2017年7月

淵に立つ7/4ギンレイホール監督/深田晃司脚本/深田晃司
日本、フランス映画。・・・って、フランスの資本が入ってるのか。ふーん。allcinemaのあらすじは「郊外で小さな金属加工工場を営む鈴岡利雄と妻で敬虔なクリスチャンの章江は、10歳になる娘の蛍と家族3人で平穏な毎日を送っていた。ところがある日、利雄の古い友人の八坂草太郎が現われると、利雄は章江に断りもなく、最近出所したばかりだという彼を雇い入れ、自宅の空き部屋に住まわせてしまう。最初は当惑していた章江も、礼儀正しく、蛍のオルガン練習も手伝ってくれる八坂に次第に好感を抱くようになっていくが…」
みっちり作り込んでるはいるけど、気持ちが暗くなるばかりな話だ。これを見て考えるところもほとんどなく、とくに得るところが何もない。こういう話は嫌いだ。
突然やってきた、というか、先月出所して、旧知の利雄に会いにきた八坂。その八坂に深々と最敬礼する利雄。まあ、何かあるわな。しかも、庄内の方で「知り合いが来ないか」といっている、と話す八坂が、その日から利雄の鉄工所で働くことに。だけではなく、住み込みで・・・。弱みを握られている? と考えても不思議ではないし、事実、そういうことだった。
この利雄に、惹かれていく利雄の女房・章江。この女、バカじゃね? 正直に人を殺したことを話し、娘の蛍にオルガンを教え、丁寧に話す八坂に下心たっぷりで近寄っていく。わざわざ夜中に、「ここでいいですか?」と八坂の部屋で裁縫までし始める。まあ、亭主の利雄にあまり相手にされてないようなので、それでなのか? メスだねえ。
そんなすり寄っていけば、八坂が手を出すのは当然。見ている方も、いつ? という興味になっていくけど、なんか、どんどん堕ちていく感じで、見ていてもむかむかしていく。それと、八坂が蛍に仲よさそうに接近していくのも、やな感じ。もしかして幼児が好きなのか? と思わせたけど、そうではなく。でも、予想通り、どういう経緯か知らないけど、蛍の頭部に傷を負わせる。それが、八坂が章江を台所で襲い、でも拒絶され、流しに蹴飛ばされた直後なのだ。ほら、言ってたじゃないか。「約束を守るのが一番。約束を守らない人を殺した」と。章江のアプローチは「襲って」というメッセージで、ある意味では許可=約束だ。それまでキスは何度もしてるのだから。約束を守らない女として怒りの対象になり、ひいては娘の蛍が代償的な攻撃対象になった、ということだろう。やれやれ。
ではあるが、犯罪者は器質であって、悔悛できない。いくら表面的に丁寧な言葉を使い、殺めた相手の家族に手紙を書いていても、本質は変わらない、といっているような話の展開は、これは悪しき先入観を植え付けるだけ、だろう。そういう意味で、この映画は良くない。たとえ犯罪に器質が関係していたとしても、それを観客に植え付けるような話は、あまりすべきではない、と思う。
さて、どうなるんだ? と思ったら、ここで、場面ががらっと変わる。慣れた工員が辞め、新しい工員・山下が入ってくる。記念写真を、ということで「蛍ちゃんも一緒に」という。え? 生きてたのか? とビックリ。殺されたとばかり思っていた蛍は車椅子生活で、身体が動かない様子。でも、意識は、多少ある、のかな? うーむ。
利雄は興信所に、庄内あたりを探索させている。章江は、「もうやめれば」などといっているけれど、そうするつもりはないらしい。
話が再び転がり始めるのは、大賀が八坂の息子である、と分かってから。八坂と山下の母は、結婚はしていないが子をつくり、子が生まれる前に八坂は出奔。連絡だけはしていて、送られてきたハガキを頼りに利雄の鉄工所にやってきた、らしい。山下は父親と会ったことがなく、父親の手がかりをもとめて、やってきたらしい。利雄は戸惑うが、妻に内緒にしたまま山下を使いつづけるのだけれど、あるとき章江にも知れてしまう。
時を同じくして、興信所から「見つかった」と連絡があり、3人ででかける。よく山下が同行したと思うのだけれど、父親に会いたさがそうさせたのか。
結局、それは別人で。章江は蛍を道連れに橋から身を投げ、助けようと山下が飛び込み、利雄も川へ。なんとか3人を引き上げるが、3人は生きているのか死んでいるのか。よく分からない。4人が並んで横たわっている姿は、かつて利雄・章江・蛍と八坂がキャンプで横たわったまま自撮りした写真と似た格好だ。その写真を、八坂は山下の母親に送り、その写真を持っていたのを章江に見られて、存在が知れたんだが・・・。
てなところで終わるという身も蓋もない話で、こんな映画見てもぜんぜん気が晴れない。やな映画だ。まあ、せいぜいあるとしたら、利雄の罪なんだろう。実は八坂の犯罪に利雄も加担していて、でも八坂は共犯者を自供することなく服役したので、辛い思いをしなくて済んだ。そのつけが回って・・・ということなんだろうけど、そんな因果応報・天罰、のような話ではないだろう? ではなんだ? よく分からない。
・よく分からないのは、八坂の蛍への行為を、警察に届けていないのか、ということ。届ければ共犯がバレるから? そうでなければ、庄内での目撃について、届けるべきだろう。もし届けていないとしたら、利雄は、届けないことについて、どう章江を説得したのか?
・そもそもの犯罪は何だったんだろう? 八坂は、自分なりの善悪の基準について章江に話していて。約束を守らないことがもっとも良くない。といっていて、それで殺人を犯した、ともいっている。ただし、それが自分勝手なことだと分かった、ともいっているんだが。
・キャンプで、一瞬、八坂が本心を出すところがあって、それで利雄が共犯者だった、ということが分かるんだが。それはさておき。なぜ八坂は共犯者を口にしなかったのか。利雄がいうように、利雄は「足を押さえていただけ。首を絞めたのは八坂」だったから? それだけでは理由にならない。そういう犯行なら共犯者について警察は知っていただろうし、事件当時、利雄が調べられたのかどうか分からないけれど、警察は共犯者の追求をあきらめないのではなかろうか。とすると、出所後も、八坂はマークされていた、と考えるのがフツーではないだろうか。となると、八坂の蛍への行為や、山下の存在も、警察は知っていても不思議ではない。となると、いろいろ首をひねるようなところがあるんだがな。
・利雄が章江に、自分が共犯者、と話したのはいつだったか。章江が、山下が例の写真を持っていることを知った後だったかな。「母は、父親には共犯者がいたけれど、そのことを父は黙っていた」といったので、それを受けて「共犯者は俺だ。足を持っていただけ。首を絞めたのはあいつ」といったんだっけかな。このくだりも、ちょっと「?」で、共犯者がいたとか、それを黙っていたとか、そういうことを八坂は昔の女に話したのか? アホじゃねえのか。警察には口が固いけど、身内にはゆるいのかね。変な話。
・そういえば、山下は、「母は寝たきりになって、下の世話までしていたけど、亡くなった」といっていたんだが。いったい何があったんだ? だって、母親は八坂と同年代だとすると、40凸凹で亡くなったということになる。そんな若いのに、なぜ寝たきりに?
