2018年11月

億男11/1MOVIX亀有シアター4監督/大友啓史脚本/渡部辰城、大友啓史
allcinemaのあらすじは「失踪した兄がつくった3000万円の借金返済に追われ、妻子にも逃げられてしまった図書館司書の一男は、幸運にも宝くじが当たって3億円の大金を手にする。しかしネットの記事で高額当選者たちの悲惨な末路を目の当たりにして恐ろしくなり、大学時代の親友で今は起業して億万長者の九十九に相談することに。ところが、九十九と一緒に豪遊した翌朝、一男が目を覚ますと、九十九は3億円とともに消えていた。途方に暮れた一男は、九十九の手がかりを求めて“億男”と呼ばれる億万長者たちを訪ね歩くのだったが…。」
Twitterへは「「芝浜」だった。怪演 北村一輝。別人? 沢尻エリカ。」
基本的に納得できないのは、一男が「何に使おうか」とずっと悩み、最後までその考えが変わらないこと、かな。使わずにそっとしときゃいいじゃないか。これまでと同じ生活を続ければいい。なぜそうしない? と思ってしまう。
さらに、最初に相談する相手が、もう10年以上会っていないという大学時代の親友・九十九であること。いくら九十九がベンチャー企業の創業者で大金持ちでも、なんで? な感じ。しかも、九十九にいわれるがまま銀行から引き出し、一夜限りの蕩尽パーティに使ってしまっているのは、バカとしかいいようがない。まあ、映画だし、こういう人もいる、ということで見なきゃいかんのだろうけど、自分ならそうはしない、と思うから、少しいらだつんだよね。
で、なんで借金? と思ったら、身内の借金の連帯保証人、だという。じゃ本人は真面目なわけだ。いまは本業の司書に加え、夜の仕事もして34〜5万だったか、の収入があり、別居中の妻・娘への仕送りと、返済。完済予定は30年後、らしい。妻は、貧乏はしょうがない、と言っていたけれど、娘のバレエ教室をやめさせろ、と一男が主張したことが許せず別居。離婚届も要求している。でもこのあたり説得力が欠けるかな。だって現在も娘はバレエ教室に通っていて、それは一男の仕送りで賄っているわけで、だったらバレ教室やめさせる必要はなかったじゃん。別居すれば住宅費も倍かかるわけで。ムダ金だろ。とか、首をひねってしまう。
で、蕩尽パーティで知り合ったアキラという娘の交友関係から創業者の1人・百瀬と接触。ここでの競馬のやりとりは、心がザワザワする内容で、精神衛生上悪い。まあつまりは、話がよくできている、ということでもある。この百瀬、役者は? と思ったらクレジットで北村一輝と知って驚いた。こういうキャラも演じるのか!
百瀬から、共同経営者だった千住に接触すると、こちらは経営学の講演だけじゃなく、マネー教の教祖的存在で。よくある設定で記号的ではあるけど、それはそれで面白い。
最後に会ったのは、お金に興味のない旦那と結婚した、でも実は10億もっているという、これも共同経営者だった十和子。辞めたときは、周囲からうらやましがられるかと思いきや「ずるい」といわれつづけ、落ち込んだらしい。いまは質素な公団住宅に住んでるが、壁紙を剥がすと現金10億に囲まれているという、精神状態がうーむ、な感じの女性。演じているのは、誰? もしかして沢尻エリカ? とも思ったけど、やっぱ違うかな、と思ったら、沢尻だった。なんだこのやつれ具合は。メイクでこうなるのか? しっかし、現金でもってるなんて、火事になったらどうすんだよ!
で、九十九の影は追えず、それぞれの金銭哲学を見るだけ。妻には離婚を要求される。・・・で、ここから、九十九との学生時代の交友と、モロッコ旅行の思い出が描かれるんだが、九十九の金銭感覚も不思議なところがあって。道に迷った2人をホテルまで連れてきた現地の男からお金を要求されると、一男は出してやろうとするが、九十九は「お金は要らないと言ったんだから払わない」と突っぱねる。のだけれど、その後、一男が店舗で倒れ、店の商品を毀損したとき、店から要求された30数万円を、いわれるがままに払っている。要求額を値切っているより、早く一男を病院に連れていきたかった、というのだが、そういう心と、ホテルまで案内した現地の男への対応と、どうも一致しない。なんだろ、この感覚は。
ところで、2人とも大学では落研に所属し、九十九には吃音があるけど、落語はどもらない。どころか、落研のヒーローだったようだ。で、得意なのが「芝浜」。ついでにいうと、一男は「死神」だったが
旅の途中で九十九は、「バイトで貯めた金を投資して1億ある。大学を中退して起業する」と一男に言って、砂漠で「芝浜」を一席演じるんだが。「芝浜」もちらっと触れるならともかく、こまでしつこいと気になってしまう。
不思議なのが、一男の九十九への思いで。彼を探そうとはするけれど、恨み辛みは言わない。どころか、妻や娘に「いま手元にはないけど、お金がある。それが戻ったら、楽させてやれる」と言いつづける。あの楽天さはなんなんだ? と思ったんだが、もしかして、こころの中に九十九の「芝浜」があって、戻ってくる、と思っていたんだろうか?
で、最後、電車に一男がひとり。さてどうなるかな、と思っていたら九十九が乗ってきて、やはりお金を返しに来た。で、持ち去った理由、のようなものを説明するんだけど、「芝浜」のまんまだな。それはいいけど、九十九の意図が、わかったような、分からないような。そりゃ、お金の意味を考えるチャンスではあるだろうけど、たんに持ち去っただけじゃ、その後の展開は読めないわけで。もしかしたら一男は絶望して死んでしまうかも知れない。なにが起こるか分からない。そんな成り行き次第に、賭けるか? 九十九が、一男を信じていた、という説明もあるだろうけど、いまいち納得しがたい。
むしろ、すべてはBuycome創業者2人と重役2人、4人のしかけた罠だった、というオチが欲しい感じ。4人は一男の成り行きを見守りつつ、翻弄し、最後に九十九が金を返し、教訓を与えた、みたいな。Buycomeを売った4人は喧嘩別れしていなくて、実はいまもつながっていた・・・とかね。もちろんマネー教祖の藤原竜也の設定は、少し変える必要があるとは思うけど。てなわけで、最後に、4人+アキラがいずこかでミッションの成功を祝してシャンペンを飲んでる、とかいうシーンが挟まれれば、腑に落ちる終わり方になるんじゃないのかね。もしかして、妻の黒木華も知らされていた、ということでもいいと思う。
・福引きのクジをくれたバアサンに、少しは分けてやれよ。あのおかげで宝くじが当たり、3置円になったんだから。
・九十九が百瀬と起業したベンチャーBuycomeは、メルカリみたいなサイトだな。200億円で売れた、ということは、あの4人は、十和子の10億の他に、どう分けたんだろ。
・Buycomeは九十九の発想と、百瀬のIT技術があって成功したらしい。その百瀬の外見とか設定は、Appleのウォズニアックを思わせる感じ。
バッド・ジーニアス 危険な天才たち11/5ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ナタウット・プーンピリヤ脚本/ナタウット・プーンピリヤ、タニーダ・ハンタウィーワッタナー、ワスドーン・ピヤロンナ
タイ映画。英文タイトルは“Bad Genius”。allcinemaのあらすじは「天才的な頭脳を持つ女子高生のリンは、貧しい家庭ながら特待奨学生として進学校へ転入することに。やがて仲良くなった裕福なクラスメイトを試験中に助けてあげたことから、噂を聞きつけたお金持ちの学生たちに頼まれ、高度なカンニングをビジネスとして始めるハメに。次第にビジネスの規模が大きくなる中、それを快く思わない真面目な苦学生バンクの反感を買ってしまうリンだったが…。」
Twitterへは「この手の映画はコメディがいいな。そもそも、カンニングしてまで・・・、と思う人って、そんないるのか? な気もするし。」
けっこうな評判で、いつも満席。なので拡大公開されたようで、入りやすくなった。というような状況のタイ映画。さぞかし、と思ったんだけど、予想に反してスカッとすることもなく、笑えるわけでもなく、なんかもやもや。というか、そんなことする連中がいるのか? いや、それはまずいだろ、的な思いが強くなって、どーも素直に楽しめなかった。
カンニング映画。であれば、なんとか大作戦みたいな感じで、笑って済ませられるコメディであって欲しい感じかな。半ばシリアスで、人生を左右する、社会を脅かすようなカンニングは、どうなんだ?
