ヒトラーへの285枚の葉書 | 8/3 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/ヴァンサン・ペレーズ | 脚本/アヒム・フォン・ボリエス、ヴァンサン・ペレーズ |
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ドイツ/フランス/イギリス映画。原題は“Alone in Berlin”。allcinemaのあらすじは「1940年6月、戦勝ムードに沸くベルリン。静かに暮らしていた労働者階級の夫婦オットーとアンナのもとに、ある日一通の封書が届く。それは出征したひとり息子ハンスの戦死をしらせるものだった。失意に暮れる夫婦だったが、やがてオットーはペンを取り、葉書にヒトラーを批判する言葉を書き連ねると、アンナとともにその匿名の葉書を公共の場所に置いて立ち去る行為を繰り返すようになる。市民からの通報を受け、ゲシュタポのエッシャリヒ警部が捜査に乗り出す。それでもなお、この危険な行動を続けるオットーとアンナだったが…」 実際に起きた「ハンぺル事件」を基に書かれたという小説『ベルリンに一人死す』を原作にしているらしい。あんなことをしたドイツ人がいた、のね。Webで調べても、小説の情報は出てくるけれど、もとの事件については見つからない。そっちの方が知りたいんだが。 冒頭は、ドイツ軍兵士が撃たれて死ぬ場面。次に、郵便配達のオバチャンが、郵便を兵士に手渡す。受け取った兵士は「クヴァンゲルの息子か」という。オバチャンは次にアパートに行き、アンナ・クヴァンゲルに手紙を渡す。その足で階上の婆さんの部屋に行き、金とひきかえに食糧を渡す。アンナが封書を開くと、息子の戦死の通知・・・。夫のオットーは、見なくても分かる、といった感じで無言で工場へ・・・。だったかな。 この、オバチャンが兵士に封書を渡す場面がずっと「?」だった。あの封書が、タイトルになっているハガキなのかな? と思っていたのだ。つまり、当局は差出人が分かっていて、クヴァンゲルの息子=オットーなのかな、と。時制を入れ替えているのかとも思った。ところが、夫婦が出すハガキは郵便ではなく、置きハガキ。じゃあの、兵士に渡した封書はなんなのだ? と。で、最後の方になって思ったのは、軍の本部から送られてきた戦死通知を、郵便局の上司かなんかに見せて確認した程度なのかな? あるいは逆に、あれは上司がオバチャンに軍事郵便を手渡していた場面なのかな? もう一度見れば分かるのかも知れないけど、なんか、ずっと気になってしまった。 驚いたのは、アンナがエマ・トンプソンだったこと。ドイツか周辺のヨーロッパの映画かと思っていたので、少しびっくり。でも確かめたら、ドイツ/フランス/イギリスが製作国。エマ・トンプソンもイギリス人なのか。アメリカ人というイメージがあったので、ふーん、な感じ。というのも、この映画、全編英語だから、よけいなんだよな。ドイツ国内の話なんだから、ドイツ人がドイツ語を話して欲しかった感じである。 つぎによく分からなかったのは、階上の婆さん。ある日、彼女の部屋に泥棒(髪の長い男)が入り、その泥棒を問い詰めるような男たち(ヒトラーユーゲントの少年と、あと2人ぐらい)がからんで、なんだなんだ? 婆さんは隠れて無事だったけど、その後に、同じ建物に住んでいる判事の部屋に匿われる。いや、もしかして婆さんはユダヤ人か? とは思ったけど、そういう説明や、戸に星が書かれるわけでもなく、婆さんのものを盗むのは犯罪、みたいに描かれていたので、それはまだ時代が早いから、なのかなと。もうしばらくすると、組織的にユダヤ人がポーランドに送られるのか? とか想像したんだけどね。 その事件があって、警官が2人やってくるんだけど、判事の部屋にもやってくる。判事は、婆さんが見つかるのではと気が気ではないが、亡くなった娘の部屋に匿っていた婆さんがいない。ややあって、婆さんは自室で見つかり、その後に投身自殺してしまう。 このあたりも分かりにくい。婆さんの夫はどこかに行っていて、そのうち帰ってくると信じている。だけど判事は「知ってるだろ、帰ってこないんだよ」と説得する場面がある。これは、夫が既にポーランドに送られている、ということなのか? ではなぜ婆さんは送られなかったのか? 婆さんの家の荷物も、当局に持って行かれたりしていないのか、などと考え出すと分からないことが多い感じ。で、窓から飛び降りた婆さんの遺体の腕から、髪の長い男がブレスレットを盗む・・・。 とまあ、本題が始まるまでの、この辺りまでの話に結構「?」が多く、説明も十分ではない。なので、少しいらついてしまう。そもそも人物の交通整理もできていない。 息子が戦死して、それをすぐにヒトラーのせいだ、と結びつけ、非難の手紙を書き始める。そういうのって、フツーなのかな? 現在の感覚で判断すれば、アリかも知れない。けれど、当時の、イケイケの環境で、どうなんだ? たとえばアメリカやイギリスではどうなのだろう? 第二次大戦時に戦死した息子を思って、「ルーズベルト死ね!」「チャーチル死ね!」とか行動した人はたくさんいるんだろうか? まあ、ベトナム戦争時代には「ニクソン死ね!」はあったと思うけど。 日本では、まあ、お国のために、なので、ドイツと同じような状況だったんだろう。そういう時代だったんだから、しょうがない、という気持ちが半分ぐらいある。ドイツの侵略も、日本の戦争も、当時は聖戦であって、それを悪いことと判断・行動できた人は、それほど多かったとは思えないし。現代の基準で過去を断罪してもしょうがないところはある。 だかにらって、そういう時代がよかったなんて思ってないよ。過去の基準では、世間的には非国民な行動かな、と思えないこともない、ということだ。そんなことをしたらどうなるか。まあ、夫妻は分かってやっていたようだけど、ね。 行為自体は、オットーが書いた告発ハガキを、街のあちこちに置いて回る、ということ。ただし、夫婦2人で実行する、という約束で。で、それがスリリングかというと、あんまりそうも思えない。置いていく場面は、最初にどっかの建物の階段に置く、空襲警報のなか、どこかのビルに入ってハガキを置くけれど、人に見られ、エレベーターでかろうじて逃げる。アンナも、防空壕を探しているフリをして、目撃者の追跡をジャマする。それと、学校の教室の入口に置こうとして、息子の同級生だった教師(?)に声をかけられ、ドキッ、の3つで。あとは、ハガキのアップがほとんど。危険な感じもあんまりしなくて、ゾクゾク、ドキドキしないのだ。 最後は、穴の開いたポケットからハガキが2枚、自分が働く工場のなかに落ちてしまい、工員がそれを発見して・・・。という顛末。決め手は、夫婦の住まいと、置かれたハガキの分布図によるもの。しかも、オットーは簡単に白状してしまう。まあ、覚悟ができていた、ということなんだろうけど。 2人は裁判にかけられる。オットーはは死刑。もしかしてアンナの刑は軽いのかな、と思ったら、最後の字幕で夫妻が処刑されたことが字幕ででた。いや、そういう風にも見える映像だったんだよ。監獄に面会に来た判事のことを抱いて、「もう少しいて。夫のことを思っていたいから」とかいうから、処刑された夫のことを思ってそう言ってるのかと。でも違ったけど。 驚いたのはギロチンがでてきたこと。フランスだけかと思ってたら、ドイツもそうなの? もうひとつ、警部との関係がある。人材がいればすぐ見つかる、とかいいながら、なかなか犯人が挙げられず、親衛隊の大佐からこっぴどく殴られたり。気の毒ではあるんだけど。この警部、夫妻が処刑された後、見つかった267枚のハガキを事務所の窓から投げ捨てるのだが、それを市民が拾っている間に拳銃自殺してしまう。「すべてのハガキを読んだのは僕だけだ」とかつぶやくんだけど、警部がだんだんオットーのメッセージに影響されていく感じはでていないのだよね。このあたりが弱いかも。 この映画、最初の1/4ぐらいで描かれる夫妻の周辺の人々が、なんかテキトーなんだよな。ユダヤの老婆は、良く分からない間に亡くなってしまう。髪の長い男と、ヒトラーユーゲントの少年は、いつの間にかでてこなくなる。警部の部下の警官も、でてこなくなってしまう。判事は、ユダヤ人やオットーたちに好意的だけど、判事の仕事をしているのかしていないのかよく分からないままだし。郵便配達のオバチャンは、あの髪の長い男の女房かと思ったら、え、違うの? 例のハガキを拾って読んでいるところを警察に捕まり、犯人の疑いをかけられたのは背の低い男で。あれ、彼はどこにでていたっけ? 婆さんの家に潜入したとき、いたっけ? な感じ。 その背の低い男は犯人ではないと警部は判断。釈放したら、親衛隊の大佐に突っ込まれ、「始末しろ」と。で、警部は人のいないところで射殺するんだけど、とってつけたような感じで、うーむ。 何か全体に、夫婦のやるせなさが、いまいちつたわってこない感じなんだよなあ。当時としてはたいそうなことしたんだろうけど、やってることのスケールがそれ程ではないので、緊張感が伝わってこない。個人の身勝手な憤りみたいな風にも見えなくもない。なんか、あんまり共感もできないところもあるんだよなあ。 ・オットーが書いたのは285枚。見つかったのは267枚、18枚はでてこなかったという。だからなに、な感じだが。 ・『グッバイ、レーニン!』のダニエル・ブリュールは、38歳ぐらいか。まだ若いけど、口ひげなんかして、おっさん風にしている。 | ||||
心が叫びたがってるんだ。 | 8/4 | シネ・リーブル池袋シアター2 | 監督/熊澤尚人 | 脚本/まなべゆきこ |
allcinemaのあらすじは「少女時代のあるトラウマから喋るとお腹が痛くなってしまう女子高生、成瀬順。メールや筆談でしかコミュニケーションがとれず、ずっと周囲に馴染めずにいた。一方、同じクラスの坂上拓実は本心を隠して生きる冷めた青年。そんな2人が突然、担任から今年の“地域ふれあい交流会”の実行委員に任命されてしまう。他に、優等生のチアリーダー部部長、仁藤菜月と、甲子園を期待されながらヒジの故障で挫折した元野球部エース、田崎大樹も指名され、4人はそろって反発する。そんな中、担任の思いつきで出し物がミュージカルに決まると、歌うことでなら自分の気持ちを言葉に出来るかもしれないとの思いを強くしていく順だったが…」 アニメは見ていない。なので中味も初めて。言葉を発して腹が痛くなり、地べたに倒れ込むとか、真面目なシーンでも、笑えるところが結構あって、見方によってはコメディだなこりゃ。全体に言えることは、キモイわがまま娘の話だということ。なのに周囲はすべて良い人ばかりって、都合が良すぎ。そもそも声が出ないなんてストレスの一種なんだから、さっさとなら神経科へ行けばいい。母親や学校もそれに気づいていないという設定に、ムリがある。 声が出なくなった原因は、父親がラブホからでてきたところを見て母に言ったのがきっかけで。そのせいで両親が離婚。父親に「行かないで」と言ったら、「お前のせいた」といわれたから、らしい。そんなことで言葉を封じるものか知らないが、原因としてはちゃちすぎ。まあ、浮気ぐらいで離婚する両親もダメだし、子供に責任を押しつける父親もダメ。声が出なくなった娘に理解のない母親もダメ。というわけで、映画もダメだな。 公演の直前にまた卵でも踏んで、舞台に上がれない、とか言いだすんだろうと思っていたら、きっかけは違うけど、そうなった。