2017年5月

ジュリエッタ5/8ギンレイホール監督/ペドロ・アルモドバル脚本/ペドロ・アルモドバル
スペイン映画。原題は“Julieta”。allcinemaのあらすじは「スペインのマドリードでひとり暮らしをしている中年女性、ジュリエッタ。恋人のロレンソとポルトガルへの移住を計画していた彼女だったが、ある日、知人から“あなたの娘を見かけた”と告げられ、激しく動揺する。娘のアンティアは12年前、何も言わずに突然ジュリエッタの前から姿を消してしまったのだった。ロレンソとのポルトガル行きを諦めた彼女は、かつて娘と暮らしたアパートへ引っ越し、娘との再会にかすかな希望を抱く。そして心の奥底に封印していた過去と向き合い、所在も分からぬ娘に宛てた手紙を書き始めるジュリエッタだったが…」
始まってから「あ、アルモドバルか」と気づくほど事前情報を仕込んでいない・・・。きっと変な映画だろうと思っていたら、変態なところはあまりなく、でも話自体は扁平で、対立や葛藤といったドラマもほとんどなく、だらだらとジュリエッタをめぐるクロニクルがつづられる。で、だからどうした、な感じの話。
若きジュリエッタを演じたアドリアーナ・ウガルテ(1985生)も、中年以降を演じたエマ・スアレス(1964生)も、なかなかの美人なので、それがより所・・・。あと、亭主ショアンの家政婦を演じたロッシ・デ・パルマの怪女ぶり(容貌魁偉!)がなかなかで、これも良かった。物足りないのは娘のアンティアと友人の娘が、あんまり印象に残らない顔立ちで。これは残念なところ。
話はつながっているけれど、実はみな尻切れトンボで、大きなうねりとか因果関係は感じられず。あれこれあるけど焦点が定まらない感じ。まあ、各パートや人物はいわくありげだけど、思わせぶりなだけ。きっちりと描いているから、つまらなくはないけど、結局何もないので、面白くもない。そんな感じ。
この映画の最大の謎、のような描かれている“娘の失踪”だけど、まあ、ちょっとした母親不審にカルトな教え=ヨガとか自然主義とか、にかぶれ、コミュニティに参加し、家庭を切り捨てた、ということだろう。それ以上のことはない。でも、そういうことはあっさりとほのめかされるだけなので、「どうなるのかな?」「その全貌は?」なんて思っても肩すかし。なんじゃらほい、で終わってしまう。
そもそも、娘に執着しすぎではないのか? スペインは、子どもが成長しても一緒に住んでいるような文化なのかね。アメリカ辺りだと、18、9になれば家を出てひとり暮らしは不自然じゃないらしいし。日本はまあ、もともと一緒に住む文化だから、なんですが。この、母親の娘に対する奇妙な執着を排除したら、ほとんど中味はなくなると思う。そんな映画。こだわり方の感覚が違うのかもな。
そもそもジュリエッタって身勝手だし、下半身だらしなくないか? 若い頃、列車でオッサンに「話し相手に・・・」といわれて気味が悪いと席を変え、若い男のところに行き、意気投合して車内でセックス。その結果できたのがアンティアで。相手の男も、女とみればやっちゃう感じのやつで、たまたま男の方からジュリエッタに手紙を出し、ジュリエッタはその手紙を「会いたい」と解釈して押しかけ女房だろ。亭主が水難事故であの世行き、というのも唐突すぎる展開で、なんだかなあ。その後のジュリエッタのうつ病も、これまた唐突で。亭主はそんなに大事な存在だったのか? そんな風には見えなかったけどな。で、娘の失踪も、これまた脈絡なく唐突で、今度は娘を追う話になり・・・。うねりはあるけど、ドラマがない。
最後、娘からの手紙に、初めて住所が書いてあったから、と現在のパートナーと会いに行くんだけど。会ってどうする? な感じ。だいたい、娘の方も、息子を失って初めて、私があなたの元を去ったときの、母親の気持ちが分かるようになった、とかって、母親同様、身勝手なやつだよまったく。
・冒頭の列車の一件は、ありゃなんなんだ? 自殺志願のおっさんの話し相手にならなかったのがたたって、人生が狂ったとでも? あの、列車と並走する、思わせぶりな鹿はなんなんだ? 意味あるのか?
・あの怪しい家政婦はなんなんだ? ジュリエッタに冷たい態度で、嫌っているかのように振る舞い、そのうちフツーになり、娘のアンティアとはベタベタの仲。アンティアがくれたというジャージを着て、家を出ていく。よく分からん。入れ替わりでやってきた若い家政婦は、誰が選んだんだ? あんなのがそばにいたら、亭主はすぐに浮気しちゃうだろうに。
・アバのつくる、切断された男性器をもつ塑像はなんなんだ? 意味を込めているのか?
・日本の火星探査船がどうたらというテレビのニュースは、意味があるのか? たんに時代を示しているだけ?
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※話を時系列に整理すると・・・
代用教員のジュリエッタ。列車で知り合った漁師のショアン(妻は昏睡状態だとか)と知り合い、その夜、車内で激しく交尾。
教員の契約が切れる頃、ショアンから学校に手紙・・・。訪ねてみるとショアンは留守で、彼の妻は亡くなったという。家政婦のマリアンが冷たく対応(帰れ! と言わんばかり)。ついでに、ショアンにアバという彫刻家の彼女がいることも・・・。マリアンの連絡を受けたショアン急ぎ戻り、激しく交尾。実は車内の交尾で妊娠していて、そのまま居着ついて、結婚、したのかな?
幼子をつれて3人でジュリエッタの両親に会いに(具体的映像はなし)、その2年後、ジュリエッタと2歳のアンティアが里帰り。母親は痴呆症? 衰弱してベッドの中で、介護は中年女性を雇ってるんだけど、どうやら父親と彼女は関係をもっているらしい・・・。ショアンのもとにもどると、アバと浮気していた様子。
アンティアはすくすく育ち、家政婦のマリアンとべったりの仲。なのにマリアンは家政婦をやめることに・・・。ショアン(だったっけ?)は「マリアンが辞めたいと言った」というんだけど、どうもよく分からない。代わりにやってきたのは若い家政婦で、彼女は1シーンしか出てこない。だれが決めたんだろう? まるでショアンに浮気しろ、といってるようなもんだろ。
ある夏、娘はキャンプへ。という最中、ジュリエッタとショアンが対立。ジュリエッタは、「アバと会ってるんでしょ」とか、まあ、痴話喧嘩? ところが、漁に出たショアンが嵐にあって死んでしまう。というところに、キャンプ先のアンティアから電話で、友だちが出来たから、その子の住むマドリッドに泊まりに行きたい、と。とりあえず行かせて。葬儀(映像は省略)の後、ジュリエッタとアバが灰を海に撒く。
ジュリエッタがマドリッドに行き、娘を預かってもらっている友人宅を訪問。父の死を告げる。が、どーも、ショアンはジュリエッタとケンカした後キャンプ先のアンティアに電話し、ジュリエッタとケンカとなった経緯を話した、らしい。それをどーも根に持った、らしい。友人の母親が旅行で、彼女の家にジュリエッタが一時的に住むことに。ジュリエッタとアンティア、そして、友人娘の3人生活。ジュリエッタはマドリッドが気に入ったのか、ショアンの家を売り払い、アンティアとアパートを借りる。娘の友人宅とも近い。そして、生活のため校正(だっかな)の仕事を始めた。が、ジュリエッタはうつ病に。
アンティア18歳、突然、瞑想キャンプに行くといいだし、ひとりで旅立ってしまう。アンティアは、友人にも「あんたは私を分かっていない」と否定的な態度になり、こちらもケンカ別れ。
そして12年。この間にアバは多発性硬化症に罹患して入院。その見舞に行って、ロレンソとすれ違う。実際に会話したのはアバの葬儀(だったかな)で、これが縁で同棲。新たな生活のため、これまでのあれこれを捨て、2人でポルトガルに移住することにした。この2人の旅立ちの部分が映画のオープニング。
その直後、ジュリエッタは街でアンティアのかつての友人と遭遇。スイスだったかどこだったかで「アンティアと会った。最初は知らないと言われたが、最後は認めて。いま、子どもは3人いる。痩せていた」と。それで、ポルトガル行きを中止し、ロレンソの家をでて、かつてアンティアと住んだアパートに改めて部屋を借り、ひとりで生活しはじめる。そして、アンティアに向けて自分の生涯について書き始める・・・。これが、この映画の元となる物語。
えーと。ジュリエッタが瞑想キャンプを訪ねるが、「ここにはいない。彼女は新たな生き甲斐を見出した。信仰のない家庭に育ったせい」といわれ、警察や探偵に頼るが見つからない、というのは、この時点だっけか? アンティア失踪直後だっけ? 忘れてるよ。ははは。
手がかりを失い、呆然としてクルマに衝突し、入院。ずっと後をつけていたロレンソに助けられて入院。ロレンソが家からもってきた回顧録と一通の手紙。その手紙はアンティアからで「長男9歳を水の事故(だったかな?)で亡くし、やっと、私が出ていったときの母さんのつらさが分かった」とあり、住所も書いてあった。で、ロレンソと2人、クルマで向かう、というところでエンド。
ブルーに生まれついて5/8ギンレイホール監督/ロバート・バドロー脚本/ロバート・バドロー
アメリカ/カナダ/イギリス映画。原題は“Born to Be Blue”。allcinemaのあらすじは「白人ジャズ・トランペット奏者のチェット・ベイカーは、その端正なルックスも相まって1950年代に一世を風靡する。しかしドラッグに溺れ、たびたびトラブルを起こして、いつしか表舞台から姿を消してしまう。そんな中、暴力沙汰に巻き込まれ、病院送りに。アゴを砕かれ、前歯を全部失う重傷で、トランペッターとしては致命傷かに思われた。それでも、恋人ジェーンの献身的なサポートのもと、ドラッグの誘惑を断ち、再起に向けて懸命に歩を進めていくチェットだったが…」
チェット・ベイカーというと甘ったるい声の“マイ・ファニー・ヴァレンタイン”で、アルバムは“Chet Baker Sings”。これだけ聞けばいい、みたいな感じだった。なので“Chet Baker Sings”は買った。レコード。でも、あんまり聞いていない。10年ぐらい前か、図書館で別のCDを借りたけど、これもほとんど聞いていない。トランペットの音質的にも楽曲的にも、とくに興味はひかれなかった。なので、チェット・ベイカーの伝記が映画になるということが、へー、なんだよね。アメリカじゃそんな人気のトランペッターだったの? ヤク中で、最後はオランダのホテルの窓から転落死、ぐらいしか知らないんだけどね。こっちは。
なので、初めて知ったことが少なくない。たとえば弾んだ小石で前歯を欠いたとか、借金でヤクザに殴られ顎をくだかれ前歯も入れ歯になったとか。はたまたチャーリー・パーカーのオーディションに通ってセッションに参加したとか。調べたら一緒にレコードも録音しているらしい。さらにまた、ディジー・ガレスピーと知り合いで、マイルスもチェットに関心をもっていた、とは・・・。
