2017年10月

プラネタリウム10/3ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/レベッカ・ズロトヴスキ脚本/レベッカ・ズロトヴスキ、 ロバン・カンピヨ
フランス/ベルギー映画。原題は“Planetarium”。allcinemaのあらすじは「1930年代、パリ。スピリチュアリストの姉妹、ローラとケイトが、ヨーロッパツアーのためにアメリカからやって来る。彼らが披露するのは、野心家の姉ローラがショーを仕切り、純粋な妹ケイトが死者と交信する降霊術のパフォーマンス。姉妹はたちまち評判となり、フランス人映画プロデューサー、コルベンの目にとまる。新しい映画を探求していたコルベンは、姉妹に降霊術を映画にしたいと持ちかける。こうして姉妹は映画撮影に臨むのだったが…」
話がとっ散らかりすぎて、何だかよく分からない。最後も尻切れトンボ。ナタリー・ポートマンと、彼女そっくりのリリー=ローズ・デップがかわいい、というだけの映画に終わってしまった。脚本も演出も未熟すぎ。
評判の霊媒師姉妹が、なぜかフランスにやってくる。興行は評判を呼んだけど、個人的に依頼がすくなく、がっかり。ななかで、映画会社の社長のコルベンという男がうまくひっかかる。どうやらコルベンは兄とか父親(?)の記憶にとらわれているかなにかで、姉妹をすっかり気に入ってしまい、映画にしようと思い立つ。のだけれど、会社はどうも火の車(?)で。それ以前から放漫経営で追求されているらしかった。
コルベンはまず、姉妹の降霊の様子を撮るんだけど、評判はいまいち。というのも、他の映画人は「合成すれば霊なんか簡単」というのに、実際の降霊の様子を撮ることにこだわったから。自ら実験台となって撮影し、コルベンは「写った写った」と喜ぶんだけど、他のスタッフには見えない、という・・・。それでもコルベンはローラを主役に1本撮ることにこだわった。霊能力のあるケイトではなく、ローラがフォトジェニックだ、という意見があったからなのか、コルベンがローラを気に入ったからなのか、よく分からん。
で、南仏で撮影開始・・・。というのと、コルベンが社長を解任されるのと、どっちが早いんだっけ? 記憶がおぼろ。
このあたりから話が広がっていくんだけど、広がりっぱなしで、最後で収拾しているのは、コルベンがポーランド人で、フランス人と偽っていたということ。さらに、東に送られ、死んだ、ということぐらい。あとはもう、放り出しっぱなしな感じ。
姉妹はコルベンの屋敷に住むことになったんだけど、果たしてローラとコルベンは惹かれ合うようになっていたのか、とか。ローラが肌を許した青年との関係はどうなったのか、とか。放射線科なんかもつかってがんばったケイトとの降霊儀式のその後はどうなったのか、とか。最後は登場しなくなってしまったケイトは、どうなったのか、とか(某サイトに「死んだ」と書いてあったけど、そうだっけ?)。ローラは、端役で映画に出つづけたようだけど、その後はどうなったのか、とか。そういうことはおかまいなしで終わってしまう。おいおい、どーなってんだよ。
そもそも、コルベンはなぜ会社に不利益なことをしたのか? コルベンが感じた(見た)過去(?)のようなイメージは、何を意味しているのか? コルベンはローラに恋心を抱いていたのか? そして、これが一番問題なんだけど、なぜポーランドからフランスにやってきて、フランス人になりすましたのか? ユダヤ人であることを隠すため? ポーランド人だと、なにか問題があるのか? さらに、東に連れていかれたとは、どういうことだ? 収容所? では、ラスト近くはドイツ占領下のフランスということか? でも、ドイツ兵は登場してなかったし、開戦したともいってなかったよな。そんな場面あったっけ。ぼーっとして見逃したか。
というわけで、背景も経緯も分からないのでイライラがつのる感じ。後半は集中力も切れてきたし。
※冒頭では、「開戦前」といっていた。なのに、どーも後半は占領下な感じ。要は、ドイツ侵攻がはっきり描かれておらず、ドイツ兵も登場しない、というようなことが、理解しづらくしているのではないのかな。この映画。
・酒を飲んで絡んできたのは、最初にローラとキスシーンを演じた男優? あのキスシーンも意味深だったけど、なーんもその後になかったなあ。で、絡まれたから逃げてきたと話した青年と仲よくなるんだっけか。素っ裸で海に入ったり、その後、寝ちゃうんだよな。でも、あの青年は、誰だっけ? さっぱり憶えていない。
・妹ケイトの右の眉毛の中央が禿げている。よーく見たら、白髪になっているのか? あれは、どういう意味なんだろう。
・エンドロールのクレジットの文字がとても小さい。あれじゃ読めないだろ。アホか。しかも、ロールが流れている途中で音楽が終わってしまう。マヌケだろ。
ナミヤ雑貨店の奇蹟10/5109シネマズ木場シアター8監督/廣木隆一脚本/斉藤ひろし
allcinemaのあらすじは「2012年のある夜。悪事を働き一軒の廃屋に逃げ込んだ幼なじみ3人組の敦也、翔太、幸平。すると突然、シャッターの郵便口から一通の手紙が落ちてくる。日付は1980年。そこはかつて店主が客の悩み相談に親身に応じていた“ナミヤ雑貨店”だった。店内に落ちていた雑誌でそのことを知った3人は、戸惑いながらも手紙に返事を書くことに。やがて彼らは、過去からの手紙と自分たちとのあいだに不思議なつながりがあることに気づき始めるのだったが…」
時を超えた文通というと韓国映画『イルマーレ』が思い浮かぶけど、ああいうファンタジックな雰囲気とか神秘性、はかなさみたいなものは、ほとんど感じられない。辻褄だけはちゃんと合わせましたよ的な強引さ、ムリやり感が先に立ってしまって、話に入り込むことができなかった。そもそも、時を超える手紙に「奇蹟」感がないのだよね。
受け取る3人の青年、中心人物の浪矢雄治とその息子、ミュージシャン志望の松岡・・・その他の人物たちに、あり得ない手紙を受け取っていることへの驚きが、まったくないのだよ。当たり前のように受け止めている。それって変だろ。
あと、ええっ? と思ったのは、2012年のナミヤ雑貨店に入り込んだ3人の件なんだが。最初の頃は、こいつら、次の夜もここにやってきて手紙を読んだり返事を書いたりしているのか? なんで? と思っていたんだが、後半になって、あ、3人にとって、ひと晩の話なのか、と気づいた。でもさ、1980年では数日かかって投函される質問の手紙が、2012年のナミヤ雑貨店にはひと晩のうちに届いてしまうという仕組みはなんなんだ? それに、愛人になるか否かで悩む田村晴美の質問は何通にも及ぶんだけど、そのやりとりだけで、数時間かかってしまうのではないのか? それ以外の質問の手紙もたくさん来ているのだから、あの3人はのんびりなんてしてられないよな、と思うと途端に白けてきてしまった。
もうひとつ。1980年に、浪矢雄治は「自分の33回忌に、ひと晩だけ悩み相談の窓口を開く、と息子に遺言する。その窓口は、かつて悩み事の返事をもらった人専用で、返事をもらって人生がどう変わったのかを教えて欲しい、そのための窓口、というような趣旨だった。で、その33回忌の当日が、チンピラ3人組がナミヤ雑貨店に侵入した日、らしい。では、その夜、いまは廃墟になったナミヤ雑貨店のポストに、人々がやってきて、結果報告するのかと思いきや、だれも来ないではないか。でも、その結果報告は、1980年のある夜、浪矢雄治が病気を押してナミヤ雑貨店に戻った夜に到着しているのだぜ。紙の手紙で。あれはどこから投函されたモノなのだ?
2012年の相談窓口は、ウェブサイトになっていたけど、あれは誰が立ち上げたんだ? 浪矢雄治の息子? で、浪矢雄治に返事をもらった人たちは、そのサイトにどうやって気がついたんだ? 気がついて、では、ブラウザからフォームで結果報告したのか? でも、1980年には紙の手紙として到着していたぞ。なに。浪矢雄治の妄想だって? そんなことはないだろ。翌朝、息子も紙の手紙の束を確認しているぞ。なに、実は、息子にはあの手紙は見えていないはずだ、とかいうんじゃないだろうな。
では、3人のうちの1人が投函した、何も書いてない手紙への回答は、どうなんだ? ちゃんと2012年の翌朝に、ナミヤ雑貨店の牛乳箱にとどいてるだろうに。
といったように、これで辻褄はあっているのか? な感じなのだ。小説なら誤魔化せても、実写映画になると、そうはいかない例ではないのかなあ。
で、そもそもの話に修練されていくんだけど。これまた取って付けたような感じで、なんで? としか思えない。
成海璃子の皆月暁子は、かつて浪矢雄治と駆け落ちしようとした娘らしいが。いきなりなんだよ、な感じである。どうやって知り合い、駆け落ちまで思うようになったのか? 反対されたとか言ってたっけか? よく憶えてないんだけど。あとは、この暁子はその後、どうしたんだっけ? 死んじゃったんだっけ? これも憶えてないよ。ははは。で、公式HP見て分かったんだけど、養護施設・丸光園の園長も同じ名字ということは、親子? 反対したのはこの園長? よく分かんねえな。もう一回見れば分かるかな。見ないけど。
で、登場する大半の人々が丸光園の出身者・関係者であることが次第に分かっていくのはいいんだけど。なぜに丸光園の関係者だけが描かれるのだ? それ以外の人たちの相談だってたくさんあっただろうに、なぜに丸光園なんだ? 自分が一緒になれなかった相手と関係のある丸光園の関係者だけに、相談の返事が篤いのだ? よく分からない。というか、小説を創り上げるための細工にしか見えないよ、これでは。
で、1980年の、浪矢雄治が不在、あるいは死後に投函された相談のいくつかは、チンピラ3人組が返事を書いているのだが、それでよいの? そのことを浪矢雄治は知らないわけだよな。でも、相談者は、浪矢雄治が返事をくれたと思っている。それでよいのか?
