ヒトラーの忘れもの | 6/5 | ギンレイホール | 監督/マーチン・サントフリート | 脚本/マーチン・サントフリート |
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デンマーク/ドイツ映画。原題の“Under sandet”はデンマーク語かな。英文タイトルは“Land of Mine”。allcinemaのあらすじは「1945年5月。ナチス・ドイツの占領から解放されたデンマークだったが、海岸線にはドイツ軍が埋めた無数の地雷が残ったままだった。そしてその除去に、捕虜となっていたドイツ兵たちが駆り出されることに。そんな除去部隊の一つを監督することになったデンマーク軍のラスムスン軍曹。セバスチャンらドイツ兵全員があどけなさの残る少年であることに驚きつつも、ナチスへの憎悪を剥き出しに、彼らを容赦なくこき使っていく。この作業が終了すれば帰国できるというラスムスンの言葉に唯一の希望を託し、死と背中合わの作業をこなしていくセバスチャンだったが、一人また一人と仲間たちが命を落としていく。そんな彼らのあまりにも過酷な姿を目の当たりにして、いつしかラスムスンの心にも思いがけない変化が生じていくのだったが…」 そんなことがあったのか、という驚がはある。とはいえ地雷処理だけじゃ映画にならない。というわけで挿入されたんだろうエピソードは手垢の付いたものが多く、ムダにつくりものめいている感じ。まあ、ネタひとつで引っぱる場合、よく陥るやつね。定期的に爆発するぞするぞ、と脅しつつ話を転がしていく。とはいっても物語性は乏しくて、少年兵たちが地雷処理を終えるまでの得ピサソードの集積、という感じ。まあ、安易といえばそうなんだけど、致し方ないところかな。 少年兵たちが、処理した地雷を無造作にトラックに積み込んでいるところなぞ、こりゃくるな、と思わせておいて、案の定大爆発なんだが、分かっていながら身体がびくっ、と反応してしまった。まんまとハメられてるな。やれやれ。 冒頭は、ドイツの敗残兵がうなだれて列をつくっている横を、ジープを走らせている兵士。その兵士が、デンマークの国旗を手にしたドイツ兵を見つけ、半殺しに殴る。かなり恨み骨髄な感じだけど、彼はデンマーク軍の兵士なのか。で、ふと思うに、ドイツ占領下にあって、彼はそれまでどこで何をしていたんだろう? ということ。他の国民も、占領下でどうしてたんだろうね。 ※Wikipediaにはこうあった「第二次世界大戦では1940年にナチス・ドイツによって突然宣戦された。国王クリスチャン10世は亡命せずに一日で降伏を選び、デンマークはドイツの占領下に置かれることになった。初期はモデル被占領国と呼ばれたが、国内では自治を許され、反ナチ運動家を保護したりした。その後、ドイツ軍への抵抗運動なども起こった。一方で駐米大使ヘンリク・カウフマン(英語版)は連合国に接近し、グリーンランドを連合軍の便宜に任せた。またフェロー諸島とアイスランドも連合国によって占領され、うちアイスランドは1944年に独立している。カウフマンの活動もあって、デンマークは本国政府の活動にも関わらず連合国として扱われることになった。5月には駐デンマークのドイツ軍が降伏し、デンマークは解放された」。あまりよく分からないね。ドイツ軍のいいなりだったのか、結構、したいこともできていたのか。フランスなんかの状況とは、違うのかね。 で、その兵士はラスムスン軍曹で、10数人のドイツ少年兵を監督し、定められたエリアの地雷除去を行うことになったが・・・という話である。この映画、ラストで「なぜドイツの少年兵が?」という問いに答えてくれるかと思ったら、あに図らんや、してくれなかった。ここが最大のキモなのになあ。それ説明してくれなきゃ、面白くないだろ。 さて、手垢の付いたエピソードだけど。少年兵が軍曹に預けられる前の地雷処理教習で、とろい奴に注意を引きつけといて、そいつがなんとかクリアしたあとに爆発とか、近所に住む家(母親しか登場しないけど、父親もいるんだよな? いないのか?)の少女からパンを盗むとか、こんな生活はゴメンだ、と逃げようとした少年が多の少年兵に止められるとか、地雷が連結しているのに気づいた少年兵が、多の兵士に注意した途端に爆発して双子の片割れが死ぬとか、はじめは意地悪だった軍曹が次第に少年兵たちに同情的になり、上官の命令を無視して食糧を調達してきてやるとか、ついには仲良くなって一所にビーチで球技をするとか、その最中に近所の少女が地雷原に入り込み、それを少年兵の1人が助けるとか、それを見ていた双子の残りへらへら笑いつつ地雷原へ踏み込み爆死するとか、映画や小説に登場しそうなものばかりで、スタッフが頭で考えてつくったな、な感じで、おおなるほど、ええええっ! なものがないのが残念なところ。 あと、これ、重要なんだけど、せいぜい10名程度なんだけど、少年兵の区別がつきにくいのも困ったところで。例の双子と、逃げだそうとした奴と、あともう1人ぐらいだったかな。ちゃんと判別できたのは。あとは、誰がどれやら分かりにくくて、せっかくの話がもったいない感じ。もうちょい個々の人格を尊重して描けば、もっといい映画になったろうに。 軍曹は、最初の頃、「こんな素人の子供ばかりよこさないで、熟練した大人をよこしてくれ」というんだけど、上官に無視される。その少年兵たちが、途中で補充された2人も含めて、14人中4人が生き残るんだが、与えられたエリアの地雷をすべて処理し終える頃には、少年兵も地雷処理に熟練していて。軍曹が「終わったら帰す」と約束していたにもかかわらず、4人は別の場所の地雷処理をするよう命令を受ける。これは厳しい。厳しいけど、軍曹が最初に言っていた「熟練した兵士をよこせ」ということは、こういうことになるんだよなあ。 でも、上官の命令を無視し、軍曹は自分の判断で移送中の4人を解放し、「あの先が国境だ」と逃がしてやるのは、なかなか格好いい。のだけれど、デンマークの軍曹が、ドイツの、まあ、敗戦濃厚になってから送り込まれたんだろう少年兵たちに、同情的になるという話は、これは、デンマークでは許容される話なのだろうか、というのが気になった。近ごろの映画は、どれもみんな「ドイツ=悪人、のテンプレばかりで、もっと違う角度からのドイツ兵を描いたものはないのか、と思っていたものでね。その意味では興味深いのであった。 ・軍曹が食糧を調達した直後だったか、少年兵たちがどこかの兵士に小便をかけられたりしてリンチにあっていて、それを軍曹が助けるという場面がある。リンチしてたのは、別のデンマーク兵士? 上官もいたっけかな。あの辺りの感情は、どういうものなんだろう。それと、近所の農家は、少年兵たちの食事をだすように言われていたような風なんだけど、どんな食事が出されていたか描かれないので、少年兵たちが「もっと食いものが・・・」と訴える様子が現実味をもってつたわってこない感じ。 最後に、字幕で、「2000人のドイツ兵が200万個の地雷を 約半数が死亡・重傷」だったかな、字幕がでるんだが、2000人のドイツ兵のうち、少年兵は何人なんだ? というような疑問も湧くのだよね。このあたり、ちゃんとしてくれよ。 | ||||
アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場 | 6/5 | ギンレイホール | 監督/ギャヴィン・フッド | 脚本/ガイ・ヒバート |
イギリス映画。原題は“Eye in the Sky”。allcinemaのあらすじは「ロンドン。英国軍のキャサリン・パウエル大佐は国防相のフランク・ベンソン中将と協力して、英米合同テロリスト捕獲作戦の指揮に当たっていた。米国軍の最新鋭ドローン偵察機がケニアのナイロビで凶悪なテロリストたちのアジトを突き止めるが、彼らがまさに自爆テロを決行しようとしていることが発覚、パウエル大佐は即座にドローンのミサイル攻撃によるテロリスト殺害作戦の決行を決断する。その指示を受け、米国ネバダ州では、新人のドローン・パイロット、スティーブ・ワッツがミサイルの発射準備に入る。するとその時、アジトの真横でパンを売る少女の姿が発見される。民間人の少女が巻き添えになる可能性が明らかとなり、ロンドンの会議室では軍人や政治家たちの議論が紛糾し、結論が先延ばしされていく。大規模な自爆テロの決行が目前に迫っている以上、少女を犠牲にしてでもテロリストを攻撃すべきと訴えるパウエル大佐だったが…」 見てから2週間も経ってしまった。細かいこと忘れた方が、大雑把な感想で、手間がかからない、かな? 遠隔操作で無感情に攻撃する戦場、ばかりが強調されてるけど、むしろプロセスとデシジョンの話で、なかなかスリリング。軍人の「重要なターゲットがいままさにいる。少しでも早く攻撃したい」と思う反面で「無関係な市民への被害を極力少なく」しなければならない、という二律背反的な揺れ。さらに、攻撃許可に必要な文民の判断。しかし、責任逃れでそのまた大臣の決定を仰ぐという焦れったさ。当の大臣はどこか外国でスピーチの最中で、食あたりでトイレに入っていたり…。はたまたターゲットの国籍が英国だから無闇に殺せないとか。どういう経緯だか忘れたけど、米国の国務長官に問い合わせると、いとも簡単に「いいよ」と許可が下りてしまうという・・・。 こういう、英国と米国の、離れたところにいる面々の意志がネット経由ですりあわされ、最終的に上空のドローンからミサイルが発射される。すごいな。どこまで本当なんだろ。 