ブリグズビー・ベア | 8/6 | シネ・リーブル池袋シアター2 | 監督/デイヴ・マッカリー | 脚本/ケヴィン・コステロ、カイル・ムーニー |
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原題は“Brigsby Bear”。allcinemaのあらすじは「両親と小さなシェルターの中で平和に暮らしてきた25歳の青年ジェームス。彼の楽しみは、子どもの頃から毎週ポストに届く教育ビデオ「ブリグズビー・ベア」を見ること。ところがある日、警察が来て、両親だと思っていた2人が、赤ちゃんだった彼を誘拐した犯人だと判明する。突然外の世界に連れ出され、本当の両親と高校生の妹と一緒に暮らすことになったジェームス。何もかもが初めてで、戸惑うばかりだったが、何よりもショックだったのは大好きだった「ブリグズビー・ベア」が、偽の両親によってつくられていたため、2人の逮捕によって新作が見られなくなってしまったこと。その事実をどうしても受け入れられず、自ら「ブリグズビー・ベア」の映画版をつくり、シリーズを完結させると決意するジェームスだったが…。」 Twitterへは「若い頃のクレア・デインズは可愛くて、近ごろ見ないと思ったらTVに軸足を移してた。それが久々の映画出演。40前なのに見事なオバサンになってた。しかも脇役なのに名前は3番目。内容は自分を取り戻す話で、しみじみといい感じ。」 冒頭から、熊が登場するチープなSFテレビドラマで。住んでるのは砂漠の真ん中? 外に出るにはマスクをするという・・・。もしかして、核戦争後生き残ったのはこの家族だけ? でも、じゃあ電気や食料は? と思っていたら、やってきた警官に両親が逮捕される。ジェームスは幼い頃誘拐され、隔離されて育った、と。対話の相手は誘拐犯の夫婦と、いつも見ている『ブリグズビー・ベア』物語・・・。 というわけで、それまでの常識や寄る辺を失い、本来の両親のところに連れ戻されたジェームス。両親は親身に対応して、社会適応させようとするけど、高校生(?)の妹は、邪魔者扱いする。というなかで、両親はさておき、心の支え、というか、人生のすべてだったヒーロー、ブリグズビー・ベアのことが忘れられない。たまたま父親と見に行った映画に衝撃を受け、ブリグズビー・ベアを大画面にしたい、と思うようになる。てなわけで、妹の友人にブリグズビー・ベアの過去ビデオを見せると、これは面白い、ということになって、一緒に映画を撮ることになる、という話。 要は、心理療法みたいなもので、映画づくりを通して友人をつくり、妹とも打ち解け、さらに両親を逮捕した警官とも仲良くなって(両親が撮っていたテレビドラマの小道具をもってきてくれたり、役者もやってくれた)いく。そういう儀式がジェームズには必要だったんだな。ところが、女性の分析医はジェームスを映画づくりから遠ざけようとする。両親もまたその指示に従い、彼を精神病棟に入院させてしまう・・・。まさに「大人は判ってくれない」だ。もちろんジェームスは病院を抜け出すのだが、テレビ受像機を投げて窓を叩き壊して脱出している。テレビは、誘拐犯の両親から与えられた、ジェームスが信奉する世界の枠だけど、それを使って(捨てて)逃げ出すのだ。 家に戻ってみれば、両親や妹、その友人たちが、ガレージをスタジオにして、映画のつづきを撮影中で。やっとこさ両親も、ジェームスにとって映画づくりが必須、と理解し始めたところ。映画には、例の警官や、誘拐犯が雇っていた女性役者も参加して、地元の映画館で完成上映会。でも、ジェームスは、大スクリーンに映る映画を見られず、トイレに駆け込み嘔吐してしまう。これはつまり、自分がこれまで受け入れてきたものを吐き出す行為だ。やっと場内に入れたのは、上映が終了してから。ふと見ると、舞台にブリグズビー・ベアが立って、ジェームスを見つめている。が、やがて、ふっ、と消えてしまう。それしか頼るものがなかった、誘拐犯が創り上げたブリグズビー・ベアの世界を自ら再創造する。でも、できあがったもののデキがどうかなんて関係ないのだ。自分の手で創り上げ、見ることもなく、過去のものとして捨ててしまう。この儀式を経て、ジェームスは正式に現実に復帰することができた、のだろう。 映画をつくりあげていく過程は、じわりと感動的。奇矯な態度、反応のジェームスはいなくなり、フツーの25歳の男を取り戻していく。「他人の評価なんて関係ない。自分が何をなしたかだ」というセリフも含めて、なかなかいい感じ。 ・クレア・デインズは、陰気な分析医の役で、たいして登場しないのだった。まあ、オバサンだから、もういいけど。 ・誘拐犯の父親の方はマーク・ハミルがやってて、役名が“テッド”。これは、あの『テッド』から来てるのかな。なにしろ、テレビ版ではブリグズビー・ベアを演じていたのだろうから。 ・テレビ版の敵役は、『月世界旅行』の月の顔のような顔をしている。あれはマーク・ハミルがやってんのかな? ・警官がなかなかいい。本来は不正なのに、証拠品のブリグズビー・ベアのかぶり物をそっと貸してくれたり。なかなかいいやつ。 ・妹役の子(ライアン・シンプキンス)が気になったけど、ずっとメガネをかけっぱなしなので、顔がよく分からんのが困った。 ・あと、テレビ版に登場していた双子の女性役の、現在の様子が、これもよかった。 ・そうそう。頭で、製作会社のタイトルかな、漢字のがでてきて、一瞬、映画を間違ったかと思ったよ。 | ||||
ミッション:インポッシブル/フォールアウト | 109シネマズ木場シアター5 | 8/7 | 監督/クリストファー・マッカリー | 脚本/クリストファー・マッカリー |
原題は“Mission: Impossible - Fallout”。allcinemaのあらすじは「何者かによってプルトニウムが盗まれ、奪還を命じられたイーサンの作戦は失敗に終わる。3つの都市を標的にした同時核爆発テロの危機が迫る中、IMFとともにその阻止に奔走するイーサンだったが、CIAからは彼に疑惑の目を向ける最強のエージェント、オーガスト・ウォーカーが監視役として送り込まれる。一方、わずかな手がかりを頼りにテロを計画する謎の組織に迫ろうとするイーサンは、敵につながる謎の女ホワイト・ウィドウの信用を得るため、収監中の“シンジケート”の元リーダー、ソロモン・レーンの脱獄に手を貸すという危険な賭けに出るのだったが…。」 Twitterへは「10分たたずに話の流れに付いていけず。誰がどれで何がなぜに? なれどアクションシーンが大迫力。トムはどこまで自身でやってんだ? レベッカ・ファーガソンはフツーのオバサンになってた。」 NAGRAのオープンリールみたいので指令が来て、もちろん映像も出るんだけど、終わると煙が出て(情報が?)消滅する冒頭は、原点回帰みたいでなかなか。で、その指令で過去から現在、そして、すべきことは言及されてるんだけど、CIAの男とパリに飛ぶところからもう、お前ら何しに来たの? 状態になってしまった。誰かに会うのが目的なんだろうけど、それは誰? で、その誰かの手下(?)みたいなのとトイレで格闘し、そこにイルサが現れて・・・。なんで? の後は、得体の知れない女性のショーみたいなのに潜入するんだけど、ここでの活劇は殺人ショーで。