そもそも、タイではカンニングしなきゃいけないほど試験が厳しいのかな。ああいう背景は、日本でも昔はあった、かもしれない。けど、いまじゃあの手のカンニングは、ほとんどないと思う。それと、カンニングしてまで高得点を取ろう、という意識もないかも知れない。たとえ合格しても、その後にバレるだろうし。
で。リンだけど。父親が教師で、母親は死別したんだったか離婚したんだったか。父娘の家庭で、でも父親は教師らしいから、貧乏ではないはず。でも、貧乏家庭ということになってるのは、なんでなの? その父親が、リンを転校させたのは、今度の学校のレベルが高いから、なのかね。なのに、友だちになる美人のグレースとか、金持ちの息子たちは、アホばっか、ってのはなんなんだ? とか、基本的な背景に「?」が多い。
で、校内でのカンニングはまあ、映画だから、ということで許せる範囲かな。とはいえ、ピアノのコードで数字をつたえるのは、そう簡単じゃないだろ、と思うんだが。なかにひとり、「コードが覚えられない」っていうのもいて、そうだろうな、と思った。それと、試験中、指をひっきりなしに動かしてて、教師が気にならないわけがないだろ、とも。
次の、リンとバンクがシドニーに飛んで、なんとかいう試験のカンニングをする場面は、多少そわそわさせてくれたけど、やってることが原始的すぎて、驚きにはならず。だって、答を暗記して、休憩時間にトイレに隠したスマホで送信する、ってだけのことだから。このIT時代に、なんだよこれ、と。もちろんトイレがふさがってるとか、バンクのカンニングが発見されて捕まってしまうとか、リン自身もゲロ吐き退席しようとして追跡されたり。なんかな。とかいうことより、シドニーの試験が他国より数時間早い、という設定自体が、これまた原始的すぎるだろ。時差があるから、というのならなんとなく分かるけど、タイとシドニーじゃ、そんな変わらんしな。
・バンクって、よく分からん設定。高校で、メガネ男にカンニング依頼を受け、断るんだけど、教師に「カンニングが行われている」とチクるんだよな。それでリンや他の生徒とともに校長室に呼ばれて、でも、他のカンニングしてる生徒にボコボコにされるわけではない。というか、シドニーでのカンニングに、結局のところ参加するんだよ。いくら家庭が貧しいからって、それまでの主義を簡単に捨てるんだな。ウソっぽい話だ。しかも、最後の方で、シドニーでの失敗後、訪れたリンに、カンニングを事業としてやっていきたいてなことをいう。カンニングの方が儲かる、とか。なんだよこいつ、だよな。
で、ラスト。すべてをマスコミに公表することを決意するリンの様子で終わってるんだけど。シドニーでのカンニングは、自分たちは逮捕、疑惑に晒されたけど、答をつたえることは成功したようで、報酬ももらってるし、カンニングに金を払った連中も合格してるような映像があった。でも、リンは告白を決意する。その翻意の理由が、よく分からない。だって、自分の将来や父親が破滅するだろうし、バンクの皮算用も潰すことになるんだろ? もしかして、同級生や、他校の生徒のカンニングも発覚するのかね。
と思うと、マジすぎて、後味があまりよくない。
そもそも経済的にせっぱ詰まってるわけでもないのに、頼まれて簡単にクラスでカンニングの教える側に回り、どんどんエスカレートする必然性が感じられないから、話に没入できなかったんだと思う。やっぱリアルにやるなら、あれこれもっとリアルにやって欲しかった感じである。
十年 Ten Years Japan11/6テアトル新宿監督/---脚本/---
allcinemaの解説は「5人の若手監督が10年後の香港をテーマに競作し話題となったオムニバス映画「十年」をきっかけに、同様のプロジェクトが日本・タイ・台湾で2017年に始動。本作は総合監修に「そして父になる」「万引き家族」の是枝裕和監督を迎えて製作された日本版。」
Twitterへは「不穏な近未来を描くオムニバス映画だった。「PLAN75」★4、「いたずら同盟」★2、「DATA」★3、「その空気は見えない」★1、「美しい国」★3。出来不出来に差がある感じ。」
「PLAN75」監督脚本:早川千絵/75歳以上の高齢者に、国が安楽死を奨めるという話。営業するのは、役所の人。希望者は10万円がもらえて、首に貼った薬剤で簡単に死ねる・・・。いやこれ、リアルすぎて見入ってしまった。上司は、「富裕層・中間層は対象外。ターゲットは低所得層」というのが、これまた生々しい。役所の男性には、子供が生まれようとしている。でも、妻の母親は認知症で徘徊・・・。ラスト、男性は分譲住宅地を家族で見に行くんだけど、妻と、3歳ぐらいの息子がそばにいる。はたして彼らは幸せなのか。自分も将来・・・と思うと、病気にもなれない。なかなかインパクトがあった。
「いたずら同盟」監督脚本:木下雄介/小学校。生徒はこめかみに装置を埋め込まれ、監視カメラの映像などから、適宜、指示が発せられる。従わなければ痛みがはしる。筒井康隆『48億の妄想』と孫悟空を思わせるような設定で、どうなるのかと思ったら、尻すぼみ。そもそも、不道徳な少年を主人公にしているから、こういうやつにはこういう指導をしても構わんかも、と思ってしまうんだよな。で、この学校ではなぜか馬を飼っていて、でも歳なのか死期が近いという。上からは、子供に「死」を見せたくないから、移動させよと指示がくる。教師たちは揉めるが・・・。で、主人公の少年が、バットで鍵を壊し、馬を逃がすのだけれど、その途端、送電が途絶え、こめかみの装置が機能しなくなる。のスキに、少年たち3人が馬の後を追い、山中に行くんだけど、送電が復活。監視カメラと指導が来るんだが、死んだ馬を発見したとたん、またまた指導が機能しなくなる。で、END、なんだが。展開と終わり方がよく分からない。いたずら少年はトリックスター的な存在で、管理を粉砕できる、ということなのか? はたまた、実は馬の存在が管理の中枢で、馬が死ぬと管理も終了するのか? とか、疑問が多くて、意味不明。脚本のツメが甘いのではないかな。公式HPにはIT特区の実験的なもののように書いてあったけど、そういう説明はないので、もやもやが・・・。そもそも反対運動だって起こるだろ、住人の中で。とか思ってしまう。
「DATA」監督脚本:津野愛/未来感も不穏な感じも、いちばんゆるい。要は、早死にした母親のデジタル遺言情報を覗き、そこにあった映像やメールの内容から、もしかして父とは別の人とつき合っていた? という疑問を抱き、探ってみる話。デジタル遺恨の管理がどうなってるのかよく分からんとか、同級生の男友だちが簡単に侵入して見れてしまうとか、テキトーなところは多いけど、杉咲花の可愛さと、何言われても動じない父親・田中哲司のかけあいがしみじみとしてていい感じ。まあ、母の「子供ができた。戸惑っている」とかいうメッセージの意味や、つき合っていたかも知れない男との関係は、はっきりしないんだけど、それはそれで背景としてあればいいような感じかな。