・3人のチンピラがナミヤ雑貨店に深夜、忍び込む。そのとき、全員が懐中電灯を手に振りまわしているのは、あり得ないだろ。
・それにしても、時代を超えてやってくる手紙に、誰も違和感や恐怖や不審な思いを抱かないというのが、変。
・浪矢雄治は、駆け落ちした相手をいまだに忘れられずに恋々としている、ということか? それを、息子は愛おしげに見ている。変だろ、それ。なのに、浪矢雄治は、その駆け落ちの相手の写真を、人の住まないナミヤ雑貨店に置きっぱなしにしている。これも変だよな。
・で、浪矢雄治は1980年に亡くなった、と。それから32年。ナミヤ雑貨店は壊されもせず、再利用もされずに、あのままずっといたのか。固定資産税も年に2〜3万払っていたのではないのかな。それを息子は、そのままにしておいた、のか? それも、父・浪矢雄治を思う気持ちだったのか?
・田村晴美は、丸光園で育ったんだっけ。で、大伯父夫婦に引き取られて育った、と。その大伯父の家が、なんとも凄い屋敷で。その凄い屋敷が、バブル前の時代に経済的に困窮? いったい大伯父はどんなことをして借金をつくったんだ? それがとても気にかかる。博打か、無謀なビジネスか? 詐欺にでもあったのか? 知りたいところである。
・田村晴美には、1980年代はバブルだから小金を稼いでマンション転がしをして、大金になったら株を買え。でも90年代に入る前に売り逃げしろ、と教えている。そんなんでいいのかあ? というより、そんな未来の予測を、フツー信じられるものかね。信じないと思うぞ。
・ミュージシャン志望の松岡には、   それに、自分たちの育った養護施設・丸光園で死んだ人だとピンと来てるんじゃないのか? だったら、命を救ってやるのが親切というものだろ。
・その松岡がナミヤ雑貨店の前でハモニカで演奏する「リボーン」という曲なんだけど、最初はまったくピンとこず、しばらくして大人になったセリという娘がステージ唄ってるのを聞いて、あれ? となって、そういえば映画の宣伝で山下達郎が唄うテーマソング? とやっと分かったんだけど、セリの歌も山下達郎のものとは大違いで。山下達郎の歌は、山下達郎じゃないと、らしく聞こえないのだなと分かった。はは。
・そもそも、浪矢雄治の相談窓口は、駆け落ち相手の、慈悲の心を受け継いで、のことなのかな? しかし、その結果、みながハッピーになっているかというと、そうでもないのがとても気になる。魚屋ミュージシャンは焼死してしまうし、未婚の母は過労で事故死。これなんて、不幸だろうに。
・事故死した未婚の母の娘。長じて、母の事故を新聞記事で知り、なんと自分も自殺未遂。なんで? 助かって、入院しているところに友人が見舞に来て、「あなたのお母さんの遺品にこれが・・・」と、浪矢雄治の、相談への返事の手紙を渡すんだが、どーも、この友人、手紙を読んでいるみたいなんだが、そんなことをしてもよいものなのかどうか、うーむ。
・3人のチンピラが、田村晴美を襲う。これは、彼女が丸光園を買い上げ、ラブホテルをつくるらしい、という話を聞いたから、なんだけど。自宅に押し入って田村晴美を椅子に縛り付け、彼女の財布を盗む程度で、なにをしようという積もりだったんだろう? 意味不明だ。もっと追求し、ラブホ反対、を迫るのがフツーだろうに。アホかと思う。 ・手紙とか新聞記事とか、写るシーンか多いんだけど、読む前に次のカットに移ってしまう。もうちょい長く映せよ。
・セリフが聞き取りにくい。なんとかせい。
※上映中、別のスクリーンで上映されている効果音なのか、重低音がずっと響いてきて、とにかく不快だった。出ようかとも思ったぐらい。この音、たぶん最初の方から、全尺の2/3ぐらいは聞こえてきた。もちろん、上映後に社員(若い女性だった)を呼んで苦情を言った。明日でも、同じ時間にどれほどひどいか、スクリーン8に入って確かめてみなさい、と。でも、たぶんやってねえだろうなあ。しかし、他の客が文句ひとつ言わないのが不思議である。
おとなの事情10/6ギンレイホール監督/パオロ・ジェノヴェーゼ脚本/フィリッポ・ボローニャ、パオロ・コステッラ、パオロ・ジェノヴェーゼ、パオラ・マンミーニ、ローランド・ラヴェッロ
原題は“Perfetti sconosciuti”。「赤の他人」というような意味らしい。allcinemaのあらすじは「ある月食の夜、幼なじみの男4人とそのパートナーが集まり、食事会を開くことに。しかし一人だけバツイチのペッペは、連れてくるはずの婚約者が来られなくなり、結局7人でテーブルを囲み、美味しい食事と会話を楽しむ。そんな中、一人があるゲームを提案する。それは、秘密なんてないという彼らの信頼度を確認するため、今からそれぞれのスマホに届いたメールや電話は全員に公開すること、というもの。行きがかり上、誰も異議を唱えることもできず、不安を抱えながらも、それを悟られないよう平静を装いゲームを始める一同だったが…」
医者の夫と、カウンセラーの妻。その家に、夫の幼なじみカップルが3組やってくる予定。ということらしい。
医者とカウンセラー、タクシー会社経営(?)と妻、あともう1組の家庭が、短いショットの切り返しでパッパと描かれるんだが、顔と名前を覚えようとしても頭に入らない。みな同じように見えるし。会話も早くて、あれあれというまに別のカップルの描写になってしまう。2組みが医者とカウンセラー宅に訪れてからは、なお大変。誰と誰がカップルだっけ? と注意して見ていると、それだけでやっと。会話のなかで、21歳の娘とどーのこーの、というのがあったんだけど、まったくついていけず、ほとんど記憶にない。
そこに、遅れてやってきたのが、デブ教師の男。パートナーが病気でこられない、と単身でやってきた。で、そろった7人がテーブルにつくのだけれど、この時点で、話についていくのはムリ、やめよう、と思っていた。だって、各人の顔と名前が憶えられないし、会話に登場する人物なんかもたしかあったりして、もう混乱の極み。最初の10分で、ついていけそうもないな・・・と思った。
のだけれど、スマホにかかってくる電話やメールを見せ合う、という段になって、だんだんつがいの状態が分かってくるようになった。ヤバイ電話やメールに翻弄され、次第にプライベートが暴かれていく中盤はとても面白い。
で、問題はラスト。タクシー男のところに愛人から「妊娠した」という電話が入り、妻が逆上。トイレにこもってしまい、さてどうなることか? で、何人かでなんとかドアを開けると、妻はルージュを塗っている。で、「義父さんから電話があって、妊娠したって言っておいたわよ」っていって、夫と手をつないで医師宅を辞し、途中で妻とキスまでする。「ん?」。どういうこと? ケンカしたんじゃなかったの? もしかして、タクシー男の愛人ネタは狂言で、「妊娠した」は女房から? でも、あの電話のとき、彼女は席を外していたっけ? よく分からない。もやもやする。
他のカップルも、仲よく帰っていく。デブ教師は、帰る途中のクルマを止め、車外に出てエクササイズ。で、終わるんだが・・・。
タクシー男の妻がトイレにこもったとき、カウンセラーが彼に、自分のイヤリングをこっそり突き返すんだけど。あれはつまり、カウンセラーがタクシー男と浮気していた、ということなんだよな。で、皆が帰ったあと、カウンセラーが夫の前でイヤリングを外すと、「新しいイヤリングか?」と医者の夫が言う。あれは、外してタクシー男に突き返したのとは別のイヤリング? なんかよく分からない。
狂言なのは、タクシー男と浮気話だけなのか、それとも、ほかにも狂言はあるのか?