こんなの、OKなのか? どうなってんだ? で、その女性に接触して、原爆を見せられ、(かつてハントが逮捕した?)ソロモン・レーンとの交換を要求される・・・だったかな? でこの女性は“仲介役”とかいってたけど、どういう存在なんだ? さらに、なんとかいう敵の存在がどーとかで、そいつは情報を知りすぎているとかなんとかで、その敵はハントではないか、とCIAが疑っているとかなんとか・・・。もうはっきりいって、誰が誰やら、何が何だか、分からない・・・。固有名をセリフで言われても、覚え切れてないからちんぷんかんぷん。あー、やだやだ。 といいつつ、パリ市内でのクルマやバイクのチェイス、さらに、カシミールでの、やってること自体はありきたりなんだけど、原爆起爆装置をいかに止めるかのハラハラドキドキとヘリのチェイスとか、サイモン・ペグが首つり状態になっちまうとか、ハントと元妻との思わぬ邂逅とか、アクションと人間ドラマがてんこ盛りで、それまでのイライラはどうでもよくなってしまった。 まあ、これで話の流れが理解できて、カチリカチリと納得できていれば申し分はないんだけどね。 イルサのレベッカ・ファーガソンは、前作の神秘的でキレのある美女から、ちと腑抜けなアホ女になっていた。キャラ設定ではなく、本人が世間ズレした感じかな。元妻役のミシェル・モナハンの方が、口は曲がってるけど、魅力的。 ハントのトム・クルーズは、スタントなしでやってるという話だけど、どれが実写だけ、で、どこが合成か、が分からない。まあ、そこがいいんだろうけど。そういえば、フランスロケでケガしたとかいってたな。そのシーンはどこだったんだろう。 | ||||
詩季織々 | 8/10 | テアトル新宿 | 総監督/リ・ハオリン | 脚本/--- |
日本映画なのか。ふーん。中国を舞台にしたオムニバス・アニメ。 Twitterへは「中国の3都市を舞台にした日本製のオムニバスアニメ。ひねりも深みも何にもない。二流。そもそも背景も顔も仕草も中国じゃないだろ。3話目の『上海恋』が多少見られるけど、オチが見え見えだしなあ。」 『陽だまりの朝食』 監督/イシャオシン、脚本/永川成基 MovieWalkerのあらすじは「北京で働く青年シャオミンはふと、故郷・湖南省での日々を思い出す。祖母と過ごした田舎での暮らし、通学路で感じた恋の気配や学校での出来事……。子供時代の思い出の傍には、いつも心がこもった温かなビーフンの懐かしい味があった。そんな中、シャオミンの元に祖母が体調を崩したとの電話が入る」 かつて近所にあったビーフン屋の味、一緒に食べた祖母の思い出。でも時代が減るにつれビーフン屋が突然店を閉めてどこかへ言ってしまう・・・。別のビーフン屋の思い出は、同級生の女の子が自転車で登校するのを見た、というだけ。その店は釣具屋になったけど、失敗して、また元のビーフン屋に。で、大人になって機械的なビーフンの味にため息をつきつつ・・・な話で、薄っぺら。中味がない。 『小さなファッションショー』 監督/竹内良貴、原案/竹内良貴 MovieWalkerのあらすじは「広州。人気モデルのイリンと専門学校生のルルは仲の良い姉妹。幼くして両親を亡くした2人は、共に助け合いながら一緒に暮らしてきた。しかし、公私ともに様々な物事がうまくいかなくなってきたイリンは、思わずルルに八つ当たり。2人の間には溝が生じ、大喧嘩になってしまう」 若いモデルに仕事を取られる・・・というのは『イヴの総て』だな。しかし中国もモデル業で成り立つ国になったのね。はいいけど、モデルの姉がいつも胸にひらひらのワンピース姿というのはなんなんだ。もっと着替えろよ。で、美しさを保つためにジムに通い・・・とかいってると、突然、ショーの途中で倒れて足をケガ? な分からん。なんで体調が悪くなるんだ? 病気? 痩せるために食わずで貧血か? しかも、ただ倒れたのではなく足にケガって、どういうことだ? で、うじうじしてるところを、オカマのマネージャーが誘ってくれて、それで復帰したらしい、という話。しかし、あの、オカマがセッティングしてくれた、タイトルにもなってるファッションショーは、どこで、誰のために、観客は? とという疑問だらけのもの。ちっとは説明しろよ、な感じ。 『上海恋』 監督/リ・ハオリン、脚本/リ・ハオリン MovieWalkerのあらすじは「1990年代の上海。石庫門に住むリモは、幼馴染のシャオユに淡い想いを抱きながら、いつも一緒に過ごしていた。しかし、ある事がきっかけでリモは石庫門から出ていき、お互いの距離と気持ちは離れてしまう。そして現代。社会人になったリモは、引っ越しの荷物の中に、持っているはずのないシャオユとの思い出の品を見つける」 3つの中ではいちばんデキがよかったかな。でも、いろいろステレオタイプで。ハンサム主人公、相思相愛だけど距離を保つ女の子。そして、コメディリリーフ的役割の男の子、という3人仲好しは、飽きたな。で、勉強できる女の子が大学附属の高校に進学するというので、主人公も「一緒に」と誓って、女の子に黙って勉強に励み、見事合格。でも、女の子は不合格・・・。というオチは見え見えなのでひとつも意外性がない。あ、そうそう。3人とも一緒の学校、とかいってたのに、3人とも別々の高校と言ってたな。もう1人の男の子は、志望校に落ちたのか? 2人の間をつなぐのが、カセットテープの交換日記で。最後の、女の子から主人公への声の中で、自分はみんなと一緒の高校に行きたいから、不合格になる、と決意表明してるんだけど、主人公は「勉強に忙しいから」と聞かなかった。聞いていれば・・・な話なんだろうけど、アホか、としか思えんよ。フツー聞くだろ、何が忙しくったって。 で、ラストは主人公ともう1人の男の子が、あれはホテルか何か経営してるのか? なんだ突然。で、そこに、海外留学を終えた女の子が訪ねて来る、ところがオシマイ。なんだけど、ホテルが違和感ありすぎ。 で、最後は空港が舞台で、そこに3話に登場の面々が来ているという設定なんだけど、とくに交流はないんだよな。というか、彼らは何のために空港に来てるんだ? それぞれの誰かが海外に行くような話はないと思うんだけどなあ。 ・それにしても、アニメ顔が、どう見ても中国人に見えない。仕草や口調も、日本製の延長だ。背景の街も、日本とほとんど変わらない。いや、変わらないぐらい発展している、のかも知れないけど、らしさ、がなくちゃダメだろ、と思うけどな。 ・中国語の看板とか、LINEの文面とかに字幕がないのは不親切。 | ||||
ヒトラーを欺いた黄色い星 | 8/14 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/クラウス・レーフレ | 脚本/クラウス・レーフレ、アレハンドラ・ロペス |