ウェストコーストっていうとシェリー・マン、ジェリー・マリガンなんていうのが有名どころで、調べたらデイヴ・ブルーベックやポール・デスモンド、アート・ペッパーも入るのか。でも、この映画では彼らは登場せず、ディジーとマイルスぐらいしか顔を見せない。しかも、チェット・ベイカーが麻薬でダメになり、入れ歯で吹けなくなった時代が大半だから、2人はもう神様的な存在で、チェットは乞食同然な感じ。そんなに差が開いてしまうのか? チェットがいかに麻薬に手を染め、どう堕落し、西海岸からでられなくなったのか、あたりを知りたいような気がする。
あるいはまた、バートナーとして登場する女優ジェーン以前に、2度結婚してるらしいけど・・・3度目の奥さんはCarol Bakerという名前らしい。ん? ジェーンは? で調べたら彼女は映画的な創作らしく、そんな恋人はいなかったらしい。まったく。もう混乱。こうなると、どこまで信じていいのか分からんな。要は映画として楽しめということか。わかったよ。
というわけで。ヤク中のトランペッターの話なんだが、なるほどなところもあるけど、共感できるところがほとんどなく、何を言いたいのかもよく分からない。ヤク中も借金も前歯を失ったのも、自己責任だろ。で終了だ。つまりまあ、そうなってしまった要因みたいなものも示唆されず、華々しい時代もあったけどいまは落ちぶれて、ついにはラッパも吹けなくなり、惨めにもガソリンスタンドで働いたり、場末の居酒屋で吹いて「もうちょい練習してこいや」なんて言われてしまう体たらく。でもジェーンに支えられて(でも、彼女はほんとうはいなかったんだろ?)、入れ歯も調整して、昔なじみの音楽プロデューサーに泣きついてスタジオセッションし、“マイ・ファニー・ヴァレンタイン”を歌って復活! という、絵に描いたようなストーリー。きっと嘘だな。あれが“マイ・ファニー・ヴァレンタイン”歌唱の誕生秘話、というわけじゃないんだろ、きっと。
で、次はガレスピーに泣いて頼んでニューヨーク、バードランドに1夜限りで出演が叶うけど、ナーバスになりすぎてステージに上がれない。ヘロイン代わりのメタドンを忘れて、どうしようもない! ので、一発キメてステージに上がってしまうという・・・。このとき、音楽プロデューサーは「ジャズメンならみんなメタドンぐらいもってる。ちょっと待ってな」って探しに行ってくれるのに、待てずにやっちゃうんだからどうしようもない。というか、なんでヘロイン持ち歩いてるんだよ。最初からキメるつもりだったんだろ、としか思えない。
それで、ステージは乗り切ったのか? そういえば、オーディションがあるからバードランドには行けない、といいつつ、早く終わったからと駆けつけたジェーンが、客席からチェットの様子を見て、黙って去って行くのは、ありゃどういう意味だ? ヤクやってるのを見抜いて、こりゃダメだ、って離れて行ったのか? よく分からない。
その後、チェットはヨーロッパに渡ったらしいけど、それは字幕での説明だけ。ヤク中がどうやって欧州への飛行機に乗れ、その後も演奏できたのかどうか、とか、説明なし。もちろん窓から転落死のことにも触れない。なんか、きれいごとに仕上げちゃってるなあ、と。
・冒頭の映画の中の場面みたいなシーン(ムショのシーンとか)は、事実なのか、撮影なのか、なんか曖昧な撮り方をしている。家に女を連れ込んでヤクを打つところは撮影、とはっきり分かるんだけど・・・。まあ、わざとそうしてるんだろうけど、ううむ・・・な感じ。
・“マイ・ファニー・ヴァレンタイン”は、イーサン・ホーク自身が歌ってるらしい。でも、オリジナルの気怠さがは決定的に欠けていて、いまいち乗れず。
・音楽は「カナダ出身のトランペット奏者ケビン・ターコットが別録りで担当」とか、どっかで書かれていた。けど、なんかフツーな感じで、色が感じられない。トランペットって、奏者によって音色とか奏法とか違ってて、それなりに味があるように思うんだけど、なんか素っ気ない。いや、もともとチェットのトランペット自体がフツーなんじゃないかと思うんだけど。なので、バードはどこをどう評価したのか、よく分からない。まあ、私自身に聞く耳がないのが最大の原因なんだが。
・登場するマイルスは、本人に結構似ていた。ガレスピーも、メガネのせいでなんとなく似てた。
追憶5/10109シネマズ木場シアター3監督/降旗康男脚本/青島武、瀧本智行
allcinemaのあらすじは「ある日、富山県の漁港で殺人事件が発生する。被害者の川端悟は捜査に当たる四方篤刑事の幼なじみだった。しかも、川端と事件の前日に会っていたという容疑者の田所啓太もまた幼なじみ。25年前、それぞれに親に捨てられた3人は喫茶“ゆきわりそう”を営む涼子と常連客の光男の世話になっていたのだった。しかしある事件を機に散り散りとなり、以来決して会うこともなかった。四方は田所の無実を確信しながらも、固く口を閉ざして真相を語ろうとしない彼に苛立ちを募らせるのだったが…」
いやー、4〜50年ぐらい前の映画みたいなつくりで。いまどきこんな大仰な芝居をするか? でかい声で会話したりするか? ひでえシナリオだな。説明台詞も多くて、クサイのなんの。音楽も、盛り上げようと必死な感じばかりがつたわってきて、惨めな感じ。ああ、すべてが古くせえ。でもって、拍子抜けするオチ。なんだこりゃ。なんでこんなん年寄りに撮らせたんだ?
人物が皆、これまでどこかでみたようなキャラで、まるで記号の寄せ集め。記号が、記号的な台詞をしゃべってる。やんなるな。
原作ものかと思ったらオリジナルらしい。それで話が大雑把なのか。なるほど。
25年前。涼子は富山の田舎で喫茶店を経営していた・・・っていう時点で、ありえねえ。街中ならまだしも、あんなところで客が来るもんか。で、はぐれ子供3人にやさしく、世話をしていた。って、それは人さらいじゃないか。1人は施設を逃げ出してきた? 四方は母親に捨てられた、だっけ。もう1人はなんだっけ。でも、せいぜい数ヵ月程度だよな。だって事件が発生してしまったんだから。さてその事件だが。涼子には男がいて、子どもを邪魔者扱いしていた。男はたまにきて涼子を抱き、暴力を振るう・・・。うわー。昔々の映画みたいだよ。このステレオタイプ。でこの男だけど、どういう関係か分からず。朝日の映画評では「元風俗嬢」と説明されていたとあるけど、そんな説明あったか? で、子ども3人結託し、男を殺すことに。1人が刺すんだけど、刺したのは誰だった? よく分からず。3人のうち1人は目がくりっとしていて、こいつが幼き日の田所(小栗旬)かと思ったらさにあらずで四方(岡田准一)だった。やれやれ。で、涼子が罪をかぶって刑務所に・・・らしいが、涼子が刑務所に入ったのかどうか、後半の後半まで分からず。おいおい。で、現在。東京でガラス屋をやっている川端(柄本祐)が経営不振で金策に・・・。頼ったのは、土建業で羽振りのいい田所で、でも富山で死体となって見つかった、というイントロ。
そもそ川端が婿で、女房のオヤジがやっていたガラス店を継いだ。だから商売替えはできない、と考えるのが古くさい。いまどきそんなやつ、おらんだろ。そのオヤジの実家は富山、というのは偶然なのか? あるいは、川端が富山を出るとき、頼ったのが地元出身のガラス屋、ということか? 説明が足りない。
川端は、富山のラーメン屋で、偶然にも四方と再会する。この偶然・・・。おいおい、な感じ。似てるだけで、いきなり川端が四方に「あっちゃん!」なんて呼びかけるか? さらに、この2人の再会をラーメン屋が細かく記憶していて、警察に話すという都合よさ。なんだかな。
川端と四方は居酒屋に行くんだが、街頭の監視カメラに写った後ろ姿から、川端が飲んだ相手が「四方だ」と特定する上司って、スーパー警察官だな。さらに、川端と田所がファミレスで会って金を借りている様子を店の従業員がこと細かに憶えていて、田所そっくりの似顔絵までできているって、凄い従業員だな。
てなわけで、簡単に四方と川端の関係が明るみに出て、田所ともつながってしまう。簡単過ぎ。なのに川端は田所のところにクルマで押しかけ、直談判。でも、話すことといったら「俺たちはもっと早く会うべきだった」とか、アホか、な感じ。会ってどうなるというのだ。というか、狭い富山にいて、田所の存在を知らない四方がトンマなんじゃないのか? あんだけの規模の会社を経営していれば、いやでも情報として耳に入ってくるだろ。だって刑事なんだろ?
というわけで、犯人はだれか? 問題なんだが。ここはたぶん、一番らしくない電気屋の山形あたりではないかと目星をつけたんだが大ハズレ。というか、ええええええ! という展開にずっこけた。なんと、川端の嫁が従業員とデキてて、保険金目的で川端を殺した、という何ともはやのびっくり話。それってずるいだろ。だって本筋と関係ない話じゃん。裏をかくにもほどがありすぎのあっさりさ。しかも、気づいたのは実の娘で、母親と従業員が怪しいと警察に話した、んだって? おいおい。なんて正義の娘なんだ。親をかばわないなんて。お母ちゃんっ子ではなく、お父ちゃん子だったのか。それでも、一生トラウマだろ、この一件は。
それと、涼子が交通事故で半身不随&記憶障害にあって、いまも山形が面倒を見ているという設定も、泣かせよう、感動させようという思いがミエミエで、逆にバカか、と思えてしまう。なんか、みんなご都合主義であれこれ設定されている感じで、必然性がほとんどない。
涼子は何年入っていたのか? 出所後、山形と一緒になったのか? いや、山形は、元風俗嬢でヤクザの男だった涼子を、なぜに好きになったのか? そして、いまもつづいている理由は? 四方と田所の疑いは晴れたけれど、職務に忠実でなかった四方は刑事をやめさせられるとか降格とかないのか? 当然だけど、ヤクザを刺した一件は、このまま闇に葬られるわけね。そして、四方と田所はつきあいが始まり、涼子の見舞にたびたび訪れるようになりましたとさ、でしょうかね。
重厚に仕上げた人間ドラマ、なのかも知れないけど、スキがありすぎの凡作でしかなかった。やれやれな感じだね。
・田所の嫁は涼子の子で、あのヤクザの男の子どもらしい。それ、もっと、じわっと来るように描けなかったのかね。あ、ということは、彼女は刑務所生まれなのか? で、母親を知らず、施設で育った? うーむ。田所は、どうやってアプローチしたんだろう。最初から嫁にするつもりで接近したのかね。
・四方を捨てた母親役に、りりィ。『湯を沸かすほどの熱い愛』が最後ではなかったんだ・・・。まだ出演作はあるのかな?
