明けずに帰っていくと、それだけの半日ぐらいの時間。兄弟が諍い合うのは、もしかして神話とか宗教がらみか? 各兄弟がどの神を示唆しているかなんて、そっち方面はよく分からないので、もしそうならお手上げだよ。
ルイについては、なぜ12年振りなのか? 分からない。母親が「いまもゲイの住む場所にいるのか?」とか聞いたので、ああ、じゃあエイズか、と。さらに、ルイの記事が壁に貼ってあったり、食事中だったかに「ゴシップは・・・」どうのこうの、といっていたので、では芸能人? とか思っていたら、アントワーヌがクルマで送るときだったかなんだったか「劇作家」という言葉が出て来て。やっとルイの素性が分かった頃は、後半戦もずいぶん過ぎてからのこと。
兄アントワーヌはそのルイに攻撃的にあたるんだけど、あれはなんなんだ? 「エラソーにしやがって!」ってことか? シュザンヌは最初「お兄ちゃんお兄ちゃん」と抱きついていたけど、12年振りでなにがどう懐かしいのか共感しているのか、よく分からない。母親は、冷たくないけど、なにをどう期待しているのか、よく分からず。アントワーヌの妻カトリーヌは、変なことをいってアントワーヌやシュザンヌになんか突っ込まれるのではと、オドオドしてる感じ。
そういえば、シュザンヌは家をでて独立したいけど、できないらしい。それはなんなんだ? 独立すりゃあいいだろうに。反抗的なのか、刺青してマリファナ吸って・・・。よく分からない。
・・・ぐらいしか分からないかな。歓迎ムードだった母とシュザンヌね傍観のカトリーヌ。そして、何かとつっかかる兄アントワーヌが、ルイを追い出すようにするラストへ。で、なんだったんだ? この映画は。ルイは本当に死期が迫っているのか? それだって、定かではない。
そういえば、ルイと男性の恋人のベッドシーンもあったけど、あれは過去? 現在進行形のLOVE? でも、あの相手が死んだ、みたいなこともいっていたような…。ああ、まったく分からない。とくに分かってやる必要もないので、まあいいか。結論的にいうと、理解不能でありました。ま、どーでもいいや、な感じかな。
・母親とシュザンヌが、事務で踊っているときのBGMが、「マイヤヒー」っのは、なんなんだ?
・最後の方に、迷い鳥が入り込み、出口を見つけられずに激突し、死んでいく様子が描かれるんだけど、比喩としては分かりやすすぎて安っぽい。
世界一キライなあなたに2/28ギンレイホール監督/テア・シャーロック脚本/ジョジョ・モイーズ
イギリス映画かと思ったら、アメリカ映画だった。原題は“Me Before You”。allcinemaのあらすじは「イギリスの田舎町に暮らす天真爛漫でおしゃれが大好きな26歳の女性、ルー。ある日、働いていたカフェの閉店で失業してしまう。ようやく見つけた仕事は、交通事故で車椅子生活を余儀なくされたイケメン大富豪ウィル・トレイナーのお世話係というもの。それは6ヵ月の期間限定という条件付きだった。生きる意欲を失い、すっかり心を閉ざしていたウィルだったが、ルーは持ち前の明るさで少しずつ彼との距離を縮めていく。そしていつしか恋に落ちるルーとウィルだったが…」
つまらなくはないんだけど、最終的な話の展開が倫理的にいかなるものか、という思いが強い。なので、かなりの減点だな。だって、首から下の四肢不随という状況だからといって、自ら死を選んでいいはずがない。この映画は、その選択肢を肯定するものだ。同じような境遇の人はこの世にたくさんいるはずだけど、そういう人に希望を与えるどころか、「こんな身体で生きる意味はない」「死という選択もある」とメッセージを送っているわけで、後半、不愉快になってきた。
ひょっとして奇跡が起きて、手が動くようになる、とか。あるいは、性的機能は生きていて、ルーと結婚して子どもをつくるとか。四肢不随でも、まだまだ可能性もあるし、人生捨てたもんじゃない、と思わせてくれるのが映画ではないか。なのに、そういうこともないなんて、糞である。
