2017年11月

アトミック・ブロンド11/1MOVIX亀有シアター1監督/デヴィッド・リーチ脚本/カート・ジョンスタッド
原題は“Atomic Blonde”。allcinemaのあらすじは「冷戦末期の1989年。英国秘密情報部“MI6”の凄腕エージェント、ローレン・ブロートンは、何者かに奪われた極秘リストの奪還と、二重スパイ“サッチェル”の正体を突き止めよという密命を帯びベルリンに降り立つ。早速現地で活動するスパイ、デヴィッド・パーシヴァルと合流するが、彼女の行動は敵側に筒抜けとなっていた。誰が敵か味方かまるで分からない状況の中、次々と襲いかかる殺し屋たちを、強靱な肉体と圧倒的戦闘スキルでなぎ倒していくローレンだったが…」
シャーリーズ・セロンめあて、だったけど。やはり40過ぎると“かわいい”とも言ってられんし、近頃はハードなアクションで肉体派的なこともやってるしで、そっちの期待は大ハズレ。どころか、格闘技系でデビューしてねいいんじゃないのか? なコテコテの格闘シーンもあったりで、ううむ、な感じ。彼女がスパイグラスという男を逃亡させるためにビルの中で複数男たちと殴る蹴る撃つの場面はかなりの長回しで、振り付け通りというより成り行きでやってるのでは? と思わせるぐらいな感じ。さらに、建物外にでてのクルマでのアクションも、これまた長回しで。こちらもハード。Webを見ると「歯が3本折れた」とか書いているところもあって、ほんとか? なんだけど。本当に生身でやってるのかな。スタントが大半で顔だけCGでハメコミとか、テキトーなところで止めているけどCGでつないで長回しにしてるとか、ないのかな。とくに、車内のカメラは、後部座席からすーっと前方にに進み、くるっと回ると後部座席は空っぽ、な場面もあったりして。どうやって撮ってるんだ? 天井を外して小型カメラで撮っているのか? あるいは、後部座席の人物をCGで消しているのか? 近頃のCGはあれこれできるらしいから、ワンシーンワンカットといっても、素直に信用できない。
さて、1989年のベルリンが舞台のスパイアクションだが、この手のスパイ物は名前を憶えきらないうちにどんどん進むので、正直いって途中からよく分からなくなった。セリフの中で名前がでても、それが誰だか咄嗟に分からない。分からないまま話は進む・・・の繰り返し。さらに、どんどん登場する人物が、どっち側のどういう立場の誰なのか、これまたよく分からない。しかも、この映画、最初は西ベルリンのはずなんだけど、なんか、いろいろ制約があるような描き方をしていて、自由主義世界じゃないみたいなんだよな。途中で、ローレンが東に潜入する、という場面が、あ、そうか、いままでは西側だったんだ、と気づいたりして。ははは。
冒頭の、ローレンが西ベルリンに到着して、出迎えのクルマに乗ったら後方から別のクルマがついてきて、自分の乗っているのは敵? と気づいて同乗者と運転手をやっつける、というアクションは、ありゃあなんなんだ? そもそも見知らぬ迎えに気を許して乗り込む方がおかしいだろ。でも、別のクルマがついてくるから、乗っているクルマは敵側、とどうやって判断できるのだ? さらに、自分の情報がすでにKGB(?)につつぬけ、という状態で、以後の動きがよくできたものだと思う。
まあ、↑はパーシヴァルが仕組んだと考えるのが筋だろうに、ローレンはずっとパーシヴァルを疑わず、後半になってやっとコートに盗聴マイクが仕込まれていたことに気づくというトンマ振り。
で、最初に東側に行くとき、時計屋を訪れて、手配を頼み、のちに受け取りに行くんだけど、バスポートと、あと時計も手にしていて、それを分解したりしていたけど(数字が見えていた)、あの時計はなんなんだ?
でね、ローレンが東側に潜入してから以降が、つまらないというか、退屈というか。潜入は1日ぐらいで、いつのまにか戻ってきているようなんだけど、これまた何しに行ったのか? 要は、ローレンがなんのためにウロウロしているのか、よく分からないのよね。リストを探すなら、さっさと探せばいいのに。で、パーシヴァルは最初からローレンのジャマばかりしているので、どうみてもローレンをサポートする仲間には見えない。なのに、ローレンはずっと頼ってるような気配があって、なんかな、な感じで見ていたんだが。最後になって、ほーらみろ、なことになって。というか、ミエミエだよ、この展開じゃ。なので、意外な展開という意味では、もちろん最後にドンデンの畳かけはあるものの、全体としてみたら物足りない。
で、そもそもの話がよく分からない。あのスパイグラスって、誰なの? 東側にいる西側協力者? が、その西側協力者のリストを作成し、それを時計に仕込んだ、と。で、そういうリストをなぜスパイグラスはつくれるのだ? スパイグラスではない誰かあるいは組織がリストをつくり、スパイグラスに命令し、時計に仕込んだ? なんのために? でも、スパイグラスはリストをすべて暗記していて、時計を預かった英国のスパイ、ガスコインがKGBのバクティンに殺され、時計を奪われても、スパイグラスを西側に連れ出せばOK・・・なのか? そのあたりの関係性がもやっとしていて、すっきりしないままで、しかもローレンをサポートするはずのパーシヴァルがほとんど役に立ってなくて、むしろローレンのジャマばかりするから、いらいらを通り越してげんなり、な中盤なのだ。
むしろ、変だな、と思うのは、リストを奪ったはずのバクティンが、ずうっとリストを仕込んだ(って、どういう具合に収めてあるのか分からんが)時計を持ちつづけていて、KGBの上司や仲間に連絡しない、ということで。だからなのか、後半でハーシヴァルに殺され、その時計を盗られてしまうのだが。なんだけど、そのパーシヴァルはKGBの誰とかと通じていて・・・という証拠写真をフランスの女スパイに撮られていたなんていう話もあって、なんなんだ? な感じになってくる。
単純に考えれば、リストの情報が漏れるのを防ぎたかったら、まずスパイグラスを抹殺することだろう。でも、そういうことはせず、長回しのアクションシーンで、ローレンはボロボロになりながらスパイクラスを守る。のだけれど、逃げ出したと思ったら、クルマを川に押し出され、あえなくスパイグラスは死亡。で、なんとか帰国して、MI6の上司にあれこれ聞かれる、というところが過去に遡って話が始まるんだけどね。
で、バクティンから時計を奪ったパーシヴァルはローレンに殺され、ローレンはどっかのホテルの一室みたいなところで歓待を受けている・・・かと思ったら、周りはみんな敵でそれをやっつけて・・・。って、あのときの相手は誰だったんだ? KGBだっけ? だとして、ローレンはKGBとどういうつながりが? よく分からない。で、やっつけた後、のジェット機内で、最後の祝杯はCIAのボスで。そのボスはこれまでもたびたび登場していたけれど、表面的にはローレンが毛嫌いしている相手、と描かれていて、まあ、ミスリードさせるためなんだろうけど。
ってことは、もともとローレンはCIAで、MI6に潜入してそこのスパイとして活躍し、このたびのリスト奪還のミッションもCIAとMI6の共同作戦のようだけど、どーもMI6がCIAに出し抜かれていた、とかいう話なのか? うーむ。よく分からない。
ローレンはフランスの女スパイと情を通じるのだけれど、そのデルフィーヌは初めての仕事で緊張しているとかなんとかいってたけど、どこまで本当か知らん。彼女もリストのことは知ってたのか? CIAやMI6とは連携してねえの? よく分からない。その彼女はパーシヴァルに殺されてしまうんだが、これは、パーシヴァルがKGBと通じていることの根拠になるのか? それはさておき、ローレンはレズビアンなの?
よく分からん存在が、東側にいるイケメン男(メルケルというらしい)で。ローレンがパーシヴァルと東側に潜入し、あれこれ世話を焼いてもらうんだが。彼だけは、スパイ組織のつばぜり合いとは関係なく、最後までのほほんとしているのは、なぜなんだ?
ローレンとパーシヴァルが東側に潜入するとき、西側の地下鉄(?)の駅のホームの端から通路を通って行くんだけど、あんなことができてしまうのか? だったら帰りも同じ道を通ればいいのに、そうはしない。スパイグラスを連れての階段アクション→水中からの脱出後、そのイケメン男のクルマのボンネットに忍び、検問を通過するんだが。検問の軍人は、イケメン男に愛想を振りまいて「どうも大使」なんて言われている。どういう存在なのだ、あのイケメン男は?
あと、ローレンがスパイグラスを連れて脱出しようとしたとき、KGBかな、は狙撃手を用意してスパイグラスを狙う。のだけれど、ローレンは通りを歩く人々に傘をもたせ、ターゲットを隠すのだが、どうやって短時間に傘を用意し、そこらの面々に傘を広げてさすように指示できたのか? まあ、それはご愛敬としても、このとき、一緒にスパイグラスを連れていこうとするパーシヴァルがスパイグラスを撃つのだよ。まあ、さもありなんな感じではあるが、わざわざこんなときにこんなところで、撃つよな、な感じ。もっと以前に撃てただろうし、西側に連れていってからでも撃てた。なのに、なぜ? よく分からない。というか、彼がスパイグラスを殺さねばならない理由は、なんなんだ? だって、リストの収められた時計はKGBのバクティンがもっている。リストが西側に流れて、困るのはだれなんだ?
で、あとは、サッチェルという二重スパイだけど。最初は、パーシヴァルと思わせて、最後の方のホテルでの場面ではローレンと思わせて、でも、ローレンはCIAだったということは、サッチェルは誰なの?
というわけで、スパイの攻防は、よく分からない。まあ、あの長回しの、凄すぎる逃避行・アクションだけ見ればいいか、な感じがしないではない。
・ローレンはかつてガスコインと男と女の仲だった、みたいな描き方がされているが、なんなんだ?