しかし、坂上が仁藤を「好き」だと告白するのを見て舞台に出られなくなるとは、アホか。2人が昔つきあってたのは知ってるんだろ? 自分に好意的にしてくれるから、相手も自分のことを・・・なんて、子供すぎる。自分がいなくなったら舞台はどうなるか、すら考えられないガキぶりではないか。自分中心の未熟さ・・・。しかもクラスメートは、直前に失踪した成瀬を許という寛大さぶり。みんなアホだな。 で、本番当日。会場にやって来ない成瀬。それを探しに坂上が自転車を飛ばすのだが、発見したのは父親が浮気した、いまは廃墟のラブホテル。しかし、なぜラブホに行くのだ? 意味不明。しかも、突然、成瀬はべらべらとしゃべれるようになっている。「唄えなくなったけど、しゃべれるようになった」というんだけど、それはなぜなのだ? 意味不明。 さてそのミュージカルだけど。本番当日まで、成瀬の唄うシーンがない。リハーサルをまったくしなかった、わけじゃないんだろ? だったらリハーサルの場面は見せるべきだろう。最後に唄うシーンがあって感動へ・・・とかいう目論見だったら、それは間違ってるよ。観客は、「どういうリハーサルをしたんだ?」という疑問ともやもやしか抱かないよ。 そして本番。なぜか仁藤が代役で、セリフも入っているという不思議・・・。まあいいけど。そして、途中から主役が仁藤から成瀬に変わってしまうって、ありか? しかも、それまで主役だった仁藤が脇に回ったら、観客は「?」だろう。どういう意味だ? って。 野球部元エース田崎も「自分のせいでみんなに迷惑かけることになったら、成瀬が可哀想。みんなで舞台を!」とかいう場面もあった。まあ、自分の責任で試合に負けて甲子園に行けず、みんなに迷惑をかけたという思いと重なっているんだろうけど、これもバカ。自分が甲子園に連れていくとか、自分のミス(たんに打たれただけだろ?)で部員に迷惑をかけたとか、何様だと思ってるんだ、お前。 その田崎のトラウマと怪我は何なんだ? 最後の方に試合の場面があり、予選で敗退なのかな。田崎が打たれたんだろう。それは、いい。問題はあの怪我で、どういう関係があるんだ? もしかして怪我を押して先発し、負けたとかなのか? そういう説明はなかったように思うんだが。 それと、後輩投手君の反発は、あれはなんなんだ? 今度は自分が打たれて試合に負けたらしく、でもの腹いせに、ミュージカルの舞台で使う書き割りの城を壊した? なんだそれ。なんか、尊敬する(お慕いする)先輩を実行委員にとられて嫉妬した、としか見えんのだが・・・。 母親はなぜ娘に冷たくあたるんだろう? 病院でも「なんでお腹が痛くなったりするの?」と聞いたりする。自分の離婚は、娘が夫の浮気場面を見たことにあり、とでも思ってるのか? バカだろ、それ。で、その母親は、坂上の家に来ていたけど、あれは保険の外交家なんかやってるのか? 仕事の内容に言及してたっけ? という具合で、不自然さと舌足らずの説明の連続で、退屈だった。 ・仁藤菜月役の石井杏奈。制服姿が、ちょっとふとった小西真奈美的な感じなんだが、舞台ではっきり分かった。ウエストがない。 ・荒川良々が高校教師の役ねえ。しかし、荒川良々の部屋があるのか? 学校に。高校教師に個室? よく分からんな。 | ||||
海辺の生と死 | 8/7 | テアトル新宿 | 監督/ 越川道夫 | 脚本/越川道夫 |
allcinemaのあらすじは「昭和19年12月、カゲロウ島。世界中で戦争が起こり、のどかなこの島にも多くの軍人さんがやってくる。そんな中、国民学校の教師・大平トエは、新しく駐屯してきた海軍特攻艇隊隊長の朔中尉と出会う。軍歌よりも島唄を歌えるようになりたいと語るなど軍人らしくない朔のたたずまいにいつしか心惹かれていくトエだったが…」 クレジットを見て、原作が島尾ミホであることを知る。近頃、『狂うひと「死の棘」の妻・島尾ミホ』(梯久美子)が話題になっていたあれか。Wikipediaで島尾ミホを見たら、島尾敏雄との出会い・結婚が、『海辺の生と死』島尾ミホの内容そのものであることが分かった。なるほど。ではあるが、島尾敏雄も島尾ミホも読んだことがなく、これからも読まないだろうから、どうでもいい。この、つくられた映画を判断すればいいのだから。 つまらない。主な原因は技術的な問題で、映画表現のイロハができていないことにある。人や環境、状況などの情報が十分に開示されていなくて、不明瞭な部分が多すぎる。もしかしたら何らかの思いがあってしているのかも知れないが、そういうのを独りよがりという。よく、「分かりやすい必要はない」「すべてを説明する必要はない」などという人いるが、完成されたものから要素を引き、想像の世界に任せるのならばいざ知らず、そういう計算がされた形跡は、この映画にはない。断片的な映像をぶつ切りにつなぎ合わせたようなもので、それでは想像すら満足にできない。そういう奥深さ、深遠さは皆無。たんに下手なだけである。 それと、島尾ミホの原作ありきでつくっていて、それは観客も共有している、という勝手な思い込みでつくられている感じがする。いくら監督が思い込んでいても、必要な情報が埋め込まれていないと、話は伝わらないんだよ。それが分かっていない感じ。 考証なんかもテキトー。 ・最初の、朔からトエへの手紙。最後の行に「朔 トエどの」となっているのは変だろ。「トエどの」が先の行に来て上にあり、「朔より」は次の行で下の方にあるのが一般的だろう。 ・それと、2度目の手紙(だったかな)を大坪兵曹がトエに手紙を渡すとき、トエは縁側に立ったままなのだ。フツー、兵隊より頭を低くするために、しゃがむだろ。そういうのが礼儀ではないのか。 ・トエはブラジャーしてるみたいに見える場面があるんだけど、当時の島の女性がするか? シュミーズか? ・トエは、いろんなブラウスをもっているのだな。いくら小学校の教師でも、あんな格好をするものか? ・大坪は兵曹。兵曹には上等兵曹(曹長)、一等兵曹(軍曹)、二等兵曹(伍長)とあったようだけど、どれなのだ。とはいえ、伍長〜曹長の位なのか。兵隊ではなく下士官なんだな。そうは見えないが。 ・その大坪の敬礼だけど、トエに対しては陸軍式に。のちに朔に対しては海軍式にしているように見えたんだが。 ・朔が病気だったことを、トエが「風の便りに聞きました」と朔に言う場面があるんだが。相手に言うセリフとして「風の便り」は変だろ。 そして、最後。朔中尉が突撃することになって・・・以降の経緯が、なんだかよく分からない。 ・朔がいよいよ出陣と知って、トエは水垢離し、黒紋付きで浜に向かうんだが。水垢離のシーンで満島ひかりの貧乳を拝ませてくれる。うーむ。真っ平ら・・・。さらに、これまで同様、海水に浸かりながら浜に行くのは、なんでなの? 二人の密会はもうみんな知ってるんだから、堂々と行けばいいのに。 ・飛行服みたいな格好の朔が、ひとりで浜に来る。抱き合う二人・・・。おい。そんなことしてる場合か。というか、軍の規律はもうないのか。そこで朔が「忙しいからちょっとの間も隊を離れられない」というんだが、一人で抜けだして来てるじゃないか。そんなことしたら部下にもバレるだろ。アホか。 ・この浜と、特攻艇のある場所、トエの家、海軍の基地などの位置関係がまったく分からないので、みていてイラつく。 ・別れた後、トエは「島の岩の先端まで行って中尉様を見送り、そこで喉を突いて自害する覚悟で黒紋付きを着て浜に行った」とかいうんだけど、結局、そんなことはせず、翌朝、家に帰ってくることになる。なんだこの拍子抜け感。 ・前夜、つまり朔の突撃の夜、村の住民に対して、警防団(?)から「大人はにぎりめし1つもって。その他は何も持たず山へ!」だったかな、な呼びかけがあった。父親などは防空壕に入っていて、父親が手榴弾のピンを折ったように見えたので、日本軍から村民は「自害せよ」の命令が下ったのかな? と思ったのだが・・・。翌朝、トエが村に戻ると子供の声がして、ニコニコと寄ってくる。あれ? もしかして子供たちは亡霊か? みんな死んでしまったのか? と思って見ていたんだけど、そうでもないようだ。父親も生きているし、そのうち朔の姿も見えて、玉音放送が聞こえてくる。何がどうなっているのか、さっぱり分からず。 ・そもそも、あの夜(具体的にいつなのだ? 8月14日?)の朔の突撃はどうなったんだ? 朔は海に向かっていったのか? 結局、中止になったのか? いや、そもそも突撃命令があったということか? 大本営から? 何艇突撃することになっていたのだ? とか、すっぽり抜けてしまっている。なんで説明しないのだ? 不可解だし不愉快。 その後、大坪兵曹は、田舎に帰れそうです、とトエのところに挨拶に来る。なんだこのほのぼの感。大坪が持ってきた朔の手紙には「元気デス」とだけあって、おいおい、ぜんぜん亡霊でもなんでもないじゃん。つまりは、何事もなかったということか? このあたりの経緯は、むしろ放り投げてる感じ。これはもう、人に見せるレベルじゃない。素人レベル。 いろいろ見ると、これは島にやってきた海軍中尉と、島の娘トエの恋物語だという。しかし、二人はいつどのように引かれ合うようになったのか。それがほとんど描かれていないので、すべてが不自然。やはりそれはちゃんと描くべきだ。 ・朔から「夜、浜に来てくれ」という誘いの手紙を部下の大坪兵曹がもってくる場面がある。そんなものを部下に持たせるなんて、アホかと思う。そんなん見られたらどうするんだ。封もしてなかったぞ。島尾ミホの私小説が原作だから、実際にそうだったのかも知れないけど、あまり説得力がない。まあ、そういうのに説得力を与えるのが監督の勤めのはずだけど、それができていない、ということだな。 ・トエは夜、会いに行くんだけど、父親には何といってでてきたんだか。それにしても、岩を登り海の中を通ってって、なんなんだ? と思ったら、「人目に付かないように」らしいけど、バカかと思う。で、約束の場所の小屋に、朔はいない。それで、来た、という印に白い布を巻いておくんだが。なんだかな、な感じ。別の日、朔とトエは、その小屋で会うことができるんだが、あそこで一発やった、と見ていいんだろう。そのために朔が誘い、トエが出かけたんだろ。でも、最初のときに、朔が来られなかった言い訳は、ない。なぜ来られなかったのかぐらい説明すべきだな。「軍の仕事の都合で」とか。知らんけど。 とにかくまあ、手紙ひとつ貰って、必死に海の道をたどって行くなんて、島の娘はオソロシイ。こんなのに取り憑かれたら、自由も何もあったもんじゃないだろう。のちに島尾ミホが精神に異常をきたして、どうたらという話もあるようだけど、異常になる前から、やはりおかしな人だったのではないのかね。 その他にも変なところ。 ・雨で船が水浸し、格納庫から引き出して水をかき出している(?)シーンがあったけど、あれは、特攻艇なんだよな? で、特攻艇は1艇しか用意されていなかったのか? 隊員は他にもたくさんいたようだけど。いや、最初に特攻隊といってたので、飛行場があってそこから特攻機が出撃するものとばかり思っていたんでね。船を見て、ありゃりゃ・・・と思ったんだよ。 ・このときだったっけ? 部下に「島の娘とちちくりあって・・・」と言われていたのは。やっぱり、みんなにバレていたのね。あの部下は、下士官? それにしても上官に甘い部下だね。で、あの島からは、突撃死は皆無と言うことなのかな? ・朔とトエが、トエの家でしょっちゅうちちくりあっている場面がでてくるんだが。