・四方の、別居中の嫁に長澤まさみ。いったいなんで別居中なんだ? 妻と別居中の刑事って、よくあるパターンな気がする。
・エンドロールに萩尾みどりの名前があった。気づかず。あの年格好だと、田所の妻の母親?
殺されたミンジュ5/11キネカ大森2監督/キム・ギドク脚本/キム・ギドク
英語タイトルは“One on One”。「1対1」のこと。allcinemaのあらすじは「とある5月9日の夜。ソウル市内で一人の女子高生が男たちの集団に捕まり、無惨に殺された。しかし事件は表沙汰になることなく闇に葬り去られた。1年後、事件に関わった7人の男たちを一人、また一人と拉致しては、激しい拷問によって自白を強要する謎の集団が現われる。はたして女子高生はなぜ殺されたのか。そして謎の集団の正体とその目的とは。やがて事件の真相が徐々に明らかになってくるかに思われたが…」
はじめは、殺人事件を追うサスペンスからと思ったら、当時の犯人たちが次々と拉致られ、拷問の揚げ句に自白書を書かされ、解放されていく、という話で。自警団の話か? と思ったら事件一般ではなく、冒頭の女子校生殺し事件への復讐なので、こりゃリーダーの復讐劇かなと思ったらその通りで。なーんだ、な感じ。
で、途中から、冒頭の女子校生はなぜ殺されたのか、殺したのは誰か、と「?」だったんだけど、そういうことには触れもせず、話は単に「上から言われたことは嫌なことでもやる。それが組織の一員の使命」ということを延々伝えるだけ。ああそうか。これは寓話であって、現実のドラマではないのだ、と気づいた途端につまらなくなった。だって、こちらの疑問に対する答がないんだもの。
寓話だからリアリティをどーのと言っても仕方がないのは分かるんだが、寓意が生で登場し、訴え、動いたり話したりするので、「それは分かった。でもドラマとしては入り込めない」というような本音のところ。寓話はドラマのなかに上手く忍ばせるのがよいと思う。だってやっぱり、政府機関が世の中のためといって女子校生を殺害する目的は何なんだ? その兄=リーダーは何なんだ? どうやって1年前の犯行を写真に撮り(笑ってしまう)、犯人たちを探し出して特定し、拉致って拷問を加えられたのか? が気になってしまう。たまたまネットで知り合った、世の中に不満をもつ連中を集めても、あんな行動はできんだろ。
拉致メンバーで区別できるのは、レストランの給仕。偉そうな客の料理にツバをかけたりする。客は、世の中の理不尽の象徴? あと、大学だしてくれた兄貴は、この給仕の兄貴だよな? なんか似たような顔が幾つも登場するんだよな。拉致グループを追って写真を撮ってるやつ、坊さん、それから、予告を見たら最初に拉致られた男も似ている。なんじゃ、と思ってたら、なんとキム・ヨンミンの1人8役だと。バカか。な感じ。ひとりの人間には幾つもの顔がある、とかいう意味でも込めたのかな? よく分からんが、迷惑。
ラスボスをいためつけてるリーダーに、部下2人が「ひどすぎる」と介入するんだが、それほど拷問はエスカレートしてないよなあ。で、ラスボスは逃げるんだっけ? 部下2人はどうなるんだっけ? 給仕がその2人に向かって行ってたような気もするが・・・。で、トーチカみたいなところに籠もっていると坊さんが通りかかり、なんと軍隊で一緒? でも、この坊さんもキム・ヨンミン。同一人物か別人か区別もつかないので、話がよく分からない。
他には、唯一の女性なんだけど、彼氏が乱暴男で。でも、DVされてもセックスに持ち込まれると、乱暴男なのに離れられない、というバカ女だった。ストレス解消は、乱暴男がくれた金を使ってのブランド品購入? この乱暴男もキム・ヨンミンだっけ? あと、なんか、ヤクザみたいな男もキム・ヨンミンなのかな。
あとは、親友の詐欺にあって家と財産をとられた男がいるけど、経緯がよく分からず。
まあ、1人8役やってもいいけど、もうちょっと分かるようにやってくれ、な感じ。メンバーの紹介も大雑把で粗いし、いまひとつ入り込めず共感もない。
で、最後、石の上で僧衣を着て号泣しているリーダー坊さんが背後から忍び寄り、殴り殺してしまうんだが。これはなんなんだ? 個人としては元上司を倫理に基づいて殺害し、組織の人間としては組織の行動をジャマする相手を殺害する、ということで社会は安泰、とかいうことを表しているのか? よく分からない。
最後に「私は誰なのか?」という字幕が出るのだけれど、知ったことか。勝手にやってなさい、な感じだ。
※ミンジュには「民主主義」の意味があるんだそうな。Webにそのようなことが書いてあった。なるほど。それは分かりやすい。まあ、分かりやすすぎる、気もするが。
・女子校生殺害犯のひとりが自殺したけど、あれは、罪を悔いてではなく、バレると家族に迷惑・・・でのことだろ?
・殺害犯は、最初は手を下した連中。そのうち指示を出した上司になってくるんだけど、リーダーはラスボス前の将軍を簡単に射殺してしまう。なんで? こいつだけ特別なのは、どういう理由?
・拉致られた連中、そろいもそろって、みな最初は態度がでかい。それが、拷問にあうと素直になるというワンパターンで、なんかね。
The NET 網に囚われた男5/11キネカ大森2監督/キム・ギドク脚本/キム・ギドク
原題も「網」という意味らしい。allcinemaのあらすじは「ある日、いつものように漁に出たところ、ボートのスクリューに網が絡まりエンジンが故障してしまう。そのまま漂流をつづけ、やがて韓国領内に。ついに韓国の警察に拘束され、スパイ容疑で執拗な取り調べを受けることに。どんな拷問や甘い誘惑にも、ひたすら妻子のもとへ返してほしいと訴え続けるチョルだったが…」
北の人間が流れて・・・ぐらいのことは知っていた。で、越境したことで互いの国でスパイ扱いされ、それまで安穏だった暮らしが崩壊し、最後は死を選ぶ気の毒な男の話であった。北に戻っても同じような扱いを受けるんだろうな、と思っていた通りの寓話的展開で、展開が読めても完成度が高いので、見てしまう。このあたりは『殺されたミンジュ』と大違いで、取材したりして現実をうまく取り入れているからだろう。いかにもありそうな話になっているし、皮肉も効いている。妙に気を衒わず、ストレートに駒を順番に盤に置くような重厚な造りで、いつのまにか話に引きずり込まれている。
キャラクター造形も、手堅い。ナム・チョルに暴力を振るっててもスパイと自白させたい取調官。いるよな、こういうの、警察には。日本にもたくさんいるはず。だから取り調べの可視化は進まない。警護官のジヌは、ナム・チョルに同情的。まあ、ここまで相手を信用するのもどうかと思うけど、ホッとする存在だな。署長は、マスコミ対策も含めて慎重。なかなか人間味が出ていた。室長は、割りと理知的、なのかな? 立ち位置がよく分からなかったんだが・・・。それでも、みなキャラが立っている。
韓国側でも、どう取り扱って良いのか戸惑っているあたりが、おかしい。最近あったイ・サンテク事件ではミスを犯したどうのといっていたので事件について調べたけれど、ヒットしない。この事件も創作か? まあ、そのせいで慎重になっている、ということか。
韓国でもスパイ扱いされ、なんとか北に帰国できたけれど、北でもやっぱりスパイ扱いされる。という裏腹な展開が、堂々と描かれる。「やっぱりな」と思いながら見てしまう。韓国の警護官が気を利かせて持たせてくれたドルも、北の取調官に見つかり、でも、取調官は仲間たちとそのドルをくすねてしまう。こんな腐敗ぶりがあるのかどうなのか知らないけれど、いかにもありそうな感じで、「なるほど」と思ってしまう。
それにしても、韓国でも北でも、取調官はなんであんなに横柄で威圧的で暴力的なんだろ。まあ、日本の警察も同類だけど。そういう性癖の人間が取調官になる、ということなのか。まあ、やさしく同情的な人間は取調官だの警官にならんだろうからな。韓国の取調官に対しては、ナム・チョルが帰国前に取調室で逆にボコボコにするという、爽快感があるからなんとなく救われる。けれど、北の取調官に対しては復讐できていないのが、ちょっと残念。でもま、もともと北の思想に忠実なナム・チョルだから、そこはいいのかな。
ひとつ「?」があるとすると、同胞の男から暗号を託され、それを腸詰めの店にいる娘に伝えに行くくだりかな。警察署で一緒になり、トイレで暗号のようなことをつぶやく。それを、ソウルの有名な腸詰め屋にいる娘に伝えてくれ、と。その後、男が取調室から逃げてきたのか、階段で警護官のジヌとともにいるところにやってきて、再度、暗号をいうんだが。男を追ってきた警官や警護官のジヌのいるところで、言うか? たとえ言ったとしても、ジヌがそのことに疑問をもたないというのは、これはおかしい。ここはなんとかすべきところだと思う。
てなわけで、なんとか帰国したナム・チョルだけど、当然のように北の取り調べを受け、執拗に「あったことを書け」と繰り返されるのが韓国での取り調べと同じというのがおかしい。彼の地では、日本のように被疑者がしゃべったことを取調官が書く(都合よくねつ造する)のではなく、本人に書かせるの?