原題は“Die Unsichtbaren”。allcinemaの解説は「1943年6月、ナチスの宣伝相ゲッベルスは、ベルリンからユダヤ人を一掃したと宣言した。そんな中、ユダヤ人の青年ツィオマは、咄嗟の機転で収容所行きを免れる。そして潜伏生活を送りながら、ユダヤ人のために身分証の偽造に精を出す。その他ドイツ軍将校のメイドに雇われた女性ルート、ヒトラー青少年団の制服で素性を隠し、反ナチスのビラ作りを手伝うオイゲン、髪を金髪に染めて監視の目を逃れるハンニを加えた4人のユダヤ人に焦点を当て、彼らがいかにしてホロコーストを生き延びることが出来たのか、その過酷なサバイバルの行方を、本人たちのインタビューを織り交ぜ解き明かしていく。」 Twitterへは「再現ドラマとドキュメントのミックス。欺いた本人の語りが挟まる構成で、ちょっと平板。事実に基づくドラマにしてサスペンス演出加え、本人の語りはぶらさがりの方がよかったかも。もちろん成る程なところはあるけど。」 欺いた、とあるので、主人公たちは危機に遭わない、と分かってしまっている。観客のその予想を裏切るサスペンスもとくにないので、安心して見てしまう。というところが、映画的に弱いと思う。しかも、ドラマの間に本人のインタビューが挟まり、ところどころに当時のニュース映像も挟まるという構成で、ドラマのテンションが無造作に断ち切られていく。これまた、観客が映画に入り込めないところかも。要は、本人インタビュー+長めの再現ドラマになっちゃってるんだよな。なので、本編はすべてドラマにして、最後に本人がちょっと顔見せ、でもよかったように思う。 それと、4人とも、案外と大胆に、そこそこおおらかに地下に潜ってる感じなのだ。髪を染めたハンニは行くところがないのか毎日のように映画に行ってる。昼間は隠れ家にいられない理由があったんだったけか? オイゲンも、匿ってくれている家で、訪問客を気にする程度。ルートは、大胆にもドイツ人になりすまして大っぴらに暮らしている。ツィオマは、あれは、どうして身元を追及されないのか、よく分からない。 そもそも、ユダヤ人台帳のようなものがあるなら、簡単に発覚しそうな気がするんだけど、そうならないのよね。ツィオマなんて、機関銃工場で必要とされているから、と言い逃れして搬送リストから逃れ、あとは軍人休暇用の宿を転々と泊まり歩き、フツーに街を闊歩し、ID偽造で金を稼いでる。その金でヨットを買った、とも言ってたな。 ユダヤ人がそんなひどい目に遭ってたなんて知らなかった、と言ってたのはオイゲンだっけか。ずっと外界から隔絶していたせいかも知れないけどね。欺いたには違いないけど、本人たちは案外緊張感もほどほど、みたいに見えてしまう。↑のあらすじにあるような、過酷さはあまり感じられないのだ。 最後に出てたけど、地下に潜った1500人/7000人が助かったんだったかな。アンネ・フランクなんかも、こうした感じのユダヤ人だったんだろうか。 食べ物に困ったとか、匿ってくれる人がいなかったということも、たとえばハンニが言ってたけど、その苦労がなかなか見えない。どころか、助け船を出してくれるのがドイツ人であった、というのが意外なところ。フツーのナチ映画だと、ドイツ人は判で押したように類型的。だけれど、ルートを雇ったドイツ人将校は彼女がユダヤ人であることを知って雇っていたし、他の3人も概ねドイツ人に助けられている。むしろ、危険を顧みずユダヤ人を匿い、助けたドイツ人がかなりいたのだな、ということが興味深い。『ヒトラーへの285枚の葉書』もそうだけど、ユダヤ人気の毒ドイツ人非情、というステレオタイプではない映画が少しずつつくられている感じがする。 各エピソードがスケッチ的に描かれるので、匿ってくれた家庭の誰それが逮捕された、とかいう話がさらりとしか描かれていなかったりして、いささか物足りないかんじ。ツィオマを最後に匿っていた女性も逮捕されていたけど、彼女の存在がたいして描かれていなかったので、あー、そーか、な感じだし。オイゲンを匿っていた家族も逮捕されていたようだけど、その後については触れられていない。そのあたりも食い足りない。 ・最初にオイゲンを匿った家族の娘が、色気づいててオイゲンにモーションかけてくるのが可愛くて色っぽい。あんな女の子がいるものかいな。とか思ったり。 | ||||
バンクシーを盗んだ男 | 8/15 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2 | 監督/マルコ・プロセルピオ | 脚本/マルコ・プロセルピオ、フィリッポ・ペルフィド、クリスティアン・オモデオ |
原題は“The Man Who Stole Banksy”。allcinemaの解説は「2007年、正体不明のグラフィティアーティスト、バンクシーが、パレスチナとイスラエルを分断する巨大な壁にグラフィティアートを描くプロジェクトを敢行。バンクシー自身も6つの壁画を残し、世界的に大きな話題となる。ところが、その中の1つ“ロバと兵士”が地元住民によって切り出され、オークションに出品されてしまう。本作は、その“ロバと兵士”が辿った顛末を丹念に追い、ストリートアートを巡る光と影に迫っていくアート・ドキュメンタリー」 Twitterへは「くどくど同じようなことを積み重ねていくばかり。睡魔に襲われ寝た。正体やメッセージに迫るでもない。市場価値や所有権の話も中途半端。いかに剥がして残すかの話もあったけど、その後が見えない。そして、盗んだ男も、だからなに。」 いきなりパレスチナの壁がでてきて、そこにバンクシーが描いた絵がどーのこーの。うーむ。壁のことは知ってるけど、詳しい場所や経緯は、いちどぐらい読んだけど、もう忘れてる。とかいう背景があってのスタートなので、これは知識と教養がないとダメかな、と。で、その後、ロバと兵士の壁を盗んだ運転手が登場し。さらに「パレスチナ人をロバに喩えたことは許せない」という彼の地の論理でバンクシーを非難する声が合ったりしつつ、壁を切断して(5トンだったかな)海外に売り払い・・・とかいう経緯が。でも、多くのアーチスト、コレクター、パレスチナ人、評論家たちが登場し、自分たちの都合、のような論理をまくしたてるのが、なんかみんな似たような話のスパイラルで。しだいに睡魔に抗いきれず、沈没。 目が覚めても同じような感じで。この手の落書き芸術の嚆矢としてキース・ヘリングのコレクター兼アーチストが登場。いかに不住んだのか的な話をする。その後も、所有権は誰の者? 現場にあってこそのアート。いずれ色褪せるのだ。描かれた家の人の権利だ。とか、街のアートを値踏みするコレクターがいたり。なんか、最初の頃と同じような話をしていて、やれやれな感じ。 最後の方で、どっかの大学の先生が、壁に紙と薬品を貼り付け絵を剥がすということをやっていたけど、じゃあ、剥がした絵の所有権はどこに? というツッコミはなし。おいおい。さらに、自分のアートを消すアーチストが現れたり。 で、結局、ロバと兵士の壁は、オークションに出したけど落札されず、いまもロンドンだかどこかに保管されている、というような話でオシマイ。 みんなが勝手なことをいい、それを羅列して。狂言回しとしてパレスチナの、ロバと兵士の切断を手伝った運転手を狂言回しにしてるだけな感じ。バンクシーの正体には触れず、パレスチナ問題にもたいして触れず、隔靴掻痒というか、物足りずにつまらない。 | ||||
2重螺旋の恋人 | 8/17 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/フランソワ・オゾン | 脚本/フランソワ・オゾン |