父親はその間、どこにいるのだ? あまりに堂々とちちくりあっているので、とても違和感。もう、人目を憚る必要もなくなった、ということか? そうでもないだろうに。だいたい、狭い島で、娘がいる家にしょっちゅう隊長さんがやってくるんて、何かあると噂になってもおかしくはない。 ・まあ、父親も「会わせなければよかった」とオジイに言っていたりするから知っていたんだろうけど、それで怒りはしないのか? ・空襲警報が鳴っても、みなさんのんびりしている。 ・トエは、よく家にいるんだが、もう夏休みだからか? そうでもないのか? ・現地の子供たちに自然な感じで動いたりしゃべられたりしているようだけど、最初の方の教室の場面とか、トエと生徒との様々な場でのふれ合いとか、すべてが不自然極まりない。会話も、間延びした感じで、なんか意思の疎通がずれていたりする感じ。予想外の面白さ、とはとても思えない。 ・現地の、生き霊が見えるというオジイだけど、フクロウがどうのとも言っていたな。あのオジイの存在も、描き方が中途半端。もったいない。 ・トエの父親は、何屋なのだ? 資産家の息子で京都で学び、島に戻り、何をしていたんだ? 得体が知れん感じ。でも、存在感はありそうで、だんだん希薄になっていく。なんだありゃ。 ・朔中尉の部下で、手紙を持ってくるのは大坪兵曹。トエの姓は、大平。似てるんだが、意味はあるのか? などなど、変なところ。ツッコミどころがすべてな感じ。 ・アメリカ軍の沖縄上陸の新聞が出てくるが、調べたら1945年4月1日らしい。そういうのも、ちゃんと伝えるべきだ。島に来たのがいつで、とか。 ・もちろん、朔がトエのところへもってくるユリの花とか、広島に新型原爆とか、玉音放送とかの記号は、多少あるけど・・・。時の移り変わりはあまり表現されていない。 ・舞台は奄美大島らしい。現地の素人がたくさん使われているようだけど、役者も混じっているようで、現地語を使っている。満島ひかりも現地語を使っているけど、確か出身が奄美じゃなかったっけ。あ、調べたら沖縄だった。 ・音楽がほとんどない。朔とトエの最初キスシーンのピアノ音と、トエの水垢離のところ、だけか? 他にもあったかな? | ||||
君の膵臓をたべたい | 8/9 | 109シネマズ木場シアター6 | 監督/月川翔 | 脚本/吉田智子 |
allcinemaのあらすじは「母校で教師をしている【僕】は、ふと高校時代のクラスメイト・山内桜良と一緒に過ごした数ヵ月間の思い出を甦らせる??。高校で図書委員をしていた地味な【僕】は、病院で『共病文庫』と名付けられた闘病日記を偶然拾ったことで、それを書いている人気者のクラスメイト・桜良の秘密を知ってしまう。彼女は見た目には分からないが、重い膵臓の病気を患い、余命がわずかだったのだ。それは、親友の恭子さえ知らない秘密だった。家族以外は誰も知らない秘密を共有した桜良と【僕】は急速に距離を縮め、次第にクラスでも噂の的になっていくが…」 ケータイ小説みたいなノリかと思ったらそうでもなく、シナリオも展開も、話も割りとちゃんとしてる。小栗旬と北川景子がでてる時点で、観客対象が少し上かな、とは思ったんだけど。とはいえ、基本的にあり得ないだろうという設定や展開は少なくなくて。でも、そういう不自然さを解消しようというフォローが後半でなされていたりするところに、好感。 相手の死、図書館、本に隠されたメッセージとか『Love Letter』の影響もあるんだろうし、日記や余命とか、他の影響も見えるけど、そういう手垢の付いた素材を上手く料理していて、あまり気にならないというのも興味深い感じ。 クラスの人気者の女の子が、クラス1の陰気で無口な男子と仲良くなり・・・という展開はありがちな設定だけど、まあ、ムリがあるよな。たいていの青春モノではそういうのは無視して話が進むけど、この映画も最初は同様。でも、最後にヒロイン桜良の日記に、彼女が僕に惹かれた理由が書かれていて、説得力はないけれど、そういうのもアリかな、ととりあえず納得させられる。こういうフォローが、この映画にはちゃんとある。その意味で、脚本はいろいろと考えられていて、誠実だ。 最初の出会い。これが病院なんだけど、僕の前にカバーの付いた文庫本サイズの本が放り投げられる。その冒頭を読んだところで、桜良が「読まれちゃった」とかニコニコしながら登場する。どっからでてきたんだよ、この本。不自然だな。と思っていたんだけど、後半、そのシーンが別アングルで描かれる。わりと離れたところから近づいてくる。ってことは、2階から落としたのか? という推測ができる。ここ、最初のシーンで、僕がちょっと上を仰ぎ見ればよかったんだよな、たぶん。 それと。偶然に落ちた、ではなく。桜良は、下にいる僕に見てもらいたくて、きっかけをつくるために落とした。とも思える。それだけではなく、僕とのきっかけをつくるために「共病日記」を書くことを思いつき、それをエサに僕を釣り上げた、とも見える。桜良はなかなかやり手だな、とも思う。けれど、彼女は彼女なりに、残り少ない人生に、誠実な彼氏という存在を加えたくてしたこと、とも見える。うーむ。 まあ、映画だから。地味で陰気な僕は、そこそこハンサムな北村匠海が演じていて。こんな僕がクラスメートから無視されることはないだろ、と思うんだけど、それは小説であり映画だからしょうがない。桜良も同じで、あんな女の子が地味な僕に惹かれるはずがないだろ! と思うけど、ここらは“あったらいいな”で解消なのかな。ま、いいか。 きっと桜良は、僕を見る目があったんだろう。されまでつき合っていて、自分勝手で強引な委員長みたいな人格じゃなくて。桜良が余命幾ばくもないことを打ち明けても動揺せず、しっかりと受け止めてくれるだろう男子生徒。一緒にお泊まりしても、安全な男の子。でも、ちゃんと自分を見守ってくれる彼を、病気になったからこそクラスの中から発見し、最後のパートナーに選んだんだろうと思う。それは天啓なんだろう。 正直いって、最初の頃は桜良の態度や性格が、わざとらしい笑顔が嘘くさく見えた。謎な感じというか、小悪魔的というか、トリックスター的なとらえどころのない存在。なぜ彼女は、僕にあそこまで積極気になるのか? それはたぶん、時間がなかったから、なんだろう。そういう強引さも受け止めてくれる、と踏んだのかな? 実は、彼女に似たような笑顔と態度の女性がいて。でも、調子のいいことを言っても、それはその場限りで、こっちのことなんてちっとも考えてない人だ。彼女のことが頭に浮かんで、どーも素直に受け入れなかったんだけど、そういう桜良ははじめのうちだけで、中盤からは少し落ち着き、後半、日記で知る桜良の心の内は、抱きしめてあげたいくらいに弱々しい。そういう表と裏の見せ方も、なかなか上手い。 そうやって、死ぬまでにしたいいくつかのこと(という映画もあったな)を、言う通りにしたがってくれて、安心できるパートナーである僕をひきつれて、ひとつひとつつぶしていく。それでも病気は進行し、検査入院でいよいよ死期が近いことをしって。久しぶりに許された短期の退院帰還に僕と会い、最後の旅行に・・・と思っていたら、突然の通り魔事件の犠牲となって・・・という顛末に思わず拍子抜けした。おい。それはないだろ、な気分。『テラビシアにかける橋』とか『マイ・ガール』とかの、相手の突然の死を思い出して、ちょっと恨み節。いずれ病死するのだから、そんな死に方をさせなくてもいいじゃないか、というちょっとした怒り、だな。普通に病死させたら、凡百の余命幾ばく映画と変わりがなくなってしまうのは分かるけど・・・。うーむ。 で、僕が日常に回復するには1ヶ月かかり、母親に送られて桜良の家に行くんだが、ここで僕の母親を背中だけでも出しているのがいい。ちゃんと家族のある、地に足の付いたキャラであることが分かるし。で、桜良の家で、母親から「共病日記」を渡され、読みながら分かってくる桜良の本音。本当は死ぬのが怖くて怖くてたまらず、泣いていたりしたことなどが綴られている。ここはもう、涙もののシーンだな。泣かなかったけど。 で、後日談。というか、それまでもずっと小出しされてはいたけど、桜良の親友・恭子の結婚式に、僕は招待されていた。けれど、出席しようかどうか悩んでた。もうひとつ、僕は、学校を辞めようと思っていた。というのがあって、現在、恭子が働く花屋が、僕の勤める学校の通学路にあるという設定で。僕を見かけるたびに途中まで追ってきて、でも声をかけられない、という設定なんだけど。そういう関係でいて、でも恭子は僕に結婚式の招待状を送ってきている、というのがとても不自然。しかも、恭子の結婚相手は、高校時代に僕が唯一心を許した友人=ガム君であるというオチも付いているんだけど。なのに最近は音信不通というか、とくに、僕はガム君の顔も忘れているような感じなのが、とても変だよな。 でこのガム君の存在がとてもよくて。高校時代に、誰からも相手にされない僕に、彼の方から近づいてくるというご都合主義なんだけど、はたしてガム君も他人から相手にされなかったのかな、などと考えてしまう。 あと、もうひとつの面では、僕が、現在の図書委員の男の子・栗山に思い出話をする、というフェーズがあって。この語りで過去が映像化されていくんだけど、桜良とのあれこれを生徒に話して聞かせる、なんていうのはないだろうな、と思いつつ見ていた。しかしまあ、過去を語らせるにはその方が映像化しやすいのかも知れないけど。 その過程で、僕は、桜良が亡くなったあと、整理しなかった棚があるのを思いだし、本を調べていくと、スマイルマークの描かれた貸出カードを発見し。さらに閉架の棚に行って『星の王子さま』を探しだし、そこに桜良の遺書が挟まれているのを発見するんだが、「僕が教師になって6年」といっていたから現在は28歳ぐらい。桜良が死んで10年とちょっと。その間、『星の王子さま』に隠された遺書がそのまま残っているというのは不自然だけど、そんなに違和感を感じさせないとはいえ、これは『Love Letter』の丸パクリだよな。 で、遺書は僕と恭子宛の2通で、結婚式当日に発見したので、押っ取り刀で式場に届ける、という案配。ここで僕は恭子とガム君と久しぶりに再会なんだけど。僕への手紙には、「恭子と友だちになって」というメッセージがあるぐらいで、とくべつな何かではない。なので、ちょっと拍子抜け。そして、ここで、恭子の相手がガム君であることにちょっと驚いているような表情があるので、それはないだろう、と思ったのだった。 ・『共病日記』に、桜良からの「とうとう最後まで「君」で、名前を呼んでくれなかったね」という恨みが、軽やかに綴られているんだが、そうだったっけ。それにしても、僕は桜良に恋心を抱かなかったのか? 最後まで不明。セックスの相手も、したかもしれない的に表現してくれてもよかったんではないのかなあ。などと。 ・盗まれた僕の上履きは、恭子の仕業? 他に、僕に敵意を持ってそうなやつはクラスにいないし。という意味で、この手の学園ものに必ず登場する典型的なワルが登場しないのもいい感じ。 ・桜良は自分でも『星の王子さま』をもっているのに、わざわざ『星の王子さま』を別に買って(?)僕に貸したのは、そのストーリーや設定と関係があるんだろう。けど、それまで僕が『星の王子さま』を読んでないというのも、不思議な感じ。 | ||||
愚行録 | 8/14 | ギンレイホール | 監督/石川慶 | 脚本/向井康介 |