で、1日2日で帰されはするんだが、ドルはくすねられ、ぬいぐるみだけは返してもらえる。ボロ雑巾のようなナム・チョル。近所の人も、なかば距離を置く感じ。妻が、これも服を脱ぐと傷だらけで、拷問された感じで・・・。で、ふたたび漁に出ようとすると監視員に止められ、「職を変えろ」とまでいわれ、それを振り切って船に乗って行くんだけど、当然のように射殺されてしまう。これで終わるのかなと思ったら、その後に家の場面があって。韓国からもってきた新しい熊のぬいぐるみより、継ぎ当てはあっても、馴れ親しんだぬいぐるみの方がいい、みたいな娘の様子が映って終わり。
・韓国の繁華街で解き放たれ、風俗の女性と知り合ったりするエピソード。警察側は、ナム・チョルに自由な国の物質的な豊かさを見せ、亡命させようとするんだが、若い女性に自由がない、という側面を見せて逆効果、という設定。いかにもなエピソードだけど、まあ、それはそれで効果的か。
・「潜在的スパイ」なんていう概念までひねり出し、なんとかナム・チョルをスパイに仕立て上げたい、という韓国の取調官の強引さ。朝鮮戦争で家族がどうたらの復讐、みたいなことを言われていたような気がするけど、そこまで粘着なやつもいるのかね。
・熊のぬいぐるみとパンツと米ドル。これを、韓国から持ち込んでしまったわけだ。信念の人、ナム・チョルのぬかり、なのかな。
潜入者5/16ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2監督/ブラッド・ファーマン脚本/エレン・ブラウン・ファーマン
原題は“The Infiltrator”。「しみ込む,浸透する」という意味らしいが、きっと潜入すること、なんだろう。allcinemaのあらすじは「1980年代、コロンビアの麻薬王パブロ・エスコバルが築いた巨大犯罪組織の壊滅に乗り出したアメリカ政府は、大規模な潜入捜査を計画する。白羽の矢が立てられたのはベテラン捜査官のロバート・メイザー。彼が架空の大富豪ボブ・ムセラに扮し、資金洗浄の流れを辿って組織の中枢へと潜入を図ることに。やがて資金洗浄を担当する組織の幹部ロベルト・アルケイノへの接触に成功すると、徐々に彼の信頼を勝ち取っていくメイザーだったが…」
前知識ほとんどなし。HTC渋谷の紹介文を2行ぐらい読んだだけ。麻薬潜入モノ、とだけ。ダイアン・クルーガー名前で分かったのはダイアン・クルーガー。じゃ、美人を見に行くか、な感じ。ではあったんだが、派手さはないけど、なかなかにスリリングで緊張感が伝わってくる展開。CG使ってなさそうなアクション。古くさいタッチも、予算がないせいなのか狙ったものなのか分からないけど、設定となる1985年にぴったりでいい感じ。
あとから気づくんだけど、主演のブライアン・クランストンは『トランボ』のあの男か。名前なんて覚えてられんよ。むしろ、仲間の刑事にレグイザモが登場してきて、いよいよB級感発散。うさん臭さ120%がなかなかだった。
ではあるが、人物&組織関係が分かりにくいのと、みなあごヒゲ男なので区別がつかん! のが最大の難点。まあ、記憶力がよければ問題ないのかも知れないけど、フツー、ありゃ分からんよ。
レグイザモは、最初は情報屋? とか思ってたら、同じく刑事なんだな。で、一緒に行動する密告屋というのがいたはずだけど、どいつだっけ? その末路は? あと、囚人を保釈して、あれは、ボディガードにした? のは、どいつだったっけ? みな似てるから分からん。
敵側も、なんとか親子から始まって、白服のオカマがボスかと思ったらまだまだで。呪術者の判断を経て近づいたロベルトがボスかと思ったらまだまだで。なんか、最後のほうでちょいと会話を交わしたのが、ラスボスのエスコバル? よく分からん。
あと、BCCIという銀行の幹部たちが登場するんだけど、連中は、要するに麻薬マフィアの資金をそうと知りつつ受け入れ、ロンダリングしてる、ということかな? ロンダした金は、現金でマフィアに戻すのか? それとも、ずっと預かってるの? 手数料はいくらだろ? なんてことを考えた。
それと、ロバートはCIAにも目をつけられたんだよな。つけていたクルマがそうなんだろ? で、映画終了後に字幕で、CIAにも触れていて、内部資金にしていたとか、そんなようなことが書いてあって気がするんだが、CIAはあの金の流れにどう関わったんだ? でもって、警察よりも上位なはずのCIAは、手も足も出なかったの? ロバートたち警察に危害を加えなかったのは、なんでなんだ?
あと分からんのは、ドッグレースで会った男。ロベルトの知り合いのようだけど、もしかしてあれも潜入官? で、ロバートとクルマに乗っていると、バイク男がやってきて男を撃ち殺してしまうんだけど、なんで? というか、やった連中は、どこの配下なんだ?
もうひとつ。ロバートの自宅に血の棺桶が送りつけられるのは、ありゃどういう意味なんだ? 誰が送って来た? 麻薬マフィアの誰かだとしたら、ロバートの身元が割れている、ってことだよな。じゃCIA? よく分からない。
それと、ロバートがヘマしてカバンに仕込んだ録音機を白服オカマに見られ、ダンス会場で恫喝されるんだが。なんと誰かが白服オカマを音楽にあわせて射殺してしまうんだが。撃ったのは仲間の警察あるいは警察の下で働いている連中?
といった案配で、人物関係がよく分からなくて、どいつが仲間でどいつが敵なのかも「?」な感じ。もちろん経緯や展開もアバウトにしか理解できなかった。まあ、それでも、なんか大変なところに身を偽って潜入し、ラスボスまでたどり着こうとあれこれやってる様子は、緊張の連続。あれで人物の位置づけが分かれば、もっとドキドキするんだろうな、と。
といったよーなわけで、面白いけど、いまひとつのところもいろいろ。しかし、たいていの人は、あれ、1回でちゃんと理解できるのか? 俺の記憶力と理解力が足りない、のか? うーむ。どうなんだろ。
・ロバートのオバサン役のオリンピア・デュカキスがとてもいい感じ。しかし、それにしても、オバサンまで捜査に巻き込むとは・・・。オバサンも、度胸があるね。
・エンドロールの後に、逮捕された連中、あと、潜入捜査官たちの現在が紹介されるが。ロバートは、女房には「これが最後」といいつつ、ずっと潜入捜査をつづけた、とあった。しかし、面が割れないの? という単純な疑問が・・・。
・役者が地味なせいか、パンフレットもつくられてないらしい。予告編もなくはじまるし・・・。はやく興行を終わらせたい、みたいな雰囲気が濃厚。なにかの抱き合わせで買い付けて、つなぎで短期間の上映かな。
午後8時の訪問者5/18ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/ジャン=ピエール・ダルデンヌ脚本/ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ
ベルギー/フランス映画。原題は“La fille inconnue”。「名もなき少女」とかいう意味かな? allcinemaのあらすじは「有能な若き女医ジェニー。今は小さな診療所勤めだが、間もなく大きな病院へ好待遇で迎えられる予定。ある晩、診療所の呼び鈴が鳴るが、診察時間は過ぎているからと、研修医ジュリアンがドアを開けようとするのを引き止める。翌日、警察が来て、近くで身元不明の少女の遺体が見つかったと知るジェニー。昨晩の監視カメラには、呼び鈴を鳴らす少女の姿が映っていた。あの時、ちゃんと出ていれば少女は死ななかった、と自分を責めるジェニー。罪悪感から携帯にコピーした少女の写真を手に、名前も分からない彼女の身元を突き止めるべく自ら聞き込みを始めるが…」
骨格はミステリーなんだが肉付けはヒューマンドラマで。患者や家族、医師たちとの、日々のあれやこれやなエピソードの方が興味深い。登場する患者の多くは事件には関係なく、それをはぎ取れば話はとてもシンプルで、むしろ、つまらないぐらい。そういうなかで、事件に関係ある患者、関係ない患者ともに、同じような比重で丁寧に描いて行く様子が、なかなかいい。
見終えてから調べたら、『息子のまなざし』『ある子供』『少年と自転車』の監督で、『サンドラの週末』も撮っている。おお、なるほど。『サンドラの週末』ではマリオン・コティヤールが主役で、商業主義なところもないではない感じだったけど、本作はむしろそれまでの自主映画的で淡々とした作風にもどっている感じ。ハリウッド映画ならためらうことなくジェニーの彼氏を登場させるだろうけど、そんなことには目もくれず、である。
診療所で働く研修医が「自分に医師は向かない」と田舎に帰ってしまう。少女が殺されることになったきっかけには関係しているけれど、事件そのものには関係はない。でも、ジェニーが「自分は医師としてこれでよいのか?」と自問し、決まっていた勤務医のポストを捨て、なり手のいない診療所を継ごう、と決心させる要因になっているわけで、その存在は大きい。医師としての矜持が見て取れる。
患者のひとりである少年に、少女の写真を見せると、脈拍が早くなった。そこでジェニーは少年に問い、拒絶はするけれど、結局は見たことを話す。のだけれど、こうやって事件が少しずつ分かって行くにつれ、この映画の魅力である緊張感は薄れ始めてくる。
ひとつには、経緯が曖昧なこと。少年が見たのは、ほんとうは何だったのか。少年は、少女が老人をフェラしていた、という。場所を特定し、現場であるトレイラーのの持ち主から老人を特定すると、老人は認めていた、ような感じ。その老人の息子は、「余計なことを調べるな」とジェニーに食ってかかるが、あれは何を隠そうとしていたのだろう?
少年は、後に、目撃したのは父親で、父親が少女を買おうとしていたのを見た、というようなことを告白する。実は少年は、すべてを告白できないことで神経性胃炎にかかっていて、しゃべると治る、というのが、少しわざとらしい。で、息子がジェニーに話した、ということを知った父親と妻が診療所にやってきて、これまた「余計なことを調べるな」だったかな、その前に母親が「主治医を変える」と言ってきたんだっけかな。とにかく、両親ともにジェニーに食ってかかるんだが。いったい、どうなっているのか? そののち、父親が観念してすべてを告白するんだが、それは、買おうとしたら逃げられ、追っかけたら波止場で少女が転んで動かなくなった、ということ。はて、では、その事実を父親は妻に話しているのか? その事実まで、少年は目撃したのか? そのあたりがはっきりしないので、見終えてもいまひとつスッキリしない。まあ、事件のことより、ヒューマンドラマの方が需要なのかも知れないけどね。
というわけで、告白し、「警察を呼べ」という父親に携帯を差し出し「自首しなさい」といって終わるんだが、これは、自分は事件に関わっていないよ、という態度なのかね。
ジェニーがいろいろ調べ始めるのは、その夜、診察が終わった後にチャイムを鳴らした少女を迎え入れなかった(とくに強調して描かれなかったので、いまいちチャイムに気づかなかった。むしろあのときは、少年の癲癇に気をとられていた感じ)せいで、彼女が殺された、と責任を感じているからなんだけど。はたして、それが調べることの動機になるだろうか? フツーに考えたら、少年が少女を目撃した、という時点で警察に話をしてもよさそうな感じ。そうしなかったのは、少年に「誰にも言わないから」といって告白させたから、なんだろうけど。いくら医師に守秘義務があるといっても、それは範囲の外なのではないだろうか。そういえば聖職者も懺悔の内容は警察にはいわない、らしいけど、ホントかね。
海外に電話できる店を訪ね、少女の写真を見せると、黒人男がちょっと反応した。そののち、ジェニーがクルマに乗っていると、この黒人ともう1人がやってきて、もう1人の方がバールでクルマを叩き、「余計な詮索はするな」と脅す。はて、この連中は、と思っていたら警察に呼び出され、刑事に「余計なことをするな。麻薬捜査には必要なんだ」とかいうようなことを言われるんだが。これはどういうことなんだ? あの黒人たちは、もしかして麻薬捜査官? 密告屋? それでジェニーの行動が刑事の耳に? 黒人たちが悪漢だったら、刑事には話は伝わらんだろうな、というあたりの経緯もよく分からず。というわけで、ジェニーの捜査は少年の告白だけが成果だったりする。
たしかに、ジェニーの、少女の身元ぐらいははっきりさせたい、という気持ちは分からないではない。でも、事件は新聞報道され、少女の顔写真も掲載された。その同じ写真をあちこち見せて回っても、あんまり効果的ではないよな、と思うんだが。どうでっしゃろ。
というわけで、後半の、謎の解決のくだりは、いまいちテンションが盛り下がり気味。中途半端に解決しないで、最後まで「謎」でもよかったんじゃないのか、とも思ったりする。
・それにしても、診療所でも研修するのか。ふーん。
・有能な女医が、少女の死に責任を感じて待遇のいい病院のポストも蹴って、診療所を継ぐ、というあたりが、分かってはいても清々しさを感じてしまう。演じるアデル・エネルが、合理的で知的な感じ。オーバーコートは一張羅。ちょっと胸を強調した薄手のシャツが艶めかしいけど、色違いで取っ替え引っ替えみたい。髪を留めるのもゴム紐。無頓着な感じが、いかにもデキる女医な感じ。まあ、そんなに美人ではないけれど魅力的。つき合ってる男はいないのか、と気になるね。あえていうなら、ちょっと若すぎる感じだけど。 ・ジェニーは途中から、診療所に寝泊まりするようになるんだが。早朝、少年の父親が「仕事の関係で、こんな早くにしか来れない」とやってくるんだが、医師が診療所に宿泊している、と知っていたのか?