「その空気は見えない」監督脚本:藤村明世/核戦争後の世界なのか?(公式HPでは「原発による大気汚染から逃げるために地下に住む」とあった) 地下に住む少女と母親の話で、よくある手垢の付きすぎた設定。さらに何かあれば意味もあるんだろうけど、母親の忠告を無視して地上に出てしまう、というだけの話で。ひとをバカにしたような内容のなさ。だいたい、なんで地上に出ずに暮らせるのか意味不明。食糧は? 電力はどこで発電してるのだ? マスコミ報道は? 地上には、人はいるのか? どうも、ラストは太陽の光が強調されていて、地下の人が思うほど地上は汚れていない、というオチみたいだけど。でも、母親たちが地下に逃げてきてから10数年の単位なんだろ? そんなんで清浄化されるのかよ。というか、あんな簡単に地上に行けるなら、もっと多くの子供が地上に行ってるだろう。
「美しい国」監督脚本:石川慶/徴兵制のPRポスターを制作する広告会社の営業マンと、担当した大御所デザイナーの話なんだが、いまいちリアリティがない。そもそも、大御所が徴兵制のポスター制作依頼を受けるかね。もちろん、背景にしたデザインは、戦死した大御所の父親が着用した衣類の柄で、そこに反戦の思いを込めた、と言うのかも知れない。しかし、そんな意図は誰にも分からんだろ。反戦の意思があるなら、そんな仕事はしないのが筋だ。で、その柄が暗いから、次の展開では別の絵柄を使うから、と断りに行く、という流れなんだけど、大御所に「次はない」という役を、あんな若い営業1人に行かすはずがない。というか、次の展開がなくても、そんなことはフツーだ。たとえばあれが、街に貼り出す前にアンケートを採って、そしたら反対意見が多くて、使用しないことに決まった、というようなことなら、断りにも気を使うだろうけどね。というわけで、リアリティなさ過ぎで、いまいち、うーむ。オチは、冒頭で、ポスターを貼る仕事をしていた若者が、徴兵されていなくなった、というもの。まあ、よくある感じでひねりが足りないかな。というか、この話、ずっとメッセージが生で出て来すぎな気がするな。
スマホを落としただけなのに11/8109シネマズ木場シアター1監督/中田秀夫脚本/大石哲也
allcinemaのあらすじは「サラリーマンの富田はタクシーにスマホを置き忘れてしまい、恋人の麻美が富田に電話すると、聞き覚えのない男の声が聞こえてくる。たまたま拾ったというその男性のおかげで無事に富田のスマホを取り戻し、一安心の麻美。しかし、その日を境に2人の身に不可解な出来事が立て続けに起こる。不安になった2人はネットセキュリティ会社に勤める浦野に相談し、スマホの安全対策を施してもらう。そんな中、巷では山中で若い女性の遺体が次々と見つかり、捜査に当たる刑事の加賀谷は、被害者はいずれも長い黒髪の持ち主であることに気づくのだったが…。」
Twitterへは「コメディっぽいな、と思ってたら次第にそうでもなくなって。ざわざわしながら、あれよれよな展開。まあ、最後の“秘密”のところでは、ちょっと頭がこんがらがったけど。」
スマホを落として、そのデータが悪用される、のは予想がつく。けれど、山中で連続殺人の女性遺体がぞろぞろ登場し、それが露骨に映されるので、少し引いてしまった。さらに、犯人が髪の長い女性を面白がりつつ刺殺する場面も2度ほどあって、これまたグロい。オープニングのコメディっぽい雰囲気とのギャップがありすぎ。
とはいえ、富田と麻実の恋模様、その友人知人、凸凹刑事コンビ、サイコな犯人と、複数の時間軸が交互に絡んで富田と麻実が追いつめられていく経緯はなかなかスリリング。あとから監督名を見たら中田秀夫と気づいて、なるほど。しつこいはずだ。
小出しで提示されていた麻実のあやしい過去も、最後の最後で明らかにされて、思いもかけないドンデンな展開。実はここ、麻実と、自死した友人との関係がごっちゃになって、頭の中で整理しながら見なくちゃならなくて、ちょっと焦ったけど、よくよく考えれば、なるほど。でもなあ、いきなりああいわれても、戸惑う人は多いと思うぞ。
あと、なにげなく映される麻実の背中のホクロとか、さりげなく紹介された携帯位置サービスとか、こういうのがあとから効いてくるのも、伏線の埋め方としてお見事。よくできた映画だと思う。
現・麻実の秘密に関わることだけど。
そもそも、実・麻実が下部で大損して、美和子の名でサラ金借りまくり、というのをさらりと言ってるのをみると信用取引だったのか。でも、なぜ実・麻実は美和子の名前で借金したのか、よく分からない。証券会社のブラックリストに載ってるから、ヤミ金でも借りられない? そうかなあ。で、美和子に迷惑がかかるから、とあっさり鉄道で自死する。これまた、よく分からん行動。1億ぐらい借金しても生きてる人はいる。このあたり、納得できる流れにして欲しいところだ。
あと、大学時代の実・麻実、美和子、武井の関係も、なんかなあ。当時、武井と美和子は関係があったけど、実・麻実とは関係がなかった、というのが納得できない設定。実・麻実がブスで、武井も相手にしなかった、というなら、なるほど、なんだけどね。
で、美和子が麻実になりかわることについてだけど。仮に整形技術が進歩しているとしても、声は変えられないだろ。なら、武井はすぐ気づくんじゃないのかな。さらに、なりかわることで、借金取りから逃れられる、というけれど。そういうの、法的に処理すれば解決できる問題ではないのかね。そして、あんなの、検死してるはずだから、不可能だろ、と。まあ、映画だから、許せるところはあるけどね。
でも、整形し、ずっと他人になりすまして生きることなんてできるのか? は最大の疑問。ひっそり生きるならまだしも、大っぴらに顔を出して生きるなんて、ムリだろ。と思うと、うーむ、な感じもしてくる。
・真犯人だけど、サイコになったのは母子家庭で「産まなきゃよかった」と言われ続けたマザコンで、母親の長い黒髪に執着、ということにしているようだけど、そんな簡単なことでいいのかね。ところで、IT刑事の加賀が、聞き込みに行ったヘルスの控室で、黒髪女性にうっとり、という場面はなんなんだ。加賀も真犯人と同じ環境で育って、長い黒髪によろめくということなんだろうけど、あんまり意味ないよなあ。まあ、性癖が同じでも、殺人者になるわけではない、という保険を掛けてるのかも知れないけど。
・閉園した遊園地のメリーゴーラウンドに電気が灯って動き出すのは、どうなんだ?
・真犯人が、攪乱のために犯人に仕立て上げたビデオ屋(だっけ?)の店員は、どう調達したんだろう?