allcinemaのあらすじは「ある日、閑静な住宅街で凄惨な一家殺害事件が発生する。被害者はエリートサラリーマンの田向浩樹とその妻と一人娘という3人家族。近所でも評判の仲睦まじい理想の家族だった。事件は世間を賑わせるが、未解決のまま1年が過ぎ、風化しようとしていた。週刊誌記者の田中武志は、そんな事件に改めてスポットを当て、真相を探るべく取材を開始する。田中が浩樹の会社の同僚や夫婦の大学時代の知人に聞き取りを進めていくと、夫婦の意外な実像が浮かび上がってくる。そんな中、育児放棄の疑いで逮捕・勾留されている妹・光子のことが心に重くのしかかっていく田中だったが…」 各キャラの現在、大学時代の交流などが、淡々と描かれる。各人は1年前に発生した一家惨殺事件の被害者である夫婦の友人・元の恋人たちで、取材しているのは、記者の田中武志。とはいえ、上司には「そんな事件、みんな忘れてる」と他の取材を要求されるが、妹が育児虐待で起訴されるかどうかの瀬戸際にあることを勘案して「まあ、やってみろ」と言われている。そんな具合なので、いつまでたってもドラマが始まらない。まったく関係ない人を別々に描きながら、あるときある接点があぶり出され、それまで描かれたもろもろの糸が見事に絡み合う的なミステリアスな感じでもないので、退屈でつまらない。 淡々とした描写で分かってくるのは、殺害された夫婦の、学生時代の交流関係で、田向浩樹は早稲田風カラーの大学出身。妻の夏原は、内部生が幅を利かす慶應風カラーの大学。とくに後者が否定的に描写されていて、大学から入った連中が、内部生のグループに入るのがいかに難しいか、なことが描かれている。で、しだいに分かってくるのは、そこから弾かれた学生の恨みみたいなもので、正直いってバカか、と思うような内容だった。そんなんに憧れる百姓がどれだけいるのか知らんけど、世の中はそういう世界だけじゃないわけで、金持ちのボンボンとつきあうことで自分も上流階級になったと思ったりして、どこが楽しいの? 夏原友季恵は大学からの学生だけど、美人だからと内部生にちやほやされている。の割りに、同じ外部生の女子・宮村淳子の彼氏を寝取ってしまうんだが、その彼氏・尾形にどういう魅力があったんだ? 尾形だって外部生だろ? その尾形も、内部生誘われると、恋人だった宮村淳子を捨て、夏原友季恵に乗り換える。こういうところが、まったく理解できない。 田向浩樹は同級生の女子の父親が大企業の重役と関係があるからと近寄って関係し、用が済むと捨てる、ような男。だから恨みを買った、という描き方なんだが、そんなんで一家を殺していたら世の中生きていけんだろ。しかも、女の手で3人も殺すか? という前に、田向が近寄ってきて、目的が分かっていながら関係をもつ女の考えが分からない。 で、拘留されている妹・田中光子の精神鑑定の様子と、その子供が危険な状態であることが知らされる。ついでに、田中家の家族状態も紹介されるんだが、これがよくあるパターン。父親が幼い娘に手を出し、それを知った母親は「あんたが誘った」と娘を非難し、両親は離婚。兄・武志に大切にされて兄妹は生きてきた・・・と。それはまあいい。なんだよ、と思ったのは、中盤過ぎに、突然、光子も慶應風カラーの大学に行っていたということを知らされたこと。兄妹の生活で、大学に行けたのか? 誰が学費を稼いだんだ? それと、光子は「この大学なら、貧乏から抜け出せる」と思って選んだ、みたいなことを言ってたけど、アホか、な感じ。 とまあ、これでやっと役者が揃った感じで、実は・・・な事実関係が描かれ出すんだけど、遅すぎ。 で、要するに、光子は、あるとき夏原友季恵と知り合い、夏原が内部生グループに入ると「おいでよ」と彼女も勧誘され、仲間になったつもりではしゃいでいたんだけど、あるとき、夏原の仲介で内部生数人がいる部屋に行かされ、へらへら顔で中には入るんだが、集団で犯された、というような話らしい。それを根に持っていた光子は、数年後、スーパーで夏原と娘と遭遇。でも、正面からすれ違ったのに自分に気づくこともない夏原に恨みを抱き、一家に侵入。田向浩樹、夏原友季恵の夫婦と娘を殺害した、という話らしい。で、そういうことができたのは光子が精神的に異常なところがあり、それは生い立ち、とくに、父親との関係によるものだ、という話にしている。 なんか、幼児虐待は、本人が過去にそうされたから自分もする的な説明はよくされるけれど、その典型例をもってきて、さらに大学時代の事件と、それを仲介した夏原友季恵への恨みで一家皆殺しにした、と言っているんだけど、なんかな。強引すぎるし、それぞれのキャラや設定もパターン化というか記号化されている感じ。 夏原友季恵に彼氏を寝取られた宮村淳子は現在、レストランのオーナーなのかな? なんだけど。田中武志の取材に、あれこれべらべらよくしゃべる。2度目は彼女から「いいたいことがある」と呼びつけ、光子の存在を武志に話し始めるんだけど、ちょっと席を外した隙に武志が背後から近づき、植木鉢で頭部を滅多打ちにして殺害してしまう。なるほど、ではあるけれど、そこまでする必要があるかね。宮村淳子に、殺されるほどの落ち度はないだろ。ところであのシーン、武志の妻夫木聡は、軽い植木鉢を上下するような感じで、ぜんぜんリアリティがねえんでやんの。 だからまあ、狂気なのかも知れないけど。 で、もうひとつオチがあって。可哀想な兄妹は肩寄せ合って生きているうちに肉体関係も生じ、つまりは、光子が虐待した子供は兄・武志との間にできた子供である、ようだ。なんか、こういう事件の典型例をあれこれ集め、兄妹にすべて負わせているような感じ。生まれ育ちが悪く、両親との間に異常な関係があった子供たちは長じても異常で、簡単に人を殺しさえする、といっているようで、なんか不愉快な設定だ。 そもそも殺人の動機も、そこまでするか、なもので。それをさせるのは血筋と狂気みたいにいうのは、なんだかな。 ・慶應の学生、とくに内部生はこんな感じ、というパターン認識的な底の浅い解釈=記号化がいやな感じ。太陽族の頃のイメージから離れられないのかね。その他の人物も、たいていが記号として登場している感じ。 ・田向浩樹と夏原友季恵はどうやって知り合い、結婚したんだ? そもそも上昇志向の強い田向が、なぜ外部生の夏原を選んだのか? 社内でも、女漁りはしてたようだけど、選ぶなら社内の重役の娘、とかじゃないのか? ・外部生グループに誘われないブス女がいたけど、ああいう道を選べばよかったのにねえ。 ・田中武志に取材される連中は、簡単に過去のあれこれをべらべらしゃべる。口が軽すぎだろ。ロクなもんじゃない。 ・田中武志は、光子の子供が自分の子供であることは知っていたんだろう。では、大学時代にあった出来事は、知っていたんだろうか? これがあって、兄妹の絆=肉体が近づいた、のか? あるいは、光子が田向たち一家を惨殺したことを、知っていたのか? 知っていたんだろうな、きっと。だから宮村淳子も簡単にやっちゃったんだろうな。 ・と思うと、武志はなんのために再取材をするのか、よく分からなくなってくる武志も知らなかった背景があり、それを暴いていった、という感じなのか? よく分からない。 ・田向が、就職のために最初に接近する女学生・稲村恵美は市川由衣が演じているんだけど、こないだ『アリーキャット』でエロいデリヘル嬢やってたので、なんかイメージが・・・。で、彼女は週刊誌の記事を読んで武志に連絡してきて「犯人を知っている」というんだけど、それは田向が稲村の次に接近した女学生で、彼女も就職のために利用され、それを知って田向から逃げていくんだけど、そんな彼女が人殺しをするはずもなかろうに。思わせぶりすぎ。ところで、稲村が連れていた子供なんだが。武志に「似てるでしょ」とかいうんだけど、あれは誰に似ている、と言っていたんだろう? 結婚するまで田向とつき合っていて、子供ができたから別の男と結婚した、とか、なのか? ・人物が、現在と学生時代で髪型が違ったりして、区別するのに時間がかかった。とくに臼田あさ美の宮村淳子は、学生時代と現在とで髪型がまったく違うので、しばらく「?」だった。他にも、セリフのなかで名前で登場することも多く、誰だっけ? なところも少なからず。 ・役者のみなさん、みな30オーバーなのに、学生の演技はかなりムリがありすぎ。 | ||||
しゃぼん玉 | 8/14 | ギンレイホール | 監督/東伸児 | 脚本/東伸児 |
allcinemaのあらすじは「親の愛情を知らずに育った伊豆見翔人。女性や老人を狙って通り魔や強盗傷害を繰り返し、当てのない逃亡生活を続けていた。ある日、宮崎県の山深い椎葉村で道端に倒れていた老婆スマを偶然助けたことがきっかけで、彼女の家に居着いてしまう。そして、彼をスマの孫だと勘違いした村の人々や、出戻りの美女・美知との思いがけない交流が始まる伊豆見だったが…」 『愚行録』とつづけて見たんだけど、これまた生まれ育ちが悪いと犯罪を犯すが、田舎には心の優しい人がいて改心するという、いつの時代の話なんだ、というような映画だった。こういう話は50年ぐらい前に「良心的映画」としてよくつくられていたな、な感じ。登場するキャラも『愚行録』以上に記号的で、みていて感動もなにも感じないし、つまらない。 そもそも、「親の愛情を知らずに育つ」(両親が離婚といっていたな)と「通り魔や強盗傷害を繰り返す」というパターン認識的なお話は、悪い刷り込みでしかない。そういう人もいるだろうけど、そうじゃない人の方が圧倒的に多いはずだから。なのに、物語は、そういう背景を安易にもってきたがる。悪い習慣だと思う。 都会は人を悪人にし、田舎は人を善人にする、というような話も同じ。集団就職の時代の話じゃないんだぞ。いまどきそんな都市伝説みたいな話で納得するやつはおらんだろ。だいたい、スマ婆さんの息子は、都会にでたから悪くなったわけじゃない。そういう血筋と考えた方が合理性がある。 しかし、このあいだ250万円もっていって、すぐに「金があるだろ」とやってきて母親を傷付ける50過ぎのオヤジってなんだよ。ヤクザか? ギャンブルか? 都会にでたから、ではなく、ダメな奴だから都会へでたんだろ。ところで、250万持って行かれても、スマ婆さんは冷蔵庫に30万ぐらい隠し持っているんだが、あれは年金か? 綿引勝彦演じるジジイだけど、いまでもああいう山のものを採って売ったりしている人は存在するのか? その辺りには興味がある。あと、気になるのは山で採ってたものはなんなんだ、ということ。祭りで売れば金になる、につられて伊豆見は仕事を手伝うようになるんだが、祭りまで10日ぐらいあるんだろ? それでもしおれないようなものか? はたまた、祭りの会場で伊豆見はいくらか売ったのか? 最後は放り投げ? そういうところが気になってしょうがない。 祭りの準備で知り合う女性・美和がいて、大阪で通り魔にあって・・・とか言ってなかったかな。↑のあらすじでは出戻り美女となっているけど。いや、セリフがよく聞こえなかったのよ。しかし、まあ、悪い男にちょっと傷のある美人という設定は、いかにもフィクションだよなあ。ご都合主義というか、ありえねえだろ、そんなのフツー。 というわけで、最初はスマ婆さんちてで金目になりそうなものを盗み、逃げようと思っていたのが、だんだん腰を落ち着けるようになり、婆さんの息子が帰ってきたところあたりで、スマ婆さん側になびき、さらに、美和が通り魔の被害者であると知って激しい自己嫌悪感に襲われ、自首を決意した、というところか。そんな10日ぐらいで人間は変わらないと思うけど、まあ、映画ですから。はは。 3年後、伊豆見は出所。「殺したかも知れない」といっていたけど、障害レベルだったというわけで、その足で椎葉村にやってくると、折しも祭りの準備中。ジジイの姿もあった。その足で、スマ婆さんの家に行くと、電気が点いている。生きているんだな。まあ、暖かく歓迎されるんだろうけど。はたして伊豆見はこの村で何をして暮らそうというのか? スマ婆さんの畑の手伝いだけじゃ金にはならんだろうし、ジジイの手伝いだっていつまでできるかわからない。どっかに就職する? また息子が戻ってきたらケンカになるだろうし、スマ婆さんが亡くなったら速攻で追い出されるだろう。 美和が待っているかどうかは分からない。もう再婚したかも知れない。そうしていなくても、伊豆見が通り魔で傷害事件を起こした前科もちと知って、まだつき合ってくれるかどうかは分からない。なんか、『幸福の黄色いハンカチ』風なエンディングだけど、実際のこれからは、かなり大変そうだ。 映画では、老人しかいない山村みたいになっているけど、平家祭りの場面ではけっこう働き手も見えていて、この部分はほぼドキュメンタリーだからだろうけど、若い人もそこそこいる環境なのかな? 現実のところにも、ちょっと興味はある。そして、村の人たちがどうやって生計を立てているのかも。 | ||||