・電話屋の女が、あとから訪ねてきて、「あれは私の妹」と告白する。おやおや、な感じなんだが。「少女に売春をさせたくなかった」とかいいながら「嫉妬した」とか、あれこれ言っていて、関係がよく分からず。アフリカから姉を頼ってやってきたけど仕事もなく、ダークな連中にフェラとかセックスだとかをしろ、と言われていたんだろうけど。姉がどうして嫉妬するのか、よく分からず。また、自分の妹だと名乗り出ない理由もよく分からない。不法移民だから、だっけか? それに、あんなに知られていたら、いずれ身元は分かるよな、という感じ。
・スマホが大活躍の映画だった。診察中もしょっちゅうかかってくる。ジェニーは、運転中も、Siriでかけたりする。最後は、そのスマホを、父親に自首するよう差し出す。
・そういえば、音楽がほとんどなかったような。以前の作品も、そうだっかな。音楽がなくても、話にヒキがあれば、飽きないしテンションはあがる。まあ、後半はぐずぐずだったけど。
・ジャニーが少女のために市営墓地を借りようとしたら、10年で利用料420ユーロといわれる。1ユーロ=125円として9万4500円は安すぎ。
永い言い訳5/19ギンレイホール監督/西川美和脚本/西川美和
allcinemaのあらすじは「人気作家の津村啓として活躍する衣笠幸夫。長年連れ添ってきた妻との間に子どもはおらず、夫婦関係も最近はすっかり冷え切っていた。ところがある日、その妻が旅先でバス事故に遭い、一緒に行った親友とともに亡くなってしまう。間の悪いことに、そのとき幸夫は不倫相手と密会中だった。後ろめたさは感じつつも、素直に悲しむことができない幸夫。そんなある日、遺族への説明会で、幸夫とは対照的に激しく取り乱す妻の親友の夫・大宮陽一と出会う。トラック運転手として働く陽一は、まだ手のかかる2人の子どもを抱え、途方に暮れていた。すると幸夫は自分でも驚いたことに、子どもたちの世話を自ら買って出るのだったが…」
じっくり見せられてしまったよ。なかなか緊張感のただならぬ映画で、さすがは西川美和。ずるがしこい。
前知識はゼロ。髪をいじってもらっている衣笠。「取材のときは幸夫くんなんて呼ぶな」とか言ってるくせに、会話はにこやかで、ケンカしている風もなし。出かける妻。愛人を部屋に呼んでセックスし、翌朝、事故の知らせが入る。おお。もう深津絵里の出番はなくなっちゃうのか。
で、どういう展開になるのかと思ったら、創作に行き詰まった小説家が子育てに目覚める話だった。意外。妻と同行した友人夫婦に小学6年生の息子と保育園かな、な娘がいて。息子は受験準備中だったけど、父親・大宮がトラック運転手で。明け方出かけて帰りは不定期、な感じなので、子供たちの世話ができない。とくに、娘の世話がネックで、息子は塾と受験をあきらめる・・・ということを聞き、幸夫は「じゃあ、僕が行くよ」と安請け合い。料理の不得手な幸夫は、悪戦苦闘しながら2人の子供の面倒を見る・・・の描写が結構長いんだけど、飽きない。
大きなドラマは、とくにない。花見で、編集者に「妻を失った現実を作品に」「あなたは落ち目」といわれ、逆上するとか。大宮に恋人のような相手ができて、子供たちの面倒はその彼女の両親がみられる、と子供の誕生日にいわれ、酒の勢いで暴論を放ったり、終盤では陽一が居眠り運転で事故を起こすが、怪我もないような感じだったり。妻の事故を省みるテレビドキュメンタリーの撮影時、逆上して本音で怒鳴りつけたり、そんな程度で、幸夫の心を動揺させるようなことがほとんど。まあ、そういう心のひだが傷つき歪むようなことばかりで、でもだから面白い。
子供の誕生日には、大宮の「子供はいい」というのに対して「子供なんていらない。いない生活を選んだ。妻だって欲しいと言わなかった」「欲しかったかも知れないじゃない」という言い争い(そういうことを、子供たちの前でいうか?)で、少しだけ大宮が逆上するけど、それに対して幸夫は「あの日、事故の会った夜、僕は愛人を連れ込んで、僕たち夫婦のベッドでセックスしてたんだよ!」と言い放ち、それ以降、幸夫は大宮の家に行かなくなる。
では、どっかの先生(?)らしい大宮の彼女(なのか?)あるいは彼女の両親が大宮家の生活をサポートしたかというと、そういうこともなく、息子は塾を休みがちになってしまう。このあたりの展開は必然性が薄いので、いまいち気の毒感が足りないかな。
でまあ、大宮の事故の一報が入り(なぜ病院から幸夫のところに、が解せないけど)、息子を連れて事故のあった町の病院へ。でも、病院の場面はなくて、あれは、警察署から出てくる大宮の場面だったかな。そこで、言葉も交わさず、理解し合ったような感じで、大宮と息子はトラックに乗っていく。幸夫はなぜか同乗せず。電車で帰る? でも、ここも不自然だよな。事故といっても、軽い事故か。ならなぜ幸夫に連絡が? とか、ツッコミどころである。
このあとかな。創作メモに「人生は他者だ」と幸夫が書き加えるのは。あまり意味がつたわらなかったけど。でもまあ、次の場面は新刊出版のパーティだったか、受賞記念パーティだったか。とにかく、妻のことをモチーフにした作品が刊行され、評価された、というような感じ。大宮の息子と娘がスピーチして、懇親会では大宮が踊るんだったか。まあ、いろいろあって、創作活動も復活。そして、妻の葬儀のときに、「なぜ現場に呼んでくれなかったのか!」となじった、妻の同僚の美容師のもとを訪れて、髪を切ってもらうところで終わっている。たしか、そんな感じだった。大宮のトラックを見送るところで終わってもいいかな、思ったぐらいなので、なんかここらのくだりは蛇足感が否めない。
・妻の事故後、しばらくして遺品の携帯が復活し、メールを見たら「もう愛していない」とかいう文面を発見するシーンがあるんだけど。あれは直接的すぎるだろ。もしかして妻は、あれを旅先から送りつけるつもりだったのか? その先は離婚? まあ、なぜそうなったかは知らんけど、20年も一緒にいれば、互いに飽きるのはしょうがないだろ。幸夫の浮気だって気づいていたかも知れないし。まあ、そのあたりの「なぜ?」はあんまり追究しても意味ないかも。
・妻とは大学で知り合って。でも、妻の父親が亡くなり、妻は大学を中退し、後に幸夫が美容院で妻と再会、という話らしい。しかし、父親が死んだだけで、大学をやめるか? ステレオタイプな感じ。
・その妻が、冒頭で幸夫の髪をいじっているとき、中学(?)の同級生が「幸夫君に会いたいって」とか、いってたかな。うろ覚え。いや実は、大宮が「幸夫君」と呼び、息子までもが「幸夫君」と呼ぶので、幸夫と大宮は同級生だった、ということか? と。しかし、妻は大宮の妻と仲好し、なんだよな。たまたま仲良くなった大宮妻が、たまたま幸夫の同級生だった、ということか? もう一度見れば分かるかしら。見ないけど。
・花火、死んだセミ、ススキ、季節のうつろいの表現が巧み。最後は、ああこれで1年が過ぎたのかと思わせてくれるし。
・「泣かないと、苦しいですよ」とは編集者の池松壮亮の言葉だけど、あまり説得力はないかも。
・幸夫と初めて会ったとき、大宮が「今日初めて会ったくせに・・・」っていうから、怒りだすのかと思ったら、「〇(息子)はそんなことを幸夫ちゃんにいったのかあ」と破顔する大宮とか、ズラし方がなかなか手練で、ドキリとさせられた。だって、大宮役の竹原ピストルが、ほんと、やばそうなんだもん、見るからに。
・男は家事ができない、というステレオタイプ。これ、ダメだろ。
・トラックの運転手で無教養な大宮の息子が、中学受験? という設定が、おいおい、な感じ。受験は母親の意志か、本人の願いか。知らんけど、なにその上を目指す感じは、と思ってしまう。
メッセージ5/22MOVIX亀有シアター4監督/ドゥニ・ヴィルヌーヴ脚本/エリック・ハイセラー
原題は“Arrival”。allcinemaのあらすじは「ある日、宇宙から飛来した巨大な楕円形の飛行体が地球の12ヵ所に突如姿を現わし、そのまま上空に静止し続ける。その目的が判然とせず、世界中に動揺と不安が広がる。やがて、最愛の娘ハンナを亡くした孤独な言語学者ルイーズ・バンクスのもとに、アメリカ軍のウェバー大佐が協力要請に訪れる。こうして同じく軍の依頼を受けた物理学者のイアンとともに、アメリカに飛来した飛行体の内部へと足を踏み入れたルイーズ。7本脚の異星人との接触を試み、飛来の目的を探るべく彼らが使う言語の解読に没頭していくのだったが…」
だらだらと思わせぶりに話が長いわりに、内容はシンプル、というか薄い。終わってもとくに感慨もなく、「それで?」な印象しか受けない。というか、「なんだよー」な感じかな。
まあたぶん「この宇宙には“時間”の概念がない星あるいは世界がある」「近い将来に死んでしまう命にも、あきらめたり悲しんだりせずに対することができる。なぜなら、死は終わりでないし、時間は永遠にめぐるのだから」とかいうようなことを、たいそうなSF仕立てでみせているのだが、うーむ、だなあ。だいたい時間がない世界の連中が、「3000年後に人類の助けが必要だから、人類を助けにきた」とかいうか? このメッセージこそ自家撞着してるだろ。自分たちの星が滅亡したとしても、時間の概念はないのだから、それはそれでいいではないか、ということになりぁせんか?