・シャーリーズ・セロンは、相変わらず乳首見せのヌードも見せてくれるけれど、かわいい顔はしているけど、腰のくびれのない寸胴だし乳房も貧弱なのだから、そこまでしなくてもいいよ、な感じ。むしろ、今回の、目を黒々と塗ったメイクは、歳のせいや役柄とも関係があるのかも知れないけど、らしくない。やっぱり、40過ぎても、かわいくチャーミングな口元が見たいのであるよ、彼女に関しては。
・あ、そうそう。ときどき登場する時計屋は、なんなんだ? たんなる、闇の斡旋人? リストの入った時計とは、関係ないんだよな、たぶん。
ダンケルク11/6キネカ大森1監督/クリストファー・ノーラン脚本/クリストファー・ノーラン
原題は“Dunkirk”。allcinemaのあらすじは「1940年、フランス北端の港町ダンケルク。ドイツ軍に追い詰められた英仏連合軍40万の兵士たちは絶体絶命の状況を迎えていた。若き英国兵トミーが街中を必死で逃げ回り、ようやく辿り着いた海岸には、おびただしい数の兵士たちが救助の船を待っていた。しかし彼らに残された時間は限られていた。そこでドーバー海峡を挟んだ対岸のイギリスでは、民間の船までをも総動員した救出作戦が決行される。民間船の船長ミスター・ドーソンもそれに呼応し、息子とともに危険を顧みず同胞が待つダンケルクへ向け船を走らせる。そして最新鋭戦闘機スピットファイアのパイロット、ファリアーもまた、危険を承知の上で味方の撤退を援護すべくイギリスから飛び立つのだったが…」
ダンケルクといえばベルモンドが出たのがあって、むかしテレビで見たような記憶はあるんだけど、内容はまったく憶えていないで、ダンケルクの戦いは、ドイツ軍にダンケルクという街に追いつめられて・・・程度の知識で、その後はどうなったのか、これまたよく知らない、という状態で見た。
ダンケルクからあの手この手で逃げ出そうという英軍の若い兵士。援護に向かったスピットファイアー3機。ドーバー側から救出に向かうボート。救出を指揮する将軍と中佐。この4つの話が平行して進み、最後にひとつに合わさるという構成で、ドキュメンタリータッチな感じ。まったくムダがなく、セリフも少ない。そして、将軍の話をのぞく3つの話ともに緊張がつづいたままラストに突入するんだけど、どの話も息苦しい。とはいっても波瀾万丈な展開ではなく、静かに、淡々と進む緊張感に圧迫されるような感じかな。セリフで説明したり、あざとくアクションを入れたりもせず、徹底して“見せる”映画になっている。なかなか素晴らしい。
とはいえ、かつての日本だったら「生きて虜囚の辱めを受けず。玉砕だ!」になるんだろうけどなあ、と思いながら見ていたのも事実で。やはり、兵士への対応がヨーロッパと日本ではまったく違うと思わざるを得ない。おめおめ生きるよりは死ね、という精神主義で挑んだ日本と、命を大切に、人材を失っては負け、という現実的対応との違いが、この映画で分かるような気がする。
トミーは二等兵なのか。ふーん。しかし、隊を離れて一人でうろうろしてるのは、隊が壊滅してしまったからなのかね。で、ダンケルクの海岸にやってきて、列に並ぼうとするが「これは近衛隊(だったかな)の列だ、と追い払われたり。なんか、同胞意識より、自分が先に助かりたい、という思惑が静かにうごめいてる感じ。で、トミーは無口なギブソンと知り合いになり、傷病兵が優先なのを利用して、そこらにいるけが人を担架に乗せて桟橋に行き、なんとか乗り込もうとするが、けが人は乗せてもらえても2人は追い払われてしまう。のだけれど、兵士を乗せた輸送船は桟橋からたいして離れていないのに独軍機に攻撃されてあえなく沈没・・・。
桟橋の下に隠れていたトミーは、海に飛び込んだ兵士を救い、その兵士と別の輸送船に乗り組むんだけど、またまたその船も沈んでしまい、なんとか逃げ出す、んだったかな。で、ギブソンとまた合流、できたんだったかな。
2人は、座礁しているような漁船に向かう兵士たちと合流し、中に潜む。どうやら満潮になると浮かぶらしい。船の持ち主もいて、救出を助けるつもり、らしいけど、ドイツ軍の標的になって船体にどんどん穴が開いていく。のだけれど、兵士たちのなかに偉そうな奴がいて、お前が見に行け、穴を塞げ、なんていうだけで、何もしないのだけれど、あいつはなんなんだ? 年頃は同じようなのに。階級が上? という最中に、そいつがギブソンがしゃべらないことを追求し、彼が実はフランス軍兵士と分かってしまう。
救出作戦は英国軍が主体で行っていて、輸送船も英国兵士が優先。フランス兵士は乗せない、ということでやっていたので、フランス人が気の毒とは思っていたんだけど、こういうところでも、フランス人蔑視があったりして、やれやれ、な感じもしたんだよな。
チャーチルは、ドイツ軍は、次はイギリスに侵攻してくる、と読んでいて、輸送船も航空機も温存していて、いわばダンケルクの40万人は見捨てられた状態だったようだ。これはひどい、と思うけど。このあたりは現実的でもあるな、と。
で、潜り込んだ漁船は結局のところロクに浮かばず、なんだけど。このとき、ギブソンは水没した漁船から逃げ出そうとしなかったのだよなあ。たしか。あれがよく分からないのだけれど。たんに溺れただけ? その後、トミーと一緒に、ボートに助け上げられたのは、あの偉そうな口ぶりのやつなのか? 顔がよく判別できなかったんだが。でそのボートは、ドーバーから救出に向かった例の、3つの話のひとつなのだけれどね。
で、援護に向かったスピットファイアー3機のうち、1機は早々と撃墜される。もう1機は、相手爆撃機を撃墜した後、被弾して海上に着水。なれど風防が開かずあわや溺死、というところを、ボートに乗り込んでいた息子に救出された。そのボートには、ひとり英国軍兵士がすでに救出されていたんだけど、彼は沈没した輸送船の、かろうじて海上に出ていた船尾に乗っていたのを助けられたのだが。戦場のトラウマに犯されて、人間不信になってしまってた。見境なく暴力を振るい、ボートがダンケルクに向かっていることを知ると、「戻れ、ドーバーに戻れ」というのだけれど、勢い余ってボートに乗船していた、息子の友人を突き飛ばし、友人は打ち所が悪くて死んでしまうのだ。これなど、悲劇と言わずしてなんといおう。
そのボートは、英国軍が徴発したもので、本来は軍が運転するべきものを、持ち主のオヤジが「俺が船長だ」って、息子と、その友人も乗せてドーバーを出港したのだった。友人は、自分はみんなからのけ者扱いだったけど、役に立ててよかった、みたいなことを言って死んでいくんだけど、彼が死んだことは、船長オヤジはトラウマ兵士に告げないのだよ。このあたりも、地味に効いてくる。フツーなら、お前のせいで前途ある青年が、となるんだろうけど、そこをグッと抑えて、トラウマ兵士も戦争の被害者、ということを告げているわけだ。
最後、残った1機のスピットファイアーは、帰還のための燃料も使い果たし、エンジンが止まってしまう。けれど、桟橋にいる輸送船を襲うドイツ軍機を撃墜し、難を救った後、浜辺に着陸。機を焼いてしまう。そこに迫るドイツ軍。まあ、捕虜になったんだろうけど、ここも、虜囚がどうのと精神論はいわない。パイロットひとりの命の大切さを見せている。まあ、彼がドイツ軍にどんな扱いをされたのかは分からないけれど。
始めのうち将軍は、3万人ぐらいしか救出できないだろう、といっていたけれど、徴発された民間のボートの多さや、スピットファイアーの果敢な援護などで、30万人を救うことができた、らしい。このあたりは、言われてみて、ふーん、な感じ。劇的に救出できた人数がふえた、ように見えないからなんだけど。まあ、そのあたりは史実。これは映画だから、しょうがないのかも知れない。
列車に乗ったトミーともう1人(桟橋で救った兵士らしい)。救出されて戻ってきたんじゃ、だれも歓迎してくれないだろ、肩身が狭い、みたいなことを言っていたけど、そんなことはなくて。列車の窓からビールを差し入れて貰えたり、大歓迎。このあたりも、日本とはまるで違うなという感じで。死ぬことばかり考えていた日本とのモチベーションが違うなあ、と。
あと、ボートで亡くなった友人については、息子の方が卒業アルバムの写真を地元の新聞社に持ち込んで、英雄として記事にしてもらう様子が、手短に描かれている。このあたりも、地味に美しい。
そして、大半の兵士を輸送船やボートに任せて、後は自分たちが、という中佐が将軍に、帰還のために乗船を求めるが、将軍は「わしは残る。まだフランス兵が残っている」というセリフがとてつもなくカッコイイ。自分たちがわれ先にとトンズラこいた満州の関東軍の幹部に見せてやりたいところである。
・この映画、時間軸が少しズレて進行して行くので、ちょっと分かりにくいところはある。
ポリーナ、私を踊る11/7ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ヴァレリー・ミュラー、アンジュラン・プレルジョカージュ脚本/ヴァレリー・ミュラー
フランス映画、なのか。主人公はロシア人なのに。ふーん。原題は“Polina, danser sa vie”。allcinemaのあらすじは「ロシア人少女ポリーナの夢はボリショイ・バレエ団のバレリーナになること。そのために小さい頃から厳しい練習に耐え、今では将来を期待されるまでに成長した。そしてついにオーディションにも合格し、憧れのボリショイ・バレエ団への入団が目前に。ところがそんな時、コンテンポラリー・ダンスと出会ってしまったポリーナ。湧き上がる感情を抑えられなくなった彼女は、周囲の反対を押し切り、コンテンポラリー・ダンス・カンパニーへ入団すべく南フランスへと旅立つ。新天地で著名な振付家リリアの厳しい指導の下、慣れないスタイルに戸惑いながらも懸命に自分の踊りを見出そうと悪戦苦闘していくポリーナだったが…」
4歳ぐらいからバレエを始めてて、あれは7歳ぐらいなのか? 地元のバレエ学校を受験して合格。両親は「将来はボリショイのプリマだ!」と大喜び。でも、母親は「経済的に・・・」というが、父親はどうも借金やヤミの仕事までして学費を捻出してるようなんだが、その後もひどく貧乏生活をしてる様子もなく、父親はどうやって収入を得ていたのか、最後まで謎。
地元の先生にはどうも無視されているようで、あまり才能はなかったのか。と思ったら、10代半ばにいきなり飛んで。ここでも、先生に「体幹が弱い」とかいわれ、褒められない。とくに、父親のところに強盗みたいな借金取りが来た直後は、「集中が足りない」とか「出ていけ」とか言われる始末で、彼女には才能があるのか? と思って見ていたら、呆気なくボリショイ傘下の学校に入学してしまっていて、さらに、入団のオーディションも受かった、のか? な描き方なんだけど、実は受けなかったのか、よく分からない。なんだよ、トントン拍子じゃないか。とくに才能があるように描かれていないのに、なんかつまんねえな。壁のひとつも超えないのか? というか、いつのまに、どうやって上手くなったんだ? な感じ。
学校にいる間に、フランスからの留学生(?)の青年と恋仲になり、男を知ってしまう、のかよ。おい。で、2人で見に行った踊りが気に入ったのか、「私はあれをやる。だからフランスに行く」と突然言いだすのが唐突感甚だしくて。いまいち説得力がない。で、フランスの何とかいう現代ダンスのオーディションを恋人青年と受けて(だよな。青年は、もともとあそこ出身だったのか?)合格。青年とポリーナが抜擢されて踊るはずだったんだけど、青年と息が合わずケンカしたまま稽古してて脚を捻挫で主演はフイに。
そこの主宰の女性(ジュリエット・ピノシェ)に「私にやらせて」と直談判するが「後任は上手くできてる」と却下され、ベルギーに行ってしまうのだけれど、なんだよこの女、な感じ。我慢とか努力とかチャンスを待つとかいうのがないのか。なんか、やな感じ。ただのワガママじゃん。
ところで、ロシアでの学費は父親が出していたとして、フランスに行ってからの生活費は誰が出してたんだ? あそこは、研究生の立場? それとも、給料をもらっていたのか? 金に苦労しているようには見えなかったけど。なのが、ベルギーに行ったらいきなりの文無し、ということは、両親からのすでに送金はない、ということなのか?