夜明けの祈り | 8/21 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/アンヌ・フォンテーヌ | 脚本/サブリナ・B・カリーヌ、アリス・ヴィヤル、アンヌ・フォンテーヌ、パスカル・ボニゼール |
フランス/ポーランド映画。原題は“Les innocentes”。「無実」とかいう意味らしい。allcinemaのあらすじは「1945年12月のポーランド。赤十字の活動に従事するフランス人医師マチルドは、一人の修道女から助けを請われ、遠く離れた修道院を訪ねる。そこで彼女が目にしたのは、戦争末期にソ連兵に暴行されて身ごもり、臨月を迎えた7人の修道女の姿だった。命の危険を伴う深刻な事態にもかかわらず、修道院の閉鎖を恐れる修道院長は、事実が外部に漏れるようなことは頑なに拒絶する。そこでマチルドは、彼女たちを自分一人で守る決意をする。そのため、本来の医療活動をこなしながら、その合間を縫って秘かに修道院に通う過酷な日々を送るようになるマチルドだったが…」 素材は興味深いけど、料理の仕方がいまひとつな感じかな。全体に平板で、ドラマが少ない。もっと修道院内の葛藤に切り込んで、ハードに追求・描くのもいいと思うんだけど、この監督は修道女たちを描くことにはあまり興味がなさそう。院長とマリアぐらいしか区別がつかないし。もっと人間を掘り下げたらよかったのに。 たとえば、ひとりで自然分娩してしまった修道女・・・。後ろ姿だからよく分からない。次に、「授乳を拒否されてしまった」と、修道女がある女性のところに赤ん坊を連れてくる。では、拒否したのは生んだ女性? 赤ん坊を手渡されたのは、マチルダが最初に診た、たまたま保護したどこかの妊娠している女性なのか? よく分からない。で、その後、修道女のひとりがゾフィアとして登場し、彼女は赤ん坊を手放したくない感じ。なんだけど、院長はその赤ん坊を雪の降る外部の十字架の元に置き去りにしてしまう。それを知ったゾフィアは投身自殺してしまう。マリアはゾフィアの実家を訪れ、「赤ん坊が預けられているはず」とかいうと、母親らしい女性は「?」になるんだけど、このくだりの経緯がよく分からない。 また、マチルダが最初に診た女性、彼女もじつは修道女、なのか? 彼女が生んだ赤ん坊は、子だくさんで育てるのに慣れているオバサンに預けた、とかいっていたけど、そのオバサンって誰よ? と思っていたら、実は、この赤ん坊も吹きさらしのところに置いてきぼりにしたわけか。では、その赤ん坊の死骸は、十字架の下になかったけど、どうしたんだろ? とか、いろいろ疑問が湧いてくる。 マチルダと医師サミュエルとの関係なんて、あんまり本筋には関係ないよな。一緒に飲みにいって、サミュエルが誘うと「年が違いすぎる」と拒否した揚げ句、結局、自宅に連れ込んでまぐわってしまう。なんだかな。まあ、サミュエルは最後の方で、赤十字の上司には内緒で修道院に行き、分娩を手伝うという流れもあるけど、2人の関係や各々の出自についてくだくだ話す必要性は、ないと思うんだが。 そうだ。そういえば、マチルドは医師なのか看護師なのか、も曖昧。冒頭で、サミュエルが「後を頼む」とマチルダに託し、彼女が縫合する場面はあるけれど、だからこそ看護師ではないの的な疑問がずっとつきまとうんだよな。 他に、赤十字の長がいるんだけど、お飾り的に登場するだけど、ほとんど機能していない。どうせ描くなら、フランスの赤十字がポーランドで何をしているのか? 1945年、どうやらドイツ降伏後らしいけど、なぜフランス人しか治療しない赤十字がこの地で活動しているのか? その辺りの説明がないので、ずうっと隔靴掻痒。やっぱり、ここをちゃんと描かないと、時代情勢も分からないし、なるほど感もでないよな。 まあ、想像するにソ連軍と連合軍の前線がポーランドあたりで、互いに戦後処理のための領土確保で、競り合っていた、ということもあるのかな。よく分からない。 かたくなに情報公開を拒否する修道院。まあ、分からなくはない。けれど、どんどん膨らむ修道女の腹はどうしようと思っていたんだろう。まあ、自然分娩でも概ね大丈夫とは思うんだけど、と思うと、わざわざ医師を呼びに行く必要はあったのかな、とも思う。まあ、医師の手が必要なほどの状態になっていた妊婦がいた、ということなのかな、冒頭の場面は。 身ごもったのは、7人。で、生まれた(出産シーンがあった)のはたしか5人だったと思うんだけど。あとの2人はどうしたのかな、という疑問が残る。それと、「院長も・・・」というセリフがあったので、院長も妊娠? と思ったらレイプされて梅毒を伝染された、ということか。あと、マリアも妊娠している、ような会話があったような気がするんだが、気のせいか。 他に、子供を授かって、でも子供は修道院に残し、自分は修道院をでていく娘もいた。 子供を神の御許に、といいつつ見殺しにした院長には、若い修道女たちは嫌悪感を示していたけれど、院長の座はそのままなのだね。 で、生まれてくる赤ちゃんたちをどうするか、というところで、マチルドの名案。街にたむろってる浮浪児たちを修道院で養えば、赤ん坊もカモフラージュできる、というもの。しかし、食糧や養育費はどうするんだろう? な気もしないではないが。 で、ポーランドを去ったマチルダのところに、子供たちと一緒の写真が送られてくるんだが、自分が生んだ子供も交じっている環境で、他の子供たちと平等に育てていくのは、子を生んだ修道女にとって、難しいことだろうな、などと思ったのだった。 というような、話の厚みを出すためにも、もう少し個々の修道女について、掘り下げた描き方をするべきだと思ったんだが。まあいいや。 それにしてもソ連兵は、日本に対する宣戦布告後にしたことと同じようなことを、ポーランドでもやっていたのね。民族的なものなのかしら。とか思ってしまうであるよ。 ・マチルド役のルー・ドゥ・ラージュが童顔で、でも清純なジェシカ・アルバみたいな感じで、とても可愛い。なので、主に興味は彼女を見ること、になったのもしょうがない感じ。 | ||||
ムーンライト | 8/23 | ギンレイホール | 監督/バリー・ジェンキンズ | 脚本/バリー・ジェンキンズ |
原題も“Moonlight”。allcinemaのあらすじは「内気な少年シャロンは、母ポーラと2人暮らしだったが、ポーラは麻薬中毒でほとんど育児放棄状態。学校ではリトルとあだ名され、いつもいじめられていた。シャロンにとって、同級生のケヴィンだけが唯一の友だちだった。そんなある日、いじめられているところをフアンという男に助けられる。以来、フアンとその恋人テレサに我が子のように目をかけてもらい、初めて人の温もりを感じるシャロン。高校生になっても、相変わらずいじめは続いていた。そんな中、唯一の友ケヴィンに対して友情以上の感情を抱き始めていたシャロンだったが…」 3部構成で、小学生時代が「リトル」、高校時代が「シャロン」大人になってからは「ブラック」と、その時代の呼び名で構成される。リトルは、背が小さいからなのか、愛称。シャロンは本名。ブラックは、友人のケヴィンが呼ぶ愛称。なんだけど、「シャン」の半ばまでドラマのない単調な流れで、退屈。その「シャロン」のパートで、シャロンとケヴィンがたまたま(なのか?)遭遇したあたりで睡魔が・・・うとうとしかけたところで2人がキスし、ケヴィンがシャロンのペニスをしごき、いかせる、という展開になって、目が覚めた。そういやあ、黒人の同性愛の話だったっけか、と。 これ、アカデミー賞獲ってるんだよな。作品賞、助演男優賞、脚色賞・・・。あ、原作があるのか。ふーん。なんだけど、最後まで見て、イジメ、家庭内ヤク中、売人、同性愛なんかが盛り込まれてはいるけど、そんなのありふれた話だし、特異なところといえば、レストランの客以外、白人が登場しない、ということか。そう。完全に黒人だけの社会が描かれていて、ということは、賞獲りレースでは黒人とゲイで票を稼いだってことかな。 ゲイについては、「リトル」のパートではほとんど感じられなくて、友だちにゲイとバカにされているけれど、遊び半分? な感じ。むしろ、そういうシャロンに接近してくるケヴィンはなんなんだ? な感じは少しあったけど、彼も同性愛的な興味で接近してきている、とも感じられない。むしろ、弱々しいシャロンにやさしい売人と、その彼女の存在の方が興味深いんだけど、とくに突っ込んで描かれるわけではない。もしかして、売人はシャロンを部下にしていくつもりだったのか。でも、シャロンの母親にヤクを売っていることに罪悪感を感じているようなところもあって、でも、単にそれだけ。いまいちツッコミ不足な感じ。 「シャロン」でも、相変わらずいじめっ子のターゲットにされているけど、ケヴィンもいじめっ子にそそのかされ、シャロンを殴ったりする。そういう風習がアメリカにあるのか知らんが、自分がいじめられないために、友人を殴るというのは、ううむ・・・。白人から差別されている黒人社会は団結している、というわけでもないようで、差別構造の複雑さが気にはなるけど、なんかな、な気分。で、浜辺でのケヴィンの突然の行為は、それまで伏線もないので、これまた、なんだよ、な感じ。 それはいいんたが、「リトル」で登場していた売人は、なんか、すでに死んでしまっているらしい。抗争かなんかで殺されたのか? 理由は語られない。売人の彼女は健在で、たまに食事を食べさせてくれたりはするが、そのことをシャロンの母親は知っていたりする。ヤク中の母親は自宅で売春もしているようで、そういうときにやっかいになっていたりするようだ。しかし、こういうヤク中を社会問題化するとか、ということはないのかね、としか思えない。 で、「ブラック」では、なんとシャロンは売人のボスになっている。「シャロン」の最後で、シャロンはいじめっ子を背後から椅子で打ちのめし、逮捕。そのまま少年院かなんかに入って、悪の道に入ったらしい。しかし、あんな口数が少なく、奥手な子が、そうなるものか? むしろ、ムショでカマを掘られていなかったのか、が気になるんだが。 筋肉隆々で、部下を威圧するシャロン。のところに、ある夜、ケヴィンから電話。