さて。ある日、12の巨大なサツマイモが地球に登場する。こういうのは、もしかしたらあるかも、と思える感じでいいんだけど。要は『第9地区』と同じわなわな感なんだよな。まあ、あっちは人間より弱いエビ星人だったけど・・・。で、2日も経たずに、米軍(?)はその内容物と接触している、というのが、えー? だろ。誰が、まず、どうやって接触したんだ? に興味が湧くけど、そういうことには触れない。で、彼ら=宇宙人は得体の知れない言語を話すので、その筋の権威のルイーズのもとに大佐がやってきて、一緒に来てくれ的なことをいう。で、現地で物理学者のイアンとも会って、サツマイモの中に入ると…。思わずのけぞった。なんと7本足のタコだった。あいかわらず宇宙人というとタコかよ。しかも素っ裸。対する人間はオレンジ色の防護服。なんかな。これだけでもう、げんなりな気分。
どうも宇宙人は人間に危害を加えるつもりはないらしく、なにか話そうとしている。これにたいしてルイーズは、スケッチ帳に文字を書いて、未開人に言葉を教えるようにして、コミュニケーションを図ろうとする。すると宇宙人も、触手の先から墨を吐き、仕切りとなっているガラス様の部分に墨で書いたような円を描く・・・。というわけで、ルイーズとイアンはこの円のシミの変化に規則性を見出し、単語化に成功する・・・んだが。宇宙人の文字が表意文字(?)で、記号的な法則性をもっていも、というようなくだりがも、なんだかなあ、な感じ。進歩した宇宙人なら人間の言葉なんか簡単に理解して、それでコミュニケーションを図るだろうに、この未開なレベルはなんなんだ? または、ひと月やそこいらで宇宙語の辞書化が成功し、なんとか会話できるようになるって、あり得るか? なんかチープな感じ。
この間、他国の政府も別のサツマイモのなかの連中と接触しているようだけど、他国も同様に独自の手法で接触を図ろうとしているのか? あるいは、国同士で情報交換している? どーもしているようには見えないんだが・・・。そのうち中国が「攻撃する」と宣言し、ロシア、スーダンも同様に・・・って、なんか、資本主義国家に都合のわるい国が攻撃的であるかのようなシナリオはどうかと思うぞ。ところで、日本は北海道に現れたようだけど、自衛隊が接触したのか? 気になるねえ。
でまあ、各国の協力体制が崩壊後、誰かがサツマイモに爆薬を仕掛け、爆破させるんだけど、あのくだりがよく分からなかった。誰がいつ仕掛けて、爆発でルイーズは失神したようだけど、イアンは無事だったんだけっけか? しかし、学者たちがいるところで爆破させたのは、いったいどいつなんだ? 描かれてたか? なんか、気づかなかったよ。
・・・という話と並行して、ルイーズと少女の誕生、死亡、成長の過程なんかが描かれているんだが、これがまたよく分からず、過去にそういうことがあったのか、と思っていたのだった。でも、10歳ぐらいで死んでしまっているのが描かれているので、なんだべ、と思いつつなんだが。であるとき、娘が「お母さん。どっちも負けない状態のことを難しい用語でなんていうんだっけ?」「ウィン・ウィン?」「そうじゃなくて・・・」てなやりとりがあり、「お父さんに聞きなさい」とかいってるんだが、どうやら夫とは離婚しているらしい。そのうち「ノン・ゼロサム・ゲーム」ということをルイーズが思いつく。ノン・ゼロサム? 分からんよ。難しすぎるぞ。
それと、爆破のあとで意識をとりもどしたルイーズが、各国が攻撃するから俺たちも撤退だ、という最中に、「もういちど」と制止されつつもタコに会いに行くと、1匹しか登場せず、片割れは死につつある、みたいなことをいう。そして、「3000年後に人類の助けが必要だから、人類を助けにきた」とかいうんだが、どう助けようというのか、よく分からない。その直後、米軍の(?)だれかの携帯を拝借して中国の将軍に直接電話をかけ、攻撃決定を翻させる、ということになるんだけど、ああすべき、というのも、ルイーズの時制を超えた霊視の結果だったっけか? よく憶えてないんだが。まあ、とにかく、そういうことがあって。でも、ルイーズは将軍だかお付きの人間だかの連絡先を知らない。知らないから電話できない、というときに、またまた1年後のイメージが映り、そこでルイーズは中国の将軍から「あの電話で私の決定は覆った」とか賞賛されるんだが、その1年後のパーティみたいなところで、ルイーズは将軍から電話番号を初めて耳打ちされる、という、おいおいな展開で。いくら時制のない世界といっても、ご都合主義過ぎやしないか?
というわけで、撤退しようとしている米軍の幹部に追われつつ、なんとか電話を終えるんだけど、はたしてルイーズが中国の将軍に何といったのかは、当然ながら描かれない。やれやれ。
あのルイーズの電話で中国のサツマイモへの攻撃が中止され、それで平和が訪れた、という理屈がよく分からない。そもそも人類はどういう危機に直面していたんだ? 人類滅亡の危機、だったのか? そんなこと、感じられなかったぞ。
まあいい。これでめでたしかと思ったら次があり。なんと、ルイーズはここで出会ったイアンと恋仲になり、それで娘が生まれたらしい。おお。そういう経緯だったのか。ルイーズは、これから娘が生まれ、いずれ死ぬのが分かっていながら育てるのか。そうか。そうか。時制がないとは、そういうことか。よく分からんけど。
ということなんだが、改めて↑のあらすじを読むと、「最愛の娘ハンナを亡くした孤独な言語学者ルイーズ・バンクス」となっているではないか。おお。娘の一件は未来ではなかったのか。過去でもあるのか。だから時制がない、のか。ふーん。とは思えど、娘の成長の時間には時制があるわけで、ほんとうに時制がないのであれば、ひとつの方向性をもった流れではなく、体験や記憶には現在・過去・未来はなくなってもっとぐちゃぐちゃに入り組んでくるはずだ。それに、初めてイアンと会ったとき、「なんで別れた亭主がここにいるの?」と思うはずだろ。というか、現在体験しているものごとは、すでに一度体験したこと、にならないとおかしい。というか、そういう見方にも、時制があるので、もっと時制のない混沌を描かないとおかしい。まあ、現実世界には時制があるので、そんなことはできないだろうけど。だから、冷たいことを言えば、映画化はムリなんだな、たぷん。
で、まあ、中国の攻撃がなくなり、安心したのか、サツマイモの宇宙船は雲散霧消するんだが。あれは宇宙人とは限らなくて、未来人かも知れないんだが、未来人という言い方もおかしくて、なんだろね。よく分からない。だいたい、現在の人類の危機が、この世界にどういう影響を与えるのか、よく分からない。
というわけで、この世には時間という概念がなくなる、という話を、時間の概念にしばられた映画で表現するのは、ムリ、という話だ。だいたい、これまでの歴史=過去は、どうなるのだ? みなどこかに存在していて、うごめいているのか? ははは。
・「戦争は討議」とかいう理解だったか表現だったかが宇宙人側から出てきたり、宇宙人側の「武器を提供しにきた」という表現が、後に実は「武器」=「言葉」と分かるとか、これはみな宇宙人側の言語能力が低いとしか思えなくて。ちゃんと伝えろよ、というか、人類を救いに来たぐらいなら、進んだ文明をもっているんだろうし、時制でなく意識のようなもので世界をつくっているのだとしたら、言語なんか使わず、念力でつたえてこい、と言いたい。
・アボットとコステロ、って、なにから取ってるんだろ? 調べたら、1930年代のお笑いコンビらしい。日本なら、エンタツ・アチャコみたいなもんか。
『灼熱の魂』の監督か。『ブレードランナー2049』も撮るんだな。他の作品みてないけど、興味あるなあ。といいつつ、これはなんかいまいちな感じ。 ・海外でのサツマイモの出現で、最初に「北海道」とニュースが伝えるんだが、「日本」といわずに「北海道」だけで分かるのか? アメリカ人は。
スプリット5/23109シネマズ木場シアター8監督/M・ナイト・シャマラン脚本/M・ナイト・シャマラン
原題は“Split”。allcinemaのあらすじは「ケイシー、クレア、マルシアの女子高生3人は、友だちの誕生パーティの帰り道に見ず知らずの男に拉致監禁されてしまう。やがて鍵の掛かった薄暗い密室に閉じ込められていた3人の前に、誘拐犯が女性の格好で現われる。その後も潔癖症の青年や9歳の無邪気な少年など、現われるたびに格好ばかりか性格まで変ってしまう誘拐犯。なんと、男には23もの人格が宿っていた。そしてさらに“ビースト”と呼ばれるもっとも恐るべき24番目の人格も潜んでいたのだったが…」
5人しか見てなかった・・・。それはいいとして。シャマラン、まだ映画撮れてたんだな。というか、エンドロールの終わりに「特報!」とでて「アンブレイカブル×スプリット」の作品が来年(だったかな?)公開、と。おやおや。シャマランさん、まだまだ撮れそうですな。信じられんが。
冒頭の誘拐されるくだりと、少女が逃げ出し、トランシーバーで通話する場面(受けたやつは少しは気づけよ)だけ、少し目が覚めた。あとは、退屈。
『24人のビリー・ミリガン』(未読だが)と『コレクター』を足して割って薄めた感じのお話で、どこにも新鮮味はない。ごれのどこが面白いんだ? な感じなんだが。むしろ、精神障害者=異常犯罪者というレッテル貼りを積極的に行なっているわけなので、またか、な印章が先に立ってしまう。ほんと、アメリカ映画は、犯人が精神異常者、あるいは、すべては精神障害者の妄想でした、なオチが多くて嫌になる。これもその類だろ。
そもそも犯人ケビンの動機がよく分からない。後半ではふしだらな女子校生をお仕置き、みたいなこともいってたような気もするが。では、多重人格はどうなるんだ? 人格のひとりがそういう性格の持ち主だった? なんかな。
それと、多重人格が複雑すぎて、途中から誰が誰やらよく分からなくなり、考えるのをやめた。だって人格名だけじゃ区別つかねえよ。なので、多重人格の不気味さはほとんど感じられず。勝手にやってなさい、な感じ。