しかし、父親の夢だったボリショイ入団を袖にして、フランスからも逃げ出して、ベルギーで何をしようというのかよく分からない。バレエやダンスのことはよく知らんが、もう、場末感漂う感じで。「ボリショイ学校にいた」を売り物にいくつか回るが無視されて、たまたま入ったバーで働くようになって、毎日くたくたになるまで働いて、化粧も濃くなって・・・と、堕ちていく堕ちていく。
もう、このあたりになると、退屈で退屈で。まだ終わらないのかよ、な気分。108分の映画なのに、とても長く感じた。いや、この後、何かで復活するだろうとは予測していたけど、あんなダメになっているポリーナを見ていても、ひとつも楽しくない。父親は心配してこっそり会いに来るけど、私は大丈夫。やりたいことをやる、みたいなことを言って、追い返す。ヤバイ仕事までして大金を注ぎ込んだのに、気の毒なお父さんだよなあ。
で、バーでのバイトを始めた頃と前後し、たまたま見かけた即興振り付けを教えている青年の教室を知り、彼が同居人を求めていることも知って、潜り込む。で、当初は、もう踊りはやめた、な感じだったのが、この振り付け青年に押される感じで再び踊り出し、なんかのフェスのオーディションがどうたらと青年が話を持ってきて、ここでポリーナはがぜん目覚めるのだよ。でも、フランスを後にするときだったか「私は人の振り付けで踊るのは嫌だ」とかいいつつ、同居人の青年にはあれこれ指図したりする。そういうところが矛盾だろ、とか思えてきて、傲慢さが鼻につく感じ。
というところで、母親から父親死亡の連絡が・・・。なんで死んだのか知らないけど、気の毒にもほどがある。で、最初に入った学校の前をうろついたり、何やってるんだ、な感じ。最終的には目をかけてくれた地元の先生に、会わす顔がない、ということか?
で、次の場面は、同居青年が、オーディションにやってこないポリーナにいらいらしている場面で。オーディションをする相手は、わざわざ2人の踊りを見にきている、という設定。では、そのフェスというのは、なんなんだ? イベント会場で踊るショーみたいなもんなのか? はさておき、ポリーナがやってきたのは、オーディション担当が「もう待てない。帰る」と同居青年に宣言したところで、どたどたやってきたポリーナは、お願い、見てください、と懇願し、15分だけ見てくれることに。なんだけど、こんな時間にルーズな奴だったら、個人的にはお断りだな。雇っても、いつ遅刻するか分からんような奴は願い下げだ。
でも、映画では雇われたようで、オーディションの踊りはいつの間にかショーの舞台でゃっているような感じになる。で、その、2人の踊りが繰り広げられるんだけど、とくに凄いとかもなく。あー、そうですか。これがポリーナの“やりたかった”踊りなのね。と思うだけ。
枠にはまったクラシックが肌に合わないのかも知れないけど、とりあえずその道で努力し、後に好きなこと、ではいけなかったのかね。その方が両親が喜んだと思うし、お父さんなんて、なんのために大金注いで娘におバレエを習わせたのか、わからんだろうに。人の気持ちの分からん女だ、ポリーナは、と思うだけだった。
というわけで、最後は自分の踊りを見つけたみたいな感じだけど、ダメ女感が漂いすぎて、感情移入できず。人生、若いときから山あり谷ありは結構だけど、人に迷惑かけちやダメだよ。フツーに正統な成長物語になってたほうが、楽しめたかも。
。 ・幼児の頃の場面で、引っ越しがどうの、といってた場面があるんだけど、あれがよく分からなかった。
・父親の、ヤバイ仕事。アフガニスタンなんとかって、なんなんだ?
・ベルギーで、何かというと「ボリショイにいた」といって売り込むのがやな感じ。
・ジュリエット・ピノシェが、一人で踊る場面があって。むかしやってたのかな、結構ハードに踊っていた。でも、腹の周りは、わりと膨らんでいたけど。ご苦労さんでした。な感じ。
IT/イット “それ”が見えたら、終わり。11/9109シネマズ木場シアター3監督/アンディ・ムスキエティ脚本/チェイス・パーマー、キャリー・フクナガ、ゲイリー・ドーベルマン
原題は“It”。allcinemaのあらすじは「1988年、アメリカの田舎町デリー。町では子供ばかりが行方不明になる不可解な事件が続いていた。ある日、内気で病弱な少年ビルの弟ジョージーも1人で遊んでいる時に何者かに襲われ、道端の排水溝に姿を消してしまう。以来、弟の失踪に責任を感じていたビルはある時、見えるはずのないものを見てしまい恐怖に震える。やがて、眼鏡のリッチーや悪い噂のあるベバリーなど同じような恐怖の体験をしたいじめられっ子の仲間たちと協力して、事件の真相に迫ろうとするビルだったが…」
「IT」のテレビ版は見たような記憶があるんだけど、詳しくは覚えていない。話もうろ憶え。ピエロだけは憶えてる。と思ったら、冒頭の、流される紙の船はテレビ版もあったかな。まあいい。
ホラーなんだけど、いまいち怖さがよく分からない。得体の知れない何か、ではなく、ピエロが何かを仕掛けているのか? としか思えない展開で、でも、そんなことは現実ではあり得ないだろう、と思えてしまう。というわけで考えられるのは、思春期の妄想というところか。子供は妖怪や幽霊が見えるとというし、子供から大人になる過程で起きるホルモンバランスの変調が、要らぬ不安を増長させている、ということなんだろう。といってしまっては面白くないけれど。子供には見えるピエロや赤い風船。こういうのは、日本で言うと座敷童子とかになるのかね。
あとは、年長のいじめっ子3人組だったか4人組がいて、ビル達を徹底的にからかい、いじめ、傷付けているという側面もある。こうした連中への憎悪が、悪のピエロ像を幻想として捻出した、とも言えなくもないかも。
彼らの住むデリーの街は、子供が行方不明になる数が他の6倍、とかいってたかな。過去に、80何人だったか、一度にいなくなった事件もあった、とかなんとか。相変わらず子供の行方不明が多い様だけど、だったら大人が乗り出して調べろよ、という話だけど、そうはならないのは話の都合なんだろう。そもそも大人が騒いでないじゃないか。
ピエロの実体は、冒頭から登場してしまう。まあ、最初の、弟ジョージを引きずり込むのは、日本ならさしずめ河童というところか。他にも行方不明が増えて、ビルたちは地下水道に秘密があると睨み、探検に行くんだが。最初に入った横穴では、いじめっ子のひとりに追われ、そりいじめっ子が引きずり込まれて行方不明になる・・・のだけれど、年長と言っても16〜7になりそうな、もう大人な体つきなので、なんかな、な感じがしないでもない。
で、こういう展開を見ていると、嫌でも『スタンド・バイ・ミー』を連想してしまう。あれの焼き直しだろうよ、この話は。
紅一点のベバリーは、もしかして父親からのセクハラにあっている? な描き方で、なんかやな感じ。だって、フツーに少年たちと一緒のときは、溌剌かわいい娘だから。演じるソフィア・リリスは17、8かと思ったら2002年生まれだから、15歳ということか。なわりに色っぽい。ま、そういう娘を選んでるんだろうけど。
ビルは自分の責任で弟を失ったと悔いていて、吃音になってしまっている。しかも、父親には嫌われているような描き方。他の子たちも、両親を火事で失った黒人少年、ユダヤ教のラビの息子だけどデキが悪いのとか、太った転校生。それから、太った母親に威圧されてる子とか、みな健全とは言えない感じの子供たちで、あれこれ抑うつによって妄想を見やすいのかも知れない。
で、ピエロとか、他の妖怪のような男だとかは、適宜登場して、驚かせ場面では少しはザワザワくるけど、大半が“らしい”音楽やSEのせいなんだよね。実体は見ていてちっとも怖くない。というか、現実的でもないし、日本のホラーのように得体の知れない不安の怖さがない。だから、少し退屈にもなってきて、あまり身が入らなくなってきた。はっきりいって、つまらない話なんだよな。
話としては、子供たちが、「恐れないこと」を学んだ、ということになっている。とはいっても、ハナから怪しい地下水路へ、あの怪しい屋敷から入り込んで・・・というくだりは、初めから用意されていたような展開で。描かれるのも、例のピエロと、あとは、これまで行方不明になった子供たちが宙に浮いているという、なんだそりゃ。あの背景に、宇宙人がいた! とかいうSFにでもなっていくのならともかく、そういう話でもないわけで。なんか、いまいちせっぱ詰まった怖さがつたわってこないのが残念なところ。こういう映画あるいは話がアメリカでは大ヒット、というのが、よく分からないところである。
・ベバリーは生理になったんだよな。だから、トイレだったか、部屋だったかが血まみれになるのは、大人になる端境の情緒不安とかを象徴しているんだろうな。きっと。
・ピエロがスライドのスクリーンから這い出てくる場面があったけど、あれはどう見ても『リング』のパクリだろう。
・水路とか川とかが登場するのは、あの世とこの世、彼岸と此岸を分ける川、という意味なんだろうけど。
・出来事は、夕暮れに起きる。逢魔が時、ということか。
で、最後に「第1章」とでてくるということは、次があるということが。そういえば、テレビでも、27年後があったっような記憶もある。話はまったく憶えてないけど。
おじいちゃん、死んじゃったって。11/14テアトル新宿監督/森ガキ侑大脚本/山崎佐保子