・刑事の毒島(原田泰造)は、結局、IT刑事に活躍を奪われて、トンマな狂言回しになっちゃってる感じ。
ライ麦畑で出会ったら11/12新宿武蔵野館3監督/ジェームズ・サドウィズ脚本/ジェームズ・サドウィズ
原題は“Coming Through the Rye”。allcinemaのあらすじは「1969年、アメリカ・ペンシルベニア州。体育会系が幅を利かせる全寮制の高校になじめず孤独な学生生活を送っていたジェイミーは『ライ麦畑でつかまえて』に感銘を受け、これを演劇にしようと思いつく。しかし教師から作者の許可が必要だと言われ、サリンジャーに手紙を送ろうとするが、居場所すらわからず途方に暮れる。やがてジェイミーは寮を飛び出し、サリンジャーに会いに行こうと決意する。すると演劇サークルで知り合った少女ディーディーが車で同行することに。こうして2人は、見つかる確証のないままにサリンジャー探しの旅へと繰り出すのだったが…。」
Twitterへは「男の子はいつもバカで、女の子はいつも賢い。男目線の映画ではあるけれど、なかなかいい感じ。さて。“捕手”の方はストーリーも忘れてしまっているので、久しぶりに読み返してみようか。」
むかし『ライ麦』を読んで(でもほとんど忘れてるけど)、ほかにも短編をいくつか読んだことがある世代としては、サリンジャーは懐かしくも近しい名前なので、シンパシーはかなりなものがある。なぜにそれほど神格化されているのか? はよく分からないんだけど、ある時から隠遁し、その動向が分からない作家としてずっと知られていて、数年前にその死が告げられた。それで、の映画なんだろう。たしか、もう一本サリンジャーがらみの映画も公開されるはずだ。
というような背景があるので、学校でいじめられ、仲間はずれにされた少年がサリンジャーに会いに出かけるという話が、つまらないはずがない。まあ、こっちは、『ライ麦』を舞台化しようなんて思いもしなかったけどね。
とはいえこの映画は、サリンジャーをダシにした青春ロマンスでもあって、見ているこちらとしては、そっちの方にも興味津々。なんだけど、ジェイミーに声をかけてくる女生徒がいて、これがディーディー。なんでまた、ジェイミーみたいな陰気に文化系に? とは思うけど、映画だからな。と思ったらでも、公式HPに「これは実話で僕に起きた出来事だ。映画内でサリンジャーに会いに行くまでは、話の85%が僕の実体験で、それ以降の話では99%が僕の実体験になっている。」って書いてある。なんだって! 少年時代の監督に声をかけてきて、しかも、なかば家出みたいに一緒にサリンジャーを探しに行った女の子が実在したのか? うらやましい。それと、やっぱり驚くのは、会おうと思えば、意外と簡単に会えたんだなサリンジャー、ということかな。いろいろ驚き。
ディーディーは、ひとりでサリンジャーに会いに行く、というジェイミーをクルマに乗せ、一緒にサリンジャーを探しに行ってくれる。途中、「私のお願いはあなたのキス」なんて言ってくれたり。モーテルで一つのベッドでも文句を言わず、「ピル飲んでるから大丈夫」とセックスにも応じようとし、キスしつつちんちんさわってくれようとしたり・・・。まるで村上春樹の小説にでてくる、あり得ないほど積極的な女の子ではないか。こんな娘がいたらサイコーだろ。ここの部分が実話かどうかは分からないけど、でもこんな、男にとって都合のいい娘が映画に青春映画に登場するのは、これからは難しいかもね。女性の権利がどんどん広がっているし。何しろこの映画、製作年が2015年だから、数年前の社会通念でつくられてる。女性は、そんなに評価しないんじゃないのかなと思ったりもする。
で、もうひとつのテーマが、兄弟愛。
兄貴に、暗室で乳繰り合った娘がくれたブラジャーを見せられて、同じ高校に行く、と言ったけど、結局、兄貴が勧める全寮制の有名高校に進学したジェイミー。よく分からないのが、巻き爪で松葉杖ついて学校に行き、生徒に学校案内を頼むとき「2年生」ということ。じゃ、転校なのか?  で、なぜかアメフト部の連中にからかわれたり、いじめられたりしてる毎日。演劇部らしいけど、自分と同じような主人公が登場する『ライ麦畑』を舞台化したくてしょうがない。
学校で少ない友人のひとりが、体育会系の仲間に入り、どうやらドラッグをやっているらしい。それを教師に告げ口して、友人に嫌われる。さらに、あれこれ告げ口を書いた手紙を友人(誰かよく分からない)に見つけられ、学校中でまわし読みされ、最後は、寝てるところに花火を放り投げられる。てなことがあって、ジェイミーは学校から逃げだし、家にも連絡せず、サリンジャーに『ライ麦畑』の上演許可をもらいに行くことにするんだが。最初は、なんで告げ口なんか、と思ったんだけど。最後の方で、分かる。たしかジェイミーの兄貴はすでに亡くなっていて、そもそもは高校でドラッグにハマってドロップアウトし、ベトナムで戦死だったかな。というのがあったから、友人がドラックにハマっていくのを見ていられず・・・というのがあったんだな。そんなこんなで、学校でも変なやつ扱いされていた、と。
ジェイミーが属していた演劇部は、よく分からないんだけど、周辺の高校と合同で演劇大会かなんか開いてるのかな。別の高校の女生徒が好きになってるんだけど、彼女は体育会系らしい男子生徒がお好みの様子。まあ、少年時代は、近くにいる気立てが優しい女の子より、見かけが派手な可愛い娘に惚れてしまうのは、仕方がないことだよな。ディーディーには申し訳ないけど。
で、サリンジャーに会いに行く前に最初に寄ったのが、その可愛い女生徒がいる高校で、クルマで4時間ぐらいかかる、とか後から言ってたな。そんな遠かったのか。でも、彼女は別の男の子と待ち合わせか、ジェイミーに気づくことなくいってしまう。というジェイミーに声をかけてきたのがディーディー。なんとまあ、奇特な。ディーディーは、自分に会いに来たんじゃないことを分かっていながら、自分のクルマでジェイミーを目的地まで連れていってくれる。なんとやさしい!
でまあ、雑誌に載っていた地名から推測し、地元民に聞き込みをするけど、なかなか分からない。地元民が知らないのか、隠しているのか。でも、ひとり、若い母親と話していたら、その子供たちがヒントをくれて。母親も、会ったことはある、と住まいを教えてくれるという、なんとまあな流れてロッジ風の家までたどりつくと、そこにサリンジャーが!
人嫌いで変人かと思ったらそんな具合には描かれていなくて。『ライ麦』は小説として成立しているから、舞台化はお断り。台本も読まない。で一貫していて、でも、ジェイミーの話には思慮深く耳を傾け、丁寧に対応してくれる。へー。そんな人だったんだ。驚き。
ジェイミーがサリンジャーと話しているとき、ディーディーがしゃしゃり出ることもなく、遠くで見つめている様子も、いい。
結局、ジェイミーは無断で『ライ麦』を上演するんだけど、これは教師の勧めもあったんだっけか。それと、教師は、ひとりでサリンジャーに会いに行ったことをみんなの前で話せ、という。もちろん、話は兄貴のことから始まっていた。舞台で主演したのは、たしか、いじめっ子だったアメフト部のやつで、でも、この後、彼はジェイミーを見直すというか、尊敬の目で見るようになっていた。やっぱ、やりとげることは大事なのだよなと、思ったりするエピソード。あれこれ、出来過ぎな感じもあるけど、85〜99%が監督の実体験だなんて、うらやましすぎる。
ところで“ライ麦畑”でallcinemaを検索したら『ライ麦畑をさがして』(2001)というのも引っかかって。あらすじ見たら「少年院から出てきたばかりの18歳の少年ニールは、再び全寮制の名門高校に戻るが、なかなか周囲になじめずにいた。兄ピーターはゲイをカミングアウトし、ニューヨーク州知事の父は出世のことしか頭になく家庭を顧みない上、愛人を囲っている有様。そんな時、ニールは演劇クラスで美しい少女TJと知り合い、すっかり意気投合する。そして父からクリスマス休暇を取れないと言われた時、彼は校長の拳銃を盗み、TJを誘ってニューヨークへとヒッチハイクの旅に出るのだった。愛読する『ライ麦畑でつかまえて』のサリンジャーに会い、主人公ホールデンのその後を知るために…。」って、『ライ麦畑で出会ったら』とほぼ同じ。これは、どういうことなんだろうね。
・ディーディー役のステファニア・オーウェンが、そばかすだらけで、美人じゃないけど素朴でチャーミングで、知的で、世話役ぶりが母親みたいで、なかなかいい。
ファントム・スレッド11/15ギンレイホール監督/ポール・トーマス・アンダーソン脚本/ポール・トーマス・アンダーソン
原題は“Phantom Thread”。allcinemaのあらすじは「1950年代、ロンドン。レイノルズ・ウッドコックは妥協のない職人仕事で英国の高級婦人ファッション界の中心に君臨する天才的仕立て屋。そして神経質な彼が服のことに集中できるよう、雑事を一手に取り仕切るのが姉のシリル。ある日、レイノルズは若いウェイトレスのアルマに出会い、彼女を新しいミューズとして迎え入れる。彼女のモデルとしての“完璧な身体”に多くのインスピレーションをもらい、創作意欲をかき立てられるレイノルズ。しかしアルマは、レイノルズの単なるミューズという立場に甘んじる女ではなかった。そんなアルマの情熱的な愛情に、次第に厳格な生活のリズムが狂わされていくレイノルズだったが…。」
Twitterへは「で? な感じ。そもそも彼女の気持ち=思惑が、よく分からん。シスコンの仕立屋の、どこがいいんだ?」「登場した飲み物、ラプサン。食べ物、ポリッジ。検索して、ふーん。でも、すぐ忘れるはず。」
重厚そうな映像で淡々と話が進んでいくのだけれど、話の基盤がよく分からないので、よーく考えるとあれこれ変な話ではなある。レイノルズがアルマの身体を見立てたのは、分かる。モデルとして理想の体型だったのかも知れない。でも、顔はいかついし、セクシーでもない。レイノルズは採寸のとき「胸がない」といってる。で、ウェイトレスからモデル、は割りに合う選択だったのか? そこのところがよく分からない。つまり、アルマの狙いが不明なのだ。
レイノルズは、いつアルマと男女の関係になったのか。それが分からない。単なる性の対象だったのか。心のより所ではなかったと思う。レイノルズのより所は、姉のシリルだ。
とはいえ、レイノルズにとっての理想のモデルとして、アルマはレイノルズの家に住み、社交界でも一目置かれるようになっていく。それほどレイノルズの服は、女性たちの憧れということだ。とはいえ、アルマがレイノルズのためを思ってすることのすべては、レイノルズにとって余計なこと。仕事も暮らしも、すべてシリルが仕切っている。シリルはレイノルズのすべてを知りつくしていて、レイノルズはすべてをシリルに頼っている。あるまにとってシリルは、目の上のたんこぶだ。
というところで、ときどき描かれるのが、アルマのがさつなところ。食事のときもムダな音を立てるし、しなくていい、ということを敢えてしてレイノルズに嫌われたりする。アルマはレイノルズにフツーの男性の反応を期待し、レイノルズはアルマにマネキンでいることを要求している。不思議な関係。でもフツー、「そんなのは嫌だ」といって飛び出すのではないのか? なのにアルマはそうせず、なんとレイノルズに一服盛るのだ。毒キノコ。これが理解できない。そうまでして振り向かせたいのか?