ビジネスマンっぽいのが、自分のところに彼女(?)から写真付きのメールが来るはずだから、スマホを交換してくれ、と頼んで。彼女からの半裸写真はデブ教師の彼女、ということになるんだが。今度は、デブ教師のスマホ(ビジネスマンがもってるやつ)に、ゲイの知り合いからメールが入り。今度は、ビジネスマンのゲイ疑惑が発生というのはおかしい。しかし、ホモとかゲイに対する差別と偏見がストレートに表現されていて、これはこれでいい感じ。偏見をなくしましょう的な表面的なことではなく、実際は偏見の目で見られるのだ、ということはちゃんと言わないとな。
しんみりくる場面もある。医者とカウンセラーに16歳ぐらいの娘がいて、母親の方が、男とつき合うなとかいろいろ干渉する。それで、父親の医者の方に電話をかけてきて、相談する場面。コンドームを持たせたのも父親の医者で、彼のところに泊まっていいかどうか聞く娘に、ちゃんと考えて行動しろ的なことをいうんだが、それを全員が聞いている。まあ、母親は針のむしろだろうけど、でも、なかなかよいのだった。
おとなの事情10/11ギンレイホール監督/パオロ・ジェノヴェーゼ脚本/フィリッポ・ボローニャ、パオロ・コステッラ、パオロ・ジェノヴェーゼ、パオラ・マンミーニ、ローランド・ラヴェッロ
冒頭とラストが分からなかったのでリベンジである。
さて、冒頭からの流れは分かった。3家族も、2度目なのではっきり区別がつく。「ピルをやめたの」という獣医の妻のセリフ、小言が多い義母、パンツを脱ぐとか、伏線がちゃんと張ってある。まあ、初回でもこの程度は分かったけど。
で、整形外科医の家に着いて。ペッペが到着するまでの話は、ペッペの前妻がブスだったとか、新しい彼女の話題だった。ペッペが到着後、最初のテーブルでの話題の、22歳ぐらいの女性がどーのというのは、ここのに登場しない友人が若い娘と浮気して離婚、とかいう話のようだ。
いずれも、画面にまだ、あるいはずっと登場しない人物の話題なので、名前を言われてもピンとこないよな。初めて見るときは。
で、ラストだけど、やっぱり分からなかった。タクシー夫と獣医妻は、タクシー夫の浮気疑惑?(同僚のマリカとかいう女性が「妊娠した」と電話してきて・・・の件)でケンカして、獣医妻はトイレに立て籠もり。ペッペが体当たりして開けると、獣医妻はルージュを塗っているところで、結婚指輪を外し、帰るわよ、な感じ。この2人は手を?ぎ、キスまでして階段を降りていく。ノーパン妻も、法律事務所の旦那をクルマで待っている。゜じゃ、明日の試合」なんてみんなで確認し合って帰っていく・・・。は、前回見た通りで、見逃しはないぞ。なんで、急に仲直りしてしまうのだ?
あのラストの風景、なんとなく『十二人の怒れる男』に似てるよなあ。それまで論戦していた陪審員が、裁判所からぱらぱらとでてきて、分かれるところ。もちろん、あちらはずっと他人で、こちらは、ずっと知人なんだけど。なんとなく雰囲気が。
あるいは、芝居が終わって、役者たちがぱらはらと楽屋から出て来て、じゃあね、と挨拶でもしてるみたいな感じ。
それはさておき、ではあの、それまでのケンカや激論はなかった感じの別れは何なんだ? もしかして、あの食事会はすべて台本通りのお芝居だったとか? でも、整形外科医夫とカウンセラー妻は、そんな雰囲気ではなかったけどなあ。
それと、2度目でもやっぱり分からないセリフが結構あった。「バービー」がどうのこうの、とかいうのは、あれはバービー人形のことなのかな? とか、いろいろ。もしかしてこれは、字幕がよくないからではなかろうか、などと思ったりして。
・スマホを見せ合うゲームは、カウンセラー妻が言いだした。ということに、意味はあるのか?
・獣医妻の、冒頭の「ピルをやめたの」というセリフは、つまり、一方的な脱避妊宣言ということでいいのかな? 夫は子供を欲しがっていたけど、彼女は「まだ」と言っていた、けど、それを撤回した、と。となると、中盤で「子作りしている」云々というセリフがあるのは、ちょっと変だよな。
・獣医妻の「義母さんに、孫ができるって言っといたわ」というセリフは、タクシー夫が浮気して、別のところに孫ができる、という意味だよな。
・まずタクシー夫に「ピアスができた」と業者から報告が入り、獣医妻は「私にはピアスの穴はないわ」と。つづいてマリカからタクシー夫に電話で、「私、妊娠した」と・・・。
・それを聞いてカウンセラーはタクシー夫に、イアリングを返してツバを吐きかける。つまり、2人は浮気していた。
・みんなが帰って、カウンセラーはイアリングを外す。それを整形外科医夫が「新しいピアスか」というのは、どういう意味だ。というか、いつ、別のピアスをつけたんだ?
とか、前回も分かっていたところのおさらい。でも、やっぱり最後のシーンは分からない。ああ、いらいら。単に、月蝕の晩の、妖しい時間がつくりだした妄想世界なのか? うーむ。
・人を、Mac派とWindows派に分けたりするのは、イタリアでも似たようなものなのね。
・「日本人みたいにしつこい」みたいなセリフを法律事務所夫がいってたけど、どういう意味なんだ?
・やはりしんみりくるのは、整形外科医夫のところにかかってくる、娘からの電話への対応。
・そうだそうだ、と思うのは、みんなのホモへの蔑視の態度に、ペッペが切れるところかな。とくにタクシー男なんて、ホモだったらつき合ってない、というような口ぶりだったし。建て前と本音は、イタリアでも違うのね。
パトリオット・デイ10/18ギンレイホール監督/ピーター・バーグ脚本/ピーター・バーグ、マット・クック、ジョシュア・ゼトゥマー
原題は“Patriots Day”。allcinemaのあらすじは「2013年4月15日。50万の観衆がつめかけた地元の一大イベント“ボストンマラソン”の警備に当たっていた殺人課の刑事トミー。人々の大声援を受けてランナーたちが次々とゴールする中、彼の背後で突然の大爆発が起こり、多数の負傷者が出て現場は大混乱に陥る。トミーら地元警察官が救護活動と事態の収拾に奔走していると、FBIのリック捜査官が現場に到着、すぐさまテロと断定、そのままFBIが捜査の陣頭指揮を執ることに。やがて周辺の地理に詳しい地元出身者として捜査に協力するトミーだったが…」
2013年、ボストンマラソンでの爆弾テロ事件の顛末だけど、爆発したのは知っていたし犠牲者がでたのも知っていた。けれど、犯人特定後の追跡で、あんな映画みたいな出来事があったとは知らなかった。最初は、マラソンの時の爆弾だけで、どうやって話をつくるんだ? などと思っていたんだけど、完全に裏切られた。犯人特定後の流れに、釘付けになってしまった。最後の、テロに暴力や憎しみで立ち向かうのではなく、「愛で悪に戦う」というメッセージもなかなかよかった。
犯人の特定は監視カメラの映像をつぶさに見ることで行われるんだけど、特定が呆気無く行われてしまうのはちょっと拍子抜け。というのも、爆発の瞬間に反対側を見た男、というだけだから。そういう人はひとりだけではなく、他にもいたんじゃないの? と思うんだけど、そういうことにはふれず話は突っ走る。
※Wikipediaによると「容疑者はそれぞれバックパックを担ぎ脇目をふらず行進している」「両足を切断した被害者のジェフ・バウマンは爆弾の一つの脇にいて、意識を取り戻した際、FBIに "bag, saw the guy, looked right at me"(カバン、男を見た、私を正面から見た)というメモを渡した。バウマンは後に容疑者の1人が爆発の2分半前にバックパックを下ろしている様子の詳細な記述を当局に提供し、判別写真の速やかな提供に貢献した」とある。このくだりは、映画にはなかった。「容疑者はFBIによって証拠の写真とビデオから容疑者1と容疑者2と呼ばれ (またはそれぞれ "black hat"(黒帽)と"white hat"(白帽)) ― 爆破後に「正常でない反応を示した」犯人は止まって爆発の余波を見守り、逃げるような素振りはなく、落ち着いた様子で現場を歩いて去った」という。これも、映画と少し違うかな。
さてその後、その白い帽子の男の別の映像を見つけ出し、はっきり顔が映っている写真が得られた時点で、FBI、ボストン警察、市長らが公開するしないで口論になるんだけど、たしかな証拠もなく公表=市民からの情報集めに踏み切っていいの? と思った。ここで、FBIが公開に慎重なのが興味深く、それは、もし間違っていたらイスラム教徒からの非難が怖い、ということだった。まあ、そうだろうけど、警察や市長が公開派なのも、彼らは市民の声を気にしているからなのかな、とも思う。とはいえ、顔写真がマスコミに流れてしまい、仕方なく公開に踏み切るんだが。