・章江は、蛍が障がい者になった後、潔癖症になってしまうんだが。これ、とってつけたような感じで、どーも不自然。もともと章江は、八坂の部屋で縫い物をしたり、被害者に出す手紙を「読ませてくれ」などといったりするぐらい無神経な女性。それが、潔癖症になるかね。
・いちばん分からないのは、利雄の呑気さ。自分も犯罪に加担した、というなら、もっとオドオドするとか、謙虚になるとか、結婚なんか出来なくなるとか、そういうことがないのかね。もともとの性格なのか。よく理解できず。
ハクソー・リッジ7/5109シネマズ木場シアター4監督/メル・ギブソン脚本/ロバート・シェンカン、アンドリュー・ナイト
オーストラリア/アメリカ映画。原題は“Hacksaw Ridge”。allcinemaのあらすじは「アメリカの田舎町で育ったデズモンド・ドスは、看護師のドロシー・シュッテと恋に落ちるも、激化する第2次世界大戦に心を痛め、衛生兵になるべく陸軍に志願する。しかし基地での訓練で銃に触れることを拒絶し、上官や他の兵士たちから執拗ないやがらせを受けるようになる。それでも決して信念を曲げないデズモンド。とうとう軍法会議にかけられてしまうが、ついには彼の主張が認められ、晴れて衛生兵として戦場に立つことを許可される。こうして日本軍との激戦の地、沖縄の前田高地、通称ハクソー・リッジ(のこぎり崖)へと赴くデズモンドだったが…」
沖縄戦の話。なのにこのタイトルはないだろ。せめて『沖縄 ハクソー・リッジの攻防』ぐらいにしろや、と思うんだが。沖縄を強調しない配慮、があるんだろうか。
でこのハクソー・リッジは、米軍が名づけた日本軍基地で、日本名は前田高地というらしい。とても基地とは見えなかったけどな。たんなる崖の上の平地だろ。しかも、映画では垂直にそそり立つ30メートルぐらいの絶壁として描かれていたけど、実際は10メートル足らずの崖のようだ。まあ、10メートルでもすごいとは思うけど。でもって、その絶壁に、登攀するための、網状のロープが備え付けられているんだけど、いったいあれはどっち側がつけたものなんだ? まあ、米軍が攻撃のためにつけたんだろうけど、最初はどうやってつけたんだろう? というのがずっとつきまとって離れない。また、日本軍の攻勢で米軍は全員が下に退避してしまう場面があるんだが、その翌日にもちゃんと網状ロープがついたまま。なぜ日本軍はありのロープを切っちゃわないのだ? まあ、映画の都合上、なんだろうけど、ありゃ変だ。
映画は、米国内でケンカする兄弟→弟が志願→自分も志願→訓練→無事衛生兵に→いきなりハクソー・リッジという流れで、あれが最初の実戦みたいになっているのが、なんだかな、な感じ。まあ、アメリカ映画なので、こういう映画にもロマンスを・・・というわけで、デズモンドと看護婦ドロシーの恋物語がついてくるという寸法で。あんなの、もっとあっさりでいいと思うんだけど、観客サービスなんだろ。
とはいえ、あんな美人が看護婦やってて、他に誰もアタックしなかったのか? はたまた、武器を持って戦場に、というのではなく衛生兵に、という信仰心の高いデズモンドにどうして惚れる? というような疑問もあるんだけど、まあいいか。
さて。いちばん分からないのが、パール・ハーバーを知って、自分も志願しなくちゃ、と思ったというけれど。入隊したら「銃は持たない。銃を持つ訓練は拒否」というのは、どういうことなのだ? そして、良心的兵役拒否者が、どうして入隊できたのか? なぜ軍は、さっさと辞めさせることなく訓練することを求め、最後に軍法会議になる流れが分からない。兵役拒否なんだから、軍隊に入ること自体が矛盾してるだろ。最初から「銃は持たない。衛生兵を志願する」と明言すれば、ハナから入隊を拒否されたか、あるいは衛生兵になるための特別なプログラムを与えられたか、したのではないのかな。よく分からんが。衛生兵といえど兵士だから、入隊後の訓練は必須で、その後に希望する軍務に振り分けられる、とかあるのか? その辺りが説明されていないので、入隊後のあーだこーだが、いまいちピンとこない。
とはいえ、アメリカは民主主義だなあと思ったのも確かで。あの時期でもアメリカは志願兵制で、徴兵ではないんだな。しかも、間尺に合わない理屈でごねるデズモンドに、軍法会議とはいえ、公正に裁断しようとする。日本なら上等兵殿の鉄拳制裁で半殺しに会い、軍法会議でも一方的に有罪となり、家族は非国民扱いで一家離散・・・だろう。そういう了簡の広さは敬服に値するのであるが。
あと、不満なのが、デズモンドが銃を持たない、に至る原因。そして、信仰心について、かな。どうも両親は諍いがちで、あるとき寄った父親が母親を殴り、それを止めに入ったデズモンドは父親に拳銃を向けた。以来、銃は持たない、と決めたらしい。もともとデズモンドが血気盛んなのは、冒頭の兄弟げんかで描写されていて、武器をもたない殴り合いでついレンガを使い、弟を意識不明にしてしまうのだ。このあたり、実はデズモンドは、カッとすると何をしでかすか分からない男、という感じで。もしかして信仰に頼ったのは、自分のその性癖を知って、なのかも知れない。心からの信仰ではなく、理性的なコントロールの指針として、なんだろう。たぶん。だから、兵隊にはなるけど、銃は持たない、なんていう屁理屈をいうようになったに違いない、と思う。
というわけで、前半1/3は、兄弟げんか、父親への反抗心、新兵の訓練・・・。ここで、個性的な戦友たち、そして軍曹や大尉だったかな、が何人か描かれ、のちのちの伏線になる、というわけだ。さらに、軍法会議では、第一次大戦に従軍した父親が、当時の上官で現在は将軍(?)かなんかになっている人物を訪ね、良心的兵役拒否が認められている事実をしたためてもらい、それを軍事法廷に持参して、デズモンドは無罪になるという、ウルトラC級の技を繰り出すんだけど、そんな、父親も知っているようなことを軍事法廷の面々、とくに弁護士が知らないというのは変だろ。
で、ハクソー・リッジに送り込まれるんだけど。新兵の訓練をしていた軍曹とか、その当時の将官がそのまま前線でも同様に上官で行く、ということはあるのかいな。なんか、違うんじゃないかというような気もする。それはさておき、デズモンドの部隊の到着は、すでに日本軍と数回の戦いを交えた先発部隊の死骸の山と疲弊した兵士たちとの入れ替わりで。さっそく絶壁を登って日本軍と相対するんだけど、地面にはむごたらしい死体が・・・というのは、『プライベート・ライアン』と同工異曲。弾丸の飛ぶ音、鉄兜に当たる音、血しぶき、呆気なく死んでいく戦友、戸惑う兵士たち・・・は、2D作品でもなかなかにリアル。とはいえ、最前線にいる兵士たちが、とくに散開せず、べったりくっついて行動したりしているのは、ありゃねえだろ、とか思いつつ見ていた。まあ、あれも映画的演出なんだろうけど。
崖の上の戦いは、はっきりいってよく分からない。とくに日本軍陣地がどうなってるか見えないので、どうしてあれだけ艦砲射撃をしても日本軍がわいてくるのか、よく分からない。映画では地下壕が掘られていて、そこに潜み、出てくるようだけど、あんなに日本軍も強かったのか、分からない。実際はもっと頭を低くして、這いずりまくっていたんじゃなかろうか、と思うのだけど。
ところで、もちろん日本軍を応援した。負けるのは分かっているけれどね。それでも、日本軍がいいカタチになって攻めるシーンはほとんどなく、白兵戦でも日本兵がやられる、という場面ばっかり。まあ仕方がない。Webには、ハクソー・リッジの戦いでは村の住民もかなり亡くなっているが、そういうのが描かれていない、と不満を漏らす人もいるようだけど、それは仕方がない。そもそも切り口が違うのだし、すべてを史実通りまんべんなく描くのが映画でもないのだから。
というような案配で、日本軍の逆襲に遭い、大半が崖下に逃げ帰った後も、デズモンドは崖上に残り、息のある負傷兵をロープで着々と下ろしていった、という美談がここから描かれる。これで、新兵訓練のときにバカにしていた戦友や上官も、再評価、という流れ。エンドクレジットで、「良心的兵役拒否者として初めて名誉勲章が与えられた」と実際の写真つきで紹介されるから真実なんだろう。けどまあ、実際はあんにな壁は高くないけどね。と、こだわってしまう。
てなわけで、戦場シーンはなかなかだけど、突っ込みどころは多く、ロマンスはちょっと過剰で、デズモンドの名誉勲章に値する行為の描写は地味、という感じ。最後に、日本軍の指揮官が割腹自刃で首を落とされる場面もあったりして、多少は複雑な気分になったけど、まあ、映画だから仕方がない。
リヴォルト7/7ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2監督/ジョー・ミアーレ脚本/ジョー・ミアーレ
南アフリカ/イギリス映画。原題は“Revolt”。「反乱」の意味。allcinemaのあらすじは「記憶をなくした軍人ボーが、独房の中で目を覚ます。状況が理解できない彼に、となりの房にいた女ナディアが“我々は侵略された”と語る。その後、ナディアとどうにか脱出したボーは、やがて謎の巨大ロボットが次々と人間を虐殺、人類は絶滅の危機に直面していることを知る。彼らの目的も分からぬ中、ナディアとともに決死の逃避行を続けるボーだったが…」
ここ20年ぐらいに公開された宇宙侵略物+サバイバル+ロボット宇宙人あたりのエッセンスをいただいて、なんとなく話に仕立ててみましたけど、楽しんでいただけました的なB級感が満載。まあ、それはそれで、時間つぶしにもいいし、映画好きにはツッコミのターゲットになって、それなりに楽しめるかも知れないけど、話自体は新鮮味がなくてイマイチ感。
それでもヒロインが可愛いとかエロっぽいとかあると少しは持つんだけど、がっしりタフなお姉さん。しかも途中でいなくなって、最後に救出されるかと思ったらそんなこともなくて、こっち方面の興味も満たされず。
導入からの展開は↑のあらすじ通りで。でも、なんで舞台がアフリカなの? な感じ。ボーが気づくのは牢の中で、隣にナディアも閉じ込められていて。そこにあらくれ黒人兵(?)がやってきて、ナディアを犯そうとするんだが、そこは当然クリアして連中はやっつける。のであるが、彼らあらくれ黒人の立ち位置は、どこなの? 侵略されている、に乗じて好き勝手なことをやってる連中? さらに、そもそも2人が牢に入っているということは、誰かが閉じ込めた、ということ。それは誰? 後にボーを操っていた黒幕が分かるんだけど、わざわざ牢にいるところからスタートさせる意味が分からない。ナディアの立ち位置も分からない。ナディアも黒幕が用意したパートナーなのか? そんなことないよな。彼女は記憶を失っていたわけではないのだから。ということは、白人を牢に閉じ込めた連中がいるはずだよな。それは誰?
