2018年6月

ゲティ家の身代金6/6MOVIX亀有シアター1監督/リドリー・スコット脚本/デヴィッド・スカルパ
原題は“All the Money in the World”。allcinemaのあらすじは「ある日、世界一の大富豪として知られた石油王ジャン・ポール・ゲティの孫ポールが誘拐される。しかしゲティは犯人が要求する身代金1700万ドルの支払いを拒否する。ポールの母親ゲイルは離婚してゲティ家から離れた一般家庭の女性。到底自分で払えるわけもなく、ゲティだけが頼みの綱だった。そのゲティににべもなく拒絶され、途方に暮れるゲイル。一方、誘拐犯もゲティの予想外の態度に苛立ちを募らせていく。そんな中、元CIAのチェイスが交渉役として事件の解決に乗り出すが…」
Twitterへは「中盤少し飽きて、終盤に少し盛り返す感じ。元CIAの部下は役立たず。誘拐犯はトンマ。コメディかよ。もっと吝嗇ジジイに焦点を当てるべき、と思ったらK・スペイシー降板で急遽C・プラマー代役の映画だったか。」
事実にinspireされた映画で、事実に創作を交えてつくられた、とあった。リドリー・スコットである。だがしかし、冒頭からの展開はまだしも、次第にぐだぐだになり、“耳”のあたりからテンションが戻りはしたけれど、とくに高揚感も緊張感もない映画だった。とくにイラつくのは時間の経過が分からないこと、それと、地理的状況(イタリアなのかイギリスなのか、イタリアもどのへんなのか、がほとんど分からない)もひどく分かりにくく、全体像がつかみにくい。それと、犯人の背景もよく分からないままだし、最後は犯人がどうなったのかも分からずじまい。まあ、そもそもはケチケチ爺さんのだったんだろうけど、撮り終えた途端にケヴィン・スペイシーがスキャンダルで降板し、クリストファー・プラマーを代役に急遽撮影し直したらしいから、ジャン爺さんが本来の完成度でないのかも知れない。他の役者との絡みは撮れなかったんだろうし。とはいえ、誘拐犯のトンマ振りを延々描くよりは、もっとジャン爺さん主体で仕上げるべきだったと思うがね。
・ポールが誘拐されたのは、イタリアなんだよな。両親は離婚して、妻ゲティもイタリアにいるのか? 亭主は麻薬中毒で、これもイタリアのどっかの街にいて。父親を慕って、ポールは父親の近くにいる、なのか? 最初の所は。で、ジョン爺はイギリスにいる、でいいのか?
・ジャン爺に呼ばれた元CIAで腹心の部下なのか、なチェイス(HPには人質交渉人となってる)。彼が、ホテルから下を見るとクルマの天井に五芒星が描かれてる。あれはどういう意味なんだ? で、そのクルマに乗ると、後ろだったか前だったかのクルマにぶつけてきて、一緒に来い、なサイン。で、行った事務所はどこの何なんだ? 赤い旅団じゃないよな。よく分からない。
・このチェイス。ポールの誘拐は狂言、という情報を簡単に信じて、ジャン爺にそう報告するけど大ハズレ。バカじゃないの? な気がしてしまう。元CIAのプロが、こんな簡単に騙されるのか?
・チェイスがまともに活躍したのはラスト近く、母親のゲイルと一緒のクルマで身代金を運んだことぐらいだろ。なんかな。トンマな人質交渉人だよ。
・で、誘拐犯だけど、そもそも最初の連中は、ただのチンピラなのか? で、ひとりだけチンクアンタというやつがなぜかポールに同情心を抱いて、なのかしらないけど、親切にする。とはいえ、ポールをマフィアに売り、でも自身もマフィアに雇われてチェイスとの交渉はつづけるという、なんか、どっちつかずなオッサンで。なんかしまらない。
・そもそも最初の誘拐犯たちは、簡単に見つかって射殺されてしまうというのが、トンマ過ぎ。目出し帽を外してポールに顔を見られたり、ウンコしようとして警察に殺されてたり。なんかな。
・しかし、マフィアも人質を引きつぐか? そういうお国柄なのか。最後、手に入れた身代金も、一族郎党(偽ブランド商品をつくる工場みたいのを営んでる)総出で札を勘定したりしていた。こんな連中が警察に捕まらないというのが、これまたイタリアというお国柄なのかねえ。
・耳が送り届けられたのは、新聞社? よく分からんぞ。
・身代金は、1700万ドル → 1400万ドル → 700万ドル → 400万ドルと値下げされるんだったかな。キャッチなどには1700万ドル=約50億円となってるんだけど・・・。1ドル360円の時代だから?