犯人の兄弟、および、兄の妻とその子供については、何を考えているのかよく分からない。背後関係があるとか、そういうことは示されていない。ただ、アラブ系移民のイスラム教徒であることは間違いない。たとえ彼らが過激思想を持つ一部の連中で、一般のイスラム教徒とは関係がない、といってもあまり効果はないと思う。過激であろうとなかろうと、イスラム教徒であるのは間違いないのだから。
※Wikipediaによると、「2002年頃に難民としてアメリカに移民したチェチェン人の2人兄弟」らしい。
兄弟は、テレビで顔写真が公開されても、そんなに動揺せず、妻を置いて2人で脱出・移動する。最初はよく分からなかったけど、ニューヨークにいって、そこでも爆発騒ぎを起こそうとしていたようだ。すでに兄は拳銃を持っていて、弟も欲しがり、パトカーに乗っている警官を襲撃して奪おうとするんだけど失敗。警官に何発もの銃弾を浴びせる。なんか場当たり的だな、こいつら。
次は、中国人の乗っているベンツを奪い、中国人を乗せたまま移動するんだけど、腹減ったからと弟に店に買いに行かせ、でもクルマの中の兄貴はスマホに夢中で、そのスキをついて中国人が逃亡。これまたトンマというか何というか。アラブ人はバカか、という感じ。
やってきた警官トミーに、中国人は「クルマにGPSがついている」と教える。ふーん。いまどきのクルマにはそういう機能も付いているのか。
※Wikipediaによると「車に残った携帯電話」らしい。
というわけで、ベンツの位置は警察に丸分かり。パトカーに発見されるが・・・の後がもの凄い。なんと、もっていた爆弾をつぎつぎパトカーに向けて放り投げ、住宅地でドカンボカン。うひゃー。こんな捕り物があったのか! な衝撃。まあ、爆発の大きさなんかは映画的に誇張してはいるだろうけど、まったくの嘘ではないのだろう。
※Wikipediaによると「兄弟と到着した警官のあいだで「猛烈な」銃撃戦が展開された。200-300発の銃弾と、少なくとも一つの爆弾、それに幾つかの"粗雑な手榴弾"が使われた。兄のタメルランが銃弾を使い果たし、警官が兄を押し倒して逮捕するに伴い、弟のジョハルは盗まれたSUVを運転して警官に向けて突進し、そのためSUVはタメルランを轢いて、短距離ながら引きずった」らい。
てなわけで兄は悲惨な最期を遂げ、病院に運ばれる。弟はなおも逃亡し、民家のボートの中に隠れる。まあ、警官があれだけいて逃げられた、というのも褒められた話ではないとは思うが。あれだけドカドカ爆弾が破裂し、銃弾も撃ち込まれてはしょうがないとも思うけど、ううむ、な感じ。
その、カバーの掛けられたボートは、屋根の上から警官に取り囲まれ、ちょっとしたことで一斉射撃を受け、誰かに制止されるんだが、あれだけ撃たれたら生きてはいまいと思ったらそうでもなく。さらにFBIの狙撃手たちも加わり、発煙筒を放り込んだら本人が手を挙げてでてきた。ひゃー。あれだけ撃たれて怪我してないの? な驚き。
というわけで逮捕劇は終了するんだが、予想を裏切る派手なアクションに驚いた、という次第。だってわずか3年前の事件の映画化だからな。
・家に帰っていたトミーがFBIの指揮官リックに呼び出される。爆発が起きた地域をよく知ってるから、という理由。目星をつけた犯人を見せ、その後、犯人=白帽の足取りをたどるんだけど、あの経緯がよく分からず。「私は・・・」とかいいつつやってたような気がするんだけど、トミーが見せの名前を挙げるたびにドンピシャリで防犯カメラに白帽の姿が映ってる。自分だったらどこに立ち寄るか、を予想しているのか? たぶん、爆発前に遡っているんだろうけど、いまいちわよく分からなかった。
・それにしても、白帽は、爆発前にあっちこっちムダに寄り道しすぎだろ。アホかと思う。
・少年が爆破の犠牲になり、でもFBIの指示で遺体の移動を止められたトミーが、近くの酒場みたいなところに入る。あれは、安置する場所を探してなのか? で、置き去りにされた(?)スマホを手にいじった(?)ら、パン! という音。「スマホに気をつけろ」とかいうようなことをいう場面があったけど、あれがよく分からなかった。あのスマホで起爆させたわけじゃないよな。
・指紋の採り方が、へー、だった。犯人のひとりが病院に運ばれ、救命医療を施されているとき警官が手術室に入ってきて、小さなスマホみたいなのを犯人の指に当てると、それでOKにのね。へー。とはいえ、いまじゃスマホでもスマホ認証があるんだから当たり前か、とは思ったけど。日本の警察もああなってるのかな。
・アラブ人2人が犯人らしい、ということで警察内部にアナウンスされるとき、その属性が「白人」になっていて。でも、人質になった中国人は「アジア人」。ということは、中東の人たちは外見から白人に分類されるのか?
・3年前の事件だけあって、登場人物のモデル、というか、実物が最後に登場する。これなど、なかなか泣かせどころ。各人物の私生活や、事件中の様子、事件の後の状況など、個人に寄り添った描き方をしているから、よけいに迫ってくる。でも、トミーと奥さんは、想像上の人物なのかな、やっぱり。
ハローグッバイ10/20キネカ大森3監督/菊地健雄脚本/加藤綾子
allcinemaのあらすじは「はづきと葵は、同じクラスにいながらもまるで接点のない対照的な高校2年生。いつも多くの友だちに囲まれ、中心的存在のはづきに対し、いつも一人ぼっちでいる優等生の葵。しかし、それぞれに誰にも言えない秘密を抱えていた。はづきが元カレの子どもを妊娠したかもしれない不安に怯える一方、葵はやり場のない苛立ちから万引きを繰り返していた。そんなある日、ひょんなことから一緒に認知症のおばあさんを自宅まで送り届けた葵とはづき。やがて2人でおばあさんの初恋の人探しを始めるのだったが…」
女子校生2人と、認知症の老婆との物語ではあるけれど、全体を俯瞰すれば世代を越えた少女の話に思えてくる。つくり=シナリオが丁寧で、見ていて気になった事柄は、ちゃんと回収してくれる。他の映画にありがちな、勢いで加えたシーンとか、思いつきのような設定もほとんど感じられず、ぴたっぴたっとピースがはまっていく。もちろんそのせいで、荒々しさや勢いのような、そういう魅力には乏しいけれど、でも、完成度の高い清々しさが感じられる。ラストも、その気になっていた部分をちゃんと回収し、解決してくれている。やはりそうきたか、な感じでしみじみ。まあ、課題はといったら、素っ気ない題名と、葵の反抗の理由がありきたりなことぐらいかな。
あ、あと、老婆の恋人の家の探索訪問が、はたして半日でできるのか? という素朴な疑問がある。本人の家→(バス移動)→友人の家→(距離は分からない)→恋人の家と回るのだが、あまり近いと、会うのが久しぶり、という設定は変だし。遠ければ、時間が足りないような気がするけどな。
接点がなさそうなクラスの2人が、認知症の老人の世話、という一点で結びつくというのが興味深い。しかも、目的が違う。はづきは、堕胎費用の10万を老婆のATMからくすねようと企んでいるし、葵は家まで送ろうと考えている。送るまでに喫茶店に入ったりゲームセンターに寄ったり、そんなことしてないで警察に行けよ、と思っていたんだけど、なんと、そのセリフははづきが葵に言ってくれた。そうそう、そうなんだよ、という回収の仕方が、なるほど。で、思うに、葵は久しぶりに人と接して楽しかったんだろうと思う。痴呆症の老女も、そして、クラスの人気者の はずきと過ごす時も。それを楽しんでいたから、警察には届けなかった、のではないかと思う。
結局、警察に連れていって、娘がつれ戻しにやってくるんだけど、このシーンだけで認知症の母と、迷惑がっている娘との関係も見せてしまう。なかなかムダがない。
という話と並行して、優等生かと思っていた葵の裏の顔が描かれる。クラスで、名前を呼ばれず、委員長と呼ばれる葵。でも、彼女には万引き癖があった。ということなんたけど、父親は海外出張中で、母親は医者だっけ? 忙しいから、構ってもらえない。その反動で、ということらしいんだけど、この設定はちょっとありきたりかな。もうちょっと考えてもらいたいところである。
葵はクラスメートのカバンも、勝手にチェックしていた。この日の成果は、妊娠検査薬と、鏡。それを花壇に埋めていた。その後、授業中、天井に映る光を見て、たぶん葵は「いけね。鏡がちゃんと埋まってない」と思ったんだろう。それで始末に行ったら、葵は、花壇の手入れをしているとき、たまたま教室から聞こえてくる はづきと彼氏との声を聞いてしまった。妊娠した、という話で、でも彼氏はすでに はづきと別れ、別の彼女(彼女も はづきの友だち)とつき合っていた・・・。という日の帰り道だったっけ? 2人が階段で認知症の老婆と出くわしたのは。(時間の前後は、もうよく憶えてない)