2人で逃げ出し、次の危機はケニア政府軍で、4、5人か。「水をよこせ」からいざこざになり、大半やっつけてジープをいただくんだが。ケニア政府軍がなぜに白人2人を救出することなく、威嚇するのか意味不明。宇宙人に侵略され、混乱している? だからって、変だろ。
次に襲ってくる黒人たちは、ロボット宇宙人と戦っている連中らしい。2人を囮に宇宙人を呼び込み、そこを狙おうとするんだけど、これは都合よく失敗し、でも2人はうまく逃げ出す。これも変な展開で。なぜに白人を囮にするのか意味不明。協働して戦う選択肢だってあるだろうに。
というわけで、原野で襲ってくるのはすべて野蛮な荒くれ黒人たち、ということになっている。まあ、偏見だと思うけど、話はこの方がつくりやすいのかも。
で、2人は、ケニア政府軍のいうアメリカ軍基地の巨大アンテナをアンテナをめざすんだが。ここまで、背景が良く分からず、ただもう2人が原野を歩き、黒人に襲われ逃げるというパターンなので、飽きてくる。考えるところはないし、襲ってくる方もワンパターン。登場するロボット宇宙人も、なんだかな、な外見だし。
なことして巨大アンテナまでたどり着きはするんだけど、そこもすでにやられていて、廃墟に。というところで、地下に潜み、反撃を企む生き残り連中と知り合うんだけど。どうやって知り合うんだっけ。もう憶えてないよ。あ、まてよ。基地のシーンの次に、大量の宇宙人が怒濤の如く疾駆してきて、小屋に逃げ込むんだけど、ナディアだけが宇宙船に吸い込まれてしまうんだっけか。で、その後に地下の戦中と遭遇、だったかな。で、その連中のなかに、宇宙船をやっつける方法を考える“よい”黒人がいて、その兵器の開発と攻撃を2人がサポート。なんだけど、少し眠くなってきていて、どういう理屈で宇宙船が落とせるのか、聞き逃したよ。
地下に入ってからだっけか。実はボーは宇宙人に目をつけられ、首筋に発信器かなんかを埋められ、他の仲間の場所を発見するために泳がされていた、と。ボーの行動は、黒幕である宇宙人に見張られ、追跡されていた。地下の生き残りを全滅させるために・・・らしいんだけど、なんでボーが選ばれたの? アバウト過ぎだろ。
で、みんなが逃げ惑う街中にその装置を持ち出し、起動させると宇宙船が落下。これで、ロボットたちもみんなやっつけてしまうんだったかな? てなところで、終わりなんだが。果たしてこれでハッピーエンドか? だって、宇宙船は地球のあちこちにやってきていて、大半の都市を侵略しちまっているんだろ? まだまだやっつける宇宙人はたくさんいるはず。じゃ、どうすんだ? という疑念は残るんだよな。それで、なんとなく暗い終わり刀のかな。まあいいや。
・そもそもあのロボットみたいな宇宙人は、ああいう金属的な生物、なのか? トランスフォーマーみたいに。
・ナディアは、実は宇宙人で、人間のカタチになって送り込まれていた、とかあるのか?
・地下の連中は「宇宙船は、人間を誘拐していく。それがやつらの手だ」とか言ってたけど、じゃあなんでロボットは人間を殺しまくっているんだ? もしかして、あの一瞬で人間が消滅しているのは、宇宙船に転送しているのか?
・地下の連中が逃げようとして、通路に仕掛けられたトラップに引っかかって爆破してしまう、というところがあったんだが。あのトラップはロボット宇宙人が考えたのか? いつ? そんなちまいこと、宇宙人がするまのか?
・宇宙人や宇宙船をやっつける手法は『ゴースト バスターズ』な感じでチープ。
・映画の中で、たびたびジェット機が数機、上空を疾駆していくんだが。あれはどこの軍隊なんだ? 世界のあちこちが侵略され、壊滅状態なのではないのか? 最後に宇宙船を撃墜した直後も飛んでたけど、たんに映画的なカッコづけか?
・ナディアは、もうちょいエロっぽい肉感女優にして欲しかったでござるよ。逃げる途中、瀕死のカメラマンに出会い、「殺してくれ」と頼まれるんだけど。躊躇するボーをさしおいて、進んで首をへし折る(息を止めただけ?)様子は、ちょっと引くぞ。本来、ナディアはフランス人の医師だろ? なんかな。
ディストピア パンドラの少女7/11ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/コーム・マッカーシー脚本/マイク・ケアリー
原題は“The Girl with All the Gifts”。多才な少女、みたいな意味か?allcinemaのあらすじは「真菌の突然変異によって人類に感染爆発が起こり、思考能力をなくし、生きた肉のみを食す“ハングリーズ”が増殖蔓延した近未来。感染を免れた人々は、フェンスで囲われた基地内で兵士たちに守られ暮らしていた。ロンドン郊外にあるそんな基地のひとつで教師をしているヘレン・ジャスティノー。しかし、教える相手は“二番目の子供たち(セカンド・チルドレン)”と呼ばれる感染した子供たち。厳重な監視下に置かれた彼らは、感染しているにもかかわらず、思考能力を維持していた。その中の一人メラニーは、純真な心と高い知性を持ち、ヘレンが特に気に掛けている少女だった。一方、科学者のキャロラインは、メラニーを格好の研究対象とみて、その解剖に乗り出す。そんな時フェンスが突破され、基地内に大量のハングリーズが侵入、ヘレンはパークス軍曹に助けられ、メラニーとともに大混乱の基地を辛くも脱出、なおもメラニーの解剖に執着するキャロラインを加えた一行は、ひとまず協力して、生き残りをかけた決死の逃避行へと繰り出すのだったが…」
車椅子に拘束された子供たちが、授業を受けている。彼らは何者? と思っていたら、30分ぐらいして、場所が基地内で、周囲はゾンビだらけ。防御が破られ、基地内にゾンビが流れ込んできて、教師ヘレン、メラニー、ワクチンをつくろうとしているキャロライン、兵士たちがトラックで逃げ出し、ロンドン経由で別の基地をめざす。
先入観なく、監禁モノかと思って見ていたら、なんとゾンビ映画ではないか。なーんだ。と思ったら、どーもフツーのゾンビ映画と違う。設定も、これまで見たことのないようなもので、母体が感染した場合の胎児が成長した姿、をもってきている。彼らは母胎を食い破ってこの世に生まれてくるが、完全に菌に支配されているわけではない。教育によって、人間と同様の知性や判断力、感情を持つことができる。もちろん、人間の臭いをかぐと凶暴になるのではあるが、満腹時は人間を襲うことを我慢することが出来る。
根底にあるのは「希望」や「未来」という切り口で、ギリシア神話のパンドラの箱や、箱の中の猫のロジックとか、意味深な譬え話が背景にあったり、毛色も違う。さらに、ゾンビ少女と、彼女を救いたい教師の女性との心の交流もあったりする。地味ではあるが、なかなか情感に訴えてくるのだ。
ヘレン先生が、授業で神話を読んで聞かせているらしく、メラニーや他の子供はつづきを効きたがる。パンドラの箱の話も、その中ででてきた。箱を開けた結果、災いがあふれることになったが、箱の最後に「希望」があった、という話だ。この話が、そのまま、映画のオチにつながろうとはね。