・しっかし、ドケチなジャン爺に迫りきってないから、いまいち面白さがどこにあるのか分からない仕上がりになってる。この映画、誘拐犯や身代金にあるんじゃなくて、孫の命をないがしろにして、金儲けに勤しむジジイにあるんだろ。ホテルにいて、パンツ洗濯に出すと高いから自分でやってるとか、そういう吝嗇家。でも、必要なところにはどんどん使っているし、ただのドケチとは違うと思うけどね。ムダに使わない、は間違ってないように思う。まあ、でも、孫の命にはドンと使ってやれよ、な気もしないではないけど。でも、孫の中でポールが一番可愛い、というわりには、ポールさん遊び人な感じ。
そもそも、ゲイルは離婚したとき慰謝料は断り、子供の養育権だけを要求した。で、家賃も支払遅延しているとかいっていたのに、なんだあの孫ポールのお坊ちゃまな様子は。あのあたり、よく分からんな。
とはいっても、事件の解決と前後してジャン爺が死んでしまうという設定で(実際は解決後数年は生きていたらしい)、会社の税金対策のためになのか知らんが、家族にしか金が払えない、だったかなんだか、よく分からないシステムのため、家族が社長に付かなくてはならなくて、ゲイルがジャン爺亡き後の会社の社長に納まっていて。では、一気に長者だな。
でもWikipediaでみたら、ポールも数年後に麻薬中毒になって、他にも病気になって、若くして死んじゃってるみたい。ま、金がありすぎて遊びまくってるのは、ロクなことが無いということかね。知らんがな。
ロング,ロングバケーション6/8ギンレイホール監督/パオロ・ヴィルズィ脚本/スティーヴン・アドミン、フランチェスカ・アルキブージ、フランチェスコ・ピッコロ、パオロ・ヴィルズィ
原題は“The Leisure Seeker”。老夫婦が乗る、古いキャンピングカーの名前。allcinemaのあらすじは「エラとジョンは50年連れ添ってきたベテラン夫婦。末期ガンを患い人生の終わりが近いことを覚悟したエラは、病院での治療に見切りをつけ、最愛の夫とキャンピングカーで夫婦水入らずの旅に出る。目指すは、ジョンが敬愛するヘミングウェイの家があるフロリダのキーウェスト。しかしジョンはアルツハイマーが進行中で、道中もたびたび記憶が混乱してしまう。それでも心配する子どもたちをよそに、2人で人生を追想しながら目的地を目指してアメリカを南下していくエラとジョンだったが…」
Twitterへは「誰にでも現実味のある話なので、笑い事ではない。怖い話なのだ。」
ドラマ/コメディに分類されている。だから笑えるところも多いけど、いや、笑い事じゃないだろ、ということが大半だ。これは、長寿化に伴って誰にでも起きうる悲劇でもあるのだから。とはいえ、ドナルド・サザーランドとヘレン・ミレンが軽妙な感じで、深刻な話ではあるけれど、後味はそんなに悪くない。
まったく前情報なし。なので、実は夫が認知症で、妻が末期ガンであることは、徐々に分かってきた。まあ、妻の末期ガンはそうだろうとは察しがつくが。なので、いい感じで映画を享受できたのではないかと思う。とはいえ、なぜに老夫婦がキャンピングカーでフロリダまでヘミングウェイの家を見に? というのは、よく分からない。たんに夫が教師で、ヘミングウェイやメルヴィル、ヘンリー・ジェイムズなんかが好きだったからなのかも知れないけどね。
認知症とはいえ、要所では記憶がちゃんと戻るのがおかしい。歴史テーマパークでは教え子女性に声をかけられて、妻は誤魔化そうとするんだけど、夫の口からは教え子の名前や当時の様子がすらすらと。ところで、その教え子の友人のことを聞いたら、その教え子が戸惑ったのはなぜなんだろう。オチがあるのかと思ったら、とくになし。教え子が、その友人と不仲になっているとか? あるいは、夫の記憶教え子の身に覚えのないものだったから? ちょっと気になる。
記憶が戻るといったら、夫が娘と電話で話すシーン。これもすっと記憶が蘇り、大学教授になっている娘に「誇りだよ」というのだが、涙ぐむ娘に見ているこちらもほろりとしてしまう。とはいえ、姉の横にいる弟が、「姉さんはデキがよかったからオヤジの覚えがめでたい。それに、姉さんは遠くにいるから、そんなこと(しばらく2人で旅をさせておこう、と)がいえる。僕は一緒に暮らしてるんだ。心配でしょうがないよ」というのだが、これまた真実だよなと。
ほろり、というと、キャンプ場でスクリーンを張って昔の写真を2人が見ていると、「一緒に見ていい?」と他の客も覗きに来るところなど、なかなかしみじみ。まあ、妻としては、夫の記憶再生の訓練のつもりなんだけど。
あと、互いに、過去の恋愛対象に嫉妬し合うのも、おかしい。夫は、妻がかつて思いを寄せていたダンという男性にいちいち言及する。あれこれあって、じゃあ、と妻が老人施設に連絡をとって会いに行くと(夫は銃を持って会いに行く! それほど嫉妬してる!)、なんと相手は黒人で、しかも、妻のことをこれっぽっちも覚えていない。あらー、な感じだけど、1970年前後の学園闘争華やかな時代の一過性の恋だったのか。
いっぽう、夫があるとき妻を別の女性の名前で呼び始めて。それは隣人女性なんだけど、その隣人女性のフリをして会話し始めたら、夫は「こんな関係はよくない。分かれよう」なんていいはじめて。なんと、妻が妊娠中などに、隣家の女性と2年ほど不倫関係にあったことがバレてしまう。これで逆上した妻は、夫を近くの老人施設に放り出して行ってしまう。まあ、あとから引き取りに来るけど。
互いに、昔の恋愛相手に気が気でないところが、ははは、な感じ。そんなものなのか。まあ、この夫婦。いまだにラブラブだから、そういうことなのかも知れない。いまどきのアメリカ映画では珍しい。何度も離婚・再婚を繰り返したりしている男女が、昨今は多い様だからね。
認知症の夫は、ときどき寝小便をしでかす。大人の小便だからなあ。キャンピングカーや、タクシーみたいなカートに乗ってるときとか、お構いなし。ちゃんと洗ってない感じで、布団も干してないだろうし、リアルに見たら、結構汚いぞ、ありゃ。
で、フロリダに到着してヘミングウェイの家に来てみれば、観光化されてて、人は一杯、結婚式までやっている。なところで、ついに妻が倒れて救急車。さて、どうなる?
と思っていたら、戻ったキャンピングカーで、夫の小便垂れ流しの始末をしてたら勃起して。なんと、やっちゃうというのがおかしい。設定の歳は分からんが、夫のドナルド・サザーランドは1935年生まれの、82歳凸凹。妻のヘレン・ミレンは1945年生まれで72歳凸凹。妻はまだしも、夫が勃つか? は、いいとして。そんなに愛し合ってるの!?