allcinemaのあらすじは「彼氏とのセックス中に掛かってきた電話で祖父の訃報を知った春野吉子。若干の後ろめたさを感じつつも、慌ただしく進む葬儀の準備を見守っていく。家族が久々に顔を揃えることになるが、父の清二と喪主を務める叔父の昭男はさっそく段取りを巡って一悶着。その後も皆それぞれにやっかいな事情を抱え、ことあるごとに衝突しては、押し殺していた不満や本音が吐き出されていくのだったが…」
現代版、田舎の『お葬式』だった。伊丹十三のが芸能人の親のだったのと比較すると、貧乏人のフツーの葬式が描かれる。身につまされるところは多く、小ネタもいい感じでクスリとできる。しかし何だかんだあっても兄弟子供が多い家はそれなりに楽しそうだなあ。老いた親と息子ひとり独身な家庭のお葬式では暗い映画にしかならんものな。
冒頭、吉子が部屋で彼氏とセックスしてる。天井には藤原新也の、『メメント・モリ』の犬が死骸をかじってる写真。「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」だっけか。それを見ながらのセックス。この場面が90度回転していて、立ってセックスしているように描かれているのが興味深かった。と、電話。セックス中断してでて、2階のベランダから門の前にいる父親に「おじいちゃん、死んじゃったって」というんだけど、彼氏は両親公認なのか? でも、彼女=吉子の家でセックスというのは、フツーないだろ、な感じだよな。
一族は、吉子の両親、弟。父親の兄は離婚してひとり暮らし。父親の元妻には長男長女がいる。あと、父親の末妹。それに、死んだ父親と、痴呆症の母親が残された。父親は早期退職してふらふらしている。母親は、生活を危惧しつつ、そんなにイライラしていない。吉子は旅行代理店でフツーに働いている。弟は大学生。これもフツー。兄は、工場労働者で、元妻に送金はしているのか? 知らないけど、やたら子供たちには父親ぶる。兄・長男は引きこもりの浪人? ゲーム三昧。兄・妹も達観した落ちこぼれで、煙草プカプカ。とまあ、典型的な田舎の人々を設定したつもりかも知れないけど、いずれも子供に恵まれ、大学までだそうというのだから経済的に恵まれている感じ。父親がなぜ早期退職したのかしらないけど、肩たたきなのか? でも、退職金たくさんもらったんだろうか。だからのんびりしているのか? なんて感じだけど、田舎といっても農家ではないから、都会にもあてはめやすい、のかも。両親は大きな家に住んでいるのに、兄がひとりでアパート暮らしというのが理解しがたいところ。高齢の両親を放置し、ましてや母親は痴呆なのに同居しないのはなぜなのか。経済的にも同居は楽だと思うんだが。というところが、設定上の一番のツッコミどころかも。
兄は、家で死にたいと言っていた父親の気持ちに応えようと、通夜は家で、と。弟はドライなのか、なんで? な感じ。なんだけど、朝からバタバタし、みな実家へ向かうんだが。そんな早くから始めるか? 近所の人も、坊さんたちも、昼前にやってきてる感じで。なんか違和感。
数10年ぶりで駆けつけたという長女は、年の離れた妹らしい。真っ赤なスポーツカーで、「荒木町300 と 30-30」のナンバーは何を意味しているのかな。監督行きつけの店が荒木町にあって、それが・・・とかあるのかね。知らんけど。
ここで、長女のクルマの窓ガラスが割られ、香典20万円が盗まれ、疑いが長男息子に、というエピソードなんだけど、話にちょっとムリがあるかも。ひねた長男息子を慰めに行く長男娘が、「犯人見つかったって。近所の子らしい」というんだけど、近所の子が見ず知らずの人の車のミラーかち割って香典盗むか? いくら入ってるかも分からないのに。というか、そんなやつ、アホだろ。そのせいか、犯人は画面に登場せず、話にも上らない。やれやれ。
で、このとき、長男息子が寝そべっていて、長男娘のスカートの中がちょっと覗けそうになる、という場面があって。これがなかなかいい。娘の方はまったく気づいてないけど、長男の方は、妹を女として見てしまう、という男の性が垣間見える。これなど、吉子が罪悪感を感じている「おじいちゃんが死んだときセックスしてた」という人間の本能と通底するものがあるような気もするし。
坊さん2人が、4WDのでかいのでやってくるのかおかしい。なんで? な感じ。フツー坊さんって、高級乗用車に行くんじゃないのかね。
通夜の晩、兄・弟は父親の死骸を間に挟んでケンカしたり、まあ、このふたりよく対立する。といっても、両親の面倒をみたみない、母親をどうする、というところではなく、「早期退職したのをなぜ言わない」「なにが工場労働者」てきなレベルの対立で、正直あまり殺伐としていない。課題の痴呆母の今後は、弟がさっさと手配し、知り合いのツテで施設に入れることにしてしまっている。これなど、現実的にはいちばんのハードルで、そう簡単に解決することではないのに、あっさり片づけてしまっている。まあ、そういう切実な話より、葬式にまつわる家族のドタバタを描くことに傾注したんだろうけど。
葬儀の当日。あれ、葬儀はホールでやるのか。そういうのもいいのか。ふーん。で、長男娘にかけてもらった頭髪スプレーが溶け出して黒い汗って、おいおい。やりすぎだろ、な感じ。
それにしても、休憩のたんびに女性陣はみな煙草をよく吸う。吉子も、長男娘も、長女の薫も。いまどき珍しい描写が面白い。
で、火葬場へ行くのに、マイクロバスは使わないのか。家族だけが、それぞれクルマで行くのか。ふーん。な感じ。焼かれるとき、母親が突然「おじーさーん!」と痴呆から現実に戻る姿は、ありきたりだけど、ちょっと感動的。
で、帰りにどこかで会食するのかと思ったら、そういうこともなく、あれは実家に戻って仕出しでも食べているのかな。ここで、またまた長男と次男の罵り合いと殴り合いで、なんと長男が鎌を手にして。おいおい、な感じ。そこまでやるか? だけど、まあ、映画だからな。で、出ていったきり何やってんだか、と言われた長女も居直って「あんたらとは違う! 結婚はしてないけど、ちゃんとやってる」宣言をするんだけど、いったい仕事は何をしてるんだろ。気になるね。

じいちゃんが死んだのに誰も悲しがっていない、という思いがつづいている吉子。このあたり、30近い女性にしては子供っぽいと思うけど、まあ、世間の死生観を代弁しているということなのかな。そういう吉子の思いをイメージ化した花火のシーンは、焼かれた後だったか。象徴的なシーンだと思うけど、おじいちゃんが死んだのに、あれこれ諍いしてる父や叔父、伯母の存在を消したいのか。自分も、おじいちゃんが死んだときにセックスしていた罪悪感を背負ってはいる。でも、それは最終的に吹っ切れて、インドまで死体を見に行くんだけど。というところからは、吉子が何を考えているのかはよく分からない。
「やさしくしないで、ゲロが出る」と吉子が彼氏によくいう。これも象徴的な言葉だけど、やさしくされることになれていない、同情されたくない、というようなことなのかな。まあいい。で、葬儀の翌早朝だったかに、彼氏を呼びつけ田圃の真ん中で軽トラセックスをするのは、おじいちゃん死んじゃったときにセックスしていたという罪悪感が吹っ切れたからか。まあ、吹っ切れたのは、若い坊主が火葬場で言った言葉によるんだろうけど。でも、たいしたことは言ってなくて、要は「人は人が死んでも食欲もあるし・・・」的なことで。で、吉子がさらに「お坊さんもセックスするんですか」に、若い坊主は、決まり悪そうに答えず立ち去ってしまうのは、なぜかね。答えたっていいじやないか。ねえ。
その若い坊主との会話の前に、火葬場でひと仕事終えた坊主が、巾着をくるくるまわしながらヘラヘラ顔で歩いている場面がある。まあ、坊主丸儲け、な記号的な場面だな。むしろ、若い坊主の方が、いろいろと真面目っぽく描かれているのも興味深い。みんな、年を取ると真面目に考えなくなるのだよ、と。
セックスの後のシーンで、野良犬、蝉の死骸、そして獅子舞が農道を行く、んだが。人もいないのに獅子舞なんかしねえだろ。まあ、映画の都合なんだろうけど。そういえば、葬儀の後、長男家族が乗る軽自動車の前を横切ったのは、牛か。急停止して、車はエンスト・・・なんだが。実家の犬→次男宅の猫→農道の牛→野良犬→死んだセミ→農道の獅子舞→吉子が見るインドの牛と犬、という具合に、動物がいろいろ登場するのだった。これなんかも、意図的に配置しているのだろう。インドで神様扱いされる牛、人間を食う犬、1週間で死ぬと言われるセミ、祭りの儀式的な獅子・・・とか。世俗的なドタバタ劇の中に、ちょっと真面目な視線を入れてみたかったのかな。
というわけで、じいちゃんの死でいろいろ考え、幼い考えを少し脱したかのような吉子は、インドの死体状況を確認しにでかける。そこで吉子は「死体、ゴロゴロないじゃん」というんだけど、それは藤原新也が『メメント・モリ』を撮った頃と時代が違うからじゃないのか? あれ、発表は1983年らしい。34年前か。
それはそうと、あの写真を貼ったのは吉子ではなく。「あんたでしょ?」と弟にいうんだけど、弟も憶えていなくて。まあ、どうでもいいけど。近頃の若い人はそうやって死を感じることがなかなかなくなっている、というようなことか。吉子も、「死んだ人を初めて見た」といっていたし。
・母親が、通夜のときから手にして鳴らしていた鈴は、ありゃあなんなんだ? 獅子舞のときに使うものか? それで、最後の獅子舞の場面で、操り手が死んだ父親の姿だったのか?