箱の中の猫が生きているか死んでいるか、知る方法は? というのは、キャロラインがメラニーに出した頓智クイズ、らしい。まあ、利発な子だから、可愛がられているんだろうけど。その答は、半分生きて半分死んでる、というようなもので。なんかよく意味が分からなかった(もしかしてシュレーディンガーの猫と関係あるのか?)。しかし、「半分生きて半分死んでる」という状態は、だんだん映画の中味と関連していることが分かってくる。たとえば、基地の中でのメラニーは、生きてはいるけれど、そのうち研究のために解剖される運命にある。あるいはまた、後々分かってくるんだけど、メラニーたち“セカンド・チルドレン”は、ゾンビでありながら、人間の性質も兼ね備えている。こういったことを指していっているのだろう。まだるっこしい、ともいえるけど、含蓄が深いともとれないことはない。
あともうひとつ、「成長」が描かれているのが興味深い。その成長は、メラニーがいろんなことを吸収し、そこらの人間よりずっと教養を身につけていくことだけではなく、“セカンド・チルドレン”として、生き残った人間と共に生きていく=共存していくという道筋を考え出す、ということになる。意外で、ハッピーなラストに拍子抜け、という、オーソドックスなゾンビ映画ファンもいるだろうけど、こういう軟弱なゾンビ映画もあっていい。
一行は、山の中を抜けたりしつつ、でもなぜかゾンビがたくさんいるロンドン市内を通過する選択肢を選ぶのは、食糧なのかもしれないけど、まあ、映画的な都合だろ。それはさておき、市内にはあちこちにゾンビが林立、ふらふらしてる。でも、人間の臭いをさせない、ゆっくり動く、音をさせない、であれば連中は気づかない、というんだが、だったら冒頭に出てきた基地もそうすりゃよかったのに、な感じなのであるが、突っ込むのはよそう。
ここで、メラニーが偵察だか食糧調達に行くんだけど、途中、我慢しきれなくてネコを食べる場面がある。お。人間じゃなくてもいいのか? つぎに、犬を見つけて、これも食うのかと思ったら、仲間の元へ連れ帰るのだが、とりあえず満腹になると、襲撃本能は消えるのかね。
で、最初は民家にいたけど、軍が設置したシェルターみたいなところを発見して閉じこもる、だったかな。でも食糧がないので兵士が調達に行くんだが、そこで子供ゾンビ部隊に食われてしまう。この連中は、なんなんだ? どうも、彼らもセカンド・チルドレンらしく、他の一般的なゾンビみたいに突っ立ったまま寝てるわけではない。チームリーダーがいて、統率されているみたい。兵士を救出に来たヘレン、軍曹なんかに「あなた方は、私の獲物だ、と思わせて逃げるから」てなことをいい、棒で子供ゾンビ連中を威嚇し、リーダーと対決。殴り殺すと、他の連中は大人しくなるという、サル山のボス対決みたいな形にしている。これも、組織、リーダーの存在を理解しているセカンド・チルドレンの知性が垣間見えて興味深い。
さて。シェルターにはキャロラインがいて、「ワクチンのため手術したい。犠牲になってくれ」と懇願するんだけど、手のケガが敗血症となって死にかけている。それでもメラニーを解剖しようと待ち受けている。でも、メラニーはキャロラインから逃げ出し(死んだンだっけか? あ、そういえば軍曹はどこでやられたんだっけ?)、ヘレンをシェルターに閉じ込め、ゾンビの木に向かうのだ。これ、たしかキャロラインがメラニーに説明してたんだけど。ゾンビが役目を終えて(?)か死んだ後に(?)か知らんが山となって、そこから生えた巨木。胞子がたくさんあって、それが割れると菌が拡散し、それまで接触感染だったのが、空気感染するようになる、とか。種子は気温の変化で割れる、とか言っておった。その木に火をつけ、あえて菌を拡散させる、のだ。おやおや。
で、場面は変わって、シェルターの中に、ヘレン。ガラス越しの外に、子供ゾンビの一団がいて、メラニーが級長のような格好で、地面に座らせ、ヘレンの授業を聞くよう促している。というエンディングで、なるほど、な感じ。つまり、ゾンビ菌に「支配されず、共存」というセカンド・チルドレンが、人間とも共存していくという未来が見えて、なるほどなラストであった。まあ、ほのぼのし過ぎで、血みどろ感がないのが食い足らないという意見もあるだろうけど、全体に成長物語にもなっていて、これはこれで新鮮。
とはいえ、ヘレン先生は何を食って生命を維持してるんだ? 兵士が子供ゾンビに食われたスーパーの食料も限度があるだろうに、という疑問もあるけどね。 ・キャロラインのいうワクチンは、メラニーの脳を解剖したら、ほんとうに完成したのか? それまで研究していたサンプルなど、もってたようにも見えないんだが。
・ロンドン市内。その俯瞰画像で、屋上にハンドルのついているベンツの社屋が露骨に映るんだが、ありゃどういう意味があるんだろ。
・邦題の『ディストピア』は、どうなんだ? 『パンドラの少女』だけでもいいと思うがな。
・ヘレン先生のジェマ・アータートンは、マッツ・ミケルセンが女になったみたいないかつい顔なんだが、そういう演出なのかな。着てるものもぶかぶかで、色っぽさゼロ。男の要素を加味しているのかね
ライフ7/12109シネマズ木場シアター7監督/ダニエル・エスピノーサ脚本/レット・リース、ポール・ワーニック
原題は“Life”。allcinemaのあらすじは「(ISS)では、473日間も滞在しているアメリカ人医師デビッド・ジョーダンをはじめ6名の宇宙飛行士が活動していた。ある日、火星から帰還した無人探査機を回収した彼らは、火星の土壌の中に未知の微生物を発見する。それは彼らの予想を遥かに超えるスピードで成長し、高い知性も見せ始める。世紀の大発見に興奮するクルーたちだったが…」
未知の生命体が宇宙船内で成長し・・・。これまでもよくある話で、キャストを見れば最後まで生き残るのは誰か一目瞭然。ラストのくだり(ひとりだけ地球に戻ってくる)の意外性(ともいえないが)も予定通り。とはいえ、まあそれなりに楽しめた方かな。
登場人物は6人で、とくに優劣なく、冒頭からほぼ同じウェイトで描かれる。つまり、ジェイク・ギレンホールとレベッカ・ファーガソンが主にフィーチャーされて主演扱いされるわけではないところが面白い。平等に描かれつつ、ひとりひとりやられていって、残るのがそのふたり、という展開だ。とはいえ、ライアン・レイノルズが最初にやられて脱落し、真田広之が残り3人に残るというのは、意外だったけど。
設定から展開までミエミエの予定調和だけど、ラストぐらいはちょっと変えてもよかったんじゃないかな。緊急脱出艇は2台。1台に生命体をおびき寄せ、ギレンホールが乗って、地球から離れる。もう1台にはレベッカ・ファーガソンが乗って地上に帰還する・・・。その後、1台が地球に無事帰還し、原住民が近づくと、なかには生命体とギレンホールが・・・ってドンデンは、あからさまにミエミエ過ぎて、がっかり。その裏の裏をかくぐらいの話を考えてくれよ、な感じ。
冒頭部分、あれこれ早い展開でよく分からなかった。飛行体の主観映像で宇宙を飛んでいて、流星に衝突・・・。ありゃ? と思ったら次のシーンは宇宙船(実は軌道上の宇宙ステーション)の内部で。次に、飛んでくる何かを、船外で、宇宙服で確保する、という流れなんだが。あの宇宙船が流星にやられた、と思い込んでいたので、「?」。あの宇宙船が火星から帰還し、なんかの手違いで生命体の入った容器を失った? のではなかったのね。あの主観映像と流星は、無人探査機のものだったのか。それが軌道を外れて、採取してきたサンプルを、船外でキャッチした、ということか。しかし、無人探査機、ってちゃんと説明されてたっけかな?