で、その後の展開は、ちょっと意外で。なんと妻が夫に薬を飲ませ、自分も飲んで車内で排ガス心中。娘と息子が心配してた最悪の事態ではないか。まあ、妻は「私が死んで、あなたをひとり残せない」というせっぱ詰まった気持ちは分からなくはないけれど、それを推奨しているようなところも感じ取ってしまうなあ。ラストは葬式で、娘と息子が、どっちが話しかけたか覚えてないけど(娘かな)「哀しい?」と聞いたら「そんなことはない」という感じで首をふっていたんだっけか。両親を心配していたときと、態度が大違い。まあ、本音は、ほっとした、というのも、ないわけではないかもしれないけどね。
・反移民団体が騒いでいたり、呆けた夫がそのなかに混じってトランプ支援に手を挙げたり、その夫の胸につけられていたトランプ万歳バッチを「あんたは民主党支持でしょ」といって外して捨てたり、政治的にはっきりしてるのが興味深いかな。
ローズの秘密の頁6/8ギンレイホール監督/ジム・シェリダン脚本/ジム・シェリダン、ジョニー・ファーガソン
原題は“The Secret Scripture”。Scripture=聖書。allcinemaのあらすじは「アイルランドの古い精神病院、聖マラキ病院。取り壊しが決まり、患者たちは新たな病院に転院することになるが、ただ一人老女のローズだけはここを動こうとしなかった。彼女は自分の赤ん坊を殺したとの罪で40年間もこの病院に収容されていた。そんなローズの問診をすることになったグリーン医師は、彼女が一冊の聖書に自らの人生を書きつづっていることを知り、彼女の語る過去に耳を傾けていく??。第二次世界大戦中、故郷の田舎町で暮らしていた若きローズは、男たちの注目の的だった。中でも神父のゴーントはしつこく付きまとっていた。そんな中、イギリス空軍に志願したことで裏切り者と白眼視されていた青年マイケルと恋に落ちるローズだったが…」
Twitterへは「最初から最後まで「?」の連続で、もやもや感がぬぐえない。歴史的背景を知ってれば分かることか? それ以外にも説明不足は多いと思うぞ。似たような話が何年か前にも映画になってるし、またか、な感じもしないではないし。」
一発ネタの仕掛けは、勘のいい人なら早いうちに分かっちゃうかも。実はラスト近くまで気づかなかったんだけどね。でも、分かっても、ああそうかな感じで感動にはとどかない。そもそも似たようなモチーフの映画には、『あなたを抱きしめる日まで』『マグダレンの祈り』なんていうのがある。時代背景は違っても、またこれか、な感じになってしまう。それほどアイルランドの教会はひどいところなのか。こういう告発がつづく状況があるのかもね。
かなり説明の足りない映画で、イギリスとアイルランドの歴史的経緯、カソリックとプロテスタント、なんてところの知識がないと、「はあ?」なところが大半で。気の毒とか可哀想、なんで? なんていう感情になるまえに、置いてきぼり感に襲われる。
・舞台は、アイルランドのどこ? 北アイルランドではなく、エール? 第二次大戦中、アイルランドは中立を維持していたらしいが、なぜ英国のパイロット募集がアイルランドに?
・なぜマイケルは同国人(アイルランド)に殺されるのか? アイルランドの独立運動との関係? 第二次大戦中にもつづいていた? マイケルが英国軍のパイロットになったのは、アイルランド対する裏切り?
・マイケルは撃墜されパラシュート降下。地元民に襲われかかる。それをローズが救うんだけど、都合のいいことに、墜落したのはローズの家の近くという・・・。漫画かよ。
※調べたらアイルランド独立戦争は1919年から始まり、1921年にアイルランド自由国が成立。あの、左側の島がイギリスから分離して国家になった。その後、内戦が始まり、北アイルランドは自由国から離脱。英国に付いた。
・ゴーント神父は、どういう存在なのだ? ただのカソリックの神父? ローズの色気にまいって、私怨を抱きつづけた、ということか?
・マイケルが同国人に連れ去られると、ローズは精神病院に送られてしまう。なんで? 手配したのは誰? ゴーント神父か? ローズの叔母の同意書もある、といっていたけど、その叔母は以後登場してなかったよな、たしか。なぜ叔母は姪を救わないのか?
・妊娠がわかり、ローズは精神病院から修道院に行ったのか? あれは、ゴーント神父のさしがね? 『あなたを抱きしめる日まで』みたいに、大戦後、父なし子なんかはアメリカに養子にやられるシステムが確立してたのか? ゴーント神父の手を離れ、システム的にああなったのか?
・精神病院も、カソリック教会のいいなりになってたのか? 組織的に赤ちゃん養子システムに組み込まれていた?
・マイケルとローズはカソリックの教会で結婚したらしいけど、その記録はあるんじゃないのか? それを証明すれば、精神病院からでられたのでは?
・いろいろそういうのは過去の隠したい事柄としても。現在の精神病院長までも、そうなのか? 設定として、冷酷な人間にしているだけなのか? それ程でもないと思うけどな。グリーン医師にも自由にさせているし。
さらに、人間ドラマが希薄なので、なんでそうなるの? 的な気分に陥ってしまい、素直に感情移入もできない。
・ローズとマイケルとは、初対面の挨拶の後は、マイケルがバイクでの挨拶? の後は入隊で、次は飛行機からのご挨拶、次が、パラシュートが引っかかってるのを救出になる。彼女はいつマイケルに恋したんだ? 匿っている間に? やはりここは、魔性の女ローズが、実はマイケルに恋した乙女であった的な描写が必要だろうな。ゴーント神父や、もうひとりいた男のアプローチを避けていたのに、なぜマイケルを選んだの? と。
・ローズとゴーントの出会いは海岸で。ローズが海を泳いで渡った云々の話なんだけど。なんで泳いで渡る必要があったんだ? な展開も、もやもやする。後に別荘がどうとかいうセリフがあったように思うんだが、叔母の喫茶店に通っている日常に、なんで泳ぐ必然性があるんだ? いや、実をいうと、喫茶店の場面で、やってくる神父がゴーントとは分からなかった。「あれ?」な感じで。神父が、ローズが乗せてもらった同じクルマに乗っているのを見て、同一人物か、とちゃんと分かった。
・過去のローズをルーニー・マーラ、現在をヴァネッサ・レッドグレイヴ。この差が大きすぎて、同一人物と理解しながら見るのがなかなかしんどい。しかも、語りはヴァネッサ・レッドグレイヴの視点で行われるので(でも、声は違うような気がした)、その生い立ちや経緯が、いまひとつすっきり頭に入ってこない。