グッド・タイム11/15ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2監督/ジョシュア・サフディ脚本/ ロナルド・ブロンスタイン、ジョシュア・サフディ
原題は“Good Time”。allcinemaのあらすじは「ニューヨークの貧困地域に生きるコニーは、知的障害者の弟ニックと強い絆で結ばれている。ある日、兄弟は銀行強盗を企てるも、ニックが捕まってしまう。コニーはその日のうちに弟を取り戻さなければと保釈金の工面に奔走するのだったが…」
生きたりバッタリのバカ青年のどんづまりの1日なんだけど、勢いで見せる感じ。
冒頭は、医師が弟の知能程度を調べている、ところかな。そこに兄がやってきて、連れだしてしまう。弟は、自分のことを思っているのは兄だけ、と信じ込んでいる、という設定。でも、知恵遅れの弟を登場させる意味は、あまりないかもなあ。
その弟と銀行強盗し、奪った金を運ぶ途中にバックの仕込まれた目印爆弾?が炸裂して真っ赤っかに。逃げる途中で弟はガラスの壁にぶつかって捕まってしまう。兄は、金をどっかの店のトイレの天井に隠して・・・。次の場面は、保釈保証人のところで、もう弟の保釈申請をしてる。アホか。お前も共犯と分かってしまって、それでも保釈できるのか? というか、保釈保証人は、共犯者が目の前にいるのに、通報しなくていいの? というか、赤く染まった金は受け取れない、といって、あと1万ドルもってこい、と兄にいうのだけれど、この保釈保証人も悪党だな。
いやまて、まず、2人が銀行に要求した6万5千ドルって、その中途半端な額は、なんなんだ? 意味あるのか? それと、逃走用のクルマの運転を担当してた奴は、あれはどうなったんだ? 捕まったんじゃないのか? というのが気になるんだけど、最後までそれは分からずじまい。というように、ツッコミどころは多い。
兄は、つき合ってる女のところに行って、母親のカードで数千ドル用意してくれ、と頼み込み、いかにも頭悪そうな彼女も、しぶしぶだけどOK。でも、彼女を連れて保釈保証人のところへ行くと、カードは使えません。あれは、家族カードなのか? その娘用のカードを使えなくするよう、母親がカード会社に申請したということかな。まあいい。
てなことがあある一方で、弟の方は刑務所の中。でも、テレビのチャンネル争いで意地を張って。仲間にボコボコにされてしまう。保釈保証人だったかな。「弟は病院にいる」と教えてくれたのは。なわけで、弟の次の手は、病院に侵入し、警備の警官がいなくなったスキに病室に侵入し、ぐるぐる包帯状態の弟を車椅子で連れ出す作戦、というのが、どうしようもなくアホ。なんだけど、知恵遅れなのは弟だけじゃなくて、兄貴もだろ、と思わざるを得ない無鉄砲振りだよなあ。
で、なんとか連れだしたけど、家には連れて行けないし、というわけで、逃げ出すとき病院のバスで一緒だった黒人の家のドアを叩いて、「家のドアが閉まってて入れない。外は寒いからちょっと休ませてくれ」とか言って家の中に入っちゃうのか、おいおい。見ず知らずの野郎2人(片方はケガ人)を夜中に家に入れるか? 50凸凹の母親?と16歳の娘2人の家族だぞ。しかも、母親の方は「止まっていってもいいよ。私は寝るから」て、自室に行ってしまうというのは、あり得ないだろ。残った娘とテレビ見てた兄は、ニュース画面に自分の顔写真が登場してびっくらこいていきなり娘にキスしたら娘もその気になって脱がしっこしはじめたんだけど、弟が突然叫びだして。いちゃいちゃ中断して部屋に行くと、なんと連れてきたのは傷だらけの他人。病院送りになってた囚人はもう1人いた、ということか。
その囚人。昨日だったか仮釈放ででてきて、ダチと飲んで女とやって知り合いのヤクの売人? かなんかのところから・・・のあとがよく分からなくて。LSDの瓶は持ち出したんだろうけど、金なのかヤクなのか、それをどうのこうので、どこかの遊園地に隠してどうたらで、クルマで連れていかれるところを、ドアを開けて道路に飛び降りて・・・気がついたら今、らしい。それで、兄の方が、じゃあその遊園地に隠したものを取りに行こうと持ち掛け、ついてはクルマがいるけど、それはいまいる黒人宅のものを借りることにして、娘同乗で3人で遊園地へ。なんだけど、それについていく娘はアホだろ。なに考えてるんだ?
深夜の遊園地のお化け屋敷。うろうろしてたら警備員に見つかり、囚人は捕まるんだけど、兄は隠れていて、警備員をボコって囚人を助け、さて逃げようとしたら警察に囲まれていて・・・。兄は、警備員の制服を脱がせて自分が警備員になりすまし、ホントの警備員は警察が連れていく。で、隠したブツは見つけたんだっけかな。ていうか、そのあとはどうしたんだっけ? このあたりから集中力が切れて、よく憶えてないな。
2人は、警備員のIDを見て、警備員の家に行くのか。Webのネタバレを見て思いだしたよ。で、ブツを、知り合い? に売れ、とか兄が囚人に言って、それで知り合いがやってくるんだけど、提示額が少ない、とか兄が怒って。知り合いが、じゃあATMで下ろしてくるから、と消えるんだけど、どうしてブツを知り合い売るのか、また、相手が買うのかがよく分からなかった。囚人は、自分が隠したブツを兄にいいようにされて、それで満足なのか? 助けてもらって恩義? そのあと、どうなるんだっけ。なんか、囚人の方はホテルの窓から逃げようとして落下したんだよな。兄も、逃げたけど捕まった・・・のは憶えてる。
とまあ、選択肢がすべて悪い方へと流れていき、どんどん本来の目的から離れ、とりあえず目先の難題をなんとかしようともがくんだけど、それまた悪い目ばかりがでて、最後は捕まってしまう、という、どうしようもない話。
こういうの、むかしはよく東映のチンピラ路線でつくっていたような気がするなあ。それにしても、いろいろとツッコミどころばかりで、後半は退屈してしまったよ。都合よく悪い目ばかり引いていくのが、なんかわざとらしかったかな。
で、逮捕され、再び施設に入った弟。ケガはしていない。殴られた傷はさほどでもなかったのかな。施設に入って、集団でなにかさせられている。「嘘をついたことのある人、移動して」などには反応しなかったけれど、「ぬれぎぬを着せられたことがあると思う人は横切って」に、初めて動いていた。警察で「お前は悪くない。正直に言えば出られる」なんて説得されてたけど、それで、兄貴に濡れ衣を着せられた、と思ったのかな? よく分からない。
というわけで、知恵遅れの弟よりも、兄貴の方がバカだし、チンピラ男を家に泊める黒人母娘もバカだし、でてくる連中みんなバカな感じの映画だった。主演が『トワイライト』の人とは気づかなかったでござるよ。顔がぜんぜん違うし。
人生フルーツ11/21ギンレイホール監督/伏原健之脚本/---
allcinemaの解説は「90歳の建築家・津端修一さんとその妻・英子さんにカメラを向け、その豊かな老後の暮らしぶりと、60年間連れ添ってきた2人の深い夫婦愛を見つめていく。2人が暮らすのは、愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一隅で異彩を放つ小さな雑木林に囲まれた一軒の平屋。かつて日本住宅公団で数々の都市計画を手がけた修一さんだが、1960年代に自然との共生を目指した高蔵寺ニュータウンの基本設計を手がけるも、経済優先の無機質な大規模団地に取って代わられてしまう。やがて、それまでの仕事から距離を置き、その高蔵寺ニュータウンに土地を買うと、恩師アントニン・レーモンドの自邸に倣った平屋を建て、雑木林を育て始める。それから50年、雑木林は里山の風景を甦らせ、キッチンガーデンでは70種の野菜と50種の果実が栽培され、妻・英子さんの手で美味しいごちそうへと姿を変えていく…」
世間では感動作とかなんとか好評価だけど、振り返れば「東大卒の建築家でヨットが趣味の元大学教授が、自分が関わったニュータウンの効率優先の設計変更に失望し、タウン内に200坪の土地を求め、庭に里山再生を目指して果樹や野菜を植え、オーガニックな生活をつづけ妻共々長寿に恵まれるドキュメンタリー」なんだよね。ところどころで、ガウディ、コルビュジエ、ライトら有名建築家の名言が引用され、夫の建築家も「自分で設計した住宅に住めないようでは建築家としてダメだ」みたいなことも言っていた。それはまあいいけど、夫は住宅公団に勤務してプロジェクトをいくつか任されたり、その前か後か忘れたけど、レイモンドの事務所にいた、らしい。名門の出じゃないか。自宅も、レイモンドが設計したのと同じつくりの家だとかいってた。そんなのつくったら、金がかかっただろうなあ、としか思えない。団地に広い土地が買える資金があり、大学教授の地位もあって、老後は32万の年金、とかいってたかな。でもって、見るからに健康で、90歳で、ひょい、と自転車に乗って郵便局へ行ったりしてる。大きな病気はしてるのかどうか。そういう話はでていなかった。
妻も、大きな商店の一人娘、とかいってたかな。東大ボート部が合宿してるときに知り合ったとかなんとか。いいところの優秀な青年と、いいとこのお嬢さんが一緒になって、めでたいね。というか、一人娘が実家を継がなくて大丈夫だったのか? と心配になるね。
果物や野菜がふんだんにできて、それを収穫して食べている。偉いね。まあ、土地があればそうしたい人はいくらでもいると思うぞ。食べるものは自然のもので、妻がときどきバスと電車を乗り継いで買い出しに行く名古屋の魚屋でも「あ、それ養殖」とかいわれてやめたりしていた。「あたし、コンビニ、入ったことないの」ともいっていたよ。偉いね。経済的なゆとりがないと、そういうことはできないよ。