あと、もうひとつ。救援のソユーズが来たと思ったら、それは、もっと宇宙へと隔離するためにやってきた、らしい。そんなことをレベッカ・ファーガソンがいっていた。ところが、ソユーズは、生命体を閉じ込めた部分にドッキングする。生命体に追われ、個人カプセルに入って難を逃れたショウは、そのことを知らない。ショウは、ソユーズがドッキングした部分に向かい、扉を開けようとするんだが・・・。というくだりが、どうなってんの? な感じ。あのソユーズは無人なのか? それとも、誰か乗っていた?  ソユーズの扉は開いたのか? その後、ソユーズのドッキングが外れ、でも生命体は宇宙に飛んでいかず、ショウの足に絡まりつき、ショウは宇宙へ。でも、生命体はしつこく飛ばされず…だったんだが・・・。
バイバイマン7/20ヒューマントラストシネマ渋谷2監督/ステイシー・タイトル脚本/ジョナサン・ペナー
原題は“The Bye Bye Man”。allcinemaのあらすじは「アメリカ、ウィスコンシン州。古い屋敷に引っ越し共同生活を始めたエリオット、ジョン、サーシャの大学生3人は、偶然に“バイバイマン”という名前を知ってしまう。それは、名前を言うのはもちろん、考えただけでも恐ろしい呪いにかかってしまうという恐怖の存在だった。以来、不可解な現象に次々と見舞われ、追い詰められていく3人だったが…」
名前を言うと恐怖が・・・というのは、『キャンディマン』を連想させるけど、その亜流なのかな。で、もともとのいわれ、が語られるのかと思ったらそんなこともなく。なぜバイバイマンがやばいのか、最後まで分からずじまい。のくせに、バイバイマンの実体と、連れている犬のような怪物は登場する。やつらは何なんだ? それにしても、あちらのホラーは実体が出てくるととたんにつまらなくなる。それまでは、そこそこゾクゾクしたところもあったんだけど、ううむ。
それと、エリオットの両親(?)が亡くなった(?)、あるいはエリオットの小さいころの目撃体験(?)なのかな、な列車事故なんだが。線路上に散在するモノが何度も映されるわりに、それとバイバイマンがどう関係あるのか、分からない。というか、列車事故とバイバイマンは関係あるのか? コインに何の意味があるのだ? あの小さなドアはなに? あの家で何があったんだ?
思わせぶりに歯がゆさを抱きつつ思ったのは、この話、ドラッグ中毒の幻覚と妄想による銃の事故、みたいだな、ということ。原因をそれにすれば、ほとんどすべてあてはまる。というか、ドラッグが原因の事件をホラーにしたら、こうなる、な感じだな。
・エリオットがネット検索するんだけど、結果はゼロ、というのはなんでなの? というなかで、自分の大学の蔵書検索をすると、1件だけヒットするんだが、あれはなんでなの? 調べに行くと、黒人の司書がいて。彼女は「取材したけど没になった記事であるとか、記者の起こした事件の顛末とか、イロイロ知っているんだが、変だろ? あれだけ知ってれば、バイバイマンを知っていても不思議ではない。
・エリオットが図書館から(だったかな?)家に戻ると、サーシャ(同棲中の女の子)が気絶していて、近くにメモ。メモには、かつての事件を取材した記者の住所が・・・。で、エリオットは記者の未亡人の家を訪ねるんだが。サーシャは、記者のことなんて知らないはずだよな。なのに、なぜ住所のメモがあるのだ?
・登場人物3人の中で、最初に「バイバイマン」と声に出したのはエリオット。エリオットを含む3人がラストシーンまで生きていて、周辺の人物である占いのキム、黒人司書なんかがさっさと死んでしまうのは、映画的都合なのかね。そういえば、キムは、エリオットが名前を呼んだとき、あの場にいたんだっけ? 忘れた。
・恐怖といいつつ、(妄想で)他人を殺すか、自死、という流れなんだよな。バイバイマンに殺されることがないんだよ。だから、ドラッグ中毒による妄想、って思ったんだけどね。
・記者の奥さんは、あの言葉を知らないから、死ななかった。というけど、なんか説得力がないねえ。 ・ラストは、エリオットがジョンと間違えてサーシャを殺してしまって。その後に家事。ジョンは火傷してるようだけど、救助されて。消防士か救急隊員が、ジョンに話を聞こうとしている・・・という場面。まあ、ここで、「バイバイマン」というかも知れない、と思わせぶり。それと、直前にエリオットが外に投げ捨てたテーブルが燃えずに残っている、というショット。抽出のなかに「バイバイマン」と書いてあるので、それを読むやつがでてくる、かも、という思わせぶり。まあ、いずれ、いつかは事件が再燃するよ、というような感じでEND、だった。つまんねえの。
・警官に、『マトリックス』のキャリー=アン・モスなんだけど、ひとりだけ有名役者が混じってるみたいで、でもあんまり機能してなくて、もったいない感じ。
・って思ってたら。記者の奥さん役はフェイ・ダナウェイだったの! うわー。気がつかなかったよ。
アリーキャット7/20テアトル新宿監督/榊英雄脚本/清水匡
allcinemaのあらすじは「警備員として働く元ボクシング選手の朝秀晃。孤独な彼の心を、マルと名付けた野良猫が癒してくれた。ある日、そのマルがきっかけで、マルをリリィと呼ぶ男、梅津郁巳と知り合う。やがて、ひょんな成り行きから、ストーカーに狙われたシングルマザー土屋冴子のボディガードをすることになった2人は、互いをマル、リリィと呼び合うように。そして次第にエスカレートするストーカーから冴子を守るため、息子を施設に預けると、3人で東京へ向けて車を走らせるのだったが…」
猫飼いのマルがリリィと出会い(駐輪禁止の看板のあるところに自転車を停めていたりする遊びも)、マルが冴子のボディガードを依頼され、からんできたのは冴子の元カレの変態玉木。のほほんな田舎の話かと思ったら、冴子には別の闇があって、警官を詐称し、拳銃をもつ男たちに追われている・・・。話の流れは面白い。のだけれど、冴子の闇、演出した三浦、引っかかった南雲・・・の展開に驚きがなくて、辻褄もムチャクチャで荒唐無稽。さらには情緒的になってぐずぐずになり、後日談は、はあ? な感じ。最後をちゃんとしてくれなくちゃな、こういう話は。
登場人物はみんな変だけど、一番変なのは冴子だな。元の亭主がいて、でも暴力で(?)別れ、こぶ付き。それがデリヘルかなんかしてて、同僚の瑞希に柿沢を紹介され、しでかした仕事が南雲を陥れる色仕掛け。その後、豊橋あたりに息子とトンズラし、出会ったのが玉木で、性的写真を撮らせるほどの親密orバカさ加減。クリーニング店で働いていて、玉木と別れることにしたけど、玉木がストーカーに。それで警備会社にボディガードを依頼した・・・って、まとめて書くと、どこにも救いようがないアホである。市川由衣が演じていて、美人じゃないけど男好きのする顔で、しかし、下半身はだらしない。これで、幼い息子を施設に入れるつらさとかいわれても、お前が悪いんだろ、としかいえない感じ。
マルも、純粋自然に生きている40男かと思ったら、後半でボクシングジムの会長に会って過去を披瀝され、聞いていくと、とんでもない自分勝手の悪人ではないか。とても映画のヒーローになれるような人間じゃないぞ。まだリリィの方が、いい加減でテキトーだけど、マシな気がする。
得体が知れないのが柿沢で。いくら闇で・・・といっても、組織もないみたいで、いったいどういう立場なんだ? と思ってしまう。高官の南雲も、冴子なんて下っ端を追ってないで、SPに柿沢を消させれば一件落着じゃないのか? 柿沢のバックに、とんでもない大物がいるとか、どっかの組がからんでいるとか、そういう様子はなさそうだし。ねえ。
あと、面白そうなのは、リリィが働いている解体屋(?)の社長みたいなやつ。リリィのことを「ビヨンセ(だったかな?)が股をひらいていても、市原悦子をくどいちゃうようなやつ」とたとえたり。なかなか。でも、最初の方にしか登場しない。もったいない。
さて、話が荒唐無稽になってくるのは、3人が三浦に会い(でも、あんなファミレスで会うか? な疑問)、その後、冴子が与党高官の高川のところを訪れるあたりからかな。そもそも冴子はかつて高川を罠にかけ、そのときエロネタを利用して三浦が高川をゆすっていたはず。なのに、かつてのようなケバイ格好でホテルに行き、やってきた高川はまるでしもべのように冴子をむさぼり吸おうとする。なんで? フツーなら「俺を引っかけやがって」って殴る蹴るじゃないのか? そもそも、そのために私設SPを使って冴子を探していたのではないのか? というのが大きな疑問。
冴子を柿沢に渡して「これで仕事は終わり」というマルに、リリィは「それでいいのかよ」といいつづけ、とうとうマルも心変わり。で、行くところが、マルがかつて恩を仇で返したボクシングジムの会長のところ(会長の火野正平がなかなかいい芝居をしてる)。踏んだり蹴ったりされた揚げ句に情報を得で、出かけた先が冴子と高川の密会部屋・・・って、おい。いくら会長が高川とツーカー(柿沢とツーカーだったかな?)でも、部屋番号まで会長が知ってるってことはあり得ねえだろ。
で、部屋に乗り込んだマルが高川と死闘なんだけど。殴り殴られ互いにグロッキー、な状態で冴子がマルを抱えて階段からの逃避行。マルは息も絶え絶え。の間に、変態玉木が密会部屋に入っていき、高川を刺殺。って、これは、高川の私設SPにだったか柿沢にだったかに「冴子がいる。殺さなければ何をしてもいい」とか言われて行ったんだっけか。なんか話がムチャクチャ。地下駐車場で待つリリィに、私設SP2人の姿が・・・。で、リリィはひとりをはね飛ばし、あとはどうしたんだっけ? なところにマルと冴子が来るんだっけか? そこに玉木が近づき・・・というところで、リリィが玉木の頭にいっぱいお見舞いして・・・。だったかな。いろいろ細かい部分は忘れてるから違うかもだけど、なんじゃこれ、なテキトーさ。で、3人がクルマで逃避行なんだけど、マルはもう死にそうなんだよな。このあたり情緒的で、芝居もクサイ。でもさ。いくら南雲が武術の達人だったとしても、ボクシングの元チャンピオンとケンカして、マルが死にかけるということがあるのか? 致命傷はなんなんだ?