・ローズの生い立ちもアバウト。父が早く死に、残された母親は精神病院へ、って。じゃあ、誰に育てられたのだ? で、どういう経緯で叔母の元にやってきたのか、も、なんか茫漠としてる。
そもそも、ローズは男を惑わす女だったのか?ゴーントは、ローズのどこに惚れたのか? 神父だから結婚も性交もできないはず。なのに、せっせとアプローチするゴーントは、もっと話題になってもいいはず、なのにそうならない。やはりここは、それなりの関係を暗示する場面がないと、なるほどとは思えんよな。たとえばローズズゴーントに親近感を抱き、ゴーントが勘違いしてキスするとかストーキングするとかマスかくとか。そういう思いを袖にされ、マイケルみたいな禁止破り(酒煙草OK)のバーを経営してるやつにさらわれたうらみを見せないと。
・途中から精神病院の看護婦がグリーンの理解者として登場シーンが多くなるんだけど、彼女はただそこにいるだけで、ほんとんど何も機能していない。もうちょい働かせろや。
そして、タイトルにもなっている聖書に書き込んだローズのメモ。これがさっぱり生きていない。このメモにグリーンも気づいているはず。なのに読み解こうともしていない。ここは、グリーンがメモの書き込みから何らかのヒントを見つけ、それを追ったらとてつもない事実が判明した的な流れにしてくれないとなあ。
あと、事実が判明するくだりも、いまいちスッキリしない。もうよく覚えてないんだけど、なぜ大司教がローズの再鑑定を命じたのか、それを調べる過程で、あれこれ、だったかな。自分が養子だったことを書類で知るんだったか。で、グリーンは、そういえば、って実家に行って思い出の箱みたいなのを開けると、そこに養父からの手紙があって。あけると、ああそうか、そこに養父の手紙として「亡くなる数年前にすべてを告白した」ってあったんだったか。亡くなったのは大司教か? 養父か? よく覚えとらんのだが、大司教=ゴーントだろうというのはがっと思っていたけど。なんで「再鑑定」なんだよ。それじゃ、ほのめかしてるだけで、反省になってないだろ。ローズに対して申し訳なく思ってるけど、すべてを赤裸々に告白するのはためらわれるから、ちょっとだけよ、の示唆、ということか? なんか、じれったい。それに、養父からの手紙をほったらかしたまま読んでないグリーンというのは、どうなんだ? あの箱も含めて、実家を売るつもりだったんだよな。というか、冒頭のシーンで実家から出てくる場面があって、その経緯がよく記憶できていなかった。そもそも、なんで実家を売ることにしたんだ? もう一度、見返すと分かるのかな?
という、なんか詰めの甘さが全体に漂っていて、「おお、なるほど」感がない。もう少し映像と言葉を補えば、骨太のしっかりした映画になっただろうに、もったいない感じ。
フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法6/12ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2監督/ショーン・ベイカー脚本/ショーン・ベイカー、クリス・バーゴッチ
原題は“The Florida Project”。allcinemaのあらすじは「“夢の国”ディズニー・ワールドのすぐ隣にある安モーテルに流れ着いたその日暮らしのシングルマザー、ヘイリーと6歳の娘ムーニー。無職のヘイリーが滞在費の工面に頭を悩ませる一方、ムーニーは同じモーテルに暮らす子どもたちと一緒に、周囲の迷惑も顧みずにイタズラし放題の冒険に満ちたキラキラの毎日を送っていた。管理人のボビーは、そんなムーニーたちのやんちゃぶりに手を焼きながらも、優しく見守っていくのだったが…」
Twitterへは「バカ親と生意気な糞ガキの話で最初はイラついたけど、後半は少ししっとり。一本筋の通ったドラマがあるとよかったんだけど、スケッチになってしまってるのが残念。管理人のウィレム・デフォーがとてもいい。」
な、感じですな。書いてる今日は8月5日なので、アバウトにしか思い出せん。
ヘイリーが「16(だったかな?)で子供を産んで」とかいう場面がたしかあって。だから20歳ぐらいの設定? それにしちゃ老けてるだろ、と思ったら25、6の設定のようだ。まあいい。
ムーニーがかなりの悪ガキで、同じアパートに住んでる子と悪戯ばかりしてる。いつも一緒の子は、火事騒ぎが原因で、母親から一緒に遊ぶのを止められてしまう。
子供が何人か登場するんだけど、ちゃんと顔が分かるように映さないので、区別がつかないのが、うーむ。越した来たところの娘がいて、その子はムーニーに染められちゃうんだったけか。ヘイリーと仲好しで、ダイナーみたいなところで働いてて、いつも残り物をもらってる女性もいたけど、彼女には子供、いたんだっけか?
いたずらばかりのムーニーを、叱りはするけど、なぜかやさしい管理人がいい感じ。で、ヘイリーは家賃が払えず、部屋を追い出されてしまうんだけど、この経緯がよく分からなかった。管理人は隣の棟に行って、そこにヘイリーとムーニーを託そうとするんだけど、35ドルを45ドルに値上げしたから、とかいって宿泊を拒否されるのだ。協定をやめた、とか言ってたけど、なんなんだ? 自分のところから追い出して、それで隣に追いやろうとして、それもできず。うーむ。どういうことだ?
で、このアパート。アパートじゃなくて、モーテルみたいなんだよね、実は。そこに週単位で支払って、住んでる、みたいな感じ。ふーむ。そういうシステムがあるのか。そういえば、ムーニーの友だちで、途中で出ていった一家があったけど、車1台で去って行ったよなあ。
あと、新婚旅行で予約したはずが「こんなところに泊まるのはいやよ」と言い張る新妻をつれた新婚カップルもいたっけ。一泊8ドルって言ってたかな。
ヘイリーも、ちゃんと働けばいいのに、安物の香水をリゾート客に高く売りつけたりして、まともなことをしない。あれは、ちゃんとした仕事にありつけない層に属している、ということなのか。たんに働くのがいやなのか。よく分からんけど、元気だけは人一倍、なヘイリーとムーニーに、いつしかやさしくなってしまっているのだよね。
で、ついにヘイリーは売春するようになって。それが見つかって、保護局の人がムーニーを連れに来るんだけど。ここで、ムーニーが逃げ出して、近くにあるけど行ったことがなかったディズニーワールドかなんかに行くんだっけかな。はてさて、その後はどうなるのか。そこまでは描いてない。はともかく、ディズニーワールドのシーンは、許可とってんの?