夫は、日に何枚かのハガキを書くらしいが。その、妻が行く魚屋にも出しているという。夫は、行ったこともないのに。電子メールや電話ではなく、手書きのハガキ。偉いねえ。経済的に、そして、心のゆとりがないと、そんなことはできないよ。
というようなことばかり気になってしまう映画だった。低賃金で年金も少なく、健康にも恵まれず、日々、苦労ばかりの貧乏人からしたら、うらやましいとしか思えない。真似しようとしたってできないし、うらやましがっていてもしょうがない。
わるい映画ではないけど、ううそうですか、いいですね、としか思えないし。
住宅公団で後輩だった人で、筑波大学の教授やってた人だったかが、夫がかなりテキトーな人で、ずっと出社しないでいて、ある日、突然アイディアの山をもってやってきたりする、とかいっていた。そういうところはありそうな感じだ。それでもクビにならなかったんでしょ? よかったね。
もちろん、理想的なプランが公団の建設でできなかったのは残念だ。それに刃向かうように、公団内に住む、のも気骨があるし、責任感もあるんだろう。でも、要は負け犬の遠吠え。まあ、そんなことは百も承知でやったんだろうけどね。
90歳になっても建築の依頼がきて、九州の病院のイメージ・ドローイングを手がけていた。いや、ときどき画面に、コピー機が映っていたから、まだ仕事もしてるのかな、とは思ったけど。その年でも仕事が来るなんて、偉いね、というより、いいねえ、だよな。まあ、その病院の仕事も「お金は要りません」といっているんだから、偉いねえ。経済的にゆとりがなくちゃ、そういうことは言えないよ。
で、ある日、畑仕事した後だったか、夫が眠りについて、そのまま起きなかった、という死に方をするんだけど。これまた、すべての人間が、そうありたい、という死に方ではないか。なんて恵まれているんだ、この人は。建築界の重鎮になってなくても、十分すぎるぐらいの人生だろうな。
しかし、主を失って、87歳の老妻が残されたあの家は、いまどうなっているのだろう。亡くなって4、5年たつはずだが。妻は、夫を失って随分、気落ちしたような表情だったが・・・。いまもひとり、住みつづけているのだろうか。娘がいたようだけど、あそこに住むことはないだろうな。庭は、荒れていないのか? しだいに廃屋になりつつあるようなことはないのか、が一番気になるところだな。
八重子のハミング11/12ギンレイホール監督/佐々部清脚本/佐々部清
allcinemaのあらすじは「胃ガンが見つかり摘出手術を受けた石崎誠吾。その後も3度のガン手術を乗り越えるが、その間献身的に支えてくれた妻・八重子が若年性アルツハイマーを発症してしまう。闘病生活を送る誠吾の看護が大きな負担になったせいだと責任を感じ、徐々に症状が進行していく八重子の介護を、家族や周囲の人々の協力を得ながら自宅で続けていく誠吾。それは半端な愛情や優しさだけで続けられるような生易しいことではなかったが…」
禰宜で校長の50過ぎの夫が癌になり、相前後して妻がアルツになる。夫は闘病しつつ、次第に呆けて介護に翻弄される、という気の毒すぎる話だった。『人生フルーツ』の、思うような公団住宅はつくれなかったかも知れないけれど、建築家・大学教授として地位と名誉のある人生を送り、健康に恵まれて90歳まで生き、妻も87歳まで呆けずに元気に生活している、という夫婦との人生の格差に唖然としてしまう。なぜって、これはドラマ化されてはいるけれど、事実をもとにしている話らしいから。
内容も、映画のつくりもベタすぎて、公民館あたりで見るのが相応しい感じすらした。こういう映画は、見ているのがいささか苦痛である。なんでギンレイでやるのかなあ、こんなの。
・冒頭の、岸壁の心中シーン。思いとどまるんだけど、あれは何年のことなんだ? 八重子に自覚はあったのか?
・アルツ発病の平成4年と、ひどくなった平成14年の話が多い。発病から12年で亡くなった、ということなので、八重子の死は平成16年なのか。で。発病のとき、50ちょっとと言っていて、では平成14年は60過ぎ。にもかかわらず、誠吾は腰が曲がり歩き方もヨタヨタ。まるで70半ばのジジイのようだ。いくら癌で3度手術したからといって、あれはないだろ。演技過剰。友人の医歯役の梅沢富美男はシャントしてるのにね。
・冒頭ちかく、誠吾が家に戻ると、暗がりからその医師が・・・。先日受けた健診結果を告げに来たらしいけど、そんなのわざわざ夜、言いに来るか? というか、八重子が亡くなったときも、その場で医師に電話して「来てくれ」といっているんだけど、友人の特権を濫用してるように思えて、なんかな、な感じ。
・分教場で誠吾と八重子が教えていた頃の教え子と遭遇し、彼女が八重子の世話を・・・という場面があるんだけど。その後、あんまり登場しなくなってしまっているのは、まあ、教え子が役割として大きくないからかも知れないけど、なんか物足りない感じ。
・近所の喫茶店で、むかしの同級生が集まって・・・というのがよくあって。そういうときに、店の人らが八重子の面倒をみてくれて。その間に、誠吾と医者は2人でパチンコに行くらしい。週に一度のパチンコが楽しみな誠吾=神社の禰宜にして校長にして教育長という存在が、なんかチンケ、と思ったりして。
・教え子2人と飲んで帰ってきた場面。どしゃ降りで、タクシーを降りたら、神社の前で八重子が濡れて待っている。はいいんだけど、タクシー降りてすぐの誠吾がびしょびしょに濡れているのは、ちょっと変だろ。まあ、何度もやり直したからかしら。
・廊下で、水の入ったバケツにつまづいて倒す、という場面があるけど。なんであんなものを廊下に置いてるんだ? とツッコミ。
・医師が八重子が亡くなったことを告げているのに、誠吾は胸を押して人工呼吸をしたり、口から息を吹き込もうとしたり、ぎゃあぎゃあわめき、「八重子、八重子」と名前を呼びつづけるんだけど、ああいう過剰な演技を見ていると、引いてしまう。実際、人が死んだときは、あんな風にはならんよ。
・誠吾はコンビニ弁当をよく買う。八重子の昼飯もだったりする。料理ぐらいしないのか? というか、先に見た『人生フルーツ』で、奥さんが「コンピに行ったことないの」といい、魚屋で「あ、それ養殖」といわれて手に取った魚をもどすシーンがあったり、との比較が露骨すぎて笑えてしまう。まさか、コンビニ弁当が身体に悪いとでも? とかね。
・八重子がうんこ漏らして植木をズタズタにするのは、あれは因果関係があるのかね。たまたまエピソードをまとめただけなのか?
・講演につれていくこを、見世物だ、という人がいるらしい。これについては、あえて人前にだしている誠吾が立派だと思ったよ。孫の授業参観で、孫が「バアバはアルツハイマーで」と作文を読み始めたときは、ええっ!? っと思ったし、他の父兄も引いているようだったけど、誠吾はニコニコしながら聞いていた。ああいう度胸はなかなかフツーできないと思う。
・その講演で、「当時はまだ介護ヘルパーがなかった」といっていたけど、平成14年時点で、アルツハイマーは介護対象になっていなかったの? そうだったのか? 自宅で家族が責任を持って介護するしかなかったの?
・あと、少し感動的だったのは、温泉に行って、部屋の風呂は沸かし湯だと聞いてがっかりしているところへ、お内儀がやってきて。男湯をしばらく清掃中と言うことで2人のために開放してくれたところかな。といっても、ここで八重子が小水やウンコしたらどうすんだ、という心配はあったけど。
友人医師が誠吾に、会葬の列が凄い、と耳打ちする。でも、誠吾が校長で教育長、八重子も元教師であるので、まあ、当たり前だろうという気がする。
人生はシネマティック!11/27ヒューマントラストシネマ有楽町2監督/ロネ・シェルフィグ脚本/ギャビー・チャッペ
イギリス映画。原題は“Their Finest”。彼らの最高のもの、とかいうことか。Webで調べたら、チャーチルの"This was their finest hour"から取られている、らしい。この部分は、「これこそイギリスのもっとも輝かしい時であった」ということのようだ。
allcinemaのあらすじは「1940年、第二次世界大戦下のロンドン。ドイツ軍の空爆が続く中、政府は国民を鼓舞するプロパガンダ映画の製作に力を入れていた。その一方、映画界は度重なる徴兵で人手不足。ある日、コピーライターの秘書をしていたカトリンが、いきなり新作映画の脚本家に大抜擢される。内容はダンケルクの撤退作戦でイギリス兵の救出に尽力した双子の姉妹の活躍を描く物語。戸惑いつつも、自分をスカウトした情報省映画局の特別顧問バックリーらと協力して初めての脚本執筆に挑むカトリン。しかしそんな彼女の前には、無理難題を押し付ける政府側のプレッシャーや、わがまま放題のベテラン役者など、いくつもの困難が待ち受けていたのだったが…」
『アリス・クリードの失踪』『おみおくりの作法』の印象が強く、最近は『アトミック・ブロンド』にもでていたエディ・マーサンが芸能エージェント役で登場するんだが、主演のジェマ・アータートンこそが『アリス・クリードの失踪』のアリス役だったのね。おお。で、監督のロネ・シェルフィグは『17歳の肖像』の人なのか。こんないい映画を撮っているのに、まともに公開されている映画は少ないんだな。もったいない!
イギリス。戦時下における国内向けのプロパガンダ映画製作の裏話で、主人公のカトリンは脚本家として政府の映画局に入り、ダンケルクを舞台にした映画の脚本家に大抜擢。仲間たちと映画を仕上げる、という話で、映画製作の裏側も見えるし、カトリンの男女関係のあれこれ、なんかも含めてなかなか楽しいし哀しいし、面白い映画だった。IMDbでの評価が「6.8」というのは低すぎると思うんだけど、理由は何だろう?