アジトのすぐそばで少女がパンを売り始める、というのがいかにも作り話めいてるけど、ありそうな話なので、これまた悩ませる要素となってる。現地で鳥形ドローンだの虫型ドローン(いまはまだ使われてないよな、あんなの?)をつかって部屋の中まで映像を撮影する工作員がいて。これが、作戦本部の命令で、あーしろこーしろと、難題を押しつけられるのがお気の毒・・・。いくらターゲットをはっきり確認したいから、って、工作員の命がけさは、作戦室じゃわからんだろうな、と。どういう契約であんなヤバイ工作員をやってるんだろ。数百万円のギャラじゃ、とても合わないな、あれ。億だしたらやる人がいるかも知れんけど。とか。 この工作員。パン売りの少女を移動させるためにパンを買い占めたり、虫型ドローン操縦してるところへ「なんやってんの? ゲーム?」なんて寄ってくる少年をあしらったり、大変だなあ、と。この工作員が、この映画のヒーローだと思う。 結局、少女は立ち去らない。というか、ギリギリでパンを売り切って場所を移動する。そのタイミングでミサイル発射。でも、このとき、被害予想担当者に、彼女への被害の可能性を低く見積もるよう半ば強制するようなこともあったりして、そこは軍人、一筋縄ではいかない。結果的に、少女は被害を受け、病院で亡くなってしまうのだけれど、それはそれで哀しい。哀しいけれど、いままさに自爆しようと爆弾を身体にまとっている男が2人いるのに、それを攻撃しない手はない、というのも事実。さらに、そこにいる英国籍(だったっけ?)のテロリストをやっつけないのも、もったいない。千載一遇のチャンスなんだから。 という、与える攻撃と、受ける被害のバランスを考えたら、たとえ少女が死ぬ可能性があっても、攻撃しかないだろ、と思ってしまったのも事実。「やるしかないだろ」と。このときだったかな。作戦室にいた女性の文民が「少女が死ねば非難の声が高まる。自爆テロでは、敵意と憎しみが増す。宣伝効果は、後者が上」的なことをいうのに、驚いた。そうか。分かっていて、攻撃させることもあるのだな。そういえば、パールハーバーも、米国は知っていて攻撃させた、という説もある。ではあるが・・・。なんか、オソロシイ話である。 で、連想したのは『シン・ゴジラ』。あの、内閣の右往左往振りが、とても似ている。こちらにゴジラは登場せず、バトルシーンもほとんどないけどね。 ・中将のアラン・リックマンが、孫娘へのプレゼントを買い間違えた、とかいいつつ作戦室へ入ってくる。部下が、「何とかしておきますよ」なんていうんだけど、作戦室内にいた女性の文民に対して、最後に「兵士が戦場の代償を知らないなどと思ってはいけない」とぴしゃりと言うところが、なかなか格好いいのであった。そういえば、アラン・リックマンはこれが遺作? ※『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』が遺作らしい。 ・現在の戦争は、この話通りだとすると、わりと良心的なのね、と思ってしまった。攻撃は、できるだけターゲットにのみ。一般市民の被害はできるだけ少なくする。ターゲットについては、後にトラブルが生じないように、国籍なども含めて十分に考慮する。・・・こういうことが、どこまで実際に行われているか分からないけど、テキトーにやっているわけではないのだな。 ・戦争は、広報活動でもあるのか。あえて被害を受けることで、国民の怒りを創り上げる・・・。オソロシイ。 | ||||
ちょっと今から仕事やめてくる | 6/7 | 109シネマズ木場シアター6 | 監督/成島出 | 脚本/多和田久美、成島出 |
allcinemaのあらすじは「ブラック企業で働く青山隆は上司のパワハラに苦しめられ、極度の疲労から危うく駅のホームで電車にはねられそうになる。そのとき彼を救ったのは幼なじみだというヤマモトだった。しかし青山はどうしてもヤマモトのことを思い出せない。それでも、陽気なヤマモトと過ごすうちに本来の明るさを取り戻し、仕事でも成果をあげるようになる青山だったが…」 コミカルな感じで突っ走り、復讐で〆るのかと思ったらさにあらず。要は、ヤマモトの素性は? という話になってしまって、最後はそのヤマモトの不幸と夢の話になるという・・・。なんか良心的でいい映画風になって行く後半がつまらない。前半の、青山が勤める印刷会社のブラックさとか、過剰過ぎてバカか、な感じは笑えたんだけどねえ。ありえねえだろ、とか。 シナリオは説明的なセリフのてんこ盛り。演出も丁寧すぎてくどくてベタで、感じさせたり、読ませる映画になっていない。まあこれは監督のせいだろう。見れば『ミッドナイト イーグル』の監督か。それでよく『八日目の蝉』『ソロモンの偽証』を監督させてもらえたな。監督不足なのか? それにしても、早く内定が欲しかったからこの会社に決めた、とか、バカか、と思う。むかしと違っていまは正社員になるのが大変なんですよ、と言われるかも知れない。でも、「遅刻は十分で千円の罰金」「熱があろうと這ってでも出勤すべし」「有給なんていらない体がなまるから」「上司の指示は神の指示」「心なんか捨てろ、折れる心が無ければ耐えられる」なんていう社訓の会社がまともなわけがない。誇張は分かっている。だから違和感がありすぎなんだって。 あとね。叱られるのが青山ばっかりで、褒められるのは五十嵐さん(黒木華)だけというのが、変すぎ。他にも10人ぐらい営業社員がいるんだから、彼らも叱られてないと、見ていてリアリティないだろ。 で、青山のチョンボがあって話は大きく展開するんだけど、つまりは紙の指定ミス。そもそも見本刷りは本紙だろうし、発注書で紙が違っていたら現場から確認の連絡が入るだろ。何部刷るのか知らんけど、大騒ぎすることないだろ。というか、あの会社はどういう仕事をしてるんだ? 営業が飛び込みで受注するとかやってるのか? にしては、いつも社員が部屋にいすぎだろ。あるいは定期的に仕事を受注する企業があるなら、大きな受注には営業部長も顔を出せよ、な感じ。または、営業2人体制というのもよくあるし。入社したての新人にひとりであれこれ任せるなんて、ないだろ。 五十嵐の細工(青山の発注書を書き換え、ミスを起こさせ、その企業を自分の得意にしてしまう、という策)も、どうなんだ? だいたい、自分で書いた発注書の内容ぐらい、憶えてるもんだぞ。それに、営業努力だけで印刷の仕事なんてそうないし、ポスターの仕事をしてたみたいだけど、デザイナーが登場しないような仕事場なんて、嘘くさい。それと、あの得意先もそんな小さいところではないはずで、だとすると、発注書は、得意先から青山の印刷所に直接回ってくる可能性も大いにありうるわけで。すべてが新人青山の肩におっかぶさる、というようなことは、ないような気がするぞ。まあ、映画だからな。仕方ないけど。 で、ヤマモトの素性だけど。つまりは赤の他人で、たまたま改札ですれ違ったとき青山の様子が自殺しそうだったので追跡し、咄嗟のところで救った、というのが答らしい。おいおい。死にそうな顔のやつなんて星の数ほどいるだろ。たまたま自分の双子の兄弟がブラック企業で酷使されて自殺したからって、分かるものか? というか、自殺したことはあとから知ったわけで、当時の兄弟の状態を知ってるわけじゃないだろ? だったらなおさら、変。 それと、ヤマモトの存在をウェブ検索し、彼(双子の片方)の死を知り、そのブログを書いた人を訪ねて孤児院に行き、あれこれ知らされる、という部分がこれまた説明的。下手なミステリーで、最後に探偵が人々を呼んであれこれ説明するみたいな感じで、うんさせりな感じ。 だいたい、その片割れの方が「医者としてアフリカに行きたい」から、医者になるまでは行かない、などとこだわってる時点で頭おかしい。自分の能力もあるだろうし、人の役に立ちたがったら、何でもいいから行きなさい、と思う。で、受験に失敗したから、ブラック企業に一時就職、というのも、なんで? な感じ。 そもそもブラック企業に入社したとして。さっさと逃げ出せないような性格がまずネックだろ。正社員じゃなきゃ嫌だとか、言ってる場合かよ。 あと、気になるのは、青山につきあってる彼女の影もないこと。なんかな。もしかして自分の不正を告白した五十嵐さんと同衾し、アフリカにはその五十嵐さんと手を?いで・・・とかでもいいと思うんだが、なぜそうしない、な感じ。いやむしろ、青山が部長に「やめる」と言いに行ったとき、同僚の営業マンたちも一斉に弾けて、俺も、俺も、と同調して部長が困り果てるとか、そういう展開でもいいんじゃないのか? あんな部長、ガツンとやってやれよ。じゃなきゃ、見てるこっちもスカッとせんぞ。などと思ったりしたのであった。 できる先輩・五十嵐さんを、黒木華なんだが。フツーのオバサン顔になってて、なかなかだった。 | ||||
ブラッド・ファーザー | 6/9 | 新宿武蔵野館2 | 監督/ジャン=フランソワ・リシェ | 脚本/ピーター・クレイグ、アンドレア・バーロフ |