なんだかんだ文句を言いつつ、葵と一緒に老婆の面倒を見始める はづきがいい。「あのとき、手紙を出そうとしていた」というところから、葵は老婆の目的を推理し、どかどかと老婆の家に押しかける。でも、老婆はもう、2人の子とを憶えておらず、「警察を呼ぶ」とまでいわれるんだけど、老婆が鼻歌で奏でていたメロディを復唱すると、態度が変わる。それをいいことに、家捜しするのは少しやり過ぎな感じもしないではないけれど、アルバムの写真と年賀状(だったかな)を見つけ、その宛先を訪ねる、のだけれど、これが午後1時ぐらいとしても、以降の恋人探しの旅は、日の高いうちには終わらんと思うのだが…は、もう書いたか。
ハガキの主はすぐ知れて、蕎麦屋かなんかのおばちゃんだった。そこで、写真に写っている3人が、老婆、蕎麦屋のおばちゃん、もう1人、と分かる。で、老婆が慕っていた相手は、もう1人の少女と結婚していて・・・。という事実が呆気なく分かる。どうやら、好きな相手とは結婚できない時代のことだったらしいけど、それはいつのことなのか、よく分からない。この映画の時代設定が現在なら、戦後のことだとは思うけれど、結婚できなかった事情は説明されない。ところで、この蕎麦屋はそんなに遠くないところにあったようなんだけど、老婆の認知症を知らなかったみたいなのは、どうなんだろ。うーむ。
さて、バスに乗って、老婆の想い人と、もう1人の娘の元へ行くが、すでに2人とも亡くなっていて、ピアノ教師をしている息子が話をしてくれた。あの、老婆の鼻歌は、どうやら、老婆のために想い人が作曲したもので、その楽譜を、息子にだけ「演奏していいよ」といった、んだったかな。それ以外は封印してしまっていた。息子の演奏を聴いて、夢見心地の老婆がやるせない。
というわけで、これが、老婆たちが少女だった頃の物語、というわけだ。
で、葵の家で、はづきは妊娠チェックするんだけど、陰性で。やったね、かと思ったら、泣いちゃったんだっけ。あれが、しみじみいい。みんなの人気者グループにいて、蓮っ葉な感じだけど、だからといって結果を知ってはしゃぐ、というようなステレオタイプに描くのではなく、実は はづきも繊細で、ヤワな少女である、ということがつたわってくる場面だった。あ、これは老婆の想い人を訪問する前だっけ? 忘れた。
葵の方も、はづきに万引きのことを知られ、それはそれで重石のようにのしかかってきていたわけで。はづきに「親に相手にされないから?」とズバリ指摘されて、忸怩たる思いだったんだろうか。
この帰りだっけか。はづきが、それまで委員長と呼んでいたのが、初めて「葵」と呼ぶのは。でも、「学校では委員長って呼ぶけど」って言ったんだっけかな。よく憶えてないけど。でもまあ、個人的には、心がつながった瞬間で、なかなかよい。
最後、万引きしたブツを持ってショップに行き、自首する。店長は「君は常習だろ」と、簡単には許してくれず(許すかな、と思ったんだが)、警察と学校に連絡するという。
学校のはり紙。停学5日だったか一週間だったか。なかなか手厳しい。その期間が終わり、再び投稿する葵。の背後から「よく来れたわね。私なら転校するわ」と。黙って自席につく。仲間から離れ、葵に近づいていく はづき。葵の机の前で・・・えーと、何をしたんだっけ。忘れてしまった。ははは。いや、期待したのは、黙って葵を抱きしめる、だったんだけど。そうはしてくれなかった。目は合わせたっけかな。で、言葉は交わさず、はづきは外に歩みを進め、そこで終わりだったか。
というわけで、なかなか叙情的で、でも現実的で、はかなく、でも豊穣なところもあったりして、いい映画であった。やっぱり、完成度の高いシナリオは、よいね。
月と雷10/23テアトル新宿監督/安藤尋脚本/ 本調有香
原作は角田光代。allcinemaのあらすじは「幼い頃に母が家を出て行って以来、普通の家庭を知らずに育った泰子。亡き父が遺してくれた家に暮らす彼女は、職場であるスーパーで知り合った男性との結婚を控え、これからは普通の人生を送っていけるものと信じていた。そんなある日、泰子の前にひとりの青年・智が現われる。20年前、智とその母で父の愛人だった直子が家に転がり込んできて、半年間だけ一緒に暮らしていたのだった。当時は仲良く遊んでいた泰子と智。普通の生活を願っていたはずの泰子だったが、突然の智の登場で、思わぬさざ波が立ち始める。やがて、当の直子もふらりと現われ、おまけに異父妹・亜里砂の存在も判明するなど、激変していく日常に戸惑いを隠せない泰子だったが…」
幼少時、父親が女(直子)を家に引っ張り込んで。それが原因で母親が家をでたらしいんだが、そのとき母親が「一緒に行こう」といったら拒絶し、家に入り込んだ女とその息子=智と仲良くなり、半年後、この2人がでていくとき泣いて、「連れていってくれ」といったという泰子、という存在が先ず変だろ。なんでよその女になついて、生みの母を嫌ったんだ? ここからして、この映画にリアリティはなく、だから以降の話もまったく共感するところがみつからない。
女=直子は父親の元から去って行く。どうやら、父親の親戚筋が口を挟んだから、とかいってたけど、まあ、見切りをつけた=飽きた、というところなんだろう。でも、その頃、実母が戻るとかいう話もあったとか言ってたけど、なんかそれも曖昧で。結局、実母の田中一代(服部真湖)とは別離し、佐伯という男と結婚。で、佐伯亜里砂が産まれる、わけだ。
一方、父親はまたまた別の女を連れ込み、7年連れそったけれど几帳面なその女に泰子は慣れることなく、嫌いなままだった。そして、ある日女は自殺した、らしい。その後、父親は女を連れ込むことは亡かったけれど、酒浸りになって、平成29年に亡くなった? いや、位牌の没年がそう読めたんだが、違うかも知れない。で、泰子が言うには、父親は、たんに家政婦が欲しかっただけ、とかいうんだが、なんだそれ、である。
智の母親は、直子。父親の話はまったくでてこない。智は直子に連れられて男の家を転々とし、茨城、熊本、新潟、千葉、東京なんかを転々としていたようだけど高校はどこだったか、でもちゃんと卒業したのかな。でも、その後、智はひとり暮らし=独立してないのか? だって、いまだに母親と連絡をとっていて、転がり込んでいる男の家も了解したりしている。30過ぎて、変だろ。
ところで、直子が男のところに転がり込むのは、長くはない。泰子のところも半年だったはずだ。そんなんで、泰子は智の記憶が残っているのか? 怪しいと思う。フツー忘れちゃってるよ。智が、泰子の家を訪問して、「なつかしー!」というのも、あり得ないと思うぞ。
とまあ、そういう背景があって。30半ばで独身の泰子はスーパーのレジ係。そこで働くおっさんとつき合っていて、結婚の予定・・・というところに、突然、智がやってくる。なんでも、過去に転々とした家を訪問するのが趣味らしいんだけど、じゃあなぜいままでなぜ泰子の家に来なかったんだ? という疑問が湧くが、それには答えていない。
しかし、4、5歳の頃に半年だけ遊んだ男の子を、30過ぎて憶えているものかね。誘われて飲みに行き、泊めてくれという智を家に上げ、別に寝て、と言っておきながら、夜中、水を飲みに起きたついでに智の布団に潜り込み、昔してもらったように背中からの抱っこをしてもらうと、手が智のパンツの中に入っていき、なんと自ら脱いで騎乗位でセックスしてしまうという・・・。おいおい、それって村上春樹の性体験描写そっくりだな。そんな簡単に身体を許す理由はなんなんだ? 婚約者らしきものがいるというのに。
で、翌日から智は家に居着くんだけど、これなど母親の直子と同じではないか。親子して食いものにされているのか? アホかと思う。
あとはもうだらだら。いきなりテレビのご対面番組になって、あっけなく泰子は実母と再会。わざわざテレビに出ずとも調査会社に頼めばやってくれるのに・・・。で、テレビであっただけで、未練はないような感じだったのが、同僚に言われてなのか、もう一度会って・・・な気持ちになったのか、実母の家の前をうろついていたら異母妹に会って・・・。なんと、その亜里砂が泰子の家にやってきて、1日で帰るのかと思ったら住みついてしまう・・・。時を同じくして、泰子は妊娠・・・。相手は智で・・・という、なんかムチャクチャな感じ。避妊しないで智にまたがったあんたが悪い、と思う。