最初は、カトリンの面接シーンなんだけど、どういう流れでどこで、がよく分からなくて戸惑った。あとから、政府の機関であることが何となく分かるんだけど、その機関と映画会社の関係はよく分からんし、立ち会っていた脚本家のバックリーも、立場がよく分からない。↑のあらすじだと情報省映画局の特別顧問となってるけど、そんな説明はなかったもんな。
面接に至る経緯も、バックリーの推薦、という話だったけど、そもそもカトリンがコピーライターの秘書、ってのも「?」な感じ。何年前に田舎から出てきたのか知らないけど、脚の悪い絵描きと駆け落ちし、どうやってそんな職を得たのだ? というか、いか会社は政府機関と関係があるの? それとも・・・。政府機関からプロパガンダ広告が広告会社に依頼され、そういう広告を作っていた会社にいたけど、コピーライターがみな出征してカトリンがコピーを書くことになって、その仕事ぶりにパックリーが目をつけた? もう少し分かりやすく描いて欲しかったね
あと、気になったのが、とくに前半だけど、字幕がこなれてなくて瞬間的に意味が取りにくいかった。まあ、もとのセリフの意味をできるだけ忠実に、だったのかも知れないけど、見て分かる、ではなく、読まないと分からない字幕が多かった。いや、読んでも、どういうことだ? と考えてしまうようなのもあったりして、イラついた。まあ、こちらも歳のせいで、瞬時に文字を追うのが負担になっているというのもあるとは思うんだが。
ほかによく分からないのは、脚本室にいる怖いおばさんで。あの人は映画会社の人なの? それとも政府機関の人なの? 「情報省のスパイだ」なんていうセリフがあったところをみると、映画会社の人? というか、あの脚本室は、映画会社の中にある、ということなのか?
あと、老人役者のヒリアードと、そのエージェントのスミスの関係も、よく分からない。いまでいう芸プロなのか。でも、役者ひとりしか抱えていないの? 他にも何人か役者がいるのか? そのスミスが途中で亡くなってしまうと、姉だか妹が仕事を引きつぐんだけど、そんな簡単にできるものなのか? とか、いろいろ疑問が湧いてくるのだった。
そういう人間や組織の分かりにくさを除けば、この映画は一介の若い女性がトントン拍子に映画の脚本家として頭角を現し、見事に人々の心をつかみ、快作をものにするという話で、とても面白い。とくに、脚本室で大まかな流れ(箱書きに当たるのかな)が決まり、間のエピソード考えながら埋めていくとろころとか、ベテランのパーフィット、中堅のバックリー、新人のカトリンの3人がタイプを打ち続け、見せ合ってはダメ出ししたりするのも、なるほどねえ、な感じ。さらに、情報省の命令でアメリカ人に受けのいい役者をムリやり押しつけられ、それでも話が壊れないように苦労したり、最後はアメリカの映画会社から、これじゃアメリカでは受けない、もっとど派手なアクションを! なんていわれながら仕上げていく様子は、まことに興味深い。現実の映画も、あんな具合に山あり谷あり横やりが入り、を繰り返しながらなんとか創り上げられるのかもなあ、とか思ったりした。途中に、できあがったのであろう映画の場面がインサートされるのも、なかなかいい。
いっぽうで、カトリンと亭主の話も同時進行していて。これまたいろいろ気の毒なところもあったりする。たしかスペイン戦線で負傷して脚が悪く、空襲監視の役かなんかさせられてるんだよな。亭主は。で、絵も売れず、カトリンに「田舎へ帰れ。養えない」なんていうんだけど、田舎に帰したからって上手くいくとも思えないけどなあ。そもそもカトリンと亭主のコールは正式に結婚していなくて、駆け落ちのようにロンドンにでてきた? で、カトリンが脚本の仕事に熱を入れすぎて、亭主の個展に行けない! というところをなんとか最終日にロンドンに戻ると、亭主は知らぬ女とまぐわっているところ。でもまあ、分からなくもない。自分は脚が悪い、絵もなかなか売れない、女房は仕事に夢中、自分の個展にも来てくれない、どころかずっと帰ってこなくて、ひとりで寝ている毎日・・・。これじゃ心のやすらぎを誰かに求めてもいたしかたないかな、とかね。
で、主人公のカトリンだけど、ジェマ・アータートンという、決して美人ではない役者が演じているおかげで、人間的にとても魅力な女性に見えてくる。ハンサムなバックリーがカトリンに引かれていくのも当然だよな。なわけで、亭主の浮気を目撃して戻ってきたカトリンに、バックリーは浜辺で愛の告白、がなかなか詩的な感じ。でも、映画のラストについて、アメリカからもっと派手に、の要求で仕上げたパートが本人も気に入らない。それを読んだカトリンは、一夜で書き上げ、バックリーの告白への返事も、シナリオ形式で書いてタイプライターに挟んでおく、という洒落た返答で。いよいよ2人は結ばれる・・・。
の、翌日。スタジオで、バックリーはカトリンの書いたラストを褒めちぎり、さらに、キスをする! おお。の直後、ドイツ軍の爆撃で足場が倒れ、バックリーの上に・・・。おおおお。なんて展開だ。バックリーを殺しちまうのか。うーむ。こういう展開が、IMDbでは嫌われたのかしら。
次の作品も、の誘いを断って脚本から足を洗う決心をしたカトリン。そこにヒリアードがやってきて、復帰を促すんだっけかな。カトリンとヒリアードの関係も面白くて、最初はCMの録音で、ベテランのヒリアードにダメ出しして怒らせる。のちに、ロケ現場で、素人のアメリカ人に演技をつけてくれるよう監督だかが依頼したら「嫌だ」と断られたとき、カトリンが何か話して気持ちを変えさせるのだった。(少しの会話で説得し、了解させてるんだけど、なるほど、とも思えないような内容で、うーむ、だったんだけどね) ということで、ヒリアードはカトリンが大のお気に入りになってしまい、ちょっとしたことでもカトリンを呼んで相談するようになっていた、という背景があるんだが。
てなわけで、カトリンは決意を翻し、あの怖いオバサンのいる脚本室に舞い戻るところで話は終わるんだったかな。もう、男に頼る生き方とはサヨウナラ宣言なのかもしれんな。それにしても、なかなか刺さるところも多い映画だった。それと、最近公開されたクリストファー・ノーランの『ダンケルク』のなかの、ドーバーからダンケルクへ救出に向かうボートのエピソードと話が似ているので、これまた話に厚みが出ていて、その点でも興味がもてたのだった。
・カトリンという名前が、亭主に変えられた云々の話がでてきたけど、これまたよく分からなかった。
・バックリーが死んで、ヒリアードの訪問を受けた後だったかな。完成版を映画館へ見に行って、観客が喜んでいるのを見る場面があるんだが。その映画のラスト近く、救援に行ったボートが無事に英国に戻り、海辺の様子が風景として映し出されるところがあるんだが。そこに、ポテトを海に投げ捨てるカトリンと、慌てるトムの姿が映っている、というのも、なかなかいい。ドキュメンタリー出身の監督が撮影した、ということらしいんだけど、彼のカトリンへの思いやりなのかな。
・政府の人(?)のなかに、えらい訛ってるオッサンがいるんだけど、あれはどういう人物であることを表現しているのだろう?
・空襲されるロンドンの様子がよく登場する。ついにはヒリアードのエージェントだったスミスまでも犠牲になってしまい、ヒリアードが確認に行く場面もある。カトリンが危機一髪で、周囲に転がる遺体を目にする場面もある。このあたりは、映画としての表現の強さを感じてしまったよ。なかなかいい。
ブレードランナー 204911/29MOVIX亀有シアター2監督/ドゥニ・ヴィルヌーヴ脚本/ハンプトン・ファンチャー、マイケル・グリーン
原題は“Blade Runner 2049”。allcinemaのあらすじは「荒廃が進む2049年の地球。労働力として製造された人造人間“レプリカント”が人間社会に溶け込む中、危険なレプリカントを取り締まる捜査官“ブレードランナー”が活動を続けていた。LA市警のブレードランナー“K”は、ある捜査の過程でレプリカントを巡る重大な秘密を知ってしまう。一方、レプリカント開発に力を注ぐウォレス社もその秘密に関心を持ち、Kの行動を監視する。捜査を進める中で次第に自らの記憶の謎と向き合っていくK。やがて、かつて優秀なブレードランナーとして活躍し、ある女性レプリカントと共に忽然と姿を消した男デッカードの存在に辿り着くが…」
見終えてから18日たってしまった。記憶はもうボロボロ。ははは。
話は割りとシンプルなのに、ムダに長い。なので中盤はひどく退屈。さも大ごとのような、ざわざわする音楽も仰々しすぎ。旧作イメージをひきずる都市風景はなかなかだけど、過去作にあったざらつき感が少し足りない。まあ、デジタル時代だからしょうがないか。
前作では、捜査官は人間が担当していた。いまは、捜査官もレプリカント、のようだ。演じるのは、ライアン・ゴズリング。そのゴズリングが、ある男を捕獲というか抹殺し、仕事を終えて帰るんだけど、あとから、現場に生えていた大木の地下に何かあることが分かる。ドローンみたいなのがスキャンすると、地下の埋葬物も簡単に判るようだ。で、見つかったのが、女性の遺骨で。その遺骨には番号が打刻されていて、それがレブリカントの証拠、なんだけど、出産した兆候がある、というので大騒ぎ。その、生まれた子供を探せ! というのがお話しだ。
ゴズリングは再度現地を訪れるんだけど、くだんの大木に刻まれた年月日が、自分の生年月日と同じなので、ひょっとして自分が、歴史上初めてレプリカントから産まれた生命体か、とそわそわしてしまう。
のだけれど、年月日を見つけたり、ウォレス社のだったかな、の情報保管庫で、かつてのデータを入手したり、の過程がもう一本道に仕立てられている感じで、苦労して探し出す感がちっともない。こういうところが、ムダに長く退屈な原因だと思う。
で、基本的なところで、よく分からないのが、レブリカントが子供を産むのが、どういう具合に大変なのか、伝わってこない。ウォレス社は、ぜひともその子供が欲しいらしいけど、それをどうしようというのかな。以後、わざわざレプリカントをつくらなくても、自然に製造できるから? その逆で、レプリカントが意志を持つ集団として発達し、刃向かってくることへの恐怖、なのか? よく分からない。だから、ウォレス社の幹部の女性(彼女もレプリカント?)が執拗に子供を求めるのが、いまいち迫ってこなかった。
でまあ、自分がその子供かと思い込んでいたら、実は、産まれたのは女性だった、ということが分かって(どうやって分かったんだっけ? もう忘れているよ)、さらに追求したら、父親のリック(ハリソン・フォー)が、汚染地区に住んでいることも分かって。・・・なんだけど、このことが分かる過程も、あっさり一本道だったような記憶が・・・。なんか、あれやこれや考え、探し当てている感がちっともなくて、すんなり導かれるようにたどり着いてしまうので、それもまたつまらないのだよな。で、ゴズリングはリックに会いに行くんだが、そこにウォレス社の配下だったか、がやってきて、リックを連れていってしまうんだったかな。
で、水責めみたいな場面があって、そこでなんとかウォレス社の女性幹部をやっつけ、るんだっけか? の、後は、例の娘に会いに行くんだけど、それは、ゴズリングが最初の方にあった、レプリカントの記憶を創造する仕事をしている、隔離された場所に住んでいる若い女性だった、というところで終わりだったかな。会いに行ったのはリックで、傷ついているゴズリングは、建物の階段で呆然としている、だったかな。そんな感じで終わったような気がする。
なんか、いまいちスリリングでもなく、とくに迫るものもなく、だからどうしたな感じの話であったな、というのが感想。
・リックは汚染地区に住んでるんだけど、あんな放射能だらけの場所で何を食って生きてたんだ? 電気はどこから調達? とか、疑問だろ、フツー。
・その汚染地区で、ゴズリングはリックに「チーズをもっているか?」と問われ、「宝島か」と返す。すると「いまどきのレプリカントは本を読むのか」と言われるんだけど、『宝島』にそういうセリフがあるのか。知らなかった。
・で、ところでその汚染地区は、何によって出現したのだ? 核爆発? 戦争?