原題は“Blood Father”。allcinemaのあらすじは「長らく刑務所生活を送り、今はボロボロのトレーラーハウスでアル中のリハビリをしながら細々と暮らしているジョン・リンク。ある日、何年も行方不明だった一人娘のリディアから助けを求める電話が入る。誤ってギャングの恋人ジョナを撃ってしまい、ギャングと警察の両方から追われているというのだ。そこで愛娘を守るため、かつてアウトロー時代に培った禁断のサバイバル術を駆使して彼らに対抗する決意を固めるジョンだったが…」 公式HPとかは「メル・ギブソン 荒野に完全復活!」とか謳ってるけど、なんだフランス映画じゃねえか。でも中味はダメオヤジが娘を救うというテンプレ的なアメリカ映画なんだが。娘がビッチでバカすぎるから感情移入できなくて、勝手にやってれば、な気分になってくる。でこの監督、『アサルト13』とか『ジャック・メスリーヌ』の人なので、勘所は押さえていて、とりあえず飽きずに見せてくれた、のだが。製作・脚本がピーター・クレイグなので、彼がほぼ決めているんだろう。娘の設定がもう少しどうにかならんか、なんだけどねえ。 そもそもジョンはかつてバイク野郎の仲間で、連中と何かをやらかしたけど、身代わりでムショに入った、のか? あるいは、捕まったけど仲間を売らなかった、とかいう感じ。で、出所後も保護観察中で、トレーラーハウスに住んで刺青彫りの仕事をしている、って、おいおいな感じ。で、娘は家出中(?)なのか? 元妻は男をとっかえひっかえみたいで、それに愛想を尽かしたのか? というか、離婚後も娘とは定期的に会っていた、ということか。このあたりがアバウトすぎるけど。 まあいいけど、娘のリディアがバカすぎで、17歳にしてつき合ってるのがメキシコ麻薬組織の青年ジョナ。のちにリディアがジョンに言い訳するんだけど、会話だけの経緯説明で、よく分からん。なんか、連れていかれた別荘が麻薬の保管所で(?)、次に襲ったのが金を猫ばばした奴らだ(?)とかだったかな。忘れた。で、映画は、その2軒目の襲撃から描くんだが、ここでリディアは間違ってジョナを撃ち殺し、トンズラ。ジョンに助けを求めるんだが、追っ手がやってきてジョンのトレーラーハウスはズタズタ。というところにトレーラー仲間が助けに来て、逃げ出すんだが・・・。 なんでリディアが追われるの? と思っていたら、ジョンの刑務所仲間の連絡網で、ジョナの伯父さんが組織の大物、ということらしいのだが、どうやらジョナは「女が金を盗んで逃げた」と組織に報告していた、らしい。実はジョナが使い込んでいたのを、責任をかぶせた? とか・・・。では、2軒目の襲撃はジョナのヤラセなのか? よく分からない。 ジョンとリディアがモーテルに。でそこで、テレビのニュースでリディアが指名手配で、ジョンの顔も映る。宿の兄ちゃんが通報したらしいんだけど、逃げ道も用意してくれるという、よく分からない展開。自分が殺されないための配慮? はいいんだが、組織の殺し屋までがやってきているのは、どうやって調べたのか? この殺し屋、メキシコの組織から派遣されてるみたいで、ジョナの仲間ではないみたい。いやそもそも、どうやってリディアが指名手配になるのか。あの現場を警察が見て、誰が関与したかなんて、わかるか? ジョナがあれこれ警察に話した、なら分かるけど。うーむ。 ここでジョンは昔のバイク仲間を頼るんだが(ナチや南軍のグッズをネット販売してるというのが面白い)、昔の恩を口にしても、相手は冷たい。どうも金の亡者で、いまさらジョンを助ける義理はない、な感じ。なのでもともと自分のだったバイク(それすらも渡そうとしない昔の仲間ってなに?)にまたがり、リディアと立ち去るんだが、追ってきたのはバイク仲間の部下たち、だよな。でこのあたりの、バイクとの撃ち合いとか、相手がトラックに巻き込まれるところとかは、ちょっと『マッドマックス』はいってたかな、と。 この後だったか、ジョンが刑務所内の大物に面会に行き、ジョナの企みなんかを話すと、「了解。伝える」というんだけど、刑務所内からメキシコの麻薬組織の大物に連絡が行くシステムになってるのね。ふーん。はいいんだよ。保護観察下にあって、娘が現在指名手配中のオッサンが、突然、刑務所に行って面会できるんだ? フツー、ムリだろ。実はあのシーンで、もしかしたらジョンは潜入刑事で、ムショに入っていたのも仕事のうちだったのか・・・と一瞬思ったほどだ。 で、どうなることかと思っていたら、なんとジョナが生きていて、リディアにすり寄ってくるという展開なんだが、このあたりがよく分からない。胸に名前を彫るほど惚れていたのに、なぜ罪をなすりつけたのか? つけてない? よく分からん。というか、いまさらリディアに迫り、誘拐し、ジョンをおびき寄せて、何の得があるのか分からない。 というわけで、あとはお定まりの展開。砂漠であれこれあって、ジョナやメキシコの暗殺者はやっつけるけど、ジョンも撃たれて死んでしまうという・・・。それを、麻薬更正のミーティングで、リディアが話しているんだが、ホント、こいつがいちばんバカ。 ・トレーラー仲間の住人に、 ウィリアム・H・メイシー。なかなか渋いキャスティングである。 | ||||
ラプチャー 破裂 | 6/13 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3 | 監督/スティーヴン・シャインバーグ | 脚本/ブライアン・ネルソン |
原題は“Rupture”。allcinemaのあらすじは「蜘蛛が嫌いなシングルマザーのレネーは、正体不明の男にいきなり拉致され、怪しげな研究所に監禁されてしまう。そして目的も知らされぬまま、恐るべき人体実験の被験者にされてしまう。それは、ひたすら一番嫌いなものを与え続け、極限の恐怖を引き出すというあまりにも謎めいた実験だったのだが…」 お。『ミレニアム』のノオミ・ラパスが、こんな3流SFホラーサスペンスに? 監督は、なんと『セクレタリー』の人らしいけど、仕事がないのかね。で、レネーが突然誘拐され、どこかに監禁され、あれこれテストされるんだが。これが延々とつづくので、飽きる。大きな蜘蛛を、ガラス管を通してレネーの腕に這わせるところあたりでちょい目が覚めて。ナイフで拘束ベルトを切り、ダクトづたいに動きまわりだして、やっと話が転がってきた・・・かと思ったら、あちこち部屋を回ってみて、拷問みたいなのをされてる、同じ境遇の連中を確認し、でも、最後はまた自室にもどってきちゃうって、なんだよ。トイレの窓をかち割って、なんとかできなかったのか? で、最後に、ガラスの面をつけられ、そこに小さな蜘蛛をたくさん送られ、顔のまわりを這わされる、でレネーの顔がむきむきむきと変形。これがどうやらDNAの“破裂”らしい。これでレネーも晴れて連中の一員? 家に戻ったレネーはなぜか派手なファッションがお好みになる。そこに、怪しげな団体の男たちが3人やってきて、どうやら息子も“破裂”する可能性があるから拉致して・・・らしいが、咄嗟にレネーは息子にメールして逃がす・・・が、男のひとりが「なりたてのときは、まだ人間の心を残していたりする」とかなんとかいうところでEND。 というわけで、よく分からない話であった。 ・連中は何なのか? 「我々も人間と同じだった」とかいい「人間は地球を破壊し」どうたら、取って付けて様なことをいう。では地球外生命体? にしては、どうやってきたのか分からない。研究室に、1930、1970とか昔の年号が書かれたDNAがあったけど、あれはもしかして、連中が過去に“破裂”し、仲間になったということなのか? ・連中は仲間を増やすために妊娠できる女が欲しい、らしい。ならば若い女を拉致ればいいのに・・・。とか思うけど、事前調査で選んで拉致しているらしい、が。どうやって個人のDNAを集めたりしてるんだ? ・連中が、レネーの卵子を顕微鏡で見て「人間の精子で破れない卵子をもっている」とか喜ぶんだけど。おいおい。レネーには息子がいて、離婚した亭主はフツーの地球人だぞ。なにが「人間の精子で破れない卵子」だよ。 ・ところで、金髪女も若いけど、彼女は妊娠できないの? ・手の拘束ベルトを外す、はまあいい。でも、レネーの家のあちこちに監視カメラ設置してるくせに、監禁部屋に監視カメラをおかないのは都合よすぎだろ。 ・さんざダクト内をうろつき、危険を感じてまた自室に戻ってくるんだが。ダクト出口のネットをあちこち外しまくりで、気がつかれないのはおかしいだろ。 ・で、金髪女が怪しい注射しにきて。スキを見て注射器を金髪女の首に刺すだけで、金髪女が気絶しちゃうのはなんでなの? 注射液のせい? じゃ、レネーが注射されてたらどうなったんだ? ・で、部屋を逃げ出しても、最後はどんづまりに逃げ込んで捕まるんだが。相手のデブが「うろついてるのぐらい知っていた」っていうんだが、うそだろ。だったら、金髪女の件も了解済みなのか? レネーだけ泳がせておいた? なんかこじつけ臭い。 でもついに、蜘蛛が顔の周りを這い回る、でDNAが“破裂”し、顔が変形しちゃうんだが。簡単過ぎないか? あんな監禁せず、自宅で脅かしても“破裂”するんじゃないのか? と思えてしまう。 ・しかし、恐怖を感じるとDNAが“破裂”して宇宙人の仲間になる、という設定自体がバカすぎな感じがしないでもない。 ・で、妊娠できる女がいて。妊娠させる男=宇宙人は誰なんだ? 最後にベタベタしつこくしてたやつ、なのか? 男どもがみんなで寄ってたかって・・・ではないのか? ・ところで、この手のSFホラーサスペンスは、胸のある女優じゃないとダメだろ。胸ぺったんこで、怪女な容貌のノオミ・ラパスじゃ、ドキドキも半減だわさ。 というわけで、ツッコミどころもてんこ盛り。脚本がいまいち練れてない映画だった。だいたい、ラストも尻切れだし。 | ||||
はじまりへの旅 | 6/14 | ギンレイホール | 監督/マット・ロス | 脚本/マット・ロス |