あと、W・デフォーが使ってるバイト君。「「誕生日プレゼントをやっといた」とかいったら、Wデフォーに「俺は知らん」って怒って。で、バイト君が「じゃ、やめる」って、荷物を運んでるとき言いだすんだけど。もしかしてあのバイト君は息子? 別れた、あるいは別居中の妻へのプレゼント? なんかよく分からない。
タクシー運転手 〜約束は海を越えて〜6/14キネカ大森1監督/チャン・フン脚本/ウム・ユナ
英文タイトルは“A Taxi Driver”。allcinemaのあらすじは「1980年、韓国のソウル。妻に先立たれ、幼い娘を抱えて経済的に余裕のない毎日を送る陽気なタクシー運転手のキム・マンソプ。その頃、光州では学生を中心に激しい民主化デモが発生していたが、戒厳令下で厳しい言論規制の中にいるマンソプには詳しい事情など知る由もなかった。そんな中、ドイツ・メディアの東京特派員ピーターが光州での極秘取材を敢行すべく韓国入りする。英語もろくに分からないマンソプだったが、“通行禁止時間までに光州に行ったら大金を支払う”というピーターの言葉に二つ返事で引き受ける。こうして現地の深刻さに気づかぬまま、ピーターを乗せて意気揚々と光州へ向かうマンソプだったが…」
Twitterへは「コミカルな前半から次第に・・・。光州事件は記憶にある。調べたら、ENDの後から事件はさらに過激化したようだ。」
前評判も高く、見ていて飽きない。コメディ要素も多くて、いかにも、といった政治的メッセージ姓もさほど感じられないので、力まずに見られる感じ。まあ、次第にハードになってきて、さてどうなるのかな、という興味で引っぱってくれてるけど。
あの、案内してくれた青年が死ぬんだろうな、というのは予測できた。だからどうした、な話だけど。
ところで、帰路、キムが1人で光州から脱出してしまうのは、なんでなの? な疑問。だってキムは、空港まで連れていく、といっていたではないか。自分だけ、安全なうちに光州へ、というような感じでもなかったし。脱出する前に光州のタクシー運転手のひとりが近づいてきて、話しかけてたしな。なんかくれたんだっけか? そのときも「外人は置いていくのか?」的なことも言われてなかった。
帰路、軍隊の隊長が見逃してくれたのは、あれは隊長の良心なのかな。とはいえ、すぐに他の兵隊たちに追われ、カーチェイス。光州のタクシー運転手も、犠牲になってたけど、あのあたりは映画的な創作だろうな、きっと。まあいいけど。
よく覚えてないんだけど、いったん逃げ出して、で、もう一回、ピーターを救出にいくんだっけか? もう忘れてる。はは。
ところで、キムがピーターに名前と電話番号を聞かれて、ふと見るとバッチ(?)があって、そこにサボクと書いてある。なので、その名前を語り、なのでピーターが後にキムを探しても電話番号も違うもの、ということになっているのだが。あれは、なぜなんだろ? キムはピーターを全面的に信頼してなくて、身の安全を優先してそう言ったのかね。また、これも事実に基づいているのかな。
家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。6/18109シネマズ木場シアター4監督/李闘士男脚本/坪田文
allcinemaのあらすじは「バツイチのサラリーマンじゅんは再婚して結婚3年目を迎え、年下の妻ちえと幸せな日々を送っていた。ところがある日じゅんが帰宅すると、専業主婦のちえが口から血を流して倒れていた。動転するじゅんだったが、それはちえの“死んだふり”だった。以来、じゅんが家に帰るたび、手をかえ品をかえ迫真の“死んだふり”で出迎えるちえ。一度離婚を経験しているじゅんは、ちえの奇行の意味を図りかね、不安を募らせるのだったが…」
Twitterへは「ムダに長い。30分ばかり切って80分ぐらいにしたらメリハリがでるかも。エキセントリックな榮倉奈々でなんとかもたせてる感じ。「月が綺麗ですね」は、こないだ見た『海を駆ける』でもキーワードとして使われてたな。」
これはもしかして、妻の余命が短いことが分かって、だから夫に慣れさせるために、やってることなのかな、と想像したんだけど、外れた。ただののろけ話だった。
妻とは、夫が地方に出張に行って、寿司屋で出くわしたんだったっけ。で、そのひとり娘を嫁にもらった、と。母はすでに亡く、妻の父親は病気になって入院する場面があるんだが、退院後の面倒を見なくていいのか? が気になった。遠くない将来、老いた父の世話が必要になるだろうに、そのときはどうするんだろうな、と。
でその妻は、ときどき金言をいう。“I love you”を夏目漱石は「月が綺麗ですね」と訳し、二葉亭四迷は「死んでもいいわ」と訳したという逸話とか「人生は、上り坂、下り坂、まさか」「探せばいつか見つかります」「言葉は人を傷つける」「先に死なないでください」とか。それがどうした、なんだよな。
というか、結婚前に、妻はちょっと変、ということが分かっていなかったのか? それにしても、100均で仕入れたとしても、死体の細工は金もかかるし手間だろ。使い終わったら、捨てるのか? とってあるのもあったけど。ジャマだろ。とかしか、思えない。
それにしても、妻は他にすることないのか? そういえば、老人がやってるクリーニング店でパートし始めたんだっけか? でも、その老人も亡くなってしまうんだったか。よく覚えてない。
死んだふりをしている理由は、分かんなかったんだっけか。よく覚えてない。
まあ、妻役の榮倉奈々を見てるぐらいしか楽しみがない。もう少し切れ味が欲しかったかな。そういえば、観客は4人/84席だった。
空飛ぶタイヤ6/20109シネマズ木場シアター1監督/本木克英脚本/ 林民夫
allcinemaのあらすじは「ある日、1台のトレーラーが脱輪事故を起こし、歩道を歩いていた子連れの母親が外れたタイヤの直撃を受け死亡する。製造元のホープ自動車は、事故原因を所有者である赤松運送の整備不良と決めつける。社長の赤松徳郎は世間やマスコミの激しいバッシングを受け、取引先を次々と失った上、銀行にも冷たくあしらわれ会社は倒産寸前に。それでも自社の整備担当者を信じて独自に調査を進め、ついに車両自体に欠陥があった可能性に辿り着く赤松だったが…」
Twitterへは「初のうちは結構ヒキがあったけど、中盤からもたもた。いまどきの大企業はあそこまで隠蔽体質じゃないしな。しかも常務の一存で・・・。悪がのさばる図式は、ひと昔前の話のような気がした。」