さらに、現在転がり込んでいる家から出奔し、別の男のところに行ってしまった直子の後始末を智がするんだけど、なんでそんなことを30過ぎた息子がしなくちゃならないのか、よく分からない。ほっときゃいいじゃないか。というか、智はどこに暮らし、なんか働いているのか? という疑問もずっとつづいたままだし・・・。
と思ったら、「妊娠してるから大変だろうと思って」っていって、直子までもが泰子の家にやってきて。「初めてだわ、むかし転がり込んだ男の家にまたやってくるのは」なんて言っている。というわけで、泰子、亜里砂、直子でしばらく暮らしつつ、ときどき智も来るんだったかな。家庭に縁のない泰子、直子はいいとして、亜里砂はどうなんだ? 母親=泰子の実母は料理評論家で成功しているにも関わらず、娘の亜里砂には包丁は持たせず、だから米の研ぎ方も知らない、という設定は、これまたどうなんだ? な感じ。母親に止められても、どんどんやったらよかろうが。そんなんで海外留学なんてできねえぞ、とか思ったり。
それにしても、時間の流れ、つまり、どれぐらい時間あるいは日にちがたったのか、がよく分からなくて。いったい亜里砂は何日ぐらい泰子の家にいたのだ? 亜里砂は、両親に何と言って出てきた、あるいは、泰子の家に居着いているのだ? というあたりも、よく分からない。
で、ある日また直子はふらりと出ていって。亜里砂もいつの間にか留学先からのハガキで登場し。家には智と泰子が住んでいて。智は、口では言えに落ち着くようなことを言ったりしていたんだけど、ある日、直子が死んだ、という連絡が智のところにきて。しばらくしたら、泰子が起きると家から智の気配が消えている。さては、出奔。で、泰子がへらへら笑いを浮かべるのは、やっぱりな、ということなのか。まあ、直子の息子だから放浪癖があってもいいけど、智という男のプロフィールが分からないので何とも言えない。というか、結局、智は何やつ? ということなんだよな。それが描かれていないから、話もストンと落ちないのだ。
まあ、家庭に恵まれない人たちがゾロゾロでてくるような感じではあるけど、それだけでは説明もつかないだろうな。話自体もそんなに面白くないし、分からない。いろいろリアリティがなさすぎて共感できないのだ。なんか、原作(読んでないんだが)に引きずられて、映画的に消化し切れてない感じかな。
主人公は泰子になっているけど、いちばん興味深いのは直子だよなあ。
・泰子のスーパーの同僚が市川由衣なんだけど、扱いが脇役もいいところで、彼女が演じる必要なんてまったくない感じ。もったいない。
・気の毒なのは、泰子の婚約者、かな。ある日、泰子の家を訪ねたら男がいて。泰子を妊娠させたのは智と知りつつ、それでも泰子に迫ってきて。「こうすれば、僕の子になるでしょ」みたいな哀しいことを言う。みじめ。
あさひなぐ10/24ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/英勉脚本/英勉
allcinemaのあらすじは「中学時代は美術部で運動音痴の東島旭は、入学した二ツ坂高校で1つ先輩の宮路真春と出会い、その強さに憧れ“なぎなた部”に入部する。“練習は楽”という誘い文句とは真逆で、過酷な稽古についていくのがやっとの旭。そんな中、3年生にとっては最後のインターハイ予選を迎える二ツ坂。順調に勝ち上がるも、決勝でダークホースの國陵高校に敗れてしまう。中でも1年生エース・一堂寧々の圧倒的な強さは、旭の心に深く刻まれるのだった。その後、再スタート切った二ツ坂は、山奥の尼寺で地獄の夏合宿を敢行、一回り大きく成長して秋の大会を迎えるが…」
ドジ娘が高校の薙刀部へ。『恋は五・七・五!』『書道ガールズ!』『ちはやふる』なんかと同じマイナー部活の物語。乃木坂46については、おっさんはまったく分からない。誰が乃木坂で、誰がそうじゃないのか分からないけど、とくにアイドル扱いしてない演出な感じかな。
この手の映画では、個人を描くのに家庭環境や恋物語を交えたりするのがフツーなんだけど、そういうのがほとんどなく、ほぼ全編が部活の話というのが珍しい。家族や個人の悩みはでてこなくて、それでももたせてしまうのだから。まあ、部内で一番の薙刀の達人、真春の弟・夏之というのが登場するけど、ほとんど恋物語には遠いし、それほどハンサムでもない。
映画としては、結構楽しめた。とはいえ問題は・・・まず、
・最初に卒業する3年生の存在がほとんど描かれてないこと。一応、試合はするのだから、ひととおりは紹介して欲しかった。
・部員6人の名前が覚えられない。顔やキャラは区別つくんだけど、試合のときなど、胴着に書かれた名前で判別しなくちゃならんのがつらい。
・試合のとき、面をつけているので、どっちがどっちかわからない。まあこれも、名前が覚えられないことの延長だけど、あの面をつけてしまうと、区別が難しい。背中につけた赤の目印もあるけど、教えてくれないから、気づくまで時間がかかったし。団体戦の経過が分からないので、ハラハラドキドキしづらいのがつらい。
・ルールがよく分からない。3本勝負らしいけど、3本見せてくれたり、1本だけで勝負がついてしまうような場面があったり、まちまちなので、うーむな感じ。
というようなところを改善したら、もっと面白くなるに違いない。
部員が籠もって特訓をうける白滝院。その尼さんが薙刀の名手らしいのだが、エンドクレジットで江口のりこと知った。へー。ぜんぜん気づかなかった。あの陰気なキャラが、こんな役も。というわけで、なかなかいい感じなんだけど、その寿慶と小坊主が大会の場所に顔を出すシーンがある。そこで、大会の偉いさん(角替和枝なんだけど、最初、泉ピン子が歳を取ったのか? と思っていた)とにらみ合ったりするんだが、どういう確執があるのかが分からない。それはちょいと説明して欲しい感じ。
で、寿慶のアシスタント的な小坊主がとてもいい味を出して、小ネタで笑わせてくれるんだけど、公式HPに役も役者も出てない。彼女のウェイトは高いのに、なんで? な感じ。藤谷理子というらしい。
そう。この映画、いろいろ小ネタが散りばめられていて、それがいい味になっているのだ。顧問の小林先生の勝手にノリノリなキャラも楽しいし、部員のさくらのお嬢様キャラもおかしい。あとは、この手のドラマに必ずいる、ずんぐりむっくりのブスキャラも。もったいないのは、部をまとめている野上えりのキャラなんだけど、前半はあれこれ登場しているのに、後半は存在感がなくなってしまう。もったいない。あと、剣道経験者の八十村も、後半は勢いが薄れてきて残念。それと、ライバル校の強気の生徒、一堂寧々が、いまいちペラペラな感じ。このあたり、もうちょっと描いてくくれたらよかったのになあ、な感じ。
最後に、主人公の東島旭は、メガネを取った顔を見せてくれるのかと思いきや、それはなかった。これまた、ちょっと残念。
50年後のボクたちは10/26ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/ファティ・アキン脚本/ラース・フープリヒト
ドイツ映画。原題は“Tschick”。allcinemaのあらすじは「不器用で臆病な14歳のマイク。家では母がアル中で父は浮気中という家庭崩壊寸前で、学校でも憧れのタチアナに声を掛けることもできず、クラスで目立たないようにしているばかりの退屈な毎日を送っていた。そんなある日、クラスにロシアからやって来たという風変わりな転校生チックがやってくる。変な髪型で不良じみた彼の登場はたちまち学校中の噂に。そんな中迎えた夏休み。ある日突然、チックが無断で借用したオンボロ車“ラーダ・ニーヴァ”に乗って現われる。チックはマイクをドライブに誘うと、そのまま祖父が住んでいるという“ワラキア”を目指して旅に出るのだったが…」
中二の夏休みにハメ外して大冒険=事故な話。『スタンド・バイ・ミー』の昔(それ以前にもあったんだろうけど)からこの手の話は再生産されてる。最近の『グッバイ、サマー』も、真面目で小心者と悪ガキのコンビというのが、この映画に似ている。てなわけで概ね内容は他と同工異曲で、この映画ならではな話は乏しい。それでも、なんとなく見ちゃうけどね。
マイクについて考えると、それほどクラスで浮いているようにも見えない。最初の方で、母親のアル中話を作文にして朗読し、教師に止められたぐらい。この程度で、みんなから「サイコ」と嫌われるのか? 父親は不動産会社に勤めているのか幹部なのか、でも開発中の土地がいまストップしててどうたらと言ってたかな。豪邸に住み、でも、社内での立場が苦しいとかいうことではないんだよな。だって美人秘書と浮気してるんだから。母親のアル中の原因は、これなのか?