この毒キノコ作戦は成功し、瀕死のレイノルズはアルマに身の回りの世話を頼り、これが原因なのか、レイノルズから求婚される。これでいよいよ本妻だ。こうなると羽を伸ばしたがるのは世の常。若い医師に誘われた年越しパーティで大騒ぎ、だけど、レイノルズに連れ戻されてしまう。生まれから来るのか、がさつさは相変わらず。夫はシリルの言いなり・・・。で、またまた毒キノコ作戦に。このとき、レイノルズは外国の王室だったからのドレスの仕上げの最中で、でも、よろめいてドレスを台なしにしてしまう。明日朝にはドレスを船に乗せなくてはならない・・・。で、社員のおばちゃんたちが総出で直すんだけど、看病はアルマが・・・。
なんとか難事を切り抜けたけれど、この結果、レイノルズの仕立て作業場の指揮は、アルマに乗っ取られて・・・。
というような話で、身も蓋もない感じ。やっぱり分からんのは、アルマの気持ちだよね。離婚慰謝料でももらって、若い男と楽しく暮らせばいいのに、なんでレイノルズを支配することにこだわるの? そんなのレイノルズがいいの? わけ分からん。
・エンドロールの最後に「ジョナサン・デミに捧ぐ」と出てきたけど、Wikipediaによれば「デミから大きな影響を受けた」と書いてある。
さよなら、僕のマンハッタン11/21ギンレイホール監督/マーク・ウェブ脚本/アラン・ローブ
原題は“The Only Living Boy in New York ”。allcinemaのあらすじは「ニューヨークに暮らす青年トーマス。大学卒業を機に親元を離れひとり暮らしを始めた彼は、初老の風変わりな隣人WFと出会い、いつの間にか人生の悩みを相談するように。そんなある日、想いを寄せるる古書店員のミミと入ったナイトクラブで父の浮気現場を目撃する。母のことが心配なトーマスは、浮気相手の女性ジョハンナを尾行するようになるのだったが…。」
Twitterへは「序盤はわりと退屈だけど、後半になって少し面白くなってきた。とはいえ、お話は、うーむ・・・。踏んだり蹴ったりのピアース・ブロスナン。美しいケイト・ベッキンセイル。それと、音楽がなかなかよかった。」
考えて見れば、ストーリーは三流のメロドラマだよな。マーク・ウェブは「(500)日のサマー』で繊細なところを見せたけど、以後はさほどでもないのかな。
坊ちゃん育ちで、作家になりたい気持ちはあるけど、編集者の父親に「無難だ」としか評価されず落ち込んでる。実はその父親も昔は作家を志したことがあるようなんだが。で、実家から離れたところでひとり暮らししてるんだけど、友だちもあまりいない。とはいえ書店でバイトしてる女学生のミミと友だち関係で、とはいっても一度だけ寝たことはあるんだけど、ミミには別に本命がいて、以後はさせてはくれない。なんだけど、友だち関係は維持しているという、よく分からん関係。のミミが、ザグレブに留学するかも知れない、などといいだして、ますます孤独感を強めてる、というところで、父親の不倫現場を目撃。ミミと2人で父親の会社を見張り、彼女が出てきたところで尾行するけどあっさり気づかれてて。問い詰めはするんだけど、逆に彼女ジョハンナに惹かれていき、ジョハンナもなぜか若いトーマスを求めてしまうという、おいおい、テキトー過ぎる話だな。
なので、冒頭からの話はとくに意外性もなく、退屈。ミミ役のカーシー・クレモンズが可愛いのと、ジョハンナ役の女性が美しい、と思ったいたら、彼女はケイト・ベッキンセイルで、『セレンディピティ』の女優なのか。そーか。相変わらず魅力的。
という本筋と並行して進むのが、トーマスのアパートの隣人で、最近越してきたらしいジジイのジェラルド。ん? ジェフ・ブリッジス? でも、髪が短くて立ってるとデヴィッド・リンチにも見えるけど、目鼻立ちはジェフ・ブリッジスだよな。でこのジジイがトーマスの話し相手になり、ミミの気持ちをこちらに向ける方法を伝授したりしつつ、トーマスの両親や不倫相手のことをあれこれ聞き出して。というか、何でも話してしまうトーマスもアホすぎるとは思ったんだが。あるとき、ジェラルドが著名な作家で、トーマスの話を元にして新作を書き上げていたことに気づく。
しかも、父親が開いた新刊パーティで遭遇したジョハンナにいきなりキスして、ジョハンナも燃え上がってしまうような場面もあって。いろいろ人物関係が錯綜し始めるあたりからやっと話に興味が湧き始めてきた。
で、最後の方に突然分かるんだけど。父親は子供をつくる能力がなくて、友人だったジェラルドに妻の相手を頼んでできた子供がトーマス。だからトーマスも作家志望になった、ということにしてる。トーマスの両親は家庭内離婚状態で、妻は公園で毎日、読書しつつ、生活は疲弊。父親はジョハンナと不倫、というか、妻と別れて再婚を目指してる、と。しかも、ジョハンナも再婚したがっていて、じゃあなんで息子のトーマスと不倫するんだよ、という話なんだが。てな過程で、妻の鬱状態はジェラルドに未練があるから、という話にしているのがよく分からないところ。数回寝て種をもらって終わり、ではなかったのか? もともと妻とジェラルドは両思いで、何らかの理由で別れ、現・夫と結婚した、というような話でもあれば納得するけど、そういう話もない。このあたり、説得力に乏しい。
でまあ、ジェラルドも実・息子のトーマスには会いたかったけどそれもできず、でも、トーマスの独立を知って(どうやって?)、隣に越してきて、訳知りジジイとして接するようになった、という設定だった。いやまあ、頭でひねり出した複雑関係メロドラマだよ。
不自然さが目立つところもあって。たとえばパーティで、ジェラルドかジョハンナに「あの子を傷つけないように」とか忠告するのは、なんで? な感じ。まあ、実父と分かる前だったけど、それにしても、素性をあまり明かさない作家として、赤の他人の下半身事情についてそんなことをいうのは、おせっかいすぎるだろ、とか思うぞ。それと、最後に近いところで、トーマスが父親の会社に乗り込み、ジョハンナのいる前で、ジョハンナと関係があることを告白して父親を狼狽されるところなど、それ言っちゃうか、と思うところ。いわずにしまい込むのが大人だろうに。
まあ、父親に嫌われていると思い込んでいたトーマス。実の子供ではなく、妻はジェラルドに心があることを知りつつも、トーマスの成長を見守ってきた父親との見解の齟齬が、わびしいというか、なんというか。だって、父親は、(実質的に)妻をジェラルドに乗っ取られ、愛人を、ジェラルドの息子に乗っ取られているわけで。踏んだり蹴ったり。お気の毒としか言いようがない。
どうやらジェラルドが書いたのは、トーマスの父親を主人公にした小説のようで、そこにジェラルドとトーマスの母親との関係も描かれている、のかも知れない。でまあ、成長したトーマスのことも。でも、そんなことを小説に書かれ、トーマスの父親は、これまたひどい扱いだ。ひどい扱いをされる父親役は、ピアース・ブロスナン。いいジジイになった。
とはいえ、最後に描かれるその後の状況では、父親はジョハンナとまだ交際しているし、母親はジェラルドの新刊営業に顔を出すようになっている。両親が離婚するのも、そのうちかなと。でも、トーマス自身はというと、本命と別れたミミが「いっしょにザグレブに来て欲しい」というのを振り切って以後、また孤独な感じになっていて。それで結局、よかったのか? 何もしなくても、変わらなかったんじゃないのか? と思わせるんだよね。
・音楽がよかった。ルー・リードの曲がキーワードになってるようだけど、実はあまり彼や曲を知らない。どこかの店のBGMに、ハービー・ハンコック? だかの曲がさりげなくかかっていたり、他にもエンドロールにはビル・エバンスの名前もあった。他の流行歌なんかも、何気なく流れてたりして、心地よい感じ。
・ザグレブ? 調べたらクロアチアの首都だった。これだけじゃ、分からんよな、字幕。で、そこの大学に行くということか? 意味あるの? というか、ミミのその後がどうなるのか興味あり。
30年後の同窓会11/21ギンレイホール監督/リチャード・リンクレイター脚本/リチャード・リンクレイター、ダリル・ポニックサン