そもそもケビンが老精神科医フレッチャーのところに通う様子を早々に見せてしまって、多重人格であることを分からせてしまうのはいかがなものか。まあ、評判がもれて見る前からバレてしまっている可能性はあるだろうけど、「なに? これ!」で引っぱる感じは弱くなる。それと、精神科医フレッチャーは頻繁に画面に登場しながら、ほとんど機能していないのがつまらない。ケビンvsフレッチャーのバトルにするとか、できなかったのかね。
話の発端は3人の少女が誘拐。クレアの誕生会でクラスメートの女子を呼び、なかに陰気で仲間はずれなケイシーもいて。帰る足がないからと、クレアの父親が送ってやろうという。同乗者は他に、クレアの友人マルシア。こういう状況になることを予見してケビンは誘拐を実行したのか? にしては杜撰すぎ。家の前で父親殴り倒すとはね。それと、クレアとマルシアには催眠スプレーかけるんだけど、ケイシーにはかけないのは、なんでなの? 目的はクレアとマルシアで、ケイシーは想定外だったから? だったらこの時点での誘拐はよせよ、と思ってしまう。
ケビンが表の主人公だとすると、ケイシーは裏の主人公? クラスの嫌われっ子らしいけど、その理由がよくわからない。ちょろちょろと過去の映像が挟まれ、銃の扱いに慣れていて狩りのことを知っていること、父親を早くに亡くしたこと、叔父に育てられたこと、叔父がロリコンで性的虐待(なのか?)を受けていたこと、なんかを示唆する。性的虐待を受けていたにしては、それほどひねくれてもいない感じが「?」なんだけど。頭は悪くないらしく、ドタバタ騒ぐクレアとマルシアに比べ、冷静沈着に、どうケビンに対応するかを熟慮している様子が描かれて、これは知恵を使って大逆転になるのかな、と思ったらそんなこともなく。まあ、最後まで逃げ回って生き残る(クレアは生き残って、マルシアはズタズタにされたんだっけか?)役回りということだけで、とくに能力を発揮するというようなこともなく、がっかり。いくぶん暗い表情、淡白な顔立ちが、肉付きを引き締めた成海璃子みたいな感じで、少しミステリアスだったんだけど、ただそれだけのことだった。
それにしても、監禁している場所はどこなんだ? 夜、フレッチャーが訪ねてくるのは鉄柵ゲートで、なんか奥にずっとつづくような場所。娘たちが閉じ込められているのは、地下の、細かに区切られた部屋部屋・・・。はたして・・・? これ、ラストで分かるんだけど、場所は動物園の地下室で、檻もあったから獣たちを収容しておく場所にも近く、また、働く管理人たちが過ごす場所でも合ったのかも知れない。のだけれど、でも、おいおい。ケビンは毎日、フツーの従業員として動物園で働いていたのか? フレッチャーはその動物園を訪ねているのだから、知っているはずだよな。でも、動物園に暮らすのはOKなのか? という疑問。まず、あんなに人格が変わる状態でフツーに仕事ができたのか? あんなところに生活していて他の従業員に気づかれないはずがない。実際、最後に、ケイシーが動物の檻に入れられているときに、他の従業員が発見して救出するわけで、変だろ。
その前に少し戻ると。ケビンは23人の人格は自覚していて、でも、24人目のビーストがどうたらいって、ついにその人格が目覚めるんだが。これがよく分からない。人格が出たら肉体も変わる、はまあいい。なぜそのビーストがやたら人殺しをしたりするのか? たしかフレッチャーを惨殺したのもこのビーストだったはずだが、なんのため? 衝動的? ではなぜそのビーストが、花束を電車のホームにうやうやしく捧げるのか? 知り合いが電車に轢かれて・・・なんて話はでていたっけか?
そのビーストに対してだったかな。フレッチャーが死ぬ間際に「ケヴィン・ヴェンデル・クラムと呼べ」とかいうメモを残し。ケイシーはこの名前を唱えると、ビーストが大人しくなる、のは、ケビンがもともとの名前=人格だから、なんだろうけど、呼ばれてなぜ大人しくなるのか意味不明。幼いケビンに、どういう記憶が刻まれていたんだ? なんか、イメージがフラッシュバックしたような記憶はあるんだけど、憶えていない。
もしかして、名前を呼ばれて「いま何年? 2014年だよね。ぼく、さっきまでバス乗ってた」とかいう人格が登場したんだっけか? 2年ぐらい出てこなかった人格? それがどうした? な感じだよな。
というわけで、最後はどさくさに紛れてケビンはどこかに逃げ去ったという設定らしいけど、なんかテキトーだな。このニュースを食堂のテレビで見ていたオバチャンが、「15年前にも似たような事件があったわね。ガントとかいったかしら」といい席をたつと、隣にブルース・ウィリス(だよな)。ってことは、B.ウィリスがそのガントという犯人で現在逃亡中ということ? 『シックス・センス』の縁か。
・誘拐されるとき、ケイシーは、バックミラーで荷物が転がり落ちる(クレアの父親の異変?)のに気づいている。なのに何も言わないのかこの女は。
・救出されたケイシーに、警官が「叔父さんを呼んだ」というんだけど、ケイシーはとくに拒絶する気配もないのはなんでなの? というか、変態叔父とずっといまでも生活しているのか? このケイシーについては謎の部分が多すぎて、解決もされていないのでいらつく。
・ケビンの複数の人格との会話で「照明が! 照明を奪われる・・・」とか、「照明」という言葉が頻出するんだが、意味がよく分からんぞ。まあ、複数の人格の中で、表に出ること、かなとは思うけど、説明がなさ過ぎ。
・クレア役の娘は見覚えがあるなと思ったら、『スウィート17モンスター』で主人公の親友役のヘイリー・ルー・リチャードソンか。
皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ5/26新宿武蔵野館3監督/ガブリエーレ・マイネッティ脚本/ニコラ・グアリャノーネ、 メノッティ
イタリア映画。原題は“Lo chiamavano Jeeg Robot”。allcinemaのあらすじは「貧困と暴力がはびこるローマ郊外の荒廃した街。窃盗で食いつなぐしがないその日暮らしの孤独なチンピラ、エンツォ。ある日、警察に追われ飛び込んだ川で放射能を浴び、鋼の肉体と超人的パワーを手に入れる。最初はそのスーパーパワーを持て余し、悪事に利用するのみだったエンツォだが、ひょんな成り行きから、唯一の友セルジョを殺したギャングのボス、ジンガロからセルジョの娘アレッシアを守るハメに。そのアレッシアはどうやら現実との区別がつかない妄想の世界に生きているようで、エンツォを熱愛するアニメ「鋼鉄ジーグ」の主人公・司馬宙(シバヒロシ)と同一視して慕うようになるのだったが…」
『キック・アス』『スーパー!』みたいな感じで、日本のアニメに入れ込んだ男がヒーロー気取りで・・・な話かと思ったらまったく違った。チンピラのなれの果てのわずかな改心? 知人の死と、その分裂症気味の娘に対する同情・罪悪感からなのか。たまたまなのか。交通事故で閉じ込められた少女を救ったことをきっかけに、ちょっとだけ善行をし、ラストシーンでヒーローになるぞ、という意気込みを見せる、程度の話。まだとてもヒーローとはいえない。ラストで、ヤクザのボスと対決してやっつけはするけど、これだって正義のためというより、アレッシアの父親である知人の恨み? が大半だろ?
ラストシーンで、エンツォはアレッシアが編んだヒーローマスクをかぶり、ダイブするんだけど、あれは出発なのか自死なのか? だって、飛べないんだから。まあ、自死する必然性はないけど、誤解は生むよなあ。
冒頭、エンツォが追われているんだけど、追っていたのは警察? で、時計を盗んだ、のか? よく分からない。で、逃げる途中に川に潜り、足もとにあった放射性廃棄物に触れ、肉体が強靱化…はいいんだが。なんであんなところに捨ててあるのか? その後も発見されず、のちにジンガロもあえて水没して放射性廃棄物の影響で超人化するんだが、この間に流出した放射性廃棄物の影響で下流の魚や動物がハイパワーを身につけることがないのは変だろ! とか突っ込みたくなる。
で、逃げおおせたエンツォはジンガロの手下のセルジョの元に行き、時計を売る。なので、エンツォもジンガロの手下筋にあたるのかと思っていたら、なんかどーもそうでないらしい。でこのセルジョとエンツォは同じアパートに住んでいて知り合い? だったのか? あたりの説明が大雑把で、なんだかな、な感じ。
で、ジンガロのところに誰かから連絡があって、取り引きらしい。これはアフリカの黒人2人が腹の中に麻薬を飲み込み、入国? ナポリの女ボス、ヌンツィアがそうさせた? 彼女がジンガロに連絡して、捌くように言ったのか? ってことは、ジンガロはヌンツィアの配下筋? 対等? ジンガロは、上手い話だ、とのったのか? ジンガロの手下は「黒の尻ぬぐいかよ」とかいってたし、やりたくなさそうな感じだったよなあ。なので、もやもやしつつの展開。
でその黒人2人との接触にセルジョが行くんだが、同行するのがエンツォで。フツー、これだと、エンツォもジンガロの手下と思うよな。で、黒人の片割れが死ぬんだが、飲み込んだ麻薬の袋が破れた? てなわけでセルジョが腹を割こうとしたら、残った黒人がセルジョとエンツォを撃ち、セルジョは死亡。エンツォは建築現場の9階から落下するけど、超人化しているので平気・・・。で、家に戻るとアレッシアが父親のことを心配していて。で、どーも、エンツォとアレッシアはそんなに顔見知りでもないようなのが「?」なんだよ。というところにジンガロが手下を連れてセルジョの行方を探りに来るんだけど、アレッシアはわけの分からんことを言う。というところにエンツォが通りかかるんだけど、ジンガロはエンツォを知らない、というのが、おかしいだろ、これ。
アニメ「鋼鉄ジーグ」の話ばかりして、エンツォに「父さんを探しに行こう」とかいうアレッシアなんだが、分裂病患者なんだろう。ずっと入院していたらしい。そうか。それでエンツォは知らなかったのか。なるほど。で、エンツォは街のATMを力ずくでもぎ取ってしまうんだが。あれは、何のために金が必要だったんだっけ? アレッシアのためだっけ? 忘れた。で、このビデオがYouTubeで評判になるんだが、警備会社が売った? ニュース映像か?