クラスの美女、タチアナに惹かれているけど、俺じゃないだろ、とは分かっているけど、思いが断ち切れない。というようなあたりは、日本の中学生とは違うかな。呼ばれていないパーティに乗り込んで行って、描いた絵を手渡すみたいなマネは、かっこわるくてできないよな。まあいいけど。
夏休み。クラスの誰からも相手にされないマイクは、これまた相手にされていない転校生のチックに誘われ、ワラキア=ど田舎をめざすんだが、チックは盗んだクルマでやってくる。はて、チックは何者? チックは、彼をからかった生徒の耳元にひと言、で相手は黙ったという描写がある。これで「父親はロシアマフィア」という噂が立ったらしいけど、真実はなんなんだ? ロシアの東部の生まれと、といいつつ、ユダヤ系ロマ、だったかな、にこだわるチック。妙な存在。
パトカーに追われて振り切ったり、トウモロコシ畑で暴れたり、崩れそうな橋を通って沼を渡ったり、まあこのあたりは定番。というところでガス欠になり、トラックからガソリンを盗もうとしたけどホースがない。探していたら、ゴミ捨て場の建物で、イザという汚らしい娘に会うんだが、彼女も得体が知れない。プラハに義理の姉が住んでいる、といたっけか。イザ役のメルセデス・ミュラーは1996年生まれだから撮影時20歳。なので2人からすると年上のお姉さん。その彼女がマイクに「する?」なんて迫ったり、でもキスしかしなかったけど、どういう女なんだ? あんなゴミ置き場みたいなところに住んでたりして。もともと東欧からの移民で田舎に帰るのか? ドイツ国内で、どういう目に遭ったのか? 決して手離さない箱の中味は? とか、意味深。まあ、ガソリンの盗み方を2人教えるんだから、どんな生活だったかは、少しは想像がつくけど。その彼女は、途中でプラハ行きのバスを見つけ、マイクに「30ユーロ貸して」といって、消えていった。
で、最後は、煽ってくるトラックを抜こうとあれこれしてたらトラックが横転。そこに突っ込んで、大けが。「施設に送られる・・・」とチックは去って行き、残ったマイクは警察に・・・。周囲は、トラックの荷物のブタさんがうじゃうじゃ・・・。
で、退院したら、速効で父親に張り倒されるマイク。うーむ、ドイツはそんなにオヤジが強いのか? なオヤジは秘書の元へ出ていき、残されたアル中の母親とプールでじゃぶじゃぶって、おいおい、な感じ。
で、夏休みが終わって学校へ行こうとしたら、いきなりパトカーに呼ばれてチックのことを聞かれる。なんでも「ラーダが破壊された」とかいう話で、なんだかよく分からなかったんだけど、最初に盗んだクルマ(トラックに激突して壊れたけど)がラーダという名前なのね。でマイクは、「ラーダが破壊はチックからのメッセージだ!」と理解する。でも、ラーダがロシアのクルマだなんて分かんないよそんなの。他の映画ではスタバを「コーヒー店」としてたりするのに、この映画では「ラーダ」かよ。「ロシア車」でも「クルマ」でもいいじゃんなあ。
学校へ行くと、それまで無関心を決め込んでいたタチアナからメッセージが届いて「どこに行ってたの?」に「ワラキア」とだけ答えるんだっけか。もうすでに、マイクはタチアナへの興味はなくなっていて、要は、この夏で彼は子供から大人へと成長した、というよくある話。
で、回想シーンになって、山の岩場で落書きし、「50年後、ここで会おう」とマイク、チック、イザが約束したよ、というエピソードが挟まり、タイトルの解き明かしとなるんだけど、50年後、2人は64歳、イザは70歳ぐらい? うーむ。再開の様子を見てみたい。
・マイクの家は東洋趣味か。マイクが通販で買ったジャンパーは、龍の刺繍にjapanの縫い取り。庭には枯山水風の一角。玄関には兵馬俑。あのあたりの背景も気になる。
・旅のお伴の音楽は、リチャード・クレーダーマンというのには、どういう意味があるんだろう? たんに、あのクルマの持ち主の趣味? でも、ずっと聞いていたよな。
・風力発電の近くの民家でご飯を御馳走になるところが面白かったな。子供たちがみんないろいろ知っていて、母親のクイズでおやつの大きさが決まるというやつ。
・エンディングタイトルに、チックの様子がアニメで描かれる。病院に行ったけど逃げ出して、むまたクルマをかっぱらって・・・とかいう内容だったかな。それにしても、チックはいまいずこ。
・マイク役のトリスタン・ゲーベルは2002年生まれ。実際に14歳ね。ふーん。
・チック役のアナンド・バトビレグは、身長は高いけど、何歳なのかよく分からず。
・エンディングの歌の歌詞に「電話番号0815(ありきたり)」とあったんだけど、あれはどういう意味だ?
あなた、そこにいてくれますか10/27ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/ホン・ジヨン脚本/ホン・ジヨン
英文タイトルは“Will You Be There?”。allcinemaのあらすじは「医師のハン・スヒョンは、ボランティアで訪れたカンボジアで、村の長老からお礼にと10粒の薬をもらう。それはなんと、過去に戻れる不思議な薬だった。半信半疑ながら、30年前に事故で亡くなった恋人ヨナに、もう一度ひと目会いたいと願い薬を飲んだスヒョンは、本当に1985年にタイムスリップしてしまう。そこで過去の自分と再会したスヒョンは、自らの正体を明かし、ヨナの身に起こる事実を告げる。そのことを知り、ヨナを助けたいと気持ちがはやる若きスヒョンに対し、煮え切らない中年のスヒョン。彼には、ヨナの死から10年後に生まれた最愛の娘スアがいた。ヨナとの未来を選ぶということは、スアがこの世から消えてしまうことを意味していた。それでもヨナを救いたいと願う若きスヒョンだったが…」
原作はフランスの小説らしいタイムワープもの。なんだけど、いろいろアバウトな展開でいまいち話に入り込めず。なんというか、ありきたりなんだよね。で、その過去に行って、それをする必要があるのか? むしろ、戻るべきは、あの時間なんじゃないのか? とか、あれこれツッコミどころも多い。
過去と現在の本人が会う、というのはタイムワープものではタブーなはずだけど、それをどんどん行う。ということは、過去を変える、未来を変えることに積極的と言うことで、なんかなあ、な感じがしないでもない。『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』ですでにやられているから、いいのかな。
過去から現在へ、メッセージを送りたい、という伝達方法として、刺青はなるほど、な感じ。でも、次の、アルバムに手紙を挟んで&レコードにメッセージ? なのかな、はどうなんだ? そもそも、そのレコードが現在の時制でターンテーブルに載っているとは限らないだろうし。というか、あのときスヒョンはテホに手紙を託したけど、レコードのことは言ってなかったよな。なので、よく分からないのではあるが。それと、あのときスヒョンは、女の子といちゃいちゃ中のテホに手紙をもっていくよう急がせたけど、急がせる必要はあるのかね。というか、あの手紙を老スヒョンが発見する日時も分からんわけだよなあ。とか、考えていくといろいろ「?」がでてくるのだよ。
で、過去からメッセージ遅れるということは、スヒョンが独身で住んでいた過去と、現在の住まいが同じ、ということなんだよな。娘が生まれても変わらずに・・・。しかし、手紙を挟んだアルバムが30年間同じところに積み重ねられている、というのは、アリなのか? まあ、手紙が挟まってない時制と、挟まった時制があるのではあろうが。
とかなんとか、パラドックスとか不自然さとか、いろいろ考えながら見ていると、どーも話に入り込めない。他にも・・・。
・青年スヒョンは、ヨナがイルカに殺される当日、自分の家に彼女をムリやり呼び寄せ、事故を回避する。さらに、ヨナに決別の言葉を投げつけ、分かれる。のであるが、ヨナが、2人の思い出のつまったノートを青年スヒョンの家のポストに投げ込み、それを見たスヒョンはヨナを探しに向かう・・・。で、朦朧状態のヨナはクルマに跳ねられ、意識不明。当時の医師は脳内の血腫を見逃したとかで、老スヒョンが執刀して助けるんだけど、執刀直前に現在に戻ってしまい、薬を飲んで再び過去の執刀時点に行くのであるが・・・。って、そんな手術時点にもどらずに、クルマに跳ねられる前に戻るとか、青年スヒョンがヨナに会いに行くのを止めるために戻るとか、もっとリスクの少ないタイムワープはいくらでもあるだろうに、そうしないのは、話を盛り上げようとしているだけ、だよな、これって。
・それと、老スヒョンは、青年スヒョンに「ヨナと分かれろ」というんだけど、分かれる必要はあったのか? イルカの事故を回避して、それでOKには、なぜならないの? 歴史の力が強くて、スヒョンが一緒にいると、ヨナが死ぬ運命に力が働く、とかいうことはあったんだっけか? もうよく憶えてないんだけど。でも、もしそうなら、ご都合主義的な理屈かもな。
・で、分かれたまま、の状態で30年たち、老スヒョンが老テホの働く農園に行くと、老テホは、嫌な奴が来た、な感じで老スヒョンを見る。なんで? 青年スヒョンがヨナに別離宣言したからって、スヒョンとテホの友情には関係ないと思うんだけどねえ。
・スヒョンの娘の母親は、アメリカにいる、とかいっていたが。妻だけ単身赴任なのか? と思ったら、あれ? 娘の成長過程の映像がでるんだけど、スヒョンと娘しか映らないぞ。ということは、相手は未婚の母で、娘をスヒョンに押しつけ、自分は独身のまま医師をつづけ、アメリカで働いている、ということなのか? なんかな、それって、変なの。
とか、細かい部分は忘れたところもあるけど、なんか、いろいろスッキリしない。
で、結局のところ手術は成功し、ヨナは一命をとりとめた? らしいが、担当医だった青年スヒョンとは、その後どう決別したのか、は描かれていない。ここのところも大いに気になるところではあるのだが。
で、現在。老スヒョンは末期の肺がんにあって、テホに連絡をとるのだが、そこでヨナの消息を知る。が、このパラレルワールドではスヒョンとテホはケンカしていないのだよな。ではなぜ互いに連絡を取りあわなかったんだ? というか、フツーに考えれば、青年スヒョンは術後のヨナを遠くから見守っていた、が順当だと思うのだけれど、老スヒョンはヨナが生きていることに驚き、会いに、というか、赤の他人としてすれ違いに行くんだよね。でその後、老スヒョンが経緯を書いた日記のようなモノをテホに託し(たのか?)、テホはそれを現在のヨナに見せるという流れでオシマイなんだが。なんかいろいろぎくしゃくな感じで、うーむ、な感じである。
・「電話を30年前からかけた」みたいなことをいってたところ、なかったっけ?