原題は“Last Flag Flying”。allcinemaのあらすじは「ベトナム戦争を経験した元軍人のドクは、1年前に妻に先立たれた上、2日前には一人息子をイラク戦争で亡くしてしまう。悲しみに暮れる彼が頼ったのはベトナム戦争を共に戦った旧友サルとミューラーだった。バーを営むサルと牧師となったミューラーは、30年間音信不通だったドクの突然の訪問に戸惑いつつも、彼の頼みを聞き入れ、息子の軍葬に立ち会うべく3人で旅に出るのだったが…。」
Twitterへは「同窓会というから学校のかと思ったら大違いで。「なんのための戦争だったのか?」と、正面から問いかける話だった。」
割りとヘビーな内容なんだけど、サルがいつも冗談ばかり言ってるせいか、気持ちはそれほど落ち込まない。とはいえ、イラクで息子を失った元海兵隊員が、ベトナム戦争を戦った海兵隊仲間と3人で、遺体を受け取りに行くという話なので、それなりに考えることはたくさんある。ベトナムやイラクに対しては、「何のための戦いだったのか?」「国を守る戦いじゃないだろ」とつぶやきぼやく。なんだけど、海兵隊員としての誇りは失うことなく、愛国心に満ちている。このあたりの矛盾に満ちた構造は、日本人には分かりにくいのかも知れない。
とつぜんサルの店を訪れたドク。でも、サルは初めは気がつかない。「忘れたか?」でよくよく見て、渾名を思い出すというのだから、妙な感じ。どうやって調べた? には「ネットで」というのがおかしい。で「先頃妻を亡くした」「息子が戦死して、遺体を引き取りに行くんだが、同行してくれ」と頼み込まれて・・・。同様に、かつては酔っぱって騒ぐだけだったらしい牧師のミューラーもムリやり同行させて、の3人旅。
なんだけど、なぜサルとミューラーが同行しなくちゃならないのか、がよく分からない。いや、3人の過去の暗い思い出のせいなのか? でも、その全貌は結局わからなくて、少しばかりもやもやするんだが・・・。
かつてベトナムで、3人はもう1人の兵士を、苦しませて死なせた、というようなことを言っている。モルヒネがなかったから、とかなんだが。次第に断片的なことが知らされて。本来は帰国する予定が数ヵ月延びて。憂さを晴らしに基地近くの飲み屋か売春宿に行って大騒ぎし、そこで何かあった、らしい。で、事件の責任をドクがとって収監された、とか。でもドクは、その後、その軍刑務所があった基地で働くようになった、とかいう話もあったりして、ますます謎なのだ。はたして何があったのか? なぜドクだけが責任をかぶったのか? サルとミューラーは、ドクに申し訳なさを対して感じてないようなんだけど・・・。ドクの、一緒に行ってくれ、という頼みに応じたのは、やっぱり申し訳ないから? などと、疑念が渦巻いて仕方がない。
という点を除けば、反政府的姿勢が濃厚で、でもおちゃらけてるし、「私服で葬りたい」と抵抗していたドクも、最後は軍服での葬儀を了解する。さらに、だらしない恰好だったサルも、葬儀では海兵隊の軍服に身を包む。そんなに海兵隊は一心同体なのか? と思ってしまう。
ドク役をコメディアンのスティーヴ・カレルが演じていて、でも冗談は言わない。ギャップがあって、むしろ効果的かもね。
あと、興味深かったのは、海兵隊大佐と、部下のワシントン。ワシントンはドクの息子の戦友・友人で、遺体と一緒に一時帰国したところ。ドクの息子は名誉の戦死でアーリントン墓地に葬られる予定だったが、サルがあれこれワシントンから聞き出した。実はイラクの小学生に学用品を配る任務の途中、ワシントンの代わりにコーラを買いに店に寄ったんだが、そのときテロリストに後頭部を撃たれた、という。大佐は最後まではっきりいわないが、ワシントンがドクに説明することを渋々承知し、事実が告げられた。うーむ。戦場での死なんて、そういうのも多いんだろう。大東亜戦争時の日本兵だって、多くは戦病死、餓死だ。こうやって薄皮を剥ぐように、軍隊の秘密主義を暴いていったりしていたから、サルも軍隊は嫌いなのかと思っていたんだが、最後は軍服だもんなあ。よく分からん。
おかえり、ブルゴーニュへ11/26ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/セドリック・クラピッシュ脚本/セドリック・クラピッシュ、サンティアゴ・アミゴレーナ
フランス映画。原題は“Ce qui nous lie”。「私たちをつなぐもの」とかいう意味らしい。allcinemaのあらすじは「フランスのブルゴーニュ地方でワイン生産業を営む一家の長男ジャンは、家業に反発して家を飛び出したきり音信不通。ところが、老いた父の病状が思わしくないと知り、10年ぶりに帰郷し、妹のジュリエットと弟ジェレミーと再会する。ジュリエットは父の看病をしながら必死でブドウ畑を守ってきたが、醸造家として自信を持てずにいた。一方、大規模生産者のところの婿養子となったジェレミーも義父との関係に悩みを抱える日々。自身も離婚問題を抱えるジャンは、ジェレミーとともにジュリエットのワイン造りを手伝い始めるが、そんな矢先に父が他界する。ほどなく多額の相続税が問題となり、廃業の危機に直面する三兄妹だったが…。」
Twitterへは「話はよくある感じだけど、ワイン農家の1年が、いろんな面から見えて興味深かった。」
父親に疎まれていると思い込んだ長男ジャンが家出して世界放浪。父親の病気で帰国してみれば、ほどなく亡くなってしまう。後に残った問題は、相続税・・・。相続税が50万ユーロっていってたかな。まあ、日本円で7千万円以上か。もし家と畑をすべて売ったら600万ユーロ。9億円・・・。そんなするのか。なかなかリアルな話である。
というのが基本的な筋書きで。そこに長男の離婚危機、家を守りたい妹ジュリエット、ちょっとちゃらんぽらんな弟ジェレミーの家庭問題がからむんだけど、3兄弟の性格がわりとステレオタイプ。才能はあるけど父親につぶされる長男。がんばりやの妹。ダメ弟。まあ、安心できる設定ではあるけどね。
この映画、もっとも興味深いのは、ブドウ農園の1年が、わりと描き込まれてることだ。長男が帰国してまもなく、収穫。いつ(何曜日、とか、細かい)。それに、日当たりのいい場所、日陰では時期をずらす。サンプルの糖度・酸性度検査して、それから摘み取る。摘み取りはバイトを雇うが、やっかいなことも・・・。それと、除梗率ってのが登場したけど、意味の説明もない。皮を剥ぐ程度? ダメな粒を取り去る? 帰ってから調べたら、果梗とは「果実の柄になっている部分」で、除梗とは「ブドウの房から果梗を取り除くこと」らしい。粒だけじゃなくて、細い茎の部分も一緒に発酵させるということか。映画では、ジュリエットが「50%の除梗率」ですっきりしたワインに成功する。ジェレミーの義父は「30%」にしたけど、成功しなかった、とかいうようなことを言っていた。さらに、祖父が植えた葡萄の木を、もう花がつかないからと掘り返して捨てたり。でも、父親は、こうすることに反対していた、という話もしていた。このあたり、思い出より、実利、だな。あと、天気の読み方も、摘み取りには大事だとか、隣の畑の持ち主との境界線問題、農薬の使用・・・。3兄弟は、自然の絞り汁を使う、を売りにしているらしい。それと、ぶどう畑にも1級2級があるとか。あと、摘み取ったブドウを足でふんで潰してたけど、いまでもあんな具合にしてるのか? それとも、自然な製造方法を売りにしているジュリエットのこだわり? テイスティングも、3兄弟は子供の頃から父親から教え込まれていて、葡萄以外の醸造酒との違いを当てさせられてたり。と、そういうことが、不自然でなく、説明的でなく描かれているのが、心地よかった。
とはいえ、ちょっと戸惑ったのは、過去の映像(3人の幼い子供が登場する場面)が、はじめにそれと気づきにくいこと。子供3人が葡萄を食べさせられてるところは、近所の子供か、次男の子供の友だちにでも味あわせているように見えた。過去であることを分からせる工夫が必要なんじゃないか?