原題は“Captain Fantastic”。変人隊長、みたいな感じ? allcinemaのあらすじは「アメリカ北西部の山奥にこもり、大自然の中で自給自足のサバイバル生活を送るベン・キャッシュと6人の子どもたち。文明社会とは距離を置き、学校すら行かない子どもたちだったが、ノーム・チョムスキーを信奉する父親自らの型破りな熱血指導により、文字通り文武両道の優れた能力を身につけていた。そんなある日、数年前から入院生活を送っていた母親レスリーの訃報が届く。レスリーの家族と折り合いが悪いベンだったが、彼女の葬儀に出席するため、子どもたちちともに2400km離れたニューメキシコへ向け自家用バスを走らせる。そんな一家の最終目的は、仏教徒だったレスリーを葬儀の行われる教会から救い出し、彼女の最期の願いを叶えることだったが…」 映画館での予告のイメージは、おバカなコメディ? だった。とくに、映画のシーンから上映中の注意事項用の映像がつくられていたりして、なおさら。だけと、内容はなかなかハードじゃん。消費文明に批判的で、自然な生活を求めた夫婦。その間に生まれた6人の子供たち。みんなワイルドで、鹿狩りをして皮を剥ぎ、食べる。母親は仏教徒で、チョムスキーの誕生日を祝い、「パワー・トゥ・ザ・ピープル! 権力にノー!」が口癖。これが、18歳(?)の長男から末っ子まで一貫していて、両親が教師となって憲法だのなんだのイロイロ教えて全員が読書好き。だけど、躁鬱病が重篤になって街の病院に入院した母親レスリーが病死。父親ベンは、レスリーの父親から「お前のせいだ」と、以前から言われていたらしいことをいわれ、葬式には来るな、宣言を受けてしまう。しかし、レスリーは「私は仏教徒。火葬にして、灰は空港のトイレに流して欲しい」と遺言していて、それを守るために一家は街へ出発! という話。 子供の構成を理解するのに結構時間がかかった。というか、最後まで分からない、あるいは、間違っていたのもある。金髪のチビが2人いるけど、髪がさらっとしてて長いのが男の子で、末っ子? もう1人が女の子? もしかして双子? と思っていたら、髪の長い方が3女のサージで、短い方が末っ子のナイらしい。女の子2人も、ヴェスパーが姉でキーラーが妹かと思っていたら、双子だという。これらはあとから公式HPで知ったこと。まあ、もうちょいと説明してくれてもよかったのに、なのだ。 それにしてもキリスト教に否定的で文明を否定し、権力や制度を忌避するような話を映画にしてしまう度量がある、というところがアメリカの素晴らしいところか。こんなの誰も見ないだろ、とはいわないで、つくらせてしまうのだから。とはいえ、最後の方で少しぐずぐずになり、あれこれ折り合いをつけていくような展開になるのは、妥協なんだろうか。 ところで、チョムスキーについては言語学者、という理解しかなくて。たぶん著作も読んでいないので、映画のなかでもちあげられているのに、へー、だった。著作は難しい、という話で、敬遠していたんだけどね。そのチョムスキーの誕生日を家族全員で祝い、3女サージはアライグマの骨でポルポトごっこ。みながナイフのプレゼントに喜ぶ。まあ、教育次第で子供たちもこんな具合に成長するよ、ということなんだろうか。そういう親の方針もなくはないけれど、子供にも選択の自由があるわけで。たとえばアーミッシュが18歳の時に、コミュニティで暮らすか自由な生活を求めるか、選択できるように、子供たちにも一定の時期が来たら消費文明の世界が存在していることを知らせ、将来を選ばせることも必要なのではないかと思ったりしつつ見ておった。 まあ、母親の方はそういうことは承知だったのか、いろいろ工作して長男に大学への進学の道を用意していて、その期待に応えるように長男ボウは有名大学から軒並みの合格通知。隠していたそれを父親に見せると、ベンは嫌な顔をするんだけれど、まあ、それは映画としての役回りだからしょうがない。ベンは、野性的な生活を子供たちに求める、押しつけるという設定だから、仕方がない。 で、葬式の場、つまり教会に一家して乗り込み、レスリーの遺言を読んで反キリスト教的な宣言をするんだけど、ベンは排除させ、さてどうするか。というところで次男のレリアンが反旗を翻し、レスリーの父親である祖父ジャックの元に残る宣言をするのであわてる。なぜレリアンがそうなったのか、は描かれてないけど、そういう設定にしないと話に山がないからしょうがない。で、夜、レリアンを奪還すべくキーラーが屋根づたいに祖父の家のレリアンのいる部屋に向かうが、瓦が割れて(?)転落し、脊髄を骨折という展開。まあ、これも、ベンにとって不利な状況をつくりだし、おいおい、義父や文明社会と折り合いをつけていくための準備的な展開で、わざとらしいのだけれど、まあ、仕方があるまい。反文明プロパガンダ映画ではないのだから。 この後、レリアンも「本当はパパが好きだよ」的なことを告白し、仲直り。つまり、祖父の家には入らない、ということらしいけど、なんか話の収め方がいまいちスッキリしない。いっぽう、どの大学に入るのかなと思っていたら、あてずっぽうで決めたナミビアに行くという。大丈夫かね。スーパーマーケットですれ違った女の子たちに勃起し、キャンプ場で会ってキスしかけた娘にプロポーズまでしちゃう世間知らずが。まあいいか。 で、それ以外の子たちは、もとの山にオヤジといっしょに戻るんだが、お弁当をつくっているところをみると、昼は近所の学校へ行くみたい。まあ、そうやって折り合いをつけるぐらいが関の山か。いくら自説を強調しても、世間の壁は厚い。そういうことだ。というわけで、話としてはベンが負けている。だけど、あの義父には一矢報いて欲しかった、という思いは残る。もちろん、母レスリーの墓を暴いて火葬し、灰をトイレから流してはいるけれど、その事実を義父は知らない。それじゃダメで、どういう報い方かは分からないけど、義父が反論できないような、してやったりの仕返しを期待したんだけど、残念ながらそれはなかった。 ・母親のレスリーは、まだ元気で正気な頃の姿で登場する。でも、双極性障がいの現実を曖昧にしているように思う。現実には家族に迷惑をかけたり、イライラさせたり、悩ませたりしたのではないだろうか。妻の美しく賢明な姿だけ見せて、暗部を見せないのはどんなもんかと思う。 ・いとこたちに、ナイキ、アディダス知らず、従兄弟に笑われるのは、まあいいじゃないか。でも、ホットドックぐらい食べさせてやれよ、社会勉強だろうに。 ・「興味深い」という言い方は禁句、というのは、何から来ているのだろう。 ・父親のベンが、義父に別れを告げるとき、「ジェシー・ジャクソン88」と書いてあるTシャツを来ていた。ジェシー・ジャクソンはWikipediaによると「アメリカの公民権活動家でキリスト教バプティスト派の牧師。1988年アメリカ合衆国大統領選挙では民主党のマイケル・デュカキス候補に次ぐ第2位の得票数を獲得し、「民主党の副大統領候補」とも言われたが、後にデュカキスによってこれは否定された。」らしい。なるほど。 ・初めて文明社会へと子供たちを連れてきたベン。農家の羊を弓で狙わせ、スーパーで万引きをさせる父親・・・これはダメだわな。弓を持つ娘も、「逃げない相手はつまらない」とか言ってるし。泥棒は、あとから義父に非難される出来事のひとつにもなっているし。 ・自給自足は分かった。ところで、一家は何で生計を立てているの? 謎。 | ||||
映画を撮ることを禁じられた映画監督の映画のような映像 | 6/16 | キネカ大森1 | 監督/森達也 | 脚本/--- |
『人生タクシー』上映前に映された3分のショートフィルム。 映画を撮ることを禁止された監督が高校時代のフイルムを編集し、「これは映画ではない」と編集者に言うのだが、監視官がやってきて「これは映画だ」という。すると監督(声だけの森達也)と編集者が、「これは映像だ」といい、顔を出したオバチャンに「これは映画? 映像? どっち?」というが、オバチャンは首をひねるという話。『人生タクシー』のオチを知ったらなるほど、と思えたけど、デキは大学の映研レベルで、話も直接的だし、だいいちネタバレしてるだろ。 | ||||
ちいさな宝もの Ein kleiner Schatz | 6/16 | キネカ大森1 | 監督/松江哲明 | 脚本/--- |
『人生タクシー』上映前に映された4分のショートフィルム。 撮りたいものはこれしかない、とかいって、生まれて1歳になるかならないかの息子の様子を延々と見せられてうんざり。 | ||||
人生タクシー | 6/16 | キネカ大森1 | 監督/ジャファル・パナヒ | 脚本/ジャファル・パナヒ |