・・・という話とは別に、ジンガロは現金輸送車襲撃計画を立てていたらしいんだけど、これは、ジンガロ独自の仕事なのか・・・。この計画をエンツォが知るのは、セルジョがもっていたメモからだったかな。こんなんで分かっちゃうのかよ、だけど。ジンガロ一味が待ち受ける手前の歩道橋から石を投げて現金輸送車を止め、ドアを引き千切ってまんまと金を盗んでしまうって、これまたアレッシアのためだっけ? なんでそんなに金がいるんだっけ?
で、アレッシアと買い物に行って。アレッシアが、気に入ったドレスを見せようと試着室に呼び込むと、ガマンできなくなったエンツォはその場でセックス。アレッシアは拒絶しないけど、哀しい顔になるのは、なぜ? 「それは嫌」とか性的な関係を拒否するのは、以前にセックスやフェラを誰かに強要されていたからか? まさか父親じゃないよな。だって「父さんを探しに行こう」と何度も言うのだから。じゃ、どこでだれに? 精神病院でもないだろ? このあたり、ぼやかしていて、いらいら。
さてと。ジンガロは、黒人からの麻薬入手に失敗したことがナポリのヌンツィアに知れ、あれやこれやで事務所を襲われたり、自身もオカマに金を借りるついでにオカマとクルマの中でいたしている最中に襲われる。このときの撃ち合いは結構面白くて、最初にナポリ側がオカマを撃ち、ジンガロが逆襲、ナポリの女ボス、ヌンツィアは逃亡・・・だったかな。で、撃たれたオカマは生きてたんだけど、逆上したジンガロに撃たれるという、まあ、ひどい有り様。
あー、と。アレッシアが撃たれるのはここだったっけ? よく憶えてないよ、一昨日見たばっかりだっていうのに。なんだかもう記憶が曖昧だ。なんか、ジンガロは自分も超人になりたくてエンツォにその原因を聞いて、波止場に行くんだよな。そのときかな、アレッシアが撃たれるのは。いやもう曖昧だ。
超人になったジンガロがヌンツィアの屋敷に行き、鯖折りで殺すところをビデオに撮り、それをYouTubeにアップするのは、エンツォのビデオが大人気になったので、自分も再生回数が多くなりたくて、だったんだよな。いやまあ、そういうことに意義を見出すバカさ加減はでてたけど。
そのあとが良く分からない。ジンガロはスタジアムに爆弾を仕掛け、エンツォがそれを阻止しようと追う、んだが。これは、冒頭から発生している爆破テロの話に関係してくるんだよな。でも、犯人は右翼とかいってなかったか? ではなぜジンガロは爆弾を? 良く分からない。まあ、追いつ追われつ、最後はジンガロが爆弾を抱えたまま川に落ち、首がすっ飛んでくる、というアホな終わり方。
あ。交通事故で閉じ込められた少女を救うのは、この前だったか。忘れた。
でまあ、ラスト。エンツォは、アレッシアが「ヒーローになって」と編んでくれた鋼鉄ジーグの面をつけ、どっかへダイブする、というところでエンドなんだが、果たしてこれは変身か自死か。分からない。
というわけで、世のため人のためにヒーローになったというのではなく、アレッシアの復讐のためにジンガロを倒しただけ、である。事故の少女を救ったのは、たまたま偶然近くにいて、自分に強力なパワーがあるので、しただけ、な感じ。これでは悪をやっつける、とはいえんだろ。自分がしでかした悪の量の方が、まだ多い。
エンツォのアレッシアに対する感情も、なにやらよく分からない。知人の娘だから、のウェイトが高くて、とてもアレッシアを愛して、とは見えない。まあ、ちょっと知恵の足りない娘とおっさんの恋というのは昔からたくさんあって、これもその亜流だとは思うんだが。純な娘に、正しい道を教えてもらう、という流れは『まぼろしの市街戦』と似ていなくもない。同じイタリア映画だな。
・アレッシアの死は、なんとなく『スーパー!』のエレン・ペイジの死を思わせる。
・分裂症気味のヒロインであるアレッシア。もうちょっと無垢で天使のような面立ちがいいなあ。なんか、演じるイレニア・パストレッリは貧相なんだよなあ。むしろ、ナポリの女ボスが魅力的に見えたんだが。アントニア・トゥルッポっていうのか、彼女は。
・その他、登場するギャングは、あまりよく区別がつかん!
美しい星5/29シネ・リーブル池袋監督/吉田大八脚本/吉田大八、甲斐聖太郎
allcinemaのあらすじは「テレビでお天気キャスターを務める大杉重一郎は、予報がまったく当たらないことでかえって有名な気象予報士。主婦の妻・伊余子と、2人の子ども、フリーターの息子・一雄と美しすぎて周囲から浮いてしまう女子大生の娘・暁子の家族4人で平凡な日々を送っていた。そんなある日、重一郎は車を運転中に不思議な光に包まれたのをきっかけに自分が火星人だと自覚する。時を同じくして、一雄と暁子も水星人、金星人として目覚める。そしてそれぞれに“美しい星・地球を救うこと”という自らの使命を果たすべく行動を開始する。そんな中、ただ一人地球人のままの伊余子は怪しげな水ビジネスにハマっていくのだったが…」
三島由紀夫の原作ははるか昔に読んだ。フツーにSFを期待したけれど、そんなところはまったくなくて、なんだかな、てな感想を抱いたぐらいは憶えているけれど、だからなのか、物語はさっぱり記憶にない。
一家4人が突然オカルトにかぶれ、エセ科学、健康神話、UFO信仰、政治的使命(?)なんかにずっぽりハマる話で、まあ、こういう人は世の中にも現実にいると思う。信念でそうなる人もいるだろうけど、やっぱりちょっと頭のネジがゆるんだというか、精神的にいささかおかしい感じもしなくはない。
父親・重一郎は気象予報士だけど、あるときADにオカルト本を見せられ、温暖化・異常気象をどうにかしないと・・・という思いに取り憑かれ、太陽系連合の代表みたいなことを言いだすんだが、これは豹変過ぎる感じ。だから面白いといえるけど、オカルト本にハマるような素地がなさそうにみえるキャラだからなおさら。不倫相手のアシスタント予報士との帰路、突然、光に包まれ、気づいたら田んぼのなかに、というのが要因らしいけど、まあこれは単なる事故だろう。同乗してたアシスタント予報士は後に「知らない」というけど、UFO体験? 知らんよ。最後に分かるけど末期がんらしいから、気絶でもしたんだろ。同乗者とはすでに別れていた、とか。映画は、どうとでもとれる描き方してるけど。でも、UFO信仰に陥るのではなく、番組で温暖化メッセージを発言し、一躍人気者に、というのが解せん。あんな偏向的なこと言ったら一発で首だろ。まあ、最後は代議士の鷹森に番組中食ってかかり、お詫びの録画もロクにせず、鷹森の秘書・黒木との対決でしどろもどろになって、屋上で血を吐いて倒れる・・・って、なんだよ。
この黒木がもっとも信念の宇宙人なんだけど、言ってることが良く分からない。観念的で、重一郎との対立点も、素直につたわってこない。もしかして、教祖的な存在なのかな。鷹森も、黒木にすがっているようだし。キャラづくり、発言の内容なんかに、一考の余地ありな台詞が多いと思う。
妻・伊余子は、健康な水にかぶれ、大量購入。自分も会員になり、会員を集めて講演するようになる、というありがちな設定。なので宇宙人は名乗っていない。まあ、最後は健康水の主催者が夜逃げだけど、はたして損失は被ったのか、あるいは訴訟の対象者になったりはしないのかと、気になる。
息子・一雄は、大学時代は野球をやっていて、でも卒業後は自転車のメッセンジャーという経歴で。そうなった背景が描かれないから、得体が知れない。両親と反目しているかと思えば、いまだに続けているイタリア料理店での家族だけの誕生パーティに、いやいやながらもやってくるというのが、アホか、な感じ。たまたま代議士秘書の黒木と知り合い、どういうわけか事務所にスカウトされるんだが、理由がよく分からない。一徹なところを見込まれた? 黒木が、一雄も宇宙人と見抜いた? アホか。だいたい、一雄に野心があるのか? なぜ代議士事務所に勤め出すのか? そういう世界がもともと好きだったのか? 突然、政治に興味をもった? この一雄の設定が、いちばんつまらない。なぜって、ぜんぜん宇宙人らしくないから。
娘・暁子は大学生だけど、ある夜、路上の歌手竹宮に自ら接近し、金沢まで追っかけていくという、バカかこいつは、な感じ。歌もロクに聞いていないのにCDまで買わされ、交通費をかけて金沢? 戻ってきて、妊娠が分かるんだけど、重一郎が後に調べて彼女に話したように、竹宮は女たらしで、薬を飲ませて女にいたずらの常習犯というから、まあ、それなんだろう。竹宮に海岸に連れていかれ、妙なポーズでUFOを呼んだあたりが、それなのかも知れない。とはいえ、なぜ暁子がそうやすやすと竹宮の手にかかってしまうのか、が分からない。どうも暁子は自分が美しすぎるという罪悪感みたいなものをもっている、とかなんとかいっていたけど、そんなものもってるやつがいますかね。おらんだろ。
というわけで、父・重一郎が火星人、母親は地球人、息子は水星人で、娘は金星人を自称する、あたまのおかしな一家の話しだった。重一郎が番組で奇矯なことを話し、妻がペットボトルの水を大量購入、息子が事務所に勤めだして、娘がUFO体験するあたりまではわりと面白かったんだけど、以降の展開がずるずるで、というか、何星人とかどーでもいいのにそういうことをくどくどいい、黒木は得体が知れないままで、なんだか観念的な話になってしまって、話が転がらない。どんどん退屈になっていく。
で、ラストは、危篤状態の重一郎を家族で連れ出すんだけど、あれは、重一郎がどこそこに連れていってくれ、とかいったのか? よく分からんが、気がつくと重一郎は白い無機的な部屋にいて、窓を覗くと眼下に自分と家族がよたよたと、上を見上げている、ということは、UFOのなか? 「使命が終わって、地球における肉体は死んだ。星に帰れば家族が待っている」とかいわれるんだが、なんだよこれ。なんか、話しがバラバラすぎて、何をいいたいのか、まったく分からんぞ。つまんねー。
・息子が鷹森、黒木とエレベーターに乗り、11階の扉が開くと、そこに暗殺者がいて鷹森が撃たれる、が何度も繰り返され、最後は、扉が開くと同時に外にいた男を息子・一雄が蹴倒す。あれは、一雄の妄想だろうと思うんだが、なにを言ってるんだ? あのシーンで。分からない。
・アシスタント予報士が重一郎の愛人という設定が「?」。だって、重一郎は落ち目で、彼女はその後釜を狙っていた。であれば、足を引っぱりさえすれ、いまさらセックスの相手をする必要はないはず。あるいは、重一郎に魅力があった? それはないだろ。
・鷹森の事務所のある建物に、東博本館の階段が使われてたよ。

 
 

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