というわけで、仕方がないから病院にでも連れ込んだのかと思ったら、そうでもないらしく。テレビのニュースは「事件の裏側を知る柿沢が死体で見つかった」とか言っている。41歳と言っていたな、柿沢は。そんな若いのか。どうやってのし上がったんだ? それはさておき、だれが柿沢を殺したんだ? 高川はすでに死んでいるんだから、別人・・・。もっと黒い筋?
次は、冴子を孤児院に送っていくリリィの場面なんだけど、マルはいない。やはりマルは死んだのか? と思いつつ見ていたんだけど、冴子を置きっぱなしで帰っちゃうんだよ、リリィは。でも、まだ冴子に生活力はないだろ。柿沢からマルとリリィがもらった300万ぐらいの金はあるのかな。でも、それだけじゃ、子供は引き取れないだろ。というか、子供を引き取れ、というつもりなら、帰りも送ってやれよ。だよな。
で、次のシーンで、なんとマルが自分の部屋でネコのマルと一緒にいる。「ネコは七度生き返るけど、俺は3回目だな」とかいっている。じゃ、死ななかったのか? でも、ボクシングで一度死にかけ、南雲との死闘でまた死にかけ、だとすると二度だろ、生き返ったのは? 違うか? それとも、あの場面は天国なのか? ああ、よくわからんというか、いい加減にぼかしているのは、イヤらしい。
・いくら与党高官の私設SPといえど、銃はまずいだろ。それも街中で。
・マルが、息子を施設に預けた冴子に言う言葉。「母親を恨むのは、迎えに来ないと分かったときだ」というセリフが効いている。
彼女の人生は間違いじゃない7/24ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/廣木隆一脚本/加藤正人
原作も廣木隆一だと。allcinemaのあらすじは「市役所に務める金沢みゆきは震災で母親を亡くし、今は仮設住宅で父親と2人暮らし。農家の父親は土壌汚染で仕事ができず、生きる目的を失ったまま、補償金をパチンコにつぎ込む日々を送っていた。一方、みゆきの同僚・新田は、被災地の現状を卒論にしたいという東京の女子大生の取材を受け、当時の状況についての屈託ない質問に言葉を詰まらせてしまう。そんな中、週末になると高速バスで東京に向かい、デリヘルのバイトをしているみゆきだったが…」
へー。みゆき(瀧内公美)と修(光石研)は親子だったんだ。最初は「夫婦?」いや違うか。「兄妹?」と思って、最後まで・・・。あらすじ↑を読んで、まあ、それでも筋は通るけど、「年の離れた兄妹」でも通用するよなあ、なんて。最初の方で「かあちゃんが」どうのこうのとか、「お前にオモチャ買ってきただろ」とか、修がみゆきに話すくだりはあるんだけど、津波で流された「かあちゃん」は、修の母親かと思ったから、だから余計に2人を親子とは思わなかったんだろう。あと、みゆきが修に「お父さん」と、たしか一度も呼んでないんじゃないか? あるいは、呼んでいたとしても聞き取りにくかったのか。要は、要所で「お父さん」と呼ばせれば誤解は生じない。ダメな脚本の例だ。かように、この映画は人物関係が分かりづらい。
福島県いわき市あたり。被災者の話なんだが、物語としてこなれてなくて、震災のメッセージがほとんど生で登場する。保証金をパチンコで使ってしまう。墓が汚染されていて遺骨が移せない。母親の遺体が見つかっていない。農業ができない。汚染水の処理の仕事をしたら、周りから非難された。その男が住んでいるのは修とみゆきの家の隣で、妻がノイローゼで自殺未遂? 震災の町を卒論にする女子大生。いまを写す女性カメラマン(両親がフクシマ)、人々を食いものにする新興宗教・・・。
なんか、フクシマに関する情報を細切れにしてムリやり詰め込んだみたい。こんなことしても、“心に傷”な様子はつたわってこない。どころか、思わせぶりなエピソードの羅列は押しつけがましく、共感どころか、うざったいぐらい。監督の廣木隆一が福島県郡山市の出身で、だからなのか、思いが先走りすぎて物語になっていない感じ。
もしかして、家族を失った みゆきが、週末、東京・渋谷でデリヘルやっているのも、震災で心に傷を負ったせいだから、それは間違いじゃない、とでもいいたいのかね。アホかと思う。この世には、震災を体験しなくてもデリヘルやってる女性はたくさんいる。要は個人の問題であって、震災のせいではない。関係があったとしても、もともと有していた素質の後押しをした程度だろう。いずれはそうなるのだ。
・ムダなシーンが多すぎる。冒頭の、みゆきが起きて修を起こし、食事するとか。クルマで役所までいくとか。東京までの高速バスの車窓とか。渋谷の街の移動とか。あんなの、もっと短くてもいいはずだ。それをだらだら何度も繰り返す。意味ない。まあ、監督は意味があってやってるんだろうけど、なにもつたわってこない。
・みゆきの元カレは、ありゃなんなんだ? 「なんで私に会いに来たの? もっと会う人はいるんじゃないの?」みたいなことをいうと、元カレは、誰それは死んだとかなんだとかかんだとか言うんだが、会話自体がバカバカしい。元カレは「もう一度つきあえないか」という。でも、みゆきは「考えておく」って、なんだよそれ。再度会ったとき、みゆきは元カレに「ホテル行こ。行って、むかしみたいにできたら、つきあってもいい」とか言う。で、元カレが挿入しようとすると、「イヤ」とかいって拒絶するんだけど、ありゃなんなんだ? そういえば、元カレが、母親(?)が流されていたときセックスしていたんだな、とかいうようなことを言うんだが。それを踏まえているのか? ってことは、あれか? 地震のときマンコしてたせいでトラウマになり、元カレと別れ、再度のセックスも拒否。でもって東京で本番なしのデリヘルで不満解消してる? あるいは、死者に償ってる? なことないよな。デリヘルで死者に償いなんて、ないよなあ。
・瀧内公美のデリヘルシーン。2度目の、田舎者相手のやつは、ボカシもあって。立位の素股でイカせてるのか、はなかなかにリアル。脱ぎっぷりもいいけど、脱ぐ意味があるのか非常に疑問だな。男が「田舎と違って、東京の女はいい」とか喜ぶんだけど、それって、実は彼女も田舎者、とでもいいたいのか? よく分からんな。
・終わり近くなって、みゆきが「働かせてください」とデリヘルのオーナー柿沢(高良健吾)に言う。柿沢の芝居を見た直後なので、劇団員にしてくれ、と言ってるのかと思ったら、どうも違うみたい。みゆきが脱ぎだしたし。では、デリヘルをやらせてくれ、と言っているのか? でも、柿沢が「僕がスカウトした」といってなかったっけ? みゆきは、売り込みに行ったのか? それと、柿沢は「店を始めた」とかいっていたので、オーナーだと思うんだが、子供も生まれたし、とデリヘルの仕事をやめた。でも、事務所はある。じゃ、会社を誰かに譲ったのか? よく分からんな。
・デリヘル仲間が窓から飛び降り自殺した、という話があったけど。さらっと流しすぎではないのか? 人が死んで、しかも、その事務所の窓なんだろ? 誰も気の毒がってない異様さ。なら、こんなエピソード、入れる必要はないだろ。
・母親・・・じゃなくて、妻か。の衣服を立入禁止地区になっている自宅から持ってきて、「寒いやろ!」と海に放り投げるのは、いいのか、あれ?