「いまレストランをやってる。あのときのことは謝らなくちゃと。会いたいな。くればいつでも飯を食わせてやるよ」と。その夜中、シャロンは勃起か夢精か、してしまう。うーむ。なんか強引だな。 で、だまってケヴィンの店を訪れるシャロン。互いの変貌ぶりに、おお、な感じ。で、店を閉めた後、ケヴィンは自宅にシャロンを泊めるんだけど、シャロンが「お前以外に、俺の身体を触れさせていない」とかいうようなことをいうのは、要するに、好きだ、ということなんだろうけど。で、ケヴィンの肩に頭をもたれさせる様子が・・・。うげ。そういう具合に思いつづけてきた、というところが映像となって見えていなかったから、これまた、ふーん、といなしてしまいたくなる。強引だろ、と。 で、ラストは、「リトル」のときの少年シャロンの姿なんだけど、あれは、月夜の下、なのか? いや、タイトルの『ムーンライト』はなんなんかな、と。「シャロン」のときの浜辺のアレが、月夜の下だったのか? まあ、手短にいうと純愛の話なんだけど。純愛してた様子が感じられないので、ううむ、だな。 ※ああ、そうか、「リトル」で売人が話していた話か。キューバにいた子供の頃、古老だったかが「月明かりの下では、黒じゃなくてブルーに見える」とかいう思い出話。でも、それがどうした、な感じ。 とくに同性愛の話が好きでもないし、共感も同情もできないので、それで? な感じなのだよな。ゲイは白人だけの話ではないですよ、黒人の間にもありますよ、ということをいいたいの? なんかな。 ・カメラの動きがくねくねしてる。不思議な感じ。ファーストシーンなんか、人物の周りをぐるぐる何度もまわったりする。目がまわるよ。 ・興味深かったのは、主人公とヤク中の母親が住む部屋の壁に、鳥が描かれた掛け軸らしい絵がとめてあったこと。それと、主人公には売人の知り合いがいるんだが、その売人の彼女の家に北斎の神奈川沖が、額に入って飾られていたことかな。黒人の間に、東洋趣味が流行ってるのかね。 ・「ブラック」の時代の、シャロンのあの金歯は、オシャレとしての入れ歯なのか? 削ってなくて、ハメているだけ? でも下品だね。 ・ケヴィンは一度結婚して、子供もいるらしい。いまは離婚している。つまりは両刀遣い? でもシャロンは、ケヴィンに一途・・・。ちょっと怖い気がしなくもない。 | ||||
ラビング 愛という名前のふたり | 8/23 | ギンレイホール | 監督/ジェフ・ニコルズ | 脚本/ジェフ・ニコルズ |
原題は“Loving”。夫婦の姓がLovingで、愛し合っているとかけているのかな。allcinemaのあらすじは「1958年、バージニア州。レンガ職人の白人男性リチャード・ラビングは、幼なじみで恋人の黒人女性ミルドレッドから妊娠を告げられ、結婚を決意する。しかしバージニアでは異人種間の結婚が法律で禁じられていたため、2人は法律で認められているワシントンDCまで行って結婚の手続きを済ませる。その後、地元に新居を構えて幸せな結婚生活をスタートさせるが、ある日突然、保安官に押し込まれ、逮捕されてしまう。そして法廷で、離婚するか、25年間の州外退去かを迫られるラビング夫妻だったが…」 カーレースの場面から始まる。ひとりの白人男性が黒人たちに混じって、白人グループと競っている。その白人は、黒人に信頼されている感じ。と、恋人がいる様子で、彼女は黒人。あとから分かるんだけど、ラビング家はかつて黒人家族に使われていたことがあるらしく、それで黒人に対する偏見が薄かったんだろう。そういう経緯はヌキで描かれているので、白人のリチャードがなぜ黒人社会に受け入れてもらえているのか不思議なんだけど、まあそれはいい。 話は↑のあらすじの通りで、田舎であるバージニアでは生活できなくなって、他州での新婚生活を始める。だけど、妻のミルドレッドが「お義母さんのところで産みたかったわ」というので、こっそり戻ることになる。リチャードの母親は産婆なのだ。しかし、産んだ直後に警察がやってくる。結婚した直後にも警察がやってきて拘留されたんだけど、「誰かがチクった」ということらしい。実は、リチャードの母親が、実は息子の結婚を快く思っていなくて、警察に通報したのかな、と思ったんだけど、最後までよくは分からない。 この監督、妙にサスペンス風味を効かせていて、たとえば子供のひとりがワシントンDCで交通事故に遭う場面で、亭主が現場で事故に遭うかも的な映像を交錯させて、ドキドキ感をあおる。で、亭主は何もなし。息子の事故はかすり傷で、でもこの事故を期にミルドレッドは、「ここは子供を育てる環境じゃない」と故郷に帰る決意をするんだが、なんかちょい強引な気がしないでもない。 で、決意を受けて2人は、妻の兄弟の手引きで、隠れ家的な家を借りて移り住むんだが、帰るときは夫婦別々で。リチャードは後から、夜、ある家を訪れる。それを不審そうに見つめる黒人少年。リチャードの行動を監視しつつ・・・な、サスペンスタッチな描写なんだけど、たんにそれは妻の兄弟の家で、黒人少年も、そこの家の子供というだけで、なんの深みもない。あの緊張感をムダに盛り上げる描写は、なんなんだ? フツーでいいじゃん。 まあ、その後、隠れ家に移り住んでも、ちょっとしたことでビクビクするリチャード。まあ、分からんでもないが、家をめざして飛ばしてくるクルマに驚き、子供たちに隠れるようにいうんだが、これまた、妻の兄弟がやってきただけ。「お前はいつもあんなに飛ばすのか?」なんて訪ねるんだけど、こうもサスペンス風味が多いと、見てるこっちは、またまたオオカミ少年! と思ってしまうよな。 というような生活をづけていて、よく見つからないもんだ、と思ったんだけど、あれは不思議。 ミルドレッドに、「ケネディ司法長官に手紙を書いてみたら?」と助言したのは誰だっけ? 姉だっけ? 忘れけどまあいい。で、その手紙が、なんとかいう人権団体の弁護士のところに回され、連絡がくる。費用はかからない、といわれて弁護士に会うんだが、弁護士は「ワシントンDCにも事務所がある」とか返事していて、いざ夫妻が来所のとき、誰かの事務所を借りてるような場面があるんだけど、あれは意味があるのか? 自分の事務所のように工作する場面はなくてもいいんじゃないの? ムダな気がした。 弁護士は「堂々と帰省して逮捕されてくれ。すぐ保釈してやる。これをきっかけに連邦裁判所に持ち込む手がある」というんだけど、リチャードは「NO」と応え、弁護士は「考える」と応えるんだけど、ずっと連絡がなく、ミルドレッドは弁護士に手紙を書く。弁護士は、大学の恩師を訪ね、そこで連邦裁判でも経験豊富な人権派の弁護士を紹介され、この2人がタッグを組み、高裁→最高裁へと進むんだけど、法廷劇になるのかなと思ったらそんなことはなく、高裁、最高裁と経緯が伝えられるだけ。しかも、どのぐらいの時間がかかっているのか描かれないので、いまいちドキドキ感がない。そもそもこの話、イーストウッドが関心を示しそうな素材で、もしイーストウッドが撮ったら、もうちょいこの経緯を掘り下げて描くんじゃなかろうか、などと思ったりした。 最高裁は夫婦も傍聴できる、と言われるんだけど、リチャードは「行かない」といい、ミルドレッドもそれに従う。で、結果は電話で報告されるのだけれど、ミルドレッドの表情がゆるやかにほころんでくるところは、なかなかよい感じ。 それにしても亭主がいい人過ぎ。なので、映画終了後、クレジットがでる前にその後の経緯が字幕で出るんだが、なんと亭主の方は裁判の7年後、酔っぱらい運転のクルマとの事故で亡くなっているんだと。↓の参考記事の年齢から計算すると、39歳で亡くなっているのか? 妻の方は再婚せず、亭主のつくった家に住んだ、らしい。けど、日本じゃ再婚自体がそんな多くないから、わざわざ書くようなことじゃないよな。しかし、なんか、気の毒な感じで、いたたまれない。奥さん、落ち込んだんだろうな、と。あと、「2008年、死の7年前にいろいろ話してくれた」という字幕は、妻のことか(↓の記事で触れている)。最近まで生きていたのね。それと、ライフのカメラマンが撮った、膝枕の写真の本物がでてきて、なかなかいい感じだった。だからこそ、リチャードの早世は気の毒だ。 少し分かりにくかったのは、異人種間結婚禁止法は、州法らしいことがはっきり語られなかったこと。要は、州法が憲法違反である、という戦いだったようだけど、それがよく見えなかった。↓の記事を見ると、当時でも16、7州で同様の法律があり、なんとアラバマ州では2000年まで存在していたというのだから驚きだ。まことにアメリカは不思議な国。 亭主のリチャードが見るからにオッサンで、演じる役者も調べたら実年齢40歳過ぎ。奥さんも実年齢34歳ぐらい。まあ、中年まで演じるからなんだろうけど・・・と思ったら、↓の参考記事に寄れば、リチャードは結婚時23歳、妻のミルドレッドは17歳。違憲判決は9年後だから32歳に26歳。にしては、やっぱり老けすぎだな。 とはいえ、YouTubeなんかで映像を見ると、夫婦はもちろん、2人の弁護士役も実在の弁護士にかなり似ていて、なるほど感がある。 --- ちょっと調べた Richard Perry Loving (1933?1975) Mildred Loving (1939?2008) になってるぞ。↓の記事が間違ってるのかな。まあいい。リチャードは42歳で亡くなっていて、ミルドレッドは68歳か。
参考[AFPのニュース 2008年05月08日] | ||||
トム・アット・ザ・ファーム | 8/25 | キネカ大森 | 監督/グザヴィエ・ドラン | 脚本/グザヴィエ・ドラン、ミシェル・マルク・ブシャール |
原題は“Tom ? la ferme”。allcinemaのあらすじは「モントリオールの広告代理店で働くトムは、交通事故で亡くなった同僚で恋人のギョームの葬儀に参列するため、田舎にある彼の実家の農場を訪れる。そこには、ギョームの母アガットと兄のフランシスが2人で暮らしていた。アガットはギョームがゲイであることを知らず、サラという恋人がいるという息子の嘘を信じていた。母を傷つけたくないというフランシスは、トムにも恋人ではなく単なる友人として振る舞うよう嘘を強要する。その後も、粗暴なフランシスの、激しい暴力を伴う理不尽な要求に苦しめられていくトムだったが…」 いろんなところでサスペンスに分類されているんだけど、なんか勘所を外したサスペンスで、どちらかというと退屈。背景なども、読み取ってくれ的な演出で、はっきりとは明示されない。なので、隔靴掻痒なところがかなりある。なにからなにまで分かりやすく、とは言わないが、いいたいことを読み取れる程度に見せてくれなきゃ、つたわるものも伝わらんと思うんだけどね。寝はしなかったけど、集中力が維持できなかったことは確かだよ。 冒頭、ギョームの実家を訪れるトムの場面があるけど、ドアが開いてなくて、でもベンチの下に落ちている鍵を見つけ、入るんだが。このあたり、音楽がサスペンス風味なだけで、ぜんぜん異常さはない。勝手に入り込んでテーブルでよだれを垂らしてうたた寝、のところに母親が戻ってくる。「誰?」「同僚です」と。ここでギョームが亡くなり、トムは葬儀に来たことが分かるんだが。母親がぜんぜん落ち込んでいないのがとても違和感。 で、夜にはギョームの兄フランシスにも会うんだけど、最初から威圧感丸出しで、なんなんだこいつは? な感じ。で、翌日。