原題は“Taxi”。公式HPのあらすじは「タクシーがテヘランの活気に満ちた色鮮やかな街並みを走り抜ける。運転手は他でもないジャファル・パナヒ監督自身。ダッシュボードに置かれたカメラを通して、死刑制度について議論する路上強盗と教師、一儲けを企む海賊版レンタルビデオ業者、交通事故に遭った夫と泣き叫ぶ妻、映画の題材に悩む監督志望の大学生、金魚鉢を手に急ぐ二人の老婆、国内で上映可能な映画を撮影する小学生の姪、強盗に襲われた裕福な幼なじみ、政府から停職処分を受けた弁護士など、個性豊かな乗客達が繰り広げる悲喜こもごもの人生、そして知られざるイラン社会の核心が見えてくる。」 監督のジャファル・パナヒが「2010年にイラン政府から20年間の映画監督禁止令を受けながらも、様々な形で映画を作り続ける反骨の映画作家」(allcinemaの解説)とは知らないので、それ(映画監督禁止令を受けている、ということ)を前提にして、映画とはなにかについて語っているとは気がつかなかった。後半になって、DVD屋とか映画大学の学生とか、映画を撮る小学生の姪とか、弁護士としての行動を停止されている女性弁護士なんかの登場で、政治的な何かがあるのかも、ということがだんだん分かってくるんだけど、そうなったらそうなったで、「なーんだ、そういうことか」と、だんだん白けてきてしまった。メッセージが露骨すぎるだろ。と。 ほぼ、タクシー運転席に設置されたカメラの映像で、ときどき、別のカメラの映像も入る。ただし、設置されたカメラについて「何これ」的なことをいうシーンはほとんどない(ビデオ屋がちょっと触れたかな)ので、まあ、すべてヤラセで、ドキュメンタリーではない。だいたいあんな都合よく、いろんな人が乗ってきたりするもんか。 最初の、死刑制度についての話は、よく考えれば、罰を与えても犯罪はなくならない、という話で。監督に禁止令を課しても、それで映画を撮ることをやめたりはしない、ということの代弁なんだろう。ビデオ屋は、いくら輸入禁止しても、コピーは市場に出まわっているし、人々は外国の映画を見たがっているし、見ている、ということを。監督志望の大学生への「テーマは自分で探せ」は、監督としての心構え。姪の話は、撮りたいものと撮っていいものとのズレについて。・・・とかいうことなんだろう。なんか、ストレート過ぎるな、これ。 事故にあった男の話は、なんだろう。遺言がないと家屋敷が妻のものにならないので、iPhoneで動画撮影してくれ、と頼まれる。男の命に別状がないと分かっても、妻はつきりにその動画を欲しがる。あとから遺言ビデオを撮ればいいだろうに、と思うんだが…。いかなる場合も映像がエビデンスなので、事実を記録しよう、というメッセージ? それと、故郷の友人の話。強盗に襲われたが、その相手は金に困っていて、盗んだ金でひと息ついているはず。どころか、いま店で給仕しているのは、その強盗本人、とかいう話だった。強盗がイラン政府のアナロジー? よく分からない。最後の、時間までに金魚を池に戻さないと私たちは死んでしまう、というオバチャン2人。どういう迷信なんだ? そして、オバチャンたちが落とした財布を公園の池まで届けに行くところで映画が終わる理由は? よく分からない。 その、金魚鉢のオバチャン2人が向かった池にたどり着き、運転手と姪がタクシーを出て遠ざかり、視界から消えると、ヘルメットをかぶった男がやってきて車内に入り「USBがあるはずだ」だったかな、とかいう。そして、暗転。終わり。監視がついて回っていて、搭載カメラのデータを収めたUSBを盗もうとしている、という体か? ぐらいにしか思わなかったんだけど、どこかの映画紹介HPの解説見てたら「2010年より“20年間の映画監督禁止令”を受けながらも、『これは映画ではない』では自宅で撮影した映像をUSBファイルに収め、お菓子の箱に隠して、国外へ持ち出し、2011年カンヌ国際映画祭キャロッス・ドールを見事受賞」という文章があって、これを下敷きにしてるわけね。でも、そんなこたあ観客のすべてが知ってるわけじゃないし。知っているという前提でつくっているなら、やな感じ。しらねえよ、そんなこと。 ・やたら運転中、携帯をいじるのは、ありゃダメだろ。 ・それにしてもイラン(?)の交通事情は、あれでよく事故が起きないな、と思うような混沌な感じ。交通ルールは、あるのかいな。まあ、事故、起きてるんだろうけど。実際、事故ってタクシーに乗せられる男もいたぐらいだし。にしても、シートに血がつくのを少しは気にしろよ、とか思った。 ・DVD屋が侏儒なのにちょっと驚いた。ところで、あのビデオ屋がもってたのは、海賊版なんだろ? 違うのか? 黒沢とかキム・ギドクとか。どうなのかね。 | ||||
ドッグ・イート・ドッグ | 6/20 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2 | 監督/ポール・シュレイダー | 脚本/マシュー・ワイルダー |
原題は“Dog Eat Dog”。「食うか食われるか」らしい。allcinemaのあらすじは「長年の刑務所生活を終えてようやく出所したトロイは、一足先に出所していた2人のムショ仲間と再会する。一人は、とにかくキレやすいコカイン中毒男マッド・ドッグ。もう一人は、普段は温厚だがキレると手が付けられない巨漢男ディーゼル。崖っぷちの人生から抜け出したい3人は、地元ギャングの首領に紹介された、報酬75万ドルの大仕事を受けることに。それは、借金を返さない男の赤ん坊を誘拐するという、比較的簡単な仕事だったのだが…」 うーむ。まったくひねりがない。冒頭の3人の紹介、とくにパートナー母娘を惨殺するマッド・ドッグの狂犬ぶりはなにかある、と思わせておいて何もない。トロイも、マッド・ドッグだかディーゼルだかどちらかの身代わりで長年食らったというわりに、そういうものを引きずってる何もない。ディーゼルはまともっぽいかな、と思ったんだが。どっかのバーで知り合った女性と一発ヤルかという話になって部屋に行き、そこで余計なことを話して彼女を怖がらせ、逃げられてしまうんだけど、追うこともなく逃げられるまま。なんだかな。いろんなエピソードが伏線になっていない。監督はポール・シュレイダー・・・。もしかして、名前だけ借りる格好で撮るだけ撮らせて、仕上げは別のところでちょいちょい、なんじゃないのかな、と思わせるようなデキである。 トロイに仕事をくれるギリシア人が何なのかよくわからんが。最初の仕事は麻薬関連の一件で、これはなんとか上手くいったんだっけかな。経緯がよく分からなかったけど。で、次の仕事が、金を払わない男の子供を誘拐して身代金を払わせる・・・というもので、そんなの、大金を払ってまで得体の知れない3人組にやらせるか? なんだが、とにかく、押し込んで赤ん坊を確保したのはいいけど、たまたまいた男をガードマンか何かと間違えて射殺したら、それが当の、金を支払わない男で。仕事は失敗。だけど、ギリシア人は「金は払う」といっているのがまた解せん。で、マット・ドッグが「死体を処理するならここ」というところへディーゼルと一所に行ったら、あれは閉鎖されている軍の施設なのか? の二階で。こんなところに隠して見つからないわけがないだろ、てなところなんだけど、ここに元パートナーのデブ母娘の死体も隠してあって。でも、荷重で床が落ちて血みどろどろ・・・って、気色悪。なんだけど、よく忘れたけど話の食い違いかなんかで、ディーゼルがあっさりとマッド・ドッグを殺してしまう。は? 戻ってきたディーゼルとトロイがスーパーマーケットに入ると(マッド・ドッグの件は、なんてトロイに言ってたんだっけかな?)、ディーゼルがケツに挟んでいた銃を店員に見られ、警官が。銃撃戦になり・・・えーと、ディーゼルは逮捕されたんだっけか射殺されたんだっけか。忘れてる。ここで時間が飛んで、警官2人にいたぶられるトロイ・・・って、どうなってるんだ? 警官によるリンチ? ここでまた時間が飛んで、クルマに乗っている老夫婦をマッド・ドッグが襲うんだが、周囲に警官が・・・だったっけ? スモークが赤くなって、イメージ的なシーンなんだけど、これは果たして現実か、果たしてリンチで死んだトロイの妄想か? というような、最後は何だかつながりも変でわけが分からないまま終わってる。こんなのポール・シュレイダーがすべて了解してるとしたら、耄碌もひどいとしかいいようがない。 ・ディーゼルがバーで出会った女がなかなか色っぽかったんだが・・・。Louisa Krause ? ・女といえば売春婦しか相手にできないトロイはなんなんだ? ・イラク侵攻をエジプト侵攻、と間違えるディーゼル。サムライ、という言葉に、ジャッキー・チェン、と返すマッド・ドッグ。こいつらバカか、という気もするけど、アメリカ人の大半はこんなもんだろ、たぶん。 | ||||
タレンタイム〜優しい歌 | 6/20 | キネカ大森3 | 監督/ヤスミン・アフマド | 脚本/ヤスミン・アフマド |
原題は“Talentime”。公式HPのあらすじは「ある高校で、音楽コンクール“タレンタイム”(マレーシア英語=学生の芸能コンテストのこと)が開催される。ピアノの上手な女子学生ムルーは、耳の聞こえないマヘシュと恋に落ちる。二胡を演奏する優等生カーホウは、成績優秀で歌もギターも上手な転校生ハフィズに成績トップの座を奪われ、わだかまりを感じている。マヘシュの叔父に起きる悲劇、ムルーとの交際に強く反対するマヘシュの母、闘病を続けるハフィズの母…。マレー系、インド系、中国系…民族や宗教の違いによる葛藤も抱えながら、彼らはいよいよコンクール当日を迎える…」 マレーシア映画とは珍しい。しかし、画質が悪い。16mm? それと、映画的に稚拙というか素朴な演出も結構あって、でもまあそれはマレーシアだからしょうがないか、とは思うので割り引いて見ていた。 はじめ、人物関係とか家庭内の様子がすんなり理解できず、戸惑ったけど、見ていくうちにたんだん分かってきた。それはいいんだが、中心となるマヘシュとムルーの青春ロマン、かと思いきや、各家庭の人々がどれも濃すぎて、その印象の方が強い感じ。あとは、イスラム教、ヒンドゥー教、中国人は仏教? なんかの多宗教、多民族で、家庭内でも英語まじりの現地語? がフツーなところも、なんじゃこれ、な感じ。これが日常なのか。国家としての統一感とかアイデンティティはどころあるんだろう? いや、これじゃ、映画もつくりにくいだろうなあ、などという感想も。 ムルーの家は大家族で、父親が白人っぽいけど混じってる感じで。奥さんが口数多くて支配している感じ。