で。相続の件だけど、正直いうと、経緯がよく分からない。一部を売って相続税にするとか、家を売るとか、でも家だけ買うやつはいないとか、一部といっても一級畑がどうとか、分かるようで分からない。そもそも、オーストラリアに家族とぶどう畑があって、すぐにでも帰るかも知れないジャンの思惑がはっきりしない。なんでも自分も借金があるようだけど、残った遺産(畑)を金にとして欲しいのか? でも、そうはっきりは言ってなかったよなあ・・・。それに、分割して売るには、他の2人の兄弟が了承する必要があるともいってたし…。
さらに、畑を狙うのは隣の畑の持ち主、次男の義父とか登場するし。もやもや・・・。
て、最後に、解決策が提示されてスッキリ、かとおもいきや、なんだよそれ、な答なのだ。すなわち、畑は売らない。相続税は、手持ちのワインと、長男ジャンがオーストラリアに所有するワインを売って充当する。ジャンに対しては、長女と次男が、畑の賃貸料をこれから払い続けていく、というもので、そんなの誰でも最初に思いつくことだろうに。アホか。と思ったのだった。
あとは、そうね、ジャンの夫婦問題かな。どうも上手くいってなくて、それもあってジャンはフランスに帰省した節もある。ジャンが電話で妻と話す内容はよく分からなくて、でも、息子とだけは離れたくない感じがありあり。女房には、言い訳と説得みたいな感じで、どうなってんだ? な感じ。この状況を改善すべく長女がジャンに内緒でオーストラリアに電話して、それを受けて、妻息子突然のフランス訪問。しかも、久しぶりに会って燃えたのか、1度のセックスで夫婦仲が元通り、って、おいおい。夫婦も葡萄酒と同じで時間をかけて熟成が・・・とかいってたけど、アホか。都合よすぎる展開だな。
というようなところもあるけど、まあ、楽しめたかな。
・死んだ父親の古着のポケットに、長男への出さなかった返事があったりするのは、おいおい都合よすぎるだろ、な感じ。
ボヘミアン・ラプソディ11/27109シネマズ木場シアター1監督/ブライアン・シンガー脚本/アンソニー・マクカーテン
原題も“Bohemian Rhapsody”。allcinemaのあらすじは「複雑な生い立ちや容姿へのコンプレックスを抱えた孤独な若者フレディ・マーキュリーは、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラーたちと出会い、バンド“クイーン”を結成する。この個性的なメンバーの集まりは、互いに刺激し合うことで音楽的才能を開花させていき、常識にとらわれない革新的な名曲を次々に生み出していく。そしてついに、ロックとオペラを融合させた型破りな楽曲『ボヘミアン・ラプソディ』が完成する。しかし6分という当時としては異例の長さに、ラジオでかけられないとレコード会社の猛反発を受けるフレディたちだったが…。」
Twitterへは「洋楽音痴だけど楽しめた。フレディが拝火教信者の印度人で女性と結婚してたことに、へー。男色は後から目覚めたのか。で、なんで日本の神社札部屋に貼ってるの? それにしても他のメンバー3人がみな常識人でいい奴すぎるのもおかしい。」
クイーンを知らないわけではないけど、ずっと興味はなかった。せいぜいオカマっぽい短髪ヒゲのフレディ・マーキュリーがいた、という程度。死因も、ドラッグ? と思ってたし、30代で死んだのかなと思ってた。その程度。あと、フレディーノという大道芸人がいて、そのパフォーマンスでクイーンの音楽をよく耳にするようになった、かな。というところに映画のパブリシティなのかJ WAVEで毎日のように曲がかかるから、耳に染み着いてしまった。
ということで見始めて。フレディがバイト先で「パキ!」と呼ばれたり、反っ歯だったり、実家の両親はペルシャ? え、インド? なになに。となってしまった。さらに、知り合った洋装店のメアリーとさっさと恋仲になってしまう展開にも、えええ? な感じ。だって男色一本の人かと思ってたから。あとから分かるけど、フレディ死後はゾロアスター教の教えに基づいて火葬にされた、とか。なんか、英国ロックスターのイメージからどんどん離れて行くのが、おおお、だったかな。
前半のサクセスストーリーはヒット曲とともに。弁護士やマネージャーとか、周囲の心配を裏切って成り上がっていく様子は、見ていて楽しい。とはいえ、いかにして曲が作られたか、という発想の部分には触れられないし、フレディがどう作曲したか、もよく分からない。ドラマがないんだよなあ。と思っていたら、アメリカ公演で男に興味を抱き始め、マネージャーなのか音楽会社の担当なのか、よく分からんけど、その彼にいきなりキスされたり・・・。開花し始める様子が何気なく。とともにメアリーとの距離も開いていって、ついには別居、といってもすぐ近くに別宅を建てて移り住んだ? ということは離婚ではなく別居? メアリーは男友だちをつくり・・・、でもフレディとはお友達的関係。なんか変なの。フレディが「自分はバイセクシャルだ」と告白するとメアリーは「知ってたは。あなたは男色よ」とはっきり。うーむ。フレディの、女性相手のセックスが、どうだったのか興味があるな。
で、次のドラマはお定まりのグループ分裂騒ぎ。これ以前に、経緯はよく分からないけど、マネージャーとか2人を首にしたり、次第に傲慢になっていくフレディは、やっぱり魅力的ではない。という以前に、取り巻き連中の紹介がいまいちなので、弁護士、マネージャー、音楽会社の人間の区別や役割がよく分からないので、スッキリしないところもある。もしかしたらフレディの思い過ごしもあるかも知れないし、エイド(ウィ・アー・ザ・ワールドのことか?)への参加依頼も、よく分からない。というか、気になるのは解雇された2人のことで。彼らにも言い分があるんじゃなかろうか。自分たちの利益を優先しただけなのかね。分からん。
このあたり、フレディが同性愛者をあつめて連日の乱痴気パーティがさらりと描かれてるだけで、実際はどうだったのか。美化するために、手加減を加えてるとか、あるかも知れないしなあ。あと、メアリーとの関係も、なんか美しすぎる気もしないでもない。まあ、映画だから、な。
で、最後は1985年、英国でのライヴエイドでの20分。なかなかここは、ビリビリくるのではあるけれど。まあ、ピークがここだったと言うことか。死去は1991年11月24日。
・男色の相手は、発展場を漁ってた、ような描写もあって。ここでエイズに感染したのかな。でも最後は、かつて家で雇っていた男性とステディになったようだ。でも、そんな簡単に、相手が決まるものなのか。このあたりも、テキトーな感じ。背景をもっと知りたい。
・「ラジオからテレビ、売れたら日本公演だ!」っていうレベルなのか、日本は? とか、フレディの部屋に神社の札が貼ってあったり。ところどころに日本が登場するのも見どころ?