ちいさな運送会社が、リコール隠しの大手自動車メーカーと戦う話で。最初の方の追いつめられていく過程は、憤りも感じさせてくれる。「再調査を」と訴えても、自動車メーカーの担当課長は電話に出ず、部下が「担当はいま不在」を繰り返すばかり。なんだけど、中盤になってこの担当課長と接触することが叶い、なんとその後は赤松運送の味方になっていく、という経緯が、なんかいまいちスッキリしないんだよね。大企業vs運送屋という図式から、大企業内のワンマン専務グループvs改革に燃える若手たち、になっていくのも、なんだかな、な感じ。結局、運送屋だけの力ではなくなっちゃってるからね。
話が進むにつれ、そうなの? ということになっていくのも、うーむ。たとえばホープ自動車は過去にリコール問題を起こしていて、再度の不良を隠そうとしていた、なんて、社内的にも疑問をもつ社員がいてもいいじゃないか。なのに、リコール隠しが目的の、ワンマン専務が主導する会議によって隠蔽されていた、とか。そんなのありか? しかも、そのワンマン専務は、前任の失脚で専務になって数年、という話ではないか。そんな専務が、会社全体の運命を左右する問題に、あんな風に采配がふるえるものか? そもそも、他の専務とか社長が登場しないというのも違和感。
被害者である他の運送会社の対応も、変。女性記者から入手したリストを頼りに赤松が訊ねていっても、どこも素っ気ない。なんで? 別にホープ自動車からの圧力があるわけじゃないんだろ? しかも、赤松運送は起こした事故で倒産寸前になっているのに、他の運送会社はちゃんと経営していて、じゃあその違いはなんなんだ? だよな。それに、話を聞いていくと、同じような原因で、ということも耳にするようになり、ホープ自動車の不良隠しが色濃くなってくる。でもさ。たかが赤松の調査程度で、こういうことが分かってくるなんて、変だろ。国交省、警察、大手マスコミとか、そういうところは何もしないのか?
女性ジャーナリストも、自分のところの週刊誌に記事を書くと約束し、いざ発売となったら載ってない。赤松が訊ねても、「理由は・・・」と口をにごす。ところが、ポープ自動車のワンマン専務は「需要と供給の関係だよ」と高笑いしてる。つまり、我が社に都合のわるい記事を書けば、広告出稿はしない、と脅したらしいのだが、いつの時代の話だよ。時代錯誤もはなはだしい。そんなん逆効果だろ。
というような経緯で後半進むので、冒頭の高揚感はほとんどなくなって、なんだかなあ、な感じ。調べたら原作は2005年〜2006年らしいけど、それにしたってアナクロすぎではないの?
時期的に、三菱のリコール隠しをもとにしてると思うんだけど。その後の燃費偽装事件やタカタの件も加味して話をつくった方がよかったんではないのかな、な感じ。話が単純すぎるし。
榎田貿易堂6/22新宿武蔵野館3監督/飯塚健脚本/飯塚健
allcinemaのあらすじは「群馬県。東京から出戻ったバツ2の店主・榎田洋二郎が営む開業4年目のリサイクルショップ“榎田貿易堂”には、バイトの人妻・千秋や終活中の客・ヨーコをはじめ一癖も二癖もある男女が集い、穏やかな日々を送っていた。そんなある日、店の看板の一部が落下し、洋二郎は“何か凄いことが起きる予兆だ”と嬉しそうに不吉なことを言い出すのだったが…」
Twitterへは「つまらんエピソードの集積。だらだら会話がムダに多い。つくり手は面白がってやってるんだろう。けどセリフもエピソードも勘所がズレてて、ひたすら退屈。ただのひとりよがり。」
すぐに忘れてしまうような、どうでもいいようなエピソードがだらだらつづくだけ、な感じ。妙な店の奥で、バックでアヘアへ演技の余貴美子なんて、よくもこんな映画にでたもんだ、な感じ。コメディのつもりなのかも知れないけど、ほとんど笑えないし、だからなに? な映画で、最後は店を閉めてしまうという、それだけの話。薄っぺらとしかいいようがない。
勝手にふるえてろ6/25ギンレイホール監督/大九明子脚本/大九明子
allcinemaのあらすじは「24歳のOLヨシカは博物館からアンモナイトを払い下げてもらうほど絶滅した動物が好きなオタク系女子。恋愛経験はゼロで、中学の同級生“イチ”への片思いを10年間も脳内で育て続けていた。そんなある日、会社の同期“ニ”から突然告白されたヨシカ。それなりにテンションは上がったものの、元々タイプでないニが相手ではどうしても気持ちが乗っていかないどころか、反対にイチへの想いが募っていく。そしてある出来事をきっかけに、もう一度だけでもイチに会いたいと、同級生の名を騙って同窓会を計画するヨシカだったが…」
Twitterへは「2度目。寝てもいいつもりでいたけど、眠れずに見てしまった。思い込みの強い妄想系メンヘラ女の話で、勝手にやってなさい、な感じ。何度も見る映画じゃないかも。松岡茉優が、あんまりかわいく撮れていないのも残念な感じ。」
なことだな。以上。
彼女がその名を知らない鳥たち6/25ギンレイホール監督/白石和彌脚本/浅野妙子
allcinemaのあらすじは「8年前に別れた男・黒崎のことが忘れられない女・十和子。その淋しさから15歳も年上の男・陣治と仕方なく一緒に暮らしていたが、不潔で下品な陣治に嫌悪感しか抱けなかった。それでも自分で働くこともなく、陣治の少ない稼ぎを当てにする怠惰な日々を送る十和子。ある日、妻子持ちの男・水島と出会い、黒崎の面影を重ねるように彼との情事に溺れていく。そんな中、刑事の突然の訪問を受け、黒崎が行方不明になっていたと知る十和子だったが…」
Twitterへは「勘違いメンヘラ女と、バカな男たちの話で、どこにも誰にも共感できず。と思ったら、公式HPが「「共感度ゼロの最低な女と男が辿り着く“究極の愛”」と謳ってた。蒼井優も、そこまでやるならちゃんと脱げよ、中途半端だろ。」
公式HPのキャッチでは、「共感度ゼロの最低な女と男が辿り着く“究極の愛”とは --- このラストは、あなたの恋愛観を変える」だったけど、共感できないんだから恋愛観も変わらんよ。
十和子がなぜ陣治とつき合うようになったのか、よく分からんのよね。たしか十和子は建設会社の事務員で、陣治は出入りの土建屋だったかな。それが、十和子が黒崎に殴られたかしてひどい顔になったとき、やさしくしたんだっけか。でも、その程度で、十和子は陣治に心を許すか? いや。いったんは許したとしても、さっさと捨てるだろ。じゃないのか? 延々と、嫌々一緒に住んでいるのがよく分からない。
その十和子は、タクラマカンを、タキラマカンと聞き間違える程度の教養のない女、として描かれている。これは、どういう意味なんだろね。
しかし、陣治も十和子と出会った頃はたいして汚らしくないように見えたんだが、現在の陣治は、どん底な感じだな。なんで?