で、給仕しているオバサンがいて、これはメイドだろうと思っていたら、途中で「うちには使用人はいない」なんていうセリフが出てきたので、じゃ、祖母? と思ったら、次の場面で白人のオバサンがテーブルに着いていて、彼女が祖母らしい・・・。父方の祖母はテーブルに着けて、母方の祖母は給仕? と思っていたら、やっぱり彼女はメイドで、ずいぶん長く働いている中国系らしい。あと、HPで分かったのは、父親はイギリスとマレーのハーフで、母親はマレー、なんだと。でこのムルーがヒロインなんだけど、家庭ではただのずぼらなお姉ちゃんで、っていうところが、妙にヒロイン仕立てにしてなくて好ましい。 で、タイトルにもなってるタレンタイムの意味が良く分かんなくて。Talent+Timeでタレンタイム? Web上にあった説明によると「タレンタイム(Talentime)とは、1940年代末にシンガポールのラジオ局が行ったタレント発掘コンテスト番組に端を発し、同番組を契機にシンガポールとマラヤ(および後にボルネオ)の各地に急速に広まっていった芸能コンテストである。教会や学校などのさまざまな団体がタレンタイムを行うようになり、さらに全シンガポール・マラヤを対象にしたタレンタイムが開催され、1950年代〜60年代のシンガポール・マラヤは空前のタレンタイム・ブームを迎えた。1963年のテレビ放送の開始に伴ってタレンタイムはラジオからテレビに舞台を移し、さらに多くのミュージシャンを輩出してシンガポール・マレーシアの音楽界に大きな影響を与えた」そうである。なるほど。だけど、見ているときはまったく分からず。なんで学校でこんなことをするのか、何度も予選をする意味、さらに、ロマンス誕生のきっかけとなる、出場者へのバイクの送迎はなんでなの? というところが、いまだに腑に落ちないのが、うーむ、ではあるが。 で、ムルーの送迎を仰せつかったマヘシュは、母親や姉の風体からしてインド人のようだ。ヒンドゥー? で、母親の弟(35歳ぐらい)がやっと結婚するというので喜んでいるんだけど、ある日突然、殺されてしまう!! という想定外の展開。なんでも隣家のイスラム教家族で葬式があり、結婚式で浮かれて騒いでいるマヘシュの一家とケンカになり、殺されたんだと。その殺した相手はどうなったのか、というのが描かれないのが残念だけど、そういうことが起こりうるのかマレーシア。怖ろしいところだ。さらに遡ると、かつて叔父は若い頃イスラム教徒の娘を好きになったんだけど、姉も含む家族に反対されなくなく離別。それで婚期が遅れたけれど、いまだにその娘を思っているが、最近その娘がひとり、アパートで死んでいるのが見つかった、とかいう話もおいおい分かってきて。なんか『ロミオとジュリエット』っぽくなつてくるのあった。 それはさておき、マヘシュはなかなかのハンサムで、送迎されるムルーもなんか惚れちまった感じなんだけど、あまりの無口にイラッときたりもしているところ。ある日、学校まで送ってもらい、降りて歩いていると、マヘシュが小石を投げてきた。忘れものを知らせようとしたんだけど、それにイラッとして「なによ、石なんか投げないで口で言いなさいよ」というようなことを言ってしまうのだけれど、それを見ていた同級生のハフィズに「マヘシュは言語なんとか障がい者なんだ」と言われ、ハッとする。おお。この場面は、ちょっと来た。『湯を沸かすほどの熱い愛』で、娘が、母親(義母とは知らない)に、「いつか役立つときがあるから、習っておきなさい」と手話を習わされていたエピソードを連想してしまった。 ところで、マヘシュは聾唖のどれなんだろう。耳は聞こえる、みたいな場面も合ったように思うんだけど。耳は難聴で、?ということか? 公式HPには聴覚言語障害者で耳が聞こえないとあるけれど、映画では声を発していないのだよな。それと、それまでの演出でマヘシュが聾唖という感じがまったくなかったので、あまりにも意外で驚いた、ということだ。 その事実が分かってもムルーの思いは変わらず、マヘシュを家に招待したりするんだけれど、障害が発生する。母親は「弟を殺したのは隣家のムスリム」ということから付き合いに反対。ムルーの家のメイドも、これまた反対。ところが、かつてマヘシュの叔父の結婚に大反対したのは母親で、そのことを叔父はマヘシュにメールしてきていたというエピソードで、ヒンドゥーとイスラムの恋愛が時を超えて発生、というアナロジーをうまく織り込んでいる感じ。 まあ、この辺がこの映画のキモなんだろうな。宗教が壁となって恋も成就できないなんて! それは分かるけど、なんか、現実はなかなか難しそう。 隣家のムスリムが弟を殺害した、ということでムルーの家族にも敵意を見せる母親の場面がある。マヘシュがムルーの家を訪れ、夜明かしをするんだけど、清い2人、という印象づけをするんだが、それをムルーの家族は温かく見守っている。そこに、マヘシュの姉がやってきて「母ちゃんが心配してるよ」ということで、マヘシュはバイクで、姉をクルマで送りがてらムルーの母親もマヘシュの家に行くんだけど、半狂乱の母親はムルーの母親につかみかかって暴力を振るおうとする。隣家との争いも、これじゃ、相手が一方的に悪いとも言い切れないかもな、と。 このエピソードで、ムスリムは必ずしも殺人を犯すほどの悪人ではない、むしろ包容力があるのだ、という印象づけをしているんだろう。なかなかバランスも取れてはいる。けれどやっぱり、結婚式で陽気な隣家に因縁をつけ、花婿を殺してしまった、というイメージは、なかなかぬぐえない感じ。 他に、脳腫瘍で末期患者の母親を見舞う生徒・ハフィズはギーターソロで決勝進出。そのハフィズに成績1番を奪われたカーホウは中華系で、二胡で決勝進出。カーホウがハフィズに嫉妬して試験中のサイコロに疑いの目を向け、告げ口するのは、たぶん父親のせい。このあたりも、中華系は成績一番を期待される重圧があるのかね、とか、民族的なことを思ってしまう。 まあ、そんなこんなでハフィズの母親が亡くなり、いよいよ決勝の当日。欠席するかと噂されたハフィズが舞台に登場すると、あとからそっとカーホウがやってきて、伴奏として加わるあたりは定番な展開だけど、しみじみよろしい。 ムルーは当日、ピアノに向かうけど、どうしても歌えずに舞台を駆け下りてしまう。そのムルーを追うマヘシュ。まあ、2人の間に立ちはだかる壁を感じてのことなんだろうけど、一方で、マヘシュの姉が母親に、叔父からマヘシュへのメールを読ませている場面があって。ここで、過去に叔父の恋愛をジャマしたのは姉(マヘシュの母)であり、でも、お前はそういうことを気にせずしたいように生きろ」的なことが書いてあって。まあ、これで母親は息子・マヘシュの宗教を超えた恋を認めるであろう、というような暗示がされている。 というわけで、まあ、なんとなく丸く収まる感じ。 あと、興味深いのは教師たちの描き方で。仲のいい2人の男性教師がいるんだけど、片割れは女校長が好きらしい。なんだけど、この校長がなかなかの巨漢で。最後に告白するんだけど、「私には好きな人がいる」と拒絶されるという・・・。誰が好きなんだ、この校長。それはさておき、告白教師はなにかというと屁をこくんだが、このときも、女校長から離れて行くときに「ぷっ」とやらかす。あれまあ。でまた、仲好し2人の男性教師が肩を揉んだり、ちょっとじゃれ合っているところを、いつも、たまたま目撃する別の男性教師がいて。つまり、彼らは同性愛、と勘違いしている、ということなんだろうけど。イスラム教では同性愛は罪のはずだから、これまた意味深だったりする。こういう細かなユーモアもうまく織り込まれている、感じ。 | ||||
ポエトリーエンジェル | 6/22 | キネカ大森3 | 監督/飯塚俊光 | 脚本/飯塚俊光 |
allcinemaのあらすじは「高校卒業後、実家の梅農家を手伝いながら満たされない毎日を送る青年、玉置勤。妄想好きな彼は、ひょんなことから“詩のボクシング”の説明会に誘われ、興味を抱いて教室に通うようになり、個性あふれる仲間たちと切磋琢磨していく。そんな中、ボクシングのジムでトレーニングに励む一方、学校では友達もなく心を閉ざす女子高生の丸山杏が新メンバーとして加入することになるのだったが…」 モチーフは詩のボクシング。むかしテレビでよく見てたし、面白そう。さてどうなるのか。 で、感想をいうと、映画のデキとしてはツッコミどころ満載。脚本も稚拙で、なんでそうなるの? なところが多い。なので、ここはこうした方がいいだろ、ここは説明がいるよな、とか思いながら見てた。なんだけど、ヒロインの撮り方(とくに目)とか主人公のモヤモヤ感とか、詩の朗読仲間とか、いろいろキラキラしてて瑞々しい。泣かせどころではちゃんと期待に応えるし。いろいろぶっきらぼうな映画だけど、魅力的なところがたくさんあって楽しかった。「なぜ?」をもっと追究し、個々の成長をさらにはっきり見せたら、もっといい映画になるだろう。もうちょいホンを練ることが必要だな。 ・玉置は高卒で自宅手伝いらしい。彼は、進学の希望がなかったのか? 東京の友だちが就職して帰省してたけど、進学組と就職組で仲好しってのもなあ。田舎組ならフツー同類の仲間がいてクルマに乗ってバカやってるんじゃねえの? その玉置が文学を志している? その背景は、何が好きで、どうしたいのか? 市の文学賞なんかに応募なんかじゃ説得力がない。机の横に原稿が山積みになってるとか本に埋もれているとか、そういう設定が欲しい。「文学に学歴は要らない!」とかね。なので、中盤で父親に言う「俺だって夢を見たいんだよ」が薄っぺら。文学で、詩で夢を見るなら、もっと違う側面を描かないとな。 ・もし玉置が、文学に学歴は要らない、もと思っているとしたら、なぜ実家を手伝っている? フツーなら両親も、農業より学歴、を勧めるだろうに。あるいは、梅干しづくりを近代化し、オリジナル商品をネット販売・・・とかで将来性のあるものにしている、なら息子に勧めてもいいかも。でも、個人農家で地道にやってて、あれじゃ大きな企業に飲み込まれるだけだろ。そういう実家の梅干しづくりを、なぜ手伝ってる? 覇気がねえやつ、としか思えない。嫌なら出ていけばいい。出て行けないなら、その理由を描かないと説得力がない。 ・和歌山県田辺といったら南方熊楠だろ。そのかけらも出てこない。たとえば、玉置は熊楠に憧れ、奇天烈なことをしようとしているとか、設定できないの? ・でその玉置が、市が主宰する詩のボクシング教室に入るんだが。これまたテキトー過ぎ。あんな感じで市が教室を主宰し、地元の女子校と対決するなんて、唐突すぎ。まして勧誘のお姉さんなんて・・・。誰が雇ったんだ? やはりここは、詩のボクシングがあり、全国大会があり、地区予選があり、地元では強豪で全国大会出場もある女子校がある→社会人の間でも、詩がブーム→市役所に詩のボクシング好きの林がいて、社会人チームをつくりたいが予算がない→試聴に掛け合うと、強豪女子校に勝ったら予算をつけよう、それまで仮の教室開催を許可→で、参加者を募るが応募者が少ない→林は妹を勧誘員に駆りだして・・・。→参加者は6〜7人。そっから脱落者もいるが、最終的に4人が残り、林も含めて女子校に挑戦! 最初は負けるが、次の地区予選で再びぶつかり、そこでヒロインの杏も登場し、勝つ。・・・なバックグラウンドと展開があって欲しい。林のモチベーションを示す意味でもね。 ・その玉置だけど、なぜに草刈り? 梅農家というのはずいぶん後になって分かるんだが、最初の方でそれは伝えるべきで、梅栽培には下草刈りが必須(?)とか、言ってくれないと分からない。要は、影の仕事が梅を支えている、みたいなことにしないと意味がないではないか。単調な仕事にも価値がある、それに気づく、という成長物語にするにも、やはり説明は必要だろう。 ・ヒロイン・丸山杏の武田玲奈がいい。目がいい。その強さは、この映画で一番。なんだけど、いくら吃音だからといって学校でひと言もしゃべらず、同級生も彼女の吃音を知らないという設定はムリがありすぎ。映画の設定は夏だけど、ここは春にして新入生というのもいいんじゃないか。サークルの勧誘を受けるが、無言で過ぎていく杏→不審がる上級生→耳打ちする女子校生(杏と同じ中学で、上級生か同学年か)→バカにしたような笑い→それを背後で聞いて頭を垂れる杏。拳に力が入る→その拳のまま街を歩いていて、気がついたらボクシングジムの前にいた・・・とかさあ。 ・それと、これ、最大のポイントなんだけど。どもりで、人前でしゃべれなくて、その怒りをボクシングで晴らそうとしている杏が、なぜ詩のボクシングにあえて挑もうとしたか。そこがまるっきり抜けている。女子校での2回目の戦いで、杏が、とつとつと心境をのべる場面は感動的。だけど、その一歩を踏み出させた勇気の根拠がないのでは説得力もいまいちだろ。ボクシングジムで、先輩女子にこてんぱんにやられて、はけ口がつぶされた、という程度ではつたわらんぞ。やはりここは、誰かダメ人間を登場させ、そいつが恥を忍んで何かに挑む、みたいなアナロジーを話に埋め込むべきだろ。たとえば障害者施設でボランティアに参加し、そこで、明るく生きるダウン症の子供に、逆に励まされるとか。そういった類の出来事に背中を押された・・・というような話にするとか。やり過ぎかね、これって。 ・詩のメンバーも、ちょっと物足りない。 ・キャバクラの呼び込みを隠してラッパー気取りの土井。それぐらいじゃ屈折が足りんと思うぞ。本気で、いつかラップで世界を目指す、ぐらいの思いをもっていて、自分の詩が相手に伝わると思い込んでいたけど、女子校生に負けて落ち込むとか・・・。だいいち、キャパクラ恥じているなら、板屋に自分の真の姿を簡単には見せないだろ。映画では、板屋が店の中に入っていって土井の姿を見たようなことを話してたけど、おいおい、な感じ。むしろ、玉置が夜、歓楽街に迷い込んで、ラップ風に勧誘している土井を目撃し、土井が照れる、とか。そういうのはどうだ? 要は、土井が朗読するのは、すべてラップであって欲しかった、ってことだ。そうして、次第に自分の言葉や表現を獲得していく姿を描いて欲しい、ってことだ。そういう意味で、最後に朗読した詩は、キャバクラのことを語っていていいとは思うんだが、ラップでやってくれ、だな。 ・友だちが欲しくて参加した板屋という30女。実はロリコン衣装が趣味というのは、とくに驚かない。というか、で? な感じ。むしろ、彼女の私生活を知りたい。ひとり暮らし? 家族同居? 仕事は? 他に好きなのはアニメとかコミック? そういうのがまったく見えないのが食い足らない。そして、なぜ詩の教室に参加したか。だって、友だちが欲しければ、他にもいろいろあるはずで、あえて選んだ理由を示さないと、説得力がない。たとえば中原中也が好きで、詩を書いている人ならそんな感じの人がいる? と錯覚して入ったとか…。ポエムな世界が好きで、そういう詩をむかしから書いていたけど、誰かに聞いて欲しくて・・・とか。 ・この板屋が何かというと「玉置君」というのを土井が嫉妬してか「玉置君玉置君って、気があるのか?」とか茶化すんだけど、これも何かに使えないのか? たとえば板屋は、ベッドの横に玉置の写真を飾ってるとか・・・。でも、ラストで玉置が杏と仲良くなるのでがっかりし、それを土井が慰め、こっちでカップルになる予感・・・とか。 ・中島は、70前後か。しかし、「年金生活」という言葉にひっかかる。年金だけでいまは食えんぞ。以前は柑橘系農業をしてたんだろ? のわりに、奥さんは百姓じゃないし、本人も違う。それはなぜ? 70過ぎてもみかん栽培はできるだろうに。孫=杏がいるんだから、子供もいるんだろ? な中島はなぜに詩を? それも同好会的な詩を書いていて、なぜに詩のボクシング? の原動力を知りたい。TPPによるみかん農家への影響とか、自分たちの未来とか、そんなことでもいいから、叫びたい理由を描いて欲しいもんだ。あと、中島が玉置家の梅干しづくりを「手伝わしてくれ」と頼み込み、仕事をしている最中に倒れ、入院という展開なんだが。これまた、メンバーをひとり退場させるためだけの話で。なんかな、な感じ。そもそもなぜ中島は梅干しづくりをしたかったのか? 自分のみかん栽培が、撤退を余儀なくされ、悔しい気持ちだった・・・とか、分かりやすい理由をみつけてくれよ。さらに、倒れた理由が腰をやった、というもので、これなんか、腰砕けな話。心筋梗塞だった、とか、重篤な話かと思ったんだが、なぜに腰だよ。この話だって、心臓が悪いのに、みかんづくりの夢を梅干しに変えた祖父、ということにすれば、杏が一歩踏み出す勇気につながるだろうに。また、妻の目が悪いというのも取って付けた感じ。それに意味を付与するとかしないとな。そのせいで人手が足りず、子供も継がないというのでみかん農家をあきらめた、とか。 ・で、杏が吃音らしいのは、玉置が中島の家で杏に会うときにはっきり分かるんだけど。フツー、孫は祖父母のところになんて、しょっちゅう来たりせんだろ。まあ、映画的ご都合主義ではあるんだけど、両親に相談できない何かを伝えたい思いがあった、と思いたい。それを中島と妻が受け止めてた、と。であるなら、詩のボクシングを勧めるのは中島であってもいいはずだ。たとえば、吃音者は、歌ではどもらないという。もしかして、杏がラップ的に詩を朗読したらどもらないのかも知れない。あるいはまた、独り言でもどもらないという。では、杏が目をつぶって詩を朗読したらどうか。そんな可能性だって見えてくるだろうに。なぜそうしない、と思ったりした。 ・で、突然すぎる展開だけど、杏が詩の仲間に加わり、なんと、女子校との戦い(2回目の)に出るという。えええええっ!? 自分の学校だろ? やっぱ、ここは何か要るよなあ。 ・というなかで、杏は、詩というより、思いを語る。自分がどもりで、話ができなくなったこと。本当はみんなとおしゃべりしたりお弁当も食べたい・・・。てなことを。ここは、分かっていても感動的。なんだけど、対戦では負けるんだよ。それはないだろう。あれは、どうみたって杏の勝ちだろう。あんな判定をする審査員はアホでしかない。もちろん、あれは詩ではない、という見解もあろうが、心の叫びとしてみれば立派な詩だ。そうじゃないか! と強く訴えたい。 ・玉置の語る詩だけど、教室でも、1回目の対戦でも、「僕の腕は草刈り器だ!」しかやらないのは、バカすぎ。他の部分の詩もどんどん沸いてくるぐらいにしないと、成長が見えないだろ。これは他のメンバーの詩もそうで、次第に成長していく様子が、少しずつ見えて、2回目の戦いで化ける、な展開にして欲しかったね。 ・女子校の生徒5人は、なんとなく描き分けられているけど、舞台上だけなのがもったいない。その彼女たちの朗読する詩も、いまいちな感じなのが、うーむ、だったりして。 ・・・と、くだくだ注文をつけたけど、こんなスキだらけの映画のくせして、いろいろと魅力的だったのも事実で。武田玲奈の目、パンチ! 懸命さはなかなか。玉置の岡山天音のバカっぽさも、いい。 父親の鶴見辰吾も、そういう歳か・・・だけど、テンプレ的な実直オヤジを素直に演じてた。母親は美保純で、これまたバアサンになったな。中島役の下條アトムも、70歳! みんな歳を取る。 ・で、第2戦の当日、玉置の家で、熟成中の梅が盗まれる。落ち込む父親。でも、それはそれ、「送っていく」とクルマを出す父親に、玉置はオヤジの背中を見た感じ。これでふっきれて、実家の手伝いをする決意が・・・な終わり方なんだけど、さてどうなることやら。杏と仲よくなれたのはいいけど、あと数年して、杏が大阪か名古屋か東京の学校に進学したら、追っかけていくだろ、きっと。 ・でその泥棒なんだが。最初の方で泥棒が云々はなんかのニュースで言ってて、伏線だったんだろうけど。最後に、捕まる展開もあるだろう。たとえば杏がトレーニング中、エンストしたトラックに出くわし、でも荷台を覗いたら盗品で、逃げようとした泥棒をストレートがKOするとか。ありきたりかな? ・女子校との2回目の戦いで、次が杏、というとき。玉置はスマホをだして何かし、さらに、板屋にも「手伝って」とスマホを出させるんだけど、あれは何だったの? 意味不明。 ・玉置が女子校を訪れたとき、渡り廊下で目が合うのは、あれは杏? に、見えなかったんだけど。小さすぎて。 ・杏のスカートと、他の生徒のスカートの柄が違うのは、なんで? 服装は自由なのか、あの学校。 ・玉置を演じる岡山天音は、中島を演じる下條アトムに、どこか似てる。 | ||||