・プレスリー、シナトラのホログラム映像が登場するけど、放射能に汚染されているのはラスベガスなのか。しかし、やっぱり気になる、電源・・・。
・生き残っている旧型レプリカントの反乱軍がチラッとでてくるけど、その後を描かないのは、次回作を考えているからなのかね。
・女性キャラはみな魅力的。とくに、簡易型らしきホログラムのジョイは、とても可愛い。あんな介護者が欲しいね、ヨボヨボになったら。しかし、金がないと、あの手の、話し相手ぐらいにしかなれないロボットというかホログラムしか買えないと言うことか。そういえば、販売店で客に「快楽型も・・・」とか説明していたのは、あれはラブドールということかな。それと、街の立体広告の美女は、あの女医と同じタイプのものだったのね。
・ATARIの看板が出てくる。そういえば『ブレードランナー』にもあったな、ATARIの看板。
・「オフワールドへ行こう」というセリフがあったけど、オフワールドって、なんなの?
・過去に大停電があって、世界の情報の大半が消去されてしまった、という設定になっている。その大停電は、テロかなんかで発生したのか、自然の磁場嵐で、なのか、よく分からない。で、残っている情報もある様子。なぜ助かったの? はたまた、情報の再構築は、どのように行われたのか、など、突っ込みたいところはまだある。
リベリアの白い血11/30キネカ大森3監督/福永壮志脚本/福永壮志
原題は“Out of My Hand”。allcinemaのあらすじは「リベリア共和国のゴム農園で働き、家族を養うシスコ。仲間たちと過酷な労働環境を改善しようと立ち上がるが、何も変えることができない。そんな時、従兄弟のマーヴィンからニューヨークに誘われ、家族を残して単身渡米することを決意するシスコだったが…」
リベリアってどこだっけ。な感じで、アフリカの左の方だったよな、ぐらいの知識。で、ゴム農園で働く黒人が、淡々とゴムの木に傷をつけて、樹液を小さなバケツに溜めていく・・・。な描写が長くて、まるでドキュメンタリー。同僚の男が病気がちで、ボスに「人を雇え!」と言われているんだけど、シスコが雇っているその男が、またその下に人を雇う、ということか? 直接ボスが雇うんじゃないのか。よくわかんねえな。な、感じ。
シスコは女房と子供2人。淡々と仕事をこなしていて、とくに不満があるようにも見えない。のだけれど、突然、組合活動の場面になり、リーダーが「劣悪な環境から脱するのだ」的なとこを言い、「ストライキだ!」なんて叫ぶと、やってきた連中がみな興奮。翌日から仕事に行かず、サッカーしたり釣りをしたりしているんだけど、次第に女房にバレて、スト破りが増えてくる・・・という最初の30分ぐらいがとても退屈。
はたまた、教会のシーンがあって、みなさんキリスト教徒なのね、などという感想を抱きつつ・・・。しかし、このシーン、ピンが合ったないぞ、ずっと。
シスコの従兄弟はアメリカにいて、周囲からは金持ちになった、と思われている。でもシスコは、そんなことはない。アメリカで従兄弟は苦労している、と説明する。その従兄弟がリベリアへ戻ってくるという。それを友人に話し、「黙ってろよ」というんだけど、みんなに広まってしまう、というエピソードがあるんだけど、単にそれだけで、説明がない。こういうところが、脚本と演出の不備だと思う。従兄弟はにぜ帰ってくるのか、なぜ友人にだけ話したのか、なぜ他の人々には知られたくなかったのか・・・を説明しないと、シスコのアメリカ行きにつながらないと思うんだが。
で、スト破りできなかったシスコは、妻に「アメリカに行く」といいい、出国管理局かなんかに行く。「働くんじゃないのね?」の質問に「観光」といい、あっけなくビザが下りるというのは、なんか見ている方も呆気なくて、なんだかな。不法移民になるんだろうけど、そんなに簡単にできちゃうのか?
で、従兄弟の紹介してくれた部屋に住み(一緒の部屋じゃないよな)、リベリアからやってきた仲間でつくる団体みたいなところにも顔をだし、そこのボスに「何かあったら相談に来い。ここにいれば、嫌でもトラブルに出くわす」みたいなことを言われていたので、事件が連発するのかと思ったらさにあらず。次のシーンではもうタクシーの運転手をしている。えええええ? リベリアから出て来て何日目か知らんけど、運転ができてタクシー会社にも就職できちゃうのか!? なあ、リベリアは英語を話しているようなので、言葉には不自由していないようだけど、そんな簡単に仕事に就けるのか? 呆気なさ過ぎ、というか、楽ちんすぎ。
なので、次々乗ってくる客とのトラブルでもあるのかと思ったら、そういうのは一切なし。運転手仲間とも上手くいっていて、とくに問題がない感じ。なーんだ。どこが「白い血」なんだよ、な感じ。
なんだけど、唯一のトラブル発生。これは、内戦のときの戦友で、しつこく絡んでくるのは、シスコの弱みを握っているからか。なんでも、生きたままの敵の皮を剥いだ、とかいっていた。そういう残酷なこともあったんだろうけれど、そんな風には見えなかったシスコなので、ふーん、な感じ。あと、気になるのは、この戦友が「なぜ俺を死なせなかった?」とシスコにいうところ。戦友は、シスコに殺されかけたのか? よく分からない。そもそも、シスコが内戦時のトラウマに悩んでいる、というような描写は一切ないのだよな。もしその戦友の存在が大きいなら、リベリア時代の描写で、悪夢にうなされるとか、そういう場面があっても然るべきだと思うんだけどね。
でそのチンピラみたいな戦友をただ避けるだけのシスコの気持ちがよく分からない。かつての蛮行を他人にバラされるのを懼れているのか? 戦友は、そんな感じではないけどな。女を世話してやるとか、その程度しか言ってこない。最初は拒否するんだけど、たまたまその女がシスコの家に逃げ込んできて、くだんの戦友に脅されてる、とかなんとか言い、警戒・拒否するシスコのガードをくずしていき、そのままベッドへ・・・な展開で。翌朝、戦友が仲間を連れてやってきて、「女がいるだろ」と迫って、400ドル請求されるのは、これはたんに美人局的な感じでしかない。ヤクでも奨められるのかと思ったらそうでもなく、たかられるにしても、微々たるもんだろ、としか思えない。
というとき、たまたま乗せた客がリベリア出身の紳士で。ゴム園の生活がいかに大変かを話したら、多すぎる料金をくれたので、シスコは「なぜこんなに?」としつこく反発し、返す。金に困っているならもらっておけばいい。自分は乞食ではない、恵んでもらういわれはない、とでも思っているのだろうか。なぜ、そういうプライドが出てくるのかもよく分からない。高潔な人間、というわけでもないようだし。
で、その後の場面だっけか。またまた戦友氏と街で出くわし、絡まれて、逆に突き飛ばしてしまう。怒った戦友が「そういう積もりならこっちにも考えが」と道に出たところで、走ってきたクルマに跳ねられてしまう。おやおや。なんていうコメディ的な展開なのだ。クルマは、しばらく停止していたけれど、だまって走り去ってしまう。跳ねた相手が移民の黒人と知ってなのか。では、シスコは警察に言うのかと思えばそんなことはなく、次の場面ではタイヤを交換している。まあ、不法就労だから、警察とは関わりたくないだろうけど。自分の過去を知っている戦友が消えてくれたこともラッキー、なんだろうか。いや、もしかして警察がやってきて、お前が跳ねたんだろう、と嫌疑をかけられてリベリアへ強制送還? ということもなく、淡々とタイヤ交換の場面を見せて、そこで映画は終わってしまった。
なんだよこれ。テキトーすぎないか。というか、アメリカでの仕事に壁はなく、あったのはリベリア内戦の過去、ではないか。やっかいな戦友氏がいなくなって、これからは、上手く行くんじゃないのか? と思うんだけどね。なので、移民の苦労、みたいな話はどこにあるのだ? な感じ。
ゴム園の様子も悲惨に見えないし、なにを期待して米国に行ったのか。内戦のトラウマで悩んでるようにも見えなかったし、みんな身から出た錆だろ、としか思えなかった。
・リベリアの場面。最初のうち、現地語か? と思っていたら、英語だった。そうか。Wikipediaでみたら、リベリアはアメリカで奴隷だった黒人が中心になってできた国だから、アメリカと縁が深いというわけか。それにしても、移民しても言葉が通じるというのは、大きい。仕事がすぐに見つかるのも、仲間が多いのも、そういう縁があるからなのね。
・シスコって、クルマが運転できるのか。まあ、内戦で軍隊にいたから、当然、なのか。なんか、唐突で、不思議だった。しかし、道を覚えるのに数ヵ月はかかるんじゃないのかね。

 
 

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