トムは弔辞を読むはずだつたのが、なぜか切り出せず、そのことでフランシスにボコられるんだが、なんなんだ? な感じ。それはそうと、葬儀に訪れた誰かをフランシスが追い返しているらしい場面があるんだけど、その相手が誰なのかは、最後まで明かされず。なんなんだよ。 葬儀が終わってさっさと帰るのかと思ったら、フランシスはトムに搾乳や牛の出産を手伝わせて。トムはそれを嫌がるのかと思ったらそうでもなく、苦痛が快楽に変わっていくみたいなところがあったりして、なんじゃこれ。それより心配なのは、いつまでも会社を休んでいていいのか? ということ。 とはいえ一貫してトムとフランシスは対立関係で。とうもろこし畑でケンカしてトムがケガさせられたり、トムのクルマのタイヤが外されたりして、精神的な軟禁状態がつづく。とはいえ、さっさと帰っていれば、とか、歩いて逃げろよ、と思うぐらいのゆるい束縛で、トムもフランシスの威圧を、歓びに変えている感じがして、なんじゃこれ。 いや、そもそもトムとギョームは同性愛だな、と思わせる描写は最初の方からありはしたが。でも、フランシスまでがトムに好意を抱くとか、トムがフランシスにギョームの俤をみて惹かれる、というのは牽強付会すぎて、ぜんぜんなるほど感がない。強引すぎる。 フランシスとトムが交流しているな、と思わせるのは、せいぜい納屋でのタンゴの場面かな。フランシスが誘い、2人で踊るのは、息が合っている。トムのパートは女性のものか? ということは、ギョームとトムもそういう関係・・・。このあたりでトムはフランシスにまいってしまった、のかしら。分からんけど。でもこのとき、「母親はあと5年ぐらい。そしたら施設に入れて云々」と人生設計を語り、それをそのまんま母親に聞かれてしまうのだが、この時点でも母親は、ギョームがゲイであることに気づかないのかね。 携帯の電波が届かない牧場で、でも、町に行けばいくらでもつながるだろうに、そういうことはしないトムが不思議。で、精神的に隔離されてしまった自分を解き放つため? なのか、会社の同僚のサラを呼び寄せるんだが、あれは一家の家電? 使えるなら、もっとはやく使えよ。あるいは、夜中に歩いて逃げればいくらでも脱出できるだろうに、と思ってしまう。 このくだりで分かるのは、ギョームは女にも手当たり次第に手を出していて、サラもそのひとりだったこと。付き合いは短かったこと、などなんだが、それでどうしてトムに呼ばれてノコノコやってくるのか。ギョームに借金があったから、とかいってたけど、来るか? あと、ギョームはサラとのキスしてる写真を財布に入れていて、それが母親への偽装だったらしいことなんだが、母親って息子のゲイ趣味ぐらい分かるんじゃねえの? というか、ギョームは両刀遣いかよ。では、トムとの関係も薄いものだったのか? はたまた、ギョームは事故で亡くなったらしいけど、その詳細は分からず。なので、いろいろイラつく感じ。 「バスで帰る」というサラを送ってバス停まで3人で。フランシスと酔ったサラはいい感じになって、トムをクルマから追い出す。トムはバーに入り、バーテンからフランシスが店へ出入り禁止になっている由来を聞き出すんだが、なんだかな、な内容。10年近く前だったか、店で兄弟が踊っていたら、弟のことを悪くいう男がいて。怒ったフランシスが男の唇を引き裂いた、とかいう話で突然にグロになる。なんだかな。これは、あれかね。男が弟をゲイだとか言ったからなのか。もしかして、兄弟でゲイの関係があったとか、そういう可能性もあるのかしら。もうどーでもいいんだけど。 てな訳で、でも、サラはそのままバスに乗る様子が見えて。だったらトムもバスに駆け乗ればいいのに、と思ったけど、そのままフランシスと帰ったみたい。はたして、この時点で、フランシスとトムは関係ができていたのか、そんな様子は見えないけど。 な翌早朝ぐらいに、トムは、家にあったギョームの思い出の写真なんかを何枚かいただき、カバンを引っぱって家を去るんだが。なんでいまなんだ? と思ってしまう。カバンの滑車が外れ、ジャマなのでいくつかの写真を抜き取ってカバンは捨て、歩いていると、フランシスのクルマが・・・。バカか。道路を歩いていれば見つかるに決まってるだろ。なんで脇道に入らないのか。アホか。 でも、なんとか隠れてやり過ごし、フランシスが探しまくってるスキにフランシスのクルマを拝借して、街へ戻るトム。あれはモントリオール? 追ってきたフランシスの上衣がアメリカの国旗をデザインしたもので、最後に流れる音楽がアメリカへの恨み節みたいな内容だったのは、どういう意味があるんだよ。突然、なんでフランシスのアメリカ趣味が写るんだ? もしかして、フランシスもかつてアメリカに大志を抱いてでかけたけど、夢破れて田舎に戻ったとかあるのか? よく分からない。 しかし、いくらあの家から逃れたとしても、ギョームはトムと同じ会社に勤めていたわけで。フランシスがトムを探し出すことは簡単なこと。これから、どうなるのか、なんか、話がテキトー過ぎだ。 というわけで、ゲイが、恋人の葬儀に行ったら、死んだ恋人似の荒くれ男に出会い、いじめられるけどそのうちに惹かれていき、でも、最後は逃げ出すというだけの話。これのどこがサスペンスなんだよ。 ・トウモロコシ畑と、最後の湿地帯と、トムがフランシスに追われる場面は、上下がカットされたワイド画面になるんだが、なんか意味あるのか? | ||||
パターソン | 8/28 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/ジム・ジャームッシュ | 脚本/ジム・ジャームッシュ |
原題も“Paterson”。allcinemaのあらすじは「ニュージャージー州パターソン。町名と同じ名前のバス運転手パターソン。愛する妻ローラの隣で毎朝同じ時間に起きて仕事に向い、夜は愛犬マーヴィンの散歩をして、バーに立ち寄り、帰宅するとローラの隣で眠りにつく。代わり映えしない毎日ながら、アーティスト気質のローラは予想のつかない言動で驚かせてくれるし、ユニークな人たちとの他愛ない交流も楽しいひとときを味わわせてくれる。そして、そんな日常の些細な出来事の中から詩を紡ぎ出し、自分のノートにしたためていくパターソンだったが…」 ↑のあらすじの通りで、毎日決まり切った日々の連続。、その1週間を見せていく。夫婦はケンカもせず、妻の機嫌がよければ古い映画を見に行く。仕事では一度バスが故障して客を降ろした・・・ぐらいがあるだけ。上司は毎度愚痴をいい、乗客の話し声はなんとなく耳に入ってくる。毎晩、犬の散歩と称してなじみのバーに行き、マスターと軽くおしゃべり。元彼がストーカーで困ってる黒人の元カップルが毎度登場し、うだうだ。元彼がピストルで威嚇したときは、パターソンは咄嗟に組み付いて拳銃をもぎとる・・・が、ピストルはオモチャ。せいぜいそんなもので、基本的に事件は何も起こらず、変わり映えのしない毎日が過ぎていく。という感じでドラマが起きないので退屈。一度記を失い、目が覚めたけれど、また睡魔が襲ってきて寝た。 唯一の救いは、飼っているブルドックで、こいつがなかなかにへそ曲がりで意地悪で傲慢。いろいろ小ネタの仕掛けもあって、この犬だけが、ささいな反抗を繰り返す。できれは、この犬を主人公にして欲しかったぐらいだ。 やっぱり、映画は主人公が成長するとかしないとな。何もない、些細な毎日のほのぼの映像が好きな人にはいいんだろうけど、ドラマがないと映画に見えないこちらにとっては、催眠効果しかなかったのだった。 そもそも、なんだが。このパターソンという街は実在の街なのか? はたまた、パターソンが好きで、日本人も好きなウィリアム・カルロス・ウィリアムズという詩人は実在の人なのか? (あと、ギンズバーグ出てきたらしい。半睡で見てたからスルーしてたかも) というのも、バーの会話で、パターソン出身のコステロとかいう人物や(銅像があるとかないとかいっていた)、あと野球選手、イギー・ポップ、あれこれ雑談するんだけど、あの辺りがいちばんのキモかな、と思うのだ。だから、こういった街の横顔や人物がはっきり分かると、それで面白がれるはずなんだけど、ほとんど分からないから笑えもしないし、そうそう、とも首肯できない。アメリカ文化が分からないと、この映画は、なかなか知的に笑えない。とても残念。 ※それでWikipediaで調べると、パターソンは実際の街で、「ニュージャージー州パサイク郡にある都市であり、郡庁所在地」で人口は146千人あまり。何度も登場する滝はグレートフォールズといい名物らしい。また、パターソンという町名は「ニュージャージー州知事でアメリカ合衆国憲法に署名した政治家ウィリアム・パターソンの名前に因んで名付けられた」らしい。また、人種のるつぼとして知られていて、映画にもインドや中東、日本と、いろんな人が登場している。ルー・コステロもアレン・ギンズバーグも実際の住人で、他にも多くの知名人がリストアップされていたから、野球選手もほんとうだろう。そして、ウィリアム・カルロス・ウィリアムズ(1883-1963)は「小児科医、長詩「パターソン」を書いた現代詩人」として紹介されていた。なるほど。これを知っているかいないかで、話はまるで違ってくる。詩の世界に造詣が深ければ読み解けるものもあるんだろうが、そんなことは知ったことか。でも、悔しいけど。 さて、ドラマが起きそうな場所はこのバーで、それは他者も出入りするエリアだからだろうか。黒人の元カップルの事件はここで勃発する。それと、マスターの奥さん(?)みたいなのが登場し、マスターに「金を返せ」と迫ったりする。剣呑なのはこのぐらいで、他はもう平凡無事すぎて、退屈してしまうのだよ。バスの故障だって事件とはとてもいえないし・・・。 あとは、最後に登場する日本人の詩人だけど、演じているのは永瀬正敏で、これは『ミステリー・トレイン』からの縁なんだろう。飼い犬に詩の創作ノートをズタズタにされて「あーあ」という表情のパターソンがベンチに座っていると日本人が話しかけてきて、ウィリアム・カルロス・ウィリアムズのファンだという。「パターソンは、日本人と話して心の整理が付した感じ。そして、日本人からもらったノートで創作を再び始めることを決意するような感じで終わっている。でも、なんで日本人なの? よく分からない。というか、唐突すぎるだろ。 というわけで、パターソンにとっては、ノートを失ったことが、この映画での最大の事件かも知れない。 で、愛すべきブルドッグだけど。これがなかなかのやり手で。なぜかいつも傾いている郵便受けを押していたのはこいつだったり、パターソンのいつもの散歩コースと違う方向に行こうとしたり、挙げ句の果てはパターソンの創作ノートをびりびりに破いてしまったり。この映画一番の引き立て役かも知れない。できれは、このブルドッグを主役にして欲しかった感じ。 ・双子。なぜかたくさん登場する。意味を考えたけど、よく分からない。主人公の名と町の名が同じパターソンで、それが双子の関係だ、とかあるのかな。 ・Wikipediaにもあったけど、人種が多彩。バス会社の上司はインド系で、パターソンの妻は中東の人。最後に会うのは日本人。バーで出会うのは、黒人が多いとか。だからどうした、な話だが。 ・バスの仕事をしていると、ときどき時計の針がぐるぐる早回り。これは、単調な時間の経緯を表すのかな。 ・地元のヤンキーに、犬のことを聞かれるパターソン。高い犬は誘拐されるぞ、なんて言われていたから何かあるかと思ったら、そんなことはなかった。 ・最後に握手した日本人の指2本に絆創膏が張られてる。あれはどういう意味なのだろうか。 ・日本人は「翻訳は、レインコートを着てシャワーを浴びるみたい」といっていたが、なるほど、な感じ。 ・その日本人が放つ「アーハー」は、どういう意味だ? ・奥さんのケーキづくりは趣味と実益を兼ねているけど、着ているものやカーテンなどのデザインが、白黒の同じ模様の繰り返しパターンが多い。あれはどういう意味だろう。 ・2人が見るのは、むかしの白黒映画。 ・いまどきスマホをもたないパターソン。 などなど、キーワードやカギになりそうな行為はたくさんあるんだけど、残念ながら知識がないので読み解けずだよ。やれやれ。 | ||||
ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦 | 8/31 | 新宿武蔵野館2 | 監督/ショーン・エリス | 脚本/ショーン・エリス、アンソニー・フルーウィン |
原題は“Anthropoid”。Webで調べたら「類人猿」とでた。allcinemaのあらすじは「1941年、ナチス占領下のチェコスロバキア。2人の若者ヨゼフ・ガブチークとヤン・クビシュがパラシュートで降り立つ。ロンドンに本拠を置くチェコスロバキア亡命政府の密命を帯びた彼らの目的は、ナチスNo.3と言われるラインハルト・ハイドリヒの暗殺。2人を匿うチェコ国内のレジスタンスたちの中には、報復を恐れて暗殺に反対する者も少なくない。それでも2人の女性レジスタンスのサポートを受けながら、作戦決行に向けて偵察と情報収集に奔走するヨゼフとヤンだったが…」 Wikipediaによると、“Anthropoid”には「エンスラポイド作戦」の意味があるらしい。「第二次世界大戦中、大英帝国政府とチェコスロバキア駐英亡命政府により計画された、ナチス・ドイツのベーメン・メーレン保護領(チェコ)の統治者ラインハルト・ハイドリヒの暗殺作戦のコードネームである。日本語では、「類人猿作戦」などとも訳される」だそうな。 実話が元になっているらしい。で、冒頭から、家に匿われるまでの経緯がドタバタしていてよく分かりにくい。というのも似たような顔の役者がぞろぞろ登場して、誰が誰やら・・・なところがあるからだ。これは以後も同じで、送り込まれた他の仲間や、もとからいたレジスタンス達の区別も、なんとなく分かるとはいってもはっきりしないので、モヤモヤ感が消えない。DVDで確認しながら見た方がいいような気がする。 で、ヨゼフとヤンはパラシュートで降下し、同じように降下した仲間が6人くらいいるらしい。後から合流する。で、同じ飛行機だったんだと思うんだけど、互いの任務を知らないようなんだよね。そういうものなのか。知らんけど。で、2人の任務は、ハイドリヒの暗殺。チェコのレジスタンス達はそれを聞いて「そんなことをしたら報復される。ロンドンの亡命政府は現場を知らん。ハイドリヒを殺しても、代わりがすぐ来る。末端の兵士を殺っていけばいいんだ」と反論するんだけど、2人は納得しない。 このくだりを聞いていて、亡命政府もヨゼフもバカだと思ったよ。暗殺計画が成功しても失敗しても、報復で多くの市民が殺されることは目に見えている。でも、ヨゼフは、チェコ人としての誇りがどーのとか、命令は絶対とかいって曲げない。で、レジスタンス達は「亡命政府に再確認する」というんだけど、ヨゼフは納得しない感じ。まあ、結局、確認はするんだけど。 こういうヨゼフみたいな任務に忠実で頑固なやつが、罪のない人たちを殺すことになるんだよな、と思っていたら、後半そうなっていって。ほらな、な感じだ。一方のヤンの方は実戦経験もないようで、ヨゼフについていく感じかな。 ※Wikipediaでみると、ハイドリヒはチェコ高官や抵抗勢力の幹部は処刑したが、労働者階級には手厚い保護政策をとっている。その結果、中産階級やインテリ層が中心の抵抗運動に参加することがなかった、と書いている。そもそもドイツが占拠したベーメン地方はドイツ最大の軍需工業地帯で、ハイドリヒがくるまでは統治者が甘く、抵抗運動が多発して兵器生産能力も低下していたという。テコ入れでやってきたのがハイドリヒ。労働者階級の反発を買うような制作は行わず、しかも、親近感を与えるため、できるだけ護衛車をつけなかったらしい。つまり、労働者にとっては、とくに悪い人には見えなかった、ということらしい。その一方で、「チェコスロバキア駐英亡命政府は、1939年3月から始まったドイツ占領以来、ベーメン・メーレン保護領で目に見える抵抗がほとんどなかったことに対し、イギリス情報部からの圧力をうけていた。チェコスロバキア亡命政府は、チェコの人々に希望を与え、チェコスロバキアが連合国側であることを示す何らかの行動を起こす必要があると感じていた。イギリスのスパイ部隊である特殊作戦執行部は隊員を訓練し、作戦の計画を立案する支援を行った」とあり、なんか捨て駒みたいな感じでやらされた感があるんだな。なるほど。 前半は情報収集で、匿われた家のお手伝いマリーと、その知り合いという女性レンカが2人のパートナーということで街をうろうろするんだが。若くてきれいなマリーと組んだヤンはいいとして、レンカが年増のオバサンなのでがっかりしてるヨゼフがおかしい。それにしても、マリーはレンカした調達できなかったのかしら。あるいは、レジスンスや、匿ってくれた家のツテで、他に見た入らなかったのかね、とか思ってしまう。 あれあれと思ったのは、中盤で暗殺作戦を実行することで。では、残りはどうするんだ? とか思いつつ見ていたんだけど。その作戦は結構ポンコツで。ハイドリヒが出かける時間から推測し、カーブで減速するところで襲う、とそれだけな感じ。ところが、ヨゼフがハイドリヒの乗ったクルマの前に躍り出て銃を構えるも、不発。おいおい。逆襲されつつ、それでも爆弾でクルマを破壊し、拳銃で撃ったりして、なんとか負傷は負わせた様子。ヤンは、どういう役回りだったのか、慌ただしすぎてよく見えなかったんだけど、攻撃することもなく自転車で逃げる・・・。おい、逃げないで撃てよ、とか思ったけど、どうだったのかな。ゆっくり何度も見ないと、分からんぞ、あのシーン。(Wikipediaでみたら、手榴弾を投げたのがヤンだったようだ) それと、他にも周囲に何人かいた感じなんだけど、あれは降下した仲間なのか、あるいは地元レジスタンスなのか、さっぱり分からない。 作戦はヘボだったけれど、負傷した傷のせいで、ハイドリヒは数日後に死んだ、らしい。なので、作戦は成功したことになるんだろうけど、なんだかすんなりとは喜べない。当たり前だ。報復や犯人捜しが始まっているんだから。 何とかみな逃げたのかな。匿われていた家に戻るんだけど、あるツテで教会の地下に全員が逃げ込む。逃げ込んだ連中全員が作戦にタッチしたメンバーなのかどうか、は、よく分からない。たしか、降下してやってきた連中が全部、ではないかと思う。 その後は、どこそこの村の全員が報復で殺されたとか、住民が一斉に捜索されているとか、ほらみたことか、な地獄絵図。で、匿っていた家にも捜索の手が及ぶのは、どうも寝返った男がいたからで、そのチュルダはどこから出てきたんだ? な感じ。あれは、地元のレジスタント? パラシュート降下のメンバーか? 暗殺作戦のとき、やってこないのが1人いて、ヨゼフが話しかけていたような記憶はあるけど・・・。これまた、ゆっくり確認しながら見ないと分からんな。 匿われていた家の奥さんは殴られ、「息子は助けて・・・」といって自分は青酸カリを。息子はもちろん拷問を受け、教会に逃げたことを言ってしまう。当たり前だわな。自分に置きかえても、あんなさんざん殴られて、言わないでいるなんてできっこない。だからナチは残酷だ、は短絡だ。拷問は、どの国でもどの時代でもやっている。 で、あとは教会攻撃と防戦の銃撃戦で、なかなか迫力はあるんだけど、ヨゼフやヤン、あと少尉だったか、があんなドラマチックに抵抗したかどうかは分からない。映画だし。 まあ、協会内にいた3人、だったかな、は抵抗空しく突入され、手榴弾などで攻撃されてあえなく全滅。少尉さんだけ、青酸カリを?みくだきつつ銃を頭部に、という死に方だった。地下にいた残りも、水責めにあって、さらに隣室からの爆破によって後がない。というとき、全員が頭部を銃で撃ち抜く、という終わり方だった。まあ、その後の拷問を避けるにも、それが最良なんだろうけど、最初に匿ってくれた家の家族などは、とくに下手なバイオリンを弾いていた息子などは気の毒としか言いようがない。 で、最後に、報復で殺された数が5000人に上る、と字幕が出る。ほら。たったひとりのボスを殺害して、その代償がこれだ。ポンコツな作戦といってもいいはずだ。もちろん、この暗殺で、英国の考えに影響を与えた、というのがあるらしい。Wikipediaには「作戦の成功は、大英帝国とフランスにミュンヘン会談の内容を破棄させた。これは、ナチスを敗北させた後、ズデーテンラントはチェコスロバキアに戻されることへの同意を意味する。チェコスロバキアのドイツ人を追い出す、という考えへの同意でもあった」とある。それも大事なんだろうけど、5000人の命を差し出すほどか? と思ってしまう。 そもそも、パラシュートでやってきたメンバーは、どういう連中なんだ? イギリスに亡命したチェコの亡命政府の軍隊? 軍隊としての呈を成すほど大量にいたのかどうか知らないけど、チェコの兵士というのがどうもピンとこなかった。 ・ハイドリヒは、あと数日でフランスに移動になるという話だった。なのに、暗殺を強行し、トンマな結果に。最終的にハイドリヒは死んだけど、自分たちの生命を危険にさらし、周囲の人たちも多く巻き込んでいる計画は、正しかったのか? という思いが残ってしまうね。 ・亡命政府に暗殺実行について問い合わせている最中。匿われている家の息子が、そっと紙をヨゼフに渡す。どうも、亡命政府からの暗号らしいけど、息子はどこからあれを手に入れたんだ? なぜなら、後からレジスタント達が、「返事が来た」という場面があるから。 ・ヤンは、いつの間にかマニーと恋仲になって、結婚宣言をする始末。おいおい。何日つき合ったのかしらないけど、戦時の任務遂行中に、そんなのはありなのか? と、首を傾げてしまった。 ・ヨゼフは、歳をとりすぎているといやな顔をしたくせに、レンカと行動をともにする。で、彼女の両親もドイツの犠牲になっていることを聞いたせいか、情が移った感じ。暗殺実行の前だったか、別れ際に熱いキスを交わすんだが、おいおい、な感じがしたでござる。だって10歳以上上な感じなんだもん。 ・その後、が描かれない人たちがいる。匿ってくれた家の主人。彼はレジスタンス仲間ではなかったのか? 家族にも仲間はずれにされてる感じだったけど。あと、家政婦のマリーも登場しない。それと、逃げ込んだ教会の神父。彼らのその後が気になる。 ・いいエピソードがひとつ。作戦実行前、びびってるヤンに、ヨゼフが拳銃のマガジンの銃弾をいったん取り出し、詰め直させる場面がある。これで落ち着け、という意味なんだろう。で、教会で、びびる別の仲間に、こんどはヤンが同じことをさせる。これは、伏線が効いていて、なかなかいい感じ。 ・あと、青酸カリを手渡された人物、が気になった。匿った家の奥さんと、亡命政府の少尉、あとレジスタンスの1人が使用していた。他の亡命政府のメンバーも、最初の頃に渡されていなかったっけ? 匿った家では、主人と息子は、渡されていなかったのか? |