原題は“L'amant double”。公式サイトのあらすじは「主人公のクロエは原因不明の腹痛に悩む25歳の女性。精神分析のカウンセリングを受けることで痛みから解放された彼女は、分析医のポールと恋に落ち、同居を始める。そんなある日、クロエは街でポールそっくりの男を見かける。彼はポールの双子の兄で精神分析医のルイだった。なぜポールはルイの存在を隠していたのか? 疑惑にかられ、偽名を使ってルイのクリニックに通い始めたクロエは、優しいポールとは反対に傲慢で挑発的なルイに惹きつけられていく」 Twitterへは「よくある××系の話だった。とくに意外性もなくて少し退屈。やはりフランソワ・オゾンとは相性がよくないようだ。それはさておき、あれ、ジャクリーン・ビセットだったのかよ。が一番の驚き。」 ↑のTwitterへの感想の××系は、もちろん「妄想系」。主人公が精神障害状態になって妄想を見ていた、という話で。その原因は、双子の片割れが自分の体内に取り込まれて残っていたから、というもの。なので、妄想系ホラーとでも言うべきか。エロいシーンもあって、そこを充実させればポルノ映画にもすくなるぞ。な感じ。 髪を切られる→マンコの穴→産婦人科女医に精神科へ行けといわれる→質問せず聞くだけのポールに出会い、相思相愛でアパートの12階へ2人で転居、という流れ。で、ポールにくどくど生い立ちを話すんだが、自分には姉がいるような気がするとか母親がどうとか、よく聞いておけばこの映画のオチというか答がすでに示されていたのだった。ははは。 予告はチラとしか見てない。双子と関係すること、ぐらい? で、最初、ポールは実体で、兄ルイが妄想かと思ってた。だけど後半でポールが告白するに及び、さらに、前半にあったポールとルイに弄ばれ、クロエもシャム双生児のように引き裂かれる夢とか、後半の過剰なイメージなんかから判断して、両方とも妄想なんなのかな、と思いつつ見てた。なので意外性はほとんどなく、その意味で少し退屈なところがあった。 クロエの妊娠騒動は、想像妊娠かな、と。でもエコーの画面がおどろおどろしい雰囲気だったので、双子なのか? と。で、結論というかオチは、彼女の双子の片割れが体内にあったというとこで、ああそうか、な気分。そうなんだよ。そもそも最初のカウンセリングで、彼女は「自分には姉がいるような気がする」とか言っていたのだから、そこに思い至るべきだった。分かる人には、簡単に分かるオチだろうな。 ルイに遊ばれ自殺未遂で寝たきりの娘、あれ、顔がクロエのように見えたんだけど、役者は別人らしい。でも、娘の母親は、最後に登場するクロエの母親と同一だよな? 違うか? その方が話の筋立てには沿うような気がするんだけどな。双子の片割れが何らかの理由で抹殺された、ということで・・・。まあ、母親が同一かどうかは確認していないので分からんが。それより驚いたのが、あの母親はジャクリーン・ビセットがやっていたということ。後から知ったんだが、もっとよく見ておけばよかった。 ・胎内の片割れを処分後、病院に母親とポール。互いに知り合いのよう。でこのポールは、精神科医ではないんだよな、きっと。もしかして、冒頭の髪を切る場面は、精神病院に入院の象徴か? その間に妄想して、腹痛がひどくなって施術、とか。まあ、体内の片割れに導かれての精神不安定で、妄想の世界に入り込んだ、ということなんだろうけど。 ・すべてが終わって、夜、窓の外に片割れが浮かび上がり、ガラスを叩くと割れる、という場面はちょっと驚いた。生まれなかった命の叫び、か。 ・ルイがクロエに請求する診療費が1回で150ユーロ。いま126円だから1万8000円もするのか? クロエがしてる監視員のバイトじゃ払えんだろ。 ・いろいろ対で登場するけど、近所のバアサンはクロエの母親とのアナロジー? 娘はいるけど入院中・・・は実際のクロエと似ていると、娘の部屋の猫の剥製は、生まれることのできなかったクロエの片割れを示唆しているのかな。 ・冒頭近くと、もう一度あったかな、な産道のぞき。あれもまた、問題は胎内にありを示唆している感じだ。 | ||||
ナチュラルウーマン | 8/20 | ギンレイホール | 監督/ セバスティアン・レリオ | 脚本/ セバスティアン・レリオ、ゴンサロ・マサ |
チリ/ドイツ/スペイン/アメリカ映画? 原題は“NachuraluW?man”。allcinemaのあらすじは「ウェイトレスをしながらナイトクラブで歌うマリーナ。年の離れた恋人オルランドと幸せな日々を送っていたが、ある日突然オルランドが自宅で倒れ、そのまま亡くなってしまう。悲しみに暮れるマリーナだったが、トランスジェンダーというだけであらぬ疑いすらかけられてしまう。さらに2人で暮らしていた部屋を奪われた上、葬儀への参列も拒絶されてしまうマリーナだったが…」 Twitterへは「そもそもどこの国の映画なんだ? スペイン? あれ違うのかよ。でも旧態依然のカソリックが原因なのか? それにしてもいろいろ細部にツメが甘くて「?」なところもあるのだよな。」 ストーリーはあらすじの通りで、とくにひねりはない。要するに、同性愛者に冷たく理解がない家族あるいは国家、ということを告発するような映画。で、思うに、古いなあ。日本だって、もうちょっと理解があるぞ。いや、宗教のせいかな、などと思ったんだけど。チリって、そんな国なの? でも、同性愛者のたまり場があって、マリーナはそこで、心の穴を埋めるひと晩の相手を見つけてたじゃないか。 まあ、マリーナ視点でつくられているから、家族や警察の冷ややかな、というか、変態を見るような視線に憤りが生じるようになっている。でも、もしこれを家族の誰かの視点で描いたら、どうなるかな、と考えながら見ていた。黙って出ていった夫が死んだ。現在の同居人が同性と知って驚く家族一同。そこに、くだんの同居人がやってきて、通夜と葬儀に出るから、と言い放つ。ご近所や親戚を憚り、困り果てる一同。もしかして、遺産分割にも口を挟んでくるのか! というような展開でコメディタッチにつくったら、面白いのができそうではないかな。とか。 とはいえ、いまひとつ納得がいかないところが多すぎる。たとえば・・・ ・舞台はどこなのか? スペイン語らしいので、カソリックで同性愛にも厳しいのでスペイン、か。と思ってたら、公式HPのイントラダクションに「ラテンアメリカ」「チリ映画界」とあって、allcinemaの製作国の筆頭がチリなので、そうなのか。ぐらいでしか判断がつかんぞ、この映画。 ・病院から出て路上。オルランドの死を携帯で連絡する、その相手は誰? 電話口では「他にはいうな。家族には俺が伝える」といってたけど・・・。 ・そこにパトカーが来て「マリーナか?」てんで病院に連行されるのだが。なんで彼女がマリーナと警察官は分かったんだ? ・病院に戻ると、近づいてきたオッサン。これが電話の相手か、と思ったらオルランドの弟、だったかな。では、結局、電話の相手は分からずじまい。 ・女性刑事はマリーナにあれこれ質問するんだが、不審死だからというのは分かる。けれど、翌々日になるのか、に身体検査までするのは人権侵害だろ。マリーナが、元妻にだったか「警察に言ったのはあなた?」