映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ | 6/30 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2 | 監督/石井裕也 | 脚本/石井裕也 |
allcinemaのあらすじは「東京の病院で働く看護師の美香。ある日、バイト先のガールズバーで慎二と出会う。アパートで一人暮らしの彼は、建設現場で日雇いとして働く日々。バイトが終わった後、渋谷の雑踏の中で慎二と再会する美香。ある日、建築現場で慎二の年上の同僚・智之が倒れ、そのまま帰らぬ人となる。慎二は葬儀場で美香と再び顔を合わせる。そんな思いがけない再会を繰り返す美香と慎二だったが…」 めんどくせえ男と女の話だった。詩集が原作のせいか、リベラル丸出しのメッセージとかナレーションが直接的で、いささかうざかったりして。映画じゃ言葉はあまり耳に残らんよ。言葉にこだわらず、フツーの会話にした方がよかったんじゃなかろうか。 高校生の頃、勉強ができた、らしい慎二がなぜアパートにひとり暮らしで、年収200万いくかいかないかの日雇いをしているのか、は、分からない。まあ、なにか理由はあるんだろうけど、日々いくらあれば暮らせるか、とか、「嫌な予感がする」が口癖で、話し始めると自説の説明で周囲が見えなくなるような慎二が、ひとりで居酒屋に行って飲む、というのがよく理解できない。ああいう性格なら、宅飲みだろ、フツー。で、その居酒屋で顔を合わせたのが最初だったかな、美香とは。次がガールズバーで、その次はケガして病院に行ったら看護婦をしていて・・・というような具合に、引き合わされるように遭遇してしまう慎二と美香。 美香は、死にこだわりがあるらしい。毎日のように、病院では死者を送っている。でも、「すぐ忘れよう」とかいって、個々の死者のことは残さないようにしているようだ。その美香の母親はすでに亡く、自殺らしいのだが、父親が、死因に触れたがらない、という設定なんだが、そんなバカな。なぜ父親は言わない。たぶんうつ病からの自死だろ。そんなのなんの恥でもないだろ。設定自体がおかしいと思う。 美香の実家は東海地方らしい。父親は無職らしく、美香の仕送りで暮らしていて、「パチンコ行かないで」と美香に言われている。アホか。妹は高校生だけど、父親は「大学まではだす約束」とかいっている。いまだってどうやって暮らしてるのか怪しいのに、大学なんて行かせられないだろ。これも設定がおかしい。 この、アホな父親のせいで、美香は夜の仕事もしなくちゃならないのか? それとも趣味でゃっているのか。よく分からない。 とはいえ、美香は看護婦が正業で、死が日常にある仕事である、というワケだ。 慎二の仕事仲間は、ひょうひょうとした智之(松田龍平)、コンビニのレジ娘に恋してる50男の岩下(田中哲司)、フィリピン人のアンドレス。凸凹な感じはいい。智之が結構なウェイトで冒頭から出ているので、大きな役なのね、と思ってたらぽっくり死んでしまって。しかも、とくに何の伏線にもなっていないのが、なんだかな、という気もしないでもないけど、まあいいや。 慎二、智之、岩下の3人でガールズバーに行って美香と会うんだけど。この1回の遭遇だけで智之と美香が連絡先を交換し、デートまでしてしまう、という展開は、そりゃねえだろ。その智之の葬式で、慎二と美香はやっとメアドを交換するんだったかな? 忘れた。 以降は、慎二と美香の、つかず離れず、誘うようで拒否したり、よくわからない関係がだらだら続くだけで、はっきりいって、前半ほどは面白くない。この2人よりは、腰を痛めてチャックも上げられない、といいつつコンピにのレジ娘にお熱の岩下とか、フィリピン仲間と毎夜どんちゃん騒ぎで、隣の男がノイローゼ、みたいな描写とか(警察に電話しろ、って話だよな)、ときどき登場する音痴の路上アーティスト娘とか、そういう、周辺のエピソードの方が笑えたりする。 2人の過去もちらっと見えて。慎二のところには高校時代の同級生という女が、自称ニューヨーク帰りの弁護士女として接近。でもそれは偽りで、これから渡米するんだという。でも彼女はなぜ慎二に会ったのか? 高校時代ひそかに思っていたけれど、話したことのない相手と一夜限りのセックスをして、それで日本を吹っ切ろうとしてのか? それとも、慎二が大物になっていたら、うまくつき合っちゃおうかとか思ってたのかな。 一方、美香の元カレが再接近してきて、でも、男が振った筈なのに再接近なので、美香が拒否るというエピソードも。なんじゃそりゃ、な話だな。ってことは、十分に男も知っている、ということではないか。なのに、慎二に対する態度は、ありゃなんなんだろう? 智之にはひょいひょいなびいてしまったくせに。女は分からない、ということか? あと、美香の実家もなかなか詳しく出てきて。自殺した母親の存在が大きそうな描き方をしているんだが。これも思わせぶりで、実は中味は大したことない感じ。 そう。この映画、全般的に、中味はないけど、思わせぶりで、何かありそうに見せているだけ、みたいな気がする。 美香は、なかなか心を開かない。2人でいるとき、彼女が「テロで、ロスで死んだら日本も自粛して、でもイラン(?)で死んでも自粛しない」とか、面倒臭いことを言ったりする。これは元カレに降られた後遺症? 慎二がキスしようとしたら怒ったりして、なかなか隙を見せない。慎二がが「会いたい」とメールして、走ってやって来ても「女子寮だから」と部屋に入れない。このガードの固さはなんなんだ? ついには部屋に入れたりするんだけど、濡れ場はない。慎二の部屋でひと晩中並んで座っていて、それでも何もない。なんかきれいごとな感じ。かと思ったら、突然時間が飛んで、最後は、結婚の報告に、2人で美香の実家に行く。父親は「娘をよろしく」なんて殊勝な様子なんだけど、この間になにがあったのか? 最初のキス、ひしてセックスはどんな感じで進行したのか。興味があるんだけどね。 なんか、この2人、うまくいくのかね。慎二も、仕事を変えないとまずいんじゃないのか? とか、余計なおせっかい。 ・現場監督の男がなかなかよくて。智之の葬式のときも、「仕事中に死ぬな、ってみんなに言っておけ」なんて言って「これで飲んで帰れ」みたいに1万円ぐらいを慎二に渡すんだが、笑える役どころだ。 ・冒頭近く、美香の病院で、若い母親が逝く。「37歳」「小さな子2人も残して」なんていうセリフに、海老蔵の妻で先日亡くなった小林麻央を連想してしまった。 ・美香役の石橋静河のファッションがダサイ。顔もイモっぽい。原千晶をイモにした感じで、主演の顔じゃないな、と思って調べたら、石橋凌と原田美枝子の娘なんだと。なんだ。七光りか。 ・現場仲間の末路もさんざんで。智之は突然死、皆から「自殺するんじゃないの?」と心配される岩下は仕事もクビになり、コンピに娘に振られて、でも、なんとかなるさ、な感じで去って行く。借金してまで日本にやってきたアンドレスはフィリピンに帰っていく。みんなバラバラ。 ・死ななそうなやつ(智之)がぽっくり死んで、死にそうなやつ(岩下)が死なない。死んではいけない人(冒頭の37歳母親)が死んで、死にそうなジジイが死んでいく。 ・とてもデビュー出来なそうな音痴な娘が、ある日突然、CDデビューしている不思議。そういえば、唄う彼女の背後に「くるりがわかる」というような広告文字が見えるんだが、意味ありげだな。 ・生っぽいメッセージは、他にも「原発」とかなんだとか、そういう書き文字が画面にたくさんでてきたり。ストレートすぎるのではないのかね。 ・慎二が隣家のジイさんと仲がよくて、本を借りていたりする。そのジイさんが熱中症で孤独死しちゃうんだけど、これもメッセージがストレートだよなあ。 ・フィリピン人が「帰る」といい、岩下が去って行く別れの場面。背後に波止場のロープを停めるような物体があるんだけど、あれは田町の東口ではないのかな。ひょっとして。 ・「言葉に頼りすぎると 退屈な女になっていく」という広告コピーが大きく写ったのは、2人が美香の実家から戻ってきたときだったか、行くときだったか、よく憶えてないけど。あれは、2016年秋の ルミネのファッションキャンペーンWordらしい。わざわざ画面に入れてるんだから、意味があるんだろうけど、どういうつもりなのかね。 |