話の骨格は、おとぎ話である。四肢不随患者についても、きれいごとに描いていて、排泄や入浴、その他、観客に不愉快な様子は一切カット。ルーは、まいにちウィルのご機嫌うかがいをする、だけのお世話係。なんだそれ、だよな。
そういう仕事にアキが出る、ということは、ウィルが気むずかしすぎるとか仕事が過酷で誰も居着かないような仕事だから? 思ったら、楽ちん仕事ではないか。あほか。
そうした日々の小ネタでつづる半年で、大きな事件もなく、ラストに向かう。もちろんルー持ち前の明るさでウィルも心を開く・・・、と評価したいところだけど、とくに陰気で意地悪なわけではない。元カノが同僚と結婚することになって少しいじけているとか、その程度。なのに、「元気だった頃の自分が忘れられない。いま、この身体で生きる意味が見いだせない。だから自死を選ぶ」と決めつけ、スイスがどうたらといっているんだが、なんだそれ、な話である。
字幕はでた。「ディグニタス」とね。でも、その説明はまったくない。webでみたら「安楽死による死ぬ権利を訴え、実際に医師と看護師により自殺を幇助するスイスの団体」だという。そのぐらい説明してくれなくちゃ、分からんだろ。あと、遺言請負の会社が登場してきて、ちゃくちゃくと死ぬ準備をしていて。半年後には決行する、と意志は硬い様子。
興味深いのは、ウィルの両親で。母親は死に反対。父親は、息子の意志を尊重、な立場であること。そういえば、ALS(筋萎縮性側索硬化症)で、尊厳死が許されているベルギーへ自転車旅行する『君がくれたグッドライフ』という映画もあった。けど、あれはどんどん死が迫ってくる病だ。対してこちらは、免疫不全で肺炎なんかの危機はあるけれど、そうでなければフツーに生きられる状態。まったく状況が違うので比較にならないんだけど、それにしても、個人の死を尊重する、という立場や商売が一般化してきているのだな、西洋では。ううむ。いいのか、そんなの。
おとぎ話にならないのは、結局、ウィルの意志は変わらず、スイスで自死を選択してしまうこと。でも、ウィルは、一生生活するのはムリでも、結構な額の資金をルーに与えていること。失礼ながら、あんな仕事で半年つきあい、キス数回しただけで、大儲けじゃん。そんな金、ルーに必要あるのか?
そういえば、一家は失業中で。両親も、ルーも失業。子連れの妹が、将来のためといって大学に復学したから、ルーが大黒柱、な状態らしい。なんてことが、イギリスではフツーなのか? でも、ウィルの両親は城もちの大金持ちで。観光地としての城の管理人に、ルーの父親を雇うという特別扱いで、ルーの経済的負担は減ったはず。
そういえばルーは、大学に合格したけど経済的利用で行けなかった・・・とか。マンチェスターとか聞こえたけど、マンチェスター大学なら名門だわな。でも、26歳のルーが大学へ行く、という話もなかったし…。たんなる娯楽資金か結婚資金? そんな金、若い娘に要らないんじゃないのか? というのも、不愉快なラストである。
というわけで、脳天気な元気娘が、若く金持ちの四肢不随患者と心を通わせるようになるんだが、ルーには7年もつき合ってる彼氏がいて。その彼を、なぜか振ってまでウィルとの南国旅行を決行するんだけど、気の毒なのは彼氏だよなあ。すくなくとも、彼氏は性的不能じゃないものなあ。というのも、スッキリしない話。
驚いたのは、ルーは26歳になるまで字幕で映画を見たことがない、ということ。大学に合格してても、そんな無教養なのか?
ウィルに最初に見せられたのが『神々と男たち』で。けっこう話に没入できてるではないか? で、彼氏と一緒に行った映画では、壁のポスターの『オール・アバウト・マイ・マザー』はどう? と彼氏にいうけど無視されて、ウィル・フェレルの映画を選ばれてしまう。うーむ。イギリスの中産階級?

 
 

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