とかいってたけど、家族に言われたから警察が調べてるのか? にしては、身体検査の後は、女性刑事はでてこない。刑事は納得したのか? 不審なところは、どこだったのか? そもそもオルランドの打撲は階段から落ちたから。マリーナもそう告げて、階段を調べさせればよいではないか。あるいは、当日の足取りを調べさせ、殺意などなかったことを目撃者に証言させればいいのに。変なマリーナ。 ・元妻から電話で、クルマを返せ、という。元妻というからには、離婚してるのだろ? なのにどうしてオルランドのクルマに対して権利があるのだ? 2人が住んでいたアパートに息子が速攻でやってきて、でていけ、というのも、どうなんだ? 現在の同居人がマリーナであるなら、彼女にも権利があるのでは? ・で、元妻には12歳の娘がいるという。では、あの息子は誰の子? 先々妻がいるのか? その先々妻には権利はないの? 死別? ・な家族の中で、弟だけは同性愛に理解があり、マリーナにも同情的なんだが。ひょっとして弟も男が好きなのか? と疑ってしまったよ。 ・で、結局、サウナのロッカーには、何があったんだ? 映像の通り、何もなかったのか? なせ、なぜ鍵が? 冒頭でマリーナに話していた、どこかのリゾートへの切符が出てくるのかと思いきや、なんなんだ? しかもその後、そのロッカーの鍵を、息子や元妻の乗るクルマに放り投げる。その意味は? ・で、そのときは、葬儀が終了したところで。でも、元妻、息子、弟と別れて葬儀場?に行くとオルランドの亡霊が案内してくれて、火葬場に・・・。なんと、そこにオルランドの遺体がまだ焼かれる前。ええ? 焼くところは、家族は立ち会わないのか。灰は、後から届けてくれるのか? ・で、オルランドを見送った次のシーンは、犬を連れてジョギングするマリーナ。え? 犬は強面の息子が連れていったんだろ? どうやって取り返したんだ? 疑問。というか、犬は、息子が子供の頃から飼っていて、よく懐いていた。であれば、数年の付き合いのマリーナによりも、息子の方に分があるんじゃないのか? ・鏡屋の大鏡に映る、歪んだ自分。強風の歩道を歩くマリーナ。歩道を歩くオルランドが、建物のガラスにも映るシンメトリー。このシンメトリーはマリーナにもあった。・・・けど、こういう象徴的な表現は、昔からの古くさいやり方で、分かりやすすぎだなあ、とか思ったり。 というわけで、この映画でいちばんどきどきしたのは、人間いつ何時突然死んでしまうか分からない、ということだ。オルランドは58歳(だったかな)の設定だったしなあ・・・。コワっ。 | ||||
カメラを止めるな! | 8/21 | TOHOシネマズ上野シアター2 | 監督/上田慎一郎 | 脚本/上田慎一郎 |
allcinemaのあらすじは「とある自主映画の撮影隊が山奥の廃墟でゾンビ映画を撮影していた。それは37分ワンカットのゾンビ・サバイバルというテレビ局の無理難題を受け入れた監督によるあまりにも無謀な挑戦だったのだが」 Twitterへは「たとえば『運命じゃない人』を見たときの楽しさに近いかな。それにしてもリハ大変だっただろうなあ。」 やけに1カットが長いな、と思ってたら、ずっと回したまま。これはこれで興味深いけど、ありふれてて、噂の面白さは感じられない。 最初はゾンビ映画を撮っている、という設定のドラマだろうということは、途中でレンズについた血糊を拭く場面があるので分かった。でもこれ、このまま延々、つづくのか? と思っていたら、尺の半分ぐらいでエンドロールが出てしまう。まさかこれで終わりじゃないよな。と思ったら、1か月前に戻り、なぜこのゾンビ映画をつくることになったか、という振り出しに戻る。 某ゾンビ専門チャンネルのオープン記念で、ゾンビ映画を1シーンで撮って生放送でオンエアする、という企画がもちあがり、その監督に日暮が起用される。くだんのゾンビ映画の主人公だ。その妻・晴美は、スタイリストみたいな役ででてた。けど、番組の企画会議には、晴美はでていない。主演も別の男だ。では、どうなっていくのか? でも、まだ面白くない。フツー以下な学生映画レベル。 面白くなるのは、生放送が始まってから。主演とスタイリスト役が俳優が事故で来られなくなり、日暮と妻がやることに。その外、最初のゾンビ映画を見てたときに「?」と思ったところあたりは、実はこんなトラブルがあって、それを現場でギリギリ回避していたり、うまく帳尻を合わせたりしながら、なんとか最後まで1カットで切ることなく撮り終え=放送を終えることができた、という裏事情を面白おかしく見せていくのだ。 なるほど。ゾンビ映画で張り巡らした伏線を、最後に回収していくのか。まさに、『運命じゃない人』とつくり方は似てるではないか。 まあ、もうちょっと丁寧に作り込めば、とかあるけど、そういうのはどうでもいい。アイディアをカタチにしたことに価値がある。これはこれでOKだ。 それにしても、最初のゾンビ映画の1シーン1カットも大変だったろうに、それと同じような流れのバックヤードを、整合性を考えて撮っていかなくてはならないのだから、こりゃたいへん。でも、ドタバタしながら、結構笑えるところもあって楽しい。でも、『運命じゃない人』みたいに、おおー! という感心するような感じではない。だって、いくつかは(たとえばゲロとか)ネタバレする前に分かっちゃうし。あのあたり、もうちょい意外性を考えてくれたらなあ、な感じ。 ラストシーンも、監督=主演の日暮が、台本の中に娘の子供の頃の写真を貼って自分を元気づけてたとか、ちょっとしたしっとりもあったり。泣けはしないけどね。 で、映画が終わって、エンドロールには、最初のゾンビ映画を撮っているメイキング映像を見せてくれて。本編の生放送パートとの違いが見えたりする。たとえば、本編では、ラストシーンの俯瞰を撮るためクレーンを用意してたけど、それが壊れてスタッフが人間ピラミッド、というあり得ない展開になってたけど。実際の撮影はクレーンも使わず脚立使ってた、というオチが面白い。 まあ、もう一回、最初のゾンビ映画をちゃんと見ると、後半の裏事情ももっと見えてきて、楽しめるんだろうけど。はは。 ・ケーブルTV会社のおばちゃんプロデューサーが、なかなかいい味だしてたなあ。 | ||||
スターリンの葬送狂騒曲 | 8/24 | 新宿武蔵野館1 | 監督/アーマンド・イアヌッチ | 脚本/ファビアン・ニュリ、アーマンド・イアヌッチ、デヴィッド・シュナイダー、イアン・マーティン |