で、あるとき警察が来たので、電車で乗客をホームに突き出した件が事件化したのかと思ったら「黒崎の電話に電話しましたね?」という。なんだ。突き飛ばしたのは、陣治の凶暴性を見せて、黒崎を殺したのはサダオ、とミスリードさせるためだったのか。
それはさておき。十和子は黒崎に電話するが不在。が、その後に返信があって、それは黒崎の妻からで。では、彼女が警察に電話して、だから警察が陣治のところに来たのか? しかし、黒崎の携帯は、彼が失踪後も黒崎名義のままずっと契約していて、生きてたのか? 変なの。
そもそも黒崎は十和子と付き合いながら、ある男に金を借りるようなことになり、その男の姪と結婚し、子供もつくった。なのに、3年後ぐらいに男から1000万ぐらい要求され、別れたはずの十和子にすがった。まあ、十和子にすがったのはいいとして、男も姪の亭主に大金貸し付けて、でもって脅すのか? ヤクザなのか? その義理の叔父が、黒崎の失踪後、その妻である姪の家に出入りしているというのはなんなんだ? それと、姪(黒崎の妻)の姓が変わっていたよな。いろいろ疑問符付きの変なことばかりだよ。
まあ、最後の方で。黒崎の失踪は、殺されたから・・・というような雰囲気になり。でもこれはミスリードで、実は十和子が殺してしまって。その死体の処理を陣治がした、という事実が判明するんだが。おお、という驚きよりは、またかよ、な感じの方が強い。だって、十和子は心神喪失で過去のことを忘れ、でも、潜在的に陣治に申し訳ない思いがあるから、陣治と別れなかった、てなような解釈になるんだろ? またもや精神異常か、てなオチで、なんだかね。
で、ラストは陣治がビルの上だかどっかから、笑いながら落下していく、ということだったかな。十和子のためならなんでもできる。死んでも見せる。ということか。アホか。十和子のどこにそんな価値がある。と思うと、うんざり。
そもそも黒崎失踪後に警察がまず調べるべきは彼の過去の交友関係なはずで、であればこれまで十和子が調べられていないことの方が不自然じゃないのかとも思うしな。
あー。そうそう。Webのネタバレを読んで、思い出した。デパートの店員で、十和子と寝ていた男を刺して、それで十和子の記憶が戻ったんだった。で、店員はどうなったんだっけ?
それから6/26ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/ホン・サンス脚本/ホン・サンス
英文タイトルは“The Day After”。英語タイトルは“The Day After”。allcinemaのあらすじは「評論家としても活躍する小さな出版社の社長ボンワンは、妻から浮気を疑われていた。そして実際に一人だけの社員チャンスクと不倫していた。しかしチャンスクは会社を辞めてしまい、後釜にアルムが採用される。すると初出勤早々、いきなり会社に乗り込んできたボンワンの妻に浮気相手と誤解され殴られてしまうアルムだったが…」
Twitterへは「どこが「それから」なのかよく分からん。実は途中まで不倫相手は1人で、時制を組み替えてると思って見てた。なので出社初日の女性と、過去の別の女性の話が平行してたと分かって、うわ。ずっと横顔だけだったので、同一人物の現在と過去かと思ったのよ。」
そうなのだよ。新入社員の女性とだらだら話したり、食事に行ったりする場面があるんだけど、すべて横向き、しかも、右を向いた横顔で、正面がない。同じような場面が数度つづいて、途中で(奥さんが乗り込んだところあたり)で、あれ、若い娘は2人登場していたのか、と気づいた。2人目の方は、そういえば髪の毛が少し違うし、背も低い。つまり、ボンワンの元カノだったのか。と気づいて、少し混乱と反省。でも、元カノのチャンスクも、新入社員のアルムも、会社の同じようなところで同じようなカメラ位置で撮られていて、これまて右向きの横顔だけ。食堂でも同様。あんなんじゃ、間違えたって不思議ではないだろ。と、イラつく。
あと気になったのは、対話シーンや食事シーンで、左右で向き合っている場面を撮るとき、FIXで撮ってるかと思ったら突然ズームインしたり、左右に振ったりすること。カットを割らすに1シーンで撮りたいからかも知れないけど、別にFIXのままでいいじゃん。初心者みたいに不必要なズームインはやめろよな。(と思ったけど、この後、見た3本の映画でも多用していてうんざりだった)
話は、なんかよく分からない。以前から会社の女に手をつけていて、それを妻が感づき、女はやめさせた。そこに新入社員がやってきて、妻は新入社員を疑う。なことでドタバタあって、新入社員もやめていく。後に自分の荷物を取りに来た新入社員に、「好きな小説だ」といって渡すのが、漱石の『それから』。というだけの話なんだけど。撮り方をフツーにすれば、まだ見られたかも。まあ、いまとなってはキム・ミニの顔もちゃんと覚えた(気がする)から、間違えなく見られるとは思うけど。でもな、だからどう、という話でもないだろ。高尚なことを言ってる評論家先生も若い女に目がなくてしょうがないね、ぐらいなことかね。
そういえば、アルムと社長のボンワンは「人は何のために生きるのか」といったような話をしていたような気がするけど、それが漱石なのか? だから、なに。
ビューティフル・デイ6/27ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/リン・ラムジー脚本/リン・ラムジー
原題は“You Were Never Really Here”。「お前たちはここに居なかった」とかいうことか? よく意味が分からん。allcinemaのあらすじは「元軍人のジョーは行方不明者の捜索のスペシャリスト。トラウマに苦しみ、自殺願望を抱えながらも、危険な汚れ仕事で生計を立て、年老いた母を世話していた。ある日、警察沙汰にしたくない州上院議員から、10代の娘ニーナを売春組織から取り戻してほしいという依頼が舞い込む。さっそくハンマー片手にニーナが囚われている娼館に乗り込み、無事少女を救い出すことに成功するジョーだったが…」