・女性カメラマンと、市役所職員の新田が立入禁止地区(?)の海岸に行くと、海にサーファーがいるんだが、ありゃなんなんだ? その彼女が語る思いは、ありがちなセリフでひとつも残らず。
・新田は、女性カメラマンの写真展を企画するんだが、展示写真は震災直後もあるし、震災前の花見の場面もある。そこに、修と妻、みゆきの写真もあるって、おいおい。女性カメラマンの両親の田舎が、いわき、だとしても、最近、撮りにきたんじゃないのか?
・その写真展。修が入っていくと、受付にいたのは、新田とみゆき、だよな。で、新田は、修に挨拶すらしない。同僚の父親を知らないのか? というか、あの場面なら、みやきが修をチラッと認めるカットが入ってもいいだろうに。
・フクシマのスナックでバイトしながら聞き取りし、卒論を書こうという女子大生の貪欲さは見上げたもんだけど。あれこれ質問に押し黙ってしまい、帰りにひとり吐いてしまう新田は、思い出したくないことを根掘り葉掘りで苦しかったとでも? 類型的すぎるだろ。あれでは新田にとっての心の傷もよく分からない。
・その新田は弟と2人暮らし? よく分からない。修の隣家の夫婦、妻の自殺未遂は何が原因? 修が野球の相手をしている少年は、どういう家庭の子なんだ? 修が、仮設にやってきた男を非難し、逆に殴られる場面かせあるんだけど、あの男は、修に壺を売りつけようとしたやつか? 
・現在の、立入禁止地区(?)の商店街や住宅が映る場面が後半にあるけど、あの短いシーンの方が、他のシーンよりも饒舌に物語っていたと思う。
・瀧内公美は、過去の出演作を見てはいるようなんだけど、どーも顔が頭に定着しにくい人だ。横顔は田中美佐子の若い頃に似てたりするけど。
ウィッチ7/27新宿武蔵野館1監督/ロバート・エガース脚本/ロバート・エガース
原題は“The VVitch: A New-England Folktale”。allcinemaのあらすじは「1630年、ニューイングランド。信仰に篤いウィリアムは妻キャサリンと5人の子どもたちと入植地での生活を始めたばかりだったが、住民と衝突して共同体を追われてしまう。そのため一家は、森の近くの荒れ地に居を構え、厳しい自給自足生活を余儀なくされる。ある日、年ごろの長女トマシンが子守りをしていた赤ん坊が忽然と消えてしまう。その後も一家には説明のつかない不幸が次々と降りかかる。いつしか家族は魔女の仕業に違いないと思うようになり、恐怖に支配された彼らは次第にトマシンに疑いの目を向け始めるのだったが…」
最後に、当時の裁判記録や伝承などを参照してつくられた、と字幕がでる。けれどドキュメンタリータッチではなく、ホラーの入ったフォークロアな感じで、アメリカ入植初期の生活をリアルに描いている感じ。
最初の頃は幻覚・集団ヒステリー・強迫神経症・てんかん・・・のようなところに根拠を求められるかのような感じなんだけど、次第に魔女の実体が登場するようになり、最後はほとんどオカルトになってしまう。もちろんそれは実は“幻覚”と解釈できないことはないだろうけど、それを示唆するところはなにもない。なので、魔女のようなものは実際にいる、というようなことになってしまっていて、ちとやりすぎかなと思うけど、まあいいか。
トマシンは10代半ばな設定の少女かな。初潮を迎えたばかりの、あどけなさが残る娘で、いい感じ。アニヤ・テイラー=ジョイが演じてるんだけど、彼女はシャマラン監督『スプリット』の子なんだな。あっちはもう成熟して胸も大きいけど、こちらは2015年製作。彼女は1996年生まれなので、実年齢は18歳ぐらいか。でも、15歳ぐらいにしか見えない。この役、かつてのエル・ファニングがやっても似合いそう。
冒頭は、村の掟に従って、なのか、一家が村外へと追放される裁判(?)みたいなシーン。でも、なぜ追放されるのかが描かれていない。ここが知りたいところなんだけど。もちろん一家の誰かが魔女と認定された、わけではないらしい。父親のウィリアムスは、自分たちが神の教えに忠実、と言い捨ててでていく。信仰心は強い感じ。
さて。誰かが村の人々に魔女と認定され、非難を浴び、裁判にかけられ、最後は火あぶりに・・・となるんだろう思って見ていたのだけれど、一家vs村人の対立はなく、要は、家族が互いに猜疑心に満ちた目で見るようになって、分裂・解体に至るという話だった。その意味では、物語性も、きっかけとなるような事件やエピソードもない。せいぜい食糧がない、というぐらいで、そんなことで家族の誰かを魔女扱いはしないだろう。むしろ淡々と、非難し合いはじめる。キリスト教を深く信じているようだけれど、家族への信頼はかけらもない感じで、当時はそんなだったのか? な感じ。
明瞭なきっかけとしては、トマシンが双子を叱るとき、自分は魔女で契約を交わした、と冗談を言うくだりがある程度。それを双子が本気にして両親に言うんだけど、それを全面的に信じている風でもない。むしろ異常なのは、ヒステリー気味の母親と、いたずらが過ぎる双子だろうと思うんだけど、厳格であるべき父親は母親をコントロール出来ていないし、母親は子供である双子を叱りつけることができていない。まあ、このあたりが崩壊の原因だな、と勝手に思ったぞ。
異常な出来事の嚆矢は、トマシンがちょっとよそ見した隙に、赤ん坊が消えてしまったこと。これなど、トマシンが隠した=殺したとしか解釈できないような表現で、なんだかな、な感じがある。つづいて長男のケイレブがひとりで森へ狩りに行こうとするんだけどトマシンも同行し、ケイレブだけが行方不明に・・・。いずれもトマシンがらみだから疑いの目で見られるのは当然で、なのに自分は魔女、などと軽口を叩く彼女も問題な感じ。
で。実体は、4ヵ所で登場する。まずは、肉塊のような感じのイメージ。次にケイレブの幻覚、のような感じで、森の中で彼を迎え入れる美女。それから、双子とトマシンが(だったかな)父親に閉じ込められた小屋の中の肉塊みたいな感じ・・・。そして、ラストシーン。トマシンが森の中に導かれていくと、魔女たちが宙に浮かんで儀式みたいなのをしている。いずれも思わせぶりだけど、誰かの幻覚とも断定できないし、実際の存在とも断定できない描き方で、なんかいらつく中途半端な感じ。
とはいえ、最後に、娘を魔女と断定し殺そうとした母親を、逆に殺してしまい、森に導かれていくトマシン、という展開は、おいおい、な感じもしなくない。フツーなら、あわわわわ・・・やっちゃった!的な反応をしてもいいと思うんだけど、この時点ではすでに魔女の自覚があるのか >> トマシン?
まあ、ケイレブがトマシンの胸をチラ見したりと、性的成長を示す描写なども、トマシンが誘いをかけ、森におびき寄せ、魔女に渡した・・・な解釈もできないことはないけどね。
あ。そういえば、他の家族の末路はどうなったんだっけ? ケイレブが結局死んでしまったのは憶えてるけど、父親と双子はどうしたんだっけ? 憶えてないよ。・・・調べてるうちに山羊のことを思い出して、そういえば角に突かれて・・・と思いだしたよ。
・父親とケイレブが狩りに行ったときに出会うウサギが、魔女の使者みたいに描かれてる。あとは山羊か。そういういわれはあるの?