フランス/イギリス/ベルギー/カナダ映画。原題は“The Death of Stalin”。allcinemaのあらすじは「1953年、政敵を次々と粛清し、長年にわたって権力をほしいままにしてきたソビエト連邦連邦共産党書記長スターリンが、一人で自室にいるときに発作を起こす。やがて意識不明で倒れているところを発見されるが、集められた側近たちは責任が及ぶことを恐れて右往左往するばかり。そうこうするうちスターリンは後継者を指名することなく息を引き取ってしまう。すると側近たちは国葬の準備もそっちのけで、スターリンの後釜を狙って卑劣で姑息な権力闘争を繰り広げていくのだったが」 Twitterへは「旧ソ連の権力闘争については不案内で、人物もスターリンとフルシチョフぐらいしかイメージが湧かない。カリカチュアライズされているとはいえ、やっぱり元を知ってないと、十分には楽しめないんだろうな。」 あと知ってる名前はマレンコフぐらいだけど、どういう人物かは知らない。という状態で見ると、正直いって面白さはつたわらんと思う。フルシチョフは首相になった人物だから偉いのかと思うとそうでもなさそうで、マレンコフは気が弱そうな感じだけど地位的には高いようで、でもみんなにバカにされてる感じもあったりする。でもってベリヤという人物が権謀術数に長けている感じであれこれ工作していて、でも、立場はそんなに高そうでもない。というわけで、そもそも誰が偉くて誰が次ぐらいで、でも誰それはどっち方面に強いとか、そういう体制の中の位相を知らないから、かけひきもよくつたわってこないのだよ。これは大きい。 あとは、スターリンの息子と娘だけど、これなんか七光りで偉そうにしてるけど、実はどうなんだ? なところもあって、北朝鮮とは違うのね、とか思ったりもするし。 そんな具合で見ていて、まあ、表面的には面白いところもあるけれど、史実を遊んでいる、という部分が分からない。知識がないと楽しめない典型例かも知れない。そのあたり、もうちょいと説明してくれてもいいと思うんだけど、欧州の人々は、常識的にご存じなのかしら。 ベリヤは、映画の中では、政治犯をさっさと釈放しよう、といったりしていい人物のように見えたりするけれど、可愛い給仕娘を指名して連れていって何かしていたりするようなところもあったりして、そこは闇なのか。調べてみたら、下半身は相当なワルらしい。他にも、モスクワに向かう列車を停止していたのをフルシチョフが解除し、そのおかげで各地で暴動が起こったりどうとかと、結構なレベルで死人も出ている決断をしてる。かと思ったら、最後の方ではいきなりベリヤが射殺され、火をつけられてしまう。なんだなんだ、な感じ。 マレンコフは短命政権だったのかな。結局フルシチョフが権力を握るが、次にはブレジネフが控えている、てなところで終わるんだけど。スターリンの粛清主義についてのあばき立ては、とくになかったのがちょっと残念。まあ、そういうのは、この映画の狙いになかったんだろうけど。 というわけで、知識がないとあまり楽しめない映画なのだった。 | ||||
英国総督 最後の家 | 8/27 | 新宿武蔵野館2 | 監督/グリンダ・チャーダ | 脚本/ポール・マエダ・バージェス、グリンダ・チャーダ、モイラ・バフィーニ |
イギリス映画。原題は“Viceroy's House”。allcinemaのあらすじは「1947年、植民地インドの統治権の返還を決めたイギリスは、主権委譲の任に当たる最後の総督としてマウントバッテン卿を送り込む。こうして妻エドウィナと娘パメラを連れ立って、首都デリーの総督官邸へとやって来たマウントバッテン卿。そこは500人もの使用人が仕える想像を絶する大邸宅だった。さっそく関係者を招いて独立へ向けた話し合いが行われるが、統一インドとしての独立を望む多数派のヒンドゥー教徒と、分離してパキスタンの建国を目指すイスラム教徒のムスリム連盟との対立は激しさを増していく。そんな中、新総督のもとで働くヒンドゥー教徒の青年ジートはイスラム教徒の娘アーリアとの愛を育んでいくのだったが」 Twitterへは「のほほんとしたポスターとは裏腹に内容はハードで衝撃。まあ、インド独立の経緯をよく知らなかったせいではあるけど、もの凄いことが起こってたんだな。中東、アフリカ、インド・・・。身勝手な植民地政策のせいでねえ。」 実際の中味は、インド独立に際して起こったヒンドゥー教徒とイスラム教徒との対立で、その結果としてパキスタンがインドから分離独立していった、という話だった。しかも、その過程で双方の諍い、対立、暴徒化、殺戮が全土に発生し、多くが犠牲になった、という事実を知るに至って、これは全世界の人が基本的教養として知るべき内容の映画だなと思った。これほどまでに宗教対立、領土への固執は強いのだ。しかも、パキスタンだって、その後にバングラデシュが分離している。あれ、バングラって、イスラム教じゃなかったんだっけ? 調べたらイスラム教が9割でヒンドューキョウが1割らしい。ではなんで? な気もするけど、この話はこの映画と関係はない。 という時代背景に、イスラム教の娘に恋したヒンドゥーの青年の話を重ねて、ロミオとジュリエット的な世界を見せていく。なかなか上手い。 分かりづらいのは当時のイギリス側の体制で、総督以外に官邸には何人ものイギリス人がいるんだが、立場がよく分からない。分かるのは、分割案をまかされた法律家ぐらいで、あとは誰が何やらどういう立場やら。あのあたりを効率よく整理して見せてくれたらもっとよかったんだが。 ガンジーとネールは、もちろん登場する。彼らは統一インドの実現だ。これに対立するのがムスリム代表のジンナーで、強行に分離独立を主張し、国境線でも揉め出す。というところで登場するのがラドクリフという法律家で、でも彼はインドのことをまったく知らない状態だというのがオソロシイ。 監督は、見るとシーク教徒らしい。両親が難民になった、だったかな。本人はナイロビ生まれのロンドン育ちらしいので、しがらみはないのか。傍からみると、ジンナーの強硬姿勢というか喧嘩腰が露骨。これだけで判断してはいけないのかも知れないが、やっぱりイスラム教徒は・・・な気持ちになってしまう。なぜって、総督が頭を悩ませる以前に、実はチャーチルとジンナーとの裏取引がすでにあって、そこですでにパキスタン独立は承認されていたらしいからだ。理由は・・・えーと、あらすじを見ると、ソ連の脅威に対抗するためカラチを確保するため」だったらしい。カラチの確保とパキスタン独立がどうつながるのかよく分からんのだが、まあ、総督の権威は丸つぶれだわな。というか、なんで最初にそのことを政府は総督に告げなかったの? な感じ。そうすれば混乱も避けられただろうに。変なの。 というわけでパキスタン独立が明らかになると、総督官邸に働くインド人同士の対立も激しくなり、官邸にある食器だのなんだのを取り合うところが笑えるくらいバカらしく空しい。 さらに、インドからパキスタンに逃れる列車がヒンドゥー教徒に襲われたり、その逆だったり、もうムチャクチャだったんだな。ほんと、大英帝国の罪は重い。と思うんだけど、旧宗主国として毛嫌いされているかというと、そういうこともないようなのが、日本と朝鮮との違いで、このあたりは何なんだろうと思ってしまう。 ロマンスの方は、ムスリムの許嫁と父親とのしがらみでパキスタンに向かったアーリアの乗った列車がヒンドゥー教徒に襲われて全滅、ということで悲嘆にくれるジート。でも、幸いにも助けられて傷だらけのアーリアと、幸運にも巡り会える! という『風と共に去りぬ』的なドラマチックな話がちっともいやらしくなく、ほっとする感じで仕上がっていて、うんざりした気持ちに清涼剤だったかな。 そういえば、イギリスが「日本やドイツと戦ったのはソ連への牽制だった」とかいうセリフもでてきて。インパール作戦とかの話も関係してくるのだなと、思ったりしたのであったよ。 | ||||