・犬のジャガイモは、どうなったんだろう?
静かなふたり10/30新宿武蔵野館3監督/エリーズ・ジラール脚本/エリーズ・ジラール、アンヌ=ルイーセ・トリヴィディク
原題は“Dr?les d'oiseaux”。allcinemaのあらすじは「パリに引っ越してきたばかりで、都会のせわしなさに馴染めず、孤独と不安を募らせる27歳の女性、マヴィ。そんな彼女は、従業員募集の貼り紙に導かれカルチェ・ラタンの小さな古書店で住み込みで働くことに。店主のジョルジュとは祖父と孫ほども年が離れていたが、いつしか2人は惹かれ合うように。しかし謎めいたところのあるジョルジュには、やはり後ろ暗い過去があることが徐々に明らかとなってくるのだったが…」
古本屋が舞台というから『リスボンに誘われて』みたいなミステリアスな展開で引っぱってくれるかと思いきや、物語もいい加減で中味のない70分だった。短い尺も、とくに何かが凝縮されているわけでもない。作り手の方で、表現したい何かがあるわけでもなく、思わせぶりな設定をいくつか散りばめただけ。なので退屈だった。
主演のロリータ・シャマーはイザベル・ユペールの娘なのか。地味な顔立ちだ。それと、古書店主役のジャン・ソレルは、名優っぽい人なのね。よく知らなかったけど。
マヴィがパリに出て来たのは、信じてくれる人がいなかったから、とかいってたけど、具体的にはよく分からない。30半ばで、なにを考えているのかというぐらいしか感じない。で、ルームシェアしてる相手は、どこで見つけたのか? 昔からの知り合い? たまたま? よく分からんが、その同居人は、男を連れ込んでしょっちゅうセックス三昧。男には女房子供がいて、しかも愛妻家だだけど、そういう男でも全然オーケーで。そういうのが嫌でひとり暮らしをしたかったのかな。よく行くカフェ(窓に『ヘンリー3世』のポスターが貼ってあった)に、住み込み店員募集の掲示を見つけ、行ってみたら即決。といってもすぐに引っ越しではなく、いろいろ手を入れてから、らしいのだが。その部屋はどこなんだ? あの書店の上階?
書店内は開けられていないままの箱があちこちに。で、マヴィは勝手に箱を開けで書棚に並べるんだけど、好きにさせるジョルジュ・・・というのが、よくわからない。こだわりのない古書店なのかと思ったら、誰だったか、ある作家について、ジョルジュは「鼻につく」と否定するんだが、マヴィは「私は好き」とどんどん棚に並べていくが、ジョルジュは勝手に見守っている。
忙しいから人を雇った、といいつつ、ほとんど何も仕事をしていない様子のジョルジュ。しかも、やってきた客を追い返してしまったりする。なのに、毎月、マヴィに大金をくれる。いったい収入はどこから? と思ってしまう。
ある日訪れてきた客にジョルジュが対応していたら、倒れてしまう。ジョルジュはマヴィの手を借りて、山に捨てに行くか、なんて話しているのだけれど、結局、病院に連れていったらしい。で、結果は、糖尿病で倒れた、らしい。話は飛ぶけど、そののち、ジョルジュが店から離れていってしまった期間に、男2人がやってくる。マヴィが「仕事を引きついだ」といったら素直に帰っていくのは、怪しそうに見えて、よく分からない。
こうしたジョルジュの素性の秘密は、なんなのか? あるときジョルジュが捨てた赤い箱があって。でもマヴィはそれを拾ってきで、「なぜ捨てるの?」なんて聞いているのだけど、ジョルジュは拾われてもとくに気にしている様子もない。それどころか、マヴィはジョルジュがいなくなってから、その荷物を開けるんだが、なかに「赤い旅団」の新聞記事があったりする。では、ジョルジュはかつてのテロリスト、あるいは、その支持者? でも、だったらそんな痕跡の残る捨て方はせんだろ。それに、街で古書店を開いていて、隠れたり逃げたりしているようにも見えない。そういえば、30年で時効、なんていうセリフもどこかにあったけど、関係あるのかよく分からない。
ジョルジュとマヴィの恋愛感情は、あったのかなかったのか、よく分からない。どうやらマヴィは、初めて信頼してくれる人と出会った、という気持ちがあるようだけど、たかがそんなことで、倍以上も年の離れているジョルジュに恋するものか。どちらかが、「年が近ければよかった」「うん」なんていう会話もあったけど、なんか通俗的すぎるだろ。つまらん。なんとなく肉体関係もあったような雰囲気もあるんだけど、果たしてジョルジュは勃起するのかどうかも分からんしなあ。どうでもいいや、な感じ。
マヴィが映っていながら、マヴィとジョルジュの会話がかぶる場面がいくつかあるけど、あの会話は、マヴィが書いている小説家かなんかのセリフなのか、それとも実際の二人の会話なのか、よく分からず。マヴィは、ダイアログみたいの、書いてたりするのだよな、ノートに。でも、字幕で説明されないので、よく分からんのだ。
ジョルジュが「散歩に行こうか」とマヴィを誘うところがあって。ちかくを歩くのかと思ったらクルマで出かけていって。そのときの内容は、よく憶えていないんだが。ははは。そのときだったかな、別の時だったかな、パリに戻ってきて、ジョルジュが「クルマを停めておいてくれ」って、クルマから離れてしまうんだよ。マヴィは「私、免許がないの」っていうんだけど、「適当でいい」とかいって帰ってしまうのは、ありゃなんでなんだ。で、翌朝かな、ジョネジュが店に来ると、マヴィが店内で寝ている。マヴィが「鍵がなくて」というと「クルマのダッシュボードにあったのに」とジョルジュいうんだけど、どういうこと? マヴィの部屋は、店の上階にあるのか。マヴィは店には入れるのに、自室に入れなかったのは、なぜなんだ?
てなあとぐらいかな。ジョルジュは、どこかに消えてしまう。マヴィには、いなくなることを言って、なんだけど。あれはなんなんだ? 警察の手が伸びてきたから、身を隠した? そうぞうなんだけど、ジョルジュは赤い旅団と関係があって、そん資金源かなんかの窓口かなんかになってて、それをカモフラージュするために古書店を開いていて、だから仕事には無頓着だった、とか? でも、それにしても、ジョルジュは隠れているようには見えないよな。
そういえば、ジョルジュが消えている間にマヴィが映画館で知り合ったロマンという男とつき合うようになって。唯一登場するIT機器であるロマンのMacBookで、ジョルジュに送られてきた書類のIDかパスワードかをロマンが入力する場面があるんだが。それはどこかの銀行? と思わせて、でも何も明かさない。あれはなんの書類だったんだよ! と少しいらつく。そういえば、この手の書類は、「ジョルジュはみんな捨ててしまう」とマヴィが言っていたけど、そんな程度のものなのか。よく分からない。
ジョルジュが消え、店をやりくりしていたマヴィ。とはいえ、古書店の仕事はあったのか? 客が本を買っていく場面なんてひとつもなかったけど。な頃、マヴィは何気で『チャルラータ』というインド映画を見に行くんだが、客はほとんど入っていない。なんだけど、次のシーンで隣にピッタリと座る男がいて、これがロマンなんだけど、他の席は空いてるのにあれじゃ痴漢だろ。でも、泣いているマヴィにハンカチを貸してくれて、それがもとでロマンが店にやってきて、意気投合? キスして、つき合うようになった、感じ。なんなんだ、このマヴィという女は。尻軽か?
そういえば。ジョルジュは一度戻ってきて、マヴィと会うんだよな、たしか。なにしに来たんだっけ? でも、最後、店の前にクルマでやってきて。マヴィとロマンが楽しそうに荷物を運んだりしてて、キスまでしてるのを見て・・・というところで、呆気なく終わる。結局のところ、あれもこれも意味不明の、よく分からない映画だった。
・反核デモが登場するんだけど、なんか唐突。made in Fukushimaの野菜を売ってたりする。私も参加する、とマヴィが言ったら ジョルジュはやめときな といい、それに従うのは、なんなんだ?
・カモメには、どんな意味があるんだ? 最初の方のシーンにも 川岸に3羽止まっていたけど。マヴィが歩いていると、いきなりどすんと落ちてくるカモメ。最後の方でも、街でいきなり落ちてくるカモメの場面がある。なんか、似たような場面のある映画を以前見たような気もするけど、具体的には憶えていない。それにしても意味不明なカモメの自死のような墜落。
・いちばんよかったのは、マヴィの飼っている猫かな。ジョルジュとマヴィが会話する向こうのテーブル上で、じっと鏡を見ていたり。なかなかの演技者だったりする。でも、この猫は、マヴィがパリに来てから飼いはじめたのか? それとも、田舎から連れてきたのか?
・マヴィが歩く場面のBGMに『夕陽のガンマン』のテーマ? が、というところがあったけど、なんなんだ?
・フェードイン/アウトが、円が小さくなったり大きくなったりするワイプで、とても古典的なんだけど、なにを意識しているんだろう。

 
 

|back|

|ホームページへ戻る|