・WitchのWをVVと表記する意味はなんなんだ?
・トマシン役のアニヤ・テイラー=ジョイは、クレア・デインズの若くて可愛かった頃に、少し似てる?
ボン・ボヤージュ〜家族旅行は大暴走〜7/28ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ニコラ・ブナム脚本/フレデリック・ジャルダン、ファブリス・ロジェ・ラカン、ニコラ・ブナム
フランス映画。原題は“? fond”。英文タイトルは“Full Speed”。allcinemaのあらすじは「最新のAI機能を搭載した新車に乗り込み、いざバカンスへと繰り出したコックス一家。ところが出発早々、その最新システムで不具合が発生し、おまけにブレーキが壊れてしまい、一家を乗せた車は誰にも止められないまま160kmでハイウェイを爆走していく。そんな非常事態の中、何を思ったか家族が次々ととんでもない秘密を告白して崩壊の危機に。そして彼らが向かう先には、大渋滞が待ち構えていた…」
旅行先でもあれこれトラブルがあって・・・という話かと思ったら、出かける前の家の中の場面を除き、クルマの中だけで90分という話だった。ベタで下品なギャグ満載のドタバタコメディで、この手のおバカな展開はフランスの伝統芸だな。
それと、ブレーキの故障で、高速運転(160キロ)のまま止まらなくなってしまう、という話は、『新幹線大爆破』を連想させる。映像的にも、一家の乗るクルマからパトカーへ、走行したまま人を移し替える場面なんかは、『新幹線大爆破』そっくり。最後に、ヘリでクルマごと吊り上げるのは、ルイ・ド・フュネスの『ファントマ』に似たようなのがなかったかな。
ハイテクの新車が故障し、警官2人がバイクで追い、ハイテク車にアウディ(だったかな?)のドアを壊された男が追い・・・という一直線。そこに、美容整形外科の亭主の患者から、「顔が晴れた」と電話があったり。女房の浮気話がからんだり。女好きで遊び人の、亭主の父親の話がからんで。その亭主の父親が乗せてやった陰気な娘が同乗していたり。警官2人は男女で、パトロール中にいちゃいちゃしまくってたり。その警官たちの上司は女性で、これがワンマンな女で、とか。徹底的にベタにお笑いを追求してる。でも、日本のギャグのようにくどくないし、情緒的でもない。子供が撃った銛が、ドアを壊された男の太腿にずぶりと刺さったりと、情け容赦ない。ドアを壊された男は被害者なのに、最後まで救われないんだよな。気の毒。
あと、亭主が患者に使ったのは、中国製のボトックス薬(だったかな?)で、それは、亭主の父親が安く調達し、中抜きして息子に売っていた、らしい。この父親、「車の運転なんて、ずっとしてないから・・・」といっていたのに、前日、黙ってこの車を拝借し、若い女を乗せて180キロだったか190キロで疾駆し、警察の監視カメラに写されてたという、どうしようもない奴だったりする。あ、そういえば、この亭主の父親の商売は、なんだっけ? 同じ医者だっけ?
パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊7/31MOVIX亀有シアター4監督/ヨアヒム・ローニング脚本/ジェフ・ナサンソン
原題は“Pirates of the Caribbean: Dead Men Tell No Tales”。「死人に口なし」ということか。allcinemaのあらすじは「かつてジャック・スパロウにハメられ、海の地獄“魔の三角海域”に幽閉されていた“海の死神”サラザールが解き放たれ、残忍な手下を率いて海賊の絶滅とジャックへの復讐へと動き出す。そんなサラザールの脅威からジャックが逃れる唯一の道は、どんな呪いも解くことができる“ポセイドンの槍”を手に入れること。一方、かつてジャックと冒険を共にしたウィル・ターナーの息子ヘンリーもまた、呪いをかけられた父を助けるために“ポセイドンの槍”を探していた。すると彼の前に、“槍”の謎を解く鍵を握る天文学者カリーナが現われる。ジャックはそんな2人と合流し、3人で“ポセイドンの槍”を求めて危険な航海へと繰り出すのだったが…」
話題作ではあるけれど、2作目以降は話が記憶にない。キーラ・ナイトレイも途中で消えちゃったし。てな訳なんだけど、終わって、近くのオバチャンが「これしか見てない人は訳が分かんないわよね」なんていっていた。前作すべて見ていても、各人物とのいわく因縁、経緯なんかはすでに忘却の彼方。とくに今回は、いろんな話がてんこ盛りになりすぎて、登場する人物が過去にいた人なのか新キャラなのかも区別がつかず、もちろん因果関係も分からないので、流されるままにぼーっと見ていた感じ。
最初に、少年ヘンリーと、呪いで海底に閉じ込められた少年のエピソードなんだけど。あの父親は、誰だっけ? だからな。ここからして、うーむ、な感じ。
で、イギリス海軍(?)が、銀行強盗を追いつめる場面なんだけど。計画自体がバカすぎて笑えない。いや、金庫の中にジャックがいるのは予測できたけど、なかにイギリス海軍の親玉の女房がいる、というのは、なんなんだ? あのジャックがたらしこんで、金庫の中でしこしこやってたということか? なんかズレてないか?
あとは、魔女として捕まっている娘カリーナの紹介か。ここでカリーナがジャックとからんで・・・。以後の経緯は、めくるめく展開で、良く分からないままにどんどん進んでいく。考える余地がほとんどなくて、前作までの因縁で物事が進むことも多い、ようなので、おいてきぼりにされた感じもあって、ちょっと退屈気味。まあ、ジャックがギロチンで死刑にされそうになる場面があって。仲間の海賊たちで大砲をつかって救出する場面があるんだが。ギロチン台の回転とともに刃がジャックの首に近づいたり離れたり、は大笑い。いやまさに。ジャックは実力はないけど、こういう偶然で生き延びてきてるんだよな。本来なら、何度も死んでるはず。
で、みなさん海に乗り出すんだけど。それぞれの思惑が、分かったような分からないような・・・。
カリーナは孤児で、捨て置かれたとき共にあったリートの地図を見て、あれは、もともと何を求めていたんだ?
青年ヘンリーは、父親の呪いを解くため、か。そのためには、何が必要なんだっけ? 槍? 槍はジャックが必要としてたんだっけ?
バルボッサは、あれは生きてるのか死んでるのか、どういうキャラだったっけ? で、なんで登場してきたんだ?
サラザールは亡霊で、若きジャックとの経緯が描かれていたけど、シリーズ前作までにいないキャラか? 似たようなのはいたような気がするんたげど・・・。でまあ、何か知らんけど、ジャックがコンパスを手放したことで魔の三角地帯から解き放たれ、ジャックへの復讐に精を出すんだが。そのためだけに全力を尽くすって、アホじゃね? それと、コンパスは、サラザールの封印に、どういう関係があるんだ?
それと、イギリス海軍。
で、ジャックは、たんに逃げるために海へ? しかし、槍はなんだったっけ? てな具合で、なんか良く分からないまま、みなさん航海に出るんだよなあ。あとはもう、それぞれの思惑が錯綜して、なんとなく分かったような、分かんないかのように、話は展開して。というか、もう詳細は記憶にない。どころか、記憶に入らない感じ。
カリーナが孤児であり、置かれたとき一緒にあった日記は何なんだ? 実は父親はバルボッサで。では、あの星の地図の意味と、ルビーは何なんだ? 将来、あの島に来るように、という意味なのか? そんなの女の子にはムリだろ。とか。
ヘンリーの父親はウィリアム・ターナーで、って、ウィリアム・ターナーはどんなキャラだっけ? ラストで、呪いの解けたウィリアム・ターナーがやってきて、そこにキーラ・ナイトレイが駆け寄ってキスするんだけど。そういう仲だったんだったけ? とかの記憶のレベルだからなあ。ははは。
というわけで、分かったような分からないような、もやもや感のつのる話であった。
・ポール・マッカートニーの出演を気づかず、後から知る。刑務所で再会する叔父さんだ。妙な叔父さんとは思ってたけど。ポールだとはね。
・エンドクレジットの後。キーラ・ナイトレイのエリザベスとウィリアム・ターナーが寝ている寝室に、影が。床に残されたフジツボは、なんなんだ? まだまだ話はつづくということかいね。

 
 

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