Twitterへは「ダークなアクション&サスペンス。フツーに撮ったらただのB級なお話。そこで過去イメージを細切れに混ぜたり、現状も説明を省いたり、意図的に分かりにくくしてる。それで高尚に見せようってのか? 底が浅い。」
1か月以上前に見た映画の感想文は、難しい。細かいところを忘れてる。ラストもね。予告編を見て、アバウト思い出した。そうそう。冒頭の一件は、なんのことやらよく分からず。あとから↑のあらすじを読んで、行方不明者の捜索者、だったのか、という印象。本人の背景も、これまでの経緯も説明ないし。映画の中では、殺し屋だ、と言ってなかったっけ? しかし、DIY屋で調達したゲンノウひとつで敵地に乗り込み、多くの相手を殴り殺して助け出すなんて、現実離れし過ぎてて、まともに見てられない。そこに、過去のトラウマイメージがチラチラして、それはいったい何だったんだ的なイライラも残る。
あの娘を救出して、最後はどうなったんだっけ? 娘と2人でどっか別の所に行くんだったっけ? 違うか。
そうそう。母親を組織に殺されちゃうんだったな。上院議員の裏の事情もあったような気がするけど、ほとんど忘れてるよ。
ホアキン・フェニックスの、上半身の異常な発達と、左右のバランスの取れていない筋肉の付き方が、ブキミだった。もしかして、CGで変化をつけてたりするのかな。
告白小説、その結末6/28ヒューマントラストシネマ有楽町監督/ロマン・ポランスキー脚本/オリヴィエ・アサイヤス、ロマン・ポランスキー
フランス/ベルギー/ポーランド映画。原題は“D'apr?s une histoire vraie”。英文タイトルは“Based on a True Story”で、「事実をもとにした物語」というような意味らしい。「私小説」に近いかもな。allcinemaのあらすじは「心を病んで自殺した母のことを綴った小説がベストセラーとなった女流作家デルフィーヌ。しかし次回作が1行も書けず完全なスランプに陥っていた。そんな中、サイン会で出会った熱狂的ファンだという美女エルとひょんな成り行きから親しくなり、ついには一緒に暮らすまでに。その一方でエルと親密になっていくのと軌を一にするように、周りで次々と奇妙なことが起こり、神経をすり減らしていくデルフィーヌだったが…」
ポランスキーお得意の妄想系駄話。きっと、すべてはアレなんだろう。でも話にリアリティがないので、ぜんぜんスリリングじゃない。ファンだ、と名乗る女性と仲良くなって、一緒に住むようになるなんて・・・。あんなスキがあって無防備な人間はおらんよ。やはり「もしかしてそんなことも?」と思わせ、次第に巻き込まれていく様子が心配になるような設定にしないと。おかしいだろ、あんなの。小説家なのに。と思うと、延々と退屈。しかし、スランプで書けないで、妄想に遊んでるうちに、本が一冊書けちゃうなんて、羨ましいんだかなんだか。というわけで、すべては作家の妄想で、その妄想を小説化=映画化した、と見るのが妥当なんだろう。
とはいえ、殺鼠剤を飲んで、という無意識の自殺願望は、もしかしたらホントなのかも知れないけど。
死の谷間6/28新宿武蔵野館3監督/クレイグ・ゾベル脚本/ニサール・モディ
原題は“Z for Zachariah”。「ザカリアのためのZ」らしいが、ザカリアってなんだ? 「「Aはアダム」で「Zはザカリア」=人類最後の人を意味しているらしい」と書いている人がいたが・・・。「殉教者」であるとか、男子名であるとか、あったりするけどよく分からない。
allcinemaのあらすじは「世界中が死の灰に覆われる中、放射能汚染から奇跡的に逃れた谷間にたった一人で生きる女性、アン・バーデン。農場を一人で管理し、生存者を探しに谷を出た家族の帰りを待ち続ける彼女は、強い信仰心を支えに孤独な日々を耐えてきた。そんなある日、安全な場所を求めて放浪していた科学者の黒人男性ジョン・ルーミスが姿を現わす。2人は互いに性別や人種、宗教観もまったく異なる相手に警戒心を抱きつつも、協力して共同生活を送っていく。やがて、そんな彼らの前に、謎めいたもう一人の生存者、ケイレブが現われるのだったが…」
Twitterへは「核戦争後の世界・・・でも『マッドマックス』じゃなく畑仕事と三角関係で、世界の終わりのアダムとイヴは、ともに罪を背負っていかねばなりませんでした、な感じ。フツーにB級な感じで、久しぶりに安心した。」
白人女性アンが放射能の及ばない谷で自力生活してると、黒人の科学者ジョンがまぎれ込んできて。「あ! 人間」という気持ちでジョンを助ける。どうも、地球にはこの2人、のようだ。アンはジョンに性的関係を求める感じだけど、ジョンは背徳的な気持ちがあるのか、背を背ける感じ。というところに白人チンピラっぽいのがまぎれ込んできて。ジョンは「こりゃアンを取られる。でも、それが自然だよな、白人同士だもの」的に自分を納得させて、2人を見守る風を装うけど、内心はきっと「先にやっとけばよかった」だと思うんだよな。な関係の中、滝を利用して水車をつくり、発電を実行に移す。
むらむらしてるのは、アンのほうで、ある晩、アンとケイレブが激しくまぐわって。それを知ったジョンは、これでいいんだ、という感じ。
水車がほぼ完成し、さて、というとき、ケイレブが滝の上で足を滑らせて・・・。手を握るジョン。でも最後は、手を放して滝壺へ、なんだよな。
でもって、アンはケイレブとの不倫(とは言えないかも知れないけど)にこころ苛まされ、一方のジョンはケイレブを殺した自責の念に苛まされ、2人はこの地球で生き続けなくてはなりませんでしたとさ。という、よく分かるB級映画でした。

 
 

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