オーケストラ・クラス | 8/28 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/ラシド・アミ | 脚本/ラシド・アミ、ギィ・ローラン、ヴァレリー・ゼナッティ |
原題は“La m?lodie”。allcinemaのあらすじは「オーケストラをクビになり職にあぶれた中年バイオリニストのダウドは、音楽に触れたことのない子どもたちを対象とした音楽教育プログラムの講師として、移民の子どもたちが通う学校でバイオリンを教えることに。こうしてオーケストラ・クラスにやって来たダウドだったが、まるでクラシックに興味を示さない子どもたちを相手に早くも途方に暮れる。そんな中、教室の外から熱心に中を覗く少年アーノルドにバイオリンを貸し与えたところ、夢中で練習に励み、意外な才能を発揮するのだったが…」 Twitterへは「2年前の『ストリート・オーケストラ』と内容がほとんど同じ。パクリ? しかし白いフランス人はほとんどいないのね、な生徒の描き方は『パリ20区、僕たちのクラス』に及ばず。それにしてもバカ子供・バカ親相手の教師はご苦労さん。」 まさに↑の感想通り。失意のバイオリニストが学校で音楽を教えることになり、でもプロの道はあきらめきれず・・・な展開で。『ストリート・オーケストラ』とほとんど同じ。たしか『ストリート・オーケストラ』の方は、ちゃんとしたところでのコンサートはなくて、スラム街みたいなところで演奏して終わり、だったかな。こんな似てるんじゃ、リメイクかパクリと思われてもしょうがないだろ。 あと、ダウドが↑のあらすじにあるような「オーケストラをクビになり」という説明がないので、仕事にあぶれたのかな的な想像しかできないのはよくないな。音楽仲間の演奏を聴く場面や、仲間と話す場面もあるし、むしろ困惑する。 あと、『ストリート・オーケストラ』と同じで、フィーチャーされるのが、ちょっとできる子ひとり、というのがつまらない。他に目立つのは常に気に触る冗談を言ってるサミールという子供ぐらいで。こんなやつに教えなくちゃならんのかと、見ていてフランスの教師が気の毒になった。このサミールが調子になりすぎて、ダウドが胸ぐらをつかんでしまう場面があるんだけど、これが騒ぎになって父親がダウドに喧嘩腰で迫ってくる。やだやだ。バカ子供にバカ親。学校では規律よりも人間尊重なのか。 あまりに何にでも口を挟んでものごとを台なしにするので、屋上での自主練習のとき、黒人の少年が泣いてしまうところがあるんだけど、ここまで鈍感で自分勝手なサミールは、ロクな大人にならんだろ。やれやれだな。 あとは、なんとなく存在してるけど、役割も見えないし、成長がつたわってこない。たとえば、他校との合同練習ではメロメロで、でもいつの間にか上手になっていて、次の発表会では、あのときの他校の金管の連中と一緒に演奏して立派にやり遂げてしまう。おいおい。あれから合同練習はしてないのか? したのか? とツッコミを入れたくなる。 あと、嘘くさいのが、学校の練習場が火事になって、そのせいで発表会の演奏もナシになりそうになること。学校は、教室では練習不可、父兄が見つけてきた場所も「基準に適合しない」と歓迎しない。フランスの学校はこんな杓子行儀なのか? で、ここで父兄が一致団結して、見つけてきた倉庫に手を加え、練習場所にしていく・・・という美談にしてるんだけど。映画的な嘘が見え見えで、ちっとも感動しない。あの、喧嘩腰だったサミールの父親もニコニコ手伝ってる。そんな簡単に人格なんて変わらんぞ。 ところで、その新練習場が完成した後、レストランでの子供たちの冗談続出の会話なんだけど、半分も理解できなかった。どこがどうおかしいんだ? オッサンには理解できない話なのかしら。 ああ、あと、ダウドが16歳の娘とよりを戻すというエピソードも、取って付けたような感じ。そもそも、なぜ不和だったんだよ? それにしても、フランスの、移民の子が多い地区なんだろうか。半分以上がアフリカ系、インド系、中国系で占められていて、純粋なフランス白人はもういないのか? な感じになった。ダウドも、父親はチュニジア人で母親がフランス人と言っていたし。そういう国なのだなあ、と。 | ||||
検察側の罪人 | 8/30 | 109シネマズ木場シアター3 | 監督/原田眞人 | 脚本/原田眞人 |
allcinemaのあらすじは「東京地検刑事部のエリート検事・最上のもとに、彼に心酔する若手検事・沖野が配属されてくる。さっそく2人で都内で発生した老夫婦殺人事件を担当することに。すると最上は、被疑者の一人である松倉という男に激しく反応する。松倉はすでに時効を迎えている未解決殺人事件の重要参考人だった。最上は今回の事件も松倉の犯行と確信し、なんとしても松倉を有罪にしなければならないとの強い思いに囚われていく。そんな最上の意を汲み、松倉から自白を引き出すべく取り調べに力が入る沖野だったが…」 Twitterへは「そこまでするかあ。おしゃべりな犯罪者。マンガみたいな展開でリアリティなし。セリフ多い割りに聞こえず分からんとこ多数。キムタク苦手。そもそもタイトルがネタバレで意外性なし。」 タイトル通りに読めば、検察が悪事を働く、だから。冤罪でもでっち上げる話だろうと思っていたら、その通りだった。でも、証拠ねつ造あたりまでは現実味があるけど、その先となると、おいおい、な感じ。中学の同級生の女子がかつて殺人事件の犠牲者となり、でも犯人は見つかっておらず時効に。で、いまは敏腕検事となった最上の関わる事件の被疑者リストに、件の事件の被疑者の名前を見つけて理性を失い暴走する話。 検察が自分たちの書いたストーリーに合うよう証拠をねつ造するという話は昔からよくある話で。でも多くは、威信をかけた裁判でやっちまった的なものが多いと思うんだけど、この映画はそういう話ではなく、マンガになっちゃってるんだよな。小説を読んでると筆力に引っぱられて納得してしまう話も、映像化すると陳腐にしか見えないというのはよくある話で。宮部みゆきの映画化によくある。これも似たような感じかな。 まあ、少し感情を揺さぶられるぐらいは許すよ。でも、老夫婦殺しの犯人ではないのが明らかなのに証拠をねつ造し、しかも、真犯人を自分の別荘の敷地内で撃ち殺し、穴に埋め、なんとしてでも松倉を有罪にしたいと思う最上の気持ちが、ムリすぎる。なんじゃこれ、な感じ。そうせざるを得ない理由を見せてくれないとな。 思いつきで人を殺し、翌朝は検察庁で素知らぬ顔で打合せとか、いくらなんでもできんだろ。動揺とか逡巡とかないのかね。嘘くせー。 ・人間関係とか話が分かりにくい。なのにセリフに人物名がたくさん登場するし、しかも、そのセリフ早口でが聞き取りにくい。ちゃんと見せて聞き取れるようにしろよ。 ・丹野が最上の同級生で議員は分かったけど、なんで逮捕されるんだ? 奥さんが悪い宗教に入ってる? 告発しようとしてたのは何? で、逮捕直前に投身自殺は、なぜ? とか、展開早すぎてセリフよく聞き取れずで分からなかったよ。 ・他にも最上の同級生が2人でてくるけど、弁護士? もう1人は? よく分からんよ、あれ。 ・最後。松倉の無罪放免パーティで演説してるジイさん=山崎努は、だれ? なんなんだ? ・千鳥っていう、殺された老夫婦の息子のヤクザは、なんで警察情報に詳しいんだ? というか、ヤクザの両親が殺された、という見方をすると、なんだかな、な事件だろ。 ・松倉の少年時代、兄らと事件起こしてたことを最上は知らなかった、みたいだな。変だろ。中学時代の思いをいまに引きずり、検事になって過去の情報を見られる身分になったら、執念で追うんじゃないのか? ・中学時代の女生徒が“Cry Me a River”をやたら歌うんだが。意味あるのか? 『ミスティック・リバー』で使われてたっけ? 記憶違いかな。 ・真犯人が分かる経緯がバカすぎ。真犯人が定食屋で知り合いに自慢気に「刺した。刃が折れた」と言ったことから、バレている。この話、定食屋の料理人も聞いている様だけど、こんなバカな殺人者は世の中にいるか? いまどき。 ・松倉も、尋問されている中で、録音録画を止めさせ、未成年のときの事件の経緯、さらに、最上の同級生の殺しを自白するんだけど、なんでえ? 話す必要なんてないじゃないか。だいたい、時効だとしても任意で調書取られるじゃなかったっけ? そんな面倒なこと、あえてするかいな。それとも、尋問する沖野へのブラフ? 嘘だったりして。これは分からんな、どっちか。 ・老夫婦殺しの現場に行った最上が競馬新聞と歯ブラシをささっとくすねてしまうのは、あれは習慣なのか? だって、競馬新聞が役立つのは後々のことで、それも偶然だ。歯ブラシの方は、まったく機能しない。あれは変な描写だ。 ・キャラとしては便利屋の諏訪がいちばん面白い。最初は参考人として登場するからヤクザっぽいやつかと思ったら最上の情報屋かと思ったら裏社会どっぷりの何でも屋で、殺しまで請け負うという、現実離れした存在。フィクションでしかあり得ない存在で、だから、この映画のリアリティを削いでいる。 ・その諏訪の父親? と、最上の祖父がインパール体験者で、それでつながってるらしいけど、だからなに? 的な背景。ほとんど機能していない。インパール話は要らんだろ。ジャマだ。 ・その諏訪のパートナーの女性がなかなかクールで魅力的。とはいえ、松倉を老人にはね飛ばさせるのはマンガ過ぎだろ。 ・最上の妻と義理の娘は、ほとんど機能していない。要らんだろ。 | ||||
ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 | 8/31 | ギンレイホール | 監督/スティーヴン・スピルバーグ | 脚本/リズ・ハンナ、ジョシュ・シンガー |
原題は“The Post”。allcinemaのあらすじは「ベトナム戦争が泥沼化していた1971年。ニューヨーク・タイムズはベトナム戦争に関する政府に不都合な事実が記載された最高機密文書、通称“ペンタゴン・ペーパーズ”についてのスクープ記事を発表する。アメリカ中が騒然となる中、ニクソン政権は裁判所に記事の差し止め命令を要求する。タイムズが出版差し止めに陥る一方、出遅れたライバル紙のワシントン・ポストでは、編集主幹のベン・ブラッドリーが文書の入手に奔走する。やがて全文のコピーを手に入れたポストだったが、それを公表すれば裁判となって会社の将来を危うくしかねず、経営と報道のはざまで社内の意見は大きく二分する。そしてそんな重大な決断が、亡き夫の後を継ぐ形でいきなりアメリカ主要新聞社史上初の女性発行人となったキャサリン・グラハムに託されたのだったが…」 Twitterへは「6〜7時間あるテレビ番組を強引に2時間に編集したような感じで、大まかな流れは分かるけど人物や因果関係がカチリカチリとハマっていく快感が薄い。名前も愛称を交えてセリフにたくさん登場し、何がだれやら・・・。とはいえ羨ましいのは、司法の独立。国策におもねったりしていない。そして、ポスト紙の女性社長を、ほれぼれと見る女性たちの眼差し。時代が変わった瞬間だったのかもね。」 評判がいいようだけど、そーかなー、な感じ。↑に書いたように、人物関係は分かりにくいし経緯もなんか大雑把。あと30分ぐらい追加して分かりやすくしてくれた方が助かる感じかな。まあ、状況なんかについては、アメリカ人はすでに分かってるから、なのかも知れないけど、いまいちすんなり理解できないところも結構あった。 話の流れも、なるほど、ってな感じではない。最初に機密文書を持ち出してコピーした男は、なぜ最初にタイムスにもって行ったのか? なぜポストではなかったのか。のちのち、ポストの社員があれこれ探索して持ち出した男に接触し、タイムスと同じ文書を入手する、のだが。件のポスト社員はたしか、持ち出した男のかつての同僚、とかいってなかったか? なぜ彼がポストの社員になったかにも興味はあるが、持ち出した男がなぜ元同僚のいるポストに最初に情報を流さなかったのか、疑問。 で↑の過程で、持ち出した社員をいかに探し出したか、がテキトーにしか描かれない。あれこれ電話してたらプチ当たった、な感じ。もうちょい理詰めで、なるほど感だしてくれよ。 最初に報道しタイムスがさらっとしか描かれず、なぜに後追いのポストがこうも華々しく映画になるのだ? それはつまり、女性社主を描きたかったから? とはいえ、そんなに立派な存在にも描かれてないと思うけどな。元々は亭主の父親が社主だった、んだっけ? 彼女の父親だっけ? 忘れたけど。で、亭主が社主だったけど自殺してしまって、でもって彼女が社主になった。で、当時の彼女の評判はどうだったのよ? 周囲が「たいしたことない」と思っていたのに、ラストで決断し、ヒロインになった、というストーリーを強調したいなら、もっと彼女の私生活に迫らないとダメでしょ。亭主の自殺はなんだったか知らんが、それも描くべきだし、社主の地位が転がり込んできて戸惑ったとか、張り切ったとか、そんなことも見せてくれよな感じだな。彼女が、政府高官のマクナマラと親しいという様子はすこし描かれてるけど、その関係はどうだったのか? マクナマラは新聞をコントロールしていたのか? とか、そのあたりもちゃんと対立軸をはっきりさせて見せて欲しいところだ。 てなことがあるので、タイムスが出版差し止めされて、でもポストは社主の彼女のひと言で出版継続になる、というところも、いまいち神々しく見えないのよね。そもそも冒頭でもいっていたけど、万一の時は出資者がどうのこうの、という状況に陥りかけたわけでしょ? もしあそこで、最高裁判所が出版差し止めは違憲という判断を下さなかったら、ポストはつぶれてたのか? という緊迫感も、あんまり伝わってこないし。うーむ。 とはいえ、政府に楯突くマスコミの姿はカッコイイし、政府に阿ることなく判断を下す裁判所も素晴らしい。日本の、何かというと政府寄りの判断しかしない司法の腑抜け状態と比べたら月とスッポンだ。 そして、裁判所から出てくるところだったかな、の女性社主を見る周囲の女性たちの眼差しが、「素晴らしいわ!」な羨望に満ちている場面は、ちょっときたな。ああやって女性の地位が向上していったのだろう。なるほど。 で、ラストはウォーターゲートビルに何者かが侵入する、という場面で終わっている。そうか、この事件はまだ前哨戦でしかなかったのか。この後に『ザ・シークレットマン』を見ると、ちょうどいいのか。うーむ。 ・エンドロール最後の「ノーラ・エフロンに捧ぐ」はどういう意味だ? |