A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー11/28ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/デヴィッド・ロウリー脚本/デヴィッド・ロウリー
原題は“A Ghost Story”。“A”がついてるということは、いくつもある幽霊話のなかの「ひとつ」ということかな。allcinemaのあらすじは「アメリカ、テキサス州。CとMは郊外の小さな一軒家に住む若い夫婦。幸せな日々を送っていた2人だったが、ある日突然、夫のCは交通事故で亡くなってしまう。病院で遺体と対面したMは、夫の亡骸にシーツを被せると、悲しみをこらえてその場を後にする。しかし亡くなったはずのCは、シーツを被ったまま静かに起き上がると、そのまま妻のいる自宅へと戻っていく。そして、決して自分の存在に気づいてはくれない妻をただ見守り続けるのだったが…。」
Twitterへは「ぜんぜんホラーじゃない。むしろコメディだろこれ。陽気な音楽つけたら、大笑いできるぞ、きっと。」
静かで、静謐で、淡々とした描写。なんだけど、ムダにカット尻が長くてイラっとしたりする冒頭部分。なにかあるぞ・・・と思わせておいて、とくにない。と思わせておいて・・・。病院、夫の遺骸を延々あきるほど見せておいて、突然、すっくと上体を起こす。と、かけられたシーツをかぶったままの姿で、院内を歩き出す。んだけど、ぜーんぜん恐ろしさがない。キャスパー的西洋幽霊の実写。CG処理もしてなくて、フツーにシーツかぶってるやつがいる、にしか見えない。で、目の部分は穴が開いていて、幽霊も目玉で見るのかよ、とツッコミ。
冒頭部分。夫婦がいて、妻の方が、はっきり覚えてないんだけど、「出かけるとき、メモを書いて置いておく。帰ってきて、それを見ると、自分の存在が確かめられる」とかいうようなことを夫に言う。メモがキーコンセプトになっているのは、おいおい分かっていくんだけど、妻がなんて言ってたのか、はっきりと知りたいところだな。
夫婦のいる家では、突然ピアノが鳴ったり、ガタガタ音がしたり、なんか不穏。これまた伏線。
あと、引っ越すようなことを言っていて、妻はコンピュータで間取りを見ている。で、夫は呆気なく死んでしまい、シーツ幽霊になって家に戻ってくるんだが。引っ越す様子もない。んだけど、荷物を捨てたりもしている。かと思うと、妻が不在のときに友人やって来て、パイとメモを置いていく。メモには、塗装の見積もりを教えてくれ、なんて書いてある。ん? 夫は音楽やってたけど、妻は建築家? とか思ってたら、家財を運び出して室内のペンキ塗りを始めた。その途中でも壁の隙間にメモを隠し、上にペンキを塗っていく。なんか、よく分からん。でもやっぱり、妻は引っ越していった。なんなんだ? 見積もりって、なんなんだ?
というような間、幽霊夫はじっと何もせず妻のそばにいる。妻は、友人が持ってきたパイをむちゃ食いして吐く。これを1シーンで撮ってるんだけど、気になるのは、ルーニー・マーラはほんとにパイ食べたのかな、ってこと。ま、実はヨーグルトかも知れないけど。で、妻が引っ越していった後は、メモを取ろうとして、カリカリ指で擦るんだが。幽霊は、この世の実体に触れるのかよ。
あと、幽霊夫が窓から隣家を見ると、そこにも幽霊がいて、会話するんだよ。「こんちわ」「やあ」「誰を待ってるの?」「うーん、忘れた」とか、笑っちまう。
その後、ヒスパニックの母子家庭が引っ越してきて、ここで幽霊夫は食器をたたき割ったりして怖がらせるんだけど、これはポルターガイストになるのかね。でも、なんで関係ないこの家族にそんな意地悪をするんだ? 理解不能。
ののち、陽気なパーティの場面になって、そういう人たちが越してきたのか。なかで、ベートーベンの「運命」を引き合いに出して、文学も音楽も、意味がない。なぜなら文明なんていつか滅び、生き残った少数がまた新たな文明をつくるのだから。でも、それでも「運命」は最終的に残らない。地球はやがて太陽に飲み込まれ、最後は消滅するのだから。てなことを言っている。幽霊男は、ここでは意地悪はしない。
という後には、空っぽになって荒れた部屋が映る。幽霊男は、あきらめず、妻が壁の隙間に入れたメモを、相変わらずカリカリやって取り出そうとしてる。と、いきなり壁が壊れて、重機が入り込んできた。この場面がいちばん驚いたな。
古くなった家は、壊される運命にあった。で、残骸の上に、幽霊夫と、隣家の幽霊が2体。この場面も笑える。隣家の幽霊が「もう帰ってこない」とかいって、バサッと布だけになってしまう。未練を残してこの世に彷徨っていたのが、成仏したのか? キリスト教でもそういうの、あるのかね。
と、いきなりビル建設現場で、ということは、あんな田舎にビルが建つ時代がきたの? 完成したビル内を幽霊夫がうろつきまわるんだけど、そりゃ、お前の住んでた家のスペース外の領域だろ、とツッコミ。で、幽霊夫がビルから外を眺めると、周囲は大都会の光りの海。ええええ! あの場所が、こんな繁華街になったのか? うそー。かと思ったら、やおら幽霊夫がダイビング。
やってきたのは野っ原で、男が土地に杭を打っている。西部開拓時代の家族か。家を建てるんだ、とか言ってると、一家はインディアンに皆殺しにされたのか、矢が刺さって死んでいる。なんてことがあって、すでに家が建っているところに入ってきたのは主人公たる夫婦で、引っ越してこようかな、と不動産屋と一緒だった。なるほど。そうやってリンクするのか。はいいんだけど、ビルからダイビングは、過去に遡ったのか、あるいは、「運命」男が言っていたように、あの文明は一度滅びて、別の文明が勃興し、同じような経過をたどり、夫婦が入居してきたのか? どっだろ。「運命」男の話を考慮すると、後者のような気がするんだけど。だって、幽霊は能動的に、歴史の流れに逆らうことはできないだろ? それとも、タイムワープできるのか? また、後者だとしたら、幽霊は数10億年存在しつづけた、ということにもなるんだよなあ。さらに、歴史は同じように繰り返す、ということにもなる。それもムリがありそう。うーむ。
※監督談話によると、幽霊は人間の時間軸とは違う時間を過ごしているとか。ということは、タイムワープできると言うことか。でも、なんで開拓時代なんだ?
で、幽霊男がやったのは、ピアノを鳴らすこと、なんかで。冒頭の、部屋の異様な様子は、幽霊男の仕業だった、と(※監督の談話によると、妻が、送ってきた男とキスしているのを見て嫉妬し、それで音を立てたんだと)。さらに、夫の死後は、部屋に幽霊が2体になる。おいおい。それって矛盾しないのか? 最初に夫が死んだ後、部屋の中には幽霊夫だけしかいなかっただろうに。いや、実はもう一体いたんです、なのか? いや、実は何体も同居してたりして?
で、幽霊夫の方なのかな、が、懲りずに壁を擦り、妻のメモを引っ張り出し、中を読むなり、バサッと幽霊夫の中味はなくなって、布だけになって、END。さて、メモに何が書いてあったのかは分からない。
成仏できる閾値が何なのか、が曖昧。隣家の幽霊は、自分の待っている相手が分からなくなって、消滅した。でも、幽霊夫は、メモを見て消滅した。個々の幽霊によって、理由は様々、なのかね。だから「A」ゴースト・ストーリー、なのかね。なんか、辻褄があったようで、なるほど、と納得できるわけでもないという、隔靴掻痒な感じだな。
※監督談話によると、幽霊夫は妻のメモが読みたくて成仏できず、だから読んだ途端に消滅した、んだと。ふーん。
いろいろ、分からないところが多すぎて、うーむな感じ。
・画面がスタンダードで、しかも四角が丸くなってる。8mmフィルムみたい。画質は粗くないけど。

 
 

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